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1958/10/23 第30回国会 参議院 参議院会議録情報 第030回国会 文教委員会 第5号
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1958/10/23 第30回国会 参議院

参議院会議録情報 第030回国会 文教委員会 第5号

#1
第030回国会 文教委員会 第5号
昭和三十三年十月二十三日(木曜日)
   午前十時三十五分開会
  ―――――――――――――
  委員の異動
十月二十二日委員林屋亀次郎君辞任に
つき、その補欠として大谷贇雄君を議
長において指名した。
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     竹中 勝男君
   理事
           後藤 義隆君
           中野 文門君
           松永 忠二君
   委員
           大谷 贇雄君
          大野木秀次郎君
           川口爲之助君
           川村 松助君
           剱木 亨弘君
           近藤 鶴代君
           吉江 勝保君
           高田なほ子君
           湯山  勇君
           吉田 法晴君
           加賀山之雄君
  政府委員
   文部省社会教育
   局長      福田  繁君
  事務局側
   常任委員会専門
   員       工楽 英司君
  参考人
   社会教育審議会
   副会長     西崎  恵君
   日本青年団協議
   会副会長    真野 昭一君
   日本青年館常務
   理事      坂田 修一君
   一橋大学教授  田上 穰治君
   お茶の水女子大
   学教授     吉田  昇君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した案件
○社会教育法等の一部を改正する法律
 案(内閣提出)
○連合審査会開会の件
  ―――――――――――――
#2
○委員長(竹中勝男君) それでは、これより文教委員会を開会いたします。
 委員の異動がありましたから報告いたします。
 昨日、林屋亀次郎君が辞任され、その補欠として大谷贇雄君が選任されました。
  ―――――――――――――
#3
○委員長(竹中勝男君) 本日は、社会教育法等の一部を改正する法律案について参考人の方々から御意見を伺うわけでありますが、参考人の方々には御多用中のところ、本委員会のために御出席いただき、まことにありがとうございました。本委員会としましては、本日の御意見を参考にして、十分本法案の審議を尽したいと存じております。それぞれ御専門の角度から十分に御意見を拝聴いたしたいと存じます。
 それではまず、社会教育審議会副会長をしておられます西崎恵参考人から御意見を伺うことといたします。
 それから、各参考人の各位には、発言時間は大体二十分前後にお願いいたしたいと存じ、また、五人の参考人の方々が御意見をお述べになりました後に御質疑を申し上げたいと存じます。
#4
○参考人(西崎恵君) 本日は、参議院からお招きいただきまして、社会教育法等の一部を改正する法律案の意見を徴せられますことを非常に光栄に存じます。
 御承知のように、戦前は社会教育に関する立法的な根拠がなかったわけでございまして、われわれ社会教育関係者といたしましては、何とかして立法の根拠を社会教育に持ちたいという念願をいたしておったのでありますが、それが達せられなかったのであります。それが終戦後になりまして、社会教育法という法律の根拠ができましたことをわれわれは非常に力強く考えて喜んで迎えたのであります。しかしながら、法律が公布されました日から、それを見ましてかなりの失望を感じたのであります。と申しますのは、この法律が非常に力が弱い、特に政府からいろいろ義務的に支出するようなことも考えておられませんし、全般的に見まして非常に力が弱いということを感じたのでありまして、社会教育法をぜひ改正してもらいたいという意見は、極端にいいますというと、社会教育法が公布された日から起ったといっても差しつかえないと思うのです。
 それから約十年たちましたが、その十年間の間には、社会教育に関係の集まりのたびごとに、この改正の意見が各方面から出ておったのであります。それぞれ皆立場も異なりますし、社会教育と申しましても内容が千差万別でございますので、その改正の意見はまちまちでございましたけれども、大体私が考えましたところは、共通点が四つぐらいおもなものがあったと思うのであります。その一つは、社会教育主事というものと、公民館の主事というものに関してでありますが、社会教育主事というものを必置制にしなければ、経費多端の折柄、どの府県も市町村も進んで社会教育主事を置くというような措置はとらない、これでは何もならないので、ぜひ社会教育主事を必置制にしてもらいたい。それから、公民館というものが非常にクローズ・アップされて参ったのでありますが、この公民館の主事というものが置かれるようになりましたけれども、これは私生子でありまして、法的な根拠を持っておりませんので、この公民館の主事に対して法的な根拠を与えて、しかもこれを必置制にしてもらいたいというような意見なのであります。われわれの意見といたしましては、どうも国は社会教育に対して少し無関心であり過ぎるんじゃないか、また、経費の面も社会教育に対して使わないのじゃないか、たとえば国立大学等の生徒、学生一人当りの経費を計上してみましても、算用してみましても相当な額に上るのでありますが、社会教育の方面ではちっとも青年教育というものに対して金を使っていない、義務教育を終えまして、上の学校に進むものと進まないものとは大体半々くらいであると思いますが、その半分の大衆青年に対して、少しも金を使わないじゃないか、そんなことじゃしようがないので、ぜひ社会教育というものは、いろいろの事業に金を使うと同時に、こういう指導者の面につきましても、義務教育に準じて経費をどんどん支出すべきである。従って、財的の措置を講じまして、社会教育主事なり公民館主事なりというものの必置をぜひやってもらいたいというような意見が一つあると考えるのであります。
 それからもう一つは、これはまだあとで申し上げたいと思いますが、十三条の削除の問題であります。これは戦前はわずかでありましたけれども、政府から補助金が出まして、その補助金をもとにいたしまして、これが呼び水となりまして、民間からの寄付金等も集まって、社会教育団体というものは活動の基礎を固めて参ったのであります。妙なものでありまして、政府が補助を少しでもするということが、非常に民間にはいろいろ影響を与えまして、政府も補助しているのであるから、われわれも一つ援助しようというような考え方が、その当時非常に多かったのでありまして、それを十三条に補助してはならぬというふうにはっきりしてしまわれましたことは、これはもう悪法であって、それが進駐軍の意図でありましたにしましても、これだけは一つ早く削除してもらいたいというふうな意見が一つであったと思うのであります。
 もう一つは、公民館のことを相当書いてございますけれども、公民館というてもピンからキリまでありまして、標準というものが一つもわからない。木賃宿みたいなものが公民館といわれているところもありますし、また、りっぱな公民館があるところもあるので、やはり最低基準というようなものは作ってもらわないと、公民館の発達に害があるというような意見が出たのも大きな共通点であると思うのであります。
 それからもう一つは、社会教育委員制度ができまして、各府県市町村に社会教育委員ができましたが、これはそれぞれ社会教育の第一線に立って活躍しておられるようなお方々が大部分任命されておるのであります。ところが、この社会教育委員になったとたんに、社会教育委員といたしましては、何ら指導活動の余地がないのでありまして、ただ単に教育委員会に助言するにとどまる、裏を返せばこれはみな第一線の人々でありますから、活動は実際問題としてはせられますけれども、社会教育委員としてもそういう活動を封ずるというようなことでなく、もっと積極的にやられるようにしてもらいたいというような点がおもな点であったと思うのであります。
 その他いろいろな点につきましていろいろな会合で述べられたことでございますが、大体私の経験から、以上申しました四項目は共通しておるように思っておるのであります。そこで、この十年間のうちにわれわれがいろいろ主張もし、要望もして参りましたことを取り入れられまして、今般文部省が改正されるというところに踏み切られたことは非常に喜ばしいところでございますが、以下おもな点を御説明申し上げますが、どうもわれわれとしましては、非常にまだ不十分な点を感じておるのでありまして、もっと一つ進んでやっていただきたいというように思うのであります。
 以上、前置きといたしまして申し上げまして、今度の改正のおもな点につきまして意見を申し述べさせていただきたいと思うのであります。
 その第一は、市町村の社会教育主事の必置制をきめられたことでありまして、これは今申しましたように、非常にわれわれが待望いたしておったところでございましてありがたいことなのでありますが、残念なことにこれが経過規定で非常に延びておりまして、まだだいぶ先でないと実現の可能性がないようなところが多いようなことになっておりますので、私たちはむしろこれは経過規定なんかなしに、財政措置の関係もございますからいろいろ無理な点があるかもしれませんが、できるだけ一つ経過措置というようなことなしにやってもらいたいというくらいの不満を持っておりますが、しかし、市町村の社会教育主事の必置制に関しましては、これはもう非常に要望にこたえられたと思って喜んでおるのであります。
 それから、おもな点だけ申し上げますが、もう一つは、第九条の五で、主事の講習を今までは大学だけに限っておったのでありますが、これを非常に広げてもらうということであります。これも私たちが要求をいたしておったのでありまして、大体社会教育と申しますのは非常に広い範囲でございまして、御承知のように、家庭教育はもちろん、青少年教育、婦人会、体育、リクリエーション、その他映画、演劇、音楽、美術は申すに及ばず、いろいろの分野にわたるわけでありまして、講習会を開きます場合に、そのスタッフの関係上大学にまかす方が便利でありますし、また実際上大学にまかす場合が多いかもしれませんけれども、しかし、大学でなくちゃならぬということを法律に書く必要はないのじゃないか。法律に書く場合にはもっと広げてだれでもできるようにしておいていただいて、信用のできるところでありましたらどこでもできるようにしておいていただいて、そしてその講習の重点の置きどころによりましては、大学でなくほかの場合がいいようなことも多々あるというふうに私たちは考えまして、この法文の改正も大いに要求いたしておったのでありますが、今般この要求を入れられまして広げられましたことは、非常に私はけっこうなことと思っておるのであります。
 それから、第十三条でありますが、これは先刻御説明申し上げましたように、社会教育の関係者はほんとうに情熱を持ちまして自分の物的、精神的、肉体的の犠牲を払ってまでも一生懸命にやるような人が多いのであります。そして第十三条で、これらの団体に対しては補助金は与えてはならないということを国がきめられましたことは、これは従来の関係から見ますと、非常に社会教育の振興を阻害するものであるというので、われわれは非常にこれの改正を望んだのでありますが、今回はこれが削除になるだけでありまして、進んでわれわれの希望を申しますならば、予算の範囲内で社会教育関係団体には補助金を交付することができるということを書いてもらいたいと思ったのでありますが、そこまでいかなかったことを非常に遺憾と思うのであります。もっともこの問題に関しましては、審議会のうちでも一、二どうだろうかという御意見の人があったのであります。それは、この補助金を交付することによって文部省の統制力が当該団体に及ぶというような心配はないだろうかということの意見が一、二あったのであります。私は、しかし、社会教育の団体はあくまで自発的に発生されたものであるし、自主的に運営されたものであるし、役員の方々、幹部のお方々はそれぞれみなそれ相当の見識を持っておられる熱心なお方々でありまして、これを政府が任命しておるのでも、その人件費を出しておるのでもないのでありますから、さようなおそれはない、しかも第十二条にはっきり不当の統制的支配を及ぼしたり、あるいは事業に干渉を加えてはならないということが明記してあるのでありますから、その心配はないと思うのであります。もしも文部省が、かようなことは考えておりませんということを確信いたしておりますが、もし統制力を及ぼそうというような考えがあるといたしましたならば、そういうときの補助金は断固として返上するような方々が現在の社会教育の団体をやっておられると思うのでありまして、これは杞憂にすぎないのじゃないか、しかも、たとえば国際的なスポーツの関係あるいは国際的な会合その他の会合、または全国的の大会をやりますとか、あるいは海外の大会に派遣をするとかというような事業をやります場合に、国の補助金がなくしてはなかなか困難な面があるのでありまして、現に例外といたしまして、昨年でありましたか、体育協会だけには補助金をやってもいいというような例外を国会でお作りになったのでありますが、私はあの際でも一歩進んでこの法文の削除は当然されると同時に、進んで補助金を交付してもよろしい、するのだということを書いていただきたいと思ったくらいであります。補助金というものは、これは強制的にやるものではありませんので、少しでも怪しい節が万一あるならば、私は敢然としてそれを返上するというような気概のある人ばかりが社会教育を情熱を持ってやっておられるということも信じておりますし、一、二の人が心配するようなことは決してないというふうに考えたのでありまして、そういう話もいろいろ出まして、かたがた審議会も満場一致でこの条文は削除してもらいたいというような意見にそのときにはなったのでありまして、そのことをあわせて御報告を申し上げておきます。
 それからその次に、社会教育委員の活動に関してでございますが、この社会教育委員の活動には、この法令にございますが、「当該市町村の教育委員から委嘱を受けた青少年教育に関する特定の事項について、」と書いてございますが、私は時節柄青少年の不良化、その他青少年の問題が非常に深刻になって参りましたので、特に焦点を青少年にしぼって指導、助言をすることができるというふうになったのだろうと思いまして、気持はわからないことはないのでありますが、私に言わすならば、青少年に関する特定の事項だけでなく、社会教育に関する、と広くやってもらいたいくらいの、もっと積極的に出てもらいたいというくらいの意見を持っておるのであります。また、これは市町村の社会教育委員だけに限られておりますが、府県の社会教育委員だってこういうことをやっているじゃないか、もちろん府県という実体がないので市町村というものがその根城になっておりますので、市町村の社会教育委員が活動するという方が適切である場合が多いと思いますけれども、というて、府県の社会教育委員というものを二グレクトする必要はないのでありまして、これは県までに及ぼしていいんじゃないかというふうな考え方を持っております。でありますから、このことはそこに焦点をしぼられてやられたということは了承できますし、また、やむを得なかったのであろうと思いますけれども、私の考え方をもってしますれば、これも一つ一歩大きく進んでいただきたいというふうに思っているのであります。
 それから、その次に、公民館の分館というものがあちこちに出て参りましたが、分館というものの根拠が法令になかったのでありまして、今度分館というものの根拠を法令に盛られたということも非常に意義のあることだと思います。
 次に、公民館の必要な基準を定めるということになりました。これは公民館の発達上非常に私は有意義なことであろうと思うのであります。どういうふうにお定めになるか、これはまだよく存じませんけれども、とにかく一定の最低基準と申しますか、そういうものは一つ掲げまして、そうして公民館の発達に処してもらいたい。申しわけだけの、あるいは何らの設備のないところの公民館というものがあっても意義がないのであります。もっともこの十年間というものは、公民館の普及ということに非常に全力をそそがれたのであろうと思いまして、あまり普及に全力をそそいだ余り内容的にはそこまでいかなかった。今回そのことに手をつけられたということも非常にありがたいことと思うのであります。
 大体おもなることは以上のことでありまして、これを要するに、十年間われわれが叫び続けましたことを今回大幅に取り入れまして、この社会教育法の改正を提案されましたことは、社会教育の振興のために大きく前進することでありまして、非常に歓迎することであろうと思うのでありますが、しかし、今申しましたように、これでもなおかつ私たちは不十分であって、もっと進んでもらいたかった、また将来必ず進んでもらうようにやっていただきたい、かように考えているのであります。
 簡単でございますが、以上意見を申し述べました。
#5
○委員長(竹中勝男君) ありがとうございました。
 続いて、参考人の日本青年団協議会副会長の真野昭一さんにお願いいたします。
#6
○参考人(真野昭一君) 真野でございます。私は全国の津々浦々にありますところの、いろいろな町や村にありますところの青年団という組織の全国組織であるところの日本青年団協議会の役員であります。略称日青協と申しますが、これは自由圏における青年団体としては最上のもので、公称四百三十万といっておりますが、実際はもう少し少いかもしれませんが、そういった団体の役員であります。
 現在行われておりますところの社会教育法は、社会教育活動振興のために青少年を重要な対象としていることと、民主的な団体活動を主要な方向としている。この二つが強く打ち出されて規定されております。従いまして、青少年が集まって構成されておりますところの社会教育団体であるわれわれの青年団は、最も重要な社会教育法の対象になる団体であろうと思っております。そこで、私は第一点といたしまして、青年団というこの社会教育関係団体の立場から、社会教育法等の一部を改正する法律案について意見を申し上げてみたいと思います。
 人間は二度生まれる。一度は生存のために、一度は生活のためにというような言葉がありますが、この二度目の誕生であるところの青年期は、親や社会から保護され育てられてきましたところの少年期からようやく独立した人間としての自覚に目ざめまして、この保護や指導を束縛と感じ、これに反抗して独自の人生観を作り出す時期であります。人生観、職業問題、性などといった苦悩で大へん不安定な時代でもあるわけであります。従って、この年代の教育は他の年代に比べてきわめて重要な意味を持っておるわけなんで、教育の内容や方法についてもおのずから特別の工夫がなされる時期であろうと考えております。特に日本におきましては、戦争によって精神的な支柱を失い、いまだ新しいモラルが確立していないという段階で、他のいかなる国の青年よりも教育が大切な段階にあると考えております。ちまたには青少年犯罪があふれまして、ぐれん隊とか、シスター・ボーイとか、あるいはロカビリーとか、深夜喫茶とか、性的な紊乱だとか、とにかく青少年の悪質な犯罪は激増して目をおおうばかりでございます。これは、要するにこの青年期において適当な教育が行われていないということを証明する一つの実例であろうと思います。しかし、これは教育だけの問題でなく、政治にも大きな問題がありまして、大学を出ても職がなく、農村には次三男があふれているとか、こういったこともあるわけなんですが、やはり教育というもののなせる力が大きいものと考えております。従いまして、この社会教育法が、青少年を主たる対象、という言葉で表現しているこの意味は非常に明瞭であると思います。そこで、これからの青年は、みずからの欲するところによって、みずからの意思で決定するところの集団活動、その中から文字通り自主的で創造力豊かな新しい人間像を形成していこうと思っております。真に自主的な意欲によって構成された集団、すなわち青年団などの中で、自由で民主的な相互教育、ともみがきをしつつ、その中で団体の持つ課題解決という方向に進む過程で実際にやりつつ自分が変っていく、教化されていく、そういった意味の学習方式をとるというのが最も適当な時期になっておると考えております。いわゆる承わり学習というような形の学校教育式のものよりも、共同学習とわれわれは呼んでおりますが、このともみがきの学習こそ人間形成の上にこの青年期には最も大きな力があるものだと、こう考えております。ところで、自主性、自主性ということをずいぶん言いましたが、この自主性というものは他から与えられるものではなく、自主的な行動や思索を通して実際自分で体得するものでありまして、自由とは元来まあ無制限なものでありますが、従って、他から少しでもワクづけされた場合は自由と言えないというような気持になるわけなんですが、この本来無制限なはずの自由を、みずからの集団の中の討論や判断する力の養成によって制限していく、こういったことが正しい意味の自主性の成長という形で現われております。従って、このみずから自己決定の権利を持たないような集団は教育価値も非常に少いし、私は社会教育関係団体だとは言いません。現在の日本の青年に一番必要なことは、生活や職場の中であらゆる困難に耐えていける強靱な性格だとか、独立して世に処するきぜんたる態度だとか、さらに生活を合理化していくところの具体的な生活技術だとか、ものの考え方とか、さらには、ゆるぎない世界観を確立する、そういったことを一日も早くすべく要求されております。そういうようなたくましい自主的な人間性はこういった自主的な団体の活動の中でのみ生み出されるものであるということを確信しておりますし、また、法の中にその点がはっきり明示されておると思っております。自主的な団体活動の育成が社会教育の主要な方法であるということを言っているわけがこの辺にあると思っております。従いまして、現行法は自主的な形で、しかも集団活動、さらに青少年育成ということを強く打ち出している点で非常に賛成しておるわけであります。自主的、自主的という言葉をばかに使ったわけですが、これは改正法に非常に関係があるからこういう言葉を特に使ったわけであります。
 そこで、第二点といたしまして私が主張したいことは、現在ある法律を、現行法を完全に実施してもらいたいということであります。青年団だとか、地域婦人会だとか、PTAなど社会教育関係団体は着実に発展して参りまして、村や町の民主化のためにはずいぶん大きな実績を上げております。自分の悩みだとか、地域の課題解決のために皆で話し合い、皆で考え実践するという新しい共同学習の仕方を生み出しまして、これによって自主性の豊かな、非常に地味ではあるが楽しく正しい社会教育活動を行なってきつつあります。農村の女性の最近の解放された姿を見ただけでも社会教育関係団体の活動の成果がいかに大きかったかということを知る一つになると思います。しかしながら、こういった団体もやはり経費の面では非常に苦んでおりまして、大体、会費が三分の一、事業収入が三分の一、公金を援助してもらうのが三分の一、こういったような状態にあるのであります。その公金をもらう場合には事業共催とか事業委託といった名前で今までは大体もらっておったわけであります。それは、この団体がやっていることが地域の住民にとってきわめて有意義で、しかも非常に幅広い活動であるということで、県、市町村――行政官庁においても必要と認めて喜んで出しておっていただけるというのが実情であります。私たちの青年団の町村単位で見ましても、大体公金をもらっている率は全予算の四〇%という数が出ております。しからば、金をやらなければ動けない団体なら必要はないじゃないかという議論もありますが、わが国のような非常に封建性のまだ強いところでは、このような団体がぜひ必要であると考えます。必要だからこそ存在価値もあり、さらにはりっぱに発展していると確信しておるわけであります。戦後十四年の私たちの体験を通じまして、青年団だとか婦人会などの、網羅的で非常にいろいろな目的を持って人間作りと村作りを主なる目的としてやっているところの大衆組織、この社会教育関係団体にはやはり公共性とか、あるいは教育的価値といったものが非常にあり、しかも、その団体だけの力ではとうていまかない切れないという実情の前から公金が支出されるのもまたやむを得ないのではないか、そういう結論を私たちは感じております。事実、日本を除いた諸外国の例を見ましても、イギリスでも、あるいは中国でも世界のほとんどの国でこういった活動に対しては補助金を出しております。しかし、この補助金の出し方というのにはいろいろな問題があるわけで、私が第一に現行法を完全に行なってもらいたいということを主張しているのは、その現行法の中で十分まだやってもらえることがあると信じているからであります。しかしながら、当然第二番目の問題とすれば、補助金を公平にひもつきでなく出していただくことを考えてもらわなくちゃならないと思っております。問題は、金を出すとか出さないとかいう問題でなく、いかにひもつきでなく公平に出すかというその出し方の問題にかかっているのが現状ではないかと思っています。そこで、現行法では、社会教育行政機関側は、社会教育関係団体に対しまして、求めに応じて、指導、助言する、という原則が法の中に明示されております。この「求めに応じ、」という文句は、団体を政治的な干渉や官僚統制から守る防波堤のような役目を果しておるわけでありまして、団体の主体性を維持するための一つのきめ手になっておるわけであります。しかし、この現行法の範囲内でも、求めに応じて団体に対してやってもらわなければならないことが実はまだ一向に行われていないと、こういう事実をはっきり見なければならないと思います。よい機会や場所を提供したり、情報や資料の交換をはかったり、あるいはまた、専門的な知識や技術を提供するとか、こういったようなことがいろいろきめられておるわけなんですが、一つの例を申しますと、県の教育委員会の主事を町村の青年団が講師として、お招きすると、大ていの所は自費でいきます。自費というのは、青年団の方が払います。そこで、そんなのを全国的にどのくらい払ったかまとめてみると、一千万円くらいな金になるというような事実もありまして、これなど、今の法の中でも十分考えていただける一つの例ではないかと思っております。ある所では、資料の提供だといって、青年にまあ全然興味のないような資料を金で売ってくれるような所もありますし、あるいは、最近ちょくちょく現われておるわけなんですが、講習会を共催するときに、講師の先生がよくないというようなことで講師の先生をお断わりされて困っておる青年団というのもありますし、また、最近愛媛県下にも現われたわけなんですが、講習会を教育委員会と一緒にやろうとしたら共催を拒否されたというような例も出ております。これは、おそらく青年団の側にも相当な問題はあろうかと思いますけれども、やはり現行法の精神であったら、何とかここのところはやっていただけたはずではなかろうかというような気がしてならないわけであります。しかも、まあ財政難ということに事寄せまして、社会教育費は全体に減少の一途をたどっているような感じを受けるわけであります。文部省で出しております青年学級振興費にしてみましても、昨年よりことしの方が二百万減りまして五千八百万であります。これは、百万余り青年学級生があるといたしますと、一人五十円程度であります。しかし、国庫補助の対象とされておる青年学級に対しては一人六百八十円というようなトータルが出ておりますが、これも、大学生が一人十二万六千円一年に金が要っているという事実に比べますと、まことに微々たるものであります。それから、三十一年度の学校教育費と社会教育費を一人当りに割ってみますと、学校教育費の方は一万六千三百二十一円、社会教育費はただの九十一円と、こういった数字が出ておるところから見ましても、社会教育費というものが非常に少くて、今の日本の中では社会教育というものに対してはあまり金が出ていなくて冷遇されているということを言わざるを得ないと思っております。法十三条の補助金禁止規定は、憲法八十九条との関連で団体の自主性を侵さないために作られているものでありまして、この条項があるから公金は出せないというような話をよく方々で聞くわけなんですが、これはむしろ誤まりでありまして、団体の自主的な活動を障害しない範囲において可能な限り援助する、そういった意味のことを含んでいるものであると私たちは信じております。そういったわけで、現在行われている法がまだまだ完全に実施されていない、これをまず完全に実施してもらうということを強調したいと思います。
 以上、青年団という団体の立場、それから現行法を支持するというその二つの立場に立って少し意見を述べてみたのでありますが、少し今度の改正法の内容に触れてみたいと思います。
 その第一としてあげ得ますことは、国及び地方公共団体の社会教育関係団体に対する補助金禁止条項の削除のことであります。これは、団体に対して補助金を出すことを前提として考えられておるようであります。前にも申しましたように、法の精神を生かした意味でやってもらえるものとは信じておりますが、そういう補助金を出すことを前提として考えておられるようであります。私は、補助金を出すなら、民間人で構成した、政治とか行政のワクから離れた、公正中立な機関を設けて、この機関を経由して各団体に公平に補助金を分配する、そういったことをしてもらいたいと思っております。そういうことのためには、まず立法措置をしてしかる後にこの補助金禁止規定の条項を削除する立法をすることの方が先で、そのあとにこの条項は削除されるべきものが順序であると感じております。そうでないといたしますと、取りっぱなしということはきわめて危険であるということで、この条項をはずすことに対しまして非常に危惧の念を抱いております。
 それから第二点といたしまして、社会教育委員の権限の問題であります。社会教育委員は、これまで教育委員会に対する助言機関ということになっておりましたが、今度の改正法では、青少年教育に関する特定事項に関し、社会教育関係団体、社会教育指導者その他関係者に対して助言と指導を与えることができるというような文句が入って、いわゆる直接の権限が与えられたわけであります。これは、先ほどから申しておりますように、求めに応じて助言するという社会教育関係団体に対する行政機関側の基本的な原則を踏み破ったところの態度ではないかと思います。社会教育委員だけが青少年を対象にしたときはこの原則を乗り越えてもよいということは、われわれ青年団をやっている者の立場では、いささか疑問を抱かざるを得ないのであります。われわれは、いかにりっぱな委員であろうとも、直接指導ということに対しては、やはり今まで行われた法の精神からいっても賛成できないわけであります。むしろ、教育委員会に対して社会教育委員が発言権を強く持つ、そういうことの方が本筋でありまして、直接指導というような形で青少年にだけ向いてこられるというのは、これは、何かものすごく回れ右をされた格好になっているような感じではないかと思います。われわれは、指導権を認めておらない方でも、非常にりっぱな人であれば、常に講師にもお頼みしておりますし、また、社会教育委員でない人でも、りっぱな人は、お頼みしております。そういう、委員であるから頼むとか、委員でないから頼まないとか、そういったことになるのは、これはまことにまずいことだと思います。とにかく、直接青年の方へ向いてくるというのは、回れ右であって、正しい方向ではないと考えます。それから、社会教育委員を見ますと、中には非常に名誉職的な人や、政治に関係している人や、いろいろおります。もし、この条項が悪く活用された場合は、来年の地方選挙のときなど青年団は大いに苦しめられるのではないかというような気持がしてなりません。今から一つの例を申しますが、山村の方へ行きますと、まだこんな形で社会教育委員が構成されておるという例もあります。御主人の県会議員さんが学識経験者で委員であり、奥さんが婦人会長で、むすこさんが青年団長で、議員さんの弟がPTAの会長と、十名の委員のうち四人を一族で占めている、こんな社会教育委員会の構成のところもあるわけなんです。こういう人たちがこの権限をうまく利用されたらどんなことになるだろうかということも非常に心配です。また、この社会教育委員が教育委員会に対して発言力がいかにないかというような例を申してみたいと思いますが、ある県の社会教育課では、文部省と相談の上でこの青少年の家を今度作ることについて、それを運営するために十七回にわたって地方の青年学級修了者を対象とする技術教育学習を行う計画を立てまして社会教育委員会に諮ったわけであります。ある委員は、それは青年学級に対するてこ入れで中央青年学級ではないか、それはそれでいいとしても、技術教育という面からいうと、これはまことにお粗末である、中途半端なものであり、第一にそれだけに使っておったらほかの青年団とか、ほかの青年の人たちがこの青少年の家を利用するひまがないのじゃないか、そんなむちゃな計画をする必要はないのじゃないかというわけで、強硬に反対して大多数の委員さんはそれを支持したということなんですが、実際にはこの委員さんの発言は全然取り上げられず、そのまま県はどんどんその計画を進行している、そういった県もあります。それからまた、ある県の社会教育委員会に対する予算を聞いてみますと、一昨年までは県で七万円持っておったのが昨年から四万円になった。四万円の経費で二十四名の委員を持っておるというようなことですから、ほとんど機能としては動きがとれないというのが実情だということを言っております。これは一つの例なんですが、大体にあまり社会教育委員会というのがうまく動いていないのが実情ではないかと思っております。言うなれば教育委員会に対して社会教育委員というものは現状ではいかに無力であるか、価値の少いものであるかということがこれらの例でわかっていただけるのではないかと思います。そういうふうに非常に教育委員会に対する権限を与えるのじゃなく、いきなり青少年の指導というようなふうにやられるのでは、何かこれはたまらないなあという気持が痛切に沸いてきます。
 それから第三点として申し上げたいことは、市町村に社会教育主事を必置することと、公民館を充実整備するということなんですが、この点はいいといたしましても、それに対する財政的な裏づけが非常に弱いという点であります。現行法では公民館、図書館、博物館を設置する市町村に対し、国の予算の定めるところに従い、その運営に要する経費の補助その他必要な援助を行うと書いてありますが、改正案では予算の範囲内において補助することができると、こういうふうに改められておりまして、国の財政上の責任は現行法よりかえって消極的になっております。地方公共団体やわれわれ社会教育関係団体は財政の充実をこそ望んでおったのでありますが、期待を大きく裏切られたということを悲しいながら感じざるを得ないのであります。われわれ青年団といたしましても社会教育費増額運動をしたのでありますが、これはあまり報いられていないということを感じております。もちろんこれは行政措置として地方交付税の中で相当増額されるということを聞いておりますが、何にいたしましてもわれわれとしてはやはり法文の上にはっきり明示しておいていただきたいというのが偽わらざる気持でありまして、この現行法の条項を特に弱める必要はなくて、現行法のままでこの点はいいのではないかというふうに感ずるわけであります。
 それからもう一点申し上げて終りにしたいと思いますが、それは社会教育主事の養成を大学から文部大臣の方に主として移管したような格好になっていることであります。社会教育主事のいい悪いということが市町村社会教育振興のために重大なきめ手になっていることは言うまでもありませんが、現在大学で社会教育を専攻された地方の公民館などに就職されておられる方はまだ非常に数は少いのですが、そういう人たちは実にりっぱな活動をしておられまして、その土地の青年団の中にもとけ込んでほんとうに苦楽をともにしてりっぱな成績を上げておられるのをわれわれは知っております。また、この青年団の幹部をしてきた者の中から抜擢された主事も団体活動時代の体験を生かして実によくやっているということも知っております。
 ところで、この改正案では市町村にまで主事を必置しようとしたことや、主事になる資格のワクを広げられたと、そういったことに対してはわれわれは賛意をむしろ表したいと思いますが、しかし、これも社会教育の町村の事業を圧迫して主事の費用に取られるというようなことであってはきわめて危険だと思っております。そのように、社会教育主事の養成について文部大臣が独自の養成の道を開いたということに対しましていささか疑問があるということを再度申し上げたいわけです。やはり政党大臣である文部大臣の考え方が何らかの形で入ってきて教育の中立性というものを脅かすのではないかという心配を若い者は敏感に感じております。そして社会教育の土台ともいうべき、たとえば樹木でいえば根っこに当るのがこの社会教育関係団体、われわれのような民間団体であるわけですが、それらの団体はそれぞれに独創的に非常に自発的に相互教育、共同学習というようなことを繰り広げておりますが、それを独創的、自発的なのが何かまとまったような形の統制化されたものに形が変えられるのではないかというふうな心配の声も出ております。われわれとしては、やはりこの主事養成の主体は大学の方に置いてもらって、従来の大学の社会教育講座はまだ非常に貧弱でありますので、これを拡充するというような方向へ向けていただくことがまずやっていただきたいことだと考えております。それとともに、青年団体の活動の経験者を大いに抜擢して主事にしていただくというようなことも考えていただきたいと、これはあわせてお願いするわけであります。
 以上、いろいろ申し上げましたけれども、私がいろいろ要望したことがいれられておるならともかく、いれられない場合においてはこの改正案を今すぐここで賛成するということはちょっとできないというのが私たちの考えであります。やはり私たちとしては現行法の精神を貫くと、そのことを最も主張申し上げたいわけであります。
 以上で終ります。
#7
○委員長(竹中勝男君) ありがとうございます。
 次に、日本青年館常務理事の坂田修一さんにお願いいたします。一人の御発言の時間が大体二十分前後ということになっておりますので、御了承を願います。
#8
○参考人(坂田修一君) 日本青年館常務理事の坂田であります。私は平素青年館の立場から、ただいま御説明がありました日本青年団協議会の加盟団体であります地域青年団に対しまして、日青協を通じてその青年団の健全な発達を助成するというような立場から仕事をしておるのでありますが、本日、お呼び出しをいただきました社会教育法の改正案につきましての意見といたしましては、主として私の職場の立場から考えておりますところを申し上げたいと思いますので、多少見解は狭いかとも思いますけれども、経験の上に立つという意味におきましてお聞き取りいただきたいと思う次第でございます。
 現在の日本の教育全体のあり方は、終戦後政治、文化、社会生活を通じまして民主化ということによって一貫せられて参りました、その一連の姿におきまして教育の民主化、教育の自由ということを原則として運営せられて参りました結果、個人の人格の尊厳ということが非常に強く打ち出されて参りましたということは、われわれ国民としましては非常に喜びとするところであります。しかしながら、このような民主主義の行き方に対しまして現在の段階においては、あらゆる点において、特に教育の場において、これが再検討されておる立場に立っておるのではないだろうかと思うのでございますが、そのような意味におきまして、私たち国民の前に見せつけられておりますところの今の学校教育の場におきまして、そのような問題点が今まさに国をあげて検討せられつつあると、かように見受ける次第でございます。そのような関連において私たちの関係しております社会教育の問題につきましても、また同様のことが考えられるのではないかと思うのでございますが、このたびの社会教育法の改正案につきまして考えまするに、現行法におきましては、社会教育においてもできるだけ教育の民主化、あるいは教育の自由を尊ぶというような趣旨におきまして、国家的、あるいは行政的な立場からの財政的な援助、あるいは教育上の補導というような点におきましては、極力干渉しないでいくといったような点が強く出されているように見受ける次第でございます。しかしながら、現在の国際的な動向を見ましても、また国内的ないろいろの問題、特に最近の教育上の諸問題を見ましたとき、社会教育団体でありますところの青年団の立場におきましても、幾多の困難な問題にぶつかって悩みを持つわけでございますし、また、この身辺の社会環境におきましても、多くの不健全な社会環境に取り巻かれまして、青年としましては思わず知らず不健全な、いわゆる青少年の不良化といったような悲しい結果を起し、生みつつあるのではないだろうか、こういうふうな現況を考えてみましたときに、今の社会教育法の、現行法の教育の民主化のあり方に対しまして、国家あるいは公共の立場から、ある程度これに対して不備な点を見つけ出し、これに対する改正の手を打たれるということは、私たちはその必要があるというふうに感じておる次第でございまして、このたび提案せられておりますところの改正案全体につきまして、私たちは原則的に賛意を表しておるものでございます。ただいま青年団の立場から、その実際の現場に立って苦しんでおります団体の全国団体である日本青年団協議会の副会長の立場から、真野君の出されました意見としましては、非常に危惧の念を持って、全面的に賛成しかねるというような結論でありましたけれども、私たちの社会教育の観点から、今の社会教育法の現況の立っている環境から見まして、真野君の心持も必ずしも私が申し上げておりますような、原則的に賛成申し上げるという意味と矛盾しておるのではないだろうと思うのでございますが、その点につきまして若干私の立場からの御説明を申し上げたいと思う次第でございます。
 改正点につきましては、財政的な補助の問題、あるいは社会教育主事制度の拡充の問題、それから社会教育委員の権限の拡大の問題、それから公民館制度の充実の問題につきまして提案せられておると思うのでございますが、そのうちで、特に私たちが平素社会教育振興の意味において、青年団がもう少し積極的に強く伸びてもらいたいというような観点から平素困難を感じつつ、このたびの改正案に対して期待を持っておるという点につきまして二点を申し上げてみたいと思うわけでございます。
 その第一点は、財政的補助禁止の規定を削除せられることは、社会教育法第十三条の規定が削除せられるということは、今後社会教育関係団体に対して補助金支出の道が開かれるということを意味するものと考えられるのでありまして、私たちはこれに対して賛意を表しておる次第であります。ただし、その運用上は次の二点について特に御留意いただきたいと思っておる次第でございます。
 その第一点は、補助金交付に当っては、社会教育法第十二条の現定にあります、すなわち「国及び地方公共団体は、社会教育関係団体に対し、いかなる方法によっても、不当に統制的支配を及ぼし、又はその事業に干渉を加えてはならない。」という規定があるのでありますが、この精神を生かして、いわゆるひもつきにならぬように、特に政治的に悪用せられないように御配慮いただきたいという点でございます。次に、この第一点の第二の問題としまして、補助金が適正に交付せられるために適切な審議機関、または関係団体代者表による受け入れの協力機関を設定せられることを希望するものであります。
 以上が、この財政的補助の問題につきまして、私たちの考えておるところでございます。
 次に、第二点といたしましては、第十七条第三項として新しく追加せられました、市町村における社会教育委員の権限の問題でありますが、市町村の社会教育委員が、青少年教育に関し特定事項について、社会教育関係者に対し助言と指導を与えることができるように改めることにつきましては、これも原則的に賛成でございます。ただし、その運用上、次の二点について特に御注意を願いたいと思うわけであります。
 その第一点は、人選に当っては政治色のない人で、人格識見ともに青少年の期待に沿う適材を厳選せられたいということでございます。次の第二点としましては、青少年団の運動は民主的、自律的に運用せられているので、特にその自律性を尊重せられたいのであります。青少年が何を考え、何を欲しているかということをよく聞き分けて、天降り的な指導というような行き方ではなくて、むしろ助言者的立場に立って啓発するような接し方をしていただきたい。この点につきましては、社会教育法第九条の三に示されております、社会教育主事の指導と助言には「命令及び監督をしてはならない。」という制限規定がありますが、この精神をぜひ生かしていただきたい、かように考えておる次第でございます。
 以上、要点といたしまして、財政的補助の問題と、青少年のために社会教育委員が直接指導、助言せられることについて意見を申し上げたわけでございますが、特にこの財政的な面につきまして青年館の現在の立場におきまして、全国の地域青年団を統合しております日本青年団協議会を通じて、今私たち財団法人の組織法であります寄付行為の中にきめられております青年団に対する健全な発達を助長するというような目的から、どのような援助をしておるかという現況を簡単に御説明さしていただきたいと思います。
 このような青年団の活動財源につきましては、今は全然公的な資金的援助はいただいておりませんで、わずかにこの基本財産として残されました青年会館の運営によりまして入ってくる事業収入が、今年度におきましては四千五百万円くらいでございますが、このようなわずかな収入の中から維持経費を差し引きまして、その残額をもって一年間に今年度はわずか七百七十万円を日本青年団協議会に助成金というか、援助金として出しておる次第でございます。一方におきまして、日本青年団協議会の方では、加盟団体四十六府県の県団を通じて、全国四百三十万の会員に対する各般の運動、指導をやっておるのでありますが、その日本青年団協議会の年間予算はわずかに一千五十一万円、今年度は一千五十一万円でありまして、そのうちで会費収入は県団が出してくるわけでありますが、会費収入は百三十八万円でありまして、総額の一三%にあたります。青年団の助成金が七百七十万円で、七〇%を占めておるわけであります。そこに青年団の財政的自主性、自立性と申しましても、非常に財政的な独立性という点から見まして、困難を感じておることがうかがえるわけでございますが、思うに全国の青年団員の総数は四百万人といたしまして、これらの団員が地域、農村あるいは町村におきまして、郷土建設的な活動をしておる現実の状況は諸先生方皆様御承知の通りでございますが、その人たちの、年間青年団運動として用いておる経費は、確実な計数は集計することができませんけれども、かりに、ある一人の団員が一年に会費とか、機関紙とか、印刷物等の購入、頒布あるいは活動、行動費等において負担する金額がかりに五百円として勘定いたしましても、二十億円という経費が使われておるはずでございます。しかも、このような経費につきましては、単位団におきまして、町村の現場におきましては比較的資金的な財源を得る道が、あるいは勤労奉仕の立場において事業収入をはかるとか、また会員のわずかな会費にいたしましても、会費を徴収するということが可能でありますけれども、その指導機構に当っておりますところの県の青年団の連合体、指導部でありますとか、あるいは全国の日本青年団協議会というような、青年団の指導機構の運営費につきましては、その財源は非常に調達が困難でありまして、先ほども申し上げましたような自己財源として日本青年団協議会の収入の状況などに現われておりますように、非常に困難をしておることがうかがえるわけでございます。このような青年団運動の指導機構の運営費にもう少し公正な立場で、国家的あるいは公共団体等の財政的援助というものが得られるとすれば、これは、この青年団の運動というものが全国的にもっとスムーズに期待できるのではないだろうかと考えておる次第でございます。
 このような点におきまして、わが国の青年団の発展のために、先ほど申し上げました運営上の二点を御留意いただきながら、国家的財政的援助の道が開かれるということにつきましては、私たちは大きな期待を持っておる次第でございます。
 次に、社会教育委員の権限につきましては、市町村における青少年団は、その組織並びに活動の基盤を地方の地域社会に置いておりまして、社会的、産業的、また文化的郷土建設の理想を持って団員といたしましては、時事問題その他基本的な公民教育上の諸問題について、一つは共同学習を行いながら、進んでは郷土建設事業の実践に取り組んでいっておるのでございます。これらの単位団の運用につきましては、青年の自主性、先ほど真野副会長の説明にもありましたような、民主主義的原則に立って自主的に運営せられるということを原則としておるのでありまして、これらの原則を尊重せられて、現行法においてきわめて国家的、あるいは行政的な立場からの指導の態度を制限的にしておられるということは、先ほど触れた通りであります。しかしながら、実際的にはこれらの単位団の青年団の活動につきましては、補導上幾多の国家的、あるいは公益上の立場から、教育的な補導の必要があると思われるのでございまして、この点が従来ともすれば閑却されがちであったということは、私たちの今の国内、あるいは国際的情勢に対処いたしまして、深く反省しなければならないところであると思うのでございます。そのような意味におきまして、特に市町村の現場の単位団に接触している社会教育委員が、今日までの制度によりましては、諮問機関的な、消極的な立場であったのを、今度の改正案によりまして、進んで青少年団と接触を保ちながらその補導に当られるということは、その人選の適正を得、また接触の態度におきまして、青少年の要求する民主的な話し合いの求めに応じるというようなやり方をしていただきますならば、これはまた期待すべきものがあると思うわけでございます。また、特にこの地域青年団におきましては、その組織せられている地域、地縁によって結び合っているということで、その特定の目的によって、特定の人のみが集まるという団体ではありませんでして、その町村全体の青年が、全体としてまとまるという団体性、統一性を持っておりますので、特にその運用につきましては、政治的な分裂というものは、特に戒めなければならないと思う次第でございます。その点につきましては、その人選上格段の御配慮をいただきまして、この青年団の全一性、共通の広場に立って郷土を守っていくというその要請にこたえるような、いい指導者を御人選いただきたいということをお願い申し上げまして、私の御説明を終らしていただきたいと思います。
#9
○委員長(竹中勝男君) ありがとうございました。
 次に、参考人の一橋大学教授田上穰治さんにお願いいたします。一人当り、大体二十分程度の御発言を願います。
#10
○参考人(田上穰治君) 初めにちょっとお断わりを申し上げますが、私、実は今回は自民党の推薦ということを伺っておるのでございますが、まあ私も公務員でございますから、立場としては、どの政党ということではなく、また自民党の立場において意見を申し上げるという意味には理解していないわけでございまして、結論的に大体法案に賛成である。従って、まあ与党の立場と非常に近いというふうにお受け取りになるのでありましたならば、それはそう御判断いただいてもけっこうでありますけれども、特に自民党、社会党、おのおのの御意見を十分研究した上で臨んだわけではございませんから、その点は一つ御了解いただきたいと存じます。
 簡単に、御命令によりまして、この法案につきまして、意見を申し上げたいと存じます。私の申し上げたいと思いまするのは、憲法の、特に八十九条との関係でございます。この八十九条という規定は、御承知のようにかなり問題のある規定でございまして、外国の憲法にもそれほどの例はないようでございます。しいて申しますと、アメリカの州の憲法の中には、二、三、アラバマであるとか、モンタナ州であるとか、その他二、三これと同じような規定があるようでございますが、どちらかというと、非常にまれな規定でございます。その趣旨はもう一般に理解されておりまするように、政府なり、あるいは自治体の公金その他財産、こういうものが教育事業に、ことにそれが民間の教育事業につぎ込まれますというと、そこにいい面もございますが、同時にまたいろいろ弊害もある。特に私どもの考えといたしましては、教育事業は政治的に中立でなければならない。ところが、これは補助金などによりまして、そこに特殊な監督関係というものが生じますることは、少くとも一面においては弊害がないとは言えない。もちろん八十九条の規定は宗教団体についても適用があるのでございまして、この方はまた別に政治と宗教の分離、憲法二十条の方にも規定がございますから、一そう明瞭だと思うのでございます。そこで、私などが八十九条について若干疑問を持っておりますのは、なるほどその趣旨はけっこうでありますけれども、しかし、それならば現在の日本、特に経済事情を考えまして、教育事業に全く政府から金が出ないということになると、果してやっていけるかどうか、非常に豊かな国でありまして、民間に相当な資金もある、従ってしいて政府の援助がなくてもやっていけるというような社会、あるいは国でありますとけっこうでありますが、どうも日本の実情ではもうすでに私立学校が、御承知の私立学校法によって全面的にこれは政府から補助金をもらうことになっている。このあたりも、総司令部の時代のいきさつを少し聞いたことがございますが、アメリカの人から見ると実に意外であって、せっかく憲法で私学というものの教育の自主性を認めたのにかかわらず、私立学校当局は反対にそれは困る、ぜひ自分たちは公けの支配に属するものであるから補助金をいただきたい、こういうことを熱望してきたのでございますが、そういう点などを考えますというと、社会教育事業につきましても、八十九条の、あるいはこれを非常に厳格と申しますか、あるいは拡張解釈いたしまして、表面からこれを適用いたしますというと、非常に実行が困難になるのではないかと思っております。しかし、これはまあただそういう感情でございまして、憲法の規定に触れるものであれば、違反するものであれば、それは法律をもってしても行うことはできない、補助金が出せないということになると思います。ただ、そういうばく然とした感じのほかに、さて憲法の規定を見ますというと、若干そこに何というか、現実に合うような解釈ができると思うのであります。それは教育事業の定義でございますが、宗教関係につきましては、八十九条は宗教団体についての規定でございまして、「公金その他の公の財産は、宗教上の組織若しくは団体の使用、便益若しくは維持のため」、「その利用に供してはならない」。ところが、教育につきましては、教育団体というよりは、むしろ直接規定する教育の事業に対して支出し、その利用に供してはならないというふうに書いてございます。従いまして社会教育関係の団体、当面の現行法十三条の規定でございますが、社会教育関係団体に対し補助金を与えてはならないという現在の規定でございますが、この団体そのものが当然に八十九条によって補助金がもらえないというのではなくて、その団体がどういう事業を行うかということによって考えるべきではないか、そういたしますというと、その法律に、いわゆる社会教育団体でありましても、その事業が厳密に考えて教育事業、憲法八十九条の規定に該当するかどうか、これはやはり具体的個別的に検討をしなければならない、そうしてもし教育事業でない、もちろん教育に関係のある事業でありましても、厳密な意味で教育事業そのものでなければ、その限度においては社会教育関係団体に対しても憲法上は補助金を出す余地がある、出しましてもそれは憲法違反ではないということが言えるのではないか、そうなりますと、結論をはしょって申し上げますが、この現在考えられておりまする社会教育関係団体の事業、教育事業そのものと、それからそれに関連はあっても、教育事業でないものが相当あるはずであって、そうなればあとの方の点においては、補助金を出すことは直接憲法違反ではないということが言えると思うのでございます。
 ところで、それならば、この十三条の規定を削除して、そうして自由に政府が、もちろん国会の議決あるいは特別な法律によって、補助金を出すことができるのかと申しますと、私どもは十三条を削除しても、もちろん憲法八十九条は残っている、これはもう厳然たる事実でございます。従って、憲法の規定に反して補助金を出すことは、これは将来もできない、憲法を改正しない限りは、十三条の規定を削除しても出せない場合がある。けれども、しかし現在の、そんならば削除することは無意味であるかというと、そうではなくて、憲法の解釈上社会教育関係団体に補助金が出せる場合がある、つまり教育事業に関しては出せませんけれども、しかし、教育事業に直接該当しない場合には、社会教育関係団体に対しても補助金が出せる、しかし現行法では出せない、そこに十三条を削除する意味があり、もちろん削除することは憲法上差しつかえないと思うのでございます。繰り返し申し上げますが、削除したから憲法の規定に反して補助金を出してもよろしいということでは決してないのでございまして、憲法上出せないものは、法律に書いてあっても書いてなくても出せないので、これはもう明瞭でございますが、ただ社会教育関係団体の行う教育事業以外のものについては、補助金が出せるようになる、これが今回の法律案についてわれわれの理解するところでございます。ただし、これには一つの条件と申しますか、私どもの希望なり、そういうものがつくのでございまして、それはもうすでに御発言があったかと思いますが、やはり教育の、社会教育関係団体の事業でございますが、その事業について、政府が不当な干渉を加えてはならない、特に政治的に特別な色のついた注文をつけることは、これは避けるべきであると思います。避けるべきだと申しますのは、しいて申し上げますと、憲法でも二十六条に教育の機会均等という趣旨が書かれておりまするし、また、問題によりましては、憲法二十三条の学問の自由ということにも関連してくると思うのでございまして、はっきり憲法で政治的な中立性という文字は使っておりませんけれども、しかし、この広く教育なり教育関係の事業については、そういう心がまえは必要であろうと存じます。もっとも現在の社会教育法におきましては、最初に教育基本法の精神に従って運営されるということが書いてございますから、その点は特に申し上げなくても当然かもわかりませんが、実際の法律の運用に当りまして、こういった教育なり教育関係の事業については、特に政治的な中立性というものを尊重すべきだと思うのでございます。ただし、今回の改正によりまして法案が成立した場合には、補助金が出せることになるのでありますが、出す補助金を、教育事業以外の面において補助金を出した場合に、補助金等の予算執行の適正化法、これに基く監督、これは当然に考えられるわけでございますが、この程度の適正化法の監督程度であれば、私は憲法の精神に何というか、教育関係事業についての政治的な中立性を侵すものとは思えない。また、その程度の監督は補助金には当然必要でございまして、国民の税金の幾ばくかがそちらにいくのでございますから、それを最も能率的に正しく使うためには、その程度の監督は必要であろうと存じます。その監督が加えられるから、だから政治的に色がつくのであって、だから憲法違反であるという結論は私はとらないのでございます。しかし、繰り返し申し上げますが、非常に問題はデリケートであって、この補助金を出すことによって、事実上もしそこは法律の規定以外の事実上のインフルーエンスが考えられたり、そこに何か政治的に特別な注文がつけられるようなことがありますと、私としてはそれには賛成できないのでございますが、しかし、これは法案そのものに対する非難ではなくて、実際の運用に当っての希望でございます。
 それから、これに関連しまして、なお今回の法案には、社会教育に関しまする国の責任をかなり明確に打ち出している点がございます。もうすでに御指摘があったかと思いますが、たとえば公民館の基準というものを新しくきめる根拠が明文化されておりまするが、こういうふうなことは、これは私はやはり教育基本法の第七条の規走から申しましても、各府県あるいは市町村でばらばらに公民館というものの基準を考えるのではなくて、これはやはり広域、もっと広い地域にわたって国家が統一的な基準を考えるのは当然であろうと存じます。また、社会教育委員が助言と指導を与える、指導という点が若干問題があるかと思いますが、これも先ほどの御発言がございましたように、命令とそして監督にわたってはいけない、その点は私もそう思いますが、しかしそうでなくて、その程度に至らない助言と指導であれば、特にこれが私ども憲法とかあるいは単純な法理論からいたしますと、特に反対すべき理由はないと思います。もっとも実際に教育という面、あるいは広い意味の社会教育というような面から見まして、適当かどうかは専門外でございますから意見を差し控えます。
 それからもう一つ、社会教育主事の講習について、文部大臣が行うことができるという点が法案の九条の五に出ております。この点も文部省が積極的に、大学ならよろしいが、そうでなくて積極的に役所が乗り出すということはどういうものかというふうにも思われますが、しかし、この九条の五では、新たに都道府県の教育委員会もまたこの社会教育主事の講習を行うことができるようになっております。この教育委員会がここに入るというのであれば、中央においてはそれに相当するものは文部大臣である、委員会の方は合議制でありますから大臣とはだいぶ格好が違うようでありますが、しかし、国の方としましては教育委員会に相当する合議制の委員会はないのでございまして、どうしてもそこに教育委員会との関係では文部大臣が入っても私はおかしくないと思うのでございます。もっともこの点はいろいろ運用の面においては注意をあるいは要するかもわからないのでございますが、たとえばわれわれの関与しておりまする大学の設置の認可というふうな、これはまあ学校教育の方でございますが、きわめて重大な問題、私立大学を認めるかどうかというふうな点につきましても、表面は文部大臣が認可する。それではしかし政治的に色がつくおそれがあるじゃないかというふうに実は思われるのでありますが、実際は大学設置審議会のようなそういうものにはかって、これも法理上としては単なる諮問でございますから、あるいは最悪の場合文部大臣が、文部省が設置審議会の意向に反するような形で大学の行政に乗り出すようなことは法理上必ずしも不可能ではないと思いまするけれども、実際にはそういう機関にはかってきわめて民主的に運営が行われておるという点を考えますと、文部大臣が行うにつきましても、やはりいろいろな考慮の余地はあると思うのでございますが、とにかく地方の、都道府県の教育委員会で行えるということは、中央において文部大臣も行えるといって私は差しつかえないと思うのでございます。その意味は、広い意味の社会教育に関する責任は都道府県のみならず国家にもあるのみならず、ある意味におきましては、新憲法は特に教育の問題を二十六条とかなどに掲げまして、これは国の重大な責務ということにしてございますから、そういう場合に国会の監督のもとにある内閣、そのまた内閣の一員である文部大臣がこういう問題について直接関与できないということは私はないと思うのでございます。しかし、これも繰り返し申し上げますが、そのことから実際にこういった問題につきまして政治的な中立性が害されるというようなことがありますと、これもわれわれとしては大いに賛成できない。これは法案直接の上では私はないのでございますが、そういう希望を申し上げたいと思うのでございます。そして全体といたしまして、これは根本においては文部省のあり方、あるいは文部省と教育委員会の関係をどう考えるかというところに大きな問題があると思うのでございます。これはもちろん最近の教育委員会の性格もいろいろ法律が変って参りましたから現在からさらに将来どういうふうになりますか、それによって非常にこういった法律の実際の動かし方が違ってくるわけでございまして、その方は、実はそれによってはこの法案があるいは不適当だということになるかもわかりませんが、しかし、現在の一応文部省とそれから教育委員会というものを前提といたしますと、特に私どものただ単なる法理論でございますが、憲法違反であるとか、あるいは憲法の趣旨に沿わないというふうな、不適当であるという結論にはならないのでございます。なお、文教の一般的な機構の問題につきましては、ちょうど明日から行政審議会の方でこの機構の改革を取り上げることになっておりますから、どういう結論になりますかわかりませんが、私といたしましては、これ以上特に政府が何か地方の教育を統制するような、そういう方向に向うことは好ましくないという気持でございますけれども、しかし、現在のこの提出されております法案については、一応以上申しました意味におきまして賛成でございます。簡単に意見を申し上げました。
#11
○委員長(竹中勝男君) ありがとうございました。
 最後に、お茶の水女子大学教授の吉田昇さんにお願いいたします。
#12
○参考人(吉田昇君) 私は社会教育を研究している者の立場で申し上げるわけでございますが、私自身この社会教育法等の一部を改正する法律案に対して、結論的に申しますと、反対でございます。反対する理由はどういうことであるかということになるわけですが、すでに参考資料としてあらかじめお配りしてあると思いますが、社会教育学会というものがございまして、その学会におきまして、この十月十一日、十二日総会が開かれましたときに、いろいろの議論が出まして、学会として問題点を作成する小委員会を作るということが決議されました。その委員会で検討しました問題点というのが四つほど出されているわけでございます。私もその委員会に参加していたわけでございますが、こういうふうな四つの問題点というものが、今度の改正案では十分に、明らかに納得できるような保障を得ていない、そういう点で私自身は、こういう改正案の立場に反対するわけであります。学会そのものには、これはさっき田上さんもおっしゃったのですが、政党政派に関係している人はいないのでございまして、いろんな立場からものを考えているわけでございますが、そういういろいろな立場の人がやはり共通の問題点というふうにしてしぼり上げたものが四つのものになるわけでございます。
 一応念のために読んでみますと、第一が、「社会教育を振興するため大学の役割は研究、教育の両面にわたって、きわめて重要なものがある。したがって社会教育主事の養成は現行法どおり大学が行うことが正当である。しかるに改正案では社会教育主事の養成に関し、大学の主体性を無視し、文部大臣が独自に養成する道をひらいたのは改悪である。」これが第一点でございます。
 第二点は、「社会教育委員はこれまで教育委員会に対する助言機関にすぎなかったが、改正案では青少年教育に関し、社会教育関係団体、社会教育指導者その他関係者に対し、助言と指導を与えることができるという直接の権限を与えている。これは、地方政治に直接間接関係のある社会教育委員が少くない現状のもとにおいて、社会教育の中立性をあやうくするおそれがある。」これが第二点でございます。
 それから第三点は、「改正案は市町村に社会教育主事をおくこと、公民館に主事を必置すること、公民館の設置および運営上必要な基準を定めるなど、国の規制をつよくうちだしているが、社会教育の財政面については、現行法が公民館、図書館、博物館を設置する市町村に対し、国は予算の定めるところに従い、その運営に要する経費の補助その他必要な援助を行うとあるのに、改正案では予算の範囲内において補助することができると改められ、国の財政上の責任は現行法よりもかえつて不明確になっている。」これが第三点でございます。
 第四点では、「改正案では第十三条を削除し、しかも提案理由にもその説明をなんら明示していないが、この点は憲法第八十九条との関係において、とくに重大な疑義がある。」
 これが共通に学会の委員会へ出て参りました問題点でございます。
 私自身は、いわゆるこの問題点というものがはっきりと保障されないような改正案では不十分だと考えているわけでございまして、以上その理由を簡単に申し上げたいと思います。
 第一に、社会教育主事の養成に関して、大学以外に主事養成の道を開いたという点でございます。元来社会教育ということは、ほかの学校教育に比べまして、どこの国でもおくれて発達して参った一つの分野でございます。従って、学校教育の方は早くから専門的教育職員としてのいわゆるプロフェッションという地位を確立して参ったのであります。それに反しまして、社会教育の方は長らくそういうプロフェッションという地位にございません。やっと最近になりまして、諸外国におきましても、特にアメリカでは最近はっきりとプロフェッションという一つの専門的職業ということが確立されてきたわけであります。ヨーロッパでもだんだんにそういうふうになりつつある現状でございます。そういう専門的な教育職員ということになりますと、これは当然専門的な教養を必要とするわけでありまして、どこの国でも大学において一定の専門科目を修得して、その道の専門家になる建前でございます。私たち社会教育を研究していく者にとっては、このことはきわめて当然のことだと考えているわけでございます。社会教育というような人間を扱いましていろいろな危険があり、むずかしい問題があり、デリケートな問題がある、こういう問題に対して専門職でない、どんな人でもなれるというようなことは大へん間違っていると考えているわけであります。医者が人命を扱うという点から専門職になっているように、また教師も人の子を扱うという意味から専門職になっているように、社会教育は当然専門的な職業でなければならないという確信を持っているわけであります。こういうことから考えますと、現在いろいろな法律でもって、地方教育公務員特例法におきまして、社会教育主事は専門的教育職員だということが書いてございますし、これまでの社会教育法においても専門的教育職員だという建前を非常に明瞭に打ち出していたわけです。こういうものが私は社会教育そのものを振興するはずの建前だというふうに考えているわけでございます。ただし、どういうわけでございますか、これまで大学におきます社会教育関係の講座というものは、ほかの学校教育に比べまして、あまり拡充されないで済まされてきた憂いがございます。実際にはそれほど充実しているとは言えないのであります。そこで、現行法のやり方といたしましては、附則に「当分の間」ということで都道府県で認定したり、研修したりする、こういう道を開いているわけであります。ところが、今度の改正案では、こういう「当分の間」という暫定措置をいきなり本則の中に持ち込みまして現状を是認するという立場に立っているわけであります。われわれから考えますと、社会教育関係職員というものはプロフェッションという地位に引き上げなければならないのに、現状をそのまま是認したというようなことは、これは明らかに後退だというふうに考えるわけでございます。そういう点で、これは社会教育の振興策ということより、現状くぎづけの策になってしまうのではないか、その点についてはそう考えるわけでございます。これが大学における社会教育主事養成という問題についての私が考えております一番大きな問題でございます。
 第二番目の点は、社会教育委員の性格でございます、社会教育委員というものは非常勤職員でございまして、別に専門的教育職というものではないわけでございます。地方公務員としても、あるいは教育公務員としても、保障もなければ、責任もないということは、非常にはっきりしておることでございます。そういう人たちがなぜ社会教育に役に立つのかと言いますと、それぞれの経験、学識を生かしまして助言をする。こういうことで社会教育の運営に非常に必要なものでございまして、現在非常に役に立つ働きをしている方もたくさんいらっしゃるわけでございます。ところが、今度の改正案では、本来助言機関であるものが直ちに実施機関というふうに変ってしまっている、これは非常に重要な問題点の一つでございます。なぜかと申しますと、昭和二十七年の、社会教育の現状、という文部省から出されております文献がございますが、その中でも、この社会教育委員にいきなり実践的な機能を持たせるということは明らかに間違いであって、社会教育委員が動けないというのは、社会教育委員に権限がないからではなくて、実際にその助言が実施されるような機関が十分に整っていないからだ、その社会教育委員の権能の強化というものは本来実践活動をする公務員の早急な充実、整備を行うことによらなければならないとはっきり書かれているわけであります。私はこの考え方を正しいというふうに思っているわけでございます。ところが、現実の問題といたしまして、社会教育委員、つまり教育専門職である社会教育委員の養成、あるいは実際に仕事につけるということを怠っていたためにそれが弱体である、弱体である現状のもとにおいてそれを何とか打開しようとして本筋を通さないで社会教育委員に指導の権限を与えるということは、どうも混乱があるのではなかろうか、本来助言機関であるものが責任も保証もない、その実施主体が非常に法律のことをよく勉強いたしまして、たとえば求めによらなければ助言はできないのだということをよく承知しておる、自主性をよく承知しているということなしにいきなり実施いたしますと、これは非常に危険、あるいは混乱が起るというふうに考えるわけでございます。当然これは助言機関として、実施主体は教育的な専門職である社会教育主事が行うべきだ、こういうことは研究者の立場から考えられる問題でございまして、こういうつまり混乱は避けなければならないというふうに思っております。
 第三番目にお金の問題でございます。社会教育を振興するということにお金が必要であるということはこれまでも常々いわれてきたところであります。ところが、今度の改正法案を見ますると、その肝心のお金が出るということの目安がどうも一向つかないようであります。まあ実際に考えておられることは、ここでこの国家的な基準をきめれば地方が必ずその予算を出すであろうというふうな建前を考えることと、あるいは地方税、交付税の中で交付金の積算基礎を上げる、社会教育費の積算基礎を上げるというふうなことをお考えになっておるのだろうと推測いたしますけれども、社会教育費の積算基礎をたとえ上げましても、地方交付税の方はいわゆる三税、つまり法人税、所得税、酒税の三つの税の多分二七%だったと思いますが、というふうに規定されておりまして、それを上げない限り社会教育費が上るという保証が何にもないわけであります。あるいは酒税を上げるというふうなことが別にあって、それを社会教育費に使うというふうなことがあれば別でございますが、実際は積算基礎を上げるということが直ちに金を出すという保証にはならないわけでございます。そして十三条、まあこれはあとで触れますが、十三条を削除いたしますから、金が出ると申しましても、先ほど御説明もありましたように、憲法八十九条があり、実際に教育事業には金が出ないのだという建前になっております。とすれば、お金が出るという保証はあまりないのじゃなかろうか、お金が出るという保証がない場合に主事を必置するということが起りますと、現在社会教育の活動面に出されている費用が主事の人件費に食われまして、かえって軽減するおそれさえあるというふうに考えるわけでございます。そうなりますと、社会教育の振興というのはかえってできなくなってしまうのではなかろうか、そういうことに関係いたしまして、この学会でも出されておりました補助金を出す規定が表現の上で弱目になっているという問題、これは大蔵省が補助金を切っていくという建前を長らく続けておりますので、当然出てくる表現の弱さであろうと思いますけれども、そういうことも特にこの際振興をうたっているときに変えなければならない必要というものは私たちはあまり考えられないというふうに思うわけであります。
 第四点の十三条問題でございますが、十三条問題を考える場合に十二条と十三条がそもそも一連のものであるということは初めから考えておかなければならないことでございます。十二条の方が表から、つまり自主性というものを規定しているのに対して、裏から十三条では金も出してはいけないのだという規定をしていたわけでございます。従って、十三条を取ることは、当然社会教育の中立性ということを弱めていく一つのやり方だというふうに考えます。十二条があるから十三条を削っても効果が変らないというふうのはどうもやはりおかしいのでございまして、十三条を取ることによって十二条が弱まったというふうに見てよろしいのじゃないかと思うわけであります。実際にそれじゃ十三条を取って、金を出さなければならないじゃないかというふうに言われるのですね、この場合、私はやはり政治的な中立の保障というものがどうしても必要だと考えているわけでございます。社会教育というものは、えてして政治的な問題というものと混同するおそれのある分野でございまして、あくまでやはり政治的な中立というものを守っていかなければならないとすれば、ちょうど私立学校に対して補助金を出したときのように、あのときは私立学校振興法というものができているわけでございますが、何か特別の法律が立案されて、それで十三条を取っていくというふうなやり方が考えられなければならないのではないか。現在までも付則の中でたびたびユネスコに金を出しましたり、あるいは体育関係の団体に出しましたりする場合に、付則としてこういうときのこういう種目に限って金を出すのだという討議を経て、それが行われているのに、十三条を取ってしまって、本則の中にある現状が肯定されて、しかも広く解釈される可能性を残しているという点は、やはり私自身としては納得できないのでございまして、別に自主性というか、官僚統制や、政党支配というものを避ける法律があって初めて十三条は取れるのではないかというように考えているわけでございます。
 要するに、以上の点から見まして、社会教育というものを振興するという建前で、われわれは社会教育委員を教育専門職にするということと、財政的な裏づけをするということが非常に大切であり、しかもその社会教育を政党支配と官僚統制から守っていくということが日本の現在の状態から考えても非常に切実な必要なことだと思っております。そういう観点から見まして、この改正案というのは、果して振興策であるかどうかというようなことについて多大の疑問を持っているわけでございます。そういった意味で私は研究者という立場から、どうもこの改正法案だけでは満足できないという点で反対の意見を持っているわけでございます。
#13
○委員長(竹中勝男君) ありがとうございました。
 ちょっと速記をとめて。
#14
○委員長(竹中勝男君) 速記を起して。
 それでは、これから参考人に質疑を行うわけでありますが、すでに十二時半になりましたので、昼食の時間一時間休憩いたしまして、一時半に再開いたします。
 それでは、午前の日程はこれで終ります。
   午後零時三十二分休憩
   ―――――・―――――
   午後一時四十二分開会
#15
○委員長(竹中勝男君) 午前に引き続きまして委員会を再開いたします。
 これから、午前中拝聴いたしました各参考人の御意見に対し、質疑を行います。質疑のある方は順次御発言願います。
#16
○吉江勝保君 午前中は参考人の各位から非常に有益な御意見を拝聴いたしたのでありまするが、二、三重ねてお尋ねをいたしてみたいと思う点がありますので、お教えをいただきたいと存じます。私は、吉田先生並びに真野参考人、お二人に大体お尋ねをいたしたいと思います。
 吉田参考人から御配付いただきましたこの社会教育法改正法案に関する報告、これに基きまして午前中御意見の開陳があったのでありまするが、この一、二、三、四という四項目にお分けになっておりまする、特にこの重点の四つの問題につきまして重ねてお教えをいただきたいと存じます。
 まず第一に、この一の点でございまするが、大学が「社会教育を振興するため大学の役割は研究、教育の両面にわたって、きわめて重要なものがある。したがって社会教育主事の養成は現行法どおり大学が行うことが正当である。」こういうように御開陳になっておりまして、今度の改正につきまして、文部大臣またはその他の教育機関、都道府県の教育委員会が行う、こういうように範囲が広げられましたことがまあ適当でない、というのですか、大学の主体性を無視したというように御意見を承わったのでありまするが、現在のこの法文によりましても、この社会教育主事の講習というものは、文部大臣の委嘱を受けて「教育に関する学科又は学部を有する大学が文部大臣の委嘱を受けて行う。」こういうようになっておるのでありまして、文部大臣の委嘱を受けて大学がいたすことになっておるのでありまして、で、今度も文部大臣のこの固有と言いまするか、その権限に基きまして文部大臣が、あるいは大学が適当のときには大学に委嘱をし、あるいは大学以外の適当な教育機関があれば、その教育機関に委嘱をいたしまして講習をやらす、こういうように改正をされましたことは、社会教育主事の講習につきましても、大学の主体性を別に侵したものでもなければ、あるいは社会教育主事の講習につきまして広く機会を与えていく――現在大学でこの講習をやろうとされましても、大学に講座がないとか、あるいは適当な講師の方が見当らない、そのためにあるいは他の講習、あるいは他の方面から講師を求めるとか、他の機会を作るとか、こういうようなことをいたしまして必要な講習が行われておるのでありまして、そういう実態を御承知の上で、まあ先刻御意見の発表があったことかと思うのでありまするが、こういう改正は別に文部大臣の持っておりまする権限を、大学が適当なときには大学に委嘱をされ、決して無視するわけではないのでありまして、また大学に講座とかそういうものがないときには、必要な機関に講習をやらすとか、こういうようになりまするのではないかと思うのでありまして、まず第一点といたしまして、この点につきまして、これが改悪である、こういうように断定されておりますることにつきまして、いま一応お教えをいただきたいと存じます。
#17
○参考人(吉田昇君) この点につきましては、先ほども申し上げたわけですけれども、大学が、つまり教育専門職というものは、やはり大学が養成するという建前が正しいというふうに考えているわけであります。で、専門職である限り、社会教育の専門の科目をちゃんと受講しなければ、資格もないということが明らかでありまして、前の現行法でも、「教育に関する学科又は学部を有する大学が文部大臣の委嘱を受けて行う。」という定めになっているわけであります。
 ところで現在、私も実情を承知しておりますけれども、大学に置いてある社会教育に関する科目が貧弱であるとか、講座が足りないとかいう現状がございます。現状がございまして、大学で、大学の人員だけで十分、つまり養成ができない場合もあることを承知しております。しかし、それはつまり本体である大学の講座を拡充するということが当然行われなければならないはずのものを、大学の講座が十分手を入れられていないために、そういう事態が起っているのだ、こういうふうに考えるわけでございます。
 そこで、臨時的な措置として現行法でも……、いや、臨時的な措置としてどうするかという問題が起り得るわけでございます。現実に大学が不十分だ、そういう場合に講習を一体どうするのかという問題が起り得るわけでございます。その場合でも、私は当然この機会に、つまりこれだけ全国に社会教育主事というものを置く機会にこそ、大学の社会教育というものを振興すべきであるというふうに考えております。で、恒久的、あるいは臨時的な措置として、大学の社会教育の研究を振興すれば、これだけの養成というものに間に合わないというふうに私は考えていないのでございます。
 で、この改正法案のように、大学以外の道を開きますと、どうしても専門的な教養において大学出よりも劣る主事が出てくる可能性があるわけでございます。そうして先ほども申し上げましたように、実際のお金の裏づけというものが市町村に十分ない場合には、大学を出た者よりはもっと簡単な養成を受けた者を主事に採用しようというような動きが起らないと決して保証できないわけであります。そういう点からいって、社会教育主事というものが学校教育に劣らない重要な、つまり教育という仕事を扱うという点からいって専門職でなければならない。そのためにはやはり大学の養成というものがどうしても必要なんだという考えから、私はやはりほかに道を開くことは間違いだというふうに考えております。
#18
○吉江勝保君 大体現状の大学で行われておらないという一部の事実はお認めになったわけですが、もし改正するならば大学の方を先にそういうふうに改正してもらいたい、こういう御意見なんでございますが、現状の実態というものについてはお認めになっておる、こういうわけですね。
#19
○参考人(吉田昇君) 現実においてやはり国立大学でも東京大学、東京教育大学、広島大学に社会教育学科がございます、国立の場合でも。そしてそういうところで主事の養成をやっているわけでございます。それに臨時の、つまり講習という形でそういう大学で養成をいたしますほかに、地方の大学におきましても社会教育関係の講座がある個所では現実に大学が養成を現在やっているわけでございます。私は現状において、ある地方の大学ではそういう社会教育の講座がなかったり、あるいは東京から人を呼んでこなければならないような事態が起ったりすることは認めます。しかし、それをもう少し拡充してもらえば、私は大学でできないというふうには考えていないということ、それを申し上げたのであります。
#20
○吉江勝保君 大体現状につきましての御認識をいただいておるようでありますので、私もその点はわかります。
 次に、今度は第三点でありまするが、助言と指導の点であります。社会教育委員がこれまで教育委員会に対する助言機関にすぎなかったが、改正案では青少年教育に関し社会教育関係団体、社会教育指導者その他関係者に対し助言と指導を与えることができるという直接の権限を与えている。この点につきましては真野参考人からも言われておったのであります。特に真野参考人は、求めに応じて、という従来の限度を越えて直接指導することは回れ右をしておるのではないかというような御意見があったのであります。この点につきまして条文は第十七条でございますか、第十七条の第三項に今回改正案が出ておるのでありまするが、この第三項の改正条文、この改正条文を受けまする社会教育委員というものが助言と指導を与えることができる。これは直接需要、求めがなくしてできる、これは行き過ぎじゃないか、こういう御意見があったのでありまするが、同じこの社会教育法の第十一条という条文につきましては、御研究といいますか、関連性をどうお考えになっているのか、真野参考人にお伺いをいたしてみたいと思います。
#21
○参考人(真野昭一君) この条項は、いわゆる教育行政機関の何と申しますか、任務と解釈しておりまして、特にこれが社会教育委員にまで拡充されるかどうかということについてはちょっとはっきりわかりかねますが、この文章を読んだだけでは社会教育委員までこれに含まるというような感じは受け取れないわけであります。そういう意味で、この社会教育委員のこの条項にある通り適用された場合には、相当いろいろな助言や指導をされるようになるのではないかという憂いを覚えたわけです。
#22
○吉江勝保君 今回の第十七条の第三項によりますと、「当該市町村の教育委員会から委嘱を受けた青少年教育に関する特定の事項について、」と、こういうふうに書かれておるのでありまして、社会教育委員の単独でやるわけではないのでありまして、当該市町村の教育委員会からの委嘱でありまして、この教育委員会というものは第十一条によりまするというと、社会教育関係団体の求めに応じてこれこれの指導または助言を与えることができると、こういうようになっておりますので、私どもの解釈では御心配になるようなことはない、こういうように解釈をいたしておりますので、この点につきましては、あるいは解釈の違いだと、こういうようにお感じになるかもわかりませんが、一応もう一度御見解をお尋ねいたします。
#23
○参考人(真野昭一君) 先ほどどなたか参考人の方からも御意見がありましたが、やはり社会教育主事とかこういった人たちもいわゆる専門職で、相当専門に勉強しておりますし、また法律も明るいわけでございますが、社会教育委員ということになりますと、いわゆる社会教育の畑以外の人も入っておられますし、そういったために法律の面その他でも十分な勉強をされておられない方もおる、またそういういわばしろうと的な人が入っておられるところにこの委員会のよさがあるのですが、そういった人であればなかなかはっきりここら辺の区別がつかないような場合が起り得るのではないかという憂いがあることをさっきから申し上げておるわけです。
#24
○吉江勝保君 大体法文の解釈については、私が申しましたので御了解があったと思いましたのですが、心配があると、こういうお考えのようでありますが……。わかりました。
 次に第三点でありますが、財政面について、現行法が公民館、図書館、博物館を設置する市町村に対し、国は予算の定めるところに従い、その運営に要する経費の補助その他必要な援助を行うとあるのが、改正案では予算の範囲内において補助することができると改められ、国の財政上の責任は現行法よりもかえって不明確になっておると、こういう御開陳があったのであり、また、真野参考人からの財政的な援助についての意見もあったのでありまするが、この点につきまして、まず第一に、吉田参考人に対しまして地方財政に対しまする交付税の関係、これは午前中は大体二七%というお話がございましたが、これは現在私ども二七・五%の交付税を出しておるのでありまするが、この交付税を出しますときにその交付税の率が変らない以上は、かえって圧縮されるのではないかというような御発言のように聞いたのであります。しかし、二七・五%というのはもちろん国の大きい地方に対しまする予算でありまして、その中には、財政需要の基準に関しましてはそれぞれ必要なものがあげられておるのでありまして、その中に主事もすでにあげられておる、また市においては主事補もあげられておる、こういう状態におきまして、その主事の今度は定員数がふえ、主事補も市においてふえてくる、こういうときには当然経費に対する必要なものは市町村なり府県にこれは参るわけでありまして、そういう点につきまして、あるいは財政の圧迫を受けるのではないかとか、あるいは不明確である、こういうように御発言になりましたのは、どういう理由でございましょうか。
#25
○参考人(吉田昇君) 現在、つまり先ほど二七・五%の交付税があるわけで、その中に積算基礎というものがあって、積算基礎を上げれば、つまり財政的に多少よくなるということも私も承知しております。しかし、その上げ方において、つまり地方財政、地方の公共団体の財政の範囲の許す、予算の範囲の許す限りにおいてそれを支出するという義務があるだけで、地財法などによりまして、相当現在地方財政が締めつけられておる現状において、積算の基礎を上げたからといって、直ちに十分な経費が出るというふうにはどうも考えられない。そうして実際に主事を必置することになった場合、そういうものが、つまり積算の基礎に組まれておりまして、地方財政に組むことになっておりましても、それだけの額が果してそのままうまく回ってくれるかどうかについても疑問がある、そういう場所が私は少くともあるというふうに考えております。これは実際にいろいろ学会の方でも地財法に関する調査などをいたしておりまして、積算基礎が必ずしもそのまま出ていないというふうな事実もわかっておりまして、そういうことから申しているわけでございます。つまり積算基礎を上げることは、多少とにかく社会教育に回る金はふえるであろう。しかし、主事を必置するということになれば、社会教育活動費がこれまでよりもふえるというようなことはそうやすやすと楽観はできない、そういう意味でございます。
#26
○吉江勝保君 大体話を聞いておりまして、財政基準の積算を上げることによって、予算の交付税が多くなるということはお認めになっておるのでありまして、それ以上に地方財政にどういうような予算を組むかという運営になりますと、これは府県の議会とか市町村の議会、あるいは提案者の関係もありますので、そこまでここで私どもが論じますのはどうかと思います。一応こういう主事あるいは主事補が増員になって、国庫の方より地方の財源を付与するということは、これは社会教育に対しまする私は大きな国の援助じゃないかと思う。これが財政上あるいは改悪とまではおっしゃっておりませんが、まあ反対であるというような御意見がありましたのは納得ができない。
 次に、今日の改正におきまして、現在の社会教育法に基きまする改正の、改正と申しますか、社会教育法の補助の規定の条文が改正になりまして、今度の改正によりますというと、かえって財政上の責任が現行法よりも不明確になっておる、こういうようなお話があったのであります。で、これは御承知だろうと思いますが、現在のこの補助というものが社会教育法によって行われておらずに、補助金等の臨時特例等に関する法律、臨特法というものによって行われておることは御承知の通りと思うのでありまして、この臨特法によっての補助というものは、社会教育法によりまするものよりも特別に施設関係につきましては補助が出ておるのでありまして、しかし、御承知のように来年の三月三十一日にはこの法律は効力を失効いたすのであります。そうしますと、その後におきましての措置というものにつきましては、今度の法律によりまして、改正によりまして一番必要な施設費等に補助が向けられる、こういうようになりますことが私は非常に必要ではないかと思うのでありまして、現在の社会教育法に戻りましても、この施設に対しましての補助は得られない、現在施設に対する補助を得ております臨時特例法は明年の三月末日で失効してしまう、こういうときに、この改正法によりまして施設費あるいは設備費その他の必要な経費というものに対しての補助が得られるということは改悪でもなければ、皆さんが望んでおられるところではないかと思うのでありまして、そういう点についての御見解をいま一度お聞きいたします。
#27
○参考人(吉田昇君) 臨特法というものがあって、現在補助しておるという実態は承知しております。それが来年三月に失効になることも承知しております。ところが失効した場合に、現在つまりこうできるというふうな形で、非常に緩和された形で出されているものを、そのまま社会教育法の原則として打ち出すということについては、これだけの拡大をしようという場合にやはり弱いということ、そうして不明確だということは、私の考えは変らないわけでございます。で、別に弱い表現でなくても、もとの文案そのまま残しておくということで差しつかえないのではないかというふうに考えるわけであります。全体的に申しまして、要するにここで私が問題点として考えておりますことは、サポートとコントロール、実際の補助とコントロールのバランスの上で、どうしてもやはり今度の法案は、コントロールの面が強くて、サポートの面が弱いというところに問題を感じているわけであります。
#28
○吉江勝保君 失効した後の社会教育法、現行法によりますと、三十五条、三十六条、施設に関しまする補助は得られないのですね、現在一番必要なものは施設だろうと思うのであります。非常にこの要望が多い。それを現行法のまま残しましたのでは得られないので、今度の改正に施設費というものが入っているのでありまして、なお設備の費用も入れ、その他の必要な経費というものも入れて、みなの要望に沿うように改正をいたしているのでありまして、この点につきましては私重ねて御質問というよりも見解を申しまして、そうしてこの予算につきまして真野さんから意見がありました配分の機関についてお尋ねをいたします。
 その前に、真野参考人のお立場でありまするが、日青協の副会長でありますか―というように聞いているのでありまするが、これは間違いないのでございますか。
#29
○参考人(真野昭一君) 間違いありません。
#30
○吉江勝保君 そうしますと、そこに掲げておりまするその紙は、それはだれが書いたのでしょうか。委員長の責任であのようにお変えになったのですか……先ほど委員長からもそういう発言をされておりましたが、あれは団体といいますか、会が違っているように思いますが、御訂正にならぬと、この速記録みんな間違ってしまっているかと思うんです。どちらがほんとうなんですか。
#31
○委員長(竹中勝男君) 日本青年団協議会、「連絡」がないそうです。
#32
○吉江勝保君 それでは、先ほどからの委員長の御発言は、いつも連絡協議会副会長と言っておられるのは間違いでございまして、それは後刻訂正していただきたいと思います。
#33
○委員長(竹中勝男君) 私のところにも「連絡」がなかったものですから……。
#34
○吉江勝保君 まあこのくらいにいたしまして、真野さんの発言の中に、補助金に対しましては、大体十三条が削除されて、そうして補助金が社会教育関係団体に交付されるということにつきましては、御同感の意見があったのでありますが、ただ、そういう十三条を削除する前に、配分の機関を設けることが先決ではなかったか、こういう意見があるのでありますが、この配分の機関というものは一体どういうものを考えておられるのか、その権限といいますか、国費を配分いたしまする機関というものは一体どういうものをお考えになっておるかということをもう少しお聞きいたしてみたいと思います。
#35
○参考人(真野昭一君) これは日本の例についてはあまり存じませんが、フランスあたりですと、民間人を中心にしましたところの、青少年に関しては青少年の団体の代表を過半数入れたところの審議会を設けて、これが政府とは一応離れた形で、その団体の前年度の実績だとか、会費だとか、そういったものを査定しまして分配する。あるいはイギリスでは法人組織にしてこれを分配している。そういったような、いろいろな諸外国の例もありますので、そういったものを参考にしていただいて、一つの今後最も公平中立な機関を作っていただくということを考えておるわけで、まだその詳しい内容を法的に研究するところまでは至っておりません。
#36
○吉江勝保君 お聞きしますと、国費を配分しまする政府以外の機関を作れというように感じられるのでありまして、募金をしました民間の金を配分の委員会で配分をするのと違いまして、国費というものは税金で取りましたものを政府が責任を持って行政で執行していくのでありまして、文部省があるいは諮問的な機関で配分をする機関を設けよ、こういう御意見かと思ったのでありますが、政府と別の機関で予算の執行に当らすとか、配分の決定をさすという御意見のように伺いましたので一応参考にお聞きいたしておきます。
 大体以上三点につきましてお伺いをいたし、第四点の十三条の削除が憲法八十九条との関係において重大な疑義がある、こういうように述べておられまするが、これはすでにもう田上憲法学者から明快な説明がありましたので、私質問をしようと思いましたが、田上憲法学者の説に私の質問はもう解消いたしております。終ります。
#37
○松永忠二君 二、三点についてお伺いをいたします。
 まず、田上さんに一つお伺いをしたいのでありますが、先ほど吉田さんからお話がありました、御意見があったのでありますが、社会教育法の第十二条と第十三条というものについてはどういうふうな関連を持った条文であるというようにお考えでありましょうか、お聞かせを願いたいと思うのであります。
#38
○参考人(田上穰治君) 私は十三条と申しますか、あるいは憲法八十九条の規定の中には、そうみだりに補助金を出すことは不当な支配を及ぼすことがないわけではない、そういう理由はあると思いますけれども、しかし十二条と十三条は一応何といいますか、別個に考えまして、補助金を与えたから当然十二条と矛盾するというふうに考えないわけでございまして、補助金を与えることは、事実上しばしばいろいろな例によりますると、この影響力があり、補助金をもらうためにいろいろ法律に基かない注文を受け入れるというようなことがないわけではございませんが、しかし、その点はやはり厳重に戒めることにいたしまして、やはり私は十二条の趣旨は将来も厳格に貫く必要があると存じます。けれども、十三条を削除すれば十二条の方が当然に影響されて、何というか、十二条を残す以上は十三条も不可分の関係で残さなければならないというようには考えておりません。
#39
○松永忠二君 その関係について、こういうような考え方についてはどういうお考えをお持ちでありましょうか。第十二条に、社会教育関係団体に対して不当に統制的な支配を及ぼして事業に干渉を加えてはならない、これは大きな広い意味におけるそういう根本の方針であって、その中で、特に補助金に伴う問題としてそういうことが具体的に行われる可能性が非常に多いので、その中の最も顕著なものとして特に規定をして、第十三条に、補助金を与えてはならないという規定を設けているというふうに関連の考え方もあると思うわけでありますが、こういう点については、どういうお考えをお持ちでありましょうか。
#40
○参考人(田上穰治君) ただいま申し上げたところ以上に考えはないのでございますが、補助金を与えることは、事実上いろいろな面で何というか、干渉できる余地はある、こう思いますけれども、法的に見て、補助金を与えたから当然そのことが統制的な支配を及ぼすものであるということにはならないのじゃないかということでございまして、また、この統制的な支配を及ぼすことは、もちろん補助金という問題と切り離して十分にそういう可能性というか、危険がないわけではないので、十二条の規定は十分存置しなければならないと思うのでございますが、そういう補助金を与えてはならないという条文との関連は、全然ないというわけではございませんけれども、一方を削ることによって十二条の規定にひびが入るというような、どうも法理論ではなくて、事実上の点は十分警戒を要すると思いますけれども、規定の解釈上は一応切り離してよかろうと思うのでございます。
#41
○松永忠二君 そこで、先ほどお話がありまして、補助金等を支給する場合には、特に政府の干渉というようなものが事実上行われないという配意が特に必要だというお話があったのでありますが、その点に関して実は、先ほど真野さんから公共的機関の必要というようなことのお話があったわけであります。また、私どもそういう点も非常に配意を要するのじゃないかということも考えておるわけでありますが、具体的にあなたのお考えになっておられる、そういう干渉が伴わない補助金の支給の仕方というものについて、具体的に何かお考えを持っておられましょうか。その点については、田上さんと吉田さんに一つちょっと御意見等をお聞かせ願いたいと思うのです。
#42
○参考人(田上穰治君) 実は格別考えを持っておるわけではございませんが、しかし、先ほど申し上げました、われわれの関係しております大学設置審議会のようなああいう形は諮問機関でございますが、実際には顔ぶれによりまして、私どもは例外でございますけれども、年配の、年配というか、相当官僚面に信頼されるような委員を集めますならば、名前は審議会でありましても、かなりそういった当局の、もし行き過ぎがある場合には、これをチェックするだけの実効性は考えられるように思いますので、そういう審議会とか、そういう諮問機関的なものを作ることは結構ではないかと存じますけれども、全くこれは思いつきでございまして、ただ、先ほど御議論がございましたように、政府から全く離れた厳密な意味の独立の機関ということになりますと、やはり国会との関連におきまして、その責任を明らかにすることが困難でございますから、その点、中間になるかもわかりませんけれども、審議会的なものを、そのメンバーは十分に公正な立場でお考えいただきまして、設けることについては、私適当ではないかと存じます。
#43
○参考人(吉田昇君) 今、どういうふうにしたらば公平な配分が行われるかということでございますが、そして審議会というふうな話が出たわけでございますが、私は、日本の現状というものから考えて、ただ審議会で、公平な立場で選んでもらうという要望だけでは不十分なような気がしております。それは、たびたび、いろいろな青少年に関する委員会などがございますが、これはいろいろ見解は違うと思うのでございますが、何か文部省のおやりになることに対して、意見など申しますと、翌年から自然に委員をやめさせられたというような経験を私持っておりまして、自然に時期がきたからやめさせられたのだと思いますが、私国会で、今、今度の改正法案に反対をしております。それは別にどういう、政党的な立場でなくて、純粋に考えて、どうもやはりこれは満足できないということで発言をしておるのでございますが、そういう発言をいたしますと、委員からはずれるという率が多くなるのではないかという現状がございますので、何か、もう少し法的にしっかりした権限というふうなものがなければいけないのじゃないかと考えております。たとえば、私立学校振興会法というような別な法律的な措置がありますれば、ある程度安心できるのでございますが、ただ公正に選んでもらうということを要望するだけで、行政機関が十分に行えるような保障というものがなければ、日本の現状を考えた場合、どうしても私には不確実なように思われるのであります。
#44
○松永忠二君 今、お二人から御意見を聞いたわけでありまして、特に吉田さんからお話がありましたような点については、なおいろいろと、たとえば公民館活動として政府の金を出し、そこから審議会を通して各団体へ配分をしていくというような方法も具体的にはあり得ると思うので、そういう配意はぜひ私たちは必要ではなかろうかと思うわけでありますが、重ねてもう二、三の点について、田上さんからお話を伺いたいと思うのでありますが、今、社会教育を充実するというために最も必要なものは、今言ったような、団体等に補助金を出すということなのかどうか。あるいは、先ほど真野さんからお話がありました話し合いの集団とか、共同学習集団というようなものに対して、これを、活動を活発にさせていくというようなことにあるのか。その点について、どういうお考えをお持ちでありましょうか。今、社会教育を振興するために、まず第一に手を打つべき方法としてどういうことをお考えになられておりまするのか、その点を一つお答えをお願いしたいと思います。田上さん一つ……。
#45
○参考人(田上穰治君) 社会教育関係ははなはだ恐縮でございますが、私その点用意がございませんものですから、お許しをいただきます。
#46
○松永忠二君 それでは、もう一つの点について、先ほど田上さんからお話がありました、国の責任を明確にするということは、非常に必要だけれども、命令、監督にわたるということは避けなければいけないというような御意見のお話があったわけでありますが、こういうふうな点から考えてきたときに、さっきから少し話の出ております、特に第二十三条の二という所に、公民館の設置だけではなしに、運営の基準を国がきめる、それでまた、その基準に従って運営されるように指導、助言を文部大臣は与えるというようなことを加えられてきたわけであります。この点については、現在御承知のように、この教育課程の基準というものが非常に国家的な基準として強制をされる、この点について問題が出てきておることは御承知の通りだと思うのです。こういう際に、一体、運営の基準を国が定めて、それに対して指導、助言をするということは、命令、監督ということにこれ以上わたるような方向に行くおそれはないか、あるいはもう一つの点として、先ほどから皆さんから御指摘になっておる社会教育委員が、従前は第十一条では、大臣や委員会でも、求めに応じなければ指導、助言をしないというのを、教育委員自身が直接指導、助言ができるというようなことになるということについては、そういう点からこれ以上のつまり国家責任の明確化ははかるとしても、命令、監督にわたらない社会教育の自主的活動を育成するという立場からいうと、これらの点については適当な方策であるのか、あるいは特に慎重に配意を要すべき問題であるのか、この点を一つ御意見をお聞かせ願いたいと思うわけです。
#47
○参考人(田上穰治君) その点もはなはだ不十分でございますが、私は先ほどから伺っておりまして、公民館あるいはその他社会教育事業の多くのものは、各地方、性質上地方の地元において自主的に行う必要があり、またその余地もかなりあるというふうに考えたのでございますが、ただ基準を設定する方になりますというと、これは一般の地方自治の問題におきましても、やや広域的な団体が統一的な基準をきめ、あるいはこれを維持していくという任務が一般にあるわけでございまして、従って各府県、さらに大きく全国的に一応の基準をきめる。教育関係の問題になりますと、やはり地方によってあまり基準が違うのでは、とにかく地元の人のためではなくて、その結果は、全国各地においてどこに行ってこういう社会教育によって育成された人が活動するか、これはもうきまってないわけでございますから、地方によって基準があまり変るということはよくないわけなので、そういう意味におきまして、まあ、統一的な基準、またその基準を維持していくということは必要であろうと思うのでございます。しかし今のお話のように、あまりこまかいところまで各地方の自主性を害するような立ち入った指導を与えるということは、私としても好ましくないと存じます。
#48
○松永忠二君 もう一つの点、西崎さんに一つお伺いをしたいのでありますが、あなたのおいでになります社会教育審議会の方から文部大臣に対して、社会教育審議会に対する諮問の答申がなされておるわけであります。その中に、公民館の充実振興方策という答申が出ておるわけでございますが、これには、先ほどからお話の出てきております「施設、設備、職員等について、別記のような最低必要な基準を設定し、これを、補助基準として、その充実振興を図ること。」というような答申が出ておるわけであります。そうすると、施設、設備、職員等についてその最低の必要な基準を作り、それは補助基準としてその充実振興をはかれというふうに答申は出ておるわけであります。ところが、今度の法律案では、運営の基準も作るように出ておるし、なおそれが設備基準、今言っておる施設、設備についても補助基準としてこれを、というふうに答申されておるのに、非常にワクが拡大されて、答申以上にわたって基準の設定が出ておるわけであります。これは特に公民館として充実振興方策としての答申であるので、最も最近のものであり、尊重さるべき性質のものだと私ども思うわけであります。それに運営基準等のことについては言及されておらないわけなんですが、この点についてはやはりどういう論議があったのか、特に、そういう答申にないものについて法的に規制をしていくということについてはどうお考えになられるのか。この点を一つ西崎さんと、なおそういう意味から吉田さんにも一つ御見解をお聞かせを願いたいと思うのであります。
#49
○参考人(西崎恵君) 社会教育の審議会で公民館の振興についていろいろ文部大臣に答申をいたしたのでありますが、その通りと条文とは少し違うと、むしろこの条文の方が非常に広いのじゃないかということでございますが、公民館といいますものは、御承知のように、非常にピンからキリまでありまして、文部省が補助いたすにいたしましても、あるいは奨励するにいたしましても、ほんとうに普及ということのみに重点を置いた関係上、どうも平仄が合わない点があったので、一定の設備基準も作るし、それから運営上の人の面等におきましても、あるいは主事を一人は置く、置くようにしたいというような理想的な話がございまして、今申しましたような答申になったと私記憶いたしておるのでありますが、その答申いたしましたことと、この本条とを比較してみまして、私がその答申の要旨を取り入れてやっていただいておるというので、この点につきましては私は不満足なものとは思っておりませんのでございますが、御承知のように、社会教育的なスタッフは市町村には非常に少いのでありまして、そういう意味からやはり都道府県の方から、あるいは文部省の方からいろいろ理想に近いような基準を一応定めて、そしてそれを通知するということが、実施してもらうということが必要であろうと思っておるのでありますが、今申されましたように、審議会で答申いたしましたことと、これとがちょっと趣旨が違うというような意味には私とっておりませんが……。
#50
○松永忠二君 運営の基準ということについては、審議会で審議されたのかどうかということを聞いたんです。
#51
○参考人(西崎恵君) それは、少くとも主事を一人くらい置くというのでなければ、公民館だけがあったんじゃしようがないじゃないかと、それから人的なことも一つ書いて、そして年間いろいろやるようなことも援助指導するとか、あるいは助言するとかというようなことにしなければしようがないのじゃないかというような意見が審議会では出たように記憶しております。
#52
○参考人(吉田昇君) 実際に私は社会教育というものは、本来的に地方事務に属するものであって、学校教育と違いまして、学校事務ではないというふうに了解しておるのでございます。そういうふうな観点から立った場合に非常に財政的にでこぼこがございますので、貧困な市町村に対しましてこれの施設、設備、あるいは人について国家が補助を行うということは、これは当然しかるべきだと思うのでございますが、運営についてまで国家が基準をきめてこれを画一化することは社会教育の本来の仕事を逸脱するものが多分にあると思うのであります。この運営に関する基準というものは、いろいろ広く解釈される可能性がございますので、実際はこれを省いておいた方が正確になるのじゃないか、かなり危険を持ったもんだというふうに考えております。
#53
○松永忠二君 もう一点で終りますが、真野さんと、それから坂田さんに一つ御意見を聞きたいのでありますが、今この青年団と特に共催事業の内容をめぐって教育委員会との対立があったり、あるいは招聘の講師のもんちゃく等、あるいは役員改選についての紛争等、まあときどきいろいろな紙上等で承知するわけなんですが、これはその原因というものがどこにあるというふうにお考えになっておられるのか。こういう問題を解消するに必要なことはどういうことであるというふうにお考えになっておられるのか。お二人から一つ最後に御意見を聞かせていただきたいと思うのです。
#54
○参考人(真野昭一君) それは、まあいろいろ一つ一つのケースによりまして実態が違っておりまして、一口にすぱりと申すわけにいかないような実情でありますが、やはりこの団体がまだほんとうに自主的に、民主的にと申しますか、団体一人々々が民主的な人間に成長しておらないために、人をねたんだりいろいろすると、まあそういうことが一つの役員改選の場合などには混乱になるかと思っております。まあそのほかにいろいろやはりこの何と申しますか、最近いろいろ出て参りましたものに政党の干渉という言葉で言われておるのですが、その実態はなかなかつかめないのでわかりませんが、われわれの団体は少くともあらゆる政党的な考えの人も入っている。また逆に言えば、まあそういう政党的なにおいが一切ない団体でありますが、やはり非常に若い人たちで、しかも人数が多いということから、それぞれの政党の方はその中に自分と同じ考えの者を求めていかれようとするのはしごく当りまえなことで、けっこうなことかと思いますが、まあそういうことで、いろいろな考えを持った、考えの非常に進んだ青年がたくさん出て来たということは、やはり大激論を巻き起す一つの要素になるわけで、それが見方によれば大へん混乱をしているというふうに見える場合もありますが、これも民主的な団体に成長する途中の一つの現象というふうに見ていただけば、あるいはいいのではないかと思います。
 なお、この事業共催の拒否といったような問題については、直接その現場にまだ行ってみたことはありませんが、新聞だとか、あるいはいろいろな手紙などで連絡があるわけなんですが、これはやはり教育委員会側の考えと、それを共催しようとする青年団の考えの間にまあ相当なズレがあるわけであります。たとえば極端な例を言えば、勤務評定反対の運動に参加したから、そういうものとは共催できないというような形で拒否されたとか、まあこれは連絡によるのですが、そういったようなことを聞いた記憶もあります。とにかく青年は比較的にこう新しいものを求めがちなんですが、それがどうも政治的に走り過ぎるというようなふうにおとなの方は見る向きもある。まあ、そういうようなところが一つの原因になって、一人の講師を選定するについても相当な激論になると、そのウエートのうまく一致しないというような場合もできてくるのではないかと考えますが、とにかくこういう政党を越えた団体というものは、非常にまあやりにくい団体であります。しかしながら、やりにくい中をあらゆる立場や考え方を越えて、一つこの青年ということと、同じ地域をよくすること、村作りをするという気持で一致していこうということでまとまってやっておるわけでありますが、内部的にはいろいろまあ絶えずこう激論をして自分たちの成長をはかりつつ、そういう目標達成に努力しておるというような状態であります。
#55
○参考人(坂田修一君) 青年館の立場から、青年団の健全な発展ということについて平素お手伝いをしております私どもの立場から考えます際に、青年団は特走の社会目的とか、あるいは政治目的を持って集まった団体ではなくして、地域社会にその組織並びにその活動の根をおろした団体である。ですから、その自分の郷土を明るく健全に建設していくというような統一的な目的を持ち、その地域に居住する青年は原則的にその考えのいかんにかかわらず入るというような伝統を持っております。そのような地域に結びついた全体性ということがこの青年団活動の何と申しますか、共通の広場、土俵、行動の、あるいは考え方のワクになるというふうに私たちは期待しておるわけでありますが、そのような考え方から他の特定目的を持った団体に比べますというと、構成団員がまあいわば種々雑多な人が入っておるということが言えると思うわけであります。その点で、その存立目的をつい忘れるというと、意見の衝突を来たすということが間々あり得ると思うわけでありますけれども、しかし、今日までの日本青年団協議会が結成せられて、運営せられて参りました跡を見ますと、今御質問がありましたような、役員改選等において相当激烈な争いがあるのではないかということでございますけれども、これは外部から見られるような派閥的抗争ということではありませんでして、多少そういういろいろな人たちが入っておる間の見解の相違から執行部に出ていく場合の競争といったようなところが出ておるのであろうと思っております。従って私たちとしましては、青年団の存立しておる特殊性を忘れないようにやってもらえさえすれば、その青年団の健全な、一体的な発展ということが期待できるのではないかと、かように考えておる次第であります。
#56
○大谷贇雄君 二点ばかりお尋ねをいたしたいと思います。吉田さんにお尋ねを申し上げますが、先ほど吉江委員の御質問に対しまして、社会教育主事の養成を今度の文部大臣、または文部大臣の委嘱を受けた大学その他の教育機関、もしくは都道府県の教育委員会が行うと、こういうことに拡大をするというと、その素質が劣る可能性がある、こういうお言葉でありますが、私どもは今日の大学における養成の何と申しますか、人数的な可能な範囲から申しまして、今度の拡大をされて、社会教育主事の講習が各地で行われるということは、社会教育の振興に値するものである、かように考えておるのでありますが、その点について先生のもう少し詳しいお考えを承わりたいと思います。同時に、社会教育学会の特別委員会の、御朗読になりましたこの中には、「大学の主体性を無視し、」云々と、従ってこれは改悪だと、こういうことでありますが、大学の主体性ということの意味が私どもには実は理解できない。ということは、今度の改正によりましても、文部大臣が大学に委嘱をする、さらに広く文部省も、できれば地方の教育委員会も講習ができると、こういうことになっておるのでありますから、従って私どもはこれこそ社会教育の振興になると思うのですが、その点をお尋ねをいたしたい。
#57
○参考人(吉田昇君) 第一点、つまり非常に多くの人数の主事を養成するのだからいろいろな機関で行うことの方が適切ではないかというお話でございますが、私はやはり教育専門職というものは、まあ一つの専門でございまして、医者なんかの場合と、今すぐにいくかどうかわかりませんが、大体同質のものだというふうに考えております。医者の数を今非常にふやす必要があるから、大学出でなくも医者を方々で作った方がいいんじゃないかというふうな議論には私は賛成をしないのでありまして、やはり確実な医者を作っていくということが先決であるように、社会教育主事の場合も大学における専門的な教育というものをやった主事がふえることを期待しているわけでございます。人数の範囲からいって大学で実際に不可能ではないかというお話がございますが、現に各地にすでに社会教育主事が置かれておりますし、合併した町村の社会教育主事の数であれば、現在これからでも大学における社会教育講座というものを拡充すれば、十分に間に合うという考えを持っております。各地の教育学部あるいは学芸学部というふうなところでも、社会教育の講座が置かれているところと置かれていないところが現在ございます。私は社会教育というものは非常に大事なものでございまして、学校における教員の養成にもぜひ社会教育の講義を聞かせたいものだというふうに考えておるわけでございます。これを早急に実施いたしまして各地の大学に社会教育の講座を置くというようなことをいたしますれば、方々の大学から集まってくれば社会教育主事の養成ということは決して不可能ではない、まあ原則としては私はそういうふうに考えておるわけでございます。もしその量的な措置についても、昭和三十七年までに実施というふうな年限ならば私はできると思いますけれども、もしかりにほかの財政上の都合があって、どうしてもそこまではいけないというふうな場合が起るといたしますれば、当然付則か臨時措置として大学以外の養成も許すべきであって、本則を逆転させるということは、これは社会教育振興に非常な弊害をもたらすものだ、こういうふうに考えているわけでございます。
 第二点は、大学の主体性というのは、一体どういうことなのかという御質問でございます。大学の主体性というのは、やっぱり大学というものは自分の自治に基きまして、一つの水準というものを自分できめて、それによって社会教育というものをやっていく、こういうことが大学の主体性の建前でございます。いずれにしても文部大臣の委嘱を受けるのでありますから同じでございますけれども、その場合に最近の傾向といたしまして私の聞いておる範囲では、大学の方で出しました講師の名簿をなかなか許可をしないというふうな現象も見られるようでありまして、あくまでもやっぱり大学を尊重するという建前が、どうも今度の、方々に広げていってほかで養成するということを原則にしていくことの中に含まれていないのではないか、やっぱり社会教育主事の養成というのは、自由な大学というもので、広い教養を与えて自由にものを考えるような場所で教育しなければ、民衆の間に入って教育の事業を行うというようなことは不可能ではなかろうか、こういう考え方から、もっと大学の主体性を尊重して、大学でもって養成することを本則にしてもらいたい、私はこういうふうに解釈をしているわけであります。
#58
○大谷贇雄君 吉田先生の学者としての御意向はよくわかりますが、現に昭和二十八年の社会教育主事の講習の講師の構成をながめてみましても、必ずしも大学の主体性がそこに現われているとは実は私は思わぬのであります。と申しますることは、この八十八人の講師が七月十三日から十月の二十四日までいろんな科目について御講義をなすっていらっしゃるのだが、その中で大学の先生の数は三十四人である。文部省あるいはその他の官庁あるいは教育委員会の関係の方々の講師が四十六人の多数に上っておる。従って今度の改正案によっても文部大臣の委嘱によって大学もこの講習を行うわけなんですから、現実の問題としては大学の先生だけが社会教育の理論を講義なさるというのでなしに、あるいは社会教育の実際の経験家も、あるいは職業教育の実践家もなさるのでありまして、私どもはこれはちょっと聞きますると、大学万能主義で、何かセクト的の考え方のように受け取れる。私どもは今度の拡張はむしろ社会教育振興のために、現在社会教育主事で働いておられる人の再講習もどんどんできていくだろうと思うので、そういう点についてどうも私どもは大学の主体性ということを無視するというようなことは、この法にはちっとも現われておらぬのですが、もう一ぺん御説明願いたい。
#59
○参考人(吉田昇君) セクト主義というお言葉が出たのでございますが、医者になるのに、大学を出なければ医者になれないというのは、大学のセクト主義であるかどうか、私は非常に疑問であると思います。やはり大学が現在弱体であることは異存ございません。大学の講座が不足であることは、私も認めるわけですから、それだけに社会教育を振興するならば、当然大学の講座の拡張ということに力を入れるべきであって、どちらが原則であるかということをここで逆転させるべきではない、こういうふうに考えております。
#60
○大谷贇雄君 吉田さんの御意見よくわかりましたが、私どもは今度の改正は社会教育の振興に資しておると思います。
 そこで、真野君にお聞きしたいのですが、どうも先ほどの真野君の御趣旨は反対しておられるのやら、賛成しておられるのやらどうも了解いかなかった。ということは、現在の青年団の運営について、あるいは教育委員会との共催の形、その他について公けの金が相当出ておる。それでなければ青年団の運営はできないのだ、こういう話が最初にありました。と言われるかと思うと、現行法でもできるというような、十三条を撤廃せぬでもできるというようなお話もあって、どうも首尾一貫せぬきらいがある。そこで、今度の十三条を撤廃するということになれば、これは日本青年団協議会に対して、財源の許す限りにおいては堂々と行き得るわけだ。それに対して真野参考人は反対のようなことを、公式論を先ほど陳述をされたわけですが、一体、真野参考人の真意はどこにあるのか、もっと信念をもって聞かしていただきたいと思います。
#61
○参考人(真野昭一君) ちょっとどういうことを言われたのかわからぬのでありますが、初めに申し上げましたのは、青年団、あるいは婦人会、あるいはPTAという社会教育関係団体というものが戦後十何年間ずっとやってきまして、やはり純粋の会費、あるいはその人たちが働いたりする事業収入だけではやっていけなくて、相当な公金を、あるいは事業共催とか、あるいは事業委託とか、いろいろの名前でいただいておるという事実はあることをまず最初に申し上げたわけであります。しかしながら、繰り返して御説明申し上げましたのは、やはり青少年団体の自主性ということを主張しておったわけでありまして、現実の姿と、それから自主性ということと両方申し上げたわけであります。しかしながら繰り返して申しますが、現実にそれでは会費だけでそれらの団体がやっていけるかというと、戦後十何年間の経験ではどうも無理だろう、やはり社会教育費などを増額していただいて、もっともっと公けの金をいただくことの方がいいのじゃないかというような考えに立っているわけであります。しかしながら、もう一度繰り返して申し上げますが、非常に公的な立場のような仕事もやれば、教育的の立場のような仕事もやっている。また、単なる自分たちだけが楽しむリクリエーションのようなことももちろんありますが、もっと広く相当公共的の仕事もやっている。そういう意味で、やはりこれは国家なり、あるいは地方公共団体なりが助成していく責任もあるものだということも考えております。そういう立場に立ちまして申し上げたわけでありまして、首尾一貫せぬわけではないと思います。
 それからそのあとの問題でありますが、十三条につきましては、やはり何らかの適当な公平中立な立場の機関を設けてもらってから、これは削除することの方が正しいのではないかという立場で申しているのでありまして、金はもらわないとか、何とかと言っているわけではありません。それからその前に、現行法でも出せるのではないかということを主張いたしましたのは、その通りでありまして、現在の法律でもずいぶん出させるようになっておりますが、実際に十分出していただいているとは思えないのであります。たとえば、いろいろ指導者を派遣していただくとか、そのほかずいぶん法律には詳しく書いてありますが、公民館の充実だとか、あるいは、視聴覚教育、体育、リクリエーションの設備とか、情報交換のための調査研究をする、その他、講習会、討論会を開くとか、職業訓練のための技術指導とか、そういった形でまだまだ出していただける余裕は十分にあるのであって、それが果して十分に行われていたかというと、決して十分に行われていなかった、こういう事実もはっきりあるということは繰り返して強調申し上げたわけであります。
#62
○大谷贇雄君 真野参考人にお尋ねします。今、青年団の実情は、なかなか会費だけでやり切れない、従ってどうしても国なり、地方公共団体から補助を受けなければ現実の事態としてはなかなか困難である、こういう実情の話をした。そこで、むろん現行法でできるだけのことはした方がいいと思う。しかし、先ほど私が真野参考人の個人のことを例に引いたのは、青年団協議会に、十三条を撤廃して公けの支出ができるならば、これは個人の派遣ということでなしに、団体として行けるのである。また、青年団の運営が今日共催とか、あるいは講師の派遣とかいうようなことで補助をしておるというようなことでなしに、青年団というものに対して国が、むろんこれはひもつきでない、堂々として補助できる措置をとろうということが十三条の撤廃なんです。従って、そうなるならば、これは真野参考人の最初の意見と全く十三条を撤廃することは同じことになって、むしろ堂々として補助金を出すことができると、かように思うのですが、その点をもう一ぺん説明を願いたい。
#63
○参考人(真野昭一君) 先ほどから繰り返して申しましたが、十分わかっていただけなかったかもしれませんが、補助金という形で出るのと、それ以外の形でもずいぶん出る、今までの方でも出しておるし、またもっともっと出そうと思えば出せる、そういう金があると、それが十分にまだ出されていないということを先ほど申しまして、補助金という形では公式には今のところ出ていないのですが、補助金という形に切りかえなくても出せる金は十分にあると思うということを先ほどから繰り返して申したわけです。補助金というものが出せるについては、やはり財政的に相当いろいろ考えておられるのだろうと思いますが、そういったことについての、いろいろ私まあ不勉強にして、どういうふうに財政的な裏づけがされているか、ちょっとわかっていないというような実情からも、その補助金というものがどれだけ出るかちょっと見当がつかないわけであります。繰り返してまた申し上げますが、十三条が撤廃されるということは補助金が出るという前提だろうと考えますが、それに対しましてやはり公平中立な、政治とか行政の権力のワクの外で、まあでき得れば前もって法律を――できなければ、一緒に何かかわって公平に分配できる機関をはっきり明示しておいて、十三条を撤廃するというような措置がとられるのが最も正しいのではないかということを申し上げておるわけです。
#64
○大谷贇雄君 その御意見はわかりましたが、結論としては、堂々としてこの十三条を撤廃すれば青年団なら青年団に補助金が出せる、こういうことならば真野参考人は賛成なのか、どうなんですか。その点をもう一ぺん伺っておきたい。
#65
○参考人(真野昭一君) 繰り返して申し上げますが、だれが見ても公平に金が分配できるような機関、そういうものができた上に立って出していただけることであれば、あえて反対するわけはありません。
#66
○加賀山之雄君 先ほどから先生方のいろいろ御意見また御質問で、一つ私のあれを整理さしていただきたいと思うのですが、この社会教育というものに対して、まあ、義務教育は御承知のように国が責任を直接とって、そして、できることなら義務教育費を全部国庫負担にすべきだという意見もあるくらいなんです、社会教育ということに対して、やはり国が責任をとることがいいのか悪いのか、社会教育というものは私はできるだけほっておいて、さっきの吉田先生のお話ですと、金だけ出していればいいのじゃないかというように伺ったのですが、国というものは金だけ出すのじゃなくて、やはり、めんどうを見るとか、まあ、めんどうを見るということになれば、それ相応の助言とか指導ということも出てくると思うのですが、それからまた指導主事なんかについても考えなくちゃならなくなると思うのですが、要は国が手を出す、あるいは責任をとるということがいいのか悪いのか、この根本について一つお伺いしたいと思うのです。これはどなたでもいいのですが、吉田先生のお言葉は、どうもこれはあまり迷惑だというふうにとれたし、田上先生のお話では、これは当然じゃないか、日本みたいな国じゃ国がめんどうを見なければめんどうを見るものがないじゃないか、従って社会教育がますますおくれっぱなしだというふうに伺ったのですが、その両先生並びにほかの三先生の御意見を端的に伺えれば……。
#67
○参考人(西崎恵君) 私は、社会教育は学校教育と並行いたしまして非常に大切なことでございますので、国として適当な指導、援助、助言というようなものはやらなければならぬことだと思います。と同時に、財政的な面も、今まではあまり社会教育は前に申し上げましたように、はなはだ経費が小さくて、私たちが非常に不満を覚えておったのでありますが、大いに予算の面で取っていただきまして、そうして指導、助言、援助の裏づけにいたしまして、社会教育というものを振興していく、これが私は日本に円満に完全に民主政治を実施できるようになる一つの基盤だと思っております。
#68
○参考人(田上穰治君) 私は、先ほどあるいは言葉が足りなかったかと思いますが、国のみが責任を持つというのではなくて、これは現在教育基本法が第七条で示しておりますように、国と地方公共団体が責任を持つというふうに考えているわけでございます。それならばどういうふうに仕事を分けるかということでございますが、学校教育と比較いたしますと、これもはなはだ常識論でございまして、ただいまの西崎さんの御発言、専門家の御意見に対して批判を加えるわけでは決してございませんが、常識的に、まあ、やや比較すれば、地方的な事務の性格が強いと申しますか、従って、地方の市町村なり府県という団体で十分に処理できる状況の場合には国家はしいてタッチしなくてもいいと思うのでありますが、しかし、まあ、日本の現状では、必ずしも、これは財政的な面というだけでございませんが、一般に行財政能力が地方においては、非常に地方公共団体が必ずしも十分でございませんので、そういう意味でまあ補完的な、自治体の能力の不足を補うという意味において、あるいはまた、先ほどの公民館の基準などにございましたような基準、統一的な基準を維持していくというような仕事におきましては、その意味において国もまた責任を負う、まあ、どちらかと申しますと、憲法に教育の問題が出ておりますから、従って、最終的には国の責任は免れないと思うのでございますが、しかし、だからといって必ず国家が直接手がけなければならないというふうには思わないのでございます。ただ、日本の実情で、地方公共団体のみにまかせることは十分でない、そういう意味において国家がやはり責任の一半を引き受けなければならない、かように考えております。
#69
○参考人(吉田昇君) 大体、田上先生の言うことと同じことになると思いますが、私はやはり社会教育というものに対して国及び地方公共団体の両者が責任があるというふうに考えております。ただ、学校教育と違いまして、社会教育は、やはり、どちらかといえば地方公共団体の方に重みがある、あくまでも民衆の下からの自主的な活動というものを尊重しなければならないという建前をとっております。そういう場合に、上からの国の基準というものが非常に強いワクで出て参りますと、せっかくの下から出て参ります市町村あるいは部落というふうなところでの自主的な活動というものが阻害されるおそれがある。そうすると、本来の社会教育のあり方の精神が失われる危険があるというふうに考えております。従って、財政的なもの、施設的なものに対して非常に貧困な町村に対しては国が補助することはぜひとも必要だと考えますけれども、運営の基準というものを非常に強く上からきめていくという考え方には反対しているわけでございます。
#70
○参考人(坂田修一君) 地域青年団に対します私たち青年館の立場からの経験にかんがみますと、地域の単位団におきましては、いわゆる村作り等と言いまして、地域性を持っている、今、両先生からお話がありましたような社会教育の性格としては地方自治事務にまかせるべきものが多かろうと言われることにつきましては、私も同感でありますけれども、全国的に地域青年団が連合体を作りまして相互の間に人的交流を国内交流をやりますとか、あるいは、進んでは国際的な文化交流というような意味におきまして青年の交流などを考えますと、この点におきまして教育的に考えました社会教育的な助成ということは国家的に考えていただいていいのではないかと思います。特に、今、全国的連合体として働いております日本青年団協議会の活動機能は、先ほど申し上げましたように、年間わずか一千万円ぐらいでございまして、全国の青年団員に対する地域の特殊性を生かしながら、また同時に、日本全体の青年のあり方という意味におきまして文書教育をやったり、あるいはまた講習会をやったり、お互いに知識の交換をしますそのような教育活動というのは、わずか一千万円ではほとんど十分にできておらないのが現状でありますので、そのような意味におきましては、やはり社会教育の中に国家的責任において助成をはかるべき分野がかなりあることを考えさせられるわけであります。
#71
○加賀山之雄君 次に、吉田先生に伺いたいのでございますが、先生、これは、やはり、社会教育はプロフェッショナルな人によって指導されなきゃいかんし、社会教育主事は、ですから大学でぜひともこれは養成をもっと多くするようにはかるべきだというふうに承わったのでございますが、この学校教育と社会教育というのは、教育と同じように名前がついておりますけれども、何か本質的な性格というか、やり方、教育とはいうもののその運営には私は差があるように思うのでございますが、何かそういう根本的な差異というものはないものでございましょうか。
#72
○参考人(吉田昇君) もちろん社会教育と学校教育と違いますから、当然そこに差がございますし、専門的な科目においても、社会教育と学校教育は違うわけでございます。ただ、要するに、今までの通念というのが、社会教育というものをプロフェッショナルなものとして認めていないで、だれでもできるものだという通念があるわけでございます。これは日本ばかりでございませんで、外国でもつい最近まではそういう気持が非常に強かったわけでございます。しかし、やはり社会教育というものも一つの教育の問題でございまして、その中に当然専門的な分野というものがあるに違いない。で、そういうものがだんだんにはっきりして参りまして、アメリカなどではそういうプロフェッショナルな一つのスタンダードというものが確立されてきているわけでございます。で、私は学校教育とやはり差があるというふうに特殊な面では考えますけれども、たとえば、社会教育は学校を出るだけですぐできるかどうかというふうなことについても考慮する余地はあると思います。で、やはり、現場でいろいろな経験をしてきた人がほんとうにまた大学へ帰って専門的なものをおさめてりっぱな主事になっていくというふうなことも、学校教育よりは多量に社会教育の面ではなければならないと思っておりますけれども、しかし、それは大学での専門的な教育というものなしでやれるというふうには考えておりません。従って、特に社会教育主事というふうな立場になれば、これは当然、やはり、大学で専門の教育というものを少くともほかのものにつけ加えて行わなければならない、こういうふうに考えております。
#73
○加賀山之雄君 もう一つ伺いたいのでございますが、それは十三条の問題で、まあこれは制定当時についての質疑応答なんかもございますのですが、やはりいわゆる国なりそのときの政党等の不当なる支配を非常におそれておるということは当然でございましょうが、また、ここにはっきりと憲法の制約があるということもこれははっきりしておりますし、ところで、その後昨年スポーツ団体等に対してはこれが一部解除されておりますし、それから補助という名前ではないと思いますが、私は、社会教育団体というようなものに地方公共団体あるいは国から支出をしている例がかなりあるように思う、行事をやるというような場合に。そういう場合に、今非常に危惧されておるような事態が片りんでもうかがえるかどうか。つまり、金を出したために、あるいは地方のボスとか、あるいは不当な政治的な支配というようなものが、現在何か、多少でもこれは心配だなあ、あるいは困ったなあというような事態がありますかどうか。これは実態の問題になりますから、特に坂田先生、真野先生、あるいは西崎先生から伺えるといいんですが。
#74
○参考人(坂田修一君) 現在でも、地域青年団に対しまして、あるいは日本青年団協議会の全国的な立場におきまして、事業委託といいますか事業助成あるいは共同主催というような形で同じ目的の行事に対して国あるいは地方公共団体から経費を支出していただいておる実例は多分にございます。その出していただいておる際に、今心配せられております不当な干渉とかあるいは政治的な意図によるところのひもつきといったようなことにつきましては、地方へ行きますと、そういう金を出すことによって、関係者の中の地方議会の議員などにおきましては、そういった対策を講ずる引きかえにいろいろなことを考えられるというような実例は間々あったようでございますけれども、行政当局との関係でその補助をいただいたことによって不当に青年団側の意見が押えられたといったような実例は、そう今まではなかったと思います。ただ、五、六年前、全国の青年大会の開催ということに関連しまして、文部省の共同主催に関連して、当時の日青協の執行部の人たちと文部省の社会教育局長との間に多少の見解の相違があったということがありましたけれども、それは、そのときのいきさつでありまして、それが本質的につながっておるものであるということは言えないのでありまして、その後毎年円滑に文部省の方から共同主催の形で経費を出していただいて運営しておる事実を見ますと、これはその当時のことがむしろ例外的でありまして、本質的にはうまく行き得るものであると、かように考えております。
#75
○参考人(真野昭一君) 先ほどからも少し説明申し上げましたように、事業委託とか事業共催、そういったような形で相当に金をもらっておりますし、また、青年学級というものがありまして、これは地方へ行きますと、ほとんど青年団員をその青年学級に入れて、青年団の学習のための機関というふうに今使いこなしている所が多いのですが、そういう青年学級に対して、これは別の法律があって金が出るわけなんですが、それに金が出るというような形で、きょうも御説明申し上げたように、私たちの調べたところでは、市町村単位で全予算の四〇%は公金が出ておるというトータルが出ております。そういうことで、実際は金が相当に出ていることは事実であります。そういうことでいろいろ問題があるかということになりますと、きょうの説明で申し上げましたように、一番やはり問題になるのは、講習会あるいは講演会などをやるときに、その講師をどういう人に頼むかというようなことで教育委員会側と青年団側と意見が一致しなくて相当もみ合う、ある所では講師を拒否されたとか、ある所では共催することすら教育委員会に拒否されたというような例も最近地方から通信で参っておりまして、これがどちらにもそれぞれ言い分があることと思いますが、そういうような形で、共催というような形でやる場合でも、やはり意見が食い違えば多少の対立にはなるという事実はあります。
#76
○参考人(西崎恵君) 私の知った範囲におきましては、文部省が、たとえば全国のリクリエーション大会でありますとか、あるいは青年団のスポーツ大会でありますとか、青年団大会でありますとかいうことに、共催とか、いろいろな形において経費を支出した例は知っておりますが、これなんかは全然政治的なにおいというものはありませんでしたということを、私は確信しております。
 それから地方におきましては、今、青年団の例は御説明になったようでありますが、婦人会、たとえば婦人会が会館を建設するとかいうようなことや、あるいは大会をやるのだというようなことで、補助金がもう出せないのだけれども、まあ共催のような形をとるか、あるいは何かほかの一部の会場を借りてやるとかいうようなことで、実質的の補助をしておる例はもう無数にありまして、相当額に上るのではないかと思います。しかし、このような場合に政治的のにおいであるとか、あるいはこれをやらなければ、こうしないのだというような交換条件とか、そういったようなことは私は承わっておりません。なお、私は町村というような末端に至りまして、千円、二千円、あるいは一万円ぐらいの金を出したらどうかということがあったかどうかというようなことは存じておりませんが、少くとも国及び地方公共団体の中の府県市等におきましての従来の例を見ますというと、その心配はないといって差しつかえないのじゃないかと思います。
#77
○加賀山之雄君 この機会にちょっと御意見を伺っておきたいのですが、真野先生、坂田先生もし御意見があったら伺いたい。
 産業開発青年隊と農林建設青年隊というのがありますが、これはいわゆる社会教育の関係とは言えないかもしれないのですが、これについて一体どういう見解をお持ちになっているかということを、ごく簡単でよろしいのですが、伺いたい。
#78
○参考人(坂田修一君) 農林建設青年隊は農林省の方で、産業開発青年隊の方は建設省の方で実施せられておるわけでございますが、その出発は、地方の青年団が次三男対策の一つとしまして、地方の次三男に対して技術的な教育を施しながら、働きつつ、共同建設をしつつ技術的教育をしてもらいたいというような要請で、昭和二十七年に生み出されたと聞いております。その運用の現況でございますが、目的は次三男対策というようなところから出たものでありますので、教育を受けた人たちのその後は、郷土に帰りまして、青年団の中堅人材として働くというよりは、むしろ技術的な力を持って新しい職場に就職するというところに重点が置かれておりますので、いわば職業的な進出の場として考えられるというのが現在の行き方であるように感じております。従って、この社会教育的な目的よりは、結果的には経済的といいますか、あるいは職業的な進出の門として考えられるという点に、今は重点が置かれておるのではないかと感じておりますが、ただ、昨年から実施せられました農村建設班というのが、農林省関係で行われておるわけでありますが、この農村建設班の構成分子は、必ずしも次三男ということでありませんで、農村の長男の人たちもかなり入りますし、それから作業が、自分の村で公共事業その他の共同活動をやりますし、それから三ヵ月の共同生活にした後には、多くは自分の郷土に帰っていくというふうな運営になっておりますので、この農村建設班の運営は、社会教育、特に地域青年団との関係で、今後、相当教育的な意義を持つのではないかと期待しておるわけでございます。ただし現在の運用におきましては、その農林建設青年隊と農村建設班との関連は、必ずしも有機的にできておるわけではございませんでして、目下のところでは、それぞれ別々に運営せられるというきらいがあります。これはむしろ結びつけていく必要があるのではないかと考えておりますけれども、今までの実施の一年間の経験にかんがみますと、まだそこらに欠陥があるように考えておるわけでございます。
#79
○高田なほ子君 ちょっと加賀山委員の質問に関連して二点だけお伺いいたします。
 一点は、吉田さんに伺いたいのですが、この学校教育と社会教育の関連の中で、特に国と地方公共団体の何といいますか、協力の仕方の問題についてですが、私は結論的に、吉田参考人の言われるごとくに、社会教育主事というものは、専門的な知識技能を持つことが必要であるという見解をとっておるわけです。そしてまた、各大学の講座というものが、国の大きな財政的な援助のもとに、これが早急に確立しなければならないという主張に全面的に賛意を表するのです。そこで具体的に伺いたいのですが、今、国立大学で社会教育の講座というものを持っておる大学が全国にどれくらいあるのか、私立大学では社会教育講座というものが一体どのくらいあるものか。現状というものについて、私ども大へん認識が乏しいわけでございますので、現状について御説明を承わっておきたい。これが第一点です。
#80
○参考人(吉田昇君) 国立大学で私の承知している範囲で申しますると、社会教育の学科という専門の講座を持っておるのは、東京大学、東京教育大学、広島大学ではないかというふうに思っております。あと講座というものは、そのほかにもかなり置かれております。九州大学でありまするとか、東北大学でありまするとか、方々の大学に講座がございますが、それは特別の、つまり学科にはなっていないわけでございます。そのほか一般のつまり教員を養成する学芸大学におきましては、講座というものも確立していないところが多いのでございまして、社会教育の講義があるところとないところとございます。現状においては、ないところの方が多くなっております。社会教育の講義があるはずになっていて、していない教員養成大学もございます。そういうような状態でございまして、社会教育に関する大学の充実ということは、はなはだ手落ちになっているというふうに考えております。私立の大学の方は、よく統計的には調べておりませんが、早稲田大学に社会教育学科がございます。そのほか社会事業学科というふうなものが日本女子大学にございますし、同志社大学であったかと思いますが、同じように社会福祉学科というものがあるのでございます。あと社会教育学科というものを特設しているところはなくて、私立大学の中でも社会教育の講座を持っているところが、ほかにあるだけでございます。講座も持っていないところの方が数はずっと多くなっておりまして、教員を実際作り出すところでも、社会教育という非常に大事な分野を全然聞かないで教職員になって行くという過程が目立っておりまして、これは何とかして、社会教育の面も知って教員の資格が与えられるようにしたいものだというふうに考えております。
#81
○高田なほ子君 もう一点の方ですが、エビでタイをつるという言葉がよく言われますが、十二条と十三条の関係は、やはりこのエビでタイをつるようなことのないように規定してあることが、この法律制定当時に、政府の提案理由の説明の中にも明確に実は書いてあるわけです。ところが最近これは、前国会の予算委員会でも、この社会教育をめぐって、若干の助成金を出したおかげで、もらったおかげで、相当、青年団あるいは婦人団体等に対するいわゆる地方公共団体側の目に見えざる圧力が、手が伸びておるということが数々指摘された。これは今時間もございませんから、私はこの一つ一つの例をあげませんが、先ほど日青協の副会長からも、その実例の一、二があげられておるようでありまして、また私はこの信憑性を疑いたくない。そうして私はこういう事態を非常におそれておるやさきなんです。エビでタイをつるような事態が現に起っておるというこの事実を、はなはだ申し上げかねるわけでございますが、そちらにおいでになる西崎先生、それから坂田先生、この御両者は、こういう事実というものを否定しておられるように私は思う。そういう事実はまあない、そういう心配はないというふうに、これは極力否定しておられるような立場をとっておられるのでありますが、これは見解の相違というには、事あまりに重大なことではないか、御存じにならないのか、それともお知りになっておっても、それほどには感じないのかということになりますと、われわれこの社会教育法の今度の改正についても非常な関心を持っている者は、そうした助成金をめぐる理事者側の、ひもつきの姿が現われているこの事実に対しての心配なんであります。どういうわけでそういう事実がないというふうに西崎さんはおっしゃいますのか、あるいはまた坂田さんは、そういう心配はないというふうに言い切っておられるのか、確信のほどを承わりたい。漏れ聞くところによると、文部省側は、学者でも一番左の方に属するのは阿部真之助氏で、あとそれ以外の者は、これは最左翼だから、これは青年団に話をして聞かせられぬというような線までできているやに聞いている、これは予算委員会でも非常に問題になったことです。現実にこういうことが起っているのでありますから、やはり指導に立たれるお方は、青年の苦悶する姿というものを率直に認められて、これをどういうふうに打開するかというところに知恵をしぼっていただきたい、かように考えますが、御意見を御両者から承わらしていただきたい。
#82
○参考人(西崎恵君) 私は寡聞にして、今、高田さんのおっしゃいましたような実例を知らないのでありますが、私が聞いた範囲におきまして、また見た範囲におきまして、さような心配は私はないと今でも思っております。それから私は国民の一人としまして、国会、皆様方のお力を非常に信頼し、また、それに頼っておるわけでありまして、もしも文部省が補助金を交付するというようなことになりました際におきましては、その内容は逐一、国会で明らかになるところでありまして、さようなことがあり得るわけがないし、また、あったら大へんであると、かように思っております。でありますから、皆さんからも御発言がありましたように、この補助金を交付する際の標準と申しますか、やり方につきましては、これは慎重にやっていただかなければならないのでありまして、たとえば補助金をもらわんがために、ひょっくりできてきた団体でありますとか、あるいはまた補助金をもらわんがための目的で、文部省の気に入るようなことを言ったりするというようなことのないように、補助金の交付に際しましては、これは慎重にやっていただかなければならぬと思いますが、しかしその結果は、私は国民の一人として、国会というものを非常に信用し、頼っておりますので、そこを通じまして、質疑等を通じて明らかになることでありまして、さようなおそれはないのではないかと思います。また、地方におきましても、これもやはり府県会を通じまして、そういうことは明らかになるようなことでありまして、こういう社会教育というものは自主的であり、民主的である、こういうことが第一でありまして、そういうことを十二条に書いてありますから、やれないことでありますけれども、いかなる方法によっても、それを害するようなことが行われるような補助金の交付の方法がもしありとするならば、これは重大問題でありまして、さようなことがないように極力戒めなければならないし、また、そのことは国会、府県会等があるのでありますから、十分に間違いなく運用されるということを私確信をいたしておるのであります。
#83
○参考人(坂田修一君) 青年館の立場から、従来、日青協その他青年団の運動に対して、国または公共団体の事業助成、その他公的な援助を受けておる関連で、今、高田先生の御質問になりましたような具体的な事実につきましては、私もあまり寡聞でありまして、そこをよく承知しておりませんのですが、今までの文部省からいろいろな点で日青協が援助を受けておる範囲内では、そのようなひもつき的なことはなかったと思います。それから地方の公共団体におきましても、教育委員会等から助成をしてもらって、それでひもつきに露骨にやられたという例は私も寡聞にしてあまり聞いておりません。ただ、そのような心配がありますので、先ほど申し上げました私の意見の中にも、現行法の第十二条にありますところの国、公共団体のやり方についての注意事項がありますが、それはぜひ厳守していただきたい、かように思っておりますし、それから今後第十三条は削除せられまして、補助金をいただく場合におきましても、できるだけ公正に運営されるための審議機構とか、あるいは受け入れ態勢の協力機構といったようなものについて御配慮いただきたい、かように思っておるわけでございます。
#84
○高田なほ子君 もう一問だけ、関連して今度は田上先生に伺わせていただきたいのですが、先ほど加賀山先生の御発言の中に、国と地方公共団体の責任の内容について御質問がありましたが、田上先生は、やはりこれは地方公共団体が主たる使命を持つものであるような御発言でございましたが、私もまた、国が主でなく地方団体というものの方に重みがかかるのではないかという見解を実は持っておるわけであります。そこで条文の第九条の五の問題に先ほど先生はお触れになりましたが、第九条の五の第二項の中に、「受講資格その他社会教育主事の講習に関し必要な事項は、文部省令で定める。」、こういうふうに第二項にうたってあるわけでございます。この第二項は、せんじ詰めて参りますと、地方公共団体ではなくて、文部省自体が受講資格その他社会教育主事の講習に関する全般的なものをきめていくという、いわゆる言うなれば天下り、あるいは中央統制というにおいが非常に強くなっていることを心配しておるのでありますが、ここに地方教育行政の組織及び運営に関する法律の第三十条の中でも、この「条例で、教育に関する専門的、技術的事項の研究又は教育関係職員の研修、保健若しくは福利厚生に関する施設その他の必要な教育機関を設置することができる。」という、これは教育機関の設置の条項でありますが、この精神は当然この社会教育主事の受請資格並びにその講習に関し必要な事項等にも及ぼされて、やはり地方条例等が定めるところが主になっていかなければならないものを、地方条例に先んじて、文部省がもうどんどんと必要事項を省令できめるということになると、これは逆な形になっていってしまうのではないかということを、大へんおそれておりますが、これについての御見解を承わらしていただきたい。
#85
○参考人(田上穰治君) 今、高田先生からお話がございましたが、先ほど私のお答え申し上げましたのは、社会教育関係の事業は、どちらかといえば地方に重点というか、地方的な事務が多いというふうに申し上げたのでありますが、ただ、それは私もその社会教育事業の内容も、あまり詳しくふだん勉強してなかったものでありますから、はなはだ言葉が足りませんけれども、事柄の性質上、もし非常に広域的な性格のもの、つまり、あるいは数府県にまたがる全国的な規模で行われるべきものがもしあるとすれば、それはやはり性質上国の方によって行われるのは当然だと考えます。ただ、そうでなくて、ちょっと私どもが頭に浮かぶような、普通に考えられますものは、概して地方々々の特殊性を生かして、地元で自主的に運営されるべきものというふうに思うのでございます。ただ、御指摘がございましたが、この九条の五につきましては、私はこれもあまり用意がございませんけれども、まあ社会教育主事は、地方によってその資格にあまり差をつけるべきではなくて、やはりこういった点は全国画一的な、統一的な基準と申しますか、というものが一応考えられるべきではないか、もっともこの講習の内容、こまかい運営の面になりますと、それは地元の教育委員会なり、あるいは地方の条例できめる方が適当な場合、それが本筋の場合もかなりあると存じます。ただ、受講資格というのが、ちょっと法文に出ておりますが、これは私もよくわかりませんけれども、この講習は、教育主事の任用資格の一つの条件になるわけでございますから、そういう点から考えますと、画一的な基準、全国的な基準ということが適当ではないかと思うのでございますが、しかし、この講習の細目的な部分まで文部省令で押えてしまうということは、あるいは少し行き過ぎかもしれないと思います。この内容がよくわかりませんけれども、ただ、こに出ております資格の点でございますと、これは地方によって差をつけるより、むしろ統一的なものも本来あるべきように思いますから、その限度では文部省令によることが別に不都合はないと、こう考えます。
#86
○湯山勇君 一点だけ田上先生にお尋ねいたしたいと思います。それは先生の御説明によりまして、憲法との関係でございますが、教育事業に対して出すことは、なおこの法律が成立した後においても、これは許されない、こういうことが明確にされたわけでございますが、その際、西崎参考人及び坂田参考人の御意見を伺っておりますと、十三条削除の受けとめ方が、先生の御意見と非常に違っているのじゃないか、と申しますのは、西崎参考人のお言葉の中に、十三条削除の必要な理由として、はっきりあげておられるのは、たとえば国際的なスポーツに参加する、それから国際的な会合に参加するためには、当然、国の補助を必要とする、それから坂田参考人もまた同じように、市町村段階における運営というものは、これはそれぞれうまくやっておるけれども、実際、県段階及び国段階における運営に困っているのだと、そうなりますと、この法律によって明らかなように、各機関の連絡をはかることとか、あるいは講演会を開催することとかいうことは、全部この事業の中に入っております。そういうものに対して補助がもらえるというような把握をされて、十三条削除に賛成をしておられる。しかしまあ田上先生のお話によれば、そういうものは憲法上とうてい許されない、国際スポーツに参加する補助を出すのだ、国際的な会合に青年団が出て行くのに対して補助をするのだというようなことは、これは事業ですから、当然憲法上許されないことだ、こういうふうに受け取れるのですが、同じ賛成されても、今のように、できないことをできるのだと思い込んで賛成されても、これはあとで問題が起ると思います。で、今のような例をあげてお引きになったのは、国際的なスポーツ行事に日本から参加する、それから国際的な会合に日本の代表が参加する、そういう補助をぜひ出してもらいたい、そういうことのためにも、ぜひ十三条を削除すべきだ、こういうことについては、先生の御意見とは相当承わって違っているように思いますので、この点だけ、これはあとは政府の方に聞けば大体わかる問題だと思いますので、その点は参考人の間の受けとめ方が違っているような気がいたしますので、お伺いいたしたいと思います。もし田上先生の御意見に別な御意見があれば、関係申し上げたお二人からもお願いしたいと思います。
#87
○参考人(田上穰治君) ただいま湯山委員からお話がございましたが、私、先ほどは国際スポーツ、体育競技会とか、そういうものの例は申し上げませんでしたが、私の意見は、それはまあ言葉が足りませんでしたけれども、そういうものは、厳密な意味の教育事業からは一応区別してよろしいのではないかと考えるのでございまして、国際的な、まあオリンピックの行事とかというふうなものがございまして、それに出場する選手を訓練するという意味で、平素まあ学校において、あるいはいろいろな団体において組織的に計画を立てまして、わざをみがいていくというか、そういうことは教育でございますけれども、そういう運動の競技の大会というふうなもの自体は、一応この教育事業から切り離して考えることができるのではないかということでございまして、まあその点で、実は西崎参考人のお考え、おっしゃったことと格別矛盾はしていないように思うのでございます。あるいはこの点、私の言葉が足りなかったので、そういうふうにおとりになったかと思いますけれども、私はそういうふうに考えております。
#88
○湯山勇君 いや、私の質問の言葉が足りなかったので、今のような御答弁になったのだと思うのですが、一般的な、たとえばオリンピックだとか、それからまあそういったものを一般的に、国際的なスポーツとか、あるいは国際的な会合とかいうのを申し上げたわけではなくて、ここで問題になりましたのは、たとえば青年団がそういう会合に参加することを決定して団の代表として行くと、こういうことを申しておるのだし、それから西崎参考人、坂田参考人のお話もそうだったと思います。で、そういう場合に、つまりこの社会教育団体が社会教育団体として、そういう事業に参加する、これは体育とか、レクリエーション等も、公民館の事業という中にはちゃんと法律で定義されておりますから、当然、体育大会等もそういう社会教育団体の事業という中に入ると思いますが、そういうような場合にどうなるだろうかという疑点が残りましたので、お尋ねをしておるわけでございます。
#89
○参考人(田上穰治君) まだ私よくこういう問題を考えておりませんけれども、社会教育団体であるから、その事業は教育事業であるというつもりではないのでございまして、今の社会教育団体の行う事業について個別的に検討いたしまして、この教育事業、つまり計画的に引き続いて継続して、まあ精神とか、肉体的な育成をはかっていく、そういうための事業の場合が、この憲法で言う教育事業というふうに考えておるものでございます。これは言葉がだいぶかた苦しくなりまして、教育事業という言葉を、もっと広い意味にも使うことが世間ではあると思いますが、実は先ほどちょっと申し上げましたように、憲法八十九条の規定がかなり異例でありまして、外国の憲法にも比較的少い。そうしてアメリカの州にございますが、アメリカと日本とはだいぶ国情が違っておりまするので、教育事業という言葉も、これをもし、できるだけというか、まあ狭い意味に私ども受け取っておるわけでございます。しかし、これは憲法の字句をそういうふうに故意に狭く解釈するのは間違いではないかという御意見もあるかと思いますが、こういう点で、それならば、いっそのこと、この条文を日本の国情にはなはだ合わないから削除したらどうか、これもしばしば聞く意見でございますが、まあ私は憲法改正とか、立法論よりも、むしろ現行法の解釈を主とする立場でございますから、解釈によって、日本の国情に沿う、無理なく沿うことができれば、そういうふうに解釈するのが当然である、こう考えますので、非常に無理がなければ、教育事業というものを、むしろ広い意味でとるよりは狭く解釈することが正しい、憲法八十九条については正しいと思っておりますので、社会教育団体の事業でありましても、今の御指摘のような点は、憲法でいう教育事業から一応除かれるというふうに考えております。
#90
○湯山勇君 今の点だけについてですが、実は私がそういうお尋ねを申し上げたのは、現行の社会教育法の中に、社会教育関係団体の定義というのがございます。それによりますと、この法律で社会教育関係団体というのは、「公の支配に属しない団体で社会教育に関する事業を行うことを主たる目的とするもの」、こうなっておりますから、たとえば青年団あるいはその他の社会教育団体が参加する事業というものは、当然、社会教育に関する事業であるということは言えると思いますし、そうでなければならないと思います。そういう前提に立てばということを、さらに加えてお伺いしたいと思うわけです。
#91
○参考人(田上穰治君) 大へんこういう点知識が不十分で、お答えにならないのでございますが、社会教育に関する事業というのが、まあ私の今まで申し上げましたのは、必ずしも厳密な意味で、社会教育事業は憲法でいう教育事業にすべて入るというふうに考えませんので、教育に関する事業でありましても、補助金が出せないような意味の教育事業、これからはずれる場合があるのではないか、そういうことを認めることができるのではないかという考えでございまして、日本語の教育に関する事業、教育事業が広い狭いという違いがあるというのは、多少言葉の、文章の解釈から申しますと、無理があるかもわかりませんけれども、今申し上げましたような憲法八十九条をやや狭く解釈するという立場から、教育に関する事業であっても教育事業以外のものが入っておる、こういう考えでございます。
#92
○湯山勇君 今の点ですけれども、そういうふうに先生の言われる通り解釈していけば、たとえば西崎参考人、その他が期待しておられるもののすべてがそれに入るとは言えない。実際この建前から言えば、期待しておられるものの中のごく少部分しか入らない、こういうふうな解釈ができると思いますが、最後にそれを伺いたいと思います。
#93
○参考人(田上穰治君) まあ非常に抽象的に申しますと、そういう場合が起り得ると思いますが、具体的にどういう点をここで問題にされておりましたか、きょう私ちょっと遅刻して参りましたから、あるいは思い違いがあったと思いますが、抽象的に申しますと、社会教育に関する事業のすべてが教育事業ではない、こう言い切れるわけではもちろんないわけでありまして、社会教育に関する事業の中で、憲法で考えている教育事業に該当するものと該当しないものとがある。該当する場合は、教育法上の十三条を削りましても、補助金は出せないという考えでございます。
#94
○近藤鶴代君 関連質問を長くお許しになる時間が、まだあるのでしょうか。――私、関連ではないわけですが、もう時間がないと思いますので、ごく簡単に、一言だけ……。実は午前中の五人の参考人の方々の御公述と、それから引き続きまして午後の質疑によりまして、私がお尋ねいたしたいと思いました法案の内容とか、あるいは運営とか、あるいは社会教育の実態というようなことについての疑問は解消いたしましたので、時間がなければ、もう発言はしなくてもいいと思っておったのですが、お許しをいただきましたので、一言、真野参考人にちょっとお尋ねしてみたいと思います。
 午前中の公述の際にお述べになりましたときに、社会教育委員の方々が、直接指導助言の立場に立つことはいけないというようなお話しがあったと思います。その不適当であるという一つの例ということで、十人のこの教育委員の中で、主人と、それから奥さんと息子二人が教育委員であるというようなことで、そういうような立場に立っている人が、直接指導助言することはいけないというようなことをおっしゃったのですが、おっしゃいましたね。
#95
○参考人(真野昭一君) はあ。
#96
○近藤鶴代君 私の聞き違いではないかということです。
#97
○参考人(真野昭一君) 大体同じようなことを申し上げました。絶対いけないと言っているわけじゃなくて、まだこういう制度はしかれておりませんので、現実に問題が起きているというわけではありませんが、非常に疑問があるという形で申し上げたのと、それからその十人は、教育委員じゃなくて、社会教育委員であります。
#98
○近藤鶴代君 日青協の協議会の副会長さんというお立場で、日本全体の市町村の社会教育委員というものの人員構成の実態というものを、どの程度に把握しておられるんでしょうか、もしおわかりでしたら、それをちょっと……。どの程度に把握しておられるかということを伺いたいわけです。
#99
○参考人(真野昭一君) 私たちも団体の関係ですと、ずいぶんほかの団体を詳しく調査しているのでありますが、残念ながら、社会教育委員あるいは町村の教育委員というものに関しましては、あまり大した資料もございませんので、勢い私たちがやっております青年研究集会というような行事を持っているわけでございますが、そういう行事に参加した人たちが、いろいろしゃべっていってくれたことを記録にとどめたりした、そういうところから、抜くしかないような今の資料の状態でございます。
#100
○近藤鶴代君 そういたしますと、そのお話しの際に例をとられましたのは、どういうところの例であるかということを教えていただきたい。
#101
○参考人(真野昭一君) ある県の山村ということまで申しましたが、まああまりそれを具体的に申し上げるのはまずいかと思いますので、お許し願えれば幸いだと思います。
#102
○近藤鶴代君 それではその内容について後刻伺うといたしまして、そのような例を幾つかお聞きとりになったのでしょうか、それだけだったのでしょうか。
#103
○参考人(真野昭一君) 完全にそれと一致する例は、ほかに別にあるわけではなくて、まあいろいろ政治的だとか、あるいは名誉職的だとかいうような形で、必ずしも社会教育関係の専門家でないような人が相当入っている。特に小さい町村へ行きますと、いろいろ委員がありましても、一人がかねている。ある場合には青少年問題協議会委員とか、あるいは民生委員とか、そういう形でいろいろ兼ねておられるような実態もございまして、必ずしも十分に適任者が得られない場合もあることは、ちょくちょく承わっておりますが、それと全く同じ例は一つしか聞いておりません。
#104
○近藤鶴代君 そういたしますと、私はきょうのような場合に、それが適当でないという例証をおとりになる場合は、少くともかなり多数あるというものを例証におとりになることは、私はいいと思うのですけれども、わずかに一つしかあるかないかわからないような例をおあげになって、それは不適当であるというような御発言は、私はいろいろの法案の反対の場合にもそういう傾向がありますし、委員の方々のお言葉の中にも、わずかの例をとって、いかにも多くあるかのような発言は、今までもよく聞いたことではありますけれども、それはお互いが委員の間でもって訂正もできることだと思うのですけれども、参考人という立場での御発言の場合は、そういうことは御注意になった方がいいのではないかと思いますが、その点どうでございますか。
#105
○参考人(真野昭一君) 御指摘の通り、非常に少い例を申し上げるのがまずかったなら訂正いたしますが、私としては、こういう団体の実践の場におって、実際やっておる者の立場とすれば、こういうのがあるという具体的な例を申し上げることの方が、より親切であろうというようなつもりで申し上げましたので、その点で御了解願いたいと思います。
#106
○高田なほ子君 議事進行。今、例の問題で御注意があったので、御注意はまことにごもっともの御注意と私も思うのですが、氷山の一角というものは、やはり相当の根を持っておるものでありますから、やはりこの点については発言を制約しないで自由に発言してほしい。それは政府だって、今度の警職法の問題は、苫小牧の労働争議の例だけを、政府の責任ある方が、あたかも全国民がみんな苫小牧のごとくであるかのような発言をしているんですから、やはり発言は自由にさした方がいいと思う。一方的であってはいけませんよ。
#107
○委員長(竹中勝男君) ちょっと速記をとめて。
#108
○委員長(竹中勝男君) 速記を始めて下さい。
#109
○吉田法晴君 おそくなって大へん恐縮なんですが、一、二点伺わしていただきたいと思います。十三条削除の問題が相当論議されましたけれども、ここで参考人の御意見を聞いておりましても、日青協が青年館から七百万円余の、何と申しますか、援助を受けておられるということで、日青協運動についての青年館常務理事坂田さんの発言力も相当大きいという事実を、ここで私ども拝見したわけです。従って十三条という問題のみならず、この法の改正と、それから社会教育団体の自主性というものが、一番改正法律の、何と申しますか、関心事になっておる、こういう意味で田上さんと吉田さんにお尋ねをいたしたいんですが、これは社会教育が全部教育であるかどうかということで、吉田さんと田上さんの御意見は違っておられるようですが、しかし社会教育と申しますか、それぞれの団体の活動が自主的でなければならぬ。それから社会教育が国の統一的な行政であることがいいかどうかという点については、これは多少の違いはありますけれども、お二人とも、地方公共団体の助成といいますか、あるいは仕事であることが望ましい、こういう御意見で、大体私は大綱においては一致していると思います。そこで私どもの心配しますのは、この法の改正なり、あるいは国の援助、文部大臣の種々の講習あるいは研修、あるいは公民館の基準の設置、公民館職員の研修等で、「文部大臣」と書いておりますが、国の要するに指導と申しますか、方針が出てくる、それによって、これがひどくなりますと、昔の官製青年団になる。あるいは名前は国防婦人会という名前にはならぬでしょうけれども、全国的な一つの行政的な方向が伴います団体になるおそれがある。このようなことが一番問題のところだと思います。憲法八十九条を見てみましても、憲法全体の精神が、これは田上さんに、昭和二十二年当時に、私は実は自治体の議員でお教えをいただいたのでありますが、国が教育その他博愛の事業に対して支出をしてはいかぬ、あるいは教育自身が中央集権的であってはならぬ、こういうことであったと思います。九条の五、あるいは九条の六、二十三条の二、二十八条の二、そういうものの改正を伴って、文部大臣が講習をし、あるいは研修をし、基準を作る、あるいは公民館職員についても同様である、そうして十三条を削除をする、こういうことだと、やはり程度は、いきなり戦前の官製青年団にはならぬかもしれませんけれども、そういう方向にいくのではなかろうかという心配をするのは、これはそれが杞憂だと言い切れないものがあるんじゃなかろうかというところに、私どもは心配があるわけなんです。憲法の原則、それから建前からいって、これらの点について、田上、吉田両参考人から御意見を承わることができれば幸いだと思います。
#110
○参考人(田上穰治君) ただいまの御指摘の点でございますが、現在の憲法は、非常に規定の上では弾力性を持っておりますので、そういう行き方が、直ちに憲法上悪いという断定は、ちょっと下しかねるのでございますが、しかし、私もこの補助金の行政ということは、慎重にやらないと危険があることはいろいろ伺っており、これは今度の文部省の関係の補助金の問題ではございませんけれども、一般に国と地方との関係におきまして、補助金よりは、むしろ今の御指摘の点では、交付税の方がはるかに地方自治という点からは望ましい。しかし、これは実を申しますと、御承知の大問題でございまして、文教行政に限らないで、そのほか、建設、農林、いろいろな面におきまして問題になっており、そうなりますと、やはりただ補助金が悪いということではなくて、やはり国と地方公共団体の関係が、どういうふうになればよろしいかという問題に入ってくるものでございますから、これは一般の行政機構の改革というようなことにも触れてくると思うのでございまして、確かに御指摘のように、私どもも全くこの補助金は幾らでも出してよろしい、そうすれば、それだけ地方が潤うのだからというような、安易な気持でこの法案を見ておるわけではないのでございます。問題があることは私もわかりますけれども、ただ憲法論になりますというと、憲法違反という断定は下しかねるということでございまして、しかし、合憲であれば何をやってもかまわないということではないのでございまして、一般にこの補助金の制度をどう扱うかということは、十分考えなければならないと存じます。まあ今の私ども行政審議会の方でも、補助金の問題を最近取り上げることになっておるのでございますが、従来から国と地方制度の問題が、一番大きな、また難問題として、補助金をできるだけ少く、そして補助金ということになれば、どうしてもそこにひもつきということにならなくても、今の講習会の講師の人選などは、これは実例はもちろん私存じませんけれども、しかし考えれば、全然そういうことがあり得ないわけではなくて、私ども自分の身近かな問題といたしましても、たとえば学生運動に対する学校側のある程度の規制といいますか、そういう場合に学校が何か学生の、たとえば新聞などについて補助をしていれば、それは大学として非常に強く発言ができるはずでございまして、もし大学の方針に反するような記事を載せれば、補助をしないというようなことも言えるわけでございます。私自身もそれに似たような経験を持っておるのでございまして、その逆に言って、補助をしなければ、大学としては学生に対してあまり小言が言えないということもございますから、補助金のいい点と悪い点、私もある程度常識は持っておるつもりでございます。ただどうも十三条削除について、これが私の憲法論としていいか悪いかという話になりますと、直ちにこれを憲法違反であるとは言えないということで、大へんお答えにならないかと思いますが、現在考えておりますのは、そういう点でございます。
#111
○参考人(吉田昇君) 憲法の違反になるかということは、私は憲法学者でないですからわかりません。われわれが常識で考えるのと非常に違った解釈が、どうも専門家の方ではおありのようではっきりはわかりません。ただ、私は社会教育を専攻しているという、そういうことを研究しているという立場から申しまして、十三条をとるということが、社会教育の振興だと言っておる理由が一つもわからないのであります。つまり社会教育事業には、憲法八十九条がある限り出せないはずであります。それをとったからといって、社会教育は一つも振興されるものでない、これははっきりしているわけであります。そういう意味で今度の改正案の中で、社会教育を振興していくのだと言いながら、たとえば、しいて言えば格下げできる形にしているというようなことや、十三条をとったから振興だということが納得できませんので、どうもそういう点がおかしいのではないかと、私自身は考えております。
#112
○吉田法晴君 実は十三条に主点を置いて、違憲か合憲かというような質問をしたようにお答をいただきましたけれども、実はそうではなくて、団体それ自身も自主的な成長が望ましいし、あるいは社会教育それ自身も、国の仕事、国の行政というよりも、自主の、自治活動の範囲内のことが望ましいというふうに両方ともおっしゃったが、そうすると、文部大臣が責任を持つというように改正をしていくことは、合憲、非合憲という問題よりも、憲法の精神から言って望ましいことではないのではないか、こういうことをお尋ねしたわけです。意見がございませんから、いかがでしょうか、田上先生の御答弁をいただきたいと思うのですが、改正案に出ております文部大臣がだんだん社会教育の責任を持つというような態勢になることは、社会教育の理想といいますか、実態から言って、むしろ望ましくないのではなかろうか、こう思うのですが、いかがですか。
#113
○参考人(田上穰治君) 先ほどから繰り返し申しておる以上に何も意見がございませんが、純粋の地方的事務という考えは私ないのでございまして、地方的な事務か国家的な事務かということは、総体的な概念であって、でありますから、どちらかと言えば、地方の方にまかせる、地方が主となってやることが普通ではなかろうか、全国的な規模の社会教育事業は別でございますが、そういうふうに思います。ですから国が全く何らそこに干渉してはいけない、干渉という言葉はちょっと悪いのでございますが、つまり関与してはならないという意味で申し上げたわけではないのでございまして、程度の問題でもって、国がむしろ何というか、指導的と申しますか、国が主として地方をただ補助的に使うという形はおかしい、どちらかといえば、地方のイニシアチブを尊重すべきであるという意味で申し上げておるわけでございます。そういう点で、もちろん程度でありますが、極端になれば、憲法の精神に合わない場合も起ってくると存じます。
#114
○吉田法晴君 時間がございませんから、一点、坂田さんに御質問申し上げたいのですが、青年団と青年館との関係の中で、実際に七百七十万ほどの金が青年館から青年団に出ているということで、相当の影響力といいますか、発言力を持っておられるかと思うのですが、正規の組織的な関係と、それから青年館、私どもも利用さしてもらったりしているのですけれども、青年館と青年団、どういうふうな事業と申しますか、活動の中にあるのか、宿泊を実は見ておりましても、青年が泊ることよりも、あるいは青年団が利用することよりも、たとえば靖国神社の遺族会だとかが上京して、何といいますか、まわりの多くの人が泊っておられるような実情であるかのように拝見をしたりするのですが、その実態について、簡単でいいのですから、お教え願いたい。
#115
○参考人(坂田修一君) 青年館と日青協との関係でございますが、もともと青年館は、地域青年団の寄付金によって大正十四年に作られたものでありますので、それ以来、青年館の維持経営は、沿革的に地域青年団のサービス・センターということで今日に来ておるわけでございます。今の青年館の寄付行為、定款と申しますか、寄付行為ですが、寄付行為によりますと、青年館の任務といたしまして、地域青年団の健全なる発達の助成ということがあるのでありまして、その青年館の役員構成としまして、青年館と日青協関係を密接ならしめるために、日青協の執行部から機関代表と申しますか、組織代表として、他の理事、役員の人はそれぞれ選出することになっておりますけれども、日青協については機関代表として、組織代表として一定の員数の人が参加するということになっております。それから最高の決議機関になっておりますところの評議委員会は、これは各府県の県団から出てくる青年代表が構成している員数が、実は過半数を占めているような状態でありますので、青年館の組織体の中では、日青協が相当発言権を持った機構になっております。従いまして、その実際の運営面において、ただいま吉田先生からお話がありました財政的に青年館から今年度あたりは年額七百七十万円でありますけれども、その程度の金を出すことによって、私が常務理事の一人として、相当発言権があるだろうというお話しでございますけれども、実はその上に評議委員会というのがありまして、過半数は青年代表が中におりまして、予算をきめているというようなことでありますので、その意味におきましては、まあ全く一体的に運用せられているというのが現況であります。
 それから実際の経営面におきまして、青年の利用状況はどうかということでございますが、まず、日青協の執行部並びに事務局のセンターが青年館の中にありまして、まあできるだけ青年館を、青年活動の推進の中心部の拠点とするように利用しつつあるわけでございますが、何分にもあの会館を維持することによって出てくる事業収入が、これがまあ唯一の青年団に対する援助資金の生み出し個所になっておりますので、現在の状況では、年間に宿泊関係では大体七万から七万五千ぐらい泊っておりますけれども、そのうちで青年団が宿泊利用しておりますのは一万五、六千であります。そのほか三万ぐらいは、学生のスポーツ団体、それから修学旅行団体というようなことでありまして、あと三万足らずが婦人会あるいは講習会等で、おとなの人が利用されておるような状況でありまして、全体的には青年団の利用は宿泊面におきましては少いようでありますけれども、雰囲気といたしましては、青年団中心ということで、青年団優先主義ということでやっておるような状況でございます。
#116
○吉田法晴君 簡単に真野さんにお尋ねをいたしたいのですが、まあここで拝見をしておっても、先ほど私が申し上げましたように、そうした青年団の自主性が守られておるかどうかというような印象を私どもは受ける、まあ質問の中にも出ておったが、あるいは社会教育審議会といいますか、あるいは社会教育委員の発言力が、下の青年団についても相当発言力があるという、まあお話等もありましたが、あるいは財政面からいって、青年館の発言力も、これは青年館の中に青年団が持っておられる、あるいは青年団から役員が一定数入っておられるという話ですけれども、まあ私どもの受ける印象は、果してどうかと、こういう点も考えますが、あるいは役員選挙、それから運営について自主的な運営ができておるのか、あるいは社会教育委員、あるいはまあ青年館を含んで他からの発言力、影響というものが、役員選挙あるいは運営等について実際に相当あるのかどうか。まあなかなか率直にしゃべりにくいかもしれんと思うのですが、あなたの感じだけでもお述べいただいたら幸いです。
#117
○松永忠二君 ちょっと、今一緒にお答えいただきたいのは、お話を聞いていると、私はむしろ青年会館というものが、日青協の基本の財産として運営をされていく方が、もともと地域青年団の寄付でもってでき上った青年館ですから、これは日青協というのは、地域青年団の連合体というようなわけですから、ここの基本財産として、その財産収入は日青協の運営資金として活動をしていく方が、やはり自主性が保たれるし、そういう方が自然の姿であって、日青協以外のところに財団法人を作っておいて、それ以外のものが運営をしていく、また、それに参画するという形よりも、主客転倒しているというような感じを私は実は持っている、こういう点について真野さんから、今のお答えとあわせて、一つ御意見として聞かしていただきたい。
#118
○参考人(真野昭一君) ただいまのお二人の質問は、日青協の自主性という御質問と、それから館との関係というふうに解釈してお答えをするわけでありますが、自主性を特に脅かされるというような気持で、館と日青協との間を考えたことはまだ一度もありませんので、館の常務が二人おられますが、一人は青年団の元会長でありまして、いわば先輩でありまして、仲間のようなつもりでもおりますし、まあ幸いにこの二人の常務が人材に恵まれておるせいだろうとも思いますし、また、そのほか運営の仕方もいいのかもしれませんが、とにかくそういう特別不審に感ずるようなことは今までありません。そういうことで何か非常に気がねしておるように思われるとしたら、それは誤解でございまして、非常にうまくやっておるわけであります。それから日青協の方に館の運営の主体が移った方がいいんじゃないかというお考えですが、まあ現状では青年団というのが任意団体でありまして、法人というような資格は持っていないので、これを系統的に管理していくために、財団法人という形で、財産を維持するための一つの法人を、むしろ私たちがこしらえたというような格好になっておるわけです。私たちといっても先輩なんですが、格好になっておりまして、この青年団というものが、もっとずっと強くなって力を持ってきたときには、あるいは御指摘のような考え方も成り立つかもしれないと思いますが、現状において、まだ日青協の力では直接自分のものとして運営するのには、この法的な問題は別としても、力の面で多少無理があるのではないかと考えております。
#119
○松永忠二君 私申し上げたのを、少し趣旨をはき違えてお答えいただいたと思うので。私は先ほどから、青年館の方が、この財産から出てきているいろいろな金を、七百七十万も出しているというようなことを聞かしていただいたんですが、私は出しているというより、むしろそういうところから、やはり基本的な活動の金を取っていくのが自然ではなかろうか、むしろ出していくという考え方ではなくて、その運営の中の利潤というものを日青協の方へ出していくということが、自然ではないかということを考えておるわけなんです。そういう意味で申し上げたわけですから……。
#120
○参考人(真野昭一君) 確かに出すという言葉を使われると、くれるものをもらうというふうにおとりになったかもしれませんが、私たちはごく内輪でありまして、特別もらうというような気持じゃなくて、当然定款にきまっておる、青年団へくれる金をもらうというようなつもりで、ごく気楽にもらっておりましたので、坂田さんが出すというような言葉を使われたことに対しては、別に何も私自身は感じなかったわけです。まあ青年館と日青協の関係は、そのくらい密接に現在いっているということで、特にもらっておるというような気持は毛頭持っておりませんので、現状においては、少くとも非常にうまくいっているということを申し上げたいと思います。
#121
○委員長(竹中勝男君) それでは、この程度にして参考人の諸君に対する質疑は終ります。
 きょうは御多忙のところ、午前から午後にかけまして、参考人の方々には当委員会に御出席いただきまして、きわめて有益な御意見をお聞かせいただきまして、私ども委員会として厚くお礼申し上げます。
 ちょっと速記をとめて下さい。
   午後四時二十九分速記中止
   ―――――・―――――
   午後四時四十三分速記開始
#122
○委員長(竹中勝男君) 速記をつけて。ただいま委員長理事打合会を開きました結果、地方行政委員会に付託されております風俗営業取締法の一部を改正する法律案について、連合審査会開会の申し入れを行うことに御異議ございませんか。
#123
○委員長(竹中勝男君) 御異議ないと認めます。なお、連合審査会の日取りにつきましては、委員長に御一任願って、文教委員会の委員長が地方行政委員会の委員長と打ち合せることにいたします。
 それでは本日の委員会は、これにて散会いたします。
   午後四時四十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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