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1965/10/11 第50回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第050回国会 本会議 第2号
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1965/10/11 第50回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第050回国会 本会議 第2号

#1
第050回国会 本会議 第2号
昭和四十年十月十一日(月曜日)
    ―――――――――――――
   開 会 式
午前十時五十八分 参議院議長、衆議院参議院の副議長、常任委員長、議員、内閣総理大臣その他の国務大臣及び最高裁判所長官は、式場である参議院議場に入り、所定の位置に着いた。
午前十一時 天皇陛下は、衆議院議長の前行で式場に入られ、お席に着かれた。
衆議院議長は、左の式辞を述べた。
    …………………………………
  天皇陛下の御臨席をいただき、第五十回国会の開会式をあげるにあたり、衆議院及び参議院を代表して、式辞を申し述べます。
  現下内外の諸情勢にかんがみ、われわれは、政治、外交、経済の各般にわたり、当面する諸問題に対処して、適切な施策を推進し、もっていつそう国運の繁栄を図らなければなりません。
  ここに開会式を行なうにあたり、われわれに負荷された使命達成のために最善をつくし、もつて国民の委託にこたえようとするものであります。
    …………………………………
次いで、天皇陛下から左のおことばを賜わった
    …………………………………
  本日、第五十回国会の開会式に臨み、全国民を代表する諸君と親しく一堂に会することは、わたくしの喜びとするところであります。
  現下の国際情勢は、まことに重大でありますが、この間に処して、わが国が、ますます各国との友好を深め、世界の平和に貢献していることは、諸君とともに喜びに堪えません。
  また、全国民が相協力して、経済の発展と民生の安定のために、不断の努力を続けていることは、深く多とするところであります。
  しかしながら、内外の諸情勢に対処して、国運を繁栄に導き、世界の信頼を高めてゆくためには、今後いっそうの努力を要することと思います。
  ここに、国会が、国権の最高機関として、その使命を遺憾なく果たし、国民の信託にこたえることを切に希望します。
    …………………………………
衆議院議長は、おことば書をお受けした。
午前十一時五分 天皇陛下は、参議院議長の前行で式場を出られた。
次いで、一同は式場を出た。
   午前十一時六分式を終わる
    ――――◇―――――
昭和四十年十月十一日(月曜日)
 議事日程 第二号
  昭和四十年十月十一日
    午後二時開議
  故議員高橋等君に対する追悼演説
  故議員池田勇人君に対する追悼演説
    …………………………………
 第一 公正取引委員会委員長任命につき事後承
  認を求めるの件
 第二 国家公安委員会委員任命につき事後承認
  を求めるの件
 第三 運輸審議会委員任命につき事後承認を求
  めるの件
 第四 労働保険審査会委員任命につき事後承認
  を求めるの件
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 内海清君の故議員高橋等君に対する追悼演説
 和田博雄君の故議員池田勇人君に対する追悼演
  説
 災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特
  別委員会を設置するの件(議長発議)
 日程第一 公正取引委員会委員長任命につき事
  後承認を求めるの件
 日程第二 国家公安委員会委員任命につき事後
  承認を求めるの件
 日程第三 運輸審議会委員任命につき事後承認
  を求めるの件
 日程第四 労働保険審査会委員任命につき事後
  承認を求めるの件
    午後二時六分開議
#2
○議長(船田中君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(船田中君) 御報告いたすことがあります。
 議員高橋等君は、去る八月十日逝去せられました。
 議員池田勇人君は、去る八月十三日逝去せられました。
 まことに哀悼痛惜の至りにたえません。
 高橋等君に対する弔詞は、去る八月十二日、池田勇人君に対する弔詞は、去る八月十七日、議長においてそれぞれ贈呈いたしました。これを朗読いたします。
     ――――◇―――――
 内海清君の故議員高橋等君に対する追悼演説
 和田博雄君の故議員池田勇人君に対する追悼演説
#4
○議長(船田中君) この際、弔意を表するため、内海清君及び和田博雄君から、それぞれ発言を求められております。順次これを許します。内海清君。
  〔内海清君登壇〕
#5
○内海清君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員高橋等君は、去る八月十日、病のため、関東逓信病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。
 私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 高橋君は、明治三十六年三月、広島県福山市にお生まれになりました。父君は、医師として広くその徳を慕われ、かつて県会議員もつとめられた名望家でありました。そのすぐれた資質を受けられた君は、長じて福山の誠之館中学から第六高等学校を経て、東京帝国大学法学部に進まれました。昭和二年、同校を卒業するとともに逓信省に入り、熊本鉄道郵便局長をはじめ、本省の各課長、軍需省大阪地方燃料局長等を歴任し、その間、剛直の士としてその存在は注目を引いたのであります。しかしながら、わが国運の変転に際会して、官途にとどまることをいさぎよしとせず、昭和二十一年、商工省中国地方商工局部長を最後として退官されました。
 その後二年余、戦後の混乱期において庶民の苦難に満ちた生活をつぶさに体験された君は、庶民の心を心とした血の通う政治を具現することを念願して、昭和二十四年一月の第二十四回衆議院議員総選挙に広島県第三区から出馬し、みごと当選の栄を獲得されました。以来、本院議員に当選すること前後六回、在職十六年一カ月に及んでおります。
 高橋君は、本院に議席を得るや、当時の状況のもとでは問題として取り上げることさえ幾多の制約を伴った戦争犠牲者の援護に率先して取り組み、第十回国会の昭和二十六年三月三十一日には、本議場において、遺族戦傷病者及び留守家族対策に関する決議案の趣旨弁明に立ち、切々と実情を訴えて、その対策樹立の急務なることを説かれたのであります。(拍手)さらに、君は、厚生委員会の遺家族傷い者等の援護に関する小委員長、戦争犠牲者補償に関する小委員長、あるいは海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会の遺家族援護に関する調査小委員長として活躍されました。大戦の傷あとを一日も早く取り除き、国民がひとしく平和の恵沢を享受する環境をつくり出すことこそ、戦後の国政に携わる者の至上の責務であるとの信念のもとに、これが解決にこん身の努力を傾けられたのでありました。まさに、高橋君は、わが国政の上に遺家族援護対策を前向きの姿勢で取り上げた最初の人といっても過言ではありません。(拍手)
 越えて昭和三十年の第二十二回国会においては、恩給法の改正を手がけ、みずから提案者となってその成立に力を尽くし、全国関係者の期待にこたえられたのでありました。その後、内閣委員会にあっても、終始一貫この問題に取り組んで奮闘を続け、ますます君の真価を知らしめるに至ったのでありました。
 また、多くの離島をかかえた県内に人となった君は、離島の文化、衛生、経済等の改善充実に強い熱意を持って当たり、長年にわたって離島振興対策審議会委員として特段の努力をされました。
 君は、すぐれた政策マンとして、これらの分野にとどまらず、各般にわたる国政の審議に著しい寄与をいたされたのであります。
 しかも、政策面のみならず、さらに君が国会運営に示された手腕、力量もまた、われわれの忘れ得ないところであります。昭和三十五年に、世情不安のさなかにおいて、話し合いを尊重することを重点の一つとして取り上げた池田総裁のもとにあって国会対策副委員長の要職につき、四年間にわたりひたすら国会の正常にして円滑な運営につとめてこられました。君の真摯にしてかつ率直な態度と献身的な努力は、話し合いによる議会運営を推し進めるのにあずかって著しいものがありました。(拍手)
 君は、さきに、石橋内閣、第一次岸内閣の防衛政務次官につかれましたが、第三次池田内閣においては、昭和三十九年七月、嘱望されて法務大臣にあげられ、佐藤内閣成立後も引き続きその重任に当たられました。この間、かねて暴力の絶滅と非行青少年の善導に強い関心を寄せていた君は、文字どおり日夜を分かたず惜しみない努力を払われて、国民の要望にこたえられました。
 かくて、君が国政の上に残された功績はまことに偉大なものといわなければなりません。(拍手)
 思うに、高橋君は、人一倍責任感の強い、まことに実直な方でありました。事を処するに信念を曲げず、毀誉褒貶を顧みず、粘り強く徹底的にやり抜くという方でありました。遺家族援護問題に政治生命をかけたいちずさも、国会対策副委員長として示した比類のない精励ぶりも、このようなお人柄のゆえでありまして、同僚議員がひとしく党派を越えて敬服するところでありました。(拍手)
 また、君は、辺幅を飾らず、清廉潔白にして、きわめて情義に厚い方でありました。その風貌とともに、行動もまた野人的なものがありましたが、君に接する者だれしもが離れがたい愛着を覚え、信頼を寄せ、敬慕してやまなかったのは、けだし当然のことであります。
 高橋君は、長年にわたるたゆみない御活躍が災いしてか、今春病を得て入院のやむなきに至りました。その後、政治家としての重責を果たすために、治療に専念することをいさぎよしとせず、七月の末には、周囲のすすめをも辞して退院され、去る第四十九回臨時国会に登院されたのでありますが、不幸にも、病再びあらたまり、ついに御本復を見るに至らなかったのであります。お年、ようやく六十二歳、今後ますます本領を発揮して存分に活躍されることが期待されていたのでありまして、まことに痛恨限りないものを覚える次第であります。(拍手)
 現下、わが国は、内治に外交に、きわめて重要な問題が山積し、わが国会の審議がいよいよ活発になろうとするとき、君のような積極的な行動力を持つ練達の士を失いましたことは、本院にとっても、国家にとっても、大きな損失でありまして、痛惜の念いよいよ切なるものがあります。(拍手)
 ここに、高橋君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたします。(拍手)
    ―――――――――――――
#6
○議長(船田中君) 和田博雄君。
  〔和田博雄君登壇〕
#7
○和田博雄君 ただいま議長から御報告のありましたとおり、本院議員池田勇人君は、去る八月十三日、東大付属病院において逝去されました。まことに痛惜の念にたえません。
 ここに、私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼のことばを申し述べたいと存じます。(拍手)
 池田君は、明治三十二年十二月、広島県竹原市の酒づくりを営む旧家に生まれ、長じて忠海中学から第五高等学校を経て、京都帝国大業法学部に進み、大正十四年に卒業し、大蔵省に勤務されました。
 しかし、間もなく、君は天疱瘡という難病をわずらい、医師からも見放されて、数年にわたる闘病生活を余儀なくされたのでありましたが、御家族の献身的な看護と君の不屈の精神力によって、奇跡的に回復を見るに至りました。社会への出発にあたって遭遇したこの試練を乗り越えた体験は、その後の君の人間形成に大きな影響を与えたのであります。(拍手)
 病気回復後は、君は主として主税の分野において活躍され、東京財務局長、主税局長を経て、昭和二十二年には、石橋大蔵大臣のもとで次官に就任されました。この間、多忙の中にも研さんを怠らず、税務についての多数の著書を公にしておられます。
 昭和二十三年、君は、政界に志して次官を退き、翌二十四年一月の第二十四回衆議院議員総選挙に広島県第二区から立候補し、みごと最高点をもって当選され、政治家としての第一歩を踏み出されたのであります。
 本院に議席を得るや、君は、吉田茂氏の知遇を受けるところとなり、昭和二十四年二月、第三次吉田内閣の成立に際し、大蔵大臣に抜てきされ、さらに通商産業大臣をも兼ねることになりました。時あたかも日本経済は戦後四年に及ぶインフレの渦中にあり、国民生活は破綻のふちに直面しておりました。インフレの収束こそ何よりも喫緊の課題であったのであります。この事態に対処して、いわゆるドッジ・ラインが打ち出され、君はその施策の推進に当たることとなりました。各方面からの批判もありましたが、君はき然として事に当たり、ついによくインフレを収束して、国家財政の基礎を固め、国民生活の安定をはかられたのであります。(拍手)
 引き続いて、第四次吉田内閣の通商産業大臣、経済審議庁長官、石橋内閣の大蔵大臣、第一次岸内閣の大蔵大臣、第二次岸内閣の国務大臣、第三次岸内閣の通商産業大臣を歴任し、常に指導的立場にあって、わが国戦後の財政経済の立て直しと、強化、発展に心魂を傾けられました。
 この間、昭和二十六年九月には、サンフランシスコで行なわれた講和会議に全権委員として派遣され、吉田首相を助けて平和条約の調印に参加しました。また、自衛隊の大幅な増強についてのアメリカ側の強い要請を退け、国の安全は武力によってではなく、国民生活の向上によってこそ達成すべきであると一貫して主張し、これを実行することにつとめられたのであります。(拍手)
 池田君が内閣総理大臣の重責を帯びたのは、昭和三十五年七月のことであり、日米安全保障条約の改定をめぐって政局は混迷をたどり、世上また騒然としていたときでありました。君は、政治の基本的姿勢として、寛容と忍耐を唱え、国会の運営を、話し合いによる議会政治本来の姿に返すべく積極的な努力を続け、政局の混迷を断ち切り、人心の安定を回復されたのであります。(拍手)終始一貫この政治姿勢を堅持し、国民生活の中に民主主義を定着せしめることを最終目標として努力されました。
 また、所得倍増計画、高度経済成長政策を掲げ、積極財政を打ち出して日本経済の持つエネルギーを十二分に発掘させ、国民に大きな自信を植えつけました。(拍手)その結果、日本の経済力は著しく躍進し、目ざましい繁栄を実現させることができたのであります。(拍手)
 国際政治の面においても経済を中心とする外交を強力に進め、わが国の国際的地位の向上に大いなる寄与をされたのであります。
 君は、経済合理主義の基礎の上に政治と経済を密着させ、新しい政治の世界を築かれたのでありまして、まさに新しい型の政治家と申すべく、君が打ち出した一連の積極的かつ独創的な施策は、わが政治史に輝かしい一ページを加えたものと申せましょう。(拍手)
 かくして、本院議員に連続して当選すること七回、在職十六年七ヵ月にわたり、その間、内閣を組織すること三たび、四年有余に及び、わが国政の進展に、また、議会民主主義の確立に残された功績はまことに偉大なものがあります。(拍手)
 思うに、池田君は、一面剛毅な性格で、人一倍気骨のある信念の人でありました。いかなる困難にも屈することなく、また、常に比類のない努力を傾注してみずからを高め、信ずる道を邁進されたのであります。あまりの率直さのゆえに、ときには蹉跌することもありましたが、近年年を追うて円熟の境地に達し、われわれは、君の透徹した洞察力と卓越した識見に心から敬意を表していたのであります。
 他面、君はまれに見る誠実でりちぎな人情味豊かな人柄でありました。首相に就任後は、ささやかな楽しみといえども、一度やめると誓った以上は在任中それを守り通されたのでありまして、これこそ重責をになう上の自戒の念と、国民大衆のために真剣に政治を行なわんとする厳粛な気持ちのあらわれにほかならないと存ずるのであります。(拍手)
 かつて、バチカンに法王ヨハネス二十三世を訪れた際に、「金銀よりも石を好む」と答えたということであります。素朴な石を愛することに政治の理念を求められたと思われる池田君の心境には、ごうまつのうそ偽りもなかったのであります。国民大衆と親しく接することを旨として政治をするというきびしい心がまえがあったからこそ、国民から絶大な信頼と人気を博することができたのであります。(拍手)人間池田のすぐれた人柄がいまさらのようにしのばれるのであります。
 昨年の秋、突然がんセンターに入院された君は、十一月には、東京オリンピックのフィナーレとともに静かに政権の座を去っていかれました。国民は、ひとしく君のいさぎよい決意に賛辞を贈るとともに、言いようのないさびしさを覚えたものであります。(拍手)
 その後、君が静養を続けながら、石を愛し、仏像に親しみ、絵画を楽しむほどに元気になられたとの報に接し、われわれは、末長く政界の重鎮として、日本の政治を見守り続けられることを心から期待していたのであります。君もまた、われわれの願いにこたえるかのように、この病のことを、自分をなお一そう人に好かれるようにするという神のおぼしめしであると信じ、病気がなおったからには、我を張ることをやめて、お世話になった皆さんに奉仕の生活をしていくのが自分に課せられた仕事であると言い、常に三思三省を怠らず、高度成長のあとにきたひずみの是正に日夜思いをはせるなど、わが国の将来をおもんぱかっておられたのであります。
 去る七月、君は神仏の加護を祈りつつ再び入院されましたが、かつて青年時代に難病から立ち直られた君にも、奇跡は再び訪れず、国民から愛され、信頼された政治家池田勇人君は、ついに六十五年の生涯を閉じ、永遠に去っていかれました。まことに惜しみても余りあるものがあります。(拍手)
 寛容と忍耐を唱道して、真の民主主義の探求と実践にあくなき意欲を燃え立たせた君、いまやなし。津々浦々の国民は、国家多事のときに際会して、はかり知れない損失をまざまざと感じております。
 ここに、つつしんで池田君の生前の功績をたたえ、その人となりをしのび、心から御冥福をお祈りして、追悼のことばといたします。(拍手)
     ――――◇―――――
 災害対策を樹立するため委員四十人よりなる特別委員会を設置するの件(議長発議)
#8
○議長(船田中君) 特別委員会の設置につきおはかりいたします。
 災害対策を樹立するため委員四十名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(船田中君) 御異議なしと認めます。よって、そのとおり決しました。
 ただいま議決せられました特別委員会の委員は追って指名いたします。
     ――――◇―――――
 日程第一 公正取引委員会委員長任命につき事後承認を求めるの件
 日程第二 国家公安委員会委員任命につき事後承認を求めるの件
 日程第三 運輸審議会委員任命につき事後承認を求めるの件
 日程第四 労働保険審査会委員任命につき事後承認を求めるの件
#10
○議長(船田中君) 日程第一ないし第四につきおはかりいたします。
 内閣から、公正取引委員会委員長に北島武雄君を、国家公安委員会委員に藤井丙午君を、運輸審議会委員に佐野廣君、長井實行君を、労働保険審査会委員に谷野せつ君を任命したので、それぞれその事後の承認を得たいとの申し出があります。右申し出のとおり決するに賛成の諸君の起立を求めます。
  〔賛成者起立〕
#11
○議長(船田中君) 起立多数。よって、いずれもそのとおり決しました。
     ――――◇―――――
#12
○議長(船田中君) 本日は、これにて散会いたします。
   午後二時三十六分散会
     ――――◇―――――
 出席政府委員
        内閣官房長官 橋本登美三郎君
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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