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#1
第033回国会 本会議 第4号
昭和三十四年十月二十九日(木曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第三号
  昭和三十四年十月二十九日
    午後一時開議
 一 国務大臣の演説に対する質疑
            (前会の続)
 二 日本国とヴィエトナム共和国との間の賠償協定の締結について承認を求めるの件及び日本国とヴィエトナム共和国との間の借款に関する協定の締結について承認を求めるの件の趣旨説明
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した案件
 国務大臣の演説に対する質疑
            (前会の続)
 八百板正君の故議員粟山博君に対する追悼演説
    午後二時五分開議
#2
○議長(加藤鐐五郎君) これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 国務大臣の演説に対する質疑
            (前会の続)
#3
○議長(加藤鐐五郎君) 国務大臣の演説に対する質疑を継続いたします。
 多賀谷真稔君。
    〔多賀谷真稔君登壇〕
#4
○多賀谷真稔君 私は、日本社会党を代表し、石炭不況対策を中心として質問を試みんとするものであります。
 石炭産業は、今日、一般に斜陽産業といわれ、日没産業ともいわれるほどの大きな危機に直面し、休廃山は続出し、企業整備による人員整理の問題をめぐって、今や労使は血みどろな闘争を展開しているのであります。一方、炭鉱離職者はちまたにあふれ、集団的極貧層に陥り、廃山の跡は死の谷といわれ、地獄谷と呼ばれる部落が現出しているのであります。黒い羽根運動は、政治の貧困に対する国民の抗議となって現われているのであります。
 石炭産業をいかにするかということは、現下、政治の最も緊急課題の一つであります。しかるに、総理の施政方針も、離職者対策については述べられておりますけれども、石炭政策そのものについては何らの構想も述べられていないのであります。池田通産大臣は、就任以来、一生懸命勉強しておりますと言い続けましたが、すでに四カ月もたつ今日においても、何らの対策も述べず、事務当局に対しても箝口令をしいているそうであります。一体、政府は、炭鉱をいかにするつもりであるか。察するところ、じんぜん日を延ばすことによって、貧乏人は麦飯を食え、中小企業の一人や二人は死んでもよいという、いわゆる油田方式により、つぶれるものはつぶし、解雇される者は解雇して、そうして強いものだけを残し、その後、大きな炭鉱だけについて政策の対象として行なわんとする、いわゆる独占資本擁護の本質を暴露したものといわざるを得ないのであります。(拍手)政府は、何ゆえ石炭政策そのものに対する構想を発表しないのか、総理並びに池田通産大臣にお尋ねを申し上げたいのであります。
 昭和三十年、鳩山内閣は、二十八年以来の深刻な石炭不況に対処するため、エネルギーの総合対策を発表いたしました。その石炭政策として、石炭鉱業合理化臨時措置法並びに重油ボイラー規制法を制定し、石炭鉱業の合理化と安定を約束したのであります。しかるに、政府のその後の政策は、全く法の精神を無視し、じゅうりんした運営をなしてきたのであります。私はそのうち、二、三の例を指摘申し上げたいと思います。
 その第一の例は、合理化法が制定された後は、本来下がるべき炭価が逆に高騰をしているのであります。石炭資本家は、当面の利潤追求にきゅうきゅうとして、基幹産業たるの社会的責任を忘れ、石炭の値段は、神武景気の到来により、ウナギ登りに上昇してきたのであります。しかも、政府は、年度の初めに設定すべき標準価格を十二月になってやっと設定するという、まことにでたらめをやってきたのであります。ここに、石炭が需要者から信用を失い、見放された結果を招来したのであります。
 私の指摘いたしたい第二の点は、政府は、重油ボイラーの規制をやり、炭主油従政策をやるといいながら、実際は、年々石油の外貨の割当を多くし、重油消費の飛躍的増大をはかり、石炭市場の侵食をほしいままにいたしました。これ、まさに、わが国の政府が国際石油資本の力に屈した姿といわなければならないでありましょう。(拍手)
 私が指摘いたしたい第三の点は、石炭合理化法提出の際の労働大臣の言明であります。当時の労働大臣西田隆男氏は、本院において、法施行に伴う失業対策としては全員を吸収すると言い、各工事別に詳細に数字をあげて説明したのであります。ところが、これが何一つ実行されていないのであります。はなはだしきは鉄道新設工事でありまして、初年度は九百名吸収する、ピーク時には三千名吸収すると言明いたしましたが、実際は、請負業者が他から労働者を連れてきて、地元で雇われた者は、わずかにお茶くみに三名という程度であったのであります。国民を欺瞞する保守政党の政治の実態を、われわれはここに知ることができたのであります。(拍手)
 私が指摘申し上げたい第四の点は、政府の石炭需給計画の見通しの誤りであります。昭和三十三年の四月、本院において、前尾通産大臣は、昭和三十・三年度の国内炭の需要は五千六百万トンであると強調いたしました。しかるに、その後、その需要は五千三百五十万トンになり、それがやがて五千百万トンになり、しかして、後には、低品位炭を含めて四千八百万トンしかなかったのであります。昭和三十二年の夏には、公定歩合の引き上げによって神武景気がふっ飛び、日本経済は景気の後退を見たのであります。ところが、ひとり石炭だけが高原景気に酔いまして、政府は増産を唱え、一千二百万トンの貯炭を見るに至ったのであります。これ、まさに、政府の責任重かつ大といわなければなりません。
 これを要するに、わが国の石炭鉱業を近代化し、高炭価問題を解消するために発足した合理化法並びに重油ボイラー規制法の他の諸政策が、その後の政府の無定見な運営と、日米安全保障体制につながる国際石油資本カルテルに押されて、それが経営者の無能と相待って、戦後三度目の最大の不況を招来し、今日の悲劇を現出しているのであります。これらに対する通産大臣、労働大臣の責任を追及し、その答弁を求めるものであります。
 次に、私は、政府のエネルギー政策の総合的対策並びにわが国のエネルギー源としての石炭鉱業の地位を政府はいかに評価しているかということをお聞きいたしたい。エネルギーの需要は、経済の成長とともに拡大をしております。過去十年間の統計を見ましても、大体、エネルギーの消費量というものは、国民総生産と比例して伸びているのであります。この前の新長期経済計画においても、昭和三十七年度には、石炭換算にして一億六千万トン、昭和五十年度には二億七千万トンと見込まれているのでありますが、今日、日本の水力電源の開発は漸次限界にきているのでありまして、今後においては、石炭鉱業の国内エネルギーの供給源としての地位はきわめて重要でなければならないと思うのであります。昭和五十年度に七千二百万トン出すといたしましても、外国よりの輸入エネルギーの依存度は四八%になるのでありまして、これだけでも外貨は二十億ドルをこえるわけであります。また、わが国の石炭の埋蔵量は、世界的に見ますと、確かに僅少であります。しかしながら、それでも二百億トンあります。確定炭量は六十四億トンをこえるといわれておるのでありまして、まだまだ、国内エネルギー源の乏しい日本においては、その役目は終わっていないと思うのであります。
 しかも、問題は、石炭鉱業の労働者吸収率の問題であります。これは、機械工業に次ぐところの大きな吸収率を持っているわけでございます。今後十年間のわが国の生産年令人口は、年々百三十万人から百五十万人増大するのでありまして、ここ十年間は、日本の雇用問題というのが経済問題の中心でなければならないと考えるのであります。かかる見地からも、石炭鉱業の役割はゆるがせにできないのであります。
 エネルギーが必要である。エネルギーの需要は増大する。しかるに、石炭は衰退の一路をたどる。しかも、斜陽産業であるといわれている。しかし、斜陽産業になるかどうかということは、一に政府の政策のいかんにかかっているのでありますが、この石炭鉱業の役割を、総理はどういうようにお考えであるか、御答弁願いたいと思うのであります。(拍手)
 私は、今日の石炭鉱業の不況を招来した真の原因は、石炭資本家の、古い生産機構の上にあぐらをかいた、非近代的経営にあったと思うのであります。鉱区の独占による鉱区地代と、低賃金労働の搾取に基礎を置く停滞的生産機構がそれであります。今日の重油の攻勢による石炭不況の波は、これはひとり日本だけではありません。アメリカもそうであります。イギリスもそうであります。フランス、ベルギーもみな同じであります。しかし、わが国ほど深刻ではないのであります。それは、各国とも、すでに近代的な生産機構ができ上がっているからであります。
 わが国の鉱区は、明治以来の先願主義をとっております。大手十八社によって、その鉱区の八〇%が占められている。しかも、確定炭量の五〇%は三井、三菱、北炭の三社によって独占をされているのであります。石炭鉱業の近代化は、まず生産体制の集約化でなければならないと思うのであります。
 ドイツの石炭史上最も合理化の進んだ一九三〇年代は、徹底した切羽の集約化であり、坑口の集約化であったのであります。英国は、本来、鉱物は土地所有権者に帰属しておりました。そこで、英国の石炭経営者は、高価な鉱区の使用料を払って石炭の加工をやっておりました関係上、小規模になりがちで、生産が低下した結果、生産体制を集約化するために、英国では、ここに炭鉱の国有化を行なったのであります。第二次世界大戦後のフランスにおいても同様でありまして、鉱区の再編成、適正規模の炭鉱を作るために国有にしたのであります。かように、石炭の国有化というのは、第二次世界大戦後、西欧の資本主義国において行なわれたのでありますが、単にこれは社会主義政党のイデオロギーによる政策ではなくして、石炭産業の性質からくる合理化対策であったのであります。(拍手)
 わが国においては、農地に農地改革が行なわれ、耕地整理が行なわれました。しかるに、鉱区はほとんど独占をされている。しかも、分布状態はまことに乱脈をきわめ、これが開発を困難にし、二重投資となり、コスト高を来たし、合理化を妨げているのであります。
 石炭鉱業というのは、本来、地下に埋蔵されているところの資源を地上に出す運搬作業なのであります。でありますから、そこには品質の改善の余地もほとんどありません。企業の優劣は、経営者の企業努力も創意工夫もきわめて僅少でありまして、ほとんどが鉱区の優劣に帰しているのであります。鉱区の優劣が企業の優劣に帰している、ここに問題があるのであります。いわゆる自民党の言う、資本主義の自由競争によるよい面は、石炭の面では通用しないのであります。そこで、炭鉱資本家は、炭鉱の生産力を飛躍的に向上させるような技術的革新と真剣に取り組まない、そうして、鉱区の買収に血道を上げてきたのであります。これは、最近の志免炭鉱の買収をめぐる各社の暗躍がその最もよい例であります。
 国民の利益に沿うて開発されるべきものが体来鉱区でありまして、私たちは、明治時代、官庁に出した一枚の図面が私的利潤の追求になり、高価な売買の対象になることは、社会正義上も許されないと思うのであります。(拍手)政府としては、当然、鉱区について徹底的ねメスを入れるべきであって、この合理的解決がなければ、わが国炭鉱の合理化は不可能であると私は断じても過言でないと思うのであります。しかして、適正規模の炭鉱に再編成し、また、独占資本が有している多くの休眠鉱区を解放して、整理された中小炭鉱の労働者、老朽化した炭鉱の労働者を吸収して新たなる開発を行ない、安い良質な石炭を供給すべきであると思うのであります。鉱区改革、休眠鉱区の解放についての総理の所見を承りたいと思うのでございます。
 次に、石炭需要の開拓とその拡大についてお尋ねいたしたいと思うのであります。世は燃料革命であるといわれている。煙の出る黒いかたまりの石炭を、そのまま最終使用として消費しようとするには、私はおのずから限度があると思います。ことに、技術革新の現状において、固体エネルギーとしての需要の拡大を大きく期待することは、また困難であろうと思います。そこで、石炭を化学原料として利用するか、または流体エネルギーとして転換し、使用しなければ、競合エネルギーに対抗することはできないと思うのであります。しかるに、今日まで、石炭産業において何一つの総合研究所もないという状態である。消費構造の変化に対応して何らの方策も立てられておりません。この経営者の無知無能は当然非難されるべきでありましょうけれども、また、政府の責任も私は免れ得ないと思うであります。(拍手)
 重油に比べて炭価の高いのは、産炭地である九州や北海道ではありません。京浜、阪神、中京等、大消費地までの輸送費が非常な高炭価をもたらしているのであります。そこで、問題は輸送費の節減でございますが、これは当然のこととして、そのほかに、石炭そのものを運ばないで、製品を運ぶということを研究すべきであります。低品位炭による火力発電所の大量建設及び超高圧線による産炭地より消費地までの送電、一般炭の完全ガス化、パイプ・ラインによる輸送等について徹底的に推進さるべきものであると考えるのであります。需要拡大に対する政府の方針を承りたいと思います。(拍手)
 石炭は、基礎物資であるにもかかわらず、生産に弾力性がありません。必要なときに直ちに増産するわけにいかない。供給過剰になっても、簡単に出炭制限ができない。この需給の調整こそが、私は、石炭産業の対策のかぎであると思います。なかんずく、電力用炭でございます。わが国の電力用の石炭は、雨が一割余分に降りますと、三百万トン需要が減退をするのであります。豊渇水一割の上下により六百万トンも需要が増減をするという宿命を持っているのであります。この制度がいまだ何らの解決を見ていない。このことは、私は不思議であり、政府の怠慢を見のがすことはできないと思うのであります。(拍手)
 さらに、私は、石炭の取引がきわめて非合理的に行なわれているということを指摘いたしたいと思います。皆さん、石炭の市況がいいか悪いかということを知るためには、まず、レールを走る石炭の貨車を見ればわかると思います。好況のときは、必ずほとんどその貨車がくぼんでいる。不況のときには、こぼれるほど盛りがいいわけであります。いやしくも、基礎物資が、かような形式で売買されていいでありましょうか。産業の米といわれるものに価格の安定政策が全然ないということは、全く奇異に感ぜざるを得ないのであります。価格の不安定は、消費者に多大の迷惑をかけるだけではなく、生産者側も結局市場を喪失することになるわけでございます。価格の安定政策、需給の安定のための政策、この政策は、石炭政策に不可欠であると思うのでありますが、これに対する政府の所見を承りたいと思うのであります。
 さらに、私は、石炭政策を総合的に推進していきます場合に、今直ちに高炭価が解消し、重油に対抗できるわけではありません。その間、競合エネルギーたる重油の規制を行なう必要があると思うのであります。ある新聞は、石油資本は政府以上の力があると嘆じました。翼があって飛んでいる、あの赤い馬のマーク、これはギリシャ神話のペガサスのマークであり、このマークを持つスタンダード・ヴァキュームは東亜燃料の株を五五%も持っており、星条旗の星のマーク、これはカルテックスのマークでありますが、これは、また、日石、興亜石油を傘下におさめております。貝がらのマーク、これはシェルのマークでありますが、これは昭和石油の株を半分も持ち、重役の多くを送っているのであります。わが国の製油会社の多くが米英国際石油資本の支配下にあるということを、われわれは知らなければなりません。(拍手)
 そこで、今後、石炭資本家が言うように、石炭が重油に対抗できるように価格が下がりましても、そのときは、私は、代替物のない、独占物資であるガソリンが上がっていくと思います。重油は下がるけれども、ガソリンが上がる、ここに、私は日本石炭産業の宿命があるとも考える。これを解決しなければ、日本の石炭は壊滅をすると考えるのであります。(拍手)燃料の価格政策は、石炭も石油も、国産も輸入も、一元的に価格調整を行なわなければならないと思うのであります。政府の強力な政治力こそ、国内エネルギーを救う道であります。ドイツは、石炭保護の立場から、原油にトン三十マルクの関税をかけました。日本には関税定率法があって、一〇%かかっておりますが、暫定措置によって、原油は二%、成品重油六・五%しかかけておりません。これらに対して、大蔵大臣は今後どういうようにされようとしているか、これをお尋ねいたしたいと思います。
 最近日本石炭協会の発表いたしました再建計画について、私は政府の所見を承りたいと思います。大手十八社は、コストを昭和三十八年までに八百円程度下げるとして、七万人の首切りを発表いたしました。しかして、縮小生産を行ない、縮小均衡を保たんとしているのであります。総理は、昨日、労働者の協力を強調いたしましたが、従来の炭鉱資本家の無理解な態度を変更しなければ、私は、それを労働者に求めることはなかなか困難であろうと思います。それは、すなわち、石炭の生産の調整が、戦前・戦後を通じて、常に労働者の解雇と雇い入れによって行なわれてきた事実があるからであります。
 戦後、第一回の不況は、ドッジ・ラインにより、約十万六千名に及ぶ炭鉱労働者が山を去っていきました。昭和二十八年、二十九年の第二回目の不況は、二百九に及ぶ炭鉱が休廃山され、十万二千六百名が解雇されたわけでございます。また、今次の不況は、大手炭鉱にいまだかつてないほどの大解雇が行なわれようとしているのであります。しかしながら、炭鉱労働者は、地下三千尺のかなた、炭塵と騒音の中で、高温と多湿と戦いながら働いているのであります。災害によって死亡した者の数は、戦後、昭和二十一年から三十四年六月まで、実に九千八百二十一名でございます。負傷者は、驚くなかれ、百二十二万八千六百二十六人を数えているのであります。かように、生命の危険にさらされながら、父祖三代にわたって働いてきたものを弊履のごとく捨て去る経営者に、どうして愛情と信頼を感ずることができるでありましょうか。
 私は、経営者が従来の伝統的態度を変えて、雇用の維持を大前提とし、虚心たんかい、労働者に協力を求めるならば、再建の方途を見出すことは必ずしも困難でないと思うのであります。炭鉱資本家の首切りによる合理化案は絶対に実現できないであろうことを私は強調し、政府は、すべからく、現在の労働者の雇用維持を前提として石炭危機打開の構想を発表すべきであると要求するものであります。(拍手)
#5
○議長(加藤鐐五郎君) 多賀谷君、申し合わせの時間が過ぎましたから、なるべく簡単に願います。
#6
○多賀谷真稔君(続) 炭鉱離職者対策につきましては、時間がございませんので、私は省略いたします。炭鉱離職者の悲惨さについては今さら申し上げるまでもないと思います。しかし、今日のこの事態を惹起した責任は政府にあると申し上げ、政府の離職者対策ではとうてい十分救済することはできないと申し述べて、私の質問を終わる次第でございます。(拍手)
    〔国務大臣岸信介君登壇〕
#7
○国務大臣(岸信介君) 石炭が日本の国内エネルギー源として重要なものであることは言うを待ちません。ただ、最近における石炭のエネルギー源としての比率はだんだん低下してきておることは、御承知の通りであります。しかしながら、われわれは、この石炭鉱業というものが日本産業に持っておる重要性、また、国内資源として、外貨を節約する意味から申しましても、この石炭鉱業の将来に対して十分な対策を講じていくことが必要であると思っております。今回の補正予算は、現在出てきておるところの離職者に対する応急の就労及び援護に関する緊急措置だけでございまして、石炭鉱業に対する根本的な方策につきましては通常国会において御審議を願うつもりでおりますが、その内容等については通産大臣よりお答えすることにいたします。(拍手)
    〔国務大臣池田勇人君登壇〕
#8
○国務大臣(池田勇人君) お答え申し上げます。
 石炭鉱業の重要性につきましては全く同感でございます。従いまして、私といたしましては、就任以来、この石炭問題解決に日夜苦慮いたしているのであります。従いまして、事務当局に箝口令をしくとかいうようなことはございません。りっぱな石炭対策を打ち立てるために、今勉強中であるのであります。(拍手)
 石炭対策につきましての根本問題は、石炭企業の体質を根本的に変えて、炭価の引き下げを行なうことでございます。そうして、また、山元石炭の輸送あるいは販売面におきまする合理化をはかることでございます。第三には、需給の確保をはかることであり、第四には、流体化に努めて需要を増大することであるのであります。従いまして、昨日も総理が申されたごとく、石炭企業は、労使とも、そのにない手として、これの合理化をはかっていただくことを私は待っておりますと同時に、政府といたしましても、その点を考えていきたい。ことに、お話の重油との問題につきましては、いろいろ問題がございます、一朝にして――拙速主義よりも、りっぱなものを立てたいという考えでいっておるのであります。従いまして、いつまでも待つことはできません。かるがゆえに、今離職しておられる方々につきましては、九月の終わりに二億三千万円の予備費で対策を講じ、また、今回の補正予算におきまして、炭鉱離職者援護協会を作ること、また、あるいは緊急就労対策等、画期的な措置を試みようとしておることは、多賀谷君御存じの通りだと思います。私は、決して炭鉱離職者に対して冷たい気ではございません。今までの炭鉱離職者政策として、私は画期的なものであるということをお認め願いたいのであります。
 いずれ、価格の問題、需給の問題等につきましては、またの機会に譲ることにいたしまして、大綱だけを申し上げておきます。(拍手)
    [国務大臣松野頼三君登壇]
#9
○国務大臣(松野頼三君) 川崎船の雇用の問題でありますが、ちょうど三十二年ごろは非常に石炭が好況でございまして、求職者がございませんでしたから、就業者がないというわけで、これは政府の責任ではございません。(拍手)
    〔国務大臣佐藤榮作君登壇〕
#10
○国務大臣(佐藤榮作君) 関税についての暫定的措置の軽減、減免方法を存置するやいなや、目下検討中でございます。
    ―――――――――――――
#11
○議長(加藤鐐五郎君) 西村榮一君。
    〔西村榮一君登壇〕
#12
○西村榮一君 私は、社会クラブを代表いたしまして、次の諸点を質問いたしたいと存じます。
 第一は、伊勢湾台風の被害に対する救済並びに災害予防に対する根本策についてであります。第二は、わが国産業の二重構造並びに石炭産業の危機に対する解決の方策について、第三は、南ベトナムの賠償問題、第四は、わが国国民生活の恒久的安定策につきまして、第五は、現下重要な課題たる日中国交回復、第六は、日米安全保障条約につきまして、政府に質問いたしたいと存ずるのであります。
 今回の伊勢湾台風は、われわれの常識を越えた被害を与えました。何ものをも犠牲にして、これら被害者に対する救済と復興に協力しなければならぬことは、論ずるまでもありません。しかしながら、これは天災であるとともに、人は人災とも言うのでありまして、私は、これを機会に国土再建のために万全の努力を傾注すべきであると存ずるのでございます。私は、ここに、昭和二十九年以来、科学技術庁、資源調査会が調査いたしました基礎的資料に基づきまして、災害防止、国土再建のために政府は抜本的施策を行なうべきであると考えるのであります。政府の所見はいかがでございましょう。
 第二の問題は、経済政策と石炭危機打開についてであります。現在、わが国の経済の成長は、国際経済の影響を受けまして、順調に進んでおります。私は、これらの問題につきまして、ここに深い論議に入ることを避けますが、とりあえず、以下の提案をいたしまして、政府の所見をただしたいと思うのであります。と申しますることは、日本経済は、一部の産業を除いて順調に発展しているように見えますが、私は、この際、政府が明年度予算においてなすべきことは、日本経済全般の上昇の陰に著しく大企業と中小企業の格差が拡大しておるのに対しまして、これが克服のために積極的施策を講ずることであります。すなわち、日本経済の一大弱点たる二重構造を是正し、国民経済が均衡ある態勢をもって上昇発展するために、幸いに本年度においては財政経済に余裕があるのでありますから、この余裕のある現在、これに取り組むべきチャンスではなかろうかと思うのでありますが、政府の御所見はいかがでありましょう。
 さらに、現在深刻なる危機を伝えられておりまする石炭産業に対しまして、ただいま社会党の代表からも申し述べられましたが、私は、重複を避けまして、ただ次の点を政府に要請するものであります。それは、重要資源として総合エネルギー政策及び雇用政策、新たなる需要の開拓等により、抜本的解決を石炭業になすべきであると思うのでありまして、これがためには、単に経営者や労働組合だけにまかせず、消費者代表並びに政府代表、学識経験者が参加いたしまして、石炭危機打開のために特別委員会を設置いたしまして、単に目前の危機打開のみならず、その抜本的解決をはかるべきだと思うのでありますが、政府の御所見はいかがでありましょうか。(拍手)
 第三は、ベトナム賠償の問題でございます。これは三千九百万ドルをベトナムに支払うということになっておるのでありますが、しかし、南北ベトナムが合併いたしましたときには、二重払いのおそれが多分に存するのであります。さらに、問題は、このことによってわが国が南北ベトナムの恒久的分割を推進しておるのではないか、さらに、このことは、国際的に見て、わが国の外交政策に著しく誤解を与える懸念があるのでありまして、従って、これは一応撤回されて、国際情勢の推移を見きわめてから再検討されてはいかがであろうかと存ずるのであります。政府の御所見を承りたいと思います。(拍手)
 第四に、私は、国民生活の恒久的安定策について政府にただしたいと思います。この際、生活にあえいでいる一千百万人の貧困者に対し、いかなる方策をもって政府は救済されようとするのであるか。おそらく、岸首相は、これに対しまして、社会保障の充実によってそれはなし得るのだと御答弁なさるかもしれませんけれども、しかしながら、これは自由党たると社会党たるとを問わず、朝野をあげて論議されておるのは、現下の日本の社会保障の問題であります。わが国において社会保障の制度は存在いたしておりますが、救貧対策、あるいは、将来の国民生活安定のために真の社会保障の名に値するものがあるかどうかということは疑問であります。しかし、これは、私は別の機会に申し述べるとして、この際、岸総理にお伺いしたいことは、わが国の社会構造をどこに置こうとするか、その根本義について首相の御見解を承りたいのであります。
 そこで、私の結論から申します。わが国は、福祉国家の構想のもとに、勤労大衆の生活水準を引き上げ、社会的地位を向上させ、将来日本を中産階級の国家たらしめ、もって健全なる発展をはかるべきだと考えるのが、私の結論でございます。このことは、単に私の私見ではございません。二十世紀の今日にあたりまして、現実は、発展していく国家は、意識的、計画的、能動的、政策的に中産階級国家化の方向に向かっておるのであります。英米はもちろん、西独、スカンジナヴィア三国は申すまでもなく、ソビエトにおきましても、すでに、今日は、マルクスの主張するがごとき奴隷の生活を強要せられておるプロレタリア国家ではなくして、ソビエト自身は新しき中産階級の国家にその内容を変貌しておるのであります。(拍手)
 しからば、問題は、いかにして中産階級の国家をわれわれが建設していくかの方法論であります。今日、それについて社会保障があるといわれておるのでありますが、かりに現下の社会保障が完備せる実態を備えるといたしましても、それは、目前における救貧政策であり、防貧政策であります。意識的、計画的、能動的に国家百年の大計を考えて、中産階級化への社会改革を行なわんといたしますならば、それは救貧、防貧において糊塗するにあらずして、日本の勤労階級が、みずからの力とみずからの意思によって中産階級の地位を獲得し得る政治的体制を整えることが社会改革の要諦なりといわざるを得ないのであります。(拍手)
 私は、後年わが党が政権を担任する時期がございますならば、このことは必ず実行し、施策の重点をそこに置きたいと存じておるのでありますけれども、今かりに保守党内閣においてもそのことの一端をなし得ることは、さしあたり来年度から、第一に、完全雇用の体制を実施すること、第二に、教育の完全公営化を実施することであるのであります。これは、何も社会主義政党にあらずして、保守党でもなし得るのでありまして、こいねがわくは、明年度からの予算編成において、総理大臣はこのことに意を用いていただきたいと思いますが、御所見はいかがでありましょうか。
 私がかようなことをなぜ主張するかと申しますると、はなはだ博学賢明な同僚諸君に向かって恐縮でございますけれども、十九世紀のマルクス学説と自由主義経済論が今日破綻を来たしておりまするものは、時勢が進むにつれて、ブルジョアとプロレタリアの二つの階級に社会は分極化して、その間に中産階級は没落するという両極論に立っておるところに、マルクス主義理論並びに自由主義経済論の大きな破綻があるのであります。(拍手)しかるに、二十世紀の今日、まのあたりに見る現実は、国家社会の中産階級化への発展であるのでありまして、これは、申すまでもなく、経済の発展、生産技術の進歩、さらに科学技術の異常なる革新が当然しからしむるものでありまして、私は、日本の新しき出発にあたって特にこのことを強調し、日本の国家を中産階級の国家たらしむるよう施策の重点をこの一点に集約すべきである、これが日本の健全にして平和の発展の第一歩であろうと存ずるのでありまして、政府の所見を承る次第であります。
 次に、日中国交回復の問題でありますが、現在、国際緊張の焦点は二つにしぼられております。一つは、東西ドイツ統一を中心といたしましたベルリン問題であります。いま一つは、台湾海峡を中心とする国際緊張であります。アイゼンハワー、フルシチョフ両巨頭会談の中心眼目も、実にドイツの問題でありました。さらに、来たるべき東西巨頭会談の主要題目もこれであります。しかしながら、われわれアジア人にとりましては、台湾海峡を中心とする中国、日本、アメリカの緊張状態は、きわめて重要であります。そこで、私は、日本と中国との国交回復の問題は、日中両国のみならず、アジアの平和と繁栄にとってきわめて重要だと存ずるのでございまして、この点において、私は、政府がこの難問題を打開するためいかなる方策を持っておられるかということを具体的に明らかにせられる必要が現在存するのではないかと思うのであります。
 申すまでもなく、日中問題の中心点は台湾問題であります。従って、来たるべき東西巨頭会談に引き続く外相会議におきましては、その議題として、国際緊張の二つの焦点の一つたる台湾問題を巨頭会談の爼上に載せ、日中問題の解決の方途を講ずるのが当然であり、わが国といたしましては、積極的にこれを取り上げさせるべきであろうと思うのであります。私は、かような見地に立って岸首相にお尋ねしたいのは、過ぐるフルシチョフ・アイゼンハワー両巨頭会談におきまして、ヨーロッパにおいて巨頭会談が開催せられるのでありまするが、それに引き続いて行なわれる外相会議におきましては、東西両独の外相が出席するとともに、中国側がある種の条件をいれるならば、中国外相もまたこれにオブザーバーとして出席させるとの了解が成立したやに承っておるのであります。私は、このことの真偽は別といたしまして、世界の難問題処理にあたって、国連加盟国にあらざる東西両独の外相並びに中国外相がオブザーバーとして参加する上からは、国連理事国の一員であり、しかも、極東の平和と安全に重大なる関心を持つ日本が、アジアの緊張緩和のために外相会議に出席して、その所信を述べる努力を傾注することが、外務当局として当然の責任なりといわざるを得ないのであります。(拍手)
 私は、そこで、問題の観点を変えて考えまするならば、今のこじれにこじれておる日中間の問題が、一時的にせよ、日中両国間において話し合いが不可能な場合におきまして、その打開の方法は、第三者を介入するか、あるいは国際会議の席上においてこれを解決するという努力を傾注することが、外務当局として、日本の外交として、当然の責任ではないかと思うのでありまするが、一体、岸首相並びに藤山外務大臣は、いかなる努力をこの点に傾注されたか。
 過ぐる日、岸首相が一カ月にわたって外遊され、藤山外相も渡米され、そのときに、これらの下地について何らかの努力をされたならば、私は、その旅行に対して敬意を表するとともに、国民に明らかにしていただきたいと思うのであります。もし、それ、何らの努力をせず、かつ、日中直接の交渉も放棄し、静観に名をかりて、いたずらに自己の無為無策を隠蔽するといたしまするならば、国家・国民は断じてこれを許さないでありましょう。幸いにして、岸首相の言う静観は、無為無能の別名にあらず、胸中深く期するところありといたしまするならば、この際、国民に率直にそれを訴え、国民をして外交政策に安心せしむる方策を講ずることが、現下、宰相としての務めであるといわざるを得ないのであります。(拍手)
 さらに、日米安全保障条約の問題であります。私は、これまた結論から申しまするならば、日米安全保障条約は解消すべきものであると存ずるのであります。その理由は、第一に、二国間の軍事協定は国連憲章第五十一条の精神に反するものであり、第二の理由は、私が、今より八年前、講和条約並びに安全保障条約批准の際、本院において申し述べましたことは、当時の事情からいって、単独講和は残念ながらやむを得ないから承認する、しかし、安全保障条約と行政協定は、占領政策の延長として著しくわが国家主権を侵害し、その独立性を否定するものであり、従って、百年前の安政条約にひとしき屈辱的なものであるがゆえに、とうてい承認し得ざる旨を主張いたしたことは、同僚各位いまだに御記憶いただいておると存ずるのであります。
 しからば、この不平等にしてかつ屈辱的なる安保条約と行政協定はいかなる方法によって解消するかの方法論であります。ある一部の論者は、一片の廃棄通告によって条約を解消せんと主張する者があり、ゼネストその他実力行使によって安保条約を廃棄すべしと主張する者があります。しかし、これは、議論の立て方は別といたしまして、現実のわが国の国際的地位並びに国際条約を尊重する憲法の建前からいって、かくのごときことが可能であるかいなやは、賢明なる国民の常識で判定するところであります。(拍手)
 そもそも、本条約の成立は、よかれあしかれ、一個の歴史的事実に立脚いたしておるのであります。その歴史的事実とは、残念ながら、われわれの断腸の思いをいたしまする太平洋戦争の惨敗という歴史的所産が本条約となって生まれてきたのである。そこで、この歴史的所産たる安保条約を解消するためには、私は、歴史を中断して、別個の歴史を作り変える革命が起きるか、日本の外交路線を右から左、左から右に変更するか、この方法をとることを避けるといたしまするならば、この歴史的所産たる安保条約を解消するためには、より高き歴史的段階に日本をして発展成長せしむる過程において、この大東亜戦争の悪夢たる安保条約を消していく以外にはないのであります。私は、この新しき歴史発展の創造の過程において古き安保条約を解消するということの政治的方針――私は、今日の安保条約を単に国際条約としてみるよりも、別の観点から、国家将来の外交方針と民族の平和的生存の見地から考えてみなければならないと思うのである。藤山さんに希望することは、片々たる条約上の字句修正にあらずして、日本の外交路線と、民族が平和的にいかに生存するかという問題の立場から、この条約の改正問題の取り扱いを考えてみなければならないと思うのであります。
 それには、私は、平凡なことながら、重点をどこに置くか。まず第一に、日本国民は将来いかなる方向において生存の足を伸ばすべきであるかということであります。申すまでもなく、この四つの島で九千万の国民があえぎ、ひしめいて生存することは不可能であります。しからば、日本国民が生きるべき道は、アジア及び広く太平洋諸国民と提携いたしまして、ここに彼らとともに生き、彼らとともに繁栄し、彼らとともに安全を保障するという体制が、新しき日本の、行くべき、生きるべき道であろうと私は存ずるのであります。
 安全保障というものは、皆さんに申し上げるまでもなく、単に土地と不動産を守るということではございません。日本民族の生活の繁栄をどう守るかということであるのであります。しかりといたしまするならば、――ここに問題になるのは、とうとうとして流れる世界の大勢において、ヨーロッパには生活共同体が生まれ、東ヨーロッパにも同様なるものが生まれ、アメリカ合衆国を中心とする生活圏がまた生まれるといたしまするならば、アジア太平洋地域において、これら人種と地域を同じゅうする人々が相ともに助けて生活しようとするアジア生活経済共同体が生まれることが当然であるのであります。生活の共同体が生まれるといたしますならば、経済共同体、それに続く政治の緊密化、この経済・政治の緊密化とともに、自分たちの生活圏を守ろうという経済・政治・防衛の三者一体の防衛体制が生まれることは、私は、あすの防衛の念願でなければならぬと思うのであります。
 そこで、私は、それに対する取りまとめを申しますると、このアジアの経済・政治・防衛の三者一体をあすの日本の防衛体制の構想の基幹といたしまするならば、ここに、国連憲章第五十一条の精神に従い、お互いに戦いをしない、お互いの生活を防衛しようとする体制から、太平洋防衛不戦条約というものが生まれてくるべきだと思うのであります。私の言う高き歴史の段階において、古き敗戦の所産たるこの残忍なる安保条約を解消する高き歴史の創造とは、太平洋不戦条約のごときものであり、生活を共同にするという点であるのであります。
 さらに、第二の問題は、岸・ダレス会談におきまして本条約の改定が論議されましたのは、今より一年半前であります。しかしながら、今日の事情は当時と一変し、ことに科学兵器、弾道兵器の日進月歩の発展は、一年半前のダレス・岸会談の当時の前提を崩壊せしめました。さらに、私は、岸・ダレス構想の根本的な欠陥がどこにあるかと申しますると、敗戦という異常なる状況によって結ばれたる安保条約、異常心理の政治状態のもとに暫定的協定として生まれた安保条約を、字句その他形式的平等性の回復の空名のもとに恒久化し、安定化せんとするところに、今回の改定の大きな欠陥が存在すると思うのであります。(拍手)もちろん、ここに伝えられておりまする安保条約改定の細目たる期限の問題、基地の性格の問題、あるいは日本国の軍事義務とわが国の憲法の関係等、多くの疑点の存するものがございまするが、かような字句的な問題よりも、今日、その根本的な、いわゆる高い段階において新しい日本の運命の発足の方向をにらんで、新しい歴史の創造の中に敗戦の悪夢たる安保条約を解消するという見地に立って私がここに提案することは、こいねがわくは、現在進行中の安保条約の改定交渉を打ち切り、白紙に還元すべきであると思うのであります。(拍手)しこうして、今後わが国がいかなる防衛政策をとるかということが国家のためにきわめて重要なる問題と考えまするがゆえに、私は、この機会に、一応現在の安保条約改正の交渉を白紙に戻すとともに、将来のわが国の外交、あるいは日本国の国家の性格、それに対する安全保障のあり方、これらを、百年の大計に基づき、誤りなき方針を定めるために、日本の朝野の心血を動員して、しかるべき機関を設けて、将来わが国の安全と繁栄のために慎重に検討すべきではないかと思うのであります。
 こいねがわくは、岸首相、藤山外相、多くの閣僚諸君におかれては、従来多くの努力をせられて、面子もあり、体面もあろうと存ずるのでありますが、一年半前の国際情勢と今日は一変しておる。自民党内部においても幾多の異論があり、日本の国論においても一致せざるところがあり、この際、これを白紙に還元して、朝野こぞって一つの機関を作りまして、これを再検討することが、今日私は政治のとるべき道であろうと思うのでありまして、あえてこれを提言いたしまして、私の質問を終わる次第でございます。(拍手)
    〔国務大臣岸信介君登壇〕
#13
○国務大臣(岸信介君) お答えいたします。
 第一点は、伊勢湾の災害対策に関する問題であります。私どもは、この伊勢湾における災害が、未曽有の災害をもたらしたという事実に基づきまして、これが救済及び復興に必要な補正予算及び特別措置をこの臨時国会に提案いたしております。私どもは、これによって災害に対する救済等を強力に推進して参るつもりであります。しかしながら、さらに、日本の国土保全の見地から、恒久策を立ててこれを推進して、国土の保全の万全を期するということは、もちろん必要であります。そのためには、ただ一時的な、また部分的な災害に対する処置ということではなくして、総合的に、さらに、従来まだ十分に行なわれておりません科学的な見地から、台風の生態や、あるいはその動き等に対して、これに対する方策を立てる必要がある、こうした総合的、科学的な基本、抜本的な対策を立てまして、将来の国土保全の恒久策としては通常国会において御審議を願っていきたいと思います。
 第二は石炭危機の対策の問題でありますが、これは、多賀谷君の御質問にも詳しくありまして、大体政府の考えを申し述べておいたので、御了承願いたいと思います。
 日本の経済のいわゆる二重構造の問題、特に、中小企業と大企業との間におけるところの所得の不均衡の問題や、あるいは国民各層の間におけるところの所得の不均衡の問題に対して、政府はいかに考えるかという問題でありますが、この点に関しましては、私ども、現在作業いたしております、いわゆる国民所得倍増計画という長期にわたる計画におきまして、特にこの点は十分に考えなければならぬ点である。いかにしてこの各層の間の所得の不均衡を是正して、そうして、国民一人一人の所得を向上し、その生活を向上するかということが、今後の経済政策の最も大事な問題であることは、言うを待たないのでありまして、この点に関して、いわゆる日本を中産階級の国に持っていくという西村君のお考えに対しましても、私は敬意をもって御意見を聞いたのでありますが、私ども、今日の国民の間において、あるいは資本家と労働者の対立するというような、この対立が強化され、いろいろな社会問題がその間に生じておる事態というものをなくして、そして、国民がおのおのの地位において安定し、平和にそれぞれの業務を営み、また、自分の生活の安定・向上をはかることができるような社会状態を作っていくことが、政治の眼目でなければならぬと思います。こういうことに関しましては、特に経済政策を立案・遂行する上におきまして、今後意を用いていかなければならないことだと思います。
 次に、エネルギーの問題を取り扱うために、石炭の将来について、経営者、あるいは労働者の代表者、さらに学識経験者を入れた審議会を作って、そして、この方策を具体的に立てたらいいじゃないかという御意見でありましたが、私どもは、石炭鉱業合理化臨時措置法に基づく審議会に、さらに民間からも有識者を入れまして、石炭鉱業の将来についての合理化の問題について十分な審議をし、その成案に基づいて今後の石炭対策をきめて参りたい。大体、御趣旨と同様なことの結果になると思います。
 次に、ベトナムとの賠償協定の問題でありますが、これもすでにお答え申し上げました通り、私どもは、サンフランシスコ条約による、いわゆる賠償義務をできるだけ早く果たしていきたいという考えのもとに、今日まで各国に対する賠償協定を作りました。このべトナムとの間に賠償協定ができれば、全部完了するわけであります。これによって、西村君の提案され、御意見であったような、東南アジア諸国との間に一そうの友好親善関係が結ばれ、また、経済的にも政治的にもよりよき関係が作り上げられる一つの機縁になることを望んでおるわけであります。
 日中の国交回復の問題につきましては、かねて私が国会を通じて申しているように、われわれは、どこの国との間におきましても、たといイデオロギーが違い、また政治体制が違っておりましても、おのおのが、おのおのの立場なり、その国における体制というものを十分に理解し、尊重し合って、その上に友好親善の関係を結んでいくというのが、日本の外交方針の一つの基本的な考えになっております。従って、たとい共産主義の国とも、われわれは国交を正常化すべきものについては正常化して参っております。そして、日中国交回復の問題は、西村君の指摘されたように、その一つの大きなむずかしい問題としては、いわゆる台湾問題が中心をなしておると思う。中国側において、いわゆる政治と経済は不可分だということの議論は、決して単なるイデオロギーの問題ではなくして、現実に、台湾というものに対して、日本が従来これと平和条約を結んでおり、友好関係を作っており、国交を持っておるということ自体に関する見解を、この政治と経済の不可分の問題のうちには含んでおるわけであります。そういう意味において、この日中間の国交回復の問題につきましては、日本の立場からいって非常に困難であることは、西村君のよく御承知の通りであります、しこうして、今日、世界のいわゆる東西間の緊張の問題が、西においては、ドイツ、さらにベルリン問題、東においては、この台湾海峡の問題であるということも、御指摘の通りでありますが、今や、東西両方の中心問題は、第一の問題は、東独の問題及び西ベルリンの問題に集中をされておるのが現状であります。これが何らかの解決を見るならば、直ちに問題は東に移ってくることを、われわれは十分考えておかなければならぬと思いますが、現在のところでは、その西におけるドイツ問題というものが中心課題であることは言うを待たない。従って、外相会談に東西ドイツの外相がオブザーバーとして出るということは、その主題目がそこにあるからでありまして、今日直ちに中共の外相がその方へオブザーバーとして出るというようなことは、私は承知いたしておりません。従って、そういう情勢のもとにおいて、時期的に、直ちに今この日中間の国交回復の問題を取り上げて、積極的にこれに対する処置を考えるというのは、私はタイミングとして適当ではないと思います。従って、そういう意味において、私は、今日は静観政策をとっていくことが適当であるという考えでございます。
 最後に、保安条約の問題につきましては、これまた、しばしば申し述べた通り、また、西村君の御所見のうちにも現われておりましたが、現在の安保条約というものがいかにも不合理であり、不平等であるということに対しては、その成立の当時からいろいろと論議をされてきておるところであり、また、これを合理的な基礎に置くということが、日本の独立を保持しながら安全保障をしていく道であると、私どもは考えておるのであります。これに対して、西村君の言われるように、安保条約体制というものはやめて、太平洋不可侵条約というような、違う見地からのものをもってこれにかえろというお話でございますけれども、今日の日本の置かれておる立場、また、安保体制が現実に日本に安全と平和をもたらしており、これによって国民がおのおのの地位において安んじてその業務の繁栄を来たし、世界経済の発展に資しておるという現状、現実の事実に基づいて、われわれは、これを、できるだけ合理的な基礎の上に、従来の不平等性をなくするような改定をしよう、こういうわけでありまして、この点については、西村君の言われるような、この体制をやめて、太平洋不可侵条約というようなもの、不戦条約というような体制に持っていくということは、現在のところ、私は適当ではないと思います。その意味におきまして、改定についてのせっかくの御意見ではありますけれども、これの交渉を打ち切るというような考えは持っておりません。(拍手)
    〔国務大臣池田勇人君登壇〕
#14
○国務大臣(池田勇人君) 御質問の点につきましては、ただいま総理がお答えになりました通りでございまするが、補足いたしまして申し上げたいと思います。
 日本経済の二重構造を是正し、均衡ある発展を期するために、大企業と中小企業の格差を縮小すべし、こういうお話でございます。まことにごもっともなことでございまして、私も大賛成でございます。戦後、復興のためには、われわれは相当の力を大企業に持っていったのであります。しかし、ただいまとなりましては、大企業の経済規模は相当拡大いたしました。しかも、また、大企業が伸びますためには、どうしても、それに関連する中小企業の伸びを期待しなければならないのであります。こういう意味におきまして、今後は、中小企業中心に経済政策を持っていきたいと考えております。ことに、所得倍増計画から申しますると、一般大衆の消費をふやすよう持っていくよりほかにないのであります。私は、一般大衆の生活確保、向上、そのために中小企業のこの上ともの発展を促したいと思います。
 第二の石炭対策につきまして、抜本的施策を講ずるために特別機関を設けたらどうかというお話でございます。先ほど総理から答えられましたごとく、石炭合理化法によりまして、石炭鉱業審議会というのが、法律に基づいてできております。その構成は三十名からなっております。主として石炭の標準価格をきめるということがその目的になっておるのであります。従いまして、構成員はほとんど半数が石炭鉱業者でございます。学識経験者、そうして消費者、労働者が入っておりますが、この石炭鉱業審議会というものを、お話のような点に沿うように改めて参りますか、あるいは石炭鉱業審議会とは別個に特別機関を設けまするか、この二つの点につきまして今後検討を加え、早急に石炭の根本的施策を講じていきたいと思います。(拍手)
    〔国務大臣藤山愛一郎君登壇]
#15
○国務大臣(藤山愛一郎君) ベトナムの賠償が、統一後は二重払いにならないかということでありますが、ベトナムの賠償は、統一後は当然統一政府に引き継がれるわけであります。二重払いにならないと存じております。また、それがベトナム全国民の利益になることでありますから、ベトナム統一に影響を及ぼすことはないと考えております。従って、現在撤回をする意図はございません。
 日中国交の問題につきましては、先般の国会におきましても、機会があれば大使級会談を開きたいということを申しておりますが、しかしながら、現在の中共は非常に高姿勢であることは、皆さん御承知の通りであります。過去において、ユーゴに対しまして高い姿勢をとっておりました。今日の状況では、インドに対して、あるいはアラブ連合等に対しても、相当高い姿勢をとっております。ある意味から申しますと、フルシチョフ・ソ連首相が北京に行っても、なかなか困難な問題があったようであります。こういう状態を、われわれはつぶさに検討して参らなければならない時期であると考えて、静観をいたしておるわけであります。
 日米安全保障条約の問題につきましては、先ほど西村議員も御指摘のように、終戦時に締結された条約でありまして、この条約を、今日の日本の独立国家の性格からいいまして、十分に自主的に改定して参りますことは、当然しなければならないことであります。今日、これを当然にして参っていくわけでございます。従いまして、将来、あるいは西村議員のような高い理想のいろいろな御意見もございましょう。しかし、そういうことを考えるにしても、現在の日米安保条約の改定というものは、当然、日本の立場においてなすべきであると考えております。(拍手)
    〔国務大臣村上勇君登壇]
#16
○国務大臣(村上勇君) 恒久対策につきましては、先ほど総理がちょっと触れられておりましたので、これを省略いたしますが、今次伊勢湾台風の災害復旧にあたりましては、被災の原因を科学的に十分に究明いたしまして、再びかかる被害のないように、あくまでも、災害復旧にあたりましては、ただ単に原形復旧でなく、十分改良復旧をやるようにいたしまして、今後絶対にかようなことのないよう完璧を期したいと思っております。(拍手)
#17
○議長(加藤鐐五郎君) これにて国務大臣の演説に対する質疑は終了いたしました。
     ――――◇―――――
 八百板正君の故議員粟山博君に対する追悼演説
#18
○議長(加藤鐐五郎君) 御報告いたすことがございます。議員粟山博君は去る九月二十日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。同君に対する弔詞は議長において贈呈いたしました。
 この際、弔意を表するため、八百板正君から発言を求められております。これを許します。八百板正君。
    〔八百板正君登壇〕
#19
○八百板正君 ただいま議長から御報告のありました通り、本院議員正四位勲二等粟山博君は、去る九月二十日、東京病院において逝去せられました。まことに痛ましい限りであります。(拍手)私は、諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を述べたいと存じます。(拍手)
 粟山君は、明治十七年十月、福島県安積郡富久山町に生まれました。生まれた家は、代々会津藩のお医者さんのうちでありましたが、そのころはあまり恵まれない立場にありました。安積中学校を卒業されましたが、その後、青森県で小学校の先生を勤め、青雲の志を抱いては、東京に出て、品川鉄道臨時職員となり、自分の働きで生計を立てながら、早稲田大学に入学されました。このとき、明治四十一年でありますから、二十四才のときであります。そして、時の早稲田大学総長大隈重信侯の引き立てを受けて、苦学力行、政治経済をおさめられました。そのころ、東京の多くの大学の学生仲間で丁未倶楽部という団体が組織され、この中で活躍され、弁論大会に出たりして、その雄弁が認められるに至ったのであります。
 ちょうど白瀬中尉が二度目の南極探検の企てをやろうというころでありましたが、世論の中には、二度も必要はないのだという声もあり、困難しました。これに対抗して、大隈侯を説得し、白瀬探検隊の後援会長につかせたのであります。そして、演説会などをして金を集め、探検隊を助けました。今日の南極探検の先駆者の役割を果たしておられるわけであります。(拍手)これは明治四十三年のことであります。
 また、選挙権を拡張すべきだという主張は学生時代にまとめられ、「普通選挙論」という書物を著わしております。
 明治四十四年には、東京市の衆議院補欠選挙で、理想選挙を掲げて立候補した、われわれの大先輩古島一雄先生のために運動員となって働き、若い粟山さんの直接政治への踏み出しともなっております。
 あくる年、明治四十五年、大学を卒業、間もなく大隈重信侯から勧められてアメリカに渡り、カリフォルニア大学及びノース・カロライナ大学院に学びました。アメリカの勉学もまた、働きながら学んだ苦学そのものでありました。忍耐強い、負けん気の粟山さんは、四カ年の努力を続けられ、マスター・オブ・アーツの学位を受け、デモクラシーの精神を身につけ、大正六年帰国せられたのであります。
 ところが、ちょうど、この大正六年三月十日、横浜港に着いたときは、寺内内閣の衆議院解散二日前だったそうでありまして、大隈さんにあいさっをすると、その場で衆議院に立候補を勧められ、大隈侯からステッキ一本と金一封を渡ざれ、総選挙に福島県より立候補することになったとのことであります。これは三十二才の春のことであります。この選挙は、自由民権の河野廣中先生とともに、福島県全県一区で、くつわを並べて戦っておられます。このときは落選され、次の大正九年の選挙でも落選されましたが、大正十年十一月、衆議院の補欠選挙で、みごと当選せられ、議員活動が始められたのであります。(拍手)
 本院にあっては、学生時代からの持論であった普通選挙法の促進を建議し、さらには、衆議院議員選挙法の改正案について、委員としてその審議に当たるなど、ますます普通選挙制の確立を目ざして奮闘せられたのであります。粟山先生の努力は、大正十四年、第五十議会において成立を見、普選の実施という日本民主主義の大きな段階を作ったのであります。戦時、翼賛選挙に敗れ、戦後は、かつて昭和四年海軍参与官として軍備縮小のロンドン会議に出たのではあったが、やはり軍に関係したとの理由で政治の追放を受け、約十年議席を離れておられます。昭和二十七年、第二十五回総選挙に当選、本院に戻られ、その後今日まで連続して議席を占めてこられております。
 君は、戦争のためにあえて散っていった多くの人々にかわって、余生を国家国民のためにささげるとの覚悟で、老躯を押して国政の審議に精励し、あるいは弾劾裁判所裁判員、東北開発審議会委員に選ばれ、また、党にあっては、日本民主党両院議員総会長、自由民主掌の総務及び顧問の重責につき、その高い識見をもって党内外の尊敬と信頼を一身に集めておられたのであります。(拍手)
 衆議院議員に当選すること前後十回、二十三年余にわたって在職し、時と所を異にしながらも、政治に携わり、国を思うこと至誠一貫して四十余年、国政に尽くされたその功績はまことに偉大なものがあり、長く伝うべきものであります。(拍手)
 粟山さんをしのびながら、ここに特に申し上げたいことは、粟山さんは、政治生活四十年にわたり、ほんとうの議員粟山博そのものであったということであります。(拍手)粟山さんは、かつて、私に、自分は選挙を十何回やったが、いつも野党であって、与党の選挙は、今、鳩山内閣で初めてだ、ということを申されました。粟山さんが心から尊敬された先輩は、大隈重信、河野廣中、武富時敏――この方は、佐賀県から第一回選挙以来十四回まで衆議院に出られて、後に貴族院に回られた方であります。――この三人であると申されておりますが、粟山さんは、生きているこの三大政治家に導かれ、常にその心に聞き、なくなられた後も先輩を慕い、その心に導かれ、今日に至った人であります。
 粟山さんには、これこそバック・ボーンとでもいうべき侵しがたいものがあり、それは、歴史の中に踏みはずさない、日本を育てた先輩政治家の国士の風格を継ぐものであったと思われます。(拍手)
 粟山さんは、先輩に勧められ、一度は行政の経験もよかろうといわれ、昭和五年に海軍参与官になり、ロンドンの軍備縮小会議に出られておりますが、当選十回、保守党第一級の大先輩でありながら、大臣や次官の職に一度もついておられません。(拍手)議員こそ自分の本分であり、国権の最高機関たる立法府の議員として、常に自信と誇りを持って守ってこられた方であります。(拍手)
 粟山先生は、あたたかい人情家であり、生活を質素に保ち、利権に目をくれず、権力にこびず、老年になっては、静かに政治を見詰めておられました。しかし、一たび事に当たると、青年のような純情をもって、怒るべきときに怒り、正義を押し通すきびしさと、そのファイトは、若者をもしのぐものがありました。(拍手)
 思えば、昭和十五年、いよいよ日本が戦時体制に深入りして、政党が次々と解党し、大政翼賛会が日本の良識を麻痺させた七十六帝国議会のとき、大政翼賛会のため助成金を出す予算を追加しようとした政府予算案に反対し、翼賛会に対する政府補助金の削除を求めた議員、川崎克、鈴木文治、芦田均、鳩山一郎、片山哲氏などとともに、粟山さんの名が連ねられておるのであります。(拍手)また、大政翼賛会ができて、ほとんどの全議員ともいうべき四百三十五名が、衆議院議員倶楽部としてその名を連ねたとき、この倶楽部などに全く属せざる者として、わずかに六名の議員があり、その中に粟山博君の名が記載されております。(拍手)大隈侯の教えを受け、河野廣中の流れをくんだ、一徹のこの老政治家には、何か、信念に生き、議会政治、政党政治の真実を求めて戦ってこられた面影を感じ、心を打たれるものがあるのであります。(拍手)
 粟山さんは、昨年来、腸をわずらっておられましたが、一時は健康を回復されたと聞いておりました。しかし、さきに行なわれた春の選挙では、療養するいとまもなかったのでしょうか、ついに、七月、病あらたまり、今日の不幸を見るに至ったのであります。七十四才、四十余年の政治生活の中に積み上げられた練達の政党政治家粟山博君は、ついにこの世を去られたのであります。悲しく、痛ましく、今は、ただ、この先輩の功績をたたえ、そのありし日の面影をしのび、御冥福を祈るばかりであります。
 ここに、心から哀悼の意を表し、つつしんで追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#20
○天野公義君 日程二はこれを延期し、明三十日定刻より本会議を開くこととし、本日はこれにて散会せられんことを望みます。
#21
○議長(加藤鐐五郎君) 天野君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#22
○議長(加藤鐐五郎君) 御異議なしと認めます。よって、動議のごとく決しました。
 本日は、これにて散会いたします。
    午後三時三十八分散会
     ――――◇―――――
 出席国務大臣
       内閣総理大臣  岸  信介君
       法 務 大 臣 井野 碩哉君
       外 務 大 臣 藤山愛一郎君
       大 蔵 大 臣 佐藤 榮作君
       文 部 大 臣 松田竹千代君
       厚 生 大 臣 渡邊 良夫君
       農 林 大 臣 福田 赳夫君
       通商産業大臣  池田 勇人君
       運 輸 大 臣 楢橋  渡君
       郵 政 大 臣 植竹 春彦君
       労 働 大 臣 松野 頼三君
       建 設 大 臣 村上  勇君
       国 務 大 臣 赤城 宗徳君
       国 務 大 臣 石原幹市郎君
       国 務 大 臣 菅野和太郎君
       国 務 大 臣 中曽根康弘君
       国 務 大 臣 益谷 秀次君
 出席政府委員
       内閣官房長官  椎名悦三郎君
       法制局長官   林  修三君
       総理府総務長官 福田 篤泰君
       大蔵省主計局長 石原 周夫君
       厚生省社会局長 高田 正巳君
       労働省労政局長 亀井  光君
     ――――◇―――――
ソース: 国立国会図書館
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