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1947/01/28 第2回国会 参議院 参議院会議録情報 第002回国会 司法委員会 第3号
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1947/01/28 第2回国会 参議院

参議院会議録情報 第002回国会 司法委員会 第3号

#1
第002回国会 司法委員会 第3号
昭和二十三年一月二十八日(水曜日)
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○行刑問題調査に関する件(証人より
 証言あり)
  ―――――――――――――
   午前十時四十九分開会
#2
○委員長(伊藤修君) それではこれより委員会を開会いたします。
 本日は行刑問題に関する調査につきまして、幸い東京に全國の管区長の方が御集合になりましたが、これを機会に管区長の方々から行刑の第一線の部面について現状及び將來に対するところの御希望等をお伺いして我々調査に対する参考に供したいと思います。本日証人としてこれらの方々をお呼びいたした次第であります。午前中は中國行刑管区長巣山末七君、四國行刑管区長佐藤備六郎君、九州行刑管区長荒巻正州君、北海道行刑管区長楠本順作君この四名の方々に御供述を願うことにいたします。
 先ず供述の前にこれらに証人の方々の宣誓を願いたいと思います。宣誓の際には全部御起立を願います。では証人の方は宣誓をお願いいたしたいと思います。
   〔総員起立、証人巣山末七君、佐藤備六郎君、荒巻正州君、楠本順作君は次のように宣誓を行なつた。〕
   宣誓書
 良心に從つて眞実を述べ何事も隱さ
 ず又何事をも附加えないことを誓い
 ます。
        証人  巣山 末七
        同   佐藤備六郎
        同   楠本 順作
#3
○鬼丸義齊君 順序ですが、私は中座しなければならんので、北海道を先にお願いできませんか。
#4
○委員長(伊藤修君) 先ず北海道の行刑管区長楠本順作君の御供述をお願いいたします。
#5
○証人(楠本順作君) 北海道管区における拘禁状況から申します。收容の定員は四千七百三十九名となつておるのであります。ですが、過剩拘禁の現状に鑑みまして、できるだけ從來の刑務所建築準則という、つまり衛生上の見地から一人に幾らというスペースを要求された、それに基いた定員として四千七百三十九名となつておるのでありますが、過剩拘禁の現状に鑑みて、できるだけ余計入れたいということで、司法省の方が臨時定員というものを拵えたのであります。それによりますと六千百二十七名入ることになつております。現員は四千八百七十六名おるのでございます。ただかようで過剩拘禁定員以上に超過していないという数字が臨時定員から出るのでありますが、非常に腐朽の甚だしい使用に堪えないそういう場所がございますので、実際は過剩拘禁の状況になつておるのであります。釧路というところに刑務所の支所があるのであります。これは元々本所として独立しておつたのでありますが、行政整理等の関係で支所で被告を扱うということに変更されたままここ十年余り経過しておるのであります。長く留守にいたしておりますのと自然手入ができないというような関係から、非常に腐朽が甚だしいのでありまして、ここに約五百名收容できる状況にも拘わらず、殆んどそれが使用に堪えないというような事情にあるのであります。そういう事情から申しまして、臨時定員を以てしてもやはり過剩拘禁的な現象が生じておる。況んや普通のいわゆる定められた一般の從來の定員から申しますと、非常な過剩拘禁の状況でございます。それから地域的に申しまして、札幌刑務所が非常な一番の道内における過剩拘禁の状況になつておるという事情であります。
 それからその次の作業状態、これが大体関連をして運営をして行きたいということで、作業におきましては、構外作業を活溌に営みまして、一つは過剩拘禁を緩和すると共に、一つは國家の收益を挙げ、且つ北海道の開発、石炭の増産、農耕におけるところの増産、かようなことを目途といたしまして、作業におきましては農耕作業、それから採炭作業、炭鉱であります。それから冬期における伐木作業、かようなことに重点を置いて経営いたしております。現在この冬期間におきましても約千名、九百四十数名の者が構外に出て仕事をいたしておるのであります。炭鉱関係は芦別というところに新らしい炭鉱ができております。三井鉱山会社の経営の炭鉱であります。それから油屋でありますが、油屋鉱業会社の炭鉱この二ケ所にある約五百名の者が出て仕事をいたしております。その中三井芦別鉱山に出ております方は、今後の情勢に應じまして尚増員、増加して行くつもりでおります。大体管内の拘禁作業状況につきまする概況は以上の通りであります。
 それから第二項の最近私の管内に発生しました重要事件の概要、その原因。この第二項目につきましては、北海道管内においてはここで申上げる程の重要事件は起つておりません。
 それから行刑全般に関する希望又は意見、この項であります。非常に細かいことで、沢山あるのでありますが、その中の一番主たる事項といたしまして、職員の給與が非常に悪いのであります。特に下級職員方面において然りであります。それでなかなか採用がむずかしいのであります。現に札幌刑務所のごときは、ラジオの放送を一ケ月間続けて放送して貰つておる。新聞に廣告をいたします。さような方法を以ていたしましても五十名という欠員がなかなか埋らないので弱つておるのであります。これは一に給與が悪いというのが主なる原因でありますと共に、住家がないのであります。北海道のようなああいう刑務所の所在地は、附近には住家がないのでありますが、どうしたつて自宅通勤だとか、或いは他の家に寄留するというようなことは到底できないのであります。どうしても職員を住まわせる官舎と申しますか、住宅を提供してやらなければ、拵えてやらなければ、これの根本的な解決はできないものと思つております。これは職員の方の主たる事項であります。
 それからその次は收容者の関係でありますが、いろいろございますが、その中特に被服関係が逼迫いたしております。大体刑務所管理におきまして、收容者管理におきまして、被服は二通り拵えるのがもう從來の鉄則とされておつたのでありますが、つまり外で着る着物と、それから舎房の中で着ます部屋着と、この一通り拵えなければならん。これは衞生上の見地から然りであり、且つ又破獄逃走等を防ぐためにはどうしても裸にして別に着物を着せてやるというこの二つの理由で、さような鉄則が生れたわけでありますが、これはもうとうの昔から実行できないのでありまして、一通りの着物で作業もいたし、又部屋着も着て寝る。かような状況でありまして、特に炭鉱だとか或いは百姓だとか、そういう構外作業に出ておりますと、実にもう滅茶苦茶に早く汚れる。そうして汚ないそういうものを部屋の中に持ち込むというような状況なのであります。それでも何とか維持できればいいのでありますがその作業の特殊性のために、又オール・スフのような地のために、損耗率は非常なものでありまして、どうにもこうにもやりきれないというのが実情なのでありまして、損耗率からしますと、大体一年について二十ヤールはどうしても要るというのでありますが、なかなか思うようには参らんので、司法省においても非常な御努力はして下さつておるようでありますけれども、結局これは大きなところでお願いをしなければ、根本的な解決ができないのじやないかと、かように心得ております。申上げたいことは大体以上であります。
#6
○委員長(伊藤修君) この第二にお示し申上げたところの事項について八つありますが、その中の適当な部門について一つを御供述を願いたいと思います。
#7
○証人(楠本順作君) 刑務委員会の運用という証言事項第四項目でありますが、大体昨日この全八項目についてそれぞれの割当がございまして、私に本項目を証言したらというお示しでございました。
 刑務委員会の官制ができましたのは昨年の十二月の二十七日と心得ておりますが、さようにできたばかりでありまして、実はまだ運用の運び、実際の実施の運びには、至つていないのでございます。直ぐ実行しなければならんそういうような運用の規定といいますか、運用の細則と申しますか、かようなことが司法省の方から我々の方にお示しがあつたようではありますが、上京と行き違いになりまして、実はまだそれは拜見していないのでございますが、それで刑務委員会の運用について私が今考えておりますことと、司法省が運用についてお示しになつたということを基にしては申上げられないのでありますが、大体刑務委員会はまあ昨年の十二月にやはりできたと申しますものの、もうずつと前から司法省部内におきましては施行して参つたのでありますが、昭和の初年頃から少年刑務所におきましても仮釈放いたします場合に、判事と檢事が刑務所を巡視するというような監獄法の規定があるのであります。その巡視規程を活用いたしまして判事、檢事に仮釈放をする場合に少年刑務所長の決定をいたしまするのについて参加して貰つて、そうして仮釈放協議会というものができておつたのであります。これは刑務委員会の一つの事項と申しますか、さようなことでずつと年々施行されて参つたのであります。それから又これは規定に基くものでございませんが、当局の容認の下に横濱刑務所におきまして、やはり仮釈放の場合に各民間の方々の参與を求めて審議をしたということも経驗をしておるのであります。又近くは福岡におきましては、現在司法省の行刑局の一課長小川氏が所長時代に刑務委員と同じ趣旨のものを設けまして、例えば野田俊作氏だとか、或いは松本治一郎氏だとか、そういつたような人を委員にお願いいたしましてやりましたところが、非常にフレツシユなアドヴアイスが得られたというようなことで、そういう最近の刑務委員会に対する事項としての経驗を持つておるのでありまして、実務家の我々では早く刑務委員会制を持ちたいという希望がここに充足されたわけなんであります。ただ刑務所は御承知のように受刑者と所長職員間の本当の信頼関係といいますか信任関係が本になつておるのであります。それでその信頼関係、信任関係というものを裏切るような、損うようなそんな組織の委員会を持ちたくない。これを法律的に申しますと、議決機関的なものは持ちたくないということはこれは期せずして各刑務所長の意見として持つておつたのでありますが、今度できましたところが、やはりその意向が盛られまして、諮問委員ということで、これも我々満足しておるところであります。それから委員の数なんかの関係でありますが、九名乃至二十一名ということになつております。それでこの行刑における二つの面、つまり收容者を中心とした問題と、それから作業の問題と、この両面をこの委員会において諮問に應じて頂くということになつておるのでありますが、できるだけこの委員会が社会各層の方をお願いできたらと、かように思つておるのであります。ただ物の初めでありますので、余り多くちや駄目だというような見地から、どうやら地方管区にできまする委員会では九名というお示しのように承つております。大体これで始めまして、そうして將來はもつと殖やして貰いたい。かように思つておるのであります。何分官制ができまして日が浅く、未だ運用の実際に移つておりません今日でございますので、以上、私の存じておりますことを申上げるに止めたいと思います。
#8
○委員長(伊藤修君) 証人の方に対する質疑は一括して四人の方が終了してからいたしたいと思います。次は九州行刑管区長荒巻正州君の御供述を願います。
#9
○証人(荒巻正州君) 御指名によりまして証言いたします。
 先ず管内における拘禁並びに作業状態の概況、このことについて申上げます。九州管内は拘禁過剩の点におきましては、他の管区に比較しまして非常に只今過剩が甚だしい管区に入つておるのであります。近畿管区、関東管区、九州管区が最も拘禁過剩の部類に属しております。大体の九州管内の收容定員は七千八百十二名、これに対して現在收容しております人員は一万二千八百六十八名、この定員に対する割合は一六五%であります。この内で最も過剩の刑務所は長崎刑務所、これが收容定員千七百一名に対して二千五百二名を收容しておりまして、一割九分七厘の割合になつております。次が福岡でありまして、二千四百五十二名の定員に対して四千百七名收容しておりまして、これが一六七%、こういうふうな割合になつております。ちよつとお断りして置きますが、この数字は昨年十二月三十一日の現在で申上げております。暮は仮釈放を沢山出しましたので、全國的に收容人員は少し減つておる傾向にあります。特にその中でもひどくありますのは、土手町支所と申しますると、福岡市の未決拘禁をしております土手町支所、これがひどいのであります。それから小倉、それから熊本の京町支所、これが最も特に被告の拘禁過剩がひどいようであります。
 これに対して只今收容設備を建築又は改造しておりますのは浦上の支所であります。これは原子爆彈で跡方もなくやられまして、只今浦上支所の被告は長崎刑務所、これは諫早にあります、そこに拘禁をいたしまして、長崎の裁判所に出廷させておるのであります。これが大体本年度末の完成の予定でありますが、全般的に容れるようになるには少し遅れるじやないかと思つております。それから宮崎の刑務所が殆んど戰災を受けまして、只今復旧いたしましたが、尚残りが今年度、それから來年度、その次の年度に少し残りはせんかと思うのでありますが、大体來年度で完成して頂くようにお願いするつもりでおります。その外小さい舍房の燒けましたのは鹿兒島の女区、これがやはり本年度に完成の見込であります。熊本の方は殆んど復旧いたしました。福岡の方でも、戰災を受けまして、これも本年度中には完成の見込であります。その他被告人の拘禁過剩のために土手町の分禁所を、福岡刑務所の耕耘地を潰しまして、そこに只今始めておるのであります。これは急を要しますので全部請負工事にいたしまして、そうして本年度にでき上る予定であります。大体三百人ぐらい收容するのであります。それからそれと同じ方法で小倉の支所の敷地が狹いのでありまして、余地がありませんので、古い建物を毀しまして、そこへ二階建を建て、これもさつき申しました、福岡でやつております土手町の分禁所と同じ方法で請負で本年度に完成させることにしております。それから佐世保の支所の直ぐ下に福石地区と申しておりますが、そこの軍需施設を貰いまして、下を工場に使い、二階を舍房に改造中であります。それから久留米の予備士官学校、これは全部利用しますると、相当厖大な施設でありまするが、それは大体刑務所の方に貰うことに國内的には処理ができておるのでありますが、進駐軍が今使つておるのであります。それは博多キヤンプの野砲兵の方で高良台の演習場を使う関係上、そこを宿舍といたしまして使つております。始終使いませんが、時々演習して使つておるのであります。その解放方を再三連隊長にお願いしておるのであります。一ケ所しか練習場を持たないからこの隊がおる間は駄目だということを言つておられますが、二十四師團長にもお願いしまして、是非とも使わさして貰うようにお願いしておるのであります。今申上げましたように士官学校の方を貰いますれば、相当拘禁緩和になるのでありますが、その他の復旧、又分禁所がそのくらいの程度では、どうしても、この拘禁過乘の状態は緩和できないと思うのであります。どうしてもこれだけの現在收容しておる人員でもはち切れそうでありますから、だんだん殖えておる傾向にありますので、どうしても九州に二、三ケ所は大きな刑務所を作つて頂かなくちやできないと考えておるのであります。
 次に作業状態について申します。九州管内の作業は、大体仕事のないために遊んでおる受刑者は今のところそう沢山ございません。殆んど仕事に就いております。ただ病人とかその他の関係で不就業者がおるのであります。それはそういう特別の理由でありまして大体不就業者はないといつていいと思います。これは数字を申しますと長くなりますので、数字を省略さして頂きまして、九州管内で主な作業は何といつてもやはり外の管内と同じで、木工洋裁縫、それから印刷工、鍛冶工、こういうものが主要作業になつておるのであります。大体只今材料が入りまして、監視作業と申しまして、感化材料を頂載いたしまして、製品を作つて賣却しまするこの監視作業は主に木工であります。その他竹工、こういうものが資材が何とか入るのであります。その他についてはなかなか材料が入りませんので、自然と外部の委託材料を提供したのに加工いたしまして賃金を取る。これは作業收入からいうと大変不利益でありますが。自然とそうならざるを得ないのであります。大体所内作業は多くそういうものに依存しておるのであります。ここで木工作業について申上げますると、これは司法省と文部省と協定をされまして、戰災学校の、それから新制学校の学童机、これを作るということで、文部省から木材の枠を貰いまして、そうしてそれによつて注文を受けるということになつておるのであります。私の方では資材も手配をいたしまして入手をいたします。又技術屋も受刑者を養成いたしまして、これも科学的の養成をやりまして、労力と資材を用意してどれだけでも枠のあるだけはやるつもりでおるのでありますが、文部省の方はそういうふうにして協定しましても、末端の方にはそういう趣旨が徹底しませんので、これを全面的に注文を受けるに至つておらんのであります。自然とその枠は学童机に限らず、学校用品ならばやるといつて、段々そういうふうにして作つているのでありますが、こういう点については刑務所は直ちに用意ができまするが、文部省あたりではどうもただそういう通牒一本で末端の方に行きますとこの学校机は寄附を集めたのだ、でその寄附を受けるときにどこに注文するということで集めたのだから刑務所の方には上げられない。こういうふうなことを言う学校もあるのであります。こういう点については本省の方で協定があつたならば、それをやはり実行して貰うようにして頂きたいと思うのであります。
 大体構内作業のことを申上げましたが、今度は構外作業の現況を申上げますると、これは数が少いので数字で申上げます。長崎刑務所の管内では江ノ浦製炭が七名。富津、これは漁撈が十三名出ております。浦上、これは整地作業へ百十七名、これはさつき申しました復旧の関係であります。それから調川、これに溜池工事に八十名、計二百十七名構外作業に出ております。福岡の方では南畑の製炭作業に九名、鯛之鼻、これは炭鉱でありますが、採炭に百七十二名、曽根の方は小倉であります。福岡の方は製炭、採炭で二百七十三名であります。その外小倉の方では緑ケ丘の整地工事に五十六名。それから製材の方に二十五名。北方の刑務所で第一農耕地に五名、第二農耕地に五名、第三農耕地、これは開墾でありまするが、三十八名。大隈に土工として十六名。それから大分の刑務所の管内では猪山の開墾作業に十二名。熊本刑務所の管内では菊地製炭が十一名阿蘇に出ておりましたが、これは阿蘇の農耕に行つておりましたが、これは十二月の二十九日で引揚げました。荒尾山という所へこれはちよつとはつきりしませんが、これは山道の拡張工事で三十八名出ております。それから鹿兒島管内で眞幸、眞幸というのは元吉松演習場の兵舎と演習場を貰いまして開墾しておるのでありまするが、この眞幸農場の百九十四名。大野原の伐採、それから製炭に五十八名。それから宮崎では川原町の河畔整地五十名。大体合計しますと千二百三十五名がこういう構外作業に出ております。
 それから收入、予算関係を申して置きますが、管内で資金が千三百六十二万二千円、これに対して本年度の責任收入額となつておりまするが、まだ予算にはなつておりませんが、大体九州管内で收入するように責任割当を受けておるのが三千九百十八万四千円であります。
 では次に最近管内に発生した重要事件の概要とその原因。最近九州管内で起りました事件といたしましては、御承知の方もあると思いまするが、二十一日の日に受刑者が集團暴行をやりまして、これを鎭圧するために発砲いたしまして、六人の中一名が死亡しまして、二名が重傷、一名が軽傷という事件があつたのであります。この事件を申上げます前に、先ずその前の九日の日に三名の者が舎房でやはりちよつと暴れておるのであります。この三人がやはりこの事件に入つておるのであります。丁度ここにおられます岡部先生もその翌日に行かれましたのでそのことは御存じのことと思いまするが、その三人の中で三木というのが主謀者でありまするが、三木一男、これが拘禁告示によりまして宮崎に送るということを言渡されたのでありまするが、理由は申しませんが、行かないとこう言うのであります。それでこれは、その子分でありまするが、高田、これも独居におるのであります。高田というのと朴壽岩というのが加わりまして、丁度診察のために医務所へ他の受刑者を連れて來たのを機会に、九日の日に舎房を突然出まして三人が工務小屋に來まして芋切り庖丁……向うのやつは柄が附いていまして先の方に切れ物が附いておりますが、それを持つて、それからあとの二人は竹槍を持つて又元の所に引返して來たのであります。そうして別に物を破壊したり人を傷付けたりしませんが、その武器を以て暴れる氣勢を示したのであります。で中々言つても聞きませんので、これはまあ強権を発動しなければならんかも知れんというので、所長は縣の方の刑事課に行きまして、とにかく朴壽岩という朝鮮人がおるので面倒なことになるといかんから、とにかく立会いに來て呉れと言つたので、向うでは武装警官を二名派遣したのであります。それがまだ所長室で話をしておる中に教務課長が行きまして説得をいたしまして武器を抛棄させたという事件があるのであります。その後三人は……この三木というのはやはり宮崎に送る、それから外の二人の朴壽岩、高田弘夫というのでありますが、これは工場に出ることを希望しておつたのであります。それでこれは工場に出してやろう、併し機会を見て出してやろう。そうして本人らは今度の事件については懲罪を受けるのは受けるけれども、勿論こういうように三人でやつたのだから一緒に出して呉れとか、一緒の舎房に置いて呉れと盛んに言つておつたのであります。で兇器を抛棄した当時三人が一緒に舎房の中に入る。そうして終いに分けたのでありますが、その時の話では戒護課長をやつつけてやろうというようなことを言つておつたそうであります。それでその次に所長、それから戒護課長、教務課長に頻りに面会しておるのであります。その願いは三木は行くのは嫌だ。それからその外に又橋本良一、永富鉄男というのも面会しました。その中に橋本良一というのはこれは福岡でやはりそういうようなことをやつた男であります。それで福岡から熊本に送られ、熊本から鹿兒島に送られておるのであります。それでこの六人は兄弟分でありまして、三木は親分で橋本というのは兄貴分になつております。それでこれが二十一日の丁度退職時に六名の者がとにかく集團暴行を始めたのでありまして、三木が最初に炊事場に入りまして庖丁を二挺持つて途中で橋本に会つて一挺渡し、後の者が又行つて二挺、庖丁が四挺であります。それから朴壽岩が行つた時にはもう危ないと見て炊事場の戸を閉めておりましたので、機関場に行つてスコツプ二挺背負つて來た。このスコツプ二つと庖丁四挺で以て、今度は中央の事務所に通ずるところの扉をスコツプで叩き破壞しまして、そうして戒護室の方に行き、途中で戒護課長に会いました。戒護課長は何をするかと言つたのに殺すと言つて追つ掛けましたが、長く追つ掛けずに、こつちに來いと言つたので二階に上りまして、二階に暴れ込んでそこへ丁度庶務課長がおりましたから、庶務課長に所長はどこにおるか、所長は引籠つておつたのでおらんと言つたら、坐れ殺すから、そんな者を殺したつてどうするかと言うて、そこでは脅迫した程度で、事務員はみんな女なんか机の下に隱れたりして、それから教務室に行つて教務課長のところに行つて、そこでとぐろを巻いて、そこらあたりにある煙草を出して喫つたりして、いろいろなことをしておつた。その時には警備の者が駈けつけまして、下を取巻いて上に向つて射つぞ上からそんな空氣銃のような鉄砲で当らんじやないかと言うので威嚇射撃をやつた。それで煙草を喫つたのを火をつけたと見ましたので直ぐ上つて行きました。向うの方が教務室を出まして上り口のところで向つて來たから発砲したという事件であります。長くなりますので簡單に申上げます。
 仮釈放制度でありますが、五番の仮釈放制度の現況並びにその將來性ということについて簡單に申上げますが、大体仮釈放と申しますのは、只今では制度としましては、本人の行刑の成績、それから保護関係、それから身上関係等を調べまして、そうして刑務所長がこれを司法大臣に上申いたしまして、許可するという制度であります。それで最近拘禁過剩の一つの対策といたしまして、仮釈放を利用しておるのであります。これは数字を見てみると分りますが、二十二年度は三万三千八十三人、これが仮釈放の人員であります。二十一年度は二万八千百十七人、二十年度は一万五千百五十九人、二十二年度の満期釈放が出ておりませんが、二十一年度の調べによりますと、満期釈放九千九百三十人、二十年はこれはもう満期釈放の方が多くて一万五千六百七十八人、十九年度は仮釈放八千五百九十人、満期釈放は一万八千八百三十八人というふうになつておるのであります。
 時間がありませんので、その將來性について申上げますと、これはどうしても只今は拘禁緩和という点からも非常にまあ粗雜と申しまするか、愼重を期し難い点があるのであります。どうしても大変重大な問題でありますので本人の個性というものを科学的に明らかにする必要があるのでありまして、先ずそういう点もありますし、又民主的にやるという意味で、これは仮釈放委員会というものを作りまして、そこにおきまして、やはり專門家も委員に加えまして、本人の個性、それからいろいろなことについて明らかにしまして、そうして仮釈放するということがこれは一番いいと思うのであります。それから又出てからの仮釈放中の監督でありますが、今は警察に通じまして警察の方で監督しておるということになつておるのでありますが、なかなか手が伸びんのでありまして、刑務所に対する報告も來る所も來ない所もあるという状態であります。將來はそういう仮釈放者に対するところの監察制度というものが必要じやないかと考えるのであります。勿論司法保護制度などがありまして、そういう方面においても、やはり監督して頂けば結構でありますが、何か別に監察制度というものを設ける必要があると考えるのであります。以上。
#10
○委員長(伊藤修君) 次に中國行刑管区長巣山末七君の御供述を願います。
#11
○証人(巣山末七君) 大分時間も経過したようでありますから、成らるべく簡單にいたします。
 先ず管内特有の問題につきまして、第一は管内、各所における拘禁並びに作業状況の内容。中國行刑管区も非常な過剩拘禁であるということはい、くどくどしい申上げなくても皆様すでに十分御承知のことと思います。ただ合計した数字を申上げますと、收容人員四千七十二人のところに昨年末の現在で、七千八百五十七人、結局三千七百八十五人の過剩拘禁で、パーセンテージを見ると、一九二%の過剩である。これは尤も本來の定員について申上げたのであります。臨時定員を申上げますと、臨時定員は五千九百九人、で臨時定員としましても、尚千九百四十八名過剩になつております。この臨時定員ということを皆様は御承知ないかも知れませんが、本來受刑者一人、收容者一人について〇・七坪というので、本來の定員を出しておるのであります。併し今日非常に收容者が殖えましたので、それを收容するのには切下げて、先ず〇・五坪を基準にして臨時定員というものを出した。これは一坪の半分に一人だけ置くような極度に收容者を監禁したところの、これは最低生活から申しますと、憲法違反の処置だと思いますが、それまでやつて漸く臨時定員というのを出し、尚それも超過しておる。実例を申しますと、廣島の刑務所では独居房に三人が原則になつております。一坪の所に三人、〇・三坪に一人入つておる実情であります。六人の雜居房に十七、八人入るという状況であるのであります。中國管区で今一番過剩拘禁のひどいのは廣島と岡山で、都会の大きい刑務所ほどひどい。これは管区別に申しましても、先程の近畿管区というようなものが深刻な過剩拘禁の状態であることは、御承知でございましようが、都会ほど過剩拘禁が激しい。これは一刻もこのままに放置することのできない人道上の大問題であるということを、深く念頭に置いて頂きたいと考えるのであります。
 この過剩拘禁を緩和するためにどういう処置を採つておるかというと、今申します通り一人入れる時に二人、三人というふうに、所内で切詰めて監禁する外、できるだけこれを構外に出して構外作業をやらすということを、各所ともやつておるわけでありますが、中國管区管内では現在(これもやはりすべて昨年末の現在であります)千三十六名。廣島、山口、岡山、松江、岩國、この五つの刑務所がありますが、それを総計して千三十六名を構外作業に出しております。併しこれもこんなことでは殆んど緩和できませんので、大規模に構外作業を発展させようと思うのでありますが、それについても後で申上げます通り、いろいろな難問題がありまして、思う通りに参らん状態であります。
 收容者の増加率はと申しますと、昨年十二月までは管内毎月二百名乃至二百五十名ずつ増加して参つております。この傾向も殖える一方であるのであります。一人でも收容者が殖えますと、足の先から頭の先まで、着る物、寢る所、万事万端のことを準備してやらなければなりませんし、又働く場所も世話してやらなければならん。並大抵の苦労ではないのであります。そういう厄介な收容者が非常に殖えつつある。いかに刑務官がこの処置に困つておるかということは、御想像に難くはないと思います。
 作業の状態を申上げますと、昨年の十月に近畿の管区から四百名鳥取刑務所に移送を受けたのであります。これは近畿管区がはち切れそうだというので、私共の方も過剩には違いないのでありますけれども、その程度がまだ軽徴だというので四百名無理やりに送られたのであります。で鳥取に四百名、それから松江には百名、五百名引受けたのであります。ところが移送を受けて收容はいたしましたけれども、これを今度は働かせる場所がない、工場がない。それで現在も約二百名の者が何もせずに遊んでおる、毎日狹い房に蟄居しておるわけであります。これもまあ人道上から申しましても、又囚情の点から申しましても、甚だ寒心すべき状態であります。これは一日も早く解決して構外作業でもやらせようと思つて努力しておるのでありますが、丁度冬時でありますし、職員が非常に不足しておるというようなわけで、現在ではこの二百名を代る代る働かせる、一日置きに工場に出して働かせておるというような窮した処置を採つておるわけであります。
 尚各刑務所の主要な作業と申しましては、まあいずこも大体同じでありますが、廣島では印刷、竹工、山口では竹工、洋裁、岡山では金物工、木工鳥取では特に申上げる程の作業はやつておりません。松江で金物工、木工、それから大山農場、岩國少年ではメリヤス工と印刷、木工というようなことをやつております。中國管区では廣島、岡山がもう殆んど戰災で全滅したのでありまして、この管内の二つの大きな刑務所がやられましたものでありますから、作業の方面も非常に不振な状態にあります。廣島、岡山は目下戰災復旧に大童であつて、工場の作業の方には十分手が廻らないというような状態であります。山口は戰時中若松造船に大勢出しておつたのでありますがそれが皆引揚げて参りましたので、所内で作業をさせなければならんのですが、これも思わしい仕事がなくてやつておらないのであります。更に岩國少年でありますが、ここでは後で申上げますけれども、敷地が僅かに二千九百坪しかないのであります。それでまあ運動場なんというのは猫の額程しかない、そこに発育盛りの少年を入れて專ら屋内の作業をやらせておるわけであります。これが少年行刑上いかに不適切な場所であるか、設備であるかということはもうそのことでお分り下さることと思いますが、これも一日も早く適当な場所に移轉しなければならないというので、目下後で申上げまする通り、柳井の潜水学校の分教場の施設の移管を受けまして、これに岩國少年を取敢えず移して理想的な少年行刑をやろうと今計画いたしておるわけであります。松江の大山農場、これは海抜五百メートルの高い大山の中腹にございますが、ここに約百町歩ばかり開墾する権利を持つておるのでございます。そのうち二十一町歩だけ今開墾いたしております。併し開墾してから五年は経つておりますけれども、なかなか思う通りの收穫は得られない。第一の土質が酸性土壤で、非常に耕作に不適当な所であります。それも適当な肥料が入ればいいのでありますが、肥料が入らないというようなわけで、思う通りの成績を挙げていないのでありますが併しこれも大体昔から、開墾地は十年間は租税を免ぜられたというようなわけなので、十年間はやはり当り前の土地にするのにはかかるというようなことらしいので、まあ氣長に努力いたしておる状態であります。
 次に最近管内において発生した重要な事故、これについて二件程申上げますが、一つは最近、本年の一月十日でありますが、大山農場で作業をしておる受刑者百三十名の中八十八名が、朝御飯を食べたきり監房に入りまして、仕事をしない、いわゆるサボタージユをやつたわけであります。職員がいろいろ説得しても聞かないのみならず、暴言を吐き、更に暴行にも出でまじき不穩な形勢であつたために、早速松江の本所及び溝口の警察、溝口の警察から米子の警察に手配をしてくれまして警察官が約六十名、松江の本所の刑務官が二十七名、夕方から夜を徹してこの山に登りまして、一晩警戒をしたわけであります。そのうち戒護課長の城元というなかなかできた人でありまして、これをうまく説得いたしまして、その中の主要な人物三十名だけ本所にうまく連れ帰りまして、まあ平穩無事に事なきを得たのであります。
 その原因はと申しますと、これは進駐軍の要請もありまして、監督補助、特警と申しますが、戰時中の制度で、受刑者の中優良な者は特警又は監督補助として職員の補助に使つておつた。そういうものは怪しからん、廃止せよと言われましたので、昨年末一齊に廃止したのであります。大山農場にも約十五名の監督補助が役人に類したことをやつておつたのでありますが、その中十名は年内に仮釈放になつて社会に出て、五名だけ残つた。この殘つ五名が自分だちが仮釈放に洩れたということが非常に不満で、これが外の受刑者を煽動してこういうような行動に出たということなのであります。その他この大山農場に限りませんが、働く場合には、食等が今一番上が二等食になつておりますが、二等食を食べさせられるわけでありますが、ところが仕事をしないときには一等下げて三等食ということに法規で決まつておるわけでありますが、併し從來の大山農場の状況は、まあ場所もああいう離れた場所で、仕事もやつておるので、仕事をしない日もやはり二等食を食わせておつたらしい。ところが場長が更りまして現場長になつてから、規則通り休んだときには一等下げて三等食にしたというわけでありますが、これが受刑者一般の不平を買つた。彼らは食うということが唯一の樂しみであり、これには非常に神経過敏なわけであります。それが非常な不平の種であり、又その他新場長になつてから非常に規律が嚴正になつてひどいというので、場長排斥というようなことから、例の五名の不平な監督補助に煽動されてこういうような不穩な行動に出たということになつております。併しこれは幸い大した問題も起らずに済みました。
 次に岡山刑務所の不正事件について申上げます。それはよくどこでもある事件でありますが、被告の家族の者から何とかして早く出れるように世話して貰いたい、それには大抵病氣で拘禁に堪えないという診断書をお医者さんから貰えば執行停止で出られるのであります。そこでそういうことに一つしてくれというので看守長が医務室の看護婦を手先に使つて僞診断書を作らして、それで執行停止で出して貰つたそのお礼に相当な金を貰つたという事件であります。それからいま一つは、岡山では有名な闇の親分がおりまして莫大な金を取つておる者があります。これが進駐軍の事件で入所したのであります。それを機会に、いい鴨が入つたと申しますか、職員がそれに便宜な取計らいをしてその謝礼として相当な金を貰つたというようなことがありますこれによつて五名の者が拘禁されその中三人だけは一審で実刑の言渡しを受けて控訴中というような状態であります。この二件が最近起きた重要事項として申上げて置きたいと思います。
 次に行刑全般に対する希望又は意見ということであります。何としても現在の刑務所で一番深刻に悩んでおるのは過剰拘禁をどうして緩和するかという問題であります。それには新営の舎房をどんどん作るということも結構なことですが、これは予算その他の関係でできない。これを手つ取早く間に合わせるためにはどうしても軍の施設を百パーセント利用して應急の間に合わせる、これは誰でも当然考える措置であります。今日はまだ軍施設で刑務所に轉用できるものが全國には相当あるわけです。これを今物色し、それを獲得すべく、各管区とも懸命の努力をいたしておるのでありますが、遺憾ながらそれには地元の猛烈な反対があるのでどこも未だ成功していないというような状況であります。どうかこれを皆様のお力添えで軍の施設を司法省に優先的に決定されるような御努力ができないものか、法規的にでも政治的にでも御考慮願いたいと思います。それを一つ御考慮願いたいと思ひます。尚この点については後で具体的に私悩んでおります柳井の潜水学校のことについて詳しく申上げたいと思います。
 次に被服でありますが、受刑者の被服は非常に窮迫しておるのであります。御承知でありませうが、彼らは刑務所に入りますと、今まで着ておつたものは全部脱いで丸裸になる。それで入つてからは全部それに着せてやらなければならない。ところが現在の衣料不足の状態ではとても我々の要求するだけの衣服が入つて來ない。これはこの前の管区長の会議の時、安本の係の人を呼んでお願いしたのでありますが、大体安本なんかの考えは、社会の人間に配給する一・八ポンドしか刑務所に入れない。それ以上やるということは、悪いことをした人間に社会の人間以上にやるということは絶対できない。悪いことをしない人間以上にやるということは許せない、こういうことなんです。ところが、一・八ポンドでは社会の人はとても一年着る着物はできないのであります。併し刑務所には一・八ポンド以外には絶対に入れない。食糧でも同じであります。社会の人は一・八ポンドでも、從來持つておつた着物もありましよう。縁故関係で獲得される途もあります。又闇で入手されることもできるのでありますが、刑務所では闇ができない。與えられたそれで賄う以外にない。そういう特殊な刑務所の状況を社会並みに考えられるということは安本の考え方が非常に非常識だ、認識不足じやないかとその時詰め寄つたのであります。その後刑務所を親しく見られまして、成る程困つておる、これでは氣の毒だというので、その後幾らか御協力を仰いで非常に結構であります。昔は部屋におるとき着る着物と働くときの作業衣は別々であつた。今日はそういう余裕はありません。外で働いて汚くなつた着物そのままでごろ寝をやる。そのことが衛生上風紀取締の上どれ程不都合を來しておるか御想像に難くないと思います。大体こういう生活をするのはルンペン以外にないと思います。ところが刑務所の受刑者はルンペンの生活をしている。新憲法になつて、健康で文化的な最低生活を保障されておることは受刑者も同樣だと思います。併し現在ではこの最の生活、これは場所の面積についても、又着る衣類の点についても國家は最低の保障をしなければならん。これは社会の人もそう言うかも知れないが、併し刑務所においては特にひどいということを認識されたいと思います。併し刑務所に対しては悪いことをした人間だからというので非常に社会の同情がないということは我々が刑務所として行刑の実際に当る者の一番悩みの種であります。それで受刑者の衣類は十分とはいえませんが、できる限り多く配給になるように一つ御盡力頂ければ仕合せだと思います。中國では、この冬を迎えて着る着物がない着せる蒲團がないというので、本省にやかましく言つたが、本省でも割当切符を貰つても現品が來ないと言う。若しこのまま放つて置いたらどういう暴動が起るかも知れないと非常に心配いたしまして、中國の呉の軍政部の法律行政官が私共の係官でありますが、そこに行つて事情を訴えたところ、それは氣の毒だ、できるだけ世話しようというので、海軍の第二復員局ですが、あすこに余剩の衣類、毛布が沢山ありました。それを全部そつくり刑務所に廻してくれた。それで中國管区の各刑務所は漸く冬を過すことができたという状態であります。軍政府は非常に行刑に対して理解があるのでありますが日本では遺憾ながら政治家も一般大衆の人も行刑ということには非常に御理解がない。参議院の司法委員の皆樣方は特別に御理解を頂いており、今日も我々を呼んで実情をお聽き下すつておるわけでありまして、非常に嬉しく思つておるのでありますが、一般には行刑に対して非常に冷淡であるということは、我々実際行刑の局にある者の痛切に感じておるところであり、遺憾に堪えないところであります。
 それから職員の制服、これが又非常に欠乏しておるのであります。今度の会議でもこれを本省に強く要望したのでありますが、大体廣告いたしますときには俸給はこれこれで制服は官給するということを書いてあります。そうすると皆そのつもりで試驗を受けに参ります。採用いたしましていよいよ看守の辞令をやりましても、着せる制服をやることができない。彼らは大抵引揚者とか困つた人がやつて來るのでありますが、菜つぱ服の汚ない服のまま着てやつてまる。これが警察官の場合であつたら全然反対です。警察官は採用になると直ぐに新調のものを受けていかにも警察官らしい凛々しい服装になれるのでありますが、刑務官は全國これはそうでありますが、それがなかなかできない。むしろ今は受刑者の方が職員よりも服装がいい。昨日も笑つたのでありますが、門衞などが職員を受刑者と間違えて非常に嚴しく取締つて、後で問題になつたというようなこともあるのでありますが、これは今度刑務所を御覧下されば、東京はどうか分りませんが、横濱などは相当制服が揃つておりますが、田舎へ行くほどこれがひどいのであります。警察の方は縣廳があらゆる物資を世話する、軍の轉用物資などを自分の手でどんどんやるものですから、ちやんと自分の方へ廻つてしまう、海軍の服の余りなども大分あるわけでありますが、それをくれといつても私共へはくれないで、皆警察の方へ廻してしまう。警察は非常に潤いがいいけれでも、我々の方へはさつぱり來ない。このことは折角入つて來た看守が、こんなことでは、嘘を言つておる、制服を官給すると言つて置きながら一向くれない、そうして受刑者よりも汚ない風をしておつては職員の権威に係わるというので、皆辞めてしまう。そういうふうに実に嘆かわしい状態にあるのであります。制服地もできるならば一つお世話できるものならばお世話して頂きたいと考えておるのであります。
 要望事項は大体そのくらいにいたしまして、次に第二の問題の、私の受持の拘禁及び作業施設に関する問題であります。これにつきましては先程何囘も申されました通り、非常に過剩拘禁でありますから、全國の刑務所の中十一ケ所が戰災に遭つておる。その復興も金融、資材その他の関係に制約されてなかなか思う通りに参りません。軍の施設移管を求めれば、それも地元の反対によつてなかな入手できないという状態で非常に困つておる。ここで私は柳井の潜水学校の問題について、いかに地元が反対しておるかというその実情を少しく詳しくお話申上げたいと思います。尚承われば、今度参議院の方が大挙九州方面御巡視の際、特に今問題になつておる柳井の潜水学校を視察するというお話も承わりましたので、多少時間が掛かると思いますが、從來の経緯について簡單にお話申上げたいと思います。
 第一に、先ず柳井の潜水学校はどういう所かということをお話いたしますが、これは柳井の駅から南の方へ約二里半行きますと、平生町、曽根村、佐賀村というのがあります。その佐賀村有地内で、曽根村に接したところでありますが、そこに約三キロくらいの半島があるのです。それで半島の手前は平生町というところになつております。その反対側は、いわゆる瀬戸内海のほとりになつておるわけであります。ここに面積約十万坪の大竹の潜水学校の柳井分教場、これは昭和十六年ごろできたものであります。それから又その半島の先の方に嵐部隊というのがあります。これはやつぱり海軍の部隊でありまして、人間魚雷を戰時中作成しておつたところであります。それが終戰後間もなく進駐軍が入りましてこれは英濠軍であります。そうしてそれがこの九月の末ごろから、だんだんそこを引揚げるようになりまして、結局十月の三十一日に、日本政府にその建物及び敷地、それからそこに附属の專用の水道設備があります。これは二里半ばかりの奥から、海軍が特に拵えた設備であります。そういうものを日本政府に返還したのであります。丁度その作業場の直ぐ近くに製塩工場がありまして、平生柳井製塩組合というものがあります。そこに約三十名ばかり受刑者を出業させております。その関係でちよいちよい行つて見ます。これは進駐軍がおるときから、若しあの建物が日本に返還になつたらば、刑務所に欲しいものだということを、私は念頭に持つておつたのであります。ところが当時呉の中國軍政部からしばしば刑務所の巡視に参りまして、何か要望はないか、我々でかなえられることならば世話してやるが、困つたことはないかと言われたので、私は、柳井の潜水学校は近く進駐軍から日本政府に明渡されることになるらしいが、そうしたらこれを一つ司法省に移管を受けて、ここに岩國の少年刑務所を移してやりたいということを申したのです。この岩國少年刑務所は敷地僅かに二千九百坪で、建物が建つておる外、運動場もない。少年刑務所としては最も不適当であるということは、これは多年の司法省の悩みであり、どこかへ移轉しようという懸案になつておつたのでありますが、進駐軍の人々が見に來る度ごとに、早く移管しないか、早く閉鎖せよということを、本省に強硬に申入れておつたわけであります。本省からはどこか適当な場所があつたら、これを早く移さないか、それには軍施設にいいところはないか、という指令を私は受けてもおりましたので、結局柳井に岩國少年刑務所を持つて行くことにしたのでありますが、又少年刑務所を作るのにはいい場所なんです。半島ではあるし、それから景色はいいし、そこには、若し農耕地にすれば五町歩くらいの耕転地もできることになります。建物としては、兵舎が五百坪、二階造りで上と下で千坪。兵舎が三個並んでおります。兵舎も進駐軍が入つておりますので立派になつております。学校の教場もあるし、いろいろの設備が揃つておつて、少年刑務所を移すには最も適当な場所であるから、これに少年刑務所を移そう、そうしてその上、岩國の刑務所には成年刑務所として成年受刑者を入れて、過剩拘禁を緩和する。こういう理由で、強硬にそれを要求したわけであります。ところが地元の方ではどうかというと、地元はその施設を政府から拂下げて、産業開発を図りたい。何をやるかというと水産加工業会社を作る。それから下關の水産講習所の研究所をそこに誘致するということ。それからあそこ非常に引揚者の多い所で、山口縣でも特に多い所らしいのですが、その引揚者の失業救済に資するということ。いま一つは地元にはあれを優先して取る権利があるといつて、それはあれができるときには、約四十戸ばかりあつたのを、海軍から要請があつて強硬に移轉を命ぜられた。又あそこにああいう設備ができるについては、附近の人は勤労奉仕その他で莫大な労務を提供している。そういう関係で、それが開放になつて日本政府に返る場合には、地元はあれを拂下げて貰う先取特権があるということを申すのであります。それで私としては、地元民がそういう要求をされるのも尤もだ、私も若し地元の人間であつたならば、あなた方と同じような氣持で一生懸命に地元に拂下げるように努力をしたであろう。併し私は行刑管区長として、刑務所の立場から是非あれは必要なのだ。幸い國有でもあるし、國家緊急の目的に使うのに何の遠慮があるかというので、私は行刑管区長としてできるだけこれを刑務所に取るべく努力する。君らは君らでやれ、飽くまでフアイン・プレーでやろうじやないか、これをいずれにやるのが適切であるかということは財務局、大藏大臣が結局決定することである。決定で我々が負けたら仕方がない、又あなた方が負けてもこれは止むを得んじやないか、併しお互いにそれは相当理由のあることですからやろうというのでやつて來たわけです。向うとしては刑務所を作るのがいやだというのです。ものもあろうにあの玄関先に溝溜みたいな便所みたいなものを持つて來られては堪らん。それが産業方面の仕事なら格別、刑務所が來ることは地元民が恐れもし氣に入らないというのが根底の理由なんです。それで若し強いて刑務所がやつて來るならば、地元が極力反対する或いは燒いてしまうかも知れん、又刑務所の役人、殊に私は憎まれているのですが、殺されるかも知れない、團体の威力を借りてそういう暴行脅迫です。私のところに青年團がそう言つて威かして來た、地元民が自旗を立ててデモ行進をやつた。又大藏大臣が地元の出身であるために、先月の十九日來られたときに盛んに白旗を立ててやつたらしいのです。若しこれを強行すれば一大不祥事が起るような險悪な情勢を呈しております。私の方では大体中國軍政部が非常に支持してくれる。そうして進駐軍がおるときから、空いたらこちらに渡すようにということを交渉してくれて、九月の末に引揚げるということが分つたのですが、併しその後進駐軍はそこに療養所を作るということを計画されたのです。それで療養所を作るのは何とか思い止まつて貰えないだろうかということで呉の軍政部に行つて、果して療養所を作る必要があるかどうかということをあそこの係官の人が調べにも行き、現地と交渉の結果、それでは療養所を作らないということになつた。軍政部の内部関係では、ここに少年刑務所を作るべく司法省に移管するという條件の下に日本政府に引渡すということの現地軍司令官からの報告を受けておる。軍政部は内政に干渉しないという建前を取つているために、返すのは無條件で返す。そこで地元は、無條件で返すのならば、何も刑務所にやる必要はない、財務局が適当に決定すべきだということで、初めはそういう考えでおられた。ところが軍政部はそれは無條件で返す、返すけれどもそれは日本政府がどんなにこれを処分してもいいというものではないのだ。これはやはり公正妥当に有効適切に処置さるべきものであつて、日本政府がそういう適当な処置を取るかどうかということを進駐軍が、常に監視しておる。それが占領政策なのだ。それで自分たちの見るところではあすこは少年刑務所の設備として処置するのが國家的に最も有効適切と思うからそういう処置を取るようにアドバイスすると言つて支持して呉れ、それで廣島財務局では司法省に一時使用を許すということを許可したものでありますが、大臣が帰られてからそれを取消して、中央の問題にして中央で解決されることになつておるのであります。地元は次々に猛烈な運動をし、軍政部にも運動に行き、大臣も自分の地元である関係でなかなか決せられないというような困つた状態にある。若しこれ栗栖大藏大臣が山口縣出身でなかつたならば、とうに地元で解決する問題であります。ここに見えておる宮城先生も山口縣出身のために、軍政部の方に地元の運動をされたというお話を聞いたのでありますが、宮城先生は行刑に特に御理解のある方だから、そんなことはないと思うのですが、そこがやはり私情というものか、地方的の関係で、公の場合というものが混同される見解があると思つて非常に歎わしく思つております。併しこれは早晩軍政部の力で、そのために一時的に返還を受けたのでありますから、軍政部はこれを刑務所にやるべく決定するだろうと思います。そうすることがこの切迫した情勢の緩和のために、又理想的の少年刑務所を建てるために是非やらなければならと思います。ここばかりでなく、地元が反対しておるために、刑務所で欲しくて堪らないのだが、今以て実現されていない所が全國各所にあります。例えば鈴ケ森の海軍工廠、これは地元が反対してうまく行かない。富士の裾野の瀧ノ原兵舎、これも二ケ所とも地元が反対して取れない。最近は和歌山縣海草郡加太町の沖の元要塞のあつた友ケ島というちつぽけな島ですが、これを貰つて療養刑務所を作る計画を持つておるが、地元には大した利害関係がないのですが、地元が猛烈な反対をして、和歌山縣の役人や村長などが反対のために一生懸命やつておるという話であります。こういう社会の人の行刑に対する無関心ということは私は誠に歎わしく思う。我田引水の一方的の見解かも知れないが、もう少し行刑というものに理解を持つて協力して頂けないものだろうか。まるで刑務所というものは國民に関係がない、始末に困るものだ。我々に全然責任がないのだというような、私は行刑というものに無関心な態度でおられることが、民主主義時代には最も矛盾した態度ではないかと考えます。この点は一つ政府議会方面で十分に國民を指導して頂く。こういう問題が國家的に正しく解決されるように御盡力をお願いしたいと思うのであります。
 それから先程の施設の問題でありまするが、これも詳しく申上げようと思つたのでありますが、時間がありませんから簡單に申上げますが、大体刑務所は一つの事業、企業と申しますか、一大事業をやつており、又やる可能性があるのであります。それで所内には工場が欲しいわけであります。併しながらその工場も、先に申上げました通り戰災等で大分いためられて、それができなくて困つておる。それから器具機械、更に困りますのは優秀な技術者を入れることができないということであります。例えば岡山にいたしましても、これは戰時中は日本刀を作つた有名な刑務所であります。鍛冶工の設備は相当完備したものがあるのであります。眞先にこれを復興して盛んにやろう。私は岡山刑務所長をしておつた時代でありますが、骨を折つたのであります。何しろ刑務所は受刑者の心得のあるる者を指導者に立てて、無経驗な者を使つてやるということであります。庖丁などを作つておりましたけれども、さつぱり立派なものができない、能率も挙らない。それで私は本当に立派な技術者を雇い込んで、その指導の下にやろうと思つたのでありますが、それではとても経費の問題で、俸給等で採用ができない。全く刑務所を遊ばして置くわけには行かない。受刑者を遊ばして置くわけに行かないから、手の掛かるような暇つぶしの作事というようなことになつておることは、これは経済的にいつても甚だ遺憾であります。作業指導の面からいつても誠に残念なことであるのであります。
 それから次には構外作業でありまするが、これは大いに將來刑務作業としては考えなければならん。土方式の伐採とかというような簡單な仕事は刑務所に一番適しておるのであります。これは誰でも直ぐ使えてやれる仕事であります。そのために大いに構外作業を発展さしたいと思うのであります。土方なんという仕事であります。ところがこれに対してはいろいろな隘路があるのであります。先ず第一には最近厚生省あたりで失業対策ということに矛盾するというのであります。刑務所の受刑者が外にどんどん出ていろいろ働くというと失業者の就職に妨害になるということでそれを阻まれる。これなんかも非常に考え方が間違つておると思うのであります。刑務所の受刑者は失業者なんであります。刑務所に入つた時は職がなくなつてしまつて失業者になつております。國家はこれに対して一定の職業を與えなければならん義務がある。失業対策の第一に受刑者の作業は採上げらるべきものだと、こう考えるのであります、而もその数において全國からいつて八万しかいないのであります。失業者が五、六百万或いは千万になるかも知れませんが、その九牛の一毛に過ぎないのであります。そういうことをかれこれ言つて刑務所の構外作業を阻むという政府の考え方は、いかにも狹量であり又無理解であると考えるのであります。こういう仕事は優先的に刑務所にできるように何か法的な処置ができないものであろうかと考えるのであります。
 その他いろいろ申上げたいことが沢山ありますが、要するに刑務所に対して社会一般又有識階級も非常に認識がないということが、あらゆる面に、作業その他処遇の面において非常に困つておるということを申上げて置きたいと思うのであります。それについて私が思い出すのは二十一年前、ロンドンの國際監獄会議にイギリスの内務大臣のヂヨインソン・ヒツクスが言つた言葉であります。「國家の任務は犯罪者を刑務所に送つたときに終るものではなく、そのときから始るのだ」という言葉であります。世間の人は刑務所に入つたら人生のおしまいだ、この中へ入つたらどうなつてもよいのだという。刑務所に入つたときはもう終りだという考えを、社会の人も政治家も或いは持つているのじやないか。そうじやない、その時から始まるのだ。投獄から更生するのだということを深く頭に置いて頂きたいと思うのであります。又クレナーという人が言つた言葉でありますが、「刑務所に対して、若し社会が怠慢であり、無関心であり、又役人が不注意であつたならば、刑務所は文字通り醜悪、蛮行、疾病、又自暴自棄に満ち満ちた希望のない見捨てられた人間墮落の水溜りになるだろう」ということを言われたのであります。我々はこれから文化的な平和國家を建設するのであります。外敵に備える必要はありません。備える資格はありません。國内的に犯罪を撲滅する対策を図ることが、我々がこれから力を入れ又そうすることが日本を文化國家にする最初の仕事じやないかと痛切に考える次第であります。どうかこれから刑務所に対して世間の盲を開いて、法規的にも思想的にも、先ず新日本の建設は行刑の改善からというモツトーで一つ進めて頂くように念願するのであります。甚だ長くなつて恐縮であります。
#12
○委員長(伊藤修君) それではこの辺で休憩にいたします。午後は一時半から再開いたします。
   午後零時三十七分休憩
   ―――――・―――――
   午後二時三分開会
#13
○委員長(伊藤修君) それでは午前に引続きまして委員会を開きます。四國行刑管区長佐藤備六郎君に御供述を願います。
#14
○証人(佐藤備六郎君) 成るべく簡單に申上げたいと思います。四國行刑管区は昨年の四月一日新らしく生れました管区であります。諸般の状況はまだはかばかしく行かぬ状況であります。殊に四つの刑務所がありまして、その中の高知を除きましては徹底的に戰災でやられておりまして、高知刑務所も地震によりまして大きな被害を受けております。その他四つの支所がありますが、その中二ケ所がやはりこれは徹底的にやられております。四國は結局戰災復興ということがその一番重要問題でありますし、又それに一生懸命になつております。近畿管区の過剩拘禁をできるだけ四國において引受けて、幾分でも緩和を図ろうというのが根本なのであります。
 管内におきまする拘禁の状態につきましては、細かいことは後にしまして現在の施設といたしまして、定員二千百九十七名であります。それに対しまして、昨年十二月末現在におきまして四千四十名、そのパーセンテージは一六二%、その中六百十三名を分所に出しております。それを除きますと一〇八%になつております。戰災を受けました三つの刑務所は誠に無惨な姿になつておりまして、高松、徳島、松山この三つ共に目下鋭意復興に努力いたしておりまして、日を逐うて段々設備もできつつあるわけであります。それは二十三年度、二十四年度まで行きませんとなかなか復興ができませんのであります。四國の拘禁状態は、今申上げましたようでありまするが、四國と雖も、やはり月々幾分増加の傾向にあります。その他に毎月一管区から九十名ずつ受けておりますので、それが段段累加いたしております。毎月段々殖えて來ておるのであります。
 その拘禁の緩和の方法及び作業の状態、これは同じ問題に帰着するのでありますが、結局四國といたしましては收容ができないのであります。又收容しましても、無理に收容しましても、ちよつと手を押す、或いは足で蹴ればどこでも壞れてしまいまして、大量の逃走でも、何でも簡單にできる状態であります。本当のバラツクであります。又工場も、高松はできました。併し徳島或いは松山は、まだ工場は十分できておりませんので、これも無理な状態になつております。又工場の機械器具等につきましても、戰災でやられてしまつておるのでありまして、これから新たに設備をして行かなければならんようなことでありますが、予算その他の関係から、短期間に容易に昔の姿を取戻すということは困難であります。それで勢い構外作業に出るというような状況で、先程申しましたように六百十三名と申しましたが、これは現在もつと殖えていると思いますが、高知縣、ここは水害或いは戰災によりまして、高知縣全面に非常な大土木工事を必要とする状態であります。高知刑務所が、高知百七十一名と申しましたが、各所に大規模の構外作業といたしまして土木事業をいたします。それから松山もやはりあすこに数年前、戰時中でありますが、川の堤防が決潰しまして、三ケ村、数百町歩に亘る水田が惨めな姿、もう河原のようになつております。これを何ケ年かの計画で復興する作業に從事しております。それから徳島縣に参りますと、これは別にそうしたものはありませんが、これはやはり劍山とか或いは祖谷とか、各方面に伐木とか整地というような仕事に從事しております。高松でもやはり各所にやつておりますが、これは事情が違いまして、そのうち一ケ所小豆島において、瓦製作作所というような復興の関係の作業に從事しております。そういうようなことで、若しそういうことが科学的に見まして、適当な收容者と、それからそれに必要な看守、それからそれに着せますところの被服において整備ができますれば、需要は幾らでもあるのであります。四國全体に需要が多いのでありまして歓迎して呉れるのでありますから、その点は大いに発展の途があるのであります。
 作業につきましては、先程申しましたような状況で、大したものはないのでありますが、高知刑務所では有名なんですが、紙を作る、製紙の件でありますが、やつぱり今では昔式の製紙法になつておりますが、盛んにやつております。それから高知ではそれに関係ある意味でやつたのでありますが少し辺鄙な山奥でありますが、そこで「みつまた」の栽培をいたしております。これも数年を経ちまして收穫期にありまして、多年の努力の効が報いられて参りました。それからあとは松山刑務所及び高松の刑務所におきまして、四國に産しまする良質な竹がありますので竹細工をやつております。これも昔のことを考えますと誠にお話にならんもので、その技術におきましても、その生産数量におきましても、何とか昔に返して、四國は竹細工産業は盛んだという時代に復活したいということを考えております。それからあとはやはり木材は割合に潤沢でありまするから施設は不十分でありまするが、やはり他の地方と同じように、木工品は盛んにやる方針で目下進みつつあります。何にいたしましても四國は施設が不十分で、作業の上におきましては誠に貧弱でありまして、すべてこれからの努力によつて復興しなければならんという状態でありますが、特にこの作業の施設、機械、器具というものにおきまして、相当大きな予算を頂いて、復活したいということを考えております。又拘禁施設の件につきましても、やはり各所とも自分の收容者の力によりまして熱心にやつておるのでありますが予算及び資材の関係で容易に進まないのであります。私が率先しまして、とにかく早く作れ、拙速主義でもいいから、大きなものをどんどん作れ、そうして一日も早く大きな数の收容ができるようにしたいという方針で、協力してやつております。併し今申しました事情等がありますので、この頃ではとかく進みが遅いような状態であります。
 次に第二号の管内に起きました重要なる事件でありますが、何にいたしましても昨年の四月から始めました関係でありますから……、それと四國の人情が、この頃やはり幾分か変つてはおりますが、大体において穏かでありますので、特段な重要事件ということは実はございません。管区ができましてから強いて拾つて見ますると二、三件あるのであります。職員に関する事件が一つ。昨年の十月に松山刑務所におきまして看守二名が警察官の被服の製作の委託を受けておつたのでありますがその生地が二巻ありましたのを持出して流した。それが分りまして一巻は戻りましたが、一巻は分らなくなつてしまつて目下審理中であります。それから高松刑務所におきまして、職員が米を……刑務所と直接関係ないのでありますが、職員が相生の播磨造船所に米を六俵ばかり持つて行つて、これは一銭も儲けておらないのでありますが賣つたという事件があります。それから十月下旬のことでありまするが、松山刑務所に受刑者二名ありまして、それが街の顔役の子分でありまするが、それが首謀者となりまして暴動を企図しようとしたのでありまするが、それを刑務所側で早く知りまして先手を打ちまして、進駐軍に應援を求め、又警察官の應援を求めまして、そうして未然にこれを防止して成功した事件があるのでありまするが、二名は徳島刑務所と高知刑務所にそれぞれ送りまして、現在非常におとなしくなつてやつておりまして、その外は何事もありません。あとは構外作業その他で逃走がちよいちよいありまするが、これも特段のものはございません。管内の状況につきましてはこの程度で終ります。
 次に第二の問題ですが、私は第八号の釈放者の保護問題、これを分担いたしております。保護問題と申しましてもいろいろ廣い意味でありましようがそのうちの刑務所の釈放者の保護問題は頗る廣汎重大なる問題であると思うのであります。昨年のことでありましたが、私は前任地は岐阜でありましたが、或る日の夕方所長の官舍を訪れて來た若者があつたのであります。上げて会つて見たのでありますが、そうしたら実は四日程前にこの刑務所を仮釈放で出た者である、多治見附近に親がおる、そこへ帰つたのでありますが、そのときは三犯目の釈放になつております。前の初犯のとき、それから二犯のときに親のところに帰つたときには何事もなく迎え入れて呉れたが、三犯目に仮釈放になつて、それは刑務所におきまして親と連絡をしてそれから仮釈放したのでありますが、帰りましたところが、俄かに父親の態度が変つてお前のようなものは家名を穢す者だから家へ入れない、断然入れないというのであります。それで警察署へ参りまして署長さんに面会を求めました。あいにく出張不在で、司法主任に会つて自分は又再び悪いことをしない、仮釈放になつたんだから、これでもう眞面目になろうと思つて家に帰つたのであるが、父親は從來と態度が変つて、何と謝まつても入れて呉れない、何とか警察の方で話して詫びを入れて家に入れるようにして貰いたいという希望をしたのであります。それでその父親を警察で呼出しまして、いろいろ説得したが頑としてきかない、何と言つてもきかないのであります。それでとうとう振切つて帰つてしまつた。それから止むを得ませんので警察にその晩は厄介になり、本人もどこへ行くという当てもなし、ふらふらしておると又再び犯罪に陷るということを非常に虞れておりまして、警察の紹介で次の警察のところへ……そこは亞炭の産地でありまするが、亞炭を掘る所で使つて貰おうと思つて次の警察へ行きましたら、やはり署長が不在で司法主任が骨を折つてくれましたが、これ又前科者なるの故を以てどうしても採用してくれない。それから二、三ケ所警察へ泊つては食事を食べさして貰いながら、遂に行く所がなく、自分が数日前に出た刑務所の門前にある所長官舍の玄関を辿り着いたのであります。そうしてこういうわけだが何とかして貰いたい。元の所へ入れてくれとは言いませんが、仮釈放にならん方がむしろ樂だつたと言わんばかりであります。そんなことではどうも困るというのでありまして私は部下の者と相談しまして、その晩の中に大阪の保護事業をやつておるところへ紹介しまして、それは無事に納まり、現在でもやたつおる筈であります。最近におきまして釈放者に対する冷たさというものが、親、親戚までも及んで來たように思うのであります。食糧事情その他の経済事情というものが陰にあるように思われてならないのであります。又平素刑務所で出務いたしておるときでも、家庭の保護の面におきましてもどうも余り前の頃よりは受入れの仕方のまずいものがちよいちよい見受けられるのでありまして、これはただ一つの例ではありまするが、実にこれは大きな問題を含んでおると思うのであります。現在刑務所を出まして就職する、或いは家庭に帰るとしましても、御承知の通り全國に保護委員の網がありまして、これが表に裏に世話をしたり、監視したりしてやつて行く制度になつておりまするが、地方によりましては非常に熱心に発達しておる所もありまするが、又地方によりましては眠つておると思われる所もあります。保護は收容保護も大切でありますが、この監察保護の面におきまして、もつとしつかりしなければならん、もつと強力でなければならん、委員の数におきましても足らん、どうも民生委員と比較しますと、民生委員は狭い区域において受持つておるが、保護委員は大きな村に一人か二人でやつておる。ただ対象者の数は少いわけでありますが、地域が廣いという問題もありましようし、又それに要するいろいろな経済上の問題も考えなければなりません。これが民間の手でやるがいいか、或いは相当國家的にやらなければならんかということは一長一短もあり、研究を要する点があるのでありましようが、併し現在は行刑々々と申しましても、行刑だけでは非常に大量の犯罪者の群というものに対抗するのには片手落ちであろうと思うのであります。徳の高いお方が一生掛かつて一人の人間を改悛させたというのも非常に尊いお話で昔からたまに承わるのでありますが、こう大量の犯罪者の群に対しまして、まあ口にこそ言わんが、どうにでもなれというような氣持でやつていたんでは由々しい問題であろうと思うのであります。前からの職業的の犯罪人はそのまま減少しない、更に月を追うて段々と大量の者がそれに加わつて行くということになりますると、戰爭放棄によりまして、対外的の戰爭ということはなくなりましても、これは一つの治安に関しまして対内的の大きな戰爭であるというふうにも考えられるのであります。この保護網の完成保護網の強化ということは余程しつかりお考え願わないと、國家の將來を如何せんと、こう考えるのであります。
 次に收容保護のことでありまするが保護課で調べようと思いましたが、資料を貰いませんでしたが、相当の全國に保護会があるわけであります。相当大規模のものもあり、小規模のものもあると思いますが、それが現在どういう活動をしておるかということを考えて見ますると、遺憾ながら誠によい状況じやないのであります。まあ前から基本金とか、そういうものを持つて、その利子とか或いは寄附金とかいうもので経理して参つたのでありまするが第一今は戰災を受けまして、保護会の設備そのものが破壊されて、その復興すらも容易じやないところが沢山あるのであります。又幸いにして建物が戰災を免かれましたといたしましても、その資金の問題において、又その收容しまする者の衣食の問題におきまして到底現在の物價を以てしては問題にならないのであります。何とかかんとか極く少数と雖も收容してやつて行くのは余程の努力でありまして、献身的なこれは努力であります。又その衝に当りまする保護会の主事という者も薄給を以てやらざるを得ない。その人に生活を十分にするだけのお金が保護会にある筈がないのであります。こうしたものも國家事業に或る程度はするとか或いは國家でそれを何とかの形で支持して行く、経営するとか或いは補助するとか、何とかして行かないと、これはもう日ならずしてばたばたと倒れてしまうと思うのであります。この辺におきましては高いいろいろな御方針もあるでありましようが、詳しいことは存じませんが、とにかくこれではいかん、このままではもう時間の問題であると考えるのであります。
 次に行刑と釈放者保護という問題でありまするが、何と申しましてもこの釈放者の保護について非常な重大な関係がありまするのは刑務者であります。いろいろな機構の関係上、必ずしも刑務所と釈放者の保護事業と非常に密接であるという状態の所ばかりではないのであります。又それを指導する方針としましても、刑務所は行刑局がやつておりますが、片方は保護会ということになつて、そこに何らかもつと唇歯輔車の関係に立つような密な連絡が欲しい。ただ連絡が現場におきまして、主事とか或いは刑務所の役人とかいう事務的な連絡は無論密接に毎日のようにやつておるのでありますが、併しもつと経営の面におきまして、又恒久的な制度ということから考えましてもつと密接な面がなければならん筈であります。そこに一つの方向違いがあるとかなんとかいうことがありますとそのギヤツプというものが、これ亦今申しました犯罪の予防という方から考えまして、大きな損失であろうと思うのであります。この辺には十分に御考慮を煩したい問題があると思うのでありますが、さてそれを系統を、刑務所の行刑と釈放者の保護というものを一つのものにしてしまうのがよいか、或いは連絡を密にしながら別のものにして並行して進むがよいかという問題につきましては、これ亦いろいろ御議論もあることと存じますが、まあ私の考えとしましては、形式上におきましては大体現状のごとくしまして、ただ内容的にもつと進歩発達を希望しておる次第であります。
 甚だ簡單で恐縮でありまするが、午前に時間を要しましたので、一先ずこの辺で終ります。えとしましては、形式上におきまして
#15
○委員長(伊藤修君) それでは他の四名の方の宣誓を先にお願いしまして、それから供述に移り参ります。
   〔総員起立、証人古橋浦四郎君、伊江朝睦君、東邦彦君、川上悍君は次のように宣誓を行つた。〕
   宣誓書
 良心に從つて眞実を述べ何事も隠さず又何事も附加えないことを誓います。
        証人  古橋浦四郎
        証人  伊江 朝睦
        証人  東  邦彦
        証人  川上  悍
#16
○委員長(伊藤修君) それでは中部行刑管区長古橋浦四郎君の御供述をお願いいたします。
#17
○証人(古橋浦四郎君) 中部管区は名古屋拘置所、名古屋刑務所、三重、岐阜、金澤、富山の六つの刑務所の拘禁施設を持つております。この中戰災を受けなかつたのは岐阜と金澤の二つだけでございまして、その他は多かれ少かれ損害を受けたのであります。殊に名古屋刑務所と三重、富山は非常に損害を受けておるのでございます。現在の拘禁定員は四千二百十三名でここに六千七百九十四名を收容しておりまするが、尚構外作業現場に今日約八百名の者を收容しておる状況でございます。かように拘禁の過剩ということは中部管内でも他のところに劣らない状況でございまして、從いまして、只今中部管内で問題になつておりまするところは、何よりもこの拘禁施設を復旧するという一点に集中されております。同時にますます殖えて來る收容者の処置、こういうことにおいて、管内だけで処置を付けまするためには、構外作業をもつと拡張するということでございまして、只今非常に構外作業を急速に殖やしております。名古屋刑務所では二千人の收容者の中の六百名というものを外を出しておりまして、内部には病人その他老弱というような人たちばかりが働いておる状況でございます。作業の現況も大方只今の説明でお分りのように、所内作業としてはさしたるものはございません。刑務所の力の大半を復旧の方に使いまして、その残りを以て作業の責任額を負担するために努力しておるのでございます。併しその作業の成績も、職員一同の努力によりまして、大方その責を果すことができる状況でございます。
 中部管内で最近起きました重要事件というものはございませんが、やや旧聞に属するものといたしまして、昨年五月に岐阜刑務所から花山以下六名の兇暴犯人が逃走いたしました。当時警察、警防團、多数を総動員して、動員延人員二万人、八日間掛かつて、これらを逮捕したという事件は、皆樣御承知の通りでございます。この原因は犯人たちが特に兇暴な者であつて、非常に逃走の手段が功妙であつたということが明らかであります。と同時に、職員の側におきまして、訓練のまだできていない職員が非常に岐阜刑務所に多かつた。と申しますのは、古い有能な看守が段々減りまして、新らしい最近採用の看守ばかりが岐阜刑務所におるような関係であつたということが原因として見られます。尚さような客観的な原因の外に、職員の側の士氣というような点につきましても多少の原因があつたことは爭えないことでございます。とにかく六人の兇暴犯が舎房を破つて、そうして職員の追いすがるのをはねのけて外へ出てしまつたという事案でございますから、職員の側に相当大きな責任のあつた事件であります。尚この花山がその後名古屋控訴院で裁判を受けまして、仙台の宮城刑務所に護送の途中九月の二日に仙台の一つ手前の駅で進行中の列車から飛降りまして逃走いたしましたことも皆樣御承知の通りでございまして、この事件の原因は警護に非常な努力を拂つておりましたのでありまするが、長途の旅行でありましたのと、本人が非常に温順を裝うことの巧みな者でありましたからちよつとした、ほんのちよつとした油断と目を離したという瞬間に飛出されたというわけでございまして、勿論責任はありまするけれども、この原因は誠に当事者としては残念であつた事件でございます。併しこの事件によりまして護送に附いて参りました三人の刑務官が、いずれも進行中の列車からそのまま飛降りましてこの逮捕に努力いたしました。その際二人が重傷を負つて、一人は相当重い傷で暫く宮城の方で入院して帰りましたが、未だ完全なる治癒になつていないという状況でありますが、この過失の中にそれらの職員の旺盛なる精神力の発揮ということを私共は認めておるのでございます。それ以外に特に申上げるような事件はございません。
 行刑全般に関する希望事項でございまするが、時間もないそうでございまするから、私の特にお願いしたい点だけ申上げて置きます。先程巣山管区長のお話にちよつと重複するのでございますが、これも非常に重大なことでございますから、簡單にお願いいたします。拘禁施設を新たに入手するに当つて、地方民の無理解のためにその入手ができないという状況が私の管内でもあるのでございます。このことに対しまする理由は申上げるまでもない、巣山管区長から縷々申上げましたからお分りと思いまするが、これらの問題につきまして地方の政治に携わられる皆樣方などの有力な活動がありましたなら恐らくそれらの問題の多くのものは円満に解決するのでございます。私の遭遇いたしました。鈴鹿工廠の問題も、あの地方の政治に関係される方が問題にされまして、非常に詰らんところで面子の問題で頑張られて未だに解決していないのでございます。それらの点につきまして各地方の政治に御関係になつておいでになりまする皆樣方が特別に御努力下さいますならば私共非常に職務の遂行上便するところが多いと思うのでございます。
 それから被服の問題でございまするが、警察官や鉄道職員或いは私鉄の会社の職員なんかで、どんな人でも制服を支給されないというような者はございません。この間も私の方の行政監察委員会の委員の方、その方は名鉄電車の重役をやつておられた方でありましたが、その從業員が一万何千人かあるそうでありますが、我々全刑務官の数よりも多いのでございまするが、その人が北陸を監察せられたときに、各所の刑務官から非常に被服の註文が出たのであります。一体管区長さんどうしたんですか、私の会社でも一万何千人に皆行渡つておるのだが、こつちの話を聞くと、着ておる者はまるつきりないような始末である。これは何とでもできることではないですかと言われたので、ところが我々にはできないのですと意氣地なく申上げたのでございまするが、こういう私共役人としてなかなかできないことも又一般の皆樣方におかれては樂にできるようなことがあるのじやないかと思うのでございます。そういうことにつきまして司法省をお助け下さいまして、この入手のためにお力添えを願いたいと思うのでございます。
 それからもう一つお願いしたいことは、委員長さんのお國である岐阜の多治見の裁判所でございまするが、あれは地方民の陳情によりまして御嶽から簡單に多治見へ移つてしまつたのであります。いろいろな点から考えてそれは当然な御措置だろうと思うのでありますが、ところが裁判所や檢察廳を作るのには地方民が一生懸命になり、予算も出して招くのでありますが、裁判所や檢察廳ができれば、当然其処に裁判をされた者を入れ或いは裁判を待つておる者を入れる未決拘置監というもののあることをすつかり忘れて、裁判所と檢察廳だけ向うへ行つて、後の方が全然手が著けてないというようなことが、御嶽の遠い所から電車で送り迎えをしなければならんという現状であるのであります。これにつきまして不日何とか御措置があると思つておるのでございますが、本体行刑というものに理解のない、政府も國民も理解のないというようなことは、そういう点にも自然に現われておるのだろうと思うのでございます。勿論当委員会の御関係の向ではなかつたろうと思うのでございまするが、この点につきましてどうか今後も格段の御援助を願いたいと思うのでございます。
 いろいろ申上げれば切りがないことでありまするが、時間がないので次に私の受持つておりまする職員の待遇等に関する件についてお願い申上げることにいたします。刑務官吏が食つて行けないということは、皆樣十分御承知のことでございます。民間との差額がどうのこうのというようなことは私共問題にはいたしません。何とかして配給の物だけで生活できるだけの待遇をしてやらなければ、刑務官になる者はありませんし、又刑務官が健康を損ね、或いは家族が病氣になつてしまいまして、結局皆辞めてしまうというほかはないのでございます。勿論政府職員一般が同じ標準によつてやつておる今日そんなことを刑務官だけで言うのはおかしいじやないかとお思いになるでございましようけれども、併しそれは標準だけのことでありまして、その標準以外の点で生活上いろいろな便宜のあるものもありましようし、又ないものもあるのであります。刑務官は額面だけの生活しかできません。巡査との比較になりますと、これはいろいろな関係もあるので申上げていいやら悪いやらですが、三号俸を両方とも初任給に與えることになつておりますが、実際には多くの縣では巡査に最初から五号俸をやつておるという所もあると承つておりますし、その外警察官となることと刑務官になることとはいろいろな実際の暮しをやつて行く上において違いがあるのでございます。先程申しました被服の点につきましても、刑務官は殆んど被服を貰つておりません。ところが警察官で洋服を貰つていない者はありませんし、外套も無論貰つております。國民服を貰つては居りましたけれども、外套などは一人も給與になつておりません。そういう工合に現実の給與が非常に劣悪であります。富山で巡査とのいろいろな点を比較したのでございますが、時間がないのでそれだけ申上げましたが、実際軍服の拂下げの、それも自分の私物であるのを著て、被告か役人か訳の分らん服裝をして裁判所に通つておる風を見ると、情けなくなるのでございます。これも私たちが無力だからであります。今度参りまして承われば、大体近く何とかなるというようなお話でございまして、これで私も帰つて土産になると思います。併し外套などはいつのことになるやら分らないのでございまして、私などは北陸でありますが、北海道などは大変な寒さの所で外套もなくてやつておる。秩序を維持する役人がそんな敗残兵のような風をしておつて、收容者に向つてなかなかやかましいことを言うても、聞かれるものではありませんし、とにかくかように現実の給與が非常に悪いということをお認めになつて頂きますと同時に、もう一つは、巡査とか刑務官とかいうものは、非常に危險な仕事に從事しておるという点が、他の政府職員とは違う点であると思います。危險な仕事に從事しておりまする者が、樂な者よりも厚く惠まれなければならんことは当然でありまして、ただそれは自分が殉職した場合に救恤金を頂くとか、家族の面倒を見て頂くとかいうことだけでは決して足りないのでございまして、危險な仕事をする者は、毎日々々神経を擦り減らして從事しておるのでございまして、その苦しみはいかなる官公吏も同じというわけには参らない。何とかしてこの生命を毎日危險に曝しておる職員に対しまして、特別な待遇の方法を講ずるようにして頂きたいと思つております。尚この刑務官というものは潰しの利かん仕事でありまするため、これは仕事の性質から参りまする非常に不利益な点でございます。巡査でございますれば、巡査部長、或いは警部補、警部というものになりますれば、その間に社会との接触も強くなりますから、仮りに巡査を辞めても立派なところに就職口が待つておる、ところが刑務官となつて十五年二十年やりまして、看守長或いは二級事務官、所長となりましても、仕事の性質上社会と没交渉でありますため、当然に社会のいろいろなことに馴れておりませんので、辞めたら直ちに今日の状態では路頭に迷うのだ、そういう職業も仕方がないといえばそれまででありますけれども、民主主義の世の中になりますれば、そういうことは言うておられない。どうしてもそういう仕事に就かなければならん者は、辞めてからその人の生活のできるような途を講じなければならん。何もかも同じにすることが平等ではなく、不平等なところに平等があるのであります。私たちは、刑務官の中で優秀な者があると、体が利いて、外で何でもできるうちに、外へ出て身を固めた方が、本当にその人の身を思えば、そうしてやつた方がいいと思う者が沢山あるのであります。先き先きまでやつておつた体が使いものにならないようになつて路頭に迷つて、結局所長だの次長だのになつた者が、刑務所の雇になつたり守衞になるというような落目になるより、今張り切つておるときに、早く外へ出て働けば、立派に先に花を咲かせるだろうと思うような者が沢山あるのであります。これは刑務官というような仕事の持つておる苦しみ、悲哀でございます。
 それで、この待遇の問題から、厚生施設その他の問題になるわけでございます。蛇足を附加えることになりまするが、二、三分私に経驗を申上げさせて頂きます。何もない刑務官の厚生施設を何とかしなければならんというので、去年の八月に司法省から刑務官の後援運動についてという御指令を頂きました。私も早速愛知縣におきましてその運動を始めたのでございまするが只今大体順調になつて來て、愛知縣の刑務後援会というものができて、有力者が全部御賛同下さいまして、約三百万円の金を作つて、精神的にも物質的にも、側面から大いに支援してやるということになつております。併しなかなか初めからさように簡單には参りません私たちが行刑、刑務官のいろいろな事情を申上げまして、死んでも、これを援けるのに、我々が出し合つた零細な金で見舞をする程度だというような話をしても、それは氣の毒だ、氣の毒だけれども、國家が法律でそれは認むべきことであつて、民間の者や或いは自治團體、縣とか市とかというようなもので御面倒を見るべき筋のものではないのだというようなことで、なかなか我々の運動に対して積極的に乗り出して呉れ手がないのであります。そこへ行きますと警察官は、権力も持つておりますから、言うこともピンと行きますし、大體組織が全縣下にばらまかれておりますから、簡單にただ金を集めようということになれば、趣意書を書いて警察官に分ければ、それで皆がやつた下さる。愛知縣では特別な有志の方がお集り下さいまして、これでは何とかしなければならんといつて、その人たちが組織をお作りになつて、そうして今著々進めてやつておつて下さるのでございまするが、これにも、我々が社会的に権力者でないという点と、社会の理解が薄いという点に悲しみがあるのであります。これにつきまして、どうしても警察後援会と同じようにやるためには、各縣の政治その他の指導者であられる議会に出ておいでになる方々が、その土地におきまして縣民を指導したやつて頂くようにして頂ければ、我々の運動も簡單にできると思うのであります。又この後援会の仕事も金が集りましても、今のインフレの時代ではなかなかそれが三百万円なら三百万円の價値を、これから先持つて行くかどうか分らんのでありまして、考えればこれを刑務作業と結び付けた上で後援会のような組織にしたならば、それが物價その他と、金の價値と共に伸びて行くのでありまするから非常にいい組織になると思うのでございます。併し私共としまして、偖てそれでは刑務作業をやるについてはどんな工合にやつたらいいのかと申しますと、自分が金があるわけではありません。立派な人で理解のある人で、事業家で相手にして毫末も非難がないというような方に力添えをして頂くというようなことにでもすればいいんじやないかということも考えておるのであります。これは私個人の意見で勝手に申上げておるのでございまするが、皆さんの意見はいろいろございましよう。時間もございませんのでこれで私の公述を終りたい思います。
#18
○委員長(伊藤修君) 次は関東行刑管区長伊江朝睦君。
#19
○証人(伊江朝睦君) 先ず私共に証言の機会に與えて頂きましたことを感謝いたします。関東行刑管区内の刑務所の名前の先に申上げますれば、東京拘置所、府中刑務所、豐多摩刑務所、横濱刑務所、千葉刑務所、宇都宮刑務所前橋刑務所、長野刑務所、甲府刑務所新潟刑務所、靜岡刑務所それに少年刑務所といたしまして水戸、川越、松本八王子この四ケ所で、合計十一ケ所の刑務所でございます。
 先ず第一番に関東行刑管区内における拘禁並びに作業状態の概要を申上げたいと存じます。最初に拘禁状態から申上げます。管内の各所の收容総人員は一月の二十日現在で受刑者が一万七千四百十三名、初犯、累犯の内訳を申上げますれば、初犯が六八%、累犯が三二%であります。被告は、その他に五千四百六十五名おります。そうすると收容者の総人員が計二万二千八百七十八名であるます。收容定員の二万一千百五名を超過すること千七百七十三名であります。刑務所の施設から見まして実に飽和状態でありまして、種の刑務事故発生の一つの原因をなしておる現状であります。過剰拘禁の原因は、收容者の漸増がその一つに数えられますが、昭和二十一年の末には二万六百九十八名でありましたが、昨年昭和二十二年の末には二万二千百八十三名で、実に一年間に千四百八十五名の増加を示しておる状態であります。それに附加えまして宇都宮、前橋、甲府、靜岡、浦和、この江刑務所が戰災を被りましてその復旧工事の途方にあつて著しく收容施設が減殺されておる関係もありまするが、更に御承知の巣鴨にありました刑務所、並びに中野の豐多摩刑務所が連合軍の使用せらるるところとなつておりますのが、大きな影響を及ぼしておる所以であります。この過剰拘禁の対策といたしましては、戰災刑務所の復旧工事に進捗に促して、その根本的の改善を図りつつありますり外、健全なる構外泊込も作業の新設を図りますると共に各所間の合理的な移送を計画実施して、辛うじてこの住居の問題を解決しておる次第であります。
 それから食糧川情につきまして申上げますると、主食、副食物を併せまして平均的二千三百カロリーを攝取せしめるように努力しております。それから衣類、寝具は最近繊維事情の緊迫に伴いまして、非常に努力いたしております結果、辛うじて最低限度の物を支給しておる程度でありまして、尚管内の寒冷地にある刑務所に対しては、更に相当数これ以上支給しなければならん必要に迫られておりまして、目下関係方面に要望して、極力繊維類の入手に努めておる次第であります。
 管内の仮釈放に人員は昭和二十二年の一年間に累計九千三百十名を出しております。それから管内の病氣休養者の合計は現在約八百三十名であります。病氣に因る死亡者は、昭和二十二年の一ケ年を通じまして二百四十四名であります。丁度昭和二十一年の九百九名に比較いたしまして六百三十五名減少いたしておるわけでございます。その他刑務所全般の衞生には特に留意いたしまして、收容者をして明るい希望を持たせながら、行刑の完遂を期しておる次でございます。
 その次に作業状態を申上げますと、受刑者の作業時間は大體において八時間であります。作業の緊急の度合に應じまして、時には延長する場合もあります。尚大部分の刑務所は週休制を実施いたしております。就業者を業種別に申上げますと、現在所内の作業としましては、木工一千百五十五名、裁縫工五百三十一名、印刷工三百五十一名金物工六百七十五名、竹細工の竹工二百七十四名、革細工の革工が六百四十三名、紙細工が千百三十一名、藁工が五百十四名、刑務所復旧に要する営繕工が五百二名、刑務所警備夫二千四百八十九名、その他三千九百十八名、計二千百八十六名でありまして、構外作業は土工一千四百五名、荷役運搬三百八十名、農耕八百二十名、製炭伐木二百四十五名、造船四百五十名、製塩百十名、その他三百九十名で計三千八百名合計一万五千九百八十六名であります。所内作業として主なるものは、比較的資材入手が容易なる木工でありまして、各戰災地、小学校等の学童机その他備品類の製作に当つておるのであります。併しながら次第に資材難に陷りまする結果、その経営も漸次困難となりまして、勢い委託者から材料提供の請負委託作業に移行する傾向があります。又製炭、漁撈、農耕等の自給作業が活溌に実施されております。尚経営の方法といたしまして、目下のところ余り運用されてはおりませんが、現場では官需品の製作をいたしたいという希望に燃えております。つまり官用主義の確立徹底が叫ばれておるのであります。
 受刑者の特別教育といたしましては特に少年刑務所において民間の有識者及び経驗ある專門技官等から成りまする委員会を組織いたしまして、適性分類、能率研究等を科学的に調査いたしまして、職業訓練を施して優秀なる技術の養成を図つておるのであります。本年度の管内の作業收入は、その目標を八千九百万円といたしておりまするが十二月末までの現在の收入額は四千二百万円程度に過ぎませんので、今後あらゆる努力を拂つて目標額に達せしめる方針であります。就業受刑者の作業賞與金は、所内作業におきましては、最高が月約八十円、最低が月四円であります。それから構外作業にありましては、最高が百二十円、最低が五円の程度であります。
 最近関東行刑管区内におきまして生じました重要事件の概要とその原因についてでありますが、先ず皆さんも御承知の通り静岡刑務所の騒擾事件でございます。これは委員の方が親しく御視察を頂きまして十分御了知のことと存じまするので、ここで遊べることを省略さして頂きたいと存じます。
 それから行刑全般に関する希望事項といたしまして、私も拘禁施設の問題と、それから被服の問題について希望があつたのでありますが、すでに巣山管区長、又古橋管区長から述べられましたので、これは省略させて頂きます。
 次に私は職員の増員について述べたいと思います。刑務所職員の勤務はその特殊性によりまして極めて過激でありますので、その緩和を図る意味において労働基準法に基く勤務時間の保持週休制の実施を期するために、三交替制を実施し得るに足る職員の増員を特に希望いたしたいと思います。これにつきましては、現在の定員の八〇%を増員して頂けば結構実現できると思います。
 それから刑務官の待遇改善につきましては、只今古橋管区長からも縷々述べられましたのでございますが、私からももう少し附加えさせて頂きたいと存じます。各所に頻発しておりまする各種の事件を究明いたしますと、その原因といたしましては職員の教養程度が低いことが先ず挙げられることと存じます。刑務所の仕事の内容は、特に他の官廳の職員とは異りまして、受刑者の教育、教化という大きな問題の外に常に生命の危險に曝されておるのであります。こういう特殊事情がありまして、これを完全に遂行いたしますには特に教養の高い人を必要とするのに反しまして、現在の待遇はこれらの人を採用するに余りにも低きに失するように思われるのであります。この際刑務官に対しましては、從來のような一般官廳並みの待遇とは切離して別途に優遇の途を講じて頂き、優秀な刑務官の採用を図つて、事故の絶滅を期することが特に必要であると存ぜられるのであります。
 それから私が分担いたしました第三の行刑管区制運用の現状並びにその將來性について簡單に申上げます。現在行刑管区に対して大臣から委讓されておりまする権限の事項は、拘禁、戒護作業、教化、給養、衞生その他の六項目になつておりまして、その他に各刑務所の監察がありまして、この委任された範員内でそれぞれ管区としての機能をできるだけ十分に発揮するよう努力しておるのであります。右のように大別して六項目に過ぎませんが、実際問題といたしましては、これを細分いたしますと、約百二十項目にも亘るのでありまして、これらの事務を係員六名という少人数を以てとにかく実際に取扱つて來ておるのであります。管区の方針といたしましては、司法省からの大きな計画なり、又方針なり、これを一應管区で檢討いたしまして、各所の事情に即應したような方法で現場に徹底し侵透せしめるように努めておるのであります。それから司法省から指示がなくても管内の事情から勘案いたしまして、委任された範囲で指令又は実施しなくてもならないと思われるものは積極的に而も緊急にやるように努力しております。又行刑運用上各所で隘路となつておる問題については、相談又は指導等の方法によつて速かに打開に努めておるのであります。認可事項とか緊急を要する問題につきましては、即時管区の方で処理しておるのであります。以上四つの方針の下に運営して來ておるのでありまするが、監察の結果から見ましても、所期の目的が或る程度達せられておるのではないかと秘かに確信しておるのであります。
 その管区の將來性について申上げますというと、將來も存置するかどうかということにつきましては、新発足の法務廳の関係もあり、存置、廃止についてはいろいろ意見もあるとは思われまするが、我々としては存置することが絶対に必要であると考えられておるのであります。その理由といたしましては、第一番に刻々変遷する社会現状下で、全國の刑務所の地方事情とか、刑務所の特殊事情等を、中央では詳細に把握して行くことは困難であります。二番目は、急速な処理を必要とする場合、その都度中央の指令を待つていたのでは澁滯又は失態を生ずる慮れが十分にある場合があります。三番目は、現地の請要求や指揮事項は、現地の事情に精通した機関の手によつて、即應した措置をとることが最も善い方法ではないかと信ずるのであります。以上の理由から、どうしても將來管区を存置しなければならんということを我々は考えておるのでありまするが、將來存置するには又次のような改正の意見も私は持つておるのであります。第一番が管区の機構を拡充することであります。それから第二番目が管区長と所長の兼任制を廃めることであります。今は管区長と所長とを兼ねております。三番目が人事、予算に関する権限を或る程度管区長に委任して貰うことであります。四番目が仮釈放、特殊な者は司法省で扱われてもよろしうございますが、普通の犯罪に対する仮釈放は、管区長にその権限を委讓して貰いたい。五番目が勘区制機能の発揮に必要なる人員を増員することは勿論でありまするが、とにかく大々的な増員をして頂いて、それで中央は主として全國的な企画面を担当することとして、すべて実行の面は管区に移して貰う。以上申述べた五つの改正意見を持つておるのであります。
 大体以上の通りでございます。
#20
○委員長(伊藤修君) 次は近畿行刑管区長東邦彦君。
#21
○証人(東邦彦君) 時間の関係上第二の問題から述べさして頂きます。私の分担しておりますのは、第六作業制度の改善に関する問題です。刑務作業の現場は、遺憾ながら極めた不滿足の状態にあります。行刑の理想から申しますならば、刑務作業は行刑の生命的要素であると言われておりまするが、刑務作業がうまく運営されるということは、行刑の目的を達成することであると申しても過言でないのであります。然るに現場はどうかと申しますと、全國の刑務所の受刑者が現在約六万四千人おりますが、その中作業に就いていない者が実に九千四百人もおるのであります。受刑者が失業するとどういうふうな結果になるかと申しますと、積極的な面から申しますと、國家の作業收入がそれだけ減少することになります。又労働の訓練によつて彼らに職業を授けたいというような面、又労働の習慣に馴致することによつて、彼らの釈放後の経済的な自立を図ろうとする今日の行刑の理想は、到底達成し得ないことになるのであります。又消極的な面から申しますと、無作業の弊害ほど恐ろしいものはないのでありましていわゆる小人閑居して不善をなすと昔から申しますが、監房の中で博奕をやつたり、或いはお互に自分のやつた犯罪の手口を語り合つたり、或いは一緒になつて逃げ出そうといつたような計画をしたり、今日の数多い刑務所の事故というものは、殆んど收容者に適当な作業を與えてやらないということに原因しないものは殆んどないと申しても過言でないと思うのであります。それではなぜこのように現在仕事に就かない者が多数あるかと申しますと、その原因は第一に過剩拘禁ということであります。例えば大阪刑務所におきましては、三千二百名の定員のところに七千人近い囚人が拘禁されております。從つて工場施設が足りません。又それでは居房の中で仕事をいたそうといたしましても、現在雑居房には十八人の定員のところに四十名以上も收容しておるといつた関係から、その房内の作業の器具とか材料を持込むという余地が全然ないのであります。かくて毎日千名以上の者が恰かも羅漢さんを並べたような恰好で坐り込んでおるといつたような現状であります。受刑者の側から申しましても、何もしないでじつとして坐つておるという程苦しいことはないのでありまして、私共に毎日のようにどうか一日も早く工場に出してくれ、或いは農場で働かしてくれといつて歎願して参ります。併しこれも現在の状態においてはできませんので、何かと説得して待機さしております。殊に全國各地の刑務所が戰災によりまして、工場を燒かれ、作業施設が非常に減つておりますので、工場作業というものは今日は非常に不振の現状にあります。でありますから、刻下の急務は、工場施設の破壞されたものを復旧すること、及び新らしい施設を獲得いたしまして、彼らの働く場所を作ることであります。それから刑務所の失業問題の第二の原因は、刑務所の作業につきまして、國家的の保障がないという現行制度の欠陷にあるのであります。アメリカやイタリーの行刑制度におきましては、いわゆるステート・ユース・システムという制度が國家の法律を以て決められておりまして、毎年度の官公廳の需品は、一定限度必ず刑務作業の製作品に依存しなければならんというふうに義務付けられておるのであります。そこで受刑者は、常に遊ぶことなく、労働に精励することができるのであります。日本でも官用主義を実行しようという司法省の方針に基きまして、各刑務所では、今日各官廳から注文を取るということに努めております。これは戰爭以前及び戰爭中においては、大変うまく行つたのであります。というのは、その時分に、陸海軍からの発註が刑務所に殺到して参りましたので、受刑者が往々殆んど徹夜をして仕事をするというくらい働いたものであります。然るに終戰後、これらの施設は平和産業に切換えられるのでありますが、民間からの依託や、或いは官廳からの発註は、極めてその量が乏しいので、各刑務所の作業係は、そういう註文取りに寧日なき有様であります。かくてはたとえ先に申しました工場施設、その他の作業施設を拡充いたしましても、刑務所の失業状態を救済するということはできないのであります。一例をとつて申しますと、例えば司法省におきまして、今年度の初めに文部省と協議いたしまして、約五十万の学童机を刑務所で製作して、全國各地の小学校に賣却するという計画を立てまして、各刑務所で製作をいたしたのでありますが、さて製作して、各府縣と交渉して見ますというと、文部省の意図に反しまして、これを買つて呉れる学校は殆んどないのであります。これは地方の学校の資金の裏付けがないからであります。ただ大阪府だけは約二万五千を買取つて呉れたのでありますが、他の全國各地は、悉く失敗に帰したような事例もあるのであります。刑務所が大体低廉な労力を使用いたしまして、製品の賣格も市價に比べますと遥かに安い。官公廳自身もこれを以て充てますと、國家及び地方財政は非常に節約できると思うのであります。これが実行できないのは、結局先に申しました官用主義を保障する法律がないというためであります。近く監獄法が改正されるという話を聞いておりますが、この新らしい監獄法には、是非官用主義を法制化するようにして頂きたいと思うのであります。
 第二に改善せらるべき問題は現行の作業賞與金制度を作業賃金制に改めることであります。現在の制度は、恩惠的給與でありまして、受刑者は幾ら働きましても、その報酬を請求する権到がないのであります。殊に可哀相に思いますのは、例えば二十年の刑を勤めまして、約五千円くらいの賞與金を積立てております者でも、不幸にして病を得て刑務所で死亡するといたしますと、一日千秋の思いでその帰りを待つております妻子は、一文の金も頂戴できない。ただその屍をのみ引取らなければならないといつたような現状であります。現在の制度は、正しく受刑者の労働の搾取でありまして、新憲法の精神にも反する極めて封建的なものであると思うのであります。これは速かに作業賃金制に改めなければならんと思うのであります。現在受刑者が働いて、一ケ月にどれ程の賞與金を貰うかと申しますと、一人平均二十二、三円であります。然るに国家がこのお金に期待するものは極めて大でありまして、先ず第一にこのお金は本人の釈放後の靜養資金として役立てなければならん、又被害者に対する損害賠償、家族に対する生活援助にも当てねばらなんのであります。又刑務所生活に必要な物資、例えば歯磨であるとか、歯ブラシ、葉書といつたような物を買わねばなりません。僅か二十円余りのお金では、何の役にも立たないのであります。これは是非とも作業賃金制を実現いたしまして、本人の労働に相当する賃金を給與すべきものであると思うのであります。但し受刑者は、その衣食住を國家から保障されておりますから、一般社会の労働者の賃金に比べまして低廉であるべきということは勿論でありますが、一月二十円余りというような現行制度は速かに改正されなければならんと思うのであります。アメリカでは、勿論州によつて違つておりますが、大部分の州では、本人の意思如何に拘らず、この賃金の半分又は三分の二を刑務所当局の権限によりまして、その扶養家族に送金できることになつております。これは犯罪人の責任がその犯人の家族に及ぶという、いわゆる罪九族に及ぶといつた、封建的な考え方が正当でない限り、我が国においても採用せらるべき制度であると思うのであります。終戰後、刑務作業の能率の低下した理由の一つは受刑者の労働意慾が減退したことであります。その一因は、彼らの精神的な目標、例えばお國のためだというような考えが一掃せられたことによりますが、その大半は、貨幣價値の低落によりまして、作業賞與金に対する魅力を失つたためであります。かかる観点からいたしましても、作業賃金制は急速に実現せらるべきものであると思うのであります。
 次に問題となりますのは、作業特別会計制度を採用してはどうかという問題でありますが、行刑が、自給自足を理想とする建前からいたしますと、当然この制度は是認されなければならんという結論に達するのでありますが、ただ特別会計制度を採用いたしますと各刑務所の作業運営方針が收益第一主義、儲けさえすればいい、調製價格を上げればいいというようになつて來まして、勢い受刑者に無理な作業を強制するというふうになりまして、とかく受刑者を職業訓練するというトレーニングの方が閑却されるという弊害があると思うのであります。そこでこの特別会計制度というものは、將來法律上官用主義の保障ができまして、沢山の註文が刑務所に送られ、且つ作業賃金制が採用されまして、受刑者もその賃金で食費ぐらいは國家に支拂うという可能性ができた後に問題とされるべき問題でありまして、今日論議するのは時期が尚早いかと思います。
 それから次に問題となりますのは構外作業の問題であります。現在の状態から申しますと、即ち工場作業施設の不足、過剩拘禁、資材の入手難等から構外作業が漸次拡張される傾向にあります。併し一面構外作業として会社や工場等に出役させますことは労働組合側からの強烈な反対があります。從つてそこに一定の限界があります。故に今後の方策としては刑務所の労力を利用して北海道の開拓に当らせることが最もよい策でないかと思うのであります。北海道の開拓史を繙いて見ますと、明治初年に内地の受刑者を徒刑執行のために北海道に送りまして、その開拓の基礎を築いたという因縁もあります。殊に今日のように日本の領土が圧縮せられまして、狹い領土に多数の人民が押し合つて生きている状態から申しますと、今後の行刑の主力は北海道の開拓に注がれなければならんと思うのであります。明治初年の北海道集治監の歴史というものは、北海道の開拓に貢献したということ以外におきましては、即ち行刑そのものとしては失敗の歴史でありました。我々はこの失敗の歴史を省みまして、同一の轍を履まないだけの十分の用意をして、北海道における構外作業を國策として実施されんことを希望するものであります。尚構外作業として、過去に成功したのは、昭和初年以來今次の戰爭が始まるまで、浦賀と大村で実施していた海上刑務所であります。これらの海上刑務所には全國から將來漁師になりたいという希望を持つた少年受刑者を集めまして、司法省の所有しておるところの約七十五トンの機帆船でありますが、この機帆船三隻を使用して漁撈訓練をなし遠く太平洋のマーシヤル群島附近まで出漁いたしまして、無限の海の幸を内地に持ち帰つたのであります。「まぐろ」とか或いは「かつを」を取つて帰つて來たのであります。少年たちは釈放後漁師か船員として身を立てまして殆んど再犯に陷つたものがなかつたのであります。この制度は是非とも復活して頂きたいと思うのであります。以前の制度は軍艦を果い廃艦を海岸に繋留いたしまして、その中に少年を寢泊りさせて訓練したものでありますが今日ではこういつた軍艦もありませんから、是非とも適当な島を獲得いたしまして、この制度を復活したいと思うのであります。実は先般來この目的で和歌山縣の加太町の沖合にある友ケ島に目を着け、その獲得に努力したのでありますが、加太町民の猛烈な反対がありまして、現在では殆んど獲得が不可能な状態に立到つております。外國では例えばアメリカのサンフランシスコの湾頭にあるアルカトラスの刑務所或いはジヤバのムサカンバンガンといつたような島に刑務所が設けられまして、それが行刑としても立派に成功しております。我が國においても、少年受刑者の漁撈訓練のために、是非とも島の刑務所を建設したいと思うのであります。ともかくも今後の行刑は刑務作業による受刑者の職業訓練に重点を置いて運営されて行かなければならんと思うのであります。生産復興が我が國再建の鍵であることは勿論でありますが、今後皆様方の御援助によりまして、我が刑務作業にもこの國策の線に沿つて大いに発展せしめたいと存ずる次第であります。
 それから第二の問題でありまするが大阪の現状と申しますか、近畿の現状は、一言を以て申しますと過剩拘禁を超過した超過剩拘禁が猛烈な惨澹たる状況を呈しておるという外はないのでありまして、これは殆んど私が百万言を費しても説明ができない、是非一度おいで下さいまして、その惨澹たる現状を御覧願いたいと思うのであります。計数的なことを申しませんが、大凡の数字を申しますと、近畿管内二十一ケ所の刑務所、そこに收容し得る能力は大体一万人でありますが、現在では一万六千人を收容しておる。いつからそういうふうになつたかと申しますと、昭和二十一年の一月には僅かに七千五百人しかいなかつたのでありますが、それが一年間に急カーブを切つて上昇いたしまして、二十一年の十二月には一万六千六百七十三人に上り二十二年の上昇のこのカーブはそうきつくはありませんが、それでも昨年の七月には一万八千二百八十一名、これではどうにもならない、夜監房を廻つて見ますると、殆んど受刑者が眞つ裸になりまして、横になつても休めない、殆んど芋の子を洗うように監房内に折り重なつて寢ておるといつたような現状であります。寢ておるといいましても、本当の熟睡はできないのであります。そういう状態は、我々が声を掛けると直く目を覚ましていろいろ苦情を言う若しも一歩を誤れば忽ち暴動にも轉化するといつたような危險な状態を見ましたので、これでは堪らないというので、司法省と相談して、昨年の八月、九月、十月には北海道、その他宮城とか或いは四國、中國の各管区に二千八百五十名の囚人を收容して頂いたのでありますが、それも束の間、といつて十月には一万七千台に減つたのでありますが、その翌月には又々一万八千四百二十二人というような増加の率を示しまして、現在は又近畿管区始つて以來初めての大多数、厖大な数を示しておるのであります。で私考えますに、どうも現在の一般の人の考えが間違つておるんじやないか、何でも犯罪をすれば刑罰を言渡して刑務所へ送つてしまえばそれで事が済むんだというような考えを持つておるんじやないかところが刑務所へ送つて却つて悪くなるという例も沢山あるのであります。それ程刑務所に期待されるということは間違いでありまして、むしろ刑務所へ送らないでそのまま置いた方が余程よくなつておるという場合も相当あるのであります。殊に現在の裁判所の制度というものはもつと嚴密に批判されるべき問題だと思うのであります。今日では全く機械的に裁判が言渡されまして、それをどんどん刑務所に送つて來る。これはもつと現在のように犯罪現象が社会に氾濫しておるという時代には、政治家としても十分お考えを願いたい。今後は犯罪の防遏の手段としてただ單に刑罰に依存するというような在來の行き方を改めまして、眞劍に犯罪防遏の対策を國策として十分考慮し対策を練る。殊に保安処分といつたものを廣汎に採用いたしまして、犯罪者の中にありますところの氣違いにならん程度の精神異常者、そういう者は保安処分で別な治療措置をするとか、又刑務所に置くにしましても、初犯者の改善可能な者は、それに教化のエネルギーを集中して、徹底的な教化教育を施すといつたように、犯罪人の性質に應じてそれぞれ適当な措置を採るといつたような制度が急速に実現されんことを私は非常に希望する者であります。
 時間がありませんから管内で発生した重要事項の中で一つだけ申しますがこれは先般新聞で出されました、宮津の刑務所で竹田三郎という囚人が監房から抜け出して、三囘に亙りまして、宮津の市街を荒して、衣服、靴、煙草といつたものを取つて、監房内に帰りまして、それを監房の天井に隱して、一部は看守を使いまして、看守を通じて、それを現金に替え、將來自分が仮釈放で出たならば、その金で商賣でもやるという考えで、そうした犯罪を反復しておつた事件があつたのであります。いろいろ調査いたしますと、結局その原因は、やはりこの刑務所の規律の弛緩という点にあるんでありまして、そういうことを看守が受刑者と通謀してやつたという点に非常に責任があると思うのであります。それは、その原因を追及して見まするというと、結局今日の物價高による生活難、そういつた面から看守がつい受刑者に誘惑されて……今日の受刑者は、昔のように食うに困つて入るという者ばかりではなく、中には相当社会におつたときは何万円という金を動かしておつたような連中に入つて來ますので、ついそういう連中に誘惑されて、いろいろ犯罪を重ねるという職員が出るようになつたのであります。これも先程申されました待遇改善の問題と結びつけて考慮しなければならんと思います。時間がありませんから……。
#22
○委員長(伊藤修君) 次には東北行刑管区長川上君。
#23
○証人(川上悍君) もう午前中から大分長々と御証言があつたので、お疲れでありましようから極く簡單に……。東北管区は六区ありますが、刑務所は四つであります。東北管区は去年の夏までは、大体拘禁状態も幾らか空きがあるという状態でありましたが、もう大阪その他から移送を受けたので、これも満員になつて参りました。そうして誠に申訳ないことでありますが、昨年の十一月の十二日朝早く秋田刑務所が火災になりまして大部分を焼失してしまつた。この原因は漏電であるということになつておりますが、そういう状態で、この受刑者を東北管区だけで処理したのですが、今のところこれも満員になつておるのであります。特に宮城刑務所、それから秋田刑務所が長期受刑者を入れて置く刑務所でありまして、大体、東北管内、関東地方から信越、去年は近畿方面からも入れたのでありますが、長期受刑者が入つております。宮城刑務所は無期懲役が二百六名、強盗、強姦、殺人、尊属殺という、いわゆる兇悪犯人が入つているわけであります。その中十年を越える者が約五百人、そういつたことでありまして、この受刑者たちと一緒にやつているということは非常に困難な問題であるわけであります。併し長期受刑者は実に愉快な面がありまして、刑務所を家と思つておる。一生いるのでありますから家と思わずにはいられない役人よりよく知つている、倉庫の中に何があるか……。そういうわけで家と思つて彼らが愛してやつてくれるといらところに非常によいところがあるわけであります。これは、まあ自分のほうではありませんが、宮城刑務所は鎔鉱炉といわれているのであります。去年岐阜刑務所の騒擾事件の首謀者、靜岡拘置所、神戸拘置所、その他の首謀者が皆宮城に來ておるわけであります。先程のお話の花山も來ております。こういう者が入つて來ていつの間にか宮城の雰囲氣に融け込みまして、にこにこと工場で仕事をしておる。そういうわけで、今の状態では騒擾というような危險はありませんが、併し長期受刑者のことですから、そういう点は余程考慮しないと間違いが起るじやないかと十分警戒はしております。
 それから東北管内でありますが、作業方面は何としても東北は木があるのでありますから、何しろ木工を盛んにしなければならんというので、各刑務所において木工を盛んにやつておる。それから土があるので、山形においては陶器の製作をやつております。これは刑務所作業には焼物は全然駄目だということになつておつたのでありますが、一昨年から私あの近くの土があるものですから、一つやつて見ようというので、やつて見たところが、驚くなかれ、年期を入れて四、五年掛かつてやつと摺鉢一つが出來、壺一つ作るのには四、五年も年期を入れなければできないのですが、それがこの刑務所でやつたところが三ケ月、半年で作つてしまつたという素晴らしい、業者も驚くばかりの成績を示しておる。そういうようなところに特色があります。それから構外作業でありますが、構外作業は沢山やつております。宮城刑務所は現在五つの構外作業をやつておりますが、各刑務所でも一つ二つやつております。一番大きなものは、細倉鉱山の鉛、錫を掘つておるのでありますが、これは見返り物資として出ておりますので、何としても掘らなければならんというので、二百五十名くらいやつております。その他亞炭、これは東北の亞炭は有名であります。寒い所で皆樣を温かくしようというので一生懸命になつてやつております。亞炭山は今は百二十名宮城刑務所で出しておりますがこれは格子なき牢獄でありまして、私は格子を作るな塀もない、格子もない刑務所をやつて見ようといつてやつて見たところが、格子のない所から夜逃げる者があるかと思うと、一人もいない。舎房内から逃げる者はいない。仕事から逃げる者はときどきありますが格子のない刑務所で逃げる者はない。行刑というものは信頼がもとでなければならんと考えてやつております。進駐軍なんか來て、刑務所ではない、なぜならば格子がないと言つて責められますが、そういつた状態の中で作業をやつておるわけであります。
 それから事故については大した事故はありません。ただ先程申した秋田刑務所の火災であります。
 それから今度第二の方の私に課せられた問題で憲法に即應する行刑の目標並びに具体的方策と申しますか、これは結局行刑の本質問題でありまして、先ず私に四時間以上の時間を籍して頂かなければこれはできないというような問題でありますが、極くあらましを申しますると、刑務所は御承知の通り、善良なる囚人を作る所ではなくて、善良なる社会人を作り社会教育をするということが目標であります。刑務所はこれはたびたび行つて御覽になると分りますが、刑務所には監獄太郎というのがおります。これは累犯五、六囘から十何囘という者でありまして、これは刑務所に入つて來るとまごつかない。初犯者は非常にまごつくのであります。國会でも同じだと思いますが、初めて代議士になつた人はどこに部室があるかまごつくのであります。これはどんな囚人でも同じことでありますが、初犯の者はまごついて、そつちへいつてはぶつかり、こつちへいつてはぶつかつたりするそれを職員が見て叱るわけであります。ところが監獄太郎になるとまごつかない。こういうのが事故のもとになるのでありますが、これが非常に人の心を惹くことが上手で殊に下級の職員はそういうのを重く用い易いわけであります。これは靜岡事件の原因はそこに一つあると、こういうふうに考えておるのでありますが、そういつたところにむずかしい点がありますので、結局初犯、累犯というものは拘禁上区別しなければならんと思います。それが前提ですが、善良なる社会人を作るには、結局はどうしたらよいかというと、人情であります。彼らも人の子であり、人の親であります。先ず人情が大切であります。それから説教を盛んにするのでありますが今までも行刑というものは説教を盛んにして彼らは説教嫌いなのであります。子供のときに親、兄弟からさんざんに説教され、学校の先生から聞かされ、檢事、判事に聞かされ、刑務所では坊さんに説教され、説教の聞き詰めでこれに幾ら説教をしても駄目だと思うのであります。こういうふうに私は思つておるのであります。それではどうするかということになりますと、私は説教しないことにしまして一年に一囘教誨堂で以て話をしますけれどもそれで説教でなしに話しますので、あとは私はしないことにしております。彼らはどうやつてやるかということを簡單に申しますと。人格の完成を知情意から分けて見ますと、知識の方面が欠けておるのであります。勿論大学卒業者もおりますけれども、無学文盲の人たちがおります。こういう者には本や新聞雜誌を読ませる、ラヂオを聞かせるとかいうことにして知識の吸收をさせなければならん、この設備が足りないわけであります。これは是非予算をうんと頂きましてこの設備をしたいと思います。それから情の方でありますが、感情の粗野が原因で人を殺すことを平氣でやるということは野獸的性格を持つておるわけであります。感情を野獸的に発露するというわけでありますから、情操を醇化して行かなければならん、情操というものは誰しも持つておるのであります。その醇化さえすればよいという考えから情操の醇化ということを非常に考えておりまして、音樂、劇、詩歌、スポーツというものが非常に情操醇化に役立つものですから、これをやらしておるのであります。併し音樂でも劇でも同じですが刑務所で音樂会とか演劇会とかよくやる。刑務所の悪口を言うわけではありませんが安來節や民謡の猥褻の歌を歌わしておるようなことが曾つてあつたわけなんであります。これは情操醇化に僕は役立たないと思います。彼らはそうでなくても野卑の連中でありますから、そういうことをやつて下品になつてします。いい音樂を聞くような耳にしてやり、又詩を作り、歌を作るような人にしてやらなければならんという考えから詩、歌の雑誌を私のところでは出しておるわけであります。もう半年以上毎月出しております。それから劇を盛んにしなければならん。私は受刑者に行刑演劇というものは必ずあるものである立派な演劇を作り出したいと考えまして、安來節を歌つたのでありますが、これは巖禁いたしまして行刑演劇というものは心の醇化に役立つというのでやつています。それから音樂の方にハーモニカを中心にして音樂團を組織しております。太鼓は紙で太鼓を作つて彼らはやつておるという状態であります。そういうようなことかせ情操の醇化というものは金が要るのでこれは金を貰わなければならんのであります。何としても予算を頂かなければできませんのであります。
 それからこれは情操と関係があるのでありますが、性欲問題は刑務所の問題でむずかしい問題であります。これは本能の問題でありますから、これを先達つての所長会議でも笑われましたけれども、私はいつも眞劍なんです。殊に受刑者の二十、三十代の人間に対して性欲関係をどう処理するかということについて、いい受刑者を集めて、性欲座談会ということをやつて見ましたが、いろいろ意見が出て、この問題の解決にも將來帰休制度などの改正に伴つて行かなければ、そういうふうに行かなければということを考えております。
 それから知識の涵養、情操の醇化、意思の問題でありますが、意思は鍛錬しなければ強くなりません。これは理屈ではないのでありますから、鍛錬しなければならんにも拘わらず、刑務所において一体意思鍛錬の方法があるかというと、見渡すところ作業より外にないのであります。今いろいろ刑務作業のお話にありましたけれども、收入、この職業訓練の方面で、これは私にいわせれば從的な問題である。むしろこれは私は意志鍛錬の唯一の方法であるくらいに考えておるのであります。怠け坊主が多いのであります。継続的な仕事をやらして行くということがこれが意思鍛錬になるのでありまして、これを訓練して仕事がいやでないように習い性となるくらいにして行くということによつて、意志を鍛錬しなければならんと、こう考えております。これも人格の完成をして行くということにありますので、信仰問題に入つて行かなければならん。信仰を掴まなければいろいろな問題が出て來ると思いますが、併し信仰心の萠芽でもいいから彼らに持たしたいと努力しておるのであります。どんな宗教でもいいと思うのであります。「いわし」の頭でも、璽光様でも信仰を持たないよりよいと思つております。何かと一つ信仰心を持たせようということに努力しておるわけであります。これ又いろいろなことをやつておりますが、何分講師を頼むにも、坊さんを頼むにも、牧師さんを頼むにも金がなくては何としても……目標だけは大きな目標を掲げておりますけれどもなかなかできない現状であります。この点一つ皆さんのお力添えを願いまして、予算を増大して頂きたいと考えております。簡單ではありますが、以上で終ります。
#24
○委員長(伊藤修君) 以上で各証人の方々の公述は終りましたですが、質疑がありましたならば証人の方の質疑を発言して頂きます。
#25
○小川友三君 アメリカでは扶養家族がありますと労働賃金を拂つておるので、日本でもそうした方がいいという御説がありましたが、我々議員として委員として又大賛成であります。この前去年の秋に受刑者に対して政府はほんの少ししかやつていないのではないか、甚だしいのは五、六円しか貰つていない。そうしたことを見て百円ぐらい拂えということを司法大臣に請求しまして、拂うようにするということを総理からも答弁がありました。又そうなつておると存じて今日はお礼の言葉を言うて貰おうと待ち構えておつたところが、まだ非常に安い、二十円、二十二三円しか拂つていないというわけを聞きましたので、実は驚いておるような次第であります。これは我々議員は要求しておりますが、政府は怠けておるというのであつて、実際は一年か二年で出るのが多いのでありますから、この点を我々委員として強調し、政府の予算を取つて出すという方法を採りたいと思いますが、刑務所の方で問題なのは、着物がないと、一枚しかなくつて、作業しておつて、寝ておつてルンペンと同じ生活をやつておるというわけですが。東京の拘置所あたりでは盛んに着物を織つておりますが、あれはどこへ行つておるんですか、お伺いしたいと思います。量は相当織れておるように工場で聞きましたが、あれは市場に出しておるのか、いわゆる娑婆に出しておるかどうかお伺いします。
 それから作業の問題ですが工場作業をやつてストライキをやりかかつたとかいう例がありますが、これは飯の関係で飯が少いからそうした原因になるだろうと思つておりますが、成るべく農林省と緊密な連絡を取つて頂きまして、一等食ですか、あれを出すように御盡力お願いしたいと思います。又我我議員としても大いに御協力を申上げたいと思つております。特に織物の点でどういう工合に流れておりますか、お伺いしたい。
#26
○証人(伊江朝睦君) 流れてはおりません。これは御安心をお願いしたいと思います。配給を割当てられますのは糸で、刑務所で織りましてそれを各所へ配付しております。配付しておつてもまだ足らんのであります。決して社会に横流しをしておるようなことは絶対にございません。この点は御安心を願いたいと思います。
#27
○小川友三君 その量は一人当り一・八ポンドでございましようか。
#28
○証人(伊江朝睦君) それほどまで行つておりません。
#29
○小川友三君 それから看守さんですが、刑務職員の方を募集をしても服をくれない。服をやるというポスターが貼つてあるから入つて見ると、服はなくて私服だものだから辞めてしまうというのが非常に多いように聞いておりますが、あの服は募集する場合、例えば五十名募集するならば五十着を用意して募集するのでなくて、素手で以て募集して、入つて來た人にはくれないという方法でございましようか。募集人員に対しては服が支給されておる筈ですが、この点ちよつと……。
#30
○証人(伊江朝睦君) これは東京管内ではそれ程まで窮迫しておらないと思いますが、あれは所によつては人員の補足は急速に是非やらなければならん。ところが看守の制服が足りないという所もございましよう。併しそれは今大阪の方で極力入手されておられますから、いずれその問題は解決せられるものと思います。
#31
○証人(佐藤備六郎君) 四國から申上げます。服は事実大量に不足であります。それで十二月中に増員になりまして、今漸く充員した程度であります。その分が殆んどない。又前からの分も幾分ないのが残つております。それは官給であります。
#32
○小川友三君 それかせ石炭堀りに坑夫が行つて事故がなかつたように聞いておりますが、石炭堀りは相当に怪我をしたり死んだりしておる筈ですが、石炭を堀つても無事故のようなお話に承つておりますが、石炭堀りに行つて何人死んで何人怪我をしているというお話がありませんですが、全行刑管内長から、特に北海道方面の方、或いは九州地区の方からはありませんでしたが、相当の死傷者があつたように想像されますが、その点如何でしようか。
#33
○証人(川上悍君) 九州、北海道の管区は分らないですが、東北の方でそういう例がありますから申上げますと、畑倉鉱山で受刑者が働いておつて死んだ事故が一件あります。
#34
○小川友三君 それは遺族に金が行つたのでしようか。
#35
○証人(川上悍君) それは遺族に会社から五万円位行き、それから役所の方から出る金が五千円ぐらいあつた。
#36
○小川友三君 それはいつでしよう。九月以後の國家賠償法の布かれる前でしようか。
#37
○証人(川上悍君) 前でしようね。
#38
○小川友三君 ああそうですか。
#39
○前之園喜一郎君 大分時間も遅いので極く簡單に二つほど、どなたでもお伺いしたいと思います。先ほど中部の管区長のお話であつたと思いますが、累犯が三八%くらいというお話がありましたが、大体累犯を犯すようになつた主なる原因はどういうところにあるのでしようか。善良な社会人を作ることに皆さん全力を注いでおられるわけなんですが、それが又間もなく入つて來るのは、どこに原因があるのかということをお伺いしたいと思います。
 もう一つは、私は弁護士なんですがたびたび裁判所で申すのです。不当な未決勾留が非常に多いじやないか。未決勾留は逃走の虞れある場合、証拠湮滅の虞れある場合、この二つ以外にはない。ところが今日裁判に上ります窃盗とか強盗とかいうものは、大方自白しておる。証拠湮滅の虞れのない者、或いは身元受引などにおいても、親が引受けるとか、或いは家族が引受けるとかいうものが大部分を占めておる。ところがそれもやはり保釈を許さないで、勾留しておる。昔と同じように勾留を一つの刑罰のように、刑事警察或いは檢事局、特に裁判所は考えておるのでないかということを、私共もたびたび論ずるのですが、皆様の御意見はどうでございましようか。いわゆる勾留の必要のない者も勾留しておるために、今お話のような拘禁過剰の状態を呈して、刑務所の成績が挙らないことになるのでないかと思いますが、忌憚ない御意見を伺います。
#40
○証人(伊江朝睦君) 私も今のお説に賛成いたしておる者であります。実は東京拘置所の定員は千二百名ですが、被告だけで二千八百名もおるのです。これが昨年末の統計を取つて見ますと一人平均八十五日の在所日数になつておる。約三ケ月近くですね。又入所してから三十日間一囘も呼出を受けずに調べを受けんのが一千五百名もある。こういう状態で、しばしば裁判、檢察の方と我々の方と打合懇談をしたり、審理の促進方を願つたりしておりますけれども、その御相談した一週間くらいのところは、なかなか審理がうまく行きますけれども、又ずるずるとなつて……。尤も事件は殖えましたけれども、判檢事の数がそれに並行して殖えんという関係もありましようし、いろいろな事情もありますが、とにかく調べの審理が遅延しておることは間違いないと思います。我々からも努めて促進方を交渉しますし、進駐軍の方からもそういう意見で審理の促進を要望しておられますが、おつつけそうなるとは思いますけれども今のところは遺憾ながらあなたのおつしやつた通りであります。併し判事方が不必要な勾留をせられておるかどうかは、これは私何とも申上げられませんけれども、実際上の結果はどうもそういうふうに見受けられます。
#41
○前之園喜一郎君 累犯の方は如何でしようか。
#42
○証人(東邦彦君) 初犯、累犯の問題ですが、累犯した者を調べて見ますと大部分家の冷い者、それから保護関係が縁が薄くて、帰つても余り相手にしないという連中、それから釈放するときにどこか全然身寄りのない者で、どこか保護会へ入れたいと思いましても現在戰災で收容施設が燒けておつて入れる所がないから帰郷旅費を與えて帰らすという者が大部分ですが、そういう者が殆んど一ケ月以内くらいに帰つて來る。というのは、昔と違つて、刑務所から出ますると、今まで刑務所で衣食住を保証されていたものが社会に飛び出すと、生活の重圧というものが実に重く本人に掛かつて來るのです。そこで二、三日でもどこか泊めて貰つて、その間に就職の奔走をするというような暇がありますと、仕事も見付かつて犯罪も重ねないというものが、そういう暇がないためにもう止むを得ず犯罪に陷る。刑務所を出るときはもう殆んど犯罪をすまいという固い決心を持つておりましても、保護の十分でない関係から崩れて來るというのが非常に多いと思います。それからこの累犯初犯の刑務所の比率からいいますとむしろ今日は累犯が少いのでございまして、僅か三割が累犯、後は初犯というのでございます。昔の刑務所は今から十年程前の刑務所の統計を見ますると七割が累犯で後の三割が初犯であります。それが今日の逆になつている。これは決して刑務所の成績が挙つているという証拠ではないのでありまして、むしろ今日檢挙の成績が非常に悪いのじやないかと思います。それと同時に非常に社会情勢から初犯、つまり犯罪を犯かす者が非常に殖えて來たという現象を物語つているのじやないかと思います。
#43
○前之園喜一郎君 累犯の原因は短期刑の実刑ということがやはり一つの原因になるのじやないかと思いますが……。
#44
○証人(東邦彦君) ええその点もあります。短期の受刑した者が殆んど再犯に陷る者が非常に多い。つまり行刑の効果がなかつたというようになる。そういうのはむしろアメリカでやつておるプロベーシヨンのような組織に入れるというやり方をしなければいけないのじやないかと思う。
#45
○宮城タマヨ君 今日は不断行刑の実務に当つておられて御苦労樣の方々から、私の大変参考になることをいろいろ御説明頂きまして有難く存じております。簡單に一つ二つ伺いたいと思うのでございます。その一つは職員の問題が随分問題化されております中で私の伺いたい点は刑務官の練習所を出ました方々、つまり行刑や保護についての精神を幾らかでも体得している方方が、一体交流の多い中でどのくらいずつ止まつていられましようか、どなたでも……。いま一つは川上さんに伺いたいのですが、新憲法を実施されましてから、家庭でも学校でも普通の社会でも、自由や民主主義を履き違えまして、その教育に非常に骨を折つているようでございますけれども、特に刑務所で拘禁されております不自由な人人に、本当の精神を教えるために何か手段を講じていらつしやいますでしよううかということ。いま一つは、被服の点は非常に欠乏のようでございますけれども、藥が大変困つていらつしやるということをよく聞きますのですが、何かこの藥を手に入れることについての方法でもお講じになつている所がございますでしようか。この藥の点をちよつと伺いたいと思います。それから最後にちよつと簡單でございますが、この少年刑務所の山口縣の佐賀村の少年刑務所のお話がちよつと出ましたのでございますが、実は私は少年刑務所は、殊に矯正教育をする所だ、一つの学校だというように心得ておりますので、この問題については非常に重要視しなければいけない。山口生れだというような関係から、私の所までも、つてを頼り頼りしてえらい猛運動があつたのでございますけれども、こういう場合は私は参議院議員としての立場で一方的な見地に立つということはいけない。大所高所からものを見なければいけないという立場に立ちまして司法省やその他方々へ行つて見たり、いろいろ両側の意見を質したいと思つていろいろやりましたけれども、やつぱりこれは最後の結論を出すのには、先程申しましたその矯正教育をする一つの学校であるという立場から、ただ建物がいいとか、器がいいとか、或いは周囲の景色がいいというようなことと、もう一つはそれを受入けてくれますところの無形な、つまりその村の人々の心持ということも、こういう場合に決して忽かせにしてはならないという点から、どうしても実地に即したいという希望を持つておりましたが、今度は司法委員の方々が九州にいらつしやるというので是非その途中で実地に見せて頂きたいというようなことを思いましたために、行刑局長と話しまして、こちらの委員長にお願いしたようなわけだつたのでございまして、私共の立場としては絶対に一方的でないということをちよつと附加えさして頂きたいと思います。
#46
○証人(川上悍君) 私に対しての御尋ねに対してお答えいたしますが、これは受刑者にも職員にもでございますが仙台は大学がありますので、大学の先生方、木村先生、中川先生、宮城先生その他の方の、又はあの地方の教育又は詩歌いろいろの方面に携つておる方方に、講演などをお願いして、民主主義というものの本質をできるだけ把握させるようにしてやろう。それからもう一つは、刑務所で新聞を毎月二囘発行しておりますが、これを利用して大いに本当の民主主義というものを知らせるように努力しております。それから全受刑者で青葉会という一つのものを組織しておりますが、ここに受刑者を皆参加させ、職員も一緒になつていろいろの問題を研究し、宗教問題あらゆる問題を研究しておりますが、そういつたことで履き違つた民主主義などによつて行刑が禍されないように努力いたしております。
#47
○証人(古橋浦四郎君) 職員の点の御質問でございますが、練習所とおつしやいましたが、中央に幹部になる練習所がございますが、それの問題でございますか。
#48
○宮城タマヨ君 刑務官の練習所のことを申しました。
#49
○証人(古橋浦四郎君) 中央の卒業した者では非常に少うございます。やはりあそこに入るまでには相当刑務官として訓練を各所で経まして、教習所その他を出まして、優秀な者が志を立てて來ております。あそこを出まして看守長になつて者も、中では特別な場合以外にはないのでございます。
#50
○宮城タマヨ君 そうすると、始終或るところの刑務所では、一年に半分以上、百人の職員で五十人ぐらい代るというような話も聞くのでございますけけども、ちやんと刑務官として練習教育を受けた者は割合に動かんのでございますね。
#51
○証人(古橋浦四郎君) 入りますときに、各所に教育所がございまして、そこでいずれもちやんとした教育を受けて入るのでございます。ですけれどもそれらの者もどんどん代りますし、一年以内ぐらいの者は一番多うございましてそれらの間の者は非常によく代ります。本当に各所共大変な代り方でございます。というのは皆刑務官の待遇その他で、まだ刑務官の仕事の本当の生命に触れて、あそこで一生やつて行こうというような境地に立到つておらない。なかなかこの仕事は困難なものでありまして、ただ外目で見ただけでは大変で、中に入つてやつておると又仕事のいいの所があるので離れ難い所があるのです。それから又稀にはどうしても家庭の事情で、これではどうしても食つて行けんから辞めるというような者も、十年或いは十五年勤めた優秀な者の中からでもあります。私の所でも最近ときどきありまして、そういう者はさすがに去り難しく言い出してから三ケ月とか六ケ月とか躊躇して結局辞めてしまう。そういう者もこれからだんだんできて來るようでございます。
#52
○宮城タマヨ君 藥でお困りになるようなことはございますか。
#53
○証人(古橋浦四郎君) 藥も非常に困ります。これは各地で大体大口消費者として縣の配給を頂いておりますが、やはり金がないのでございます。それと品物に限りがありまして、我々の方の配給はやはり刑務所に対しての必要なだけしかくれません。
#54
○宮城タマヨ君 それは縣からの配給でございますね。厚生省は直接に何も御関係はございませんですか。
#55
○証人(伊江朝睦君) 厚生省からは直接ございません。
#56
○証人(古橋浦四郎君) 開業医なんかですと、お客をいろいろにして実績を報告する手もあるのでしようが、私共の方ではそういうことはできません。そうすると縣の査定で來ますから、どうしても実情を申上げて理解を求めても思うように行かないのでございます。
#57
○宮城タマヨ君 そうすると結局足りないのでございますね。
#58
○証人(古橋浦四郎君) 足らないのでございます。
#59
○証人(川上悍君) 殊に一番困るのは花柳病の藥がないのです。ところが、今の青少年というのは花柳病を持つておる者が非常に多いので困つてしまうのです。
#60
○委員長(伊藤修君) 他にまだいろいろお伺いしたいことがあると存じますけれども、時間がありませんから、これで以て終了させて頂きます。お忙しいところをいろいろ有益なお話を頂きまして有難うございました。我々といたしまして、本日のお話を立法の上に活かして、御期待に副うように努力して行きたいと存じます。
 それでは本日はこれを以て委員会を閉会いたします。
   午後四時四十二分散会
 出席者は左の通り。
   委員長     伊藤  修君
   理事
           鈴木 安孝君
           岡部  常君
   委員
           大野 幸一君
           中村 正雄君
           奧 主一郎君
           水久保甚作君
          池田七郎兵衞君
           鬼丸 義齊君
          前之園喜一郎君
           松井 道夫君
           松村眞一郎君
           宮城タマヨ君
           阿竹齋次郎君
           小川 友三君
           宇都宮 登君
  証人
   関東行刑管区長 伊江 朝睦君
   近畿行刑管区長 東  邦彦君
   中部行刑管区長 古橋浦四郎君
   中國行刑管区長 巣山 末七君
   四國行刑管区長 佐藤備六郎君
   九州行刑管区長 荒巻 正州君
   東北行刑管区長 川上  悍君
   北海道行刑管区
   長       楠本 順作君
ソース: 国立国会図書館
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