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1956/11/12 第25回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第025回国会 本会議 第1号
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1956/11/12 第25回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第025回国会 本会議 第1号

#1
第025回国会 本会議 第1号
昭和三十一年十一月十二日(月曜日)
    ―――――――――――――
 議事日程 第一号
  昭和三十一年十一月十二日
   午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
 第三 特別委員会設置の件
    ―――――――――――――
●本日の会議に付した案件
 日程第一 議席の指定
 日程第二 会期の件
 日程第三 特別委員会設置の件
 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査をな
  すため、委員二十五人よりなる特別委員会を
  設置するの件(議長発議)
 公職選挙法改正に関する調査をなすため、委員
  二十五人よりなる特別委員会を設置するの件
  (議長発議)
 科学技術振興の対策を樹立するため、委員二十
  五人よりなる特別委員会を設置するの件(議
  長発議)
 北海道その他重要地域の開発に関する法律案の
  審査及び諸施策の樹立のため、委員二十五人
  よりなる国土総合開発特別委員会を設置する
  の件(議長発議)
 日ソ共同宣言等を審査するため、委員三十五人
  よりなる特別委員会を設置するの件(議長発
  議)
 西尾末廣君の故議員三木武吉君に対する追悼演
  説
 福田昌子君の故議員熊谷憲一君に対する追悼演
  説
   午後零時六分開議
#2
○議長(益谷秀次君) 諸君、第二十五回国会は本日をもって召集せられました。
 これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
 日程第一 議席の指定
#3
○議長(益谷秀次君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君の議席は、議長において、ただいま御着席の通りに指定いたします。
     ――――◇―――――
 日程第二 会期の件
#4
○議長(益谷秀次君) 日程第二、会期の件につきお諮りいたします。今回の臨時会の会期は召集日から十二月六日まで二十五日間といたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、会期は二十五日間とするに決しました。
     ――――◇―――――
 日程第三 特別委員会設置の件
#6
○議長(益谷秀次君) 日程第三、特別委員会設置の件につきお諮りいたします。
 海外同胞引き揚げ及び遺家族援護に関する調査をなすため、委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。
 次に、公職選挙法改正に関する調査をなすため、委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#8
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。
 次に、科学技術振興の対策を樹立するため、委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。
 次に、北海道その他重要地域の開発に関する法律案の審査及び諸施策の樹立のため、委員二十五名よりなる国土総合開発特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#10
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。
 次に、日ソ共同宣言等を審査するため、委員三十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#11
○議長(益谷秀次君) 御異議なしと認めます。よって、その通り決しました。
 ただいま議決せられました五特別委員会の委員は追って指名いたします。
     ――――◇―――――
#12
○議長(益谷秀次君) 御報告いたすことがあります。議員三木武吉君は去る七月四日逝去せられました。また、議員熊谷憲一君は去る十月九日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえませぬ。三木君に対しては七月十一日特別の弔詞を、熊谷君に対しては十月十三日先例による弔詞を議長において贈呈いたしました。
 この際、弔意を表するため、西尾末廣君及び福田昌子君よりそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。西尾末廣君。
  〔西尾末廣君登壇〕
#13
○西尾末廣君 ただいま議長から御報告のありました通り、衆議院議員正三位勲一等三木武吉君は去る七月四日病気のため逝去せられました。
 私は、ここに、諸君の御同意を得、議員一同を代表して追悼の言葉を申し述べる機会を得ましたことは、同君を、郷党の先輩として、また近来まれに見る大政治家として敬慕している私にとりましては、まことに光栄と存ずる次第であります。(拍手)
 同君は、明治十七年八月十五日香川県高松市六番町に生まれ、早稲田大学の前身東京専門学校を卒業し、明治四十年司法官として世に出られましたが、わずか一年にして退官せられ、弁護士となって大いに法曹界において活躍せられました。大正六年四月、第十三回総選挙に当って、君は、時の宰相大隈重信伯の知遇を得て、初めて政治家たらんことを決意し、ついに衆議院議員に立候補し、みごと当選の栄をになわれました。自来当選すること実に十一回の多きに及んでおるのであります。
 その間、大正十二年には、デンマークのコぺンハーゲンに開催された万国議員会議に列席の後、欧米各国を視察され、また、昭和四年パリにおいて開催された万国議員会議には、わが派遣議員団の団長として出席の後、欧米各国を視察の上帰朝せられたのであります。
 君は、多忙なる政治活動のかたわら、昭和十四年には報知新聞社社長の要職にもつかれ、また産業方面にも活躍するなど、その偉大なる足跡は広く各方面に残されておるのであります。
 昭和二十年八月終戦となるや、同君は、日本再建のためには新鮮にして強力なる政党の存在こそ最も必要であると考え、年来の盟友鳩山一郎君ら同志と相はかり、民主主義政党の結成に奔走せられました。その努力が実って、十一月には、日本自由党が鳩山君を党首としてその誕生を見たのであります。翌二十一年四月の第二十二回総選挙には、同党は第一党となり、鳩山内閣の実現が予想され、君は衆議院議長に擬せられておったのであります。ここにおいて、君の念願たる新日本建設のために、みずからも深く期するところがあり、世人また君の活躍を大いに期待しておったのであります。しかし、不幸にして、鳩山君に続いて追放の厄にあい、自後数年間は雌伏のやむなきに至ったのであります。古語に、天下道なければ徳をおさめ間につくとありますが、同君は、この雌伏、失意の間において、深く時世の趨勢を静観しつつ、みずから養い、みずからおきめ、その知において、その徳において、後年大政治家となられる素地を作られたものと思うのであります。(拍手)
 昭和二十六年、鳩山君追放解除の近きを思わせるある日のこと、鳩山邸に参集した同君及びその同志の人々の間に、今後の政治活動の方針について熱烈なる討議が行われたのであります。その席上、吉田君に頂けておいた自由党を受け継ぐべきであるとの意見が圧倒的であったのに対して、三木君は、自由党とともに同党の持つ諸種の不利なる遺産をも譲り受けることは不可である、よって、ここに衆心を一新し、鳩山君を中心とした保守新党を作るべきであると強調したのであります。そして、この三木君の意見はその通り決定したと私は聞いております。しかし、その直後、鳩山君の悲劇的な発病により、この計画は挫折し、やむなく同君は鳩山君ともども自由党に参加することになったのでありますが、あの際、古い基盤の上に立つ安易な道を選ばず、敢然として新党結成の難路にこまを進めようとした三木君の政治的感覚は、凡庸な政治家にはとうてい望み得ない新鮮さと鋭敏さとが感ぜられるのであります(拍手)
 追放解除後、君は、昭和二十七年第二十五回総選挙に再出馬し、それから、その死に至るまで衆議院議員の職にあり、その長い政治生活における豊富な経験をもって民主政治の発展と政党政治の運営とに最大の努力を払われました。ことに、その晩年は、同志と百方奔走して、ついにかの保守陣営の大同団結を完成し、わが憲政史上に二大政党対立という画期的な事業をなし遂げたことは、諸君の記憶になお新たなるところであると思うのであります。(拍手)
 君の議員生活は、前後を通じ、在職実に二十四年五カ月の長きに及んでおります。明年一月には永年在職議員として晴れの表彰にあずかるべきでありましたが、天この人にかすにこの栄誉の完成をもってしなかったことは、まことに命なりというべきでありまして、感慨これにかかるものがあるのであります。(拍手)
 ただ、同君がいわゆる官途につかれたのは、さきの一カ年の司法官試補時代を除いては、大正十三年、加藤高明内閣において、大蔵参与官となられたのみであります。君の政治的閲歴をもってすれば、幾たびも台閣にその名を連ねてしかるべきでありますが、君があえて国務大臣の地位につこうとしなかったところに、その面目躍如たるものがあるのであります。(拍手)
 世には、君の政治活動を評して、策士であるといい、また、権謀術数家であるという。これは少くとも晩年における君に対する正当の評価ではありません。君は、よく時勢を知るとともに、よくみずからを蹴る政治家でありました。そして、何らの野心なく、私欲なく、民衆が政治家に期待するところをよく把握し、忠実にこれにこたえようとした良心的な民主的政治家であったのであります。
 思うに、民主主義政治において指導的立場に立つ者は、いかなる問題についてもまず第一に自己の意見を大胆率直に述べ、もって国民大衆の公正な批判を仰ぎ、そして、大衆の意思の盛り上りを正しく指向しつつ、しかも、穏健妥当なる結論を導き出すという態度をとらねばならないのであります。しこうして、この自己の政治的意見を大胆率直に述べるためには、内には鋭い判断力と強い決断力、外にはたくましい実行力がなければなりません。私が三木君を近来まれに見る大政治家として敬慕しておりますのは、実に同君はこれらの諸要件を兼ね有しておられたからであります毎(拍手)
 かの保守合同の実現のごときは、かねてより保守勢力の大同団結が焦眉の急として要望されていたにもかかわらず、その達成のために予想される幾多の困難な事情から、あえてこれを企てる者がなかったのであります。君は、このきわめて困難な、常人をもってしてはとうていその成功を期し得ない大事業に挺身し、しかも、すこぶる円滑にこれを達成し、保守、革新の二大政党対立という、議会政治にとっての理想的形態を実現せしめたのであります。この大事業達成のため、君は、老齢を忘れて、その精魂を傾け尽してこれに当られたのでありまして、その悲壮ともいうべき熱意と努力に対しましては、何人といえども賛嘆景仰せざるを得ないのであります。(拍手)保守合同達成の後は、君は、自由民主党の主柱として、合同後の党内の諸情勢に処し、巧みに調整指導されたりであります。
 これらの筆舌に尽しがたい労苦のため、君は、病躯をもって不眠不休に努力し、ついにその一命を犠牲にされたわけであります。その政治的良心に対しましては、まことに頭の下る思いがするのであります。(拍手)
 今や多年懸案であった日ソ両国の国交回復はまさにならんとしているとはいえ、その最大の課題である領土問題はなおいまだ解決を見ず、目を西方に放てば、干戈中東、東欧に動き、国際情勢にははなはだ緊迫したものが感ぜられるのであります。この外交、内政ともに戦後最大ともいえる重大な時局に当り、わが祖国日本の向うべきところを誤まらず、わが民族の将来の発展を期するためには、われわれ政治に携わる者は、この際その決意を新たにし、超党派的な大所高所よりこれに善処せねばならないのであります。(拍手)このときに当り、三木君のごときすぐれた政治指導者を失ったことは、国家にとり、民衆にとり、まことに痛恨のきわみでありまして、哀惜の惑いよいよ深いものがあります。
 われわれは、今後事あるごとに君を思い、君をしのび、君の志を生かして国家の重大問題に処し、国政審議に最大の努力を払うべきことを君の霊に誓い、もって追悼の言葉といたしたいと思うのであります。(拍手)
#14
○議長(益谷秀次君) 福田昌子君。
  〔福田昌子君登壇〕
#15
○福田昌子君 ただいま議長から御報告がありました通り、本院議員熊谷憲一先生は去る十月九日にわかに逝去せられました。
 この際、私は、僭越でございますが、皆様のお許しを得まして、議員御一同にかわりまして、つつしんで哀悼の辞を申し述べさせていただきたいと存じます。(拍手)
 熊谷先生は、九州福岡県朝倉郡杷木町の御出身でございまして、すでに当選三回、在職四年一カ月に及び、人格識見ともにまことにすぐれた有為の士でありまして、将来を大いに嘱目されておりました。幼少より俊秀の誉れ高く、第五高等学校を経て東京帝国大学法学部に入学、卒業に先だって高等文官試験に合格され、大正九年卒業とともに農商務省に入り、翌々年には選ばれて欧米に出張、先進諸国の社会保険制度、労働組合事情等を視察し、一年にして帰国されました。次いで、社会局に転じられ、事務官、書記官に累進して、保険部、社会部に勤務し、ますますその才幹を発揮されたのでございます。後、専門の学識経験を買われて、厚生省の職業部長、社会局長を歴任されましたが、「健康保険精義」「健康保険詳解」「疾病保険論」は、いずれも先生のうんちくを傾けられた好評の著書であります。
 官界における先生は、岡山県知事、内閣情報部長、山口県知事、防空総本部次長、北海道庁長官、北海地方総監等、幾多の要職に任ぜられ、その間、企画院参与、物価対策審議会幹事、その他各種の委員会の委員を兼ねられ、戦時下の複雑困難なる情勢のもとに、よくその重任を果されたのであります。
 終戦後、不幸にして公職追放の指令を受け、弁護士を開業せられましたが、追放を解除されるや、二十七年の第二十五回総選挙に推されまして郷里福岡県第一区より立候補され、みごと栄冠をかち得られました。自後、引き続き本院に議席を占められ、重厚なる人格と該博なる識見をもって僚友の尊敬を集めておられたのでございます。
 本院におかれましては、地方行政委員会、内閣委員会、外務委員会、社会労働委員会の委員として、あるいは理事として、精励努力し、よく国政審議の重責を果せられたのでございます。
 先生は、また、生来至って御壮健であり、郷土の私どもはもちろんのこと、今日の政界は、先生のその御手腕と御健康に大いなる期待をかけておったのでございます。ところが、はからずも、卒然として先生は他界されました。現下、時局はますます多難であり、かかるとき熊谷先生のごとき有能の士を失いましたことは、全く大きな国家的損失でございます。まことに先生の御逝去は返す返すも痛惜にたえないところでございます。この際、私どもは、決意を新たにいたしまして、憲政の擁護と民主政治の確立に邁進いたしまして、もって在天のみたまにおこたえ申し上げたいと存ずるものでございます。
 ここに、つつしんで先生の御冥福を祈り、もって弔辞といたす次第でございます。(拍手)
     ――――◇―――――
#16
○議長(益谷秀次君) 次会の議事日程は公報をもって通知いたします。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時二十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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