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1962/05/31 第43回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第043回国会 法務委員会 第18号
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1962/05/31 第43回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第043回国会 法務委員会 第18号

#1
第043回国会 法務委員会 第18号
昭和三十八年五月三十一日(金曜日)
   午前十時十四分開議
 出席委員
   委員長 高橋 英吉君
   理事 唐澤 俊樹君 理事 小島 徹三君
   理事 林   博君 理事 坪野 米男君
      一萬田尚登君    稻葉  修君
      小川 半次君    小金 義照君
      田中伊三次君    竹山祐太郎君
      千葉 三郎君    馬場 元治君
      赤松  勇君    井伊 誠一君
  委員外の出席者
        参  考  人
        (日本弁護士連
        合会会長)   円山 田作君
        参  考  人
        (弁 護 士) 後藤 信夫君
        参  考  人
        (日本弁護士連
        合会事務総長) 荻山 虎雄君
        参考人
        (元都新聞記
        者)      青山 与平君
        専  門  員 櫻井 芳一君
    ―――――――――――――
本日の会議に附した案件
 再審制度に関する件
     ――――◇―――――
#2
○高橋委員長 これより会議を開きます。
 再審制度について調査を進めます。
 本日は本件について参考人から意見を聴取することといたします。ただいま御出席の参考人は円山田作君、後藤信夫君、荻山虎雄君、青山与平君の四君であります。
 この際議事に入ります前に参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は御多用のところ御出席をいただきまことにありがとうございます。参考人各位が、いわゆるがんくつ王事件につき、筆紙に尽くされない多大の犠牲を払われた後、所期の目的を達成せられたことに対しましては心から敬意を表しておるものでございますが、これらの体験に基づいて再審制度等に関し忌憚のない御意見を承ることができれば幸いと存じます。
 なお、御意見の開陳は委員の質疑に応じてお願いいたしたいと思います。林博君。
#3
○林委員 当法務委員会におきましては、民主憲法の精神を尊重し、高いヒューマニズムの立場から、昨年二月二十八日、参考人として吉田石松翁を招き、五十年にわたって無実を叫び続けてきた真意を聴取したのであります。吉田翁の事件を契機といたしまして、昨年の三月、当委員会では再審制度調査小委員会を設置いたしまして、自来私が小委員長として、法務委員与野党をあげて再審制度、現行刑事訴訟法の再審規定の再検討につき熱心な審議を続けてまいったのであります。すなわち、その間におきまして本日御出席をいただきました円山、後藤両弁護士を初め、松尾、植松両刑法学者等を参考人として招きまして貴重な御意見を承ったのであります。昨年の十月、最高裁は吉田翁の特別抗告を認め、名古屋高裁の再審開始が決定され、ついに本年の二月二十八日無罪の判決が言い渡されましたことは、この問題を重視してまいったわれわれとしては、まことに御同慶にたえない次第でございます。
 そこでこの際、日本弁護士連合会が数年前から組織をあげまして吉田石松翁の再審問題に御尽力をされ、物心両面から多大なる御援助を賜わったと承っておるのでありますが、その経過等につきまして円山、後藤、荻山参考人から承りまして、今後の参考に資したいと思うのであります。したがいまして、この三人の参考人の方からこれらの経過について詳細に承りたいと存じます。なお青山参考人には、過去二十有余年にわたりまして吉田翁の無罪を信じ、終始世論の喚起に御努力をされ、人権尊重の実をあげられましたことにつきまして所感を承りたいと存じます。
 以上につきましてまず承りたいと思います。
#4
○円山参考人 私は日本弁護士連合会会長の円山田作でございます。ただいま林小委員長さんからお話のありましたとおり、吉田石松がんくつ王事件につきまして、三年七カ月にわたりまして日本弁護士連合会の人権擁護委員会が苦労艱難を続けました結果、実にその間紆余曲折がありまして、幸いに勝ったと思えばまた負けてしまう。またそれが破棄されて再調べになるというようなたいへんな苦労をいたしましたが、幸いにも裁判官の賢明並びに社会民心の共感を受けまして、ついに無罪の栄冠をかち得ましたのであります。弁護士といたしまして、まずこのくらい困難な事件、しかも過去に四回も再審が決定いたしましたにもかかわらず、そのつどにべなく却下をされた。そんないいかげんなことを言ってきて、うまくやって無罪になろうというんだろうということで、先入観によりましてあっけなく書面審理で却下になってまいったのでありまするが、今回われわれの努力が実を結びまして幸いにも無罪になりましたことは、弁護士が人権擁護を本命といたしますだけに、われわれの喜びはまことにことばに尽くせないようなものがあるのでございます。
 ところで、この三年七カ月の苦労艱難の中からわれわれが非常に痛感をいたしました悩みは、すなわち再審制度の大なる欠陥。現在のような再審制度の法文のもとにおいては、機構のもとにおいては、おそらく今後同種の事件が幾ら出ても、再審を申し立てても、再審はことごとく却下におちいるだろうと考えておるものでございます。その次第のこまかいことは順次申し上げまするが、冒頭のことばとしてそれを申し上げておきたいのであります。
 そこでただいま林小委員長殿のおことばに基づきまして、とっさの間に考えましたことは、区分をいたしまして、まず第一に吉田石松が日本弁護士連合会に最後の救いの手を求めてきたことと、それから日本弁護士連合会がすぐ本人のいうことをそのまま取り上げて始めたのではなくて、約一年にわたる下調べをした結果、これは冤罪であるという確信を得まして、初めて再審手続に取りかかったというような経過をまずもって申し上げたほうが便利かと存じます。第二段といたしましては、どういう点が再審理由としてまことに理由があった点であるかというようなことを申し上げて、第三段においては、裁判所の態度並びに本人がまっ白であったという大づかみのことを申し上げるというふうに、三つぐらいに分けてお話し申し上げることがよいのではないかと存ずるのであります。
 そこで第一の点については、荻山さん、あなたが御担当ですから、あなたからひとつ申し上げていただきたいと思います。
#5
○荻山参考人 林小委員長から吉田がんくつ王の再審問題に関する日弁連のとった経過についての説明の御要求がございましたので、その部分に関しましては私は最も詳しく承知しておりますので、日弁連のとった態度及び経過について御説明申し上げることにいたします。
 私は、昭和三十二年の四月から三十四年の三月末日まで日本弁護士連合会の事務総長の職にあったものでございます。日本弁護士連合会は、人権擁護の使命を完遂するために、会内に人権擁護委員会というものを設置いたしまして、各方面から申し出のありまする人権擁護の案件を取り上げてその使命に邁進しておるのでございますが、全国弁護士のうち百名を人権擁護委員といたしまして、委員長一名、副委員長五名のもとに統率して人権擁護に尽くしてまいっております。私は、三十四年三月をもって事務総長の職を退きましたと同時に、その人権擁護委員の一人となりまして、その職務に尽くしてきたのでございますが、この百名の人権擁護委員会はさらにこれを部に分けまして、地域的にその部によって事案を担当してまいりました。たまたま私は昭和三十四年四月、人権擁護委員に就任するとともに、第一部会の部長といたしまして、第一部の人権擁護、人権侵犯事件等を担当してきたのでございます。第一部会は三名をもって構成し、私が部長として、小山隼太君及び宮原寛雄君の二人が私のもとに部員として、第一部会の人権侵犯事件を担当いたしました。
 たまたま昭和三十四年の秋でございますが、法務省の安倍治夫検事が、がんくつ王吉田石松氏を同伴いたしまして、日本弁護士連合会に来会せられ、吉田石松の訴えるところを聞き取ってもらいたいということでございました。たまたま私は第一部長でありましたので、この案件は第一部会で調査することになりました。ところが、私はその当時日弁連事務総長退任後で、事件の処理等にきわめて多忙であったので、当初私みずから古田翁の言うことを直接調査せずに、小山隼太君、宮原寛雄君の両人に委託して調査をしてもらったのであります。その際、安倍治夫検事が吉田氏を連れてきて訴えるところの趣旨は、安倍検事が法務省の廊下を通っておりますると、一人の老人が守衛と押し問答しておった。そこで何事ならんかと聞いてみると、法務大臣に会わせろと言ってその老人が守衛と争っておった。そこで気になったので安倍検事が、おじいさん、何を訴えるのかと言って聞いてみると、本事件における再審についてしばしば提訴したが取り上げられなかったので、最後に法務大臣に訴えて筋を聞いてもらいたいのだということがわかったので、法務大臣に会っても直ちに法務大臣がその案件を取り上げるかどうかわからぬから、まず私のところに来てお話しなさいというので、守衛と押し問答しているのを連れてきて自分の部屋に行って聞いてみると、吉田翁の言うことがきわめて理路整然としていかにも真実性がある。気の毒にたえないような話であったので、さらに鈴木参事官と相談の上、法務省でこの問題を取り上げることにならないから、こういう問題は日本弁護士連合会の中に何らかの機関があるはずだから、そこへ行って訴えたほうがよろしかろうというふうに安倍検事が説得いたしまして、その足で吉田氏を同伴して日本弁護士連合会へ来たというようなことでありました。第一部会で小山君と宮原君が取り調べました結果を私に報告があったのでございますが、私は当初その報告を聞いただけで、直接吉田氏に会っておられなかったために、多少疑問を持ったのであります。世の中にはよく、実際は自分が真実の犯人であったにもかかわらず、ことごとく自分に罪のないかのごとき表現で冤を訴え、世の同情を買わんとする者があるという例も私は承知しておりましたので、あるいはこの吉田翁の言うこともそのたぐいではなかろうかと思いまして、部員の小山君及び宮原君にいま少し調査しなければいかぬぞと申したのであります。
 ところが、いささか私も手持ち事件の処理が順調に進んでまいりまして、多少余裕ができましたので、私みずからこの吉田石松に会って親しく調査する必要を感じまして、部員三名と、それから安倍検事立ち会いのもとに、吉田石松に面会したのでございます。それで再度彼の言うことを私も立ち会って聴取いたしました。その結果、先ほど申しました安倍検事が吉田の真実性、一貫性、その迫るような気持に接したということと同じように、私自身が吉田に会ったときに、ほんとうにこれは何とかしてやらなければならぬ、うそではない、ほんとうのことであるということを私みずから身をもって痛感した次第でございます。そこでさらに詳細なるところの調査をいたしました結果、私は全体委員会に私の第一部長としての所感を訴えまして、本件は提訴を取り上げて、日本弁護士連合会人権擁護委員会として何らかの方法をとるべきであるという報告をいたしたのであります。
 ところが、日本弁護士連合会の人権擁護委員会の予算といたしましては、もちろんこの予算は日本弁護士連合会が全国七千名の会員から毎月五百円の会費を徴収して、その会費によって一切を運営するのでございますが、その人権擁護委員会の予算には年間百五十万円しか充てられていないのでございます。この百五十万円の予算は、全国百名の人権擁護委員が上京してくる際の汽車賃及び昼食代でございます。宿泊料も出さなければ、その他の待遇は何もしないのでございますが、全国百名の委員が東京に参集いたしますると、二回か三回のその旅費支給、昼めし代の支給でもってすでに予算はなくなってしまって、他の人権侵犯事件の調査研究にあてがうところの費用はないのでございます。したがいまして、日弁連人権擁護委員が委員会の開催に全国から集まってくる場合でも、二回目ぐらいまでは旅費の支給ができますが、三回、四回以降は自費でもっておいでを願うというような扱いにせざるを得ない実情でございます。そこで、この吉田石松の事件を取り上げるにつきましてはたいへんな調査費が必要なのでございますが、いま申しましたような日弁連の財政の実情から申しまして、会からその費用を支出することができないのでございます。そこでいろいろ研究し、数回の委員会を開いたのでございますが、実は私も、最初ほとんど困ったことになった。せっかく私の部長としての報告が、本件は取り上げるべきであると申しながら、その進め方について経費の裏づけがないために非常に悩まざるを得なかったのであります。
 ところで、日本弁護士連合会の人権擁護委員会は毎年四月をもって交代されます。たまたま昭和三十五年の四月からの人権擁護委員の構成がかわりまして、ここにいらっしゃいます現在の日本弁護士連合会会長の円山田作先生が昭和三十五年四月から日本弁護士連合会の人権擁護委員に御就任せられました。私は率先して円山先生を日本弁護士連合会の昭和三十五年度の人権擁護委員長に御推薦申し上げ、満場一致の御賛成を得て、円山先生が三十五年度の日弁連人権擁護委員長に御就任くださったのでございます。私が進んで円山先生を人権擁護委員長に推薦申し上げましたのは、もちろんそれは円山先生の日弁連における従来の御貢献、御手腕等にもよるのでございますが、実はこの吉田石松事件を取り上げるにつきまして、特に円山先生に御尽力をお願いしなければならないという、私の心のうちに、ある一種の考えがあったためにそういうふうに持っていったのでございます。と申しますのは、この吉田石松事件はおそらく将来歴史に残るところの大事件であろうが、日弁連で調査進行するのについて、ただいま申し上げたような経費の裏づけがない、この経費の裏づけがない日弁連でやらないで、円山先生のような義侠心を持っておられる方にその経費の御負担を願って、よってもってこの大事件を取り上げてみょうではないかという気持ちが私にあったからでございます。そこで、円山先生を日弁連人権擁護委員長に御推薦申し上げるとともに、まず本件については数百万円の調査費用が要るであろう、しかし委員長、恐縮であるが、ほんとうに弁護士が人権擁護を使命とするところの、その実行するという、社会正義を顕現するという、そういうことを常に言っているけれども、口だけではいかぬからこれを実際にやってみようではないか、先生ひとつ犠牲を払ってその経費を御支弁願いたいという申し入れをしたのであります。幸い円山先生は快諾せられまして、自来吉田石松翁の事件を調査し、研究し、今日まで持ってくるについてほとんどの費用を、円山先生に数百万円御負担を願ってしまいました。
 そこで、昭和三十五年度になりまして、最後の方法として、やはり再審請求に踏み切らなければならないという観点から、昭和三十五年十一月二十八日に、日本弁護士連合会の人権擁護委員が連名をもって吉田石松の弁護人になり、そして名古屋高等裁判所へ再審の申し立てをしたわけでございます。
 いま一つ、円山現会長、当時の人権擁護委員長にお骨折りを願ったと同時に、私といたしましては、再審問題に関する理論的裏づけ並びに本件の申し立てに関するところの書面の作成等につきましては、ここにおります後藤信夫君、私の同期の親友、弁護士でございますが、後藤信夫君をわずらわしてその面の調査研究を頼み、再審申し立ての書面も作成してもらったのでございます。
 そして円山委員長の経費の裏づけと後藤信夫君の理論的研究と相まって、さらに事実調査に入らなければならなかったのでございますが、事実調査と申しましても、事はすでに何十年も前の案件でございますし、場所は名古屋、関東、大阪等にまたがっておりまして、たとえば本件で重要なる証人として採用せられました花村しづえなる女性の発見につきましても、これは東京だけではその本人の所在さえわからなかったので、名古屋弁護士会の協力を求めまして、もっと詳しく申し上げますならば、こういうことまでやりました。名古屋の区役所あるいは近辺の市役所、町村役場等に花村しづえなるものの戸籍があるかどうかということまで調べたのであります。そこで事務員を使い、弁護士を動員いたしまして、花村という姓を全戸籍を探り当てて、ようやくしまいに花村しづえなるものの生存が確認されて、この花村しづえにわれわれも会見して証人になってもらうことができたのでございます。また、かつて吉田石松を数十年前に雇っておったところの加藤半十郎なる者がまたいずこにいるかもわからなかったのでありますが、この人がたまたま大阪におるということで、大阪にまでわれわれは行って再審申し立ての資料としての裏づけ捜査をしてまいったような次第でございます。
 そういうふうにいたしまして、その他相当数の証人を探知、面会、証拠等を収集いたした結果、たまたま名古屋高裁にわれわれの申し立ていたしました再審申し立てがいれられて再審開始になったわけでございまして、概要を申し上げますと以上のような経過でもって再審申し立て、再審開始決定に至った次第でございまして、その後の経過、再審開始決定後の経過等につきましては、当時の円山委員長、それから書面作成の担任者後藤信夫君等によってお聞き取り願いたいと思います。私は、日本弁護士連合会が吉田石松の提訴を取り上げて再審踏み切りに至ったところの概要を申し上げた次第でございます。
#6
○後藤参考人 吉田石松翁の再審事件につきましては、その目的を達成するために五十年の歳月を要しております。しかもその間五回にわたる再審の手続をしております。なぜかくも五回も再審の手続をやらなければならなかったか、また五十年もの歳月をなぜ要したかということをここに考えてみますと、再審に関する法規の不備が特に痛感されるわけでございます。またその再審に関する法規の適用、その誤解が非常にはなはだしいのであります。また裁判官にとりましては、その審理がすこぶる粗雑ということが言い得るのでございます。
 そこで再審規定に関する法の不備につきましては、日本弁護士連合会におきまして、司法制度調査会が案を作成して当法務委員会の再審制度調査小委員会に提出してあるはずでございますが、私はここに吉田翁の五回にわたる再審手続を顧みまして、裁判官の審理の粗雑あるいは法適用の誤りを指摘いたしまして、御参考に供したいと思います。と言いますのは、おそらく吉田翁に対する再審についての法適用並びに審理の粗雑さが、他の再審の面においても同じような傾向をたどっているだろうということを思うからでございます。
 そこで吉田翁の事件につきましては、これは大正二年八月十三日の犯行でございますから、いわゆる明治二十三年に施行されました法律第九十六号の刑事訴訟法、これは旧旧刑訴法と略称いたしますが、その第一回の再審手続は、吉田翁が在監中にみずから手続をしております。しかしこれは吉田翁は法律も何も知りませんから、適法でなかった。原判決の謄本も添えず、証拠書類も添付しなかった。こういうことで棄却されております。そしてまた第二回に行ないました大正十一年の吉田翁の再審請求事件も、これまたみずから吉田翁が在監中になしたものでございまして、これも手続が不備のために棄却されております。第三回は、これは出獄後、昭和十二年中に菅野勘助弁護人によって行なわれた再審手続でありますが、このときには共犯であった北河と海田両名の偽証自白並びにそれに関するわび状というものを新しい証拠として再審の手続をしたのでございますが、これはいわゆる大正十一年五月五日に施行されました法律第七十五号の刑事訴訟法、これは旧法と略称いたしますが、その法によって手続をやったものでございます。これは終戦直前の昭和十九年に海田と北河、この共犯両名だけの尋問をして棄却されております。第四回の請求は昭和三十二年九月十八日、石島泰弁護人ら十六名の手によって行なわれております。これもやはり海田、北河両名の偽証の自白とわび状という新しい証拠をもって再審の手続をしたのでございますが、このときにも名古屋高等裁判所の第三部は海田だけの偽証を審理して、そしてこれを棄却しております。そこで第五回の再審請求が、ただいま荻山参考人が言われましたように、昭和三十五年十一月二十八日にわが日本弁護士連合会の手によって行なわれた再審の請求でございます。このときの再審の請求の理由も、やはり海田、北河の両名の偽証と、かってわび状が吉田翁に差し出されていたという過去の事実、と言いますのは、このときわび状はもう戦災によって焼失をいたしましてなかったものでありますから、その事実を理由として再審の手続をいたしました。それに加えまして、ただいま荻山参考人が連合会によって種々苦心の末捜索発見したという花村しづえ、堀場貞助両名の新証人の発見ということをやはり理由といたして、名古屋高等裁判所に再審の手続をいたしたのですが、これが幸いにも功を奏して、昭和三十六年四月十一日に再審開始ということになったのであります。しかるに検察官からの異議があり、それが名古屋高裁の第五部に回されまして、棄却決定、それに対しまして、また連合会の弁護団においては最高裁判所に対して特別抗告をした。最高裁の第二小法廷はこれを大法廷に回して、そしてかの逆転決定が得られたのであります。
 そこで初めて昨年の暮れからことしの一、二月にかけまして再審の公判が開かれて、ついに所期の目的を達成した。かくて五十年の歳月を要したわけでございます。
 ここに法の不備があったということについて申し上げたいのでありますが、現行刑事訴訟法施行法の第二条によりますと、現行法の施行前に公訴の提起があった事件につきましては、現行法施行後も旧法及び応急措置法が適用されるという規定がございます。また他方、旧法では六百十六条によりまして、旧旧法による事件はすべて旧法によるという規定がございます。そこで旧旧法事件であるところの吉田事件の再審手続につきましては、当然旧法を適用すべきわけでございまして、裁判官が自由に新法を適用するということは許されないという規定になっております。これは法の規定においても、また学説においても一つも異論はございません。
 そこで吉田事件につきましては、吉田翁が自分でやったところの第一、第二回の再審請求は、これはもとより旧旧法でやった。しかしそれは手続の不備によって棄却された。また菅野弁護人によってなされたところの第三回の再審請求も旧法によってなされた。これも異論はございません。ところが、この第四回と第五回の再審手続といたしましては、これは弁護人もそうでありますが、裁判官も検察官もいずれも法の適用を誤っております。したがいまして、現行法をもってなされたところの第四回の石島泰弁護人らの再審請求も、ほんとうは旧法を適用すべきであったのですが、あやまって新法を適用して、これを手続しております。名古屋高裁第三部がこれを受理いたしまして、やはりあやまって新法を適用して審査を遂げております。しかもその第四回の名古屋高裁三部の棄却決定の理由の中には、「再審手続については、新旧法に変更がないので現行法によることとした。」 ということをわざわざ記載してあります。ところが新旧法の内容については誤りがないとしたその第三部の裁判官も、この決定に対する異議について大きな誤りがあるということを実は誤解していたわけであります。そこで第四回の名古屋高裁第三部の棄却決定に対しまして、この石島泰弁護人らが最高裁に対して即時抗告をしておりますが、これは旧法によればその即時抗告は許されない、こういうことで最高裁の第二部小法廷は、この法の適用をやはり誤りまして、その即時抗告を棄却決定したのであります。そこでまた第五回のわれわれの再審請求におきましても、あやまって新法を適用して手続をし、名古屋高裁の第四部もあやまって新法を適用して審理を遂げる、そして決定し、名古屋の高検もまたあやまって新法を適用して、異議の申し立てをしたのでございますが、そこにおいて初めてわれわれ弁護人は、この法の適用の誤りに気がつきまして、この名古屋の高検が異議の申し立てをしたということは、これは誤りである。旧法によれば異議の規定がないから、その異議は無効である、そういう理由をもって特別抗告の内容としたのでございます。幸いにして最高裁大法廷はその事実を認めまして、これを棄却決定をしたという経過をたどったのであります。
 そこでつらつら考えてみますと、この第一、第二回の再審請求は別といたしまして、第三回に菅野弁護士がやったときに、なぜ裁判所は海田と北河だけを尋問して、この偽証を自白したか、あるいはわび状を作成したかということを実は審理したのか、そして彼らの豹変きわまりないところの共犯者が、かつてわび状を提出しておきながら、その後これを否認したというような単なる事実をとらえて、事実を認定しております。もしそのときに立ち会ったところの池田辰二、あるいは北河のわび状作成並びに偽証を自白したときの病院長なども参考人として調べたならば、そのときの北河の偽証自白、わび状作成の事実が明白に出たということがわかったはずであります。海田も同様であります。しかし裁判官はそういうことを一つも顧慮しない。単純に彼ら共犯者だけを取り調べて、事実を認定してこれを棄却している。もしそのときに詳細にその周囲の人々を尋問して、その内容を請求人のための利益を考えてやったならば、おそらく吉田翁は昭和十二、三年において再審開始が認められて、その冤罪が晴れたとわれわれは考えるのであります。この裁判所の非常な審理の粗雑さ、ことさら再審請求を排斥しようとするような審理の粗雑さを、われわれ弁護人として痛感しているのであります。石島泰弁護人のときもそうであります。このときにあらゆる証人を調べて、請求人のために利益な審理を遂げたならば、このときにおいても吉田翁の冤罪が晴れたということもわれわれ考えられるのであります。ところが、幸いにして第五回、今回の再審請求におきましては、名古屋の高裁第四部の小林裁判長を初めとするあの部が、非常なる好意を持って、非常に高い人道的立場からこの事件を審理いたしましたために、ついに効果を奏する結果を得たのであります。
 かく考えてみますと、この再審の請求ということがいかにむずかしいか、それから法の適用の不備はもちろんのこと、この裁判官が法を適用するにつきましても、また検察官といたしましても、その法の適用の粗雑さが実に痛感されるのでございます。ただいまも申し上げましたように、再審事件につきましては、弁護人もそうでありますが、裁判官も検察官も、名古屋高裁の第三部も第四部も第五部も、そうして最高裁の第二小法廷も、吉田事件につきまして、再審の手続関係において明白に法の適用をあやまっていたという厳然たる事実があることを痛感いたしまして、いかに再審の面において裁判官の審理が粗雑であるか、あるいはまた冤罪者の救済につきましては、人権尊重の趣旨がいかに無視されておるかを弁護人として痛感しているということを、吉田事件に関連して申し上げておきたいと思います。
#7
○円山参考人 御質問がむろんございますことと存じますので、それは個々にまたお答え申し上げようと思いますが、大体以上の経過に基づきまして、やっとのこと五十年の念願がかないまして、吉田は無罪になりましたが、さてこの三年七カ月の苦労艱難の間に、われわれは再審法規というものは、どことどこを改正しない限りは、今後ほかの事件でいかに弁護人が御努力になりましても、とうてい再審で無罪とか、あるいは前の判決をくつがえすというようなことは期待できないということを痛感いたしたものでございます。そこで前回に当委員会にお呼び出しを受けまして、私はそのときにも、こことこことここを改正していただきたいということを特にお願い申し上げておいた次第でございますが、その後に私はそれを文献にいたしまして、日本の弁護士連合会の発行いたしております「自由と正義」という雑誌に詳しく書いておきましたので、他日御清覧をいただきたいと存ずるものでございますが、その中で特にきわ立った一つのことだけをもう一回申し述べさせていただきたいと思うのであります。
 それは日本弁護士連合会といたしまして、再審制度の改正についての研究委員会を開いて、その結論を出してございまして、さだめしそれは当委員会にも御提出申し上げておると存じまするが、私はさらに、その日本弁護士連合会が出しました改正意見の上に、もう一つ重大なる改正をつけ加えていただきたい、かように考えまして、本日はその点についてだけ申し述べておきたいと存じます。
 それは裁判所の機構を改正していただきたい。裁判所の立て方をひとつ改正していただきたい。と申しますのは、まず再審事件を御担当になった弁護士であられまする以上は、必ずやお気づきの点だと思いまするが、全く裁判所というものは、再審事件なんというものは絶対に許すものではないという先入観に立っておるのであります。その証拠には、一年にたった二件か三件しか再審事件というものは成り立っておりません。しかもその二件、三件というものは、いわゆる被告人の側から申し立てたものが採用されておるかといえば、そうではない。全部これは検察官の側から、人違いであったとか、身がわり犯人であったとかいうことで、検察官の側から再審の申し立てをした事件だけが、一年にたった二件か三件が成り立っておる。被告人から申し立てて成り立ったというのは、日本全国を通じて一年に一件ないので、三年に一件あるかないかというありさまであります。このように被告人から申し立てたものは、あっさりと却下してしまう。この理念はどこにあるかと申せば、そんなことを一々採用した日には、いい気になりやがって、私も無罪なんです、私も冤罪なんです、とても裁判所がそんなものを扱い切れるものではない。また、さようなことをやすやすとやっていれば、裁判の確定力という裁判の威信というものが失墜してしまうということが、裁判所の非常なる先入観の根源になっておるのでございます。
 そこで私は、この再審事件についてだけは、裁判所の機構を改正していただきたいと思う。どういうふうに改正したらいいだろうかということを私は考えましたが、この裁判官は三人の合議体とする。そして裁判長になる者は経験の豊かな人格の高潔な弁護士が特任判事として裁判官になる。特任判事とは、何ぞやと申せば、その事件についてだけの裁判官になるのでありまして、一般的な裁判官になるのではない。その事件だけ特定して、おまえはこの再審事件についてだけの特任の裁判官になれば、こういう味の裁判官であります。したがいまして、その弁護士は、別段弁護士をやめて裁判官になり切ってしまう必要はないのでございまして、いわゆる言葉をかえて申せば、臨時裁判官と申してよろしいのであります。そういう経験の豊かな、しかもフュア・プレイで過去の何となく自分の畑が汚されて、黒星一点がつくような感じをお持にならない、謙虚な立場にある老練な弁護士を裁判長とする。陪席裁判官は学識経験者をもって一人を充て、他の一名は純粋の裁判官の判事をもってこれに充てる。
 このようにいたしましますれば、いわゆる過去の因縁、過去の歴史にこだわることなく、その事件がほんとうに冤罪なのか、あるいは言いがかりをつけてきたのかということが、フェア・プレイに審判を受けることができる。かように考えまして、私はこの再審事件についてだけは、特にこのような機構改革をお願いしたいということを強調いたす者でございますが、それでは円山がそういうことを言うと、憲法に違反するのではないか、憲法に違反したのでは何にもならぬじゃないかという御質問が必ずや出ると思いますから、この点について一言申し添えておきたいと存じます。
 憲法の中でだんだん読んでまいりますと、憲法の八十条というのは、この問題についてちょっと首をかしげなければならぬ点がございます。簡単ですから全文を読んでみますと、憲法の八十条は、「下級裁判所の裁判官は、最高裁判所の指名した者の名簿によって、内閣でこれを任命する。」 まず、こうあります。内閣任命でございますから、そういう臨時裁判官を任命いたします場合は内閣を経ななければならぬという煩瑣がある、めんどうくささがある、かようにある裁判官は申すのであります。めんどうくさいというような、そういうことをおっしゃられたのでは、まことに人の命が助かるか、死刑になるか、無期懲役になるかという境目に、手続がめんどうくさいからそういうことはおもしろくないというような、そういう考え方は全く裁判所的の考え方でありまして、ほんとうに人権を擁護して、国民の健全なるとこの生命を保持するのには、内閣の任命手続がめんどうくさいなんてそんなことを、それも毎日毎日任命するのじゃない、そんなことは一年のうちに何回というくらいの話で、そういう反駁論は私はとるに足らぬと存ずるものであります。
 その次に、条文を続けます。「その裁判官は、任期を十年とし、再任されることができる。」 ここの条文が問題になってくるのでございます。「但し、法律の定める年齢に達した時には退官する。」 任期を十年とすると書いてございますために、臨時に選ぶということになってくると、その事件が一年で片がつけば、あと九年間変になっちゃうじゃないかというような議論が出てくるので、この点が一つ考慮を要するのでありまして、一応の任期を十年といたしまして、あと、その事件が一年、二年で片づいたら辞任をすればいいと私は存じます。どうしても初めから、一年ときめなければいかぬという理由はないと存じます。任期十年で特任をされておいて、その事件が三カ月で済んだら三カ月目に辞職願いを出せばそれでいいのであって、十年とした以上は、十年間必ずつとめさせなければいかぬということにならぬのでありますから、辞任ということは自由にできるのでありますから、差しつかえないと思って、この点の障害はないと私は思います。
 その次がちょっと問題がございます。第二項に、「下級裁判所の裁判官は、すべて定期に相当額の報酬を受ける。この報酬は、在任中、これを減額することができない。」 と書いてあります。この条文は非常にむずかしいのでありまして、一定の期に相当額の報酬を受けるのである。報酬は在任中これを減らすようなことはしてはならないと書いてございます。そこで、一定額の報酬を授けるということになりますと、臨時裁判官に対して毎月、月額三万とか二万というような一定の額を授けることは、そのやりくりが、たとえば調停委員のように一回出たら二千円を給する。三千円を給するというふうにして、再審裁判がかりに十回開かれた、そうすると裁判官は、十回公廷を開いた場合には、一回がかりに三千円とすれば三万円で済むわけであります。それはしかし一年かかって十回開くかもしれぬし、一年半かかって十回開くかもしれませんので、相通じてその裁判のためにその裁判官が受ける報酬は、一回三千円であれば十回で三万円、一回五千円支給すれば五万円と通計してなるのであります。そこでただいま申し上げた条文は、定期に、定まった期に相当額の報酬を受ける、このやりくりをどういうふうにしたらばこの運営がうまくいくかということは、私どもは、いま実は考え、研究をいたしておるものでございます。八十条の任期十年というほうは私は、一向何ら差しつかえなく運営して、これは楽に通り過ごして通過できると思います。この相当額、このところをもう少し私のほうでも十分に検討いたしまして、何かこれが運営の妙を得ることによって八十条の第二項に抵触しないということの結論が出せるだろうと思っておるのでございますが、当委員会におかせられましても、何とぞこの点に深甚の御研さんをいただきたいと望むものでございます。
 ほかには、この改正意見につきましては、あまり時間をとりましても恐縮でございますから、この雑誌がたくさんありますから、お届け申し上げまして、御披見をいただければ幸福と存ずる次第でございます。
 何かほかに御質問がございましたならば……。
#8
○林委員 青山参考人の御意見を承る前に、ただいまの経過の御説明並びに改正意見の御説明を承ったわけでございますが、この点に関しまして一点だけお伺いをいたしておきたいと思います。
 この吉田石松翁の事件が無罪の判決を得たということは、これは普通ではなかなか達し得ないことでありまして、日本弁護士連合会の総力を結集してこのバックアップをしたからこそ、この無罪の判決を得るに至ったというふうに考えまして、私どもも非常に感謝をいたしておるのであります。ただ、ただいま承りますと、人権擁護委員会といたしましても、年間百五十万円の予算であって、これはほとんど委員が上京する費用にのみ食われてしまう。実際はこの事件はほとんど円山さん個人の費用負担になっておるというようなお話も承っておるのでありますが、しかしながら、今後もまたこういう事件がないとも限らない。そこで、弁護士連合会の人権擁護委員会の果たす役割が非常に大きなものであるということを考えますときに、この事件でこれだけの成果をあげながら、おそらく弁護士連合会としてはそれだけ損失になっておるというような形になっておるおではないかと思うのであります。何回も何回もこういうような事件を――これはたまたま成功し、またいろいろな見地から考えまして、犠牲的に弁護士連合会の方々が努力をされたことと思うのでありますが、こういう問題が他にも発生するという場合に、そのつど弁護士連合会がこれだけの総力を結集し、自己負担においてやるということは、容易ならざることであると考えるのであります。そこでこれらの点に関しまして、何らかの御感想なり御意見なりがございましたならば、ひとつ承っておきたいと思います。
#9
○円山参考人 たいへんにいたわりの深い御質問をいただきまして、まことに感激にたえない次第でございます。そのことなのでございます。実はまだ目先にぶら下がっている死刑囚免田栄という有名な九州熊本の事件がございまして、これに取りかからんといま日弁連も考慮しつつありますが、これを予算を立ててみますと、少なくとも八百万円ぐらいの予算がないと吉田石松におけるごとき努力を払うことができない。これはむろん弁護人は一銭も日当をいただかないことが前提であります。ただ汽車賃とか飛行機とか宿賃とか、あちらへ行って証人調べ、公判、いろいろな調査、そういうものを予算を立てますと、最低八百万円ぐらいの自費を出すという、ただいま林小委員長のいたわりのお言葉にすがるようですが、だれか弁護士が、おれが自費で八百万円出してただ働きしてやろうという人が五人ぐらい出てくれませんと、この事件に取りかかることができないという、まことに悲しむべき日本弁護士連合会の現状でございます。そこで、私どもは昨年以来叫び続けてまいりまして、今度私が会長になりましたので、この際に、むろんこちらさまにも前もって御相談にも参るのでごいますが、例の法務省の人権擁護局、あれはどうしても日本弁護士連合会のほうに本質上移管していただくべきものであろうと信じておるものであります。なぜかと申せば、法務省の中に人権擁護局を置くこと自身がナンセンスであります。なぜかと申せば、いま日本におきます人権擁護の問題は、警察の暴虐、拷問、これに相続く検事さんの悪意でない手落ち、警察官の調査がよくできているので、検事さんはまるのみになる。被告が幾ら訴えても、警察でこんなにりっぱに白状して、何を言っているんだというような、別に悪意でないところの検事さんのお手落ちなどの集積されたものが人権侵害問題になるのでありますからして、そういういわゆるまま子いじめをなされたところの本元の法務省の中に、そのまま子いじめの結果のやけどを直す包帯だのあぶら薬を塗るところの治療ほうまでも法務省で御担当をしていただくということは、私はどうも合理的とは考えられないのです。やはりそうなった場合は、弁護士法によって人権擁護をすることが使命であるというふうに法律的に義務づけられているところの弁護士会こそ、その場合にはふるって人権擁護のために努力をする。そうしてその人権侵害を排除するという役目を連合会の中に置くべきであります。そうして、いま日本弁護士連合会の中にある人権擁護委員会は、さっき申したとおりのたった百五十万ばかりの貧弱な年額の予算で、どうすることもできない。それが法務省の人権擁護局の予算は、私から申し上げれば釈迦に説法でございますが、年額五千万円でございます。五千万円をとって法務省の中に人権擁護局があるのでございます。あの五千万の予算をそっくり日本弁護士連合会のほうに移管して下さいますと、連合会の活躍というものは非常に活発にもなり、そうして惜しみなく努力をして人権の擁護の上にも益することが私は非常に甚大であろうと考えまして、近くこのことにつきましては当委員会にもまたおすがりを申し上げる所存で、すでに文書などはいま立案中でございます。そのようにしていただくことになりますことが、ものの筋が通り、そうしてまた行くべきところに行く、落ちつくべきところに落ちつくという結果であろうと私は存じておるものでございます。何とぞ御了察のほどをお願い申し上げます。
#10
○荻山参考人 円山会長から、法務省の人権擁護局を日本弁護士連合会に移管するという案のお話がございましたが、私も実はそのことを円山会長とともに提唱してきたのでございます。たとえばかつての名古屋高裁における最終意見陳述の際にも、私は弁論の中にそれを織り込んでおきましたが、法務省の中にあります人権擁護局は、伝え聞くところによりますれば、占領下にあったころのGHQ示唆によって法務省の中に人権擁護局を設けろということでできたかのように承っております。ところで、もし私どもの主張するように人権擁護局を法務省から日弁連に移管するという場合、政府から、いま円山会長御指摘のように五千万円ほどの予算が人権擁護局にあるそうでございますが、法務省の人権擁護局をやめて、日弁連にその予算をそのままいただければ、それはほんとうに日弁連が人権擁護の使命を果たす上に役立つと思うのでございますが、いま一つ私ども考えておりますのは、日本弁護士連合会は、また各地の単位弁護士会は、弁護士法によって、何人からも干渉を受けないことによって官の非違を正していくという、そういう役割を果たすために独立自主を与えられておるものでございますが、政府から交付金をいただいたような場合に、この独立自主を侵されるようなことであっても、たとえば会計検査というような面から制肘を受けるような日弁連になっても困ると思いますので、それらの面をあわせて法務委員会の方で御研究を願い、なおかつ人権擁護にこと欠かないような、日弁連の弁護士法一条によるところの「弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。」 という、その崇高なる使命の果たせるような方法をひとつお考えいただきたいと思います。
#11
○高橋委員長 赤松君。
#12
○赤松委員 円山さんの御提案は非常に重要な御提案でありまして、先ほど特任の裁判官というお話がありました。これはぜひひとつ再審制度小委員会で研究したいと思います。それからいまお話しの例の人権擁護局の問題でございますが、御指摘のように終戦直後、たしか片山内閣当時だと思いますが、私どもが政府を担当しておる当時に、GHQの示唆によりまして、ああいういわば変則的な形で機構ができたわけです。しかし制度、機構の上に問題がありましても、民主主義の基本である人権を保障していくという考え方が、とにもかくにも一応憲法の上にもあるいは諸制度の上にも貫かれておるという点は、御指摘のようにこれを抹殺するのでなしに、ますます発展強化していかなければならない。その方法としましては、法務当局、つまり調べる側の立場に立つ者が人権を守っていくというのは、これは制度的には少しおかしいということはよくわかるのであります。ただ一番心配した点は、いま御指摘のように、本来日弁連というものは何人の干渉も受けない、どのような権力の介入も許さない、全く独立の精神で民主主義を守っていく、人権を守っていくという使命を持っておるのでありますから、したがって、政府予算の中から補助金、交付金のような形で出る場合に、確かに問題があろうかと思うのであります。しかしながら、これは国民の税金です。池田総理の金でも何でもございません。自民党さんの金でも何でもない。国民の税金なんですから、国民自身が自分の権利を守ってもらうために、あるいは自由を守るために、みずからその税金の一部を日弁連の人権擁護の機関に出すということは、精神からいって私はちっともおかしくないと思うのでありますけれども、しかし制度の上からいいますと、やはり何らかの形で権力介入が行なわれるおそれが十分あると思うのであります。その辺のところはもう少し検討をする必要があるんじゃないかと思うのであります。いまも林小委員長とちょっとお話したのですが、これは与野党とも、自民党、社会党ともに十分に検討すべき価値ある御提案でございまして、この点につきましても、もし日弁連からそういう具体的な、あるいは国民が疑念を持たないような形における御提案がございましたならば、われわれ十分それを検討する。そこで与野党間の意見の一致を見るならば、これは私はすみやかに実現することができるんじゃなかろうか、こう思いますので、その辺のところをわれわれも検討いたしますが、日弁連の方でももう一段深く御検討いただきまして、具体的な提案をしていただきたいということをお願いしておきます。
#13
○円山参考人 まことに御理解の深いお話で、ありがとうございます。何ぶんよろしくお願いいたします。
#14
○高橋委員長 青山与平さん、お願いします。
#15
○青山参考人 私、これから簡単に所感を述べさせていただきます。
 もう皆さん、新聞で御承知のとおり、私は昭和十年の三月二十三日に吉田石松老人に初めて裁判所の記者クラブで会いまして、その翌日時事新報の中島亀次郎氏、それから国民新聞におりました遠山寛氏、私と三人で、日比谷公園の中の高柳亭へ連れていきまして、いろいろ話を聞いたわけです。その際に第一番に見せられましたのが、刑務所で書かれました例の獄中手記でありますが、それを見せられましてまず第一番に感じましたことは、これはいままでわれわれが毎日お目にかかっている裁判所の記録というものとは本質的に違う、異質のものだということを感得したわけであります。
 その手記の内容と申しますと、非常につたない字で、ある個所のごときは、かなにかながふってあるというような状態でありまして、漢字は使ってありますが、その漢字も当て字が多くて、なかなか判読に苦しむというようなものでありました。その全体の文章も非常に稚拙でありますが、しかし読んでみますと、切々と胸を打ちます。これはこの文字の裏には、じいさんがしきりに訴えるところの無実であるということは、確かにそうだな、あとの二人もそう思ったでしょうし、私自身はその手記を見たときにそう感じたわけであります。それでその手記は戦争中どうなりましたか、大審院の記録と一緒に焼けてしまいましたか、あるいは名古屋でついこの間一部発見されましたが、その公判記録の後部のほうにつづられておりますか、いずれにしてもその手記というものは現実に見当たらないのでありますが、その後出てまいりました岡部弁護士さんあての手記及び刑務所の中で発見されました手記を見ますと、ありありと、その当時私たちが見た手記そのものが浮かんでくるわけであります。
 その手記を見せられまして第一番に私たちが感じましたことは、これはほんとうだったら容易ならぬことだが、ひとつ弁護士さんに相談してみようじゃないかというわけで、最初は、もうなくなられましたが、秋山襄さんに相談しました。ところが、その後秋山高三郎さんのほうが適任であろうというので、その方へ秋山襄さんのほうから電話がありまして、われわれ三人も秋山さんならいいということで、秋山さんのところへ行って相談することになったわけであります。秋山高三郎弁護士さんは、昔シーメンス事件なんかを手がけられた、検事としては烱眼、な峻烈な、典型的な検事でありまして、その方が弁護士をしておられました。私自身の考えを申しますと、おそらくこれだけ検事としての経験の豊富な秋山さんにこの事件を鑑定していただいして、秋山さんがもしだめと言われるなら、もうだめだし、秋山さんがこれはいけるぞと言われたら、何とかなるのじゃないかというような感じを持っておりました。それで現実に本人を駿河台の事務所に連れて行きまして秋山さんに会わせましたところが、秋山さんの話では、聞いてみるとこれは非常にかわいそうだ、至急に記録を取り寄せてみようというわけで、記録を取り寄せて、つぶさにその記録を検討し、その上で秋山さんにお会いしましたところが、あの判決は、諸君破れるよということを言われました。一審の判決も大体弱いし、二審に至っては証拠関係でだいぶ弱くなっている。一審が死刑で、二審が無期の判決を下してあるけれども、要するに死一等を感じて無期にしてはあるが、証拠の点でいうと、非常に理由が薄弱だということを言われましたので、そのとき、まさかと思っていたわけです。この事件は、秋山さんは検事をやっておられますし、どういうふうな返答が出るかと思っておりましたところが、意外にも、この事件はいけるぜというようなお話なんで、そこでわれわれは自信ができたわけです。要するに、そのときにわれわれが全然白紙で秋山さんにこの事件の鑑定をお願いしたということが、今日になって考えてみますと、非常によかのたのだと思います。
 その後、老人の共犯関係である海田庄太郎と北河芳平の居場所というものを、法務省の前科人名簿、指紋表等々がありますが、われわれのところではどうにもしようがありませんので、そういうふうなところの人にお願いしまして調べてもらいました。それでその後北河芳平の居場所が案外早くわかりました。四月の二十日過ぎごろだったと思いますが、老人に、北河の居場所がわかったと言いましたところが、老人は非常に喜びまして神戸の方に出かけて行ったわけであります。これはあとでわかったことでありますが、当時、名古屋新聞の東京支局におりました池田辰二記者が、ちょうど私たちに会って警視庁の方に向かって来ました老人に会われまして、これはわれわれとは全然別に老人から話を聞き、これはいけるぜというわけで、神戸に連れて行って北河芳平に会わせ、当時のわびの覚え書きをとったわけであります。その後、越えて昭和十一年の十二月十四日に、たまたま都新聞の通信網から、海田圧太郎が隣村にいるということがわかりました。そのときに藤田記者がおれをやらしてくれといって行きまして、わび証文をとってきたわけであります。そのわび証文をとってきましたときに、私はそのものを写真部に行って見ました。記憶は薄れましたけれども、確かに海田庄太郎が書いたものであるということに間違いありませんでした。それから日がたちまして、秋山高三郎さんと菅野勘助さんの連名で再審の訴えが出されましたが、それは戦争中、昭和十九年に棄却になりました。
 大体そういうふうな戦前の経過でありまして、戦後は、昭和二十七年の六月ごろでしたか、東京日日新聞に、吉田石松老人が現在栃木県の下河原田に生きているということがわかりました。間もなく宇都宮の法務局人権擁護課から東京法務局の人権擁護部に事件が移管になりまして、それ以来ほとんど今日に至るまで、老人とは長いおつき合いをしてきたわけであります。
 戦前、戦後を通じまして私との接融は大体そういうことでありますが、今日小林裁判長がああいう名判決を下されましたに至るまでの間に、私がこの事件全体につきましていろいろ感じましたことを申し上げますと、新聞記者というものは全く白紙で事件に臨むものであります。その姿は、われわれももちろんそうでありますが、報道の任に携わる者は、いつでも事実の報道ただそれだけでありまして、それはうそであってはならない。間違うことはあるけれども、なるべく間違いを少なくする。時間的に制約された中でどんどん移り変わっていく事件を報道するわけでありますが、たまには間違うこともありますけれども、絶対に間違わぬように心がけていくというのが新聞記者のやり方だ、こう思うのです。私たちも老人に会いまして手記を見せられましたときに、見た瞬間に、その文字、文章、書いてある内容、それから浮んできましたことは、ふだんわれわれが裁判所の記者クラブにおりまして、本件上告はこれを棄却す、何々なんとかかんとかいうにあれども、よって案ずるに理由なし、というわけで簡単に棄却されてしまっておるわけであります。そういう記録といいますか、判例を書いて記事にしますために、毎月一ぺんずつ回ってきます上告論旨の写しというものがこのぐらい来るわけであります。その中から判例になるようなものを拾い上げて五つか六つ報道するわけでありますが、大体強盗殺人とか放火とかいうような事件は、上告論旨の中に事実審理及び証拠の採用その他等々で記録を裁判官が見まして、これは大体間違いがないなと思えば、本件上告はこれを棄却す、これがあたりまえのことなのでありまして、その際にわれわれは、そこから生まれてくる判例とかなんとかいうものを書くわけでありますが、そのうちの幾つかが破棄されて差し戻しになったり、あるいは大審院の事実審理の開始になったりするわけであります。当時吉田石松の事件というものは、やはり本件上告はこれを棄却するうちの一人であったことは、今日になってみますとまぎれもない事実でありまして、これは裁判官の記録の読み方というものが粗漏であったというよりは、やはり原審つまり一、二審がそういう裁判になっていますために、強盗殺人事件というようなものの性質から、なお海田、北河というものがもう服罪しておりますし、一連の共同正犯の被告として吉田石松もそういうふうに感得して片づけられてしまったのではないかと思うのであります。事件の裏にはそういうふうな幾多の、被告の立場におって悶々の情やる方なく、そういう刑に服してきた人が何人かあるのではないか、こういうふうに感じます。
 実際に私たちいま感じますことは、裁判というものはなるほど事実の真相をきわめて真実を発見し、その真実に基づいて量刑し、判決を言い渡される、こういう姿があたりまえのことだと思うのです。しかし、何にしてもたくさんの事件でありますし、よほど審理を慎重にするためには、やはり相当数の裁判官というものが心要じゃないか。ことに最近のように第一審というものが非常に重要視されるというようなことになってきますと、第一審がもし間違ったような場合にはどうなるかというようなことをひしひしと感ぜられるわけであります。戦後、ことにいろいろな大きな事件で無罪を訴えられるような事件がたくさん出てきておりますが、そのうちのおも立たった事件、先ほど申し述べられましたような免田事件あるいは北海道の北見にあります梅田被告の事件とか、いろいろな事件が出てきておりますが、やはり最初の捜査当局の捜査のしかたというものにも問題がありますし、裁判のあり方というものについても問題があると思います。警察官のいろいろな質の向上というようなことも言われておりますし、だんだん科学捜査にもなってきますけれども、その科学捜査といいましても、吉展ちゃん事件のような事件、善枝さん殺しのような事件、これにどれくらい警察が力を注がなければならぬか、非常に莫大な費用を要するわけでありまして、それだけの費用をかけて捜査しても、なかなか真犯人が見つからない。まかり間違って無罪の者が有罪にされ、それを審判する裁判所がまた無古宰の人を罪にしなければならぬというような事態が生じましたような場合には、これはゆゆしい問題だと思われます。
 そこで私の考えますことは、これは新聞記者としての立場ばかりでなく考えられますことは、やはり警察官の教養を高め、あるいは相当教養の程度の高い知識のある人たち、なるべく警察官には質のいい人になってもらう。同時に裁判所というものは、事実審理というものをやってくれるような上告審の裁判所、 つまり最高裁の一部として、あるいは別に上告裁判所というようなものをつくりまして、そこで、要するに被告の顔を見ないで、あるいは再審の訴えがあったような場合に、証人も調べないでぼんぼん法律的に片づけてしまうということじゃなしに、やはり親しく、ニュアンスと言いますか、実際にそういう証人なりあるいは被告人なりに一度お目にかかってから事件を処理していくというようなことをお願いしたらいいのじゃないか、こう思われるわけであります。
 今度の吉田事件について特に考えられますことは、これは私たち三人が最初に吉田石松氏に会って、その手記を見て、老人の話を聞いて、この事件を手がけて報道したということなのでありますが、新聞記者として池田辰二氏、あるいは私のかわりに吉田老人と海田庄太郎との対面でわび証文をとった藤田記者、それからわれわれの先輩の中島亀次郎氏、特に戦後非常に老人のためにめんどうを見て尽くしてくれました毎日新聞の坂本尚介氏というような方々の活動と相まち、日本弁護士連合会の諸先生方の絶大なる御努力によりまして、こん然一体をなしてこの事件をやった結果、ようやくにして吉田老人の無罪をかち得られたのだと思います。特に私の考えますことは裁判のスピード化ということでありますが、ずいぶん長い間かかって、くさいものにはふたをしろと言いますか、あるいは目をつぶると言いますか、法律的に簡単に冷たく片づけられていた事件を、名古屋の高裁第四部の小林裁判長以下りっぱな裁判をしていただいたということを感謝しております。
#16
○赤松委員 これは法務大臣にも、きょうはこういういいお話を聞いたのですから、ほんとうは彼にも聞かしておくとよかったのですけれども、ちょっと私うっかりしておりまして、委員長に要求することを忘れていたのでありますが、これはぜひ議事録を法務大臣が読むように委員長から強く要求しておいてもらいたい。
 それから青山さんが新聞記者として、かつ人間として非常にりっぱな働きをしていただいたということは感謝にたえません。これは私は池田辰二君からも十分聞きましたし、ちょうど一昨年名古屋高等裁判所が出しましたあの違法な決定に対しまして、私疑念を持ちまして、日弁連に御連絡申し上げまして、当時後藤先生と吉田石松翁を当委員会に呼びました。そしていろいろお尋ねしたことは御承知の通りであります。
 それからちょうど判決の下る前に、無期徴役の論告が検事によって求刑されました。あの無期徴役の論告がありましたときに、私に電話がかかってまいりまして、ぜひ来てくれというので名古屋拘置所の前の小さな旅館に行きましたら、ちょうど青山先生もきておっていただいた。非常に老人が興奮しまして、検事に会いに行くんだ、こう言っていきり立っておりましたが、その際青山さんもそばでいろいろなだめ、私もなだめまして、ほんとうに新聞記者というよりも、むしろ人間青山といいますか、非常にあたたかく吉田老人を介抱していただいておりました。
 また安倍検事も、終始ああいう非常に困難な立場であくまで正義を守るという信念を貫かれたということに対しましても、深く敬意を表しておきたいと思います。
 いま円山会長から九州の免田事件、てこれと日弁連は取り組むというお話がございました。この件につきましては、すでに当委員会におきましてもこれを問題にしておるわけであります。
 それと同時に、もう一つぜひ日弁連の皆さんにお願いをしておきたいことがあります。それは先ほどの人権擁護に関する予算の問題と関連するのでございますが、私はいつもこの委員会で法務大臣に対して強調してきております。また、当時このがんくつ王事件につきましても、最高裁の事務総長を呼びまして、どうして再審ができないのか、これは政策以前の問題じゃないか、政治以前の問題じゃないか、人間の問題じゃないか、五十年間無実を訴えてきておる、それを裁判してこそ――そしてその結果をぼくは論じない、その結果が黒になろうと白になろうと、それは裁判所のおやりになることだ、あえて立法府の容喙するところではない。けれども、これほど世間が疑念を持ち、これほど多くの人に支えられ、しかも五十年間戦ってきた彼の歴史、記録を読めば、どうして人間としてこれを取り上げることができないのだ、あなたたちも人間じゃないか、自民党員の前に、つまり法務大臣の前にまず人間に帰れということを私はこの委員会で強調しました。植木法務大臣も答弁で、これはもし間違いを犯しておったとすればまことに申しわけないことでございまして、この点につきましては、特に私はいま吉田翁の姿を見て、その言葉を聞いて、まさかうそだとは思いませんということで、十分に検討するということを約束された。また、同僚議員の自民党、社会党の皆さんも、彼の陳述に深く打たれまして、そうして立法府の国政調査が陰に陽に何らかの形でいろいろな方面に影響を与えたということは、これはまぎれもない事実であると思うのであります。私はいつも「検事」というテレビドラマを見るのですけれども、およそくだらぬドラマでありまして、あんなものはナンセンスです。あんな検事が一体いまの検察行政機構の中で存在が許されるのかどうか。私自身も戦争中四年も彼らに調べられ、拷問をかけられ、刑務所に入り、戦争反対のために、反戦運動のためにずいぶんやられてきました。もうすべてを知っておりますけれども、いまの検察行政機構の中におきましても、あるいは裁判所の制度上、機構上、構造上の問題として、先輩が判決したもの、あるいは先輩が取り調べたもの、それを不動のものとして守ろうという非常に間違った保守的な者がおる。つまり、客観的に批判的にそれを見ようとしないで、いま青山参考人の御指摘になったように、その者とよく会って、そうして真実を探求するというような人間性の一かけらもない検事がおることは事実です。安倍検事のようなりっぱな方もおられますけれども、反面、われわれとしてまさに非難すべき検事がおる。これは人間が悪いというよりも、いまの検察行政機構そのものの悪い伝統的な精神だと私は思うのであります。これが打ち破られなければならぬ。これを打ち破るものは一体だれか。言うまでもなく国民です。国民と同時に、その国民の人権を守ることを委託されている弁護士の皆さん及び私ども立法にある者がその責任を全うしなければならなぬ、こういうふうに考えているわけぐあります。したがいまして、日弁連は財政的にあるいは制度的にいろいろな点で困難があると思うのでありますけれども、今度の事件を通して日弁連の存在というものが国民の前に非常に明らかになったと思うのであります。そうして、この暗い世相の中にもなおヒューマニズムというものがあるのだということは、これはもう国民がはっきり知った。つまり、あの判決の一日は日本中が一ぺんに明るくなったと思うのであります。そういう意味におきまして、諸先生方の努力に対しましては心から敬意を表したい、こう考えております。今後ますます人権を守るために困難を控除して努力していただきたい。私ども微力でございますけれども、政策以前の問題、政治以前の問題として、人間を守っていくだけだという立場から、人間の命を尊重していくという立場から誤りのない活動を継げていきたい、こういうふうに考えておるのであります。
 それにつきまして私は一つお願いがある。それは、昨年私はソ連に参ります直前に磯部弁護士から会見を求められまして、それでお会いしたわけであります。実は帝銀事件の平沢の問題につきましては、私は当時事件を新聞を通じて知っておりましたので、十数人の銀行員を青酸カリで殺すような極悪非道の者を守るということは私の良心が許さぬ、こう思いまして、数度面会を拒否しましたけれども、とうとう会いました。会って、ソ連から帰ってまいりまして記録を読み実事をいろいろ調べてまいりますと、ここに重大な問題が明らかになってきたのであります。と申しますのは、当時警視庁ではこの事件を特に取り扱うために特命主任捜査官として藤田刑事部長直属の成智という警視がこれを担当したわけであります。私は、当時の成智警視との対談は全部テープレコーダーにおさめておりますが、成智警視の御意見は、藤田刑事部長をはじめ警察庁、警視庁は、あの何とかいう逮捕した警部補がございましたね、彼を除く以外の者は、全部平沢は白である。あのような集団的な殺人を行なう者は集団殺人の訓練を受けた者あるいは化学的な知識を持っていなければ絶対にやれるものではない。その時間的な経過からいい、あるいは現場の事情からいって、できるものではない。そうして警視庁は、これは満州における例のペスト、コレラ、赤痢等の菌をまいてあれした石井部隊、細菌部隊ですね。この石井部隊の残党の中に犯人がおるというように断定をいたしまして、そうして石井部隊の諸君の協力を得ながらその犯人の追及につとめておった。ところが、GHQからの注意もあり――GHQはこの細菌部隊を温存するためにその捜査を中止することを、これは読売新聞の記者並びに警視庁に対して要求した。そして犯人と目される諏訪という中佐は静岡から行くえ不明になったということなんです。それでこの間死刑執行の危険がございましたので、法務大臣にはよく話をしまして、なおただいま再審を請求中でございますけれども、ただ私は最近こういうことを聞いたのです。というのは、あの家族が合意の上で離縁し、名前を変えて生活している。平沢の奥さんは子供たちから一万円仕送りを受けて、三千円を仙台の刑務所に送り、あとの七千円で生活をしている。子供さんたちは、女の子だというふうに聞いておりましたが、そこへ新聞記者がたずねていく、そうすると、身元がわかって離婚騒ぎが起きるということで、逃げるようにしてだれとも会おうとはしない。おそらくあの人たちの気持ちの中にはコンプレックスと、もう一つはやり切れない人間嫌悪、そういうものが私は渦を巻いておると思うのであります。おそらく一日たりとも、一分一秒たりとも人間らしいあたたかい気持ちを持つということができないような状態にあるのじゃないか。この話を聞きまして、実はその家族の方を調べていけば、さらに事件は明瞭になるのでありますけれども、そういう関係で調べられない。しかしながら、最近はどんどん証拠が上がってまいりました。御承知のようにあの事件につきましては、ただ自白調書だけでございまして、何もほかにございません。警視庁は白だと考えておったのに、あの警部補が詐欺だというので、北海道に行っておりました平沢を逮補した。モンタージュ写真も違っておる。それから証拠が何もない。詐欺で起訴した。そうすると若い検事は――まだ検事になりたてだったそうです。大学を出てほやほやだったそうで。成智さんは青い検事というような言葉で言っておりましたが、そのあまりキャリアも何もない学校を出たての検事が功をあせりまして、それでいきなり帝銀の事件の犯人のように繰り返し繰り返し暗示を与えて、調書をつくった。そこで藤出刑事部長は、どうもあの検事はあぶない。あれに渡しておくと平沢を帝銀事件の犯人にしようとする。お前一度検事に会ってこいということで、警視庁の刑事部長の命を受けて成智警視が会いに行った。そうしたら検事はけんもほろろで突き放した。ああいう警察制度の中では一たん検察庁が態度をきめればどうにもできないということで、とうとう彼は殺人犯ということで死刑の判決を受けまして、ただいま仙台において、きょう執行になるか、あす執行になるか、こういう状態にあるわけでございます。
 そこで免田事件につきましても取り組んでいただきたいが、この平沢事件につきましても、弁護士さんがどなたがおやりになっているということは別にして、正義の味方日弁連という立場で、ぜひひとついろいろな点で取り組んでいただいて御協力をお願いしたい。先ほど言ったようにこの問題は予算の問題とからみます。私どももできる限り日弁連のその正義を守る立場をより強めるために今後努力をしていきたい、こう考えておりますが、どうぞ諸先生も今度の吉田翁に尽くされましたあの不退転の信念と、あふれるような人間性を、どうぞひとつ平沢の件につきましても示されまして、各段の御協力をお願い申し上げる次第であります。
#17
○円山参考人 赤松先生の激励並びに勉励のおことば、日弁連の首悩部として感激にたえない次第でございます。われわれも、これまで弁護士というものは、何かお礼金をもらわなければ努力しないというような誤った国民的の御批判を受けおったように思われますが、このたびのがんくつ王事件を契機といたしまして、弁護士は金がない者でも、費用はこっちが出して、全部それを寄付してでも、救うべきものはやはり救ってやるのだ、それが弁護士のほんとうの使命であるということを、赤松先生御承知のごとく、今度の事件でやや国民の皆さまに共感を得ていたかと存ずるものでございます。したがいまして、今後われわれの代におきましても、この信念を貫きまして、今後一そう人権擁護のために努力いたしまして、免田事件にしろ、平沢事件にいたしましても、でき得る限りの努力をいたすものでございます。よってもって国民の人権を極力擁護いたしまして、そうして社会の正義を顕現いたしたいと存じるものでございます。
#18
○赤松委員 なお、参考人の方々は御存じないと思うのですけれども、実はこの委員室は、私、昭和二十一年に当選して以来ずっと足かけ十八年間もつとめておりますが、魔の委員室と申しまして、国会で乱闘が起きますと、いつもこの部屋で乱闘が起きるわけであります。その魔の委員室が、きょうは非常に人間味にあふれた、もう与党も野党もない、それこそ人間そのものを追求し、人間の善意にあふれたりっぱな委員会の雰囲気で、こんな愉快なことは私ございません。
 諸先生の御意見は、何百年たちましても、何千年たちましても、国会の記録にさん然として輝いて残るものでございまして、まことに歴史的な委員会であったと思うのでございます。どうもありがとうございました。
#19
○高橋委員長 これにて本日の参考人に関する議事は終了いたしました。
 参考人の各位には、御多用中のところ長時間にわたり貴重な御意見の開陳をいただき、ありがとうございました。たいへん参考になりました。赤松君の御意見のように、法務大臣以下列席して聞いてもらったらなよおかったと思いまするけれども、われわれの手落ちのために残念な思いをいたしております。ここに委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 次会は六月四日午前十時より理事会、十時三十分より委員会を開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
  午前十一時五十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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