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1947/09/19 第1回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第34号
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1947/09/19 第1回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第34号

#1
第001回国会 司法委員会 第34号
昭和二十二年九月十九日(金曜日)
    午前十時五十九分開議
 出席委員
   委員長 松永 義雄君
   理事 鍛冶 良作君
      石井 繁丸君    榊原 千代君
      安田 幹太君    八並 達雄君
      山下 春江君    吉田  安君
      岡井藤志郎君    北浦圭太郎君
      花村 四郎君    大島 多藏君
      小西 寅松君
 出席國務大臣
        司 法 大 臣 鈴木 義男君
 出席政府委員
        司法事務官   奧野 健一君
        司法事務官   國宗  榮君
 委員外の出席者
        專門調査員   村  教三君
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 民法の一部を改正する法律案(内閣提出)(第
 一四號)
    ―――――――――――――
#2
○吉田委員長代理 それでは會議を開きます。
 民法の一部を改正する法律案について審議を進めます。
#3
○花村委員 私は改正民法に關しまする質問を行いまする前に、司法大臣に對しまして緊急質問を若干いたしてみたいと思います。すでに御承知のごとく、最近におきまして司法權に關する重大なる問題として、社會の耳目を聳動した事件に二つがあるのであります。その一つは田中檢事の問題であり、その一は静岡刑務所の問題でございます。そこで田中檢事の問題はさることながら、静岡刑務所の問題こそは、まことにゆゆしき重大問題であると申さなければならぬと思うのであります。おそらく司法省始つて以來末だかつてその例を見ざる重大な事件であると申し上げてよかろうと思うのであります。この問題に對しましては、世をあげて深き關心と強き注意のまなこを見張つておるのでありまするが、これらの問題に對して、司法大臣の御所見を伺いたいと思うのであります。
 そこで静岡刑務所の問題でありますが、これはあらゆる觀點から考えて、まことに捨ておきがたき重大なる問題であると存ずるのでございまするが、これはたまたま正面に現れた一部であつて、わが國のすべての刑務所の裏面を見まする場合においては、幾多のこういう問題があるのではないかということを考えざるを得ないのであります。御承知のごとく今日社會不安が非常につのつてまいつたのでございますが、殊に静岡刑務所の問題によつて、一層社會不安に對する國民の不安というものは増大してきたものであると申してよかろうと思うのであります。さなきだに今日とかく公安の方面については手抜かりが多い。御承知のごとく日日の新聞記事の三面記事というものは、まことに戰慄すべき幾多の犯罪記事によつて塗りつぶされておることは御承知の通りであります。われわれ國民が枕を高うして一夜たりとも安心して寝ることのできぬような、まことに不安の状態に置かれておるのでございます。しかしこういう恐るべき幾多の犯罪に對しましても、今日捜査、檢擧等の方面から申しまして、心ずしも當を得ているとは考えられない。しかるにその恐るべき犯人を監視しておりますところの静岡の刑務所において、新聞記事のごとき暴動が起き、また前科何犯という囚人が逃走したというようなことで、非常に世の人は大きな不安をもつてきたのでございます。かくのごとくわが日本再建の途上にありますところのこの重大なる今の時代において、國民にそうした不安をもたしめるのみならず、これを官紀の方面から申しましても、この種の事件は、まつたく官紀紊亂の長本であると申し上げても、あえて過言ではないと思うのであります、今日とかくあれこれと官吏に對する非難があり、また一面においてあらゆる官廳において、官紀が紊亂しているとの聲が高まりつつあるのでございますけれども、静岡刑務所の事件こそは、まつたく今日紊亂の頂點に達したものとてあると斷言しても、あえてはばからぬのであります。かような事件によりまして、神聖であり、またすべての國民が信頼感をもつておりましたところの司法權に對して、懐疑の念を抱かざるを得ないような事態になつてまいりましたことは、まことに私は遺憾にたえないと思うのであります。この問題に對しまして、どういう原因でこの種問題が起き、その經過はどういう經過であり、その責任はそれぞれどういうところへ落著いておるかということを司法大臣にお伺いしておきたいと思うのであります。
#4
○鈴木國務大臣 静岡縣の逃走事件、その前提になつております假釋放事件というものの二つは、容易ならざる事件であると存じましたので、私も行刑局長を帶同いたしまして、親しく現地に臨んで調査をいたし、また檢察當局その他の調査の結果をも徴してまいつたのであります。これを詳しく申し上げますと、長時間を要しますから、他の機會に詳しくまた申し上げることがあろうと存じますから、今日はできるだけ簡略な形でとりまとめてお答えを申し上げたいと思います。
 この問題を考えるにつきまして、静岡に起つた事件の具對的な處理の問題、それからあの事件を通して現れた近次のわが國行刑制度、刑務行政の缺陷等についていかに對處すべきかということを示唆された問題として、私どもは特に重大な関心を寄せておる次第でありまして、その二つを區別して考えていただきたいと存ずるのであります。まず静岡の事件といたしましては、ある看守が軽率にも深く事實を知らずして、お前はきよう釋放される豫定だというようなことを申したことは、まことに軽率この上もないことであります。そのために池谷某という受刑者は、その日釋放されることを信じ、一同に別れの挨拶をして家に帰る用意をしたわけであります。ところがいつまで待つても一向許される氣配がないので、挨拶を受けた班長と稱せる十四五名の代表者が、なぜ池谷を釋放しないのであるかという質問をした。そのときは應答が適切でありましたならば、ああいう問題にまで展開しなかつたのではないかと存ずるのでありますが、それを漏らした看守と所長との間に連絡がなかつたために、所長はただひたじきにそんなばかなことはないといつて否認いたしました、また事實そういうことはないのであります。十月十七日に釋放すべき内命があつたのでありまするが、これは所長以外だれも知らない機密文書でありまするから、漏らさなかつたのであります。ただひとえにそういうことがないと言つたので、受刑者たちは二枚舌を使うのである、どちらがうそを言つておるのであるということから激昂いたしまして、まずその増井という看守を呼んで質問をすることになつた。増井は言を左右に託したために、ますます激昂をかいまして、先ほど言つたではないか、今はそれを否認するとは何事であるかというようなことから、遂に暴力沙汰に及びまして、増井看守はけがをいたしたのであります。ちようど工場がひけるときでありますために、工場から帰る途中にありました二、三十人の受刑者が、何だ何だということで、これに寄つてきて、だんだん聽いておると、許すはずの池谷を許さないというようなことであると解しまして、けしからぬではないか、釋放すべき命令がきているというのならば、釋放したらいいではないかということで迫りまして、非常にその場の情勢が險惡でありましたために、所長はいろいろ言菓を畫くしてなだめようとしたのでありますが、どうしても收まらない。どういう事態に展開するかもわからぬとして、自分の全責任において腹を切る覺悟で、それでは十月十七日に釋放命令を受けておるのであるが、期日を早めて今日釋放するということを宣言するに至つたというのが實情であります。さらに池谷が、自分が許されるのはありがたいが、今ここで少し穏かならぬ形勢にでたところの受刑者たちが處罰されるのでは氣の毒であるから、自分が許されるとともにどうか處罰をしないようにお願いしたい。それは水に流すと所長が言つたのでありますが、そう言われただけでは安心できぬから、一札書いてもらいたいということになりまして、一札を書いて渡したということに相なつたのであります。この報が一たび傳わりまするや、本省においても容易ならざることと認めまして、山田事務官を派遣し、また各付近の刑務所から十五名の應援看守を派遣いたしまして、受刑者の動揺に備えたわけでありますが、ある意味においては、これがまた受刑者を刺戟したようでありまして、あれほど水に流すと言つたが流すのじやないのだ、ああいうふうにみなやつてきて、これからわれわれを處罰する、それではどうもかなわないから、今のうちに逃げるほかはなかろう、逃げられるなら逃げようじやないかという相談をいたしたらしいのでありましてもつともその前に、水に流すということは刑務所長の専斷である、本省の認めざるところである、ゆえにあの日亂暴した者は、それぞれ取調べをして處罰すべき者は処罰するから、さよう心得ろということを申し渡したのであります。それが非常に受刑者の精神を動揺せしめたのでありまして、どんな重い処罰を受けるかわからぬ、それならば萬一を僥倖してひとつ逃げれるなら逃げようじやないかということになつたようであります。特に夜勤に從事しているのであるから、夜食に供するのであると稱してもちをつかさせまして、そのもちをついた所も私親しく見ましたが、なるほど食庫の奥の方の暗い所でありまして、日中でありましたが、石臼のあることもちよつとあかりを使わなければわからぬようなところであります、從つて音も外部には漏れない、あの状況ではもちをついても聞こえなかつたということは了解されるのであります。とにかくもちをついて、全部は持たなかつたようでありまして、大分殘つておつて、あとで押収されておりますが、そのもちをついた者は、眞に夜勤の特別給食として出すものと思つてついておつたというのでありますが、とにかくそういう準備をして脱送を企てた、こういうことでありまして、そういう場合でありますから、十分逃走等については注意すべきでありましたにもかかわらす、鍵をかけたひきだしに鍵を入れておくべきでありましたが鍵をかけないで入れておいたそのために、鍵を盗まれたというような失態が起きまして、ついに御承知のごとき不詳なる事件が發生いたしたわけであります。なお新聞その他によつて傳えられましたところには、やや針小棒大に、あるいは誇張せられて、あるいは興味をそそるためにややおもしろく脚色をしたというような點もあるのでありますから、それらの點は十分に割引してお考えを願わなければならぬと思うますが、大體ただいま申し上げましたような事實は存在したのであります。これは幾重にも残念なことでありまして、いわゆる綱紀の頽廢。あるいは職員の過失、怠慢等は、これを率直に認めざるを得ないのであります。何ゆえにああいう事件が起つたかということを考えてみますと、そのよつて來るところは遠く深いものがあるように思うのでありまして、第一には刑務職員の質というものが、非常に低下いたしておるのであります。大體が小學校を出ただけの者でありまして、しかも一年未滿の者で、終始入れ替り立ち替り長く續かないのてあります。給與があまりにも乏しいことと相まちまして、好んでその任につくという性質の仕事でないものでありまするから、ぜひそういう仕事にしなければならぬと考えてはおりまするが、靜岡刑務所の實例についてみましても、勤續年數井一箇年以下の者が五十三名のうち三十六名というような状況でありまして、五十三名のうち十三名は晝夜勤務者でありまして、残りの四十名が警備に當るのであります。三十六名が一年に足ざる訓練しか受けておらないという點も、御了承を願わなければならぬのでありまして、質が著しく低下している。從つて受刑者に對する統制力というものが、はなはだ缺如いたしております。殊に終戰後、いわゆる民主主義的な傾向が誤つてこれらの世界にも輸入せられましたる結果、非常に統御力が減退しておるということを、否定することはできないのであります。受刑者の方は長き三年、四年、五年というような長い間はいつておる者であり、同時に累犯者が多いのでありまして、刑務所というものにすこぶるなれておる。でありますから、一年未滿の看守というようなものが、その智力においても小學校を出ただけで、附近の農村からちよつと出てくる。まことみすぼらしい服装を與えられておる。この點なども、どうかもう少し威嚴をもち得るように、官服を警察官竝みに給與せられたいというようなことも、今囘陳情を受けた一つであつたのでありまするが、それでこの受刑者に對しておるのであります。受刑者から見れば、あえて恐るるに足らぬというような感想をもつことも、無理からぬことでありまして、法律の上でいかに職權をもつておりましても、人間と人間との關係におきましては、結局實力がものを言うということに相なるわけでありまして、この統制力を十分に發揮することのできなかつたということが網紀と弛緩せしむるに至つた重大な原因として認めざるを得ないのであります。そこへもつてきまして、御承知のように收容者もまた非常に増加しておるのであります。靜岡の刑務所は戰災に遭いまして大半焼けてしまつた。いまなお焼けたままであるのでありますが、そこに焼け殘つた房舎、かりに建築をいたしましたかり建築の房舎と合わせまして、そこに非常にたくさんの受刑者をいれてあるのでありまするが、私親しく見て歩きましたがーー數字につきましてちよつと今手もとにありませんから、あとでまた別に數字について申し上げることをお許し願います。獨房というところにも三、四人ずついれておりますし、定員八人の房舎にも十一人、十二人というふうにいれておるような次第でありまして、御承知のごとく一人でおればおとなしくしておるが、多数になればいろいろよけいなことも語り合う。殊に多くなるほど群集心理が作用いたしまして、ともすれば不用意なことが起こるということは遺憾ながら否定できないのでありまして、そういう状態で、まことに行刑上困難を來しておることも、これまた認めててやらなければならぬのであります。過剰拘禁の状況は、先日小菅の刑務所も視察いたしましたが、到るところ、どうも否定できない事實であります。これは連合國公安部等からも、やかましく申されておることでありまして、ぜひ行刑を生當になし得る程度に、拘禁の比率を弱めますように、この議會におきましても、御協力を願いたいと存じておるのであります。そこへもつてきまして、民主化の適用ということが、なかなかこれはむずかしいことで、相當の知識階級でも、民主主義をはき違えておるようなことが、多々見受けるのでありますが、自治制度を布くということになりました結果、ある程度の自治制度でありますけれども、それぞれの工場に班長というもののを受刑者の中から選びまして、これは刑務所によりましては選擧させておるそうでありますが、静岡ではさすがに選擧まではさせておらなかつたのであります。大體あれがよかろうということで、任命することになつておつたのでありますが、しかしいきおい任命をするといたしましても、まず刑務所内における先輩ということになりますと、あまり罪名のよくない、刑期の長いものが、むろん模範囚であつて行状はよろしい者から選ぶのでありますが、刑務所の中における模範囚が、必ずしも實社會においても模範人であることは言われないことは、御承知のことと思うのであります。しかしとにかく模範囚と目される者から選ぶのでありますが、こういう人々に權力を與え過ぎた。別に法規の上で與えないのでありますけれども、先ほど申しましたような職員の質的低下と相まつて、自然伸びてしまつたのであります。それでますます統制が困難になつたということを認めざるを得ないのであります。それが從來ならば、なぜ釋放しないかとか、お前は釋放すると言つたではないかというようなことを、受刑者が取締官たる看守に向つて質問するというようなことは許されなかつたことであります。それは穏やかに伺いを立てるということは許されたでありましようか、そういう形をとるに至つたということが、ある意味において民主主義ということをはき違えたのだということを申されても、やむを得ないというような形をとつたわけであります。これらの點は將來のわが國の行政の實際の上において、大いに考えさせられる點でありまして、私も皆様の御協力を得て、ひとつ十分にこれは考え直さなければならない、こう考えてまいつた次第であります。職員の職務上の過失及び怠慢があることは、先ほど申し上げました通りであります。これに對しましては、適當な處置をとることにいたしたいと思います。ただどの程度に過失、怠慢ありやということにつきましては、所長についてはすでに明らかでありまするが、多數の看守について、十分に當時の状況に從つて取調べなければならぬ。そうでありませんと、責任關係が明らかであしませんから、静岡の檢察廳におきましては、望月檢事を主任といたしまして、ただいま熱心に取調べを進めておりますので、その完結をまちまして、嚴正に公正に處斷いたすつもりであります。以上概略申し上げます。
#5
○花村委員 大體全貌はよくわかつたのでありますが、司法大臣の御答辯によりますれば、結局この種問題が起きました原因というものは、主として過剰拘禁、あるいはまた看守の質低下、さらにまた誤まれる民主化といつたような事柄が、その原因と相なつておるように考えられるのでありますが、しかしもう一點重大なことは、むしろこの問題を起します原動力ともなりました點が、何であるかと言えば、まさにこれは綱紀の頽廢である。綱紀の紊亂である、こう申し上げてよいのでありまするが、この方面に對しまする司法大臣の御答辯は何らなかつたのでありまするが、この問題に對して深く調査研究をせられたかどうか、こういう問題に向つて掘り下げて御調査をなすつたかどうか、これをお聽きいたしたいと思うのでありますが、聞くところによれば、この静岡刑務所の裏には大きな下水道が設けられてあるそうでございますが、そこでこの静岡刑務所において囚人がつくりましたもろもろの物件を、この下水道の穴を通して表へもち出してやみで賣つておるというようなことを、ほとんど公然の秘密として行われておる。これは一つの事例にすぎないのでありまするが、この一事をもつてしても、いかに綱紀が紊亂しておるかということは、推して知るべしであろうと思うのでありますが、かようなふしだらなことをいたしまするがゆえに、從つて監督者としての取締りもつかないのである。また囚人が監督者の言うことを聽かぬのみならず、敬意を表するというよりも、むしろ審議の眼をもつて見ておる。かような、不正があらゆる面において行われておりますがゆえに、従つて監督者が被監督者に對するその監督權も正しく行使することもできなければ、また被監督者の方面においても、その監督者の言うことを聽かないというようなことで、そこに何らの威嚴をもつところがないというようなことで、俗語で言えば、要するにこの刑務所の役人というものは、小ばかに扱われておるというようなところから本件が起きたという話を聞いておるのでありますが、これは私は見たわけではありませんから、はつきりは申し上げるわけにはいきませんけれども、しかし今日の官吏等の態度、あるいは社會情勢、世相から推して想像いたしてみまするのに、まあこういうこともあるのではないかという肯定的の判斷をせざるを得ないのでありますが、こういう不正が行われておるというようなことが、要するにこの大きな問題をひき起す原動力となる直接の原因となつたということであるのでありますが、こういう點に對しては、司法大臣はお聽きになつておりませんか、あるいはお調べになりましたかどうか、その點をさらにお尋ねいたしたい。
#6
○鈴木國務大臣 實はその點が主として私も調べたいと存じた點でありまして、すでにあちらに参ります前から、いろいろそういう點について承つておりましたし、またあちらに参りましても、主としてこれは記者諸君から、こういうことがあるということであるがどうかというようにいろいろ教えられるところが多かつたのであります。
    〔吉田委員長代理退席、委員長著席〕
なお、あの在野法曹の諸君にも特にお集まりを願いまして、忌憚なき在野側の御觀察も承りたいということを申し上げまして、承つてまいつたのであります。ただいま御指摘のようなうわさがあるということは否定いたしません。そのほかにも、看守が受刑者の食糧を横取りをして食べるのであるとか、あるいは刑務所内の製品である紙、洋服その他のものを横流しをしておるのであるとか、いろいろなうわさが飛んでおりまして、また、今囘逃走して間もなく捕えられました受刑者の述べるところによりましても、そういうふうなことを信じて、そういうことを申しておる。私の聞いたのでは、たとえば食事を、自分たちの食べるべき飯米を横取りして食べておるのだというようなことを考えておるらしいということを、檢察の方面からも承つたのであります。これは、ただちに刑務職員について私は聽いたのでありますが、むろん嚴格なる取調べは檢察當局に委ねておるのでありますが、さようなことは間違つてもありません。ちやんと勞務加配米というもうが看守にも與えられておる、一日六勺でありますが、自分の家から五勺もつてきて、そうしてこれを合わせて炊いて中食に食べる。しかし炊事をする場所を共通にしておる。燃料を節約するために、また道具なども別にかつて設備をするだけの餘裕がないから、結局受刑者のために炊事をした後に、看守諸君のための炊事を同じ場所でやる。そこで受刑者から見ると、これはわれわれの米を横取しておるのだというふうに誤解をするおそれはある。よろしくないことであるから、炊事をする場所も他の刑務所においては、そういう誤解を避けますために、別にしておるところもあるそうであります。また共通にしておるところも少くないということであります。そういうことはやめなければならぬということは、申してまいつたのでありますが、事實そういうことがあるかないか、下水道のことは實際に製品をそこから流し出すことができるような大きなものでないというような話でありましたが、これは視察を終わりまして引揚げた後に、在野法曹の方からか、新聞記者の方から承つたので、私はさらにその下水道そのものを檢證するという機會をもたなかつたのでありますが、もちろんこれも檢察當局が嚴重に取調べることになつております。ただいま申し上げるようなわけで、そういうことがありますならば、容易ならぬことである。十分嚴正に取調べて、それぞれ處斷をいたすように命じてありますが、しかし中には誤解に基いてーーしかし誤解でもやはり今囘のごとき不祥事の原因になり得ることは疑いないのでありますから、誤解もこれを避けるようにしなければならぬことはもちろんでありまして、それらの點についても、十分に取調べをいたしまして、處罰すべきものは處罰し、やり方として改革すべきものは改革しなければならぬということを考えておる次第であります。
#7
○花村委員 先ほど私が申しました事實については、これはかつて靜岡の檢事局においても、一應強く注意を與えておつたという話を聞いておるのでありますが、これらの關係を總合して考えてみれば、何となくこの事實があつたやにわれわれは考えられるのであります。しかしこういう重大なる問題を、本事案が起きましてから、すでに相當の日子は經つておりまする今日、なおかつ調査をしているというようなお話は、まことにこれは手ぬるいことであると思うのでありますが、とかく役所の仕事というものは、そういう重大なる調査檢討すべきことを放任いたしておき、そうして調査に名をかりて日子を遷延していくというようやり口が常套手段なのですが、まことに私は遺憾に思う。あるならばある、ないならばない、ただちに調査をしてその眞相を明確にし、そうしてそれに對する責任を糾明するというところへ、最も早く進んでいくことが、しかも司法權を握つておりまする司法當局のなすべ處置であると、私は申し上げてよかろうと思う。死のうとしておる病人にカンフル注射をしてすぐ治すのは醫者の役目である。檢察權をもつておりますところの司法當局、これがこういう問題に對してただちにその眞相をとらえて糾明できぬというようなことは、まさに私は職務怠慢であると斷言してもはばからない。かような司法省みずからも怠慢的態度にあるがゆえに、その末端においてこういう問題が起きてくる。檢事が犯罪捜査にあたつて峻酷であるごとく、こういう重大な問題の對して、ただちにもつてメスを揮つて、その病根を芟除ということに向わなければならないのであろうと、こう思うのであります。こういう意味において、司法當局のもう少し急速な事實糾明の精進せられんことを希望いたす次第であります。そこで私が次にお尋ねをいたしたいのは、先ほどから大臣のおつしやられたこと、すなわち行政制度の改革、あるいはこの看守等に對する待遇の改善等、これはごもつともな話であります。けれどもしかし、この問題が起きて初めてこういうことを考えられたのか、おるいはこういうことを知られたのか、その點ははつきりいたさぬのでありますが、過剰拘禁に關しますることも、あるいはまた刑務所の職員の質的低下、こういうことは、今始まつたことではない。靜岡刑務所のみに限られておこるわけではない。おそらく日本全國の刑務所がそうでありましよう。そうあると聞いておるわけであります。これでは司法大臣のただいまの説明されたような事情のもとにおいては、行刑事務の萬全を期し得ないことは、きわめて明瞭であります。おそらく本件は表に現れた一つの事件でありまするが、隱れたる多くのこういう事件がありはせぬかということが、われわれは考えられる。すでに今日の刑務所の陣容をもつてしては、今の時代における行刑事務の完全なる運營どころか、曲りなりにもその事務を遂行していくということのでき得ないことは、これは明瞭であります。こんな明瞭なことを、なぜ司法省が今日まで監督官廳として放つておいたか、むしろ靜岡の事件は靜岡刑務所の責任にあらずして、その本家本元は司法の責任なりとまで斷じても、私は過言ではなかろうと思う。司法大臣の言わるるごとくんば、これは行刑事務が完全にできないことは明瞭なんだ。またこの看守等に對する待遇等からいうて、靜岡の裏の下水道から物を流さなければならぬというようなことも、これは當然であると言えば言い過ぎるかもしれませんけど、これもやはり必要に迫られてやらざるを得ないところへ追いつめておられるとまで、私は申してもいいのではなかろうかと思う。今日おそらくこの刑務所に勤めておる職員ほど待遇の惡いものはないと私は思う。おそらく一番惡のでありましよう。すべての官廳で一番惡いと私は申し上げていいと思う。しかもその責任たるや重い。待遇の惡い割合に重い。しかも危檢のある仕事に携わつておる。この前も新聞で散見いたいしたのでありまするが、囚人に切りつけられた看守さえもある。まことにその職務たるや危檢極まりないものである。しかもその仕事もこういう民主化されてきた世の中においては、なかなかむずかしい。そういう危険な仕事に携つており、しかもその職務の量も多いところのこれら刑務所の職員に對する待遇というものは、きわめて冷淡である。こういうことが第一根本的に間違つておる。あるいは大體警察官竝に引上げておるのであろうと申すかもしれません。あるいはほかの官廳の職員と、ある程度の水平線に引上げられてきておると、こう申すかもしれません。しかしながら、警察官などは餘得をもつておる。またほかの官廳の役人もとかく餘得をもつておる。餘得をもつておらぬのは司法省の役人だけである。でありまするから、裁判官やあるいは司法本廳に勤めておられる人々に對しては、私どもはまことに同情の念禁じ得ざるものがあるのでございますけれども、殊に看守などは、職務が重く、しかも薄給である。なぜこれを改善しないのか。今日までどうして放つておいたのか、今日までこれを知らずしてそのままにしておいたといえば、為政者の責任さらに重大なるものがあると申さなければならぬ。しかしながら、知つておつて、なおかつやこれをやらないとするのでありまするならば、無責任きまわりないと、私は申さなければならぬと思う。なぜこういう問題を解決しないのか。司法省はどうも豫産をとることが下手だということをいわれておるのでありまするが、これは豫算とる下手や上手の技巧の問題じやない日本の司法權の生命にかかわる重大問題であります。もしこういう問題が各刑務所に起りましたらなら、どうでありましよう。日本はこの一角によつて崩れていく。この重大なる問題を今日まで第一放つておくという司法省が惡い。司法省はこれは重大なる責任がある。また司法省ばかりではない。司法大臣が豫産を要求するのに、その要求を容れぬという政府の方も惡い。内閣總理大臣も惡い。そこまで私は責任の追究せんければならぬと思うのでありまするけれども、この問題に對して、今日司法大臣は一體どうお考えになつておりますか。社會黨の内閣であり、しかも社會黨から出ておる司法大臣である。わが國の重大なる司法權運用の問題に關し、この過剰拘禁の問題、あるいは看守低下の問題を、ただちに解決しなければならぬということが明瞭であり、しかも今度の事實によつてりつぱに證明された以上、これに對して一體どういう態度をとられるのか。豫算を十分にとつておやりになり、そうして今日までのこの不合理を是正し、この缺陷を補つていくだけの御自信をもつておられますかどうか。この點をまずお伺いいたしておきたいと思うのであります。
#8
○鈴木國務大臣 前の、調査に名をかりて荏苒彌久するということは、私も在野時代に、どうも官廳のやり方が常になまぬるいし、日を費し過ぎるということを感じておつた一人でありまして、私はぜひひとつそうでなくやりたい、こう考えておるのでありまするが、遺憾ながら本件のごときは、主たる者が逃走しておりまして、警察に協力を求めて、極力逮捕に努力いたしておりますが、なかなか逮捕されない。さいわい一昨日東京にはいつたと目される一人は檢擧しられましたが、これらの者が實は捕えられないと、正確に事情を明かにして責任を糾彈することはできないにでありまして、静岡の檢察當局も非常に努力いたしておるのでありまするが、多少の時間がかかるということについては。この際御了承を得たいと思うのであります。それにもかかわらず、わかることはすべて取急いで取調べを終りまして、十分御期待に副うように明かにいたすつもりであります。第二の御質問でありまする刑務所の状況がかくのごとくであつたというのは、今日に始まつたことではないかろう。お言葉の通りであります。ずつと前から、昔からと申してもよろしいくらいであつたのでありまして、歴代の司法大臣も御怒力にはなうたのでありますが、刑務所の豫算というものは、未だかつて目に見えて増加されたことがないのであります。要求はされるが、いつもまず刑務所などは後囘しということで削られておる次第であります。私は就任日淺いのでありまするが、就任後一番先に當面した問題であり、同時にやらなければならぬと決意したのは、この刑務所の増築と刑務行政の改善ということでありまして、過日参議院には、この方の専門家もおられまして、オーソリテイーでありまする岡部委員、るいは鬼丸委員のごとき、熱心に、すでに一、二箇月前でありまするが、私に御注意と質問がありましたみぎり、大いにやるつもりであるということは、お答えいたしておいたのであります。すでに刑務所の増築の費用として、及び受刑者に對する衣食の費用といたしまして、どうしてもこの際追加豫算を要求しなければならぬということで、追加豫算は御承知のごとく一千五百億に上がる要求があつたのでありまするが、三分の一くらいに削られた。私はこの刑務所費用だけについては斷いじて譲ることはできぬということで、固い決意をもつて豫算會議に對しました結果、さいわいに事務當局が出ました案は二億五千萬圓通過をいたしておる次第であるのでございます。しかしそれはほんの目前の應急処置に備えるだけのためせありまして、本年度におきましては、ぜひただいま申し上げますような刑務所員をもつと高級な人々をとることができまするように待遇を改善する、そして所長になる人も、もつと看守の監督の任に當る高級職員は、ことごとく判檢事と同格の素質をもつており、待遇を受けるものにいたしたいこう考えをもつております。ぜひ豫算の増額を求めるつもりでありますから、閣僚の間に理解なくして反對する者がありまするならば、これは私責任をもつて大いに説得をするつもりであります。どんな犠牲を拂つてもこれだけはやるという決意を實は持つておるわけでありまして、心にかかりまするのは、國會の御協贊であります。ただいま花村委員から私どもの方から、ぜひ申し上げたいようなことを聲を高くし、力を入れて御激くださつたのであります。全國の刑務職員、司法當局も、お言葉を聞きまして感激おく能わざるものがあろうと思う。もとより司法當局も、このお言葉を聞きまして感激おく能わざるものがあろうと思う。もとより司法當局の責任、殊に私就任日淺いとはいいながら、今日までただいま申し上げる程度の追加豫算しか要求できずして、追加豫算でない、いわゆる通常豫算として刑務所改善のために十億も二十億もほ欲しかつたのでありますが、それができなかつたことは、微力まことに恥じ入る次第でありますが、通常豫算においては、ぜひひとつ花村委員の御希望を達することができまするように、この問題は黨派を超越いたしまして、國會の各黨各派一致して、ひとつ強力に御後援くださいますように、こちらからもお願いをいたしておく次第であります。
#9
○花村委員 三億五千萬圓の豫算では、まことに心細いのではありまするが、しかし司法大臣のその燃ゆるがごとき熱意によつてとられたその功績に對しては、深く敬意を表する次第であります。さすがに在野法曹から出た司法大臣であると、われわれも心から敬意を表し、喜ぶ一人でありまするが、しかし三億五千萬圓では、決してこの問題の一部すらも解決できません。これはひとつただいまおつしやられたような固き決意のもとに、大いに今度はおやりになつて、あなたのその腕によつて、今まで解決しなかつたこの問題を解決してもらいたいということを希望いたしておく次第であります。そこでもう一つお尋ねしたいには、先ほど私が申し上げした官紀の頽廢であります。これはおよらく静岡刑務所のみでありますまい。日本全國の刑務所において官紀紊の説があるのではないか、こう考えられるのでありまするが、こういう問題に對いして、司法省はいかなる對策をもつておられまするか。こうい官紀の弛緩をいたしておることが、すべての忌むべき多くの問題を生み出す原因し相なるのであります。でありまするから、まず第一の豫算の方ではとれないから、これの根本的の解決はできぬではありましようけれども、まずとりあえず手取り早くできる官紀肅正の方向に對して、いかなるメスを揮われるか、その方途いかん。こういうことを司法大臣にお尋ねいたしたいと思うのであります。
#10
○鈴木國務大臣 ただいまの御質問は、まことに適切でありまして、そのことに氣づいておつたことであります。静岡の問題というのは、ただ片鱗を示したものにすぎないとわれわれも考えるのであります。世上いろいろなうわさが飛んでおりまして、どうも刑務所が明朗でないということは、まことに遺憾に存ずるのであります。そこでそういうことがありますならば、一方において大いにひとつ待遇改善をはかつて、良き人間をとる。またすでにおりますものも忠實にその職務を執行することができるようにする途を講じますとともに、非違がありますならば假借なくこれを糺彈すべきものと考えるのでありまして、今囘政府は行政監察委員會を組織いたしまして、あらゆる方面を査察いたす豫定でありますが、司法省の中にまた司法省の行政監察委員會を設けた次第であります。朝野各方面の有職者をもつてこの委員會を構成いたしまして、第一に取上げる仕事といたしましては、全國の刑務所を歴訪監察いたしまして、いやしくも道途傳えるごとき非違いがありますならば、假借なくこれを糺彈し、その責任を明らかにする、肅正する、こういう固い決意をもつておる次第であります。これに對しましては、民間諸賢が大いに御協力、御援助くださることをお願いしておきたいのであります。
#11
○花村委員 最後に静岡刑務所で問題を起しましたその責任者に對して、どういう責任をおとりになりましたか、まだもしとつておらぬといたしますならば、どういう責任をおとりになろうとするのであるか、やはりこの大きな事件と睨み合わせて、その責任者の處分をいかになすかということは、これはおそらくは社會の人の大いに關心をもつておりますると同時に、ただいま申しました官紀肅正、なかんずく行刑事務に携わつております方面の職員につきまして、官紀を肅正するという面に大きな刺激を與えるものであり、またそのことが自對が、一つの肅正の原動力と相なることであろうと思うのでありまするが、この點を最後にお尋ねしておきたい。
#12
○鈴木國務大臣 その點につきましても、十分政府として考慮いたしておる次第でありまして、これが單純なる事件でありますならば、即日所長を處斷する、あるいは比較的上級の監督の任にありました者を處斷するということで相済むかと思うのでありますが、非常にこれは原因關係が輻湊しておりますし、責任を問うべき範圍はまだ確定しておりませんが、かなり廣範圍に及ぶ豫定なのであります。また先ほど御指摘のごときこの事件と關係があるといえばあるが、むしろ直接の關係というよりは、刑務行政の上における綱紀肅正のために、何か後ろ暗いことがあるのではないかという方面を探求いたしますれば、これまた容易ならざる努力と時とを要することに相なるのでありまして、徹底的にすべての調査が終わるまでとはあえて申しませんが、ひと通りの調査を遂げました上で、それぞれ警戒に付すべきもの、處斷すべきものを處斷する、こういう考えでおりますからして、そう長い時間をかけないで済むと思います。今しばらくお待ちを願いたいと存じます。必ず嚴正に適當なる責任を明らかにする途を講ずるつもりであります。
#13
○花村委員 ただいまの静岡の刑務所の問題は、あらゆる點からみて、責任者としての司法大臣の立場において善處せられんことを希望いたします。次に民法の第一條の「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」という規定がございますが、これが政府委員の説明にいれば、おそらく民法の指導原理を規定したものであるとこうおつしやられるのでありまうが、それだけに本條はまことに重大でありますので、一言司法大臣にお尋ねをいたしましたいというのであります。これは現行民法の規定とまつたく異なつた規定を設けられておりまするが、「公共ニ福祉ノ為メニ存ス」という意味はどういう意味であるか。これをまず第一にお尋ねいたしたい。
#14
○鈴木國務大臣 私の解するところでは、權利思想というものは時代によつて變遷があると思うのでありまして、權利觀念の變遷を説くことはその場所でないと存じますが、少くも近代におきましては、いずれの國においても私權というものは絶対にその個人の利益に奉仕するだけの目的をもつて存在するものではない。常に社會公共の福祉のためにこれを奉仕する義務を期待しておる。これ權利否認論という学説すらも出てくるゆえんであつて、レオンデユギーのごとく、いわゆる公共の福祉のためにこれを行使する責任が、社会人としてわれわれに存するものである。こういう見地から法律を建直してみよいうという試みすらあるのでありますから、私權はすべて公共の福祉のために存するということは、私權であるから自分の自由に使い得るという従來の絶對自由主義の考え方を抑制して、正當な權利の享有竝びに行使を期待する、こういう意味で規定したものと解釈しております。
#15
○花村委員 この權利の行史についての一項は規定でなくして、むしろこれは私權の性格というか、本質というか、そういう方面に觸れた規定であつて、行史に關する規定は、むしろその第二項に屬するものであろうと、私は解釋するのでありますが、公共の福祉のために私權は使わなければならぬという意味の解釋であると、こうおつしやられるのですか。公共の福祉のために存するというは、公共の福祉のために使わなければいかぬという意味なのであるとおつしやられるのか。そうすると、この權利主體との關係を、どういう意味に御説明になられるのであるか。要するに權利能力です。權利主體との關係、權利主體は個人であるのだが、その行史は社會の福祉のために使わなければいかぬというのであるか、そうするとその自分自身の個人的の利害に關する問題に體しては行史はできぬとおつしやるのであるか、そこをはつきりひおつ御説明願いたい。
#16
○鈴木國務大臣 これは解釋の問題でありますが、私は私權がすべて公共の福祉のために存するという意味は、結局私權の本質、性格を規定したものでありまして、權利は行史するということを前提としてのみ存在の意義をもつておるのでありますから、そこで結局は本質を規定するが、その行使は公共の福祉に適合することを要するということを含むことに相なるのでありまして、一項と二項とは離して考えることのできない規定であると考えるにであります。表現がもし適當でないとすれば、表現を變えることについて私は別に異議はないのでありますが、解釋のしかたはそういうようなものであると思うのであります。
#17
○花村委員 そこでこの條文のこういう構成は、法律の社會化とでも申しますか、ほとんど團體主義的の思想が織りこまれておるのでありますが、これはどこの法律の思想をおくみになられたのか。もつとも日本の現行民法は、ドイツの民法を模倣し、一面フランスの民法もとり入れておるのであります。フランスの民法は、十八世紀ころの個人主義思想をくんでおり、ドイツの民法は、十九世紀における個人主義思想の爛熟せるものをとり入れておるので、わが國の現行民法は、ドイツの民法をとり入れておるのでありますが、二十世紀あたりから、スイスの法律が團體主義的の思想を帯びてきており、またわが國の民法学者も、近來においてこの團體主義思想、法律の社會化の面に向つて相當にすすんであられる学者もあるようでありますが、この第一條はどこの法律をおくみになつたのか、あるいは日本獨自風俗習慣、あるいは歴史等に鑑みて、こういう規定を設けられたとおつしやるのか。それをひとつ伺いたいと思います。
#18
○鈴木國務大臣 その規定は實は現内閣の成立以前において、法制審議會において御決定になつたのでありまして、それを私が私見を述べでとやかく申しましても、あまり權威あるものとは相ならぬと思うのでありまして、その點についてお答えをするに躊躇いたす次第でありますが、どういう思想に基いてこれを規定したのか。少くも私は、支持するつもりであるかという御質問であるといたしますれば、これを支持するのでありまするが、別にどこの國のどういう思想に影響されたというものでなくして、世界を通いじて近代思想は私權の社會化というものを認めておると言わざるを得ないと思うのでありまして、その世界を通じ、この社會思想に基いて、私權の社會化をここに規定したものであろう。たとえば、たしかに今の民法は十八世紀の權利思想を受け、ドイツの古い民法の思想をそのまま受けておるものでありますが、そのドイツですらも、すでにワイマール憲法におきましては、すべて所有權は義務づけらえる、アイゲントウーム・フエルプフリヒトテツト、所有權は同時に義務であり、權利は同時に義務である。こういうような宣言をいたしたとうな次第でありまして、またスイスの民法におきましては、御指摘のごとく、すべて民法の規定は公共の福祉に適合するように解釋されて運用されなければならない。適用されなければならないということを規定をいたしてあるような次第でありまして、それを團當主義的精神だ。そういう御言葉は、少しむずかしいことになつてまいりまするが團體主義という言葉のきめ方でありまするが、社會化ということと社會主義ということとがずれがありまするように、また團體主義ということも非常にニユアンスがあると思うのでありまして、非常な國家主義的な團體主義もありますし、最右翼の團體主義から最左翼の團體主義、すなわち共産主義のようなものでありまして、無政府共産の社會、ゲマインシヤフトというようなものは、ある意味において哲学の理想とする理想形態の社會と相なるわけでありまするが、そういうものに至るまで、皆これは國體主義の思想であると申すことができるわけでありまするから、私は國體主義というような考え方は、この問題を解決する場合においては、適切な表現ではないのではないか、こう考えるのでありまするが、少くとも權利の社會化をさらに規定しておるのである。あまりに今までの日本民法におきましては、權利の私的獨占というような思想が強すぎた。我利々々主義が強すぎた。自分の權利だからいつまで使わんでおいても自由じやないか。おれがおれの金をどう使おうが勝手じやないか。成金が舞妓を裸にしてさつをまいてそれを拾わせた。これを金の使い方が自分の金だから少しも差支えないといつたような考え方が至るところに見え過ぎる。それは權利の本質に反するものであるから、この社會化を明かにしておきたい。これはイギリスでもアメリカでも、もはや社會思潮としては顯著な事實でありまして、私權の社會化というものを認めております。そうでなければ獨占禁止というようなことはとうてい理解し難いものになつてくる。ゆえに世界全體の風潮に鑑みて、わが國の民法におきましても、私權の性格をかくのごとく性格づけておくことが適當ではないか、こういう見地から規定したものと解するのであります。
#19
○花村委員 世界の風潮から推して、まあこういう規定を設けられたのである。社會化の意味を含めた規定を設けられたのであるというお話でありまするが、ドイツのワイマール憲法ばかりでなくて、權利の反面には義務があることは、どこでも主張していることで、物新しい言葉ではございませんが、しかしながら、權利の行政について一定の制限を受けなければならぬ。殊に社會の福祉という方面と睨み合わして制限を受けなければならぬ。これは當然のことでありましよう。當然のことでありまするから、從つて私權の行使に對して、公共の福祉のために行使せられなければならぬという點にいては、われわれは何らの異存はないのであります。そうあるべきは當然であります。しかしながら、少くともこの第一條第一章の權利の本質に對する規定、しかも民法のすべてを律するところの指導原理を規定としては、これはあまり感心した明文ではないと私は思う。もちろんだんだん世の中が進むに從いまして、社會も複雑に相なつてまいりまするがゆえに、從つて公共の福祉に反せざるような私權の行使をいたさなければならぬことは當然でありますが、しかしそれがためには法律が社會化されなければならぬ。あるいは全對主義的のような思想をもつて、全體のためには個人を没却してしまわなければならぬというような考えをもつべきものではないのではないか。どうしても私權を考えます場合においては、その主體というものを私は忘れてはならぬと思う。民法は申すまでもなく個人が中心であり、また權利が中心と相なつてもろもろの規定をが設けられており、そうしてその規定によつて、われわれ国民が日常的において、私權の保護をーー私の保護を受けていくという建前に相なつているのでありますからして、どこまでもやはり民法の法律關係というものは、その中心は個人であり、あるいは個人でなくとも、個人に準ずるところのやはり法律で認められた法人である。こういう私權の主體というものが權利の得喪、變更についてどういう保護を受けるかということを民法で規定すべきものであり、また規定せられている。現民法においては私權の享有は出生の始まると多分あつたと思うのでありますが、やはりこれまた私權というものを權利能力というものと結びつけて規定をいたしておる。社會のために存すというようなことは、私權がいかにも社會のためにのみ使われて、個人とは關係がないとは申しませんけれども、縁故が薄いような意味に解釋せられるおそれがある。むしろ權利の行使につては社會的面を考えなければならぬのでありますが、權利の本質から言えば、やはりわれわれ個人が使つてまいりまするところの權利が保護される。憲法の十一條、十二條によりましても、基本的人権の享受を妨げられない。また國民の權利は憲法によつて保障されるということを、新憲法が明らかに規定しておる。從いまして、私權においても憲法が強く保障しておるという意味において、やはり權利主體というものと結びつけて立法をする場合においては考えなければならず、またそれを考えると同時に、それを明文化していくということは、立法技術の上から言つても當然ではないでしようか。しかるにこの第一條を見ますと、個人というものが忘れられたる感がある。何か團體のために、あるいは然體のためにつかわれるがごとく、著しく社會化されるような權利の本質に副わざる感がいたすのであります。これはどうしても、この第一條はもう少し合理的に修正する必要があろうと思う。また主體ばかりでなく、權利は形式的には法律が權利主體に一定の力を認めたものである。あるいはまた實質的には、おのおのの權利主體に歸屬する社會的の限界をきめたものなのでありますから、こういう權利とその權利をもつておる主體というものとを切離したような規定をここに設けることは、權利の本質に反しますのみならず、また憲法の趣旨に副わないものである。少なくとも一項の明文というものは副わぬものであるとまで極論をしても間違いではなかろうと思うのであります。かような意味から考えまして、辯護士會で修正案をつくつたのでありますが、私權は憲法の保障により個人の奉仕のために存す。これはきわめて率直に私權の本質を現わしたいい文句であると思うのでありますが、あるいはこういう條文からいきますと、個人という面に力がはいり過ぎて、社會の福祉という點が顧みられておらないおそれがあるのではないかという反對論も出ることがあろうと思うのでありますが、權利のから申しますれば、個人と結びつけていい。權利の行使から言うならば、やはり社會公共というものを結びつけてよいのであります。從つてこの權利の行使については、これまた辯護士會の修正案がありますが、權利の行使及び義務の履行は公共の福祉に反せず、かつ信義に從い誠實にこれをなすことを要すという文句を使つてあるのでありますが、これは立法技術の上から見て、きわめて適當な案であると言つてもいいと思うのであります。「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」というような文言は、必ずしも適當であるとは考えないのでありますが、この點に對する司法大臣の御所見はいかがでしようか。
#20
○鈴木國務大臣 お言葉はおおむね妥當でありまして、ただ見解の相違ということになりはせぬかと思うのでありますが、あるいは表現の選擇の問題に歸著すると考えておることは、花村委員のお考えも私の考えも少しも違わないよううに承つております。しかし表現という段階になるとデリケートでありまして、辯護士會の修正案は、あまりに個人の十八世紀式の表現の概念を露骨に出し過ぎると私は解するのであります。私権という言葉は、すでに私人のために存する權利を意味しておるのでありまして、公權とか社會權とかいうものに對してのお言葉でありますが、初めから私人に奉仕する權利たることを認めておる。それがあまりに個人にのみ奉仕するという考えに累せられてはいかぬという考えから、ここに公共の福祉という制約を出しておるのでありますから、辯護士會案のようでありますれば、一種のタウタラジーであつて、同じことを繰返しているにすぎない。私権という言葉の中にそれだけのことは含まれておると考えるのであります。そこで表現の問題は、私はこれでよろしかろうと考えるのであります。また花村委員の言うように、もう少し何とかくふうはないか、こういうことでありますれば、若干のくふうなきにあらずとは思いますが、ただ辯護士會案をそのまま贊誠せよと仰せられますならば、私はにわかに贊意を表しかねることを遺憾に存ずるのであります。
#21
○花村委員 辯護士會案をそのまま採用しろという意味ではありません。これは一つの参考資料として見るに値すべきものであるという意味のことを申し上げたのであります。しかしこの辯護士會案の個人の幸福のために存すというのは、あまりに時代後れの言葉を使つておるとおつしやられるのでありますが、しかしながら、これは民法の第一條の二にも個人という字を用いておる。本法は個人と尊嚴と兩性の本質的平等とを旨としてこれを解釋すべしとあつて、個人という字をはつきり使つておる。また憲法においても、やはり團體的の權利というようなものは、多くは認めてはおらない。全然ないというのではありませんけれども、しかしやはり個人というものを對象としておる。とにもかくにも、團體主義にいたしましても、あるいは社會主義にいたしましても、あるいは社會化というような問題を取り上げるにいたしましても、個人という問題を度外視するわけにはいかぬと思う。やはり自由主義をいうものが、その前提とならなければならない。自由主義が前提になりますならば、やはり個人の權利に目覺めて、そうしてお互いの人格を尊重するというところへ進んでまいるのでありますから、個人というものを度外視しては考えられない。でありますから、この第一條のニに「本法ハ個人ノ尊嚴ト」云々という規定を設けたのは、決して私は怪しむに足らぬと思う。これは當然の規定であると言つてよかろうと思うのでありますから、これらの點から勘案をいたしてみますならば、あえて個人という字を使つたからというて、すべてその權利は個人で獨占をするものなりという前提のもとに、公共の福祉とは無關係に扱われるのであるという結論は、私は當然は出てこないだろうと思うのであります。しかしこれは議論のわかるる所でありますから、あえて追究をいたす次第ではありませんが、この條の明文中では、素直に申しますれば民法の根本的指導原理を規定として、ぴんとこないではないかと、こう考えるのですが、司法大臣の御所見はいかがでしようか。
#22
○鈴木國務大臣 花村委員のただいまのお言葉は、おおむね私は贊成であります。ただ表現のしかたについて何とかくふうがないかと仰せられることに歸著するように解釋する。それならば、ぜひこれでいかなければならぬというあくまで強く考えておるわけではありません。私先ほど申し上げるような趣旨が織りこまれますならば、若干の修正をすることに少しも異議はないのであります。ただここへ私權は個人のために存するということを強く出す必要がないということは、私權というものが、そもそも個人の幸福に奉仕する權利なんで、憲法もあらゆるところで個人の基本的人權を尊重し擁護しておるのでありますから、むしろすぎたるくらいのものであるから、そこでこの私益に奉仕する民法において、必ずこの背後には公共の福祉があるのだぞ、それを忘れてはいかぬぞということを明らかにしておきたいということだけのことでありますから、できるならば、ひとつこの言葉を通していただきたいと思いまうが、しかしその趣旨において花村委員が仰せられるような御趣意がよく通る表現がほかにありますならば、あえてそれに贊成するにやぶさかでないつもりであります。
#23
○松永委員長 午後二時まで休憩いたします。
    午後零時四十五分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時二十分開議
#24
○松永委員長 休憩前に引續きまして會議を開きます。民法の一部を改正する法律案につきまして質疑を進めます。花村四郎君。
#25
○花村委員 改正民法において、婚姻の章におきまして、到るところで婚姻という字が用いられておるのでありますが、この婚姻という用いられている多くの字の中で、これを二通りの意味に見ることができると思うのであります。一つは、婚姻契約の意味、すなわち双方で婚姻をやろうという契約を締結する場合の婚姻關係を、婚姻という字をもつて現わしておるのであります。すなわち七百三十六條、七百四三十八條、七百三十九條、七百四十一條、七百五十條、七百五十四條、七百六十五條、七百六十六條、七百六十八條、ないし七百七十四條、七百七十七條、七百七十八條、及び八百三十六條、この條文における婚姻というのは、いわゆる婚姻契約を意味しておるわけであります。他の意味は、修正的な共同生活を目的とする一男一女の結合關係、すなわち夫婦關係の意味において婚姻という字を用いております。すなわち七百九十二條、七百九十八條、八百二十條、でありまするが、これらの條文に使つておりまする婚姻という文字は、婚姻の契約を意味するものにあらずして、すなわち夫婦關係という事實關係を現わしておるのであります。そこで、改正民法の上において、こういう一つの文字によつて二通りの異議をもたせるというようなことは、どうも立法の建前から考えて當を得たものでなはい、こう思うのであります。でありまするから、婚姻契約の場合と、契約の効力たる夫婦關係自體を現わす場合との、この兩者の關係において、やはり異なつたる文字を使うことがむしろ便宜であり、そうして法文の上でもはつきりしてくるのではないか、こう思うのでありまするが、これを要するに、現行民法においても、あるいはまた改正民法においても、この二通りの異議に婚姻という字を使つておるのでありまするが、これをやはり異なつた文字を使うことが、この民法を改正せられる場合において考えられ、またそれが實現せられることが最も適當と考えるのでありまするが、この點に對する御所見を承りたい。
#26
○奧野政府委員 ごもつともな點でありまして、實はお説のように、婚姻という文字で、婚姻契約を意味する場合と、婚姻の法律關係を意味する場合と二つある。それを婚姻というような言葉で、現行法もそういう用例になつておりますので、この改正案におきましても同様な用法を用いたわけであります。そこで、實は、婚姻という言葉よりも、あるいは結婚というような言葉はどうであろうかというふうにも考えたのでありますが、結婚ということになると、なおさら契約だけのことを意味し、その後の婚姻關係を結婚と言うのもいかがと思いまして、いい言葉がないために現行法をそのまま踏襲して、婚姻という言葉で、契約の場合と、そうでない婚姻關係の両方を現わす文字を使つたのでありまして、あ説のように、婚姻の契約の場合と、そうでない婚姻状態とを區別するような考え方が敵當だと思いますが、とりあえず憲法の趣旨に則つた改正でありますがゆえに、その點まで深く區別を設ける適當な文字を考えるだけの十分なる余裕がなかつたわけでありますので、いずれそれらの點は、婚姻という言葉の異議について明確になるようなことについて、なお將來も研究を續けていきたいと思いますが、とりあえず、契約竝びに婚姻状態兩方を現わす意味で、婚姻という言葉を使いましたので、これを結婚という言葉にいたしたかつたのでありますが、先ほど言つたような理由で、やはり從來の通り、結婚という言葉をやむを得ず使つたということを御了承願いたいと思います。
#27
○花村委員 大體これはおもな點は質問されておると思いますから、私はなるべく重複を避けて、今まで質問しておらなかつたような點だけを拾つて、お聽きしてみたいと思うのでありますが、とにもかくにも、改正民法を見てみますと、結局これは現行民法の焼増しのようなものでありまして、少しも新鮮味の見るべきものがない。現行民法は御承知のごとく、實施後すでに古いのでありまして、しかもドイツの十九世紀ころの民法を模倣しておるのでありまして、あるいは見方によりましては、今の時代から見れば、少し古いような感じがするのであります。そこで、こういうような民法を改正する場合におきましては、やはり時代の流れに即應したところの新鮮味を盛られなければならないと思うのでありますけれども、その點においては、まことにどうも遺憾なことでありますが、一向新鮮味の見るべきものがないと申上げていいと思うのであります。そこで婚姻法につきましては、欧米先進國においては、その條件はきわめて嚴格であり、また細密であるというようなことに相なつているのでございますけれども、わが國の結婚に關しますところのこの法規というものは、きわめて簡素化されている。そうして大綱をきまてあるというにすぎないのでありますが、しかしこういう簡素化されているのがよいかあるいは精密に規定されている方がよいか、これはおそらく議論のわかれるところでありまして、問題であるのでありますが、しかし少くとも欧米の先進國においては、この婚姻法はとかく嚴密化され、あるいは細密化される方向に向つておりますことは事實でございます。そこで、わが國の婚姻に關しまする立法をいたすについても、やはりこれは各面にわたつて大いに改善を要する箇所があるように思うのでありますが、大體拾つて申し上げますれば、婚姻の形式的要件の改正であるとか、あるいは取消要件、無効要件等の改正、あるいは離婚原因等の改正等々、あげますればほとんど枚學にいとまがないのでありますが、こういう方面に鑑みましても、やはり大いに再檢討され、そうしてよりよく改善せられるということであらねばならぬと思うのであります。そこで、ここでひとつとり上げて申上げたいことは、婚姻の條件といたしまして、惡質な病氣をもつた者ごときは、結婚を禁止するというような法規を設くる必要があるのではないか。殊に近時傳染學の進歩であるとか、あるいは人種改善學の發點であるとかいうようなことで、優正學というものが非常に發展してまいつてきたのでございますが、これに伴いまして、やはり悪質でありますところの癩病患者であるとか、あるいは花柳病患者、あるいは癲癇であるとか、あるいは精神病をもつている者といつたような、こういう人種の進展發達を阻害するような病氣をもつている者に對しましては、結婚を禁止するというような方向に向うべきではないか。世界の先進國におきましても、そういう風潮がありますのみならず、殊に米國諸洲の結婚法というものを見てみますと、やはり多少こういう方面が實現せられている。殊にわが國の改正民法を見まするというと、結婚に關しなする年齢のごときも引下げられておる。引下げられてきたということは、要するにやはり健全なる人種をつくつていこう。結婚によつて、結婚した親たちもその體質を弱めてはならぬ。それからして次に生まれてくる第二の國家を背負つて立つべき子供にしても、虚弱児童であつてはならぬ。あるいはまた身體に缺くるところがあつてはならぬという意味において、結婚に關する年齢の制限も下げてきておる。ここまで考えますならば、やはりこういう惡質、しかも子孫のすべての方面にきわめて缺陷をもつごとき國民をつくるような、こういう問題に對しましては、すべからく結婚を禁止するという法律を設くるのは、近代的立法の建前である。こう申し上げてよいと思うのであります、かような意味において、こういうことも改正民法において當然考えなければならないのでありまするが、一向こういう面に對する顧慮が沸われておらないように思うのでありまするが、この點に對する政府委員の御所見はいかがでありましよう、お尋ねしておきます。
#28
○奧野政府委員 御指摘のように、實はこの民法は憲法の要請に基きまして、それに適合せしむるための最小限度の改正でありまして、從いまして近く將來全般的に再檢討を加えてまいりたいと考えておりますので、できるだけ現行の民法に基いて、憲法上許されないと考えられる點を修正いたした次第でありまして、ただいまお話のような、いわゆる優等學上いろいろな制限の必要があるのではないかというような點は、至極もつともと考えるのでありますが、その點は一面厚生及び厚生醫學の關係もございまして、輕々に民法の中にとり入れるのがよいのか、あるいはまた特別の形によつて、そういつたような規定を設ける方がよいのか、よほどこれは重大な問題と考えるので、むしろ民法はただ一般人の規範という意味で、簡素なものにして、さらにまた厚生その他優正醫學上必要な事柄については、あるいは特別法規によつて別に規定いたすということが適當でないかと考えるのでありまして、要するにそれらの點につきましては、さらに將來十分研究檢討いたしてみたいというふうに考えるわけであります。
#29
○花村委員 殊にただいま私が申し上げましたことの一部を裏書するものとして、この裁判上の離婚に關しまする七百七十條の第四項を見てみますると、配偶者が強度の精神病にかかり、囘復の見込みなき場合においては離婚ができるというような規定を設けまして、婚姻解消の一つの條件にやはり入れてあります。こういつ精神病になつて囘復の見込みなき場合に離婚ができる、婚姻が解消になるということでありますならば、やはりこの種の病氣をもつた者は結婚をしちやならぬという、これは禁止するのが、當然であると申し上げてよかろうかと思うのでありますが、その點につきましては、十分にまた御檢討を煩わしたいとお願い申し上げておく次第であります。次に改正民法の七百三十九條の、結婚の届出に關する問題でありますが、これについては形式婚と事實婚の問題について、それぞれ各委員が詳細に質問をせられたことであろうと思いますので、私はこの點については、多くは申しませんけれども、この婚姻の届出につきまいしては、わが國の方式はきわめて簡略であります。むしろ欧米諸國の例を見ますと、この届出に關します形式婚の條件というものは、これはなかなか複雑であり、またこまかく規定をせられておるのでありますが、これもやはり詳しいのがいいか、簡素なのがいいかということは問題でありましよう。あるいは簡素の方がいいということも、これは一應考えられる次第でありますが、しかしいずれにいたしましても、事實婚というものを實際の上からなくしてしまうということが、これが今までの婚姻に關するいくつかの問題を解消し、また將來の問題への安全辧になり、將來問題を起さぬというこれが一つの條檢に相なるものではないだろうか、こう思うのであります。そこで現行民法施行前においては、事實婚というものを實際に認めておつたのであります。しかるに現行民法に及びまして、事實婚というものを認めなく相なつてきたのではありますけれども、しかしこの事實婚というものを認めぬというと、場合によつてはすこぶる不條理であり、すこぶる不合理な、不適當な場合が生じてまいりますことは、御承知の通りであります。でありますから、そういう場合においては、大審院の判例において事實婚というものを認めておる。今日まで實際認めてきておる。法律では認めておらぬのでありますけれども、判例法をもつて認めてきておる。しかも少くともここに時代に即應せるところの新しい民法を改正してまいろうといたすにつきましては、不合理の生ずるようなこういう問題は、やはり除去する方向に向つて立法をしていくということが、これは當然なさなければならぬのじやないか、こう思うのであります。こういう意味においてなるべく事實婚というものをなくして、すべて形式婚、届出主義でいけるという態勢をつくることが必要であろうと思うのであります。しかるにこういう方面に對する努力がこの改正民法では拂われておらない。外國におきましては、歐米の立法を見ますと、宗教婚主義ーー宗教婚主義とうのは、教會に結婚の登録簿が備えつけられておりまして、その教會で結婚式をあげられると同時に登録簿が備えつけられておりまして、その教會で結婚式をあげられると同時に登録簿に載せる。そうしてあるいは法律婚にいたしましても、ドイツでも、フランスでも、スイスにおきましても、法律手續が完了しなければ結婚式をやらせない。もしやつた場合においては、その牧師を嚴罰する。あるいはそれをやらぬ場合においては、牧師に届出をする責任を負わせるというようなことによつて、この事實婚というものをなくして、法律婚一本槍にしている。これはこうあるべきことであります。こうなければならない。自分みずからがいろいろの問題をつくつて、その問題が解決できずに苦しんでいるというのが、要するにわが國の現在の法律婚に關する條文であり、また今度の改正民法の條文である、こう言うてよいと思う。自分自身で問題をつくつて、自分自身で困るような事柄をしでかすような規定をつくつている。こういうやはり問題になり、また事實婚というものは實際社會に殘つておつて、それを認めなければ不合理が起るというような、そういう場面をつくるということは、立法者が間違いなんです。でありますから、これについては今までいろいろ議論があつたようでありますけれども、私は事實婚をどうしろとか、こうしろとか言いませんけれども、要するに事實婚というものをなくすことを考える、なくす方途を講ずる必要がある。それにはどうするか。それにはとにもかくにも届出主義義務を的確に履行させるという方途を考えるということよりほかにはないと思うのであります。わが國におきましても、近來宗教による結婚式があげられてまいつております關係上、あるいは將來においてはすべて宗教的な結婚式をあげるような習慣が打立てられることであろうと思うのでありますが、そういうことに相なりすれば、今日歐米でやつておりますような結婚の届出に關する方式を履踐いたすこともできるでありましようけれども、しかしわが國の現在においては、そういう方途を講ずることはできないのでありますが、少くとも事実上の結婚というものをなくして、すべて届出をするという法律婚一本にもつていくということにすべきであろうと思うのであります。それにはやはり當座の考え方といたしましては、届出に責任を嚴重に課する、もしいつ何日までに結婚の届出をせぬ場合には過料に處する。あるいはまた場合によつては、市長村の戸籍史が結婚等のありまする場合においては、その結婚の場所へ出ばつて行く。あるいは結婚をせんとする者は、まず市長村役場の戸籍史にそのことを申し出す。はがきなり、あるいは口頭なりで申出す。申し出た場合においては、必ず戸籍史はその結婚式場へ臨んで、そうして届出に關する手續をなさしむる。あるいはもしその手續をなさしむる。あるいはもしその手續をなさしめないまでも、そこで公然と結婚式が行われた場合においては、兩者の承諾を得て、そうしてその戸籍史が市町村役場へ歸つてまいりまして、戸籍簿へその結婚いたしました夫婦の氏名を登録するというところまで、せわをみてやるということによつて、少なくとも法律婚の手續き履まざる者は一人もないという方向にもつていくということであらねばならぬじやないか。こういうことにれば、事實婚と認むるも認めないもない。大審院の判例でどうこうする必要もない。また社會の人が事實婚によつて迷うこともなし、不利益をこうむることもない。でありますからこの方向へ、ただいま申し上げましたように、改正民法を進めていくような方途を考えるべきであろうと思いまするけれども、依然として舊民法そのままでありまして、また今日までいろいろな問題が起きておる。こういう根本を斷つところの問題に對して、何ら考慮が拂われておらぬということは、まことに遺憾でありまするが、この點に對しまする司法當局のお考えを伺いたい。
#30
○奧野政府委員 事實婚をいかにすべきかという點は、非常に問題でありまして、従來法制審議會等におきましても、法律婚のほかに事實婚を認めていくようなことについて、十分研究いたしたのでありますが、まだ結論に到達していない状態であります。しかしながら、本案におきましては、今花村委員のお話のように、できるだけ事實婚をなくして、法律婚一本にしていきたいという考えのもとに、届出主義、いわゆる形式婚一本といたしたわけでありまして、しからばこれだけではそれが十分でないというおしかりを受けるのは、はなはだごもつともであります。お説のように、あるいは教會、あるいはその他の宗教儀式による婚姻の所へ戸籍吏員が出ばつていつて登録をする。あるいは結婚式に必ず戸籍吏員が出張して登録をするというふうなことをいたせば、もちろん非常に形式婚がまとまつて、事實婚であるのに届出てないというような、法律と事實の違いは非常に少くなるだろうとは思うのでありますが、現在わが國の國情といたしまして、結婚の式場にそういうふうに戸籍吏員が出るとか、あるいは教會等でやる場合に、戸籍吏員が出ばるというようなこともなかなか實行がむずかしい。しからば結婚式をあげれば、それから一週間なら一週間の間に必ず届出をしなければならない。しなければ刑罰あるいは罰金を科すといつたようなことによつて、届出の勵行をするというようなことも、實は考えてはないわけではないのであります。しかしながらこれも、婚姻が届出によつて効力を生ずるという主義をとります場合に、必ず結婚式をあげなければならないということもないわけで、從つてすべての婚姻に結婚式があるということになれば、結婚式から一週間の間に届出をしなければ制裁を加えるというようなこともかんがえられますが、法律的に見ますならば、必ずしも結婚式が要件じやないということになりまして、そこもなかなか實行が困難である。そういう意味で、しかも從來わが國の國情としては、大體結婚は届出がなければいけないのだというような常識にもなつておると考えます。なお今囘の改正の點からは、届出に對する法律上の障害はほとんど除かれておるわけで、戸主の同意あるいは父母の同意というようなものもなくなり、家督相續人の廢除の手續がなければ届出ができないというようなおともなくなり、戸主である場合にほかに行くためには、隱居あるいは發家の手讀をとらなければ届出ができないといつたような法律上の障害が除かれておつて、届出は自由にできることになつておりますので、だんだん國民の法律思想の向上と相まつて、やはり届出なければ婚姻の効力がないのだということを廣く國民が認識するとともに、必ず婚姻すれば形式的に法律上の手讀を履むというような風潮になつてくるであろうということを期待しながら、從來の届出主義による法律婚一本の主義をとつたわけであります。これではまだ不十分な點があることは重々わかつておりまして、その點については、さらにまた十分研究を積んでいきたいというふうに考えます。
#31
○花村委員 今のこの事實婚を認むる必要があるということならば、これは別でありますが、おそらく事實婚が必要であると認むるものはないようであります。ないけれども、しかし法律婚の反面において必ず事實婚というものが現われてくるので、その現れてきた事實婚を、何とかの方法において救わんければならぬとというような議論が相當に行われておるようでありますが、これは私は間違つた議論であると思う。事實婚がいかぬということであつて、法律婚がいいということであつたならば、事實婚をなくすという方向へ向つてこそ努力すべきものであつて、その事實婚をどうやつて救濟すべきか、あるいはどうやつて取上ぐべきかということは、これは考えのほかにあらなければならぬと思うのであります。そこで私の申しあげたよううなことも、いうことはやすく、なか實行の困難でありますことは、よくわかつておるのでありますが、しかしながら、とにもかくにも、この新民法を改正いたしますと同時に、この法律婚一本にもつていくという意味において、やはり結婚をした場合においては、式典をあげると同時にただちに結婚届をすべきものであるということを、廣く天下に知らしめて、そしてそれを實行せしむるという方向に向つての、何らかの運動を司法省で企画されん企圖されんことを希望いたしておきます。次にお尋ねしたいのは、重婚に關する問題でありますが重婚をしてはならぬという規定が民法にあり、しかも重婚をいたした場合においては犯罪として處罰をされるということに相なつておるのでありますけれど、ところがその重婚が民法の上で見ますと、これはこういう犯罪行為であつても當然無効にされておらない。これが私はまことに奇怪千萬だと思うのであります。犯罪行為なりとして處罰されることが無効にされない。そして取消し得る行為として、取消し得るにすぎない。取消さない場合においては、永久にその結婚は有効である。また市町村長といたしましても、そういう結婚届を出した以上は、それを却下するわけにもいかない。それからその重婚が刑法にとわれまして、犯罪なりとして判決を受け、そして刑の執行をうけてもまだその婚姻はは何ら無効にはならない。こんな矛盾きわまる話は私はないと思うところが、こういう規定が現行民法においてもありますが、こういう不合理きまわる規定を、新しく改正すべき民法にもつてきて規定しておる。これに對して無効にするという何ら規定がない。ところがドイツやスイスの規定を見ますと、こういう重婚の場合には當然無効だとされておる。それがしかるべきである。ところがわが國おいては刑罰を受け、民法でも禁じておるような結婚をしてそれが取消さざる限りは一生永久に有効である。こんなばかげた撞著がどこにありましよう。これがために、またあとで申し上げるのでありますが、失踪宣告等の場合においては不合理きわまる場面がでてくる。どうしてこういう刑事責任を問わるるがごとき重婚の行為に對して無効にしかないのであるか。これを伺いたいと思います。
#32
○奧野政府委員 この點は從来の法律をそのまま踏襲いたしたわけでありますが、重婚であります場合には、もちろん戸籍戸籍吏員はこれを受理してはいけないことは七百四十條で明らかであります。結局重婚になる場合は、戸籍吏員が不注意で受付けたというふうな場合ーー失踪宣告の場合等もありますけれども、ほとんど戸籍吏員の不注意によつての場合が最も多い例であろうかと思うのであります。でありますから、原則としてはもちろんそういうものは受付けるべからざるものであります。しかしもしかりに誤つてそれを受付けたというような場合に、第二の婚姻を當然無効とすべきかどうかという點については、これはいろいろな考え方があろうかと思います。いわゆるお説のように當然無効、あるいは刑罰という問題も考えられます。そういう場合に、事實上第二の結婚が營まれておるのだろうと思うのでありますが、それを全然法律上認めない、無効であるというふうにするのがいいか、あるいは取消の原因といたしておくのが適當であるか、立法上いろいろ考うべき問題と考えますが、従來ここにありますように、取消の原因にいたしておるので、さような問題におきましては、決局二重結婚が取消されまではあるという不合理は免れないところであります。外國の立法例等も、その點については差異があるのでありますが、一應從来の態度をそのままに踏襲していくという建前によつて、その點については特に今囘の改正案においては觸れなかつた次第であります。
#33
○花村委員 今度の改正案に觸れるのは、要するにこういう問題ではないのでしようか。重婚については戸籍史が受け付けないのが建前であるというのですが、届けなければこれは刑法で重婚罪として處罰する規定を設ける必要がない。こういう問題があるからけしからぬというので、非社會性があるというので、刑法でやはり重婚を處罰するという規定を設けておる。でありますから改正民法こそは、こういう今まで舊來の民法が取上げなかつた不合理な點を是正していくということが、これが民法改正の本旨ではないのでしようか。こういう不合理きわます問題を何ら手をつけずして、そうして古きままのものを取入れてそれで何の民法改正がありましようか。犯罪行為になり、しかも重婚をやつてはならぬということまでも民法に規定しておるその行為が、取消さなければ永久に一生續いていく。そんなばかげたことは、これは常識で考えても不合理でありますることは多く申し上げるまでもない。こういう問題こそ、當然これは無効とすべきもので、また無効としてどういう差障りがあり、どういう支障がありましようか。決してない。姦通罪ですらも、姦通した相手方と結婚することはできないと規定しておる。姦通して刑事問題に觸れた場合においては、その相手方と結婚ができぬと規定しておる。それを重婚によつて刑事上の制裁を受け、處罰を受けながら、その結婚がどこまでも有数で續いていくなんて、こんなばかげたことが、一體どこにありましようか。こういうことを改正することが、今後の新しい民法の生命であると、私は申し上げてよかろうと思うのであります。こういう點に對して、これを改正することに何らかの不合理があるのでありましようか。そうしてどうしてその不合理な條文を、現行民法から改正民法にそのまま承け繼いだのであるか、それをお尋ねいたしたいと思います。
#34
○奧野政府委員 たとえば一應離婚いたしましてさらに再婚をいたしました。ところが初めの離婚行為が取消しあるいは無効であつたというようなたまに重婚というようなことにおのずからならざるを得ない。そういう場合に戸籍史といたしましては、前の離婚が有効なものと思いまして後の婚姻を受付けるというようなこともあり得ることでありまして、そういう場合に前の離婚が無効であり、取消しになつたというふうな場合には、おのずから重婚というふうなことにもなつてくるのであります。そういう場合に必ず後の婚姻を全然認めないということにすることがいいかどうかというようなことも、なお考うべき問題であるのでありまして、第二の婚姻をすべて無効にすべきかどうかというようなことも、一概に無効にすべきだということも、よくよく考えなければならないものではないかというふうに考えますので、この重婚の問題については、先ほど來申しますように、根本的に再檢討の場合におきまして、他の立法例、あるいはその他の各法令等とにらみ合わせの上、十分檢討を加えたいと思つておりますが、いろいろな關係からそういう點についての十分なる檢討の機會もありませんので、とりあえず從來の規定をそのまま踏襲いたしたわけであります。
#35
○花村委員 大分時間も迫つてきましたから、私はもう一點で質問を打切ることにいたしますが、最後に失踪宣告と重婚についてお尋ねいたしたいと思うのであります。この失踪宣言の場合において、失踪宣言が宣告されたままで推移をいたしますならば、問題はございません。ところが、死亡したものとみなされて失踪宣言を受けたその失踪者が後に生きておつたという場合において、失跡宣言の取消があつたような折に、この重婚に關する問題が出てくるのであります。あるいは失跡者の殘存配偶者、要するに夫である甲という者が失踪の宣告を受け、その妻である乙というものが失踪宣告を受けた結果夫たる甲が死んだものと認めましてさらに再婚した。ところがその後に至つて失踪者の甲が生存しておつたということで失踪宣告の取消をやつたのであります。失踪宣告の取消は御承知のごとく過去に遡及をいたしまして、初まりから失踪なかりし法律上の効力が生ずる結果といたしまして、第一に行われました結婚が生きてくるのでありあます。すなわち乙という妻が失踪者と結婚をした第一の結婚が生きてき、そうして第二の結婚の結婚というものが重婚にならざるを得ないのである。そこでこういう不合理が失踪宣告の場合に出てくる。またこれは殘存配偶者たる妻の例でありますが、たとえば失踪者にいたしましても、第一の結婚をして、そうして失踪宣告を自分が知らぬうちに受けた。そうして今度は第二の結婚をやつた。そうしまして、その失踪宣告を受けたのでありまするが、第一の結婚はいいといたしまして、第二の結婚もよいことになるのでありまするが、やがて失踪宣告が取消された場合においては、やはり初めから失跡なかりしことになりますので、從つて失踪者の第一の結婚が生きてくる。そうすると第二の結婚というものは、犯罪で處罰されなければならぬということになります。そこでこういう不合理を救うべき何らかの規定を設くる必要がないかという問題が起きてくる。日本の現在の結婚に對する法律竝びに失踪宣告の明文から申上げますると、そういう不合理が出てくる。そこでドイツ民法におきましたは、こういう場合に結婚は失踪宣告によつて解消せずという規定が設けられておる。すなわちドイツ民法は、結婚は失踪宣告によつて解消せず、失踪宣告によつて解消せず、失踪宣告後、生存配偶者が第三者と再婚することによつて初めて結婚は解消するという規定がある。ドイツ民法は、すなわち失踪宣告によつて結婚は解消するものではないのだ、しかしながら失踪宣告後、殘存配偶者がもし再婚をした場合においては、そのとき初めて第1の結婚は解消するのだ、こういう規定が設けられておる。でありますから、これは重婚にならない。ところがわが國の規定から申しますれば、重婚罪として處罰されなければならぬ。そうしてそれは民法において重婚を禁ぜられておる。そうしてその結婚は取消すべき行為である。こういう要するに法律上瑕疵をもつた法律行為であるということに相なるのであります。こういう點はまことに不合理であると申さなければならぬと思う。またこの失踪者の結婚につきましても、やはり重婚罪が認められるのでありまするが、なお失踪者の再婚に關しまするドイツの法律につきましては、失踪宣告により死亡したものとして、そうして取消の訴えにより取消された場合であつても、前婚の解消は變ずることがない旨を規定しておる千三百四十八條があるのであります。從いまして、失踪者の再婚というものは、前婚消滅後の再婚ということに相なりますので、これまたドイツにおいては重婚にはならない。ところがわが國においては、この種の限定がありませんので、失踪宣告が取消された場合においては、殘存配偶者の場合においても、あるいはまた失踪宣告の再婚の場合においても、やはり重婚が成立するというような不合理な結果が生じてくるのであります。でありますからこういう不合理を救濟する何らかの方法を考えなければならぬと思うのでありますけれども、改正民法においては、依然としてこの不合理をそのまま存置いたしておるのでありますが、どうしてこういう不合理な重婚を法律そのものが認むるがごとき規定を殘しておいたのでは、これは改正民法の精神を貫くことができぬと思うのでありますが、この點に對する政府當局の御意見を伺いたいと思います。
#36
○奧野政府委員 ただいまの點は、民法三十二條におきまいして、失踪宣告の後、その取消前に善意をもつてなしたる行為は、その効力を變じないという規定によりまして、失踪宣告後失踪宣告取消前に本當に死んでおるものというふうに考えて、双方が婚姻をしたという場合には、これによつてあとの婚姻が有数で、重婚にはならないということになろうと考えております。これは一般の解釋がそういうふうになつておると思つております。ただ善意でなく、生きているということを知りながらやつた場合は、これは重婚になるのであります。從いまして、故意に重ねて婚姻したということで、重婚の罰則を受けるということも、やむを得ないことだと思いますが、結局善意で、いわゆる本當に失跡者は死亡しておるものというふうに考えて、善意で婚姻した場合には、あとの婚姻のみが有効で、重婚という問題は起こらないというふうに解釋いたしております。
#37
○花村委員 ただいま政府委員の言われたのは、それは一部の事例じやありませんか。要するに三十二條の二項は、これは殘存配偶者に關する問題で、これはおそらく失踪宣告者を含めた規定でありませんことは、明瞭であります。失踪宣告中に行為をなした者に對する規定でありますから、失踪宣告者に對しましては、この但各書というものは適用ならぬ。ただ適用になりまするのは、殘存配偶者に對してのみ適用に相なるのでありまして、それはただいま局長の言われまいたことく、善意をもつてやつた場合においては、これは第1婚は無効になり、第二婚は有数であります。しかしながら、それは殘存配偶者のみが善意をもつてやつた場合という一場合のみに限局されている。それ以外の場合は、この規定にはいらぬのじやありませんか。失踪宣告者がやつた場合、あるいは惡意の人のやつた場合、そういう場合に不合理だ。しかもそういう場合が多いのでありまするから、そういう多い場合であり、通常考えられる場合に對する不合理を矯める何らの規定がないじやないか。今局長の言われたこの第二項を適用されることは、それはよくわかつています。わかつていますが、しかしそれはやはり殘存配偶者の善意の場合という一部分に限られる。その他の場合は何ら重婚にならぬという規定はどこどこにもないではありまんか。それはどうですか。
#38
○奧野政府委員 ただいま御設のように、三十二條の第二項というのが、やはり失踪宣告以外の者についての行為であることは、その通りと考えております。しからば失踪宣告者自身はどういうことになるかといいますと、この點については、やはり現行法におきましても何ら問題が解決されていないのでありまして、むしろ失踪宣告というものが、失踪者が死亡したものとみましての法律關係を規定しておりますので、失踪者自身は取消しされるような場合であれば、どこかで生きていろいろな法律行為をいたしているだろうということになりまして、それが國内でありますれば、やはりその者の行為は法律上有効な行為ということになるわけであります。從いまして、この三十二條の但書の適用は、そういう意味で、失踪者自身の行為については適用がなかろうと思います。そうしますと、やはり失踪者自身が結局失踪宣告の取消をいたしますれば、法律關係は全部死亡しなかつたものとして取扱われまする結果、第二の婚姻というようなものはやはり重婚ということになろうかと考えます。しかしその場合に第一の婚姻が自分が關係しておつたのでありますから有効である、しかも自分は生きているのであるから、もちろん婚姻は消滅しないというふうに考えておつて、故意にさらに他の者と婚姻をすれば、やはりむしろ重婚ということになつていいのではないか。つまり自分が失踪宣告の取消の訴えを起して、取消して、結局そうなると前の婚姻を復活せしめるためであるから、すなわち自分は死亡していないということを主張しながら、從つて婚姻もまだ繼續しているのだという信念のもとにずつとりはないのでありますから變りはないのでありますから、さらに婚姻をするということは、やはり重婚ということにしておいてもいいのじやないかというふうに考えます。
#39
○花村委員 これはまあ重婚にしておいてもいいというのは、重婚をつくるようなものでなるべくやはりそういう法律上非合法であり、しかも法律違反でありますような行為はできないように法律をつくつていくことが、これが立法の建前であろうと思うのであります。今局長の言われるように、それでは本人が重婚思えば重婚と認めていいじやないかというような、重婚という犯罪行為を法律に認め助成するがごときはーー助成というのは語弊があるかもしれませんが、少くとも認めるがごとき考え方は間違つておるではないか。やはりそういう行為をなるべくなくす方向に向つて、それぞれの立法をしているべきものであろうと思うのであります。これを要するに、改正民法の各面にわたつてまだ大いに改善を要する點が多いのであります。なお多くの質問すべき事柄をもつておるのでありまするが、私は本日はこの程度に止めておくことにいたしまするが、先ほども申し上げましたように、この改正民法は、ほとんど現行民法の焼増しのごときものでありまして、まだ幾多の改正すべき問題を包藏しておりまするので、今後において十分檢討の上、さらに一段のよりよき立法に改正いたしますよう希望いたしまして、私の質問を終ります。
#40
○松永委員長 本日はこれにて散會いたします。明日は午前十時より開會いたします。
    午後三時三十一分散會
ソース: 国立国会図書館
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