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1947/10/27 第1回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第50号
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1947/10/27 第1回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第001回国会 司法委員会 第50号

#1
第001回国会 司法委員会 第50号
昭和二十二年十月二十七日(月曜日)
    午後三時四十七分開議
 出席委員
   委員長 松永 義雄君
   理事 石川金次郎君 理事 鍛冶 良作君
      井伊 誠一君    石井 繁丸君
      榊原 千代君    安田 幹太君
      山中日露史君    中村 又一君
      八並 達雄君    山下 春江君
      岡井藤志郎君    佐瀬 昌三君
      明禮輝三郎君    山口 好一君
      大島 多藏君
 出席政府委員
        司法事務官   奧野 健一君
 委員外の出席者
        専門調査員   村  教三君
    ―――――――――――――
十月二十二日
 美瑛町に登記所設置の請願(坂本幸太郎君紹
 介)(第九二二號)の審査を本委員會に付託さ
 れた。
    ―――――――――――――
本日の會議に付した事件
 民法の一部を改正する法律案(内閣提出)(第
 一四號)
    ―――――――――――――
#2
○松永委員長 會議を閣きます。
 民法の一部を改正する法律案に對し審議を進めます。鍛冶良作君。
#3
○鍛冶委員 政府委員にお伺いしたいのですが、かつて質問をいたしました際に、協議上の離婚にあたつて、單に當事者の意思だけでは、眞意に反する場合が多いから、重ねて家事審判所の許可もしくは確認を必要とすることはどうだと質問をいたしましたとき、政府委員においても、その點は同意であつて、修正意見が出れば反對せないという御意見を伺いました。今一つは遺言にあたつて、現在の遺言の形式はあまりにめんどうな手續でありまするがゆえに、實際上において行われないから、できるだけ簡便なる遺言の方法を用いた方がよろしい、殊にこの改正にあたつては、その必要を痛感いたしますので、これを家事審判所に出頭して調書をつくることにおいて認めてはどうかと質問いたしたとき、これも同様に政府においても贊成であつて、修正意見が出れば、これに同意したいという御意見を伺つたのであります。そこで修正案を出そうと思いまするが、これは民法だけの改正ではいかないのでないか、これと同時に、家事審判所法の改正も必要じやないかと思われまするので、この點をまず伺いたいと思うのであります。
#4
○奧野政府委員 家事審判法におきましては、御承知のように、大體民法において家事審判所に請求ができるという事件については、すべて家事審判法の第九條というので列擧しておりますので、新しく民法の中に家事審判所の管轄に屬すべき事柄を加えますと、やはり家事審判法もそれに應じて改正をいたさなければならないのであります。
#5
○鍛冶委員 そこで重ねて承りたいのは、このほかにもいま一つ婚姻の效力について、われわれは屆出を效力の發生要件とするが、當事者の屆出の代りに、家事審判所の確認によつてかえるということも、希望いたしておりますが、これも同様のことと考えます。從いまして、この修正案が出れば、政府の方でも反對はなかつたのですから、ただちに家事審判所法を改正するというお氣持ちでありましようか、いかがでありましようか。
#6
○奧野政府委員 鍛冶委員の御發言ではありますが、一應政府といたしましては、政府原案でもつてまいつたのでありまして、まず第一點の離婚の場合に、當事者だけの離婚では場合によつては弊害がなきにしもあらず、そこであらためて家事審判所の確認を必要とするようなことにしてはどうかという議論が相當ありますので、それは十分理由のあることでありますから、原案といたしましては、從來通り協議上の離婚は、屆出だけで效力を生ずることの案を御審議願つておるのでありますが、そういつたような御意見がありますれば、國會においてその點を御修正になるということは、政府といたしましても、國會のことでありますから、別段異存はないということを申し上げました次第であります。
 次の遺言の點につきましては、遺言全體について再檢討する必要があるのではないかということを申しまして、その際鍛冶委員から家事審判所で遺言をするということはどうだろうということに對して、私といたしましては、それも一案かとも考えますが、この遺言制度全體について將來再檢討をいたしたいというふうに申し上げたのであります。
 それから最後の婚姻の場合に事實上の婚姻をして、さらにそれに對して家事審判所の確認を必要とするという制度につきましてでありますが、この點についても、やはり家事審判所の確認を必要とするということになりますれば、やはり家事審判法の改正も同時に行わなければならないと考えます。そうしてこの屆出によらないで、事實上の婚姻、いわゆる事實婚にどういう效力を認めるか、法律婚と同じ效力を認めるかということについては、從來非常に研究を重ねてまいつたのでありまして、非常に明確を必要とする婚姻について、内縁關係、いわゆる事實婚と法律婚との關係をどういうようにして調和するかという點は、前から長く研究されておつたのでありますが、今に至るまで、その解決を得ることができなくて、この案では從來通りの屆出主義、すなわち法律婚主義をとつて、御審議を願つておるのでありまして、事實婚の點については、將來やはり再檢討いたさなければならない問題であるということを申し上げたわけであります。そういう意味で、もし家事審判所の確認というようなことを必要とするというふうに民法を改められるならば、家事審判法におきましても、それに對應する條文が必要となつてくるわけであります。
#7
○鍛冶委員 よろしゆうございます。
#8
○松永委員長 本案に對する一應の質疑は終了いたしました。これより討論に移りたいと存じます。委員長のもとに四つの修正案と附帶決議が提出されております。順次これを朗讀いたします。
 第一に社會、民主、國協三黨の共同提案になる第一條の修正案であります。
  民法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。
 第一條 私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ權利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ從ヒ誠實ニ之ヲ為スコトヲ要ス權利ノ濫用ハ之ヲ許サス
 第二案は自由黨提出の修正案であります。
  民法の一部を改正する法律案の一部を次にように修正する。
 第一條中「總テ公共ノ福祉ノ為メニ」を「公共ノ福祉ニ反セサル限度ニ於テ」と改める。
  第七百二十七條の次に次のように加える。
 第七百二十七條の二 繼父母と繼子との間に於ては、親子間に於けると同一の親族關係を生じ、その親族關係は、離婚によつて終了する。
  第七百三十九條を次のように改める。
 第七百三十九條 婚姻は、慣習に從つた當事者の合意によつて成立する。但し戸籍法の定めるところにより、屆出をすれば合意の時に遡つて效力を生じる。前項の屆出は、當事者双方及び成年の證人二人以上から口頭又は署名した書面でこれをしなければならない。婚姻が成立して同居したる者から屆出がないときは、當事者の一方は、家事審判所の確認書を以て、前項の書面に代へることが出來る。
  第八百九十七條第二項中「慣習が明かでないときは、前項の權利を承繼すべき者は、家事審判所がこれを定める」を「慣習が明かでないとき又は被相續人の指定がないときは、被相續人の生存配偶者の指定を受けた者が、前項の權利を承繼する」と改める。
  同條第三項として次のように加える。
 前二項の規定によつて承繼者たる者がないときは、家事審判所は直系血族及び同居の親族中からこれを定める
  第九百三條を第九百五條に、第九百四條を第九百六條に、それぞれ繰下げ、新に第九百三條として次のように加える。相續開始したる後、被相續人の生存配偶者において相續人の一人を自己の扶養者と指定したる生存配偶者がその相續分をその扶養者に分與する場合においては、遺留分の規定を適用しない。
  第千二十九條中「その中から」の次に「第九百三條の規定による資産及び」と加える。
  第九百七條第一項に左の但書を加へ、第二項以下を左の如く改める。但し相續人で被相續人の家業を承繼する者は家業資産に關する他の相續人の相續分を買取り遺産の分配を拒否することが出來る。遺産の分割又は他の相續人の相續分買取りに付き價格竝に代金の支拂等に關して協議が整はないときは、相續人の請求により家事審判所が適當にこれを定める。
  第七百六十三條の左の但書を入れる。
 但し家事審判所の確認を要する。
  第九百六十七條を左の如く改める。「公正證書又は秘密證書」とあるを「公正證書、秘密證書又ハ家事審判所調書」
  第九百七十二條の二として左の一條を設ける。家事審判所調書によつて遺言をするには、左の方式に從わなければならない。
 (一) 遺言者自ら家事審判所に出頭すること。
 (二) 審判官が遺言者の口述を記録し、これを遺言者に讀み聞かせること。
 (三) 審判官が遺言として作つたものである旨を附記して、これに署名捺印すること。
 第三の案は、安田幹太君提出の修正案であります。
  民法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。
 第七百三十三條を削除する。
 第七百七十三條中「第七百三十三條第一項の規定に違反して」とあるを削除する。
 第七百四十四條第二項中「又は第七百三十三條」を削る。
 第七百四十六條を削る。
 第四の案は、榊原千代君提出の修正案であります。
  民法の一部を改正する法律案の一部を次のように修正する。
 第七百三十三條を削る。
 第七百四十四條第二項中「又は第七百三十三條」を削る。
 第七百四十六條を削る。
 第七百六十五條第二項を削る。
 第七百七十條第二項を削る。
 第七百七十三條中「第七百三十三條第一項の規定に違反して」とあるを削る。
 第八百七十七條乃至第八百八十一條を削る。
 最後に社會、民主、國協三黨の共同提案になる附帶決議の案文を朗讀いたします。
   附帶決議
 本法は、可及的速に、將來に於て更に改正する必要があることを認める。
 それでは以上の各修正案竝びに附帶決議について、提案の理由の説明を願います。八並達雄君。
#9
○八並委員 民法の一部を改正する法律案に對する修正案第一案につきまして、民主黨を代表いたしまして、修正の理由を説明いたします。この修正案は、最初にお斷り申しておきますが、社會黨、民主黨、國民協同黨、三黨の共同提案になるものと御了承を願いたいと思うのであります。
 まず先ほど委員長からも朗讀がございましたが、その前文を朗讀いたします。
 第一條 私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ權利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ從ヒ誠實ニ之ヲ為スコトヲ要ス權利ノ濫用ハ之ヲ許サスこれが修正案の前文に相なつているのであります。從來三箇月にわたりまして、民法の審議が續けられました。委員の諸君の御熱心な御研究の結果、議論は盡されたものがあるのでありまして、殊に本委員會においては、法律の專門家の委員の諸君でありまするから、私はきわめて簡單に修正案に對する説明をいたしたいと存ずるのであります。
 元来私權の本質に關する定義を民法の法規の上に規定すべきものであるかどうかということについては、いろいろ意見があると思うのであります。しかし最近の立法技術の趨勢は、その法典の冒頭におきまして、その法律の根本精神を規定するのが通有でありまして、かつまた新たに憲法が制定いたされました今日、殊にわれわれの權利、利益の保障を完全に確保するためのこの民法典の冒頭におきまして、私權の定義、本質について規定をするということは、まことに意義のあることであると考えるのであります。政府の原案もまたその意味におきまして、まず冒頭に私權の定義を規定したのでありまして、その規定によりますと、私權はすべて公共の福祉のために存すと規定をいたしておるのであります。もとよりこの規定は、憲法第十二條、すなわち「この憲法が國民に保障する自由及び權利は、」「常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」及び第十三條の「生命、自由及び幸福追求に對する國民の權利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。」この憲法十二條、十三條の規定の趣旨を、この規定において表わしたものと、私は考えるのであります。政府のこの立法趣旨に對する御説明も、その意味におきまして十分に盡されました。私どもはその趣旨は十分に了承いたしました。私權といえども、公共の福祉に反してはならない。公共の福祉に反する私權は認められない。もとより私權は個人の權利、利益の尊重ではあるけれども、しかしそれが公共の福祉に反してはならないという意味を表わしたものであるという御説明につきましては、十分に了承いたしておるのであります。しかしながら、ただ「このために」という言葉の表現が穏當を缺くのではないかということをおそれていたのであります。私どもこの政府の御説明を聽きましたものにつきましては、もとより了承はいたしております。しかしときの推移によりまして、いろいろ社會事情も變動いたし、今とは違う社會情勢が出現された場合、かつて私どもが經驗いたしましたように、極端なる國家主義の思想が瀰漫し、全體主義的な考え方によつて政治が動かされるというような場合を考えますれば、「このために」という表現があまりに強いために、私權は公共の福祉のためにのみ存するというような誤解も、あるいは起るのではないかということを、非常におそれるのであります。私どもは「このために」という表現のために、この規定が憲法に違反するというようなことは絶對に考えません。しかしただ、ただいま申し上げましたように、ときの流れ、時代の推移によりまして、この規定の誤解せらるる場合があることを、非常におそれておるのでありまして、その意味におきまして、「このために」をいかに修正するかということにつきまして、愼重なる考慮を拂つた次第であります。この提案になりますところの「公共ノ福祉に遵フ」という意味でございまするが、この解釋につきましては、いずれ裁判所によつて、また學者によりまして確定することと思うのであります。しかし私どものこの氣持を簡單に申し上げますならば、私どもは先ほども申し上げましたように、憲法十二條、十三條の意味を、きわめて十分に完全に言い表わしたものと信ずるのであります。すなわちこの「遵フ」という意味でございますが、ともに存するとか、あるいは何々の線に沿うという意味であります。すなわち私權は公共の福祉の線に沿う、公共の福祉とともにある。公共の福祉と調和協同するという意味だと解釋しているのであります。かように修正いたしますことによりまして、私どもは國民の平和と幸福の増進のために、この私權が十分に保護せられ、しかもそれが公共の福祉と調和する、そうして民主主義的な平和主義的な國民生活が、これによりまして完全に行われる。すなわち國民の權利は尊重する。しかしながら、われわれの國民的な共同生活、共同利益というものは、決して侵されることはないということを、私どもは固く信じて疑わないのであります。さらにこの第二項は原案通りにいたしておきましたが、第三項におきまして、「權利の濫用ハ之ヲ許サス」という規定をおいたのでございますが、從來も議論がございましたように、かような規定は不必要であるという議論ももちろんあるのであります。從來わが國の民法におきましては、いわゆる公序良俗の原則の適用によりまして、この權利の濫用の規定の必要は、實はなかつたのでございます。その解釋によりまして、權利濫用は許されなかつたのであります。殊にこの原案によりますと、「權利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ從ヒ誠實ニ之ヲ為ナスコトヲ要ス」という規定があります以上は、この規定の適用上、權利の濫用の規定を加える必要はないという議論も、またまことに至當なる議論であると考えるのであります。しかしながら、他の外國の立法例にもございますように、信義誠實の原則を高く掲げながら、しかもなお權利濫用の禁止を必要とするゆえのものは、なおそこに解釋の餘地がある。この法を適用する裁判官に對しまして、特に明瞭に權利の許されないことを教えるという意味におきまして必要だということから、あの規定があると私は信じているのであります。その意味におきまして、私どももこの規定を置いたような次第であります。さらに最後に申し上げますが、この民法は先ほど申し上げましたように、私どもの個人の權利と利益を保障する唯一の法律でありまして、この規定はわれわれの日常生活に重大な影響があるのであります。しかもかかわる範圍は非常に廣汎でありまして、しかも條文に對しましても、まことに厖大に上ぼるのであります。從いまして、今にわかに全部の民法の改正ということは及ぶべくもないのでありまして、この點におきまして、政府もまた最初に提案御説明のありました際に、新憲法の制定に基く最も必要缺くべからざる最小限度の改正を提案されたという意味を申されたのでありますが、私どももその意味におきまして、この議案の審議にあたつたのであります。本日も自由黨の諸君、その他の委員諸君から修正意見が提出いたされておりますが、まことにごもつともであります。ただいままで本改正案につきましても、いろいろな議論があります。私どももなお研究し、あるいは改廢をいたさなければならぬところがあると考えるのでありますが、現在の情勢は、そのような調査研究のために荏苒延ばすことを許されない現状にあるのでありまして、私どもは最小限度において、この第一條だけの修正に止めたいということを考えておるのであります。しかしながら、今も申すように、なお研究の餘地が非常にある。しかもわれわれの生活に直接利害關係あり重大なる影響を及ぼすものでありまするからして、可及的速やかにこの改正を必要とすることを、痛切に考えておるのでありまして、この意味におきまして、先ほど委員長から御朗讀になりました、「本法は可及的速かに將來に於て更に改正する必要があることを認める。」という附帶決議を附しまして、その他の點につきましては、原案通り贊成の意見を附け加えて申し述べたいと存ずるのであります。
#10
○松永委員長 鍛冶良作君。
#11
○鍛冶委員 私は自由黨を代表して自由黨提出の修正案の説明をいたすのでありまするが、各委員の持寄りでありまする關係上、私はこのうちの一、二、三、それから八、九、十、これだけの説明をいたしまして、あとは明禮委員に讓りたいと考えるのであります。
 まず第一條についてでありますが、政府の提出改正案を見ますと、第一條は「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス權利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ從ヒ誠實ニ之ヲ為スコトヲ要ス」とありまするが、この第一項については、今私から修正の理由を申し述べまするが、大體においてわれわれは今八並委員からも述べられたように、憲法第十二條及び十三條を採用して、この趣旨を出されたものと心得まするが、これは憲法の規定を讀みますならば、かようなことは當然出るものでありまして、われわれはかくのごときものを存する必要がないじやないか、第一にこの考えをもつております。しかし差支えないならば、せつかく出してこられたのでありまするから、できるだけ生かしてもどうかというので、修正案としてここに出したのであります。ところでこの第一項を見ますと「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」これは憲法第十二條から出てきたものと考えます。「この憲法が國民に保障する自由及び權利は――常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」この規定からしてこの條文が生れてきたものと考えまするが、國民に與えられたる私權は、憲法第十二條だけできめべきものではなくて、われわれは十二條よりも特に十三條を尊重すべきものだと考えるのであります。いまこの十三條を讀んでみますと「すべて國民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に對する國民の權利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。」と規定しておるのであります。もちろん公共の福祉に反してはいかぬことは當然でありまするが、公共の福祉のためにばかりあるというものではなくて、私權は前提として最大の尊重を必要とするものであります。最大の尊重は必要とするけれども、公共の福祉に反する場合はいかないのだ、これが憲法十二條及び十三條を貫いたる精神だと信ずるのであります。しかるにこの原案を見ますると、私權は公共の福祉のために存す、福祉のためにだけあるというので、ほんとうに基本的にわれわれに與えられた私權は、われわれのもつておる絶對の權利として、最大の尊重を受けるということを除いておるのでありまして、いかにも私權というものを制限する特別のイデオロギーから出ておるものと解釋せらるるの憂いをもつておるのであります。それゆえに、われわれはこれはいかぬと申さなければなりません。そこで憲法第十三條に則りまして、公共の福祉に及せざる限度において存するのだ、公共の福祉にさえ反せなかつたならば、十分これを尊重せらるべきものだ、この意味を明らかにしたいと考えるのであります。そのほかにつきましては、もちろん蛇足は添えたくありません。ゆえになるべく原案をできるだけ尊重するというよりか、せつかく出てきたのだから認めるか、その程度にして、この一項をわれわれの出した修正の通りにしなければならないと考えるのであります。
 次に第七百二十七條の二として、「繼父母と繼子との間に於ては、親子間に於けると同一の親族關係を生じ、その親族關係は、離婚によつて終了する。」という規定を設けなければならぬと思うのであります。これは現民法に存しておる規定であるのに、改正案はこれを除いて出されたのであります。除かれたる理由を聽きますと、繼父母と繼子とは眞の親子でないのに、法律上擬制するものであるから、さようなものはやめる、こういうことを言つておられます。しかしこれはまことに遺憾なる答辯であつて、また民法の根本精神からしても、さような考えをもつて臨むということは、はなはだ不都合であると考えるのであります。およそ民法は、各人の日常生活を規律するものでありますがゆえに、國民が日常生活上これを信じてやつておる、また不可なしとして行つておるもので、特にこれを認めることによつて社會不安を生じ、または公の秩序に反するというのならばいざ知らず、しからざる限りは、國民の順良なる生活はそのままこれを認めることをもつて本則とすべきものと考えております。しこうして世上において、いわゆる繼母、繼父なるものがまいりますと、一般世間では新しいおつかさんが見えたら、先の女房にできたる子供に、これは新しくできたおつかさんだ、これがほんとうのおつかさんだと言う。たまに五つ六つになつて、前のおつかさんと違うと子供が言つたら、親戚中、知己全體がかかつて、これがほんとのおつかさんだと言つてなずける。また後から來た母親も、これをほんとうにわが子としてこれから育てていこうとする。これが一般社會の通念であります。しかるにこのりつぱな慣習、またかくあらざれば繼子をながめられるものでもないし、また母として尊重すべきものでないのだ。これをやるということが家庭生活上最も必要なことだと考えるのに、法律はこの實際に反して、おまえらは親子だといつておるのを、法律は親子でないのだときめるということは、まことにもつて不可解千萬であると言わざるを得ません。われわれは日本の舊來におけるこの善良なる風俗を尊重し、家庭生活における圓滿を維持せんとするときには、ぜひともこの繼母、繼子との間に、親子と同様の關係を生ぜしむべきものであると考えます。殊に今私は繼母の場合を申し上げましたが、繼父の場合を考えますときに、法律はいかなることを考えましても、實際の生活上父親が死んで、母親が殘つておる。そのあとに今までの入夫婚姻と同様のものがあつて、繼父が來ますと、家庭の經濟上において、どうしてもそのあとの父なるものはその家を支配し、前の子供を養育していかなければならない。この子供を養育するというときには、眞にわが子なりと考えてやらなければ子のめんどうはみられるものではない。しかるに法律は、おまえは親でないのだということになりますと、これはまつたく家庭の圓滿を缺き、子供の教育に對しても不都合な結果を生ずるものとして、どうしてもこの現民法の通り存置すべきものだと考えまして、この修正を出した次第であります。
 次に七百二十九條を次のように改める。「第七百三十九條 婚姻は、慣習に從つた當事者の合意によつて成立する。但し戸籍法の定めるところにより、屆出をすれば合意の時に遡つて效力を生ずる。」というのであります。まずわれわれは婚姻というものは、當事者の合意によつて夫婦になつたという現實の事實が現われることにおいて、婚姻が成立したものと言わざるを得ません。殊に憲法では、當事者の合意のみに基いて成立するとあります。この意味は、舊來におけるがごとく、親の同意であるとか、戸主の同意であるとかいうものを要せないというところから出たものであるとは思いますが、ここに兩方の合意のみに基いて成立するとあります以上は、まずこれによつてできたるものと法律上認めることが、憲法の精神に從うものだと言わなければなりません。その上一般社會においても、たれが見ても夫婦になつたというものであるにもかかわらず、これに一定の制限を加えるということは、憲法の精神にも反し、一般社會の現實にも反するものと考えるのであります。しかるに改正民法では屆出をもつてその成立條件としておるのであります。その效力を生ずるというだけでありますと、私のこれとは一致するようでありますが、これは説明にもあります通り、婚姻というものは特別のものであるから、屆出でもつて成立條件とするといつておりますから、この點で明らかに今申し上げたように、實際に反し、かつ憲法の根本精神に反するものと考えます。從つてわれわれはまずの合意にあつた場合はこれを成立したものと認める。しかし單に合意と申しましても、婚姻ということは人生一大の重要事でありますがゆえに、ただいたずらなるものをもつて合意とは認められません。散歩して男女が曾つて結婚の申込をして、よろしいと言つたからといつて、さようなものは認められるものではなく、一般世間において夫婦となる約束があつたという事實がなくてはいかぬと思うのでありますが、それにはいろいろのものはありますけれども、まずわれわれはその要件として慣習に從つに合意、もつと言えば、客觀的に蓋然性のある合意ということをもつて足りるものと考えられるのであります。しかし法律上これを取扱うときには、戸籍というものがあります以上、戸籍に載らなければ、一般からは法律的には認められないのでありますから、この戸籍法に基く屆出というものを必要といたしますけれども、これはさきに成立したる婚姻を法律上確認するというものであるべきもので、成立のときは一般の慣習に從つて夫婦となつたというそのときだ。換言すれば成立要件は合意であるが、效力の發生要件として屆出を要するということが最も合理的だ、かように考えまして、この修正案を提出した次第であります。從いまして屆出がありますと、效力は遡つて婚姻の事實のあつたときに成立したものと認めなければならぬと思うのであります。そうして第二項は「前項のこの屆出は、當事者双方及び成年の證人二人以上から口頭又は署名した書面でこれをしなければならない。」これは改正案の第二項と變りはありません。ただ第三項でありますが、第三項は「婚姻が成立して同居したる者から屆出がないときは、當事者の一方は、家事審判所の確認書を以て、前條第二項の書面に代へることができる。」と修正せんとするものであります。これは往々にして、りつぱに婚姻が成立し同棲しておりまして、子供までできておるにもかかわらず、屆出というものを成立要件にいたしますと、一方がこの屆出に判をおさないために、りつぱな夫婦であり、また夫婦の間にできたる子供であるにもかかわらず、法律上父なし子として扱われるという不條理があつたのであります。かようなことでは、一般社會の秩序は保てないし、まことに今日までこれに基く弊害があつたことは、私はここで説明の限りではありません。いかにしてこの弊害をなくするかということは、多年民法の改正をせられるときにおいて、第一番の議論の的であつたのでありまして、この改正にあたつて、この點の改革ができないということになれば、まつたく民法改正の意味をなさないのであります。そこでわれわれは婚姻は合意が成立したときに、婚姻ができたものだ、屆出をもつて效力の發生要件とする。しかるに、屆出をしないというならば、一方の者が家事審判所へ行つて、かくかくのことで、われわれはりつぱに婚姻をしたにもかかわらず、相手が屆出をしてくれません。こう言えば、婚姻のあつた事實を認められれば、遡つて婚姻のあつたときに效力を發生せしめるということが一番合理的であり、また今までの弊害をなくするものと、かように確信いたしまして、本修正案を提出した次第であります。
 次に私の説明するのは、これへ出しました八の「第九百七條第一項に左の但書を加へ、第二項以下を左の如く改める。」というところであります。九百七條は「共同相續人は、第九百八條の規定によつて被相續人が遺言で禁じた場合を除く外、何時でも、その協議で、遺産の分割をすることができる。」ということになつております。この改正案ではいわゆる均分相續をとつておりまして、相續と同時に財産が分割せられるのでありますが、ものによつては、ただちに分割ができないから共有にある。そうして共有でありますれば、共有の規定に基いてこれを分割することができるというので、その規定を得てこの條文ができたものと考えますが、わが日本の實際上の生活状態から見まして、財産によつては絶對に分割できない性質のものが第一番にあります。またかりに分割できるといたしましても、分割することにおいて、家ということは使わぬでも――われわれは家というものは實際あるから使つてもいいのですが、家というものを使わぬにいたしましても、共同生活をしているものの生活が維持できないという結果を生ずることがたくさん豫想されるのであります。ここにおいてか、農業資産などという特別法を設けて、農業資産は分割させないことにしようという法律案が今出ております。しかしこの農業資産法ができるということは、この法律の通りならどうあつても出なければならぬ法律でありますが、われわれは先ほど申したように、分割して惡いということは、ひとり農業資産だけではありません。商業資産において一番大きなものは、いわゆるのれんでありますが、のれんのごときは分割しようとしても分割できるものではない。また人によつては、これを金に見積つて平等に金で分配したらばよろしいとか、これを他人に讓つて金にかえてわければいいじやないかとか、相續人同士で合資會社をつくつたらどうだというような、いろいろな名論が出てまいりますが、さようなことは實際においてできるものではないのであります。いわゆる老舗というものは、その家にくつついているがゆえに價格があるのであつて、これを離すということになつたら、もう無價値になるものであります。これは絶對できないものなんです。かりにできるとしても、もしこのような農業資産には特別法が要るというなら、これは商業資産においても特別法が要ります。漁業においても分離はできません。船一隻、網一つというものをわけてやるということはできない。これはやはり一つの財團としてこれを認められぬならば、商賣は維持できないものであります。これにも特別法が要る。醫者にいたしましても、醫者の特別法が要る。あらゆる特別法を認めなければこれは追つつかぬのでありまして、これは何としてでも、かようなことは基本法において、かくのごとき不條理をなからしめるということでなかつたらいかぬと考えるのであります。そこでわれわれはこの修正案を提出したのでありますが、これに但書を加えまして、「相續人で被相續人の家業を承繼する者は家業資産に關する他の相續人の相續分を買取り遺産の分割を拒否することが出來る。」この被相續人の家業を承繼するものはだれであるかということは、これは相續人間において協議できめたらよろしいでしよう。これはもつと私はこれに對しても一定の基準を設けたいと思つたのでありますが、あまりの修正であるがゆえに、議論が一致いたさなかつたのでこれで讓歩したのでありますが、とにかくそういうものをきめなければならぬ。また實際にきまります。きまらなかたら、日本の家というものはもつていかれません。日本民族の性格というものは續きません。だからきまるにきまつておる。きまつておるとすれば、相續人にその家業に必要な限りの資産をもたせる。しかし相續分というものがあるのだから、相續分をまず買い取つて、これを分割せないことにしてくれという、この權利を認めなければならぬと思うのであります。しかしその分割またはほかの相續人の相續分の買取り、またはその相續分の價格、それから買取りと申しましても、餘つた金のあるべきはずがないのだから、何らかの方法で支拂う方法等もきめなければならぬのでありますから、それらのものはでき得る限り協議をもつてこれをやることにいたしますけれども、協議が整わないときは、だれでもいいから相續人の請求によつて家事審判所がこれを適當に定める。こうする方が最も實際に合うし、またさような煩雑なる法律を定める要がない。かように考えて修正案を提出した次第であります。
 先ほど説明しました中の七百三十九條の第三項は、これは前條第二項とありますが、「前項の書面」と訂正いたします。
 次は七百六十三條の修正でありますが、これは協議上の離婚の場合でありまして、原案では七百六十三條は「夫婦は、その協議で、離婚をすることができる。」そして七百六十四條で屆出の規定を準用しておるのでありますが、今までわれわれ多年の經驗を見ますと、離婚屆は出ましたが、聽いてみると、私の知らぬ書面である。もしくは、私はそういうものに判を押す意思はなかつたのだが、むりに押さされたという案件がしばしば出るのであります。これは過去において女が弱い立場であつたというところから出たのでありましよう。けれどもいくら法律が變りましても、なかなか一遍に世間が變るものではありませんから、特にこの規定は婦人の保護ということを主眼として修正しなければならぬと思うのでありまして、ここに書いてある但書を加えんとするものであります。今までの實例から見ますと、夫が暴を揮つて、偽造をして出すという事實もあります。また親たち同士がけんかをして、それならそんな者は連れていけ、それなら今のうちに離縁状を書けといつて、親たち同士で勝手に印を押してやつたという事實も、われわれはしばしば目撃しております。それからむりにやらせたということもたびたびあるのでありますから、人生最大の結合である夫婦というものをわかれさせるには、よほど重大にこれを取扱わなければならぬと思う。舊來のこれらの弊を矯めるためには、家事審判所というものができたのでありますから、家事審判所でもつて、はたして兩當事者合意の上であるや否やということを確認した上でなかつたらやれぬようにすることが、最も必要だと考えるのであります。これは改正の提案理由にも書いてありますところで、ほとんど國民世論の一致するところと思いますから、一日も早くこのことを實現してもらいたいと思います。
 次に九百六十七條の改正でありますが、現在の遺言というものはごらんの通り、非常に複雑なる手續、めんどうなる手續を要しまするがゆえに、日本國民の實際生活と一致いたしておりません。從いまして、國民の中でよほどの者でなかつたら、遺言というものをやつておらないのであります。またわれわれもよく遺言書を書いてくれと言われるので、よかろう、やろう、こう言つて、いつ呼びにくるだろうと思つて待つておると、ついそのうちにめんどうなものだから延び延びになつておつて、ぽかつと死んで、せつかく遺言をしようとしておつたのができなかつたということも、たびたびあるところでありますから、できるだけこれを簡易なものに改める。こういうので、先ほど政府委員も言われた通り、根本的の改正ということもありますが、ここに一つ考えましたことは、家事審判所に出頭して、調書によつて遺言をするということが最も簡易であろう。こういうので、これも一般世論として出ておるところでありますから、これを加えることを提案したのであります。そのほかここに一項、二項、三項とありますが、これはもう説明の要もなく、調書による遺言であれば、これだけのことを要するということを書いただけでございます。なおここに附け加えて申し上げておきたいのは、先ほど説明いたしました七百三十九條の三項にいたしましても、それから七百六十三條及び九百六十七條にいたしましても、家事審判所の手續を必要とするのでありますが、家事審判法では、民法によつてなすべきものは例記せられておるのでありまして、これらのものを實際に行おうとするには、家事審判法の改正も、これを一緒に行わなくてはならないのであります。われわれは、今さら死んだ子の年を算えるようなことを言つてもいけませんが、そのようなことがあるから、家事審判法というものは、基本法たる民法と一緒に通すべきものだと主張したのでありますが、すでに通つてしまつたからやむを得ません。從いまして、われわれはこの修正案を出しますと同時に、この修正案に一致するよう家事審判法を改正せられんことを希望條項として述べて、私の説明を終ります。
#12
○松永委員長 明禮輝三郎君。
#13
○明禮委員 民法の原案をいただきまして、今日までこの原案に基き、諸君とともに研究してきました今日、この民法において最も缺陷であると思いまするものは、八百九十七條の系譜、祭具及び墳墓の所有權はたれに歸屬するか、あるいはたれがあとを守つていくかということが一つであります。
 それからその次に私どもが拾いあげましたものは、一方の親が死にましたときに相續は開始いたしまするが、その財産は均分である。從つて子供がみんなでわけて、これを相續するということに相なりまする關係上、その殘つた親をみてやるものがないという二つの點であります。これは御承知のごとく、日本古來の道義でありまして、私ども營々として毎日働きまするものは、その働きましたる所産を樂しむのではないのであつて、結局はその家と申しますか、その家柄と申しますか、自分らの血筋、系統、こういう家柄を永久に幸あれかしと思うて働くのではないかと思うのであります。その法律上の家は別といたしましても、ともかくもその何々家というものを永久に保存したいのが人間の本能である。そうしてみれば、宗教的方面から、あるいは道徳的方面から、どちらから考えましても、家というものが法律上はなくなつても、その家筋というものを立てていきたいのが本能であるといたしまするならば、この八百九十七條の規定によりまして、被相續人がこれを指定するということになつている。ところが、この指定ということも、普通遺言でやるような場合が多いであります。遺言のある家庭というものは、今までの統計があるかどうかしりませんが、とにもかくにも統計的に見て、遺言のある家は少なかつたはずであります。そういたしまするならば、この指定というものがない場合には、慣習によるというのでありますが、家督相続法というものが削除されることになりまするならば、必ずやその慣習というものも、またこれはないといつてよろしいのである。今までは家督を相續した者が家をみる、殘つた母をみるというのが、これが原則でありました。ところが、今日のこの改正原案によりますると、ここまでまいつてくるときに、私どもが思うことは、少くとも家に殘りました兩親のうちの一人、被相續人のうちの殘つた一人の者が、生存配偶者として一定の指圖をすることかできるというのが、最も穏當であり、しかもこれが日本古來の道徳であり、また宗教的に考えましても、これにしかないと私は思います。こういう意味におきまして、私どもが八百九十七條の第二項を改正したいと思う次第であります。これを申し上げてみますと、八百九十七條の第二項を改正したいと思う次第であります。これを申し上げてみますと、八百九十七條の第二項中慣習が明らかでないとき、または被相續人の指定がないときは、被相續人の生存配偶者の指定を受けた者が、その系譜、祭具または祖先の祭祀を承け繼ぐものであると改めたいのであります。そういたしますことによつて、家代々において行われておりましたお祭りができる。もし生存配偶者の指定がないときにおいて、初めて家事審判所が直系血族、あるいは同居の親族中から、これを定めるというのが當然でありまして、裁判所みずからやるというのは仕方のないときにやる、これがすべての問題を解決するについての妥當性を含んでおるものであります。裁判はもとより人間のやることでありますから、その家庭の中における事情――委員の方々の中には、ほとんど法曹界の方々、あるいはそうでなくても、それをよく御承知の方方ばかりであります。裁判所における審判に誤りがあり、裁判所における手續が非常にめんどうであるということは、いかに家事審判所法ができても同斷であります。はたしてしかりとするならば、生存配偶者でありますが、この生存配偶者に指定權を與えるということでなくてはならないと思う次第であります。この改正にあたりましても、この原案ができます當時において、かような點にも十分御留意されたこととは存じますけれども、この點については、あるいは多少の缺陥はあるかもしれない。議論をすればあるかもしれない。しかしその家の圓滿性を維持するためには、生存配偶者、その家を守つてきた人がこれを承け繼がせるものを定めるということほど妥當性を與えるものはないと考える次第であります。この意味におきまして、この點について十分なる御研究と御勘考を願いまして、御贊同を得たいのであります。
 その次に申し上げてみまするものは、生存配偶者を見る者ということであります。この點につきましては、今まで政府委員その他の方々の御議論によつて、三分の一ないし三分の二、あるいは相當の財産が生存配偶者に與えられるのであるから必要がないではないかということであります。また養老院制度を十分に發達させて、年をとつた者を養老院に送りこむという制度にすればよいじやないかという議論も立つようであります。しかし日本の今日の經濟上におきましては、養老院を、ただちにその生存配偶者を滿足する程度において、建設することが容易でないことはもちろんであります。はたしてさような次第でありますから。私どもはここに生存配偶者を拾い上げて、その生存配偶者が相續したところの子供の中から自分が最も妥當とするたとえばお醫者さんのような職業、あるいは辯護士のような職業、いろいろ家庭においてのその子供、家を繼ぐ子供の中には、法律家もあれば技術屋もある、いろいろな者がありましよう。そこに自分らが最も家の跡を遺させるというような趣旨においての、あるいは自分を見てくれるについても一番都合のよいというものを、お祭りする人を選ぶと同時に、ここに自分の扶養者を定めまして、この生存配偶者がきめましたその人にみずからが相續によりまして受けましたところの財産の三分の一ないしは三分の二、それを與えまして十分に自分の老後を見てもらうということにいたしますことが、最も孝養の精神に一貫するものでありまして、かような制度がなくては、私ども今日の生存配偶者が生きていかれないのだと思う。たとえば三分の一の財産と言いましても、家庭によつてはいろいろありましようが、たとえここに一萬圓ありましようとも、二萬圓ありましようとも、今日の生活状況をごらんになると、どうしても配給をとりにいかなければならぬ、またどうしても相當な生活物資を手に入れるために奔走しなければならぬのが實情であります。そういう意味においては、どうしてもこういうような手もとにおいて、何くれとなくめんどうをみてくれる者がないといたしまするならば、私ども老後において、まことに自分みずから危きを考える者であります。これは私の問題、この規定は自分でもらつたものをそのめんどうを見てくれる人にやるのでありますから、何も均分相續の弊害はここに起らぬ次第であります。この點においては司法當局においても、ほとんどこれは疑問といいますか、問題をあまり起させないで、十分に納得せられる筋合の法文であると思います。めんどうを見るものに對して、均分相續を受けたものが、二割とか三割とかの自分のもらつたものを出して、これを親を養うものに出すということにするならば、これは均分相續を害するかも知れない。こういうことにいたしますならば、私どもはきわめて圓滑に圓滿な家庭を將來に築き上げることができると考えておる次第であります。
 その次に規定しておりますのは、千二十九條中、その中から「第九百三條の規定による資産及び」という字を書き加えまして、遺留分減殺請求權をなくするという點であります。申し落しましたが、このあとから申し上げました九百三條という規定は、新たになるのでありますから、九百三條という條文を新たに起す關係上、條文をそれぞれ繰下げていかなければならぬ實情にあることを申し上げておきます。こういう意味において、私はこれはどうしても委員各位の御贊成を得なければならぬ條文であと申し上げて、私の説明を終ります。
#14
○安田委員 私の提案いたしました修正案を御説明申し上げます。まず最初に申し上げたいことは、この修正案は、私の個人としての提案でございます。何ゆえに私が個人として本修正を提案したかという理由を、冒頭に申し上げたいと思います。第一囘の國會におきまして、私どもの私生活の根本を規律するところの最も重要な法律で、私どものもつ最大の法典たる民法の改正を目的とする本法案が、本委員會で審議をせられておるのでありますが、私はこの委員會における今日までの審議の經過を見まして、まことに遺憾なものを感ぜざるを得ないのであります。非常に長い時間が政府委員との質疑應答に費されておるのでありますが、私はこれは不必要なことではないか、時間の浪費ではなかつたかと思うのであります。國會は昔の議會とは違うのでありまして、國會自體が自主的な立法機關であります。政府の提案に協贊するか否かをきめる昔の議會ではないものと、私は考えておるのであります。この趣旨に基きまして、私どもは政府委員に對する質問は、ただ政府委員としての提案の理由を一應聽いて、まずそれを實際に行う場合に行政當局としてどういう支障が起るかという點についての意見を聽けばよろしいと私は考えます。そうして主要なる時間をわれわれ立法機關たる國會における委員會の委員相互の眞劍なる檢討にまつべきものであるというふうに考えたのであります。しかるに今日まで御承知のような長時日が無用な政府委員との間の論議に費されまして、その結果質問が打切られて、突如として修正案が提出せられたのであります。この修正案は、今日ようやく私どもの手もとに配付せられまして、私どもはその修正案の内容さえ十分に飲みこめないのであります。從つてこれに對しての私どもの十分な意見は、これをまとめる時間がないのであります。しかるにひそかに承るところによりますれば、本日ただちに討論を行つて、これを即時に採決しようとしておるのであります。私はかくのごとく、何ゆえに修正案が遅れたかという責任は別といたしまして、立法機關たるものが、修正案をほとんど見ないで、即時に採決するというようなことは、いかがなものであろうかと、實に私の良心に問うてみて、非常に煩悶を感ずる次第であります。各黨の主義政策によつて、どうしても爭わなければならないことは、よろしく爭うべきであると私は考えます。しかしながら、政府の提案なるがゆえに、無批判にこれを容認しようとかあるいは反對黨の提案なるがゆえに、よく内容も批判檢討ぜずして、これを否決しようというようなことは、私は新しい國會としてふまじめな態度であると考えるのであります。私は立法機關たる國會の本質に鑑みまして、政府案にとらわるることなく、黨派的な意識、黨派感情というようなものを超越して、ほんとうに正しくいい法律をつくりたいという心構えのもとに、本委員會はこれからの法案を審議していきたい。かように考え直していただきたいと思うのであります。かような意味におきまして、私は本法案につきまして、實は十數點の修正意見をもつているのであります。本來ならばこれを提案いたしたいのでありますが、遺憾ながら委員會の空氣は、私がこれを取上げても、とうてい正しい意味において審議していただけないような雰圍氣を感ずるのでありますから、さようなむだなことをとりやめるほかなかつたのであります。で私はほとんどすべての修正意見を提出いたさないことにいたしたのでございますが、ただ一點ここに提出をいたしますところの修正案、新しい民主日本の根本の精神にはなはだしく反し、特に私の見解によりますれば、新憲法に違反するものであると考えますので、この點だけは法律家といたしまして看過することがどうしてもできないのであります。法律家として、司法委員として、本委員會に列なる私の義務として、これを提出いたさなければならないと考えましたから、特に社會黨の黨議にかけまして、自由問題としていただいてあえて提出をした次第でございます。私は本修正案に對し、非公式に贊成をお願いいたしません。理想的な方法で提出をいたしておるのであります。願わくば先入感にとらわれることなく判斷していただいて、めんどうであるからやめようとか、あるいは政府案を支持しなければならないからというような漫然たる氣持を取除いていただいて、法律家としての良心に從つた眞劍な氣持で、この提案理由を判斷していただいて、贊否の御判斷を願いたいと思うのであります。
 これを前おきといたしまして修正案の内容を申し上げますが、修正案は四つにわかれておりますが、實質的には一つでございます。すなわち原案第七百三十三條「女は、前婚の解消又は取消の日から六箇月を經過した後でなければ、再婚することができない。」というこの規定を削除いたすことを主眼とするのであります。この削除に伴いまして、民法第七百七十三條、第七百四十四條の二項を訂正し、七百四十六條を削るということをその内容といたすものであります。
 この修正案の理由を申し上げます。原案の七百三十三條に、「女は前婚の解消又は取消の日から六箇月を經過した後でなければ、再婚をすることができない。」かような規定は、御承知のごとく、現行民法第七百六十七條の規定をそのまま存續せしめようといたすものであります。ところでこの現行民法七百六十七條で、婚姻の解消の後女のみに六箇月間再婚を禁止したその立法理由を考えてみますと、およそ次のような二點が考えられるのでありますが、私はそのいずれも今日の思想から正當と認められないと考える次第であります。すなわち第一點は、夫にわかれた寡婦が、なくなつた夫の墓標の新たなうちに再婚をするということを禁じた、古い男性本位の昔の道徳觀念に基く、妻に對して婚姻解消の後においても、なお先夫に對する貞節を要求し、これを法律をもつて強制せんとするものでございます。そもそも婚姻の解消の後に妻が先夫に對する貞節の念のために、再婚をやらないかどうかということは、これは本人の道徳觀念の決するとこに任すべきでありまして、これを法律をもつて強制すべき性質のものではないと私は考えるのであります。特にこれを女性にのみ法律をもつて強制し、男性に自由ならしむるということは、男女平等の憲法の原則に反する、新憲法に違反するものであるというふうに、私は考えるのであります。第二は妻が婚姻の解消した後にただちに再婚するときには、再婚した妻が生んだ子供の父親がたれであるかということが不明瞭となる場合がある。であるからかくのごとき事態の發生を防止するために、一定期間妻の再婚を禁止するということが、第二の理由であると思うのであります。男性の方で深くお考えにならない方は、これを當然のことのようにお考えになる方があると思うのでありますが、私は新しい頭をもつてこれを考えていただかなければならぬと思うのであります。かような子供の父親がたれであるかよく調べねばわからないから、それをはつきりさせるということのために、女の再婚の自由を抑えるということが、不都合なことであるということを考えていただかなければならぬのであります。かようなことを考えるのは、妻をもつて家の世繼ぎたる子供をこしらえるところの道具であると考えた昔の古い思想を、そのまま無意識のうちにもつておられるものであると申さなければなりません。子供の血統を明確にすることの方が、妻の再婚の自由よりも大切であるというようなことを考えるのは、女の人格を無視した封建思想の遺物である。女子に男子と同等の人格を認め、個人の尊嚴を最も重んじ、家とか家庭とかいうような古き思想のためにそれを犠牲にさせてはならないという新憲法のもとにおいては、許すべきことではないと、私は考えるのであります。さらに、原案の第七百三十三條のごとき規定を設けることが、しからば何らか血統關係をはつきりさせるために利益があるかと申しますと、よく考えて見ますと、何も利益はないのであります。むしろ有害であると申さなければなりません。この點をお考えになつていただきたいのであります。すなわち民法がかりに本條のごとき規定を設けて再婚の禁止をやりましたところでその規定があるからといつて、再婚しようとする女と新しい夫とが事實上の婚姻生活をやらないかというと、決してそうではないのであります。規定があつたところで、事實上の婚姻生活はやるのであります。もしかような妻と新夫とが事實上の婚姻をなして、その間に子供が生れたといたしますと、どういうことになりましようか。もし原案のごとく本條を存置しておきますと、そうして六箇月間これらの新夫婦に法律上の婚姻を認めないということになりますと、どういうことになりますか。新しい夫婦が事實上婚姻をなしておるその婚姻を、正當の法律上の婚姻と認められないということで不便を感ずるだけではないのであります。生れた子供もほんとうの父ほんとうの親の子供と認められない、まことに不都合な結果になつてまいります。それだけではありません。わかれた夫はどうなるか、これもはなはだしく迷惑をこうむる。すなわち、みすみず新しい夫の子供であり、自分の子供でないということがわかつておりながら原案第七百七十二條の規定によつて、この他人の子供を自分の嫡出子と推定されるのであります。それを否定するためにはわざわざ嫡出否認の訴えを起さねばならぬということになります。かように考えて見ますと、本條を設けることによつて子供の血統を明らかにしようとするのでありますが、その實はあげられずに、かえつて先夫も後夫も、妻も子供も非常に迷惑する。ただ本條を存續する意味は、單に古い道徳感情を滿足せしめるというほかに、何らの意味がないと申さねばならぬと思うのであります。
 次に、もし本條を婚姻の神聖を強調するために存續させなければならない、離婚の後六箇月もたたないうちに再婚するというような、さような輕いことで婚姻を考えてはいけないという趣旨であるならば、私は、これは妻に禁ずると同時に夫にも禁ずべきである、男女ともにこれを禁止すべきであると思うのであります。
 以上の理由をもちまして、私は、原案第七百三十三條は、いかなる點から見ましても、これを削除しなければならぬと考えるのであります。おそらく私の申しましたことは、いずれも皆さん方御研究のこととは思いますが、この際十分再檢討の上、私の修正案に御贊成を願いたいのであります。
#15
○松永委員長 榊原千代君。
#16
○榊原(千)委員 私の修正案は個人提出でありますが、全國何千萬の女性を代表いたしまして、どうしても女性の立場から、最小限度の修正をしていただきたいと思つてここに提出したわけであります。
 第一案竝びにそれに關連いたします條項の修正は、すべて安田委員と同じでありまして、安田委員がただいま詳しく御説明くださいましたから、私はきわめて簡單にその理由を申し上げます。
 舊民法を繼承いたしましたこの條文は、憲法が保障する個性の尊嚴と自由を無視し、男女平等の原則に違反するところの規定であります。立案者の企圖するところは、女性は懐妊するものであり、從つて生れた子の血統が曖昧になるおそれがあつては困るから、それを豫防したいという、きわめて單純な理由からのように見えますが、實は明らかに封建的であり、かりに一歩を讓つて善意に解釋してみたところで、無意識のうちに男の横暴とわがままとが流れ出たものであることを、辯解する餘地はないと思うのであります。これは舊刑法における姦通に際して、妻のみ罰した姦通罪規定と、精神をまつたく一にするものであります。男には再婚の自由を許し、女はそれを制限する。今までの古い法律は、すべて女を人間として人格的に取扱わず、生物學的あるいは動物學的立場から、常に便宜的に道具視し、手段視した立場からつくられたものであります。女性が懐妊しておるか否かを見きわめてから再婚しなければならないのなら、男も、妻であつた女にはらませたか否かを確認して、生れ出る子の措置を解決し、再婚しようとする女性の了解を得て結婚するのが當然であります。しかるに男は生理的に懐妊しないから自由に振舞つてよろしいという考え方は、明瞭に封建的であります。新憲法はこのような古い思想、習慣、社會制度、法律の清算を命じ、女性に對するすべての不當な壓迫と制限から、人間としての女性の解放を要請しています。從つてこの規定は、當然男女平等に制限するか否かでなければ問題とならないのでありますが、私は、姦通罪を廢止した刑法とのつり合體裁の上から削除したらよろしいと考えた次第であります。
 第二の修正は、第七百六十五條第二項を削ることであります。「離婚の屆出が前項の規定に違反して受理されたときでも、離婚は、これがために、效力を妨げられることがない。」というのであります。それを削除しようというのであります。離婚ということは人生の最大の悲しみ、最大の不幸の一つであります。個人としても、社會としても、離婚については愼重な考慮を拂い、愼重な手續をとり、愼重な態度で臨まなければなりません。協議離婚が手輕にできるために、離婚しなくて濟んだ場合にも離婚が行われたり、殊に知的にも教養の上からも、經濟的にも、社會的にも、未だ男子の水準に達していない女性が、だまかしや強制によつて、惨めな犠牲となるような悲劇が多いのではないかというような不安も少くないのであります。そこで女性の側からは、協議離婚には家事審判所の確認を要するということにしてもらいたいという要望さえあるのであります。しかしこれについては、女性は積極的に教養を高め、經濟的にも獨立人たり得る強い立場をかち得て、堂々と對處し、もつて離婚の自由を確保したいというのが、私の願いでありますから、必ずしも家事審判所の確認というようなことは望みません。しかしそれにしても、離婚の屆出が第七百三十九條第二項、すなわち離婚の「屆出は、當事者双方及び成年の證人二人以上から、口頭又は署名した書面で、これをしなければならない。」及び第八百十九條第一項「父母が協議上の離婚をするときは、その協議で、その一方を親權者と定めなければならない。」等の規定に違反して受理されたときでも、離婚はこれがためにその效力を妨げられないというのは、あまりにも愼重を缺くというよりも、むしろあまりにも離婚を輕視し、輕く扱い過ぎたのではないかと思うのであります。立案者は萬が一の處置を考慮したというかもしれないのですけれども、國民の運命にかかわるこのような手落ちは、國家公務員法のような法律によつても、嚴重に罰せられてよい重大な過失であります。正當な手續規定に從つて離婚の屆出が受理された場合には、少くとも成人した二人の證人に惡意がなくまた常識があれば、この二人の不幸に立至らんとする立場を心から憂慮し、深い人情をもつて愼重に臨むであろうことは考えられることであります。司法大臣は民法提案理由の説明において、協議離婚に際し家事審判所の確認を必要とすることについては、審判所の開設箇所及びこれに配置できる審判官の數が、著しく制限されておる現状を前提として考えるときは、ことごとく右のような確認の手續を經ることは、協議離婚の屆出を困難にし、從つてそれは實現不可能のような辯解をしていらつしやるということからも、せめて屆出の受理に際しては、深甚な注意が拂われ、いやしくも定められた規定法令に違反して受理されるというようなことは、決してあつてはならないのであります。離婚の自由ということは、離婚を輕く扱うということとは斷じて違うということを、よくお考えになつていただきたいと思うのであります。
 第三は民法第七百七十條第二號を削ずる修正であります。裁判上の離婚については、第七百七十條第一號から第五號にわたつて、きわめて具體的に明瞭に離婚の訴えを提起することができる自由が、列擧せられておりますにもかかわらず、二項においてはそれを否定するような規定がおかれています。いかにも新鮮明朗な感じがしたとたんに、どつこいそう簡單にはまかりならぬと出直されたような、ちよつと裏切られた感じであります。立案者は親心、親切だと言うかもしれませんが、ある意味では人權に立入る要らぬおせつかいであります。殊に司法省の法制審議會が第一の離婚の原因として、配偶者に不貞な行為があつたときと司法省に答申したのに對して、もう一度臨時措置法において、著しき不貞な行為があつたときと、書き改めたような司法官の頭を考えると、私たちは裁判官を必ずしも進歩的な人ばかりとは、素直に信ずることができないのであります。配偶者に不貞な行為があつたときでも、惡意で遺棄されたようなときでも、配偶者の行方が長く不明でも、配偶者が精神病で囘復の見込みがないようなときでも、なお結婚を繼續していこうとする意思、すなわち愛情の一片でも殘つておる間は、絶對に離婚しようなどとするものではありません。かつとして親兄弟や友人のところに走る場合でも、または手輕に家事審判所にもちこむときと違つて、裁判所に離婚の訴訟を起そうというときは、よほどのときであります。かりに一時の感情によつて訴えたとしても、もしも愛情が少しでも殘つておる限りは、裁判の進行中に必ず取下げが行われるもので、訴え出た手前世間體が惡いからなどと言つて、平氣で離婚に至るのを手をこまねいて見ておるものではありません。むしろ私はこの規定が濫用されて、不幸にしてめぐり合つた封建的な判事が、たとえば不貞だと言つてもそう著しいことではなしとか、あるいは夫が精神病でも貞淑な妻は生涯看病すべきだというふうな頭で、自由な意思によつて自由な公正な道を、新しい覺悟をもつて立とうとするものに抑壓を加え、個性の尊嚴を冒すようなことがあつてはならないと考えるのであります。愛なき不道徳な結婚生活を強要することによつて、さらに不道徳な姦通を助長しないとは限らないのであります。法律上何人も肯定する最も妥當なる理由が列擧され、裁判取調べの結果その事實が證明され、しかも當事者は離婚を希望しておるとき、裁判の進行中裁判官が國民に對する親切から、離婚すべきでないだろうと忠告することはできても、裁判所が婚姻の繼續を相當と認めるときは、離婚の請求を棄却することができるということは、新憲法のもとに存在してはならない個人の權利侵害であります。愛なき淋しい荒廢した家庭を少くし、またなくすために、結婚も離婚も愼重嚴肅であるとともに、明朗自由でありたいと願う第三者的存在が、權力をもつて他人の領分に容喙するようなこの規定を除こうとするものであります。
 第四は、第六章八百七十七條以下八百八十一條まで削るという修正であります。私は法律上の義務としての扶養を廢止したいと思うのであります。親兄弟を扶養しようとしない、けしからぬとお考えになるかもしれませんが、私はむしろ親族各自が自由に自主的に、喜んで生きいきと助け合うことができるために、この規定を除こうというのであります。扶養が法律上の義務としておかれるために、扶養される側は權利者と法律にも書かれますように、當然の權利のごとく思いこみ、從つて人の好意に對してともすれば不平をもつことさえある。また扶養する側にとつては負擔のように感違いされ、相互の關係において家庭生活において不仕合せな根源となることが、間にあるのであります。のみならずこのことは社會教育に對しても決してよい結果をもたらさなかつた。というのはこのような規定があるために、人の心が親族というような小さな世界に跼蹐しておるから利己的になる。たとえば汽車に乗つても、親族間においては禮儀を盡しても、他人に對しては、それが哀れな老人であつても席を讓ろうとしないというような事實となつて現われてきておるのであります。國民は國民を扶養する義務があり、人類は人類を扶養する義務があるというようなヒューマニティに對する理解は、かかる法律の精神からは生れてこないのであります。新憲法は個人の尊嚴と自由とを保障しております。この新憲法の精神に基いて、わが國古來の淳風美俗の源泉と言われるわが國體の精華とも考えられた家族制度さえも再檢討されて、勇敢に廢止され、それに代つてきわめて無理のない自然な、從つて自由な伸び伸びとした夫婦と子供の小家庭が、わが國社會組織の單位として現われようとするに至つたのであります。こういう法律上の變化に伴つて、家督相續は廢止され、全財産が長男のみによつて獨裁されるということはなくなつて、合理的に配偶者にも子供全部にも均分されるというとき、家督相續が存在した封建時代の遺物である扶養制度を、そのまま踏襲しなければならないということはありません。個人の尊嚴と自由を建前とする個人主義的風潮は、一方においては公共的相互扶助を肯定する社會主義的主張を伴つて、好むと好まざるとにかかわらず、滔々としてわが國をもおうことは、もはや時間の問題であろうと考えられます。親子親族頼り合つて、封建的な家族生活を營もうとする代りに、人間として獨立自覺すべきことが要請される、このような時代に、強いて過去の慣習、社會制度を守ろうとする法律をつくることによつて、そこに當然かもし出される矛盾は、かえつて多くの不安を扶養される者にとつても、扶養する者にも投げ、家事審判所に一切の解決を引受けさせようとしておることによつても見られます。しかし家事審判所の解決に從つて、家庭生活が明るくなるか。私は否と答えるのであります。家事審判所の指示に從つて、やむなく扶養する者も扶養される者も、まことに哀れで不幸であると思うのであります。そのような不幸が積ると、親しみ合うべき肉親が憎しみ合うようになります。夫婦の場合なら、そのようなときには離婚するという途もありますが、切つても切れない血のつながりがあるところに不幸が増大すると思うのであります。かような家庭に育つ子供は、お互いに助け合うところの喜びを理解しません。私はむしろ法律上の義務としての扶養の制度をなくして、第七百三十條の直系血族、及び同居の親族が、互いに助け合わなければならないところの道徳規定に任せた方が穏當ではないかと思います。自由に自主的に喜びをもつて、親族お互いに助け合う。そういう家庭に住むまでは、親子自然に同情し合い、兄弟また親しみ合い、さらにそれが他の親族、近親にも及び、社會的にも擴がるものであります。扶養についての法律なきアメリカの將兵が、心から親族助け合い、思い合つている姿をうらやましいと思います。殊に今日の家族制度的扶養の思想が、どんなにわが國の世相を暗くしておるか、これは皆さん御承知の通りと思います。無數の戰爭犠牲者は親族縁者を頼つて同居し、そこに世話になる者と世話を引受けさせられる者との間に、いかに哀れなる遠慮や嘆き、また惨憺たる精神的葛藤が演ぜられておるか、國家はみずからの負うべき義務と負憺を無力な個人に轉嫁し、みずからの責任を怠つておる結果になつておるのであります。さらに新憲法は個人の生存權を保障しております。第二十五條にはすべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する。國は、すべての生活部面について、社會福祉、社會保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。と規定しております。これは國民一人として飢える者なかしめんとするのみが、最低限度の文化生活を營む權利を認めておるのであります。この條文に基いて失業保險法、醫療保險法、養老年金法というような、大規模な社會保險制度を實現しようとしておることは、新聞紙上にもしばしば報道されております。すでにこの條文を法制化した生活保護法や兒童福祉法も出ました、老いたる者、病める者、幼き者をいたわろうとする社會制度は、徐々に實現しようとしております。今日の日本タイムスには、コンミユニテイ・チエストの運動が行われようとしておることが報ぜられ、この日本にも民主主義が具體的に確固とした足場をもち、日本の社會的幸福に對して、民主主義的責任觀が生長してきたのを賞めておるが、健康な人生を國家社會のめに働き通してきた國民は、失業や、病氣や、老年においては、無力な個人の貧弱な恩惠にすがることなく。國家社會の扶養力によつて安心した生活の保障を與えられなければならないのです。このような社會主義的風潮は、世界的、平和的のものでありまして、日本の法律、社會制度も、そういう社會に通用せられるものとして制定されなければならないと思うのであります。たとえこの條章がカットされたとしても、老いたる親たちが、すべてただちに巷に放り出されるということは、わが日本國において決してないと信ずるのでありますし、もし不幸にしてたとえあつたとしても、ただちに生活保護法で救われることもできるのであります。またそのような不幸不心得の子に養われれるよりも、生活保護法の適用を受ける方が、はるかに幸福だと思うのであります。さらに惡質の場合においては、刑法による遺棄罪もあるのですから、新憲法を取巻く新民法から封建主義的な家族制度の支柱といつてもよい扶養の義務の規定を削除したいと思うのであります。
#17
○明禮委員 憲法に次ぐ重大なる民法の大法典を審議いたしますのに、私はいろいろな點から、これをここにただちに採決にはいるということは、いかにも遺憾であると思います。それはどういうことからかと申しますと、農業資産相續特別法というものが出ておりまして、これは私どもが説明を受けただけでありまして、何ら審議にはいつてない。そこでちようどこのことは、家事審判法でも、われわれを非常になめたことであります。今日現前に起つたことでありますが、民法の改正案を出そうとしても、家事審判法が先へ通過したために、こういうことになつている。これは私ども家事審判法を通すときに、姉妹法だからこれを一緒にやる方がいいということを主張したのでありますけれども、遺憾ながら破れたのであります。こういう點からいきましても、農業資産相續特例というものは、民法の相續編に屬するものでありまして、この司法委員會におきまして、ともにここで一緒に審議さるべきものであつたと思うであります。ただ遺憾なことは、この法律案が運營委員會の議によつて農林委員會かにかかりまして、私どもただ説明を受けただけで、これらの審議は一つもしていない。そうするとここに相續法をきめてしまいましても、この農業資産相續特例法によつていろいろな問題が起つてきたときに、これをどう處理するかということができない状態に陷ることは當然であります。聞くところによると、運營委員會においては、これは司法部門に屬するものであつて、司法委員會において、やつてもらうものであるということがきまつたということを、私は小澤總務から先ほど聞いたわけであります。そうしますと、なおさらその問題が問題になる。それから小澤議員が言われたのでありますけれども、まだ出すべきものがたくさんあるのだけれども出さないでやる。これはみんな同じような氣持ちであります。それからもう一つ、ここへただいま皆から出しました案を、ただちに採決するというのは、どういう意味でありますか。今出して今これを處理しようとしても、いかに神様といえども、そうできるものではございません。私どもはこの點から言つて、この出した案について、十分にみんな研究審査怠りなく、ことを辧えてでないと、この問題についての討論を行うべき力をもつていないと言うて差支えない。たた民法の第一條をこういうふうに修正するのであるから、そのほかは何でもかんでもみんなで一致してとばすのだという、ただそういつたやり方なら別でありますが、ほんとうに出したものは一應聽いてやろう、一應審査してやろうというのであれば、飜つて十分にこの問題に對する審査研究の餘地を與えるのが適當であろうと私は思う。またこの議案について一日二日を爭う理由は、私はどこにも見出せないのであります。どういう理由でそう急がれるか、私どもは絶對にさような意味がないと確信をもつものであります。
 それから殊に先ほどの御説明を聽いたのでありますけれども、近き將來において修正すべきものであるということの附帶決議か何かをつけて出すということくらいわれわれはばかになつたことはない。近き將來に出すということを目の前に控えて、それを考えないでやるというようなカムフラージュ的なやり方は、これをもつてわれわれ民主國會として、まことに國民に相濟まないことである。どうしてもいけないものならば、徹夜してでもやつていいじやありませんか。この問題を十分に審議をする期間を與えないで、ただちに採決にはいるということは、どうしても私どもの考え得られない點であります。殊に現在の制度というものは、各自が委員會において研究をいたしますけれども、それを本會議において、ほとんど委員長報告通り可決確定というようなことで終る現状といたしましては、國民がわれわれ何のために一體國會でやつているのかわからない實情にあるということを考えますときに、一層私どもは、かようなことではいかぬのだ、やり直さなければいかぬのだと私は思う。將來改正すべきものであるというような附帶決議を撤囘すべきであると私は思う。こういう意味におきまして、私はこの問題は、きよう提案された修正案について、十分に研究の時間を與え、そうしてできるだけこれに對する研究の結果の意見の發表を聽いて、そうして是は是、非は非ときめて、順々にやつていかなければならぬ、これが私どもの使命であります。この點は委員長においても十分御承知だと思う。どうぞ委員の各位は――先ほど安田君の言われたように、黨派ということもいいかもしれません。私どもは法律の研究においては、黨派的に處理すべきものでないということは、初めから申しておる。私どもは農業資産相續特例法とともに一緒にやる、殊にこの問題についてのきよう出した修正案についても十分に論議をして、論議を闘わした上において、これを處理すべきものであるという動議を提出いたします。
#18
○中村(又)委員 いやしくも衆議院としての委員會に、詮議に詮議を重ねられた結果、黨を代表して修正案が提出になつておるのであります。その修正案をお出しになつて、修正案の説明までも終つた現在におきまして、ただいまのような御議論を聽くことは、衆議院の權威のために、私ははなはだ遺憾に思う次第でございます。
 さらに私は議事進行上一言いたしておきますが、附帶決議の關係において、民法の總體的檢討をさらに近き將來に加えて、改正を施す希望の旨が述べられた、その點につきましての言葉であつたのでありますが、元來昨年の六月下旬のころかと記憶いたしておりますが、當時内閣におきましては、自由黨の總裁である吉田さんが委員長となられまして、内閣に臨時法制調査會というものができたのであります。さらに司法省には木村前司法大臣を委員長とするところの司法法制審議會というものができたのであります。その當時においてこの新憲法の線に沿うところの民法の改正をなすにあたり、全體を議題として改革を施すべきものであるか、あるいは緊急に即應しなければならぬところの相續法及び親族法を主として改革を施すべきであるかという論題は、非常にやかましく繰返されたのであります。その委員はもちろん帝國大學の教授を初め、また東京にいたしますれば第一、第二、東京の各辯護士會長なども、その委員の一人であつたのでありますが、そのいわゆる論議の結果、民法の一部改正という方向に決定をいたしまして、しかして大體におきましては、相續法、親族法を主題として、この新憲法の線に沿う改革を速急に行うて、しかしてこの憲法に許されたる人權の尊重を完成せなければならぬという建前と相なつたのでございます。こういう關係でありまするから、民法の全體に向つてさらに檢討を加え、近き將來において民法の根本的なるところの改正を施す時期を希望することは、當然なる筋合と考えるのであります。しかしてその方向によつてきめられまして、そうしてこの案となつたものと思うのでありまするが、とにもかくにも、百日にも近い間熱心なる皆様の御論議の經過を見まして、今日さらに熱心なるところの御檢討の結果、各黨及び各人は、今日御提出のごとき修正案を出されて、そうして熱心なるところの、しかも詳細を盡されたところの御説明を終られまして、ここで贊否の決をとるという順序になつて、ただいまのような動議と申しまするか、御意見を承つておるという順序でございまするが、私といたしましては、この場合、從來長い間の常態的慣例に從いまして、修正案をさらしものにせず、贊否の決をただちにおとりになることが、適當なる議事の運營であろうと考えるのであります。一言申し上げます。
#19
○松永委員長 暫時休憩いたします。
    午後六時八分休憩
    ―――――――――――――
    午後七時二十一分開議
#20
○松永委員長 休憩前に引續き會議を開きます。
 討論に入ります。石川金次郎君。
#21
○石川委員 本日の委員會におきまして、さきに八並委員によつて説明せられました三派すなわち社會黨、民主黨、國協黨の共同による修正案、すなわち第一條の一の修正案に贊成し、その他全部原案に贊成するものであります。しこうして八並委員によつて説明せられました附帶決議に對しましても、われわれは贊成するものであります。
 第一條の一の修正に贊成いたしまする理由を簡單に申し上げたいと存じます。民法第一條は、第一條の一、第一條の二、第一條の三を改正せられまして、新たに第一條の一、同條の二が設けられたのでありますが、われわれは、政府より新たに規定せられました第一條の一、第二條の二の理由について承り、かつ各委員の熱心な質問、これに對しまする政府の應答を承りまして、でき得る限り私たちの力の及ぶ限り檢討いたしました結果、原案は必ずしも不當のものでないと確信を得たのであります。しかし委員會の空氣、竝びに他黨の委員諸氏の御意見を承りまして、第一條の一、すなわち「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」という規定が、論議の中心となりましたので、でき得るだけわれわれは協調いたしまして、私法の根本法である民法第一條に、民事法全般に通ずる原則を表現いたしたいものと存じまして、民主黨、國協黨の各委員諸氏と共同いたしまして、本修正案に到達した次第であります。われわれ社會黨の委員も、この修正案に對しまして、もとより贊成するものであります。修正案の第一條の一でありますが、新憲法の大原則に則るものでありまして、われわれは修正案自身も原案の報告を遠く離れておるものとは信じないのであります。われわれは、もとより私權の存在を尊重し、その輕視すべきものでないということを知つておるのであります。またこのことは、新憲法によつても明示されております。これを尊重せんといたしまするがゆえにこそ、私權は公共の福祉とともに存すべきものである。公共の福祉に適合し、これに則り、この線に沿いながら、八並氏の言葉を借りて申しますならば、この線に沿いながら進化發展していくものであると考えておるのであります。すなわち修正案第一條の一の第一項におきまして、「私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ」と規定いたしましたのは、私權存在の意義、そのあり方を定めたものであり、第二項における「權利ノ行使及ヒ義務ノ履行ハ信義ニ從ヒ誠實ニ之ヲ為スコトヲ要ス」と規定いたしましたのは、私權行使の準則、原則を表示したものといたしまして、また第三項の「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」と規定いたしましたのは、私權行使の限界を明らかにし、もつて國民に私權の行使が自己の利益のみによつて行使すべきものでないということを明示いたしましたものとして、妥當な改正案であると信ずるものであります。これは委員會多數の苦心の所産でありまして、新憲法に則り、新國家建設の私權行使の原則を表現し、國民生活の根本理念を表現いたしたものといたしまして、適當なものであると、われわれは信じておりまする一面、これを各國民法のそれに比較いたしまして、必ずしも遜色なきものであると信じておるのであります。その他の改正につきましては、われわれは原案に贊成するものでありますが、しかし今囘改正に相なりました親族編、相續編、いわゆる第四編、第五編におきましても、必ずしも全部滿足すべきものとは思われません。すでに幾多の質問によりまして、明らかになつておりまするように、なお十分考慮檢討をいたしまして、改正しなければならぬものあるを認めるのであります。その點についての意見は、また八並委員と同意見であります。しかも本案は、その財産權であります第二編、第三編に、何らの改正も加えられておらないと申し上げてもよろしいのであります。そのために近く改正しなければならぬ運命にあると、私たちは信じておるのでありまして、そのときにおいて、この民法を十分に改正するの必要があると信じておるのであります。提案の理由を拝見いたしましても、第二編、第三編は第一條によつて相當變更せられるであろうということを申しておられるのでありますが、この見地からしましても、また改正の必要あること言うまでのないのであります。立法府であります國會は、特にわれわれ衆議院は、將來の民法改正にあたりまして、十分準備いたしますことはもちろんでありますが、政府もわが民法――私法の根本法であるところの民法の改正は、近き將來において必要であるの一事に鑑みられまして、萬全の準備をなされんことを希望するものであります。私は社會黨の別に修正案を出されました委員を除きまする委員を代表いたしまして、本改正案、すなわち第一條の一に對する八並氏の提案になりました修正案に贊成し、その他全部原案に贊成するものであることを表明いたす次第であります。
#22
○松永委員長 中村又一君。
#23
○中村(又)委員 民主黨を代表いたしまして、社會黨、民主黨、國民協同黨提案になりまする第一の修正案、八並氏より趣旨辯明の案につきまして、贊成の意を表するものでございます。元來本案は原案におきまして「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」ということになつておつたわけでありまするが、八並委員からも申し述べられました通りに、ややもいたしますると、たとえば人身權、特に生命に對する權利のごときに對する觀念から考えてみましても、生命權が公共の福祉のために存するというようなことになりますると、文言上から考えてみましても、不釣合のような氣持もいたすのでございます。いろいろな點につきましては、八並委員竝びに石川委員が詳細にされたのでございまするが最後に一言いたしたいのは、元來新憲法が生まれまして、この線に沿うて民法第一條のこの改正と相なつておるのでございますが、近來における判例の傾向といたしますと、この第一條の改正なども、むしろ削除してもよろしいというほどの進歩をいたしておるのでありまして、私が多言を要するまでもなく、權利の濫用のごときは、舊來の民法上においても、特に判例に明確に相なつておるような次第であります。
 この第一修正案に對しまして贊成の意を表し、その他の原案につきましては、もちろん原案支持の態度を表明するものであります。
#24
○松永委員長 佐瀬昌三君。
#25
○佐瀬委員 私は自由黨を代表いたし、民法の一部を改正する法律案の第一條について、自由黨の修正案を支持し、從つてそれに相反する限度において、政府の原案竝びに民主黨その他三黨提出の修正案に反對するものであります。以下その理由を簡單に申し上げて皆様の御贊同を得たいと思います。
 政府の原案とするところは、第一條第一項において私權の本質を規定し、第二項において權利義務のあり方というものをうたわんとしておるように見えるのであります。從つてこの第一項の私權の本質をかくのごとく「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」というふうに規定づけることが、はたして妥當であるかどうか。またこの點に對する三黨の修正案である「私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ」という文言も、はたして妥當であるかどうかということを附け加えて、ここに檢討して見たいと思うのであります。
 元來民法は、われわれの個人生活の上において生起する權利義務の關係を規定するものであります。從つてそれは私權を中心としております。民法及び私權は公法及び公權と異なつたものがあるということは、法律學の第一ページに、明確にされておる點であります。憲法は公法の立場においてこれを規定しているのであります。第十二條、第十三條及び第二十九條が、その點に該當するものであります。この憲法が、公法的立場において私權をいかに見ておるか。二十九條は財産權の不可侵を明言いたしております。これはひとり財産權のみにあらずして、私權全體の精神を象徴するものであると、私は考えてはばからないと思うのであります。新憲法は民主主義の原則の上に立つて、基本的人權の保障をその金科玉條としておるのであります。その全憲法の精神から見まして、私權を國民に保障するという趣意に歸著するのであります。しかしてその私權の内容その他は、すべてこれを民法に讓つておる。民法は先ほど申しましたような私法としての性格、及びそれに適合する私權を内容づけるものでなければ、意味をなさないのであります。便宜上民主黨その他三黨の修正案について見ますると、第一條第一項「私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ」というのは、まさに憲法第二十九條が規定しておる「財産權の内容は、公共の福祉に適合するように、法律でこれを定める。」という規定を、ここに抽出した觀があるのであります。これは憲法を民法化するという意味があるのかは存じませんけれども、その點はすでに憲法がこれを明確にしておるのであります。あえてここで民法に特にそれを移してくる必要は何らないのであります。しかも憲法の命ずるところは、その公共の福祉に適合するように、法律をもつて内容を規定せよということを命令しておるのであります。憲法をここへ引出して、憲法の要求する内容には何ら觸れない、まつたくこれは駄文にすぎない。こう考えるのであります。
 さらに第一條第三項について、「權利ノ濫用ハ之ヲ許サズ」という修正案になつておるようでありますが、この點については、憲法十二條が自由及び權利はこれを濫用してはならないのであつて云々と規定しておるのを、ここでもそのまま移しておるのであります。憲法がすでに規定しておることを、何ゆえに民法第一條第三項において、わざわざそれをダブつて言う必要があるか。生寫しのこの第一項、第三項は、せつかくの修正案の御趣旨ではあろうけれども、何ら意義をなさないということを、ここに明確にいたしておきたいのであります。
 さて、政府の原案は、なるほど第三項のような無用な條文は省いております。その點は原案に對して一歩進んだものがあるという敬意を表するのでありますが、第一項においては、言葉は違いますけれども、否、より強い意味をもちまして、「總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」というふうに、きわめて嚴正に、公權的な立場から私權を限定せんとする趣旨をここに宣言しておるのであります。先ほど中村委員が、ややこれから見ると三黨提案の修正案は緩和されたような意味があるという御趣旨の説明がありましたが、まさにその通りであります。この政府原案は、最も私權を危機にさらすものである。極端な言葉であるかもしれませんが、かような考え方は、私權の否認論である。憲法二十九條が財産權の不可侵を第一項に規定しておりますけれども、この憲法二十九に、まさに反するところの所有權否認論の思想が、ここに含まれておるのではないかという疑いが、きわめて濃厚であることを、率直に私どもは認めざるを得ないのであります。憲法が二十九條において「財産權は、これを侵してはならない。」という規定をいたしております。民法にいう私權は、もちろんこの財産權のみではありませんけれども、私權の最も重要なものが財産權であるということは、ここにあえて贅言を要するまでもないのであります。公共の福祉という一つの制約があるということは、これは先ほど申しましたように、憲法十二條、十三條等から歸納されることでありまして、私どもはこの點をあえて、排撃せんとするものではないのであります。しかしそれは私權の本質を別に根本的に抹殺するような制約であつてはならぬのであります。公共の福祉ということは、私權行使の上における一つのブレーキである。私權そのものの本質、その内容を根本的に抹殺するようなものであつてはならぬということを、特に強調したいのであります。自由黨がその意味を明確にせんがために、「私權ハ總テ公共ノ福祉ニ反セサル限度ニ於テ存ス」私權の本質をあくまでもここで憲法の全精神から歸納されるところの私權尊重の立場から、民主主義の立場から、これを規定せんとした趣意は、まさにそこに存するのであります。かつて戰時中に公益優先主義という一つの原則が掲げられ、これが立法の上において、また判例の上において支配的なものになつておつたということは、われわれの記憶に新たなところであります。この公益優先主義の名のもとにおいて、いかに軍國主義的な、あるいは極端なる國家思想の上において、個人の財産權その他の私權が制限され、あるいは規定されたと思われるようなものが多々あつたということを、われわれは忘却してはならぬのであります。今後は「公共ノ福祉ノ為メニ存ス」というようなこと、あるいは「公共ノ福祉ニ遵フ」という、公益優先主義の言葉に、若干憲法の用いておるところの用語をすりかえて、そうして同じような内容をもたさんとするならば、われわれは民主主義時代においては、斷じて許すべからざるところの法律思想である、また民法の規定であると、斷固排撃せざるを得ないのであります。
 次に三黨提案の「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という點でありますが、私どもはこれを無用な規定であると先ほど申し上げました。さらにこれを第一條第二項とにらみ合わせまして、さらに強調しておきたいのであります。權利の濫用は職權濫用という公權濫用の領域においては、立法的にも多々解決されたものがあるのであります。しかし私權の範圍内においては、權利の濫用をかく明確にされたものはないのであります。日本においてはなかつたのであります。スイス民法等において、若干これがありますけれども、しかしそれをわれわれはあえて外國法にあるがゆえにこれを受けてまねをすべき必要は毫もないのであります。しかも理論的に、また判例的に、日本において今日まで發展せしめられたところの權利の濫用の理論というものを、われわれが檢討してみますと、これは一定の基準、一定の條件というものが、各場合場合に問題になつて、決定的にこれが理論づけられておるのではないのであります。しかしてその權利の濫用が、しからばどういう場合になるかということに對する一つの規範として多く用いられるものは、それが信義に反する、あるいは誠實の原則に反するときに、初めて權利の濫用があるのだ、こう言われておるのであります。もちろんその他にもあるいは公序良俗に反する場合が權利の濫用であるとか、あるいは忠孝仁義の原則に反するのが權利の濫用であるとか、いろいろその基準は斷片的に補足されてきておるのであります。この三黨提出の修正案第二項の信義誠實の原則に反するというものは、やはりその基準の一つとして認められてきておるのであります。從つて「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という規定ではあるけれども、一體權利の濫用とは何であるかと言えば、すでにこの第二項に含まれておる思想である。私は先ほど憲法において規定したことをここ民法に規定していくことの無用論を唱えましたけれども、ここではこの修正案自體の中に矛盾がある。否無用な議論が第二項、第三項とダブつて行われておる。この點から見ましても、第三項の「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」という規定は、まつたくこれは削除すべきものであると考えるのであります。いたずらに權利の濫用をここに規定することは、かえつて問題を後に殘すだけのものであるということを特に指摘しておきたいのであります。
 それからこれははなはだ小さな問題でありますけれども、「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」ということは、いかにも獨裁的な法律思想の表現のような言葉の上の感じを受けるのであります。憲法も民主主義憲法として、きわめて用語は民主化されております。一々例をここに引合いに出すことは省略いたしますけれども、そういう點から見ましても、この用語も決して正鵠を得たものではないという點を、同時に論じておきたいのであります。
 さて私は以上の理由によりまして、政府の原案竝びに三黨提出の修正案がここにとうてい支持するに足りないというところから、自由黨の修正案を主張したのであります。この修正案についても、きわめて批判の餘地があるということは、私どもみずから認めておるものでありますけれども、以上の二案に比べるならば、民法の使命に反せず、私權の基底を本質的に明らかにするという意味におきまして、「私權ハ總テ公共ノ福祉ニ反セサル限度ニ於テ存ス」という規定が最も妥當である、こう申し上げたいのであります。私權はあくまでも法律の保護する私的利益、私的法益を保護するを内容とするものであります。ただその權利の限界というものを、われわれが一應確定しておかなければならぬという意味から、憲法の精神に則つて、公共の福祉に反せない限度においてという大きなわく、一つの制約をここに附加する、そうして私權の本來のあるべき姿をここに明確にしておくというのが、この自由黨の修正案の根本理由でございます。しかしもちろん公共の福祉のためにさような制約があり、かつ憲法が命じておりまするように、濫用をすべからざるものでありますがゆえに、その權利のあり方、これは先ほど石川委員からも、その趣旨が一言觸れられておつたようでありますけれども、私はそういう意味において、權利の行使及び義務の履行は、信義誠實の原則に從わなければならぬということを、一應うたつておくのも適當であろう、こう考えるがゆえに、この點はあえて政府原案を削除する必要はないという立場において、そのままこれを保持するということにいたしたいのであります。かつてさきの民法が改正されんとしたときに、穂積博士は民法なつて忠孝滅ぶと叫んだことがございます。明治憲法、明治の法律思想においては、まさにそういうことが妥當したかも存じません。新憲法のもとには、基本的人權を擁護する民主主義憲法の立場を、私どもは私法の上にもこれを徹底しなければならぬのであります。政府の原案及び三黨の提案のこの修正案各第一項によるならば、私はさような用語をここに引合いに出して結論するならば、このいき方をもつてしたならば、民法なつて人權滅ぶ。かように極言しても、はばからないと思うのであります。先ほど安田委員竝びに榊原委員から、民法第七百三十三條等に關連する修正案の意見として、これは憲法第二十四條の規定している男女平等の原則に反する。憲法に反する政府の原案であるというための修正だという御説明があつたようであります。私はその修正案の内容については、多少考え方を異にしておるものでありますけれども、とにもかくにも新憲法のもとに、われわれが基本的人權を保障する法律制度を確立していくべき大きな職責を憺わされておるということは、ここに多く言うをまたないのであります。もし婦人と男子の平等という點において、基本的人權を蹂躙するがごとき、同時に第一條によつて、基本的な人權の一つとして重要視せらるべきところの財産權を侵害するということがあつたならば、そこにも憲法違反というものが起らざるを得ないのであります。私どもは、この憲法附屬の大法典をここに改正せんとするにあたりましては、深くそこに思いをいたして、自由黨修正案の第一條第一項が最も妥當なものとして、各位の御贊同を得るに値いするものであるということを斷言いたしまして、私の自由黨に對する贊成の意見を終りたいと思うのであります。
#26
○大島(多)委員 私は國民協同黨を代表いたしまして、民法改正の政府原案に對するわが黨の意見を申し上げます。
 本法案は政府の提案理由にもありましたように、新憲法に規定せられた國民の個人の尊重、法的平等の原則、夫婦同等の權利保有の原則等の畫期的な基本的原則、從來の民法法典中の規定に牴觸する幾多の部面を有しておつたために、必然かつ緊急なるものであつたのであります。本法案が本委員會にその審議を付託せられてすでに三箇月、その間各委員よりの意見の發表にもありました通り、かつまた公聽會において意見の開陳がありましたことく、隨所になお考慮を要する箇所は多々ありと思うのであります。たとえばわが國古來の傳統と幾多の輝かしい歴史を有している家の制度の立法上の廢止もその一例であり、また原則としての均分相續制はかなりとするも、いろいろ特殊なる場合につき相當考慮の餘地を存するものと考えるものであります。しかし大體において政府原案は、新憲法の新らしき精神を生かし、從來の封建的舊弊を民法法典より一掃し、新生日本の新しきいしずえを築きあげるために、重大なる役割を演ずることにおいて、滿足に近きものであると思うものであります。本法案はあくまで應急的改正法案でありまして、政府は近き將來において本格的に再改正の意圖をもつておられるとのことであるが、先ほども述べましたように、なお考慮の餘地を殘しておる部分につき、一應實施後の状況をみて、再考慮の機會があることも考慮して、第一條を除き原案に贊意を表するものであります。
 次に各黨よりの修正案につき意見を申し上げることにいたします。最初に社會黨、民主黨、國民協同黨三黨共同提案にかかる第一條の修正につきましては、わが黨としても、ぜひ何らかの修正をなすべしとの意見が最初からありましたし、かつこの委員會におきましても、第一條の修正はほとんど全委員の要望であつたのであります。三黨協議の結果、修正案に到達した次第でありますが、政府原案が憲法に規定するものよりも行き過ぎの感がありまして、全體主義的な臭味すら感得されたるものに比しまして、中正妥當なる表現なりと考える次第であります。なお權利濫用の禁止の修項を新たに追加修正することになりましたのは、近來ややもすれば自己の權利追求に急にして、他を顧みないような風潮あるに對する警告的、反省的規定でありまして、さほど自由黨の佐瀬君は、憲法に規定してあるからさらに重複する必要はないという御意見なるも、かかることは、私は幾度言い直しても、言い過ぎることはないような氣がいたしまして、これをもつてまことに時宜を得たところの修正なりと考えまして、これを支持するものであります。
 次に自由黨の修正點につきまして申し上げることにいたします。まず第一條についての修正案は、趣旨においてはまつたく共同提案のものと同様でありますが、兩案を比較研究いたしますときに、自由黨案はやや冗漫に失するきらいあり、第一項は寸鐵人を殺すといつたような簡潔なる文を選定するを可とする建前から、共同提案を私ははるかにりつぱなものと思う次第であります。次に繼父母と繼子間に實親子と同様の親子關係を認めようとする修正案は、新憲法におきまして、從來の家の規定を全面的に認めない一貫せる趣旨とも矛盾があり、贊意を表しかねる次第であります。次にその他の修正案につきましては、ここに各個別一々詳論する煩を避けまして、一括して申し上げることにいたします。修正案御御趣旨には、一應ごもつともと思う點が多多あるように思いますが、ことさらにこの際修正の要ありとは考えられないのであります。從つてこれは原案に贊成いたす次第であります。
 次に、安田委員及び榊原委員の前婚解消に關する修正案につきまして、簡單に意見を申し述べることにいたします。女は前婚の解消または取消しの日より六箇月を經過しなければ再婚をなすことができぬとの規定は、女子の生理的差異から來る必然的要請より規定せられたものでありまして、かかる規定をおくことこそ、いたずらなる紛爭の種を未然に防ぐものであり、必ずしも女性の立場を不利にするものではないと思われるのであります。兩委員から御熱心な提案理由の説明がございましたにもかかわらず、遺憾ながら贊意を表しかねる次第であります。その他の榊原委員の修正御意見につきまして、逐一意見を申し上げることは割愛することといたしまして、御理由ある御提案ながら、今ただちに贊意を表することができかねるということを殘念に思うものであるということを申し上げまして、私の討論を終る次第であります。
#27
○松永委員長 岡井委員。
#28
○岡井委員 簡單明瞭に、また黨派を超越いたしまして申し上げます。私は不幸にいたしまして、民法について私見を開陳する機會を失いましたから、私見を申し上げまするが、私の流儀といたしまして、きわめて簡單に申し上げます。悠長にはやりませんから、御安心の上謹聽していただきたいのでございます。
 まず私は、かようなあり方では、議會政治をみずから否認すると思うのです。本審議につきましても、質問戰に長々と日を送つて、收穫を收める段になつて、日が暮れてから收穫を急ぐ、そうして翌朝になつてみたならば、落葉どころか多大なる收穫が殘つておる。かようなやり方を、政治家の殿堂たる議會においてするのは、何ごとであるか。これだからだめだと、私は言いたい。本末を顛倒している。質問戰は短かくして、かような機會を多くしなければならぬじやないかということを、私はまず絶叫したいのです。その證據は、民主黨、社會黨におかれましても、ほとんど修正案というものはお出しになつておらない。今までなぜ質問戰でぐうだらに日を暮したのであるか。今までの質問戰がむだであつたか、あるいはただいま修正案を出さざる態度が間違つておるか、いずれであるか、いずれをおやりになるのでしようか、いずれでもとつてください。
 それから次にはわれわれは公報というものを發行しておつて、日本における第一等の紙を濫費しておる。これは政治家の殿堂たる議會にあるまじき光景である。その公報には、司法委員會は何時からあるということが毎日出ておる。これはむだなことである。かようなむだなことをやるくらいならば、なぜ修正案はいつまでに出せよということを、公報に麗々しく載せないのであるか。これは新聞に出ないのだから、これは政治家の感覺です。これは主義主張の爭いではない。われわれは政治家である。政治家は政治家らしき行動をとらなければならない。むだなことばかり繰返しておる。まず議會においては、電氣の濫費をやつておる。紙の濫費をやつておる。そして氣のきいたことは一つもなさない。かようなことではだめなんだ。これらの點について、安田委員が前置きして述べられた點に、私は共鳴するものであります。以下各條項につきまして簡單に私見を申し上げます。
 まず第一條でございまするが、これは新憲法から出ておるようでございます。第十二條におきまして、「この憲法が國民に保障する自由及び權利は、國民の不斷の努力によつて、これを保持しなければならない。又、國民は、これを濫用してはならないのであつて、常に共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。」それから第十三條「すべて國民は、個人として尊重される、生命、自由及び幸福追求に對する國民の權利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の國政の上で、最大の尊重を必要とする。」第十七條「何人も、公務員の不法行為により、損害を受けたときは、法律の定めるところにより、國又は公共團體に、その賠償を求めることができる。」第二十四條第二項「配偶者の選擇、財産權、相續、住居の選定、離婚竝びに婚姻及び家族に關するその他の事項に關しては、法律は、個人の尊嚴と兩性の本質的平等に立脚して、制定されなければならない。」第二十五條「すべて國民は、健康で文化的な最低限度の生活を營む權利を有する。」第二十九條「財産權は、これを侵してはならない。財産權の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正當な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。」第三十五條「何人も、その住居、書類及び所持品について、侵入、捜索及び押收を受けることのない權利は、第三十三條の場合を除いては、正當な理由に基いて發せられ、且つ捜索する場所及び押収する物を明示する令状がなければ、侵されない。」これらの憲法の規定を總合いたしますと、新憲法は、大々的に私權あるいは私有財産を、大聲疾呼して認めているのでございます。その他の點につきましては、佐瀬議員が今論旨明確に喝破せられた通りでございます。私はこの政府の原案のごとき第一條がどうして生れてきたかということを考えてみまするのに、これは大體憲法第十二條の「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」それから第二十九條の「公共の福祉に適合するように」というこの文句を讀み違えておられるのであると斷言するのでございます。これは私が今讀み上げました憲法の七箇條を總合判斷して解釋するまでもなく、第十二條自體をみましても、第十二條の「公共の福祉のためにこれを利用する責任を負う。」という意味は、公共の福祉を念頭において、公共の福祉に牴觸しないようにという意味であるということは、いやしくも日本人である以上は、國語の解釋によつてわかるはずなのですが、第十二條の文句がまずいために、かような誤解を生んだのではないかと思います。それから第二十九條「財産權の内容は、公共の福祉に適合するように」という、これも公共の福祉に牴觸せざるようにという、言わないでもわかつていることを書いたのでございます。その文句がはなはだ拙劣なるために、政府委員の誤解を招いたのであると思います。政府委員は、法律の專門家であられながら、私はかくのごとき明々白々なる誤解に陷つていると思うのです。法律は一般民衆に示すものである。その一般民衆に示す法律において「私權ハ總テ公共ノ福祉ノ為メニ存ス」とか、あるいは三派御修正のごとく「私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ」、かような文句を麗々しく掲げたならば、法律知識のない、總合判斷力のない民衆が誤解するのは、わかりきつたことなんです。かような明白な理論を、なぜ政治家がわからないかと、私は憤慨するのです。そこで第一條の「私權ハ公共ノ福祉ニ遵フ」、この私權を、私權といえどもとすれば、もう少しよくなつてきます。それからまた「公共ノ福祉ニ遵フ」この「遵フ」という文字は、服從という意味ならばわかりまするが、そのほかにおいてはこれは單なる接續詞にすぎないのです。「遵フ」という文句は、これは法律の體をなしていないと思うのです。私は第一條は結論といたしまして、明々白々なる憲法違反である これはもう何人も斷言して憚らないところである思います。かくのごとき憲法違反を侵すに至つた根源は、憲法の起草をした人の國語の力がはなはだ貧弱なるがために、政府委員の誤解を招いて政府原案を作成し、それを三派が踏襲されたものがある。私はかように斷言するのでございます。
 それから今の三派御提案の第一條第三項「權利ノ濫用ハ之ヲ許サス」これは佐瀬委員が喝破せられましたことく、第一條の第二項信義誠實の原則の一部分でございまして、これはもう言うをまたないわけであります。そこで私は政府の第一條第一項にいたしましても、三派の第一條第一項第三項にいたしましても、かような規定を設けましたならば、第一民法學者に笑われはしないかと思います。また天下の識者の笑いを招くと思います。私がかように申し上げましても、なお政府原案なり、あるいは三派の御提案の第一項第三項を、あくまでも固執せられる勇氣がおありになるであろうかどうかを、私は疑うものであります。これは笑われるにきまつておると思う。またそれよりも憲法違反で、この重大事項をどうせられるのであるかということを、私はあえて反問したいのでございます。個人の自由あるいは個人の幸福ということは、憲法に麗々しくうたつてあります通り、かような思想を養うということをマッカーサー元帥は、占領五十年に及ぶもこれをなお養わしめたいというふうに希望しておられる。かような點から申しましても、この第一條というような規定は、ただちに削除せられるか、あるいはわが黨の第一條の修正案のごとくに從われんことを、私は三派の方々の良心に訴えて、これを絶叫するのです。もしこれを今晩御採用になりませんでしたならば、私はあくまでも絶叫する。かようなめちやくちやな案をお出しになるくらいでありましたならば、憲法改正から先にやつていただきたいと思います。
 それから次に自由黨から出ております第二、繼父母と繼子との間には實親子間と同一の親族關係を生ぜしめる。これは不幸にして母親を失つた家庭に乗りこんでくる後妻は、前の母親の精神を繼いで、不幸なる子のために親になつてやらなければ相ならぬという人類の自然の感情に基いたる規定でありまして、中にはかような規定を設けますと、形式的になつて、これが子に辛くあたる方便に相なるかもしれませんけれども、われわれ法律家といたしましては、實の親子に同じきような關係を生ぜしめることを、まず法律においてうたつて、そして人情の世界においても、これに近づくように努めなければ相ならぬ。これが理想というものであると思います。またさようにしなければ、一家の平和というものは、とうてい維持ができるものではないのです。ただ單に今度來た母親は父の親族であるというような理念をもつてしては、一家の平和を維持することはできぬ。これは少しく想像力をたくましくしたならばすぐわかることなんです。われわれは理想に進みたいと思います。
 第三、これは事實婚尊重の思想に基いたものでございまして、これも私は大贊成でございます。大體なぜただちに屆出をしないかと申しますと、まずまず模様を見てみようという、試驗結婚的な氣分が少しあるのでございます。心理留保をやつているのでございます。ところか金銭だけですむところの區々たる取引の世界におきましても、民法第九十三條におきまして、心理留保は許さないで取引の相手方を保護しております。ただちに屆出をなさないのは、男の方がずるくて、少し心理留保をやつているのでございます。大體は結婚しておるけれども、二、三分の踏み切りがつかないために、屆出をしないのです。これは一生に關係する、一生涯の契約でありまする以上は、やむからぬことでございます。そこでただいま財産上の取引のことを申し上げましたが、結婚におきましては、固い夫婦約束をし、結納も取交わし、そして結婚の式も擧げ、それから終生拭うべからざる汚點となるかもしれないという事實行為をいたしまして、これでもうたくさんなんです。そこで私はかような事實婚がありました場合には、婚姻と同一の效力を認むべきである。これを認めなければ、個人の尊嚴も兩性の平等も畫に描いた餅なんです。最も大事なことであつて、女性はこれがために泣くのでございます。あとで婚姻豫約不履行に基く損害賠償、貞操蹂躙に基く損害賠償がありましても、その傷はとうてい癒えないのでございます。とうてい癒えるべくもない、癒えるはずがないのでございます。そこでまず事實婚というものをなしたるものに責任を負わせるという大義名分を高く掲げて、輕率なる結婚をしようという男性を戒めるところがなければ相なりません。そして屆出をなしたるのと同一、同様なる效果を實際問題として收めるかような方向へ歩まなければ、個人の尊嚴も兩性の平等、殊に女性の保護という點については、この政府御提案のごときものであつては、とうてい實效を收めることはできぬ。もう婚姻豫約不履行の訴えを起すようになつたらおしまいです。こんなことでは婦人の傷はとうてい癒えるものではない。あたかも愛兒が自動車にひかれて、損害賠償の訴えを起して、賠償金をもらつてみたところが、そんなものは何にもならないのです。さようなことをわれわれ政治家としては考えなければならぬと思います。
 それから第八、これは農地に限りませず、被相續人の家業を繼承する者は、家業資産に關して、その家業資産を保有して家業を永遠に傳えていくことができるようにする規定でございまして、これは私がくだくだしく御説明申し上げるまでもなく、どうしてもこういう規定は必要に相なつてくると思います。そうでなければ個々ばらばらになりまして、すべてのものが共倒れになる、こういうことをわれわれは考えなければならぬと思います。
 それから第九、離婚の場合、協議上の離婚の場合におきましては、家事審判所の確認を要する。これももつともなる規定でございまして、この點におきましては、榊原委員の御提案と併せて申し上げたいと思います。榊原委員は、離婚の手續を嚴格にしなければならぬ、それをいい加減に濟ますような原案には反對するという御趣旨でございまして、もつともなる御提案と思います。わが黨のこの第九は、それにさらに百尺竿頭一歩を進めたものでございまして、これも榊原委員も出されておる社會黨におきましては、少くともわが黨の第九には贊成せざるを得ないと思います。世の中におきまして、一番確かで過ちのないのは口頭の約束でございまして、最も警戒を要するのは形式行為であります。名前を書いて判が押してある。これはあるいは統計をとりましたならば、うその方が多いかも知れません。われわれが保險契約を結ぶ場合におきましても、麗々しき活版刷りの細かい契約條項は、知識階級といえども、ほとんど讀む人がないだろうと思います。名前を書いて判を押す。これは最も警戒を要する行為なんです。最もうそが多いのです。その場合にそのわずかなる形式、それも簡略にせられたならば、うその離婚が多くなつてくるという榊原委員の御懸念は、もつともなんでございます。しかしそれだけでは防ぐことができないのであつて、どうしてもこれは家事審判所の審判に基かなければ、殊に女性の保護はできません。個人の尊嚴兩性の本質的平等の見地から、私はこの家事審判所に協議離婚の確認を求めるということが、きわめてきわめて必要である。そうしなければ協議上の離婚ができたと稱して、婦人が何らの救濟を求められない。婦人の權利に非常なる侵蝕をこうむる。これは明々白々なる事實でございます。
 それから第十の、遺言を家事審判所においてなす。これもかような規定がございませんでしたならば、われわれ法律家といえども、政府原案にあるがごとき遺言の形式を整えるということは、なかなかむずかしいのでございまして、この第十の提案は、私は實際上の世の中を見まして、これはぜひとも必要な規定であると思います。
 それから次に榊原委員御提案の扶養義務の削除、これは私は扶養の義務は規定してもよろしい、また規定しなくともよろしいと思います。ただ私はこの一點だけ申し上げます。新民法をながめますと、あまりに若い夫婦生活に重點をおき過ぎておるのです。またただいまの新聞雑誌の論調を見ましても、世の中は若い夫婦以外には何ものもないという論調なり思想に相なつております。ところがわれわれはもうどうしてもこうしてもお互いに年をとるのです。その場合にアメリカのごとくに、子供と別居して最後は看護婦にみとられるというような餘裕はないはずなのです。いたずらにこの狭い國土で家屋を建築する、看護婦を雇うて最後を見てもらうというような餘裕はないはずなのです。さような點もにらみ合わせなければ相ならぬ。かような意味において、私は、この扶養の義務は全部削除してもよろしいが、ただ子が親に對する孝養の義務だけは、もし時間の餘裕がありましたならば、何とかしてきわだつて規定していただきたいと思うのです。ただ千篇一律に兄弟とかあるいは三等親内の親族とかいうような、日本中探しまわりましても適用を受けるかどうかもわからないような空文めたいことと一緒に、子が親に對する至高の孝養の義務というものをまぜてしまつて、何が何だかわからない色彩をぼかしてしまうということは、立法技術としても實際上の論としても、はなはだとらざるところであると思います。まだ申し落しがあるかもしれませんが、私の申し上げるところは以上でございます。
 私がただいま申し上げましたごとくに、今まで長々と三箇月も四箇月も費して、最後のどたんばになつて、收穫をしなければならぬときになつて、一分一秒を爭つて、そうして贊成すべきものを贊成しないでおつたりして、早急にこれを通すようなことになりましては、われわれは國民に對して何とも申譯がないと思うのです。私はさような點は突切るというお覺悟のもとで、諸君はこの審議をやつておられるのではないかと思います。たださえ議會は形式の府に堕しております。われわれ政治家はこれを打破しなければいかぬと思います。私は三派の御提案でも贊成すべきところは進んで贊成いたします。わが黨の惡いところは遠慮なく申します。わが黨におきましても、私も個人の提案がございましたけれども、時間が急ぎました關係と、政黨の幹部というものの弊害等によりまして提案を引つこめましたが、かようなことで國民に對して申譯があるかということを、私は絶叫したいのでございます。最後において一分一秒を爭いましたために、杜撰なる審議に終りましたならば、國民に對して申譯がないと思います。さようなことを申し上げまして、私の意見開陳を終ります。
#29
○中村(又)委員 討論につきまして簡單に一言追加をいたしておきたいと思います。それは私の討論は、社會黨、民主黨、國協黨の三黨提案の八並氏説明の第一修正案一つが議題に供せられておるという考えのもとに意見を述べたわけでありまして、そこで、他の、第二、自由黨よりの修正案、第三、安田氏よりの修正提案、第四、榊原氏より提案されておるところの修正案、これにつきまして、ごく簡單に一言だけ申し上げまして、この三案に對して反對の態度を明らかにいたしておきたいと存じます。
 第二條の、自由黨より提案されておりまする修正案は、よく説明を聽いて見ますれば、理由において傾聽に値する點は多分にあるのであります。殊にまた人情論より見る場合におきまして、非常に心を動かされる點が多々あるのであります。しかしながら、嚴格なる法律論としてこの場合考えてみますと、たとえば七百二十七條の二の問題のごとき、「繼父母と繼子との間に於ては、親子間に於けると同一の親族關係を生じ、その親族關係は、離婚によつて終了する。」これはあらゆる機會において非常な論議となつたる大きな問題であるに違いないのであります。しかしこの原案は、いろいろな經過を經ました上に、現行民法の規定にありまする血統の犠牲を排斥いたしたものだろうと考えます。この民主主義憲法改正の現在におきましては、一應この建前における原案が支持されることが適正でなかろうかと存ずるのであります。
 さらに七百三十九條の婚姻の規定でありますが、舊民法のごとく、原案は形式婚主義をとつておるのであります。これは自由黨の提案者が説明せられましたるがごとく、事實婚主義の正しいという議論も、これは非常な勢いをもつて今日まで論ぜられておる點であるのでありまして、形式婚主義をとるか事實婚主義をとるかということは、これは大きな問題でありまして、將來近き機會に民法の改正の問題として、大きく殘る問題だろうと考えるのであります。しかしながら、ここで注意しなければならぬのは、自由黨の修正案の中に「慣習に從つた當事者の合意によつて成立する。但し戸籍法の定めるところにより、屆出をすれば合意の時に遡つて效力を生ずる。」こういうことでありますが、この點を形式主義によつて簡單に片づけておるのでありますが、一應この問題は、效力の發生によつて遺産相續の順位及びその關係人に對しまして、重大なる關係をもつのでございまして、事實上の婚姻としますれば、二人の間はなるほど合意によつて成立をいたしておりましようけれども、第三者あるいはこれを深く掘り下げてみますと、今後の遺産相續は兄弟にも及ぶのである。妻にも及ぶのである。舊來のごとく長子だけが相續するのであるというような建前とは、根本において違いまして、その及ぼす影響というものが非常に重大なことでありますから、二人の場合だけでは、事實婚によつて二人が合意した場合は、それで婚姻はできておるのでありましよう。しかしながら、第三者、いわゆる相續問題などを中心として考える場合、その影響の重大なることを、再び私どもは吟味する必要があるのであります。そこで將來に研究を殘すといたしまして、まず原案によつてこの場合は支持することが適正なりと存じておるのであります。
 さらにこの九百八十七條の問題につきまして、修正意見が出ておりますが、御説明の中にありましたがごとく、この家の問題といい、墳墓の問題といい、昨年以來あらゆる機會において重大なる發言として論議が交わされておる問題であるのであります。そこでこれも將來大きな課題として殘らなければならぬ性質のものであると考えます。しかしこの場合は速急に新憲法の線に沿うて、民法の改正を急ぐ必要もありますから、原案を支持することが適正であろうと存じております。
 それから榊原委員竝びに安田委員から御提案になつておる民法原案七百三十三條を削除するというこの點を一括して、ごく簡單に反對の理由を申し上げておきたいと存じます。簡單に申し上げますと、いかに世の中が民主主義になりましても、婦人には血統の純潔を守る義務があることを、私は絶叫いたすのであります。御説明の中にありまして、安田さんのお言葉の中に、墓標に對する感情的な御議論なども、實に傾聽すべきお話であつたのであります。さらにこの前夫の血統の不明を追求するというような問題は不可であるというようなお言葉であつたのでありますけれども、これまたさきにも申しましたように、この血統の問題自體というものは、遺産相續の關係などに對しましても、重大なる問題を殘すのであります。ただ夫とその妻とがわかれ、そうしてそれがわかれた結果次の夫に婚姻をするという、その經過の上におきまして、前夫との間におきましする胎兒の問題を一つ取上げて見ましても、わかれた夫とその妻はそれでよいわけでありましようけれども、もしそこへ懐妊をしておつたという一つの事實を想像してみますと、すでにその胎兒は遺産相續の分配權、その他の法律上の力の上におきまして、民法はどこまでもその權利を保障いたしておるのであります。こういう面から考えましても、子の權利も擁護しなければならぬし、和解だからといつて、その夫からわかれたからといつて、翌日は次の夫に身を委ねるというような點なでおも、それは人權の男女平等の上から考えて自由でなければならぬという御主張もありましようけれども、生み出てくるところのその胎兒のことも、重大に考えなければならぬ事柄であるのでございます。こういういろいろな點などから考えまして、この原案がやはり舊來の民法の趣旨をそのまま繼承しておるような姿ではありますけれども、六箇月間の期間を殘しまして、婦人に對するところのりつぱなるこの血統の純潔を守るという最高の道徳を求めておるということは、これは當然のことではなかろうかと存ずるのであります。私はかくのごとくして、せつかくながら御提案の修正案に反對をいたしまして、原案の正しいことを考えまして、以上三案に對するところの反對の趣旨を述べておきたいと存じます。
#30
○山口(好)委員 時間も大分經過いたしましたので、簡單に最後に自由黨を代表いたしまして、しかしながら考え方はできるだけ政黨を拔きにいたしまして、公平な立場から、この大事な民法の改正を論じてみたいと思うのであります。
 大體自由黨といたしましての態度を表明いたしますれば、その自由黨より提出の第一條以下の修正案、これに贊成をいたすことはもちろんであります。さらに榊原千代委員の提出になります修正案の中で、第七百六十五條第二項を削るというこの修正には贊成をいたすことを、ここに表明する次第であります。今まで長らく實施されておりましたる民法にわかれを告げて、ここに新しく改正民法を迎えることに相なつたのであります。この實に記念すべき最後の委員會でありまして、天下の人々もこの民法の改正につきましては、非常な關心をもつて凝視いたしておるのであります。これにつきまして、われわれは近き將來に修正を行うのであるからいいというような、そういう輕率な考えをもつてこれを審議しては相ならないのであります。やはりどこまでもこの日本の現状を十分に檢討しまして、そうしてしかも民主主義の線に沿うて、このよき日本の風俗習慣、これも殘し、そして平地に波亂を起すようなことなしに、眞に民主主義に向つて前進し、進歩し得るところの、そういう法律をつくらなければならないのであります。その意味において檢討をいたしますれば、われわれはすでに經過しました戰時中において、國家という觀念がともすればさきに立ちまして、私權は忘れがちであつたのであります。その苦難をわれわれは經てきておるのであります。それを再び繰返すような條文をおくことは相ならない。どうしてもわれわれは新法を望みますけれども、ただいたずらにイデオロギーにとらわれて、あるいは文字の上に拘泥をいたしまして、それに引ずられて過ちを侵すというようなことでは相ならぬのでありまして、やはり日本には日本の國情があり、國民性があり、また風土文化もあるのでありまして、これに即して、水の流れにたとえますれば、やはり民主主義の流れを流す場合に、山もある、谷もあり、いろいろな凹凸もありまするので、そのままにこれを流すことはできない。やはり現地に即した流れを研究いたさなければならないのであります。第一條のごときも、そういう角度から見まして、やはり左に偏したような、いわゆる横の道徳と申しましようか、これにのみこだわりましたような條文を設けましたならば、悔いを殘すことになると思うのであります。その意味において、政府の原案は、まことにその國家という觀念、あるいは公共福祉という觀念を先に立てまして、私權をそのあとに付隨せしめる、こういう感が強いのであります。あるいは再び戰時中のごとき全體主義的な弊害を生じない限りもないと思うのであります。裁判所の解釋におきましても、また一般の解釋においても、さようなことに相なつては、非常な危險があるのであります。眞の民主主義というものは、やはり各自が自己の私權を尊重する、自分の私權を尊重してもらいたいというためには、從つて他人の私權を尊重していくということになつていくのが當然であります。そうした眞に自分の私權を尊重していくというところから出發した公共の福祉ということに相ならなければならないと思います。これは牧野博士などが、よく政治というものは、社會の利益と個人の利益の調和にあるというようなことを申しているのも、そこにあると思います。さらに親族、相續問題につきましては、その權威者でありまする穂積重遠博士なども、日本の家族制度の中にも非常によいものがある。この完成したところの縦の道徳に加えて、その弊害を除去して、横の道徳を加えて、その交叉點をもつて將來の民法は改正をいたさなければならないということを指摘いたしております。そういう面から見まして、また實際の實情、さらにわれわれ最もその責任の地位にあつて感じなければならない國民の聲を聽き、國民の實情を深く觀察するという立場から申しまして、われわれはもつともつと、この民法の改正については檢討をいたさなければならないように思うのであります。ここに古き民法、殊にその親族、相續編にわかれを告げまするときに、私たちはなんとなく後髪を引かれるような思いがいたすのであります。それは決して今までの封建主義を追うというようなことでなしに、やはりわれわれに存在するところの家族主義、祖先以來ここに續けられたるところの家族主義の美點が必ず存するのであります。これについて改正民法のこの審議は、十分なる檢討がなされておるかどうかということに深く思いをいたしますれば、なお十分咀嚼し研究しきれないところがある。近き將來において、じつくりと改正をいたさなければならないというようなことが殘されております。そのために、われわれはここになお十分なものでないことを痛感いたすのだと思うのであります。かかる意味合いにおきまして、第一條の修正は、よろしく左に偏せず右に偏らざるところの解釋竝びに實情に即しまして、日本自由黨から出ておりまする「公共ノ福祉ニ反セサル限度ニ於テ」となすのが、最も私は妥當であると思うのであります。何とぞこの點につきましては、政黨政派を超越して、この改正民法を社會に送り出され、また世界の人々の前に出されましたときに、なるほどと納得のいくところの體裁と内容とをもつていなければならない。先ほど佐瀬委員からるる説明がありましたが、どうも用語の點におきましても、また内容表現の點におきましても、三派共同の提案になりまする修正は、これはとるべきものではないと思います。何とぞ第一條、殊に大事な第一條でありまするから、十分皆さん胸にお聽きくださいまして、この「公共ノ福祉ニ反セサル限度ニ於テ」ということに、御賛成を願いたいのであります。そのほか繼親子關係を實親子の關係におくというこの修正でありますが、これもいろいろ議論がございましようけれども、日本の實情といたしましては、やはり家族制度の實際の必要から、何もこういう條項を設けなくても、それは實際に親子關係のような考え方でいけばよいと言われるかもしれませんが、やはりこうした條文をおくことによりまして、そういつた親子の關係を生ぜしめることに相なる。もしこれをおかなかつたならば、かえつてまたそこに弊害を生じまして、龜裂を生ずることに相なるという立場から、ぜひこれを贊成を願いたいのであります。それから事實婚の點につきましても、これは穂積博士などはつとに提唱をいたしております。今度の改正民法におきましても、もとより事實婚を否定するというような意味でこの條文ができておるのではないと思いますが、その事實婚を事實のままに認めていくということは、男女の平等の立場から申しまして、女子を保護するという面から、ぜひこうなければならない。またその他の實際の取扱いからも、もしこうしておかなければ、弊害も出てまいります。先ほど中村委員が申されましたが、中村委員などは、つとにこれについて申されておるのであります。ほんとうは贊成なわけであります。ぜひ皆さんの御一考を煩わして贊成を願いたいのであります。さらにわれわれが忠實にこの國民の聲を聽きましたときに、先ほど明禮君から説明されました系譜あるいは墳墓などの所有権をだれに歸屬させるかという問題、それから親を扶養する者を指定するというような問題でありますが、これは農村などでは、非常に關心をもつております。實際農村の家庭におきましては、相當封建的なところがあります。しかしながら、その封建的な惡いところは除かなければならないかもしれませんが、ここは非常に重大關心をもつておるのであります。もう農村の親などは、この民法が改正されて、ほんとうに自分の家の跡を繼ぐ者が定まらないというようなことになつたならば、自分たちはどうなるか、自分の家はどうなつていくかということを、非常に案じて暗憺たるものがあるのであります。何も民主主義といえども、家の存置、あるいは家督相續制度、そういう名前はよろしくないかもしれませんが、家を立てて守つていくという人をはつきりときめるような制度はできないものであろうか、これだけは殘せないものであろうかと、非常に案じでおるのであります。さらにアメリカ人なども、日本の家族制度の美點をみて、こうした家を守つて一人の人が立てていく。そうしてそこにまた親子團欒いたしまして、親も安んじて老後を養われていく、この制度の美點を認めております。アメリカから参りました人々が、終戰後におきまして、日本に浮浪者が少い。さぞかし日本に行つたならば、そこらに浮浪者がうようよしておるだろうと思つてきたところが割合に少い。これはどういうわけであるか。やはり日本は家族制度で、おのおの自分の家がある、あるいは親戚がある、そこに頼つていつてみんな養われておるという話を聽いて、なるほどと感心いたしておるのであります。その實情、家族制度の家の存置せらるべき存在理由、これを深くわれわれは檢討いたさなければならぬ。そこに深く思いをいたしてできたのが、この修正案であります。明禮君がつとにこの點を研究されまして、人情を十分に檢討し、この點は殘さなければ民法を改正してかえつて改惡されるというのでは相ならないというので、みつちりこれを檢討して、民主主義の線に沿いまして、この修正案を出されたのであります。どうぞそういう意味で、民衆の聲を聽き、實情を檢討し、われわれとしては實際にできないようなことを行つて、平地に波瀾を起すような、日本の進歩を妨げるようなこの點についても、原案をさらに改めて、かように修正をしていただきたいのであります。この點につきましては、現在農地法が施行されておりまして、皆さんも十分檢討されておると思いますが、あの農地法等も非常に進んだ法律かもしれませんが、實際に行つてみまして、かえつて平地に波瀾を起し、行き過ぎており、なかなかに實行は困難である。これほどまでにいかなくてもという切實な實驗をわれわれはなめております。そうしてこういう弊害が生じ、こういう爭いが起きているということを如實に、われわれは見ておるのであります。またわれわれは大體において辯護士でありますから、すでに經験しておられると思いますが、この民法の改正をねらいまして、兄弟の間に財産の分割についての爭いが非常に起きております。われわれのところへしよつちゆうその相談があるのであります。兄弟牆に鬩ぐといいましようか、そうした肉親の間にかえつて爭いを起させるという面も多いのであります。それがゆえにこそ、政府におきましては、農業資産の問題については、これをなるべく分割しないで傳えていこうという案も立てられたことと存ずるのでありますが、さらに商業資産につき、工業資産につきましても、民法がもしこのままで通るということでありましたならば、ぜひともそういう修正的な特別法が檢討されなければならない。どうしてもそうなつてくるのであります。ここにそうならないで濟むように、この根本法である民法を、その線に沿いまして、すなわち日本の實情に即し、そのよきをとつて民主主義の線に沿うて、なおかつ存置し得るところの淳風美俗はこれを殘して、規定に收めるというその意味において、この自由黨の修正案も提出いたされている次第であります。
 われわれの思想といたしましては、學者が申しておりますが、一つのテーゼができて、さらに進歩してこれに對するアンチ・テーゼが生ずる。しかしさらにその時代も過ぎれば、ここに兩方を折衷したところのジン・テーゼが生ずる。かくしてわれわれの思想、あるいは法律上の思想が進歩していくのである。こういうことを申しております。われわれは決して過去の全體主義というようなことにとらわれてはならないし、またここでとらわれておるわけではないでありましよう。しかしある一つのことを強調するあまりに、實際の國民の實情をおおわしめ、それによつて、むりな、いたずらにわれわれが進歩的であると考えるような、そういう考えのもとに法を規定いたしまして、それがためにかえつて平地に波瀾を起しまして、國民を幸福に導き、一段と進歩させるようなことを目指しながら、結果はかえつて逆行いたすというようなこともあるのでありまして、ここに思いをいたして提出いたされたのが、自由黨の修正案であります。これについては十分なる檢討と時間とを借りて、諸君の御賛成を得たいというのが、われわれの趣旨であつたのであります。今晩もそのゆえに少しく二、三日の考慮の時期を延ばして、そして皆さんのより以上の檢討と咀嚼を願いまして、これを通していただきたいという考えであつたのでありますが、そこに至らずして今晩採澤ということに相なつたわけであります。またこれに對しましては、皆さんにおかれましても、後日近き將來において修正がなされなければならないということをお認めになつて、その附帶決議も出たわけであります。自由黨としては、どこまでもこれは檢討して、そして國民の前に眞のよき改正案を送り出したいということにおいて、皆さんと同様の熱意をもつておるのであります。ぜひともこれはじつくりと檢討をいたしたいと考えておつたのでありますが、ここに採決になりましたので、この附帶決議をかかる事情のもとに、やむを得ず贊成いたしたいと考えておる次第であります。卑近な例でありますが、河を越すというような場合に、もしその河を飛び越せば結構でありますが、國情がそこに至つておらない場合に、にわかに進歩的な法律をつくつて、これを飛び越させるということになりましたならば、かえつて河中に落ちて溺れるような結論に相なる次第であります。何とぞそこに思いをいたされまして、自由黨のこの實情に即し、從來の淳風美俗をとつて、しかも民主主義の線に沿うていきたいという修正案に御贊同願いたい。
 さらに榊原千代君の七百六十五條の第二項を削るという點も、先ほど他の委員からも御説明がありましたので、これは自由黨としては贊成であります。安田委員の提案になりました七百三十三條の削除の問題は、中村君とほぼ同様の理由によりまして、いま少しく檢討を試みてみたいと思います。かえつてこれは母性を尊重することにもなるというふうにも考えられるのであります。その意味で七百三十三條を削除する修正案には、いましばらく檢討を加えなければならないと考えますので、この際に反對をいたす次第であります。
 以上、簡單ではございますが、自由黨としての贊成竝びにその理由を御説明いたしました。
#31
○榊原(千)委員 初めに、先ほどちよつと私の説明の言葉が足らなかつたために、岡井委員に誤解されたようなところがございますので、ちよつと辯明しておきます。私は協議上の離婚につきましては、原案の方がよいと思うのです。家事審判所の確認を得るようなことは、自主的に振舞おうとしておる將來の國民の、必ずしも滿足することではないと思います。
 それから繼親子の問題につきましては、鍛冶委員の御提案に對して理解をもつことはできるのでありますけれども、私としては贊成し得ないのであります。と申しますのは、從來の日本人一般の考え方、生活態度というものは、きわめて非科學的、神話的で、事實に立脚していないという民族的な大きな缺陷をもつておるのであります。そしてこれまでの法律上の繼親子關係というものは、この弱點を現わしておると考えるのであります。親子ならざるものを親子のごとく擬制しているところに無理がございます。そこに多くの苦しみや悲劇が起つてきたのだと思うのであります。ほんとうの親子だと偽わられて育てられた子が、大きくなつて實は繼親子であつたということを知つたときに、世の中がまつくらになつて、人生觀が變つて、放蕩に走つたというような例も聞いております。ほんとうの親子のごとくよそおわなければ、親子間の人情が起らないというものではないと思うのであります。もう四、五歳にもなれば、後から來た親であるということは當然知つておりますので、いなくなつた、あるいは死んだ父または母に代つて、第二の父または母が來てくれたということをありのままに知り、知らせるということは、かえつて子供の教育上もよく、素直な正直なよい環境を提供するものだと思うのであります。おのずから眞の親子と違うようなところはあるに違いないし、そうした隙も、かえつて許し合うこともできますし、お互いの心づかいや努力で思いやることができれば、かえつて感謝の念も深まるものだと思うのであります。殊に親子關係がよくなつている場合はまだよいのでありますが、その關係が圓滿にいつていない場合は、その弊害は法律によつて斷ち切りがたくつながれていますときには、眞に悲しむべき不幸をもたらすものだと思うのであります。修正論者は、養子でさえもその間に親子關係を認めるではないかと言われるかもしれませんが、新民法による養子制度は、自由意思による民主主義的な精神が尊重されておるところがあるのでありますが、繼親子關係は、夫婦關係によつてあらわれる偶然な場合が多く、それが必然的に親子關係に結ばれなければならないというところに、家庭生活と親子關係に不自然な無理を結果するものだと思うので、贊成することができないのであります。
 それからさらに鍛冶委員御提出の事實婚の問題、これは重大な問題でありますけれども、今後はおそらく事實婚の問題は、從來のように重大ではなくなるのではないかと私は推定いたします。なぜかと申しますと、今までは家による結婚などを強いられる場合が多く、從つて親の許可を得ることができない、合法的な結婚ができない場合が多かつたのでありますけれども、今後は結婚は兩性の合意のみによつて成立するということが規定されておりますし、また憲法によつて、國民はすべて平等な最小限度の教育を受けることもできるのでありますから、殊に私は後に提案しようと思つていたのでありますけれども、この司法委員會の總意をもつて文教委員會に、新制中學の社會科の教科書の中に、この民法を挿入してもろうことを申し入れたいということについて御相談したいと思つたのでありますけれども、むしろこれは教養を高めることによつて、社會的である結婚が、社會的なように公然とした手續を經る方に向う方がほんとうではないかと思いますので、この御提案には殘念ながら反對の意見を表明したいと思います。
#32
○鍛冶委員 三派共同でなされた附帶決議に對しては反對であります。というのは現在のここに出ております改正案に對して改正の要があるというのならば、今ただちに改正しなければならないと思います。さようなことは一日といえども、待つておれない重大問題がたくさんあります。從いまして、われわれは不肖ではありますけれども、ここに改正案を出しております以上、これがすべていかぬのだというならどうかしらんが、その改正案を檢討しないで、あとで改正すればいいということは、われわれはどうしても贊成できかねる。これはまことに議會における審議を輕視するものであると思いますから、改正すべきものはよろしく今日改正してもらいたい。從つて修正案として出ておりますものを檢討の上で、なおこれでも足らぬというならば、それはそれに贊成いたします。今の段階において、速やかに贊成せよと言われることには、われわれは反對いたします。
#33
○松永委員長 これで本案に對する討論は終局いたしました。
 それではこれより採決いたします。
 安田幹太君提案の修正案は、榊原千代君提案の修正案の中にも同じように含まれておりますので、すなわちまず安田幹太君提案の修正案について採決し、次に榊原千代君提案の修正案の中、第七百六十五條第二項を削る修正點について採決し、次にその他の共通ならざる部分について採決いたします。
 まず安田幹太君提案のごとく修正するに贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#34
○松永委員長 起立少數、よつてこの修正案は少數で否決せられました。
 次に榊原君提案の修正案のうち、ただいま否決せられました安田君の修正案と共通ならざる部分のうち、第七百六十五條第二項を削る修正點については、提案のごとく修正するに贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#35
○松永委員長 起立少數、よつてこの修正點について、榊原君の修正案は否決せられました。
 次にその他の共通ならざる部分については、榊原君の提案に贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#36
○松永委員長 起立少數、よつてこの修正案は少數で否決せられました。
 次に自由黨案について採決いたします。自由黨提案の修正案のごとく修正するに贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#37
○松永委員長 起立少數、よつて自由黨提案の修正案は少數否決せられました。
 次に社會、民主、國協三黨の共同提案になる第一條に對する修正案について採決いたします。提案のごとく修正するに贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#38
○松永委員長 起立多數、よつて多數をもつて共同提案のごとく修正するに決しました。
 次にただいま修正に決しました第一條を除いて、他の部分については原案に贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#39
○松永委員長 起立多數、よつて修正に決しました部分を除いては多數をもつて原案の通り決しました。
 次に附帶決議に對する自由黨委員の意見の發表を許します。
#40
○明禮委員 私どもは民法、なかんずく國民の福祉に關する法律を、この際できる限り改正いしたいのが念頭であります。しかしながら、本日の情勢によりましては、ただちに改正に向うことがむずかしい實情にありまするので、私ども現在ここに通過いたしましたる原案、あるいは修正案に對しては、滿足の意を表し得ないものであります。從つて私どもはこれが近き將來において根本的の日本の國情に、あるいは日本の家庭生活に、あるいは親子の情に、最も適合するような法律案をつくりたいことを、切なる希望をもつものであります。ここに附帶決議を提出されました問題に對して滿腔の意を表して贊成をする次第であります。
#41
○松永委員長 それでは社會、民主、國民協同黨の三黨の提案になる附帶決議について採決いたします。この附帶決議を付するに贊成の諸君の御起立を願います。
    〔贊成者起立〕
#42
○松永委員長 起立總員。よつてこの附帶決議は全會一致これを付するに決しました。
 なお本案に對する委員會報告書の作成方は、委員長及び理事に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#43
○松永委員長 御異議がなければそのようにいたします。本日は遅くまで御苦労さまでした。
 本日はこれにて散會いたします。次會は追つて公報をもつてお知らせいたします。
   午後九時二十八分散會
ソース: 国立国会図書館
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