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1947/08/05 第1回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第13号
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1947/08/05 第1回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第13号

#1
第001回国会 司法委員会 第13号
昭和二十二年八月五日(火曜日)
    午後二時四十分開議
 出席委員
   委員長 松永 義雄君
   理事 石川金次郎君 理事 荊木 一久君
   理事 鍛冶 良作君
      井伊 誠一君    池谷 信一君
      石井 繁丸君    榊原 千代君
      安田 幹太君    山中日露史君
      中村 俊夫君    八並 達雄君
      吉田  安君    佐瀬 昌三君
      花村 四郎君    明禮輝三郎君
      大島 多藏君
 出席政府委員
        司法事務官   奧野 健一君
    ―――――――――――――
八月四日
 罹災都市借地借家臨時處理法の一部を改正する
 法律案(武藤運十郎君提出(第一号)
の審査を本委員會に付託された。
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 国家賠償法案(内閣提出)(第四號)
#2
○松永委員長 會議を開きます。
 国家賠償法案を議題といたします。本案についての質疑は終了いたしました。この際佐瀬昌三君より修正案が提出されております。簡単ですから朗読いたします。
 第一條中「故意又は過失によつて」を削る。第一條第一項に次の但書を加える。「但し公務員に故意及び過失のないことを立證するときはこの限りでない。」
 第三條中「費用を負擔する者が」を「費用を負擔する者も」に改める。
 修正案提出者の意見を求めます。佐瀬昌三君。
#3
○佐瀬委員 ただいま委員長朗読の通り、本法案の第一條と第三條に規定する點について若干修正すべき理由ありと認めて、かような修正案を提出した次第であります。その理由をまず第一條について申し上げてみたいと思います。
 原案は責任原則として過失主義を採用されているのであります。私もこの過失主義を全面的に否定するものではないのであります。ただ従來の一般からすれば、過失主義の適用においては、本法にいわゆる公務員が過失もしくは故意に基いたという點を賠償を求めんとする被害者側において主張し、かつこれを立證する責任を負擔されているのであります。従來からこの立證責任はなかなか困難な仕事とされております。ローマ法の昔から、立證責任の存するところ敗訴ありという一つの格言があるがごとくに、立證責任負擔者が結局その故意過失を立證し能わざるがために賠償の目的を達成し得ないというのが實情に相なつているのであります。そこで新憲法十七條が、せつかく公務員の不法行為に對して被害者に賠償の権利を與えようとする趣旨を貫徹し、被害者の救済を全うするためには、どうしてもこの過失主義のもとにおいても立證責任について何らかのくふうをしなければならぬのであります。そこにひとつの妥協的な安として本修正案を提出いたし、これに基いてこの立證責任を、國または公共團體側に轉嫁し、賠償の責任を免れんとするならば、公務員に故意又は過失なかりしことを證明することを必要とする。従つて被害者側においては、違法に損害を加えられたという事實を立證せば賠償の請求権を認められるというのがこの第一條の修正の根本的趣意になつているのであります。従つてこれは決していわゆる無過失責任賠償主義の原則を採用せんとするものではないのであります。依然として過失責任主義の範圍内において被害者救済のために一つのくふうを加えていかんとするのがこの修正のねらいになつておるのであります。従つて私はこれを一種の推定過失責任主義と申し上げてもいいと思つておるのであります。違法に公務員が損害を加えれば、その公務員は故意又は過失に基いてやつたのだということが一應推定される。従つて被害者はあえてそれを立證する必要はない。責任を免れんとする公務員側において、その故意または過失なかりしことを説明することによつて初めて賠償の責任を免れるといういわゆる推定過失主義に相なるのであります。要するにこれは被害者の救済を貫徹することをもつて最大のかつ積極的理由とするゆえんになるのであります。すでに進んだ立法や學説や判例の上においては、むしろ無過失でも國家に賠償責任を認めた方がいいのではないかという根拠になるようなものが少なくないのであります。現に同僚の花村委員は、本條を無過失賠償責任の原則の採用にまでもつていかなければ、せつかくの立法も何ら進歩性なしと斷言しております。私も純理論としてはこの説に與するものでありますけれども、しかし現在の諸般の事情を考慮する場合、原則としては過失主義、しこうして、それは立證責任の轉嫁によつて推定過失主義に基いていくということが、もつとも中正穏健な立法であると確信するがゆえに、この修正案を提出した次第であります。
 國家專制時代には、法をもつて官僚の武器としております。そこには過失主義が固く、守られて、國家権力の前には、いわゆる切捨御免的な考え方や制度が支持されてきたのであります。しかしながら、この反動としての個人本位に走つた場合には法をもつて民の武器と考え、従つて行き過ぎて、無過失でもすべて賠償を補填せんとするような結果的責任に走るような理論と主張もないではありません。しかし日本は新憲法に基いて、文化國家を標榜しております。そこには國家、社會、個人全體の總和、いわゆる中庸的な立場においてことを考え、かつ制度を生み出していくところに、特に日本のこれから進むべき政治、經濟、思想の據點があるのであります。わたしはそれを法律の上に適用した場合、かかる賠償法においてはその中庸的な推定過失主義が、思想的も近代的であり、かつ妥當である。そこに本修正案のまた理由ありと確信するものであります。ただこの修正に對しては、すでに當委員會の席上においても若干の反對的な意見と理由か述べられておるようであります。私はそのうち主要なものについて、これが反駁を加えてみたいと思うのであります。まず第一は、かかる修正案に基いていつたんでは、あまりにも多く國費をもつて賠償するに至るやもしれざるがために、國家の實情からいうと、財政難という點においてこれは賛成しがたいという反對理由であります。私は本法案審議の劈頭において、政府委員に對して、一體この法案に基いて、将來どの程度の事件が具體的に發生するか、それに對する見透しをお伺いしたのでありますが、残念ながらその點に對しては、統計的によりどころがないという御説明で、この損害賠償額が予算の上において、いくばく予定すべきか計算に苦しむものであります。しかしながら、われわれの常識をもつて觀察してまいりまするならば、たとえ立證責任轉嫁の責任原則を立てていつてみたところで、私は國の財政の運命にもかけて憂うるがごとき事態は、惹起しないと考えておるのであります。のみならず、これは新憲法が基本的人権保障の意味において、個人に對して賠償を保証せんとするものであります。いわば國家として當然なすべきこれは義務費であります。世界の國々の進歩向上をはかるバロメーターは、その國の軍事費や何かの多いことではなくして、文化費、特にかような國民救済の義務費が多く計上されておるかどうかということが、一つのバロメーターになつておるのであります。國家が當然義務として國民に對し負擔すべき費用は、何ら財政的顧慮なしと言うのではございませんが、その財政が許す限り、これを救済していくというところに、今後日本の文化國家としての任務があると思うのであります。決して財政難なるがゆえに、これをもつてこの修正案に反對する理由というような強固なものにはならぬと考えるのであります。特にこれに關連して指摘しておきたいのは、今こそ日本は赤字財政であります。しかしわれわれは祖國日本の復興が必ず近き日にありと確信するものであります。将來財政が安定したならば、これはそれほど問題にするに足らないことであります。およそ立法家の心構えは、今日の瞬間的な現状にとらわれずして、悠久の基盤に立つて将來の社會にも妥當する法をつくるということが任務でなければなりません。今日の現實にとらわれて、将來を見失うような短見な立法はわれわれのとらざるところであります。
 次にこの修正案に對する反對理由は、濫訴のおそれありという點であります。被害者保護に厚ければ将來訴訟が殖えるであろう。なるほど今日思想が極めて混亂しております。自由權利も、かなり憂うるものがあることは、何人もこれを認むるところであります。しかしながら、これはまつたく敗戦後の一時的現象であります。私どもは将來民主主義思想が健全に發達してまいりましたならば、自由や權利の觀念もまた安定するものありと確信するものであります。その堅實な權利の上に立つておるような訴訟を起こすことは、むろん歡迎すべきことであります。私は訴訟や裁判も、それが無責任なものであるならば別でありますけれども、法の前に、正しき權利を伸張するということは、よつてもつて國民の民主主義思想を向上せしむる一大教育であると信じておるのであります。從つてさように相なるならば、決して濫訴というおそれはないと信ずるのであります。元來日本人は、平均した堅實な社會人をもとにして考えてみますと、一體に權利思想は幼稚であるのであります。その例として、私どもはここに陪審法を引用しておきたいのであります。陪審法は民權擁護の立場において制定されたのでありましたが、國民の權利思想が低調なために、いわゆる陪審事件というものがほとんどなかつたのであります。陪審法はいくばくもなくして自然廃止の状態になつております。せつかく國が權利を與えてさえ、かような事態に相なるのであります。もし本法においても國民に對して損害賠償を求むる條件について巌であるならば、決して國民は請求をする、權利行使をする者が多くはないであろう。修正案の程度で、ようやく正しい權利の擁護が全うされるのではないかと考えるのであります。
 次に政府委員の特に強調された反對理由に承つておつたのでありますが、かような修正案をもつて臨むことは日本の全法律體系における責任原則の秩序を亂すであろうという御懸念であります。なるほど民法七百九條は、過失責任主義をとり、しかも立證責任は被害者に負擔せしめております。これが大體日本の民事法における責任原則の基調になつておるのであります。すでにドイツの責任法や、あるいはあのロシヤのソヴィエト民法でさえも、四百三條かでは、もはやかような過失責任は陳腐であるとして、被害者の免責事由として故意過失を加害者の立證責任に轉換しておるのであります。フランス民法は御承知のようにナポレオン法典という古い時代の立法でありますけれども、これは特にフランスの判事諸公が、勇敢に判例法の進歩をもつて立法の不備を補い、新しい立法がされたと同様に、この過失主義に對して一大修正を加えて、私の言うような推定過失主義に走りつつあるのであります。近代の立法學説は申すに及ばず、判例の傾向ですら、民放の責任原則に對して一大反省を促し、かように推定過失主義へ進みつつあるのであります。本法はこの民法の一般原則に關するものではありません。しかし日本のこれらの諸外國に遅れた制度に對して、全面的にこれを進化せしめるという必要は、私十分あるのではないかと考えるのであります。本法はこの原則に對する例外的な法規として、特別法として提案されておるのであります。いわば例外法でありまするけれども、しかしこの例外法にとつて、今申し上げましたような理由で、多少進歩的な規定を採用しておつたならば、それが機縁となつて、さらに民法の一般責任原則に對しても、これを時代の歩みとともに進歩せしめるように、これを指導する力となると感ずるのであります。決してこれは責任原則の法的體系を亂るものではなくして、法的體系をして全體として進化の過程に上らしめるという効用ありと考えるものであります。決してその點は私、政府委員のように心配する恐れはないと考えるのであります。要するに私どもはこれからは國家權力に對して民衆の擁護をもつて立法家の一大任務であると信ずるのであります。しかも法律原則を無視せず、堅實にかつ政治的にも、かように法律の時代的思想の轉換をはかりつつ、個人の基本的人權を擁護し、これを新生日本の國民の國家に協力するところの地位を法的に確立するという點に、私どもは殊に民主議會におけるわれわれの重大な職務でなければならぬと考えるのであります。以上の理由に基きまして、私は第一條については立證責任の轉換、すなわち推定過失主義を採用して、かような修正をなすのをもつて、皆様のご同意を得たいと考えるのであります。
 第三條の修正點でありますが、これはすでに當委員會においても相當多数の委員諸公から賛成を得ていたように私は觀測していたのであります。原案におきましては、費用を負擔するものと事業の管理者とが異なるときには、費用を負擔するもののみが賠償の責任を負擔するということに相なつております。しかしながらこの事業の管理者と費用負擔者とがいずれであるかということを法的に區別することが、實際上きわめて困難な場合が多いのであります。これまで幾多の判例にそれが實證されております。訴訟のやり直しもしばしばそのために行われております。これは訴訟經濟の上からいつても、きわめて意味のないことであり、しかも被疑者を救済するという絶對的な至上原理からまいりますならば、むしろ進んで事業負擔者と費用負担者とがともに賠償の責任主體であるというふうにきめておいた方が、立法の精神が全うされるものと私は考えるのであります。しかもこの費用を負擔するもののみが賠償責任を負うというふうにされた原案に對する政策委員のご説明によれば、それは最後には費用を負擔するものが賠償として支辨された金額を最終的に負擔するのだ、従つて事業管理者として國、公共團體が負擔した場合には、費用を負擔するものに對して内部的に求償權の行使をしていかなければならぬというめんどうな理由があるから、一切の最終的責任者としての費用負擔者に損害を負わしめるようにするのが、この原案の理由であるということでありましたが、これはまつたく内部的な理由であります。本法案の根本的趣旨は、政府委員のご説明の通り、國家、公共團體が國民に對しての責任規定であります。國家と國民のための規定であるならば、その立場において理論的に、實際的に正しい方向に規定していかなければならぬのであります。國、公共團體の内部的事由に基いてこれを左右するということは、理由には相ならぬと考えるのであります。要するに、これも第十條と同様に、終局するとこれは被害者の救済の點において萬全を期する。新憲法十七條の精神をここに發揮するために、私はこの第三條も、費用を負擔する者も事業を管理するものと相竝んで賠償の責任ありと規定する修正案が妥當である、こう考える次第であります。
 以上修正二點について、簡単でありますけれども、よつて來たる理由を私は開陳した次第であります。どうか委員各位の十分御審議を賜らんことを切に望む次第であります。
#4
○松永委員長 これより討論にはいります。荊木一久君。
#5
○荊木委員 憲法の十七條、すなわち「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより國又は公共團體に、その賠償を求めることができる。」、この規定はご承知の通り、衆議院の修正によつて新たに加えられた條文であります。従來わが國においても、國家または公共團體の經濟行為につきましては、一般私法人の場合と同様に、民法の規定は親族、相續等、事柄の性質上適用し得ないものを除きましては、その他は民法の支配下におかれておることは、これは申すまでもないのであります。従いまして、不法行為に關する民法の七百九條あるいはこれに關連いたします四十四條等は、條文の體裁上は多少むりがありましても、當然に適用せられるものという解釋論は、まつたく一定いたしておつたところであります。しかしながら、國家または公共團體の不法行為の中で、公權力の行使に基くものにつきましても、私法の中にも、また公法の中にも賠償を求められるという特別の規定がなかつたのであります。これはイギリスにおいては、國王は悪事をなし得ないという古いことわざがありますが、それがちようどその一面の法理を語つておる通り、統治權の直接行使の行為というものが、そのまま不法行為になるという自己撞著も、まことに説明しにくいものがあるのであります。また國家機關のこういというものは、一般の私法行為を除きましては、公権力の行使は選擇の自由というものは絶對に許されておりません。國家竝びに國民の双方のための行為である、一方的な不法行為というものとは、ちよつと解釋がおのずから變つてまいるという事情も存するのであります。しかしながら、公權行使による不法行為というものが客観的に存在し得るということは自明の理でありまして、そうである以上は、これが救済の方途を確立するということは、これは法治國としては當然の要求でなければならぬと思うのであります。そこでさきに衆議院が特に憲法の原案に一條を加えて、この十七條を挿入したということは、もとより當然のところと思うのであります。ただいま自由黨の全部の意見であるかどうかは知りませんけれども佐瀬君から、特に本法の第一條を修正されて、故意又は過失の立證責任ということを轉換して、佐瀬君の言われる過失の推定主義でいこうという修正意見が、正式に本委員會に提案されましたが、私は民主黨を代表いたしまして、その修正意見に對しては反對の意見を申し上げます。佐瀬君が大體反對意見を先ほど前もつて辯駁されましたから、多く言う必要はないのでありますが、第一の理由は、國家または公共團體の不法行為の中で、公權行使の場合を限つて、いわゆる過失推定主義でいくという理論的根拠が、まことに乏しいと考えるからであります。具體的の場合についてこれを見ましても、公權行使は警察官吏その他執行機關の暴力的行為、つまり刑事上の不法行為を生ずる場合を除きましては、いわゆる學説にいうところの利益結合の場合が大部分であります。官公吏の職務行為というものは、國家の代表的行為であるだけでなく、國と國民の双方のために、みずからはその地位を囘避し得ないという特殊な立場にあるわけでありまして、これを國または公共團體の經濟的行為の場合よりさらに飛躍して、過大な責任、つまり過失をあらかじめ推定するというようなことは、法制の整備、均衡の上から見ましても、とうてい妥當性を發見しがたいと思うのであります。
 第二點は、すべての法律の制定は、おのずから進化の道程と申しますか、進化論的なものが必然の道程であると考えるのであります。特殊な社會情勢、もしくは特殊な國家的要請に基く単行法の場合は別でありますが、國家賠償といつたような大きな問題の基本原則を策定するにあたりましては、一般諸外國の法制の進化と、一應足並みを揃えるということは、一見模倣に似て、いかにもやすきにつくようでありますけれども、そこにはおのづから百年を貫く規矩準繩というものも存すると私は考えるのであります。ただいま佐瀬君の御意見によりますと、民法の一般原則はいかになろうとも、特別法として、例外法として、まずここに一つの進歩を示すべきである、しかる後おのずから民法の原則はこれについてまいる、それが立法者としての一つの使命であるという御意見がありましたけれども、ついきのうまでは、公務員の公權行使に基く國家または公共團體の行為に對しましては、あるいは本人に對しましても、賠償の義務が認められていなかつた。この法律において初めてこれを求め得ることになるのであります。それを一躍一般不法行為の條件をさらに飛躍して、また國家の行為もしくは公共團體の行為についてみましても、それらの經濟的不法行為をさらに飛躍いたしまして、そんがいの存するところただちに過失を推定するというような跳躍は、法律の進化論的に見ましても、私は妥當なる道行きではない、かように考えるのであります。殊に米英ともに未だに公權行使による損害賠償というものは認めておりません。アメリカにおきましても、きわめて局限された範圍においてこれを認めておりますけれども、英國においてはまつたく規定が見えないのであります。それをわが國において憲法の要請に基いてこれを法制化し、さらに一擧に擧證責任まで國家竝びに公共團體の負擔にするという、そういう飛躍は、法律の進化の道行きといたしましても、私は少しく近視眼的な考え方でないかと考えるのであります。
 なお財政論をお述べになりましたが、財政論につきましては、私も佐瀬委員の御意見とほぼ同様でございます。しかしながら、ひとり國家だけを對象にただいま論ぜられましたが、本法は國家竝びに公共團體の全部に適用される法律でありまして、必ずしも仰しやるように、いかなる場合でも國家の財政と同様に公共團體の財政がこれを許すとは考えられませんので、利益を双方に總合考量いたしまして、必ずしも財政論は全部適用するという考えには同調いたしかねるのであります。
 以上申し上げましたのは、一條に關する私どものただいまの修正意見に對する反對意見であります。従つて原案支持の意見であります。
 なお三條の「が」を「も」と直すという修正のご意見であります。これはただいま佐藤委員の仰しやつた通り、私どもも原則論的には多く反對するに本國家賠償法は、賠償の點に重點をおきまして、完全に賠償を得られるということ、ただ公務員といつたものではなくて、國家竝びに公共團體を相手として完全に賠償を得せしめるということが主要な目的になつていると考えます。その場合國家、少くとも公共團體が、二者択一のできる場合に、それが「も」とあればこれに越したことはないという意見も立つかもしれませんが、費用を負擔するものといいましても、それは必ずや國家もしくは公共團體でありまして、とり得る損害をとりそこなうということは、常識上まず絶對にないと言つてよろしいと思うのであります。
 なお法文の體裁からいたしましても、従來の判例から見ましても、もし佐瀬委員の言われるような修正意見をかりに可とするならば、それを費用負擔する者もということではなく、公務員の選任もしくは監督にあたる者もということでなければ、慣例と事實とにまつたく背反する結果となる、かように考えます。私は第三條については、多く反對するものをもちませんが、ことさらに原案を修正してただいまの修正意見に同意するという考えはありません。従いまして第一條竝びに第三條ともにただいまの修正意見に對しましては、民主黨としては反對である。そして原案に對して賛成をいたします。
#6
○石川委員 私は社會黨を代表いたしまして原案に賛成し、従つて修正案に反對するものでありまして、以下簡単に荊木氏の原案賛成の御意見に賛成の意を表するものであります。
 まず問題になつておりますところの修正意見が提出されました。第一條について申し上げますと、政府が本案第一條につきまして説明せられたことを承りますのに、もし立證責任の轉換という場合になろうか、無過失損害賠償とほとんど異なるところのない状態に立ち至り、その結果濫訴の弊に陷るという憂いがある。現下の國の財政はこれを許さないということを承つた。第二の點は公務員の職責遂行に萎縮を來し、しこうして適切なる公務の運行に支障を生ずるという憂いがある。本條を原案のごとくしておきましても、國民の受ける損害救済には缺けるところがないという要旨に承つたのであります。われわれはこの政府委員の説明を了承し、これに賛成するものであります。
 まず第一に立證責任の轉換をいたし、國もしくは公共團體側に立証の責任を負擔せしめる、こういうことによりまして、主張するがごとくに、國民のこれは被害者でありますが權利保護はよりよくなされるであろうかという意味であります。實際訴訟におけるところの發展運行を見てまいりますと、その訴訟の行為、立證行為は一應國であるところの被告に責任を負わせたといたしましても、國民の側被害者の側のわれわれが訴訟を完全にし勝訴せんとすれば、進んで積極的に本法第一條の主觀的用件もまたこれを主張し、これを立証しなければならないのであります。ゆえに訴訟手續におきますところの立證の問題は、憂うることのない時期の問題に關するというように考えられます。また擧證責任の分配に對するところの近來の傾向を見てまいりますと、損害におきましては、過失主義の原則は未だ各國において動かすことのできない事實であります。また請求者側におきまして、損害の發生の事實及び相手方の過失の損害を主張立証いたしますことも、これまた原則なのであります。これを廢棄し、新たなる原則を止揚するというまでに未だ至つておらないのであります。このような原則の上に立ちまして、多少の缺點が現れてくるのでありますが、この缺點を救済いたしますために、いわゆる立證責任について原告側の責任を輕減するの傾向に移りつつありますことは、佐瀬委員も主張された通りであります。われわれの裁判官は、今後は従來のごとく官僚軍閥、その他の一連の勢力階級によるところの裁判ではありません、國民の裁判官であることを信じまして、かつこうあるべきことを期待して新しい國家建設にあたつているわれわれは、このとき少なくとも裁判官が國民の裁判官であることを信じ、眞に政治の原則によつて裁判せられることを信じて擧證責任というものの分配に對して適切、妥當な方法が講ぜられていくということを確信してやみません。殊に訴訟法におきましては、釈明權の行使、立證責任交流の方法もあります。この點から申しましても、私は修正案に賛成し得ないのであります。
 次に公吏が過去におきましては公權力の行使にあたつて、國民に違法の損害を與えましたことは、それが多かつたこと、及び被害者たる國民がこれに對して救済の方法を求め得なかつたということは事實であります。われわれはこのような過去の公務員の制度を一變せしめんとしているのであります。過去の國家及び公共團體の性格を一變せしめんとしているのであります。このために、われわれは新しき制度の建設に今當つているのであります。眞に公務員をして國民の公僕たらしめんための制度そのものの改善を、今われわれはなしているのであります。本法第一條もまた公務員に對しまして警告的な自戒の方法の一つの制度といたしまして修正してはどうかという解釋もなりえるかもしれません。もちろんこの議論も私たちは考えたのであります。しかし、それは損害の發生とその賠償の責任に關する規定であります。われわれは法治主義下の現段階と、新しく建設せんとする國土を思いますときに、考えなければならなかつたのであります。もし被害者の便益のみを考えましても、公共の福祉の蓄積ということを忘却いたしましたならば、結局國民は損失になるのであります。もし公務員がその職務につきまして萎縮し、適正な活動をなさないというように至りましては、機能の澁滞をもたらす結果に相なりまして、結局國民の損失とならなければなりません。これは原案を私どもが主張するゆえんであります。濫訴の状態に至るかどうかという點は、将來のことはどうもわかりません。濫訴の弊害を生じたときを、われわれもまた思わないではありません。しかしながら、われわれの現在の任務は、各個人の權利を尊重し、これを改善確立してまいりますとともに、われわれが公共福祉のために不便を忍ばなければならぬということも、忘れてはならないのであります。權利ということも、権利の行使ということも、公共福祉の限界内にあります。公共福祉のために、われわれはその建設に努力しなけければなりません。日本の現状は、最大の權利と福祉が國民の要求に合致する状態に立ち至つておりません。われわれの國の従來の限界内において私たちは本法を検討し、本法を見なければならないのであります。このような見方から、われわれは原案第一條を妥当であると信じているのであります。
 第三條におきましては、荊木委員から詳細申し上げましたので、簡略にいたしますが、われわれは訴訟の經濟の上から、また訴訟の便宜上からこの規定をおいたものであるという政府委員の御説明に賛成するものであります。これを了承するものであります。この見解より私たちは原案を支持し、賛成し、修正案について反對するものであります。
#7
○明禮委員 ちよつと議事進行について、……。今までの討論を拝聽しておりますと黨派を代表しての討論であります。私は黨派ということもよいかもしれませんが、法律の審理だけは黨派的でない審理を望みたいと思います。なぜそう言うかと申しますと、法律の審理ということは、他の政治問題とは違ひまして、大體においてまとまるところが大きい小さいということは、それはあるかも知れませんけれども、たとえば本案について第一點と第二點とあります。これがもし第一點については、お互いに原案通りでいくといたしまして、第二點については、あるいはこれは修正するのがよいのじやないかという希望がたくさんあるかもしれません。もし今のような調子でいきますと、この賠償問題のみならず今後起こりますところの大きな民法の改正も、刑法の改正も、すべての法律問題について、黨派的にいくために、第一點においては修正されても、第二點においては修正されないというような弊害が起こり得るということを、私は先日からの空氣を推して察知し得るのであります。そういう考え方からいたしますと、この法律の審議だけは、黨派を超越して私の方の自由黨におきましても、さようであります。ひらたく申しますと、この原案の賛否についてはわかれておるのであります。また民主黨あるいは社會黨の方々においても、先日の御議論の記録にかつて見ましても、わかれておるのであります。このわかれておるのをまとめるということも、一つの方法でありましようけれども、その結果が一點、二點の修正があつた場合に、そういう黨派的にやるがために、一點においては修正され、二點においては修正されないというような、されるべきものがさらないという弊害が起こり得るとするならば、國家の一大事であります。代表的な演説をなさるのはよろしいのでありますが、どうか委員長におかれては、皆さんの賛否の意見は皆聽いておやりになるということが、法律の審理にあたつては特に私は大切だと思います。己を捨てて、黨を捨てて、ほんとうにこう思う、これがよいのだという出で方でないと、これは政黨の弊害であります。こういう點を私は深刻に感じましたがゆえに、私は皆さんに申し上げる。またそういう氣持を十分にご了解願えると思うのでありますから、皆さんもどうか黨派的に一應の討論はなさつてもよろしい、それまでは止めはいたしませんけれども、すべての決を行う場合には代表演説によつてあるいは動かされるということでなく、黨派的な氣分を忘れて、ほんとうにこういくのが法律案の審議だということに、私は理解をもたれんことを望みます。またそういうふうに委員長はお考え合わせられまして、今後の進行を願いたいと存じます。
#8
○荊木委員 ただいまの明禮委員の御意見まことにその通りでございます。私どもも實は話をしておるのですけれども、司法委員會は、各黨の政策によつて狂いを生ずるものはまず至つて少ない。従いまして、何も黨議でとりまとめてということでなく、それぞれの意見が實はあつてほしい。幸いにしてか、不幸にしてか、實は二點しかなかつたので、黨内の意見がまとまつたいうことでございますから、ご了承のほどを願います。
#9
○花村委員 私は佐瀬君の修正の動機に賛成をいたす一人でございます。修正の理由については、佐瀬君がことこまかに論じられましたので、これを大體私の趣旨辯明採用をいたしてよいと思うのでありますが、一言だけ私の意見を申し上げておきたいと思うのであります。
 本案は、國民の權利をいやが上にも拡大強化いたしました新憲法、その新憲法の第十七條によつて提案をいたしました法律であるのでございますが、これは今日のわが國の世相に鑑み、當然こうあるべきであろうと存ずるのであります。諸外國の立法制におきましても、すべてとは申しませんけれども、米國においても、フランスにおいても、あるいはまたドイツにおいても、ソヴイエトにおいても、この種の規定を設けておるものでありまして、むしろわが國は遅きに失するの感があるのでございます。しかしてこの種請求權を國民に認めました以上は、その請求權の行使を容易ならしむるということを考えることが、すなわち立法をする人の大きな責任であると、私は申し上げてよろしいと思う。今日までの國民のもつておる請求權の中でも、ややともすれば與えられてありますところの請求權の行使が困難であるがために、その成果があがらぬ事例が多いのであります。この新憲法のもとにおいて與えられたこの請求權こそは、その行使についても容易であり、しかもその與えられた成果を國民が教授するということであらなければ、この立法の精神、憲法のそうした精神を貫くことができないであろうと思うのであります。ここにおいてか、この點を私どもが考えまする場合において、當然出てくる結論は、この第一條と三條において、かく修正せんければならぬということである。いずれもこの請求權の行使を容易ならしめる、そうして國民の損害を賠償することに何らの支障なからしむるという、この精神に立脚して、二點の修正をなさんとするものでございます。
 第一條の修正は、先ほども佐瀬君がことこまかに述べられたとおりでありますが、この公務員の故意過失に關しまする立證、すなわち國家、公共團體の方面において、その公權力を行使するところの公務員の職務執行の上において故意過失がなかりしことを立證することは、よほどこれは困難であるという政府委員の御説明であつたのであります。私どももこれに對しては同感の意を表するものであります。けれどもしかし飜つて静かに考えてみます場合において、その公務員によつて損害を受けましたところの國民、すなわち被害者の方面において、加害者の故意、過失があつたということを立證することは、より以上の困難が伴うということも、ほとんど異論のないところであろうと思うのであります。もしそれこのもつとも困難でありますところの過失責任を、被害者の側に科するということでありますならば、おそらく請求權は與えられたが、その請求權を遺憾なく行使することができないというような窮地に陥ることの多いことを、私は過去の長い間の尊き禮験によつて斷ずることができると信ずる。もしかくのごとき困難なる立證責任を課するということでありまするならば、憲法に基いてせつかくこういう書期的な國民救済の法律をつくつたのでありますけれども、そういうりつばな損害補償の請求權は與えられたのでありますけれども、これはおそらく有名無實に終る憾みなきを得ないのでございます。かような見地から考えましても、その與えた請求權を何らかの支障なきようにそれを行使していくことができ、しかもそれの成果を得るという點に考え及びまするならば、これはやはり佐瀬君の言うがごとく修正するのは當然であろうと私は信ずるのでございます。殊にそれのみならず、この損害を賠償すべき主禮が國家公共團體であります。今日までわが國は官尊民卑の弊があり、國家、公共團體あるいは公務員等に對しては、國民は一歩も二歩も譲つておつた。いなむしろ多くの事例は泣き寝入りになつておつたという事實ほとんど大部分でありましよう。それを今囘の新憲法の改正によつて、その舊來の悪習が打破せられ、ここに明朗にしかも妥當性をもつた國民救済の法案が提案せらるるに至つたのでございますけれども、その主禮が國家公共團體であるということ、しかもその加害者がただに公務員というばかりではございません、公權力をもつた公務員の行為に對して、その損害を受けたものが賠償の請求をするというようなことに相なつておりまするがゆえに、これはなかなか今日までわが國の舊來の事情等に鑑み、あるいはその請求を受くる主禮が國家公共團體であるという意味において、裁判官が今日まで扱つておつたこうした事件の取扱い等の事實に鑑み、また新憲法は施行せられたとはいいながら、あるいは公務員法がいずれ制定せらるる運に相なるでありましようけれども、しかしそれが必ずしもすべて裁判官の頭を、また國民の頭をただちにもつてかえるということはとうていこれは望み得ないことであるのであります。こういう見地から考えましても、やはりこの請求權の行使を最も容易ならしめてやるという親心をもつて考えまする場合においては、かく修正することが最も妥當であると信ずるのであります。
 さらに第三條の點でありまするが、これも第一條とやはり同一の論據をもつて論じ得ると思うのでありまするけれども、この第三條は、要するに費用負擔者のみにその責任を負わせるという規定に相なつているのであります。従いまして國家公共團體に對しまする請求權が阻害される結果になるのでございます。しかしながら、費用負擔者なりやいなやというその事實關係を立證いたしますることも、これまた公務員の故意過失の立證と同様にむずかしいものであると申さねばならぬ。むずかしくないにしても、相當の煩雑性を加えるものであることが明瞭であります。かくのごとく、一面において請求權を與えておきながら、その請求權の行使を困難ならしめるということは、この法律を制定する精神に相反するものあると極論して私は決して間違いでなかろうと思うのであります。これもやはり費用負擔者、あるいはまた國家、公共團體のそのいずれにも請求できるという二つの道を開いてやるということが、むしろ親切なる立法であると申してもよかろうと私は思うのであります。ただ政府委員が言うがごとく、國家、公共團體でも費用負擔者に對する求償權の行使がむずかしいというような、損害を賠償すべき被請求權者の方面における都合によつて、あるいは便、不便によつて、この請求權者の請求權の行使をして困難ならしむるというがごときは、私は斷じて承服ができぬのであります。従いまして、私の言うがごとく、かような權利を認め、両者に請求する權利を認めたからというて、ここに何らかの不条理を生ずるものではない。その損害の拝承を國家、公共團體から受けるか、あるいは費用負擔者のそのいずれかから受けまするならば、その目的は達せられるのでありまするから、従つ被請求者の方面における内輪の關係は内輪で片づくべきものである。内輪の事柄を請求權者に責任を轉嫁するがごときは、斷じて私のとらざるところでございます。かような意味合において、第二條の修正、すなわち國家、公共團體、もしくはこの費用負擔者のいずれにも請求できるという修正動議は、正當なるものであるを斷ぜざるを得ないのであります。かような理由によりまして、私は佐瀬君の修正動議に賛成の意を表するものでございます。
#10
○松永委員長 大島多藏君。
#11
○大島(多)委員 私は國民共同黨を代表いたしまして、國家、賠償法案に對する意見を申し述べるといたします。新憲法におきまして公權力の行使にあたる公務員による損害賠償の責任を明記いたしましたことは、新しい立法面の進歩性を物語るものでありまして、まことに慶賀にたえない次第であります。國家賠償法は憲法の趣旨によつて立案せられたものであり、これによつて従來重大な損害をこうむりましたものが、何らそれに對して救済の方途を講ずることができないで、泣寝入りになつたような次第であつたわけであります。このことを思い合わせまして、本法案ができたことに對しまして、ここに私は満腔の賛意を表するものであります。ただこの際希望いたしたいことは、本法案の運用にあたりまして、新憲法の精神を誤つた結果、當委員會においてしばしば論ぜられましたように、それから先ほど自由黨からも修正の御意見が出ましたように、本法案が単なる空文化するようなことがあつてはならないということと、それからまたそれとは反對に、誤つた民主主義的理論によりまして、事故の權利を追求するに急なるあまり、本法案悪用の弊に陥ることのないようにということであります。私は本法案制定によつて、公權力の行使に當る公務員が、一層自粛自戒いたしまして、本法適用の餘地なく、その意味よりいたしまして、本法案がほとんど空分化されんことを切に希望して、本法案に對する賛意を表する次第であります。
 次に自由黨の修正案につきまして、このことについては各黨から詳しい御意見が出ましたので、簡単にわが黨の意見を申し上げることにいたします。なるほど自由黨の修正案は、一應傾聴に値するものがあるわけであります。しかしながら、立證責任の轉換は、新憲法實施以前の頭の切替のなかつた時代には、あるいは必要であつたかもしれませんが、現在のようなややもすれば事故の責任を輕んずる半面におきまして、事故の權利のみを強調しがちな風潮のときにおきましてはかえつて弊害を伴うのじやないのかと、私は心配する次第であります。それが反對の一つの理由であります。次に純法律學的見地から申し上げますと、先ほどもこれも他黨からお話がありましたが、國家賠償法案においてのみ立證責任を轉換するということは、法理の一貫性からも賛成いたしかねる點であります。次に第三條の修正點に關しましては、民主黨からも御意見がございましたが、なるほど自由黨のおつしやるところはもつともと思いますけれども、特にこれを修正する必要には及ばぬではないかという感じをもつておる次第であります。以上黨を代表いたしまして原案に對して賛成、修正案に對して反對の意見を申し上げる次第であります。
#12
○松永委員長 これで通告者の發言は全部終わり、討論は終局いたしました。
 ついで採決いたします。まず佐瀬昌三君より修正案が提出されておる部分について採決いたします。佐瀬昌三君提出の修正案のごとく修正するに賛成の諸君のご起立を願います。
    〔賛成者起立〕
#13
○松永委員長 起立少数。よつてこの修正案は少数をもつて否決されました。よつてこの部分については、多数を持つて原案の通り可決いたしました。
 次にただいま決定いたしました部分を除いた他の部分について採決いたします。ただいまの決定以外の部分について、原案に賛成の諸君のご起立を願います。
    〔總員起立〕
#14
○松永委員長 起立總員。よつて本案は多数をもつて原案通り可決いたしました。
 本日はこれにて散會いたします。次會は明六日午前十時より開會いたします。
   午後三時五十七分散會
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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