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1953/08/03 第19回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第7号
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1953/08/03 第19回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第7号

#1
第019回国会 法務委員会上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会 第7号
昭和二十九年八月三日(火曜日)
    午前十時四十八分開議
 出席小委員
  上訴制度に関する小委員会
   小委員長 小林かなえ君
      鍛冶 良作君    佐瀬 昌三君
      林  信雄君    高橋 禎一君
      古屋 貞雄君    井伊 誠一君
  違憲訴訟に関する小委員会
   小委員長 佐瀬 昌三君
      押谷 富三君    小林かなえ君
      吉田  安君    猪俣 浩三君
 小委員外の出席者
        参  考  人
        (最高検察庁検
        事)      安平 政吉君
        参  考  人
        (東京地方検察
        庁検事)    天野 武一君
        参  考  人
        (簡易裁判所判
        事)      駒田 重義君
        専  門  員 村  教三君
        専  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 上訴制度及び違憲訴訟に関する件
    ―――――――――――――
  〔小林上訴制度に関する小委員会小委員長委
  員長席に着く〕
#2
○小林委員長 これより上訴制度に関する調査小委員会及び違憲訴訟に関する小委員会連合会を開会いたします。
 本日は参考人として、午前は安平政吉君及び天野武一君、午後は駒田重義君よりそれぞれ御意見を承ることといたしたいと存じます。参考人各位におかれましては、酷暑の際御多忙中にもかかわらずわざわざ本委員会のために御出席くださいましてありがたくお礼を申し上げます。
 当委員会におきましては、さきに刑事訴訟法の一部を改正する法律案を審議いたしましたし、また第十九国会におきましては民事訴訟法の一部を改正する法律案を審議いたしたのでありますが、これらの審査にあたりまして、わが国の上訴制度及び違憲訴訟の裁判の取扱いはさらに考うべきものがあるではないか、また最高裁の機構問題等についても十分考究を要する必要があるということを感じまして、ここに二つの小委員会を設けて継続審査をいたしておる次第でありますが、七月は五日より十日まで十四人の参考人よりそれぞれ意見を聴取いたしたのであります。今月もまた引続いてこの連合会を開いてその調査を進めており、一日も早く結論を得たいと考えておりますので、参考人におかせられましても、平素の御経験、御研究に基きまして御忌憚なき御意見をお述べいただければ幸いと存ずる次第であります。これらの問題に関する全般について御意見を承るのでありますが、特に
 一、民刑事を通じ現行上訴制度に対する改革意見がございますならば述べていただきたい。
 二、最高裁判所の組織、機構に関する御意見はいかがであろうか。
 三、検事上訴、附帯上訴についての御所見はいかがであるか等に触れてお述べ願えれば幸いだと存じます。
 それではまず安平参考人からお願いをいたします。安平参考人。
#3
○安平参考人 それでは私からはなはだ僣越でありますが、意見を申し述べます。順序といたしまして第一問の方から先に述べるのが相当でありますが、都合上第二の最高裁判所の組織、機構に関する所見いかん、この点から所見を少し述べてみたいと思うのであります。
 この最高裁判所の機構をどう改正するかにつきましては、各立場の相違並びに観察の重点をどこに置くかによりまして種々見解の相違を来すのはやむを得ないのであります。そこにまず何よりも検討を加えなければならないと存じます一点は、一体今次の改正は主として現在までに停滞している刑事事件の早急的な処置、こういう点に重点が置かれておるのでありましようか。それともこれを契機として、将来においてもかような事態を繰返させしめないよう、しかも今後のわが国の実情にぴつたりと即応した適正の制度あるいは体制を整えるについてはどうしたらいいか。あとの方はいわば理想案、前の方は現実論でありますが、どつちに重点を置いて改正の考え方を通めて行くべきであるかということによつて相当に結論に隔たりを生じて参るのであります。私は過去数年間最高裁判所ができました当初から最高検察庁の公判で公判部長としてその経過を見ておりますので、さしあたつて応急対策の見地からどうすればいいか、これが当面の話題にされておるように存じますので、この方面から意見を述べて、あとで理想案と称すべきものにつきまして若干の見通しを述べたいと思うのであります。
 そこで現実に停滞している事件を処理するについては最高裁判所の組織をどうすればいいか、この点から意見を述べさせていただきますが、私は新制度が確立されましてからずつと最高裁判所の刑事公判廷を見ておりますが、実に事件が停滞いたしまして、害を受けたいわば被害者と申す者の第一線に立たされて参りまして、非常に苦慮いたしておる一人であります。この事件がここに停滞するに至りました所見につきましては、詳しく述べる必要はありませんが、ともかくもここ一年来最高裁判所におけるところの、そのうちの刑事裁判でありますが、これが結審され、言い渡された数は相当な数でありました。昨年あたりかれこれ一万件に近いおびただしい事件が結審され、それから判決言い渡しになつておるのでありまして、現存は大体三千件程度しか残つていないように思うのでありますけれども、しかしながらこれら下されました判決あるいは決定、そういう裁判の内容を検討いたして参りますると、これはきわめて軽微にあらずんば、あえてこういうような裁判ならば最高裁判所の判断をまつまでもなく、これは下級審でりつぱにやれるというような案件が圧倒的の数を占めておるのでありまして、なされました大体八〇%はおろか九〇%、いなそれ以上の裁判というものは、実に最高裁判所としてはお気の毒のような事件が多いのであります。これに反しまして、どうしても最高裁判所によつて裁判が下されなければならない、その判例を指折り数えて毎日待つておりますような重要な案件、ことに大法廷に係属中の事件につきましては依然として裁判は遅々たるものであります。そのあまりにモーシヨンがおそいのに、実は下級の事件を処理する上において困つておるのであります。最高裁判所の裁判官閣下のお話を聞きますと、われわれは実に労力のあらゆる限りを尽して裁判しているのであるけれども、何しろこういう雑事件が多い、その雑事件の方に手を費やされて、かんじんかなめの重大なる裁判をすることができない、こういうことをおつしやるのであります。かように考えて参りますと、どうしても最高裁判所の本来の姿において重要なる案件をびしびしと裁判してもらわなければならぬということになりますと、それにはまず何よりもかような雑事件に貴重な頭脳の持主であるところの最高裁判所裁判官が時間を奪われないように、ひとつ考えて行かなければならぬということになつて参るのであります。
 かように考えて参りますと、最高裁判所の上告事件というものは、いわゆるスクリーニングというものを設けまして、その上告事件は一応スクリーニングの方に送り込んで、そこで比較的軽微なものはこれは書面審理で足りる、その他明白にその理由がない、こういうことが明らかになりました事件はどしどしそこで落して、その中で、これはなるほど重大であるからひとつ最高裁判所へまわして審判を仰がなければならぬ、そういうような事件を最高裁判所に送り込むという仕組みにすることか、当面の上告審制度というものの本来の機能を発揮せしめる一番手取り早く、しかも重要にして不可避の一つの措置であろうと思うのであります。ただ問題はそれではそう言うスクリーニング、これをいずこに置くかということが問題になつて参るのでありますけれども、順序あるいは理論から申せば、これは最高裁判所のある部門に置くという一つの考え方もありましようが、いろいろの理由におきまして、実際問題としては、一部の識者も申しております通り、スクリーニングというものは、かりに東京の高等裁判所あたりに上告受理部というものを設けて、そこでひとまず審理をいたしまして、しかる後にその審理を経て重要なるものを最高裁判所へ送り込むというのが、実際として一番明確な解決方法ではないか、かように思慮するのであります。もつともかような制度に対しましては、一部の人は、それはけしからぬ、順序から申しても、上告審というものを元の高等裁判所に送り込むということは筋合いとしても不都合であるし、また実際としてはそういうことにすると四審制度になる、これは遅延に重ぬるに遅延をもつてすることとなつて、とうていそれでは目的を達することができないというような反対論もありますけれども、こまかいことは本日は省略いたしておきますが、実際問題としては、最高裁判所にスクリーニングを設けるよりも、むしろ東京高等裁判所にスクリーニングを設ける方が、実際的に事件を処理する上において手取り早い、かつ好結果をもたらす、こういう考えを持つておるのであります。
 その次に、今度は最高裁判所のあり方につきまして、そういう今たまつておる事件の早急的解決ということではなくして、真にわが国の実情に適応した恒久的対策を確立するという見地に立つて、一種の理想案とも申すものに一書触れておきたいと思うのであります。この点につきまして思い当りますことは、今までわが国の最高裁判所に上告事件としてたくさんの事件が係属になりましたが、被告人側なり、訴訟当事者が最高裁判所に真にその裁判を仰がんとして求めておるところのものば何かということであります。申すまでもなく今の制度では、最高裁判所は憲法裁判所でありまして、判例の統一を確保する裁判と称せられておりますけれども、真に憲法問題などと称せらるべき事件は、そんなに多くはあるべきはずのものではありません。従来訴訟当事者がいわゆる違憲、すなわち憲法違反として上告した事件の多くを、その内部に深入りして考察いたしますならば、その多くは、実質的に見まして、一つには一審、二審の量刑はまだ当を得ないという、その量刑の不当であるとか、あるいは事実の誤認、実際真に最高裁判所によつて是正されんことを望む最後の目標というものは、事実の誤認であるというような問題、さなくば一般法令の解釈問題に対する最後的、最高裁判所の断案をひとつ仰ぎたい、大体こういう三つのものが重きをなしておりまして、真に憲法違反の線に触れておるものはきわめて少い。しかしながらこの求めたいところの量刑及び事実誤認の問題を、何といたしましても真正面から上告審に送り込むということは、今の訴訟法のもとにおいてはできない相談である。そこでそれ基本的人権の侵害であるとか、そういうふうに無理やりに何とか憲法の線に触れて来るようにりくつを少しつけ加えまして、それを上告審に送り込んでおるというのが、多くのケースの偽らざる姿であるのであります。でありますからして、将来におけるところの最高裁判所のあり方といたしましては、形式上は憲法裁判所でありましても、その実質はやはり一般法令の適用、解釈に関する最後的判断を下す点に求めなければならないと思料いたすのであります。やはり国民一般が最高裁判所によつてすがつて来るのは、帰するところ、法律解釈の重要なる事項に関する最も権威ある最高裁判所裁判官の判断を仰ぎたい、これがおそらく今後もねらつて来るところの事件の核心であろう。かように思料いたすのであります。かくのごとき見地より、将来の刑事訴訟法におきまして、現在の刑事訴訟法の四百六条に認めておりますような、いわゆる事件受理の申立てと称しております法律解釈に関する重要なる事項ということ、これが真正面に上告理由として取上げられるというようなことになりますれば、どうしても刑事事件というものは若干ふえて参る。そういう玄関口が今二本建になつておりますのを、半分間口を開いております。それを正確に取上げますと、どうしても事件としては多少ふえて参ります。かように考えてみますと、将来は民事なりと刑事なりとを問わず、この種の上告事件は多少ふえて参ることは疑いないのであります。それに対応する一つの処置といたしまして、最高裁判所の将来の構成としては、かりに私の考えでは、大別して大法廷とそれから小法廷との二つにわけまして、小法廷は民事――この中には行政事件も含むのであります。民事の小法廷と、それから刑事の小法廷とにわけまして、かりに民事、すなわち行政を含んだ小法廷を三つといたしますと、刑事も三つ、それから各小法廷は裁判官は大体五人の程度をもつて構成しまして、うち少くとも三人程度は、これは今の認証官、そのうちの二人くらいは普通の裁判官でよいのではないか。そうしますと、かりに五人構成としますと、六つの小法廷でありますからして、三十人の人がいる。但し三十人全部認証官というようなことはちよつと今日のわが国の情報では当を得ませんので、そのうちの十五人の程度は現在の認証官、その他は普通の者、但しかようにいたしますと、同じ最高裁判所の裁判官の中に、片一方は認証官であつて、片一方は認証官でない、そういうことは裁判をする上に不都合ではないかという反対もありますけれども、裁判官として裁判をする上においては少しもかわらない。ただ国家としての待遇が、身分の上においては少し違う点がありますが、かような点は旧大審院時代においては勅任官である判事とそうでない判事があつた。いな憲法判事と称せられる者は勅任官でも何でもないのであつて、それでも裁判に連なつて他の一般の勅任の裁判官と同等の裁判をしておつた歴史が数十年も続いておつて、不都合はなかつたのであります。かように考えてみますと、かような非難は当らないと思うのであります。そうして各小法廷の部員の中から一名あるいは二名程度代表を出しまして、大法廷において違憲訴訟、それから判例の統一に関する今の大法廷の機能を演ずる。こういうことになるのでありまして、そこで大法廷の構成は、かりに二人ずつ代表を出しますと、そのほかに最高裁判所の長官を加えて十三人の構成になる。もし各小法廷から一人ずつ出すことになりますれば六人、それに最高裁判所長官と合せて七名、七名がよいか、十三名がよいか問題でありますが、ともかく小法廷の一名あるいは二名の者を代表として大法廷を構成する、その大法廷において違憲訴訟、それから判例の統一に関する点を吟味する。こういうふうに大体考えております、以上が第二問の上告審の、あるいは上告裁判所の機構並びに上告理由をどうするかというに点関する意見であります。
 その次に簡単に第一の民刑事を通じて現行上訴訟制度に対する改革意見があるならばという点を一、二かいつまんで申し上げますが、その中の一つといたしまして現在の第二審、すなわち控訴審をいま少しく間口あるいは事実の取調べをする範囲を広めて、民事訴訟などにおいて継続審程度に改めてはどうかという考え方があるのであります。ただし刑事におきましては、事実の認定ということが何としても中心をなすのでありますから、事実の認定がきまれば、あとの法律問題は大したことはない。ところが今では簡易裁判所というようなものもありますし、裁判官必ずしもみな賢明ではありませんので、一審の裁判が欠陥がないとは申されません。そこで再審査という問題が起るのであるけれども、現在の控訴審制度というものはいわゆる事後審制度というものをとつておる。もつとも刑訴二百九十三条というような制度が設けられておりますけれども、これも間口が狭い。もう少し調査範囲を広めて行く意味において継続審制度をとつたらどうかという意見もあるのでありますが、私としてはこれは反対であります。そういう継続審を必ずしもとる必要がない。何となれば、ついこの間改正になりました刑事訴訟法の一部改正におきましては、実質上継続審に近いような購実の取調べに関する範囲も相当程度緩和して広げておるのであります。今の制度の運用よろしきを得ますならば、実質的にはほとんど継続審に近いような審理ぶりをいたすこともできるのでありますから、この上その間口を広げるということは、これは覆審制度になるのであります。こういうようなことは現行刑事訴訟法の制度と根本的に合致しない。いな、あとで天野参考人からも報告されると思いますが、下級審なんかにおきましては刑事訴訟は大体第一審に重点を置いて、そこでけりをつけてもらいたいというようなことが相当に強い要望にさえなつておるのであります。そういう意見におきまして、控訴審制度は現在の制度で大体いい、こういう考えを持つておるのであります。それよりかも検察官のわれわれとしてひとつ手を下していただきたいと思いますのは、かのいわゆる不利益変更禁止の原則という点でありますが、御承知のごとく現在の刑事訴訟法、これは旧刑事訴訟法以来終始一貫しておるのでありますが、被告人があるいは被告人のために上訴した訴訟事件においては、原判決の刑より庫い刑を言い渡すことができない、不利益の変更をすることが許されないという原則が依然として今日も支配しておるのであります。さようでありますので、少し時間と余裕のある被告人から不服のある限り、控訴はしりぞく、上訴はしりぞく、たといあとでその審理の経過によつて事案が不利になりましても、第一審より重く変更することは許されぬということになつておるのであります。これは正義観念から申すとはなはだつじつまの合わない一つの制度であります。また現に、被舌人からたとえば事実誤認があるというので控訴しておりまして、だんだんと調べて行くと、だんだん事案が悪くなつて来る、犯情が悪いというような事情も明らかになる場合もあるのであります。その場合に刑罰は依然として第一審よりも不利益に変更することができないということになれば、第二審の裁判官はみすみす不正義ということを知りながらも真実に合致しないところの刑罰を宣告しなければならぬ、こういう不都合に至るのであります。それからいま一つは上訴の乱用というものを防止する、二つの見地からいたしまして、これはなかなか国民皆さんの承認を得ることは実際困難な問題で、急に立法されようとは思つておりませんが、ただ理想といたしましては不利益変更禁止の原則というものは今日相当に再検討し、再批判をなすべき制度ではないか、こういう見解を持つております。
 それから上訴制度に関しましていま一言触れておきたく思いますことは、御質問になつております第三の附帯上訴についての所見いかんという点であります。この附帯上訴、これは旧刑事訴訟法におきましては附帯上訴も附帯上告も認めておつたのでありますが、いろいろな理由からして上訴期間を相当長く認められておるのであるから、検事はその間に不服があるならば真正面の控訴あるいは上告をしておけばいいので、そのほかに附帯上訴などというものを認めて、時と場合によればそれを少し曲げて上訴取下げの一つの道具にするというようなのはけしからぬ、そういう理由からして附帯上訴制度というものが廃止になつておつたのでありますが、その後新刑訴を運用してみますと、少くとも上訴の中で第二審の控訴に関しましては、附帯控訴を認める実益あるいは必要のある場合が相当出て参つた。たとえば殺人ならば殺人未遂というような事件について、事実誤認があるというので控訴してだんだん調べておりますと、それは未遂ではない、その後被害者が死んでしまつておるではないかという事実が発覚しますと、これはどうしても既遂みたいに見えて来るのでありますが、そういうのはとにかく事後の調査におきまして犯情が少しかわつて来たというような場合におきましては、これはどうしても刑罰を少しかえてもらわなければなりませんので、そういうような案件におきましては少くとも附帯控訴というものはわれわれの方から見ますと実益がある、必要がある。これもお許しが願えますればそういう制度を復活せしめてもらつたらいいと思うが、しいてこれは主張いたしません。ただその制度を置く必要があるかどうか、こういう御質問でありますならば、われわれは少くとも控訴の程度におきましては実益がある、必要もある、こういう意見を持つておるのであります。
 その他違憲訴訟とかそういうような点につきましては相当述べたいのでありますが、あとにまだ参考人の方も控えられておりますので、私はこの程度にしておきます。
#4
○小林委員長 あとで質疑を許したいと思いますから、少しお待ちを願います。
 それでは天野参考人にお願いします。
#5
○天野参考人 東京地方検察庁で公判部長の仕事をしております天野であります。御通知をいただきました質問事項は四つございますが、第一線の検察庁におります者といたしまして、この一の刑事に関する現行上訴制度に対する改革意見を三の検事上訴、附帯上訴についての所見ということに関連せしめて申し上げるということでとどめたい、かように存じます。もとより大して意見があるわけではございません。かつこれから申し上げますことは、東京地検全体の公の意見ではないのでありまして、まつたく私一個が仲間の検事いろいろ話し合つておる程度の意見であるということをお含みおき願いたい、かように存じます。
 そこでまず第一に、私は現行の刑事訴訟法がとつておる主義は、第一審中心主義といいますか、第一審重点主義である、かように考えます。これはたとえば控訴審を事後審としておる点から見ましても明らかであると存ずるのでありまして、第一審におきましては当事者主義を徹底させて慎重に審理を尽す、そうして当事者は十分に攻撃防禦を尽すことができるようにできているのでありまして、控訴審におきましてはこの第一審が軽んぜられることのないようにということで、事後審的な構造を持つておるというふうに私ども理解してこれに臨んでおるわけでございます。この第一審中心主義、第一審重点主義は、訴訟経済の上からいつてきわめて必要であるということは申し上げるまでもございませんし、第一審で当事者の納得の行くりつぱな裁判がなされるとすれば、世上憂えられておるような、みだりに上訴が行われるということはないであろう、かように考えられるわけであります。従いまして最高裁判所の現在とつておられる方針としましても一審の強化ということがあるようでございますし、裁判官の人事などにおきましてもその努力がなされておることが見受けられる次第でございます。私は上級裁判所の充実強化ということが考えられるよりも、むしろ第一審の充実強化が必要であるということをしみじみと考えておる一人でございますが、しかしまた問題は、このような第一審の充実強化がどのぐらいその実現を期待できるかという点に問題があろうかと存ずるのであります。実は昨日偶然の機会でありましたが、私がきわめて信じ得る方から伺つたところによりますと全国の第一審の裁判の中で四五%は簡易裁判所によつてなされておる。それから残る五三%は地方裁判所の単独部によつて行われておる。従いまして地方裁判所の合議部によつて行われている第一番裁判はわずかに二%にすぎないということを教えられました。私は単独部が必ずしも合議部より劣るとは決して思つておりませんし、これはもつぱらその裁判に当られる裁判官次第であるというふうに考えておりますが、また他面被告人の身になつてみますと、あるいは単独の判事の裁判がたよりなくて、これに不服で控訴するというようなことが行われやすいということも考えられろと思います。しかし私は単独部と会談部の場合どつちの方に控訴が多く行われるかという統計資料を実は今ここに持つておりませんので、今後調査したいと思つておりますが、少くとも私ども検事の側といたしましては、今日の東京の地方裁判所の単独部の裁判が合議部よりも劣つているとは決して考えておりません。そこでいずれにいたしましても、検事ば被告人と相対する当事者の一人といたしまして、第一審裁判がどういうふうに行われるかということについては重大な関心を持たざるを得ないわけであります。第二審の裁判か正しくりつぱに行われるということを最も強く希望しているのは、当事者の一人として当然のことであろうと思います。検事は決して上訴、控訴ということを好むものではないのでございます。当然のことでありまするが、事件が第一審限りで確定するということであればこんないいことはないということを常に考えております。従いましてこの控訴申立ての理由というよりなものも、現行の刑事控訴法が規定している程度を越えてこれを広げてもらいたいということは私は考えておりません。従いましてまた私は検事の側で乱上訴すなわちむやみな検事控訴は行つていないつもりであります。従いまして控訴の理由を現行刑訴以上に広げるということは必要ないと考えると同時に、またこれをこれ以上しぼる必要もない、かように考えております。
 かような席であるいは申すほどのことではないかも存じませんが、私どもが検事控訴する場合にどういうような慎重な態度をとつているかという内輪話でありますが、それを実はごひろう申し上げますると、ここにある判決の言い渡しがございます。それが無罪だ、あるいは検事の考えておつた求刑より非常に差がついた軽い裁判であるということがあるとします。そうしますとその公判に立ち会つておりました検事は自分の判断によつてそれを公判部長のところに報告に参ります。そして自分の意見を加えます。その検事はこれは無罪でもしかたがない、あるいはこういう軽い判決でもしかたがない、納得すべきであるという意見を伝えることもあるし、あるいはこれはどうも自分では判断がつかぬ、ひとつ考えていただきたいということを申し出ます。それで部長の方でこれは考えるべきであるということになりますと、部長の手元においてその公判に立ち会つた検事でないほかの検事を一人――これを私どもの方で審査検事と申しておりますが、審査検事を命じまして、その事件について控訴期間内に詳細な調査をさせます。つまり全然新しい角度からその事件を見直すということをいたします。そして記録を検討し、判決を検討し、証拠物を検討するわけでありますが、かようにして審査検事が資料を整理いたしますと、今度はそれを公判部全検事の前にひろういたします。そして私どもはそれをいろいろな角度から議論いたしまして、これはやはり控訴した方がいい、あるいはそれは控訴すべきではないということを甲論乙駁いたします。それで一応の公判部の結論というものを出しまして、それを検事正なり次席検事のところに持つて行まして、もう一度そこでレビユーいたします。そしてそこでもなおこれは控訴すべきであるということになりますと、初めてそれを持つて高等検察庁に参ります。そして高等検察庁の検事の意見をそこで聞きます。それで最終的にいよいよそれじや控訴していいということになりますと、初めてそこで控訴の申立てをするというふうにいたしております。従いましていろいろの議論を経ますので、立ち会つた検事が、控訴すべきであるという意見を私のところに持つて来ましたものでも非常にふるいにかけられまして、わずかなものが控訴ということで立つて行くということになるのであります。
 このように検討に検討を重ねて検事控訴を行うというその理由は、申すまでもなく控訴ということは何と言いましても多くの犠牲を伴い負担がかかる。そこでできるだけ第一審の裁判を信用したいためにほかならないのであります。その検事控訴の結果、こういう統計的な結果が出て来るかということを実はここに数字を持つておりますが、プリントができておりませんのでおき聞流しを願いたいと存じますが、御参考までに申し上げますと、昨二十八年度におきまして東京地方裁判所で第一審として言い渡しました四千五十五件の裁判がごいますすが、この四千五十五件の中で検事が控訴を申し立てたものはただの五十五件、つまり四千五十五件に対してわずかに一・四%でございます。それから被告人の方で控訴を申し立てたものは八百十八件であります。四千五十五件に対しますと二〇・二%ということになります。それから弁護人の方で控訴を申し立てたものは百八十件で、四千五十五件に対しまして四・四であります。それから被告人も控訴するし弁護人も控訴する、両方で控訴するというものが八十九件、四千五十五件に対しまして二・二%になります。そうしますと被告人、弁護人、それから被告人と弁護人の両方、つまり被告側の方で控訴したものが合計して千八十七件、全体の二七%の控訴申立てということになります。あと残りは被告人も控訴するし弁護人も控訴する、検事の方も控訴するということになりますが、それが二十六件で、全体の六%ということになりますが、この数で見ますと大体被告人と弁護人側の合計が千八十七件に対しまして検察官の方の控訴は五十五件、比率にしますと二百七十対十四ということになります。
 控訴の率はこの通りであるといたしまして、これが実質的に控訴審でどういう裁判を受けることになるか、つまり控訴審で破棄される率はどのくらいかということを見ますと、これはいろいろ裁判所の方からも御説明になり資料も御提出があつたことかと思いますが試みに申し上げますと、この二十八年の統計では、ただいまの四千五十五件の控訴の中で破棄されたものはわずかに百八十二件でございますから一五・六%ということになります。控訴棄却になつたものは全部で五百二十八件ございまして、この中で検察官の方から控訴した先ほど申した五十五件のうち、控訴審で控訴棄却につまり門前払いを食いましたものは十一件であります。検事の五十五件の控訴に対して十一件と申しますと、二〇%は控訴棄却になつたということになります。それから被告人の控訴八百十八件ということを先ほど申しましたが、八百十八件のうち控訴棄却になりましたものは三百七十一件であります。これは八百十八件に対しまして四五%ということになります。それから弁護人の控訴、これが百八十件ということを先ほど申しましたが、このうち控訴棄却になりましたものが四十四件でありまして、二四%は控訴棄却になつておるということになります。それから被告人と弁護人と両方のものが、これは八十九件と先ほど申しましたが、そのうち控訴棄却になりましたものが三十八件でありまして、四三%は控訴棄却になつたということになります。この被告人あるいは弁護人あるいはその両方の控訴申立てのうちで、控訴棄却になりましたものは合計しますと四百五十三件となります。この四百五十三件は先ほどの千八十七件に対しまして四二〃、つまり被告人、弁護人あるいは被告人、弁護人の両方の控訴したもののうち四二%は控訴審で控訴棄却になり、検察官の場合には、控訴棄却になつたものは二〇%にとどまる、こういうことになります。そのほか被告人あるいは弁護人それから検察官の両方の控訴が二十六件あると申しましたが、そのうちで控訴棄却になりましたものが十七件で六五%、これは非常に高い率を示しております。
 今のは控訴棄却でありますが、このほかに、被告人や弁護人の方で一旦控訴しておきながら、あとで取下げる場合が相当ございます。二十八年度は、被告人の坂下げたものが八十六件、弁護人の取下げたものが四件、被告人弁護人両方で取下げたものが二件、合計九十二件となつております。坂下げと控訴棄却を加えますと、被告人の側の方は五百三十四件であります。被告からの千八十七件の約五〇%がこのようになつておるということになります。従いまして控訴で破棄される率というものは非常に低率であるということになるのであります。すなわち被告人の控訴のうち破棄されるのは九十九件、弁護人控訴のうち四十四件、被告人弁護人両方で十七件、合せますと百六十件であります。この百六十件は、先ほどの被告人の側の控訴千八十七件に対しまして一五%にしかなりません。これに対しまして検察官の控訴にかかるものの比率は二十八年度は三三%でありまして、検察官の場合の方が非常に主張の通ることか多いということになるのであります。以上は検察官が上訴を慎重にやつているというあたりまえのことを実証的に申し上げたわけでございますが、上訴制度というものがこの委員会で問題となつておるのは何ゆえかということを私ども考えました結果、これは乱上訴、つまりみだりな上訴が現状として行われておるということを前提として、上訴を制限すべきじやないかどうかというところに問題点があるからであろう、かように考えました。そこで、どうして乱上訴が行われるかということにつきまして考えますと、この点についてはすでに御承知と存じますが、最高裁の田中長官の論文がございます。これはすでに法務省の民事局の方からお配り申し上げてある資料の中にあるそうでありますから、その詳細を引用することを差控えますけれども、そこに書いてございますうち大体四つの点をごくかいつまんで申すと、一つは、日本では大陸法主義に従つて上級審における不利益変更の禁止の制度がとられているから上訴審において原審裁判より刑が軽くなることはあつても重くなる心配はないということがあつて、だから控訴が非常に多い。あるいは上訴して事件を引延ばしている間に起るその後の事情の変更により、利益を受ける可能性が期待できる。たとえば損害賠償ができるようになるとか、あるいはきわめてまれなことでありましようが大赦とかあるいは犯罪後の法令による刑の廃止、変更ということがあることによりまして、あるいは免訴、あるいは刑の軽減の利益を受けることがないとはしないということが一つ言われておりますし、それから第三番目には、控訴審においては刑の量定が第一審よりも軽くなる傾向がないとはしないのだ、というのは、犯罪のときから時間的な隔たりもあるし、犯罪のなまなましい印象が次第に薄らいでおるし、それから世間の興奮も静まつておる等の理由がある。そのためにやはり控訴ということがあり得る。それから第四としましては、被告人が刑の執行を受ける時期を選択する意図のもとに上訴をすることがあり得るのだということまで長官は申しておられますが、そういうようなこの四つのことは、いずれも当つておるだろうと思います。しかしながら人も言われるように、人情の常といたしまして、法律上控訴とか上告とかいうことが権利として認められている限りは、ただいま安平参考人もおつしやつたように、何とかりくつをつけてこれを上訴する。そうしてぎりぎりまで争つて打開の道を開こうとするのは一面無理からぬことであろう、従つて一概にこれを非難し去ることは私どもできないと考えます。せれならばこの乱上訴を防ぐ正当な方法としては何が考えられるだろうか。それについては最高裁の田中長官の主張されるように、現在の刑事訴訟法の四百三条の不利益変更禁止の規定をとることだ、これができれば最も効果的だろうということは、私すらも考えます。すなわち控訴審の裁判をいやしくも被告人が信用して、そうして控訴審が正しい裁判をするんだということを信用して控訴を申し立てる限りは、あるいは被告人は一審よりも重い刑を言い渡されるかもしれない、そういう危険を負担するのは当然だというようなこと、それからそうすることによつて理由のない控訴が制限され、裁判も事件が制限されて迅速になると、どんどん控訴の裁判がはかどるということになりますから、みだりな控訴による引延ばし戦術も自然なくなるのではないかといりように存ずるのであります。そこでお手元に本日お配り申しました一枚紙のものがございます、これは昭和二十八年十一月五日から二十九年六月三十日までの第一審――東京地方裁判所の例でございますが、裁判の確定に関する調査でございます。これは先般の国会で刑事訴訟法の一部改正によりまして、三百五十九条以降で上訴を放棄する道が開かれた、この改正規定の施行の日から本年六月末までをとりまして、その間に上訴放棄がどのように行われて来たかという状況を参考までにお示ししたものでございます。これについてちよつと御説明申し上げますと、昨年の十一月五日、規定改正以降本年六月三十月までに判決の言い渡しがありましたのが、全部で三千二十件、そのうち実刑の言い渡しかあつたものが千四百六件執行猶予のつきますものが千四百五十三件で、全体の四六・五%、その他――とその他と申しますのは、ここに、こまかく書いておりますが、求刑が死刑で判決が無期、あるいは有期の懲役及び無期を求刑したが有期になつた、体刑を求刑して判決が罰金である、それから求刑も判決も罰金だというようなものをいいますが、これが百九十四件で、わずかに六・二%であります。この中で一審の実刑が検事の求刑通りというのか四百三十一件で、一三・八%、求刑の三分の二以上のものが七百二十件で二三・〇%、求刑の半分以上の量刑のあつたものが二百十九件で七%、それから求刑の二分の一以下の非常に軽い実刑の言い渡しがあつたものが三十六件で、これは非常に少く一・一%であります。執行猶予の方を見ますと、執行猶予のついておるものが、その元の刑の方は求刑通りの刑であるというのが九百五十八件、三〇・七%、それから元の刑を三分の二以上のところで量刑しておるが執行猶予がついておるというのが三百八十二件、一二・二%、同じく求刑の二分の一以上の刑でもつて執行猶予をつけたのが九十六件で三%、以下ここにございますような数字になります。こういうような判決の言い渡しがあつたものを新しい規定によつて被告人の方で上訴権を放棄したものはどのくらいあるか、つまり控訴期間内に上訴権を積極的に放棄したものであります。それが四百二十七件であります。この四百二十七件の内訳を見ますと、求刑通りの実刑の言い渡しがあつたものについて百三十二件放棄しております。このうち(三)と書いてありますのは検事の求刑以上に重い判決があつたものであります。それについて被告人の方で上訴権を放棄しておる。その次、求刑の三ルの二以上の範囲内で実刑の言い渡しのあつたものについては、百九十五件の上訴権放棄、以下五十六件、八件となつておりまして、求刑より非常に軽いものほど上訴権放棄が少いということになります。パーセンテージで申しますと、ここに書きましたのは横の百分比でありますから、新しく申し上げますと、実刑の求刑通りの言い渡しのあつた四百三十一に対しまして上訴権放棄の百三十二は三一%に該当いたします。求刑の三分の二以上の言い渡しは七百二十ございます。これに対して上訴権放棄百九十五でございますから、二七%は上訴権放棄となつたということでございます。それから二分の一以上の判決二百十九に対する上訴権放棄五十六、これは二六%となります。次の八は三十六に対しまして二二%ということになります。これは数字は書いてありませんが、そういう計算であります。それから執行猶予になつたものについての上訴権放棄は非常に少うございまして、求刑通りの二十二というのは、九百五十八に対しましてわずかに二%、以下九も二%、二も二%であります。以下判決言い渡しのわずか二%が上訴権放棄執行猶予の場合になつております。それから求刑の二分の一のもとの刑で、それにさらに執行猶予がついたという非常に軽い裁判を受けたにかかわらず、上訴権放棄はゼロであるということになります。これは積極的に上訴権放棄の場合であります。
 その一番下に自然確定というのがございます。この自然確定とここに書きましたのは、二週間の控訴期間をそのまま経過いたしまして、控訴もしないで経過いたしました結果、自然に控訴期間の経過によつて確定するというものでございます。これが求刑通りの判決のあつたものに対して百四十一、これは三三%でございます。それから百九十六、これが判決七百二十に対して二七%、次の六十二、これは判決二百十九に対して一九%、それから次の十一、これは三十六に対しまして三一%というふうになるのでございますが、これをずつと見ておりますと、刑が検事の求刑と原審の求刑が非常に一致するか、あるいは一致に近いものについての方が案外控訴が少くて、むしろ軽い場合の方が多いという現象が見られるのであります。
 ここで私の申し上げたいのは、第一審で言い渡せる刑が検事の求刑より軽いからといつて、上訴権を放棄したり自然確定するというわけでは必ずしもない。かえつて求刑通りか、あるいは求刑の三分の二以上というような言い渡しのものについて服罪するものが多くて、かえつて非常に差のある軽いものはさらに控訴審による刑の軽減を期待するためか、控訴が多いのじやないかと思われることでございます。しかしかような結論をすぐ下すにはこの程度の資料あるいは調査ではまだ正確ではございませんで、これ以上申し上げることは差控えますが、控訴審における不利益変更禁止が許されるとなりますと、控訴が減少するということは当然これでもつても予期できるだろう、かように存じます。諸外国のことを見ましても、不利益変更の禁止には理論的な根拠がないので、もつぱら政治的な理由から来ているということは学者の説くところでございますが、英国にもこんな禁止の規定がないということは成文法によつても明らかであり、一般には知られております。それからアメリカでも上訴乱用防止のために不利益変更をむしろ認めよというようなことがオーフイルドなどの学者によつて唱えられておるということがわが国にも先般来紹介されております。わが国でも米国のように上訴裁判所は原判決を軽くすることさえ特別の制定法が必要であるというような、上訴裁判所の権限がきわめて限定されている場合な別でありらますけれども、控訴事由が現行の刑事訴訟法程度に認められているというのであれ不利益変更をば認めるということは理論的でもあるし、それから合理的でもある。かように第一審の検事としては考えるわけであります。そこでその認め方でございますが、この認め方としましては、検察官に附帯上訴権を認めて、その場合に限つて不利益の変更ができるというようなもとの刑事訴訟法の制度のような方式が、最も実際的で妥当ではないかというのが私の結論でございます。しかしまたこの議論に対しましては、逆に大体検察官に上訴権を認めるということはいかぬ、再審や上告は別としまして、一般の上訴を禁じて、もつぱら被告人側の利益のみをはかるべきであるという意見もあろうかと存じます。これは第一審の裁判が非常に完璧であつて、上訴をまつでもなく、信頼できる場合のことでありまして、現状では先ほどの統計が示しましたようないろいろな多岐の実情にある点からいたしましても、縦事上訴はやはり制度として必要である、かように考えます。特に全国的に共通した犯罪などになりますと、全国的の刑のバランスということを、最高検をピークといたしまして、検察庁は考えます。地域的な均衡ということも考えます。それからあるいはそういう大げさなことでなくて、同一の裁判所の中でも部によつて見解が異なるというようなものがあつては非常に困るのでありまして、これについては検察官としましてはやはり意見を立てるのは当然でありますし、この場合に検事上訴という方法で、この意見を示すことが最も明快であり、公明な意見表明手段であろうと私は思う次第でございます。結局私は裁判制度としましては、第一審裁判をそのまま不服なく確定するということが審級制度の原則であると考えますので、上訴といよのは、きわめて例外のものであるということで上訴制度の運用をいたしておるつもりでございます。従いまして第一審の充実が最も大切である。できるだけ第一審を信用して、その裁判に服する方針でやる。しかしながらやはり検事上訴の制度は、現状のもとでは必要であるということ、従いますて現在の控訴審が事後審であることについては、これは多少第一審の不安からこれを覆審に直すべきだという御意見のある向きもございますけれども、少くとも継続審程度まで、つまりこれは現在の事後審も運用によつては、継続審を同じような結果を来しているということが考えられますので、運用によつて継続審的な役割を果せばいいのであつて、立法的な改正の必要まではないのではないかということを考えます。それから乱上訴の防止のためには附帯控訴のもとの刑訴のうなものの復活が望まましいということを考えております。
 以上が私が申し上げたいと思つた点でございますが、もつと進んで参りますと、あるいは裁判では有罪、無罪だけを言い渡せばいいのであつて、量刑はもつ。ばら刑罰を執行する機関の裁量にゆだねれはいいとか、あるはい裁判に陪審制を取入れろという問題が起きて来ると存じますけれども、私ども現在等一審におる検事といたしましては、これらの深いつつ込んだ点について検討もしておりませんので、おおむね平凡なことでございいすが、現行刑訴制度を是認するという態度でございます。これについて現行の禁止の規定を解いてもらいたいということ、従つて附帯控訴制度を新設されたいというようなことを考えておるわけでまります。私どもいつも実は考えるのでありますが、そういうような問題が起きますと、たとえば法制審議会というよなところになりますと、裁判官と検察官の代表者、それから弁護士と、きまり切つておるわけであります。それから訴訟法学者のおもなる先生方が加わたつて大体この三者、四者で議論をなさる、そして結論を出されるということになる。これは非常にごもつともだと思いますけれども、私どもとしましてやはりこちらの委員会のようなところで、く専門家でない一般国民はどう考えておるかというようなことも聞かせていただくとたいへん有益であろう。私どもといたしましても物事を見る上に非常に参考になろう、かように存じます。よけいなことまで申し上げまして恐縮でございますが、以上で私の話を終ります。
#6
○小林委員長 それでは質疑に入ります。猪俣浩三君。
#7
○猪俣委員 これは安平先生あるいは天野先生から適当に御答弁願いたいと思いますか、上訴不利益変更禁止の原則、これは私ども学生時代から教わつて来た原則であります。そこで今天野さんからのお話もありましたが、一体この上訴の不利益変更禁止の原則というものは法学上どういう理由で設けられたのであるか。それから新刑事訴訟法になつて附帯控訴が廃止された理由を学問的にお教え願いたいと思つております、これを第一点としてお聞きいたします。
#8
○安平参考人 たいへんにむずかしい問題でありまして、第一点は、不利益変更禁止の原則というものが認められておる法学上の理由について何か知るところはばいか、こういう御質問でありますが、本日特に学問的に深く検討して参る余裕はなかつたのでおります。ただ今まで常識的にこの点について考えております点は、被告人なりそれから弁護人の方で控訴せられる心理あるいは控訴せられる動機というものに思いをいたしてみれば、何とかして原審よりも結局刑事責任というものを軽減して行きたいという意図のもとに出ていることは、これは上訴、不服一般の基本精神であります。そういう意味で現在よりも重きを望んで当事者が上訴、不服の申立てをするいうことは理論上あり得ない。さように考えて来ると、上訴それ自体の本質上、そこに不利益変更禁止ということが予約されておるのではないか。その予約あるいは精神というものを無視して、手数をかけておぎながら重く変更するというのは、これは当事者がら申せば意外な点でもあり、そういう不利益変更禁止の原則は古くからヨーロツパ大陸なんかを中心といたします訴訟制度のうちに入つておもわけであります。これは今といえども是認すべきであるというのが大体基調じやないかと思うのであります。
 それから次の附帯上訴、附帯上訴というものを新刑事訴訟法が廃止するに至つたのはどういうわけか、こういうお尋ねでございますが、この制度はかつて進駐軍なんかとの関係上刑事訴訟法か審議されたちようどそのときに私も立ち会つておりまして、大体論議された経緯は記憶いたしておりますが、いろいろこまかい問題がありましたが、大体において大づかみに申しますと、附帯控訴、附帯上告というのは何かという先方のお尋ねでありますので、実はそういうわけですということを答えましたところが、これはおかしい、検事に不服があるなら上訴申立て期間というものがあるのだろう、いやそれは旧刑訴のもとにおいては、控訴については七日間、上告については五日間あるのです、それならばなぜそのときに検事の方は控訴しておかないのか、十分に控訴する余地が残されているのではないか、上告すべき余地が残されている、その上告あるいは控訴すべき問題が認みられてあるにかかわらず、あえてその間にこれをなさずして相手方がこれをなしたらそれに乗じてこれをするというのは、これは一面においては検事怠慢である。あるいは卑怯といえば卑怯になる。さような怠慢あるいは卑怯というものを許さぬ。やるならば、初めから、判決を受けると検事の方でしさいに一件記録なり裁判のよつて来るところを検討して、その間になしておけばいいじやないか。いわんや改正刑事訴訟法においては、上訴は、上訴期間が前とは違いまして今日では十四日になつております。十四日もあれば、十分に事案を検討して、不服があるならば不服の筋道をただしておくのが順序である。そのほかに、もう一つは、どうも実際を見ておると、検事は多少附帯上告あるいは附帯控訴というものを乱用しておる傾きがありはせぬか。たとえば上訴を取下げぬならば検事は附帯控訴を出すぞというような、一つの乱用の傾きもあるのではないか、そういうようなこともあげられないこともないのであります。そのほかにもあつたようでありますが、そういうようなわけで、附帯上訴制度は廃止されたように思います。しかしこれは私の経験でありますが、附帯上訴のうちで附帯上告ですが、旧大審院、検事局、それからして現在の最高検察庁のもとにおきましては、あまり附帯上告というのは使つていないのであります。今まで上告審において附帯上告ということをいたしましたのは、きわめてまれなのであります。かの大審院が事実審理を開くようになりまして、その事実審理を開いて、原判決破棄、自判刑を量定するときに、どうも事実審理を開始した結果においては、今のところ少し犯情で悪くなつた、そういうまれな場合にしか実際上附帯上告は活用していなかつた、そういうような理由で附帯控訴あるいは附帯上告の制度は廃止されたのでありますけれども、先ほどもちよつと指摘しておきました通り、今日実際控訴などを運用してみますと、先刻も例をちよつとお出ししておきましたが、たとえば事実誤認の控訴趣意書が出て、それから裁判所は刑事訴訟法の二百九十三条によつてある程度事実取調べをした、事実取調べをしたところが、これは弁護人あるいは被告人から申せばやぶへびであつて、調べれば調べるほど犯情が悪くなつて参つた、そういう場合には、これはむしろ原審の刑を軽くするどころか重くしなきやならぬという事情が出て来る場合が大分あるので、そういうような場合に、今まで検事の方からは控訴をしていなかつた、そうして不利益変更禁止の原則が支配するということになりますれば、結論はおのずから明白でありまして、裁判官は必ずしも本来適正と認めることのできない刑罰を認めるというようなことに相なるかとも思われるのであります。もつとも破棄して事件をさしもどす、あるいは移送ということになりますれば、そこにちよつと問題は起つて参るのであります。原判決とは何をさすか、破棄せられた判決を含むかというような上告審などにおいてはやつかいな問題を生ずるのでありますが、現在の最高裁判所のもとにおきましては、原判決よりも重き刑を言い渡すことを得ずというので、大審院の判例と違いまして、破棄せられてしまつた第一審の判決並びに第一審の判決、上告審から申しますれば原審、すなわち第二審の控訴審の判決が不都合であるというので破棄された場合、破棄されてしまつた判決よりもなおかつ重く言い渡すことを得ず、こういう判例になつておるのであります。この点は大審院の判例がひつくり返つたのであります。大審院は破棄された判例とは比較しなかつた。破棄されてたというのはなくなつしまつたのだから、いわゆる不利益変更禁止の原則の制限を受けて参るのは、残つている一審あるいは現に生きている程度のその何ということになつておつたのでありますが、今の最高裁判所では破棄されたものも全部ひつくるめて、それより重き刑を言い渡すことを得ずということになつて参りますのでたいへん不都合になつて参りますので、そういう意味から附帯上告はある限度にやはり定認する必要がある、こう考えている次第であります。
#9
○猪俣委員 不利益変更の原則というのを今御町所の御意見によると、結局上訴が多過ぎる。これを幾らか制限しなければならぬ。その制限の一つの方法として、この不利益変更の原則を撤回してしまいたいというような御意見に承つたのですが、そういう理由だとすると、私どもはあまり賛成いたしかねるのです。刑罰は国家が被告に加える一つの加害行為であります。暴力行為である。しかしこれは正当視せられる一つの加害行為であるわけでありますが、しかし国家が広大無辺なる全大衆の幸福のために存在するものであるならば、この加害行為はやむを得ないとしても、その加害を受ける人間にあきらめさせる必要があると思うのであります。私どもは上訴制度のごときは、そのあきらめの一つの方法に多大の刑事政策的意味があることを認めておるのでありまして、真実発見ということばかりではないと思う。もういろいろ医者の手を尽したがだめであつたという往生ぎわをよろしくさせるという意味が私ども弁護人の弁護等にもあるし、また上訴制度にもあると考える。そこで今附帯上訴をおやめになる理由の一つとして、どうもこれは検事が乱用するおそれがある。お前が上訴するなら附帯上訴するぞということがたいへん行われておりまして、私ども実見しておる。そこでこれがいけないということになつたとするならば、この上訴の不利益変更の原則は廃止して、そうして上訴を制限しようとすることは、この附帯控訴が検事の乱用あるとしてこれは廃止したというその精神にももとることになると思う。ですから、もしどうしても検事が意見があるならば、検事が控訴すればいいのでありまして、被告人が控訴した、検事はこれに対して控訴しない。検事が意見がない、そういうものに対して原審よりも重く処罰していいというような規定を置いて、そうして上訴の数を減らそうというようなことは、私どもは民主政治の今日においては納得いたしかねるやり方ではないかというふうに考えるのであります。ですから、もし上訴がむやみに乱訴の弊があるならば、ほかの方法で考える。私どもは原則として――今上告も非常にふえている。判事がとてもやり切れぬからこれを何とか制限しよう。この能度に対しては私どもは総括的に反対いたすわけであります。それだけ国民の需要がある以上は、民主政治の今日においては、国民の需要を満たしてやる制度があるべきで、制度を中心として考えて、その需要を非常に圧迫するということは本末転倒の議論だと考える。そうして今の十五人の判事でだめならふやせばいい。国民がそれだけ需要すれば裁判所はそれほど価値があるものと認めなければならない。国民の欲する機関はこれを充実する必要があると思う。今たとい上訴したものが破棄になるものが少いといたしましても、上訴する希望が多い場合においてはそれは十分に上訴させて、そうして破棄された場合にはそれに納得させる、往生をさせるという国家作用というものがたいへん私は大切じやないかと思う。今どうも裁判所の方及び検察庁の第一線の方々は何か本未転倒のお考えを持つているのじやないだろうか。これは国家の予算の関係もありますけれども、司法制度の運用ということは重大なことでありますから、予算は十分とるとともに、十二分に民衆の利用に供するということが必要じやないか。そういう意味において私どもの意見から申しますと、不利益変更の原則を変更することによつて、これを撤廃することによつて上訴を制限しようというお考えは、いかがなものであろうかと考えますが、安平先生の御意見を承りたい。
#10
○安平参考人 猪俣さんの御質問にお答えいたします。これ誤解のないようにお願いいたしたいのでありますが、ただいまの問題は、本日検察庁の参考人に対する質問事項として三点に検事上訴、附帯上訴についての所見いかん、こういう御質問が出ておりますので、これはたいへんな質問だと思いましたが、この質問の通り私の方からお答えしておるのでありまして、そんなに神経過敏に、検事の方からこういう意見を持ち出した、それはとんでもない誤解たと思います。私の方ではこんな御質問がある以上は、これはせつかくおぼしめしだから、おぼしめしならばありがたくちようだいして、そうしてそれは検事の方としては、もしこういうことが御質問あるいは問題になつておるのでありましたならば、私の方の意見としてはこういう意見を持つておりますということを卒直に述べておるのであります。何も私の方から進んで、今不利益変更禁止の原則を撤廃しろの、それから附帯上訴制度をぜひ置いてくれの、それを嘆願しておるんじやないのです。むしろ私の方は、これはどういうところからこの議題が――まことにこれは検事は御同情なさつた御処置だと感謝しておる次第でありまして、今猪俣委員の御質問に、お前の方でこんなものを持つて来るのはけしからぬというのは逆であります。
#11
○猪俣委員 それはちよつとあなたの誤解であります。私にあなたを非難しておるのじやない。ただ、あなた方としてはもつともな御意見だと思うのだが、国民大衆の側からすれば、われわれの意見も成り立つ。そのわれわれの意見に対してあなた方がまたどうお考えになるか、あなた方の再反応を私は求めただけで、決して非難しておるわけでも何でもない。あなた方はそう考えである。しかしまたわれわれはこういう考えがあるが、それに対するあなたのお考えはどうだろうか。それも一理あるが、お前の考えはそれは絶対間違つておるというお考えであるか、そういうお考えもこれは一理があるのだというようなお考えであるか。私どもの考えに対してあなた方の反応を求めただけで、決して非難しておるわけではない。だから決して誤解のないようにお願いしたい。
#12
○安平参考人 それは初めに申し上げておいた通り、私どもはこういう希望を持つておりますが、これは国民一般の方々が容易に承知なさるまいということは承知しております。ただ検察庁としてはそういう意見を持つておるということを申しげておきます。どうか誤解のないようにお願いいたします。
#13
○猪俣委員 ついでに一点だけ、お聞きいたします。これはやはり上訴制度と相当関係があると思いますが、今全国の地方々々の検察庁と弁護士との間に至るところで相当トラブルを起しておる一つの件がある。これは当法務委員会においても、ある程度研究してこれに対する対策を講じていただきたいと思うことは、記録の閲覧のことです。どうも起訴状一本主義の新刑事訴訟法は弁護士側に相当負担をかけておる。私どもはこの制度になります際に、GHQにおもむいて、日本の弁護士事務所の充実のぐあいではこれは尚早であることを数回陳情したのでありますが、彼らは許さなかつた。そこで私ども弁護士側としては各地至るところで聞くのでありますが、検事の調べましたものを証拠として出さぬ場合、なぜ証拠として出さぬかといえば、結局それは検事に不利な、検事の主張する事実に対してはあまりいい証拠じやないというものを検事は出さない。そうすると弁護人から見ると、それが見たい。その方が大事である。検事は国家の費用において権力をもつてお調べになり、弁護士は何ら権力もなければ事務所も充実しておらぬ。そこでもし検事と弁護人が対等の立場でやるということになると、やはり検事の方に証拠が集めやすい、そこにおきまして、検事は公の立場で国の予算において職務として活動しておる、一私人ではいくら弾劾主義で当事者の地位に立つておるとしましても、それは真実発見のための便宜のことであつて、原則は検事は公の権力を持ち、公の立場で活動しておるのでありますがゆえに、被告人に有利な記録などでもこれを見せる必要があると思う。それを民事訴訟における原告、被告のような立場に立つて、原告に有利と思われるようなもの、被告に有利と思われるようなものをまつたく秘してしまうというような立場ではないのじやないかとぼくは思うのですが、どうも証拠として出さぬものを見せないという態度である。そしてその証拠もいよいよ裁判になつてからひよこつと出す。そうするとその証拠に対しまするこちらの反証なり何なりの準備が弁護人によくできないし、なおまた検事が調べたけれども、どうも自分に不利だと思つて黙つておつた証言や証拠物の中に、弁護人が引用しなければならないものが多々あるはずだ。それを出さないために有力なる、的確なる証拠申請ができないということも起つて来る。さようなことで第一線の検察庁と弁護人の間において相当トラブルが起つておると思うのです。そしてこれがそもそも上訴が多くなる一つの原因をなしておると思う。そこで一体検事がその権力によつて調べた記録は、証拠として出そうが出すまいが、一応請求があつたら弁護人にそれを見せる必要があるのじやなかろうか、これに対して安平さん及び地検の方々、実務に携わつている方々の御意見を承りたいと思います。
#14
○安平参考人 猪俣委員のただいまの御質問一応ごもつともであります。さそうなことは往々各地方でもあがつております。率直に所見を申しますが、今の刑事訴訟法では、証拠として出す見込み、予想のもとで、これは検事はみな出しております。現に東京地検なんかでも証拠とすることにきめておるものは出しておりますけれども、その証拠とすることにきめていない、予想のもとでないそういうものは、これは訴訟法も必ずしも要求しておりませんし、かようなことは必ずしも新刑事訴訴法になつて初めて起る問題ではありませんで、一切の記録を起訴状とともに出しておりました旧刑事訴訟法のもとにおきましても、検事は取調べたものを何でもかんでもすべて出してはいなかつたのでありまして、そのもとにおきましても、直接関係がないと考えますものは若干チエツクして出しておつたのであります。と申しますのは、検事はいろいろのことを調べておるのであります。たとえば今甲という犯罪について起訴するのであります。ところがその間に甲事件にからまつて乙――たとえば租税法違反だとか滞納事件だとか、そういうようなよけいなものがいろいろからまつておりまして、そういうものを出しますと、当面に話題となつていないほかのことに行くようになる。あるいは共犯関係のものもありましようし、時と場合によればかえつて被告人に不利益であるというふうにも考えられますので、検事はやはり公益の立場からそういうものはなるべく人権を侵害しないようにする。これは古い時代からそういう思想はあつたのであります。そういう意味で、古い刑事訴訟法のもとにおいてさえも若干チエツクしておつたこともなきにしもあらずであります。いわんや新刑事訴訟法においては、後日証拠とする見込みが立ち、あるいはそうすべきものと考えておるその限度においては、訴訟の要求するところに従つて御参考に出すのでございます。現に東京地検のごときは、その点はずいぶん出しておるような次第であります。ただどうしても証拠として出す見込みを持つていないもの、これは出していなくてもやむを得ぬのではないか。但しもし国民の側の方で、検事は国家の役人として一切合財公益の立場でやつておるので、そういうふうな立場において調べたものはフエア・プレーの原則に従つて一切合財当事者側から要求があれば出すことにしてはどうか、こういう意見も相当に強いのであります。これは私まだ弁護士をやつておりませんが、弁護士をやつておるならばさぞかし猪俣委員と同意見なるのではないかと思います。しかし弊害もありますし、それから訴訟法も要求しておりませんので、その限度でチエツクしておるようなわけであります。これも相談ずくですが、もし猪俣委員のようなお考えがありましたならば、起訴状一本主義ということがたたつておるのでありますから、これは訴訟に関係があるものはやはり出すというふうにひとつ訴訟制度を改正するのも一策ではないか。元のように事件記録を一応出す、ああいうような制度というものは陪審制度を前提としておるのでありますが、陪審制度をとつていない日本の刑事訴訟法においてどうもこれは実情に沿わないということでありますならば、国会の方でもそういうような制度にしてもらうのはけつこうでありますけれども、現行刑事訴訟法のもとにおいては今申し上げたような理由で、遺憾ながらその点までは応じていないのが実情ではないかと思うのです。さぞかし御不満があることとは存じますけれども、訴訟上の要求は一つは被疑者、被告人の利益に必ずしもすべてがなるとは限りませんので、検事がその間にしかるべくコントロールいたしておるような次第であります。私は所見はこの程度でありますが、この点は地検の天野さんからもひとつ……。
#15
○天野参考人 全国的な問題を安平さんからお話になりましたので、東京地検だけに限つてお答えいたします。
 東京地検で特に最近弁護士の方々と記録閲覧の点で何かトラブルを起しておるというようなことは、私の耳には幸い入つておらないのであります。いろいろ全国の検察庁によつてニユアンスがあると思いますが、東京地方検察庁でもしトラブルがあるとするならば、考えられますことは、何分非常に厖大な事件に大勢の検事がとりかかつておる検察庁でございますので、捜査をやつております検察官と公判に立ち会う検察官が原則として全然別になつております。従いまして公判に立ち会う検事はその事件の捜査を全然やつておりませんので、ちようど弁護人の方と同じような立場で初めて記録を見、証拠物を見るので、その事件にそう通暁していないわけであります。それからまたこのころやはり追起訴が割合多うございまして、いろいろ捜査期間の問題にからむようでございますが、そのために記録が公判立会いの検事のもとにも来ていないような場合が非常に多い。そういうような場合に弁護人の方と検事の間でいろいろ問題が起ると見せろ見せないというようなことがあるのだろう、かように存じております。これは捜査検事と公判立会い検事が別である、つまりソリシターとバリスターと別の役割をしておるところから参ることと存じますが、できるだけそういうようなトラブルを起さないようにいたしたいと考えております。
#16
○高橋(禎)委員 やはり今の問題に関連するわけですが、乱上訴ということがいろいろ論議されるわけです。そして乱上訴の理由を田中最高裁判所長官などもいろいろ指摘していらつしやるのですが、上訴した者の気持はわかるはずはないのです。ただこういうことを考えて、またはこういう制度を借用してとか、いろいろ想像はされるのだと思うのですが、要するに私はやはり下級審の裁判にともかく不平がある、不満があるところに上訴が起るものだと見なければならぬと思うのです。特に刑事事件におきましては、民事でもほぼ同様ですが、やはり事件の見通しということと費用の問題とがあるわけでありまして、やたらに見込みのないものにたくさんの費用を使つて上訴するというようなことはないと見るのが常識だと思うのです。ごく特殊なものは例外的にあるかもしれませんけれども、大体必要があるから、相当の犠牲を払つて上訴をするものだと見なければならぬ、こう考えます。そこで天野参考人も触れられましたように第一審の強化といいますか、それは第一審の裁判を正しくする、こういうことの意味だと思うのですが、そのために、私はまず質問から申し上げますと、現在の刑事訴訟法を改正しなければならないのじやないか、この点について御両所はどういうふうにお考えかということをお尋ねするわけです。と申しますのは今の訴訟法によりますと第一審の審理というものが何だか不十分でかゆいところに手が届かぬというきらいが多分にあると思います。そのことは今猪俣委員からも質問のありましたように検察官は手持のこまを全部相手に示さないきらいがあると思うのです。旧刑事訴訟法でありましたら訴訟法のほかにいろいろ捜査に関する細則を規定して、こういう場合にはこういう書類をつくらなければならぬとはつきりしておりますから、少くともその細則あるいは刑事訴訟法等に規定してあるところの書類だけは手に持つておるわけです。それはもう訴訟記録に全部編綴されてあつて、裁判官も弁護人もこれを十分検討することができたのですが、今はただ検察官側で証拠に提出しようとするものだけを相手に見せる。その他のものは何があるのか、どういう内容であるか、まつたく不明の間に裁判審理が進行されて行く。そこに非常な不徹底な、事件の全貌を知ることのできない弊害が起つて来るのではないかと考えるわけです。しかしそれでは弁護人もやはり検察官と同様に十分溝動して資料を収集したらどうかということになりますが、現在のところは捜査官、警察官あるいは検察官に呼出しをされれば出頭するけれども、弁護人がちよつと来てもらいたい、こう言つてもなかなか出て来るものではないのです。それからわざわざ出張して取調べをして事情を聞いても、捜査官に答えるほど、責任をもつて明確に答えるものでなく、何かそういう関係からのがれようとする傾向が非常に強く、事実上弁護人が事件の捜査をするなどということ、まして被告人の有利な資料を十分集めるというようなことは不可能だ。これは国民性から来ておる面が多分にあると思うのです。なお若干そういう活動をしましても、さてそれを証人等に呼んで公判廷で取調べをするということになると、検察官側では、その証人が、もしも検察官のその事件の見通しに反して、または従来の取調べと非常に趣を異にした証言等をして、それが被告人に非常に有利だというような場合は、偽証の疑いありとして、ただちにこれの取調べをされるというのが、現在の形なのです。これは地方におきましてはしよつちゆうあることなのです。証人が被告人に有利な証言をすると、ちよつと待つておれというので、その公判が終るとすぐ検事が取調べをする、こういう状態なのです。しかしいくら取調べをしても真実なら真実でよいじやないかということになるのですが、そこがまたこれも国民性から来ると思うのですが、どうも検察官等に取調べをされると、何だか公判廷における供述をひるがえして、しかもそれが真実ならけつこうなんですけれども、ときには真実に反して、検察官に迎合したり、あるいはまたときには偽証等で処分されるというような、検事のせつかくの親切ということになるのかもしれませんけれども、その警告が誤解されて、公判廷における供述を翻さなければ、それが偽証に問われるのではないかというような心配から、事実に反した供述を検察官等の前でする。しかもこれもまた法廷等でよくあるのですが、弁護人等に会つたことがあるかないかということを意地悪く尋ねるのです。私どもしばしばそういう不愉快な場面に遭遇いたしましたが、弁護人に会うというようなことは、もう法律上当然のことなんですけれども、いかにも悪意に、弁護人に会つたかということは、弁護人から何か偽証でも教唆されたのではないかというような意味を含ませて、いろいろお話があるという事例が少くないのです。そういうときに案外これまた人によれば弁護人に会つて、しかも弁護人の話を誤解したというのですか、あるいはまた検察官に迎合するのですか、偽証でもされたのではないかという意味のことを言う場合があるのです。これはあつたのです。というのは旧刑事訴訟法時代でも、私どもの先輩で、刑事弁護界に大いに活動された人人は、一体証人を裁判所で調べる場合には弁護人は証人なんかに会うものではないのだ、とんでもない目にあう危険があるといつて、それを戒めたものですが、今はそんなことをやつておつたのでは仕事にならない。しかしやればそういう危険が非常にあるというところに大きい問題があるわけです。従つて先ほど申し上げたような、今の日本国民の気持が抜け切らない限りと申しますか、基本的人権を自分の力でもつて十分に守り抜くというだけの程度に達しない限り、弁護人の活動によつて、捜査官の得る資料と同じようなものを得られるのだという前提に立つて、訴訟法ができておるところに大きな間違いがあると私は考えるのです。ですから第一審を強化して、第一審で正しい裁判をしなければならぬが、しかし今の制度ではどうも日本の国情に沿わないので、徹底した裁判ができない。しかも検察官は手に相手のこまを持つておるのに、それを出せば被告人に有利だと思われるようなものでも、これが提出されないで、審理が終つて行くというところに、被告人としては非常な不満がある。また被告人としても職責上はなはだ遺憾な点がある、こういうふうに考えるのですが、こういうことを一体率直に受入れられるようなお気持かどうか、またこれまでそういう場面に遭遇なさつたようなことが若干おありじやないかと思うのですが、それならば今の訴訟法では、第一審で正しい裁判をやるということはとても望めない。そういうふうなことが上訴をますます多くするのだということに思い及べば、今の訴訟法はその点だけから考えても相当検討して、これを改正する必要があるのじやないかと思えるのですが、それについて両先生方の御意見を一応お伺いいたしたいと思う次第です。
#17
○安平参考人 刑事訴訟法についてはどう考えておるかという御質問でありますが、私なども御質問の御趣旨と同じであります。新刑事訴訟法が運用されまして数年を経過しますが、どうも不満足の点が非常に多いのであります。これは一審の訴訟はもちろんのこと、上訴審においても同じであります。不都合の点、日本の実情にそぐわない点は、るる申し述べても数時間を経過しますからきようはやめておきますが、一口に申しますと、大体において訴訟というものはやはり証拠ということが中心になつて、この証拠の仕組みあるいは運営方法ということがどういうふうに仕組まれておるかということがその訴訟の運命を支配して参ります。それと公判廷の運営方法に関する手続であります。ところがこの改正刑事訴訟法というのは、御承知の通りその証拠並びに一審の公判廷については、多大に英米法ことにアメリカの制度をとつたということになつておるのであります。そこで困りましたことは、英米ことにアメリカなどの第一審刑事裁判というものは、これはやはり陪審が何と申しても中心になつておりまして、国民の代表者たる陪審において事実を認延する、これが権威的のものであります。あとで上訴とかいうのはつけ足りで、国民が刑事責任を問う、これが最高権威である。それから訴訟材料は一応一切合財とにかく陪審の前にさらけ出す。そこでフエア・プレーの原則に訴え、攻撃、防禦の手を尽す。裁判官というものは単なるアンパイアにすぎないのであります。その攻撃、防禦がいかになされるかということを一定の手続に従つてじつと見ておる。そうして結局裁判は陪審をしてなさしめる。そういうことを前提として証拠固めとかそういうものがやられておるのであります。しかるにわが国におきましては、この陪審はまだ留保になつておりまして、はたして陪審を権威ある運用をするかどうかはペンデイングになつており、裁判官は依然として職業裁判官である。国家の任命しておる職業裁判官というものがすべてを審判しておる。でありますから根本的に仕組みが違つておるのであります。そういう違つておる制度のもとにおきまして、英米と同じようないわば証拠理論だとかそういうものが支配しておる、ここのところにもうすでに根本的な一つの迷路に入つておるのであります。
 それからこれは皆さんと意見が違うかもしれませんが、私は訴訟法というものは、法律のうちでも、格別実際的の法律でも、実際的の場面になりますとやはり基調――必ずしも一元ということを尊重しませんが、何らか実践を指導する基調、統一したある一つの仕組みというものがなければならないのでございます。わが国におきましては曲りなりにも独仏大陸法という一つの基調があつたのでありますが、改正刑事訴訟法というものは、この基調をある程度そのままにしておきながら、なおかつ訴訟の重大なる証拠法とか、第一審の公判廷において英米法を取入れてしまつた、つまり法律構成に関する基本精神というものが二元に出ておるのであります。二元というものは、これはよほど使い手が上手でないと――剣術なんかもそうでありますが、宮本武蔵のような人にして初めて二剣両刀というものを巧みに使いわけることができるのであります。ある一つの根本精神がないというとなかなかできないということは、改正刑事訴訟法ができる当初からすでに指摘しておるのであります。はたせるかな実際運用しておりますと、片方では欧米法で行かなければならぬ、片方では大陸法の頭が抜け切らない。しかるに法律を解釈するのはみんな論理的に行こうとする、しかし英米法はコモンセンス、良識によつて進んで行く。そういうようなわけでこれは非常にこんがらがつておるのであります。これは一例でありますけれども、いずれにしろ私なども今の刑事裁判というものは、これはおそらく弁護士さんも、それから裁判官も、われわれ検事も同感であろうと思うのでありますが、これは早晩もう少し日本の事態がおちついて来れば、根本的に再検討をするはめに置かれておる。むろんいいところ、民主的のものはどこまでも保存されなければなりませんが、しかしこれではどうも困つたものだということは同感であります。残念ながら今のところでは、日本国民の頭というものは、文化的に糟神的においちつていないのでありまして、終戦後はやつて来たいろいろの思想というものが混乱状態になつておるのであります。こういう混乱しておるときには、国民の意見もなかなかおちつくところにおちつきませんし、今基本的に改めるということは容易にまとまらないと思いますが、それにしてもこれは放棄すべき仕事ではないのであります。やがて数年の後には国民の人々がもう一度みな考え直しまして、悪法とは申しませんが、少くとも刑事訴訟法だけは根本的に再検討する必要があるのじやないかと思います。
 その次の証人制度の運営に関する点でありますが、実際証人というものは困つたものでありまして、しかも証拠の中の重要な部分は、何としても今のところは、民事におきましても刑事におきましても、書証というものもものをいいますけれども、多くの訴訟の運命を決定するのは証人尋問、書証、人証であります。しかしこの証人というものは、実にやつかいであるということは今に始まつたことではなくして、古くわが国におきましても訴訟の大家であらせられました岸清一博士が、民事事件について証人というものは実にうそをつく因つたものだということを、死んで行かれるときまで嘆声を漏らしておられたその一言に徴しても明らかであります。そういうような点は今も残つておりまして、ただいまの御趣旨にありましたような、いろいろやつかいな問題を生じておるのでありますが、これはどうしても国民を代表しておられる弁護士さんの方からひとつ証人がうまく行くように御配慮を願わなければならぬのであります。大体われわれが見ておりますと、日本は今なお長いものには巻かれろという一般の国民の気分があるかもしれませんが、やはり自分が法廷に立つて証言を正直にするかどうかということは、やがて裁判にも影響して来るし、ひいては国の治安にも影響して来る、こういう重大なる責任を国民一般に植えつけるものであります。こういうことになりますと、やはり弁護士の方に国民一般を善導していただきたい、裁判上においては民事たると刑事たるとを問わず、証人の責任は重大である、ことに民主主義下における裁判においてはこの点は訴訟の運命を決するものだということは、むしろ私から申せば、その運営を適正にするにはどうするかということは、弁護士さんの方にやはりお願いせざるを得ない、かように思いますので、その点はよろしくむしろ国民を代表しておられる弁護士の方に第一次的にお願いしたい、われわれはむろんその心がけば怠つておりません。基調といたしまして、刑事訴訟法というものは根本的改正の必要があるという点と、証人の運営についてはお互いにいま少しく再検討を要すべき点があるということは同感であります。
#18
○吉田(安)委員 天野参考人にお尋ねいたします。
 現在東京地方検察庁の第一線に立つておられる天野さんからきようは率直な御意見を参考に供してくださつて、その点はまつたく感謝にたえません。参考人のお言葉の中に、結局上級審を強化するということよりも、むしろ第一審中心主義で、この方を強化せねばならないと自分は思うという御意見、私どももその点は全然同感であります。といつて、第一審のみを中心として強化すれば上級審の方はどうでもいいという意味ではもちろん私はないのでありまして、それは参考人もまた御同感だと思います。ところで、参考人にお尋ねをしておきたいことは、第一審中心主義で、第一審裁判所の充実強化というこのことです。いろいろ異議もありましようが、率直にどうした構想をお持ちでありましようか。お考えでもありましたならば、第一審を十分充実強化するにはどうすればいいかということを天野さんにお尋ねいたしたいと思います。
#19
○天野参考人 私が第一審充実強化と申しました意味は、一審にりつぱな裁判官を、事務にも熟練し、また人格的にもりつぱで、その方がなさる裁判には心服できるという方を第一審にそろえていただく、俗に言えばそういうことでございます。そこでこれは非常にむずかしいことでございまして、最高裁におきましても先般来いろいろそれを考えておられるようでありますが、最高裁の思われるようにはなつていないかと存じます。まず第一の問題は例の簡易裁判所の問題でございまして、ここでは私どもの方の目から見ましても明らかに誤判と思われる、たとえば確定判決が間にあるのに一本の刑しか言い渡さないというような、刑訴の勉強をした学生でもわかるような間違いをなさる例が今なおないではない。かようなことは非常に第一審裁判官としてふさわしくないのであります。第一審裁判は、たとえば刑事だけについて申しますと、略式命令を出すくらいのことにとどめて、法廷で審理するというようなことはもう簡易裁判所の管轄からはずして地方裁判所の判事に裁判してもらうというようなこと、つまり事によつてその裁判の間違いを防ぐ、それからまたりつぱな方に第一審に出ていただく方法としましては、何といつても経験の深い方々は最高裁判所におられるのが普通でございますので、この高等裁判所におられる方も合議部を大勢でつくつておられますから、この方の構成を多少ほどいて、老練の方方にも第一審に出ていただくということが当面考えられるのではないか、かように思うのであります。このことは裁判官に関する転所の問題ああいは勤務地手当とかいうような経済的ないろいろな問題ともからんでおりますので、必ずしもスムーズに行くとは考えられませんが、考られることは何かとおつしやれればその程度のことしかおりません。
#20
○小林委員長 どうですか、大体速記をとる必要のあることだけ聞いていただいて、今のようなのはあとでフリー・トーキングででも簡単にやつたらどうですか。
#21
○吉田(安)委員 今のは速記をとる必要はなかつたでしようか。私は非常に参考になることだと思います。
#22
○安平参考人 今の点ですが、私も第一審を強化して――これは強化と申しましても、やはり裁判官に人材の進出が望ましいのでありますが、どうも日本は封建性がまだこの点に残つておりまして、上告審尊重でありますが、この点は何としても自然の勢いのしからしむるところで、長老、老練の第一級の人は枠外あるいは上告という点で、年齢から申しましても、社会的な地位その他の経験から申しましても、どうしても第一審ば上訴審に比べていわば弱体であつて、これはいくら第一審強化強化と申しましても、人材の配置の点から申しますと、現実はこれは否定することはできないのであります。しかし英国だとかなんとかへ行きますと、第一審の裁判長は実に老練な、申分のない人がすわつておられるので、これによつて英国なんかにおいては刑事裁判は第一審でおおむねけりがつくという感を深くするのであります。でありますので、これもむしろ皆さんにお願いせぬければなりませんが、行く行く裁判所の機構ということになりますと、こういうような老練な、千軍万馬を往来せられた人を多く第一審の刑事裁初判に出すということに社会一般がその方両に進めて行くよりほか方法がないじやないか、かように思うのであります。たとえばきようおいでになります駒田さんば元の大審院判事でありまして、今簡易裁判所におられますが、ああいうような元の大審院判事を何年間も勤めたようなお方が簡易裁所判の判事になつておられるということは非常にいい制度でありまして、事情の許す限り、経済の許す限りこういうような老練なる経験と、識見も豊富な、すいも甘いもかみわけておられる人をむしろ第一審の、少くとも刑事裁判長というようなものに送り出すことは、お互いに国民として真剣に考えて行くべき問題じやないか、かように思つております。
#23
○吉田(安)委員 法は法なきにしかず、上訴制度を設けても上訴なしにしかずというのが、法の眼目でなくてはならぬと思います。今私が第一審強化のことをあえてここでまた繰返してお尋ねいたしましたことも、これは上訴制度に関係を持つと思うから質問をいたしたのでありまして、フリー・トーキングでやつてもいいことですが、なお念のためにお尋ねいたしたいと思うからお尋ねしたわけであります。
 今天野さんがおつしやつたように、簡易裁判所にああした判決の権限を与えているが、それよりもむしろ簡易裁判所あたりでは略式命令を出すくらいが程度ではないかという御意見でありますが、見ようによつてはそういう御意見も出て来ると私は思うのであります。今安平参考人もおつしやつたのでありますが、第一審裁判を中心主義に売笑強化するには、どうしてもその人、裁判官を得なければならない。裁判は一人でやろうが、合議体でやろうが、何としても受ける人がそれに心服するという程度のものでなくては、いくら上訴の方ばかり制限しようとしたつて――制限してしまえば別でありますが、そうでない限りは、上訴は私は跡を断たないと思います。それで率直に申しますと、今安平さんもおつしやつたように、ほんとうに第一線部隊としての簡易裁判所あるいは地方裁判所の単独判事のごときはロボツトでない人、有能な人をそこに配置する、そしておちついて、神聖に事件に関係をして誤りのない判決をさせるという制度が私は望ましいと思うのであります。しかしそうなりますと、予算の関係等もありますし、またそういう有能の人はなかなかそういうところ行こうといたしません。これが国家の非常な悩みで刈るし、制度の悩みだと思います。しかしながらこれはいずれのときか実現される日があるじやないか。今いなかに行きますと、ほとんどその土地に何十年とおつて、もう事件自体を取扱うことが、ながめておると、危険千万であると思うような方が――今度はあそこの簡易裁判所に行つているんだ、あなたはここにおつたのかというような人が、簡単に事件を処理しておるということを感ずることが間々あるのです。そういうところから受けたその裁判になりますと、これはやはり今言うように、控訴、上告が多くなつて来るということもいたし方がないんじやないか。でありますから、乱上訴の弊を避けるということにつきまして、田中長官は四つの例をあげて論述しておられますけれども、これはいかがなものであるかどうか。ほんとうはその根源をなす第一審の裁判所を充実させるということ、これは御両所のおつしやる通り、私どもまつたく賛成なんです。その具体的方法、構想はとお尋ねしますと、御両所ともおつしやつたが、私もそういうところに考えをいたしております。国家が、できるならばぜびそこまで持つて行つて、いずれのときかそこにほんとうにりつばな判事を配属させて、仕事をさせるということにひとつやつて行くべきものじやないかと思います。
 次に、これはお尋ねせぬでもわかることでありますが、結局不利益変更禁止という問題であります。田中長官は乱上訴の弊がたまらないんだから、これを制限するにはどうすれば制限できるかということの結論の一つとして、不利益変更禁止というのを除いてしまつたならば、やはりみだりに上訴をする弊はのけはせぬだろうかという御意見であり、天野参考人もそれと同様の御意見であつたと思うのです。しかしながら私は今言うようなことを考えますと、十人の犯罪者をのがすよりも、ただ一人の無辜の民を罰してはならない、これは刑事上の大原則でありますから、そのためには上訴をしたいんだと思つて、上訴をして来るのを、その弊にたえないということで、これを禁止してしまうということはいかがなものであるだろうか、こう考えるわけです。しかしきようは何も議論をするのではなくて、参考人の御意見は参考として承るべき筋合いのものでありますから、これに対して繰返して御答弁を要求するわけではありません。
#24
○鍛冶委員 まだほかに聞きたいことがあるが、今の話で重夫なことが一つあると思いますから承るのです。今の天野さんの言われたことと、安平さんの言われたことにどうしても一致せぬところがある。天野さんの方は、簡易裁判所というものに刑事事件なんかやらせぬで、ほんの略式かそこらのものをやらしたらよかろう、要するに簡易裁判所というものはどんな判事がおつてもいいんだ、いいかげんなものでいいんだと聞える。ところが安平さんのおつしやるのは、簡易裁判所といえども有能な、練達堪能の士がおられた方がいい。これは両立せぬと思いますが、これはどの方がいいのか、御両名からもう一ぺんあらためて承りたい。
#25
○天野参考人 簡易裁判所判事にりつぱな人を得るのが正道であることは当然でございます。ただ先ほど吉田委員より直接の具体策はどうかというお話がございましたので、まず現状の簡易裁判所の判事の素質の一般的なものを基準とするならば、略式命令を出すという程度で、それ以上のもの、公判などを簡易裁判所がするのはやはり無理じやなかろうか、かように申し上げたのであります。りつぱな人を得ることが必要だということについては、それが正道であることは間違いありません。
#26
○鍛冶委員 そうなると、簡易裁判所へ考えを持つて行くことよりか、現在の簡易裁判所の判事の任用の仕方を根本的に考えなければならぬというところに思い当つてもらわなければならぬと思います。これは先ほどから議論が出ておりますが、上訴が非常に多い、乱上訴だ、これをとめてやろう、こういうことを考えるよりか、国民に不平のない裁判をしてやれば、こういうことばない。どうすれば不平のない裁判があるだろうか、こう考えないで、どうも乱上訴だから押えてやれ、簡易裁判所の判事が悪いから、これに裁判をさせない、これはまつたく本末転倒だと思います。議論になればなんですが、しかしあなた方も考えていただきたい。私はその意味においては現在の裁判官の任用制度に根本的誤りがあるということをお考えにならぬかどうか、承りたい。
 そこで私先ほど聞いておりますと、安平さんは千軍万馬を経た練達堪能な士、こう言われた。私もそうでなければならぬと思いますが、ところが現在の裁判官任用制度はそういうことには出ておらぬと思います。一番困るのは、特任判事です。きようも新聞を見ますと多くあります。これは地方の某裁判所で、この間も大問題を起した判事は特任判事です。今また大問題を起した。かようなことを見ましても、こういう者を判事にするということ――これは私は特任のときに非常に反対したのであるが、とうとう負けてしまつた。それらの点を私ども根本的に考えてもらうというところに思い当つてもらわなければならぬと思います。従つてそれでは練達堪能の判事を採用するのにはどうすればいいのか、これを安平さんに聞きたい。
 もう一つ天野さんに聞きますが、英国においては不利益変更の禁止の原則は、これは英国であるがゆえに用いていいのです。日本でも英国と同じように、そういうことになることをわれわれは念願してやまない。ところが日本ではそういうことができない。どうも日本と英国では判事に対する国民の信服の度が違う。そうしてみれば、日本の判事をどうすれば英国の判事のように信服せしめられるようになるか、制度上のことに対して私はお考えがなければならぬと思いますが、この点を安平さん並びに天野さんに承りたい。
#27
○安平参考人 私はきようは制度が問題にたりましたが、結論を申しますれば、この制度は末葉の問題で、実は裁判については人物が問題で、その意味におきまして制度々々というけれども、帰するところはやはり人材の問題であると思います。今の制度でも、人材さえあればりつぱに行くのであります。そういう意味合いで、結論としては何とかして司法関係については人材養成ということを主張したいのでありますが、これはしかしながら人物、制度の組立ていかんによつてはうまく動かすこともできるし、制度がまずければいい人材も腐つてしまうということになりますし、これは水かけ論でありまして、ある程度においてはもちろん制度というものも改めなければならぬということにたるのでありますが、これはしばらくお預かりいたしまして、簡易裁判所の裁判官によい人を置かなければならぬということについては、私は確信を持つておるのであります。と申しますのは、私過去十年最高検察庁、旧大審院で仕事をして参りましたが、その中で非常上告事件というのがあるのであります。その非常上告事件の中でも一番問題になりましたのは、大法廷で、これこそ憲法違反ではないかということで、おそらく憲法問題と取組みました最大なる事件は、私などやつたのでありますが、いろいろの尊属親の処罰、尊属殺、尊属傷害、二百五条ですか、あれは違憲ではないかという問題が起りました。この事件なども違憲論をばつさりと第一審において片づけましたのが簡易裁判所、今日確定判決で法律違反あるいは非常上告せぬければなりません事件の八割以上は、簡易裁判所の判事がしておる事件が多いのであります。検事の方で注意して、簡易裁判所の判決に対してしさいに普通調査などしておりますれば非常上告という問題は起らないのでありますが、つい忙しかつたり、目が届かないうちに簡易裁判所の裁判官が下した判決が確定しておるというので、われわれの方で非常上告という問題が起る。これは実は統計を持つて参りませんでしたが、非常上告は、案件で誤つた判決を確定せしめた中には簡易裁判所の場合が多いのであります。大体裁判には簡易も何もないのでありまして、簡易という言葉自体がどうもよろしくないのであります。そこで問題は簡易裁判所の裁判であつて、いわんや刑事事件というのは初審という言葉の方がいいかもしれませんが、初審の審判が一番大事なのであります。そういう意味におきましても簡易裁判所の裁判官の資質というものを充実せしめなければならぬ、これは一番大事なことであります。それではどうしたらいいかという問題でありますが、これは本日その問題を真正面に取組もうとは思わなかつたので、十分な研究を遂げておりませんが、大体におきまして先ほど申しました老練達識、それから光風霽月、そういう人がいいのではないか、その意味におきまして弁護士もやつて来られた。裁判官もやつて来られたという人、これが理想的でありよすが、まず第一案としましては弁護士さんの方で千軍万馬を往来せられて、もう自分は達境に入つたというような自信のある方で、功なり名遂げて光風霽月、最後の浮世の社会奉仕をするというような方がありましたならば、ひとつ簡易裁判所というと語弊がありますから、名前を初審ということにでもして、いてもらうのが一番いいのではないかと思うのであります。それから停年でありますが、今最高裁判所ば七十ということになつておりますが、この七十は相当の年配でありますけれども、裁判官は学者などと同じで停年ということはあまり関係がないのであります。何となれば、停年制をしいておるがゆえに年限延長になつて、もういいかげんにやめたいのでありますが、停年の前にやめると何か落度があるように思われて、ついやめることができない、ずるずると定年までいるということになつております。それに反しまして優秀なる人は七十に来てもこれから裁判できるのであります。検事なんかでも今六十三、検事総長六十五ということになつておりますが、ほんとうに優秀な人は、これからいろいろ腕がさえて、停年になつた後もずいぶん仕事がおできになつておりまして、停年ということは考えものでありますけれども、いわゆる通り一ぺんの停年にかかつたような人でも、ほんとうに裁判に親身になりまして、天分がその道に向いておる人で、形式的な停年にひつかかてからでも働ける人も世の中には相当あるのであります。そういうような意味で一応停年にひつかかつておつても気力、それから識見、技術、そういうことを兼ね備えておる人、それから弁護士さん、検事もその中に入れていただきたいのでありますが、そういうような千軍万馬を往来して功なり名遂げたもう光風霽月、ただ一筋に世の中の正義のあかしというものを死んで行くまで立てて行きたい、こういう人を国民の方から、ちようど代議士さんを国民が選挙するのと同じように、こういう人にひとつお気の毒ですけれどもやつていただけませんかということで裁判所に送り込む、但し簡易はいかにも恐縮でありますから、名前を少し改めるし、そのかわり待遇もできる限り普通の裁判官にまさつても劣らないということにして、国民一般、それから社会一般の輿論が、昔とかわつて初審の方がえらいんだという気分を助長して行きますれば、世の中には盲千人、目明き千人と申しまして、日の明いておる人もおられますから、これは相当な努力と熱意と手段をもつてすれば、第一審その他の方にも人物が集まるのではないか、われわれも簡易裁所の判事にしてもらうのを楽しみに働く、そういうように考えております。
#28
○鍛冶委員 大体わかりました。私の一番申し上げたいのは、特任判事、検事の方もそうです、副検事も相当考えていただかなければならぬ。そうして言われる通りやはり弁護士からとるということが一番いいのであります。それにはわれわれの多年要望しておる法曹一元が実現すれば一番よろしいのであります。その程度にしておきます。
 もう一つ、安平きんにぜひお伺いしたいのは、きようの問題の主要点でありますが、最高裁判所は憲法裁判と判例統一をやる任務のものだ、従つて今までの裁判官のような裁判官でなくて、もつと広い視野の点から裁判官を求める、そうして特別の上級のものにするという御議論が先ほどあつたようですが、われわれもこの憲法ができましたとき、そうだと思つておつたのです。ただそれはどこから来たか知らぬが、われわれもそういうものだと思つておつた。いよいよこの上告制度を研究するにあたりまして、疑問を持ちましたのは、憲法の八十一条もしくはそのほかのもので、はたしてわが憲法はそういう最高裁判所を要求しておるかどうかということに、私は疑念を持つて参りました、この点に対して先ほどあなたがそうおつしやつたのですが、これはどこから根拠を持つてその議論が出るのか教えていただきたい、こう思います。
#29
○安平参考人 私の一番初めに申し上げた趣旨と違うようでありますが、これは最高裁判所の機構を申し上げますと、最高裁判所は十五人でありますが、その中で少くとも十人だけは専門的知識、つまり今まで一審から二審、三審と功績を積んで来た者をもつて充足しなければならぬということになつております。もう一つ徹底的に申しますれば、十人が専門家の裁判官でなくてはならぬ、しかしあとの五人はそうじやたくてもいい、しろうとというと語弊がありますが、むろんそれは法律の予想しておる専門家の法律家でなくても、常識の発達したたとえば学者とかあるいは評論家、思想家、そういう者でもかまわぬ。何となれば無法その他の問題と取組むということになると、法律専門家だけではこれはいけない、危険である。専門家というのはとかく専門のことはよく知つておるけれども、それ以外のことはすこたんとはずしてしまうということはよくないので、専門家はその意味においてはなはだ危険である。法律も同じで、専門家ばかりでは民事にしても刑事にしても同じ危険を惹起するから、それよりももつと広い視野と社会良識とを持つたような人を最高裁判所の判事の中には加えなければならぬ、そういう見地であとの五人は法律の専門家でなくても、広い社会良識とそれから教養を備えておる者から任命してさしつかえない、そういう構成になつております。従つておそらく、今おつしやいましたようなことを逆にすると、それは法律を知らなくてもいいのだという曲解した議論が出て来たのじやないかと思いますが、しかし趣旨は最高裁判所の裁判官は必ずしも法律の専門家でなくてもいい、少くとも十人はそうでなければならぬけれども、残りの五人はそういう制限はつけない、こういう仕組みになつておるのでありまして、その点から来ておるのじやないかと思います。但し私が最初申しましたのは、最高裁判所の仕事もやはり一つの事務でありますので、訴訟というものは生きものでありますから、やはりびしびしと国民一般が片づけてもらいたいと願つておる時間とあまりにか隔たりのない間にこれを裁判してもらわなければならぬ。今までのごとく国民が裁判を求めてから二年、三年、四年もかかるということでは、とうてい時代の要求に沿わない。そこで裁判もある意味におきましては時代と相対関係で、ある時期の間にやつていただきたい、こう思うのでありますが、そういう見地からやはり民事それから刑事も、一面においては専門家の人も望ましいし、それから一面においては憲法なら憲法についての専門家、そういうような点から実務と経験の豊富な方に構成してもらつて、裁判をなるべく適当な時期のうちにやつていただきたい、そういう趣旨で一番初めは述べたのでありますが、ただ今の無法の構成は、条文は今何条か記憶はありませんが、たしかそういう条文がある。最高裁判所の裁判官の構成は十五人でありますが、そのうち少くとも十人はこれは法律の専門家でなければならない。ゆえにあとの五人については制限していないのだから、それでそういう反対解釈ができたのではないか、こう思つております。私の思いついた点だけをお答え申し上げました。
#30
○鍛冶委員 そこでこの間からいろいろ議論を聞いておりますると、そういう最高裁判所は特別のところであるがゆえに、十五人なら十五人の裁判官をもつて最高裁判所を組織しておるのだ、一体になるのだ。従つてその裁判所の中へ認証官たる裁判官とそうでない裁判官とを入れることはおもしろくないのだ、こういう議論が出て来ております。これに対してそういう議論は間違いなのか、またさしつかえないというならそのさしつかえないという論拠はどこから来ますかを承りたいと思います。
#31
○安平参考人 その点は深く回答いたしておりませんが、現行憲法の解釈ではそういう解釈が一応当つておるのじやないかと思いますが、私の申しました司法制度のなにはあとの方の理想案でありまして、この理想案は今の無法のこの規定さえもやはりその理想案の限度においては修正されることを前提としている議論であります。今の憲法を、どこまでもその規定を動かすことはできないということを念頭に置いての議論ではないのであります。その限度においてはその規定なんかむろんこれは改正されるのです。そういう見通しのもとの議論であります。
#32
○高橋(禎)委員 これは両先生どちらの方からお答え願つてもいいわけですが、問題としてはこまかいかもしれませんが、旧刑事訴訟法時代と現行刑事訴訟法時代との上告の割合というものは、どういうふうになつておるかということを何かお調べになつたものがあればお知らせ願いたい。それから旧刑事訴訟法時代の被疑者の逮捕と現行刑事訴訟法当時における逮捕の数の事件に対する率、なぜこれをお尋ねするかと言いますと、どうも現行刑事訴訟法になつてから捜査が非常に困難になつた。たとえば黙秘権を認めるということになつてから捜査が困難になつた。逮補しなければ事件の真相というものはつかめないのだといつたような傾向があるのじやない、ところが逮捕をして取調べをするところに虚偽の自白なんかが生れやすい。その虚偽の自白を基礎にして事件が進んでおりますと、結局上告というものも非常にふえて来るのじやないか、そういうことを考えますから、今の点をお尋ねしたわけであります。
 それから安平先生には特に検事の付帯控訴について御意見がありましたが、付帯控訴を許すのであれば検事側だけに許すのでなく、被告人側にも許したらどうかということが考えられるのですが、検事だけに許して被告人側にこれを許すことは不都合であるということになると、その理由はどういうところにあるか、これをひとつお尋ねいたします。
#33
○安平参考人 ここに不完全ながらちよつと統計を持参して参りましたが、これは刑事上告事件調べであります。今高橋委員の御質問でありますが、ざつと簡単に読んでみますと、昭和二十二年旧大審院当時でありますが、刑市上告事件ば合計一年に三百四十二件であります。その幾年の二十三年は刑事上告事件は二千三百三十五件、昭和二十四年は四千七百六十三件、昭和二十五年は七千四十七件、昭和二十六年は非常におびただしいのでありまして一万一千三十五件、それから昭和二十七年には九千九百四件となつております。昭和二十二年の大審院当時三百四十二件でありましたが翌年の二十三年、これもまだ旧大審院当時でありますが、二千三百三十五件でありますから、大体において旧大審院当時一年の刑事上事件は二千件程度であつたのでありますが、昭和二十六年、これはおそらく刑事上告事件の山であつたのではないかと思いますが、新法実施の昭和二十六年度はその五倍程度、一万一千三十五件。翌年の二十七年には九千九百四件となつておりますが、少し減つております。バランスをとつてみますと、昭和二十六年には旧大審院当時の五倍、こういうことになつているのであります。
 それから次の逮捕の点でありますが、一つお考えを願いたいのは、今の勾留ですが、勾留は前提として逮捕という事柄かなされていなければ次に勾留手続に移ることができない。たとえば窃盗罪について逮捕したらどうなるか。ところが検事が検事が調べている間に、その窃盗の点が消えて今度は臓物運搬罪か出て来たという場合に、臓物の運搬罪には今度は直行的に勾留を請求するということはできない。これは出直して来なければならない。語をかえて申しますれば、検事が重大なる事件については逮捕してすぐまた引続き捜査の必要がありますれば勾留の手続に移らなければなりませんが、その勾留手続に切りかえの場合に前提として逮捕ということがなければ、これは初めからすぐ勾留を請求するというわけに行かない。そういうようなぐあいでありまして、今の訴訟は強制身柄拘束事件ということになりますというと一応逮捕の手続を踏んで来なければ困るのであります。現に私なんかはたいへんに困つておりまして、たとえば上告審で被告人の身柄をあしたから放してしまわなければならない、どうするかという相談を下の方からやつて来る。どりして身柄を縛つていなかつたかと聞きますというと、この被告人はほかの余罪で刑の執行として刑務所につながれておつた、そこで現実にほかの罪で刑の執行として拘置所につながれているのだから、そのほかに逮捕状を出すということは気違いでなければできないので、つい逮捕できなかつた。ところが上告審継続中はその刑の執行が済んでしまつた。済んでしまつたからして、あしたから身柄を出さなければならぬ。ところがこれは強盗である殺人であるという場合に、それでは身柄を縛つておかなければならぬ。ところが上告審のことでありますから、裁判所は被告人の出頭必ずしも要件ではありません。勾留というものはしません。前提として逮捕というものが必要でありますが、逮捕は初めからないのであります。こりいうようなことは非常に困ることになります。そこで一つは、今の刑事訴訟法の条文をお調べになるとわかりますが、逮捕行為があつたということを前提として勾留手続に移るというような仕組みになつております。一つはそこから、やはり重大なる身柄拘束が予想される事件については逮捕ということが、やはり一つのかぎになつているということが一つ、それから訴訟手続というものは、とかく制度がありますというと当事者双方ともこれを使いたがる。乱用するなと言つても、制度として認めておればとかく便利である限りは双方とも使いやすいということかありますから、逮捕請求制度を認めておりますればむしろこれを使うのが合法的だ、使わなければ非合法であるというふうに考える筋合いもありまして、逮捕しなくても調べがつくのではないかとお考えになる向きがあるかもしれませんが、一応訴訟は本格的に身柄を拘束して取調べることが有利と予想されることから、そういう結果になつて来るのであります。訴訟にタツチしますものは、やはりお互いに人権を侵害しないように気をつけまして、逮捕をする必要のない者は、なるべくこれは考えなければならぬということが必要であると私は思つております。幸か不幸か、必ずしも現実はそのようになつていないのであります。
#34
○高橋(禎)委員 上告事件がだんだん増加して来たという傾向はわかるのですが、大体総事件に対する上告の比率がわかればお伺いしたいわけです。それから逮捕の点について、今おつしやつたような――法律がかわつたので、従来は逮捕手続をとらなくてもよかつたものを、形式的にでもその手続をとらなければならなくなつたものもあると思いますが、私は先はどもお尋ねいたしましたように、上告事件がふえて行くのは、決して田中最高裁判所長官のおつしやるような理由だけでふえるのではなくて、やはり裁判の実質に不平、不満足があるというところから上告しようという考えが起つて来るのだ、まあ根本的にはそういう見方をしておるわけです。そこで、不必要な逮捕――勾留も申し上げましよう、その両方ですね、身柄拘束を捜査中にやるということは、そこに捜査に無理がかかつて、それが真実に沿わないものになる。それらの理由が相当上告を多くする原因になるのではないかという点を考えましたものですから、検察庁等で特にこの点に留意されて御研究になつておるはずと思いましたから、もしお手元にそれらの統計があればお示し願いたいと思つたのですが、この点をなお重ねて、その数字とこれに関係する御所見をお伺いいたしたい。
#35
○安平参考人 今御質問の趣旨にぴつたり符合する統計はございません。ただ上告事件がふえます理由は、今委員の方の御質問にありました通り、私も必ずしも最高裁判所の田中長官の言われた通りとは思いません。やはりこれはわれわれが弁護士になつてもそうですが、訴訟制度というものは攻撃あるいは争う余地が認められておりますと、どうもふに落ちない裁判に対しましてはぎりぎりのところまでその制度を使つて行くというのが人情でありまして、いやしくも上告制度が認められておりまして、被告人が第一審の判決に対して不服だと申しますれば、何とか最後まで争うというのが必然の要求と思いますので、現に今まで最高裁判所に係属しました上告事件はそういうような趣旨の表われが本格でありまして、不利益変更禁止の規定云々ということは一つの理由たるにすぎないので、それによつて動かされたものではない。結論から申しますれば、訴訟というものは、不服のある限り、しかも制度として攻撃、防禦の余地が残されておる限り、最後のぎりぎり結着のところまで争うというのが、民事におきましても刑事におきましてもむしろ自然の勢いである、かように思いますので、その点の見通しは同感であります。おとの点につきましては、残念ながら統計的の何は持つておりません。
#36
○小林委員長 それではこの程度にとどめまして、午後二時から再開することにし、暫時休憩いたします。
   午後一時二十九分休憩
     ――――◇―――――
   午後二時五十四分開議
#37
○小林委員長 休憩前に引続き会議を開きます。
 午後は参考人駒田重義君より御意見を承りたいと存じます。
 参考人にはたいへん暑いところをお出かけくださいましてお礼申し上げます。
 衆議院の法務委員会におきまして、これまでに刑事訴訟法の一部を改正する法律案を審議し、さきの国会では民事訴訟法の一部改正の法律案を審議したのでありますが、これらのことから最高裁判所機構などに関して広く上訴制度についてさらに深い審査をする必要があることを感じまして、上訴制度に関する調査小委員会を設け、また一方憲法違反の訴訟について特殊の考案をする必要があるのではないかというようなことの上から違憲訴訟に関する小委員会、この二つの委員会を設けた次第でありますが、休会中この二つの小委員会を併合いたしまして、この二つの問題ととつ組んで今研究を進めておる次第でございます。先月から今月に続いて約二十人に近い参考人各位から御意見を聞いておるのでありますが、駒田参考人には、長い間判事の御経験を持つておられ、またがつての大審院にもおられ、今簡易裁判所においでになるのでありまして、今の簡易裁判所の制度の上などから最高裁判所の問題等にわたつて御研究と御経験に基いた御意見を承りたいと思つてお願いした次第であります。参考人には、
 一、現行簡易裁判所制度の可否、これに伴う上訴制度はいかにすべきかというような点を主要なる問題点としてお述べ願いたいと考えます。その他二つの問題に関して御意見を承ることができればはなはだ幸いであります。
 それではどうぞ御発言を願います。
#38
○駒田参考人 私はごく簡単に私の意見を述べさせていただきたいと思いま
 御承知の通り私のおります簡易裁判所は、二十二年の四月に発布せられました裁判所法に基いて発足した裁判所でありますが、しかしこの簡易裁判所というものはあまり世の中の人も考えていないと見えまして、何か簡易である。簡易裁判所というふうに簡易という言葉がついておる、それから特任裁判官が任用せられておるというようなところから、何だかアメリカあたりの特殊な裁判所じやないかというような誤解を持つておる人が相当あると承つております。それらのことは何でもないことでありますが、しかしそういう誤解を招くような名前を付することはあまりよくないことだと私は考えます。またこの間沖繩の裁判官が視察に参りまして、私の裁判所にやつて参りました。その場合に、簡易裁判所の簡易というのはどこから出て来たのかという法律的の根拠を尋ねられまして、私は実は困つたのです。あまりそんなことを調べたこともないものですから、困つたが、しかしあまり答えないわけにも行きませず、とつさに、二十三年かに改正されました民事訴松手続の規定の改正された部分の冒頭に、事件の処理について簡易迅速に紛争を解決する。こういうことが書いてあるのです。そういうことはほかの法律、裁判所法はもちろん、刑事訴訟法、憲法にもございません。そういうことがないものですから、そこでたいへん簡易裁判所の法的根拠がわからぬことになつておるのです。しかし私はこの文字、それはおそらくそうだろうと思うのですが、それによりまして、民事訴訟法のこの規定は訴訟手続に関するところの、やはり簡易裁判所の基本的理念を表現したものだと私は考えております。しかしその理念は今の民事訴訟法の規定にあるわけでありまして、その民事訴訟法というものは、これはやはり裁判所法というものから来ておる。裁判所にもとがある。だからそういう理念を持つておるところの裁判所がこしらえたところの簡易裁判所にはその理念がなければならぬ。そういう理念を持つておる裁判所であるから、やはり簡易裁判所と言つていいのではないか。こういう見解を即座に立てたのです。そしてそのことを今の沖繩の裁判官に話したところが、なるほどそうですかと言つて納得したように思いました。それはけつこうなのですが、帰りしなに、私の方は簡易という文字は用いません、私の方は治安裁判所と申しますと言つて出て行きました。何だかそこに示唆を与えられたような気分を起したようなわけでございます。とにかくそういうようなわけでございますが、それはやはり名称なり何なりがいけないところから来るのではないか。特任裁判官のことはあとで申しますが、しかし何か形式の上でも、名称の上でも、そういうところに悪いところがありますと改正してもらわなければならぬのではないかと私は考えております。
 それから、そういうようなことから簡易裁判所の性格はどんなものであるかということが多少問題になるのです。今の米国あたりの裁判所ではないかと言う人もあるが、そう言う人は性格がわからぬからそういうことを言うのであります。その性格がやはり問題になります。しかし日本の今日の訴訟制度においては問題がないはずなのです。そんなことを今ぐずぐず言うようではしかたがない。そんなことを問題にするようでは困りますが、しかしそれならば考えなければならぬことはまたさらにある。日本の今日の訴訟制度、裁判制度におきましては、簡易裁判所というものは厳然たる第一審裁判所である、こういうことです。これをよく念頭に置いていただかなければならぬ。であるから第一審の裁判所というものは非常に有力なものでなければならぬ。充実され、強化されておるものでなければならぬ。弱体であつてはならないのである。重量感の之しいものではいけないのである。それらが非常に必要なことではないかと常に思つております。これは今日の簡易裁判所も、もとの区裁判所も同じことだと思うのです。区裁判所は今日の簡易裁判所なのです。これは多少異論があるようでありますけれども、しかし前の裁判所構成法、今日の裁判所法、それらの規定を対照してみますと少しも違いがありません。起訴手続だとかあるいは管轄事項の上に幾分かそういう違いがありますけれども、しかし大体においては同じことです。前の区裁判所であつた時代のものと今日の簡易裁判所とはかわりはございません。区裁判所の延長であると言つていいと思うのです。そういう状態ですから、区裁判所の時代のことはやはり今日の簡易裁判所でもそのまま用いてもいいのだと私は思つております。それで大正何年でございましたか、御承知の方もおありと思いますが、あの時分に、区裁判所というのは第一審の重要なる裁判所であるから、ここへは練達の裁判官、有能な裁判を配せなければならぬというので、特に秀才をその方にまわしたことがありました。これなんです。これなどは今日でもやはり同じことでなければならぬ。これが必要なことで、この点について異論をはさむ人はおそらくはないと思います。これははさまれては困ることで、実際の今日の三審制度の基礎をゆるがすようなことになる。私はこの点について今日非常に痛感しておるわけなのでありますが、簡易裁判所にはできるならば本格の裁判官を配置していただきたいのです。これは今日の制度ではちよつとできかねるようなことになつておりますが、そういう本格的の裁判官を配置してもらいたい、それが私の念願である。本格の裁判官を出すべきものであるのに、これが実際の上ではそうは行つておらないのです。問題になつて来ようと思いますが、選任裁判官というものに私は大きな間違いがあるのではないかと思つております。重要なる第一審の裁判所に特任官を持つて行つたということは、簡易裁判制度の発足の際にそもそもの大なる誤りを犯しておるもので、これは私はたいへん遺憾に思うのです。ただ私の言うのは制度のことでありまして、それだからすぐ今日の特任裁判長がみないかねというのではないのでございますから、誤解のないようにしていただきたい。今日の裁判官はたいへん精励恪勤の人が多くて、相当勉強しております。ですからおそらくはこのままでもいけないかもしれません。しかし弱体であり、重量感が足らぬというそしりは免れません。そこに改革の必要があろう。私の意見としては、この裁判所では本格の裁判官を任命していただきたい、こういうことを言うわけなのです。それは何でも同様でありますが、このごろまた民事の方では今までの訴額が少しふえまして、事件の種類が大分かわつて来ております。これは御承知の通りだと思いますが、簡易裁判所の事件といえだもなかなか蔑視することはできません。なかなかむずかしいものがあります。たとえば請求に関する裁判所の異議なんという事件はかなりむずかしい。また刑事の業務上過失致死という事件がありますが、こういう事件は地方裁判所で取扱いましても相当難物視せられる事件であります。また窃盗は簡易裁判所では圧倒的な数に上つておりますが、この窃盗事件にしましても、今日その犯罪人の大部分は青少年である。その青少年の事件の処置いかんということは、これが問題である。再興再建のこの日本国の将来に影響のあることでありますから、それは非常に考えなければならぬことである。裁判官はそこにも大きな責任を感じなければならないようなことになつておる。また即決和解というものがございまして、これは何でもないように思われますが、その即決和解の中に何と数百万円、数千万円の事件がある。これはもう訴額を超越しておりますが、そういう事件があります。そのかわりに即決和解条項でも十万円ぐらいの訴額を要するようなものもあります。中には商法、民法などのこんがらかつた相当むずかしい問題を包含しておるようなものが来るのです。そういう事件があるのですから、それは普通の人ではこれでも難問題だと思うのです。特任の裁判官でできるはずがないのです。勉強すればそれはできるでしよう。勉強しつつやつておりますから、おそらく大過なくやり得るだろうとは思いますが、それを特任の人にやらすということは無理かと思います。負担過重になるおそれがある。そこに改革しなければならぬ原因があると私は思います。私は裁判官の一本化を希望しております。裁判官の一本化といいますのは、簡易裁判所判事というものをこしらえないで、本格の裁判官、これだけですべてをまかなうようにする。簡易裁判所の判事でも本格の判事がやる。簡易裁判所判事というものをこしらえないでやるのです。そういう方法で行かなければ、どうしてもほんとうでない。以前の区裁判所にはそういう特別の裁判官がおつたことはないのです。元の区裁判所の通りにやらなければいかぬのじやないかと思う。昔のこと必ずしもいいことではありませんが、この問題だけは少くともそうしなければ、やはり裁判所の威信を維持することはできない。重量感を加えることができない弱体裁判所になつてしまう、そういうことになりはせぬかということを心配いたしまして、そういう考えを持つておるのです。でありますから私は裁判所としては、そこにだんだん改革する余地があるということを申し上げたいわけであります。特任裁判官をどうするか、こういう問題もそこに残る。私は特任裁判官については別に見観を持つております。特任裁判官は全部廃止しなければならないのです。廃止してどうするかというと、これはその方面から来た人のうちでは相当優秀な人です。優秀な人ですから優遇しなければならない。ですから私はこれらの人々を、希望によりまして普通の研修生のようにあの研修所に収容する。そして一年なり一年半を教養させて、それを判事補にして、普通の判事の径路をたどらせることにする。しかしそれは希望にまつわけでありまして、希望しない者はそういうことをするわけには参りません。中には年や健康の関係でそういうところに入ることが適しない人もありましようから、そういうことは無理にはできませんが、希望によりましてそういう人をとつて判事としての道をたどらす、あるいはまた簡易裁判所の判事でも、それをやつておるならば、たとえば十年やればそれで本判事になることができるというような、そういう優遇の方法を講じさせるということがいいのではないかと思います。もつとも希望もせず、また行くこともできない人もありますが、そういう人はまたそれで何とか今日のように簡易裁判所におることができましよう。その方面のことについてお述べになつた方で、そういう意図を持つておられる方もあるようにちよつと聞きましたが、裁判所にはいろいろな事務があります。たとえば督促手続きであるとか、あるいは略式命令である、あるいはまた仮処分、仮差押え、こういうようなものもたくさんあります。そういう事務は、そういう人に十分とり得るのでありますし、そういう事務をとる上においては、それはなかなか練達の士である、それこそ有能な方が多いのでありますから、適任だと私は存じます。そういうぐあいにして、これを利用するならば、その人人も十分よいのみならず、利用価値も十分上げることができると私は考えます。そういう方法を講じまして何とかすればよいのではないかと私は思つておるのであります。これはこまかく申しますと、とてもむずかしい問題になりまして、簡単には行かないのであります。御承知の通りすべてこれは財政問題とひつかかりがあります。また今の定員や何かの問題でむずかしいことになりますが、何とか根本的に法制を改革せられて、今日の簡易裁判所という制度を、もとの区裁判所と同じような制度に還元せられることが一番よいのではないかと私は思つております。以上が簡易裁判所の可否についてという御質問に対する私の意見ということになるのです。
 上訴のことも何かございましたようですか、上訴は、これは簡易裁判所に練達の士を、つまり本格的の裁判官を配置してもらえるかどうかによつて違つて来ると思います。上訴そのものは、それは不服ならせしむるのが政治の大道でありますから、なるべくさせるがよい。不服は遺憾なく述べさせるがよい。だからその点で控訴審に対するのと、上告に対するのとは大分違うのです。ですから一審の裁判所のやつた判決に対しましては、制限しないで上訴させるのがよいと思うのであります。それを控訴審として調べる段になりますと、今の一審が充実されておるかどうかということによつて、結果を異にする。一審が充実されなければ、それはやはりそういう人がなした裁判に対してはもう一ぺんやり直すという必要かありましよう、もちろんまた人によりましては、そんなことをしなくても事後審でけつこうな場合もありましよう。でありますからこの一審の制度が充実しておるか、どうかということによつて、それは違つて来ると思います。今日の程度であるならば続審を主張します。しかしそれがもとの区裁判所のような、そういう制度にかわりますならば、事後審でけつこうだと思うのです。しかし一審でありますから控訴審の性質は続審主義をとる方が一番穏当ではないかとは考えております。上告の方は、これはまた多少趣が違うのでありまして、控訴審で相当練達の裁判官が取調べをしたあとでございますから、それは控訴審を尊重して、今日の方法でよいのではないかと私は思つております。その程度のところで御勘弁を願いたいと思います。ごく簡単な、そまつなことでありまして、自分ながらはなはだ本意ないと思つておりますが、何か御質問でもございましたらお答えいたします。
#39
○小林委員長 質疑に入ります。吉田君。
#40
○吉田(安)委員 あとの方から伺いますが、結局駒田先生は、上訴の点については、控訴は続審をもつて可とする。上告になると、今の場合ことに続審ならなおさらであるが、要するに高等裁判所の練達の判事の方々がやられたことであるから、それに対する上告の範囲は現制度でよろしいと思う、こういう先生の御意見と承知してよろしゆうございますか。
#41
○駒田参考人 はい。
#42
○吉田(安)委員 それから簡易裁判所のことですが、これは午前にもこの問題に触れまして、大体参考人の御意見は私どもの思うておることと一致するのであります。簡易という名前の出て来たゆえんのものは、今参考人のおつしやつたことも私おもしろく拝聴いたすのでありまして、私ども自身が国会に出ておつて、裁判所のそうした名前がかわつておることは慣用してよく承知しておりながら、幾月ぶりかに国へ帰つていわゆる裁判所に出かけまして、あの簡易という看板を見たとき異様な感じもしますが、こちらではうつかり区裁判所々々々々と使つていることもあります。こういう点からも裁判所の威信と申しますか、そういうことから考えても簡易などと軽々しいような感じのする裁判所の名前は、要するに各人がその利害の相争いをするあるいは人権に関する争いをする場合にはどうであるかと思うておつたが、はしなくも参考人のそうした御意見を聞きまして、非常に参考にし得られたわけであります。
 それともう一つ、参考人の御意見では第一審は最も充実強化すべきところである、これが誤つて充実強化をするとかえつて威信を失墜するようなことになると、三審制度の根本をくつがえすおそれがある、この御意見、私非常に傾聴いたすのでありまして、まつたくその点も敬意を表する御意見だと存ずるのであります。
 ただ簡易裁判所に特任判事を持つて来ることですが、これも今おつしやつたことはごもつともだと存じます。しかし中には特任判事で非常にうまくやつて行けるような人もあるのでありまして、結局物事は人だということにもおちつくような感じもいたすのであります。しかし大体においてこの点も参考人のお話に私ども敬意を表します。
 ただこれは率直に申し上げまするが、先ほども開会前にちよつと話が出ておりましたが、裁判官の停年制であります。これには一長一短がありまして、場合によるとこの停年制があるためにもう年をとつた判事さんは早くやめてもらいたいと思うが、定年制を橋頭堡のように考えてがんばつておられる方もある、そうかと思いますると一面では停年制がありまするために、停年に達すると残念にもやめなければならぬ、まだ働けるし、体力も、また能力、手腕においても申分のないという人もたくさんおありになるのであります。そういう意味では停年制がじやまをしております。これはきようはしなくも私は駒田先生にお会いをしましたが、数十年以前から最も尊敬と信頼をしておつた方でありまして、実は、私ごとを申し上げて恐縮しますが、先生がどこに行つてどこに行つたか、ある時期には官報を見て先生のあとをおつかけた時代もあるのであります。そうして大審院に入られた、私大いに喜びました。その後区裁判所に入られたことも承知しておりまして、そのとき私は今言つたような心持、建前から行きまして、第一線の裁判所を充実する意味において、非常に私は喜びますと同時に、参考人の態度に対して少からず敬意を表しておつたのでありまして、きようはお見えになることを楽しみにしておつたような次第でありますが、承りますれば特任判事制度は参考人としては、第一審裁判所充実という点、威信を保持するという点、現存すべしというようなことから、特任判事制度は全然御反対だというこの意味において裁判所も改正するというところまで進むベき御意見だと承つてさしつかえないでしようか。その点を念のために承つておきます。
#43
○駒田参考人 今私の御説明申したことに対して、何だかたいへん過分の御讃辞をちようだいしたような節がございまして、かえつて感謝しなければならぬような節もございます。
 最後の今の点ですが、簡易裁判所の特任官、これは全然廃止すべきか、こういう問題ですが、実は特任の人にはりつぱな人もあります。私の知つておるある判事の方にも、どこへ出してもりつぱな人もあります。そういうりつぱな方があるのですから、こういう人はいいじやないかということも言いたいのでありますけれども、しかし孔明泣いて馬謖を切る、これはやむを得ません。そういうところに裁判官の立場としての悲しみがあるのです。すべて事件を裁判する上においてはやはりやむを得ないことがあります。ですからこういう場合においてはこれはしかたがありません。しかしこういう人はなかなかりつぱな才能を持つておる、りつぱな人格を持つておる方でございますから、これは特別に優遇する道をとつてあげるということは考慮しなければならぬことと私は考えております。しかしそれとこれとはまた別問題であります。裁判制度を確立するかどうかということは大きな問題であります。これはゆるがせにすベからざる問題であると私は確信しております。ですからその確信のもとにおいては、どうしてもそういう人情的のこだわりを持ちましてはこれはできません。やむを得ずそれは廃止することが当然であると私は考えております。
#44
○吉田(安)委員 よくわかりますが、さいぜんおつしやつた特任制を認めるとすれば、一応いずれの場合でも、裁判所の書記にも希望を持たせるということは必要なことでありまして、そういう点からはやはりそういう道が開けることは、日ごろああしたむずかしい仕事に携わつておる諸君あたりにそういう特任制度が設けられますることは励みの原因にもなるし、その点から行きますと、私どもはやはりこの特任制度を設けまして、そうした道をつくつてやるということはいいことじやないかと思つております。特任制度を設けたときの議論は、きようは来ていませんが、同僚の中にも特任判事はいかぬということを主張した人もあります。それから今申しましたように、そうした光明を与えることも必要じやないかということが一つの理由となつてああいうことが認められたのでありまするが、参考人のお話を聞きますると、一応研修生として何年かを研修させる、そしてりつぱな資格、能力を与えて研修させた上で特任判事にするということならば、その点はいかがでありましようか。その点がはつきりしませんでしたからお尋ねいたします。
#45
○駒田参考人 私はその点はあるいは説明が簡単であつたために徹底いたさなかつたかもわからぬと思いますが、私の本来の主張は裁判官一本化でございます。それで簡易裁判所にも特任の裁判官は置かないのであります。特任官を廃止するというのは一つはそのためでありまして、特任官を研修所に入れるということは、つまり本格の裁判官を養成するために、研修生としてそういう人は特に研修をさせまして、その期間を経ますればそれで判事補にする。今の何は研修生から判事補になり、判事になる、それと同じような経過でもつてやはりその道をたどらせるということになる。ですからして、今日の特任の裁判官になるということ以上にそれは今日の特任の人には非常にいいではないかと思います。今日の人ばもう特任で終らなければなりません。弁護士にもなれないのです。これは私は非常に気の毒なことだと思うのです。特任裁判官をやめますとこれはしかたがないのです。公証人にもたしかなれません。弁護士にもなれません。ほんとうにお気の毒です。ですから、それはそういうことにせずして、研修所に入られて判事、裁判官になられる。それはりつぱな人でなければそういうことには行けませんが、そういうりつばな人ならば行けますから、そういう才能を生かそうというわけです。行けなければこれはしかたがありません。そのかわり別な何か方法を考えてもよろしゆうございます。たとえば今の年限を十年も経過しますれば、そうして相当練達の域に入つておるならば、判事補にそれはしてもいい、そういうこともできます。またそれもできまい人ならば、やはり簡易裁判所のときのように、今の新しくできた裁判制度における裁判所、すなわち私は区裁判所付といつていいと思いますが、その裁判所の方で、あるいは略式命令を担当するとか、あるいは督促手続を担当するというぐあいにしてそれをやつて行くならば、それでちつともさしつかえがないじやないか。そのかわりにそれは特任裁判官というわけにはいかないので、別の名前を与えなければいけないのです。たとえば裁判官補とか、あるいは裁判官事務取扱いとかなんとかいう特例を設けなければやはりだめです。そのかわりにその特例によつてやりますその人は裁判事務はとれない。裁判事務がとれないというとちよつと言葉が悪いが、たとえば略式命令のようなもの、これはやはり裁判でありますからちよつと困るのですが、そこは何とか裁判官補あるいは事務取扱いというので、それができることにしなければぐあいが悪いと考えているのです。そういうことで前途に不安を与えないように、前途に希望を持たすことが大切でありますが、むろんそれはできるじやなかろうかと考えておるのでございます。
#46
○吉田(安)委員 そうしますと、こういうふうに承つておいてよろしいですね。参考人のおつしやることば、裁判官の一本化でやつて行かなければならない。それは今のような特任裁判官では困るから本格の裁判官一色にしてしまわなければいけない。それで特任という人の道を開くためにも研修所に何年か入れて、そして本格的な裁判官にして一本化をはかろう。それから名前は特任判事ではちよつとおかしいが、その道を開き、功名心を与えるという意味から言つても、たとえば略式命令はやはり一つの裁判でしようけれども、ほかの簡単な手続をするのみであつて、公判、裁判には立ち会うことのできない一つの制度ですね。そうすると、やはりないよりもいいから、書記あたりなんかも、私の考えでは勉強も非常にするだろうし、いいことじやないかと思います。その点は大体参考人のおつしやることと一致しているような気がいたしますが、間違いでしようか。
#47
○駒田参考人 お話の本筋は大体私の考えているところと違いないと思います。
#48
○吉田(安)委員 それからもう一つ、今の停年制のことはどうお考えになつているでしようか。
#49
○駒田参考人 停年制のことは、もう私は停年になりかけておるのでちよつとぐあいが悪いですけれども、しかし実際は停年制というものはそう歓迎すべきものでもないでしよう。といいますのは、能力のある人は死ぬまで働いたらいい、死ぬまで勉強したらいい、これが当然なことです。それを停年によつて何するということは、特別の事情がなければなりません。それはあるいは後進がつかえているとかなんとかいうような、そういう特別な事情によつてやむを得ずそういう制限を設ける場合はしかたがないが、しかしそういう理由がないのにかかわらず、そういうことをしなければならぬということはよくない、しかし理由があるならばやむを得ないじやないか。それで今日の世の中におきましても、その理由のあるなしをよく調べて、その上で、ある官庁には停年制を必要とし、ある官庁にはその必要がない、こういうことをきめたらいいじやないかと私は思います。一概に停年制ということを是非することはできないのではないかと考えております。
#50
○小林委員長 他に御質疑はありませんか。――なければ、駒田参考人におかせられましては、まことに長い時間ありがとうございました。
 本日はこの程度にいたしておきます。明日は午後一時より開会いたします。
 本日はこれをもつて散会といたします。
   午後三時四十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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