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1958/06/17 第31回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第031回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号
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1958/06/17 第31回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第031回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号

#1
第031回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第8号
昭和三十四年六月十七日(水曜日)
    午後一時二十七分開議
 出席委員
   委員長 田口長治郎君
   理事 逢澤  寛君 理事 稻葉  修君
   理事 北條 秀一君 理事 山口シヅエ君
      井原 岸高君    久野 忠治君
      河野 孝子君    田中 龍夫君
      長谷川 峻君    細田 義安君
      八木 徹雄君    受田 新吉君
 委員外の出席者
        厚生事務官
        (引揚援護局
        長)      河野 鎭雄君
        厚生事務官   松平 三義君
        厚生事務官   藤田 好雄君
    ―――――――――――――
四月三十日
 委員辻政信君辞任につき、その補欠として久野
 忠治君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
五月二日
 一、海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件
の閉会中審査を本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 ルバング島における元日本兵の帰還促進に関す
 る件
     ――――◇―――――
#2
○田口委員長 これより会議を開きます。
 海外同胞引揚に関する件について調査を進めます。
 本日は、ルバング島における元日本兵の調査に関し、調査団員として現地に派遣され、去る十二日帰国されました松平三義君及び藤田好雄君に御出席を願っておりますので、調査の結果について御報告を願い、引き続き質疑を行いたいと思います。両君には、帰国早々お疲れのところ御出席願いまして、委員長として厚くお礼を申し上げます。
 議事の順序といたしまして、まず松平三義君より基地設定の状況と放送施設及びその効果について、次に藤田好雄君より密林地帯。パトロールの体験等について御説明を願うことにいたします。
 それでは、松平三義君より御報君願います。
#3
○松平説明員 それでは、ただいまから基地設定並びに放送施設、その効果等について御説明を申し上げます。
 救出隊の主力は五月七日東京を立ちまして、同日マニラ到着、日本大使館並びに比島官憲と連絡の後、九日マニラを出発いたしまして、十日にルバング島のチリク――ここがルバング島の唯一の港でございますが、チリクに到達し、早々にしてヴィゴという、これは比島の警察軍のおりますところでありますが、そこに連絡をいたしまして、ヴィゴ川の川中を自動車及び徒歩で参りまして、基地の候補地でありますが、アラミタイ並びにアンゴロン、この付近の地形を偵察したのであります。たまたま不幸にもハチの襲撃を受けまして、同日ヴィゴに撤退をいたし、ここで治療等をいたしまして、十二日マニラに一たん帰っております。
 私が着きましたのは五月十四日でありまして、十五、十六日と機材を受領並びに整備をいたしまして、十六日の晩再びマニラ港を出発し、十七日チリクに到着いたしました。チリクで機材を卸下いたしまして、再び基地の偵察をいたしたのでありますが、その問いろいろの問題がありまして、基地が決定いたしましたのは二十二日でございます。それは最初アラミタイ、ナリンバヤン、ここに予定をしておったのでありますが、今度持っていった機材が非常に大きいために、この川を輸送することができないということがわかったのであります。そのために再び偵察を開始しまして、二十三日の夕刻――ここでありますが、ここが比島軍のレーダー基地の五〇三高地、それからここが四一一高地、この数字はフィートで表わしてありますが、通常われわれはそういうふうに唱えております。そのレーダー基地に行く道路から約一キロ五百山に入りました通称カララッド、ここに基地を設定したのであります。今度のわれわれの目的が、大型スピーカーによるところの放送呼びかけを主としておりますので、機材が非常に膨大なものであります。そのためにこの輸送には非常に困難を来たしまして、二十三日、四日、五日と三日間を要しました。特に放送機本体は、十八人の人夫を使いまして同時にかつがせまして、約一キロ五百のところを二時間を要しております。このカララッドはヘビ山と通称言っておりますが、四一一高地の北側の台地になっておりまして、キャンプを張るためには相当よい条件になっております。
 キャンプは、周囲が約四、五メートルのマンゴの木と、それから現地人がブラックベリーと唱えておりますジャングル・フルーツの木が三本くらいある、その下の太陽の直射を受けないところの地に天幕を――これは約六坪の大幕を一つと、それからシートによりますかりの天幕を二つ区張ってあります。その天幕内に放送施設を入れまして、もう一つの天幕には宿営並びに食料品、余った機材等を収容してあります。
 次に放送施設でありますが、放送施設は、到着後分解をいたしましたところ相当の破損をしておりました。これは長期間の輸送と、特にマニラ港における陸揚げ等の関係と思います。それを修理いたしまして二十五日の正午ごろ第一声を発し、私たちもようやく安堵の胸をなでおろした状況であります。
 次にスピーカーの位置でありますが、スピーカーは三個ございまして、一つは基地に置いてあります。それから一つは四一一高地のふもとに一キロ延線しております。この延線は、数個の谷を渡りまして非常に困難をきわめた作業でありました。もう一つはこれでありまして、これは四一一と――この山脈とこの山脈のこの盆地に対する放送を主としております。距離は一キロ六であります。千六百メートル延線しております。これも三個の谷を越しまして、道のないジャングル地帯を人夫に木を伐採させながら、われわれがこれを架設していって相当の困難をしております。
 次に放送の範囲でございますが、このスピーカーは四一一、それから五〇三、この間の谷に向って放送しております。それはこの前、五〇三のレーダー基地の人夫が射殺されたという事件がありまして、この谷に出てくるのじゃないか、そういう関係でここに設置しております。このスピーカーは、この山脈の西北の方にございますこの盆地一帯に対する放送効果をねらっております。ここで放送しますと、放送が終ってから相当の時間を置いてこの山脈に反射してここに聞える程度でありますから、この辺一帯をカバーしていることは確実と思われます。なお基地にあります第三のスピーカーは、ナリンバヤン並びにチリクの高地に対する効果をねらっております。チリクのこの山頂におきましては、かつて水牛が二頭射殺されたという事件があります。
 次に無線機のことについて申し上げます。こちらから携行しました中型無線機は短波無線機でありまして、最初の計画では、基地とこのタグバッグ――これは陸上の運行がここでとまっております。ここは通ることができません。こちらの放送がこの範囲に限られてある関係上、舟艇によりましてこのサイドの放送をやることになっておりました。いわゆる中型のアンプをもちまして舟艇によってこの付近の放送をしておるのでありますが、そのときの連絡のために無線機をこことここに使う、通信距離はおおむね十キロ、こういう計画でございましたが、例のハチ事件を起しまして――チリクの電報局というのが無線電報局一つしかありませんで、これが空中状態の関係上、十七時ないし十九時の間しか放送をいたしません。そのために、緊急用事のためマニラ大使館とルバングの基地との通信が非常に重要になったのでありまして、そのためにマニラ大使館とルバング島と通信をしてくれないか、こういうような要望がありましたので、マニラ大使館に一機を残置しまして、基地に一機を置きまして短波無線機で連絡をすることに変更いたしました。そして大使館と連絡をいたしまして、現地官憲に周波数割当を申請し、かつわれわれにおきましては試験通信を実施いたしました。このわれわれが携行した無線機は、通信距離が電信におきまして百キロ、電話は約三十キロの無線機であります。ところがルバング――マニラ間の距離は百二十キロあります。それで一応心配をしたのでありますが、両地間の状況が海の関係上、試験通信の結果あるいはできるのじゃないかという計画のもとにこれを実施いたしました。幸い二十六、七の両日これを実施しましたところ、技術者によらなくても完全に普通の電話のように明瞭に聴取されまして、たまたま同地に出張しておりました柏井隊員と私と話をしまして、完全にその任務を遂行した、そういうこともございます。そしてその翌日も実施したのでございますが、許可がなかなかおりません。そのために、現地警察軍の隊長のリコという大尉から、通信をしてはいけない、そういうふうにとめられまして、現在はとまっております。なお、帰国に際しまして大使館に連絡をいたしましたところ、なかなかこの許可はむずかしい、そういうふうに聞き及んでおります。なおわれわれがここに基地を設けたために、ヴィゴにおりました警察軍はこの道路のわきにキャンプを設けて、ここまで進出しております。
 以上をもちまして、私の基地設定並びに通信施設に関する御報告を終ります。
#4
○田口委員長 次に、藤田好雄君にお願いいたします。
#5
○藤田説明員 藤田好雄であります。
 一番最初に上陸しましたのは、先ほど松平さんからお話がございましたように、十日に向うに上陸しております。上陸と同時に、河野領事が手紙箱の申し送りという意味合いのもとに、この石山の下、アンゴロンのこの地点に向って前進したわけです。と同時にアラミタイの調査と兼ねて行なったわけでありますが、この行く途中においてハチの襲撃を受けました。それから先ほどの報告通りになりますが、その後二十八日にこちらの方へ、タグバッグから領事官以下藤田とも十名出発したわけであります。大体バレイタンバン、これまでは二時間を要するわけであります。バレイタンバンに最初着きまして、それからこの四カ所の手紙箱の点検をやりました。その間において、別にこれという変化はございませんでした。それで帰ってきたのは大体八時ごろになりましたが、そのように船が非常におそいわけです。現在、風の関係で非常に南海岸は波が高いので、船で連絡箱の点検は全然できないことになっております。その後三十一日に二度のちょうど私は領事官から手紙箱の場所を受け継ぎましたので、六月の五日に内地帰国の予定になっておりましたので二日にはどうしてもチリクを出発しなければならない関係上、一度申し送りしなければならぬというので、三十一日の日にやはりこれへ行ったわけです。ここまでは自動車が行きますが、ここから船で行くのですが、そのときは波が荒くて途中で引き返しまして、私は船から足をすべらして落ちたわけです。その足で帰りまして、私も帰るについては一度山へ入ってみなければ気持が済まないので、その夜地形偵察に私と通訳と向うのサージャン、軍曹の方と三人で最初は六〇〇まで行く予定でありましたが、時間の関係上、六〇〇の手前のこれが連絡地になります。ここまでは大体一時間半くらいかかります。一六〇〇フィートのちょっと先まで行って、もう日が暮れてしまったわけです。その位置において宿営をいたしましたが、ちょうど雨期の前ぶれで一晩じゅう雨にたたかれまして、寒さのために非常にふるえました。これはかぜをひいては困るというので、夜明けを待って大急ぎで帰ったわけです。
 その後チリクまで――二日の日にマニラへ帰る予定でチリクヘ行きましたが、内地からもう少し待ってくれという情報でありましたので、その後引き返しまして、二度目の捜索を行いました。それは最初の計画では、レーダー基地から稜線を捜査して、バレイタンバンに行って、また引き返すという予定でありましたが、六〇〇を過ぎて少し行ったところでもう時間がお昼近くなりましたので、この辺で昼食をとろうというわけで谷川へおりたわけです。谷川へおりて昼食をしていたら、ちょうど空模様が悪くなって雨が降ってきた。それで軽い食事にしまして、また引き返してこれへ出る予定だったのですが、これはとても不可能だというわけで、いずれ谷川を行けばどこかへ出ることができるだろうということで谷川を下ったわけです。ところがこの谷川が非常に険しい谷川だった。途中滝が四カ所も五カ所もあったわけです。滝をおりられないので迂回するわけですが、今度行った記者たちも非常に驚きまして、これは命にかかわる峻険な谷川だというわけで、やっとの思いでこっちへ抜けたのですが、このゴンチンの連絡地まで来るのに五時ごろまでかかったわけで、初めてこの谷川を歩いてみました。このゴンチンで一泊いたしまして、海岸伝いに――ちょうど潮が満潮でありましたので、海岸伝いは不可能なときが多かったのですが、迂回しながら、バレイタンバンまで四カ所、ここから三カ所、バレイタンバンまでの手紙箱を点検しながらこれへ出たのであります。ここで辻記者以下十二名ほどの人と落ち合いまして、とてもこれでは六〇〇の方へは帰れないというので、相当そのときも隊員の中には、向うの記者も疲労いたしましてのびました。これは引っ返すことは無理だという意味合いのもとにロークヘ向けて、ロークから船で帰るということになったのです。ロークヘ出るには山の稜線へ出ていくというので、レンジャーが道案内をしたのですが、レンジャーそのものも、あまり危険な地点でありますから行かない。相当ここでまごついております。まごついて、やっとの思いでロークに出たようなわけであります。
 六〇〇からバレイタンバン、その間を抜けたのですが、別にこれという足跡はなかったわけです。歩いた範囲が非常に狭いのでありますから、ないのも仕方ないと僕も思ったのですが、大体現在僕の考えるのは、バレイタンバンン、この付近が一番おる可能性が強い。というのは、谷が深いのです。非常に深い谷がありまして、隠れるのには絶好の場所になっているように僕は見受けました。それともう一つは、河野領事官が射撃をされました地点がバレイタンバンでありますから、この辺には必ずだれかしらいる。日本軍以外の人になるか、それはわからないけれども、とにかくいることはいるんだ。そうすると隠れるにはこの辺は場所がいいから、住めるんじゃないかと考えたわけです。現在雨季間は、こちらの海岸は全然行かれないわけです。山の稜線を歩いていくとなれば危険は伴ってくるのですが、ジャングルの中は非常にしけております。足もとが危ないのです。それで。パトロールをやっても無理だろうというふうに僕なんか考えるのですが、気長にやれば、やってやれないことはないと思うのです。それにしても、やる人は並み大ていの苦労じゃないわけです。不可能だということになるのですが、大体踏査を行なったのはその範囲であります。
 これで一応終ります。
#6
○田口委員長 委員長から二、三お伺いします。二人の元日本兵が生存しておるか生存していないかというということが非常に重大問題だと思うのでございますが、その点に関して、何か通信箱関係かあるいは住民の話か、そういうような資料によってお感じになった点はないでしょうか。
#7
○藤田説明員 大体情報は、日本人がいるという方が非常に強いのです。というのは、あらゆることがみな情報になってくるのですが、一番最近の情報では、このバレイタタンバンで、あれは先月の十九日に見たというのですが、このときに山から石が落ちてきた。そのときにコプラ取りに入った島民が八人おったそうですが、石が落ちてきたので、驚いて山の千に見にいった。ところが二、三十メートル先に日本の兵隊を二人見た。武器を持っていたけれども、こっちに発砲しないで逃げていった。そのあとには魚の乾燥――乾燥魚を作っていたという報告があったわけです。これも果してどの点を信用していいかどうか、こちらで見たわけでないですからわからないわけです。
 最近の情報では、そのあと、銃声を聞いたというのが二十一日に情報が入っております。僕の考えでは、河野さんが撃たれたというのが前提になるわけですが、この考え方もいろいろ考え方はあると思うのです。フク団とか、それから向うの犯罪者が山に隠れるというような面も考えるのですが、かりにフク団がいると仮定しまして、フク団が、じゃ果して何のために山にいるか。フク団の任務というものはどういうものであるかということをいろいろ考えますと、この島に入ることはさほど必要じゃない。かりにいるとすれば、小人数じゃいないわけです。最小限度十人ないし十四、五人の者は、普通の部隊を組んでいると仮定しなければならぬ、その場合に、レーダー基地なんかも相当回数において襲撃されるような可能性も見なければならぬと考えられる。それもなければ、結局フク団というのもいないのじゃないかというふうに考えられるわけです。で、たまを撃ったのは日本人だという方が強くなるわけですが、それもはっきりした確証が得られませんから、大体五分五分という考えになるわけです。
 御存じのように、ズボンの切れ端ですが、あれなんかも、僕は日本の兵隊のものじゃないということを言えるわけです。ちょうどひざから下のズボンの切れ端を捨てていくだけの物資がないというのが前提になって考えられるのです。物資のない人はわざわざそんな大切なものを捨てない、これは日本人のものじゃないということは言えるわけです。手紙の方は、どちらとも言えませんです。もう一つはどう、それから手紙箱の点検、とにかくビラをまくのは向うの飛行機である関係上、隠れている人の気持は、フィリピンの飛行機で日本のビラをまいても、これは謀略だというように考える線が強いわけです。僕たち現に山にいて、すべてのことをそういうように考えたわけです。これは日本が負けているから、われわれ二人をとらえるためにこういう宣伝をしているのじゃないか、文面そのものにあまりこだわらないで、そういう行動において物事を考える性質に陥っていると思うのです。手紙箱の点検もそうですが、おそらく両名は手紙を見たり、ビラを見たりしておるだろうと思うのです。手紙箱の場所へ行っても、そこへ行ってなるほど手紙は持っていったという形跡を残さないのが隠れる人の心理状態だろうと思うのです。形跡を残せば必ずあくる日待ち伏せを食らうとか、何かの方法でもってつかまる心配があるわけです。そうすると、よしんばそこへ来てものを見ても、全然手をつけないようなことをしていくのが隠れる人の心理状態だろうと思うのです。
#8
○田口委員長 山口委員。
#9
○山口(シ)委員 藤田さんにお伺いします。大へん御苦労さまでございました。ルバング島の住民と幾らか接触なさってみましたでしょうか。それで何かお気づきになったこと、またルバングの住民の人たちの考え方、それらのことをちょっとお伺いしたいと思います。特に日本に対してどういう考え方を持っているか、中にいる二人に対して、これは必ず二人が中へ入っていて、今日までのいろいろな事件は二人が起したものであると信じ切っているかどうか、そういう点についてお伺いしたいと思います。
#10
○藤田説明員 住民感情は、僕は非常にいいと感じました。というのは、僕が島にいた関係もありますし、島で隠れていた藤田が来たんだというので非常に歓迎を受けました。もしも島に着いて寝るところがなければ、うちへ来て泊ってくれと言う。その当時、ちょうど警察に勤務していた方がいましたが、その方は僕たちがいた本部の前の家に住んでおりまして、向うでは顔を知っているというのですが、僕の方では全然記憶はなかったのです。その方の話では、泊るところがなければうちで泊って下さい。そのPCにしても、レンジャーにしても、藤田君となら山へ捜索に二人で入っていこうじゃないかというように、非常に協力面もあるわけです。それと住民なんかも、大体日本人二人だという線が非常に強いわけです。何とかして情報を集めて、手柄を立てようというようなことも考えられるわけです。そうすれば一躍顔役になれるとか、何か一つの欲望を持っているわけです。それで非常にそういう面で情報の誤差も出ると思うのですが、協力という点はこの上もないと思うのです。昔の敵国の人が、よくこれほどまでにやってくれたと僕なんか考えます。大体日本が逆の場合だと、以前の旧軍隊でしたら全然そういうことはないと思うのです。
#11
○山口(シ)委員 もう一度質問させて下さい。そういたしますと、探すという条件においては非常に好条件なわけでございますね。
#12
○藤田説明員 そういうわけです。
#13
○山口(シ)委員 それで二人がお帰りになるについては、島民は何か特殊な感情をお持ちになりませんでしたか。いるはずなのになぜ途中で帰ってしまうのかとか、もう一息で見つかるのじゃないかとか、いろいろな感情があったのじゃないかと思いますが、そういう点について何かお気づきになりましたか。
#14
○藤田説明員 それは大体言葉はわかりませんので、新聞記者とか通訳を通じて耳に入りましたのですが、とにかく藤田君が帰っては困る。自分で言うとおかしいのですが、僕はまだ四十一で、山歩きしても達者なわけです。今度行った中でも一番達者な方になっているのですが、それと、スピーカーで山歩きしましても、当時の状況をこまかく知っている関係で、すべてのことをスピーカーで知らせていたわけです。PCなんかにしても、言葉はわかりませんでも、何とかして救い出したいという熱意そのものはわかるらしいのです。それで、どうして帰るのだといって非常に質問されましたのですが、まあこういうわけで帰る期間がきたので帰るというように言ったのですが、新聞記者なんかも非常に帰ることに対しては反対しておりました。フィリピン政府、それから大使館等も、そういう情報、住民の話等を伺っている関係で、僕の帰ることに非常に反対されたのですが、やはり僕も期限もあるし、うちのことも一応気になるものですから、では一週間延期すればいいだろうという憶測のもとに僕は引き揚げてきたわけです。
#15
○山口(シ)委員 お疲れのところを済みませんけれど、もう一度聞かせて下さい。そうしますと、二人がいるという期待を持ってあなたはお帰りになられましたか。その点はどうでございましょう。おやりになってみて、期待を持てないという気持でお帰りになりましたか、それとも期待は持てる、さらにもっと探せば必ずいるのではないかという期待を持って帰ってこられたか。
 それから、あとに残る者に、こういり探し方をすれば効果があるのじゃないかと、自分の御希望を申し渡して帰られましたか。
#16
○藤田説明員 そのことにつきましては、必ずいるという線は、これは確実な証拠がございませんから言えませんですが、僕の考えは、要するに自分で隠れていた島であるから、自分で納得いくまで探してみなければ、いないということは断定できないように思います。それで行って綿密なパトロール――綿密な。パトロールということは、要するに山は御存じのように、大体八合目付近までおりますと水があるわけです。水のある個所でなくては生活が成り立たない。そうすると、水のある七合目、八合目付近を縦断するわけです。それで捜索して、その付近から谷川を上下に四、五百メートルをパトロールする。そうすれば自分の隠れ家から谷川に通ずる道路というものが必ずできるのです。というのは、隠れるのに一応安全だという地点を選ぶわけですから、その安全だという地点は必ず見当がつくわけです。それをまず探して捜索するというのが一番適当だと思います。いるかいないかということになると、それをやってみなければほんとうのことはわからないということになるわけです。
#17
○山口(シ)委員 相当心残りを持ってお帰りになりましたね。
#18
○藤田説明員 そういうわけです。
#19
○山口(シ)委員 そのあと、次の方にこういう方法をとったらという点はどうですか。
#20
○藤田説明員 それは、大体の方針は山に入らない方針だった。おもにスピーカーを利用して、ある程度のことをやってみて、安全だという確証があって初めて山に入ってみるというような方針ですから、そのことに関しては、僕は申し送り事項は別にいたしませんでした。大使館それからPC、すべてそういう方たちも、放送そのものよりもパトロールというようなことを非常に期待しておるわけです。
#21
○山口(シ)委員 ありがとうございました。
#22
○田口委員長 委員長からまた質問いたしますけれども、先ほどの藤田さんのお話で、山の中で燻製をしておった、その品物は魚だったという話を承わっていられるそうでございますが、今までここで聞いております燻製は、すべてに肉燻製を作っている話を聞いたのです。そこで魚の燻製ということになりますと、本人らは漁業はしないと思うのでございますが、原住の連中が漁業してとった魚を、何か干物にするか塩物にするかという、いわゆる陸地で乾燥したり加工したり、そういうものがあって、それを二人がせしめて山に持っていって燻製にするというような、そういうことよりほかに想像できないのですが、そこらの沿岸原住民の仕事に漁業がございますか。
#23
○藤田説明員 そのことにつきましては、大体南海岸、先ほど申し上げたバレイタンバン、ヤンギフ、ゴンチン、こちらは全然住民の家はないわけです。住んでないのです。海岸に出ても安全だという線が非常に強いわけです。そういう関係で魚もやはり相当近くまで来ます。夜間、この間バレイタンバンで向うの兵隊が魚とりをしましたですが、そのときなんかもかなりとってきたのです。それは夜あかりを持って海に近寄るのです。そうすると、あかりの光を求めて魚は寄ってくるわけです。そこをねらってとっておりましたですが、そういうふうに、結局食うためには、いかなる方法も講じてやるのじゃないかという線も考えられるわけです。山に持って帰って燻製にするということはちょっと不可能なわけです。というのは、ジャングルの中で日が当らない。そうすると、海岸線の日当りのいい場所を選んでやらなくてはちょっと無理だということになります、腐りますから。
#24
○田口委員長 それで、燻製にするのじゃないですか。
#25
○藤田説明員 そういうわけです。山の中では燻製にするまでに腐るのです、直射日光が当らないから。
#26
○田口委員長 いや、燻製はそれでいいと思うんですがね。光線が当らぬでも、箱の中でもできるのですから、そうなると、こっち側にはほとんど住民というものはいないわけですか。
#27
○藤田説明員 そういうわけです。
#28
○田口委員長 だから魚をとろうとすればとれるわけですね。
#29
○藤田説明員 ええ、それにはある程度の熟練を要しますが、長い月日ですから、むしろヴェテランになっているのじゃないかという点も考えられるわけですね。
#30
○田口委員長 河野さんが射撃されたという日にちはいつですか。
#31
○藤田説明員 あれは三月の十三日。
#32
○田口委員長 それはもちろん命中はしなかったわけですね。
#33
○藤田説明員 そういうわけです。河野さんの話によりますと、河野さんがちょうど海の中にっかっていたそうです。ところが河野さんのつかっている付近にたまが飛んできたという。説明を聞いたんですが、距離的には、ねらえば必ず河野さんに命中するわけです、距離が近いですから。それが当らないというところを見るとどうだろうというようにいわれたのですが、おどかしにやっているのではないかと思います。
#34
○田口委員長 その地点はどこですか。
#35
○藤田説明員 これはバレイタンバンの突端ですが、この突端のヤシのもとから撃ったというのです。河野さんは、海岸の大きな岩のあるところで水に浸っていたわけです。それをねらって撃たれた。船にもたまが当って、はね返ってきたというのです。
#36
○田口委員長 河野さんは幾人で行かれたのですか。
#37
○藤田説明員 あのときの人員は、大使館は河野さん一人と、あとはPCなんかついていったらしいのです。それでどうしようもなくて、PCにお願いして撃ち返した。僕はこの間行ったところ、撃ち返した撃ちがらはかなり落ちていた。これは日本軍の撃ちがらではないかと向うのPCに聞いたのですが、これは応戦したときの撃ちがらだということを言っておりました。そういうように撃ったり撃たれたりすると、とても出てこないのですよ。出ようと思う気持があっても、また嶋田伍長が死んだときもそうだし、今度河野さんが撃たれたからこちらからも撃ち返した、河野さんにすれば自分の身が危険だから撃ち返したということになるのですが、日本人の考えは、戦争が終っていればたまを撃たないという考えです。戦争が終結すれば何もたまを撃つ必要はない。もっとも、昔の日本の軍隊だと無断で発砲したときでも処罰があります。非常にきびしく守っておりましたが、フィリピンなんか、外地はそうではないのです。向うのPCなんかもときたま鳥を撃ったり、それからいたずらにたまを撃つことがある。たまを撃つから僕はいけないのだと思うのですが、それをまた住民が、日本の兵隊がたまを撃った、銃声を聞いたといって片方では情報が入ってくるのが、結局日本の兵隊でなく、PCなんかいたずら半分に撃ったやつを聞いて、日本の兵隊のたまだというように言っている点もあるらしい。ちょうど僕が、レーダー基地の下のヘビ山ですが、そこのアンゴロンに手紙箱の点検に行ったときに、ヤシの木に登ってヤシの実をとっているところを、通りがかった住民がその姿を見たらしいのです。僕は日本の兵隊の服装をしていたものですから、日本の兵隊がヤシの木に登ってヤシの実をとっていた姿を見たという情報が入ったわけです。そういうちょっとしたことが情報になって流れてくるわけです。
#38
○田口委員長 フィリピンの官憲も、相当好意を持って協力することをやりましたか。
#39
○藤田説明員 官憲はなかなか責任観念もありました。というのは、いろいろ考えもあるのですが、表面的には非常な責任観念があるのです。というのは、僕たちが、バレイタンバンに行ったときに、朝引き揚げる寸前に、柏井さんと僕と二人でうしろ山の地形偵察に行ったのです。地形偵察に行ってスピーカーで呼びかけをやりながら帰ってきたのです。帰ってくると同時にPCの隊長に怒られたのです。日本人はどうしてそう勝手な行動をとるのだ、ミッションが勝手な行動をとるといって非常に文句を言われた。われわれは責任がある、もしも、ミッションにけがをされたり、撃たれて死んだ場合にはどうするかという責任があるというのです。なるほどPCとすれば、そういう責任の重大さはうなづけます。と同時に、小野田少尉たちがもし日本のミッションだけに見つけられた場合に、自分の手柄を立てようと思うことが横取りされる、そういう点も考えられるのです。
#40
○田口委員長 そういうつもりでありますと、藤田さんなんか山の中を行動されるときは、いつもPCはついてこられたわけですか。
#41
○藤田説明員 そういう場合だと四人、多いときは六人くらいです。一番初めに行ったときは総計二十人です。これだけの部隊が山の中を歩くと、出る気があっても出ないのが当然なのです。最小限度四、五人で行くのが一番適当じゃないかと思います。
#42
○田口委員長 河野孝子君。
#43
○河野(孝)委員 今のフィリピン関係のことでございますが、先ほど松平さんがちょっとおっしゃいましたが、ジャングルに入るのになかなか許可が出なかったというようなお話がありましたし、またジャングルを捜査するのに非常に困難だったというようなことをちょっと伺いましたが、その実態について説明して下さい。
#44
○藤田説明員 ジャングルの中の困難ということは、まず湿気が多いということ、それから落葉が多いということ、また向うのジャングルは非常にとげが多いわけです。内地のバラだと、ひっかかった場合バラの方が落ちるのです。ところが向うのバラは全然逆で、こっちの生地がやられるわけです。そういう関係で、そういう場所にぶつかった場合は、伐採しながらでなければ前進できないわけです。それが距離的に長いものですから、相当の苦労が伴ってきます。足元が落葉ですべるとかいうようなことになってきすからね。その点で非常に困難を来たすわけです。
#45
○松平説明員 私からちょっと申し添えますが、レーダー基地と工兵隊のキャンプ、それから軍用道路、ここらは要塞地帯で、そのために特別の許可がないと入れない。そのためにPCのヘッド・クオーターの指示は、この両方の基地から二キロ、道路から一キロ以上中に入った地点に設定しろ、こういう指示でございました。
#46
○藤田説明員 今聞き間違えましてちょっと返答しなかったのですが、勝手な行動をされちゃ困るというのは、結局向うのPCは、君たちの護衛に来ているのだから行動をともにしてくれなくては困る、一応そういうときには報告をして、実はこういうわけで山に入って行くのだがどうだろうと相談してくれればいい、無断で行かれちゃ困る、相談すれば、やることに対してとやかく言わないというのです。その場合も、ちょっと散歩する気持で行ったわけですから、こっちはさほど重大視していなかったわけです。
#47
○田口委員長 受田委員。
#48
○受田委員 お尋ねしますが、そのルバング島には住民がどのくらいいるわけですか。
#49
○藤田説明員 話の様子では、大体二万人くらいおるそうです。町はローク、チリク、ヴィゴ、ルバング――これは通常ルバングというのですが、ここにもと日本軍が飛行場を持っておりました。それからタグバッグ、その町だけに住んでいます。あとは飛び飛びで、ときたまあちこち家がある程度です。
#50
○受田委員 この地図で大きく拝見しましても、大きな町に人口が集中して、しかも二万おるということですね。そうして島の全体の大きさも、幅などはせいぜい八キロ程度ですね。そういう小さい島であって、たとい密林があるにせよ、内部の状況が明らかになり得ないということは、どうも私たち了解に苦しむ点があるわけなんですが、そこに十数年も苦労している人がおりながら、これだけ苦心の捜査をやってもその所在がつかめないというところに、どうも解釈に苦しむ点があるわけです。先ほど来のお話を承わって、その捜索の困難なことはわかりましても、それだけの人間がその島におるとするなら、その山道を折々通る人もあるだろうし、この小さな島でわずかな残留者の行方を明らかにし得ないということは、どうもはっきりしないところがあるのですけれども、その住宅のあるところと山とは画然と隔離されたような立場にあるのか、時折は町の人々が、きこりとか、あるいはいろいろな食物をあさって歩くとかいうので山へ入るような情勢にあるのか、人跡未踏、つまり人がいまだかつてたずねたことのない、前人未踏の地域というものがあるのか、こういうようなところを一つ伺いたい。
#51
○藤田説明員 それは、大体現在のところは隔離されたような状態に入っております。というのは、僕たちが一番最初この山に隠れたときに、山の方の稜線、これは全部道路があったわけです。ずっとこっちに、ロークの方へ抜ける道が……。この問の踏査では、全然これが、この六〇〇から先はわからなくなっておるのです。この山の中に入るのは、結局目的があって住民は入るのですが、トウいすのトウ、あのトウが非常に多いわけです。それをとりに入っていたわけです。日本軍がこの山に隠れてからというものは、大体こういうような付近までは来るわけですが、それから先は全然入らないわけです、危険をおそろしがって……。それで、隔離されたような状態に入っているわけです。
#52
○受田委員 今、お二人の方が残留していると見られているわけですけれども、その人々が住んだと思われるようなほら穴とか、あるいは木立の間とかいうところの痕跡というものは、おいでになられてどこかで見出されたことがありますか。
#53
○藤田説明員 この間うちの踏査でば、全然確認されません。
#54
○受田委員 内部に人がおるなというような気配のした、たとえば食物を食べたかすが捨ててあったとか、あるいは木が折り望めてあったとか、そういうような痕跡は見出されなかったですか。
#55
○藤田説明員 それも全然確認されませんです。何しろこういう、地図で見ますと、内地の全然地形を知らない方は、これな島じゃわけがないだろうというように考えるのです。それは行動をともにした新聞記者たちも、全部そう思ってしたんだそうです。現地に着いて実際にこの山を行動してみると、大へんだということに初めて目ざめたと言っておりました。それだけ広い。地図で見れば狭いのですが、現地に行ってぶつかればなるほど広い、これでは二人の兵隊さんを探すのは大へんな苦労が要るということを言っておりました。谷川一つ歩いても、内地からの記者たちがともに歩いても、こういうところに隠れていられるかという疑問を持つわけです、険しいですから……。ところが隠れる人としては、そういうところを選ばなくては隠れられないということになるわけです。わずかに二人の兵隊ですから、どこだって隠れられるわけです。三間ほど離れたら全然目先が見えない。しゃがんでいますと、幾らそばを通っても見つからぬわけです。隠れる意識の人と探す意識の人では、ネコとネズミというわけになるのですが、そういう険しいところでネコとネズミのイタチごっこでは、いつまで繰り返していてもだめだ、つかまえるということは……。ですから、うちを見つけるのが先決だ、うちを見つけるには、谷川を全部洗えば必ず何か確証が得られると思う、それをするには相当長時間を要するわけです。
#56
○受田委員 どうも今御説の中で新聞記者の方が言われたように、われわれも感じますが、その谷川や山のツタ、カズラおい茂る木立の間を縫う山道、こういうようなところをくまなく探し回るということは可能性がないということですか、あるいは今から、どこももう探さないところはないほどくまなく探す可能性がある、これはできる、ということでしょうか。
#57
○藤田説明員 それは谷川全部というのではなく、ある一部の、要するに先ほども申し上げたように、谷川の一番上流点を、大体四、五百メートルを上下に探すということになるのです。そうするとそれほど骨も折れないで――全部上から下までおりるということになると、これは大へんな労働力を要します。ですから一部を局部的に当っていけば、そう広い範囲でもないですから、山の谷川の八合目付近を歩くのは距離が短かくなる。下を歩くのは範囲が広いが、上だと狭くなる。歩く範囲も縮まるのです。そのときはもう危険だと思って逃げますけれども、逃げてもうちは必ず作ってあるのです。作らなくては雨季間は生活が成り立たない。本人を見つけるよりも、うちをまず見つけるということが先決になるわけです。
#58
○受田委員 その島のそうした密林地帯に死骸となって、あるいは遺骨となって、白骨となっておられる英霊の姿というものを、あなた方がこのたび発見されたことがありますか。
#59
○藤田説明員 今回は一つも見ませんでした。ここは遺骨収集に行って収集してきたそうですが、その遺骨収集に当った方の話を聞きますと、遺骨は十何年野ざらしになると、なくなるそうです。なくなるのですから、発見されないことになるわけです。ですから、全然見たことはなかったです。
#60
○受田委員 しかし鉄かぶととか銃とかいうものは十年くらいではなくならぬはずです。その人が裸一つのほかに、何か体に、持ち物で形に残る水筒とか何かを着けておるはずですが、それも見受けられなかったですか。
#61
○藤田説明員 それも見つかりませんです。
#62
○受田委員 私たちのこのささやかな希望――ささやかではなく非常な希望を持っておるのですが、あなた方の捜査された現状では、ここに二人おられると思われるその生存説を裏づけるものは、非常に薄くなったという印象をお受けになりますか。
#63
○藤田説明員 生存せずという点は、全然感じられないです。生存しておるということも、確証はないのですから言い切れないしするので、結局は五分五分だろうということになるのですが……。
#64
○受田委員 これだけの熱情を込めて捜索に当っておられるわけで、国民及び全世界の人が、お二人の姿の見つかることをみな願っておるのですけれども、あなた方があれだけ御苦労されて現状では五分々々、いやなかなかむずかしいという印象を持たれるということになると、これ以上ここへ、今のくまなく探す方法が残されておるのですけれども、力を入れても、現実の問題として人が住めそうにない状況、またたとい生きていたとしたならば、そこへ何かの形で水をとりに出るとか、あるいは食物をあさりに出るとかいうことが、どこかで形跡がないといかぬわけです。そういうところは一応くまなく探してみられたわけでしょう、そういう見通しのつくところだけは……。すると結局この密林の中に生き延びることは、いろいろな条件を検討されてもなかなかむずかしいんじゃないかという方が強くなったのじゃないでしょうか、五分五分でなくて。
#65
○藤田説明員 結局五分々々よりも弱い、生存しないという線の方が強いのじゃないかという御質問ですが、日数がない関係上、そこまで僕たちは捜査できなかったわけです。ほんの一部的に、悪く言えば言いわけ的に山を歩いたにすぎない程度ですから、それをつかめぬだろう、鉄かぶとも何も下手すればあるとおっしゃいましたけれども、そこまで行くには相当な日数を要するわけです。ただずっと歩いただけでは全然つかみどころがない。山の頂上線を歩いて、物があるわけは絶対にない。稜線には住むような場所はない。住むようなところを歩いて、初めてそれがなかったとか、あったとかいうことが言えると思うのです。現在の立場では全然それは言えないわけです、ただ形式的の捜査なんですから。
#66
○受田委員 厚生省は、形式的な捜査の次に実質的な捜索をやられる御計画はあるのですか。
#67
○河野説明員 今度の計画の基本的な考え方といたしまして、先ほど来いろいろ御質問もあったのですが、日本兵がいるということがはっきり確信を持って言えない。あるいは何かいるにしても、日本兵ではない公算もかなりある。従って準備工作なしに、くまなく探すというふうな方法をとることは非常に問題があるのではないかというふうなことから、まず準備工作というふうな考え方で、何らかの反響が得られることを期待しつつ呼びかけをやる。一面、もしも日本兵がおるなら、その呼びかけを通じて心理的な転換も期待できるのではないか、そういうような前段階の準備工作的な意味で今回の措置をとりあえずとった。ただいま御質問のございましたように、これで打ち切るというふうな考え方は初めから実はなかった。今回までの調査の結果その他を勘案いたしまして、次の手をとりたいと思いまして、ただいま検討いたしておる次第でございます。
#68
○山口(シ)委員 私、先ほど受田委員の前に、実はその点を特にお聞きいたしたいと思いまして結論から質問申し上げたのですが、あなたがあちらにいらして心残りがあって帰ってきたということですと、調べ切れていない。調べ切れていないから、いるかもしれない。あなたが心置きなく帰っていらっしゃれば調べ切ったのに、いるかいないかわからないで帰ってきた。もう一つは、完全に調べ上げてきたために、もういないという結論を出して帰ってきた。この三つに分れるのですね。どうも先ほどから五分冷々であるというお答え、あるいはいるような気がするというお答えの方が何か強いのです、あなたの言葉の中には……。そういうものがたくさん出てくるものですから、おそらくあなたは、せっかく向うに行かれても非常に心残りをして帰ってきた。だから、いるというような気がしているという割り切れないお答えをなさっているのじゃないか。ここを私ははっきり聞きたかったのですが、先ほどの伺い方は結論からお伺いしたものですから、あなもその点にはお気づきなく、ただそのままの気持でお答えになったのでしょうが、実は私も受田先生のただいまの御質問、あそこを要点として伺ったわけです。非常に大切なことだと思います。せっかく行って、おざなりに一応行ったという形だけのことだということになると、あなたのいないということも信じられないし、いるということも信じられませんね。大へん大切なことだと思います。実は私たちが行きたいというような気持なんですけれども、とても行かれないために、あなた方に国を代表して行っていただきたいということで、あなた方のお言葉は私たちにも大切な参考の資料になりますので、そこをもっとはっきりと、腹蔵のないところをおっしゃっていただくべきだと思います。そうですね、受田先生。
#69
○受田委員 そうです、内容の方です。
#70
○藤田説明員 そうしますと、今の御質問は、結局僕が気のいりくような捜査方法をやらないから、返答はできないじゃないかという御質問になるわけですね。
#71
○山口(シ)委員 あなたが悪いんじゃないのですね。日にちの問題だとか準備の問題だとか、藤田さんを責めるわけじゃないのですよ。いろいろそこに異議がありますね、こんなやらせ方じゃ調べがっくはずがないとか、いろいろあるのですね。そういうことを参考に聞かしていただけば、これからあなた方が、不満と言っちゃ語弊があるかもしれませんけれども、足りない分をいろいろ研究して、今度さらに完全な方法に持っていくわけです。
#72
○藤田説明員 捜査方法ですね。僕の場合は、先ほど申し上げたようにシラミつぶしの。パトロールをやる。自分でやってみて初めてうなづける。これじゃない。これは僕だけじゃなく、家族の方もそうじゃないかと思うのです。結局家族の方も一緒に行っていただいて、ともに行動してもらって、初めてもうこれじゃいないんじゃないかとうなづけると思うのです。それにはやはり十分な日数と十分な経費を見てもらわなければ、これはできないことです。日数の短かいということは非常に気持もあせりますし、あせると同時にからだは非常に疲労するのですから、日数を十分見ていただいて、経費の面も心配なくできるように見ていただく。そうしないと、調査団に加わった方が、自分の満足なことができないんじゃないかということになるわけです。
#73
○受田委員 あのときは親戚の方も全然行かれなかったのですね。政府は全然そういう家族関係の方は差し向けられなかったわけですね。
#74
○河野説明員 先ほどお答え申し上げましたような考え方で、前段階の捜索という意味で今回の調査をいたしましたので、家族の方は行っておりません。いずれ家族の方にも納得していただくような方法をとらなければこの捜索を打ち切るわけにはいかない、さように考えております。
#75
○受田委員 それが最後の問題になりますね。御家族が肉親の捜索に精根を尽き果すまで協力してあげる、それが最後の問題だ。そうして御家族が納得されて、あきらめますという段階になって初めて捜索を打ち切られる、これは人道的にも大事な問題だと思うのです。
 そこで次の段階は、今藤田さん、松平さん御苦労いただいた結果では、まだ心残りがあるということになると思うのですが、政府とされましては――日数の問題等で心があせると今藤田さんがおっしゃられました。これは大へんな問題です。心があせって捜査するということは、これは思うようにはかどりません。やはりゆっくり落ちついて、心行くまで、まだあそこも見ておきたかった、ここも行っておきたかったということのないほど、これから手を打たれる必要がある。それを次の段階で政府はやろうという御決意を一応持っておられるわけですね。
#76
○河野説明員 御質問のように次の手を考えたい、かように考えておりまりす。
#77
○受田委員 政府のそうしたはっきりしたお答えを聞きまして、一番最後の打つべき手がまだ一つ残されておるという希望をわれわれは持っておるわけです。
 それからもう一つ藤田さん、松平さんにお聞きするのですが、山の手ですけれども、マイクを通じてだいぶ呼びかけられたようですが、こだまして聞けない部位があるというようなことがないように、上手にマイク放送をされて呼びかけられた、島のすみずみまでもマイクによる呼びかけは徹底しているはずであると、その点においては一応お認めになりますか。
#78
○松平説明員 スピーカーから出る音は、大体この辺をカバーします。ここに大きな脊梁山脈がありますが、こちらにはスピーカーの音は到達しません。それでこちらから舟艇の上に中型マイクをつけまして、それからここに放送する、そういう考えを持っております。ところが現在では雨季が近づきまして、海が非常に荒れておりますので、舟艇による放送は遺憾ながらできない状況であります。
 それから、つけ加えますが、このチリクの町、ここには相当よく放送が入りまして、住民等も、日本のミッションが非常に努力していると好感を持っているということを通訳を通じて聞いております。
#79
○受田委員 島の南部からの呼びかけにまだ事を欠いているということになりますると、あの稜線から南側にお二人の方がおられるとするならば、まだマイクによる呼びかけは聞えてないということは言えますか。
#80
○松平説明員 舟艇による放送をいたしませんと、この地区における放送は聞えておりません。
#81
○山口(シ)委員 舟艇放送はどの辺までおやりになるのですか。
#82
○松平説明員 第一回はタグバッグから参りまして、この付近をやっております。それから六日、七日、八日とこの脊梁山脈を縦断した場合におきましては、各地でやっております。
#83
○山口(シ)委員 約三分の一くらい残っておるわけですね。波が荒れているためにできないというわけですね。
#84
○松平説明員 ここは一回やったきりでございます。なおここを踏査した場合においては、マイクを通じてやってございます。しかし、申し上げますが、小さい谷がたくさんあるのであります。その谷の中にいれば聞えない。たとえばそこまで一キロ六ありますが、ここに谷が六つもあります。それが大体この二倍くらいの谷であります。それですから、その谷にひそんでいますと相当強力な音が出ておりましても聞えない。そういう小さい谷がたくさんあります。
#85
○受田委員 私は、新聞の報道で、藤田さんが昔のなつかしいメロディを放法されている場面を拝見しました。あなたのお姿も、戦闘帽をかぶられてやっておられるのを新聞で拝見して、非常に感謝したのです。それだけ苦労されてやっておられることは、全国民涙なくしては聞けなかった。私は美しいお話と思うのです。それだけ苦労されて今あなたがお帰りになってこられたのだし、三浦さんも、またみずから全身をハチに刺されて御苦労されておるというようなことを聞きますと、とにかくあなた方御一行の御努力は全国民が非常に感謝しております。しかもこの問題は、ただ二人の生命を大事にするという問題のみでなくして、全国いな全世界的に、人道問題の解決にこのようにみなが骨折っているのだということを示す一番いいケースの問題だと思うのです。だから金が幾らかかろうと、日数が幾らかかろうと、尽すべきことのすべてを尽して、人事を尽したというところまでこの問題は進展して考えなければならないと思うのです。そこを政府が、河野局長を代表として、やると言明されたわけです。現地に行かれたお二人として、これを徹底的にやろうとするならばどのくらいの日数で、どういう方法をとるのがいいのかということは、いずれ厚生省へも御報告されると思いますが、あなた方のもう一歩進んだ、納得のいく、満ち足りる捜索方法はどういうものであるということをお示しいただいたならば、大へん幸甚だと思います。
#86
○藤田説明員 僕の考えでは、一番確実に捜索する点におきましては山中をパトロールするということになるのですが、その場合に、やはりある一定の期間を必要とする。また、下手をすれば自分の命を捨てなくちゃならぬということも考えなければならぬわけです。そういう場合のことをいろいろ考慮に入れますと、先ほどから申しましたように四、五人くらいのブロックを四組くらい編成しまして、手分けをして各谷川を登るわけです。そうして家を見つける。その場合、家は見つかったけれども、下手なことをすれば撃たれることも考慮に入れなければならぬ。いろいろ考えますと、家を見つけた場合に、あとは黙って捜索隊が山に潜伏するわけです。そうすると、もう安全だと思えば必ずその家に引っ返してくることがあるわけです。そこをよく見きわめて、それで日本の兵隊だということが確認でさましたらその二人の行動を二、三日潜伏して探って留守のうちにその家に捜索隊員が泥棒に入るわけです。というのは、武器をまず没収する。これを没収して、それから呼びかけてもおそくないんじゃないかというように考える。そうしないと非常に危険が多いわけです。そうしてしまえば、もうぶつかっても安全だというように考えるのです。スピーカーなどで呼びかけて出てきてくれればけっこうですが、おそらく僕は不可能だと思うのです。出てこないと思うのです。ですから、最後の手段としてやるのは、家が見つかった場合にはそういう方法をもって救わなくちゃ救えぬような気がするわけです。
#87
○受田委員 今度参議院に当選された辻政信君が、自分は現地に非常に詳しいし、自信を持ってこの捜索に参加し得るのだという信念を吐露されておるわけですが、辻政信君の努力をもってこれが可能であるかどうかということを、現地に行かれていかがお考えになるでしょう。
#88
○藤田説明員 その点は、僕はよくわかりません。どういうあれでありますか、全然わかりませんですから返答はできません。
#89
○受田委員 これにはいろいろな人の声をよく聞いて、そういう希望者の真意をよくただして、いろいろなとるべぎ道全部を尽すことが必要だと思うわけですが、政府としてはそういう辻政信君の申し出のあったことも御存じじゃないかと思いますし、それを馬耳東風で聞き流すべきものか、あるいは一応最後の捜索目的を果すための手だてとしては彼の発言にも耳を傾くべきものか、いかがお考えでございましょう。
#90
○河野説明員 具体的にどういう人が行くかということになりますと、情熱だけでは解決できないということでもございますし、いろいろと御意見もよく伺った上で慎重に考えていきたい、かように思います。
#91
○受田委員 今山口委員さんの、実はわれわれも行きたいところだが、代表して御苦労願ったのだという気持は、おそらく全国民共通の気持だろうと思うのです。従って先ほどからお話を聞いて、一面暗い気持もせざるを得ないのでございますが、最後に残された一縷の光を求めて御努力を願うようにお願いをしたい。三浦団長以下の御苦労、また藤田さん、松平さんに今おいでをいただいて、その御苦労され来りし方を顧みられて感無量のものがあると思いますが、どうかこの引揚特別委員会十数年の問題解決の最後のかぎでもありますので、一つきょうおいでになられた方々、もちろん政府においても最後の手段まで尽されることをお願いしておきたいと思います。この特別委員会でこうして御説明をしていただく機会がまたとないことになりはしないかと思うのでございますが、引揚委員会はちょど満十二年間にわたって、海外に残された方々のために党派をこえて尽した委員会であります。感慨無量な気持を持って田口委員長を中心に、今皆さんのお話を聞いているわけです。この特別委員会がなくなるとするならば、一般の社会労働委員会で討議するということになると、とかくこういう問題がおろそかにされがちになると思うのです。しかし政府としては、金は幾らでも出すということの決意ができておると思いますし、人員も必要度に応じて派遣するということも考えられると思いますが、その方の御覚悟はどうですか。今金が足りないということですが、その方は経済的には問題はない、努力するとはっきりお約束できますか。
#92
○河野説明員 今度お帰りになった方は、非常に心残りだというようなお気持でお帰りになられたこと、これは無理からぬ点があると思います。実は今度の調査の重点は、パトロール以外にむしろ呼びかけの方に重点を置いたのが、いろいろな情勢から。パトロールも加味してやったということでありますので、先ほどお話のあったような心残りがするという点は無理からぬ点だと思います。相当中に入って調査もするというふうなことがまだ残されておるわけであります。それに要する経費につきましては、十分大蔵省とも折衝いたしまして、目的が到達できるように努力いたしたい、かように存じております。
#93
○受田委員 なお南方のサラワテイ島にいたという神戸の長田さんのお子さんですが、ことしの初めに賠償船の船長によってその生存説がもたらされておるわけですが、かなりまだそのほかの島々にも行方不明の方々が残っておられるはずなんですから、そういうことについての外交上の努力と、それからもう一方、こちらから捜索隊を派遣する等の尽力というようなものも、あわせて引き続きおやりになるという御決意はお持ちでございますね。
#94
○河野説明員 ルバング島と同じような状態のところにつきましては、同様の努力をしなければならぬと思います。ただ、ただいま御引例になりましたようなケースは、実は懸賞金目当ての誤報であったというようなこともございますので、ただうわさだけで動くというわけに参らぬと思いますが、その点は十分確めた上で善処いたしたい、かように存じております。
#95
○河野(孝)委員 質問というよりも希望でございます。先ほど厚生省の方は、今の調査は非常に不十分であったが、準備として行なったのであって、今度の調査によってよく調べて、もっと確実な救出方法を考えるとおっしゃっておられましたが、今まで十四年間お調べになってわからないような非常に困難な中で、どうやって生き延びてこられたかということを私は非常に考えさせられるのでございます。今のは準備であって、これからよく調査していく方法を考えるというような、そんなゆっくりした考えではとても追いつかない。今まで十四年間生き延びるのでさえ非常にむずかしかったのだから、一日としてもゆるがせにしてはおられないという考えで、半ばあきらめていられるというようなお考えじゃないかということが、私いろいろお話を伺っていてうかがわれるのでございますが、今後ほんとうに熱意を持って一刻も猶予なさらずに仕上げていただく、こういうお考えをお持ちでございますか。
#96
○河野説明員 ずっと前の外務委員会等におきまして、そのような点努力して参りましたことは御報告申し上げておりますので、御承知いただいておると思います。今日までも決してほうっておいたというわけではないのであります。また今回の調査につきましても、今やりかかっておる調査、これを不十分だと言われますと実は私どもとして非常につらいのであります。実はこれで初めから打ち切るつもりを持ってやっておるのではないのでありまして、ただ心があせるからということで、それだけにやみくもに調査をするということでは、かえって結果が思わしくない、やはり慎重に計画を立ててやるということによって初めて目的を達するのではないか、そういう立場から、あせる心を抑えて慎重に取りかかるというふうな気持でおりますし、今後もさらに慎重に努力を進めたいという覚悟をしておりますので、御了承をいただきたい、かように存じます。
#97
○田口委員長 藤田さんとお二人にお伺いいたしたいのですが、藤田さんなんかの出張日数は、幾日休暇をとられておいでになったのですか。
#98
○藤田説明員 僕の場合はまる一カ月です。内地に帰ってくるのは七日からあくる月の五日で、ちょうどまる三十日になります。その日程でございました。
#99
○田口委員長 河野局長にお伺いしますが、大体予備調査は一カ月程度でいいだろう、こういうような見当のもとに一カ月にきまったのですか、あるいは藤田さんの勤務先が一カ月程度にしてくれ、こういうことできまったのですか。
#100
○河野説明員 とりあえず一月半やってみて、その状況に応じて次の手を考えるというふうなことで、予備調査は一月あるいは一月半でいいんだということで割り切って始めたわけではございません。藤田さんの休暇日数を一月といたしましたのは、やはり勤務先の事情その他がございまして、まる一月ということにしたわけでございます。先ほどお話がございましたように、現地でももうちょっと延ばせないかという御希望もございましたので、もう少し延長したらどうかというふうに現地にも返事をしてやって、それでで一週間延びたのでありますが、これ以上無理だということでこちらにおいでいただいて、次の手はあらためて考えるということにいたした次第であります。
#101
○田口委員長 公社関係の仕事の関係もありましょうが、家庭的な関係もあられて、これ以上滞在することは無理だというような状態になったのですか。もう一つ突っ込んでお伺いしますが、家庭で非常に御心配になっておるような点もおりましょうね。
#102
○藤田説明員 その点につきましては、一カ月の家族手当、生活費等は厚生省と話し合いのもとに僕は行きました。ところが延長する場合のことは全然伺っておりませんで、延長した場合のことは非常に気になったのです。公社の方には、出るときに大体一カ月かニカ月というように言っておきましたが、日程は一カ月ということになっております。結局延びた場合に、かりに大蔵省の予算を組んでやるということになると、どうしてもあとから通知がくるのは相当長引くのではないかというふうに考えました。それで僕は一週間いたら帰るからということで行きました。
 家族が心配するという点は、新聞あるいはいろいろなUPIなんかの報道に基いて心配しておったのです。それは本人にしてみればこんなことと思うようなことも新聞に出ましたが、そういう点で家の者は心配しておるのです。これはどこの家族でも同じことだと思うのですが、そういう山の中に自分の主人が行ったとなれば、心配するのはこれは当然なことだと思います。
#103
○田口委員長 そういたしますと、お二人が今度お帰りになったということは、健康上という理由ではないわけなんですね。
#104
○松平説明員 マニラに着きまして、内地の温度と非常に違う高温でございますのと、到着早々相当重労働をしますので、非常に疲労します。内地で蓄積したエネルギーが消費されてしまいますと、それを回復するということはほとんど不可能であります。われわれの場合には、健康上も食欲が進まない、あるいは睡眠がとれない、そういうような状況で非常に疲れておりました。現に残留しておりまする隊員も、私の見解では相当疲労しておると考えております。
#105
○田口委員長 藤田さんにお伺いします。今通り一ぺんの調査しかできなかった、こういうお話ですが、通り一ぺんの調査――非常に苦労されたのですが、その調査でも実質的に幾日かかられたのですか。
#106
○藤田説明員 通り一ぺんの調査で、僕はみんなとともに行動したのは三日間です。二泊三日の予定で行動をいたしました。最初の日は、時間的にいって夕方山に入って、あくる日帰ってきたわけですから、状況を偵察に行ったわけです。その程度のものです。
#107
○松平説明員 ただいま藤田説明員から通り一ぺんの調査という言葉が出ましたが、これは非常に言葉が悪いのでありまして、この付近の踏査では戦時以上の苦労をされて渓谷をはっておりるとか、あるいはここからそこまでは距離は幾らもありませんでしたが、海岸を石のところを通って無慮六時間を消費した、そしてここに着いたときには全員疲労の極に達して、もしここでけが人でも出たときにはどうしようかというような非常に困ったような状況でありまして、全員手足に相当の傷を受けまして、ヨードチンキとかあるいはそういうものをつけてやっとロークに帰ってきた、こういう状況でありますから、戦時以上の非常な苦労をされた、こういうふうに思います。
#108
○田口委員長 短期間の調査でも、なみなみならぬ苦労をされたことは先ほどのお話でよくわかったわけですが、藤田さんの調査に対する熱意からすれば、通り一ぺんという言葉を使われましたけれども、まだまだ気持としては納得のいかない程度の調査だ、こういうお話と思うのであります。三日、四日でその程度の調査でありますと、先ほど言われましたように、かりに班を四班編成しましてある程度徹底的な調査をするということになると、相当の期間を要すると思うのですが、およそ四班編成をした場合、どの程度でできるだろうかというような見当をおつけでございませんでしょうか。
#109
○藤田説明員 最小の日数は、大体ニカ月は要するだろうと思います。今僕は通り一ぺんと言って反駁されましたが、これはこれだけの山の中を歩くのに三日間やっておってそれで満足したと言えないから通り一ぺんになるのだ、僕はそういう考えで通り一ぺんと言ったのであります。
#110
○田口委員長 あなたの調査に対する熱意から考えて、自分の気持としては通り一ぺんのような程度だというお言葉の表現と思うのですが、それでこの地方の雨季というのはいつからいつまでですか。最終はいつごろですか。
#111
○藤田説明員 話の様子では、六月の終りから七月、八月、この間が雨季に入るそうであります。
#112
○田口委員長 この調査をするとすれば、雨季の間はどういうことになりますか、雨季をはずした方がいいのですか、どうなんですか。
#113
○藤田説明員 その点は、やはり雨季は山の中を探し歩くというのは無理だろうと思います。やはり雨季が明けてからのことになるだろうと思います。
#114
○受田委員 今度の御一行の行動に参加された御身分というものはどういう形に厚生省はお考えになっておられるのでしょうか。公務の性格です。
#115
○河野説明員 厚生事務官に任用いたしまして、おいでいただいております。
#116
○受田委員 そうしますと国家公務員になられるわけですね。今任務を解かれたわけですか。
#117
○河野説明員 十八日で解任することにいたしております。
#118
○受田委員 国家公務員ということになればはっきりするわけですが、今藤田さんが、向うのお二人が発砲するような場合がある、こうおっしゃたのですが、こうした危険があるわけなんでで、それを御家族の方が心配する。今のお話でいろいろ家庭のことも考えておられるようですが、安心して公務に従事していただくということが必要だと思います。殉職されるという場合の処遇はどうなっておるのでしょうか。
#119
○河野説明員 今度の場合は、藤田さん自身も公務員であられるので、その点あまり変化はないかもしれませんが、たとえば先般フィリピンに民間の方も行っていただいたことがあります。そういった場合も、すべて国の公務員としての身分をとって参っていただく。これは願うことではないので、そういうことを言うのはどうかと思いますが、万一事故等がありました場合には、国家公務員としての処遇をはかっていく、そういう考え方でやっております。
#120
○受田委員 そうしますと、公務員になられておるのですから、いわゆる公務による死亡ということになると、その御遺族の方に終生一・七倍の公務扶助料が出るわけですか。
#121
○河野説明員 もちろん公務上の傷病ということになるわけであります。
#122
○受田委員 たとえば今度の小野田さんの御家族が行かれる場合、この場合はやはり公務員に採用されて派遣されますか。
#123
○河野説明員 今後また民間の方に御協力いただかなければならぬこともあろうと思いますが、そういう場合はやはり同様に公務員としておいでいただく、さように考えております。
#124
○田口委員長 ほかに御質疑はございませんか。――それでは本件に対する質疑はこの程度にとどめます。
 お二人には、非常にお疲れのところを長時間委員会のために貴重なる意見を聞かせていただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
#125
○受田委員 議題を変えてお尋ね申し上げたい一件があります。
 すでに国会で超党派的に成立した未帰還者の特別措置法の件であります。この法律はすでに実施に移されているわけでございますが、厚生省は十分府県の関係者を督励して、特別措置法の目的達成のために努力しておられると思います。いろいろあの法案を審査するときに問題になったように、留守家族の気持を尊重するという前提のもとにこの法律を実施するのだということになっておりましたので、そういうような事情等も考慮に入れてどの程度に今調査が進められ、法の目的達成への道が進められておるかということを、今あなた方に資料でもありましたら一つそれを中心に御説明を願いたいのです。
#126
○河野説明員 現在の未帰還者の数――四月一日の集計ができておりますが、それによりますと総数で三万三百五十六、約三万でございます。これに対して、先般御制定いただきました特別措置法が適用されるわけでございます。法律が通りました直後、三月であったと思いますが、府県の主務課長を集めまして、国会で御審議されました際にいろいろ御意見のございました趣旨を十分徹底をいたしまして、法律がその制定の目的に沿って運営されますように説明いたした次第でございます。その後着々と準備を進めているわけでありますが、非常に多数に上る対象でございますので、まだ全部の区分が終っておりません。一どきにやってしまうわけにも参りませんので、問題のないところから逐次手をつけていくというふうな方針をとりまして、未帰還者のうち特別措置法該当者の名簿を目下固めつつある次第で、第一回といたしまして約六千六百名ほどのものを一応特別措置法に該当する者のリストといたしまして、府県に通知をいたしました。これらの方々の留守家族と連絡をとっていただきまして、留守家族の御希望がある場合に法律を発動するというふうな建前で、ただいま留守家族と相談をしていただいておる次第でございます。もうぼつぼつ留守家族の方も、ぜひ法律によって処置してもらいたいというふうな希望が出て参りまして、近く家庭裁判所の方に県知事から申し立てをするというふうな段取りになっております。六千六百名と申しますのはどこから見ても問題ないというふうな数字でございまして、その次の段階といたしまして約一万名の者を、若干府県と相談をして該当するかどうかというふうな検討をいたしたいということで、本月の初めごろから各ブロックに分けまして、府県と厚生省と対象をよく調べまして該否を見当をつけまして、これも固まり次第留守家族と連絡をとって、その御希望に応じて法律を適用していくというふうな准備をいたしておるわけであります。大体以上で一万何千かになるわけでございますが、二回目の一万のうち、おそらく半分くらいは、現在の資料ではっきりできるのではないか。その他の者につきましては、さらに補足的な調査をいたしまして、府県とも連絡をし、また留守家族とも連絡をとりまして、逐次法律の適用をはかって参りたい、かように考えておる次第でございます。
#127
○受田委員 すでに六千六百名の用意された人々に対する留守家族の折衝を府県に申し渡しておられるようです。それの中にぼつぼつ手続をしてくれよというのが出てきた、近く家庭裁判所にそれを持っていきたいということでございますが、そのぼつぼつというのは、一体政府が初め予定されたような六千六百名が、大体納得してもらえそうなような形で出るテンポと見られますか、なかなかこの程度では容易でないぞ、留守家族が納得しないらしいぞというような空気の者もございますか。
#128
○河野説明員 納得しないというよりは、もう少し様子を見てみたいという気持のある向きもございまして、すぐ直ちに態度をきめにくいという方が、かなりあるのではないだろうか。それにいたしましても、過半数の方は、この際法律の適用によって処理してもらいたいというふうなお気持にあるように伺っております。この名薄を府県に出しまして日がまだ浅いので、これらの事情をまだ十分つまびらかにいたしておりませんので、最初考えておったのと、そう大きな開きはないのではなかろうか、かように考えております。
#129
○受田委員 これは取扱いによほど慎重を期さなければなりませんので、法の趣旨徹底をはかるように主務課長会議でも申し渡してあるということでございますが、ただ当時法案を審査するときにも問題がありましたように、留守家族の側から、経済的に行き詰まっている現状を打開する意味で、公務扶助料を早くいただくように願いたいという気持ですね。こういうものを強くとらえればすぐこれができ上るし、また生存を確信したいという気持を強く主張すれば、そこに停滞気分も起るわけなんです。そこの指導方法を主務課長会議あるいはその後のブロック会議等で十分申し渡してありますかどうかということと、それからこれはまた一般邦人か、あるいは軍人軍属かという問題があるわけです。そのどちらに属するか、はっきりしないような未帰還者がおるわけですね。これらについてこの際その所属を明らかにする必要があるわけなんですが、家族として見れば軍人軍属と見てもらいたい、しかしどうも情勢は一般邦人としてしか解釈できない、そういうふうな個々のケースについて御検討された点をお示し願いたいと思います。
#130
○河野説明員 最初の第一点につきましては、十分府県でも承知をいたしておるわけであります。この法律は決して押しつける筋合いのものではない、ただこういうふうにすればこういう結果になるというふうな事情につきましては、親切に御説明するように申しております。押しつけがましいような態度で臨むことのないようにということは、十分徹底をいたしておるつもりでございます。
 それから次の身分の問題でございますが、個々のケースにつきましては、軍人かそうでないかというふうな問題のものも若干あろうかと思いますが、それよりはむしろもっとひんぱんに起って参りますのは、特別未帰還者と考えられるか考えられないかというふうな点でございます。これらの点につきましては、あらかじめ名簿を作ります際に、こういうの方はこういう身分になるということも府県に言いまして、留守家族が態度をきめます際に、その辺が不明確なために態度をきめにくいということのないようにしておる次第でございます。
#131
○受田委員 現地復員については再調査をしたいという御意思があるようでございますが、この問題のその後の政府の態度を……。
#132
○河野説明員 この点につきましては、先般委員会の最後でございましたか、厚生省の方針をお答えいたしておるわけでございますが、その通りに指示をいたしております。
#133
○受田委員 この未帰還者特別措置法の中にいろいろのケースのものがあるのですが、一般邦人、特別未帰還者というような、それぞれの立場で引揚者の給付金支給法の対象との関連、こういうような問題、そういうものも今厚生省としては、あわせて十分抜かりなく連絡しておられますか。
#134
○河野説明員 その辺も十分心得ております。
#135
○受田委員 三十四年度の予算に、今度の法律の対象になる人々に対して用意された金額もあるわけですが、それで今度問題になるのは三万円の弔慰金の分と二万円の弔慰金の問題があるわけです。こういう問題はよほど慎重にやっていただいて、特別未帰還者にするかどうかという問題はあとからかれこれ議論が起らないように、身分ということは家族にとっては重大な問題なんですから、よい方の意味に解釈してあげるような努力を常にしていただく。これは恩給法とは違って幅があるのですから、特別未帰還者の解釈などは、その解釈において非常に広義にとろうという方針をお持ちでございますか。
#136
○河野説明員 御質問のように、御本人といいますか、家族の方といいますか、法律の解釈の許す限りにおいてできるだけ有利に解釈して、運用するというふうな方針で臨んでおる次第でございます。
#137
○受田委員 もう少し進行してみないと、政府のやっておられることが是か非か判断するのに、われわれとしても資料がほしいことになるので時期が要ると思うのですけれども、未帰還者留守家族等援護法の延長も三カ年しているわけです。その方へ残ってもいいわけなのですからね。そこを一つ十分調整されて、無理がいかないように今後進行をはかっていただきたい。
 それから、私たちとしてもこの委員会がいつまででもあれば、熱心にこうした特別な問題を取り扱うことができるのですが、次の国会でこの委員会が再び確認されるかどうか問題になっている段階ですから、そうしますとつい一般の厚生省所管の問題に重点が置かれて、この法律の取扱いがずるずるいくおそれなきにしもあらずと思います。けれども、政府としてはそこを十分含んでいただいて、せっかく作られた法律の目的を十分果せるように御努力願いたい。
 今あなたの方で、家庭裁判所に持ち込みたいという段階になっているような具体的な案件について、最初に裁判所に持ち込もうとする予定はいつごろとされておりますか。
#138
○河野説明員 これはまとまって持ち込むということでございませんので、実はまとめた数字はまだ手元に用意してございません。もう今月中にも逐次申し立てが行われるようなことになろう、かように考えておるわけでございます。
 なお、運用の問題につきまして、特別委員会がなくなったらというふうなお話もございましたが、私どもといたしましては法律運営の責任を負っておるわけでございますから、先生方に御心配をおかけいたさないように極力努力をするつもりでおります。
#139
○受田委員 定員法の改正が成功しなかったために、未帰還調査部の職員の取扱いでちょっと手違いが起りていやしないか。これはどういうふうにされましたか。
#140
○河野説明員 その点いろいろ事務的に苦慮いたしたわけでございますが、結論を申し上げますと、厚生省全体といたしまして、常時四万余りの職員がございますので相当欠員がある、そういったものを勘案いたしまして、当初予定をいたしました職員が確保できるような臨時措置をとりまして、業務の運営に支障のないように確保をいたしております。
#141
○受田委員 この未帰還者特別措置法の法案の取扱いをするための特別の職員というのは、どうなっているわけですか。
#142
○河野説明員 実は御承知のように、援護局の職員も年々縮小するわけでございますが、こういった特別の法律の制定がございましたので、そういった事務を考慮いたしまして予算がきまっておるわけでございます。従いまして予算通りの職員が確保されておるわけでありますので、この法律の運営に支障はない、かように考えております。
#143
○受田委員 大量に府県からこの法の対象になる人々が書類を送ってきた場合、一挙にこれが持ち込まれたときに、できるだけ早くこれを処理したいというふうな取扱いをされる場合の職員の手不足というようなことは起りませんか。
#144
○河野説明員 実は中央でやりますのは府県と協力して名簿を作るということでございまして、そのほかの手続は全部府県でやっていただくことになっております。従いまして、今御質問のありましたような心配はないと確信いたしております。
#145
○受田委員 それは事務処理では、名簿を作る問題だけでもそういう用意がされておればそれでけっこうですが、今あなたからお説の厚生省に大体四万という職員がおる、そこで余裕のある分をこっちへ回しておるということですが、こういうことが平気でできるような官庁機構になっておるわけですか、そこを伺いたい。
#146
○河野説明員 定員法は、実は厚生省一本で数がきまっておりますものですから、その点関係の役所と十分相談いたしまして、法律に触れない方法によってとりあえずの措置をとっている、こういうふうなことになっているわけであります。
#147
○受田委員 定員法で認められない職員と、認められている職員とあるわけです。それでその融通をはかる、たとえば国民年金関係の仕事、これはあなたの御所管ではないのですけれども、直接ではなくても厚生省の管轄ですから、未帰還調査部の職員、それから年金局の職員、これはまだ定員法で確認されない、こういうふうなときに、定員法で認められてない、しかし省内で適当に融通がつけられるというような機構ということになると、これは非常に融通無碍な官庁ということになるわけですが、この部内の操作、融通は適当にできるような機構になっているのでしょうか。
#148
○河野説明員 定員法によりまして早生省全体で何人というふうに定められておりまして、その細目をどういうふうに割り振りするかということは省令にまかされているわけであります。従いまして、法律の範囲内において省令の操作でとりあえずの措置を講じている、こういうふうなことであります。
#149
○受田委員 たとえば年金関係に七十何名でしたか、新しい職員の配置があるわけです。しかし定員法が通ってないからそれが認められないわけです。そういう融通が省令でできるようになっているなら、定員法をあわてて次の国会を通す必要はない。これが一番たくさんな関係があるのでお伺いしておきますが、法律でちゃんと年金局の職員というものは幾ら要るということがきまっているわけです。それをほかの方から差し繰って、部内でやることができるというなら定員法を急がなくてもいいわけですね。それをちょっと伺っておきたいと思います。
#150
○河野説明員 ただいまとっております措置は、法律には触れないということは言えるわけでございますけれども、変則的な、とりあえずの措置というふうに考えるべきものだと思うのであります。そういう意味で、できるだけ早い機会に正常の姿に返すことが適当である、かように考えております。
#151
○受田委員 だから、定員法で当然増員しなければならない分が認められないわけですから、結果から見たら、いつもその分はほかのところから融通するように、職員は少々くらいは余裕があるということになるわけですね。そういうことが言えるわけですね。つまり融通がつくように、定員法の定員はとらなくても、ほかの方からその分を補うようになっておるのだから、官庁というところはそう定員というのは要らないので、新しく獲得しなくても部内で差し繰りがつくようになっておるのだ。結局は年金局へ回す職員をほかのところから差し繰りでいくわけですね、そういうようになっておるわけですか。
#152
○河野説明員 それはあくまで変態的なり姿ではあると思うのであります。その点は、先ほど申し上げましたようにできるだけ早い機会に是正しなければならない、かように考えておるわけであります。
#153
○受田委員 委員長、私の質問を終ります。
#154
○田口委員長 本日は、これをもって散会いたします。
    午後三時四十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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