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1956/02/19 第26回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第026回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号
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1956/02/19 第26回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第026回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号

#1
第026回国会 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査特別委員会 第5号
昭和三十二年二月十九日(火曜日)
    午前十時五十九分開議
 出席委員
   委員長 廣瀬 正雄君
   理事 中馬 辰猪君 理事 中山 マサ君
   理事 山下 春江君 理事 戸叶 里子君
      臼井 莊一君    原 健三郎君
      保科善四郎君    眞崎 勝次君
     茜ケ久保重光君    石橋 政嗣君
      受田 新吉君    山口シヅエ君
      小林 信一君
 出席政府委員
        総理府事務官
        (恩給局長)  八巻淳之輔君
        厚生事務官
        (引揚援護局
        長)      田邊 繁雄君
 委員外の出席者
        総理府事務官
        (恩給局審議
        官)      青谷 和夫君
        大蔵事務官
        (主計官)   小熊 孝次君
        厚生事務官   田島 俊康君
        労働事務官
        (職業安定局雇
        用安定課長)  松本 岩吉君
    ―――――――――――――
二月十六日
 委員楢橋渡君、西村直己君、船田中君及び山本
 勝市君辞任につき、その補欠として木村俊夫
 君、大橋忠一君、辻政信君及び仲川房次郎君が
 議長の指名で委員に選任された。
同月十九日
 委員眞鍋儀十君辞任につき、その補欠として田
 中龍夫君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
二月十六日
 未帰還問題の完全解決に関する請願(中村三之
 丞君紹介)(第一〇八一号)
 の審査を本委員会に付託された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件
    ―――――――――――――
#2
○廣瀬委員長 これより会議を開きます。
 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する件について調査を進めます。本日は前回に引き続き本件について質疑を行います。本日は、総理府恩給局長、厚生省引揚援護局長、大蔵省主計官及び労働省雇用安定課長が御出席になりますので、この関係についての御質疑があればこの際お願いいたします。
 これより本件について質疑を許します。中山マサ君。
#3
○中山(マ)委員 私は前にもお尋ねしたことがあるのでございまするが、引き揚げの問題というものは、大体お連れ戻しすることに非常に熱意を傾けて参りまして、帰還した人たちに私どもがいつでもねじ込まれる問題は、就職あっせんということを非常にやかましく言われる。向うにおれば何とか職業はあるのに、帰ってきてみたら生きることもできないので、実際はそう赤くもない人、が、そういうことから逆に帰ってきて赤くなることも相当あるという話も聞いておるのでございますが、おそれ入りますけれども、年度別に、これまで帰ってきた人たちがどういう程度で就職いたしておりますか、未就職率と対照してお知らせ願いたいのでございます。
#4
○松本説明員 御質問の年度別の表は持って参りませんでございましたが、大体昭和二十八年に引き揚げが再開されまして以来の総数を御説明申し上げます。これはソ連の十一次が入っておりませんが、昭和二十八年の三月から昨年の十二月までの引揚者の総数は三万三千六百四十七人でございます。正確にはつかめませんが、このうちの三分の一が子供あるいは老人でございますので、約三分の二が職業援護の対象になるもので、私ども大体二万二千ぐらいと踏んでおるのでございます。この三万三千の内訳は、中共が三万六百五十三人、ソ連が二千六百七十六人、北鮮地区が三十六人、その他が二百八十二人となっております。この三万三千人のうちで、非常に多数の人が、自営のために、自分で職業を見つけられた方が多いのでございますが、職業安定所へ求職の申し込みをしました者は、このうち一万二千九百六十七人でございます。内訳で申しますと、中共から帰った人が一万二千五百二十人、ソ連地区が四百四十七人ということでございます。就職の実績でございますが、職業安定所を通じまして就職させましたものが六千九百九十四人でございます。これで就職率は五三・九%になっております。残りのものは未就職かと御質問があるかと思いますが、職業安定所に登録いたしまして、ある期間が切れますと、自分で職業を求められている方が多いのでございますので、現在職業安定所にこういう古い方で未就職のものは二、三百の数字だと思っております。今資料を取り寄せておりますけれども、そのくらいの少いもので、大部分は自営をされている。もう一つは、私ども率直に申しまして、昨今の景気回復に至りますまでは、非常に労働事情が憩うございましたので、生業につくことが困難であり、かつ生活の維持が困難でありますために、あるいは行商のようなことをなされたり、非常に苦労されておることは、私どもとしても存じております。しかし、全部が全部未就職の状態であるとは考えておりません。
 以上のような状態であります。ソ連地区につきましては、また後ほど数字を御説明申し上げたいと存じます。
#5
○中山(マ)委員 いつかの新聞で、去年であったかと思いますが、帰還した人たちが職業に一応つきながら――これはあるいはお宅の問題ではないかもしれませんが、つきながら罪を犯して捕えられたというような悲しいことを私は読んだことを記憶いたしておりますが、仙台であったかと記憶しております。就職しながらも、それが十分なる生活給でないために、そういう罪を犯したというようなことを、労働省関係でお聞き込みのことがどれくらいございますでしょうか。あるいはこれは法務省に聞いた方がいいのかもしれんと思いますが、もしおわかりなら教えていただきます。ワク外でございますから、何でしたら、また今後、委員長にお願いしまして、法務省の方にこの問題を聞かせていただきたいと思います。
#6
○松本説明員 そういう事例につきましては、新聞その他で承知したことはございますが、正確な件数その他につきましては私の方として資料を持ち合わせておりません。
#7
○中山(マ)委員 もう一つ、遺児関係の問題でございますが、ずっと前に労働者から来ていただきましてお尋ねをしたことがございます。結局片親の遺児の就職という問題でございますが、神奈川県、東京都では、私もこれは体験したことなんでございますが、職業を求めて、学科試験はパスしながらも、面接において、片親であるというので、銀行などはてんで相手になってくれない。やっとのことで小さいところに入れた。女の子でございますが、私そういう体験を持っておりますので、そのときに私は非常に心さびしく思ったのでございます。なぜならば、病気で死んだ親を持っている子供でもまことにお気の毒で、母親の手で育てていくということは大へんでございますので、ましていわんや戦争の犠牲者である遺族の子供がそういうふうに扱われるということは、私は非常に悲観的な気持になったのでございます。その後、神奈川県と東京都では、何かそういう人たちの保証人の役をしてやることになったということを私は聞いて、日本のわずかの県ででもそうしていただくということは、非常にありがたいことに思ったのでございますが、国全体としてはこの問題に対してどういう態度をとっていらっしゃいましょうか。私の聞いたところでは東京都と神奈川県だけでございましたが、これはどういう程度に広がっておりますでしょうか。労働省としてはこれをどうみていらっしゃいますでしょうか。
#8
○松本説明員 戦争によります遺家族、広く申しまして母子家庭になりますが、それと両親のないものの就職状況のことでございますが、これは、私が直接担当いたして参りましたのは二十九年でございます。二十九年の当時、職業安定所の求人の内容を見ますと、両親がそろっていなければ困るというような求人が、約一三%くらい東京都の例でございました。それから、当時の事柄といたしまして、親がそろっていないものは大会社あるいは有名商社においてはとらないという風潮は、確かにございました。従いまして、これは非常に重大な問題で、ある国によっては、戦争孤児については強制雇用もとっておる段階でございます。日本の当時の状況としてはこういう措置はとれない段階でございましたが、しかしながら、こういう差別待遇が行われるということは重大な問題でございますので、昭和二十九年以来全機関をあげて差別待遇の撤廃に向って参ったのでございます。そこで、二十九年、三十年と、だんだんと孤児、片親児の就職状況は好転して参りまして、昨年に至りまして、大体において、中学、高校ともに、一般の両親健全の者と就職率においては差がないというところまでこぎつけました。ただ、その後詳細な調査を行いましたところ、就職先が大会社、大銀行等にはまだ十分伸びておらない、中小企業の方が多いという状況でございますので、今年の重点事項としては、いいところへ就職きせるという質の面に向って努力しております。この努力につきましては、部下の職員まかせでなく、所長とか課長とかいう役付が面接この片親児の問題を扱うようにということでやって参っております。
 それから、今中山先生お尋ねの援護態勢でございますが、これは、厚生省と連絡をとりまして、やはり二十九年だと思いますが、両省で地方の知事に通牒を出しまして、援護態勢の確立をはかって参ったのでございます。その結果、現在まで地方におきまして援護態勢の整いましたものは、都道府県の知事直接によるものが二十五県、それから民間の未亡人福祉団体等が全県的なものとして取り上げております県が十九県、それから今準備中のものが三県ございまして、その三県が近く設置を見ますれば、全県にこの孤児の身元保証を中心といたします援護態勢ができるのでございます。これと両々待ちまして、大体世論も非常に同情をいただきまして、かような差別待遇をするということはまことに雇い主側の横暴であるという世論がほうはいとして起りましたので、私ども、世論と、こういう府県の援護態勢、それから系統機関の手を通じまして、この問題につきましては相当な効果をおさめ、また、今後においても、これがくずれないように、もっと発案して参りますように努力して参りたいと考えておる次第であります。
#9
○中山(マ)委員 ただいまのお話を伺いまして、私も非常に喜ぶものでございます。私は総理府にございます青少年問題協議会の委員もいたしておりますし、青少年たちを、ほんとうに精神的に守っていかなけれらならないということで、いろいろとこの委員会も努力をしております。特に、ひがみを持つ子供たちが犯罪におもむくということは、これは申すまでもないことでございます。国に親をとられたのにこういうことになるということを考えさせることは実に悪い。私は国の責任だとすら考えるものでありますから、ただいまのお話を伺いまして私も満足に思いますが、どうぞ今後とも、今の御努力の面――必ずしも片親がない者が性格が悪いということは私は言われないと思うのでございます。むずかしくいえばいわゆる遺伝学的に申しますれば、たとい両親のある者でも悪い者はたくさんあるのでございますから、私は、そういう雇い主たちの、誤まった、一方的な考え方に問題があると思います。良家の子弟が悪化しているという例は多々あるのでございますから、私は、かえって、片親の者の方が精神的に引き締まっておる者があるという信念に立っておる者でございます。
 それで、ただいま労働省におきましては引揚者の雇用促進の月間を展開していらっしゃるように伺っておりますが、この間の御運動のやり方、それに対する反応、今後これをはでにおやりになるなら別でございますが、月間以後もこれをお続け下さるものか、今の状態及び今後の規模について、成果とあわせお尋ねいたしたいと思います。
#10
○松本説明員 昨年の暮れにソ連から十数年の長い間抑留された同胞が無事帰還されたのでございまして、その節、十二月の五日と思いましたが、引揚同胞対策審議会におきまして、就職援護並びに生業援護に関する決議が行われたのでございます。そこで、私ども、もちろん重大な問題であり、しかも日ソ交渉妥結を背景とする引揚者の問題外てございますので、これが完全に参りませんと、いかにかけ声が喜びのかけ声でありましても、実のないことになりはしないか、これはもっと徹底的に就職援護対策を確立しなければならないと思いまして、初めての試みでありましたが、船中において職業相談を行なったのでございます。その結果を見ますと、千二十五名引き揚げて参られましたが、相談票の回収の状況は千十一名が回収されておるのでございます、その回収状況によって調べてみますと、就職したいという者が千十一名のうち五百八十九名で、五八%でございます。それから、自分で自営の道を講じたいという方が六十九名、帰農の方が二十七名、復職できるという方が六十四名、その他、帰ってみて、よく落ちついてから方途をきめようという方が二百六十二名という状況になっております。そこで、私どもこの船中の職業相談において大体の御向はわかったのでございますが、今度のやり方は、一応郷里に落ちつかれますので、そこへ落ちついたところへ、全員について家庭訪問を数回行なっております。と申しますのは、やはり、落ちついてみないと、その方向がきまらないという方もございます。それから、非常に疲れておられて、しばらく休んでまあ考えようという者もございます。いずれもほうっておけない方々でございますので、家庭訪問を数回行なっておるのでございます。それで、時期として大体十二月に落ちつかれ、正月も過ぎましたので、今月に入りましてそろそろ職業という段階になったものと考えまして、今月の一員から引揚同胞雇用促進月間を持ちまして、全府県をあげてやっておるのでございます。その前に昨年の暮れに厚生省で行いました愛の運動というものがございます。この愛の運動も厚生、労働一体となりまして、末端機関も手を携えて、啓発広報と申しますか、理解、協力を求める手を打って参ったのであります。昨今の状況を見ますと、非常に熱心にやっておられまして、昨日もNHK主催の引揚だけの座談会で就職したということの喜びの声が非常に多く述べられておりまして、現在中間統計中でございますが、五百七十一名の方々の就職を見ております。そして、相談の回数は千三百五十七人いたしておりますが、約三倍くらいの御相談をいたしております。そこで、就職でございますが、この就職は、目下、概数でございますが、大体におきまして三分の一程度の就職決定もしくは内定を見ております。ところが、三分の二の方々につきましては今後やらなければならないのでございますが、今私どもがやっておりますのは、官庁が少し積極的に採用するようにということで、人事主任官会議、次官会議に持ち出して、官庁の就職の促進をはかっております。それから、もう一つは、従来の縁故をたどりまして、何がしか縁故のあるところには、復職という形、正式の形でなくとも、とにかくそこへ厚く迎え入れていただきたいということをやっております。それから、その他につきましては、窓口の職員が、たとえば採用試験を受けに行きますときに、つき添って参るということにいたしております。それから、面接につきましては、窓口の一般職員ではなく、所長かあるいは課長が相談をする。それで担当者をきめるということにしております。そして、この人が就職を見ますまでは、この担当を解かないことにいたしております。そういうことでございますので、まあ多少時間はかかるかと思いますが、私どもは、この就職希望者につきましては、今回は完全就職をいたしたい考えでやっておる次第でございます。
#11
○中山(マ)委員 私は、ここまで御努力下さっておりますことは非常に感謝いたすのでございますが、何しろ石橋内閣は完全雇用ということを一つの大きな柱に立てておりますし、その線が、ここに、いわゆる官庁でも非常に努力をして、こういう人々を入れるということになったことは、内閣の性格上、これはさようあるべきことだと思うのでございます。私は、長く外地におった人たちが、いろいろな環境から、いろいろな方面に、精神的にも乱れを来たした人もあるかと思いますが、ここまでやっていただきますれば、結局また――民族主義ということが今はやっておりますが、またそういうところに吸収できるという一つの精神運動でもあろうかと私は思うのでございます。まことにありがたいことに思っておりますが、田邊局長にお尋ねしたいことは、帰ってきた人々の中で、せっかく喜んで帰ってきたのに、家庭的にいろいろなトラブルがございまして、非常な悩みが新聞紙上で出ておることも私は承知いたしておりますが、そういう件数を把握していらっしゃいますでしょうか。
#12
○田邊政府委員 数はそう多くはないと思っております。具体的に何件あったかということは、目下私の方で積極的に調査をいたしておりませんが、私どもの耳に入る件数といたしましては、そう多くはないようでございます。
#13
○廣瀬委員長 受田委員。
#14
○受田委員 この前にお尋ねしたことでありますが、さらに掘り下げて質問を申し上げたい点があります。それは、未帰還者留守家族等援護法の目的と、それから戦傷病者戦没者遺族等援護法の目的の相違であります。この留守家族援護法の方には「未帰還者が置かれている特別の状態にかんがみ、国の責任において」と書いてあります。一方は、恩給法の対象になる人たちに対しての差しあたりの暫定的な措置としての国の補償をする精神からという毒薬、国家補償の精神からというのが書いてある。これは、この法律を作ったときに、われわれもいささかうかつな点であったので、質問も十分尽さない節もあったわけでございますが、未帰還者留守家族と、それから戦没者の遺族との間には、今微妙な問題が起っておるわけです。なぜかとというと、五万二千人の人々の大半が死亡しておられるであろうという、われわれは不吉な予感がしてならない。その方々は現にもう未帰還者でない人が大半である。ただ形の上で消息不明になっているだけで、大半はもう戦傷病者戦没者遺族等援護法の適用を受ける段階に入っている人なんです。この人々が形の上で、こちらの法律に残っているという点に、大きな悲劇があると思うのです。この点を引揚援護局長はどうお考えでありますか。
#15
○田邊政府委員 留守家族援護法は御承知の通り昭和二十八年にできたものであります。今受田委員が述べられたような感じは、当時においてもあったわけでありますが、それがだんだん濃化していっているのであります。しかし、建前は、どこまでも未帰還者という特別の状態に置かれている、こういう建前にあるわけであります。それから、遺族援護法と留守家族援護法の理念の違っている点はたびたび申し上げているところで、これはやむを得ないと思うのであります。対象から申しましても、留守家族援護法は軍人軍属以外の一般邦人が入っております。遺族援護法は、御承知の通りの理念で、国家公務員に対する公務災害補償ということで、対象が限定されております。いわば、簡単に申しますと、遺族援護法は、法律の体系としては給与体系の法律で、どこまでも給与体系の形であります。また、留守家族援護法は、給与体系の立法でなしに、援護立法である。それは一般邦人が入っているという点から御承知だと思います。ただ、その間にギャップなきやというと、ギャップがあるのであります。これは手落ちといえば手落ちになるわけでありますが、これはなぜそういうことになったかというと、従来あった未復員者給与法を廃止した結果であります。このギャップをいかにして埋めるかということが問題であります。そこで、このギャップを埋める方法として決定的なことは、給与制度を復活すればいいのです。当時未復員者給与法がずっと来ておってフラットであったが、恩給法が復活する際に、フラットな俸給は持続できないので、階級別の俸給に直さざるを得ない。しかし、そうすることがまた留守家族全体の御意向に必ずしも沿わないという実情にあった。当時この俸給制度を改正しなければならなかったというのは、これはまたやむを得ない実情であったと思います。しかし、その結果現在のような状態になったということで、そのギャップををいかにして埋めるかということにつきまして、われわれは努力しているわけであります。私は、卒直に申しまして、現在の恩給法における公務扶助料が死亡判明の日から支給しているというのをやめて、死亡の時に遡及するということがギャップを埋める一つの方法ではないか。何となれば、現在におきましても、公務扶助料は遡及するものあり遡及せざるものあり、こういう現状でありますから、この点は、理論的に申しますれば、それが一番正しいわけであります。ただ死亡が判明するまでの間どうするかという問題があるわけでありますが、これは、大半が死亡されたであろうということを考えるならば、結局前払いということになるわけでありますので、そう頭を悩まさなくてもいい問題ではないか。私は、その場合でも、一番どれがいいかと申しますれば、給与制度を復活しないとすれば、ほとんど全部普通恩給の年限が来ておりますので、普通恩給の若年停止を廃止して全部にやるというのが一番いいんじゃないか。たとえば、それを留守家族援護法の中に入れますと、同じ立法の中で、軍人の方々はこういう取扱いを受ける、一般邦人は別だという立法も、実際は非常にしにくいのです。そこで、すらっとした形では、恩給法上の取扱いの普通恩給を若年停止を廃止して全部やる。現在は普通恩給の年限にほとんど来ております。おそくも今年七、八月ごろには全部つくはずでありますので、これが一番いいんじゃないか。そうすれば、給与法を廃止した結果生ずるギャップは一応埋められるということになるのではないか、こう思っておるわけであります。
#16
○受田委員 あなたのお考えはきわめて現実的な解決策の一歩前進だと私は思う。それは死亡判明の日にさかのぼって支給する、そうして現在においても前払いの形式にそれをとっていく方法もあるんじゃないかというような、いろいろなお考え方が出たわけですが、今これで問題にされるのは、恩給法の適用者で若年停止という規定をはずすという方法もあるわけではありますが、問題は、この留守家族援護法の中にある一般邦人と、それから旧未復員者給与方の適用者と、山脈が幾つもあるのです。この山脈の中で、ある者はそうした恩典に沿し、ある者は恩典に沿さないという印象を受けるおそれもあるし、一般邦人が取扱いにおいて軽視されるおそれがある。一般邦人の取扱いは今度どういうふうにしようという御研究をしておられましょうか。
#17
○田邊政府委員 一般邦人の問題は、給与法の体系からは議論はできないわけでございます。そこで、終戦直後死亡した方がたくさんおられるわけでございます。おそらくは、終戦直後死亡したであろう方でも、現在わからないために、未帰還者になっている方も相当数おありになるのではないかと思われるわけです。そういう現在未帰還者という特別の状態に置かれているという点をまず考えまして、この留守家族の方々に対しまして手当を差し上げるというふうな措置をしたのが、この留守家族援護法である。従って、第一条を、留守家族、一般邦人の留守家族を頭に置いてお読みいただきますと、非常にすっきりするわけでございます。ただ、それが援護立法の根本でありますが、軍人の場合におきましては、そのほかに恩給という給与という問題が根本にあるものですから、一般邦人以外にそういった問題が出てくるわけでございます。受田委員の御質問になっている点は、軍人も一般邦人も同じように扱えという御議論ではおそらくないと思いますので、一般邦人に対しましては、死亡の判明するまでの措置といたしましては、現在の留守家族援護法でいいのではないか、こう思っている次第であります。
#18
○受田委員 もう一つ、この法律改正をいろいろ計画をしておられると思いまするし、私たちも研究をさせてもらっているのですが、これはもともと法律の提案は政府がなさった法律なんです、私たちは、政府が当時これをお作りになったときに、この一般邦人と、それから公務員であった立場の人と、町方入れるときに、今後こういう問題が起るであろうという想定はいたしておられたと思うのです。たとえば、今申し上げたように、もう死亡されていることがはっきりわかっているが、表面は未帰還者になっておるという方方の取扱いが、当然起ってくる。そこで、例の十三条の規定をおはめになっておられると思うのであります。それはいかがでございましょう。
#19
○田邊政府委員 当時そういうことも考えられたのでございますが、この恩給法上の公務扶助料という形式にするためには、一応死んだという何らかの格好をつけなければならない。たとえば、死亡と推定するとか、何かそういった格好をつけませんと、恩給法上の公務扶助料というものはくっつかないわけでございます。もちろんそうする方が留守家族の収入として有利なことはわかるわけでありますが、当時の情勢におきましては、未帰還者の全部はもちろんできませんが、その一部については、まだ調査中のものについて死亡推定という形式をとることが、どうも機運が熟しておらなかったと思うのでございます。そこで、ギャップを生じたことは事実で、そういうギャップを生ずるような立法というものが手落ちであったことは、その通りだろうと思いますが、ギャップを生ずるような事態もまたやむを得なかった、こういうことになるわけでございます。何とか現実の問題としてすみやかにこのギャップを埋めるようにしていきたい、こう思っておるわけであります。
#20
○中山(マ)委員 その問題で、いわゆる推定というような問題が出て参りましたが、この間、ここに引揚者――昨年の暮れに帰った人たちを参考人としてお呼びしましたが、その話を聞きますと、「終戦直後の混乱でだれがだれやらわからない。日本人同士でもこの人がどこの人だかわからぬような状態で、たくさんの人たちが、食糧不足と衣料不足のために寒さに耐えられず、また栄養失調でたくさん死んでしまって、そうしてそこらに積んであったという話を聞き、また胸にただ赤いインクでナンバーを打って埋めてしまった」というような話も伺ったのでございますが、そうすると、この問題は、いつごろまでお待ちになって――「死亡したものと推定」という言葉でございますが、そういう時期はいつくるのでございますか。今のお話を聞いておりますと、結局、そういうふうに変えてもらった方が、遺族としては処遇がよろしいということになりますと、どうしてもということになれば、そこらまででございますね。早くした方がいい。この間も芝公会堂の行方不明者の大会に行って、あのまことに悲壮な御婦人の声を聞きまして、しみじみと感じたことでございます。私も子供を二人失った体験から、もう死んだものは仕方がないのですから、あきらめるという境地にいかれますけれども、いわゆる不安定なところにおるということは、一番耐えられないと思うのでございます。それで、どういう機会にそれをそういうことになるおつもりか。今度援護局の方からソ連の大使館へいわゆる随員の中に加わっていらっしゃって、その上でできるだけの手を打ってみて、早期になさるおつもりか。そういう点をちょっとお伺いしたいと思います。
#21
○田邊政府委員 非常にむずかしい問題でございますが、これはみんなで考えなければならぬ問題だと思います。役所が一方的に事務的な見地からだけでこれを取り扱ってはいけない問題だと思います。委員会の先生方にも十分教えていただきまして、最も適当な時期にいたしたい。これは、先ほどお述べになりましたような留守家族援護法の年限が三年延びております。その三年延びておる期限の切れる時期、あるいはソ連、中共等に照会をしたその回答のある時期等をにらみ合せましてきめるのが適当ではないか、こう考えております。
#22
○受田委員 厚生省におかれましては、私ここで資料をお願いしたい点があるので、できるだけ近い機会に御調査の上御提出願いたのですが、私たち、この法案を検討するに当り、法律を再検討するに当りましての大事な資料として、この法律に基く療養給付の対象の数及び戦傷病者戦没者遺族等援護法に掲げられてあるところの、国家総動員業務及び閣議決定等の各般の国家の命令で動いた、至上命令で動いた人々の動員数、そうして現に支給されている特別弔慰金の対象となった人の数と、それから遺族年金の対象となっている人の数等を一つお調べの上、御報告いただきたい。それによりまして、さらに法律の再検討について大蔵省関係などの問題が発生しまするので、お尋ねをしたいと思います。次会に、あるいはその次までにお願い申し上げておきます。
 私はここで一つ大蔵省にお尋ねしなければならないのでありますが、大蔵省主計官として小熊さん、こうした軍人恩給あるいは遺家族援護と、こういうような戦争犠牲の方々に対する国家の資金がどしどし出ていくことに対しましては、大蔵省はなるべくこれを押えたいという基本方針があるのでございますか。
#23
○小熊説明員 お答えいたします。戦争犠牲者に対しまして、一体何を戦争犠牲者というか、あるいは政府としてどの範囲のものにつきましてどれだけの援護をしていくべきかという問題につきましては、戦争犠牲者の概念、あるいはその被害を受けた程度、あるいはその被害を受けるに至った経緯、そういう問題につきまして慎重に検討しなければならない問題であると思います。それでないと、非常に範囲が広がる。国民から税金を取りまして、それをまたばらまくという格好になっては困るのではないか。そういうようなことから、われわれといたしましては、もちろん従来から存置しております制度は尊重するにいたしましても、さらにこれをますます拡大していく場合には、そういうふうな見地から、もう一度あらためて十分検討しなければならないのではないか、こういうふに考えております。むしろ、そういう面は、社会福祉と申しますか、社会保障というような見地から考えていくのが最も妥当な方法ではないだろうか。いささか私見にわたりますので、その点恐縮でございますが、私担当主計官といたしましては、やはり、社会保障というような見地から、ほんとうにかわいそうなものを見ていく、こういうことにいたしますと、この人々が困っておるということを二つのものさしではかりまして、そして公平に見ていくことができるわけでございますから、なるべくはそういう方向に持っていきたいというふうに考えているわけであります。
#24
○受田委員 大蔵省としては、私見も加えられた立場で、小熊さんが御見解を明らかにされたのでありますが、私が今ここで申し上げているのは、一般社会福祉事業、社会保障事業、こういう問題と別に、国家の至上命令で動いてなくなった人の場合は、これはまた特別の責任が国にあるのでありますから、さっき申し上げた戦傷病者戦没者遺族等援護法の国家保障の精神、こういう観点からながめていく問題に今私は限定しておるわけでございます。学徒動員とか、徴用工とか、その他国家総動員法のいろいろな関係勅令、あるいは閣議決定で動いた方々を、今何とか一つ広げて国家の責任を果したいというわれわれの見解があるわけですが、これを、かわいそうな人で、生活に困っておる人という意味で処理なさるお考えでございましょうか。
#25
○小熊説明員 先ほど申し上げましたのは、戦争犠牲者一般と申しますか、非常に広い見地から見ました戦争犠牲者について申し上げたわけでございます。ただいま伺っておりますようないろいろな特殊な問題、総動員法によって動員された学徒であるとか、徴用工であるとか、そういう問題につきましては、これはまた別途の考え方があると思うのでございます。その点につきましては、すでに厚生省の方からもいろいろお話を伺っておりますし、当委員会におきましても諸先生方の御意見を承わっておるわけでありますが、それにつきましては厚生省の方からもお話がございますので、そういう面につきましては慎重に検討いたしたいと考えます。ただ、われわれの気持といたしましては、先ほど申しましたような根本方針と申しますか、そういう考え方を基底に置いて考えるのが筋じゃないだろうか、このように考えておる次第でございます。
#26
○中山(マ)委員 私はその御意見には非常に反対でございます。川崎厚生大臣がいらっしゃいましたときに、転落女性の問題などもそういうワク内で処理したらいい、いわゆるソーシャル・セキュリティと申しますか、それでしたら、大きな場面ですから、そういうこともおっしゃり得ると思うのでございますけれども、その社会保障という中に、結局、自分は一生懸命努力したけれども、生まれてきた環境の貧しさから生活ができない人、あるいは、売春の問題一つとりましても、結局、ほんとうに生活に困ってやっておる人、またじだらくさのためにそういうところに落ちた人、またいなかにおったのではぜいたくができないからという虚栄心からやる人、その色分けはいろいろあるわけでございます。そういうことで、大蔵省というものが実に冷たい省であるということを世間一般が考えておるのは、そういう御発言があるからじゃないかと私は考えるのでございますが、もう少し説明を加えていっていただきませんと、石橋内閣そのものに私は傷がつくのではないかという心配をいたすのでございます。それは、お金の計算ということも大事なことでございますけれども、いわゆる社会保障という一つのワクの中に――売春婦もあるいは勝手にじだらくのために働かない人もおりますね。そういうことで生活保護を受けている人も、あるいは国家の至上命令で呼び出されて命をとられた人も入れるということは、私はこれは根本的に考え方が間違っておると考える。そうしますと、国のために働くことがばかばかしいというような特にこの時代でございますから、この御発言は私はどうかと思うのでございます。祖国愛というものが全然忘れられた時代が過去十年間ありました。今少しましになってきておると思いますけれども、そういうことをおっしゃっていただくことは、道義高揚とかいう声も盛んに出てきております今日、非常に困る。それは善意で解釈すればよろしゅうございますよ。しかし、政府のやることはなるべく悪意に悪意に持っていこうという風潮もないのではないのでございます。どうぞ一つ十分な釈明をつけておっしゃっていただきませんと、それは国のさいふを預かって見て下さる方ですから、それをむちゃくちゃに出していたのでは国は滅びると私も承知しておりますが、もう少し抑揚をつけてお話を願いませんと、非常に困ったことができてくると私は考えます。社会保障というその大きな理想は私はわかります。けれども、その中でも、やはり国のために働いた人には――いわゆる文化勲章というものがございますね。これには幾らぐらい金をおつけになりますか、ちょっと伺っておきたいと思います。いろいろ音楽だとか、そういう才能的に功績のあった人には勲章を与えておる。ついこの間私の山田耕作さんの文化勲章のお祝いに大阪へ呼ばれていったのでございますが、そういうふうなことで奉仕した人には文化勲章を与えて、お金もつく。実際はこの人たちはほんとうに不自由のない人です。にもかかわらず、ほんとうに命をとられたという人には――そういう命をささげた人があったればこそ、特に私ども婦人が今日政界にも出られるという恩典を受けておるものといたしましては、私はこれはなかなか簡単に割り切れないものがあるということをしみじみと考えまして、私は川崎大臣のいつかの御発言に非常に反対をした一人でございますが、どうぞ一つもうちょっと大蔵省は温情を持った御発言を私はお願いしたいと思うのでございます。
#27
○田邊政府委員 私からも釈明をさしていただきます。ただいま御発言になりました点につきましては、先ほど、小熊主計官からも、「厚生省からもいろいろ話を伺いまして、その点については考えております」こういうお話がございますので、私の申し上げますことは、やがて小熊主計官の御説明にもかわるかと思いますので、申し上げたいと思います。
 お説の通り、国家に責任ありというものについては、その責任をある程度果すことは、これは当然のことだろうと思います。ことに戦争犠牲の負担公平ということは、大きな原則でなければならぬ。そこで、そういった見地から、われわれ今日まででき得る限りの努力はしてきているつもりでございます。問題は年金にするか一時金でやるかという問題になるわけでりますが、小熊主計官が言われましたように、年金的なものを一律にやるということについてはなかなか困難が伴うので、そういった面は社会保障制度を十分伸ばすことによって解決する、一時金等の問題につきましては、そのつど大蔵省も私どもの相談に十分乗っていただきまして、適当な措置をするように措置を進めておるのでありまして、小熊主計官の言われました気持の中にもそれが入っているのではないかと思いますので、つけ加えておきたいと思います。
#28
○受田委員 恩給局長もお見えになつておられるようでありますが、大蔵省の見解は恩給亡国を極度に警戒なさっておるようでございますが、その点は間違いありませんか。
#29
○小熊説明員 恐縮でございますが、私恩給の方を担当いたしておりませんので、担当主計官としての御意見を申し上げられないのでございますが、常識的にいたしましても恩給というものが国家予算の相当部分を占めるということはどうであろうかということを、私は、社会保障の方を担当いたします関係から、そういう気持がいたしておるという点は、この際申し上げておいてけっこうかと思います。
#30
○受田委員 公務扶助料というものは、これは恩給亡国の対象に考えてあげると大へん気の毒だと思うのです。これは、国家保障でちゃんと別立てで、恩給とは違うのですから、祖国のためになくなられた英霊のための別のワクを考えてあげる。恩給法の中に適用を受けているというので、六百億以上あるというので、そのなくなられた遺族に対する扶助料のことが恩給亡国の対象にもなつてきておるわけですから、大蔵当局はこれは一つ考えてあげなければならぬと思うのですが、最近、政府与党の内部にも、だいぶ公務扶助料の大幅増額案を計画しておられるようでございまするし、また、私たちとしても、公務扶助料が特に低額者に低いことを十分確認しておるわけなんです。この自民党の内部における大幅公務扶助料の増額案に対して、恩給局及び大蔵省はいかなる御見解を持っておられるか、御発表願いたいと思います。
#31
○八巻政府委員 お答えいたします。旧軍人恩給、特に遺族の恩給につきまして、法律百五十五号制定当時から、遺族の傷病者、老齢者というものに重点を置いていくということにつきましては、ずっと変っておらないわけでございます。従いまして、百五十五号制定後におきましても、公務死の範囲を拡大すというような面で逐次改善されてきたわけでございまして、公務扶助料の倍率引上げ、これによりまして公務扶助料の額を引き上げるというふうな要望がございます。これにつきましても十分検討いたしたいと思っておりますが、何分にも、今年度の予算を組む際におきましては、軍人恩給のベース・アップの平年化であるとか、あるいは文官の不均衡是正の平年化であるとか、あるいは昨年の臨時国会で成立いたしました内地死亡軍人の特別の公務扶助料支給が今年度から実施されるというようなことで約六十億ばかりの増額になっております。従いまして、これ以上の増額につきましては一応見送るということにして、予算を編成したわけでございます。しかしながら、今後におきましても、遺族なり傷病者という方丈に対する恩給問題ということを十分に考えていくという態度につきましては、変りでございません。
#32
○小熊説明員 そういう話があることは、私、直接の担当ではございませんが、伺っておる次第でございますが、予算は一応現行のベースで組んでおりますので、一応その線でいくのが妥当ではないか、こう考えております。それは、先ほど先生から御質問のございましたように、財政規模の問題から申しましても相当問題ではないか。大幅になれば、相当ほかの社会保障なり何なりのワクが圧迫されるということにもなり得るわけでございます。これは、社会保障だけでございませんで、その他の経費の問題もございますから、われわれといたしましては、大幅の増額をするということにつきましては、この際最も慎重に考えねばいかぬ問題だ、このように考える次第でございます。
#33
○中山(マ)委員 ちょっと伺いますが、先ほどの文化勲章でございますね。あれは年金ですか、一時金ですか、そしてどれほどでございましょうか、ちょっと伺っておきたい。
#34
○小熊説明員 あとで調査いたしまして御説明いたします。
#35
○受田委員 この前、一万田大蔵大臣が、自民党の幹部との間に、「恩給の増額については、昨年のあの特例法を作ったときに、これで終りだから、これからはこの問題はもう考えないのだから」という話をしたということですが、主計官はそういうことをお聞きになったことございますか。あるいは、恩給局で、どなたかそういう政治的折衝の面においてのかけ引きの際の発言というものを御記憶の方はないでしょうか。
#36
○小熊説明員 先ほど来申し上げますように、私は、直接の担当でないから、しかとしたことは存じておらないのでございますが、とにかく政府としてはもうこれで終りだということは、陰ながら伺っておる次第でございます。
#37
○受田委員 私は、その問題の解決よりも――そのことはもちろんでございますが、まだ先にやらなければならぬ問題が残っている。それは、国家の至上命令でなくなった方々が多数残っている。この人々に国家がまず責任を果していくべきだという考えを持っておるのでございますが、これはもう一刻も猶予なく手をつけなければならない問題である。田邊局長もその点には非常に関心を持っておられるようでございますし、大蔵省としても厚生省の御要望を十分聞いておられると思うのであります。すなわち、戦死者と同等の、軍人軍属と同じ立場でなくなられた方々を処遇する問題、これはぜひ厳重に実現できるということに、一つ厚生大蔵両省が見解を統一してもらいたいと思うのです。主計官、よろしゅうございますね。
#38
○小熊説明員 先ほど来申し上げましたように、厚生省の方からいろいろ相談をいただいておるわけでございますので、これを検討いたしまして、ほかとのバランスその他の関係があると思いますが、十分検討いたしてみたいと存じております。
#39
○小林(信)委員 援護局長にお伺いします。これは学校の先生が直接の問題ですが、そのほかにも類例があると思うのです。戦争当時に多かったのですが、華北交通ですか、あれが経営しておった扶輪学校というのがあるのですが、これは満鉄が経営した学校と同じような性格なんです。しかし、ここへ奉職した先生は、外務省で派遣をした形でなくて、一会社が何ら政府と関係なく先生を採用したというような形に扱われておるのです。従って、この扶輪学校に奉職した先生は、この期間というものは、前に満鉄に奉職するとか、あるいは内地の学校に奉職した者と違って、また内地の学校に奉職するというような場合に、その間の年限というものは恩給に該当しないような形になっているのです。引揚者に対しましては、いろいろ善意に好意的に解釈して、なるべくその人たちが恵まれるようにされているのが今の状況だと思うのですが、こういう人たちが取り残された形でおるのです。何か、こういう点で、今まで検討されて、政府としてはどういうふうに取り扱うと明白にされたものがあるかどうか、お伺いしたいのです。
#40
○田邊政府委員 御質問の点は、恩給法上の取扱いの問題ないし解釈の問題だと思いますから、恩給局長からお答えしてもらいます。
#41
○八巻政府委員 ただいまの御質問で、焦点といいますか、私ちょっとうっかりしておりまして、聞き漏らしたのでございますが、満鉄の社員の方で、内地へお引き揚げになりまして、そしてこちらの学校に御就職になった、こういうケースでございますか。
#42
○小林(信)委員 もう一ぺん質問します。今不用意にお伺いするというのは突然で申しわけないのですが、ちょっと時間がありそうだからお伺いしたのです。これは満鉄に奉職した者じゃないのです。灘北交通が――これは半官半民の形でしょうが、実際は全部官が経営したような形になっていて、満鉄と同じような性格ですが、あの当時これが扶輪学校なるものを置いたわけなんです。これは主として当時の宣撫工作の仕事を担当されておったようなんですが、満鉄において経営されておる小学校と同じような性格なんですが、そこまでいかないうちに戦争が終ってしまったわけなんです。満鉄と同じような性格のものでありながら、これが満鉄の学校に奉職した者と同じように取り扱われないということなんです。これは援護局長にも心配をしていただかなければならぬという点で、私は今質問をしているのですが、満鉄の方に頼んだ者とか、あるいは同じ中国、当時の支那へ行った先生でも、外務省から派遣された形で行った者は、これは恩給問題にも全然関係なく、その勤務年限は通算されるわけです。ところが、この扶輪学校に行った者だけは取り扱われないという形になっているのです。性格とすれば何ら変るものじゃない。ただ当時扶輪学校というものがそこまで認められておらなかっただけなんですが、実際上は、外務省から派遣されて、当時日本政府が直接経営した学校に奉職した者と同じなんです。かえってそれ以上の使命を帯びてやったわけなんです。ところが、この学校に奉職した者は取り扱われないという状態でほうっておかれるし、また、先生たちは、自分たちがそういうものに従事したということを非常に良心的に考えて、あまり声を出しておらないのです。全国にそういう先生は非常に多いと思います。これを外務省の方に考えさせますと、外務省では、自分のところで派遣した者ではないのだから、私のところではそれを認めてやることはできないということなんです。だから、これは、恩給局ということよりも、かえって引揚援護局の方で何か特別な計らいをして、そうして恩給に該当するような措置をとって、恩給局の方に回るべきものだと思うのですが、どうですか。援護局長は恩給局の方へ回されてしまったんですが……。
#43
○八巻政府委員 ただいまのお話でお尋ねの問題点がわかりましたが、御承知の通り、恩給法上の公務員、つまり日本国政府の官吏としての身分を持って外地で勤務された方々、特に、今のお話の一番近い例は、在外指定学校というのがございましたが、そういうところにお勤めになった教員の方々、こういう方々につきましては恩給法が適用になり、帰ってこられた方が再び就職されれば、前の年限が通算されるということになるわけであります。お話の点は、そういう恩給法の対象にならない方々についてどうするかという問題でございますが、そういたしますと、結局、華北交通であるとか満鉄であるとか、北支政権なりあるいは華中政権なり、満洲国にお勤めになった官吏の方々も同様でございます。そういう日本人の方で向うの官吏になられた方々もやはり恩給法の対象になりませんから、結局、向うの機関が解体したことに伴ってその機関からの当然受くべかりし権利と申しますか、債権と申しますか、それが消滅してしまった、これに対してどういう措置をするか、こういうことになると思うのです。従いまして、このお気の毒な方々に対する処遇をどういう形でやるか、恩給という便法を使ったらいいじゃないかということも考えられましょうし、海外から引き揚げられた、特にそういう身分を持った方々について、何らかの別な処遇方法をやるかというふうな、処遇一般の問題についてどういう方法でやるかということが検討されなければならぬ。ですから、そういう方々についての処遇方法一般の問題として考えて、そういう方々について恩給という便法を使ったらいいじゃないかということになれば、それはまたそういうのも便法でございましょうが、それより以前の問題として、そういう方々に対する処遇をどうするかという問題が先決問題じゃないか、こう思っております。
#44
○田島説明員 海外からお引き揚げになりました方の引揚者といたしましての処遇は、ただいま小林先生のおっしゃいましたような方も、そうでない方も、同じなわけであります。たとえば、一般の引き揚げに伴いますいろんな処置でございますとか、あるいは傷病に関しまするお取扱いであるとかいう点については、一般の引揚者として、ほかの方とほとんど変りないのでございます。ただ、引き揚げてこられましたその上での処遇ということは、実は現在まで引揚援護局としてはいろんなとりきめの中にはまだ何もないわけでございますけれども、もしあるといたしますならば、これから先の問題になってくるということで、それらの問題につきましてはまだ研究の途上でございまして、これがこうだと申し上げるような段階にまでまだ至っておらないことを申し上げます。
#45
○小林(信)委員 今から検討していただく問題であるかもしれませんが、これは非常に微妙な問題で、満鉄と華北交通は同じような性格のものなんです。今満鉄に奉職された者は該当しないというふうに言われているのですが、先生の場合には、何か方法がありまして、満鉄の学校に奉職した者は内地の学校に奉職した者と同じように取り扱われておると思うのです。その扶輪学校というのに行った者も、満鉄の方から派遣された者は満鉄の経営の学校にいたと同じように待遇されて、何ら恩給の上に空白がないのです。ところが、内地の方から、当時の宣撫工作というふうな形で、多少決死的なもので、勧誘されたというか、徴用された形で出た人たちは、その扶輪学校に行って、ほんとうに第一線の、教育の仕事といっても宣撫工作的なものが多いのだそうです。私いろいろ話を聞いたのですが、学校ということよりも、あちらの人たちが病気になる、あるいは傷を受けたという場合には、そういう人たちがすぐ行って、薬を塗ってやる、あるいは介抱してやる、そうして、非常になつきますと、あなたの子供さんをこの扶輪学校へ入れなさいというような形をとって、向うの人たちを日本的な教育に入れたわけです。そういう仕事が大体扶輪学校の仕事だったのです。だから、満鉄の初歩の学校の先生と同じような仕事をやったわけです。だから、帰って学校の先生をやっている人たちは、みなそういう仕事に協力したというと何か戦争協力者というようなことで、あまりはっきり言えないのですが、しかし、やった仕事については、当時とすれば、内地にいる先生と同じように待遇されてしかるべきなのです。ことに、内地と扶輪学校という問題でなくて、満鉄というものがそこに現にあるわけですから、満鉄の学校に奉職した者と同じように待遇されているということから、この扶輪学校の先生をした者について何か考慮願いたい。大体内地で先生をやっていた者が扶輪学校に行って、扶輪学校で終戦になると同時に引き揚げて、そしてまた内地の学校へ奉職した人たちが多いのです。その人たちはその空白のときがいろいろな形でもって影響しておりまして、そのために前の経歴というものが全然復活されておらないというような人たちもありますし、この点、これは今まで援護局の方でも恩給局の方でも御検討になっておらない問題だと思うのですが、できましたら検討していただいて、今後そういうような問題を整理される機会があると思うのですが、御考慮願いたいと思うのです。
#46
○廣瀬委員長 ほかに御質問ありませんですか。――御質疑がなければ、本日はこの程度とし、これにて散会いたします。
 なお、受田委員から先刻御要望になりました資料は、すみやかに政府において御提出を願います。
 次会は公報をもってお知らせをいたします。
   午後零時十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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