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1962/03/07 第43回国会 参議院 参議院会議録情報 第043回国会 文教委員会 第8号
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1962/03/07 第43回国会 参議院

参議院会議録情報 第043回国会 文教委員会 第8号

#1
第043回国会 文教委員会 第8号
昭和三十八年三月七日(木曜日)
   午前十時四十四分開会
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     北畠 教真君
   理事
           吉江 勝保君
           豊瀬 禎一君
   委員
           木村篤太郎君
           斎藤  昇君
           中山 福藏君
           小林  武君
           成瀬 幡治君
           米田  勲君
           辻  武寿君
   発 議 者   小林  武君
   発 議 者   豊瀬 禎一君
   発 議 者   米田  勲君
   発 議 者   成瀬 幡治君
  国務大臣
   文 部 大 臣 荒木萬壽夫君
  政府委員
   文部政務次官  田中 啓一君
   文部大臣官房長 蒲生 芳郎君
   文部省初等中等
   教育局長    福田  繁君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       工楽 英司君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○農業、水産、工業又は商船に係る産
 業教育に従事する国立及び公立の高
 等学校の教員及び実習助手に対する
 産業教育手当の支給に関する法律の
 一部を改正する法律案(小林武君外
 四名発議)
○教育職員免許法の一部を改正する法
 律案(小林武君外四名発議)
○公立の盲学校、聾学校及び養護学校
 の幼稚部及び高等部の整備に関する
 特別措置法案(小林武君外四名発議)
○教育、文化及び学術に関する調査
 (学問の自由に関する件)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(北畠教真君) これより文教委員会を開会いたします。
 本日の委員長理事打合会について御報告いたします。本日の委員会は、まず、農業、水産、工業又は商船に係る産業教育に従事する国立及び公立の高等学校の教員及び実習助手に対する産業教育手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案ほか二件の提案理由の説明を聴取した後、学閥の自由等当面の文教政策について質疑を行なうことに決しました。
 なお、本日の委員会は午後三時ごろ終了を目途といたします。
 以上御報告いたします。
 それでは、農業、水産、工業又は商船に係る産業教育に従事する国立及び公立の高等学校の教員及び実習助手に対する産業教育手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案(参第一二号)、教育職員免許法の一部を改正する法律案(参第一三号)、公立の盲学校、聾学校及び養護学校の幼稚部及び高等部の整備に関する特別措置法案(参第一四号)、以上三秦を一括して議題といたします。
 まず、発議者より、それぞれにつき順次提案理由の説明を求めます。小林君。
#3
○小林武君 ただいま議題となりました農業、水産、工業又は商船に係る産業教育に従事する国立及び公立の高等学校の教員及び実科助手に対する産業教育手当の支給に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 昭和三十二年に制定されましたこの法律は、高等学校における農業、水産、工業または商船にかかわる産業教育の特殊性にかんがみ、産業教育振興法第三条の三の規定の趣旨に基づいて、国立または公立の高等学校において、これらの産業教育に従事する教員及び実習助手に対して支給する産業教育手当に関し、必要な事項を規定いたしております。しかるに、この法律の適用対象が、単に高等学校とのみ規定されておりますために、盲学校、聾学校及び養護学校の高等部において、同様の課程の産業教育に従事する教員及び実習助手については、法の適用がなく、したがって、産業教育手当の支給を受けられないのであります。このために、これらの学校においては、産業教育に従事する教員や実習助手を必要といたしましても、適当な人材を得ることがきわめて困難でありますし、人事交流の面からもしばしば支障を来たし、ひいてはこの教育不振の一因となっている実情であります。御承知のとおり、この法律の母法でありますところの産業教育振興法においては、その第二条の産業教育の定義の中で、産業教育を行なう高等学校には、盲学校、聾学校及び養護学校の高等部を含むことが明記されており、学校の種別による差異を設けることなく、産業教育振興のための施策が打ち出されております。したがって、盲学校、聾学校及び養護学校におきましても、その高等部に、産業教育振興法の適用を受け、かつこの法律に規定する課程が置かれてある場合には、その教育に従事する教員及び実習助手に対しても、当然産業教育手当が支給できるように措置されなければならないと考えるものであります。以上が本改正案提案の理由であります。
 何とぞ十分御審議の上、すみやかに御賛同下さるようお願いいたします。
  ―――――――――――――
 次に、教育職員免許法の一部を改正する法律案につきまして、提案の理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 御承知のとおり、盲学校、聾学校及び養護学校の教員はその資格要件として、これらの学校の教員としてのそれぞれのいわゆる特殊免許状のほかに、幼稚部から高等部までの各部に相等する学校の教員としてのいわゆる基礎免許状を有しなければならないという、二重免許状の制度になっております。
 したがって、昭和二十四年教育職員免許法の制定以来、盲、聾、養護の諸学校における教員の免許状取得の方法は、基礎免許状については同法の別表第三により、また、特殊免許状については別表第七によって実施されてきたのであります。このことは、学校教育法第七十一条に、特殊教育の目的として、「幼稚園、小学校、中学校又は高等学校に準ずる教育を施し、あわせてその欠陥を補うために、必要な知識技能を授ける」とうたわれている点から見ましても当然のことであり、特殊教育に携わる教職員は、盲、聾、養護の諸学校において、幼稚園から高等学校までの普通教育に準ずる教育を施すことと、その欠陥を補うための知識技能を授けることとの、二つの大きな使命をになっているのであります。さればこそ、これらの学校の教職員に対して、その身分、待遇等について格別の考慮が払われることもまた当然であると信ずるのであります。
 しかるに、基礎免許状の取得に際し、特殊教育に従事した在職年数が普通教育におけるそれよりも軽んじられるような措置がとられましたことは、まことに遺憾であると申さねばなりません。すなわち、昭和三十六年の一部改正によって、この法律の別表第三の第三欄中、「第一欄に掲げる学校の教員」の次に、「(二級普通免許状の授与を受けようとする場合にあっては、これらに相当する盲学校、聾学校及び養護学校の各部の教員を含む。)」という部分が挿入され、二級普通免許状の取得に限って、必要在職年数として盲、聾、養護の各学校における在職年数を通算することが特に明記され、従来制限を受けていなかった一級普通免許状の取得のための在職年数には、盲、聾、養護の各学校における在職年数を通算しないことになりました。これらの学校に勤務する教員には、現に、二級普通免許状を所有し、さらに一級普通免許状を取得するために、所要修得単位を、幾多の困難を克服して修得した者も数多くあると聞くのでありますが、せっかく所要単位を修得いたしても、これらの者が一級普通免許状を取得するためには、一たび、幼稚園、小学校、中学校、高等学校等の普通教育の学校に転出し、それらの学校において在職三年ないし五年を経なければならないという現行規定は、全く実情にそぐわないものであり、むしろ無意味な束縛であると申しましても過言ではありません。そもそも、盲教育、聾教育、肢体不自由児の教育、精薄児の教育等に挺身する教職員には、さきにも述べましたとおり、普通教育に準ずる教育を施すことの上に、その欠陥を補うことの職責が課せられております。しかも、その準ずる教育の内容は、これを学習指導要領等に照らしましても普通教育における内容とほとんど径庭が認められず、ただその教育の方法においてそれぞれの差異を余儀なくされているにすぎないのであります。したがって、盲 聾、養護の諸学校における教育経験は、普通教育におけるそれよりも、さらに高く評価されてこそ至当でありまして、これをむしろ低いものとしてみなした差別的取り扱いは根本から払拭されなければならないと確信するものであります。
 以上申し述べました理由によって、教育職員免許法別表第三による小学校、中学校、高等学校及び幼稚園の教員の普通免許状取得に関する必要在職年数に、盲学校、聾学校及び養護学校のそれぞれ相当する各部の在職年数を通算することができるようにするために本改正案を提案した次第でございます。
 何とぞ、十分御審議の上すみやかに御賛同下さいますようお願いいたします。
  ―――――――――――――
 次に、公立の盲学校、聾学校及び養護学校の幼稚部及び高等部の整備に関する特別措置法案について、その提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 御承知のとおり、盲、聾、養護の諸学校はそれぞれ幼稚部、小学部、中学部、高等部に分かれており、その運営は多くは一人の校長のもとに統轄されている現状でありますが、公立学校の場合、小学部と中学部における経費については、義務教育費国庫負担法等によって、その半額が国庫負担となっており、幼稚部と高等部における経費については、その全額が地方公共団体の負担となっております。このような跛行的財政措置が、これらの学校の幼稚部、高等部における教育の振興を阻害する要因となっており、ひいては特殊教育の全般にわたり教育効果の渋滞を招く結果となっております。特殊教育において幼稚部がになう役割の重要性は、申すまでもないことでありまして、育児はその視力の障害によって著しく生活圏が狭く、聾児はその聴力の欠損によって言語活動から隔絶されておりますために、基礎的学力を修得させるには、教育課程の編成にも重要な考慮が払われなければならず、わけても幼稚部の設置を促進して早期に教育を始めることが最も肝要であります。それにもかかわらず、幼稚部教育の実態は、盲学校にあっては七十三校史三校、聾学校にあっては百三校中三十七校、養護学校にあっては六十四校中二校が設置されているにとどまり、ひとり地方公共団体の施策にのみゆだねられている現状は、まことに遺憾であります。また高等部については、養護学校の場合を除き、ほとんどの学校に設置されておりますが、建物、教材、教職員給与等に要する経費を、あげて地方公共団体の負担としておりますため、極度に貧困な予算による運用を余儀なくされ、中には、建物、設備、教材等の一部を小中学部から流用したり、教職員についても、小中学部から割愛して兼務させるなど、各部が相互に少なからぬ不自由を忍んでいる現状であります。さらに、養護学校については、六十四校中わずかに三校が高等部を設置しているにすぎないという実情であります。高等部は、幼稚部からの一貫した教育を施すことを特に重要視する特殊教育において、やがて社会人として巣立つ生徒に、独立生活の能力を授けるための職業指導教育にも力を注がなければならない大切な使命を持つ最終課程でありますことにもかんがみ、このような実情はまことに寒心にたえないところであります。
 以上申し述べました理由により、公立の盲学校、聾学校及び養護学校の幼稚部及び高等部に勤務する教職員の給与等について、国がその実支出額の二分の一を負担すること、教材及び施設費について、設置者たる地方公共団体に対して、その二分の一を国庫補助するものとすることの二点を骨子とし、これらの学校の幼稚部及び高等部における教育の充実をはかる目的をもって本法律案を提案いたした次第であります。なお、この法律は昭和三十九年四月一日から施行することといたしております。
 何とぞ十分御審議の上すみやかに御賛同下さいますようお願いいたします。
#4
○委員長(北畠教真君) 以上で三案の提案理由の説明聴取は終了いたしました。
  ―――――――――――――
#5
○委員長(北畠教真君) 次に、学問の自由等当面の文教政策につき調査を進めます。
 御質疑のおありの方は御発言願います。
#6
○小林武君 文部大臣にお尋ねいたしますが、文部大臣は、今までしばしばこの学者の名前をあげられて、これにいろいろな批判を下しているわけであります。特に私からお尋ねいたしたいのは、この講演において、日教組の倫理綱領を書いた人の名前が十五名書いてある、こう大臣は言われて、宗像誠也、宮原誠一、柳田謙十郎、中島健藏、上原専禄、羽仁説子、十五名ですからあと九名おりますが、あとは忘れたと、特に覚えておかなければならぬほどりっぱな学者でないように思うからと、こういうお話でございましたが、私はその際特に覚えておかなければならないような学者でないという人たちの中にこういう方がいるわけです。務台理作、鵜飼信成、梅根悟、太田堯、海後勝雄、勝田守一、清水幾太郎、周郷博、高島善哉、こういうような学者がいるわけでありますが、私が考えるところによりますと、これらの学者の方々は、それぞれの学問の領域において日本の中のすぐれた学者であると考えるわけでございますが、文部大臣としてはこの人たちを特に覚えておくほどの学者ではない、大した学者ではない、学者として上等の部類に入らないというような、こういうお話をなさったわけでありますが、このことは、まあ何かの雑談の際の放言であるならば、これを聞きのがしてもいいというふうにも考えますけれども、社会教育に携わる社会教育の先達指導者といわれるような人たちの前で申されたのですから、私はこれらの人たちが学者として上等の部類に入らない、学者として覚えておくことができないとかということは、この人たちの専門の学問というものに対して判定がなされないでやられるはずがないと思うわけです。私は文部大臣に、いかなる、たとえば哲学における務台さん、教育学における梅根さん、海後さんとか、勝田さん、社会学における清水さんとか、教育学の同郷さんとかいろいろあります。鵜飼さんもあります。そういう方々の、学者として大したものでないという判定を、文部大臣という職責にある方が申されたわけですから、これはどういうあなたは検討をなさった上での御発言であるか、大した学者でない理由をひとつここで明らかにしていただきたい。
#7
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私は、教師の倫理綱領が目ざしております事柄それ自体を教育基本法の立場から見まして間違っていると思います。間違っておるという前提に立ってこれらの十五名の方々が名前を連ねて執筆者、協力者としておられる、その限りにおいては、その考え方が間違っておる意味において批判をしたのであります。
#8
○小林武君 考え方が間違っておるということはどういう判定ですか。
#9
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領、は、毎度申し上げましたが、教師の目的意識を容共革命教育にあり、歴史的課題解決のための有能なにない手となるように育成することにありと、したがって、そういう考え方に立って教師に政治的な中立など求むべくもないという考え方に連なる倫理綱領を執筆した人々であると私は理解いたします。学者が学者としての所論を吐く限りにおいて御自由であることは当然であります。そのことをかれこれ言う必要はない。世間の批判がもちろんあり得るとしましても、そのことが悪いということはいえない。それは承知いたします。ただ、具体的に教師の倫理綱領という日本教職員組合の組合綱領そのものを、協力者として、今申し上げたような目的意識が正しいと考えておるならば、それは間違いである。教育基本法第八条にまっこうからぶつかる考え方である、さような考え方をもしこれらの人々が持っておるとすれば、その部分において私は敬意を表するに値いしない、かように考えるのであります。
#10
○小林武君 倫理綱領そのものは、容共革命教育を指向しておるものであるからというような意味の今の発言であった。この倫理綱領については、いずれ十分内容面にわたって御質問をいたします。特にここでお聞きしておきたいと思いますことは、この執筆者の一人である宮原誠一氏は、この倫理綱領の問題について公判廷の証人に立たれて、このようなことを言われております。この倫理綱領は社会的民主主義ともいうべきものでございましょう。いわばそれは二十世紀の民主主義ともいうべき非常に幅広いものでございますから、この倫理綱領の思想的な基本的性格から申しますならば、政治的見解、宗教的信条のいかんを問わず、広く教師のみならず国民に、父母、国民の支持を得ることができるはずのものであるというふうに考えておると、御本人は述べておるわけです。あなたはそういう学者のあれを一方的に容共革命的と述べられた。その点についてひとつお伺いしたい。
#11
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学者が学者として意見を述べられる、講義をされる、著書を書かれる、そのことは御自由であり、そのことにとやこう言う意思は私は毛頭ありません。教師の倫理綱領というのは、日本教職員組合という具体的な人格を持ち、かつまた職員団体として行動する団体であります。その団体の基本的な立場を定めたものが教師の倫理綱領と名づけるものと理解いたします。これが全国大会で採択されて決定されれば、その日教組に所属する組合員は、この理念に立って組合員として行動せねばならないことを要請される基本理念だと思うのであります。その教師の倫理の綱領そのものが容共革命教育を目ざすのだということは、倫理綱領それ自体が私は示していると理解するのであります。もとより十項目にわたる綱領そのものからは言葉の上で直接出てこないように仕組まれておるとは思いますが、その解説及び解説書をあわせ読みまして、これを総合判断する場合、私が申し上げるような意図をもって書かれたものだということは、当然の常識ある者の結論であろうと、かように思っております。
#12
○小林武君 良識ある者の結論だと言うが、書いた御本人が、一体この問題については政治的理念の相違だとか何とかは抜きにして、みんなに信頼を受け、またこれに同調してもらえるものだと、こう言っている。少なくとも国立大学の教授が自分の専攻の学問的立場に立って、特にここで申し上げておきますけれども、十五名も顔を並べてこのことに参画したということは、それぞれの専門の分野でこの問題を討論しよう、いわゆる学問的に欠陥のないようなひとつ角度からこのものを盛り上げよう、こう考えておる。そういうそれぞれの立場の人たちの結論から、どんな政治的心情を持っている人で、自民党であろうが、社会党であろうが何であろうが、あるいは政党に所属しない方でも、国民全体がこのことに同調してくれるだろうと書いてあることを、あなたは何ですか、総合的というような、まあばかばかしいことで、このものが容共革命的教育などということを断定するというのは、これは少し僣越だと思う。しかし、このことはこれからいずれまた御討論する時期があると思いますから抜きにして、かりに自分の学問的な立場で大学の教授が教育に対する意見を述べた。その場合に一体あれですか、それを文部大臣が覚えておるほどの学者でないとか、あるいは国立の大学教授として高給をはんでいるくせにというようなことを言うということは、一体学問に対する圧迫ではないですか。学問の自由というものを一体侵害しようとする態度にはなりませんか。この点をひとつ。あなたの好ききらいは別ですよ。
#13
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由は憲法が保障するところであります。学者が学問の自由として保障されておる限度内において、何を著述しようと、講義しようと自由であり、そのこと自体に私はいささかの異論も差しはさむという考えもなければ、やった覚えはありません。ただ、学者であろうと何であろうと、教師の倫理綱領というものは、日本教職員組合という実在する集団の行動綱領であると思います。その行動綱領そのものを、その団体と一緒に合作するその協力者としての行動をしたことは、学者それ自体の憲法の学問の自由はこれを保障するという範囲そのものじゃないと私は理解します。したがって、そのことが、今申し上げましたように、教育基本法第八条の趣旨にもとる、そのことを意図しておる、目的意識が明確である。そのことに具体的な協力をした姿は、すでに憲法のいう学問の自由として保障されるらち外のことであるという意味で私は批判をしておるのであります。
#14
○米田勲君 ちょっと関連。文部大臣にお伺いしますが、今のお話を聞いておって、今十五名の学者の名前があげられておるのですが、それらの学者は、哲学の領域において、あるいは社会学の領域において、教育学の領域において、それぞれ専門に学者として現在まで研究を進めてこられておる人ですね。そこで今、文部大臣が問題にしておる倫理綱領、これはまた別の機会に論議を必要とするようになってきておるような格好ですけれども、そのことは抜きにして、倫理綱領というものは、この学者の学問を研究している範疇から見れば、その一部の所論だと私は感ずるのです。ところが、こういうことはどうかと思うのですが、ある特定のAならAという人が、非常に広い分野の哲学なら哲学を研究しておる。その人が生活の中である一つのことを主張した、その主張が正しいとか正しくないとかという論議は別にしても、そのことを文部大臣の言うように、妥当でない主張がそこに現われているということをもってその学者の立場全体を否認する、否定する。学者の立場を国民の前で否定をするようなそういうものの考え方、言い方というものは妥当ではないのではないか。これは学問の場所でものを考えないで、別の場合で考えても当てはまるのじゃないか。一人の人物の行為や言動は、生活の中で非常に広い範囲に行なわれている。その人物がある個所、ある時に一つの主張をした。その主張は実は妥当でなかったと仮に仮定します。それなのに、その人物の全体を引っくるめてこれを否定するというようなものの考え方、言い方というのは、それは私は間違いだと思うが、少なくも言い過ぎではないか。全面的に否定する、一部をとらえて。こういう感じがするのですが、文部大臣は、そういう考え方はどう考えますか。
#15
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私は、およそ学者といわれるほどの方ならば、日本の憲法ないしは教育基本法というものの存在は、万々承知のはずと思います。にもかかわらず、その学者が、今私が指摘しますように、教師の倫理綱領そのものの目ざすところが、現在ある憲法の趣旨に基づいて制定されたところの教育基本法の趣旨にもとるということすらも知らないがごとき結論を導き出すための協力者であった。そのことは私は学者的な良心ないしは良識を疑う重大なる一つの理由だと思います。そういう意味において、このことに具体的に関連を持っている以上、それに関連した限りにおいてその人を批評するということは、私の自由でもあると同時に、私の判断に従うならば、本来の専門の学問そのものがどうであるかは別としても、いわゆる学者として良識ある人と私は考えられない、かように思いますから批判いたしました。
#16
○米田勲君 もう一度関連して。文部大臣のその考え方というものは私は肯定できない。人間というものは、一生の生活の中で成長していくものです。学問の研究も年とともに私は深められていくものだと思うし、それは成長しているものだと思うのです。今直ちに倫理綱領が、一体、教育基本法に違反をしておるかどうかという論議を、いつかも私はあなたと何年か前にやったのですが、そのことはやれば私の勝ちになると思うけれども、そのことを抜きにして、十数年昔、かりにあなたの独善的な判断によれば、間違いであるということについてのその十数年前にある一つの所論を出した。その学者が十数年後において、なお全面的に学者的良心がないと断定をして、国民大衆の前で誹謗をするというようなやり方は、私はそれはやり過ぎだ、間違いだ、そういうやり方は。特定のその問題をとらえて、この主張は正しくないとか、誤りだとかというような押え方でなしに、学者の学問的良心なり立場を全面的に否定する、否認するような、そういう主張を大衆の前でやるというのは、私は間違いじゃないか。それはあなたがいくら倫理綱領なるものは云々と主張されても、そういうものの考え方で世の中を渡るとすれば、人間の一生の中のどこかであやまちが一つあった。あいつは道徳的な良心がないんだ、何十になってもその人間が否定されなければならないという、そういうむちゃな考え方というものはないんじゃないですか、どうですか、その点は。どうもわからないですね。
#17
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 今言われる意味においては同感であります。孔子様じゃありませんが、あやまって改むるにはばかることあってはならないと思います。しかるに、これら十五名の方々は、十何年前か知りませんが、協力者として名を連らねておる、その後お説のように進歩して、あの考え方は誤りであるというならば、協力者の立場から名前を消すべきであろうと思う。そのことはなされていない限りにおいては、いまだにそのことをそう信じておられるとしか考えられない。いやしくも学者たる者が、憲法、教育基本法の趣旨を無視したようなことを書いてはばからない、協力者としては名前を連ねてはばからないということは、連続しておると私は思います。その意味において、私は批判することは当然だと、こう心得る。
#18
○米田勲君 それではこういうことが言えますね。倫理綱領が教育基本法に違反をしていないということが立証されるならば、あなたはその学者を否認した、否定した、大衆の前で否定した言葉は取り消しますね、どうですか、その点は。これは論争してみなければわかりませんが、倫理綱領そのものが教育基本法に違反していないということが立証されたら、あなたはその言葉を率直に取り消しますか。
#19
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは当然だと思います。学者に対する批判はおろか、倫理綱領それ自体に対する批判すらも取り消さねばならぬと、そういう筋合いだと思います。
#20
○米田勲君 後日討議します。
#21
○小林武君 先ほど文部大臣は、教員組合と倫理綱領を合作した。その合作したことが、いわゆるこの学者の人たちの学問の自由という、いわゆる憲法に保障されたらち外だと、こう舌われました。間違いありませんね。
#22
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私はそう思います。
#23
○小林武君 それはあれですか、これは教員組合をおきかえて、そのほかの団体あるいは政府、政党、どの政党でもいい、自民党でもけっこうです。そういう人たちがそういう団体等に協力を求められた場合に、その人たちが自分の専門の領域からいろいろ指導をする、そういう場合は、これは学問の自由のらち外になるということと同じですね。
#24
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは学者としての意見を求められて意見を述べたという限りにおいては、表現の自由であり、学者としての意見の発表の自由であるということ、それ自身、単純なことであって、合作ではないと思います。
#25
○小林武君 そこで述べられた問題は、それもやはり学問の自由のらち外だというのですか。
#26
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由というか、学者としての信念を吐露すること、そのことも含むと思いますが、学者としての意見を求められて、その意見を述べたことそのことはらち外とは考えません。協力者ということそのことが、合作者ということが、らち外だというのであります。
#27
○小林武君 合作というのはどういうことですか。たとえばあなたは教員組合と合作をした、教員組合が倫理綱領の制定について学者の方々に意見を求めた、いわゆる協力を求めた。その人たちが、これについて執筆の協力もしたし、いろいろな協力もした。そういうことと、たとえばあなたのほうの自民党で農業政策なり何なりを制定するために、農政学者といわれるような人たちのいろいろな知恵を借りて、その人たちの手になるものも出したとした場合に、教員組合とその政党とか政府とかいう団体とどこが違いますか。その場合は学閥の自由の中に入るし、らち外ではなくて、教員組合の場合だけがらち外だというのはどういうわけですか。
#28
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 自民党に限らず、社会党さんにしたって、学者の意見を聞かれることがあり得ると思います。それは、その学者の著書を参考にし、あるいは発言を参考にするのと同じことであって、学者としては自分の所信をいわば言いっぱなし、それを相手が参考にするという状態だと思います。倫理綱領の場合は、明らかに協力者として、日教組の責任において出版しました倫理綱領それ自体に名前を具体的に連ねている。今例を引かれました政党の立場における学者の意見を聞くということは、その学者それ自体に責任を負わせる形では意見は聞いていないと思います。あくまでもその政党なり団体なりというものが、学者の意見を自分のものとして消化して、自分の責任においてやっているのが通例だと思うのであります。日教組の倫理綱領の場合は、私はしからずと考えます。協力者として依然として十年このかた名前を具体的に連ねている。まさしく合作の姿を表明しているということで、違うと思います。
#29
○小林武君 もう一度その手続の問題についてお尋ねをいたしますが、日教組の場合は、協力を求めてそれらの人々のいろいろな意見を聞いたり、あるものは執筆をしてもらったというのは、これは事実です。意見を聞くことも執筆をしてもらうことも、これはもう大体同じことだ、われわれはそう判断しております。文部省の場合をひとつ例にとっても、中教審というのがある、中央教育審議会、財界の団体が非常に多いのですが、財界の団体とか、そういう割合片寄った人たちの集まりだと私は思っている。そういう人たちが一つ意見をまとめて出すでしょう。中教審の結論として出す。そのことについて、その採否は文部省自体にある。倫理綱領も同様、それをどうするかということについては、修正もされている。これは新潟大会で修正されている。ほんのわずかではあるけれども修正の部分がある。学者の意見というようなものが、直ちに合作といわれない理由が一つあるわけです。しかし、言葉は合作であろうが協力であろうが、あなたのように使い分けはしませんけれども、それを決定し、取り入れるかどうかということは、組合は民主的な方法によってこれを決定したわけです。あなたの場合とどこが違うのですか。名前を連ねたといっても、中教審の場合だって名前を連ねているでしょう。天野貞祐さん外何名の名前、天野さんが代表して書かれているでしょう、ちゃんと。その天野さんの場合は学問の自由の領域の中に入るのに、日教組の場合はらち外だというのはどういう理由ですか。
#30
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 中教審の場合は明らかに法律に基づいて中央教育審議会というものが作られ、委員が任命せられ、そうして諮問機関としての検討を加えて、中教審それ自体としての答申が出されております。その答申に根拠を置きながら、その責任は文部省が責任を持って法案その他の材料にするという関係でありまして、その責任は完全に文部省ということに帰一いたしております。だから、その場合は中共審の委員の名前を連ねて、責任を分担させるような措置はいたしません。日教組の場合は明らかにその協力者が協力者として依然として名前を連ねて、そうして倫理綱領の具体的な効果を分担する形において倫理綱領が組合員に示されておる、それが示され続けておるところに相違があると思います。
#31
○小林武君 文部大臣、少しおかしくはありませんか。日教組の場合でも、その学者がこういう人たちがこの問題の討論に参加しましたということは、それは一番初めの提案のときにはそういう形で五十万教師に流して、これらの人々が執筆その他討論には参画してくれましたといって流しておる。その後われわれが出したものについてはそういうことは何も書いてない、それを決定するのは最後は日教組です。日教組の責任でやるから、そのあとは何も必要がない、書かなくともいい、書いていない、実物をお見せしましょうか。私の委員長時代に作ったもので、これはだれが書いたということはひとつも書いてない、同じです、あなたのほうの場合と。どうして片方が学問の自由のらち外で片方が学問の自由のらち内に入るのですか、あなたのほうは文部省のあれだ、法律によって決定したということだけですか。学者は法律で決定したことでなかったら、法律の決定にしたがってやることでなければ学問の自由はないのですか。日教組は十五名の方にお願いした。しかし、書かれてもその決定はそのままうのみにできるものではない、うのみにできないから修正もあった。大会で決定した以上は、これは日教組大会の意思によって日本教職員組合というものの責任の上で出しておる。だから、あなたにさまざまの悪口を言われておる。しかし、書いた人の責任というものはそれは残りますよ。学者ですから自分の学問の立場に立ってものを言ったのですから。あなたの場合の中教審だって同じじゃないですか。財界の人であろうと何であろうと、そのことについて大体まとまった意見を出したということになったら、文部省は一体それをどう取り扱うか。それについてこういう意見をそれぞれの者が出し合ってひとつのものをまとめたということの責任は解除されますか、されないでしょう。そのときの中央教育審議会のメンバーはだれだれであったか。この委員会のこの問題の分科会については、どこどこの学長のだれだれがあれになってどうしたということはちゃんと書いてある、同じことじゃありませんか、どうしてらち外ですか。らち外とらち内のあれを明らかにして下さい。学者というのはあなたたちから制約を受けられるものですか。
#32
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私の承知しておる教師の倫理綱領、日教組の出版物には依然として名前が連ねられております、協力者として。その協力者として明らかに倫理綱領の構成に携わっておる。しかもその内容についても、その学者としての立場において考えを述べたことが明らかであります限りは、その倫理綱領が教育基本法の趣旨に反しておる、その考え方を持っておる人々だということは私は否定できないと思うのであります。その意味において十五名の名前を連ねた協力者の人々が、協力者でないというなら別ですが、名前を取り除いたとするならば別ですが、倫理綱領の目指すところの同調する考え方で具体的に協力したということは否定できない、そのことだけ私は批判するのであります。
#33
○小林武君 あなたは都合が悪くなったからといって言葉をずらしちゃいけない。あなたの批判は自由だ。ただ学問の、あなたがさっき言った日教組と、教員組合というもの、日教組と言われなかった。教員組合と合作をした。その教員組合と合作をしたことについては、憲法に保障されている学問の自由のらち外ですということをあなたは言っておる。どうしてらち外なんですか。今の答弁はあなたの答弁になっておらぬ、私の聞いたことに答えておらぬ。手続きの上から言えば、中教審その他いろいろな政党とか何とか、もっと各種団体がやっている協力の求め方とどこも違わないじゃないですか。団体で意見を聞いたら、あれは言論として聞こうが、言葉として聞こうが、あるいは筆をもって書いてもらおうが、そのことの決定権はその団体にある、採択の決定は団体にある。そうしたらあなたのほうの中教審と同じことじゃないか。どうして片方が憲法のらち内に入って片方が憲法のらち外に入るか、らち外とらち内の取り扱いの分かれ方が出たのはどういうことか、学問の自由というのは、どういう、憲法上の保障がらち外になったり、らち内になったりする理由はどこかということを聞いておる。あなたと倫理綱領の論争をやっている暇がないから、このあとゆっくりいつかやろうと思うからそのときに譲りますが、今の問題はどうかということを聞いておる。
#34
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 今申し上げたように、日教組の編さんをし、印刷をし発表しております倫理綱領そのものに、依然として協力者としての名前を連ねておることは、合作しておることを具体的に立証するものと思います。そのこと自体は私は学問の自由そのものずばりの姿じゃない、日教組という特定の団体と依然として協力者の立場において、その立場を倫理綱領の効果の上に影響を及ぼすことを、御当人方もそれぞれ考えを持ち続けておる、そういう考えのもとに今日にある、私はこう見ますから、ほかのものとそれじゃ違う、こう感じ取っておると申し上げておるのであります。
#35
○小林武君 文部大臣は、そういう分裂的な話をされると困るのです。あなたに開いているのは、いいですか、考え方が違うとか違わないとかいうことを聞いているのじゃない。学問の自由というものは、政府のお気に召そうが召すまいが、そんなことは絶対関係のないことなんです。そうでしょう。そうじゃありませんか。政府のお気に召すような説を述べなかったらだめだ、政府の意図に反したらだめであるとか、そういう学問の自由はありますか、そのことをひとつお答え願いたい。
#36
○国務大臣(荒木萬壽夫君) これはいかなることを意見を述べましょうとも自由、表現の自由も含んだ学問の自由だと思います。
#37
○小林武君 学問の自由でしょう。それならば、一体、憲法のらち外に置く自由というのはどういうことです、らち外というのは。それならば、この表現の自由、それから内容の問題、それは学者として自分の信ずるところに従って述べるということについて、一体どうして憲法のらち外になったり、らち内になったりするのですか、それを述べて下さい。
#38
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 日教組という現実の、現に存在する組合の倫理綱領、それは明らかに行動倫理として意図されて作られたものと思うのでありますが、そのことを日教組という集団と共同の責任において協力者として作り上げたその意思を、むろんお説のとおり、日教組という集団が全国大会で採択することによってそれが正式のものとなると思いますが、その正式のものとなったもの、そのものに作成の協力者としての意思をずっと持ち続けた姿で協力しておる。そのことは学問の自由そのままの姿で私はないと思うのです。という意味で、憲法のいうところの学問の自由のらち外の課題であろう、かように考えると申し上げたのであります。
#39
○小林武君 学問の自由というのは、先ほどあなたがおっしゃったように、私の質問に答えたように、政府の意図に反しようが、政府のきらいな団体に頼まれようが、何しようが、自分の所説として、あるいは自分たち何人かの人間の意見の結論として出したもの、何に頼まれようが、だれにどうされようが、自分で出そうが、個人で出そうが、何をしようが、自分の学問に対する態度、学説、そういうものの発表に、憲法の一体らち外、らち内という問題がありますか、それを答えて下さい。
#40
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは差別はないと思います。
#41
○小林武君 なかったら同じことじゃありませんか。
#42
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そこでさっきも申し上げましたように、学者が学問の研究をする、自分の説を持つ、その説を堅持し続ける、それを表現する、そういうことはむろん憲法にいう学問の自由の保障であると思います。ところがそのものの考え方が具体的な実在の集団としての行動をする日教組という集団の行動綱領を合作し、その具体的効果が日教組という集団として現実行動が表われ続ける。その姿に伴いながら、その倫理綱領の合作者としての意思を持ち続けながら倫理綱領を作り上げて今日に至っておるということ、そのことは私は憲法のいう学問の自由のらち外のことだと思います。
#43
○小林武君 その場合、合作という、日教組との合作というのはどういうことですか。
#44
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 日教組の出版物によれば協力者と書いてあります。協力者という立場は合作者の立場だと思いますが、それが作られました昭和二十六年の九月でありますか、日教組から出版いたしました教師の倫理綱領、そのものの扉に明らかに名前が連ねられておる。その姿で今日まできておると私は理解しますが、そういう具体的な現実行動に表われる、現に日教組という集団の一つ一つの毎年の運動方針その他でこの倫理綱領に基本を置く具体的な事柄が決定されて実施に移されておりますが、倫理綱領との有機的関連性においてしっかりと受け取ります。現実に組合運動として、あるときはまた政治行動的な姿として現われるそのもとを作った者、合作者としての意思を具体的に持ち続けておる。それが具体的にも立証できる姿であるとするならば、いうところの学問の自由そのものでない。もちろん言論の自由ないしは表現の自由ということの一部ではございましょうけれども、いうところの憲法の学問の自由のらち内のそのもののことでは私はなかろうと、かように考えると申すのであります。
#45
○小林武君 そうすると、学者というものは個人の何人かの集まり、それとある団体との間に、あなたの言葉をひとつ全面的に取り入れて、協力し、ともに作ったものであるならば、これは学問の自由のらち外ですか。具体的に言いましょうか。十五人の学者が集まって、それに日教組の何人かの代表が集まって、これらの人たちが討論し、検討をして作った合作、日教組側からいえば、協力してもらったかどうかしらぬけれども、とにかくあなたの言うとおりにして、合作した場合には、その憲法の一体あれですか、学問の自由、表現の自由というようなもの、そういうものの保障は得られないことになるのですか。
#46
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは言論、表現の自由は、また別個の自由権と思いますが、学問の自由というのはそれとは別個に存在する概念だと思います。特に学者が学閥の自由ということを主張せんとならば、憲法にいうところの範囲内のことでなければならないと私は思います。その表われ方は、私の理解によれば、研究すること、研究して一つの学問的な信念を持ち続けること、その信念をそのものとして発表すること、そういう自由を私は学問の自由と思いますが、それが表現の自由や言論の自由ではございましょうけれども、今の問題になっております日教組に置きかえますれば、日本教職員組合という具体的な目的意識を持った集団が現にある。そのものの行動綱領、実践綱領となるべきものを、その集団とともに作り上げるという意識を持って協力した。そしてでき上がりました倫理綱領に基づいて、現実の具体的人格を持った日教組という集団の行動が表われつつある。十年この方、具体的行動を生み出すに至った綱領を合作する責任を分担し合う意思を表示した姿で日教組ではこれを取り扱っておる。すなわち、日教組の出版物たる教師の倫理綱領そのものに協力者として名を連ねるということを認めて今日にきておる。その具体的な行動につきましては、純粋の私は学問の自由のらちの以外のことである。表現の自由だ、言論の自由だというものではございましょうけれども、学問の自由そのものではないと、かように私は理解します。
#47
○小林武君 もう一度念を押しますが、学者が自分の学問の領域、自分の研究の領域の中で意見を述べるということ、何人かの人間がお互いに討論をし合って意見をまとめ、それが教員組合というものも含めてやられたものである場合には、その中で述べられた学問の自由というものは憲法で保障されない。すなわち、学問の自由のらち外である、こうあなたは断定したとしてよろしいですか。
#48
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 単に集まって議論し合う、意見の述べ合いをするということは、学問の自由の保障作用の一つの表われであると言えないことはないと思います。それとこれとは私は違うと思います。現実に日教組という具体的団体があるわけでありますから、その具体的団体の行動綱領を協力し、合作し、合作した責任をずっと分担し合うという意思表示を続けているという姿と私は見るのでありますが、それがそうでないというのならば、日教組から出しました倫理綱領の出版物そのものがうそである。とびらに協力者と書かれていることそのことがうそであるというなら別ですけれども、そうでない限りにおいては、具体的な行動のもとをなすところの行動綱領を作ることに協力し、その協力した綱領が具体的な作用として表われ続けていることも承知しながら、協力者の意思を常に持ち続けているということを実証している姿は、そのものずばりの学問の自由の作用じゃない。むしろ、それは一般にいうところの表現の自由とか、言論の自由とか、あるいは結社の自由とかに関連する事柄だと思います。
#49
○小林武君 それではあなたは、合作をした、教員組合と合作したから、憲法の、これはそこに述べられた学問の自由というのは憲法に保障されないのだ。憲法で言うところの学問の自由ではないのだと、こういうわけでしょう、端的に言ったらそういうことでしょう。
#50
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 具体的社会行動と関連した姿が継続します限りにおいては、その範囲内においては憲法二十三条に言うところの学問の自由そのものではあるまい。他の表現の自由、結社の自由ないしは言論の自由という課題として受け取るべきことであろう、こう思います。
#51
○米田勲君 関連質問。今の二人の質疑応答を聞いておって、文部大臣にこの際一つだけ確かめておきたいと思うのは、日教組という団体が行動をする。その行動の全体にわたって、十数年前に倫理綱領を作成した当時に協力をしたこの十五人の学者はすべて責任を持たなければならないものかどうか。もう一度お聞きしますと、倫理綱領を作成した当時、その原案を作った当時に、十五人の学者が協力をしたということは事実ですから、そのことはその後、日教組という団体がいろいろな行動をする。その行動の全体にわたって、この十五人の学者は責任を分かち合わなければならないのかどうか、そう考えているのかどうか、その点をひとつ。
#52
○国務大臣(荒木萬壽夫君) これらの学者が組合員である限り、私はその意味において、当然おっしゃるとおりになると思いますが、倫理綱領そのものを作ることに協力をした。そうして現にこの倫理綱領は生きている、その生きている倫理綱領の合作者としてのその責任は分担し続けて今日にきている、こういう状態だと思います。だからそのことを、憲法二十三条にいうところの学閥の自由の表われそのものだとは言いかねる。むしろ、表現の自由ないしは言論の自由、合作の自由の概念をもって律せざるを得ない、こういうことです。そう私は理解すると申し上げたのであります。
#53
○米田勲君 文部大臣、僕の質問が的確でなかったのかどうか、全然違うことを答えられた。倫理綱領の原案を作る当時に、その討論に参画した十五人の学者、これは事実十五人の学者が参画をしている、それは文部大臣の言うとおりだ。そして倫理綱領というものは廃棄になっておらない、今日生きている、これも事実だ。さて日教組という団体は、この十数年来、非常に広範な活動をしている、いろいろなことをやっている。その行動の全体にわたって、この十五人の学者は責任を分担してになわなければならないのかということ、その行動全体に対して。私は倫理綱領の話をしているんではないぞ。日教組の行動全体にわたって。
#54
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それはさっきも申し上げたと思う。日教組のメンバーでない限り、行動そのものに直接責任を負う立場ではないと思います。倫理綱領については責任を分担すべき立場だ。
#55
○米田勲君 そうすると、その点をはっきりもう一ぺんお聞きしますが、日教組という団体がどういうものの考え方に基礎を置いて行動しようと、その日教組のとった行動なり言論は、この十五人の学者は別に責任をとらなければならないという立場ではありませんね。これははっきりしておりますね。組合員でもないし、そしてその行動をともにしているわけでもないし、私ははっきりこの際、日教組のなしておる実際の行動、言論については、この十五人の学者は何ら責任を負う必要のない立場の人である。こういうことを確認していいかどうか。
#56
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それはそのとおりだと思います。私は倫理綱領そのものを批判し、その倫理綱領を作るについての合作者としての責任は、これらの学者は分担すべきであるし、その意思を今日まで持ち続けておるという実際の証拠がある。こういう立場で倫理綱領を作ることに協力した学者を批判しているのであります。
#57
○米田勲君 そうしますと、最初に問題になっておるその十五人の学者は問題にならぬ。といって、その学問的な立場を大衆の前で否定をするような言葉をもって演説をしておる文部大臣の言い方というのは、倫理綱領を作成した当時の執筆の協力者である十五人の学者、そのことだけを批判をしておるのであって、日教組の行動の中で、文部大臣が考えてどうもうまくない言論、行動があるという考えが文部大臣にあるんだが、そのことで直接その学者を否定したのではないのだね。倫理綱領のことだけですね。日教組の行動が悪いから、それであの十五人の学者はなっておらぬのだと言ったんではないんだね。
#58
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 先ほどから一両回お答えいたしましたように、もちろんそうであります。組合員でもない人に組合たる日教組の行動そのことを、倫理綱領執筆者が責任を負わなければならぬとはむろん思いません。しかし、その日教組の行動なるものの誤まりは、元をただせば倫理綱領にあり、その間違った行動の原動力ともなる誤まった目的意識を作るべく協力してあえてはばからない学者というものは、どうかしていやしないかと思うから批判したのであります。
#59
○米田勲君 そういう点をはっきり文部大臣してもらわなければならない。あなたは日教組の行動を批判をして、その行動に対して、その当時の執筆者に責任をとらせようという立場で批判をしておるんですか、そうでないと言ったでしょう、今。日教組の行動がいいとか悪いとか言っておる。学者にその責任を負わせようとしておるのではないと言ったんではないですか、さっき。やはり責任を持たせるんですか。
#60
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 執筆者としての責任は持つべきだと思います。少なくとも批判されてもいたし方のない立場にある意味において責任は分担をする意思を持っておる。そういうことはいまだに持ち続けておると私は理解しますが。
#61
○米田勲君 それは倫理綱領だけについて。
#62
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領だけについて。その倫理綱領の誤まりのゆえに日教組の現実の行動の誤まりが毎年々々続発しておる。そのことはそのもとを作った協力者たる学者も知っておるにかかわらず、依然として協力者である立場を持ち続けておるのはどうだろうということもあわせて批判しておるわけでございます。
#63
○米田勲君 暴論だな。まあ関連質問だからこの程度にしておく。
#64
○小林武君 もう一ぺん念を押しますがね、あなたはなかなかはっきりしないので念を押しますが、文部省に協力した学者そういうふうにひとつ限定してやりましょう。それは文部省というのは、今まあこれは社会党でもよければ、何でも同じなんだが、そういう政党でもいいし、あるいは自民党もそうだし、いろいろな政党、団体、それとまあ同じひとつ立場におって文部省に協力した学者、この文部省に協力した学者は、先ほどの話じゃ、たとえば中央教育審議会というようなところで協力をした、その場合に中央教育審議会で討論をして一つの結論を出して、その結論については文部省がこれをとるかとらないか、あるいは修正するかしないか、そのままうのみにするか、いろいろな立場があると思う。文部省が主体的な立場でこれらの意見をとった場合、この場合は合作と言わない。言わないのだね。日教組の場合は十五人の学者にいろいろな意見を求め、協力を求めて作ったもの、これを日本教職員組合の最高機関である大会というところでその採否を決定した、とるということに決定した、小部分ではあるけれども。これについて修正も行なっている。同じ形式で文部省の場合も日教組の場合もやっているのだが、日教組の場合は合作と言う。文部省の場合は一体これは何と言うのかね。それをひとつ聞かして下さい。
#65
○国務大臣(荒木萬壽夫君) たとえば中教審の場合は、諮問に応じて中教審という諮問機関の意思がきめられて答申という形で述べられた、それを文部省で採否は自由である、理論的には採否は自由でありますが、実際上は大部分それを基本に立案をするということでしょうが、その立案したものそのものは文部省の責任において意思が決定したものであって、合作などという表現は使わないと思います。日教組の場合は、合作者なりという姿を、日教組みずからが採択した後もみずからの出版物の上に書いておりますから、そのことを指して私は申しておるのであります。
#66
○小林武君 あなたはそれでは、先ほど私があなたに質問をした内容について、手続的には文部省の場合も日教組の場合も同じだと認めますか、違うと認めますか。いいですか、その手続が、あなたに言わないとわからない。妙なことを言うから言うがね、文部省も諮問をして答申を得た、われわれは役所やそういうあれじゃないですからね、官僚のあれじゃないから、学者の方々に意見を求めるときに、諮問して答申せよなんということはこれは言えぬ。これは民間だってよくそんなことは言わぬ。民間となればやらない。政府となれば思い上がってやるのかどうか知らぬけれども、諮問とか答申とかいう言葉が出てくる。われわれでいえば御意見を拝聴する、それに対して意見を向こうが述べる、文部省でいえば答申を受ける、それを大会で決定する。そのときに、はなはだ失礼だけれども、述べられた御意見をそのままうのみにするというようなことはございません。こういうのは、これはもう文部省よりかもっときついかもしれぬ。いろいろなことを言う人が多過ぎますからな。手続的にはどうですか、同じだと認めますか、どうですか。まさかこれを違うとはおっしゃらないでしょうな。
#67
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 大体似たようなものでございましょう。
#68
○委員長(北畠教真君) ちょっと速記を中止して下さい。
  〔速記中止〕
#69
○委員長(北畠教真君) 速記を起こして。
 午前中の質疑はこの程度にして、これにて休憩いたします。一時十分に再開いたします。
   午後零時十二分休憩
   ――――・――――
   午後一時三十一分開会
#70
○委員長(北畠教真君) これより委員会を再開いたします。
 午前に引き続き質疑を続行いたします。御質疑のおありの方は御発言願います。
#71
○小林武君 文部大臣に確かめますけれども、学者の協力の仕方、学識経験者といいますか、学者その他学識経験者、そういう方々の協力の仕方は、文部省に対する中教審、それから日教組に対する学者の、あるいは専門家の協力の仕方、大体同じだという、こういうところまではよろしいですな、文部大臣。よろしいですね。
#72
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 大体同じだと思います。
#73
○小林武君 そうすると、先ほどの合作と称するやつは間違いだということになりますね。大臣の考えは合作というのは、先ほどは同じという意味にはとっていなかったから、ようやく理解がついて、合作の段は、それじゃあなたの間違いだったと、こういうことになるわけですね。
#74
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 間遠いであったとは思いません。私が合作と申しますのは、単に学者としての意見の述べっ放しでなしに、意見を述べっ放して、それを日教組という法人格を持った立場で受けとめて完全消化した状態よりも、一歩踏み出した状態ではなかろうか。これは教師の倫理綱領というものを、もちろん組合の全国大会で採択して本ぎまりになるわけですけれども、本ぎまりになりましたその倫理綱領そのものをみずから印刷し、頒布しました倫理綱領そのものに協力者として依然として名前を連ねて、責任を分担する形を持ち続けておる意味において少し違う点があると思います。
#75
○小林武君 またあなた前言を翻すんですか。はなはだ僕は遺憾なことだと思うのですね。文部大臣ともあろう方が、そう一々前に言ったことを翻してもらっては困るのです。いいですか。あなたのほうの、たとえば中教審を例にあげましたが、中教審は言いっ放しで、日教組のほうは言いっ放しでないというふうなことを言うのはおかしいじゃないですか。中教審のあれは言いっ放しということになるんですか。言いっ放しなんていうばかなことはないでしょう。学識経験者にしろ、学者にしろ、その他専門家にしろ、意見をこうだということを、しかも多数が、一体人間が合議する上においては意思の統一というものがある。意思の統一があって、それが一つの答申として、文部省の場合、出された場合ですよ。それは少なくともそこに集まった方々のとにかく全知全能をしぼって出した結論ですわ、お互いがまた理解し合えるところのぎりぎりの一体ものなんです。それが出された。それについて採否のことについては、これは文部省の御随意、日教組の場合もこれは随意なんです。だから私が申し上げるように、多少のところは修正もあったでしょう。そこまでいったら、あなたのほうのやつは合作でなくて、日教組のほうは合作だという理由は成り立たないじゃないですか。あなたさっきおっしゃったように、その手続、形式ともに大体同じであるということをもう一ぺんあなた確認しなさいよ。
#76
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 前言を翻したつもりは毛頭ありません。今お話のとおり、まさしく意思の統一があって中教審の答申というものが出た。その出たものを文部省が参考にしまして、ある法案とか何とかを作り上げます。そのときには合作の姿ではない、もう完全に消化し尽くされて、文部省みずからの背任においてすべてがその後は律せられる意味において違うということであります。答申が出るまでの姿は、私は日教組の協力者として学者等が意見を述べられたのと似たような、大体同じだと、こう申し上げるのはその意味であります。しかし日教組のこの協力学者は、その後といえども、その倫理綱領を作るについて協力したのだという考え方を日教組の印刷しましたものを通じて表明し続けておられる点において違いがある、それを合作と、こう言うのであります。中教審の場合は答申までで終わって、答申に基づいて最終的なものができ上がる姿は完全消化のことで、その完全消化の姿の案そのものに中教審のメンバーの責任分担の姿が断続していないという意味において逢うと申し上げるのであります。大体同じだというのは答申までの段階において大体同じだ、こう申し上げ得るであろう、こういうことであります。
#77
○小林武君 あまりにもあなたの発言は乱暴ですよ。あんたそういうことを言っているんじゃ、文部大臣の発言としては、文部大臣ばかりでないわ、とにかく閣僚として問題ですよ、あんた。たとえばあなたどうですか、道徳教育に関してあなたのほうでやはり諮問していることあるでしょう、教育課程に対して諮問しているでしょう。そのことを文部省として今度はやられた。ところが、その諮問に応じたところの学者並びに教育実践家、それらの人たちはどういう態度をとっていますか。やっぱりこれと同じことを、教育課程の正しいこと、道徳教育について文部省に答申した意見を堂々とその他のあれで述べておるじゃありませんか。そういう事実をあなたは認めませんか、どうですか。一切あなたの言う言いっぱなしで、あとはもうそのことについては全然触れていないというあなたは確信がありますか。
#78
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは問題が少し違うのじゃないでしょうか。それらの審議会の委員等は、答申を出すまでに学者的立場で意見を述べるということで使命は終わっております。その後、それと同じ内容のことを、たえば同じでございましょうとも、それを発言するということはまた別個の立場の、審議会の委員としての立場でなしに、学者なり何なり、それみずからの立場において同じことを言っておる、別個のことだと私は思います。
#79
○小林武君 そういう点は、一体、倫理綱領を書いた方々も同じじゃないですか。
#80
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それが私は違うと理解しておると申し上げるのであります。それは倫理綱領、これが倫理綱領、だと最終的に消化し尽くして、みずからのものとして定めた、日教組みずからが倫理綱領として印刷し、頒布したところのそのとびらに、協力者の名前を依然として十五名連ねたものを一体として表明しておる、その意味において私は違うと思います。文部省の場合は、答申まではその名前がものをいいますけれども、それをもとにして法案なり何なりを作りました、あるいは学習指導要領を作りました後は、その協力者のメンバーの責任はない、すべて文部省の責任ということで完全消化しておる状態、すなわちくどいようですが、申し上げれば、学研指導要領というものにその知恵を注ぎ込んでくれた人々の名前を一緒に文部省の名前と並べながら、これがそうですということにしていない、(「そんなばかな答弁はやめなさいよ」と呼ぶ者あり)これは私はばかだとは思いません。これは日教組という立場、文部省という立場だと思います。今の事例からいきますと、文部省という立場、日教組という立場、それが最終段階の形だと思いますが、最終段階の日教組のこれが倫理綱領なりと定めた最終的な意思表示のものに名前を連ねておるという状態は、これは文部省の場合と違うと思います。そのことを申し上げるのであります。
#81
○小林武君 まあその点からちょっとはずれますけれども、まるきりはずれるわけじゃないが、ちょっとあれしてもらって、あなたには依然としてというお言葉でございますが、この依然としてというのは、このことを言うのですか、これだけですか、これ以外にありますか。
#82
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それであります。
#83
○小林武君 これはいかなるために作ったものであるか御存じですか。これは原案です。原案までいかない、原案以前の討論資料として出された。だからこの部分については修正の問題が一つある。あなたは、そうしたらこれはあれでしょう、依然というのはおかしいでしょう。依然というのは前の以前ということでないでしょう、あなたの依然は。あとで作った、日教組が作ったものはこれです。これのどこに名前が書いてありますか。これは原案として出す場合に、いや原案ではありません、討論の資料として出す場合に、こういう人の協力のもとにこれは書きましたといってこれは出しておる。だから十分討論をなさって下さい、いろいろな考え方の人がありますから。そしてそれが今度はいよいよ討論を終わった後に出された問題は、この倫理綱領の中にあるさまざまな解説の部分は何にも大会には討論の材料として出していない。いいですか、だから先ほど米田委員が要求したものはこれだけです。そうしてできたら依然というのはおかしいじゃないですか。あなたは誤解に基づいて他を誹謗することはやめなさい、文部大臣らしくない。そういうことはあなたはきわめて言っておるのですか、どうですか。
#84
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 討論資料とおっしゃいますが、案と書いてありませんから、そういうものじゃないと私は受け取っております。同時に、十ヵ条の綱領だけが審議されたと言われますが、討論資料であるとしましても、解説等が一括されたものが当時作られて、それに協力者の名前が載っておるということは事実だと思っております。
#85
○小林武君 あなたはさまざまなことを捏造しては困りますよ。組合は国会と違うのですよ。お役所と違うのですよ。これは組合の中にも案を書いたものはありますよ。それは原案として出す場合は案と書いてあります。これはその案以前の、こういう問題について討論をしてくれ、討論をしたあとにいよいよ日教組がこれを原案として提示する場合には案と書く。あなたのおっしゃるこれはあれではありませんか。案を出す場合に、どこのだれが一体協力者の名前まで可決して決定してくれと出すばかがありますか。あなたはその誤りを認めなさいよ、どうなんですか。そんないいかげんな捏造をやってもらっては困る。これが依然として、依然としてといえば前にやったものをその後も依然としてやっておるから依然としてです。だが作ったものはこれだけです。倫理綱領に関して出たのはこれだけです。おかしいじゃありませんか、どうしたんですか。
#86
○国務大臣(荒木萬壽夫君) その協力者であったことは事実でございましょう、私はそう思いますが。
#87
○小林武君 それであなたは協力者であるということがまずいのだということになれば、先ほどの、よく聞いて下さいよ、あなたはだいぶん頭が混乱しておるようだからね。協力者だということになれば、中教審の問題も同じだし、あなたのおっしゃったことも同じです。大体とつけられたが、大体ということはよけいなことです。同じことです。それからまた、あなたのほうの協力者、中教審のたとえば協力者といったら、その協力者の教育課程とか、いろいろ協力する学者もあなたのほうで完全に消化したものであっても、あとに同じことを述べておる。教育課程は正しいと、こう言っておる。あなたの立場に立ってそう言ったら一体どこに違いがありますか。日教組のは合作であるし、中教審その他の方々は合作でないというのはどうなんですか。あなたの合作論は誤りです。誤りなら誤りということをあなたは言いなさい。合作の事実はないということを認めなさいよ。何も書いて読まなくてもいいですから、合作でないということを言ってくれればいいのです。そうしなければ議論が進まないでしょう。合作でないでしょう、どうです、ここまで言ってもわからぬですか。こじつけをやめなさいよ、あなた。原案以前のものですよ。そのくらいのことはあなたはおわかりでしょう。どうですか。合作したからという根拠はなくなりましたね。このことをお尋ねいたします。どうです、文部大臣はっきり言って下さいよ。
#88
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 合作という言葉は、今のお話のとおりだとすれば、文部省の中教審その他の委員の意見が実質的に反映したことと同じようなことだと思います。
#89
○小林武君 なるほどたいへんけっこうです、今の答弁は。そうすると、私はあなたにきわめて善意ある質問をいたしますけれども、宗像誠也氏以下十五名に対するあなたの今まで誹謗したことはなくなったということになりますね。そうでしょう。
#90
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 合作者ということをかりに言わないとしましても、協力者として日教組で最終的に採択しました現行倫理綱領のほとんど全部について意見を述べ、それに同意しておるいう事実は否定できないことだと思います。
#91
○小林武君 そうすると、あなたのおっしゃる意味は、合作の話は抜きにしても、先ほどあなたは合作だからけしからぬとおっしゃった。合作ということは抜きにしても、この人たちが協力したという事実は残るでしょう、私も残ると思う、何と言ったって残る。そうすると、あなたの攻撃は依然としてやはりこれらの学者に向っているということだけは事実ですね。この点どうです。
#92
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領が物語っております目的意識、それと同じ意向を持っておるとする限りにおいては、批判の対象としてはむろん残ります。
#93
○小林武君 よくわかりました。そうなると私はあなたに重要なことをお尋ねしなければならぬ。その攻撃の的は、この人の持っている思想並びに学問についてあなたは攻撃をかけている、こうみてよろしいですね。
#94
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 教育基本法の趣旨に反する内容のことを是なりとする考えを持っておる意味において批判する対象になると思います。
#95
○小林武君 一つもう少しはっきりしてもらいたい。教育基本法ということはまあけっこうです。そういう言葉も大事だけれども、私があなたにはっきり言ってもらいたいのは、この人の持っておる思想、すなわちあなたに言わせれば、教育基本法とか、憲法とかの問題にかかわるでしょう。思想、学閥――この人の思想、学問についてあなたは攻撃しているということ、この事実はいかがです。
#96
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 十五名の人々の学者としての全貌、それは私の知るところではありません。ただ、日教組の協力者として教師の倫理綱領の目ざすものを是なりと判断し、それに同意しておるという協力の仕方であったという前提において、その教師の心がまえ、実践綱領としてはそうあるべきだというものの考え方は、教育基本法第八条に反する。反することも知らないで、さような協力をするという姿に対して批判を加えておる。
#97
○小林武君 回りくどく言ってもらいたくないけれども、だから結局裏を返すまでもない、その言葉どおり受け取れば、この人の思想、学問に対してあなたは批判し攻撃している、どうですか。
#98
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 今申しました問題に関する限りしか私は知りません。その問題に関する限りのものの考え方は、日本の実定法たる教育基本法に反することだ、だから教育の立場から見れば迷惑だということを批判しておるのであります。
#99
○小林武君 それではあなたが答えやすいようにひとつ質問を申し上げましょう。倫理綱領の中に、倫理綱領を通してのこれらの学者の思想、学問上の見解、それはとにかくあなたの攻撃の対象だ、こうみてよろしいんですね。
#100
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領そのものが目ざしております具体的内容、そのことを是なりとする判断というものは教育的な立場からみて妥当ではない、間違っておる、こういう考え方……。
#101
○小林武君 思想学問ですね。
#102
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領に現われた部分……。
#103
○小林武君 倫理綱領ですか。
#104
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 教師としての実践綱領としての意味合いにおいての考え方、それであります。
#105
○小林武君 私は先ほどちょっとこの大きな記録を読んだんですけれども、一つの例としてこの中に書いてあるのは、東大の宮原誠一さんが述べてあるんですがね、倫理綱領の中に書かれていることを是認し、学問的な見解からこれは妥当であると認めております。そうすると、あなたはほかのいろいろなことというのは避けられているようですから、あなたは倫理綱領だけしか知らないようだから、この倫理綱領を妥当だとし、学問的に見てこれは当然だとする思想、学問についてはあなたは不適当だと、極端なくらいあなたそう言っているんだな。国民の血税をもって高給をもらっている国立大学の教授で、現職であると、こういうふうにきめつけてある。こうまで言っているんだから、あなたはこのような攻撃は思想、学問について述べているんでしょう。それは倫理綱領というものを通してみて間違いないですね。それを大体ここらへきたらイエスかノーかで答えてもらいたいですよ、妙なことを引っ張り出さないで。
#106
○国務大臣(荒木萬壽夫君) すでにきまっておる倫理綱領そのもののもとをなした協力者の立場において、倫理綱領の目ざすところの教師の行動、綱領を是なりとする考え方が、実定法に反していることを是なりとする意味において正しくない、こう批判しておるのであります。
#107
○小林武君 何を言っているんだ、あなた僕の質問に答えて下さいよ。文部大臣、この人たちは学者としてこれに協力するということは、自分の学問上の立場に立ってやるわけです。あなたは歴史的課題というようなことをだいふ口悪く――歴史的課題なんというのはこっけいだとおっしゃたが、たとえば歴史的課題、今の社会における歴史的な課題、日本の歴史的課題というのは何かということは、これを突き詰めるには哲学者は哲学者なりに、教育学者は教育学者なりに、歴史学者としての上原専禄先生は歴史学者としての立場でその課題に当たったんです。すなわち学問上の多年の研さんにわたる自分の学問の学説をここで述べているということになれば、端的に言えば学問上の問題です、思想上の問題です。だからそれがあなたは何でもいいんだ、実定法でも何でもけっこうだ。あなたがこの人たちを許しておけないと攻撃するのは、その学問、思想の問題を倫理綱領というものを通してあなたは攻撃しているのだろうと、こう聞いておる。だからそのとおりですと言ってくれれば、よけいなことを言わないでいい。
#108
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 大体かりに原案だといたしましても、日教組の作りましたその印刷物そのものは、十カ条の倫理綱領と解説が加わったものであります。それに名前がつらねられております。である以上は、解説まで含めた倫理綱領の意図するものを承知して、そうして同感の意を表した人々だと思います。そのことに関する限り、教育基本法の立場から考えまして間違っておる、そう言うのであります。
#109
○小林武君 学問、思想が間違っておると、こう言うのでしょう。学問上の見解、その人の思想は間違いだと、こういうのでしょう
#110
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領に関する限りそう思います。
#111
○小林武君 そこまで言ったので、学問、思想だね。わかりました。そうすると、ひとつお尋ねいたしますが、一体、法律とか、あるいはそのときの政府の考え方に相反するような学問上のさまざまな学説というようなものは、これは為政者の手によって攻撃されるということになりますね。
#112
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 批判することは為政者であろうと、だれだろうと自由だと思います。
#113
○小林武君 文部大臣としての発言は、単なる批判にとどまるとあなたはお考えになりますか。あなたはここでこう言っておる。およそ国民の血税をもって高給をもらっておる国立大学の教授で現職である、こういうことを言っておる。そういう攻撃をかけておる。ほんとうの意味の学問の自由、大学の自治、なんということをいっておる。一体そうすると、あなたの言うほんとうの意味の大学の自治なり、学問の自由というようなものは、文部大臣、私は批判というようなものをするのはかまわないと思います。批判はそれぞれあっていい。しかしあなたは、この間も申し上げたが、文部大臣として、しかも国の費用でお出かけになった。社会教育局長ですかを帯同されてお出かけになった。まるっきり文部省そのものが移っていったような席上でやられた。文部大臣として、一個人としてやったなんということは私は言わせない、そういう人が、一体ほんとうの意味の学問の自由なんということはどういうふうに考えるか。あなたは自分の意思に反するような、自分の見解に相反するような研究なり何なりをやる人はけしからぬと言っているのだよ、ここで。国民の血税で高給をはんでおる者としては不行き届きだ、こう言っておる。その際においては、あなたは任命権者なんだ、ある意味で。横やり入れれば幾らでも入れられるような立場にある。あなたは日ごろそう言っておる。大学の自治というものをなかなか認めないような意見を述べておる。そういう立場にあるということをみずからあなたは述べている。そういうものが、今のような発言をしてこれを誹謗した場合には、一体、政府は、文部大臣をして学問上の自由を侵害しているのじゃないのですか。侵害にはなりませんか。
#114
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由、大学の自治を侵害しているとは思いません。文部大臣の立場におきましても言論に対して自由な立場を与えられていると思います。学者であれ、だれであれ、ある意思の表現について、ことに現実に存在する教職員組合というもののために実践綱領を書いて与える、こういうときに単なる抽象論ではなく、具体性を持った場において意見を述べるというときに、憲法ないしは教育基本法の存在を無視したような意見をはいている、そのことの私は非常識さを指摘するのであります。単なる立法論として抽象的な意見を述べることは、これは完全に自由だと思います。それから日教組に意見を求められて言うこともむろん自由の範囲であることと思います。ですけれども、その目ざすところが、具体的に存在する集団の実践綱領について意見を述べるにあたって、実定法たる教育基本法の存在を無視するがごとき意見が出ている。そのことが私は批判の対象になってしかるべし、こう思って批判をいたしているのであります。
#115
○小林武君 あなたにお尋ねいたしますが、ひとつほかの例をとって言いますと、一六二四年ですから、だいぶ以前のことですが、これは学問の自由の重大な問題点であると思うのでお尋ねいたします。パリの大学で、パリの最高裁判所が、アリストテレスを誹謗するものは死刑をもって臨む、そういうことがアリストテレスの学説を誹謗し、考え方を誹謗するというか、批判する、誹謗すると当時のあれは言ったのだろうと思いますが、一体その場合、あなたは学町の自由という問題をどう考えますか、学問の自由というのは、かりに倫理綱領そのものが教育基本法のどこかに抵触する部分があるとしても、学者が自分の意見を述べるということについて、他から干渉され、あるいは弾圧され、直接関係あるところの文部大臣から、かれこれ言われるということは、これを認めるかどうか、それとも学問の自由というのは、そういうものでなくて、真理の追求のためには何ものの拘束も受けないで真実を追求しようというのが学問の自由か、どちらの立場をとるでしょうか、あなたにお伺いいたします。
#116
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法二十二条が保障している学問の自由というのは、午前中にも申し上げましたとおり、研究する自由、自分の学問的な信念を維持、確保する自由、それを表現する自由、そういうものによって構成されると理解しますが、それには何人といえども拘束を加えることは許さないということだと思います。
#117
○小林武君 だいぶわかりのいいことをおっしゃった。文部大臣の使命はそこにあるんじゃないですか。大学の教授、国立大学の教授であろうと、何の大学の教授であろうと、憲法に保障された学川の自由というものを、あなたは一体保障する役目を持っているのではないですか。その保障する役目を持っている文部大臣が、最先頭に立ってこれに干渉し、誹謗を加えるということは、あなたは学問の自由というものを一体ほんとうに理解していないのですか、どうですか。
#118
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 理解しておるつもりであります。学問の自由と、その学者なんかの意見に対して批判することは相矛盾するものではない。何らの制約を加えられない。しかし、それが批判されること、そのことは別個の立場において当然あり得る、何らの矛盾を私は感じないものだと思います。
#119
○豊瀬禎一君 関連して。学閥の自由の範囲をどういうふうに考えていますか。
#120
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 先ほどお答えしたとおりに心得ます。
#121
○豊瀬禎一君 憲法上制約があると考えておりますか。
#122
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法上国家権力によって制約は加えられないもの、そういう性質のものと思っております。
#123
○豊瀬禎一君 国家権力外の制約は加え得ると判断しておりますか。
#124
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法第十二条の乱用を許さない、公共の福祉に貢献する責任を負うという意味においての制約は、抽象的にはむろんあると思います。具体的にそれがどう現われるかということは私にはわかりません。
#125
○豊瀬禎一君 乱用の禁止は学問の自由をも原則的には拘束する、こういう答弁ですか。
#126
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法十二条は、第三章全部にかかっておる条章だと思います。
#127
○豊瀬禎一君 だから、学問の自由の条章も拘束する、このように判断しておられるのですか。
#128
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 必ずしもそう判断して、具体的にどうだということではございませんが、第十二条というものは三章全部にかぶるものと、こう理解をいたしております。
#129
○豊瀬禎一君 乱用の禁止という第十二条か、自由の保障との――三章に関連して全章にかかるという場合には、乱用の禁止と自由の保障との関係は、この学問の自由という条文にのみ限定した場合には、あなたの判断はどういうことですか。
#130
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 抽象的にはかぶると思いますが、具体的にはわかりません。
#131
○豊瀬禎一君 わからないことはお答えにならないほうがいいです。憲法論議をしているのじゃないですから。あなたが十二条の乱用の禁止は、文部大臣として、学問の自由の保障の際にどういう制約を意味しているか、大学においては、学者においては、特に国立大学においては、いかなる内容と措置かということも御存じなくして乱用の禁止をこの際にあげるということは不適当な答弁ですね。憲法と基本法は、あなたはどちらを優位においていますか。
#132
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法が根本法であり、憲法に基づいて制定されたものが教育基本法、こう思っております。
#133
○豊瀬禎一君 一つの具体的事実の場合に、実定法たる基本法の解釈が憲法の定めの解釈と相違した場合に、いずれをとるべきだと思いますか。
#134
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 解釈は人によって異なることがあり得ましょうが、教育基本法それ自体が物語るその内容は、前文にも書いてありますように、憲法の趣旨にのっとって定められている、憲法とのいささかの矛盾もなしに制定されている、こう理解しております。
#135
○豊瀬禎一君 あなたが基本法に抵触するおそれがあるという、あるいは違反しているという表現は、たとえば具体的にあげましょう。戦争放棄の条文はあやまちであるという思想は、憲法の戦争放棄の条章との関係は、あなたの用語を使えば違反ですか、それとも反対ですか、何という用語で表わしますか。
#136
○国務大臣(荒木萬壽夫君) ちょっと御質問の趣旨がはっきり受け取れかねましたので、済みませんがもう一ぺん。
#137
○豊瀬禎一君 戦争放棄を憲法に、定めたことは間違いであるという言論、あるいは学問があるとすれば、現行の憲法の、戦争放棄を定めているという憲法に対して、その思想は違反であるのか、反対であるのか、それともあなたは何らかの荒木流の造語で表現しますかと聞いているのです。
#138
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そういう意見を述べることは自由だと思います。豊瀬禎一君 学問の自由の保障には、現行憲法の改訂、現行教育基本法の改訂、そのことに対しては少しも制約を受けない、こういう意味ですね。
#139
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 立法論を述べることは自由だと思います。
#140
○豊瀬禎一君 立法論ではなくして、ここは憲法はこう定むべきでないとか、あるいはこの基本法の、たとえば教育行政は教育諸条件の整備をすることが本務である、そういう定めはすべきではない、とにかく憲法、教育基本法に反する学問研究、あるいは意思表示、それは学問の自由あるいは言論、表現の自由とは別個のものだ、あなたに言わせると何らかの制約を受くべきものだというお考えですか。
#141
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 今おっしゃる限りにおいては、制約を受けるはずはないと思います。
#142
○豊瀬禎一君 そうすると、あなたが先ほど小林委員に答えたところの、合作でなくして思想、学閥の提供という段階に関する限りは、憲法あるいは教育基本法の思想と異なった思想を書物に善き、演説を行ない、ある人に語るということは、少しも現行憲法上の制約はない、あなたにいわせると、総括的には十二条の定めがある、それ以外のいかなる制約もない、このようにあなたは考えておられるか。
#143
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そのとおりに思います。
#144
○豊瀬禎一君 そうすると、学者相互が相手の学者を批判し合う場合と、池田総理が国立大学の特定の人物、たとえば茅誠司、遠城寺九大学長、こういった特定の学者を、町の内閣あるいは政治権力を掌握している人々、この人々が公開の席上で批判をするということと、学者相互が学問の論争としてやる場合は、学問の自由の保障という場面からとらえていくと、すべて影響するところは同じである、このように理解しておられると思いますが、そうですか。
#145
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 影響するとおっしゃることがどういう意味か、はっきりわかりませんけれども、表現の自由、言論の自由あるいは学問の自由、そういうものはそれぞれあるので、たとえば、ある学者が何か意見を述べたことに、学者であれ、学者でない人であれ、それに対して批判的意見を述べる、これまた自由、それぞれの自由が、共存するのであって、その批判をされたことによって、その相手の自由権が制約を受けるという関係には立たないと、こう私は思います。
#146
○豊瀬禎一君 まさにそのとおり、だから、学者相互がやる場合と、荒木萬壽夫がやる場合、池田勇人がやる場合は、影響は同じですかと聞いておる。
#147
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 影響というのが、基本的人権、相互の関係においての影響いかんということならば、影響は同じだと思います。
#148
○豊瀬禎一君 学問の自由の保障の最も重大なるというか、最も責任を負っておるところはどこですか、主権者である国民全体ですか、それとも学者相互ですか。三つの例をあげましょう、国家権力を持っておる人々ですか。
#149
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由というのは、私の理解に従えば学者に限られない。全国民が学問の自由を保障されておると思います。
#150
○豊瀬禎一君 あたりまえのことをあなたはもっともらしく答弁されるが、その学閥の自由の保障の責任は主権者の国民の一人々々に分割されておるか、それとも、国会かそれとも国家権力か、この三つをあげた場合に、ほかのあなたの表現でもよろしいですよ、どこが一番負うべきだと思いますか。
#151
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 国民全部だと思います。
#152
○豊瀬禎一君 国民全部ということは、Aという特定の人が持つ責任と、国立大学というものに関して持っておる国の責任とは同じである。自由の保障ですよ、同じである。こう理解してよろしいですね。
#153
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由を保障するという、保障ということ、それは主として、私は国民全体と思いますけれども、主として、国家権力がこれに制約を加えないという意味合いにおいて保障という意味がはっきりしてくる。機能的に申し上げて、保障すべき機能というものは、消極的な表現ですが、国家権力によってこれに制約を加えないと、そういう点が主眼点かと思います。
#154
○豊瀬禎一君 初めてあなたと意見一致しました。まさに同感です。したがって、山中太郎が務台理作を批判する場合と、公開の席上で、国家権力の一機関である文部大臣との場合は、その学閥の自由ということでなくして、学閥の自由の保障という範囲においては、影響するところが異なると、このように理解されるでしょうか。
#155
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 影響するところは異ならないと思います。言論の自由、表現の自由という、国民に与えられた立場においての批判、何人であろうと、その批判においての影響というのは同じことだと思います。
#156
○豊瀬禎一君 最大の保障の義務を負っておる国家権力が、国家権力という背景を持って批判する場合と、主権者という立場にある国民が批判する場合とは影響するところは同じである、こういう御主張だと理解します。もう一、二点、関連質問ですが、荒木大臣、あなたが努めて公開の席上で学者の名前をあげて批判なさっているのは、あなたの学説、思想の展開を意図しておられますか、それとも当該学者の批判を意図しておられますか。
#157
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 教育基本法を守らねばならない使命が文部大臣という立場にはあると思います。その立場に立って、倫理綱領の協力者として、考え方を述べられた人々の言にある教育基本法との関連における認識の誤まりというものは黙っておれない、その誤まった考え方に立っているということは、批判し、指摘することが、私としてもなすべきことだと思って批判をいたしております。
#158
○豊瀬禎一君 あなたの思想の展開ではなくして、基本法の擁護活動であるという意味ですか。
#159
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そういう考えであります。
#160
○豊瀬禎一君 そうすると、その際に、たとえば基本法の趣旨と異なっている学問、内容であるというあなたが判断をした場合には、そのことは即学問の自由の保障とは無関係に、擁護するために批判をすべきである、保障の義務は放棄してもよろしい、このように考えておられると理解してよろしいですか。国務大臣(荒木萬壽夫君) そうは思っておりません。国家権力によって制約を加えるという作用ではございません。日教組の教師の倫理綱領という印刷物そのものに名前を連ね、協力者として共鳴されているというその形を、私は妥当でないと、ことに現職の大学教授がそのことを是なりとする立場をとっておられるというそのことが、あたかも教育基本法第八条に反する考え方に立って行動理念を打ち出されている日教組の考え方そのものを、いわば保障するような意味に関連を持ってくることをおそれますから。
#161
○豊瀬禎一君 国家権力の作用としてではないということは、少なくとも学者の倫理綱領に関する思想、学問の批判に関する限りは、文部大臣としてやったのではないということでしょうか、それとも文部大臣は、国家権力の一ポストではないという意味か、どちらですか。
#162
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 批判するということは、国家権力によって制約を加えるという作用ではないと思います。
#163
○豊瀬禎一君 国家権力が特定の人を批判するということは、国教権力の作用が、制約とか不制約ということを抜きにして、国家権力の作用が学問の自由の範囲に踏み込んでいると、当然こう解釈すべきではないですか。
#164
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学問の自由という自由権の行使の姿、結論である意見そのものに批判を加えるということであって、国家権力に基づいて、その意見なり表現なりに制約を加えるという作用ではないと思います。
#165
○豊瀬禎一君 国家権力の作用の場合にはいろいろあるでしょう。法に照らして刑法を適用する場合もあるでしょう。任命権者としての権限を発動して首を切る場合もあるでしょう。それから、戦前あったような弾圧という形でやる場合もあるでしょう。いろいろあるでしょうね。しかし国家権力の座にある人が、一つの思想をとらえて批判するということは、国家権力の作用の当然の一形体である、これも否定するのですか。
#166
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 国家権力の作用とおっしゃいますが、公務員であれ公務員でないにしろ、意見を述べるということは平等に認められている立場だと思います。
#167
○豊瀬禎一君 だから文部大臣荒木萬壽夫がものを言ってはいけませんというのは、どの委員も言っていない。私が今あなたに聞いているのは、首を切るという権限もおありでしょう。刑法の適用ということも適否は別にしておありでしょう。それから批判するということもあるでしょう。しかし、国家権力の座にある人が特定の学者を指定して、その思想はけしからぬ、憲法違反をしておる、とにかく批判をする、誹謗とは言わないでよろしい、批判ということは国家権力の一つの作用である、これを否定されるのですか。
#168
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 権力の作用とおっしゃることがよくのみ込めませんが、ある意見に対して、学者の意見であれ、そうでない個人の意見であれ、その意見に対して、教育行政上の立場から過当でないときに、それに反論を加え、批判をするということは権力の作用と解すべきではない事実行為だと思います。
#169
○豊瀬禎一君 その事実行為は作用でしょう。事実行為は、行為というのは動作ですから、行動ですから、当然作用でしょう。国家権力の文部大臣の言うことは、国家権力の発動の一作用である。あなたが荒木萬壽夫として個人で、造次顛沛、胸の中に反論の構想を練っていたり、あるいは奥さんに向って、ぶつぶつ、宗像誠也はけしからぬやつだと言うのと全く違って、文部大臣として公開の席上で批判をなさるということは、国家権力の発動というか、発動というと戦前のような忌まわしいニュアンスがつきまとうのですけれども、学閥的に言えば作用の一態様である。発動の一態様である、そうでなければ、あなたは文部大臣ではないはずですよ、その場におる限りは。そうお思いになりませんか。
#170
○国務大臣(荒木萬壽夫君) ある具体的な結果を伴わせ得るような法的根拠に立ってという意味において、具体的な国家権力がある、その権力の作用として何をした、どう言ったということではない。国家公務員の立場にある文部大臣としても、一個人としても同じことを言うであろうが、文部大臣としても口を開いて同じことを言ったという意味においてはそれは違いますけれども、批判ということについて、憲法との関連において言えば同じことだと、かように思います。
#171
○豊瀬禎一君 荒木萬壽夫氏がいかなる思想を、共産主義者であろうが、ナショナリストであろうと、今そのことの適否を論じているのではない、それは自由でしょう。あなたの文部大臣の立場に立ってという場合には、荒木萬壽夫個人の思想の展開ではないとあなたはおっしゃる、当然そうでしょう。したがって、文部省という国家権力の意向を代表して批判をしておられる、これもお認めになるでしょう。文部省は反対であるけれども、荒木大臣だけがそう言っておる、まさかそうおっしゃらないでしょう。そういう意味において、文部省を代表し、また国家権力の一機関の代表としての、少なくとも文教行政に関する最高の責任者としてのあなたの発言である。したがって、荒木萬壽夫個人がどういう思想を持っているかの論及ではない、国家権力の一機関としてのあなたの批判、発言、意思表示は、国家権力の発動の一態様である。一作用である。そこまでいくと当然お認めになるでしょうから、それをお認めなさらないと、あなたのおっしゃることば全く支離滅裂、質問するほうが何をどういうふうに聞いたらいいか、こちらのほうが迷います。どうですか。
#172
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 文部大臣としての発言と個人としての発言、発言の立場が違うということはありましても、批判するという作用は同じことだと、かように申し上げるのであります。
#173
○豊瀬禎一君 批判するという作用の、エネルギーの測定を私は質問しているのではなくて、また、その質的な内容あるいはあなた自身の発想の根拠を聞いておるのではない。私がただしているのは、国家権力の作用としてではないですか、こう聞いておる。そのことがそうでない、全く荒木萬壽夫個人の研究発表であるとおっしゃるのか、国家権力の一機関としての代表としての意思表示であるのか。意思表示であれば、それは作用でしょう、批判は意思表示ですから。そういう意味で、作用という言葉にこだわらなくてもいいですよ。国家権力の発動である、発動の一態様であると認められるでしょう。
#174
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 文部行政の代表者としての立場に立った批判であるということだと思います。また、その立場においては、教育基本法の解釈につきまして、文部省の立場で判断したそのものさしによって、ある意見に対して批判する、反論を加えるということも当然のことであるという意味合いにおいて批判している、こういう姿だと思います。
#175
○豊瀬禎一君 私は当か不当か、不当と思わないと言っているのではない。また、当否のことは論及しておりません、今あなたの答弁したことが、国家権力の一作用であると、あなたはそう思いませんかと聞いておる。一形態である、一態様である、どうですか。(「逃げないで言いなさいよ」と呼も者あり)
#176
○国務大臣(荒木萬壽夫君) いや、別に逃げるとか何とかいうとことを申しておるのではありません。権力の作用としてどうかということをおっしゃいますから、そこら辺がちょっと理解しにくいので、私の理解する限りのことを申し上げておるわけでおります。
#177
○豊瀬禎一君 権力の一作用の一態様であるということが、あなたほどの方がどうして御理解できないのですか、そういう大事なときになって、急にかなつんぼになっては困りますよ。あなたは、権力の一機関としての文部省の総意を代表して批判したとおっしゃるでしょう。国家権力が発動される場合には、法の適用という形でいく場合もあれば、別個に法に基づかないで、かつては別個の、いわゆる世にいうところの弾圧という形式、法の適用の場合には馘首ということによってその人の口を封ずる、その学問の進展の芽ばえをつみ取っていくという方法もいろいろあるでしょう。しかし、批判をする、あれは間違っているという批判は、国家権力の作用の一態様である、これをあなたが認めぬ限りは、あなたの言っていることは、荒木萬壽夫が、全く個人が言っているということになるんじゃありませんか。
#178
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 個人であると同時に文部大臣でございます。
#179
○豊瀬禎一君 あなたの個人の思想の問題を対象にしているのではない。あなたが大臣として言った以上は、あなたが認められたように、文部省の代表意見でしょう。それは国家権力の作用の一態様である。ないとおっしゃるのですか、あるとおっしゃるのですか、どちらですか。どちらでもあなたのお好きな答えをして下さい。
#180
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私のさっきの答えが、国家権力の現われの一態様であると言い得るならば、そうだと思います。
#181
○豊瀬禎一君 次にもう一つだけ聞きます。ここに名を連ねておることが、学者の依然とした影響力の発動である、こういう言い方をなさったのですが、それよ小林委員の先ほどの質問で取り消された、こう理解してよろしいですね。
#182
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 原案でありましょうとも、協力者として名前を連ねたものが審議されて、ほとんどそのまま採択されたという現実は、協力者という意味において、当初の合作に協力したという意味において、その事実として残るであろう、それだけは私自身も小林さんのお話から確認し得たと思っております。
#183
○豊瀬禎一君 若干ニュアンスが違ってきたような気がするんですが、大伴家持が歌を歌った。それが国定教科書に採用された。大伴家持作、信時潔編曲、国定唱歌、こうなった場合に、それを歌うか歌わぬかという場合に、大伴家持もその合唱の協力者である、そう言うんですか、あなた。そういう場合が協力者と言うんですか、その合唱の。という質問の意味は、ここに書いたのは、日教組が倫理綱領の作成の経過に対して説明をしておる資料、学者が現に、私どもはこれを世の中に宣伝してもらいたい、だからぜひともおれたちの名前をここに書いて、おれたちもこれの実践については責任の一端を分担したいと、こういう意味で書いたのでなくて、この草案を作成するにあたって協力してくれた学者に対しての日教組としての責任を明らかにするために、こういう人の名前でしたと、協力者の名前が書いてある。それが、日教組のその態度がいい悪い、適否の問題は別にして、学者自身が自分の思想に対して、あのときにお話を聞いたのは何先生です、何教授ですと講義を聞いた人が言う、発表する、本に書く、そのことまでも、依然として協力をし続けておるという言い方をしなければならぬのですか。私は例を引いたほうがあなたはよくおわかりになると思って国定唱歌を、戦前に歌っておりました大伴家持の作というのがあった。そうすると、その歌を歌っておるということは、大伴家持が千数百年の今日まで小学校の生徒の合唱の協力者である、家持の意思と全く関係なくだれかが書いた名前である、採択したんでしょう。そういう意味で、ここに書かれたということは日教組の責任を明らかにしておることですか、学者の責任を学者自身が意思表示をしておる、どちらと解釈します。
#184
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 倫理綱領は日教組という人格を持った団体が定め、意思表示をしておると思います。その中身と同じ考え方を実践綱領として正しいと、こう思っておることが、あわせて意思表示されておるのが今お示しの日教組の出版物であると、こういうふうに思います。
#185
○豊瀬禎一君 そうすると、あなたはこれに私が同意しますという学者のアクチブな意思表示であると、ここに名前があるということが。そういう理解の仕方をしているんですね。
#186
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そういうふうに理解いたしております。
#187
○豊瀬禎一君 終わります。
#188
○吉江勝保君 ちょっと関連して。だいぶ論議を聞いて私も非常に研究を深くするというか、今御意見を拝聴したんですが、その中で、大臣に私も聞いてみたいと思うのですが、長く論議されておりますので、その問題のところをそのまま持ってきてお聞きしてみますが、学問の自由という問題がきょうは論議されている、その問題の結論は、学問の自由だからこれを侵してはいけない、国の権力でこれを侵してはいけない。大臣はそれを侵しているんじゃないか、こういうところが追及されておるように受け取ったんでありますが、その際に論議されました一つの問題は、学者が参加をして、そして倫理綱領の作成に参加をする。片方、また例でありまするが、中教審に学者が参加して答申を出した。この両方とも態様において同じだと、大体、学問の自由の範四内で行なわれておるんだというように聞いたのでありますが、純粋にこの学問の自由と言うときの範囲と申しますか、憲法で保障されておりますように――別に範囲というような言葉はございませんが、およそ学問の自由の内容は一体どういうものか、こういうような論議がだいぶなされておったようでありまして、私も大学の教授であれ、高等学校の先生であれ、あるいは一般の職の人であれ、この人たちが真理を探求するために研究をされていく、こういう研究の題材を選択していくとか、あるいはその研究方式をどういう方式で研究をするとか、あるいは研究したその結果を自分が保持し、それをまた発表していく、こういう意味で学問の自由というものが一応構成されているのではないかと思っているのであります。その点は御意見を聞いておりまして同感もしたのでありますが、この問題が、例をとられまして、たとえば答申というような場合に参加する、あるいは綱領を作成するために参加をする、こういう場合に、同じく学問の自由ということで全部これがカバーし得るものか、あるいは学問の自由以外にそこに新たな要素が加わってくるものかということについては、大学の中で講義をし、研究をしている人、民間の人が自由な立場で研究をし、これを発表をしておるという立場と同じように文部大臣がお考えになっておるのかどうかということを一点お聞きしたいのであります。というのは、答申をいたしますときには、一つの諮問というものが出ておりまして、その諮問に答えるという目的をもって集まって、そこで自分の身につけた学問というものをひっさげて、その学問の成果というものをひっさげてこれに協力をされていく、あるいは教師の倫理綱領を作成するときに、それに参加される先生たちは、自由な立場で真理を探求するための学問の研究を大学の中で行なっておる。その立場から私は一歩進んで、その成果をもって、一つの目的を持っておる者に行動を一歩踏み込んでされておるという点は、普通言われておりまする学問の自由というものの範囲だけでカバーできるものかどうかということに一つの疑問を持つのでありまして、答申をしまする中教審の学者と倫理綱領に参加された学者とが同じ立場で同じように参加されているということについては私も大体同感であります。しかしそれが、だからどっちも学問の自由だから、それは批判の対象にならないとか、あるいは学問の自由だから国家権力から保護を受けなくちゃいかぬ、あるいはそれを権力によって侵害されちゃいかぬ、こういう学問の自由というものでそれが保障されてよいものかどうか、これを文部大臣に一点お聞きしたいのであります。
 もう一度繰り返しますと、中教審の学者の立場と倫理綱領に参加した十五人の学者と、参加されたことはなるほど同じだ。しかし、それが憲法でいうておる学閥の自由という範囲内においてそれが認められておるか、それ以上に私は新たな要素がそこに加わっておるのではないか。答申という目的に参加されているときには、学問の自由というよりも、自分の研究した成果をもって一つの行政機構に参加されているのではないか。あるいは新しい倫理綱領を作るというときに、学問の自由で研究された成果というものをもって新しい一つの運動に参加されているのではないか。そういう点が大事でありまして、そういう点を見のがして単に学問の自由だからこれはどうこうというように論議されるのには私は少し不充分だと申しましょうか、もう少し別の面から踏み込んで検討を要すべきものではないかと思うのでありますが、その点につきまして、私も文部大臣に御意見を承りたいと思います。
#189
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私も憲法学者でもなければ法制局でもございませんから、有権的な解釈論議は困難でございますが、私の今念頭にあります私見を申し上げるならば、大体同じようなものだと感じましたから先刻お答えしたわけであります。あえて大体と申し上げましたのは、今も吉江さんからお話が出て触れられましたように、例を中教審にとりますれば、法律に基づいて委員として任命するという形で中教審のメンバーに学者等がなられるわけであります。その立場は実質上の国家公務員であろうかと思います。したがって、実質上の国家公務員という新たな立場を、学者とは別個の、大学教授とは別個の立場において与えられたその立場を含めて意見が述べられる。そういう意味においては新たな要素が加わったと言えないことはない。しかし、自分の識見に基づいて意見を述べるという状態そのものは同じようなものじゃなかろうか。違いは、今申し上げたように、実質上の国家公務員の立場を新たに付加されて、そうして諮問に対して意見を調整して一本にして出すという事柄に関しまする限りは、純粋の学者なら学者の一個人の信念そのままではないだろう、最終的にはそのままではあり得ない場面があるだろうということを、どう憲法的に解釈して申し上げていいかという点は私もあまり明確ではございません。大体同じだろうということを申し上げる以上の厳密さがそこに出て参りませんので、お答えになるかどうかわかりませんが、一応のお答えにしたいと思います。
#190
○吉江勝保君 いま一つ。文部大臣として発言された場所は一般の公開の席であろうと思います。国会のもちろん中ではないのでありまして、外で今のお話を聞いておりますと、大体演説が主でありましょう。そういう演説会で大臣が発表されたその言論といいますか、演説といいますか、そういうものが国家権力の発現になっておるかどうかという点について私も少し考えさせられたのであります。なるほど肩書きは文部大臣という肩書きで演説をされておるので、それが国家権力の発現であるかどうか、こういう問題については研究を要する問題でありますが、一応、民主国家においては国家権力というものが発効しますには、そう自由やたらには、勝手には発動ができないのでありまして、これは御承知のように国の行政行為として出ていくだろうと思います。行政行為として出ますのには、やはり国家の行政組織法なり、いろいろな行政組織を通じまして、この権力というものは出なければ国の権力行使にはならぬのじゃないか。警察を使って弾圧するのも、警察という行政機構を使って弾圧するのでありまして、そういうものを使わずに、国家の行政機構を使わずに、大臣といえども、これは選挙で選ばれた政治家でありますので、そういう意味で大臣が演説をされて、大臣の肩書きがあろうと、その人が自由に意見を開陳されていくということが即国家権力の発動になるかということにつきましては、私は相当疑義があるんじゃないかということを考えておりますので、私のこれは意見を申しまして御参考にいたしたいと思います。
#191
○米田勲君 関連して。先ほどからの質疑応答を開いておって、どうも文部大臣の答えることはちぐはぐで理解に困難です。そこで二、三の点について聞いてみたいのだが、文部大臣は国家権力の一員ではないか、荒木萬壽夫という文部大臣は国家権力の一員ではないか、この点、どうですか。
#192
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 構成メンバーの一人だと理解します。
#193
○米田勲君 そういう言い方でなく、国家権力の一員でないかどうかという質問。
#194
○国務大臣(荒木萬壽夫君) どうもその辺が私が明確に理解できないところでありますが、吉江さんの御発言にやや関連は持ちますが、国家権力とおっしゃるそのことがどういうことかと思いますが、政府の構成メンバーであり、もろもろの法律、憲法にも国務大臣は出て参りますが、国務大臣であるということ、そのことが、あるいは各省大臣であるということ、そのことが国家権力のメンバーなりという定義が厳密な意味で成り立つならば、そうであろうという前提を受けませんと私も断定しかねるわけでございますが、そういう意味において言い得るならばそうであろうと、豊瀬さんにお答えしたわけであります。
#195
○米田勲君 日本においては主権は国民にあるわけです。その国民が現行法に基づいて国家権力をある者に委託しておる、私はそう解釈しておる。その委託されておるのは政府、その閣僚の一人である文部大臣は国家権力の一員なんだ、こういう判断をしております。その私の判断は間違いですか。
#196
○国務大臣(荒木萬壽夫君) たぶんそう言えると思いますが、詳しくは憲法学者なり、法制局長官に有権的な解釈を下してもらわないと私もはっきりしたことは申し上がかねますが、通俗的に今おっしゃることは言えそうに思います。
#197
○米田勲君 私は文部大臣という役職は、単なる国会議員ではない、単なる国民の荒木萬壽夫ではない。その上に文部大臣という教育行政上の国家権力の座にすわっておる人間なんだ。だから、私の言うことは国民として当然の権利を行使しておるのだと言える場面もあるし、国会議員として当然のことをやっておるのだと言える場面もあるが、同町に国家権力者の一員である文部大臣として言っておるという責任を免れないと思うが、どうですか。
#198
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それはそうでございましょう。
#199
○米田勲君 そうすると、文部大臣が現職の文部大臣である限り、あなたがどこかで――家庭で話をするような場合は別ですが、また、友だちと単なる懇談をしておるときは別ですが、文部大臣という肩書きで国民大衆の前に立って訴える話をするというときは、私はこれは文部大臣として話をしておるのでないと幾ら弁明しても、文部大臣としての位置にある限りその言論は国家権力の一員であるというがゆえに責任を持たなければならない、特別の責任を持たなければならぬという立場にあるはずだが、その点はどう解釈しておるか。
#200
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは個人であり、代議士であり、国務大臣である、一人三役の場だろうと思います。
#201
○米田勲君 だから当然あなたが、私は国民の一人としてその演説をしたのですと言おうが、国会議員の一人として演説をしたのですと言おうが、現職の文部大臣である限り国家権力者の一員としてその発言をした、演説をしたという責任だけは、どうしてもとらなければならないのじゃないですか。そのときは文部大臣としての肩書きでやったんではない、こういうわけには参らぬのではないか。
#202
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私はいつもそういう心がまえで対しております。
#203
○米田勲君 憲法の九十九条で特に天皇や攝政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員、この者だけをあげて、「この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。」とうたってあって、「その他国民全体は」とは書いてないのはどういうわけだかわかりますか。もう一度。私の質問は、憲法九十九条には、あなたに言わすと、憲法というものに全国民がそれを守るために責任を分かち合わなければならぬと、こうさっき言っておった。しかし、憲法九十九条には特に役職を指名しして、天皇、攝政、国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員はと特定して、この憲法の尊重、擁護の義務を負わしておる規定を設けたのはどういうわけですか。そのあとに「国定全体は」となぜ書かないのですか。
#204
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 憲法にはございませんけれども、主権者たる国民みずからも、定めた以上は順守しなければならぬことは当然でありますが、九十九条が特にありますのは、いわば一般にいって公務員の立場であることが特色だと思いますが、宣誓をするぐらいの心がまえで憲法を守らなければならないという趣旨と思います。
#205
○米田勲君 まだあなたの答弁は私には理解できない。この九十九条に、憲法を尊重し擁護する責任を負わせる特定のメンバーが書いてある。国民全体はこの憲法を擁護し尊重する義務を負うのだと書いてない。ここに私は意味がある。なぜ特定のメンバーを九十九条にあげて尊重、擁護の義務を負わせたか、それを聞いている。なぜこういうことを規定しているのか、理由ないわけはないです、特定のメンバーをあげているんですから。
#206
○国務大臣(荒木萬壽夫君) それは一説によれば国民を抜きにしたのはおかしいという論もありますが、これは今申し上げたとおり、国務大臣その他実質上の公務員の立場にある者は憲法を必ず尊重し順守するという宣誓をするというのと同じ意味合いだと、こういうふうに私は理解しております。
#207
○米田勲君 なぜこの特定のメンバーだけを憲法を尊重、擁護する宣誓をさせなければならないのか、どういうためなんです。それはあなたはどう考えますか。
#208
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 国民に奉仕する立場において一般国民と立場が異なるから、憲法を順守して奉仕する上においてベストを尽くせという意味合いだと思います。
#209
○米田勲君 国民全般とこの特定のメンバーとは立場が違うということをあなたは今認めたね。認めたでしょう。立場が違う。
#210
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 私が認める認めないにかかわらず、公務員は憲法にも別にはっきりと書いてあります。そのはっきりした立場において特に憲法尊重の責任を負わせておる条文だと、こう理解しております。
#211
○米田勲君 わざわざあなたに認めたなどということを言うのは、あなたがくるっと先に言ったことを忘れて適当なことを言うからわざわざ言っているのです。あなたは一般の国民と立場が違う、この特定のメンバーとそれは何が違うか、影響力が違うのです。おれは文部大臣だけれども、国民として何を言ってもいいのだ、何をしてもいいのだというわけには参らぬ。国民全体にこの尊重、擁護の義務を負うように書いてもいいことを特定のメンバーに限って特に書いたのは、この人たちの言論行動が憲法の尊重、擁護に非常に影響力があるからですよ。私はそういう判断をしているのですがどうですか、文部大臣はどう考えますか。
#212
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 影響力ということになるのでございましょうか。一般国民と違って全国民に奉仕するという意味において立場が違う。だから特に憲法尊重、擁護の責任が重いぞと、そういう趣旨だと思っております。
#213
○米田勲君 あなたは、この特定のメンバーが国民に対して影響力が一般の国民とは違う立場にあるということをなぜ認めないのですか、認めたがらないのですか、理由が何かあるのですか。
#214
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 影響力ということとは直接関係は私はないと思います。憲法を守らないというのは、一個人であろうと、公務員であろうと同じようにけしからぬことである。しかし、公務員たるものは全国児に奉仕するという立場から、そういう立場に立って憲法の条章を特に尊重し順守する責任がある、一般国民の立場よりも強く強く考えておらねばならないぞという心がまえを、外国の例でいうならば、宣誓をするということであらためてそれを確認される、それにかわるものだと私は了解しております。
#215
○米田勲君 それでは今の文部大臣の答弁をとにかく一応肯定した上で、これらの特定のメンバーは、私の言い方をもってすれば、憲法の擁護、尊重には、非常に一つの言葉、一つの行動についても他の一般の国民より影響力がある。その影響力のある者が、努めて憲法擁護の、尊重の態度に出なければ、国民全体として、国全体として憲法が尊重されないうらみが非常に濃厚になってくるから、それで特にこのメンバーにはこういうふうな義務を負わせた、憲法に。そこで文部大臣は、先ほどの論議もあったように国家権力の一員なんです。あなたがどう逃げようとも、国民の前に公式に文部大臣として立った限りは、あなたの言論、行動は国家権力者の一員としての働きをする。あなたの意思いかんにかかわらず、その言論行動は国家権力者の一員としての働きをしている。私はそういう働きを望んでおらぬというふうにあなたが幾ら考えても、あなたの意思とは別に、それは国家権力者の一員としての働きを持っている。私はそう判断をしているが、あなたはどうですか。
#216
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 心理的影響とか何とかいうことでいきますれば、文部大臣の現職にあるときの発言と、そうでないときに同じことを言うこととは、その意味において影響力は違うと思います。
#217
○米田勲君 したがって、先ほどから問題になっている思想だとか、学問の自由を憲法に保障している限りにおいて、これは国家権力者の一員である文部大臣は特に尊重、擁護の立場で常に一貫しなくちゃならない。学問の自由や思想の自由をいささかでも阻害するような行動や言論が国家権力者の一員としてあってはならない。私はそういうふうに判断している。その文部大臣が、特定の学者が一つの自分の学問の領域における見解、思想を他の者に伝えた、そのことを種にしてその学者の全体の学問的な立場を否定するようなことを大衆の前でどんどんぶち歩く、これは文部大臣が意図する、意図しないにかかわらず、学者の立場、学者の学問の自由という立場を侵していることになるという論について、先ほどから文部大臣はそれを逃げようとしている。私は午前中の関連質問で、日教組の行動をしていること、あるいは言論、日教組の言論、行動は日教組自体が責任を負うべきものである。日教組に行ってあるときに何かの講演をした。そしてその講演をした人が自分の学問的な見解、思想を伝えた、そのことがどんな思想であれ学問であろうとも、その話を聞いた者が行動をしたことがいいとか悪いとかによって、この講演をした学者が責任を負わなければならないということは、これは学問の自由や思想の自由とは別にしても、矛盾した話である。私はあなたが先ほどから、私は教育基本法の立場で批判をしたのであるということを言っているが、あなたの各県にわたって演説をした言論集は、批判じゃない、誹謗していますよ。学者を徹底的に誹謗していて、その学者の学問的な立場を抹殺するようなことを言っておる。これでなおかつ国家権力者の一員である文部大臣が、学問の自由については百パーセント私は保障しております、そういうものを侵していませんということを言い切れるのかどうか。文部大臣という立場では、おのずから学問の自由の問題について触れてはならない、言ってはならない限界があるのじゃないか。文部大臣をやめたときと現職のときとはそこに違いがあるのじゃないか、こういうふうに考えて先ほどから聞いている。だからわからない、あなたの答えは。どうですか。
#218
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 同じことを言いました場合の心理的影響力が違うであろうことは私も想像にかたくない。ところで、先ほど来申し上げますように、日本教職員組合という現存しておる団体の実践綱領を、原案でかりにありましょうとも、解説までも一体をなしたものに名前を連らねて、そうしてその内容に同意をしておるということだけは断定できると思いますが、その形のものの考え方について教育基本法との関連で批判することは、文部大臣としても当然の職責として私は批判してよろしいと思います。これが単に、およそ職員団体はかくあるべしという意見を学者の立場で述べたならば、それに対してもむろん批判は自由であることは当然でございますが、それよりももっとコンクリートな場で、具体的な日教組という一体の実践綱領について協力者として一致した意見を持っておるという意思を表明しておるそのことをとらえて、その部分に関する限り、まさしく、私の判断に従えば、教育基本法第八条と矛盾する。そのことを指摘して批判を加えることは、何ら私は妨げのない、文部大臣としても当然な、してしかるべき課題だと心得ております。
#219
○米田勲君 私は学者からいろいろ学問的な立場におる専門の見解や思想を開いて、自分がそれにある程度納得するかしないかは別にして、私が行動をとる。その私のとった行動がよくも悪くも私自身の責任ではないですか。あるいはああいうことをかつて話をし、講演をした、こういうものだと言って手ほどきをしたものは、いつまでたっても私の行動の責任をともに追及されなければならぬのですか。私はそこに無理があると思う。そしてまた、この十五人の学者は日教組と一緒に行動しているわけじゃない。少なくもさっきから小林委員が言ったように、新潟大会で議決をされる以前にいろいろ原案を討議検討した、当時それぞれの学者が自分の専門の領域に立って意見を述べた、そのゆえに、日教組の行動が悪いのはこの学者がけしからぬからであるといって、十何年来の日教組の行動はすべて十五人の学者がけしからぬやつだといって責任を追及されるということは、あまりにも無謀な話ではないですか、それが私は一点なんです。そういう論理は無謀だ。決して一緒に行動をとっているわけじゃないのだから、思想や学問を伝えたにすぎない。受けた側はどのようにそれを消化したかわからぬが、いろいろ行動をとっておる。その行動をとっておるものに対して批判をするならいいが、それの行動の基本になるべきものを討議決定する過程において、学問や思想の自分の立場から意見を述べた者が責任をとらなければならないということはあり得ないじゃないかと思う。これが一点と、もう一つ問題なのは、先ほどから言っているように、文部大臣という国家権力者が、自分の好むと好まざるとを問わず、影響力のあるその立場を持っておりながら、学問や思想の自由に対して徹底的に誹謗をしておる、その学者個人を誹議しておるということは、これは憲法に違反する行為だとわれわれはそう考えておる。そうでなければ、この日本の現在の中で学問や思想の自由を押えつけるという事実は全くないことになりませんか。そのことすらも、そういう誹謗をしたり、学者が国民大衆から、何だ文部大臣がそういうことを言うようなおかしな学者なのかと、学問的な立場を失わしめるようなことを言われても、それは何ら学問や思想の自由を侵していることにはならないのだというような文部大臣の言い方だと、日本の現在では学問や思想の自由を弾圧したり拘束したり、悪影響を与えたりするような行為は全くない、あげることができなくなる、私はそう思う。あなたのやっている行為は、まさしくわれわれの心配している学閥や思想に対する国家権力を使っての一つの形の変わった弾圧だと、こう見ている。どうですか、その点は。
#220
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 学者といえども、自分の述べた意見について世間の批判を受けることは当然のことだと思います。そのことは学問の自由を侵すことではない。その批判をするものは一個人であろうと、代議士であろうと、文部大臣であろうと、自由であり、それによってまた文部大臣の立場から批判しましょうとも、学問の自由、思想の自由が侵された姿ではない。もしその批判が当たっていないと思うならば、堂々と反論すればいいということで解決されていくべき課題であって、それ自身が自由権を侵したとは考えないということを申し上げておるのであります。それからさらに、なるほど日教組の倫理綱領として採択したのですから、それに基づいての言動、日教組それ自身の言動が、倫理綱領を書くときに協力した人にいつまでもつきまとって、その行動について責任が問われるということはあり得ない。私はそういう考えは持ちません。先刻も申し上げたとおり、具体的に現に存在しているところの日教組という団体の求めに応じて、その団体の行動綱領というものはかくあるべしという愚見を述べ、それが実際上も採択されて定まった。しかもそれは先ほど原案とおっしゃいましたから原案であろうと思いますが、原案でありましょうとも、詳しい解説つきの原案そのものに名を連らねておる限りは、その全体が物語るものを是なりと信ずる立場で協力者であったと思う。ですから、倫理綱領の物語る内容については、これに対する批判は甘んじて受ける立場に、十五名の人々は意識して名前を連らねておるという立場だと思います。ですから、その具体性を持った行動綱領そのものについての考え方でございますから、文部大臣という立場でも、なおかつそれに対して教育基本法第八条との関連において批判を加えるということは当然のことだ、繰り返し申し上げますが、そのことが何ら学問の自由、言論の自由、表現の自由を制約するという国家権力の現われではない、そういうふうに理解しております。
#221
○米田勲君 文部大臣、この日教組が綱領を新潟大会で決定をする以前に、綱領の原案起草の当時に十五人の学者が自分の学説を述べる、そういう行為をした、そういうことは事実なんです、これは。ところが、あなたの今の言い方を聞いておると、あの解説書、原案、討議の過程に出た解説書に名前が連らねてある、こう言っているが、この名前を連らねてあるという事実は、その本人がそこへぜひ名前を載せてくれと言った場合も、こういう人たちがこの討議に参画しましたといって編集者が参画した人の名前を参考として載せた場合も、あなたの場合では責任は同一ですか、あなたの立場、考え方からいうと同一ですか。
#222
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そのいずれの場合といえども、その十五人の人はその内容を了解しておることには間違いないと思っております。全然違った意見を持っておるとは考えられない。だからこそ協力者として平板的にとびらに並べてある、こう理解するのが常識的な判断だと思います。
#223
○米田勲君 これは何度も繰り返して言っておるが、文部大臣は新潟大会の当時のことを詳細に調べて知っておるはずだが、あの文部省の押えておる解説書は新潟大会では一度も採択になった事実はないのですよ。これなんですよ、新潟大会で採択されたのは。文部大臣が持っておるその解説書は新潟大会で何ら採択もされていない。それは小林委員がさっき言ったとおりなんだ。その原案起草の当時は、この十五人の学者は学問的な立場というものはみんな専門の分野が違うのです。その違う専門の分野にある人が、自分の専門の立場から一つの立論をしているわけです、主張をしているわけです。それがいろいろ入りまじって、そうして総合的に原案の起草に相当大きな影響を与えておる。だから日教組の側からいうと、この綱領の採択を新潟大会でしてもらおうとする際に、これの原案起草当時にこういう専門的な学者が協力をしてくれたのだということを書いたものなんです。学者の一人々々が、ぜひ私はこの綱領の解説書の上に名前を書いてもらいます、私は責任をとります、全文に責任をとりますという話は聞いたことがない。その両方の場合は同じですかな。私は先ほどから言ったように、提案するときに、私も共同提案者だといってそこへ名前を載せてもらうことについてはよろしい、こう言ったのなら、私は文部大臣のような言い方の立場も認められる。しかし、共同提案者ではない、名前が載っておるということは共同提案者の立場を明らかにしたものではない。それはあなたも認めるでしょう、どうですか。
#224
○国務大臣(荒木萬壽夫君) まあ形式論をいえば、それとこれとは通うということもあり得るとは思います。しかし、日教組の倫理綱領であり、日教組が最終的な解説も含めた全体を決定する立場にある、その原案と先ほど言われたものに解説も加わっておる、そのとびらに十五名の名前が協力者として載っておる、そのことそれ自体を、頼もうと頼むまいと、十五名の人々は知っておると想像せざるを得ません。そのとき知っていなくても、あとで知ったに違いない。それならば、その協力者である十五名の人々は、第三者から見た場合、その日教組の出版物を見た者の判断として、十五名の人々がその中身を是認しておる、こう推定することは一つも私は無理のないことだと思います。それが違うとなれば、日教組みずからか、もしくは十五名の人々それ自身がそれを否定する、とびらから除くという具体的行動をしない限りは、私は全部について意見の一致を見た学者その他の人々である、こう判断せざるを得ない。まあそういう立場に立って、私はその意味における具体的な日教組の行動、倫理綱領それ自体が間違っておるならば、その間違いの根源を作り出すに協力した人々も、その中身を是認しておる限りは、そういう考え方を持っている人々であると思わざるを得ない。その意見そのものは、倫理綱領に表わるる限りにおいては、実定法たる教育基本法第八条の趣旨に反する、その点を意見を述べ、持っておる限りにおいて批判されることはやむを得ない事柄だと思います。また当然のことであり、繰り返し申し上げますが、そのことが学問の自由、表現の自由を侵犯するものじゃない、かように思います。
#225
○米田勲君 これは私、午前中の休息になる前に委員長にも話したように、この論議は教師の倫理綱領を資料としてもらったのだが、この論争をしない限り、文部大臣言っておることが正しいのかどうかということは決着つけられないのですよ。これが悪いのだ、悪いのだと言っているのですから。そしてこれを、この原案の起草当時に、自分の学問的な専門の立場から意見を述べた人たちがけしからんのだ、だから日教組がああいう行動をとるのだ、あの者は学者じゃない、けしからんやつらだ、血税をただ食らっているやつらだと、口をきわめて国民の前に誹謗しておるようなことが正しいのかどうかということは、これを検討しなければわからなくなってくる、立証できない。したがって、私は関連質問をやっている立場でもあるしするので、私の関連質問は以上で終わりますが、ぜひ、委員長はこの問題の決着をつけるために、ほんとうに教育基本法に抵触するような倫理綱領であるかないかということの論議をする機会を早急に作ってもらいたい、それを強く要望して関連質問を終わります。
#226
○委員長(北畠教真君) 午前中にも申し上げましたように、理事の方々とよく相談して決定したいと思います。
#227
○豊瀬禎一君 それはそれでけっこうですが、最後の大臣の米田委員に対する答弁の前段のほうはしごくもっともと思います。そこで大臣の、第三者が名を連らねた以上は全体に責任を持つものと思うのが至当だ、これも私は肯定をします。ただし、先ほど言われたように、日教組なり当該学者なりが名を連らねたことに対する本人の意思、なお倫理綱領のとびらに名前を書かれたことに対する新たな事実、了解もなく日教組が書いたのだとか、あるいは解説については自分たちは知らない間に書かれたのだという、こういう事実が出てくるとすれば、大臣の言っておる学者そのものの責任というものは、倫理綱領作成の際に、自分の思想を忠実に述べたと、そこに限定される。このように理解してよろしいですか。
#228
○国務大臣(荒木萬壽夫君) その点は御当人に承諾を求めようと求めまいと、十五名が平板的な協力者として明記されておる以上は、必ずしもおっしゃるとおりだとは考えられぬと思います。
#229
○豊瀬禎一君 あなたが言ったでしょう。書いてある以上は、第三者が、事実と相違しておってもそのとおりに見ると、こう言っておる。だからそう書いた経過がそうでないという事実が明らかになっても、だれかが勝手に書いた以上はそうだ、将来ともにわたって、その倫理綱領が配布された先に対してまでも協力者、合作者としての責任を持たねばならぬ、こういう意味ですか、内容だけでなくて。
#230
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 配布した先に責任をとらねばならぬとは私は一ぺんも申し上げません。この倫理綱領の目ざすものが、十五名の人々の協力によって生まれたということである限りは、この十五名の人々は内容について同じ意見を、考え方を持っておればこそのことで、それをいわばコンフォームするように、十五名の人々が保証するがごとく名前を連らねておる姿である、その意味における具体的な日教組という団体の行動綱領そのものの目ざすところについては、少なくともそういう意見を述べたという点については批判を受けることは当然だと、こう申しておるのであります。
#231
○豊瀬禎一君 そのことはそこまでは同感であって、ただあなたがたびたび言っておる、名前を連らねた以上は依然としてとか、本人が積極的に意思表示をしておる以上はとびらに名前を連らねたということですね。文部省の中教審の諮問と同じように名前を書いていなければ、逆に言いますと、名前を書いたということだけをとると、名前さえ書いていなければ責任はないのだと、こういうことになりますね。
#232
○国務大臣(荒木萬壽夫君) 名前が書いてなければ倫理綱領というものに関係があったかなかったかわからない道理でございます。書いてある以上は、中身について、協力者と現に書いてある以上は、中身について賛成をする考え方の持ち主である。その考え方について批判を加えるというのが当然であろう、こういうことであります。
#233
○豊瀬禎一君 十五人のだれ一人も倫理綱領に対してわれわれは間違っておる、責任を持たないと言っておる人はおりません、おっしゃるとおりです。ですから、そのことは、判然中身については責任をとるでしょう。あなたが言っておるのは、あそこに書いてある以上と、書いてあることを非常に固執しておるのですが、そうでなくて、書いてあることによって学者の名前がわかったと、だからこう言っておるのだと、そういう意味ですね。
#234
○国務大臣(荒木萬壽夫君) そうでございます。
#235
○委員長(北畠教真君) 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十四分散会
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ソース: 国立国会図書館
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