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1962/02/08 第43回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第043回国会 文教委員会 第2号
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1962/02/08 第43回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第043回国会 文教委員会 第2号

#1
第043回国会 文教委員会 第2号
昭和三十八年二月八日(金曜日)
    午前十時二十七分開議
 出席委員
   委員長 床次 徳二君
   理事 上村千一郎君 理事 小澤佐重喜君
   理事 長谷川 峻君 理事 八木 徹雄君
   理事 小林 信一君 理事 村山 喜一君
   理事 山中 吾郎君
      伊藤 郷一君    田川 誠一君
      中村庸一郎君    松山千惠子君
      杉山元治郎君    三木 喜夫君
      谷口善太郎君
 出席国務大臣
        文 部 大 臣 荒木萬壽夫君
 出席政府委員
        文部事務官
        (大臣官房長) 蒲生 芳郎君
        文部事務官
        (初等中等教育
        局長)     福田  繁君
        文部事務官
        (管理局長)  杉江  清君
 委員外の出席者
        外務事務官
        (アメリカ局
        北米課長)   西堀 正弘君
        外務事務官
        (情報文化局
        外務参事官)  針谷 正之君
        大蔵事務官
        (主計官)   谷川 寛三君
        専  門  員 丸山  稲君
    ―――――――――――――
二月六日
 委員松山千惠子君辞任につき、その補欠として
 中村三之丞君が議長の指名で委員に選任された。
同月七日
 委員前田榮之助君、柳田秀一君及び中村三之丞
 君辞任につき、その補欠として高田富之君、小
 松幹君及び松山千惠子君が議長の指名で委員に
 選任された。
同月八日
 委員小松幹君及び高田富之君辞任につき、その
 補欠として柳田秀一君及び前田榮之助君が議長
 の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
二月七日
 私立学校振興会法の一部を改正する法律案(内
 閣提出第六六号)
は本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 私立学校振興会法の一部を改正する法律案(内
 閣提出第六六号)
 公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数
 の標準に関する法律の一部を改正する法律案(
 村山喜一君外八名提出、衆法第三号)
 文教行政の基本施策に関する件
     ――――◇―――――
#2
○床次委員長 これより会議を開きます。
 私立学校振興会法の一部を改正する法律案を議題とし、政府より提案理由の説明を聴取いたします。荒木文部大臣。
#3
○荒木国務大臣 ただいま上程になりました私立学校振興会法の一部を改正する法律案について、提案理由及び内容の概要を御説明申し上げます。
 私立学校振興会は、私立学校の施設及び経営に関し、必要な資金の貸付、私立学校教育の助成その他私立学校教育に対する援助に必要な業務を行なう特殊法人であり、私学振興に多大の寄与をいたしておりますことは御承知の通りであります。
 この振興会は、従来、主として国の一般会計からの出資金をもって事業を行なって参りましたが、振興会の資金に対する私立学校側の需要は、最近著しく増大しており、高等学校生徒急増対策、科学技術者養成計画を達成するための国の財源措置という観点から見ても、国の出資に依存する従来の方式では不十分であります。
 よって、この際、私立学校振興会法の一部を改正し、振興会の財務会計等に関する規定を整備し、振興会の貸付資金の充実をはかろうとするものであります。すなわち、一般会計からの出資のほかに、振興会が私学振興債券を発行することができる旨の視定を設け、振興会が資金を公募を行なうとともに、政府から資金運用部資金の貸付を受けて、私立学校に対する貸付資金の原資に充てることができるようにしたい考えであります。
 このことに伴い、この改正法案には、債券の債権者の先取特権や債券の発行事務の委任等について規定しております。また、振興会は、毎事業年度、債券及び長期借入金について償還計画を立てなければならないこととするとともに、その他所要の視定の整備をしております。
 以上がこの法律案の提案の理由及び内容の概要であります。何とぞ慎重御審議の上、すみやかに御賛成下さるようお願いいたします。
     ――――◇―――――
#4
○床次委員長 次に、村山喜一君外八名提出、公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、提出者より提案理由の説明を聴取いたします。村山喜一君。
#5
○村山委員 ただいま議題となりました公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概略を御説明申し上げます。
 今日、世界の科学、産業、文化の進展は目まぐるしいものがあり、国際社会における、わが国の地位の向上をはかるためには、その基礎となる教育の振興について格別の努力がはかられなければならないことは論を待たないところであります。
 しかるに現状を見ますと教育条件の整備は決して十分とは言えず、施設設備の貧困にもまして、学級編制基準並びに教職員の配置基準については劣悪な状態にあると言わねばなりません。
 試みにわが国の学級編制基準を諸外国の編成基準と較比してみますと各国を十人ないし十五人を上回っているのが現状であります。
 また教職員の配置基準についても全く同様なことが言えます。今日週四十時間制の実施は世界の趨勢であり、いち早く社会主義諸国、欧米資本主義の先進諸国においては実現を見ているところです。ところが現行教職員定数の配置基準では週三十時間をこえる授業時間数さえ生じています。
 さらに授業前準備、事後処理、雑務等を加えますと、実におびただしい超過労働を行なっており、文部省がさきに調査した教職員勤務量調査の結果においても週十一時間余りの超過労働となっております。
 以上のような劣悪な諸条件を整備し、教育水準の向上をはかるため、さきに公立義務教育諸学校の学級編制及び教職員定数の標準に関する法律が制定され、今日まで逐年すし詰め学級の解消、教職員数の充足の措置がとられ、昭和三十八年度において一応整備を終了することとなっておりますが、近年における学齢児童生徒数の減少とも相待って、この機会にさらに学級編制基準並びに教職員配置基準の適正化をはかるため所要の改正を加え、もって国際水準に近づけることはきわめて適切な処置と考える次第です。
 以下改正法案の内容について説明申し上げます。
 第一は学級編制基準を現行一学級五十名から五カ年計画によって四十名まで引き下げ教育効果を高めようとするものであります。
 第二は教職員の配置基準について、現行積算基礎のほかに学校総数に一を乗じて得た数を追加するとともに、学校規模別の乗ずる数に所要の改正を加え、五カ年計画によって約十二万人の教員増をはかり、教師の労働条件を改善するとともに教育効果を高めようとするものであります。
 なお五カ年計画による年次ごと増加人員については教員義成機関における養成可能人員を考慮したことは申すまでもありません。
 最後に養護教諭、事務職員の増員については参議院における自民党、社会党政府の五カ年計画の決議及び答弁を尊重しその完全なる実施を期待するとともに将来学校教育法等の改正を待って所要の改正を行なおうとするものであることを申し添えます。
#6
○床次委員長 右両案に対する質疑は後日に護ることといたします。
     ――――◇―――――
#7
○床次委員長 文教行政に関し調査を進めます。質疑の通告がありますので、これを許します。山中吾郎君
#8
○山中(吾)委員 議事進行について申し上げたいと思います。定足数が、与党の委員はたった四名でありますので、国会法に基づいてこのままでは審議を継続すべきでないと思いますから、今までの慣行のままでいきますと、その弊害がますますつのるばかりで、大てい一、二名ということになって、だんだんそういう傾向が出ると思いますし、委員長の、与党の責任の立場からいって、与党の委員で大体過半数を占めるということが正当な考え方だと思うのであります。そういうことは厳格には申しませんけれども、いつも二、三名では、われわれはそれを黙認することは決して国会の正常化の道でないので、審議の中止を私は申し上げたいと思います。
#9
○床次委員長 山中君に申し上げますが、委員の方々に連絡いたしておりますが、漸次お見えになるように伺っておりますので、お話し合いによって開会いたしたような次第なのですから、いかがでしょうか、ちょっと委員の間でお話し合いを……。
#10
○山中(吾)委員 他の委員会より多く集まっているということは定足数に関係ないので、そういう考え方の中に、いつも常任委員会は予算委員会のために軽視されて、そして国会全体の委員会運営というものがだんだん姿勢がくずれていくので、私は少なくとも定足数というものを正当に確認できる程度の数がそろわないといかぬと思うのです。
 この機会に委員長にお聞きしておきたいのですが、定足数というのは、委員会の開会の条件であると同時に、審議を継続する条件と同時に採決の場合の条件で、開会だけの条件ではないと思うのですが、その点いかがですか。
#11
○床次委員長 この点につきましては、従来の慣行等もありますので、十分規定の趣旨を尊重して運営して参りたいと思います。
#12
○山中(吾)委員 委員長の国会法の解釈を聞いておるわけです。
#13
○床次委員長 解釈といたしましては、かように解釈はついておりますが、実際の運営につきましては、慣行等も考慮して運営さしていただきたい。山中さん、いかがですか、せっかく出席率を督励いたしまして、いずれ見えることと思いますので、一つ……。
#14
○山中(吾)委員 ようやく野党の方と合わして十名そろったわけですが、次の委員会から、特に委員長の方からもう少し出席率を向上せしめるように厳重に警告を発していただいて、そういう条件で、きょうはやります。
#15
○床次委員長 御趣旨につきましては十分了承いたしまして、委員の方々に御協力をお願い申し上げる次第であります。その趣旨において努力いたしましょう。
 それでは御質問をお願いいたします。村山喜一君。
#16
○村山委員 初めに荒木文部大臣に対しまして人づくりの問題を中心に質問をいたしたいと思います。
 池田総理が施政方針の中で取り上げられておりますのは、人づくりの問題を取り上げまして、国づくりの根幹であるということで、政府の任務というものはそのための環境と条件を整える、これが政府の任務だということを明らかにいたしておりますが、環境と条件を整える、これは当然教育基本法の中に書いてありますように、政府の責任であろうと思うので、ただ池田総理が打ち出しております人間像というものは、施政方針の中でこの問題を取り上げて、見てみますと、将来をになう青少年が心身ともに健康で能力に富み、直の自由を体得するとともに、みずからの責任を果たし得る自主性を養い、祖国の伝統につちかわれた豊かな創造力を千分に発揮して、わが国の繁栄と世界の平和に貢献するような人間像ということを、施政方針の中で打ち出しております。この池田総理の施政方針の中で見られる人間像というものと、教育基本法に定めます教育の目的、それとの間においてどういう関連性があるのか、この点を明らかにしていただきたい。
#17
○荒木国務大臣 これは教育基本法とそっくりだと思います。すなわち教育基本法は第一条でもって平和な国家社会の構成員としてということをまずうたって、結論的には今御指摘になりましたような、総理の施政方針演説の中にも言っておりますように、心身ともに健康な日本人を育成するということで結んでおると思うわけでありますが、教育基本法そのままだと言ってもいい内容だと存じております。
#18
○村山委員 そうするならば、教育基本法に対して荒木大臣は、予算委員会で野原委員の質問に対して、教育基本法を改正するかのごとき印象を與える発言をなさったわけですが、池田総理の考えている人づくり、人間像というものは、教育基本法の教育の目的第一条に照らし合わせまして、それと全く同じである、こういうように解釈をするならば、荒木文部大臣の考え方と、池田総理大臣の人づくり、人間像というものとの間には懸隔があるのではないか、この点についてはいかがでございますか。
#19
○荒木国務大臣 人間像といいますか、人間としては、日本人としてはかくありたいと考えることは、一億の国民一人々々の自由だと思います。その国民の一人として私は教育基本法を見てみました場合に、制定の経過、内容等から見ましても、もっと自主的に日本民族みずからが再検討すべき課題であろう、こういうふうに考えております。就任当初もこの意見を表明したことがありますが、今日といえども問題としてはさように受け取っております。そのことと予算委員会でも申し上げましたが、立法論の立場から、憲法であれ、教育基本法であれ、学校教育法であれ、ことごとくの法令について、これこそ前向きにかくあらしめたいという立法論的考え方というものは、公務員として当然考えねばならない職責の一部だと思っております。だからといってそのことがそれ自体、憲法なり法律なりが改正されないままに私見をもって具体的な行動を起こすことは許されないというふうに、截然とその点は分けて考えるべきだ。従って私も就任以来立法論的にはいろいろ思うことがありますが、常に憲法及び教育基本法以下の法令のうち内において、文部大臣としては行動しておるつもりであります。そういう意味で総理の施政方針演説にうたわれておるところの人間像と申しましょうか、教育の目的に関連した、俗に人づくりという概念に含まれる考え方は、何ら憲法、教育基本法を逸脱するものではない、むしろその趣旨を暢達しようとする意図に出ていると解しまするし、また私もそれが当然のことだと存じております。
#20
○村山委員 一億の国民の一人として、そういうような個人的な見解をお持ちになっている。その個人的な見解というもの、思想というものがどういうようなところにあるかは、それは別問題であります。今荒木文部大臣は、池田内閣の文部大臣である。そうするならば、施政方針の中で打ち出されている人間像というものについては、これはやはり荒木文部大臣としては、閣僚の一員として当然そういう立場に立っているのだということを明白にされなければ、ただ立法の過程、経過というものから見て自分としては自主的でなかったと思う、だからこれについては再検討をしなければならないと思う、こういうような手続的な問題だけではなくて、日本の教師なりあるいは国民が抱いているイメージの中には、荒木文部大臣は教育基本法そのものが不満であって、この内容を改正をする意図を持っているのではないかという懸念をしているわけです。その教育基本法の内容について、あなたはこれは不満だという考え方であるのか、それともこれの制定のそういう手続的な関係、それから見るただ自生的な取り組み方が不十分であったからそういうような見解を個人的に持っているというにすぎないのか、そのあたりの内容はどうなっているのかを明らかにしていただきたい。
#21
○荒木国務大臣 繰り返し申し上げますが、施政方針演説につきましては、内閣全体として責任を持って閣議決定をした内容が施政方針演説にうたわれたのであります。その材料は、各省から提供しましたものが内閣で集大成されたのを閣議決定したわけでありまして、施政方針演説の趣旨に沿うていくべきことは、これは当然のことであります。ただ、今までの御質問に、就任早々教育基本法が改正さるべき課題だというようなことを言ったのだが、どういうことだとお尋ねになりますから、私の考え方をあわせて申したいということで、それは別個の問題であります。制定の経過、ことに刷新委員会の方々が、何度も申し上げたことですけれども、お堀ばたの存在を意図しながらオーケーをもらえる限度というものはこういうものでもあろうかという考え方に立って原案がつくられ、それがいわばそのまま政府案として提案されて、当時の占領下における国会の審議を経て法律になっておる、むろん有効に成立していることを疑いませんけれども、置かれた客観条件というものは、日本人全体が自主的な自由な意思を表明し、国会の審議においても百パーセント各議員の意見が、総意が、国会を通じて表明されるという条件下にはなかったことも事実であります。そういうことも考え合わせまして、独立を回復して十年になった今日、日本人みずからの見識において考えられた原案が、政府もしくは国会においても考え得ることではありましょうが、国権の最高機関において全国民の意思を代表して慎重審議されて改正さるべき課題であろう、その原案は、改正内容はどうなんだということは、私が的確には言う能力はありません。プライベートな意見がなきにしもあらずでありますけれども、そんなことを言うことこそは無用のことだと思います。もし政府側で教育基本法の改正案を立てんとならば、これこそ衆知を集めて、識者の意見を聞きながら、今申したほんとうに自由な立場に立って、自主的な考え方に基づく意見が集大成されて改正案をつくるならば、つくるということでもって、初めて内容的には具体化したものが改正案となるはずであります。そういう慎重な手続を経て再検討さるべき課題だということを申し上げておるわけであります。
#22
○村山委員 制定の手続の上において自主的でなかった当時の歴史の上において、そういうようなものが生れる必然性というものがなかったのだというふうに私には聞こえる。改正をすべき課題である、これは荒木文部大臣の個人の見解であるのか、それとも池田内閣がそういうような方向に踏み出しているのかどうか、この点について明らかにしていただきたい。
#23
○荒木国務大臣 内閣としては踏み出してはおりません。私個人としても、文部大臣という職責の上から考えましても、再検討さるべき課題であろうということは私は思っておるというにとどまるのであります。さっきも申し上げましたように、具体的に踏み出さんとなれば、たとえばこういう重大な問題でございますから、憲法に準ずるような慎重な態勢を整えて、客観的にあらゆる階層からの識者の意見を聞き得るという態勢を整えて、そうして原案が検討さるべきことじゃなかろうか、そういうふうには思いますが、それとても私の私見、私の立場だけの考え方であって、具体的に一歩を踏み出す考え方のもとに申し上げているわけではございません。
#24
○村山委員 ただいまの答弁で、荒木個人としての見解であり、これは文部省の、文部大臣としての立場から改正すべき考え方を持っているのではない、こういうふうに受け取れるのですがそれでいいですか。
#25
○荒木国務大臣 その辺はどういうふうに表現したらいいでしょうか。個人と申しましても一人二役ですから、受け取り方によっては文部大臣としてではないかとも言われましょうし、いろいろな批評はあり得ましょうけれども、特にお尋ねがございますから、その点をはっきりして申し上げるようならば、私一個の考えだと申し上げた方が妥当だと思います。
#26
○村山委員 そこで、政府の任務として、こういうような人間像というものを育成していくための手段方法というものが出されているわけであります。池田総理の施政方針の中で、その対象は青少年である、おもな対象は青少年である、だからこの青少年のいわゆる資質というものを最高度に開発をしていくためには、その方法論として教育者の自覚を促す、道徳教育の充実をやっていくのだ、義務教育教科書の無償供與をやっていくのだ、大学に対しては、認証官学長制度をやっていくのだ、それに対しては、こういうような人づくりについては、言論機関の協力の要請をする、こういうようなことが述べられております。そこで、予算委員会でこれは質問があって、どういうような関係か、荒木文部大臣が三木委員の質問に対して答えられたのは、人づくりの問題は予算全体に関係があるのだ、こういうような意味で答弁をこの前の委員会でなさっておいでになる。そこで、この方法の問題をめぐって、政府、池田総理が考えている人間像というものが、そのような方法によって確実にそういう人間を、教育基本法第一条の教育の目的に定めるような日本人の育成がはたしてできるかどうか、この点について荒木文部大臣は、こういうような方向でいくならば青少年の教育が十分できるというお考えを自信を持ってお持ちになっておいでになるのかどうかを明らかにしてもらいたい。
#27
○荒木国務大臣 私は、この間の三木さんにお答えしたことを引用されました通り、人づくりというか、人間形成と申しますか、りっぱな日本人を育成するというか、同じ意味だと思うのですけれども、そのことのためにはあらゆる事柄が関連を持つと思います。文部省という立場に立って考えます場合に、家庭教育を初めとする社会教育、学校教育、それが責任の分担の範囲だと思いますが、それらのことごとくが人づくりに関連がある。予算で言うならば、御審議願っている予算全部が関係あり、昔流に言うならば、知育と体育と徳育が連繋いたしまして、調整、調和のとれた姿で推し進められるところによき人間像が形成されていくはずのものだ、そう私は受け取ります。さりとて、具体的にかくかくの条件を備えたこんなふうな人間でなければならぬとは毛頭思いません。これは抽象的に言えば、現行憲法、教育基本法以下の法令によって形成されるものだとも言えるわけでありまして、特に三十八年度予算で、新規の事柄もしくは従来実施しておりましたことでも、幾らかでも予算の増額をなし得たものというものを拾い上げてみれば、施政方針演説にもそのおも立ったものが出ておるというのが施政方針演説の内容だと私は心得るのであります。ですから、お尋ねの趣旨にぴたっと合っているかどうかいささか疑問を持ちながらお答えしておりますけれども、ことさららしい人間像というきまった型を念頭に置きながら、それにくっつけていくなどということは初めからない。私の常識にも本末ないことであります。ただ、抽象的に言うならば、教育基本法第一条ないしは第二条等で幾らかでも具象化されるであろうことを期待するわけでありますが、先年、本会議か予算委員会かはっきり記憶しませんが、人間像とでも言うものをどう思っているかというお尋ねに対して申し上げたことを思い起こせば、むろん憲法、教育基本法を中心とする人間像でしかないわけですけれども、幾分通俗の言葉をまじえて言うならば、国土と民族と文化を愛し、高い人格と識見を身につけて、世界の諸民族からも信頼と敬愛をかち得るに値するようなよき日本人を育成する、そのいうことでありましょうと申し上げたことがあります。私もいまだに抽象的に言えばそういう考え方、言い方もあり得る、かように思っておるわけであります。
#28
○村山委員 ただいま大臣から青少年育成の眼目といいますか、青少年育成に対するところの大臣の所感――これはことしの「私学振興」の一号にも年頭所感のところで大臣が大きく取り上げておいでになるところであります。そこで、民族、国土、文化を愛し、高い人格、識見、能力を持つ、国際社会においても信頼と尊敬をかち得るに足りるりっぱな日本人、これはやはり文部大臣の人間像の理想としておられるところだと思う。そういうような、大臣が考えている育成さるべき人間像というものが、このような抽象的な言葉でありますけれども出されているとするならば、そういうような民族、国家、文化というものは、一つの価値観を持っていなければならないと思うのです。国の現状というものに対する賛美、その中から帝国主義なりファシズムが発生をしていることは日本の歴史をひもといてみたらわかるところであります。そういうような民族、国土、文化というものが、現状維持を認識してそれを賛美していく中から生まれてくるとするならば、そこに思想、文化の国境という問題が当然出て参るわけでありますが、荒木文部大臣が最後に触れておる、国際社会においても信頼をかち得るようなりっぱな日本人というその中からは、一つの民族を超越する人類愛的なものがここにも出ているかもしれません。しかしながら、今日の二十世紀の日本のこの時代におけるところの愛国心というものはどういうようなイメージを持ったものでなければならないとお考えになっているのか。この問題は、今度道徳教育強化という名のもとに、四千二百二十三万円という予算をつけて御親切にも文部省の官僚たちがつくりました道徳教育の資料というものを各小学校、中学校にただで配付をするというようなところにも発展をしておりますので、そういうような官製道徳というものが、一体何をねらっているのかということになって参りますと、当然そこには、文部大臣を頂点といたします文部省のそういう道徳観なりあるいは人間観なり、一つの考え方として具体的なものがなければならないと思うのですが、いわゆる愛国心というものは、今日の段階においてどういうようにお考えになっておるのかをお答え願いたい。
#29
○荒木国務大臣 愛国心という概念を定義づけることは不可能に近いと思います。私は、先刻も触れましたように、私の認識に立って申し上げるならば、むろんそれは憲法なり教育基本法の趣旨のうち内においての考え方であることは当然でありますが、自分の国土を愛し、自分の民族を愛し、自分の民族の伝承であるところの文化を愛するということ、そのことが愛国心だと言えないことはない、私なりの定義を申し上げれば、さように思っております。
#30
○村山委員 そういうような常識論は拝聴いたしますが、私がお尋ねをしているのは、今日二十世紀のこの段階にあって、これから国際社会においてそういうような信頼と尊敬をかち得るようなりっぱな日本人ということを描いておいでになる上からは、当然人類の進歩に対して、日本の国民がどういうふうに奉仕し、その奉仕に対する意識を持って、こういうふうに自分たちは人類に貢献しているのだという誇りが、日本人としての愛国心にならなければならないのじゃないか、私はこういう考え方を持っているのです。そうして直の愛国心の教育というものは、現在の日本の政治、経済という現状をそのままでこれを是認するのでなくて、もっとよりよくしていくような方向において当然考えていかなければならないのが愛国心ではないか。とするならば、愛国心というものは、当然観念上の問題としてでなくて、政治、経済に対するところの一つの見解につながっていかなければならないと思う。だから、そういうような考え方をどういうふうにお持ちになっているのかということを、道徳教育資料というものをあなた方がお出しになろうとするから、お尋ねをしておきたいわけです。
#31
○荒木国務大臣 道徳教育の資料は、文部大臣もしくは文部官僚がつくるわけではありません。これは現に生きておる日本人の中の一番りっぱな人であろうと思われる人にお願いをして、衆知を集めてつくってもらうことによって生まれ出るものと思います。私は、現在の資本主義社会と、社会党の方や共産党の方が言われるが、その現実をいかなる言葉で表現するかは別問題といたしまして、現在の瞬間なくして次の瞬間はあり得ない、歴史は連続しておってぶった切られたものではないはずだ、民族は水の流れのごとく、連綿として今日まで続いて、現に脈々と生きてあすを迎えんとしておる、そういう姿で民族を受け取り、国土を受け取り、また有史以来の文化を受け取って、正確な認識の上に立って、愛するがゆえによりよくせんとする、愛するがゆえに悪い点があれば改善していくという考え方、そのことが憲法の定めるところの方式に従って積み重ねられていくところに進歩がある、そういうふうに思うのでございまして、社会主義とか共産主義とかいうイズムをもって、歴史をぶった切って、白地にものを書くようなやり方で、ほんとうの意味の民族、国家の進歩発展、いうがごとき世界の平和、人類の幸福に貢献するという基盤は養われない、私はそう理解いたします。
#32
○村山委員 大臣は悪口を言うのは非常に有名な人ですが、社会党なり――共産党は谷口さんがおりますので、わかりませんが社会党でありましても、日本の歴史の発展性というものは、当然現実の時点の上にふまえて、ここからすべての問題を取り上げていかなければならないというふうに考えておる。そういう中断をしてものを考えるということは、観念論としては考えられるけれども、いやしくも政党がそういうような歴史を中断をして、そこに一つの物事を考えていくんだという認識をお持ちになるならば、これは間違いじゃないか。そういうような認識は、社会党はそういうような考え方を持っているとあなたはお考えになっているのですか。
#33
○荒木国務大臣 断定的に申し上げるようなことを言ったとすれば、少し言い過ぎでありますが、お許しをいただきたい。ただ社会党と共産党は御一緒であったような外見を呈したこともある。そういうときのことを考え合わせますれば、先刻申したようなことが言えそうな気がしましたから申しました。今日ではそうではなく、共産党とは一線を画するということをはっきり宣明していらっしゃるようにも承りますから、そのことを前提とすれば、さっきのことは少し言い過ぎだと思いますので、その点はお許しをいただきたいと思います。
#34
○村山委員 ここでもう少し大臣にお尋ねしておかなければならないのは、民族という問題をお取り上げになっておる。これは、わが国の民族というのは、歴史的に見て一つの単一民族国家を形成しておる。そうしますと、異民族に対するところの日本人の人種的な偏見というものが過去においてあった。西欧諸国の先進資本主義の国々に対しては、日本は明治以来一つの劣等感、コンプレックスを抱き続けてきた。それに対して同じアジアの民族に対しましては、われわれよりもおくれている民族、劣っている民族という一つの優越感というものがあった。特に朝鮮の人たちに対しましてはそういうような感覚がまだ国民の間に残っている。このことは大臣は御承知であろうと思う。そうするならば、一体あなたがお取り上げになっているこの民族というものは、そういうようないわゆる異民族に対するところの日本人の人種的な偏見というものを是正しようという考え方に立つ、そういう民族のとらえ方であるのかどうか、この点はいかがですか。
#35
○荒木国務大臣 今おっしゃるような異民族を蔑視するようなムードがあったことを私も知っております。そういう考え型を持つことは悪い点だと思います。そんな偏見を持ちながら今後生きていけるという前提において申し上げたのではない。抽象的ではあるけれどもと申し上げました言葉の中に、世界の諾民族からも信頼と敬愛をかち得るに値するというためには、民族的な偏見、つまらない思い上がり、間違った思い上がり、あるいは必要以上のへりくだり、ともに罪悪だと思います。そういうことを世界の諾民族に生地のまま現わしましても、日本人というものはりっぱな民族なりと信じてもらえるような民族になりたいという意図を含めて将来を考えなければなるまい。このことは新しい憲法の最もいい点だろうと思います。それを堅持しながら努力していくところに、諸民族からも信頼と敬愛をかち得るという状態にまで到達し得るであろう、そう思うわけであります。
#36
○村山委員 やはり民族というものは、歴史的に見て自己中心的な世界観というものを私を持っていると思う。それは日本人が今日まで持ってきたところの歴史的な伝統であり、現実であろうとするならば、そういうような日本人の意識構成をいたす環境なりというものを教育の場においてどういうふうに変革をしていくか、どういうふうに改めていくかということは、当然この民族、国土、文化を愛するというその中から生まれてこなければならないと思うのです。
 荒木文部大臣にここで、ちょっと筋道が違うようでありますが、ただしておきたいのは、朝鮮という国が近代国家として成立をするぎりぎりの条件というものは、現在のあの三十八度線で区切られた韓国と金日成の北朝鮮、あの国が二つとも近代的な国家として成立をする条件があるかどうか、この点についてどういうふうに御認識になっておいでになるのですか。
#37
○荒木国務大臣 それは外務大臣にお聞きになった方がよろしいかと思うのですが、そういうむずかしい外交とかなんとかいうことは離れまして、常識論しかもちろん言う立場でもないし、能力もありませんが、同じ朝鮮民族が三十八度線で分けられておる。あるいはドイツが西ドイツと東ドイツに分けられておる。これは民族としては望ましからざる姿が他動的に起こっておる現象だと思います。その張本人はだれか、それは米ソ両国で、米ソ両国がもっと考えて一緒にするように仲立ちをしたらどうかというふうに思います。ところが現実はそれがなかなか思うようにいかない。これは私は両民族のために不幸であり気の毒に思います。何とか一緒になれるように願わしく思う事柄だと心得ております。
#38
○村山委員 私がお尋ねしているのは、わが民族、国土、文化を愛するというその民族の愛し方の中において、日本人という一つの存在があるわけですが、その日本民族の歴史的な自己中心的な一つの世界観を、日本人だけでなくて各民族、国家がそれぞれ持っておるとするならば、わが民族が、わが民族、国土、文化を愛していくというその中において、当然異民族の問題に対してはどういうふうな考え方を持つのか。そうしてまたその問題は、今日池田政府が進めつつあるところの日韓会談、これらの問題を考えた場合に、わが国のその民族的な考え方の中に、韓国というものを軍事的に経済的に日本の防衛の前線としていくのだ、韓国民の犠牲の上にわが国のそういうものを守っていくのだ、こういう一つのエゴイズム的なものが流れておるとするならば、わが民族を愛するというその考え方というものの中には、そういうような自己中心的な民族観というものがあるのではないか。こういうようなものが育てられていくとするならば、国際社会において信頼をかち得るようなりっぱな日本人というものを育成していくのだという、そういう方向とは反するのじゃないかということを私は言っておるのです。
 そこで、これらの問題については、またお答えを願いたいと思うのですが、去年ですか、文部省から出されました「日本の成長と教育」、この教育白書は経済的に教育というものをながめたのだと言えば、それまでのことでしょうが、一体この教育白書というものは文部省が出したのだろうか。これは科学技術庁あたりが出したのではなかろうか。あるいは経済企画庁なり、さらにまた通産省あたりが教育というものをこういう形で出したのではなかろうかとさえいわれるくらい評判が悪かった。この教育白書というものは、これを出して予算を獲得です資料にお使いになったのか。この教育の白書をお出しになる立場は、国民に日本の教育というものはこうなんだということをお示しになっていらっしゃるはずだと思うのですが、この教育白書をあえて出された趣旨、ほんとうの意味というものは一体どこにあるのか、その点を明らかにしていただきたい。
#39
○荒木国務大臣 今のお尋ねにお答えします前に、いかにも文部省が、あるいは政府が、たとえば私が今申し上げた国土、民族、文化を愛するといえば、昔ながらの戦前の一つの人間像を具体化したものにもりもり近づけていく意図を持ってそう言っておると断定されますけれども、そういうことではないのであります。それは繰り返し申し上げるように、世界の諸民族からも信頼と敬愛をかち得るという条件が満足されないならば意味をなさないわけですから、御指摘のようなこと、先入主が、エゴイズムがそのままで残っていくならば、信頼と敬愛はかち得ないということは、これは論理的にも当然のことでありまして、言わずもがなと思う部分だと思います。さりとて、若い者がお互いに愛し合うというとこから人間生活が始まって、愛の結晶が生まれて親という状態が現出する、親と子の関係が出てくる、その間における人間愛というものは一般の人類愛というものよりも、もっと身近なものであることは、これは否定できない現実だと思います。それが人類すべてが地球の端と端の一民族ないしは人間として、親子と同じ立場、気持になり終わった後は別として、神模はそれを念じておると思いますけれども、残念ながら人間でありますためにそれができない。その理想的な方向に向かうべく有史以来人類は努力してきたと思いますが、現実はなかなかそこまで到達し得ないでおる。その現実が直ちにどうもならないものであるならば、その現実を基礎にものを考えていって理想状態になるべく近づく努力を各民族ともやっていく、その考えの一つの現われが私は国連だと思います。国連のメンバーであることは、一つの国、独立した国が単位になっておる。その国の中の民族というものがお互いが完全に理解し合い、愛し合い、親子の関係のごとく全民族があることが望ましい条件であることは当然のことでありまして、だから、さようなことを何ともできない人類、人間社会であるがゆえに、現実を見詰めながら進まねばならないという条件はそのままに受け入れながら、前向きな姿勢で努力をしていこうじゃないか、そういう考えに立って初めて世界の民族から信頼と敬愛をかち得るに値するような民族に育っていくものと期待するのであります。かような受け取り方に立って教育も行なわるべきであろう、こういう考えを申し上げたことを蛇足ながら申し添えさせていただきます。
 教育白書は予算ぶんどりのための手段に出したかというお尋ねですけれども、そういう意味もないわけじゃない、結果論的には。しかし、あの調査が行なわれましたのは、そういうさもしい量見からでなくして、文部省の調査局でこれまたたくさんの専門家が、額を集めて資料を集めながら調査し、その資料に基づいて組み立てました結論であります。経済的な面から見た結論だけが出ておりますから、今御指摘のように、人つくりと一方において言っておりながら、経済的にものを見て教育財政の問題を一極の投資の観念に結びつけて、ペイするかいなかを見るというのは不届きであるというふうな批判は当然出るだろう、従ってとびらには経済的な見方からだけの結論を出したのであって精神面を忘れておるわけではございませんというふうな趣旨のことを書いておいたらどうだろうと調査局長は当時申しておりました。ですけれども、そういうことはことさら悪口を言おうとする人ならともかくも、常識人ならば、そんなことは言うはずがないからとびらにそんなことを書く必要はあるまいと私が申しまして、とびらに書き忘れたものですから、案の定新聞等からもいろいろ批判されたことは私も知っております。ですけれども、一つの必要な重要な観点に立った調査である、その価値は心ある方々は認めていただいておるはずだ。こういう考え方に立ってあれは出したのであります。
#40
○村山委員 今大臣が言われた、教育というものがどういうような目的を持っておるかということはうしろの方にほんのちょっぴり書いてあるのですよ。「教育が経済の成長に貢献することは、この報告書の着眼点であるが、」そのあとに、「教育は単に経済の発展に寄与するという観点だけでなく、かかる将来の社会に生活する人間像を目ざし、広い観点に立って教育の使命を考えることこそ必要なことで」ある、今の調査局長が心配をした点はうしろの方には書いてある。書いてありますが、私たちがこの「日本の成長と教育」を見ていった場合に、当然日本の資本主義発達の歴史が語られておる。ここには打ち出されておる。その日本の資本主義が発達をしていった場合に、市場関係と無関係に日本の資本主義というものが発展をしていったわけじゃない。その市場関係をめぐるそういうような日本の軍国主義的な発展、帝国主義的なそういう発展の歴史が、経済を話をする以上は当然この上に出てこなければうそなんだ。そういうようなものは何ら触れられていないわけです。そこに私たちは、この教育白書が打ち出されてきたところのねらいは一体どういうところにそのねらいを持っているのだろう。しかもその教育の内容の分析に入ってみますと、修身教科書に現われた主要な徳目の説明というものがなされている。「勤勉・倹約・勉学・公益・規律・自律自営・勇気等の徳目の多いことが注目される。」、そういうような、いわゆるモラルというものに対するこの打ち出しの中においては、日本の教育を貫いて参った富国強兵政策、軍国主義的なそういう考え方が過去においてあったのだというものが完全に蒸発をしてしまって、何らここには出されていない。そういうようなところから、その今日の打ち出し方というものは、日本の過去の経済を戦争から漂白してしまって、そういうよな抽象的な経済分析というものが打ち出されておる。とするならば、この教育白書の中に見られる考え方は、一体どういう考え方を立てているのだろう、その思想的なものは一体何かということが、当然問題として取り上げられなければならない、こういうふうに私は考えるのです。ところが、今の大臣の言葉の中に、私はこれを教育予算を獲得するための手段として使ったのだ、こういうふうにも受け取れるような発言がなされたように聞いたのですが、そういうようなねらいを持って教育白書が出されるのがほんとうに正しい国民に対するアッピールの方法であるのかどうか、その点はいかがですか。
#41
○荒木国務大臣 白書というものは本来客観的な現実に立脚して、資料に基づいて、その資料の物語るものを合理的に理解に便にするということが本来の目的であります。その目的で調査されたことも確実であります。しかし、でき上がったものをあらゆる面に活用するということは別個の問題で、白書を出す目的じゃなしに結果である。その結果を活用することは、当然のこれまた私どもの仕事上の職責だと思う。そういう意味で、予算折衝に具体的に使ったかどうか私も知りませんけれども、活用すべくんば大いに活用すべきものであるという意味でさっき申し上げたのであります。
 歴史的な記述がないということは、欠陥といえば欠陥か知りませんが、本来の目的が、ねらいが、経済財政の立場に立って、教育投資という概念をかりてきて、いかにペイしたか、役立ったかということを浮き彫りにしようということのために、御指摘のようなその裏腹となるべき社会現象、国家現象あるいは国際的な諸条件等を裏づけるということはなかったろうとは思いますけれども、そのことの有無いかんにかかわらず、事実に基づいて、客観的資料に基づいて、経済財政面からする観測をしたという意味においては価値あるものと思う次第であります。
#42
○村山委員 この問題は、あからさまに戦争というものを肯定をし、そうして再軍備を主張していくのだというような考え方はもちろん出されておりませんが、過去のいわゆる戦争というものを省略をしていく、そうしてそれを漂白状態にした抽象論がこの中において打ち出されてくるとするならば、今までの文部省の教科書の中にも出て参りましたような一つのものの見方というものが、だんだん国民に歴史を忘れさせていくような方向で問題をとらえていくような気がしてならないのであります。これはアメリカに国防教育法という法律があることは御承知だと思います。いわゆるアメリカのマンパワー・ポリシーの考え方というものが出されてきておりますが、このアメリカの国防教育法という法律を、日本の場合にもそういうような方向にもっていく現実的な問題が出てきているのではないか、その点を私は懸念をするのですが、御承知のように、ガリオア、エロアの返済資金にからむ日米の文化交流促進のための経費として、二千五百万ドルというものが使われるようになった。この使い道については、ことしからいよいよそれが使われるようになるのだが、二千五百万ドルという膨大な金が日本の文化、日本の教育というものに対して、アメリカとの提携の中においてどの程度の影響をもたらしてくるかということを、文部大臣はどの程度お考えになって、それに対応するところの対策、これをどういうふうに進められているのか。ちょうど外務省の情報文化局の針谷参事官もお見えになっているようでありますから、その問題の取り扱いをどういうふうにされているのか、文部省はまたその主管省が外務省であるとするならば、日本の教育、文化をどのような方向に位置づけをするために、どのような意見を今まで外務省との間において話をしたのか、この点が明らかであれば御説明を願います。
#43
○荒木国務大臣 軍国主義やら帝国主義を鼓吹するような意図でもあるような口ぶりですけれども、そういうことは全然ございませんから、御懸念御無用に願いたいと思います。それは冒頭にお話が出ましたように、憲法なり教育基本法以下の法治国日本においては、法律に従って文教行政、あるいは文教政策の推進もことごとくなさねばならないというのは鉄則だと思います。その鉄則のもとにおいて、御懸念のようなことが起こり得るはずがない。もしあるとするならば、憲法が悪いか、勘ぐっておっしゃっておるか、あるいは買いかぶっておっしゃっておるか、いずれかだと思います。本来そういう考え方が毛頭ないということ、教育白書の調査に着手しました動機そのものは、そういうこととは全然関係がない。繰り返し申し上げれば、経済、財政の立場から一応見てみよう、その角度からの集約された結論が、白書となって現われたということであって、マンパワー・ポリシーに追随してどうしようというようなけちな根性ではない。むしろ日本の教育の先覚者が教育面に努力してもらった結果が、歴史的な背景はいろいろと見方がございましょうけれども、そういう批評は別として、現実に日本民族それ自体の資性が高まった、能力が高まった、あるいは徳性が高まったというその結果が、日本経済と財政に、立場上の批評を別として、現実に貢献しておる姿を浮き彫りにしたというところにねらいがあったと信ずるのであります。
 ガリオア・エロアの問題は、詳しいことをそらんじておりませんので、間違いがあるといけませんので、外務省の方からのお話のあとに、必要とあらば申し上げたいと思います。
#44
○針谷説明員 ガリオア・エロアの返済資金は非常に莫大な額でございまして、これが使途は日本の文化並びに教育の交流につきまして非常に貢献するものと思いまして、私たちもこれが有効な使い方について期待しておる次第でございます。
 この金は、御承知の通りアメリカの在外資産でございまして、こちらだけの思うように使えるものではございません。従いまして、私たちはアメリカの方と今までも話をしながら、こちらの考え方を伝え、たとえば最もいい使い方は財団なり委員会なりをつくりまして、それに日本の側も参加いたしまして、十分に日本側の考え方がこれに通じるような何か組織をやってもらいたいということを絶えず伝えております。アメリカの方も、国務省におきまして、この使い方あるいは運営方法について研究しておるようでございますが、まだ具体的にどのようになったかということについては決定しないように聞いております。文部省の方とは、調査局長といつも十分連絡しながら、われわれの方の意向をアメリカの方に伝えております。
 以上が現在の状況でございます。
#45
○村山委員 私は、この二千五百万ドルに及ぶところのアメリカの在外資産というものによって、日本とアメリカとの文化・教育の交流というものが行なわれる、それもいわゆる統制といいますか、調整をしていく機構というものが当然打ち出されてくるとするならば、日本とアメリカの政府というものが中心になって、そうして日米の一体化というものがこの中には出されてくるのではないか。とするならば、そこにおいて学問の自由、研究の自由といいますか、学術体制の問題がこの問題にからんで大きく出てくるということを心配をしているわけです。
 その具体的な例を申し上げます。アメリカのフォード財団、それからアジア財団、これが日本の東洋文庫というのを通じまして、過去において十七万三千ドル、これは六千万円です。これはアメリカのフォード財団から出ている金ですが、現代中国の研究というものを五カ年計画で進めている。アジア財団は、一期三カ年計画で十五万四千ドル、五千五百万円という金を使って、近代中国の研究センターというものを設けている。この事実は、学術会議あたりにおいても非常に大きく取り上げられた問題でありまして、出資者というものは別個でありますけれども、窓口は東洋文庫というものを通じて一本になっている。しかもその資金は一億円以上ある。年間の経費が三千万円、これをやるのだ、そうしてこの取り扱いは、やはり日本の学者というものが、この東洋文庫を通じてのそういうような出資者の政治的な性格といいますか、それに左右される。しかも請負的な仕事をさせられている、こういう事実があるわけですが、この問題について、情報文化局としてはどういうふうに把握をされておいでになるのか、事実は御承知だと思いますから、その内容の説明を願います。
#46
○針谷説明員 ただいまの事実は知っておりますが、私どもは文化の交流というものにつきましては、なるべく民間の自由な意思に基づいて行なうという建前に立っておりますので、あえてこれを勧奨するとかなんとかいうことはしておりません。そしてその金がどういうふうに使われているかということをコントロールする権力もまたございませんので、事実どういうふうに行なわれているかということについては、詳しいことは存じません。
#47
○村山委員 このフォード財団総裁のヘンリー・T・ヒルトという人によると、中国と中共のマルクス・レーニン主義の適用について知る必要が増大しているのにこたえるために計画をされたものである。これは、この補助金は東京の東洋文庫、台湾の国立中央研究院、合衆国の社会科学研究会議に対してなされた。この研究は二十世紀中国の内的発展、中国の外交関係、共産中国の経済を包括するであろう。そしてフォード財団は一九六一年十二月の二十六日現在、中国についての重要な知識を供給する研究のために、日本、台湾、合衆国の諸研究機関に対する総計百四十万ドルの補助金を発表した、こういうふうになっているわけです。そこで私は、この問題が今後において、今ではアメリカのフォード財団、アジア財団というものが十七万三千ドル、あるいは十五万四千ドルという、こういうような金でございますが、今後ガリオア・エロアの返済資金のうち二千五百万ドルという、今までとはとてつもない大きな資金が日本とアメリカの文化交流に使われ、そこにはアメリカのケネディ路線なりあるいはライシャワー路線というものがある。そういうような資金の政治的な性格というものが、必然安保体制下におけるところの中国の研究版という形で前の分が進められてきている。とするならば今後における日米文化、教育の交流という問題をめぐって、そこには一体学問の自由なり研究の自由というものをどういうふうにして日本の政府は守っていくか。今、外務省に聞いてみましたら、それをコントロールする力は外務省は待たないとおっしゃる。そうすると、文部省の調査局長はきょうは見えていませんか――見えていないようですので、官房長にお答え願いたいのですが、そういうようなものをコントロールする力は文部省にありますか。
#48
○蒲生政府委員 文部省にはコントロールするという力は直接ないかもわかりませんが、しかし学問の自由、研究の自由を守っていくということにつきましては、文部省の立場におきまして十分関心を持ち、またそういう力に努力していかなくちゃならぬ、かように存じます。
#49
○村山委員 学問の自由、研究の自由を守っていく立場からどういうふうにされるのですか。具体的にこの二千五百万ドルの金が使えるようになるわけですよ。それをめぐってどういうふうにしていくのだという方針を文部省としてはお立てになっているのかということを聞いているのです。
#50
○荒木国務大臣 学問の自由はこれを保障するというのは、大学の教授のみならず、全国民に保障されていることと思います。従ってコントロールするという必要がない。権力も与えられていない。日本人の良識に訴えて、妙なことにならぬように自主的にやりなさいという状態にある、こう思っております。
#51
○村山委員 そういたしますと、もう何といいますか野放図で、とにかくそういうような個人的な良識にまかせておやりなさいという以外に何にもない、こういうことに私は聞こえると思うのです。とするならば、何か文部省の方では学術振興に関するところの法律案、この内容は第一部が学術振興についての基本方針、第二部が学術振興会議を省内に設置して、特殊法人である日本学術振興会というようなものをつくっていくのだという構想がたしかに文部省の中にある。この中においていわゆる学術体制というものと、研究資金の問題をめぐって、文部大臣が一元的に権限を握るのだということがうわさをされているやに聞いているのですが、こういうようなアメリカとの関係においてはもう手はない、とするならば、一体その学術体制を守っていく上においてどういうふうにしていけばいいのかという問題は、これは国内の学者の問題です。日本国内の学者の研究態勢という問題にも関係がある。日本全体の学問の自由、研究の自由を守るという態勢をどういうようにとっていくんだという方針が、文部省自体においても私は学術振興に関する法案として出されるやに聞いておったのですが、そういうような考え方は何もない、こういうことですか。
#52
○荒木国務大臣 アメリカに限らず、どの国との文化交流につきましても、同じようなことが心配するという立場からは心配だと思います。露骨に申せば、むしろアメリカとの文化交流よりも心配なのは、ソ連や中国との文化交流がよほど心配だというようにも言えぬこともない。それというのも、今の憲法の趣旨、現行もろもろの立法を通じて見ましても、おっしゃるような心配を防ぎ得る権力とか制度というものはないと私は心得ます。一人々々の国民の良識にうったえ、微動だもしない、だまされないような自主性を持ったよき日本人を育成するということによって対抗するほかはない、こういうふうに私は思います。
 また御指摘の学術振興法を御引用になりましたが、そういう構想はございました。しかしそれは学問の自由をどうしようこうしよう、規制しよう、そんなことでない。学問の自由をも一つと伸ばしていって効果あらしめるためにはどうすればいいだろう、教育基本法にいうところの条件整備の一環としての構想以外の何ものでもないわけであります。と申しますのは、今の国立大学の学問研究のための手段としての財政措置具体的に言えば予算要求の課題をとらえましても、各大学が思い思いに思いつかれたことを文部省で受けとめて、いわば大学人にかわって代弁して大蔵省の主計局と折衝する、そういうやり方でやっておりますが、そのことは考えてみれば、予算規模は、望みは無限にございますけれども、現実には文部省に配当さるべき新規財源というものには限度がある。その限度があるもののうちから大学の学問の自由、研究の自由、成果をあげるために予算でもってこれを裏づけせんとならば、おのずから緩急軽重を考えざるを得ない。何が最も有効な課題か、今特に緊急課題として取り上ぐべきものは何だ、すべてが学問的価値のある方向を目ざしておるとは思いますものの、限りある財源にこれを当てはめるという現実に直面しました場合、緩急軽重というものの客観的根拠というものが、いわばわからないのであります。そのときの状況に応じて取捨される。極端に言えばそういうこともあり得る。望ましいことではない。できるならば学術振興会議というようなものがあって、そこに権威者がおって、文部省の役人よりももっと高い総合的な見識を持った人々、それは個々の大学の実態も十分に知り、そこの学者との学問的な共感、共通の考え方も理解でき、持っているような人々に相談をすることによって、その緩急軽重がそのときとして判断され得るならばさぞ便宜であろうという課題があるわけであります。そういう意味において、これこそ大学人の側に立ち、全国民的立場に立っての客観妥当性を持って取捨してもらうという組織があるならば望ましいなあということであります。あくまでもそれは学問の自由に立脚し、学問の成果をあげていく、そして民族の発展、国家の繁栄、世界人類にも貢献しようということにつながるがごとき、その崇高な目的を有効に果たす前提条件としてそういうものがあるならば望ましいのじゃなかろうかということを出でないのでありまして、学問の自由をどうこうするという課題とは全然別個の、むしろそのための手段であるというふうに御理解いただきたいと思うのであります。
#53
○村山委員 私は、学問の自由なり研究の自由を学術体制の中において考えていく場合においては、学者の科学の研究の自由というものと、科学研究者の自由性の尊重、それに科学研究成果の公開、この三つの柱がぴしゃりとしたものが出されていなければ、アメリカのそういうような――これはアメリカだけじゃないかもしれません。ソビエトの方からも資金がきて、研究を委嘱するというようなことになるかもしれない。そのときに、この三つの原則というものが確認をされた上で、やはりそれぞれの研究者に対して、自主性を持った判断を下すように指導していくという立場は、当然文部省がやらなければならない。そしてまた、そういうような体制というものをつくっていかなけりゃならないと思う。それに対しては全然ノー・タッチとするならば、先ほど外務省の参事官が説明をされたように、日本側の意向というものを財団なりあるいは委員会なりをつくって、できるだけ入れ込むようにして参りたい、そうして文部省に対しては、調査局長を通じていつも連絡をとっておる。そうするならば、調査局長を中心にするところの文部省のこういうようなガリオア返済資金をめぐるところの日本とアメリカとの教育文化交流の基本方針はこうなければならない、その中において学問研究の自由を確保していくためには、こういうふうにあるべきだという原則が、文部省自体として示されなけりゃならない。それが何らないということにありますと、これは私は問題だと思う。大臣、この問題は、そういうような原則は、ほんとうにお持ちになっていらっしゃらないのですか。もう一回お尋ねいたします。
#54
○荒木国務大臣 今、その原則とおっしゃることがどういうことかを理解することができないわけですけれども、先ほど来申し上げておる通りでありまして、研究、学問の自由というものは、国民すべてに與えられておる。それをある学問は適当である、適当でないと仕分けをして、こういう学問は公開すべきである、公開しちゃいけないのだなどということを考えねばならぬということが、ちょっと私には理解しかねます。もっともこれは即席の答弁でございまして、もっと深く掘り下げてどういうことを考え得べき課題があるのであろうかということについては、自信を持って申し上げかねます。その点は今後の検討にまかしていただきたいと思いますが、今の私の理解に従えば、今申し上げた通りに受け取っております。
#55
○村山委員 予算委員会から大臣の出席要請があるそうでありますから、あとに譲りますが、大臣、今日におけるところの科学の研究の自由という問題、それから研究者の自主性の問題、研究結果の公開の問題というこの三つの原則は、やはり日本の学問研究の自由を守るということを、文部省が直剣に考えているのであれば、当然こういうように国際的な文化交流というものが、今後においてどんどん進められてくるわけです。現に京都大学においては、御承知だろうと思いますが、東南アジア研究センターをつくるために、フォード財団から資金を導入しようとして、これはたしかきまったはずですが、そういうような資金がどういうようなふうに使われているのか、やはり研究の自由というものの上において、どういうようなことがそれによって研究をされたのか、そのような研究の結果の公開というものは、少なくともさせるんだ。こうでなければ、特定の軍事的な目的に日本の学者が使われていくというような格好になっていく、とするならば、私は学問の自由を守る文部省のあり方ではないと思う。そういうような意味において、調査局長はきょう見えておりませんので、調査局長の方からこの次に、どのような原則を持ってこれらの問題に対処しているかを、この委員会の前に明らかにしていただきたい。
 大臣はもうやむを得ませんので、谷川主計官にわざわざおいでいただきましたから、谷川さんにちょっとお尋ねをします。
#56
○荒木国務大臣 ちょっと退席します前に、今の点について申し上げてみたいと思いますが、公開させねばならないとおっしゃいますが、国内においてものを考えました場合、学者が研究したことを、その研究者が公開したくないというのに公開させるという義務を負わせるなんということは、それこそ学問の自由を冒涜するものだと思います。国際的にも、学問の研究自由という概念に該当する限りにおいては、これは当然適用さるべき原則だと思います。ただし外国から、アメリカといわずソ連といわず中共といえども、外国の資金が流れ込んできて、その使い道についてどうする、ああするという問題が起こったときに、一種の国際間の課題としてどうするか。学問の自由という純粋な問題以外の政治的な問題、経済、財政的な課題までも含めておるときに、それをどうするかということは別個の問題だと思います。そういう資金をどう活用するかというときの両国間の協定その他でもって明らかにさるべきことであって、本来は、第一義的には外交の面で処理さるべきを、それを国内的に文部省の常識を外務省に注入することによって、誤りなきを期するという課題はございましょうけれども、一般論として言った場合に、研究したやつを公表しなければならない原則なんて、私はあり得ない、こう思います。予算委員会に行かせていただきます。
#57
○村山委員 また大臣とはそのうちにやり合いますが、日本学術会議の科学研究基本法の制定方を政府に勧告をした文章があります。この文章は文部省の方において検討中だということであります。だから今の科学研究成果の公開という問題は、当然それらの問題に関連がありますので、この際私は資料の請求をしておきます。日本学術会議の科学研究基本法制定を政府に勧告をしたその勧告の全文、それからなお科学技術庁の関係で、科学技術特別委員会の第一次試案というのが、やはり衆議院の科学技術特別委員会において、科学技術基本法の案をつくろうじゃないかという動きがあります。そういうようなものに対するところの資料をお出しを願いたい。委員長の方でお取り計らい方を願いたいと思います。
#58
○床次委員長 ただいまの村山委員の資料要求については、文部省の方でそれぞれ準備されますか。――それでは後者の分は科学技術庁の関係ですから、その方に連絡いたしまして、御要望に沿うように取り計らいます。
#59
○村山委員 教科書の問題で谷川さんにお尋ねをします。教科書無償法案の内容というものをめぐって答申がなされて、そうして大蔵省側の意見、文部省側の意見というものが若干対立をしている。その中でいよいよ法案が国会に提案をされるらしいということでありますが、その法案の内容等につきましては、またその法案が上程されてから審議を進めていってけっこうでありますが、私がここでお尋ねをしておきたいのは、教科書を貸與するのではなくて、給與するというのが文部省の基本的な考え方である。それに対して、大蔵省の主張によって供与する、こういうふうに変わった。そして昭和三十九年度以降の財源負担については今後において協議する、こういうふうになっているやに聞くのでありますが、一体大蔵省はこの教科書の問題をめぐって、どういうような基本的な考え方で文部省の線と意見を戦わせて、文部省がその線で納得をしたのかということをお尋ねしたい。
#60
○福田政府委員 大蔵省の方にお尋ねでございますが、教科書無償の問題でございますので、今の給与の問題について私からお答え申し上げたいと思います。
 御承知のように昨年設けられました無償制度調査会におきましては、教科書は児童生徒に給与すべきものである、こういうように答申が出ておるわけでございます。従って文部省としては、この答申の趣旨に従いまして、三十八年度予算におきましては全額国庫負担で生徒児童に給与するという建前で予算編成が行なわれたものというように考えておるわでございます。ところが三十九年以降の予算についてはまだ未決定でございます。従って大蔵省としては、将来の問題としては地方の負担というものも考えられるべきじゃないかというような見解を持っておいでになりますので、この際恒久法を作るという建前から申しますと、三十八年の考え方だけじゃなくて将来の問題も含めて考えますと、そこにいろいろ検討すべき問題がありはしないかということで、大蔵省としては地方団体において、すなわち学校の設置者において給与させるのが適当ではないかというような御見解であったのであります。ところが私どもとしては、今申しましたような調査会の答申の趣旨に従いまして考えておりましたので、その点につきましてはいろいろ大蔵省とも相談をいたしまして、結果的に意見は一致したのでございまして、国として義務教育小学校の設置者に対して無償で給付をする、その給付されたものを市町村が学校長を通じて子供に給与する、こういうようなことでございます。法律的には給付といい、供与といい、あるいは場合によりましては譲与という言葉もあり得ると思いますが、これは個人に対して直接やる場合には給付でございますけれども、法律的な用語でございますので、これは法制局で十分検討した上で法文の作成にかかりたいと考えておるわけでございまして、目下その相談をやっている途中でございます。考え方において何ら食い違いはないわけでございます。
#61
○谷川説明員 今初中局長からいろいろお話がございましたので、私から申し上げるまでもないと思いますが、給与と貸与につきましてちょっと村山委員は誤解があるんじゃないかと思っております。当初いろいろ問題を議論いたしましたのは、調査会で、子供さんにやりきりにするのか、それとも一ぺんきりでそれを捨ててしまうんじゃなくて、後輩に代々受け継いでいくのか、その間破損とかなくなったりする場合がございますので、それの取りかえはいたしますが、そういう問題もあるんではないかというふうに議論をしたのでございますが、これにつきましてはただいま初中局長さんがお話しになりましたように、答申の趣旨に従いまして、代々受け継ぐのじゃなくて、やはり生徒さんにやることにいたしましょうということになっております。もちろん各国の例を見ますと、教科書無償をやっております国々のうち、三分の二は、かりに貸与と申しますか、代々受け継ぐ建前になっておるようでございます。将来の問題といたしましては、財政負担との関係もありまして、事務的には議論をしなければならぬと思っておりますが、ただいまお答えいたしましたように、また初中局長さんが申されましたように、生徒さんにやるという建前になっておりますことを御了承いただきたいと思います。
 それから、それを国がやるか市町村がやるかということは、またいろいろ問題があるところでございます。これにつきましては初中局長さんが申されましたような法案になっております。私はまだこまかいところは見ておりませんが、そういうことで御了承いただきたいと思っております。
 それから負担の点につきましては、これまた単に教科書無償の費用の負担というだけではなくて、地方財政問題の一環ともいたしまして非常に慎重な検討をする必要があるのではないかということで、調査会でも非常にいろいろな角度から議論が行なわれました。これはいろいろな報道で御案内の通りでございますが、私どもは、義務教育教科書無償は、やはり義務教育の一環としてなされるのであるから、ただいまの義務教育無償につきましての財政上の具体的に具現しております原則、つまり先生方の給与とかいうものにつきましては県が半分負担して国が半分持っていく、教材費につきましては市区村が半分、国が半分、建物につきましては御案内の通り設置者でやっていただく、危険建物とか特別な理科教室とかいったようなものにつきましては、国が半分なり三分の一なりを持ちましょうといったふうな建前になっております。それから学校の経常的な運営費につきましては補助がございません。設置者が全部負担をして参る。それから給食の費用につきましては――給食に限らない、いろいろ修学旅行等もございますが、いわゆる要保護、準要保護の問題でございますが、これにつきましては同じく市区村と国で半分ずついたしましょうといったふうに、義務教育無償を具現いたしまするところの具体的な方法といたしまして財政負担のルールができておる。教科書無償の制度が義務教育無償の一環として行なわれる以上、ただいま申し上げましたルールにのっとってやってもいいのではなかろうかという議論をいたしておったのでございます。御案内の通り、答申では、理論的には今後この問題はあらためて検討をする必要がある、ただ発足の当初にあたりましては、いろいろ検討を要する問題があるし、この制度をスムーズにやっていく必要があるので、当面国で負担をするのが実際的には適当だという御答申がございました。従いまして政府といたしましては、その答申の線に従って、三十七年度、三十八年度につきましては、予算の実行につきましては国庫で負担をいたします。それ以後の問題につきましてはあらためて検討をしようじゃないかという決定になっておりますことを御了承願いたいと思います。従いましていろいろ問題を検討はいたしておりますが、文部省、大蔵省で別に意見の対立とかいったようなことはないことを御了承いただきたいと思います。
#62
○村山委員 大臣もおりませんので、私はここで質問をそうしませんが、あとしばらく――この問題について供与という言葉は使ってありませんか。
#63
○福田政府委員 供与という言葉は使っていないはずでございますが、それは個人にものをやるという場合には供与というのが普通法律的な用語になっておるようでございます。個人ではなくて団体等に包括的にやる場合におきましては、給与でなくて、あるいは譲与という言葉も使います。あるいは給付という言葉も使うようです。これは法制的にいろいろ使い分けがございますので、私どもはその中で最もいい表現をやりたいと考えておるわけです。
#64
○村山委員 この教科書問題は、大蔵省がこの答申に対して、費用は全額国庫負担の問題をめぐって意見を保留した。そのして四十年以降については、経費の負担区分についてはさらに検討するということで妥協ができて提案をされた。とするならば、四十年以降におけるところの大蔵省の主張というものは、やはり先ほど二つの理由を述べられておるようでありますが、その理由によって、まだ依然として地方公共団体、設置者が負担をすべきだという意見はずっと継続してお持ちになっていらっしゃるのですか。その点だけを明確にしておきたい。
#65
○谷川説明員 政府といたしまして、そういうふうなことにきまっておる次第でございます。
#66
○長谷川(峻)委員 関連して……。それは非常に大事な問題だと思うのです。先ほどから主計官の答弁を聞いておりますと、調査会の答申を尊重されたとある。そして将来の負担の問題については、自分の方では四十年度以降は政府の方針として町村が半分持つようなこともあり得るんじゃないかというふうな御答弁をされておりますが、調査会の答申を尊重されるという建前から言われますならば、たしか将来の町村財政が非常にいい場合にはどうのという簡単な附則がついておると思う。添え書きだと思うのです。ここに調査会の答申がないから議論がなかなかむずかしくなるかもしれませんけれども、この全額無償という原則は打ち立っていて、それで今ずっと押されて、あなたは当面国の財政が豊かであるから無償でやるのだという御答弁をされていますが、財政負担の問題については、町村に持たせる問題については、調査会においてはウエートは私は百分の一くらいのウエートだと思う。ここに答申をお出しいただけばいいと思うが、そうせぬと、まだ法案が提案されておりませんから、これを吟味する余裕はありませんが、そのときに資料をもらって――これは大事なことですから、ここで法案が提案されないうちにいろんな話をして、それが一つの既成観念になったら、大へんなことですよ。そういうことであなたも誤解をしてもらわないように、教育プロパーの問題に対して、大蔵省の方々がそういう内容にまで立ち入ることはおかしいと思う。私は、あなたがせんだって財政負担の問題で御反対の気持でそれぞれの代議士に配っているあなたの反対の書類を持っておる。こういう問題を取り上げてこの次しっかりやろうと思うので、これは皆さんもぜひ一つ御検討願いたいと思います。
#67
○谷川説明員 私申し上げましたのは、負担につきまして検討するというふうになっているということを申し上げた次第でございます。
#68
○村山委員 次に、今も長谷川委員の方から要がありましたように、答申書の全文、これらものを用意願いたいと思います。
 さらに、私はここで文部省に資料の要求をいたしておきたいと思う点だけを申し上げて終わりますが、高等学校の急増対策、この問題は、県議会でいよいよ三十八年度に入れる募集定員といいますか、募集人員の実数がきまり、そうしてそれに基づいて各都道府県の急増対策というものが進められて参っておると思います。とするならば、当然そういうような実数というものを把握して、文部省の急増計画、六一・八%に計画を改めたその数字が的確であるのかどうかという点をやはり基礎的に洗っていかなければ、この問題は解決ができないと思います。それと私学がどういうふうな収容計画を立ててやっておるのか。これらによって今年考えられておる高校の急増対策は万全のものであるかどうかということが当然問題になってこなければならぬと思います。私の方は私の方なりに各県ごとの資料を今収集をしておりますが、当然この問題は、文部省が統一的に把握して、そうして教科書はどうだ、こういうようなことで手抜かりのないところの対策が打たれなければならないと思うのです。それでそういうような資料は、当然文部省自身はお持ちになっていらっしゃるはずですから、この際委員会の方に提出を願いたいと要求いたしまして、委員長の方でその点はお取り計らいを願います。
 あとは大臣がおりませんので、本日の私の質問はこれで終わります。
#69
○床次委員長 文部省に対する資料の要求については、文部省として一つお考えを願いたいと思います。
 次会は、来たる十三日水曜日開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後零時十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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