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1960/02/22 第38回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第038回国会 大蔵委員会税制及び税の執行に関する小委員会 第2号
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1960/02/22 第38回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第038回国会 大蔵委員会税制及び税の執行に関する小委員会 第2号

#1
第038回国会 大蔵委員会税制及び税の執行に関する小委員会 第2号
昭和三十六年二月二十二日(水曜日)
   午前十時三十六分開議
 出席小委員
   小委員長 簡牛 凡夫君
      岡田 修一君    金子 一平君
      高田 富與君    藤井 勝志君
      細田 義安君    平岡忠次郎君
      堀  昌雄君    安井 吉典君
      横山 利秋君    春日 一幸君
 出席政府委員
        国税庁長官   原  純夫君
 小委員外の出席者
        大蔵委員長   足立 篤郎君
        大 蔵 委 員 鴨田 宗一君
        大 蔵 委 員 広瀬 秀吉君
        大 蔵 委 員 藤原豊次郎君
        大 蔵 委 員 武藤 山治君
        大蔵事務官
        (国税庁長官官
        房総務課長)  広瀬 駿二君
        大蔵事務官
        (国税庁直税部
        長)      白石 正雄君
        専  門  員 抜井 光三君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 税の執行に関する件
     ――――◇―――――
#2
○簡牛小委員長 これより会議を開きます。
 税務行政に関する諸問題について調査を進めます。
 質疑の通告があります。これを許します。横山利秋君。
#3
○横山小委員 きょう配付をいただきました中間報告以後の状況、今いただいたばかりでありますから、恐縮でございますが、あらまし御説明願えればけっこうです。
#4
○原政府委員 恐縮でございますが、そう長いものではございませんから、読み上げるようにいたしたいと思います。
#5
○広瀬説明員 かわって読みます。
  「税の執行に関する調査小委員会中間報告」以後の状況について
 さきに第二七回国会において「税の執行に関する調査小委員会」が設置され、税務の執行面につきましてつぶさに実情を御調査いただくとともに、その改善方式についても御検討をいただき、その結果、昭和三十三年三月十三日、査察制度、協議団制度およびその他税務の執行に関しまして中間報告が行われた次第でありますが、その後、当庁といたしましては、この報告の御趣旨にかんがみ、御指摘の点につきまして鋭意改善に努めている次第でありまして、ここに最近における状況について御報告申し上げたいと存じます。
 一 査察事務の運営について
 査察制度については、中間報告で御指摘になった御趣旨に沿うよう、その事務運営上十分に努力してまいったところでありますが、前回の報告以後の昭和三十三年度、三十四年度、三十五年度の事績をも含め、最近の査察事務の概況は、次のとおりであります。
 1 前回の報告以後におきましても、査察事務の運営に当りましては、一般の納税秩序の維持、納税道義の確立に資するよう、引き続き配意しております。すなわち、最近の国民の納税道義は逐次向上しておると認められるのでありますが、反面、著しい過少申告のものもなお跡を絶たない状況でありまして、昭和三十三年度および三十四年度に査察処理したものについてみましても、申告所得額に対して、調査所得額は、別表一のとおり相当多額にのぼっており、その手口も複雑巧妙化しております。
 査察制度は、その発足の当初においては当時の混乱した秩序を背景とし、かなり平板的な摘発が行なわれるという弊もなかったとはいえませんが、社会秩序の安定、納税秩序の向上等とあいまって、査察制度は特に悪質な大口脱税者の摘発に重点を指向し、事件の選定を慎重にいたしました結果、その事績は、別表二のとおり、着手件数において、昭和三十二年度百六十件、三十三年度百五十七作、三十四年度百四十四件と減少しておりますが、一方、処理事件のうち告発した割合は、逐年増加の傾向を示し、また一件当りの増差税額は、昭和三十一年度の一千三十五万四千円に比し、昭和三十二年度一千三百四十五が九千円、三十三年度一千五百七十一が五千円、三十四年度一千四百八十万三千円と相当に増大しているのであります。
 なお、これを資本階級別に昭和三十三年度および三十四年度の査察実績をみました場合は、別表一のとおり、資本金一千万円以上の会社の占める割合は、二〇パーセント程度になっております。これは別表三のとおり、全会社のらち資本金一千万円未満のものの占める割合は九七パーセント程度であり、また全会社の九四パーセントが同族会社であるという状況であり、同族会社にはワンマン経営が多く、内部けん制の組織が整っていない等のため脱税が比較的行われやすくなっていることから、上記の結果が出ているかと考えます。
 なお、大法人の課税の充実につきましては、昨年度東京、大阪両国税局の調査査察部門に特別調査官制度を新設し、特に大規模な組織を有する法人についての調査の徹底を図ることにいたし、従来から主査によって大規模法人の調査を行い、課税の充実を図っていた態勢に一歩を進めたのであります。また、大規模法人について大口脱税があれば、これを査察部門に引き継ぐこととしているのはもち論であります。
 査察事務の重点を悪質な大口脱税者に指向していることは上述のとおりでありまして、今後とも事件の選定に当りましては、この方針に沿って運営してまいりたいと考えておるところであります。
 2 次に、査察事務の運営につきましては、人権の尊重に十分配意しておるところであります。すなわち、着手に当りましては、十分な資料の収集、精密な経営の分析等、科学的な裏付けを十分行ったうえではじめて着手することとしております。
 また、査察調査に着手した場合には、複雑多岐にわたる過去の取引を刑事訴訟法の要求する厳格な証拠によって立証するため、けん疑者だけでなく取引先等も調査しなければならないことがありますが、このような場合にも、調査先を必要最小限度にとどめ、調査に当りましては、不当に納税者の名誉、信用を傷つけたり、業務を阻害したりすることのないよう配意し、調査において質問する場合も特に言動に注意し、物件の差押も最小限度にとどめ、必要がなくなったときには、早急に返還する等の注意を払っております。このほか、査察調査が長期にわたり、けん疑者に不測の預言を与えないよう、できるだけすみやかに事件の大綱をは握して迅速な処理をはかるよう、常に指導し、相手方から主張のあった
   場合には、その理のあるところは十分に聴取して、適正、公平な処理を行うように努めております。
 3 その他事件の処理に当りましては、けん疑者の業種、業態等に即した妥当な結論を出すよう努力しており、また査察事件の秘密の保持につきましては、常々配慮してまいっております。
   以上に申し述べましたことは、各年の税務運営方針にも明らかにし、また全国国税局長会議、関係部課長会議等の機会を通じてその趣旨を十分に徹底させるように努めてまいっております。上記各般の配慮に基き、事件の選定、調査およびその処理に当りましては、特に慎重公平を期し、善良な納税者の期待を裏切らず、ひいては真に国民感情の支持を受けるよう、今後も一層努力してまいる所存でございます。二 協議団事務の運営について
  協議団で受理いたします審査請求事案は、別表四のとおり逐次減少する傾向にあります反面、その内容についてみますと、事実関係が複雑で事実認定に問題のあるもの、法令の解釈適用に疑問のあるもの等、審理の困難なものが多くなりつつありますが、さきに御指摘の諸点については、それぞれ次のような措置を講じております。
 1 協議団が主管部からの反論に押されがちであるとの御指摘につきましては、審査決定は原則として協議決定どおり行うこと、協議決定と異なる審査決定を行おうとするときは、国税庁長官に上申すべきことを定めた長官通達の趣旨の徹底を全国国税局長会議、関係部長会議の開催のつど要請しております。
   また、昭和三十四年一月には、従来協議報告書は協議団から一応全部主管部に回付され、主管部で審理のうえ国税局長の決裁に回付しておりましたのを改め、一定の基準を設けて、これに該当するものは主管部の審理を省略して国税局長の決裁に回付することといたしました。この省略基準は逐次拡大して行く予定でありますが、現在は大体協議報告事案のうち約三〇パーセントがこれに該当しております。
 2 審査請求事案の処理の促進につきましては、協議団および主管部における審理期間に制限を設け、極力この期間内に処理するよう努力いたしておりますが、特に協議報告後一か月を経過してなお主管部と協議団との意見の対立するものにつきましては、国税局長主宰のもとに審査事務打合会を開催して、国税局長が判断をすることとし、処理の促進を図っております。
   なお、平常これらの措置を講じてもなお未済となりましたような事案につきましては、特に一掃期間を設け、これら未済の案件を集中的に処理する措置をとっております。
 3 協議官の人事につきましては、近年税務第一線との交流を活発に行い、かつ、法人税、所得税関係の優秀な署長、課長クラスを導入しております。この結果、現在の協議団の構成を、協議官試験採用者以外の協議官についてみますと、そのうちの約八〇パーセントのものが三年以内に交流しており、年令的にも五十才未満のものが大半であって、かつ、直税出身者が八〇パーセント以上を占めている状況であります。
   最近における協議団事務の運営状況はおおむね以上のとおりでありますが、当庁といたしましては、協議団制度の趣旨に則り、その事務の充実強化につきましては、今後一層努力いたしまして、納税者の期待に沿いたい所存でございます。三 その他について
 1 効率、標準率につきましては、なお数多くの納税者の記帳の現況等にかえりみ、できるだけ均衡のとれた公平な課税を行うための調査の一つの資料として作成しているものでありますが、その策定に当りましては、特に慎重を期しておりますとともに、運用に当りましては、機械的、画一的な適用を行うことのないよう、いやしくも濫用のそしりを受けることのないよう、部内におきまして常時指示しているところであります。
 2 当庁の事務と密接な関係にあります団体との関係につきましては、常々部内職員に対して、一般から疑惑を招くことのないよう指導しておりますが、さきに御指摘の点もあり、これらの団体と公正、明朗な関係を維持するよう特に努力している次第でありまして、たとえば、当時、財政的基盤が薄弱なため、便宜、税務署の事務室または敷地の一部を貸与しておりました団体に対しまして、すみやかに財政的基盤を確立して税務署庁舎外に事務室を設置するよう勧奨いたし、現在におきましては、すべてそれぞれ独立の事務室を持つに至っているような状況であります。
   これらの団体は、納税道義の昂揚、納税の促進等、当庁の税務行政の運営にいろいろと協力を得ておりますが、それだけに、今後とも一層公正、明朗な協力関係を樹立して、いやしくも一般から疑惑を受けることのないよう、十分配意したいと存じております。
#6
○横山小委員 拝見をいたしましたところ、格別の配慮を払っていらっしゃるようで、まことにけっこうでありますが、中で、当時も指摘をいたしましたけれども、まだどうしてかという感じがいたしますのは、たとえば査察に着手せられた内容でありますが、圧倒的に中小企業が多くて、しかも同族会社が多い。これはワン・マン経営が多くて内部牽制の組織が整っていないからだ、こういうお話でありますが、一方、大法人においては、内部が充実しておるから、あまり問題がないのだというようなことは、当時と今日と一向変わっていないようであります。どうも感覚的なものの言い方を申すかもしれませんけれども、この間も、堀君でしたか、だれか指摘しておりましたけれども、大法人に対してどれだけの機構なり人員をもって一体調査をせられておるものなりや。結局目を全部手っとり早く査察ができる同族会社に向けて、そして大法人は簡単にいかないから、結局見のがしになっておるというような傾向があるのではないかと思うのですが、その点はいかがですか。
#7
○原政府委員 大法人に対しまする調査の徹底につきましては、前々から意を用いて参ったところでありますが、特に昭和三十五年度におきまして、新たに特別国税調査官という制度を設けまして、東京国税局に二名、大阪国税局に一名、これはそれぞれ調査課の統轄調査官の中でもまずピカ一といわれる程度の人間をもって充てる。従いまして、その下に七名前後の優秀な主査調査官をつけましてやっております。三十六年度にはさらにこれを倍加するということを予算で認めてもらっておりますので、この向きの仕事が相当進むと思います。三十五年度の第一年度としての実績は、まだ年度が終わっておりませんので、確定的には私のところには参っておりませんけれども、とりあえず取り上げましたのが、資本金百億円以上のマンモス法人であります。これにつきまして調査をやっておりますが、ただいままで出ましたところの概況を聞きましても、一法人についての調査日数は、私正確な資料は持っておりませんが、三百日をこえるというような日数を費やしております。これはもちろん一人が三百日行っておるのではありませんので、七名前後おります一調査官の持っておる班の四人なり五人なりというものが行ってのことでありますが、それにしても、相当エネルギーを使ってやっております。大体この種の法人は、率直に申して、一人や二人で一週間や二週間かじってみても何にもわからぬというのが、率直なところであります。これを徹底的に調べようということでやっております。大体調査課の調査日数といいますものは、全体平均しまして、やはり局によって違いますが、七日とか十何日とかいう程度が平均でありまするから、大法人に対する深度として、ただいま申しましたのは相当見るべき数字ではないかというふうに思っております。
 その結果、詐欺、不正その他がありますれば、これはもちろん査察事案に切りかえるつもりでおりますけれども、ただいまのところ、まだそういうものが出ていることは聞いておりません。しかしながら、やはり大きな企業の経理でありまするから、個々の売り上げなり仕入れなりというものについて、いわゆる架空仕入れをやったり、光り上げ除外をやったりということは、割合に少ないようであります。今まで聞いておりませんけれども、やはり大きくなればなるほど、たとえば貯蔵品の払い出し単位あるいは製造原価の予定と実績とがどうなるかというようなところは、大きな企業でありますから、そういうものが、やはり払い出し単位をある一定のものを立てて、それで一応払い出す、あとの整理がぴちっといくかどうかということが非常にむずかしくなる。それから、今の予定原価と実績原価との比較対照というあたりも、なかなか本来むずかしいものであります。そういうようなところ、その種のところにはやはり調べの結果かなり問題が出てきておるようであります。ただいままだ、この初年度は四月からと思いましたが、たしか五月ごろから実際には働いたと思いますが、取りまとめて申し上げられる段階には至っておりませんので、いずれこの会期のうちでの小委員会、その時分まで続いておりますれば、小委員会で、あるいはまた委員会で御報告する機会があると思いますが、これはやはり、今までの調査と比べますと、かなりに、少なくとも増差においては相当に出る、ここでの増差は何百万、何千万というものではありませんので、何億ということになります。増加すれば、何億でなくて、十億単位のものが出るというふうに私は見ております。というのは、大体中間報告をずっと見ておりまして、三十五年度の成績を取りまとめて御報告申し上げるときの増差所得が、何億単位ではなくて、何十億単位になるであろうと私は思っております。初年度といたしましては、法人の数もたしか十足らずのものでありますから、なんでございますが、何せいそれが日本の経済における、日本の納税者の中では一番大きな納税者でありますので、せっかくそれをそういうふうに取り上げ、かつそういうふうな状況で進んでおるということを御報告申し上げまして、かつ三十六年度にはこれが陣容を倍加いたしましてやりますので、相当の数が加えていけるということを御報告申し上げたい。つけ加えまして、こういう体制をとりましたということは、単に百億以上のマンモス法人だけをそうしようというのでなくて、全般の調査の計画においても、やはりそういう意味で角度をつけようじゃないか、こういうような気持が一方にあるということをつけ加えて申し上げたいと思います。
 以上でございます。
#8
○横山小委員 それはまことに私どもの先年の希望に沿うたことでありまして、けっこうであります。途中で棒折れしないようにやっていただきたいと思います。
 今度は逆な点からお伺いしますが、最近銀行協会あたりから多少苦情が出ておりますのが、質問検査権と銀行との関係であります。何も銀行ばかりではないと思うのですが、預金者なり、そういうところの秘密というものと質問検査権との関係は一体どうなっておるのか。銀行協会とあなた方との間に、協定ということもないのだけれども、何かあるのだという話も聞いておりますが、私がこの間ちょっと聞きました問題はこういうことであります。例をとってお話をいたしますと、銀行に調査に行かれた。それはおそらく協力依頼ということの書面だと思うのですが、しかし、協力依頼ではあるけれども、実際は出してもらいたいという非常に強い態度であるらしい。それは知らないということを言うたら、それじゃ一つ預金者の個人名義関係のものを全部出してもらいたい――多分その銀行には二千ないし三千の預金者のものがあるのではないかと想像されたのですが、全部出してもらいたい、そんなことはとてもできませんということで、ちょっとえらい騒動があった。そういう場合に、本来税務職員はどういう措置をとった方が一番正しいのか、銀行側としてはどういうふうな措置が一番穏当なのか、御意見を聞かしていただきたい。
#9
○原政府委員 金融機関を税の関係で調査いたします問題は、これは金融機関側にとっても重大問題でありまするが、税務行政の側としても非常に重要な問題であります。各税法で質問検査権というのが与えられておりまして、納税者に金銭または物品を給付する義務があるというものにつきまして調べるという規定がございまして、そういうようなのをもとにして調べをいたしておるわけでありまするが、その意味では、預金というのはつまり金銭の給付をする義務ということになりまするので、銀行はその調査に応ずる義務があるわけでありまするが、反面、お話しのような預金の秘密性、預金についてはなるべく秘密にしておきたい、それが預金の蓄積に重要であるというようなことも考えまして、一般に広く預金者全部についての調書あるいは記録を出して下さいというようなことは、やはり慎むべきだろうというふうに考えまして、そういうことはいたしません。しかし、特定の納税者を調べて、どうもこの納税者は、売り上げ、仕入れ、その他の面から考えて相当所得があって、そしてそれが預金関係にも出ておるはずなんだという見当がつきます場合には、やはり調べさしていただきませんといけません。その場合には調べます。しかし、それには税務部内において責任ある者の許可を受けて、具体的には署長ないし局長の承認を受けまして調べに参るというような、慎重な手続を部内においてとって、調べに参ります。それで、調べに参った場合は、その納税者についての預金関係はぜひ教えていただきたい、これは質問検査権の当然のことであろうと思っております。そういう意味のとりきめが銀行局との間にできております。
 そこで、ただいまお話しの銀行側が苦情を訴えるという点は、おそらくそのお話の続きにもありましたような、お話の行き先がどうも預金者全部についての資料を出せというようなことを言ったようで、それは私は行き過ぎであると思います。しかしながら、この金融機関調査の問題は非常に重要であると申しましたのは、一言ここに敷衍さしていただきたいのは、税は公平適正に課税されなければならない。そのために中心は所得課税でありますが、所得が幾ら納税者にできておるかということをもとにして税がかかる。申告納税でありますから、本来納税者が一番よく知っておる。それを申告するわけでありますが、なかなか今の状態では納税者の申告でオーケーというわけには参らぬ場合が相当多くて、法人の場合はたしか半分以上まだ更正決定をいたしておるような状況でございますが、その場合、税務官吏として調べる場合に、物財の給付あるいはサービスの給付というものはやはり大体形がございます。形があって、たとえば製造業であれば幾ら原料を仕入れた、幾ら製品を送り出したということは、たとえば運送会社に聞いてみる、あるいは仕入れ先に聞いてみるというようなことでわかるのであります。そういうようなことで詰めていって、どうもこれは売り上げが落ちておる、仕入れが少な過ぎるというようなことから、所得はもっとある、相当ある所得はおそらく金融取引に結びついて、預金なり、あるいはそれがもとでまた貸付を受けて大きく回しているかも知れぬというようなことで、金融機関にいく。これは今申したような物的な面からつかんで参るという場合でありますが、その場合に、金融サイドのものもそういう段階では全部見せていただきたいというのが私どもの望みであります。実際には申しにくいことでありまするが、近ごろ、どちらが悪いのか知りません、金融機関が悪いのか預金者が悪いのか知りませんが、銀行金融機関における金融取引も非常に税のことを考えて、何と言いますか、わからぬようにというか、いわゆる隠匿的な所作が非常に行なわれております。これはやはり私としては非常にまずいことではないか。一般の預金者の秘密は守らなければならぬ。しかし、脱税の疑いがあって、そうしてその人の預金取引を調べられた場合に、銀行がそういうからくりをしておって――ということは、結局調べましても、そういう人の預金はありません、別口はありませんと言われるわけです。調べてみると、なにりっぱに別口が何千万も出てくるというようなのがある。それはそういうふうに銀行が守っておって、それを税務官吏が苦心して調べて出るケースがあるわけですから、調べても銀行に口を緘されてわからぬ場合が私は相当あると思います。そうしますと、相当ある場合どういうことかといいますと、物財の面ではどうもわれわれはこういう構成をして何千万から所得の脱税があると見た場合に、金融サイドでうその記録が証拠になるということになるわけです。そうして、そういう悪質な納税者の脱税を正当なものとして主張する根拠になってしまうということは、事実あるのです。その場合に、税務官吏は非常に苦しむわけです。自分は物財的な面ではこれだけ押さえて、そうして売り上げ脱漏幾ら、架空の仕入れ幾らと握ってきた。そうすると五千万はあるはずだと思うのが、銀行に行ってもそんなものはないと言われる。中には当該納税者の預金残高は幾らしかないという証明まで出される。それをずっと突っ込んでいって調べると、何千万あったというようなケースは実はあるのです。この辺のところは、私やはり日本の将来の税務行政  やはり国民が貧しい時期、倫理が低い時期から、だんだん豊かになってくれば倫理も高くなる。豊かさと倫理というものをそう結びつけるのがいいか悪いかということはあろうと思いますが、事実においてよくならなければならぬということを考えますと、やはりだんだん国も正常化し、経済も伸びていく段階においては、そういう点を、やはり本来の姿というものを忘れてはいかぬと思って、部内でも、銀行局とただいまいろいろ、打ち合わせといいますか、話をしております。
 こういうような状況でありますので、ただいまのお話は、さはさりながら、その間に一般預金者の秘密を侵すような言動があったらいけない、ただいまの御指摘はそういう点かと思いまするが、同時に、反面で脱税幇助的なことが金融機関のきまった所作ともなってしまいますと、税の方としても、将来にわたって長く非常に大きな障害を受けるということになりますし、私は社会の秩序の中でそういうものがあっていいというふうにも思いませんので、それは何とか打ち破って参りたいというふうな気持でやっております。ただいまお話しの場合は具体的にはどういうケースかわかりませんが、つづめて言いますれば、一般の預金者の秘密を侵すという場合はこっちが悪いし、同時に反面脱税者を守るというような気配――気配というか、やり方が今金融機関の間にできつつあるというようなことがあるとすれば、それはぶちこわしてかからなければ大へんなことだ。税務署は、やはり具体的な場合に、そういう場面で相当苦しむことがありますので、そういうような角度からあるいは弊が起こったとすれば、それはまたよくお話しをして、銀行自体にもよく考えていただかなければならぬと思います。その両面の問題だと思っております。
#10
○横山小委員 具体的な問題はあまり話したくないのですが、私が聞いた場合は、あなたのおっしゃるようなオーソドックスな例でなくして、特別の部面のことでして、その納税者はその銀行には架空名儀は一文もなかった。よそにあった。中小企業のありがちのこととして、その銀行にはなかった。よそにあった。けれども、税務官吏側としては、あると思うので、その銀行を一生懸命に押えたわけですね。そして、銀行としては目立つし、相当言葉も荒い。いんぎん無礼というやつですな。そういう格好なものですから、支店長が音を上げてしまって、私のところにはない、済まぬけれども、ほかの預金者に対してえらい迷惑がかかる、質検にも毎日来られて目立つから、済まぬけれども、あなたの方にあるなら出してくれ、こういうことを納税者に言った。納税者はそんなばかなことはないというケースなんです。――ちょっと速記をとめて下さい。
 そこで、質問検査権というものが今のあなたの御説明によってわかったのですけれども、結局このオールマイティー署長や局長の判こといっても、それは税務署内部の問題ですから、オールマイティだという気がするのですが、どこかでリミットがあっていいんじゃないか。その納税者自身に対するオールマイティは、それは議論の余地はございませんけれども、した銀行なり、取引の相手側なり、そういうところには、何か一段下がったリミットがあっていいじゃないかという感じがするのですけれども、この点は税法その他ではどうなっていますか。
#11
○原政府委員 おっしゃる通り、質問検査権は特定の税の課税を適正に公平にやるために設けられたものでありますから、リミットはそれぞれ法律にも規定されておりまするし、その前に理念的に当然そういう必要に見合う程度であるということが、まず第一のリミットだろうと思います。同時に、やはり今の預金の場合でも申しましたような、相手方の事情というものと当方の必要というものとを実行上比べて考えるという気持も、もちろんなくちゃいかぬだろうと思います。各税法では、所得税の場合は、所得税に関する調査について必要があるときはというふうに、場合をなにし、それから検査の物件については割合に広くしておりますが、相手方について納税義務があると認められる者、それから調書の提出義務、源泉徴収表の提出義務のある者、それから先ほど申しました金銭もしくは物品給付を納税義務者に対して課する義務があったと認められる者、「ある者」というふうに限定を置いております。その上、今申しましたように、執行上やはり当方の課税の公平適正な必要と、それから相手方の事情というものを考える心のゆとりがなくちゃならぬじゃないかというように思っております。いろいろな場合に問題が起きまするが、大体限度の問題としてはそういうふうな考え方でいっております。
 ただ、私特にお願いしておきたいのは、やはり税というものは公平適正ということが一番の本命だと思います。今申しました金融取引における問題、実はさっき速記をおとめになりましたが、私は、速記をとめた範囲ならば、もう少し突っ込んで申し上げて問題にしたいくらいの気持も持っておりますほど、ここには問題がある。といいますることは、やはり金融取引のみならず、課税のもととなるものが、税務当局にはといいますか、納税者が間違いなく出すようになるというふうになるべくなりたい。そのためには、やはりみんなの経済活動が社会の中でいわばオープンに行なわれるというようなことに、だんだんなってこなければいかぬじゃないか。どんな取引をしている、どういう活動をしているということが、これがやはり少し倫理――道学者じみるかもしれませんが、アコモデーションといいますか、社会というものをみんなが作って、いろいろ道路その他の便宜が与えられている。そういう中で活動するわけですから、やはりそういう活動をどれだけして、どれだけ利益があったというようなことが、社会との関連においてオープンにわかるというのは当然だというようになるのが、僕はどうも理想じゃないかというふうに思うので、この辺のところは、決して質問検査権をむやみに振り回すという気持ではございませんけれども、そういう意味では、私は、相当質問検査権というものは――むしろ質問検査しないでも、ガラス張りに諸元がなっていくという世の中を私は期待したいということを、余分なことかもしれませんが、一言お願いしたいと思っております。
#12
○堀小委員 私は、横山さんのお話とはちょっと角度が違うのですが、最近新聞にも出ていますが、脱税の勧めというのですか、合法的脱税の勧めとかいうものが週刊誌に出ているというので、問題になっております。私、これについては、こういう関係のものを一括して一回委員会に御提出を願いたいと思うのですが、一体今の世の中で合法的脱税ができるというのは、制度に問題があるのか、取り扱いに問題があるのか、これが私どうも納得ができない点が一つあるわけです。今の銀行の調査については、私は率直に言うと、どうも制度の問題といいますか、貯蓄もいろいろ問題のある部分があるだろう。と申しますのは、今度私もとの大蔵委員会の方で質問をさせていただくつもりで準備をしておりますが、たとえば貯蓄組合の問題は、私こまかく分析してみると、これは架空の名義のものが非常に多い。数の上で推していくと当然架空名義が多い。そうすると、ああいう制度があることは、裏返して言うと、架空の名義によって今のいわゆる合法的脱税のできる道を法律の上で認めるという、まことにどうもおかしい取り扱いがされておる。そういうものが片面にあって、そうしてそれでもいけるのだということになると、預金なんてものは、ともかく架空名義でいくのがあたりまえだというようなことが、法律を基本として生活慣習の中へ入ってくる。その慣習の中に入ってくるものだから、今のような問題で捕捉をしようと思うと、非常に困難な問題が出てくる。困難になるからつい無理をすると、影響は広がる。それでは、これをずっと糸をたどっていくと、問題は一体どこにあるかというと、私は、今の税制といいますか、そういうものの中に一つはあるんじゃないか、貯蓄組合法ですか、ああいうものの中に一つの大きなそういうあやまちを犯させるもとがあるのではないか、こういうふうに思います。それから、もう一つは、さっき銀行局と御相談になるということで、私はやはり今の貯蓄組合の問題も銀行局と御相談になる部分になるだろうと思うのですが、租税特別措置法の面から見ても、今利子課税の問題一つにしても、これが分離課税になって総合課税にならない。これを総合課税にするということになるならば、当然その利子所得分については、もっとはっきりした所得区分といいますか、要するに対象にならなければいけない。今分離課税であるために、それはどうなっていてもいいのだということになりますが、これが総合課税になるということになるならば、架空名義などというものがあっては総合課税はできないわけですから、当然そこで法的規制によって、預け入れをした者は実在の者でなければならないということが、法律的に規制をされてきてしかるべきではないか。そういうふうに、やはり今の税制が一面的にそういうことを起こさせるような問題があるような感じが非常にするのです。貯蓄組合法の問題にしても、利子課税の分離課税、おまけに一〇%に下げているという問題にしても、そういうものがあるのじゃないか。ですから、角度を変えて中小法人の立場として見ると、なかなかいろいろな面でしわが寄っているものだから、ついそれをそういう方向へ寄せざるを得ない面があるので、私はこの人たちの非常に困難な状況は理解します。しかし、一方月給をもらっている、国民の中でほとんど過半を占めようかという勤労者の立場から見ると、これは実際の収入というものは全部明るみに出て、ほとんど脱漏なく――何か今度サラリーマンでも合法的脱税ができるというのが出ていたというので、私は一ぺん読んでみて勉強しようかと思うくらいですが、一番きびしくいっている。そうすると、やはり長官が言われた通り、公平という面で見ると、事情はともあれ、やはりそういうような見方は除かれるべきではないか。ほかの配慮があっていいと思うのです。たとえば税制上において今度も多少やられたと思うのですが、そういう中小法人に対しての法人税、その税率軽減の問題という前向きの形で問題を取り上げることによって、そういううしろ側へ抜けている形というものは一線を引いていくというのが建前じゃないか。ですから、今ずっとお話を聞いていて私思うのは、これは一面的には皆さんの方に責任がある。そういう貯蓄組合法なり利子課税の分離課税で一〇%にしているというような問題が放置されておる点が、架空名義を暗に認めるような方向に向かいつつあるのじゃないか、こういうふうに私は思います。その点についてその関連はどうでしょうか。
#13
○原政府委員 こういう金融関係のいろいろな問題、ただいま堀委員から貯蓄組合の問題を加えて指摘されたわけでありますが、こういう関係で、間違いの根本が制度にあるか、運用にあるか、この辺の問題はいろいろ問題があると思います。制度自体も、あの種の免税制度を置きますれば、それを乱用することが非常に多いだろうというのは当然予想されることで、そういう意味では、制度自体をもっと乱用されないような形に直すというような問題があろうかと思います。私、主税局長であった時分にも、たとえばこういうのはやめて、一人々々申告にかける。ちゃんと私はこれだけの預金があります、これだけの利子所得がありますということになれば、貯蓄組合は三十万が限度でございますけれども、私は、もう百万でも、もっと突っ込めれば二百万、三百万でも、それの利子というものは、貯蓄の必要性等から考えて、免税にするということはあり得ると思う。ところが、今のような格好ですと、何千万の人たちが何十口に割って非課税の恩典を受けるというようなことで、制度自体が乱用を誘っているという面が確かにあると思いますので、制度的にも問題があると私は思います。同時にこの運用面でもやはり問題があるのだと私は思います。率直に申して、今貯蓄組合の源泉徴収預金は、何にしても源泉徴収しているかどうか、三十万をこえるものについて取っているかどうか、そして何口も口を割ってはいかぬということはちゃんと政令に書いてあるところでありますから、それを守っているかどうかということを実は見てないのです。この辺が先ほど申した金融機関との間の関係がいろいろもめておりますために、なかなかやりにくいというような関係があります。しかし、ここには相当脱漏があるだろうというので、実は本年度三十六年度の収入見込みの中に提出しております中にも、やはりそれはそのままでおってはいかぬ、制度自体も問題がある、運用面での正しさを確保することは絶対にやらなければいかぬということを、主税局とも話し合いまして、活版の「租税及び印紙収入予算の説明」の四ページのところだと思いますが、「国民貯蓄組合斡旋貯蓄利子の免税措置の乱用防止」という項目を立てまして、ここで十八億三千三百万円という、そういう事柄にしては少し端数がついていますが、これが増収になるのだという見込みを立てております。これは制度を変えるのではなくて、やはりだれが考えても非常な乱用がある。これは統計を一目見ればわかりますが、これは堀委員のおっしゃる通りであります。これをほっておいてはいかぬというので、私どもは、実は、三十六年度においては、制度はとにかくとして、運用面は、もう一歩というのでなくて、もう相当がっちり進むというつもりをしております。この数字を出したのは、監査をはっきりやってもらえば、少くともこの程度の数字が出るはずだ――これは、こういう席で申し上げるのは、私ども、今までの怠りを自白するようなものでありますから、申し上げにくいのでありますが、運用面に大きな問題がある、それを直そうという決心で、これは国会に出した資料の中にも表明いたしておるということであります。つづめて申しますと、制度にも問題がある、運用にも問題があると思いますので、そういう面はそうやって参りたい。その他の利子所得一般につきましても同様の問題があろうと思います。制度にも問題がある。運用にも問題がある。より深刻なのは、私としては、当面運用上の問題が、やはり貯蓄組合以外でもこれを何とか解決しないと、将来非常なガンになるという気持でおります。
#14
○春日小委員 関連。
 今期せずして原理原則的なお話もあるようですけれども、私もずっと税の問題といろいろ取り組んでおりまして印象深く感じますことは、なるほど課税公平の原則、これは一応制度を立てる基本理念としても考えられてはおるようです。またそれでなければならぬとは私は考える。しかし、現在の制度ではたして公平が期し得るかということになると、これは大きな疑義があると私は思うのです。というのは、今長官もちょっと触れられたけれども、所得のある者に課税をするという、こういう所得方式をとっておるのですから、従って税法上損になってくれば結局は税金は納めなくてもいい。極端な例をいいますと、税法上さまざまなテクニックを使うとか、あるいは政治的な何らかの暗躍をすることによって、そういう法律を作れば、現実の所得があっても課税しなくてもいい。いろんなことで、必ずしも課税公平の原則は現実には結果的には行なわれてはいないのではないかと思う。ちょっと卑近な例をいいますと、たとえば大規模事業をやっておるデパートなんかでいうならば、そこに何千人の人を使っている。その子弟の教育を国家がしなければならぬ。社会保障が生ずれば国家がしなければならぬ。火事があれば消防ポンプを備えなければならぬ。万引のために巡査を出さなければならぬ。その事業を維持するために国家の費用は大へんなものです。ところが、十合であるとか、名古屋でいうならば丸栄であるとか、損をすれば税金はちっとも納めなくてもいい、こういう形になってくると思うのです。そうなりますと、課税公平の原則という形になると、結局月給取りが乏しいことをやっておる。それでも税金を納めなければならぬ。けれども、大規模事業者が、ずいぶん国家の費用を使って、それでその事業をやっておるけれども、しかし、その事業者が下手であったり、あるいはテクニックでやったり、あるいは脱税したりすれば、全然納めなくてもいいという形になれば、所得のある者に課税をするというこの課税方式というものは、国家的見地から見て、必ずしも公平の原則というものに合致しない場合がありはしないか。私は、そういう点を考えますときに、課税公平の原則の上に立って税制を考えますとき、私は、そこまでさかのぼって、たとえば付加価値税の問題等も制度の問題として論ぜられたことはありますけれども、その後、その制度が未熟であるというようなことで、また当時わが国の経済の事情に沿わなかったということで、さたやみになっておりますけれども、今税制調査会や国税庁として、課税公平の原則と所得のある者に限定して課税するというこのやり方、現行制度の基本について何らかの疑義を感じられてはおりませんか。あるいは何か調査をされておるようなことはありませんか。長官いかがですか。
#15
○原政府委員 非常にむずかしい問題でございますので、役所側としてのまとめた見解ということよりも、多分に私の個人的な色彩で申し上げることになると思いますが、お許し願います。
 私は、所得というものは正確に申告され、また申告が誤っておっても、社会がそれをチェックして正しい所得を判決し得るような社会ができまするならば、やはり所得課税というものが一番中心になるという税制は、公平の上でかなり公平度の高いものであろうと思います。しかしながら、反面で、今デパートあたりが社会の便益を大きく受けながら、損をした場合に税を納めないのはおかしいという角度で、やはり社会の便益を受けるということから、便益の使用料的な意味での税という毛のが、所得課税のほかにあるべきだという議論は、これはまた私正しい議論だと思います。そういう意味で、所得課税単一の税制ということは、一つの理想論という形で、あるいは一つの純粋な形でいわれておりますが、いまだそういう制度をとった国もありませんし、またやはり半面にそういう便益を受ける意味での便益課税、これは応益課税というような言葉でもいっておりますが、そういうものを制度的に導入するものとして、お話の付加価値税のこともありますし、また固定資産税というものもやはりそういうような部面も持っておると思いますが、その他使用料的な課税がいろいろございます。ただいまではガソリン税というようなものもやはりそういうような角度を持っておりますが、そういうものはやはりあっていいのだろう。要するに、私は個人的にも単一税制が正しいとは思いません。ただ、所得課税が、やはり何といっても税を負担していただく額の中で、相当多くの部分といいますか、大部分はこの所得を基準にするというのが、やはり一番担税力に合うんじゃないか。しかし、あわせてそういう応益その他の角度、たとえてみますれば、財産を持っているというようなことであるとか、あるいは今の間接税の各種の消費というようなものもあわせてとるという制度が、実際の人間の社会ではその方が結果としてはいいというようなことになると思いまするが、そういうような考えを持っております。なお、その際所得課税がいいというのは、あくまでも脱税がそう大きくはできないという保障があって初めて言えることであります。ただいまのお話の中で、ほんとうに損をしておるということであれば、やはり所得課税、所得税、法人税は納めないでも仕方がないのではないか。損をしておるところにはそういう税は気の毒ではないか。しかし、やはりこの経済社会で損をしっぱなしで何年も損が続けば、企業としてはつぶれていくわけでありますから、やはりそれはそれで仕方がないのではないか。ただ損だ損だといっておるのが、めくってみるとえらい利益であるというようなものが便々とそのまま放置されるというような状態であっては、それはもう端的にいえば所得課税の名に値しないようなものになるわけであります。やはりそういうような意味で申告度合いが高くなるように、また税の調査も進むように思いますが、その基底になるのは、先ほど来申している、社会がそういうものはオープンになるべきだという方向にみんなが思っていただかぬといかぬというような感じで、やはりそういう将来を期待して所得課税に大きな部分を期待する、あわせて財産課税あるいは各種の応益課税、また消費課税といったようなものを総合して、一番公平なようなあんばいで税制を作ることが結論ではなかろうかというふうに思います。
#16
○春日小委員 もう一点だけ。
 今過渡期だと思うんです。そこで、今長官の言われたように、経済道義が確立されて、それが一つの決定的な権威を持つという形になれば、たとえば脱税した者はその組合から除名されるとか、経済行為ができなくなるとか、公職にある者は再び立候補できなくなるとか、いろいろな道義的に社会制裁を伴うほど経済道義が権威づけられた場合は、これは所得のある者に課税するというその方式で、しかも法律が公平に行なわれれば、課税公平の原則はそこに実質的に保障されると思うのです。ところが、現実を何と見るかということなんですが、これは、長官も洞察されている通り、また横山君が指摘されました通り、実際には、魚が海に泳ぐときには自由濶達である、たまたま漁師にすくわれたやつは死ななければならぬ、こういうような状態だと思う。実際にたたけば若干のほこりは出るわけなんですから、そういう経済と法制との立場において、過渡的になおかつ何らかの均衡をはかり、公正を期する方向へ向かって行政の実を上げていく手段というものはないか、ここを考えてしかるべきだと私は思うのです。理論はそこにある。けれども、現実が離れているというなら、理論と現実との中間的なもの、それを行政の面で何らか措置する必要がありはしないか。しかもそれを二年か三年かで解決するというなら待つべきだけれども、なお私は、石川や浜の真砂みたいなものだと思う。そこで、私は数年前ちょっと話が出たことを今想起するのですけれども、例の所得税調査委員といいますか、税務調査委員といいますか、戦前にありましたあの制度を何らかの形で新しい制度として復活して、おか目八目的に社会的な均衡をはかっていく。それから官僚的な徴税傾向を排除していく。さまざまな効果をねらいながら――今、国家と納税者との直接交渉で、しかもそれが直線コースで、他に何ら係累を持たず、わずかに税理士や計理士、公認会計士の経理上の疎明を求める程度のことで、何らそういう社会的な配慮が加えられない形で税が課せられております。だから、よく見ると、同じ業界で女中も使っておる、子供は大学へ行って、豊かにして、商売もだいぶもうけてやっているようだ、けれども税金は少ない、こっちは小さい商売をやっておって、粒々辛苦やっておって税金が重いということは、これはざらにあると思うんです。堀君が何かそのデータをいろいろ検討されておるようだけれども、あらゆる業界にそれはあると思う。そういうようなものを、社会的に法律によってオーソライズされた所得税調査委員とか税務調査委員とかいうようなものが、それが何らかそこへ介入して、高過ぎるものは、法律的にはそういう形になるかもしれないが、実際的にはそうじゃない、こういう均衡をはかっていくという、こういう社会的な調整をはかっていくということを、制度として専門家として考えられておるようなことはありませんか。
#17
○原政府委員 民間からのかつての所得調査委員制度のようなものをとる気はないかというお話でございますが、私は率直に申してそれには非常に大きな疑問を持っております。かつての所得調査委員制度の運用のことをいろいろ思い返してみますと、かなり、何と申しますか、ただいまの税制のような、極力科学的に詰めていこうということよりも、まあ何といいますか、大体あの人にはわかっているだろうという人ではありますが、その人たちが大体の勘できめて参るというようなことになって、少しどうも近代的な税務行政の制度としては映らぬのではないか、かえって、やはりほんとうに納税者が自分の税だということを自分で確かめ、自分で正しい申告を出す、そして税務官吏がそれを科学的に、客観的に調べるというような努力を重ねていくということの方がいいのではなかろうか。そういう制度を導入いたしました場合には、かなりやはり前時代的なものが入ってくるおそれはないか、私は率直にはそういう心配を持ちます。なおよく検討いたします。
#18
○堀小委員 先ほどの国税庁長官の御答弁の中で、この法人の申告の過半数が更正決定が行なわれている、こういうお答えがありました。これは常時過半数なんですか、昨年度過半数なんでしょうか、そこをちょっと伺っておきたいと思います。過半数という表現よりは、何%ぐらいということを伺った方がいいと思うのです。
#19
○原政府委員 法人税の更正決定件数の割合でありますが、どうも大へん失礼いたしました。過と申しましたのは間違いでありました。ちょっとその割合を申し上げます。処理件数のうち更正決定を受けました件数の割合は、昭和三十四事務年度、つまり一昨年の七月から昨年の六月までの年度でありますが、この年度において四〇・八%、その前の年度が四〇・三%、その前が四四・六%、その前が五九・二%、その前が六一・八%、その前といいますのは三十年度であります。ですから、過半数であったのは最近二事務年度で、あとは四割程度に下がってきているということでありますが、その程度はあるということで、相当多いという感じはいたしております。
#20
○堀小委員 そこで伺いたいのは、六一から四〇まで下がりましたから、二〇の人はよくなったのだと思いますが、これは入りまじりといいますか、去年更正決定を受けて、ことしは受けなかったけれども、次にまた受ける。今度はちょうど反対に、去年受けなかったけれども、ことしは受けて次は入るというふうに、こっちが入ったりあっちが入ったり動くのか、大体更正決定を受けるものはしょっちゅう受けているのか、四〇%ぐらいの角度になると、これはしょっちゅう受けているものが三〇%なり、相当比重を占めておるのではないかと思いますが、その点はどうでしょうか。
#21
○原政府委員 そういう角度で正確な統計は取っておりませんので、確かなところはわかりませんですが、感じで考えてみますと、やはりたびたび申しますように、優等生の納税者、優等生の法人――優等生という言葉は少し悪いのですけれども、本来の申告納税制度のもとにおけるりっぱな納税者であるというような法人がありますならば、更正決定は大体受けられないで済むわけであります。そういうものがなるべく多くなるようというふうに期待しておるわけで、そういうものはあります。この四割の残りの六割の中にはそういうものが相当あると思います。ですから、そういうものはおそらく二年か三年に一回調査を受けるという程度のことになるわけです。間々そういう中でも更正決定は受ける。それから、逆な悪い申告になりますと、やはり年々更正決定を受けるというようなのがあるようであります。ですから、相当部分が毎年続けてというのはあるだろうと思います。ただ相当大きな脱税を発見されてなにしますと、やはり悪かったというので、その後直るという例もかなりありますけれども、相当部分がやはり続けて更正決定を受けるというものもあるだろう。さて四〇のうちそれがどのくらいかということはわかりませんので、後ほどいろいろ部内でも話をいたしまして、わかりましたらお答えいたしたいと思います。
#22
○堀小委員 そこで、私税法を詳しく勉強していないので、その点ちょっとわからないのですが、個人の場合は、更正決定を受けますと、いろいろな控除の恩典が消えるようにたしかなっておりますね。ですから、個人の場合は、更正決定を受けると、その受けたことによる増差額以外にまだ失うものがある。一種の罰則的なファクターが、私、個人にはあると思うのですが、そうすると、法人の場合にはどうなるのでしょうか。法人は毎年々々更正決定を受けても何ともなくてやれるという点は、これはそういうようなものがコントロールをする要素というものがあるのかないのか、ちょっと私不勉強でこれをよく調べておりませんが……。
#23
○原政府委員 法人の場合でも、輸出所得控除のようなものは、申告がなければもちろん控除はありませんし、申告の際にそれはきちんと証明をつけて出しておかないとだめだというようなことがございます。この種のことが、個人の場合には税額控除、所得控除も相当たくさんありますので、割合に数としては申告にかけておるのが多い。扶養控除あたりが一番ごついもので多いのですが、法人の場合には、割合個人的な色彩でのなにがなくて、そういう各般の優遇的なことをしている場合に、それを申告してもらわなければいけませんよという条件はついております。これなど忘れますと、割合に大きなことになるのであります。
#24
○堀小委員 そこで、何か法人と個人で、更正決定について、それは個人は控除してあるのだから、それを更正したら取り上げるよということになるといわれればそれまでですけれども、何かちょっとバランス、公平な負担という原則から見ると、法人が非常に何か有利であることによって、失うものがないからというので、法人というのは大てい計理士か何かがついていながら、そういう更正決定が依然として四割も行なわれているということは、個人との権衡という面で見ると、納得しがたい感じもするわけです。そうすると、更正があった人というものには、処置というとおかしいのですが、そういうものが毎年行なわれること自体は、今の申告納税の制度から見たら、全くナンセンスだと私は思うのです。それは減ってきておりますから、けっこうですけれども、これに対して何か考慮されておるのかどうか。
#25
○原政府委員 非常に重大な点をつかれましたので、何とかせにゃならぬと思っておることであるが、しかし非常に画期的な何かが要るという感じがします。と申しますのは、実は、私は、前に庁の直税部長をしております時分――私は二十五年から直税部長をしておりましたが、二十三年、四年ごろの所得の課税状況を見ますと、二十三年の更正決定は実に六割九分の納税者についていたしました。それから二十四年分は、たしか五割をちょっと切れますが、四割何分だったと記憶しております。私ども考えまして、申告納税制度だといいながら、国民の納税者の半分に更正決定するというのはあり得るのです。申告は出すべきものが出ていない、出たのが間違っておる、こういうわけですから、申告納税制度の本質がそれでは失われるのではないか、そういうような形で納税者と相対するのはとうてい耐えがたいという気がして、当時なお占領下でありましたが、司令部にもかけ合いまして、こういうようなのはいやだと言うて、やっぱり納税者の大部分が是認されるといいますか、申告通りにいくようなふうに持っていきたいということで、実は更正決定をうんと減らすということをそのとき先に立てたのです。その関係は、やはり申告納税制度だといっても、納税者が新しい制度でそのまま申告することに一朝にしてならない。従って教育的期間が必要である。教育という言葉は悪いのですが、やはり役所が更正決定という形でなしにものを言う期間が必要だ。これが後日御非難を受けました「お知らせ」であり、その他の納税相談であったわけです。としては私はそれは正しかったと思っております。やはりそういう時期がある程度続く、それを相当努力しましてやった結果、納税者も、あとで更正決定というような、お前はうそついているというような意味の通知を受けるよりも、前から話してもらって、納得できればそれで出すという方がいいということになりまして、画期的に減って、申告所得税の更正決定人員は、構成人員に対して、ただいまでは実に二%から三%を前後しているという状態であります。ただいま堀委員のつかれました点は、法人についてはなっておらぬじゃないかということで、私もまことになっておらぬと思います。これをどうするか。更正決定をしないという決心をいたしましても、納税者の方の申告がよくならなければ、脱漏をそのままにしておくということになりますから、ただいまのような教育的な時代に入るべきかどうか。実は教育という言葉は悪いのですが、そういう納税相談的な機能を極力発揮して、正しい申告をするように努力するということは今でもやっておるつもりですが、それにしても、結果がここ三、四年のところ六割が四割にはなっておりますが、これはとうていこの程度ではいかぬという感じが私はしております。ただ何分この法人の場合は相当大きなものになりますし、なかなか単純な指導ではきかないというようなことがありますので、これは率直に、私は今のがいいとかなんとかいうのでなしに、非常に大きな点を御指摘いただいた、われわれとしても悩んでおるところであります。もう少し考えさせていただきたい。すっぱりした解決は二年や三年ではなかなか出ないと思いますけれども、何とかしたいという感じがいたします。
#26
○横山小委員 この間、原長官は、全商運をお呼びになって、いわゆる自家労賃問題について厳重な注意を発せられ、そうして新聞を今さだかに記憶はいたしておりませんけれども、違法、脱法行為であるというふうにきめつけられたように新聞では承知をいたします。あるいは私の新聞の見誤りであるかもしれませんが、新聞の見出しはきわめて大きく、しかも悪質であるかのごとき印象を見る人をして感じさせたことは事実であります。本来、自家労賃の問題については、これは全商運のみならず、すべての中小企業団体といっていいほどの声になっており、私の承知するところでは、今、堀君もちょっと指摘したのですが、法人と個人とのアンバランスから発して、最近のうどん屋株式会社、げた屋株式会社というようなものが発生するゆえんでもある。従って、この際会社になれば、その社長さんの給料も損金に見てくれる。しかし、個人である場合においては、その事業主の給料は見ない。これは法律上はなるほどその通りであるが、一つの企業として見た場合においては、法人であれ個人であれ、名前が変わっただけといっては語弊があるかもしれませんが、実体論からいうならば、きょうから法人になったからといって、どえらい変革があるものではなく、個人であっても、あなたのおっしゃるように、帳簿のしっかりしたものはある。従って、私は前にも大蔵委員会で言ったのですが、この自家労賃の問題を、形を変えた企業課税として取り上げたそもそもの出発というものは、会社であれ個人であれ、企業としてものを共通的に見て、共通の基盤をそこでとらえ、会社になったら税金が安くなるというようなことで会社にしてもらっては困るんだというところに出発があったのではないかと、私は私なりに思っております。ところが、企業課税の問題やら、増資免税の問題やら、配当の問題やら、そちらの方に走ってしまって、本来問題が発生した会社、個人の税法上の地位、企業としての共通的な見方というものがどこかへいっちゃったという気がするわけです。もちろん青色の専従者の問題を白色にも及ぼしたのも、それも一つの見方かもしれぬけれども、しかし、その企業としてとらえるという問題については、これは少しなおざりになってしまったと私は思う。今も白石さんに来てもらって一応の御意見はわかりましたから、時間の節約で問題の焦点だけをはっきりさせたいと思うのです。
 私が聞きたいのは、一つは、会社であれ個人であれ、一つの企業として税法上見るという見方がある。それが一体どこへいってしまったろうかというのが一つ。それから、たとえば私は個人であるけれども、私は横山商店という個人でありながら一つの企業であり、そしてその中に家族なり従業員を使ってやっておる。私が私の給料分としてこれだけ取るぞというふうなことをやっても、これは違法でも何でもない。問題は、私が個人でありながら会社的な運営をやって、そのままのものを申告するということが、はたして新聞紙上でつかれたような悪質的な見方をどうしてされるのだろうかということを聞きたい。それから、第三番目には、全商運の諸君は、そういうふうに分離申告をことしの確定申告で全国的にする、こう言うておられる。いろいろな問題があると思うのですが、その人たちが言っているそもそもの発端は、大工、左官、ブリキ、トビ、植木職については一部分離した、事業所得と勤労所得とを分けておるではないか。それではそのほかの類似職がなぜいかぬのか。たとえば自転車屋さんはなぜいかぬ、あるいはまた既製服のミシン加工屋さんはなぜいかぬというふうに類似職に発展をすれば、これは全く共通の問題ではなかろうか。さらにそれが発展をすれば、そういう零細企業においては、資本による所得といいますか、企業による所得と、朝から晩まで汗水たらした勤労による所得というものと、やはり分けて考えられてもいいではないかという気がするわけです。この辺のところを一つ忌憚のない意見を一ぺん聞かしてもらいたい。
#27
○原政府委員 全商連のいわゆる分離申告を進めておることに対しましては、お話の通り先週土曜日、十八日に全商運に対して、私は、こういう違法なことをやってもらっては困るから、すぐやめて下さいという申し入れをいたしました。その趣旨を申し上げるために、ただいま横山委員の御質問の論点につきながら申し上げたいと思います。
 まず第一に、企業としての課税は一体どこにいってしまったのかという角度でのお話、法人といえども個人の企業といえども同じ企業ではないか、同じ企業ならば、法人の企業と同じようなやり方をするというのが個人にもあるだろう、それをなぜ認めぬのかというお話でありますが、これは、形式的にいいますれば、個人の所得は所得税法の定めるところによって税を納めていただくわけであります。所得税法では、事業の所得というのは収入金額から経費を引いて出します。経費は家事関係のものは経費にはなりませんよと言っておりますし、それから、家族の従業員に対して給与を払いましても、それは経費にはいたしません。全部業主のものであります。ただし青色申告の場合には専従者控除を認める。三十六年度からは、御提案申し上げておる改正が通れば、白色についても家族の分は給与を引きましょう、こういうことになっております。ただいま問題になっておりますのは、三十五年の所得税の申告をどうするかという問題でありますが、これは法律に従って御申告をいただくのは当然のことで、その法律には今申したように書いてあるので、事業主の給料が幾らだからそれを引くということは、法律に書いてないのでありまして、形式的にも違法であることはきわめて明瞭であるということが第一。
 第二として、それでは実質論はどうか。これは実質論が正しいとしても、それは立法で実現した上でやるのが、これは法治国における当然のことだと思うという前提で申し上げておるのでありますが、実質論、立法論といたしましても、企業なんだから、そして企業の一つの種類が法人という形をとっておる、その形をまねた個人の企業があるなら、それは認めるべきだというのは、一つの議論ではありますが、税の議論としては、税の議論の筋目を通す本質は何かということを考えていかなければならぬと思います。本質は、やはり所得課税というものは、一番納税者の担税力との照応がよくできるというのが特徴の税であります。担税力の照応がよくできる一番の焦点は何かといいますと個人ですね。やはり個人の特定の者の所得が幾らであるかということの大きさによって、累進課税を働かすということによってそれができるというのが、一番の中枢であるわけであります。従いまして、個人が企業をしております場合に、企業だから法人並みのということよりも前に、税制の中心として公平の一番のチャンピオンとして所得課税をするというのは、個人々々に帰属される毎年の所得というものが多いか少ないかということによって累進の度合いを変えるというところに、本命の問題があるわけであります。そういう意味でいいますと、個人で企業をしておられる方は、業主の所得というものはまさにその人の所得である。そして、その業主の給与と今言われている分は、その人の所得の一部であって、そのほかに利潤が加わって、その人の総所得をなすわけであります。その総所得が大きいか小さいかが、その人に対する税を累進するのは、どの程度累進するかをきめる一番大事な基準になるわけです。ですから、これをばらして、この給与部分が幾らだ、残りは利潤部分だというようなことをやるのは、これは税制を全然がたがたにしてしまうものだというふうに私は思います。そういうやり方をやるならば、給与所得者というものについても、何か区分してなにするようなことをしないといけませんし、そもそもそれは一部の企業が法人形態をとっているということからくるなにであって、そこには、それでは法人税が所得課税として一番中心的な税であるかどうかという問題として考えていただけばわかりますように、これはそうではないのであります。擬制説という言葉がありますように、法人税は個人所得税の前取りであるというような考え方を今の税制はとっております。そして、法人で三八%を納めていただきますが、それはいずれ残りの利潤について配当される。そうしたらそれで個人所得税がかかる。その際に配当控除で調整するというようなことで、一体として集約する。最後の集約面は個人所得税であります。従って、私どもとしては、理論的にいいましても、実質論としていいましても、個人所得税のワクの中へ法人的な考え方を持ち込んでばらしてしまうということは、結局個人所得税否定論ということになると思う。それは、累進によってその人の担税力に照応する課税をするという、公平な税制を適用するという基盤をこわしていくものであるということにおいて、私は、実質論としても、どうも賛成申しかねるというふうに思います。かつ、世界各国においても、主人でない、家族に対して払う給与については、控除を認める国は相当ございますけれども、主人の給与  主人が自分に給与を払うというようなことはないと思いますけれども、そういうようなことを認めている税制は私は寡聞にして知りません。あるにせよ、ないにせよ、税は公平でなくてはならぬ、その中心は個人所得税であるという考え方からいって、どうも私は実質論としてそれは納得ができないというふうに思います。
 第三点の、大工、左官等につきまする通達があるじゃないか、それと共通の問題ではないかというお話でありますが、大工、左官等につきまして、その収入金額の大きさに応じまして、所得の特定割合を給与所得だという判定をしてよろしいという通達を出しております趣旨をまず申し上げます。これは大工、左官の中でこまかい大工、左官――こまかいというのはなんですが、小さい大工、左官の方々は、よく、日雇いベースと言ってはなんですが、日々のベースで雇われていって仕事をするというような仕事をされる場合もあるし、それからまた、請負的に、この仕事をやって下さい、何日ということはきめないで、それでやるというような場合もありまするし、つまり前者の場合はまさに給与労働者であるわけです。後者の場合は事業者であるわけです。事業者と給与所得者との二つの性格を持っておるといいますか、それを使い分けて日常の経済活動をやっておられる方々が相当多いわけでありますが、そういう場合に、一体あなたはことしの働いたうちで何日は一日の給与をもらってやっておりますか、何日は請負でやっておりますかというようなことを聞いて確かめるのは非常に煩瑣であるということから、特定のサンプルで調査しましたものをもとにして、収入金額別に、この程度のものは何割は給与所得であろうということをなにして、それが、納税者のためにも私どものためにも簡略であろうということで、それによってよろしいということにいたしたのでありますから、一般の個人の企業者の場合には、そういうような要素は別段ないと思います。八百屋さんにしろ、魚屋さんにしろ、運送屋さんにしろ、企業として全部やっておられるということであれば、それは全体の収入が事業の収入であり、それから経費を引くということでいくのが当然であって、あの大工、左官の通達を類推して、それと共通の問題ではないかと言われるのは、どうも私どもとしては納得がいかないというふうに思います。
 せんじ詰めまして、この問題は、所得税法に、個人の所得を申告する際には、事業の所得についてはこういうものを収入とし、こういうものを経費としてお出しなさいといっておるのでありますから、性格が違う。その申告のやり方で経費とはしませんよ、残った所得の中に二つに分けて出しますよというようなこともちらちら見えておりますけれども、そうでありましても、ただいま申しました事業の所得はこういうものであるということになっておって、事業の所得の方に全部が入る規定になっております。給与所得の方は、給与云々と書いてありますから、自分が自分に払うというようなことが強弁できるのかどうか、そういう点がどうも常識的でない。法律の定めるところを読んでいただけば、これはとうてい問題にならないことであるというふうに思いますので、ぜひやめるようにしてもらいたいと申したわけであります。こういうことはやっていただいて一体何のためであるかということを考えましても、税務当局との間に摩擦を起こすだけの話であり、私どもとしては手数がかかるだけの話であって、何らの利益がない。もしそれに実質的な正しさがあるならば、立法運動として展開されて、その立法が通った暁、堂々とそれに従って法律通りに申告されるというのが、法治国家の納税者の態度ではなかろうか、若干言葉がきつくて恐縮でございますが、そういうふうに私は考えております。
#28
○春日小委員 今、この問題は、徴税行政の根本義に触れる非常に重大な問題だと思うので、もう少し論じて明らかにしたいと思いますが、給与所得というものはどういう見方でこういう方式をとるに至ったか、この点を一つ考えてみたいと思うのです。これは勤労の対価として受け取ったものを給与所得としてこういう制度を考えたのか。あるいは雇用契約によって、その雇われ主から生活費、つまり所得を受けるから、そういう分類をしたのか。この点は、二つのうちの一つというわけでもないでしょうけれども、私は、むしろこれは勤労の対価として発生した所得を一応給与所得とみなして、それは営業所得とはその源泉を異にもするし、また形態を異にもしておるので、そういう分立体を作ったのではないかと思うのですが、その点はいかがですか。まずその一点から伺いたいと思います。
#29
○原政府委員 ただいまお話しの勤労の対価であるか、あるいは雇い主からもらうものであるかという二つの対立のさせ方の意味が私には十分わかりませんので、もう少しお話がありましたあとで、それについてはお答え申し上げたいと思います。
#30
○春日小委員 実はこれは、七、八年前でありましたか、村山君が直税部長のときに、今お話しになりました大工、トビ、左官、板金、植木職、かくのごとく一口に言えるくらい長い時間論じ合って、そうして論じた結論は、これらの大工さんやトビ職、左官職、そういう連中は一つの営業の形態を持っておる。しいて言うならば、大工さんにしてみれば、くぎ一本よそから買ってきて作業場に使っても、売買の形式から得る所得がそこに加わってくるわけですね。だから、営業者であるというので、所得税の課税対象になったわけですね。けれども、その実態は、彼らは労働者である。労働者が今御指摘になったような工合に日雇いで所得を得ておる。それは現実には商売人としてもうけておるのではなくて、勤労者として所得を得ておるのであるから、従って、そういうものにすべて事業所程としての概念で課税することは実態に反するではないか、こういう論述をしたことがあるのです。そのとき、大蔵省は、そういう実態であろう、しかしながら、どの程度が営業、商行為によって得た所得か、勤労によって発生した所得か区分しがたいので、あのときはたしか通達は七十万円でございましたか、六十万、五十万、四十万というように段階を置いて、そうしてそれぞれのものは勤労の対価として発生した所得とみなす、こういうことでそれが事業所得税の対象外に置かれたわけですね。そういう実態と経緯から考えますと、給与所得というものは、雇用者から働こうと働くまいと給料をもらうから、そこで給与所得という一つの制度を考えたいというのではなくて、勤労者が働いて、その対価として発生した所得というものは、そのものずばりで、何もそれに随伴してくる所得がない。従って、これは、勤労の対価として発生するものは一切の所得から分離して対象にする必要があるということでやってきたと思うのです。従って、私は、給与所得というものは勤労の対価として発生した所得を目ざして考えておるものだ、こういうふうに理解するのが正当じゃないかと思うのですが、どうですか。
#31
○原政府委員 そういう意味では、私はどうも滞日委員とは違う考えでございます。というのは、春日委員の言っておるのは、いわゆる給与所得者はからだであるいは頭脳で勤労して、それによって所得を得ておる。それが給与所得というわけです。ところが、大工、左官というような方々も、まさに肉体を大いに使って勤労しておる。それによって所得を得ておるから、勤労による所得ではないかというお話であります。所得税法の考え方は、そうではなくて、俸給、給料云々というような雇用契約があって、それに基づいて俸給、給料、賃金等を受ける。それが給与である。大いにからだを働かせあるいは頭を働かせましても、そういう雇用契約でなくて、独立の業種としてやる分は、商業、工業、農業、水産業等々の事業から生ずる所得ということで、別にそれは事業所得といっておるわけであります。事業をやるのにも頭が要る、肉体が要る、そういう意味で勤労が要るということは事実でありますが、事業をやるための勤労をとらえて、それが勤労による所得である、それゆえにそれは給与所得――またの名を勧労所得と言うておりますが、その勤労所得と本質上同じものであろうと言うのは、これは所得税法の第九条第四号と第五号の区別をどうもわからなくしてしまうのではないかというふうに思います。
 なお、つけ加えて申し上げます。先ほど来申し上げております大工、左官、トビ等の一連のお話のあと出しました通達におきましても、私どもはこう申しております。大工、左官、トビ等の受ける報酬のうち請負契約に基づくものは事業所得とし、雇用契約に基づくものは給与所得として課税すべきことはもちろんであるが、という書き出しで、その区分がなかなかこまかい場合はめんどうであるから、便宜スケールに応じてこういう割合によってよろしい――割合によってよろしいというのは、雇用契約によって受ける給与所得の部分と、それから独立業種として稼得しておる事業所得の分との分解を、こういうことによってよろしいということであって、事業所得として稼得しておるものについて、それが大いに勤労を使っておるからそれを給与所得にするのだという趣旨は全然入っておりませんので、御了承願いたいと思います。
#32
○春日小委員 それは、法律の条文の形式は、そういう表現をするよりほかに規定の仕方がないから、そうしていると思う。ただ法意というか、法律の精神といいますか、肉体労働にしろ、精神労働にしろ、労働の対価としてみなされるもの、そこで受け取る所得が給与所得、これは私は議論の存するところではあろうと思うが、法の精神、法意というものは、要するに商行為によって発生した営業所得、それから勤労、自分の頭なりからだなりを提供して発生した所得というものと、二つに区分しておると思うのです。そういう一つの大区分があって、そこで税法なり各種控除のさまざまの制度がなされておる。給与所得には随伴する所得がない。営業所得には総合的なさまざまな所得が伴ってくる。こういうところから、ただ私は実体論を申し上げておるので、そこで法律の精神に沿った執行をしていかなければならぬと私は患うのです。そこで、さらに問題が細分化されて参りますけれども、その面を雇用契約でなければならぬとかりにしたとしましても、雇用契約の中には、常識的にいえば一日契約という単位もあるでしょうけれども、しかし、税法上抗弁すれば、時間契約だってある。一時間どれだけというようなことは、これは現実にアメリカなんかでやっておる。日本だって一時間幾らというような雇用契約だってなくもないと私は思う。そこで、請負契約というものはすべて事業所得であるというそのみなし方も、しいてあなたの方で形式的に言われれば、すべての請負契約を、小さいものは時間契約の中にこれを分析して、大きいものは日に分析して、さらに大きいものは月に分析していけば、それは賃金単価の上げ下げになってくるだけのことで、やはり日当契約あるいは賃金契約の形式をとろうと思えば、とれないことはないわけです。ただ税法上恩典が受けられない。要するに、雇用契約に基づく所得であるならば、これは給与所得であり、請負契約に基づく所得であるならば、これが事業所得である。そうしてそれぞれの恩典を受けられないということになってくれば、一時間幾ら、一日幾らにして、その契約総量を逆に割っていけば賃金契約になり、雇用契約の形になってくるのだから、そこはどうでもやっていけると思う。問題は私は実質論だと思うのです。そこまできますると、大工、トビ、左官等についてその通達が出された精神というものも、私は、勤労の対価として発生した所得に対して、事業所得としての一律の概念でこれを課税していくことは過酷であろうと思う。そのことは法律の精神に背馳する執行であるということで、ことさらにその通達が出されておると思うのです。だから、私は、この際、法律に欠陥があるならば、その法律を直すことだと思うのです。やはり法律に制約があってそれができないならば、法律を直して、要するに勤労の対価として所得を受けておるとおぼしき所得者に対する何らかの救済、それが、かつて通達に出されておりまするような、そのフェーバーを受け得るような形にしていくということは、私は必要なことではないかと思う。
 そこで、先ほど来指摘されておるように、大工、トビ、左官という区分がある。それじゃうどん屋や散髪屋、パーマネント屋の勤労はどうなるというように、類似職に対するいろいろな救済のポシビリティがここから発見できると思うのです。だから、そうなってきますると、われわれの考え方は、これは多少ラフであるかもしれませんけれども、かつて腰だめ的にそういうふうに通達を出しておるのだから、どこまでが勤労の対価であるか、雇用契約であるかわからないから、腰だめ的に大工、トビ、左官についてはこれこれ以下のものは勤労所得とみなすということが一応できておるのです。従って、類似職全般ということになると、中小企業、零細企業という形になるでしょうが、しかも、濃縮された意味では、勤労性がその事業の中に相当多い部分を占める業種が選ばれてくるでありましょうけれども、サービス業であるとか、株屋であるとか、高利貸しであるとか、そういうものは除かれることを意味するわけですけれども、そうなってきますると、中小企業者の所得の中で、百万円以下の所得とみなすか、あるいは五十万円以下の所得とみなすか、すなわち少額所得者の所得のうち下積み何十万円まではこれを勤労の対価として受けた所得とみなす。そうして、これが、給与所得者が受けておるところの百分の二十の基礎控除であるとか、事業税非課税の恩典であるとか、こういうものが及ぼされてきてしかるべきである。これは、徴税理論として、また徴税行政の実体論として、そういうふうに考えられても無理はないと思う。さればこそ、全日商運の諸君が、そういうような考え方で、そういう徴税のやり方もあり得ると考えてくる点もまたある。全日商連の問題とは私の立論の骨子は若干違っておりますけれども、そういうふうですから、この問題は一応、あなたの法律の条文が雇用契約から発生した所得でなければ給与所得でないというその踏み切り方は、その法律の精神が那辺にあるかということを考えて、そうして通達の出された現実の経緯、それからもしあなた方がその条文を固執されるならば、業者がかりに請負契約を結んで、たとえば洋服一着作るのに一万円だ、それではあなたのところに雇われていきましょう、作業場は私の事務所、そうして三日間あるいは十日間ということで臨時雇用契約を結んでいけば、それはどんなにでもなっていく、実際契約書を取りかわされるのですから、そういう問題を政治的に救済していく方向に徴税行政というものはあらねばならぬ。今あなたがおっしゃったように完全なものではない。今の法律も不完全なものだし、いわんやその行政は未熟きわまるものです。だから、そういう過程の中においてこれを救済するものは、結局この委員というものです。ですから、この委員会の声を、あなた方がマンネリズムで、これもいかぬ、あれもいかぬということじゃ、あなたにかわってもらうよりしようがない。そういう点で、これはお互いが、渡辺君の昔から、政府と委員会が研究し合って、いい結論があったらそれをやってきておるのです。私が見ておるのに、あなたは古い人ではあるけれども、どうも、みなの意見よりもわしの意見の方がいいというような、唯我独尊的な頭が非常にゆがんでおると思うのですね。だから、もう少し胸襟を開いて、われわれの主張もかくあるべしとか強圧的なことを言ってないで、ともに日本の徴税行政を完全無欠なものにしていこう、足らざる点を補おうという点にポイントを置いて論じておるのですから、研究する気持、何か建設的にものを運ぶような気持で応持してもらわないと、私は小委員会を作った意義がないと思います。猛反省を促します。
#33
○原政府委員 どうも唯我独尊居士にされまして、答弁が非常にしにくくなりましたが、私の方から申し上げますと、春日委員は非常に法意を振りかざすのがお上手であって、だいぶ押されるので、確かにこの小委員会は非常に研究的な建設的なものでありますから、私どもも大いに稗益さしていただいておりますが、ただいまの点を率直にお答え申し上げさせていただきたいと思います。
 所得税法の法意として、この中小の企業者、たとえば八百屋さん、魚屋さんというようなものは勤労部分が多いから、それは給与所得で扱うのが法意であるというのは、私はどうも承知できません。私はそうではないと思います。むしろ常識的に言うて、われわれが八百屋さん、魚屋さんに行って買うという場合に、八百屋さんが私どもの雇用人で、私どものために勤労を提供してくれるとは思わないで、これは一体市場から幾らで仕入れて、幾らで売って、幾らもうかるのだろうな、菜っぱを庭に作れば安いのだが、やっぱり商売になると相当するなということも考える。これは企業そのものであって、決して給与所得と並ぶような、幾らの金を渡すから一定期間これこれのように働けというようなものとは違う。私は常識的にもそれは違うと思うので、春日委員のおっしゃる趣旨は、これは別の法意で置きかえれば、中小の気の毒な業者は、事業所得と言ってもあまり堂々たる事業所得というものではないのだから、そういうものに対しては税制上めんどうを見ろ、あるいは行政の面でもそういう意味の同情を持ってやれということ、そういう意味で、立法論としても運用論としてもそういう角度での立場はあり得ると思います。おそらくそういうことではなかろうか。そういうふうになされた方がいいんではなかろうか。今の法律の法意としては、私は今おっしゃるようなことではない。むしろ立法論的なことをおっしゃっておる。また、運用面でもそういうことがありますれば、もちろん私どもも考えねばいかぬと思いますが、それはやはり事業所得のワクの中での問題であるというふうに考えるのでございます。なお、大いに研究的、建設的にやるべき当小委員会の議事でございますから、私は一応私の反論を申し上げますが、なお十分御趣旨のあるところを伺いまして、検討するようにいたしたいと思います。
#34
○横山小委員 時間がありませんからなんですけれども、ここで議論されたことにつきましては、委員長にお願いして、できる限り一つ結論をつけたいというふうに各位が念願をしておるところですから、言いっぱなし、聞きっぱなしじゃなくて、あなた方の方としても十分将来それぞれ検討をしていただきたいと思っております。たとえば、当面の全商運の問題については、私は新聞記事を見まして非常に奇異に感じたのですが、新聞の取り上げ方もそうであろう。私が見たのは一つの新聞でしたが、大見出しで、国税庁長官が非常にいたけだかになって、悪質的なことだというふうにきめつけたような印象を受けるわけです。こういうことは適当でなくして、やはりじゅんじゅんと話し合いをして、そしてどういうふうにするのが妥当であるかということも論議をするべきだし、それから、私が先ほど言った企業課税として――これは立法論の範疇になるかもしれませんが、企業課税として見るべきだという点については、私もまだ相当自説を持っておるのですが、当面の問題としては、何かああいうものを出してきたが、ある新潟の人の話を聞いたら、新潟の某税務署は、そんなことを言ったらよけい取ってやるぞという雰囲気が一部にあるそうでして、そういう対立する敵対感情では問題はうまくおさまらぬ。しかも、それを鼓舞激励しているがごとき長官の厳重注意というようなやり方というものは、事態を円満に持たせるものではないというふうに私は考えますが、立論の趣旨、その展開については、本委員会としてもさらに検討するとしても、取り扱いについては長官に御注意を申し上げたいと、こう思うのです。
 それから、私きょう最後にお伺いをしたいことが別にあるのであります。早川委員長のころでありましたか、話が出て、そのままになっており、しかも最近相当やはり議論になっておる問題に、諸外国、特にアメリカ等におきましては、寄付行為について相当大幅な控除措置がなされているようです。これはアメリカ人の性格にもよりますけれども、諸外国における寄付行為については相当の特別措置がなされておるのですが、日本の税法では厳重なリミットがされているように思うのです。教育とか慈善とか科学とかというような公益的な性格を有する非営利団体または非営利事業への寄付は、いま少し大幅な緩和をしたらどうであろうか。課税所得から控除をしたらどうであろうか。特に最近の日本の状況においては、どうしても教育、自然科学の面において飛躍的な発展が望まれておるときであるから、しかもそれは寄付をする本人たちにとっても大きな気持でやるのですから、この点について特別措置をとったらどうかという意見がありまして、それぞれの党内においてもいろいろ議論がされておると思うのです。こういう点について一つ御意見を伺っておきたいと思うのです。
#35
○原政府委員 寄付につきましては、立法問題でありますので、若干私の所管をはずれますが、私の個人的な意見として申し上げます。私も前任時代に扱ったことがございますので、その時分に考えていたことを申し上げることになるわけでありますが、なるほど教育、学術、慈善というものに対して寄付をするということは非常にけっこうなことでありまして、税法上それを控除項目にするということは、理屈として成り立たぬことではないと私は思います。諸外国でも認めているところが相当ございます。ただ、現在の日本の税の現実で考えますると、それは選択の問題である。ということは、いろいろ控除をふやしてほしいという要求は、たとえば基礎控除――今回はふやさない案でありますけれども、基礎控除自体についても、今の九万で十分かどうかというような問題が相当今後あると思います。扶養控除あたりは、今までのがどうも低過ぎるというので、連年どんどん上げていくというような傾向になっております。その他各種控除でももっと上げてくれという声がございます。なお、それでは寄付の中でも、今お話の出ております慈善、学術等に対する寄付といいますのは、まあ言ってみますれば何十万、人によっては何百万、まあ何千万という方もありましょう。そういうごそっとした寄付を控除しろというお話が中心なんでありますけれども、特に寄付で顕著なのは、御案内の通り教育関係の零細なPTA寄付というのが非常に大きいわけであります。これは文部省の調べでもたしか百億近い額があるというようなことで、そうしますると、大きな大所得者がその所得の中から寄付をするのを控除するのならば、そういうPTAの寄付なんというものは、まず優先して控除しなければいかぬだろうというふうに私は考えました。そうしますと、問題は、全部候補者が並んで、それじゃそういうPTAの寄付を控除するのを先にするか、基礎控除のあと一万なり二万なり何万なりというものの引き上げを先にするかというような、優先先後の問題になってくる。優先先後の問題としては、私のやっておりました時分には、まだそういう何十万、何百万の分を控除するという順位はこないのではないかというのが一つ。もう一つは、そういうことをいたします場合に、行政の執行上相当むずかしい問題が起こる。つまり寄付をしましたというので控除をする場合、今法人関係の方でも指定寄付というのがあって、相当主税局では苦心しておりますけれども、寄付された千万なり何千万なりというものが、寄付された目的の通りに純粋に公共的に使われるということを最後まで確保しませんと、これは非常に合法的な脱税が行なわれるということにもなります。その辺についての見通しをつけ、執行面の手当をするという問題も並行してやりましょうということで、なおただいまの日程ではちょっとむずかしいのではないかという感じを私は持ちましたけれども、これは物事の優先先後の判断の問題でございますから、おのずからいろいろな方の判断がおありになるだろうと思います。
#36
○横山小委員 この点はまた適当な機会に相談したいと思っているのですが、アメリカばかりでなく、諸外国では、死んだ場合においてまず公共事業に寄付をするという習慣が普遍的にあるように思うのです。日本においてはそういうところまでまだ発展はしておりませんけれども、寄付行為というのが、先ほど原さんのおっしゃるように、悪質なものに利用されるということは皆無ではありません。皆無ではありませんけれども、寄付それ自身については、特に私の主張いたします教育、慈善、科学等につきましては、こういうようなリミットを設けるならば、きわめてけっこうなことだと思います。弊害が起こるか起こらないか、それから優先度をどうするかという点は、原さんみずからもおっしゃるように、もっぱら運用上の問題であって、法理論としては必ずしも反対をせられているような向きではないと思います。最近における私学の状況を見ましても、自由民主党の中においても、社会党の中においても、また民社党の中においても、私学に対して相当の関心を持っておられる方が多い。かたがた国庫の補助というものも少ない。また、慈善事業につきましても、科学面につきましても、われわれのなすべき分野が非常に多いにもかかわらず、なかなか国庫支出なり財政投融資なりというものはほとんどない状況です。私どもは寄付を慫慂するという立場でなくして、せっかく善意をもって私財の一部を投じてかかる教育、慈善、科学等について寄付をなされる人たちについては、税法上の恩典を与えていってしかるべきではないかと私は考えておるわけです。一回本問題については適当な機会に理事会等で相談することを要望して、私の質問を終わります。
#37
○春日小委員 今の問題で、私はこの所得税法第九条第五号を読んでみますと、今原さんが言われたような雇用契約から発生したものを給与所得とみなすというような何ら規定はないと思うし、またそういうふうに理解される条文もないと思うんですね。五号には俸給、給料、賃金、歳費、年金、恩給というようなこと、そしてカッコの中に、これらのものを給与所得というというのであるから、これ自体が給与所得の定義ということで完了しておるわけですね。だといたしますと、現在の税法の上では、所得の分類をどういう工合にしておるか、問題はこの一点にあると思うんですね。所得の分類をどういうふうにしておるか。所得の分類を勤労所得と資産所得、それから資産所得と勤労所得の合同所得、三つに分類できると思うんですね。だといたしますと、結局その勤労性の所得というものに対しては、勤労性の度合いの多い所得に対しては、これを資産所得とみなすか給与所得とみなすかというみなし方が、徴税行政上の大きな問題になってくると思うんですね。ことにわれわれが受ける歳費なんというものは、だれとも雇用契約なんかありゃしない。僕らだれにも雇用してもらった覚えはないんですね。だから、これらを給与所得とみなす以上は、すなわち歳費が給与所得である限りは、雇用契約というものの存在は必要としないわけなんです。すなわち、頭なりからだなりを提供して得たところの所得は、これは給与所得とみなす、こういうことであって、所得の分類を今申されたように三つにする限りは、やはり勤労性事業所得というものに対しては、これを資産所得の側において把握するか、あるいは勤労所得の側において把握するかという問題は、政策論としても徴税理論としても、これは私は大いに考えなければならない重大なポイントであると思うが、この点はいかがですか。
#38
○原政府委員 私は、所得税法を読んで、どうも春日委員の御意見には賛成できません。これを読んで、春日委員の言うように言われる方がどのくらいおありになるか、私は非常に疑問だと思います。何もこれに雇用契約に基づくと書いてなくても、八百屋さん、魚屋さんが……。
#39
○春日小委員 私は八百屋のことを言ってない。魚屋のことも言ってない。
#40
○原政府委員 僕はまずまずきわめてまれなる例であろうというふうに思いますし、とにもかくにもそういうふうな考えで分離申告をするというようなことは、これは何か――あるいは春日委員は分離申告のことを言っておられるのではないかもしれませんが、混乱を起こすだけであって、これは明瞭に法律違反ではないかというように思います。どうも法律の読み方としては、きわめて明白ではないかというふうに思います。重ね重ね先ほど申しましたように、中小の事業者は、事業所得の中でも、税制上ないし税務執行上配意すべきだという御意見として、立法論的にあるいは行政論的に御展開になるべき筋合いのものではなかろうか。解釈論としては、お話のように解釈する余地は私はないと思います。
#41
○春日小委員 法律というものは実態を処理するための一つの基準であるのであるから、実態にこのバロメーターが即さなければ、こんなものは直せるんですよ。こういうものは金科玉条でないということは申すまでもないことだが、やはり念頭に置いて御返答願わないと、話のピントがお互いに合わない。波長が合わないから、私のマイクロホンとあなたのスピーカーが別々のことを言うようになるわけだね。だから、そこは一つ申し上げておきたいが、今の所得区分というものが、勤労所得と資産所得と、それからもう一つは勤労所得、資産所得の合同所得、三つに分類して課税を考えておるのだ。この原則と実態はお認めになりますか。
#42
○原政府委員 ただいまの所得税法は、ただいまお話のありました所得税法第九条の各号の種類に所得を区分いたしております。ですから、法律論といたしましては、この第九条各号の利子所得以下事業所得、給与所得その他の所得区分で考えておるということであります。それを理論的に一つの角度から切る見方が、資産、勤労ないし両者の混合所得という三分類と申しますか、あるいは両極に資産と勤労というものがあって、そしてその間にニュアンスを持ってその両者のまざり方がいろいろである所得が並ぶということであろうと思いますが、それは法律には書いてないものであって、頭の中で整理する場合の一つの整理の仕方であるというふうに心得ております。
#43
○春日小委員 私は、国税庁長官の応答ということになるとそういうことになると思うのだが、あなたはこの間までは主税局長であったから、実際この問題はあなたと論ずべきではなく、村山君と論ずべき性質のものかもしれない、立法的な問題ですから。あなたは法律に基づいて徴税をやられておるのだから、そういうことを言われることはわかるような気がするけれども、しかし、やはりあなたのポストにこだわられないで、税法として、また徴収の面として、一体で完璧を期していくためにはどうしたらいいか。これはやはり、現在の制度が未熟なものであり過渡的なものであるだけに、あなたの配慮というものは非常に大きいと思うので重ねて申し上げますが、なるほど九条には分類してあるけれども、その所得のうちで十までのものをどこにどう区分けするかということになれば、三つに区分けされてくることは当然のことだと思うのです。そういうような場合、今あなたのおっしゃったような零細事業者の所得に対して、税法上いかなるフェーバーを考えていくか。ここに所論を置いた方がいいというあなたのアドヴァイスは、私も実際はそのことが論じたいのであるから、私はそれはすなおに受け入れはいたしますけれども、やはり法律論からも、今この法律論が長い間歴史的に研究されて、はなはだしく実態に遊離したものとは考えない。しかしながら、その法律論の中においても、なおかつわれわれの主張は介入し得る余地があるということを論証したいので、あえてこのことを強く言っておるわけですけれども、ただ明確にしておかなければならないことは、給与所得というものは、民法上というようなこともないが、いずれにしても雇用の実態があって、そこから発生してくる所得というものでなければ給与所得でない、というようなことでもって言われておりますけれども、これは、第九条の五号から言うと、あなたの言われることは間違っておる。現実にこれは歳費であるとか――賞与というものは別にいたしましても、少なくとも歳費というものは、雇用の実態というものはないのです。やはり勤労の対価として発生する所得というものを、ここに全部網羅しているのです。雇用から発生してくる所得と、雇用の関係なくして発生してくる所得、しかし、勤労の対価として発生してくる所得を全部網羅しておるのだから、勤労所得というものはそういう制約のもとに発生した所得でなくても勤労所得だ、こういうふうに踏み切るというのが法意である。また法律の規定もそうである。これは明確ならぬ問題だから、明確にしていかなければならぬと思うのです。あなたは子供のときから税金をなぶっておられるかもしらぬが、われわれもやはり十年間なぶっておるのだから――大体頭のよさから言うと僕の方がいいようだから、僕の方があるいは上だ。そういう意味で言うと、今横山君の指摘されんとしておる、同時に私の論議の集約点は、勤労性事業の所得というものは、やはり給与所得の概念で処理すべきである、課税は実態論ですから。従いまして、勤労の対価として発生したものは勤労所得として申告し、営業の所得として発生したものは営業所得として申告するという分類申告ということは、理論上あり得ていいと思うのです。ところが、日常の零細な事業の中でその分類は不明確である。それは立証できない。だからそれをどこに救済を求めるかという形になると、村山君が出したところの例の直税部長通達というものがそこにあり得るわけなんです。その点から考えますると、大工、トビ、左官、板金、植木職のほかに、パーマネントがある。うどん屋がある。魚屋がある。そういう勤労性事業というものは、やはり勤労がその事業の根幹をなしておる。その場合の何らかのフェーバーというものが法律によって与えられる必要性というものを、われわれはポイント・アップしなければならぬ。この問題は、あなたは例の団体法のときから予算委員会で説明をし、そうしてあなたがそのときに否定して、そうしていずれは深く取り組まなければならぬと思って今日まで持ち越されてきているのだが、その最初のあなたの言葉にこだわっておられると思われる気配がある。しかし、虚心坦懐に、今申されたような勤労性事業者というか、零細事業者というか、その事業所得の多くの部分が勤労によってもたらされておるという所得に対して、資産所得一辺倒の概念で処理されておるのは、租税実体の原則からかんがみて、このことは間違ったやり方である。この点は一つ十分御検討を願う必要がある。白石君にも御検討を願って、そうして次の機会にもう少し有権的な御所見を特に建設的にお願いしたいと思います。
#44
○原政府委員 研究はいたします。先ほどもそう申し上げましたが、とりあえずの問題として、この分離申告は違法なものであるということは、私、国税庁長官として責任を持ってはっきり申し上げておきます。もうすでに三十五年度は申告期に入っておりまして、今や税務署員は一生懸命働いておるわけなんですが、こういうことを――率直に申して春日委員は非常にお話がうまいので、ちょっとそうかなと思うような点もあるかもしれませんが、現行法の解釈論としては、私は非常に強烈なる引力で妙なところに引っぱっていかれる議論であると思いまして、それではとても成り立たぬと思いますので、これははっきり申し上げ、その点は一つ御了承いただきたい。国会論議が、こういう、ただいま言われております分離申告のようなものを何かバックアップするようなことを言われるのでは、私ども、法律によってやれと言われるのに、はなはだ妙な感じもいたします。どうかその点ははっきりしていただきたいと思います。
#45
○春日小委員 今の全日商運の問題は、あらためてこれは政策論として、別の、そういう零細事業者に対する税法をいかに考えていくかという点において論ずるといたしまして、私が主として論じておるのは、勤労性が高い――その総合所得の中で占めております度合いが、勤労を提供してそこから受けておる部分が商いという所得に対しては――象徴的には大工、トビ、左官、板金、植木職ということになっておりますが、きわめて性格が多いわけで、雇用的な傾向も実在するというところから物事をスタートして、そうしてその精神を敷衍せしめていくことによって、政策論というものは構成されると私は思うのです。だから、それは論ずるとしても、ただ問題は、あなた方が通達の――何となく政策的に否定するような発言があったのだが、事態重大でもありますから、従って、この問題は、私も本日は資料をそろえて参っておりません。だから、この次の機会に、私も完全な資料をそろえて、民法上、商法上、憲法上、また今までの経過、そしてこれから十分本会議でも何でも権威ある論述をいたしまして、問題点を明確にいたしたい。国税庁長官の独断的なしかもマンネリズムの骨がらみになっているその考え方に対して、税法は生きたものであり、そうして国民の財産権というものに現実に大きな影響を持つものであるから、もっと柔軟性を持った態度で事に臨まれるよう厳重に警告を発しまして、私の質問を終わることにいたします。
#46
○簡牛小委員長 次会は来たる三月一日午後二時より開会することとし、本日はこれにて散会いたします。
   午後一時一分散会
ソース: 国立国会図書館
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