くにさくロゴ
1951/12/12 第13回国会 参議院 参議院会議録情報 第013回国会 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 第1号
姉妹サイト
 
1951/12/12 第13回国会 参議院

参議院会議録情報 第013回国会 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 第1号

#1
第013回国会 法務委員会戦争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会 第1号
昭和二十六年十二月十二日(水曜日)
   午前十時三十三分開会
  ―――――――――――――
昭和二十六年十二月十日法務委員長に
おいて小委員を左の通り指名した。
           長谷山行毅君
           岡部  常君
           中山 福藏君
           宮城タマヨ君
           伊藤  修君
           棚橋 小虎君
           鬼丸 義齊君
           一松 定吉君
           羽仁 五郎君
           須藤 五郎君
同日法務委員長は左の者を委員長に指
名した。
   委員長     鬼丸 義齊君
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     鬼丸 義齊君
   委員
           長谷山行毅君
           岡部  常君
           中山 福藏君
           宮城タマヨ君
           一松 定吉君
           羽仁 五郎君
           須藤 五郎君
  参考人
   東京戰争犯罪人
   家族会長    今村ひさ子君
           片山 文彦君
   白蓮社常行   関口 慈光君
           福留  繁君
           原  忠一君
   外務事務官
   (国際協力局勤
   務)      吉村又三郎君
   外務事務官
   (連絡局勤務) 塚本 五郎君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○戰争犯罪人に対する法的処置に関す
 る件
  ―――――――――――――
#2
○委員長(鬼丸義齊君) それでは只今から開会いたします。
 昨日巣鴨の視察につきまして非常な厚意を示されました巣鴨のプリズン所長のデービス氏に対しまして、委員会として謝意を表する文書を出したいと思います。この点に対しまして皆さんの御意見如何でしようか。
   〔「賛成」と呼ぶ者あり〕
#3
○委員長(鬼丸義齊君) それでは文書を以て謝意を表することにいたします。
 文書は委員長に一任願いたいと思います。御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○委員長(鬼丸義齊君) 御異議ないと認めます。なおその際プリズンの取扱規則等を御送付願うことにお願いいたしておきましたので、その希望も更に書き加えたいと思いまするが、なおこのほかに何か文献等御希望がありまするならば、併せて書面でお願いして見たいと思いますが、お気付きの点がありましたらば、委員長まで一つお申出で願いたいと思います。
  ―――――――――――――
#5
○委員長(鬼丸義齊君) 今日は先回の委員会において決定いたしました今村ひさ子さん、関口慈光さん、福留繁さん、原虎一さん、片山文彦さん、吉村又三郎さん、嶌内敏郎さん、塚本五郎さんの各位の御臨席を願いまして御意見を承わることにいたしておりましたが、そのうち嶌内さんはお差支えのため今日は出がたいそうであります。それで午前中に今村さん、関口さん、福留さん、原さん、片山さんの五氏よりお伺いをいたすことにいたしたいと思います。
 この際、私は本日参考人として御出席を得ました五氏のかたに一言御挨拶を申上げたいと思います。当委員会は、御承知の平和條約がいよいよ締結されますることになれば、條約にありまする第十一條の戰犯者に対しまする従来の有罪判決を承認をして、更に日本におられまする戰犯者に対しまする刑の執行等をもこちらで引受けなければならないことになりまするにつきましては、これが実施上について、いろいろ法的にどういうふうにしたほうが一番適当であるかということについての調査をお願いすることにいたしました。
 なお、又この戰犯者の講和後におきまする処置につきましては、非常にいろいろな角度からむつかしい問題も起りまするので、皆様がたのいろいろ御事情も伺つて、若し能うことであるならば、これの戰犯者を成るべく一つ多数、條約締結を機会に仮出獄或いは釈放して頂きたいというようなことに対しまする希望等も各所から申出がございますので、これらの点につきましてもいろいろ御事情を伺つた上で、それを資料として関係方面に政府を通じてお願いをすることにいたしたい。なお又委員会として直接お願いできる点につきましては、委員会からもお願いをいたしたい、かように存じておりますのであります。かたがたその意味におきまして、本日御迷惑ながら当委員会に御出席を得まして、皆様がたの一つ事情を遠慮なく伺つて、そうして私どもの頭を作らして頂きたい、こういう趣旨でございます。どうかそのお気持を以て遠慮なくこの際御意見を聞かして頂きたい、お教えを頂きたい、こういうことでございます。一言御挨拶申上げます。
 それから本日の御意見を伺いまする手続について、皆様がそれぞれの立場から、或いは違つた見解を持たれるかたもありましようから、最初に私より一応皆様がたの御意見だけを先に一通り伺つて、それから一般にお揃いの上で以て御意見を伺うことにしたらどうかと思いまするが、この進行について皆さんの御意見どうでございましよう。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#6
○委員長(鬼丸義齊君) それでは最初に今村さんからお伺いいたしたいのですが、そのままで、どうぞ一つ余り固くならんで、ざつくばらんに聞かして頂きたいと思います。あなたはこの戰争犯罪人に対しまする家族の会長をお勤めであられまして、非常なこのことについて熱心にこれまで御盡力をしていることに承わつておりますので、今あなたのお手許で以てこれまでおわかりになつておりまする、私どもの参考となりまする事項について、この際聞かしておく必要があるとお考えになりまする点を、一つ遠慮なく聞かして頂きたいと思います。どうぞ一つ伺いたいと思います。
#7
○参考人(今村ひさ子君) 戰犯のことにつきましては、いろいろと御迷惑をおかけ申上げておりまして、誠に申訳ございません。この際家族一同に代りまして、心から御詫びを申上げます。この問題につきましては皆様にいろいろと深い御配慮を頂きまして、今日のようにこうして委員会まで御開きを頂きましたことは誠に感謝に堪えないところでございまして、心から厚く御礼を申上げます。
 家族の様子の一端を申上げますと、一家の支柱を奪われましてからの家族は、早速に慣れないお勤めをいたしましたり、又内職をいたしましたりいたしまして、精神的にも、又経済的にもこの六年間はあらゆる困難と戰つて参りまして、この長い間の無理が崇りまして、最近は非常に健康を害した人も多くなりまして、遂に懐かしい夫や、親や、子供を迎えないで亡くなつて行かれました数多い気の毒なかたもたくさんございます。又経済的には非常に惠まれないかたが多うございまして、只今生活保護法を受けております家族が二百一名ございまして、又これを必要といたします家族が二百四十八名現在ございます。それから、最近つい四、五日前の話でございますが……。
#8
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつとお待ち下さい。最初二百一名ですか。
#9
○参考人(今村ひさ子君) 二百一名は生活保護法を受けております家族でございまして、それを必要といたします家族が二百四十八名ございます。それが現在の状況でございます。
 それからつい最近のお話でございますが、四、五日前に、靜岡の田舎からはるばる四日間歩いて巣鴨の息子さんのところに面会に来られた御老人に私お会いいたしましてございますが、そのかたが私に話されましたことには、私は貧乏でとても巣鴨におりまする伜の面会などで上京する力はございませんが、私の家内は十六年もの間、長い間患つておりまして、遂に巣鴨におります伜に面会しないで到頭亡くなりまして、只今私は八十を過ぎた母と二人でその伜の帰りを毎日待ち佗びて留守をしておりましたが、その母ももう八十を過ぎておりますので、いつ何時どういうことがあるかわからないので、せめてその母が丈夫の間に一遍伜に面会して来て、そうしてその母にその様子を知らしてやりたいと思いまして、まあ恥を忍んでこうして乞食のような姿をして四日間歩いて、徒歩で、そうして毛布一枚を持ちまして、夜は駅でその毛布を被つて寝ながら、四日間歩いて巣鴨に面会に来たと言つておられましたのでございます。
 又この間、只今白蓮社で巣鴨に面会に来られるかたの宿泊のお世話をしておるのでございますが、丁度私が白蓮社に参りましたときに、八十二歳になられますそのお婆さんが、今十一年振りで伜と巣鴨で面会を済まして帰りましたというところでお目にかかりまし、そのかたの御長男は最近シンガポールから懐かしい内地に送還されて帰られたかたでございますが、内地に帰ればお母さんに会えると思つて楽しみにして帰つて来られましたのですが、一向にそのお母さんが面会に来られませんので、是非面会に来てくれるようにたびたび手紙で催促をされたそうですが、それでも一向にお母さんのほうは出て来られませんでしたそうでございまして、それはお母さんも又手紙で催促を受けるまでもなく、伜に会いたいのは山々でございますが、北海道の小樽に住まつておられるものですから、北海道からの旅費はなかなか工面がつきませんので、そういう都合で面会は諦めておりましたのでございますが、その事情を附近のかたが同情をされまして、旅費を作つて、そうしてまあその人にやつと面会に出て来られたようなことでございまして、そうしてまあ十一年振りで懐しい面会をされたのでございますが、十一年振りで見る伜のその変り果てた姿と、それからまあいろいろの苦労話で、到頭四十五分間本当に涙で、嬉しさも涙、悲しさも涙で、涙々で四十五分の面会を今終えて帰つて参りましたと言つておられました。まあ私は八十二にもなりまして……、そしてそのかたは御長男だそうでございまして、そのかたが出征をされてからは、家のほうは次男のかたがずつと面倒を見ておられましたそうでございますが、その後不幸にもその御次男御夫婦は相次いで亡くなられまして、小さいお子さんを置いて亡くなられたそうでございまして、そのあとはその八十二になりますお婆さんが、そのお孫さんを見ながら、その御長男の帰りを毎日まあ待ち佗びておられたような状況でございました。私ももう八十二になるので、いつ何時かわからないので、せめて私の生きているうちに長男が帰りますように、いろいろ皆様に是非お願いしてくれとおつしやいまして、会う人毎に手を合わして涙ながらに泣いて拜んでおられましたことがございます。
 それから又これは福岡県の御家族でございますが、昨年一月に御主人がジヤワからこちらに送還されましたのでございますが、まあ奥様といたしましても面会したいのは、早速にも飛んでも行つて面会したいのは山々でございますが、しがない内職をしておられますものでございますから、とても九州から東京までの旅費は、考えても、とても工面が付きませんので、まあ御面会は諦めておられました。ところが十一になるお嬢様がおられまして、そのお嬢様が言われますのに、お母さんはお父さんを知つているからいい、併し私は赤ちやんのときにお父さんに別れたのだから、お父さんの顔は全然知らない、だから私はどうやつても面会したいのだとおつしやつてせがまれるそうでございます。それからお母さんは何とかしてこの子に一遍面会をさせてやりたいと思いまして、それから二年間というものは食べるものも食べないで、九州からの旅費を工面して、やつと今その面会を十一年振りで済まして来ましたとおつしやつておられまして、そして御主人は泣いてそれを喜んでおられましたそうでございますが、そんなにも会いたいと言つておられたお嬢さんは、いざお父さんに会つて御覧になりますと、恥かしくて、お父さんがお父さんと一遍言つてくれと言われたそうでございますが、それもよう言えなかつたそうでございまして、それぞれまあとても非常に御満足してお帰りになりましたようなお話でございました。
 それから私どもの近所にフイリピンに死刑囚になつておられますが、その遺家族が住んでおられますが、そのお宅では七十を過ぎました御両親と、それから今年二年生になられます坊ちやんがおられますが、奥様がタイピストになつて家計を立てていらつしやるお宅でございますが、そのお妨ちやまは生後六カ月のときにお父様が出征をされまして、只今フイリピンで死刑囚となつておられるのでございますが、お父様が死刑囚ということを誰も家族のかたがお話にならないそうでございますけれども、家族の人が新聞なんかを見ておられますと、その妨ちやんが走つて来まして、お父さん殺されたと聞かれるそうでございまして、そのときはもう御両親もお母さんも、本当にもう胸を抉られるような思いだといつもおつしやつていらつしやいます。
#10
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつとそれで私より伺いますが、特にこの御家族のかたで、すでに四散してしまつて、ずつと人が散つてしまつて、殆んど一家四散してしまつておるというような家庭とか、或いはその他すべての家庭、戰犯者の家庭のほうでは、やはり必ずやいつか帰るときもあろうということで、一日千秋の思いをして待つておられるというのが全体のなんではありませんか。
#11
○参考人(今村ひさ子君) さようでございます。
#12
○委員長(鬼丸義齊君) その点を一つ伺いたいと思います。特に破壞されておる家庭とか、そういうことはありませんか。皆さん思想的にはどんなふうに考えておられますか。
#13
○参考人(今村ひさ子君) 思想的には、なんでございます。こうして苦しい立場に立つておりますが、主人たちがそういう立場に立つておりますので、何とでもして今日国のためになりますようにお互いに家族が寄り合いまして、いろいろ慰め合いまして、健実な思想を持つて暮しておるような状態でありまして、一家がもう散り散りになりまして、死に絶えたようなお宅もたくさんございまして、これから巣鴨をお出になられましても、帰るおうちもないというかたもたくさんございます。それから内地におりますかたはこうした苦労がございますが、同じ苦しい中にも、遠く比島や濠州に残されております三百四十八名の家族は、遠く現地のことをいろいろと案じまして、心配は一しお深刻でございます。春、花がきれいに咲きましても、もみじがきれいに紅葉いたしましても、又いろいろと楽しい行事がございましても、私たちの家族には一向それを楽しもうという気もありませんで、ただ心の中は寝ても醒めてもこの人たちが一日も早く帰つてくれることだけを皆心に念じ、祈つておる次第でございまして、どうぞこの家族の気持をお察し下さいまして、何とぞお力添えのほどを千八百二十九名の家族に代りまして、皆様がたに心からお願い申上げます。
 又これに附加えまして、一言御報告申上げたいと存じますのは、戰犯で処刑されましたかたの御遺族でございますが、戰犯で処刑されましたかたがたは、只今靖国神社に祀つて頂くことができませんで、誠に肩身の狹いさみしい思いをしてお過ごしになつていらつしやいまして、実にお気の毒でございます。このことも附加えて皆さんのお耳にお入れ申上げたいと存じます。
#14
○委員長(鬼丸義齊君) 今村さんの御主人はやはり今マヌス島におられるのですね。
#15
○参考人(今村ひさ子君) さようでございます。
#16
○委員長(鬼丸義齊君) 新聞で実は拜見しましたが、あちらでやはり御主人が大体服役者の全部の会長か、何かお世話をしておられるとかいうことが新聞に出ておりましたが……。
#17
○参考人(今村ひさ子君) もう六十を過ぎました年寄りでございますので、別にお世話というほどのこともできませんのでございまして、若いかたのお世話になつているのでございますが、年寄りがおりますと、そこで何らかの慰め役でもしておるのではございませんかしらと思うのでございます。
#18
○委員長(鬼丸義齊君) 何かその関係について音信その他はございませんか。
#19
○参考人(今村ひさ子君) 手紙はときおり、六週間に一回許されますが、それも着いたり着かなかつたりいたしまして、それに非常に検閲がやかましいものでございますから、詳しいことも書けませんのでございますが、最近は午前中は農耕をいたしておりまして、今非常に「ねぎ」を作つておるそうでございます。生野菜が不足で頂けませんものでございますから、ほかのお野菜はやはり虫がつきますのと、肥料がございませんので、できませんで、「ねぎ」のようなものは余り虫がつきませんで、できるらしいのでございます。それが唯一のあちらにおります二百四十三名の人の生野菜の補給だそうでございます。只今一週間に二回その「ねぎ」を食べておりますそうでございます。一回の量が一人一本半だそうでございます。それを生まで食べておりますようでございます。あとは殆んど野菜は乾燥野菜とそれから罐詰が支給されますそうでございまして、暑いところでございますから、そういつたお野菜がたくさん多量に欲しいのでございましようけれども、そういつた支給は許されませんし、又たくさん作りますと、そういう乾燥野菜を差引かれるということでございまして、非常にその点困つておりますようでございまして、最近の便りにも、何でございますか、メロンの種を五十粒ほど頂いたそうでございます。それを播きましたところが、七本それが育ちましたそうでございまして、七本育つて七個なりましたそうでございます。そのうち二個は種を頂いたかたにお礼に差上げまして、あと五個は胸部疾患で寝ております病人に食べさせるのだという便りを寄越しております。主人なんかはもう六十の歳を越えておりますのでございますから、なんでございますけれども、そのほかのかたがたはまだ若い青春に燃えておりますかたがたでございますので、そのかたがたに一日も早く内地の土を踏まして上げたいと思つておりまして、家族もそれを首を長くして待つております状況でございます。
#20
○委員長(鬼丸義齊君) あなたが、マヌス島の服役者の内地のほうの送還といいますか、そのことについて司令部のほうにでも嘆願書や何か出したことはございますか。
#21
○参考人(今村ひさ子君) ほうぼうに再三嘆願はできるだけいたしております。
#22
○委員長(鬼丸義齊君) それについて何か朗報は聞いておりませんか。
#23
○参考人(今村ひさ子君) 一向に朗報というものはございませんでございまして、先だつても丁度海軍の司令官で呉におられまするロバートソンという少将のかたが帰国されますにつきまして、そのかたに嘆願書を持つて行つて頂きましたところ、昨日私の嘆願書を送り返して参りまして、陸軍大臣に嘆願書を出すようにというお話でございまして、その嘆願書は送り返されて参りました。
#24
○委員長(鬼丸義齊君) 最初から濠洲のほうでは全部で戰犯者何名であつたのですか。
#25
○参考人(今村ひさ子君) 最初でございますか。
#26
○委員長(鬼丸義齊君) わかりませんか。
#27
○参考人(今村ひさ子君) 一番最初は何名でございましたか……。
#28
○委員長(鬼丸義齊君) 内地にすでに釈放された人が何名と、それから病死された人が何名ということはわかりませんか。
#29
○参考人(今村ひさ子君) 調べればわかるのでございますが、今日その資料を持つて来ておりませんのでございますが、家へ帰ればそれもわかります。
#30
○委員長(鬼丸義齊君) それではあとで又伺うことにいたしまして、丁度マヌスの問題が出ておりますので、この際、片山さんにお伺いしたいと思います。
#31
○須藤五郎君 今村さんのお話はあれで終るのですか。
#32
○委員長(鬼丸義齊君) あとで一括して全部……、私が一通りだけざつと聞きまして。
#33
○須藤五郎君 今村さんがお話になりたいことはあれだけですか。
#34
○委員長(鬼丸義齊君) ありましたらあとで伺うことにいたします。
#35
○須藤五郎君 今あるのならば続けて伺つたほうがいいと思います。
#36
○羽仁五郎君 今村さんに伺つて見たらどうですか。
#37
○委員長(鬼丸義齊君) 今村さんありますか。
#38
○参考人(今村ひさ子君) 只今お話申上げましたようなお話を申上げますれば、まあ数限りのないことでございますが、お時間の御都合もおありになるでございましようしいたしますので、又の機会にさせて頂きます。
#39
○宮城タマヨ君 今村さんに伺いたいことがあるのでありますけれども……。
#40
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと速記をとめて。
   〔速記中止〕
#41
○委員長(鬼丸義齊君) それでは速記を始めて。それでは片山さん一つ。片山さんは最近までマヌス島のほうで服役されて、今回釈放されて御帰還になつたということですが、あちらの、マヌス島の服役状況並びに皆さまがたがどういうふうなお気持でおられるのであるかとか、あなたの、いずれ釈放されるについて当局から注意を受けておる点もありましようが、その注意を受けておることはいけますまいから、差支えのない範囲だけ一つこの際お聞かせ願いたいと思います。
#42
○参考人(片山文彦君) 今日こうした機会を持たせて頂きましたことをマヌスに残ります二百三十四名に代りまして厚くお礼を申上げます。
 去る九月サンフランシスコにおける長年待望の講和会議もめでたく終了し、やがてその批准も終れば、いよいよ日本も独立の一国として輝かしい第一歩を世界平和のためへと踏み出して行くことになりました。それは日本国民の民主国家、文化国家建設への努力に報いられた最大のものであり、又あらゆる苦難を乗り超えた後にもたらされた日本国民への、否、世界の平和を愛する人々にとつての最大の喜びでありましよう。その今日を迎えられんがために日夜その労苦の限りをお盡し下さいました皆様方に厚き感謝の誠を捧げますと共に、お喜びを申上げる次第でございます。
 さて、このときに当り靜かに振り返つて見ますと、戰争以来今日まで数限りない民族の悲劇が作られ、又繰返されて行きました。或る意味において講和條約調印はその悲劇の終止符を打つたものと考えられます。併し悲しいかな、ここに残されるのは未だ終らざる日本の悲劇の現実の数々ではないでしようか。その幾つかの中には引揚げという深刻な問題が皆様方の御盡力にもかかわらずまだ暗い影を残しております。ソ連、中共地区の俘虜抑留、一般、邦人又フイリピンやマヌスに残る戰犯三百有余のそれであります。その暗いかげに沈むマヌス戰犯二百三十四名の状況について只今より御報告申上げ、又切々訴えるかれらの血を吐く思いの何分かを御説明申上げたいのであります。
 さてマヌス島とは、南緯二度から三度、東経百四十七度、ニユーギニアとラバウルのあるニユーブリテン島を廃するダンピール海峡の北部に位する島であり、数多くの小島がそのぐるりを取り囲んで、アドミラルテイ諸島を形作つております。そのマヌス島と大きな橋によつて結ばれている小島の一つ、それがロスネグロス島であり、現在マヌス戰犯と呼ばれる戰犯者二百三十四名が心淋しくあてなき帰国の日を待ちつつ、生ける屍としてその日その日を送つているところであります。
 では、ここに残る二百三十四名はどのような道を歩んで参つたものでありましよう。その大略をかいつまんで申上げます。今を去る六年前の八月、日本の無條件降伏に端を発するポツダム宣言の行使により、他の地域と同様、ラバウル、ニユギーニア、モロタイ、アンボン、ボルネオ等の濠軍占領地域においても、戰犯という忌わしい名前が生れて参りました。昭和二十年九月から続々收容を開始された戰犯容疑者は、やがて同年十二月から次々と各地で開廷された裁きの庭に立ち、非常に不利の條件のまま各人各様の判決を受けたのであります。
 では何で不利があつたかと申しますと、第一に法廷の用語は英語であり、被告は勿論弁護人さえも意思の疏通を欠き、且つ又通訳の言い廻し方その他も非常に不自由且つ不利な点を招来したことでございます。簡單なその一例として、忠告という言葉を警告すると訳して問題になつたこともあります。第二に、告発された事件の発生当時の四囲の情勢と、戰時中の特殊な感情、即ち行為者の心理状態というものが全然考慮されず、戰況苛烈なる場合における諸行動に対する戰場心理等を閑却視し、丁度火事場の荷物搬出に当り、たまたま入口にいた俘虜に思わず衝突した際、前以て注意を喚起しなかつたという責任を追及されるのと同じような裁判の数々も散見されたのであります。第三に、旧日本軍の命令の絶対性が認められなかつたことであります。即ち旧日本軍における命令は絶対の権威を持つものであつて、上官の命令により行われたるものは当然命令者の責任であるにかかわらず、濠軍は終始英法的解釈を堅持し、実行者自身をも処刑しておりますと共に、共犯理論の適用も又極めて厳しく、ただ單に現場に居合わせたことのみで━を受けたものも相当あります。第四に、━━━━━せる証言が数多く出され、それが採用されたことであります。例として、大きな━━━に三本水を呑ませたとか、━━━さかさまに吊したとか、全く被告が唖然としてしまうようなものもありました。第五に、一般裁判に許されざる聞き伝えの━━をも採用されたこと、証拠を尊ぶ英法裁判の特性を思うとき、被告の不利を決定的にしてしまつたとも言えるでしよう。一つの話も人から人へ伝わると、だんだん大きくなり、針小棒大化されたものとなります。第六に、法廷の審理が非常に早かつたことは、英語を介して行われる裁判と共に、弁護陳述の完璧を期することを全面的に妨げてしまつたのであります。第七に、弁護団の主力は、元陸海軍の参謀や、主計将校であり、これらのかたがたが非常な御努力にもかかわらず、弁護団自身もその能力の点に苦しまねばならなかつたことであります。
 要約すれば、裁判は一形式に過ぎず、━━的な意思が強く裁判を支配していたとも言えると思えます。こうした不利の條件の下に行われた裁判の結果として幾人もの人々が、━━━━━━━、又数多くの人々も有期、無期の刑を受けなければなりませんでした。相沢、松島の両下士官は、台湾人六名と共に中国人俘虜を殺害したという理由で告発されたのでありますが、この台湾人六名は全く事件に━━がなかつたのであります。法廷においてこの六名は無罪を主張したのでありますが、裁判の結果は全員━━の宣告だつたのであります。そうして数カ月後濠軍当局の確認により、これら被告たちは人員の都合上一日で全員処刑するわけに行かず、二回に分けられて━━を執行されることになり、相沢、松島の両下士官と、二名の台湾青年が先に━━━━━━━━━。併し━━━━━行く人々を救おうとする運動が効を奏し、遂に翌朝の━━を待つていた残りの四名は、そのまま執行が無期延期となり、半年後の再審により無期刑を言渡されました。では━━を主張して、同じ状況に、同じ條件の下にあつて、先に処刑された二名の台湾青年はどうなるのでしよう。又福島という一青年がいますが、彼は同一事件において第一日目に絞首刑、第二日目は、無罪、第三日目に又絞首刑を言渡され、後日当局の確認においては、幸いにも無罪の言渡しを受けたのであります。実に不思議な例と言わなければなりません。又軽部という主計曹長がいましたが、彼に対する告訴状を見た裁判長以下は、その余りも誇大な証言に思わず笑い出し、それで彼は無罪となつたのでありますが、陪席していた━━人少佐の抗議により更に又翌日喚び出されて、三カ年の刑を言渡されたのであります。この他、人間違いなどの例も次々と挙げて行けば、きりがありませんが、こうした二、三の例からも御賢明な皆様方には大体の裁判の状況は御判断願えると思います。
 そうして死刑を宣告された人々のうち、モロタイにおいては、昭和二十一年三月七日から同月末日にかけて十六名、ラバウルにおいては同年三月二十日から翌二十二年十月二十九日にかけて九十六名、又マヌスにおいては今年六月十一日に五名を加えて百十七名が相次いで刑場の露と空しく消えて行つたのであります。死刑の執行は大体朝七時頃から行われましたが、その死刑囚に対する取扱いはどうだつたでしようか。ラバウルで最初に処刑された稻垣軍曹は処刑される朝最後の顔を洗いたいからと、水を━━━━━に頼んだのでありますが、その━━は返事の代りに彼を━━━のであります。このとき私はまだ收容されていなかつたので現場は見ていませんが、このことを話しながら友達は皆泣いていました。又たとえ戰いには敗れても、軍人として裁判を受けた以上、日本軍人らしい最後をと望むのも人情の常でありましよう。これら処刑された人々は皆さつぱりとした服装をして処刑場に連れられて行きましたが、その中の一人である後藤元海軍主計大尉は、他の人々と同様後手に手銃をかけられ、そうして━━━━━ジープに乗りましたが、一緒に乗り込んだ━━━━━は、なおその上に━━━━━━━━━━━━━━━━━。而もにつこり後藤大尉は我々に笑いかけてさえいました。それを見ていた私たちの身にもなつて下さい。否、当人である後藤大尉の気持を考えて下さい。彼は二、三分後にはあの世の人となつてしまうのです。又去る六月十一日未明、マヌスで行われた死刑の執行は、絞首刑を終つた後に、雨が降つて火葬できなかつたという理由の下に、━━━━━━━━━。なぜ陸上にこれらの人々を埋葬することはできなかつたのでありましようか。このマヌスで死刑を言渡された人々は、執行一カ月前まで長い人はおよそ一年間独房に監禁されたばかりか、娯楽も許されず、あの蚊の多い所で蚊帳も與えられず、半ズボンに毛布だけで毎日を過されたのであります。九十六名のかたがたの永遠に眠られるラバウル墓地は波打際のことではあり、やがてこれも海底に運ばれて行く運命を待ちながら、墓標もなく、又訪う人もなく、今は丈余の草に埋れていることでありましよう。だが、いろいろと苦しみは受けながらも、この人々は、につこり笑つて逝かれたのであります。そうして口々に叫ばれたのは、日濠親善であり、日本の民主的復興であり、又祈られたのは「諸人の罪を許せ」という神の言葉であり、残る人々には「人を憎むな」と教えられたのであります。又「戰争はあらゆる人を不幸にする。絶対に戰争は捨て去らなければならない」と幾度も幾度も繰り返されました。「こうして私の死によつて世界の人々が幾分でも慰められ、世界に平和が来るというなら、たとえ無実の罪にせよ、私はその人々のために喜んで死出の旅路につこう」とも申されていました。だが、その人々に我々は最後のお別れに頭を下げることも━━━━のであります。ジープで我々の眼前を刑場に運ばれる人々に対し我々が頭を下げたとき、我々はその場で━━━━━━━━━を課せられました。こうして今日は二人、明日は四人と悲痛な思いで刑場に友を送りながら、残る有期、無期の戰犯者たちの苦しい生活は繰り拡げられて行きました。死を寸前に控えた人々に対してさえ━━━━━加えられたのです。まして我々に対してはどうであつたか御想像下さい。━━━━━━我々は無我夢中に走り廻り、その日その日の自分たちの生命をいつくしみつつ惡夢の世界に住んで来ました。成るほどそれは移り行く年月と共にだんだんと改善はされて来ましたが、我々は━━━━━━━━━の平和とか人道とかの文字の前に幾夜男泣きに泣かされたかわかりません。
 二十一年二月にはニユーギニアから、同年五月にはモロタイから香港を除いた濠洲関係戦犯者はラバウル戰犯收容所に送られ、ラバウル戰犯と合し、その後即ち二十四年一月から三月にかけてマヌスに移動した我々の許に、二十五年三月およそ九十名の容疑者が巣鴨から送られて来ました。無罪や不起訴となつた人々、又満刑者はすべて内地に送り返されていますが、現在なお二百三十四名が残つています。刑期別人員数は次の通りになります。一年が一名、二年が三名、三年が四名、四年が一名、五年が九名、六年が十四名、七年が十八名、八年が四名、九年が一名、十年が六十三名、十二年が六名、十四年が三名、十五年が六十二名、十八年が一名、二十年が二十八名、二十五年が二名、無期が二十四名、即ち十年以上の長期刑が百八十九名で、その大半を占め、九年以下は四十五名となつています。
 ラバウルでは、原木伐採や穴掘り、山崩し、トロキナでは爆彈作業で尊い七名の生命を失い、二十名に余る負傷者を出しました。そうして病気や━━━の手術の失敗により二名の患者が死んでおります。又現実と理想のギヤツプに堪えかねて、みずからその生命を絶つた人も数人います。その人たちが死に際して残した「一粒の麦とならん」という言葉は、いつになつたら実現されるのでしようか。
 又取扱が昔に比べて緩和された今日になつて漸く我々の目の前に目立つて来たことは、過去の疲労から来た体力の低下であります。とにかく犠牲者を出すほどの激しい作業の連続はどんどんと知らず知らずの間に健康を蝕んでいたのでした。それは気候、給與にも関連を持つています。熱と光と緑の洪水と言えば、それは成るほど素晴らしい詩もできそうな椰子の島とも思われるかも知れません。併し今、日本の店先に並んでいる戰時に勝る豊富な品物を見ても、それを思うように買えない人のほうが多いことと同様に、表には必ず裏があります。マヌスの熱さ、それはおよそ内地の夏等とは比べようもない激しさであります。何もしないで炎下天に立つておるだけでも汗は勿論腋下から冷たい汗がたらたらと流れる苦しさであります。又、マヌスは珊瑚礁でできた島に故に、砂が真白く、従つてその照り返しもひどいわけで、炎天下で作業する人々は眼を傷め、白眼がだんだんと黒眼に入り込み、白と黒の境界がぼやけて来ています。天候も極めて不順で、昨年の五月から十月にかけては大旱魃となつたのに、今年は逆に雨が多いというふうに、余り季節風の恩恵には浴しておりません。昨年の大旱魃のときは、海浜の井戸水を使用したため、大半が猛烈な下痢に見舞われ、塩分も非常に多かつたので、ほとほと閉口したこともあります。併し夜は相当に冷え、晝間の疲れを若干いやしてはくれますが、これが却つて寝冷え等となり病気の原因を作つています。そうして給與といえば、米七十七・八匁、メリンケ粉三十七匁、ビスケツト又はパン五十匁、罐詰野菜四十三匁、乾燥馬鈴薯十五匁、乾燥玉葱三・七匁、内と野菜の罐詰二十四匁、茶一・〇八匁、食用油三・七匁、乾燥果物三・七匁、乾燥グリンピース三・七匁、砂糖三・七匁、塩三・二四匁、カレー粉〇・一五匁となつており、カロリー計算で行くと大体二千四百カロリーで、いいようでありますが、熱地において朝八時から午後四時半まで(二十五年二月末までは午前七時から午後四時半まで)重作業に従事するからには、これでは明らかに不足であります。而も五年半同じものを食べて見て下さい。炎天下の作業を終つて帰つて来て、あの火力乾燥した米特有の嫌な臭いや罐詰コンビーフの臭いを嗅ぐと、胸がむつとして来てなかなか箸が付けられません。腹が減つているので無理矢理口に押込みはしますが、その米も或る時は粉米であり、以前にはホイートミールを米の代りに砂糖なしで食べさせられたりしたこともあります。こうして病気のため重作業ができない人がいつも三名つきつきりで朝から晩まで米篩いしなければならないほど籾が多いのです。現在パンの代りにメリケン粉が配給されていますが、それにイーストを全然くれず、僅か十二人の炊事員は食事の配給や炊事で、それでなくても手一ぱいであるのに、うどん打ち、団子作りに休む間もなく働かされております。又僅か〇・一五匁のカレー粉、三・七匁の砂糖、三・二四匁の塩、三・七匁の油だけでどうして調味ができるでしよう。以前、日赤を通して乾燥味噌や醤油を送つて頂き非常に助かつていましたが、現在はなくなつており、これが補給を要望しておりますが、その実現にはなかなかの難関があります。又生野菜は老人組が作られる農園で取れますが、この生産量は毎日秤で計られ、一定量を越すと野菜罐詰が減らされるので、問題はなかなかデリケートであります。又生果物については、やはり農園で取れるパパイヤという果物、丁度日本の瓜くらいで柿のような味がしますが、それが五週間に一回、四分の一切れ渡るだけであります。肥料は全然支給されませんから、それでなくても瘠せている土地で農園作業も非常な苦労を重ねています。およそチーズ、バター、砂糖、ミルクとなると、所詮高嶺の花に過ぎません。こうしたことなどが体力をどんどんと低下させて行きます。体重も皆一貫五百匁から二貫くらいの平均で減つて来ております。私も收容されてから四貫減り、内地へ帰つて僅か一カ月足らずの今日二貫を取返しております。
 それに伴つて殖えるのは病人であります。肺結核患者はすでに八名が隔離されております。隔離といつても一般宿舎の隣り合せに過ぎません。そうしてなお他に若干名結核の症状を呈しており、嚴密な検査を行えば、なお相当数の患者がいるかも知れません。集団的な結核の発生する危險性は多分にあります。次に多いのは、腎臓結石で、神経痛や脚気の患者も相当な数に上ります。こうした患者がこの一年間に急に殖えて来たことを見逃してはならないと考えます。又爪の色にしても栄養の関係からか殆んどが黒い「くま」を作つております。毎朝濠海軍軍医が来て━━な診断を行いますが、本当に惡くならないと休めないし、大なり小なりいつも怪我人はあるのですが、松葉杖をつきながらも仕事に駆り出されて行きます。私の帰る直前、本年十月初め交代した軍医は聽診器を使つて診断していましたが、それまでも他の軍医同様、刑期は何年か、どこの俘虜収容所に勤務したか等と━━━━━━━━━━━━━━━━━作業に行け、ただそれだけであります。
 又患者の中には重態の人もいます。これら重症患者の早期送還については、現地でいろいろ嘆願もしていますが、まだ実現の運びにまで行つておりません。作業中負傷してびつこをひきながら仕事をしている人々の減刑等についても随分嘆願したりしましたが、━━━━━━━━。こうして今後なお長期に亘りマヌスで服役せねばならんとすれば、誠に憂慮に堪えない事態を生ずるに至るのでありましよう。又そこに鉄柵の中に住む人間の苦悩も加わつて来ます。どんな生活の中にあつても、人間である限りその生活に意義を裏付けようと努力します。だが意義を発見することは哲人ででもない限りなかなか困難なものであります。又━━━━━の前にあやつり人形のごとく動くのも、みずからを顧みて哀れさというものをしみじみと感ぜられます。その悩みを一時的にでも癒やしてくれるものに通信がありますが、それも思うようにはなりません。六週間に一回の封書便、一カ月一通の往復はがきを出すことは許されていますが、受取るにも制限があり、一カ月一通のみとなつておりますので、若し内地からの通信が規定の一通よりも多いときは、マヌスに残る戰犯者が呼出され「お前のところには手紙が来過ぎる」という注意を受ける有様であります。あの生活で楽しみといえば、寢ることと、なつかしい故郷の香りを運んでくれる便りを受取ることのみであります。その手紙も往復に早くて半年、遅ければ一年以上もかかる状況であります。通信が思うようにできないことは又家庭的な悲劇を数多く作ることにもなります。それが精神的に如何なる打撃を與えるか、問題はますます深刻であります。又日本から離れたくないという強い郷愁の現れとして一例を挙げれば、夜、マヌスでは八時から十五分間だけ日本からのニユースが聞けますが、このニユースの時間になると、柵外から引かれたスピーカーにかじり付くようにして皆一斉に耳をそばだてています。又とない喜びの一つであり、楽みであり、これが日本と繋がる心のよりどころでもあるわけです。毎夕と日曜は娯楽が許されていますが、昔よくやつた野球も体力の低下と共にその影をひそめ、今はジヤンプもきかないため、ネツトをうんと低くして先に日赤からお送りを頂いたバレーボールで遊んでいます。「心のうさの捨てどころ」ふとそんな文句が口をついて出ます。又隔週日曜に二時間ほど漁撈が娯楽として許されていますが、そのとき取れた一、二寸の雑魚が三、四匹各人の夕食の膳に供せられるわけです。それが唯一の生肉として皆を楽しませているのですが、如何にも淋しい限りです。
 こうした生活の中では、ときどき小さな事故、規則違反なども起きます。違反に対する処罰、これは当然受けなければならないのでありますが、昔は独房に入れ、一食五枚のビスケツト、一皿の水、一つまみの塩で、日中は一輪車に石を山のように積ませ、駈足でうしろから━━━━━━━━━━重労働をさせられ、而も夜入つた独房には、毛布一枚もなく、コンクリートの床に下駄を枕に寝させられたりしたこともありました。作業員の監視に当つている下士官や原住民どもから━━の告訴をされる場合も往々にあり、いくらこちらが抗弁しても、結局は処罰され泣き寝入りとなつてしまいます。又━━━━━━━━代表が所長に面会して改善方を嘆願しようとしたところ━━━━━━━━こともあります。とにかく赤十字から送られた品物にしたところで、戰犯者の自由にならないどころか、いつの間にか消えてなくなつているということさえあります。收容所の視察も濠洲当局者以外にはなく、赤十字、YMCA等の宗教関係も全然タツチできない状況で、今海軍警備隊の宣教師も来ていますが、我々は各自に抱く悩みも訴えることはできず、ただ聖書の講義を聞くだけであります。講和條約調印の終るちよつと前まで、講和の終るまでは日本は敵国であるといつも聞かされていました。終戰以来六年にもなるのにと我々はいつもいやな思いでその言葉を繰返し聞いていました。
 こうして過去六カ年間、荊の道をただ忍辱の文字そのままに歩いて来たマヌス戦犯者が今日までとにかく堪えて来られたのは、何かの理由がなければなりません。それは日本に帰る、いつか母の国に帰れるという唯一つの夢を抱いていたからなのであります。その夢をかけていたものそれが講和会議であります。歯を喰いしばりあらゆる試練と戦いながら生きて来ました。講和の日までその日までと夢見ながら……。その待望の日もやつて来ました。だがラジオにかじりついて聞いていた彼らの期待は空しいものに過ぎませんでした。今も私の目の前にありありと浮びます。失望、絶望、又悲しみのどん底に我々は忘れられてしまつたのかと、ベツトに転がつたまま語ることさえも忘れて、うつろな瞳を天井に向けていた彼らの忘れたように吐き出す吐息が三つ二つ、すでに五月に刑を終えて帰りの便船を待つている私の胸を八裂きにされたような苦しい思いをしました。せめて一声でもかけてくれたら私は救われたでしように、だが、その場合私は何と答えることができたでしよう。それだけ、それだけ彼らの期待は大きかつたのです。内地服役の夢、それは講和にかけられた彼らの唯一の希望であつたのです。「我々が事故を起してはいけない、若し我々が濠洲人と対立すれば、それだけ強く濠洲の神経を刺戟して対日講和條約も苛酷なものとなるだろう。日本に絶対に迷惑をかけるな。」と互いに誓つた言葉も、自分が日本国民であるという自覚の下に立つ祖国愛のほかの何ものでもありませんでした。我々と日本は密接に繋かつていると信じて、言いたいことも言わず、その日その日を送つて来たのですが……。そうして我々の気持は又必ず反映されて同胞愛によつて我々もきつと救われると信じていたのでした、それが利己的だと笑われるでしようか。せめて講和によつて我々の内地服役もきますのだとの望みをかけた我々は、余りにも自己本位だつたのでしようか。ふるさとの土の香りを忘れて幾とせ、それは募るノスタルジアと共にどん底に喘ぐ人間の訴えなのであります。
 私は帰国して皆様がたの御盡力やいろいろの事情も見聞きして、心から感謝も捧げ、又納得も行きました。併し私にはまだ大きな不安が残つています。それはマヌスに残る一日はおろか一時間の恩赦や減刑もない二百三十四名の悲しみであります。私は切にお願いしたいのです。彼等が自暴自棄に陷る前に彼らを救つてやつて頂きたいのです。彼らはまだ希望を捨ててはいません。まだ理性は持つています。どうか一日も早く彼らに内地服役の朗報を與えてやつて下さい。それには大きな障害が幾つもあるでありましよう。去る十月我々の收容所を視察した濠洲総督代理も「濠洲の輿論がまだお前たちを帰すまでに至つてないので、お前たちの内地役役はまだ実現されていないのだ」と言つていますし、濠洲陸軍や婦人団体の対日感情が特に惡いこともこの問題の解決をむづかしくています。人道的立場から批判や要求も却つて━━━━心配が多分にあり、なかなかたやすくは解決されないでありましよう。
 併し中国、仏印、ジヤワ、シンガポール、ビルマ、香港等各地の服役者はすでに早くから巣鴨に到着しており、今なお外地にとり残されているのは、マヌスとフイリピンだけでありますので、その引揚については特に皆様がたの更に一層の御盡力を伏してお願い申上げたいのであります。
なお、現在先に満刑してマヌスから日本に帰つている台湾青年三名が広島と舞鶴にいますが、第三国人の取扱に関する規定によつて台湾に帰ることも手続の関係上早急には行かず、現在の生活状態も面白くないと訴えております。復員局では非常にお骨折頂いておりますが、皆様がたの御力添えをお願い申上げたいと思います。
 マヌス、それは国民には縁遠い名前のようです。「マヌスとはシベリアの何処でしよう」有識者のこの御質問に私は上陸の第一歩をいやというほど打ちのめされてしまいました。悲しいかな、これは事実であり、一部の人々を除いては、マヌスとは忘れられているというより、常識の外にある島の名前なのでもありましよう。余りの悲しさに私は涙も出ませんでした。だが併し、私は今こうして皆様がたの温かな御同情と御支援のもとにマヌスの状況を御説明申上げる機会を與えて頂いております。先日この機会を皆様方が特にお與え下さいましたと聞いたとき、私は自分の部屋に帰つて泣いたのであります。若しマヌスに残る一同にこのことを伝えましたならば、彼らも泣いて喜び、涙を流して皆様の御厚情に御礼を申上げるでありましよう。今までマヌスで満刑者を送る言葉は、元気でな、幸福になれよ、早くいいパパになるんだな」というのが友の帰還を祝うきまり文句でしたが、今度私たちの帰るに当つては、私たちの腕にすがりついて、ただ「頼む頼む」と繰返していただけでした。その真剣な彼らの瞳を私は片時も忘れることはできません。どうか切々たる彼等の思いをお聞き届け下さいまして、又内地でいとしい我が子の帰り来る日を競る年老いた父母、懐しい夫をひたすら待つ妻、又やさしい父を待つ子らのほそぼそと暮しながらも待つ思いにも御同情下さいまして、一日も早く、彼らが内地服役できますよう御盡力下さらんことを切に切に御願い申上げます。
 誠に思うことの何分の一も言い現わせませんで、皆様にもおわかりにくかつたと存じますけれども、大体こういうふうな事情がマヌスの現状であります。どうも失礼いたしました。
#43
○委員長(鬼丸義齊君) そのままで結構ですから、ちよつと伺いますが、片山さんはもと陸軍でしたか、海軍でしたか。
#44
○参考人(片山文彦君) 海軍の軍属でございます。
#45
○委員長(鬼丸義齊君) どこで服務しておつたのですか。
#46
○参考人(片山文彦君) ラバウルにございましたニユーブリテン民政部に勤務いたしておりました。
#47
○委員長(鬼丸義齊君) あなたはどのくらいの刑罰でございますか。
#48
○参考人(片山文彦君) 刑期でございますか。五年の禁錮刑でございます。禁錮刑は、全部現地では、マヌス、いわゆる濠洲関係戰犯者の禁錮刑というのは、重労働ということになつております。禁錮刑を法廷で言渡された者は重労働に服すべしという收容所規則ができています。
#49
○委員長(鬼丸義齊君) 軽禁錮とか重禁錮とかいうのでなくて、ただ一つですか。
#50
○参考人(片山文彦君) イン・プリズメントという言葉を使つております。併しそれはハード・レーバーと同じ意味に取扱われております。
#51
○委員長(鬼丸義齊君) それから濠洲のほうの戰犯者に対しては、これまで減刑というのは一遍もなかつたのですか。
#52
○参考人(片山文彦君) 一つもありません。
#53
○委員長(鬼丸義齊君) 今残つておられる人で何処かで死刑の言渡しを受けたのが一人おられるそうですね。
#54
○参考人(片山文彦君) オランダ関係で死刑を言渡されて巣鴨に帰つて参りました。それからマヌスにおける濠洲の軍事法廷で裁きを受けるために又マヌスに参つた一人がおります。十四年の刑を受けてマヌスで服役しております。
#55
○委員長(鬼丸義齊君) そうすると、濠洲の戰犯者のほうで死刑の判決を受けた人はもう全部執行は……。
#56
○参考人(片山文彦君) 執行は全部終つております。
#57
○委員長(鬼丸義齊君) 今では死刑の判決を受けた人は一人もおりませんね。
#58
○参考人(片山文彦君) はい、おりません。オランダ裁判の一人だけであります。
#59
○委員長(鬼丸義齊君) その人は今巣鴨に送られておりましてどうなつておりますか。
#60
○参考人(片山文彦君) 私がマヌスを出発しますときは私と同じ部屋におりましたですが……。
#61
○委員長(鬼丸義齊君) その後どうなりましたか。
#62
○参考人(片山文彦君) 失礼いたしました。彼は結核で隔離されております。私が丁度こちらに参ります前に、今年の七月にちよつと喀血いたしまして、それから隔離されております。
#63
○委員長(鬼丸義齊君) それは今やはりあちらに残つておりますか。
#64
○参考人(片山文彦君) 残つております。
#65
○委員長(鬼丸義齊君) それは死刑のほうは何か無期か何かに減刑されたのじやなかつたですか。あなた御存じないですか。死刑の確定判決を受けたままですか。
#66
○参考人(片山文彦君) まだ私が帰つて参ります前はオランダの死刑は死刑のままとなつておりましたが、ただ濠洲側が濠洲側として執行するのでなしに、濠洲はただ與えた十四年の刑を服させようというので執行されております。それは濠洲とオランダ側との交渉になるのだと思います。それは本人については楽観はできないようでございます。
#67
○委員長(鬼丸義齊君) 何かあなたが釈放されるときに、係官のほうからは今後のあなたに対する注意などはありませんでしたか。
#68
○参考人(片山文彦君) ございませんでした。
#69
○委員長(鬼丸義齊君) なかつたのですか……。有難うございました。
  ―――――――――――――
 次は白蓮社の常務におつきになつております関口さんにお伺いします。あなたが戰犯に対しまして終始非常に熱心に御盡力頂いておりますように承わつておりますので、この際、私どもの参考になります点がございましたならば、一つお聞かせ願いたいと思います。
#70
○参考人(関口慈光君) 白蓮社と申しますのは、宗旨にとらわれませんで、各宗の志を同じうする者が寄り集まつた団体でございまして、菩薩道を黙々として実践して行こうということがスローガンでございまして、戰争後の思想界に対して僧侶としてしなければならんこと、例えば戰争による戰歿者の慰霊、供養、それから戰争犠牲者の遺家族救済というようなこと、更に仏教を海外に普及しようというようなことに微力を盡しておりますので、特に戰争犯罪或いは巣鴨に関する団体ではないのでございます。ただ白蓮社の役員の代表者でありまする田島先生が過去二年間巣鴨の教誨師を勤めておられまして、文字通り巣鴨の慈父ということで、あの中のかたがたから慕われて、あのかたがたの心の支柱になつておられまして、その田島先生をお助けしたいということで、ほかの者一同がそれぞれ田島先生を中心にして巣鴨に関することに力を合せておつたことでございます。例えば減刑或いは仮出所の嘆願書等を常に白蓮社がそれを取扱う機関のように思われているほど、お預かりいたしまして、法務府或いは仮釈放委員会の委員長の所等へ私どもがお願いに上りましてお願いしておるわけであります。場合によりますと、殆んど日参というようなときのこともございました。併し全体を通じまして、思い切つてさまざまのことを十分にお願いするのでありまするけれども、それにおいて、それがし過ぎたというような点で、当局の惡い感情を起したというようなことは未だ曾つてないことでございます。例えば巣鴨の中でできました立派なお廚子があります。非常に立派にできましたので、係官がアメリカへ持つて帰ろうとされたんですが、大きすぎるので持つて帰れない。それを田島先生を通じまして連合軍から白蓮社へ御寄贈して下さるということの一事があつたことなどについてもよく理解されますように、法務府或いは巣鴨当局から勿論全般的な信頼を得ておつたのであります。それも一に田島先生の御人格に基くことなのでありますが、不幸にして先々月脳溢血のために倒れられましたので、そのあと直ちに私が先生のお代理として、あそこの教誨師になるようにお話を受けまして、只今その任に就いておるわけでございます。
#71
○委員長(鬼丸義齊君) そうしますと、その教誨師ということにあなたはなつている……。
#72
○参考人(関口慈光君) 只今さようでございます。
#73
○委員長(鬼丸義齊君) お一人だけ……。
#74
○参考人(関口慈光君) さようでございます。教誨師としての立場から一つお話をさして頂きたいと思います。
#75
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと速記をとめて……。
   〔速記中止〕
#76
○委員長(鬼丸義齊君) 速記を始めて下さい。
#77
○参考人(関口慈光君) フイリピンに今なお六十名の死刑囚が残つておりますこと、これは片時も念頭を離れないことなのであります。なおマヌス島の状況は、先ほど片山さんから縷々お話のあつた通りであります。それらに比べますと、巣鴨は非常によいようにも考えられるかと思うのであります。皆様昨日御視察下さいましての御感想が如何でありますか。併し肉体的な苦痛が少いことが却つて精神的の苦痛を増しているというふうに考えられるのであります。人間として一切の自由を束縛された生活をしている苦しみというものは、その境遇にあるものでなければ到底味わえるものではないと思います。講和條約調印のときに、何らかの恩典があるであろうということが、やはりあそこの思いつめた希望であつたのでありますが、それが実現せられませんで、その直後一時頗る陰惨な気分に閉ざされましたが、最近仮出所が大部上廻つて参りましたことと、もう一つ例えばこういつた委員会を開いて頂けますように、世間一般の人の御理解、御同情というものが新聞その他によつて知ることができまして、大分明るくなつて参つたのであります。
 併し一面にはあそこにおります三百六十六名の終身刑、それから二十年、三十年、四十年という長い刑期の人たちは、短かい人たちがやがて仮出所できるだろうという喜びに引き比べて、自分たちの将来を考えて、むしろ反対に苦しみ悩むといつた傾向があります。その間、先ほどフランスから舞い込みました終身刑十六名の五年乃至十五年に減刑されましたあの報せが、そういつた絶望的な人たちのところに非常な光明を與えたのであります。皆非常に喜んだのでありますが……。
#78
○委員長(鬼丸義齊君) 終身が十五年になつたのですか。
#79
○参考人(関口慈光君) 短かい人は五年でございます。
#80
○委員長(鬼丸義齊君) 五年乃至……
#81
○参考人(関口慈光君) 五年乃至十五年、終身刑十六名がそういうふうに減刑を頂いております。併し終身刑は十八名あつたのでありまして、二名そのまま残つている。それから有期刑のほうで……。
#82
○委員長(鬼丸義齊君) 十六名がなつたのですね。
#83
○参考人(関口慈光君) はい、十六名だけ。
#84
○委員長(鬼丸義齊君) 二名は残つているのですか。
#85
○参考人(関口慈光君) 二名は終身刑のまま残つております。
#86
○委員長(鬼丸義齊君) これはどこから減刑のなにがあつたのですか。フランスから……。
#87
○参考人(関口慈光君) フランスの大統領から……。
#88
○委員長(鬼丸義齊君) 大統領……、それで、こちらに移されて後に、フランスから減刑の恩命に浴したわけですか。こちらに移されてから……。
#89
○参考人(関口慈光君) さようでございます。
#90
○委員長(鬼丸義齊君) こちらに移されてから……。
#91
○参考人(関口慈光君) はい。先日外務省から発表になりました。一方この十五年以上二十年という刑期の人がフランス関係でもそのまま残つております。そういつた人たちの気持、或いは今度はほかの国の関係の終身刑の人たちという人たちが、自分の足もとに一時ぱあつと明るい光が射した、その反動で、又自分たちの身の上をしみじみ思うということで、又却つて陰惨な気持を増しておる。こういうような状況であります。
#92
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと関口さん、今のあなたのその五年乃至十五年に減じたのですね。それはこれまで執行を受けたものは別ですか、今後の刑なんですか。或いはその最初言渡した刑をそういうふうに五年乃至十五年になつたのですか。どういうふうなのですか。
#93
○参考人(関口慈光君) 最初言渡しされたものを減刑して……。
#94
○委員長(鬼丸義齊君) 五年乃至十五年にした……、そうすると、もうすでに執行済みになると思いますが……。
#95
○参考人(関口慈光君) はい、先日フランスの大使館へ私お礼に伺いましたときも、もう出たかと言つておりました。
#96
○委員長(鬼丸義齊君) ああ、そうですが。最初の言渡しから遡って五年乃至十五年に減刑されたのですね。
#97
○参考人(関口慈光君) はい、そうと存じます。戰争中に私利、私慾に基いた破廉恥な行為、或いは残虐無道な行為というものが行われた事実はあつたでありましよう。併しながらそういう人たちが戰争犯罪の検査網に正しくかかつているかどうかという点が案ぜられるのであります。それらの事実については当委員会におきまして更に御調査を頂けることと存じます。とにかく巣鴨におります多数のかたがたにとつては、自分自身納得の行かないというようなものが多いようであります。
#98
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと先ほどに続いて伺いますが、今巣鴨に在所しておりまする戰犯者の中で減刑の恩命に浴した人はフランスから転送された人ばかりですか。その他の人も減刑されたかたがありますか。
#99
○参考人(関口慈光君) 各国によつて違います。あとで資料を差上げますが、一年を二カ月縮めて計算しましたり、三カ月縮めて計算をしましたり、或いはオランダのごとき女王の即位によつて一律に成る比率の減刑をしたというふうに各国まちまちでございますが、これはあとで正確な資料を差上げたいと思います。
#100
○委員長(鬼丸義齊君) ああそうですか。アメリカのほうの裁判を言渡したものについては、まだ一回もありませんか、減刑は……。
#101
○参考人(関口慈光君) 昭和二十四年の十二月八日にパラオ関係の十五年乃至二十年のもの十五名が三年乃至十年に減刑された例がございます。同じく十二月二十五日にクリスマス減刑として巣鴨に管理中の戰犯者に対し四年以下のもの四十六名を釈放したという例もございます。
#102
○委員長(鬼丸義齊君) これは昨年ですか。
#103
○参考人(関口慈光君) 一昨年でございます。
#104
○委員長(鬼丸義齊君) 昨年のクリスマスにはなかつたのですか。
#105
○参考人(関口慈光君) はい。
#106
○委員長(鬼丸義齊君) なかつたのですか。
#107
○参考人(関口慈光君) やはり一昨年の十二月二十七日同じ趣旨で十七名、それから例の石垣島事件の死刑判決者四十一名が、第一次は昭和二十四年の三月五日に十八名、第二次に昭和二十五年の三月二十八日六名、これを終身乃至無罪までに減刑したことがございます。それから……。
#108
○委員長(鬼丸義齊君) それで石垣島の死刑判決を受けたかたで、最近七名かなんか執行を受けたことがありますね。最近じやない……昨年ですか、昨年でしたか、一番最終に受けたのは、最終死刑執行を受けたですよ。何か昨年石垣島の七名かなんか受けましたね。
#109
○参考人(原忠一君) 最後に……。
#110
○委員長(鬼丸義齊君) その最後に受けたより前に減刑があつたのでしようが、それから後に……。
#111
○参考人(原忠一君) 減刑は前にありました。四十一名がだんだん減つて行つたのであります。そして七名残つたわけであります。
#112
○委員長(鬼丸義齊君) そうですか。それじや続いて……。
#113
○参考人(関口慈光君) その他各国にそれぞれ減刑等のこともございますから資料をあとで差上げたいと思います。
#114
○委員長(鬼丸義齊君) 若し時間が余りかかるといけませんで、時間がございませんから、要点だけを一つこの際お願いして、あと資料を頂けます点は資料を是非お願いしたいと思います。
#115
○参考人(関口慈光君) 要点だけ申上げます。納得が行かなくとも、自分たちは日本国の敗戰の責任の一部を分担しておるのだという自覚に安心立命を求めて、宣告された判決に対して誠に立派に服従をしておられます。戰犯始まつてすでに六年、内地、外地約二十カ所に及んだ服役地を通じて、曾つて殆んど事故らしい事故を起したことを聞きません。昔の軍人さんたちでありますが、戰争とか戰鬪とかという要素と、階級といつつたような観念を忘れて、老若が互いに労わり合つて、互いに慰め合い、励まし合うという誠に美しい世界をあそこに作つておられます。従つて非常に宗教的でありまして、例えばあの中に白蓮会と申します仏教の団体をこしらえまして、八百五十名ほどの会員が特に係官の許可を得てあの中に仏堂をこしらえまして、交代交代にお勤めしておる。毎週土曜日に私あの中に参りますのですが、その時間に出るかたが田島先生のとき以来だんだんに殖えまして、もうあの塀の中ではその希望者を収容するに足る部屋がなくなりまして、まあ柵外の、昨日御見学を頂きましたあの劇場を仮に教会の部屋に使つております。殊に仏教の行事式典などを挙げますときには、あの劇場でも到底入り切れませんので、二回これを繰返して行うということを連合軍から許して頂いておりますというようなほどでございます。
 そういうことで、御自分の自由を束縛されておるという苦しみということを申上げたわけでありますが、なお残された家族たちの経済的な窮乏、それから精神的な苦痛、これを偲んでは身をさいなまれるような思いをしているのであります。まあ先ほどから今村さんからお話のありましたように、それぞれ一家の支柱を奪われているのでありますから、生活に窮迫しておる。まだ一度の面会さえできないでおる人も多い。併しこの懐しい妻子とか年老いた親に会いたいとか、会えないから苦しいというのではなくて、その家族たちがどういう生活をしているだろうか。中には何よりもこの心配は家族たちに対する一部世間に無理解な冷眼視があることなんであります。家族みずからの僻みによつて、自分で萎縮して世間態を恥じて肩身の狹い思いをしている人もあるのであります。この傾向は概して貧しい家族の人に多いようであります。併しながら一部無理解な人がないでもない。或いはすつかり世間から忘れ去られているというようなことも歎かれるわけであります。こういう境遇が長く続くこによつて、遂に家族たちの生活の破綻を来たし、道徳的にも思想的にも動揺を生じて来るであろう、こういつたふうに家族たちのおのおのの憂い、全く自分の身も心も削り去らるるような思いでいるのであります。
 この戰争犯罪人と申しますのは、まさに文字通り戰争さえなければ起ることのない、再び犯すことのないものでありましようし、和解の講和の成立を機として、大幅の恩赦、大赦等の恩典が行われて出所せられるならば、必ずや誠に善良な国民として、国家の再建に大きな力を現わす人たちであるということを、私は堅く信ずる次第であります。
#116
○委員長(鬼丸義齊君) あなたのその教誨の方法ですが、これは個人教誨もやはりやつているのですか。
#117
○参考人(関口慈光君) はい、ときどきあの中の係官の許可を得まして、あの中を歩いて、そういつたかたがたに接するときもございます。併し大体は……。
#118
○委員長(鬼丸義齊君) 集団ですね。
#119
○参考人(関口慈光君) 集団的にいたしております。
  ―――――――――――――
#120
○委員長(鬼丸義齊君) それでは次に福留さん一つお願いいたします。
#121
○参考人(福留繁君) こうした篤い御配慮を頂きますことを、私ども微力を以てこの問題に関係しております者からも深く感謝申上げます。時間もありませんから、私の体験に基きますことを、二つ、三つだけ申上げたいと思います。
 昨日巣鴨を御視察下さいまして、どういうふうな御感想をお持ち下さいましたか存じませんが、私の体験から一言この点について申したいと思うのでございます。私はシンガポールで三年の判決を受けまして、一カ年減刑されまして、二カ年服役して昨年の三月帰国したのでございますが、シンガポールにおります間に、一昨年の四月に東京裁判の証人で東京に呼び返されまして、飛行機で往復いたしまして、途中香港、それからフィリピン、フィリピンはマニラとクラークフイールドと二カ所、それから巣鴨へ帰りまして約一月足ずらおつたのでありますが、シンガポールで刑務所二カ所、香港、フィリピンで二カ所、巣鴨とそういつたところを転々と渡り歩いたわけでありまして、その間のいろいろ比較もできたのでありますが、北に参りますほど待遇などはよくなりまして、最もひどいのは私の経験したのはシンガポールであります。これは全然あのシンガポールの汚い浮浪人、乞食などの土人囚人と雑居いたしまして、東洋人というので全く同じ取扱でありますので、コンクリートの暗い……、あかり取りは小さなあかり取りが一つしかない暗い部屋に━━━━━━━━━━寝るのでありますから、雨の夜などは随分寒い。着物も半袖平ズボンで、履物は一切ありませんで、はだしであります。作業中は上着をずつとぬがせますから、一日八時間の重労働で土人の若者と六十を過ぎた日本人の老将軍と一緒に重いものを担いで歩くといつたような姿は、丁度私は例えに引いたのでありますが、毛をむしられた鶏の行列のようなあわれな感じでありまして、食物のごときもこれに釣合いのとれた食物でありまして、朝は水のようなおかゆ、晝は「さつまいも」の主食、晩はやや食事らしい米と小豆の半々の食事で、それに一切れの魚或いは肉がついておるといつたようなものでありまして、それも無論初めの頃よりもだんだんよくなつて参りましたが、そういつたシンガポールから巣鴨に参つて見ますというと、例えてみますれば、場末の木賃宿と町中の一等ホテルくらいの違いがあるのであります。
 私は来た初めの感想は、これは巣鴨はいいというふうな感じをいたしたのでありますが、併し巣鴨に来まして二日経ち、五日暮してみますというと、やはり監獄は監獄でありまして、シンガポールに捕われておる者も、集鴨に捕われておる者も、気持は全く同じであります。一日も早く出してもらいたい。たとえ外には失業が待つていようと、就職難が待つていようと、野たれり死にしても、一日も早く出たいというのが全部の気持でありまして、成るほどこれはどこでも監獄生活における気持は、同じ気持であるということをつくづく体験したわけであります。今日は、一昨年のときよりも食事はよほど惡くなつた、巣鴨は惡くなつたそうでありますが、それでもまだ、昨日御覽になつたと思いますが、恐らくシンガポールとは比較もできないものと思います。一昨年私が巣鴨に帰つておる間に、毎日のように私の家族、知人等が会いに来てくれたのでありますが、娘が、今日はお父さん何を食べたかと毎日聞きますので、今日はこうこうこういうものを食べたと、こう申しますと、それはお父さん、うちで食べるよりずつといいということを言う。そういつた調子であつたのでありますが、食べ物、着る物、寝具のことは巣鴨が一番いいと思います。併し精神的には、先ほどもお話が出ましたように、或いはシンガポールのほうが苦しいかも知れませんが、早く帰してもらいたいという願いに至つては、どこも同じであります。
 それからもう一つ私の体験から申上げることは、先日後藤さんというキリスト教の牧師さんがフイリツピンに参られまして、モンテインルパの日本人の收容されておる戰犯を御慰問下され、又キリノ大統領等に会われた新聞記事も拜見し、録音放送も聞いたのでありますが、なかんずくあのキリノ大統領に会われた話等は、誠に胸を打たるるし、且つ気の毒な思いをしながら、そして又申訳けないといつた気持で承わつたのでありますが、キリノ大統領夫人、令嬢三人、又親戚のものが五人、日本の兵隊に殺された。而も非常に見るに堪えないような殺され方をされた。そういつた憎しみにもかかわらず恩讐を超えて、今日、日本人は憎まない、こういつたキリノ大統領の言葉であつたということを聞きまして、非常に感動させられたのでありますが、そういつた話と、このモンテインルパの戰犯と一緒に話されましたので、戰犯というものはこうした残虐な非人道的なことをやつたものばかりといつたようにとらわれはしないか、こう恐れるのでありますが、これは先ほどもちよつと関口先生のお話がございましたが、恐らくそうしたキリノ大統領の憎しみ……、大統領の家族を殺した者が生きておれば、日本の祖国に安全に帰つて、そしてあのラジオを聞いたり、新聞を見たりしておると思いますが、戰犯にはそれは必ずしも入つていない。これは私はシンガポールのことしか存じませんけれども、シンガポールの中で約四百人ばかりの同胞と数年間暮しましたので、誰がどういうことをしたというようなことは一々わかつております。それらの人たちがそういつたあのキリノ大統領の家族をひどい目にあわしたような種類の犯罪をいたしたものは、私の知る限りでは一人もありません。そういつた犯行に対しては、日本人の誰かが責任を負つております。これは最高指揮官の総合責任だと思います。そうして実際戰犯にひつかかつておりますものは、殆んど例外なく職務遂行上の問題でありまして、要するに各人の分に応じた職責に対する任務、その任務を果す上においてやつたことの結果が戰犯にひつかかつた。憲兵には憲兵の任務がある、そうして又軍人にはおのおのその任務がある、この任務遂行上の結果が戰犯になつたのでありまして、これはむしろ識量足らずして判断の不足のものもありますし、又国際法なども一向知らないで、戰争法規を知らないために犯したといつたようなものもあり、或いは又憲兵の中には、職権の行使の行き過ぎといつたものもこれはあります。併しながらいわゆる普通の強盗殺人といつたような破廉恥罪的な動機は私はないと思う。私の知る限りにおいてはありません。そういつた点を一つ御考慮下さいまして、キリノ大統領のあの夫人、或いはロムロ外務大臣の夫人等をひどい目にあわした者が戰犯であるといつたように考えられませんように私は願いたいのでございます。そうして実際戦犯にひつかかつておりますもので、これは内容を一々調べて頂けばよくわかりますが、一番多いのは、俘虜収容所、これは広い地域に亘りまして敵国人を抑留し、敵国軍人を俘虜として扱つたのでありますから、数十万の抑留者、俘虜を扱つた関係者が多勢あるわけであります。これは殆んど全部戰犯に問われておるのであります。高級者もありますし、多くは下級の人が多いのでありますが、戰犯の大部分はこの関係が多いのであります。これは詳しく申しませんでも御想像頂けると思いますが、戰争の推移に伴いまして、殊に外地の物資は欠乏し、医薬はなくなり、非常にみじめな暮しをしたのでありますが、そういつたことがことごとく俘虜の虐待になる。これは俘虜から見れば虐待に違いないのでありますが、日本はそれらのものにはどうすることもできない実情であります。要するに戰争が惡かつたということに帰着すると思いますが、そういうものか殆んど全部戰犯に問われておるのであります。
 その次に、比較的多いのは、敵国飛行士俘虜の不法処遇問題であります。B二十九の俘虜を不法に殺害したといつたようなものがこれは内外地とも非常に多いのであります。これは無論、裁判すべきものを裁判しないで不法処分したようなもので、これは法律上犯罪と思います。併しこれには日本人とアメリカ人、或いはイギリス人関係の国際法の解釈が違つておりますので、これがよほどこういつた問題に影響しておると思うのであります。と申しますのは、日本の国際法の解釈は、軍事目標以外のものを飛行機で爆撃してはいけない。いわゆる無差別爆撃を禁止しております。これは嚴に軍隊において軍事目標以外を爆撃してはいけないといつた命令が出ております。ところが英米のほうの解釈は、明らかに無差別爆撃を是認しておるのでありまして、そこで実行においても相違がありますし、こうした俘虜の取扱などについても違つておる。そうして日本では軍事目標以外を爆撃攻撃した敵国俘虜は死刑に処するという軍律が出ておるのであります。戰時敵国飛行機搭乗員重罪処罰令、こういつた軍律が出ております。
#122
○委員長(鬼丸義齊君) それは、いつですか。
#123
○参考人(福留繁君) これは十九年中頃と思います。これは各軍司令官で出すことになつておつたと思います。多少時期の違いはありましようが、陸海軍内外とも全部出ておると思います。無論これには裁判をしなければいかんのであります。裁判しないで、そういつたことを処分することはできないのでありますけれども、戰争がだんだんああいうように負け戰さになりまして、裁判をやる余裕もなく、又そういう心のゆとりもなくなつたというような気持で、且つ又前線の敵愾心というものは、戰争中のことでありますので、非常なものでありまして、敵国飛行機の無差別爆撃に対する敵愾心が非常に高まつた。こういつたようなことも手伝いまして、裁判なしでこれをどんどん処分して行つた。そういつたものが多数戰犯に今日なつているのでありまして、こういつたものは、只今申したような国際法の根本的な解釈が違うのだということがよほど影響しております。又、そういつた軍律がすでに出ておりまして、そうして無論それを実行するのには、裁判という手続を経なければならんのでありますが、その手続を経ずしてやつてしまつたといつた事情がありますので、こういつた点も御考慮願いたいと思います。
 最後に一つお願いして置きたいと思いますことは、先ほどもちよつと片山さんから台湾人のお話が出ましたが、巣鴨にも、御覧になりましたように、朝鮮人、台湾人が相当多数入つております。殊に巣鴨には朝鮮人が多いのでありますが、これはもうすでに第三国人になつたのでありますけれども、戰争中彼らが召集されますときには、日本人として召集されて、そうして一番下級の仕事をさせられております。そうしてただこれ命に基いてやつた結果がああした戰犯に問われているのでありまして、彼らの多くは俘虜抑留所、收容所関係が多いのでありますが、そういつた気の毒な人たちでありまして、この人たちは今仮りに巣鴨から出されましても行くところがない。引取つてくれる人がない。就職するにも、なかなか日本の中では就職ができない。朝鮮人だといつて誰も雇つてくれない。朝鮮人のところに行つても、朝鮮人仲間では一向世話をしてくれないといつた気の毒な状況にあります。こういつたとにかく日本のためにあれだけ働いてくれて、而も苦しい目にあわしたのでありますから、日本としても、苦しくとも何とか彼らが生きるように努力して帰すように願いたい。台湾人も同様であります。マヌス島には台湾人がいるし、巣鴨には朝鮮人がたくさん残つております。私の申上げることはこれだけであります。
#124
○委員長(鬼丸義齊君) 福留さんはシンガポールではその当時海軍の司令長官を……。
#125
○参考人(福留繁君) はあ、さようでございます。シンガポールで大体南方一帯の海軍の司令官をしておりまして、やはり部下の一部に行われました戰争犯罪の監督不行届という形で三年の刑に処せられました。
#126
○委員長(鬼丸義齊君) 裁判は何処の……。
#127
○参考人(福留繁君) シンガポールでイギリスの軍事法廷でございます。
#128
○委員長(鬼丸義齊君) 只今白蓮社のほうでお力添え願つておりますか。
#129
○参考人(福留繁君) はあ、白蓮社で非常に力を入れて下さいますので、それに協力いたしまして、私のほうはまあ御覧の通りパージもございますし、表に立つてどうということもできませんので、私どものでき得ることを縁の下の力持ちをしているわけでございます。
#130
○委員長(鬼丸義齊君) 有難うございました。
  ―――――――――――――
 それじや続いて原さんに一つお願いいたします。要点だけ願いまして、若し皆さんのほうで参考になりまするものがあれば、あとで一つ委員会のほうにお願いすることにいたしまして、どうぞ要点だけ一つお聞かせ願いたいと思います。
#131
○参考人(原忠一君) 只今福留君が御説明申上げましたことで十分足つております。特に申上げることはありませんが、時間の余裕がありましたらば二、三分間一つ……。
 昨日御視察を頂きましたが、今盛んに平和々々という声が巷間に満ち満ちているのでありまするが、巣鴨戰犯收容所という門へ行きますというと、なんだか逆行したような感じが起るように思われるのであります。特に講和発効におきまして平和ということになりますならば、あの門が一番東京においては目障りになるものだと思います。あれがありましては、なんだか朗らかな東京ができないような感じがいたします。この点に……、この意味は私が申上げるまでもなく御承知のことと思いますから、御考慮願いたいと思います。それが一つであります。
 それからもう一つ、今福留君が縷々説明いたしました巣鴨の戰犯の者は本当の破廉恥罪ではない。これは私も巣鴨に二年おりましてつくづくその裁判の状況を見て、その通りであります。要するにまじめに職務を遂行して、終戰のときにまごまごしておつたのだ、これで盡きるのだと考えております。ただこの一例を、いろいろ戦犯については非難があるようでありまするから、私の麾下における戰犯を起した一例を一つ申上げたいと思います。それは病院の事件でありまするが、病院に麗々しく赤十字のマークを掲げておる、マークを規定通り掲げております。そうして位置も通告してあります。それが連綿不断に━━される。赤十字の十字に向つて蜂の巣のように空中から━━━を受ける。それから又例の五百ポンドの━━も降つて来る。この状況から見まするというと、アメリカの空軍指揮官が計画的に攻撃したとは思われません。何となればそのほかのところは全部私らはやられておりますから……。そこだけ残つているが、併し来るたびにそこには━━を受ける。赤十字が蜂の巣のようになつている。ときどき本当の計画的な━━じややないが、いたずら的な━━を毎日受ける。そういたしますというと、千数百人、二千人近くの患者を持つている、それに相当な重傷者、患者がある。それを一々防空壕に入れなければならない。そうしますると、そういう関係等において、そのために起る死者が日に一名二名は必ず起つて来る。それで、その後は病院長あたりが何事かといつて憤慨しておつた。我々は千何百人の病人を收めておりながら、これを連綿不断に━━されてしばしば負傷者を出す。特に赤十字のマークに━━を毎日打ち込むということは何事であるか。こういうことでありますとき、たまたまその搭乗員が落ちた。それを聞きつけて行つて、約二、三カ月間の恨みに徹しているからやつてしまつた、こういう例があります。これは無論人道上から申しますと、私らは指揮者としてそれがわかればとめなければなりません。それをとめるのが我々将官の任務であります。併しその点がなかなかむずかしい問題であります。そういうような事件が戰犯に多いわけであります。ただそれを一面━━という事実から残虐無道な人間である、こういうふうな工合に世間から批評されて、自分の持つている病人が日々死んで行く、それを見ながら、それをやられたところの者で誰がそういう念を起さない者がありましようか。無論国際法では禁じられている。こういう点があるのであります。裁判のときにもこの点は多少主張しましたけれどもが、ともあれ━━という事実については否むことはできない。これから裁判が起つております。こういうような事件が殆んど大部分であります。
 ただその一例を申上げましたが、我々といたしましては、そういうような人間が巣鴨に入つて五年も六年もいる。おれはどうしてやつたのだろう、何に向つて反証したらいいか、それは人間の本能でやつているのだ、やむにやまれないところである。これは日本の伝統的なもの、我々に伝えられたところの自然に出たところの精神である。それで巣鴨の人間は苦しむのである。そうして巣鴨の人間は残虐無道な国家の精神を汚した人間であると新聞とかいろいろなもので攻撃きれる。これはいろいろの点から、論ずる余地は十分ありましよう。科学的或いは哲学的、宗教方面からいろいろ論ずる余地はありましようけれども、それはまあ暫くおいて頂きまして、我々がもつと穏かに平凡に考えまして、その点を各位が御了承願わんことを、私は特に希望する次等であります。
  ―――――――――――――
#132
○委員長(鬼丸義齊君) 皆さんのほうからお聞きになる点があろうと思いますが、如何でございましようか、一時頃まで御辛抱願つて聞いて頂いたらどうかと思います。どうかそれでは引続いてお尋ねの点がありましたら……。
#133
○中山福藏君 原さんにお尋ねしたいのであります。今ちよつと参考になることを聞かして頂きまして大変結構だと思つております。只今おつしやつた上官の命令をいわゆる朕の命令としてやられたものがある、従つて故意に殺戮したものではないだろうということは、今伺つて大体了承できるのであります。私その当時の状況を靜かに振返つて考えまして、そういうことも思われるのであります。ここで一つお尋ねしておきたい事柄は、戰犯者の中に、或る一部のかたがたに、戰争の遂行に協力画策したという面が、或る一部の人にあつたのじやないかということを私、想像しているのですが、その系統の以外のものは殆んどあなたのおつしやつたような立場にあつたのじやないかという気がいたします。そういう面について犯罪の原因という、いわゆる戰犯の原因というものを掘り下げて、裁判のときに取調べられましたか、どうでございましたか、そこを一つお尋ねしておきたいと思うのであります。
#134
○参考人(原忠一君) これは裁判の期によつて変ります。終戰直後は殆んど裁判という裁判はありません。もう終戰になつたからアメリカの敵愾心というものはないかといいますと、これは愈々起つて来る。例えて申しますというと、こういう事件があります。私は終戰後アメリカの長官と協力をしまして、トラツクの軍事基地を作つてやつた。私は当時施設部隊を一万人ぐらい持つておりました。優秀な技術家も持つておりました。トラツクの海軍基地を作つてくれと、こういう要求がありました。その代り、余り捕虜みたいに虐待しないからということですから、それならばよかろうということで、私は参謀以下肩章付きで協力したのであります。私は、私のやつている作業場に行くのであります。監督に行くのであります。無論そこには單身で行きます。そこにはアメリカの兵隊がたくさん来ている。私の顔を見ると、アメリカの兵隊が、彼が日本の長官である━━━━━━━トラツクの上からボクシングをやろうとするのです。すでに私は調印した降伏者であります。この状態というものは各国皆同様であります、日本も、アメリカも……。それで私は来るなら来いと、俺はもう平和で何もしないから来るなら来いと言つて、私は大きなステツキを持つておりましたが、叩いて来るなら、━━━というのも仕方がない……。あとは仲よくなつた。まあ酒を飲む機会もありましたし、向うと顔を合せているから仲よくなつたのでありますが、そういうように終戰になつたから敵愾心がなくなるということはないのであります。いわゆる向うの共同謀議ですな。あれが適用されているのですから、向うではそれで最後の裁判において、捕虜を殺したといつたようなことから、そこにいる者は全部━━だという共同謀議の裁判なんかそれが多いのであります。そのうちに向うも行き過ぎたと思いまてしか、アメリカの海軍のほうでは無期に直しました。そういう人間はこちらでは、内地なんかでは無罪の人であります。まあ惡く行つて三年か、五年の刑です。それが皆━━です。そういうような状況でありましたから、その時期によりまして追い追いに最後の一昨年頃になりますと、今あなたがおつしやつたような公平な裁判が出て参りました。特に最近の濠洲の裁判なんかは割合に公平な裁判であります。でありますから、この軍事裁判というものは、要するに敵衝心が非常に影響する裁判でありますから、なかなかそう一概に申上げられません。要するに向うは、私の裁判のときにも向うの検事が申しましたが、勝利者の権利として裁判をするのだと、これは私の裁判の記録を見ましても明確に申しております。
#135
○中山福藏君 つまり、こう承わつておけばいいのですか。裁判は時期によつて、その冷静さを保つたか、保たぬかということになるのであると、こういう意味なんですね。
#136
○参考人(原忠一君) そういう意味もあります。濠洲の裁判なんかは、今申上げましたように如何にも軍事裁判らしい裁判であると言つております。大変長くなりましたが……。
#137
○長谷山行毅君 福留さんにお伺いしたいのですが、あなたがシンガポールのイギリスの裁判で三年の判決を受けたのを二年に減刑されたというふうにおつしやられましたが、その減刑の手続ですね、順序はどういうふうにして減刑されるのか。それからもう一点は、その後シンガポールで刑を受けられてからほうぼう香港とか巣鴨のほうに転送されたとおつしやいましたが、どういうふうな時期にどういうふうな機会に転送されたのか、その点お伺いしたい。
#138
○参考人(福留繁君) シンガポールの減刑は、シンガポールでは一カ年を九カ月に計算するのです。それを更に八カ月に計算するわけです。ですから一カ年の刑期に対して八カ月服役すればいいわけなんです。そういうふうな規定ができまして、その結果三年が二年になつたわけです。ですから私のために特に減刑してくれたわけでなく、そういう規則がここにできたわけです。それでシンガポールでは、私が減刑になりましたのは、二十五年の一月にそういつたことが発表されまして、そのとき五十七名の減刑が行われましたが、五十七名の減刑のほかに、今申上げましたように、一年を八カ月と計算するということの規則によつて全般がずつと減刑されたことになつたというのです。私のみならずそういうわけでございます。それから一昨年の四月シンガポールから東京に私が来て、その途中転々として刑務所を渡り歩いたということは、東京に豊田海軍大将の裁判があつて、その証人に私が呼ばれまして、イギリスの陸軍の少佐が私について飛行機で東京へ来たわけです。私は天国と地獄と言つているのですが、晝間は飛行機のお客さんで、全然客扱いでエアガールがサービスしてくれます。刑務所の中では思いもよらない。そうして地上に下りると、宿には刑務所の憲兵が行つておりまして、すぐトラツクに乗せて刑務所に連れて行く。刑務所に泊つて又翌日裁判に出る。シンガポールから東京に帰りました途中の旅行中の宿が香港の刑務所であり、マニラの刑務所であり、マニラから三里ばかり離れたアメリカの飛行機が出発するところ、そこに泊りまして巣鴨に行つた。巣鴨で約三週間ばかりおりまして、豊田大将の証書を済まして、又飛行機で元来た道をシンガポールに帰つた。それは昨年の三月、それは一昨年でありますから、一年後の昨年の三月服役が済んで釈放になつた、そういう旅行でございます。
#139
○長谷山行毅君 それで今のように刑の算定の方法の規則が改正になつて、そういうふうな結果において減刑になる、こういう例はほかの国の裁判にも今までありましたかどうか。
#140
○参考人(原忠一君) イギリス関係は全部ありまして、ところによつて今の一カ年を九カ月にしているところと、八カ月にしているところとあるようでありますが、イギリス関係の刑務所は九カ所ございますが、ビルマを入れまして全部今のように刑期を一カ年を九カ月若しくは八カ月にしております。巣鴨でも今何とかという……一カ年を、服役の成績のよい者は何日か賞與的に減刑してくれております。昨日或いはお聞きになつたかも知れませんが、イギリス関係だけで、先ほど片山さんからお話がありましたように濠洲等は全然ありません。正味判決通り勤めます。
#141
○長谷山行毅君 先ほど関口さんのお話で、フランスから転送された終身刑が五年以上十五年までに減刑されたというのは、個人的な減刑ですか。その減刑の仕方は何か……。
#142
○委員長(鬼丸義齊君) ちよつと御注意いたしますが、議事の進行上、発言は一つ委員長の許しを受けて頂きたいと思います。
#143
○参考人(関口慈光君) 外務省の発表……個人的な減刑と私は存じます。法律的に無知識でありますが、十六名のうち、十五年三名、十年十名、七年一名、五年二名、こういうふうに十六名減刑されております。終身刑が……。
#144
○長谷山行毅君 今の点について福留さんのほうが事情をお知りでしたら御説明願いたい。
#145
○参考人(福留繁君) フランス関係でございますか……、いや、私も関口さん以上の知識は持ちません。
#146
○長谷山行毅君 そうですか。
#147
○中山福藏君 さつき承わつておりますと、フランス大統領の特赦だとおつしやつたが、フランス大統領に対する嘆願運動か何かあつたのですか。さつき私そう聞いたように聞いておりますが……。
#148
○委員長(鬼丸義齊君) 福留さんにですか。
#149
○中山福藏君 いや関口さんにです。
#150
○参考人(関口慈光君) こちらにおきましては全く突然のことなんであります。併し現地の、あちらにおりますときの所長でございますか、向う側の所長から何かそういう出願が向う側でなされていたといううわさを聞いております。
#151
○中山福藏君 現地の官吏ですか、向うの……、それが嘆願運動をやつたのでしようか。
#152
○参考人(関口慈光君) そのように聞いております。
#153
○中山福藏君 外務省の人がそういうふうに言つているのでしようか。
#154
○参考人(関口慈光君) 外務省の発表は一切そういう点については触れておりません。ただその結果を発表されただけであります。
#155
○岡部常君 福留さんにお伺いしますが、英国の刑期短縮でございますね。それは個人的ではございませんでしようか。一般の規則として減刑することに、刑期短縮するということになりましたのですか。
#156
○参考人(福留繁君) さようでございます。一般の規則としましてでございます。これは日本人に限りません。土人もそうでございます。現地人の囚人に対してもそうでございます。
#157
○宮城タマヨ君 片山さんにお伺いします。外地においての裁判の通訳官は外人でございますか。日本人でございませんか。
#158
○参考人(片山文彦君) 日本人と外人と二人付いております。日本人が通訳をしまして、その監督に後に濠洲の下士官が付いております。
#159
○宮城タマヨ君 その日本人の通訳官が十分に皆さんがたのことを通じることができなかつたと、さつきおつしやつたようですね。
#160
○参考人(片山文彦君) 要するに言い廻し方が非常に微妙なのでございまして、いわゆる法的な問題になつて来ると言葉の使い方、これが……。
#161
○宮城タマヨ君 それは英語が十分でないという意味じやありませんね。
#162
○参考人(片山文彦君) 本人は英語はしやべれるのです。だけれども日本語と英語とはどうしても違いますのですから……。
#163
○宮城タマヨ君 それは二世の人ですね。
#164
○参考人(片山文彦君) 二世です。
#165
○宮城タマヨ君 そうすると日本の事情も日本人の気持もよくわからん人たちですね。
#166
○参考人(片山文彦君) それはどうとも言えませんけれども、要するに法律なんかの勉強を少しでもしておる人であれば、その点が何と申しますか、言い廻し方に非常に注意してくれるわけです。併しただ耳から入つたのを、右から入つたのをそのまま左にぱつと通訳してしまう、こういう欠点があります。
#167
○宮城タマヨ君 わかりました。それから弁護人はどういうことになつておりますか。
#168
○参考人(片山文彦君) 大体元陸海軍の主計将校、いわゆる大学の法科を出たという人たち、それと参謀、こういうかたです。
#169
○宮城タマヨ君 それからいま一つは、マヌスに今残つておるかたで一番年長者は幾つぐらいでしようか。
#170
○参考人(片山文彦君) 今村さんにお聞きしてもよろしうございますか。今村さんのお年……。今村さんの御主人が一番お年が多いのでございます。
#171
○宮城タマヨ君 それから今村夫人にちよつとお伺いいたします。先ほど留守家族のかたがたの生活の窮迫、或いは苦労の状態も伺いましたのでわかりました。この際、伺いたい点は、子供の教育の点でございますが、お子さんたちがやはり今の社会が無理解であつたり、冷遇するということから、非常にひがんで育つていらつしやるような点は如何でございましようか。
#172
○参考人(今村ひさ子君) こういう境遇になりまして、子供の教育ということにつきましては、一番家庭で苦労いたしておりますことでございまして、最初のうちは戰犯者の子供であるからと申しまして、小さい子供なんかは学校へ参りましても仲間に入れてもらえませんで、そのために住居を変更したかたもたくさんございますし、それから又少し大きい子供さんたちになりますと、やはり人にそういう目で見られるものでございますからひけ目を感じまして、やはり何となく淋しい状態がございますものでございますから、その点につきましては非常に苦労いたしました。最近は大体皆さまがたが理解して来て頂きましたので、そうして又戰犯ということも靜かに考えまして、子供たちも落ちついて参りまして、落ちついた考えを取戻して参りましたので、最近大分明るくなつて参つたのでございますけれども、併しこういう状況が長いものでございますから、しよつちゆうやはり思想的に動揺がありはしないかという、しよつちゆう心配におびやかされておるような状況でございます。そういう意味からいたしましても、一日も早く、主人でも帰つて参りましたら、こういつた心配がなくなるのにと、しよつちゆう母親たちの心配の種でございます。
#173
○宮城タマヨ君 お母さまがたまだ現在は御心配になつておるという杞憂の程度でございますか。それとも中にはいろいろな思想的の強い困つたような傾向を持つて、家庭で問題が起つておるというようなことは聞いておられませんか。
#174
○参考人(今村ひさ子君) 只今のところでは、問題が起つておるというようなことは聞いておりませんが、しよつちゆうやはり心配は絶えないと言つておられますのでございます。そうして又経済上に苦しいものでございますから、勉学の方法につきましても、なかなか親の資力ではできませんものでございますから、今アルバイトをいたしましたり、又奨学資金を頂きましたり、又私の親戚なんかでも、先ず次男が就職をいたしまして長男を学校へやりまして、長男が学校を出ますと、今度は長男が勤めまして次男が学校へ行くというようにいたしまして、兄弟が力を合せまして順々に勉強しておるというような状況でございます。
#175
○宮城タマヨ君 それで順々に学校教育をお受けさせになるについては、お母さまの御苦労の点が非常に多いわけでございますね。
#176
○参考人(今村ひさ子君) いろいろな点につきまして非常に一番心配いたしております。殊に小さい子供さんたちは、やはり子供心にいろいろ人さまの物を拜見すれば、欲しい年頃の小さいお子さんでございまして、それも買つてやれませんものでございますから、家ではお父さまがこういうことになつておるから、お父さまが帰つて来たら、あなたにもそういうものを買つてあげるからと言つて慰めておられます。それで子供は仕方がないと観念しておりますような状況でございます。
#177
○中山福藏君 片山さんにちよつとお尋ねいたしますが、大体私はシンガポールの状況は普段承わつておりますが、濠洲のお話は、マヌス島辺の裁判官の頭の程度はどういう程度でしようか。官等に応じて裁判官も違うのですか、どうなんですか。
#178
○参考人(片山文彦君) 大体中佐の階級を持つた人が裁判長の席に坐つております。それから少佐クラスが判事の席に坐つております。裁判官、それから弁護士、検事、これは大体大尉が主体で、大尉、少佐というのが数名おりまして、それがくるくる廻しにして、今日弁護士をやれば、明日はほかの事件の検事をやる。その翌る日の事件では裁判官になる、こういうふうに盥廻しをやつております。それは事件は別なんでございます。それから今度マヌスに来ております━━━という裁判長をやつた中佐は━━なんかそのまましておるような男なのでございます。もう裁判中でも━━はしますし、人の、被告の似顔をこう書いてみたり、で、検事はテーブルの上に━を上げて、パイプをくわえながら、パイプの掃除をなしがら文句を言つてみたり、或いは被告の座つている席の前に来て、お前はどうして嘘をつくのだと言つて━━かからんばかりの勢いでやつてみたり、まあ私たちが見た目では決して━━━━というのは全然見受けられませんでした。
#179
○中山福藏君 やはりそれは何ですか。濠洲の兵隊ですか。
#180
○参考人(片山文彦君) そうでございます。
#181
○中山福藏君 全部……。
#182
○参考人(片山文彦君) はい。
#183
○中山福藏君 結構です。
#184
○長谷山行毅君 委員長それに関連して……。
 片山さんに伺いますが、そういう裁判で検事の求刑ですね、論告、求刑があつて、それより裁判が、刑が低いというような例が、判決が低い場合がありましたですか。
#185
○参考人(片山文彦君) 英国でございますから、求刑という刑のあれが……。
#186
○委員長(鬼丸義齊君) ない……。
#187
○長谷山行毅君 全然やりませんか。
#188
○参考人(片山文彦君) はあ求刑は……。全部裁判長、判事、それが後の部屋に入つて、投票によつて決定しております。
#189
○委員長(鬼丸義齊君) 羽仁さん、ありますか。
#190
○羽仁五郎君 原参考人にちよつと伺つておかなければならないと思うのですが、実はこの戰争犯罪人というふうに現在呼ばれておるかたがたに対して、我々がどの程度までの盡力をなし得るかということは、随分困難でもあり微妙な問題でもあるというように考えるのでありますが、その意味で、先ほど最初におつしやいました御意見ですね、この巣鴨のようなものが東京に存在するということは望ましくないということをおつしやつたのですが、それは個人的な御意見でしようか。或いは或る団体にそういう御意見がおありなんでしようか。
#191
○参考人(原忠一君) 私の申しますのは、講和発効後ではですね。今ではありません。護和発効後ではですね。と申しますのは、それはまあ一般の私のような関係の者はこうした考えが多うございます。私もその意見でございます。
#192
○羽仁五郎君 続いて、これは原参考人でも福留参考人でも結構でございますが、私どもは実は昨日巣鴨へ参りました際のことは外部に漏らさないということでありますが、そのあとで、これは偶然司令部の法務関係を担当しておられるヘーゲンさんというかたにお会いしたのです。このヘーゲンさんは仮出所委員会の委員長をしておられます。で、昨日も仮出所委員会をあそこで開いておられた間に、法務委員長の小野さんがお会いになるので、私も委員の一人としてお目にかかつた。そのときに、仮出所委員会の委員長として非常に盡力しておられた間にどういうことを一番痛感しておられるかということを伺つたときに、「自分の非常に痛感しておることは、日本の戰争犯罪人と呼ばれるかたがたを扱つておりながら自分の最も痛感することは、日本には盲目的服従という習慣が非常に強いということだ、それが実に歎かわしいことだと考える。勿論アメリカの場合にも、軍の中では命令に対する服従の義務というものはある。併しながら盲目的な服従の観念というものはない。けれども日本ではその盲目的な服従の観念が非常に強いのである」ということを言つておられたのです。これはまあ一つの、殊にこの仮出所委員会の委員長をしておられるへーゲンさんの御意見として、我々にいろいろ考えさせる点があるのですが、そこで一つ伺つておきたいことは、福留参考人や、原参考人はそれぞれかなり高い地位におられたと思うのですが、これは問題によつてその場合その場合で大分違うと思いますけれども、日本の当時の状態におきましては、例えば原さんのような地位にいらしたかたは、その点について、自分の判断で以て戰争の進行というものに、これは日本の場合、特に官吏なり或いは上の地位に立つかたなりが、その問題をその権限というものをどういう方向に使うかということに随分問題があると思うのでありますけれども、それはいずれといたしましても、それに影響を與えることが御自分のお考えになる程度にできたというふうにお考えになつておりますか。自分もいろいろ考えたけれども、高い地位にありながら何ら自分の意思というものが影響を與えることができなかつたというようにお考えになつておられますか。その点を伺つておきたいと思うのであります。もう一遍申上げますが、高い地位においでになりまして、そうして御自身でいろいろ御判断になりましたその意思というものは、御自身で御希望になるような意味における効果を持ち得たというふうに現在お考えになつておりますか。それとも持ち得なかつたというように、或る高い地位にあるかたでも盲目的な服従の方向に置かれざるを得なかつたとお考えになつておられるか。その点を伺つておきたい。
#193
○参考人(福留繁君) 只今の御質問は非常に機微な問題でございまして、おつしやる通り個々の問題を一々見ないというとなかなかはつきり言えないのでありますが、私は南方の海軍の指揮官をいたしておりまして、西は印度洋から東はニユーギニアの半分まで、それからフイリピンを除いた南方全部を持ちまして、非常な広い地域を持つておりまして、戰争のおしまい頃になりますとだんだん通信なども動脈硬化症というような恰好になりまして、通信などもうまく行かないので、命令がややもすれば徹底を欠くというような実情が所々にあつたのであります。戰犯関係のことは、多く占領当時のどさくさの際、或いは終戰の前後のまあ混雑した際に起つたことが多かつたのであります。つまりこれは下級のところで、上司の、上級指揮官の意見を聞く暇なくして自分の判断でやつておつたというようなところが少なからずあると考えるのであります。これは裁判の記録を御覧なると恐らく統計的に出て来ると思いますが、下級者のこの戰争犯罪に対する抗弁は、殆んど例外なく、上司の命令によつてやつた、こういうことが出ております。上のほうの者は多くそれは知らなかつたと言つたものが多数に出ております。これは私はどこで命令が発せられた、その事件に対してどこで命令が発せられたかということを突つ込んで行きますと、なかなかこれは下級指揮官が多いものでございますから、突きとめることが困難な場合もあると思いますが、要するに自分の與えられた任務から考えて、これはこうすべきだということを誰か考えて、それが下級者へ、更に下級者に命じてやらしたのか或いは下級者自身がかねがね自分がもらつておる命令によつて、独断專行ということが許されておりますから、独断專行でこうすべきだと思つてやつたといつたようなものも多数あると思います。大体において戰犯事件というものはどさくさの際に起つたことが非常に多い。従つて上官からのきれいな命令系統でそのことが行われたというようなことは非常に数が少いと思います。まあ私の関係しましたことは非常に広い区域でございますから、多数の部下に多数の戰争犯罪がありまして、現在でも巣鴨、マヌス島には相当おるのでございます。私は蔭ながら一生懸命やつておりますが、今おつしやつたようなことに対しまして、はつきりこうだといつたことは言い得ませんけれども、大体におきまして命令が絶対服従であるというこの観念には変りありませんが、さて、それでは誰が命令を出したかというような点を見て行きますと、なかなかわからん点が多いと思うのであります。
#194
○羽仁五郎君 そのさつきのへーゲンさんの言われた意味はこうであろうと思います。一つの命令を遂行する場合に、自分で判断して、その命令を比較的寛大に遂行するか或いはその命令をその命令通りに遂行するか、或いはその命令を非常に苛酷に遂行するかというようなことは、上級のみならず、かなり下級でも或る程度の権限を持たされておる人の判断に存することだというふうに想像されるのですが、アメリカの場合でも命令に服従しないということはできないと思いますが、命令に服従する場合に、それをできるだけ寛大に実行に移し、或いは自分の判断を加えて、これはこういう命令であつたけれども、この場合はそれに当てはまつていない、従つてそれは実行しない、或いはそれを非常に寛大に実行する、或いははそれを非常に残酷に実行する、或いは殺さないでいいような人までも殺す、これはまあ敵愾心の場合もございますが、併し敵愾心を超えて、非常に日本の場合は婦人なり子供なりに対する場合もあつた。そういうふうな場合には、恐らく指揮官なり上司なりの命令は、婦人や子供の生命まで奪うということは考えていなかつたであろうと思います。併しながら下で、これは又必ずしもその人の自分の判断が誤まつておるだけではない、当時の新聞なり輿論なりが非常に行過ぎた敵愾心というものを煽動しておつたということに影響されて、そういう行動に出たということもあるのじやないか。その問題があろうと私は思うのでありますが、その点についていわゆる命令を実行する場合に盲目的服従が非常に強いのじやないかということは、何ら自己の判断はそこに加える余地はないというような状態にあつたのでしようか。それとも上級でも下級でも一定の権限を持つた人達は、自分の判断をそこに加えるということができるというふうに当時思われたのか。そのいずれであるかということを伺つておきたい。
#195
○参考人(原忠一君) 今の御質問でありますが、これは非常にむずかしい質問であります。恐らくあのへーゲンさんが言いましたのは精神的な盲目的な服従というようなことを言つたのだろうと思います。それから事務的の服従のほうはアメリカのほうが多いのであります。精神的服従は日本のほうが多いのです。その日本が精神的服従が多いと申しますのは、今まで徳が高い人が上に立つということが日本の習慣であつたのであります。従つて非常な人格者が上に立つておる。金持は上に立たない。人格者が上に立つて、その上にはつまり仏教とかいうような宗教的観念からして、上におる人達は人格者であるということが一つの條件になつていた。従つて自分より人格が崇高な人であるからそれに服従するという関係が出て来ると思います。それからアメリカのほうは事務の面で能率を挙げておりますから、事務的に必ず服従しなければならないということになつておる。従つてそこには精神的服従は少しもない。その服従も二方面から考察する必要があると思います。それで、これはいろいろな、日本におきましても、海軍における教育法と陸軍における教育法は大分違つたところがあります。海軍はイギリス法をとつております。陸軍はドイツ式或いはフランス式が入つておるというような状況でありまして、いろいろ関係があります。そういうようなところも考えてこの問題に触れて行かなければならない。でありまするから、私らの経験いたしました範囲内におきましては、私らは非常にフリーな教育法を受けておるのであります。例えて申しますれば、いろいろな上官の、こういう会議場においては上官の惡口をどんどん言つてよろしい、一部的には、甚だしいのはあの演習にあの長官何をしていたのだというような議論が出る状況であります。これは普通の人が聞かれたら驚くべきものであります。そういう議論をやつておるのであります。そういうような気風というのが我々の気風でありまして、決して精神的服従が必ずしも事務的服従まで行つておるのかどうか、私はまだ疑問に思つております。そういう関係で、へーゲンさんなんかが言うのは、盲目的で、ただ精神的だということを言つておるのでありまして、事務的なことまで考えないと思います。まあそれくらいのところで私は御了承願いたいと思います。そのあとは私わかりませんから……。
#196
○参考人(福留繁君) 只今の御質問で、へーゲンさんが考えておりましたのは、へーゲンさんはそういつた非常に深いところまで研究して言つておりますのか……、ただ裁判の記録を見て言つているのじやないかと思います。そうしますと戰争犯罪人は何と言つても数におきましては下級者がうんと多いのですから、上級、下級の比率は下級が断然多い。下級者は只今申しましたように、上司に盲目的に従つておつたという事態が殆んど例外なく出ております。そういつたものを捉えて言つているのじやないかと思います。そこらは一つ記録でも見て……。
#197
○羽仁五郎君 その命令を遂行する際に、命令を遂行するということについてだけであれば、それが戰争犯罪にならない場合に、その本人が十分の思慮判断を加えないで、或いはそれを非常に残酷に遂行したというふうな場合が多かつたということについての問題じやないかというふうに思う。
 最後に一つ伺つておきたいのは、先ほど福留参考人のほうから、国際法に対する考えの違いがあるのじやないかという問題がありましたが、その問題につきましては、平和條約を我々が討議しております際に、日本の現在の政府或いは外務大臣、外務当局の意見をしばしば質したのでありますが、この平和條約の中にも御承知のように、日本の国土において外国の軍隊、即ちアメリカの軍隊において行われた無差別爆撃、その責任をアメリカが負わないで日本が負うようになつている規定がある。同時に又日本において行われている無差別爆撃に対する賠償の権利を日本が持つているのを、日本が放棄させられている規定がある。これらについて我々はしばしばサンフランシスコにおいて政府がこれを調印して来た理由を質したのでありますが、それに対する政府の、総理大臣、外務大臣の答えは、これは平和條約の第十九條に明らかに記されているように、「日本国は、戰争から生じ、又は戰争状態が存在したためにとられた行動から生じた連合国及びその国民に対する日本国及びその国民のすべての請求権を放棄」するというふうに書かれているのであります。つまりここで特に日本の政府が我々国会に向つて説明した場合には、戰争状態が存在したためにとられた行為というとについては、さつきのような国際法上の解釈というものはそのまま当てはまるわけであります。けれども、そのもう一つ手前の、戰争を起したということから来るところの問題については、国際法上の解釈に議論の余地がある、解釈の相違というものではない立場にこの條約は立つているのだという説明を政府はされたのです。そういうふうな説明をこの平和條約に対して日本の政府が我々に向つてしている。こういう点については一般に、つまりこれは非常に根本的な戰争責任という非常にハイ・レベルに立つ段階における、日本が戰争……、先ほど中山委員から御質問がありましたように、戰争を計画し、又それに実質的な責任を持つた教育をするということが、一つの問題として一番根本的な戰争犯罪として考えられる。それが東京裁判なりニユールンベルグ裁判なりにおいて確立され、且つ又それが平和條約にまで入つて来ているという問題であるので、これもまあ実は御質問申上げるのに非常に困難な問題だとは思うのですが、只今私が申上げましたような点について、今日ここに御出席を下さいました参考人のかたがたのお一人お一人から、そういうような考え方が納得できるというふうにお考えになるか、納得できないというふうにお考えになるかを伺わせて頂ければ有難いと思つております。どなたからでも結構であります。
#198
○参考人(福留繁君) 戰争後においてそういつた政治的な見地から、根本的に何もかにも日本の責任なんだ、従つて日本がそういつたものに対して一切責任を負わされるのだということに今度決定された。これはもうその通りでございましようが、戰争遂行中は、私どもは少くもそうは考えないで、日本は国際法をこう解釈しておる、これは現に海軍では榎本という国際法学者がおりまして、戰争開始前に無差別爆撃をやつてはいかんのだということを全艦隊に講話して廻つたりしたこともございます。そういつた規則も出ております。そういつたことで、私どもは堅く無差別爆撃をやつてはいけない、そういつた日本の解釈をとつて、命令などもすべてこれで出ておるわけであります。実際においてはもう重慶あたりで随分結果において無差別爆撃と同じようなことになりましたけれども、あれはやつぱり狙いは軍事目標を狙つて、外れ彈丸が落ちておる。それで日本は幾たびかアメリカの抗議に対して相済まなかつた、間違えたんだと言つて誠心誠意お詫びをしております。これは日本はそういつた軍事目標以外の攻撃をすべからずという解釈をとつているからお詑びをしたわけなんであります。併しアメリカ、イギリスは軍事目標以外も爆撃してよろしい、そういう解釈をとつたのですから、アメリカ、イギリスとしてはそれが正しいと考えておると思います。ですから解釈の相違で、まだ国際的に決定していない問題なんですから、日本は日本の解釈をとり、アメリカはアメリカの解釈をとつて無差別爆撃をしてよろしいのだ、こういう建前でやつて来たわけであります。併しこれは日本の解釈から言えば当然けしからん爆撃であつて、国際法上これは犯罪人だというので日本では軍律としては、連合国の飛行機の搭乗員で軍事目標以外の攻撃をした捕虜はこれを銃殺刑に処する、こういつた軍律が出ておつたわけであります。但し裁判によつて死刑に処するというわけなんでございますが、ですから戰争中においては今のような根本的に日本がすべてに責任があるのだ、従つてそういつたものに対してはいたし方がないといつたような考え方はしていないわけであります。今日においてそういつたことが納得できるかどうかとおつしやれば、これはもうきまつたことなんでありますから、私どもはその通りに考えるほかはないと思いますが、戰争中にはそういつた納得はなかつたわけなんであります。
#199
○委員長(鬼丸義齊君) 羽仁委員にちよつと申上げますが、この次の十四日に戰犯裁判に関係されました有力法律家の意見を聞くことになつております。大分この問題は大きい問題ですから、又外務省の関係の人も後日おいでになりますから、大分時間が遅れましたので、本日はこの程度にしておしまいにいたしたいと思いますが、それではちよつと速記をとめて。
   〔速記中止〕
#200
○委員長(鬼丸義齊君) 速記を始めて。なお委員会の運営につきまして御相談いたしたいと思います。本日の参考人のかたがたの供述中におきまして、国際的の関係等も考慮するの必要があると思います。さればといつて今後の委員会の活動をいたしまするにおいての関係もございますので、全部を速記を省略するというわけには行かないと思います。速記は速記といたしまして、このうちで委員長のほうでよく点検をいたしまして、これを公開すべきかすべからざるかということについて若干の考慮を払つて取捨いたしたいと思いますから、御異議がなければ一つ委員長にその点お任せ願いたいと思います。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#201
○委員長(鬼丸義齊君) それじやそういうことに計らいます。午後は吉村外務省連絡調査課長、それから塚本事務官とお二人だけで、嶌内さんはお差支のためおいでがありません。二時半頃開会いたしたいと思います。
 そういうことにして、これで休憩いたします。
   午後一時十六分休憩
   ―――――・―――――
   午後三時十七分開会
#202
○委員長代理(岡部常君) 午前に引続きまして法務委員会戰争犯罪人に対する法的処置に関する小委員会を継続いたします。
 先ず午前中にもちよつと申上げて置きましたが、本日の午前中の会議中、小委員長におきまして必要と認めた部分につきましては国会法第六十三條及び本院規則第百六十一條によりまして、秘密会中の特に秘密を要するものとして、配付する会議録には提載いたさないことといたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#203
○委員長代理(岡部常君) 御異議ないものと認めてさように取計います。
 つきましては本日おいで願いました参考人の吉村さんと塚本さんには念のために申して置きますが、本委員会におきましては、條約発効後日本の手において取扱いまするいわゆる戰争犯罪人の処置を如何にすべきかということについて、あらかじめ調査をいたしておきたいので、この会議を開きましたので、これに関していろいろ意見を承わつておきたいと思いましておいでを願つたわけであります。
  ―――――――――――――
 先ず吉村さんにお願いいたしますが、外務省の連絡局調査課長とせられまして、戰争犯罪人の実際の取扱と、これに関する国際法、国内法に精通しておられるので、それらの点で参考になることがありましようと思いますから、その点をお聞かせ願いたいと存じます。
#204
○参考人(吉村又三郎君) 私は只今委員長から御紹介にあずかりました吉村であります。連絡局調査課長と紹介されましたですが、実は十二月一日附を以ちまして外務省の機構改革の結果、私は国際協力局の局附になりまして、現在は本件に関する正式な担当者でなくなつたのであります。併しながら外務省の外局としての終戰連絡事務局当時より今回の改組の時期まで、或いは戰争裁判課長或いは連絡局調査課長としまして、戰犯裁判に関連する問題で日本政府と連合国司令部との連絡の役割を担当して来たのであります。従いまして私の立場は連絡者の立場であります。
 御承知のごとくポツダム宣言を日本政府が受諾しまして、その結果、戰争犯罪裁判が行われることになりまして、最初に私のほうから申入れました日本側の要望は、この裁判はできる限り公正なものとしてもらいたい。これは極めて尤もな正義に立脚した要望でありまするから、連合国として勿論異存のなかつたところであります。従つて裁判を公正にやるためには弁護側の活動を十分にできるだけ自由にできるようにして頂きたい。他面又政府はポツダム宣言を受諾して戰争犯罪者に対して嚴重なる刑罰を科することを受諾したのでありまするから、裁判をするためには、容疑者を逮捕し、証人を喚問することに関しても、政府は協力する義務を負わされていたわけであります。その結果、国内における戰犯裁判と外地、即ちフイリピン、香港、広東、上海、シンガポール、ラバウル、マヌス島及び蘭印の諸地域における戰犯裁判にも関連するところあつたのであります。その結果、多くの容疑者が抑留せられましたけれども、裁判の結果、有罪の判決を受けましたのが約五千名であります。そのうち死刑の判決を受けましたのが約千名、終身刑が四百数十名、無罪の判決を受けましたのが六百名ほどあります。その他の刑はいわゆる有期刑でありまして、これはまあ大体の輪郭を申上げるために一応御報告申上げます。もう少し詳細な統計といたしましては、現在巣鴨に抑留せられておりまする戰犯者は、十二月一日附で計数をはじきますると、現在千三百七十三名おります。この千三百七十三名と申しますのは、裁判は外地、即ち中国とかイギリス、フランス、オランダ当局によつて行われたのでありますが、その後司令部を通じまして我がほうの要求である内地服役の希望が容れられまして、内地に帰還し巣鴨において服役しておる者を含むものであります。従いまして現在米国関係の戦犯裁判、即ち横浜裁判の結果有罪となり、今なお巣鴨に抑留せられておる戦犯者は五百九十四名であります。これに市ケ谷で行われましたいわゆる極東国際軍事裁判、A級戰犯者の数は、病死等のことがありまして現在十三名おります。ほかに大きな数字といたしましてはオランダ関係が三百三十三名、中国関係が百二十二名、フランス関係の五十五名、濠洲関係の二十五名ということになつております。
 本年春に一般の国内犯罪者が、その刑務所における服役状況が良好と認められる者に対して仮出獄の恩典制度がありますが、この恩典制度を戰犯裁判に関連しても実現して欲しいと希望しておりました日本側の希望が実現しまして、本年春以来巣鴨に抑留せられておる者は仮出所を許されることになりました。この制度は、簡單に説明いたしますと、判決によつて確定せられた刑期の三分の一服役し、且つ服務成績良好なる者は、仮出所を認められまして、自宅において刑期を服役するという制度であります。この仮出所の結果十二月一日までに仮出所を許可されまして、現在自宅において刑期を服役しておりまするのが四百四十九名おります。なおその後十二月八日には十名、十二月六日には十二名、十二日には又十二名ありまして、十二月十二日現在では仮出所を認められた者が四百八十三名になつております。更に現在巣鴨に抑留せられております十二月十二日現在抑留せられておりまする戰犯者の刑期はどんなものかと申しますと、死刑囚は勿論今一人もおりませんが、無期の刑を受けておる者が三百四十三名あります。五十年が二名、四十六年の刑を受けておる者が一名、四十五年の刑を受けておる者が一名、四十年が三十三名、三十四年が五名、三十三年が二名、三十二年が二名というふうにありまして、終身刑は別として、一番数の多いのは十五年が二百七十名あります。この十五年の刑を受けておる者は、服務成績が惡くなければ三分の一の刑期を経過しておりまするから、逐次仮出所が許可されるものと期待しております。
 それでは戰犯者の刑務所内における待遇はどんなものであるかということに関しまして一言申上げますると、我がほうにおいて正確に内容を、待遇振りを知り得るのは実は巣鴨だけであります。外地に関しましては赤十字国際委員会等が刑務所を視察いたしまして、その結果を報告してくれておりまして、政府としては非常にそれを重要視しておりますけれども、政府の担当者が自分の目で目撃したのでないという意味において、内地における観察と外地に対するそれの観察とはおのずから程度が違つて来るのじやないかと思うのであります。非公式に外地に抑留せられておりまする戰犯者から家族等への通信で種々のことが報告されているようでありますけれども、これはやはり政府としましては重要な参考資料と考えますけれども、政府自身がはつきりと自分の目で見た観察でありませんから、その意味において多少報告の差があると思うのでございます。巣鴨におきましては、大体健康を保持することを第一の重点に置きまして、健康を害しない限度において作業を命ぜられております。余暇の時間は読書、或いは若い人は学校を組織しまして、将来再び社会に復帰した場合に、時代遅れの無用の人間となり果ててしまわないように、種々の勉強をする組織を内部で作ることを認められております。これに対しまして外部より種々の差入れをいたして、例えば新聞、雑誌或いは書籍を差入れ、或いは適当な講師を派遣しまして勉学に資し、研究心の、向上心のある人々に対して向上する機会を與えることになつております。食事は大体米国式の食事でありまして、それに多少日本式を加味しているのでありますが、これも私自身が直接目で見たことは大分前の話でありますが、入つている人の様子から判断しますと、極めて良好なものである。勿論贅沢な御馳走というわけには行かないけれども、十分なカロリー量が保障されておるということであります。
 極めて雑然たる報告で誠に恐縮でありますが、一応私の報告をこの辺でとめまして、あとは御質問があれば答えられると思われるものはお答えしたいと思います。
#205
○委員長代理(岡部常君) 皆さんにお諮りいたしますが、あとの塚本さんのお話を承わつて、一緒に御質問申上げようかと思います。御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#206
○委員長代理(岡部常君) 御異議ないと認めます。
 それでは一つ塚本さんにお願いいたしますが、塚本さんは曾つてリエーゾン・オフイスの長をしておられたのでありますか。
#207
○参考人(塚本五郎君) そうじやございません。
#208
○委員長代理(岡部常君) 御関係はあるのですか。
#209
○参考人(塚本五郎君) 私は長官をしておりません。
#210
○委員長代理(岡部常君) リエーゾン・オフイスの仕事はなすつていらしたのですね。
#211
○参考人(塚本五郎君) 長官の下におりまして……長官附でございます。
#212
○委員長代理(岡部常君) それでいわゆる戰争犯罪人ということについて、その取扱いのことなどに御関係になつておられますね。
#213
○参考人(塚本五郎君) いや、そういう関係はなかつたのでございまして、ただ……。
#214
○委員長代理(岡部常君) 事情は御承知でございましよう。
#215
○参考人(塚本五郎君) 私はそういう関係でなくて、たまたまポストが空いておつたものですから巣鴨にやられたので、その点は惡しからずお願いいたします。そうして巣鴨の長官附にやられましたのは二十四年六月一日から、途中から行つたのでございます。そうして私の主な仕事は米軍当局との折衝でございます。
#216
○委員長代理(岡部常君) それではなお実際を御承知ですね。
#217
○参考人(塚本五郎君) 実際のことについては多少存じていると思いますから……
#218
○委員長代理(岡部常君) それでは、その実際をお扱いになつた点、殊に家族との連絡関係は御承知ですか。
#219
○参考人(塚本五郎君) 米軍当局に折衝しまして……、こちらの要求だけでございますが。
#220
○委員長代理(岡部常君) その実際の関係を通じて、我々が将来立法措置をするときにどういうふうなことをしたらいいかというようなこと、これはなかなか問題が多かろうと思います。何か参考になることがあればお聞かせを願いたい。
#221
○参考人(塚本五郎君) 将来日本の手に移る場合でございますが……。
#222
○委員長代理(岡部常君) どうぞおかけになつて……。
#223
○参考人(塚本五郎君) はあ。私としましては最少限度現在のまま、つまり現状維持でございますが、それをお願いしたいのでございます。と申しますのは、例えば中でやつております勉強でございます。勉強或いは食事は、まあ或る程度米軍側で與えていると同じ程度に、少くとも同じ程度に與えて頂きたいのでございます。そうして御承知の通り巣鴨の戰犯のかたがたは、ほかの刑務所と違いまして、大体考えが違つておりますから、その点を特に御斟酌願いたいのでございます。
#224
○委員長代理(岡部常君) どうぞいろいろお考えになつてることを御遠慮せずにおつしやつて下さい。
#225
○参考人(塚本五郎君) お聞きになれば一つ一つ申上げたいのでございますが。
#226
○委員長代理(岡部常君) 現在はどういうことに関係しておられるのですか。
#227
○参考人(塚本五郎君) 現在はつまり私があそこにおりまして、米軍との折衝ですか、そうした連絡事務をいたしております。あそこは家族の面会が毎日最高五十人でございますから、その家族のかたにパスを出しまして、そうして戰犯のかたは面会指定人と申しまして、一年に四回面会の指定人の書換えをいたしますけれども、一回に五人の書換えをいたすのでございます。そうして面会のかたは、向うの規定によりますと、三日前に私のほうに申込みまして、そうして私のほうでは一々カードを発行いたしまして、そのカードを指定されたかたが持つて行きまして面会ができるのです。面会時間は四十五分ほどでございます。特別の場合は一時間に延長もできるようになつております。
#228
○委員長代理(岡部常君) 先ほど吉村さんが国際法上保障された待遇を受けているかどうかということは、御自分では大分前に御覧になつただけだとおつしやいましたが、この頃のは御承知ないようですが……。
#229
○参考人(吉村又三郎君) 食事だけでございます。
#230
○委員長代理(岡部常君) それは塚本さんと御連絡があるわけでございましようね。これから以後は。
#231
○参考人(吉村又三郎君) そうでございます、
#232
○委員長代理(岡部常君) その連絡で現在の状況は御判断になつておるわけでありますね。
#233
○参考人(吉村又三郎君) そうでございます。
#234
○参考人(塚本五郎君) 現在の食事は、前に比べますと予算の関係で多小は惡くなつておるかも知れませんが、併し主食は米四合の割合でございますから。
  ―――――――――――――
#235
○委員長代理(岡部常君) それではどうぞ委員から御質問を願います。
#236
○宮城タマヨ君 吉村さんに伺いますが、全部で判決を受けましたかたは五千人でございましたようでしたが、容疑者の数はわかりませんでございますか。
#237
○参考人(吉村又三郎君) 容疑者の数字は、実は集計をやつておりますのですが、なかなか容疑者で呼ばれたのか、証人に呼ばれたのかわからない人が多うございまして、概数を申上げると却つて誤解を招くのではないかと思うのですが、まあ極めて何と言いますか、概念的に申しますと、先ずその二倍以上容疑者になつたのではないかと思いますが、この数字は実に非常に困難でありまして、実は米国側が関與しておりまする戰犯裁判に関しましては総司令部においてもわかるのでありますが、外地関係の統計というものは、連合国総司令部においてもはつきりしないので、ときどき我がほうにどうだろうかと言つて情報を求められるぐらいにいろいろ入り込んでおりまして、これは併しながら一つの歴史的な記録でありまするから、できるだけ今のうちに正確にしておきたいと思つておるのでございますが、誠に申訳ない次第でありますが、種々の未知の要素がありまして、全部の人が内地服役にならないと集計ははじけないのであります。だからこの判決の約五千名と申しまするのも概数でありまして、これも千名も二千名も殖えるということはありませんし、千名よりも少いということもありません。そういうような状態でありますから。
#238
○宮城タマヨ君 わかりました。それからこの判決を受けました国は数カ国でございますようですが、刑の量定でございますね、それについて外務省側としたら、各国によつて大変違うというような点はございませんですか。
#239
○参考人(吉村又三郎君) 実はこの問題は非常にむずかしい問題でありまして刑の量定と言いますことは、国際法は勿論、国内法でも非常に実はむずかしい問題なんでございます。と申しますと、例えば私は或る具体的なことを申上げるわけではありませんが、例えば仙台の地方裁判所の裁判長の刑と大阪の裁判所の裁判長の刑と五年や十年違う、だから不公平だというようなことも関係者は言うかも知れませんし、そうして刑を量定する場合に、いろいろな要素を入れてやりまするから、刑の量定というものが不均衡であるかどうかということはなかなか責任を持つて申上げられないのであります。併しながらこれは、要するに、非常に哲学的になりますけれども、人間の行う裁判でありまするから、刑の不均衡というのが結果として起り得る、起り得ると、その程度までは言い得るのではないかと思いますけれども、起つておるかどうかということはなかなか責任ある回答は、私どもできないと思います。
#240
○宮城タマヨ君 わかりました。それからもう一つ、仮出所は刑期の三分の一で成績のいい者でございますね。
#241
○参考人(吉村又三郎君) そうでございます。
#242
○宮城タマヨ君 ところが成績が惡い者というのはどういうことなんですか。いいというのははどういう点か。ちよつと参考に一つ。
#243
○参考人(吉村又三郎君) 普通は成績がいいわけなんでありますが、成績が惡いというのは、刑務所の規則に従わなかつた場合、違反した場合に罰点が附くのであります。その罰点が溜つて来ると成績が惡いことになりますし、よく働いたとか、非常に命令によく従うというプラスの面が出て来ますと、その罰点が消えて成績良好になりますから、一度規則に反したからそれはもう成績不良だというわけではないようであります。例えば成績良好のときの状態もあれば惡いときもある。今まで成績が良くても規則に反した、それで急にだめになる、こういうこともあります。
#244
○宮城タマヨ君 そうすると、普通の受刑者と同じ罰点が附いたりするわけなんでございますね。その説明を聞くと。戦犯者である……、私の考えは戦犯者でもそういう成績の惡いと言われる人が出るかという疑いを持つたのです。それで質問したわけだつたのでございますけれども。
#245
○参考人(吉村又三郎君) やはり向うがいろいろな規則を作つておりまして、その規則に従わなかつた場合に罰点が附くようであります。
#246
○宮城タマヨ君 そうすると、それを見る人は日本人じやないんでございますね。
#247
○参考人(吉村又三郎君) 現在は巣鴨に関しましては米国側であります。と申しますのは戰犯裁判の管轄権は全部連合国にありまして、日本側が関與し得る最大限度は、連合国と日本政府と連絡するだけでありますから。
#248
○宮城タマヨ君 それで、仮出所をきめます委員会がございますね。その委員会には日本人は一人も加わつておりませんか。
#249
○参考人(吉村又三郎君) 加わつておりません。
#250
○宮城タマヨ君 おりません……。
#251
○参考人(吉村又三郎君) ええ。これが講和條約発効後は日本側に権限を移譲するということになつております。
#252
○須藤五郎君 塚本さんが巣鴨におる人たちの考えが違うというお話でございますが、どういうふうに違うのですか。
#253
○参考人(塚本五郎君) それは人によつては裁判の、つまり自分の同じ仲間が同じ事件に関係しながら、同じ裁判で寛大、つまり甲乙があるという点なんかに対して大分不平もある人もあるらしいでございます。
#254
○須藤五郎君 そういう点で考えが違う。
#255
○参考人(塚本五郎君) ええ。そうして同じ自分たちが実際、中には無実の罪を受けておるという考えをお持ちのかたもあるようでございます。
#256
○須藤五郎君 食事の問題ですが、私も昨日拝見したのですが、私は想像していた以上によかつたと思うのであります。それで今度国内に引継がれる場合でも、食事を変えないようにという御意見があつたと思うのですね。これは非常に問題が大きいと思うのです。むつかしい。そうすると国内に移管した場合に、国内のほかの刑を受けた人の処遇と比べて、食事がほかの人でしたら十七円ぐらいですが、ところがあそこでは百五十円ぐらい、十倍からの処遇を受けておるということになりますが、そういうことが許されるものか、又許されるとするならばどういう根拠でそういうことが、そういう特別な待遇が許されているのか、その点をどういうふうに考えられますか。
#257
○参考人(塚本五郎君) 戦犯のかたは、とにかく日本の刑としましては、まあ日本では御存じの通り戦犯というものはないはずでございまして、そうして現在の……、と申しますのはアメリカ側から移管された場合、あれを突然変えた場合は非常にやりにくいのではないかと思うのでございます。私はその点から、今までで若し押して行ければ行きたいという、これは私一人でなくて、全般の皆さん方のお考えを代表して申上げたわけでございます。
#258
○須藤五郎君 それは今日ほかの刑務所の待遇が余りに惡いから……。
#259
○参考人(塚本五郎君) と思われる。私はほかの刑務所は行つたことはございませんが、じやないかと思われます。
#260
○須藤五郎君 それならばほかの刑務所の処遇も巣鴨並みに上げる……。
#261
○参考人(塚本五郎君) まあそうして頂ければいいのですが、果してそれが予算上できますなら……。
#262
○須藤五郎君 私は、ほかの刑務所は今日の状態でもいいから、巣鴨だけはあのままで除けようという、そのあなたのおつしやる根拠はどこから出るのか伺いたい。
#263
○参考人(塚本五郎君) それは皆さん方の御希望、一つは中に入つておる人の希望ですね。つまり自分たちは戰犯だけれども、このままアメリカ側のように今のようにやつて頂けたら結構だ、だから私はその皆さん方の御意見であるという点を申上げただけの話です。
#264
○須藤五郎君 それならほかの刑務所へ入つておる者はもつともつと希望を持つておるわけです。
#265
○参考人(塚本五郎君) そうかも知れませんですが。
#266
○須藤五郎君 そこで特に巣鴨の囚人だけは今のままの処遇で除けてほしいという根拠は……。
#267
○参考人(塚本五郎君) 根拠は甚だ薄弱でございますが。
#268
○須藤五郎君 それからもう一つ、戦犯というものはないんだというお言葉ですが、事実戦犯というものはないのですか。
#269
○参考人(塚本五郎君) ないわけではないのですが、日本の刑法としては殆んど戰犯は……。中のかたの御希望として申上げたわけですが……。
#270
○委員長代理(岡部常君) ちよつと須藤君に御注意申上げますが、やつぱり順序を立てて質疑応答をして、而も討論的に亘らないようにして……。
#271
○須藤五郎君 いや、質問ですよ。
#272
○委員長代理(岡部常君) 質問の範囲を逸脱しないように……。
#273
○須藤五郎君 逸脱はしていないように思いますがね。
#274
○委員長代理(岡部常君) いいえ、どうも討論のように私は思いますがね。伺うがためにやつておるのですから。
#275
○須藤五郎君 勿論私は伺つておりますから。
#276
○委員長代理(岡部常君) どうぞ、ただ局限してやりたいと思いますから。
#277
○須藤五郎君 私はその衝に当つていらつしやる方の……。
#278
○参考人(塚本五郎君) 私は衝と申しますと甚だ語弊がありますが、私はただ米軍との折衝以外にいたしませんので、行刑関係と申しますか、こちらに対しては甚だ不得手でございますが、或いは私の申上げたことに誤解を招いたということもあるかも知れませんが……。
#279
○参考人(吉村又三郎君) 私が代つてお答えいたします。塚本君は、巣鴨に抑留せられておる戰犯者ですね、戰犯者と家族及び外部ですね、外部との面会とか差入れだとか、例えば家族が病気になつたというような消息だとか、又、中にいる人が急に卒倒したとかいうときに家族に伝えなければいけない、そういう連絡事務、それ以外は彼の権限外のことであります。ただ彼が今日申上げたのは、中に入つておる人は、自分が戦犯者だと思つていない人もいるということを、先ず彼は指摘したわけです。その次に彼が言つたのは、中に入つている人は米軍が與えた待遇を一つの既得権益として、変な言葉でありますが、下げないようにしてほしいと希望している。それを彼は取次いだ。彼はその問題に対してどういう取扱いをすべきかということを裁定する立場にはないわけです。
#280
○須藤五郎君 了解。
#281
○参考人(吉村又三郎君) 彼の意見は極めて個人的な意見でありまして、その問題に関しては彼は有権的な意見を、オーセンティックな意見を述べる立場にないのでありますから、まあそうシリアスにとらなくてもいいのではないかと思うのであります。
#282
○須藤五郎君 今の説明わかりましたが、塚本さんの御意見のごとく発表なさつたので、それで私は塚本さんの御意見と伺つたのです。中の囚人がそういう考えを持つているというのは、それは当然です。それなら了解します。
#283
○参考人(塚本五郎君) 私は只今申上げた通り、言葉が足りませんでしたけれども、取次ぎを申上げただけであります。
#284
○須藤五郎君 それならわかります。
#285
○鬼丸義齊君 吉村さんに伺いますが、裁判ですね、占領治下において裁判をやる場合は、横のほうの連絡はないのですか。
#286
○参考人(吉村又三郎君) 横とは。
#287
○鬼丸義齊君 例えば甲乙丙丁の各国がおのおのの立場から裁判しましたね。それについて強制的に均衡を図る、司令官なら司令官のほうで以て一々こういうふうにやれ、こういうふうにやれというようなことは、連絡はなかつたのでしようか。
#288
○参考人(吉村又三郎君) 私の知る限りにおいてなかつたと思います。
#289
○鬼丸義齊君 なかつた……、各国思い思いの裁判をして、思い思いの裁判をしたものだと、あなたのほうでは御覧になつておりますか。
#290
○参考人(吉村又三郎君) そう判断しております。
#291
○鬼丸義齊君 そうすると、そこで先ほど宮城さんがお尋ねになりましたように、おのずから裁判の上においてでこぼこがあるように感じられますが、或いは大体において標準によつて、基準によつて、その基準を著しく逸脱しているような関係には御覧になつておられませんか。
#292
○参考人(吉村又三郎君) その問題は実は先ほども申しましたように非常にむつかしいのです。国内の裁判のまあ例を取つてみますと、国内においてすら、横浜の裁判所でやつた裁判と大阪でやつた裁判とでこぼこがあつたかなかつたか、これはまあ私たち帝国大学法学部で判決批評というやつをやりますが、学者は、これはいろいろ重過ぎる、軽過ぎる、これは無茶な判断だというような、学者は学問的な立場でいろいろな材料を集めた上で言えるのでありますが……。
#293
○鬼丸義齊君 いや、私あなたの責任逃れのような言葉を聞いたのではない。あなたの御覧になつた大観を、大綱をお伺いしている。
#294
○参考人(吉村又三郎君) その責任逃れじやないのでありまして、私は、私個人という者は存在しますが、同時に私は公務員でありますから、私の発言は如何なる機会においても公務員である以上責任がある。公務員たるの責任があります。私が辞表を提出して、それが受理されるまでは公務員ですから、公務員の立場というものを維持して、その立場において申上げなければならないし、今速記を取つて頂いておりますが、私の申上げたことが全部これが政府の発言だと見なされて、何らそうじやないのだと言えない立場にありますから、私は個人で、私の個人の意見なら又別の機会にお話したいと思います
#295
○鬼丸義齊君 いや、さればこそ伺つております。あなたの公人としての立場から御覧になつて、大観してでこぼこがなかつたかという感じか、それとも大体均衡を得た裁判だと御覧になつているか。
#296
○参考人(吉村又三郎君) 御質問の趣旨は非常によくわかるのでありますけれども、この会合は私的会合でなく、やはり一つの公的な会合でありまするから、その質問は、私、別の機会にして頂きたいと思います。
#297
○鬼丸義齊君 答えられない……。
#298
○参考人(吉村又三郎君) 答えられません。
#299
○鬼丸義齊君 そこでね、今まで裁判がありましたが、そこでそれぞれ有罪判決なら有罪判決、或いは無罪判決なら無罪判決を受けたときに、外務省のほうにはその都度司令部のほうから公式の通知があるのですか。何がどうなつたかというような。
#300
○参考人(吉村又三郎君) 裁判の結果を通告して参ります。
#301
○鬼丸義齊君 結果だけ……。
#302
○参考人(吉村又三郎君) ええ。
#303
○鬼丸義齊君 そのときには判決書も併せて来るのですか。それでなく、ただ罪名とそれから刑期と名前と、それだけくらいですか。
#304
○参考人(吉村又三郎君) 丁度仰せの通りのものが来るのでありまして、判決の詳しい経過を説明したものは来ておりません。
#305
○中山福藏君 吉村さんに一つお尋ねしておきますが、私いつも不思議に考えていることが一つある。それはA級戦犯者として検挙せられた者の中で、或いは死刑となり或いは無期懲役となり、或いは有期懲役の、極めて重いものに処せられておる人が多いのですが、ところがそのA級戦犯者でありながら、三年ばかり収容されておつた後に、五、六名の人が起訴猶予か何かという名目、或いは起訴する必要がないのだというマッカーサー元帥の命令によつて釈放されましたね、一部の人が……。
#306
○参考人(吉村又三郎君) 裁判前でございますね。
#307
○中山福藏君 ええ、裁判前、而もA級戦犯というような銘を打たれた立場にあつた人がございましたね。御存じですか。
#308
○参考人(吉村又三郎君) 容疑者でしよう。
#309
○中山福藏君 容疑者です。その容疑は何ですか、証拠不十分という立場で釈放されたものか、或いは証拠はあつたけれども、先ず客観情勢の異同によつてこれを処罰する必要はないという意味で釈放されたのか、どちらですか。あれは御存じありませんか。
#310
○参考人(吉村又三郎君) その点なかなか究明して置く必要のある非常に重要な問題で、勿論私としても、政府としても関心は持つておりますけれども、事実正直のところを申しましてわからないのであります。
#311
○鬼丸義齊君 証拠が不十分……。
#312
○参考人(吉村又三郎君) こうではないか、ああではないかという臆測は私持つております。併しこうであるに違いないという相当の、何といいますか、相当の確信を持つて言い得る臆測はないのであります。
#313
○中山福藏君 先ほど判決の理由主文というものが一々あなたのほうに通告があるとおつしやつたから質問するのです。先ず釈放するとか起訴猶予にするというような場合においては、その通告はないのですか、そこは如何でしよう。
#314
○参考人(吉村又三郎君) 釈放するという通知はあります。
#315
○中山福藏君 理由は……。
#316
○参考人(吉村又三郎君) 理由はありません。
#317
○中山福藏君 理由はありませんか……。
#318
○参考人(吉村又三郎君) はあ。
#319
○中山福藏君 そうするとただ臆測だけにとどまるというわけですな。
#320
○参考人(吉村又三郎君) そうであります。
#321
○鬼丸義齊君 この今まで大体裁判を受けて、その結果の通知がありますね。その中で死刑の判決を受けたのはどこの裁判が一番多かつたのですか。
#322
○参考人(吉村又三郎君) 実は私そのときの各国別の統計を今日持つて来なかつたのでありますが、やはり裁判を受けた人数の多い国が一番多くの死刑の判決を出しておりますが、比例的に申しますと、起訴せられていた数に比例して死刑の判決を受けた者が多いという国はフイリピンであります。
#323
○鬼丸義齊君 オーストラリアはどのくらいあつたのですか。
#324
○参考人(吉村又三郎君) オーストラリアは、ラバウル時代、香港時代、最近のマヌス時代と合せますと、そう特に濠州が多いとも思えないと思います。
#325
○鬼丸義齊君 そこでその死刑の判決を受けたうちで、執行未済とそれから執行済みとありますね、その率はどこが一番多いですか。
#326
○参考人(吉村又三郎君) その率は現在までのところ米国が一番多いと思います。
#327
○鬼丸義齊君 米国がですか、執行を受けたのは……。
#328
○参考人(吉村又三郎君) 私が言いましたのは、判決は受けたけれども、減刑されて結局執行されなかつた数が多いのが米国であります。
#329
○鬼丸義齊君 そうすると、死刑の判決がありながら、それが減刑されたことによつて執行を受けない者が米国が一番多い……。
#330
○参考人(吉村又三郎君) そうです。
#331
○鬼丸義齊君 そのうち執行の一番多いのはどこでしよう。
#332
○参考人(吉村又三郎君) 執行の一番多いのは大体似たり寄つたりだと思いますが、イギリス、濠州、オランダは同じくらいの比率であつたと思います。
#333
○鬼丸義齊君 パーセンテージがね。
#334
○参考人(吉村又三郎君) と申しますのは、フイリピンが一番死刑の判決の率といいますと多いのですが、現在なお且つ死刑の判決を受けてフイリピンの刑務所におるのが六十名あります。これはまだ執行されておりませんから、執行された死刑囚の少いという点ではフィリピンも相当少いほうであります。
#335
○鬼丸義齊君 それで、その点はどうですか、濠州のほうは殆んど死刑の判決を受けた者は皆執行してしまつたのですか。
#336
○参考人(吉村又三郎君) 殆んどというわけでもありませんが……。
#337
○鬼丸義齊君 今おられない……。
#338
○参考人(吉村又三郎君) それは減刑になつたりしておらなくなつた者もございますから。
#339
○鬼丸義齊君 濠洲で減刑なんかあるのですか。
#340
○参考人(吉村又三郎君) いや、そうでもありません。それはまだ御家族に通知する前に減刑になつておるのがあつたりしまして、実はどの国も減刑は程度の差こそあれあつたのであります。
#341
○鬼丸義齊君 今この占領治下において減刑するとか釈放するとかいうような権限は司令官にあるのですか。各国にあるのですか。裁判を言渡した国が持つておるのか、司令官がやるのですか。
#342
○参考人(吉村又三郎君) 裁判を行なつた国が持つております。だから米国関係の裁判は米国、オランダ関係はオランダ、各国が持つておりまして、そうして減刑の権限はその国々によつて権限ある機関が違つて来ると思います。それで、この数日、もう一週間くらいになりますが、発表しました、フランス政府が、十六名の無期の判決を受けて現在巣鴨にいる者を、一番短い者は五年、一番重い者で十五年に減刑をするという通告をして参りましたが、あれはフランス大統領が大統領令を出しまして、大統領の命令で減刑したわけです。
#343
○鬼丸義齊君 そうするというと連合国共通の裁判事務を統制しておるということはないのですな。
#344
○参考人(吉村又三郎君) ありません。
#345
○鬼丸義齊君 そうするというと連合国司令官がすべての権限をその手中に収めているというのじやないですね。
#346
○参考人(吉村又三郎君) じやありません。
#347
○鬼丸義齊君 そうすると、あなたがたのほうでいろいろな国と戦犯に対する折衝事項があるときには、連合国を通じてやりますか、或いは本国に対してやりますか。
#348
○参考人(吉村又三郎君) 従来は、政府は占領軍当局、即ち総司令部以外の国と直接交渉してはならないという占領軍のデイレクテイヴ、指令がありまして、できなかつたのです。だんだんこの頃緩和されて来まして、或る程度まで日本政府に外交権を認めるということになつて参りましたから、或る程度までは本国政府と連絡することが認められたのでありますが、それがどの程度まで認められているか、どの程度以上は認められないかという点は、実は最近の指令におきましても、緩和されたことだけはわかつておるのですけれども、どの程度まで認められているかというのはなかなか論議のあるところなのでありますが、私たちのほうはできるだけ広く解釈しておるのです。
#349
○鬼丸義齊君 今政府のほうから釈放について、現に有罪判決を受けた戦犯者に対して、政府の名を以て成るべく早く釈放してもらいたいということについての申入れはしておりますか。
#350
○参考人(吉村又三郎君) この問題も実は非常に微妙なる国際関係におきましてなかなかむずかしいわけであります。と申しますのは、釈放を、特定の犯罪者の判決が下つた、有罪の判決を受けた特定の戦犯者が実はこれは人違いであつた、或いは同じ人間だけれどもそのときにはいなかつた、いたのだけれどもそのときは病気で病院におつたので、何も関係いたしていないのだというような証拠を持つている場合、これは政府としてはポツダム宣言によりまして裁判を受諾したのであります、戦犯裁判を受諾したのでありますけれども、公正なる裁判をするということを当然期待しているわけでありますから、その裁判が公正でないからという客観的な証拠を持つていると認めた場合には、これは外交交渉に移し得るものであります。一般的に誰もかれも早く釈放してもらいたい、こういう要求はどういう理由で要求するか、相手を納得せしめる有効な理由附というものが一つは非常にむずかしい。或いはこちら側には適用する、こちら側が有効だと認めるものも、相手側が認めない場合もある。或いは又更に考えまして、政府が戦犯者に対してそこまで一般的に減刑してくれということを正式に申入れ得るものであるかどうかといういろいろな問題がありまして、これは政府の意見と申しますよりも各人いろいろ考え方の差があると思いますが……。
#351
○鬼丸義齊君 いや、あなたの御存じのものだけ言つて下さればいいのです。
#352
○参考人(吉村又三郎君) 正式には申入れておりません。結論から申しますと、正式には申入れておりませんが、何もしていないわけじやありません。
#353
○鬼丸義齊君 どういうことですか。
#354
○参考人(吉村又三郎君) それを申上げるために今少し序論を申上げたのであります。
#355
○鬼丸義齊君 そういう事柄を伺うのにはどなたが一番外務省ではよく知つておりますか。
#356
○参考人(吉村又三郎君) この問題は実は最高のポリシー、最高政策に関連する問題でありまして、私たちかけだしのぱいぱいには責任ある答弁をする資格のない問題だと思つているのです。ただなぜ答弁できないか、どういうふうな趣意の問題であるかという、趣意を申上げようと思つただけであります。
#357
○鬼丸義齊君 結局答弁できないということでありますね。
#358
○参考人(吉村又三郎君) ええ。
#359
○鬼丸義齊君 誰に聞けばよくわかりますか。(羽仁五郎君「それは吉田首相だよ」と述ぶ)
#360
○中山福藏君 私ちよつとお尋ねしておきたいのですが、フランス大統領の命令で十六名減刑されたとおつしやるのですが、あれは何ですか、仏印における当局の願いによつて減刑されたのですか。先ほどそういうような言葉がちよつとあつたのですが、午前の参考人の陳述のうちそういう言葉があつたのですが……。
#361
○参考人(吉村又三郎君) 私の知る限りにおきましてはそれを否定する材料も持つておりません。併し私のところに来ましたフランス政府の公文によりますると、大統領の命令によつてということであつたのであります。
#362
○中山福藏君 そこでフイリピンには結局六十名死刑の判決を受けた人がいるわけですね。そうすると只今のフランスの大統領の特別の命令によつて減刑されることがあるとすれば、それを一つの例として、これはフィリピンのキリノ大統領にも願い得る、そこに途が開けているのじやないか、こう思われるのですね。従つて連絡局の方針として、これは外務大臣がどう言われようと、連絡局という立場から何らかそこに早急に手を打つ必要がある、こう思われるのです。何人死刑があつたとか減刑があつたとか、それを報告するだけでは、連絡局はあつてもなくても、一つの歴史の記述に残るだけということになるのでありますから、頗る簡単なものになつてしまう。そこで、そういうような事柄まで積極的におやりになつているのか、又おやりになる機運があるか、そこを一つ伺つておきたいのですが……。
#363
○参考人(吉村又三郎君) 極めて御尤もな質問で全く同感でありますが、実はこういう席上でこういう例を出すと非常に失礼なんですけれども、或る女の人に対してひそかな愛情を持つている場合に、これは私はあなたを愛していると言つたほうがいいのか惡いのか、言わないで不即不離のうちに心と心とが相近寄るというふうに持つて行つたほうが外交として妙理であるかどうか、そういう点で、先ほどの御質問にも、私は何もしないわけではありません、併し申入れてはおりませんと申上げましたが、外交というものは、これは自分がこう思うのだからといつて申入れるというだけではなくて、もつとよき方法があれば、それをとつたほうがいいのじやないか、だからこの問題に関しましてはもつと強力に向うを突付くということも私も考えて見たりします。或る瞬間においては、いやそんなことはもう策を弄することになる、そういうこともあるのであります。そのときの客観情勢、例えば今フィリピンの話が出ましたが、フィリピンの国民がどういう状況でどういう対日感情を持つているのだ、そういう対象をよく見極め、それに適応した方法でないならば私はむずかしいのじやないか。廻りくどい申し方をしますけれども、私が申しましたのは、言いたいのは、勿論日本政府ですから、日本の国民のためにいい結果を希望するのは当然でありますから、そのいい結果を生むように念願しているということは、これはどこの席上で話しても差支えないことだと思うのです。どういうことをやつておるかということになりますると、どうしたほうがいいかということになりますと、私は皆さんの御意見を聞いて、そうして御智慧を拜借して、成るほどと思つたものをどしどしやつて行く、こういうふうにしたいと思います。
#364
○中山福藏君 私はそれじや物足らん、女を口説くという例を出されましたが、機が熟したらはつきり言つたらいいと思います。遠慮をする必要はありませんよ。殊に死刑の判決を受けて明日にも命を絶たれるかわからん立場にある人です。時間を争つているのですから、人の意見を聞いて何とかかんとかぐずぐずするときじやない。だから、それは女を口説くには手練手管もいろいろありましよう。併しながらもうすでに機が熟しているも何もありません。死刑を明日執行されるかわからん。そんな余裕はないと私は考えます。だから客観情勢とか、或いはフイリピンのキリノ大統領とか或いはロムロ氏がどうだとかこうだとかいう問題もありましようけれども、或いは又賠償の問題とか或いはフイリピン民族の日本に対する怒りがあるかも知れませんけれども、併し私は生命というものが絶たれるか絶たれぬかというそれに問題が帰著して行くと思う。だからこれは一分を争う問題だと私は言い得ると思う。だから、おらゆる問題もあるだろうけれども、これは何とか一つ我我の声を聞いて頂くことができないかというお願いはできると思う。損得を考えることじやないと思う。
#365
○参考人(吉村又三郎君) 今お言葉のように、同胞の運命を痛切に心配しておるという点においては、私も日本人であり、日本政府の一員でありまするから、絶対に「ひけ」を取らないものであります。そして何もしていないわけではありません。打つべき手は全部打つてあります。併しながら現在のフイリピンの現状をちよつと参考までに申しますと、私の知る限りにおいて、最近二世のアメリカ人がフィリピンの酒場で、勿論二世ですから英語で喋つていたのでしよう。ところが途中で日本語になつたら間もなく殺されてしまつた。だから日本人だとすればとにかく遮二無二やつつけてしまうというくらいの空気が非常に強い。それから曾つて私と相当親しく連絡しておりましたフィリピンの某氏のごときは、あなたにフイリピンに来てもらいたいのだけれども、遺憾ながらあなたが日本人であるから生命の安全の保障はできない状態であるから、ここ数年待つてもらいたいということを言つておる。まあこういうふうな状態にあるのでありまして、そういう状態でありまして、この問題が表面に出ますと寝た子を起すがごとき感を、そつとして置けばそのままであるものを突ついて寝た子を起す。又眼が痛いなら水ででも洗つておけばいいのに、頻りに掻くとますます赤くなつて惡くなる。こういうふうな私は心配を持つのであります。若し眼が痛いため掻いている人間を掻くなと言つても、痛くてしようがないから掻くのだということになるけれども、名医の立場としては絶対にそうしないで、医者が来るまでは掻くな、水で洗つている、或いはチフスの回復期の人間が食事をどうしてもとりたい、とりたいというと、早く食わしてやろうと思うけれども、医者としては如何にも冷酷冷厳で、理窟ばかりのように見えるけれども、チフスの患者が危篤にならないために食事を絶念しなければならん。こういう冷嚴なる立場において外交官の商売……、私が声を大にして叫べば、或いは一部の人々の賛同を得るかも知れないけれども、本当に同胞のために何が最善の方法であるかということを考えて……。私の考えは或いは間違つているかも知れません。併しながらそれは自分としては自分が最もいいと思う方法をやるよりほかはない。こういう考えで今日まで余り突つき廻さないで、死刑を延ばしてもらうという方針でやつて来たのでありまして、そうして明日にも死刑が執行されるかも知れないという不安は勿論ありますけれども、私の非公式に得ている情報ではそういうことは起りません。私は非常にその点に関しては楽観的な見通しを持つております。それは主観でなくて、楽観的な見通しを持ち得る根拠を持つておりますが、これは相手の承諾なしには発表できないのであります。
#366
○中山福藏君 最後に、私ちよつと一言、それならそれのようにはつきりそうおつしやれば、こんな質問をする必要はない。これはもう少しくだけて、何も私どもはあなたをいじめようとか何とかというけちな考えは持つておりません。その真相を承わつておきたい。そういう手を打つたなら打つたと、そういうことを初めからおつしやつて頂けばそれでいいのです。併し大体私は六十人の死刑囚の親に会いました。お寺に全部集合してもらつて、父兄の人から一々私は真相を聞いておる。而もこの遺家族或いはこういう死刑囚の御家族のかたがたは、一人々々自分の手紙を翻訳をしてもらつてそうして向うの大統領に出しております。外務省よりも先に出しておるかも知れません。併し私はなぜこういうことを申上げるかというと、私は実は自分の自慢を言うようですけれども、二十八、九のときにオランダを相手に外交談判をやつたことがある。ランダー事件です。そこで外務省に任しておくといつまでも捗らん。私自身、電報代だけは外務省から出してもらつて、オランダの植民相を相手にして談判して一年かかりました。一年かかりましたが、オランダから賠償金を取つた。そのときに、外務省の人たちは、待つてくれ待つてくれと、あなたと同じことを言つておつた。それじや捗らん。私は一年かかつてそれを解決したときに外務省の人が言われた。一年ぐらいで外交問題が解決するとは全く珍らしい、こうおつしやつておつた。それは何ですよ、私も直接にそういうことをやつたから解決したと思う。その体験を私は持つておる人間なんだから、だから外務省がどういう手を打つにしましても、国民の一人として私は待つことができないという気持を持つておるわけなのであります。特にそういう戦犯者の死刑囚の家族に私は昨年会つたのです。だからもうすつかり死刑囚の家族自身が死刑に会うようなことになつてしまつた。どうか一つ外交上の秘密とか駈引とかいろいろありましようが、将来の外交というものは至誠以外にはないと思う。誠の道を率直に言うのが一番手取り早い外交だと、私はそういう確信を持つておる。だから、すべての首切りだとか何とかを、これは病人がよくなるとかよくならんとかいう問題じやないのです。死刑囚である。殺される、首を切られることがきまつている。問題ははつきりしている。これは死刑にならんかも知れないという希望があれば、これは誠にお医者さんの手加減次第でしよう。併しながら私はそういう呑気なことを言わずに、もうそろそろ効果が現われていなければならんのですが、何らの手応えもない。この救命事件についてはだから私はお願いをするのです。どうか一つ至急に談判の手を打つて頂きたい。
 これで自分の申上げることを終ります。
#367
○参考人(吉村又三郎君) 今の御教示は誠に有難うございました。誠に同感なんであります。ただ今のお話と私の申上げたところとは立場の相違じやないかと思うのです。同じことを違つた楯の両面を言つているのじやないか、こういうふうな気がしますからちよつと一言申しておきたいのですが、今日私がここに来ましたのは参考人でありますが、個人として私を呼ばれたのか、公務員として呼ばれたのかわかりませんが、少くとも私は公務員である以上、日本政府の立場、政府の一人の発言である。それを記録に残すのだという立場ですから、少し固くならざるを得ないのを御了承願いたい。それともう一つの点は、私は妙な例を出しましたから誤解を招いたかも知れませんが、更にもう一つだけ、この前の委員会でも申上げましたが、例を挙げたいと思います。と申しますのは欧洲からの帰朝者の民間の人も、実業家もいろいろな人の話を聞きますと、日本は復興したというけれども、西独の復興振りは絶大なるものがある。これは比較にならない。なぜかというと、ドイツに対する列国の援助というものは非常なものである。日本に対する援助でも相当なものであるけれども、更に大きなものがある。なぜそれではドイツに対してそれだけのものがあり、日本に対してそれ以下のものであるかと、これに対する回答は外交上の機密にも触れますから、これは各位の御判断、各位の御結論に任せたいと思いますが、そのドイツが今日に至るまでドイツの戦犯者に対しては仮出所の恩典制度は実現していないのであります。経済的な面においては日本は立ち遅れているにもかかわらず、戰犯問題に関してはドイツよりも一歩進んで、日本のほうは本年春に仮出獄を認められるようになつたのであります。それはなぜかということは私は答えられると思うのです。それは巣鴨の拘置所に入つている日本の戦犯者が、よくその刑務所の規則を遵守して、その起居動作が非常に立派であるから行刑上仮出獄の恩典という制度ができ、又一方におきましてドイツにおいては総理大臣を初めとして戰犯者の釈放を呼ばわつております。これは今日だけではありません。前からやつております。併しこれは実現しておりません。そこを私は言いたかつたのであります。総理大臣まで出て戦犯者釈放を叫んでも仮出獄すら認られない。十を要求して一つも認められない。併し日本では五を要求して、五或いは四を認められる。私はこういう点を言いたかつたのでありますから、妙な例を出しまして誤解を招いたかも知れませんが、とにかく政府が国民のためによかれかしと折る精神というものは同じでありまするから、私の気持をお汲み取り願うより……。言葉だけで行きますと誤解を生じますから、気持をお汲み取り願いたいと思います。
#368
○宮城タマヨ君 私の質問したいと思います点を大分中山委員からお聞きになりましたから、その点は省きますけれども、ただ一つあなたがお答えができるだろうと思う点で伺いたいことは、判決がありまして、アリバイなんかによつて減刑されることがあるとおつしやつたのは、それを政府が直接その事実を判決した裁判所に言つて減刑されたのでございますか、そこはどうなんですか。
#369
○参考人(吉村又三郎君) それは弁護士が反証を挙げまして、向うの再審当局に訴えて認められた例もありますし、政府のほうにその点を指摘されまして、政府のほうが主動的に動いて実現した例もあります。誰がやつたら成功するというわけでもありません。誰がやつたら成功しないというわけでもありません。
#370
○宮城タマヨ君 それで、事実あなたは交渉の役目をなさつておりまして、そういう交渉をなさつたことがあるのでございますか。
#371
○参考人(吉村又三郎君) あります。
#372
○宮城タマヨ君 それから死刑の宣告を受けて執行されますまで、執行されるときは一応日本政府に、外務省のほうに通告がございますか。
   〔委員長代理岡部常君退席、委員長着席〕
#373
○参考人(吉村又三郎君) 執行されましてから通告があります。
#374
○宮城タマヨ君 執行される前はありませんか。
#375
○参考人(吉村又三郎君) 前に通告のあつた場合もありますが、それは非常に稀でありまして、原則として執行後通告があります。
#376
○宮城タマヨ君 それではもう一つ、今までこういうことをしたら……、民間の運動でも何でも、弁護士でもいいですけれども、こういうことをしたら成功したとか、減刑とか死刑の執行を延ばしてもらつたとか、それから、こういうことは失敗であつたとかいうことで、あなたがたのほうに、はつきりわかつていることがございましようか。
#377
○参考人(吉村又三郎君) とにかく向うは裁判をやつて判決を下したのでありますから、裁判中にも弁護士側が有力なる反証を挙げた場合に成功した例があります。成功することが多いのであります。裁判への歎願書等によりまして反証を挙げるとかという場合に、反証が向うに採択され、納得された場合に、成功した場合があります。全然成功しないのは、大勢の人がいわゆる同胞愛から出発して、大勢の人が連署で歎願書を出した場合が成功しない場合であります。これはむしろ率直に申上げますると、私の六年間この仕事を連絡して参りました経験から見まして害があつたと思います。と申しますのは、向うは戦犯者に対してさような同情を国民が皆持つているということは戦犯者を擁護し、かばつていると、それではまだ日本人は、戦犯者に対して、戦犯の惡かつたという反省をしていないと、こういうふうな考えを、こういう反響を與えるようであります。でありまするから、向う側に訴える場合には、飽くまでも理詰め、法律的でない限り成功しなかつたのであります。それは過去において成功しなかつたから今後も成功しないと、私はそういう断言はいたしません。今日までそういうものは成功しないどころか害であつた。向うのほうでは、こちらで数万人の署名の歎願書を出せば、向うの係官曰く、我々のほうでも虐待されて殺された人間に対してやはり数万人の同情者があると、どうしてくれるのだと、こういうふうなことでありまして、結局これは外国が相手に立つ問題でありまするから、向う側がどういうふうに受取るかということも考えて参らないと何ら成功しないのであります。こちらの誠意というものが向うに通ずるならば、いいけれども、通じない誠意というものは誠意でなくて、むしろ不当なる誤解を生み、不当なる反撥を生み、不当なる反感を生む。これが私は一番恐れるのでありまして、こういう種類の問題に対しては、改善するよりも改惡しないようにするということが最小限度の要求で、改惡した場合には、死刑の宣告を受けた人が死刑執行となる。改善する場合は、成功しなくても、時を以てすれば成功する場合もあると、こういうことは私まだ考えているのでありますが、私は十二月一日附で以てこの任務を解任されましたから、新らしい担当課長は又どういうふうに考えられるか知りませんが、私はそういう考えでやつて参つたのであります。
#378
○羽仁五郎君 これは吉村さん個人御承知なんでしようか。巣鴨の経費ですね。予算上はどういうふうになつておりますか。それからもう一つ伺いたいのは、さつき食費のことが問題になりましたが、正確な食費は一日幾らですか、主食と副食で、今そこで……。
#379
○参考人(吉村又三郎君) 経費は現在は占領軍費でやつております。だからアメリカ側の経費であります。どれくらいの経費を計上しているか私知りません。食事も数字を知らないのでありまするが、私は食物を見せてもらつて、それから鮎川義介氏のように無罪釈放された人に会つて、どういうものを食せてもらつて、どういうことだということを聞いておりまして、常識的に考えましてカロリー量としては十分である。日本人の趣味に合うかどうかという点はわかりません。
#380
○羽仁五郎君 それはさつきも塚本参考人の御意見もあつたように、日本が講和條約発効と共に受け継がなければならない。受け継ぐには現在の大蔵大臣がなかなかこういう予算を、又自由党の政策としても、そういうものをどういうふうに考えるかということを国会としては考えなければならないので、今は占領費で以てやつている。日本側で受継ぐ場合にはこれはどういうふうにして、何の費用として受継がれるものであるか、そうしてその総額は現在どのくらいであるか、又その中でサンプリングのようなものにして、現在の食費は、例えば最初この数年間の間にどういうふうになつて来て、現在はどうなつているかというような資料をこの委員会にお出し願うことができませんか。
#381
○参考人(吉村又三郎君) 現在その問題で法務府の担当部局が研究をいたしておりまして、資料も司令部に要求したりしておりますから、法務府に当つて頂けばいいかと思います。
#382
○羽仁五郎君 それでは委員長にお願いしますが、それを法務府のほうに資料を要求して頂きたいと思います。
#383
○委員長(鬼丸義齊君) 承知いたしました。もうございませんね。
 それでは大変どうも長時間いろいろ有難うございました。
 委員会は本日はこれを以て散会いたします。
   午後四時四十一分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト