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1964/12/04 第47回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第047回国会 文教委員会 第2号
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1964/12/04 第47回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第047回国会 文教委員会 第2号

#1
第047回国会 文教委員会 第2号
昭和三十九年十二月四日(金曜日)
   午前十時五十八分開議
 出席委員
   委員長 久野 忠治君
   理事 上村千一郎君 理事 南  好雄君
   理事 山中 吾郎君
      大石 武一君    加藤 精三君
      木村 武雄君    熊谷 義雄君
      床次 徳二君    橋本龍太郎君
      松山千恵子君    八木 徹雄君
      落合 寛茂君    小林  進君
      長谷川正三君    鈴木  一君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 愛知 揆一君
 出席政府委員
        文部政務次官  押谷 富三君
        文部事務官
        (大臣官房長) 西田  剛君
 委員外の出席者
        文部事務官
        (調査局長)  天城  勲君
        専  門  員 田中  彰君
    ―――――――――――――
十二月四日
 委員原田憲君及び前田榮之助君辞任につき、そ
 の補欠として八木徹雄君及び小林進君が議長の
 指名で委員に選任された。
同日
 委員八木徹雄君及び小林進君辞任につき、その
 補欠として原田憲君及び前田榮之助君が議長の
 指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○久野委員長 これより会議を開きます。
 文教行政の基本施策に関する件について調査を進めます。質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君。
#3
○山中(吾)委員 きょうも予算委員会があるので時間の制限があるようでありますが、一言今後の問題として大臣に聞いておいていただきたいと思います。
 文教委員会に出られない時期ということであるいは時間が少なければ、こちらから予算委員会に出頭して文教問題を質問しなければならなくなるので、向こうへ行きますとやはり質問も少し誇張するものですから、できるだけこちらへ時間を多くとって来ていただくように、今後とも、通常国会も引き続いてあるものですから、お考え願っておきたいと思います。そうでなければ向こうへ行くことになります。
 きょうは、学力テストの問題、それから高校全入の問題と、それから限度政令の問題、三つ、短時間に質問いたしますから、要点を要領よく大臣から基本的に考え方をお答え願って、次の機会にその問題をさらに建設的に発展したいと思うのです。
 学力テストの問題でありますが、この点については御承知のように全国的にいろいろ問題が起こってきております。そこで端的にお聞きいたします。いままでの学力テストの実施について弊害をお認めになっているかどうか、それをまずお聞きしたいと思います。
#4
○愛知国務大臣 いろいろの論議がありましたことは、私も就任前にも常識的に承知しておりましたが、さらに文部省に参りましてから、学力テストの問題については世間での大きな問題でもございましたから、できるだけ自分としても勉強してみました。そして相当の効果があげ得たと思いましたが、同時にいろいろやり方や方法等についても今後また新しく考え直したほうがいいと思う点もございましたから、御承知のような何といいますか、変更をいたしたわけでございます。
#5
○山中(吾)委員 変更について御方針を立てられたということは、弊害があるということを率直にお認めになったと思うのですが、いまの御答弁の中で相当の効果をあげたというおことばがあったわけなんです。
 そこで、当初この学力テストの目的はどういう目的でやったか大体お知りなのですか。それに基づいて、その目的というものに応じて効果があったというのでないと、学力テストの目的をお知りにならないで効果があったというのではおかしいわけで、その当初の学力テスト実施の目的と関連して簡単に御説明願いたい。
#6
○愛知国務大臣 一言で申しますと、全国で小中学校の学力調査をいたしましたその目的としては、教育課程に関する方策を樹立したい、それから学習指導の改善に役立てる資料を得たい、こういう目的で始められたものと理解いたしております。
#7
○山中(吾)委員 その点からどういうように有効に実施されたかというと、私は少しも有効に実施されていないと思っているのです。教育条件の改善、それから学習指導の改善ということなんですけれども、教育条件の改善は一斉学力テストの結果何をされてきたのか。文部省の発表によりますと、都市から僻地に至るほどだんだん成績が悪い。そうすると僻地におる教員の素質が低い、設備、施設の条件が悪い、あるいは経済貧困からきておるわけですから、それに基づいて対策というものが出てこなければならないと私は思うのです。そういうふうな点からいって、私は、学力テストが有効に実施されたということは、その目的に照らしてわからないわけなんです。そして一方に、逆に競争心をそそるということだけが有効に行なわれてきた。それで学習指導その他の参考にするというなら、何らの準備をやらさないで、いわゆる晴れ着でなくてふだん着でその学校ごとにおいて自然にテストをしなければその結果は出ないわけなんです。準備教育をする、学力テストのためにその学力テストをやる教科だけを特に重点に教えるとか、そういう目的に反する方向にばかり進んでいっている。有効に目的に照らして実施をされたということは文部省のメンツとしてそう言わないと困るから言っているのだというのならわかるのですが、実際上ないと私は思うのです。その点はいかがですか、事務当局からどういうふうに話をされているか……。
#8
○愛知国務大臣 先ほど申しましたように、この問題につきましてはいろいろの見方も御批評もあったことは私も知っておりますけれども、なるべく簡単にということでございますが、先ほど申しましたように、大目的としては教育課程、学習指導の改善ということを目標にしたわけでございます。その中で、たとえば学力調査の結果について報告書は全部公表いたしておるわけでございますから、よく御承知のとおりのことでありますけれども、たとえば各教科別に見て、学力の到達度について学力の実態や学習指導上留意しなければならないというような点を具体的にその報告書の中では示しておるはずでございますが、これが学習指導の改善に役立ったということが言えると思います。それから学力の弱点があったような点が見受けられたものについては、指導書を作成して弱点を補うようにいたしたいというようなことも、結果を利用した効果の一つではなかろうかと思います。
 それから、これも御案内のように、昭和三十七年度からと思いますけれども、小学校、中学校の教育課程の研究集会というものを持つようになりました。そして研究発表会におきまして具体的に研究問題の決定や、研究資料として学力調査の結果をそういう際に大いに活用した。また、この結果を分析いたしまして、将来学習指導要領を改定する際の資料に役立てるように研究の材料に採用したというような点も効果の一つであろうかと思います。
 そのほか、文部省として見ておりますと、相当の効果があったように考えるわけでありますけれども、一応こうした目的が達成されたようにも思いますので、メンツ云々というようなお話もございましたが、そういうことは別といたしまして、改善すべきところは大幅に改善したいということで今後のやり方を変えましたことは御承知のとおりでございます。
#9
○山中(吾)委員 お聞きだけいたしておきます。事務当局からの報告を受けてお答えになったのですから、その後実際にどういうふうに文教行政が出てくるか、照らし合わせながら通常国会を含んでいまの大臣のお答えが事実に合っておるかどうかをその後で吟味さしていただくことにして、聞くだけにいたしておきます。
 そこで、そういう目的をやるためには地方において特別にテストのために準備教育をやらすというようなことは、やれば実態がわからなくなる、準備教育はやらすべきでないという指導を含んでこれを文部省が実施せしめる必要があると思うのですが、この点は間違いないでしょうね。いかがです。
#10
○愛知国務大臣 そもそもこのために準備教育というようなことは要らない、またしてはいけない、その必要はないということで学力調査をやるというのがたてまえであります。で、ことに今後希望調査と申しますかのやり方につきましては特にその点に留意いたしたいと思っておりますが、結局どういう問題を選ぶかということにこれは関連すると思います。したがって、特別の準備を必要とするような問題を出さないように問題の出し方をできるだけ慎重にやるということにしておりますので、各学校においてもこのために特別の準備をするとか、あるいはその成績のコンクールをやるとかというようなことは学力調査の趣旨に反するものである、かように考えております。
#11
○山中(吾)委員 今後の問題ですから、私は実際の例を引きながら、厳重に大臣は事務当局あるいは地方教育委員会を御指導願いたい。私愛媛県に社会党の視察団長として行ってきたのです。そしていろいろと誇張されたようなうわさが出ておるから、実際に母親を呼んで聞いたのです。そういうのと同じことなんですが、これは間違いない、私直接聞いたのですから。そうすると、母親のほうは、学力テストが始まる一カ月前からは毎日のようにテスト教科を模擬試験をやる、子供がいやだいやだとうちへ帰ってきて言う、ほかの教科はやらないで、文部省の要求しておる教科課程というのは無視されて準備教育をしておる。これも事実なんですね。それから先生が、一方で教育行政のほうでいい成績をあげるという奨励政策をとるために、気の小さい、またある意味において正直な純情な先生だと私は思うのですが、成績をあげなければならぬというので、問題をそれとなしに教えてまでやっておる。教師というものの本来の教育本質を忘れて、そこまで追い詰められ、あるいはかり立てられてきておる。これも事実なんですね。それとなしに教える。そしてそのほかに、私は十人くらいの人に聞いたんですが、これは母親が子供から聞いたことなんですから、子供は正直ですから大体のとおり言うと思うのです。そのときに私は先生も責めるわけにいかない。追い立てられておるわけです。そして栄転をするという、勤評と結びつけられてしまっていますし、これは教育上おかしいと思いながらやるのです。女の先生が多いわけです。そういうふうなのが愛媛の実態である。ある程度誇張するしないにかかわらず、事実は大体間違いないのです。そういうところに、これは三十九年十一月六日の愛媛新聞ですが、福田初中局長が向こうへ行って、そして愛媛県は、この新聞の記事を見ますと、小学校六年は香川県を抜いて待望の全国一位という成績をおさめたとか、五年も昨年同様二位の座を確保しておる、中学もこれこれだといって、そして毎年愛媛県の学力が向上していることはことしの大会の模様を見てもすぐわかった、また特にことしの学力調査の成績はすばらしかったといって、えらい競争心をそそるような談話を局長が発表しておるわけなんです。それが向こうの地方のNHKとか写真を写しながらそういうものが出ておる。しかも文部省の責任者がそういう地方に行って、また一番競争心が強くて、二位になって弊害までつくっておるところへ、そこまで行くということは、私からいえば常識はずれで、ちょっと想像がつかなかった。そこで愛媛県の新聞記者の人に聞いてみると、それは事実だと言われるのです。こういうことから考えて、どこか文部省の指導が心理の錯倒をしてしまっているのじゃないか。学力テストが一つの政党の中に入って、ある程度政治化した。政治化したけれども、文部行政の指導だけはその目的に沿うて、準備教育はしてはいけないとかいうことを指導すべきであるのに、現職局長がそういう一番問題のあるところに行って、むしろ成績優秀なことを鼓吹してきているということはどういうことなんです。私はそこに一たん行って帰ったあとですから、なお関心が深いわけなんです。これが事実です。いま局長がいないから何ですが、そういうことまで文部当局が心理の錯倒をされるとはとんでもないことだ。政争の争いはあっても、少なくとも指導だけはまっすぐしてくれなければ困る。教育不存在ということばが学力テスト体制の中にあるという批判をされておるときなんですが、それは私は意地悪して言えばほんとうは責任問題だと思うのですよ。それは私は言いません。言わないのですが、そういう点について認識をして御指導願いたいということを申し上げておきたいと思う。あとで局長に聞いてみてください。ほんとうはけしからぬと思うのです。次に、これはお答え要りません。荒木文部大臣のときに学力テストを実施する場合、文教政策の立場で私は質問をしたことがあります。それは、生徒、児童を一斉にテストをするのは、アメリカの国防教育法のように科学的天才を小中学校時代に発見をするというならば、そういう目的ならば全児童、生徒にしなければわからないのですね。ところが指導要領の改善とか教育条件の改善というならば、都市部の学校あるいは農山村の学校、漁村の学校というものを一割とか二割とか抽出して、そして学校の類型に応じてテストをしなければかえって目的がわからなくなるのじゃないか。こういう条件の差とかを考えて二〇%ぐらいの抽出をして、そういうやり方をすることが、いわゆるどこの大学の先生に聞いても調査学の常識なんですね。いまのような目的のためにやるならば、全部の生徒を個別に試験をするなんという方法はない。もし全部一斉にやるというならば、アメリカのようにあるいは英国のように、小さいときの個々の生徒の職業指導の資料にするとか、それから天才的な科学的才能を発見するとかいうことならば、全部をやらなければ出てこない。目的と実施の方法が違うのじゃないか。文書に書いてある目的と隠れた目的とあるんじゃないか。その当時ちょうど経済成長政策のときで、科学技術者が足らない、それからソ連、中国、アメリカあたりで、人工衛星で原子力科学がどんどん進むので、そういう方向の人間を養成しなければならぬという一つのムードがあって、各国でそういう才能を発見するというので、一斉調査というテストによる調査というものが出てきたことはわかる。それならば、目的がそうなら私は賛成すると言っている。いまのような条件で全部やるというのはおかしいじゃないか、はっきりしなさいということを言ったのですが、それを荒木文部大臣は理解をしないで、調査というものは人数が多いほどいいと思うので全部やるということを言っているのです。そんなものは調査学の常識からいって的はずれなわけなんです。最初から私は失敗するということを申し上げておったのです。そこで本来の文部省の目的ならば、今度新たな二〇%抽出テストというのは、金も要らないし弊害もつくらないし、目的は十分に果たせる――調査局長に聞いてもわかるのですが、果たせるはずなんです。最初から私はどこか調査目的と方法の中にずれがあって、間違いがあった、隠れた目的があったのだと思っているのです。そういう経過の中で現在の段階にきておると思うので、その点は文部大臣も、こういう子供のテストで劣等感、優越感をつくるという弊害が出ることは明らかなんですから、メンツとかいうことを離れて、本来の姿の中に立ってこのテスト問題を前向きに善処しなければならない。いま申し上げたように理解をして善処いただきたいと思うのです。御意見だけをお聞きしておきたいと思います。
#12
○愛知国務大臣 先ほど来申し上げておりますように、私も文部省にまいりましてから、この学力テストの問題につきましては私なりに相当勉強さしていただいたつもりでございます。そして省内におきましても、十分外部からのいろいろの御批評なども取り入れて、冷静に客観的にこの問題に対処したい、こう考えまして、ただいま御指摘がございました御意見にあるいは必ずしもぴったりしないかもしれませんけれども、私どもとしてはこの際最善と思われる方法をとって、悉皆調査というようなことをやめまして、抽出調査、それから希望調査というようなことに切りかえたわけでございます。
 それから問題の出し方等につきましても、十分新しい角度に立ってますますもって準備教育などが要らないように、それからその結果がコンクール的にならないように、これらの点についても十二分に戒心していこう、こういう決意をいたしまして、やり方を改めたつもりでございます。
#13
○山中(吾)委員 学力テストは、私結論的にいま一回だけ申し上げて終わりにしたいと思うのですが、最初にそういう目的と方法に、文部省のほうにあやまちがある、確かにあるのです。だれが発案したか知らないけれども、ああいうのを、目的と方法を見ると全部賛成するはずはない。そして一方に非常な犠牲がある。岩手の場合には教師たちが七百か八百名くらい処分になっている。それは単に組合運動というだけでなしに、それだけ反対できるのは、やはり先生は現場の僻地その他の中において、こんなことでテストなんぞされたらたまったものじゃない、子供のことを考えて、そういうものがあるからこそ、組合運動として指導があっても、ああいう反対が出るわけだ、私は岩手自身を知っておりますから、そう見ておるのです。そして処分、犠牲が出て、非常に教育界がマイナスになっている。愛媛の場合でも、人間形成の立場からいったらマイナスが非常に多い。一番学力テストの成績の悪い地域といっても、人物からいったら岩手はうんと出ている。一番二番の地域から雄大なる人物が出るか、私はこういうものは関係ないと思うのです。そこにも文教政策の間違いがあると思うのです。これは今後の問題にして、そういう地方の学力テストから来た紛争問題は、すみやかに前向きに解決するような御指導を今後大臣に要望いたしたい。そして具体的には時間がないので、また次に御意見を申し上げたり、大臣の考え方についても私も意見を述べたいと思いますので、それだけ申し上げておきます。
 それから次に私は時間がないので、いろいろのことをくどくど言いませんが、高校全入のことについてお聞きします。
 これも短時間にお聞きしますが、高校全入運動というのが起こっております。これについて文部省では後期中等教育の改善について一つの案を出されておる。この高校全入運動そのものについて、大臣は根本的にどういうお考えであるか。高校全入運動そのものについて、日教組がやっておるから反対だとか、だれがやっておるから賛成だというんじゃだめですよ。高校全入運動そのものの思想について、大臣としてはどうお考えになっているか。それをお聞きしたい。
#14
○愛知国務大臣 高校全入運動につきましては、私の意見を率直に申し上げますと、何でもかんでも一律に高校へ全部が入るということを画一的にとらえて考えるべき問題ではないのではなかろうか。その点につきましては、ただいま後期中等教育の中教審の諮問のお話もちょっとお触れになりましたけれども、中学校の課程を終わってからあとの三年間の教育につきましては、相当一面においては産業教育とでも申しましょうか、すでに農業高等学校の大規模な改善も行ないつつあるわけでございますので、この点からいっても一律に考えることはなかなかむずかしいし、かえって不適当ではなかろうか。
 それからもう一つは、程度がだんだん高くなってまいりますから、一律にどの人もみんな高等学校へただ形式的に三年入ればいいという問題ではなかるまいと私は率直に言えば考えるわけでございます。そして現に教育白書等をごらん願いましても、相当現実には高校入学の比率もふえておりますから、むしろ地域的格差をなくし、充実改善をしていく。そこで最近の高校全入運動というものが、むしろ現実の高等学校の教育の実態に着目されて、すし詰め解消とかいうようなところへ重点をお置きになっておられる、かように私見受けておるわけでございますが、この点につきましては、われわれとしても十分努力を新たにしていかなければならない、大ざっぱではございますが、率直に申しまして私のこういうふうな考えであるということを申し上げます。
#15
○山中(吾)委員 その点については、文部大臣ともう少し掘り下げて分析して論議しなければならぬと思いますが、きょうは次に残します。というのは、高等学校は満十八歳までです。財政の許す限りは満十八歳くらいまでは義務制にしたほうがいいという思想があるならば、変わってくると思うのです。金がないからなんです。しかし、満十五歳くらいまでが義務制でほかはいいのだという根本思想があるならば、また大臣に誤りが出てくる。それから義務制ということと、進学を希望する者は全部入れてやるということと、教育費の無償と三つ私は概念が違うと思うのです。そこでいまの高校全入というのは、せめて進学をしたい者は、満十八歳までの教育は国が責任を持ってやってくれ、やりたいという親の願いできておるのであって、いま大臣が言われたことは違うと思うのです。
 もう一つは、荒木文部大臣はあるところで高校全入のようなことを認めると、ばか者を教育することになるから反対だ、こう言ったわけです。そこで能力がある者には能力に応じて教育の機会を与えるということと、同時に能力がなくてもうんと勉強して、せめて高等学校まで行きたいという進学に対する努力と希望を持っている青年に国がその機会を与える。だから能力がなければないほど教育してやらなければならぬという国の文教政策の思想というものを文部大臣は否定されることはできぬじゃないか。私は秀才で勉強しなくても能力のある者よりも、駑馬にむちうって大学まで行きたいという人を救ってやるのが文教政策だと思っておるのです。そこで全入思想についてもっと掘り下げて大臣と論議しなければならない。いまのような一とおりのお考えであると、全入運動に対しては何か偏見を持った思想が入ってくるのじゃないか。それから私らの友人である高等学校の校長その他にほんとうのことを聞きますと、親の虚栄心で勉強したくない豊かな家庭の子供が入ってくる、頭がよくても怠けて勉強しない者よりも、できなくても一生懸命実直に勉強する子供をわれわれは責任を持って引き受けたい、こう言っていますよ。たとえば大学でも一回で入学できる秀才よりも、二回、三回失敗して、それでも一生懸命に努力して入るという国民を教育するということは文教政策の中に十分入らなければならない。何回も落第した池田さんと一ぺんに入った佐藤さんと、そのことを比較してみても、一体どこに文教政策の要請がなければならぬかということは考えなければならぬでしょう。すぐ能力のない者は落とすという教育政策については考えなければならぬ。そういうことも含んで高校全入問題をまじめにひとつ――愛知大臣のように秀才で落第をしないでちゃんと大学まで行く人だけの学校にすることが決して人材をつくるゆえんでないはずなので、能力に応じてという憲法の思想の中で、努力する者にそれだけの教育の機会を与える、その中に人間ができるわけですから、それは間違いあってはならぬと思うのです。
 それから僻地の子供については、現在の限度政令に私はまた文句を言いたくなる。いまの行き方をすると中学あたりで一人の先生が三つの科目を持つ。なお資格のない先生で、先生が足らない。三学級の中学校とか複式中学校あたりはどんなにしても高等学校に試験で入れないです。生まれつき同じ能力であっても、二十五学級くらい専門的に教えている都市の中学校の卒業生と僻地の複式でやっている中学校の子供は、何回試験をやったって落ちるはずなんです。そんな教育はできないわけです。そういうことを含んでこの問題を解決すべきであるのに、文部省においては何の対抗手段だか知らないけれども、僻地の学校でもどこでも試験をすることを命じた。それは僻地の学校で絶対入れない子供がありますよ。そこで、金のある家庭は、その村の学校では永久に高等学校にいけないから、盛岡とかああいうところに脱法的に寄留して、中学から転学して高等学校へ入るようなやり方をしているわけなんです。そういうことの中に、全入運動というものを表現が気に食わない、として教員組合と結びつける全入運動なら文部大臣は会わない、そんなところから、私はこの後期中等教育の、ことに新憲法の思想に基づいた正しい文教政策は生まれないと思う。日教組の言うことはみんな反対だ、いいこと悪いことで賛成というのではない。そこまで文部事務当局に心理の錯倒があると私は思う。大臣も事務当局をひとつ指導してください。事務当局はこり固まってしまっている。日教組の情報を見ていろいろな悪口が書いてあるので、頭にきて反対だ、そういうところまでいってしまっておるので、これは一度もとに戻して、こういう問題を愛知大臣が先入主を持たないで検討していただきたいと思う。全入運動の思想そのものの根本問題については、そういう意味において一時間くらい私は大臣と論議を戦わさないといけないと思うし、そういう考え方からではうかうかしていては前向きの解決ができないのじゃないかと思いますので、次に残しておきたいと思います。
 それから現実の問題として、高校全入運動の一つとしていま一番問題になっておるのはすし詰め学級です。五十五名までは入れてもいいというやり方をしておるが、全部五十五名になってしまっておる。学校の教室は五十名以下の建築規模でつくっておるから、机は通ることができないほど教室に入っておる。そういうような問題も含んで、教育というものは非常に困難な状態になっておるわけなんです。学校の担任の先生から言うと、四十名くらいの生徒の場合には相当個別指導もできるし、試験問題についてもまじめに見るのですが、四十枚の試験用紙と五十五枚の試験用紙とは質が変わってくるのです。適当に見るかっこうになる。そこで四十名の学級編制と五十五名の学級編制は、単に十五名の生徒数の差でなくて、学級経営については非常に違った質の差が出てくる。そこで熾烈に解消してもらいたいという要望があります。これはぜひ解消しなければならぬのじゃないかと思うので、その点は大臣も常識的に何とかしなければならぬと思っておられると考えるのですが、それについてあとで一緒に答えていただきたい。
 それから次に、文部省においてどういうことをされておられるか知りませんが、この四月の実績を全国的に見ますと、進学率が七〇・六%になっておりますが、文部省は大体六五・三%という進学率をもって考えられておるようであります。私は正確に事務当局から聞いておりませんが、一方で教育白書その他を見ますと、文部省では年々二%上昇すると推定をされておる。その推定からしても、当然今度は七二・六%になるというのでそのつじつまが合ってくるわけでありますけれども、この点については文部省はどうお考えになっておるのか。そして文部省ではあらゆる機会において、その進学率に応じて計画を考えていくということを言明されておるわけなんです。そこで現実に七〇・六%というものが実績として出れば、それを算出の基礎として高校急増対策を予算その他において立てるべきであると思う。その点についてはどういう方針になっておられるか、お聞きしたい。
#16
○愛知国務大臣 まず高校全入運動の問題については、先ほどもごく簡単に私申し上げたのでありますが、これはどの組織がどうやっておるから何とかということではなくて、私も誠意を尽くして真正面から取り組んでいかねばならぬ問題であると思います。ただ先ほどもちょっと申しましたように、問題のとらえ方というか、この問題に対処する姿勢といたしまして、私もさらに根本的にお考えも伺い大いに参考にさせていただきたいと思います。これはほんとうに真剣に取り組んでまいりたいと思っておりますことを念のため申し上げておきます。
 それから定数の問題ですが、公立高校の定数標準法によりますと、四十一年末まではお示しのように学級編制基準五十五人ということになっておりまして、四十二年度入学のときから五十人にいたしまして、以後学年進行に応じて全学年五十人の編制ということにいたしたいというのがこれまでの考え方でございます。
 それから入学率の現状、これまたお示しのとおりでございまして、たとえば前に見込みました政府の計画は、三十八年度についていえば六三・五%の見込みであった。ところが実績を見ると、三十八年度では六六・七%になって、見通しよりかなりふえておるわけであります。さらに三十九年度においては、一段とその差がふえまして、六三・五%見込んでおりましたところが六九・三%、七割近くになります。そこでこのズレが結局各都道府県なりあるいは私立の学校法人なりの高等学校にすし詰めの現状が起こったということに私はなると思います。したがって、ここに問題があるわけでありますが、同時にたとえば建物の関係などで申しますと、四十一年度からはまた非常に減るわけでありますね。そこで四十年度の予算の編成で概算要求をしようといろいろ検討をいたしましたときにも、できたときにはもう生徒が減ってしまうというようなことになることもございまして、これらの点については実は頭を悩ましておりますが、名案がございません。そういうような実情であります。
#17
○山中(吾)委員 そういう機会を善用していただいて、すでに定員関係についても、義務教育関係の標準法では四十五名という法律が出ておるわけです。高等学校の場合については、戦前から職業教育というものは四十名以下でないと教育はできないという常識もある。したがって、普通高等学校を含んで義務教育標準法がすでに四十五名なんですから、そこに持っていくことも常識であり、大蔵省に対しても十分に説得ができるのじゃないか。その少なくなったという機会に前進せしめるということは常識として主張できるのじゃないか、御心配なさらないでこのすし詰め学級の解消をしてしかるべきじゃないかと思います。
 それから進学率の点については、これが七〇%よりずっと下ならけっこうですけれども、事実六九とか七〇でしたら、その事実に即して計画を立てるべきであると思います。それは大臣間違いないでしょうか、その点だけ明確にしていただきたいと思います。
#18
○愛知国務大臣 今後におきましてはそうしなければならないと思います。
#19
○山中(吾)委員 次に地財法に関係するのですが、PTAの教育費の関係で非常に遺憾に思いますのは、現在公立で高等学校の入学当時の父兄負担は、強制的な施設の寄付とかなんとかを含んで大体二万円要るという統計が、たしか文部省の発表による資料で出ております。私立学校では最低五万から七万入学当初に要る。いろいろな名目で寄付されておる。そうすると貧乏人は非常に困るだろう。それで私は昨年の予算委員会で、実は灘尾さんのときに、大学などは三十万というのは常識であるから、育英会においても入学に一時に要るものは一時金の貸与くらいしたらどうかということまで質問したことがあるのです。おそらく月々一万ずつ学費を出せる父兄でも、大学で一度に五十万円要るというならば、永久に子供を大学に出せない。農協その他から金を借りるというようなことをしておる者もある、二、三男には土地を与えないから学校に入れるが、入学当初において高等学校でも二万円要るというふうなことで、地財法の精神というものは没却されてきておるので、文部大臣としても、これについて何らかの対策を私は立てるべきであると思う。文部省自体の教育費についての白書もかなり出ておるわけです。それについて大臣は何らかの対策を立てるべきであるかどうか、その立てるについて心がまえだけを聞いておきたいと思います。通常国会も含んでまた私はいろいろと論議したいと思います。
#20
○愛知国務大臣 父兄の負担の問題につきましては高等学校だけではなくて、中小学校につきましても御承知のようにまだまだ改善しなければならぬことが大幅にあるわけでございます。これらにつきましては四十年度の予算要求の中にも相当程度いま概算要求をいたしておりますので、その予算の折衝も今月の末までには終わるかと思いますので、その状況がまとまるに従って御報告を申し上げたいと思います。基本の姿勢としてどうかというお尋ねでございますが、これは申すまでもないことでありますが、基本の姿勢として父兄の負担ということは義務教育については本来あるべきものではない。それから高校以上につきましてもできるだけ負担が少ないようにということで予算のほうのみならず、税制等にわたりましてもいろいろな考え方を私としては出しておるのでありますが、できるだけ大幅に改善ができるように四十年度からつとめてまいりたいと思っております。
  〔「名答弁」と呼ぶ者あり〕
#21
○山中(吾)委員 名答弁ですから、事実にあらわれるように御努力願いたいと思うのです。
 それから最後に一つ非常に疑問になることがあるのです。これは県立高等学校ですから県の財源で経営している学校なんです。そういうことで大蔵省、文部省もそう考えている傾向があるのですが、国立は国、県立は県でやれ、補助金とかそういうふうなものは例外的に考える、高校急増くらいのときだというような考えがあるわけなんですが、現実には貧乏県で非常な負担をかけて県立高等学校をつくっておる。しかし県民の子弟ですから当然だという単純な思想があるし、それも認めるわけですが、卒業生はほとんど大都市に行ってしまう。地方開発のために教育が大事だというので、県会その他で論議をして教育費を出してできた高等学校の卒業生は五大都市にみな行って、その地域の財源になる労働力となり、それから知的能力で協力をしておるわけです。たとえば岩手の例で言いますと、岩手の県立高校の卒業生の七五%は全部県外です。水産高等学校はああいう山陸漁場があるのに八五%まで県外です。ところが地方の人は敷地はただで提供する、産業、水産教育を振興したいからといってあらゆる犠牲を払って、借金をしてまでも、自治体も強制寄付までさせて建てても、卒業生の大部分はおそらく東京その他に行っておる。そして農業の関係もほとんど農業に従事しない。そうすると税の公平負担の原則その他から言いますと、非常に矛盾を感ずるわけであります。県立高等学校の父兄の立場からいうと、自分の子供だから教育をしたい、その県民の心を反映して県立高等学校をつくっているが、卒業生の教育によって与えられた能力は富裕県に提供しているのですから、そのことを考えると、税金の取り方によって集まった国の財源からその県立にも、そういう卒業生のパーセンテージを見て補助金を出すのは当然じゃないか、そういう思想というものは持つべきじゃないかと思うのです。そうすると高校急増その他についても、東北のような県に対しては、県立だから補助金を出すのは原則としてそうでないのだ、しかしやむを得ないからというのでなしに、もっと根拠を持って私は公平なる税金の使い方が出るのじゃないかと思うのです。その点を大臣からお聞きしておきたいと思います。そういう点から変えていかないと、教育の格差、これはもう経済の格差じゃなくて私は人材の格差が一番大事だと思う。どんなに経済的に格差をなくそうとしても、卒業した者がみんな東京に行って、その地域には低い水準の者しかいないのですからね。一番問題は、地域の格差は人材の格差にあると思うのです。そういう点を考えて文教政策の基本的な出発点を違った角度から考えるべきだと思うのです。それをひとつ大臣のほうから、その矛盾をお認めになって対策をお立てになるかどうかお聞きしたい。
#22
○愛知国務大臣 ただいまお話しになりましたような点につきましては、私も私なりにいろいろと考えておるわけでございます。先ほどのちょっと高校の入学率などにあらわれた全国的な格差というようなことも、われわれの出しました白書の中にも非常に明確にあらわれているわけでございますから、やはり教育の地域格差をなくすということについては私も大賛成でございます。そこでいろいろ申し上げますと長くなりますので、二、三申し上げますと、一つはやはりその高等学校のあり方ということが再検討されていいのではなかろうか。たとえば、これは私の郷里になりますけれども、宮城県におきましても農業高等学校を今回政府の方針によって、一つ加美農高というのができたわけですが、こういう考え方は、とにかく土地に定着をして自作農としてりっぱにやっていけるような意欲を持った青年教育をやりたい、ついては、たとえば全寮制度の寄宿舎にするとか、それから相当広大な農地をその高校に持たせて、そうして実習も十分できるというような試みといいますか、新しい制度もすでに発足されております。四十年度にも全国的に数カ所は少なくともつくりたいと思っておりますが、そういうふうな高等学校の制度自身に改善の余地もあろうと思う。東北地方なども確かにお話のように、せっかく無理をして高等学校をつくっても、卒業生が全部東京へ来るというようなことは、もっと根本的にやはり地域社会の開発と申しましょうか、後進地域の開発と申しましょうか、そういうふうな文教政策とまた別な方面からも大きな手が打たれなければならない。佐藤内閣の看板になっております社会開発というような発想も、そういう点が実は一つの大きな点になるのではなかろうかと思います。これらの問題については各般にわたって知恵を出し、国民的な御協力で推進してまいりたい。こまかく申しますといろいろ出てくるかと思いますけれども、基本的な考え方としてはそういう考え方でまいりたいと思っております。
#23
○山中(吾)委員 予算要求にそういう違った角度というものを新しく加えてしないと私は発展しないと思うので申し上げておるわけです。農業高校の場合については、その地域の土着する後継者を中心としていく、そのかわりに国が費用を出す、貧乏人の農民ですから。科学技術だけすぐ国立高専をつくるのはおかしいと私は言うのです。なぜ貧困者のほうを先にしないか。それから一般の高校の場合には、いま言ったように地域開発をしても、県で教育してもみな外へ行くわけですから、国の税金でその財源を考えてやるという別な政策、また独立に予算要求の中で考える要素があるのじゃないかということで申し上げておるわけですから、御検討願いたいと思うのです。そうでないと高校全入その他の問題も、何だまたああいう運動しているかということだけで、深く掘り下げないで素通りになるおそれがあるということであります。
 時間がなんですから、私かけ足するので、限度政令について最後にお聞きしておきたいと思うのですが、根本的に文部大臣が、定員定額は国の財政のあり方からは必要なんだ。しかし国会の中で申し合わせがあるからやむを得ず延ばす努力をしなければならぬのだ。事実大臣が抜き打ちにやってわれわれを憤慨さしておるわけです。それは別にして、根本的にそういう形ならまた意義があるわけです。それは教育行政に限っては、地方教育委員会制度をつくったのも、地方地方の実情に即して僻地もあれば海岸もあり、山地もあるし、教員の配置についても特殊事情によって、地方の実態等によって教員定数、配置も考えなければならぬ。そこで地方分権主義の教育制度を考えて教育委員会制度が出発して、そしてそれに即応して実支出額の二分の一という法律ができたと思うのです。そして大蔵省も十数年それに基づいて財政措置をする習慣ができてきてしまっておるわけですね。そういうふうなときであるから、本来実額実数という、実支出の二分の一の国庫負担という法律は、私はずっと存続しておくべきだと思う。教育行政の場合はその思想でなければならぬと思うのですが、その点はどうですか。根本の考え方について……。
#24
○愛知国務大臣 私は都道府県の教育委員会制度をはじめ、現在のそういう制度について根本的に改変を加えるというようなことは全然考えておりません。いろいろの意味で現状がよろしいと思っております。
 それから限度政令の問題につきましては、前々から申し上げておりますように、これは国庫が二分の一負担をする。その財源の問題と、それから実際上のわれわれの意図するような教育行政の円満な運行ということの調和点を見出すということが趣旨ではなかろうかと、私考えておりますから、決して教育が財政の事情によって支配をされる、そればかりにまかせ切るべき問題じゃない、かように考えております。
#25
○山中(吾)委員 これもまだ問題は解決していないので、次に残しますけれども、一言だけ。どこに行っても――私きのうも自民党の文教部の代表とわれわれと、政府自民党の政調政策委員会のところで論議をしたのですが、今度の場合に限度政令を出すことによって何の犠牲もなく、そして対応人員もなく、恩恵だけ受けるのは東京、神奈川、愛知、そういう富裕県なんです。そして少しでも削られていっているのは貧乏県なんです。お調べになったらわかるんです。それは僻地があるからなんです。複式の場合についても、複式にするのは水準を下げるからといって定員を多く残しておる。これは間違いない。単位学級を複式に出しておる。その他いろいろ末端の教育行政の妙味を発揮するために、いわゆる標準からはみ出て四十九名を四十七名にするのじゃなしに、そういう矛盾を地方の実情に即するためには、はみ出してきているのがあるんですね。実員は別にして定員ですよ。そういう点において教育行政の特質があると思うんですね。その弾力性、地方自治の自主性を持たす、そういうことにおいて少なくとも僻地の教育行政をやるのには、地方の実績に即して二分の一を負担してやるからやりなさいという指導方針がなければ、これは地域格差が出てくるし、学力テストの結果が出たって、効果はありますが、結局実質においては何もできなくなるので、そういうことの矛盾は腹の中にうんとおさめてもらわなければならない。今後の問題を相談するにしましても、そういうことは明確にしておきたいと思うのです。
 さらに政令の問題について、私は何としてもあの特殊の事情のある場合には政令を出すことができる――特殊の事情というのはどこを探してもないです。なければ私はあの政令は無効だと思うんですがね。特殊の事情というものがこれから――きょうは論議しません。これはどうしてもないということになれば、大臣は撤回しますか。特殊の事情ある場合は限度政令を出すことができるとなっておる。ないということになれば撤回をするべく再検討いたしますか、それだけお聞きしておきます。
#26
○愛知国務大臣 私は政令を改正する気持ちはございません。というのは結論的に申しますと、御心配、御論議の点は十分私は解決し得るという自信に立つからでございます。そして先ほどから申しますように、もしたとえば国の財政だけの都合からいえば、おそらく財政当局としては容認し得ないだろうという点を譲って考えてもらっておるわけで、その点は先ほど申しましたように、財政当局の言いなりに決してなっておるわけではございません。向こうにも譲ってもらい、こちらは支障がない、円滑に実行できるという保証がとり得る限りにおいては、そこで満足をしなければならぬのではなかろうか。結論としては御心配のような問題は起こらない。
 それから富裕県、非富裕県という御指摘もございましたけれども、これは実は私ももっと時間をかけて御説明につとめたい点でございますけれども、結局各府県の実情をもう少し客観的にごらんいただきますれば、数字の上につきましても御納得がいくのではないかと思いますが、なおそれらの点については説明が十分尽くし得なかった点もあるようでございますから、私としても事務当局を監督いたしまして、各府県の実情がわれわれの認識ではかくかくである、こういうことで御納得を得たいと考えておるわけであります。
 それからもう一つは、僻地の点にお触れになりましたけれども、僻地問題は限度政令の問題だけではなくて、別個の大きな問題であると私は思います。二、三日来特に産炭地の問題なども大きく取り上げられておりますが、こういう特殊の問題につきましては、別に必要ならば考えなければならない、こういうふうに思っております。
#27
○山中(吾)委員 特殊の事情がなくても、撤回しないというのは暴論じゃないですか。法律の第二条に特殊の事情があれば政令を定めることができるといっておるのですよ。それはどうかと聞いておるのに、撤回する意思はない。そんなら法律なんか愛知大臣が全然無視して、私は政令はどんなことがあっても、特殊の事情がなくてもつくるんだ、それでは問題にならぬじゃないですか。法律論を聞いておるのです。特殊の事情がなければ撤回するほかないじゃないかということです。それが政策論として、僻地のそういう複式学級その他をなくするということについては、これは政策論を含んで、こういう限度政令によって融通のきかないやり方は、いろいろ方法があるでしょう。その点についてはそれで私は論議します。建設的には論議します。いまのは暴論ですからね。特殊の事情があれば政令を出すことができる。特殊の事情がないことが明らかになっても将来改正いたしませんというのは暴論じゃないですか。
#28
○愛知国務大臣 今回の限度政令につきましては、私どもの解釈は、特殊事情あるものとして、そういう前提に立って政令を出した……。
#29
○山中(吾)委員 特殊事情のないことが明らかになったらどうするかということですよ。
#30
○愛知国務大臣 仮定のことはどうもお答えできません。
#31
○山中(吾)委員 これは次に残しますけれども、仮定よりも事実なんであります。事情があると認識されるならば、ここへお出しになりますか。出さなければいかぬですよ。論議を進めていくならば、岩手県はどうだ、愛知県はどうだ、宮城県はどうだとお出しにならなければ論議にならない、仮定の上じゃない。そうすれば、各県ごとに限度政令で最高限を定められておるのですから、大臣、私は各県全部聞きますよ。仮定の上でも何でもない。あの政令は特殊事情がある場合は各県ごとに最高の限度を定めることができるというのですから、ありと認められて出したとかお答えになるなら、一々聞きますよ。私の調べではあるところもあるし、ないところもありますね。おかしいと思うのです。だからこれはきょうは次に残しますけれども、それは暴論だと思うのです。それならば法律も何も要らないのです。いずれにしても、その点についてはこの問題は解決していないので、今後の問題になると思いますけれども、少なくとも各地域の教育条件が違い、貧乏県ほど教育に熱心でやりくりをして富裕県と違った措置をしているところもたくさんあるわけですから、地方々々の実情に即した生きた教育行政ができるように、それを窒息せしめるようなことは絶対しないようにしていただきたい、それだけ申し上げて私の質問を終わります。
#32
○久野委員長 本日はこの程度にとどめ、次会は公報をもってお知らせすることとし、これにて散会いたします。
   午後零時二分散会
ソース: 国立国会図書館
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