くにさくロゴ
1956/12/03 第25回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第025回国会 社会労働委員会薬価基準等に関する小委員会 第2号
姉妹サイト
 
1956/12/03 第25回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第025回国会 社会労働委員会薬価基準等に関する小委員会 第2号

#1
第025回国会 社会労働委員会薬価基準等に関する小委員会 第2号
昭和三十一年十二月三日(月曜日)
    午後二時四十一分開議
 出席小委員
   小委員長 小島 徹三君
      亀山 孝一君    野澤 清人君
      八田 貞義君    滝井 義高君
      長谷川 保君    山口シヅエ君
 出席政府委員
        厚生事務官
        (保険局長)  高田 正巳君
 小委員外の出席者
        厚生事務官
        (薬務局長)  森本  潔君
        厚 生 技 官 大村潤四郎君
        専  門  員 川井 章知君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 薬価基準等に関する件
    ―――――――――――――
#2
○小島小委員長 これより会議を開きます。
 薬価基準等に関する問題について調査を進めます。発言の通告がありますので、これを許します。野澤清人。
#3
○野澤小委員 総括的にお伺いしたいのですが、八月に大阪、名古屋の実態調査をして、本委員会でも一応総括的にこれをとりまとめたのです。名前は製薬業態の実態調査ということが実際は出ました。それから成果としても、最大の賛辞を奉ったところで、相当の成果が上ったということですけれども、実際は今度の調査では、感謝するほどの内容がはっきりしないと思うのです。その理由は現在の製薬企業というても特殊な大会社の工場や生産状況を見たために、メカニズムそのものが大き過ぎるということ、それから現実に内容把握というものが非常に不的確であり、ばく然としておったと思うわけです。従って健康保険の赤字対策の一環としてこうした小委員会を作ったという建前から見ても、実質的にもう少し内容を究明しなければいかぬ。けれどもこの委員会でもたびたびいわれたように、企業体実態に対する強制監査というような目的では、われわれ出られないんで、やはり製薬業者の自主的な協力を得なければ、今後希望する調査項目の中にはなかなか入れないと思います。そこで私の考え方を申し述べる前に、薬価のきめられる過程までの生産工程と、販売ルートに移していくというこの過程について、厚生省当局としてはどの程度までわれわれの理解のいくような解説ができるか、この点をまずお伺いして、そしてできないとすれば、どういう資料とどういう調査を進めなければならぬかという方針をきめなければならぬと思います。この点についてまずお伺いしたいと思うのです。
#4
○森本説明員 ただいまの御質問は、メーカーにおいて医薬を製造した場合、それはどういう方法で価格をきめておるか、さらに流通形態に入った後において、その価格がどういうように変っていくか、その辺がどの程度役所ではっきりわかるかという御質問かと思いますが、これは毎回ここで申し上げておりますように、一般的な御説明はできると思うのでございます。しかしメーカーにおきますところの価格のきめ方にしましても、たとえばアスピリンならアスピリンという品目をとりましても、これはそれぞれのメーカーにおきまして、画一的な価格のきめ方になっておりません。従いまして一般論の御説明しかできない段階だと思うのでございます。特殊なものとか、あるいは特別な個々の特定のものについて知りたいという話であれば別でございますが、そうでない限りは一般的な御説明しかできないと思います。それから流通形態におきますところの価格のきめ方にいたしましても、販売形態が元卸から直接消費者へ行く行き方もございますし、その間二つ、三つの販売業者を経由するものもございます。また各取扱い業者におきまするところの値段のきめ方も、これは区々でございまして、一般的な御説明以上にはできないのではないだろうか、かように考えております。
#5
○野澤小委員 たびたび承わっておりますので、もうそれ以上は無理かと思いますけれども、それではたとえばときどき国会等で、保険薬物等が非常に高い安いという議論が社会党さんあたりからよく出る。それとまた半面に、今度は健康保険の改正等に付帯して、赤字の原因が薬物に行くのだ、こういうふうな議論が必ず出るのです。出た場合に、高いか安いかの判定をそれでは一体だれができるかという問題になってきますと、民間人以外はその示唆ができないということでは、これは行政担当者としてもマイナスではないかと思うのです。そういうことから考えてみて、少くともこの問題が始まってから半年にもなるのですから、厚生省自体が薬品価格に対する監査の基本的なルールというものをお立てになったかどうか、またなる意思があるのかどうか。またそういうことは行政の権限外だから自分たちはやらないのだというお考えであれば、それでもけっこうです。けれども、いろいろな会社々々によって原価計算の基礎というものが科目別に採択の仕方か違う。たとえばAの工場では、広告費まで製造科目の中へ織り込むところもあるし、それから製造原価として工場から離れたものを販売ルートに乗せる場合に、在庫価格なり販売価格なりの設定をする、そういう際に総合経費を負担させたり、広告宣伝あるいは学術部の費用を負担させたりする場合もあると思うのです。従って局長の言われるように、原価計算方式はその会社々々によって異なっていることは私たちもよくわかる。わかるけれども、役所としてこれを監督指導し、育成するという建前からいくと、何らか調査すべき基本のルートがなければならぬじゃないか。そうすると、原価計算方式が勘定科目のとり方がまちまちであっても、その製造原価なり販売原価なりというものは、科目を一応理想的な体系のものを内々で持っておって、これにいろいろな科目を当てはめてみれば、高いか安いか、いわゆる社会常識をもってばく然と判断するのではなしに、科学的な資料によってある程度まで判断ができる。そうすれば技術の改良をするとか、あるいはまた機械設備をするとか、さらにまた原料の取得、あるいは厳重な検査の上に今まで薬局方を原料に使ったものを工業品から転換できるとか、こういうような直接技術面の指導も、これは当然やられるべき筋合いのものだ。しかしそれが法律に基いたり行政官庁としての主たる任務であるというのではなしに、日本の製薬企業というものを育成する上においては、そこまでの親切心がなければならぬのではないか。そうしますと、国会でビタミン一グラムの単価と注射薬と非常な差があると言われましても、一つのルールができておって、それに当てはめて計算した結果はこういうことになる。そうするとその売価というもの、あるいは仲間価格というものの高いか安いかの大よその判断はつく。ただし、その工場なり会社なりの技術の秘密とか、あるいはまた二十四工程あるものを二十工程であげるビタミンの製造とか、こういうふうなメトーデといいますか、製造過程における優劣の差というものは、当然原価計算には現われるべき筋合いのものですが、これはその会社にまかしてよいので、少くとも今日のように社会保険を中心にして、薬物が高い安いということで議論される時代になったらば、薬務局自体としても、もう少し勉強してもらうことが必要じゃないか。そしてそれを公表しなくてもいい。ものさしをあてる際のスタンダードがなければ、高い、安い、合理的か不合理的かの判定もつかぬじゃないか、こういう感じがしますので、そうした考え方で、今後事務官なり技官なり、担任者をきめて、ある程度の標準になるべきスタンダードの尺度というものをお作りになる考えがあるかどうか。それからまた、むずかしくてできないこともあるし、やる意思がないとすればそれまでだし、また骨折れても、今後何とか内々にそういうものを確立していきたいというお考えがあるならば、その辺のところを伺いたいと思います。
#6
○森本説明員 まず第一の薬価が高いか安いかという問題ですが、これはいろいろ見方があると思いますが、私たち一般的に申しますれば、不当に高いものであるという考え方はいたしておりません。現状からいたしますれば、むしろだんだん下ってきておるという状況であるように考えておりますが、これはまあ一つの見方であろうと思います。さてその薬価が適正かどうかということについて、何か役所として監査したり、判定することを考えてはどうかという問題でございますが、これはそういう指導でできますれば、まことにけっこうでございます。またやっていいかと思いますが、実際私の感じとしましては、大部分の医薬品につきましては、数社、多くは数十社にわたって製造いたしておりまして、その間おのずと競争によりまして値を下げておりますから、そういうものについてまで、こまかく価格が適正かどうかという判定をする必要はなかろうと思います。ただ、独占的な医薬品、あるいは独占的と申しませんでも、一社だけで作っておる医薬品、あるいは数社が作っておりましても、その間に協定等がありまして、独占的な価格を維持しておるというようなもの、こういうものは役所におきましても、およそ判断がつくのであります。そういうものにつきまして、価格が不当に高い、あるいは下るべきものが下らぬということはおよそ判定できると思うのでございます。そういうものにつきましては、その価格の当否について監査的なことをやっていいと思うのでございます。その際のやり方としましては、昔から原価計算の方式というものがございまして、それによってやるべきだと思います。全面的にやるという考え方はいたさずに、ただ問題になるもの、あまりに高すぎるもの、あるいは下るべきものが下らぬというものについてのみ、さような行政操作をしてはどうか、ただいまのところ、さような考え方でございます。
#7
○野澤小委員 今の局長のお話ももっともだと思うのですが、私は逆だと思うのです。たとえば独占的な医薬品の原価計算については、これは一社か二社でやっておることですから、簡単に監査できるのです。監査というよりも、調べることは簡単です。そうでなくて、私が申し上げていることは、むしろあなた方の立場に立って、たとえば現在の医薬品は総体的に大体高くないと思いますと、こうあなたが言い切るのですね。それではどういう根拠で高くないと思うのかという問題なんです。要するに国会で何べんも問題になっておるのは、事厚生行政の中で、薬務行政だけでは今日まで国会に記録がないのです。そうすると、たとえば予算委員会でも、この社会労働委員会等でも、薬物は高いじゃないかといわれたときに、いや高くありません、私は高くないと信じていますと、局長が幾ら言ったって、それではその信じている根拠はどこにあるのか、社会通念なのか、商習慣なのか、こういうことになってきたのでは、薬務行政の本体というものに、国民が信頼してついていけなくなるのじゃないか。今まではそれでよかったものが、これだけやかましくなったのだから、今後はある程度のスタンダードが必要じゃないかということを、私は老婆心ながら御注意申し上げておる。それを森本薬務局長の方では、いや高くない、安いと思いますという。これは厚生省の客観情勢といえばそれまでだが、大体あなたが高くないというだけで、私が専門家でいて、高いぞと言えば、一体どうするか。そうすると高くない、高いということの根拠は従来の原価計算方式によるというが、その原価計算と式というものを、厚生省自体でものさしにする必要があるかということを申し上げておる。いじめておるのじゃないのですよ。要するに原価計算方式にもいろいろありますから、そういう際に、たとえば宣伝費なら宣伝費というものは、そういう工場原価に対して外でこれをかけるとすれば、総原価の二割なら二割ということが常識なんです。今度は技術指導をする、あるいはまたその技術宣伝をするというので学術部の者が各市町村のお医者さんのところを一々サンプルを持って歩く。そうするとそういう費用は一体営業の総経費の中に含むべき筋合いのものか、それともまたその薬品の性格によって分割していくべき筋合いのものか、こういうことの原価方式の基礎というものがはっきりせぬと、ものさしが当てられないのじゃないか。これは当てるということは将来の問題です。それから現在あなた方に要求しておることは、要求というよりも頼んでおることは、今たとえばよく御意見を出される滝井さんなら滝井さんが、高いぞとこういう、あなたは高いとは思いませんと答える。では高いぞというと高くないと思うあなたの根拠はどこにあるかというと、社会一般の原価計算方式によりますというが、それじゃそのルールはどこにできていますか、こういう水かけ論になっちゃいますから、私の方でお願いしたいことは、高い安いというその論拠を、少くとも企業家あたりではこういうふうな方式で判断をしておる。それからまた高いぞと指摘されたものについては、一応その会社にいって、勘定科目だけを拾い上げて、その方程式に当てはめてみる。こういうふうないき方をせぬと、今後はおそらく感じだけ――主観、客観のふわふわした状況では、とても納得しないと思います。特に保険薬物が、過般出してもらった資料のように、七品目抗生物質を出したところが、その開きが三掛納入から四掛納入できておる、六割という差がある、こういうふうになってきたときに、それが正当か正当じゃないかという判断も、外から見れば妥当じゃないかという理屈も立ちますが、厚生省が買い上げを欲した繁用医薬品はどうだというので、三十六種類とってみたら、それが六掛半から七掛だ、三割五分も三割もその間に開きができておる。そうすると、そういう開きが出ておることが正当なのかということをだれが判断するかというと、だれも判断できない。私のように製造もやり販売もやっておるものなら、業者としての立場から判断がつくけれども、国会自体としては、いかに頭のいい滝井さんだって、そこの根拠まで親切丁寧に、局長の身柄になって、その説明を唯々諾々として納得するというようにいかぬと思う。そこで私が総括的にお願いしたいと思うことは、少くも厚生省においては、製薬業者の育成あるいは指導監督という面にあるのですから、高い安いといわれるものを、すぐ方程式に当てはめられるようなスタンダードを作られる必要があるのじゃないか。それは必要でないのだといえばそれまでだけれども、今後の論争というものは、やはり計数的にしっかりした基礎を持っておらぬと、われわれここで議論してみてもどうしようもないと思うのです。そういうことから、めんどうな話かもしれないが、少くともそういう判断の資料をお作りになられた方がいいのじゃないか。また今すぐそれを出しなさいというのじゃなくて、医薬品というものについて、総体的にこういう方針をとるのだ、そのルールができますと、外部で広告料が高い、宣伝費が高い、あるいは包装費が高過ぎる、こういうふうな話がいかに出ても、基本となるべきルールができていますかというと、多少の誤差はあり、差異はありましても、一つの流れによって判断していくということになりますから、比較的薬務行政というものが軌道に乗ってくるのじゃないか、こういう考えで御質問申し上げたわけです。これはどうしてもそんなわけにいかぬから、今まで通りにやられるというならそれでけっこう。それから一歩進めて、とにかく何らか合理的な、しかもサイアンティフィックな方法で今後は根拠の解明に乗り出すのだ。そういう決心を持って今後するのだ、こういうことであっても、けっこうでありますが、基本問題が解決しないとせっかく保険局長に来てもらったけれども、保険薬物に対するわれわれの調査というものが進められないと思うのです。こういう先々のことまで考えて質問したわけですが、もう一ぺん一つお願いしたいと思います。
#8
○森本説明員 医薬品の価格のきめ方といいますか、その標準のルールはどういうことかということでありますが、一般の原価計算の方式等はすでにきまったものもございますが、そのうちでたとえば製造原価は大体何%、それから営業費は何%である、宣伝費は何%であるという、それぞれのパーセントの基準的なものをきめた方がいいじゃないだろうか、こういうふうなことじゃないかと思うのです。原価計算の方式というものは、戦争中、終戦後ちょっとマル公をきめますときに大体型にはまった方式がございますので、これは相当研究されたものもございますから、記載の仕方、それから各経費をどの部面に割り振るかということは大体一つの方式ができております。そういう意味でございますれば、これは今でも一応ルールがあると申し上げていいと思います。問題はその経費の中でそれぞれの原価あるいは販売費、それから宣伝費、材料費包装費、それぞれのパーセントがどれくらいあってしかるべきだ、あるいは利潤率がどうだ、この辺の基準を作ってはどうか、こういうことになるのじゃないかと思うのであります。そういう意味でございますれば、これはやはり一般的な標準というものは、パーセントは考えられないことはないと思います。いろいろ販売上、あるいはすでに古くなった医薬品であるとかあるいは新しく売り出す医薬品、そういうものにつきまして特殊性はあろうと思います。一律に画することはできないと思いますけれども、一般的な基準というものは想定できると思います。そういう感じがいたしておりますか、果してうまくきめられますかどうか自信はございませんが、感じといたしましては今申したような感じを持っております。なお研究いたしたいと思います。
#9
○滝井小委員 今の問題ですが、薬は高いか安いか、高いものではない、こういった御説明が再々行われておるわけなんですが、問題は私たちが薬が高いか安いかというような場合に、まず一番先にわれわれが問題にするときは、製造原価とかあるいは総原価と申しますか、そういうようなものはしろうとにはわからないのです。だからわれわれしろうとが問題にするときは薬価基準を問題にするのです。というのは医療費体系の思想が出てから、薬は原価だ、原価というものは薬価基準だ、こういう考え方で私たちは言っておるわけです。いわゆるしろうとのわれわれが手に入れ、薬剤師なり医師が手に入れるものが、一応その人たちにとっては原価になる。従って医療担当者が使う場合に原価として計算をされる、その薬価基準になっている値段というものは高いか安いか、こういうことになるわけです。その高いか安いかという場合は、いわゆる生産原価に正当な利潤を加えたものが薬価基準に出てきておるかどうかということが判定の材料になるわけです。ところが現実に現われておる状態を見ると、それがどうも僕らには納得がいかない。たとえば具体的に例を取ると、それぞれ製薬会社の名前が出ると工合が悪いから名前は言いませんが、有名なAという薬があります。そうするとこのAという薬は総原価というのはおそらくこれは利潤をのけたものじゃないかと思うのですが、あるいは利潤も入っておるのか知りません。そこらあたりもちょっとはっきりしないのですが、たとえばAという薬の総原価六十四円といたします。ところがその六十四円の薬が薬価基準になるときには幾らでのっけているかというと九十六円でのっけている。そうしますとそこに三十二円の利益がメーカーから小売業者に行く間に取られておるということなんです。これはそれだけ見るならば、なるほど三十二円という、三分の一の利益を得ておるのです。三割の利益を得ておるところがある、こう考えられるわけです。ところがしからば一体実際に取引が九十六円で全部されておるだろうかということをだんだん調べていくと、そのAという薬は、全部ではないにしても相当多くのところで三十二円で売られているのです。だから総原価六十四円のものが、その半分の三十二円で売られておって、現実に製薬企業というものが倒れずに利潤を株主に配当として分けておって、相当の社内留保も得、企業の合理化もやっていって、しかも昭和二十三年当時の薬の生産高に比べると、昭和三十年は六・五倍という躍進を示している。こういう事態はしろうとが見ると納得ができないのです。薬価基準に九十六円と載っておるものが、実際に私のところは九十六円でございますが、作るのは六十四円でございます。ところが三十二円でどんどん売られておる、そういうこにになるといやその品目はそうして売られておりますが、ほかのものはそうじゃありません。こうおっしゃるから、ほかのものを調べてみるとほかのものも大体そういう傾向で売られているということなのです。こうなると私たちはあなたが高いとか安いとかと、こう抽象的なことを言われてはわからぬのであって、具体的にそれが今言ったようなことでは高いとわれわれが断定せざるを得ないし、あなたは高くないと断定しても、これはわれわれの方が具体的に数字をもって示しているだけに信憑性があるし確実性がある、こういうことになる。そこでそういうことになると、しからば一体どうしてそういうことが起るかという追求をされてこなければならぬが、この原価計算の中に入ってくるいろいろの経費というものが各社まちまちなのです。そこで今野澤さんのいうような意見にわれわれは賛成せざるを得ない。まず少くともビタミンならビタミンという薬については、一つこういう方式で原価計算をやってくれということをあなたの方が製薬会社に基準をお示しになればいいのです。そうしますと製薬会社はそれに沿った方式でビタミンBならB、B1ならB1の計算をあなたのところに持ってくるはずなんです。それによって厚生省はきめればいい。今は全くまちまちの、原価計算方式あるいは総原価と申しますか、そういうものの計算方式を取ったものが出てきて、しかもきわめて非科学的なバルク・ラインというようなもので薬が決定されておる、こういうところはどうも納得ができないのです。従ってそれがあなたの方でできないということになれば、何かあなたの方で保険局と協議されて、専門的な機関を作ってメスを入れるべきだと思うのです。もう国民皆保険の段階というものはその段階に来ているのです。そういう点について、今私は割合に具体的に言いましたが、そうなっているのです。薬の名前をあげろといえばあげますが、そうなっているのです。これはいろいろな薬を調べてもみなそうなっている、そういう点がわれわれはどうしても納得がいかない。その点御答弁願います。
#10
○森本説明員 確かに今お話になった事例はあろうと思います。それで今お話のようなことを、全部の医薬品と言わなくても、あるいは保険に使っているものだけについても、はっきりした原価方式をきめて、それに応じた値段をきめるかどうかというやり方をするということももちろん考えられます。しかしさてそれをやるとなりますと、私どもも一応内部で検討したのでありますが、大へんな仕事だということでございました。戦争中もそうでございましたが、終戦後におきまして、前の薬務局におきましてはその仕事をしておったわけでございます。大ざっぱに申しまして本省だけでも医薬品だけについて四、五百人の人がおりまして、一つの原価計算の方式がきまっておって、しかもその個々の医薬品についてその原価計算の方式で値をきめておくというような指導なり監査をしておったわけでありますが、これをやりますにはともかく医薬品の数、利用者の数その他から見まして、当時において四、五百人の人を擁しておったわけでございます。やるとなれば、これはそのくらいのつもりでやらなければやれぬことでございまして、特定の一品目だけというわけには参りません。そういうことをやるつもりならばやれるのでありますが、果してそれだけの人員と機構をふやし、また経費も使ってやる必要があるかどうか、そういうことが適当かどうか、こういう問題でございます。やろうと思えば、これはすでに過去においてやった経験もございますしやれるのでございますが、そういうことをするのが適当かどうか、やる必要があるかという気がいたしておったわけでございます。
#11
○滝井小委員 今のことですが、問題は、やはり薬価基準が一番問題なんです。私たちは何万とある品物の全部について原価計算してくれとは言いません。医者の使う薬の中で頻度の高いものというのはさまっておる。これは野澤さんが専門的に、医薬分業のときにそれぞれの病院なり医院で使っておる薬の種類を調べている。これは三百かそこらで大がい片がつく。しかも、三百やそこらの中でも特に頻度の高いものというのは百以下なんです。特に注射なんということになると、頻度の高いものはもうほとんど、固定点数のあるものとそのほかわずかになってしまうのです。だからお宅がそういうものだけ原価方式をぴちっと出して、そして一つ出してこいということになれば、ほかの薬は右へならえするのですよ。これはあとで質問するのですが、日本の薬品の生産の中でどんどん伸びていっているのは、ビタミンと抗性物質以外にはそうないのです。だからこれはすぐわかるのですよ。何百人の人というものは要りやしません。保険局と協同してやれば、そしてまた業者の方でもそういう薬についてはある種の補助金政策というようなものをとっていきさえすれば、出てくるのです。だからそういう点で、保険局が今後医療費体系を作り、あるいは保険財政を豊かにするためには、私は何も製薬企業にそのしわ寄せをしようとは思いません。しかしやはり物を原価主義で、物から利潤をとることはならぬというような建前を、もし保険局あるいは薬務局が貫いていこうとするならば、そのくらいの態度でなければ日本の医薬費体系というものはできません。あるいは医薬分業もほんとうに実施できませんよ。これは確実です。依然として薬屋はクマのいを売るし、医者は物から利潤を得るし、歯科医師は金を売るという形はどうしても続いていかなければならぬ。問題はここにあるのですよ。ただ資本主義の自由競争のもとではなかなかそこまでやっていけないかもしれませんけれども。社会保険をほんとうに伸展させるためには、やはり製薬企業というもの、ことに保険薬品のある程度のものについては考慮しなければならぬ、こういう点について保険局長はどういう見解を持つか。
 それからもう一つ保険局長にお尋ねしたいのは、薬品の保険使用量の判定ができるかできないかということです。薬品の保険における使用量というものは、大体大まかにでも判定ができるかどうかというこの問題です。これはその製薬企業にとっては非常に重大な問題なんです。この二点について、これは特に薬務局長とあわせて保険局長の御答弁をお願いしたい。
#12
○高田政府委員 第一点の問題でございますが、私どもの立場としましては、薬の現実の取引価格、これはいまの原価がどうのこうのということと離れて、そこに正当な利潤も考えて、あるいは中間取引機関の利潤等も考えての上でございますが、現実の薬の取引価格と薬価基準にきめます価格とは、私どもの立場から言いましても、できるだけ近づけたい、近づけるべきであると私は考えております。ただこの際に、先ほど御引例になりましたケースは私よくわかりませんけれども、私どもが薬価基準の値段をきめます際には、やはりそれを買って使って私どもの医療費をお受け取りになる医療機関の立場を考えなければなりませんので、従って薬価基準で保険から払ってもらう価格で買えない人がたくさんあるというふうなことになりますと、これはその意味で問題が起ります。実際の取引価格と薬価基準にきめる価格というものはできるだけ近づけたい、しかし今のような医療機関に対する配慮も常にしていかなければなりません。原則的に申せば私どもとしましては取引価格にできるだけ近い値段で薬価基準を定めたい、かような立場を持っておるのでございます。
 それから第二点の使用量の計算ができるかという仰せは、使用量の予測という意味でございますか。(滝井委員「そういう意味です」と呼ぶ)これはきょういきなり出てきましたので、あまり自信がないのですが、おそらく将来の予測ということは相当至難なことであろうと思います。ただ過去の医療実績を抽出調査するというふうなことによりまして、ある程度の見当は――これは主要な医薬品ということになりましょうけれども、ある程度の見当はあるいはつけられるかもしれません。しかし将来の予測ということになりますと、これは相当困難があるものと考えております。
#13
○野澤小委員 保険局長お忙しいそうそうですから、一、二点お伺いしたい。いろいろ議論のあるところは後日に譲るとして、ずばり尋ねたいことは、過般来この小委員会でもたびたび申し上げているのですが、現在の製薬の実態、それから流通形態等から見て、薬品が非常に数が多くなってきているのです。こういう情勢下にあって保険薬物というものを年々厚生省自体で選定をして、あるいはお医者の要求によって品目をふやしているようです。三千三百だとか四千だとか言われます。このまま放任しておきますと、五千、一万に必ず伸びていくのです。しかも薬価基準に載せます際の煩雑な分類というものも、しろうと目から見てもあれほど必要ないではないかというものもあるのですから、われわれから見たら実にこっけいしごくなんです。しかも一つ一つ会社名によってこれを分類していっている。こういう過程において保険薬物というものは、保険行政から見て現状のままで一体いいのかどうか。過渡的な現象としてはやむを得ないと思うし、お医者さんの要求するものは何でも使わせたいというのが建前だと思いますが、各国の例を見てもこういうふうに野放しにしておくというのはおそらく日本だけじゃないだろうか。たとえば国民処方集というようなものを作って、普通の病気に対してはナンバーだけで処方がわかる、これが理想的な形態でもあり、世界の趨勢だと思う。ところが日本だけは三千種も四千種もあるものを一々索引を見ながら引っぱらなければ調剤もできないし、処方も書けないという状態である。しかもそれらが同一性質のものであり、同一薬効のものが会社名によって価格に差かある。現実的にそういう結果を招来しているのだが、保険局長としては、社会保険の医療を完璧ならしめるという目的から現状のままで果していいというお考えなのか。あるいはまた近き将来には――何も近き将来というのはあすだ、あさってだというのではなくて、どうしても厚生省打ってあげて薬務局とも連携をして保険薬物というものをある程度整理しなければならぬ段階にきている。もし保険薬物が整理できないとすれば一体どうすればいいのだ。そうすればやはり国民処方集というようなものを作って、処方せんのひな形を示して、普通の病気に対してはその処方集の中で当てはまるというものを設定して調剤させていくべきだ。とにかく何でもかんでもみそもくそも一緒にして、二万種類からの品物が野放図で整理されておらない。これは国家経済から見ても大きな損害だ。それからまたよく指摘される製薬企業のいわゆる搾取形態というものが国民大衆に対してどういうところで行われているかというと、繁用薬品はほとんど搾取はない。会社なり工場なり、独特の会社でそうした暴利をむさぼっていくという形態が生まれている。こういうことから、製造過程ばかりでなく配給機構についても、もちろんこれは薬務局の所管かもしれないが、保険局としても相当考えていかなければならぬ。たとえていうと、ピジョンなどの販売ルートをこの間調べてみると、こういう工合になっている。小型の軽便なオートバイの末端価格十三万円のものが、製造工場から離れるときに何ぼかというと八万円なんです。八万円の原価のものが問屋を通過するだけで二万円取られる。それからその先の問屋に二万円払う。そうして最後の小売業者には一万円しか払われていない。これを十三万円という総原価から判断してみると、いわゆる特約をしている元売りの方に対しては一六%の口銭を払っておる。今度は第二次卸屋に対してさらに一六%払って、小売は八%しか手に入らない。けれどもこれは単一化された単純商品ですからその程度で小売商も成り立っていくかもしれませんが、これに対しては相当経済的な裏づけというものがある。各セールスマンともコミッションをもらうかわりに、いつでも差し押えできる態勢でピジョンというものが現在売られている。ところが薬品というものは高い安いと議論されて、先ほど滝井さんのいい商品というので総原価六十四円と九十六円というこの比率を逆に計算していってみますと、十二円の利益は三三%だ。ところがピジョンは一つの単純商品で四〇%の口銭がついている。こういうふうにものの流通形態というものを正確に調べてみると、薬屋が医者に薬をおろすまでに二段階なり三段階の問屋の手を経る。そうして最終需要者に対して差し押えまでできるような販売ルートを持っているかというと、重要な医薬品でありながら責任ばかり背負わせられて、請求権までは確立していない。それでいて高い安いと言われる。比較的利潤の多いこの三十二円というものを出してみると三三%、ピジョンの方は四〇%、こういう結果が出ている。ちょっと滝井さんのお話を聞いているだけでもこういう矛盾した一つの形が現われている。そこへ持ってきて、保険薬物そのものを最初この委員会で取り上げた当時に、七品目を出してきたら六〇%も差がある。一体だれがそれを取るだろう。それから繁用薬品ならばとんとんだと思って私は三百品要求した。それから県立やあるいは地方の国立等で買っておる薬物を平均して出してみると三〇%のさやがある。そういうものを一体だれが取得しておるか。そうすると六割引、三割引のものが適正であるかどうかという判断はだれができるかということです。先ほど申し上げたように、森本さんの方では決して高くはないと思いますという。ないと思いますという裏づけは一体何なんだということ、森本さんの方とはゆっくりお話しするとして、保険局長として現在の保険薬物のあり方を理想的な正しいあり方としてお考えなのか、それともまた機会があるならば根本的にこれにメスを入れる必要があるかどうか、そういうお考えであるいは品目制限をするとか、あるいはまた処方集みたいなものに依存するか、何らか打開の道が当然起きてこなければならぬと思うのですが、この点に対する御見解を承わりたいと思います。
#14
○高田政府委員 結論の方から先にお答えをいたしますと、私どもとしましては今野澤先生の御質問のような方向に参りたいという気持を持っております。従って最近は薬価基準に新しく登載をいたします品目は非常に数が少うございます。品目登載の願い出のありますものも、たしかここ一カ年間程度はほとんど載せておりません。ただ限定されたもので、今までにない新しい薬効を持っておるというふうなものだけを拾い上げて載せておるという傾向になっておる。従って品目の増加の数は最近は非常に少くなっておる。将来これをどうするかという問題でございますが、私どもとしましては品目の登載数はできるだけ少くしたい。ことにそのものずばりの薬でなく、合剤系統の薬につきましてはできるだけ単味なものを処方して使っていただくという方向に持って参りたい。従って品目はできるだけ増したくない。ただ問題は、自由と申すとあれでございますが、千差万別であるべき医療を登載品目の少いということによってこれを窮屈にして参ったりあるいは制限というようなことに結果的にはなっていくということは、これは何としても避けなければならない。その辺われわれの登載品目を少くしたいということと、その面の調整をどういうところでとっていくかということが今後の問題であろうかと思います。それにつきましては、これは私だけの考えでございますが、いずれ医学と薬学の両方の面からの専門的な知識を何らかの形において、薬務局と御相談の上でわれわれの仕事の上に取り入れるような仕組みでも考えまして、やはりそういう学問の裏付のある方々の御意見に従って私どもがねらっておりますような方向に持って参りたい、さような考えを今日ただいまいたしております。
#15
○野澤小委員 先ほど滝井さんからの関連質問があったのでその前に戻りますが、これは同じことを裏からと表から見ているので、滝井さんと私とは局長に対する質問の出発点が違うのです。結果は同じなんですけれども、私のいうスタンダードを作りなさいという意味は、高いとか安いとか議論ができたときに、それをすぐものさしにかけてはかれるような態勢を作っておくべきではないかというのが私の主張なんです。
    〔小委員長退席、長谷川(保)小委
  員長代理着席〕
 それから滝井さんのお話を聞いていますと、だんだん薬価基準がやかましくなるにつれて、そうしたルールを作っておいてそれに当てはまるように指導していくというお考えのように聞いたのですが、私はまだそこまでは飛躍していないのです。いつでもそういう対象に移れるような準備態勢としては、現在国会等で問題になった場合に薬務局としてものさしに当てられるかどうか、当てられるべき原価計算方式というものが確立されるだろうか。そこでなぜそういう議論をするかというと、とにかく中小企業の問題についても医師とか薬剤師のやっています薬局業務とか薬品販売という業務は、普通の物品販売の中小企業の営業とは全然違うのだということが従来から言われてきているのです。事医薬品に関する問題だからというので薬局の商売というものは普通の荒物屋さんや呉服屋さんとは全然違うのだという観点から、今日まで組合法による組合を設立する際でも、また一般に商売をする上においても、理念としてはもっと高度な純粋なものから出発しなきゃならぬというのがわれわれの議論なんです。それほどまでに言われているときに原価計算方式は戦時中にできた方式であるから大体それをとればというお話ではわれわれは満足しない。なぜならばこの前御報告があったと思いますが、大阪、名古屋を調査したときにも、製造品目の分類ということを課題にしてA、B、C三つの分類にし、そのうちまたさらに広告を要するとか要しないとかいうような分類でさらにスモールa、b、cと三つに分けた。そうすると全部で少くとも九つの分類をさして調査品目を調査してきた。それと同じように今後医薬品の原価計算に対しては――原価計算方式は戦時中のものを基盤にして勘定科目をとることもけっこうですけれども、医薬品の特殊な事情というものを基盤にすると原価計算方式自体にやはり独特なケースが生まれてくるべき筋合いのものじゃないか。たとえていうとジギタリスならジギタリスを製造する工場がこれを商品化して年次消費基数というものを計算して、大メーカーでも中メーカーでもこれを製造して全国に流したと仮定する。そうすると一年間の消費量として見通しをつけて流したけれども、これが実際には三分の一しか売れなかった。そうなると二年、三年たつうちにジギタリスの効力が果して元の通りかどうか。これはやはり陳旧薬物としてやかましく厚生省の監視員等が製造月日を見てその品物の更新を命ずる場合もありましょうし、引き揚げる命令を出す場合もあると思う。こういう結果論から判断していくと医薬品というものは一律にいかぬ、そこに原価計算の意義があると思う。ですからそういうものは更新の手続や廃品としての手続等について、どうしてもこれは三三%ではならぬから五〇%計上しなきゃならぬ、六〇%のさやを見ておかなければならぬという品物もこれは特例として出てこなければならぬ。そういうふうに一つ一つを検討してみるとかなり変化の多い製品、しかも二万種類もある、こういう状況ですから、厚生省としては薬品の用途によって、たとえば医師向きの薬品、また医師と大衆が半々ずつ使っているものがある。また家庭薬と同じように、しろうとだけが買う品物については何もそれを公表する必要はありませんから、高い安いという議論が出たときにすぐものさしを持っていって当てはめてはかる。社会通念からいって、こういう基礎から高い、あるいは二割程度だからこの程度に勘定すべきではないか、行政官庁としてはこのくらいの準備をしておかなければ今後の議論は成立しないのではないか、この点を私の方ではついたつもりです。それもやるというなら原価計算方式でやるのだというような投げやりの気持では、これはとても賛成はできない。せっかく小委員会を開いたのですから、そうした一つの検討のめどを立てて、実施するしないはこれからの問題だと思うのですけれども、今日まで国会で薬品製造あるいは技術機構まで議論するのは今回が初めてです。それについては厚生省は、先ほど滝井さんのお話しになったように、何百人という人間を要する膨大な費用をかけるほどのことではない、また切実にそれだけの費用をかけなければできないという費目ができてきたらば、社会党だって自民党だってそのくらいの予算を請求して、国家、国民のためなのですからやらなければならぬ。そういう大きな要求をしているのではなくて、厚生省自体として、少くも企業家があり、こうした製薬企業の指導をする以上は、基本となるべき科学的な何ものかの要素を持たなければ私は判断がつかないのではないかと考えて、強く要望しているのです。これはあくまでも皆さんのお考えが間違いだということであれば別、しかし今日の経済情勢と日本の生産機構と保険医療の担当部分から見ると、もう切実なしかも広範な局面に到達している。だから無理に一つのルールを作って、この形式でやりなさいと強制をするのではなくて、できた結果の判断について、高いか安いかというような議論が起きたときに、一つのものさしを当てていくことができると、比較的適正な価格の指導ができるのではないか。指導が先でなくて、結果から見て強制する場合に、合理的な線を出したいというのがわれわれの念願である。こういう面についてお骨折りでしょうが、もう一歩進めて何とかやれないか、やるとすれば、薬務局は人間も出せない、保険局も協力ができないということであれば、年間、百万、二百万の予算で済むことですから、これはもう滝井さんあたりにお骨を折ってもらって、新しい予算を組んででも基本的な調査を進めるのが至当ではないかと考える。決して私の方でワクをはめるとか、統制しようというのではなく、要するにいろんな質疑応答があった場合に科学的な根拠によって解決のできるように新しい道筋を作ることが今後の薬務行政として最も必要なことではないか。
 それからちょっと付言しておきますが、昔でいう新薬ですが、新しい総合薬が相当出てきている。この薬品の単価をお調べになったことがあるかどうかわかりませんが、なかったら部下に命じて調べて下さい。最近は非常に高い品物が出ている。それは繁用薬品あたりの比ではない。高いビタミン類を使ったりいろいろ創意工夫をしているようでありますけれども、その実態は、原価計算が出ていませんからわかりませんけれども、総額一包装について二千円とか三千円とか、あるいはまた普通家庭薬に向くようなものであっても六百円とか八百円というような価格をつけなければ売り出さないという一つの傾向が生まれている。これは社会的な傾向だと思う。なぜならば社会保険で一般薬物が圧迫されていくから、そのはね返りがそういうところへ当然出てくる。出てくると一つの商習慣ですから十大メーカーで新製品を出す際に無理して高い品物を入れても単価を高く売る工夫をしておる。そうすると同じ一割もうけても百円のものの一割と千円のものの一割とは、質的には変化なくても量において違うということです。質的には変化なくても量において違うという、この資本主義経済の一つの特徴というか欠陥というか、こういうねらい方が薬業全体をやがて風廃する時代がくるんじゃないか。その前提のもとではそういうものが高いか安いかということは、勘定科目をあなたの方で電話一本で聞いただけでも、一つのスタンダードのルールに従ってこれを計算すると、厚生省の常識でもってすぐ高い、安いの判断がつく。国会で質問されても、それはこういう根拠があるんだ、三年目には必ず引き揚げて更新させなければならぬ、あるいはこれは大衆薬だから、これだけの宣伝費は、二〇%ぐらいの宣伝費はかけさせてもよろしいんだ、これだけ堂々と解説のできるような立場に薬務行政というものを持っていかぬと、私は時代おくれになるんじゃないかと思う。こういう感じがしますので、重ねて伺いますが、こうした特殊な製造業態であるから、独特な原価計算方式というようなものを公表する必要はございません。国会で聞かれたから全部発表しなければならなければならぬというものではない。高い、安いの判定の際に、こういう根拠でもってこれは高くないと思う、あるいは妥当だと思う、そういう基本的な数字を示してもらえば、過般の六割、三割という利幅のある国家買い上げの薬品についても、あの形で納めているのは明らかにこの工場は原価を割っている、損して納めているということをあなたの方で言い得ると思う。ところがもうかっているのか損をしているのか――いつか滝井君だったと思いますが、参考人に来てもらって質問したら、損はしないと思います。四掛程度で売っておいて、厚生省になあなあで納めておいて、そしてメーカーに対して、あなた損していませんかと聞いたら、大体損はないと思います。損はない価格というものは適正価格だということです。しかも堂々と売っていくんだから適正価格です。ところが薬価基準はどうかというと、外利益でもってそれよりも六割もの差額が出てくる。これでは理論上の矛盾じゃない、現実的にまるで飛び離れた架空な議論になってしまう。そういう際に厚生省が、いやあれはああ言ったけれども、工場全体から見たならばプラスだったんだ、営業から見たら営業費をマイナスして食い込んでいるからと、ここで計数的に説明する資料があるならば国会議員は納得するんじゃないか、こういう点を私は申し上げているわけであります。今からでもおそくはないのですから。何も言質をとっていじめようというのではない。そうじゃなくて、そういう新しい方向に向いていかなければ、現在の薬務行政というものは、むしろ停滞していくんじゃないか、こういう老婆心から総括事項として一応申し上げたわけであります。質問者も多いようでありますから、私は一応きょうの質問はこの程度で終ろうと思いますので、もう少し対立的な意見でなしに、国家の薬務行政というものをどうするかというあたたかい気持で一つ懇切な御決心のほどを聞かしてもらえば、大へん幸いだと思います。
#16
○森本説明員 この原価計算の問題につきましては、計算の方式は大体学問上もそれから取扱い上におきましても経費のとり方については方式がございますので、これについてはほとんど改める必要はなかろうと思うのでございます。これは現在各大学等の教授におきましても大体固まった一つのやり方がございますから、それがすなわち終戦後マル公設定の際に使っておりましたやり方と同じでございますから、その計算の方式につきましては大体一つの型ができておる。ここに使ったものをまたそのまま用いても間違いないだろう、こういう気持でございます。実際問題となりますのは、現在のように各物価につきまして公定価格がない、各種各剤でまちまちである、人件費についてしかり、こういう状態である。そういう単価の定めがない、また各会社におきますところの営業上の重点の置き方、販売政策、営業政策、こういうものについての規制もできない、そういうときでありますので、原価計算の各項目についての総係費のパーセントのとり方、これが……(「むずかしい」と呼ぶ者あり)非常にむずかしいだろうと思うのでありまして、一応検討いたしたいと思います。非常にむずかしいという感じが今いたしております。会社全体として、一社におきまして数百品目の薬を作っておる。それらを平均して会社として大体このくらいの経営でいいじゃないかという適正な経営というものは出てくると思います。これも一つの標準的な見方はできると思います。そこをさらに個々の医薬品について同じ一律のやり方がいいかどうかというような問題も出て参ります。だからたとえて申しますならば、新薬を売り出しますと、大体新薬の寿命を三年ないし五年と踏みますと、償却費というものを三年くらいでぶち込んでしまわなければならぬ、こういうものと、あるいは固定してしまったものと、あるいは今後売れ行きがはね上っていくもの、種々雑多でございますが、個々の医薬品それぞれについてその特殊性がある、また同じ医薬につきまして各会社によりまして特殊性がある、そういうものを一応無視するというか、あるいは平均して考える、そうして何か共通的な標準を作るということになるだろうと思うのであります。しかし考えてみたところで、個々の会社なりあるいは個々の医薬品について、それをもって一つのルールでございますといって当てはめることができるかどうかという問題がある。なるほど一般的な平均というものはあろうと思います。それを個々の医薬品なり会社に当てはめた場合に、これがルールでございます、標準でございます、この通りやったらどうでございましょうか、おかしいじゃありませんかと言うことは非常に困難ではないかという感じがいたすわけでございます。といってその通りであるとも言えませんが、この第二段の問題につきましてはもう少し研究いたしたいと思います。非常に困難じゃなかろうかという感じがいたしておりますけれども、きょうは一つなお研究いたしたい、こういうふうに申し上げておきます。
#17
○野澤小委員 これは質問でなくて希望意見として申し上げておきますが、八田君がむずかしいと言ったら局長もすぐむずかしいと言いましたが、私はそうではないと思う。私は現実に製薬業者なんだから。原価計算方式というものにとらわれ過ぎると思うんです。そういうのじゃなくて、もう少し原価計算というものに対する認識を――しゃくし定木的な原価計算のことを私は言っておるのではない。製薬企業というものは特殊性があるのだ。特殊性のあるものに対する原価のとり方というものは、あらましの筋を立てておかぬと、今後議論ができないのじゃないかということを申し上げておる。これはまた私質問は一応保留しておきますが、あなたが考えておることと私が議論しておることと出発点が全然違うのです。だからこれをゆっくり個人的に調整してまた次会にでもゆっくり話し合いたいと思う。むずかしいからといって何年も手を染めなかったら厚生省は要らない。勝手に薬を作らせておけばいいと思う。そうじゃなくて、私は役所をいじめようというのではないのだから、何とかして日本の医療制度を完璧なものにするためには、薬務なら薬務というものをどんどん向上発展させなければならぬ。薬価基準の計算というものに対しても権威づけなければならぬ。そうせぬことには、赤字が出たというてお互いに医者がぼるからだ、製薬業者がぼるからだという架空な議論だけでは、社会保険の完璧を期するというわけには私はいかぬと思う。だから、そういうほかの議論と違って、対立しておる問題でも何でもないのだから、もう少し割り切った考え方で、私は可能だという見解、それからあなたの方ではむずかし過ぎるという御見解かもしれませんが、それは出発点が違うので、そういうことについての調整はゆっくりするとして、きょうはその問題については保留しておきます。
    〔長谷川(保)小委員長代理退席、野
  澤小委員長代理着席〕
#18
○野澤小委員長代理 八田君。
#19
○八田小委員 短かい時間質問いたしたいと思いますが、まず第一にネオ・アルバジルという薬がありますね。これが最近製品回収ということで騒いでおるようですが、製品回収の場合に中外製薬から通知状があるのですか。その場合厚生省からの通牒によって回収を命ぜられておるのだが、その回収が、昭和二十三年か二十七年かはっきりいたしませんが、書類を持ってこなかったのですが、なぜネオ・アルバジルが不適格品になったのか、どうして回収の通牒を出すようになったか、その点について局長御存じないでしょうか、御存じなければ次の機会に調べてお知せ願いたいと思います。
#20
○森本説明員 ただいまのネオ・アルバジルの問題でございますが、これは多分最近新聞に載っておりました事件のことと思います。これが昭和二十三年に会社の名前は忘れましたが、ネオ・アルバジルが発売されておりました。ところがそれが当時不良医薬品の疑いがございましたので、厚生省が回収を指示いたしまして、発売した会社が回収を始めたのでございます。それで一応の行政措置としては済んでおったわけでございますが、最近に千葉のある病院か診療所でございましたか、そこで自分のところで備えつけておりますところの昭和二十三年ごろの医薬品を使ったわけでございます。それによって事故が起った例がございます。それで当時昭和二十三年ごろにおいて当然回収されてしまっておるべきものだと思うのでございますが、それが回収漏れがありまして、それでなお再度通牒をいたしまして、会社の方から念のために徹底的な回収をしたいという措置を講じたものと考えます。
#21
○八田小委員 そうすると、このネオ・アルバジルが薬事審議会の審議を経て、これが販売許可になったわけですね。それからすぐにまた不良医薬品として回収の指示が厚生省から出た。そうしますと、薬事審議会のときの審議模様もよく伺わなければならぬことになってくるのでありますが、一体不良医薬品としておきめになったのはどういうところから不良医薬品になったのでしょうか。
#22
○森本説明員 この不良医薬品と申しますのはこういうものでございまして、製造の許可を得まして、その通り作っておるならば、これは不良品にならないわけであります。またこの新薬につきましてもそうでございまして、製造許可通りの成分、分量でありまするならば、これは何も問題ないのであります。たまたまその特定の製品におきまして、成分、分量が欠けておった、あるいは異物が入っておったというおそれがあって、その特定のものだけが不良品として回収することなったわけであります。成分、分量その他が許可通りでありますれば、これは不良品ではないのであります。またその薬事審議会の方におきますところの審議におきましても、許可されました成分、分量であれば、これは何も差しつかえないわけでございます。ただ特定のものが間違っておった、こういう性質でございます。ネオ・アルバジル自体が悪かった、こういうものではございません。
#23
○八田小委員 そうしますとそのネオ・アルバジルが不良医薬品としての回収指示を与えられたのは二十三年ですね。すると最近新聞に載った事件というのはどういう事件なのですか。
#24
○森本説明員 それは千葉の病院か診療所におきまして、すでに回収されておるべき特定のネオ・アルバジルが現在まで残っておったわけであります。そしてたまたまそれを使ったわけであります。その結果事故の程度ははっきり覚えておりませんが、発熱したとか何とかいう事故が起りました。調べてみましたところ、それが昭和二十二年 のネオ・アルバジルであった。しかもその同じ製造番号のものは、不良医薬品として当時回収命令が出ておった、こういうものであります。
#25
○八田小委員 そうしますと発熱したらしいというのですが、最近のネオ・アルバジルは検査されて出ておるわけでございますね。その申請当時の成分に変化がないかどうかということは検査されて出ておるわけでございますか、それをお調べになるのは一体どういうふうにしてやっておられるのですか。
#26
○森本説明員 このネオ・アルバジルは、たしか国家検定あるいは国家検査の品目になっておらぬと思います。でございますから審議会において許可を受けました成分、分量について、自分のところででき上り品を検査をしまして、これで間違いございませんという表示をして、発売しておるという程度の取締りでございます。でございますので、一応会社の責任において発売しておる。かりに間違ったものが発見されたならば、これは取締りを受ける、こういう扱いでございます。
#27
○八田小委員 それで最近問題になってきたので、輸出品の検査の問題ですね。この問題につきまして通産省の方の輸出品取締法を改正して、現行の第四条の任意検査を全部第七条の強制検査に切りかえようという構想に対して、厚生省が反対されておる、こういうことでございますが、一体どういう観点から任意検査から強制検査に入るのを反対されておるか。これは中共向けの製品に不良品があって問題になったわけなんです。ですから輸出品に対するところの薬品の検査、これはやはりやっていかなければならぬ。むしろ強制検査に移るべきが正しいのではないか、こういうふうに私は考えておるものでありまするが、一体厚生省と通産省とで輸出品の取締りに関して見解が違う、こういうことでございますが、その点についてお知らせを願いたい。
#28
○森本説明員 この輸出品の取締りにつきましては医薬に限らず一般の輸出品についての取締りでございますが、これは輸出品取締法というのがございまして、現在の扱いとしましては、輸出するものについて、内容と条件が間違っておらぬという一つの表示をしなければならぬのであります。輸出品については一つの標準がありまして、その標準通りのものを作る。作った場合にはそれに間違いないという表示をして輸出をする。これが大部分の扱いであります。すなわち国家検査とか強制検査をせずに、メーカーにおいて品質を保証して、その表示をして輸出するのが原則でございます。ただ特に不良品が出る、そういうおそれがあるものについてのみ、所管大臣が指定をしまして強制検査をさせておる、これが現状でございます。医薬品につきましては現在ほとんど自家検査で輸出いたしております。先般中共との問題がございまして、通産省におきましてはすべての輸出品について、強制検査をして品質を確保したらどうか、こういう御意見がございます。そのうちの医薬品についても同様の扱いにしてはどうかという問い合せがございました。これに対しまして目下検討いたしておりますが、ただいまの私たちの考えとしましては、医薬品全部を強制検査にするのはどうであろうかという疑問を持っております。その理由といたしましては、ずいぶん多くの品目の医薬品が輸出されております。これを強制検査いたしますと、ものは小そうございますが、数が非常に多い。これを検査するだけの衛生試験所なりあるいはその他の予研なり、こういう機関を準備しなければ大へんなことになるのでございます。従って検査機関をそれだけ準備できるかどうかという問題が一つ。それから医薬品の検査というのは非常にむずかしいのでございまして、自転車であるとか、おもちゃであるとか、あるいは机でありますとか、そういうものでございますと、比較的簡単な検査で、外観なりあるいはちょっとつかむだけで検査の目的は達するわけでございます。ところが医薬品になりますと、問題はその成分、分量でありますから、一定のそれらのものが入っているかどうかということになるので、これはどうしても分析をしなければ検査ができない、こういう検査上の特殊性が非常にあると思います。さらにまたかりにそれができるといたしまして、検査機関なり、また検査方法も間違いなくできるということがございましても、さらにそういうことをいたしますと、これは相当の日子を要する、商取引の礼儀から申しましても不便があるのではないか、こういう三つの点が医薬品については考えられます。それから現在非常に多くの品目の医薬品を輸出いたしておりますが、品質なり成分が悪いという不評の声は実はあまり聞いておりませんので、全面的にこれを強制検査する必要があるかどうかという点についても疑問を持っております。従いまして医薬品につきましては、原則としては自家検査でよろしいという立場をとっております。必要なものについては大臣が指定をして強制検査をやる、その程度の扱いで実情にも合い、また弊害も起らないのではないか、こういう考えで今検討いたしております。
#29
○八田小委員 そうしますと、この問題についてはさらに本委員会で詳細について質問いたすことにしまして、ただこの際局長にお願いしておきたいのは、今あげられた理由としては私まだ納得がいかないのです。というのは、国立衛生試験所とか、あるいは国立予防衛生研究所の現在の機構が、全部の医薬品の輸出品について検査できるようになっていない、こういうふうにおっしゃるのですが、私が今までそこにおってそこを全部見ておるのですから、そういうことは当らぬと私は考えているわけなんです。輸出品全部とおっしゃいますけれども、薬の品目はそんなにたくさんあるものではない。そういう点についてやはり本委員会においていろいろ御質問したいと思いますから、そういったこまかい点を調べておいて下さるようにお願いしたいのであります。特にこの製品検査と製品試験とは違うのですから、その点もよく考えておかれるといいと思うのです。現在私の知っている範囲においては、製品試験はやられておるようです。しかし製品検査と製品試験とは全く違うのであります。ですから輸出品に関する限りは製品検査であるべきだ、製品試験ではいけないと思う、こういうことを申し上げまして、本委員会でいろいろ質疑を申し上げたいと思うのであります。
 それから薬価基準の問題ですが、この点につきましては、滝井さん、野澤さんが原価計算でいろいろお考えになった点を述べられておりますが、私もこれは原価計算は非常にむずかしいものだというふうに考えておって、何かものさしを作りたいという意欲は持っておりますけれども、なかなかそのものさしを作るにはいろいろなファクターが入ってくるので、むずかしいものじゃないか、こういう印象を受けておるわけであります。ただ私心配するのは、薬価基準を無理やりに何かの結論を見つけて作り上げて、そうして縛りつけていくというような結果が生じた場合に、――今でさえも薬がどんどん化粧品の方に流れていっているのです。化粧品については何ら原価計算というものを要求していないわけです。それを取り締るような法律というものもないわけです。この点について、私は薬価基準についていろいろ薬品を縛り上げていくということも、これは何とか努力して一つのものさしを作りたいという意欲は持っておりますけれども、もしそのものさしが間違ったものであるならば、現在においてもこの薬価基準の問題で、だいぶ医薬品が化粧品の方に流れていっているという傾向が助長されておる。そこで私は化粧品と薬価の問題をよくかみ合せて考えていかないと、日本の製薬業をある程度縛りつける、将来の発展を、無理やりして作ったものさしによって押えつけはせぬかという憂いを持っておるわけであります。この点につきまして、ただこの一点だけでいいですから、化粧品と薬価の関係について局長の見解をお伺いいたしたいのです。
#30
○森本説明員 今の点につきまして、医薬品について薬価基準で縛ってくると、医薬品が化粧品に流れていくじゃないかというお話でございますが、ちょっとどういうようにお答えしたらいいのか……。
#31
○八田小委員 たとえばペニシリンとか抗生物質なんかだいぶ化粧品の中にどんどん動いておるですよ。
#32
○森本説明員 こういうことかと思います。医薬品を入れて薬効をうたわない、たとえば傷がなおるとか、白いしみがあったら消えるとか、こういうことをうたわないのが、化粧品でございます。とにかく顔がきれいになるとか、ただその程度でありまして、さらにプラスしまして、傷があったら傷がなおりますとか、あるいはにきび、そばかすが消えますということをうたいますと、これは薬効をうたって医薬品の性質を帯びてくるわけでございます。それで化粧品に今言ったような医薬品を入れまして、にきび、そばかすが完全にとれますという薬効をうたいますと、これは薬事法の上では医薬品という取扱いをいたしております。従いまして薬効もうたわず、しかも事実上において医薬品を入れておるものがあり、それは名前は化粧品であっても医薬品と同じことじゃないか、しかも薬価基準で縛れないじゃないか、こういう問題があるじゃないか、こういうことだろうと思いますが、これは現在におきましてもそういうものが非常に多うございまして、薬効をうたわぬ限り、これは化粧品である。化粧品の場合は、弊害が生じない限り、有害でない限りは、これは取り締らない、こういう法律の規定になっておりますので、これも一つの考え方であると思うのであります。事実上入れておっても、たまたまきくことがあるかもしれない、しかし害はないという程度であれば、ほうっておいてもいいのではないかという気がいたします。それが相当多量入っておって、薬効にもきくが、しかし使用上のやり方によっては弊害があるという場合には、これは弊害ありというので分量を減らさしたりすることは化粧品においてもできますから、おおむねその辺の取締りで足りるんじゃないかという感じを持っております。化粧品であっても、医薬品を入れて薬効をうたった場合には、医薬品で取り締ります。薬効をうたわない場合は、害がない限りはほうっておく、害がある場合には化粧品として直させる、分量なりを減らさせる、こういう措置でやっておりますので、さしあたり支障はないのじゃないかという気持は持っておりますが、なお検討いたしたいと思います。
#33
○八田小委員 医薬品の効用をうたっていなければ化粧品は薬事法の取締りの対象にならないわけですね。そこでいろいろ本委員会で質問いたすことにしたいのですが、近ごろコールドパーマに使っているチオグリコル酸ナトリウム、これが非常に障害を与えている。使う人もつめなんかが全部萎縮してしまう、またあるいはやられる方もはげるというようなことが起っているわけです。これらに対しての取締りはどういうふうにされるつもりですか。
 もう一つ、プラスマンパックというのがありますね。これがホルモン・クリームとして言われておるわけです。相当高い値段でこれが売られておるわけです。前の本委員会において局長は、プラスマンパックというのは百日せきの予防薬あるいは治療薬としてのガンマーグロブリンを取り出した廃液であるから別に取り締っていないということを言っておられるのです。ところが実際はホルモン・クリームとしてこれが出ておる。それに対して局長がガンマーグロブリンを取り出したから廃液だ、こういうふうにお考えになった点が私にはちょっと納得がいかないのです。今の二点について伺いたい。
#34
○森本説明員 コールドパーマの使用によりましていろいろ身体に障害を起すという事例がございます。この原因につきましては、使用者の特異な体質ということに一つ原因があるようでございます。もう一つは、コールドパーマ液自体がよろしくないということ、この二つの原因があるようでございますが、前者の原因についてはちょっと手がつきませんので、コールドパーマ液自体の方を使用させないようにするという問題がございます。これにつきましては数年来問題になっておりましたので、先般すでに告示いたしましたが、コールドパーマ液の基準を作りまして、その基準に適合すれば支障なかろうという基準でございますが、それを作りまして、それに適合したものであればよろしいし、適合しないものは不良化粧品として取り締る、こういう方針をはっきりいたしまして、その基準を告示いたしましたから、今後それによって液自体の取締りは十分いけると考えております。
 それからプラスマンパックでございますが、これは現在化粧品という扱いになっておると思います。しかしそれがホルモン・クリームというような名称を使った場合に、学問的といいますか、一般的に薬効をうたったことになるのかどうかという問題があると思います。その辺ちょっとただいまのところは私も判断いたしかねますが、かりに薬効をうたっているとすれば、これは医薬品として取り締らねばならぬ、単にホルモン・クリームという名前が薬効をうたったところまでいかぬというくらいのところでございますれば、これは化粧品のままでいいと考えております。その辺はどういう表示なり使用上の効能をうたっておりますか、もう少し調べてみたいと思います。
 それからプラスマンパックがガンマーグロブリンをとった後の廃液である、と申しますのは、こういう意味で申したのじゃないかと思います。人血を採取して血液製剤を作る場合には真に医療上必要なものしか作れぬという採血法の趣旨がございます。その趣旨からいきまして、ガンマーグロブリンをとったとすればあとに残るのはプラスマンしか残らぬ、こういう意味におきまして廃液と申しますか、廃液であるということを御説明いたしたわけであります。廃液であるということとこれは化粧品であるということとはまた別問題でございます。そこでこれが化粧品として使用されますれば、それは化粧品という名前のもとで取り締れるというわけでございます。
#35
○八田小委員 そこで、私この問題はあとで伺いたいと思いますが、プラスマンが残るわけです。プラスマンは今日乾燥血漿として医薬品の指定を受けているわけです。そうしますと、廃液ということは当らないのです。そしてしかもホルモンというものはやはり医薬品です。ですから、このプラスマンパックは十分取り締りの対象になると私は思うのです。尊い人血を、ガンマーグロブリンを取り出したからあとは廃液だという観念でほうっておかれると非常な問題が起ると思う。ですから、私は少くともそういう意味から、この薬価基準という問題はやはり今日の化粧品と結びつけて考えていかぬといろいろ問題点が次々と起ってくると考えているわけです。それで、今の問題につきましても十分に調査されまして、本委員会で質問申し上げたときにお答え願えるように御準備願いたいと思うのであります。
#36
○森本説明員 今の一般的な問題のほかにただいまのプラスマンの問題でございますが、これはこういう方針でおります。プラスマンというものは、今申しましたように、医療上の使える、また、血漿として必要ではありますが、そういう場合には、これはもとの材料が人血というものから出ている関係上、化粧品用に使うのは適当でない、医療用に使うのはよろしい、こういう扱いになるじゃないかと思います。従ってプラスマンは化粧品に使ってはいけない、乾燥血漿としてのみ使うべきものである、こういう方針からいたしまして、採血法で規制すべきである、こういうふうに考えております。
#37
○滝井小委員 私実は少し輸出の問題と製薬企業の関係を聞きたいと思いましたが、それは本委員会でやった方がいいだろうという野澤さんの御意見もあるようでございますので、きょうはそれはやめまして、ちょっと一、二点だけお聞きしたいと思います。
 それは私たちが薬の原価というものを考える場合に、その薬の原価の中で大きな役割をしているもの――いわゆるわれわれ末端の消費者にその薬がやってくる場合に、その薬の価格の中で非常に大きな比重を占めているのは、容器代あるいは包装費、こういうものが五割以上になっているのです。薬をいろいろ見ていると、特に注射液になるとそうなんですが、われわれの概念の中の薬というのはそのアンプルの中に入っているものなんです。これは薬の原価の中において占める比重というものは非常に少いのです。そうしますと、私たちが製薬企業を問題にするときには、その価格というものは、製薬企業以外でできているところのガラスのアンプルとか、あるいは包装をする箱とか、あるいはセロハン紙とか、こういうものは製薬企業自体で製造しておるところもあるかもしれませんが、しかしそれ以外のものの値段というものが薬の大きな値段を占めておるということなのです。この点はあなたの方は一体どう考えておられますか。
#38
○森本説明員 ただいまのお話の通りでございまして、一般的に申しますと、医薬品につきましては包装、小分け包装と申しますか、そういった経費が非常に高いのであります。これも一つ考えてみますと必要であろうとも考えるわけでございます。たとえばビタミンC、ビタミンAの一回の使用分は〇・〇何ミリである、非常に少量であります。これは極端な例を申しますと、ちょっと紙に包んでも包みきれぬというような少量で効能があるわけでございます。かりに紙にでも包むといたしますと、これは保存上第一危ない。それからちょっと使うときに出したら風や息で飛んでしまう、こういうような極端な例もございます。これは極端過ぎますが、ともかく今のアンプルにいたしましても、これはちょっとほかに考えようがないわけでございまして、ああいうアンプルへ入れて、ちゃんと空気が入らない気密されたものに入れておかぬとこぼれてしまったり、あるいはまた外気に汚染されるというように取扱い上非常に丁重な扱いをしなければいけないと思うのであります。またビンに入れるのにいたしましても、薬を汚染するようなビンであったりあるいは空気が入るという状態でありますれば、その薬の保存上まずいというようなこと、それからさらに薬は砂糖とか塩のように裸で何の注意もせずに売るというわけには参らぬのでございまして、一定の表示をしなければならない、あるいは使用上の注意書も貼付しなければならないというように、扱うものが非常にこまかくて、保存上もいろいろ普通の保存の仕方ではならぬというようなもの、あるいは使用上についてもいろいろ使用書をつけたり、それから効能書をつけたりするという注意も必要でございます。それやこれやいたしまして、塩や砂糖を裸で売る、あるいは簡単な入れものに入れて売るというようなこととは格段の差ができておるのではないだろうかということでございまして、今申しましたように、あれに字を書いたり説明書をつけない、あるいは少し空気が入ってもいいような入れものでも認めるとかいうこともできまいし、非常に丁重な扱いをしておるという感じがいたしますが、あれはどの程度まで省略して許せるものかとなりますと、他の一般の食品でありますとか、その他の扱いとは格段の差をつけなければならないのじゃないかという気がいたしますので、相当他の化粧品に比べまして包装費等がたくさんかかっております。容器代がかかっておりますが、さてどの部分を簡単に抜いたらいいのか、どの程度粗末な入れものに入れたらいいのかということは別の方面から非常にむずかしい問題があると思います。お話の通り包装、容器で相当の経費をかけておるということは事実でございます。省略できる部分があれば省略してもいいのでございますが、簡単な悪いものでもいいと思いますけれども、そういう余地が実際上はないのではないだろうかと感じもいたしております。
#39
○滝井小委員 私はそれを省略せよという意味じゃないんです。やはりこういう実態というものははっきりさせなければいかぬ。ちょっと考えるとあの薬を小さく分けることの仕事、製薬企業ではいわゆる小分け包装というものは製薬部分という感じがしてくるんですね。あなた方もその点はそう考えられるのですか。
#40
○森本説明員 この小分けという段階は、私どもは製薬だと考えております。あの段階におきまして変なものが入るとかいうことになりますればこれは同じことになります。小分けされて最後に消費者に渡る段階の形でございます。これが最後に仕上った段階でございます。最終製品の段階でございますが、そこまで厳重に監督いたしておりますので、普通の砂糖や塩の小売りという考えじゃなしに、最終製品として消費者に渡る場合に完全な形で渡っておるかどうか、ここまで一つの製造段階として責任を持たしております。
#41
○滝井小委員 小分けまで製造だそうでございますが、実は私たちが厳密に原価を計算していこうという場合においては、やはり製薬企業において一番大事なところ製品のできるまでだと思うのですね。それから先のできた製品を小さく分けたりあるいはビンに詰める仕事というものは――ある特定なものについては非常に大事なところもあります。しかしこれは製薬企業の本来のものからいえば余技だと思います。これは私から言わしめれば主流じゃないと思います。特殊なものは別ですが、大体大局的に考えれば、それは製薬企業における技術者としては、主流をいく技術者というものはそこにはいないのです。ビタミンを作るにしても、いよいよでき上ったビタミンを分けるという段階は製薬企業における末端業務です。みんな若い女がそこでやっておるということであります。ほんとうに東大の薬物を出た技術者というものはそこでやっていない。ある特殊な部門は技術者がやっておるところはあるかもしれません。そういう部門になるとたくさんの人が機械化されず、合理化されずに働いております。ところが実際に製薬原価を論議する場合になると、それから先がうんと金がかかっておる。包装代やらそのほかのものの代金というものが五割以上かかっておる。中身よりもっと多くかかっておる。こういう実態というものは私たちが薬の原価を計算する場合には、考えておかなければならないものです。原価を計算する場合に非常に金を食っておるものは、製薬企業自体が生産をしておるもので金を食っておるのではなくて、製薬企業以外から入ってくるガラスの代とか箱の代が多くの金を食っておるということ、この点はやはり今後われわれが製薬企業の価格を決定する場合に、どうしても今度は注目をしておらなければならぬ点だと感ずるのです。現在製薬企業が価格を決定する場合に、一体どういうところを標準にして価格を決定しておるかというと市場価格です。市場価格を基礎にして原価を決定するということになると、その市場価格というものの中において一番大きな作用をしておるものは何かというと、アンプルや箱の代が市場価格における大きな比重を占めておるということです。そうすると製薬企業というものは何といいますか、自分たちの作っておるものというものはほんのちょっぴりで、耳かきでするほどしかない。しかし価格を決定するものの半分というものは自分の企業以外のもので決定されておる。こういう要素が入ってくる。従って製薬企業の原価を決定する要素というものは、私は薬だけをまず先に取り出して決定していけばいいので、それから先は製薬企業以外の要素というものがある。ガラスとか箱という……。この決定の仕方は製薬企業以外で割合に単純にできるのじゃないかと思う。そういう工合に分けてみると、あなたの言われるほど製薬の原価を何も非常にシビヤーに決定する必要はない。今の薬価基準よりもっと正確なものにすればいいという意味です。私たちの主張は……。今の薬価基準はわれわれに言わしめればあまりに目が大き過ぎる。もちろん天網かいかい疎にして漏らさずということもありますけれども、それはあまり粗雑過ぎるということです。われわれはそれほど正確厳密無比な薬物の原価をきめようという意味じゃありません。しかし今の薬価基準より科学的なものはきめる必要がある。こういう程度の主張です。今のような点もお考えになったことはありますか。容器代なんか莫大な金を食っておるという点、こういう点は私たちは何らかの形で今の製薬企業について検討する余地のあるところだと思うのですが、具体的にそれをどういうふうに検討するかは私もまだ暗中模索でわかりません。しかし長いことやってきておられるあなた方ですから、われわれが実際に飲む薬よりか外に捨てる部面の方が多いということ、化粧品もそうです。これは経済の上からいってももったいないことです。われわれが薬を買ったというときには実際は半分は容器を買ったということになっておる。しかもその容器は、何といいますか、今学校の生徒がみんな金物やら古道具やいろいろなものを集めておって、そして貧しい子供の給食の費用にしようというのだけれども、あの薬びんなんかは子供は持っていかない。それはボロ買いさんも買わないし、古金屋さんも買わないのですよ。そういうものをわれわれは高く買っておる。だからそういう点にもっと薬務局はメスを入れる余地があると思います。医者の家に持っていく薬を後生大事にりっぱな箱に入れなくともいい。後生大事にりっぱな薬びんを作ってやらなくても、そこは何か簡素にやれる方法があると思う。それを医者の家に持っていく薬をりっぱに包装をするし、個人の消費者のものも同じでやっておる。そして包装が小さければ小さいほどそれは高くとっておる。だからそういう点は、やはり保険薬剤で少くとも社会保険に関して製薬企業が奉仕しようとするならば、何も薬の原価――自分の作っておる薬を安くする必要はないが、その包装や何かの点については、もし日本の製薬原価が八百億でその半分が容器代であるとすると、容器代で四百億出してきますよ。これは大へんなことですよ。だからこういう点をもうちょっとあなた方が考えていただけば、そこから莫大な経費が浮いてくるということですよ。(「それはむずかしいよ」と呼ぶ者あり)むずかしいかもしれないが、そういう点は一つの考える価値のある点だということを指摘しておる。そうお思いになりますか、その点どうですか。
#42
○森本説明員 これはお話のような考え方も出てくると思います。ここで一つ考えなければなりませんのは、買う人の立場というものがあると思います。ともかく安く作ったらよろしいという立場もありますし、それから使う人、買う人の便宜があるのであります。今こまかく分ければたくさん金がかかるじゃないか、これを千錠なり一万錠なり入れてやれば包装代も要らなくて簡単であると言われるが、そんなものを店に並べておきましても、それではなかなか売れないし、それから結局買いに来た人には十錠なり二十錠なり分けてやらなければならぬ。そのときには結局またそこである程度の包装をしたり、それから薬事法で書かなければならぬ使用上の注意とか、効能でありますとか、メーカーの名前でありますとか、これはその辺が普通の食品と違ったところで、とにかく書かなければいかぬ。そういうことを各小売人に命じたら大へんなことだと思います。またそれを買う人に対しましても、これはメーカーがちゃんと保証して入れておる。五錠ほしい者は五錠、十錠ほしい者は十錠、二十錠ほしい者は二十錠ということで出ておるのでありまして、それは個々の商品につきまして、それの包装代が五十銭高い、あるいは一円高い、二円高いということはあると思いますけれども、しかし買う人にしてみれば、これはちゃんと入っておるのでございますから便利なことであります。しかし包装の方を安く作れという見方もありましょうが、現実にそういう多数のお客さんが買います場合には、これは買う人の便宜も考えなければならぬと思います。そういう意味合いからいたしますれば、今のようなやり方が一番便利な、親切なやり方じゃないかと思います。そういう気がいたします。それからお医者さんの方の医者用と申しましても大小いろいろありまして、大病院でありますれば、これは大包装で買っておる、それから小さい診療所などでありますれば、これは大包装で買うわけにはいきませんから、小包装で買うというようになっておりまして、包装が一種類であればこれは別でありますが、数種類ございます。大病院向きの包装もあれば中、小病院向きの包装もあり、それから個人向きの包装と、一応そういう現実に買う方の便宜というものも考えてできておるわけであります。でありますから、一律にあの丁寧なやり方は要らぬじゃないかということも極論であろうかと思います。大病院におきましても、それぞれ限度があって、病院向きの包装があることも考えなければなりません。また個人にしましても、もちろんそうでございます。でございますから、各種の包装があるということは便利であって、あまり売れない包装はしないということでありますから、おのずとその辺に必要な包装が必要な数だけ出ておる、こういう見方が一つできるのではないかと思います。それから私どもといたしましては、メーカーが薬事法の向上におきまして、最終製品の患者の使う段階まで、これは間違いないものですよという保証された形でいくということが望ましいことであります。そういう面から見まして、今のああいう行き方が非常にむだが多いという考え方もございますが、非常に便利な考え方である、それから最終製品についてすぐ使える状態ということでメーカーに責任を持たせるという点から見ましても、これは一がいに否定することのできない問題じゃないか、そういう実情なり実益から考えますと、今の薬価基準等をきめます場合におきましても、薬だけの値段できめて、あとはどうでもよいのだというようなことではどうも適当じゃないのじゃないか。これが塩や砂糖のように、表示も要らなければ特別の保存方法も要らないというようなことでありますれば、それは裸値でけっこうでありますが、そうでないものにつきましては、やはりそれぞれ必要な包装をし容器に入れておくということがむしろ必要じゃないかというような感じもいたすわけであります。そういう性質からいきまして、薬価基準等をきめる際に裸値でやったらどうかということは、ちょっと実情を無視しており、かえって不便な点が出てくる。どうせ買う人は、いろいろな形のものを買いたいわけでありますから、そういう点からみて、実情にそぐわない点が出てくるのじゃないかというような気もいたしておりますので、一がいにああいうものを無視して薬価基準をきめたらどうかというようなことは問題があると考えております。
#43
○滝井小委員 どうも局長は私の気持がわからないらしいですね。私は何も小さな包装をやめてしまえと言っておるのではないのです。今の薬の値段というものをわれわれが、薬価基準で見る場合には、さいぜん申しましたように九十六円の薬というものは、これはすべて包装代から何からみな入っておって、箱の中に入っておる薬が九十六円あります。ところがこの九十六円の中の四十五円というものはアンプルや包装代になってしまっておる。小さい箱の中に入っておるところのほんとうにわれわれが薬として飲むものは、あんこの方は、その残りの四十五円、半分以下です。だからわれわれが薬価薬価といっておるときには、われわれの頭の中に描いておる薬価とは違って、出てきたものはあにはからんや、あんこはちょっぴりしがなくて、外側のまんじゅう皮だけを実際は薬価々々と言っているという状態です。それを買って社会保険に使う場合には、これは商品ではありますが、それは何もアクセサリーではないのでありますから、医者の家に持っていく保険の薬物を御丁寧にがっちりと箱の中に入れてやらなくとも、何かロスを出さない方法はないかということを検討したことがあるかどうかということを私は言っておるのです。医者の家へ包装したものを持ってきても、中から出したらあの箱はぽいと捨ててしまう。ですから三分の一は捨てておるんですよ。なるほどそういうものは便宜があるかもしれないが、実はそういうところから広告の問題が出てくるのです。装包のよいもの、あるいは体裁のよい薬びんに入っているもの――これは香水でも同じですが、やはりびんの型というものは買う人の気持をそそり買う気持を起させますよ。しかし一応きまった固定的な、保険で非常に使用頻度の多い薬品についてはもうきまっておるのですから、たとえば武田のロジノンというものは有名です。従ってロジノンについてはがっちりとした包装をやらなくとも、医者用については値段をもっと下げるという意味においては、薬やあるいはアンプルまでは下げられないとしても、箱については何らか考える方法がありはしないかということです。なぜかというと箱代が三分の一くらいするからです。ロジノンを例に出して武田さんには失礼ですが、そういうことを言っておるのです。だから今からわれわれが薬価基準というものをきめる場合に、何も医者に箱を買わせる必要はないのですよ。そうでしょう。これは大村さんもそうだと思うのです。何も保険の経済の苦しい中から箱代まで払わなくてもいいんですよ。箱代が三十円かかるなら、これは十五円の箱代でいいんですよ。頻度の高い名の売れた薬ならそれでいい。ブドウ糖などについてはそれでいいのです。ところがブドウ糖については、今箱代を三分の一払っている。こういうところに現在の資本主義のからくりがあり、保険経済を困窮に陥れる一つのロスが入っているということなんです。私の言わんとするところは、そういう検討を薬務局なり何なりはしたことがあるかということ、しかも薬価基準の中には堂々と、薬じゃない箱代がまかり通っているということなんです。こういう点はやはりわれわれ今後保険経済を考える場合には、真摯な態度で検討しなければならぬと思うのです。われわれは、製薬業者に対しては、中の液を作るための努力と合理化のためには、金をうんと出してもいい。しかし製薬企業に箱代までやる必要はない、箱代でもうけさせる必要はないということです。この点はだれが何といってもはっきりしていると思うのです。アンプルや箱代というものが五〇%程度占めている。しかもそれが保険の薬物の薬価基準の中に堂々とまかり通っているということは、明らかに検討の余地がある。そういう点について今あなたのおっしゃることは抽象論だ。われわれが普通の商品でアクセサリーや何かを買うなら、これは今の通りでいい。りっぱに包装して、りっぱなパラフィン紙に入れてやらないと売れない。しかし普通に保険で名の通っている、そして取引をされている薬品まで、今その通りにやられていることはいけない、こういうことなんです。それは検討の余地がありはしないか、こういうことなんですよ。
 その点が同時に、今度は広告に関係してくるのです。そういう場合、何もかにもみんな、医者の使うものや一般の使うものもみな一緒にしているために、薬事法三十四条の過大広告というものが出てくる。今朝の読売新聞にも出ている。あるいは電通ですか、あれには、あなたの方の次官かなんかがみんなを呼んで注意をしている。何回注意をしても、薬事法三十四条の違反というものは続々と起ってきている。これはいうまでもなく整薬業にも関係してきます。しかし現在の日本においては、薬の売れ行きが停滞している。輸出も停滞し始めている。従ってもう国内の競争というものは激甚ですよ。競争が激甚になると、今八田君も言っておったが、ありもしないことを広告に書かなければ売れない、そういう形が出てきている。そしてしかも中身よりか高い華美な包装をし、きれいにして売らなければ売れない。これは同時に広告に通じているのですよ。こういう点は、あなたの方では広告に薬事法三十四条違反がだんだんふえてきているということで注意をされている。これはこういうところにつながっている。だから、一般の使うものと医者の使うものをぴちっと区別をしてやっていくということになると、そういう広告というものも自然に制限されてくると私は思うのです。ところが医者の使うものも何もみんな一緒にしておるから、われわれは結局箱代やアンプルの代をとられている、こういうことなんです。従って製薬企業自身のあり方が、実際は薬は九層倍じゃないが、薬九層倍だと言われるような形になってくる。だから一方ではもうけておっても、何かそういうところで税金や何かをごまかして、薬そのものは単純で把握しやすいから、アンプルや箱代でごまかさなければならない。いろいろ原価計算を複雑化する形が、私たちに言わせればそういうところから出てくる。
 従って、これ以上私は言いませんが、あなた方ももうちょっと、薬そのものを作る製造過程の合理化、こういう点についての検討をしてもらわなければなりません。しかし同時にまた製薬企業界も、作っている箱とかガラス、こういうものについてやはり一応検討してもらう必要があるんじゃないかということなんです。そういう点、一つ検討して下さい。
#44
○森本説明員 全面的に包装要件について否定するのでなしに、医師向け等についてはむしろ簡単な包装でいいではないか、こういう御意見でございますが、これはごもっともでございます。ただしかし、医薬品については一定の事項、名前であるとか容量、用法、効能という要求されているものがございまして、こういうものを表示書あるいは箱なりに書かなければならぬという問題もあります。そういうものを満たし得る程度のものであれば、上等の紙質でなくても、悪い紙でもいいんじゃないか、こういうことと思いますが、これはごもっともでございますので、考える余地があると思います。しかし、これまた一面から申しますれば、どの程度の規格がいいかという問題もございましょうし、それから数社競争しておる状況である際に、当事者が少しでもサービスをして作ったきれいな包装をした方が、同じ買うならきれいな方を買いたいという人情の機微もございましょうし、その辺も十分検討しなければならぬと思いますが、御意見の趣旨はよくわかりました。
#45
○野澤小委員長代理 次会は公報をもってお知らせすることとして、本日はこれにて散会いたします。
    午後四時四十六分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト