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1954/11/30 第20回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第020回国会 本会議 第1号
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1954/11/30 第20回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第020回国会 本会議 第1号

#1
第020回国会 本会議 第1号
昭和二十九年十一月三十日(火曜日)
 議事日程 第一号
    午前十時開議
 第一 議席の指定
 第二 会期の件
 第三 特別委員会設置の件
    ―――――――――――――
 国務大臣の演説
    ―――――――――――――
○本日の会議に付した事件
 日程第一 議席の指定
 日程第二 会期の件
 海外同胞引揚及び遺家族援護に関する調査をなすため、委員二十五人よりなる特別委員会を設置するの件(議長発議)
 公職選挙法改正に関する調査をなすため、委員二十五人よりなる特別委員会を設置するの件(議長発議)
 本国会においても行政監察特別委員会を設け、その委員の数を二十五人とすることとし、その存続期間、権限及び次の国会召集の日までに支出し得る費用等については、昭和二十六年二月六日本院で議決した通りとするの件(議長発議)
 吉田内閣総理大臣の政府の所信に関する演説
 小笠原大蔵大臣の財政に関する演説
 金光庸夫君の故尾崎行雄君に対する追悼演説
 尾崎末吉君の故議員冨吉榮二君に対する追悼演説
 花村四郎君の故議員菊川忠雄君に対する追悼演説
 武藤運十郎君の故議員金子與重郎君に対する追悼演説
 議員請暇の件
    午後零時四十八分開議
#2
○議長(堤康次郎君) 諸君、第二十回国会は本日をもつて召集せられました(拍手)これより会議を開きます。
     ――――◇―――――
#3
○議長(堤康次郎君) 衆議院規則第十四条によりまして、諸君の議席は、議長において、ただいま御着席の通りに指定いたします。
     ――――◇―――――
#4
○(堤康次郎君) 日程第二、会期の件につきお諮しいたします。今回の臨時会の会期は召集日から十二月八日まで九日間といたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#5
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて会期は九日間とするに決しました。
     ――――◇―――――
#6
○議長(堤康次郎君) 日程第三、特別委員会設置の件につきお諮りいたします。
 海外同胞引揚げ及び遺家族援護に関する調査をなすため、委員二十五名よりなる特別委員会を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#7
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつてそり通り決しました。
 次に、公職選挙法改正に関する調査をなすため、委員二十五名よりなる特別委員を設置いたしたいと思います。これに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#8
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつてその通り決しました。
 次に、本国会においても行政監察特別委員会を設け、その委員の数を二十五人とすることとし、その存続期間、権限及び次の国会召集の日までに支出し得る費用等については昭和二十六年二月六日本院で議決した通りといたしたいと思います。これに御異議ありませんが。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#9
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつてその通り決しました。
 ただいま議決せられました三特別委員会の委員は従来通りの方を指名いたします。
 この際暫時休憩いたします。
    午後零時五十一分休憩
     ――――◇―――――
    午後三時三十五分開議
#10
○議長(堤康次郎君) 休憩前に引続き会議を開きます。
     ――――◇―――――
#11
○議長(堤康次郎君) 内閣総理大臣から政府の所信に関し、大蔵大臣から財政に関し発言を求められております。順次これを許します。内閣総理大臣吉田茂君。
    〔国務大臣吉田茂君登壇〕
#12
○国務大臣(吉田茂君) 第二十回国会にあたり、ここに政府の所信の一端を述べる機会を得ましたことは、私の最も喜びとするところであります。
 私は、九月二十六日羽田を出発して、五十余日にわたり、カナダ、フランス、西ドイツ、イタリア、ヴアチカン、英、米の七箇国を歴訪し、昨年皇太子殿下御訪問に対する歓待並びに終戦後わが国に寄せられた各国の好意及び援助につき謝意を表するとともに、右各国とわが国との間に横たわる各種の問題について互いに隔意なき意見を交換し、相互の理解を深め、もつて今後一層の親善関係増進に資せんとしたものであります。(拍手)
 カナダ、フランス、西ドイツ、イタリアの各国におきましては、通商貿易の均衡拡大につき意見を交換し、経済上のますます緊密な関係を維持発展せしむること、すみやかに通商航海条約の成立をはかることにつき、強く要望いたしたのであります。(拍手)
 英国においては、わが国のガツト加入及び通商航海条件の締結に対し好意的考慮を要望し、また、先方よりは平和条約第十六条の戦時俘虜救恤に関する義務履行の要求に対し早急にこれを履行すべく努力する旨私は答えておいたのであります。
 米国においては、日米両国の友好的な協力の精神を相互に確認したほか、東南アジアの経済開発促進につき懇談をいたし、また余剰農産物一億ドルの受入るにつき意見の一致を見たほかに、旧小笠原諸島住民の帰還問題につき申し入れをなしたのであいます。先方よりは、これを好意的に考慮すべき旨の回答を得たのであります。(拍手)このほか、米国民間銀行よりの借款について了解を得ましたほかに、世界銀行その他からの借入れ等についても協議を進めて参りました。
 また、戦犯者釈放についても、関係国に対してこれが早期解決方を要望したところ、それぞれ好意ある考慮を約束してくれたのであります。(拍手)今回の旅行を通じて私の受けた強い印象は、列国の日本に対する関心と期待は、敗戦後の今日といえども、戦前に比べて決して薄らいでおらないということであります。(拍手)この点について、われわれは、決して民族的自身を動かしてはならぬと考えるのであります。同時に、名の心を最も強く打ちましたことは、訪問した諸外国においては戦後の復興がまことに目ざましいものがあるのであります。わけて、貿易の自由化と通貨の交換性回復という国際経済の大勢に沿つて政府、国会を問わず真剣な努力が払われていることであります。今後の日本は経済自立への真剣な努力と国際的な友好協議とにその進むべき道があることは申すまでもないのでありますが、それには、まず何よりもわが国内の政治、経済態勢の確立こそ根本的な条件であり、これがあつてこそ初めてわが国も国際社会に復帰し得る資格が生することを痛感いたして参つたのであります。(拍手)さらに、注意を新たにせねばならぬことは、今日の自由諸国を通ずる最大の問題は共産主義に対する対策であります。(拍手)これら自由諸国は、わが国に対しても旧敵国関係の感情を一露して、わが国を自由諸国側に引入れんとする考えより、わが国に対して親善関係をつくらんとするものと見られることは最も明瞭なのであります。他面、共産側の浸潤政策の目標が日本を含むアジア諸邦に最も強く向けられておる事実に十分に思いをいたさなければならぬと考えるのであります。(拍手)私は、この対共防衛のためには、東南アジアの経済を開発し、もつてこれら諸国民の生活が向上することの急務なることを過般ワシントンにおいて力説いたしましたところ、その後漸次具体化の傾向にあることは、まことに喜ぶべきことであります。(拍手)
 懸案の賠償問題も、先般ビルマとの間に平和条約と賠償協定を締結いたしましたことにより解決の端緒を開いたことは、まことに欣快にたえないところであります。これを先例として、今後フイリピン及びインドネシア各国との賠償問題をも逐次解決して、かくして東南アジア諸邦との経済協力と親善強化を推進し、一面もつて共産攻勢に対し間隙なからしめたい所存であります。(拍手)
 今回提出の昭和二十九年度補正予算につきましては、大蔵大臣から説明いたしますが、予算関係法律案及び予算案の前国会における修正等に伴いまして、歳入歳出につき所要の補正を行うほか、本年度発生災害の急速な復旧、経済健全化に伴う社会保障関係経費の充実、警察費その他地方財政の財源不足を補填するための地方交付税交付金の増額等、必要最小限度の経費に限り補正を行うことといたし、他面、財源といたしましては、主として既定経費の節減等によりまかなうことにいたしまして、極力財政規模の圧縮に努めた次第であります。財政経済の基本方針としては、当面あくまでも緊縮方針、均衡財政を堅持すべきことはあらためて申すまでもありません。その成果がようやく上つて参りました今日、その基本方針から生ずる摩擦を除去し、かつ国民経済と国民生活の堅実なる発展をはかるため、この際積極的な諸施策を講ずる所存であります。すなわち、引締り政策を堅持しつつ、生産と貿易の拡大を総合的、計画的に進め、もつて産業の繁栄をはかり、同時に中小企業の積極的育成策並びに失業対策、生活保護等の社会保障諸施策に対し万全を期する覚悟であります。
 なお政府は、補正予算のほか、これに関連する所要の法律案を提出いたす考えであります。切に各位の御協力を希望いたします。(拍手)
#13
○議長(堤康次郎君) 大蔵大臣小笠原三九郎君。
    〔国務大臣小笠原三九郎君登壇〕
#14
○国務大臣(小笠原三九郎君) 政府は、ここに昭和二十九年度補正予算案を国会に提出して御審議を煩わすことといたしました。
 今回の補正予算案の編成にあたりましては、本予算編成後に生じました諸事情に基き、本予算に対して所要の調整を加えるにとどめたのでありまして、従来の政策全般を貫く基本的の構想は何ら変更していないのであります。従いまして、補正の項目も、本年度発生災害復旧費、社会保障関係経費、地方交付税交付金等、必要最小限度の経費に限つてその所要を追加計上いたしますともに、その財源は主として既定経費の節減によりまかなうこととし、総額は本予算同様一兆円のわくを堅持いたしたのであります。すなわち、一般会計の歳出の追加額は三百八億円であり、これに対し、歳入の増加額は三億円でありまして、その差額三百五億円は歳出の節減等によりまかなうこととし、これにより、昭和二十九年度一般会計予算総額は、歳入歳出とも九千九百九十八億円と相なるのであります。
 次に、その内容について概略御説明いたします。
 第一は災害復旧事業費であります。本年度発生災害の復旧並びに冷害対策につきましては、現在まで予備費支出等をもつて措置して参つたのでありますが、今回、本年度内の復旧事業費として、予備費充当額のほかに六十九億円を新たに計上して、その復旧の促進に努めることといたしております。
 第二は社会保障関係経費であります。経済の健全化の推進に伴う社会情勢の推移にかんがみまして、生活保護費及び失業対策費につき、それぞれ七十億円及び三十七億円を追加計上いたしますとともに、公共事業費節約額の
 一部組みかえ等によりまして、新たに緊急就労対策事業費九億円を計上し、失業者、生活困窮者等の生活の安定に資することといたした次第であります。
 第三は地方財政に関する措置であります。まず地方交付税交付金でありますが、本年度におきましては、法人税の自然増収に伴う増加と、本年度に限り所得税及び法人税の収入見込額に対する定率を若干引上げることによる増加とを合せて四十億円を追加計上いたしましたが、これは都道府県警察費の不足を補填するためのものであります。
 また、地方譲与税譲与金につきましては、本年度に限り譲与税額が法定されておりますが、他面税収の減少が見込まれますので、不足財源を一般会計から補填するため三十五億円を計上いたしたのであります。
 なお、義務教育費国庫負担金につきましては、前年度の不足額を補填するため八億円を計上した次第であります。
 以上のほか、所要経費について必要量小限度の補正追加をいたしました。
 これらの歳出の増加に対する財源は主として既定経費の節減によりまかなうことといたしたのであります。すなわち、法律案の不成立による繊維品消費税の歳入欠陥、その他歳入の減少の見込まれる反面、法人税等の増収が予想されますので、差引歳入の増加額三億円のほかは、物件費、施設費等既定経費の節減等三百五億円をもつてこれに充てることといたしたのであります。
 以上のほか、特別会計及び政府関係機関の予算につきましては、日本国有鉄道、日本専売公社、その他必要最小限度のものに限り補正予算を提出いたした次第であります。
 何とぞ政府の方針を了とせられ、本補正予算案に対して、すみやかに御賛成あらんことをお願いいたします。
 なお、この機会に、わが国経済の現況と、これに対する今後の方針につき一言申し述べたいと存じます。
 政府は、昭和二十九年度予算の編成にあたりまして、国収際支の均衡を回復し、経済自立の基盤を確立するために、通貨価値の安定をはかり、経済の健全化を推進することをもつて財政経済施策の中核とすることといたしたのであります。これに伴い、昨秋以来、政府は財政規模の圧縮、金融の引締めを中心とする一連の経済健全化政策をとつて参りましたが、本年二月以降漸次その効果が現われ、物価の下落、国際収支の好転に見られますように、今日までにおおむね所期の成果をあげ、日本経済は全体としてかなりの改善を見つつあると申し得るのであります。(拍手)
 すなわち、卸売物価につきましても、今年二月を境として逐月下落を続け、最近においてはピーク時に比べ約七%の低落を見ておるのであります。一昨年来騰貴を続けておりました小売物価も、本年初願よりようやく横ばいないし下押し傾向を示して参りました。また、金融の基調も正常に復し、市中銀行の本年十月に至る一年間の対民間貸出しの増加額は前年同期の四七%にとどまつており、他面、郵便貯金、定期預金等の貯蓄性預金は順調に増加いたしております。日本銀行券の発行高も、財政資金の散布超過にもかかわらず順調な推移を示しており、八月半ば以来常に前年同期を下まわる状況であります。これらの事実は、経済健全化政策の浸透と国民の通貨価値に対する信用度の向上を物語るものであり、一年前に憂慮されておりましたインフレ気構えはおおむね解消したと思われるのであります。(拍手)このような通貨及び物価事情の好転に伴い、輸出は三月以来毎月伸長を示し、本年度上半期の実績は前年同期に比し二七%の増加となつております。(拍手)方、輸入は、金融の引締め、不要不急品の輸入抑制等の措置により三月以来漸減し、上半期は前年同期に比べて七%減少いたしたのであります。
 このような輸出の増加、輸入の減少によりまして、特需収入の相当な減少にもかかわらず、国際収支において、赤字は一月の八千八百万ドルから逐月減少し、大月には遂に一千百万ドルの黒字に転ずるに至りました(拍手)以後、七月千八百万ドル、八月三千八百万ドル、九月三千九百万ドル、十月五千三百万ドルと黒字を続けておるのであります。(拍手)
 もとより、経済健全化政策のこのような成果の陰には、施策の進展に伴う摩擦的現象として手形の不渡り、失業等の事例も見受けられるのでありますが、政府といたしましては今後ともあとう限り善処する所存であることは、あらためて申し述べるまでもございません。今日、世上一部においては、安易を求めるの余り、現在政府がとつております政策の緩和を望む向きも見られるのでありますが、諸般の事情の好転にもかかわらず、なおわが国経済の前途には楽観を許さぬものが多々あるのであります。
 昨年来の米国における景気後退の現象は本年半ばをもつてほぼ終息したと考えられますが、英国、西独、その他西ヨーロツパ諸国におきましては、それぞれ自国経済のインフレ傾向を抑圧し、国際競争力の培養に努め、通貨の交換性の回復、貿易の自由化等に向つて着実な歩みを続けているのでありまして、今後の海外市場における競争はますます熾烈を加えることを覚悟いたさねばならないのであります。わが国の国際収支は最近著しく好転して参つたとは言うものの、その背後には、ポンド・ユーザンスによる支払いの繰延べ、金融のための輸出、一部オープン勘定地域に対する債権の塁積等の問題もありまして、今後特需の減少に対応する正常輸出の伸長、外貨収支の実質的改善等には、なお幾多の努力を要するのであります。従つて、政府といたしましては、現行為替レートを堅持することはもちろん、今後とも財政規模を圧縮し、金融引締めの基調をゆるめない方針であります。
 しかしながら、経済健全化政策は、終局において、外国貿易の発展をはかり、経済規模拡大のための基盤を育成せんとするものであります。従いまして、国民各位におかれましても、貯蓄の増強、生酸性の向上、コストの引下げ等につき今後一層くふう努力を払われ、わが国経済自立の基盤を確立することに努められたいのであります。
 さらに、わが国の国際収支の均衡が一に輸出の伸長いかんにかかつている事実にかんがみ、海外における既成市場を育成して参るとともに、ビルマ賠償問題の解決を契機として経済外交を強力に推進し、東南アジアを初めとして新しい市場の開拓に努めるはもちろん、中共ソ連圏との貿易についても、自由主義諸国との国際協力の線を守りつつこれを伸長せしめたいと考えております。
 以上申し述べましたような苦難に満ちた道を通ることにより、初めてわが国経済の安定した拡大均衡は達成せられ、過渡的な摩擦犠牲も解消して、わが国経済の真の繁栄は築かれるのであります。(拍手)万一にも安易について従来の政策を緩和いたすならば、一年有余にわたるわれわれの努力はすべて水泡に帰することとなるのであります。国民各位におかれましても、政府の意のあるところを了とせられ、いましばらく乏しきに耐え、なお一層の御協力を賜わりたいと存ずる次第であげます。(拍手)
    ―――――――――――――
#15
○議長(堤康次郎君) 御報告いたすことがあります。さきに院議をもつて衆議院名誉議員の称号を贈つた尾崎行雄君は去る十月六日逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。さつそく同月八日議院運営委員会を開き協議の上、その決定に基づきまして、十月十三日に築地本願寺において衆議院葬をとり行い、その隊議長において本院の弔詞を贈呈いたしました。
 尾崎行雄君に対し弔意を表するため、金光庸夫君より発言を求められております。これを許します。金光庸夫君。
    〔金光庸夫君登壇〕
#16
○金光庸夫君 衆議院名誉議員尾崎行雄君は、去る十月六日、九十五歳の高齢をもつて逝去せられした。越えて十三日、築地本願寺においてその衆議院葬がとり行われました。私は、諸君の御同窓を得て、議員一同を代表してここにつつしんで哀悼の辞を申し述べる次第であります。(拍手)
 世に人生最上の幸福は福祿寿の三つを兼ねることであると申すのであります。わが尾崎君の生涯は、実にたぐいまれなる長寿を受けられたのみならず、幸福と祿位とにおいてもまたゆたかに惠まれた最も幸福なる人生であつたと存ずるのであります。「世の人の祝う喜寿越え米寿越えわれは白寿の春をこそまで」とは君の述懐でありますが、望むところの百歳の寿は得られず、九十五年の秋風とともにむなしく散り去つたことは、君にとつては不本意の至りでありましようが、古来はなはだまれなる長寿を得られたことにつきましては、人としての君の最大の幸福であることは申すまでもありません君は、政治家としても幸運なる政治家であります。帝国議会開設以来連続して本院に議席を占むること六十年七箇月に及び、(拍手)その間二十五回の選挙において完全なる理想選挙に終始せられたことは、われわれ議会人の大いに範とすべきであると存じます。(拍手)
 なお、朝に立つては文部大臣となり、司法大臣となり、推されては東京市長ともなり、また、野に下つては常に民論指導の地位にあつて、ときには藩閥官と闘い、あるいは軍閥権勢に抗し、もつてわが国の民主主義政党政治の基礎を築く使命を果し、憲政の擬護者として一世の讃仰を得たのであります。
 君は、清廉孤高、清貧に甘んじ、名利を求めない政治家として知られているのであります。君は、国民の代表たることを無上の栄誉とし、一衆議院員をもつて最高の誇りとされ、廉直潔白、よく民主政治家としての節度を守られました。しかし、孔子が「君子は道を謀りて食を謀らず、祿其の中に在り」と申しておるごとく、君は、みずから祿位を求めず、名利を追わなかつたが、祿おのずからその身に備わつていたのであります。昨年七月、君は、本院より国会最初の衆議院名誉議員の称号を贈られ、また本年六月、憲政功労年金証書の第一号を受けられたのであります。これは尾崎君の祿位の有終の美をなすものと存ぜらるるのであります。
 世人は君を目して一代の雄弁家と称揚しております。まことにその議政壇上における獅子吼は峻烈警抜、秋霜烈日の威があり、大正二年桂内閣打倒の護憲演説中の「玉座を以て胸壁となし、詔勅を以て弾丸に代ゆ」の一句が桂公ら杉して憤死せしめたと伝えられるほどでありますが、君がまだ若くして慶応義塾に学んだ当時は、はなはだ口舌の才に乏しく、みずからも無言生活を主張したと言われておるのであります。後年の雄弁と博言広辞は君が苦心錬磨の結果であり、ことにその人を傾聴せしめた熱弁は君の憂国の至情がほとばしつたものでありまして、われわれの大いに心して学ばねばならぬ点であります。(拍手)思うに、尾崎君の政治家としての最も敬服すべき点は、その操守の純正なる点にあり、しかも一貫して終生その理想に精進せられたことであります。君は、常に民主主義に立脚し、自由と人権とを尊重し、民意を体して公論の伸長に努め、憲政を擁護し、議会政治を守ることをもつて使命とし、終生かわることがなかつたのであります。昭和十二年、八十歳の身を議政壇上に運び、林内閣への質問演説を試み、辞世二首をふところにして軍閥の横暴を押えんとしたことや、昭和十六年、八十四歳の老躯をひつさげて、第七十六議会において政局の変還と政府指導に関、する質問主意書を提出し、ようやく自主的機能を失わんとする議会において軍国主義への最後の抵抗を試みたことなどは、君がいかに信ずるところに忠なるかを示すものであります。(拍手)われわれ議会人たる者が大いに学ぶべき点であると存じます。(拍手)
 今や内外の情勢混迷期の五里霧中を突破すべき指南車として君のごとき清廉憂国の士の御指導を仰ぐことができたならば、今日の政局混乱を国救する方途もあつたであろうものを、(拍手)今やむなし。今日君のごとき大偉人を失つたことは痛恨のきわみでありまして、哀惜の情禁ずるあたわざる次第であります。
 私は、ここにいきさか故人の遺徳を追懐し、敬弔の誠意を披瀝し、これをもつて追悼の言葉といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#17
○議長(堤康次郎君) なお御報告いたすことがあります。議員冨吉榮二君及び議員菊川忠雄君は去る九月二十六日洞爺丸で遭難逝去せられました。また、議員金子與重郎君は去る十月九日にわかに逝去せられました。まことに哀悼痛惜の至りにたえません。三君に対する弔詞は議長においてそれぞれ贈呈いたしました。なお、この際、弔意を表するため、尾崎末吉君、花村四郎君及び武藤運十郎君よりそれぞれ発言を求められております。順次これを許します。尾崎末吉君。
    〔尾町末吉君登壇〕
#18
○尾崎末吉君 ただいま議長の御報告のごとく、衆議院議員冨吉榮二君は去る九月二十六日夜半洞爺丸船中において不慮の死を遂げられました。まことに哀惜の情にたえません。私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたいと存じます。(拍手)
 君は、明治三十二年七月鹿児島県国分町に生れ、大正九年に私立研数学館高等科を卒業せられました。一時教壇に立たれましたが、二年ばかりで教鞭を捨て、そのころようやく盛んになりかかつた農民組合運動に参加せられました。大正十三年に日本農民組合鹿児島県連合会を創立し、その会長となり、その後は常に農民の先頭に立つて小作争議などを指導しつつ、一路農民解放運動に一身をささげ、情熱を注ぐこと実に三十有余年に及んだのであります。(拍手)その間暴力行為等取締法違反により枚挙せられたこともありましたが、いかなる障害にも屈せず、いかなる国難にもたわまず、強い信念と深い愛情とをもつてこの運動に終始せられたのであります。(拍手)
 また、世上にあまり流布せられなかつた事柄ではありますが、わが国を敗戦に導いたできごとの一つともいわれる昭和十七年の翼賛選挙終了後、この前例のない、無謀にして不法、しかも極端なる弾圧が行われたのに対し、国民の遵法精神を破壊するものであり、国家存立のために黙視するに忍びずとして、私どもが翼賛選挙なるものは選挙にあらず、正しき法律によらずして特定の議員をつくつたものであるから、これは無効であるとの訴えを当時の大審院に提起いたします際、このことを富吉君に諮りますと、君はただちに進んで共同原告として参加せられ、あらゆる圧迫の中にあつて資料を集め、費用を捻出し、かつ法廷に立つ等、四年近くの間私どもとともに尽力をせられ、終戦近くに至つて、遂にこの訴訟は私どもの主張通じ選挙無効の判決となつたのであります。(拍手)一たび国家の重大時にあたつては、政党政派を越え、行きがかりと感情を去り、一身をむなしゆうして力を尽すという君の性格を発揮せられた好事例の一つであります。私どもの敬服にたたないところであります。
 君の政治活動は、昭和二年の普通選挙による最初の鹿児島県会議員となつて以来のことでおりまして、たびたび衆議院議員の選挙にも立候補せられましたが、そのたびに敗れ、昭和十年に至つてようやく当選せられ、もつて今日に至るまで当選六回に及んでおるのであります。
 終戦後日本社会党が創立せられまするや、君は、その中央執行委員となり、また代議士会長、両院議員総会会長などを勧め、最近には日本社会党顧問の任にあられました。
 肝心は、片山内閣の商工政務次官となり商工行政に参画せられ、また芦田内閣のときには通信大臣となられて国政の重任をになわれたのでありす。
 君は、常に烈々たる闘志を翻然たる和気に包み、いわゆる内剛外柔、一種独特の風格を持つておられました。ことに、その弁論は演説においても座談においてもすこぶる巧みでありました。また君は、多忙をきわめた政治活動の寸暇かに詩鑑賞するという潔さを持つておられました。ことに和歌をよくし、南風の雅号をもつて歌集も出版されております。君が最後の遊説の旅となつた北海道遍歴の途上、多くの歌をものされたと聞いておりますが、それらの歌はおそらくは君とともに波荒き北海のもくずとなつたのでありましよう。君はまことに自学自習、みずから助けてみずからを玉成された尊敬すべき偉材であります。
 思うに、わが国もまた君が遭難せられた洞爺丸の運命に似た敗戦という台風によつて転覆した船のごとくであります。船客たる国民大衆は、函館港外の場合と同様、みずからの生命を保全せんがため他を顧みるひまもなく、暗夜の激浪の間にもがき苦しんで来たようなのが終戦後の社会情勢であります。今やようやく活路を見出したかのようにも見えるのでありますが、一国の前途には狂瀾怒濤がものすごくうず巻いていることは申すまでもありません。
 かかる時代に最も要望せられるものは、みずからの道をみずから開く自助の人物であります。天はみずから開くる者を助けるといわれております。わが冨吉君のごときは、この意味においてはわが日本が最も待望している指導者と言わねばなりません。(拍手)天命君に幸いせず、非命に倒れたことは、本院にとり、国家にとり、惜しみでもなお余りある次第であります。(拍手)
 ここに追悼の情を寄せ、追憶の一端を述べて追悼の辞といたす次第であります。(拍手)
#19
○議長(堤康次郎君) 花村四郎君。
    〔花村四郎君登壇〕
#20
○花村四郎君 ただいま議長より御報告がありましたごとく、衆議院議員菊川忠雄君、たまたま去る九月二十六日、北海道遊説の帰途、函館港外において台風十五号のために転覆した青函連絡船洞爺丸に乗船せられ、遭難者千有余名と運命を同じくし、非命に倒れられたのでございます。まことに痛恨の至りにたえません。(拍手)私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで哀悼の辞を申し述べたく存じます。(拍手)
 君は、明治三十四年愛媛県に生れ、大正七年県立今治中学を終え、同九年に第一高等学校に入学をいたされました。ここで先輩同志と一高社思想研究会を組織されたのでございますが、これがその全生涯を社会主義運動にささげる契機となつたのございます。東大経済学部に進学後は、新人会の会長となり、学生自治権の獲得に努力されましたが、たまたま関東大震災にあい、末弘博士を中心に学生救護団をつくり、後の帝大セツツルメントの基盤をつくり上げたのでございました。東大卒業後は、一身を労働階級の解放運動に投じ、日本労働総同盟本部に入り、間もなくその中央執行委員となつたのでございます。その後全国労働組合同盟の本部主事となり、またその執行委員ともなられたのでございます。昭和九年の第十八回国際労働会議には、日本の労働代表として出席せられました。全国労働組合同盟と日本労働総同盟とが合同して全日本労働総同盟が結成されたのは昭和十一年でありますが、このとき、君は、その本部総主事となり、かたわら社会大衆党の役員として組合と党との連絡係を勧めましたが、君の政治的活動はこのころから活発になつたということでございます。
 太平洋戦争中は雌伏せざるを得なかつたのでありましたが、戦後日本社会党が結成されると、いち早くこれに参加し、特に同志と日本鉱山労働組合の組織に当り、その本部主事より進んで会長となり、石炭の増産と全国的統一資金の確立に努力をせられたのでございます。(拍手)昭和二十二年の総選挙には、東京第四区から立候補し、衆議院議員に当選し、それ以来引続いて今日に至つておるのでございます。最近には、社会党の中央執行委員として、組合対策、労働対策の面において特に活躍しておられました。君はまた文筆の才がゆたかで、その実践運動に多忙な身をもつて、学生社会運動史、労働組合組織論などの名著をものし、労働運動の理論的指導の面においても多くの業績を残しておられるのでございます。(拍手)
 ひつきよう、君は、社会主義運動の理論と実践の両面において深い経験とすぐれた研竄ニをあわせ有しておられたのでありまして、この意味において、まことに偉大な、そして貴重な存在であつたと言い得るでございましよう。(拍手)さて、終戦後すでに十年に近く、敗戦は一昔のこととなりましたが、その敗戦の実情たるや、国破れて山河ありどころではなく、山河もその形を改めたほどの悲惨なのであつたことは、われわれの記憶になおかつ新たなるものがあるのでございます。今や、わが国は、戦後経営の面からは、城春にして草木深しの時期でありますが、その再び緑深く栄え茂らんとする草木の、いずれをつちかうべきか、いずれを刈り去るべきかということについては、重大にして深刻な問題がなお多々存在すると申さなければなりません。このときにあたつて、わが国の社会運動に多年の経験と透徹した理論とを有し、しかも人格、識見ともに卓越せる菊川君のごとき人物を失いましたことは、国家にとつて最も大なる損害でありして、返す返すも遺憾のきわみでございます。(拍手)
 ここに故人を追慕し、その遺績を追懐し、敬弔のまことをいたして、もつて追悼の言葉といたします。(拍手)
#21
○議長(堤康次郎君) 武藤運十郎君。
    〔武藤運十郎君登壇〕
#22
○武藤運十郎君 ただいま議長より御報告のありましごとく、衆議院議員金子與重郎君は、去る十月九日、にわかに逝去いたされました。私は、ここに諸君の御同意を得て、議員一同を代表し、つつしんで追悼の言葉を申し述べたいと存じます。(拍手)
 金子君は、明治三十四年群馬権勢多郡粕川村に生れ、宇都宮高等農林学校を卒業せられたのであります。君は、農家に育ち、学業の終るや、若くして群馬県農肯連委員長として農村青年の指導啓発に努められ、また群馬県購買販売利用組合専務理事、群馬県自給製造組合理事及び群馬蚕糸製造株式会社監査役等の重職などを歴任し、農蚕業の即発に専念し、もつて農村の福祉と農民生活向上のために終生力を打込まれたのであります。
 いにしえより、農は国のもとと申しております。現下産業組織の発達も高度化し、その機構もまだ複雑をきわめ、農業問題についても緊急に解決を要するものが山積しておるのであります。従いまして、君のごとき質業問題に豊富な体験を有する専門家に期待するところがはなはだ多いのであります。わが社会の現状と民族の将来を考えまするとき、君のような農村はえぬきの政治家のわが国会にあることによつて大いに力強さを感じたのは、ひとり私のみではなかつたと信じます。(拍手)
 君はまた、昭和三年には粕川村村会駅員となり、地方自治の発達に貢献されたのであります。
 かくして、昭和二十四年の第二十四回総選挙には、衆望をになつて立候補し、みごと衆議院議員に当選せられ、以来引続いて三回当選し、もつて今日に及んだのであります。
 君は、旧改進党内においては、中央常任委員として重きをなし、政策委員会副委員長、医療保険制度特別調査会委員長などの要職を持ち、党にとつては欠くべからざる幹部でありました。(拍手)
 君は、資性温厚、何人にも愛された君子人であります。特に農村青年よりは慈父のごとく敬愛されました。およそ政治家には敵もあり味方もあり、毀誉褒貶相半ばするものでありまするが、君に至つては、かつて悪声を聞かないのであります。(拍手)
 君が病を得てにわかに長逝されましたことは、返す返すも哀惜の情にたえないところであります。しかしながら、君にはりつばに成長せられた一男一女があり、また君を慕う数方の農村青年があります。必ずや君の意思を体して君の遺業を継ぐであろうことを私は信じて疑いません。(拍手)
 私は、ここに敬弔のまことをいたし、安らかに地下に眠られんことを祈つて追悼の辞といたします。(拍手)
     ――――◇―――――
#23
○議長(堤康次郎君) お諮りいたします。職員吉川兼光君から4Hクラブ全米大会に出席及び農業食糧事情等の調査視察につき渡米のだめ明十二月一日より本会期中請暇の申出があります。これを許可するに御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#24
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて許可するに決しました。
     ――――◇―――――
#25
○山中貞則君 国務大臣の演説に対する質疑は延期し、明一日定刻より本会議を開きこれを行うこととし、本日はこれにて散会せられんことを望みます。
#26
○議長(堤康次郎君) 山中君の動議に御異議ありませんか。
    〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#27
○議長(堤康次郎君) 御異議なしと認めます。よつて動議のごとく決しました。本日はこれにて散会いたします。
    午後四時二十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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