くにさくロゴ
【PR】姉妹サイト
 
#1
第004回国会 外務委員会 第1号
昭和二十三年十二月四日(土曜日)
    午前十時四十三分開議
 出席委員
   委員長 生越 三郎君
   理事 若松 虎雄君 理事 和田 敏明君
   理事 安東 義良君 理事 多賀 安郎君
      幣原喜重郎君    中村 嘉壽君
      竹内 克巳君    馬場 秀夫君
      細川 隆元君    園田  直君
      並木 芳雄君    松本 眞一君
      野坂 參三君
 出席政府委員
        外務政務次官  近藤 鶴代君
        外務事務官   大野 勝巳君
 委員外の出席者
        外務事務官   田中 三男君
        專  門  員 佐藤 敏人君
        專  門  員 村瀬 忠夫君
十一月二十九日
 委員戸叶里子君辞任につき、その補欠として山
 口靜江君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 國政調査承認要求に関する件
 中國における諸問題に関する説明聽取
    ―――――――――――――
#2
○生越委員長 ただいまより会議を開きます。
 第三回國会におきまして、本委員会は國際経済に関する総合的調査並びに講和会議に関連する諸問題に関する國政調査の承認を得ましたが、御承知の通り第三回國会は会期が非常に短かく、十分に調査ができませんでしたので、今國会におきましても、さらに一段と調査を進める必要があると思いますから、衆議院規則第九十四條により、國政調査承認要求書を議長に提出いたしたいと思います。それでは承認要求書を朗読いたします。
   國政調査承認要求書
 一、調査する事項 國際経済に関する総合的調査、講和会議に関連する諸問題
 二、調査の目的 國際経済の現状及び動向を調査し國民外交の樹立に資す、講和條約に関する準備研究
 三、調査の方法 官民各方面より意見聽取及び資料要求
 四、調査の期間 本会期中
  右によつて國政に関する調査を致したいから、衆議院規則第九十四條により承認を求める。
  昭和二十三年十二月四日
     外務委員長 生越 三郎
   衆議院議長松岡駒吉殿
 ただいま朗読いたしました國政調査承認要求書を議長に提出いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
#3
○生越委員長 御異議なしと認め、さようとりはからいいたします。
    ―――――――――――――
#4
○生越委員長 次に中國の諸問題につきまして、政府より説明を聽取いたします。
#5
○大野(勝巳)政府委員 本日は中國の問題に関しまして御報告をいたしますために参上いたした次第でございますが、説明員といたしまして、外務省調査局第五課長田中三男君を帶同いたしました。田中三男君は米國在勤の後中國在勤に轉じまして、長年月にわたりまして華北、華中等における重要なる地位を歴任された人でありまして、ただいま外務省におきましては、中國並びにアジア関係の調査、研究、立案等に関する事務の中心におる次第でございます。從いまして田中君が最もこのむずかしい問題につきまして御報告を申し上げるのに適任と存じまして、本日田中君から説明いたさせたいと存じます。その点御了承を願いたいと存じます。
#6
○田中説明員 ただいま紹介にあずかりました外務省調査局の田中でございます。中國の最近の状況について説明をしろということでありまするが、まずお断りを申し上げなければなりませんのは、終戰後われわれ外務省では、特別の海外の情報というものは持ち合しておらぬのであります。そこでわれわれが調査をいたしております資料は、結局一般の方々のごらんになつておりますような新聞、通信等に限られておりまするので、実際現地の実情について、正確な情報というものを持ち合しておらないのであります。そこで以下申し上げる事柄も、さような意味であるいは正確を失しておるような点も多々あろうかと思います。もしそれらについてあとでわれわれの方にいろいろ御教示を賜わることができますならば、今後そういう意味で参考になるかと存ずるのであります。
 まず中國の終戰後におきます問題、これはとりも直さず國共の内戰の問題が最大の問題でありまして、この内戰の問題こそ中國におきましては政治、経済、財政、外交その他あらゆる問題の根本になつておるということが言えるのであります。のみならずこの内戰の問題は、中國にとつてさようにきわめて重大な問題であるのみならず、これはアジアの問題として見ましても、また世界の問題としてもきわめて重大な意義を持つておることは申すまでもないのであります。昨年の暮に中國共産党の主席をしております毛澤東が年末報告を発表いたしておるのでありますが、その冐頭に、昨年の後半期にはいりまして中國の共産党は攻勢に轉じた。そうして各地の戰線において戰爭の主導権を握るに至つたということを報導いたしました。このことはきわめて意義がある。それは四億数千万の人口を有する國においてかようなことが起つておるからだ。さらにもう一つ重大なことは、アジア十億の人口を有する東方世界でこのことが起つておるからだ。かようなことを述べておるのでありますが、この言葉はあながち誇張であるということは言えないように考えられるのであります。実は最近のニユーヨーク・タイムスの社説を見ましても、この十月十日の双十節の日に、冷たい戰爭は二つの戰線を持つというふうな題で社説を掲げておるのでございまするが、その中で、最近におきまするアジア各地における共産勢力の台頭を論じまして、しかしながら何といつてもこの共産党の勢力が最も大きな活躍をしておるのは中國である、中國こそその決戰場ということが言える、この中國の運命は、結局は遠からずアジア各地にも影響を及ぼすということが考えられる、もしかようにしてアジアの各地が西欧の世界から切り離されるということになるならば、これは西欧の世界にとつてもきわめて重大なことであつて、今日の平和を維持する、今日の自由を亨樂するということは非常にむずかしくなる、かように考えてみるならば、今日中國において蒋介石政権が共産党と戰つておるということは、結局それはわれわれの戰いであるということが言える。かように論じておるのでありまするが、このニユーヨーク・タイムスの社説も、結局はさつき申し述べました毛澤東の言葉と中國の内戰の問題の重大性を指摘しておる点において、相一致しておる点があるように考えられるのであります。さてこの中國内戰の状況は一体どういうようになつておるか。これは毎日の新聞が報道しておるのでありますが、しかしこの内戰の現状を御説明するにあたりまして、一應支那事変が起りました当時の中國共産党の勢力及び終戰当時におきまする中國共産党の勢力というものを一應簡單に振り返つてみたいと思うのであります。支那事変が起りました当時、中國の共産党は陜西省の延安に首都を移しておりまして、この地方を中心といたしましてソビエト政府をつくつておつたのであります。当時の兵力は五、六万であつた。かように推定いたしておるのであります。これが支那事変が起りますと、御承知のように國共の第二次の合作をいたしまして、そうして事変の拡大につれて日本軍が北支から順次國民政府の軍隊を撃退して行くにつれまして、中共軍の方はその背後地帶に入り込んで参つたのであります。
 かようにして中共軍は順次主として北支那の農村地方に勢力を伸ばして参つたのでありまして、特に太平洋戰爭が起りますると、中共側ではもつぱら党勢の拡張という点に重点をおいた模様でございまして、当時七・二・一政策という政策を中共側はとつたように言われておるのであります。と申しますのは、中共側は十のうちの七の力をもつて、もつぱら中共の党勢拡張に努力する。残つた二の力をもつて國府攻略をする。これは言葉は奇妙に聞えるのでありますが、当時なお國共の相克摩擦が頻繁に繰返されておつたのであります。そこで中共側は政府側に対して、中共の合法的地位の承認を要求するとか、また中共軍に対する武器彈藥その他軍夫の補給を要求するとか、またある場所では中共の兵隊が、政府軍のために包囲攻撃を受ける、かような事件もしばしばあつたわけでありまして、かような攻撃を中止させる、かような対國府政策に二割の力を用いる。そうして残つた一割の力をもつて日本軍に対抗する。かように七・二・一政策という政策をとつておるのでありまするが、これを見ましても、いかに中共が自分の勢力の拡大に力を注いだかということがうかがえるのであります。かようにいたしまして、終戰の当時におきましては、旧黄河以北の北支那の農村地帶には、中共の勢力はほとんどすみずみまで行き渡るという状況でありました。注目されますのは、これらの地域に政府側の軍隊というのはほとんど姿を見せておらないのであります。当時日本軍は点と線を保持しておつた。こういうようにいわれるがごとく、大都市と、これを結ぶ鉄道線路並びにその沿線を主として確保しておつたのでありまするが、これらの地点を除きました農村には、もつぱら中共側の勢力が確立されておる。北支那におきましては、わずかに山西省の西南の山岳地帶に閻錫山の兵力が残つておる。また内蒙古は御承知のように、包頭の奥の五原地方に傅作儀軍の軍隊がおつた。そのほかにはほとんど政府の軍隊というのは姿を見せておらないのであります。また当時におきまする満州並びに中支那、南支那の状況を一瞥して見ますると、満州におきましては、満州事変の当時から日本軍に抵抗しておりましたいわゆる共産匪、これは満韓鮮――満州人、中國人並びに朝鮮人の混合の共産匪であります。これが満州の東北の山岳地帶に残つて抵抗を続けておつたのでありますが、その兵力は約二、三万と推定せられておるのであります。なお南の方の熱河の方面では、華北省の方から中共の李雲昌という軍隊が終戰の前年ぐらいから熱河省の山岳地帶に入り込んでおるのであります。この兵力は大体五、六万程度でなかろうかと推定せられるのであります。また今日戰場になつておりまする中支那の地方には、これまた有名な新四軍という中共の軍隊がおつたのでありまして、今日徐州蚌埠の作戰に從事しておりまする陳毅という中共の將軍の率いておりました新四軍が、大体揚子江の北方の江蘇省、安徽省方面におります。大体その兵力は十万ないし十五万程度と推測せられるのであります。揚子江以南には、今日と同様にまだ大して中共の勢力はなかつたのでございまして、わずかに海南島の山岳地帶、それから廣東の周辺の農村並びに雷州半島附近、これらの地域に三万程度の共産軍が残つておつたのであります。かようにして終戰当時におきまする中共側の兵力量と申しますのは、これはまたいろいろの推定があるのでありますが、終戰の直前の四月に毛澤東が有名な連合政府論というものを出しております。その中に引用しております兵力は、中共の正規軍が九十一万ということを言つておるのであります。もしこの数字が確かであると考えまするならば、今申しまするように、満州の熱河方面の数万の兵力、中支那の十四、五万の新四軍の兵力並びに海南島及び廣東附近の三万ばかりの中共軍、これを除きました約六十五万ばかりの中共の軍隊というものが、もつぱら黄河以北の北支那にがんばつておつたということになるわけであります。この当時さような状況のもとに終戰になつたわけなのでありますが、終戰になりますと、実は終戰前からでありますが、ドイツが降伏いたしました当時、すでに中共側では遠からず日本の全面降伏があるという予想のもとに、満州の接收計画を立てて準備をしておつた模様であります。さようにして終戰になりますと、いち早く満州の占領に主力を注いでおるように見受けられるのであります。中共側の主力は、目下人民解放軍の総司令をやつております林彪の指揮いたしまする中共の軍隊が主として山東方面から渤海湾を渡つて満州に入り、これがハルビンを中心とした北満に入り込んでおるのであります。大体その兵力は十五万程度と考えられるのであります。それから南満州の方面は、終戰の前から熱河方面に入つておりました李雲昌の軍隊が、さらに華北から應援を得まして、長城線を越えて、主として南満州方面に入り込んで行つておるのであります。大体その兵力も十五万程度かと考えられるのであります。両者合せて三十万の兵力、さらに現地にありました雜軍を支配下に入れて、約四十万ないし五十万の中共軍ができたように考えられるのであります。この数字は、実は終戰の翌年中共の幹部であります周恩來が、当時の東北における中共軍が四十万――正規軍三十万、さらに雜軍十万、合せて四十万であるということを言つておるのでありますが、大体四十万ないし五十万の中共の軍隊が満州にあつて、今申しますように、満州の各地の占領に努力した、かように考えられるのであります。これに対しまして政府側の終戰のときの作戰と申しますか、方針――これは別にそうはつきりした文書があるわけではないのでありますが、いろいろの報告なり、発表なりを総合してみますと、大体政府側におきましては、中共の部隊というのを主として北支那の農村地帶、すなわち從來からの中共の勢力範囲内にいわばカン詰にしておいて、満州並びに満州を含んだ全支にまたがりまして、日本軍の占領しておつた都市並びに地方はもつぱら政府軍の手で接收する、こういう計画を立てているようであります。これは当然の話なのでありますが、さようにいたしまして、中支にありました新四軍に対しましても、嚴重な命令でもつて北支那に移駐を命令しているのであります。一時は揚子江の北方面にありました新四軍も山東方面に引揚げているのでありますが、かようにして北支那の地方に中共軍をできるならばカン詰にしておいて、満州並びにその他各地の日本軍の占領地域を政府軍の手でもつぱら接收をする、かような計画を立てたらしいのでございますが、しかしこれに対しまして中共側は――毛澤東が言つているのでありますが、全抗日戰を通じて実は中共は七割の抗日戰を受持つて來た。かような事実から見て、われわれも当然日本軍の投降を受理し、日本軍の占領地域を接收する権利があるということを政府側に強く主張しているのであります。もちろんこれに対して政府側は應諾しておらぬのであります。そこで中共側は先ほど申しますように満州にいち早く兵を集中させまして、各地の地点を押えると同時に、北支那におきましても、それぞれの地点の占領の計画を立てておるのでありまして、北上して参ります政府軍を妨害するためにはいろいろ交通線を破壞するとか、あるいはそれにもかかわらず北上して來る政府軍に対しては、武力をもつてこれを粉碎する、かような作戰を立てているのであります。そこで政府側では、主としてアメリカ側の援助のもとに、一部は飛行機をもつて北京、天津、済南等の各都市に兵力を輸送する。また大半はアメリカの援助のもとに船でもつて兵力を北支那に送りまして、アメリカのマリンの援助のもとに北支那の接收をはかつているのであります。また満州に対しましては、これは政府側は非常に準備が手間取つて、終戰の翌年の三月ごろになりましてから、ようやく兵を満州に送り込む、こういうような状況であつたのでありますが、しかしその当時は政府側の軍隊というのは非常にまだ勢いがありまして、満州に入りました政府軍のごときも、二、三箇月にして南満州から長春並びに吉林の方面まで、一挙にこれが接收に成功いたしているのであります。御承知のように終戰の直後にはアメリカのあつせんのもとに、政治協商会議が行われ、國共妥協の話合いが進んだわけでありますが、しかし両者の妥協というのは結局政府の失敗に終りまして、終戰の翌年の六月の終りに、満州におきます一時的な停戰協定が破れましてから、満州、華北、華中各地におきまして全面的に両者の戰爭の火ぶたが切られておるのであります。かようにして両者の戰爭は全面的な戰いに入りまして今日に至つたわけなのであります。その間の事情は時間もありませんので省きますが、最近の情勢を概略各地について申し述べて行きたいと思います。
 今日はもう申し上げるまでもなく、満州は長春、奉天が陷落し、錦州、葫芦島方面からも政府軍が撤退し、また熱河省の承徳からも撤退する。かようなわけで全満州は中共側の支配下に入つておるというわけであります。また華北の状況は、先般済南が陷落してから、山東省はわずかに青島が政府側の手に保持されておるにすぎないのであります。また北では御承知のように北京、天津と、それから北京、天津から東に塘沽、唐山に至る線、それから北に延びまして張家口、大同、綏遠に至る地区、この細長い地区を、北京に総司令部を持つております傅作儀軍がこれを保持して防衞をしておるわけであります。また山西省では太原に閻錫山がまだがんばつておる、こういう状況であります。これらの華北の状況を大観いたしてみますと、大体もう九割程度が中共側の支配下に入つておるのではないかと考えられるのであります。目下戰爭は主として華中方面、すなわち揚子江と旧黄河との中間地帶でもつて両者の攻防戰が展間せられておるわけであります。最近の新聞が報道しておりますように、徐州、蚌埠、それから南京に接近して來た地方へ大きな戰爭の中心が移りつつある、こういう状況のようであります。大体華中、すなわち揚子江以北の華中におきましては、目下の状況は大体五割程度が中共の支配地域に入り、政府側は五割少し足らずかと思いますが、政府側が五割程度の地域をまだ支配しているのではないか、かように見られるのであります。揚子江以南の地域につきましては、先ほど申しました終戰当時から今日まで大きな変化はないのであります。これらの地方に中共側は、それぞれ各地に地方政府と申しますか、政府を建てておりまして、満州には東北解放区というのができておるようであります。ハルビンにその本部がありまして、東北行政委員会というのができておるようであります。それから華北では、この八月の終りに華北人民連合政府というのが石門にできておる模樣であります。これらの地域は大体河北省と山西省の東半分並びに察哈爾省、それから河南省の北部、大体隴海線以北のようであります。ここに華北解放区というのがありまして、華北解放人民連合政府というのができておるようであります。それから西の方では山西省の西半分と陜西省及び甘粛寧夏の一部分を合せまして、ここに西北解放区というのができておる模樣であります。また東の方では山東省と江蘇省及び安徽省の一部を加えまして、ここに華東解放区というのができておる模樣であります。この華東解放区は先ほど申しました新四軍を率いております陳毅の支配下に入つておる模樣であります。それから目下戰爭の繰返されておりまする河南省並びに湖北省方面には中原解放区というのができておる模樣であります。これの司令官は劉伯承という中共の將軍のようであります。
 それから西の方には、大体湖北省でありますが、ここには西南解放区というのができておる模樣であります。
 大体以上申しますように東北解放区――満州でありますが、東北解放区と、華北解放区、西北解放区、西南解放区、中原解放区、華東解放区、そういう六つの大きな中共の地区ができ上つておるような模樣であります。これが大体の最近の状況でございますが、そこでこの政府側の態勢というのは一体どういうふうな状況になつておるか、これまたわれわれは正確な資料を持ち合さないのであります。新聞その他のニユースを総合したにすぎないのでありますが、政府側の現在の態勢というのを大体兵力の点、財政経済の点並びにアメリカの対華援助の点、この三つの点から御説明をしてみたいと思うのであります。政府側の兵力量につきましては、これまた正確な材料は持ち合さないのでありますが、この六月の終りに、ちようど当時開封が中共の手に陷つた直後でありますが、何應欽國防部長が行政院の祕密会議で報告したという数字が新聞に傳わつておつたのであります。これによりますと、当時、六月の終りでありますが、政府側の兵力量は二百十八万ということが発表されております。これに対しまして中共の正規軍は百五十万ということを何應欽國防部長は言つておるのであります。中共の百五十万の兵力量は今日も大差がないのではないかと思うのであります。大体中共の百五十万の兵力の配置は、これも非常に乱暴な推定でありますが、大体満州に五十万、華北に五十万、それから今日猛烈な戰鬪の行われておりまする華中に約五十万、こういうふうな配置と見て大きな間違いはないのじやないかと思うのであります。これに対しまして政府側の二百十八万の兵力量は、その後も御承知のように満州で約三十万の兵力を失つております。また済南陷落の当時、あそこにおりました王耀武の率いておりました部隊は約十五万あつたのじやないかとわれわれは推定しておるのであります。これも失つておるわけであります。また太原の閻錫山の部隊、これは十万ないし十五万持つておつたのじやないかと思うのでありますが、これが中共側の攻撃を受けまして今日は半減をしておる、こういうふうにいわれておるのであります。これらの兵力の喪失を二百十八万から引きますと、大体百五、六十万の兵力になるのでありまして、兵力の点において今日中共と政府軍とはほぼ伯仲しておるのじやないかと考えられるのであります。この政府側の百五十万余りの兵力は実は各地に分散しておりまして、しかも戰爭全般が昨年の下半期から中共側に主導権を握られたという関係上、必ずしも行動の自由を持つておらないように見受けられます。政府側の百五十万の兵力の大体の配置は、御承知のように北京に本拠を置きまする傳作儀軍が約二十万ばかりかと想像せられるのであります。太原の閻錫山の部隊が七、八万ないし六、七万、かように思うのであります。また隴海線の西の端の西安には胡宗南の部隊が陣どつております。この兵力量が約十二万といわれておるのであります。この西安の胡宗南の部隊は中原の作戰に移動を開始したというようなニユースも出ておつたのでありまするが、その後移動中であるかどうか、最近はニユースが絶えております。それからさらにもつと西の蘭州には張治中の部隊がおることになつておるのでありますが、この兵力量ははつきりはわからないのでありますけれども、きわめて古いニユースでありますが、約二十万の兵力があるということになつておるのであります。今日なお二十万の兵力をもつておるかどうかよくわかりませんが、少し古いニユースでありまするが、そういうふうになつておるのであります。それから漢口には、白崇禧ががんばつておるわけでありますが、その部隊は約二十万程度じやないか、かように思うのであります。徐州には劉峙將軍が約二十万ないし二十五万の兵力を持つておつた。最近の新聞でも、二十五万の兵力が徐州脱出して南方に下つておるというような報道があるのであります。それから最近まで鄭州、開封方面に約十万の政府軍がおつたのでありますが、これらの地域を撤退いたしまして、その十万の兵力が大体蚌埠方面に出ておるのではないかと思うのであります。南支那では廣東に宋子文廣東省首席が、河南の綏靖総司令に同時に任命になつておりまして、その配下は保安軍十五箇師、約十五万の兵力かと考えられるのであります。そういたしますと、これらの兵力をいろいろ差引いて見ますると、残る兵力が三十万内外になるわけなのでありまするが、もちろんこれもきわめて乱暴な計算でありますので間違つておるかと思うのでありますが、大体この兵力が南京、上海方面の防衞に当つておる、また当るのでないか、かように考えられるのであります。これを一口に言うならば、案外上海、南京方面の防衞軍は手薄であるということが言えるかと思うのであります。
 次には政府側の財政状況であります。これは政府側の財政は、最近の幣制改革並びにその後の幣制改革の状況によつて最も端的に現われておる、かように思うのであります。御承知のように法幣はほとんど天文学的数字のインフレを示しておつたわけでありますが、これに対しまして政府は八月の十九日、大英断をもつてこれを一挙に三百万分の一に切下げて、新しい金円制度というのをつくつたのでありますが、この制度に対しまして、政府側は一連の経済財政の戰時的な、きわめて消極的なる財政経済政策をとつて、力でもつてこの政策の強行をして來たわけであります。この政府の財政は、これも一般に廣く新聞に出ておりますように、大体七割ないし八割まで軍事費に使われているものであります。しかもその七割、八割の軍事費というものは、結局赤字でもつて、從來は法幣の増発によつてこれをまかなうという方針をとつて來たのであります。そこに法幣インフレの最大の原因があつたのでありますが、新金円に切りかえましても、この根本の点については何ら手が打たれておらないのであります。すなわちその後財政部長の報告によりましても、新金円になりましてから二個月間に政府財政の赤字が五億金円出た。こういうふうに報告をしているのでありますが、結局軍費というものは紙幣の発行によつてまかなわれて來る。こういう方法なのでありまして、そこに幣制を改革いたしましたけれども、結局うまく行かなかつたという原因がひそんでおつたわけであります。これに対しまして先ほども申しまするように、政府側は非常に強硬な政策でこれを維持しようという一連の経済財政政策を立てたわけでありまするが、これまた新聞をにぎわしましたように、上海においては蒋経國が武力をもつて非常に強硬な経済取締りをやつた。しかしながらこの経済原則に反した取締りというものは結局失敗いたしまして、蒋経國も十一月の初めに謝罪文を公表して辞職をした。同時にこの経済政策の失敗を理由に、オウブンコウ行政部長も辞職をした。これが大体の状況でありまして、この辺からも危機が傳えられている。ある人にいわせるならば、満州の失陷よりもむしろ上海方面における経済財政政策の失敗の方がより大きな影響を政府側に與えているのではないか、かように言う向きもあるのであります。これに対しまして一つ問題になりますのは、米國の対華援助であります。毎日の新聞が報道しておりますように、中國側は米國の対華援助をしきりに懇願しているのでありますが、この米國の対華援助の現状について簡單に御説明をしてみたいと思うのであります。
 御承知のように今年の初めに、現アメリカ政府は五億七千万ドルの対華援助法案を議会に上程したのでありまして、結局議会の削減を受けまして、四億ドルの対華援助法案がきまつたのであります。この四億ドルの対華援助は、二億七千五百万ドルが経済援助であり、残りの一億二千五百万ドルが軍事援助になつておるのであります。最近までのこの援助の状況を見てみますと、きわめて大ざつぱに見まして、二億七千五百万ドルの経済援助の約半分は米國内における物資の買付が済んだというのが大体最近の状況のようであります。しかしこれらの物資は、まだ中國にはほとんど到着しておらないという実情のようであります。軍事援助の一億二千五百万ドルについてはほとんど全額の買付が済んだ、そうしてその第一船が十一月の二十九日に上海に到着する、こういうふうな報道が最近新聞紙上に載つたのであります。かような状況のようであります。すなわち経済援助については約半額の物資の買付は済んだけれども、まだ中國には到着しておらない。軍事援助については全額の買付を終つて、第一船が最近上海に着いて、続々あとの分も到着するであろうと思うのでありまするが、かような状況のようであります。これに対しまして中國側はさらに多額の、しかも早急の援助というものをいろいろ要求しておるようでありまして、最近も宋美齢夫人が渡米をいたして、トルーマン大統領あるいはマーシヤル國務長官に会見をしておるように傳えられております。これに対しまして一体アメリカ側はどういう方針をとるのであろうか。これはいろいろの臆測が行われておるのでありまして、また共和党方面では從來からそうなのでありまするが、対華援助をさらに積極化しろというふうな意見も出ておるのでありまするが、しかしどうも從來のトルーマン大統領並びにマーシヤル國務長官の態度、方針から見ますると、この際多額の援助が新たに行われるかどうかということは、一般に疑問に見られておるようであります。
 以上をもちまして大体中國側の状況の説明を終らしていただきたいと思うのでありまするが、そこでもつて中國の内戰の將來というのはどういうふうになつて行くだろうか、これは非常に大きな問題であり、われわれごとき者が一國の運命を占うというような大胆なことはできないのでありまするが、ちようど最近のニユーヨーク・タイムスにコロンビヤ大学のペツフアー教授が――非常にアメリカにおいても有名な中國通でありまするが、ペツフアー教授がニユーヨーク・タイムスに中國問題について論文を寄稿いたしておるのであります。そのごく大要を披露いたしまして私の御説明を終らしていただきたいと思うのであります。ペツフアー教授のこの論文によりますると――これは要点だけをごく簡單に御紹介したいと思いますが、ペツフアー教授によると、中國の事情にいささかでも通じておる者にとつては、満州が失われ、華北が満州と同じような運命に陷るだろうということは、もう久しい前からよくわかつておつたことだということを言い、現在非常にはつきりしている一つの事柄は、蒋介石政権がよろめいておるということだ。しかしこれが將來どういうふうになるかというふうなことは、もちろんこれはだれにも予言のできないことだが、しかしあるいはこれによつてこの政府は倒れるかもしれないし、あるいはうまく行くならば、一地方政権として残つて行くというふうなことになるかもしれない。この点においてペツフアー教授は、今後國民政府、中共の政府が、たとえば揚子江を境にして南北の両政権の対立というようなことは予想をいたしておらないのであります。むしろ崩壊するか、あるいは地方政権になるか、どちらかであろうというふうなことを申しております。この次に來るものとして、それは連立政権か、連合政府というのが予想せられる。しかしこの連合政府はもちろん共産党が指導権を握るのであつて、ただお飾り的にいろいろの中立分子を並べ立てるであろうが、結局それは共産党の指導する政権である。かつてマーシヤル元帥が二年前中國において國共妥協に努力した当時ならば、純粹の意味の連合政府、連立政権というのができたであろうけれども、今日ではもはやそういう形の連立政権というのは考えられない。かように言つて、結局現在の國民政府と中共側の妥協というようなことは見込みがないという意味を述べております。さらに中共の政策といたしまして、共産党は常に公言しておるがごとく、結局マルキシズムを信奉し、またマルクス主義的な社会を実現しようというのが、彼らが日ごろから口に唱えておるところであつて、アメリカの一部で行われておるような、共産党は單なる農業改革者であるというふうなものとは違うということを言つておるのであります。さらに中共が今後とるであろう政策について、対内政策と対外政策とにわけて、対内政策については、中共側は中國の工業技術というものは非常に遅れておる。また余剩資本というものもほとんど欠いておる。かようなきわめて工業化の程度の低い國であるので、ただちに共産化をやるというようなことはできないということを中國共産党はよく知つておるので、おそらくはさような純粹の共産主義的政策をとるに至るまでは、まだ数段の過渡期を経ることになるだろう。この過渡期においてはかなり高度の私有財産制というものや、個人企業制というものを認めて行くであろうし、また政治的には代議的民主政治というようなものもつくつて行くであろう、かようにペツフアー教授は言つておるのであります。対外政策については、これは最近のユーゴスラビアのチトー問題と関連いたしまして、このチトーの問題というのは、中國共産党と関連していろいろな意味において興味があるというようなことを説明いたしまして、まず中國人というのは、ユーゴスラビア人がスラブ族に対して感ずるような血統的な近しさというふうなものを、中國人はロシヤ人に対しては持つておらない。のみならず中國人は、一般的に言つて本能的に白人というものに対して猜疑心を持つておる、かような民族であるということ。さらに中國の共産党というのは、過去ほとんど三十年間にわたつて独自の歩み方をやつて來た、きわめて自主性の強い共産党である。こう言うのであります。それから第三点として、中國において共産党が成功するためには、國内の工業化ということが必要である。そうして中國における工業化を実現するためには、どうしても海外から資本財を獲得して來なければいけない。これはクレジツトによつて資本財というものを手に入れなければ、中國の工業化ということはできない。かようなクレジツトによつて資本財を供給し得るのは、結局米國以外にない。そうするならば、結局米國の援助がなければ工業化はできず、工業化ができなければ共産党は成功しない、かようなことも考えられる。さような意味において中國の共産党はあまりにロシヤに接近をして、そうして米國側と疎遠になるというふうなことはしないかもしれない、こういういろいろなことが考えられるのであるけれども、しかしこういういろいろな事実があるにかかわらず、最近の中國共産党の過去二箇年の動きというものを見ておると、結局米ソ関係というものを如実に反映して來ておる。こういうような意味において、米ソの関係が今後対立惡化するというようなときには、中國共産党は当然にソ連側に属することになるだろう、かようなことを言つておるのであります。最後に米國のとるべき方法として、ともかくも中國の共産党が今後かりに米國との関係を断つというような場合を考えてみましても、さような場合には國内の工業化なり、あるいは行政機構の整備なり、あるいは一般の組織化というような点に多年を要するのであつて、その間には米ソの今日のような対立ということもどう動くか、これは予測がつかないので、場合によれば、米ソの両方の妥協によつて、中國問題等についても新たな解決の方法があるということも考えられるかもしれない、かりにそれが考えられないようなことが起るとしても、ともかく米國としては、その際における行動の自由というものを保留しておくのが賢明な方法だ、かように言つて、米國が今後中國に対してとるべき道は三つある、一つは現在の援助を継続することだ、しかしこれはきわめて無意味なことで、ただいたずらに金をまきちらすだけだ。第二には強力な干渉を行つて、中國をテーク・オーバーするということだ。第三は全然放任して手を離すということだ。これら三つにはいろいろの危險がそれぞれ伴うのだけれども、いろいろ考慮して見るならば、結局放任をして、そうして米國側としては行動の自由をこの際保留すべきだ、かような結論を出しておるのであります。この結論は別といたしまして、このペツフアーの論文は、中國の將來のいろいろの問題について、いろいろな意味において示唆に富んでおるように思いますので、ちよつと御紹介を申し上げたわけであります。
 以上をもちまして私の説明を終らしていただきたいと思います。
#7
○生越委員長 ただいまの政府の説明について、質疑はありませんか。
#8
○幣原委員 ただいまの御説明によりまして、國民軍と中共軍との対峙しておる双方の情勢は、大分明らかになつたのでありますが、大体におきまして中共軍は各地に進出の勢いを示しております。これと同時に、國民軍ははなはだ不利な地位に立つておるように思えますが、一体その根本の原因はどこにあるのでありましようか。あるいは作戰計画の優劣というような点にあるのか、また政治上あるいは経済上の理由があるのでありましようか。かような点をあまり詳しく論及することは、はなはだ穏やかでないという点もあるだろうと思いますから、もしおさしつかえがあるというお見込みなら、これはまつたく御答弁をいただかなくてもよろしうございますが、さしつかえない範囲内において、大体のわれわれの頭をつくる事実を、ひとつでき得るなら伺いたいと思うのでありますが、いかがでありましよう。
#9
○田中説明員 これは実は最初にもお断りいたしましたように、われわれ現地の実情を実際に見ておりませんので、ほんとのことはわからないのでありまするが、しかしいろいろの報告なり、書きもの等を総合した結論を、あるいはこれは私見にわたると思うのでありまするが、説明さしていただきたいと思うのであります。中國の共産党のとつておりまする現実の政策と申しまするのは、これは結局新民主主義という言葉で現わされておるのでありまするが、この毛澤東の唱えておる新民主主義というものは、彼によりますと、結局それは三民主義であるということを言つておるのであります。ただ三民主義と違うところは、三民主義によれば、三民主義を実行すればもうそれで理想が実現された、かように考えるけれども、新民主主義によれば、もう一段の革命を考えておる。それは新民主主義ができ上つたときには、次には社会主義革命をやるのだ、こういうふうに革命を二段に考えておる。その点だけが三民主義と違うのだ、現状においては三民主義というものと新民主主義というものとは同様である。こういうことを言つておるのでありまして、結局中國共産党は孫文の唱えた三民主義を実行しておる、こういうふうに言つておるのであります。この三民主義は、申し上げるまでもなく民族主義、民権主義、民生主義なんでありまするが、何と申しましても、重点は経済政策である民生主義に置かれるわけなのでありますが、三民主義に説いております民生主義は、結局地権の平均と資本の節制ということを説いておるわけです。このうちで結局地権の平均という、土地問題というものに対して、中國共産党が一應具体的に政策を実施しておるという点が、結局非常に大きな共産党の魅力になつておるのではないか、かように考えられるのであります。毛澤東の言つておるところによりますると、結局中國の四億数千万の國民のうち八割が農民である。その八割の農民のうちで、地主といわれるのは八%しかない。九二%は小作人あるいは日雇い農夫もしくわ一部分しか耕す土地を持つておらないような貧しい農民である。この農民の九割二分を占めておりまする貧しい農民、これらの要望、すなわち自分の耕す土地を自分のものにしたい、この要望にこたえてやる。これが結局中國共産党の土地政策にほかならないのでありまして、毛澤東はこの貧農の要望にこたえてやるということと、それから同時に中農――大体自分で自作のできるような中農を味方に引入れる、このことによつて必ず中國共産党は成功する。この二つの点をがつちりと実行するならば、成功するということを、昨年の暮れの毛澤東の年末報告の中にも強く説明をいたしておるのでありまするが、どうもこの点に重点が置かれ、そこに共産党が一般の民衆から支持を受けておる大きな力が生れておるものではないか、かように考えられるのであります。この点につきましては、実は今年の二月にマーシヤル國務長官は、アメリカの議会に対華援助法案を上程いたしました際、議員との質疑應答の中でかようなことを言つておるのであります。それは、自分は中國に一年余りおる間に、蒋介石政府に対して土地改革の必要をたびたび繰返してアドバイスをした。というのは、自分は別段中國の内政に干渉するというふうな意味でなかつたのだが、自分はもともと軍人であるから、作戰的な見地から土地改革の必要をむしろ忠告したのだ。それは一般の中國の大多数を占めておる農民というものは、今の政府は何も自分たちのことをかまつてくれない、自分たちの利益をちつとも考えてくれない、こういうような氣持がみなぎつておる。それに対して中共側はどんどんと土地政策というものを実行して、自分たちの利益を考えてくれる。こういうような氣持を非常に持つておる。かようにして中共側は、さような農民の上にゲリラ戰というものを展開しておるのであるから、なかなか政府側はこのゲリラ戰に対抗することはできない。そこでもつてどうしても政府側でも土地改革というものを実行しなければいかぬ。でなければ作戰的見地からも不利だ、こういう意味で政府側にしばしば助言をしたのであるけれども、どうも自分の助言は顧みられなかつた。かような意味のことをマーシヤル國務長官はアメリカの議会で話をしておるのであります。この点から見ましても、どうも三民主義でうたつておる地権の平均という政策を中國共産党はともかく実行しておる。政府側の方は、いろいろな事情もあるのでありましようが、これをまだ十分実行しておらない。かような点に政府側の方は人心が次第に離れて行き、むしろ中共側の方が一般の支持を得るというような大きな原因があるのではないか、かように考えておるのであります。
 さらにこれは農村政策でありまするが、一般の商工業者に対する政策にいたしましても、中國の共産党は、決してそのすべての生産設備等を國有にするというようなことは言つておらないのでありまして、今申しましたように、昨年の暮れの毛澤東の年末報告の中でも、中國の共産党がかりに中國を支配した場合、將來のことを考えても、かなり長期にわたつて私有財産制というものは認めるということを言つておりまするし、また中國の一般の商工業者というものは、民族産業を保護、発展せしむるという見地から、あくまでも保護しなければいけない、かように言つておるわけで、農民といわず、一般の商工業者といわず、これを敵にまわすというふうな乱暴な政策はほとんど実行しておらない、かように考えるのでありまして、この点に一般の中國人が中共を恐れておらないというようなところが考えられるのではないか、かように思うのであります。
#10
○幣原委員 ただいまの御説明を聞くというと、中國政府側の方の形態の不利なのは、主として政治のやり方がよくない、三民主義の地権の平均とかいうような点を実行しておらぬというようなことがおもなる原因であるならば、これは武器を貸すとか、兵力をどうとかするとかいうような問題でなくて、理論上から言えば、政治の改良さえやればよいという結論になるわけですが、しかしそういうことを今日の中國政府でできるかできないか、それは私まつたくわかりませんが、もう一つ、これはささいな点ですが、けさ新聞を読んでおりますと、毛澤東とそれから李立三ですか、それから林彪ですか、この三人は対立して、互いにけんかをしておるということが書いてありますが、事実そういうことがあるのですか。
#11
○田中説明員 どうも詳しいことはわれわれのわからないのでありまするが、李立三というのは、実は一時毛澤東が勢力を得る前に、共産党を牛耳つたのであります。これは有名な李立三コースといいまして、かなり彼は乱暴な共産主義政策を実行した。結局それが失敗いたしまして、國民政府の方からすつかりたたかれまして、その結果そのあとへ毛澤東が、今申し上げましたようなきわめて幅のある政策をとり、そして農民に重点を置いた政策をとつた。これが中國共産党を牛耳つて今日に至つておる。こういうような意味で、李立三と毛澤東とは行き方を異にして、ことに李立三は一度失敗した。さような意味で両者が対立しておるというようなことは考えられる。その後李立三はソ連の方に亡命しておつた、こういうようなことを言つておるのでありますが、終戰後また満州に現われて、今日満州の、先ほど申しました東北行政委員会の顧問をしておる。そこで満州の行き方というのは、結局毛澤東の行き方と違うのでないかというふうな、いろいろな臆説も行われておるわけなのでありまして、実際どういうふうな反目なり、けんかなりをしておるかということは、わからないのであります。
#12
○生越委員長 ほかに……。
#13
○中村(嘉)委員 私はこの間、満州に長い間おつて帰つて來た人から、こういうことを聞かせられたのです。大体概念的に、共産党はどこの國においてでも破壊を企てておる、こういうふうにも思われておる。ところが満州における共産主義は、それと違つた行き方をしておつた、建設的の行き方をしておつた、こういうようなことを言つております。今のお話によつてもそういうことがうかがわれるのですが、一体今度の中國共産党は、何か理論から違つたところがあるかどうか、これを一点お伺いしたい。もう一つは、この話をしましたところが、ほかの中國から帰つて來た人の説によると、今は國民に迎合する意味で、建設的なことを考えておるけれども、これが一ぺんすつかり済んだ後は、さらに第二の革命を起して、從來の破壊的の行き方をば行うのだ、こういうふうのことを言つておりましたが、その点についてどんなものでありますか。
#14
○田中説明員 建設的であるか、破壊的であるかというのですが、ともかく戰爭についてはずいぶん破壊もした。これは作戰的な一つの行き方だろうと思うのでありますが、鉄道だとか、交通路線を破壊したり、いろいろ破壊工作もやつておるわけでありますが、具体的に中國共産党の唱えております政策は、先ほどもちよつと申しましたように、新民主主義というものを唱えまして、結局現在においては三民主義を実行する、これができ上れば共産革命をやるのだ。二つの段階で革命を終り、自分たちの理想としておるマルクス主義的な社会の実現をはかる、かように明言をしておるのであります。そこで現在においては民主主義的な國内の革命、改造をとりあえずやるが、それができ上れば、次の段階として社会主義的革命に移る、こう言つております。さてしからば、その民主主義的革命というのにどのくらいな時間がかかるかという問題が一つあるだろうと思うのでありますが、これは先ほどちよつと御紹介いたしましたペツフアーの論文の中にも、それを非常に示唆しておる点があるのではないかと思うのでありますが、われわれは彼らが結局ソ連と同じような共産主義社会をつくろうという理想を持つておるということはわかるのでありますが、そこに至る段階として、ペツフアーも言つておりますように、いろいろな数次の段階を経なければいけない。この数次の過渡的段階は一体何年くらいかかるのだろうか。これは國際情勢にも影響されるのでしようが、結局毛澤東の生きている間には、そこへ行かぬのじやないかということを言う者もあるわけなんであります。またペツフアーの言つておりますように、それに至るのにはどうしても中國の工業化ということが必要である。工業化を実現するためには、結局海外からいろいろな技術なり資本なりを取入れなければいけない。現状においてソ連がさような余力がないというならば、結局米國その他から技術なり資本なりを輸入する必要が出て來るというようなことも考えられるのでありまして、どうも当分の間は現在のようなきわめて幅の廣い政策をやつて行く。またやつて行かざるを得ないのではないか。これを急激な共産主義政策を実行しようとしてもできない。しようとすれば失敗をせざるを得ないということになるし、それはまた先ほど申しましたように、さような乱暴な政策は、一時李立三なんかが牛耳つておる時代には実行をしかけたのでありますが、失敗をした。そこで今毛澤東の言つておるような、非常に幅の廣い、社会主義であるか何であるかわからぬような、まあ民主主義革命と言つておるのですが、そういう幅の廣い政策をとつた。そういう経過を見ましても、今後ともかなり幅の廣い政策をとつて行くのではないか、またとらざるを得ないのではないか、かように考えるのです。
#15
○中村(嘉)委員 今私が考えますのですが、中國で今のような幅の廣い政策をとつて、中國全体がその意味の共産化して行くというのならば、どこの國においても共産党ははなはだしい抵抗があるのですが、この抵抗の一番少いのが中國の共産運動だとすると、これにほかのところがならつて行こうというような考えを起すところはないかどうか。
#16
○田中説明員 今の御質問に対して、実際私どうなるか見当がつかないのでありますが、ただ興味がありますのは、東ヨーロツパにおきまして、ヴアルガというロシヤ人で、有名な世界経済の研究家がありまするが、新しい型の民主主義という論文を出しておるのであります。この論文の趣旨といいまするか、考え方というのに、やはり中國の毛澤東の歩んでおるような線というか、そういう何か少しかわつた行き方というようなものが感じられるのですけれども、しかしどうでありましようか、中國の共産党のような行き方を各國がならうのか、ちよつと私にはわかりません。
#17
○中村(嘉)委員 いや、けつこうでございます。
#18
○若松委員 私はちよつと米國の対華援助のことでお伺いしたいのですが、アメリカ側の方は新聞等で私ども大体承知しておるのであるが、中國側の方のニユースが比較的私どもにはうといのです。御承知の通り、ポーレー大使時代は南京政府一本で行こうというようなことが、逐にマーシヤルが出て來て、今度は國共の調停をしよう。その後ウエデマイヤーの視察の報告も私どもはつきり承知してないのですが、一体アメリカの方も、大分対華援助について変轉があるようですが、中國側の方でこれをどう見ておるか。実は國共の爭いといつてみたところが、これを解決するためには、表面に現われておるところでは、対華援助が大きな役割を演ずるわけですが、実際のところアメリカ側の方では、いろいろ大統領の選挙につきましても、相当に大担率直に現わしておるようですが、一体中國側の方ではどのくらいに期待しておるか。先ほどお話のあつた某教授の意見では、どうやら南京政府の行き先もはなはだ影が薄いというようなことを承知しております。大体米國の援助に対して、中國側のもつと変轉につれていろいろな考えもありましようが、最近はもとよりそれは期待はかけておりましようが、ほんとうにこれが唯一の解決策として非常に期待しておるか、あるいは少しやけ氣味になつておるのではないかというようなことが考えられるのですが、いろいろニユースが手に入つておるだろうと思いますし、私ども情報を得る機会がないので、その方の情報を一つ……。
#19
○田中説明員 どうもわれわれの方も十分なる資料、ニユースはないのでありまするが、どうも中國側の方は、二月前でありまするが、財政部長は、さらに五億ドルの援助を得るならば、非常に内戰の状況も政府側に有利に展開して來るであろうというような意味のことを言つておるのです。どうもわれわれが、これはきわめて乱暴でありまするが、机の上でそろばんを置いてみますると、今まで政府の軍事費というものは、年に米國ドルに換算して十億ドルぐらいはいつておるのではないか、かように考えられるのです。もちろん中國の財政は最近は新金円でまかなつておるわけで、これが時々刻々米ドルとの相場がかわつておりまするので、詳しい換算はできないのでありますけれども、どうも年十億ドルくらいの軍事費を使つておる。それが必要なのでないか、かように思うのです。財政部長は五億ドルあればいいということを言つておるのでありますが、しかし同時に、先ほどもちよつと申しましたが、新金円になりましてから、最初の二箇月間に五億金円の赤字を出しておる。その五億金円は米ドル建で四対一でありますので、結局二箇月間に五億金円、一年間に三十億金円、すなわちそれは四対一で七億五千万ドルになるわけなんです。どうも軍事費だけをとつて見ましても、年に十億ドルくらいを必要とするのではないか、その程度のものを少くとも中國側は米國に期待しておるのではないか、またそういう額の要求もいたしておるのではないか、かように考えられるのです。また中國側では大統領選挙に共和党の勝つことを非常に期待しておつた、そういうふうに考えられる。これは共和党が非常に対華援助の積極化を叫んでおり、デユーイも選挙のプログラムの中にそれをうたつておる。こういうぐあいで、期待しておつたということはむりからぬことでありますけれども、ところが一般の予想に反してトルーマンが再選した。こういう点から見まして、アメリカ側は中國の要求するだけのものを出すというふうな空氣にない。また出すにしてもなかなか時期的な問題があつて、中國の急場の間に合わないというような点も考えられるのではないか、かように思うのであります。またウエデマイヤーの報告というのは、実際全然公表されておりません。米國でも公表されておらぬようであります。最近ワシントンから來ましたニユースによりますと、こういうことだけがわかつておる。ウエデマイヤーの報告については要するにダラーをもつてしては中國の問題は解決しない、そういう結論だということだけしかわかつておらぬというようなことを言つておるのでありますが、どうもわれわれも全然わからないのであります。要領を得ませんですが……。
#20
○若松委員 今満州、華北、華中、華南、ことに山東方面から諸外國人の引揚げの問題が起つておるようですが、今一体落ちついていますか。商賣なんかどの程度やつておりますか。大体でよいのですが、地理的に北から南へ、情勢を簡單に御説明願いたい。日本人の状態もあわせてお願いします。
#21
○田中説明員 どうもその点につきまして、特に調査をしておりませんので、正確にお答えできないのでありますが、満州にはほとんどもういないのではないか。もちろん商賣もできるような状況にないと思います。華北では、北京、天津、青島方面にまだ、引揚げるという命令に対して、自己の危險で残るということを言つて、残留を希望しておる者もあるということを言われておる。日本人はごく少数が残つておるのでありまするが、これは大体続々と引揚げて來ておるようです。上海、南京の方も、アメリカ側は非常に引揚げを急いでおる。英國側はそれほどまでに急いでおらぬようなけはいも見える。これらの地域においても、アメリカ人の中にも、全部じやありませんけれども、別に中共が入つて來るということを必ずしも危險に思つていない。從つて自分の責任で残ろうという者も少数あるのではないか、かように思うのです。ただ日本人であそこに徴用になつておる者は、幣制改革で賃金、物價というものがくぎづけになつたというにもかかわらず、物價はどんどん上つて來るというために、生活が一時惡くなつて、苦しくなつて來た。こういうような意味で非常に引揚げを希望しておる、また引揚げて來ておる、こういうような状況のように存じます。華南の方の状況はどうもはつきりわかりません。
#22
○若松委員 上海はどうです。
#23
○田中説明員 上海は幣制改革後、政府が非常に極端な統制政策をやつたために、商賣はほとんどとまつてしまつた。外國人もすつかり音をあげてしまつた。その後蒋経國もかわりますし、政府も統制を撤廃したのでありますが、そのときには政治的不安がかなり緊迫して來ておつた。こういう状況で、商賣はほとんど、ことに外國人の貿易だとか、その他の商賣は非常に不振になつておるのではないか、かように考えるのです。
#24
○馬場(秀)委員 百五十万からの中共陸軍の維持費を含めまして、中共の経済的基礎は大ざつぱにどういうところに置かれておるのですか。
#25
○田中説明員 この点われわれもまつたく現地の実情を知らないので、申し上げることは受賣りの程度になるのでありますが、中共側の方は、徹底的な自給自足の態勢を当初からとつておるらしいのであります。たとえば武器の点にいたしましても、中共の毛澤東なんかが言つておりますのは、われわれの武器の補給は第一線でやるんだ、第一線が兵器廠なんだというような意味のことを言つて、部下の將兵を督励をしておる。すなわち武器も第一線で敵の持つておる兵器を手に入れる。そうしてもつて自分の補給をはかる、こういうふうなことをやつておる。また中共側自体がきわめて質素な、金のかからない生活をやつておる。その点においても政府側よりもうんと経費は少いだろう。武器をさようにして、ほとんど第一線で手に入れる。中共の今日の兵器の一番大きな補給源は、結局満州にあつた日本軍の――これはソ連軍に接收されたのでありまするが、その武器であつたろうと思うのであります。そういうような方法で武器を補給する。それから中共側は、自耕自織と言つておるのでありまするが、自分で耕し自分で織る。こういうふうな方針で、非常に徹底した自給自足の体制をとつておる。もちろん中共側においても、かなりのインフレの状況はあるのでありまするが、しかし政府側の支配地域に比べればインフレの程度も少い。こういうわけで、財政のからくりといいますか、やり方というものは、実際のところどうもわれわれよくわからないのでありますが、そういう体制でやつておりますので、同じ百五十万の兵力にしても、政府側の兵力の何分の一かの経費で済むというふうな実情ではないか、かように考えられるのであります。
#26
○馬場(秀)委員 もう一つですが、平和のときの民心把握の方法はよくわかるのですが、今のような抗戰状態に入つたときに、中共側の費用は五分の一とか三分の一とかいつても、その費用の捻出方法ですね。國民軍のように租税によるとか、あるいわ援助によるとか、いろいろあると思うのですが、蓄積しておつたものを一氣に出すものか、あるいは現地に行つて取上げるとか、第一線の武器を當てにするとかいつても、今のような抗戰中のときには一定の時期を区切つて準備して入るのか。今盛んに一應休戰状態に入るのではないかという見方がありますね。
#27
○田中説明員 たびたび申し上げるように、実情はよく知らないのですが、もちろん現物その他でもつて一般から租税ないしはこれに類似のものをとつておるだろうということは想像せられるのであります。ただ政府側のように、海外からさような物資等の供給は受けておらぬということが言えるのでないか。実はこれのわれわれは全然現地の事情を知らないのでありますが、今年の二月に米國の議会で対華援助法案を出しました際にも、ギリシヤにおける叛乱軍と中國における共産党軍の大きな違いは、ギリシヤの叛乱軍は國外から武器その他の援助を受けておる。しかし中國においてはさような証拠は見当らないということを、マーシヤル國務長官が答弁しておるのであります。その点から見まして、中共側が國外から武器並びにその他のまとまつた物資の補給を受けておる証拠はない、かように考えられるのであります。もちろん今申しますように、満州方面に日本軍が蓄積しておつた武器その他の物資等が中共側の手に入つておるだろうということは考えられるのでありますが、しかし華北並びに華中地区では、日本軍は蒋介石の命令を忠実に守つて、全部政府側に接收されておる実情でありますので、華北や華中においては、さように日本側の持つておつた物資を中共がまとまつて手に入れたということはないだろうと思います。一般にはやはり現物その他によつてある程度の租税ないし租税的なものを徴收しておるということは考えられるのであります。それからさらに各地を今占領しておりますが、占領した際に中共側は一般人の私有物はほとんど手をつけておりませんが、政府側の軍隊、すなわち正規軍は持つております物資その他は全部自分のものにしておる、こういうことは事実のようであります。それ以外のことはどうも私どもには詳しいことは実はわからないのであります。
#28
○野坂委員 簡單に一つ。きようの問題は、今後の日本の問題として非常に重要だと思うのです。それで政府委員のきようの報告は、大体片寄らないで割合に正確に近いような材料で報告されて、よかつたと思うのですけれども、問題はもう少し深く掘り下げて実体を研究してもらつて、たとえば幣原さんが出された、ああいう質問がやはり答えられていないと思うのです。私たち一番知りたいのは、やはり現在の動きと、それから今後中國がどうなるかという見通しを立てる材料がほしいと思うのです。それがためにはやはり現在だけじやない、將來の見通しを立てるような材料もひとつぜひほしいと思う。たとえば幣原さんのあの質問に正確に細かく答えてもらうことが、將來の見通しを立てる道だと思うのです。こういう点で私事務的なことについて少しお聞きしたいのです。今の日本の状態では、対日理事会に参加されている四つの國から直接にいろいろな材料をとることはむずかしいでしようけれども、私はもう少し何とかならぬかと思う。たとえば國民党側のいろいろな材料にしても、新聞、雜誌とか外國の通信できよう報告されているので、あれだけでなしに、もう少し直接の生の材料、ああしたものを中國代表部からでも得られないものか。またわれわれの目につくところでも、たとえば香港に発行されているもの、上海に発行されている新聞、雜誌の目に触れるものなど、政府側でもう少し努力されれば生の材料が得られると思う。こういうものをむしろ報告してもらえば、われわれは非常に有益だと思う。こういう点については政府側でもう少し努力していただくこと、これは私個人の要望でございますけれども、おそらく全委員の要望ではないかと思います。中國問題は今後の世界の動きのかぎだと思います。いろいろ國際的にも、特に日本に対して決定的な影響を與えるだろうし、三十年前のロシア革命に次ぐような大きな影響を與えるのじやないかと思う。この意味で私たちはやはりこの問題についてときどき報告していただく。
 それから今日の質問を見ましても、たとえば中國の問題といえば、今後共産党の問題になつて來ると思うのです。そうすると共産党に対する先入観――たとえば共産党は破壞するものだという先入観で見ていただくとほんとうのものは見られない。中國の將來をこれでもし見れば、とんでもない結論が出る。そういう問題についても、やはり政府の方からもう少し正しい知識を與えてもらうような努力がやはり必要じやないかと思います。
 それからこの前の委員会のときに私一つの提案を出しておきましたけれども、この委員会はほかの委員会と違う性格を持つておりますので、もう少し見通しを立てて、箇々の調査とか、論議を進めることが必要ではないか。この間も衆議院で講和会議の促進の決議があつたと思います。できれば來年でもこういう状態が生まれることをわれわれは望んでおるけれども、そうすればわれわれの方でも、この受入れ態勢を整えて行かなければならぬ。これを外務委員会でやるか、あるいは特別委員会をつくつてやるか、これは別箇の問題ですけれども、やるとしたらわれわれとしては遠慮せずに、こういう問題についても内部的の討論をしたり、あるいは材料を集めたり、多少の準備は必要じやないかと思う。こういう点も私は本委員会として考えていただきたいと思います。
#29
○生越委員長 今の野坂君の御発言に対して委員長としてお答えいたします。政府に対しましては、より以上詳細な状況がわかるようにしていただくように要望しております。
 それから特別の委員会を設けるということにつきましても、実は考えておるのでありまして、この点は理事と相談いたしまして、至急に方法をとるようにいたしたいと思います。
#30
○和田委員 野坂さんの発言と多少関係があるのですが、今日みたいなときには、こういつた外務省側で調べられたことについて、政府は政策的にどういうふうに考えておるかということを――公開のところはむりだつたら、場合によつては祕密会でもよい、なるべく公開が望ましいのだが、表明してほしい。とにかく政府委員が一人もいないし、大臣も來ておらぬ、政務次官も來ておらぬという外務委員会はまつたく意味がないと思う。ですから私はさつき妙な発言もしたのですが、政務次官などはやはり出席して、この委員会の論議を聞いていなければだめだ、それだけの熱意がなければだめです。今もちよつと聞いたら、急用ができたからというが、この委員会に來るのが外務政務次官の役目だと思います。そこで必ず大臣か政務次官は出席すること、これを委員長から強く要望していただきたい。
 それから本日吉田外務大臣の出席をさつき口頭で申し込んで要求したのですが、予算委員会に行かれたとか――予算委員会のことはよくわかりますが、この次の定例日、月曜日には必ず出席されるように、委員長からあらゆる努力を拂つてもらいたい。この点を特にお願いしておきます。
#31
○生越委員長 和田委員にお答えいたします。政府委員の出席に対しましては、極力出ていただくようにいたします。本日は大体中國の問題を聞きまして、委員の御質問などの樣子を伺つて漸次進めて行きたいという考えから、今日は大体の説明程度で終る予定でいたものでありますから、政府委員の出席を強く要求いたさなかつた次第であります。今後は政府委員の御出席を願いまして、そして質疑應答していただくようにいたします。
 それから外務大臣の出席に関しましては、先ほどお答え申し上げましたように、連絡をとりましたが、予算委員会の説明の都合上、御出席が得られないために、後日出ていただくように連絡いたしました。その点で御了承願いたいと思います。
#32
○野坂委員 私は和田さんの意見に賛成ですが、中國の問題にしても、ああだこうだという報告だけにとどまらず、政府としてはこの問題についてはこういう見通しをもつているとか、そういう意見を私はやはり聞きたいと思うのです。中國だけでなく、國際的にいろいろな問題があると思います。講和会議の問題もあるのでありますが、こういう問題について政府はどういう考えをもつておるか。これを今後聞きたいと思つております。
#33
○生越委員長 野坂委員のお考えのあるところは政府に十分傳えまして、この委員会の運営を円滑にするようにいたしたいと思います。
 ほかにございませんか――なければ六日月曜午前十時より本委員会を開くことにして、本日はこれにて散会いたします。
    午後零時三十二分散会
ソース: 国立国会図書館
【PR】姉妹サイト