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1953/07/07 第19回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第2号
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1953/07/07 第19回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第2号

#1
第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第2号
昭和二十九年七月七日(水曜日)
    午前十一時開議
 出席小委員
  上訴制度に関する調査小委員会
   小委員長 小林かなえ君
      鍛冶 良作君    佐瀬 昌三君
      林  信雄君    古屋 貞雄君
      井伊 誠一君
  違憲訴訟に関する小委員会
   小委員長 佐瀬 昌三君
      押谷 富三君    小林かなえ君
      花村 四郎君    吉田  安君
 小委員外の出席者
        議     員 岡田 春夫君
        参  考  人
        (弁護士)   海野 晋吉君
        参  考  人
        (弁護士)   長野 国助君
        参  考  人
        (弁護士)   島田 武夫君
        参  考  人
        (弁護士)   坂野 千里君
        専  門  員 村  教三君
        専  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 上訴制度及び違憲訴訟に関する件
    ―――――――――――――
#2
○小林委員長 これより上訴制度に関する調査委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会を開会いたします。
 本日は昨日に引続きまして上訴制度及び違憲訴訟に関し、参考人各位より御意見を聴取いたしたいと存じますが、本日御出席予定の参考人の方々は、午前中海野晋吉君、長野国助君、午後島田武夫君、坂野千里君以上の各位であります。
 この際参考人各位に一言ごあいさつを申し上げます。まことに本日は御多忙のところお差繰りくださいまして御出席くださいました御好意に対して厚く感謝いたします。当法務委員会といたしましては、御承知の通り第十九国会開会中より上訴及び違憲訴訟に関する両小委員会を設けまして、上訴並びに違憲訴訟に関して調査を進めて参りました次第でございます。閉会中もなおこれに継続いたしまして、調査をいたしているのでありますが、できるだけ本閉会中にその準備を進めまして、一日も早く結論を得たいと思つている次第であります。参考人各位におかれましてはこの際平素の御経験並びに御研究に基いて十分ひとつ忌憚のない御意見をお述べいただきますれば、はなはだ幸いに存ずる次第でございます。
 これより参考人の御意見を御開陳願いたいと思いますが、その前に両参考人におかせられましては、第一に上告制度及び最高裁判所の機構をいかにすべきかについて御意見を伺いたいと思います。
 それから第二は現行刑事裁判の控訴審の手続について御意見があれば承りたい。
 第三最高裁判所裁判官の任命方法の改善について御意見があれば伺いたい。
 第四司法行政事務の処理方法に関する現行制度の可否について御意見があれば承りたい。
 それから最高裁判所の違憲審査権の範囲は憲法上いかなるものと考えられるか、特に最高裁判所が具体的事件を離れて、抽象的、一般的に法令が憲法に適合するかどうかを決定するということは、憲法の解釈上可能と考えられるか。
 第五、最高裁判所がある法令を違憲と判断して裁判をした場合、その裁判はその法令に対してまた国会、政府及び下級裁判所に対していかなる効力を及ぼすものと考えられるか、この点について特に御意見があれば承りたいと思います。その他一般の御意見はもとよりひとつ御自由に広い範囲にわたつて御開陳を願いたいと思います。
 それではまず一応両参考人から御意見を伺いまして、それからあとで質疑を許すことにいたしたいと思います。
 まず海野参考人からお願いいたします。
#3
○海野参考人 御質問の範囲が非常に広うございますので、私などは実は一ぺんも役所に入つたことがありません。役所の内部機構等についての問題は知識が乏しゆうございますから、御参考になるような問題をここでお話するということは困難と思いますから、その点はごめんをこうむりたいと思います。それからいろいろ御質問の種類がありますが、特に委員長から最高裁判所の違憲審査権の問題についての具体的事件でなくてもできるかどうかという点、できるとしてもそれは現行の憲法もしくは裁判所法その他の諸法規にそのままで行けるかどうかという点があるだろうと思います。その点に特に私の申し上げるところは集約してお話をしてみたいと思います。あといろいろ問題があるようですけれども、それぞれの専門家の方がおありになるし、ことに当委員会は学識経験のおありになる議員諸公のおいでのところですから、あまりこまかいことを申し上げてもお役に立ちません。そのおつもりでお聞きとりを願いたい。
 先ごろ手元にお届けを願いました「裁判制度の改革に関し考慮すべき主要問題点」という題で、第一に最高裁判所の違憲審査権、読んでみますと、「最高裁判所の違憲審査権を規定する憲法第八十一条の解釈として、最高裁判所の判例は、一貫して、最高裁判所は、具体的事件を離れて抽象的に法律、命令等が憲法に適合するかどうかを決定する権限を有するものではないとしている。」
 そこで「しかしながら、具体的事件を離れて直接に法令が適憲であるかどうかを審判するいわゆる憲法裁判の制度を採る外国の立法例もあり、わが国においても最高裁判所が現行憲法の解釈として絶対に憲法裁判を為し得ないものであるかどうかは、一考に価する問題であり、また少くとも立法論として若干の外国立法例に見るような憲法裁判制度をわが国でも採用することの可否について検討を加える必要がある。」こう書いてございますので、一体最高裁判所では具体的事件を離れて法律命令規則その他の処分が無法に違反しているかいないかを決定する権限があるのかないのかという問題が、一番最初に問題になると思うのですが、私は結論から申し上げますと、法令、行政処分そのものの違憲なるやいなやということについての裁判権はある、憲法を改正しなくてもそういう権限はあるのだ、というふうに解釈いたしております。最高裁判所の判例はどうも私承服できかねる点もあるのですが、主として審級制度にかかわりまして、すぐ上告ができないんだというところに重点があるのだ。それから司法裁判という概念から考えれば、ある法令その他行政上の行為の結果、その効果によつて権利関係に異同を生じた場合に、その権利関係そのものを対象とするから司法裁判であるのだ、裁判所が司法裁判であるという考え方の上から言えば、それ以外にはできないのだという考え方が非常に強いように思うのでありますけれども、それでは行政事件はどうなのか、そのほかの問題につきましても、必ずしも裁判所で具体的事件がきまるきまらないという問題でなくても、私どもの考えといたしましては、一般的に法令その他の処分が適法であるかどうかということについては、審査権を持つているものであるように思うのです。それは少し文理解釈のようになりますけれども、憲法の条文の上から考えてみまして、第八十一条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を介する終審裁判所である。」と書いてあります。これには具体的の問題ということは少しも表われて来ていないのです。法令その他の処分が主題になつている。それが憲法に適合するかしないかを決定する、その権限を持つておる終審裁判所なんだ、こう書いてあります。従いまして、この憲法の条文の文理解釈の上から考えましても、法令そのもの、処分そのものを対象として、適憲なりや違憲なりやを決定する権限を持つておるのだということに読まざるを得ない。しかも終審裁判所である。後に申し上げますように、一審、二審、三審という終審というふうに読むと、この終審が最後なんだ、最後ということは、始まりがなければ最後という言葉が出て来ないじやないかという疑いがすぐ起るのでありますけれども、かつて現行刑法改正前の大逆罪のごときは一審にして終審なんです。審級制度については、終審ということはこれ以上の方法はないのだ、これ以下の方法があるのだが、これ以下の方法を尽して来なければならないのだということには読み取れないと思う。従つてこれ以上のものがない、言いかえれば、この決定した事実は再びくつがえすことのできない究極的のものであるのだ。究極的ということになりますと、客観性を帯びて来る。客観性を帯びて来るということになりますと、法令自体が無効であるということを決定してしまう最後的な処分なんだというふうに私は考える。それを憲法八十一条で規定しておるものであるから、この点から考えてみましても、法令そのものが対象となつても一向にさしつかえないものなんだ。ただ司法裁判制度という考え方があります以上は、そうは行かないのだという考え方がまた反対的に考えられるのでありましようけれども、必ずしも具体的事件だけをきめなければならない、それが司法裁判なんだということはないと思う。そしてそういう裁判は、ほかの特別裁判所を置いてはならないのだというふうに憲法で規定してありますから、いかなるものでありましても、およそ裁判の部類に属するものであるならば、やはり今の司法裁判所で裁判をしなければならない、それでなければ裁判にはならないのだという循環論法はやはり許されないと思う。この場合に、憲法で法令そのものが合憲であるか違憲であるかということを決定する権限を与えているのでありますから、裁判によつてこれを決定する。しかも最高裁判所はそれの最後的のもので、再びくつがえらない決定をする権限を持つている裁判所なんだと書いてある以上は、このもの自体、すなわち法令その他処分が憲法に通告するかどうかということを対象にしても、別に裁判所の権限を逸脱するものじやない、こう私は考えるのであります。
 さて、そうなりますと、それでは審級制度の問題であります。これは裁判所法で明らかに、最高裁判所は上告及び特別に法律に定めた抗告以外にこれを裁判する権限はないのでありますから、この点で最高裁判所がただちに訴えを受けるということは、この裁判所法からできないのだというふうに私は思う。従つて裁判所法の改正をし、これに伴う手続法規を改正すれば、憲法は改正しなくとも、当然に受付けることができるような道が開かれるのではないでしようか、実はそんなふうに私は思うのです。裁判所法第七条は、「最高裁判所は、左の事項について裁判権を有する。」として一、上告、二、訴訟法において特に定める抗告、これだけしかないのだということになりますから、この法令を破つて、いきなり最高裁判所において、違憲であるかどうかの、法令その他処分に対する審判をするということはこの点でできない、これだけの問題だというふうに私は思うのです。これさえ改正するならば、最高裁判所でただちに、法律その他の処分に対して、違憲なりやいなやの審判をする権限はあるのだというふうに私は解釈ができるものじやないだろうか、こういうふうに考える次第であります。
 一体最高裁判所において、法令その他の処分の憲法に適するやいなやを審判するというこの制度を、憲法改正の時分に入れたときのお考えをそんたくしてみますと、具体的事件でなければいけないのだというようなことは、あまり考えていらつしやらなかつたのじやないかと思う。第一その当時は、むしろ下級裁判所にそういうことをやらせるということはいけないのだから、最高裁判所でやるべきなんだという考え方が濃厚だつたんじやないだろうかというふうに思われるのです。
 この議会制定法に関する審査の問題を沿革的に考えてみますと、イギリスあたりで、いわゆる議会制定法といえども、自然権に対してはこれを左右することができないのだという思想から出て来ておりまして、やはり具体的事件について問題が最初提起されて、次第にこの制度が発達して来て、最初は裁判所でなかつたのが次第に裁判所に移つて来たという歴史をたどつているように私は思う。アメリカが独立する際でも、やはり独立そのものが、イギリスの議会において制定された税法等に対する反抗的な考え方から、独立というものは導き出されて来ておりますので、やはり自然権に属する自分たちの持つている主張は、議会でいかような法律がつくられても、これには左右されないのだという思想が折本をなしているように思う。
 そこで、そういうことはそれじや一体どうであるか、日本で言うならば、昔は枢密院なんだ。その前に諸法令を立法するにあたりましては、法制局で一応しぼる。あそこで各省から立案して来ます法令をしぼつて、統一的に、また従来の法律に反しないように、あるいは憲法に反しないように、あるいは自然権を侵さないようなことを法制局で一応しぼる。重要な問題については枢密院にかける。枢密院でやはりやかましい議論が行われて、それを閣議で決定して議会に提案するという径路をたどつて来たようでありますが、今の制度は大分かわつて、一時法務府で法制意見局ができました時分にはややその感がありましたけれども、その制度が改廃されまして今のような法制局が独立して来たのであります。こんなことを申し上げてはなはだ恐縮なんですが、ただいまの法制局の空気を外から拝見しておりますと、どうも昔の御祐筆のような気風が大分あるのじやないか。これはやむを得ないところもありましようけれども――そうするとどうもそこではしぼれない。むしろ何かと合理性を持たせるように持たせるようにとお運びになつておる傾きがある。そこで議会ではその点についてやかましい御議論がなされるのは当然のことであると思いますが、これもやはり議会政治でありますから、それぞれ党派があつて、党派の政策にある程度制約を受けるのは、これは免れない当然のことだと私どもは思うのです。いわゆる多数政治の欠陥はどこかに現われざるを得ないときがあると思うのです。その欠陥をそれではどこで救うかということになれば、究極するところ裁判所においてこれを救うよりほか道がない。従つて裁判所に対しては、政治力というものの影響を及ぼさないために身分の保障をして来ている。そこで時の権力とかあるいは時流に従わないとかいうような超然とした立場を持たせた裁判所、しかも最終的に決定する最高裁判所の裁判制度が、従来の大審院制度とは別な意味でつくられて来ておる、こういうことが事実の真相であつたのではないかと思うのですが、しかし一方には旧来の司法裁判という考え方――旧来でなくまた事実司法裁判というものがある以上は、これの終審をどこでやるかということになれば、最高裁判所でやるよりはか道がない。従つて一般事件と違憲事件とが非常にたくさんあそこに集中されて来てしまう。従つて最高裁判所の事務は必ずしも円満に行つていない。停頓がちになつてしまう。そこでいろいろの問題が起つて来ると思うのですが、その上に私は、ただいま申し上げましたように、最高裁判所へ裁判所法を改正してただちに一審として法律、命令、規則その他の処分を憲法に反するものとの訴えを起し得るということになつたならば、非常に事務が煩雑になつて、乱訴の結果、最高裁判所の人たちは悩まされて、とうてい仕事ができなくなつてしまうのじやないだろうかというおそれがまずある。田中長官のごときは、そういう心配を大分お持ちになつておると思うのです。しかしこれはそんなに御心配になる必要はないと思う。法令そのものに対する憲法違反になるやいなやということは、一種のテスト・ケースである。試験訴訟であつて、その問題はだれか選手が現われてその訴訟をやつておる間、他の人々はその結果を必ず待つと思う。具体的事実の審判ということであつたならば、待つておられないという考え方もありましようけれども、そうでなくて全般的に影響を及ぼす法令、規則、処分に関する遠慮なりやいなやの訴訟は、だれかがやればその結果を待つという状態に必ずなると思う。金をかけたりひまをかけたりして闘う人は選手なんだ。あるいは時の政府に対する反対党側の立場に立つ人あたりからこういうものは当然に出て来る。むやみやたらにたくさん出して争つたところで、何も効果もありませんから、その中の精鋭をすぐつて最高裁判所にまずテスト・ケースとして現われて来るという径路をたどると思う。従いまして乱訴の弊ということについては、別に心配する必要はさほどにないであろう。
 それからもう一つ、田中長官の言つておられるところを見ますと、そういう問題であると、最高裁判所が政治に介入するおそれが出て来るから、これもよほど注意をしなければいけないのだという御議論があるようです。これも一応うなずかれるところでありますけれども、それは先ほど申し上げましたように、最高裁判所はいずれの権力にも屈しない、どういう時流にも流されないのだという立場を保障されておりますから、これがどうも政治に介入して困るような結果になるということであるならば、初めから政治に関する法律の審判なんていうことはできないことになつてしまう。これは勇敢に最高裁判所の諸公は立ちふるまわなければならぬ義務を負わされておると思う。こういうふうに考えて来ますと、最高裁判所の上告訴訟によつて定められたる抗告だけでなく、この条文さえかえれば、一審として、しかも終審として、法令その他処分に関するそのものを対象としての裁判をなす権限を与えてよい。これがまた最高裁判所を置いたときの本来の制度の真髄であつたかと私は考える。そうなりますと、もし私の申し上げることが実現されるということになりますと、今ですら最高裁判所の事務は渋滞してとうていさばききれないのだという問題がありますので、必ず相当に事務がふえて来ることも疑いがありません。これは局外の者の申し上げることですからどうかと思いますけれども、かつて大審院は五十名以下で大体構成されておつたように記憶しておりますけれども、それを十五人の裁判官諸公でまかなつて行こうというのですから、それは無理だと思うのです。もつとも刑事事件については、これほど控訴も起つて来ないだろうし、いわんや上告も起つて来ないだろうということで、刑事訴訟法改正の問題がありましたので、そういう点も考慮の中において事件は減るであろうというふうに考えたのかもしれませんけれども、遺憾ながらどうも日本の裁判の歴史から考えてみて、なかなか控訴も減りませんし、上告も減りません。これを減らそうということ自体非常に無理がある。どうしてもこれは防ぎきれない。私ども弁護士としてもつと上告や控訴を押えるべきなんで、私どもは民事事件ですとずいぶん押えています。権利があつてもそろばんをはじいてみれば結局損だからおよしなさいということをしばしば言いますが、これに従う者はずいぶんあります。弁護士側がその点について十分自制して、なるべく先の見通しをつけて当事者を押えて行くということによつて相当救わるべきであると思うのですが、残念ながらその点は逆行しているじやないかというふうな御批判を受けるかもしれませんが、これはお互いによほど注意すれば救つて行ける問題なんです。ただ刑事事件につきましてはなかなかそうは行きません。人の身分に関する問題であり、牢に入るか入らないか、前科になるかならないかという問題で、どつかにひつかかりがあるならば、これを争つて行きたいということは、人情の上からいつてこれを抑え切れません。また私どもはだめだと思つた事件でも、ときによれば控訴でもつて事実審理を開始して結果が得られる場合があるのですから。それだのにかかわらず、大体の見通しをして、およしなさい、だめですと言い切れない。そこで本人がやつてみたいということがあるならば、いたし方がないからやろう。上告もその通りなんです。旧来の慣習としまして、三度とにかく裁判が受けられるのだという考え方を植えつけてしまつていますから、どうしてもこれを払拭することができない。
 最後に残つた手は陪審制度の復活の問題、これは刑事の問題でも、あるいは民事に陪審制度を設けるということになれば、これも考えられるのですが、最後に残つた手は陪審制度の復活問題である。陪審で控訴はできないというふうに導いて行きますれば、従つて上告が非常に減つて来るという問題が考えられる。ただ遺憾ながら現在においては陪審の問題をすぐ復活するということについては、国情に適さない。かつて失敗の歴史をずつと重ねたものであるから、陪審制度の復活はにわかに許されないのだという御議論が圧倒的なんです。現に私のごときは陪審制度が布かれても一件もやらなかつた。陪審などあぶなくてしようがないから、陪審の要求をしてもだめだ、よせといつて私は一件もやりません。しかしこれはあの当時の問題であつて、今は大分かわつて来ていると思います。たとえば地方へ行きまして、農地解放の問題から考えてみても、一般の小作人であつたものが、やはり自分は農業の経営者だというふうな考え方を持ち、地主と小作という考え方も排除されて、ずけずけものを言い得るような状態に導かれて来ておることだけは確かなんです。労働組合等も完全に活動し始め、むしろ行き過ぎだといつておしかりを受けるようなこともたくさん出て来たような今日の状態ですからいわゆる一般社会の文化的向上と申しましようか、社会意識の向上というものは著しいものがあると思うのです。これに加えて教育の方面においてやや考慮を加えたならば、ある一定の年限後においては陪審制度を復活してもいいじやないか。今後十年、たとえば昭和四十年なら四十年には、今眠らせておる陪審法を動き出させるようにしたらどうかということをきめて、教育界の方面、高等学校においては社会科のうちに司法の問題を十分に教育するということになりますと、これは著しい進歩があると思います。そうでもしませんと、いつまでも眠らせておいたならば、国民というものは、裁判は裁判官、おれたちの関与するところじやないのだという考え方がいつまでも抜けません。うつかりすると、この逆コースですから、再び裁判は天皇の名において行われるのだという考え方の方がいいんだというところまで行つてしまうかもしれないおそれがある。こういう点から考えてみましても、やはり陪審制度を復活して、そうして国民みずからが審判をするんだという考え方をもう少し強く植えつける。そうして一審で陪審にかかつて、しろうとが見てもこれは有罪だ。もし民事へ陪審を入れるということになれば、しろうとが見てもこれは幾ら払わなければならないのだという決定ができるということになりますといたし方がない。要するに裁判は相対的のものであつて、決して神のするような絶対のものではないのだから、考えてみれば一種のあきらめなんです。あきらめをつけさせるというのには、しろうとが見てもだめなんだ。しろうとが見ていいというんだから、これはいいんだという一種のあきらめがついて行く。そこでどうして今の制度の困る点を解決するかの一つの方法としては、やはり陪審制度を十年後においては復活するということの目標を置く。それじやその間しようがないじやないかという問題があるかもしれませんから、私の議論は少し無理がもしれませんけれども、具体的事件について、やはり違憲なりやいなやの争いがたくさん起ると思う。それをどう処理するか。お前の言うように法令違反の問題については、テスト・ケースでそうたびたび起らない。しかし具体的権利関係についても違憲なりやいなやの訴訟がどんどん出て来るであろうが、それをどう処理するかという問題、これを中間的にどうするかということを考えてみなければならぬ。それには訴訟法の解釈が、はたして私の言うことがいいか悪いか、多少議論があると思いますけれども、憲法に違反した法令もしくは処分があつて、それから自分たちに及ぼす権利関係の変更についての争いなんだから、第一の主張請求原因の第一項は、違憲なりやいなやという独立した攻撃方法、相手方は、民事で言うならば、それは違う、合憲なんだ、従つて何はともあれ、違憲合憲の点については、双方独立した攻撃防禦の方法がここに行われておる。独立した攻撃防禦の方法が行われておるならば、中間判決をしたらどうか。中間判決をして、その中間判決について訴訟法を改正して、その点ならば飛び越し上告をやつたらどうか。それならば非常に早く解決をして行く。しかも同じような法律違反の問題から生じたところの権利関係の紛争は、あの訴訟できめられるのだということが一般的にわかつて来る。これもやはりテスト・ケースのようなものが起つて来るから、そうむやみやたらと、自分の権利関係について違憲を理由にして訴訟を起して来るということもやはり一応防ぎ得るのではないかと考える。この間に陪審制度の問題を復活させることに努力して、十年の間はまず今の最高裁判所の事務の輻湊しておることをいくらかでも救済する道を講じてやつたらどうであろうか、訴訟法の改正等によつて行けるのではないか。また最高裁判所が個々の事件について、審判についての指揮はすることはできませんけれども、こういう方法があるのだということを、今申し上げましたように、中間判決をして、訴訟法を改正して飛び越し上告ができるという改正をして行くならば、それに流れて来るだろう、こういうふうに私は考えます。そういう点から十年間の輻湊した事件の処理を幾らかでも有効に導き得るのではないか。だが今ですら十五人の裁判官じやさばき切れないことは事実なんですから、そこで十五人の裁判官の数ということについては、これはやはり増員せざるを得ない結果になるであろう。裁判官の適否の問題、十五人以上に裁判官があるだろうか、ないだろうかということは、心配されなくても、相当の人がたくさんある。裁判所方面でも昔大審院の判事になるべき資格を持つた人は、今高等裁判所にうようよしておる。しかし最高裁判所の性格が違うのだという御議論もありますけれども、その中にはやはり適当した人も相当の人数が実際にはあると私どもは思う。あるいは在野においても同様であると思う。学界においても同様であると思う。決してそんなに少いわけではない。ただ人数がふえると、何か非常に軽くなるのじやないだろうか。認証官がそんなにふえては困るということをお考えになるかもしれませんけれども、それはそんなに御心配にならなくても私はいいと思う。あるいはあの中で、いろいろの制度を分割して、大法廷を持つ人、小法廷を持つ人、大法廷に出る人はどういうような任命であるかというようなことについては、いろいろ御論議があるかもしれませんけれども、まず大きい目標として人数を今の倍くらいにしたらどうか、三十人ぐらいになすつたらどうだろうか、三十人ということは、私は何か目標があつて言つておるかといいますと、それは私どもとしては決して基準があつて申し上げておるわけではございませんけれども、三十人くらいの最高裁判所の裁判官がおられても、決して裁判所が、非常に最高裁判所の人数がふえたから軽くなるというようなそんなばかばかしい考えは起つて来ないだろう。三十人のやや若手の新進気鋭の裁判官をあすこへ入れるということによつて、能率は著しく増進されて来るのではないか、これに加えて調査官をもつと増す。今は、内部の事情等を伺つてみますと、調査官も非常に多忙である。上告事件が最高裁判所へ記録がまわつて来ても、調査官にそう荷を負わせられないから定めずにあるというような事件もかなりある。もつと調査官の数をお増しになつてもいいだろう。最高裁判所の調査官を増すのに、人は幾らでもある。そういう点で最高裁判所を拡充して行くということになれば、何とかここで、当面非常に困つておるという問題は、憲法改正という大きい問題を処理しなくても、どうかこうか救われて行く問題ではないだろうかというふうに私は考える次第なんです。まことにまとまりのない意見でありますけれども、時間の点もありますので、この程度で私のお話を終ることにいたします。
#4
○小林委員長 それでは引続き長野参考人に御意見を伺いたいと思います。
#5
○長野参考人 先ほど委員長からここで述べる意見について御指定がありましたが、一応過日御送付いただきました要綱に基きまして準備いたしましたからそれを申し上げまして、さらにまた御質問くださるなれば申し上げてもよい、かように存じます。
 それを申しますと、第一やはり違憲の問題が先になつておりますので申し上げますが、この問題については、私は憲法第八十一条自体の解釈として、最高裁判所は具体的な事件を離れて一切の法律、命令、規則または処分を直接の対象として、ただちにこれが合憲か違憲かを決定し得る権能を有するものであると信じているのでございます。従いましてこの点におきましては、具体的な事件を離れて、抽象的に法律、命令等が憲法に適合するかどうかを決定する権限を有しないのだという最高裁判所の見解やまた多くの学者の意見にも反するものであります。
 次に、かように解釈いたしますと、わが最高裁判所の性格がいわゆる憲法裁判所であるかどうかという問題も起つて来るのでありますが、これは憲法裁判所とは何ぞやという定義いかんによるのでありまして、もしその裁判所の使命が、法律、命令、規則が憲法に適合するかどうかということだけを審査し、他の一切の司法事件を取扱わないという特殊な裁判所が憲法裁判所であるといたしますなれば、現在の最高裁判所はまさしく憲法裁判所ではありますまい。しかし、他の一般の司法事件を取扱うとともに、一切の法律、命令、規則等の合憲、違憲に関する審査権を有する裁判所をも憲法裁判所と言つてもいいのだということにすれば、わが最高裁判所もまた一種の憲法裁判所であると信ずるのであります。そうして私の考えによりますと、わが日本国憲法の構想もこれで――早く言えば二本建ですね――これであると信じている次第でございます。
 そこで問題となるのは、憲法第八十一条の正面の解釈といたしましては、以上私の申し上げましたような解釈でよいといたしましても、実際これを施行するためには、何か裁判所法の改正とかあるいはその他の手続法がいるのではないかということであります。多くの学者や最高裁判所などでは、さようなものがいるのであるから、具体的なケースが起つて来ない限りは、抽象的に法律そのものの違憲裁判ができないのであるということを言つておるのでありますが、しかしこれにもやはり反対説がないわけではないので、現在のままでもすぐに違憲批判がやれるのだという説もあると思います。しかし、かりにさような手続的のものが必要であるといたしましても、手続の問題は結局手続の問題でありまして、違憲裁判というような大事な本体を運ぶ道具にすぎないのでありますから、さようなさまつ――と言つてはおかしい、まあ比較的の言葉として申し上げるのでありますが、さまつな事柄は早く整備して、現在のように具体的事件が起るのを待つて、それから下級裁判所からえつちらおつちら長い間かけて最高裁判所へ行くというようなことをしないで、憲法制定以来国民が非常に大きな期待をかけている次第でございますから、本来の、あるいは本格的な憲法裁判をなすべきでないかと考えている次第でございます。
 最近たびたび発表されました最高裁判所の田中長官などの説によりますと、現在の憲法の解釈としてはもちろん、立法論としても、憲法裁判所を設けることには反対されているようでありますが、私はその趣旨がわからないのであります。説明されておりますが私はわからない、むしろ遺憾と申し上げたいのであります。田中長官は、今海野先生も申されましたが、最高裁判所が直接法律査審権を持つと、その権力が非常に強大になつて、立法府や行政府をも威圧することになる。ことに三権分立の精神にももとる。また最高裁判所が政争の渦中に巻き込まれるということもおもしろくない、かようなことで反対をされておるのであります。しかし私の愚考いたしまするところによりますと、憲法第八十一条はそれらのことも一切計算に入れ、考慮に入れた上の規定なのであります。またそれくらいなことは、立案の当時十分考えております。八十一条のごとき規定を入れる以上、ある場合は必要があつて立法府あるいは行政府に対しても強い反省批判を加えなくてはならぬ。だからこれを公式にいえば、三権分立の精神にもとるじやないかと言われますけれども、しかしさような規定がある以上は、さようなことも十分考慮に入れてできていると私は思う。ことに今日のごとく、考え方によれば憲法を無視した政治や法令の横行している際に、かかる消極的な態度で、はたして憲法の番人たる使命が果されるでありましようか。もつとも最高裁判所の諸公たちは、おれは憲法の番人じやないと考えているかもしれないが、とにかく世間では憲法の番人であると非常に期待しておりましようから、国民の期待を裏切らなければよいがと私は非常に憂慮しております。そうして、長官の所説のごとくだとすると、結局違憲審査権などというものは廃止した方がよいのである、さようなものがあるからこそ、かえつて裁判所も困ると言われるかもしれないが、非常な勇気を持つてやつてもらいたいし、こういう規定があるのだから、むしろさような臆病な考え方をもつてすれば、かような規定はない方がいいのじやないか。結局最高裁判所を設けた趣旨に沿わないことおびただしいものだと私は考えております。
 それから、違憲裁判の本筋のことはこれくらいにいたしまして、次に御質問になりました点でありますが、私は現行憲法の解釈といたしましても、ただいま申しました通り、最高裁はりつぱに憲法裁判ができると信じておるのであります。しかしどうしても疑問があつて、このままやつて行けないといたしますと、すでに外国でも例のあることでございますので、積極的に憲法裁判所制度を採用する立法措置に出るべきであると考えておるわけであります。そこで、どういう形の裁判所にすべきかについて、全然切り離した憲法だけをさばく憲法裁判所をこしらえたらという説もありますが、私はさようなことをしなくても、現在の最高裁判所で、憲法部と申しますか、憲法を審査する部を設け、これを大法廷でやればそれでもよいのではないかと思つております。決して今の最高裁判所以外に憲法裁判所をこしらえることに反対するわけではないのでありますが、しかしながら、その方が簡単だという意味で、今の最高裁判所のうちに、憲法を審査する部を設けてもやつて行ける、かように考えておるわけであります。
 それから次の、かりに現在のようなことしかやれない、具体的な事件が起つて、下級審を経てやるという場合に、実際に非常に急速を要することには間に合わない、だから最高裁判所が取上げて、直接やることにしてはどうか、これは反対ございません。けつこうと思います。
 次の、外国では最高裁判所が憲法の解釈に関し、政府または国会の諮問に応じて意見を述べるという制度をとるものがあるが、わが国でもこのような制度をとることはどうだろうか、こういう御質問ですが、これはある意味では、最高裁判所と立法府ないし内閣などと正面衝突をしないために、あるいは効果を奏することがあるかもしれません。けれども、私はかような制度はわが国でははなはだまずい結果を生じやしないかと思つております。ことにこれを実際上のケースとして扱うときに、勧告なんかで意見を出すと、それに拘束されることになる、自縄自縛になる、かようなことから考えましても、この制度には賛成しがたいのであります。その次に、司法行政事務のことについては、私どもは実際裁判所の内部を知らないのでありますから、自分の経験で申し上げられませんが、少くともこの二つのことはぜひ私は申しておきたい。それはいろいろ人事問題などについてうるさいらしいのです。最近、たとえば昨日あたり、前最高裁判所判事であつた塚崎氏などに聞いてみると、今人事問題などではそうたくさん手間はとらぬといいますが、この問題はなかなか時間もとるし、うるさいらしいのです。しかしながら、これを昔のように法務省に持つて行くということはたいへんな問題です、これは断じていけない、やはり最高裁判所でやらなくてはいかぬ、こう思つております。しかしそれをいかにするかということになると、やはりこれは現在のように、裁判官会議でも開いてやる方がよろしい。長官が一人で独断でやつた日には、これはまたたいへんなことになると考えておるようなわけであります。それくらいしか私は知識がないので申し上げられません。
 次は上告制度の範囲の問題でありますが、この上告のことについても私は最近あまりたくさんやつておりませんので、体験から十分なことは申し上げられませんが、はなはだ少い経験によりますと、上告の範囲はなるべく広くして、民、刑とも現行民事上告におけるような一般的に法令の違反を理由とすることができるようにしたい、こう思つています。こういたしますと、現在のように何でもかでも上告理由を憲法違反に結びつけるような弊害も少くなると思うのであります。この上告理由を憲法違反に結びつけるということは、どのくらいそんなことがあるかどうか知りませんが、裁判所側は非常にそれを言つている。刑事事件の半分、民事はどのくらいか知りませんが、刑事事件の半分ぐらいは憲法違反に結びつけるのでありますが、実際審査してみると、憲法違反でも何でもない。ただいいかげんにこじつけているだけであります。しかしかようなことを苦しんでやるのはどこに原因があるかというと、上告理由を非常に制限しているからであります。これは先ほど海野先生も言われましたように、刑事事件なんぞは生命に関する問題でありますから、どうしても上告したい。しかし何とか理由をつけなくちやならぬ。そこでしかたがないから憲法違反に結びつけるのでありますが、もし上告理由か今のように制限しないで、少くとも法令違反を理由にされることになれば、今のような弊害は少くなる、こう思うのであります。そうすると、今でも苦しんでおるのにますます上告事件が多くなつて困るじやないか、こういう論もありますけれども、しかし上告をしようとする国民の心をせきとめるということはなかなか困難であります。これをいかにして是正するかということは、やはり相当な年月をかけて徐々に国民を教育し、よい習慣をつけて改めさせる以外には道がないと思います。現に先進国におきましても、一度は日本のように上告事件が過剰で困つたこともあつたのであります。しかしながら、だんだん年月をかけて教育して今回になつておるのであります。日本はその過程にあるのでありまして、漸次是正されると思うのでありますが、どうも上告を人為的に制限することはできないことじやないかと私ども在野法曹の者は考えております。しかしながら、最高裁判所が現在でも事件が多くて裁判官が困つておるということはわかるのでありますが、これを救済する道は、やはり少くとも判事の数を現在の倍くらいに増加するより以外に道がないと信じておるのであります。
 それからこの上告審判の方法でありますが、最高裁をもつて唯一の上告裁判所とするかどうかということについては、やはり私は民、刑事件にかかわらず、すべて最高裁判所をもつて唯一の上告裁判所といたしたい。これはやはり国民が一番最高の裁判を受けてあきらめたいという気があると同時に、判例統一の点から申しましても、やはりさようにすべきだと信じておるのであります。けれども、これは実際上のいろいろな微細な事件まで最高裁判所でやる必要はないのじやないかという議論もあるのでございますから、私は必ずしも固執いたしません。
 それから原裁判所に事前審査を行わせるかどうかということは、これは絶対反対でございます。自分のやつた裁判を自分自身で審査するというのでは裁判の体をなさない。これは絶対反対であります。
 それから最高裁判所に憲法裁判と一般上告の二つのものを設けるというのは、先ほど申した通り、私はこれでもよいと考えております。
 最高裁判所の機構でありますが、先ほど申しましたように、昔の大審院は仕事の性質と申しますか、種類と申しますか、仕事そのものが非常に単純であつた。仕事の分量も、事件が非常に少かつた。にもかかわらず、その判事の数は四十八人あつたということであります。ところが今はその三分の一にも足りない。事件の種類、取扱う事務が非常にふえておるのでありますから、これをその十五人の判事がさばくということは実際人間にはできない仕事です。一ころは七千件くらいたまつておりましたが、大赦などがあつて少くなつた。けれども近来また民事事件が非常に増加する傾向でありまして、この分で行きますと常に五、六千件というものは事件が手元にたまつて来るのではないかと思うのであります。これは何と申しましても裁判官の数が少くて手がまわらないということになつていますから、判事を増員するほかない。しかるに一番悲鳴をあげておる裁判官自身が増員反対と言う。私どもはその心理がわからない。藤田判事その他いろいろ弁明されておりますけれども、どんなに考えても納得ができない。それは人によるのだ、人によればもつと早く能率が上ると言うけれども、どんなに有能な人が努力したところで三人前、五人前の働きができるはずはない。であるからこれは適当な数に増員する以外に道がないと私は考えております。
 その他判事の任命の問題でございますが、最高裁判所の判事の任命は現在のようなやり方では私はまずいと思う。やはり適当な選考委員の選考のもとに任命すべきである。その選考委員の組織は、朝野法曹のほかに各階層より適当な人を交えて組織されたところの委員会で選任するのが一番妥当だと思います。
 それから下級裁判所の判事は、これは私ども在野法曹は連合会で法曹一元制度を過日可決いたしまして、やがて国会の皆様にもお願いに上ることになつておるのでありますが、つらつら終戦後のいわゆる法曹一元なるものを考えてみますと、当時は日本に一つの革命が起つておるときでありますから、どこへでもいろいろ対抗できた。ですから役所の方でもいきなり民間人をもつて長官にすることができたが、今日はそれはすでに行き詰まつてしまいまして容易にできない。早く言いますと、裁判所でも検察庁あたりでも相当優秀な人が一ぱい詰まつている。陣容が整つてしまつておる。そこへもつて横すべりに在野法曹から長官をとれということは容易にできることではない。そこで最近では、私ども個人として知るところによりますと、裁判所でも検察庁でも、首脳部はむしろ制度化した法曹一元をやつてもらいたいということです。つまり米英流のバー・アソシエーシヨンであります。そこへ弁護士、裁判官、検察官、学者、議会人、いろいろ法律に関係のある人々が集まつて、大きい組織をつくる。そのうちから最も適当な人を選ぶ。現在のような状態で行きますと、一度採用すると、後日それがいかに不適任な裁判官、いかに時勢にそぐわない人であつても、身分保障があるのですからこれを容易にとりかえることができない。ところが長い間団体生活をやり、法曹協会で暮しておると、およそ適任か不適任か、癖のある人かない人かよくわかる、その中から適任者をとるのでありますからそれだけ間違いがないという点から考えましても、これは一つの理想でもなく空想でもなく、現実の問題としても非常によい制度だと思いまして、私ども在野法曹で努力しておる次第であります。
 簡易裁判所の制度については私どもあまり意見がございません。大体以上であります。
#6
○鍛冶委員 御両名のうちどちらでもよいのですが、先に海野さんに伺います。
 最高裁判所に違憲審査権があるということになりますと、最高裁判所がある法令の違憲を判断して裁判をした場合に、その裁判はその法令に対し、また国会、政府及び下級裁判所に対していかなる効力を及ぼすか、この点について御答弁がなかつたようでありますが、これは重大な関係がありますから、伺いたい。
#7
○海野参考人 私は、条文の上から行きまして、当該法律、命令、規則、処分は無効であるとの宣言が確定したものである、先ほど申し上げますようにこれは究極的であつて、客観性を持つものであるから、その法律は無効である、その規則は無効である、その処分は無効であるということが全般的に確定するものである、それから流れ出て来たところの効果論だけではなくて、法令そのものが無効と確定するものであるという解釈をとつております。
#8
○鍛冶委員 そこで重大な政治問題が起つて来るのです。そうしますと、一定の法律が施行せられて、その効果が順次現われて来る。それが何年か後において、無効であるという判決をせられたとすれば、その効力はどこに及ぶか、既定の事実はどういうことになるのか、この点に対す御意見をひとつ聞きたい。
#9
○海野参考人 ごもつともな質問でありまして、五年も七年もたつて、その法律によつて効果が累積されて、社会秩序ができて来て、その社会秩序を数年後において破壊するということによつて、非常な社会混乱が出て来るということは考えなければならない。従つてそういうことについては、非常な危険性をはらむものであるからいけないのだという御議論が出て来ると思います。しかしながら、これはいたし方のない結果である。無効である、憲法の条章に反したものであるということがはつきりした以上は、やはり勇敢にこれは無効たることを確定せしめなければならない。そこで考えられることは、急速にこの問題を解決しなければならないのだということが出て来る。最高裁判所長官田中氏の意見でも、政治に関する法律というものは、刻々に効果を発生して社会情勢というものが累積されて来るものである、だからそれをくつがえすということになると非常に問題になるから、よほど考えなければならないということを言われておりますから、累積されないうちに早くやるという点において、直接最高裁判所に対して、その法令の無効なりやいなや、違憲なりやいなやを審判せしめる必要がここに生じて来る。これは当然急がなければならない。
 それからもう一つ考えられますのは、ある程度の出訴期間をここで考えなければならない。法律いかんによりましては、出訴期間をきめたらどうかということも考えられます。たとえば、適切に申し上げますけれども、予備隊なら予備隊が保安隊にかわり、保安隊が防衛隊にかわり、自衛隊にかわるということで、それぞれ全部の行政組織等がかわつて来ている。また客観情勢もそれに対応したように、すべての情勢がかわつておる。たとえば軍事資材の生産闘争というものがたくさんにできてしまう。それが数年後に違憲なんだということによつてこわれてしまうと、経済界並びに社会的に非常な不安が起る問題がありますから、これはよほど考えなければならぬ。それで、急いでやらせなければならぬ。そこで一面においては直接最高裁判所に、そういうものについての審査権は、第一裁判判所をして終審としてやらしめる必要がある。なおその上に法律いかんによつては出訴期限をつけたらどうか。御承知のように、行政上の問題の争いについては出訴期限のついておるものがたくさんある。そういうことも考えの一つに入れたらどうだろうか。そうすれば今鍛冶さんの御心配になる点については、ある程度救済されて行くのではないか、こう考える次第であります。
#10
○鍛冶委員 重大な問題です。かりに出訴期限をきめたにいたしましても、あなた方の先ほどからの御議論を聞いておると――憲法に違反する、さようなことは、出訴期限が来たからといつて、憲法がかわつたわけではないから、私は理論上からいうてそういう区別はできないものと思う。
 それから、なるほど理論を貫けばそういうことはできないし、またいやしくも憲法に違反しておるということであれば、さような法律を生かしておくことはいかぬということも理論上は肯定できます。できまするが、実際に及ぼす影響から考え、政治的な効果から考えて不可能の場合が起つて来ぬかどうか。今あなたが例におつしやつた防衛法が憲法違反である、こういうことになつて、今かりにこの訴訟が起るといたしましよう。これは実に重大なる訴訟でありまするがゆえに、これを制定しましたる政府といたしましても極力争うことでしよう。一年や、二年で片づくとは思われない。そこでかりに三年後、五年後にこれをやつたとして、すべて無効であつたというので、この効力を元へくつがえせ、原状回復をやれ、こういうことになつてみたところが、これは不可能ではなかろうか、これが第一の大事な政治問題だと思う。
 それといま一つは、なるほど憲法に違反しておる以上はそういう法律を置いちやいかぬのだという純理論はありますけれども、一面においてこういう考え方はいかぬという訴訟を起しても、一面においてこれはいいのだからそういうことを言つてもらつちや困るのだ、今ごろ何事を言うのだ、こういう考え方の人もたくさんおるのだと思う。これは置いちやいかぬという人から言えばなるほど目的を達したのでしようが、これでいいのだという人から言えば迷惑しごくな訴訟が起つた、こういうことになるので、なかなか政治問題ですから、純理論だけではいかぬと思います。さようなことから考えると、これによつておれは損害を受けたがどうしてくれる、こういうことにとどめるのでなかつたら、社会の秩序を収めることはできないのではないか、こういうふうな大きな議論が出ます。これはあなたのお答えだけで、あとは議論したつてしようがないが、どうお考えになりますか。
#11
○海野参考人 非常に大問題であります。元来議会制定法審査権というものの起源を考えてみますと、先ほど申し上げましたように、自然権、自然法理論から考えて、議会でどのような法律を制定してみても、われわれの生れながらにして持つている権利を侵すとか、国家の基本法をかえるにあらざればかかる法律、かかる措置はできないのだという場合においてはいたし方がないと思う。それを防ぐ、防衛取締りということになると、ただいまあなたのおつしやるような、こういう法律をつくられたり、こういう行政上の措置をとられたりしたときの救済手段がなくなります。反対側の救済手段がなくなれば、やむを得ないから、最後の抵抗権をもつてこれに突き当らなければならぬということにまでなるのです。それを避けるのが――最高裁判所において審判をしたならば一応これに国民は服するのだということに考えを及ぼして、いろいろそれから生ずる原状回復については各種の方法を考えて、そのリスクを救うことを考えなければならない。社会秩序を元に回復するということによつて混乱するような場合においては、それぞれ救済手段を講じて行くよりほか道がない。その一つとして、あまりひどい混乱の起らないうちに早くこれが違憲なりやいなや、合憲なりやいなやを決定せしめる必要がある。場合によつたならば、これは行政事件の一種でありますから非常に困難でありますけれども、その法律の効力停止の仮処分なり何なりということも考えられる。それは一般的に私申し上げているわけではないのですが、そういうこともまた考えられる。各種の衆知をしぼつてその点については救済手段を講じて、あまり混乱の起らないようなことに考えなければならぬ。混乱が起るであろうからということにおいて、憲法に違反した法律が横行するということそのこと自体の方がなお恐るべき結果になるので、憲法違反になるものが横行するということについての防衛はどうしてするかということを考えなければならぬ。私どもは、もし憲法違反の事項だということを深く確信して出す、たとえば半々すれすれのような状態になつて来たときに一体どうこれを救済するか、われわれは法律において許された手段においてのみこれを防衛しなければならぬ。しかしその法律が憲法に反しておるものであつて、これに迫つて来ておるというときに何で救済をするかといえば、片方の法律でいう多数決による違反した行為によつてわれわれに迫るそのこと自体が違反なのである。憲法違反の行動を起して国民にある程度のことを要求するという場合に、憲法の範囲内において、法律の範囲内において防衛しなければならぬということであつたら、これはハンデキャップをつけるということであります。これを回復するにはどうするかということが次に考えられて来るいわゆる最後の抵抗権の問題になつて来る、そういうことはお互いに避けなければならぬ。そこでやむを得ないから、将来において多少の混乱が起つても、多数決のリスクを救うのは最高裁判所よりほか道がないのだということをわれわれは考えなければならぬ。これがやはり議会制定法に関する審査権というものの起つて来た起源である。そのことに思いを及ぼしてやらなければならぬ。それだからアメリカの独立が最後の抵抗権として起つて来たのである。ああいうことは国内において再び私どもは考えたくない。ゆえにこれはあくまで広く認めて行かなければならぬ。そうでなくてすら悪いところへ行こう行こうとしていることを引きとめることはできない。どうかこの点鍛冶先生も深く思いを凝らしていただきたい。
#12
○鍛冶委員 これは議論したつてしようがないが、私はまたあなたと考えが違うから問題点を明らかにしたいので言うのです。今私の言うのは、どうありましてもがまんならないこういう最後の抵抗権までもやろうという考えを持つておる人が国民のすべてであるかどうかということも私は考えられる。おれはかまわぬのだというならその人がやればいいのであつて、よその人はいいのだということになつたら、その人にまで及ぼす社会的の重大な影響を考える場合に、理論だけではいけませんですから、そういうことも考え及ばなければならぬのではないか、これはいわゆる政治論になりますが、その点であなたのおつしやるところと議論のわかれがあると思います。
#13
○海野参考人 御心配のような案件であるならば、最高裁判所は違憲を勝たせません。最高裁判所はそれほど非常識でもなく、単なる観念論者ばかりそろつておりません。私はそう思います。そういうことについて非常にあぶない、どつちへか傾くというような場合でなければ、最高裁判所は容易に判決しません。勝たせる判決はしません。どうか御安心くださつていいと思います。
#14
○鍛冶委員 その点はその程度にします。もう一つは立法当時の事情ですが、これは私らの認識しておるのとあなたさつきお述べになつたのと違うと思う。端的に言えばアメリカの制度を日本へ移して来たのだと思う。そこでアメリカの制度については、こういう参考もあるからぜひとも読まなければならぬと思つているが、ひまがなくて読んおりませんし、飛び飛びの人から聞いた意見で、違つておるかもしれませんが、アメリカにおいては各州が独立して最高裁判所を持つておる。そこでその最高裁判所間において違つた判決をせられると、合衆国としての統一がとれないから、その各州における判例の相違点を一致させるということが第一の目的で、第二は、各州の最高裁判所でやられておつても、合衆国の憲法に違反するという場合にはやらなければいかぬ。そういう意味において最高裁判所というものを設けまして、従つてこれは普通の一般裁判所とは全然観念の異なるものである。従つて今言うような事件はそうたくさんあるものではない。そこで権威ある裁判官を並べて、最もそれに対する権威をあらしめる。従つて数もそう多くなくていい。こういうことからできて来ておるものとわれわれは考えておるのです。そこで私らは、昭和二十一年だつたと思うが、これに基いて裁判所法をどうすればいいかという諮問が弁護士会にあつた場合に、東京弁護士会では、吉田さんが委員長になつて、私は副委員長になつて、ずいぶんこれは議論した問題であつたが、遂にこの問題で行き詰まつて来た。こういうことでありますが、今のこの最高裁判所の考え方がアメリカのそういうものであるとすれば、日本には適合しないのじやなかろうか。しかし適合しないからといつて、憲法できめてある以上は何とかしなければならぬから、何とかここでひとつ日本に合うようにしなければならぬ、こういうことがわれわれの今一番考えておるところなのです。ところが先ほどあなたのおつしやるところによると、そうじやない、制定当時からすべての違憲裁判をやらせるのだつた、すべての上告事件もやらせるのだつたということになると、われわれの考えているのと、全然違つて来るのですが、この点に関してもう一ぺんあなたの今までの御研究の結果を聞かせていただきたい。
#15
○海野参考人 アメリカにおける違憲審査の問題は、鍛冶さんのおつしやるようなことが一つにある。これは御承知のように、各州が独立しまして、そうして連合体をつくつてユナイテッド・ステーツオブ・アメリカとなつた。従つて各植民地の元の慣習によつてそれぞれの法律、規約ができておつた。それはその植民地自体のローカルの考え方が支配して、各種の法律、規則、慣習というものができておつた。しかし一般に連合体にしたときの共通の利益のためには、ある程度これを犠牲に供さなければならない。そこで連合したいわゆる連邦裁判所において各種の判決を統一して、われわれの共通の権利関係というものを一元化する必要があるというところが一つの理由になつて、違憲審査権の問題が起つて来た。しかしそれはアメリカの特殊事情で、決して議会制定法審査権はそういうところから起つて来たものではないと私は思います。これはやはりイギリスにおいて起つて来た問題であつて、イギリスではそういう事情はアイルランド以外にはほとんどない。むしろ自然権に属する問題が議会で制約されるということについては屈することができないということで、議会制定法に対する違憲審査の問題が起つて来た。これが私は本来の発達の起源だと思う。アメリカはただいまあなたのおつしやるような事情がひとつこれに加わつたというだけでありまして、アメリカにおいても基本的人権に関するような問題については、各州法令が異なるからという意味ではなくして、もつと根深い、もつと非常に強い原因に基いて、これは憲法に定めておるところの基本的人権を脅かすものであるからこの法律はいけないのだ、こういうことももう一つ重大な根本理由として加わつて来ておる。日本におきましては、おつしやる通りそれぞれの条例はたくさんありますけれども、それほどの違つた条例は決して各地方団体でも制定しておりません。それを統一するということのさのみの必要は、おつしやる通りないと思います。しかしながら自然権に対する問題、もう一つ日本で特殊に加わつて来た事情として新たなる憲法を置いたということです。私はこれは旧憲法の改正ではないと考えております。旧憲法は廃止されて新しい憲法ができた。法の継続性は元来ないものである。しかし法の継続性がないということになれば、国家の組織というものは一旦こわれてしまう結果になるから、やむを得ないから憲法第七十三条の改正によつてやつたのだということにカムフラージュし、フィクシヨンであり擬制である。これにはわれわれは一応は服さなければならないけれども、根本はそうではない。新たなる憲法がここにできたのだ。この憲法のほんとうの基礎になつている問題については、すなわち自然権の上に国を立てるほんとうの基礎をここに定めたものがあるのだ。それは民主主義である。そして平和主義であり、戦争放棄である。その次には基本的人権というものは絶対に侵すことができないのだ。これはわれわれが生れて持つている権利なんだ。それを単に憲法が保障したにすぎないのだ。この三つの相反する問題については、従来日本ではこれが全部侵されておつたから、これだけは絶対に動かさないのだということを規定したものでありますから、これに触るる法令が出たときには勇敢に取消さなければならぬ。そこで私が、直接最高裁判所に対して訴えができるものが非常にたくさんあつては困るからこの三つに限るが、法令によつてはまず直接にやつてもどうだろうかという意見を週刊朝日へ書いておきました。私もそうむちやくちやにやれというわけでは決してないので、そこはしぼつていろいろの考え方が起るのじやないか。そうしてあなたの御心配になるような程度においてはなるべくこれを避けて行く。社会秩序の混乱はなるべくさせないことにして行こう。さりとて最後の抵抗権なんていうようなことを言い出させないようにここに持つて行くようにしたらどうだろうかというのが私の考えであります。
#16
○鍛冶委員 もう一つ。そこでいろいろ事情はありまするが、いずれにしても現在の最高裁判所の機構をもつて旧来の上告をそのまま処理させようということは、どうしてもはまらぬと私は断定していいと思います。それをどうはめて行くかということが今の一番の問題だと私は考える。そこで先ほどからの御議論で長野さんもおつしやつたが、最高裁判所の判事の数をふやすこと。それから大法廷と小法廷くらいを維持して、憲法問題は大法廷でやる、ほかのものは小法廷で早く片づけるようにしたらどうか。これも一応考えられまするが、これもまた最高裁判所というものの本質から来る議論ですが、昨日兼子さんの議論を聞いてそういう質問が出ましたときに、兼子さんは、最高裁判所裁判官というものは全体をもつて最高裁判所を一つ構成している。その最高裁判所の判事の中で、これはやつてよいのだ、これはやつていかぬのだということは、最高裁判所の本質と異なる。いわば閣議のようなものであつて、いやしくも国務大臣になつた以上は、全部が寄つて閣議をやる、閣議の決定に参与する。そうでなかつたら内閣というものはできないのだ。それと同様だという御議論があつたのであります。これは先ほどあなたのおつしやつたのとはたいへんな違いなんですが、そういう議論のあることに対してどうお思いになるか。
#17
○長野参考人 兼子さんはどうおつしやつたか知りませんが、第一に、最高裁判所を非常に権威あらしめるために、長官は総理大臣と同じような待遇、その他の裁判官も国務大臣と同じような待遇で、たつた一つの司法官庁において十五名の、今の大臣に対抗する人たちがおる。それがさらに倍になつた日には、とうていその通りの待遇もできないというようなことが大きな理由をなしておる。がしかし、私は憲法裁判所というようなものが独立すれば、今の半分の七人くらいでいいと思う。その他は元の大審院でけつこうだと思います。同時にまた民事、刑事にわけなくちやならない。近ごろ新聞でもからかい半分によく言つていますけれども、訴訟手続や刑法の実体が全然わからなくては、そんな裁判にかかつてみたところでいいものができるはずがない。これが最高裁判所という考え方ならいい。長官にしたところが、必ずしも法律の堪能者でなくとも、りつぱな外交知識あるいは大宗教精神もあり、そういうふうにスケールが大きければよろしいが、普通の判決を書くのは、大体民事は民事、刑事は刑事、行政は行政というふうに、深い知識のある人がやるのが本筋だと私は思う。それが今兼子氏が言われた最高裁判所だと、実際はどの部どの部、あるいは小法廷、大法廷といつても一つの会議体であるから、憲法事件はだれそれがやり、だれそれはその事件というようなことはできない。しかしこれはできないことはないと思う。これは全然新しく憲法裁判所を特設するのであるが、便宜最高裁判所のうちに憲法部なら憲法部を設けるということになれば、それでもけつこうなんです。別にこしらえるということは、今の国情ではちよつとむずかしい。やはり最高裁判所のうちで憲法部と普通の司法裁判所をわける方が、実際の問題としてはいい。兼子氏のような心配はいらないと私は思います。
#18
○鍛冶委員 今のあなたの議論はたいへん実際の問題に当つているのですが、憲法をやるならば七人くらいでよろしい、そのほかは裁判に堪能な、法律に詳しい人がやるというふうになりますと、名前はどうでもいいが、観念が全然違うと思います。そうするとやはりそういう観念の違つたものでなかつたならば、今の日本の国情にはまらぬという結論に行くのじやないかと思いますが、どうですか。
#19
○長野参考人 私もできるなら憲法裁判所をこしらえたらいいという考え方です。先ほど申しましたけれども、決して否定するのじやありませんが、なかなかむずかしいのじやないかと思う。むしろ憲法裁判所をこしらえるならば、それは比較的簡単と思われるが、最高裁判所の中にこしらえたらどうかという考えでありまして、決して鍛冶さんの説に反対じやありません。むしろできるなら、別の観念ですから、別にこしらえた方がいいと思います。
#20
○海野参考人 鍛冶さんの御質問の趣旨をちよつと理解しかねたのですが、どういうことですか。
#21
○鍛冶委員 憲法裁判所という考えで、憲法とか、特別のものをやるだけなら十五人もいらない、七人くらいでよかろう。そのほかに旧来の上告と同じようなものをやる、法律に明るい、裁判に堪能な者で、民事、刑事にわけてやろう、こういう御議論であれば、現在いうておる最高裁判所というものと別な、名前はどうでもよいが、観念の違つたものを一つこさえるということになる。
#22
○海野参考人 非常にごもつともで、私も兼子氏の説には同意なのであります。やはり最高裁判所というものは一体をなしておるのでありますから、その間で単なる事務の分配というだけでは、今のような分配の仕方ですと観念が実質的には異なつてしまつて、やはりどうもよくないと思います。それでは増員をした人たちをどうするかといえば、やはり全部これに参与させたらどうでしよう。ここで十五名増員して、三十人にした。この三十人の人たちは全部今までのように順点で小法廷をつくつて、一応審議して、大法廷へ移すべき事件だと思料した時分に、大法廷で全員で審判をするということで一向私はさしつかえないと思う。それでは新らしく増員された十五人の人たちが違憲なりやいなやということについて知識が欠ける人たちであるだろうかというと、決してそんな心配はない。今高等裁判所なり、あるいは民間の人たちなり、あるいは学界におる人たちでこれに参与せしめて、十五人もしくは二十人、三十人を新たに入れましても、そんなに見劣りする点はない、その心配はないと思うから、やはり従来のように、今の制度で増員をして実際少しもさしつかえないと私はそう思います。
#23
○長野参考人 今世界のうちで憲法裁判所というものを特別に創設しておる国は少いですね。こちらからいただいた資料でも、オーストリア、西ドイツは最近どうですか……。それからアメリカの各州のうちのどこかであつたのですが、大体においてはやはり最高裁判所、最高法院で普通の司法事件も扱えば、違憲事件も扱うというのですね。が、そういうことについては兼子君あたりは私と違つて非常な博識で、外国の事情も知つておるから、いかにうまく行われておるかということを研究していただけばわかると思います。日本ではアメリカのを直訳してやつておるのですから、外国の例を調べていただけばいいと思います。
#24
○鍛冶委員 もう一つ大事なことがありますが、新憲法に基いて裁判所法を改正いたしました。それから刑事訴訟法も改正いたしました。不幸にして民事訴訟法の改正はしておらなかつた。そしてあの特例というものを設けた。これは私ははなはだ悪かつたと思う。この間は改正案を出されたが、これもどうも不徹底なものであつて、根本的な改正ではない。そこでわれわれがこの改正にあたつて考えますることは、第一審を重点にするという考え方であつたと思います。第一審を重点にすれば、国民に不服が少くなるだろう。そうしてみれば、控訴も少くなるだろう。さらに上告というものも少くなるのだ。こういう考えで新憲法に合うようにというので改革したつもりであります。ところがどうも先ほど海野さんがおつしやつたように、旧来から三審制度というものが国民一般にしみ込んでおるのだから、ふなれということもありまして、相かわらず上告があることは、私どもは遺憾にたえません。が、それよりも根本はせつかく第一審重点主義でやつたにもかかわらず、第一審が重点にせられない。従つて国民は第一審に新しい観念を持つて心服しないということが根本じやないかと思う。従つてわれわれがこれを考えるときの根本問題としては、第一審裁判所を民刑ともに充実しまして、大体においてイギリスのように裁判せられた以上は、これ以上言つてもだめなんだ――そしてそのうち特にどうもこういう欠点があるというものだけをまれに上訴するということに持つて行くということが一番じやないか、こう思いますが、この点はどうでしようか。
#25
○海野参考人 非常にごもつともで私も同感でありまして、今でもその方法については最高裁判所で考えていただきたいと思つておるのであります。まことに下品なことになりますけれども、やはり私ども人間生活をして行く者については、経済的な問題が重要な影響力のある問題で、第一審裁判に当つておる方というのは俸給の点においてどうするかということについては、私は役所の内部機構というものはよくわかりませんけれども、これはやはり考えなければならないと思う。一体事実審理に対する手当を出しておるのか、現在のような情勢では、刑事裁判官などは、場合によるとほんとうに危険にさらされて審理、判決をしなければならないという状況がないでもない。これに審理手当を出したらどうだ。それから、一般に第一審で裁判に当つている人の俸給はほかの人に比べてもう少し多くしたらどうだ、これも考えていただきたいと思います。審理手当を必ず出すということにすれば――身をきざみ骨を削るような思いをして審理に当つている裁判官がたくさんある。それを同じような手当でやつて行くということについては、労働問題からいつてもアンバランスだ、そういうことが一つあると思います。
 それからこれは任命の問題でありますからいたしかたありませんけれども、アメリカあたりで第一審に当つておる裁判官は、長く一つの任地にあることが一つの名誉となつておる。それは選挙の場合はいつも無競争でその裁判所の裁判官になれるということが非常に名誉であるというふうに馴致されて来ておるようです。私は先年クリーヴランドで婦人判事に会いましたが、私は二十六年ここにおると非常に得意になつていた。ところが、残念ながら今同じところに長くおる判事さんというものはあまり有能でないというレッテルを張られるような状況にあるのです。こういうようなことを何とかくふうして改正して行つたらどうだろうか。一つ非常にいい例は、われわれの同僚でありました芳賀喬一君が東北の簡易裁判所の裁判官をやつて非常に尊重されている。あそこでは簡易裁判所の判決に対する上告、控訴というものは非常に少い。任期を満了して今は町のおじさんとして非常に尊重されておるというような例もあるのですから、方法いかんによりまして、第一審裁判所を強化してできるだけ心服させる裁判をさせるように導いて行き、また国民もそういうふうな気風だんだんつくつて行くというふうにやつたらいくらか上訴というものの数を減らして行くこともできる。それと同時に、先ほど私が申し上げましたように陪審の復活ということも一つの方法ではないか。いろいろ御考案願つたならば、今の非常な乱上訴ということについては、私ども弁護士としましても、そういう点については十分自制をして行き、社会的批判をまつ向から受けてこれを甘受して行かなければならぬという気風をお互いに醸成して行けば、ある程度まで今の弊は救済されて行つて、上訴はだんだん数が減つて来るだろうというふうにも考えるのです。
#26
○古屋(貞)委員 海野先生にお尋ねしたいのですが、結論は大体わかつたのですけれども、憲法の解釈の問題、いわゆる合憲、違憲の最終的な決定権の存するのは抽象的に言えば国民だと思うのですが、今の日本の制度の上においては最高裁判所が持つべきものである、従つて違憲の訴訟というものはそこで確定するものである、こういうぐあいに考えていいのか悪いのか。反対をする方たちは、さようなことに考えて来ると、内閣の当時の解釈と一方における国会の解釈というものと食い違つて来て、三権分立の確定された精神が蹂躙されるというような危険もあると言う者もある。従つて私どもとしましては、少くとも現在の日本の憲法の解釈の最終的確定をするところがなければ国民の帰趨というものは決定しない、かように考えているわけなんですが、現在の日本の制度としては、最高裁判所においての判決が合憲、違憲をきめる最終決定である、従つて違憲に対する裁判を最高裁判所でなすように現在なつておる、かように解釈していいのかどうか、その点を、大体わかつているものを明確にひとつお話を願いたい。
#27
○海野参考人 しばしば立ちまして恐縮なんですけれども、先ほどの鍛冶さんのお尋ねでその点はお答え申し上げたのですが、もう少し分析して申し上げますと、具体的事実について、違憲を理由として私どもの権利関係を決定してもらう、いわゆる司法裁判というものが裁判の客体な権利関係の確定にある。従つて、主文においては、その法令が憲法違反であるかどうかということについては宣言いたしません。そこで問題は、今のように最高の裁判所まで行きましても、その法令そのものに対する有効無効の宣言は主文中にはないことになる。そこで、現在の具体的権利関係についての違憲の訴訟である場合においては、その判決そのものからは法令の有効、無効の確定した宣言はないことになるから、今のような疑義が出て来る。これを避ける意味にもなる考え方から、法令そのものを訴訟の客体として起すことを許す考え方にならなければ――私は許し得ると思うのでありますが、憲法を改正せずして許し得ると考えるのです。そういうことになれば、法令それ自体を有効なりや無効なりやということを主文において宣言することができる。しかもそれが最終であるということならば、再びこれをくつがえすような機会は到来しないことになり、ここに客観性が確立する。従つてその法令そのもの自体が無効であるということが確定する、こういうふうに考えるのです。今の具体的問題についても、私はそう言えると思う。権利関係について確定されるものでありますけれども、主文はなるほど権利関係自体についての宣言にすぎないけれども、判決の理由において、この法律は憲法に適せざる法律であるから無効なんだ、従つて、この権利関係は、それから流れ出て来る効果は無効なんだという結果になりますれば、あるいはまた逆に、この法令は憲法に違反していないのだ、従つて、それから流れ出て来ているところの権利関係は有効なんだというところの宣言をすれば、およそ裁判は主文のみではない、理由とともに一体をなすものであるのだ。裁判判決書は、理由と主文と一体をなすものであるから、その点からいつても確定はするんだ。しかも先ほど申し上げますように、八十一条では最高裁判所は法律、命令、規則その他の処分を憲法に適するかしないかを決定する権限を有する最終の裁判所であると規定している、文理解釈上からいつても最高裁判所にはその権限があるんだ。そこで下級裁判所にあるかどうかという問題がまたここに起つて来ると思います。下級裁判所もしくは他の行政庁で、この法令は憲法違反であるからこの法令に従つて行政処分はしませんということはやり得ると思います。現にやつていると思います。そういう時分にやはり争いになつて来ると思います。だまつているから確定したごとき観がありますけれども、それはだまつているということだけで、当該事件によつてのみ確定されているのであつて、一般的に確定するものではない。それは下級裁判所にはないんだ、当該事件に対してだまつて上訴がないからそのことが確定したというだけであつて、それは決して法律そのものが確定したということではない。最高裁判所に行つて初めてそれが確定するんだ、こういうふうに解釈ができるんじやないか。少し論理的に私の今申し上げた点はきゆうくつな点がありますが、これはお許しを願つていい程度のきゆうくつじやないかと思います。
#28
○古屋(貞)委員 それで私は二つにわけられると思います。ただいま海野先生のおつしやられた行政処分なら行政処分になつた事項に対する争いを起して、その判決が最高裁で確定した場合違憲であるという。従つて主文には違憲とはないけれども、その処分行為が無効である理由の方の事由の中にそれは違憲であるからいけないのだ、こういうようなことによつて確定をした場合に、その判決の効力は相対的効力の発生でなくて、全般的に効力が発生し得る、こう解釈するようにお説では承れるのです。それが一つと、それから今の憲法八十一条の改正を行わなくともかかる法律命令は違憲であるという訴訟を起し得るような法律をこしらえた場合においては、最高裁においてその裁判がなし得る方法が講ぜられれば、やはりそれによつて憲法の解釈についてはその法律の無効有効というものを抽象的にと申しましようか、たとえば何々の法律、ただいま説例をあげました自衛隊法、こういうものもこれは最高裁判所において裁判することができ得る。そして確定したときにはその効力はそのまま国民に一般的に行われる、こういうように解釈してお説を承つていいのかどうか。
#29
○小林委員長 それは初めにそういう御説明をされましたね。
#30
○古屋(貞)委員 ちよつと念のために……。
#31
○海野参考人 それは法律は改正しなくてもできる。ただ法律の改正を要するものは、裁判所法を改正することによつて、最高裁判所に第一審として訴えを起すことをするのにはどうしても裁判所法を改正しなければできない。ほかは現在の法律をそのまま憲法を改正せずして法令そのものを対象にして訴えを起し得るんだ。これはどうも非常に疑問があるんじやないかというお考えもありますけれども、直接われわれの権利関係に影響がすぐ来ないんじやないか、それだから司法裁判の範疇に入らないのじやないかという考え方があるんです。それは別なたとえば行政事件で選挙に関する争訟を考えてみますと、私の投票自体は決して当選の結果に異動を生じない場合がたくさんあります。私のはたつた一票なんです。しかしながらその結果は潜在無効なら潜在無効が多数にあつてその当落に影響があるんだ。自分の投票は潜在無効じやないんだ。私の権利関係には直接に影響はない。さような場合においては、私どもが私どもの代表者を選ぶという上において不合理な選び方だつたらいけないのだという間接的な問題だ、一般的な問題だ。これもやはり訴訟の対象となり得る現在の制度なんです。そういうことを考えますと、法律がここにできた、それは憲法に違反するのだ、間接的にはわれわれの国民生活にはなはだしい影響のあるものなんだ。こういう点から考えますれば、今の制度であるならば第一審裁判所に法令それ自体を無効だということの争訟を起し得る。そしてかかる訴訟があつたならばすぐ飛躍上告を起す、上告で行つてもいいのじやないか。そうすれば裁判所法を改正しなくても訴訟手続の上だけでも行けるのだ。急速に改正して行こうというならそれでも行ける。こういうように私は考える。
#32
○古屋(貞)委員 これは長野さんに伺いたいのですが、大体上告を提起してからその書類を裁判官の机上にのせるまでには五箇月ないし六箇月かかるというのですが、実務的におやりになつているからさようなことも御存じだろうと思いますが、これをもつと簡易に早くするについて何か弁護士会の方で御研究になつた御意見があれば承りたい。
#33
○長野参考人 あまり詳しいことは知りませんが、これはやはり判決が最高裁判所に送られて来て四年も五年もかかるというのがある。中には非常にやかましい問題があつた。三年の懲役に処せられたのが非常に不服だというので最高裁に上告したにかかわらず、上告して後に始まつた拘束が三年半も来た、だから六年半ぶち込まれたわけです。そういうばかばかしいことは結局は人数、手が少いということですね。それから原審の判事の手元に判決書が遅れて数箇月かかるということは、これはなまけているとは思えないから大体人が足りないのじやないかと私は思つている。さようなことについては各弁護士会並びに連合会からも常に警告を発しております。
#34
○林(信)委員 両委員会すなわち違憲訴訟手続並びに民野刑事の上訴制度委員会の直接の命題であります点について、非常に貴重な御意見を承りましたことを感謝いたします。おそらく本日の御意見の御開陳によりましてまた新らしくさらに一段とこの問題が貴重な問題として論議せられることになろうかと存じます。私たちは時間の許す範囲において今後の学界の意見を注視する次第でございます。さような点について再び繰返して御意見を承ろうとは考えませんが、せつかく委員長より御意見を求めております点で、最高裁判所の裁判官の任命の問題、あるいは最高裁判所の司法行政事務の処理の問題等、これは御意見を御遠慮なさいましたが、そういう特殊の、裁判所独自の問題でなくてお尋ねをいたしております現行刑事控訴審の手続、これは両先生におかせられては、直接に御経験の豊富なお方でいらつしやいます。このことは申すまでもなく、上訴制度に刑事に関します程度において重要な関係を持つておるのであります。もつともこの点につきましては、一審の裁判の充実と関連いたしまして、一部の御意見は承り得たかの感を持つのでありますが、端的に現在の刑事の二審が、その改正前とは非常に趣を異にいたしまして、いわゆる事後審的なものになつております。控訴の範囲が非常に制約せられております等の手続の問題でありますが、このことは両先生の豊富な御経験に基かれまして、少くともこのままでよろしいか、早急に改正すべきではないかといつたような点に、おそらく御意見がおありだろうと思います。せつかく命題としてここに出しておりますので、この点はぜひこの際御意見をお聞かせ願えれば仕合せだと思います。これだけでございます。
#35
○海野参考人 林さんのお尋ねは非常に適切なお尋ねでありまして、主として刑事訴訟法改正に伴う控訴の制約された点についてのお尋ねと考えますが、いかにも事後審という理論的な考え方を通すということになりますと、今のような方法以外に考えられませんけれども、それは繰返して申し上げますようではなはだ恐縮ですけれども、今の刑事訴訟法は、全部ではありませんけれども、一部の基礎としては陪審制度をおいての考え方であつた。一部には人権尊重の建前をとつた。この二つの大きい基礎において、今の刑事訴訟法は大改正を行われたのであります。ところが残念ながら、陪審制度は現状では復活することが適当でないのだということのために、そのまま眠らせてあるということによつて、控訴審が元の覆審制度でなければ国民はとうてい承服することができないのだという考え方が基礎になつていると思う。そこで現在の状況といたしましては、林先生もお扱いになつて大体御存じだと思いますけれども、最初の刑事訴訟法改正直後において、控訴審で容易に事実審理を開始いたしませんでしたけれども、近来は事実審理を開始する事件が非常に多数になりました。私乏しい経験ではありますけれども、手持ち事件の約三分の一は事実審理を開始しております。それから、結果論的に申し上げますと、一審判決が控訴へ来てくつがえつているものは、私の手元の事件では五〇%以上になつております。これはゆゆしき大事だと実は考えております。私は無理やりに控訴の判決をくつがえさせておるわけでは決してありません。大体こういう成績になつて来ておるところを考えますと、これは一審裁判に非常な欠陥があるのだということを考えなければならぬ。そこで控訴審における現在のような控訴理由をもつと緩和して行く必要が多分にあるのじやないか。さりとて刑事訴訟法を、控訴は事後審である第一審においての審理のあとの適否を尋ねるだけだということでなくして、いま一歩何とか、その観念をくつがえさざる限度において、これは小野博士の唱えておる、いわゆる継続審であるというような考え方をここへ導入して、一審の事実審理のある程度の継続をした審級にしたらどうだろうかという点で、もつと控訴の範囲を広くするということについては、私はぜひ願わしいことである、こういうふうに考える次第であります。
#36
○小林委員長 参考人御両君にはどうもありがとうございました。非常に参考になる御意見を感謝いたします。
 それでは午前の会議はこの程度といたしまして、午後は一時半から開会することとして、暫時休憩いたします。
    午後一時七分休憩
     ――――◇―――――
    午後二時十六分開議
#37
○小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会、違憲訴訟に関する小委員会連合会を引続いて開会いたします。
 参考人島田武夫君、坂野千里君より御意見を伺うことといたします。
 まことに御多忙のところ本日は御出席を願いまして感謝にたえません。第十九国会におきましてこの二つの小委員会が設置せられ、引続き今いろいろ審査を進めておるわけでございますが、両君におかせられましては、平素の御経験並びに御研究の上から、われわれのこれらの二つの小委員会に対する参考のために御忌憚なき御意見を述べていただきたいと思います。もとより、両制度研究に関する一般的あるいは特別な御研究をお聞きいたしたいのでありますが、特につけ加えていただければ幸いだと思う点が数点ございますので、あらかじめちよつと申し上げておきたいと思います。
 お手元に差上げてあると思いますが、島田参考人につきましては
 一、上告制度及び最高裁判所の機構をいかにすべきかについて
 二、現行刑事控訴審の手続について御意見があれば承りたい
 三、最高裁判所裁判官の任命方法の改善について御意見があれば承りたい
 四、司法行政事務の処理方法に関する現行制度の可否について御意見を伺いたい。
 坂野参考人に対しましては、
 一、裁判所構成法当時における司法行政事務処理の実情について承りたい
 二、司法行政事務の処理に関する現行制度について御意見があれば承りたい、特に現行制度については責任の所在を不明確ならしめるという批判もあるようでありますが、この点についてはいかがお考えになりまするか。
 三、上告制度及び最高裁判所の機構をいかにすべきかについて御意見を承りたい。その他お気づきの点は何なりともさしつかえございませんが、特にこれらの点についても、触れてお述べくだされば幸いだと思います。
 両君の御意見を一応承つておいて、その以後に委員諸君の御質疑を願いたいと思います。
 それでは島田参考人からお願いいたします。
#38
○島田参考人 ただいま御紹介にあずかりました島田武夫でございます。
 平素立法問題について御研究になつておられます皆様方に、私の卑見を申し上げることははなはだ僭越と考えるのでありますが、せつかくのお招きでございますから、簡単に私の意見を申し上げさせていただきます。
 第十八国会の際に、刑事訴訟法の一部を改正する法律案が国会に提出されて、部分的な改正があつたのでありますが、あの改正はむしろ部分的な、どちらかと言えば枝葉末節の改正のように考えたのであります。私は現行刑事訴訟法に二つの大きな改正を要する点がある、立法問題があると平素考えておるのであります。
 その一つは、集団犯罪の公判手続という問題であります。これは東京、大阪、名古屋その他各地において、集団犯罪の公判が停滞いたして、数年を要してなお片づかないという問題があります。のみならず、法廷において、しばしば問題を起しておることは御存じの通りであります。この集団犯罪の公判手続については、現行法では何の規定もないのであります。けれども、これをそのまま放任しておくということは、非常に悪い影響を与えまして、ただその事件だけでなしに、刑事裁判全体に対する裁判の威信にも重大な影響を与えることと考えるのであります。この点は特に御留意を賜わりまして、いずれ近い将来に、りつぱな法律をつくつていただきたいと私は平素念願しておるところであります。これは各国の立法にも、集団犯罪の公判手続というのはないようであります。公判でもめておるのは日本だけで、ほかの国では日本のような法廷の騒擾はほとんど起つておらぬようであります。これはまだ調査が行き届いておりませんが、この刑事裁判については、見落すことのできない問題であると私は考えております。
 第二は、ただいま問題にされております上告制度であります。この上告の制度、上告の審判に、何かしら不備、不完全なところがあるようでありまして、御存じのように、最高裁判所における未済事件というものが山積いたしておるのであります。そうして審理が非常に遅れまして、私の現に扱つておる事件でも、四年がかりでまだ裁判が済まないのがあります。二年、三年というのも相当あるのでありまして、こういうふうな停滞ぶりでは、迅速な裁判を受ける国民の権利が、最高裁判所自身によつて阻害されておるという現状で、まことに嘆かわしいことであると考えるのであります。でありますから、この上告制度について特に御研究を願つて、もう少し事件が迅速に裁判され、ぜいたくを言うならばもう少し見上げた判決をしてもらうようにしたい、こう考えておるのであります。私はこの上告につきましては、この上告制度の起源ということから考えてみましても、法令違反というものを上告理由にしなければならぬのである、そうしなければこの上告制度の精神がないのではないか、こう考えているのであります。これは御存じのように、ヨーロッパのフランスの法制にならつて初めて日本で治罪法というものをつくつたときに、すでに上告の制度があつて擬律錯誤が上告の理由のまつ先に書いてあるのでありまして、この擬律錯誤を是正するということが上告の任務になつているのであります。これによつて法令の適用を統一し、判例を一定する、そこにこの上告制度のほんとうの使命がある、こう考えておるのであります。現に民事訴訟法でも御存じのように法令違反を上告の理由にしておる。しかるに刑事上告ではこれを認めていないということは、はなはだ片手落ちの扱いではないかと思うのであります。刑事上告では御存じのように憲法違反と判例違反だけを上告の理由に認めておるのであります。もとより法令違反で上告受理の申立てをすることができるという四百六条の規定がありますが、これは実際は刑事訴訟法の一つの装飾にすぎないような感があるのであります。この上告受理の申立てをした事件は、あわせて上告の申立てもしますが、上告受理の申立ての書類に符箋をつけて、上告をしてあるということを書いてある。そこで上告をしておるのだからというので、この上告受理の申立てに対する裁判というものはきわめて簡単にあつさりと棄却されてしまうという現状で、ほとんどもうこれは用をなさないものだというふうに法律常識的にはなつてしまつております。でありますから、自然この四百六条は無視されて、四百五条による上告の申立をするということになつておるのであります。そういうようなわけでありまして、法令違反を上告の理由にするということは、日本ではもう六十年来の歴史を持つておつて、りつぱな法律文化の重要な内容をなしておる、私はそう思うのであります。現行法のように憲法違反と判例違反を上告理由にするということは、これはアメリカの制度にならつたものだということでありますが、アメリカにはアメリカの法律文化があり、また法律制度があるし、それから日本には日本の法律文化がありまた法律制度があるわけで、アメリカの制度であるからこれにならわねばならぬという根拠は何もあるはずはないので、その国の文化に根拠を置かないところの制度を採用してみても、とうていこれは成功するものではない、私はそう考えるのであります。現在の刑訴の規定を見ましても、判例違反が上告の理由になるのであれば、法令違反が何ゆえに上告の理由にならないのか、この理由を解することが私にはできないのであります。また法令違反というのは広い意味においてはやはり憲法違反で 憲法は要するにあまたの法令を抽象化したものであると思うのでありますが、してみれば、憲法違反は上告の理由になるが、法令違反は上告の理由にならぬということは、これはまたあまりに形式的な、機械的な理由であると思うのであります。御存じのように、現在では原判決が訴訟手続に違背しておる、この場合には、判決に影響を及ぼすという理由で上告しましても、これは法令違背を理由とするのであつて、憲法違反を理由とするものでない、こう簡単に片づけて決定でもつて棄却されるのであります。また実体刑事法につきましても同じことで、それは憲法違反なり判例違反を上告の理由にするものではない、単に法令違反を理由とするものであるから上告理由にならない、こう言つて、半ぴらをつけ、玄関払いで棄却されるのであります。ことに最近は最高裁判所で事件が堆積して処理に困つておられるためでありましようか、この決定で上告を棄却することが非常に勇敢になつて、それでも上告してから二、三箇月たちますけれども、ごく簡単に、ほんとうに数行の決定の理由で送達して来る。裁判宣告期日も何もない。もちろん公判も開かないですぐ上告棄却の決定を送達して来るのであります。そういうふうなやり方なら事件は停滞しないはずだと思うのでありますが、それでも約五千件の事件が最高裁判所に未済事件として残つておるのは、統計によつても明らかにされておるのであります。それからなお刑事訴訟法は高等裁判所の判決に対してのみ上告を許しておる。でありますから、第一審判決に判例違反または法令違反があつて、その違反を控訴の理由にしていなかつた、控訴の裁判を経なかつたという場合に、第一審判決を攻撃する上告趣意書を書いた場合には、これは控訴審の裁判を受けない上告趣意であるから上告の理由には適しないというので、これまた簡単に玄関払いで上告棄却を決定して来るのであります。
 私は最近続いて数件その目にあつて苦い経験を経ておるのでありますが、その一つは、富山県の選挙違反の事件でありまして、選挙事務所へ電話を引いた、その架設料を払つた、その支払いに出納責任者の同意を得ないで払つたというので起訴されておつた。それで一審も二審も有罪になつて、上告だけを頼まれたのでありますが、調べてみると、選挙事務所というものはなかつたのであります。選挙事務所があるということを前提として電話を架設した、こういう判決をしておる。ところが選挙事務所というものはなかつた。それは、御存じのように候補者または候補者を推薦した人でないと事務所をこしらえることができない。これは管理委員会に届け出ることになつている。その手続がない。被告の人は推薦届出もしてなければ候補者でもないし、事務所に届けた事実もない。事務所は一箇所しかできないのに、一箇所は初めからできておつて、新らしくできた証拠は何もないというわけでありますから、選挙事務所に電話を架設したということも自然ないわけであります。よく聞いてみると、改進党の県支部の事務所へ電話を引いたという事実はあるが、選挙事務所に電話を引いたという事実はない。でありますから、これはまつたく罪とならない事実を、事実を誤認して罪ありと判決したものであるから、著しく正義に反するという上告をしたところが、これは第二審を経ていない事柄を上告理由に書いておるからいけないというので、上告棄却されたのであります。この人は結局それで罪ありとされて、事実誤認に基き、無実の罪を着ておるわけであります。最高裁判所はそういうことがあつても平気で上告を棄却する、こういうことになつておるわけであります。
 またもう一つは、二時間の間に二回どろぼうしたという事件で、荷車を引いて工場の金物をとりに行つて、朝鮮人が盗み出した物を荷車に載せて持つて帰つた、また行つて、三回やつた。二時間に二回ですから引続いて同じことを同じ時間にやつておると見られるので、これは判例によると一罪である。二罪でない、こう見なければならぬのであります。それを上告の理由にしたところが、これはやはり控訴の審理を受けた事実でない、であるから刑事訴訟法の四百五条によつて上告の理由にならない、こういう決定でもつてあつさり上告が棄却された、こうなつて来ますと、ある裁判所では罪にならないものを罪とし、ある裁判所では一罪としておるものが他の裁判所では二罪として処分されておるというふうな、法令にまちまちの矛盾があるにかかわらず、最高裁判所はみずからこういうふうな法令の混乱をつくつておるというような非難を免れることはできないのではないかと私は思うのであります。こういうふうなことこそ最高裁判所で判例を統一して公平な処分をするのが本来の任務ではないかと私は考えるのであります。もし最高裁判所がやつておるように、今申し上げた二審を経ないところの上告は受付けない、また法令違反も上告の理由にならない、こういうふうにしますと、ほんとうの憲法違反と、最高裁判所のいうところの憲法違反と判例違反よりほかには、最高裁判所の管轄に属する事件はない、こういうことになります。そうしますと、結局一年を通じて十数件くらいしか最高裁判所に係属する事件はないということになる。これは統計の上でもすぐわかるのでありますが、非常に事件の数は少くなる。この十数件の事件を扱うために、この貧乏国が国務大臣待遇の裁判官を十五人も置いてさばいてもらわなければならぬようなぜいたくな生活を国民はしておるのではないと私は考えるのであります。現在日本の刑事裁判というものは、第一審が事実審で第二審が法律審である、それで裁判手続は終りを告げる、こういう建前に刑事訴訟法はなつておると最高裁は考えておるわけであります。以前は三審制度であつたのに現在は二審制度になつておる、これもアメリカの制度にならつたのだということであります。アメリカでは、御存じのように陪審制度があつて二番は陪審員が出て裁判する。陪審制度にしますとこれは二審でよろしいので、日本でも以前陪審制度がしかれておつた当時は、陪審事件は二審であつたわけです。ところが日本の第一審はどうであるか、日本の第一審は単独判事である。これは昔の区裁判所と同じことになつているわけであります。一審で、一般の人及び被告人が満足するような、裁判に畏服するような判決を下すというのであるならば、これはまた考える道もありますが、若い経験の乏しい判事が単独で第一審をやつておる。それで満足しろといつてみたところが、これはもう少し上の方の裁判所へ願い出れば満足の行く裁判がしてもらえるだろうと思うのは当然なことであります。
 アメリカの制度をならつたというのはただ名のみであつて、実際は陪審制度をしいておるのでもなく、第一審の判事が強化されたという根跡を認めることはできないのであります。しからば、せめて上告審で法令違反の上告審を認めて裁判を仰ぐということが国民の切なる希望であつて、決してこれはむだなことを希望しておるものではないと私は考える。戦後刑事の上告事件が非常にたくさんありまして、一時八千件以上も最高裁判所に未済事件があつたときがあります。これは何を物語つておるのであるか、田中長官に言わせると、乱訴である、乱訴の弊に耐えがたいということを言つておられるようでありますが、必ずしも乱訴ではなく、最高裁判所の名判決に接したいという、裁判所を信頼する熱意の現われではないかと私は思うのであります。それだけに裁判所は国民から信頼され、期待されておる。しかるに何ら裁判をせずに半ぴらをつけて上告を棄却するというやり方はあまりに期待に反するのではないかと思うのであります。そういう次第で、私は現在の憲法違反、判例違反になお法令違反を上告の理由に加えるべきである、こう考える。これは刑訴全体を通じて決して無理な要求ではない、当然あるべき姿であると考えるのであります。
 なおこの上告審判の方法でありますが、どういうふうな方法で裁判したらいいか、今申し上げる通りに非常にたくさんな事件、年間五千件以上停滞しておるという現状においてこれをどういうふうにしてさばくかということが一つの大きな問題であります。この問題は事件の数と相関関係をなしておるように思うのであります。事件が少かつたら十分に時間を費して慎重に裁判をすることができる。事件が多いと年が足りないというので粗雑な裁判に流れるおそれもありますし、場合によつたら事実不可能な場合も考えられるのであります。それで現在は事件が非常に多いので、これをどうしたらいいか、こういうことがここに取上げられるわけであります。現在最高裁判所が、私から言えば刑事訴訟法の改正を要する大きな問題の一つになつておるということは、たくさんの事件をいかに処理したらよろしいかということが大きな問題の中心になつておる次第であります。現在のように非常に裁判が遅れることになりますと、裁判の威信ということに関係を持つて、ひとり最高裁判所の裁判のみならず、全国的に司法裁判というものの威信が落ちる結果になつて来るのであります。でありますから、最高裁判所が進んで迅速な裁判をする必要がある。この隘路を打開する方法としましてはいろいろ考えられるのでありまして、田中長官は乱訴の防止ということを言つておられるのでありますが、乱訴を防ぐということ、これは、乱訴が全然ないということは私は申し上げかねるのでありますが、あるいは幾分そういうものもあると思われるのであります。しかしながら、今日の社会の風潮を見ますと、道義がすたれたといいますか、慣習の力というものが非常に微力になつている。信仰というものも目立つてない。新興宗教は別として、信仰ということもあまり国民の間では認められないということになりますとつじでは切取り強盗がはびこることになります。それでは現在の国民は何に頼つて生活しているかといえば、私は警察と裁判である、こう申し上げたいのであります。それ以外に秩序を保つて安心して生きる、頼りになるものはないのであつて、神の力も、あるいは道徳の力も、また輿論の力も頼りにならない。結局警察と裁判であるということに帰着すると思う。でありますから、訴訟事件はますます多くなり、議論は微細になつて行つて、大きな事件がだんだんふえて来る、全国的な事件がだんだんふえて行く。ここに司法は非常に重大な責任を負うて立たなければならぬ立場にある。またこれをうまく運用するのでなかつたら、国の秩序は乱れるを平素憂えているのであります。こういうようなわけで、少々の乱訴を防止するというような問題では片づかないのである。でありますから、乱訴防止もよろしいが、そういうような問題ではない。もつと大きな問題になつておると私は思うのであります。
 それから第二には、民訴におけるように、高等裁判所にある種の事件の上告審理をゆだねるということが考えられるのであります。しかしながら、三審制度――現在は三審制度か二審制度かわからないような状態でありますが、最高裁判所がある以上は三審制度にして、法令違反まで裁判所が裁判すべきものである。高等裁判所が上告事件を扱うということになりますと、これにもいろいろな方法がありましようが、もう一つ上に最高裁判所があるわけで、憲法違反の裁判があつた場合にはさらに最高裁判所に上告ができなければならぬことになります。そうすれば、三審制度ではなしに四審制度ということを認めなければならぬということになると、手続が煩瑣で、裁判の確定するのはますます長引いて行くことになるのであります。またその中間にいわゆるスクリーンをかける、上告に適するか適しないかを原審でもつて審理する、高等裁判所で自分がやつた裁判に対する上告が適法であるかいなかを裁判する、また進んでその上告事件を、その裁判所が上告の裁判までやつてしまう、こういう案もあるようでありますが、これでは公平という観念から見てまことに不公平な感じを抱かせるのであります。自分がやつたものを自分がいいかどうか判断しろ、これは相当教養を積んだ人にはできないことではないので、自分自身で自分の悪いところを見つけて自己批判を下すということもあり得るのでありますけれども、こういう制度としてそれを認めることははなはだ自己矛盾である。自分のやつたものは第三者から見て正しいとしてもらわなければならないのであつて、自分がやつたものを自分が悪いというようなことは、制度としてははなはだ不満足なものであると私は考える。でありますから、高等裁判所みずからがやつた裁判を、自分で悪いのだ――自分がやつておいてこれは自分が間違つておつたんだという裁判ができるのかできないのか、これは面子にかけてもできるものではありません。自分が判決を言い渡しておいて、きのう言い渡した裁判は間違つておつたときよう言えるか。これはもう絶対に言えるものじやない。ことに日本の役人としてはなおさらこれは言える事柄じやない。でありますから、これはそういうことをしても有名無実であります。気休めだけのことで、とうていこれは採用することができない、さように私は考える。
 それから最高裁判所に送つていただいた重要問題のうちの一つでありますが、最高裁判所の違憲審査権、これは私はあまり詳しく調べたわけではありませんが、違憲審査権を最高裁判所に認めるかどうか。これは規定の上からいいますと、八十一条に違憲審査権を――これは憲法裁判所というわけでないので、司法裁判所である最高裁判所が違憲の審査をなし得るということはもう明らかに書いてあることであつて、ただ最高裁判所まで具体的な事件が行くのに長い期間を要する。であるから、一審または二審に継続中の事件を最高裁判所で取上げて違憲審査権を行使する、違憲の判断をするということが可能かどうかということが問題でありますが、これはもちろんできることで、前には大審院が大逆罪の事件を終審としてやつたこともあるのであるから、ただそういうふうにする特別法を設けておけばよろしい。裁判所法の第十条とかあるいは刑事訴訟法の四百五条等を改正し、それに関連する規定を設けておけばできる、私はこう考えるのです。しかしそれがために憲法裁判所になるかどうかということは別問題で、やはり司法裁判所として法令の審査をするということは一向憲法には矛盾しない、かように私は考えておるのであります。
 それから特に御留意を願いたい、特にわざわざ参つてお願いしなければならぬと私は思つておつたのでありますが、それは法務省でも法制審議会で幾たびか会を重ねてあそこで審議したのですが、今後事件がふえるかふえないかということの見通しが最も大事なことだと思うのです。それで最高裁判所だけの問題でなしに、一般的に民事にしましても、刑事にしましても、事件は非常にふえて行くということは言うをまたないことなのです、これは御存じのように、日本の人口が百万ないし百五十万年々ふえて行つておるのですから、従つて刑事事件というもの、あるいは民事事件というものがふえるということは、もう既定の事実なのです。これは言うをまたぬと思うのです。現在の人口において、また現在の日本の現状において、最高裁判所がさばき切れないほどの事件がある。反問苦肉の策を講じてどしどし門前払いの棄却の決定をしておりまがら、なおかつ事件が山積しておるという現状である。これが五年なり十年なり後にどうなるかということをお考え願わなければならぬ。その場合に臨んで、だんだんじりじりに事務が停滞し、かつ裁判の威信がじりじりに貧困化して行くということになる前に大きく手を打つて、いくら事件が来ても、丁寧親切、迅速に裁判ができる制度をしかなければいけないと私は思う。これはいつになつたら新しい宗教ができ、また国民道義が高揚されるかということの見通しがつきません。従つて少くとも裁判事務については、国民が満足するような、社会の秩序が維持できるようなそういう制度をつくつて、いかなる問題にもこたえ得るような制度をつくつておくことが何より必要なことだ。未済事件がだんだん少くなる、二月に五百件あるいは千件少くなつておる、そうすれば二、三年後には未済事件はなくなるという安易なことを考えておるべきではない。それは単なる希望であつて、そういうことが実現することは絶対にないと思う。これが十年後になつたときにどうなるか。これは事件が少くなるというのと多くなるという見方をするのとでは、制度の立て方に非常な相違が出て来るわけなんでありまして、私は事件が少くなるということは痴人の夢であると考える。役所の方々は、どちらかというと楽観的に、もう少し待つてくれれば未済事件は少くなると言つて現状維持を主張されておるけれども、これはあまりに考えが安易に過ぎると私は考える。でありますから、最高裁判所の機構の改革ということは、これは人員を増すよりほかにない。いろいろと考えてみて、法令の面でも制度の面でもいろいろと、一考を凝らして考えに考え抜いて、これは私が第一弁護士連合会で一年間上告制度だけでもんでもんでもみ抜いたのですが、どうしても人員をふやすということよりほかにこの打開の道はない、こういう結論に達したのです。これは一朝一夕に得た結論ではないのであります。長い間のもんだ結果です。いろいろの反対説も出たが、結局人員をふやすよりほかに手はない、こういう結論に達しました。現在でも私はその説をかえておらぬのであります。これはやはり人をふやして行くよりほかに道はない。最高裁判所の裁判官は注射したり、あんまをとつたり、まとまつた総合雑誌を読むひまもない。かわるがわる病気をしておられる。それほど健康を犠牲にし、生命を犠牲にしてあの人たちは裁判事務に格勤しておられる。その勤勉力行には私は満腔の敬意を表するにやぶさかでないのでありますが、遺憾ながら人力をもつていかんともすることのできないほど仕事が大きいという場面に達しておる。
 それから私が申し上げる高等裁判所の審理手続でありますが、在野法曹の多くの人は高等裁判所を覆審にしたい。今は事後審、第一審の続きというのであつて、事実審理は原則としてやらない、いわゆる法律審になつているわけでありますが、一審があまりにあつけなく過ぎてしまう。これで裁判があつたのかというような感じを受ける。第二番で十分に防禦の方法を尽し得ない場合が多いので、控訴を覆審にして、もう一ぺん第一審をやつてもらいたいという意見が非常に強いのです。これは刑事訴訟法の建前から、あるいは法律の建前、理論の構成ということから、必ずしも容易ではないかとも考えるのでありますが、控訴審の運用の面から多少でも疑いがある――事実誤認あるいは量刑不当という場合には、事実審理を開いて審判するということの方がよろしいと私は考える。ただ単に法律審理でやるというのでは、今言うように上告が半身不随か全身不随的になつておる際でありますから、やはり事実の審理をして裁判するというふうにしないと、現状のままではとうていたえられないことではないかと考えておる次第であります。
 なお司法行政事務の処理に関することが、私が申し上げる目録にありますが、司法行政事務につきましては私は一つも経験がありません。中でどういうふうなことをやつておるのかということはまつたく知らぬのであります。ただこういうことを御参考に申し上げておきたいと思うのは、地域給というものがあつて、たとえば長野県なら長野県でここの支部にいい判事を迎えようという希望があつても、その地域の人でなければ、その判事がやめた場合に行く人がないということになる。東京の人は、あそこは地域給がないからというので行かない。あるいは金沢なら金沢で、高裁にいい判事を迎えようとしても、そこへ行く人がないということになる。狭い地域の範囲内で人事が異動するだけで、全国的に人事を異動することはむずかしくなつておる。最高裁判所がそれをやろうといつたつて、本人が容易にうんと言わないという実情であるように思うのです。それが人事の円滑な移動を非常に阻害しておるというふうに考えておるのであります。その点については私は全然経験がありませんから、申し上げる資格もないので、ごめんこうむりたいと考えておるのであります。
 次に最高裁の裁判官の任命方法につきましては、私どもは判事、検事、弁護士その他学識経験者若干名をもつて構成する最高裁判所判事選考委員会というような、名前はかりにつけた名前ですが、そういつた委員会をつくつて、これはもちろんそれが最後の決定をするわけじやありませんが、その意見を徴して任命する、こういうふうにしたいのです。そうでありませんと、突然どうも意外な人が出て来る。どうもだれが見てもあまり芳ばしくないというような方だと困る。これはやはり衆目の見るところ、この人ならという人になつてもらいたい。こういう意味で、判事、検事、弁護士その他学識経験者合計三十人くらいになりますか、二十人くらいになりますか、そこは適当な人をもつて構成する最高裁判所判事選考委員会というものの意見を徴するということにしたい、こういうふうに考えておるのであります。
#39
○小林委員長 それでは坂野参考人。
#40
○坂野参考人 私にお尋ねになることになつております裁判所構成法当時における司法行政事務処理について、この点は実はただいま承りましたので、適当な書類等見ておりませんが、私の記憶にあるところに従いまして申し上げたいと思います。そのためにあるいはちよつとした間違いがあるかもしれませんが、その点は御了承願いたいと思います。
 裁判所構成法当時の司法行政事務は、これは最高峰に司法大臣がおりまして、その下に大審院、これは行政府の下にありますが、その大審院長は大審院だけを監督する。こういう形になつております。控訴院長がありまして、控訴院長はその管内の裁判所の職員の全部を監督することになつて、これが司法大臣に直結しておる。こういう形になつておる。控訴院長の下に地方裁判所長、これは管内の判事その他の職員を監督することになりまして、やはりこれは控訴院長のまた監督に服する。そして控訴院長を経て司法大臣に続いている、こういう形であります。またその下に区裁判所があつた。区裁判所の監督判事というのは、判事を監督しないのでありまして、判事以外の職員を監督する。こういう形になつて、各長官が司法事務を行つておる。こういう形であります。
 司法省はどうであつたかと申しますと、司法大臣の下に次官がありまして、そうして局が三つ、民事局、刑事局、行刑局、この行刑局はほとんど裁判所の方には関係はありません。この三つと、官房には秘書と人事、会計、調査と、こうあります。そうしてこのうち民事局におきましては、大体裁判所の必要な書類等を送る仕事が、裁判所に関係いたします。その統計等をつくるという関係において関係があるというだけでありまして、特に裁判所の裁判事務について指導する、そういうことはあまりやらなかつた次第であります。民事局の主たる仕事はむしろ登記とか、あるいは戸籍の関係にわたる仕事、それから対外関係立法事務であります。そういうことが主たる仕事になつておつたのであります。刑事局におきましては、これは主として検察、元の検事局であります。検事局関係の事務が多かつた。裁判所に関する事務については大体民事局と同じような関係であります。それから行刑局は関係がありません。それから官房でありますが、秘書課はこれは文書の往復等、そういう事務をとるのであります。中心はやはり人事課であります。これが監督事務を相当やつたわけであります。このことはあとに申し上げます。それから会計においては、中央からの申出があるとこれに従つて予算の配賦等をしておつた。調査は御承知のようにいろいろの資料の研究等をやつておる。こういう関係になつておるのでありますが、司法行政事務をやるにつきましては、さつき申しました通り、大審院長は大審院だけの監督をつかさどる。こういうことになておつたわけであります。これはいささか問題があるのでありますが、構成法ができる元の原案には大審院長が管下というか、すべての判事、職員を監督するという形になつておつた。ところがこれがかわりまして、大審院長大審院だけを監督する。控訴院以下の判事は監督しない。こういう関係になつたのであります。これは裁判所構成法ができたときの、ルドロフというドイツ人の著書に出ておるのでありますが、なぜそういうことになつたかと申しますと、結局最高の司法裁判の位置にいる人を、行政事務のようなことで煩わすことは適当でない、そういうことをやらせることはその人の地位の権威にもかかわる、かようなことを考えたようでありまして、これから、大審院長は大審院だけの監督という形になつたのであります。その後これは何度も、改正すべきである。大審院長はやはり全部の判事の監督権を持つべきであるという意見がありまして、いろいろ立法等のこともありましたが、とうとうそれが行われずに終戦になつた次第であります。そこで、その司法行政事務は、大審院長、それから当時は七つでありましたが、七つの控訴院長が中心になつて来るわけであります。それで春秋二回に控訴院長が司法省に集まりまして、その控訴院長の会議で大体の司法行政事務はすべて議して行く、こういうことになつております。そこで判事の異動とか昇進というようなことにつきましても大体控訴院長が集まりました会合で打合せをして、その大体の方針に従つて控訴院長は地方に帰つてその仕事をする、また本省におきましてはその会議の意向に従つていろいろな人事行政その他の司法行政をやる、かようにいたしておつたわけであります。それで、この点は特に申し上げておくといいと思いますが、私は昭和六年から十二年まで人事課長の職にありました。それでいろいろその当時の裁判所に対する司法行政の中心は人事であつたと思いますが、それに関係したのでありますが、その関係した範囲においてはそういう形であつたけれども、非常に公正に行われた、かように考えております。あるいは政党等の意見が入るのじやないかというような疑念を持たれる方があります。当時政務次官、参与官等に政党の方が入つておりましたが、この方々は人事には絶対にタッチされなかつた、これは司法の昔からの伝統であつたと思いますが、その点は非常にしつかりと行われたのであります。これは、内部のことは申し上げがたいものだから、私たちが申さないでおりますと、よく何か情実等があつたようなことを言われるのでありますが、そのことは私はここではつきり申し上げていいと思う。決してそういうことは行われなかつたということであります。私は初めてなつて驚いたのでありますが、当時の控訴院長がいろいろ言われるのを聞いておつて、自分らがへんに思つていた、あるいは控訴院長はわれわれを悪く見ているんじやないか、かように考えておつたのでありますが、いろいろ聞いてみると、すべての人をなるたけよく導くように努力をされておつた、これは申し上げていいと思います。当時の控訴院長は、あるいは御存じの方もあるかもしれませんが、申しますと、東京は和仁貞吉さん、大阪は谷田三郎さん、名古屋は立石謙輔さん、広島は今村恭太郎さん、この程度の方々がおられたのでありまして、非常に正確にそうして確実に行われた、かようなことを申し上げておけると思います。大体この裁判所構成法当時の司法行政の運営の方法はその程度に申し上げておきます。
 そこで私へのお尋ねの第二点でありますが、司法行政事務の処理に関する現行制度について、こういうことなのでありますが、現行の司法制度におきましての司法行政は、御承知のように最高に最高裁判所がある。これは裁判所であつて、会議体で行政事務を行う、こういう形になつておりますが、この点につきましてまず申し上げたいのは、司法行政は司法権の行使に非常に直接かつ密接な関係があるものに限るべきである、こういうことを第一点に申し上げたいのであります。司法行政のことにつきましては裁判所の名において行われる、これに対していろいろとタッチをすると司法権を侵すようなことがあるのではないかという御遠慮からだと見ておりますが、国会は司法行政の点についてはなるたけ避けておられるのではないかと考えられる点があります。司法行政といいましても、司法権の行使に直接かつ密接な関係のある司法行政ならば、あるいはこれについていろいろな批判をするということは司法権の行使に侵害があるという議論が出るかもしれませんが、全然それと関係のない司法事務、たとえてみれば検察審査会の事務とかあるいは元の司法官試補、今の司法修習生の修習に関する事務などということは、大体において裁判所でやるべきことではないかと私は思います。こういう問題があるのでありまして、なるたけ行政は国会の監督を受くべきものであります。裁判所の名において行われたからといつて、それによつて監督がのがれられるという形であつては国民としては不満にたえないことである。この意味におきまして、司法権の行使に直接あるいは密接に関係のない行政事務はすべて裁判所の行政からはずす、こういうことが第一に必要であると私は考えるのであります。
 次に、この行政事務の行使を会議体でされておるのでありますが、会議体は諮問機関としては適当であるかもしれない、しかしながら、これが執行機関になるということは適当でないと考えるのであります。ある事柄がかかりましても、会議体の人はすべての人がそれについて十分な研究をしているかどうかは問題であります。あるいは研究したとしても、熱意なんかの問題――そこで一人が強硬に主張すると、それに雷同するという方が出がちなんであります。この点については、実際をあまり知らなくて申すのはいかがと思いますが、実際どれほど確実にこの行政がこの会議体の決議で行われるかということは疑問じやないかと思います。この会議体でやるということは、行政の尊ぶ迅速と臨機の措置ということはできないことは申し上げるまでもないところであります。こういうように申し上げますというと、司法行政の適当な行使、あるいはそれが情実に陥らない、へんぱにならないということのためにも必要であると言われるかもしれませんが、私は前に裁判所構成法時代のことを申し上げましたが、わが国の伝統上そういう心配はないじやないか、ちよつと疑心暗鬼に過ぎるのではないかと思うのであります。何か一つ影を自分でこしらえてそれにおびえて見ていると思うのであります。行政事務はやはり会議体では適当でないが、ただいまのところこれは大なる変革ということは望みがたいのでありますから、この司法行政だけは、各最高裁判所長官、高等裁判所長官、地方裁判所長、この長官において担当するということが必要であると考えるのであります。
 その点で御参考までに申し上げたいのでありますが、さきに構成法時代に、司法省は、裁判所と検事局、それに行刑の三つの部門を持つておつたわけでありますが、そこでさつき申した官房に、四課と、局が三つあつたにとどまるのであります。ところが現在の最高裁判所の機構を見ますと、事務総局に事務総長があり、その下に次長があり、秘書課、訟廷課、情報課という課がありまして、そのほかに局が七つあるのであります。この司法省時代の裁判所の一部、これは大体において監督関係はあまりできない関係にあるわけです。そのところにこういう厖大な行政機構を設けて置く必要があるかどうかは疑問であると思います。この点は皆さんよく御考察願いたいと思うのであります。しかもこの行政事務を担当している大体の人は、判事の身分を持つて行政事務にあたつている。判事と行政官とは区別さるべきものだ、判事の仕事の必要性から特別な高給まで設けられておりながら、これが行政事務に専任するということは、どうもわれわれ納得できない事柄であると思います。こういう事柄について十分な御配慮を願いたいと思います。
 その点はそれくらいにとどめまして、第三の上告制度及び最高裁判所の機構をいかにすべきかという点については、最高裁判所は国民生活に非常に重大な関係ある事件を十分掘り下げて、そしてしかも迅速に処理することが必要だと思うのであります。もう一つ、そのために現在の裁判所の人的構成でありますが、これは十五名のうち十名までは法律の専門家でありますが、その他の五名は必ずしも今まで法律の専門家であることを要しないということになつているのでありますが、これは私は違憲の審査をする最高裁判所としてはいい制度であるのみならず、違つたは空気を入れ、違つた思想を入れる意味においても必要であると私は考える。それでその人的構成はこれを別々にばらばらにしては意味をなさないのであります。外交の専門家であつた人にすぐ一人で司法裁判をやれといつてもこれは無理なわけであります。これをほかの専門の人と一体となつて混一して初めて働きができるのであります。その意味におきまして、私は小法廷は反対なのでありまして、大法廷に限るという考え方を持つております。大法廷一部で仕事をすべきである、かように考えるのであります。さように考えて参つて他方私は上告はやはり広く認める。さつき島田さんから述べられたように、法律違反のすべての場合に上告を認める、こういうようにしてほしいと考えます。すると無理な注文をいたしますので、そのためにはどういたしましても最高裁判所との間にやはり中間的な上告裁判所が必要になつて来る。かようになつて来るのでありまして、私はその意味におきまして東京高等裁判所に上告専門の部があつて、その部で元の大審院のような働きをする。最高裁判所は大体憲法違反の問題について処理する、こういう立場をとつて行つたらどうか。さように申しますと、これは四審制度になるのではないかという反対説があるのであります。なるほど形は四審になるのでありますが、私はその考え方をややこういうように組み合せて行けば大体四審になる場合が防げるのではないか、かように考えております。今申しましたように、法令違反のすべての場合に上告をすることができる。そういたしまして、東京高等裁判所の上告部で上告事件の審理をする。上告はすべて、東京高等裁判所の上告部に提出するのであります。そこで上告裁判所は次の場合に最高裁判所に事件を移送する。これを東京高等裁判所の上告部で、この事件は最高裁判所でやるのが適当であるというものを最高裁判所に移送させるという形にする。そうしますと、むちやな理由で最高裁判所へ行く事件を申し立てても、ここでスクリーニングができるのであります。その最高裁判所に送るのはどういう事件を送るかと言いますと、それは(イ)法律、命令、規則または処分が憲法に適合するかしないかの判断をしなければならないとき。(ロ)が憲法その他の法令の解釈適用についての意見が前に最高裁判所がした裁判に反するとき。(ハ)事件が重要であつて最高裁判所が処理するのが適当と認めたとき。この場合に、最高裁判所に事件を送致する。そしてこの事件について最高裁判所が判断をする、こういうことになります。また最高裁判所は、この移送を受けた事件のほかに、必要と認めたときは何どきでも高等裁判所その他下級の裁判所に係属している事件を送致させることができる、かようにいたします。これはお尋ねの中にありましたが、そういう形をとつて最高裁判所で第一審として裁判するのが適当であるということであれば、ただちに送致させてその仕事をする、かようにいたします。最高裁判所はそうすれば大法廷一つでいいのでありますが、そういう考え方からいたしますと十五名は多過ぎるのでありまして、七名か九名でよろしい。大体合議をするのに十五名以上の人があつて合議するのは無理であると考えるのでありまして、ほんとうに合理的にするなら七名か九名でいい。私はそういう上告制度の考え方をしているのであります。
 そこでお尋ねがありましたのですが、そのほかにちよつと申し上げたいのですが、最高裁判所の判事の任命方法なんでありますが、これは島田さんの仰せになつたことが非常にけつこうだろうと思うのであります。どういう人をその委員に持つて来るかということが非常に問題であるのであります。今度の裁判所法が発足するときにこういう選考委員会ができましたが、これは失敗であつたと思います。この点について非常に注意がいることだろうと思います。
 それから国民審査の問題でありますが、これはいろいろな考え方があつて、あるいはあつてもいいという考え方もできると思いますが、しかしどうも費用も非常にかかることであります。これがために司法事務について国民に知識を深めるということにもあまり役立たないようにも思います。これはやめて、私は最高裁判所の判事は任期制にした方がいいと思うのであります。任期も五年。ただいまのように任命してしまいますと、もう非常に問題があつてもその人がみずから進んでしりぞかぬ限りやめさせることはできない。裁判官をやめさせるということは大問題でありまして、これは避けなければならない。こういうことは任期制にして、任期が来たときにあらためてその人を再び任命するかどうかについて考えるならばそれで足りるのじやないかと考えるのでありまして、最高裁判所の判事の任期制、これは他の面におきまして司法行政の最高峯なんでありますが、行政というものはいろいろ時代とともに変転して行くのであります。進歩をはかるためにはその頭にある人はある程度かわるということが必要である。二十年も一ところにいるということは問題であると思うのでありまして、こういう意味において任期制が必要である。かように考えます。
#41
○林(信)委員 島田参考人にお伺いしたいのでありますが、刑事の上告制度に関連いたしまして、現在の上告審の実態とでもいうべき点に多く触れられたのでありますが、御説私らも非常にごもつともだと考えている一人なんであります。先生すでに言われますようにそれが適当でないからこの際何とかしなければならぬという御意見であろうと思うのであります。現行法の解釈は一応最高裁判所の処置を肯定するかのような規定であることも考えなければならぬと思う。しかしすでに御経験になりましたように、二審の判決自体には現われておらないけれども、一審の判決には現われた明らかなしかも重要な法令解釈を誤つた事実がある。そういうものは何とか上告裁判所の最高裁判所でこれを是正することが適当であろうと考えるのでありますけれども、それは現行刑事訴訟法の上告の規定に反するとし門前払いをする、こういうことでありますが、それが正しいとお考えになつてはおらないだろうと思う。それはどういう根拠であるのでありましようか。乏しい私の解釈よりいたしましても、四百五条は特に上告の範囲を、第二審の判決に対してという表現をしておる。そうしてそれは憲法の解釈に誤りがあること以外、内容的には最高裁の判例と反する判断をしたもの、もしくは最高裁判所の判例がない場合に、大審院もしくは上告裁判所たる高等裁判所の判例またはこの法律施行後の控訴裁判所たる高等裁判所の判例と相反する判断をしたもの、といつたような内容も含んでおるということ、なお四百六条では、お話のございましたように、法令の解釈に関する重要な事項を含むと認められる事件と表わしておりまして、基本的な四百五条が第二審の判決それ自体の含む内容という表現に比較いたしますれば、事件という言葉をもつてこれに充てております。事件全体のうちにさような部分を含んでおるならば、これはみずから上告裁判所がこれを取上げてよろしいというふうに考えられるのであります。さように解釈することを許されるといたしますならば、設例のような場合には、よろしく最高裁判所はこれらのものを取上げて、みずから裁判することが正しいと思うのであります。その他解釈上の根拠もあろうと存じますので、この点の御意見を承りたいのであります。
 重ねてこれに関連いたしまして、かような解釈を正しいとし、あるいは現行刑事訴訟法の持つ上告の制度の性格よりいたしまして、われわれは現在の最高裁判所のとつておる解釈及びその態度を是正せしめますについて、適当に考慮しなければならないかと思うのでありますが、これに対しましては、それなりにまだ検討すべき実態のいろいろのものがあろうかと思います。特にお話に出て参りました門前払い的なもののうち、ことに法令の解釈に関する重要な事項を含むと認められる事件関係を上告の理由とせられましたものが、たやすく門前払いをされているという実態、事件種あるいはその実例的な内容等を日弁連その他において御調査になり、一つの統計的なものでもございますならば、この際御教示を願いたいと思うのでありますが、そうでないといたしますれば、これはある程度の件数は政府当局にも求めることができると思うのでありますが、その内容的なものに至りますと、やはり訴訟に直接御関係になつた弁護士会に、最もその材料があるかと思うのでありますから、あらためて御収集くださいまして、われわれにお示しを願うことになれば、非常な参考になるのじやないか、かように考えるのでありますが、いかがなものでありましようか。おわかりにくかつたと思いますが、以上二点をお尋ねしてみたいと思います。
#42
○島田参考人 お答えいたします。御存じのように、刑事訴訟法の四百十一条には、「上告裁判所は、第四百五条各号に規定する事由がない場合であつても、左の事由があつて原判決を破棄しなければ著しく正義に反すると認めるときは、判決で原判決を破棄することができる。」こういうのがあります。でありますから、法令違反を上告の理由として出した場合に、最高裁判所がこれを破棄しなければ、著しく正義に反すると認めた場合には、破棄して自判するなり、あるいは下級審にさしもどすなり道は一応開けておるのでありますが、著しく正義に反すると認めるときはというので、これは権利でなくして最高裁判所の職権によつて調査する事項になつておるのであります。これにちようどとつてくれればいいのですが、これは四百十一条にあたると思うとこう書きましても、容易にそれはとつてもらえないのであります。著しくという言葉もありますし、弁護人、被告人の方では著しくと思つておつても、最高裁別所は著しくとは認めないということになりますと、四百十一条の職権発動にはならぬことになります。最近は、さきにも申しましたように、事件が輻湊して早く事件を片づけたいという考えで一生懸命にやつておられるように思われて、そこまで熱心に見てもらえないような気持がするのです。でありますから、法令違反ということを得きましても、これもほとんど望みないと見なければならぬのであります。私がさきに二つの理由を申し上げましたが、これなんぞは著しく正義に反するものだと思うのだけれども、最高裁判所はそうは見ない、こういうことになつております。だから法令違反ということが刑事訴訟法に上告理由として掲げてない以上は、これはどんなに上告理由とされていいと思うても、これが排斥されても法律上はいかんともいたしかたがない。でありますから、法令違反ということをどうしても上告理由にうたつておくのでなければ、この判例の矛盾を是正することはとうていできない、こういうことになります。そういうわけでありますから、私は法令違反ということを上告の理由にすることを、どうしてもやつていただかなければならぬ、こう思うわけであります。
 それから、そういうような実例があるか、その統計でもあればということでありますが、これは上告棄却の決定通知を送達するようになつたのはごく最近のことで、私の経験では、ことしの一月、二月ごろではないかと思うておるのですが、あるいは前からやつておつたのかもしれません。近ごろ弁護士の仲間でも、えらいことを最高裁判所がやり出したということで、最近これが問題になつておるようなわけであります。それで上告棄却の決定通知をした内容には、もちろん全然理由のないものもあると思いますが、中には非常に憤慨しておる弁護士にも、私はしばしば出会つておるのでありますが、統計はまだとつておりません。今お話でもありますし、私自身もこれはみんなに聞いて内容を明らかにしておきたい。あるいは決定なり、あるいは判決を取寄せておきたいと思つておるのでありまして、これは弁護士連合会の方でも全国に通達して内容を検討してみたいと思います。でき次第お手元へ差上げるようになると思いますから、しばらくお待ちを願いたいと思います。
#43
○林(信)委員 坂野さんにお伺いしますが、最高裁判所の裁判官の任命は、私らが当面しておる機構改革の問題ですが、一口に言いまして最高裁判所裁判官の任期制という御提議で、ちよつと目新しく感じておるのでありますが、それは言うまでもなく裁判官の憲法で保障されております終身官としての地位は動かすことなく、最高裁判所の裁判官を任期が来てよせば、その他の裁判所の裁判官に任期が移つて行くということが前提あるいは付随の御解釈ですか。それとも任期制で任期が来ればそのときに資格が喪失するという現行法通りの解釈でございましようか。あるいは全然別の立法例関係になるのでございましようか。その点について伺たい。
#44
○坂野参考人 私の考え方は、五年たつと資格を失つて判事ではなくなるということであつて、下の判事になるというわけではないのであります。下級裁判所の判事と最高裁判所の判事とは身分が違うだろうと思います。別に任用されれば別でありますが、最高裁判所の判事の身分を失えば下級裁判所の判事たる資格もなく、そのまま続くものではないという考え方でありますが、これは終身官であるというものの考え方もあります。最高裁判所の判事は国民審査の関係もあつて、どうしてもこれは憲法改正と同じような議論になる問題で、現在の憲法のもとにおきましては、まだそれはできない。国民審査の改正も憲法に関係することであるから、その改正と同時にそういう憲法の条項に入つて行くべきものだ、かように申し上げた次第であります。
#45
○小林委員長 それではどうも両参考人には、まことに御多忙のところ長い時間ありがとうございました。厚く御礼を申し上げます。
 本日はこの程度にとどめまして、明日は午前十時から開会することといたし、これにて散会いたします。
    午後三時四十四分散会
ソース: 国立国会図書館
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