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1956/12/03 第25回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第025回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号
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1956/12/03 第25回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第025回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号

#1
第025回国会 公職選挙法改正に関する調査特別委員会 第4号
昭和三十一年十二月三日(月曜日)
    午前十時五十四分開議
 出席委員
   委員長 青木  正君
   理事 松澤 雄藏君 理事 森   清君
   理事 井堀 繁雄君 理事 島上善五郎君
      臼井 莊一君    菅  太郎君
      小島 徹三君    古川 丈吉君
      鈴木 義男君    滝井 義高君
      森 三樹二君    山下 榮二君
 委員外の出席者
        総理府事務官
        (自治庁選挙部
        長)      兼子 秀夫君
        参  考  人
        (お茶の水女子
        大学学長)   蝋山 政道君
        参  考  人
        (早稲田大学教
        授)      吉村  正君
        衆議院法制局参
        事
        (第一部長)  三浦 義男君
    ―――――――――――――
十二月一日
 委員武藤運十郎君辞任につき、その補欠として
 山田長司君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した案件
 閉会中審査申出の件
 公職選挙法改正に関する件
    ―――――――――――――
#2
○青木委員長 これより会議を開きます。
 公職選挙法の改正に関する件について調査を進めます。
 本日は、前会御決定を願いました通り、政党法に関する件につきまして、参考人より御意見を承わることにいたします。
 この際参考人各位に一言ごあいさつ申し上げます。本日は、御多忙のところ、貴重なる時間をおさき下さいまして、まことにありがたく厚く御礼申し上げます。御承知の通り、議会政治は政党政治であると称せられておりますが、政党自体についての法的な規律については、これを正面から規定したものがなく、政党に関する問題は、きわめて重要でありながら、種々の事情から法の規制はすこぶる困難な事情にあるように思われますが、この際、参考人各位から、政党に関して果して法的根拠を与えることが必要であるかどうか、また、必要ありとした場合、どのような点が問題であるのか等の問題につきまして、深い御造詣を有しておられる各位から忌憚のない御意見を承わり、本委員会の参考に資したいと存ずる次第であります。
 それでは、これより御意見をお述べ願いたいと存じますが、まず参考人お二人に御意見の開陳をお願いし、その後において委員各位より質問を行うことにいたしたいと存じます。さよう御了承を願います。
 それでは、最初に蝋山政道君にお願いいたします。
#3
○蝋山参考人 政党法の問題は、かつて国会におきましても論議されたように記憶しておりますが、ただいま委員長からお話がありましたような法的根拠を政党に与える必要があるやいなや、もし与えるとすればどういう点が問題であるかという二点についてのお尋ねでございますが、私は、今まで日本で政党法が論議された際の動機とでも申しますか、その理由がどういう点にあったかということを推測してみますと、およそ四つの問題があったように思います。
  〔委員長退席、森(清)委員長代理着
  席〕
 第一は、共産党のような、あるいは共産党に限らず、少数党であるが、しかし、イデオロギー的に国会制度と相いれないような政治団体が発生した場合に、これを何らか法的に規制する必要があるのではないかというような意味から、問題にされたことがあるように思います。いま一つは、政党の党籍を変更する人が出る場合に、一般選挙民から見ましても、あるいは選挙区から見ましても、好ましくないと感ぜられる意味で、党籍変更を制限する必要がないかというようなことが、一つの点になったように思われるのであります。また、少数党がたくさんあり、その分立によっては議会政治の運営がうまくいかないということから、二大政党というようなものに導くと申しますか、その方向に政党の発展を期待するというような意味で、何らかの法的規制が必要ではないかという点があるようであります。さらにまた、政党がその党費を調達する場合、または政党の会計制度の問題が起った場合に、法的規制があれば大へん都合がいいというようなことから考えられた点もあるように思います。そういうような四つくらいの点がその目的を達する道ではないかというようなことで、政党法を制定する動機になったのではないかと思います。
 ところが、これらのいずれの点も、政党を法的に規制する法的根拠を与えるという場合に考えなければならない根本問題をすべて忘れているのではなかろうか。問題はそれぞれありまして、それらの問題の解決は必要でありますけれども、それを政党法という制度を設けることにおいて解決し得られるものであるかどうかについては、非常に疑問を持っておるわけであります。従って、結論的に申しますと、政党法という立法を必要としない。しかし、問題はあり得るのであって、また実際あるのでありますから、それらは他の手段において――その手段の中には立法的手段もあるのでありますが、そういう方法において解決すべきであって、政党法という立法をする必要はないのではないかという見解を持っております。
 それなれば、なぜ政党法の必要はないか、あるいは政党法というものを立法することにおいてかえって問題が起る、こういう点を一つ根本的に考えてみたいと思う。
 その点として第一にあげられるのは、自由立候補制度との関係であります。政党法はもちろんいろいろ考えられるのであって、その内容によりましては、自由立候補制度と衝突しないような立法の仕方をすることはできる、可能であります。しかし、いかにいたしましても、一たび政党法というものができれば、その政党法によって政党と認められるものと、選挙の際に立候補し得る者との間には、何らかの相違を来たすわけであります。その相違は、結局において、つまり政党法によるところの政党というものの方がより利益であるということには当然なるのであります。政党の範囲をいかに決定するかという問題がどのように決定されましても、それによるといなとは、結局選挙の際において相違を来たすと思うのであります。そういう意味から、自由立候補制度というものが根本的に維持せらるべきものであるならば、この点から見て、政党法というものは、これに多少の差別を与える結果になるという意味から、政党法は考えなければならぬことだと思うのであります。自由立候補制度というのは、一体どれほどの価値のあるものであるかということになるわけでありますが、これは、考え方によって、実際上候補者は何らかの団体というものを基礎にしなければ出られない実情であるから、事実上は政党法によって何らかの範囲をきめられたとしても、実際は妨げないのだ、こういうふうに見られますけれども、事実多少の――少い例ではありましても、何ら政治団体であるところのいわゆる政党というようなものの関係なしに、ほんとうに独立の、単独の立候補も可能であり、また現にあるわけであります。そういうものを制限し、また不利な結果に陥れるということは、根本的に考えて、現在の国会制度の根本趣旨から見て必要ないではないか、やはりそういう自由立候補制度というものを実際上も形式上も残すことが妥当ではなかろうかと思う。しかも、政党によって立候補することが事実上有利でありますから、あえて政党法によってそれを助長するという必要はないので、原則的に見てその制度を残しておく方がいいので、政党法を特別に作る必要はないように考えられるのであります。
 第二の点は、政党を結成することにおいて何らかの法的措置があれば、その方が政党を健全なものに導き得るのではないか。たとえば各政党に一定の組織法というものがなければなりません。政党自体の性質もそれぞれ違っておりますし、その発達の経路も違っておりますから、その政党が持っておるところの政党自体の組織法というものはずいぶん違っております。精粗いろいろあります。また、その実際の行使が、文字通り、その通り行われるかいなかという点もずいぶん違っておると思います。一応のものはあっても、それが実際には行われていないというような場合もあるでしょう。けれども、その政党をいかにして結成するかという点について、一般法を規定して、それにのっとらしめるということが必要であるかないかということについては、非常に疑問を持っておるわけであります。むしろ、政党自体の道徳的な義務として、政党は、いやしくも政党たる以上は、そこに組織法というものを持って、それを順守するということが必要かと思うのであります。現在自民党が問題にしておりますような、党首をいかにして選任するかといったような場合に、公選制度をどうするかというようなことは、いかにも自由に制定できるのでありまして、それは政党自体にまかすべき問題であり、一般法の規定に待つべきではあるまいと思うのであります。結社の自由という憲法上の基本的な自由というようなものとの抵触は、問題にする人はありますが、政党法を作ったからといって、直ちに結社の自由ということに違反するとは考えません。これは、いやしくも、団体行動をとる場合に、それが何らかの公益上あるいは一般福祉の上に必要であるならば、何らかの規制をするということは、これは決して結社の自由と反するものではないと思うのであります。しかし、政党は、他の一般の株式会社であるとか、あるいはその他の組合であるとかいうものとは、いささか性質を異にするものである。ここに一定の法的なワクをはめるということは、結社の自由を犯すものではありませんけれども、決して望ましいことではないように思われるのであります。そういう点から考えまして、政党の結成を法的に規制するということは好ましくないという所存であります。
 第三に考えられます点は、資金、会計の国家的な助成をすることが妥当であるかどうかという問題であります。従来提案されました政党法の特色の一つとして、政党を資金的に助成する、たとえば補助金を与える、こういったような案があるようであります。現実に、政党というものは、あるいはその一つの事業であるたとえば調査をするというようなことは、公益の上から見て非常に重要なことである、それを何らかの形において助成をするということは望ましいことのように考えられる。しかし、よく考えてみますと、政党というものは、他の団体と異なりまして、それは、国会において、あるいは内閣において、当然論議せられるところの重要な国家的な政策に関係する調査事項であります。従って、そういうようなものが国家の補助金によってなされるということは、不測の影響と申しますか、予測困難な事態を引き起す可能性があるのであります。財政的に補助は望ましい、また必要であるけれども、それは国家の補助金によってやるということになると、そこに考えなければならない問題が発生するように考えられます。そこで、やはりこの点において政党はもっと方法を講じて、資金、会計の充実とその公正をはかるべきであって、決して国家の補助金をもらうべきではない、こういうふうに考えておるのであります。実質的に補助になりましても、それは政党法のような形でやるべきではない、こんなふうに考えております。むしろ、この点は、資金規正法というものがありますので、もし必要があるならば、資金規正法の改正によってその目的を達成すべきではなかろうか、こんなふうに考えております。
 第四の点は、少数党の問題でありますが、やはりこういうふうにいろいろ問題を考えて参りますと、政党法ができるということは、結局少数党に不利であります。そして、二大政党というものが、すでに事実上何ら法的な根拠によらずしてできておる今日において、さらに政党法を設けるということは、少数党を不利ならしめることに結局なるわけであります。その点を考えますと、むしろ、国家の全体の考えから見て、少数党がある方がよろしいのである。大政党が根本的に成立しておるならば、そこに、その限本状況を変更するには足りないけれども、しかし、その大政党以外の政治的見解が表われ得るところの少数党の存在というものは、むしろ望ましいと私は考えるのであります。そういう意味から申しましても、政党法を設ける必要はもはやないのではなかろうか、こんなふうに考えております。これらの根本問題を考慮いたしますと、政党法というものについては、否定的な消極的な考え方になるわけであります。
 しからば、現在の政党の活動、たとえば選挙に際しての活動とか、ふだんの政治活動が、何ら法的な規制を必要としないかということになると、私はそうは思わないのでありまして、なお、公職選挙法の改正、特に選挙に際しての行動について、しかもそれが議員の活動であろうとも、結局その背後にある政党の活動になるわけでありますから、そういうものにつきましては、なお十分に考慮する必要があり、法的規制を加える必要があるのではないか。また、資金規正法の点は先ほど申し上げましたが、これも改正する必要があると思うのであります。現在公職選挙法というものの中にあるものでさえも、それを別個の単独法にかえて、たとえば、選挙運動に関して特に不公正な、あるいは腐敗的な行為というものを一括して取り上げて、政党を間接に規制するというような事態は、非常に望ましいことであって、単に選挙法だけの問題というよりも、それを取り出して、特に重要な立法事項について、従来のものをさらに整備するというようなことは、望ましい考え方、立法の仕方ではなかろうか。英国の例がたびたび引かれますが、一八八八年の公正ならざる腐敗行為というものを一括して、一つの単独法にいたしました結果、政党の構造が非常に変ってきたわけであります。しかも、選挙自体が公正になり、腐敗が防止されるのみならず、たとえば構造が全く変って、ほんとうに大衆政党になったわけで、大衆政党とは、選挙民の中から、つまり党員もしくは党員に準ずる人たちが、ほんとうに自発的にその政党の活動を支持するという形になるわけであります。単に金銭的にあるいは費用を支払われて政党のために活動する人ではないという形に変ってきたわけであります。これが、英国の政党が近代政党になり、しかも大衆的な政党になって今日に至った大きな契機をなした立法であります。そういうようなことから見て、今後、日本の政党を真に国民の生活の中に、あるいは国民自体の中に根をおろす組織にするという意味からは、私は何かそういうような特別な立法をすることが望ましいとは思っておりますが、しかし、これも決して直接に政党法という一括した立法をすることではないのであって、政党自体のそういう方向の発達を間接に助長する立法でありますから、そういうような立法を考慮するということは、考慮の余地があると考えております。でありますが、重ねて私の意見といたしましては、政党法という立法形式は望ましくない、こういう考え方をしております。
 以上、私の意見を申し上げた次第でございます。
#4
○森(清)委員長代理 これにて蝋山参考人の御意見の開陳は終了いたしました。蝋山さんは午前中しか在席できない由でありますので、御質疑がありましたら、この際お願いいたします。―井堀委員。
#5
○井堀委員 蝋山先生は政党法の必要を否定されての御意見のようであります。ただ、その中で、政党に対する法的規制は必要であることを主張されておりますが、たとえば政治資金規正法あるいは選挙法の中でどのように講ずるかということをお尋ねいたしたいと思うわけであります。私どもは、日本の政党、ことに二大政党の形を一応作っております。しかし、他党のことを申し上げるのはどうかと思いますが、いろいろな意味で、日本の政党は必ずしも近代的な政党とはいえないのではないか。特に長い伝統を持っておりまする日本の保守政党というものは、派閥、藩閥あるいは官僚の全く道具として政党が作られたり、あるいはあやつられてきた歴史というものは、かなり深刻な根を持っておると思います。戦後一応脱皮したような形でありまするが、そういう長い伝統の中で一つの性格というものができ上っておるものを、変更するという必要があるのではないか。それをどうして脱皮させるかということについては、一番いい方法は、もちろん政党自身あるいは国民の政治意識がそうさせるということがいいと思うのでありますが、そういうことは今日の場合にわかに望めない。しかし情勢はもっと日本の政党の近代化を望んでおる情勢があるわけですが、こういう点の問題はどういう工合に解決したらいいかということについて、政党法必ずしも私そうもいいとは思いませんけれども、何らかの形によって近代政党というものに道を開いていかなければいけない、そういう切なる感じを持ちますので、たとえば選挙法を―この前も論議いたしました中で、そういう必要をたまたま私どもは感じたのですが、選挙法の中で、どういったような方法で、たとえば政党に対する一つの法的規制を与え、政治資金の問題については私どもある程度わかると思いますが、選挙法の中で考慮されるものはどういったものであるか、先生の御意見を承わりたいと思います。
#6
○蝋山参考人 近代的な政党としからざるものとをどこで区別するかということは、非常にむずかしい問題でありますけれども、一応各国の政党の歴史を考えますと、政党とは結局一部の少数の者の集まりでありまして、その集まりの根拠はいろいろありますけれども、いずれにしても、少数の者がやがてその組織の根を一般国民大衆――結局それは地方の支部と申しますか、その支部につきましてもいろいろの構成がありますけれども、そういう国民の地方生活あるいは地域社会に根をおろすということが、私は近代的な政党としからざるものとの区別の重要な一点ではないかと思うのであります。こういう点から考えまして、やはりその地方組織あるいは地方の制度というものが選挙の際に一番活動するわけであります。もちろん、候補者の選定であるとか、あるいは政策実施について国民に趣旨を徹底するとか、いろいろの機能を持っておりますけれども、いずれにしても、それが端的に現われるのは選挙の際だと思うのであります。大衆組織であれば、その大衆が結局選挙民であるわけであります。従って選挙民が自党のために活動するのであります。そこに、自発的に積極的に党のために活動するのでありますから、従来選挙に要した費用の性質が変ってくるということがいえると思う。もちろん、選挙運動の形式によりまして、費用の問題はかなりむずかしいと思いますけれども、しかし、一応ヴォランタリーに、自発的に選挙運動に従事する。金を支払われて、いわゆるペイを受けて選挙運動に従事するのとは、性質がだいぶ変ってくると思うのであります。望ましいことは選挙の費用を減少することが一つありますけれども、費用の性質を変えてくるというこの点において、選挙運動の性質が変ってくるのではないか。従って、もう明らかに、いかなる点から見ましても望ましくない買収の費用とか、供応の費用だとかいうものが減少することは当然であり、それはまた排除されなければならぬと思うのであります。そういう意味において、まだまだ今日の選挙法は国民大衆が政党の組織員であるという形になっておりません。そういう事実を前提として選挙運動の取締りの規定ができておりますので、まだ近代政党を対象としての選挙運動の規定ではないように思われる。そういう点に徐々に改正を加えられることが必要だと思うのです。そのためには、やはり政党自体がその組織法を改正し発展せしめて、地方支部というものを健全なものにするということが前提ではないか。その場合に、政党法によって一般規定を設けることは望ましくないと私は考えるのであります。たとえば、どういうことを先例としてとっていいかわかりませんが、かつて提案されました政党法の中に、やはり政党としては、いやしくも政党としてこの法律に該当するものであるならば、次のような組織法を政党自体が持たなければならぬということを、一般的に規定しておるのであります。そういうようなものをかりに励行するとするならば、非常に機械的にそういう政党ができ上ることにはなると思うのであります。けれども、そういうことが果して政党という団体の性質上望ましいかどうかということが私は疑問になって、先ほどから幾たびも申しましたように、それには反対的な見解を持つわけです。しかし、今言ったように、選挙運動を公正なものにし、真に大衆のものとするためには、やはり選挙区を何らかの形に総合いたしましたような地方組織というものを、政党が非常に発達せしめなければならないと思う。そういう方向に選挙運動の規制を通じて持っていくということが、今のところ望ましいのではないか。それはどういう点に個々の改正を必要とする条項があるかについては、私は今日は詳しく申し上げる機会ではないと思いますけれども、一般的に選挙運動を通じて地方の組織を健全ならしめて、選挙運動を真に大衆化して、そしてそれは従来のような望ましからざる費用を制限していく、そういう方向に持っていったらいいのではなかろうか、こう考えております。
#7
○井堀委員 もう一つお尋ねいたしたいと思いますが、先生もおっしやられるように、近代政党、特に大衆と政党の結びつかない政党というものはおそらく意味がないと思うのです。実際上、社会党にいたしましても、労働団体が組織された人格で結びつけば量的に票があるのですけれども、個人の党員ということになりますと、全国的に見てもきわめて少数で、それが果して国民の総意を党内に十分反映することが可能であるかどうかということについても、問題があると思う。いわんや、今日の保守党は、地方組織というものにはかなり力を注いでいるようでありますが、大衆の組織化はなかなか困難ではないか。そこで、先生は、選挙の際を通じて、政党が大衆政党へ脱皮するような行為で埋め合せろというお考えのようであります。そういう考え方を選挙法の中に取り入れようとすれば、一番問題になってくるのは、選挙運動のやり方にもかなり問題があると思う。前回もちょっとありましたように、個人ではなく、政党が中心になって選挙をやるようになりますと、先生の今おっしゃるような弊害は強く現われてくる。それから、政党法を否定なさいまする唯一のものの中に、自由立候補制がはばまれるということを非常に大きく考えられた。そういう意味から考えますと、政党が選挙にあまり表に出てくるということは、その弊害をやはり助長することになる。そういう関係からいたしますと、選挙を通じて政党の活動をする場合におけるいろいろな規制の仕方、あるいはそういう運動を助長する内容を盛り込むということは非常にむずかしいことのように考えられますので、何かこういう点について先生の具体的なお考えを承わりたい。
#8
○蝋山参考人 これは一つの歴史的な事実でありまして、はっきりと一般的にどこの国にでもそいうことになるかどうかの保証はないのでありますが、英国の政党史を見まして一つ感じましたことは、先ほどもちょっと言及いたしましたが、つまり選挙費用を非常に制限いたします。この制限という意味も、その前のその制度がなかった場合との比較でありますけれども、制限いたしますと、それを埋め合せなければならない。従来かかった費用をかけずにやるということになりますと、その埋め合せをすることになります。その埋め合せをどういうふうにしたかということになりますと、結局地方組織というものを充実いたしまして、必ずしも厳格な意味で党費を納めているところの党員を増すということではないのです。その方もけっこうでありますが、それだけではなしに、つまり選挙に際して無償で働く人なんです。その無償で働く人が非常にふえたということであります。これが政党を健全ならしめたのでありまして、それは選挙法としては厳格に選挙費目を最も合理的に限定するのであります。そうしてそれを厳格に守らせることにおいて、それが、政党にとりましては、政党の組織を発達せしめるということに向っていったんではないかと思う。こういうことを私どもは日本の場合におきましても考えなくてはならない。ことに保守政党が、今までの地方組織を改めて、そういうような活動のできる分子を多く見出すということは、非常に望ましいことだと私は思う。ちょうど、英国の場合におきましても、やはり労働党がまだ発達しないときにできた選挙法の改正でありましたけれども、一八八三年のあの不正防止法が、今日の保守政党を健全ならしめた大きな動因になっておるのであります。そういう意味から申しまして、選挙法は一つの政党を改善するところのものではなかろうか。今御指摘のように非常にむずかしいと思います。そしてそれが露骨に政党というものの活動を助長するという意味ではなく、政党の候補者がその費用を使わないで済むためには、平素からそれに共鳴するところの選挙民を多くヴォランタリーに活動せしめる方法が考えられるわけです。そういう意味の地方組織の発達ということを私は言うわけであります。それが一番望ましいことではなかろうか、こういうふうに考えておるわけであります。
#9
○井堀委員 もう一つだけお尋ねいたします。そこで、選挙運動の際に、先進国でだんだんとられてきたように、無償で犠牲的に選挙運動が盛り上ってくるような形を期待することが、私どもも望ましいと思うのであります。その場合に、今の選挙管理委員会の制度の中で、国民の政治意識あるいは政治常識というようなものを日ごろから啓蒙していくことが法律の中に一つ掲げてありますが、実際的には何もやっておらぬ。予算もくれていないようなことだし、あってもほんの申しわけ程度だ。こういうところに一つの問題があるのじゃないかと思うのでありますが、やはり有権者である国民の大部分が自分の選挙だというふうになるには、日本の場合には、もっと啓蒙宣伝活動、あるいは選挙に対する日ごろからの教育、宣伝というようなものが非常に必要ではないか、こう思われるのですが、こういうものに対して、選挙法との関係ですが、どのようにお考えになっているか、お尋ねいたします。
#10
○蝋山参考人 選挙管理委員会の政治意識高揚に関する常時不断の活動というものは、私は限界があると思う。それは選挙管理委員会の性質上そう考えます。現在やっておらぬとおっしゃいましたけれども、私はそう思いません。やはり今の予算措置の程度においては、かなりよくやっておるのだと思うのでありますが、選挙管理委員会などがそんなことをやるべき性質のものではなくて、それこそ政党が常時不断にそういう啓蒙をすべきものであって、それが選挙の際にはやがてその政党のためにヴォランタリーに働く人を多く作るわけでありますから、私は、選挙管理委員会の活動を強化していくよりも、そこはむしろ現在の程度にとどめておきまして――あるいは予算措置はもっとやっていただく方がいいと思いますけれども、法的には今の程度でいいのではなかろうか。むしろ政党の常時不断の活動こそ願わしいのであって、それがいざ選挙のときにはヴォランタリーに活動する人が出てくるゆえんだと、私は考えるわけであります。
#11
○滝井委員 一つお尋ねしたいのですが、それは、今の先生の御説明の中で、政党に資金的な助成をする問題ですけれども、これをやることによって不測の事態を起す可能性があるというお言葉があったのですが、現在、立法調査費というような形で、われわれ議員は幾らかの金をもらっておるのです。これは、われわれ個人がとるのでなくて、実は党で、そのほんとうの立法調査をやるために使っておることになっておるのです。今の現実の日本はそういう状態なんですが、その不測の事態を起すということは、どういうことが予想されるかということが一つと、いま一つは、外国、イギリスあるいはアメリカ等の政党においては、国の補助というか、助成というか、そういう関係はどういう工合になっておるのか。この二点について御説明願います。
#12
○蝋山参考人 第一点の、たとえば議員の調査費の名目で何らかの国家の補助がある、それが実質的には政党を通じてなされておるというお話でありますが、問題は、政党を通ぜずして直接議員個々の活動を助成する意味においてなされるというところに、むしろ正しい行き方があるのだと思う。結果において事実上政党を通じておるということは、これは第二の問題だと私は思うので、それを今度は逆にして、政党に直接助成するということになります。たとえば、昔出ましたような法案によりますと、直接に政党を助成するわけなんです。そういうことになりますと、もしそこに万一その政党の費用の取扱いについて何らか望ましからざる事態が発生しましたときには、政党自体の大きな問題になってくるわけであります。そういうことは、国家の問題として決して望ましいことではないと思うのです。しかし、法律の規定によってそれがなされるということになりますれば、国家といたしましても、その法律の趣旨に合致しておるようにそれが使われているかいなかということは、やはり検討せざるを得ないだろうと思う。そういうことから、万一その政府が政党内閣でありますと、それをたてにして政党を攻撃するというようなことになりかねないとも保証し得ないわけでありますから、そういうようなことで、政党を通ずるという――形式上通じなければならないということが、よくないのではないか。事実上通ずるということはごうも差しつかえないし、現在個々の政党に対しまして実質上行っておる金が議員を通じてなされておるということなら、議員自身に責任があるのですから、これは法的にちっとも差しつかえないことだと思う。しかし、根本問題として、今政党がたくさんの事務員なり調査員を擁して、そこに莫大な費用を必要とする。それをどうして調達するかというような問題をいかに解決するかという点については、かって私もいろいろ案を持ったことがあります。それは、たとえば、政党に対する補助ではありませんが、将来政党で活動する人というのは、国家的な見地から見て、一つの公益を助長するものだと私は考えますので、かって、また現在でもそうでありますが、そういう特定目的に従事する人たちを国家が教育するということは必要だと思う。しかし、それは、ある特定の政党を補助するのではなく、政党に働く人たちを教育する――一定の資格要件を与えるというような意味ではありませんけれども、実質的にそういう人たちの調査能力を助長するとか、政策立案の能力を助長するという意味で教育的措置をとるということは、非常に大事なことではないか。そういうことで、実質的にはそれらの人々の活動能力を助長するのでありますから、政党に対する間接の補助になるであろう。昔陸海軍が特定の人員を教育するために、大規模に莫大な費用を使ってやったと同じように――今日国家の重要な施策に基礎を与えておるような政党が、その事務員なり調査員について何ら教育的措置が講ぜられないということは、私は好ましくないと思う。そういうようなことについて、あらためて一つの教育制度としてこれに対して実質的に補助を与えるというようなことは、一つ考えられる点ではないか。これは今各国でやっておるところなんであります。こういうふうなことについては、今まで、日本は、政党はどんな人間を使っておるのか、どんな仕事をさせておるのか、全然放置をして、政党にまかせておるわけですけれども、それは国家的に考えていいことではないというふうに考えております。
#13
○森(清)委員長代理 ほかに質疑はありませんか。――なければ蝋山参考人に対する質疑はこれにて終了いたしました。
 蝋山さんにおかれましては、御多用中のところ、長時間にわたり貴重なる御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 それでは、次に吉村さんにお願いいたします。
#14
○吉村参考人 政党に法的根拠を与えることがいいか悪いか、また、与えるとすれば、どんな問題点があるかということについて意見を述べようということであります。
 政党法というものを抽象的に考えましても、いいか悪いかということを判断することは非常に困難だと思いましたので、かつて衆議院の政党法及び選挙法特別委員会でお作りになりました政党法案というものが新聞に出たことがございます。最初に出たのが昭和二十二年七月十三日、次に出たのが九月十六日、私の知っておる限りではこの二回にわたりまして出ておりますので、大体それを一つの対象としまして、政党法案に対する私の考え方を申し述べてみたいと思います。
 この法案がなぜこの委員会において考えられるようになったかと申しますと、思いますに、当時、戦後小党分立で、選挙及び議会の運営に非常な支障が生じたようであります。その点におきまして、小党分立にならぬように何とかしなければならぬというようなお考えがあって、政党法案というものの必要を感ぜられたのではないかと思います。もう一つは、戦後やはり汚職事件が起りまして、政党資金の面におきましてこれを明朗化する必要がある、その点からも政党法案が必要だということ、もう一つは、政党は非常に金を要しますが、その金を全く自由に任意に調達するということになりますと、どうしても無理が生ずる。そこで、政党活動は国家のために行なっておるのであるから、政党の必要な金の一部を国家が補助するという形にする。そうすれば、党費の面において不明朗な点が起らないようになりはしないか。こういうようなおよそ三つのおもなる目的から、政党法の必要を考えられたのではないかという工合に考えるのであります。
 私は、結論から言いますと、やはり蝋山さんと同様でありまして、こういうような点の必要は十分にこれを認めますが、それは、個々の個別的な法律をもって、十分にその目的を達成することができるというふうに考えるのであります。政党法というようなものを作って、政党の成立が法的な制限を受けるということになりますと、いろいろな点において問題が出てきます。根本的ないろいろな支障が出てきます。従って、政党法というようなものを設けるよりは、個々の法律において、政党にからまるいろいろな問題を規制していった方がよろしいのではないか、こういうふうに考えるのであります。
 まず第一に、政党法というものを作って、政党の範囲をきめ、その成立を法的に規制することになったら、どういうような問題が生ずるかと申しますと、第一に、政党の性質というものが根本的に変ってしまうと思うのです。民主主義のもとにおける政党は国民の自発的な団体であるところに特徴があるのでありまして、これを法的に規制して法的な根拠を与えるということになりますと、政党は法律上の存在ということになると思うのであります。法律上の存在でないというところに現在の政党の特徴があるわけでありまして、それを法律上の存在たらしめるということは、政党の性質を一変せしめることになってしまう。そういう意味におきまして、政党法を作ることは非常に大きな問題だと思います。
 民主主義は言うまでもなくわれわれの意思が政治の上に反映することであって、政党は、国民の意思を政治の上に反映せしめるために、自然発生的に出てきたところの一つの組織であります。従って、民主主義の政治をやろうとしますと、たとえば、アメリカの憲法制定者のごとくに、政党というものを認めない、いや政党というものはできるだけこれを否定していきたいというふうに考えたり、あるいは、ドイツでかつて、政党というものを認めないために、あるいは政党の勢力が議会の中に入ってくることを防ぐために、政党によって議席を区別するということをやめてしまって、政党の区別にかかわりなく議席をきめるということで、政党勢力が議会に入ってくることを防ぐというようなことをやったにかかわらず、政党というものは民主政治のもとにおきましては自然発生的に生まれてきた。それが、民主主義というものの性質上、そういった性質の組織が必要になってくるから生まれてくるわけでございまして、それを法的に規制するということになりますと、民主主義の性質というものに非常な変化をもたらすことになると思うのであります。政党というものについて、全面的に政党を憲法上の存在たらしめているのは、御承知のごとく独裁国でありまして、私の知っている限りにおきましては、小さな国はあまり知りませんが、おもなる世界の民主主義国におきましては、政党法というものを設けまして、政党を全面的に規制している国は一カ国もないと思います。そのことは、つまり、民主主義のもとにおいては、自然発生的にそういう組織が出てくるということが当然のことであって、これを法的に規制するということは民主主義の本質と相反することになるおそれがあるからだ、こういうふうに私は思うのであります。そういう意味におきまして、政党法案というものを作ることには大きな問題があると思う。
 アメリカは憲法には規定はございませんが、各州の憲法あるいは各州の法律におきまして、相当に政党に関することは規制をいたしております。しかしながら、それらを見ましても、政党そのものの根拠を法的に規制していくようなところは、一つの州もないように思うのであります。アメリカにおける各州の憲法上の政党に関する規定を見ますと、大体非常に複雑でありますが、大別して二つにすることができると思います。一つは、政党に対してある権力を与えるということでありますが、もう一つは、政党の機能を保護するという、二つの目的から規定を設けているのであります。たとえば、立法府に欠員ができた場合において、その欠員を満たす者を指名する権利を政党の委員会に与えるというようなことは、これは政党に対してある権利を与える一つの規定であります。それからまた、たとえば、ルイジアナ州におきましては、予選に投票する人の資格を規定しておりまするが、これは政党に対してある権威を与えるためでありまして、政党の機能を保護する一つの制度というふうに見ることができると思います。その他いろいろな規定を設けてありますけれども、しかし、それは政党そのものの根拠を法律に基かしめているという意味のものではないように思うのであります。そういう意味におきまして、私は、政党法を作って政党の根拠を法律に基かしめるということは、民主主義の本質と矛盾するおそれがあるのではないかというふうに考えます。
 それから、第二には、政党法を作りまして、その政党の基礎を法的に規制するということになりますと、少数党あるいは新しい政党というものが抬頭することができなくなるおそれがあります。申し上げるまでもなく、民主主義のもとにおいては、いろいろな意見が出てきて、そうしてその間に討議が行われて、話し合いによってものをきめていくというところに意味があるわけでありまして、それあるがゆえに、民主主義は、社会の自動的調節によって社会が進化していき、それにマッチする一つの制度として、政党というものが存在すると思うのであります。ところが、政党を法的に規制するということになりますと、新しい政党もしくは小さな政党というものは、ともすれば圧迫されてしまう。従って制度が社会の進歩とともに変化していく、そういう自動的調節ということが行われなくなっていく。言葉をかえていいますと、ある意味の安全弁というものを欠くことになる、そういうおそれがありますので、そういう意味から言っても、政党法を設けるということは望ましくないように思うのであります。
 第三には、これも申し上げるまでもないことでありますが、今日の民主主義はいわゆるマス・デモクラシーでありまして、大衆が政治に参加しておるというところに特徴があるわけでございます。従って、先ほどお話がございましたが、近代政党たるためには、私どもはこの大衆というものに基礎を持った組織になっていかなければならぬというふうに考えます。この点においてアメリカの政党とイギリスの政党とは相当の相違があると思います。すなわち、イギリスの政党は大衆に基礎を持った近代政党、マス・ポリティカル・パーティ、こう言うことができると思いますが、アメリカの政党は必ずしもマスに基礎を持っているものと言うわけには参らぬと思います。もちろんイギリスとの比較という意味においてでありますが、そういう意味において、アメリカの政党は近代政党にまでなっておらない。非常に古い形のものである。この政党に関する両国の規定を見ますと、アメリカの方がややわが国の政党法というものを作ろうとせられる考え方に似たような規定を持っているように思うのであります。すなわち、州によりましては、政党について相当こまかい規定を設けておるのであります。ところが、イギリスの方を見ますと、政党資金や選挙につきましてはもちろん規定がございまするけれども、アメリカの各州の憲法や法律によって規定されているようなこまかい政党に関する規定というものはございません。ほとんど一般の法律によっておるわけであります。これは、つまり、イギリスの政党が大衆政党として近代的な意味を持っているところに、その原因があると思うのでありまして、従って、わが国におきましても、近代の民主主義に沿う近代政党というものをこれから確立していくという観点からいたしますならば、政党法を設けるというようなことがむしろ逆ではないかというふうに考えるのであります。
 それから、もう一つは、先ほど蝋山さんは憲法上における団結権の自由と必ずしも矛盾しないというようなお話でございましたが、私はこれは相当に問題であると思う。どこの国におきましても、団結、結社の自由の権利というようなものは、民主政治のもとにおきましては、もちろん言うまでもなく重要な問題でありまして、アメリカ及びイギリスなどのアングロ・サクソン系におきましては特別な規定をしておりませんが、それだけに、この結社の自由というものは、侵すべからざるものとして、慣習的に認められておるのであります。これがありまするから、従って、政党が発達し、民主政治の円満なる運営というものができるわけでございます。もし憲法に保障されたる団結の自由というものに支障を来たすようなことになりますと、先ほど申しましたような社会の進歩発展に応じて自動的に制度が変っていくというような観点から見まして、社会が安全弁を失うことになってきますので、民主政治の運営というものを期することができない、こういうふうに私どもは考えるのであります。そういう意味におきまして、憲法上に規定が――わが国においてはもちろんありますが――あるなしにかかわらず、団結の自由というものは民主政治のもとにおいては絶対に保障さるべきである。ところが、政党法ができまして、ある政治結社を結成するに当っては届出をしなければならぬとか、あるいは一定の規格にはまらなければならぬとかいうようなことになりますと、これは、程度の問題でありまするが、団結の自由ということについて憲法違反の疑いが出てくると思うのであります。そういう意味におきましても、私は政党法案を作るということに賛成いたしかねるのであります。
 以上は政党法を設けることについての積極的な反対の理由でありまするが、それに加えまして、なお二つばかりの理由をもって、政党法を作ることに私は目下のところは反対であります。
 そのもう一つの理由というのは、先ほど申しましたように、この政党法を作るという目的の一つに、国家が補助をするということがあるのでありまするが、しかし、それは、先ほど蝋山先生は、不測のいろいろな問題を生ずるおそれがあるから反対だということでござましたが、私は、政党というものは、どういう観点から見ましても、会社であるとか学校であるとかいうような法人格ではないと思います。これを法人格たらしめればというと、またこれは問題であろうと思います。法人格でないある一つの組織であるということが、政党の特徴であると思うのであります。アメリカなどにおきましても、この問題、政党が法人格があればどうかということは問題になっておったようでありまして、裁判所の判決がございまするが、それによると、やはり政党は法人格でないという判決が出ております。政党は何ら法律上の人格を持っておらないという判決になっております。私は法律のことは詳しくわかりませんが、しかし、アメリカの例なんかを見ますと、どうも政党というものを法人格とすることには無理があると思う。そういう法人格でないものに国家が金を出すということは非常に困難であろう。やはり、現在やっておられるように、個々議員にお出しになって、それが政党の調査費の方に回るというあり方の方が正しいのではないか。政党法を作って政党に法人格を与える――法人格があるかないかは別問題でありますが、人格を与えて金を出すとしますと、政党そのものの性質が変りますし、政党そのものの性質が変るということは、果して民主政治下における政党の機能を十分に果すことができるかどうかという問題が起きてきます。そうでなく、法人格を与えないとしますと、それに金を出すということはむずかしい問題になります。いずれにしても、そういう意味におきまして、政党に金を出すことは不適当である、こういうふうに考えるわけであります。次に、小党分立の弊害をためることであるとか、あるいは、先ほど蝋山さんのお話がありました、議会主義イデオロギーに相いれないような政党、たとえば社会秩序を紊乱し国家を破壊に導こうというような考えを持ったものを除く、あるいは政党の資金を明朗化するというような政党法を設けられるためのおもなる目的というものは、何も政党法というようなものを設けなくても、個々の法律によって十分に規制される問題である、こういうふうに考えるのであります。たとい政党法を設けられましても、必ずしもそれらの問題が政党法を設けさえすれば解決するものでもない。これは、民主政治のもとにおける政党というものが、法的な理由によってできてくるものではなくて、つまり法律上の存在ではなくて、国民の間に自然に発生してくる自発的な団体であるからだと思うのであります。従って、政党はそのときの社会のあり方をありのままに反映することが、私は政党の政党たるゆえんであると思うのであります。政党がいろいろな法的規制を受けて、そのときの社会のあり方よりも変ったものを政治の上に反映するということになると、結局民主政治の安全弁を失うことになるわけでありまして、望ましからざることである、むしろ民主政治の本質にもとることであると考えるわけであります。
 以上申しましたように、私は、政党法を設けることにつきましては四つばかりの積極的な理由によって反対し、政党法を設けるための目的は個々の法律をもって規制し得ることであるし、またそうすることが民主政治のもとにおいては正しい方法である、こういう工合に考えます。
#15
○森(清)委員長代理 御質疑がございましたら、この機会にお願いいたします。――井堀繁雄君。あとの時間がありますので、簡単に願います。
#16
○井堀委員 簡単にお尋ねしたいと思います。民主主義のもとにおける政党のあり方についてはお説の通りだと思います。そこで、今問題になりますのは、一応政党政治のもとに国会が運営されておるわけでありますが、その場合に、党議の決定と議員個人の発言の自由といったようなものの限界がA政党とB政党とで異なるということも、やむを得ぬことだと思います。そういうものは結局世論に問うて結果を出せばよいということになるのじゃないかと思いますけれども、こういうものについて、先進国における党議の決定の強さと個人議員の発言権の限界などについて何かはっきりしたものがあれば、お教え願いたい。
#17
○吉村参考人 イギリスとアメリカでは非常に違っております。イギリスは、大体におきまして、党議で決定したものに個々の議員は従わなければならないことになっております。過去五十年間の統計によりますと、イギリスにおきましては、所属党員の九〇%以上が党議に従って投票した場合が全体の中で九五%であります。ですから、五%だけがつまり党議に従わないで投票した場合があるということであります。ところが、アメリカはどうかといいますと、これは過去二十年くらいの統計でありますが、それによりますと、九〇%以上の議員が党議に従って投票した場合というものは一七%しかないという工合であります。大部分は党議に従わない。これはアメリカの共和党ですが、共和党は、党の規則によりまして、所属議員が党議に従って投票しなければならぬと書いてありますが、その後にただし書きがありまして、議員が選挙区においてあらかじめ党議と反対のことを選挙民に約束した場合はこの限りでない自由に投票してよいということになっております。民主党はそういう規定は持っておりませんが、やはり同じようなことをやっておるわけであります。それは、アメリカの政党というものと、イギリスの政党というものが、その性質を根本的に異にしておるからだと思います。また、イギリスが議院内閣制を採用しておるのに対して、アメリカは議院内閣制を採用しておりません。つまり行政府というものが必ずしも議会に基礎を持っておるわけではないのでありまして、解散もなければ不信任を決議することもできないというようなアメリカの大統領制の原則から、政党の働きも一部分はこういうことになってくるのだと思います。もちろん、それにはいろいろ原因がありまして、ただそれだけの原因でアメリカがこうなるとは言えませんが、一つの原因は議院内閣制を採用しているかいないかというところにあるように思います。
#18
○井堀委員 そこで、政党法という言葉それ自身にとらわれないで……。先ほど蝋山先生から選挙法や政治資金規正法の中でいろいろ考えられるようなお話がございましたように、今のように民主主義訓練が十分でない時代においては、政党政治に大きな弊害が出てくると思うのです。二大政党の場合、A政党とB政党で――先ほどは党議ということで伺いましたが、今ある政党では代議士会の決定が党議というかもしれぬが、ある政党では、代議士会の決定は議員の総意ではあるが党議ではないというように、非常に異なった結果が出てくるわけです。それが国政に反映してくることはあまりにきびしいと思うのです。そこで、先ほどちょっとお尋ねしたように、議員個人の意思ということになりますと、これまたばらばらになると思うのです。こういう点は世論でさばけばいいといってみたところで、今のところ世論がそれほど成長を遂げておるかどうかも問題である。これはまあ国会運営上の一つの問題ではないかと思う。政党法ということではなしに、そういう意味で、政党の性格に対してやはり一つの規制というか、方向というものがある程度必要になってくるのじゃないかと思うのですが、こういう点に対してはどうですか。
#19
○吉村参考人 それは、政党と個々の議員の問題よりも、むしろ政党組織、政党制度そのものの問題だと思うのです。つまり、わが国の政党は、これも程度問題でありますが、イギリスなどの政党に比較いたしまして、議院中心の政党だと私は思うのです。議会内の組織との関連におきまして、議会外の組織というものはほとんどないのと同様であります。従ってまたその勢力が弱い。もっとも、これは、わが国におきましても、自由民主党と社会党とで多少相違があるかもしれませんが、両者ともに、イギリスなどの政党に比較いたしますと、ほとんど議会内の政党がすなわち政党である、こういうふうに見られるようになっておると思うのです。ところが、イギリスあたりでは、先ほど蝋山さんからもちょっとお話があったと思うのですが、議会外の政党というものが相当確立されておりまして、議会内の政党に対して議会外の政党が相当の圧力をかけると思うのです。従って、議会内の政党と議会外の政党との話し合いによって党議というものが出てくるのであって、日本の場合でありますと、それがほとんど議会内の力だけによって決定される。そこに、政党の威厳というものと、国民大衆といいますか、世論といいますか、そういうものとが果してマッチしているかいなかという問題が出てきているのじゃないかと思います。要するに、私は、近代政党というものは議会外の組織を確立しなければいかぬという考え方でありまして、そうなっておらないというところに、むしろ原因があると思うのです。
#20
○井堀委員 大へん時間が少いところを貴重な御意見を伺ったのでありますが、近代政党に対するいろいろのお教えをいただきたいと思ったのでありますけれども、何か予定があって時間がないようでありますから、このくらいにいたします。どうもありがとうございました。
#21
○森(清)委員長代理 ほかに質疑はございませんか。――なければ、吉村参考人に対する質疑はこれにて終了いたしました。
 吉村さんにおかれましては、御多用中のところ、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、まことにありがとうございました。厚くお礼を申し上げます。
    ―――――――――――――
#22
○森(清)委員長代理 この際、本委員会の閉会中審査案件の申し出についてお諮りいたします。
 一、中村高一君外三名提出、政治資金規正法の一部を改正する法律案、二、公職選挙法の改正に関する件、以上の二案件につきまして閉会中審査をいたしたい旨議長に申し出るに御異議ありませんか。
  〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#23
○森(清)委員長代理 御異議がなければ、さよう取り計らいます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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