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1947/04/26 第2回国会 参議院 参議院会議録情報 第002回国会 司法委員会 第16号
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1947/04/26 第2回国会 参議院

参議院会議録情報 第002回国会 司法委員会 第16号

#1
第002回国会 司法委員会 第16号
  公聽会
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昭和二十三年四月二十六日(月曜日)
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  本日の会議に付した事件
○軽犯罪法案(内閣提出、衆議院送
 付)
○人身保護法案(伊藤修君発議)
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   午前十時五十二分開会
#2
○委員長(伊藤修君) これより司法委員会の公聽会を開会いたすことにいたします。本日は軽犯罪法と人身保護法と、この二案につきまして公聽会を開く次第でありますが、御承知の通り、軽犯罪法は、衆議院において審議せられ、目下当院にこれが回付せられて、審議に当つておる次第でありますが、この法案につきまして、一般輿論といたしまして、この軽犯罪法が、曾ての警察犯処罰令と同樣に取扱われ、延いては國民の大衆運動、政治運動その他について、これを悪用せられるから、これに対して、撤回若しくは廃止せられんことを要求するというような要望が沢山ありました、國民の声を公聽会を通して議会に反映せられんことを希望するというような要求が、陳情、文書、電報等において当委員会に要望せられましたので、この公聽会を開くに至つた次第であります。又人身保護法につきましては、御承知の通り、目下の我が憲法の上におきましては、重要な法案でありますから、これをも添えまして、当公聽会におきまして、國民の輿論を委員会に反映せしめて頂きたいと、かような趣旨で、この公聽会を開いた次第であります。つきましては、本日の公聽会は、学識経驗者のお方の貴重なる御意見を当委員会に反映せしめて頂きたいと、かような趣旨を以ちまして、本日は公述人の方は、学識経驗者の方のみに限つておる次第であります。明日は一般國民のお方の御意見をお伺いする公聽会になつておる次第であります。で、本日お集り願いました公述人のお方で、先ず軽犯罪法案について六名、人身保護法案につきまして、五名の学識経驗者の方の御意見をお伺いすることにいたします。公述人のお方は、大体二十分の標準時間で、多少の前後は差支えありませんが、その程度の標準で、一つ御供述をお願いいたしたいと存じます。
 軽犯罪法案につきまして、これより公述人の御供述をお伺いすることにいたします。
#3
○公述人(島田武夫君) 軽犯罪法案につきまして、私の意見を求められましたので、出席いたした次第でありますが、軽犯罪法案は、警察犯処罰令に代るところの軽微な犯罪を処罰する法案でございます。警察犯処罰令は、御存じの通りに、明治四十一年九月二十九月の内務省令第十六号で公布された省令であります。この省令で以て拘留、科料の罰則が定められておるのであります。それでこれは明治二十三年の勅令第二百八号というのがありまして、内閣総理大臣及び各省大臣は、百円以内の罰金若しくは科料、又は三月以下の懲役、禁錮若しくは拘留の罰則を定めることができる権限が與えられておつたのであります。それで、この権限に基いて、内務大臣が警察犯処罰令を出したのであります。これは公共の安寧を保持するために必要であるとする、一種の警察命令であります。内務大臣の一片の命令で以て國民を逮捕、監禁若しくは処罰するという、憲法の規定に違反した行政命令といわれておつたのであります。
 今度の軽犯罪法案は、やはり拘留、科料に値する軽微な犯罪ではありますが、苟くも処罰規定でありまするから、憲法に從つて立法された法律でなければならんという立場から、議会に提出され、協賛を求められるという順序になつたのであります。勿論この立法手続が正当なことは言うを俟たんのであります。又從來警察が、警察行政に名を借りまして、警察犯処罰令を人権蹂躙の具に供した、苦い経驗が多々あるのであります。それで警察犯という名前を嫌つて、兼犯罪法と、こう改められたものと考えられるのであります。
 軽犯罪法案の規定は、大体においては、現行の警察犯処罰令の規定に含まれておるので、その規定のうち、特に時代の要求するものを選んで規定されておるように見受けるのであります。これを概括して申しますれば、社会、道徳を維持し、確立するという趣旨に解せられるのであります。從つて社会道徳が守られて行くならば軽犯罪法というものは無用であると申してよろしいと思うのであります。世間ややもすると社会道徳が守られない現状であります。最近の世相は生活困難な條件と相俟つて、道徳観念が極めて稀薄になつておるように思われるのであります。兇暴な犯罪、或いは窃盗、強盗その他重き犯罪が頻々と繰返されております。犯罪の数は未曾有の多数に上つておるのであります。こういう重大な犯罪が檢挙、処罰されねばならんことは勿論でありますが、その前提とも申上ぐべき道徳観念を培い、啓発するということはこれ又非常に必要なことであると思うのであります。軽犯罪法の規定しておることは甚だ軽微な事柄のように見えますけれども、社会的にはこれは大きな働きをするのであります。これらの規定がないと法益の保護が完全ではないと思われる場面が少くないのであります。從つてこうした軽微は違反行爲でもやはり一定の罰則を設けて禁止する必要があるように考えるのであります。この種の規定は旧刑法でも違警罪という名前で規定されておりましたし、その母法のフランス刑法においてもやはり違警罪の規定がありました。ドイツ刑法におきましてもやはり違警罪という規定があるのであります。いずれも軽微な犯罪でありますが、やはり國民の公徳を養うという意味も加味されて規定されておるのであります。
 この規定が、この軽犯罪法ができるというと、名を軽犯罪に借りて人権を蹂躙するというような或いは虞れがあるかも分らんのであります。併しながらこれは法律運用の面でありまして、私は運用の面については多く申上げることを欲しないのであります。この法律が今の日本の社会に必要であるかどうかという法律的な見解につきましては、これはあつた方がいいだろうという考えを持つておるのであります。各場合の取締ということは、これは取締る人の、その時、その場合の考えによることでありましようが、この立法の趣旨から考えますれば、國民道徳を啓発して行くという正しい理念に基いて行動されねばらなんのであります。これを邪魔に曲解したり、或いは一部の人の利害のためにこれが悪用されるというようなことがありましたならば、これは許すべからざる事柄であります。正しく、公平に、眞に國民を指導し、誘掖するという建前からこの法が運用されねばならんのであります。
 この各規定の條文について一々の意見は申上げることを差控えたいと思うのでありますが御覧の通りに、第一條に三十四号に亘つて規定されております。読んで見て、こういう規定がなければ、公安が維持されない、我々の生活が安全ではなかろうと思うような規定も少くないのであります。例えば十三号の割当物資の配給を待ち、乘物や催し物の切符を買うために待つておる公衆の列に割込んだり、又は列を乱す者が罰せられるということになつておりますが、これは公徳に反する甚だしいものと思うのでありまして、私は一昨年頃東京駅から郷里へ帰るときに、朝早くから來て東京駅で列を作つて席を取るために待つておりましたが、汽車に乗る際になるというと、十五、六人の若い人たちが眞先に來てそれに乘込んでしまつて、もう席がなくて、東海道を下つたことがありますが、こういうようなことを取締らないというと、これは非常に多数の人に迷惑を掛けることだと思うのであります。
 それから例えば十四号の、公務員の制止をきかないで、人声、樂器、ラジオなどを異常に大きく出して静穩を害するというような事柄、これも私が経驗したことでは、丁度隣の家でラジオをかけて大きな音を出しておる、どうも読書もできず、思索もできない、筆も執れないというような日が続いたことがありますが、こういうようなこともやはり道徳に反することで、人の迷惑を意としないというような人に対しては、それ相当の取扱をしてよかろうと思うのであります。
 それから十五号の称号を詐称するとか、或いは法令で定めた制服、記章などを用いる。こういうようなことも、これも私が曾て経驗したことでありますが、人をだますことになるのであります。こういうことも取締る必要がある。例えば代議士の記章を附けて人をごまかして行くというような人があつたならば、これは非常によくないこだと思うのであります。
 一々について申上げることは差控えたいのでありますが、この現行の警察犯処罰令に比べると、余程簡單になつております。現行の密淫賣をなし、又は媒合容止をなすというのは新法にはないのであります。旧法の警察犯処罰令の二條の十六号というのに、流言浮説をなした者、或いは十七号の吉凶禍福を説いたり、或いは十八号の祈祷、符呪をなしたる者、或いは十九号の催眠術を施した者、或いは二十四号の刺文をなしたる者というがごときは今の新法にはない。それから第三條の七号というのに開業の産婆招きに應ぜずというような、教育の程度が警察犯処罰令の出た当時よりも進歩し、又必要がないと認められるようなもの、他の法規によつて取締られると思えるもの、こういうようなものは皆省いてあるのでありますが、尚細かく刻んで申しますれば、賛成していいものもあるし、或いは省いてよいと思われるものもないではないのであります。
 尚重要なことは軽犯罪法に対しては刑法の総則が適用ありますから、十四歳に滿たざる者が犯した場合は罰せられないし、故意がないと原則としては罰せられない。それから刑法の六十六條で酌量減軽ということもできるのでありますが、軽犯罪法では減軽だけでなしに刑を免除することをも規定されておるのであります。そうしてこの軽犯罪法に触れた人は警察で即決を以て罰せられるということはないのでありまして、これは裁判所の問題になつて、裁判官がその刑を決めるということになるのでありまして、この規定がこの通り議会を通過することは別問題といたしまして、軽犯罪のというこの種の法律ができましても差支えないのみならず、その運用よろしきを得ましたならば、國民道徳の啓発に寄與するところが少くないであろう、かように考える者であります。
#4
○委員長(伊藤修君) 公述人に対する質疑は後で一括にお願いすることにいたします。次に植松正君。
#5
○公述人(植松正君) 丁度胃痙攣を起して体が弱つております上に風邪をひきまして甚だ声が出ないのでありますが、御了承を願つて置きます。私は軽犯罪法の運用の面につきまして一言意見を申述べて置きたいと思うのであります。
 只今公述人の島田博士から種々御意見のありました点につきましては、いずれも至極御尤することであると傾聽した次第であります。重複する部分はすベてこれを省略いたします。要するにこの軽犯罪法が人間の我々人間生活の道徳の向上のために役立つであろうということにおきまして私も又全体としては賛意を表する者であります。勿論部分々々につきましては多少個人的な異議を述べたいというようなものもないではないのでありますが、それらはそう多くもありませんし、又極めて末梢的なことに属するもので、すべて省略いたします。
 軽犯罪法に盛られた種々の事項は、文化の進展によつて自然に道徳が向上して行くならば、敢て制裁規定を以て臨む必要はないと考えられるものも随分多いのであります。そういう観点を少しく極端に押し進めて見ますと、軽犯罪法全体がなくてもいいというふうに考えられると思うのであります。併しながら人間というものはえて易きにつき易いものでありまして、例えばラジオを声を大きくしないとか、或いは行列の秩序を守るというような行爲につきましても、ただ自然に放置して置いたのでは、その社会道徳が形成されるのには相当長きに亘る訓練が必要とし、不必要に暇がかかるということが考えられるのであります。これを軽犯罪法のような制裁規定を設けて、若し違反して甚だして行爲に及んだ者があるならば、犯罪人としてこれを処罰するというようなことにいたしますというと、その道徳の基準が民衆に対して明瞭に示されるという利点があり、且つその道徳を維持するために、國家の制裁という力を以てこれを裏付けるという長所があると思うのであります。その意味におきまして放任すればえて易きにつき、秩序を乱し易いところの我々の日常生活に、良き道徳の基準を與え、いわば我が新制度の國家について新らしい生活運動の標準を示すというような意味で、軽犯罪法が役立つことを考えられるのであります。例えば刺文をしてはならんというような規定が從來警察犯処罰令にあつたのが、今度省かれることになりました。或いは濫りに吉凶禍福を説いてはならない、トの類であります。こういう規定につきましても、これが省かれることになつた。これはさまで制裁規定によつて維持しないでも、自然從來の経過に鑑みまして、文化の進展と共にその道徳が維持されるようになる。道徳と申しますか、或いは良き風俗が維持されるということになる。こう考えられるものが省かれたと思うのであります。尚今日においても或る程度の規定を設けて道徳の裏付けをしなければならないと思われるものが、ここに新たに條文の整理を経て、軽犯罪法の形で提案されておると考えられます。
 併しながら、尚これらの規定を見ますというと、巖格にこの規定を運用いたしまして、苟くも違反があつたならば、すべて巖重に処分するという行き方を取つたならば、恐らくはすべての國民に多少の違反なきを得ないというような情況になるのではないか、こう思われるのであります。丁度現在の経済法令の遵守が決して完全に行われていないように、軽犯罪法につきましても、そういう虞れなしとしないのであります。
 併しながら反面において全然行えないところの規定を作つて置くということになりますと、自然規則に対する遵法の念が薄らいで参りますし、その結果は最も重要な法令に対してもこれを守る念慮がなくなるという危險がありますので、この運用は余程よろしきを得なければならんと思われるのであります。一方においては法の威信の問題であり、他方においては一般人の遵法意識の問題にも関係するのであります。苛くもこのような法が出ました以上は、この法は守らなければならんものであり、又守らせねばならぬものである。併しながら同時に守り得るものでなければならんということも考えなければならんのであります。
 守り得るものたらしめるためには、守り得るような社会制度、その他種々の施設を必要とすると思うのであります。例えば軽犯罪法の中に、二十二号に乞食をしたり、乞食をさせてはならないというような規定がありますが、乞食を收容したり、乞食をなくしたりすることについての社会制度なり、その他の收容施設なりが十分できていないで、ただこれのみを取締るということでは片手落ちになるわけであります。もつと卑近な例を申しますれば、大小便について濫りに街路等でやつてはならんというような規定が設けられておりますが、これらも十分公衆用の便所の設備があるということを前提にしてこの規則を守り得るようにしなければならんと思うのであります。
 最近街頭を歩いておりますというと、軽犯罪法に極めて近似した法律として、道路交通取締法が一月一日から施行され、道路の交通道徳ということにつきまして、非常に最近は取締を一般に強化している状況が見られるのでありますが、この取締つておる状況を見ますというと、私共往來を歩いておつて、果してこの取締の仕方が適切であろうかということにつきましては疑問を持たざるを得ない点があるのであります。これは軽犯罪法の運用についても参考になると思われるので、少しく具体的なことについて申上げてみようと思います。それは道路の取締につきましても、東京の全部に亘つて行われているのではなくして、或る部分だけやかましく行われている。そういたしますというと、丁度やかましく取締の行われている所に差し掛かつた者だけが非常に犯罪に問われるとか、或いは問われないまでも、非常なお目玉を頂戴するというようなことになつているのであります。取締をやつていないような部分に参りますと、同じ東京の中でも交番の前を平氣で横断歩道にあらざる部分を斜めに横切つて行くということがあつても、誰も文句を言わない。こういうことであつては、こういう卑近な道徳律を守るためには甚だ都合が悪いのであります。よき習慣を作るということは大事であるのでありますが、或る部分においては非常にやかましくやりますが、他の部分に行くと取締の警官までもそういうことをやつているとか、或いは警官が見ている前でやつても何ら文句が言われないということになりますと、自然この法律を守ることについての適当な基準が示されないということになるように思います。或いは又車道を歩いてはならんという規定が道路交通取締法にあり、これが現に交通取締上やかましく言われておりますが、歩道を見るというと、歩道が凸凹甚だしく、歩行に非常に困難である。或いはリヤカーが斜めに置いてあつたり、防空用の水槽が逆まに轉がつていたりする状況でありまして、歩道を樂々と歩くことができない。そのために止むを得ず車道を歩いているというように見受けられる部分も随分あるのであります。こういうふうにして歩けないようにして置いて、そこを歩けということを命じるのは國家全体の政策として適当でないと思われます。恰かも配給をしないで配給だけでやつて行けと言うのと同じようなやり方が今道路の交通取締について行われているように思うのであります。軽犯罪法の運用につきましても、こういう点が十分警戒されなければならん点だと思うのであります。そういたしませんと、取締の者が自分の私情を差し挾んで或る者を取締り、或る者を取締らないというような最惡の場合も起る可能性があるでありましようし、又或る場所だけがやかましく言われて、他の部分では放任されておるということでは、法の威信もなくなつてしまうのであります。殊に守り得るような状態を作らないで、而もこれを守らなかつた者は刑罰に問うということであつては結果は民を網するということになると思うのであります。これらが一軽犯罪法の立法の問題でなくして、大きな全体の國家の施設の問題であり、制度の問題であります。國会の審議におきましていろいろな部面に御配慮を願いたいと思うのはこの点であります。
 以上私は專ら軽犯罪法の運用について特に注意して頂きたいと思う点を申述べたのでありますが、全体としては最初に申上げましたように、國民生活の向上のためにこの法案が役立つであろうと考えるものであります。ただ一、二末梢的なことを申添えますと、國会の審議に当つて直して頂いたらいいんじやないかと思うのは、例えば十三号のごときは非常に「若しくは」という字が沢山使つてあつて甚だ分りにくい、或いは二十九号の規定が非常に外國語の直訳めいておつて日本人にすつきり分りにくいというような点もありますので、事柄の実体はともかくとして、この規定の形式については、國会の審議に当つて十分御配慮を煩したいというふうに希望するものであります。
#6
○委員長(伊藤修君) 高木嚴君。
#7
○公述人(高木巖君) 労働組合関係の方から、この軽犯罪法の内容をちよつと申上げて一つよろしくお願いをしたいと思います。
 政府は本法案提出の目的として、終戰後の混乱した世相に明確な一線を引くといつております。現在の混乱した世相を見るとき、この趣旨は大変結構なことであります。併しいわゆる混乱した世相なるものを政府並びに司法当局は何と考えているかについて、近頃のやり方を見ますると我々労働者は極めて寒心に堪えないものがあるのであります。政府が考え、官憲の頭の中にある混乱した世相とは、町のやくざ者や無頼漢だけをいつているのではなくて、正当な爭議権を行い、又團体交渉を行う際に、労働者が声を出し議論をすると、近頃の労働者はどうも行過ぎであるなどと、現在の資本家の焦土戰術や労働協約無視の行動の実態、更には暴力團まで繰り出して、労働者を叩き潰してしまおうというやり方を、知つてか知らないでか、檢事の命令だとか、暴力はいけないとかいつて労働者を檢挙して拘留をしております。これに対して労働者が生活権を守るために、それを通して生産を復興をするために行なつている爭議権の行使や、團体交渉について殊更に無関心な態度を示しております。このような混乱した世相の中に労働組合運動、農民運動を初め一切の民主的大衆運動を含めて考えていて労働法を改惡しなければならんといつている政府官憲の下に、この軽犯罪法が出たら一体労働者はどうなるのかということを考えて見るならば、この軽犯罪法の本質がはつきりして來ると思うのであります。或いは人はそんな趣旨ではない、民主的運動はよろしいのだといつたり、又労働者の神経質的な考え方だというかも知れません。併しここではつきりして置きたいことは、法律というものはすべてそれの目的とか趣旨とかで、その効力を判断すべきではなく、そのときの社会、経済の状態から必然的に生れるものに対して積極的に前進させるものか、ストップさせるものかという点から批判をされ、その効力も修正され、廃止されなければならないものだと思います。
 ここで私たちが思い起さなければなならいのは、政府が本法案と代るという警察犯処罰令や、暴力行爲等処罰に関する法律が、曾ての帝國主議時代に、民主的運動に対してどんなことをしたか、そうしてそのために日本の労農大衆はどんな状態に落ち、今日に至つたかということであります。右のことを考えますと、この軽犯罪法がどんな役割を持つものかということが分ります。組合法の一條の二項には、刑罰法令を適用しないといつておるが、官憲は不当な爭議だといつて彈圧をしております。この見地から我々労働者は、この法律の成立に対して反対を提唱するものであります。産別会議では先にこの趣旨を述べて、この法案に反対を表明して、若しこの法律をどうしても出すのであるならば、先ず第一番に民主的運動に適用しないこと、次に官憲に対して右の趣旨を徹底させること、三番目に現在檢束、拘留されておりまする者を釈放することというようなことを申入れて附帶條件として衆議院では先般第四條の追加をいたしたのでありますが、この法律の目的以外に適用しないというような旨の挿入をしたのですが、これだけでは私たちの要望が容れられておらないのであります。
 現在、この法案について衆議院議長の松岡駒吉氏らは、行過ぎた労働運動については処罰する必要があると言つております。日本の官憲から言わせれば、現在のように労働者が、その生活権のために必死に闘爭をしている有様は行過ぎた闘爭のように思われるかも分りません。だから我々は労働運動その他の民主的運動の一切について、よく官憲に徹底させることを要求したのであります。然るに二十一日、二十二日の日本タイプの仮処分執行に対してどんな状態が起きておるかということを注意を促したいと、こう思うのであります。労働爭議に対する仮処分の不当は、我々が確信するところでありますが、それはさて置いて、あの仮処分の執行に際して、事が労働爭議であるので、東京都労働委員会は、それが爭議の当事者である会社と、労働者との了解の下に平穩裡に、而も爭議が会社の労働者追出しの形でなく、双方が爭議解決のために努力できるような執行方法を話合いたいと申込んだのであります。併しこれに対して警察側は武装した警官を配置しまして、労働者を挑発して、その上都の労働委員会の申入れに対しても、話合いをする必要がないといつて、直接力の行使をして來たのであります。執行部と都労委に交渉を委せて信頼していた労働者は、この力の直接行使と挑発によりまして、あのような事態を惹起したのであります。
 この中には重大な二点が含まれております。それは第一番目に、労働爭議の実体に対する官憲が公けの権力によるならばどんなことでもできるでありましよう。これは昔の通りで認識であるといわなければならないのであつて、当局が一方的に挑発行爲に出て來ているということであります。現在の司法当局の実体は遺憾なくここに現われているといわざるを得ないのであります。ですから我々はこの法律を公付施行するのであるならば、第一に労働運動、農民運動、その他の民主的大衆運動に関してはこれを適用しないということをはつきりと文章に謳わなければならない。勿論拘留も必ずしない。第二番に、当局に対して民主的運動に関する教育を徹底して行う。このことを要望したいのであります。若しこれをしないのならば、第二、第三の日本タイプのような事例を惹き起して、社会の合理的秩序がこの法律のために、却つて当局みずからの手で殊更にこれが撹乱されてしまうのであります。
 以上この法案について申上げて見ますると、大体第一條が三十四号に分れておりまして、この中で殆んど半分がいわゆる一方的の解釈をいたしますならば、すべて労働運動を阻害し、彈圧をする條文を含んでいるのであります。先ず第一号は、これはいわゆる労働組合運動の方面にありまするピケット、ラインを形成する、こういうような場合にこの第一号で以てすべて彈圧をされつちまう。第三号の問題も、これも生管をやる場合にもどうしてもこういうことが起るのでありまして、この三号を設けられることによつて生産管理というようなことが全然行われなくなつとます。四号も、これも労働運動、或いは社会運動家に曾つてこういう項目で以て取締つたということがあるのであります。それから第五号でありますが、これも組合の宣傳隊というようなものがすべてこれで封じられてしまう。尚八点、これも自分の組合員が檢挙されるときに援助をするという組合は絶対にないのでありまして、而もこれがこの間の日本タイプのような不当の檢束のような場合には尚更であります。それから十三号、これはいわゆる行列の列を崩すというのでありますが、組合の宣傳乃至はデモ行進というような場合にやはり引掛けられて來る。それから十四号も同樣であります。組合が大会を催す、或いは宣傳をする。これもやはり不当に大きな声を出したというようなところで彈圧をされて参ります。十六号「虚構の犯罪又は災害の事実を公務員に申し出た者」。これは共同裁判で全逓の山内、これは東搬工の支部長でありますが、正しく行われましたことについてそのことを証言をいたしましたらば、そういう事実がないにも拘わらず、虚構の事実を申立てたというようなことで逆に僞証罪で訴えられております。こういう一方的に採上げられて、正しい声を封じられてしまう。二十一号、これも例えば農耕或いは荷役する場合に、これも一方的に酷使をしているというような見方もされるのであります。それから二十八号、これは團体交渉の際には必ず惹き起される問題であります。御承知のように管理者側は成るべく事がうるさくないようにといつて、こちらの正式の申込にも應じないというのが最近の実例でありまして、このような場合に團体交渉を是非とも開始しようというようなことで行手を阻止いたしますると、直ちにこの條項に引つ掛かるということになるのであります。三十号のこともやはり宣傳、デモ、こういうようなことから引つ掛けて参られるのであります。三十一号の問題も、これも組合の会合とか、或いは交渉による業務妨害に引つ掛けて参る。三十二号、これは社長の部屋に出入りをしようとしてもこれで以て禁止をしてしまう。三十三号、これに至りましたならば、全く組合のビラを貼る、いわゆる宣傳が完封されてしまう。三十四号は組合の闘爭に対しまして闘爭資金、カンパを街頭でやろうというような場合にやはりこれで引つ掛けられる。
 以上大体この三十四号の中に殆んど半分ぐらいが、いわゆる解釈の仕方によりまして、こういうような、今私が申したようなことが行われるのでありまして、先程島田博士や植松先生がおつしやつておりました通り、取締る者のその時その時の感情で一方的にやられる危險性が今日程多く行われておるときがないのでありまして、かかる見地から労働組合の運動というものは全く手も足も出ない。いわゆる組合側は労働者法の改惡は絶対反対を叫んで來ておりますが、この軽犯罪法というようなもので、側面から手も足も出ないように封じ込んで來てしまう。かかる見解から、飽くまでもこの法案の撤回されることを要求をいたすのでありますが、若しどうしてもこれが撤回ができないものでありますならば、第四條に衆議院で附加されましたような生温いものでなく、飽くまでもこの軽犯罪法は労働運動、農民運動、その他の民主的大衆運動に関してはこれを適用しないということをはつきりと謳つて頂きたい。第二番には同様に当局に対して民主的運動に対する教育を徹底さして貰いたい。これを申上げまして私公述を終りたいと思います。
#8
○委員長(伊藤修君) 次に團藤重光君。
#9
○公述人(團藤重光君) 短い時間でありますから、極く簡單に私の意見を申上げたいと思います。先ず全体として見まして、從來警察犯処罰令でありますとか、或いは違警罪即決例でありますとかいうふうな、違警罪或いは警察犯という名前で從來呼ばれておりましたものを、今度の法案は軽犯罪という名前で呼ぶことになつた。これは根本的にいいまして、やはり一つの思想的な進歩と申しますか、從來の警察國家的な考え方に対して、より法治國家的な考えにまで進んで來ておる。殊にその裏付けをなすものとしまして、從來は警察署長の権限で以て即決処分で以てやることができた。これを今度はすべて裁判所でやるということになりました。こういう点で根本的に從來の考え方よりは遥かに進んだものになつた。又形式から申しましても、從來命令でやつておりましたものを今度は法律で規定する。これらの点で從來のものよりは進んで來たということは確かに言えると思います。
 併し飜つて考えて見ますならば、現在は、先程島田博士もちよつと申されましたように、犯罪が非常に激増いたしております。試みにその数字を極く簡單に申上げて見ますというと、丁度日華事変の始まる前の五年間を標準としまして、その何倍ぐらいになつておるかということを大体見ますと、最近の昭和二十一年三月から二十二年二月、最近と申しますが、大分古くなりますが、少くも去年あたりまでの一年間の数を申して見ますと、大体刑法犯全体で一倍半足らず、正確に申しますならば指数が一三五・四ということになつております。併しその中でもう少し罪名別に見ますと、窃盗が指数が三六二・五、四倍半足らず、強盗は五三七・四、五倍半に近い数になつております。これは第一審有罪人員として出て來た数であります。これだけを見ましても非常に激増を示しております。特に現在では警察官、檢察官の手が足らない時期でありますから、そういう時期に、果してこういう軽微な事件までこれを犯罪として取上げる必要があるかどうか。こういう点が根本的な大きな問題であろうと思います。
 そこでこの法案に規定されておりますものについて多少細かく見ますと、大きく分けて二通りの犯罪が規定されておるように思います。一つはいわば刑法犯を予防する、或いは刑法犯がなかなか捕まらないから、一つの推定的な規定を設けて、これを押えて行こうという種類の規定でありまして、例えば、第一号、第二号、第三号、第四号或いは第十七号、第二十九号といつたふうなものが大体これに当たると思います。これは先程申し上げましたように、刑法犯が非常に殖えておるので、それを押える上からいつて、実際上は或いは必要か知れませんが、併しこれも理論から申しますならば、まだ本当に実書が生じていないものを予防的に押えようというのでありますから、相当議論の余地があろうと思います。
 いい換えますならば、警察の面から申しますならば、今までと警察の観念が変つて來て、從來は行政警察が主でありましたのを、今度は司法警察を主にすることになつた、その建前にいわば反する、事の行われた後でこれを押えるのは止むを得ないとして、事が行われない前にこれを押えようとする、そういう弊害が出て來る、これは実質的に見て警察國家的な色採がやや出て來るのじやないかという感じかあるように思います。更にこれにやや似たものといたしまして、これも植松檢事がちよつと申されましたように、乞食のようなものは、これは大体から申しまして精神薄弱者であるとか或いは精神病質者でありますとかいつたふうな者が多いのでありまして、又経済的にもいわゆるルンペンでありまして、こういう者を刑罰で以て押えようというのが、もともと行き方としてはおかしいのじやないか。子供なんかに乞食をやらせることは、子供のためによくありませんから、これは兒童福祉法でしつかり押えてあります。こういうものはこういうやり方でいいのじやないか。又第四号の浮浪者なんかにしましても、これはむしろ厚生省の方が主管をしてやるベきことで、これを刑罰として押えることはややおかしいじやないかというように考えます。これが第一番目のいわば予防的の方面の規定でありますが、それ以外に大体軽微な犯罪という形に規定されております。併しこの点につきましては、先程高木さんも詳細に亘つてお話がありましたように、労働運動を彈圧するという虞れが相当にあると思います。一々については先程詳しく申されましたから、ここに繰返しませんが、そういう虞れは相当にあると思います。
 併しこれ又飜つて考えて見ますと、同樣の虞れは、何もこの軽犯罪法だけではないのでありまして、從來から申しましても、刑法の中にもそういつた規定が沢山あります。例えば業務妨害罪、これは一番よく使われる規定であります。又首になつた者がその工場に入つて來るというようなことで住居侵入罪或いはそれを取締に行つた警察官に対して何かをしたというので公務執行妨害罪、或いは会社の幹部に対して名誉毀損的なことを言つたというので名誉毀損罪というようなものがあります。又刑法以外にいたしましても、例えば面会を強請するというふうなことがありますというと、暴力行爲等処罰法によつて処罰があります。從つてこれらはすべて問題が共通なのでありまして、その意味でも何もこの軽犯罪法だけの問題ではないと思います。根本的には、先程これも高木さんが御指摘になりましたように、労働組合法の第一條の第二項に「刑法第三十五條ノ規定ハ労働組合ノ團体交渉其ノ他ノ行爲ニシテ前項ニ掲グル目的ヲ達成スル爲爲シタル正当ナルモノニ付適用アルモノトス」、言い換えれば、そういうものについては或いは違法性がない、從つてこれを処罰しないという建前になつておるのであります。從來は、先程も申しましたように、警察犯処罰令というものを警察署長の権限として即決しておりましたので、非常に大きな弊害があつたのでありまして、今後はこれは簡易裁判所へ持つて行くわけでありますからして、從來のような極端な弊害は恐らく出て來ないのではないか。簡易裁判の上訴に対しては上告審が許されます。上告審は高等裁判所でありますが、更に違憲問題になれば最高裁判まで行けるわけでありまして、特に憲法第二十五條の例の團結権の規定の解釈としてこれを最高裁判所に持ち出せば、これは最高裁判所まで行けるのでありまして、從つてそういう問題は最後ま最高裁判所の保障もあると思います。併しここもそう簡單には行かないのでありまして、労働組合法の第一條第二項で違法性がないというのは、これに正当なものに限つてということになつておりまして、而も「正当ナ」ということはこれは飽くまでも具体的に考えられなければならないのであつて、而もその判断が若し誤れば、これは非常に大きな彈圧になる虞れも出て來る。大体の「正当」という概念の適用の仕方としましては、ややもすれば既成事実上の維持というところに重点が置かれる嫌いが、そういう傾向があるのでありまして、その点に根本の問題があろうと思います。
 併しこの点は、又もう一つ飜つて考えて見ますと、裁判官に対しては最高裁判官には國民審査の法があります。これは極めて弱いものでありますが……更に最高裁判官に対しては彈効の訴追ができるわけでありまして、そういう方面で以て、いわば裁判官全体に対して國民的なコントロールを加えて行くということが相当に可能になつて來るのではないか。併しこれも相当にまだ迂遠な話でありまして、或いはまだこれは机上論かも知れませんが、そういう種類の事件については労働委員会の意見を聞く。裁判官が裁判をするということについて、裁判所の意向を決めるについて、深切ではないかとも考えております。そういう種類の考え方としまして、この衆議院の方で加わつた第四條というものは相当に意味のあるものだと思います。
 で、ここで高木さんの先刻おつしやつたことにも私非常に賛成の点があるのでありますが、同時に又この軽犯罪法というのが実際上は捜査に濫用される虞れも全然なくはない。併し從來は警察犯処罰令で非常にそれがあつたのでありまして、そういう意味で捜査の目的に使つてもならないというこれを言う意味で、ややこれを廣く規定する必要があるのではないか。併し勿論その点を明確にして置かなければ、本來の目的を逸脱して他の目的のためにこれを濫用することがあつてはならないというのがは漠然とし過ぎるというのであれば、今の労働組合の非常な彈圧と或いは捜査のために濫用するということを抑えるような形に規定するのも、これも私としてはいいことだろうと思います。先程申しましたのは裁判所に行つた場合でありまして、実際の場合はむしろ現行犯の場合であろうと思います。實際の場合は、裁判所に行けば、裁判官がこれを濫用するということはまさか考えられないのでありまして、先程のような場合は恐らく杞憂だろうと思うのでありまして、それよりも問題なのは、現行犯として押えられやしないか。拘引で四十八時間、檢事訊問で二十四時間、合せて七十二時間というものが押えられることになる。これは労働運動にとつて相当大きなことであろうと思います。勿論現行犯の規定を適用いたしますのは、軽い罪についてで、他の拘留、科料に当る罪については、住居氏名が不明であるとか、或いは逃亡の虞れがあるという場合だけに適用があるので、それ以外には現行犯とすることはできないのでありますが、併しこれがどういう形で括られないとも限らない。この点は相当に問題があろうと思います。勿論一方では刑事訴訟法の問題であり、又一方では午後御審議になりますところの、人身保護法の問題だろうと思います。
 併し私はもつと根本的に、こういう問題は運用に当る警察官の労働運動に対する理解と申しますか、そういうところにやはり問題があるのだろうと思うのでありまして、これは現在では労働組合法の第四條でありまして、警察官は労働組合を結成し、或いはこれに加入することができない。或いは労働関係調整法の第三十八條によりまして、労働爭議は行うことができないということになつておりますが、こういうところに問題の根本があると思います。警察官が爭議をやつては、これは國家の秩序が保てませんから、これは止むを得ませんとして、労働組合の結成とか加入ということは、根本的に考えていいのではないかと思います。そういう意味で警察官のそういう……先程の高木さんの言葉を借りれば、民主的な教育ということも決してこれは百年河清を待つものではない。実際上可能のものではないかと考えております。
 更に直接の問題といたしましては、丁度現在ありますような司法警察職務規範或いはこれを根本的な形で法律にする。或いは更に職権法と申しますか、そういうものに労働運動の彈圧に使つてはいけないというような規定を注意的に入れるということも一つの案だろうかと思います。で、要するにそういう労働運動の彈圧に用いられる虞れが非常にあり、又一方では非常な犯罪が激増しておる際であつて、こういう軽微な事件まで手を伸ばす必要がないという点からいたしまして、私としてはこの軽犯罪法に対しては、可なり消極的な氣持を持つております。
 併しもう一つここで考えたいと思いますのは、地方自治法の改正第十四條の規定でありまして、これは地方團体の條例によつて二年以下の懲役、十万円以下の罰金、或いは拘留、科料といつたようなものを附けることができることになつており、いわばいわゆる白地法規と申しますか、いわゆる空白法規、内容を空にして一般的に委任する包括的委任の規定があるわけでありまして、若しこの軽犯罪法をここで規定して置かなければ、結局各地方團体で條例で以てこれと同じようなものを作る虞れがあるのではないか。そうしますと、これは私としては地方議会に不信任の意を表するわけでありませんが、併し一体どんなものができるか、相当心配するのでありまして、それよりもむしろ軽犯罪法という、いわばスタンダードになるところの法律を作つて置けば、これを國会で御審議を頂きまして、愼重な形で作り上げて行く。そうすれば又地方議会でいろいろのものができるといたしましても、これと重複することはできないわけでありまして、又重複しない分でも大体これが標準になるわけであります。そういう意味でやはりここで軽犯罪法案というものを、できればやはり成立させて、併しその内容については、やはり十分愼重なる御檢討を頂く。これが私は全体の行き方として、やはり一番いい行き方ではないかと思います。
 甚だ纏りませんでした。簡單でございますが……。
#10
○委員長(伊藤修君) 平野義太郎君
#11
○公述人(平野義太郎君) この法律は先程からお話の出ております通り、市民の近隣の毎日の日常生活それ自身がぶつかつておりますラジオとか、人の声が大きいとか、行列とか、從つて道徳、道義、市民社会の自然的な秩序と直接に関係をいたしますから、而もこれを法律で科料及び拘留で以て罰して行くというようなことになる取締法規でありますから、余程愼重にこれを扱いませんと、権力によつて濫用される虞れが多分にあると存じます。從つて運用と立法とは、二つ離しては考えられないということは、仮りに簡易裁判所に不服の申立てができ、且つそれから上訴ができるにいたしましても、実は現行犯として二十四時間の二倍と、尚もう一遍の二十四時間との三日間、現行犯として取押えられるという、こういう意味においては、やはり決してそれによつて法治國主義が弁護されるべきものではない。かように思います。
 それで第一に、現在の十二万五千人のあの警察官の質と量を考えてみて、これで果してこのような軽犯罪を十分に取押えて行くことができるかどうか、重大な問題は、帝銀事件のような凶悪なる、先程のお話にもありましたような、重大なる犯罪が増加しておるときに、その重大犯罪を捕えることが、現在の秩序を維持する上において重要なのであつて、若し現在の質と量との警察力を以てしてこの法律を適用いたしますならば、むしろ比較的容易に取押えられる軽犯罪の追及の方に警察力が却つて向うものであつて、重要な犯罪の方に却つて手が抜けて行くのではないか。從つて今日の重大な問題は、凶悪なる自然犯罪を取押えることであつて、軽犯罪を、民を網して行くような結果になることは、むしろ避けるべきではないか。若し法の威信を確保して行くということになりますと、結局現在の質と量との今の警察力を以てしては、到底この軽犯罪法を十分に洩れなく適用して行くことは凡そ不可能であるということは分るわけであります。これは経済上の現在の危機が、諸種の浮浪者なり乞食なりを作り出しておるのであつて、これを警察力を以て取締るということは、凡そ法律及び警察力というものの力を過信して、警察力を以てすれば國民道徳が維持できるという警察國家的な、警察政治的な、やはり観念に囚われて、余りにも法律、及び警察の力を過信していることになるのであつて、無論市民社会の近隣の日常の平和な安全ということは必要でありますが、これは警察の力を以てして、到底達成し得られることではなく、却つてその力によりますと、古い形の権力の濫用がしばしば行われるということを先ず第一に申上げたいと思います。
 次には、そのことによつて、現在不足しております質の惡い、重大犯罪の捜査について極めて科学的でない警察が現在ありますその下で、これが行われますと、先程も一言述べられた方がありました通り、不公平を生じます。闇の取締と同樣に、非常に道路警察として、取締の嚴重な所に行つたものはひどく取締り、それに反して緩やかな所では、却つて闇が見逃がされるということになりますと、その結果としては、極めて法の適用が画一性、法の最も重要であるべき画一性を妨げられて、却つて不公平なる適用を生じますと、そこに人民が法に対して極めて偏頗な考えを持つに至るであろうと思います。
 次には、特に労働運動についてでありますが、その前にやはり一番根本的な大きな問題は、英米法のジヤスティス・オブ・ピース、この観念と日本の治安という観念とが、社会の発達や從來の日本の警察機構からいいましても、全く違つておるにも拘わらず、英米法流のジヤスティス・オーブ・ピースという、市民社会の秩序を維持するあのデモクラティツクなコンスタブル、といいましても、決してロンドンの親切な交通巡査が人民と協力して秩序を作つておるというあのコンスタブル、これに対して日本法は、非常に威圧的に人民の生活に干渉して取締をして行くという観念で、我々はそういう環境を持つて來ていたのでありますから、英米法流のいわゆるジヤスティス・オブ・ピースという観念自体について、或いは理念というようなことについては、別に反対がないように見えていて、而もそれを日本に直訳的に入れ込みますと、むしろ権力的な行政機関、執行権が、そのジヤスティス・オブ・ピースを直接的には権力的に用いる。ここに英米と日本との從來の社会構成及びすべての経済構成が違つておるので、いきなり英米法流のジヤスティス・オブ・ピースというような観念を持つて参りますと、日本ではやはり権力の濫用に陷ることが多分に虞れられる。その点を労働運動に関係して來る前に一言申上げたわけであります。
 労働組合運動及び農民運動、民主的な運動に関連をいたします点について、特に私は関心を持たざるを得ないのであります。それは外ならん自分自身が前の警察犯処罰令では苦い経驗を持つておりますから、これをその前に申上げた方がよいと思うのであります。この第一條の第四号に、先程も挙げられましたが、住所不定、及びいわゆる現行犯としては住所定まらざる者というのがありまして、前の警察犯処罰令がそうなのであります。私自身が昭和十一年の六月に、これは日本の経済を研究しておるということの廉を以て、警察署に拘留されたのでありますが、その場合の名目は、やはり現行犯であります。而も住所不定なのであります。私は高輪署の管内の芝白金三光町に長年住まつておりまして、住所は明確に持つておるのでありますが、そのときの警察犯処罰令では、住所不定として、而も毎日々々現行犯として檢束をして、翌日又新らしく住所不定であるという名目で檢束をして行くということが、八ケ月も続いておるのであります。これらは、法文の上にどう書いてありましても、実際に警察の本質が今日変つておらない場合に、かくのごとき濫用が起り得ないとは、決して保証はできない。
 もう一つ高輪管内で私自身が見聞したことは、一番犯罪檢挙の容易な方へ警察官は向いて行くという事実であります。重罪犯人を捕えることはむずかしいので、そこへ向うよりも、やさしい方を余計捕まえて行くということが、警察官の一般の傾向であります。例えば、高輪署の極く近くに、芝浦の自動車の運轉場がありまして、運轉手の者が自動車の運轉を練習に來るのでありますが、その自動車の運轉手が運轉を練習して、やがて、ちよつと外へ出て練習して行くことになるので、そこでスピードの当時一時間二十五マイル以上の違反をやるのであります。住來の交通頻繁なる所のスピード違反こそ、警察官はこれを取押えるべきであるにも拘わらず、そういう所へ行かないで、練習場の極く側に行つて、みんながついスピードを出し過ぎて行くであろうような所へ行つて、毎日捕まえて、一日三四件というふうに捕えますと、そこで御褒美が出るものでありますから、どうしても易しきにつくということが、私自身の経驗に徴しましても、日本の從來の警官は、英米法流のコンスタブルではなく、やはりこの点では、余程軽犯につきましては、道義、道徳、社会秩序の一條の見方、解釈の仕方である。余程、これは違つて來るのでありますから、愼重を要すべきことがあることを述べたいと思います。そこで、先程、高木さんが述べられましたものの外に、私が氣付いて、この軽犯罪法が若し制定されました場合においては、労働組合運動、團体交渉或いは、農民運動というものに、直接見方解釈の仕方如何では、且つ又それを最も現実的に虞れられるのでありますが、規定といたしましては、今申しました一條の四号、これが労働組合運動、社会運動の指導者、先程私が、別に組合運動の指導者でも何でもなかつたものですが、やはり、住所不定として八ケ月間も毎日檢束に遭つたわけであります。四号が社会運動或いは労働組合運動、農民運動の職業的な指導者、これが四号に恐らく掛けられる虞れが多分にあると思います。
 第五号も「粗野又は乱暴な言動で迷惑をかけた者」、これが宣傳に引つ掛けられて來るであろうと思います。
 それから特に私が重要だと思いますのは、第十四号でありますが、「公務員の制止をきかずに、人声、樂器、ラジオなどの音を異常に大きく出して靜穩を害し近隣に迷惑をかけた者」、これは普通の市民的な社会的な秩序からいえば、多少過ぎたものは、英語でいうイェル・パースン的な制限をされるべきでありますが、それがやはり今の組合運動の現実に、直接に取締規定が、声を大きく出したということに掛けられて來るであろうと思います。
 更に最も重要なのは、二十八号の「不安若しくは迷惑を覚えさせるような仕方で他人につきまとつた者」は、團体交渉の場合に、大体これは利害の相対立した二つの階級双方が、利益を主張するところに團体交渉があり、又爭議も必然止むを得ない場合に、これが不安を起さすとか、迷惑を掛けるような仕方で附纏うということはあり得るので、無論爭議自体も一つのロウ・エンド・オーダの下に進められるにしても、團体交渉自体がロウ・エンド・オーダーの進捗のためにやられるのでありますが、先日の岩手縣の教員組合の人たちと知事さんとのあの交渉事件の場合でも、やはり、この不安若しくは迷惑を掛けさせる仕方で附纏つたというふうになりますと、これが現行犯で、直きに團体交渉自体をなくするということになつて來る。三十二号の、「入ることを禁じた場所又は他人の田畑に正当な理由がなくて入つた者」、これがやはり爭議の場合に、先程は社長の部屋に團体交渉に行くという場合が例に上りましたが、のみならず工場自体についても、若し、ロツク・アウトが行われるような場合に、入ることを禁じた場所に入るということ、或いは又土地の取上げが常に沢山ありますが、その場合に、よく農民の團体として、田圃に今これからの時期では植付けをいたします。そのとき爭議が持ち上るのでありますが、その場合でも、仮りに仮処分の申上がなくても、入ることを禁じた所有権に基いて、從來の小作人が入ることを禁じた場所に入つた場所には、やはり、この三十二号の適用が生ずるということになります。第三十三号の、「みだりに他人の家屋その他の工作物にはり札をし、若しくは他人の看板、禁札その他の標示物を取り除き、又はこれらの工作物若しくは標示物を汚した者」というような場合に、この法律の適用がありますといたしますと、現在でも各工場では、そのビラを貼る所は大体一定の場所になつておるのでありますが、若しそれを目に付かないような所に置いて行くことにしておきますと、結局或る組合の運動について、組合のことに関して、人々に知らせたいと思うが、そのビラを貼る所がなければ、やはり目に付くような所、正門の側等にビラを貼つたとしたならば、やはりこの三十三号が適用されるということになるわけであります。
 要するに、ここでは、こうこれ以上は、この点については述べませんけれども、ここで私共は、一昨年の十二月十五日に、極東委員会が日本の労働組合運動に対して、十六條の原則を出した、これが最高の指令になつております。そこの第十三條に、警察にせよ、その他の政府機関にせよ、労働者を監視したり、ストライキを破つたり、又は合法的な組合運動を彈圧したりするように、今の警察及び政府機関を使用してはならないと、極東委員会の最高原則十六ケ條の第十三條に明確にしておるから、決して警察機関が軽犯法の名において、これらの労働運動を取締るということはあつてはならないということを極東委員会が決めておる点を、この際にもう一遍振返つて行きたいと思います。
 要するに今の質と量における警察力で、この法律を制定いたしますと、比較的容易な軽法犯の方へ主力が向いて行つて、兇惡無比な帝銀事件の犯人を捕えるという方に向けるよりも、むしろ容易な軽犯法の方へ、不足している警察力が向うであろう、若しそうでなくて、これを遵奉せしめるために、警察力を必要とするならば、到底今日の日本の財政状態では、それだけ、法の威信を守らせるというだけ、警察力を維持するということは不可能であります。第二は、モーラル・ディユテイー、オーディナリーの、毎日日常の隣同士のこういう規定というものを國民の生活運動の標準にすることは結構でありますが、それを科料、拘留という刑罰を伴つた取締法規で以て、國民の生活運動を指導しようとすることは、警察政治的な、警察國家的な、旧來の警察犯処罰令と何ら変りないもので、この五月二日に、警察犯処罰令が廃止になる、その廃止を無意味ならしめるものであつて、基本的人権というものを基本にして考える。第三には、イギリスのジヤスティス・オブ・ピースというような、警察及び裁判官が、民主的に人民と協力して行くということ、行列を正したり、大きな声を出さないということは、警察と人民とが一緒になつてやるべきことで、初めてこうした道徳的な日常生活に関連のある軽微な犯罪は取締れるものでありまして、科料、拘留という刑罰を直接的に向わせて、國民道徳というものを教育するということは法律力、警察力を過信しておる。権力の濫用を伴うものである。
 要するに、特に衆議院で、第四條の追加をして、本來の目的を逸脱して、他の目的にこの法律を濫用してはならないと、衆議院が追加したことは、非常にこれは大事な点に感付いておりますけれども、極めて曖昧であつて、労働組合運動、農民運動及び民衆的な運動自体にこれが濫用せらるべからざるものであつて、若し濫用すれば、職権濫用であるということを明確に規定を設ける必要があると思います。根本的には勿論それがなければこの法律が多分に民主主義的な運動に直接適用を受けて來るものである。殊に地方自治法のような法律で、先程團藤教授の言われたようなふうに條例を以て行われるに至りますならば、この法律において明確に労働組合、農民運動には適用せられざるものであるということの基準を示すことが最も必要であると考えます。
#12
○委員長(伊藤修君) 公述人に対する質疑がありましたら、この際質疑を許します。
#13
○小川友三君 只今の公述人の方には一括して簡單にお伺い申上げます。高木さんのお説では、この條項の中、速記録にありますが、第一條の一、三、四、五、八、十四、一六、二十八等に対しまして農民組合或いは労働團体を彈圧するのを中心に作つておるような解釈でお説がありましたが、これはそうではないと思いますが、これに触れればそうなるが、これに触れない範囲内において労働運動を続けて行くということは許されておると思いますので、確かに社長室に行つて相当の数の者が強談をするといえば正しい点が容れられないで、不当な意見が用いられるというようなことになりますので、正式に交渉をさせる機会を法律で作つておきましたならば、そういうことをやらなくても通るという解釈を私は持つておるのであります。一國において法律がなくても治まるようになれば理想でありまするが、現在の状態におきましては特にこの程度の法律があつて、そうして裁判所で公平にこれを取扱いまして、そうして労働組合、農民組合の意見を正しい面において取上げて行く、そうして國の平和を確立して行き、文化國家を建設するという工合に、勿論これは政府当局はやられる筈でありまして、この点をあなたが申された通り労働組合を何でも彈圧するというような解釈でありますが、我々國会議員が選挙に立候補するに当りましても、特に三十三條は労働組合だけがポスターを貼るんじやありません。我我國会議員に立候補する者もポスターを貼ります。外にも勿論ポスターを貼る者は沢山ありますが、濫りに三十三号でやるということは労働組合を彈圧すためにやるんだというような御解釈でありましたが、これは当つておる点もありますが、労働組合彈圧のためにこうしたものを作るのではありませんでして、口頭でも承諾を得ればやれるのでありまして、或いは会社の正門のところに貼るにしても、係の支配人なりに断つて貼るということになれば別に法に触れるわけではありませんので、そういう工合に解釈することが正しいと思つております。一々例を申されましたのでありますが、簡單に速記録を中心といるあなたの御意見が、政府が労働組合を彈圧するためにこうした法律を作るのでなく、治安を確立するために、道徳を向上させるために、これが我々議員も参加して立法中でありますが、誤解のないように御了承をお願いしたいのであります。
#14
○委員長(伊藤修君) 小川君にちよつと御注意申上げますが、御意見でなくして質疑の要点をお願いしたいのであります。
#15
○小川友三君 質疑の要点は第三十三号の解釈、それから今の平野先生にお伺いいたしますが、本法は重大犯人を檢挙しないで、これはこういうものを作れば軽犯罪のみを挙げる、現在の警察官は十二万五千人おるが、質も量も非常に悪いように仰せられましたが、悪い者も多少おるでしようが、いい者もおるのでありまして、この点につきまして御意見が全部悪いような解釈でありましたが、拜聽いたしたいと思います。
 それから團藤先生は労働組合の不当な彈圧にこれは使用されるというような意味のお話がありましたが、そんなことは絶対にないと思いますが、それについて伺いたいと思います。
#16
○公述人(高木巖君) お答えをいたします。その前に、只今の御質問はどなたでございましたでしようか。
#17
○委員長(伊藤修君) 小川友三君です。
#18
○公述人(高木巖君) 先ず團体交渉であります。これも確かに先方が正しく出て参りました場合にこういうような問題は起らないのでありますが、えてして労働組合の運動に対しましては、成るべくこれを拒否するという態度に出て來るのであります。実は私昨年の十一月一日に中央郵便局で御承知の不法檢束を受けました。このときの團体交渉は、実はあのときサボタージユの認定をいたしました四五名の責任者が中央郵便局を來ておつたのであります。そうしてどういう認定の下に三日乃至四日をサボタージユと認定して給料の不拂いをしたのか、そういう経過の一應組合員の前で説明をして貰いたいという要求をいたしました。みんなの前で説明をすることを嫌いまして、どうしても團体交渉に應じない。これでは組合員が納得が行きませんので、どうしても納得の行くようにして貰いたい。而もあなた方がその当の責任者なんだから、あなた方から伺つて、確かにその通りであるということが分つたならば、別にこれは固執するものではない、承服しましよう、こう言つて何回となくお願いをするのでありますが、その團体交渉を拒否した。これが当時五時間乃至六時間に亘りまして、たつたこれだけの問題で押問答した挙句、いわゆる退路を遮断したという名目で丸の内署に檢束をされたのであります。あなたが誤解になつております通り、素直に團体交渉というものに應じられるのであつたならば、こういうことはないのでありますが、その当事者の考え次第では、我々の正しい意見が、これが彈圧のきつかけになるのであるということを私は実例を以て御説明をいたしたいと思います。
 それからポスターを貼る場合でありますが、これは勿論議員の皆樣方が選挙の際にポスターをお貼りになります。労働組合運動のポスターが貼られないのであつたならば、我々もポスターが貼られないじやないかというような御質問につきまして、私は非常に疑議を感ずる者であります。そこにいわゆる取締る者の一方的な見解というものが含まれておるのでありまして、立候補されました人たちのポスターを貼ることについては何ら文句を言う者はない筈であります。ところが一方組合運動になりますと、これがいわゆる一方的の解釈によつて彈圧をされておるというのが現状であります。どうかこの軽犯法というものが設けられまして、これを取締るに当りまして、至誠神のような氣持で行われるのであつたならば、我々労働組合の者は別に左程神経質にならないのであります。取締る者の一方的の解釈によつてそれが或る者には許される、或る者は縛られる、ここを指して申すのであります。この実例はただにポスターばかりではございません。今日のいわゆる飲食店の問題にいたしましても、周囲を見渡しましたときに、この実例は枚挙に遑がない筈でございます。この一方的の見解、ここに重点を置いて申しておるのであります。どうぞこの点御了解をお願いしたいと思うのであります。
#19
○小川友三君 労働問題、つまり爭議を交渉するのに、多人数がどおつと押掛けて行つて交渉することは却つて成功しないと思う。東武鉄道の爭議に小川友三が入り、労働委員長の田宮君と交渉して、その手を打てということで東武の爭議を解決したのであります。爭議は多人数が行つて恐怖の観念を持たして交渉することは却つて纏らない。五合の虫にも三分の魂ありで、社長なども臍を曲げるという例が沢山あるのではないかと思います。労働組合には労働委員長がおりますから、委員長対社長で交渉する。向うが重役五人ならこちらも執行委員五人、同じ数で交渉すればスムースに纏まると信じて、労働爭議に飛び込んで纏めております。そういう観念から多数を頼んで行くという方法を取らないで、重役と委員長さん、幹部が行けば向うでも必ず面会すると信じて申上げたのでございます。
 それから今のポスターの例ですが、私は自由党でも、社会党でも、共産党でもありません。一人一党でありますが。何だ、小川友三のポスターか、剥してしまえということで、剥されております。何だ、こんなポスターということで剥されておる非常に苦い経驗を選挙中も持つておるのでありまして、いわゆる被害者のような同じ氣持でお伺いしておりまして、この立法も警察官がやるのでなく、裁判所がやるということからして、運用さえよければ非常にいいと、かように思いまして実はお伺いしたのであります。
#20
○委員長(伊藤修君) 他の小川君の二点の御質疑は大体公述人の供述において御趣旨は判明しておることと存じますので、これに対する御答弁は省略して頂きます。実は本日総同盟より代表者大門義雄君が出るはずでございましたが、未だ御出席ありません。これは棄権せられたものともなして、これを以て軽犯罪法に対する公聽会を終結いたしたいと思います。御多忙中非常に貴重なる御意見を拜聽いたしまして、國会といたしまして感謝に堪えない次第であります。十分法案愼議の上にこれを反映いたしまして、愼重審議いたしたいと思います。本日は誠に有難うございました。午後は一時半より人身保護法について公聽会を継続いたします。これを以て午前は休憩いたします。
   午後零時三十三分休憩
   ―――――・―――――
   午後二時十六分開会
#21
○委員長(伊藤修君) 大変お待たせいたしました。午前に引続きまして司法委員会の公聽会を開きます。問題は人身保護法について各界の学術経驗者の御意見をお伺いすることにいたします。先ず小林一郎君の御意見をお伺いいたします。尚公述時間は二十分を標準にしてお願いいたしたいと存じます。
#22
○公述人(小林一郎君) 憲法は基本的人権といたしまして國民の自由を保障とております。この國民の自由に身体の自由が包含されていることは当然であります。この保障を実現するがために、憲法は二つの光則を規定とております。その一つには法律の定むる手続によらないで自由を奪われない、憲法三十一條のこの原則であります。他の一つは令状によらなければ逮捕されない、これは憲法三十三條です。この二つの原則を憲法は規定しておりまするが、この原則は適当なる手段を以て維持されなくてはならん、如何なる手段があるかと申しますれば、第一は刑事、民事の救済を與える。この原則違反に足して刑事上、民事上の救済を與える、これが一つであります。他の一つはこの原則に違反して國民の自由を奪つた場合に、この自由を速かに回復する。これが第二の方法であります。不法に逮捕監禁いたしますれば、これは刑法上犯罪を構成する、逮捕監禁の罰であります。檢察又は警察の職に在る者が職権を濫用して逮捕監禁すればこれは涜職罪を構成する。これらの場合に刑事上訴追をなし得ることは当然であります。併し我が國におきましては公訴は檢事これを行う。この結果、役人のこれらの不法なる行爲に対しては救済は満足の状態ではない、こういうことが從來言われております。又この刑事上の救済を求める、これは自分が拘束をされておるこの間はできません。將來自分が解放された場合、この場合には相手を訴えて、これに刑事上の刑罰を科する、これだけの期待が持てるだけであります。又仮に相手を刑事訴追いたしましてその結果を得ても、これは自己の感情を満足させ、精神上の慰安を得るだけのことであります。でありますから、この自由の侵害に対して刑事上の救済を求める、こういうことはこれは非常に不完全なる救済方法だと言わなくてはなりません。又不法に人の自由を拘束いたしますれば、これは民事上不法行爲を構成する、損害賠償ができます。又憲法は拘禁の後無罪の裁判を受けた者は、國家に対して補償を求めることができるということが規定してあります。又從來とも刑事補償法があることは各位御承知の通りであります。又刑事訴追と同樣に、我が國におきましては、役人に対して民事上訴追をする、これも甚だ不完全な状態にあつたのであります。その結果でありましよう、憲法十七條は、公務員の不法行爲に対して國又は公共團体は損害賠償の責に任じなくてはならんということを規定しておるのであります。この規定に基いて、國会において國家賠償法が制定されたことは又各位御承知の通りであります。
 かくのごとく金銭の支拂いによつて自由の侵害に対して救済を求めることができる。併しながら自由は幾何の金銭を以てもこれを償い得ない。自由の侵害、これは対する救済としては、これ亦非常に不完全なものであります。でありますから、自由の侵害に対しては、速かにその自由を回復する、この方法を講じない限りは、自由の保護というものは決して満足な状態にはないのであります。これに鑑みまして憲法三十四條後段は、何人も正当の理由なくして拘禁されず、要求があれば直ちにその理由は本人の出席する公開の法廷で示されなくてはならない、こういう規定を設けたのであります。これは即ち自由の侵害から直ちに自由を回復させる、これを目的として憲法が保障する自由、これは法律の定むる手続によらなければ侵害されない、この原則があります。この原則に從つておるかどうか、これは直ちに調査する、而して調査の結果、法規の違反する場合には直ぐその自由を回復する、これが目的なのであります。この憲法第三十四條後段の規定に從いまして、何人が如何にして調査を要求するか、如何にして公開の法廷に本人を出席させるか。如何にして拘禁の理由を拘禁者に示させるか。その調査の結果、拘禁理由ある場合、理由なき場合、如何に本人を処置するか。これらの手続を内容としたのが人身保護法であります。でありますから、私はこの人身保護法制定の必要なること、この人身保護法がなければ、折角の憲法第三十四條後段の規定は、これは動きません。活動に入りません。でありますから、この人身保護法制定の必要あることは、これは多く言うを要しないだろうと私は考えております。
 これは人身保護法立法の理由として私が考えておるところでありますが、この自由の保障、これは新憲法に何も新らしいことではない。明治憲法は明文を以て臣民の自由を保障しております。これは明治憲法第二十三條に、法律によらずして何人も逮捕監禁せられない、逮捕監禁せらるることなし、こう明瞭に書いてあります。ところが、各位御承知の通り、この憲法下において人権蹂躙の声をしばしば聞いたのであります。或いは令状なくして拘禁され、或いは同行といい、或いは任意出頭といい、警察に連れて行かれて、そうして犯罪捜査の時間を作つておる。こういうふうに人権蹂躙の声が絶たなかつたのであります。これは何故でありましようか。つまり憲法が臣民の自由を保障して置きながら、これを実行に移す。この保障を実現する、この方法を欠いていたがためであります。つまり憲法は法律によらずして逮捕監禁せらるることなしと規定して置きながら、例えば捜査の段階において果してそれが法律によつておるかどうか、これを調査する方法がなかつたのであります。でありますから、或いは行政執行法を濫用し、或いは警察犯処罰令、これを悪用いたしまして拘留処分し、或いは保護を名として檢束する。刑事事件についと申しますれば、この事件について公正な裁判をする、これが一年掛かるか二年掛かるか分らない。その間その不法な拘禁の状態が継続せられる、こういう状態にあつたのであります。新憲法は三十四條後段の規定によりまして、果してその自由の拘束が法律に從つておるかどうか、これを直ちに調査する、調査を要求する、この途を開いたのであります。でありますから、今日拘禁される、今日警察へ連れて行かれる、その次の瞬間に如何なる位律の規定によつておるか、これが調査を求むることができるのであります。でありますから、人身保護法が制定されました暁におきましては、憲法三十四條後段の規定とこの人身保護法、これと相俟つて國民の自由の保護は我々の首肯し得る範囲において完全の域に達したと言い得るのであります。如何にこの人身保護法制定の必要あるかこれで明らかだろうと思うのであります。
 これは憲法三十四條後段の規定、英國の人身保護律、リット・オブ・ヘビアス・コーパスですが、この人身保護律と人身保護法、これを模範としたことは、その字句を比較いたしまして極めて明瞭であります。イギリスにおきましては、この人身保護令状、これと人身保護法律、これは一六七九年と一八一六年、この二つの法律がありますがこれによつて國民の自由は完全に保護されると言われておるのであります。一六七九年の法律は、これは刑事事件又は刑事被疑事件、これによつて自由が奪われた、自由が拘束された、この場合の救済規定であります。一八一六年の法律、これは刑事事件以外で國民の自由が奪われたる場合、この場合についての救済方法を規定したのが一八一六年の法律であります。この人身保護律、これは國民の記憶にない時代、我が國の神代から、國民が持つている権利なりと言われております。イギリスにおいては……。ところがその権利を国民が持つている、その令状を出させる権利を國民は持つている。ところが出さなくてはならない裁判官が義務に違背してこれを出さない。命令が出ても、実際拘束している監獄官吏、そういう者が命令に應じない。それで國民が非常に困るからこの法律を作つたのだと言つております。一六七九年の法律に……。その人身保護令状というのは裁判所が拘束者に命令をいたしまして、その本人を裁判所に出頭させ、連れて來させ、而して何故に拘禁したかその理由について答弁をさせる。この二つを含んでおります。これを憲法三十四條後段の規定に当嵌めますと、「要求があれば、直ちに」と書いてあります。その次にこの人身保護令状、つまり拘禁者に対して命令をして本人を連れて來させる、公開の法廷に本人を出席させる。併しながらその拘禁の理由について理由を示させる。これは憲法にあります。でありますから、その間にこのイギリスの人身保護令状、これを加えるとイギリスの手続とそつくり同じになるのであります。でありますからそういう点から考えてもこの憲法三十四條後段の規定というのがイギリスの、これはアメリカにも受継がれておりますが、イギリスの人身保護令状と人身保護法、これを、そつくり写したものである、こういうことを極めて明瞭であります。甚だ簡單でありますが、これが私はこの人身保護法制定、これを必要とする、これは問題の余地がない、こういう考えでおる理由であります。
 尚この機会に一言申上げて置きたい。これは人身保護法案第三條を拜見いたしますると、この憲法第三十四條後段の規定の救済、これを地方裁判所と高等裁判所の管轄に属せしめてあるのであります。憲法第九十九條は天皇、攝政、國務大臣、國会議員、裁判官その他公務員これらすべてが憲法か尊重し、これを擁護しなくてはならない、こういう規定があります。でありますから何人といえども、憲法の原則に違反することはできない。何人といえども法律によらずして人に拘束を加えることができない、自由を奪うことはできません。政府といえどもこの原則には反することはできない。でありますから憲法第三十四條後段の規定による救済は政府を相手としてもこれを與えなくてはならないのであります。
 言葉を換えますと、裁判所は時に政府を監督する、政府が專横なことをするとこれを押える、政府に対して、時に公開の法廷にその本人を連れて來させて、何故に拘束しておるか、これを政府に対して、政府の役人に対して命令することがあるのであります。而してこれが最も主なる目的の一つだろうと思うのであります。つまり司法権を以て行政権を監督する、こういう重要なる作用を営むのであります。この人身保護法制定の暁には裁判所が。……又この憲法三十四條後段の救済は、我我が過去数年間の中に経驗したような、時の権勢の地位にある者、こういう者に対して命令を下さなくてはならないかも知れないのであります。これは下級裁判所の者には、時に手に負えないことがあるかも知れない。又この憲法三十四條後段人身保護法が與えるところの救済、これは國民の自由に関する最も貴重なる権利の一つである。國民の自由に関することが取扱いは迅速に又鄭重にしなくてはなりません。又この保護の請求は濫用を愼まなくてはならない。でありますからこの取扱いは非常で嚴格でなくてはなりません。これらのことを考えますと、これを下級裁判所の管轄に属せしめるということは、私は相当ではないと考えるのであります。現にイギリスにおきましては、この人身保護令状の管轄、これは非常に地位の高い裁判所の管轄にいたしております。これはもう小し具体的に申しますと、高等裁判所の中のキングス・ぺンデヴィシヨン、これでやるのでありますが、これはイギリスの裁判所の制度の上で非常に高い地位を占めております。この人身保護法を囲りまして二つの考えがあるように心得られます。それは、この救済は非常に手軽に與えなくてはならない。誰にでも直ぐ與えられる。交番にでも飛込めばよい、そういうような考えであります。この考えによりますと、これは最下級の裁判所に属させなくてはならない、こういう議論であります。もう一つは、これに反対しまして、それは事柄が重大である、鄭重に扱わなくてはならないのであるから最高裁判所の管轄に属させろという主張であります。その手軽な安直な誰にでも要求ができるものにしろという主張は、例えば九州とか、北海道、こういう所で拘禁される。それが一々東京まで來て最高裁判所の救済を求める、これでは時間の点からいつても、費用の点からいつても、労力の点からいつてもその煩に堪えない、こういう議論であります。併しながら如何に迅速に自由の救済を與えなくてはいかん、こういいましても、一日、二日を爭うものではありません。從來一年、二年自由が拘束されたものが半年で自由を回復するならば、昔に優つて、なきに優るであろうと思うのであります。でありますから、私はこれを非常に手軽なものにいたしますよりは、この人身保護法の手続に訴えれば、國民の自由は如何なる場合においても取はぐれがない、救済されないことがない、こういう仕組に私はして頂きたいのであります。この二つの考え方がありますから、この点につきましてこの法律制定について國会において深甚なる御考慮を拂つて頂きたいと私は考えるものであります。
 このくらいにいたしまして、私はこの法案が一日も速かに両院において可決されることを心から祈つておる次第であります。
#23
○委員長(伊藤修君) 公述人に対する質疑は後に一括してこれを許可することにいたします。次に中村宗雄君。
#24
○中村宗雄君 一昨年八月に臨時法制調査会、新憲法に即應すべき十六法案要綱を作つたのであります。その中の一つに人身保護法案要綱がございました。爾來二年を経過しております。その間只今お話にやりました小林氏なぞが非常に御努力になりまして漸次実を結びまして、いよいよ國会に上程せらるる機運になりましたことは誠に御同慶のことと存ずる次第であります。而してこの人身保護法案は、憲法は附属法規として、憲法の定めるところの原則をば実現する、欠くべからざる法律である。又これが英米法に特有なる制度でありまして、大陸法並びにその系統を引くところの日本法には從來ない制度であります。これは是非施行しなければならんという点につきましては只今小林氏が縷々お述べになりましたので、今更これに蛇足を加うる何ものもないと私は考えております。私といたしましてはこの法案に対する私の卑見の一端を申上げまするその前提といたしまして、なぜこの人身保護法案、つまりこの元でありまするヘビアス・コーパス・アクト、只今小林先生の仰せられた一六七九年及び一八一六年法定せられたこのヘビアス・コーパス・アクトが、なぜ英米においてこういう制度ができ上つたか。又なぜこれが大陸法にこういう制度が今までになかつたか。この点について結論だけを申上げてみたい。というのはこの二点を明らかにすることが日本においてこの制度を如何なる形態においてこれを日本に移し植えべきかという基本的な問題がここに潜んでおるからだというわけであります。
 英米法の沿革なぞをここで申上ぐべき筋合ではございませんが、ただ私は結論として申上げまするならば、まあこの制度は英法にその端を発しておりますが、英國においてなぜこういう制度ができたか。これは英國の……まあ英國でも同じでありますが、廣い意味の司法制度、裁判制度、これが二元的な構想を持つている。或いはコンモン・ローとエクイティー、或いは國会と國王と、いろいろな形がこれが法制史家、英米法学者によつて言われておりますが、これは何も裁判制度のみに限つたものではありませんが、只今裁判制度のみに問題を限定して考えた場合に、英米法の裁判制度は二元的な構想を持つておる。そこにおいて相互においてチェック・アンド・バランス、抑制と均衡の理論によつてこの制度が発達して行く。この流れに沿うてこの人身保護法ができ上つて來た。この点は議会の法令審査権、又は最高裁判所の規則制定権なぞも、これはいずれも英米法特有の制度でありますが、同じくこういうところに端を発すると思うのでありますが、この人身保護令状でありますとか、ヘビアス・コーパス・アクト、これは最初は國王裁判所が下級裁判所から被告人を喚び出だすところの制度としてできた。この制度が逆に人身保護のための制度としてこれが轉換した。本質的轉換を遂げた。これが経過をば英米法の法制史家はコンモン・ロー及びコンモン・ロー・コードの普通法及び普通法裁判の発達史として述べておりますが、この裁判制度の中に二元的な二つの要素が相対立して、均衡と抑制の関係を以て時代に即した司法制度ができ上つた。これがこの人身保護律を生んだ一つの理由であろうと思うのであります。
 と同時に、これは規則制定権及び法令審査権なりに妥当するのでありますが、もう一つの重大なる要素は、私は英米におけるところの司法権優越の制度であり、機構であろうと思うのであります。この規則制定権については後程簡單に触れさして頂きたいと思いますが、英國の裁判所は確かに法曹一元という制度を通じて、民衆をバツクとしておる。その民衆をバツクとしておるところにこの人身保護令状に強力なる力を與えた原因が潜むように思うのであります。これらは大問題でありまして、只今学者といたされましては、只今私の申上げたことについて御異論もあることと思いまするが、私はこの二つの要因が英米において人身保護律、最高裁判所の規則制定権……これは特にアメリカでありますが、それから法令審査権などというものを生んだ理由であろうと思つておりますが、さてこれが大陸に参りますと、この制度を生むべき要因が欠けておると思います。というのは、大陸においては、法治國家機構によつて、三権分立しておりますが、この三権が比喩的にいうならば、異つた段階において組上げられておりまして、そうしてその全部を束ねるものが君主の大権でありまして、司法と行政、或いは司法部内におけるチェック・アンド・バランスという問題が起らない。すべて問題が起れば、結局においてそれは事実問題として解決してゆく。これが行政國家の特長でありまして、或る者は政治國家というが、実は昔の專制形態が残つているのが行政國家の特質でありまして、君主の大権、これをバツクとする行政権、これに使嗾せられるところの司法権……立法権が優越しておりまして、司法権というものは結局において、その君主の大権に対する一つの走狗に過ぎない。こういうところでこの司法権と行政権、或いは司法部内における他の裁判系統との間にチェック・アンド・バランスという問題は起らない。司法系統は一元化しております。二元的になつておらぬからして、今ここで申上げる人身保護令状のごとく、一つの裁判所が他の裁判所に出すという制度がない。と同時に司法権は要するに君主の大権の走狗に過ぎない。私は明治憲法の下における日本の國家制度、司法制度を評して、いわゆる天皇の裁判と、こう私は評して論文を書いたことがありますが、結局において司法権が一番三権の下にある。司法権が一番下属しております。でありますから、こういう裁判所が法令審査権を持ち、又規則制定権を持つ必要がない。こういう行政國家の機構がそのまま日本の國家機構となつておりますが、今度の新憲法によつて日本の國家機構が根本的に改革せられたわけでありますが、併し実際國家を構成しておるところの官吏諸君は從來の「人」であります。制度は畢竟するに人にあります。如何に憲法が改まり、如何に法律が改まつても、やはりその人が違わなければ昔の少くとも匂いが残る。その匂いが残るということは、つまり新らしい法令を作るときに考えなくちやならい。と同時に元來日本が大陸系統の國家機構でありまして、それが各方面に残つておるから英米法のその制度をばそのまま日本に移し植えることはできないということを私は言いたいのであります。
 その一つとしまして、日本においては司法権優越制の傳統もなければ制度もなかつた。ところが、この規則制定権なり、或いはこの人身保護法、こういう制度を布くのは、この司法権優越という制度が先ず第一になる。アメリカにおいては、この司法権優越制が殊に英國よりも顯著のように思いまするが、これは逆に立法権優越制というものをばアメリカ國民は非常にこれを嫌つておる。これは植民地時代における本國の立法に対する反感もあるのでありましようが、その反感が手傳つて司法権優越制というところの傳統がある。又その司法権、法曹一元という制度を通じて民衆のバツクを得る。ところが日本の裁判所というものはこれは從來も在野法曹と在朝法曹と分れて、裁判所の判事には民衆のバツクはない。一つの官僚機構を構造しております。この官僚機構を打倒して行く。要するに如何なる……例えば人身保護法で申しますると、この保護法の法律を設けても、これが果して民衆保護の機能を正しく挙げ得るかどうか、即ち裁判所に対する私は一種の不信任の意をここに表明しなければならない。即ちこの制度は是非必要なのだから、裁判所をばそれを信用できないという建前でこの人身保護法を制定しなければ私はならないのじやないいかと思います。
 それらを総論といたしまして、少し各論に入つて見ますると、この法案を先ず私は拜見いたしておりますが、最初の要綱時代からずつと拜見いたしておりまして、この法案を拜見いたしまして、先ず第一に印象を受けますることは、果してこの法案は十分に人身保護即ち機能を発揮せしめる意図を以て、如何なる細かい事件でもこれを取上げ、十分にこの人身保護に盡されておるかどうかをば調査すべき機構として設ける意識があつたかどうか。即ち言葉を換えていえば、これはどうせこういう法案を設けるが、多くの場合には請求理由なしで却下する、棄却する、成るべく、少くとも成るべくこういう人身保護請求をば手続その他について、これをば制限するというような意図があるのではないかというふうに私には考えられるのであります。それは各方面に私はそれを見られるのでありますが、例えば第一條の「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている者」と書いてあります。併しながら明治憲法下において、この拘留の更新、或いはたらい廻しなどが行われた、あれはいずれも正当な手続によつてやつておる。今後においても今度の刑事訴訟法もいろいろ保釈の案、その他を今度の草案に書いてあるようでありますが、併しながらこれも詳しく申上げませんが、私に言わしむるならば、或る程度の骨抜きになつておつて、今度の刑訴法においても、裁判所に対して、いわゆる保釈するの義務というものが明確になつておらん、そうなると、この人身保護法によつて問題となるのは、多くは刑事事件でありますが、その刑事事件の多くは、この多くの場合において、從來の官僚裁判所の裁判官の筆法を以てすれば、多くは正当の手続によつてやつておるのだという結論が出て來はしないか。この第一條のごときも、もう少し書きようがあるのじやないかと私は考えております。これが一点。
 又この法案を見ますると、第五條で請求を却下できる。即ち疏明の要件を欠いておる場合には却下できる。それから又第九條には、事務手続の結果請求の理由がないことが明由ならば棄却できる。この点は却下と棄却と書き分けておりますが、ここに立法技術で伏線があるように思います。それから最後になんですか、請求理由がなければ棄却する、これは当然のことでありますが、十四條でありますが、どうもこういうふうに三段構えになつておるということ、これが私は頗る眉唾じやないか。殊に第四條で疏明が足らんからといつて却下される、それに対する異議の申立ての規定が何ら置いてないのであります。この点は英米法におきましては何遍でも人身保護の請求はできる、却下された場合には上訴することもできる。又アメリカの或る州においては人身保護請求があつた場合には、これを上訴陪審に当るような陪審に付する制度もある。どうも今までの裁判官の裁判の態度からいいますと、どうもこれらの條文が武器となつて人身保護請求がとかく玄関拂いを食う率が多いのじやないかということも考えられる。
 又上訴に関する規定が誠に少いのであります。僅か第十八條一項のみでありますが、この只今小林先生がすべて人身保護請求は最高裁判所に集中すべきであるという御意見に承つたのでありますが、この上訴制度をはつきりさせて置けば、第一審の高等裁判所の裁判が妥当でないと見れば、必ず最高裁判所の方に持つて行けるようになつておる。これは私は全部を最高裁判所に第一審及び終審として最高裁判所の権限とするという小林先生の御意見には賛成でありますが、私はこの法案におきまして、更に上訴をもつとなにする詳細なる規定が要ると思うのでありますが、この上訴の規定が、誠に頼りないような規定が一項置いてある。
 更に最後に、從來の裁判所の、例えば保釈の請求、その他についての、或いは拘留の更新についての裁判所の裁判は誠に独善そのものであると思うのであります。今後この人身保護法の適用について、そういうことなしとは何人も断言できない。その場合においてそれを正しく運用させるところの担保というものが制度の上において私は欠けておるように思うのであります。先程申上げました第五條によつて却下された場合に、異議の申立ての規定がない。英法においては、これは小林先生の独壇場でありますが、私は英法の方に余りよく存じないのでありますが、休暇中、その他不当に人身保護請求を拒んだ判事に対しては、被害者からベナル・アクション即ち罰金請求訴訟を許しておる。これは一種の國家賠償に似た面白い制度と思うのでありますが、何もこれをそのまま日本に持つて來いというのではありませんが、正当なる人身保護の担保の規定が足らん、これらを綜合して考える場合、どうもこの法案の起草者が意識的とは私は思いません、無意識的かも知れませんが、從來の官僚法曹の意識を以て、成るべく保護請求の道を狹くするという考え方があるのじやないか、というのは、これも從來のその官僚法曹の傳統であるが、異例であるところの、いわゆる特殊の場合、不公平不当な場合これを取つて全体を律しようとする、例えば少し不当な弁護士があれば、弁護士全体に対する統制を強化しようとする。元の訴訟にあつた欠席判決の制度をば利用して訴訟を遷延させようとすると、欠席判決それ自身を止めてしもう。稀にある弊害をば取つて、全体の拘束的規定、拘束的規定は畢竟するに裁判所の職権増加になりまするが、そういう規定を置こうとするのが日本の今までの司法省系統の立法の系統じやないか。それでどうも人身保護法に現われておるように思う。こういう画期的の制度ですから、少しは裁判所の方は面倒を掛けてもいい、随分中には不合理と思われるような保護請求もあるかも知れない。それらも最初の間は、少し道が開けたというので手数を掛けても、こういう者に対して相当の方法を考えてやることが必要じやないか。どうも法案それ自身が骨抜きになるようなことになる法案の作り方じやないかというように考えられる。
 次は規則制定権でありますが、その関係でありますが、この規則制定権については、第二十條に「最高裁判所は請求、審問、裁判その他の手続について、必要な規則を定めることができる。」これは御尤ものことであります。この法案全体を見まして、誠に手続を進行する規定が足りない、又他の民事訴訟法なり刑事訴訟法なりの準用規定が殆んどない。いわば二十一條ですか、この中にないことは悉く最高裁判所の規則によつて制定することになるのである。これは私は甚だ範囲が廣過ぎるように思う。この規則制定権については多々述べたいことがあるのでありますが、正しく現在各方面に言われるように、英米においては、裁判所の規則制定権の範囲が液次拡大する傾向にあります。これは一つの原因は、特アメリカにおいて政党政治の弊が痛感されて來たということ、だからこの規則制定権は分析法学的な立場からいえば一種の委任立法であります。アメリカにおいては世界大戰前において廣汎な授権立法ができましたが、これは一面においては從來の政党政治に対する反感といいますか、むしろ裁判所の方が頼りがあるというような意識が十分あるのじやないか。これをバツク・アップするところのものが司法権優越の思想であります。それからもう一つは、私は特に強調したいのは、アメリカの裁判所は法曹一元化で、弁護士が裁判官、裁判官が弁護士になつている。こういう制度が規則制定権というものを裁判所に多く與えても大なる弊害を伴わない。併しそれも過時期においては、例えば最高裁判所の規則制定は連邦法律に違反してはならんのか、或いはその規則を制定してもその次の議会に提出せよとか、或いは規則を制定したことと矛盾せるところの法律ができたらその法律の方が優先するというような、いろいろなチエックも起きましたが、その辺が英米法の特有のチエック・エンド・バランスの法律及び制度で、漸次他の國ににおいて、妥当な程度においてこの規則制定権は拡大している。ところが、日本の裁判所において果してこの民衆のバツク・アップを受けているか。受けておらん。法曹一元化によつて弁護士と裁判所が一体化しているか。しておらん。然らば何によつて構造されているか。民間と遊離したところの官僚法曹によつて裁判所は構造されている。そういうものが規則を制定してもこれは民主的ではない。現在の日本の法理的にも原理的にも最も民主的なものは議会であり國会である。私は規則制定権というものは日本の現状においては著しくこれは限定しなければならんものと思う。ことより從來のように一から十まで法律に規定するということは、これは司法権を立法権が縛ることである。例えば現在民事訴訟法にあるように、「宣誓は起立してこれを嚴粛に行うべし。」くだらないことまでも法律に規定する。そんな必要はない。司法権運用において必要なる程度において規則制定を許すべきであるが、それ以上においては許すべきでない。アメリカの授権立法のごときひそみにおいて規則制定権に委せるということは、これは重大な問題である。私はこの規則制定権を通じて、及び法令審査権を通じて、司法フアッショの傾向が起ることが絶無と言い切れないと、私は秘かに思う場合もあるのであります。私はこの規則制定権を二十條に一項を置いて、あと細かい規定を置かないということに対しては、私は重大なる議論があるのであります。
 結論としましては、尚十分準用文を増加し、更に詳細なる規定を置いて、規則定制権の範囲を限定する必要があるというふうに私は考えるのであります。と同時に、日本の裁判所に対する一つの牽制としては、陪審制度は私は刑事のみならず民事においても施行する必要があると考えるのでありますが、これはいろいろ差障りがありましよう。だが、現在可能なる方法としては、私はこういう人身保護を拒絶せられた場合のごときについては、異議申立機関を設ける。この異議には裁判所のみならず民間法曹その他を加えた一つの申立機関を設けることが、私は最も妥当ではないか。陪審とまで行かんでも、その程度ならば案外各方面の差障りもなくできるのでないか。実は私二年前の「司法制度の民主化」という論文において、その点を強調したのでありますが、この人身保護法においても異議申立機関の必要がある。その異議申立機関も、職能裁判官に委して置いたのでは意義をなさん、職能裁判官以外の者を加えたものによつて判断する異議申立機関が必要なのでないかと私は考えられます。
 尚総論的に申しますと、いろいろあります。條文として技術的修正の面が沢山あるようでありますが、時間もないようでありますから、最後に一、二氣の付きました法案の各條について、簡單に申上げたいと思います。
 先ず第一に、この人身保護請求権者であります。第一條に「何人も」とあります。これは日本國憲法の三十四條を見ますと「何人」というのは、結局において権利自由を侵害された人というふうに思いますが、英文の原案を見ますと、無関係者もやはりこの請求ができるような意味にも解し得るのであります。併しながら純然たる他人が人身保護を請求し得ることは妥当なりや否や問題と思います。これらこそ最高裁判所規則でその点の規定をして然るべきかと思いますが、ただ附加えて頂きたいのは、第一條に最高裁判所が職権を以て令状の人身保護手続を開始し得るという制度が必要なんじやないか。英法における職権を以て人身保護令状を発布するというその制度を、どこかこの辺に入れる必要があるのではいかと思われます。次の請求の事由といたしまして、第一條に「法律上正当な手続によらないで」とありますが、これは先程申した通り、殆んど今迄の刑事事件においては、いずれも正当なる手続によつておると、強弁すれば言い得ないことはない。ですから、これは憲法の方には「正当な理由」という言葉がありますから、私はこういうふうにしたらどうかという案を持つております。「法律上正当の手続によらないか若しくはその拘束が正当の理由を欠くときは」というような一項を附加えれば、憲法の條文ともそぐいますし、例えば保釈しないで長く拘留しておつたというような場合も保護請求の理由に入るんじやないかというふうに思います。この辺も一つ御高見を願いたいかと思うのであります。
 それから次は審査の段階でありますが、先程申上げました通り、三段階に分れております。私はこの三階段は少し多過ぎると思います。時間もございませんから結論を申上げますが、第一段階の第五條によりますると、「その要件又は必要な疏明を欠いているときは、決定をもつてこれを却下することができる。」とあります。拘禁されておる者が疏明しようとしても、できない場合もあり得る。ですから、これは英米法においても認められておるように、自己の陳述として宣誓口述書でも利用し、宣誓口述書が附いておればよろしいというふうをでもして、この第一段階の却下は單なる純然たる手続上の問題に限定する必要があるのではないか。そうすれば、民訴の例を以て、請求却下とせず、請求不條理とでもして置いた方が、軽い意味でないか。そうすれば何遍でも形式を整えて請求できるわけであります。この第一段を余り重からしめないように、極めて限定するように規定を設ける必要があるんじやないか。第二段の第九條でありますが、「準備調査の結果、請求の理由のないことが明白なときは、裁判所は審問手続を経ずに、決定をもつて請求を棄却する。」、この「棄却する」というのは我々の法律家の方で言いますと、いわゆる既判力を生ずるとする。これは規定だから既判力を生じないというような逃げ口上もありましようが、この場合は請求却下として、ここで却下されても何遍でも同じ請求ができるということを明らかにする必要があるんじやないか。そういたしますと、第一段を軽くしますと、ここに一々それじや被拘束者をその度度に呼び出さなければ大変だぞという論もあるのでありますが、これは法文の整理によつて必ずしも被拘束者を呼び出さないで、準備手続をなし得るとしたならば、それで足りるんじやないかと思います。
 次は上訴でありますが、上訴は十八條だけでは誠に簡單でありますが、上訴権者が誰であるか、拘束者の方でも上訴出來るが、私は拘束者の方が釈放を命ぜられて上訴出來ないという方が、英米法の例に倣う方がいいと思います。又、仮釈放の関係について相当若干の規定を設ける必要があるのではないかと私は考えます。
 それから罰則でありますが、第十條の二項は、拘束者に対しては、指定の期日に被拘束者を出頭させ、答弁書を出させる。これをしないと十五條によつてその拘束者を勾引して命令に服するまで勾留する。五百円の罰金に処する。これは拘束者が被拘束者を出頭させない場合のこの罰則は結構だと思います。答弁書を出さないのに勾留ということはないと私は思う。この辺は罰則の濫用のように思います。のみならず、條文の体裁としても十條三項と十五條がダブつているのでありまして、この辺は相当整理する必要があるのではないかと思います。尚條文の技術的な問題としては、十條の一項では拘束者を召喚するとあります。これは拘束者に場合によつては、裁判所の許可によつて代理人の出頭をせしめていいというようにする必要があるのではないかと考えられます。もとより、これも最高裁判所の規則に委せるというのなら結構であります。
 それから不当なる保護拒絶に対する救済であります。これは米英法でも……判事に対して罰金を被害者の懷ろへ呉れるようなことは敗戰日本においては直ちに実行出來ない。職業判事をも加えて異議申立ての機関を設けて見るのも一つの方法であります。
 最後に、人身保護法の請求のあつた釈放は再び同一理由によつて拘束されないということをここに入れて置く必要があるのではないか。これも法律職業家の既判力で処理すれば当り前だというかも知りませんが、そういうことはここにはつきり謳つて、この法律の意図するところを明瞭にさせる必要があるのではないか。
 尚いろいろ申しますればございますが、全体としてこの法案は第二十條の最高裁判所の規則制定権に頼る率が余り多いように思う。少くとも審理手続については民事訴訟法でもよろしうございます。尚勾留その他の件については刑事訴訟法の規定内容と並んで相当この條文内容を豊富ならしめる必要があるのではないかというふうに思われます。一、二分時間を超過して恐縮でありますが、結論は人身保護法が日本に初めてできるのでありますから、この制度を利用して、いろいろ不当な請求があるかもしれない、それは敢えて耐え忍んでやる必要がある。ともかく余り最初に用心して、成るべく玄関拂いをさせるような條文は、これは現在の法曹界がやはりこの條文を扱うのであるから、國会といたされましては成るべくこの人身保護請求の間口が廣くなるような法律をお作りになりまして、それで漸次引締めて行くのがいいのではないか。初めから門戸を狹くするような法文の作り方は考えものであるということを申上げまして、本日甚だ到らざる話でございましたが、述べさせて戴きましたことを厚く御礼を申上げます。
#25
○委員長(伊藤修君) 海野晋吉君。
#26
○公述人(海野晋吉君) 只今御紹介を預りました私が海野でございます。私は自由人権協会の理事長をしておりまして、先般当院の本法案提出者の御一人であります伊藤議員より御案内を受けまして、人身保護法案に対して自由人権協会の意見はどうであるかというお尋ねがありましたので、本日自由人権協会を代表いたしましていささか意見を述べさせて頂きたいと存ずる次第であります。
 只今小林、中村御両君から人身保護法案の母法について又その経過について、更に中村君より本法案についての希望御意見等がでございましたので、もう申上げたいことは殆んど盡きておるというふうに考えます。私が申上げたいと存じましたこと以上にお話があつた次第でありますから、その方面については最早私は蛇足を加える必要がないと存じますが、現在我が國においては、人身保護法案を必要とするような状況にあるかどうかということを経驗をいたして参りました私として申上げて見たいと思うのであります。
 第一條に「法律上正当な手続によらないで、身体の自由を拘束されている者は、」と書いてありますが、一体法律上正当な手続によらないで身体の自由を拘束するようなことが、現在日本のこの敗戰後において著しい変革をした世の中に行われておるかどうかということについて、多少お疑いがあるのではないか、かかる法律があるのは誠に結構だけれども、実際に行われるような、これを適用するような場合は余りないのではないかというようなお考えの方がないでもないと思うのです。ところが、私はそうでない。この非常な変革の行われました現在におきましても、この法案を適用しなければならないことがしばしばある。そういう点については一般世上の人たちは見逃がしておることが可なり多いのではないかというふうに考えられるのであります。先程中村君からお話がございましたように法律上正当な手続によつて拘束されたものでなければ、やはり釈放の請求ができるのだというお話があつたのでありますが、私もその点については全く同感であります。究極、議論をして行けば法律上正当な手続によらないということに帰着するでありましようけれども、只今申上げましたように正当な法律で以て拘束されるにあらざれば拘束される理由はないのだということを考えて見ますと、現に行われております強制処分の方法、これも一應法律上許されました手続である。併し根本を考えて見ますと、証拠を失わないために我々を物と同じに扱つた。まだ公訴が提起されていないのに先だつて訴訟法の手続の一つとして、私共を物と同様に証拠保全の目的物にするということは一体正当な手続であるかどうか。現在行われておる刑事訴訟法、これから行われようとしておる刑事訴訟法において平氣でこういうことが書き下されておるのでありますが、振返つて考えて見ますと、大正十三年以前にはこういう手続はなかつた。改惡されて私共が証拠保全の目的になつて、物と同様に扱われるという結果になつのてしまつた。一体私共が未決勾留をされるということは、これは手続法上の結果でないと思う。実体法上の結果だと考えます。私共を懲役何年、禁錮何ケ月に処するということと同一結果を持ち來す場合である。これは單なる手続法の問題でなくして、刑法なりその他の実体法によつて初めて私共がそれを犯した時分に、懲役にされ禁錮にされるのが当り前なんだ。それを訴訟手続が進行して行く間に、それと同一結果を招來するような手続を決めるということが果して正当であるかどうかということが、もう一遍考えられて見なければならないと思うのであります。大正十三年以來こういうことが平氣で行われて來た。訴訟手続が起らない、まだ檢事が起訴しない前に私共を勾留処分にしてしもうということが果して法の正当な理由になるかどうかということを繰返して考えて見なければならないと思うのであります。これらも本法によつて爭われる一つとして考えられなければならない。
 更に又現に起りつつある問題といたしまして、親告罪であるとか、請求罪であるとかというような場合において、例えば名誉毀損その他告訴を待つて論ずる罪、告訴がなければ訴えを起すことができない。如何に犯罪の事実がここに轉がつておつたにいたしましても、檢事は被害者なりその他法律で定められた者から訴えを起して呉れということの請求のない場合においては、訴えを起すことができない。犯罪が刑法その他の法律によつて定められておるものが相当に沢山ございます。訴えを起すことができない場合において、果して訴えの手続の一つである仮に強制処分が許されたる場合と雖も、一体強制処分ができるかどうかという問題が更に考えられなければならないと思うのであります。現につい最近におきまして、金澤において全財の人々が、非現業の官吏であるから、爭議権がないんだ、然るに就業時間中において爭議に類する行爲をしたからというので、これは労調法によつて犯罪になるんだ、そこで治安を維持する意味において檢察当局においてはこれを逮捕した、私共は中央労働委員といたしまして先般法務廳、労働省、中央労働委員会と三者協議会が行われました時分に、法務廳側のこれに対する釈明を聞いたのでありますが、少し行き過ぎではあるけれども違法の手続ではない、こういう弁明を聞いたのでありました。私はもう一遍考えて御覧になることの方がいいのじやないか。一体強制処分そのものについても先程來私が申上げまするように、私共も実体法方の結果によつて処分すると同様のことが手続上においてできるかどうかということがすでに疑問であるのだ。訴えが起らない前に訴えが判決を受けてしまつたと同じ結果を齎すようなことが正当であるかどうかということについてすでにもう疑問がある。これを民事訴訟に考えて見ますと、例えば株主総会を開くべからずという仮処分を請求した時分にこれを許しません。判決は株主権がないということと同じ結果を持來すからこういう仮処分の請求はできないというはつきりした判例があるのであります。それと同じように実体法上で以て判決をしたと同様な意味で私共の身柄を拘束するということが、訴えの起らない前に一体平氣で行われておるということが、何ら不思議もなく皆國民がこれに承服しておるということについて私は甚だしい疑いを持つ。一体こういう法律が正当な法律であるかどうかということについては、いわゆる法律審査権ある最高裁判所において審査さるべきであろうと私は考える。これも先程來ここで中村君からお話がありましたように、一体一般大衆にバツクのない官僚裁判で組織されておる。官僚によつて裁判所が組織されておるという場合においてどういう審査が行われておるかどうかというと誠に頼りない。法曹一元化と言つておりますけれども、決してその実は上つていない。結局こういう有様であつたならば、人身保護法案によつてこういうことを固く守つて行くという必要が沢山に生じて來ておると思うのであります。
 繰返して申上げますけれども、親告罪とか、請求罪、例えば先程申上げますような全財に人々が仮に非現業の官吏であるから爭議権がない。これをやつた、かかる場合に犯罪が成立する。併し労働委員会の請求がなければこれを論ずることができないんだ、起訴することができないんだということははつきり労働法によつて決められておる。それだのに拘わらず石川縣の労働委員会からまだ請求のないのに拘わらず、直ちに逮捕したというようなことは明らかに私はこの法律上正当の手続によらないという場合にも該当いたすと思うのであります。ここらを考えて見ますと、この労働攻勢の非常に激しい場合に、或いは労働者側においても踏み外す場合があるかも知れませんけれども、又取締る方面におきましても甚だしい行き過ぎができるのである。現にいろいろの方面において労働問題については粉爭を惹起しておるのであります。これらを正当に解決するといたしましては、やはり本案によりましてこれが実現されて初めて正当にこういうものが解決されて行くことがあるんだということを私は痛感いたす次第であります。
 本法案についてはいろいろの希望いたす事項がございますけれども、何としても早くこの法案を実現して、一刻も早く、少しでも誤まれる手続によつて私共の自由を拘束されたる者を急遽救わなければならないことが沢山にあるという意味におきまして、余り沢山の希望を申上げることはここで差控えまして、私はただ一つお願いを致して置きたいと存じますことは、この人身保護法案によつて不当なる拘束をした者が、他の法律によらずしてこの法律によつて責任を取るべき事項を確定して置いて頂きたい。折角釈放をされましても、單に釈放しただけであつたんでは、繰返しかかる不当の拘禁ということがないとも限りません。よつてこの法案自体によつて、他の法律によらずとも不当なる拘禁をなしたるものと確定した以上は、この法案自体に一條を加えまして責任を明らかにし、場合によつては処罰の規定を置いて頂く。これによつて初めて表裏一体をなしまして不当なる人身の拘束を避くる結果ができると思うのであります。
 以上私の意見を申述べまして御参考の資に供したいと存じます。
#27
○委員長(伊藤修君) 正木だい君
#28
○公述人(正木だい君) 只今までの方は学術経驗者という両方兼ね備われておる方のお話でありました。私は学術でなく、この経驗者という点におきまして、弁護士及び丁度海野先生の下で人権擁護協会の方の評議員をしておる結果、今日お呼出しになつたのでありますからして、私は今までのように、先生方の理論的な方面はもう結構でありますが、経驗の点から二、三御参考になるかどうか申上げたいと思います。
 この法案はもとより成績であります。但し今日まで人権と申しますと、この身体の自由というような方向が非常に重く考えられ、又非常に分り易くありました。併しながら身体の自由というものの、その根本は我々の理性並びに正義の満足である。こういうふうに考えておるのであります。今日鉄道のストその他で以て乘つた汽車が二十四時間経つても着かないで、思わない田舎の停車場に閉じ込められるということも、結果から見ますと非常に不法の監禁、と申すことはどうか知りませんけれども、とにかく夜中に一定の場所より離れることができないという事態に往々遭遇しますけれども、これを人は余り不法監禁とは考えない。又身体の自由を拘束したとも考えないのは、これには理窟があるこらである。とにかく我々を拘束するには他の事由があつたのだという、一種のそこに、正義とははつきり申すことができないかも知れないけれども、何らかの人間の精神の理性の活動があつたから我慢する、こういうふうに思つておるのであろうと思うのであります。これに反して何らの理由なきに拘わず理性を無視して押さえるということになりますと、ここに初めて我々に非常にこの社会正義の反撥を感ずるのであります。この人身保護法案が非常に貴重であるということは、甚だ非学術的な言葉かも知れませんけれども、これは人身の仮処分に対する……さつき海野先生が人間を物の扱いをしたと申しましたが、まあこれを簡単に分り易く申しますと、私の考えによりますと、仮処分に対しての異議の申立をするという点に非常に價値があると共に、この第一條の條文を読みましても、不法と申しますか、不法ということは先ず措きまして、とにかく拘束されていることに対しての仮にこれを調べるという点が又非常に重要だと思うのであります。
 今までの皆さんのお話を聞いておりますとこの拘束が專ら檢事局、裁判所、警察というようなことが目の前にちらついておりますけれども、これを非常に言葉通りで解釈しますと、例えば病院の中に病氣でない者を精神病と称して監禁しておるというような場合が昔から非常に多くありました。大分今度は戸籍法等の変更によりまして、この財産爭いが少くなるだろうと思いますからして、或いはその点が前程ではないと思いますが、病院に精神病と称して自分の邪魔になる者を金を使つて入れてしまつている。これは一應合理的な手続によつているでありましようけれども、実際においては本当は大した病氣ではない。入れてしまつた結果として病氣になつたのである。精神の異常を來してしもうようなやり方をやつている。こういうような場合にもこれが使えるのではないか。不法監禁の罪というようなものも現在の刑法にもありますけれども、不法であるかどうかということすら分らないのでありまして、病院の中に入つて行くことは到底できないのであります。こういう場合に若しもこの法律が一應不法であると認めて調べるということができますと、非常に助かる人があるのではないか。その点におきまして、この第一條も何とかしてそういう場合が入り得るようにして頂きたい。そうではなければ在來の不法監禁と同じように手の著けようのない事件が起るのでありまして、この不法監禁らしいという場合にも、一應これによつて不法であるかどうかというようなことを調べるようにして頂きたい。それからそういう場合に本件を見ますと、弁護士が代理人でなければならないようでありますが、警察、檢事局、裁判所等の関與しておる不法監禁に対しましては弁護士を是非附けなければならないけれども、病院その他というような場合には弁護士でなくてもやり得るようにした方がよいのではないか。弁護士といつてもやはりそう沢山も全國におりませんし、却つて弁護士でなければならんというようなことになりますと、折角のできた法律も適用され得るのが非常に制限されはしないか。これはむしろ人身保護法の精神に基いて裁判所その他そういうものを相手としないような病院のような場合には、友人でも誰でも一應こういう審査を受けることが望ましいと思うのであります。
 それからこの法律を実施する場合に直ちに考えられることはい、判檢事が、殊に判事と申しませんが、警察及び檢事の方がこういうむずかしい法律ができたのであるからして、うつかり捕えることができないということになる。或いはそういう口実の下に自分の職務を怠けるという結果が生じはしないかという心配が直ちに出るのであります。その事実は経驗者としましては非常に多くありまして、私はそれを具体的に実は沢山知つております。もつと時間があれば細ま細まと述べたい程あるのでありますが、旧憲法時代に如何に警察官の拷問その他が不問に付されたか、今日でもそういうことは勿論あります。私自身がいわゆる長倉事件という警察官の拷問致死事件を扱いまして、これは檢事も判事も一緒になつて鑑定を何遍も繰返しても、やはり他殺と出るに拘わらず、やはり無罪に從つておるというようなことは、旧憲法時代から今日まで続いておるのでありまして、或る意味からは非常に人権を擁護しておる形に見えたのであります。でありますからこういう口実が付きますと、官憲がこれをいいことにして、捕縛すべきを捕縛せず、起訴すべきを起訴せず、特に隱匿物資の摘発につきましては非常に手温いという噂が飛んでおるのであります。それ故に最近新聞にも出ておりましたように、檢事の起訴しないものに対しては審査をするとか、或いは民衆が告発してこれを起訴せしめるというような、別の法律を以て固く官憲の怠けることを監視する法律と共に一緒になつてのみこの法律が生きて來るのではないかと思うのであります。
 それにつきまして、尚一言申上げて置きたいのは、この告訴、告発というようなものが、前の憲法時代におきましても、殊に告訴の場合においては私訴というものによりまして、裁判の進行を見守ることができた。裁判の開ける度に立会い又その進行の模樣を、調書をみずから取つてやることができたのでありますが、人権を尊重するという新らしい憲法になつてこの権利すら取つてしまつたのであります。そうして見ますと、この告訴、告発というような裁判所の檢事、檢察当局の不足の部分を補うところの正義の要求を抑えておるのであります。その他今日昔のままの裁判官が、戰爭時代に東條の手先となりまして、國家総動員法の尻馬に乘つて、得意になつて意氣揚々として、非常に國民の反戰を抑え付けて、日本からは反戰運動を全く閉ざしたところのこの人たちが今日でも尚残つておりまして、僅かに学校で教えたとか、或いは文筆を執つたとかいうような人々が非常に審査を受けまして、追放になつておるのにも拘わらず、東條の下手人である……チンドン屋の方が追放になつたにも拘わらず、その下手人の方がのうのうとして、新らしい憲法の下に司法を、人権を司るというようなことは木によつて魚を求むるといいますか、非常に危惧の念に堪えないのであります。況んや最近のごとく、裁判官の俸給を一挙に、檢事を含む行政官よりもうんと上げてしもうというような陰謀に至りましては甚だ怪しからん、さようなことでは到底駄目である。無論私は裁判官の俸給が低いことを望む者ではない。高いことを望むのでありますが、高いのにはそれだけの内容がなければならない。單に値段を高しくて、俸給を高くすれば立派に人間になるというのは、ピースの値段を高くして決してよくならなかつたと同じように、人をだますのであります。
 でありますからして、こういつたような法律ができる場合は、これで以て國民が如何にも人権が保護されたと思うような錯覚を抱き易いのでありますから、最も警戒すべきで、やはり判事の追放を徹底的にやつて、殊に刑事の判事でありますが、やつて後にのみこの法案が生きて來ると思うのであります。尚この自由心証主義というようなものが、旧憲法時代に外の自由は全部否定したにも拘わらず、裁判官に証拠を、條理を全く無視するところの自由を與えておつたのであります。今後は裁判官に対しても、裁判官に自由を與えるということは國民の自由がなくなるということになるのでありますから、この自由心証主義というようなものに対しても、合理に從う、條理を尊ぶというような條文を入れなければ、全く穴が開いて鼠がそこから逃げてしまうのであつて、こういう立派なものも玉の盃の底のない、底抜けになると思うのであります。況んや自由を認めないというような……自由だけによる犯罪を認めないというようなことになりますと、裁判官に科学的又論理的な、嚴正なるところの能力を仮定しなければならんのであります。若しも裁判官が科学的な判断力もなく、論理があやふやであつたならば、丁度小学生に微積分の問題を出すと、分らん、分らんというようなことになる。裁判官は少しむずかしい問題になりますと、証拠が不十分であるとか、或いは証拠なし、一言にして如何なる何千枚の裁判の調書に対しても、裁判官は全記録を見ても証拠がない。証拠がないのではなくて、自分の能力において裁判できない。論理のむずかしい綾が自分は分らんということを、ただ証拠が分らんというようなことで以て、いい加減にされる虞れがあるのでありますからして、この追放と共に、裁判官の單なる六法全書的な能力でなく、この科学性論理性を一應檢討し、況んや戰爭時代にあの残酷な裁判をやつて來た裁判官というものは、精神に異常を呈しておる者も相当あるように見受けられます。檢察当局も又然り。人相からして非常に殺氣を帶びた人があるのでありますから、こういう人に人権の保護をされておるということは、番犬に非ずして狂犬を飼つて置く、犬は犬であるけれども、狂犬であつて却つて喰い付かれるということを、学術的でなく経驗的にこれを感じておるのであります。
 どうぞそういう点を御観取の上、この法案を先ず通過させ、それに足りないところは追つて完備されんことを希望する次第であります。
#29
○委員長(伊藤修君) 次に宮内裕君。
#30
○公述人(宮内裕君) 只今御紹介に預りました宮内でございます。今まで小林、中村、海野、正木諸先生から、或いは理論的な点について、或いは永年の御経驗につき詳しいお話がございまして、今更私ごとき弱輩が何程のことも申すこともございませんですが、この法案を是非とも、そうして早く成立さして頂きたいという衷心からの希望で一、二纏りませんことを附加えさして頂きたいと思います。
 戰爭中或いはそれ以前、私、刑法に関係しております関係上、日本における人権の蹂躪という問題を常に目で見、又私自身も体驗いたしまして、英國或いはアメリカにヘビアス・コーパスなるもののあることを聞き、それに対して非常に私たち羨望の眼を以て見ていたのでありますが、敗戰と同時に東京で小林先生がこの問題を研究され、案などを出されたのを拜見いたしまして、京都の連中は皆双手を挙げて喜んでいたのであります。併しこの度上程になりましたこの法案を拜見いたしまして、ややその喜びが減少した感があるのでございます。このようなことは申すまでのこともございませんが、法というものは現実に立脚して作り上げて、その國の流れが最もうまく流れて行くように作られる、それが一番大切なことでありまして、勿論私たち、先進諸國のヘビアス・コーパスに負わなければならないところ多大だと思いますが、併しながらそれをそのまま日本に持つて來まして、果してそれでこの人身保護が英國において生れた、それと同じ要求を充し、そうしてそれと同じ機能を果すかということは疑問であります。裁判官の官僚性或いはその他の点については、今までお話があつた通りでございまして、観念的には司法権の優越とか法律審査権とか、そのようなものが與えられ、観念的には司法権に絶対信頼しなければいけないというようなことが要求もせられ、又自負もしておることと思いますが、現実は決してそうでない。今正木さんがおつしやいましたように、裁判所におつて裁判をしておる判事の方々は戰爭中どういうことをしたか。檢事の方々は一應追放等で片附いたかに見えますが、判事の方については殆んど手が加えられていない。多くのですね、今生きていたらば日本の民主化にとつてどれほど大きな寄與をなしたかと思われるような私たちの先輩を、予防拘禁などという名目の下に殺したのは、皆彼らでありまして、私自身日本の現代の裁判機構はあれで十分かと思いますが、その人に対して徹底的な不信を抱いております。それからその反面に國民自身の自覚といいますか、権利に対する闘爭というのが非常に弱い。それを高めるにはまだいろいろの方法もありましようが、國民の権利を擁護し、民主化を徹底して行く第一線に立つておられます國会におきましては、この点を十分考慮されて、法の近代的な発生は、御存じのように國民のための堤防であつたのです。國家権力の恣意的な侵害に対する防衛の第一線が初めであつたのでありまして、決して治める者の意思であつたり、統治する者の意思であつたのではない。國民が自分の権利を守るために、而も合法的に守るために、法というものを作つたものである。そういうことをお考えになりまして、十分議を練つて頂きたいと思います。
 先に申しましたように、これを見て私ややがつかりした、と申しますのは、この法案は、本來は拘禁者の拘禁の手続或いは理由が正当であるかどうかを取調べるための法案であります。そうして通調べの相手は当然拘禁者であります。即ち一番多い例は國家権力なのであります。そういう必要と、そういう機能を持つております人身保護という精神が、この法案を拜見いたしますと、逆に國民自身が取調べられる。判事の方でなく、一應、何と申しますか、拘禁者の理由を正当と認めて、そうしてそれに対して反対をするのが國民である。ですから、法律的な言葉で申しますと、立証責任はむしろ國民にあるのだと、そういう感じが受取られます。それではこの人身保護の本來の精神は全く否定せられておるのでありまして、むしろ拘禁者を取調べる、拘禁者の側においてその拘禁が正当であるかどうかを立証しなくちやいけない。そういう義務をこのヘビアス・コーパスにあつては課せるものである。そういう立場に立つて、むしろ國家権力それ自体を審査する、審査と申しますと変でございますが、調べるのだ、そこまで一歩前進して頂きたいと思うのでございます。そうして初めて國民の権利は擁護される。英國或いは米國では、種々の事情がありますが、日本と問題にならない民主國でありまして、これはもう御存じの通りでございまして、自分自身で國民は権利の侵害に対して鬪爭する氣力と力を持つておる。日本においては國民はそこまで行つていないのでありまして、苟くも法というものが、そういう力の足りないことを補い、一歩前進してやるだけの愛情を持つて頂きたいと思います。
 それから今までの方が申上げたこととダブることになると思いますが、海野先生もおつしやいましたように、「法律上正当な手続によらないで」という一條、最初は、私拜見したのでは、最初の案では、「正当な理由なくて」と、こういうような案になつておつたと記憶していたのでございますが、どうしてこういうように限定しなければならないか理解に苦しむところでございます。それから第二條で「特別の事情がある場合には、請求者がみずからすることを妨げない。」ということ、これも弁護人は弁護士を代理人とすることが原則となつておりまして、請求者、関係人がやることが例外になつておりますが、これを逆に、特別な理由がなくとも、原則として本人或いは被拘禁者或いはその関係人がやることができるようにして頂きたいと思います。こういつた法案で救済を本当に欲する者は、弁護士を頼めない、経済的にもできない、そういう人たちであるということをお考え願いたいと思います。
 それから第九條、これは先程中村先生がおつしやつたことと同じことになりますが、裁判所において準備調査の結果、決定を以て、何といいますか、却下すると、そういうようなことも、一應これは法文の体裁として、あつてもいいことでありますし、通用することなのでありますが、日本の現実を考えて、そうして而も日本の現実を考えただけでは、又將來今までと同じような状態が來ないということは誰も保証できないのでありまして、事実その危機はもうすでに叫ばれている現代であります。この條文ももう一度お考え願いたいと思います。どうして直ぐ公開の法廷まで持つて來ていけないかということ。それから同じく十八條。十八條に、これも中村先生からお話がございましたが、この條文そのままでありますと、上告する人は被拘禁者も拘禁者も双方できることになつていると思います。併し拘禁者が上告する必要は全然ないと思います。被拘禁者のみにこれを許して頂きたい。こう考えております。それから相手方が「三日内に最高裁判所に」とありますが、どうして最高裁判所を特に持つて來なければいけないか、その点も私共理解に苦しむ点でありまして、他の部或いは高等裁判所、そういうように簡單に問題を取扱つて行く、そういう方針を希望いたしたいと思います。先程お話がございましたが、人権ということは非常に大事なことである、重いことである。この取扱いは鄭重にしなければいけない、それは誠に御尤もでありまして、その通りでございますが、重いものであるからこそ、一日でも二日でも早く自由を與えられたい、不正な侵害から一日でも二日でも早くこれを守つて頂きたい。これが私たちの望みでございます。
 そうして最後に、前に申上げましたように、この法が実は拘禁者を取調ベる法である、そういう建前が立ちますと、この拘禁の理由があるかどうかを調べるということは、即ち逆に拘禁者がそれで同時に犯罪を構成するかどうかということを調べる媒因になるわけです。そうして理由がなかつたら、理由なしに拘禁した拘禁者は、そこで刑法の一般法にありまするように、拘禁罪、監禁罪とかいつたような職権濫用、そういつたような犯罪が成立する媒因になりますから、只今海野先生からお話がありましたように、是非とも刑法の一般法に俟つことなく、この法において直ちに罰則の適用規定を設けて頂きたい。そういうことを私たち希望しておる者であります。
 どうか、いろいろ優れた類型が英米法にございますが、それを参考としつつ、而も日本の現実、特に國民の自己の権利に対する自覚の薄さということをお考えになつた上で十分檢討して頂きたいと思います。そうして只今までいろいろこの法案について僭越な意見を申上げましたが、併しこの法案ができること自体に対しては私たち決して反対していないのでありまして、それどころか、最も早くこの法案を法律としてやつて頂きたいと思います。現実に私がこうして話しておる間にでも救済を求めておる人が沢山おるのでありまして、そういうことをお考えの上、至急にこの法が成立することを希望いたします。甚だ勝手なことを申上げましたがこれだけで終ります。
#31
○委員長(伊藤修君) 公述人のうちの川田君はまだ出席になりませんから、これを以て公述人の公述は終ります。公述人に対する御質疑のある方はお申出を願います。
#32
○小川友三君 小林先生にお伺い申上げますが、イギリスにおいては手軽に救済の手を與える方法を取つておられるという、この本案の精神をお話でございましたが、その中で手軽に手が差伸べられるのは日本の裁判所では簡易裁判所が一番多いのでございますが、高等裁判所又は地方裁判所にしないで、簡易裁判所でもこれを取扱うという御意見はないでございましようか。
#33
○公述人(小林一郎君) 簡易裁判所、それは先程ちよつと申上げましたが、私反対論でございます。つまりこれは先程申上げました通りに、裁判所が司法権を以て行政権を監督する、そういう結果を來します。これは過去数年間に見たように、時の非常な権力者があつて、今後政党政治の発達の過程の下においてはどういう事態が生じないとも限らない。例えば総理大臣が反対党の領袖を拘禁する、その場合にやはりこんな命令を出さなくちやいかんのでございます。そういう場合にはこの最下級の裁判所、簡易裁判所は手に負えないだろうと思います。而して尚もう一つこの手続を簡單にいたしますと、濫訴の弊を生ずることは恐らく予期しなくちやいかんと思いますが、そういうことは、これはやはり上級の裁判所で嚴格に取扱つてこの際にそういう弊害を除かなくてはいかん、そういうことを考えております。
 それからちよつとこの機会に一言させて頂きたいのですが、先程最高裁判所ということを申上げましたが、それは私在來そういう考えでいたのでございますが、この法案との関係におきましては、私は高等裁判所に制限して頂きたい、こう考えております。それから最後にお述べになつた方でいい問題が提出されたのですが、ちよつと述べさせて頂いていいですか。
#34
○委員長(伊藤修君) どうぞ。
#35
○公述人(小林一郎君) 今、問題を提供された立証責任の問題でありますが、これは非常にいい問題なんであります。併しこれは法文の上では成る程現われておりません。併しこれは條文の説明によつて明らかにすべきものだと私は考えていたのでございます。それは、立証責任は拘禁者にある、そういう御主張でありますが、その通りであります。これは憲法三十四條後段、これをお読みになれば直ぐ分ると思います。正当な理由がなければ拘禁されないと、こう書いてあります。でありますから、拘禁者が拘禁の理由を説明しなくちやいかん、これは当然のことであります。でありますから、この審問期日における審問は、どういう裁判をするか、これはすべて答弁書が基礎になるのであります。ですから、答弁書が不完全であるとか、答弁書が言い逃れのことをしておつて非常に曖昧である、そういう場合には皆解釈しなくちやならん、そういうことであります。これは結局この人身保護法、これは憲法三十四條後段の規定、これを活動に移す、そのための規定だということからこの説明は容易につくだろうと思つております。ですからこの点はこの條文の説明に讓つて、條文の体裁からこの非難は出て來ないだろうと思つております。
#36
○公述人(海野晋吉君) 若しお差支えがなければ、今の点について一言述ベさして頂く機会がありますれば非常に仕合せであります。
#37
○委員長(伊藤修君) どうぞ。
#38
○公述人(海野晋吉君) 疏明の問題につきまして、拘束された者がこの法によつて釈放の請求をした時分に疏明が整わないと却下をするということが第五條に挙げられておりますが、元來人身保護法は刑事的色彩を持つた法律でありまして、かかる点については訴えを受理した裁判所は、職権によつて審査をするべき事項が沢山にあると思うのであります。民事訴訟におきましては、当事者の申立ての範囲以外に審査をする必要もないし、結果を各当事者に請求以外に帰属せしむる必要はないのでありますけれども、いわゆる口頭弁論主義であり、請求の範囲内において審理を遂げて行くべきものでありますけれども、元來刑事的色彩を帶びた法律におきましては、職権主義を採つて実体的に眞実を発見すべきものでありますから、仮に請求書に疏明が十分でなかつた場合においても、もとより拘束されておる者でありますから、これら対してかかる請求を起す時分に十分なる疏明のできないのが通常であります。よつて訴えを受理した裁判所は職権を以て理由ありやなしやを十分に審査せねばならない義務を負わされると考えますので、直ちにこれを却下するという、この五條の條文はどうかと考えられますので、御審議を頂く時分に一應御考察を願いたいと思う次第であります。
#39
○委員長(伊藤修君) 他に御質疑はありませんですか。
#40
○小川友三君 小林先生にちよつとお尋ねいたしますが、小林先生の先程のお話を拜聽いたしますと、例えば十年とか十何年とか拘束される、そういう場合を重点に置かれましてお話を伺いまして、その場合に高等裁判所、いわゆる上級裁判所でなくて、國家権力によつて云々というお話でございましたが、例えば今非常に多い暴動事件の被疑者であるとか、濱松のピストル事件ですが、或いは労働組合の事件のために拘束される。拘束されるというのは十年も五年も或いは拘束されると思いますが、こういう人には、下級裁判所でも始末が付き得るのではないかと思いますが、そういう場合のお考えを一つお尋ねいたしたいと思います。簡單な場合の拘束された軽犯罪……。
#41
○公述人(小林一郎君) 簡單の場合もあるかも知れませんですけれども、やはりそこに等差を付けて、あつちこつちやることはいけないのじやないか。やはりその事案の簡單のものは簡單の方へやる。むずかしいものはむずかしい方へやる。そういう区別を付けるのは実際困難じやないか、こう考えます。
#42
○小川友三君 小林先生は結構でありますが、海野先生如何でございましよう。今度軽犯罪のというものを審議中ですけれども、軽い犯罪で拘束されておる人と、重い犯罪で拘束されておる者と二種類に分かれ來ます。そういう場合に、軽い犯罪で拘束されておるという場合は下級裁判所でこれを人身保護法を取扱うという方法と二本建で行くということに対して、先生の御所見如何でございましようか。
#43
○公述人(海野晋吉君) 急速を要するものであるということが、建前から申しますれば、二本建必ずしも惡くはないと考えます。
#44
○公述人(小林一郎君) もう一遍一言さして頂きます。この救済の問題ですが、その犯罪の有無、それは一切審議しないのです。その犯罪そのものを標準として取扱うこととする。そういうことはこれは一切しない仕組です。ですから只今のお話も犯罪の中身ですか……刑事事件の犯罪があるかどうか。それは刑事訴追、刑罰に科する、その方の刑事訴訟がやることで、これはこれとは関係が全然ありません。ですからこの手続においては犯罪の軽量とか、犯罪の有無、そういうことは調べることができない。調べない。調ぶべきではないと考えております。
#45
○小川友三君 海野先生、小林先生、宮田先生とにお伺い申しますが、昨日濱松のピストル騒動事件の現地調査して今朝帰つて來た者ですけれども、第三國人の或る人が事件に全然関係がないということは推定できますけれども、今拘束されております。その現状を視察して來まして、これはこの人身保護法が完成して後裁判所として取扱う、この取扱いを生かしてやるということになりますと、これは簡單に出してやらなければならないものと思います。そこで証人側があの人は何もやらなかつた、併し引張られて参りました。併しあれは非常に問題だということを言うておりますが、こういう範囲内のことは一日も早く出して自由を與えてやるという建前でやらなくちやいかんと思います。何でもかんでも捕まえた者は十年二十年の拘束に匹敵する大事件という場合の取扱いもあるでしようが、軽いのは軽いような取扱いで大体目安が付くものでありますからして、二本建で下級裁判所或いは中級裁判所、上級裁判所で取扱うという建前にしたら、これは如何でございましようか。
#46
○公述人(小林一郎君) その場合に犯罪の軽重というお話ですが、その場合その拘禁しておるのが、適法に令状があつてどういう形式をとつておるか知れませんが、法律が要求するその形式要件を備えてある令状があれば仕方がないのです。この人身保護法との関係においては、ですから若し拘禁者の側で答弁にこれはこれこれの令状によつて今拘禁しておるのですという答弁が出れば、もう裁判所は手を着けられない。人身保護法との関係においては、その犯罪があるかどうか、その疑いが濃厚であろうが、濃厚でなかろうが、それは人身保護法の関係するところではないのです。そこがちよつとお分りにならないと……。
#47
○委員長(伊藤修君) その点はよく分りました。それでは他に御質疑がなければ、これを以てこの法案に対する公聽会を終りたいと思います。本日は公述人の方お忙しい中を御出席願いまして、いろいろ貴重な御意見をお聽きすることを得まして厚くお礼を申上げます。これを以て公聽会を終ります。明日は午前十時より一般公述人の公聽会をいたします。御出席願います。ではこれを以て閉会いたします。
   午後四時十八分散会
 出席者は左の通り
   委員長     伊藤  修君
   理事
           鈴木 安孝君
           岡部  常君
   委員
           中村 正雄君
          前之園喜一郎君
           來馬 琢道君
           松井 道夫君
           宮城タマヨ君
           星野 芳樹君
           小川 友三君
  公述人
   東京大学教授  團藤 重光君
   第一弁護士会会
   長       島田 武夫君
   東京高等檢察廳
   檢事      植松  正君
   産別会議幹事  高木  巖君
   東京大学教授  平野義太郎君
   自由人権協会理
   事長      海野 晋吉君
           小林 一郎君
   早稻田大学教授 中村 宗雄君
   立命館大学講師 宮内  裕君
   弁  護  士 正木 だい君
ソース: 国立国会図書館
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