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#1
第033回国会 外務委員会 第13号
昭和三十四年十二月八日(火曜日)
   午前十一時十九分開会
  ―――――――――――――
  委員の異動
本日委員後藤義隆君及び木村禧八郎君
辞任につき、その補欠として梶原茂嘉
君及び加藤シヅエ君を議長において指
名した。
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り
   委員長     草葉 隆圓君
   理事
           井上 清一君
           剱木 亨弘君
           苫米地英俊君
           吉田 法晴君
   委員
           青柳 秀夫君
           梶原 茂嘉君
           笹森 順造君
           杉原 荒太君
           野村吉三郎君
           堀木 鎌三君
           加藤シヅエ君
           木村禧八郎君
           小林 孝平君
           佐多 忠隆君
           森 元治郎君
           大和 与一君
           石田 次男君
           佐藤 尚武君
  国務大臣
   内閣総理大臣  岸  信介君
   外 務 大 臣 藤山愛一郎君
  政府委員
   法制局長官   林  修三君
   外務政務次官  小林 絹治君
   外務省アジア局
   長       伊関佑二郎君
   外務省アジア局
   賠償部長    小田部謙一君
   外務省条約局長 高橋 通敏君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       渡部 信雄君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○日本国とヴィエトナム共和国との間
 の賠償協定の締結について承認を求
 めるの件(内閣提出、衆議院送付)
○日本国とヴィエトナム共和国との間
 の借款に関する協定の締結について
 承認を求めるの件(内閣提出、衆議
 院送付)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(草葉隆圓君) ただいまから外務委員会を開会いたします。
 まず、委員の異動について御報告いたします。本日後藤義隆君が委員を辞任され、その補欠として梶原茂嘉君が選任されました。
#3
○委員長(草葉隆圓君) 日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定の締結について承認を求めるの件、
 日本国とヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定の締結について承認を求めるの件(以上衆議院送付)、
 両件を一括して議題といたします。
 ただいま議題といたしましたベトナム賠償協定両件につきまして、来たる十一日金曜日午前十時より正午まで、久保田日本工営社長を参考人として当委員会に出席の上、意見を聴取いたしたいと存じまするが、御異議はございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(草葉隆圓君) 御異議ないと認め、さよう決定いたしました。
  ―――――――――――――
#5
○委員長(草葉隆圓君) それでは昨日に引き続き質疑を続行いたします。
#6
○森元治郎君 これまで聞き残りの点からまず伺っておきます。
 ドゴールがパリーに入ってペタン政府が倒れる。そうすると、われわれがフランスと結んでいた条約というものは、その後の国交断絶により、そしてそのあと平和回復をいたしたのですが、この条約の効力の関係について、外務大臣からでもお伺いいたします。
#7
○政府委員(高橋通敏君) 条約の効力の問題でございますが、われわれはその前ビシーを正統政府と考えまして、これと条約関係を結んでいたわけでございます。従いまして通常の場合でございますれば、条約の問題はそのまま新しいドゴール政府に引き続いていくというような考え方になるわけでございます。ただしこの場合に、その地点におきまして戦争状態が発生したと考えておりますから、法律的にはそういう事態に照してこの条約関係を考えなければならぬ、これは法律的な建前の問題としてはそういうふうに考えなければならぬ、こういうように考えます。
#8
○森元治郎君 これは政治問題じゃなくて法律問題だから、もう少し長く丁寧に答えてもいい、立ったりすわったり何べんもすることないのだから……。
 それで、どういう主義をとるのですか。国交断絶によって政治条約は切れる。しかしそれ以外のようなもの、文化的協力、そういうものは戦後になるとまた復活をしてくる、こういうことになるのか。それから十六年、御承知の日本フランス間の経済二協定、そういうものが結ばれた。こういうものが戦争によって一体どういうふうになったのか、あれで効力を失ってしまったのか、失ってしまったとしたならば、戦後復活をはからなければならぬと思うのだが、あるいはまた自動的に復活してくるのか、どういうふうにお考えになりますか。
#9
○政府委員(高橋通敏君) これは戦争と戦争の影響を受けて、どういう条約がどういうふうな影響を受けるか、御承知の通りの非常に困難かつむずかしい法律問題が多々あると考えております。しかし一般的に申し上げまして、一つの政治的な軍事的な条約というものは、これは無効になる。しかし、その他特定の条約で、あるいは効力が停止されまして、おのずと復活する条約もございますし、それから特に復活させるという戦後の合意によって有効となるというふうな条約もございますし、いろいろ法理論もございますし、実際もございますし、いろいろの取り扱いが戦後のいろいろな措置によってこれがきまっていくというふうに考えられます。
#10
○森元治郎君 日仏の経済協定の答弁。
#11
○政府委員(高橋通敏君) 昭和十六年とございましたか、日仏経済協定でございますが、こういう協定も戦後の平和条約が行なわれましたその戦後の措置によってこれを回復したり━━回復といいますか、効力をそのまま継続するというふうにしたり、または新しくそういう効力の存在を確認したり、または無効にしたり、いろいろ戦後の措置によってきまっていくと考えております。
#12
○森元治郎君 その効力確認を戦後やったのか、やらないのか。
#13
○政府委員(高橋通敏君) 平和条約によりまして向こうが復活してこない限り全部失効するということになったわけであります。
#14
○森元治郎君 そうするとどうなんですか、これに基づいて例の特別円なんか払いましたけれども、払う基礎の協定が失効しているのにこれを払うのですか。
#15
○政府委員(高橋通敏君) その点は、この平和条約第七条の規定は、戦後このような協定をどういうふうに扱うかどうかという問題でございます。すなわち、戦時中有効であったかどうかという問題はとにかくさておきまして、戦後にこの条約をどういうふうに扱うかどうかということによりまして、この第七条で、戦勝国が復活を通告してきたやつは復活する、そうでないものは自然消滅と申しますか、失効する、こういうふうな関係になるわけでございます。
#16
○森元治郎君 だから、フランスから日本に通告があったのかどうか。
#17
○政府委員(高橋通敏君) 通告がないものでございますから、これは失効したということになるわけでございます。
#18
○森元治郎君 時間がきょうは制限されているようなんで、この間四日の質問に引き続いて、戦争開始日の点についてお伺いをします。
 どうも四日の速記録をよく読んでみるのですが、わかったようなわからないような、実にたくみな答弁というか、苦労しました。しかし、あの速記録は、総理大臣も外務大臣も政府委員も、その後御訂正の申し込みをされておらないから、あれでよろしいと、こういうことを私確認をしておきたいのですが、よろしゅうございますか。
#19
○国務大臣(岸信介君) すでにお答えを申し上げました通り、私は考えておりますことを別に訂正する考えはございません。
#20
○森元治郎君 四日の日に、政府委員及びこれを確認された大臣の御意見として、一九五二年、昭和二十七年ごろ、戦争開始日は一九四四年、昭和十九年の八月二十五日ごろに固まったということでありましたが、これは第三次ですかの吉田内閣岡崎外相ごろと思いますが、どうですか。
#21
○政府委員(高橋通敏君) この問題は、今般の賠償のみならず、その前の沈船引き揚げのみならず、その前からこの問題は一番問題にしております。われわれ事務当局におきましても問題にしておりまして、当初からそういうふうな研究をいたしております。そこで、この前指摘いたしましたころから、すでにそういうふうな決定をいたしております。
#22
○森元治郎君 この五二年、昭和二十七年というのは、これは事務当局の検討を、外務大臣及び政府が取り上げて決定をしたのか、単なるそういうふうな腹がまえでいこうじゃないかというところで話が終わっておるのか、できるならば続いてこの間の決定のいきさつを明らかにしてもらいたい。
#23
○政府委員(高橋通敏君) ただいま決定と申し上げましたのでございますが、そのころ及びもっとそれ以前にそのような検討をいたしまして、そういう結論にわれわれ事務当局は到達いたしております。そういう意味でございます。
#24
○森元治郎君 そうすると、これでいこうと政府の態度がはっきりきまったのは、岸内閣ですか、石橋内閣ですか、あるいは鳩山内閣、吉田内閣、こまかいことは総理大臣は御無理でしょうが、どの内閣できめたのですか。
#25
○国務大臣(藤山愛一郎君) 当時そういうような事務当局の検討がございまして、今後の賠償についてはそういう腹がまえでいくということでありますけれども、特にそのこと自体を閣議なり何なりで決定したことはございません。
#26
○森元治郎君 いつのころというのを私は伺っておるのですが、総理大臣からお答え願えないでしょうか。藤山さんは岸内閣の外務大臣ですから、この五二年あるいはそれ以前というようなことについてはちょっと無理でしょうから……。
#27
○国務大臣(岸信介君) この問題につきましては、閣議決定とか、あるいは何か文書においてはっきりといつきめたということが、明確ではないのであります。ただ、先ほど来お答え申し上げておりますように、この問題につきましては、かねてから事務当局の間におきましてもいろいろの点から検討をしております。ベトナムの賠償交渉を始めますときから、政府としてはそういう心がまえで先方と折衝しておったということでございますから、最初のベトナムの賠償交渉の、向こうと話し合いに入ります最初からそういう考えでもって政府は当たっておる、こう私どもは了解いたしております。
#28
○森元治郎君 そうするとこれはおかしい。国の戦争状態はいつ発生したかという日を、およそこの辺でいこうじゃないかということは、裏を返せば、向こうから押し返されたら、また日が、決定の基準がずれることもある。古い時代にさかのぼることもある、こういうふうなあやふやのことで臨んでいるのだ、どうしてそういうふうにはっきり態度決定をして臨まなかったのか、当然これは政府として決定して臨むべきであったと思うのですが、もう一ぺんお答え願います。
#29
○国務大臣(岸信介君) 実はこの問題は、先日もお答え申し上げましたように、ベトナムにおける状態というものは、ずっと一つのつながった事実でございまして、そのうち解釈として取り扱う上において、あとから、いつから大体この戦争状態に入ったと考えていろんな損害賠償の問題その他のものを取り扱っていくかという解釈の問題でございまして、いつ宣戦するとか、戦争状態を何かこちらの意思でもっていついつから発生せしめるというような問題とは、おのずから性格が違っておりますので、今申し上げましたように、事務当局では、いろんな法律の関係であるとか、いろんな問題を取り扱う上から、戦争開始の日をいつと解釈していくことが適当かということを検討しており、またその大体得たところの結論を、政府としては賠償の基礎としての話し合いの根底にした、こういうのが事実でございまして、従って、今御質問のように、何かはっきりした決定をして、それを中外に声明して云々というようなこととは、おのずから扱いが違っておったわけでございます。解釈問題としてこの問題を扱い、そうしてその解釈を基礎として賠償その他の関係を相手方、先方と交渉する、こういう態度をとったわけでございます。
#30
○小林孝平君 関連。事務当局が検討し━━検討するのは、それは事務当局でしょう。そうして政府がそういう心がまえでやったという、結局それは政府の決定したものでしょう。それは閣議でないけれども、政府としてそれは公式にこういうことできめた、こういうことだと思うのです。総理はずいぶん長くおっしゃったけれども、結論として、それはともかく政府は八月二十四日を開戦日ときめて、そうして交渉した、こういうことに解釈してよろしゅうございましょうか。
 それからもう一つは、それに関連して、その賠償の交渉の当初から━━その当初というのは、何年の何月からかということを一つお尋ねいたします。二問お尋ねいたします。
#31
○国務大臣(岸信介君) 今お話しの通り事務当局が検討して、そういう結論を得、政府としてもそれを、考え方を採用して、政府としては戦争開始の日を四四年の八月二十五日、こうきめて、そうして賠償の交渉に当たった、こういうふうに御了承いただいていいと思います。
 もう一つ、今の日にちの点につきましては、事務当局から答弁させます。
#32
○政府委員(高橋通敏君) この問題は、一九五二年ごろの特別円や沈船引き揚げの交渉、その前後に一番問題になっておりますが、それ以前でもわれわれ問題にしております。そうして一九四九年、四八年、そのころもこういうふうな見解に到達いたしております。
#33
○小林孝平君 そういうあのときもこのときもということを聞いているのじゃないのです。当初からと、そう言うから、当初というのは何年の何月だと、こういうことを聞いているのです。要らぬことを答弁しなくてもいいのです。
#34
○政府委員(高橋通敏君) 別に何月何日にこういうふうな、何用に決定したという、そういうふうなことではございません。五二年のわれわれの記録や調書やその他検討を振り返ってみますと、そのころからそういう考え方がずっと固まっているということでございます。
#35
○小林孝平君 総理も交渉の当初からこれはしたとおっしゃっているのです。だから、当初というのはいつかということを聞いているので、要らぬことをあなた答弁しなくてもいいのです。当初とはいつか。ちゃんと総理は当初と言われたのだから、だから、いつ政府の決定になったかということを尋ねているのです。
#36
○政府委員(高橋通敏君) ベトナムに関する諸種の交渉が始まるころから、一九五二年、そのころでございます。
#37
○小林孝平君 何月、五二年のいつです。わけがわからぬで交渉しているのだ。
#38
○政府委員(高橋通敏君) 五二年のいつと申しますと……
#39
○小林孝平君 交渉の当初からというのはわかるじゃないですか。━━答弁になっていないじゃないですか。ちゃんと総理は交渉の当初からと……。いつ━━わけのわからないうちに交渉が行なわれたというところからこの問題がきているのです。はっきりそんなことわかっているじゃないですか。だれが外務省の━━交渉はいつやったか、そんなことぐらいちゃんと記録にありますよ。わけがわからないで交渉をやったなんということはあり得ないですから……。交渉の当初からというのは、五二年の何月と、日もわかるのですよ。日はかんべんしてやります。月だけで……。(笑声)
#40
○政府委員(高橋通敏君) ここにわれわれの検討がございます。その一つを拾いますと、一九五二年でございます。
#41
○小林孝平君 検討がありますというのはおかしいじゃないですか。交渉をやったのは外務省のどういう地位の人が、向こうのだれと話し合ったのか、交渉の当初です。検討がありますとは、あなた何です。それは見当違いじゃないですか。
#42
○政府委員(高橋通敏君) 一九五三年でございます。一九五三年の六月でございます。しかしその前からそういう問題を予定いたしまして、わが方では検討し、その結論を得ております。それは一九五二年の記録を見ますと、一九五二年にもそういう結論を得ております。一九四九年の検討におきましても同じ結論を得ております。一九四八年においても同じような結論を得ております。ただ、交渉に関連しますれば、交渉の始まったときからと、こういうふうになるわけでございます。
#43
○小林孝平君 条約局長あなたおかしいですよ。そういう答弁というものはないのです。われわれが聞いているのは、この決定をしたのは━━検討は別ですが、決定をしたのは、総理が交渉の当初からと、こうおっしゃったから、交渉の当初とはいつであるか。あなたは五二年と言われて、今度は五三年だ、そのほかいろいろ検討いたします……。検討じゃない。交渉というものはいつやったか、こういうことを聞いているのです。もう最後ですから、はっきり答弁。
#44
○政府委員(高橋通敏君) 一九五三年の六月でございます。そのときに交渉が始まっているわけでございます。
#45
○森元治郎君 だいぶもたもたして、五二年にもきめた、その前からも検討している。五三年にもやった、四九年にやった、五六年にもやったというのは、年じゅう八月二十五日、昭和十九年……。あやふやでどうも自信がないために御相談しているような感じを受ける。これは後にひっくり返してしまいますけれども、一応そういうふうなもたもたしたいきさつは、ただいまのなってない御答弁ではっきりしましたから、次に移ります。次に移る前に、ちょっと失礼しました。岸総理大臣は、特別円交渉のときには外務大臣であったはずでありますから、この決定に至る態度というものはよく知っているはずです。どうですか。
  ―――――――――――――
#46
○委員長(草葉隆圓君) ただいま委員の異動がございましたので報告いたします。
 木村禧八郎君が委員を辞任され、その補欠として加藤シヅエ君が選任されました。
  ―――――――――――――
#47
○国務大臣(岸信介君) 調印は、私、外務大臣として調印をいたしましたが、交渉はずっと前から行なわれておったのでございます。
#48
○森元治郎君 交渉は前から始まっておられたかもしれないが、外務大臣として戦争開始日はいつという腹がまえで臨んだというくらいのことは、当然調印するに当たっては、外務大臣は承知しているはずでないですか。
#49
○国務大臣(岸信介君) 戦争開始の日は、先ほど来お答え申し上げているように、政府としては、私が承知しているばかりでなく、一九四四年八月二十五日と、こういうふうに先ほど来お答え申し上げておる通り考えておるのであります。
#50
○森元治郎君 それでは、フランスがこの日本の戦争開始四四年八月二十五日ということに対して、一向沈黙しているのは非常に不可解だ、これほど、日仏間の戦争状態の発生の日をきめる問題を、大さわぎをしてやっているときに、向こうとしては十二月八日だと今でもドゴールが言っているのに、敗戦国の方でサバを読んで四四年八月二十五日からということについては、何か言ってもよさそうなものだ。黙っているというのは一体どういうふうに解釈しますか。
#51
○国務大臣(藤山愛一郎君) この戦争開始日というものについては、相手国と日本側と必ずしも意見が一致しない場合があるわけでありまして、意見の一致しないままで問題の解決をはかっていくとうことも、こういう交渉にはあることは当然のことでございまして、そういう意味において、フランス側としても交渉の当時、そういう意思を持っておったといたしましても、最終的に問題の解決をはかりました以上は、問題の解決がはかられたわけでありまして、その過程におけるいろいろな論議をさらに繰り返すということはないと存じております。
#52
○森元治郎君 この問題についてフランス側と話し合ったことがありますか。あるとするならば、その話し合いの結果を知らして下さい。
#53
○国務大臣(藤山愛一郎君) むろんこの問題につきまして、建前として、この問題だけを取り上げて、特に話し合ったということはございません。
#54
○森元治郎君 開戦日について、かりに二つの国とすれば、二国間で一致しないままでいるというようなことは当然あるというふうにおっしゃっておりますが、戦争開始日がそんなに一致しない例というものがほかにありますか。戦争開始日が一致しない例が多々あるというのは、四日の政府委員の答弁にもありましたが、どことどこの国ですか。
#55
○政府委員(高橋通敏君) このような戦争の開始の日は、もし一番初めの開戦宣言及びその戦争状態の発生ということになると、これは明らかになるわけでございます。ところが戦争状態が拡大いたしますと、お互いに非常に交通も困難になり、そういう状態で、はたしていつの日に戦争開始の日が決定したのかというのは、わからないという場合もこれはあるかと考える次第でございます。そこで、今次戦争におきましても、たとえば連合国が世界の多くの国を対日宣戦せしめて、その結果、そういう国しか国際連合の会議にも参加させないという処置をとったことも御承知の通りであります。従いまして、直接に敵対行為がない、直接に利害関係がないような国々も、法的には宣戦をいたしておるという状況も御承知の通りでございます。そういうような状況でございますので、敵対行為や明確なる宣言というのが、戦争の関係上キャッチできない、従いましてあとからこれを確認するというようなことが起こってくる次第でございます。
#56
○森元治郎君 前にお答えないんだが、そういう一致しないままでいるような戦争関係というものが、当然あって、ままある、多々あることがあるという例を示せというのが私の質問。これにお答えを願いたい。
#57
○政府委員(高橋通敏君) 一致しない事例が多々あるということは、私もしそういうことを申し上げましたら訂正さしていただきます。特にフランスの場合はこのような特別の状態でございますので、こういうような一致しないという状況が起こっていると、こういう関係でございます。
#58
○森元治郎君 戦争状態が、この日仏間のように変則的な関係の戦争状態の場合にはわからないから、あとから確認すると、そうすると負けた方が勝手にお前が戦争を開始したのは何日だと、こっちが確認できるのですか。確認してそれが法律的効果を持つのですか。
#59
○政府委員(高橋通敏君) それは日本側は日本側としてそういうふうな法律的立場、法律的な心がまえとしてそういう立場をとるわけでございます。しかし、われわれとるにいたしましても、それが、客観的に、たとえば国際司法裁判所なんかに持っていきまして、ある問題についての開始日が問題になったときに、客観的には一番妥当なのはどういう日であろうかということを考えつつ、われわれの腹がまえとしてそういう日を考えるわけであります。
#60
○森元治郎君 そうすると将来問題が起これば、フランス側であるいはベトナム側から国際司法裁判所に提起されれば、日本はこれに応じてもう一ぺん戦争開始日を論議し直すということがあり得るのですね。
#61
○政府委員(高橋通敏君) これは戦争開始日自体ではなくて、それはほかのいろいろな法律問題、そういう問題に関連しましてこの日がいつかということになりますれば、ベトナムでもまたフランスでも、そういう関係が裁判所にいくということは、これは考えられることだと思います。
#62
○森元治郎君 ベトナム側にいつごろそういう心がまえを漏らしたか、提示したか、大よその年度を言って下さい。
#63
○政府委員(高橋通敏君) これはあくまでもわれわれの交渉の腹がまえでございます。従いまして、こちらの方からある法律的な━━これは法律的な立場、法律的な解釈の問題でございますので、こちらの方からはっきりとそういうふうな立場をとって交渉するということは、それだけこちらがコミットしたことにもなりかねないと思いますので、腹がまえとして、そのような態度で臨んだわけでございますが、われわれもそのような立場に立って法律的に論争はいたしておりません。
#64
○森元治郎君 賠償交渉には、当然戦争開始日を強調する必要があると思います。
 時間がないから先に進みます。
 平和条約十五条の(b)に一九四一年の十二月七日から云々とあって、締約国を拘束する戦争開始日と終了の日が明記されております。これは連合国のフランスはもちろん、ベトナムそして日本も、戦争開始日で縛られるのではないか、この点どうですか。
#65
○政府委員(高橋通敏君) これは別に関係ない処置であろうと考えます。縛られるということはないと思います。
#66
○森元治郎君 この四日の速記録をずっと見て感ずるのですが、政府は開戦の日を、戦争損害がいつの時期に最も多かったかという事実認定に重点を置いて、これから逆算をして、比較的戦争状態に入った形式を整えている四十四年の八月二十五日を探し出してきめたのではないか、こういう感じを強く受けるのです。一々難解な、しかも、そつのない総理大臣の答弁などを引用すると時間がたちますので、端的にこの点をお伺いします。総理大臣に伺います。
#67
○国務大臣(岸信介君) 先ほど来しばしばお答え申し上げているように、この問題は一つの解釈の問題でございまして、その解釈問題の検討並びに政府のその解釈をとるということは、先ほど来お答えを申し上げた通りでございます。決して今御質問のような趣旨においてこれをきめたわけではございませんで、われわれとしては、最も妥当であるという見解のもとにこの日を解釈した、こういうふうにきめて交渉に当たっているわけでございます。
#68
○森元治郎君 ベトナム側に、事実上八月二十五日を、これをのませて、そうしてそれ以前の賠償請求権を放棄させたというのは、政府はこれを成功と思っているかもしらぬが、この事実は、一九四〇年すなわち昭和十五年松岡・アンリー協定によって日本がインドシナに、軍事力を背景に足をかけたあの歴史的事実と非常に似て、はなはだ不愉快な感じがするのですが、そういう感じはしませんか。
#69
○国務大臣(岸信介君) この問題は、賠償の交渉に当たりまして私どもがそういう解釈をとっており、また、その点に関して向こうと何か論争をして、こちらから押しつけて何したということではございませんで、賠償の全体として両国の間に意見が一致し、また、それ以外には請求しないということを、これは当然のことでございますけれども、明らかにしたということでございまして、特に私ども何か威圧を加えた形のような意味において、今、森委員がお話しになっておるような、最初の仏印のいわゆる平和進駐の場合とは全然趣を異にしていると私どもは考えます。
#70
○森元治郎君 藤山さんと向こうの大臣との間に交換公文がなされて、四日の日に内容を国会に、われわれのところに示されたのですが、この日には、単に賠償協定に定めたものを除いては賠償請求権は存在しないのだと書いてあるだけで、なぜ昭和十九年の八月二十五日ということをこの交換公文の機会に明記しなかったか。当然これは明記しなければならない。どうです。
#71
○国務大臣(藤山愛一郎君) この点は、御承知のように、これから関連したことの請求権がないということをはっきりさせますれば差しつかえないのでありまして、開戦の日等につきまして別に明記する必要はないと、われわれは考えております。
#72
○森元治郎君 これは書くのが当然であります。なるほど、賠償問題の協定はできましたけれども、戦争開始日の法律関係というものは今後に残るわけです。残れば将来問題が起こり得る。一つもこの問題によって日本、ベトナム間が完全な友好関係に進み得ない。何か奥歯に物のはさまったようなことが残ると思うのですが、この点どうですか。
#73
○国務大臣(藤山愛一郎君) 第二次世界戦争の遂行に関連しておりますが、軍隊のとった行動からして生じた一切のものについて請求権がないということを確認しておりますので、戦争の開始日のいかんにかかわらず、全部これは適用されるものと考えております。
#74
○森元治郎君 戦争状態発生の日が、どうも政府の解釈論という建前でいくと、動かし得る、いわゆる可動なものだとするならば、何も昭和十九年の八月二十五日でなくても、事実戦闘の始まった、だれにもわかる三月九日を最も妥当と思いますが、どうしてこの日をとらなかったのですか。
#75
○政府委員(高橋通敏君) 現実の軍事行動は、なるほど四五年の三月九日に行なわれております。ただ、そのような関係で軍事行動をとらざるを得ない、従来までの状態を続けることができなくなったということは、何にしてもやはり。パリにおいてドゴールがビシーを倒して政権を継いだ。その関係によりまして仏印との関係も悪くなったと、そういう関係があるということでございます。すなわち、パリの回復したあの日から戦争状態にあったと、そういう状態にあったからこそ、そういう行動に出たんではないか。従いまして、その状態の発生した日から戦争状態ということが妥当ではないか、こういうふうに考えます。
#76
○森元治郎君 事実問題として、当時のドゴールは、パリに帰ってから仏印総督のドクーとひそかに連絡をとって、日本と武力抗争すれば、インドシナにおけるフランスの勢力がくずれてしまう、こういうことをおそれて、態度をあいまいにしてきているのですから、われわれは三月九日説をとっても、これはフランスが認めてくれたようなもんですから、当然ではないかと思うのですが、もう一ぺんこれは外務大臣に御答弁願いたい。
#77
○国務大臣(藤山愛一郎君) 八月二十五日にドゴールがパリに入りまして、そして従来のドゴールが声明しておりましたロンドンにおける対日宣言その他の宣言をしておりましたものは、ここで初めて正当にフランスの主権者となったという形において、これは確認されてきたわけです。従って、当然その日をとりますことが、戦争状態に入ったと見るべきでありまして、その後あるいはドゴールが政策的に現地において融和政策をとる、あるいは日本軍との接触をできるだけ危険な状態に置かないようにするというのは、一つのこれは政策でありまして、戦争そのものを、戦争宣言そのものをそういう政策で否定しておるわけではございません。従って、われわれとしては、そういう八月二十五日ということが戦争開始日と確認することが適当だと考えております。
#78
○森元治郎君 それでは、戦争開始日八月二十五日は何ら根拠がないという理由を一通り述べます。
 第一に、日本の立場というのが、法律的立場ではなくて解釈論である。これに反してベトナムの方は法律的立場で論じ合っている。そして対立したまま一致点を今後に残しているという点が第一点。それから、八月二十五日というものはどこにも明記されてない。これを生かす道が講ぜられてない。政府に自信がないのか、あるいはこれが間違っているのか知りませんが、どこにも書いてない。これは将来にまた問題を残す。それから、パリ入城だから八月二十五日がいいんだと、これは、単にパリにドゴールが到着したというだけであって、これは小説的な価値しかない。八月二十五日、それを宣戦布告をしたという、宣戦布告をしましたが、当時のドゴールは、いわゆるフランス共和国臨時政府でありまして、まだ未承認である。アルジェーから入ってきただけであって、さっぱり宣戦の効果というものが世間的に認められていない。しかし政府は、あすこに入ってきた、パリを回復したという事実が後に承認されたじゃないかと言いますが、私はそうは思わないので、実態がまだはっきりしない、ことに植民地主義のドゴールに対するアメリカの態度というものが腹にどうもはっきりしないものがあるために、やはりもう少し見てからというので、承認が三カ月後にもおくらされている、こういう事実から見て、八月二十五日というのは何ら意味がない。しかし、政府は依然として、総理大臣、外務大臣一致して八月二十五日が正しいとがんばっている。
 私は、今たくさん述べた理由に一々反論は伺いませんが、八月二十五日が絶対間違いなしと言うのでありますから、もう一ぺん総理大臣から、一言でけっこうでございます。
#79
○国務大臣(岸信介君) 私どもは、しばしばお答えを申し上げている通り、この日仏間の戦争状態をいつから開始したかという解釈の問題として、一九四四年八月二十五日だ、こういう解釈をとっておりまして、これは、私ども一貫してとっているところでございます。
#80
○森元治郎君 それならば、それが全く違っているということを事案をもってお示しいたします。
 去る昭和二十五年九月十五日金曜日官報七千百五号、これです。説明よりは読み上げます。
 「通商産業省告示第百六十八号連合国人工業所有権戦後措置令」、これは二十四年の政令第三百九号に基く措置令で、「第二条第一項の規定により昭和二十四年九月一日通商産業大臣が指定した国について、同条第二項の規定により、その国名および同令の適用に関するその国と日本国との間における戦争開始の日を次のように告示する。昭和二十五年九月十五日、通商産業大臣横尾龍、別表国名戦争開始の日」とありまして、国名ノールウエー昭和十六年十二月八日、フランス同じく十六年十二月八日、ルクセンブルグ同じく十二月八日と出ております。
 官報は国の公文書で、国民に周知させるこれは政府の機関紙であります。こういう事実を一体政府は何と見ますか。今まで八月二十五日と解釈する解釈すると、おかしなことを言っていると思ったら、こういうものがあったわけであります。この事実について、総理大臣は知っておられるかどうか。
#81
○国務大臣(岸信介君) それは、この戦時中における工業所有権に関する取り扱いとしてそういう告示が出ていることは、私承知いたしております。
#82
○森元治郎君 承知いたしておりまして、しかも一九五二年以来事務当局が検討をして、昭和十九年八月二十五日が適当であろうというような腹がまえで、一体そういうことはやれるのですか。こういう告示というようなものがあった場合には、これを公式にひっくり返さない限りやれるのですか。これは、二つの戦争開始日はないということを、四日の総理大臣の答弁で、戦争開始日は一つでございます、昭和十九年八月二十五日でございますと、こう答弁している。いつこれを訂正することが出ておりますか。戦争開始日は二つあるじゃありませんか。なぜそういう、ちゃんと告示として堂々と出ているのを、八月二十五日として交渉に当たったのか。天下の信義に反するじゃないか。ベトナムはだまされた。ベトナムは、昭和十六年十二月八日にしてくれ、これが開始日だと言えば、こちらはつべこべ言って、八月二十五日だと、ずっと押してきた。ベトナムに対して申しわけない。日本国民に対してはもっと申しわけない。こういうことで、一体総理大臣、許せるのですか。
#83
○国務大臣(岸信介君) 先だってお答え申し上げました、いわゆる戦争開始日が幾つもあるかというお話に対しまして、それは一つと解釈すべきものだということを申し上げましたことは事実でございます。また、私どもベトナムとの交渉において、戦争開始日が幾つもあるというようなことは考えておらないのでありまして、さっきから言っておる通り、解釈論として八月二十五日、こういう解釈をとって一貫してきておるのであります。なお、今のこの告示の問題に関しましては、その経緯その他のことにつきまして、法律関係につきまして、条約局長からお答えさせます。私は、これは工業所有権の問題に関する取り扱いの問題として考えております。なお、その点については条約局長から答弁させます。
#84
○森元治郎君 これは、条約局長や政府委員の答弁の介入すべき問題ではなくて、総理大臣は十九年八月二十五日と言い、これには十六年十二月八日となっているんだが、総理大臣はこれに対してどう思うのか。今までのはうそじゃないですか。私はきたない言葉は使いたくないけれども、八月二十五日はうそでしょう。どっちがうそなんですか。どっちがほんとうなんですか。これは、告示した方がほんとうであります。告示の法律的効果とか、公布ということの説明とか、あるいは。ポツダム政令の受諾に伴って発する命令とかいったような、そういうこまかい法学辞典みたいな説明は要りません。日本政府の態度、いわゆるこの告示は、総理大臣もご存じの通り、これは閣議を経て、大臣が副署して出すものじゃないですか。これに基づいて出したこの通商産業省の告示、これをただ字句の説明あるいは用語の説明で事足れりということは、われわれは絶対にこれは聞けない。直ちにこれはベトナム交渉をおやめになって、総辞職すべきですよ。
#85
○国務大臣(岸信介君) 先ほど来お答え申し上げておる通り、その問題は、ただ工業所有権の臨時措置に関する見地から、そういう扱いをするということをきめているのでありまして、私どもが、ベナトムとの交渉に当たって、開戦の日をどういうふうに考えておるかということとは、おのずから別の問題であると思います
#86
○森元治郎君 戦争開始の日と戦争状態はおのずから違うという、私はそういうことを言われるかと思って、四月に子供のような質問をしたつもりだ。戦争開始の日ということと戦争状態というようなこと、宣戦布告の日というようなことは同じような意味でございましょうかと伺った。これは、こういうことがあるから念のために伺ったので、戦争状態と開始の日とは違うのだ、漢字の字は違いますよ、戦争状態と書くのと、これは。そういうことでこの国会を乗り切ろうったって、そうはいきませんよ、これは。この問題は、一体政府の態度ですよ。これをすっぽかそうとするために、政府はなんだかんだ苦労をして、こういうことを伏せておいて、そうして交換公文にも賠償協定にも、どこにも明記しないで、八月二十五日とやった。そういう腹黒い、うしろめたいことがあるから、協定にもどこにもその証拠を残さないという、最も悪らつなる官僚的手段ですよ、これは。どうですか。官僚的悪らつな手段と思いませんか。
#87
○国務大臣(岸信介君) われわれ賠償協定を結ぶにつきまして最初から当たっておる開戦の日としては、しばしば同じお答えをしておる通りでありますが、この問題に関して、特別の告示が出たという問題は、私ども先ほど来申しておるように承知いたしております。それは、工業所有権に関する特別な扱いとして解釈すべきものである、こういう考え方を私はとっておるのであります。
#88
○森元治郎君 工業所有権に関する戦争開始の日とベトナムの日と、あるいは韓国だ、あるいはこっちの国だ━━この問題は、だってあなたは一つしかないとおっしゃったでしょう。どっちなんですか、これは。告示をとるのが当然でしょう。当然じゃありませんか。八月二十五日の方が当然ですか。これじゃ審議できない。解釈じゃない。
#89
○国務大臣(岸信介君) 告示の字句の末を私かれこれ申し上げるわけじゃございませんが、要するに、工業所有権の適用に関しては、その日にちをこういうふうに扱って、そうして工業所有権の問題を措置するということをきめておる特別の告示でございまして、これによって、われわれがベトナムと八月二十五日が開戦日だと言って、そういう解釈をとって交渉したということは、別に私は矛盾しておるものじゃないと、こういうふうに思います。
#90
○吉田法晴君 総理は今まで戦争開始日に二つはないと言い切ってこられた。もしその発言が取り消されるならば別問題だけれども、速記録を調べてみればはっきりすることですが、今まで戦争開始日について二つはないと、こう言ってこられた。官報の告示はこれは政府の意思として法律上の効果を持つものとしてこれは官報に告示せられておる。工業所有権問題について十六年十二月八日だけれども、賠償の問題については別問題だ、そんな答弁がありますか。これは二つの戦争開始日はないと言って、あれの関係の場合には別、あれの関係の場合には八月二十五日、こういう二つのものはないと明言してこられてここでとにかく具体的にあげて、そして二つ、幾らでもあるという、そういう答弁をわれわれは聞くことはできぬ。はっきりした答弁をせられないならばこの問題について審議を進めるわけに参りません。委員長においてすみやかに休憩して一つ政府の態度を待ってもらいたい。(「休憩、休憩」と呼ぶ者あり)
#91
○国務大臣(岸信介君) 私は先ほども申し上げたように、せんだっての御質問は、いろいろな戦争開始日を考えるのに、戦争状態の発生した場合とか、あるいは宣戦の布告があった場合とか、いろいろなことでいろいろな解釈をされるようだけれども、それを二つも三つもあるというふうに政府は考えておりませんということを、一つであるということをその御質問に対してそう申し上げたことはその通りでございます。ちっともこれは間違いございません。ただ、今この問題の告示が日仏間の一般の戦争状態の開始の日を私どもは全体的にきめたものとは解釈しておらないということで工業所有権の取り扱いについて特にそういう……こういうふうに解釈をいたしております。
#92
○吉田法晴君 これは通産省告示ですけれども、国がフランス国との間の戦争の開始の日をこういう工合にきめる、あるいは解釈するということを告示をしておる、国の意思として。しかも大臣の名において。大臣の名においてですけれども、これは政府を代表するものであることはわかっておる。工業所有権のとにかく関係ではございましょうけれども、国が国との関係において戦争の開始された時期はこういう工合であると、こういうふうに解釈するのがこれは当然な話です。そういうときに、とにかく前には戦争開始日に二つないと言いながら、今になってそういう言い逃がれをされるような態度ではわれわれは審議を続けるわけには参りません。言いくるめをしようという態度ならわれわれは審議するわけにはいきません。ここですみやかに休憩をして政府の決定を待ってもらいたい。
#93
○政府委員(高橋通敏君) ただいまのに補足説明をさせていただきます。工業所有権、この告示の日については工業所有権の取り扱いに限ってこのような告示をしたわけであります。と申しますのは、工業所有権その他の問題、日本における特許権を維持するためには特許料を支払わなければならないとか、あるいは優先期間に基づいて措置をするのは一年以内にしなければならないというふうないろいろな技術的な規定がございます。従いましてこの技術的な規定で措置をとろうと思いましても、戦争やその他の関係で措置がとれなくなるということが多々あるわけでございます。従いましてそのような措置をとるために、戦争その他のために妨げられたのを措置がとれるように工業所有権に関する限りはこのようなふうに日にちを認定しよう、指定しようということがこれが真意であろうと思います。従いましてたとえば中立国のデンマークやスエーデンやスイスとの間にもこのような取りきめを日本はいたしております。一つのやはり基準的な日にちを決定しなければなりません。それでその場合は一九四二年の一月一日にいたしておる次第でございます。また戦後、一九四七年の二月八日にはヌーシャテル条約というものができまして、この条約において加盟国はすべて工業所有権の戦後措置をこの条約においてやるということになっております。(「問題は戦争開始の日だ」と呼ぶ者あり、その他発言する者多し)そのときにおきまして、その基準の日を一律に一九三九年九月三日にいたしております。たとえばイタリアなんかは本来の戦争の開始日は一九四〇年六月十日でございますが、この条約関係におきましては一九三九年の九月三日になっております。
#94
○小林孝平君 議事進行について。われわれはこれ以上審議を続けるわけにはいきません。先ほどからの、答弁になっておりませんから、よく政府の方はそれこそ見解の統一をしてやってもらいたい。
#95
○杉原荒太君 関連してお尋ねをいたしますが、この問題の法律的処理に当って、この目的から見て、ある関係をどういうふうに法的に見るかということは、これは国内法においても、国際関係においてもあることなんです。それだからそれは法理論としてもあるし実例としてもある。それだからその実例をあげて、よくわかるように一つ説明してもらいたい。
#96
○政府委員(高橋通敏君) たとえば先ほど申し上げました欧州における戦後の工業所有権の措置を戦争のために妨げられた諸種の措置をどういうふうに解決するかというために、一九四七年二月八日にヌーシャテル条約が結ばれております。ところがこの加盟国につきましては、一律に戦争の開始を一九三九年九月三日をすなわち欧州戦争の開始の日というふうにいたしております。ところが、たとえば加盟国であるイタリアなんかを考えますと、一九四〇年六月十日がイタリアの開戦日であるが、しかしこの条約に関する限りそのような取り扱いをいたしておる次第でございます。
#97
○政府委員(林修三君) 補足させていただきますが、今のは大体外国の事例でございますが、国内で、昭和二十四年に、連合国人工業所有権戦後措置令、ポツダム政令でございますが、これが出まして、これに基づいていわゆるこの政令でいう連合国人を指定することになっております。その指定が翌二十五年の九月に行なわれております。そのほかにフランスが入っております。その告示は告示をお読みになればわかります通り、政令の適用については云々ということで、はっきり限定をいたしております。同時にその当時の日本政府の内部において、フランスについてそういう問題を全般的にきめるということについては相当異議があった、連合国占領中であります。連合国の工業所有権の特殊事情もございます。これに限っての措置としてはやむを得なかろうということで、そういう告示をしたわけであります。決してフランスとの間の開戦全体についての意見をこれできめたわけではありません。当時の立法事情から見ましても、日本側はそういうことを留保して考えています。
#98
○吉田法晴君 休憩動議を出しているのだから、議事進行をしてもらいたい。重要な問題だ。
#99
○杉原荒太君 発言中だ。ただいまの法制局長官の御説明はわかりましたが、さらに一般的な法理論及び法律的に実際の取り扱いとして、国内法においても国際法の関係においてもそういうことはあることなんです。そこでよくわかるように、国内法にもわたって一つ、この点は社会党だって退席するものじゃない、もっと冷静にそこは根本問題を究明すべき問題だ、そこをよく一つ答弁してもらいたい。
#100
○政府委員(林修三君) 先ほど条約局長がお答えいたしました通り、イタリアの問題につきまして、条約で開戦日についての特殊の取り扱いをしたということは御説明をしたわけであります。要するにこれはいわゆる工業所有権というものの特殊の問題であります。技術的な問題でございまして、それについて特殊の取り扱いをするということについては、ある国との関係について、特別な、多少特殊な技術的性格を持つものについてやるということは、これは多々ある事例だと私は思う。国内法的に、あるいは条約的に、個々の問題の技術的性格をとらえて、それについての措置をするためにそういうふうにみる、そうしてその措置を円満につけようということは、これは私は事例があることだ、これをもって直ちに日仏間の戦争状態を日本政府がどう認定したという問題では決してない、かように考えております。
#101
○委員長(草葉隆圓君) ほかにございませんか。
#102
○佐藤尚武君 まず委員長に御注意申し上げたいことがあります。われわれ参議院の外務委員会としては冷静に問題を審議していくということが長い間の伝統であったと私は信じております。傍聴席からかれこれヤジが飛んだりなどするということは、これは未だかつて私は参議院の外務委員会としては聞いた記憶がございません。本日はそういう点においてはなはだしく議場の秩序が乱れております。委員長これは整理していただきたい。傍聴席からそういったような意見の発表であるとか、あるいはヤジであるとかということは、よしんばその人がどういう資格の人であっても許さるべきことじゃないということを、はっきりさせていただきたい。それをまずお願いいたしまして、そうして質問に入ります。
#103
○委員長(草葉隆圓君) 委員長は十分委員会の秩序を保持するのに最大の努力をいたします。どうぞお続け下さ
#104
○佐藤尚武君 今まで努力はしておられないから私は申し上げるのであります。それをなさることが私は委員長の職責だと思いますが、いかがでしょうか。
#105
○委員長(草葉隆圓君) もちろんそのように努力をし、また傍聴席等はあるいは喧騒にわたり、あるいは発言等は禁じられておりますから、従ってさようなことがありますると、今後規定によりまして処置をいたします。傍聴席は発言を禁止いたします。
#106
○佐藤尚武君 本日は戦争開始の時期の問題についてだいぶ議論が白熱して、社会党は退席してしまった。しかし、よしんば議場は白熱しましても、できるだけ委員諸君は冷静に審議を進めていかなければならないのだと思いまするので、私はそういうような意味合いからして、きわめて冷静に総理ないしは外務大臣の御意見をお伺いしたいと思うのでございます。できるだけ短い時間に私の質問は終わりたいと思うのであります。
 私は、言うまでもないことでありまするけれども、日本としましては、自分が署名し、自分が批准した条約は忠実にこれを守っていかなければならぬということは、そういう条約は徹底的に尊重していかなければならぬということは、第一の問題であると思うのでございます。そんなことお前が言うに及ばぬことだとおっしゃるかもしれませんけれども、私は最近におきましては、ややもすれば自分が名前を書いた条約を尊重しない、これにけちをつけたり何かするというような傾向が多分に見受けられまするが故に、あえて私はこの点について念を押すのであります。終戦以来六年を経てようやくサンフランシスコにおいて平和条約を締結することができました。六年もかかった条約でありまするからして、この平和条約に対してわれわれは全幅的な敬意を払い、かつこれをどこまでも尊重していかなければならぬということは、これは当然な話でなければなりません。平和条約締結に当たりましては、各国の全権はおのおのその全権委任状を呈示して、そうして全権委任状の審査会議が開かれて、そこでそれらの全権委任状がおのおの良好妥当なるものと認められて初めてその平和条約が成立したはずのものでございます。日本も同じ手続を経て、そして条約に署名をしたのであります。そういう手続を経て会議が成り立ち、そして、平和条約が締結されたといたしましたならば、日本はその平和条約に定められてあるところの権利を享有し、かつまた義務を忠実に履行しなければならぬということもこれは当然な話であります。しかして問題は、議論となるのは、当時やはり全権委任状を呈示し、良好妥当なりと認められて、そうして他の全権委員と同じ資格でもって平和条約に入ったわけで、のみならず平和条約を後日成規の手続を経て批准した国でもある。しからば平和条約に規定するところの賠償の義務、これはベトナムに対してわれわれは当然負うべき義務であって、それをわれわれは果さんとしておるのである、そのベトナムの全権委員の資格があるとかないとかいうようなことは、これは日本がかれこれ論議すべき問題ではございません。これは平和条約の当時審査された問題であって、妥当であると信じられたがゆえに全権としてベトナムの全権が調印した、こういうことでありまするがゆえに、これは日本の関する問題ではないとはっきり申し上げなければならないのであります。しかして、その賠償の条項によりまして、日本はすみやかに賠償の交渉を開始しなければならぬという義務を負っておるのであればこそベトナムに対しましても賠償の交渉を始めた、そうしてこれをまた六年かかってですか、ようやくこの五月に話がまとまって賠償条約に調印した、こういうようないきさつでございます。私は賠償額の問題につきましても、ここで非常に長い時間をかけて論議がございましたが、私はこれは正確な算定の基礎によって算出されることのできない問題だと初めから考えております。一人の損害が、額がこれこれであるからして、それに損害を受けた人数をかけて、それで賠償額が出るのだというような、そういう簡単な問題ではないはずであります。いや、日本側には的確な情報がないとか、あるいは算定の基礎があいまいであるとかというような非難が多々ありましたが、算定の基礎がはっきり出るわけがないと私は思う。何となれば、日本がベトナムに関係を持っておったのは戦争中のことでありまして、戦後日本は引き揚げてしまっておるのであるからして正確な報道などを持っているわけがないのであります。それゆえにこそ、私は、外務省側においてはベトナムの提出した数字を基礎として、その基礎の上に話し合いを進めていったものと、これは政府側でも説明しておられますし、当然そうでなければならなかったと思うのであります。しかして、賠償額を決定するに当たりましては、そういうようなわけでありまするからして、向こうが要求する額、それに対して日本が良識的に判断をして自分の支払い能力を常に考えながら賠償額を決定するということにしなければならないのであります。それ以外に賠償額を決定する方法は私は断じてあり得ないと思うので、それを政府がやったと私は信じております。最初は二十億ドルから出発しておる。それが、長い間の忍耐強い交渉の間に二億五千万ドルに減額され、最後には、先方の言い分では一億五千万ドルに下がってきておったもので、また、それに続いてわが全権たちが非常な努力を払い、そうして最後的に三千九百万ドルの賠償額、それと千六百六十万ドルの借款ということにようやく落ち着いたのであって、この経緯は、われわれとしてもはっきりこれを認めざるを得ません。そういうような経過を経て、ようやくこの賠償協定が成り立ったという事実、この事実は、われわれとしてもこれを了承しなければならないというように思うのでありまするが、それらの点について、私はあらためて政府のお考えを伺うというようなことはいたしません。これは当然過ぎるほど当然な話であり、かつまた、累次の政府の説明の中にそれがはっきり出ておりまするから、繰り返して私はその点において念を押す必要を認めません。
 ただ、一つここに政府の所見を念のために伺っておかなければならぬと思いまする問題は、すでに政府が説明しておられるがごとく、このベトナム賠償は日本にとっては最後の賠償である、その点であります。南方諸国に対してはこれまで賠償協定を結んできておったのでありまするが、唯一残ったのがベトナムとの関係でありまして、それが今回妥結に達したということであります。先日のこの委員会で、杉原委員から詳細に説明があり、意見を発表されたのでありまするが、日本の賠償義務が平和条約署名国に限られるべきであったのであるということであります。これも当然な話であります。日本は平和条約において賠償の義務をしょったのであり、すなわち平和条約に署名した国に対しての義務であり、また、平和条約に署名した国々に対してのみ負うべき義務であったということは、これは当然な話であります。しかして、今申し上げた通りに、それらの国々の中でベトナムに対して今協定を結んだ、この賠償義務は日本にとっては最後の賠償義務であるということ、この点を、私は、政府におかれましてもいま一度はっきりさせていただきたいと思っております。これ以上、われわれは、賠償の問題について、今までいろいろ賠償協定を結んできた以外の国々と賠償交渉を始めるなどということは、一切政府としては考えていない、そういうことはあり得ないということをはっきりさしていただきたいのであります。ほかにいろいろ問題もありましょうけれども、しかし、私は、その点だけ政府に念を押しまして、そして私の質問を終わりたいと思います。
#107
○国務大臣(岸信介君) 過日、杉原委員からも御質問がございましたが、また、御意見もございましたが、この賠償義務というのは、戦争をした国々の間において、戦争中に生じた損害を一方が必ず賠償しなきゃならないということが当然のことできまっておるわけではないのでありまして、条約上、われわれは、サンフランシスコ条約十四条に基づいて、この戦争によるところの損害を署名国に対してわれわれが忠実に一つ履行すると、こういうことで、その賠償義務の根拠は唯一にそこに存しているのでございます。従いまして、われわれが今回ベトナムの賠償協定を進めますのもまた、今御意見にもありましたように、サンフランシスコ条約に基づいておるものでございまして、また、これを終われば、過般の戦争においてサンフランシスコ条約による賠償の義務を負うべき国はないわけでございますから、これをもって条約上の義務の一切を終わるものであると、かようにわれわれは明確に考えております。
#108
○委員長(草葉隆圓君) これにて休憩し、午後二時より再開いたします。
   午後零時三十八分休憩
   ―――――・―――――
   午後三時四十二分開会
#109
○委員長(草葉隆圓君) 休憩前に引き続き委員会を再開いたします。
 ベトナム賠償協定関係両件の質疑を続行いたします。
#110
○井上清一君 私は、ただいま提案されておりますベトナムに対しまする賠償の問題について、数点お伺いをいたしたいと思います。
 わが党の杉原委員は、さきに賠償に関しまする包括的な問題について御質問になりましたので、私は細部にわたりまして十数点お伺いをいたしたいと思うのでございます。
 まず、その前に一点だけ、外務大臣の御抱負と申しまするか、所信を承りたいのであります。
 今度のベトナム賠償協定の締結によりまして、日本がサンフランシスコ平和条約第十四条によりまして、損害賠償の支払い義務を負うことになりました国々のうちで、対日賠償請求権を放棄しました国は別といたしまして、ビルマ、インドネシア、フィリピン、ベトナム、この四カ国に対しまして賠償の義務を負ったわけであります。今度のベトナム賠償をもって、今次戦争敗戦の結果、日本が負うことになりました賠償義務というものが、全部解決を見るということに相なるわけでございます。もちろん、この賠償は、戦争によりまして損害を与え、また苦痛を与えましたこれらの国々に対しましての経済の回復及び発展並びに社会福祉に資して、それらの国とわが国との友好関係並びに経済交流を高めることにあることは、私は申すまでもないと思いますけれども、私どもは、この賠償の実施によりまして、東南アジア諸国に対しまする日本の、何と申しますか、このたびの戦争に対する責任を果たし、同時にこの賠償を通じて東南アジア諸国との経済協力をますます高め、また、日本との貿易の振興をもっと積極的に推し進めていこうということは、今度の賠償の実施にあたりまして、あわせて考えていかなければならない点だと思うのでございます。私どもは、べトナム賠償が一段落いたしました今日におきまして、今こそ東南アジア諸国に対する経済協力、また日本の貿易の振興に対して大きな構想と抱負を持って臨まなければならぬと私どもは考えるのでございます。
 藤山外務大臣は、多年東南アジアに関して関心をお持ちになっておられ、アジア協会長としても、こうした方面に平素からきわめて御熱意を持って御検討に当たってこられたお方でございますので、この段階において、日本の東南アジアとの経済協力に一段階を画するこの際、外務大臣は、東南アジア諸国に対する経済協力、また貿易振興等に対しましての具体的な抱負、経綸をお持ちになっておられると思うのであります。どうぞ一つこの点をお漏らしを願いたいと、かように思うのでございます。
#111
○国務大臣(藤山愛一郎君) ただいま井上委員の御質問にありました通り、今回のベトナム賠償の批准が終わりますれば、今回の戦争によりまするサンフランシスコ条約十四条の賠償の責任というものは、日本がこれを完遂したことになるわけでありまして、東南アジアに対する新しい出発点になろうかと思っております。申すまでもなく、東南アジア各国は、第二次世界大戦の結果として、多くの国が植民地から独立をいたしたわけであります、従いまして政治的に独立を達成いたしましたわけでありますけれども、その裏づけをなします経済的な基盤がはっきりして参りませんければ、ともすれば、政治的独立も動揺せざるを得ないことになろうと思います。でありますから、これらの国が政治的独立を完全に達成しますためには、それぞれの国の経済建設というものがその裏づけになっていくこと、申すまでもないわけであります。御承知の通り、植民地経済から脱却をいたしまして、そうして独立国家としての一つの産業の基盤を持ちますことは、相当な努力と相当な苦難の道を歩いて参らなければならぬと思うのであります。日本は、これらの国の独立達成を喜びますと同時に、その究極の目的を達成できますように経済的発展を助けて参らなければならぬこと、申すまでもないのであります。また一面、日本自身のことを考えてみましても、これらの国が経済的に発達いたしまして、そうして産業が拡大され、国民生活がそれぞれ向上して参りますれば、自然購買力もふえてくるということによって、貿易に依存しております日本の経済がさらに発展をしていくことに相なっていくわけでありまして、彼我共通の目的を達成することに相なろうと思うのであります。でありますから、そういう意味におきまして、われわれとしては、東南アジアの経済建設の構想を新たにして出発しなければならぬと考えております。もちろん、この経済協力と申しましても、やはり技術の面、資本の面及び経験の面合わせて考えて参りませんければ、援助も徹底して参らないわけであります。戦後日本があの廃墟の中から立ち上りますためには、日本の財政事情というものは必ずしも十分でなく、立ち上りますまでに非常に困難なところを経てきております。従って今日まで十分な資本的な、金融的な援助を与えるというわけに参らないのであります。辛うじて技術的な協力あるいは経験による協力というものを若干ずつ出して参らなければならぬかと思います。のみならず賠償等が済んでおりませんので、やはり東南アジアのそれぞれの国民からいたしますれば、やはり戦争中の日本に対する恐怖感と申しますか、あるいは日本に対するいろいろな感情から申しまして、せめて賠償でも片づけていくということが、それぞれの国の対日感情をよくして参るのでありまして、フィリッピンの例を見、あるいはインドネシアの例を見て、全くその感を深うするわけであります。受け入れ国側における対日感情が好転し、また、日本における財政経済の実情なりあるいは技術発展の段階がきますれば、それが合わさってほんとうの効果ある仕事ができていくことと思います。でありますから、今後はいわゆる東南アジアに対して、今までは戦後の跡始末というような形であったわけでありまして、賠償を払いますれば、一応跡始末が終わり、そこで新たな構想を持って一つ東南アジアに対する経済協力を見出していく、あるいは相互の貿易拡大を所期する方向に向かって日本の外交が努力して参らなければならぬことは当然のことであります。さようにして日本の国力も逐次充実してきておりますし、技術的な発展も、戦前と比べまして著しい日本の技術向上を見ておりますが、これらのものをいかに按配し、いかに積極的に活用して、そうしてそれぞれの国に貢献していくかということは、今後に残された大きな問題だと思います。私はそれらについて十分跡始末が終わって、新しい前進の道を開くように今後も用意して参らなければならない。そういう意味において積極的に今後の状態を活用していくように努力して参りたいとこう存じております。
#112
○井上清一君 ただいま外務大臣のお考えを承ったのでございますが、東南アジア諸国に対する経済協力なり、経済開発は賠償の実施によりまして、または日本の政府筋の借款協定等によりまして、相当程度のものが着々実現を見ておるというふうに私どもは考えておりますが、今度のベトナム賠償に伴いまして民間べースによりますコマーシャル・べースによります経済開発借款がとりきめられております。従来商業べースによります借款の供与というものが、数次の賠償協定に伴って結ばれましたけれども、私はその後これらが実際に動いておるかどうかという点に相当な疑問を持っておるのでございますが、今度の経済開発のための借款の供与もただ名前だけに終わって、実際の効果は向うの国に及ぼすことがないということに相なりましては、どうも私ども遺憾だと思いますので、この際承りたいことは、これまでの借款供与の協定に基づいてどの程度のものが東南アジアの国々に供与されておるか、そうしてまた今後の計画におきましても、尿素工場を作るとか、あるいはまたいろいろ計画がおありのようでございますが、これがほんとうに実現を見るのは、大体いつごろになるか、また、これが実現するという確信をお持ちであるかどうかということについて承りたいと思うのでございます。
#113
○国務大臣(藤山愛一郎君) 従来の賠償協定に伴います民間経済協力協定につきましては、遺憾ながらまだ十分な効果を上げておりません。それにはいろいろ理由があるわけでありまして、日本側におきます民間借款のことでございますから、海外に使い得る金の量と申しますか、そういうことも関係しておりますし、あるいは利息等の問題も関係しております。また同時に、民間として東南アジアに進んで出て参りますについて、戦後若干やはり日本の企業家も意識しておりますので、そういう意味からいいますと、若干の不安を持って出ていきにくいというような点もございます。そんな関係でビルマ賠償におきましても、経済協力協定によりまして綿糸布工場というようなものがたびたび話し合いに乗りましたけれども、まだ完全にそれが実現に至ってないというような状況にあるわけでありまして、経済協力協定というものは、すぐにはなかなか動きにくいというものでございます。同時に受け入れ側におきましても、やはりいろいろな条件がございますので、まあ、やはり動力問題その他も非常にございます。従ってたとえばビルマの賠償において、純賠償で取り上げましたバルーチャンの発電所というようなものもできて参りますれば、動力問題というものも片づいて参る。それに従って自然やはり工業用電力が補充されて参りますので、そういう関係からして工業が起こりやすくなるというような形にもなって参ります。従ってどうしても純賠償の仕事がある程度進行いたしませんと、純粋の民間経済協力協定というのが動きにくいような立場にあることも申すまでもないことでありまして、それぞれあわせまして、今日まで十分な成果を必ずしも上げておるとは申しかねます。しかしせっかく経済協力協定を作りまして、民間にも進出をするように、こういうワクにおいて勧誘することになりますので、政府としても今後は現地の事情等も勘案しながら、積極的に民間進出の方面についても力を尽くして参らなければならぬとこう考えておるわけでございます。
#114
○井上清一君 次に、本院の委員会ではございません、衆議院の委員会の段階におきましていろいろ問題になりました点について二、三お伺いを申し上げたいと思うのでございますが、衆議院の審議の段階において、サンフランシスコ条約に調印をいたしましたトラン・バン・フー氏の国籍の問題がいろいろ論議されたやに聞いております。トラン・バン・フー氏がフランス籍だけを持っておるとか、両国籍を持っておるとかいうふうなことがいろいろ議論をされたようでございますけれども、ベトナム国の全権の委任状を持って出られましたトラン・バン・フー氏の、条約に対する調印というのは国際法上の見地から申しまして、何ら問題とするところはないと私どもは確信をいたしておりますが、これが無効であるかのごとき印象をだいぶ世間に何か与えたような感じがあるのでありますが、それに対して明確なる外務大臣の御所信を承りたいと思うのでございます。
#115
○国務大臣(藤山愛一郎君) 詳しいことは条約局長から申し上げますけれども、私どもは正規の全権委任状を持ちまして、しかも出席いたします会議において資格審査がございます、その資格審査を経まして、しかもサンフランシスコ平和会議に出席しております各国が、それに対して異議を申し立てなかった以上は、その全権委任状を持って出ましたトラン・バン・フー氏が仏国籍であろうと、二重国籍であろうと、いかなる国籍を持っておりましても正統なベトナムのための代表者としての調印が行なわれたことでありまして、何ら条約の効力に懸念はございません。
#116
○政府委員(高橋通敏君) サンフランシスコ会議で全権委任状の審査は、事務局議事規則に従いまして事務総長に委託されたわけでございますが、事務総長が全権委任状を審査して、これが良好、妥当であるということを報告いたしまして、その報告に異議を差しはさむ者がなく、それが了承されたわけでございます。従って、この全権委任状を持ちましてサンフランシスコ条約に調印するということによりまして、正式の権限の関係が発生したということであろうと考えております。いかなる人を全権委員に任命するかどうかということは、その国の国内問題である、このように考えております。
#117
○井上清一君 もう一つお尋ねしたいのでございますが、衆議院においての論議に、某社会党議員が、北ベトナムに行かれましたときに、日本政府が旅券を発行した、その時に、行き先にベトナム民主共和国と書いてある、そうした点から見ると、政府はベトナム民主共和国というものを承認しているんじゃないかというような議論を展開されておったのでございまするけれども、私はこれは政府が一体ベトナム民主共和国というものを承認していないのに、それを旅券に書いたということが一体、私は正当じゃないんじゃないかという感じを持つのでありますが、このいきさつ並びにこれが正しいかどうかということについて御所信を承りたいと思うのでございます。
#118
○政府委員(高橋通敏君) 旅券に記載したということは、それによって直ちに記載したところの国を法的に政府が承認したということにこれはならないと思うのであります。記載することは、その行き先を明示するためでございますし、入国の便宜のためにそのような処置をとっているわけでございます。それが承認であるということにはならぬと、このように解釈いたします。
#119
○井上清一君 しからば伺いますが、こういう事例はまだほかにもございましたかどうか、その点を伺いたい。
#120
○政府委員(伊関佑二郎君) 中華人民共和国も最近ははっきり書いております。そのほかに……ちょっと今思いつきますのは中華人民共和国、これが一番はっきりした例でございます。
#121
○井上清一君 中華人民共和国につきましては、以前は香港までの旅券しか出さなかったと私は記憶をいたしておりますが、いつから中共の行き先の旅券をお出しになりましたか。それから北朝鮮に対してはどういうふうな関係になっておりますか。この点をお伺いしたい。
#122
○政府委員(伊関佑二郎君) 中華人民共和国に対しまして出し始めましたのは、私もはっきりいたしませんが、すでに四、五年にはなっておるんじゃないかと思っております。それから北鮮につきましては、出しておらないんじゃないかと思っておりますが、ちょっと私の方の管轄でございませんので、これは移住局の方でございますので、あまりはっきり存じておりません。
#123
○井上清一君 それらの差異はどういう点で違うのでございますか。
#124
○政府委員(伊関佑二郎君) 北鮮の場合、確かに出しておらぬのじゃないかと思いますが、これは今までのところ、北鮮との往復というものはほとんどございません。まあ引き揚げ問題等にからみまして、赤十字が参りましたとかいうふうな事例はございますが、そのほかに大体今まで行かれた方は、過去におきましては、事実問題として行かれたというふうな方が多いのでありまして、北鮮は今のところほとんど政府が認めましての行き来というのはきわめて例外でございます。往来が多くなりますと、やはり実際問題として向こうの国名を書くというふうになってきているわけであります。
#125
○井上清一君 わかりました。政府は今度の賠償協定の提案に際しまして、ベトナム共和国は四十九カ国から承認を得ておる。ところが、北ベトナム政権は十二カ国または政権も含まれるわけでございますが、承認しているにすぎないという説明をされております。これに対しまして、先日の衆議院の委員会におきまして、ある議員は、カンボジア、インド、インドネシア、ビルマ、アラブ連合、イラクをも北ベトナム政権承認国にあげております。また某議員は、衆議院の本会議におきまして、北ベトナム政権の承認国は三十カ国であるというようなことを言っておられるのであります。政府が正式承認国のみを多分数えておられるのだと思いますが、これに反してそれらの議論は事実上の承認国か、あるいはまた領事を交換しております国、貿易協定を締結しておる国も北ベトナム政権承認国に数えているのだろうと思います。これに対しまする政府の見解並びに調査の結果どういうことになっておりますか、伺いたいと思います。
#126
○政府委員(伊関佑二郎君) 北ベトナムを正式に承認しております国は、ただいま仰せの通り十二カ国でございます。そのほかに事実上承認いたしております南と北を両方事実上承認いたしております国が、パキスタンとインドネシアとインドの三カ国でございます。その他の国は代表部を出しておるとか、総領事館を置いておるか、領事館を受けておるとかいうことがございますが、これらは正式の承認でもなく、また事実上の承認ともわれわれは思っておりません。そういう国といたしましてまずビルマ、これは南と北と両方から総領事館を受けておりますが、自分の方は出しておりません。カンボジアは南に対して代表部を派遣し、また南から代表部を受けております。北とは貿易支払協定を締結いたしておりますが、そうした代表部の派遣というふうな事実はございません。ノルウエーは南に対しまして領事館を派遣いたしております。それから、アラブ連合は北から通商代表部を受けております。北と貿易協定を結んでおります。それから、これは南を正式に承認しておる国の中でイラクが北と貿易協定を結んでおる。それから、フランスはハノイに代表部を出しており、イギリスがハノイに領事館を置いておる、こういうふうな関係がございます。以上であります。
#127
○井上清一君 さらにまた伺いますが、バオダイがフランスのかいらい政権で、またゴ・ディン・ジェムがアメリカのかいらい政権であるからして、サンフランシスコの平和条約や今度の賠償協定は無効だというような議論をだいぶ展開されておる向きがございましたが、これらについて政府の御見解を承りたいと思います。
#128
○国務大臣(藤山愛一郎君) 政府といたしましては、南ベトナム、いわゆるベトナム共和国の成立以来の過程から見まして、南ベトナムが全ベトナムを代表する正統政府と認めております。その任に当たっておりますものがかいらい政権であるかないかというようなことは、どこの国と好意的なつながりを持っておるか、つながりを持っていないかということでありまして、このこと自体が決してその国の正統政府であるかいなかを左右するものではございません。従いまして、いわゆる通俗的にいわれますかいらい政権というものの言葉に、何らサンフランシスコ条約調印のことが影響されるものではございません。その国の成り立ちからきまして全ベトナムを代表する正統政府として認める事実の上に立脚してわれわれは判断をいたしておるわけであります。
#129
○井上清一君 バオダイのベトナム政府からゴ・ディン・ジェムのベトナム共和国制への政体の変更は、一九五五年十月二十三日の国民投票によって行なわれたものでございますが、この国民投票前後の事情というものを一つ明白にしていただきたいと思います。
#130
○政府委員(伊関佑二郎君) 一九五五年に国民投票が行なわれたのじゃないかと私は存じますが、当時バオダイ帝はフランスの方に参っており、ゴ・ディン・ジェムが首相をいたしておったわけであります。この関係がうまくいかず、それからバオダイ帝が国政を、何と申しますか、放棄したというわけでもございませんが、ともかくフランスへ行っておって、あまり熱心に仕事をしないというようなことで国民の中に不満もございました。そういう関係でゴ・ディン・ジェム、当時の首相がバオダイ帝を今後とも君主とするか、あるいは自分が大統領になって、そういう共和制をとるかということを国民投票に訴えた。その結果といたしまして、十月二十何日でございましたか、ゴ・ディン・ジェムの方が圧倒的な支持を受けまして、そこで大統領に就任したというふうな事情と存じております。
#131
○井上清一君 このたびのベトナム賠償につきまして、政府は北ベトナムと南ベトナムとの関係についてどういうふうにお考えになっているのでございますか。私どもはこの南北政権ができるだけ早い機会に統一してすっきりした形の一本の政府になることを期待するわけでございますが、この二つの政府は現に存在をしております。私どもは一本になった暁において賠償を実施いたしますれば、これが一番問題はないと思いますけれども、それには私は相当の長い期間を必要とすると思うのでございます。日本もできるだけ早くこの賠償の実施の新しいスタートをするという意味において、将来長い期間こうした南北の関係が続いていくものであるならば、まず正常な国交関係にあります南ベトナムに対して賠償を実施するというのが、次善の策であると、私どもは考えておりますが、こうした点についての政府の御見解を承りたいと思います。
#132
○国務大臣(藤山愛一郎君) サンフランシスコ条約に調印をいたしまして、平和回復の一歩を踏み出しました以上、われわれといたしましては、その義務の履行を一日もすみやかにいたしますことが必要であることは申すまでもないことであります。ただ、不幸にしてベトナムにおきましては二つの政権がございまして、そして争っているというような実情でありますので、むろんこれが統一されて一つになることは、われわれの希望しているところでございます。ジュネーブ会議におきましてその希望が表明されたわけでございますけれども、ジュネーブ会議において協定されました後二年たちまして、ロンドンにおいて当時議長団でありますソ連とイギリスが寄りまして、当分選挙によって円満に統一することは、困難な状況にあるという事態を認めて、ジュネーブ協定の各国に報告をいたしております。そういう事情でありますから、今日統一を願っておりましても、早急に統一を見ることは、その事態の上に立ちまして困難であるとすれば、できるだけ早い時期にこれらの責任を果たしますためには、われわれとして承認をいたしており、かつまたその成り立ちからいって全べトナムを代表する政府として認め、しかもサンフランシスコ条約に調印しております国をベトナム政府を代表するものとして、これに賠償の責務を果たして参ることは、当然やらなければならぬことと思います。政府としては、そういう見解のもとに今日この協定を調印しているわけでございます。
#133
○井上清一君 今度の戦争の結果、北ベトナムに対して相当の損害と苦痛を与えたということは事実でございます。今度の賠償をもってベトナム全地域に対する賠償であるというふうに解釈される政府の根拠と申しますか、法律的の根拠を承りたいと思うのであります。
#134
○政府委員(高橋通敏君) 賠償の根拠は申すまでもなく、平和条約第十四条における賠償の義務をわれわれは負担しているわけでございます。そこで、平和条約を調印いたしますことによりまして、ベトナムと日本国との間におきまして、この賠償の権利義務関係が発生したということは、全ベトナムを代表するベトナム国と日本政府との間にそのような権利義務関係が発生したということは、とりもなおさずベトナムの政府を通じまして、ベトナム国に対してそのような賠償の義務、賠償の権利というものが、ベトナム国が国として、それの権利主体になっているということでございます。従いまして、われわれはここでベトナム政府を通じまして、この賠償の義務を果たすことによって、ベトナム国に対する賠償の義務を果たした、こういうふうに考えます。
#135
○井上清一君 政府はベトナム共和国政府がベトナム全体を代表する正統政府だというお話でございますが、フランスは一九四六年三月六日、フランス・ベトナムの予備条約をホー・チミンと結びましてフランスはベトナム共和国と自分の政府、議会、軍隊、財政を有するフランス連合及びインドシナ連邦を構成する自由国として承認すると言っているのであります。そういう点からホー・チミン政権こそベトナムの正統政府であるという議論を展開されている向きもあるのでございますが、この点に関する政府の御見解を承りたいと思います。
#136
○政府委員(高橋通敏君) ただいま御指摘の点は一九四六年三月六日にホー・チミン側とフランスとが交渉に入りまして、仏越予備協約と申しますか、かような協定が成立したことは事実でございます。しかし、この協定の第一項には、フランスはベトナム民主共和国の自身の政府、議会、軍隊、財政を有するフランス連合内のインドシナの連邦を構成する自由国として承認するという第一項の規定がございます。
 さらに第二項には、ベトナムの諸外国との外交、インドシナの将来のステータスに関しては、将来の交渉によって決定される、このような内容ができ上がったわけでございますが、これはこれによって、国家としてフランスが承認したというわけではないというふうに解する次第でございます。この協約の内容におきましては、この場合のホー・チミンは、ほかのラオス、カンボジアとともに、一つのインドシナ連邦を構成するということになりまして、このインドシナ連邦がさらにフランス連合のワク内に入るということでございますが、自治政府、いわば一つの自治政府としての承認をしたというふうにすぎないのではないかと思います。しかも将来のステータスは一切将来の交渉にゆだねているわけであります。その後に両国間に大規模な戦闘が開始されまして、ついに予備協約に関するものも無に帰してしまった、こういうふうに解しているわけであります。
#137
○井上清一君 一応ただいまの御説明によりますと自治政府として認めた、しかもなおそれには条件がついている。その条件がその後戦闘行為によって満たされていないという御説明であったと思うのでございますが、あるいは将来何か交渉によって、自治政府とフランスがそれを認める可能性があるのですか、どうなんですか、その点を承りたいと思うのです。
#138
○政府委員(高橋通敏君) フランスが、これによって将来ステータスを与えようと考えたのは、一つの自治政府を持った自治州的な地位であったと考えるわけでございます。ただ、その後戦闘行為が行なわれまして、これをどういうふうに具体的に実施するかということも全然話し合いができずに、一方フランス側としましては、バオダイと協定を結びまして、一九四八年でございますが、正式にベトナムの独立を厳粛に承認したわけでございます。
#139
○井上清一君 北ベトナムは今度の日本がなさんとしております賠償協定は無効だという声明を出しております。そうして日本に対する賠償請求権を留保いたしております。私はもちろん法律論的に申しまするならば、サンフランシスコ条約に調印をいたしておりません北ベトナムは、もちろん法律的には賠償請求権というものはないことは、これは当然だと思いますが、ただそうした法律論だけでこの問題を片づけ得るかどうかということについていささか疑問を持つものでございます。もし将来北ベトナムというものが長く続いて、この請求権を日本に対してぶつけてくる場合に、ただただいま申し上げましたような法律論だけで賠償の義務がないのだということで話し合いに応じないということができるものかどうか、この点について一つ伺いたいと思います。
#140
○国務大臣(藤山愛一郎君) 先刻来の杉原氏の御質問にもありましたように、賠償そのものは単に戦争があったというような事実だけで請求権が出てくるわけじゃないのでありまして、御承知のように、条約によりましてその賠償の責任を規定しました場合に起こってくるわけであります。従ってわれわれとしては、その法律的な解釈に従って今日のベトナムを代表する政府に対して支払いますれば、これをもちましてサンフランシスコ条約に規定しております賠償の責任は果たし得ると思うのでありまして、その他の問題については、賠償という角度とは全然別個のものとしてでなければならぬと、こう考えております。
#141
○井上清一君 今度のベトナム賠償は、統一ベトナムの国連加盟を支持いたしましたバンドン宣言の精神に反するじゃないかというような議論がだいぶ行なわれております。この点に関しまする政府の明確なる御見解を承りたいと思います。
#142
○国務大臣(藤山愛一郎君) バンドンにおきましてベトナムが統一された暁には国連に加盟することが望ましいという決議があったことは事実でございますが、当時のその際の決議というもみは、日本を含めておりますし、そういう意味においてできるだけ早い機会にそうした統一が行なわれまして、そうして国連等に加盟することは望ましいことであるという決議をいたしております。むろんわれわれといたしましても統一ができることは望ましいことではありまするけれども、先ほど来申し上げておりますように、統一が困難であります以上、われわれがサンフランシスコ条約の遂行をいつまでもとどめておきますことは適当でないのでありまして、従って平和裏に将来選挙等を通じて統一されますことは望ましいことむろんでございますけれども、また同時に、われわれとして賠償を全ベトナムに対して払いますこと自体がその統一を阻害しているとは考えておりません。
#143
○井上清一君 ベトナムにおきまする戦争損害につきましては、本委員会におきましても先般来しばしば論議されたところでございます。もちろん先ほど佐藤委員が御指摘になりましたように、戦争損害というものをことこまかに洗い立てて、そうしてそれによって賠償を決定するというような性質のものでは賠償というものはないのだという点は、私どもも十分承知をいたしておるわけでございますが、今度の賠償交渉に当たりまして、政府はあるいは現地調査をされるとか、あるいはまたベトナムのいろいろな詳細な調査書というものをおとりになったかどうか。またビルマ、フィリピン、インドネシア等の賠償総額決定に当たりまして、そうした現地調査などをおやりになったかどうか。また戦争損害の算定というものをおやりになったかどうかという点について、先般来いろいろ議論がございましたが、この際承っておきたいと思います。
#144
○政府委員(伊関佑二郎君) このベトナムの場合で申し上げますと、戦争が済みましたのが一九四五年でございますが、わが方の公館ができましたのがたしか一九五二年の末か三年の初めであったかと思います。そういうふうな実情でございまして、その後そういうふうに公館ができましたときに調査をいたそうといたしましても、すでに戦後相当に年がたっておるわけでございまして、調査もできないわけでございます。この点はほかの三国につきましても同様でございまして、やはり戦後の混乱もございますし、なかなか現地調査というふうなことは行なわれなかった次第でございまして、そういうことはできませんでしたが、いろいろと各方面の集められるだけの資料は集めるように努力いたし、またいろいろな方からいろいろなお話を伺うというふうなことはいたしたのでございますが、何と申しましても、戦争並びに戦後の混乱というものによりまして、資料というものは非常に不完全ならざるを得ないというのが実情でございまして、そうした不完全な資料に基づきましてでございますから、はっきりした賠償の何といいますか、戦争損害の全額を算定するというふうなことはもちろん不可能なんでございます。先方が乏しい中から集めて持って参りましたものに対しまして、こちらが判断をいたしまして、大体の見当をつけておくというのが、各国を通じましての実情でございます。
#145
○井上清一君 きょうは、午前中ベトナムとの開戦日はいつであるかということがだいぶ議論になったようでありますが、こういう議論もあるのであります。ドゴールが連合国宣言に署名をいたしましたのは、昭和十九年の十月二十六日である、このときに連合国の地位を獲得したのだというふうな考え方もあるのであります。そしてこのとき以降が戦争状態であるというふうな考え方もあるのでございますが、この点についてはいかがですか。
#146
○政府委員(高橋通敏君) ドゴールが一九四四年の八月二十五日に、パリを回復した日でございますが、その連合国共同宣言に加入いたしましたのは、ただいま御指摘のように一九四四年の十月二十六日でございます。一九四四年の八月二十五日、やはりパリ、連合軍とともに大陸に上陸いたしましてパリを回復し、そうしてペタン元帥を倒したというところに初めて正統政府としての地位を持ち、従いましてそれによって従来宣言していたところの戦争宣言なるものが正当な国際法上の効果を持つに至ったというふうに解するのが穏当ではないか、またそういうふうな地位を得たからこそ、その後に至りまして一九四四年の十月二十六日に正式の加入を許された、こういうふうに解する次第でございます。
#147
○井上清一君 ただいまの御説明にありましたように、開戦日を昭和十九年八月二十五日といたしまして、それ以降の戦争損害に対して賠償を支払うということに相なりまするというと、昭和十五年の七月に日本軍が北部仏印に進駐いたしましてから、十九年の八月二十五日までの期間に与えました何らかの損害につきまして、ベトナムは再び補償を要求してこないかということが一応考えられるのでございますが、こういう点についてどういうふうな考え方をされておりますか、伺いたい。
#148
○政府委員(高橋通敏君) その点につきましては、先般来申し上げましたベトナム側といたしましては、この賠償協定に定める場合を除いて請求権は存在しないということを明言いたしておりますので、そういうふうな問題は起こらないと、このように考えております。
#149
○井上清一君 昭和何年でございましたか、ベトナムとの沈船協定が一応結ばれ、二百二十五万ドルでもって沈船の引き揚げをやるのだということになっておったのでございますが、あの沈船引揚協定がたな上げになった理由、これを私ども一つ明白にしていただきたいと思いますのと、その沈船引揚協定というものを向こう側がやめにしてきたといったときに、どうしてこちらの方でそれに対して同意をしたか、その理由を承りたいと思います。
#150
○政府委員(伊関佑二郎君) 沈船協定は一九五三年の九月十何日かに仮調印をいたしたわけでございます。その後わが方といたしましては、しばしばこれを正式調印するように督促いたしたのでありますが、先方ははっきりした理由は申しませんが、一九五五年の十二月に至りまして、これをたな上げにしたいということを申してきたのであります。
 一つの理由は、この沈船というものは、もちろんこれはスクラップの当時の時価にもよるのでありますが、スクラップの値段がよければ、これを純然たる民間の契約によってやりまして、そしてなおかつ民間業者がこれを無料で引き受けて、なおかつスクラップ一トンにつきベトナム政府に対して何ドルか納めるというふうなことも可能であるわけであります、もしスクラップの値段がよければ。そういうふうなことがございまして、スクラップの値段が当時ある程度よくなっておった、あるいはよくなることを期待して、民間でやっても十分、民間でやった方が有利だ、賠償のこれが将来一部に繰り入れられるよりもその方が有利じゃないかというふうな解釈もあったと思います。
 それからもう一つは、一九五四年の半ばには、すでに大野・ガルシア協定というふうなものが、フィリピンとの間に一応まとまりました。これは直ちに向こうが破棄いたしまして、そうしてその年の暮れになりますと、ビルマとの賠償総額がきまっております。そうしてインドネシア、それからフィリピン等も賠償総額につきまして、純賠償につきましての交渉が行なわれておるのでありまして、また御参考までに申し上げますと、インドネシアの場合も五三年のこれは十一月か十二月でありましたが、沈船に関する中間賠償の協定ができまして、やはり同様にこれを、ベトナム同様に、これをたな上げにいたしております。そういうふうないろいろな事情がございまして、先方は五五年の末になりまして、純賠償についての、賠償そのものについての交渉をいたしたいということを申し出てきたわけでございまして、わが方としましては、特にこれを拒絶する、拒否する理由もございませんので、いずれにいたしましても賠償がきまるには相当時間がかかるであろう。各求償国が相当大きな額を要求しておりまして、なかなか純賠償そのものについての交渉は長引くのではないか。そこで中間賠償ということで、こういう沈船引揚協定というものが、フィリピン、ベトナム、インドネシアというふうな順序で一九五三年中に作られたわけでございますから、まあほんとうの賠償そのものの交渉が始まればそれでけっこうなわけでございますので、こういう向こうの申し出に応じて五六年の一月から賠償そのものの交渉に入ったというのがそのころの実情でございます。
#151
○井上清一君 沈船引揚協定のたな上げになった理由は、ただいま御説明がありましたのでわかりましたが、どうも世間では二百二十五万ドルの賠償が三千九百万ドルにふくれ上がったのだというふうな印象を受けておる。また今度の賠償協定の発効前に、すでに水力発電所であるとか、あるいはまた機械工業センターが決定しておるなどということを言って、今度の賠償はいかにもどうも過大な賠償をやるのだというようなことで宣伝をしておる向きもあるのでありますが、私はこうした点で政府はこうした世間の疑いを一掃するための措置を一つ十分におとりいただきたいということを希望するものでございますが、そうした点について、この委員会を通じて一つ明白にしていただきたいと、こう思います。
#152
○国務大臣(藤山愛一郎君) 御承知のように、ベトナムとの賠償交渉にあたりましては、当初、向こう側の算定しておりました損害高二十億、そしてまた持ち出してきましたものが二億五千万ドルというような膨大な金額でございます。沈船引揚協定にあたりましても、日本側としてはむろんそういうようなできるだけ少ない金額をもってこれを解決していきたいという希望は持っておりましたでしょうけれども、向こう側としては二億五千万ドルというような膨大な要求をいたしまして、しかも、沈船引揚協定はその中では非常にわずかな部分にしかすぎないのだということを当初から申しておったわけなんであります。従いまして、急にそれがふくれ上がったというわけではございませんので、二億五千万ドルを一億五千万ドルに切り下げ、さらに交渉の過程におきましては一億ドルなり八千万ドルなりという向こう側の主張も漸次緩和するように交渉をしてきたわけであります。こちら側といたしましても、それらに応じて若干ずつ向こう側と歩み寄りをしていきますことは、交渉においては当然のことでありまして、従って、そういう意味において折衝が続けられて、しかも、長年月を要したということに相なるわけであります。急に何か二百二十五万ドルが三千九百万ドルに飛び上がったという種類のものではございません。
 また、今回の交渉にあたりまして、発電所なり、あるいは機械工業センターなりがすでに決定をしておって、そうしてそれが何か一部の人たちの間にすでに既定の事実になっておるというような誤解もあるようでございますけれども、むろん、各国との賠償交渉にあたりましては、それぞれの国の、賠償によって供与されます物資の要求というもの、こういうものがほしいのだというものを専門技術的に委員会を作りまして話し合いをして、そうして順位等もきめるような作業をどの賠償交渉においてもやっております。ベトナムの場合におきましては、先方からも発電所なり、機械工業センターなり、あるいはその他のものについてもいろいろ申し出もございます。ただ向こう側の順位がそういうふうに、今回の賠償において表示されておるような発電所もしくは機械工業センターというものの順位が高かったわけでありますから、それをできるだけ向こう側の満足をするように取り入れることにいたしたわけでありまして、そういう意味においてこれが明示されてきたわけでございます。で、実際批准を受けまして実際の賠償の実施の段階に入りまして、これが少しも動かないというものではございません。向こう側の希望により、また、これからの実施段階によって、話し合いによって変わっていく場合もございましょう。しかし、まあ発電所の問題については向こう側が終始希望いたしておりますから、そう変わってくるとは思っておりませんが、ただ発電所は御承知の通り、久保田氏が国際入札で設計をいたしまして、そうしてフランスと競争設計になったわけでありますが、国連の技術委員会等におきまして久保田氏の設計の方が優秀であるということで、ベトナム側がこれを採用したわけであります。でありますから、賠償実施の段階にあたりまして、これをどういうふうに実施していくかということは、まだ全く未決定の問題でございまして、何か請負業者がきまっているとか、あるいは機械メーカーがきまっているとかいうようなことは全然ございません。今度実施の段階になりまして、ほかの賠償と同じように直接契約の趣旨に従ってベトナム側が入札その他の方法によって日本の業者とそれぞれ契約をいたして決定していくのでありまして、現在そういうものがきまっておるという状態には全然ございませんから、何か妙な関係がそこに起こるというようなことは全然ございません。
#153
○井上清一君 政府は当初賠償交渉の妥結を機会に、ベトナムから通商に関する最恵国待遇を受ける約束を取り付ける方針であるということを私どもは聞いておりましたが、今度の御提出になりました共同宣言には、そうした最恵国待遇の問題には何ら触れておりません。この点を一つ伺いたいと思います。
#154
○政府委員(小田部謙一君) これは交渉の途中におきましては、最恵国待遇の問題等も出たことでございますが、しかし、最後の共同宣言のところに、「両国政府は、通商航海条約を締結するため、できる限りすみやかに交渉を開始するであろう。」という言葉がございます。従来の賠償協定を振り返ってみますと、フィリピンの場合がこれと同じような共同宣言でございます。ただし、ビルマの場合は、条約のその中に、すみやかに通商航海条約を締結するものとすると書いてございまして、それからインドネシアの場合は、すみやかに通商航海条約を締結するものとする、その締結の間までは、貿易、海運その他に無差別待遇を与えるという項目は入っておりますが、しかし、ベトナムの場合もフィリピンの場合と同じような共同宣言の形になっております。それから事実上日本の今、商品その他はベトナム側から無差別待遇を受けておりますので、実際上の問題としては変わらない次第でございます。
#155
○井上清一君 東洋精機のプラント輸出につきまして、八月十五日付でもって、北ベトナムは国際休戦監視委員会あて抗議をしたということを聞いておりますが、休戦委員会でこれに対してどういう措置をとったかということを伺いたいと思います。そのほか日本のこれまでの対ベトナム輸出であるとか、あるいはまた経済技術協力につきまして、今まで休戦監視委員会からジュネーブ協定に違反するのだというようなことで何らかの措置をなされたことがございますかどうか、この点について伺いたいと思います。
#156
○政府委員(伊関佑二郎君) 東洋精機の問題につきましては、北ベトナムの方から休戦委員会に対しまして申し入れがあったことは事実でございますが、それに基づきまして、今、まだ休戦監視委員会が何らかの措置をとったとか、決定をしたとかいうことはございません。そのほかに日本関係のことで休戦監視委員会の問題になっておるものはございません。
#157
○井上清一君 ベトナム賠償で先ほども申し上げましたように、機械工業センターを設置することになっております。この内容について伺いたいと同時に、これが何か軍事的な性格を持っておるものではないかというような疑いの目をもって見ておる向きがございますが、このことを一つはっきり伺っておきたいと思います。
#158
○政府委員(小田部謙一君) 機械工業センターということは、協定の付属書に書いてございますが、その内容がどういう内容のものであるかということは、まだきまっておりません。そして実際問題といたしまして、大体賠償協定上の付属書などに機械工業とか、その他ばく然と書いてあります。私どもは、これを実際に実施いたします際に、実施計画というものを作る際に、具体的には、たとえば車両の修理だとか、その他そういうようなものが出てくるわけでございます。それを普通の輸出の場合とは違いまして、外務大臣を部長といたします各省次官からなる賠償協議会というものがございまして、それにかけた上で、はたしてこれは日本の政策から見ていいか悪いか、あるいはこれは外貨負担を伴わないものか、あるいは通常の貿易を害さないものかというような見地から考慮いたしまして、実施計画を合議するということになっておるわけでございます。特にこの問題は岸総理も委員会などで御声明になっています通り、日本といたしましては、ジュネーブ協定の当事者ではないけれども、ジュネーブ協定の趣旨を守るということを賠償の実施に関して申されておりますので、今後、向こうから機械工業センターの申し入れがございまして、それを連絡協議会で決定いたします際には慎重にやっていきたい、そう考えておる次第でございます。
#159
○井上清一君 さきにベトナムとの間の沈船引揚協定がたな上げになったのでございますが、今度の賠償協定でさらに沈船の引き揚げを実施するというような計画をベトナム政府なり、また、当方においても持っておりますかどうですか、その点を一つ。
#160
○政府委員(小田部謙一君) 沈船引揚協定は、交渉の途上において一応付属書の中には入っておりません。このことは事実でございます。ただしかし、この賠償協定そのものの三千九百万ドルという額は、水力発電所、機械工業センター、その他両国間で合意するものということになっておりまして、三千九百万ドルという交渉の経緯はどうありましょうとも、きまっている以上、三千九百万ドルがいわゆる総括された金として計上されておるわけでございます。そうでございますから、もちろん賠償でございますから、ベトナム政府が望まないのにそれを押しつけることはできないのでございます。しかし、わが方といたしましても、このような役務賠償の典型的な形でございますし、また金額からいいますれば、その余地もあるのでございますから、そこで、この問題は将来取り上げていくことになるのじゃないかと想像する次第でございます。
#161
○井上清一君 今回の賠償協定でダニム水力発電所を建設するということになっておりますが、三千九百万ドルの金の範囲内でもちろんおやりになるわけでありますが、いろいろ国際物価の変動その他によりまして、三千九百万ドルの範囲内で建設が不可能であるというような事態になりましたときにおきましても、日本はあくまでもその発電所の建設について責任を負っていくのかどうか、その点。
#162
○政府委員(小田部謙一君) 今度の賠償協定におきましては、日本が三千九百万ドルに達するまでの日本人の役務または生産物を履行するということになっております。それでございますからダニムの発電所というものが三千七百万ドル、三千九百万ドルなりでできない場合においても、日本政府としては何らの責任を負っておるわけではございません。ただし、何も、ダニム発電所の建設が民間の借款とか、その他によってやるその場合には、これは全く民間のベースでございますが、民間が金繰りの状態から見て融資ができるという場合には融資するということも起こり得ることでございますが、これは賠償協定の範囲内ではありません。
#163
○井上清一君 ダニム水力発電所を賠償でもって行なうということは、すでに合意で認めておるかどうか、その点を承りたいと思います。と同時に、この賠償交渉にあたりまして、水力発電所及び機械工業センターを賠償で実施するということがすでに合意されておるといたしますならば、第二条第一項にいうところの計画、選択ということは無意味になるのじゃないかと思いますが、御所見を承りたいと思います。
#164
○政府委員(小田部謙一君) これは、交渉の経緯につきましては、ダニム発電所というものを向こうが非常に望んでいたことは事実でございます。それでありますから、おそらく、この協定が発効をいたしますれば、これを希望してくるということは事実だと思います。その場合、わが方といたしましても、ダニム発電所が悪いというようなことはないわけでございます。ただ、その中に外貨の負担とか、その他いろいろなことがあるのでございますけれども、それを除きましてはダニム発電所というものに相違はないだろうと思います。ただ、しかし、協定上から申しますと、水力発電所ということは付属書に掲げてありますが、ダニムであるということは賠償協定には掲げておりません。また機械工業センターでございますが、ただ機械工業センターと抽象的に書いてございます。いかなる内容のものがあるか、車両工場とか、どういう種類のものかということをこれからさき合議することになっております。そこで、賠償協定の第二条の「この協定の附属書に掲げる計画の中から選択される計画に必要な項目からなるものとする。」、この表現は、ベトナムだけではなく、フィリピン、インドネシア、その他の協定にも同じような文句が書いてございますが、要するに、私どもといたしましては、水力発電所、機械工業センター、その他両政府間で合意される計画、そのようないろいろな合意からなる計画、このように考えております。
#165
○井上清一君 昨日の木村委員の質問に関連する問題でございますが、今度の賠償では相当の消費財というものが予定されておるのじゃないか、また先方もそれを希望しておるのじゃないかと私は考えますが、もし消費財を賠償に当てました場合に、ベトナムにおいてこれを国内売却をいたしまして、ベトナム政府がピアストル資金を得るということがあり得ると思うのであります。こういう場合に、これは金銭賠償というふうに考えられる。これはサンフランシスコ条約における賠償の原則、そうしてまた、わが国のとっておりますところの賠償の基本的な考え方に反するのじゃないか、こう思いますが、この点についての御所見を伺いたいと思います。
#166
○政府委員(小田部謙一君) この点は、まず賠償一般のことを簡単に申し上げますと、たとえばフィリピンにいたしましても、ビルマにいたしましても、わが方としてはベトナムと同じように日本人の生産物及び役務を提供するのでございますから、それを、これの相手方は政府でございますが、政府がそれを受け取りまして、これは何も消費財に限りません、生産財のときでも、フィリピンの場合には、フィリピンの賠償によりまして四割は政府が使用するが、六割は民間が使用するということになっております。そうしてフィリピンの例などをとりますと、その六割を政府が売却する、もちろんその場合は、ごく有利な条件で長い条件で民間に売って、そうして民間がこれを運転するということになっております。賠償協定は、引き渡すのは相手の政府でございますが、政府が生産財をもらいましても、それからまた政府が消費財を受けましても、それを全部消費するわけにはいかないのでございまして、この大部分、政府に保留しておく━━政府が生産財を使う部分を除きましては、大体売却するのでございます。そうしてフィリピンの場合には、これに対します資金というものがございまして、その資金に入っていって、その復興計画の資金がまた金を貸すということになっております。ビルマのような場合には、これが消費財などを売ったようなときには、これが一般の予算に入っております。それからインドネシアのような場合にも一般の予算に入っております。そこで、ベトナム側に、われわれの賠償協定の建前からいえば、日本人の生産物並びに役務引き渡しということで終わるのでありますが、これはベトナム側が、ベトナム政府が使うと申しましても、これがおそらく売るということはあり得る、それでこれは一般予算に入れるということは、その他の賠償の場合と同じでございます。
 それからまた金銭賠償との関係でございますが、日本がドルを支払うとか、あるいは日本円で向うの政府に渡す、それから日本でかってに買わせるというようなことになれば、あるいは金銭賠償というようなことにとられるかもしれませんが、その場合、あくまで引き渡すものは日本人の役務であり、日本人の生産物であるわけでありまして、それをどう向こうが処分するか、利用するかということはビルマ、インドネシア、フィリピンと同じように先方が利用するであろうと私は想像いたしております。
#167
○井上清一君 七百五十万ドルの借款協定というのは一体どういう性質のものなのかということ。日本政府が負うところの法的な義務の範囲は一体どうなのか。また、この七百五十万ドルの借款の当事者が一体だれなのか、そしてその条件はどうか。また七百五十万ドルの借款の返還について懸念がないかどうかという点。そしてまた、もう一つは、約束はいたしましても、三カ年間に七百五十万ドルの借款が実行されなかった場合は一体どうなるかというような点について御所見を伺いたいと思います。
#168
○政府委員(小田部謙一君) まず七百五十万ドルを、これは政府間の協定によっております。しかし、実際におきましては、借款を供与する際には、輸銀が通常の業務の範囲内でベトナム側との貸付契約に基づいて貸付を行なうのでございます。そこで、我が政府の義務はそれじゃ何であるかと申しますと、七百五十万ドルに達する限度まで輸銀の資金を確保しておくということでございます。つまり、その他の条件が合わないで輸銀とベトナム政府との間に借款ができないということ、これはあり得るかもしれません。しかし、少なくとも輸銀の方では資金がないから━━七百五十万ドルというのは三カ年でございますが、資金がないからこれは貸せないのだということは言えないということが第一点でございます。
 それから第二点の、相手方当事者はだれかということでございますが、これは借款に関する協定の交換公文の中に、日本は輸出入銀行、相手方は「ヴィエトナム共和国政府又はその所有し、若しくは支配する法人」ということになっております。なお、その交換公文の中に、利率は国際復興開発銀行並み、それから十年の間に償還されるとか、それから元本の償還並びに利息の支払は、外貨を売って日本の銀行で売って支払うとか、そういうようなことが書いてある。これが大体借款の一応のアウト・ラインでございます。
 また三年たったあとにこの貸付が行なわれなかった場合にはどうなるかということでございますが、そのときは日本政府としましては、その必要な資金を輸銀に確保する義務はなくなるということでございます。それでありますからして、なくなるということでございます。
#169
○井上清一君 だいぶ時間もおそくなりましたので、この程度でとどめておきまして、なお、こまかい点につきましては後刻質問をいたします。
#170
○委員長(草葉隆圓君) 本日はこの程度とし、明九日午前十時からベトナム賠償協定両案につきましての質疑を続行いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時六分散会
ソース: 国立国会図書館
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