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1948/11/24 第3回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第003回国会 労働委員会公聴会 第2号
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1948/11/24 第3回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第003回国会 労働委員会公聴会 第2号

#1
第003回国会 労働委員会公聴会 第2号
昭和二十三年十一月二十四日(水曜日)
    午前十一時十三分開議
 出席委員
   委員長 綱島 正興君
   理事 尾崎 末吉君 理事 川崎 秀二君
   理事 中原 健次君
      倉石 忠雄君    鈴木 正文君
      松崎 朝治君    亘  四郎君
      久保田鶴松君    辻井民之助君
      安平 鹿一君    山花 秀雄君
      秋田 大助君    中垣 國男君
      中曽根康弘君    赤松 明勅君
      田中 久雄君
 出席公述人
      鮎澤  巖君    川田  壽君
      後藤 甲吉君    佐藤 正義君
      重盛 壽治君    野村 平爾君
      舟津 雄二君
 委員外の出席者
        專  門  員 濱口金一郎君
    ―――――――――――――
本日の公聽会で意見を聞いた事件
 公共企業体労働関係法案について
    ―――――――――――――
#2
○綱島委員長 ただいまから前会に引続いて、第二回の労働委員会公聽会を開きます。
 私は当委員会を代表いたしまして、御多忙中のところを貴重なる時間をさかれまして御出席くださいました公述人各位に対しまして、厚くお礼を申し述べます。各位の忌憚なき御意見の陳述を希望する次第でございます。
 さらに本日の議事の順序につきまして簡單にごあいさつを申し上げますが、公述人の人員を勘案いたしますれば、公述人の発言の時間は三十分前後とお願いいたしたいのであります。公述人の発言は発言席でお願いをいたすことにいたしまして、発言されるときは、御職業とお名前を述べていただきたいと思います。
 ではただいま御出席の公述人のお方から御公述を願います。最初に重盛壽治君にお願いいたします。
#3
○重盛公述人 私は東京都労働組合連合会の委員長の重盛壽治でございます。
 私は公共企業体労働関係法というものを制定すること自体に、根本的に反対したいと思つております。占領下鉄道あるいは專賣というようなものを、公共企業体に切りかえなければならないという実情から、わが國の産業をさような方向に切りかえることにはいまさら反対申し上げても、あるいはまたこれに対する是非を申し上げる必要はないと存じますが、ただ日本の現状は申し上げるまでもなく、今日産業再開が唯一の國家再建の方途でありまして、この方向のためには労働者、いわゆる労働組合員にほがらかに、自発的に國の再建をせしめるような法律でなければならない。そのためには從來極東十六原則を基盤といたしました労働関係のあらゆる法案ができております。そのできておりまする法案のうち、たまたま今回マツカーサー書簡によつて、公務員法というものを制定せられなければならぬ段階に至つたのでありまするが、一方公務員法ができ、さらに労働関係の一般労調法、労働基準法、この組合法案があり、さらにまたその間に公共企業体労働関係法案というようなものを制定することは、何といつても勤労階級の勤労意欲を減殺することになる。從來労働組合法案は申し上げるまでもなく労働組合を育成助長せしめ、それの自発的責任感によつて、國家の再建に邁進させようというのがその骨子である。しかるに公共企業体に関連するところの労働組合関係法案、あるいは公務員法案というようなものは、極端な言葉で申し上げますならば、育成助長するという意味合いからすでに方角をかえまして、拘束法案であるということが明瞭に言われるのであります。少くとも今日の勤労階級は、自発的にものをやろうという段階において、拘束されてやるのだというような屈辱的な法律の中で、國家の再建をしようという意欲は生れて來ないと思います。從つて私はこの法律の内容にとかく触れることなく、公共企業体というものをつくり上げなければならぬとするならば、公共企業体に関しては從來の労働組合法、あの法律をそのまま当てはめて、公共企業体の運営を進めていただきたいということを、結論といたしたいと考えております。きわめて簡單でありますが、以上であります。
#4
○赤松(明)委員 重盛公述人に一言お聞きしておきたいのだが、きわめて簡單であつて、原則的に反対せられる御意思は十分わかつたのです。それで拘束法であるからいけないという御内容の説明がもう少し願えたらと思つたが、私どもはこういうことを考えておる。われわれの了解はそれでいいかどうか。私も原則的にこれに反対であります。官公吏は今日一般民間人に比較して権力をもつておる。その権力を濫用することによつて起る官民の難問ということが相当各所に見られておる。これは追いこめられたものが、窮鼠かえつて猫をかむというようなかつこうで、つまり生活は保障されないで、ただ権力だけ持たされておる。しかも服務紀律というようなものによつて押えられておる。そこで権力を持たない一般民間人に対して憤懣を晴らすということから、官民の間の融和というものが成立つていないのだ。こういう考えの上に立つて、あなたの御意見は、拘束せられることによつてこれを出されれば、なおさら混乱するという意味の拘束反対のお言葉であつたと了解してよろしいか。つまり原則的な反対の中に、なおかつこれを拘束するとすれば、あなたのお言葉の中にあつた明朗に闊達にやらなければ、今日の再建は困難であるにもかかわらず、育成助長と反対の方向をとつて拘束するということは、今後なおこの拘束によつて、持つておる権力そのものによつて民間人に刺激を與えるような結果になるだろうということを含めて、了解してよろしいですね。
#5
○重盛公述人 その点は逆であります。組合組織全体を拘束するという意味合いであつて、これによつて民間人に與える影響というようなことは考えておりません。
#6
○赤松(明)委員 わかりました。
#7
○倉石委員 ちよつと重盛さんにお尋ねしますが、さつきお話になりました公務員法とか公共企業体の労働法規を改正することは、勤労意欲を阻害するのだということでありますが、どうして阻害することになりますか。
#8
○重盛公述人 労働階級は冐頭申し上げましたように、もちろん今日のわが國の経済状態では、外資の導入その他によつて産業の復活をしなければならぬという資金難に陷つておる。從つて、いろいろ事情もありますが、何といつてもほんとうに自発的な勤労意欲によつて、みずからが國の産業を再開しようという意欲に燃えておるわけであります。そういう場合に從來の法律の中ではたまたま逸脱した爭議行為、あるいは占領政策に違反するものがあつたと私は考えますが、これはもう少し廣議な労働の教育がなされたとすれば、労働者自体がおおらかな氣持になり、自分の責任によつてやろうという方向にかわつて來るのではなかろうか。そうかえさせなければ、何と言つても日本の現在の九〇%を占める勤労階級を、法律で拘束するというような行き方であつては、日本の再建はでき得ないということを深く信じておるので、今申し上げましたように、法律で縛るというようなことでなく、おおらかな、もつと労働者教育を高める形によつて、勤労意欲を向上させるような方向に持つて行つたらどうかという意味合いであります。
#9
○赤松(明)委員 要するに重盛さんのは、極東十六原則にのつとつて、今日あるところの労働三法をもつてすれば足りるということになりますね。
#10
○重盛公述人 お説の通りであります。
#11
○綱島委員長 それじや、御苦労さまでした。
 次に舟津雄二さん。
#12
○舟津公述人 全日本海運会社從業員組合連合会中央執行副委員長の舟津雄二でございます。
 この公共企業体労働関係法案について意見を述べるにあたりまして、われわれは海運会社の從業員組合でありますので、われわれの持つている主張と一應関連させて、お話を進めてみたいと思います。われわれの根本的に主張しておりますことは、海運というものは國際性があり、公共性がある企業であるからして、これを現在の社会情勢において、現在船舶運営会のやつているような管理の方式ではうまくないということを、根本的に主張しております。どういうような体制かというと、私企業を民主化した体制に持つて行つて、それで運営させる。社会管理は配船とか造船とか、そういう一部のものに限る。換言いたしますならば、運営の能率化と官聽行政の民主化、こういう二つの点を軸といたしまして、そこに働いている從業員の完全雇用、生活権確保、こういうものを縱にいたしまして、われわれ海運の刷新要領というものをつくつております。こういう観点から申し上げますと、今度の公共企業体というものは、それ自体公共企業体の能率化と官廳行政の民主化という二つの点をねらいにしておりますことについて、われわれはそういう公共企業体方式によつて運営して行くということに賛成であります。しかしながら今度の國鉄法案並びに専費法案を見ますと、これらの二つのねらいが、先日の公聽会でも指摘されておりましたように満たされていない。のみならずただ名だけを公共企業体と称して、内容はちつともかわつていない。それらの点についてはここで申し述べる場所ではありませんので申し述べませんけれども、大体において名前だけがかわつて、内容がその二つのねらいであるところの運営の能率化という点と官廳行政の民主化、これはたての両面でありますけれども、この二つが満たされていないどころか、名前がかわつただけであるという点において、今度の公共企業体法案それ自身に必ずしも賛成でないのであります。そういうことと関連させまして、この公共企業体労働関係法を見ますと、これについては今もお話がありましたように、罷業権を拒否されておるし、経営参加についても第八條において非常に制限されております。のみならずまつたく拒否されておると言つてもいいような状態であると思うのであります。箇條書きにしてあるのを除けば、われわれ私企業で言つております。経営参加というものは、拒否されておると思うのであります。かかる意味におきまして公共企業体労働関係法について意見を述べますれば、これらのものを拒否することによつて、はたして私たちが言つております行政の民主化という点と、能率的運営ができるかどうかという点に疑問があるのであります。
 結論を申しますならば、一般的に言つて私企業とそうかわりのない現業廳というものは、マツカーサー書簡においても公共企業体にしろ。但し公共の福祉に反するようなことをさせないようにという一箇條があるだけで、そうかわつておらない。この公共企業体の労働者に対しまして、かかる強い制限を持つ公共企業体労働関係法というものを制定することは、今の二つのねらいをますます狭めるものであるというような意味から、この公共企業体労働関係法をかくのごとき條文でつくることには、必ずしも賛成できないというのが結論であります。しかしながら國家公務員法の改訂をしなければならないような客観情勢である。また言葉が惡いかもしれませんが、そういうふうな労働運動の一部の行過ぎという点も、われわれ労働者としては率直に認めなければならない。そういう客観情勢から國家公務員が改正ですか改訂されるし、それとの関連において公共企業体の労働関係法というものを、制定しなければならないということになるならば、われわれは次のように主張したいと思うのであります。國家公務員法でも同じでありますけれども、これは過渡的であるべきである。またそういう制限をつけるならば、その裏づけをしなければならない。裏づけと申しますのは、たとえば賃金とか労働條件とか、それらについてもつと労働者の側からの民主的な機構をつくつて、それによつて公正に解決ができるような機構をつくるべきである。たとえば國家公務員法をああいうふうに改訂しましても、人事院がああいうふうな権力を強化され、また人事院と政府との間の連絡なんかうまく行つておらないような現状では、國家公務員の労働條件は決して維持改善されないというような現状であり、それに準じたようなことしかできないならば、公共企業体の労働者は地位が確保されないのであります。ですからもう一度最初から申し上げますと、われわれは公共企業体それ自身には賛成である。しかし今度の公共企業体法には賛成ができない。そういう観点から公共企業体関係法案を見ると、これは非常に制限をしておつて、それでは行政の民主化なり能率の運営なりはかえつてできない。もし客観情勢からそういう制限をせねばならないというようなことになるならば、その裏づけとしてもう少し民主的な労働條件の改善維持についての機構をつくるべきである。そういう意見であります。終ります。
#13
○綱島委員長 御質問はありませんか。
#14
○倉石委員 ちよつと舟津さんにお尋ねいたしますが、あなたは海運從業員労働組合の職員組合ですか。
#15
○舟津公述人 そうです、職員組合でございます。
#16
○倉石委員 今のお話の中に経営参加いうことをおつしやつておられますけれども、皆さんの方でおつしやる企業体に対する経営参加ということは、具体的に申せばどの程度の参加を要望しておられますか。
#17
○舟津公述人 経営参加と申しましても非常に意味が廣くて、また現在の状況ではその経営参加をして行く面に、労働者側として非常にむずかしい点もありますけれども、その中で大体できるようなことは人事に関する問題、それから生産に関する問題、そういう点は現存のわれわれで能力もあるし、そういう点で経営参加をした方が、経営がより合理的に行くと思つております。その他のことについて、たとえば財務の問題とか、その他いろいろありますけれども、そういう点は必ずしも労働者の側から言つて入りやすい問題ではないし、むずかしい問題である。また現在において入るべきではないというふうな問題もあると考えております。
#18
○倉石委員 もう一つお尋ねいたしますが、ただいま舟津さんのお話の中で、公務員法や公共企業体に対する労働法規というものは、過渡的なものにしておきたいのだ。やがてこういうものは必要をなくする時代を、早く招來しなければならないというような意味の御意見であつたようであります。われわれも非常に賛成であります。そこでそういうふうな事態を招來するには、今現実に行われている日本の労働運動ではだめだということは、認識されておられるわけですね。
#19
○舟津公述人 われわれは社会化ということをすぐ行うということよりも、その前に民主化ということを行わなければ、社会化もうまく行かないという考えを持つております。そういう観点から行きますと、その立場は必ずしもわからないわけではないし、われわれ同志的なつながりを持つてわかるのですが、ある一部の労働團体において、われわれと行き方を異にしておる團体がないとは言えない。そういう意味で今おつしやつたこともおわかりになりましようか。
#20
○倉石委員 そこで私どもは百パーセント悲観しておるわけではないのでありますけれども、今の労働運動のあり方に対しては、幾多の疑問を持つておるわけですが、舟津さんのように実際に労働組合運動をしておられる方から見られて、今おつしやつたような公務員法の改正や、公共企業体法というようなものは過渡的たらしめる方がいいのだというあなたの理想に到達するのに、何か今の労働運動に対して特効藥みたいな一つの考え方はないでしようか。それが非常に大事なポイントだと私は思うのですが……。
#21
○舟津公述人 われわれの側からすれば、労働者の側で意図なり、形式なり、抱負なりをもつてやつておるものが多いと思うのですが、なにせ相手のある問題でございまして、相手がわれわれの立場を非常にわからないというようなことなら、惡い言葉で言えば、右の方から來ればわれわれは左の方に追い詰められざるを得ない。経営者なり、政党などでもそうですが、もう少し脱皮して、労働者の意見というものを相当わかるような態勢に持つて行くならば、われわれの側とすれば、現在たとえば無所属労働組合などというものが非常に多いことなどを見ましても、われわれの意図する方向、換言すれば民主化の方向をまずやつて行こう、そこに重点を置いてやつて行こうという方向が案外うまく行つて、経済再建もそこから緒につくのではないかと思つております。
#22
○赤松(明)委員 舟津さんにお伺いしたいのは、官廳行政の民主化、それから公共企業体にするということは賛成である。こういう御意見でしたが、今日あなたが冐頭において言われたあなたの職場から見た、今日行つておる船舶運営会等の方法は、だめなんだという抽象的な御意見でしたが、官廳行政の民主化、これは現在の機構ではいけないのだから、改めなければならぬということになるわけだと思うのだが、この点についてきわめて簡明に具体的に、あなたが今味わわれつつある現在の機構、そのものではいけないのだという点を伺いたい。
 もう一つ、これは倉石委員からお話がありましたが、このねらいは正しいけれども、この法案は反対である。その反対の理由としては、罷業権を抹殺したり、経営参加を拒否しておるからいけないということでしたが、そこから生れる結論は、どうすればいいかということ、この法案ならば法案を過渡的にすべきであるという場合にも、この法案がだめだということになるならば、罷業権をどの程度に認めるか。あるいは経営参加に対する項目を、今日の労働三法によつてきめられている面に、どの程度の制限を加えたものを過渡的な、いわゆる民主化への方向として持とうとすればいいか。その範囲について御研究の結果を、簡單に発表していただきたいと思います。
#23
○舟津公述人 申し上げます。官廳制度の民主化という点は、官吏と一般人民、われわれの側で申せば海運從業員と海運企業という関係と、高級官僚と下級官僚との問題の二つにわかれると思うのですが、われわれの側からすれば、官廳と私企業の関係を改善しなければだめだと思います。たとえばいろいろなことを運営会できめますけれども、その際に官廳がいろいろ天くだり的に今まできめておりました。それを近ごろは海員組合を招じたり、またわれわれの方と懇談したりしておりますが、そういうことをいやいやながらやるのではなく、もつと眞劍になつてやり、そういうことを機構化するということが大切だと思うのです。
 それからもう一つの点は、公共企業体労働関係法というものを特別につくつて、罷業権なり経営参加なりを制限するということは、行政の民主化と反対になつて、きわめて能率も上らないし、行政も民主化しないから、こういう法律は原則的につくらない方がいいと言うのです。但しつくらなければいかぬという客観的情勢であるならば、これを過渡的なものにするなり、もう少し改良すべきで、このままではまずいのじやないかと思います。
#24
○赤松(明)委員 ではこういうことですね。要するに今日の官僚機構というものに対しては改善の必要がある。すなわち民主化を行う必要がある。しかしこれが勤労大衆、すなわち労働者の犠牲の上に立つような法律によつて行われるのではいけない。こう了解してよろしゆうございますね。
#25
○舟津公述人 その通りであります。
#26
○綱島委員長 他に御質問はございませんか。――ありがとうございました。次に後藤甲吉さんにお願いいたします。
#27
○後藤公述人 私鉄総連に参加しております関東地方連合会の委員長をやつております後藤甲吉であります。
 われわれ非常に不勉強でありまして、こういう法案が出るというようなことを聞いておりましたが、どういうものかということをはつきり知つておりません。しかしこれは二十二日の公聽会で論議されたことをわれわれ新聞などで拜見しましても、この法案が何を意図されておるかということを、やはりわれわれは労働者として考えなくちやならないと思います。ただ單に公務員法の改正に伴つて、そういうものが付随的にできるというように、解釈している人もあるようであります。一般的にそんなふうに考えているようでありますが、そうでなくて、先ほどの二人の方も言われたように、われわれに與えられた労働者の権利の三原則を踏みにじり、剥奪してしまうような法律をどんどんあとからあとからつくつて、そうしてわれわれの権利を剥奪して行くことを意図しているということを、われわれは感じるわけです。われわれは私鉄でありますが、國鉄がそういうような公共企業法というものを適用されれば、当然それは右へならえというような形で、われわれのところへも來るということを感じるわけです。そういう意味においてわれわれはこの法案には絶対反対であります。大体先ほど述べられましたのと意味は同じであります。そしてまだ内容をはつきり見ておりませんが、新聞にありますように、やはりこの労働者の基本的な権利であるところの罷業権を剥奪するというような、こういう法案に対してはわれわれは反対するものであります。以上であります。
#28
○綱島委員長 御質問はございませんか。
#29
○赤松(明)委員 後藤さんに伺いたいのは、現在の國鉄の労働條件と、あなたの関係せられておる私鉄の労働條件の違いは、國鉄の方がいいかあるいは私鉄の方がいいか、または全然同じに思われるか、この点伺つておきたいと思います。
#30
○後藤公述人 最近におきましての労働條件は、給與面については私鉄の方が、國鉄よりも少しはいいように考えております。但しほかの一般の從業員の厚生施設、あるいは労働基準法に関係するような労働條件、そういうようなことは私企業は非常に國鉄よりも惡いのであります。私鉄の発達というものが、あるいはそういうところにあつたかもしれません。大体私東京都内の鉄道に籍を置いておりますが、國鉄でかりに五人で駅をやつておるというような場合に、私鉄の場合は三人でやつておる。そういうようなところに、資本家が搾取している点があるわけであります。結局労働者がそれだけ犠牲になつて、お客様はそれだけ不便を感じたり、いやな思いをしているわけであります。そういうような点が非常に違つて來ていると思います。
 ちよつと横道へそれるかもしれませんが、最近一番われわれが感じますことは、すでに私鉄では今の賃金に対して要求を出しており、また最近は調停案が出ましたが、その調停案さえも経営者は、それをのむことはできないというようなことを言うておるのであります。われわれとしてはその調停案でも、とても食つて行かれないような案でありますけれども、しかしこれについてはどういう欠陥があるかと申しますと、電氣で動いておる私鉄はさほどでもないのでありますが、石炭を使つている私鉄におきましては、人件費と石炭の炭價によつて、あと何も收入の道がないというような状態が、地方にどんどん起きておるような状態でございます。今度の場合には、運賃の値上げなどが盛んに新聞に載りますが、運賃の値上げをしたら、地方ですとお客は乘らないで歩いてしまうというような状態で、運賃の値上げは絶対に不可能だというような声が出ておるような状態であります。
#31
○赤松(明)委員 もう一つ私の聞いておきたいのは、本公共企業体労働関係法規、これがもし通過するとすれば、國鉄だけにとどまらず、おそらく私鉄の面でも同じ状態なんだから――現業の種類など同じだがら、これが來るだろう。だから要するに反対だ。これが一つ。それから法案の内容については、あなた方、お働きになつているから知らないのはむりもないが、常識的に言つて、労働者の権利を剥奪するのは、原則的に反対だというように解してよろしいわけですね。
#32
○後藤公述人 そうです。
#33
○尾崎(末)委員 後藤さんにちよつとお伺いいたしますが、先ほどの御意見を伺つておりますと、公共企業体労働関係法案みたようなものができると、すぐに私鉄の方にも及ぼされて來て、右へならえ式になる。こうようようなことであります。そのお氣持はよくわかりますが、私は多年考えておつたのでありますが、あなた方の方にそうした御計画なりお考えがないかどうかということを、お伺いしてみたいと思います。われわれ同胞というものは模倣をあまりやり過ぎる、こういうようなことが相当に、民族的と申しますか、生活の上に強過ぎる。そこで私が質問申し上げたいと思うことは、一体私鉄では、洋服にしても、帽子にしても、帽章にしても、みんな國鉄のまねをやつている。國鉄の何か後輩みたようなかつこうで行かれるというやり方が、やはり経営の面にも、そういう氣分でやつていることが多く現れておるのではないか。こういうふうに私は考える。特に今のような独立採算制であるとか、あるいは民主化であるというようなことを叫ばれている時代におきましては、あなた方の方がむしろ卒先して、私鉄は私鉄の特長を伸ばして行く。経営のやり方についても、あるいはすべての秩序なり、道義なり、そういうものの立て方についても、私鉄独自のものを生かして行く。私鉄は私鉄として日本一のもの、世界一のものを伸ばして行くんだ。こういうふうな考え方から、私鉄に向つてあなた方は協力して行かれる。こういつたような考え方の氣風というものは、もうあなた方の組合に出て來なければならぬ時代じやないかと思います。たとえば先ごろ聞きました島原鉄道を見に行きたいと思つていますが、まだ行きませんが、ああいつたみたいなやり方が、もうあなた方の組合運動の中から出て來なければいかぬと思うのですが、そういつた從來と違つたような考え方でやつて行こう。從つてそういうやり方に適應して行くような組合というものにして行きたい。こういつたような特殊の、よほど違つた考え方というものが最近できておりませんか。
#34
○後藤公述人 今の点、私ども、ちよつとまだ聞いておりませんのですが、この点は私鉄総連といたしましても、全國組織を結成しましてから、日本における私鉄企業はどういうふうにあるべきかということを、労働者としてやはり考えなければいけないということで、その問題を取上げて非常に問題にしておるのですが、今御指摘のような点は、まだわれわれの中からほんとうに生れ出て來ないのであります。これは共産党なんかで言つておりますように、やはり國営にして、先ほども申し上げましたように、私企業だけではとてもやつて行けないというので、國営人民管理をやつて行かなければならないというのが、最近小さな鉄道に起きて來ておる問題であるのですけれども、まとまつてこうしなくちやだめだというようなことは出て來ないわけです。それは企業がやはり大阪とか東京とかの中心になるような、独立して行かれるところは、どんどん新しい経営方式をとつて進んで行きますけれども、地方へ行きますと四十年ぐらい同じ幅の軽便鉄道というような形で、それが一つも発展していない。それをまた土地の人もこれがあたりまえだというような形で、四十年相かわらず石炭をたいておる。すぐそばに來ておる電氣をひつぱつて電化すれば、今のようなことが簡單に解決できるようなものが、全然なされていないというようなことで、今電化というようなことで組合が立ち上つておるところもありますけれども、今指摘されたような点は、ちよつとでき上つておりません。
#35
○尾崎(末)委員 けつこうです。ありがとうございました。
#36
○綱島委員長 そのほかにはございませんか。――ではありがとうございました。
 次に佐藤正義君にお願いいたします。
#37
○佐藤公述人 日本経営者團体連盟の佐藤正義であります。具体論に入りますに先だちまして、私ども経営者の立場から労働組合に対してどういう考え方をしておるか。わが國の労働組合がわが國民主化の大支柱であるという認識のもとに、私どもとしましては、その自主性を尊重いたしまして、組合みずからの力によつて組合が健全に発展することを念願いたして、その組合の正しい御理解のもとに経営の正常なる運営をはかり、それによつてわが國経済の再建と安定とに御協力を得たい。こういう立場であります。
 さらに私はこの公聽会の公述人に指定せられたことにつきまして、非常に感慨深いものを持つておることを申し上げたい。それは新憲法がまだ出ない前、たしか一昨年春早いころだつたと思いますが、労調法の公聽会に私、公述人として選定せられて出たのであります。その際私は、公務員法及びこの公共企業体労働関係法案において問題になつておりますところの、官公吏の罷業権の禁止につきまして、御承知のように労調法の第三十八條にその規定がありますが、その規定に関しまして私は罷業禁止の規定を削除すべしということを主張したものであります。すなわち非現業には罷業権を禁止してあるのが労調法三十八條であります。この規定をやめて、官公吏に爭議権を與えよということを私は当時主張したのであります。現在現業だけに許されているのを、非現業にも許せという主張を当時したのであります。そのときの考えはまだ新憲法の出ない前で、私だけの氣持としましては、官公吏の教養水準というものが一般より高い。從つてこの教養の高いという点か見まらして、適格な現実の認識を持つておる。また中庸の把握ということもできる。正邪に対する感覚が鋭敏である。從つて物事に対する中正な判断ができる。また官公吏としての矜持を持つておる。從つて節度と責任のある行為ができるという見地から、こういう議論を申し上げたのであります。
 さらに第二の理由としましては、大正及び昭和の初頭におきまして政党政治がはなやかなりしころ、官公吏の人事が非常に不安であつた。私どもは新聞で電ちよんということを見ておるのであります。府縣知事として地方の師表となつておる人が、あしたには電報一本でころりとなつておる。こういうことでは公正なる公益代表であるところの公共機関の職務執行を、毅然としてやることはできない。また能率のごときも期待することができない。こういうような事情から見まして、官公吏の爭議権を與うべしという議論を当時私はしたのであります。新憲法が施行されまして、非常に進歩的な労働法規が出ましたが、その後の動きを見てみますると、昨年の二・一ストに対するマッカーサー元帥の覚書、あるいは本年三月三十一日のマーカット覚書、あるいはこの七月二十二日のマッカーサー書簡、これらのごときは何を中心として出ておるかというと、官公労組の動きを中心として出ておることは、皆様御承知の通りであります。もとよりこのインフレ下において待遇が低く、その生活不安ということについては御同情申し上げておりますが、少くとも一昨年公聽会にかかる主張をしました私としましては、自己の不明を謝する前に、わが國民主化のためにこの動きを悲しんだものであります。こういう立場にありました私としましては、今回お尋ねのこの公共企業体労働関係法案に対して、この一昨年來の態度を維持して主張することができないことを、悲しむということを申し上げたいのであります。この公共企業体労働関係法案は、実に現在の客観情勢に照しましてやむを得ないものとして、その大体を承認する立場を私は持つておるのであります。なぜ承認するかという私の基本態度というものは、現在わが國の至上の要請は何であるか。これはわが國経済の再建である。これによつて國民生活の安定を確保するということが何よりの急務である。現下の困窮し衰亡しておる日本におきまして、この憲法で與えられましたところの労働三大権利でありますが、この権利はあくまでも宝刀である。しかもこれは傳家の宝刀である。これを使うのにはよほどその責任を感じて、この宝刀を使わなければならない。実に宝刀であるだけに致命的武器であります。これが公共の福祉に一大脅威を及ぼして、三度まで警告を受けたというのがこれまでの労働運動の行き方であります。この公共の福祉の脅威を除くという立場から、私としては悲しむべき今日の状態でありますが、この法案を大体において承認するということを申し上げるのであります。もつとも法律の限界というものがあるので、法律によつて問題が解決するのではありません。いろいろの苦情、紛爭というものが出るのは、そこに出るところの事情がある。この事情が解決せられない限りにおいては、法律をもつてこれを除去するということは、法律に対する過度な信頼をなすものでありまして、問題の根本的解決ではありません。從つてこの法案が出るとともに、この法案に関係ある向きはもちろん、全体的に勤労者の方々の、國民の生活安定に関する施策というものがなければならぬということを、申し上げる次第であります。
 次に具体論に入りますが、こまごましたことにつきましては多少の用意を持つておりますが、時間の関係上、私その中の四、五について申し上げたいと思います。第一は、この法案の第五條の関係であります。この第五條は労働組合法の十一條に対應するもので、勤労者の團結権を保障する重要な規定であります。これにつきまして、この條文の大体につきましてはもちろん承認するものでありますが、現在労組法十一條というものの解釈、むしろこれに対する考え方というようなものにつきまして、無制限に團結権なり爭議権を保障してあるかのごとく誤解をなす向きが、絶無ではないようであります。それで私はこの法案の中にありますところの、私が持つております資料によりますと、「組合のために活動したことをもつて」ということがございますが、これはやはり労働組合法で使つてある用語、あるいは公務員法案に使つてある用語のように、「この組合のために」の次に、正当なるという四字を入れることが必要であろうと思います。もちろん不当なる行動を保護するということは、法律は考えておりませんけれども、組合法や公務員法には、正当なるということを使つておりますので、これに入れる必要がある。それから現在の十一條は、何でもかでも組合員というものに対して、不利益を與えてはならないということによつて團結権を保障しておりますが、組合員であれば何でも不利益を受けない。こういうような誤解がありますが、ほかの事情があるならば、これは十分考えられる意味合のものでありますが、それが不明になつておりますので、私どもとしましては、第五條の「公共企業体は」の次に、「單に」という二字を挿入してほしいと思います。それによりまして、なまけておる者、能率が惡い者、あるいは指揮権を排除して反抗する者、これは公共企業体が正常なる運営をなすために、そういうことをするものは排除できるということがないならば、正常なる運営は決して得られないと思います。
 次は十六條の関係であります。これは政府と國会の審議権を尊重しておる規定のようでありますが、この末段のところに、國会の承認を得た場合の効力の発生について、この表現から見ますと、「日附にさかのぼつて効力を発生するものとする。」としておりますが、常に日付がさかのぼるかのような誤解があるのであります。これは國会の審議によりましては日付にさかのばることもできますが、さかのぼらずに適当なとき、たとえば國会で議決されたとき、こういうようにさかのぼることをきめてかかるというような意味合いのように読める節がありますが、法意はそうでないかもしれません。これは効力を発生することができるとか、あるいはさかのぼることにつきましては、國会によつて遡及するかどうかということが決定できるという意味合いに現わすことが、國会の審議権を害せぬところの規定ではないか。
 それから十七條の規定でございますが、これは本法案の非常に重大なる規定でありまして、いわゆる爭議権禁止の規定でありますが、これにつきましても私どもは二つの意見を申し上げたいのです。その一つは、やはり公務員法にありますように、職員は教唆、煽動をしてはならないということが書いてあります。やはり公務員法案のように、「職員」とあるのを何人も職員外の第三者、そういうものが煽動し教唆しても、これは違法なる行為であるということを明らかにしてほしい。
 それからこれに関連してでございますが、罰則関係がございませんが、罰則は一般刑法に讓るの法意であろうと思われます。しかしこの用語にあります「正常な運営を阻害する一切の行為」を刑法によつて見ますときには、刑法がとつております罪刑法定主義から見ますと、これに当らぬものができて來やせぬか。それでありますから、やはり本法には本法としての罰則を必要とする。特に國家公務員法案と対照します場合には、これに該当する行為は懲役三年以下、十万円以下の罰金になつておりますが、この刑罰の均衡から見ましても、はなはだ不均衡な規定になつておるように思われるのであります。私は罰の重いことを求めるものではありませんが、公共の福祉を保護する上から見まして、この正常なる運営を阻害する行為としまして、現在の刑法が團体的行為に対する規定を非常に欠除しております。これに関連しまして、明文なきは罰せずというのが、罪刑法定主義の立場でありますので、この関係におきまして本法にも罰則をつくることが、本法の提案の立場を徹底せしむるものであろうという考え方を持つております。
 その次は正誤表を拜見いたしますと、三十六條の仲裁委員会に関係がありましたことが削除されております。すなわちこの使用者がなす團結権保障をやぶる五條関係の違反と、ただいま出ました十七條の爭議権禁止の規定に違反した場合の違反を、どこで認定するかということが明らかでないようになつております。これは明らかにする必要があるのではないか。仲裁委員会でやるように読んでおりましたが、それが削除されておるのであります。裁判所でこれをやるかというふうにも思われますが、その点がはつきりとありませんので、この決定機関を明定する必要があるということを申し上げたいと思います。
 その次は第八條の関係でございますが、この八條の関係におきまして、團体交渉の対象には、公共企業体の管理及び運営に関する事項は、團体交渉の対象でないということを規定いたしておりますが、これに関連しまして、國会はよろしく希望條件を付して、本規定を通過してほしい。と申しますのは、これによりましていわゆる公共企業体は嚴重な監督を受けるので、この公共企業体の理事者の責任において経営をなす。ここにいわゆる経営権の確立ということを示している意図があるのであります。しかし大きな事業をやつて行きますときには、関係從業員の経営に対する熱意というものが、おのずからあるのであります。この熱意を反映せしむるということが必要じやないか。殊に國鉄のごときはわが國官業におきまして、つとに現業委員会のいい経驗をもつているのであります。また專賣局といえども工場の懇談会と申しますか、それによつて非常ないい経驗を持つているところと聞いております。それで経営参加という関係におきまして、從業員の経営に関する意思を反映させる。そのためには経営協議会というようなものを、公共の福祉、公共企業体の性格に対應して、從業員の意思の反映をなさしめるところの、適当なる措置を講ずるところの希望條件を付していただく方が、眞に能率を上げるゆえんではないかと思うのであります。
 その次には、終りの附則関係の一号でございます。これはただいま國鉄、專賣局にいたしましても、先般七月末出ました勅令二百一号というものを適用されて、その結果、非常な嚴重な労働権の制限を受けております。本法施行が四月一日ということになれば、その間強い制限を受けるということになるのであります。これを一般從業員から見ます場合には、政府は嚴重な制限をすることについては非常に急いでやるが、労働者の権利を伸張するところの――伸張はせぬでも、それを弱めぬことを実行する場合にはおそい。こういう印象を與えるということは、必ずしも公共企業体の運営を能率化するゆえんでないと思います。從つて四月一日に出ます期間と二百一号の関係でギヤツプがありますが、このギヤツプから起るところの從業員に対する拘束を、早く解除するという措置をとることが必要でないかと思うのであります。
 次はやはり法案自体には関係しませんけれども、國有鉄道法案等を見ますと、今回公務員法なんかが施行せられるというところのゆえんのものは、業務の能率化と民主化という点にあるように聞いております。すなわちわが國における民主主義の成功をはばんだ旧官僚制度の宿弊を除去するということが、大きな提案理由になつております。從つて國鉄、專賣局の職場においても明朗性を樹立するためには、公務員法で規定してあります從業員に有利なる規定を配慮するということが、必要ではないかと思うのであります。公務員法の適用がこれらの從業者にはないのでありますが、職員に有利であり、また進歩的な規定はこういう方々にも均霑のできるように、あるいは準用とか別途これを考える必要があるのではないかと思うのであります。この法案を見ると、これらのごときは團体交渉によつてとるというような考え方が、充満しておるようでありますが、それよりもむしろなすべきはなすというところで、從業員に有利な進歩的な規定を別途つくつて、そうして一般労働者に労働基準法があつて、それが最低を示しておるように、これらの人に対してもこういうふうな配慮をすることが、必要ではないかと思うのであります。具体論としましては以上のごときでやめたいと思いますが、これに関連しまして関連論を一つ申し上げたい。
 それは私どもとしては國会が十分愼重に考えてほしいというところの問題であります。すなわち私が結論を申し上げますと、公益事業労働関係法の立案を考えてほしいということであります。現下は経済再建に一路邁進しなければならぬときと、私は存じておるのであります。今回の法規関係は公共企業体の関係にとどまつておりますが、労調法に列記してあります公益事業が公共の福祉に関連する度合いは、決して國鉄、專賣に劣らないのであります。國鉄が國家によつて経営されるのは、私の記憶するところによりますと、鉄道の復旧をすみやかならしめるために、國鉄自身が非常なる固定資本を要するために國家がやつた。第二は軍の作戰の関係からやつたということが、國鉄國有のそもそもの事情であつたというふうに私は聞いておるのであります。また專賣のごときもタバコ、しようのう、塩――塩のごときは生活必需品であります。しかし米もそうでありますが專賣ではありません。みそ、しようゆも生活必需品でありますが、專賣ではありません。これはいろいろ技術的に困難な問題もありますが、專賣関係の対象になつたものの、主として專賣にしたのは國家財政を確保するためになつた。こう聞いております。公共の福祉に関する度合いのごときは、ただいまの公益事業であります運輸とか電氣に比べると、はるかに低位のものであると思います。これらの公益事業につきまして敗戰以來労働爭議の状況を見ますと、ここにも公共の福祉が脅威されるという事実があつたということは、これはいなむべからざる事実と私は思うのであります。こういう立場から、特に電氣のごときは非常な公共性を持つております。これらについて國会は十分考えていただきたいと思うのであります。もちろん労働者がいろいろ動きますのにつきましては、インフレ下においてむりからぬ事情はあるのであります。しかし復興再建ということについて不安を與えるということは、できるだけ避けなければならない。これは占領下における國民の至上義務ではないかと思います。一体労働組合法というものは、契約自由の原則に対して均衡の原則を保持するために、労働者に團結権、罷業権、團体交渉権を與えた、これによつて労資の均衡を得しむるという配慮に出た法律と聞いておりますが、現在これらの権利は非常にわが國の労働組合法においては、進歩的な権利として規定されております。しかし一面経営者側を考えて見まする場合には、実に無力なものであります。生産に要するところの資材も自由には手に入れることができません。その價格を自由に決定することもできない。それを好むところの得意に賣ることもできない。非常に強度な統制を受けておりまして、経営者の持つところの経営力というものは非常に弱まつております。ここには均衡の原則がない。こう考えていいんじやないか。いわんや公益事業におきまして一應労働組合法なり、労調法が與えておりますところの爭議権、いわゆるロツク・アウトというものは、公共事業の使用者側がこれをやろうとしてできるか。できないのであります。これは有名無実の権利であります。実質は対等の権利を與えておらないというのが、公益事業における労資の権利関係ではないかと思うのであります。そういうことよりも、私は前段に述べましたわが國の置かれておる立場から、公益事業について御配慮を仰ぎたいのであります。その内容につきましては、私は公共企業体労働関係法と同様のものであるということは求めません。爭議行為の禁止のごときは決して要求いたしません。本法に規定しましたところの第二章の職員の組合であるとか、特に團体交渉及び交渉委員、あるいは苦情処理機関を設けるところの苦情及び紛爭の調整並びに調停、及び六章の仲裁、こういう手続的なことを規定する特別方法、こういうものをお願いしたいのであります。また今一般にありますところの労働委員会が、関係してほしいと思うのであります。この公共企業体法案のように、現行の労働委員会を排除するというような考えは持つておりません。爭議権は十分に保障して、ただこれまでわが國の労働組合法におきまして、むしろ規定が欠けておつたものを規定するところの公共事業の労働法規の立案を、御配慮願いたいと思うのであります。もちろんこれはあくまで暫定立法、臨時立法でなければならぬ。恒久立法たるを要しない。少くとも私の考える機関としましては、國会がたとえば五箇年経済復興計画というようなものを立案するとか、これに御同意をするということであれば、それも実施中でけつこうであります。そうしてわが國の復興再建とマツチさせる。こういう意味で公益事業の労資関係の不安を、できるだけ最小限度にとどめていただきたい。もしそういう計画ができないということであれば、こういう公益事業に対する國管――石炭あたりは國管があります。あるいは強度の統制の実施中でけつこうであります。こういうものが漸次になくなるとかいうことになれば、そのときに一般の労働法規に移してけつこうだと思います。その公益事業の対象となるものにつきましては、今度公務員法の関係で、公團なんかでは、強度の統制を受ける公團もあるようであります。現在の公益事業にさらに加うるに、石炭であるとか鉄鉱の関係を暫定的に考える必要がありはせぬか。今日石炭が受ける國家の恩惠というものは非常なものであります。補給金にしろ、また國民の食糧の中から石炭労働関係に持つて行くところの配給量の多いということ、これは一面また石炭労働がわが國の復興に非常なる寄與をしている点によるのではありますが、また石炭企業の経営が一般の経営と違つて基礎的物資であるだけに、物價に対する影響から、補給金なんかの大きいのも理解しておるところでありますが、これらの関係から國家の非常なる保護を受けている。これは一に石炭が持つ公共の福祉維持の力が強いからである、こう思うのであります。
 さらに第二にお願いしたいことは、昨年の二・一スト、あるいは本年の三月三十一日のマーカット指令、あるいは七月二十二日のマッカーサー書翰、あること三度でこういうような悲しむべき事態になつたのであります。こういうことが出ましたとき、輿論の批判を聞いてみますると、経営者が惡いということを言われている。たしかに惡いところがあるだろうと思いますが、経営者は先ほど申しますように、非常に無力であります。また政府の無為無能も批判され、また國会が何をしたかということも言われている。しかしこれにつきましては、一体國会や政府に労働爭議に対してどれだけの力を與えているか、ということを考えなければならぬ。これを知つての批判であるか。経営者、政府、國会の無為無能を三度が三度ごとに批判されております。しかしこれが十分できるところの基盤をこれらの三者が與えられているか、與えぬで済むか。日本人のことは日本人みずからによつて処理せよということが、常にわれわれの耳にたこのできるほど耳朶を打つておりますが、この処理するところの考え方を私どもは考えてほしい。私は率直に申します。これには私は具体案はありませんが、これは偉い皆様方がぜひ考えてほしい、こう思うのであります。もちろんこの爭議のことは当事者が自主的に解決するということをその原則とする。爭議に対しては不干渉でなければならぬ。しかし事態がああいうふうに進んで、常にマッカーサー元帥の御心配をかけて、いつまでもこれでいいか。この点を十分考えてほしいと思います。これが私が本法案について、関連して申し上げたいと思いました二点であります。
 次に附帶的の希望でございますが、これはむしろ政府の方に申し上げたいことでございます。第一は、まだたしか労務法制審議会というものがあつたように思いますが、公務員法にしろ、この法案にしろ、労働関係の重要なる法案でございますので、これらに付議してその意見を聞いたように私聞いておりませんが、これらの民主的機関をぜひ活用してほしい。これは委員長から政府の方にお傳えしていただいたならば仕合せと思います。
 次は公聽会でございますが、この公聽会の運営の仕方が、非常に非民主的であるということを私は申し上げたいと思います。私はそうでもありませんが、この前の公務員法のごときは、前日に呼び出しがあつた。そして資料のごときはなんらくださつておらない。そして議員諸公の前において質問をされた。これはたまつたものではないのです。それで今後の議院運営委員会等におきまして、あらかじめ公述人には資料を提供するということにしてほしい。できるならば時間的余裕を與えてほしい。第三は公述人の選定であります。これがどういう基準でやるか、はなはだ理解に苦しむ。今日私どもは後に出る加藤さんと二人で來ております。これはおそらく輿論を聞くということが、そのねらいじやないかと思いますので、輿論構成の基盤ということを考えて選定してほしい。
 非常に偏している。これは非常に議会多忙のときでありますが、この公聽会の権威、ひいて議会の権威を確立するために、ぜひこの点はお考えになつてほしいということを熱願してやまないのであります。
 たいへん蕪雜なことでございましたが、大体私の意見を申し述べさしていただいたのであります。しかし時間の関係上省略した点もございますし、また見ますると、議員諸公が非常にお出になつておらぬようでありますので、委員長のお許しを得て、私、申し述べました要項を用意しておりますので、これを欠席の方に届けさしていただいたならば、私公述人たるの御選定にあずかつた立場から、非常に感謝にたえないのであります。
#38
○綱島委員長 委員長からちよつと伺つておきますが、公聽会において資料を提出せねばならぬという御意見には、こちらもその手落ちを認めまして、さように取り運ぶようにいたしたいと思いますが、なおこの公述人の選定にあたつて均衡を失しているようだという御意見は、大体経営者側、中立側の数が少くて、労働者側のみにその数が多いというような御意見と伺つてよろしゆうございましようか。
#39
○佐藤公述人 さようでございます。
#40
○赤松(明)委員 佐藤さんの蘊蓄を傾けられた御意見、その内容にまでわたつて微細な御意見、非常に参考になりましたことを感謝いたします。そこでただいま委員長からもお話がありましたが、公聽会が非民主的であるという点につきまして、これは國会の権威のために、誤り傳えられるおそれがあるから、一應参考までに一言触れておきますと、あなたも公述人として関連問題として意見を述べたが、これはたとえば公務員法が提出せられる。十五日までに審議してくれというような注文がつく。きわめて短期間になる。そしてその公述人の選定については、各党各派から、これがいい、この方がいいというものを持ち寄つて、理事会において決定して、しかる後にということになつて、事務局が手配をしたら、きようは忙しいから來られないとか、あすは忙しいからとか、あるいは一身上の都合だとか、こういうことで落ち着くものがこれなんである。だから要するに上程せられて審議するものの立場から言つてみれば、皆さんには実にお氣の毒とは思つておりますが、今言うような手続上の問題については、いわゆるこの労働委員会の手落ちというのではなくて、諸般の情勢が、提出せられるとすぐというふうな状態から來るものであるということだけは、ひとつ御了解置きを願いたい。
 それからあなたが一昨年の早春、労調法に関して御意見を述べられたうちに、官公吏は教養が高い、あるいは正邪に対する物の認識というものが正しい、あるいは節度見識の点においてもいわゆる労働運動、しかもその労働組合が日本の民主化の支柱でなければならないという場合において、罷業権を禁止してはならぬ。こういうことを労調法三十八條にからまつて一昨年述べられたが、今日その態度を改めなければならぬのは、自分の不明を恥ずる前に、今日の労働組合運動が三回もああいつたような、要するに注意を受けなければならなかつた点に問題があるんだ。それに関連して経営者側は非常に無能力である。すなわち労資一体の原則、労資均衡の原則にもとつておる。こういうような御意見であつたと思うんだが、そこであなたのお立場は今日日経連、いわゆる経営者を代表するところの機関の方になつておりますが、一昨年のあなたのお立場は今日と同じであつたのかどうか。すなわち私企業経営に立つた御自分の経営を持つておられたのかどうか。今日まで継続せられて日経連の代表であるのかこれが第一点。どうか。
 それからあなたは法律の限界を述べられた。法律には限界がある。この法律のみをもつてして、いわゆる労働組合の民主的な方向に向つてのものが期待せられるとするならば、法律に対する過信である。國民生活の安定に対する施策が必要である。こう言われたのでありますが、本法律に対して一昨年とはかわつて、大体においてあなたが証言せられるその内容はいろいろな意見があつたが、しかしこの法律を過信してはならない。國民生活の安定に対する施策が必要であるという、その安定というのは――少くともその施策というのは、今日の給與水準というようなものに対して具体的、建設的にはあなた御自身として、いわゆる経営者的立場において、どれだけのものを官公吏あるいは公共企業体のものに財政的、総合的な見解において、あなたの経驗と抱負から通して見て、一体どの程度であればいいと思われておるのか。それが第二点。
 それから國鉄なら國鉄というものは固定資本をたいへん要するのだからということ、軍の作戰というようなことによつて國鉄は発足したということでしたが、これは結論的に言うと、そういうことだつたから、過去の歴史というものに徴して、これはやはり切りかえなければならない。すなわち公共企業体として切りかえをやるのが当然だという御意見であつたのか。要するに中間的の説明のようであつて、時間の関係もあつたのでしようが、これじやならない。今のままではいけない。いわゆる公共企業関係の法律をつくつてほしいという御意見の中に、暫定立法でよいということでしたが、それは少くとも今日の要するに経営の主体、すなわち統制を受けておる國管であるとか、あるいは國鉄であるとか、こういうものがいけないから、純然たる資本主義へ引きもどすその間の暫定処置というふうに御説明になつたのか。この三点について承りたい。
#41
○佐藤公述人 申し上げます。この民主的運営につきまして内部事情のお話がございましたが、ごもつともなことと思いますが、できるだけ公聽会というようなものに対する世間の注意も多いときでございますから、なるべくそういう事情もありましようが、國会全体の運営として私の希望しておるところにつきましては、十分考慮してほしいということをさらにお願いするわけであります。
 次に質問の第一についてでありますが、私きようは日経連の代表というような意味で來ておるのではございませんで、日経連におるので御選定にあずかつたのだろうと思いますが、私のこの意見は、このごろ個人という言葉がはやりますが、單に私個人で申し上げておりまして、これを機関にかけたという性質のものでないので、この点誤解のないようにお願いいたします。確かに資格は違つております。私はそのころいわゆる労務関係はやつておらぬ。ふらふら遊んでおつた者でございます。そういう関係が今は日経連の理事であります。
 一番終りの質問の、資本主義になるまでの暫定か、資本主義が十分に活躍できるまでに時をかせぐ意味での考えかということのような、そのことに触れるようなお尋ねでございますが、そういうわけではございません。今日の段階におきまして、私資本主義とか社会主義とか共産主義のことはあまり詳しく存じておりませんが、かつての戰前のような経営ではいかぬ。先ほど経営参加に対して私の意見を申し上げましたが、今日の段階では從來のような型ではいけない。こういう私は認識を持つております。それで私の先ほど申した機関というのは、そういう計画を完遂する機関である。あるいはそういう統制をやつておる機関である。私は経済が自由に活躍できるような状態に置かれる。それによつて法の考えておる均衡の原則という基盤が與えられる。こういうような法律的な考えから申し上げたのであります。
 それから第二番目の法律の限界と國民生活に対する施策というのでございますが、これは私どもとしましては、今のように名目賃金と物價のシーソーゲームではいかぬ。これは幾らがよいかということであれば、産別あたりが出しておる一万二千円というものも、インフレが進めばこれまたすぐむだになる。私はそういう点ではやはり國家財政と均衡を得たもので、つまり私どもの賃金に対する基本態度というものは國家が企業を保障してくれない限りにおきましては、今の経済基盤においては、やはり支拂い能力というものの限度が、一應一つの要素でなければならぬ。こういうことを考えまして、この問題につきましては、財政的に見ましてでき得るものとしなければならぬ。しかしそれが他の一般の民間と均衡を得ないということになれば、名目賃金が著しく低いということで、インフレの重圧をそういう方々のみは受ける。こういうことになれば問題は解決しない。それで私はこの点につきましては実質賃金の裏づけということが、かかつてこの賃金問題を解決するところの施策ではないか。こういうふうに思うのであります。かりに社会党で考えております六千六百円というのが出ましたところが、今のようで裏づけがなければ、紙幣だけの問題になるので、この問題を解決していただくということが重点であるという意味合いから申し上げたのであります。金額は幾らが一番よいかということになりますと、多くの資料等を持つておりませんが、大藏省の考えておるという五千三百円とか五百円というのが、あるいはよいかもしれないが、しかしこれも実質賃金の裏づけがなかつたならば、こういう方々のみがいたずらに苦しむというような立場に置かれる。実質的に爭議権を禁止し、公務員法で縛つても問題は解決しない。これが私のいう法律の限界というところに、問題の眞意を解決する方向に行かなければならぬということを述べた氣持でございます。
#42
○中原委員 ちよつと一、二の点について伺つておきたい。大体全貌から申しますると、あなたのお説は非常に労働者に対して御理解があるようにも受け取れるのでありますが、また一面そうでもないような点も強く主張されたと思います。もちろんお立場の関係でごもつともかと思いまするが、私がこの場合伺つておきたいと思いますのは、労働組合運動の中で爭議の持つております任務と申しましようか、爭議において與えられた一つの労働組合運動の目的達成の手段としての性格ですが、あなたの御意見では、ストライキをやる、爭議をやるということは、あたかも惡であるというふうな印象を強く與えられたわけでありますが、私どもは、爭議権の行使というのは、労働者が労働條件を維持改善して参りますための必須の要件である、こういうふうに考えております。この点についての御見解をもう一度承つておくことも必要かと思います。
 それからもう一つは、今日労働者が何がゆえにストライキを相次いで繰返さなければならぬかということであります。それは、ただいま実質賃金ということを非常に御強調でございましたが、もとより労働者はそのことを要請いたしております。ところが今日の実情では、言葉がどうであろうとも、実情は実質賃金を確保されておらない。また確保さるべき事情が政治的にもまた経済的にも保障されておらないという現実面に、置かれておると思うのであります。從つて労働者が何も求めてシーソーゲームをやつておるのではなく、そういうような状態に置かれておるがゆえに、好まざることではあるが、やはり賃金の増額を要求しなければやりきれないという立場に、置かれておるわけであります。從つて労働者が賃金給與の問題を取上げて鬪つておる、その取上げ方が、いわばその要求しておる額が不当であるというふうにごらんになられるのであるかどうか。私どもの知る範囲では、たとえば全官公関係の公務員諸君が、今までは分割拂いを受けておるわけであります。ところが、前半の分割の支拂いを受けまして、それで生活を続けて参りますと、まず少くとも五日間でどんなに上手に使いましても一文なしになつて來る。從いまして、これは先般も聞いたことでありますが、たとえば夜勤をいたします場合に、コッペパン三円ないし五円なりというものを買わなければならないが、それを買う金さえもないというような実情に追い込まれておるのが眞相なんです。そこで先般來もわずか五日間の繰上げ支給を要請したというような事実もあるわけであります。それほどに食い詰めておる労働者が、当然賃金給與の問題で何らかの手段を講じてでも目的を達成しようとする努力を、その間に拂わざるを得ないことになつてくる。そういう点について、大体労働者が給與賃金の問題を持ち上げて、一つの爭議行為に入らざるべからざる必至的な條件、事情がこの現実の中にあるということはお認めにならないのであるか。このこと一應承りたい。
#43
○佐藤公述人 お答えいたします。第一の爭議権の行使というものに対する私の認識を、お尋ねになつたようでございますが、私もこれにつきましては少くとも認識を持つておると自分では自負しております。罷業なりをやるということは決して惡とは考えておりません。憲法でも保障されておる堂々たる権利でありますから、この罷業権なり爭議権をもつて労働者の地位の向上をはかる。これの裏づけの有力なる武器である。これを行使するということをもつて一概に惡とは考えません。ただ問題は、これは非常な利器でありますので、これの行使につきましては、やはり望むらくは最後の武器というふうにすることが望ましいのではないか。いついかなる場合もそうであるが、ことに今衰乏しておる日本経済の実情から見ます場合におきましては、これの行使については愼重を要するものであるのではないか、こう考えます。全般的にはそうでありませんが、特に爭議のための爭議という印象を與えたところの動きも、なかつたわけではないというのが私の認識であります。これらのごときは非常に権利を強く用い過ぎる御態度ではないか。これにはもう少し反省を要するのではないか。しかしお尋ねの爭議権というものは、決して惡いものであるというような認識は持つておりません。これは、対等に交渉する場合におきましては、これをもつて脅威を與える。そうして経営者の立場に十分の圧力を加える。これが労働者の地位向上のために非常に必要なものであるという認識は持つておる次第であります。
 それからその次の問題につきましては、実際お苦しい生活であるということは率直に認めます。そこで、これに基くところの要求、ひいてはこれに関する爭議行為というようなものが起るということも、実情としてはやむを得ないものではないか、こう思うのであります。ただ、やはり一應問題が解決し得られる、相手の立場を見るというような出し方であるということが望ましい。たとえば全官公が出しました六原則というようなものは、財源関係で政府を縛り、人員関係で縛り、金は出せ。これでは、さかさに振つても、神わざを持つておる政府ならできますけれども、ああいう六原則をやられるということになればなかなかむりな問題じやないか。労働者的感覚から言えば、首切られることも、生存権を否定せられることにもなりましようし、また大衆課税があるということになれば、これまた一應税というものは大衆が負担しておるというのが実情でありますから、ごもつともなことでありますが、賃金をこれだけ上げろと言つておる一方、これこれはしてはならぬと言つて、賃金を上げる道をふさいでしまつて、これをやれというようなことは、何だか私どもから見ればかたきをしいた行き方ではないかと思う。ああいう要請すること自身は私は率直にその立場を承認いたします。
#44
○中原委員 全官公の労働者が六原則を前提として、給與のつり上げを要求しておるということはおかしいというお言葉でありますが、一應常識としてはそういうふうに受取れるかもしれぬと思います。ところが、労働者側が要求いたします限りは、やはり今日の國家財政の扱い方が惡いということを指摘しておるものと、私どもは考えるのであります。ことに非常に憎むべき、あるいはのろうべき官界あるいは財界、政界等の醜事実がありまして、労働者としましてはそういう現象を率直に了解することができない。なお敗戰後のいわゆるどさくさの中にまぎれ込んだ不当利得者が、相当あるものと考えられておるわけであります。しかしそれに対して、これを捕捉するための政治的な措置は、毛頭講ぜられておらないというような面に、財源があるではないかという認識が、当然生れて來るわけであります。そこで大衆課税その他歳入の面を縛るようなことを主張して、給與だけはよけい出せと言うのは、りくつが合わないという御見解をお持ちになることも、そういう面をお考えになれば、おのずから解決するのであります。労働者としてはそういうふうな認識を持つておるわけであります。從つてこれはまだ今日、日本の政治の運営と言いますか、そういう方面でそういう疑惑を残さざるところまで、行われておらないということを意味するのであります。
 それからもう一つお尋ねしたいのでありますが、第十七條の点は非常に綿密な御意見がございましたが、私どももこの点特に大切な條項と考えます。この十七條の点で、教唆煽動という文字をどうしても入れなければならないというふうに御強調になりましたが、それは爭議行為というものは教唆煽動によつてなされ、起るものであると、こういうふうにお考えになつておるのではないかと受取れたのであります。私どもの認識では、爭議はそう簡單に行使されるものではない。労働者は決して爭議行為に出ることを本能的に喜ぶものではない。爭議行為はこれをあくまで回避しようという考えを持つておるのが実情なのであります。これは立場が違うためにか、そういうことが理解されておらない面もありますけれども、労働者の立場から、眞相を知つておる者が思いますと、これはとんでもない間違いなのであります。教唆煽動によつて断じて爭議行為、特に罷業行為などに出るものではない。罷業するというのは、労働者自身の責任であります。煽動者の煽動、そういう無責任な、人のあふりによつて立ち上るほど、そんな無責任なものでは実はないのであります。一つの組合が爭議に立ち上りますためには、執行機関は夜を日に次いで徹底的に問題を檢討して、不可避的にやむを得ない、もうこれよりほかに道がないという最後の線に追い込まれて來なければ、そういうことはやらぬのであります。こういう点は認識の相違なのであります。從つて私どもから申しますると、教唆煽動を入れるということでなく、もつと逆なことを実は考えております。從つてこの関係労働法なるものが、労働爭議行為を禁止せんがために出て來たということに対しては、むしろそのことをわれわれは拒否しなければならない。労働階級の爭議行為を禁止するというようなことは、どのような場合にもこれは間違いなのであります。ただ問題は爭議行為を行うための置かれた客観的な、いろいろな直接的な條件の中に、爭議行為を不可避としてのみこれがなされるのであるという問題の認識、理解が十分なされないというところにあるのでありますが、これはなるほど考えてみれば、日本は敗戰するまでまつたく労働階級には物を言わせなかつた。爭議行為は全部違法行為としてこれを取締られたというような、過去の労働者に対する一つの奴隸的な状態を強要する事情があつたわけであります。そういう國柄としては、なるほど敗戰後急速に労働者の人権が尊重されて、民主化の基盤は労働組合であるとまで言われるようになつて参りました。この一大轉換の瞬間においては、過去の常識をもつて考えると、これは驚くべき一つの変革であつたに違いありません。だがしかし、ただいまあなたも仰せられましたように、爭議を必ずしも不正なりというふうには認定しておらない。爭議というものに対する理解は十分持つておると仰せられましたが、まつたくそうであらねばならぬと思うのであります。そこでお尋ねしたい点は、教唆煽動によつて爭議が起るということは、あくまでもそういうお考えによつておるのであるか。それとも私どもが今申しました点は、御理解願えるかどうかということをお伺いしたいのです。
 第二は、先ほど石炭の問題が出ましたので、石炭の問題でちよつとお尋ねしたいのですが、石炭企業がいろいろ國家の援助を受けておるということについては、これは公共の福祉を維持するために、石炭企業が非常に犠牲を拂つておる事業であるというふうに言われたと思いますが、私どもは実はまつたく逆なことを考えておるのであります。むしろ石炭企業は、最近なるほど非常に赤字の経理を発表いたしておりますが、その赤字経理の発表の内容についても、私どもは非常に疑惑を持つております。ただそれだけではなくて、労働関係調整法が問題になりましたときにも、私どもは非常にそのことを氣にしたのでありますが、あのような骨抜きの調整法では実は何にもなりませんが、労働者の考えておりまする考え方と、経営者の考えております考え方とには非常に大きな開きがある。たとえば今日窮迫して破壊し盡された日本の経済状態を再建して行くためには、石炭企業がどうしても國の再建のために、一はだ脱がなくちやならぬという状態にあるにもかかわらず、今日のように石炭を重要視されるということを一つの都合のよい機会として、今日の石炭企業の経営のやり方というものは、まつたく貧鉱に向つて重点を置いておるということが言われておるわけであります。つまり低品位の炭層をねらつて一生懸命手を伸ばしておる。そうして優位な品質を持てる層はこれをあとに残して、一應この場合は國家の補償によつて経営を進めて行こう。こういう心構えであることを私どもは聞かされておるのであります。しかもそれは疑う余地のないものであると考えておりますが、そういうような状態で、炭鉱の経営者諸君が非常に利己的な立場に立つて、私利私欲を追究しておるということがあるわけであります。そういうふうな矛盾した國家再建様式というものは、労働者としては納得できない。しかも炭鉱に從事しておりまする労働者自身がそのことを知つており、ここに問題が起つて参るわけであります。経営者がほんとうにまじめに――経営者こそまつ裸になつて國家の再建に協力する。むしろ卒先して國家の経済再建にみずからいそしむ。こういうような態勢をとつておるならば、労働者もその眞相がすぐわかる。みずからもその事業の中に働いておるのでありますから、そのことがわかる。わかれば労働者もまた、みずからの餓死に近いような労働條件にあつても、それよりほかに労働賃金の出場所がないということをほんとうに考えるならば、また忍びがたきを忍ぶという言葉にこたえるだけのこともあるいはなし得るかもしれない。けれども眞相はそういう経営者の面に、いろいろ許すべからざる、國家再建に対し道徳をみずから蹂躙しているというような面が、しばしばうかがえる点に、また労働者としてはしんぼうのできない点があるのであります。しかしそれはいろいろ認識の問題もありまして、そうではないというお言葉でお答えになられるかもしれませんけれども、私どもはそういうような炭鉱経営の実情等々を初めとして、その他の諸経営の中にそれに類似したものを発見することが、遺憾ながらできるわけであります。これらの点についてはどういうふうにお考えになられますか。一應この場合承つておきたいと思うのであります。
 なお労働者の賃金、給與の問題については、これはまつたく今日の状態では餓死の線に実は追い込まれているわけでありまして、労働者が賃金、給與のことを問題にしないということがもしあるとすれば、これは不思議なんだとわれわれは考えているわけであります。いずれにしましてもこういう点についての御見解を一應拜聽しておきまして、私どもまた参考に資したいと思います。
#45
○佐藤公述人 十七條の問題は中原さんは私の申しましたことに、聞き違いがあるようでありますが、私は煽動教唆のことを入れよというようなことは、直接申したわけではございませんで、これは法文自体に入つております。私はそこに職員がやつた場合の教唆を書いているが、公務員法にありますように、職員だけではなく、他の第三者、何人がやつてもいかぬ、こういうふうにしてほしい。こういうことを申し上げたのです。お尋ねの労働者が教唆煽動によつて労働爭議をやるというふうには考えておりません。爭議自身にはやはり爭議をやる人の責任というものがある。それから來るいろいろな困難もあるので、これにはいろいろその人の自由意思によつて、相当愼重な考慮の上に立つのであつて、單に教唆煽動によつて立つというようなものではない。またあつてはならぬ。こう考えております。この点につきましては今組合の民主化の問題がありますが、一部の代表者によつて動かされるという事態がだんだんなくなりまして、労働者自身がその自由なる意思によつて決定するというふうに、つまり全体の意思によつて行くという動きが、だんだん高まることを私は待望している一人であります。
 第二の石炭経営者の問題等に関連してでございますが、これは数多い経営者の中にはいわゆる旧式の経営者と申しますか、利潤追求をこれ事とするというたぐいの人も絶無ではないだろうと思いますが、今日の経営者、殊に追放後の経営者という者は課長社長と言われる人で、サラリーマンに毛の生えたというような人が今の経営者の多くの階層であります。これらは少くとも今の置かれている経営者の任務その他は、労働者の方の協力を得て行かなければならぬ。それに対する経営者の生活態度ということについても、愼重な反省を持つている者が相当多くなりつつあるのではないか、こう私は考えるので、中原さんの思つている見方も当ることもあるが、この点についてはもう少し視野を廣げ、またこれに対してのいろいろな皆さん方の立場からの御教示を仰ぎたい。こういうように思うものであります。
#46
○中原委員 こういうことを繰り返すと議論になりますが、もう一点お尋ねいたしたいのは、罰則を必ずこの中に入れろという御意見でありまして、結局罰則によつてそういういろいろな問題を防止しようというお考えのようでありますが、われわれはただいまのあなたのお言葉にありましたように、労働組合はすでに終戰後三年以上を経過いたしまして、かなり組合自身の運営のことについても、民主主義的な方向へ成長していると思います。從つていたずらに他の第三者の容喙によつて組合が左右されてはおらない。容喙どころではない。第三者の容喙を許しておらない。組合自身がその組合の意思において行動しておるのであります。そういう点をお考え願うならば、ただいまの十七條の場合でも介入する。ただ一般の教唆煽動という点を考慮されましても、われわれはそういうことはまつたく問題にならないというふうに考えておるわけであります。まつたく関係のない第三者が、組合の上に手を伸ばして介入しようとしても、それを受けつけるようなふしだらな労働組合は、大体においてないのだというふうにわれわれは考えておりますが、そうであるならばわざわざそういう嚴罰主義的の法律をつくりあげて、労働階級を威嚇してそういう当面の措置を講ずるというようなやり方は、むしろ日本の民主化ということを口にし、労働組合の人格を認める立場からいつて、大きな間違いではないかとわれわれは考えるのですが、この点について御教示を仰ぎたい。
#47
○佐藤公述人 罰をもつて臨むというのは政治としては下の下である。こう私も考えております。この規定には罰則は実はあるのであつて、一般法に讓つてあるわけであります。これに書いてないというまでであつて、罰則は実はあるわけです。今御指摘せられる罰則強化の問題がひとつ問題であろうと思います。これは私は公務員法との均衡から見ましても、一般法でやるということは非常に不つり合、それからここに書いてある爭議行為をやめていただくためには、一般法によつては罰刑法定主義という一つの法律の立前から見て落ちるものがある。正常の運営においてはまつたきを得ぬ。こういう立場から申し上げたのでありますが、ただ法律というものの情ないのは、いわゆる最低限度というか、あるいは惡い方から行くと一番惡いものを覊束するために考えるもので、よい人なり、非常によい組合なりは迷惑するわけです。これは法律の持つておる一つの弱点であります。中原さんの説明されましたように、大体自主的にやるというが、大体でないところに問題がある。それが法律の対象になる。いかに法律のために善良な人が迷惑するか、法律の持つ宿命的弱点であろうと思います。低いところに低く限界を設けるというところに、法律の持ついやな役まわりというものがあるので、私どもも中原さんと同説でありまして、多くの組合というものがこれまで爭議禁止あるいは嚴罰をもつて臨まなければならぬというものではなく、むしろそうでないという立場を、私は持つておる者であることを申し上げたいと思います。
#48
○尾崎(末)委員 ごく簡單に一、二お伺いしてみたいと思います。先刻お話のあつた公述人の問題でありますが、これは先ほど委員長からもお述べになつたようでありますが、これはもう一ぺん申し上げておきます。私ども理事者としての責任を感じましたので申し上げておきますが、これは時間的に支配されたのと、いろいろの関係がありまして、大体労働組合側の方は反対が多いようであつたが、その他の経営者の側の方においては、大体はこの法案には賛成をする向きが多いだろう。こういう考え方で反対意見の方をよけい聞いてみようじやないか。こういう氣持もありまして、いわゆる労働者側の方の公述人をたくさん呼ぶ。こういうことも私どもの氣持の中にあつたのであります。しかし結果から見ますと、お話の通りこれが新聞に出まして、あるいはその他の場合から見ますと、公述人のうちの過半の者が反対意見を述べた。こういうことで相当世間的の影響というものが大きい。こういうことはおつしやる通りでありますが、この後のことはお話の趣旨をよく取入れて考えてみたい。こういうふうに責任者の一人として申し上げておくのであります。
 それから先ほどお述べになつた中の労資の関係は、両方に対等の権利を與えられていない。これは対等にしてほしい。そのためには何らか暫定的立法をもつてしても何らかの方法をしてもらいたい。こういうことにつきましては、私どももその氣持においては同感を表明し得るのであります。ただ先ほど中原委員からもお話があつたようでありましたが、もう今日では労働組合が反省期に入つて來た。過去三回にわたつてマツカーサー司令部からああいうような指令や、指示や、書簡が出たということほど行き過ぎがあつたので、これは一昨日の公聽会における公述人の中にも、労働組合の関係の方でそういうことをはつきり言つておられた方もあつたのでありますが、その行き過ぎたということは率直に認める。そのためにこういう指示や、書簡が出たということも認める、今は反省期に入つておるのだ。こういう意味のことを述べられた公述人もあつたのであります。そういうことで大体今は反省期に入つておるので、この法律が通過をいたし、これらが実施せられて行くようになりますと、もつとその反省がある程度実を結んで來るのじやないか。こういうふうに私自身は考えておるのであります。しかしながらそれだけをあてにしておるわけに行かないから、この後の経過、その推移を見てみて、やつぱり私どもが希望いたしておりますように、十分な反省に入らない。こういうことであるならば、おつしやるようないわゆる産業の再建のために必要な暫定方法をつくるのは、やむを得ないかもしれないと私自身も考えておるのであります。從つてそういう点について私も研究を進めておるのでありますが、そういう点についてもまとまつたものを持つていらつしやるかどうか。本日伺おうというのではありません。將來また御指導願うこともありましようが、そういうものを持つていらしやるかどうかということ、それから労資の関係が対等の権利を與えられていないということについて、こういう点、ああいう点ということについての研究をせられたものがあるかどうか。そのことを伺つておきたいと思います。
 それから労働條件の改善ということは、私の考えをもつてしますれば、常に建設的でなければいけない。その建設的の行き方というものは、もとより労働者の生活をよくすること、向上せしめるということも一つであり、同時に産業の建設のために、あるいは能率を増進するために、その面についても考えなければならぬ。同時に公共への福祉の増進ということについても、これらのことを基本として考えて行かなければならぬ。こうしたことは根本的に考えておかなければいけないのではあるが、最近までの労働組合というものの爭議の経過なり、その他については、この三つのうちの労働者の生活ということについてはわれわれもよく了承しておるし、また労働者の要求もそうであつたのでありますが、建設的な産業に関係する、影響するもの、あるいは公共への福祉というような点について、そこに相当の考え方の足らない点があつた。こういうふうに私ども見ておるのであります。でありますから、さつき申しましたような反省期に入つた現在及びこの後の状況を見てみては、おつしやるような暫定立法等についても研究をしなければならぬのではないか。こういうふうに考えておるのであります。さつき伺いましたまとまつたものを持つていらつしやるかどうか。あるいは労資双方の権利の対等でない点はどういうところ、どういうところというようなものについて、研究していらつしやるかどうか。そういうことを伺つておいて、ありますればあとでひとつ御参考にいただいてみたいと思います。その点をちよつと伺います。
#49
○佐藤公述人 公聽会の公述人の選定についての御事情を承りまして、私も了承いたしました。それから行過ぎ関係につきましては、今尾崎さんからお話のあつたように私も見ておりますが、いろいろ國際情勢の反映等から見まして、行き過ぎを認めているけれども、認めないというようなところもまだ残つているのではないか。また政治上の目的から、一應の現在の経済基盤で解決のつかないこと、わく内でできぬような要求を掲げて、そうして大衆獲得と言いますか、そういうような線が出るということは、この弱りきつている日本の現情から見まして、非常に心配をするものがあるというような考え方も私は持つているのでありまして、中原さんが言われる大体というのと、あなたのおつしやいます行き過ぎ反省、その以外の面に若干の心配があるので、これに法律の線というものが出て來たのが今度の公務員法案となり、あるいは今回の労働関係法案となるじやないか。從つてこれに対して多くの方はずいぶん御迷惑を受けているというふうに、私は観察しているのであります。
 それから公益事業関係の暫定立法について準備いかんということでありますが、おはずかしい未定稿でありますけれども、若干のものを持たぬでもございませんということを申し上げます。それから対等回復問題につきましては、準備したものを持つておりません。ただこの問題は統制経済の問題に触れるものと思うので、現下統制を否定することはできない。物資の非常にきゆうくつな事情でありますから、ある限度の統制は認めざるを得ませんけれども、経営者の創意くふうというものが全然働く余地がない。経営活動の重要な要素というものがほとんど封ぜられているというのが、公益事業関係に特に起る事象のように私見ております。経営者が無能とか無為とかいうことをよく言われますけれども、それではどういう手の打ち方があるかと言えば、やはりお役所に頭を下げ、また関係方面の御了解を得るということでなければ手がないというのが、こういう公益事業の関係の経営者の置かれている多くの立場ではないかと思う。この点に対等の原則と言うか、経営者としては爭議権による圧力を受けながら、どうにもこうにも手が打てぬというようなぶざまなことになつている眞因のように私どもは見ておりますので、これは敗戰下における日本の実情から、物資窮乏の日本であるから、統制のためにやむを得ざる事情であるけれども、これができるようにならなければ、経営者としても労働者の方に向つてこうしてやろう、それでは賃金を増そうということが言えずに、やはり政府からどうかしてくれとかいうように、ただいま出ておりますところの價格で片づけようと思つても、これは物價廳の方に行かなければならぬ。赤字融資その他價格補給金、かような問題でも手が出ないというのが実情で、この点非常に無為を攻撃されるのでありますけれども、つらい立場にあるということを世論の御理解を得たい。こういう氣持でいるわけであります。
#50
○尾崎(末)委員 今佐藤さんが何か資料を持つていらつしやるようでありますから、これをひとつ委員の方にいただきたいと思います。
#51
○綱島委員長 それでは休憩いたします。午後二時半より再開いたします。
    午後一時三十分休憩
     ━━━━◇◇━━━━━
    午後二時四十八分開議
#52
○綱島委員長 それでは午前に引続きまして公聽会を継続いたします。
#53
○中原委員 佐藤さんに先ほどのお話に関連しまして、一つだけつけ加えてお尋ねしておきたいと思います。それは特に皆さんの御発言の中で、マツカーサー書簡、その他今回の國家公務員法、並びに公共企業体労働関係法の一部改正並びに法案の設定について、そういう事態が起つて來た原因は、労働爭議の行き過ぎにあるというふうなことを、中原も認めているというふうなお言葉が、皆さんの一、二の人によつて発言されたのでありますが、それはまつたく私としては意外なお言葉でありまして、私はそのように考えておりません。そこでこういう諸法律の問題になります原因と、あなたがお思いになられておいでになる労働組合運動の行き過ぎということに関連して、ちよつとお尋ねをつけ加えておきたいと思うのです。というのは、そういう事態が発生する。つまり爭議が頻発し、あるいは相当大規模な爭議もまた余儀なく行わなければならない状態になつて來たその原因として、私どもはいわゆる労働階級の賃金給與その他労働諸條件の劣惡というところに、問題があると考えております。そこで今回のここで問題になつております公共企業体労働関係法案に関連しまして、そのような考え方から、私どもは爭議のそういう事態の発生する原因は、先ほど申しますように労働諸條件の劣惡というところに由來しておると考える。ことにマツカーサー元帥の書簡にも明らかでありますように、労働者の福祉と利益のために十分の措置を講じなければならぬということが、言われておるのでありますが、このことに対しては一向何らの考慮も拂われないで、ただひたすらにこのことを一つの口実として、労働階級の既得権を侵害するような、あるいは労働階級の基本的人権を蹂躙するような法律をつくろうとしているこのことに対して、佐藤さんの御見解は、はたして爭議の原因が一方的に、いわゆる労働者の行き過ぎだというふうに、あくまでお考えになつておいでになるか。それとも労働爭議の原因は、まつたく労働諸條件の劣惡なところに由來するとお考えになりますか。この点についてもう一度明らかに御所見を拜聽しておきたいと思います。
#54
○佐藤公述人 今中原さんからお尋ねの二点でございますが、第一点の労働組合運動の今回の行き過ぎということを、全面的に認めるかという意味合いのように私伺いましたが、私は先刻來るる申し上げましたように、労働組合運動を全体的に見るときは、中原さんと同じように、大体といたしましては反省期に入つている。行き過ぎと認めません。しかし今回のマツカーサー元帥の書簡を発表された原因は、大体でない一部の行き過ぎ、それが経済闘爭ばかりでなく、政治闘爭までこれを持つて來ようというところにあつたものという認識をもつているのであります。
 第二点、労働條件の劣惡ということに対する私の見方でございますが、これは決して労働條件がよいとは見ておりません。しかし何を言つてもこの敗戰下の日本であることも見なければなりません。労働者だけではありません。市民も農民も、みなが戰爭による惨苦に悩んでいるというのが実情であります。爭議の原因がインフレの進行に伴うところの生活不安から來るのが、大筋の原因であると見ておりますが、労働爭議のよつて來る眞因は、やはりこの生活難という点においては私も認識を持つております。大体そういうことで……。
#55
○綱島委員長 ありがとうございました。
 次に加藤徳衞さんにお願いいたします。
#56
○加藤公述人 理研工業株式会社の社長をしております加藤徳衞であります。
 まず結論から先に申し上げますと、今日の産業、経済の実情、労働運動の実際の動向、そういうものを考え合せ、いわば臨床診断的な考慮の上に立つて、今日の問題の法案を暫定的な立法として、賛意を表するというのが私の結論であります。これについて若干御説明申し上げたいと思います。労資双方の問題をそれぞれの当事者限りの話合いできめるということ、これはもちろん原則的に当然かくあるべきことである。話合いが相当むずかしい場合、これも調停あるいは仲裁というような形で話合いがつく。またそういうことで結論がつかぬという場合、あるいはもちろんそれ以前に直接爭議の形で解決を押し進めるということは、今日法律的に認められている当然の筋道であります。それは当然の原則でなければならぬと思いますが、それならその原則に離れておるこの法案について、なぜ賛成するかということが問題になるわけであります。一般的に見て今日の労資間の対立紛爭のうち、労働者側から出される経済的要求、これは今日の生活実体から考えてみまして、われわれ当面しておる場合もしばしばあるのですが、大体要求としてはむりでないという場合が多いわけであります。みな生活に困つておるという実情から推しはかつて、要求はそうむりでないという場合が多い。ところがこれに対してそんなら企業経営の実体が、その要求を満し得る状態かということになると、これがまたきわめて困難で、経営上の困つた立場にあるというのが一般的の事例であります。從つて双方非常な貧しいやりくり算段というところから來る要求、それに対する折衝ということになりますので、なかなか話が片がつかない。相当問答が深刻になり、好まざるにかかわらず爭議の形に入るというのが非常に多い。これは公共企業体の場合についても大体その通りに推しはかられるわけです。ところがこの公共企業体の問題が、そういうふうなわけ合いから爭議状態に入るということになりますと、その当事者間だけの影響でなしに、一般の産業、経済というような面には非常に大きな影響あるいは被害を受ける。公共の福祉がそのために非常に害されるという結果を來しやすい。現在のわが國の経済状態が多少なりともゆとりのある情勢であるならば、そういうふうな影響、被害もかなりがまんできるかもしれぬが、実情はとうていそういうものでなく、うつかりするとそのために経済の復興、産業の再建その他も、まことに憂うべき状態に陥らざるを得ないというふうに考えます。これはどうしても爭議によつて解決するということをこの場合は避けなければならぬ。こういうふうに考えられる。大体かよう実情からして、前に申し上げた原則にははずれるけれども、暫定的な立法としてこれはこの方法で行く方がよろしいというふうに考えるわけでありまこの結果調停委員会あるいは仲裁委員会の規定を設けてこれを補いをつけよう。こういうふうな法案になるわけであります。從つてこの仲裁委員会の責任というものはきわめて重大であり、その実際の運営にあたつては万全を期さなければならないというふうに考えられる。最終局決定を下されることになる。もちろん公共企業体の職員に対する影響のよしあしというものが最終において決定される点、また一般他の産業その他の企業に及ぼす影響の点というものを考慮するとき、この仲裁委員会の責任というものは、申し上げるまでもなくきわめて重大であるということを考えなければならぬ。なお最後に暫定的措置としてというふうに申し上げたその意味合いは、原則にできるだけ早く近づく、即するということがねらいであります。そうならばそういう時期はいつかということになりますと、これはもちろん今後の趨勢にまたなければなりませんが、経済復興が相当の程度進展するということ、経済全体が非常にあぶないせとぎわからはだんだん離れた状態になるということ、一方労働者の生活が一應安定するというような状態を見きわめたときには、この法律そのものも原則に近寄る、緩和されるということを予想し、またお互いにこのことをできるだけ早く招來せしむるということに努力を怠らない、努力をするということを念願しなければならぬと思います。具体的な点については別に申し上げませんで、私の意見としては簡單でありますが、これで終りたいと思います。
#57
○綱島委員長 御質問はありませんか。――それではどうもありがとうございました。次に野村さんにお願います。
#58
○野村公述人 早稻田大学教授野村平爾であります。
 最初に結論から申し上げたいと思いますが、大体私は本法案は憲法で保障せられておる労働者の基本的な権利をおびただしく制限をして、公共の福祉という考え方が非常に廣く使われ過ぎておるというような意味から、憲法の精神に反する。從つてここまで行くべきではないという結論を持つておるわけであります。
 第一に概括的に申し上げますと、わかり切つたことではありますけれども、この法律が適法であるか。すなわち憲法の精神に合しておるかどうか。基本的人権を制限してもさしつかえないかどうかという点は、大体二つの点から制限されるわけだと思うのであります。一つは形式的には憲法の中に、法律をもつてそういう基本的な権利を制限してもよろしいということが認められておる場合、これが一つであります。それからもう一つは、日本が現在占領下に置かれておる。つまり降伏をしておるという條件のもとに、占領軍の直接命令があつた場合には、制限を受けなくてはならないということになるわけであろうと思うのであります。ところで占領政策の問題でありますが、マツカーサー書簡の中では、一般公務員と公共企業体の從業員職員というものをともかくもわけて、これを普通の公職からは除外する方が適当であると信ずるというふうにされておるわけであります。その理由がはたしてどこにあるかということを想像しますに、おそらくこれは從業員の性格そのものが何か特殊なものではなくて、特に労働者的性格を持つておるものである。労働者的性格を持つておるものであるとすれば、これはどちらかと言えば一般労働者と同一に取扱うのが適当であつて、何か國家権力の直接の執行をするような地位にある者、たとえば命令を発するとか、あるいは許可免許を出すとか、こういう高級行政官のやるようなものとは性格的にも違うのだということを、はつきりと認めた上の考え方であろうというふうに想像できるわけであります。そうだとしますならば、この公共企業体の從業員の基本的な権利を制限するものは、もつぱら憲法を標準として考えて行く方が至当ではないか。そこで新憲法の中に、はたしてどのように労働者の基本権が取扱われておるであろうか。これもわかり切つたことでありますけれども、私は次のような点から労働者の基本権の制限というものはやるべきでない。あるいは取扱いとしてはきわめて愼重になされねばならないというふうに考えます。
 その一つの点は、憲法第二十八條と第二十九條との対比関係であります。多くの人が公共の福祉という考え方によつて、労働者の基本権を制限するということを主張するわけでありますけれども、この憲法の二十八條と二十九條を比較してみますと、二十九條の財産権の制限の場合は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを制限してもかまわないということが定められておるにかかわらず、二十八條の方におきましては、勤労者の團結する権利、團体行動をする権利はこれを保障するとなつており、何ら制限が加えられていない。この点が一つの点であります。
 それから第二の点は、憲法の九十七條の意味でありますが、この憲法が日本國民に保障している基本的な人権は、人類の多年にわたる自由獲得の努力の成果であつて、というようなことが書いてあるのでありまして、これはやはり労働者の基本権というのは、日本の場合には戰爭後割合簡單に労働者の基本権が、はつきりと憲法の上にも書かれるような情勢になつたのでありますけれども、全般的に言えば、國際的な長い間の労働運動の成果として、こういうものが積み立てられて來たものだということは、否定すべくもないと思うのであります。そこでこういうような立場にある権利は、よほど愼重にその取扱いをしなければならないことは、御承知のことであろうと思うのでありますが、それなればこそ、憲法の第十二條でいわゆる公共の福祉ということを持ち出しておる。この條文においてさえも、まず本文の方では、國民に保障する自由及び権利は、國民の不断の努力によつてこれを保持しなければならないというふうに、これを保持することの努力の方が実は本文なのでありまして、これを制限する方のことは、むしろあとに、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負うのだ、というふうに断つておるのでありますけれども、この場合、多く公共の福祉を持ち出す人たちは、この憲法の第十二條の規定をもつて、この公共の福祉は全面的の一切の人の基本的人権をおおうもう一段高い観念であるのだ。從つて明文の規定がなくても、この條文の趣旨から言つて、基本的人権を制限する法律を出してもかまわないのだ、というような解釈をする向きがあるようでありますけれども、私の考えでは、やはり本文は、みずからの力でこれを守る。そうして守つて行くにあたつては、逸脱しないように適当な利用をするところの責任がある。それは基本的人権を有する人自体に課せられておる責任であるので、法律でこれを制限してよろしいというような趣旨に考うべきものでない。こんなふうに思うのであります。
 そこで問題になりますのは、第三番目に公共の福祉ということについての考え方でありますが、一般に公共の福祉というのは一体何のことを言うのだろうか。たとえば電車がとまれば一般の人が不便をする。電氣がとまれば一般の人が不便をする。これは公共の福祉に反することじやないか。いきなりそういうふうに問題を出しますと、なるほど電氣が消えたり電車がとまつたりすることは、これは福祉に反するかもしれない。しかしながら問題は、具体的にはもつといろいろな事情があつて、電氣が消え、電車がとまるというようなことになるのじやないか。そこで場合によつては、電車がとまり電氣が消えるというようなことがあつても、國民の多数者がなおかつこれを耐えてもよろしいという考えを持つておる限りにおいては、決して一概にこれをもつて公共の福祉に反したというように、断言してしまうことはできないので、公共の福祉ということを考える考え方もいろいろあり得ると思うのです。從つていろいろあるこういう考え方を吟味することなしに、一概に幅廣く適用するということそれ自体が、非常に法理的には危險なんじやないか。取扱いとしては、公共の福祉というものを非常に愼重に取扱つてもらわなければいけない。たとえば國際的な例から言いましても、ゼネストのごときものでさえも、かえつて公共の福祉に合うと考えられたような場合さえもあつたということです。たとえばドイツで一九二〇年に例の軍部のカツプの一揆が起つたときに、政府がほとんど実力をもつて占拠された。そのときに追われた方の政府が呼びかけた労働者のゼネストによつて、この実力行使を排除することができたというような歴史もある。それから一九三四年には、たとえばフランスにおきましてアクシヨン・フランセーズという例の反動的な團体が、フアシスト的独裁をしこうというような運動を、例のスタヴイスキー事件というものをきつかけにして起したときに、労働者のゼネストがあつてこれを阻止したという歴史もあります。そこでストライキを禁止することが公共の福祉に合つているのだという、通俗的な判断をくだすことはできないのではないかと思います。そういう公共の福祉に合うという観念を、非常に廣くどこまでも押し廣げて考えるということは、嚴に愼む必要があるのではなかろうかということが言えるわけであります。かつてこの点につきましてはドイツのナチスの政権が、公益は私益に先んずるという原則をもつて、労働者の基本権を制限し、労働組合の結成を禁じて、逆に労働戰線というようなものをつくり上げて、その労働戰線をもつて、中における指導者に対する労働者の追從、そして國家目的のために公益を重んずる。こういうような考え方で労働者の基本権を制限して行つた、あの一九三三年から三四年に至るナチスの政策というものを考え合せてみますと、この公益という言葉は非常に私たちをとらえる。なるほどその限りにおいてはりつぱな言葉であり、大切なことである。私益に先んずるものであるかもしれないが、これが濫用されますと一つのフアシズム的な政策そのものを、持ち込んでしまう危險性があるのではないか。そういうような意味から行きまして、公共の福祉を拡張して考えるということは戒心を要する。むしろこの言葉は使うべきものではないのじやないか、というふうに考えられるのであります。
 しつこいようでありますけれども、もう少しその点を敷衍させていただきますと、第一次世界戰爭後から今日までに至る各國の、労働者の基本的な権利に対する取扱いの歴史というようなものを、ごく大ざつぱに見ますと、たとえば第一次世界大戰直後一九二二年の、ドイツ大統領が鉄道管理の罷業権を禁止する命令を出したまでの間におけるドイツとか、それから一九二七年の労働組合法の改正になりますまでの英國とか、あるいは今度の戰爭のあとにおけるフランスだとかイタリアとかの場合というふうに、團結権も爭議権も大体において制限せずに行くという建前のところもあるし、また次には一九二二年後におけるドイツのように、大統領命令で官公吏の爭議権を禁止してやつているような実例もあります。それから第三のような場合としては、日本のよううに團結権にも團体交渉権にもあるいは爭議権にも、ある程度の制限を加えているというような、今までの労働法や労働組合法のような立場もありますし、それから第四番目にはもつと一層進んで、團結権や團体交渉権は制限をする。そしてその裏づけになつている爭議権は禁止するというような立場をとつているところもあります。たとえば一九二二年における英國のごとき、それからアメリカのタフトハートレー法のごとき、それからさらにもう一歩進みますと、一切の労働者の團結権、團体交渉権も爭議権も禁止するというような立場に入つてしまう。これはたとえば戰時中の日本であるとか、フアシヨのイタリアとか、具体的に言うならば一九二六年のイタリアの労働法典で定められて、そういうものを否定しておるところ、あるいはまたナチスの労働法制におけるように、まつたくそういう基本権を制限しておるような國、こういうのがそのグループに入ると思います。そこでこれを通観しますと、最初にあげたものから最後に至るものに向うその間に、だんだんの段階がありますけれども、その最初のものは最も民主的だと言われる國々であるし、また一番最後の段階は最も独裁的なフアシズム的な國である。こういうふうに言い得られるものでありますが、日本の今度あたりの法制が占める地位は、この世界的な大きな動きの中でどんな地位に当るのであるかというと、実は第四のグループの、つまり團結権、團体交渉権に対する制限を加える。そうして爭議権を禁止するというグループに入る。つまりいわばもう一歩進むならば、まつたく労働者の基本権を制限することによつて、イタリアのフアシズム的の形態にまで進む危險性がある地位に置かれておる法制であるということをお考えになられまして、大体この法案それ自体の個々の個所をごらんになつて行く必要があるのではないかというのが、私の概括的の考え方であります。
 そこでもう少し今度具体的に申し上げてみますと、
 第一この法律の中で特徴的に考えられることは、この法案自身がいわゆる從來の労働法という考え方とかなり離れて、一つの労働統制法なり、労働取締法なりという感じを非常に強く出しておるという点、このことばかりに一歩讓つて、憲法の直接の規定に違反しないのだ。全般的に憲法の精神に反するものではない。たとえばその点はどういう点にあるかというと、労働組合の自主的の活動がおびただしく制限されておるという点に出て來る。法案の條文によりますと、第四條のたとえば「管理又は監督の地位にある者及び機密の事務を取扱う者は、組合を結成し、又はこれに加入することができない。」こういうものをきめるのはだれがきめるかというと、「政令で定める。」こういうふうになつておる。また非組合員であるか組合員であるかということをきめることは、協約できめるのではなくて政令できめるのだという点は、非常に取締的の色彩が強いということを感ずる点であります。それから少し違うかもしれませんが、第五條の規定の中においても、わずわず職員は、「組合に加入しなかつたことをもつていかなる不利益な取扱も受けない。」何かこの規定の條文からは組合へ加入しないことがむしろよろしいのだというようなことを、考えさせるような規定の仕方をしておる。ここらあたりはどちらかというと、組合の保護助成という政策から、まつたく反対の方向へと動くような規定の仕方になつておる。それから続きまして、なお第六條でありますが、第六條においても、組合会計に関する外部の監査人による監査というようなことがきめられておりますが、組合自身の組合員による組合費の使い方の監査というようなことではなくて、外部からこういうものを監査をする。そういうことを規定でうたつて、組合規約そのもののきめ方についても、外部的に関與するというような点が出て來ておる。それから團体交渉の内容あたりを第八條では制限しまして、列挙主義によらせておるとか、これは他の意味もありますけれども、そういう点であるとか、あるいは第九條の交渉委員の数だの機構だのというものを、政令できめることができるというようなことが定めてある点だとか、それからまた第十一條の規定のように、これは事情によつては必要があるのかもしれませんが、「労働大臣は、特別の事情があると認めるときは、職員の多数の希望を確めるために、職員に無記名投票による選挙を命じ、これを管理することができる。」というふうに、労働大臣の権限としてこの選挙の再選挙を命ずるというようなことができる点とか、それから第十二條において「異議の申立及び解決の手続は、政令で定める。」とか、それから爭議の禁止なんということも、結局は團体交渉そのものの自主的な保障を取去つているとか、そういう点を見ますと、全般的に非常に労働統制法的な色彩が強い。そうして労働組合法、労調法の適用も排除して行くというようなことになつて來るのでありまして、これでは大体の精神として法文の第一條にうたわれておりますように、苦情紛爭を能率的に処理して勤労者の生活を守るというような方向ではなくて、どちらかというと、苦情紛爭を権力的に抑止するというような方向が強く働いている性格がある。こういう点は労働法制というものが、どちらかというと今までの歴史の長い間の経過で自主的に育つて來た労働者が、その組織を自分たちの思うように運営し、その運営によつて自分たちの地位を高めて行く。それに対して國家的な干渉をすることは、かえつて労働者の本來的な成長を妨げるものだという從來歴史の上で証明されたこの考え方に対して、非常に反対的な方向に動いている。この点が一つ問題になるのではないかというふうに考えられるのであります。
 次に爭議行為の禁止、第十七條の規定でありますけれども、これは先ほど言つたように、憲法にはこれほど強い制限を加えることは許してないのだというのが私の考え方でありますけれども、この規定の仕方それ自体にも非常に問題があるように思うのです。それはなぜかというと、御承知であろうと思いますけれども、かつて大正十五年に廃止されました治安警察法第十七條という規定があります。あの治安警察法第十七條という、労働者の権利を抑圧するために非常に大きな働きをしたあの規定の仕方と、これが非常に似ているということ、あの規定では、同盟罷業を遂行するために労務者をして労務を停廃させるとか、あるいは労務者をして雇用をすることの申込みを拒絶をさせるとか、そういう目的をもつて他人を誘惑もしくは煽動する者は処罰をするというのが、あの治安警察法第十七條という有名な條文であつたのでありますが、この規定によりますと、やはりそういうような形でもつて職員及びその組合は、同盟罷業、怠業し、その他業務の正当な運営を阻害する一切の行為をすることができない。又職員は、このような禁止された行為を共謀し、そそのかし、若しくはあおつてはならない。というようなことで、こういう形は治安警察法あたりの立法形式と、言葉が口語体にかわつておりますけれども、非常によく似ている、こういうことは、やはりあとでこの規定が廣い長い歴史の上から言うと、非常に屈辱的な規定であるというような批評を受けることになるおそれがあるんじやないかという点であります。
 次は、この規定は労働運動の取締り、組合活動の規制ということの方に重点が向いているにかかわらず、労働者の生活保障というような点については、ほとんど顧みられておらないということです。もちろん國鉄法案や專賣公社法案によりますと、國有鉄道法案の第二十八條とか、專賣公社法案の第二十一條とかには、「職員の給與は、その職務の内容と責任に應ずるものでなければならない。職員の給與は、生計費並びに國家公務員及び民間事業の從事員における給與その他の條件を考慮して定めなければならない。」というようなことが規定されておりますけれども、この場合において参考になることは、アメリカのTVA法あたりの第三條かには、この点についてはこの地域の類似的業種の現行標準賃金以下になつてはいけない。それより下になつてはいけないという下の制限まではつきりさせている点、ここらは非常に重要なものじやないかと思うのですが、この國鉄法案や專賣公社法案の中にはそういうようなことは書いてない。ただいろいろな事情を考慮しろということは書いてある。しかしそれに明確な基準を與えておらない。日本の場合であつたならば、むしろこれだけのいろいろな制限を加え、これだけの統制をするのであるならば、私はそれに賛成のわけじやないのですけれども、やはりここには生活の基準を支えるだけのものをしなければいけない、最低生活を保障しなければいかぬということが、相互的條件として認められなければ、法案としてのつり合いがとれないじやないか。こういうふうに考えるものであります。
 次にこの法案全体は、戰爭後における日本の労働階級が、その運動の過程でもつてだんだんに獲得して來たところの利益を、法律の規定でもつて一ぺんに整理している点があるということであります。たとえば一つの例としては、第七條に專從職員の問題があります。專從職員は無給としなくてはいけないというようなことがあるのでありますけれども、この專從職員の無給制というようなことにつきましては、これはいろいろ意見があるわけであります。本來の考え方からすれば、働かない者が給料をもらうということは正しくないことだ。アメリカでも英國でもそういう考えのもとに法律を立案しておりますが、しかしながら同時にそれらの國々におきましては最低賃金法等を定めて、弱い労働者のために最低賃金の保障をするというようなことを一面においてやつている。その上でもつて働かざる者は賃金を受けるなというような考え方が出されて來ることになつている。ところが日本の場合にはそういう最低賃金制もないし、またこの法案の中にも最低賃金の保障をしていない。そこでもつて今まで労働階級の方が有利に獲得して來たものを、ただそれだけの形で一ぺんに整理をしてしまうということは、日本の現状から見た場合には考えなければならぬのではないか。つまり專從職員の問題等にしてもこのように嚴密に規定することなく、実際の協約その他にまかせるというような方途をとつたらどうだろうか。それでもいいものじやないだろうかというふうに考えられる点であります。
 私の申し上げたい中心点は、ごく大ざつぱでありますが、そういう点から言いまして結論として、やはりそういうような形で特別に労働者の基本権を制限するということは、憲法の精神にももとることであるしするから、むしろ從來の労働組合法、労働関係調整法等の規定にまかせるということの方が正しい。また先々の長い見透しにおいてむしろ日本の労働法制の歴史の上でもつて、恥辱にならないような法制を残すことになるんじやないか。こういうふうに考えるものでありますから、ただいま申し上げたような意見を持つたわけであります。
#59
○綱島委員長 何か御質問はありませんか。
#60
○中原委員 野村さんにただ一つだけこの法律案の一番源をなしておると考えられるマツク書簡のことについて、御見解を承つておきたいと思います。
 吉田総理大臣は最初、マツク書簡は勧告である、こういうふうに表明されました。それに対しまして私どもの同僚が追究質問いたしましたところが、というのは、もしそれが勧告であるならば、芦田内閣がとつた措置は違法じやないか。いわゆるポツダム宣言の受諾に伴う緊急勅令五百四十二号の要求を含む勧告である。こういうふうに訂正されたわけであります。從つて私どもとしてはマツク書簡が要求ではなくて、勧告であるということと命令であるということとの間に、大きな問題があるわけであります。吉田総理の申しますように、要求を含む勧告ということの意味は、すなわち命令であるというように理論づけなければ、芦田内閣のとりました政令二百一号の公布ということが問題になると思うのです。このことについて先生の御見解を伺つておきたいと思います。
#61
○野村公述人 お答えします。この書簡が一体どういう性格のものであるかということについては、いろいろ議論があるようでありますけれども、日本の降伏文書におきましては、大体連合軍司令官の要求については、これを実現しなければならない義務を負つているわけであります。そこで今まで出されておりますそういう要求なり、命令なりの形態を考えて見ますと、今までのものは、私今資料を持ちませんのであるいは誤りがあるかも知れませんけれども、大体こういうようなことを要求するというときには、そのものをその文章のままに出してもすぐに法律命令になるような、そういう形で命ぜられて來ておるのであります。この書簡形式によりまして、長いものであると、一体どこからどこまでが要求であるのか、どこからどこまでがそうやらなければならないものであるかということになると、多分にこの書簡を受けた側の解釈ということが問題になると思うのです。そこで書簡を解釈するということは、客観的に書簡が外に出されて來る場合には、われわれとしてはその出された書簡を土台としての解釈論が、一應問題になると思うのです。そこで実際政府の方がどういうふうに口頭でもつてお話を伺つているのか、私は存じませんけれども、書簡の上から見ました限りでは、公務員法の改訂をやつたらどうかということを言つている点ははつきりしております。ただその他につきましては、これが命令であるというふうに明確に、あるいは要求であるというふうに明確に言うことができるような点があるかどうか。その点はどうも私としても、はつきりここらがそうだというふうに申し上げるような点を見出すことができません。大体こうしたらどうだろうかというような、示唆なり勧告なりといわれるような種類のものが随所にあるように思います。そこでたとえばこの公共企業体に関するものとしては、この公務員法に関する方のものと対照しまして、勤労を公務に捧げる者とそれから私的企業に從う者との間には、顯著な区別がなければならないというふうに一箇所言つておるのに対比しまして、今度はあとで、鉄道並びに塩、しようのう及びタバコの專賣などの政府事業に関する限り、これらの職員は普通職からは除外せられてよいと信ずるというふうに言われている。そこで一般公務員などの取扱いのような取扱いの仕方はすべきものではない、と言えるのではないか。解釈の一つとして出て來るのではないか。そうするとどちらかと言うと、むしろこの点では私が最初に断わりましたように、從業員に労働者的性格というものを非常に強く見ているということが言えると思います。一体この官吏群というものがだんだん変質をして來たり、解体したりして來る過程がありますが、官吏というものは最初は一人の討建的な君主なり何なりの周囲を囲む家臣團的な性格のものであつたのですが、民主的國家に向うに從つてこういうものは解体して來る。そしてそれと同時にそれらの人々はどういう地位について來るかというと、ごく少数の高級官吏は別といたしまして、一般の官公吏というような者、公務員と称せらるる者は、大体この賃金給料というようなもので生活する以外には生活のしようがない。その生きることも死ぬことも、あるいはその幸福も不幸も、すべてその人たちの労働力を雇い入れてくれるか、くれないかということにかかつている地位にかわつて來る。そこで近代法ではこの公務員の地位というものの労働者的性格というものを、大体認めて來る傾向が強くなつて來ておるのであります。これが第一次戰後におけるドイツだの、それから今度の戰爭後における日本の労働組合法などがつくられたときの考え方だの、労調法などがつくられたときの考え方の底に横わつている基本的な考え方であろうと思います。そこでそういうふうな観点に立ちます限り、この公共企業体についての從業員というものも、ほとんど特殊なものとして考えられた、ある高級な公務員などの、いわゆる高級官僚などを中心として考えられるような公務員の考え方などと同じに取扱うべきものでなくて、むしろまつたくこれと対蹠的に、労働者的な性格を強く考えつつ取扱うというのが至当ではないか。こんなふうに考えたわけであります。そこでさらに引続いてこれらの示唆の中にありますものはどういうことであるかというと、労働者の從業員、職員の保護のためのいろいろな施設、たとえば調停制度、仲裁制度等を設けたらどうだろうかとか、あるいは業務運営に支障を起さないように、公共の利益を擁護するような方法を定めたらどうかとか、こういうような勧告があります。しかしながら明確に爭議権を否認するというようなことは一つも出ていない。公共の利益を守るために業務運営に支障を起さないようにやつて行けということは、それなら爭議を禁止するということにすぐに行くかというと、そうばかりは言えないと思うのであります。つまり労働者の基本的な生活を高め、その生活を高めることを労働者自身として守り得るというやり方を通してでも、労働者の地位が安定するということを通して、実は公共の利益に適合して來るということさえも考えられるわけであります。ただ取締りというようなことによつてだけ、業務の運営に支障を起さないようなやり方ができるというふうになるものじやないと思います。それはたとえば非常に生活條件が惡いと自然休むことが多くなり、その職業で賃金を受けておりながら、何とかそこの職務をサボつて、その代りに別にやみ賣りでもやるとか、あるいは何かほかの商賣をやるとかいうことによつて生活のつけ足しをする。こういう事情があつたのではこれは非常に公共の福祉には実は合はないような結果が出て來るのじやないか。そういうことを考慮いたしまして、この書簡の解釈そのものは一つの大きな示唆としながら、その示唆に基いて日本憲法のつくられたときの精神を解釈しながら、法案を立案していくということが大切なのじやないかというのが、私個人の考えなのであります。少し的をはずれたと思いますが、そんな考えであります。
#62
○尾崎(末)委員 野村さんに二点ほどお伺いしておきたいと思います。お述べになりました中で今日の労働者が持つている権利は、労働運動の今日までの過程において獲得した権利である、こういうふうに、お述べになつたようでありますが、もとより私もこの点をある程度認めるのではありますが、今日までの過程において獲得したということよりも、敗戰の結果飛躍的に與えられた権利、そつちの方が大きいのではないか。こういうふうに私は考えますが、その飛躍的に與えられた方の権利が大きかつたがために、飛躍的に持つには持つたが、これに即應するだけの教養というか試練というか、そういうものが足りなかつた。こういうことが相当濃厚だつたんではないかと思うのであります。それは昨年労働省設置法案のときに、片山内閣の米窪労働大臣に対しましても、しばしばこういう意味の質問をやつてみて、同時に労働法規についての一部の改正をやる考えはないかと言うたが、それでなければ何らか労働教育に関する――労働教育と申しますことは官製の教育だけでなくして、企業者と組合と双方でやる労働教育あるいは正しい法規、及び産業のあり方等についての教育をなすところの一種の官製的なもの、いま一つは組合みずからが行う労働教育、こういう大体において、三つの方面においての労働教育を適切に早く急がなければ、必ず行き過ぎが起るであろうということをしばしば述べてみたのでありますが、当時は米窪労働大臣もまつたく同感だ。だから今の労働三法をやらしてみてその模樣次第で考慮するのだということを、片山内閣当時においても米窪さんも述べられているのであります。でありますから、そういうところから私どもの考えができたのでありますが、飛躍的に與えられた権利が大きかつた。教育並びに試練が足りなかつた。そのために組合運動のあり方というものが行き過ぎた。だからマ元帥の書簡というものになつて現われて参つて、暫定的に公共企業というものがある程度の安定の域に入るまで、こうしたものを出さなければいけないような事情に立至つたということの方が、それが全部ではありませんが、そういうことの方が濃厚なのではないかと私は考えますが、そういう点に対するお考えを伺いたいと思う。
 いま一つは專從職員の問題でありますが、この問題につきましてもおよそ十数回にわたつて、專從職員の給與というものはよすべきだということを私は論じて参つたのであります。と言う根拠は、決して組合そのものを圧迫するとかいうようなことでなくて、いわゆる基本的人権の尊重という建前から考えるならば、組合のことは苦しくても組合自身がやつて行くことの方が、基本的人権の尊重ということになつて行く。そこに行かなければとうてい組合というものは健全な発達をすることは困難であるという建前から、実に私はしばしばにわたつて專從職員の給與問題を論じて來た一員でありますが、この二点に対するお考えを伺いたいと思うのであります。
#63
○野村公述人 お答えいたします第一の点につきまして、日本の戰後における労働者の権利を取得したのは、これは與えられたものであつて、労働階級がとつたものでないというようなことでありますが、なるほど現象的具体的に見ますとそのような形になつております、しかし私が先ほど申しましたのは、こういうような労働者の基本的権利を獲得することは、日本の労働者だけで達成する問題でなくして、世界の労働運動の上で達成して來たのである。世界各國の労働運動が非常に苦しい戰いを鬪つて、もつてだんだんにそういうものを権利として認めさした。だんだんにと言つても始終少しずつという意味でなくして、何らかの段階が必要であります。たとえば世界大戰後のドイツの民主的な革命、これは結局大きな目で言えば失敗に終つたのでありましようが、そのときのワイマール憲法でもつて取得をするとか、あるいは今度の欧州諸國が第二次世界戰爭のあとにおいて、たとえばフランスとかイタリアとかいう國々においてこういうものを獲得するとか、つまり憲法の上にそういう基本権が記されて來るまでには、世界各國の長い歴史と運動の結果が集積して、そういう形をとつて現われる。これはたとえば日本の占領軍当局がきつと頭の中で思い浮べて、日本にこういうものをくれたというのでなくして、そういうような労働運動の過程が、日本を民主化する以上は当然これを認めるのが至当である。こういう考え方で認めるに至つて來た。また勧告をするに至つて來た。そういうものでないかというのが私のその点についての考え方であります。もちろんそういう形でもつてこれを動かすべきかということについて、いろいろの問題がその間にあるでしよう。しかしながらその間にたとえば一つの顯著な例として、團体交渉権があるということを言つたところが、いわゆる人民裁判みたいなものをやつた。なるほどそういう形で言うなら、これはその限りでは、たとえば何百人もの人がたつた一人の人間を囲んで、何十時間も外に出さなかつたとすれば、そのことはその限りにおいてはよいことかと言えば、決していいことではないと思う。しかしどうしてそういう事態が起つて來るかということにつきましては、もう少し考えてみる事由があるのではないか。たとえば從來團体交渉などというものをやろうとしない。これを常に回避しようとしているような習慣が日本にあつた。そこでそういう場合の権利の行使の仕方とすると、勢いそういう動き方をするということがあるのではないか。そこでそういうことがだんだん労働組合においてもそれまでの必要がない。また使用者側にしてもそういう形において團体交渉を拒否するのでないということになれば、自然そういうやり方というものは整理されて來る。そこでそういう歴史の過程を通して、だんだん日本のような今まであつた形のもの、それに対する対抗運動という形でもつて、極端に出るところの場合までも、相互の関係においていろいろの形にかわつて來るんではないか。そういう形で日本の運動を見ますと、一概にすべて日本にあることが、たとえば英國やアメリカには見られなかつたから、これが異例であるという考え方は私としてはちよつととれない。まあそういうような意味なんであります。それが第一点。
 それから第二の点は、專從職員の問題でありますが、專從職員の問題につきましては、いろいろの理論的根拠があるようであります。非常に大きくかいつまんで專從職員を無給にせよという根拠を指摘してみますと、一つはいわゆる求償契約の論理なんと言いますが、働くから賃金をもらうのだ。働かなければ賃金をもらうべきでない。組合の仕事ばかりやつて会社の仕事をやらないのに、賃金をもらうというのはけしからんというこの論理が一つの根拠でありましよう。それからもう一つの根拠は、こういう形は欧米諸國には見当らない。日本にだけある。何か特殊なあるいは日本のいわゆる温情主義的な封建的な残滓なんではないか。こういう見方が一つあると思う。そこでこの両方について簡單に私の考えを申し上げたいと思いますが、外國のこういう原則は一体いつ育つて來たかと申しますと、私もあまり大して勉強しておらないのでありますけれども、私の見たところでは、英國あたりではこういう高率な組合費をとつて、組合のことは組合自体でやつて行くという原則が確立したのは一八五〇年以降、いわゆる労働組合運動がじみになつたと言われるあの時期であります。そういう時期は大体英國としては産業資本が確立して、國内の一部の熟練職工に対してはある程度の高給が保証された。そういうときに高い俸給をとるところの熟練工の組合の間から、大体そういうようなものが育つて來た。またこれを育てるための一つの機縁になつたものは何であつたかというと、一般には組合運動に徹底的な好意を持たなかつた。これを放つておいて政府はちつともかまわなかつた。あるいは保護するような法律的な施設は特にしなかつたというようなことから、労働者はそれだからといつて黙つていられない。そこでじりじりと自分たちの力だけででも組合を育てて行こうという、この歴史が始まつたんだと思います。そういう間ででき上つた原則であつて、しかも今度不熟練労働者を廣く包括した、大きな組合運動に進展するような時期になりますと、組合運動としては弱い組合のために最低賃金制を獲得する。こういう運動が出て來たのであります。だから最低賃金は保障される。しかしながら組合は会社側の資材は何一つも使わない。自分たちで今まで確立したやり方でやる。こういう原則が英國あたりで育つたのではないかと思うのです。それからアメリカにおいても同じようなことが言えるのであります。たとえば一八八〇年代のAFLあたりが非常に大きくなりました時期には、やはり熟練工の間からじみな組合運動が育つて來た。そして高率の組合費をとつて、組合の職員をまかなつて行くような原則が育つた。それから続いて一九〇〇年になると最低賃金制が弱い産業のために確立して來た。こういう歴史があるのであります。そこでそういう事情と比べて日本の場合はどうであるかというと、労働條件はそういう國々に比べると非常に低いわけです。そして組合運動は今度その低いときに急激に膨脹し出すという形を追つて行つたのでありまするが、その膨脹の行先をどこへ求めたかというと、最低賃金制確立の運動はもちろん労働組合あたりは要求しておるようですが、なかなかそれが達成できない。そこで企業別になるべく組合費を節約する方向へという形に、つまり日本における特殊的な組合運動の形、たとえば專從職員の給與を出してもろうとか、あるいは組合のことに会社のものを使うというような権利を獲得するとか、そういうような形に進んで行つたように思うのであります。これは一面からいうと、ある使用者たちはこれは労働組合の保護助長政策だから仕方がないものだといつて、あるいは自分の方から積極的に投げ出して、そういう権利を認めさせてしまつたというようないきさつもあろうかと思いますけれども、全体から見ると、戰後において使用者の地位が非常に動搖して弱くなつた。そのときに労働組合運動が急激に起つたというところから來た原則のように私は考えます。そういう原則だとすると、歴史的に成り立つて來た事情を考慮しないで、一ぺんに法律の上で簡單に整理してしまうということは、法文の行き方としても適当ではないではないか。むしろ最近できておるような労働組合の協約の上に、そういうことについて相互に権利義務の関係を明らかにするというあのやり方の方が、法文を一挙に整理するというやり方よりも、日本の労働運動に対する政策としては現状に即した考え方になるのではなかろうかということが、私の第二の点についての考えであります。
#64
○尾崎(末)委員 今伺つた最初のところでございますが、さつき私が申し上げたことについて、誤解のないようにもう一ぺんお話申し上げたいと思います。労働運動の過程において獲得した権利ではないというのではなく、それよりも敗戰後において飛躍的に與えられた権利だというような色彩の方が濃厚なのではないか。從つて組合はこの飛躍的にとつたところの権利に郎應して行くだけの、教養と試錬を持つていないという点なのであります。この欧米並に獲得した権利に対して教養と試錬との少い日本の組合が、この権利に郎應して行くためには、どれだけのことをやるのが一番いいかということについて、簡單にひとつお願いいたしたいと思います。
#65
○野村公述人 簡單に申し上げますが、私としましてはやはり自主的な運動によつて育てて行くのが、労働運動の從來の育ち方にも適するし、それから今後のやり方としても適当なのではないかと思います。統制するというやり方をしますと、先ほど私の最初の公述の中で申し上げたように、全般的には單に取締りという形に移つてしまう危險があるので、それを保障するという意味においては、やはり自主的な運動にまかせるのが一番正しいやり方である。労働者自身、ことに公共企業体の労働者であるならば、一般の人の支持がなくしてその運動を高めて行くということは困難でありますから、その点を考えてもそう軽卒には人の非難を受けるような行動を、組合自身としてもとらないようになるのではないか。その意味において自主的な運動にまかせてさしつかえないものである。私はこういうふうに考えます。
#66
○綱島委員長 委員長から伺つてはおかしいようですが、重大なことですから公述人に伺つておきます。本法案が本質的に好ましからざる方向にあるものだという大体の御意見のようですが、ちよつと伺つておきたいことは、從來の國家組織の基本体を形づくつておる一連の公務員、及びその線に連なる公共企業体というものの経済的存在、すなわち妥協しがたき矛盾した法的措置によつてできておる一定の運営形態と見た國家組織、こういうものの主軸を形成する官僚組織、その中の公共企業体というものの労働者の地位、職員の地位というものは、普通の産業界における労働者の地位、こういうものに対する見方が、私自身の考えではもう少し違つたものがあるのではないかという考えがしたのです。いま一つは、ソーシヤル・ルールというものは、実はその國家の形づくる社会の中におけるルールだけで発達するものでなく、世界的にずつと発達して來たもので、その影響でかわつて行くのだという御意見が、委員の質問に対するお答えの中にあつたようでありますが、そこで問題は、國家がつくるルールというものは、その國家の範囲に限定される社会の持つ社会自身の社会的ルールでなければならぬのであつて、他の影響から來るものは本質的に社会的ルールの性質を失うものではないか。こういう点に対する御意見と、この二つの点を明確にしておきたいと思います。つまり公共企業体もしくはこれと密接な関係を持つておる公務員は、労働者という地位が実は國家組織体の中にあるものであるから、そこでいわゆる経済体の労働者とは本質的に違つて來るのではないか。もう一つは社会の法則、國家でつくる法則は、國家の持つ社会の妥当なる法則でなければならぬので、他の社会からの影響によつて決定されてくるルールというものが、かりに抽象作為的に用いられれば、そのうちにルール自身が社会ルールたる本質を失う結果を招來するのではないかというのであります。第一の私企業と公共企業の問題でありますけれども、私企業と公企業の社会の基本的な事情はさきに質問申し上げましたが、これはマルクスの説明を借りて、國家というものが妥協しがたき矛盾の対立を、そのままの形で法的安定を得たものと見た解釈での質問を申し上げたのであります。
#67
○野村公述人 あるいは私がよくのみ込んでおらないのじやないかと思うのでありますが、大体先ほど來私の申しました説明の中で、私企業的の考え方が非常に強く出ておるということではなかつたかと思うのであります。その点で誤りないとすれば、そういうふうの意味でお答えしたいと思いますが、本來國有鉄道でありましても、それから專賣事業でありましても、今独占的に國家がこれを持つておるという事情は、なるほど私企業と違うのでありますが、もしも私企業においてこれが独占的になされたというような事情があるならば、これはまた同じことに実はなるのではないか。本質的な差違がないのであるということであります。ただむしろ違うとすれば、私企業の中にまだ全般的な一つの独占形態が成長していないようなものの間においては、そういう各國私企業の間におけるそうした矛盾ということが問題になります。しかしながら全般的にこれが統制されたもの、一つの企業にまとまつたという形になれば、それが私企業の形においてあります場合と、公的な企業という形になります場合とで、別に仕事の性格そのものに本質的な区別が出て來るわけでない。ことにそういうところの從業員に対する取扱いそのものについては、一つも区別をしなければならないほどの必要性を私は感じない。こういうような意味で最初に申し上げたわけであります。なぜかと言いますと、鉄道の場合でもそれから專賣事業の場合でも、これは先ほど來の公述人の中の方でも、そういうことに触れられておつたのでありますが、一体國家権力を執行して行く。あるいは國家意思を決定する。こういうような形の性格はかりに國家の事務、國家の企業であつても、そういうところの企業体の從業員の中にはそういうような特殊な行政的あるいは司法的なそういう性格はないのでありまして、これはやはり一種の経済行為にしかすぎない。そこでそういうような立場から行きますと、私企業であつても公企業であつても、その從業員の労働者的性格にはかわりはない、こういうふうな意味で私は第一の点はお答えしたのであります。
 それから第二の点は、國家内におけるところの法律が外から來たものによつて、そういう法則が押しつけられるということによつて、実は法としての意味を持つのじやなくて、國家の中で、その社会の中で育つところの法律だけが意味があるのだ、こういうような意味であろうかという御質問のように聞いたのであります。労働法規というようなものにつきましては、どちらかというと大体中で育つて來るもの、これを認めて行くことが資本主義的な社会においては大切なことだというふうに私は考えております。それはなぜかと言いますと、この資本主義社会の中で國家的な統制や何かをやるという形では、今までの歴史的な経驗で労働運動は決して育つものでもなければ、その権利が保障されるものでもない。そこで全般的な法律としては、それが進む道に対してじやまものを置かないようにしておいて、自主的運動にまつやり方が進歩的な民主的な法律である。この労働法制などにおいては、そういう意味において労働調整法よりも自主的な労働立法が望ましいのだというので、かえつて逆に爭議権などを背景として團体交渉の間につくられて來る法律に頼る。こういうのが労働法制の一般的な考え方ではなかろうかと思います。そういう意味におきまして私は、もちろん國家が一つの労働関係を規律する方向に一定の標準を與えることが、惡いことだと一概に言うのではありません。ただ與え方が自主的な運動を殺すような形において與えるのと、その自主的な運動を育てて行くような形において與えるのとの間における差違だ、というふうに私は考えるのであります。
#68
○綱島委員長 もう御質問はありませんか。
#69
○秋田委員 先ほどの中原さんの御質問に関連しまして、野村さんからこのマ書簡のいわゆる勧告の性質の問題に触れて、公務員法の改正はやるということの意思は明確に読みとれるが、公企業体の從業員等に関する本案のようなものをつくることの示唆については、公務員法の改正の場合のごとく、マ書簡の趣旨は明確でないように思われるというようなお話があつたかと理解したのでありますが、そこでそのときにお話になりました公企業体の從業員の性格、今問題になつておる憲法の原則に反するかどうかという基本の問題でありますが、この公企業体の從業員は普通職ではないこと、それから除外されてもいいこと、いわゆるマ書簡にもそう言つておる。しかしこれは普通職の場合に與えられておる保護にかわるに、調停仲裁の制度が設けられなければならないというようなことも、そのあとにマ書簡は述べておる。あなたもその点はさつきちよつと引用されましたが、その際にすなわちここにおいて労働爭議権等のことは一つも触れてないのだから、これを否定する第十七條の本案の規定のごときものは、マ書簡も考えていないじやないかというふうに触れて行かれたように聞いております。その点は十七條の爭議権禁止を規定されるという論拠にそこを使われたということは、私も一應了承はできるのでありますが、その点は爭議権の禁止のことについては触れてないが、やはり調停仲裁の制度が、保護にかわるものとして設けられなければならない。この條文の意思をやはり相当明確に、何らかの特殊の規定がされなければならないというのが、マ書簡の明確なる具体的意思ではなかろうかと、私には考えられるのでありますが、いかがでございましようか。もしそうだとしますと、やはり占領治下においてこのマ書簡を受取つたわれわれとしては、全面的にこういう本案のごときものは否定してしまつて、今までの労働関係調整法などにまかせて行くという論拠は出て來ないじやないか。この間も実はどなたかの公述の場合に、それにちよつと私触れてお尋ねしたのでありますが、ある方はこれは制度を新たに設けようという示唆ではないという御解釈である。これは書簡だから、あなたがさつきおつしやつたように解釈論の問題になるのですが、まさにその解釈論なんですが、先生はどういうふうにお考えですか。
#70
○野村公述人 お答えします。なるほどここに從來の公務員法できまつたような保護にかえるに、一つの保護のために調停仲裁等の制度を設ける必要があろうということが記載されております。そこで公務員法で與えておる保護というのは、つまり私の想像では、人事委員会の給與その他についての保障をやるということだと思う。ところで給與その他の保障制度というものが、実は公共企業体の考えの中に直接出て來ないわけです。そこは出て來ませんから、そういうものにかわる何らかの方法が必要なんじやないかということをここでうたつた。そのためには調停仲裁の制度を利用したらどうかということだと考えるわけなんで、そういう考え方からいつて、公共企業体労働関係法という法律そのものは、提案の理由も私ちよつと拜見しましたが、一應そういうところにのつとつておるように考えるわけです。ところであの考え方によつて來ます制度を設けよということ、大体強制調停や仲裁あたりの制度でありますが、あそこまで仲裁をやるということそれ自体は、私の考え方で言いますと、先ほど言つたいわゆる自主的な労働運動ではなくて、それにかわる統制的、取締り的なやり方、たとえば、なくなりましたが旧來の労働爭議調停法などにおきます強制調停と、同じような性格のものになつて行くのじやないか。そこでそういうようなやり方によるよりは、保護制度そのものを生かすための何らかの施設として、かりにこういうものがどうであろうかというようにお考えになつてみたらどうなのか。つまりこれを命令というふうな強い意味に考えなくて、何か要求を生かして行くための制度を、公務員法などと違つて別に考えてみることはどうだろうかという意味に考えられたらどうかと、私はその程度に軽く解釈をしておるのでありますが、重く解釈をしますと、どうしても調停、仲裁制度という特別制度を設けることが、強調されることになろうかと思うのであります。
#71
○秋田委員 一應野村先生の御説明はそれで了承いたしました。
#72
○綱島委員長 別に御質問ございませんか。――どうもありがとうございました。
#73
○秋田委員 加藤さんにちよつとお尋ねしたい。今野村先生からいろいろ本案の根本思想をなすものが、憲法の労働者に與えておる基本権の原則と矛盾するというお話でありました。私あなたのお話を少しうかつに聞いておりまして誤解があるかと思いますので、念のためにお尋ねしたい。あなたがこれは原則には反しておるという表現を使つたのは、今野村先生がおつしやつたと同じような意味でおつしやつておられたのですか。しかし戰後の特殊事情により、またこういう公企業体の労働爭議が一般の労働界に及ぼす影響が、戰後は特殊の重大な影響を及ぼす事情にあるから、原則は破つておるが、これはやむを得ざるものとして暫定的にこれを認めるのである。こういうようなお考えであつたと理解しておるのですが、それでよろしゆうございますか。
#74
○加藤公述人 お話の通りに考えております。
#75
○秋田委員 そうしますと、これは暫定立法であり、敗戰後の日本の経済界なり、労働者が置かれておる過渡的な特殊事情に処する暫定的、臨時的性格を持つた立法である。こういうふうに理解されておるわけですか。
#76
○加藤公述人 さようでございます。
#77
○秋田委員 そうしますと、これは憲法が労働者に基本的人権を與えた。その原則に本案の趣旨は反する。しかしやむを得ず暫定的に、臨時的にこういう立法をする必要を認めるというお考えですと、この法案の効力について日限をつけたらいいというようなお考えがあるかどうか。そこまで実際問題として強くないのかどうか。そこらのあなたのお考えをお聞きしたい。
#78
○加藤公述人 憲法の理論の点は自分としては今はつきりした考えを持つておりません。ただ最初に申し上げましたのは、公共企業体の労働者も、私企業の労働者も同じ立場で律せられるのが、原則的に一致すべきだというふうに考えておるということです。最初の点は……。現在の切迫した事態と言うか、非常に困窮しておる事態のために、臨時的に暫定的にという意味でこの法律を認めるということであつて、今のお話の、それなら年限を切つたらどうかというふうに考えておるかどうかというお尋ねと思いますが、その点は年限とかそういうことでなしに、ゆとりのある事態になるまでという点で申し上げたつもりであります。
#79
○秋田委員 そうしますと、日本の経済界の状況なり労働界の状況が、もはやこれを必要としないような事態にまでなれば、これは廃すべきものというお考えがあなたの腹の中にあるわけですね。
#80
○加藤公述人 少くとも爭議権の禁止とか、そういう点についてはそういう考えを持つております。
#81
○秋田委員 今のお言葉でちよつとはつきりしなかつたのですが、憲法との解釈の問題については考えておらない。しかしこの公企業体の從業員と一般の私企業の從業員とは同じ性格であるから、原則には反するが事情上やむを得ないと、こういうふうになつて少しはつきりしない。ぼけて來たようでありますが、私企業の從業員と同じであるということは、私企業の從業員に爭議権を認めておるのですから、やはり憲法の問題にもどうしても関連しなくてはならないのであつて、あなたのお考えはやはり同じなんだから、本案の十七條で爭議権を否定したことは、やはり憲法の原則に反するのだというお考えじやないでしようか。
#82
○加藤公述人 そういう意味でならばそう考えてもよろしゆうございます。
#83
○秋田委員 ありがとうございました。
#84
○綱島委員長 鮎澤巖君。
#85
○鮎澤公述人 中央労働委員会の事務局長をしております鮎澤巖でございます。最初にお断りいたしますことは、もちろんそういうふうに御了解願つておると思いますが、私はたまたま中央労働委員会の事務局長であるので、今日申し上げますことはすべて私見でございます。中央労働委員会に同じ問題をおかけになりますと、あそこは三者構成でありまして、それぞれの立場からそれぞれ異つた御意見がありますでしようし、労働委員会全体としてどういう考えであるかということになりますと、一つのまとまつた考えになりますか。多数と少数とにわかれますか。あるいはいろいろな意見が対立するというようなことがあるのじやないかと思いますので、今日申し上げますことは全然私一個の私見であると御了解願います。
 この公共企業体労働関係法案は、これと密接な関連において公務員法の改正が行われる。それらはいずれも日本の民主化への最も重要な一連の立法としての労働三法、なかんずく枢軸的な重要性を持つております労働組合法、労調法への修正である。こういうことは明らかなことであつて、そういうことからこの法案に対しましては、形式的な考え方と本質的に見て必ずしも一致しない考え方とがある。両者をごつちやにしてはいけないので、その点をはつきりわけながらまず考えることが、問題を明らかにするゆえんだと思うのであります。形式的にと申しますことは、一昨日のこの労働委員会の公聽会の様子を、新聞に簡單に報道されたところを見ただけでよく存じませんが、労働者側の公述人の方々の御発言は、いずれもこの法案に全面的に反対であるというようなことであつたように承知しております。そしてそれはよくわかることで、何ゆえかと申しますと、労働組合法において與えられた、そのときにはまず無制限に與えられた権利、あるいは自由というものが、公務員法においても、それからこの公共企業体労働関係法におきましてもかなり制限を受け、あるいは剥奪されておるような形に見えますので、すでに獲得した、與えられたる権利を何ゆえにこの際剥奪され、あるいはそれがこうした制限を受けるのであるか。そもそも憲法に保障されてあるところの権利であり、さらにそれを確認するところの基本的な立法が、ここにこういう形で侵害されて行くということは、反対である。こういうことであると思うのであります。それで形式から申しますと、やはり私もそういう意味で、そういう形で、基本的な権利の侵害ということであれば、これは好ましくないと考えざるを得ない。ことに労働組合法、労調法、基準法等の起草につきまして、私もその起草に参加いたしたのでありますが、あれができましたときには――実は憲法初め凡百の法律、政令その他が出ることについては、われわれは常にある制約のもとに置かれて、そういうことが行われて來ているのであります。日本はまだ完全なる自主性を回復しておらないために、それらの立法につきましても、政令を出すことにつきましても、その他政府がいろいろな措置をするについても、関係方面の了解を得ておるのでありますから、從つて最初の基本法たる労働三法が出ましたときには、こういうものを出した限り、そしてそこにそれらの権利を保障し自由を認めれば、どうしたことが結果するだろうということは、政府当局においてもあらかじめ承知しておらなければならなかつたはずである。それらの権利の行使、あるいはその與えられたる自由の範囲内において行動したことから、その基本法を修正しなければならないものであるならば、それがこうした形で、突如やぶから棒のような形で、これらの権利の制限なりあるいは剥奪なりが行われるということは、ふに落ちない。そういうことから労働組合側においては特にこれに対して全面的に極力反対する。こういうことが理解できるのであり、そういう意味で私も形式的には反対する立場は理解するし、それにやはり同情せざるを得ないということなのであります。しかし実質的に申しますと、われわれの置かれている客観的事態から言うと、昭和二十年の九月二日以後の日本におけるわれわれは、こうした客観情勢に置かれて、その事態においてやはり事実をまともに見なければならない。そういう立場からこの公共企業体労働関係法案につきましても、ただいま申し上げましたことを実質的に、本質的に考えたいと思います。しかしたといわが日本がそういう客観的事態に置かれているにせよ、こういう重大な法案につきましては、願わくばこういう形でこれを出すのでなく、日本が終戰以來朝夜とつて來ておるところの措置、あるいは常に守つているところの原則というものは日本の民主化ということなのである。それであるならば、どうかその線に沿うて、それを徹底的に実現すべく、こういう法律につきましては政府の少数の人が考えるということでなくして、もつと根本的に考えて、根本的にこれを取扱う。と申しますことは、もつと具体的に言うと、公務員法についてもそうであるし、この公共企業体関係法につきましても、イギリスで多年行つてりつぱな成績をあげつつあるローヤル・コミツシヨンというような方式で、やつてもらうようなことはできなかつたか。数日前新聞で見、ラジオでもちよつと聞きましたが、参議院では労働委員会の功罪を問うてそうして今まで行き過ぎたことや、あるいはいいことをやつているかということを調べてどうかするというような案があるとか、あるいはそういうようなことが実行されようとしているということでありますが、それにしても、これにしても、実はそつちをつつき、こつちをつつき、部分的に改めるというようなことである。そうでなく、もうすでに労働関係三法というものが施行されて二年になり、ないしは三年になるわけであります。三年間実施の上、こういう点がこう改めらるべき点ではなかろうかということについては、少数の人でなく、大がかりに、たとえば國会において任命された権威者を連ねて、日本の産業の各分野について代表者を、経営者側からも労働者側からも、中立的立場にいる人も、各産業について、ということは、水産業、石炭採掘業、製造工業、輸出関係というようなことで、公聽会も開くであろう。文献による統計資料等によるところの調べもするであろう。実地踏査もするであろう。そうして大いに議論を鬪わせて、世論を沸き立たせて、いろんな面を愼重に、全國民がそれを傾聽しながら、その意見を出す機会を與えながらやつて、そうしてみんなが納得行くような形の修正案というものを出して行く。それには二、三箇月ではできないと思う。少くとも六箇月くらいの時は要するであろうが、そういうことをやつたらやりがいがあることであつて、そこで初めて民主的と言うことができるであろう。そうすると、天降りというようなことでなく、全國民の納得において、全國民が自分らはどういうことをしている。これからはどういうことが結果するであろうということを十分承知の上でやるという、そういうことでやつてもらいたかつた。しかしこれもわが日本の今日置かれている現状から考えると、それは少し野心的な、実行のできないようなことを望んでいるのであります。
 少し前置きが長くなつて済みませんでしたが、この法案について考えてみますと、これは先刻來申し上げますように、これと密接な関連がありますから、公務員法について述べることをお許し願いたいのでありますが、あれと比較しますと、いろんな点においてはるかにすぐれた法案であるということができるであろう。というのは、公務員法の場合は公務員に対して、たとえば爭議行為をしてはならぬ。すれば三箇年の懲役あるいは十万円の罰金を科するというようなことをもつて脅迫し、威赫し、これをおどかして、そうして公務員も当然持つであろうところのいろいろな希望なり不満なりというようなものを取扱つて、それを処理すべきところの調停、あつせん、仲裁の機関については、ほとんど何らあの法案の中に表われておらないで、ただ罰則というチヤプターがあつて、それが長々と、こまかく恐ろしい、その他の國にはまず類例を見ない、わずかにナチス・ドイツ、あるいはフアシヨのイタリアにおいて見られたであろうような、また日本の治安維持法あたりに見られたであろうような、そしてそのほかには民主主義を実行しようとしており、またあるいはしておる國については、まず聞いたことのないであろうような、可酷な刑罰をもつて罰すれば、それで問題が処理できるかのごとくになつておる。そういうことから、私は残念ながらあの法案には反対せざるを得ないということを申したのであります。それと比較いたしますと、この公共企業体労働関係法案は、これはりつぱに苦情処理の機関が見てあり、調停機関もあり、仲裁機関もある。そしてそういうふうなことがほとんど中核をなしておるというような点において、これははるかにすぐれたものであつて、ただ罰すれば事が解決するという考え方であるところの公務員法とは、大いにその線を異にするわけであります。であるが、このままで通るということであれば、私はいろいろな懸念を抱いております。そこここを直していただき、あるいは根本的な点を修正していただきませんと、せつかくこれを通す際に、労働側では全面的に反対であるという際に、かりに國会が通過いたしますと、労働側の支持なしにできたものは、無精卵のようなもので、幾らあつためてもひよこが出て來ないで、腐つてしまう。法律をつくつても死文になる。それを強行しようとすれば、かえつて混乱を招くようなことになるから、この労働関係においては、何と言つても労働組合の支持なしには、その法律は法律的には効果があるかもしれませぬけれども、政治的に、あるいは道義的に、その成果を得ることはできないで失敗であります。この失敗をあらかじめ覚悟しながらやることはもつてのほかで、そういうことは断じてしないという意味で――決して労働側なり労働関係当事者の関心を買うとか、鼻息をうかがうというようなことでなくて、その行つた立法措置が効果を上げるためには、無精卵のようなことであつてはならない。必ずそこから芽ばえて、花が咲いて、実がなるというような形の立法でなければならない。そこに労働側からの協力、支持を得るというようなことのためには、いろいろな点の修正が必要であると思うのであります。そういう点につきましては、もうすでに前の公述人の方からいろいろ御意見もございまして、それをあるいは私繰返すことになるかと存じますので、その点お許しを願いたいと思うのであります。
 第五條のところに「職員は、組合に加入しなかつたことをもつていかなる不利益な取扱も受けない。」ということが書いてある点につきましては、先刻どなたかからの御注意もありました。これはタフト・ハートレー法にこういつた文句があるし、それからアメリカの立法令にもあると思いますが、國際労働機関の九箇條の基本指導原則の中に、労働者の團結権ということがうたつてあるにもかかわらず、これを國際條約にするために、何回も何回も過去四半世紀の間努めて、とうとう條約ができなかつた理由はなぜであるかというと、使用者側から、組合をつくる権利のほかに、組合に入らない権利が自由として認められなければならないということを主張して、それが非常なしのぎを削つて爭われた点で、そのためにとうとう國際條約ができておらなかつたようなことなのであります。これは取扱いによつては、あるいは使用者側の態度によつてはめんどうでなかつたであろうが、そういう歴史的事実を振りかえつて見ますと、これはなくてもいいだろう。私はしいてじやまだとは申しませんが、なくてもいいだろう。飾りにいいだろうが、そういう飾りがあるためにかえつて通らないということであれば、むしろとつてしまつた方がよくはないかと考えております。
 根本的な点と申しましたのは、第二條であります。この席で私が申しますことについては、これを起草した委員会のところで、一度私は発言の機会がありながら、その折りに申さなかつたことをお詑びしておきますが、重要な点をミスしてその機会を失つておつた。この第二條の「この法律において「公共企業体」とは、左に掲げるものをいう。」とあつて、その一つは日本國有鉄道、もう一つは日本專賣公社である。この國有鉄道と專賣公社とを一つにして、この法律の中で同じ型にはめて取扱うというところには、むりがある、あるいは思想の混乱がある、と申しては失礼でありますが、こういうことで通そうとするのは惜しいことだと思います。と申しますのは、鉄道は、これは明らかに公益事業であつて、鉄道がとまつたりいたしますと、多数の人がただちに迷惑することである。そこで罷業その他の爭議行為がないように、それを禁ずるということまでこの中には提案されているわけでありますが、專賣の方については、たとえばタバコとか、塩とか、しようのうというようなことであると、タバコを召しあがる方は、タバコは絶対に欠くべからざるものであつて、タバコが來なくなつたら非常に困るとお考えになることは、よくわかります。しかしタバコの製造が一週間とまつたり、あるいは二週間とまつたりしても、ストツクもあるであろう。汽車がとまつたということとはわけが違う。
 そもそもタバコの製造とか塩の專賣を國家がやることになつた動機を考えてみますと、これは他の國においては民主主義的な動機から、それが人民のためになる、人民によつてなされる、人民の企業であるというような、いわゆるデモクラテイツクな考え方から、そういうことを公共体あるいは政府がやることもありましようが、少くとも日本においてこういう事業を政府がやるようになつた動機が、はたして民主的なものであつたかどうかといいますと、沿革的に考えて、私はこの点誤つているかもしれませんが、必ずしもそうでなかつた。國民が必要とするからでなくて、そうやればもうかるからであつて、政府の財源としてそういうふうなことをやるという意味であつた。その点は最ももうけて、少数の人が私利を営む、少数の人のみ利益するというのでなくて、やがて國民全般の役に立つところの形において、お金が使われるかもしれません。だが鉄道の國有にしても、塩の專賣にしても、タバコにしても、これはもうかるからやつたのである。その点は同じくコレクテイヴイズムの行き方であつても、これは早く言えば、國家資本主義的な動機で、沿革的にはそういうものであつた。そうするとその面においては、公益事業とは、同じく公共企業であつても、その内容的に取扱いが違わなければならない。そこに雇われている從業員は、公益事業に雇われているものと同じく制限を受けることの必要がないし、同じく制限を受けることは正しくないというふうに考えられるのであります。
 先刻委員長から野村先生に御質問のあつた点に触れて参りますが、政府が公務員を雇う場合、あるいは公共企業体が從業員を雇う場合、政府、あるいは公共企業体にしてもそうでありますが、二つの性格があると思う。そこに雇われている側の公務員なり、あるいは公共企業体の從業員についても、やはり二つの性格がある。この点をはつきりしておきませんと、労働法をつくる際に間違いが生ずる。この法案の中にも現われているのじやないかと思われます。このスタートにおいてそれをはつきりさせることが必要である。と申しますのは、政府でありますと、政府は支配者として行政権、司法権その他檢察権等を行使する。あるいはその責任を担当する支配者としての性格があると同時に、公共的事業を行うというようなことで多数の人間の労務を使う。すなわち使用者あるいは経営者としての性格がある。雇われておる者にしても、公務員についても、なるほど一面において政府の役人として、つまり公務員――パブリツク・サービスという形において多数の人の必要とするサービスを提供するので、それは行使、司法その他の面の支配者としての性格を受けておるものであるが、もう一つは今公務員といつたサービスをやることであつて、ことにこれが公共企業体になりますと、あるいは政府のやつておる事業となりますと、雇われておる者はやはり適性な労働條件を要求する権利があり、それを要求しなければ彼らは能率的な適当なサービスを行うことができないのでありますから、言葉をかえれば労働者としての性格が公務員にもあり、國家公共事業における從業員にもある。そういうことで権力者であるからといつて、政府があるいは公共企業体が多くの人の利益になることをするんだからということで、單に権力関係においてその公務員なり從業員を押えつけるということはできない。そうしてはならない。つまり労働関係ということは身分関係でなく、上下の関係、支配的権力関係でなくて、対等の関係において團体交渉権というようなことも行われて、その権利が保障され、確保されるというふうな仕組みが必要であると思う。この公共事業においてはそういうことが必要なのである。そうやつて考えて行きますと、國有鉄道の場合と專賣その他のむしろ私企業的な、あるいは少くとも営利事業としての性格を持つものについては取扱いを別にして、もし國有鉄道のような公益事業においての罷業を禁ずるということが必要であるならば、これを禁ずるということがはたしていいことであるかどうかということについては、また第二段の議論がありますが、公益事業たる性格あるゆえをもつて罷業を禁ずるということであるならば、この專賣公社という面においては同じ制限が加えられることは、その從業員に対して氣の毒であつて――それは氣の毒というのではなくて正しくないというふうに考えられますので、これはわけて別の條項として取扱うことが必要であろうというように存じます。その点を修正されることをお勧めしたい思うのです。
 第十七條については先ほども御意見がございました。私もちようど治安警察法第十七條ということを思い出しておつたところで、もしこの法律がこの形で通つて、この十七條に見る禁止規定があるということでありますと、英語にしますと、それはフエーマスではなくて、ノートリアスという言葉になるんだそうです。不名誉なることにおいて有名なる形になるであろう。これはかりに鉄道にしましても禁じなければならないだろうか。自省にまつことができないだろうか。これにつきましては私はこれをおやめくださいとか、おやめにならなければならないと申すのでなくて、これは國会で十分に御審議の際に、両当事者において十分な反省がこの際必要だと思うのです。それで公正な、あるいは冷嚴なる判断を下す。第三者としての國会は今までの事態にかんがみ、労働運動なりあるいは企業者側における教養、心構え、経驗、そういう人たちがどの程度懸命にこういう問題を処理して行つてくれるだろうかといつたようなことから、こういう立法が必要かどうかということをお考えの上、なるべくならば罰則主義でなくて納得の形において行うようにいたしたいと思う。罰せられるから、こわいからやめるというのではなくして、自分らが要求したが、そうしてそれを調停機関にかけてみたが、第三者の意見でよくない、われわれの言うことは現在の日本の経済事情から、あるいはこの企業におけるフアイナンスの状態から許されないことであるそうだ。そうするとそのときに涙をのんで、十の要求のうちに七つしか通らなければ、それで忍ぼうじやないかという自省の形にする。それ以上やろうとするときには罷業に訴えて、そうして打撃を加えたい。苦痛を與えたい。それによつて勝つんだとか、また使用者側にしても、われわれの要求を労働側がいれない。そうしてある爭議行為に訴えた。それではそれを牢屋に三年入れたらいいとか、十万円の罰金にすればいいとかいうようなわけで問題が解決するのだというような考え方は、労働法においては実に古い。それは時代遅れの考え方であつて、やはり今後の行き方は罰則主義ではなくして、納得主義という言葉がありますかどうですか、両当事者においてどちらも納得が行かない場合には、第三者の仲裁というようなことでそれを決する。そうして罷業行為等には入ることは必要がない。從つて罰則も必要がないというようなことにしたい。これはたいへん理想主義的なことを言つて、日本の現実には適しないとお考えの方があるならば、私はそれでもひとつ試みてみたい。と申しますことは、この公共企業等におきましては、公務員についても、民主主義國のアメリカですら、一九四〇年の統計を見ると、千百十六件の公務員のストライキがレコードされておるくらいで、あれだけの制度をもつてすらやはり罷業がある。それは好ましくない。それをやめさせようじやないかというので罰則をもつて臨むかというと、そうではなくて、やはりどこまでも両者の間で折衝を重ねて、そうして両者の間の折衝がデツド・ロツクに達した際には、第三者の判断によつてそれを解決して行く。この公共企業体や公務員の関係においては、そういう形で行くことが最も望ましいのであつて、願わくはできることならば、この罰則ということは除いていただきたいと思うのであります。少くとも專賣関係においてはこれは苛酷であつて賛成できないということであります。先刻どなたか、これについて罰則が規定してない。公務員法には先刻來申しましたように、三年以下の懲役や十万円の罰金なんということがあるが、それのバランスにおいてこちらにも罰則を入れたらどうかというようなお話がありましたが、私は反対である。罰則を入れない方がいい。ちやんと罰則がございます。第十八條を見ますと、「一切の権利を失い、且つ、解雇される」、首をきられて衣食の道を絶たれるのでありますから、これだけの罰則があつたらたくさんだ。それ以上の罰則は必要がない。その上に三年も牢屋にたたき込まれるというようなことはもつてのほかだ。そもそも労働三法ができましたときのことを顧みてみましても、あの当時の考え方は当時の連合諸國の考え方、世界諸國の考え方を反映しておると思う。日本においては過去において非常に專制君主的に、あるいは彈圧あるいはいろいろな非民主的なことによつて、日本が大きなあやまちを演じて諸外國に迷惑を及ぼしておる。それが政治的にそうであるように、経済的にもそうであつた。すなわち産業労働関係においては、ソーシアル・ダンピングというようなことで、日本の製品が世界のマーケツトに流れて行つたが、非常に劣惡な労働條件によつて日本はやつておつたんだ。なぜああいう劣等品を出すような労働條件があり得たか。それは労働組合を禁じたからだ。労働者がちよつとでも何か動き始めると、治警法第十七條というようなもので発動されて、つかまつて暗いところにいつまでも放り込まれておつたというようなことであつた。そういうことがあつたのであります。日本に進んだしつかりした労働組合法というものができて、労働組合が活発に活動して日本の産業を健全化する。そうして民主的に日本の産業が運営されるということにすれば、世界は日本からの脅威から免れることができるだろう、こういう考え方があつたのであります。私二十年ほど國際労働機関関係におりまして、日本がああした非難を受けるごとに実にはずかしい思いをしておつた。先般サンフランシスコに開かれました國際労働会議において、日本から三者構成におけるオブザーバーをこの次の会合に出せる決議案が出たのです。そうしますと日本が國際関係に復帰できる第一のオフイシアルな機会というものは、國際労働会議において與えられる。この次の会議には日本から政府、経営者、労働者側からの代表がオブザーバーとして各國の代表と樽俎折衝することができる。そういう機会が與えられる。そのときには日本にはしつかりした労働法があり、そしてそれは彈圧的なものじやなくて、自由な労働組合運動があつて、そして労働者の権威というものが保たれており、適正な労働條件のもとに彼らはおるのだ、少くともこういうレツテル――レツテルという言葉は非常に誤解を招きやすいのでありますが、そういうことが正面から保証されて行くのでなければならない。それが一種のパスポートで、そういうことで國際会議に復帰して行くことができる。そういう立場からどうかなるべく彈圧といつたようなにおいのする法律は、お通しにならぬようにお願いしたいと思う。第十九條のところに苦情処理の機関がこしらえてあります。これは少し簡單すぎる。これはもう少し考えておいていただきたいと思うのですが、たとえば公共企業体の代表者二名と職員の代表二名とをもつて構成する苦情処理協同調整会議というものができるが、まとまらなかつた場合にはどうなるかということの規定がここにない。これはこのままにしておきますとこの苦情処理がすぐに調停機関に行つて、調停機関がすぐに今度は仲裁というふうにさつと流れて行つてしまう。そうするとせつかくできた苦情処理の機関の役割をなさなくなつて行くので、ダムをつくるようなかつこうで、起る苦情の九割方まではそこで処理ができてしまう、ある程度そこでためることができる。というのは、やはり苦情処理でまとまらなかつたら、インパーシヤル・アブソリユート・アンパイアあるいはレフエリーというようなかつこうのものにかけて、その人の決定でどんどんさばいて行くことができるというように、調停もそんなことで、すべてが調停機関から仲裁機関に行つてしまうということにしない段階をつくつて、各段階的にそれが相当権威的に取扱われるというようにされることがよくはないか。外國ではそういう規定があつたりして、それがうまく行つておるようなことをたまたま読んだり見たりしております。
 それから第三十六條のところに仲裁委員会についてももう少し詳細に、こまかな納得の行くような、不満を感じさせないような規定がほしいと思うのですが、「仲裁委員会は、本法第五條及び第十七條違反事件について決定を行う。」これはどういうことかよくわからないのですが、その次の第二項に「仲裁委員会が第五條違反の行為があると決定したときは、その公共企業体に対しその行為の取消を命ずることができる。」ということであつて、十七條違反事件について決定を行うこの仲裁委員会についても、これは少し簡單すぎるから、もう少し不安を感じさせないようなかつこうのことがほしい。國会でこれだけの権威者を集められて、皆さんが御審議におなりになつてできましたものを、日本の全労働者が非常な期待をもつてあるいは懸念をもつて、これを監視しているわけであります。でありますから何かくだらないようなことをたくさん申し上げましたが、念には念を入れて嚴密に親切に立法をしていただきたい。少くとも罰則主義というようなかつこうでなくて、みなが納得してこの立法に大きな信頼をかけることができるような形にお改めを願いたい。そういう條件のもとにおいて私はこれを賛成いたします。
#86
○尾崎(末)委員 非常に参考になることをお述べいただいてありがとうございました。一点だけ時間の関係がありますからお伺いいたします。それはお述べになつた中に労働側の支持のない立法では脱けがらだ、こういうお言葉がありましたが、まことにその通りに私ども考えておるのであります。ところが同時に國民大衆の支持のない労働運動というものは無精卵とは行かないが、これは十分効果をあげることはできないのではないかということと関連しまして、労働組合のあり方なり主張なりというものが相当に根拠があり、やむを得ないものだということはわかつておつても、今日の日本の時代の実情にそぐわないことが多いために、その内容なり事情なりはわかつておりながら、今日の國民は労働爭議のような今日の労働組合のあり方に対して支持いたしてない。こういうふうな感覚を私どもは受けておるのであります。從つてよく調停や仲裁等においての皆さんの非常に含蓄のある、また非常に努力をされましての結果に対しては、國民はなるほどということは考えながらも、やはり労働者側に対して支持しようという氣持にならないことが非常に多いことを、私どもはしばしば体驗いたしておるのであります。その原因は要するに今日の時代の実情にそぐわない。こういう点について労働者側の方の研究というか考え方が足らない。足らないままに自分たちの主張を通して行つてしまう。こういうことが非常に多いのじやないか。こういうふうに私どもは考えておるのですが、さつき申しました労働側の支持のない立法では脱けがらのようなものであるが、同時に國民大衆の支持のない労働運動というものは、その時代の実情に沿つて行けるように改めて行くことに努力をすることも必要だと思う。そういう点のことがこの法律に多く織り込まれておるのじやないか。たとえば先ほどから他の公述人も再々お述べになつたようでありますが、ともかくこの立法というものは、臨時立法だというような意味において認める、というふうな意見も昨日から聞いたのであります。その点についてのお考えをお聞きしたいと思います。
#87
○鮎澤公述人 確かにおつしやる通り、日本の労働組合運動についてはどうかいろいろな形ですべての國民が了解のできるような形に行動してもらいたい。こういう希望があることは認めなければならないと思うのであります。それだけにこういう重要な立法については、なるべく廣く会議を興して万機公論に決するような形でやつて行きたい。組合法にしろ、労調法にしろ適用して行つて、どういう点に欠点があるか。起草の当時から決して私どもはあれが完全無欠であつて千古不磨の大典で、一字一句改めてはならないというふうなことは考えておりませんで、むしろわくをつくつて今後新たに生起するであろう事態に即應して、いろいろな点をこまかに規定したりあるいは改めたりして行くということを、当時考えておつた次第なんです。ところがその後の行き方が不幸な事情から、ぼかりぼかりとやぶからぼう式に改まつて行くものですから、そうすると不安を與え、むしろ混乱を來すということになつております。それを避けますためには、この法案にいたしましても、公務員法にいたしましても、今からでもおそくありませんから、何かひとつそういう方法をとつていただきたい。日本の再建のためには、労働組合がほんとうに振い起つて、この再建に協力してくれなければならない。それが基礎になるのですから、それを納得させながらやるというためには、少数の者がどこからかぽかりと天から降つて來たような形で、立法が行われるのではないというふうにいたしたいと思います。お答えになつておるかどうかわかりませんが……。
#88
○尾崎(末)委員 けつこうです。
#89
○秋田委員 簡單に二点ばかりお尋ねしたいと思います。本案の第二條の日本國有鉄道と、それから專賣公社等は、取扱いを別にした方がよかろうという先生のお話で、取扱いを異にする具体的な主要点としては、第十七條の問題をお取上げになつて、少くともこれくらいは取扱いを異にした方がよろしかろうというお話でありましたが、ほかの点で具体的に取扱いを異にした方がいいと、先生のお氣づきの箇所がございましたならば、それを御指摘願つておいたら、われわれ大いに参考になると思います。その点と、もう一点は、一昨日專賣公社の労組の方の代表の公述人の方は、先生より一歩進んでこの專賣公社は、これから全然オミツトした方がいい。こういう意見を公述されたのです。その意見に対しては、先生はどのように思わるるか。むしろもう一歩進んだ方がいいか。それを入れておいて取扱いを異にした方がいいか。どういうふうにお考えになりますか。
#90
○鮎澤公述人 この爭議の関係において、たとえば苦情処理、それから調停、仲裁というようなことは、同じボデイーでなくて、おのずから別なものになるだろうと思われます。それからこれを全然はずしてしまうのでなくて――そうすれば別な立法になるか、あるいは現在ある私企業と同じように取扱うということになるか、存じませんが……。
#91
○秋田委員 私企業と同じように、労調法でやるべきである。こういう御意見だつたのです。
#92
○鮎澤公述人 大層ラジカルのように聞えるかもしれませんが、私もそれでよろしかろうと思います。
#93
○綱島委員長 委員長からちよつと伺つておきます。こういう法案が出て來るいろいろな事情もありますが、基本的な事情はかいつまんで言えば、労働者が働かなくなつたということが基本的事情だと思います。言いかえれば、生産が非常に減退した。伺つておると、いろいろなことがわきからぽかりぽかりと出て來るような感じがするので、働かない。そういつたことも起るのだというような御説明のように伺えますが、不幸にして國民の何十パーセントか知らぬが、多くの者の中に、ことに農民層あたりの感じから言えば、まるでなまけておつて、國をつぶしておるという考えが相当濃厚なのですが、かねて中央労働委員会の御関係で、その辺はお詳しいだろうと思いますが、何らか能率の非常に低下する特殊の事情があるのでございましようか。この立法については非常に参考になるわけでございまして、もしお氣づきがございましたら、一應お知らせ願えれば仕合せだと思います。
#94
○鮎澤公述人 これはすべての企業を通じて同じではないと思いますけれども、しかし各産業、各企業に共通な事情がやはりございます。それは決して日本國民の國民性が急にかわつたりしたわけではなくつて、國民性というものは、もちろんある期間、ある外的條件、あるいは國内における経済的社会的または政治情勢等によつて、だんだんと曲げられて参つておりますが、しかしそう急にかわるものではなくて、日本國民というものは、世界の諸民族と比べて決して怠惰なる國民ではない。むしろ非常に勤勉である。日本國民は働くなと言つても働かずにはおられない勤勉性を持つておると思います。それがこうして働かなくなつたことにつきましては、その中には故意にやるところのサボ行為というようなことが、絶対にないとは言えないと思います。しかしそれが決して主たる原因ではない。そうじやなくて、かりにある少数の人が行つて、そういうことを誘惑煽動いたしましても、四囲の條件がこれを受諾させるようなことになつていなければ、容易にそれに乘るものじやない。四囲の條件というものが、まあ食糧の不足もございましたり、それから経済的諸條件があるのであつて、それを各個人々々の労働者の責めに帰するということは、それは原因と結果を逆にすることなんであつて、原因を除去せずに、結果だけを改めようとすることに、誤りがありはしないかというふうに考えるのであります。
#95
○綱島委員長 もう一つ伺いますが、日本の國民のうちで一番、たとえば生活條件のうちの特に食糧などが惠まれておる者は、炭鉱労働者の方だと思いますが、これが最も非能率的になつている。そういう点から言うと、今おつしやつたことと反対の現象が、一般的に継続的に現われておるのですが、その点についてはいかがですか。
#96
○鮎澤公述人 これは同じ労働者ではないのです。というのは、今まで成績をあげておつた労働者は内地人ではありませんでした。そうしてそのときの労働條件は惡うございました。その採炭率は非常に高かつた。当時の労働條件は実に苛酷な、地獄のような状態であつたのです。それで今度内地人がそこへ入ることになりますと、そういう條件では働かない。あの炭鉱及び鉱山における災害率等は、お調べになつたことがございますか。
#97
○綱島委員長 存じております。
#98
○鮎澤公述人 これは実にさんたんたることなんです。決してそこに同じく働いておる人間が急に怠惰になつたのではなくて、大部分は委員長よく御存じと思いますが、内地人でなかつたのであります。それがみな帰つちやつたのです。そうして今度入つて來た人に能率を上げろと言つたつて、上らない。それで炭鉱がある時代にずいぶん濫掘されました。今度まじめになつて掘ることになりますと、魚をつつついちやつたあとをどんなに綿密にやつても、坑に肉がなくて、骨ばかりしやぶつておるようなかつこうになると、出て参りません。今進駐軍あたりの好意によつて、新たな採掘機械が入つたりして参りました。その他タバコをもらつたり、インセンシーブといつて、奬励の手段を講じておりますけれども、魚をしやぶつちやつたあとの骨をつつついているような状態がありましたし、人がかわつているというようなことがありましたが、しかしある時代が過ぎまして、今度はほんとうに石炭のあるところに行きましたら、今度は俄然上るのであります。
#99
○尾崎(末)委員 非常に大事な問題でありますから、簡單にお尋ねいたします。今の問題でありますが、私も炭鉱はしばしば調査に参つておりますし、子供がある炭鉱の勤労の方の責任者になつておりますので、最近も九州において二箇所ばかり調べてもらつたのでありますが、今おつしやることと相当開きがある点があるのであります。それは、たとえば割当数量に対して、前の二十日間には減産で、はるかにおつつかないと心配しておるやつを、あとの五日間、一週間に、いわゆる坑内夫というものをリードしている一、二の者が、表面に発表のできない、ちよつとした手を打つと、ああそうかというので、数日のうちに、前に三分の二以上も経過するうちにあがらなかつた成績を、とりもどすというようなことがある。しばしばそういう手を使つておるような状況であつて、必ずしも今おつしやつたような状況と一致しないところが、実際には非常にたくさんあるようであります。でありますから、やはりそういう点に対して委員長が質問せられたような意味のことを、一般労働組合の人々も考えてもらわなければいかぬ点があるのじやないかしらん。もう一つは、農民の問題でありますが、これも、最近地方農村の各地をまわつて見て、例外なしに農民から聞かされることは、われわれには爭議権がない。労働基準法もない。またかりに労働爭議をやつてみても、二日なり三日なり大事な時にサボつておるとすれば食糧はできない。そうすると國民全体は困る。労働爭議も労働基準法も、こういうことの権利なり恩惠なりを受けていないわれわれが一生懸命働いて、一方では供出々々といつて責められているのに、どうも今の労働組合のあり方というものはけしからぬ。こういう空氣が非常に強くて、その結果がどういう形になつて現われて來るかというと、昨年の植付のときなどのごときも、植えつければ植えつけられるところを、故意に放つてあるような土地が相当にあつたようであります。一方ではまた、植付はしたけれども、これに対して極力手を加えて増産をしようというようなことをやらないで、そのままに放置しておくというような傾向も、相当にあつたように思うのであります。そういう形になつて現われて來る。その数から言つても、労働組合の員数よりも農民の方が多いのであります。ですから、こういう点について、よほど労働組合というもののあり方について、ただ法律問題じやなくして、相当考えなければいけない頂点に達しておる。こういうふうに私ども考えておりますが、そういう点について何か参考になることがあつたらお聞きしたいと思います。
#100
○鮎澤公述人 御意見は拜聽いたしました。私それを参考にして、これからなお研究を進めて行きたいと思います。
#101
○綱島委員長 他に御質問はありませんか。――ありがとうございました。
 それでは川田さんにお願いいたします。
#102
○川田公述人 私は、終戰後地方労働委員会の会長なり、労働委員会の事務局等に勤務しておりました関係上、このたびの法案につきまして、自分の経驗から二、三の点を申し上げてみたいと思います。御参考にしていただければしごく光栄だと思います。
 大体野村先生なり鮎澤先生なりから申された点でほとんど盡きておるのでありますが、二、三の点だけを要約いたしますと、公共事業体の労働者とほかの労働者の差別――官吏との差別は明瞭に認められますが、基本的な差別が見出し得るかどうか。もし公益性並びに國家との関連性ということを強く取上げるということが妥当であるとするならば、先ほど佐藤さんがおつしやつたように、この立法は当然その他の重要な公益産業に及ぼす当然な発足をなすことになるのではないかと思うのであります。そういうようなことになりましたときに、はたして労働三法の立法の精神が、どのような結果になるか。私はこの点を非常におそれるのであります。どのような企業をとりましても公益性のない企業というものはほとんどないのでありまして、特に現在のような段階になりますと、國家との関連におきましても、多少にかかわらず國家の支持と庇護のもとにない企業はない。非常に緊密度があるのであります。そういうようなわく内の現在の特殊的な國情にあつて、これは特殊な労働者層だからこれは別だというような区別をつけ、特殊的な利益を一方には與え、または特殊的な制限を一方には與えるというようなことに対して、はなはだ大いなる疑問を持たされるものであります。同時に、憲法で保障された基本的な権利を、今言つたような現在の特殊事情において、経済の再建を妨害するからとか、また労働組合がはなはだ行き過ぎもしくは未成熟であるから、このような制限、このような特殊的な法的な拘束が必要であると言われる場合に、はたして拘束される企業体の労働者というものがこれを満足に受け得るであろうか。また、このような不公正な態度というような感じを、相当強烈に抱かれるのではないかというような点に対して、私ははなはだ大きな疑問をもつのであります。大体皆さん重々御承知だと思うのでありますが、労働組合の動きというようなものは、法律によつてつくられるものでもありませんし、また法律によつて拘束されたからといつて、それで労働組合がつぶれたり生れたりするものではないだろうと思うのであります。日本の場合、終戰後の特殊的な條件でこれは與えられたものというような考えが相当強く、また実体においてもそのような要素が強いのでありますが、しかし、それ以前においても、またあの戰時中においてすらも、労働組合として銘打たれなかつたが、労働組合らしい動き、それが非常に消極的に、あるいは非常に積極的に現われた幾多の要素を具備しておるものでありますが、やはり労働者が集團的に働いておる場合には、自主自律的な動きが当然起つて來るのであります。このような関係を是正する場合に、私は、法律をもつて拘束する、法律をもつて成長させるというような考え方よりは、むしろ、現在のごとき労働三法が規定しておるような、特に労働組合法、労働関係調整法が規定しておるようなヴオランタリーなアービトレーシヨンというような性格、自主的な自発的な性格をもつて調整されて行く。このことにもつともつと多くの努力と注意、また國民の輿論が喚起されて、そうすることによつて現在國民の相当数が批判し、またいとつておるような労働組合の動きが是正されて行くということが望ましいし、また現実におきましては、昨年の労働組合の動き、労働爭議の実態と、今年現在の労働組合の動き、またその実態というものの間には、たとい労働組合が未成熟で幼弱であるとはいいながら、非常な成長と発達を実際において描いておるように、私どもには思われるのであります。もちろん完全に健全な労働組合運動ということは、言い得ない面がたくさんあるかもしれません。逸脱の行為も相当あるかもしれません。しかし昨年と現在とを比べて見ますれば、たとえば生産管理の問題にしましても、あれだけ喧傳され、社会に大きな問題と波紋を投げ與えた問題も、実際においてはほぼ解決された状況なのであります。そのほか、いろいろな無謀なストライキというような点につきましても、昨年、一昨年において見られたような傾向は非常に減退して参つております。もし一部の指導者がそのような闘爭を強烈に遂行しようと思つた場合、組合の内部は分裂し、そうして組合自身がやはり國民感情の支持を受けるような方向に向つて行く。たとえば、最近朝日新聞などにおいて爭議が行われましたが、その結果は、爭議を指導した母体がほとんど少数になつてしまつて、全体の組合員が分離して行つたというような事例もあるのであります。それまでに組合自体の構成員のもつと自重したたくみな、健全な指導がなかつた場合、組合員はついて行かない。このようなことは官公労組などの場合において、全体的な動き、全体的な方向として認められておる。私はこのように確信しておるものであります。もちろんこのたび公共企業体の労働関係のあり方について法案が出たことに対しても、私どもとしまして、これは労働調整法に対する一大附加的な修正というふうに考えられるのでございますが、その点と関連いたしますれば、もし労働関係調整法において不満足なもの、もしくは不十分なものがあるならば、それが根本的に檢討され、そうして全面的な修正なら修正、改正なら改正がなさるべきではないかと思います。もちろん單に法律の完備、不完備というようなことよりも、わが國の現在の場合といたしましては、法律運営の面において多くの点が指摘され、批判され、もつともつと育てられ、これが完全なものにされて行かなければならぬのではないか。その点に対する関心が十分向けられ、その点において健全化がはかられるならば、いたずらに幾多の同時的な、並列的な調整機関が産業々々に應じて設けられようが、その根本が解決されない限りにおいては、いたずらなる煩瑣と未熟練な取扱いがかえつて事態を混乱させ、われわれが所期しておるような結果が得られないというようなことが出て來るのを、私は憂えるものであります。たとえばこのような法案と関連して、政令以後の國有鉄道の労働関係等について、鉄道内部の労働関係の担当官などの御意見を伺いますと、かつては非常にあらわに現われた動きが、非常に潜在的に、陰險になつてしまつた。そのことによつて、労務関係というものはむしろ情報調査の機関になる。惡く言えば、特高的な性質を帶びて來た。今まで十人で済んだ事務が数十名、数百名なければこれを取扱い得なくなる。なぜかと申しますと、今まで表面に現われる要求などが統一されて來たものが、全然潜在化してしまつて、いつどのような形でつちかわれているかもしれない。いつどのような状態でいろいろな妨害が行われるかもしれぬ。発言の形式が全然なくなつてしまう。だから労務担当の部下は、その事情の実際の調査と探訪のために、非常に厖大な人件を要するようになつて來たというようなことを聞いたのであります。その方は、專任幹部の有給か無給かについても、もしこれを無給とするならば、官吏としての特殊的な欲求のある人は無給でも薄給でもこれに勤めるであろう。しかし大衆の中から選ばれ、最も要望された人でも、それを勤めようとするためには、特殊のそのような性格が必要なのである。一般の人たちはそこに行こうとしないでしよう。その結果としては非常に特殊な人たちが專任者になつてしまつて、全体の民主的な代表はその中に入らない。その結果その人たちの動きと指導性というものが、全般の動きを支配してしまうのではないか。これははなはだ危險である。もちろん根本的に、りくつとして言えば、それは大体正しいことである。私もまつたく同感でありますが、現実の問題において、希望したこととまつたく反対の現象が現われるというような実態面の、むしろ労働行政面にタツチしている現場の人たちの意見を、大いに参考にしなければならないと私どもは考えるのであります。
 結論的に申し上げますと、私はやはり現在まで歩んで來ている労働関係、労働調整――特に労働関係の調整という問題について、労働委員会の三者構成においてどの点が弱かつたかというような点を、愼重に檢討する必要があると思います。同時に労働委員会における中立性を持つておる人たち、この人たちの十分な活動、またはこの人たちの調整事務に関する能率の十分なる成長のために、どのようなことがやられているか。この人たちの選定のために、どのような準備がなされているか。あの人たちの仕事は非常に労働関係の調整に決定権を持ち、徹底的にこれを方向づけて行くにもかかわらず、この人たちの人選またはこの人たちの調停運営に関しては、輿論は割合に無関心であります。また同時にあの重大な仕事に対して、一般に非常に無関心――報いられているというよりも、無関心である。私はこのような点をもつと掘り下げて檢討し、むしろ公共企業体だけの今問題になつている点を論じ、立法するということよりも、全体の労働関係が現在十分に、また満足に調整されていないという根本問題をもつと掘り下げて、今までの経驗の上に格段と発展した関係を、見出ださなければならない段階に達しておるのではないか。そうすることによつて、私どもは決して一部の人間が特に反対しなければならないような、内部的に変な感情を激発するようなことを避けることもできるでありましようし、また労働関係の調整にとつて最も重要であり、自主的な、自発的な、納得ずくで解決されて行くというこの根本原則から逸脱することも、避けられ得るのではないかというふうに私どもは考えるのであります。たとえばマ書簡の趣旨に関しましても、私どもは現実に労働関係がほんとうにうまくスムースに、調整されて行くことを保障されることができる。少くとも今までよりは、よりよくなるということが檢討されて保障されるならば、あの書簡の根本的な意図から離れて行かない。もしそのようなことがほんとうに皆さんの御経驗、皆さんの賢明なる從來の御経驗に対する御批判に基いて、そのような方向が見出されるならば、私は占領軍はその方式に対して、完全に同意を與えてくださるものというふうに考えておるものであります。結論的に見まして、單に技術的な観点から、また四囲の状況から、公共企業体に対する独自の労働関係法案を立法なさるということに対しては、私は決して賛成できない者であります。ただしかし介在する問題、解決しなければならない問題というものは、十分あると考えます。その観点からしましたならば、むしろ全國にわたる今までの終戰後の労働委員会の運営、並びに労働関係を中心とした根本的な調査、これに対する十分な檢討に基いて、新しくもつと発達した労働関係の調整に対する全面的な改訂が、ここで檢討される時期に來ておるのではないか。そうすることによつて種々起つて來ておる対立感情、または憲法違反というような議論も封鎖されるし、同時に全面的な解決ができる、かように考えます。公共企業体だけの立法によつて、現在当面している公益事業の厖大な労働関係の調整は望まれません。もしこれをただちに佐藤さんのおつしやるようにして行くならば、労働三法の根本的な修正はこのような形で変則的になされていることは、決して國家的な、國際的な観点から見まして、われわれ日本國民として名誉とすることはできないし、大きな黒点を労働関係の発達史上において見出さなければならないのじやないかと考えます。
#103
○中原委員 時間が非常におそくなりまして恐縮でございますが、ただ一点だけお伺いしておきたいと思います。それは第四條及び第五條に関連することでありますが、この公共企業労働関係法というものを見ますと、わざわざ労働組合に加入せなくともよろしい。そういう意味のことが非常に強調されておるのであります。このことは労働組合の結成後、團結権を行使することの促進を妨害する一つの意図があると、見ることができると思うのであります。四條並びに五條においてはわざわざそういうことを規定いたしまして、労働者は労働組合をつくるべきものという考え方を、ぽつぽつこの辺から伸ばして行こうというように見受けることができるのであります。こういう点について、川田さんの御意見を拜聽したいのであります。
#104
○川田公述人 私はやはり加入しない。自由というようなことを特にうたう必要はないのじやないかと思うのであります。なぜかと申しますれば、もし大多数が組合に参加する意識が表明された場合には、たとえばユニオン・ショップ程度のものが認められてさしつかえない。タフト・ハートレー法でもその段階に至つておるということになつております。もし加入しないために非常に迫害を受けるというような事態が起ることを防止するということだつたら、何もこのような形で表現しなくてもいいのではないか。そのような事態の防止は、むしろこの法案に対して施行令や何かで説明がつくのではないか。非組合員に対する利益または差別待遇、または集團的な迫害というものからその人を防禦しなければならないということは、むしろもつと根本的な理念として当然考えなければならない。クローズド・シヨップを拒否するということだつたら別問題でありますが、何かこのような形で行くことは特段とこの法律が労働組合から批判され、また全面的な反対を受けておる際に、非常に挑発的なことさえも私ども感じられるのであります。
#105
○綱島委員長 何かそのほかにございませんか。――それでは本日の公聽会はこれをもつて終了いたします。
    午後五時四十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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