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1962/03/22 第43回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第043回国会 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号
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1962/03/22 第43回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第043回国会 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号

#1
第043回国会 法務委員会再審制度調査小委員会 第2号
昭和三十八年三月二十二日(金曜日)
    午前十時四十四分開議
 出席小委員
   小委員長 林   博君
      唐澤 俊樹君    上村千一郎君
      小島 徹三君    猪俣 浩三君
      坪野 米男君
 小委員外の出席者
        参  考  人
        (アジア極東犯
        罪防止研修所教
        官)      安倍 治夫君
        専  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 再審制度に関する件
     ――――◇―――――
#2
○林小委員長 これより再審制度調査小委員会を開会いたします。
 再審制度に関する件について調査を進めます。本日は、本件について参考人より意見を聴取いたします。
 御出席の参考人の方を御紹介いたします。アジア極東犯罪防止研修所教官の安倍治夫君でございます。安倍参考人には、御多忙中のところ御出席いただきまして、まことにありがとうございます。本件について忌憚のない御意見を承ることができれば幸いに存じます。
 議事の順序は、まず参考人より御意見を承り、御意見の開陳が終わった後、参考人に対する質疑を行なうことといたします。なお、時間の都合上、御意見の開陳は三十分程度にお願いいたします。安倍参考人。
#3
○安倍参考人 参考人としての陳述を始めるにあたりまして、この法務委員会の再審制度小委員会が、すぐれた見識と異常なる熱情をもって再審制度の改正という複雑かつ困難な問題と取り組んでこられたことに対しまして、国民一人として心から感謝と敬意とを表明いたしたいと存じます。
 再審制度は、法律の分野の中でも、どちらかと申しますと、なおざりにされてきた部分であります。このいわば日の当たらぬ場所に置かれてきた再審制度を、国の最高の機関である国会の法務委員会が調査の対象として正面からお取り上げになったということは、諸外国においてもその例を見ない快挙でありまして、委員会の御英断と見識に対しましては、再審制度に関心を寄せる法律家の一人として頭の下がる思いがいたすのであります。
 国民大衆は、かねてから国会の法務委員会を人権及び、言論の自由の最後のとりでの一つとして信頼して参ったのでございますが、このたびこの委員会が再審問題を吉田石松翁の再審事件との具体的関連においてお取り上げになったことは、国民の委員会に対するこのような信頼感を一そう深めることろうかと存じます。御承知の通り、最とな高裁判所の大法廷は、一世一代の詭弁を用いて吉田翁を救うような決定を下しました。また名古屋高裁の第四部は、史上まれに見る明快さをもって吉田翁の積極無罪を認定いたしました。しかしながら、ひそかに考えますと、裁判官諸公があのような勇気をもって吉田翁を救おうと決意するに至った陰には、当委員会がお示しになった人権擁護の大精神が大きな心のささえとなっていたのではないかと考えるのでございます。吉田翁自身もこのことを十分に意識しております。一たん許された再審開始決定が心なき人々の手によってむざんにも取り消されまして、いわば八方ふさがりの状態にありましたときに、当委員会が再審問題をお取り上げになったのですから、吉田翁は天の一角から救いの糸がするするとおりてきたように感じたのでありましょう。そのとき吉田翁が私たちに語った言葉が今なお私の耳の底に残っております。吉田翁は申しました。国会様がお取り上げ下さったのだから、たといこの身は有罪となろうともわしは本望じゃと。名もなき民の言葉ではありますが、国民の国会に対する絶大なる信頼を端的に言い表わした古今の名言であろうかと存じます。ここにつつしんでこの言葉を委員の諸先生にお伝えし、吉田翁にかわって厚く御礼申し上げる次第でございます。
 前置きはこの程度にいたしまして、再審制度の改正の要否に関する私の個人的な見解を述べさせていただきたいと存じます。抽象論に走るのもいかがかと存じまするので、さきに日本弁護士連合会の公表いたしました「刑事訴訟法第四編(再審)中改正要綱」という書面に現われた改正試策を批判するような形で意見を申し述べたいと存じます。ところで、あらかじめお断わりいたしますが、これから私の述べますことは、全く一法律学徒としての私の個人的な意見でありまして、法務省、検察庁及び国際連合の公の考え方ないしは方針とは直接には何の関係もございません。むしろ法務省や検察庁などの伝統的な考え方とは食い違った点も多かろうかと存じます。私の考え方は、新しい時代の検察官はいかにあるべきかという使命感の上に立ちながら、合理性、近代性及び人道主義の精神にささえられたものでございますので、権威に奉仕することを旨としがちな伝統的な考え方の方々から見ますれば、あるいは御不満の点もあろうかと存じます。
 第一に、私は、人権を擁護し言論の自由を尊重することが真に社会の秩序を維持するゆえんであると考えます。昔から国民の人権と自由とを無視したために衰えた国はたくさんございますが、人権と自由とを審重し過ぎたために乱れた国は一つもございません。再審制度に関連させて申しますと、多数の国民が名もなき一国民の再審について一喜一憂する状態は、一国の政治的文化が健康状態にあることを意味いたします。第二に、検察官の職責は、公益の代表者として世の中の悪人を取り締まるとともに、被告人の味方として冤罪を未然に防ぐことにあると考えます。いわゆる検察の後見的機能というのがこれであります。再審制度の改正は、検察の後見的機能を容易にするものでありますから、検察官といえども、これを忌みきらう必要はないのであります。第三は、検察官は謙抑的でなければなりません。なかんずく、人間はあやまちを犯すものだということをすなおに認めるだけの心のゆとりが検察官にもほしいのであります。近ごろ検察官の中には、再審開始をおそれ憎み、一たび再審開始が決定されましても、事件が古いからだなどと見苦しい負け惜しみを言う向きもあるやに聞いておりますが、これは間違いでありまして、むしろ国民とともに再審開始を祝福する心のゆとりが望まれるのであります。法の権威とは、過去のあやまちにしがみつくことによってではなく、あやまちを率直に認めることによってこそ高められるのであります。
 以上述べました基本的な考え方に立ちながら、日本弁護士連合会の再審制度改正要綱について私見を述べさせていただきたいと存じます。
 日本弁護士連合会の要綱は、再審制度の現状を不満とし、再審への道を広げる方向にこれを改正しようとするものでありますから、まずこの前提の当否について考える必要がございます。私見を率直に述べますと、わが国の再審制度は、諸外国のそれに比べて特に著しく窮屈であるというわけではございません。従って、運用の妙を得まするならば、現状のままでも相当な程度まで人権擁護の目的を達することができるのではないかと思います。問題は、わが国の裁判官の平均的な教養と識見をもってして、はたして運用の妙を尽くすことができるかということであります。残念ながら、日本の裁判官のすべてが、吉田事件の小林裁判長のような崇高なヒューマニズムの精神を身につけておられるとは限りません。法理論に詳しい秀才型の裁判官は多いが、涙とともにパンを味わったことのある人間味豊かな裁判官は少ないのであります。それというのも、裁判官の任用制度に根本的な欠陥があって、それが官僚型の裁判官をつくり出しているからであります。ですから、現在の制度を改めて、弁護士または検察官の経験がある者の中から裁判官を任用する、いわゆる法曹一元の制度を採用しない限り、事態の改善は望みがたいのであります。そうだといたしますと、やはりある程度再審への道をゆるやかにして、無実を救う可能性を広げてやる必要があるのではないかと考えるのであります。
 連合会案の改正要綱第一は、刑事訴訟法第四百三十七条のいわゆる「確定判決に代る証明」の場合において、必要とされる証明度を緩和しようとするものであります。しかしながら、これは四百三十五条六号における証明の度合いと有罪判決を得るに必要な証明の度合いとを混同した考え方に立脚するものであって、にわかに賛成しがたいのであります。たとえば偽証罪の場合を考えてみましょう。被告人がある証人の偽証証言に基づいて有罪となったといたします。後にこの証人が偽証罪で訴追され、その有罪判決が確定すれば、それだけの理由で形式的に再審を開始してやろうというのが四百三十五条二号の法意であります。この証人を偽証で有罪とするには、偽証の事実を「合理的な疑いを越えた確からしさで証明する必要があります。ところが万一この証人が死亡したり、事件が時効にかかったり、検察側が故意に訴追をしなかったりいたしますと、実質的には偽証の事実があっても、形式的には有罪判決をかち得ることができないうらみがあります。この不便を救うのが四百三十七条の制度の趣旨であります。つまり、もし時効が完成してなかったら、証人が死んでいなかったら、証人がおそらく偽証で有罪となっていたであろうと思われる程度の証拠があれば、再審を許そうというのであります。ですから、そこには証明の度合いを緩和する意図は毛頭ないわけであります。名古屋高裁の小林裁判長は、再審開始決定をするにあたって、日弁連の要緩と同じように証明度が緩和されるという考え方に立って北河芳平の偽証を認定したわけでありますが、当時検察側が異議申し立てにおいて鋭く指摘したように、これは誤った考え方であると言わねばなりません。このような誤った解釈論に立脚しながらこれを明文化しようとする連合会案には、にわかに賛成しかねるのであります。もとより立法は創造的なものでありますから、伝統的な解釈論を乗り越えて被告人に有利な状態をつくり出すことも可能ではあります。しかし立法は漸進的でなければなりません。必要以上に急進的な現状改革案は反対者に好個の口実を与えるおそれがありますから、これは避けなければなりません。
 連合会案の改正要綱第二は、再審事件の管轄に関するものでありまして、主として原判決をした裁判所の直近上級裁判所を再審管轄裁判所として請求人に選択させる余地を開こうとするもののようであります。私はこの案には条件付で賛成いたします。裁判官も人間でありますから、自己の初めの判断に固執しがちであります。そこで、他の裁判所に判断させる利点も生ずるわけでありまして、たとえばフランスの制度におきましては、司法大臣が検事総長を通じて再審の申し立てを破棄院刑事部に対して行ない、破棄院が再審請求に理由ありと認めた場合には、原言い渡しを取り消して、原裁判所と同等の他の裁判所に被告人を移送することになっております。しかしながら反面において、原裁判所は事件について一番よく知っているのでありますし、審級の利益や原審の面子などを考えますと、原裁判所に再審の管轄を認めることにもかなりの合理性があるわけであります。
 私は結論といたしまして、連合会案と円山参考人が前回三月十五日にお述べになった特別部の構想とを折衷いたしまして、死刑に当たる罪に関する事件については、原裁判所に一定数のしろうと裁判官または弁護士を配して構成した「参審裁判所」に再審請求事件を管轄させるのがよいと思います。なお、再審の本案事件は民間人をまじえないままの原裁判所に扱わせてよいと思います。
 要綱の第三は、日本弁護士連合会長その他を再審請求権者に加えようとするものであります。冤罪者のすべてが吉田翁のようにすぐれた精神力の持ち主ではないこと、死亡した被告人の縁故者の法意識が必ずしも高くないことなどを考えると、死刑に当たる罪に関する事件についてのみ日弁連会長に再審請求権を認めるのがよろしかろうと存じます。全国単位弁護士会長にこれを認めるのは、まだ時期が早過ぎるのではないかと思います。
 次に要綱の第四は、請求人の申し立てにより、または職権をもってヒヤリングを行なう特例を設けようとするものであります。吉田翁の例を見ても、初めの四回の再審請求は、十分な審理がないままに、いわば切り捨てごめん的な棄却決定が行なわれたらしい形跡が見受けられますから、こうした弊風を防ぐためにヒヤリングを開く場合があってよろしいかと思います。ただし、さしあたりは死刑事件についてのみ職権によってヒヤリングを行なう制度を認める程度でよろしいかと思います。
 要綱第五は、第四百四十七条第二項にいう「同一の理由」とあるのを「前項の決定で審判した事実及び証拠」と改めることにより、「同一の理由」を不当に広く解釈する弊を防ごうとするものであり、傾聴すべき御提案とは考えますが、表現についてはなお推敲を必要とするものと思います。
 要綱第六は、一たび再審開始の決定があった場合に、検察官側から異議を申し立てる道をふさごうとするものであります。いわゆる吉田事件及び免田事件のいずれにおいても、一たん再審開始決定がありながら、検察側の異議がいれられてこれが取り消されたのでありまして、喜びの頂点から再び悲しみの底に突き落とされた被告人の心理的苦痛はまことに大なるものがあったと考えます。すでに不利益再審の制度を否定し、この限りにおいては英米法のいわゆる二重危険禁止の原則を導入したのでありますから、これを貫くことによって不利益異議を禁止することも十分考えられることであろうと存じます。また、再審開始決定をした裁判所が請求人の主張した理由のすべてについて判断せず、その一つだけを取り上げて再審開始を決定し、他の理由については判断を省略したような場合には、往々にして判断の対象となった理由のみが異議の攻撃目標となる不合理もありますので、この点からも不利益異議を禁止すべきものと考えます。
 要綱の第七は、再審の請求を棄却する決定に対する特別抗告(法第四百三十三条)の理由として、憲法違反、判例違反のほか、重大なる事実の誤認をも加えようとするものでありますが、この提案には全面的に賛成であります。再審の性質上、法律点ではなくて、事実点が常に争いの焦点となるからであります。
 以上によりまして一応参考人としての意見陳述を終わることといたします。
#4
○林小委員長 以上で参考人の陳述は終了いたしました。
    ―――――――――――――
#5
○林小委員長 次に質疑に移ります。猪俣浩三君。
#6
○猪俣小委員 今、日弁連の出しました刑事訴訟法第四編中改正要綱案、その第一、刑事訴訟法の第四百三十七条の修正意見ですが、「その事実を証明して」とあるのを「その事実を証明すべき証拠を提出して」、これは、大体あなたは反対のようなんですが、こういうことにつきまして英米法あるいは大陸法が実際どうなっているか、ちょっと御説明いただきたいと思います。
#7
○安倍参考人 まず英米法の制度から御説明いたしますと、英米法におきましては大陸法制のような整備した再審の制度はございません。場合によりましては恩赦権を発動し、あるいはヘビアス・コーパスという制度を持ち、あるいは特別上訴の許可の制度を持ち、巧みにこれを援用運用しながら事実上被告人の人権を擁護することとなしておるのでございまして、特定の証人の偽証罪の確定をもって形式的に再審を開始するというような制度はないのであります。従って、この点については、直接に引き比べるべき制度がございませんので何とも申し上げられません。しかし英米法におきましても、ある証人が偽証罪となって、その罪が確定いたしますと、これは相当に強い新しい実質的な証拠が現われたと考えまして再審を開始する場合、あるいは恩赦権を発動する場合が多かろうかと存じます。
 次に大陸法制でございますが、大陸法制と申しましても、国々によってこまかい点は変わろうかと存じますが、私の今まで理解した限りにおきましては、やはり偽証罪等の確定をもって形式的な再審開始決定理由といたします場合の証明の度合いというのは、確定判決ということと同程度に強いものであることを要するというのが通説であるように理解しております。これでよろしゅうございますか。
#8
○猪俣小委員 具体的な例といたしまして、例の松川事件ですが、あれは門田判決で無罪になり、検事が上告して、判決が近く下ると思いますが、あの門田判決の中に、検事が調書を偽造し、変造し、警察官が偽証しているということを指摘しておるわけです。そうして、こういう変造偽造した調書あるいは警察官の偽証ということで有罪の判決がかりに出たといたしますと、そうしてそれが確定したといたしますと、今度の最高裁の判決が不幸にして有罪判決になって確定したとしますと、ああいう場合にはどういうことになりましょうか。
#9
○安倍参考人 ただいまの御質問は、多少仮定論を含んでおるのと、もう一つは、私は松川事件の記録を通覧しておりませんので、法律家として専門的な意見を具体的事件に関連さして申し上げることは非常に困難でございます。そこで抽象論として申し上げますと、松川事件あるいは何々事件というような特定の事件を別といたしまして、ある事件についてたとえば無罪が確定した、その場合に、その事件の捜査の過程において検察官のつくった調書が偽造ということがわかり、後に、かりに検察官が訴追されてその点について有罪になって、その有罪が確定したといたしました場合を考えます。しかし、この場合には、いわゆる不利益再審の制度がございませんので、御質問のような危惧はないのではないかと考えます。逆にある大きな事件が有罪をもって終了し、その有罪性が確定した場合をとりますと、今度は検察官の調書の偽造が問題となり、その検察官が訴追されて、偽証について有罪となり、その有罪性が確定したという場合については、特にその検察官が法廷において証人として尋問された場合におきましては、その偽証の事実を基礎として原判決をくつがえし再審を開始する可能性も生ずるかもしれません。ただし、いずれもこのような問題は非常に多くの仮定論を含みますので、ここではあまり確定的な御返答ができないのを残念といたします。
#10
○猪俣小委員 それから日弁連の第二の管轄の問題ですが、今あなたの御意見によると、結局原判決をした裁判所が一等事案を詳しく知っておるということで、必ずしも日弁連のような原裁判所または直近上級裁判所が請求人の選択に従うということに対しては同意なさらぬようでありましたが、先ほどの根本論としての中に、現在の裁判官は非常に官僚的であって、官僚ということの特徴の一つとして、非常に面子を重んずるということがあるわけです。そうすると、自分のところで間違った判決をした裁判所そのものにまた再審の調べをするというが、今の裁判官の官僚性とどう調和するのであるか、その説明を一つ聞かしていただきたい。
#11
○安倍参考人 その点につきましては、裁判官の官僚性を修正する手段として訴訟手続に民間人の参与を認めようとするものであります。御承知の通り、いわゆるしろうとの裁判官の参与を許す参審制度は、ドイツを初めヨーロッパの幾つかの国において認められておる制度でありまして、またヨーロッパのみならずソビエト・ロシヤにおいてもこれを認めておると理解いたしております。こうした制度が新たに導入されますならば、一般民間人の意見が専門的な裁判官の意見と訴訟の過程においてほどよく混合されまして、おおむね穏当な考え方が生まれてくるのではないかと考えます。
#12
○猪俣小委員 あなたの御意見は、それは開始決定をするかしないかの問題だけについて参審制度として、開始決定するとなったらば、あとは全部裁判所がやる、こういう御構想ですか。
#13
○安倍参考人 お説の通りでありまして、再審制度について一番裁判官の官僚性がじゃまとなるのは、再審開始をするかしないかの判断のプロセスであります。一たん再審が開始されるときまりますと、くろうとの裁判官におきましても、かなり熱心にまた公平に証拠を勘案して事実を終わらせるように経験上見受けられますので、そこまでしろうとないしは民間の法律家を参与させることによって手続を複雑にする必要はないのではないかという考え方に基づきます。
#14
○猪俣小委員 そうすると、再審開始をすべきかどうかという決定に対して、これも裁判でありますが、それに対して裁判官にあらざる者を参加せしめるということが、現在の日本国憲法あるいは裁判所法から見まして直ちに採用できる制度であるかどうか。
#15
○安倍参考人 参審制度がわが国の新しい憲法の基本的な考え方とマッチするかどうかは、専門家の間においても対立した意見のあるところでございます。しかしながら、裁判所の構成に関する法律制度を総合的に検討いたしますと、終戦後の裁判所法の立案者は、ある程度民間人を参与させた裁判所の構成を予定しつつ法律制度を組み立てていったらしい形跡がございますし、民意の反映ということは新憲法の精神と調和する考え方でございますので、私の考えといたしましては、参審制度の採用は憲法に抵触するという問題を生じないのではないかと思います。
#16
○猪俣小委員 それから今あなたは、根本論としてはとにかく、再審は現行法をもってしても、裁判官が成熟した人権擁護の人道主義に徹した裁判官ならば、そうかた苦しくなく再審開始ができるという御説明がありましたが、そうすると、広く改正しなくても解釈によっては相当救われるという解釈なんですね。あなたの「刑事訴訟法における均衡と調和」の本の中に、「再審理由としての証拠の新規性と明白性」という、これはまだ全部読み終わっておりませんが、この中で非常に私どもは耳新しく感じますことは、「「証拠」の意義」という中に、「通常、証拠方法の種類として人証、書証および物証があげられる。ここに人証とは、事実の報告を内容とする法廷での言語的供述が証拠となる場合をいうが、厳密にいうと、その場合に証拠とされるものは、単に符号としての言葉だけでなく、人の表情、言葉の抑揚、等、ひろい意味における供述者の「態度」もまた証拠的評価の対象とされる。英米法においては、これを「態度証拠」と呼んで、とくに証拠の信用性の判断における重要な賃料とされている。この考え方を押しすすめて行くと、法廷外の人間行動そのものを「行動証拠」という一つの証拠形式として把握する考え方が生じて来る。微妙な事案においては、こうした行動証拠の評価いかんによって事実認定の左右される場合が多いことに注意すべきである。」ここに行動証拠という証拠形式を提出せられておるのですが、これは現代の日本の学説の中にあることでしょうか、あなたの独自の提案であられるのか、通説であるか、しからざるものであるか。これは今度の吉田石松に非常に関連のあることであるのみならず、なお、私どもが今問題にしております帝銀事件の犯人にも非常に関係のある問題であると思って、非常に私興味を持って読んでいるのですが、この御説明を少しいただきたいと思います。
#17
○安倍参考人 この「再審理由としての証拠の新規性と明白性」という論文は、吉田翁の再審開始を容易にしようという意図を持って書きおろした論文でございまして、初め「警察研究」という雑誌に二回にわたって発表されたものをここに収録したものでございます。執筆の意図が吉田翁を助けようという熱意に基づいておりますので、いささか行動証拠の理論を強く打ち出した観がございます。学者の中に、特に日本の学者で行動証拠という観念を論文、著書その他において用いられた方は今までございませんでした。私がかような観念を創造した最初の者であるかもしれません。しかし、学者がそうした名前を付与するかいなかにかかわらず、従来裁判の実務においては行動証拠はかなり重要な役割を演じてきたように思います。古い日本の大宝令以来の手続法を検討いたしますと、日本の古い時代の裁判と申しますか、人間の顔色や息づかいなども証拠判断の資料として用いたことが記録に出ております。英米法におきましては、特に民事事件において態度証拠ということをやかましくいうのでございますが、これは民事事件に限定する理由は少ないかと思いまして、私はそれを刑事証拠の方に適用してみたのであります。この考え方は、最近におきまして実務家からも注目されているかに見受けられます。その証拠の一つは、最近吉田翁を無罪とした名古屋高裁の判決理由の中に、小林裁判長が、吉田翁の五十年間にわたる首尾一貫した冤罪主張の態度を非常に重要視いたしまして、それを証拠評価の一手段として用いられていることからも知られるのであります。
#18
○猪俣小委員 こういう行動証拠のようなことは、大陸法あたりには何かありましょうか。
#19
○安倍参考人 はなはだ申しわけありませんが、寡聞にして英米法の態度証拠に対応する大陸法上の用語を知りません。従って、大陸法規においては状況証拠の一形態として理解されてきたのであって、その形態に対して特別な名称を付する必要を大陸法糸の学者は感じなかったのではないかと思います。
#20
○猪俣小委員 そういう状況証拠の一つとして理解されたといたしましても、それが再審事由として採用されておるでしょうか。
#21
○安倍参考人 その点については、大陸法制のもとにおける再審事件の全記録を詳細に検討して初めて御回答申し上げることができるのでありますが、不幸にして私は今まで大陸法制下における再審事件のなまの記録を通読したこともございませんし、その微妙な審判過程に立ち会ったこともございませんので、その点については何ともお答えいたしかねます。
#22
○林小委員長 坪野君。
#23
○坪野小委員 安倍参考人の先ほどの御陳述を非常に敬意を持って拝聴したわけですが、日弁連の改正要綱の第一点について、先ほど参考人の陳述を聞いておってまだ十分理解ができなかったわけなんです。もう一度、どういう理由でこの四百三十七条の改正に反対をされるのか。その必要がないという御意見のように承ったのですが、例を示して説明されたけれども、私、ちょっと考えてみて納得いきませんので、もう少し御説明を補足していただきたいと思います。
#24
○安倍参考人 その点についてもう一度説明をいたします。
 一番わかりやすい例として、証人が偽証をいたしまして、その偽証証言に基づいて被告人が有罪となった場合を考えます。最近におきまする吉田事件もこれに近いのでございまして、吉田事件におきましては、海田及び北河両証人が偽証をいたしまして、その偽証証言の上に吉田翁の有罪が確定した、かように理解しております。そこでもし北河証人が現在生きておりますならば、偽証事件を理由とする告訴をいたしまして訴追の開始を求めることができます。もしその結果が北河証人の偽証の有罪の確定をもって終了いたすといたしますと、吉田翁はその事実を理由として再審の開始を求め得たわけでございます。しかし、一個の人間を偽証罪について有罪とするためには、相当に強い程度の証拠、英米法学者のいわゆる合理的疑いを越えた程度の強い心証の形成を必要といたします。このことは何人から考えても合理的であると考えます。ところで、不幸にして北河証人はすでに死亡しております。そこでもし死亡しておらなかったならば、今、北河証人を訴追して有罪の確定判決を得られたであろうと吉田翁は残念に思ったに違いありません。そこで本人の死亡または時効の完成ということを一応度外視いたしまして、純粋に実質的に証拠を検討いたしまして、訴追を阻害する形式的な障害がないと仮定した場合に、はたしてこの程度の証拠で北河証人は有罪となったであろうかということを考える必要があります。その場合に必要な証明の度合いというものは、やはり英米法学者のいわゆる合理的疑いを越えた程度の強い証明の度合いでなければならないと考えます。その証明の度合いを特に再審との関連において緩和すべき理由はごうもないのであります。そのような意味から、私は証明緩和の制度を導入することに不賛成だと申し上げたわけでございます。しかし、これに対しては反対説もあるのでありまして、現に最近に至って吉田翁の再審を開始すると決定した名古屋高裁の第四部は、証明の度合いがこのような場合において緩和されるという見解をとったもののように見受けられます。明白に決定理由にそのようなことが書かれておりませんが、決定理由を総合的に検討いたしますと、そのような前提に立った決定であることがありありとうかがわれるのでございます。しかしながら私は、名古屋高裁第四部のこのような考え方は通説と著しく反するものでありますから採用しがたいと考えております。従って、そのような通説に反した解釈論を明文化する立法についても反対であると申し上げたわけでございます。
#25
○坪野小委員 御趣旨はわかりました。日弁連のこの改正意見は、いわゆる偽証した証人が死亡した、あるいは時効が完成して訴追することもできない、有罪判決が得られないという場合に、偽証の事実を証明するその証明の程度を、すでに訴追が得られない、あるいは死亡しておるというようなことで少し緩和しょうということで、証明すべき証拠が云々、こういう改正要綱になっておると理解するわけですが、今の参考人の御意見は、なるほど偽証犯人についても、厳格な証拠によって有罪が得られるというそういう証拠でなければ困る、そういうお考えのようですが、そういたしますと、参考人の著書を私、この再審制度に関する論文だけは一読をさしていただきましたが、参考人の御意見では、この四百三十七条は、理論的にこういう証明力を緩和することは通説としては工合が悪い。ですから、これでなしに、むしろ証人が死亡してしまったり、あるいはもう時効完成しておっても、やはりその後の、今の再審事件の被告人の有罪の判決が確定した後に、その偽証証人の言動その他から新たな証拠が現われたということで、四百三十五条の六号の規定を人権擁護の観点から相当合理的に、あるいは冤罪者に有利に、ゆるやかに解釈することによって、救済の道があり得るのだ、だからもっぱら六号でいくべきだ、こういうお考えに立っているように拝見します。そういうことですか。
#26
○安倍参考人 お説の通りでございまして、いわゆる四百三十五条の六号を十分に活用いたしますならば、要綱第一のごとき改正は必要ではないのではないかと考えます。現に、吉田翁に対する再審を開始した名古屋高裁の決定におきましても、何も事好んで四百三十七条を利用する必要はなかったのでございまして、新たな証拠をすでに原審判において考慮された他の証拠と総合的に勘案いたしますならば、十分に四百三十五条の六号を適用し得る状態にあったかと考えられます。それを名古屋高裁第四部は、おそらくは柔道におけるきれいな一本をとりたいというような心のあせりから、四百三十七条を援用したい気持になられたのではないかと思います。それがかえってあだとなりまして、検察側から鋭い異議の申し立てを受け、ついに再審開始の決定を取り消されるという運命になったのではないかと考えます。
#27
○坪野小委員 私もあなたの論文をただ一度読んだだけで、なるほどもっともだと非常に教えられるところがあったわけですが、あなた、ここで引用されておる比較法的な反省ということで、外国の立法例、また大審院の判例その他から日本の裁判所の判例の傾向等から論を進めておられるわけですが、あなたのお考えでは、特にこの論文の中に書かれておるお考えでは、この四百三十五条六号の解釈をあなたがおっしゃるような解釈に、最高裁、大審院の判例が大体基づいておるというようにあなたは主張されているわけですけれども、再審のこの規定に関する学説はあまりないようですけれども、一般の刑訴法学者が、あなたのそういう今の証拠の新規性、明白性あるいは証拠評価における一体性の原則、こういう三つの観点から現行法の援用で十分救い得るのだということを論じておられるわけですが、現在の大審院の判例、最高裁の判例の傾向から、あなたのこういう学説を支持する学者か学説というものは従来あるか、あるいは、あまり再審事件の裁判の例はたくさんないようですけれども、これと矛盾するような――あなたは、大体自分の説を裏づけるような大審院判例を引用されておりますが、あなたの学説に反するような大審院の判例その他がありはしないかどうか、そういう点ちょっとお教え願いたい。
#28
○安倍参考人 私がこの著書の中で、私の所説を裏づけるような古い大審院の判例を援用いたしましたのは、昔の裁判官はそれだけの広い心のゆとりを持っておったということをまず述べ、最近におきましてはこのような尊い伝統が失われつつあるということを述べたかったからでございます。従って、ここでは私の考えに反する判例を一々援用いたしませんでした。また、このような点について正面から判断いたしました最局裁判所の判例は、私はまだ寡聞にして見ておりませんが、実務の傾向から申しますと、私のような考え方はむしろ少数説に属するのではないかと考えます。高等裁判所の中では、最近名古屋高裁の第四部が、吉田事件に関連いたしまして、私の考え方に近い考え方を各所に採用しておるやに見受けますが、これもごく最近の動きでございまして、大勢は依然として証拠の新規性及び明白性をかなり窮屈に考えておる考え方に立っておるのではないかと思います。
#29
○坪野小委員 そういたしますと、参考人のこの理論は、まことに明快で私も全面的に賛成するわけなんですが、現在の司法部内において非常に狭い、再審を制限するという解釈がむしろ多数であり、支配的であるということであれば、この四百三十五条六号の規定を、もう少し被告人、請求人に有利な解釈をする余地を認めるような法改正が考えられはしないかどうかということで、あなたの学説、理論はけっこうですが、そういう立法的に、こういうように改正すればあなたのお説の解釈に近づく、多数説がそういう解釈に傾くというような改正の立法をお考えになったことがあるかどうか、ちょっとその点をお伺いしたい。
#30
○安倍参考人 それは大へんむずかしい問題でありまして、私は実は改正を前提として要綱案を考えたことはございません。しかし、もし皆さま方のお考えによって、四百三十五条六号の字句を多少修正することによって、よりゆるやかな解釈のとれる可能性を生ずるかどうかという点を問題にいたしますならば、私はいろいろな立法形態が考えられるのではないかと思います。たとえば「明らかな」という文言を「実質的な」という文言に置きかえますならば、再審の道はやや広げられることになろうかと存じます。しかし、私個人といたしましては、英米法にいわゆる実質的証拠の観念をここに直ちに導入することがはたして適当であるかどうかについては、まだ疑問を持っております。そのような立法的な手当をいたします前に、法律家としては、やはり運用の適正を考える必要があるのではないかと思います。しかしながら、もし裁判官の官僚性というものが、そのようなゆるやかな運用の可能性をふさぐ程度に強いものであるとするならば、これはまことに残念なことでございますがそれに対する対策は、法文の字句を変えることではなくして、むしろ裁判所の構成を変えて、民間人を裁判に関与させる方法をとる方が一そう合理的ではないかと考えるのであります。
#31
○坪野小委員 お説ごもっともですが、今の実質的という言葉は英米法にある専門的な言葉ですか。「明らかな」を「実質的な」と直されるというのは、「実質的な」という常識的な言葉ではなしに、英米法にある言葉をそのまま申されたのか、私は英米法を知りませんから、ちょっと参考までにお聞きしたい。
#32
○安倍参考人 その点につきましては、私の著書の中で説明を加えておったかと記憶いたします。ただいま急いでその分を通覧いたしましてお答えいたします。――たとえば私の著書の「刑事訴訟法における均衡と調和」の二百二十九ぺ−ジ以下に、「アメリ方法における判例通説および立法」の説明がございまして、この個所がただいまの御質問にお答えする部分になろうかと存じます。「たとえばテキサス州刑事訴訟法典七五三条六号は、ニュー・トライアルの要件の一つとして、「事実審理終了後において、被告人にとって実質的な新証言が発見されたとき」」と規定しております。また、「テキサス州の一判例は「新証拠の実質性が、もう一度事実審理をすれば恐らく異った結論をえるであろう程度であることを要する」」と判示しております。従いまして、実質性という言葉は英米法、特にアメリカ法におきまして公に認められた法律用語ではなかろうかと存じます。
#33
○坪野小委員 その点わかりました。しかし問題は、現行法で「明らかな証拠」という場合と「実質的な証拠」という場合、幾らかニュアンスは違いますが、その程度の修正よりも、私は、やはり参考人も言われたように裁判官の意識の切りかえの問題だと思うので、「実質的な証拠」というようにこの「明らから証拠」を解するのが、この再審制度を認め、しかも被告人に有利な再審制度を認めた現行法なりあるいは旧刑訴法の精神に合致するのじやないか、その程度でも一歩前進の改正立法にあるかもしれませんが、問題は、やはり参考人も指摘されているこの六号の解釈について、もう少し合理的な解釈に裁判官一般がなることが望ましい根本の解決方法じやないかと思うのです。
 そこで、もう一つお尋ねしたいのは、参考人は、戦前の裁判官は人権擁護の点で非常に見識も持っておった、戦後の裁判官はいわゆる官僚性で法解釈が形式的になるというのでしようか、戦後の裁制官の方にむしろ不信感を持っておられるようです。私はあなたと同じ年代のいわゆる戦中派ですが、官僚じやないのですが、戦前の旧刑訴時代、特に予審制度がありという戦前の裁判制度の中で、これは検察官による拷問とか相当な人権じゆうりんがあったことも事実でありましょうが、戦前の裁判官も官僚の一人としてある程度は検察官に抵抗したということもわれわれは聞いておりますけれども、むしろ戦前の裁判官の方がある意味では検察官と同じ司法官僚という頭で、人権擁護という点で欠けるところがあったのじやないか。戦後の新憲法下に育った新しい裁判官の方が、むしろ憲法感覚が身についておってしかるべきではないか、またそうあるのじゃないかと私も半ば想像し、半ば期待的に見ておるのですが、あなたが今戦後の裁判官の官僚性ということを強く言われるのは、旧刑訴なり戦前の教育を受けた今の中年以上の裁判官、従って最高裁、高裁あるいは地裁の部長クラス、そういった裁判官、そういった今の指導的立場にある裁判官の意識を問題にしておられるのでしょうか、その点ちょっと――。
#34
○安倍参考人 ただいまの御質問でございますが、多少私の説明、言葉の足りない点があるために誤解を生じられたかとも存じますので、その点を補足いたします。
 私は、全体的な流れといたしましては、戦前の裁判制度の方が人権擁護の精神において低かったと考えます。特に予審制度との関連におきましていわゆる拷問的な慣行が半ば公然と認められておりましたことは、いろいろな記録からも明らかなのでございまして、そのような慣行が戦後において次第に影をひそめたということは大いに喜ばしいことと考えております。従いまして、新しい憲法下における裁判官の考え方は、戦前の裁判官に比べますと、より民主化したということが一般的に言えるかと思います。ただ私が先ほど申しましたことは、再審制度との関連において証拠の新規性及び明白性を考える点だけに言及いたしますと、昭和初期の裁判官の中にかなりおおらかな考えを持たれた裁判官がおられた、そうした事実を申し述べただけでございます。従って、御質問の通り私の考え方はむしろ逆で、戦前が民主的意識において低く、戦後が次第に民主的意識が高まってきているということになります。
#35
○坪野小委員 了解しました。そこでもう一つ。先ほど参考人は、検察官の使命、あるいは検察官が再審開始に対して消極的、拒否的であってはいけない、やはり後見的な機能ということからもう少し寛容でなければならぬ、裁判に誤りがあり得るのだという御指摘もあり、裁判官も同様だ。こう言われたのですが、私も、検察官が圧力を加えて再審開始決定を阻止するというような政治的な動きが一部にあるやにも聞いております。もちろん検察官の圧力は重大問題ですが、むしろ、検察官というよりも裁判官の意識が、今の新憲法下における、また現行刑事訴訟法のもとにおける再審制度の意義を十分理解すれば、今の参考人と同じような解釈に当然なるべきだと、私、読んで感じたわけですが、問題は、裁判官が官僚だからというだけでなしに、自分の先輩、同僚のやった裁判に対して開始決定するということをちゆうちよする、何か同僚意識、それは官僚意識ということになるのかもしれませんが、そういったものがあるところが私は問題じゃなかろうかと思うのです。ですから少なくとも旧刑訴時代――新刑訴になって第一審が非常に慎重な事実審理がなされますが、旧刑訴時代、特に戦前の予審制度時代の事件についての再審開始の要件をもう少し緩和する。そういう時期的に区切って、拷問があり、あるいは相当な人権じゅうりんのあった旧刑訴時代、戦前の事件についての再審制度の要件を緩和するというような特別の立法、実は吉田石松事件でもそういうことを、吉田石松個人に限るわけにいかないけれども、そういう昔の司法制度、検察制度のもとにおける再審を救済するということをいろいろ検討したこともあるわけなんですが、そういうことは理論的に――予審制度あるいは旧刑訴時代の戦前の裁判で有罪判決を受けた人に対する再審を特に認めるというような立法は、理論的にこれはおかしい、筋が通らぬということなんでしょうか。あるいはそういったことも現実に新しい訴訟制度と戦前の制度――制度というよりも運用が違うわけですから、そういう立法ということは再審制度あるいは刑事訴訟法全体の体制の中で理論的に不可能というか、あるいは筋が通らぬということになりましようかどうか、参考人の御意見を聞かしてもらいたい。
#36
○安倍参考人 ただいまの御質問になられた考え方に対しましては参考人は原則的に賛成でございます。私の著書の二百二ページにもそのことに言及されております。そこには次のように書かれてございます。「両請求とも原確定判決以来約半世紀を経てなされたものであるが、これは偶然の一致以上の意味をもっていると見るべきであろう。すなわち、それは一面において、歴史の距離が事実の客観的評価を可能ならしめた結果であり、他面において、全体主義的統治体制のもとにおける暗黒裁判の矛盾の指摘が民主主義的憲法の下におけるより自由な司法的雰囲気の中ではじめて可能となったことによるものとも考えられる。」かように書かれてあります。
 そこでただいまの御質問の特別立法をもってこのような時代における裁判に対する再審開始の要件を緩和してはいかがかというお考えでございますが、結論といたしましては、そのような特別立法をすることの相当性については疑問を持っております。しかしながら、それに類した立法例はわが国にもあるのでございまして、占領下において不当に有罪判決を受けた者に対するかなりゆるやかな再審開始を促進する立法が終戦後になされております。その点につきましても私の著書の二百三十五ページに説明がございます。そこには次のように書かれております。「新憲法施行以前の権力的統治体制のもとで一種の暗黒裁判をうけた有罪被告人が、今日に、おいてその不正を指摘し、再審を求めた場合には、その取扱はとくに同情的かつ慎重でなければならないということである。戦前の権力的統治体制の重圧のもとにおいては、被告人が拷問をはじめとする幾多の権威的手段によって取調べを受け、予審および公判段階における弁解やアリバイの主張も権力によって圧殺または一蹴されることが少なくなった。しかも、このような体制のもとにおいては、貧しき者弱き者が、このような不正をあばいて自己の権利を主張することは、実際問題として極めて困難であったのである。これに反して、戦後のわが国の社会は、新憲法下における民主主義体制にささえられたものであって、裁判手続における被告人の権利もまた著しく伸張された。このような自由社会の明るい空気を呼吸し、人権意識に目ざめた被告人のなかには、不当な重圧の除かれた公明な今日の裁判機構のもとにおいて、もう一度正しい裁きを受けたいという願いをいだく者も少なくない。もし原審の認定が今日のような民主的な裁判手続によって行なわれていたとすれば、再審を望むこともさほど切実ではないであろう。原審手続が、絶望的ともいうべき苛酷な重圧のもとに進められたがゆえに、その重圧の除かれた今日において、再審をうけたいという要求は、一そう拍車をかけられる。いわば、新旧両制度における手続の公明性の落差が、再審開始の必要性を一そう明瞭にきわ立たせるのである。権力の重圧の下における裁判は裁判に似て非なるものである。旧制度の犠牲者としての被告人達に対しては、今こそ真に裁判の名に値する裁判を受けしめるべきであり、それこそ近代民主国家の神聖な義務である。この考え方は、戦後の再審立法のうちにも明らかな形態をとってあらわれている。すなわち、昭和二七年、平和条約の発効実施に伴い「平和条約の実施に伴う、刑事判決の再審査等に関する法律」(昭和二七年法律一〇五号)が公布施行された。この法律は、平和条約の第一七条(b)項に基づき、戦時中に連合国人が受けた有罪判決に対して、平和条約発効の日から一年間に限り、ゆるやかな条件で、再審を認めようとするものであった。その基底を流れる精神は、戦時中の裁判が独裁的軍国主義の影響によって、連合国――人に対する偏見をもって行なわれたであろう、という一般的可能性を率直に認めたうえで、軍国主義的統治体制の崩壊した戦後の明朗な空気の中で、被告人にもう一度正しい裁判をうける機会を与えようとするものであった。この考え方は、全体主義的統治体制下の有罪裁判に対して、民主主義体制の確立したのち再審請求があったときは、一そうゆるやかな態度で、これを認容すべきだという思想に通ずるものである。」この部分が御質問にお答えする部分になるかと思います。
#37
○坪野小委員 それでは結論的にもう一点お尋ねしておきます。そういたしますと、参考人は、日弁連の改正意見の中で技術的な面で賛成された点もあるようでございますが、再審開始の実質的要件の部分では、現行法の運用によって十分救済の道は開かれておる、こういう結論的な御意見のように伺ったわけですが、問題は、いかにしてその裁判官の意識を改良するかというところにかかっているわけでありますが、非常にけっこうな参考になる御意見を聞かしていただいてありがとうございました。質問をこれで終わります。
#38
○猪俣小委員 ちょっと一点。これはあなたの著書をまだ全部読んでおりませんので、その中に論じられていると思うのですが、解釈においてあるいは立法において再審の道を開く、人道主義に基づくならばそういうふうな考え方になるわけで、当法務委員会が再審制度を検討するようになりましたのにも、その基底は人権擁護、人道主義の感情から出てきているわけです。ただ、そういうふうな人道主義的な情緒的な主張に対しまして、再審を広く広げることは裁判の安定性を害する、あなたの著書の中にも再審が第四審みたいになってはいけないということを主張されております。
 そこで、裁判の安定性という問題と、再審の道を解釈においてか立法においてか、なるべく広げようという主張との調和点と申しますか、裁判の安定性を主張するものに対して、再審の道を広く解釈すべきであるというものの主張の根拠ですね。いつも必ず裁判の安定性ということが主張され、これもまた非常に尊重しなければ、一審、二審、三審制度までも採用されておる。それをまたくつがえすということになれば際限もないということも考慮しなければならぬと思うのですが、その点についてあなたのお考えを聞きたい。これが私どもが、立法的に解決しないと、今のこの裁判の安定性ということは、非常に伝統的にあるいは職業的に強く考えている今の裁判官に、解釈によって広く再審の道を開け、あなたの主張された行動証拠までも考慮に入れろというようなことはなかなか困難なことじゃないか、こう思うのですが、それについての御所見を承りたいと思います。
#39
○安倍参考人 ただいまの御質問でありますが、再審制度を必要以上にゆるめますと、法的安定性を阻害し、審級制度を事実上の四審、五審、六審制度に拡張することになるというような批判は伝統的なものでございます。昔から再審制度改正に対する反対論者がしばしば用いた論法でございますが、これは抽象的な立言でありまして、そのような一般的な原則の中から具体的な結論は何一つ出てこないのではないかと考えます。問題は、そうした考え方をもととしながらも、具体的な場合について法的安定性と実態的真実の探求の理想とをどのように調和するかということを真剣に考えることによって解決されなければならないと考えます。私の著書の二百二ページにおきまして、次のように触れておきました。「再審制度は実態的真実のために法的安定性を犠牲にする非常救済手続であるから、これを運用するにあたっては慎重を旨とし、いやしくも濫用にわたってはならないことは云うまでもない。このことは、法が再審請求の理由を列挙的に限定し、それぞれに厳格な条件を付しているところからもうかがうことができる。しかしその反面、法的安定性を強調するのあまり、再審の条件をいたずらに厳格かつ形式的に解し、国民に対して事実上再審の道を閉すようなことがあってはならないこともまた多言を要しない。もし司法の職にあるものが安易な形式主義に流れ、再審制度の本質を無視して、機械的に再審を拒むようなことがあるとするならば、再審制度の存在意義はたちまちにして失われるであろう。」こう書いておきました。問題は、再審制度は事実上の四審であるという考え方は、形式的にはもっとものように見えますが、具体的に見ますと正しくないのであります。なぜかというと、前回も円山参考人が指摘なさいました通り、再審が開始される例は何万件に一件という少数例でございますから、実態的真実を探求するために、何万件に一件の場合において、裁判所が一たん閉じたケースをまた開いても、必ずしも法的安定性が阻害されるとは考えません。そのよい例は、今回の吉田石松翁の再審事件でありまして、あの再審事件が被告人に有利に解決されたことによって、世の中の法的安定性に対する意識は少しも乱されなかったと思います。全国民は小林裁判長の英断に対して厚い尊敬の念を払いこそすれ、小林裁判長がわが国の法秩序の根幹をゆるがしつつあるとは少しも考えなかったのではないかと考えます。問題は、制度を運用する人の具体的な場合における見識と英知にかかっているのでございます。
 しかしながら、繰り返し申すようでございますが、この見識と英知というものは、官僚裁判官に対して早急にこれを望むことはなかなかむすかしいのではないかと考えます。これはいわば十年あるいは百年河清を待つというようなことでございまして、官僚裁判官の頭を切りかえさせようといたしますならば、裁判官を任命し訓練する制度を根本から変えなければいけません。そのためには司法修習制度の改正というところまで深く考える必要があろうかと存じます。現在の修習制度が行政的には最高裁判所の管轄のもとに置かれているということに対しても、当然疑問が持たれなければならないと考えます。もし修習制度が単に行政的に最高裁判所にのみ従属するのではなくして、裁判所、検察庁、弁護士会を連合とする、より民主的な合議体のもとにおいて運営されることとなり、教育方針においてもヒューマニズムの鼓吹ということに重点が置かれるようになりますならば、徐々に裁判官の意識は改善されていくのではないかと思います。そのことが早急に改まらないならば、私が先ほど申しましたように、裁判手続に民間人を参与させる参審制度を採用するよりほかいたし方がないのではないかと存じます。
#40
○猪俣小委員 今裁判官の官僚性を相当論じられて私ども同感でありましたが、あなたも検事の肩書を持っておられる検事出身者であられますが、実は明治、大正にわたりまして天皇政治が極端な時分の天皇の名における裁判の時分、そういうことに対して幸徳秋水の大逆事件なんというものが今再審のあれになっているわけです。それから先ほど説明されました占領中における裁判、これに対して相当再審の道の要が出てきた。同じような論法で、実はこの刑訴が変わりまして弾劾訴訟、当事者訴訟あるいは起訴状一本主義、これは刑訴の進歩的な面であったと思いますが、どうもこれに相当の弊害も出てきて、検事が当事者主義というものにあまり踏み込み過ぎて、民事事件の原告、被告人の弁護士のような考えになって、そして一たん起訴したものはどこまでもこれを有罪にしなければならぬというような、どうもこれは当事者主義のはき違えだと私は思うのでありますが、そのために松川事件みたいなのが相当起こってきて、諏訪メモみたいなものを隠してしまう。その他証拠を隠滅して、証拠を検事自身が法廷に出さぬで握りつぶして、被告人に有利なアリバイの証拠をみな隠匿してしまったというようなばかげたことをやって、あのように十余年も裁判を長引かしてしまった。一審に出せばみな一審で無罪になったかわからぬ証拠を握ってしまって、とうとう今日まで裁判をやってしまった。これは検事がいわゆる公益の代表者という任務を忘れたためだと思う。さっきもあなたが基本的態度として御説明があったように、検事は公益の代表者であることは当事者主義の刑訴においても変わりがないことです。しかるに被告に有利な証拠を握りつぶしてしまう。弁護人は強制捜査権がありませんから、検事に握りつぶされますと、諏訪メモのように偶然のことで発見しない限りはわからぬようなことがあるのです。ここに相当当事者主義に徹底した時代における検事のやり方に対して私どもは疑問を持つわけです。この点に関しまして検事総長も感じられたか、今回の検察官の会同において、公益の代表者である面を忘れないようにという訓示が新たにされたようであります。こういう意味におきまして、再審ということがやはり相当重要性を帯びてきている。こう私は思うのですが、この検事の当事者主義における態度、そして被告に有利な証拠が法廷にあまり出ないために相当無実の罪に陥れられておる者もあるのじゃないか、こう私は思うのでありますが、現在そういうことがこの再審制度の検討をしなければならぬ一つの動機になっているわけですから、検事の立場というものについてのあなたの御所見を承りたいと思います。
#41
○安倍参考人 ただいまの御質問でありますが、先ほど申しましたように、具体的な松川事件に関しましては、私は記録を全然通読したことはございませんので、その事件との関連性においてお答えいたします資格はないと思います。一般論といたしましては、もし検察官が公益の代表者であり、被告人の後見人であるという立場を忘れて、被告人に有利な証拠を故意に隠匿するようなことがございましては一大事であろうかと存じます。私は具体的な事件にそのようなことが行なわれたかどうかについては事実を知りませんので、そういうことはなかったと考えたいのでございますが、もしあったとすれば、これはゆゆしき一大事であろうかと存じます。
 しからば、そうした弊風をいかにして改めるかということでございますが、英米法においてはいわゆるディスカヴァリィというような制度がございまして、弁護人側から検察官手持ち証拠の開示を求めるというようなことができる場合もあるのでございますが、この制度も軽々にわが国の法体制の中に導入いたしまして正しく運用せられるかどうかについては疑問がございます。そこで一番根本的な対策は、やはり検察官及び広い意味の法曹に属する人々の教育の問題であろうと存じます。まだ年令が若いころにおきまして、人権擁護の重要であること、ヒューマニズムの精神が大切であることを十分に鼓吹いたしますならば、それらの人々が長じて重要な地位につきましたときに裁判制度が正しく運用せられることになろうかと存じます。その点におきましては、やはりさかのぼって司法修習制度及び裁判所、検察庁、弁護士会における実務修習の制度について何か欠けるところがないかということを深く考え、そのプロセスの中において人権擁護の精神が吹き込まれるような制度を考えていく必要があろうと思います。
#42
○猪俣小委員 最後に具体的の問題を一点。先ほど「明らかな」というのを「実質的な」というふうに変えると相当再審の効果があるようなお話がありましたが、これは具体的にいうとどういうことになりますか。「明らかな」というのを「実質的な」と変えた場合にどう違いができてきますか。
#43
○安倍参考人 これはおそらく解釈論における雰囲気の問題ではなかろうかと思います。私個人といたしましては、明らかな証拠という意味は実質的な証拠の意味であろうと解釈しております。私の論文をお読みになればおわかりになると思いますが、明らかな証拠という意味は、再審開始を正当化する程度の実質的な証拠の存在、言いかえますならば、相当の蓋然性をもつ白の証拠という意味であろうと解釈しておりますが、反対論をとる者は必ずしもそのような考え方をとらないのでございます。従って、その点を明確化しようといたしますならば、実質的証拠という文字を用いますならば、ゆるやかな解釈論をとることがより容易になるであろうというだけでございまして、私個人といたしましては、現状の法文のままに置きましても、これを実質的な証拠と解釈する余地が十分残されておろうかと考えます。
#44
○猪俣小委員 終わります。
#45
○林小委員長 上村君。
#46
○上村小委員 一、二点お教えを賜わりたいと思います。非常にりっぱな御意見でありますし、われわれが再審制度に関する審議を進めていくに際しまして非常に参考になる多くの点をお示し賜わったので感謝いたしておるわけであります。
 先ほどの、裁判官がその修習過程において人道主義的な面を強調しつつやっていく、これは非常に大切なことだろうと思うのです。この人道主義的というのにつきましては、これは普通わかった状態にはなっておるけれども、具体的にどういうような点をお考えになっておられるのか、その点をお尋ねしておきたい。
#47
○安倍参考人 具体的な例をもってお答えするのは非常にむずかしいのであります。ヒューマニズムの精神は非常に深くかつ微妙なものでございますので、直ちに実例をもっては示しがたいのでございますけれども、たとえば今回の吉田石松翁の再審事件に現われました裁判官の方々の態度を比較してみますと、ある程度御了解がいくのではなかろうかと存じます。たとえば名古屋高裁第四部の小林裁判長のおとりになった態度は、まさに私の申します人道主義的な態度であると言うことができようかと存じます。それに反しまして、それ以前四回にわたりました十分の審理も尽くさずに請求を棄却した裁判官の方々の態度は、人道的な精神において薄いものがあった、かように見受けられるのではないかと考えます。
#48
○上村小委員 ヒューマニズムの内容あるいは考え方というものにつきましては、大体わかったふうでありまして、具体的な問題になりまして非常に意見が分かれてくるだろうと思うわけであります。内容は深くまた微妙な問題を含んでおります。参考人のおっしゃらんとする意図はわかりますが、これをどういうふうな教育方針のもとに持っていくか、修習課程に持っていくかということは、これは今後もいろいろ検討し、また考えなければならぬ点が非常に深いであろう、こう思うわけです。
 その点はそのままにしておきまして、再審の裁判をする機構の問題、裁判の開始をするという決定に際して、従来の裁判官以外の民間人を参画させる、再審が開始になった後におきましては、通常の裁判官で審理をしていく、こういうふうなお考えなのかどうか、この点をお尋ねしておきたいと思います。
#49
○安倍参考人 御説の通りでございまして、現在のところ私は、再審開始をなすべきかいなかの判断の過程において民間人の参与を得れば十分ではないかと考えます。なぜかと申しますと、一たん再審が開始されますと、その後の手続においてはくろうとである裁判官で十分正しく運用できるような状態が備わっているのでございまして、一番きわどい問題になる部門は、再審を開始すべきかどうかというその微妙な点にあるのであります。ことに再審開始決定後のいわゆる再審の本案裁判は、裁判官が長年手なれてきた事実審理の裁判過程と同じ構造を持っておるのでございまして、かえって足手まといの民間人を参与させない方が被告人の利益になる場合すらもあるのではないかと考えられます。
#50
○上村小委員 一応きわめて具体性も持ちますし、そのお考えについて理解する点も深くあるわけですけれども、再審を開始するかどうかという過程においての判断というものは、実際上再審開始の決定後に本案の審理に入る過程と分離ができぬのではないか、要するに再審を開始するかどうかという判断をするそれだけの理解と洞察力を持っておられる本案のくろうとの裁判官とすれば、すでにその考え方によって再審を開始するかせぬかということを御判断されるのじゃないか、再審を開始するかせぬかという判断をするというそのことが、実際問題として本案の審理をする場合において相当関係する、場合によればその考え方があとの方を拘束するような状態になるのかどうか、それとも全然別々になるのか。その問題ですが、質問の仕方が十分でないかもわかりませんが、二つのものを実際の過程においてそう明白に分けられるものかどうか、その点がちょっと私も理解しかねる点なんですけれども、いかがなものかという点をお尋ねするわけです。
#51
○安倍参考人 ただいまの質問でございますが、理論的には二つの手続は分けられるのでございますが、ただいまの非常に鋭い御質問の通り、実は両方の手続はかなり微妙な交錯性を持っておるのでございまして、このたび吉田石松事件について再審を開始いたしました小林裁判長も、私的に私に向かいまして、この手続は非常に区別がしにくかった、それゆえにわざとその手続か違うのであるということを示したいという気持も手伝って、再審開始にあたっては偽証という点をとらえられたように承っております。しかし、これはどうも御質問によりまして語るに落ちることになるのでございますが、実は再審が一たん開始されますと、ほとんど十中八、九その事件は無罪になることが宿命づけられているのでございます。これは有罪判決に必要な証明の度合いの問題と関連するのでありますが、わが国におきましては、大陸法の法制を受けまして、疑わしきは被告人の利益に従うという原則をとっております。従って、事実審理におきまして証拠の比重が黒白相半ばする五分々々でありますと無罪になるのでございます。ところが再審を開始いたしますためには、たとえば私のとります高度の蓋然性をもって白であることが立証されたというような立場をとりますならば、もうすでに再審開始の段階において白の証拠が六割、黒の証拠が四割ということでございまして、この比重が再審開始後の再審の本案裁判に持ち込まれますれば、理論的に当然無罪が言い渡されなければならないのでございます。ただ具体的な場合を考えますと、再審開始が行なわれた後におきまして、検察側が非常に熱心に捜査活動をいたしまして、確実な黒の証拠を発見するということもあろうかと存じます。
#52
○上村小委員 いろいろ今後の問題点を提起され、なお貴重な意見を承りましたことを感謝いたしまして、私の質問を終わります。
#53
○林小委員長 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。安倍参考人には御多忙中のところ長時間にわたって貴重な御意見を述べていただきまして、まことにありがとうございました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時二十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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