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1953/04/02 第19回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会 第32号
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1953/04/02 第19回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第019回国会 法務委員会 第32号

#1
第019回国会 法務委員会 第32号
昭和二十九年四月二日(金曜日)
    午前十時五十分開議
 出席委員
   委員長 小林かなえ君
   理事 鍛冶 良作君 理事 佐瀬 昌三君
   理事 田嶋 好文君 理事 花村 四郎君
   理事 高橋 禎一君 理事 井伊 誠一君
      押谷 富三君    林  信雄君
      中村三之丞君    吉田  安君
      猪俣 浩三君    木下  郁君
 委員外の出席者
        参  考  人
        (一ツ橋大学教
        授)      田中 和夫君
        参  考  人
        (日本弁護士連
        合会司法制度調
        査会副委員長・
        弁護士)    片山 繁男君
        参  考  人
        (名古屋高等裁
        判所長官)   下飯坂潤夫君
        参  考  人
        (東京弁護士会
        ・弁護士)   岡  弁良君
        参  考  人
        (最高裁判所判
        事)      真野  毅君
        専  門  員 村  教三君
        専  門  員 小木 貞一君
    ―――――――――――――
四月二日
 委員金子與重郎君辞任につき、その補欠として
 吉田安君が議長の指名で委員に選任された。
    ―――――――――――――
四月一日
 戦争受刑者の釈放等に関する陳情書(宮崎県議
 会議長日高弥一)(第二五九六号)
 同(東京都引揚同胞及び戦没者遺族対策審議会
 会長春彦一)(第二六五五号)
を本委員会に送付された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 裁判所法の一部を改正する法律案(内閣提出第
 七九号)
 民事訴訟法等の一部を改正する法律案(内閣提
 出第八〇号)
    ―――――――――――――
#2
○小林委員長 これより会議を開きます。
 本日は裁判所法の一部を改正する法律案及び民事訴訟法等の一部を改正する法律案以上二案を一括議題とし、両案について参考人各位より御意見を聴取することにいたします。
 本日出席予定の参考人はお手元に配付いたしてある印刷物にある諸君、すなわち裁判官側としまして最高裁判所判事の真野毅君、名古屋高等裁判所長官下飯坂澗夫君、弁護士側といたしまして日本弁護士連合会司法制度調査会副委員長弁護士片山繁男君、東京弁護士会弁護士岡弁良君、学界を代表しまして一橋大学教授田中和夫君でありますが、そのほか慶応義塾大学教授宮崎澄夫君、東北大学教授斎藤秀夫君にお願いをしたのでありますが、両君はいずれも本日遺憾ながらさしつかえがあつて出席ができないとの御返事がありました。
 参考人に一言申し上げておきます。本日はまことに御多用のところわざわざ御出席をいただきましてまことにありがとうございます。本日御意見を承りたいという二法案は、御承知の通りにいずれも最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律が本年六月十日からその効力を失うことになつておりますので、その善後措置の意味をも含めて、一は裁判所の権限の分配の適正化をはかるため簡易裁判所の事物管轄の範囲を拡張し、家庭裁判所における家事事件及び少年事件を適正迅速に処理するため家事調査官と少年調査官とを統合して家庭裁判所調査官とする等の必要があるために提出され、他は第一に上告手続の合理化をはかり、第二に仮差押えまたは仮処分に関してなした判決に対してはいわゆる特別上告のほか上告を許さないこととし、第三には仮執行出宣言付判決に対する上告提起の場合における執行停止の要件を加重し、第四に調書及び判決の方式等の合理化をはかる等の必要から提出されたのでございます。
 両法律案はいずれもわが国の裁判制度の根本問題に触れるきわめて重要なる改正点を含んでおり、その取扱いあるいは本委員会での審議にはまことに慎重を期してかからねばならないと思つておる次第でございます。子のため本日は、参考人各位の出席を特に煩わしまして、各位の学識経験に基く幾多貴重なる御意見を承り、当委員会として公正妥当なる態度を決定いたしたいと存じておる次第であります。参考人各位におかせられましてはこの趣旨をお含みの上忌揮なき御意見を御開陳願いたいと思うのであります。
 それではただいまより御意見を承ることにいたします。まず第一に一橋大学教授の田中和夫参考人にお願いをいたします。田中君には一般的の御意見を伺うことはもとよりでありますが、その御研究の専門方面から、主要民主主義国家における上告制度について比較法制的にこの問題について御説明が願えればけつこうだと思います。ことに英米法の制度についてまた学問的見地から改正案に対する忌揮のない御意見を重点的に御開陳を願いたいと存じますが、本日は午前中はあなたのみでありますから、時間は大体三十分という予定でありますけれども、そういう制限にはかかわりなくお述べを願いたいと思います。田中和夫君。
#3
○田中参考人 御紹介にあずかりました一橋大学の田中でございます。まず民事訴訟法等の一部を改正する法律案の方から申し述べたいと思います。これは今委員長からお話がありましたように、また提案理由にもありますように、最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律の執行に伴つて民事上告手続等に関し改正を加える必要があるので御提案になつたものと思いますが、この改正案を見ますと大体二つに内容がわかれておりまして、一つは民事上告手続に関する部分であります。他は調書及び判決の方式等についての規定を最高裁判所規則にゆだねるという改正案であります。従つて私の申し上げます意見も二つの点にわけて申し述べたいと思います。
 まず上告手続の方から申し上げたいと思いますが、改正案によりますと上告を許す範囲を現行民事訴訟法よりも狭くしようという案であります。もつとも現在は特例法がありますので特例法も含めて申しますと、地方裁判所事件すなわち上告審が最高裁判所である事件につきましては現在よりも上告範囲が広くなります。簡易裁判所事件すなわち上告審が高等裁判所である事件につきましては現在よりも上告範囲が狭くなるという状態であります。まず上告制度について私自身の考えておりますところを簡単に述べますと、上告審は国民全般の法律生活で重要である事項についてのみ、かつすべて最高裁判所で処理すべきものと考えております。そして当然の権利として上告できる場合、権利上告の場合は憲法違反の問題のみに限つて、それ以外の問題はすべて裁量上告にすべきだという考えを持つております。裁量上告と申しますのは刑事訴訟法の四百六条、刑事訴訟規則の二百五十七条に規定しております上告受理の中立の制度でありまして、上告いたしました場合に、上告裁判所が国民全般の法律生活に重要性があると考えた場合にのみ上告を受理して審理する。その受理するやいなやはまつたく上告裁判所の裁量にゆだねられるという制度であります。なお重要な法律問題のみが理由である場合においては飛躍上告すなわち第二撰判決に対する上告も許すべきだ、こう考えております。現在におきましては両当事者が合意をすれば、民事訴訟法の三百六十条の規定によりまして飛躍上告をすることができますが、両当事者の合意がなくともできるようにすべきだ、こう考えております。たとえば昨年の十月十九日の東京地方裁判所の衆議院解散無効を理由とする歳費支払い請求の訴えについての判決、こういう事件は当然に最高裁判所の審判を最後的には求めるだろうと考えられる非常に重要な問題を含む事件でありますが、こういう事件につきまして、一審判決があつて、さらに二審で相当時間を費して上告審に行くということは、時間を空費するにとどまるのではないかと思うのであります。アメリカの例を引きますと、一昨年のトルーマン大統領の鉄鋼業接収事件のごときは、四月八日に大統領が接収命令を出しまして、これが訴訟となりまして、四月三十九日に第一審の判決がありました。これに対しまして、第二審を抜きにしまして直接連邦最高裁判所で取扱いまして、連邦最高裁判所の判決は六月二日になされております。日本におきましても、訴訟が非常に遅滞するということが問題になつておりますが、そういう非常に重要な問題につきましては飛躍上告を認めることが、重要な法律問題について確定的な判断を早くもらえることになるという意味で、やはり必要だと考えております。もつとも私が今申し述べましたように、上告を非常に制限するという案は、下級審の手続に改正を加えまして、普通の事件については二審限りで国民も満足するような状態にならなければならないとは思いますが、とにかく上告制度につきまして右のような意見を持つております。それを基礎にしまして今度の改正案を考えてみますと、上告を許される卸囲が非常に広いわけでありまして、反対といわさるを得ないのであります。ところがその反対の理由といいますのは、上告制限が非常にゆるやか過ぎるという理由に基くのでありますから、特例法が失効してしまえば、現在の民事訴訟法の規定だけになつてしまいますが、その状態と、本法案のように上告の範囲を制限するという案と、そのいずれかをとれという二者択一の問題となりますと、本法案に賛成という立場に立つわけであります。
 なお、この法案を否決いたしまして特例法の有効期間を延長すべしという意見があるようでありますが、最近目に触れました論文といたしましては、最高裁判所の裁判官藤田八郎氏の雑誌「ジユリスト」に出た論文があります。昨年の十二月一日号の「ジユリスト」四十七号でありますが、その中に「民事特例廃すべからず」という論文をお書きになつております。さらに本年の三月十五日号の「ジユリスト」五十四号でありますが、その中に「今次民事訴訟の改正法案について」という論文を書かれておりますが、その最後にも、「特に、国会に対しては、速かにかかる法案の審議を止めて当分の間、民事特例の存続を国会自らの責任において立法せられんことを切望するものである。」こう言つておられます。この点につきまして私の考えを申し述べたいと思います。
 特例法の有効期間は御存じのように最初二年間でありましたのを、さらに二年間延長したのであります。そしてその延長する際に、昭和二十七年第十三国会におきまして、その有効期間延長の改正の提案理由といたしまして、政府は次のように言つております。「以上の事情にかんがみ、この際、最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律の有効期間をさらに二年間延長し、その間に、民事訴訟法の改正につき成案を得るよう努力したいと存ずる次第であります。」こう言つておるわけであります。ところが政府ははたして民事訴訟法の改正につき成案を得るよう努力したかどうかということになりますと、法務府ないし法務省の内部で御努力になつたかどうかよく存じませんが、私は法制審議会の民事訴訟部会の委員をしておりますが、民事訴訟部会は、日は正確には記憶しておりませんが、昭和二十七年一月二十九日であつたかと思いますけれども、特例法の期間延長はやむを得ないだろうという決議をその日にいたしました。それから満二年間全然委員会が開かれずに、本年の一月二十一日から二十三日までにわたつて委員会が開かれまして、今度の改正法案の基礎となつた決議をしたわけであります。政府が約束した民事訴訟法の改正の努力をたな上げにしておきまして、そしていよいよ特例法が失効するという今日におきまして、この法案の提案理由説明書にもありますように、「特例に関する法律は、御承知の通り本年五月末日をもつて失効することとなつておるのでありまして、もしこの際同法の失効に備えるための何らかの善後措置が講じられないといたしますと、最高裁判所の負担が著しく増大し、ひいてはわが国の裁判制度の運用に重大な支障を来す結果となりますことは明らかであります」こう言つておりますが、これはいささか政府としては身がつてな言い分ではないかという感じがいたします。もとより法務省は非常に忙しいことだとは思いますし、またその間に、法制審議会に司法制度部会を設けて最高裁判所の機構の問題を中心として審議されて、その審議の結果によつては上告手続をいかにするかに影響があるからといつてお待ちになつておつた事情もありますが、民事訴訟法の第一審手続のごときは、最高裁判所の機構の問題いかんにかかわらずその改正を審議し得るわけでありまして、二年間何もしていなかつたのではないか、こう考えられる点は政府怠慢のそしりを免れないだろう、こう思います。しかしながら現実の問題といたしまして、最高裁判所の負担を調整するということは何とかしなければならない問題であります。それで私といたしましては、本法案を可決して恒久法として民事訴訟法を改正するよりも、むしろ本法案を否決して特例法の有効期間を延長ずるのがよいと考えるのであります。ただ民事訴訟法の改正について成案を得るまで当分の間延長するというふうにいたしますと、またまた民訴の改正がたな上げになるおそれがあります。そうして当分の間というのが実は半永久的になりまして、特例法が事実上恒久法となるおそれがありますから、やはり年限を切つて、その間に民事訴訟法改正の成案を得べきことを鞭撻されることが必要なのではないか、こう考えます。
 なお先ほど申しました藤田裁判官は、前に述べました雑誌「ジユリスト」の昨年の十二月一日号、すなわち「民事特例廃すべからず」という論文の最後に非常に重大なことを書かれております。それは次のようであります。「万一にも、立法者が十分の深慮に及ばず、特例を失効せしめるようなことがあつた場合に、最高裁判所として、いかに対処すべきか。手を挽いて、ことの成りゆきに任せるべきであろうか。或は、その場合は、最高裁判所は、その自らの憲法上の要請に応えるため、憲法第七十七条によつて最高裁判所に与えられたルール・メーキング。パワーを行使して、自ら右特例に代るべき相当の立法をするべきであると説くものもある。……自分は、今深く、この問題に触れることを避ける。ただ、この問題は、最高裁判所としてはその存立にもかかわる重大な問題であつて、真剣に考慮しなければならないものであることを附言するにとどめる。」こういうように書かれておるのであります。藤田裁判富御自身がそうすべきだと断言されているわけではありませんが、国会が現在の民事訴訟法の規定、すなわちすべての法令違背を上告理由とすることが適当と考えるような場合においては、最高裁判所は自己の存立にもかかわる重大な問題であるから、国会の意思を無視して、国会の意思に反してでも、上告範囲を最高裁判所の手で裁判所規則によつて制限するぞ、こういうわけであります。実に重大な問題だと考えるのであります。そういう理論の根拠は憲法第七十七条の最高裁判所の規則制定権に関する規定でありまして、それは本改正法案の第二点、すなわち調書及び判決の方式等に関する規定を最高裁判所規則にゆだねようとする点とも関連いたしまするので、第二点のところで述べることといたしたいと思います。ただ私の結論として申しますると、そういう、国会が上告範囲を制限しないならば、最高裁判所が自分の規則制定権によつて制限するということはしてはならないものだ、またできないものだ、こう考えるわけであります。上告手続につきましての本法案の個々の規定につきましては、時間の関係もありますので、また他の参考人から御意見があると思いますので、一々申し述べることは省略させていただきたいと思います。先ほど本法案は上告制限をすることに手ぬるいから反対だということを申し上げましたが、ただ仮執行宣言付判決に対する上告提起の場合における執行停止の要件を加重した点につきましては、これは全般的に反対だといいましても、その点については賛成であります。理由はこの法案の理由説明書にある通りと考えます。
 次に第二の、調書及び判決の方式について述べたいと思いますが、先ほど申し上げましたように、本改正法案は、特例法が失効するためにこれに対応する必要があるので急遽提出されたものであります。先ほども申しました最高裁判所の藤田裁判官の「今次民事訴訟法の改正法案について」という論文の中におきましても、非常に急いで「極めて短期間に十分の審議を経ずに出来上つたものであるということは、この案の内容を検討する上に、十分に考慮に入れるべきことであると思う。」というように書いてあります。非常に急いでつくられたものであります。ですから急いでつくる、やむを得ないからつくるというのであれば、この上告手続に関する部分だけでよかつたのではないか。言いかえれば、この調書及び判決の方式に関する改正は、これは一審からすべての裁判所に通ずる問題でありまして、今回の改正案に便乗した形があるのではないか、こう考えます。調書及び判決の方式に関する規定を最高裁判所規則にゆだねるという改正趣旨でありますが、最高裁判所の規則制定権には種々の重大な問題を含んでおるのでありまして、従つてそれらを十分に検討した上で、民訴の全面的改正の際に、この点の改正を考えるべきだと思うわけであります。今この問題を特に急いで改正すべき理由はないと思うのであります。最高裁判所の裁判官は年末になりますと百何十とかあるいは二百何十とかの調書に署名捺印しなければならない。それで非常に時間をとるのだということを聞きましたが、しかしもしそういう点で、その最高裁判所の負担調整という点からもこの改正が必要なんだということになりますと、それは民事訴訟法の百四十三条の裁判長の署名捺印とあるのを、裁判長の認印に改めるだけで事足りるのではないかと考えられるわけであります。この法案の理由説明書には、「元来民事訴訟法の調書に関する規定は、大福帳式の訴訟記録を前提とするものでありますから」云々と、これを規則にゆだねて合理化するのだというふうにいつておりますが、私ははたして民事訴訟法の規定が大福帳式を前提とするものであるかどうか、また現在の民事訴訟法の規定のもとでは合理化することができないのかを疑うものであります。私は調書のことはあまりよく知りませんが、民事訴訟につきましては、民事訴訟法に調書の規定がある。刑事訴訟については刑事訴訟法に基本的な規定があるだけで、大部分の記載事項は刑事訴訟規則にゆだねられておるのでありますが、その両者によつて、民事訴訟の方が非常に調書が旧式で、刑事訴訟の方が非常に近代的だという差異があるとも思えないのであります。現行の民事訴訟法の規定には大福帳式でなければならないという趣旨の規定は何もないわけでありまして、単に調書に記載すべき事項を列挙しまして、裁判長、裁判官、裁判所書記官、これに署名捺印すべしと規定しておるのでありますから、民事訴訟法の現在の規定のもとにおいても、大幅帳式調書を近代式調書に改めることはできるはずだと思うのであります。どういう必要があつて急にこの調書の方式についての点を改正しようとするのであろうかということを考えてみたわけでありますが、法案には、改正案の百四十三条でありますが、「審判ニ関スル重要ナル事項ヲ記載スルコトヲ要ス」こういうことにしようというのでありますが、その何が審判に関する重要な事項であるかということは、これは最高裁判所の判断にゆだねられて、最高裁判所がこれこれの事項を調書に記載すべしと、こう規則をつくられることに法案ではなるわけであります。それで刑事訴訟規則の改正のあとを見ておりますと、調書の記載事項が減つて来ておるのじやないか、刑事訴訟についてでありますが、公判調書の記載事項に関する刑事訴訟規則四十四条の規定を見ますと、たとえば公判の公開をしたかいなかという点に関しまして前には「公開をしたこと又は公開を禁じたこと及びその理由」、言いかえれば現在の民事訴訟法の百四十三条六号と同様の規定でありましたのですが、現在はその刑事訴訟規則四十四条の規定が改正されまして、「公開を禁じたこと及びその理由」というふうになつております。すなわち公判を公開した場合には公開したということは調書に書かなくてもいいのだ、こういうふうになつております。おそらくは民事訴訟につきましても調書の方式を最高裁判所規則にゆだねるといたしますると、そういうふうな変化が起るのであろう、こう考えております。ただ現行の民事訴訟法の規定では百四十七条に「口頭弁論ノ方式ニ関スル規定ノ遵守ハ調書ニ依リテノミ之ヲ証スルコトヲ得」、こうなつておりますので、もし右のようにいたしますると、言いかえれば公開した場合には公開したと書かなくてもいいということになりますると、公開をしなかつたと同等になります。民事訴訟法の三百九十五条の一項五号の規定によりまして絶対的上告理由となるのであります。そういうことの起らないことにするために出て来ましたのが百四十七条の改正案でありまして、それによりますと「口頭弁論ノ方式ニ関スル事項ニシテ調書ニ記載シタルモノハ調書ニ依リテノミ之ヲ証スルコトヲ得」と変更しよう、こういうわけであります。この調書の方式を最高裁判所規則にゆだねますと、調書に公開ということを書き忘れたがために、今申しましたように絶対的上告理由になるということはなくなるのだろう、こう思います。もちろん最高裁判所規則はいかなる規則をおつくりになるということはまだお考えになつていないと思いますが、正確には申し上げませんが、そういう方向に進んで行くのだろうと思います。言いかえれば、言葉は多少いかがかと思いますが、あげ足とりの上告を許さないことになるのだろう、こう思います。あげ足とりの上告を許さないということ自体に対してはもちろん私は異論があるわけではないのでありますけれども、もしそういう意図であるならば、その意図をやはり正々堂々と国会に発言してなさるべきではないか、こう考えるのであります。
 以上述べましたように最高裁判所規則に調書の方式に関する規定をゆだねますと、裁判所の能率の問題、負担軽減のために調書が簡単になる傾向のあることは否定できないと思います。ところがわが民事訴訟法の実際の運営のように口頭弁論が継続して集中的には開かれずに、飛び飛びに一箇月ぐらい置いて開かれる事情のもとにおきましては、調書が簡単になるということは場合によつて非常に困ることではないかと思います。証人尋問を交互尋問制において行つておきながら一年以上もたつてから判決するというのでは、判決をする場合には勢い調書の記載に相当程度たよらざるを得なくなつて来るわけであります。その調書が簡単では真実発見に困難を来す場合もあるのではないかと考えるわけであります。実は法制審議会の民事訴訟部会の審議の内容にも多少触れるということは、どうも私は規則のことをあまりそういう点はよく存じませんで、いけないのかもしれないと考えたのでありますけれども、ただ国会の参考人として法案の審議のための発言であれば、個人の名前等は申し上げずに多少申し上げることも許されるのではないかと思つて申し述べるわけでありますが、その部会で右のように調書の方式に関する規定を裁判所規則にゆだねれば、調書が簡易化するのではないかというようなことを申しましたところ、いや調書の簡易化ではないので調書の合理化だというように当局から御説明があつたわけであります。ところが実は昭和二十六年五月二十三日付の印刷物で、当時の法務府意見第四局から法制審議会の民事訴訟部会に提出された書面、民事訴訟法の改正に関する問題点の説明という中には、明らかに訴訟記録の簡易化という見出しで書かれておりまして、内容を読んでみますと、「訴訟記録の作成について裁判関係者の負担が過重であり、ために訴訟経済にも重大な影響をもたらしていることはいうまでもない。この点については、たとえば、口頭弁論その他の調書の内容についても、現行法のように、すべての事件について一律に詳細な記述を要求する必要があるかどうか、確定した事件の調書については、記載内容の思いきつた簡略化が図られてよいのではないか、等のことが問題となるであろう。」こういうふうに書いてあります。おそらくこの政府のお考えはやはり訴訟記録の簡易化という点にあるのではないかと考えるわけであります。調書の方式について述べましたことは判決の方式にも当てはまるわけであります。今読みましたこの昭和二十六年五月二十三日に法務府意見第四局でつくられた書面の中には、裁判書の簡易化という表題で「訴訟記録の簡易化について述べたのとほぼ同様のことが、裁判書の簡易化についても言いうるであろう。ことに、当事者責任主義の下においては、裁判書の草案を当事者が作成する方式も検討されてよい問題である。かりに、そこまで徹底しなくても、裁判官が裁判の内容についてばかりでなく裁判書そのものの作成にも多大の精力を費している現状は反省されるべきであり、それには、裁判書の簡易化の容認せられる限度、方法等が検討されなくてはならないであろう。」こういうふうにあるのであります。その中にあります「ことに、当事者責任主義の下においては、裁判書の草案を当事者が作成する方式も検討されてよい問題である。」というのは、これは驚くべき言葉だ、こう考えるわけであります。この言葉の参考資料といたしまして、そのときにカリフオルニア州の北部地区の連邦地方裁判所規則の写しが配付されたのであります。実はそのカリフオルニア州の北部地区の連邦地方裁判所の裁判所規則全体を見たわけではないので、何とも申し上げられないのでありますが、配付されたその部分だけ見ましても、その規則によつて、アメリカのカリフオルニアにある連邦地方裁判所が判決書きの草案を当事者に作成させるというようなこと、これは条文の読み違いであると考えるのであります。その条文を読みましても、これは裁判所がすでに判決を口頭で言い渡してしまつて、その言い渡した判決について、判決主文の草案を当事者に準備させる、これだけのことだと思います。これはアメリカの裁判の仕方が日本の裁判と違うわけなんでありまして、そういう片言隻句をつかまえてアメリカに例があるというのは、これは非常に軽率な考え方ではないかと思うのであります。そういうように調書及び判決の方式を最高裁判所規則にゆだねるという場合には、つくるのは最高裁判所でありますから、裁判関係者の負担軽減ということを非常に重く見まして、簡易化々々々の方向に進んで行く、そうして場合によつては、そのために国民の権利を十分に保護することができないような結果に立ち至るおそれがあるのではないか、こう考えるのであります。もちろんそういうことを申し上げますと、最高裁判所をもつと信用しろ、こういう意見が出るのであります。これは現にある最高裁の裁判官から聞いた言葉なんでありますが、これは信用する、しないの問題ではないのでありまして、制度の問題としてどうすべきかということを考える必要がある。現にまた簡易化の方向に進んでおるのでありますから、一応そういうことを問題にしていいのではないかと思うのであります。
 問題は次に進みまして、最高裁判所で規則をつくつた、その規則によれば非常に調書なり判決書きの簡易化が行われて、それでは国民の権利の保護に十分でない、こういうふうに国会が判断されまして、国会が最高裁判所規則に反する、これと違つた法律をそのときにつくられたとしたらどういう結果になるか、こういうことを問題にしなければならないと思います。私はもとより法律は裁判所規則に優先するんだと考えるのでありますけれども、先ほど上告手続のところで述べましたように、特例法を失効してこれにかわるべき適当な法律をつくらなければ、最高裁判所が自己の責任において規則で上告を制限するぞ、こういう意見からいいますと、これは裁判所規則が法律に優先するという考えなんであります。それで一般的な問題といたしまして、法律と裁判所規則との関係について十分に考慮してみなければならないのではないかと思います。その問題の根本は憲法七十七条の解釈の問題になつて来るわけであります。憲法七十七条には「最高裁判所は、訴訟に関する手続、弁護士、裁判所の内部規律及び司法事務処理に関する事項について、規則を定める権限を有する。」こう規定しております。最右翼の議論ーー最右翼か最左翼か知りませんが、とにかく一番端つこの議論といたしましては、訴訟手続に関する手続等については、この憲法七十七条の規定は国会の立法権を排除しているのだ、国会には訴訟手続について立法権がないのだ、こういう議論になるわけであります。次の段階の議論といたしましては、訴訟手続に関しても国会にも立法権がある、要するに両方に立法権がある、しかし、もし両者が牴触するならば、最高裁判所規則の方が優先するのだ、こういう見解――先ほど言つたような見解になるわけであります。そして、日本国憲法の草案を実際に最初に書いた人の心理的意思は、右のいずれか、ことに第一の見解、国会には訴訟手続について立法権がないのだという見解であつたのかもしれないとは考えられるのであります。そういうように推測いたします根拠は、アメリカにおきまして、訴訟手続に関する事項は裁判所規則にゆだれるべきだという意見が二十世紀になりましてから次第に有力となりまして、多くの州やまた連邦におきましても、法律で、訴訟手続に関する規定を裁判所規則によつて制定すべしという授権法がつくられる傾向になつておるのであります。それで、最初にこの日本国憲法の草案を書いた人の心理的意思におきましては、そういう傾向を新しくつくり、日本の憲法において憲法上の規定よりも高めようとしてあの条文をつくつたのじやないかということは一応考えられるわけであります。しかしながら、法律の解釈といいますのは、起草者の心理的意思のみに従うべきではないのでありまして、法律の合理的意思を発見しなければならないと思うのであります。憲法全体の精神、憲法のその他の規定との関係、あるいはまたわが国情等からして、合理的に解釈しなければならないと思うのであります。なお、憲法の草案を最初につくられた人はそういうふうに考えたのであろう、こういうことを言いましたが、アメリカにおいてもイギリスにおいても、訴訟手続に関する規定は裁判所規則にゆだねた方がよいだろう、こういう考えが出て来まして、これが確立しましたのは、実は英米においては、在朝在野の法曹を打つて一丸としたバーといいますか、法曹の強固な組織があるからであります。在朝在野の法曹を打つて一丸としたと言いましたが、むしろ初めから一体でありまして、弁護士のうち優秀な方の一部分が裁判官となつている、こういう制度であります。その在朝在野の法曹が、イギリスにおきまして、ことにスチユアート王朝のもとに官憲の圧迫から国民を守つたという伝統があるわけであります。その伝統が今日まで続いておる。だから在朝在野の法曹が一体となつて国民の権利を守るんだ。従つて国民の権利を守る訴訟手続に関する規定は、おれたちでつくるのだ、こういう考えが成立し、またそれがよい結果を出しておるのであります。ところがわが国にはそういう伝統あるいは意識がないのであります。もちろんあえて裁判所に官僚臭ありと申すわけではありませんが、裁判官の大部分は裁判官として育て上げられ、弁護士は弁護士として育て上げられておる、これにはアメリカ、イギリスのように打つて一丸としたバーというような意識はないのであります。英米においてはそのバーが一緒になつて規則をつくるのであります。すなわち裁判所がつくるといいましても実はバーがつくる、こういう意識なのです。日本ではその基礎的な要素が欠けておるのであります。最高裁判所の機構の問題にいたしましても、規則制定権にいたしましても、日本の実情ということを考えて、同時にその実情のもとにおいて、今後これをどういうふうにして行くかということを考えて結論を出すべき問題だと私は考えております。
 さてその立法者の心理的意識ということを問題といたしますると、先ほどは日本国憲法の草案を最初に書いたであろう人と言いました。すなわち旧帝国議会が真の立法者になりましたが、帝国議会において日本国憲法が審議された場合に、時の司法大臣は次のように言つております。民事訴訟法あるいは刑事訴訟法等は、この中には入らぬことは当然言うをまたぬのでありまして、要は訴訟に関する手続という実際の訟訴事務の運営に当つてのいわゆるプラクテイカル・ルール、そういうものをさしているのであります。また別の機会に、最高裁判所がある程度の立法的規定をなし得るということを明らかにしておりまして、ただつくり得るという権能を明らかにしたのでありまして、そのつくつたものが他の立法権を排除するというところまではこの憲法では認めておりません、こういうように司法大臣は答えております。それが国会の大部分の空気を支配して、新しい日本国憲法がつくられたわけであります。心理的意思ということを言つた場合におきましても、前に述べましたように、憲法にああいう規定を設けたのだから、国会の立法権を排除するのだという考え方は必ずしもとり得るものではないと考えます。参考のために外国の例を見てみますと、英米では訴訟手続は規則でつくつているとよくいわれます。ところがイギリスではつくつた規則が、国会の各議院に提出されるわけです。提出しましても、いずれかの議院が国王に対して裁判所規則に反対の旨の建議をいたしますと、勅命をもつてその規則の無効を宣言することになつております。これは法律に規定があります。またアメリカの連邦におきましては、現在の民事訴訟規則といいますのは、一九三四年の国会の授権法ーー最高裁判所においてそういう規則を制定していいという授権法に基いて規則をつくつたのであります。その授権法の中には、最高裁判所が民事訴訟規則をつくつた場合には、そのつくつた規則を連邦議会に提出すべし、こういうように定めております。現実に一九三六年でしたか、七年でしたか、その点はつきり記憶いたしませんが、あの民事訴訟規則を制定した場合には、その案を連邦議会に提出しまして、両議院とも法務委員会で十分にこれを検討したのであります。ところが両議院の法務委員会ともに、最高裁判所規則に改正すべき点なしと多数決できめましたために、何らこれに対して行動をとらなかつたのであります。言いかえればイギリス及びアメリカ連邦におきましては、裁判所の制定する規則といいますのは、常に国会の監督のもとにあるのであります。これに対しまして日本の最高裁判所規則は、これは全然国会に出て来ないもので、非常に違います。それからフイリピンの憲法ということが裁判所規則制定権については、よく引合いに出されるのでありますが、フイリピン憲法にはその憲法施行の際に、現に存在する民事訴訟法とか刑事訴訟法とか、そういう法律は、裁判所規則に切りかえる取扱いをいたしております。以後裁判所規則として取扱う、従つてそれを裁判所規則でまた改めるということも許す、こういうふうに規定しておりますが、なおフイリピン憲法の中におきましては、議会が裁判所のつくつた規則を廃止変更する権能を明らかに明文をもつて定めておるのであります。私は、従つて法律と規則とが牴触した場合におきましては、これらの例から見ましても、法律が規則に優先するのだと考えるべきものと思つております。そういう諸外国の例からというよりも、むしろ三権が相互に抑制しまして、その均衡の上に国政の円満なる運営を期してております憲法の精神及び国会をして国憲の最高機関とする憲法四十一条の規定との関係で、そう解釈するのが正しいのだと思います。最高裁判所が規則をつくつた以上、国民の代表たる国会がいかにその規則をもつてしては、国民の権利の保護に不十分であると考えても、もはやいかんともすることができないというような解釈は、新憲法のもとにおいては、合理的にはとり得ないと私は考えるのであります。ところが実際問題といたしまして、法律と規則とが牴触を生じた場合に、いずれが優先するかということをきめるのは、最高裁判所なのであります。ですからいかに議論をしたところが、裁判所の方で自分のつくつた規則の方が優先するのだということになれば、結果的にそうなるのであります。現に一九四七年のニユージヤーシーの新憲法にはーー実は私は原文を見ておりませんで、法曹時報の中に樋口判事の書かれたものを読んだのでありますが、実は調べようと思つたのでありますけれども、時間がなかつたものですから、樋口判事の書かれたものによつて述べるわけでありますが、その新憲法の中に、法律に従い裁判所の訴訟手続について規則を定める、法律に従いという文字が入つておるのだそうでありますが、それにもかかわらず一九五○年にはニユージヤーシーの最高裁判所は、訴訟手続に関する規則制定権は立法に従属しないのだ、こういう判決をしたという先例もあるのであります。もし最高裁判所が訴訟手続――訴訟手続ということを言いますが、弁護士に関する規定もそうでありまして、同じわけでありますが、――につきまして憲法七十七条の規定が立法権を排除しておる。あるいは法律と規則が牴触した場合には、規則が優先するのだという見解をもしとりましたら、実は調書や判決の方式を規則にゆだねてもゆだねなくても、最高裁判所はやろうと思えばやれるわけでありますから、大した意味がないようにもとれますが、実際問題といたしまして、規則にゆだねた場合に、まず規則をつくつておいて、これに反対する法律を国会がつくつた場合と、それから国会がつくつた法律にすでに規定がある場合に、裁判所がそれに反する規則をつくるのと比較してみますと、どうしてもあとの方が実際上はやりにくいわけであります。従つてそういうふうに最高裁判所規則ということについては、非常に大きな問題が含まれている。場合によりましては、現在弁護士法がありますが、弁護士法によらず、裁判所規則によつて弁護士の規律をきめる、そして弁護士の懲戒は裁判所においてこれを行うというような規則をつくつて、その規則の方が法律に優先するのだというような結論になりかねないような重大な問題を含んでおるのでありますから、この急いでの改正の場合に、調書及び判決の方式を最高裁判所にゆだねるという方法はぜひやめていただきたい、こう考えるわけであります。なお刑事訴訟法につきまして、刑事訴訟規則にそういう問題をゆだねておるのだから同じことじやないかという議論もあるわけでありますけれども、ただ刑事訴訟法の制定の当時は、不幸にしてわが国が他国の支配下にあつたわけでありまして、主権を回復した今日においては、そういう先例がありましても、なお十分に国会が審議されてから決定されるべき問題だ、こう考えるのであります。
 なお最高裁判所の規則制定の手続につきまして、御参考までに申し上げたいと思いますが、イギリスにおきましては、規則制定委員会と言いますのは、裁判官が八人、弁護士が四人――イギリスの弁護士はバリスターとソリシターになつておりますので、それぞれ二人ずつ出ております。その合計十二人の委員会で規則自体をつくるのであります。そのつくつた規則に対して、最高裁判所長官、ロード・チヤンセラーは拒否権を持つておりますが、規則をつくるのは民間在野法曹も入つた委員会でつくるのであります。アメリカの連邦民事訴訟規則制定の際には、制定権は法律によつて最高裁判所にゆだねられておりますが、実際には最高裁判所には十四名の諮問委員会をつくりまして、この委員会が規則をつくつたのであります。まずこの委員会は草案をつくりまして、これを公表して、一般からそれに対する意見を聞きまして、そしてさらにその草案に修正をいたしまして、でき上つたものを最高裁判所に提出して、最高裁判所におきましては、ごくわずかの補充的規定は加えたようでありますが、ほとんどまつたくその諮問委員会、すなわち在野法曹も入つた委員会でつくつたものが、あの規則になつておるのであります。わが国におきましても、最高裁判所の規則制定の際には、規則制定諮問委員会が開かれまして、在野法曹の方も多数出ておられますけれども、しかしつくつたのは、最高裁判所裁判官十五人のつくつたもので、在野法曹の言うことは、ただ参考に聞きおくにとどめるという態度で、でき上つたものを見ますると、在野の意見が収入れられていないという場合が実際にはあるのじやないか、こう考えるのであります。先ほど申しましたように、イギリスやアメリカで規則にゆだねるということは出ておりましたが、それは日本と非常に事情が違うのだということを御考慮に入れていただきたいと思うのであります。本法案の理由説明書の中には、調書に関する事柄は、裁判官、弁護士等の実務関係者がその経験と専門的な知識を活用して調査研究したところに基いて、最高裁判所がこれを決定することが最も妥当である、こういうように書かれておりますが、実際両者がほんとうに一体となつて、自分たちが国民の権利を保護する手続をつくるのだという意味でつくられておるのならば、非常にいいと思いますが、どうもそういう状態になつていないのじやないかと私はおそれるわけであります。
 繰返し申し上げますが、今回の改正案は法制審議会の議を基礎としてつくつたというお話でありますが、その法制審議会における審議も非常に急いでつくつたものである。とにかく急場に間に合せるというわけでありますから、特に最高裁判所の負担調整という問題に大した関係がなく、また非常に大きな問題を含む調書及び判決の方針に関する改正案には、これは通過にならないことを希望するものであります。
 次に裁判所法の一部を改正する法律案については、特に申し上げる点もありません。民事訴訟法との関係において、簡易裁判所の管轄権、訴訟価額を三万円から二十万円に改めるという点につきましても、特に反対の意見を持つておりません。
 その程度で私の意見の開陳をとどめたいと思います。
#4
○小林委員長 これにて田中参考人の意見の開陳は終りました。同参考人に対して質疑があれば、この際これを許します。
#5
○高橋(禎)委員 今お伺いしました御意見の中で非常に重大な問題は、やはり先生もおつしやいましたように、最高裁判所の規則制定権の問題だと考えます。それについて先ほど来のお話によつてヒントを得たわけですが、先ほど引用されました藤田最高裁判所裁判官の論文の中にあるのですが、最高裁判所に与えられたルール・メーキング・パワーを行使して、みずから右特例にかえるべき相当の立法をすべきであると説く者もある、権威ある学者でこの考え方を支持する向きもないではない、こう言つておられるのですが、先生の御存じの権威ある学者の中で、こういう考え方を支持する方があるかないか、それをまずお尋ねいたしたいと思います。
#6
○田中参考人 これは一般的な問題として、憲法ができました場合に、法律と規則との関係について論じたものの中には書かれたものがあります。たとえば東大の末延教授が書かれたものの中には、明らかにそう書かれてあります。それから藤田さんの書かれておりますのは、特に今回の問題について、特例法云々についてのことでありまして、これについてはある権威ある学者がそういうことを言われたということは、伝聞いたしましたが、私は直接聞いたのではありませんし、書いたものを読んだわけではありませんので、ちよつと申し上げることは差控えたいと思います。
#7
○高橋(禎)委員 この問題は国会としても非常に重大ですから、今法律案が出ておる機会にできるだけはつきりさしておかなければならぬと考えます。大体先生の御意見に私賛成するわけですが、ただその表現を先生は比較的やわらかになさつておられる点もあるので、いま一度はつきりとお尋ねをいたしたいと思うのです。日本国憲法は、国会は国権の最高機関だ、こういつており、そうして国会が立法機関であることは、憲法の解釈からも出て来ますし、これは国民の常識なんです。ところがその憲法の精神を最終的に決定するものは最高裁判所だ。もちろん国会も憲法の上に出ることはできないわけで、憲法の解釈、運用等については最高裁判所が決定権を持つておる。その最高裁判所が、訴訟手続その他についての規則を制定する、それらについては最高裁判所に立法権があるんだというふうな、すなわち、国会で制定する法律と同等もしくはそれ以上の権威ある立法をなし得るのだというような考え方でありましたならば、少くとも訴訟に関する限り国会は最高機関でもなければ、何ら権威のないものになつて来ると思うのです。もしもそういうふうな解釈、運用が行われるということになると、訴訟に関しては、国民の意思というものは全然無視される危険がある。最高裁判所については、国民の投票によつてきまるのだということも言えるかもしれません。しかしこういう問題については、国会を通じて、すなわち国民の代表を通じて立法されるのだという考え方が国民の意思に合致するものである、こう思うのです。従つて、そういう考え方に反した訴訟については、最高裁判所に最高の規則制定権、立法権があるんだというふうな考えは、実に危険な思想である、こう思うのです。法律を制定する場合に注意しなければならないことは、国民の立場を考えないで、むしろ公の機関の立場というようなことを考え過ぎる危険があることである。特に訴訟法のごときは、これは訴訟経済の原則などを振りまわして、いろいろ時間なり労力なり、あるいは費用を節約することを理由にあげられますけれども、その場合は多く公の機関、裁判所等の立場から考えてそうなのであつて、ややもすると、国民の費す時間とか、労力とか、費用ということは、どうも考えられないような場合が相当あると思うのです。そういうことを思いますときに、もしも裁判をされる立場の人が、自分の立場中心で規則を制定されたら、国民はたいへんなことになると思うのです。現在日本の一般の国民が裁判所に対してどういう感じを持つておるか、特に最高裁判所等に対してどういう考え方を持つておるかということについて、私の力の及ぶ限り国民の意見をいろいろ徴してみましたのですが、どうも近ごろになつて、それについて非常な疑いを持つておる、と申しますのは、戦時中日本が世界の一等国だと言つておつた当時の大審院の裁判官の姿を見ますと、これはほんとうに大きな記録を抱えて電車に乗つて、そうして家へ帰られて夜おそくまで勉強され、裁判所でも早くからおそくまで働かれた姿を国民はよく見ているわけです。ところが戦争に負けて、日本はどうなるかわからぬ、近く経済的に行き詰まるかもしれないというような、あの当時には夢にも考えられなかつたような待遇を今しておると思うのです。国民はそう考えているわけです。そのときに、自分たちの仕事の規則を、国会の立場を無視して制定してやるというようなことをすれば、いよいよ何をし出すかわからぬという危険を国民は感ずると思うのです。私は、日本の司法部の健全なる発達を願えば願うだけ、国民にそういうふうなことを思わせることは危険なことだと思う。そこで法律の範囲内において訴訟法その地法律の精神を伸ばす意味において、その足らざるところを補うという意味においてこの規則制定権というものは認めらるべきであつて、法律と同等とか、もしくは法律に優先するような規則を制定する権能があるなどということは、憲法全体の解釈なりあるいは国民の意思から全然出て来ないと思いますし、また来さすべきものでない、こういう考えを持つておりますが、そういうふうにはつきりとした意見を持つておられるような学者の方を他に御存じでしようか、あるいはまた先生のような立場において法制審議会にいらつしやる方で、こういう意見を持つておられる方があるかどうか、それらについて御紹介願えれば幸いだと思うのであります。
 なお、先ほど先生の御説明くださいましたことに関連して、規則制定権というものは憲法があのように規定しておるけれども、それは国会において制定した法律に優先するものでないというようなお考えについて、つけ加えていただく点があればお述べ願いたい。
#8
○田中参考人 実はほかの方々がどういう意見を持つているかということは――他人の意見がどうかということを言うためには、よく調べてからでないとどうもはつきり申し上げられないわけであります。漠然とはもちろん今も記憶しておりますが、どなたがどういう意見だということを、きよう来る前に調べて来なかつたものですから、はなはだ失礼でございますけれども……。規則制定権について書いたものとか、法学協会雑誌で出しております日本国憲法の註解とかいう、ああいうものに書いてありますので、そういうものをひとつお調べ願いたいと思います。
 なお一つつけ加えて申し上げたいと思います。私は最高裁判所を非常に信用しているものでありまして、制度として考えるべきじやないかということを主として論じたわけです。私の考えといたしましては、法律の方が規則に優先するのだ、規則が先にあつても、それがいけなければ、法律で定めれば法律の方が優先するのだということがはつきりとした場合におきましては――訴訟規則は、国会はほかの方もお忙しいことでありますし、そう言つては失礼かもしれませんが、国会議員の大部分は訴訟手続ということにそれほど通暁しておられないのでありますから、これは裁判所規則にゆだねていいんじやないか、但し最高裁判所規則をつくる場合には、在野法曹の意見が十分に取入れられるような機構を必要とする、そういう前提のもとにまかしてしまつていいだろう、しかし国会が常にこれを監視しておりまして、国民の権利の保護のために不十分な点があると考えればいつでも法律をつくつて改めさせることができるという前提のもとにそうした方がいいだろう、こう考えておるわけであります。
#9
○高橋(禎)委員 規則制定権が認められてーー実は私ども訴訟に関する実際の仕事を通じて見ますと、先ほどお話のありました記録の簡易化というようなことに例をとつてみましても、今ごろの調書は、これは読んでみても味わいもなければ、とても誤解もしやすく、またときには何のことだかわからないような、非常に断片的なものになつて来ておるのです。これは訴訟記録をごらんになるとそういう感じがすると思いますが、これなども裁判所が都合のいいように手を抜いたところから出て来た結果だと私は思うのです。もちろん理由は訴訟経済の原則からいうことになる。理由はそうですけれども、国民にとつてはたいへんなことなんで、途中で裁判官がかわられて手続を更新するときにはもう非常な御不便もあると思いますし、弁護人も最初から終りまで弁護の立場に立つわけでなくて、途中で交代するような場合もある。これは先生も指摘されましたが、記録だけをもつてしたのでは真実の発見ということには非常に不便なものになつて来ておる。これはすなわち国民の立場、被告人の立場、訴訟当事者の立場というよりは、何だか裁判所側の都合が主になつておるような感じがしてならぬ。ひとり規則だけでなくて、裁判所における訴訟事務の遂行、手続進行の上から見ても、どうも役所側の方が都合よく――たとえば時間の点についても、弁護人を待たせることは相当長い。弁護人というのは裁判所にいて待つ仕事だなんということを言いながら、控室で待つておる。裁判所で都合が悪いときには、何とかかんとか文句が出るわけであります。訴訟はやはりすべてが裁判所中心で動くのだから、それも一つの理由ではあるわけでしようけれども、そういうことで規則をつくることになると、私は国民の立場というものが非常に無視される危険を感ずるわけです。知らず知らず規則を自分の都合のいいようにつくる危険が非常にあると私は思う。また先ほど来申し上げているように、われわれは現実にその危険を感じておるわけですが、裁判所に訴訟の手続等に関する規則をゆだねつきりにしておくことは、そういうふうに国民の立場が無視されるようなことになる危険があるというふうに先生はお考えになるかどうか、ひとつ国民的な立場に立つてお話を願いたいと思います。
#10
○田中参考人 私ども裁判の手続のことはよく知らないのですが、非常に尊敬する元裁判官であつた方が弁護士になられまして、いつか会つたときに、裁判官というものは理由のないことでかつてなりくつを言うものだと思うけれども、弁護士になつて考えてみると、あれもそれぞれ理由のある場合があるのだと言つておられましたが、実際裁判官としての立場と弁護士としての立場とは違うもので、裁判官も特に自分たちだけ負担を軽減しようと思つてやることではないのです。それが正しいと思つてやることなんでしようが、他面国民あるいは弁護士の立場から見ると、それが非常に独善的に見えることがあるのだと思うのです。訴訟規則をつくる場合に、在野の意見をよくとりまぜて規則をつくればそれでいいのではないか、こう思うわけであります。規則だけゆだねても、危険ということは、そんなに極端なことにはならないと思うのでありますが、ただそれが裁判所の方では正義の行使に一向さしつかえないと思う、国民の方では正義の行使にさしつかえある、こう考えるのではないかと思います。それが現在のようなやり方であると、裁判所の一方的な見方だけで終るものですから、今のように危険という言葉を使うと非常に大きく聞えるおそれがありますけれども、やはりそういう意味の危険の傾向はあるのではないかと思つております。
#11
○高橋(禎)委員 最後に一つお尋ねいたします。先ほどの先生のお話とはちよつと反対の立場に立つようですが、訴訟手続に関する手続法というものは、国会で制定さすべきものではないかと思うのです。今の訴訟法その他できるだけ詳細なことを国会において法律で規定し得るならば、それが正しい行き方ではないかという点なんです。と申しますのは、先生のお話では国会もいろいろ忙しいし、専門的知識云々ということがございましたが、国会はあらゆる学者、有識者等の意見を十分聴取して、いわば国家的な立場、国民的立場に立つて最も妥当であろうというものを考え得る立場じやないかと思う。裁判所が自分の手続について自分のところで決定して行くというよりは、はるかに正しいものが制定されると確信するわけです。元来この裁判所の規則というものは、法律の内容を補足する、もしくはその精神を伸ばすという意味において法律の限度内、範囲内において制定さるべきである。従つて訴訟手続に関する手続法は、できるだけ国会の意思によつて決定さるべきものだ、こう考えるのですが、それについて御意見をもう一度お伺いいたしたいと思います。
#12
○田中参考人 この問題はイギリス、アメリカ、ことにアメリカにおいて非常に論ぜられた問題でありまして、私はきわめて基本的な問題はもちろん国会できめるべきものと思いますが、個々の手続につきましては裁判所規則にゆだねてもーー裁判所規則のつくり方が現在のつくり方と違つて、イギリス、アメリカのつくり方になるとその方がよいという、アメリカのパウンド先生初め大勢の人が言われた意見の方がいいと考えるのであります。但しもしつくつたその規則が国民の権利の保護に十分でなかつたという場合に、国会がいつでもこれを変更し得るという最後の留保を置いておけば、その方が妥当なものをつくり得る。それからまた必要に応じてこれを変更し得るという長所があるのではないかと思つております。これは御意見とはちよつと違うようでありますが、私はそういうふうに考えておるわけであります。
#13
○小林委員長 林信雄君。
#14
○林(信)委員 ただいま審議の進められております問題は、たいへん重要な問題であるのですが、少くとも私といたしましては先生の結論に敬意を表しておるものであります。もしそれ反対の意見ありといたしましても、きわめて少数の意見であろうと、実は簡単に申し上げると、考えております。もし裁判所の規則を最高裁判所において専恣に決定するような場合がありといたしますれば、これは先生の意見のごとく、またわれわれの考えておりますような意見によつて、おそらく圧倒し得ると思うのです。しからずといたしますれば、もちろんこれは、憲法を改正すべきものは国民であつて、数が押えるのですから、結局は、めんどうな問題ではありますが、その専恣にまかせることはないと思います。これらの問題に対して質疑をしたいと思つておりましたが、今委員長と相談いたしまして、午後の参考人の意見聴取の関係もございますので、簡単に一点だけお聞きすることをお許し願いたいと思います。
 簡易裁判所の事物管轄の範囲を拡張せられるということについて結論的に反対だという御意見、これは正直に申しまして、われわれの仲間にも賛否両論があるのですが、その反対論からそんたく申し上げてどうかと思いますが、おそらく刑事訴訟法の建前といたしまして、当事者の権利の伸張上の理由ということになるでありましようが、これも抽象的であります。やや具体的になりますれば、現下の貨幣価値、経済事情というような点、あるいは簡易裁判所の裁判官の素質の問題あるいはその他の伸張に及ぼす影響といつたような点が考えられるのであります。それらの点あるいは総括したものあるいはそれ以外の点、先生のお考えは、どこに具体的な理由があつてこの法の改正は不適当だというのでありましようか、御教示を願いたい。
#15
○田中参考人 先ほど私は言い間違つたかもしれません。私は、あえて反対する理由は見出せない、こう言つたわけであります。簡易裁判所の組織につきまして、裁判所の改正のことですが、今までの簡易裁判所の裁判官よりも、ざつくばらんに言えば普通有資格者といいますか、特定の人でない人を特定の簡易裁判所に配置して、そこで取扱わせるということですから、二十万円までの事件を簡易裁判所に扱わしてもいいのではないか、こう思うのであります。実際はその問題も、非常に私はうかつでありまして、委員会に出ましたときに、最高裁判所に上告をされる事件の七割くらいが二十万円以下で、そうすればたいへんな数が簡易裁判所へ行くじやないか、こういうことを伺いましたところ、実はそうじやない、たとえば家屋明け渡しというような場合には、地方裁判所の管轄になる最低限三万一千円ですか、そうしてやつておるわけで、二十万円に上れば、そういうものは二十万一千円にするのだから、やつぱり地方裁判所に行くのだ、こういうふうなお話でありました。二十万といいますのは、金額がはつきり二十万と出た場合だけが簡易裁判所で、ほかはあまりかわりないようでもありますし、それから裁判官の配置をかえるそうでありますから、地方から簡易にまわしてもそれほどさしつかえないのじやないか、こういう意見であります。
#16
○田嶋委員 私は実は参考人の意見を全部承つておりませんので、私の発問が今までお答えになつた点と同趣旨であれば、お答えいただかなくともけつこうであります。
 実は近ごろあまり勉強いたしておりませんので、質問いたすのはどうかと思うのでありますが、今度の民事訴訟法の改正について、さつき高橋君からも御質問がありましたように、調書、判決方式の合理化をはかるために、最高裁判所のルールにこれをまかすということ、この点であります。ルールにまかすということですが、このルールをどういうふうにするかという試案を出しておりませんので、わからないのでありますが、最近世の中は非常に正確をとうとびまして、むしろ科学的において調書と申しますか、正確をとうとぶ傾向が多い。国会等もその方針に従つて正確の面に進んでおるわけであります。が、この改正要綱の調書、判決というものは、上告の制限等から来ておりますから、正確でなく、なるべく簡易にしようというねらいであることは、ルールの規則が出なくとも、われわれは想像がつく。世の中が正確を期しようという時代に、上告の制限のため、その他裁判所の必要によつてむしろその正確度が薄くなるようなルールがきめられるということに対して、参考人はいかような御意見をお持ちでございましようか。
#17
○田中参考人 御意見私もまつたく同じでございます。ことに調書の問題は、ことに調書の実体面の点になりますと、民事訴訟法の口頭弁論が継続的に行われていない、第二審が続審であるという関係からいたしまして、証人の証言等をできるだけ詳しく記載する必要がある、こう思つております。
 それで最高裁判所の規則をどういうふうにつくるか、これはもちろんわかりませんが、刑事訴訟規則を見ますと、大体の線はわかると思います。ただ刑事訴訟規則の方もだんだんとより簡易化される方向に進んで行くのではないかという心配はあるのでございますが、負担といいましても、できるだけ速記をつけてやるべきじやないかという気がいたします。ことに交互尋問をやつておりまして、その要領だけ書かれたのでは何にもならないのではないか。実は刑事訴訟規則の中で事実を書けということでありますが、四十何条ですか、両当事者の同意のあるときは要旨だけでいい、こうなつておるのであります。答弁の内容を書けと言つても、実は要旨しか書いてないわけですが、それを両当事者の同意があれば、要旨でいい、あるいは裁判所が適当と認めれば、要旨でいいというが、この要旨は何を書いていいかわからないということになる。こういうことになれば、いかに負担が多くとも、裁判所の増員というか、そつちの方で解決すべき問題であると思います。
#18
○猪俣委員 最高裁判所の事件が非常に輻湊している。それで老判事が非常に困つているという実情は、数年来当法務委員会に訴えられて来ている。そこで世の中を見ると、事件が多過ぎて迷惑だというような印象を受けるんですが、私ども民主政治のもとにおいて権利義務を自覚すれば、訴訟は多くなると思うのです。これはそれだけ需要があるのでありますから、国民主権の国においては、その国家機関がその需要に応ずべきものであると思う。これは最高裁判所なりその他の裁判所の機構の改革ということが先決問題である。この需要に応ずる機構の改革をせずして、何かこの上告を制限する方向ばかりおとりになつておるように私ども思うのですが、政府の説明書にもまず機構の改革もにらみ合せてやつたんだけれども、とてもそれは間に合わぬからこの改正法律案を先に出すんだ、これは私は本末転倒だと思うのです。まず先に機構の改革をしてからそれから改正案を出すべきもので、その方はそつとしておいて、この上告だけを制限するような法律だけを特にきめられてしまうというのは、国民の需要に応じない態度ではないか。最高裁判所へ何ら理由のない訴訟がたいへんたくさん行くようで、まあ専門の判事から見るとこんなものはやつかいだと思つても、しかし先生がおつしやつたように、これはいろいろの理由があつて、専門の判事から見るとけしからぬようでありましても、それだけの国民の需要があるのです。それはここで一々申し上げられませんが、弁護士になるとよくわかる。だから判事の頭で考えるのと、弁護士の頭で考えるのとは違うかもしれませんが、それだけの必要があるのでありますから、そこで私はその需要を満たすような機構の改革が先決問題ではないか。それをしないでこういう提案になつた、そこでそういうことに対しまして、先生はどういうふうにお考えになりますか。ことに今までは特例法としてずつとその年限を延ばして来たものを、今度は実体法として改正案として出て来た。われわれから見るといよいよ居すわる決心を固めたのだと思われるのでありますが、(笑声)まず機構の改革をせずしてこういうような本案の改正を先にするということに対しまする先生の御意見を承りたいと思います。
#19
○田中参考人 その点につきましては、御意見と私の考えておりますところとは、まつたく反対かもしれませんが、最高裁判所の上告制限については、私は非常に制限した方がいい、こういう考えなんでございます。需要という点はもちろん一審、二審の裁判を充実するという必要があると思いますけれども、上告はもつと少くして、そのかわり裁判官はもつと一生懸命ーー一生懸命というと失礼かもしれませんが、判決理由をもつとはつきりと書いていただきたい、こう思うのであります。実はその点で多少外にそれますが、判決の方式が裁判所規則にゆだねられた場合に、裁判所法第十一条、最高裁判所の判決書には各裁判官の意見を表示しなければならない、まさかこれまで手をお触れになることはあるまいと思うのでありますけれども、この点の関連で、忙しいという点もあるかと思うのですが、最高裁判所が多数意見をお書きになる場合に、どの判事さんが書かれたかを明示されていないのであります。これは私は裁判所法十一条違反じやないかという意見を持つております。裁判所法十一条の規定は、とにかく裁判所の判決は各判事の責任において外部に意見を出さなければならない、こういうように考えています。ところが多数意見は大勢の人でお書きになる。大勢の人で意見を書くということになりますと、最大公約数が出るわけでありまして、非常に簡単な判決理由しか出て来ない。それが補足意見とか少数意見を見ますと、非常に長い委曲を尽して書いてあるのに、多数意見は非常にかみしも着たようなことしか書いてないという結果になつておるのであります。事件をうんと少くして、多数意見も、その意見を書かれた裁判官の署名入りで十分に意見を書いていただきたい、こういう考えであります。最高裁判所の機構の問題は、法制審議会の司法制度部会でも非常に論ぜられて結論が出なかつた問題でありまして、私はとにかくそういうふうに上告は非常に制限すべきだという意見を持つておるのであります。反対論を持つておる方もおるのであります。
#20
○猪俣委員 ちよつともう一点だけ……。これは本案に直接関係ないかもしれませんが、憲法八十一条には違憲訴訟ができることが書いてあるのでありますが、私どもは今違憲訴訟の手続法を研究しておりますし、当委員会におきましても、その小委員会までできておる。ちようどきよう先生おいでになりましたのですが、この違憲訴訟の手続法となりますと、これは独立な法律をつくるなら別でありますが、現行法を改正して、憲法八十一条を受けた訴訟手続法をつくるということになれば、民事訴訟法の改正に入れらるべきものであるか、行政特例法の改正に入れらるべきものか、先生のお考えを承りたい。
#21
○田中参考人 ちよつと御趣旨が何ですか、そのおつくりになる違憲訴訟の手続といいますのは、具体的な事件に関係なしに、ある法律が違憲であるという訴訟を起す……。
#22
○猪俣委員 そういう意味です。ある法律が抽象的に違憲であるという、民事刑事の特別の具体的な裁判じやない、いわゆる違憲訴訟です。
#23
○田中参考人 その問題はちよつと考えておりませんが、民事訴訟法の中に入れるべきでなしに、また行政事件特例法でなしに、単行法にすべきものじやないかという気がいたしますけれども……。
#24
○猪俣委員 わかりました。
#25
○小林委員長 他に御質疑がなければ、午前の会議はこの程度にとどめ、午後一時まで休憩することにいたします。
 午後一時から定刻に参考人が来られますから、少し無理かしれませんが、ぜひ進んで御出席を願います。
 田中さん、どうも長い時間ありがとうございました。
   午後零時三十七分休憩
     ――――◇―――――
   午後一時三十八分開議
#26
○小林委員長 休憩前に引続き会議を開きます。
 裁判所法の一部を改正する法律案及び民事訴訟法等の一部を改正する法律案、以上二案を一括して議題とし、両案について参考人各位より午前に引続いて御意見を聴取することにいたします。
 御承知のごとく、右両法案はいずれもわが国の裁判制度の根本問題に触れる重要な改正点を含んでおり、その取扱いあるいは本委員会での審議は、まことに慎重を期してかからねばならぬことと思つております。そのため本日は参考人各位の出席を特に煩わして、各位の学識経験に基いて幾多貴重なる御意見を承り、当委員会として公正妥当な態度を決定いたしたいと存じておるのであります。参考人各位におかれましては、この趣旨をおくみくださいまして、忌憚のない御意見をお述べくださることをお願いいたす次第であります。
 それではただいまより御意見を承ることにいたします。まず名古屋高等裁判所長官下飯坂潤夫君にお願いいたします。
#27
○下飯坂参考人 まことに御無礼でございますが、口不調法でございますので、メモをたどりつつ申し述べさしていただきたいと存じます。
 まず私は、簡裁の事物管轄の拡張について申し述べたいと存じます。
 現在地方裁判所の事件数と簡易裁判所の事件数とがアンバランスであつて、これを調整する、あるいは戦前戦後の物価指数の間に急傾斜の変動があつて、これによつて権限を拡張せざるを得ない、あるいはまた、民事特例法が失効するに伴つて、最高裁の負担量を軽減する意味合いよりいたしまして、この際簡裁の事物管轄を拡張するということはもちろん異論のないところでありますが、私はそういう点を別論といたしましても、かねてより簡裁の民事事件の事物管轄を拡張すべきだと考えておつたのであります。と申しまするのは、私の管内において平素観察いたしておりますることを基礎といたすのでございますが、簡裁の民事事件数というものは大体においてきわめて僅少であります。一年に受理件数が五、六件しかない。あるいはところによつては一件しかないというようなところもあり、たまにありましても、本庁所在地あるいは支部所在地に二十件あるいは三十件というようなものでありまして、一箇月の受理件数は非常に僅少なものであります。かような簡裁に、一体国家はどのくらいの経費をかけておるかと申しますと、数字はただいま持ち合せておりませんが、少くとも百万円近くの経費はかけておるんじやないか。庁舎にいたしましても、ところによつては実に堂々たる庁舎を持つておる。その建設費は四百万円から五百万円にも達しておるんじやないか。また簡易裁判所判事の訓練にも非常な経費をかけておるように思うのであります。かように考えまして、その手持ち事件数を見ますると、何というもつたいないことであろうかと存じております。これでは国家は多大の出費をしながら裁判官その他の職員を飼い殺しにしていると申されてもやむを得ない。これでは窮乏している国家財政に対して申訳ない。そこで簡易裁判所の統合が切実な問題として取上げられるであろうと思いますが、それは別論といたしましても、この際簡裁の事物管轄を拡張し、簡裁判事をさらに働かせたい、そうしてそれだけの国家の出費に対して報いさしたい、かような意味合いから、私はかねて簡裁の事物管轄を拡張してほしいものだと思つておりましたので、今回の拡張に対しましては賛意を表するものであります。
 しからばその事物管轄の幅をどの程度にまで広げてよいかという問題に相なりますが、これは物価指数の変動に応じて機械的に引上げるということではなく、現在の簡裁の判事の訓練の程度、能力に応じてこの際急激な拡張はこれを留保し、これを見合せ、漸進的に拡張したい、そうして、この際は十万円で相当ではないかと思うのであります。試みに名古屋高等裁判所管内の簡易裁判所判事に対してその意向をただしてみましたところ、過半数十万円が相当であるという回答でありました。みずからの能力にこれだけの自信しか持つていないのではないか、これははなはだ残念なことでありますが、そういう意向のようであります。この程度に引上げますと、簡易裁判所の事件数は現在の二倍、三倍となりまして、現在の簡易裁判所判事に対しましては手ごろの処理件数ではなかろうかと存ずるのであります。
 しかしながら、このたびの改正案の御趣旨によりますと、この事物管轄の拡張によつて最高裁の負担量の軽減をはかるということでございますから、私どもの考えております十万円ではその目的に沿い得ないかもしれません。従いまして、二十万円にすることによつて最高裁の負担量の軽減に効果があるというようなことになるのでありましようが、しかしながら、私をもつて言わしめていただきますならば、二十万円に拡張されましても、実は立案者側から提案されているような数字の影響があるかどうか、すなわち、そういう数字の事件が地裁から簡易裁判所に流れて行つて、またその影響が最高裁に響くかどうかということも判然といたさないのであります。今日地方裁判所に係属いたしております三万円以上の事件のうちにはアンダー・ヴアリユーされているものがずいぶんありはしないか、そうした事件がいよいよ今度簡裁の管轄となるということになりますと、敏感な訴訟人は、とかく簡易裁判所に事件を起したがらない、どうかして地方裁判所に起さんと欲すると考えます。そのために、訴訟物の価格を正確に評価しあるいはオーバー・ヴアリユーしてまで地裁に訴を提起せんとするではないかと考えられるのであります。そういたしますと、訴訟物の価格を二十万円に引上げましても、立案者の期待するような効果をはたして得られるかどうかと私は懸念するのであります。そうであるならば、今回の権限拡張も穏当な線で、すなわち十万円くらいのところへ線を引くべきではないかというふうに考えておるものであります。立案者の御趣旨によりますと、二十万円に引上げた結果として、特定の簡易裁判所の民事事件に関する事務を、その所在地を管轄する地方裁判所の所在地または支部の所在地にある簡易裁判所に移転し、そこに有能な裁判官を配置するのだということであります。すなわち、簡裁に結果といたしまして甲乙をおつけになることになるのではないかと思うのでありますが、一体そんなことが最高裁の態度として、また行政施策として納得できることであるかどうかと私非常に疑問を持つのであります。最高裁としては、いやしくも簡易裁判所判事の名前を持つておりますところの、同等同格の裁判官をおかかえになつておるわけでありまして、またわれわれとしてもそれを同一に見ておる。そういう同じ名前を持つておる、才能、技倆を持つておる裁判官をかかえている以上は、これに区別をつけるというようなことはどうでございましようか。地方民から見ましても、自分の所の簡易裁判所は非常に大事な裁判所である。その裁判所が民事訴訟事件を取扱わないというようなことでは苦情を持ち出すのではないか、こう考えるのであります。現に簡易裁判所に家庭裁判所の出張所が付置されております。その家庭裁判所の出張所のないところの簡易裁判所は、その出張所を何とか付置してもらえぬかということをしよつちゆう申しておるのであります。そういう次第でございますので、簡易裁判所の名前を持つて、非常にりつぱな庁舎を持つておりながら、その裁判所が民事訴訟事件を取扱わないというようなことではーー調停は別でありますが、民事訴訟事件を取扱わないということであれば、一体どういう感じ、影響を与えるであろうかと考えるのであります。私は今日そういう無理をいたしてまでも二十万円に引上げる必要はないんじやないか、こう考えるのであります。あるいは簡裁は、簡裁の性格論からして、調停あるいは逮捕、勾留、軽微な刑事事件のみを取扱う裁判所だ、それでいいのだという御議論もあるようでありますが、今日の簡易裁判所の行き方、方向、訓練というものは、そういうところまで行つておりません。今日はやはり一般の裁判所である。ただその取扱い事件はレベルは低いにいたしましても、一般の裁判所となつておるのであります。いわゆる治安裁判所というような形になつておらないのでありますから、この裁判所を区別して取扱うということは、私どもは賛成できぬところなのであります。
 次に新法案によりまする上告審の改正の点について申し上げたいと思うのであります。私は、元来上告裁判所がどのようにあるべきかという点につきましては、かように考えておるのであります。申し上げるまでもなく、新憲法によりまする最高裁判所の性格というものは、非常に高い理念によつて説明されております。最高裁判所というものはそうあるべきものだと私も信じております。かるがゆえに最高裁判所は単なる法律審であつてはならない。そこが旧大審院と異なるところであろうと思います。すなわち最高裁判所は、一般的な法律違背を理由とする争訟には親しまない、また親しめてはならない裁判所と考えるのであります。従いまして私は、最高裁判所の取扱うべき事件の範囲は、たかだか民事特例法に掲げてあるところのものに限定してしかるべきものと考えておつた次第であります。しかしながら、この点が私が特に申し上げたいところでありますが、さらばと申しまして裁判所は、一般的法律違背を理由とする上告事件に対して、その門戸を閉鎖すべきものであるとは決して考えておらないのであります。ここで私の経験談などをお話いたしますることはまことに恐縮でありますが、地方裁判所の判事をいたしておりました当時は、控訴院などはなくてもいいと思つておりました。ところが控訴院へ行つてみますと、なるほど控訴するのも無理はないということをしみじみ感じました。控訴院の必要性を痛感いたしました。また上告審に参りましては、上告審の必要性というものをまたさらに感じたのであります。近時乱上訴というようなことが強く取上げられておりますが、なるほど乱上訴はございましよう。しかし乱上訴の防止には別に方法があると私は考えております。憲法問題も抜きにいたしましても、訴訟事件のうちには最後まで争わせたい争訟があるのであります。そういう事件に対して裁判所は門戸を閉鎖すべきではない。どんなに金をかけても黒白を決する、それが第二審だけでも解決されないという事件があるのであります。そういう事件に対して裁判所はやはりこの門戸を開いておくべきではないか、そういうことがやはり政治の恩沢ではないかと私は考えておる次第であります。私の先輩が申しておりました。裁判所は迷える一匹の小羊をも見失つてはならない。まことに同感、名言でございます。国家は一匹の小羊をも見失つてはならない。しかもそういうような事件というものはそうざらにあるものではありません。裁判所の門に殺到するものではないのであります。いわゆる無切符のままで乗車せんとする人がそんなにあるものではないのであります。しからばどうしたらよいかと申しますると、私はそういう人たちに対してはやはり上告の道を開いてはどうか。最高裁判所が高度の理念によつて設置されておるものならば、そのほかに別個に裁判所を設置すべきものじやないか。それを上告裁判所と申してもよろしゆうございましよう。しかし上告裁判所というものを今日の国家の情勢上とうてい設けることができないといたしまするならば、東京高等裁判所に上告部を設けて、そこに老練堪能な裁判官を配置しまして一般的法律審を担当させてはどうかと思うのであります。そういたしますると、ただちに四審制度になるのじやないか、四審制度なんというものは世界のどこにもない、訴訟はますます遅延渋滞するという反論に出食わすのでありますが、私をして率直に言わせていただきまするならば、訴訟の遅延の非難は審級を重ねているという点にのみあるのではなくて、むしろその審級において裁判官の怠慢に対するものに基くものではないか、こういうふうに私は考えるのであります。かつてある控訴院に起きた訴訟遅延の事態がございました。それは二年間ほどの間におびただしい数の民事事件が堆積いたしました。それはある特定の地方裁判所管下から提起されている事件をのみ担任している民事部であつたと思いますが、その民事部の管轄していたその地方に参りますと、控訴院というところは訴訟をあんなにまで遅延さしているのだという印象が非常に深い。そういう印象が一般人に累積いたしまして、裁判所というものは訴訟を非常に遅滞させるものだというようなことを申すようになる。そういう印象が瀰漫いたしました結果、訴訟遅延の問題が起るのではないか。審級が重なつているだけで訴訟というものがどれだけ遅延するかと申しますと、上訴する事件というものはそうたくさんあるものではございません。簡単な数字を申し上げますが、昨二十八年度におきまする名古屋地裁管内の簡易裁判所の受理件数は五百四十件程度であります。そのうち、それに対して不服を申しました事件に対する控訴審の判決というものは、百七十七件くらいなものであります。それに対してどれくらいの上告があつたかと申しますると、四件くらいのものであります。ごくわずかの事件が最後の審判を求めるのであります。そういうわずかな事件というものは、それ相当の理由がやはりあるのでありますが、そういうわずかの事件についてそんなに訴訟の遅延というものがかまびすしい声として世間に喧伝されるのではなかろうと私は思う。その点は最高裁におきましても同じようじやないかと私どもは思うのでありますが、とにかく訴訟遅延というものは、その当該審級においてもたもたいたしておりますことに非常に起因しているのではないかと私どもは考えておるのであります。私はわれわれの欲する上告審が設けられれば四審制になるのではないかということに対しまして、実はこういうふうに考えておるのであります。四審制にいたしまして、東京高等裁判所にたとえば上告部を置きまして、そこに練達な裁判官がいて判決をし、上告事件をさばく。それでどれだけの時間がかかるか。元の大審院の昔のことを私どもは思い出すのでありますが、大審院時代には、大審院というところは非常にスピーデイな裁判所でありまして、決して渋滞はしておりません。たまに一件や二件はございましたろうが、決して渋滞はいたしておりません。そういう大審院のようなものが上告審としてありまするならば、そこでごくスピーデイに上告事件を決裁する。これが四審制であつてもスピーデイにするのと、三審制で現在のように訴訟事件が渋滞しているのとどつちがいいか。四審制というものはなるほど世界に類例もないし、物笑いになると申されますけれども、物笑いになる裁判所があつても、それによつて上告事件が早く片づき、また社会民人が利便を感ずるならば、その方がよほどいいのじやないか、そのためには世界の物笑いになるような制度をつくつてもいいのじやないかというふうにすら私どもは考えている次第であります。まことに郷愁に似たものを申しまして恐縮でございますが、私は昔の大審院を思いまして、何とかこの際上告部というものを東京高等裁判所内につくつていただきたいものだということを常に念願いたしておる次第なのであります。しかしながら上告部設置ということは現下の情勢ではとうてい御採用にならない、そういう見通しはないというので、今日御改正の案ができたのだと思いますが、そういうふうになつて参りますれば、今回の上告制の改正におきまして、やはり従来の一般法律問題というものは最高裁で審理することになさつたというこの案に対しましては、私どもはやはり賛成せざるを得ないのであります。
 私はここで非常にかわつたことを申し上げ、最高裁の当局などからは非常に古臭い、古色蒼然たる議論として迎えられることを一つつけ加えて申し上げたいと思うのであります。一体裁判所というものは批判制度に立つている。二審は一審を批判し、三審は二審を批判し、また一審も批判する。そういう建前にありますことが、裁判所の秩序の整頓というものにどんなに役立つているかということをひとつ考えていただきたいと思うのであります。ごくつまらないさまつな、判決に影響のないような手続の箇所でも結局上告審の批判を受けるということでありますれば、やはり裁判官の心構えに慎重さを呼び起すのであります。そういう慎重さを呼び起していることが一体どれだけの影響を及ぼしているか。今日の裁判所は明治政府以来何十年とたつておりましようが、その間に裁判官が節操を誤つたという事件がどのくらいあつたか。私の聞き及んでいるところではおそらく二、三件くらいのものだろうと思うのであります。そういうふうなよいしつけができ上つているということは、私から言わせますれば、やはり上告審がつまらないことでも批判をする、そういう厳正なところにこの裁判所の秩序が整然としておるのだということを私はいつも考えておるのであります。民事訴訟手続というものは何のためにあるか。裁判官に慎重な心構えをさせるためにあるのだということを前田長之助先生が申されたのであります。なくてもいいような条文がたくさんある。それはなぜあるかというならば、やはり裁判官が一々それにのつとつてやろうという、そういうところから乱れない一つの秩序が出るのだということをよく申されておつたと思うのであります。そういう意味から申しますれば、最後の裁判所が下級裁判所の裁判を、実体法はもとより、手続法のごくさまつな点まで審判する、批判するということに非常に裁判所全体としての意義があるのではないか。そういう意味から申しますと、上告審は一般の法律点については飽くなくこれを審査すべきではないかというふうに私どもは考えておるのであります。従いまして一般の法律論を今度の法律のように縛というようなことについては、私は非常な疑問を持つておるのであります。しかしながらそういうことをしなければ最高裁判所が事件の負担にたえない、こうおつしやるのでありましよう。しかしながらその点は最高裁判所が事件の負担にたえないということであつて、裁判所の根本のあり方というものを乱すことになりはしないか、その点を私は非常に懸念いたすのであります。私といたしましてはやはり東京高裁に上告部を設けまして、そこであらゆる法律点を審査する、批判する、すなわち旧大審院のような一つの法律審というものを設置する、そうしていただかなければならぬものだというふうに考える次第なのであります。しかしながら今日はさようなことを申し上げましてもお取上げにならないのでありまして、まあまあ時代でございましよう。
 そこで次に私はスクリーン制度について一言申し上げたいと思うのであります。スクリーン制度は、先ほど来私申し上げましたように、最高裁判所というものは非常に高い理想のもとに立てられておる。そういう裁判所はその手続の違背などについてかれこれ審査すべきではないというように考えておりますので、その高等裁判所においてこの手続の適法かどうかということについて審査しまして、適法なものだけを最高裁判所に送つてしかるべし。また事実認定の当否だけを争わんとするようなもの、それも事実認定を争うのかどうか明らかでありませんので、たいていは控訴審でやれないのではないかと思いますが、事実認定を争つておるというような明らかなものについては上告審に原裁判所が送らないというこの方法は最高裁判所の性格から見て決して悪いものだとは思いません。そうすることによつて最高裁判所の受件の負担も軽減する。また最高裁判所の性格にも合すると思うのであります。しかしながらこのスクリーン制度を地方裁判所にまで及ぼしまして、高等裁判所の上告事件にまでスクリーン制度を用いまして、そうして地方裁判所にスクリーンをさせるというようなことになりますと、私の議論はちよつとくずれて参るのであります。最高裁判所の事件なるがゆえにスクリーンさせる、高等裁判所には何もスクリーンさせる必要はないのじやないかというふうに、高等裁判所の上告事件についてはスクリーンさせるまでもないのじやないか、高等裁判所は現在の判事の能力をもつて、また人員をもつて、その高等裁判所自体においてスクリーンできるのではないかというように私は考えておる次第なのであります。
 以上私の申し上げましたことはごく要点につきまして大事な点について申し上げたと思うのであります。それ以外に調書の簡易化、判決の形式の点について最高裁規則の問題にからんで新しい問題が提起されております。また簡易裁判所の仮処分についても上告を許さない、あるいは執行停止の問題等ございますが、それらについてはすでに論議し尽されておることと思います。規則の問題につきましては、規則によつて判決の形式をきめるというような、言い渡しをどうするというような問題はこの際控えさせていただきたいと存ずるのであります。
 まことにつまらないことを申し上げまして、お耳を汚しまして恐縮であります。
#28
○小林委員長 次に日本弁護士連合会の片山繁男君にお願いいたします。
 片山さんは改正案一般に対する御意見を伺うのでありますが、特にイ、上告理由、ロ、原審の上告棄却決定、ハ、保全処分についての上告制限、ニ、簡易裁判所の管轄の拡大、これらの点に触れてお述べを願いたいと思います。
#29
○片山参考人 私、片山でございます。私は日本弁護士連合会を代表して日本弁護士連合会でまとめました意見をそのままお伝えするつもりで申し上げるのでございます。この意見は各委員の方々の数だけ差上げてございますから、ごらん願えばわかると思いますが、まず第一に日本弁護士連合会の意見といたしましては、この立法趣旨による両法案の改正には反対するというのが総括的な意見でございます。その理由を少しく述べさせていただきたいと思うのであります。
 今回の改正は最高裁判所に七千件もの事件が停滞した、こういうことを前提として昨年の五月、六月の法曹時報の五巻、五号、六号でありますが、これに最高裁判所の藤田八郎裁判官が「最高裁判所の機構改革に関する諸説について」と題する論文を掲げられました。これはいわゆる、乱上訴のために事件が停滞するのだということを前提にして、弁護士などもすべからく上告理由のないものについては上告理由なしという上告趣意書を提出すべきだ、こういう前提のものになさつたわけであります。そうしてその改正の骨子は、現在のいわゆる提案されているこの法律案とまつたく合致するものであります。そうだといたしまするならば、藤田裁判官のその根本の、投ぜられた一石がこの改正案になつていると考えられるのであります。この藤田裁判官の「法曹時報」に掲げられた記事に関しては、在町法曹におきましては全員が反対いたしまして、喧々囂々とこれに非難の声を浴びせたのでありますけれども、遺憾ながらそれは取上げられないばかりか、さらに本年の六巻一号の「法曹時報」に、田中耕太郎長官はこれに全面的に賛意を表されるとともに、いろいろの意見を掲げられたのであります。その意見の中に、ただいまも下飯坂長官の申されたように、スクリーンという言葉を使つておられます。原審においていわゆるスクリーンするんだ――スクリーンという英語はなるほど選択するとかいうふうに現在使われておりますけれども、根本の趣旨は幕を張り、遮蔽するということなんであります。最高裁判所は一般国民の上訴権を、スクリーンを掲げて遮蔽しようというのが動機なんでありまして、われわれの絶対に賛意を表しがたいものなんであります。
 最近新聞記事を見ますと、川口の簡易裁判所においてかなりの事件が停滞したそうであります。それによつてその簡易裁判所の裁判官は弾劾裁判に付されるとか書いてありました。その真偽はただしておりません。しかもその監督の地位にある浦和地方裁判所の所長もまた、何らかの罰をこうむるとかいう話であります。一簡易裁判所の、下級裁判所の裁判官は、事務の渋滞することによつておのずから責任を問われるのであるのにかかわらず、最高裁判所の裁判官は二十五年度の事件が解決できないで、七千件以上の渋滞を来しながら、しかもその責任をみずから負おうとしないで、一般国民の権利を抑圧して、その事務の渋滞を打開しようとする、まつたくもつてのほかの改正案なんであります。われわれいわゆる在野法曹としては、絶対に承服しがたいこの改正の根本趣旨であります。しかしながらこれを強く主張すること自体がいいか悪いかの問題は、種々討議いたしました。各地方の弁護士会から意見が述べられましたものについて検討いたしますと、いずれも強い反対意見なんであります。ことにただ一点だけ読みたいのですが、「法曹時報」に田中耕太郎長官の記事のある中に、幾千の事件の大部分は、その性質において最高裁判所の裁判官の手を煩わす必要のないものだ、こう言われるのであります。どういう事件が最高裁判所の裁判官の手を煩わしてはいけないのでありましようか、いずれも国民の係争であり、あるいは国民が懲役何年かに行かなければならぬ問題であります。それをさえも最高裁判所の裁判官になずまない事件というのがあり得るのでしようか。われわれは奇異の感を抱かざるを得ないのであります。以上申し上げたような趣旨におきまして、総括的には今般の改正には絶対反対なんであります。
 しかしながら先ほど申し上げましたこの意見書にしたためておきましたが、この改正案がほかの理由によつて賛成すべきものであり、あるいはこれに従つてもさしつかえないと思われるものは、しいて反対する理由もございません。それゆえにつぶさに検討を加えました結果、次のような意見が出たわけでございます。
 まず最初に、裁判所法の一部を改正する法律案に対する意見でございます。これは結局高等裁判所に対する上告をふやし、最高裁判所に対する上告を減少し、そうしてこれによつて渋滞を打開しようとする意図でなされたものであります。現在の物価指数からいたしまして、多少の値上りはやむを得ない、しかもその法案を拝見いたしますと、附則の三に、「最高裁判所の規則で指定する簡易裁判所の民事訴訟に関する事務は、その所在地を管轄する地方裁判所又はその支部の所在地に設立された簡易裁判所で最高裁判所の規則で指定するものが取り扱う。」こういうふうになつておりますが、ただこれが遺憾なことには、「当分の間」という言葉がかぶせてあるのであります。当分の間というので逃げられては、われわれの目的は達しられないのであります。われわれは現在の状態において、多少の値上りはやむを得ない。しかしながらもとの区裁判所の所在地いわゆる裁判所法の四十五条で任命されない特任の判事のいない、正式に任命された簡易裁判所の裁判官によつて裁かれる場合には、十万円程度の値上りはやむを得ないであろう、こういうことから、いわゆる改正案は二十万円を十万円とすることによつて、しかもそれにはいわゆる裁判所法の附則の三でありますが、これは「当分の間」を除いて、それが適用して同時に改正されることを条件といたしまして、賛成したいのであります。二十万円を十万円と改めます点は、先ほど当局からいただきました訴訟事件の比率表というものを拝見したのでありますが、これによると、百分比で、三万円までが三%、三万円から五万円までが二〇%、五万円から十万円までが二六・一%、これを合計いたしますと約五〇%になる、こういう程度のものはいわゆる簡易裁判所で扱われるのが最も妥当ではないか、こういう結論に到達いたしましたがゆえに、裁判所法の一部を改正する法律案については、附則の三の「当分の間」とあるを除いて、そうしていわゆる裁判所法四十五条の、書記から上つたりなどした裁判官に扱わせないことを条件としてこれに十万円として賛成いたしたいと思います。
 次に民事訴訟法の改正に関する意見でございますが、いずれも御研究なされた専門家の方であるし、次々と御意見が出るのでありますから、簡単に申し上げたいと思います。まず上告理由の制限の点であります。これには要綱によりますと二つの理由が掲げてございました。そしてその要綱の一は、「上告理由を原判決の憲法違背及び判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に限ること。」これは上告理由を制限されたものであります。そうして「上告に関する適法要件を欠くことが明らかな場合には、原裁判所において上告を却下することができるものとすること。」こういう二つの法律案要綱というものがございました。これによつて検討いたしましたが、一部の反対はありましたけれども、いわゆる判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背にすることは、結局本年六月に効力を失います、民事上告に関する特例法が復活することによつて法令違背もまた上告になるとするならば、それが原判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に限られてもまたやむを得ないであろう、それは譲歩してもよろしいだろうという結論に到達いたしました。そうして第二のいわゆる適法要件を欠くことが明らかな場合には云々の要綱でございますが、これを読んだときにはさほど感じなかつたのであります。ところが実際に法律案を拝見いたしますと、三百九十九条がこれに該当するものと考えられるのでありますが、三百九十九条の第三号には「上告ガ法令ノ違背ヲ理由トスルモノニ非ザルトキ又ハ判決ニ影響ヲ及ボサザルコト明ナル法令ノ違背ヲ理由トスルモノナルトキ」こういう驚くべき条項が加えられているのであります。これは法律案要綱には全然書き上げてない条文なんであります。これがありますことによつて、原裁判所は法令の違背が判決に影響を及ぼすか及ぼさないかまで判断しなければなりません。そういたしますと、いわゆる上告でなくて、高等裁判所における判断にほかならないのであります。ことに原審にいわゆる三審制度をとりながら、上告状を提出して原審にその判断をまかせるということは、これは三審制度を貫くものでもなく、また最高裁判所の裁判官のみが手数が省かれるかもしれないけれども、いわゆる人件費の点においてはやはり高等裁判所において同じ手数をかけなければならないのであります。元来われわれが上告いたしますのは、いわゆる権威ある裁判官によつて、絶対に国民の信頼し得る判決を得ようとするのであります。その判断を得たいがためにするのであります。先ほども下飯坂先生がおつしやつたように乱上告ということは認められない。いわゆる迷える羊は一匹でもという説でございましたが、私もこれには全面的に賛意を表するものであります。上告の判断を求めたいが、原審に上告状を提出して原審で判決に影響を及ぼすか及ぼさないかという判断を受けるのでは、何の意味もないのであります。そうかと申しまして、下飯坂先生の言われるように四審制度ということについては私はいまだ賛同しがたいものであります。これらの意味におきましていわゆる三百九十五条、三百九十七条、三百九十八条、それにただいま問題の三百九十九条で、これには絶対賛同しがたく、ことに三百九十九条は、絶対これだけは反対していただきたいのであります。われわれに残された唯一の道はただ議員諸氏におすがりして、この悪法を絶対通さないようにしていただくより道がないのであります。われわれ在野法曹といたしましては、国民の権利の擁護のために切にこの点は撤廃されるようにお願いしたいのであります。
 それから仮差押え、仮処分事件上告の憲法違反に限るとする改正、これについてはしいて反対しないという結論に到達いたしました。しかしながらこれは後に参考人として出られる東京三弁護士会の意見によりますと、これもわれわれの意見より強いのであります。しかしながら連合会で考えましたことは、民事訴訟法はいかなる場合においても両当事者があるのであります。これを忘れてはならないと考えます。そういたしますと、いわゆる上告する者、あるいは原告被告、控訴人、被控訴人、一方に利益のものはいかなる場合にも相手方に不利益で、相手方に利益のものは片つ方には不利益であります。そうでありますからそれらの点を勘案いたしまして、仮差押え、仮処分という非常に急を要するものについては、ことに後に本案の裁判によつて根本的に解決できるものであるといたしますならば、差押えも上告まで特に維持する必要はないのじやないか。これは当局の調べられましたいわゆる仮差押え、仮処分事件の上告事件がパーセンテージで四%であつて、しかもそのうちのさらに二%が確実だというのを全面的に信用いたしまして、そうだとするならばこれに賛同することもあながち当事者に不利益ではないのじやないかという結論に到達したのであります。今までも、またこれから申し上げます連合会の意見につきましてこまかい条文についてはいずれもこの意見書に、法律案に対する具体的意見として掲げておりますからごらん願いたいと考えるのであります。
 次に仮執行宣言付判決に対する上告審における執行停止の問題であります。これには連合会といたしましては賛成いたします。なぜならば現在最高裁判所に執行停止を申請いたしますと、藤田裁判官のおられる部のごときは絶対にお許しがないのであります。現実においてお許しがないのであります。これを法制化して執行停止によつて損害を受けるおそれをいわゆる疎明することによつて、これを得ようとするのはあながち違法でない、または相手方を保護することにもなりますから、事件をことさらに延引しようとする者のためには、かくのごとき制度はむしろ利益ではないか、こう考えてこれには賛成するものであります。
 さらに調書及び判決の方式等を最高裁判所の規則にゆだねる改正案でございますが、これはわれわれといたしましては強く反対するのであります。何となれば六月のいわゆる特例の廃止によつて法令違背というものが復活するのであります。しかしながら当局の意図されるのは、これらを全部最高裁判所の規則にゆだねてしまつて、法令違背というものは探してみてもほとんどないということになることを願われたように考えられる。しかも裁判所のいわゆる調書あるいは判決等は法律に定めてこそこれは必要でありまして、これを最高裁判所の規則によつて自由にきめるということには絶対反対なのであります。
 以上申し上げましたのが大体の要旨でございますが、連合会といたしましては多分の譲歩をいたしまして、むしろ三百九十九条の改廃等に全力を注いで、これを絶対に法律化しないようにしていただきたいために、ほかの面についてはかなり反対者もあり反対意見も強かつたのでありますが、これらの点はこれに従うこととしたのでありますから、委員諸公におかれましてもぜひともこの点について御尽力賜わりたいと思います。私のつまらない話はこれで終ります。
#30
○小林委員長 この際下飯坂参考人及び片山参考人に対して御質疑があればこれを許します。御質疑はありませんか。
 それでは、また二人参考人が残つておりますが、三時以後に出席される約束でありますから、それまで休憩いたします。
   午後二時三十一分休憩
     ――――◇―――――
   午後三時十二分開議
#31
○小林委員長 休憩前に引続き会議を開きます。
 裁判所法の一部を改正する法律案及び民事訴訟法等の一部を改正する法律案、以上二案を一括議題とし、両案について参考人より御意見を聴取することにいたします。東京弁護士会所属、弁護士岡弁良君にお願いいたします。
#32
○岡参考人 私岡弁良であります。私が申し上げますことは、東京の三弁護士会と申しますと、東京弁護士会、第一弁護士会、第二弁護士会の三弁護士会のことを申すのでありますが、その三弁護士会で、裁判所法の一部改正案並びに民事訴訟法等の一部改正案というものが法務省から発表されましたので、連合委員会を開きまして、数回にわたつて研究をいたしました結果に基きまして申し上げたいと思います。
 第一に裁判所法の一部改正案に対する意見でありますが、これは裁判所法第三十三条中三万円とあるのを二十万円とする改正案でありますが、この改正案に対しましては、十万円と修正をしていただきたいのであります。それからこれを審理する裁判官は、裁判所法第四十五条による特任判事でない裁判官にお願いしたいのであります。
 簡単に理由を申し上げますが、裁判所法の施行されましたのは、昭和二十二年五月でありまして、当時の経済事情におきまして、簡易裁判所の事物の管轄は三万円以下を適当としたのでありましたが、その後逐年物価が高騰いたしまして、経済事情も著しく変化しておるのでありますから、簡易裁判所に出訴する事件が減少して地方裁判所に提起される事件が激増する結果となり、最高裁判所に対する上告事件が増加していることは了解ができまするが、しかしながら改正案のごとく一躍三万円を二十万円に増額するということは、東京、大阪等の大都市においてはともかくでありまするが、その他の地方の簡易裁判所では大部分の事件が簡易裁判所に集中する結果となつて、地方裁判所に提起される事件はきわめて少数となることが予想されますので、私どもは私権保護の立場からこのような急激な増額には反対いたすのであります。試みに法務省が発表されました資料を拝見いたしますると、もし二十万円といたしまする場合における事件の関係を調べてみますると、東京では二十八年度におきまして二十万円までの事件が六千九百二件に相なつておりますが、それ以上の事件は五千三十一件しかないのであります。それからこの問題は地方の弁護士会から大そうやかましく議論が発表されて参りますので、特に徳島の例をとつてみますと、徳島では二十万円までの事件は二十八年度においで八百十七件であります。しかるに二十万円を越す事件は百十二件しかないのであります。それから鳥取では二十万円までの事件は四百六十九件あるのに対しまして、二十万円を越す事件はわずかに八十二件しかないのであります。今日のように地方裁判所が充実いたしまして、簡易裁判所ははなはだ完備いたしておらない状況におきまして、かようなおびただしい数が簡易裁判所に参りますことは、はなはだ私権の保護が完全でないということを地方における弁護士諸君が依頼人を代表して申して参つておる実情でありまして、東京においてすら二十万円以下の事件が六千九百件、約七千件であります。しかるに二十万円以上の事件は五千件しかないというようなことは、あまりにも急激なる増額であると考えまして、にわかに賛成しがたいのであります。特任判事を審理に当らせないということにつきましては、条文を拝見いたしますると、附則において一応の手当ができておるように拝見いたしまするが、附則の三に当分の間という文字が使つてあるのでありますが、当分の間でなしにこれは特任判事に扱わせないという恒久法にしていただきたいのであります。その他は裁判所法の附則の問題は異議がないのであります。
 次に第二の民事訴訟法の一部改正案に対する意見を申し上げてみたいと思うのであります。改正条文の順に申し上げたいと思います。私が申し上げない部分は、意見がない部分は賛成しておるものと御了承願つてさしつかえないのであります。民事訴訟法の第二十二条中に三万円とあるのを二十万円とするという改正案は、先ほど裁判所法で申し上げましたように十万円と修正することをお願いしたいのであります。この理由は先ほど申し上げたので尽きておると思うのであります。
 次に民事訴訟法の第百十四条の二項、これは担保不提供による訴えの結果による原告の審訊の規定でありますが、これは削除になつております。
 同法百四十三条は調書の形式的記載事項でありますが、これは修正されております。
 次に第百四十四条は調書の実質的記載事項、これは削除になつております。
 次に百四十五条、調書における書類の引用でありますが、これは削除になつております。
 それから百四十七条、「調書の証明力」でありますが修正されております。
 百四十八条、「弁論の速記」でありますが、これは削除になつております。
 百四十九条、これは調書に関する規定の他の手続への準用でありますが修正されております。
 百五十一条第四項、訴訟記録の正本などに関する規定でありますが、これは削除されております。
 それから百八十九条、「判決言渡の方式」の規定でありますが、削除されております。
 同法百九十一条、「判決書の記載事項」でありますが、これは削除されております。
 同法百九十二条、判決の交付、これは削除されております。
 同法百九十三条、「判決の送達」に関する規定、これは修正されております。
 同法百九十四条第二項、判決の更正決定の方式でありますが、削除されております。
 同法二百二条第二項、不適法な訴え却下にあたつての「原告の審訊」でありますが、これは削除になつております。
 同法二百四条第二項、決定、命令の告知に伴う書記の処置、これは削除になつております。
 二百五十条、「準備手続調書」、これは修正されております。
 同法二百五十五条第一項及び第三項、準備手続の効果の規定でありますが、これは修正になつております。
 同法二百九十二条、宣誓をさせないで尋問した場合の調書の記載でありますが、これは削除になつております。
 同法三百四十条、当事者尋問調書に関する規定でありますが、これは削除になつております。
 同法三百四十一条、「法定代理人の訊問」の規定でありますが、これは修正になつております。
 同法三百五十八条ノ二、「調書の簡略化」に関する規定でありますが、これは削除になつております。
 同法三百五十九条、判決書の簡易化に関する規定でありますが、これは削除になつております。
 同法三百八十三条第二項、控訴却下にあたつての控訴人の審訊に関する規定でありますが、これは削除に相なつております。
 同法三百九十一条、「判決書の記載方式」に関する規定でありますが、削除になつております。
 同法四百九条、訴訟記録の返送の規定でありますが、これも削除になつております。
 以上の修正または削除は、これらの規定を最高裁判所の規則制定権に委譲しようとする改正案であつて、全部反対であります。
 その理由を簡単に申し上げます。改正案におきましては、調書及び判決の方式等を簡素化するために、これを最高裁判所の規則によつて定めようとするものであります。しかしながら現行法による調書及び判決の方式は、最小限度において必要な事項が規定されているのでありまして、それによつて調書は弁論の内容を明らかにするとともに、それのみが判決の基礎となつているのであります。また判決は方式の規定がありますから、その内容が明確になるのであります。しかるに最高裁判所の制定する規則によつて、これが調書を簡素化されるときには、口頭弁論の発展的内容を知ることができません。また判決の方式を簡素化せられるようなことになりますと、判決によつて当事者を納得させることは不可能であると考えるのであります。ことに、いわんや最高裁判所の規則制定権に委譲いたしまするときには、その方式が朝令暮改される危険にさらされますおそれが多分にありますので、この点からも反対をいたす次第であります。
 次に民事訴訟法第三百九十三条第三項を新設されておりますが、これは仮差押え及び仮処分事件の判決に対する上告の禁止であります。これに対しましても私どもは反対をいたしたいのであります。その理由は仮差押え、仮処分の判決に対する上告は、年間を通じて数十件の少数であるということは法務省発表の通りであります。かような少数の事件について上告を禁じても、最高裁判所の負担の軽減にはならないということが第一理由であります。次に仮差押え、仮処分の事件でありましても、法令の解釈の統一については、やはり最高裁判所でこれをなす責任があると思いますので、わずかばかりの事件だからというてこれを上告を禁じて、最高裁判所が法令解釈の統一をなげうつということは、私どもの賛成しないところであります。
 次に民事訴訟法第三百九十四条、これは「上告理由」の修正であります。「上告ハ判決ニ憲法ノ解釈ノ誤アルコト其ノ他憲法ノ違背アルコト又ハ判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背アルコトヲ理由トスルトキニ限リ之ヲ為スコトヲ得」ということになつておるのでありますが、この中で判例違反が上告理由として認められなかつたのははなはだ遺憾でありまして、これを追加すべきものではないかと考えるのであります。この点たびたび議論をいたしたのでありますが、法令違背は判例違反を含むという解釈をなす人がないでもありませんが、今日の裁判所の取扱いといたしましては、法令違背と判例違反とは厳に区別をいたしておるのであります。従いまして法令違背を上告理由としたから判例違反を上告理由とする必要がないという議論は、私どもの賛成しないところであります。
 次に同法第三百九十五条「絶対的上告理由」でありますが、第一項中に「裁判ハ左ノ場合ニ於テハ常ニ法令ニ違背シタルモノトス」とあつたのを、「左ノ場合ニ於テハ常ニ上告ノ理由アルモノトス」と改められたのでありまするが、これは前条において「判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背アルコト」を理由として認めました以上は、やはり同じ歩調をもつて「判決ハ左ノ場合ニ於テハ常ニ判決ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背アルモノトス」とすべきであると考えるのであります。
 それから第三百九十七条、これは原裁判所に対する上告状の提出であります。司法三百九十八条、これは原裁判所に対する上告理由の提出でありますが、この二箇条の新設には反対であります。
 ここでちよつと追加して申し上げておきたいと思います。昭和二十九年五月三十一日限り失効することに相なつております「最高裁判所における民事上告事件の審判の特例に関する法律」というのがありまするが、この法律は私ども最初から今日でも反対をいたしておつて、このときに失効せしむべきものであるということを主張して参つておるのでありますが、この法律でも判例違反はやはり認めておつたのであります。従いましてただいまの三百九十四条にはやはり判例違反をも上告理由とすべきものだということを追加して申上げておきたいと思います。
 次に民事訴訟法第三百九十九条、原裁判所における上告の却下でありますが、これは大修正がいたされております。それから同法三百九十九条ノニ、事件の送付、これは新設規定であります。三百九十九条ノ三、上告の却下、これも新設規定であります。およそ今度の民事訴訟法の改正の中でこの三百九十九条くらい悪い改正はないと考えます。第三再九十九条の第一項の第三号を見ますと、「上告が法令ノ違背ヲ理由トスルモノニ非ザルトキ又ハ判決ニ影響ヲ及ボサザルコト明ナル法令ノ違背ヲ理由トスルモノナルトキ」は「原裁判所ハ決定ヲ以テ上告ヲ却下スルコトヲ要ス」としておるのであります。そうしてこの上告状と上告理由は、ただいま申し上げました新設条文によつて、原裁判所を通過することになつておるのであります。この改正によりますれば、上告は本来上告裁判所が原裁判所の裁判に不服である当事者の不服の理由を審理裁判すべきものであるにかかわらず、不服の判決をなしたその裁判所が再び上告を審理し裁判するのであつて、上訴制度を否認するきわめて不当なる改正案であるということに帰着するのであります。またこの改正案によれば、三百九十四条において、判決に影響を及ぼすことの明らかな法令違反を上告理由として認めながら、この三百九十九条においては原裁判所がその上告理由を審理判断するのであるから、結局審理判断するのでありまするのみならず、判決に影響を及ぼさざることが明らかであるという場合には、その上告理由を原裁判所が却下するのでありますから、結局上告裁判所で上告理由の審理判断を受ける権利を剥奪される結果になる不合理の改正案であるのであります。このことは非常に重大なことでありまして、一方においては三百九十四条で判決に影響を及ぼすこと明らかな法令違反を上告理由として認めながら、三百九十九条において判決に影響を及ぼさざること明らかな法令違反は原裁判所で却下することを要するというように、一方において上告理由として認めておきながら、一方においては原裁判所で却下してしまつて、上告裁判所にその上告理由が参らぬ、上告裁判所でその理由を審理判断もしないという、一方に与えて一方に奪うという改正案でありまして、これでは三百九十四条によつて与えられたる法令違反というものは活用できないのであります。三百九十九条のこの条文は、どうしてもこれは削除していただかなければならぬものであると考えるのであります。これが本改正における一番悪い改正であると存じますので、特に御留意を願いたいと考えておるのでございます。
 次に民事訴訟法第四百九条ノ二、これは修正になつておるのでありまするが、その新しく入るのは第二項だと考えますが、「仮差押又ハ仮処分ニ関シ高等裁判所ガ第二審若クハ第一審トシテ為シタル終局判決又ハ地方裁判所ガ第二審トシテ為シタル終局判決ニ対シテハ其ノ判決ニ憲法ノ解釈ノ誤アルコト其ノ他憲法ニ違背アルコトヲ理由トスルトキニ限リ最高裁判所ニ特ニ上告ヲ為スコトヲ得」としてあるのでありますが、これは先ほど申し上げました仮差押えまたは仮処分の事件に対して上告を禁止いたしましたのと相まつて、反対をいたすのであります。仮処分、仮差押え事件に関しましても、やはり一般の法令違反を上告理由として認めるべきであると考えるのであります。それでもう一つ申し上げたいのは、仮差押え、仮処分の上告を三百九十三条第三項を新設して禁止しておきながら、ただいま特別上告の四百九条ノ二に持つて参りまして憲法違反だけ上告を許す、こういうことに御改正になるのは、立法技術としてはきわめて拙劣だと考えるのであります。これは三百九十三条の方に一緒にすべき事項でありますのに、三百九十三条の三項では上告は相ならぬとしておきながら、四百九条ノ二に参りますと、憲法違反ならよろしい、こういうことに数箇条後に出て来るのは、立法技術としてはなはだその当を得ないと考えるのであります。
 それから第四百九条ノ三は、特別上告審の手続に関する準用規定でありまして、これは修正されております。
 第四百九条ノ四、異議申立ての規定、これは削除されております。
 同法第四百九条ノ五、異議申立て期間でありますが、これが削除されております。
 同法第四百九条ノ六、異議についての裁判の規定であります。これが削除されておりますが、これは別に削除しなければならぬという特別の理由を認めることができないのであります。これあるがゆえに最高裁判所の負担が加重されるということにもならぬのでありまするから反対をいたす次第であります。
 次に、民事訴訟法第四百十三条再抗告の規定でありますが、これは修正されておるのであります。「抗告裁判所ノ決定ニ対シテハ其ノ決定ニ憲法ノ解釈ノ誤アルコト共ノ他憲法ノ違背アルコト又ハ決定ニ影響ヲ及ボスコト明ナル法令ノ違背アルコトヲ理由トスルトキニ限リ更ニ抗告ヲ為スコトヲ得」としてありまするが、この場合におきましても、判例違反を再抗告の理由とすることを遺脱しておる点に私どもは不服があるのであります。
 同法の第四百十六条の抗告提起の方式の規定でありまするが、この第一項中に、特に、「(第四百十三条ノ抗告ヲ除ク)」としてありまするが、これは、原審に四百十三条の抗告は停止せしめるための削除と考えまして、反対するものであります。
 第四百九十八条一項中「適法ナル異議ノ申立又ハ」、並びに同条第二項中「異議若クハ」及び「申立若クハ」を削除することになつておるのでありまするが、これは最高裁判所の判決に対する異議申立てを禁じた結果こういう手続をしたものでありまして、やはり反対であります。理由は特別上告のところで申し上げた通りであります。
 次に、同法の第五百条第一項中、「第四百九条ノ二ノ上告ノ提起アルトキ又ハ再審ヲ求ムル申立アルトキハ」と書いてあるのを、「第四百九条ノ二ノ上告ノ提起アリタル場合又ハ再審ヲ求ムル申立アリタル場合ニ於テ不服ノ理由トシテ主張シタル事情ガ法律上理由アリト見エ且事実上ノ点ニ付疎明アリタルトキハ」に改めるとあるのでありますが、これは、「不服の理由トシテ主張シタル事情ガ法律上理由アリト見エ且事実上ノ点ニ付疎明アリタルトキハ」と改めることは強制執行停止の条件の加重でありまして、かような加重を特にする必要を認めないのであります。これは私ども大分長い間研究しておつたのでありまするが、このたび初めて突如として出て来た改正であつて、反対であります。
 次に、民事訴訟法の第五百十一条を新設して、
 仮執行ノ宣言ヲ付シタル判決ニ対シ上告ヲ提起シタル場合ニ於テ共執行ニ因リ償フコト能ハザル損害ヲ生ズ可キコトヲ疎明シタルトキハ裁判所ハ申立ニ因リ保証ヲ立テシメ又ハ保証ヲ立テシメズシテ強制執行ヲ一時停止ス可キコトヲ命ジ又ハ保証ヲ立テシメテ其為シタル強制処分ヲ取消ス可キヲ命ズルコトヲ得
  右裁判ニ付テハ第五百条第三項及ビ第四項ノ規定ヲ準用ス
 としておりまするが、仮執行によつて償うことあたわざる損害を生ずることを疏明させるということは今まで例のないことでありまするが、これによつて最高裁判所の負担を軽減しようとする考えは、むしろそれによつて私は最高裁判所の事務が加重するのではないかと憂えるのであります。そうしてしかも保証を立てしめるのでありまするから、かような疏明を要求することは必要がないと考えるのであります。
 以上申し上げましたように、このたびの民事訴訟法及び裁判所法の改正は、民事上告事件の審判の特例に関する法律――簡単に申しますと特例法とわれわれは申しおるのでありますが、これの失効に伴う改正であるというのでありますから、最高裁判所の負担の軽減を目的とするものと解釈するものであります。最高裁判所の訴訟事件が渋滞して、昭和二十七年度においては七千三百八件の未済件数があり、また二十八年度においてもなお五千三百九十四件の未済件数があることは法務省提出の参考資料によつて明らかであります。最高裁判所の判事の各位は非常に御努力せられまして、ほとんど皆さんが薬を飲んでまで事件を処理しておられるという涙ぐましい御努力に対しては感謝をいたすのでありまするが、かように事件が山積しておる現状におきまして、最高裁判所の機構がこのままでよいかどうかということは問題であると思うのでありまして、昭和二十七年度におきましては、在野法曹並びに民間のこの改革の声が非常に高くなりまして、私どもは最高裁判所の機構改革の一方法としては、裁判官の人員増加によりその山積事件の処理をすることが最も適当であるということを提唱して参つたのであります。ところがこのたびのこの改正案によりますと、簡易裁判所の事件を増加せしめて、上告を高等裁判所で審理終結せしめて、もつて最高裁判所の負担を軽減しようとし、また民事上告事件の上告理由を、憲法違反と判決に影響を及ぼす明らかな法令違反に限るものと制限して、現行民事訴訟法では広く法令違反を上告理由として認めているにかかわらず、かようにしてその負担を軽減しようとし、またその上告状及び上告理由を原審に提出せしめて、上告理由を原審で審理せしめ、その理由が法令の違背を理由とするにあらざる、または判決に影響を及さざることが明らかな法令違反を理由とするものであるときには、原審がその上告を却下してしまうというようなことによつてこの上告を制限せしめようとし、あるいは仮差押えまたは仮処分事件についての上告を禁じて事件を減少せしめようとし、また調書及び判決書の方式を簡易化して上告理由を減少せしめようとし、さらにまた仮執行の制限付判決に対して、上告の場合において執行停止の要件、すなわち執行により償うことあたわざる損害を生ずべきことを疏明させるというようなことによつて、上告を減少せしめようとするなど、ことごとくこれ最高裁判所の負担軽減を目的とする上告の制度でありまして、これによつて国民の上告審の裁判を受ける権利が大いに制限されるに至つているのでありますが、かように極端に国民の上訴権を奪うよりも、何ゆえに最高裁判所の裁判官の充実をはかることをしないのでございましようか。私はここに大きな疑問を持つものであります。
 私どもは以上に述べました理由によつて、このたびの改正は最小限度において次のようにしていただきたいと考えるのであります。すなわち訴訟物においては十万円を限度として簡易裁判所の事物の管轄としていただきたい。民事訴訟法の上告におきましては、判決に影響を及ぼすことが明らかな法令違背に限つて最高裁判所に上告をなすことができるという程度の改正だけにしていただきたい。これだけしぼれば十分上告事件は減少することが明らかでありますから、この程度の改正にとどめておいていただきたい。これが国民の主権伸張の立場から切に私どものお願い申し上げる点であります。
 以上であります。
#33
○小林委員長 次に最高裁判所判事真野毅参考人にお願いいたします。真野さんには現行法上判例違反と法令解釈に関する重要主張との差異いかん、実務上の取扱いいかん。改正案で判例違反をはずしたことに対する意見いかんというような点に触れて御説明を願いたいと思います。なお法制審議会、最高裁判所協議会における上告諸論議について簡単におつけ加え願いたいと思います。
#34
○真野参考人 大体私の考えておりますところを最初に申し述べまして、足りないところは委員各位から御質問を受けるようにしたいと思います。委員会における参考人の意見をいろいろ聞いておりますと、一々それに対して私も反駁しあるいは賛成するということもできたかと思いますが、時間の関係上そういうひまがありませんでしたので、ただ今私が参考人の後半のところを承つたのであります。そういう次第でありまして、この改正案のよつて来るところ、どこに眼目があるかということについて多少誤解と申しますか、理解の深くないと申しますか、そういうところから私の意見と異なるような意見も出て来るのではないかとこう思うのであります。この改正案の出て来ました一番の根本理由と私の考えまするところでは、新しい憲法によつてできました最高裁判所という新しい司法制度と、従来の大審院の司法制度とは、非常に根本的に異なるところがあると私は信じておるのであります。裁判所の使命として私の信ずる最も大きいところは、やはり人権を擁護するというところに最終の目標があるものとこう思うのであります。そういう観点から従来の大審院と最高裁判所というものを比較検討いたしますと、そこに非常なる差異があるのであります。大審院におきまして人権の擁護ということはもちろんいたしておりましたが、その人権を擁護する範囲というものはきわめて狭い、程度の低いものであつた。法律の認めておる人権、法律の範囲内における人権、個々の具体的事件について、具体的事件の処理として、人権を擁護するというところに眼目があつたものであります。ところがこれと対照いたしまして、最高裁判所という司法制度のもとにおきましては、むろん今言つた大審院当時に保護した人権というもの、すなわち法律の認むる人権、法律の範囲内における人権というもの、それを個々の事件を通じて適当に保護するということはもちろんでありまするが、それよりももつと深い意味、広い意味において最高裁判所の持つ使命というものは、憲法上の基本的人権を擁護するということであります。その憲法上の基本的人権と申しまするものは、よしや法律にきめてなくとも、また法律にそれを禁止することがきめてある場合でも、なおその法律が憲法上の基本的人権を害しておると認めるときには、法律に違反しても、法律を無効としても、なおかつ人権を擁護する――行政処分に対しても同じことでありますが、そういう法律の範囲内ばかりではなく、法律を越えて、あるいは法律を無効とするというような事態が生じても、なおかつ基本的人権を擁護しよう、こういう任務を持つておるわけであります。そういう見地から申しますると、単に一つの事件において個々の事件を救済をするというばかりではなく、個々の事件の救済を通して、もつと奥深いところにある法律そのもの、行政処分そのものの憲法適否をあらゆる面から検討して、そうしてそういう高い深い立場から、場合によつては法律そのもの、行政処分そのものをも無効とするという立場において、基本的人権を擁護するということが、最高裁判所の最もおもなる根幹をなす使命であると私は信じておるのであります。よく裁判所は正義を擁護する、正義を発揚すると申しまするが、大審院の時代におきましては、その正義なるものは、憲法を除く憲法以下の実定法的な正義を顕現するにすぎなかつたのでありまするが、最高裁判所は、憲法をも含めてすべての法律の法律的正義を顕現する、憲法的の正義を顕現するということが主眼でありまして、そこに二つの裁判所、その国のその時代の最高の裁判所ではありまするが、大審院を頂点とする司法制度と、最高裁判所を頂点とする司法制度というものは、非常に本質的に異なるところがあると思うのであります。これは私があえて今申し上げなくとも、皆さんのすでに十分御承知のことと思いまするが、本改正案のよつて来る一番根本の主眼を突き詰めると、ここにあるのでありまするから、あえてこの点を、簡単ではありましたが、強調せざるを得ない次第であります。
 そういうような広い深い立場から、国民の基本的人権を擁護するという任務を負つておる裁判官の職責は、むろん非常に重い、従つてわれわれがその任務を完全に遂行するがためには、従来の大審院の裁判官が個々の事件について法律の範囲内における人権を擁護するということよりは、もつと幾層倍深いいろいろな点に関する認識を持たなければ、とうていこの任務を尽すことはできないと思います。そういう国民の利害休戚には非常に深い関係を持つ職責を尽すのでありまして、またそれが一国の司法制度全体に、一つ一つの事件の判断が一国全体の司法制度の将来の指針となるようなものを示さなければならねわけでありまして、ただ事件の処理ができればいいというように、一件処理ができればそれで事足れりというものではなく、やはり将来の司法制度全般に及ぼす影響というものが、一つの事件の判断を通して非常に広汎に広がつて行かなければならぬ、そういう職責を持つておるのでありまするから、十分に検討をして事件をやらなければならない。ところがいかがでございましようか。私不肖ながら最高裁判所発足以来今日まで、すべての最高裁判所の事件に関与する機会を得まして、そうして自分の体験を通して常に考えておるのでありまするが、われわれがこの高い重い任務を尽すがために、十分なる、ほんとうの意味における自分の満足する程度までの、物事をよく調査し研究するいとまがあるかということを反省するならば、これは遺憾ながらノーと答えざるを得ない。それは事件があまりに山積しているからであります。われわれ三十有余年弁護士をいたし、最高裁判所判事としても五箇年半近く勤めておるわけでありまして、司法制度のことは、まあはばかりながら裏から表からもいろいろよく見て来たのでありまするが、この最高裁判所の高い使命を達成するがためには、従来の経験ばかりではいけない、もつと深い調査、深い研究がいるのにかかわらず、その研究調査が不満足な状態において、全体の事件を処理しなければならぬ立場にあることは、非常な苦痛を感じておるのであります。そういうことになりまするのは、結局どこに原因があるかということでありまするが、なるほど刑事訴訟法また民事訴訟法の特例法というものによつて、上告の理由は法律上は制限されたのであります。ところが法律が上告の理由を制限すれば、それでそういう上告の理由のない上告があとを断つかといえば、決してそういうものではない。立法に関与せられておる皆さんはよく御承知のことでありますが、いかなることでも、法律ですべてのことが解決するものではない。そういう法律をつくつても、出て来る上告事件というものは非常に数が多くて、しかも書いてあることは非常に長く書いてあるのもありまするが、ずつとこう最初から通覧して見ても、結局事実誤認である、刑事でいえば量刑不当であるというような事柄が相当多いのであります。それは上告の理由を制限しておる法律の精神には違反することでありまするが、いくら法律でせきとめる関門をつくつてもどんどんどんどんとそれに反対な上告理由というものが出て来る以上は、それを始末しなければならぬ。一旦それを始末する段になりますると、比較的容易に行きます。しかしながら始末するまでには上告理由を一応どうしても目を通さなければならぬ。それから上告理由に法律違背らしいことがいつてあつて、記録にこう書いてあるからこうだというようなことがあると、やはり記録を参照してみないと、記録を参照してみると記録にはちやんとそれと反対なことが出ておるというような事例がたくさんありますが、とにかく一応記録をあたつてみなければそれをはねるということはできない。そういう問題が数から申しまするとどのくらいありますか、私の目の子勘定だけで申し上げてははなはだ相済みませんが、全体の六割五分あるいは七割くらいまであるのじやないかと思うのであります。そういうように上告理由にはまつたく該当しないようなものがどんどんどんどんとたくさん出て来る。それを一々処理するということのために時間と労力とを非常にたくさん費さなければならぬ。これは最高裁判所という制度とはマツチしない。最高裁判所としてもつと力を入れてなすべき大きな仕事があるのにかかわらずそういうささいなこと、十年か、十二、三年も経験を積んだ裁判官ならばだれでも間違いなく処理ができるような事柄がうんと山積して来る。それを一々目を通してやるということは、ほかの重要なる事件を処理するというようなことに非常に妨げをなしておる。多くの時間をそれにとられていることは私としても最初から今日まで常に遺憾なことであると思つて来ておるのであります。抽象的に議論を申し上げてもしかたがないかもしれませんが、一々そういうくだらぬことの書いてある、上告理由にまつたく該当しない事柄をるるとして書いてあるものを持つて来れば、それは幾らでもあります。そういうものから最高裁判所の判事の何といいますか荷を軽くするということが、日本で最高裁判所制度という司法制度を打立てることが日本の国の将来のために必要であるならば、どうしてもこれはなし遂げなければならぬことであると、私は五箇年間の経験を通して深い確信を持つておるのであります。一国には立法、司法、行政とありまして、最高裁判所制度のような司法制度を持つたということは、やはり一国の将来の運命に非常な影響を持つ事柄を処理しておる、これは一つの事件で処理するのではありませんが、個々の判決を積み重ねることによつて動かすべからざる国の運命をも支配する状態を持ち来すものであると私は確信して疑わないのであります。その最も適切なる一例として私が常に考えておりますることは、米国における最高裁判所の長官の、これは数から申しますと三代目と申しますか、四代目と申しますか、中に一人は任命されてすぐに受けなかつた人がありますが、三代目にあたりますか、四代目というのがいいのか知りませんが、とにかく初期の最高裁判所の長官、これが当時アメリカの国情として各ステートが強い権力を持つように行くか、あるいはまたユナイテツド・ステートすなわち合衆国連邦というものが強い力を持つか、これは政治上その当時非常に争われて来た問題でありまするが、このジヨン・マーシヤルは最高裁判所の判決を通してアメリカの連邦の統一ということに主力を注いで行つたのでありまして、それが最高裁判所によつて判決の集積によつてそういう方向に向つたのでありますから、それがアメリカの場合には非常に幸福な結果をもたらした。と申しますのは、かのリンカーンの時代に南北の戦争が起きた。そのときに南の方の一部の者は北から独立して別の国をつくろう、そういうことが行われましたが、南北戦争もうまく済み、やはり最高裁判所によつて示されたところの統一の方向に国民が向つたのでありますから、アメリカの今日の繁栄を持ち来しておるわけであります。ところがアメリカのその最高裁判所の指針がかりに誤つていたならば、アメリカ大陸には今おそらく十数国あるいは二十数国の国がヨーロッパと同じようにいろいろ群雄割拠して、おのおの別の国ができていて、今日の統一は保たれていないと信ずべき理由があるということは、多くの歴史家の一致するところであります。こういうことから申しますると、アメリカがよく連邦として統一をして、南北戦争の危機をも通じてなおかつ分裂をしなかつた、今日の繁栄を来したということはこのジヨン・マーシヤルに負うところが非常に多いということはアメリカの歴史家その他も申しておることでありまして、これが一つの最高裁判所の裁判を通して一国の運命いな一国の運命と申しますよりは、今日から申しますと世界の運命に影響を持ち得る。そういう事柄がやはり最高裁判所の判決を通して出て来なければならぬと私は考えるのでありますが、こうささいの事件に追われていて、まるで革原へ入つてやぶつ蚊が四方から攻めて来る、そのやぶつ蚊を右をたたき左をたたくというようなことに追われていてはほんとうの仕事はできない。そこでこの法案におきまするそういう上告理由というもの、前には特例法できまつておりましたそれと多少今度はかえて、日本の最高裁判所というものは単純なる抽象的な法律の解釈をするところではなく、個々の事件をさばくことによつて法律の解釈適用を遂げて行くという制度でありますから、やはり判決の結果に影響を及ぼすようなことが明らかなことは上告理由として認めることが適当である、そういう立場からこの改正案の骨子ができておる、そこが一番の重点であると思うのであります。
 それから先ほど岡さんが言われたことで私がちよつと耳にはさんだことが聞き違いでなかつたとすれば、この改正案の三百九十四条によつて判決に影響を及ぼすこと明らかな違背を上告理由として一方に取上げておきながら、他方においては影響を及ぼさざること明らかな違背は原審で却下ができるということにしたことは、一方において与え、一方においてこれを奪うというような結果になるというような御説があつたかと思いますが、これはいささかお考え違いの点があるのじやないかと思うのであります。と申しますのは、つまり下級審の方で上告を却下するのは、法律違背をやつてもそんなことはちつとも原判決に影響を及ぼさないじやないかということが相当の経験を経た人ならばだれでもわかるようなそういう法律違背であるということ、しかもまた明らかである場合にはそれを却下する。該当しないことが明らかである、そういう場合にはこれを却下するということ、一方上告理由として認める方は、影響を及ぼすことが明らかであるという場合に上告理由とし、こつちのはねる方は、影響を及ぼさざること明らかな場合、つまり影響を及ぼすこと明らかな場合、影響を及ぼさざること明らかな場合、こういうことでありまして、もうそんなことは、影響はちつともないじやないかということが明々白々なことならば下級審でやつても、それは大した間違いは生じない。かりに千件に一件の間違いがあるとしても、それは影響を及ぼすこと明らかなものを影響が及ぼさざること明らかな場合と、こう十数年の経験を経た裁判官がするとはとうてい考えられないのでありまして、たといその点に一万件に一件、五万件に一件の誤りがあるとしても、それは上告理由に該当しない、この上告は成り立たぬということは、これは間違いないことになると私は確信しておるのであります。そこは何かの誤解ではないかと思います。
 それから、以上申し上げましたことと関連いたしまして、何条でありますか、下級審の、元の原審でスクリーンをかけるという制度、ふるいをかけるという制度、これをとれという案でありますが、こういうことは今の最高裁判所の重い使命を達成せしめることに全力を注がせようとするならば、それは絶対的に私は必要であると思うのであります。そのスクリーンをかけるところが原審であるか、あるいはまた新たに東京高等裁判所ぐらいのうちにそういうふるいにかけることを専門とする部を置くかということについては、これはまたいろいろ可否の議論もありましようが、とにかくふるいにかける制度を設けるということはどうしても必要であると思うのであります。それは先ほど申しました通り、上告理由というものは法律で制限されておりまするが、それが制限されておるにかかわらず、上告申立てというものは非常にたくさんある、それを一々見るということになると、最高裁判所の判事はそういうことのために多くの時間を費やさなければならぬ結果になるわけでありまするが、それはまた人によつては、そんなことならば調査官に調べさせて、調査官のやつたことに盲判を押せばいいじやないか、こういう議論が一方では出て来ると思うのであります。これは裁判官の職務を、まるで行政官が盲判を押すような頭で事柄を判断するのでありまして、裁判官がそういう盲判を押すという慣例をつくるということになると、これはゆゆしき結果を引起すこととなり、最高裁判所の裁判はみな調査官がやるので、あとは裁判官は盲判を押すのだ、それで盲判を押して任務が果せるということになれば、これは非常に楽なことでありましようが、そういうことでは責任という点から申すとはなはだ相済まぬことになると思うのであります。そういうことはとることはできない。そういうことならば、どこかの裁判官が責任を持つてそれを遂行するということにするがいいではないか。そうしてその点の誤りに、十数年の経験を経た裁判官がやるならば、おそらく一万件に一件の誤りがない。つまり上告理由のないことが、判決に影響をしないことが明らかである、そういうことがまたそういう事態に明らかに該当する場合だけに却下するわけでありますから、下級審の原審の裁判官がやつてもほとんど間違いが起きないと私は信ずるのでありますが、このスクリーンをかけるということをしなかつたならば、これは上告理由は幾ら厳重に制限してもだめだと思う。上告理由の制限をしても、それが効果を発揮するということは、やはりそういう規格に合わないと申しますか、法律が許していない上告理由を出して来た場合には、それは最高裁判所ではなくて、ほかの裁判所で始末をつける、こういう制度にしなければ最高裁判所の判事の負担というものはいつまでたつても消えないと考えるのであります。それからまたそういうことをやると、まるで日本の三審制度を破壊する、こういう意見をちよいちよい耳にいたしますが、この三審制度というものは、司法制度として何も絶対的なものではなくて、世界の各国でも三審制度をとつていないところも多々あるわけでありまして、三審制度が絶対いいというわけではなくて、やはり今のような方法をとりましても、三たび裁判官が物事を判断するという立場をとることは間違いないのでありますから、三審制度を至上命令と考える考え方は、日本のような貧乏な国家において、むしろ今の状態では三審制度はぜいたく過ぎるのではないかというように考えるのであります。それより個々の裁判官にりつぱな人が出るようになる、今の高等裁判所の裁判官の中にも前に大審院の裁判官であつた者がおりますし、地方裁判所にも前に大審院判事であつた者がおりますが、それと同じ、あるいはまた同じ以上の実力を兼ね備えた者が高等裁判所の判事を構成するような方面に下級審の裁判官の充実をはかる、質的な向上をはかるということについて考慮をめぐらすということになれば、従来の大審院程度の救済は十分できるわけであります。そこで結局は、日本のような小さい国、ことに単一国家、連邦でない国においては、憲法問題ばかりを上告理由として認めるということでは間尺に合わないわけでありまして、それと具体的の事件を通して人権を擁護するという面との、何と申しますか均整のとれた調節をすることが大事であると思う。この案は、私の従来の経験を通して体験したところとほぼ一致しておる案でありまして、日本において最高裁判所制度というものを助長発達せしめることが日本の国のためにいいということであるならば、この方向に進まなければならぬと私は考えております。ただ個々の事件の処理ということだけに重点を置くというと、三審でも四審でも望みたいという気持は多くありましようが、それはやはり国の財政というようなこととも関係を持つことでありますし、また個人から申しましても、訴訟事件にあまり長くかかわり合つているよりも、なるべく早く片がつくように進んで行くということが大事じやないか。それからまた、そういう上告理由の明々白々に存在しないような上告を申し立てる事件が山積することによつて、重要なる法律問題の審理が遅れるというようなことも、やはり一国の司法制度としては、はなはだ悲しむべきものではないかと考えるのであります。
 それから最高裁判所に事件が、くだらぬ事件でも何でもいいから事件がふえたなら、ふえたに応じて裁判官の数を増してやればいいじやないか、こういう意見があるようであります。これは一応ごもつともなことで、小学校の生徒といえども、数の対比で行くというと、片一方がふえればそれに応じてふやして行けば、それで割れば一人の負担する分量は同じことで、早くできるじやないかということであります。これは明々白々でありまするが、日本の最高裁判所制度というものはそういうわけには参らぬものと私は思うのであります。事件が三倍になつたから裁判官を三倍近くふやすということでは片がつかない。先ほど申しました一番重要なる任務、つまり憲法問題になりますが、その憲法問題をそんなに大勢の判事でしまつをつけるということは、合議するとしてもそういう多数ではとても完全なる合議はできないのであります。私は今の十五人でも、ほんとうの心の奥底から申しますれば多いと思うのであります。アメリカへ参りましたときに、私はアメリカの判事から、日本の最高裁判所の判事の数は幾人かという質問をよく受けました。これはほとんどどこへ行つても聞かれます。それで日本ではグランド・ベンチ、大法廷は十五人である、こういうように申しますと、それは多すぎる、ツー・メニーだということを申しております。それからその当時、日本の憲法の改正がありましたと同じときに、司法制度を中心とした憲法の改正をやつたアメリカのニユージヤーシーという州がありまして、そこは改正前は最高裁判所の判事の数が十六名あつた。それで何かその当時改革のことについて書いたものを私読んだ記憶がありまするが、十六人も判事かいるというと、それは十二人の陪審員よりは少し数は多いし、またモツブの数よりは少し少いという皮肉つた批評をしておりましたが、そう大勢になつては、やはり合議というものはほんとうに十分徹底できるものではない。ことにいわんや最高裁判所の裁判官の数をふやしたから、それを三つなり四つなりの部にわかつて、憲法上の問題も各部で別々にやるということになりますれば、日本の憲法問題の解釈というものは非常にわかれるという結果が生じて来る、それは非常に悲しむべき事態を生ずると思うのであります。アメリカの最高裁判所の簡単な歴史を見ますると、判事の数は一番最初のときは六名、それが七名となり、九名となり、それから十名と相なりましたが、それからまたさらにその十名を減して――減してというのはやめさしたわけではなく、欠員のできたときに、法律を前のように改正して数を十名から減すということにして九名になつた。それが九十年ぐらい前ですが、それから九名で来ているのであります。九名になつてからも最高裁判所の判事の数を増せというような議論は一、二回起きたことがあります。それは一九二二年にも最高裁判所の事務が渋滞したときに数を増せという議論が出て来たが、これもその当時の最高裁判所の長官であつたタフト――元大統領をやつた人でありますが、タフトによつて強く拒否されたといういきさつもあります。それから御承知のように南北戦争によつて、戦争がいろいろ犯罪行為を誘発して訴訟事件が輻湊して最高裁判所も困つたとき、ちようど日本の現今の状態と多少似通つた、事件が輻湊していろいろ改革案が唱えられたときに、やはり判事の数をふやしてやれということがありましたが、今申しましたように、判事の数をふやして憲法問題を各部によつてやるということになつては一国の司法制度、一国の憲法解釈というものの統一が保たれぬというので、その案はすべてやみに葬られてしまつた。その後に裁判所の仕事の軽減をするという、つまり今までは権利上告であつたのを、多くの事件は権利上告ではなくペテイシヨンで、最高裁判所でそれを取上げるのも取上げないのも自由だ、しかもそれを取上げない場合でも、一々判決理由のようなものを掲げなくてもいいというようにして負担を軽減したということで、それでおちついて今日まで来ているわけであります。そういうふうに、ただ数をふやすということは、数学的の計算からいうと負担の軽減には相なりまするが、それではどうしても憲法問題等の重要な問題を十分にやるということには非常に不適当である。十分にやるには、これは一つの条件が必要でありまして、最高裁判所の裁判官の任命が妥当であるならば、みな充実した状態にあるならば、中に役に立たぬ人がいるというなら、それは数では問題になりませんから、少くも九名ぐらいで十分な討議を尽す方がいい判決ができるんじやないか、こう考えておるくらいでありまして、数多くふやすということは、私の体験を通しては、これはよくない結果しか予想ができないと思います。これが本改正案の一番重要な点だと私は考えますので、その他の点は何か御質問でもありますればお答えいたします。
 それから先ほど委員長から仰せられました判例違背の点をこの案では除いておりますが、入れても入れなくても結果は同じことになるので、こういう案ができたものと私は聞いております。これはいずれでも同じことであると思います。
#35
○小林委員長 それでは岡参考人及び真野参考人に対して御質疑があれば、この際これを許すことにいたします。
#36
○田嶋委員 真野さんにお伺いいたします。先ほどから問題になつておりますルールにまかされた判決と調書、これは当然あなた方最高裁判所の方でお考えがなければならぬ。しかしきようは真野判事さんは、最高裁判所の判事さんでございますが、おそらく当委員会には個人ということで、参考人として参つておられると思います。最高裁判所の御意見でなくてもよろしゆうございます。真野判事さんの個人の意見でもけつこうですから、ルールにまかすというならば、当然あなたたちは御研究なさつておられると思うのですが、これはどういうような形において、ルールにまかされた判決、それから調書が考えられるもんでしようか。
#37
○真野参考人 ルールにまかして、いかにも上告を制限するがごとき口吻をちよつと耳にいたす節もありますが、決してそういう意味ではなく、こういう調書をどういうふうにつくるかというようなことは、裁判所の非常に技術的な面でありまして、それが直接国民に影響を与えるということは非常に少く、むろんそれによつて上告を制限するということを意図するような卑怯な考えは、少くとも私としては持つていないし、最高裁判所の諸君も同様であろうと思うのであります。ただこういう専門的なことになりますと、最高裁判所のルールでやる方がし、ごく適切に行くんじやないか。やつてみてこれは悪い、これは悪いということを発見したら、やはりすぐに改める。今まででも、たとえば最高裁判所の重要なる法令違背がある場合に、これは刑事ではありますが、受理の申出ができる。その受理の申出の期間が短かくて、判決の送達の関係で非常に困るというようなことも、弁護士会あるいはまた検察の方からもありましよう。それは納得の行くように十分検討して、改正をして実際にかなうようにして行く。決して最高裁判所の上告をむやみに制限してどうこうというのじやなくて、とてもはしにも棒にもかからぬようなことをむやみやたらにやられては困るから、それだけは最高裁判所の判事の手を煩わさぬで行くようにするということ、これは絶対に必要じやないかと私は考えております。さらに調書も、むろん最高裁判所にはルールを制定する場合には、やはりルール制定の諮問の各委員会がありまして、そこで弁護士、検察官その他各種経験のある人もまじり合つて、よく討議をして、なるべく実際にかなうよう、あまり反対のないところをとつてきめて行くのであります。これは憲法の精神からいつても、こういう問題はルールでやるのが最も適切である。私はもつとルールでやり得るという見解を所持しておりますが、そうじやないにしても、この程度のことはルールでやるのが最も適切ではないか。それがゆえに、あの憲法に七十七条というものができておる。ただ最高裁判所は独断でやることはできない。それでちやんと委員会を設けてやることに相なつておるわけであります。
#38
○田嶋委員 そうすると参考人の御意見は、今承るところで解釈をするわけでありますが、改正については、ルールでやるという改正は絶対的な原因はない、これはまかしておつても、解釈によつては最高裁判所でやるのであるから、この場合改正も出たことであるから、ルールでやる規定でここへ入れた。こういうふうに軽く解釈してよろしゆうございますか。
#39
○真野参考人 大体刑訴の方もこういう規定がありますので、それとバランスといつてはおかしいのですが、調子を合せるということで、なるべくルールを問題にして国会とけんかをしたくないということも裏面にはあるかもしれませんが、そこまでしなくてもやつて行けるのではないか。最高裁判所の諸君も、この案には、特例法を絶対に支持する、特例法でやらなければいかぬという、そういう意見もありますが、そういうことは法制審議会の機構の委員会においても一人の賛成者もないような状態でありますし、全部が全部ということはないが、ほとんど全部に近い大多数はこういう案に了承しておるという程度に申し上げてさしつかえない。これは私個人の意見であります。
#40
○田嶋委員 もう一点お聞きいたしますが、弁護士あたりの反対が出ておる。当然上告の理由がない、これを原審裁判所でやるというふうに言いますが、私は東京の高等裁判所は別といたしまして他の高等裁判所の状況を見ますと、これは民事部というのが一つしかありません。当然原審裁判所ということになりますと、原審で判決した部が将来関与しなければならない。こう思います。原審で判決した部が関与するということになりますと、自分の判決がよいという形になつて来やしないでしようか。そうするとここに矛盾の点が起きやしないかということを心配するのであります。その点はどういうお考えですか。
#41
○真野参考人 そういう御懸念があることはその通りだと思います。しかしながら判決というのはちやんと書いて出すわけで、ただ行政処分のように許すとか許さぬというのではなく、やはり理由を書いて出すのでありますから、そんなにむちやなことを、自己の前にやつた判決が上告に行かないようにせきとめるためにやる。そういうことはできない。またそういうことで却下するようなことは、ほとんどだれが見てもこんなことはだめだというような事柄のわけでありますから、それを堂々たる反対論があるにもかかわらず、そんなことはだめだ、かりに単独の一つしかこういうものがないところ――かりに支部でやるとすれば、そうですね、一つしかない。支部でないところはたいてい二つ以上……。
#42
○田嶋委員 二つあるのは大阪でしよう、あとはみな一つですね。名古屋も……。
#43
○真野参考人 構成をかえてやることはできません。そういうむちやなことはできません。そんなことを軽く受けたり、自分の弁解のできないようなことをやれば、上告へ行つて破れるか破れないかわからないのに、上告へ行つて破れやしないかといつて、無理やりにやつても、そういうことはできないと思います。そういうことはやはり一つの疑惑を生ぜしめるという欠点があります。欠点はありますが、まあそういうことはあえてするような非常識な裁判官は今いないのではないか。そこで外国の制度でも、イギリスあたりはやはり原審で許可する。上告を許すか許さぬか、許可をするのは原審がやるのです。これが上告に値すると思えば許可して行く。そういう許可制度を原審に認めておる法制もあるわけですし、これはもうだれが見てもはしにも棒にもかからぬようなことは省こうというのですから、法律論が書いてあるのにそうむやみなことをしたら、その人は攻撃を受けます。私ども大審院時代には一つの事件が敗れるとその人の成績にかかわる、下級者の判事に対してあの判事は何件破棄されたということを目のかたきのごとく調べていたらしいのでございますが、われわれの時代になつてはそういうことじやなくて、やはり裁判官は自己の良心によつてやるべきもので、そういうやつたあとの思惑をあまり考え過ぎて、上にこびるようなやり方をしてはいかぬ、自己の良心に従つて、ほんとうに良心的にやるのには、そういうことで拘束するようなことはいかぬ。どの判事が何年に破棄されたか、そういうことは一切調査させないようにいたしておりますから、そういう点を考慮してそんな変なことをすれば、変なことをやつた方がかえつて困る事態が起きましよう。
#44
○田嶋委員 そこでついでですが、あなたのようなごりつぱな裁判官ばかりですといいのですが、やはり下級裁判所においては相当これは考えなくちやならぬ。これを維持するということになると、裁判所の人員の増加、経費の増加ということは、当然この際法案の審議にあたつては考えなくちやならない。今の考え方からいたしますと、人員の増加、経費の増加ということは非常にむずかしくなる、ここに問題があると思う。これは参考までにお話申し上げたわけですが、あなたのお説はもつともですが、一応考慮に入れてこの法案を取上げていただきたい。それから今後は次の問題なんですが、最高裁判所の事案が非常に山積して来る、非常に重なつて来るということが、本件提案の大きな理由になつているのですが、これと同じことが、今度原審でやるということになると、高等裁判所にも起きやしないか。事案の審理が山積するということは、同じことを高等裁判所でやるのですから、高等裁判所に起きやしないか。しかも高等裁判所の人員の増加は必要ないということを前提にすれば、なおさら起きて来ると思います。人員を増加して行き、経費を増して行けばこれは片づけられますが、現状のままでもつて高等裁判所がやるということになると、最高裁判所の山積が高等裁判所に移るのではないか。弊害ということから考えますと、この弊害は最高裁判所へ積んでおくよりも、私はもつと大きな弊害が先行き起りやしないかということを心配するのですが、その点はどうですか。
#45
○真野参考人 その点は、つまりこういう事件は割合に簡単に処理できるべき事件ですね。これははつきりしないから裁判所の方にすぐまわす、もうはつきりしないとまわす、それからこれはもう上告で敗れるというようなやつをまわす、それからその境のはつきりしないものをまわす、そうしてこんなものはだめだということがはつきりしているものだけ処理するのですから、そんなに渋滞はしないと思うのです。最高裁判所に来ますと玉石混淆で、つまらぬやつも重大なやつも重なつて来ますから、それでそういうくだらぬ事件を処理しなければならないために、重大な、早くやらなければならないやつが遅れるということになります。下級裁判所でははつきりしているやつだけをやる、それからはつきりしないものはすぐ最高裁判所にまわせばいいということになる、だからそういう意味の渋滞はないかと思います。今の最高裁判所よりは高等裁判所の方が、時間的の余裕があるのではないか、それからそういうことの調節はできやすい。大きな裁判所になりますと、最高裁判所に比べものにならぬくらい大勢の判事がおりますから、その調節はできると思います。そう渋滞はしない。
#46
○田嶋委員 最後にこれは見解の相違、だと思いますが、確かめておきたいのは、今のお説では、怪しいものはみな最高裁判所に送つて来る、すると今度は高等裁判所にも事件がたまる、最高裁判所にもたまる、いよいよ収集つかなくなると思います。むしろこの法案提出の方向によらずして、裁判所の機構全体の問題になつて来るんじやないかと思いますが、この法案を提出することによつて解決しようというのは無理で、かえつてやぶをつついてべびを出すような形になるのじやないかと思います。これは見解の相違でありますが、一応伺つておきます。
#47
○真野参考人 これは機構の一部改正ですから、機構全体に関係があるといえばむろん関係のあることでありますが、しかし機構を改正するのに最高裁判所の判事を増すというか増さないというか、あるいはさらに減少するということになるか、私の考えでは少くとも現状の数で行くとか、時と場合によつてはもつと減してもいいんではないか、その方がむしろ能率が上るんではないかという考えです。これは任命の方法についても、今のような独断でパツトやられる、そういうことでちつとも役に――と言つては語弊があるかもしれませんが、最高裁判所の判事として役に立たぬような人がいくら大勢任命されても役に立たぬことになりますから、充実した最高裁判所判事、粒が一通りそろうということなら、九人ぐらいが一番能率が上るのじやないかと思いますが、しかし粒がそろわぬということになると二人、三人の水増しということになります。ところで機構の改革でも、とにかく人員を増すという機構の改革をとるべきものとすれば、これは全体の構造がかわるわけです。これは法務省における法制審議会の機構委員会におきましても、人員を増加して機構を改革するという意見は、弁護士会の全部が一部か知りませんが、弁護士会の中の意見として現われただけで、その他の関係の方々からは、人員を増加する機構の改革案というものは出ない。そういうことになりますと、現状よりもつと少くすることが適当ということには、いろいろ言つたような任命よろしきを得るというような条件がついて数を減すということなら、もつと私は能率が上るんではないか、しかしそういうことは常に期待できないから、まあ多少ゆとりを持つて行くということなら、九人でいけなければ十一人というように――。
#48
○田嶋委員 先生先ほどからおつしやいますが、人員のことにこだわらずに……。要するに裁判所の機構そのものの根本的な問題の改正において取上げられる必要がある。たとえばある説のように、上告審も東京高等裁判所に行くとか、いろいろ機構自体の問題として取上げられるべき問題だ、こう考えているので申し上げたんですが、これは御答弁はいりません。
#49
○木下委員 ちよつと真野さん、岡さんお二人に伺いたいのですが、今の田嶋さんのお話の、原審裁判所でわかり切つたやつは一応片をつけさせるという制度なんですが、それは実質的にはいう大した弊害はないと思うけれども、やはり裁判ですから、岡さんから反対された理由の中にもあつたのですが、上告する当事者から見れば主観的には法令違反大いにありなんです。わかり切つたのではない。それでやつているわけなんです。だからそれを一応さばくのは、やはり形を整える。実質さえよければだれがやつてもいい、どの形式でもいいというわけではないのです。裁判ですから、前の事件に関係のない純粋に第三者的立場の、しかも少し上の機構がそれに裁判を下すということでないと、これは当事者感情といいますか、国民感情という点から、上訴裁判に関する基本的な態度からなかなか承服しない思うのです。そういう点が、今のお話の中には、それは考慮されての上かとも思いますが、お話の中にはありませんでしたが、やはりこれは裁判官があのガウンを潜ますのは、自分の気持を引締めるだけの意味ではなくて、裁判というものの威信を衣裳の上でつけるという政治的なあやもたくさんあると思うのです。さような意味で、くろうと筋から見れば実質的にはわかり切つておつても、原裁判所に裁判をさせるということは考慮されなければならぬ。ただわかり切つているか、わかり切つていないかという点ですが、これはわかり切つていると思いますという程度の意見をつけて、上告裁判所に持つて来るという程度なら、これはその当事者の争い、原審における対等の当事者の争いですから、その意味で刑事の上告理由に、検事の意見が出て来るのと同じかつこうで、民事についてもそれと同様な意味で法令違反にあらざることが明らかであるという意見だけはつけてもよろしい。しかしその上告している人は、大いに法令違反がありなんです。ありという建前から上告しているのですから、それを原審裁判所でさばくということは、政治的な意味にも、裁判制度という基本的な考え方が納得しません。また法令違反という点だけに限つている点について見ると、重大なる事実誤認云々ということは、上告理由から省かれておりますが、実際あなた方がやつているのは憲法違反でも何でもないし、そうして法令違反という上告理由もないけれども、あまりはなはだしい事実誤認だということをもつてそれが裁判に影響するというので、いろいろなりくつをつけて破毀された事例も承知いたしております。これは大きな目から見れば、条文にはつきりないかもしれないけれども、重大な事実の誤認をして裁判をやつてよいということは――法律の基本的な原則の中にそういうことがあるというような意味でされることでありまして、きわめて妥当なことであります。これと同じわけで、上告については上訴してありますから、第三者的な立場の人、そうして一級上の人に、やはり裁判だけはしてもらわぬと、かつこうがつかないじやないかという感じがいたしますが、そういう半分政治的なような意味のこともお考えになつているかどうか、そういう点ではどういうふうにお考えになつておるか伺つておきたいと思います。
#50
○真野参考人 今の点ごもつともな御質問でありまして、この点はもうずいぶん考えた問題であります。つまり上告理由が出て来る、それについて意見を付する。それを今では調査官がその下調べをして意見を付する。それに基いて調べて、そういう意見があつたからその通り、あと読まぬでやる、政治的にそういうことをやるということは裁判官として良心が許さない。そこでどうしても一通り見るということになると、どんな事件でもみんなやつぱり見なければいけない。そういうことになると最高裁判所という司法制度の欠陥、そこの矛盾をいかに調節するかということが、やはり本法案の眼百になる。そこで原審がやるといかにもそういう疑いが国民の側からかかるということは一応ごもつともですが、先ほど田嶋委員から仰せのありましたときにお答えした通りに、これはやつぱり判決を書いて棄却する、そんなことはできない。また万一そういう非難があるならば原審ではなく、やはり相当な経験を積んだ人々をもつて構成する、今の高等裁判所と違つた一つの裁判所を設けるということになる。たとえば高等裁判所に上告部を設けるというのもそういうことを懸念した案でありますが、まあ原審にやらせることがそう国民の批判を受けるような結果を来さないということを信ずることができるように私は思う。私の個人的の意見を申しますといろいろ錯綜するから申しませんが、個人的の意見から言うとやはり高等裁判所に上告部を設けて、いつも組織体によつてやる。最高裁判所に持つて行くわけにいかぬからそこでやつて、そうしてたまにはふるいにかけてそこへかける。そうして最高裁判所は最高裁判所としてやる。先ほど田嶋さんが最後にちよつとおつしやつた、答えなくてもいいというお話がありましたが、これは高等裁判所の事件が渋滞する、最高裁判所の事件が渋滞するじやないかという御懸念でありましたが、そういうことはないと思うのです。これだけ上告事件があるとすると、こつちの方の何でもないような事件だけはこつちでやる、こつちのやつは最高裁判所でやる。今まで最高裁判所と両方でやつていたのが、高等裁判所はこつちだけやるというので、両方渋滞するということはなかろうと思う。二つにわけるわけです。中身のほんとうにあるものとからのものとわける。こつちは高等裁判所、こつちは最高裁判所になる。そうすると最高裁判所の方でやる方が今までより充実した裁判ができる、こう考えます。だから国民の信頼がどうしでもいけないようなことがあればそのときまた第二段として考える。
#51
○田嶋委員 それは大分誤解です。あなたは事件を二つにわけるから半分ずつになるじやないかと言うが、そこが違うのです。高等裁判所というのは最高裁判所よりもつとたくさん事件を持つている。持つているところべ持つて来て、人員をふやさない、今の機構のままで上告までやらせるということですが、たいへんな負担になつて事件が加速度的に重なつて来る。そしてまたそれも怪しいものは皆最高裁判所に持ち込むというので、最高裁判所はもつと忙しくなる。これはよほど考えなければならぬ。高等裁判所もあんたたちよりよけい事件を持つている。しかも人員をふやさないで、この機構のままで上告もしようというのですから、たいヘんな事件の山積になる。一つのものを半分、五対五にわけるとか、七対三にわけるというような、数字の観念では行けない。
#52
○真野参考人 今まで来ましたね。これを、こつちの半分の事件を各原審に割るのですよ。原審というものは、最高裁判所とは違つてもつとたくさんあるのですから、これを割つたつてそう困るほどのことはない。そうして半分にわけても簡単に行くことなんですよ。
#53
○小林委員長 真野さんに申し上げますが、田嶋君はこう言うのです。判事をふやさぬで、機構も今のままで、今の高等裁判所にもつて来て、また今の新しい事件がふえて来るでしよう。上告を一部やる、それですから、これだけの事件がふえて来る。だからこつちは正味ふえます。判事もそのままで、組織はそのままですから……。こういう意味で田嶋委員は言つておるのです。
#54
○真野参考人 それは向うは幾らかふえますよ。しかし最高裁判所もふえますから、予算のうちで何とかまかないがつくのではないかと思います。
#55
○吉田(安)委員 時間もあまりありませんし、同僚の高橋君からあとでまたお尋ねするらしいけれども、私は急ぎますから、簡単に一、二点お尋ねいたします。
 真野参考人が勢頭におつしやつた正義の顕現、旧憲法時代の大審院制度と新憲法時代の今の最高裁判所制度と、その目的、権限が非常に違つておる、これは私もわかります。そのために非常な決意を持つて、現在の最高裁判所の判官各位が国家のために誤りなくその大事に任じておられることも、非常に多といたします。今日ややもすると、すでに検察庁、裁判所にも赤が浸潤しつつありはしないかという、かような憂慮すべき事態の、ときにないとも限りません。そういう場合に私どもとしてはいつも、最後の一線は裁判所が守つてくれる、こう実際のところ意を強うしておるような状態なんです。それで、上告が非常に多くて事件が山積をしておる、であるから今のところではほとんど手がまわらない――一々お読みになることはわかります。そうして長い上告理由もお読みになる。参考の記録もお読みになる。読んだあげくが、結局刑の量定でござるとか、あるいは事実誤認でござるとかいうことばかりの上告であつて、これではしようがないと思う。それにほとんど時間をつぶされて困るじやないか――結局今度の改正の眼目も正義の顕現というところにあるとおつしやることもよくわかりますが、田嶋君が言つておりましたことも、木下同僚が質問しましたことも、私ども同感です。最高裁判所、いわゆる昔の大審院ですが、裁判にずつと負け続けても、控訴、上告をして、最高裁判所に行つて、あるいは大審院まで行つていかぬものなら、もうこれはしかたがありませんというのが、多くわれわれ長年この事件に携わつておる者のよく体験する訴訟関係人の気持です。それで私は、いかにこの事件が多くとも、山積しておつておからだにもさわるようなことがあつても、やはり裁判は国民をして信頼させなければならないと思う。これは私は、いつの時代でもくつがえすことのできない裁判の大目的であり、理想でなければならないと思う。そうした建前から行きますと、やはり元やつた裁判所に上告をさせて、そこで一ぺん荒ごなしをさせ、そこで分数させて、こつちにやる、ここで却下するということはどうでしよう。参考人にお尋ねしますが、判決をした裁判所がまた一応荒ごなしをするというところに、やはり裁判に対する最終の信頼感ということが動揺して来やしないか、こう考える。でありますから、日は幾らかかつても、従来のようにそういうことをやらずして、最後は最高裁判所を最も信頼して、ここまで行けばもうしようがないというところの裁判所にやはり訴えをするということが、裁判のほんとうの眼目でなければならぬと思うのであります。そこでここ数年、最高裁判所の事件の渋滞は、これは津々浦々と言えば多少言葉が当りませんが、いなかの裁判所にも、また依頼者でも、裁判の長引くごとには、ほんとうに不平、非難といいますか、困つたものだという声があります。それでこれをどうするかということは、結局真野さんのおつしやるように、お考えになつた結果が、最高裁判所に来る事件を下でどこかで荒こなしをさせようということに出て来たのだろうと思いますが、くろうと筋の考えではそういうことも想像されます。ごもつともなことだと思いますが、こうして集まつておる議員諸君は、お互い法曹界の者が大体でありますが、時にそうでない人たちもおります。そうすると、あるいは各党の控室あたりの話のときでもそう事件が山積するならば、人が足らぬで忙しいならば、判事をふやしたらよかろうということになるのです。そこでお尋ねしたいことの第二点は、こういう改正案を御主張なさるときに、いろいろ御研究もありましたでしようが、さいぜん真野判事のお言葉の中には、人員をふやすこと、これは絶対に反対だ、こういう御意見であります。それでそのふやすことが反対だということは、御研究の結果、予算面で支障を生ずるとかいうことでなくて、さいぜんいろいろ理由があつたようでありますが、それは省略いたしますけれども、アメリカの例をお引きになつて、そうして数十年以前からの例をお引きになつて、今もなほ最高裁判所には九名の判事が勤めている。それで自分の考えではふやすよりもむしろ減らした方がよくはないかというようなお言葉でありますが、そうしますと、私はここに事件と結びついた関係で参考人の御意見には矛盾があると思う。というのは、今の十五人でさえもなおかつ因り切つておるという状態なのに、それを改正案の通りにいたしましても、この十五人をむしろ減らしてもさしつかえないとおつしやるところに、私は事件の処理上御意見に矛盾がありはしないか、こう考えるのであります。
 それからもう一つは、何だか非礼にわたる私の言葉かもしれませんが、参考人はふやせば水増しだというようなお言葉だつた。私は、何か最高裁というものは高い、奥深いところの一つの殿堂だ、みだりに人は入るべからずというような感じが、真野さんのお言葉の中からにじみ出ているような気がいたします。私のこの考えは間違いだとは思います。しかしまた反対から行けば、今日の裁判制度で最高裁判所はいわばそのくらいの権威と自信を持つたいわゆる最高の殿堂だ、ここにはみだりに立ち入るべからず、われわれによつて国家の重きに任ずるのだ、こういう御熱意はとうとくもあるし、またそうなくてはならぬわけですが、その点がどうしても私は割切れません。なおまた、ふやしたからとて一向さしつかえがないし、われわれの希望するような建前から行けば、やはりふやしてその分担を幾らかでも軽減することが、最高の目的を達することではないか。それには何人をふやせばよろしいか、これは研究の結果にまたねばならぬのですが、なおふやして国費がかかるとしても、それは大事なことでありまするから、私は国費がかかつてもいたし方ないことだ、かように存ずるのであります。
 それからもう一つ、私は裁判所内部でも、やはり人でありまするから、おのおの下級裁判所の判事諸君でも、最後に目ざすところは、できることならば、最高裁判所の名誉ある判事にもなりたい、こういう気持で日夜事件にいそしむということも、これは当然なことだと思うのです。そういうことも考えますると、私は、どうしても事件の処理がうまく行かぬ、その負担の多いのに耐え得ないというようなことでありまするならば、今後の改正のようなことでなくして、むしろ人をふやすということがよくはないかと考えます。そうしてふやしたところで、それは決して水増しというようなことには立ち至らないのじやないか、こういうことが最前から真野参考人のお話を聞いておりつつ、私の感じた所感でありますが、一問一答を省略いたしまして、数点にわたつてもう一ぺん参考人の御意見を拝聴いたしたい、そうしてこの改正案の研究の資料にいたしたいと思います。
#56
○真野参考人 今の最後の点でありますが、最高裁判所が雲の上にあつて、ほかの者入るべからずというような意味で、人員のふえることに反対を申し上げるわけでは決してないのです。合議をするということには、今の十五人ではちよつと今でも多過ぎるのじやないか、ほんとうの会議を尽すのには、もつと数が少い方が適当ではないか、これは一般に必ずしも裁判所のことではなくて、大きな新聞社なんかの論説委員が集まつて、あそこでも今はやはりいろいろ会議のようなことをやつて、論説ができ上るそうですが、それでもやはり九人集まつてやつて行けば散漫になつていけないということを、私の知つている論説委員をやつておる人が体験上申しております。それと私の日常経験しておるところとぴつたり合つておるわけで、会議というデリケートな問題を扱うというのは、大勢でやることは適当でない。むしろ粒がそろつておるならは、九人ぐらいが最も適当でないかというのが私の私見であります。会議とそれから最高裁判所の判決の内容をもつとよくするということにも、やはり数が多いからいいものができるということは言えないのでありまして、その点は入るべからずというようなことは私はちつとも考えていない。私もせつかく裁判官をやつておりまするから、私が毎日やつておることは、日本の司法制度というものが現在、将来を通じてどうしたらもつとよくなるかということを、毎日試験管を通して実験しているようなつもりで、やつておるわけでありまして、実際からいうと、これは会議の内容を一々申し上げるわけに行かないからですが、あまり大勢いるのは会議の内容が十分意を尽さぬように思います。やはり論説委員のときでも、あまり多くない方が適当だといいますが、やはり九名ぐらいがいいのじやありませんか。先ほど申し上げましたニュージャーシ一州に十六人もあつて、司法制度というものは沈滞していて、どうにもこうにもしようがなかつた。そこでバンダビルトという人が一生懸命になつてやつて、七人にして、今アメリカの各州を通じて模範的のりつぱな司法制度の改革を遂げたと言つておりますが、そこの最高裁判所は七人です。日本ではその任命が十分に行くならば、九人でもいいと考えますけれども、任命が不十分であるならば、多少人員のゆとりもとつておく方がいいと申し上げるのであります。
 それから吉田さんの意見は、国民の信頼は、最後は最高裁判所に行つて、それで負けたらしかたがない。国民がそう感ずるのも無理はありませんし、また最高裁判所まで行いてしかたがないとあきらめなかつたら、あとは暴力が出て来るだけのことになると思いますから、これはあきらめようが、あきらめまいが、制度上しかたがない。どこの国でも裁判官は神でないのでありまするから、万々一問違いがあつても、やはり最終審まで行けばこれはしかたがない。ところが日本はどうも上訴というものが多いようです。これは統計をとつてみても最後まで、倒れて後やむという大和魂の一端かしれませんが、とにかく最終審まで争つて行く、これは一方からいうと非常にいいようではありますが、やはりそこは従来の惰力でそういうことになつておるのじやないかと思います。それからさつき木下委員からもお話がありましたが、つまり原審がやることがいいか悪いか、これはちよつと観念的に考えると、原審がやつたらどうも自分のやつが上告できぬように、ふたをするという懸念はあるといえばありますが、これはさつき申した通り、判決によつて自分の意見を示すのでありますから、そうむちやなことはない。それから万々一そういう御懸念が、この法案が法律になつた後において現われて来るならば、それはまつたく別の機構を考える。高等裁判所と別の機構を考えて、そこの組織においてふるいにかけるようにしなければならぬ。いろいろ意見がつけられて来ても、最高裁判所は事件が多過ぎてどうしても始末に負えない、結局今の大事な仕事が不完全になる。私はこの最高裁判所の制度というものは、司法制度として、アングロ・サクソンの人間の考えた制度としてはいい制度だと確信いたしております。これをやめるということになると、結局大審院のような制度にしてしまつて、個々の事件を取上げてみんなに割振つて、大きな事件でなく、個々の事件だけを中心としてやる、そういうことにどうしてもならさるを得ない、それではいかぬのじやないかと日本国民として考える。それはやはり元のようになつてしまうのじやないか。たとえば国家総動員法あるいは治安維持法というようなものが法律の形になつて来ればしかたがないということでやるようになつたならば、これはいかなる独裁政治といえどもまかわ通るということに相なるおそれがある。それをやはり先ほど申されましたように、どこか最後の線においてチエツクするという必要が起つて来るのじやないかと思います。
#57
○吉田(安)委員 参考人の御意見も、私どもの御意見も終局の目的は全然一致しておるわけです。今真野さんは、粒がそろうとか、そろわぬとか、なお内部のことはよく言えぬとおつしやつたのですが、どうもそういうことをおつしやると気がかりですね。今何か粒のそろわぬ最高裁判所の判事でもおりますか。ふやしても粒がそろわぬようで懸念だし、内部のこともよく、言えぬがどうもいかぬ。だから私はかりに十五人を二十人にしてもその合議の制度が今の制度でいかぬとすれば、それは法律をかえたらいい、だからその点はそうさしつかえはないように考えるのです。粒がそろわぬ、なるほどふやしたら粒がそろわぬかもしらぬが、粒がそろわぬという言葉は、どうも私は気がかりになるのです。もちろん最高裁判所でありますから、結局ふやせば粒がそろわぬということになる。粒がそろわぬということは、言いかえると、最高裁判所に任命されてやつて来ても、古参の判要さん方から見れば、どうも粒がそろわぬでいけない、あるいはふえると意見が統一できないで困るから、九人くらいでやればけつこうだというようなことでありますると、今の裁判所法を改正して会議の方法をかえればいいわけかと思いますが、その点はいかがでございますか。
#58
○真野参考人 人員をふやすと粒がそろわぬという意味じやないのです。いかに有能な人があつても、それが任命されなければ、もつと不適任な人が任命されれば、粒がそろわぬということになるのです。数をふやすと粒がそろわなくなるという意味では決してないのです。粒という言葉は、はなはだ語弊のある言葉かもしれませんが、みな粒が違うのです。非常な差等があるのではないかと私は思うのです。ここで申し上げることは私困るのですけれども。
#59
○吉田(安)委員 そうすると、粒がそろわないということは、参考人の御意見からすると、頭が違うということですか。
#60
○真野参考人 頭ばかりではなく……。
#61
○吉田(安)委員 資格ですか、しかしその点はあまり触れますまい。
#62
○真野参考人 最高裁判所判事に適任な人はいますよ。いないというわけじやないけれども、その人が任命されぬで、不適格な人が任命されるということになれば、数をふやしても、数だけではだめだということです。
#63
○吉田(安)委員 憲法の問題にもなりますけれども、これは最高裁判所が、何年目にか紙に書いてこの人を投票せよということでは、結局粒もそろいかねるかもしれぬです。そういうことが憲法改正の一つの原因にもなつておりましようが、この点については、あまり触れぬことにいたします。
#64
○高橋(禎)委員 先生もお疲れでしようから、簡単にお尋ねいたしたいと思います。私は非常に率直にものを言う方ですから、少々お気にさわるようなことがあるかもしれませんけれども、しかしそれは、国民の代表として、こういう重大な問題を間違いのないように解決しようという熱意から出るものだというふうに、ひとつ御解釈を願いたいと思います。
 第一にお尋ねしたいのは先生の、お言葉のにしばしば出たことですが、小さい事件であるとかあるいはくだらぬ事件であるとか、こういう言葉が出ましたが、これは、あげ足とりというのではないのですが、一体民事にしましても刑事にしましても、訴訟によつて裁判所の救済を得ようとしておる当事者からいたしますと、これは重大なことなんです。私は、最高裁判所のみならず下級裁判所においても、この事件はつまらぬ事件である、小さい事件であるというような考え方でもつて裁判がされることが相当あるのではないかと思う。そういうやり方が、日本に非常に上告事件が多くなる原因ではないか、こう思うのです。上告いたします場合は、いずれにしても第一審、第二審の判決に不服があるわけです。これは承服できぬというて、上告いたすわけでありますから。私は、裁判官が事件を処理される場合に、その事件を軽く見るとか甘く見るとかいつたような思想がいささかでもあるということは、重大問題だと思う。上告がふえて来る原因はその辺にあるのではないかと思えるのです。そういうことについて、参考人の所見を伺いたいと思います。
#65
○真野参考人 つまらぬとか小さいとかいうことを申し上げましたのは、事件を総体的に見て、つまらぬとか小さいとかいうことでなく、上告理由そのものが、読んでみれば、つまらぬことしか書いてない、そういう意味なんであります。
 それから小さい事件だからといつて、われわれは決して軽く見てない。最近では私のところでやりました事件で、一審、二審で三百円の罰金に処せられた。われわれのところへ来た上告理由は、大して書いてはありませんでしたが、なかなか理由があるので、それはわれわれ原審を破棄して、無罪といたしました。同じ刑事事件でも、罰金三百円を科せられたということは、小さいからどうでもいいというような見方でいるのではなく、上告理由そのものを書いた本人が、原審に通つてない証人なり証拠を持つて来て、こうこうこういう理由だから、原審の事実認定は誤つておる、こういうようなことは上告理由としては実につまらぬことなんです。そういうことであります。
#66
○高橋(禎)委員 次にお尋ねいたしたいことは、先ほど吉田委員からもちよつとお話が出たんですが、最高裁判所と元の大審院とは、国民の人権擁護に関する任務なり重みが違うんだ、こういう点についてでありますが、これはこの制度をどうするかということについて非常に大きな影響があるわけでありますから、お尋ねいたします。
 日本に最高裁判所の制度がしかれてから、従来の大審院においてはとうてい擁護することができなかつたであろうものが、最高裁判所の制度になつてから人権擁護の目的を達成したという確信をお持ちになる、しかも代表的な裁判について二、三お話願えれば幸いであると思います。
#67
○真野参考人 合判決を一々記憶で申し上げることはできませんが、一々合議をするときには、そういう点が常に問題となつて、それをどうするかということに苦慮している、会議の一番の重大眼目がそこにあると思います。
 それだから同じようなことが大審院に起きたかどうかということは、大審院は、つまり憲法問題でどうもこうも手が届かなかつたわけです。自由というものは法律で制限すれば、幾らでもできたわけです。われわれは法律で制限されておるけれども、なおかつ憲法上そういう制限はできないのじやないかという点を非常に考慮してやつているわけであります。その点大審院は、法律の憲法違反ということは、まず法律できめられれば、国民の自由、人権というものはまつたく制限されても、どうもしかたがない。そういう立場でちよつと比較しにくいように私は思います。
#68
○高橋(禎)委員 私は、真野先生は長い間司法にも御経験をお持ちですから、元の大審院であつたならば、国民の権利を擁護はできなかつたであろうが、制度がかわつて最高裁判所になつたから、現在はできたぞということを深くお感じになつた代表的な二、三の例をお示し願いたい、こう申し上げたんです。だから心構えとしては、先生のおつしやつた通り、これは私はよく了承できるんですが、私国民の代表としてこういうことは十分国民に徹底させなければならぬ責があるんですが、私不幸にして今まで最高裁判所の判例を読んで、これならば大審院には救えなかつたであろうものが、最高裁判所になつてから、人権の擁護が全うできたというものに接した記憶が今残つておりませんから、先生は大先生ですから、ひとつ示していただければ非常にありがたいと思います。(笑声)
#69
○真野参考人 最近の三百二十五号のごときは、あの当時の法律八十一号というものが出ても、それだけではいけないということをやつておるのですが、あれは大審院時代ならあんなことはしなかつたろうと思います。三百二十五号のごときはその例であろうと思います。
#70
○高橋(禎)委員 次に問題は、これは日本国民が長い間三審制度になれておるということと、三審制度はいいものであると、こう確信しておるということは無視することができないと思うのです。そこで第一審の判決でも第二審の判決でも不服があるというときた、この三審制度の精神を生かさぬということは、司法制度に対しての国民の考え方が非常にかわると思うのです。一体制度を維持するためには――これは先生に申し上げることは釈迦に説法ですけれども、国民がこれを支持する、維持するという考えを持つことが必要なわけです。ところが今の法律案を見ますと、玄関払いの法律というよりは、むしろ玄関にも寄せつけないぞという傾向を多分に持つた案であると私は思うのです。今まででもこれは最高裁判所の判決に従わないというような考えを持つことは危険なことでありまするが、しかし心中必ずしも最高裁判所の判決に全幅的に心服しておると見ることは、私は甘い考えではないかと思うのです。最高裁判所まで行つたけれども、自分たちの権利は擁護され得なかつたとこう考えておる者も、これは相当おるだろうと思うのです。すなわち最高裁判所に行つたが、玄関払いを食わされたとこう感じておる者が私は相当おると思うのです。そういうときたあたつて、今度は玄関にも寄せつけないぞという制度を打立てるということは、これはまたたいへんなことだと思う。国民が最高裁判所の裁判官の審査投票をいたしましたとふたは、これは今までの考え方から、われわれが一審でも、二審の裁判でも、あやまちがあり不服がある場合には、最高裁判所においてそれは救済できるものであるという考えで、法律を知らない常識人、国民としては私は投票しておると思うのです。そういうことも考えますと、あまりにも上告裁判所において寄せつけないぞという制度を打立てるということは、国民としては裁判に対する最高裁判所の制度に対して非常な失望を感じ、疑問を持つことになると思うのであります。ところが今の一般国内情勢からいたしまして、先ほども話が出ましたが、裁判所に対する信頼を失い、裁判所に対しての疑いを持つということはたいへんなことだと思う。私は少くとも国民に疑惑を持たせるような、国民に不親切な制度をこの際少々の理由があつて打出すということはたいへんなことになるということを痛感いたしておるわけであります。従つて上告事件においては、できるだけ最高裁判所にこれを包容して行くということが大切だと私は思う。最高裁判所がいかに高い理想を持たれて、国民の人権を擁護するとおつしやつても、事件を通じなければできないことでしよう。個々の事件を通じて国民の人権を擁護するという立場に立つわけですから、最高裁判所に事件がたくさん出て来ることは、一審や二審でやつた裁判のあやまちが、国民の最終的な人権擁護の任務を果すたくさんの材料が、最高裁判所に集まつたわけなんです。事件が殺到するということを私は恐れるべきじやないと思うのです。これをきらうべきじやないと思うのです。今の制度がよろしくない、あるいはまた下級裁判所の裁判がよろしくないために、これだけの国民の不平があるので、これを救済することがわれわれの責任である、日本の憲法によつて課せられたる重大なる責任であるということを自覚すれば、最高裁判所はたくさんの人権擁護の材料が集まつて来たわけですから、これをいかに処理するか、能率をいかに上げて解決をつけるかということを念頭に置かなければ、国民こそ救われたものではないと私は考えますし、また国家の一般秩序の上から考えても、国民思想の上から考えてもたいへんだと思う。問題はいかにして上告事件を能事的に裁いて行くかということに主眼がなけらねばなりません。しかしながらそれならば事件がえらい殺到して収拾つかぬことになるかということ、そんなものじやないと思う。第一審裁判所の裁判官がほんとうに国民の人権を擁護しようという熱情に燃えて、でき得るだけの処置を講じますときに、私は第二審裁判にも承服することもでき、する人も相当あると思う。第二審においてしかりなんです。これが上告いたしまして、最高裁判所に参るということはよほどのことがなければならぬと考えなければならないのであつて、それはくだらぬ事件であるとか、あるいは小さいささやかな事件であるというような考えをいささかもそこにさしはさむ余地はないと思うのです。上告理由を見ても、上告理由に書くことのできない、いろいろの口に出して言うことのできない、筆に書くことのできない、当事者の間に不平もあり、不満もあるのじやないかと私は思うのです。法律を超越し、憲法のほんとうの精神に従つて裁判をされるというのであるならば、上告理由はおそまつであつても、それをどこか救済する道はないかというだけの考え方でもつて、暦法の精神によつて裁判をされて行くところにこそ、私は最高裁判所の使命があると思うのですが、その点についてどのようにお考えになりますか。
#71
○真野参考人 今の点につきまして、最後に最高裁判所で救済が受けられるから、最高裁判所へやつて来る、という国民の希望のあること、国民がそれを望むことは、これは国民の感情としてはむろん一般的に認めていいことでありまするが、しかし最高裁判所でほんとうに救済さるべきものならば、最高裁判所で救済されるのがいいので、ありまするが、ここで原審でふるいにかけられるような事件は最高裁判所へ来てもこれは救済は受けられぬ、とうてい救済が受けられる望みのない事件であります。るから、こういう事件は早く処理されることの方がかえつていいのじやないか。たとえば民事で申しますれば、原告もあり被告もありで、勝つた方は早く結末がつくことを望み、負けた方は延びることを望んでおりましても、とにかく片一方が救済が受けられぬような事件は、早く結末をつけてしまうことの方が、訴訟経済、国民活動能力の能率を上げるという点からも、この方が必要でないかと私は思います。そこはつまり、理由のない上告でも何でも、最高裁判所で最後までめんどうを見ろということでは、最高裁判所の使命として重大なことがあり、それから国家の法律もまた上告理由をちやんと制限しておるのですから、つまりその制限しておる以外の理由というものは、最高裁判所に来ても救済することはできないことなんで、そういうことは早く原審において片づける、こういう考えです。
 それから先ほどの、この前の御質問ですが、何か大審院時代にやらなかつたことがあつたかというような例を、先ほど一つ申しましたが、なお今お話を承つておるうちに思い出したことは、たとえば、これは大分前のことでありまするが、甲府の方で、かつぱら下があつてそのかつぱらいがある刑を受けたときに、不当に長い勾留を受けたという上告理由があつて、事件は簡単なことであるからそう長く勾留を受ける理由がないので、われわれの方で不当に長い勾留としてそれを無罪にした。それからまた大審院当時の判決をかえているのは人権擁護の上からも相当あります。たとえば一審で懲役二年くらいにして執行猶予をつけた。それを禁錮三年くらいにして、そうして執行猶予をとつてしまつたというような事件、従来は大審院でかまわぬということでありましたが、それもやはり刑を不利益な変更をしたということでやつた例もあるわけであります。一々思い出すとたいへんありましようが、その辺のところ、今思い出した実例を二、三申し述べました。
#72
○高橋(禎)委員 私のお尋ねしておる要点は、上告事件に制限を加えるということが原則のように簡単に考えるということが思想的にいかがかという点なんです。今先生のおつしやつた御意見は、もう上告裁判所、最高裁判所を持つて来ても救えないものだから、そんなものを持つて来るのがいかぬのだ、こういうお話ですけれども、そこへ持つて参りますにはいろいろな理由がありますが、それは別といたしまして、上告の趣意書に書いてあることを越えて国民の人権を擁護しなければならないという考えがお起りになる場合も、私は実際は相当あるべきだと思うのです。それはまた憲法の大精神からすれば、ささたる手続がどこのこうのということを越えて、国民の人権を守つてやらなければならない、こう思うのです。そういうふうに考えますと、最高裁判所でいろいろ記録をごらんになつておるうちに上告理由なしとしてこれは棄却されるような裁判の中にも、これも救わなければならぬ、あれも救わなければならぬというので、むしろ上告の門戸を開放しなければならぬという思想が私は生れて来るべきだと思うのです。にもかかわらずそれが逆なんです。門戸をとざすという方向に向つて行くのが一体今の制度を考えますときに正しい行き方であるかどうか、私は非常に疑問がある。こう思いますから先生の御意見を特にお尋ねをいたす次第であります。
#73
○真野参考人 今のお話の通りに行くことは非常に理想的なことでありますが、一方最高裁判所の方の重要な仕事というものは、ほかにあるわけであります。そこでそこを調節するということは、どこまで調節をする、とにかく上告理由だけでも上告を申し立てれは、最高裁判所がみな調べて人権を擁護する、そういう建前をとることはとうていやりきれぬ勘定になります。上告理由も何もなくとも上告の申立さえすれば全部調べてやるのだ、一から十まで全部調べるという、そういうことではとても事件を処理することはできぬから、これは旧憲法時代から法律の上においても上告理由というものは何でもできるというのではなく、上告の理由というものは常に制限されておる。上告理由の制限のない法令はほとんどなかろうと思います。広い狭いはありますが……。そういうわけで最後の裁判所としてもまた上告を申し立てればすぐに何もかも裁判所が自主的に調べるということでは、やはり仕事が能率的にできない。ほかに重要なる仕事ができなくなつてしまう。そこで片一方の方はある程度上告の理由を法律上は制限し、当事者からはこういう理由で上告をします、ただ上告をするということばかりでなく、こういう理由で上告をします、たとえば憲法違反があるなら、憲法違反だというだけではだめなんだ、やはりこうこうこういう理由によつてこういう憲法違反があるのだということを上告の理由のうちに――ただむやみやたらに、証人がこう言つたけれどもあれはそうだ、これは憲法違反だ、こういうふうにやられて、それを一々取上げるわけには行かない。そこはやはり裁判賞の任務を遂行する上において上告の理由を当事者に書いて出させる。それからまたその上告理由について判断をすればいいという制度を打立て、しかも上告理由というものはどこの国でも制限をせられておる。そうして本改正案のごときは、やはり最高裁判所でも上告理由として救済ができないようなときに、下級裁判所でふるいにかけるという、そういう最高裁判所制度というものとの調節をここへ認めるわけですから、何でもかんでもこうやろう、こういうふうにしては重要なる方において任務の遂行ができなくなるから、そこの調節をここへ求めるということは合理的な分子が相当多い、こう思います。あなたのおつしやることは理想的で、そういうところへ行けばいいけれども、しかしそれにはやはり国家の費用――お考えは、三審でやれ、四審でやれというような議論に徹底して行くとなると思いますけれども、それではとても国家でまかない切れないことになります。まあこの程度なら今すぐに耐えられぬような予算をふやすというわけでもないから実行の可能性も相当ある、実際的に見てもうまく行くだろう、これがうまく行かなければ、国民が非常に疑いを持つ、それから裁判官が変なことをやるという証拠が歴然と出て来ますれば、そのときはまた第二段を考えるのがどうかと思つております。
#74
○高橋(禎)委員 もう一つ、これは最後のお尋ねにいたしたいと思いますが、私は思想的な点、考え方の問題についてお尋ねしたのでありまして、上告事件を手放しで無制限に許すなんというようなわけじやないのです。そこのところはおわかり願つてのお答えであるかどうかはつきりわかりませんでしたから、つけ加えて申しでおきます。
 それといま一つは、正確な数字は記憶しておりませんが、今最高裁判所に数千の未済があります。あの中には何があるかわからぬわけですね。人権擁護のために、今までの大審院ではとうてい救済することのできなかつたような市大問題があるかもしれないのですから、私はこの際は最高裁判所の任務を果すためには、どうにもならぬからひとつ手をふやしてもらいたい、人員をふやして早くこれを解決するようにやらなければならぬという案がまず第一に出て来るべきだと思うのです。ところが在野法曹等からもそういうふうな考え方に行く方が多いようなんですし、またそれが法務省にも最高裁判所の方にも通じておるはずだと思うのですけれども、それとは逆に、特に先生の場合は人員を少し減らしたいというようなお考えが述べられると、私ども考えておりますこととはまつたくうらはらのような関係になるのですが、そこのところはどういうふうにお考えになるか、もう一度はつきりとお尋ねをしておきたいということ、それは上告事件がたくさんになつた場合に最高裁判所だけで解決をつけて行かないということになると、ものによつてはこれは別なたとえば東京高等裁判所において適当のものについての上告部を設けるというようなことも考えられるべきですが、それらを総合的に、この今提出されておる法律案の解決に当らなければならない問題だと考えます。これについては先ほどもお話がございましてわかつておりますけれども、特にこの際これについてお話が願えれば、簡単でもけつこうですからお願いしたいと思います。
#75
○真野参考人 今の最高裁判所で現在残つております――現在と申しましても昨年の末の統計によりますると五千三百件、最高裁判所で一番多く事件の未済があつたときには昭和二十六年の末、これが七千四百件余り、そのときより比べるとすでに約二千百件ばかり大体減つておる。それから未済があると申しまするが、未済は最高裁判所では常にあるへきはずの次第です。たとえば上告の申立てがあつたつて記録がまず最高裁判所の方に来なければならぬ。記録が来るというと、判事で申しますれば、弁護人をつけるかつけぬかという返事を何日寄越せ、それで弁護人をきめる。弁護人を自分の方で選ぶというなら選ぶし、あるいは選べない場合には最高裁判所で国選で弁護人をきめる。国選の弁護人はだれということを弁護士会に照会してそれもまた一週間ぐらいかかる。そういうことをやつて弁護人が最後にきまつたときにそこで上告理由書を何日までに出せ。そうして上告理由書を出して来るとそれをまた庶務課で整理して調査官が調べる。それからいろいろな材料を整えて、そうしてわれわれのところへ報告して来て、それからわれわれのところで審理を始めるという段階になるのですから、どうしたつて二月や三月はかかる。今の制度で上告の理由書を十日ぐらい短かく出せというならいいのですけれども、それより長い期間がないとできない、相当長い期間がかかる、そういうことになると、どうしても未済事件というものが停滞するということは法律が予期しておる。事件の数だけでは言えないので、実際一つの事件でむずかしいのにぶつかりますと百件、二百件に相当するのであります。簡単に処理できる事件を二百件やる問に一つの事件が処理できない。しかも合議がむずかしくて処理ができない。一つの事件でも何百件に当る事件もある。それから一つの事件が何百分の一にしか当らぬときもあるし何十分の一にしか当らぬこともある。ところが事件そのものは非常に内容が違いますから、ただ記録が厚いとか薄いとかいうことばかりでなく、内容そのものが非常にむずかしい問題を含んでおる。それが将来の判断に非常な影響を与えるような事件になりますと、容易に結論を出すことはできない。それは合議に合議を重ねて、まあ一番長いものは五、六十回以上やつていることもありはしないかと思うのですが、それでもなかなか結論が出にくいということもあるわけですから、ただ簡単に行くものだけはなるべく最高裁判所に負担をかけないようにしないと、最高裁判所のりつぱな仕事というものはできなくなる。やはり元のような大審院的な救済の傾向に終つてしまう。それでは最高裁判所というものをせつかくつくつた意味というものはなくなつてしまう。そこでやはり調節ということが必要になる。高橋委員の言われるように、国民は何でも最後は最高裁判所に上つて行くのだから、上告を申し立てたら、理由は言わぬでもほかの理由で破棄できるものならば破棄して救済をしたらどうか、そういうことも考えられますが、それではとてもやり切れない。そこで調節するのならば、これくらいのところがいいのじやないか。下級審ではねられても、どうせ最高裁判所の裁判官の手にかかつても、これは上告理由ありとさるべき事件ではほとんどないのでありますから、そういう事件は最高裁判所の手にかけないようにして処理する、そのかわり片一方は本腰を入れてやり得るように調査、研究を十分する、会議も十分やるというふうに持つて行きたい。私は不肖でありますが、毎日日本の司法制度をどういうように改善したらよいかということを自分が実験台に立つておるようなつもりで個々の事件を処理しておるが、どうもここら辺がいいのじやないか。スクリーンを原審でかけることがいいか、あるいはまた特別の上告部というものを設けることがいいかということは、議論はありまするが、大体この辺のところで一応やつてみて、それじや田嶋委員の言われたような疑いが判決の上に現われて来る、これではだめじやないか、こういうふうに上告の道がふさがれておるじやないかという証拠が二つでも三つでも出て来る場合には、さらに考え直して新しいスクリーンをかけるというところに持つて行つたらいいじやないか。今はこの程度で聞違いなく処理できるのではないか。今の裁判官はそんな変なことは元のようにはしないし、われわれもそんな点数かせぎのようなことはちつともやつていない。元はそういう弊が多少なきにしもあらず、元は何件破棄したということがちやんと統計に現われていたということは聞いておりますが、それはわれわれの方でもしないし、下級審の裁判官でもそういう卑属なことをすることはまあ少なかろう、まあ、この程度でやつて行けるからけつこうだ、こう私は考えております。
#76
○小林委員長 本日はこの程度にとどめておきます。たいへんおそくまでありがとうございました。
 明日は午前十時より委員会を開会し、交通事件即決裁判手続法案について参考人より意見を聴取することにいたします。連日まことに御苦労様ですが、明日もできるだけ定刻に御出席を願います。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時五十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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