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1961/10/17 第39回国会 参議院 参議院会議録情報 第039回国会 決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会 第1号
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1961/10/17 第39回国会 参議院

参議院会議録情報 第039回国会 決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会 第1号

#1
第039回国会 決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会 第1号
昭和三十六年十月十七日(火曜日)
   午後一時四十四分開会
   ――――――――――
昭和三十六年九月二十五日決算委員長
において左の通り本委員を指名した。
           鳥畠徳次郎君
           野本 品吉君
           相澤 重明君
           山田 節男君
           北條 雋八君
           奥 むめお君
同日決算委員長において左の者を委員
長に指名した。
           野本 品吉君
   ――――――――――
  委員の異動
十月十三日委員北條雋八君は辞任し
た。
   ――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     野本 品吉君
   委員
           鳥畠徳次郎君
           相澤 重明君
           奥 むめお君
  担当委員外委員
           北條 雋八君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       池田 修蔵君
   ――――――――――
  本日の会議に付した案件
○決算の提出手続及び審査方針に関す
 る件
   ――――――――――
#2
○委員長(野本品吉君) これより決算委員会決算の提出手続及び審査方針に関する小委員会を開会いたします。
 本日は、まず国会における決算の取り扱いの問題につきまして、専門員より意見を聴取することにいたします。
#3
○専門員(池田修蔵君) お手元にお配りしました資料をごらんいただきまして、それを読みつつというふうな形で御説明申し上げたいと思います。この資料の大体の要点だけを申し上げますというと、本案は決算の審議を一そう有意義にするための問題点につきまして、概要左の諸点を明らかにしたものでございますから、大体、そういう趣旨で話を進めていきたいと思います。
 現在決算の取り扱いは、法律案や予算と異なり、内閣から両議院に別々に提出されておりまして、議決も両議院で別々に行なっております。これを法律や予算と同じく先議後議の両院交渉の議案として、国会としての単一意思を決定するほうがいいかどうかという問題、それから決算の審査は実質的にいかなる効果を有しているかということを述べ、かつその効果とか内容、性質等に基づいて議決の方式もきめるべきであるということ、それから決算審議を有意義ならしめるための着目点と具体的な運び方、大体、こういう点について申し上げたいと思います。
 まず、決算の議決方式に関する諸説がございます。諸説といっても、大体二つございますけれども、まずそれを申し上げておきたいと思いますが、現行憲法上の解釈としまして、決算はこれを対象として、決算そのものを対象としまして国会の議決、すなわち両院交渉の議決を要する議案扱いとすべきものと、憲法上そう解釈すべきものか、あるいはそう解釈すべきでない、そこまでを要求しておるものじゃないと解釈すべきかという問題であります。法律案や予算、条約、予備費支出につきましては、これに対する国会の議決、または承認あるいは承諾を要することが憲法にはっきり規定してありますからよろしいのですが、決算につきましては、憲法の九十条におきまして、内閣がこれを国会に提出しなければならない、と書いてあるだけでありまして、これに対して国会がどういう取り扱いをするかということを規定してありませんので、説が分かれるわけでございます。
 大体において二説がございまして、前者、すなわち決算を両院交渉の議案とすべき趣旨であるという説を議案説と一般に言っております。それから決算に対しては、各議院は別個の議決をなす現行の慣行のままが妥当で、両院交渉の議案とすべきだという趣旨ではないという説を報告説と一般に言われております。ただこの報告説にも弱い強いのいろいろ程度の差がございますが、総体にひっくるめて言いますと、決算を各議院が審査いたしまして、これに対して何らかの形による意思決定をなし得るとし、今の憲法上でもなし得るし、またなすべきであるという者が大多数であります。決算を単なる報告として国会が受理し、これは九十一条に財政報告というのがありますが、それと異なりまして、単なる報告として国会が受理し、内容を調査するにとどめればよいとは解していないようであります。幾ら報告説といえども、決算に対してこれを受け取って審査をして、そうして何らかの意思決定をなし得るし、またなすべきであるということまでは報告説でも考えておるようでございます。ただ、内閣が一たん決算を提出しますれば、一会期に審議未了でありましても、次の会期に再提出を要しないというような意味では、やはり決算は報告扱いだということに解されておることでございます。
 そこで、この議案説と報告説が非常に違うように考える必要はないのじゃないかと考えております。
 右の意思決定の方法として、議案説は、両院交渉の議案として国会の単一意思の決定をすべきものとしておりますが、その論旨には強弱の差がありまして、理由とするところも多少感覚の差はありますが、おおむねこの要点をかいつまんで申しますと、次の点に帰着するようでございます。
 憲法の九十条に単に国会に提出しなければならない、とあるだけで、国会における取り扱いを明定してはいないけれども、憲法の四十一条にあります、国会は国権の最高機関であるという性格、それからまた八十三条にあります財政を処理するについて国会の議決が中心をなしておるという財政国会中心主義より、思想より、判断されるものとして、次のように言っております。すなわち新憲法は主権在民の思想に基づいて四十一条で、国会は国権の最高機関たる唯一の立法機関だということを書いておるし、また八十三条で財政処理の権限は国会の議決に基づいて行使しなければならない。というような規定がしてあります。これらの規定から考えるというと、国会は決算という財政処理の最終段階に――決算は結局財政を処理したあとの結末でありますから――財政処理の最終段階でございますが、これに対しても監督権行使として、これに対しても監督権を持っておりますから、その監督権の行使としての議決権を有している、それには国会としての単一意思を決定すべきである、そう申しております。ただ第八十三条は、主として将来の財政処理に関する規定でありまして、財政処理をするのは、国会の議決に基づかなければならぬという、その財政処理というものは、主として将来の財政処理に関することをいっておるのであって、その財政処理に関して内閣が守るべき規範を定めるものであって、つまり規範というのは、法律とか予算とかいう守るべき尺度をきめるべきものであって、これは主として将来の財政処理について守るべき尺度をきめるものであって、その財政処理をした結果の実績たる決算に直接の適用はないけれども、財政処理は、国会の議決した尺度、規範、法律または予算などがございますが、これらに基づいて行なわねばならぬことから、ずっと推し進めていきますと、その執行の結果について締めくくりをつけるについても、国会一致の議決によるのが当然だと解しまして、その議決の内容は、結局決算を承諾するか、あるいは不承諾にする場合もあるかもしれませんが、承諾するか、不承諾にするかということを決すべきものである、こういう説でございます。
 それからまた両議院の意思の不一致がありますというと、内閣は、どっちの議決に従っていいか、適従するところに苦しむということも、国会一致の意思できめてもらいたいという、一致の意思を要する根拠としております。ただ、現在のように、内閣は決算を各議院に同時に提出しまして、各議院で別々に議決しております現在の取扱いも、真正面から憲法に違反するというわけではない。ないけれども、両院一致の議決による方が憲法の趣旨により適合するのだという説でございます。
 それから報告説のほうは、論旨は、大体次のようでございます。現行憲法には、決算を国会に提出しなければならないと書いてあるだけで、予備費の支出と異なりまして、国会の承諾を要するという規定がございません。予備費の支出については、支出したあとで国会の承諾を要するということがありますが、そういう規定が決算については明文がございませんし、また国会がこれを何らかの議決をしろという明文も、条文としてはございません。その他の条文から見ましても、国会一致の議決を要する、必らずそれが要るんだという根拠がないという解釈でありまして、またそのほか少しこまかな話でありますけれども、憲法には両院の意思の不一致の場合の調整をはかる両院協議会を開くとか、あるいは衆議院の議決が優先するとかいうふうな両院の意思の不一致の場合の調整をはかる規定がないということも、議案説に反対する理由としております。
 さて議案説は、その根拠として、憲法には国民主権の思想を打ち出し、国権の最高機関として唯一の立法機関たらしめ、また八十三条の財政処理の権限は、国会の議決に基づいて行使せねばならぬと規定している趣旨を推し進めていくというと、大体のこの議決を要する事項は、将来の財政処理について国会の議決に従わねばならぬということではあるけれども、その趣旨を推し進めていきますというと、あとの処理であるところの決算についても、国会の単一意思を表わす両院一致の議決を要するということに帰着していくという論旨であります。また両院の一致した単一意思がなければ、政府はどっちに従っていいか適従するところに苦しむから一つであるべきだというふうな理由を取り上げまして、国会の単一意思の決定をすることが憲法の精神に合致すると論じておるわけでございます。その論旨は傾聴に値する論議でありますが、これらの論旨だけでは、まだ決算につきまして、当然に国会としての議決を、単一の意思を決定する国会としての議決を要するとの結論を出すには、少し無理があるのではないかと思われるのでございます。
 一方、報告説の論旨は、決算そのものを対象として承諾するもしくは不承諾にするということを国会一致で議決すべきとの憲法の趣旨ではない、そこまでは要求していないのであって、決算は内閣より各議院に別々に提出し、また各議院は個別に決算批判の議決をすればいいことであって、また一会期で審議未了の場合でも、内閣は次の会期に再提出の要はない、こういっております。しかし、この説にも全面的に賛成することはちゅうちょされるところでありまして、憲法九十条には、決算を国会に提出すべきことだけを規定しておるにすぎませんが、提出後の取り扱いはどうすればいいかということは、さらに検討を要しますし、また憲法の規定にはとにかく決算を国会に提出しろとありまして、両議院に提出せよという文句になっていませんもんですから、そういう字句の点から考えまして、両議院に提出せよとなっておりませんので、財政の事前監督としての尺度の決定が国会の単一意思によって議決されておる点も考慮しまして、それでは事前についての決定が両院の一致の意思を要するならば、今度は、事後監督の決算についての議決の取り扱いも考えていかなければならぬじゃないか、また両院の意思が不一致の場合の両院交渉の方法に関して憲法には規定がありませんが、その憲法に規定がないということは、必ずしも両議院の単独の意思決定によるべきの根拠とはならないものでありまして、両院交渉の方法は、憲法に直接規定がなくても国会法できめても、よろしいのじゃないかと考えられるわけでございます。
 要するに、現行憲法には、この点につきまして、いずれかの取り扱いを要求する直接の明文の規定がありませんし、また各種の条文から間接的に推論しましても、いずれかの取り扱いが憲法に違反しておると断定することはできないと思います。
 そこで次の問題は、いずれか二つの方法のうち、どっちの取り扱いをするのが現行憲法に一そうよく適合するか、また国会における決算の審議、議決を一そう有意義ならしめるか、すなわちいずれの方法を採択するのが憲法の運用上妥当であるかという程度の差が生ずるにすぎないものと考えるわけでございます。
 そこで、これらの点を解決しますには、まず内閣の提出した決算の国会における審査及び議決の意義はどういうものであるか、また内容はどういうことを行なわれているかということを検討して、実質内容を検討してみると、その問題の解決がだんだんできていくのではないかと考えられるわけでございます。憲法の九十条及びこれに基づく会計検査院法によりますというと、決算は会計検査院が検査した上、これを確認して検査報告を作成しまして、その中には、決算の処理とか法律違反とか、あるいは予算違反とか、または不当事項――法律違反や予算違反もむろん不当事項でありますが、そのほかに、一般的な不当事項その他一定の事項を掲記することになっておりますが、この検査報告は、決算とともに国会に提出すべきものであります。内閣が決算を国会に提出せねばならぬ目的、どういうわけで内閣が決算を国会に提出せねばならぬか、目的及び決算の提出を受けた国会の方では、どういう決算の審査をすべきか、議決をすべきかというその意義は、今のわが憲法上、大体次のように考えることができると思います。
 すなわち内閣は、主権者たる国民の負託を受けてその国民の血税をおもな財源に財政処理をしておるのでありますが、その財政処理について、その実績を主権者、今の憲法では、主権者の代表たる国会ということになっておりますが、主権者の代表に示して、自分が、内閣が負託された行政執行の結果に対する批判を受けて責任を果たす。その責任は実際に責任を負わされる場合もありましょうし、あるいは責任が免除になる場合もあるかもしれませんが、とにかく内閣としての責任を果たすためであると思われます。しかして内閣の財政処理に対する批判行為の第一次的の機関としては、憲法は会計検査院を置いておるのであります。この会計検査院の財政処理を批判したその主要部分は検査報告に掲記されてあります。その検査報告事項の中の中核を占めるものは法律違法事項とか、予算違反事項、その他の不当事項、これらのことが書いてありますが、これらのことは法律的、事務的には、すでに会計検査院が判定確認したものでありますが、国会はこれらの批判意見を参考としつつ、それに加うるに、さらに何らかの形における意思決定をなすものと考えます。それはどういう意思決定かといいますと、国会が主権者たる国民の代表として、国権の最高機関として、また行政府たる内閣に対する監督者として、ことに内閣の財政権行使に対する統制者として、この財政権行使については特別の規定が、先ほど申しましたように、八十三条にあるのでありまして、一般的な国会の監督権のほかに、財政上の処理に対する監督は特別の規定がありますので、その財政権の行使に対する統制者としての立場から行なうもので、政治的意義を有するものと考えられます。その作用は、会計検査院が決算に対して法律的、事務的に判断をする静態的作用に加えまして、国会がやることは、国民の代表として、その不当あるいは不経済というものを断定し宣言するものでありまして、その断定は内閣の責任を追及し、その意思を国民にも反映させる動力的作用、あるいは発動力といいますか、これは法律用語ではありませんが、一つの放射能みたいな非常な動力的な作用を具有するものである。ただ、若干法律的意義を具有する一面があります。これはあとでだんだん申し上げます。それからなお、国会は会計検査院の批判意見を、そのまま容認しないこともありますし、また検査報告に掲記されていない事項については、みずから法律的、事務的の批判を下すこともございます。
 しこうして国会の議決は、決算を対象として承諾または不承諾を与えるか否かは憲法の明文もなく、断定は困難でありますが、それは意思決定の形態上の論議に属することでありまして、また学者のいわゆる適法条件をなすものであって、この適法条件といいますのは、有効条件に対することでありまして、法律や予算でありますと、その国会の議決が行なわれて可決された場合には法案が死んでしまうというふうな効力に影響する問題でありますが、決算の場合には、これから生まれるとか、生きているものが死ぬというふうな効力の問題じゃありませんで、ただその決算が妥当であったか、適法であったかという問題でありますから、承諾されれば適法になるというか、適法条件をなすものでありまして、決算の効力には関係がない性質のものでございます。なるほど決算を対象として承諾する、その決算そのものを承諾するという形態を持たせるということは議決の形態として非常に整いますし、また荘重感を加えるといいますか、迫力を加え、非常に強力になるということはたしかでございましょう。しかし決算の審議議決の意義は、さらに実体上から考えていかねば、なかなか解決がむずかしいのじゃないかと考えるわけでございます。
 そこで、国会における決算の審議や議決の内容やその効果は、どういうものであるかということを内容を分析してみまして、その実体を明かにして、その実体が明かになったところで、議決の中心をどうしたらいいかということが、おのずから生まれてくるのじゃないかというわけでございます。その審議議決の内容及び効果は、まず第一に、財政処理の実績を批判しまして、法律違反があるか、予算違反があるか、または不当であると1不当というのは、不経済とか、あるいは非能率とか、資金の使い方がまずい、無駄になったというふうな不当ということを断定宣言しまして、政府を論難、攻撃して、その責任を追及し、かつまた行政の監督作用として、政府みずからの反省を促します。これは責めるばかりじゃありませんで、政府みずからの反省を促して、政府が自発的に批難事項を是正するか、あるいはその他の処置をする、それから対人的な懲戒処分なりその他の人的な処分をするとか、あるいは将来の改善策を講ずるようにしむけていく、政府みずからが自発的にそういう方策を講ずるようにしむけていくという働きを持っておると思うのでございます。
 それから第二番目に、財政処理の実績を法律違反、予算違反あるいは不当があると断定宣言して、それが断定宣言するだけではなくて、これが違反と、こうあるべきということが、おのずとそこに含まれると思いますので、それがそのまま、将来の財政処理に対するかがみ、または指針を示し、政府の方では、たとえば契約につきましても、競争契約に付するのが原則でありますが、今は随意契約によっていることが非常に多いというふうな場合に、その随意契約によっているための不当事項が非常に多いというふうな場合に、将来の財政処理に関するかがみといいますか、指針――かくあるべしというふうな指針を示して、またひいて将来の改善処置の方向も示してやる、示してそれを政府に要求するという働きも、決算委員会の審議に期待されるところであると思うのであります。
 それから三番目に、国会が決算審議の結果、憲法第八十三条に基づきまして財政処理の規範を定めるについての――この八十一条の財政処理の規範といいますのは、財政上の法律とか、あるいは予算とかの尺度をきめるわけでございますが、それは国会の議決に基づいて行なわれるわけでありますが、そういう尺度をきめるについての基盤を決算の審議が助けていく、決算が審議の結果、だんだん政府の不当事項やり方のまずさ、制度の悪さ等がわかりますと、将来の尺度はかくあるべしという、その法律をきめていくための基盤ともなり、また政府に対して、そういう規範を設定するという機能を政府にやらせるという働きも持っておるものである。決算委員会の審議が、そういう働きも持っておるものだ、こういうふうに考えられるのであります。
 そこで、決算の審議や議決の内容が、以上のような意義を具有するとしまして、その内容をさらに立ち入って見ますると、決算批判の意義のうちに、財政処理の実績に対して政府の責任を追及し、かつ政府みずからの反省を促してやる。政府が自発的に処置をとることを推進するという点に着目しますと、国会としての単一意思の決定は要しないものと考えるのであります。各議院は、おのおのその議院としての単独の意思決定により得るし、また各議院の単独意思は尊重さるべきである。他院の意思と不一致の部分がありましても、これを消滅――減とありますのは滅であります。――消滅さしてはならない。こういう働きの面からいいますと、両院一致の意思を要するということにしますと、たとえば一院は、これを悪いと言い、一院はよいと言うた場合に、その両方とも生まれないで死んでしまうことになりますが、それでは困る。そこで一院の意思は他院の意思と不一致の場合があっても、これを死滅させないで、生かしていきたいという要請が、そこに生まれてくるのであります。政府の行政執行の責任を追及し、かつ政府みずからの反省を促し、政府の自発的な処置を推進せしめる点より見れば、一院は国民の代表として、また独立の国会構成機構として、その意思は発動力を有すべく、つまり一院は単独に最終意思の決定をなし、その発動力をもって行政府を批難し、その責任を追及し得なければならないもので、他院との不一致のために、一院の意思決定が発動力を失ってはならない。さらに立ち入って言えば、一議員のなす審議過程における質疑、意見の開陳、論難でさえ意議あらしめなければならぬとぐらいに思える次第でございます。たとえば参議院なら参議院だけが、ある大臣の処置に対して批難の決議をするということもあり得ることでありまして、責任を追及する、あるいは反省を促すという点からいえば、参議院なら参議院だけの単独の意思決定が大いに効力を発揮するものでなければならないと考えるのであります。ただ政府に対する責任追及を確立的、徹底的ならしむるには、不正不当事項に対する両院一致の確固たる単一意思をもって行なうべきであるという理論がよく行なわれるわけでありますが、その理論も、もちろん一理はありますが、それは責任追及が法律的意義を有する場合の意思決定について主として要請されるところでありまして、法律的責任が問題となる範囲においては、すでに会計検査院の確定判断が表明されたものがありますし、また国会の責任追及は、もはや法律的意義を有する場合は少なくして、ただ政治的効果を発動するものでありまして、その追及は、結局会計検査院が法律的または事務的に下した判断を基礎としつつ、各議院が個別にその意思を決定すればよく、また各議院は単独に、つまり他院の意思に制約されることなく最終的意思を決定し得なければならないと思います。責任意思決定については、単独の意思が効力を発揮しなければならないもので、他院との意思が一致しなかったからといって、自分は、こういう決算が悪いと参議院が認める場合、その意思が通らないというものは許されないと思うことでございます。
 ただ、ここに問題は、不正、不当事項中には、法律違反、予算違反の事項と、単なる不当事項とがあり、単なる不当事項には、不経済とか非能率、むだだったというような不当事項とかがありまして、その内容の差異によって責任追及の意義も異なってこなければならないと思うものであります。法律違反とか予算違反というものは、国会が単一意思をもって議決したところの規範――法律または予算、国会が単一意思をもって議決したこれらの法律ならぬ法律に違反するものでありますから、その分野においては、内閣が国会の意思を忠実に執行せず、これに違反したことに対して、国会が不満の意思を表わすことでありまして、国会の意思を決定することとなり、また一方単純なる不当事項、すなわち不経済とか非能率等の事項というものは、行政府の自由裁量にまかされたところの処理が悪かったもの、これは法律違反とか予算違反とは違いまして、一応政府が自由裁量で、きびしい尺度にのっとらなくても、自由裁量にまかされたところの処理が悪かったものでありますから、この分野においては、行政府の自由裁量の処理の誤りに対し、国会の意思を決定することとなります。こういうふうに両者の間に責任追及の意思決定の内容に差異があり、したがって意思決定の方式においても差異があるべきだと考えるわけであります。すなわち前者は国会が単一意思をもって議決した規範に違反したことに対して、国会の意思はこうであった、しかるに政府がそれを守らずして法律に違反したということに対して問責の意思を決定するものであり、また規範の、法律なら法律の解釈の決定を伴うものでありますから。といいますのは、政府がやったことが法律違反だというときには、この法律はかくかく解釈すべきものである、かくかく解釈して、こう執行すべきものであるというのに、そうしないで違反をしたということは、国会の意思に反するということについての問責の意思をそこに表明することであり、また法律の意思はかくあるべきだ、かくあるべきであるのに、政府はそれを執行しなかった、あるいはここまではこの法律では許されるのに、それ以上のことをやったというふうな法律の解釈の範囲まで決定することにもなりますので、これはどうしても国会としての単一意思を決定する両院交渉の議決によって決定するのが妥当であろうと思うのであります。
 ただ、この法律違反や予算違反というような規範違反に対する問責に関する限りにおいては、その違反性を断定する意味において、法律的意義を具有するものと言わざるを得ない。先ほど私が主として政治的意義を有するものだけれども、若干法律的意義を具有する点がある、そのことをあとで申し上げますということを言ったのは、ここで、それを申し上げている次第であります。
 しかし一面、行政府に対する責任追及や及び政府に反省を与えてやりたいという点からいいますというと、これら法律違反のような場合でありましても、その法律を作るための規範設定の意思決定に参加しました一院は、その自分の意思も、そこに法律の中には、一院の意思も入っているわけですから、その意思の侵害に対する責任追及において、単独的にも決定的な意思決定をなし得るものでなければならぬと思うわけでございます。
 すなわち行政府の規範違反というものに対する批判には、両面の要請が存しているのでありまして、両院一致の意思をもってその違反を問責し、また解釈を決定するということと、両院のうちの一院の意思も尊重されなければならぬという両方の少し慾ばっておりますが、両方の要請があるということでございます。両院一致の意思決定を要するとなりますと、両院の意思が一致しない場合には死んでしまうということでは困る。やっぱり一院の意思も、そこに生かして、効力を発揮できるという、その要請を言っているわけでござます。
 次に後者、すなわち行政府の自由裁量の処理が悪かった、一般の行政事務の処理が悪かったという事項に対する意思決定は、行政府の財政に対する国会の一般監督的な問責であります。行政府を国会が監督する責任を果たすという、その行政府に対する立法府の一般監督的な意味の問責であり、血税を負担する国民の代表である一院は、他院との交渉がなくても、独自の意思決定による権能の発動をなすべきであって、両院交渉の単一意思決定によらねばならぬということではないと思われるわけでございます。つまり政府の自由裁量にまかされた行政の措置が悪かったということについては、参議院だけでも、その責任を十分追及し得る。参議院が悪いといえば、その責任追及が生きていかなければいかぬじゃないかという考えでございます。
 それからまた、これは少し事実問題になりますが、決算に基づく政治的責任追及におきまして一つの問題は、決算を実質上作成いたしました内閣が、国会で審議議決のときに、すでに辞職しているという場合でございます。せっかく決算を作った内閣の責任を追及するといいますけれども、実際にその決算を審議して議決するときには、内閣は、もうすでにかわっているという場合が非常に多いのであります。
 そこで、その責任追及の意義はどうであるか。しかし、これももし決算を作成したところの同一内閣が存在したとすれば、それは問責せられるという事態でありますならば、その内閣の統括下にある行政機関の構成員も当然責任を負うべきものでありますから、これは平の行政官、事務的な行政官ばかりでなく、大臣以下すべてを含んでおるわけでございますが、それらのものも、当然責任を負うべきものでありますから、決算に参与した行政官を批判する意味で、国会の行政府に対する責任追及は、その限度においてはなお意義があると考えるわけでございます。もし同一の大臣が、内閣はかわっても、一人の大臣が、同じ農林大臣なら農林大臣がおりますならば、その大臣の責任を追及することにも意義があると考えられるわけでございます。しかるに決算批判の意義のうちに、財政処理の実績を不当と断定し、それがそのまま将来の財政処理に対するかがみ、または指針を将来の方向を示してやる。またひいて将来の改善処理の方向はかくあるべしということを政府に付加要求する作用を持っておりますが、そういうことに着目しますれば、国会としての単一意思を決定するほうが、政府に対する影響力も強く、政府の適従するところを知らしむるためにも、これは両院の一致の意思が適切であろうと考えられます。ただし、この意思決定の内容は、憲法八十二条にいいますいわゆる規範尺度には該当しませんで、ただ、方向といいますか、いわゆる指針程度のものでありまして、内閣の財政処理、それを直接コントロールする尺度とは言い得ないものでございます。直接コントロールする規範なら、これは問題なく両院一致の意思を要することは当然でございます。
 如上の立論の結果、一院の議決のうち、他院の意思と合致がなかった部分については、将来の指針としての機能は成立し得ない。ただ責任追及及び政府の自己反省原因としての機能があることにすぎないことになる。将来の方向を示すというような方面に着目しますと、両院一致の意思があって初めてその機能を発揮し得ることであって、両院一致の意思がなければ、その将来の方向を示すということの働きは非常に薄いと思われます。これは適従するところがないとか、困るとかいう説が出てくるのは、ここから出てくるわけでございます。ただ政府の責任を追及するとか、あるいは政府に自己反省をさして、みずから自発的にものを改善さしていくという働きの面から言いますと、参議院なら参議院だけからいくということも、決してこれは消滅さしてはならないということになるわけであります。
 上述の二つの要請――両方の、そういうふうにしてもらいたいということは欲ばっておるわけでございますが、この二つの要請を満足せしめ得る、すなわち決算の議決について一議院の単独意思を決定的存在たらしめると同時に、一方国会の単一意思を作出せしむる方法は、現在の憲法下においても、法律だけで規定し得ると考えるわけでございます。それには、たとえば国会法を改正しまして、決算については、後議の議院が先議の議院の議決と異なった議決をなして、両院協議会でも不一致を来たした場合でも、両院の一致したところをもって国会の議決とする。どうしても両院協議会でも一致しなければ、それがそのまま消滅してしまうということにしないで、両院の意思の一致したところだけでも国会の議決として生かしていくというようなことを規定すればいいじゃないか。さらにまた、不一致の部分につきましても、一議院の議決の効力を妨げない。不一致である部分は、もうじゃ死ぬかということになると、いや不一致である部分についても、一議院の議決の部分は、やはり生きているのだというような法文にしたらどうか。これは少し御議論のあるところかと思いますけれども、そういうことも考えられるという一つの軽い提案でございます。このような両頭の取り扱いをする場合に、実際問題として両院の意思に不一致の部分が発生することは好ましくない。いろいろ言いますけれども、両院の意思に不一致の部分が発生することは好ましくないのであるから、かかる事態の生じないよう努力することが望ましい。といいますのは、これは本来からいいますと、決算なら決算を批判するという意味からいいますと、たとえば一方はこれは悪い、一方は悪くないといった場合に、いやお前悪くないと思うかもしれぬけれども、これは悪くないじゃなくて、悪いことに、妥協してくれということは、これはものの性質上許されないことだと思います。法律や予算ならば、こういう法律の条文になっているけれども、こういう方針に少し緩和したらどうかとか、あるいはもっときびしくしたらどうかという妥協の余地がありますけれども、人のやった結果について批判して、いい悪いというときに、妥協して近寄るということは、事の性質上は許されないことと思いますけれども、事実の誤解とかあるいは探究が少なかったために、あるいは少し離れた判断を、片一方は非常に悪いと思うが、片一方はさほど悪いとは思わないという意思の不一致があります場合に、だんだん事実を探究して、知識を寄せ合って、相談してみると、ああそうか、そういう事実があるか、なるほど悪いとは言わなくてもいいかもしれぬといういうな、近寄りの道がある場合もありますから、なるべくそういうふうにして不一致の部分が発生しないようにすることはできないことはないと思います。
 このように両院の意思の合致による議決によりたいという要請。両院合致の議決によりたいという一つの要請と、不一致の部分々起こしたくないという要請は、重要な要請でありますが、この要請は、両院の意思の事実上の同一を来たし得れば、実際上は満たし得ると思われますので、必ずしも法律を改正しなければならぬということもなくて、その手段として両院決算委員会の合同審査会、または両院決算委員会の協議を利用して、だんだん両方の距離を縮めていくということも考えられることでございます。
 実例に徴して従来の各議院の議決内容を見ますというと、両議院の意思が同一事項について著しくかけ離れているとか、片一方はいいというのに、片一方は悪いというふうに全然かけ離れるとか、あるいは大量の事項につき不一致を来たしたと、大部分が、両方の意見が不一致でありたということは、あまり多くありませんので、文字の表現は種々でありましても、会計検査院の批判、それから両議院の意思というものは、大体同意見であることが大多数でありますから、事実上さしたる支障もなく今日まできておりますし、また将来も、この状態は繰り返されると思うのでありますから、理屈はとにかくとしまして、理屈をいえば以上のようなことになりますけれども、両院交渉の議案に今すぐしなければならなぬか、そういう議案制を今すぐ緊急に採用しなければならぬという緊急性は、さして強くないと思われますので、まずまず現行の法律制度のもとにおきましても、そういう議案制と同じような効果をもたらす方法はありますが、まず、それを十分研究してやってみて、結果がどういうことになるか、現行の制度のもとでも努力次第では、それに近づき得ることは、努力してみて、それからだんだん法律改正に持っていくかどうかをきめてもいいじゃないか。まず研究を、もう少しすべきであるということで、緊急性はさして強くないということでありまして、それを考える必要はないという意味ではむろんございません。
 それから決算審議の結果に基づき財政処理の規範作定の基盤ともなる。これは議員立法の場合もありましょうし、内閣の提出法案の場合もございましょうが、規範作定の基盤となる、決算の審議がその基盤となる点に着目しますというと、国会が決算を詳細厳密に審議し、行政の内容によって、所管の委員会、たとえば農林委員会もありましょうし、法務委員会もありましょうし、内閣委員会もございましょうし、その所管の委員会に、その結果を報告しまして、制度上の欠陥等をよく知らして、決算の審議の結果、こういう欠陥がありますということを知らして、連合審査会を開くなり、あるいはその他の方法により、決算に対する議決とは別途に、立法措置なり予算措置によって、その目的を達していくこともできると考えられるのであります。
 以上によりまして、決算の審議及び議決の内容を分析し、またその意義を申し上げましたから、決算の審議、議決がどうあるべきかということは、もうおよそ八割通りはわかられたことと思われますが、さらに、それを少しとりまとめて簡単ではありますが、具体的に形の上に分けてみますというと、最後に決算審議の結果を有意義ならしめるには、国会審議の内容を一そう充実することが肝要であり、その着目点としては、財政処理のどの点に欠陥があり――これは、財政処理にはいろいろ欠陥がありますが、しさいに検討してみますというと、そのつぼつぼがあります。どの点に欠陥があるか、それからどの担当者の責任に帰すべきものであるか、担当者は、決定から最後の執行に至るまで各種の人がおるわけでありますが、そのどの担当者の責任に帰着すべきものであるか、また法律または予算に対する違反その他の不当事項の悪性が、どの程度の悪さであるか等を探求いたしまして、この発生した原因の所在を十分見きわめまして、それから担当者の処分を促す。この担当者の処分を促しますについても、だれが悪かったか、その悪さはどの程度であったかということがわかりませんと、ただ処分が軽いと言いましても、あまり政府が痛みを感じないわけでありますから、これらの事態を十分見きわめまして、そうして発生原因の所在を探求いたしますと同時に、担当者の処分も政府に要求し、それから事後の是正を促進し、せっかく決算ができたあとではありますけれども、なるべくその欠陥のある決算を直して、正しい決算に回復できるものは回復し、また国損があるものは国損を回復して、なるべく国の損失を少なくしてやるというふうに、事後の是正を早めていきまして、また将来、そういうことが起こらぬように改善を促していくという働きがあると考えるのであります。
 しこうして、国会における決算の審議を促進し、当該決算の経理時期と接近せしめることが肝要であると存じます。それは決算の審議、議決が、決算を作成した同一内閣の存続中に行なわれ、また所属担当官の当該職在任中に行なわれることを期するためである。これは、決算の審議、議決が同一内閣中に行なわれるということは非常にむずかしいことでありまして、大体決算ができるのが、決算が終わってから八カ月くらいかかってできるのでありますから、まして決算の初めからいいますと、一年八カ月かかっておることでありますから、同一内閣の存続中に決算の議決をするということは、これは非常に困難なことでありますけれども、目標から申しますと、そこにいかなければ、ほんとうの内閣の責任を追及することはできないことでありますから、なるべく早くやって、できれば同一内閣の存続中にやる。また、所属の担当官が、同じ官吏ではありながら、担当がかわったとか、あるいは退職して民間の会社に行ったとかいうようなことがありますと、その責任追及が弱まってくるのでありますから、なるべく同一の地位におる間に、早く審議をやって責任を追及した方がいいのではないか。しかして、将来の改善については、国会の有する憲法八十三条の、この尺度をきめる権限を国会が持っているわけでありますから、その権限を発揮し、立法措置及び予算措置によって、それを促進することが有効である、これは国会だけが持っている働きでありますから、こういう働きを大いに発揮すべきものではないか。
 これらのためには、決算の国会提出時期を早め、これに応じて決算委員会の審議をも早めていき、決算の審議を、翌々年度の予算の編成及び国会審議に反映させて、どうしても、これは翌々年度になりますが、翌々年度の予算の編成前に、その審議があれば、予算の編成でも、政府は考えるでしょうし、また予算審議の際に、決算の審議を大いに反映させて、おそくとも――予算の成立までには、かりに間に合わないにしましても、その執行される早い機会に、決算委員会の審議の結果が反映されるように努力すべきものであると考えるのであります。
 以上、簡単でありますが、説明を終わります。
#4
○委員長(野本品吉君) ただいまの説明に対して、御質疑のあります方は、順次御発言願います。
#5
○担当委員外委員(北條雋八君) 今まで伺った中で、一番最後の問題ですね。審査方法といいますか、これは一番大事なことだと思うのですが、これで拝見しますと、今までどおりとあまり変わっていないのですが、これは室長の御意見でありましょうか。
#6
○専門員(池田修蔵君) これは、私個人の意見ではございませんで、部屋としての意見でございまして、その前に各人から意見をとりまして、それを取りまとめまして、私の意見を入れまして作ったものであります。
#7
○担当委員外委員(北條雋八君) これで拝見しますと、調査室になっておりますが、この委員会でいろいろ議論されたのと照らし合わせてみまして、林さんから話を聞きましたけれども、これは指摘事項を中心にして、今までどおりやるような形に見えるのですが、そうでなしに、決算というものはむしろ予算に対して実行がどういうふうに使われているか、分量的にも、また経費的にも、そういうようなことを決算でうまく審議していくのがいいのじゃないかというふうに私は考えておるのですが。
#8
○専門員(池田修蔵君) その点につきまして、これは必ずしも、従来とそう変わっておりませんが、今おっしゃいましたように、予算の結果の執行を審議していくのに、指摘事項だけによるという頭ではございません。
#9
○担当委員外委員(北條雋八君) この最後の四章の(1)を拝見しますと、やはり会計検査院の指摘事項、そして執行の個人的の欠陥に重きを置いて審査をされるように思うのですね。これもむろん必要なことでありますけれども、予算の審査のやり方について、今後どういうふうに改正しようかということになりますと、前に林さんから説明がありましたのと、だいぶ違うようなふうに私は考えるのですが、これは調査室の案でございますか。この前の委員会では、今度は室長の御意見を伺うというふうに私は記憶しておりますが…。
#10
○委員長(野本品吉君) 速記をとめて。
  〔速記中止〕
#11
○委員長(野本品吉君) 速記をつけて。
 別に御質疑がなければ、本日の審査は、これをもって散会いたします。
   午後二時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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