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1947/09/17 第1回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第32号
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1947/09/17 第1回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第32号

#1
第001回国会 司法委員会 第32号
昭和二十二年九月十七日(水曜日)
    午前十一時十分開議
 出席委員
   委員長 松永 義雄君
   理事 鍛冶 良作君
      池谷 信一君    榊原 千代君
      安田 幹太君    山下 春江君
      吉田  安君    岡井藤志郎君
      北浦圭太郎君    花村 四郎君
      山口 好一君    大島 多藏君
      小西 寅松君
 出席政府委員
        司法事務官   奧野 健一君
 委員外の出席者
        專門調査員   村  教三君
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 民法の一部を改正する法律案(内閣提出)(第
 一四號)
 最高裁判所裁判官國民審査法案起草の關する件
    ―――――――――――――
#2
○松永委員長 會議を開きます。前會に引き續き民法の一部を改正する法律案について審議を續けます。鍛冶良作君。
#3
○鍛冶委員 昨日に引續いて質問することにいたします。妻の無能規定を發止されたことは、當然のこととして、われわれも贊意を表するのであります。現行民法法第十四條の第三號「身體ニ覇絆ヲ受クヘキ契約ヲ為スコト」というこの規定は削除せられたことになりますと、夫婦の同居義務と申しますか、これが一致せないことが起こりはしないかと思いますが、これをなくしても全然差支えないと思われますか、それとも何かこれに代る效力規定があるか、その點をお伺いいたしたい。
#4
○奧野政府委員 妻の無能力の制度をやめるということは、古くから考えられておつたのでありますが、その場合でも、この身體に覊絆を受くべき契約くらいのことは、やはり殘しておくべきではないかという議論が前からあつたのであります。しかしながら、これを殘しますことは、結局やはり妻だけの問題でなく、夫の場合だつて同様の問題が起こるわけでありまして、妻だけについて身體の覊絆を受くべき契約をする場合に、夫の同意なり許可というような問題を殘すことは、やはり男女平等の原則に反するのではないかということで、結局夫についても同様な規定をおくべきかということも考えてみたのでありますが、やはりこれは双方ともやめてしまつて、妻の場合も、夫の場合も、これをやめるということにしたのであります。そこで同居の義務の關係とどういうことになりますかという問題が、お説の通り問題となろうかと思いますが、これはやはり夫婦間のことでありますから、お互いに結局話合いで、適當にそういう問題は解決できるのではないかということでいろいろな問題も考えられますけれども、結局男女平等という原則によりまして、この點を夫婦の愛情、あるいは夫婦の團滿なる話合いに任すという意味で、全部この點を留保しないで削除いたしたのであります。
#5
○鍛冶委員 契約を締結しようかどうしようかということであれば、夫婦間で團滿な話合いができますが、第三者と契約をしてしまつて、そこで夫がさような契約は困る、こう言えば、ごもつともですからそれではやめましようと言つても、夫婦の間ではそうかもしれないが、第三者に契約に基く履行を迫られた場合は、これを拒否することはできません。妻だけでなく、夫も同様であります。これに關してどういう御意見をもつているか、それは仕方ない第三者に對抗できないから、それはやればいいということになれば、夫婦の間の共同生活というものは貫けません。第三者に對する關係はどういうことになりますか。
#6
○奧野政府委員 第三者の關係におきましては、やはり契約が有効でありますから、履行の義務があるわけであります。そこでそういうふうに身體の覊絆を受けるような契約を結ぶ前に、夫婦の間でよろしく話合いの上で、そういう契約を締結するかどうかというようなことについて、十分話合われた上で締結するというふうな運用になることを、實は期待いたしておるのであります。
#7
○鍛冶委員 私らもそれは希望しておるが、締結してしまつた後の問題です。私はもつと進んで何かお考えになつておるかと思つた。あるいは婚姻の效力上さようなことはできないことであるか無效にするとか、または夫の同意を得ないで妻が勝手に第三者と身體の覊絆を受ける契約をすることは、公序良俗に反するとか、何かそこらのものがでないでは困ると思う。圓滿にいくのを希望することはだれも希望するが、何かそこにありませんか。ないとしれば、實際考えなければなるぬと思う。
#8
○奧野政府委員 その點も考えられるのでありますが、こういうふうに全部削除いたしました關係上、契約はやはり有效で、これを取消すことはできないと考えますので、もし取消すことができるということになりますと、第三者の權利の方も十分でなくなりますので、そこで先ほども言いました通り、契約をする前によく話合う、削つてしまつた以上は、どうにもしようがない。そこで特にそういうふうな制限をおくかどうかということは、よほど愼重に考えなければならぬ問題と思うのでありますが、とにかく妻だけについてそういうふうな制限をおくということはできないという意味で、これをやめたわけでありまして、將來そういう問題について、夫婦の同居というようなものと、どうしてもうますいかないという問題が起こりますようになつてまいりますと、この點はさらに十分研究いたしてみたいと思います。
#9
○鍛冶委員 無能力の規定をおくことは隱當でないならば、婚姻の效力のところへ入れてもいいと思います。夫婦共同生活中に一方の者が他人に身體を拘束されるがごときことはできないとか、婚姻の效力無数のものであるとか、何か考なくたは、とうてい圓滿な生活ができません。それからこういう契約をするのは圓滿に話合いでやれば話合いができるということなら、こんなことは起らない。話合いができないので、たとえば生活上に困つて夫にだまつてカフエーの女給をやるというときに前借をするというようなことは一番いい例なんですが、何かここでやめられたら婚姻の效力か何かに入れてはどうでしよう。率直なるお考えをもう一應承りたい。
#10
○奧野政府委員 そういう場合に、やはりあらかじめ夫婦の間で相談の上やるのではないかと思うのでありますが、そういう點について、これはどうせ根本的にさらに檢討いたす考えであります。
#11
○鍛冶委員 その點はやむを得ませんから、その程度にしておきましよう。次に第一條の二の點であります。これはかねがね議論もあつたことでありますが、今一應私として承つておきたいのであります。第一條竝びに第一條の二を新たに設定の根本理由を、まず承つてみたいと思います。
#12
○奧野政府委員 これは憲法にあります原則を民事法にもこれを取入れて、憲法にある以上は當然であるけれども、なお明文をもつて民事法に取入れたいという考えから取入れたものであります。要するに私權というものは、結局公共の福祉に反しては認めがたいものであるという趣旨を明瞭にし、從つて憲法にもありますように、私權の權利の行使は、すべて公共の福祉に適應するようにならなければならないという點を明らかにする趣旨が第一條でありまして、第一條の第二項は、これは各國殊にドイツ竝びにスイス連邦等にあります規定を、ここに入れたわけであります。これがなくても、大體現在の判例によりますと、こういつたような思想は判例に認められておるのでありますが、これを民法の上に明らかにしたというのであります。一條の二も、やはり新憲法の貫いておる精神、この精神に基いて、民法その他の法律が立案されなければならないのでありますが、それと同時に、でき上つた條文の解釋、適用につきましても、その精神に從つて解釋すべきものであるということを明らかにいたしたわけでありまして、これは結局新憲法の規定しておる精神を民事法に取入れたいというところから、こういう規定を置いたわけであります。
#13
○鍛冶委員 まことにきまりきつたことを質問するようですが、あとの論旨を進めるために、もう一應承りたいと思います。憲法のどの條文とどの條文を基礎にしてやられたのでありますか。
#14
○奧野政府委員 大體憲法十二條でありますとか、二十四條、二十九條、そういつたような條文を頭において、立案いたしたわけであります。
#15
○鍛冶委員 ただいま御指摘の憲法の諸條項は、ひとり民法上の私權に關するものだけでありましようか。また一般法律上の大原則として、あらゆる部面に適用するものと思われるのでありましようか、その點を伺いたい。
#16
○奧野政府委員 これは民法だけの問題ではないのでありまして、一般の權利、殊に第二十九條等は財産權に關する事柄でありますが、十二、十三條等は、これはすべての基本人權についてのことであります。しかしながらやはり民法におきましても、少くとも私權の點においてそういう趣旨を明らかにいたしたい。と申しますのは、私權はややもすると自分だけのために認められた權利であるという考えが、私權という言葉の中に、そういう含みが非常にあるので、私權はやはり一般の權利と同じように、公共の福祉という制約を受けるということを明らかにいたしたいという意味で、立案いたしたわけであります。
#17
○鍛冶委員 そうであれば、他の法律においてかような説明的の條文は未だ發見せないのであります。民法だけにこれを入れなければならぬという理由はないように考えますが、他の法律においても、これから改正せられるときに、すべてこういうものを入れられる考えでありましようか。それとも民法だけのつもりでありましようか。
#18
○奧野政府委員 民法は、何といたしましても、私權全般に關する基本法規でありまするので、まず民法のうちに入れますことによりまして、一般の財産權あるいは商法その他の私權に關するこれらの法規についての基本が、やはりここに明らかになるというふうに考えまして、民法のうちに入れたのでありまして、こういうふうな條文を一一商法なりあるいはその他の各法律に入れるというふうな考えは、今のところもつておりませんが、基本法でありまする關係上、民法にこれを入れたわけでございます。
#19
○鍛冶委員 しかし一般の法律に關する權利というものについてあるものであるならば、他の法律にも入れなければ、民法に入れなければならぬという理由と一致せないと思います。民法だけがその必要あつて、他の法律には必要ないということはないと思います。その次に、一體かような條文がなかつたら、今後この法律を適用し、解釋する上において、憲法に反するがごとき憂いでもありましようか。かようなものがなくても、いやしくも法律家たる者は、憲法のこの精神を知らぬ者はないのでありますから、當然のことと考えますが、それともなかつたら憲法に反する法律解釋をする憂いでもあるのでありまようか、その點を承りたい。
#20
○奧野政府委員 この規定がなくても、やはり憲法がある以上、そういうふうな解釋、適用になろうかと思いますが、その點を明確にする意味で、ここに特に規定をおいたわけで、必ずしもこの規定がないからといつて、憲法違反でもなく、またこの規定がないからといつて、やはり憲法の精神によつてすべて解釋、適用がされることは、もとより當然と思います。ただこれを明確にする意味で、ここに規定を入れた次第であります。
#21
○鍛冶委員 それならば基本的のことをきめるのではなくて、要するに憲法に違わぬように、注意的規定もしくは説明的規定と解釋するのほかはありません。そういう説明であるならば、民法で必要なものならば他の法律でも必要なものである。また他の法律にも必要がないというならば、民法だけに必要だという理由は成り立たぬと私は信じます。殊に基本法でありますから、基本法に説明的もしくは注意的の規定を載せるということは、體裁上もしくは法律の精神上においても相反すると考えますが、その點はどうお考えになりますか。
#22
○奧野政府委員 注意的ということにもなろうかと思います。ただ私權というといかにも自分自身の私の權利である。公共の福祉というものとよほど縁のない、公共の福祉に反してもそういう權利の行使がよろしいというふうに誤解を招くおそれがあるので、注意的に規定し、しかも民法の體裁といたしましても、こういうふうな大原則を一應揚げておくことが私權全體に關する根本的なあり方を示すものではなかろうかという考えからおいたわけでありまして、そういう意味からいきますと、むしろ注意的という點にもなろうかと思うのであります。
#23
○鍛冶委員 その上は意見の相違でありますから、私は體裁上基本法たる民法にかような――しかも第一條にそんな注意的、もしくは説明的解釋的の規定をおくことは、まことに法律として不體裁なものと考えます。殊に憲法に堂々と載せてあるのに、民法を解釋する者だけが、私權という言葉につられて憲法を誤るのじやないかという御心配であるならば、これは今後司法を研究する學者全體に對する大問題でありまして、頭を疑うようなことになりますから、さようなことがあつてはたいへんだと思います。私はその意味において、かようなものはなくてすべて法律一般に關する大原則は基本法たる憲法に譲らるべきものだと考えます。これ以上は論議になりますから、私の考えだけを申し上げて、なお一應の御審議を煩わしたいものだと考えるのであります。次に昨日から申しました家庭生活のことでありますが、まだ戸籍法が出てまいりませんので、その内容はわかりませんけれども、夫婦をもとにし、それに親子の戸籍を一つにする。こういうことになりますか、その同一氏に入れるところの範圍を、どの程度にお考えになつておるのか、承りたいと思います。
#24
○奧野政府委員 戸籍法は、現在大體の案はでき上つておりますが、まだ最後的な決定をみてはおりません。ただ戸籍法で考えております一つの戸籍にはいる構成は、どういうふうになるかという問題でありますが、これは子供が婚姻をいたしますと、そこで新しい戸籍をつくりまして、さらにそこに子供ができますならば、その夫婦の戸籍に記入する。しかしながら、その子供がさらに婚姻をしますと、夫婦で新しい戸籍をつくり、その間に子供ができれば、またその戸籍の中に子供を記入し、というふうなことで、だんだん夫婦と子供というのを一つの單位として戸籍をつくるのであります。同じ戸籍の者は同じ氏を稱すということになつておりますが、もちろん戸籍を新しくおくにしても、やはり同じ氏を稱することは、たとえば子供が結婚をしても、戸籍は變りますが氏は變らないというふうな建前で、今現に立案いたしておる次第であります。
#25
○鍛冶委員 ちよつとわかりかねましたが、婚姻をすれば別の籍を設ける原則なんですか。
#26
○奧野政府委員 そうです。
#27
○鍛冶委員 今ここに夫婦があつて子供ができた。これは當然はいる。子供に嫁をもらつた。嫁をもらえば當然別の籍になるのでしようか。また本人が別にしてくれという本人の意思に基いてやるものなのであるか。法律上當然に分離させるのか。その點がわからないのであります。
#28
○奧野政府委員 婚姻の届出を出せば、法律上當然にそこで新しい戸籍を起していくという建前であります。
#29
○鍛冶委員 婚姻をして新しく戸籍を起しましたが、離婚をして戻つたらどうか。
#30
○奧野政府委員 戻るというと、從前の家の氏に復することになります。これは婚姻の際に、ここの七百五十條にありますように、夫の氏にするか妻の氏にするか、これを婚姻のときに両方の話合いできめることになるのであります。もし夫婦で妻の氏を稱するということになりますれば、今度離婚になると夫が前の氏に歸る。その逆の場合は妻が前の氏に歸るのでありますが、その妻が歸る場合に、前のお父さん、お母さんの氏に歸るのであるが、戸籍もやはりもとの戸籍に歸るかどうかという點が、今實は非常に問題になつておりまて、この點は現在のところ未解決であります。
#31
○鍛冶委員 私は昨日からたびたびその點を言うのでありますが、今日日本人の一般の常識から考えて、嫁に行つて離婚になれば從前の氏へもとの通り復歸するということは、一般常識上何人も疑わぬ。しかるに法律だけに戻していいか悪いかという疑點が生ずるということが、われわれには合點がいかない。要するに問題は家というのを認めるか認めぬかに歸著するのであります。わたしはくどく言うようですが、一般國民が常識として考えていることに違つた法律を何ゆえにこしらえるのか。そういう場合は當然に戻るのがあたりまえだと思うのですが、それに疑念をもたれるのは私の腑に落ちないところです。要するにそういう家という一つの圍體が事實上社會にあるのですから、それを認められるか認められぬかということになるのでありますが、それを認めてぐあいの悪いという實際の理由を廳かせられたら廳かしてもらいたい。もしここで言われないならば、秘密會でもよろしゆうございます。これはこの問題一つに限りません。昨日から繰返しているものは、すべてこれでありますが、一般國民の常識と違つた考えをもつてこの法律に臨まなければならぬという根本理由を廳かしていただきたいと思います。
#32
○松永委員長 速記を止めてください。
   (速記中止)
#33
○松永委員長 速記を始めてください。
#34
○鍛冶委員 そのまた根本へ遡ると、結婚すれば戸籍を離さなければあらぬという理由がわからない。それだから私は當事者の意思に基くのかどうかということを聽くのです。當事者が親とわかれて家庭生活をやりましようというそれに基いてやるならばよろしいが、實際一つの家におつて、ことにこの節は嫁をもらつたからといつて獨立の生計を保てるものでありませんで、俗に言う親の膝かじりでやらなければならぬ。それを離れさせなければならぬという、その理由から私には合點がいきません。事實上獨立の生活をもち、一家を保つという事實があれば、それはそれに副うてやるのがほんとうだが、そうでなかつたならば、國民生活上一つの家庭としてやつているものを、法律が社會の實情に反して戸籍をわけなければならぬというその理由からが、私は根本の問題だと思う。これに對して現實の日本の實情に副うだけの法律をつくるということがなくちやならぬと思うのですが、その點のお考えはいかがですか。またいかない理由があるならばいかない理由を廳かしてもらいたい。
#35
○奧野政府委員 この案におきまして、家というわくをやめてしまつた關係から、そうなると個人々々、一人一人の戸籍をつくるというふうなことも考えられますが、それはいろいろな關係から實行不可能でありまて、ある團體とある團體でまとめて戸籍をつくることが非常に便利でもあり、また實際にも即するわけでありますので、どの程度で一つの團體として戸籍の單位にするかという問題でありますが、これはやはり家という團體のわくをやめた以上は、一應夫婦、親子ということで、團體として戸籍の單位にするのが一番穏當であるし、實際にも適するという考えから、婚姻すればその夫婦について新しい家をつくり、子供ができればその夫婦間の戸籍の間にそれを入れる。その子供がまた婚姻すると新しく戸籍をつくるというのが一番妥當であり、實生活にも一番即するのではないかという意味で、そういう方針で立案を進めておるのであります。
#36
○鍛冶委員 だんだん議論に花が咲いてくるようですが、今親子と言われたが、日本では生まれた子供だけを親子と言いません。せがれに嫁をもらつたら親子になつたと考えております。しかるに法律は親子にあらずして戸籍を別にしなければならぬものだということになるのですが、そうしますと、一般社會常識とまつたく違つたものになります。親子として一つの家で家庭生活をしておつて、われわれはそうなくちやならぬと思うのですが、それではいかぬ、親子としておいてはいかぬ、離れさせなければならぬという、理由があるならば、廳かしていただきたい。
#37
○奧野政府委員 それはもちろん親子であることは疑いないのでありますが、戸籍をどの程度でまとめていくか、數代同じ戸籍に記入することも一つの考えでありますが、それではあまり厖大になつてまいりますので、どの程度で打切るかという問題、またそれかといつて個人々々のばらばらな戸籍をつくることは、いろいろな關係から實行できないという意味で、しからばどの程度でまとめていくかということから考えまして、やはり夫婦と夫婦間の子供という關係で戸籍の單位にするということが一番妥當ではないか。ずつと數代にわたつて一つの戸籍に記入するということは、あまりに大きくなりすぎるという考えから、大體夫婦と子供を單位にするということにいたしたわけでありまして、理論上からどういうふうにやらなければならぬという原則はないと考えるのであります。
#38
○鍛冶委員 昨日からたびたび申しますが、家というものに對する今までの非難は、戸主權があまりに偏重であつたということと、實際の家庭生活をしておる家と觀念しておるものと、戸籍に載つておるものと、違つたものができておる。この二つであつたのでありますが、實際上の家のあることは問題ない。また實際にあてはまつた戸籍のあることに何の弊害もない。その戸主權が悪いからといつて除かれるのもよろしいでしよう。しかし實際に一致しておるものを、戸籍をつくるのにどこに弊害がありましようか。むしろさようなことをしてやれば、國民一般の生活、國民一般の感情と異なる法律ができて、まつたく國民の去就に迷う状態になるし、ひいては昨日申し上げましたごとく、貧家における老後の生活をどうして保持するかという大問題も出てくるのであります。私はどこまでも過去の弊害を除かれることは、ぜひともやつてもらわなければならぬ。實際の生活に即したる家というものを認め、それに一つの籍を設けられるということは必要だと考えます。それから今言われたが、何代でも續くから困ると言われるけれども、それは何代でも續くといつても、事實上五代も六代も生きてはいかない。死ねば當然戸籍からなくなるのでありますから、一つの家庭生活をしておる以上は、祖父がおろうが、曽祖父がおろうが結構なことです。わが日本としては、まことに喜ぶべきことであつて、めでたい家としての標本になつております。しかるに法律ではそういうものは困るのだと言われる。國民はめでたい家だといつて喜んでおるのに、法律では困るという、それはどこから出てくるか。何としても私は理論に合わぬと思う。それとも合うならば合うだけの理論を聽かしてもらいたい。合わぬならば、何とかくふうしてもらいたい。またいかぬならばいかぬという理由を率直に聽かしてもらいたい。もしここで聽かされぬならば、別の機會でもよろしいから、ぜひその點を明確にしてもらいたい。
#39
○奧野政府委員 結局戸籍ということは、現實の家あるいは家庭生活ということとは全然別の考えで、ただ各人の身分あるいは續柄を登録するという制度でありますので、實際生活とどうしても合わさなければならないものではない。むしろその身分關係さえ明かになれば、一人々々の戸籍をつくつてもいいのではないか。ただ一人々々、一枚一枚の戸籍をつくることになると、同じことを父母のところ、兄弟のところへも書かなければならないというふうなことになり、子供のところにもその父母のことを書かなければならないということのために、相互の連絡を缺くことが非常にわずらわしく、また紙の關係等もありまして、事實上實行ができない。しからばどの範圍のものを一まとめにして登録するかというと、これは技術的な問題として、實際の家庭生活、あるいは親族共同生活ということはむしろ離れて考え得る戸籍の取扱いの問題ではないかというふうに考えるので、現實の家とどうしても合わさなければならないものという考えから離れて、純技術的に立案を進めていくという考えから、どの程度にまとめたものが一番ほどよいものであるかというふうな考えから、大體今申し上げましたように、子供が離婚すれば新しくし、その子供ができればそれはその中につけておくが、また子供が婚姻をすれば大體獨立するというふうな現實――現實と必ずしも一致する必要はありませんが、この程度のものが一番適當ではなかろうかというふうな考えから、現實の家庭生活を無視するとか、あるいはそれを否定する、あるいはそれに合わせなければならないというふうな考えとは、また別の方向から考えておるわけであります。
#40
○鍛冶委員 これ以上言うことはむりかしれませんが、局長の今の御答辯は、われわれ腑に落ちません。また局長自身もそう考えておらぬと思います。戸籍は單に國民の身分をしるすだけでありましようか、日本國民はさようなことは考えておりません。昨日もそこにおいでになる榊原委員から、私個人としての質問をされたのでありますが、戰災孤兒で親がわからず、どこから來たかも知らぬのがおつて、どうにも戸籍のつけようがない。こういう子供は、親がおらぬとすれば捨て子ていうことになるのだが、親を何とかして見つけて、一つのものをつくつてやる方法はないかということを質問せられて、國民感情として、私はまことに當然のことだと思つたのであります。日本國民は、一人々々どこから出てきたか知らぬが、何やら一つの戸籍をもつているというのでは満足いたしません。私の父母とどうしても一しよの戸籍においてくれぬかといつて抗議を申込んで來ます。さようなことでいいと思つておつてはたいへんなことです。これもそれ以上は議論になりますからやめますが、まつたくあなたは本氣でそういうことを考えておられるのではなかろうと思う。してみれば、われわれはどこまでも國民感情と一致したものをつくりたいと思う。それでなければ、法律の價値はありません。この點とくと御考慮わ願いたいと考えます。次にいろいろありますが、婿養子縁組をやめられたのはどういうわけでありますか。
#41
○奧野政府委員 婿養子縁組は、從來やはりあと繼ぎをもらうという意味で、しかもそれは男にあとを繼がすというような意味で妹の婿養子縁組ということをいたしたのでありますが、やはり今までの家というものをやめました關係上、家名を繼ぐとか、あるいはその家の後日を繼ぐとかいう考えから出てまいります婿養子縁組をやめまして、その代りやはり同じようなことをやりたいと思えば、養子にしておいて、同時に娘と婚姻させれば、それで同じことになるわけでありまかすから、特に婿養子縁組というふうな一つのものを認める必要がない。要するに養子と婚姻を同時にすれば同じ目的を達し得るという考えから、婿養子縁組になる特別な制度をなくしたわけであります。
#42
○鍛冶委員 男の子を養子にもらつて自分の家の娘と結婚させるということは差支えないのでありましようが、それを名づけて婿養子縁組と言つているのです。それを名前だけをやめなければならぬということは、はなはだ腑におちぬのですが、實際社會で婿養子縁組というものはなくなると思つておいでしようか。おれの家に婿をもらうのだ、婿が來たのだ、婿養子縁組をしたのだということは、これからも私はあると思う。あつたらそれは不法なものでしようか。またあればそれを認めることがなぜ悪いか。この點に對する御所見を伺いたいと思います。
#43
○奧野政府委員 養子をして同時に自分の娘と結婚さすといいうことは、今後といえども適法であり、またそういうこともあり得ると思います。ただ今までの婿養子縁組とは多違少うのでありますが、それを婿養子縁組と事實上今後も言われるかと思います。しかし法律上養子と同時に自分の娘と婚姻さすという制度は、特に養子縁組という別個の制度として認めるのをやめて、そういう方法によつて事上實今後もそういうことがあり得ることを考えます。
#44
○鍛冶委員 どうも腑に落ちません。一般国民は舊來の婿養子縁組ということをやつている。そして婿養子縁組と稱する。しかるに法律だけはそういう名前を使つていかぬと言われる。實質上もそれをやつていかぬというなら大分話がわかりますが、おそらくそうではなかろう。何ゆえに一般がそう言つているのに、法律はそういう名前をつけていかぬと言われるが、これが私はわからぬ。また國民全體もわからぬと思う。あつてはそこに弊害がある。殘しておいてはいかぬという法律上の何か根據がありますか。その點明確にしてもらいたいと思います。今の御説明で腑に落ちません。
#45
○奧野政府委員 現在の婿養子縁組制度は、縁組と婚姻というものを法律上不可分のものとして、一方が離婚あるいは取消というふうになれば、他方にも當然影響があるのでありますが、そういう制度はやめて、縁組と婚姻を別個はなものとして、もしそういう意味で自分の娘と婚姻、養子をせしめたいという場合には、二つの手續をとることによつて、その目的を達することができるのであります。現在のように、縁組と婚姻とを不可分なものにして、一方が取消もしくは離婚ということになれば、他方に當然影響するというような制度をやめたわけであります。
#46
○鍛冶委員 それならば今の場合だつて、兩方區分すれは區分できることになつておるのでありますが、それじや名前をおいてそういう弊害だけをやめられたらどうですか。弊害あるがゆえに、現實社會にある制度を法律上抹殺せなければならぬという理由は、どうしても考えられない。弊害があれば弊害をおやめになるのは一向差支えない。これは先ほど申し上げた家の問題と同じわけでありまして、戸主權に弊害ありと言えば、その弊害はやめてよろしい。養子縁組に弊害があれば、その弊害を改めるということは適當だと思う。養子縁組の效力がなくなつても、婚姻の效力は續くと改正することもわけのないことだと思います。そこにももつと深い思想の根據、もしくは理由がなくては、それは出てこぬと思います。何かそのほかにございませんか。もう一遍御説明願いたい。
#47
○奧野政府委員 そういうふうに養子縁組と婚姻とを別々にするということになりますれば、特に婿養子をなくすることができるという規定をおくということは實益がないわけで、それは婿養子婚姻ができるのでありますから、特にそういうふうな不可分的なものを認めなければ、特に婿養子という名前を用うる必要もないというふうに考えて、婿養子という名前をやめたわけであります。
#48
○鍛冶委員 どうも論議がからまわりしていつも同じことでありますが、法律家はそういうことを言うと納得するかもしれませんが、一般世間では納得しません。おれの家に婿をもらうのだ。おれの家に婿養子をもらうのだと言つておりますが、それは法律上實益がないからやめたと言つても、現實にやるのだ。なぜ法律家はそういうことを言うだろうかと、一般世間は質問します。實益のあるなしの問題ではありません。われわれの言うのは、現實社會に行われていることを法律が抹殺しなければならないという理由がどこにあるか。理由がないならば現實に沿つた法律をつくることがほんとうではありませんか。これはすべてこれに限りません。實益がないと言うが、國民全體から言わせれば、これほど大なる利害關係のあるものはありません。實際の國民生活と一致する法律ということの建前から、みんなきのうからの私の質問はそれに集中しておりますが、その實際の生活に反する法律をつくらなければならないという理由を、私は明確にあるならば承りたい。ないならば御考慮願いたい。こういうのであります。
#49
○奧野政府委員 その縁組と婚姻と不可分でないものと改めますならば、そうすると現在の縁組、婚姻の兩方を認めておるだけで十分で、特に婿養子縁組という言葉――これは事實上みなそういう言葉を使つても、もちろん俗稱として、實際の呼名として、そういうことを認めていくことは結構と思いますけれども、法律上不可分のものとしない以上は、特にそういう言葉を使つた規定を設けるといつても、ちよつと設けようがむしろないのではないかというふうに感じます。
#50
○鍛冶委員 どうも循環論法になりますが、婿養子縁組というものは、法律ができて日本に婿養子縁組という言葉ができたとお考えですか。これはははこれは昔から婿養子縁組があつたのです。それを法律語にとつただけです。しかるに今日なお社會に婿養子縁組というものが、あるのに、法律だけこれをとるということになつたら、婿養子縁組というものはやめになるのではないかと國民全體が考える。實益のあるなしとか、なんとかいう問題ではありません實際社會にあつたものを法律が認めておつた。しかして今日も社會にある。あるのに法律だけがこれを削るというのはどういうわけだ。あなた方の言われるのは逆論法です。法律が婿養子縁組というものをつくつて、それにならつて社會が婿養子縁組をつくつたならば、やめろというたらこれをやめましよう。そうではありません。社會にあつたことを法律が取入れた。しかるになお社會に殘つておる。これわ法律がやめると、實際の國民生活と反したる法律ができてくる。國民は去就に迷います。その説明では絶對に私が満足できないだけでなく、国民全體が満足できません。もつと明確なる理由があれば別であります。それでもなお議論されるならば伺います。
#51
○奧野政府委員 世間の言ういわゆる婿養子縁組というものは、今後といえどもできるのでありまして、これは養子、それから婚姻をやればよいわけいであつて、ただ今後はそれが不可分の關係とか、いわゆる養子を離縁になれば婚姻が崩れていく、婚姻をどうするかという不可分の問題にからますという制度をやめただけで、そういう制度は、今まで婿養子縁組と言つておつたので、そういう意味の法律上の縁組と婚姻と不可分な關係のものをやめたわけで、從つて法律上の婿養子縁組というものがなくなつたので、法律からその文字もやめたのであります。ただ婿をもらつて自分の娘と婚姻をせしむるという、世間のいわゆる婿養子縁組、これは今後といえども否定するものではないのであつて、事實上そういう關係は今後もどんどん行われることと考えておる。ただ法律上の婿養子縁組は、法律上そういう言葉を使わなくても事実上は行い得るし、また行われることと考えておるのであります。
#52
○鍛冶委員 不可分關係をやめるとおつしやることは、それは弊害があるならば、おやめになつてよろしい。それはほかの方法があります。すぐできることなんです。養子縁組が離縁になつても、夫婦の關係に變りはないと書いておけばよい。それでよいじやありませんか。しかるに實際社會にある婚養子縁組というものまで抹殺しなければならぬという理由は、繰返してはいかぬが、どれほど言うてもこれは腑に落ちないと思います。これ以上議論はやめますが、とくと御考慮願います。私どもの言うのはこれだけではありません。くどいようですが、事實社會とあわぬ法律をむりにつくらなければならぬという理由がわからない。實社會にあるものでも、悪いものならばこれはやめなければならぬが、悪くないならば、それに副つてやらなければ、國民は去就に迷うではありませんか。その代り弊害があるところは弊害を除去する。一般に適用せられる大原則から、すべて私は言つておるのであります。次に承りたいのは、結婚の效力を届出にもつていかれた、その法律上の根據を伺いたい。
#53
○奧野政府委員 これは大體現行法通りを踏襲したわけでありまして、あるいは事實婚を認めるべきだという議論も相當あるのでありまして、結婚式をあげれば、それで夫婦として法律上認めるべきではないかという議論が昔からあつて、法制審議會等においても、非常に研究をいたしたのでありますが、いろいろ考えました結果、事實婚の事柄についてはさらに研究をいたすこととたしまして、この段階におきましては、やはり從來通り届出主義によつてやる。従来法律上の届出をやらないために、法律上は夫婦でなくて事實上夫婦であるという事實と法律が食い違つておる場合が相當あつた。その多くの原因は、たとえば一人息子であるがために發嫡の手續ができぬから届出ができないとか、あるいは父母の同意がなければ届出ができないから、法律上夫婦でない。あるいは戸主の同意が必要でありましたものが、今度は戸主あるいは父母の同意は大體において不必要になり、また法定推定家督相續というものがなくなりましたので、そういう意味で届出の支障となるようなものが全部除かれましたので、やはり婚姻は自由になし得る。やらないのはむしろ當事者の怠慢ということになります。殊に婚姻の關係は、これを明確にする必要があるので、届出という形式を備えたときに始めて法律として認める。各國の立法例もそういうふうになつておりますので、今後は事實婚をなるべくなくして、法律思想がだんだん向上してまいりますと、婚姻はどうしても届出なければならないという一般の法律思想、あるいは常識になつてまいろうかと考えまして、届出なる夫婦關係を認めて、その法律規定を設けるよりも、むしろすべて届出を勵行してもらうという方の考えから、從來通り届出主義を今囘はとつたのでありまして、事實婚の問題は、さらに研究の餘地ある問題かと考えておりますが、一應は從來通り届出主義をとつたわけであります。きまりきつたようなことを前提として聽いたのでありますが、そこでは問題は、届出があればこれは問題はありません。それこそ内外ともに認むる夫婦でありますが、事實上において夫婦の生活をしておつても、届出がなかつたら、法律上夫婦と認めないのでありましようか。それとも何らか認定をもつて認めるお考えでありましようか。お伺いいたします。
#54
○奧野政府委員 それは法律上夫婦とは認め得ない。やはり内縁關係というふうになりますので、内縁關係として婚姻上不履行があれば、損害賠償の問題が起りますが、夫婦としての法律關係はないと考えております。ただ郵便年金法であるとか、勞働者災害扶助法であるとかいうような、ほかの社會立法におきまして、夫婦でなくても事實上婚姻關係のある場合に、扶助料とか年金とかの受取りの請求權を認めているほかの立法例はありますが、民法におきましては、これは夫婦とは認めないという建前で、この法案を出したわけであります。
#55
○鍛冶委員 また同様の意見になりますが、世間では夫婦と認めているのに、法律では國民一般の常識と違つて、これを夫婦と認めないことは、それはいい法律でありましようが。國民生活の實情に合う法律をつくることに努力しなければならぬと思いますが、これに對して努力し、何か考えるというお考えはありませんでしようか。
#56
○奧野政府委員 むしろわれわれの考えといたしましては、そういう届出をしない状態を認めて、それをもとにして法律をつくるよりも、そういう状態を早くやめて、正式に婚姻届出をしてもらう、これによつて法律上の婚姻の中にはいつてもらうことの方を望んでおるわけでありまして、むしろそういう状態を法律状態に移してもらうことを希望しておるわけであります。
#57
○鍛冶委員 希望は私らももちろんそうですが、理想とか希望とか實際社會はそういかぬのであります。それから先ほど局長さんのお話で、届出の遅れるのは親の同意だとか、推定家督相續人の發除とか言いますが、そうぢやありません。實社會は結婚したときと届出との間に距離があるために、その間にいろいろの障害が生じて、俗にいういやになつてくるのです。これが一番多い。この民法の解釋がそうなるから、それがなくなると思われたらたいへんなことになる。われわれもどこまでも結婚した以上は届出をするのがほんとうだというわけで、届出をもつと簡單にすればいいが、今日は九州の者と北海道の者と結婚することもたくさんある。しかも九州なら九州で北海道の者をもらうならいいが、東京にいて北海道の者と結婚することがたくさんある。それをただちにやれと言われても、今の制度では容易にできません。これに對してわれわれはとにかく理想とか希望とかで法律をつくつてはいかぬ。どこまでも國民の實社會に合う法律をつくることを考えてまして、この點に特にお考えを願いたいと考えますが、認める。地はありませんでしようか。
#58
○奧野政府委員 内縁の關係につきましては、いずれ根本的な再檢討の際に、さらに研究したいと考えますが、大體今までの内縁關係で、届出がない場合の原因を調べてみますと、先ほど申しました法律上の障害のために届出ができないというのが約半分でありまして、その他の半分は何氣なく怠つているというふうな状態ではないかと思います。そういうものにつきましては、できるだけ民法の啓蒙運動等によりまして、そういう弊害を少くいたしたいと考えているのであります。ただ先ほど御指摘のように、いやになつたから届出に應じないという場合は、婚姻の常識がないわけでありまして、これらの點につきましては、別に損害賠償、あるいはその他の點について、救濟の途を考えねばならないのではないかと考えておりますが、とにかく内縁關係につきましては、これは昔からいろいろな問題があつて、非常にむずかしい問題でありますので、民法の再檢討の際に、さらに根本的に研究をいたす考えであります。
#59
○鍛冶委員 今のご指摘の統計は、訴訟上現れたものでありましようか。それとも一般社會の統計でありましようか。
#60
○奧野政府委員 これは訴訟上の統計ではありません。これは全國ではありませんが、ある大學の關係で、ある區域について調査をした結果であります。
#61
○鍛冶委員 こんなことで議論していてもしようがないが、實社會をごらんなさい。殊に近頃は人事訴訟ができてきたから、これを調べたら相當殖えておると思いますが、いわゆる裁判所にもつてこない結婚のごたごたというのがそれなんです。いやになつたとか、水をさしたとかいうことがあるので、先ほど損害賠償とか言われたが、そんな問題ではありません。一番問題は、子供のできる問題なのです。そんな金の話や理屈では解決できない問題が起つております。結婚の意思がなくなつたと言われれば、初めは結婚の意思はあつたからやつた、途中でなくなつた、それで捨てられた女こそはとんだ迷惑です。これはとくとお考えを願わなければならぬと思います。後日とおつしやるが、われわれは多年これを主張し、研究しておつたところで、今ここで改正せられるのに、なおこの大問題をあとへ殘すということは、まことに遺憾千萬だと思います。その點はそのくらいにして、なお他の方面で伺いますが、届出をするということになると、憲法でいうところの兩性の意思のみによつて成立するということに相反しないでしようか。この點どうお考えでありますか。
#62
○奧野政府委員 これは反しないという考えであります。すなわち届出――これは外國の例等にもこういう例があるわけでありますが、たとえば戸籍吏というような者の面前に二人とも來て、婚姻の意思があるということを表明してもらうというふうなことが、一番いいのでありましようが、それではやはりわが國の實際の實情からいいまして、一々そこに出て、お互いにその結婚の意思あることを表明するというのも、實情に副わないと考えまして、書面という形式による意思の表現ということでいいのではないか。すなわち兩性の合意のみというのが、書面あるいは届出という形式による意思の表明、ただ意思表示の形式にすぎないので、憲法の趣旨は、萬人の意思がそこに干渉が加わる同意というようなことではいけないが、當事者が自由に表現する合意、それが書面であろうと、口頭であろうといろいろやり方もありましようが、從來通り書面の形式――口頭の形式では明確ということが缺けますので、書面の形式による合意のみによつて成立するというふうに考えまして、これは憲法の二十四條とは抵觸しないという考えであります。
#63
○鍛冶委員 それは合意の方法は、形式をやればやつたことになりましよう。合意はどこまでも當事者の契約なんですから、書面でやるということもどうかと思うが、書面でやるのだとおつしやればそれもよろしいが、書面で取り交わされたらそれでよいのでありましようか。それをどこそこへ持つて行かなければならぬというのはどういうわけでしようか。書面で取り交わしたときに合意が成立しているものといわなければならぬ。その上届出をせなければならぬ、どこかへこれを表示せなければならぬという法律上の根據はないように思います。
#64
○奧野政府委員 それは牧師の前とか、あるいは戸籍吏員の前でお互いに取り交わすというようなこともよいかと思いますが、わが國の國情から見まして、書面による取り交わし、殊にそれは明確を必要とするので、何らかそういう機關の面前、あるいは機關にそれを届け出るという、それだけの形式を履んだ合意ということが、法律の明確さという點から見まして、そういう手段はどうしてもとらなければならぬので、ただお互いに道で婚姻しようという約束をした、あるいは手紙でそういう取り交わしをしたというて、法律上婚姻の效力を認めるということは、明確を期する法律上からいきましていかがと思いまして、各國の立法例等も勘案いたしまして、從來通りの形式を履むことが、やはり適當ではないかというふうに考えたのであります。
#65
○鍛冶委員 合意によつて成立するということは、法律上でいえば意思表示の合致ということです。それてで成立するのではないか。意思の表示は、書面による形式主義をとるのはよろしいが、書面に判を捺せばよろしいのであります。もう一つ承りたいのは、これもまたもとに戻りますが、實際の社會においてそういうことをやつておりますか。書面でなければいかぬということで、それじやここで一筆書いてくれといつてやつてはいけません。意思の合致はそのほかにあります。戸籍上の届出は、意思の合致と全然離れております。私は何ゆえに一般世間で行われているそのことをもつて、效力の發生要件とせられないのか、これをお聽きしたい。どこまでも意思表示の合致ですから、どこへ持つて行く必要はない。合致したときに契約すれば、これは法律上問題はないと思います。
#66
○奧野政府委員 これは事實を認める方式からいきますれば、三三九度やつたときに意思の合致があつたということで婚姻と認めることもできましよう。しかし届出主義をとつた法律婚といいますか、形式婚からみますと、届出という形式による合意、そういう形式を履んだ意思表示を必要とするというふうに考えて、從來通りにいたしたいのでありまして、そういう意味で、そういう形式を履んだ合意ということを法律できめることは、必ずしも憲法に抵觸しないという考えから、こういう建前をとつたわけであります。
#67
○松永委員長 午後一時半まで休憩いたします。
    午後零時三十一分休憩
    ―――――――――――――
    午後二時二十分開議
#68
○松永委員長 會議を開きます。これより最高裁判所裁判官國民審査法案の起草に關する小委員長の報告があります。小委員長代理吉田安君。
#69
○吉田(安)委員 それでは私から最高裁判所裁判官國民審査法案起草に關する報告をいたします。日本國憲法は國民主權に立脚し、公務員の任免權が本來國民に属することを宣言しているのであります。殊に最高裁判所の裁判官は、國民に代つて最高の司法權を掌るものであり、その任命は内閣の權限に屬せしめているが、これを内閣にのみ委せることは、重要なその職務の公正を保障することがむつかしいので、憲法は國民が直接公務員の任免に参加することのできる國民審査の制度を設け、憲法第七十九條第二項及び第三項に「最高裁判所の裁判官の任命は、その任命後初めて行はれる衆議院議員總選擧の際國民の審議に付し、その後十年を經過した後初めて行はれる衆議院議員總選擧の際更に審査に付し、その後も同様とする。前項の場合において、投票者の多數が裁判官の罷免を可とするときは、その裁判官は罷免をされる。」と規定し、さらに同條第四項において、「審査に關する事項は、法律でこれを定める。」と規定している。この憲法の規定に基いて最高裁判所の裁判官の國民審査に關する制度を、重要な憲法附屬法令中の一つとして定めようとするのが、本法案起草の趣旨でございまして、この趣旨に鑑み、議員提出とすることとなり、七月三十一日本委員會において、われわれは本案の起草小委員を命ぜられましたので、本院法制部職員にその事務を擔當せしめ、なお政府委員をも交え、數囘にわたつて小委員會を開き、慎重檢討を重ねてまいりましたが、九月十六日の小委員會において成案を得るに至りましたので、以下簡單に本案の内容について御説明いたします。
 まず第一に題名を最高裁判所裁判官國民審査法といたしました。いささか長きにすぎるきらいはありますが、題名によつて法律の内容を判然とさせたいと考えたからであります。
 次に本法の内容を大別いたしまして、一〇則。二投票及び開票。三審査分及び審査會。四審査の結果。五訴訟。六再審査。七罰則。八補則の八章にわかちましたので、各章別にその概略を御説明いたします。
 第一〇則。日本國憲法第七十九條におきまして、最高裁判所の裁判官の任命については、國民審査を行う趣旨の規定が設けられ、さらに審査に關する事項は法律でこれを定める旨規定してありますので、まずこの憲法の規定を承けまして、國民審査に關する事項を本法により定める趣旨を第一條において宣言いたし、以下數箇條におきまして、その手續、效果等に關する。則的規定を設けたのでありますが、憲法は審査は衆議院議員總選擧の際にこれを行う旨規定しております關係上、審査の手續は、大體兩院議員選擧の手續と同様にし、かつそれと同時に行うことを本法においてさらに具體化して規定しました。ただ審査は選擧とは別個のものであり、かつ内閣からも独立して獨立して行わるべきものであろうと考えますので、特に審査に關する事務の管理監督機關として、最高裁判所裁判官國民審査管理委員會を設けることにしました。この委員會の委員は、参議院においてその議員の中から選擧することにしましたが、これは審査の行われる際には、衆議院は解散になつており、他に國民代表として適當なものがありませんので、特に参議院の中から選ぶことといたしたのであります。
 第二投票及び開票。審査は選擧の投票と同時に投票によつて行うことになるのでありますから、原則として選擧の事務擔當者及び立會人等は、審査の事務擔當者及び立會人となるものとし、その他投票、開票の日時、場所、投票の效力、審査に關する書類の作製等についても、大體選擧の場合に準じまして規定しました。ただ投票の方式としましては、自書主義によるべきか、記號式によるべきかについて、相當問題はあるのでございますが、結局國民の信任を問うためには、審査人に裁判官全員の氏名を知らせる必要のあること、及びなるべく簡易な方法で投票し得るようにすべきであると考えまして、記號式を採用することにいたしました。しかしながら、審査人がすべての裁判官について十分なる認識を有するとは言えず、從つて罷免を可とする場合は別としまして、罷免を可としないという意思表示を求めることは、いささか無理を強いることにもなりますので、單に罷免を可とする場合のみ、その裁判官についての記號を付することとし、何らかの記載をしないものは罷免を可としないものと認めることにいたしました。次に無投票選擧の場合でありますが、これも選擧であることに變りはありませんので、やはりこの場合にも審査を行わなければならぬということを、明文で規定いたしました。
 第三審査分會及び審査會。各投票所において投票の點檢を終えた後、その中間集計をいたしますために、都道府縣ごとに審査分會を設け、審査分會において調査した結果を中央の審査會において集計して、審査の結果を出すことにいたしました。そして各裁判官につきまして罷免を可とする投票者の數が、罷免を可としない投票者の數より多いときは、その裁判官は罷免を可とされたものといたしましたが、これを一貫することといたしますと、無投票選擧の場合、または審査無效の判決が確定したため再審査を行う場合におきましては、裁判官の罷免を可とする者の投票が多數を占めることが豫想され、きわめて少數の者の投票によつて最高裁判所の裁判官が罷免されるという不都合な結果を生ずるおそれがありますので、罷免を可とする投票數が前審査權者の百五十分の一、約三十萬に達しなければ罷免を可とされたものとはならぬことにいたしました。
 第四、審査の結果。審査によりまして罷免を可とされた裁判官または審査人は、後に説明いたしますごとく、審査または罷免の效力に對し不服の訴を起し得ることといたしましたが、訴訟期間三十日中、またはその訴訟における裁判の確定前には罷免の效力も未確定の状態にあると言えますので、その間は罷免の效力を生じないものといたしました。さらにまた、國民の多數によつて罷免を可とされた裁判官が、その後ただちに最高裁判官として任命され得ることといたしますと、審査に現われた國民の意思にも反する結果となりますので、一旦審査により罷免された裁判官は、その後五年間は最高裁判所の裁判官として任命されることができないことといたしました。
 第五、訴訟。審査は投票によつて行われますので、その手續が違法であるとか、あるいはまた投票の效力が無效であるとかいつた場合には、選擧の場合と同じく審査または罷免の無效の問題を生じますので、選擧の場合と同様の救濟の途を講じたのであります。
 第六、再審査。審査または罷免の無效の訴訟によりまして、審査の全部または一部が無效となりますと、當該審査の全部または一部は、初めより行われなかつたと同一の結果となりますので、この場合には憲法の要請により、さらに審査を行わなければなりません。これに對處いたしますために、再審査の規定を設けたのでありますが、ある訴訟において審査の一部が無効となりましても、さらに他の訴訟において當該審査の全部が無効とならぬとも限りませんので、出訴期間中または訴訟の係屬中再審査を行うことも禁止し、すべての訴訟の結果をまつことといたしたのであります。第七、罰則。審査は投票によつてこれを行います關係上、選擧におけると同様、これに伴い種々の不正行為が行われることが豫想されます。すなわち投票を買収し、投票の自由を妨害し、または虚偽の事實を公にする等であります。そこでこれらの行為は、選擧におけると同様に、虚罰することといたしましたが、審査におきましては、裁判官との特殊の關係のあることを利用して投票を買収するということが特に豫想されますので、この點明文で特に明らかにいたしました。第八、補則。最後に補則といたしまして、審査に關する事務の擔當者の失職、審査の旅行費用、審査公報の發行等に關しまして、選擧の場合と大體同様の規定を設けました。以上簡單でありますが、小委員會における起草の報告及び本法案についての説明を終ることといたします。
#70
○松永委員長 この際暫時休憩いたします。
    午後二時三十二分休憩
     ――――◇―――――
    午後三時二十二分開議
#71
○松永委員長 再開いたします。本日はこれにて散會いたいします。明日は午前十時より開會いたします。
   午後三時二十三分散會
ソース: 国立国会図書館
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