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1947/09/22 第1回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第001回国会 外務委員会 第8号
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1947/09/22 第1回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第001回国会 外務委員会 第8号

#1
第001回国会 外務委員会 第8号
昭和二十二年九月二十二日(月曜日)
    午前十時二十三分開議
 出席委員
   委員長 安東 義良君
   理事 加藤シヅエ君 理事 細川 隆元君
   理事 栗山長次郎君 理事 堀江 實臓君
      猪俣 浩三君    田中  齊君
      馬場 秀夫君    小澤專七郎君
      中山 マサ君   長野重右ヱ門君
      佐々木盛雄君    仲内 憲治君
      若松 虎雄君   唐木田藤五郎君
      多賀 安郎君
 出席政府委員
        外務事務官   大野 勝巳君
        外務事務官   與謝野 秀君
 委員外の出席者
        外務事務官   萩原  徹君
        専門調査員   佐藤 敏人君
    ―――――――――――――
九月二十日
 滿洲における戰犯者救護に關する請願(原侑君
 紹介)(第六三〇號)
 元青島居留民の立替金を返還その他に關する請
 願(原侑君紹介)(第六三三號)の審査を本委
 員會に付託された。
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 講和會議に關する問題について岡崎外務次官よ
 り説明聽取
    ―――――――――――――
#2
○安東委員長 ただいまより會議を開きます。
 先般在外邦人の引揚げに關して千島の状況を尋ねたことに對して、磯野政府委員は後刻調査の上報告しますという話でありましたが、それにつきましてこういう報告がありましたから、皆さまにお傳へいたします。
 千島の状況、終戰時千島には、約五萬八千の軍民の邦人があつた。ソ軍上陸後軍人の大部分はソ軍に連行された模樣である。當時南千島にあつた邦人は三、四合の米配給のほか從來の保有米を有していたので心配はなかつたが、だんだん居食の状態となつているが、最近のことはわからない。また北千島のことはまつたくわからない。
 擇捉島の状況、本年七月初めて擇捉島から三百十八名が樺太經由で正式に引揚げてきた。歸還者の話によると、擇捉島の邦人状況左の通りである。擇捉島の殘留邦人數は現在約三千六百七十名である。二十年九月三日ソ軍上陸の際、日本軍民は抵抗しなかつたので萬時無事であつた。十月から食糧の配給を實施したが、各人も保有米を有していたので當初は困らなかつた。本年に入り手持が少くなり配給も米の代わりに麥粉、豆粉、雜穀となつたので、物交等でようやく生活を維持している。ソ連国有漁業會社が進出してきて、日本人を利用しているが、漁獲物の五割はソ連へ供出し、五割は販賣できるが、五、六割が税金にとられのでなかなか容易でない。學校はソ連側監督のもとに從來のまま續行されている。島民に對するソ側の思想宣傳は積極的でない。日本軍隊の大部分はソ連に連行されたが、年萠収容所に約千三百名が殘り、道路工事に從事せしめられている。從來の住民のほかに出漁者約八百名いるが衣料、所持品が少いので困つている。現地官憲はこの後も、この方法で邦人を歸すと言つている。こういうことであります。
 本日講和會議に關しまして外務次官から説明を聽取する豫定でありましたが、差支えがありますので萩原條約局長に御説明を願うことにいたします。説明員萩原條約局長。
#3
○萩原説明員 對日平和條約がいつごろできるだろうか。またどういう手續によつてできるだろうか。どういう内容のものができ上るだろうかという點につきましては、なかなか豫測が困難でございます。その意味は平和條約と申しますものは、元來戰勝國がその意思によつて決定いたすもののように考えられますので、結局連合國側がどういうふうに考えているであろうかという、いわば人の氣持を豫測する問題に歸著いたすからであります。そこで多分こうだろうというように、勝手に申し上げれば申し上げられなくもございませんが、それよりも今までの平和條約の前例その他を申し上げまして、客觀的な事實からそういうことが判斷できないであろうかという意味の材料を提供いたしまして、何らか御参考に供したいと考えます
 もちろん平和條約の前例と申しましても、二國間だけで、戰爭をして、戰爭が終つた場合それがいわゆる講和談判になる、つまり日露戰爭か日清戰争のような講和條約等はあまり前例にならないように思います。そういたしますと、やはりドイツに對しますヴエルサイユ條約、その他オストリア、その他に對する條約をつくりました第一次歐洲戰爭後のパーリ會談と、それから今次世界戰爭の後に今までのところできましたイタリア、ルーマニア、ハンガリア、ブルガリア、フインランドとの平和條約との問題、その二つが参考になる前例であろうと思います。
 この二つを比較してみますと、私ども感じますことは大體三つの點があるのでございますが、一つはこの前の第一次歐洲戰爭のときは、戰爭のすんだのち非常に早く平和條約ができた。しかし今度の世界戰爭の場合には、平和條約は、戰爭が終わつてからイタリアの場合でも約二年近くかかつてでき、ドイツ及び日本に對する條約はまだできておらないという點でございます。つまり割合にゆつくり長くかかつておる。この點は第一次歐洲戰爭のあとであまり急にあわてて條約をつくつたのでいけなかつた。そして今度はドイツ及び日本のごとき國は相當長期にわたつて占領して、占領期間中に十分民主主義的な國家につくりかえて、そしてそれから平和條約をつくるのだという考え方が根底にあつたからだと考えられるのであります。そして終戰當時はそういうような意味におきまして、五年や十年平和條約をつくらずに、相當長い間おいてから平和條約をつくつた方がいいという意見も連合國の新聞その他にも現れたようでありますが、しかしやはり戰鬪行為がすんでみて、論理的には、法律的には、戰爭状態があるという状態であつては、どうもやはり世界が安定しない。そういうような意味でもうかれこれ二年以上も占領を續けてきたのであつて、その占領の所期の目的は大體達したのだから、むしろ世界の安定の基礎をつくるという意味においてもうそろそろ對獨平和條約ないし對日平和條約をつくつていいだろうというような機運が、漸次連合國の間にも起きてまいりまして、最近においてはいよいよその時機に來たというような考え方が多いように、新聞その他から見受けられるのでございます。しかしとにかく第一次歐洲戰爭に比べまして、今度の世界戰爭は、よほど平和條約をつくるのがゆつくりしておるというのが一つの特徴だろうと思います。
 それから第二の點といたしまして、先年平和條約によつて國際連盟をつくつて、御承知のようにドイツとのヴエルサイユ條約その他オーストリア、ハンガリー、等と結びましたサンジエルマン條約、ヌイイー條約の一番はじめに國際連盟の規約がはいつております。從つて平和條約ができましたときには、国際連盟というのはまだ紙の上でできるだけで、それからしばらく經ちまして、国際連盟の第一囘總會を開き、そうして漸次國際連盟というものは動き出すようになつてまいつたわけであります。それに反しまして、今度はドイツの屈伏いたします前、すなわち一九四五年の三月にはすでにサンフランシスコ會議を開き、そこに連合國の各國の代表が集まりまして、國際連合の憲章をつくりました。その會議の最中に、ドイツの屈伏の報道が會議に傳わりました。その會議において、連合憲章が確立いたし、そのあとで日本が降伏いたしたわけでありますから、戰鬪行為がすむ前にすでに国際連合というものができており、そうして平和條約ができるまでには、すでにもう第一囘總會を去年、最近はニューヨークで第二囘の總會が開かれておるわけであります。
 この點が同時にこれから申し上げようと思います第三點と關係いたしてまいるのですが、それはヴエルサイユ條約は御承知のように四百四十條というような非常に厖大な條約でありまして、いろいろの事情がありまして、所期の目的通りには必ずしもできなかつた點もあるかもしれませんが、しかし當時の平和會議の條約の起草者たちの考えでは、これはドイツとの戰爭の結末をつけるための對獨條件だけを記載するものではなくて、世界戰爭の跡始末をつけて、さらにそれから後の平和を建設していくための規定を平和條約の中に盛つていくのだという考え方が多分にはいつておるように思われるのであります。從いましてヴエルサイユ條約の中に、ただいま申しました國際連盟の規約もはいつておりますし、國際航空の問題とか、國際勞働の問題とか、國際河川の問題とか、いろいろなそういう必ずしもドイツに對するだけの條件という問題でないものも平和條約の中にたくさん盛られておるよう思われるのであります。
 それに比べまして、今般できました對イタリアその他の條約を見ますると、條約は對伊條約が約九十條くらいの條約でありまして、その他のルーマニア、ハンガリーなどに對する條約は約三十七、八條から四十條前後の割合に簡單な條約であります。これはその國に對する戰爭の跡始末的の問題をそれに記載する。そうしてそれとは別に國際連合の方はもう發足しておつて、將來の平和建設という問題は國際連合が擔當していく。從いまして平和條約にはあまり長い先のことや、世界の平和をどういうふうにしていくかというような問題には全然はいつておりませんし、同時にまた國際連合の憲章の方には、國際連合は今度の戰爭の跡始末の部分にはあまり關係しないのだという趣旨の規定もはいつておりまして、その點が二つにわかれておるわけであります。これらの點が主な違いのように思われます。
 そういうような違いはございますが、やはりヴエルサイユ條約と對伊平和條約と言うものが、われわれの具體的な参考資料になるように思われる點が多々あるのでございまして、今それを中心にいたしまして平和條約の時期、平和條約の起草手續、平和條約の内容というような問題について、若干敷衍して申し述べたと思います。
 平和條約の時期につきましては、ただいま申し上げましたように今度の戰爭の後では少しゆつくりしておるわけでありますが、それではイタリアの平和條約がどういう手續きで、どれくらいの時間がかかつてできたかということを申し上げますと、一九四五年の八月、つまり日本が降伏いたす直前にいわゆるポツダム宣言を發しましたポツダム會議というのが開かれました際に、ポツダム會議の決定といたしまして外相會議をつくる。そうして外相會議のさしあたりの任務として、イタリアその他に對する平和條約も起草して、さらに將來はドイツに對する平和條約も考慮するという趣旨がきまつたわけでございます。それからその九月に、ロンドンで外務大臣の會議が開かれまして、イタリアに對する平和條約の起草に著手しようとしたのでありますが、そのときは意見がまとまりませんで、その年の暮れにモスコーで會議を開きまして、モスコーの外相會議で大體の條約の起草の手續が決定いたしました。
 それからその決定した手續と申しますのは、外相會議で條約を起草して、それからもう少し多數の國を入れた會議を開いて、つまりイタリアとの戰爭にある程度積極的に参加した二十箇國ばかりの國を集めて會議を開いて、外相會議でできた案をその會議に諮問する。その會議の意見はあくまで参考意見で、諮問に對する答申のような意味に扱つて、そうしてそれを参考としてもう一度最後に外相會議で條約の内容を決定する。こいう三段で條約を起草するするという方針をきめたわけであります。
 そのきまつたところに從つて昨年の春四國外相會議が開かれまして、平和條約の大體の案ができたのでありますが、その案というのはもちろんある程度の案でありまして、大體條約の體栽をなして、なを第一條云々、第二條云々と書いてございますが、第何條かのところに來ると、その條文について、たとえばトリエスト問題ならトリエスト問題についてアメリカとイギリスとロシヤの意見が違つていれば、第何條のところにイギリス案はこうだ、アメリカ案はこうだ、ロシア案はこうだというような、意見の最後にまとまらないところはまとまらないままで、違つた案を掲げた案をつくりまして、それを去年の七月の末から十月中旬にわたつて開かれました二十一箇國のパリにおける平和會議、普通平和會議と言われておる會議にその案をかけて、そうしてその案についての意見を各國から求めたのであります。そうして去年の十一月にニューヨークで最後の外相會議が開かれまして、その前の小國をも含めたパリ會議で出た参考意見を参酌して最後の案が決定し、今年の二月に調印されたわけです。そうしてイタリアの場合には英、米、ソ、沸の四箇國が批准すれば效力を發生することになつておりますが、その批准がロシヤの分が遲れまして、ごく最近至につて四國の批准を終わつて效力が發生したわけでございます。
 そういたしますと、一昨年の八月のポツダム會議から、もしくは一昨年の暮のモスコー會談から、今年の二月に條約の調印を終わつて九月に效力が發生した全手續は約ニ箇年近くかかつておりますし、條約の起草手續が決定してから調印されるまででも一年二箇月くらいの時間がかかつております。そういうようなかなり長い時間がかかり、かなり愼重に、しかもヴエルサイユ會議のときのように、一堂に連合國側全部が會して、そこで大急ぎに條約をきめてしまうという形でなく、三つか四つの會議を經て條約が出来上るという手續をとつております。
 もちろんただいま申しましたのは、いわゆるポツダム方式、つまり四大國が主として起草にあたり、四大國が最後的決定をするという方式でありまして、御承知のように對日平和條約については、ポツダム方式によらずして、アメリカの提案では、對日戰爭に積極的に参加した十一箇國でまず起草するというような新しい方式を提案しておりますし、それに對しまして、ロシヤは今のところやはりポツダム方式を對日平和條約にも適用したいという意向を明らかにしております。アメリカは、ポツダム方式は歐州の問題についてはそういう方式を約束したのだが、對日平和條約の問題については、その方式を適用するということを約束したことはない、そうして對日條約については、やはり對日戰爭に積極的に参加し、また對日平和、從つて太平洋の平和ということについて特別な關心をもつてゐる十一箇國を初めから入れてやつていきたいという立場をとつておるわけであります。そのどういう手續きによるかということは、これはあるいは近くきまるでありましようが、いずれにいたしましても、ベルサイユ條約のように、全部の國が集まつて、一度の會議で大急ぎでつくり上げるというような方式ではなくて、十一箇國の會議という方式がとられても、最初に豫備會議を開く、それからまた專門家の會議に問題を移すとか、あるいは外相の會議を開いて意見のまとまらぬところをまとめるというような、いろいろな段階を經て對日條約案が起草されるものと想像されるわけであります。
 ただいま申し上げましたようなことで、對日平和條約の手續について、どういう手續によるかということがきまつても、それから平和條約ができ上がつて調印するまでには若干の時間がかかる。それから、もちろん平和條約の效力を發生するのは、主要國の批准が行われた上で效力が發生するのでありますから、そこにもまた若干の時間がかかる。それで、一番早くいつた場合に、およそどのくらいになるかといつたような點も御想像がつくだろうと存ずる次第であります。
 それから、こういう條約の起草手續をとつておる間に、戰敗國である日本の意見というものは一體聽くものであろうかという點でございますが、この點につきましては、連合國がどういうふうに考えておりますか、もちろんよくわかりませんが、前例を申し上げればべルサイユ條約の場合はこういうような手續をとつたのでございます。御承知のように一九一八年の十一月十一日に第一次歐洲戰爭の停戰協定ができて、それから約二箇月ばかり經ちました一九一八年の一月十八日にパリ平和會議が始まりました。そこにはドイツに對して戰爭を布告しました四十箇國近くの國が集まつて本會議のようなものを開きまして、それから、そういう本會議みたいな大きな會議だけでも條約の實際の起草が進まないというので、五大國の會議であるとか、ときには四大國、三大國というような會議を―會議と申しますか、委員会のようなものを本會議の間に開きながら、だんだん條約案が起草されてまいりまして、四月ごろになつて大體條約案がまとまり、そうしてドイツに對しまして平和條約の案を内示するから全權をパリに派遣しろということを要求いたしたのであります。それまでの會議は、もちろんドイツその他の戰敗國は全然はいつておりませんで、戰勝國である當時の連合國だけの會議でありました。そうして案ができ上がつたところで、ドイツに案を内示するから全權を派遣しろという要求を出したわけであります。それに對しましてドイツは、口頭で商議することが許されるのか、つまりオーラル・ネコシエーシヨンが許されるのかという質問をいたしましたところが、會議は口頭の論議を許さないという囘答をしたので、ドイツは、それでは全權を派遣する必要がないから書記官を二名派遣して案をいただいて歸ることにしようという提案をしたのに對して、連合國が、戰敗國のぶんさいでそういう態度はけしからぬ、ぜひ全權をよこさなければいけないというので、四月三十日にランツアウというドイツの外務大臣がパリに到著いたしまして、五月七日に平和條約の案を受取つたのであります。そうして五月二十九日まで約二十日間でドイツ側ではこれに對して對案を出した。要するに厖大な意見書を提出したのであります。餘談でありますが、多分ドイツ語で提出したので、後世の歴史家が、連合國の心理を一つも解しないドイツ人らしいやり方だと批評しておる文書であります。非常にドイツらしい理窟つぽい法律論を長々と掲げた文書でありまして、最初に、今度の戰爭はウイルソンフオーティーン・ポインツを受諾したから戰爭が濟んだ。それをあくまで條約の基礎にしなければならない、しかるに今度受領した案を見ると、十四箇條に非常に違つておる、こういう點が違う、かつてウイルソンはこういうことを言つたのに條約はこうなつておる、そういうふうな理窟を述べて、領土であるとか賠償であるとかいうようないろいろな條項についても一々意見を述べた文書を提出した。それに對して六月十六日に連合國側の囘答というのがありまして、これは、一番初めに、ドイツはドイツがいかなる地位に現在立つておるかということを全然自覺していないことくである、念のために申すのだが、今度の戰爭を起こしたのはドイツであつて、ドイツは平和は正義に基かなければならないと言うが、犯罪を犯したものが罰せられるということが正義である、という趣旨の書き出して、ドイツの申し出を一々反駁して、ただ、ごく技術的な點につきまして、數箇所、たとえば、初めの案では、ある領土をドイツから奪うということになつていたのを、そこを、それじやそれを人民投票に問うた上で決定しようというふうに、一、二箇所直したところがあります。そういう一、二箇所直すことには同意いたしましたが、その他の點についてはことごとくドイツの主張を反駁したこれまた相當強硬な厖大な文書を連合國の回答として出した。その囘答の最後は、數箇所直したその案をドイツが受諾するか否かを五日以内に囘答しろ、五日目までに囘答が來なかつた場合には、停戰協定が無效になつて戰爭状態が續くのだという最後通牒的な回答を出した。その會議の囘答を受取りましたドイツの内閣がこの條約にはとても調印できないというので内閣が瓦解してしまい、後繼内閣が非常にもめまして、五日間に後繼内閣ができずに二日間猶豫をもらつて、新しい内閣ができて、七日目にその條約を受諾するという囘答をいたしました。その囘答をいたしましたのは六月二十三日で、すぐそれからベルサイユで調印式を行うというので、早速準備をして六月二十八日にベルサイユ條約が調印されたという事情でございます。
 これをみましても、平和會議というものは、戰勝國がその仲間同士における意思を決定するための會議であつて、ベルサイユ條約の場合においてはドイツには口頭の辯論を許さなかつた、一囘を限つて書面による意見の開陳を許したという形であります。今度の戰爭後のイタリアの場合につきましては、これは若干趣を異にしておりまして、御承知のように、イタリヤにいたしましても、ルーマニヤ、ブルガリヤ、ハンガリー等にいたしましても、戰爭の終わりごろからは國内の政變の結果もありまして、むしろ連合國に味方して、ドイツに對しては戰爭している立場でございます。従つて戰爭の前半は敵であつたが、これはその關係で平和條約ができていないから法律的には敵國であるが、途中からは連合國の味方をしていたという特別な地位もあつたためかと思いますが、先ほど申しましたイタリアとの平和條約の起草手續は、最初に外相會議を開いて案をつくつて、途中で二十一箇國の會議を開いて参考意見を求めるという場合に、そのときに戰敗國であるイタリヤなり、ルーマニヤなりの代表に、やはり一應の参考意見を口頭で述べさせるという手續をとつております。しかし、そのあとで最後に條約を決定するのは四大國の外相會議で、そうしてその案をイタリヤ側に渡して、それに調印を求めるという形をとつております。またたとえば對伊平和條約では條約の批准の問題につきましても、一旦調印した上はこの條約は四大國の批准があれば效力を發生する、イタリアも批准しなければならないが、イタリヤの批准は效力發生の要件でないというような建前をとつて、あくまで戰勝國がその意見を戰敗國にインポーズするという建前はやはり崩していないようであります。
 對平和條約について、どういう手續がその邊の點につきましてとられますかということは、想像がつきませんが、ただいま申し上げました前例をお考えくだされば、ある程度のことがわかるだろうと思われます。
 もう一つの餘談のようでありますが、イタリアの平和條約は今年の二月十日の調印式がパリーで行われたのでありますが、そのときにイタリアの全權が條約を調印するときに、こういうような演説ををいたしております。イタリア政府は、イタリア平和條約の作成に何らの役割を與えられなかつた、しかも今ここにこの條約にやむなく從わなければならない、今日こそはイタリアにとつて悲しみの日である。自分のここで調印する條約は眞の條約ではなく、イタリアに一方的に課する條項を規定しておるものである。イタリアの國際連合加入が認められる場合は、經濟的な諸條項は國際連合の憲章の規定によつて將來緩和されることを期待する。それからわれわれはイタリアの民主主義が過重なる經濟負擔によつて崩壊するのを救うために、連合國が理解と同情とをもつてイタリアに今後臨まれることを期待するという趣旨の、非常に悲壯な演説をいたしておりまして、同じ條約を調印する時間に、イタリアのスフオルツア外務大臣もラヂオ放送をいたし、そして平和條約がパリーで調印される時間イタリア全國にわたつて十分間の沈黙を守つて、イタリア國民の悲しみの意を表するというようなことをイタリア政府はいたしたようであります。以上申しましたのは平和條約の時期及び手續というような點に關して何らか御参考になるかと思つて申し上げた次第であります。
 條約の内容につきましては、これもいろいろな點がございますが、對日平和條約の内容というものはすでにポツダム宣言によつて、もしくは降服文書によつて、もしくは占領以來の占領政策によつて、ほぼ明らかになつておるように思われますが、條約の形式として、どういうかつこうにまとめ上げられるであろうかという點に、何らか御参考になると思いますから、イタリアの平和條約の内容についてごく簡單にここに申し上げておきます。
 イタリアの平和條約は全體九十條、十一部から成つておりまして、第一部が領土條項というので、イタリアがフランスに割讓する地域、イタリアがユーゴースラビヤに割譲する地域、オーストリアに割譲する地域、ギリシヤに割譲する島というようなのが掲けられております。
 それから第二部が政治條項というのでありまして、これは少し詳しく申し上げますが、政治條項というのがまた九つの目にわかれております。第一目が一般的條項その中にイタリアは人種、性別、言語、宗教に基いてイタリア國の主權内にある人を差別待遇してはいけない。それから停戰以來連合國に協力したイタリア人をそのかどによつて迫害してはいけない。停戰協定によつてフアシスト組織を解消させることに同意したのであるが、さらにイタリア國内において將來政治的、軍事的、もしくは半軍事的なこの種の組織が復活してくることを許してはならないというような、政治的な一般的な原則、ある意味においては憲法に當然保障されるような條項が規定されております、それから第二日、これは國籍の問題で、主として割譲地域の住民の國籍の問題であります。第三日としてトリエストの自由地域の問題であります。これは政治的には大問題になつたトリエストを特別な自由市にする趣旨であります。第四日はイタリアの植民地、イタリアの植民地は連合國の間でまだ意見がまとまつておりませんので、條約には平和條約が效力が發生してから一年間にイタリアの領土の處分を決定する。それまでの間は現在の情勢を續けるという規定になつております。第五日は支那における特殊利益、これは團匪議定書に基く特權とかあるいは天津にあるイタリア祖界、それから上海及び厦門の共同祖界に對するイタリアの權利というものを放棄するという規定が書いてあります。それから第六日と第七日はアルバニアとエチオピアでありまして、これはイタリアが戰爭前併合していた地域であります。これにつきましては、新しくできたアルバニア、エチオピアなりの政府がイタリアが併合していた間にとつたあらゆる處置を無效にするためにとる處置を、イタリア側は承認する義務があるという趣旨で、むしろ割譲という觀念よりも現状囘復というような觀念で、これが領土條項にはいらずに政治條項にはいつております。それから第八目が國際協定、これは多數國間の協定につきまして、政治的なものにつきましては、イタリアが從來参加していた條約でも、イタリアを除いた殘りの國でその條約を改訂していいというような趣旨が、特別の條約をあげて、たとえばアフリカのタンジールの地位に關する條約とか、それからベルギー領コンゴーに關する條約とか、いわゆる政治條約についてそういう規定を設けておりますが、ここにはつきり書かれておりませんが、この條文の裏面から申しますと。技術的な條約、つまり郵便條約、電信、電話條約、赤十字條約でありますとか、そういう種類のいわゆる技術的協力に關する條約が平和條約によつて效力が妨げられないで、イタリアがはいつていたものはそのままイタリアがはいつた形において復活するという前提をとつておるわけです。それから第九日に二箇國間の條約、つまり連合國の一箇國とイタリアとの間に通商條約とかいろいろな二箇國間の條約があつた場合に、連合國側の方でその條約を復活させたければ六箇月以内に通告すればよろしい。たとえば、イギリスとイタリアの間にたくさんの條約があつたとすれば、その條約のどれを無効にしてどれを生かすかということは戰勝國であるイギリスの方が選擇權をもつという規定であります。以上が政治條項という第二部であります。
 第三部が戰爭犯罪人、これはごく簡單に、今後も連合國側から要求があつた場合には戰爭犯罪人の容疑者を連合國に引渡さねばならないという趣旨で規定されております。御承知のように、イタリアにつきましては、丁度横濱で今開かれておりますような、交戰法規違反の戰爭犯罪人の處罰だけがありまして、市ヶ谷で行われておりますような政治的なと申しますか、いわゆるA級の裁判に相當するものは行われていないので、規定が非常に簡單であります。
 第四部は海陸空軍條項というのでありまして、これはイタリアのある地方の非武裝、要塞をつくつてはいけないとか、海軍、陸軍、空軍をそれぞれ制限するというような趣旨の規定があります。御承知のように、イタリアは全然非武裝化されるというわけではなくごく限られた陸海空軍をもつことを許されておりますので、このところはあまり参考になりませんが、とにかくそういう軍事條項というものがはいつております。
 第五部に連合軍の撤兵というものがありまして、條約の效力を發生してから九十日以内にイタリアにいる連合軍が撤兵するという規定があります。これも條約でどういうふうにでも自由にきめれれますので、あと五年いると規定しようが、百年いると規定しようが、どうにでも規定のしかた次第でありまして、ただそういう問題があるという意味で御参考になると思います。
 第六部が、戰爭によつて發生する請求權という題で、ここに三つの問題が取上げられております。その第一が賠償でありまして、イタリアはロシヤとアルバニア、エチオピア。ギリシヤ、ユーゴースラビアに合計三億六千萬米ドルばかりの賠償を拂うことになつておりまして、これは金額が決定していること、そしてその金額に對してイタリアの軍備の縮小に伴つて、不必要になつた軍需工場等の施設によつて賠償を拂い、さらに年々の生産物から賠償を拂うという建前がとられておりまして、たとえば年生産の賠償物資の原料の供給の問題とか、こういうふうに金額がきまつておりますと、一つ一つの工場なり生産物をやる場合に、價格を決定しなければなりませんので、その價格の決定の手續というようなことが規定されているわけです。
 それから第二にイタリアによる返還の規定がございまして、ここではイタリアが戰爭中連合國の地域を占領したりなんかいたしまして、そこから奪つてきた財産は、連合國に返さなければならない。その奪つてきた財産がなくなつてしまつたことが立證されれば、その現物を返すという形での義務は終る。但し金塊及び金貨については、そのとつてきた金貨なり金塊がなくても、同じ額を拂わなければならぬという趣旨の規定があります。
 それから第三に、今度はイタリアの請求權、イタリア側が連合國に對する請求權は一切放棄するという趣旨の規定がはいつております。これは戰爭中にいろいろ連合國に對してイタリアが請求權を獲得していても、それは放棄する。あるいは停戰後イタリアの國内に連合國がいたために、いろいろな損害が起きた。あるいは戰爭に基かないろいろな事故、たとえば交通事故などでイタリア國民が連合國に對して請求權が發生している場合でも、その請求權は認めないという趣旨の規定がはいつております。それが第六部の戰爭に基く請求權という部でありまして、第七部には、財産權利及び利益という題目で、この中に四つの問題が取上げられております。
 第一に、イタリア内にある連合國の財産、これは連合國政府もしくは連合國の個人の財産が、イタリア國内にあつて、それをイタリアが没收その他の措置をとつた場合には、原状に囘復しなければならないし、それがたとえ戰爭の結果爆撃で燒けてしまつたというような場合には、新たにそれと同じものを取得するために必要な金額の三分の二に相當する額をリラ貨で、イタリア國内において連合國もしくは連合國人に拂わなければならないという規定と、その規定の適用の細目の問題がはいつております。それが第七部の第一目でありまして、第七部の第二日がイタリア政府及イタリア國人の財産が連合國の領土内にある場合でありまして、これはたとえばイタリア人もしくはイタリア政府の財産がイギリスにあれば、イギリスの政府がこれを押收し、精算し、その他いかなる措置をとつても差支えない。そうしてそれによつてイギリス人がイタリアに對して請求權をもつているものをコンペンセートする、補償する。そしてもし餘つた部分があればそれをイタリアに返却するという規定でありまして、これに關するいろいろな手續規定が載つております。第三日が連合國の請求權に關する宣言というのでありまして、これはこの條約できまつた解決方法によつて連合國のイタリアに對する請求權はすべてカヴアーせらるるので、その他のものについては新しく要求することをしないという連合國側の宣言であります。第四に債務という目がございまして、これは戰爭前に發生した債權債務關係は、金銭債務であれば戰爭によつて影響を受けないという規定でありまして、たとえばイタリアが戰前にイギリスなりアメリカなりに對して外債を負つていたとすれば、その債務はこの條約とは別に昔の通りに拂わなければならないという規定であります。
 第八部は一般經濟條項というものでありまして、これには平和條約の效力が發生してから十八箇月以内に、イタリアと連合國とは通商條約をつくるように努力する、その十八箇月間はイタリアは連合國に對して最惠國待遇及びある種のものについては内國民待遇を與えるというような規定であります。
 第九は、この條約について、紛爭、つまり意見の相違が起きた場合の調停手續があげてあります。
 第十部に、その他の經濟條項というものがございまして、これはごく簡單な條文で附屬書をたくさんつけて、いろいろなこの附屬書が條約と同等の效力を有するというだけの規定が書いてございますが、その附屬書というのを見ますと、工業所有權であるとか、著作權であるとか、それから戰爭前からの手形とか有價證券とか、そういう經濟上のこまかい問題が非常にこまかく規定されてあります。
 第十一部が、最終條項というので、英、米、ソ、佛、の四大國大使がこの條約の履行に關してイタリア政府に指導及び援助を與えるというような規定であります。條約の解釋に問題が起きた場合に、連合國の四國の大使會議で決定する。それからごく普通の、この條約はいつから效力を發生するというような規定がはいつております。先ほどちよつと申しましたように、最後の九十條という批准の效力發生の條項は、この條約は連合國によつて批准せられ、イタリアによつてもまた批准される。しかしこの條約はソビエト、イギリス、アメリカ及びフランス四箇國の批准が寄託されればただちに效力を發生する。その他の連合國についてはその國が批准を寄託したときから效力がその國に對して發生することになつています。それからイタリアと理論的に戰爭の關係にある國は、四十箇國くらいあるだろうと思います。つまり宣戰を布告しただけの國です。しかしイタリアに戰爭に積極的に参加した國はさつき申しました二十箇國ばかりでありまして、この條約を調印しているのは二十箇國、この公約を調印してない、つまり南米の諸國あたりで、ただイタリアに對して宣戰だけ布告していたという國については、あとからこの條約に参加することができるというようないろいろの手續規定がはいつております。
 以上が大體イタリア條約の内容についてでございまして、冗長になりましたが、イタリアと日本というものは現在おかれている立場も根本的に違つておりまして、それからまたイタリアの問題も多分にございますが、ただそういう形式によつて條約がまとめられているという點で、御参考になるだろうと思いまして、條約の内容として豫想されることという意味で御説明い申し上げました。
#4
○小澤(專)委員 その中の工業權と著作權はどうなつておるのでしようか。
#5
○萩原説明員 工業權と著作權は非常にやつかいな規定でして、もうじき譯文ができ、印刷ができ上るようですから、こちらに御參考に差上げるつもりでございますが、ごく大體を申しますれば、たとえば戰勝國であるイギリス人のイタリアにおける著作權、この場合にはやはり著作權なり工業所有權を没收していてももとに返さなければならない。それから逆にイタリア人がイギリスで登録していた特許權、そういうものは戰爭中にイギリス側にとつたものは、原則として有効である。しかしこれからあと新しく取得するものは、今まで通りの方法によつて新しくできるという趣旨なのでありますから、一般の財産についてさつき申し上げました大體の趣旨は同じですが、たとえば原状を囘復するというときの過去にたまつている特許料なり何なりをどういうふうに處理するかというような點がかなりこまかく規定されております。
#6
○小澤(專)委員 それから會議が完了した後の著作權とか發明權、これは自由なのですか。
#7
○萩原説明員 これには別に制限がないのです。
#8
○安東委員長 その他御質問はありませんか。
#9
○加藤(シ)委員 イタリアではどのくらいの兵力を許されておりますか。そしてそれはどのような理由で、また何か條件があるのですか。
#10
○萩原説明員 ドイツと、日本についてはもともと連合國は徹底的に非軍事化するという方針をたびたび繰返されておりますが、今度の戰爭でドイツの片棒を擔いただけのイタリア、ブルガリア、ハンガリー、フインランドなどは、いずれもごく限られた範圍ではありますが、陸海空軍をもつことを許されております。イタリアは前から大きかつたので、兵力が割合に多いのでありますが、海軍が戰艦二隻、巡洋艦四隻、その他ごく小型の驅逐艇、それから陸軍は兵力十八萬五千、空軍が戰闘機二百機、それから輸送、海難救助、練習機を合わせて、そのほかに百五十機、空軍の兵力人員が二萬五千、大體そういうたものであります。
#11
○加藤(シ)委員 どういう必要で使うのですか。
#12
○萩原説明員 別に條件というのはございませんが、防備的の兵力に限られております。たとえば飛行機でも、戰闘機は自衛用に用いる譯でありましよう。
#13
○田中(齊)委員 四箇國の外相會議ではなくして、あとの二十一箇國の諮問會議、條約作成の豫備會議において、イタリア代表はある程度自國の立場を述べられたということであるが、相當程度述べたわけですか。
#14
○萩原説明員 イタリアのガスペリー前首相の演説というのはかなり思いきつたことを言つておるようであります。しかしイタリアの場合は少し特殊な事情がありまして、今までの國際法の先例にはあまりなかつたのでありますが、停戰中から外交關係を囘復しておる。普通ですと平和條約ができて、戰爭が終つて、それから外交使節を交換するというのでありますが、イタリアは對独戰爭には協力するという立場があつたでありましようが、停戰して以來大使を交換して、その交換しておる外交使節がいろいろな意味において條約をこういうふうにしてもらいたいとか、こういうことは困るとかいうような内面の工作は相當あつたようでありまして、イタリア側とアメリカ側の間に交換された停戰以來の文書というものも、國務省によつて發表されております。それですから會議のときの演説というものはある意味では表向きの演説なのだろうと思つておりますが、いずれにいたしましてもかなり思いきつたことを發言されております。
#15
○安東委員長 質問は一應これで打切りまして、ブラジルの移民に關連して多賀委員より政府委員に質問したいという御希望がありまするから、これを日程に追加いたします。
#16
○多賀委員 ブラジルにいる日本人の件についてちよつとお尋ねいたしたいのであります。ブラジルには御承知の通り一世だけでも二萬人の日本人がおりまして、今日では海外に在住する日本人の中で一番數がまとまつておるようであります。この在伯同胞の間に終戰後臣道連盟とか日本人在郷軍人會と稱する結社ができ、これらの結社が日本は大勝利を博し近くブラジルにも進駐してくる、日本の船團が在伯邦人の歸國希望者を迎へに來るといつたような荒唐無稽な宣傳を盛んにやつたのであります。奥地におる日本人の中には一時田畑を賣つてサントスやリオデジヤネイロの港に押しかけた者が相當あつたということであります。すなわち正金銀行リオデジヤネイロ駐在員であつた大谷晃氏の本年四月十五日附の御通信を見ますると、「前略、皮肉にも未だ臣道連盟のあと絶えず、日本が勝つたのだと狂言しふれまわり、日本難民救濟の運動を妨害する輩がたくさんあることは泣き面にはちであり、まことに情ない状態である。心あるものはこの同胞の姿を見て、われわれ日本人は日本人を買かぶり過ぎていた。こんな民族が勝てるはずがない。勝たなくてよかつた。勝つていたらどんなことをするかわからないという見解をもたざるを得なくなりました。」云々。あとは省略しますが、さらにまた在伯邦人認識委員會サンパウロ市世話人溝部義雄君からの通信によつて申しますると、前文は略しますが、「八月十五日在伯日本人は青天の霹靂のごとく日本降伏の報道に打ちひしがれたのであるが、翌十六日に至ると出所不明の日本大勝利のニユースが怪電波のごとく日本人社會の隅々まで浸透していつた。勝つべきだ、敗けるはずはないから勝つたのだ、と論理の飛躍を行つた。すでにそのとき妾信にとらわれて抜きさしならなくなつていた。敗けたかもしれぬという憤懣のはけ口を求めた者、敗けたと思うことすら祖國に不忠實なるものであるいう封建的な思想は、勝つたと思つて生きる方が祖國ヘ忠實であり、正しき國民的考え方があると判断した者たちによつて、日本主義が日本に十年前に起つたことく膨湃として湧き上り、日本人の集團する地方毎に團體が結成された。その代表的なものが臣道連盟、日本在郷軍人會である。かかる雰圍氣をもつて滿された社會においては惡い者は殺すべきだとの思想が生れ、幼稚な頭腦をもつた者には信念的となり行動となつて現れる。當初いわゆるわれわれ認識運動者は、かかる者が大勢を占むれば民族的惡質が表面化し伯國市民ないし官憲との衝突を來し、悲惨事が至る所で頻發することをおそれ、第二に正しき移民精神をもつて指導されたる過去四十年の伯國日本移民史を根底からくだくことを憂慮し、日本の敗戰は悲しいかな事實であり、やむを得ないから再出發を決意、ひたすら生活態度の更新、是正、向上をはかつて祖國の新日本建設の線に沿つて努力しようではないかと説いたのである。それこそ身命を賭して説いたのである。だが勝つたと主張する一派、在留民九十五名以上はこれを聽き入れてはくれなかつた。勅語を日本文で示したら解決すると思つたが、結果はかえつて惡かつた。スエーデン官吏の公文書は反對する者はないと思つたが、アメリカに買收されたものとして一蹴され、日本難民救濟運動を起こしたら漸時判明すると思つたが、効果はなかつた。あらゆる手段と方法を講じたが、惡い方へ惡い方へと逸脱し四六年三月バストス産組専務溝部幾太が最初の血祭にあげられ、次いで野村忠三郎(教育普及會長)脇山甚作大佐と、順々に十數名の有為の士が兇彈に倒れ、今日に至るもテロ行為は中止されれず、幾多の有為の士がかれら一味につけねらわれておる原状で、この向きでいつたらまだまだ多數の指導者がかれらの兇彈に倒れるであろう。」云々、あとは省略します。しかも今日なおこれらの結社の意識的な執拗なる策動が根絶されず、奥地の日本人の中には祖國敗戰のこのはつきりした事實を未だに半信半疑でいる者が少ないと傳えられておるのであります。在伯邦人は戰時中もブラジル政府から戰前とほとんど變らないほどの好遇を受け、また戰時中日本人による養蠶、樟腦等の生産がブラジル産業に大いに貢獻し、かつこれに對して在伯邦人も報いられるところ多く、在伯邦人全體としては今日大いに恵まれた經濟状態におかれていると傳えてきております。特に從來ブラジルにおける反日新聞として知られてきたサンパウロ市のオ・エスタード、サンパウロ紙は戰後ヨーロツパから多數の戦災移民が入伯してきたが、ポーランド人のごときはブラジルにおける奥地の生活を實際に見て驚き、就勞を拒否した事件もあり、一部では日本人の移民の價置を今さら見直した者さえ出てきたと傳えております。また經濟的にも今後日伯關係はますます緊密度を加える必要と可能性が十分あるにもかかわらず終戰後一部反動的策謀分子によつて發生した不詳事件のため、日本人に對するせつかくの信用が地に落ち、一時はブラジルの憲法中に日本人の入國禁止條項さえ挿入されようとしたのでありますが、憲法審議會議長の裁決により、危く一票の差で辛うじて否決されたというほど日本人の取扱いを危險かつもてあましたと傳えてきております。しかし在伯邦人全體としてはおおむね好感をもたれておるのでありますから、先ほど述べましたごとき在伯邦人を惑わし、かつ動揺せしめ、またブラジル國民や同國政府に、迷惑をかけるような事態に對し、外務當局は何らかの手を打たれたかどうか、またつけねらわれる立場にあると考えられる肉親をブラジルにもつておる家族らのその後の状況について非常に心配しておりますので、その結果と今日の状況についてお伺いいたしたいと思います。
#17
○大野(勝巳)政府委員 ただいまの御質問に對しまして御答辯申し上げます。臣道連盟の點につきましては、ただいまお讀み上げになりましたくつかの手紙と大體同じような手紙が外務省にもまいつております。かついろいろな情報がはいつておりまするので、概括いたしまして、今日までの經過と政對がとりました措置につきましてここで御報告申し上げたいと思います。大體臣道連盟と申しますのは、昨年三月ごろから九月ごろまでに猖獗をきわめたのでありまして、場所はただいまのお手紙の中にもありましたように、サンパウロ州内の各地に起つたのであります。はなはだ不幸な結果をもたらしまして、各地に血なまぐさい殺傷事件をを續出したのでありますが、その後一時小康を得まして、收まつたという感じを與えたのでございますが、本年の一月再びサンパウロ市におきまして殺傷事件が突發いたしたのであります。しかしながら、いわゆる流血の惨事と目すべきテロ事件は、大體本年の一月のサンパウロに、おける事件をもつて終熄しておるように思われるのであります。この間どのくらいの犠牲者が出ておるかと申しますと、はなはだ殘念なことでありますが、日本人の間に死んだものが十四名、ほかに巻添えを食いましてブラジル人で一名死亡をいたしております。但し負傷者に至りましては數十名に上つておるのでありまして、ブラジルの官憲は遂に軍隊を發動してこれを鎭壓するというふうな、そういう事態まで行つたのであります。その結果、日本人で逮捕されました者約三千名を數えるのでありまして、その後取調べが進むにつれまして、國外に追放を命ぜられた者が、前後三囘にわたりまして百七十名ということになつております。もつともこの追放者は船舶の便宜が速急にございませんので、あるいは一部は追放されて實際にもう國外にでておるかもしれませんが、私どもの得ておりまする情報によりますると、まだ大部分がブラジルの國内に殘存して出發できないでいる。そういうふうな事情であります。實はただいまの手紙の中にもありましたように、本件の起りました原因といたしましては、日本が戰爭に負けるわけがない。そういう氣持がブラジルに在留いたしておりました日本人の間に瀰漫しておつたのでありまするが、それが一朝にして敗戰を喫したというニユースが参りまして、これを信ずることができない。こういう情勢につけこみまして、一部の奸惡なる日本人の策動者が、これを種にして煽動をやつたと思われるのであります。その煽動をやつた目的は大體經濟的な目的に出ておるものでありまして、あるいはニユーギニアあたりに、日本が勝つた結果といたしまして、新しい植民地を獲得することができる。あるいは海南島開發のためにブラジル移民の經驗者を必要とする。こういうような情勢になつてきておるから、この際國へ歸つて、新しく獲得されたそういう利權なり何なりに基く開拓という方向に向かつてはどうか。そのためには、もつておる財産をこの際處分して歸るつもりなら、じき日本から船が來るから、その切符を賣つてやろう、あるいは公債を處分してやろう、こういつたようなことをもちかけたと思われるのであります。それは非常に惡質な詐欺の事件であると思つていいのでありまして、また奥地におりまする在留邦人は、新聞も正確に讀む機會もない、あるいはただいま歐州からの再渡航者、ポーランド人という話がありましたが、奥地に行つて勞働を拒否するというようなそういう状態、實はその通りでありまして、ラジオも聽けない所もありますし、はなはだ連絡が惡いわけでございます。そういうわけで容易にその策動に乗つたと實は思われるのであります。日本が負けない、負けていないということの宣傳、つまり臣道連盟派の宣傳がいかに極端なものであるかという一例をここで申し上げたいと思います。これは北米を輕油いたしまして、われわれの手にはいつておる印刷物がございますが、それによりますと、終戰の年の九月二日でございましたが、ミズリー號の上で降伏文書に署名いたしましたところの寫眞を掲載いたした印刷物をつくつて、これをばらまいたようでありますが、それのごときは、米國の軍艦に掲揚してある米國の國旗を日本の國旗とすりかえまして、日の丸の國旗に寫眞を直しまして、そうして日本の全權が連合國側に對して降伏文書にサインをさせておる圖である。こういうような標題をつけまして、それを説明するいろいろな記事を書いたものなどをふんだんに印刷しまして、奥地にばらまいておるのであります。それによりましても、いかにそれが發端であつたかということが實はわかるのでありますが、そういうふうなことで、じき日本からの大使が日本の船に乗つて戦勝國としてブラジルに乗りこんでくる。あるいは前に行つておられたある大使がまた來られる。こういうようなことがまことしやかに傳えられ、また信ぜられておつたのであります。いずれにいたしましても、こういうようなことで經濟的にも非常に損害を受けた物がたくさんあると思いまするし、また財産を賣つてサンパウロなり何なりの港の町へでてきまして、日本の船のはいるのを今や遲しと待ち構えておるといつたような事態も實は現出したのであります。そんなような事件が原因になつておるのでありますが、それに對しまして、ただいまお手紙の中の認識派、つまり日本の敗戰を認識して、事態を客觀的に把握した人たち、そういう人たちが、實は日本が今度非常な大敗を契したのだ、實情はこうであるといつて大いにこの迷蒙をとこうとしたのでありますが、それに對しましては、これは實にけしからぬことである、日本は負けるわけはない。日本は神國であつて、そういうことは絶對あり得ない、そういうことを言うやつは虚構の言を流布するやつであつて、こういうものを取除かなければいけないということを、臣道連盟の行動派の連中は考えておつたわけでありまして、そこで私が申しましたような不幸な流血の惨事を實は現出した次第であります。
 こういうような結果を來しましたので、その後政府といたしましては、いろいろな、後に延べまするような策を講じてきたのでありまして、大體において冒頭に申しましたように、本年の一月のサンパウロ市における騒擾事件を最後といたしまして、一應表面上テロ事件というものは終結いたしております。しかしまだ奥地の方におります人々につきましては、この點がはつきり徹底しておるかどうかは多少疑問があると思うのであります。いずれにいたしましてもそういうような騒ぎがございましたので、浮腰立つたというふうな風潮がみられますることは、はなはだ遺憾にたえないところであるのであります。
 以上が大體概略の事件の眞相でありますが、そこで政府といたしましては、どういう手段をとつてこれに對處したかということを御報告を申し上げますブラジルに關しましては、スエーデン政府日本のブラジルに關する利益代表を引受けてくれておる次第でございます。從いましてブラジルに關する現地における案件につきまして、何らか連合軍あるいはブラジル政府に連絡をする必要のある場合におきましては、この利益代表國であるスエーデンを通じまして各般の措置をとらざるを得ない立場にあるのであります。そこでわれわれは、當初からこのスエーデンの官憲と緊密なる連絡をとりまして、これは事件の勃發當初から緊密に相談をいたしました上で、各般の措置をとつてまいつたのでありますが、まず第一に終戰の大詔を徹底させるという手段をとる必要がある。また政府なりあるいは外務大臣のメツセージを現地に徹底するような措置を講ずる。あるいは終戰に關する情報を終戰連絡事務局において編修いたしまして、これを現地に徹底するような方法を講ずる。これらの措置に關しましては、終戰後いち早く政府において措置をとつたのでございます。政府あるいは東郷當時の外務大臣のメツセージ等は、スエーデン政府。現地における官憲を通じまして、在留邦人の各團體の代表者に對しましては、これが嚴肅かつ正確に傳えられておるのであります。また終戰の大詔は、その後われわれが入手いたしました印刷物等によりますと、これも確かに現地に印刷して傳えられております。但しその印刷物は、これは神道連盟派のつくつたとおぼしき印刷物を見ますと、終戰の大詔というものは出ておるけれども、これはうそである、これはたれかが勅命をいつわつてこういうことを言つておるのだから、これを信じてはいけないという佳釋がつくられて流布されておるというので、逆效果に終るおそれもあつたのであります。とにかく終戰の大詔というものは現地の居留民の間に傳わつておつたということは確實であると私は考えておるのであります。またラジオ放送によりまして、現地に對して日本の原状あるいは日本の官民の今とつておる態度というふうなことを徹底させる手段、あるいはその後の情況を映畫によつて現地に傳える、そういうふうなことも考案いたしまして、これもスエーデンの官憲と協力いたしまして大いに企畫したのでございます。しかしながら先ほど申しましたように直接日本からブラジルの現地へ通達することができません。スエーデンなりあるいはスエーデンを通ずる前に、嚴密に申しますとG・H・Qを通じなければなりませんので、その方面との折衝も實は必要であつた次第であります。ただいまのところ、ブラジルの國内放送として放送するような録音板を作製いたしまして、これの送付等を取りはからつた次第でございます。また印刷物に關しましては、朝日新聞であるとか毎日新聞であるとか。代表的な新聞をその當時からずつとナンバーをそろえて現地に送つたり、あるいは雜誌、終戰後に出た印刷物の正確なものを送ることにつきましても、これの計畫を進めておつたのでございます。そういう手段をとつてまいりますと同時に、先ほどの御朗讀の手紙の中にサゼストされておりますように日本におりまする在留邦人の家族から直接御本人等に對して日本の原状はこうであるということ懇々と言つてやつていただきたい。そういう趣旨をもちまして、必要なものに關しまして、國内ラヂオ放送あるいは廣告、新聞記事等を通じまして、日本の國内に散在しております在伯邦人の家族の方々に對しまして、外務省といたしましては呼びかけて、手紙を極力現地へ出していただく。これはすでに昨年の暮あたりから相當實施されておりまして、昨年以來本年の七月、千十五通に達しますまで現にすでに毎日通信の發送が行われております。月々大體千通ないし二千通に及ぶような家族からの手紙が現地にまいつておる次第でございます。最近にいたりましては、特にまたいろいろな外地に根據をもつておりますところの移住組合その他の機構網を通じまして、さらに組織的に各縣にわたりそういう措置をとるために、實は豫算をも考慮いたしておるような次第でございまして、その點につきましては、國内の家族から敗戰後の現實を在伯邦人に對して通報する、という手段に對しましては、著々と措置が進んでおると御承知願いたいのであります。なお今後もさらにこれを強化して處置してまいりたいと存じております。それからこの家族からの通信に對しまして先方からいろいろな通信がまた返事としてやつてまいるのであります。これも逐次増加の一途をたどつておりまして、これによりまして現地の状態その他が刻々とわかるようになつて來ているのであります。なお最後にブラジル政府ないしはブラジルのサンパウロ州政府が非常に困つておられるに違いないから、この際日本側から敗戰後の現状をとくと在留邦人に傳えて自重を要望する、最も信頼のある日本のどなたかに行つていただいて、現地でもつて在留邦人に對しまして慰撫もし、また説得もする、そして腰を落著けて仕事をしてもらう、そういう措置をとりたいと存じまして、これもスエーデンの官憲と協議の上、ぜひ日本側としてはブラジル政府ないしはブラジルの關係州政府のお手傳いの意味において、そういう使者を出すということが許されるならば出したい、そういう考えをもちまして折衝を續けて來ているのであります。これに對しましては最近に至りましてG・H・Qを通じまして、ブラジル政府からの返答をいただいたのでありますが、それによりますと、その申出ははなはだ感謝にたえない。しかしながら事態はその後靜謐を保ちつつある。だんだん靜かになつて來ているし、ブラジルの連邦政府ないしは關係の州政府において、日本側の使者の助けを借らずとも何とか處置していき得るような状態になつてきておるからさしあたりはそういう考えを實行に移さなくても濟む。實はこういうふうな返事をもらつている次第でございます。しかしながらわれわれといたしましては、この事件の成行きに關しまして、今後ともこの推移いかんによりましては、さらに有效なる措置をとろうと思いまして、實はその成行きをただいま注意しているような次第でございます。
 以上をもつて大體政府のとりましたないしは、とりつつある措置の御報告を終えた次第でございますが、先ほどのお手紙の中に在留民の九割でございましたか、九割五分が臣道連盟派であつて、殘餘の一部が認識派であるということがございましたが、その後事態は大分變つてまいりまして、なるほど事件の勃發當初におきましては、在留邦人の大體九割近くが臣道連盟的な考えをもつておつたと想像されるのであるます。その後政府のとりました措置、その他いろいろな措置がきいてまいつたと思われるのでありますが、大體六割くらいが依然としてまだ臣道連盟的な考えを拂拭しきれずにいるのではないかと思われますが、殘餘の者は事態の認識を得てきているように觀測されるのであります。なお本件につきましては、外交委員會において御心配願いましたことにつきまして、われわれどもといたしましても厚く御禮申し上げる次第でございます。殊に成行を注目いたしておる次第でございまして、今後情勢の推移に伴いまして、随時また本委員會に御報告申し上げたいと存ずる次第であります。
#18
○安東委員長 御質問はありませんか。
 それではこれをもつて散會いたします。
    午後零時八分散會
ソース: 国立国会図書館
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