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1953/10/19 第16回国会 衆議院 衆議院会議録情報 第016回国会 農林委員会農業共済制度に関する小委員会 第9号
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1953/10/19 第16回国会 衆議院

衆議院会議録情報 第016回国会 農林委員会農業共済制度に関する小委員会 第9号

#1
第016回国会 農林委員会農業共済制度に関する小委員会 第9号
昭和二十八年十月十九日(月曜日)
    午前十一時二十七分開議
 出席小委員
   小委員長 足鹿  覺君
      足立 篤郎君    平野 三郎君
      吉川 久衛君    中澤 茂一君
      安藤  覺君
 小委員外の出席者
        農林委員長   井出一太郎君
        議     員 芳賀  貢君
        議     員 川俣 清音君
        農林事務官
        (農林経済局
        長)      小倉 武一君
        農林事務官
        (農林経済局農
        業保険課長)  久宗  高君
        専  門  員 岩隈  博君
        専  門  員 藤井  信君
    ―――――――――――――
十月十七日
 小委員綱島正興君同日小委員辞任につき、その
 補欠として平野三郎君が委員長の指名で小委員
 に選任された。
    ―――――――――――――
本日の会議に付した事件
 農業災害補償制度に関する件
    ―――――――――――――
#2
○足鹿委員長 これより会議を開きます。
 本日は、農業共済補償制度の改正について農林当局が検討された考え方があるようでありますから、一応それについて説明を聴取し、なお質疑があれば行つていただきたいと思います。
#3
○小倉説明員 御配付いたしました「農業災害補償制度の改正についての考え方」という一枚刷りの刷りものでございますが、これは制度の改正につきましてのごく根本的な考え方の若干を羅列したのであります。これは全体が一つの改正案というわけではございません。ここであげておりますのは、一のA、B、Cと二とで、都合四つの考え方があるわけであります。御承知の通り、補償制度につきましていろいろ御指摘を受けました根本的な問題点につきまして、それをどういうふうに解決して行くか、またどの問題にウエイトを置いて考えるかということによつて、若干ずつ改革の方向がかわるのであります。一のAといたしまして「現行制度の強制加入に伴う難点を改正する。」と申します点は、災害補償制度が、他の戦後のいろいろな農業施策と違いまして強制的な制度になつております点に、いろいろの批判なり難点が伴つて来る、こういう認識に立つわけであります。従いましてその点についてできるだけ弾力的な、農村の創意を入れる余地をつくつて行くということが、一つの大きな改革の方向ではないかという点であります。もちろん農業災害補償制度を保険方式で現行のようにいたします場合には、まつたく自主自由というわけには参りません。しかしそのうちにでもできるだけ自主性あるいは弾力性を加味して行く方法がないかということを考えたのであります。
 そこで、この強制加入の難点を解決する二つの点でございますが、一つは、村で共済事業を実施するかどうか、こういう点についてのある程度の任意性と申しますか、自主性を持たすというくふうがあるであろうという点が一つであります。二は、村で共済が実施されるといたしましても、画一的な共済ではなくて、共済金額の選択ということについて、ある程度の弾力性を持たすことができはしないかという点であります。この二つのやり方でもつて解決をして行けば、相当程度、農民側からの共済制度に対する不満なり不平が緩和できるのではないかというのであります。もつとも、これに伴いましてどういうことが起りますかというと、(1)と(2)によりまして、国全体としての農業災害補償制度の仕組みなり、あるいは保険経済上の設定が非常に困難になる。具体的に大きな問題としては、たとえば掛金率をどうするか、さかのぼつて被害率がどうなるかということにつきましては、現行の被害率がそのまま、あるいはまた掛金率がそのまま、こういう制度のもとで妥当かどうかという点について、はなはだ疑問があります。その点についての検討は簡単にはいたしかねるのであります。その点が一つの実施上の難点であります。
 それから二番目の「補償の内容を充実する。」という点でありますが、補償制度はあるけれども、災害が起つても、補償の限度が非常に低くて意味をなさぬではないか、こういう批判を大きく取上げて考えまして、それについての回答を考えた場合に、どういうことが考えられるかと申しますると、現行のような一筆単位では、現在以上に補償の限度を上げるということは、農家の経済からも、国の財政から申しましても無理でありますし、また今の制度のままで、補償限度を上げるということは、実はむだが多くなるという危険もおのずからあるのであります。従いまして、補償の内容を充実するということになりますと、一筆単位から切りかえまして、農家単位の共済にかえるということが必要であり、妥当ではないかというふうに思われるのであります。ちようど現在、昨年から農家単位の共済を実施して参つておりますが、この実験の過程によりまして、改善すべき点、あるいは一筆単位との比較の点も、だんだんと明瞭になつて参りますので、この実験の範囲をだんだんと拡大して行くか、あるいは一、二年のうちに急速に農家単位に切りかえて行くかというような心甘みで、制度の切りかえを考えることができはしないかというふうに思うのであります。
 また、第三のCの点はどういうことかと申しますと、共済制度の一番むずかしい問題点は、何と申しましても、損害評価であります。これが適正妥当にされないということが、一方において農家の不満でもあり、また国家財政からいえばむだな補償をするということにもなりますので、損害評価を厳正、的確にする、しかも早くやるということが、制度の根本的な問題の一つである。その点に重点を置きますと、どういうことが考えられるかと申しますと、保険関係としては、引受の単位を団体とする、具体的には町村とするということであります。たとえて申しますれば、町村としての平年反収を割る、こういう場合に初めて保険金の支払いをする。個々の農家の問題、個々の筆の問題はしばらく問わないで、上の方の保険関係としては、町村を単位とする。町村内部の関係は、町村内部の自主的な共済関係、これは一定の仕組み、わくを設けることを前提といたしますけれども、必ずしも全国統一的な、画一的なものではなくてもいいのではないかと思いますが、そういう町村内部の比較的弾力性のある、自主的な共済関係を前提として、町村を越えるものは、そこで切つて、町村単位の減収、これを見て行くということによつて、損得評価の適正が期せられる、また迅速に行くのではないか、かように存ずるのであります。もちろん町村単位の被害と申しましても、現在の統計調査の段階では、まだそこまでは行つておりませんが、実収高から申しまして、平年の実収高との差でもつて被害を想定するということでありますれば、比較的実行可能性のあるものとして考えられるのではないか、かように思うのであります。ここでの一番大きな問題は、この村単位での比較と、個々の農家の共済とをどうつなぐかという問題であります。この点については相当の検討を要する問題であろうと思います。
 次の二は、保険方式によつて被害農家の所得を補填する方法、これも所得の一部を補填することについてはかわりはないのでありますが、ここで所得を補填する方法というふうに特に考えました点は、次のような考え右に基くのであります。これまでの災害補償制度の根本の考え方は、収穫の約二分の一を補填するという考え方であります。さらにさかのぼつて考えると、農業生産のための現金支出の部分を補償するという考え方から、保険制度が発足しておるのであります。そういうことで、沿革的に見ますと、現在の農作物の共済で補償されるものは、農業経営資金であるというふうに一応考えられるのであります。農業経営資金を中心として考える。従つて農家の家庭生活、消費生活のために必要な補償をするということは、現在の補償制度では考えられておらぬというふうにも、ごく大まかに言つたならば言えるのではないか。
 そこで二の考え方は、それを展開いたしまして、補償制度で見るのは、むしろ農家の生活費である。すなわちここで言う労働力の再生産のための費用を見るのである。経営の方の所要資金は、災害が起れば、本年のような実例が示すように、営農資金という形で金融的な特別措置としてやる。平年の場合は農業手形でやるという考え方になるわけであります。そこで三の考え方は、災害のための農業資金は特別金融的な措置を前提といたしまして、補償制度で補償をするのは農家の生活費である。しかもその農家の生活費は、普通の営農資金という方法でもやれませんし、農林省がやつておりますいろいろな措置でもまつたく顧みられておらない部分でございますので、補償制度の補償すべき内容の重点は、生活費という問題に考えたらどうかというふうに、考え方をここではひつくり返しておるわけであります。その結果どういうことになりますかというと、一つは、たとえば大きな経営者に対しては、必ずしも作物の補償は全部をする必要はないのでありまして、その家族の生活費の部分、労働力の再生産、具体的に申しますれば、たとえば家計費の中の相当部分を補償する限度でよろしい。従つて、大経営者でありましても、一定限度の共済金額を補償する。全体の作物を補償するという関係にはならないのであります。従いまして、共済金額の点から申しますれば、経営の大小によつて、共済の金額の選択に弾力性を与えることができる。最低生活を保障するという意味においては、その限度においては強制措置をする。そこをどの程度にするか、五反から一町歩、かような程度を目標に置きまして、そういう農家の最低生活を保障する限度においては強制的な措置にいたしまして、それ以上作物保険的なものを加味する必要がございますれば、それは個々の農家の選択にまかすというようなやり方ができはしないかというふうに思うのであります。それから、この考え方でありますれば、作物保険というよりも、むしろ社会保障的な考え方に非常に近くなる。従いまして、経営主体といたしましても、自主的な団体というよりも、むしろ町村あるいは公法人的なもので経営すべきではないかということになりますし、また掛金の負担から申しましても、作物の作付の見込みとか、収穫高の見込みというようなことよりも、個々の農家の所得、すなわち税金的な考え方で掛金を課すこともできる、またとり方も、税金的なとり方でとることができるようになりはしないか、こういうふうに相当損失補償制度の技術的な仕組みについての考え方もかわつて来るように思うのであります。ただここで非常にむずかしい問題点は金融措置として考えられる問題で、災害が起つたときに、今年みたいな営農資金の供給といつたような法制が、恒久立法として考えられるかどうかという点が一点と、それからもう一つは、これは最初の自由の要素を加味するという点と同じ問題でありますが、損害評価ということが非常にむずかしくなるという点であります。個々の農家を一律に、水稲ならば水稲の、全作付面積を画一的に共済関係にするということでは必ずしもありませんので、損害評価の査定なり審査、あるいはその実行自体が非常にむずかしくなりはしないかという難点が生じて参ると思います。なおそのほかにいろいろの問題も生じて参ると思いますけれども、そういう点があるのであります。
 以上ごく概略でありますが、制度の改正をどういう観点からやつて行くかという点についての四つ程度の考え方を示したわけでありまして、このうち、どういう点に重点を置いて解きほぐして行つたらよいかということを、実はまだ私ども明確に把握しておりませんので、そういう点についていろいろ御意見を承つて、どういう点から解きほぐして行つたらいいかというふうに、はつきりある程度見通しがつきますと、さらに具体的に詳細な検討ができはしないかというふうに存じておるのであります。
#4
○足立委員 ただいま御説明をいただきました農林省の一応の考え方につきまして、若干私の意見も入るかもしれませんが、質問をしてみたいと思うのであります。
 Aの問題で、強制加入についての難点を緩和するために弾力性を持たせるという考え方については、私は賛成です。ただ共済事業というものの性質からして、これはやはり相当広く実施されないと事業が成り立たない。これがやはり全国の農業のためによいのだということに立脚して、こういう制度が現在まで設けられて来ておりますし、今後もその必要性を感ずると思いますので、普通の場合のように、組合員の過半数の同意で、ただちにやることも、あるいはやめることもできるのだということは、やはり国家的な農業政策としてはどうかと私は思うのです。かりにきめるとすれば、一応事業は当然に実施するのであるが、やはり全国にはいろいろ特殊な地帯もあると思いますので、組合員の少くとも三分の二以上の反対の意思があれば事業を停止することができるという程度の規定で、緩和したらどうかというふうに思いますが、経済局長はこれに対してどういうようにお考えになるか。
 それから次のBの問題でありますが、この農家単位共済は、今試験的に実施しておりまして、大体各部一町村くらいを指定してやつておりますが、まあ併用してやつている関係もあると思いますが、実際にやつてみるとこれは非常に問題があります。もちろん理論的には、農業災害補償制度というものは、農家の経営補償を目的としておりますので、理論的にはこれは非常にいい制度であると思いますが、現在アメリカでこの制度が実施されておるからといつて、ただちに日本において最も合理的な都合のいい制度であるということは、簡単には言えないと思うのでありまして、アメリカの実情は、これは収穫保険ということで、農家一戸当りの収穫物があまりにも厖大であるために、農家で収穫をごまかすとか、あるいはそういう手の込んだことをする余地がない。従つて収穫を把握することはもうきわめて明確にできるわけであります。従つてそうすれば、一々一筆ごとに調べる必要もないし、事務費もきわめて安くつく。簡単に結論が出まして、最も理想的に行われるのでありますが、日本の場合においては、一軒の農家がつくつている農地にしても、いろいろ危険の程度がわかれて参りまして、全体として二割以上の災害を受けた場合にだけこの共済金の支払いが行われるということでは、なかなか農家がこの制度に満足をしてついて来るということは不可能ではないかという大きな問題が残るわけであります。現在試験的に実施されている地区で、今年の風水害等でたまたま起つた実例もあるのでありますが、たとえば一町五反もつくつておるような農家におきまして、二反歩くらいの水田が冠水その他の水害によつて徹底的にやられて収穫皆無になつてしまつた。しかし全体として一側以上にならないために、掛金はかけ捨てで一文の共済金ももらえないという実例が起つて来るのであります。そうなりますと実際問題としては、零細な規模の日本の農業におきましては、この制度の恩恵を受けることが非常にむずかしくなりまして、問題が残つて参ります。ですから私は、実際に試験をしてみた結果、この農家単位共済というものは日本の実情には合わない。収穫保険制度というものは、現在の災害補償制度は収穫保険には違いありませんが、その収穫を把握する時期は、田畑に作物が立つているうちに把握しなければ、この制度の厳正化は期せられないというふうに思います。この農家単位共済というものは、やつてみるとどうも実際にそぐわない点が出て参りまして、農林省はどうお考えになつているか知りませんが、私どもとしてはこれはむずかしいのじやないかと思つております。いろいろ手続その他たいへんでございますが、やはり一筆引受けということにならざるを得ないのじやないか。そこでもしこれを加味して考慮するとすれば、一筆引受けでやりまして、その一筆引受けの災害が農家個人の全体の経済に、たとえば三割以上の減収をもたらすというような場合には、さらに厚く救済するというような制度で、この農原単位のものを取入れて来れば、私はそこに大きな意味があると思うのですが、財政負担その他の関係から、こういう理想的な制度ができるかどうかということは疑問であります。今私の考えを率直に申し上げてみて、言葉も足りませんが、これに対して農林省はどうお考えになるか、伺いたいと思います。
 それから評価の問題が現在根本問題になるということは、私も同感であります。評価と掛け捨ての問題がやはり今日の共済制度に対する一番大きな難点であろうと思います。そこで、この評価の客観性を確保するという言葉を使つておりますが、これはまことにけつこうなことでありますが、現在の統計調査部で調べる数字と、この共済が一筆ごとに調べ上げて上つて来ます数字とは、これは必ずしも一致しないのが原則でありまして、一致すれば私はどうかしていると思う。これは筋道からいつて必ず違うのであります。従いまして統計調査部の数字で客観性を確保するということは、これはお考えになつていないと思いますが、一つの大きな寄りどころになりますので、その危険性が多分にあると思います。現在ではある程度こういう寄りどころに寄らざるを得ないという状態になつておりますので、農林省が大蔵省あたりと折衝なさる場合、この統計調査部の数字というものは一つの基礎になる。これは私は現状はまことにやむを得ないと思いますが、これを今度の合理化によつては、この統計調査部の数字を寄りどころにしなくてもいいのだというところまで行くことによつて初めてこの制度が農民にぴつたりして来ると私は思つております。この損害評価の厳正化を期するために、少々経費はかかりましても、監督官を配置するとか、あるいは一つのやり方としては、郡単位くらいにする――統計調査部の調べる数字と共済の評価とはおのおのその性質が違いますので、末端に行けば行くほどその性質の違うことははつきりわかるのでありますから、これをつき合せて統計調査部でも共済の評価を公認をして出すというような結びつけをやつたらどうか。これは中央で机の上で数字が出て来ますと、数字の性質の違いというものが実感的になかなかわかりにくい点がある。農林省では今いろいろ保険課で苦労して、方程式を出しておりますが、これが末端に行つて、郡あたりでは数字の性質の違いというものが実感的にわかるのです。そこでこれをただちに統計調査部の共済制度の監督機関にするということはむずかしいかもしれませんが、この結びつけをやつて、平価の厳正を期し、統計調査部でもこれを認めたものが出て来れば、これにそれ以上に手をつけ加える必要はないので、評価というものが一回で済むというところまで行けば、煩わしさもないし、不正事件等も起きる危険性はなくなる。今日この共済制度でいろいろ非難されておりますうちに、共済金に関する不正事件等が大きく取上げられておりますが、これは町村で評価をして出しますと、それを郡の評価委員で査定をし、これを県で査定をし、さらに中央で統計調査の数字と合わせて大蔵省との折衝で査定をする、そうなりますと、切られるたびに末端の数字がかわつて来る、一応一筆ごとに三割以上の被害は取上げて町村では数字をつくつておる、それが上から天くだり的に数字を切られて来るたびに、実際に被害のあるものまでも落さなければならぬ、あるいは七割の被害は王制に落すというようなことをやらなければ、上の方の査定に順応することができないということで、何回もこういう町村の組合で事務的な仕事をやつて、実際に合わないことをやつておるうちに、そこに評価というものがルーズになつて、不正事件も誘発する危険もある。つまり評価というものに対する厳粛さといいますか、この気持が失われて来て、数字は幾らでも自由に動かせるものだというふうな感じをそこに誘発して参りまして、問題が起つて来る、取扱いが非常にルーズになつて来るという結果になると思います。従つて町村で評価し、郡で査定する、その場合には統計調査部の方とも連絡をとり、結びつけを行つて、その数字の出て来る性質の違いというようなものはよくわかるのでありますから、それによつて、統計調査部の方でも、この共済の評価についてはこの程度であるということを公認したものが上つて来て、県でも中央でも、これについては特別の事情がない限り尊重するというような制度にまで持つて行けば、これは農民も非常に信頼をするし、正しい評価が行われるし、また評価した数字については、どこまでもこれを厳粛に尊重するというふうな気風が生れて来ればもうしめたものだ、この制度はほんとうに根をはやして行くものだというふうに私は思つております。
 なお掛け捨ての問題についてもこの際あわせて御考慮いただきたいと思う。農林省は行にこれを取上げておりませんが、これはわずかな無事もどし程度は農家はなかなか納得できないし、また無事もどしをするという制度をつくつても、無事もどしは現状においてはなかなかできないと私は思います。そこで今再保険形式をとつておりますが、この形式はどこまでもやつて行かなければならぬと私は思いますし、国家の補償はさらに増額して、農家の負担を軽減して行かなければならぬと思つておりますが、しかし農家が積み立てる金は、郡なり県なり農家の目の届くところへ積立制度をやつたらどうか、そうしてたとえば県知事が自分の県内においてはこれだけの共済の掛金が積み立てられたという保証書のようなものを中央に提出することによつて――これは県知事にどこまでも監督権を認めて、県知事の名においてその積立金を保管をしてもけつこうですが、中央に保証書を出すことによつて再保険契約が成立するというような制度にして、要するに自分の県あるいは郡から金は出て行かないのだ、やがて自分の郡なり県なりが大災害を受けた場合には、その金はまるまる自分の県なり郡なりの農民にまた下げ渡されるものであるのだという形式をとれば、私は現在のこの制度についてのいろいろな不満はありますが、これでわかつてもらえない農民はもうしようがないというふうに、私は思つております。こういう制度ができないものかどうか。現在の制度のもとにおいては、理論的にも結びつけがなかなかむずかしいと思いますが、ひとつ大飛躍をしていただいて、要するに、中央には国家補償、県あるいは郡以下には共済制度というように、この結びつけ、ジヤンクソンさえ考えれば、これは成立すると思う。この間の公聴会でも、学者あたりからこういう意見が出ておりまして、共済制度と保険制度とを結びつけるところに矛盾もあるし、むずかしさもあるということを言つておりますが、これはまさしくその通りで、これはむしろ共済制度と国家補償制度とを結びつけるという方向へ向わなければならないというふうに考えますので、この点についてさらに御研究を願い、もし御意見があれば本日伺いたいと思います。
 なおここには上つておりませんが、病虫害防除対策というものと共済制度とは表裏一体の関係にあるにかかわらず、今日改良局におきまして、相当大きな金を病虫害防除に使つておりますが、共済制度との結びつけが非常に薄弱でありまして、各県には災害防除本部というようなものをつくる、これにはもちろん共済も加わつてはおりますが、一賛助員のような形で、やり方は、町村に地方事務所を通じて金はおろしてやつて、町村で防除をするというような形になつておりますが、この共済組合こそ共同防除態勢がすでにでき上つている常設の機関でありますから、これに防疫所とか何とかいつて、セクシヨナリズムから改良局あたりが余分なものを余分なところにつくらないで、これを一体化して、共済組合で災害防除を行い、その薬剤費あるいは機具の代金、費用等は国で出すという制度で防除する、それでなおかつ防ぎ得なかつたものについては共済金を支払うという行き方に、この際統一してほしい。これは経済局と改良局にわかれました関係上、今日組織的に非常にやりにくいところがありますが、今度の制度改正にあたつては、ぜひともこれを実現しなければ、この共済制度というものが農民からほんとうに歓迎され、また国家的にも役立つものにならないというふうに、私は強く信じておりますので、この点について農林省全体として大きく取上げていただいて、御研究を願い、この制度改正に間に合うように実施をしたいというふうに思つております。
 以上意見をまじえて質問にならない点もありましたが、以上申し上げました点につきまして、経済局長あるいは保険課長からお答えなり、御意見なり伺いたいと思います。
#5
○小倉説明員 先ほど申し上げましたことに関連をいたしまして少し敷衍をして申し上げますと、一の、組合員の過半数を三分の二といつたようにしたらどうかという具体的な御意見がありましたが、これはもちろん過半数の方が三分の二よりいいといつたような特別の理由があつて書いたのではございませんので、三分の三といつたようなことの方が妥当であるということでございますれば、さようにいたして一向さしつかえがないものであるというふうに考えます。それから御承知の通り、こういう自主的な要素を加味すれば、全体の災害補償制度についての考え方なり、あるいはそれの成立いかんにまで問題が及ぶのではないかという御指摘、これは御指摘の通りでございまして、私どももさような程度にまで無理に特別自由の要素を入れようと考えておるのではございませんで、今の強制設立なり強制加入というようなことに伴つて起る非常な弊害という点をためるために、若干の選択的な要素を入れたらどうかということであります。もちろんそれがために全体にひびが入る、あるいは全体にどう影響するかという問題については、重大な問題があることは御心配の通りであります。その点については具体的の検討を要する問題だというふうに思います。
 農家単位につきましての御意見もごもつともでございまして、私どもも将来これをもし拡充して行くということでございますれば、実験の途上でいろいろ起つております問題をやはり解決して行くということが前提であります。農家単位のやり方で起つて来る問題が、いかなる方法でも解決できない問題であるということでありますれば、これは取入れることはできないのでありますが、今は試験的に実施しておるのでありますから、これを拡充して行くという場合におきましては、実験の途上で指摘されるいろいろの問題についての改善の方法を加味して行くということが、どうしても前提になるのであります。これは補償の限度といつたような点についてもやはり同じでありまして、補償の限度をさらに拡充するということについても、なお検討を要する点があろうかと思います。
 それから損害評価の点でございますが、損害評価のやり方ばかりではなくて、やる主体をどこにするかといつたような問題もございまして、私どもの考え方が別に決定できまつているわけではございませんが、ただいま国がやつておりまする仕事から申しますれば、損害評価自体を役所がやるということまでは行きませんでも、役所がどういう見解を持つか、あるいはそのしんしやくといつたようなことにつきましては、統計調査部の資料によるのが一番妥当であり、それ以外にはむしろないといつても過言ではないと思います。そこでその場合におきましても、現在の保険制度の立て方と現在の統計調査部とのやり方とは、そこに御承知の通りちぐはぐがございまして、的確なる調査ができないのであります。そこで保険のやり方も若干考え方をかえ、また統計調査のやり方も若干かえるということによつて、そこにつなぎ目が見出されはしないかという点であります。それからまた、今のようなことの具体的な回答が、村単位で物事を考えるということになつた場合には、村内部の問題として、先ほど最後に御指摘になられました掛け捨ての点でございますが、村内部の点につきましては相当自主的な措置ができはしないか。従つて村の人々が掛けた農家負担の掛金の部分につきましては、そこに貯蓄的な要素も加味して行くというようなこともできはしないかというふうに考えております。
 さらにこの掛け捨ての点に関連をいたしますが、掛け捨てる点を無事もどしといつた点では解決がつかないという御意見もはなはだごもつともで、まつたく同感であると思います。ここで掛け捨ての点を特別正面から取上げた文句はございませんが、ただいま申し上げました町村単位の引受けと、村単位の内部の共済関係の中に備荒貯蓄的な要素を入れるということが一つでございます。なおそのほかに、最初の強制加入に伴う難点を解決するという点がやはりその点に触れるのであります。どうしても掛け捨てになるような地帯は共済事業をやめようといつたような気分になると思うのでありますが、そうなつた場合、それは共済をやめて、やめつばなしということでございませんで掛け捨てになるゆえんというものをやはり究明いたしまして、その地帯における掛金の率についての妥当なところを、農家の側も役所の側も探究して参つて、そこにおのずから具体的な掛金率の個別化が行われて行きはしないか。そうすることによつて無理な強制でなくて、納得の上の保険制度が拡充されて行くものではないかというようなことも、一のAと関連して考えているのであります。
 なお掛け捨てに関連いたしまして、村なり県なりに農家の掛けたものが留保蓄積されて、外部に流れないのだという点を制度的に確立する方法はないかという御質問でございましたが、それはないことはおそらくないと思いますが、現在の保険制度でも、実は制度としてはさようなことになつておりませんけれども、考え方としては、低被害地の農家から掛金をとつて、高被害地の農家の災害補償をするという考え方はとつておりませんので、それは制度の仕組みとしては、県々あるいはブロックブロックにおきまして、長期的にバランスをするという考え方でなければ旧いけないと私も当然思つておりますが、それを制度的に確立する方法があるかないかという点になりますれば、これはまつたくないというわけでは私もないと思います。そういうことで掛け捨ての問題が解決できれば、当然考究さるべきものであるというように思います。ただ、そういたしましても、農家の心事からいつて、掛け捨てという考え、あるいは疑念がなくなるかというと、必ずしもそういうものではないのではないかという気がちよつといたしますけれども、これはなお検討いたさなければならぬと思います。
 それから病虫害の点についてでございますが、御要望と申しますか、御意見の筋はかねがね承つておるのでありますけれども、私も、御承知の通り病害虫の防除団体について、保険との関係において全体をまとめておるという責任の地位にあるわけでもございませんので、ただちにここでどうこうするということを申し上げるわけに参りませんが、御要望の筋は以前から承つておりますし、ごもつともの点もあるというふうに思つておりますので、そういう方向で努力したいと思います。ただ私個人的でございますが、疑念の点があるのでありまして、災害補償制度という制度自体が非常にむずかしい、いわば公的色彩が強い仕事でございます。病害虫の防除ももちろんそういう色彩を持つた仕事でありますが、それを補償制度を担当する団体が、病虫害防除を制度として一元化してやらなければならぬかどうかというと、若干私は疑念があるのであります。できる団体がやるということについてはもちろん異議はないのでありますが、日本全体をそういう制度に画一的にしてしまうということについては、若干疑念があります。と申しますのは、大きな声では言えませんが、共済団体によつては、本来の共済事業自体がうまく行つていないところすらあることをいろいろ御指摘を受けおりますし、もう一つは、病害虫防除をやるとなると、薬をどうこうするとか、機械をどうこうするとかいう、物の売買に関連をして参りまして、そのことが保険の経理と混同されるきらいがないではないのでございまして、そういう起り得べき弊害をどう是正するかという点もあわせて考えなければなりませんので、そういう点について私どもなお検討を加えたいと思つております。
#6
○足立委員 今の最後の点が実は非常に重要な問題で、経済局長は今疑念を持つておるという言葉で言つてらつしやつたが、今の制度で今のあなた方のお考えでは、その疑念はごもつともだと思うのですが、それが実は非常に重要なことなんです。というのは、この間の学者の意見でも指摘されておるように、共済制度と保険制度が結びつけられて、農林省では単なる保険という感じが出ている。ところが末端へ行きますと、これは共済なんで、組合をつくりお互いに助け合うのだという精神運動もしておる。そこにお互いに助け合うというので、この結果が出て、金をぶんどればいいのだというふうな薄つペらなものになつてしまつて、共済組合というものはうまく行かないのです。掛金もなかなか集まらない。とるときばかり熱心になつてしまうということになるので、さつき申し上げたような、これこそまことにかつこうな、最も適当な災害防除常設機関になるわけですから、しかも農民がみんな力をあわせて、自分たちに振りかかつて来る災害を防ごうということになるのですから、そこに一本の魂を入れて行くことが非常に必要なんで、今うまく行かない共済組合があるのは、こういう点に非常に大きな原因があるということを御察知いただきたいのです。これには一本魂を入れて、ほんとうに共同防除態勢をとり、その結果やむを得ず、災害が起つた場合には、それが国家的に補償してもらえるのだという制度との結びつきで、初めて私はそこに大きな意義が出て来ると思う。ただ薄つペらな名目だけの共済制度と保険制度とが結びつけられて行くところに、理論上もちぐはぐになるし、共済組合というものが農協のひさしを借りてやつているというようなまことに情ない状態になつてしまうので、この制度で行けば私は、いくら声を大にして制度をよくして行つても、ほんとうに地についた、実のある制度にはなかなかならないのじやないかという感じがしております。そこでもう一つ飛躍していただいて、いろいろむずかしい点はあると思いますが、これを十分御研究願つて、大飛躍をしていただいて、この末端の共済組合を災害防除組織にして行くのだということで、これにひとつ身を入れて行つてもらいたいというふうに私は強く考えます。私は今経済局長と議論する気はないのですが、今のお話は実に聞捨てならぬ問題で、農林省が現在の制度で、上からながめておりますと、一応そういう感じが出ると思いますが、そういう感じの出るところにこの制度の弱体性があり、この制度にどこまでも身が入つて来ない大きな原因がある。私ども下から見ておつてそういう強い感じを持つ点だけは、御認識をいただきたいと思います。あとこまかい問題はいろいろありますが、ほかの委員の質問もあるでしようから、これは御答弁はいりません。
#7
○吉川(久)委員 簡単に経済局長に伺つておきたいことは、この考え方で参りますれば、現行の強制加入という制度が、これは強制加入という制度の生れて来た理由から考えると、この難点を改めようということになつて、これだけ寛大な考え方になりますと、一体強制加入というものの本来の性格を失つてしまう危険性があるというような感じがいたすのであります。そうすると、これもいつそのこと、そこまで行くならば、もうすべてを任意共済で行つてもよいのじやないか。ところが任意共済で行くと、これはこの前の小委員会の記録を見ますと、問題になつたようでありますが、おそらく入り手がないというようなことになりまして、病虫害の防除にいたしましても、その他のいろいろの点について問題が起きて来ると思うので、やはり強制加入制度というものはこれは残して行かなければならないと私は思う。あまりこれをゆるめることは、制度そのものの本質を失つてしまいやせぬかということを私は思うのでありますが、この点はどうなのか。
 それから次に、農家単位の共済をテスト・ケースとしてやつていたわけでありますが、これはこの前に足鹿小委員長から資料の要求をされておるそうでございますが、その資料が出たと小委員長は言つておりますが、その結果は大体どんなふうなのか、それを御説明願いたい。
 それから損害評価、病虫害防除問題については、私は理想としては足立委員の考え方にまつたく賛成でございますが、どうも戦後の風潮としまして、これはやはり統計調査部のような国家機関が損害評価に当るということの方が、私は客観性を持つておるというふうに思うのです。ただ今日統計調査部の数字がいろいろの面において問題になつておることは、供出制度そのものの内容が農家の一つの利害と矛盾をしておる問題等がありまして、そこに問題点があるわけなので、たとえば麦等については、引受け面積等の問題もあるし、米の問題については実収と基準数量との間に相当の開きが事実においてあるのであります。これは供出制度のまずさから来る問題であろうと思いますけれども、そういう事実があるので、そのために損害評価の問題は非常にむずかしい。今のような状態で、自分たちの損害を自分たちが評価するという形は、これはそこに的確な数字をつかむことは、私は当分困難だと思うのです。そういうもののつかめる状態に農民の心理、農家の経済というものがなつて来るまでは、やはりここは一つの国家機関によつて損害評価をやる。少くとも国家機関がこれに関与する形がとられなければ、私はほんとうの的確な数字はつかめないのじやないか、病虫害防除の問題についても百様じやないかと思うのです。こういう点について私は、理想としては足立委員のお考え方にまつたく同感でございますけれども、現段階においてそこまで行くことは、少し飛躍し過ぎるのじやないかと思います。これは農林省の立場としてどのようにごらんになりますか。足立先生もこの問題について特に実際おやりになつているお立場として、私の杞憂する点をお教え願えればけつこうでございます。
#8
○小倉説明員 私から御質問の点に触れてお答えいたします。第一段の強制の点でございますが、これは実はあまり簡単に書いてございますので、あるいは御了解が行かない点があるのではないかと思いますが、私どもの考えていることは、現在の保険制度が強制加入であり、あるいは組合が強制的設立であるというところに関連して、面すべき点を実は直さないで制度を運用している点がありはしないか。そこで自主的にそれをすれば、たとえば非常に無理なところは組合を解散するといつた決議で現われ、あるいは個々の農家としては掛金を納めない、経済的に納める能力があるにかかわらず納めないといつたかつこう、あるいは引受けのしりを出さないというようなかつこうで現われるというふうになると思いますが、それを強制ということでもつて解決するのではなくて、そういう問題が現われれば具体的にどうしたらいいかということを考えて、村ごとに必要な是正をして行く、できるだけ納得の上で全体の村が発展するように入つてもらうということを、実は主眼として考えておるのでありまして、個々の農家が入つても入らぬでも、村でつくつてもつくらぬでもいいということを主眼としておるのではないのであります。全体に共済組合ができて、全体の農家が入ることの望ましいことは申すまでもありませんが、しかし法律的に強制ということで解決するのではなくて、強制の力も借りまするけれども、なお農家が納得の上で自主的に入つて来るという要素も、われわれ関係役員なりあるいは共済団体を担当されている方方が、積極的な勧奨なりあるいは奨励、啓蒙といつたようなことをもつと加味して、事実上の全戸加入なり全村の組合設立ということに持つて行くべきではないかというのが第一の考え方でありまして、その点はおわかり願えると思うのであります。
 第二の農家単位についての実験でございますが、これは先国会のときに資料をお配りしたのでございますが、実は農家単位の共済の問題で、おそらく一番問題になるであろう階層別の関係、農家単位、一筆単位の違いが、農家の階層ごとにどういう違いがあるかということについての計数的な資料は実は整つておりません。今せつかく集計中であります。それが出て参りませんと、実ははつきりしたことをここで申し上げるわけに参りませんし、またその点を欠いておりますれば十分な資料としての御報告になりませんので、その点ができた上でひとつ御検討を願いたいと思います。
 それから損害評価の関係でございますが、これは保険制度を現行のような一筆単位にすればもちろんのこと、農家単位にしましても、個々の農家、個個の筆についての被害ということをつかむことが前提になつております。ところが役所がやります場合には、個々の筆、個々の農家の被害はどうかということをつかむことはまつたく不可能でございます。根本的に第三者評価、あるいは国家が損害を査定するということは、とうてい不可能であると私は思います。どうしても個々の農家なりあるいは団体なりに損害評価をお願いしなければならぬのであります。しかしお願いしつぱなしではいけませんので、ある段階で、村なら村の段階、郡なら郡の段階、できるだけ下の段階で、その評価が的確であるかどうかといつた審査の資料はぜひ必要である。その資料は私は統計調査部の調査以外にはなかろう、その調査をできるだけ充実いたしまして、できるだけ低い段階でもつて、的確に把握できるようにするということがねらいではないかと思うのであります。
 そこで御質問の点に触れるのでございますが、その統計調査部からできましたものを、査定の一つの有力な資料としてだけ使うのであるか、あるいはそれでもつて保険のわくを制度的に限つてしまうというふうに使うかということが、実はわかれ目だと思うのであります。このCの考え方は、制度として限つてしまうという考え方であります。統計調査部の参考資料――被害統計なり、実収を参考として見るというだけでなくて、これはむしろ吉川委員のお尋ねのようなふうに、村の段階においては、統計調査部の実収高なり被害高の調査から、保険金はこれだけしか払えないということに限つてしまう、内部の関係は、これは村の組合なり個々の農家なり損害評価委員の評価にまつというふうにCの考え方にしておるつもりであります。
 それから防除の関係につきましては、これは先ほど申し上げた通りでございます。
#9
○吉川(久)委員 今私のお尋ねいたしました第一点でございますが、町村内におけるところのその操作ということはすでにやつているのです。そうして組合員も、まあある程度納得ずくでやつている。そのやつている事柄が、非常に弊害の起るようなやり方なんです。どうしてそういうことをやらなければならないかというところに問題があるので、局長のおつしやるような損害の操作というものはすでにやつているのです。だから今度の冷害の場合に、保険金が来ても必ずしも組合員の農家のところへは入つて行かないのです。それは共済金を立てかえて掛けたり、いろいろの操作をやつているのです。そうしなければならない実体は一体何かということが問題なんです。だからそういう点を緩和するための措置がこれであるとするならば、これは意味をなさないのです。
 それから次の農家単位共済の問題ですが、これはやはり非常に零細になつた日本の農家には、農家単位の制度の方が私は効果があがると思うのですけれども、しかし共済制度そのものが問題になつているときでございますから、これもやはり農家単位の方がいいんじやないかと思つておりますが、これは私の一つの意見でございますから、別にお答えをいただかぬでもけつこうです。
 それから足立先生からお答えがあろうと思いますが、その前に、私はやはり足立委員の指摘されているような一つの理想的な方向に進む過程として、備荒貯蓄といいますか、そういう自主的なものをひとつもつと育てて行くような措置を講じなければいけないのではないか、そういうことも考えているのです。そういうものから足立委員の言われるようなほんとうの共済といいますか、互助、相助の共済の一つの形がだんだんと育成されて来るのではないか、そういうような一つの指導が行われないで、すぐに足立先生のおつしやるような理想の方向に行くことは、少し飛躍し過ぎるのではないかというふうに私は心配するのですが、その点どんなものでしようか。
#10
○足立委員 吉川先生にお教え申し上げるような材料は私は持つておりませんが、お話でございますから、私の考えを卒直に申し上げてみたいと思います。今おつしやつた備荒貯蓄と評価の問題は、非常に関係が深いのですが、私は備荒貯蓄的な性格を持たすということは、評価の問題とは別に、吉川先生のおつしやる通り考えているのですから、その点誤解のないように願います。
 それから、私が今申し上げたのは、主として評価の問題です。評価は、農民がお互いに自主的に出して来る評価であるから、必ず甘いのだ、必ずこれはうそがあるんだというふうに考えられやすいのですが、私はこれは断じてそうではない。必ず相当厳格な、公正なものが出て来る可能性があると思つております。その一つの証拠を申し上げますと、ことしの春の凍霜害で、ある県に農林委員会から参りましたが、そのときにある県の県庁が出した数字、作報が出した数字、共済が出した数字、いずれも著しく食い違つております。そこで県では、県会議員及びいろいろな農業団体代表者等が集まつておりまして、作報はけしからぬ、県の半分くらいの数字でとんでもない、軽い数字を出すから物事が間違うのだといつて非常に非難しておりました。次に共済はけしからぬ、共済がこんなに軽い数字を出すから困るといつておりました。私はその軽いことがいいというのじやないのですが、これが一つの現われになつて来ておると思います。なおまた今年の麦の評価でも、例にあげていいかしりませんが、農林省のある責任者の話を聞きますと、統計調査部の数字を基礎にして、保険課では方程式をつくつて、これを共済に当てはめる場合にどの程度になるかという算式をつくつてやつておる。これは当然であります。なぜかならば、統計調査部は単なる減収量を見るだけであつて、それが一筆ごとに三割以下に当る減収が幾らか、あるいは三割以上段階別の面積はどのくらいになるかということはやつておりませんから、従つて、数字が合わない。これを合せるために、三割以下の減収量は幾らくらいに見る、それを段階別に直せば幾らになるという方程式をつくるというのはあたりまえであります。そうして出した数字と、各県の共済組合連合会が出して来た数字とを突き合せてみると、五、六の県では、作報の数字で一定の方式で出した数字よりも、実は軽い評価になつておるということを聞いております。これは必ずしも軽いのがいいということじやありませんが、今まではいやしくも作報の数字を基準にして割り出せば、まず県から出て来る数字は甘かつた、共済の数字の方が甘かつた、これは常識にさえなつている。従つて農民が自主的に評価をするということはもうだめなんだという印象を与えがちでありますが、そうでない、望みがある。望みがあるだけではなくて、私はもうこういう理想に向つて進め得るのじやないかというふうに思つております。しかしそうかといつて、やはり中央の農林省からごらんになつていれば、全国的に見ると、いつも甘い評価をして収拾のつかない府県もおそらくあるだろうと思います。こういうところを是正して行く必要もありますので、野放しに、県できめた数字はそのまま中央でのめるのだということにはなりますまい。それがためには審議会もつくり、経済局としても、いろいろな作報等の数字と突き合しておやりになることはやむを得ぬと思いますが、私は、もう一歩踏み出して、理想に近づく線で行くべき段階ではないかと思います。さつきもちよつと申し上げたように、評価がたびたびひつくり返ることによりまして、そのたびに今までは切られて来た。従つて町村では、部落の連中が集まつてつくつた評価書というものは、郡で切られ、県で切られ、中央で切られるたびに、その評価書をやりかえなければならぬ。そうして出さなければ、共済金がもらえないという制度になつておりますので、結局町村の立場からいえばうその評価書をつくつて出す。それを二回も三回もやらされますので、結局来た共済金のわけ方についても、もう一ぺん相談をし直さなければならぬ。それで最初にみんながせつかく労力を費してまじめにやつた評価が、何回も切られることによつて、非常に感覚が薄くなつてしまつて、勢い支払いがルーズになるという結果になつております。そこで理想としては、少くとも県で最後的に査定したものは、もう切られないのだという線まで行きたい。私はさつき郡と申し上げたが、郡まで進めば理想の境地ですが、まず段階としては、県で査定したものは切られないのだ。そこで私ども実際に仕事に携わつておりまして問題の起るのは、町村によつてでこぼこが非常に多い。ですから、少くとも郡で評価をする場合には、町村のでこぼこを切つて、そうして評価書をつくらせれば、その評価書は、県で査定をされればもう決定したものになるのだというところまで行きたい。しかしそれでは農林省の立場としては非常に危険があるとお考えになる場合もあると思いますので、その県で査定される場合には、統計調査部もこの評価については監督機関的の役割を果してもらつて、統計調査部の数字と突き合せて、そうしてこれは数字の性質が違いますが、今中央でおやりになつているようなことを県でやつてしまつて、何回もうその評価書をつくり直すというようなことのないように、この評価については農民も信頼し得るような制度にしてもらえば、それ以上また中央でチエツクしなければならぬということは非常にまれなことになりまして、大体評価というものが厳正化して来るのじやないかというふうに思いますので、そこまで今度の制度改正では踏み出してもらいたいと思つております。なおさつき申し上げた町村のでこぼこを郡でならすということは、現在は町村で一応評価して、さらに郡で評価し、県で評価し、中央で評価するようになつておりますが、それは町村では予備評価をして、郡で正式評価をして、その査定を県でするという制度にすれば、町村で固まつたものになつてしまつて、それをまた郡で切られ、県で切られ、中央で切られるというようなことのないように、評価のやり方をそういうふうにかえたらどうかというふうに私は思つておりますから、これも御参考につけ加えておきます。お答えになつたかどうか知りませんが、私は自主的な農民の団体でこの評価というものの厳正は期せられるのだ、必ず私は見通しがあると信じております。そこまでまた農民も協力し、この制度を強化して行かなければならないというふうに信じております。
 以上私の信念だけ申し上げて、お答えにかえます。
#11
○川俣委員 私この委員会に十分出席いたしておりませんので、食い違つたこと、あるいは二度繰返すようなことになるかもしれませんが、ひとつお尋ねしておきたいと思います。
 この案を拝見して一番角に感ずることは、これはやはり在来の共済制度をどうして改正して行くかというような考え方のように思うんです。ところが現在の段階を見ると、改正だけではとうてい収拾がつかないのでないかというような考え方があるのです。というのは、一般に行われておるどんな保険制度でも、天災的なものはこれを除くというようにして、いわゆる保険の対象から除いておるわけです。ことに農業災害については、共済保険的なことによつてこれだけの天災的な危険に耐え得るかどうか。おそらくもう農業の危険に対しては保険では耐え得られない段階ではないか。この段階を考えて、出直して行かなければならぬのではないかと思うのです。こういう点から見ると、どうもこれでは片づかないように思うんです。しかしながら今までやつておられる制度をある程度是正して行こうという考え方になることも、決して無理だとも思いません。そういう点から見て行くと、この保険の場合で一番経費のかかつているのは、おそらく一筆調査、災害評価の調査だと思うんです。これが相当な経費を食つておるということが一つ。それからまた一番先に問題にしました天災的な危険がもう保険の対象以上に危険があるという点で、どうしても再保険とかいうようなことでは収拾つかないという考え方を私どもは持ただるを得ないわけですが、持たなくてもいいというならば、その説明があればこれはまた別ですけれども、どうも持たざるを得ないのではないかということです。
 先に大きな問題を話して、今度は小さな点に参りますると、足立さんが席を離れられましたが、調査を農家単位にやるにいたしましても、しつかりした災害をつかむということになると、どうしても一筆調査まで行かないと、調査の万全を期し得られないと思う。計算は農家単位になつても、調査はやはり一筆単位にまで行かなければならぬのではないか。今日作報と農業共済の調査とで、大きな狂いがあるのはどこかというと、農業共済の方は一筆調査をやつておるし、今の統計調査部はそういう一筆調査じやなくて、現在の調査方法は画一的な調査であるために、農家単位にしても村単位にしても、妥当な調査が出るような方式で作況調査が行われていないのです。従つて、私は岩手県に行つてみましたが、岩手県の作報のいわゆる皆無地は、今ここに資料を持つておりませんが、共済側よりもたしかに二百七十町歩ほどか、作報の方が多く出ておりました。それから七割被害は、作報の方と共済の方と調べてみると、率はもつと減つておりますけれども、やはり作報の方が面積は大きい。五割程度まで大きくて、被害率が少くなると、今度は作報の面積が減つて来て、共済組合の方がふえておる。こんなような形になつています。今度は村単位になりますと、共済の見方と、作報あたりの見方とは、非常な狂いです。郡段階になると、そう狂いが出て来ないのは、どこに一体そういう違いがあるか、これは非常な疑問の点がありますが、町村に当ると非常なでこぼこです。作報と農業共済がある平行線で出て来るならば、大体見方が甘いとか辛いということで、これはわかるのですが、そうじやない、山がでこぼこなんです。そうなつて来ると、甘いとか辛いとかの問題ではなくて、一方が精密な調査を行い、一方が精密じやないというところか来るのだ。ただ集計がたまたま似ておるというようなことになつて来ても、これは基礎が非常に違つておるということになるから、保険の対象としての損害調査ということになると、作報の現在の計算から来る統計調査部の審査では、十分じやない結果になる。この点はこういうふうに思われるのです。そこでこの構想は、私は出ていることについて一々反対ではないけれども、そういう観点から見て来て、構想としての、いわゆる社会保障的なところに切りかえて行こうという意図は、私は大いに賛成なんでして、何らかの形で、社会保障的なものを国家が考えて行かなければならない現段階において、この共済制度を利用して、社会保障制度を考えて行くということは、考えとしては私は妥当だと思うのです。ただその場合に、さつき局長が言われたような営農資金的なものを法制化して行くとすれば、その面で、この共済保険が持つておる負担に耐え得ない分を、一体この共済制度において、はたして果し得られるものかどうかという点について、私どもは疑問があるのです。果し得られれば問題はありませんが、果し得られるかどうかという点で非常に疑問が出て来るのです。それから掛け捨てを何とかしてなくして行かなければならぬという考え方は、賛成ですが、しかし掛け捨てを絶対なくするというようなことが、一体可能なのがどうかという問題なんですね。これを可能にするには、やはり天災的な危険は別に国が負担するというようなことが大きく出て来れば、ある程度掛け捨てを救済して行く、あるいは備荒貯蓄で救済して行くことが考えられると思うのです。このままの状態では、掛け捨てを救済して行く、あるいは備荒貯蓄に持つて行くということは、考え方としては賛成だけれども、非常に困難ではないかと思うのですが、どうですか。
#12
○小倉説明員 お話の考え方については、根本的な御疑念ですが、私どもここでお示ししているのは、ただ現行制を前提にして、それに若干の改正を加えるという意図に必ずしも出ておるのではなくて、私どもなりに、ここに書いてあることが、実は制度の根本に触れる、あるいは触れている問題であるというふうに思つております。案によりましては、内容が若干違いますが、この方向をとるにいたしましても、制度の根本的な改正というふうに考えていいのではないかと思います。それは見方の相違というか、見解の相違ということになるかもしれませんけれども、実はここに書いてあるようなことを実施して参ります場合にも、やはりなかなか容易ならぬ問題が生じて参るしいうことを、私どもは思つておるのであります。
 それから損害評価の問題について、いろいろ実際に御見聞なさつた点についての御所見を御披露になつたわけでございますが、私どもの感じと申しますと恐縮でありますが、損害評価につきまして、団体の側から言つて参ります損害評価の大体の結果と、調査部あたりの被害から見たところの結果とを対照してみます場合に、顕著に出て来る相違と申しますのは、絶対額が低いとか高いとかいう問題もございますが、被害程度別の分布が違つておるのであります。保険制度は三割以上を対象にしておるものですから、三割以上の被害が急に多くなつておる。三割以下の被害が比較的少い。これは作報と比較しての話でございます。川俣さんが岩手県で見聞をされた点とは、むしろ逆のような印象を私どもは持つておるのであります。
 それから社会保障的な要素を加味した場合の考え方でありますが、いずれにいたしましても、現行の補償制度の補償限度を可及的に充実して参るという点から行きましても、農家の経営と生活と両面にわたつた補償をするということは、非常にむずかしいと思います。これは個々の農家が零細であるとか、あるいは農地が筆別に分散しておるというようないろいろな問題もありますけれども、相当程度、根本改正を考えても、経営と生活の両面を補償することを考えることは、農家の経済からいつても、同家の財政負担からいつても、非常にむずかしいと思います。そこで社会保障として考えます点は、生活の保障ということのように理解をいたしまして、労働力の再生産という点に重点を置いて考える。しかもそれは農民のことでありますから、作物を通じて考える。それを拡大すれば、おやじさんが病気で経営ができなかつた、ほかに適当な雇い手もなかつたというために、収穫が落ちたというような場合はどうするかというような具体的な問題になりますけれども、いずれにいたしましても、作物の減収ということを通じて生活が困難になる。その生活だけの問題を補償制度で見て行こう。経営の面につきましては、これは金融で見得る性質のものが多分にあるのではないかというふうな考え方であります。もつとも金融と申しましても、一般の金融、組合金融なり市中金融によるということは、もちろんできないのでございまして、特に被害農家でございますから、よけいさようでございます。そこで相当程度の損失補償、利子補給というような、現在災害の都度考えられているような営農資金の供給に国家資金をつぎ込んだ特別の金融制度を、恒久制度として考えるということになりますれば、そこで経営の方面の再生産と自家労力の荷生産と、両々相まつたような措置ができはしないかと思うのでありますが、御指摘のように、そこにやはりギャップがありはしないかという点についての心配があるのでございまして、そこをギヤツプの内容にまで具体的にまだ進めてはおらないのでありますが、御指摘の点はなお検討をしなければならぬと思います。
#13
○川俣委員 この保険制度から離れるけれども、さつき岩手県で見て来たことは、資料で示してもらつてよろしいのですが、というのは、作報のあの調査方法は、大体原則として、いわゆる減収別の統計をとるような機構になつていない。そういう調査方法はないのです。従つてこの調査というものはあとでこしらえられる調査であつて、現地においての調査ではない。修正される調査であつて、従つて私は信頼を置かない、こういうふうに見て来たのです。いわゆる調査の集計ができたのではなくて、全体のできた調査からむしろ逆算して被害調査を出して行くというような形になつておるようです。集計されたものではないように思うのです。今度のような冷害とか九州災害とかいうものが起つて来ますと、これはどうしても一筆調査の方が妥当性があるので、ああいう総合的な二百の標準区から推して行つて査定したような調査は、妥当性を欠くのではないか、私はこういうふうに思うのです。一般の病虫害のような場合は、むしろ目で見る見解よりも、ああした調査に基いて推計する方が、あるいは妥当なものが出て来るかもしれぬと思いますが、冷害とか、あるいは水害ということになりますと、ああいう作報のような調査基準に基いては正確なものは出て来ない。しからばそれではいわゆる統計調査事務所の方が一筆調査をした方がいいか、あるいは共済組合の方が一体そのままの調査でいいかということについては、私はどつちかに統合すべきだというふうにはもちろん思いますけれども、基礎の違つた調査をしておつて、それで審査をするということは、非常に無理だ。どつちかが一筆調査に近いような調査をして行かなければならぬ。むしろ私は進んで言うと、統計調査事務所の方がもつと精密調査を行つて、その面から審査をして行くということの方が妥当ではないかと思います。そうすると共済組合の費用が相当浮いて来ることにもなるであろうし、両方で経費をかけるということはどういうものか。しかしながら実際は支払義務を負つているものが、一体一筆調査について調査を完備しなくてもよろしいということにもならないのではないか。そうでないと、両方調査をして、その経費を両方で負担するということは、非常な経費を食うことになる。やはり審査をするということになると、統計調査事務所の審査を基本にしなければならぬ。それは今日のような日本の農業統計から見ても、統計事務の方がもつと末端にまで調査の手を差伸べて行かなければ、ほんとうの農業統計が出て来ないんじやないか、こういうふうに思われます。特に反別等についても、統計事務所の方は、大体実測反別といつて、台帳から離れた反別をとつているようでありますし、農業共済になりますと、必ずしも実測反別ということよりも、掛金が台帳反別でやつているために、やはり支払いも台帳反別によるものが多いようです。当然これは狂いがある。
#14
○足鹿委員長 ほかに質疑もあろうと思いますが、私もまだ二、三ただしたい点もありますが、本日はこの程度で散会をいたしまして、明後日午前十時より開会いたします。
    午後零時五十五分散会
ソース: 国立国会図書館
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