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1951/03/04 第13回国会 参議院 参議院会議録情報 第013回国会 決算委員会 第11号
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1951/03/04 第13回国会 参議院

参議院会議録情報 第013回国会 決算委員会 第11号

#1
第013回国会 決算委員会 第11号
昭和二十七年三月四日(火曜日)
   午前十時四十分開会
  ―――――――――――――
  委員の異動
二月二十九日委員小林孝平君辞任につ
き、その補欠として岡田宗司君を議長
において指名した。
  ―――――――――――――
 出席者は左の通り。
   委員長     岩男 仁藏君
   理事
           高橋進太郎君
           長谷山行毅君
           溝淵 春次君
           飯島連次郎君
           棚橋 小虎君
   委員
           秋山俊一郎君
           大矢半次郎君
           郡  祐一君
           瀧井治三郎君
           團  伊能君
           西山 龜七君
           山田 佐一君
           伊藤 保平君
           常岡 一郎君
           森 八三一君
           栗山 良夫君
           カニエ邦彦君
           小林 亦治君
           田中  一君
           菊田 七平君
  事務局側
   常任委員会專門
   員       森 莊三郎君
   常任委員会專門
   員       波江野 繁君
  証人
   東京地方検察庁
   検事      渡辺 留吉君
   東京地方検察庁
   検事正     馬場 義続君
  ―――――――――――――
  本日の会議に付した事件
○特別会計、政府関係機関及び終戰処
 理費の経理並びに国有財産の処理に
 関する調査の件
 (昭和二十三年度会計検査院決算検
 査報告批難事項第三百九十七号足利
 工業株式会社に対する二重煙突代金
 支拂及びこれに関連する事項)
 (右件に関し証人の証言あり)
  ―――――――――――――
#2
○委員長(岩男仁藏君) 只今より委員会を開きます。
 前回に引続き、昭和二十三年度一般会計歳入歳出決算、昭和二十三年度特別会計歳入歳出決算のうち、昭和二十三年度決算会計検査院検査報告批難事項第三百九十七号足利工業株式会社(契約当時は足利板金工業組合)に対する二重煙突代金支拂及びこれに関連する事項について東京地方検察庁検事正からの報告に関する件を議題に供します。本日出頭を求めております証人は、東京地方検察庁検事正馬場義続君、及び同庁検事渡辺留吉君の両君であります。証人に対する御注意は省略いたします。渡辺証人は、先に御出頭になりまして宣誓をせられましたが、念のために本日も宣誓を求めます。宣誓書を朗読して下さい。
   〔総員起立、証人は次のように宣誓を行なつた〕
    宣誓書
 良心に従つて真実を述べ、何事もかくさず、又、何事もつけ加えないことを誓います。
        証人 渡辺 留吉
#3
○委員長(岩男仁藏君) 御着席を願います。宣誓書に御署名御捺印を願います。
#4
○カニエ邦彦君 前回に引続きまして、昭和二十七年一月二十三日、東京地方検察庁検事正馬場氏から決算委員会に御提出になりました捜査の報告書に基きまして、御証言を願いたいと思うのであります。私のほうのこの何で行きますと、四頁になるのでありますが、四頁のところに、終いのほうに、「高橋正吉に詐欺の事実が認められたので、昭和二十六年十二月二十二日東京地方裁判所に同人を追起訴した、(此の事実については昭和二十六年十一月三十日附貴委員会に回答済)である。」これはどういう回答をされたことを意味するのですか、この回答は。
#5
○証人(渡辺留吉君) ちよつと今手許にございませんが、私の記憶で申上げます。たしかこれは東武鉄道株式会社株式三万五千株の問題ではないかと思いますが、その点にきつましては、起訴した事実、起訴した年月日とその処分結果を報告したように記憶しております。
#6
○カニエ邦彦君 その次に、「前記過拂金の返納に充てる予定であつた自動車(一九三七年型モーリス)の売却代金については大橋武夫及び山下茂を横領の容疑で取調べた結果山下は約三十八万円を横領の事実が認められたが、すでに全額弁償済であり犯情を考慮して昭和二十七年一月二十三日起訴猶予処分に付し、大橋に対しては犯罪の嫌疑不十分のため同日夫々別紙(一)の通り不起訴処分に付した」この点についてでありますが、モーリス自動車の売却代金については大橋武夫及び山下茂の横領の容疑を取調べた結果、すでに全額を弁償済でありという点でありますが、これが特調に対しての百万円は、弁済の仕方にはいろいろこれからお伺いしますが、ともかく百万円は返したことは事実なんであるが、その他の部分についてはやはり返していないのであるが、ここではこれを弁償済であるということになつておりますが、この点はどうなんですか。
#7
○証人(渡辺留吉君) その点につきましては、それを起案いたしました岡崎部長検事に私から問合せをした結果、全額弁償済というのは、いわゆる利益金の償還債務を手形債務に切換えた、手形債務に更改されたということで、償還債務は一応終つて、新たな手形債務になつておるという意味で、通常さような場合、検察庁としてはよく完済という言葉を使うので、その言葉を使つたが、これはやや妥当を欠くものであつたということでございました。従つて利益金の償還債務が手形債務に切換えられて、手形債務として三十一万円は残つておるということは不起訴理由の末尾のほうに書いてある通りであります。
#8
○カニエ邦彦君 これを山下をして手形債務に切換えせしめるために、本事件が国会で問題になつてから、さような処分を山下の意思においてやつたのでなく、大橋が山下に対して、本件の問題化するのを恐れて、この件は手形を差出して置けと、こういう大橋の指示によつて山下がその手形を出した、こういう事実については取調べられた結果、どういうことになつているのか伺いたい。
#9
○証人(渡辺留吉君) これは関主計の供述によりますと、昭和二十四年の四月一日、二日頃のことであつたようでありますが、その後山下から四十万円の金借の申入れがあつたので、山下を呼んで、この間の事情を確かめたところ、山下と高橋とが、関主計の前においていろいろ話をした結果、双方の間に相当の食い違いがあつたということで、関の面前で二人が喧嘩をするに至つた。そこで事情を聞くために呼んだ二人から喧嘩を目前において仕掛けられたということで、関が調停役を買わざるか得なくなつた、その結果山下から高橋に渡すべきものが二十五万円残つているということを双方に確認せしめた一方、これに対する利息として高橋から二十万円を山下に要求した。ところが山下はそんなべらぼうな利息は拂えないと言つて、山下はこれを拒否した。そこで、その問題をめぐつてもなお二人の間に相当の争いが出たので、関がこれを仲裁することにして山下からどの程度の利息の支拂ができるのかということを確かめた結果、精一ぱい六万円しか支拂ができないということであつたので、関がこれを受けて高橋を納得せしめた結果、支拂残額の二十五万円について約束手形一枚を羊出し、更に利息であるということを明らかにする意味で別個の約束手形において六万円を高橋に入れしめるということになつて、二十五万円と六万円の約手を高橋に入れしめて高橋に納得けしめたという供述になつております。従つてこれに関する関の供述を追及いたしました結果、大橋からの何らの指示は受けていなかつたということを明言いたしております。大橋の供述もこれに關與したと疑うにたる事情は出ておりません。山下の供述も関の供述とほぼ一致しております。従つて、これについて大橋が關與したという事情につきましては、我々の面における訴訟法的な証拠の面からは少しも現われてはおりません。
#10
○カニエ邦彦君 そうするとあなたは何ですか、関主計が関主計というのはこれは大橋との古い何というか子分というか、そういう間柄にあつて、山下とはこれは恐らく本件の問題になつてから関主計とは往き来をするようにたつた間柄であつて、関主計がさようなところまで立入つて入つて来るという関主計としてのいわゆる利害関係ですね、理由はどこにあるのか、こういう点ですが……。
#11
○証人(渡辺留吉君) カニエ委員から御指摘の点についても、我々としても同様の疑問を実は持つておりました。そこで高橋の証言とを睨み合せまして、関及び山下を調べました結果、関と山下との知合関係は、山下が終戦後において自動車を売込みに行つたということからの知合というふうに承知しております。この点は関と山下の供述がほぼ一致しております。大橋と関との関係、これは大橋が社会局の事務官をしておつた当時に使つておつた運転手が、関の使つておつた運転手と非常に懇意な間柄にあつた結果、双方が知るようになつて、殊に終戦後懇意にしているということでありました。さような事情の下においてこの問題をめぐつて関と大橋との間に強い疑いを持つて取調を進めましたけれども、いろいろ推測的な供述は出ておりましたけれども、我々の面における訴訟法的な証言の面からいたしましては、カニエ委員から御指摘になつたような疑いを残す余地は出て参りませんでした。
#12
○カニエ邦彦君 そうすると先ほど御証言になつたように、この字句ですが、横領の事実が認められたが、すでに全額返済でありという点においてはこれは証人がかように書いたものでなく、これは岡崎検事にあなたが問い合せたところ、いささか適当でなかつたという程度のいわゆる回答であつた、こんなことなんですか。
#13
○証人(渡辺留吉君) 大体その字句が妥当でないということは、先ほど申上げたように岡崎検事が言つておりました。その間の事情は先ほど来説明申上げたように、三十一万円の手形債務は残つているという事情にございます。
#14
○カニエ邦彦君 それからその手形は現在においても勿論長い間何年間か支拂われてもおらんし、とうに不渡になつて、期日も無効になつているという事実も御存じなんですか。
#15
○証人(渡辺留吉君) 私どもが取調をいたしましたときにはまだ残つておりました。極く最近私が証人に喚問せられました頃に、高橋が私のところに参りまして、未だ支拂を受けないのだということを言つておりました。従つて高橋氏の話からまだ山下が支拂をしていないという事実を確認いたしました。
#16
○カニエ邦彦君 それからもう一つ、これは基本的な、我々当初からこの委員会でも問題にしておつた点でありますが、この四千万円の過拂がされた動機というもの、それからその前に一旦キヤンセルになつたもの、そのキヤンセルになつたものを又追つてその注文をしておると、この点に先ず第一の出発点の誤りがあると、それでこの点でお調べになつた結果、これは当時どうであつたかということが一つと、それからもう一つ大きな問題はこの四千万円、こういつた過拂がこれがただ單に今表面に現われて来ておる、検察庁が御報告になつておるように、大橋氏がこの過拂についての促進方については何らの運動も何もしていないというようなことで結ばれておるのですが、事実はそのようなその当時の大金がこういう工合に支拂われるためには、これはよほど上からの圧力、或いは関係者が協力一致しなければこういうことはでき得ないというのが事実であると考えられるのです。それでどうもこの点はぼけてしまつておるのですが、大橋氏が相当やはり自分の旧部下である者に対して督促をしておるというような事実もあるようでありますが、この点について大橋氏が全然この点に対しては関係がなかつたということを十二分に立証できるものは、どういうものがあるかということと、それからその関係について調査されたとすれば誰々を一体あなたは調査されたか、調べて見られたかということ、その点について一つ詳細に伺いたいと思います。
#17
○証人(渡辺留吉君) 四千百万円の支拂請求について大橋氏が関係をしなかつたということは私どもの報告には載つておらないと思います。これにつきまして先ずお尋ねの第一点のキヤンセルになつたものが新たなる発注になつている事情はどうかという点からお答えいたします。御指摘のようにLD三五による二重煙突の発注は、昭和二十三年九月二十九日附のLD八〇によりまして、キヤンセルの通知が特調に参つております。ところでこのLD八〇によるキヤンセルにつきましては、調べの結果特調側と商工省の資財部の者と足利工業の羽烏元章とが八軍に参つて交渉いたしました結果、口頭による除外の承認がなされたということでありますが、ただここで申上げておきたいのは、口頭で承認を與えたという直接の担当官が帰国しておるために、その点の調べはできませんでした。従つて検察庁といたしましては、これらのものの証言を採用したことになります。口頭による承認があつたということの裏付は、その後商工省資材部から足利工業に対して資材の特別割当がなされております。その割当に基きまして、足利工業では二重煙突の生産を続行いたしました。一方特調側の関係者の供述によりますと、キヤンセルの正式通知を足利工業に送つていないという事実が判明しております。従つて足利工業では、一応LD八〇によるキヤンセルの通知が特調にはなされたけれども、その後口頭の除外承認によつて新たな資材の割当を受けて生産を続行したということで、引続き生産の続行をいたしておつたのであります。ところで足利工業から昭和二十三年の十二月に最終分の五万フイートの二重煙突代金の請求をいたしました頃に特調側のほうで支拂の根拠をいずれに求めるかということがかなり大きな問題になつておつたようであります。そこで一説にはLD三五の継続という形で支拂えば足りるのだという意見と、LD三五は書類上すでにキヤンセルになつているから、これを支拂うために、別個の支拂根拠を求めなければならないという説とがあつて、この二説が対立しておつたという形が現われております。ところでこの新たな支拂根拠を求めなければならないということを強く主張したのが経理局であつて、その中心が横田広吉であつたということであります。これが最後の日まで、支拂のなされた二十八日まで問題になつておつたようであります。二十八日にこの両説がかなり嚴しく戰かわされた結果、LD五七の追加発注ということで支拂をするということになつたのであります。この間の争いにつきましては、前の昭和二十五年の当時委員会においていろいろ証言がなされておりますが、私自身の考えを申上げますならば、この両説の争いは正しい争いであつた。これについて殊更に、ためにせんとする意見の争いではなくして、正当な争いがなされたのだというふうに見なければならないと存じます。この争いの間に然らば大橋が如何なる関係を持つて来たかという点であります。大橋の供述と高橋の供述とによりますと、高橋が二十三年の十一月下旬頃に大橋に話を持ち込んでおります。その内容は二つあるようであります。その一つは、増額の申請、いわゆる二重煙突の代金の増額を申請したいのだが、それがなかなか思うように行かない。もう一つの話は、先ほど申上げた点に関係のある問題で、特調側ではキヤンセルになつた云々ということを口実に支拂に応じない。こういう二の問題があるから、何とか御盡力願いたいということを大橋に申入れております。大橋はその点は会社からの話合で当然話が進むべきものじやないかということで一応は話を終つてはおりますが、高橋からの詳しい話によりまして大橋が動かされ、殊に大橋が動かされたという点を申上げますならば、キヤンセル云々で特調側が支拂に応じないような気配が見えるという点につきまして、それは特調側が法律解釈を誤つておるのだ、キヤンセルは特調側になされただけのものであつて、特調から契約の相手会社である業者に正式にキヤンセルの通知がなければキヤンセルの効果は発生しないのだ、会社側として特調から正式にキヤンセルの通知を受けていないものならば、少くともすでに特調に納入しておるものについて代金を支拂わないという理由はないではないか。さような事情ならば一応自分が話をしようということで、大橋が高橋と共に特調側に行つて特調の首脳部に話をしております。話の内容は、関係者の供述によりますと、足利工業の代金の支拂問題に引つかかりがあるのだがよろしく頼みたいという極めて抽象的な話であつたということが、話を受けた側の関係者及び高橋の供述、大橋の供述によつて確認されることができる事情になつております。従つて大橋がその以上に突つ込んで頼んだという事情は現われてはおりません。ともかく大橋のさような依頼のあつたということは確認される点でありますが、然らばその大橋の依頼がどの程度に効果があつたかどうかという点について関係者を調べました結果、足利工業の関係者の供述によりますと、足利工業側のものでは大橋の申入れが相当効果があつたと思われるという推測的な証言しか出ておりません。これは無理からんことと考えておりますが、特調側のほうの言い分によりますと、成るほど大橋からさような依頼はあつた、併しそれは承わつておきましよう、調べて見ましようというような極めて抽象的な応答をしただけのものであつて、そのために殊更事実を歪曲して支拂に応じたということは絶対にないという証言をしております。この点は、足利工業側のほうの推測的な証言のみを以て私どものほうでこれを訴訟法上の証拠資料とすることには不十分であるという点と、特調側のほうの証言では、それは抽象的なものであつて、それには絶対動かされていないということで、このほうの証言のほうが強くなつております。従つて大橋の依頼が、陳情があつたからといつてそのためにこの支拂が特別に曲げられたというように考えるべき証拠は現われておりません。その点で一応答弁を終ります。
#18
○カニエ邦彦君 証人は專門家であり、いろいろ検事として長い間仕事をしておられて、仮に大橋がそういう場合に依頼に行つたとしても、役人の立場として、そのときにああそうですが、よろしい何とか一つ考えて見ましよう、或いは又引受けましたというものはいないのです。一応よく研究して見ましようというのはこれはもう通例であるのであるから、それはもう聞かないでもそう言いますよ。そんなことはどんな役人に対してものを頼みに行つてもそれはよろしいという場合はよほどの場合でないならばわかり切つた場合でなければないのです。それはそういう工合に、只今言われたように、御説明になつたようなことならこれは役人として言う通常の言葉です。それから又それによつてですね、少しでも早めたとか或いは支拂を促進してやつたとかいうようなこと、これは言う気遣いもないのです。これはそんなことは毛頭ありませんと、そんなもので動かされてはおりません、こう言うのは当り前のことなんです。それを調べて真実、事実はそうであつたかないかということをお調べになるのがあなたの仕事でなければならないはずなんで、而もそれもです、それもあなたのほうでこれ以上調べようがないのだ、特調の役人誰に聞いて見てもそう言うのだからこれは仕方がありません、こう言われればそれつ切りのものです。これは非常に微妙な点でありますが、そこでそういつた御答弁でまあ十二分とは私は思いませんが、その当時過拂についての当時の関係者をあなたがお調べになつたのは誰々をお調べになつたか、その点を簡單に一つ御説明願いたい。
#19
○証人(渡辺留吉君) この点は非常な重要な点になつておりますので関係者をちよつと申上げます。足利工業株式会社関係者田中平吉、高橋正吉、高橋政雄、羽鳥元章、大谷明、大石幸二郎、椎名茂、磯村俊子、大野竹子、柿沼テル子、原田芳次郎。特調側滝野好曉、上村佐、大曾根朝重、吉田治作、高橋教一、横田広吉、木崎実、倉俣大舖、大体今この手許でわかるのは以上であります。
#20
○カニエ邦彦君 足利関係者についてはこれは十一名かなりよく調べられておると思います。併し特調側の関係者としては、必ずしも今の者だけで十二分本件の真相を知るに足るところのものでないと私は思います。なお本件については、高橋、当時の舞台装置をやつた高橋正吉と大橋との関係でありますが、この高橋正吉の言つておる中に、この四千万円の過拂というものは、これは特調としては如何に私が、高橋が如何にうまくやつたとしてもこんな大金の出るわけがない。如何に私がしやちこばつて見てもこれは出るわけがない。この裏にはやはり大橋さんの威力というものがあればこそこれは出ておると思うのですと、こういうことを高橋正吉は言つておる。これは私が高橋から聞いたのでありますから、なお高橋を再度喚問するなり或いはお調べになれば、この点ははつきりしております。
#21
○証人(渡辺留吉君) 只今御指摘の点は私どもも十分調べておつて高橋から同様の供述が出ておる次第であります。但しここで一言申上げておきたいことは、高橋の供述については遺憾ながら全面的に信頼を置き得ない事情があつたということであります。これに関連して少し敷衍さして頂きたいと思いますが、高橋の供述は独断的な偏見と、自己に関係する最も不利益な点は常にぼかしておる。他人の点に関する限り極めて誇張的な供述が非常に多かつたように見受けられます。従つて私どもとして最も苦心いたしましたことは、高橋の供述がどの点までが真実で、どの点以上が虚偽であるかということの判定に常に悩まされておつたのであります。その例を一つ申上げますならば、当委員会におきまして、大橋に対して昭和二十四年一月に贈つた二十万円は、カメラを売つて自分が作つた金だということを最初申しております。ところが私どもの調べによりまして、全くの嘘言であつた、この金は渡辺という洋服屋をしておつた男に作らせてでき上つた金であります。更に高橋は昭和二十三年十二月に四千百万円余の金を請求する当時、又資材の簿鉄板が十八トン五百程不足のために全然完納の見通しがつかなかつたという事情にあつたのにかかわらず、十二日までには全部でき上ると信じておつて、特調を騙して金を取るという考えはなかつたということを主張しております。この点は他の関係者から高橋の言う点が全くでたらめであるということで、他の証拠によつて高橋、田中を起訴したわけでありますが、さように最も重要な点において高橋はこれを認めていない。なお物品税の問題に関連して一言申上げておきますなれば、高橋は物品税はかかるということで金をもらつておつた、とろがこの物品税については本社において田中が納めているものと考えておつたので、従つて物品税を騙し取つて自分のほうで使つておるという事実は知らなかつたということを述べております。ところが足利工業に関する限り預金関係の操作、特調から受ける代金、これはすべて高橋が取扱つておつたのであります。従つて物品税を若し本社で納めるとするならば高橋は資金的な手当をしてやらなければならなかつたわけであります。その資金的な手当を何らした事実のないのにかかわらず、物品税は田中が納めておるという考えでおつたのであるというふうに述べておつて、不利な点はこれを認めてないという事情にあります。さような高橋の供述を考えますならば、高橋の供述がどの程度に信頼を置き得るかということが常に我々の苦心をいたしました点であります。先ほど御指摘の点については、成るほど高橋がむしろ誇張的だと思われる程度に詳細に私どものほうで述べております。その事情を高橋から知り得て、その事情に基いて会社の関係者及び特調側を調べた結果、先ほど申上げたように私どものところでは訴訟法上証拠となり得るものは先ほど申上げた通りの事情でありまして、ただその結果を推認するとするならば、大橋の偉大な力が相当あつたのではなかろうかと思われる節は十分ありますけれども、ただ検事といたしまして、証拠に基いて、而も訴訟法的な、訴訟法上の証拠に基いてのお尋ね、又答弁といたしますならば、先ほど申上げた以上には述べ得ないという事情でございます。
#22
○カニエ邦彦君 今証人が言われるように、高橋の言うことを丸呑みに信用することはでき得ないと、これは我々委員会もさように考えております。勿論カメラの件についてもあの二十万円は彼は銀座の安さんという人にライカを売つてこしらえた金であるということを当時証言に述べておつた、その直後私は銀座を片つ端から調べてそのカメラの所在を調査したことがある、で安なる者の所在もこれも調査をして調べて見たが全くさような事実がないということもこれも我々はつきりしておるんです。だから今あなたがお述べになつたように、高橋の言うことだけを信頼性を置いて、全面的にこれを受取るというわけには行かないということは承知しております。そこで問題は今お調べになつた足利側の十一名についてはこれは成るほどまあよく調べられておると私は思いますが、特調側の関係者については、これは今の範囲では必ずしも十分ではない。なお当時のいわゆる中堅は、関係者は加藤、石破、伊藤、滝野、横田、山田、堀江、阿部、これが首脳幹部である。それから佐野課長、やめておりますが、佐野課長のごときはこれは大橋君に早く拂えということでどなられたというようなことも聞いておる。又丸、塙、山口要三郎、塩原勇、こういうような連中からも当時の事情を詳しく聞いていられるなれば、かなり真相が判明するのではなかろうか、かように思つております。この点についてはかなり非常にあなたが今言われているように、それは成るほど最高首脳部の席に大橋があつて圧力がかかつたとは想像はでき得るが、併しながら検事の立場としてこれを証拠付けて行くということには十分な証拠がないからこれは言えない、こういう御答弁でありましたから、これもそうおつしやれれば、それ以上我々国会として言うわけにはこれは参らないかと、この点はそう思つております。
#23
○証人(渡辺留吉君) 先ほど申落しましたが、その特調側の調べの間に加藤八郎、それから丸甚七、中山清三郎、山口要三郎関係を調べておりますから申添えます。
#24
○カニエ邦彦君 それからその次にはこれはもう先だつてもあなたからお伺いをした点でありますが、最初のこのモーリスを売つた代金が、二百万円でモーリスを売つておるが、中村宗平に対して仲介の手数料をやつておる結果、それが残額が百三十三万円になつて、それを同年の七月の十九日頃まで三回に受領したことが、これが認められる、こういう点についてはそういう事実はなく、すでにモーリスを売つた金はその以前に山下がそれを取つておつて、そしてその中の金の一部分を、読売新聞に売つておるところのデソートの金を、これを大草勲に貸しておる、そうして大草勲から又それを回収をして、そうして最終に出たのがこの七月の十九日である、そしてこの七月の十九日までにはそういうことが一回すでに行われておる。そういうことがこの記録には載つていないではないか、その事実はここに載つていないではないか、それに対してあなたはそれは、そういう事実はあとで判明したが、併し本件の主要な部分には関係がないというように聞きとれたのでありますが、併しながらこのモーリスを売つた金がこの際問題になつておるのでありまして、これらの金によつて大草にやつて、而も大草はもう借りた金と同額ぐらいな権利を山下にとられて、もうこれでぎゆうぎゆう言わされて、ひどい目に会つたということであるが、そうすると、まあその利益ですね、利益は一体どこに計上されて来るのか、その利益を着服したとするなれば、これはやはりその横領の金額の中に加算されて来るのではなかろうかというような問題も勢い生じて来るわけなんで、この点についてはこの調書では少し納得が行きかねるのではなかろうか。併しながらこれは調書をお作りになつて、その後そういう事実が判明したとあればこれはまあ止むを得ないことでもなかろうかと考えられますが、とにかくここでモーリスを売つた金がここで初めて浮び上つて来たというように、この調書ではなつておるが、その点は事実と違う。こういう点について一つ明確にして置いて頂きたい。
#25
○証人(渡辺留吉君) これは前回私が申上げたことをお考え違いになつておるやに考えますので、重ねて申上げます。山下が大草に貸したという形になつておつたことを知つたのは、この報告をした後のことではなくして、すでに昨年の夏から秋にかけてその事実は挙つておりました。先ほど山下がこのモーリスの代金を取つた上で大草に貸したというふうに言われたようでありますが、それは事実と違うといいますか、我々の認定した事実とは違つております。前回も申上げたように、千代田銀行芝支店の有城重吉の口座及び同銀行から振出の自己宛小切手を見ますならば、山下の手にモーリスの代金として渡されたものは七月六日、八日と十九日の三回でありまして、それ以前には山下の手許に現実に虎の門から渡されたものは証拠上出ておりません。これは前回もこの点を申上げておつたのでありまするが、モーリスの代金が五月二十日から六月の十五日までの三回に東宝株式会社から虎の門に入金になつております。このうちで八十万円について入金の知らせがあつたのは六月の初め頃、次いで残金の七十万円については六月の十五日までに支拂うからという話が虎の門から山下になされた。六月の十五日頃に至つて、山下が虎の門に取りに行きますと、実はあの金は大草が読売新聞社に入れた自動車について、読売から分割支拂の要請があつたが、売主の田村金太郎がこれを承知しないので、あの金を大草のほうに廻したから承認してもらいたいという、廻わした後の事後的な承認を求められて、止むを得ずこれを承認せざるを得なかつたというふうに山下が述べております。ところで大草が相当の利息を取られたということは私も大草から聞いております。ところがそれならばどの程度の金利を取られたのかということを大草に対して証言を求めたところ、具体的に何らこれを我々が採用するに足る証言が出ておりませんでした。で山下は僅かな金利はあつたかも知らんが、これに対してははつきり記憶がないと言つており、大草も又一応相当の金利を取られたと言つていながら、具体的に幾らのものに対して幾らの金利を取られたか、出したかということに対する証言は得られなかつたのであります。さような関係で、我々として山下が幾らの金利を手に入れ、それを山下が何に使い、どれだけの利得を得たかという点について、証拠上認むべきことができなかつたという事情にあるわけであります。さような意味で反証を挙げることができなかつたということから、一応山下の供述をとつたという事情にあります。
 なおここで自動車関係について一言申上げておきたいことは、自動車関係についてはカニエ委員からも御指摘のごとく、いろいろの疑義が私どもにもあります。ところがこれについて我々が詳細な資料、或いは訴訟上の証拠を得たいと考えて、虎の門自動車関係の関係者を何回も呼び出したのでありますが、遺憾ながら有城重吉が一回、佐藤亀治が三十分ぐらい私の前に現われただけで、何回も呼び出したのに、何回依頼しても遂に我々の面前に現われなかつたという事実があります。御承知のごとく訴訟法の建前におきましては、我々は証人の出頭を強制し得る何らの権限がないのであります。証人のみならず、被疑者に対しても強制処分をしている以外は出頭の強制をすることは許されておりません。そのために、証人が我々の面前に現われなければ、如何とも手の施しようのないというのが現在の訴訟法の建前になつております。さような事情の下において、有城なり佐藤亀治なりが少しも我々に協力を與えなかつたという事情があるわけであります。一方会社側のほうから帳簿上の説明を求めても、何らこれに対する回答も與えてよこさないという事情にありまして、遂に我々も現在の訴訟法の建前では止むを得ないということで、或る程度さじを投げざるを得なかつたというような事情があるわけであります。そこで我々の調べ得た証人の供述の範囲内において、他に反証を求め得ない場合は、その供述をとらざるを得ないという事情のあつたということをこの際申上げておきます。さような意味で、我々が山下の供述を十分信用し得ないものを残しながら、それに対してこれを反撥するだけの反証を得ることができなかつたということにあるわけであります。相当の疑義を私自身もなお持つておる事情にございます。
#26
○カニエ邦彦君 これは非常に言いにくいことでありますが、そういつたような反証を挙げることができ得ない事情であつたという今証言をされておるのですが、むしろそういう反証を挙げることに十二分な努力をせなんだ、こういうことではないでしようか。と思われる点は、成るほどあなた言われるように、非常にこれは複雑怪奇であります。もう本当にわからないようなごたごたしたようなことになつておることは事実です。これは私も認めます。併しながら私は数回これを虎の門自動車にちよつと余暇があれば三十分、一時間ずつ走つて行つてはいろいろその事実について調べておるのですが、いつ行つてもこの連中のうち一人か二人はいつでもおるのですよ。そうして而も当時金を支拂つて会計をやつておつた有城重吉の娘婿もこれもいつも向うにおるのです。そうしてわからない点があれば走つて行つて聞き、わからない点があれば走つて行つて聞きしておると、だんだんとその真相がはつきりとして来ておる。それで勿論これは坐つておつて出て来い、出て来いと言つたつてなかなか彼らは出て来るものじやないが、足さえ運んで、遠い所でもないのですから、ちよいちよい行つて見ればこれは当然私はわかるものでなかろうか。従つてそういうような私がやつた体験からして私が專門家でないのにかかわらず、而もこのこればかりにかかつているのじやないのです、私はほかの事件にも、仕事にも、ほかの委員会の仕事もやりつつ、その片手暇にちよいちよいと行つて調べておつてもそういう工合にわかつて来るのにかかわらず、なぜそれをやらなんだかということについては、勿論これは善意に解釈して、先だつての証言でも証人が言われたように、一人で何十というような、一日にその仕事を、事件を持つてとてもそんなに我々のように出て歩くような暇はございませんとおつしやればそれだけのものですよ。併しながらこれだけの事件を本当に心から糾明して真相を明らかにしたいという熱意があるなれば私はやはりわかるのではなかろうか。むしろ私はそれよりも、これはその重要ないわゆる大橋或いは山下に関する部分については成るべく真相を知らないと言うほうがいいのじやないかというようなことで、私は勧められて来たかのように、この報告書一貫して全体に溢れて来るところの文章の中からさように思われるのです。これは私が思うのですからこれは又必ずしもそうでないでしようが、そこでまあ証人が非常に御苦心をされておるということは、これはわかります。併しながらいずれにしても今言うように大草が金を借りてそうして利子を拂つておるということになれば、その額の大小を問わずやはりそれだけの利益を得ておることはわかつておる、この利益が数字としてはわからないが、確たる証拠はないが、併しこういう事実があるのだということくらいはこの報告書の中に現われて来ても一向差支えのないものではなかろうかというように私は考えておるわけです。
 それからもう一つは、あなたの話によれば有城重吉の口座に入つたものはそのまま大草に対して融通して、そうして山下さんは事後承認をしたと、こう言つておられますが、併しそれであれば有城重吉、虎の門の会社自体が山下のいわゆる入つて来た金を默つて融通しておるということなのかどうかという点。それからもう一つは、山下という男がそんなその人に、入つて来たとみすみすわかつておる金を使われて黙つておるようなしろものでないというようなこと、これが一つ。それからもう一つは、この有城重吉の、その当時のいわゆる金の出入りをしておつたところの担当者は、これは山下が金をこのとき入つて来たときには必ず一日か二日、遅くても五日以内にはこの金を一旦山下に返しておるということを言つておるのですね、そうせなければなかなか山下が承知しないのですよ、実は金が入つたか入つたか、もう入るかと毎日のように言うものだから、入つた途端にそれは幾らかの手数料は勿論虎の門の自動車としては取るけれども、併しながらその他のものは全部山下に拂つていますよと言うのです。そこであなたはその点についてこの口座をお調べになつたかわからないが、最後の十六日、この昭和二十四年の六月の十六日の日に百万円、銀座支店から入つて来ておるところのこの百万円を翌日の十七日にこれは出しておるのですね、而もその出したのは小切手で出しておいて、そうしてその小切手の受取人はこれは井手朝平という名前で受取つておるのです、この百万円は……。ところがこの井手朝平というのは田村金太郎と四人で別個の当時自動車の会社を、ブローカー会社を経営しておつた社長です。そこでその井手朝平を伴つて、そうしてこの金について調査をし、且つ銀行の当時の小切手の井手朝平の文字並びに判をこれを本人に対して認定させたのであります。そうしたら本人はこの百万円の金はこれは井手朝平と書いてありますが取つた覚えはございません、私の字でもこれはございませんということになつておるのです。従つて当時のいわゆる百万円という現金はこれは千円札がなかつたから、だから従つてこれはもう相当な量になるのです。風呂敷包殆んど一ぱい包んで行かなければならない量である、こういう現金がその後、これはやはり事実において出ておるのです。そこであなたが言われるように、どうもその点がまあはつきりとせない、どうも私の頭ではこの金の行き方については納得が行かない。その点についてあなたがそこまでお調べにはなつていないでしようけれども、どういうようにお考えになつておるか、この調書にあるように、そんなに長く金を置いて放つて置いたというようにお考えになるか、やはりこれは山下がその都度、その金が入つた都度取つておるというような御認定になるのか。
#27
○証人(渡辺留吉君) カニエ委員の只今御指摘になつた点の話は恐らくカニエ委員が中村宗平なり、毛利治市、有城重吉からお聞きになつた点ではないかと思います。私のほうも勿論毛利治市、これは会計担当者でありますが、毛利治市、中村宗平、或いは有城重吉君から山下の性格なり、山下が金をいつまでも置く人間ではないということは聞いております。ところがこれらの供述はいずれも單なる推測的な供述であつて、帳簿その他に基く確定的な証言とは認められない事情があつたということをこの際申上げておきます。ところでこの金がいつ出ておるかということは、何回も申上げるように、千代田銀行の千葉支店の有城の当座預金からはつきり山下の手に渡つておる、山下が有城の小切手を受取つて、直ちに銀行の自己宛小切手に振替えておることはこれは動かしがたい証拠として我々が採用するに至つたのであります。従つて毛利なり有城なり、或いは中村宗平なりが述べておる推測的な証言では、この小切手の動きを覆えすことにはならなかつたということを先ず申上げておきます。
 それから先ほどこれらの調べに対して検事が十分な手を盡さなかつたのではないかという点を御指摘になつたわけでありますが、これは私が率直に申上げるならば、私がこの事件で使つておつた有安事務官、渡辺事務官、藤井事務官がしばしばこの虎の門に或いは呼出しをかけ、或いは行つて事情を聞くということで相当の手を盡しておつた、決して私がこの点の取締を遠慮したものでもなく、又サボつた事情ではないということを確信しております。又当時私は他の事件を一切停止してこの事件に専念しておつたわけでありまして、私自身といたしましては、私の最善を盡したというふうに考えておりますが、今それについて捜査が足りなかつたのじやないかとおつしやれば、これは私の捜査能力が足りなかつたということで御了解を願うより仕方がないのじやないかと思います。
#28
○カニエ邦彦君 この二十四年の七月の十九日に有城重吉のところから百四十一万という金が出ておるんです。そのうちの百三十九万ちよつとというものが、これがその自己小切手に直されて、そうしてこれが三和銀行日比谷支店に入つておるということはこれは動かし得ない事実であるということは私もわかつておるし、これは帳簿の記載の通りであります。それでそれまでの間一カ月、或いは二カ月弱の間の操作の動き方、この二百万円の動きというものについては私の言つておるのは、これは大草さんがその間に読売に売つたデソートが一つある、これは大草のものであるが、併し大草がデソートを読売に売つた、だが読売は分割拂しか拂わなかつたということなんで、そこで分割拂で支拂つた金が、読売が支拂つた金がこの有城重吉のところに入つて、そうしてそれが入つたのが今度は七月の十九日になつてこの形になつて出ておる。だから結局この間においては、そういう工合に中で一旦は金を支拂つたが、支拂つたやつは大草に又貸しておる、大草に貸しておるが、併しそれは何であるかというと、読売から入つて来るところの金を、有城のところに入つて来るやつを有城のところからもらうということで、そのもらつたものが百三十九万という金になつて来るのではないか、この点の調べはどうなつておりますか。
#29
○証人(渡辺留吉君) 読売から入つておりますのは五月二十日から七月の十六日までになつております。これは修理費を含めて七月十六日までに入つております。そこで七月十九日に入つた金が読売から入つた金になるのではないかという点であります。この点は先ず私が申上げたいのは、有城重吉が自分の会社の関係者、これは自分の会社を使つてブローカーをしておるものをいうのでありますが、それらのものの売却した代金を殆んどすべて自己の口座に入れる、そして自分の口座で自分の手許の金融を図つて行くという事情があつたようであります。ちよつとこの点甚だ私も記録の調書に基いて申上げるのではないので、あらかじめ御了解を願いたいと思う点でありますが、有城という男の性格をここでひとこと申上げておきます。有城は一方において家屋の差押をされておるのにかかわらず、別の場所において新たな家を建築しているというほどの金融にかけては極めて腕のいい男であつた。そこで自分のところで働いておる会社の関係者の売買した代金はともかく一応自分の口座に入れる、入れて自分の使えるだけのものをその間使つて行くというような事情にあつたようであります。そこでその点は大草の言うところと山下の言うところを総合して考えますと、このモーリスの代金は東宝から入つたものを有城自身が相当融通をしておつた、この点についてそれを推認し得るところは、大草と虎の門自動車との関係のこの読売へのデソートの金は読売との間に二十四年の七月の十六日に清算ができておるのにかかわらず、大草と有城との関係の清算は二十四年の八月の末まで続いております。而も山下と虎の門との関係は最後のナツシユの自動車を買う……失礼しました、二十四年の八月の末までの間大草と虎の門との間に解決がつかないでおいて八月の末に解決がついておるのにかかわらず山下と虎の門との関係は二十四年の十月になつて初めて清算をしたという事情が出ております。そうしますと、その食い違いの間誰がその金を使つておつたかということはおのずから明らかになつて来るのじやないかと思いますが、ともかく有城が会社の関係者の金を相当の間自分に運転して行くという事情があつたということが考えられるわけであります。従つて読売から金は入つておつたけれども、山下に現実に渡されたのは最後の金が七月の十九日という形になると思います。さようなわけでこの関係は虎の門をめぐつて非常なデリケートな問題があるのだということ、これは山下のみによつて解決さるべきものではなかつたという事情にあつたことを了解願いたいと思います。
#30
○カニエ邦彦君 その点では虎の門自動車がそういう、かく寄り集まつて来るブローカーの取引をした金を、一々自分の口座へ通しておるということは、これはその通りであろうと思います。併し、だからといつてなかなかこのブローカーがそうまあ五日や十日くらい流用することはこれはしようがないとしても、一カ月以上もそれを流用するということはなかなかブローカーというものは黙つていないというもので、どのいわゆる取引の結果を見ても長いもので四、五日の間に支拂つておるということがこの記録によつても窺われるのですが、まあそういつた議論はこれは枝葉末節のほうになりますから本論に戻りまして、この間も申しました通りこのデソートの十七万円の修理費というもの、うち二万円は切換えに要した、書類の手続きに要した費用である、あとの十五万円は修理その他であるというように言つておられますが、この明細についてもなお疑義が少し残つておりますが、非常にこれも金額が少いのでありますから、これはこの程度にいたしておきまして、次に……
#31
○高橋進太郎君 議事進行について……この前棚橋委員からも御注意があつたのでありますけれども、やはり決算委員会でありますから、十分質問者の表現についてもやはり決算委員会の本来の性質から外れるような質問は吟味して、委員長から十分質問を御注意になつて、そうして議事を進めて頂きたいということをお願いいたします。
#32
○カニエ邦彦君 今高橋議員からそういうお話がありましたが、今問題になつておる点は検察庁の報告に関してということが議題になつておるので、私はこの報告書を眺めつつやつておるので、少しも議題外のことに触れておるわけでは決してないから、さように御了承願います。
#33
○高橋進太郎君 これは検察庁の報告と言つても決算委員会で取上げましたのは、要するに決算委員会と関係のあるこの報告についての支出関係の経緯を聞こうというのが趣旨でありまして、先ほどからカニエ委員の話でありますと、証人に対して何か取調べについて、いわゆる当否等を論じたり、或いは意見を言われたり、非常に私から言うと証人に対する尋問の範囲を逸脱し、且つ又決算委員会としての趣旨を離れているように感じられるのです。その点は賢明なるカニエ委員は十分考えられて、そうして質問を整理せられて議事を円滑にせられることをお願いいたします。
#34
○カニエ邦彦君 少しもこれは逸脱をしておりません。それは速記録と何を御覧になればよくわかるはずだが、速記を整理して下さるように……間違つていないと思うので。
 それから次はデソートの問題であります。このデソートは、これはこの三和銀行日比谷支店の口座に入つておるように、百六十万円の金が、これが入つておる。そこで三十万円は木村元樹に対してブローカー賃としてやつておる。そしてあとの残り百三十万円、これが残つておるが、一万円はタイヤの金としてこれ又支拂われておるということで、このほかに三十四万の費用がかかつておる。従つて五万円の欠損をしておる、こういうことはどうしても事実に反しておるというように考えられるのです。その点はこの前も言つた通りに、然らばこの仲介手数料、修理費等々に三十四万円を使つたということ、これが三十四万円であるとすれば、そうすると百六十万円で売つた……、このあとの三十万円というものは一体どういうことになるのか、こういう問題がここで出て来ると思うのです。
#35
○証人(渡辺留吉君) この点はすでに前回も申上げた通りであつて、私の証言はいささかも変りないと考えますが、このデソートを以てモーリスと同様に山下と木村との間の約束が百三十万円であつて、それ以上木村が転売するのに幾ら儲けようとこれは山下には関係がないことであり、これは又経済的な取引社会において常にあることであつていわゆるブローカーが取引する場合にはただ口頭で話をしておいて次の者が二割、三割、四割というものを儲けて行くということは取引社会には常にあることであつて、それを木村が幾らで売つたかということは直接には山下には関係のないことであります。従つてこの三十万円は高橋名義の預金口座から十月三日に出ておりますが、この三日に出ておる三十万円は木村の手許に渡つておることは木村も認めておることであります。この三十万円は山下の手を離れ、木村の利益金として大村の手許に入つておるのであつてこれを山下に直接の関係ありというふうに見ることは取引社会の実情を無視した見方ではないかというふうに考えております。それからなお三十四万円の費用については、私が手許のメモを調べました結果、一般修理とそれから仲介料とそれから部品代、車庫費、ガソリン代、それから充電費というものが合せて三十四万円になつているというふうになつております。だからこの点は三十四万円というものは山下の供述とこの高橋名義の預金元帳との金の動きというものとが一致することになるわけで、先ほども申上げましたように、それ以上虎の門の関係者からの確定的な証言も得られなければ、又帳簿上の記載も出て来ないという事情で、山下の供述と高橋正義の預金元帳写しとを併せてこれを認定するに至つたということであります。
#36
○カニエ邦彦君 高橋正義名義のこの預金の中に百六十万円という金が事実預金としてこれは收入されているのです。この問題の口座の中に收入されているのです。百六十万円の金は……、にもかかわらずそうでないということの主張がどこで成立つか……。
#37
○証人(渡辺留吉君) これは大和証券の横線小切手が入つておるために直ちに現金化ができなかつたという事情で、一応口座を通して現金化して木村の手許に入つたという二とになるわけであります。
#38
○カニエ邦彦君 これはそういう御解釈でしようが、木村が何も事実がそうでなかつたなれば、横線小切手であつても当時の事情としては先ほどもあなたが言われたように胴元と言いますか、そういう小切手を交換し得べきここにはつきりとした機関があるのです。或いは虎の門自動車というものがあつて、だから勿論そういう場合であれば虎の門自動車に金を入れて、そうしてここに山下に百三十万円を支拂うということになり得るのが当然であつて、この場合においてはやはりこれは高橋口座に百六十万円入つているということは、やはりこれは私は百六十万円でこの車を山下が売つて、そうしてこの百六十万円の中か自木村に対して仲介の手数料を支拂つておるということがこの通帳の記録の上から見てもそういうことははつきり言い得られるのじやないか……。
#39
○証人(渡辺留吉君) これはカニエ委員も御承知だろうと思いますが、いずれの預金口座においても金の出入をたびたび重ねることによつて銀行の信用が得られるというのが経済社会の実情であります。従つてこの小切手がたまたま横線小切手であつたということと、高橋口座に金の出入を行う、殊に三十万或いは百万というまとまつた金を入れるということは、一応銀行の信用をつけるという意味もあつたということ、更にこれを有城の口座に入れてしまうと有城に利用されてしまうという問題があつて、有城の口座を避けて高橋口座においてこれを現金化するという事情にあつたということを述べております。
#40
○カニエ邦彦君 この点も今証人が言われるように、この口座というものは初めから銀行においても性質はわかつておる。そして山下なり高橋正義名義になつておりますが、大橋なりが、この取引の口座においてその信用を銀行に売るというような必要はどこまでも認められない性質のものであるという点とそれからもう一つは、横線小切手といえども何も有城に利用されなくても、有城の小切手はこれは振替えてもらつたつて一向に差支えないことで、その小切手は、その有城の小切手はここに振込んだつて一向差支えないことで、これは議論になりますが、それはおよそあなたのお考えはそういうように善意にお考えになつておるのだろうと私は思いますから、これ以上はこの議論はこの点ではいたしませんが、そこで三十四万円の確認というものについて、ただ今言われた一般修理と言いましてもこれはやはり塗装もあるし、それからエンジンの修理もあろうし、それから下廻りの修理もあるわけなんで、そういつたものがただ手数料やガレージ費だというようなことでなくてこの明細を一つ詳しく述べて頂きたいと思います。
#41
○証人(渡辺留吉君) その点は山下ははつきり記憶がないと言つております。ただ一応手数料は五万円、それから一般修理費は十五万円ぐらい、部分品その他で残余の金、大体その見当ではないかと思うが、詳細の点は記憶していないというふうに述べております。そこで先ほども申上げましたように、この点について虎の門その他を調べるために虎の門の関係者を呼出したところが全然出頭に応じなかつたという事情にあつて、それに対する山下の証言を覆えす資料、又山下の反証が出なかつたという事情になつております。
#42
○カニエ邦彦君 そうすると結論的には、この点は山下が述べておることをそのままにここにはお書きになつておるということであつて、これは修繕屋をお調べになる、或いは部品屋をお調べになつて、その証憑書類によつて三十四万円というものをここにお出しになつたと、こういうわけじやないのですね。
#43
○証人(渡辺留吉君) 虎の門その他の者を、調べ得る者を調べたけれども、これに対する上下の供述を覆えす資料が現われなかつたということで山下の証言をとつたのと、それから更に高橋正義の当座預金を証拠に挙げて、総合して認定したわけであります。
#44
○カニエ邦彦君 まあこの認定については相当疑義がありますが、これは後ほど総括して私が述べるといたしまして、次いで同年十月二十一日に先ず虎の門自動車株式会社社員大草勳を介して四十年型自動車ナツシユー台を百三十万円で買入れた。ここで百三十万円で買入れたというこの自動車は、どこにあつたもので、どういうものであるかということ、従つてこの百三十万円もさることながら、この前のデソート、百万円でデソートを買つた、これをここに記載されておると言うが、これは恐らく……私は百万円についても疑義がある、百万円の事実がないじやないか、もつとそれ以上安く買つておるというように考えるが、と同時にこのいわゆるナツシユ百三十万というものについて証言を願いたい。
#45
○証人(渡辺留吉君) 私のほうは佐藤の証言なり、それから大草の証言、それから山下の供述、高橋正義の口座の動き、そういうものを総合して認定したものであります。
#46
○カニエ邦彦君 口座のほうから認定すると、この百万円というのはどの口座から出て来るのですか。
#47
○証人(渡辺留吉君) デソートの百万円は七月二十八日の八十五万円、それから十月十八日の十七万円のうちの十五万円。
#48
○カニエ邦彦君 もう一度、十月幾日……。
#49
○証人(渡辺留吉君) 十月十八日です。これはあとで代金が入つてから支拂われたという形になつております。
#50
○カニエ邦彦君 そこでこれのナツシユの百三十万円の金はどこから出たの、この口座……。
#51
○証人(渡辺留吉君) 九月三十日の三十五万円と五万円、合計三十万円、それから十月二十一日の七十三万円、残余の金は、モーリスの残滯金がここで清算されたのであります。
#52
○カニエ邦彦君 残滯金が幾ら、二十七万余、その金はどこから出て来ておるの……。
#53
○証人(渡辺留吉君) これはそれまでの間虎の門自動車がモーリスの売却代金と、山下から預つた五十万円との金の清算をやるまで延ばしておつて、結局最終に二十七万円が残つておつた、これを振当てたというふうに供述しております。
#54
○カニエ邦彦君 これも山下の供述によつてですか。
#55
○証人(渡辺留吉君) 山下の供述によつたものです。
#56
○カニエ邦彦君 それから次は、まあこれも疑義がありますが、これはあとにしまして、それから修理に六十七万四千八百三十万円を要した。これの詳細について述べて頂きたい。
#57
○証人(渡辺留吉君) このうちの四十万四千八百二十円は、虎の門自動車株式会社から山下に対する修理費の請求書によつて認めたものです。それ以外の約十二万円、これは部品のラジオ、それからミツシヨン、チエンジレーバー等に要した費用、それからあとの約十五万円ですが、これが部品代と車庫費、試運転ガソリン代、バツテリーの充電費、タイヤ三本の金であると供述しております。
#58
○カニエ邦彦君 これの明細書というか、各部分品……タイヤの証拠書類は……。
#59
○証人(渡辺留吉君) タイヤその他の費用については、タイヤについてはブローカーから買つて領收書はないというふうに供述で答えております。で、虎の門自動車以外のものについては、山下の供述以外に裏付の証拠は出ておりません。
#60
○カニエ邦彦君 それから百三十万円で買つた自動車はもとどこにあつたの。
#61
○証人(渡辺留吉君) 私の記憶が間違いなければ、私の聞いたところではフイリピンのミツシヨンの拂下品であつたというふうに記憶しておりますが……。
#62
○カニエ邦彦君 この自動車はその通りフイリピンのミツシヨンの拂下であつて、而もこれは入札によつてやつているものでありますから、従つて大草がこれは売買をするとか仲介をするとかいうような性質のものではないのであつて、これは当時の拂下のいわゆる価格等についてお調べになつたか……。
#63
○証人(渡辺留吉君) これは大草の友人の手を介して買つているということで、友人の名前はちよつと記憶ありませんが、その当時所在を調べて見たところが、それがはつきり現われませんでした。従つてこの点は大草の供述と山下の供述を主として採用したものです。
#64
○カニエ邦彦君 この車は程度の惡い車であつたことは、これは事実でありますが、併しながらさりとて四十万円を修繕費に、いろいろなものに要して、そうしてでき上つた事実は、これは認められますが、六十何万円その他のものについては、これは当時かかつていないというのが事実ではなかろうか。これについての虎の門関係者のあらゆる調査等によつても、どうもこの点は出て来ないと私は思うのですが……。
#65
○証人(渡辺留吉君) 虎の門の関係者二、三の私のところへ出頭していたものについては、当時尋ねて見ましたが、いずれも、どのくらいでしようという推測的な証言でしか、訴訟法的な証言とするには足らない事情でありました。
#66
○カニエ邦彦君 これはあなたは專門家でないのでおわかりないと思うのですが、六十七万円という金は、当時ナツシユのエンジンのアツセンブリーを買つても楽に買える値段で、こんな厖大な修繕費というものはかかり得るわけがないのでありますが、この点については後ほど……今証拠を揃えておりますから、証拠をあなたのほうで提出するなり、委員会に出すなりいたしますが、その点については余り過大にここで評価し過ぎているというふうに見ております。それからその次に、そういう工合で止むを得ず昭和二十五年の三月二十八日にこのナツシユを百五十万円で売却して、差引四十七万円の所得を得たということの事実の認定については……。
#67
○証人(渡辺留吉君) この自動車の売却先は、山下との関係においては虎の門でありますが、虎の門はこれを関東電気通信局に百八十九万六千円で売つております。この間に星野癸子雄と記憶しておりますが、仲介しております。この間山下の手に渡つた百五十万円については、関係者の供述のうちでやや明確を欠くものがありますが、一応虎の門の関係では百五十万円というふうになつておるので、これは山下の虎の門自動車の関係の供述を採用して百五十万円というふうに認定したものであります。
#68
○カニエ邦彦君 それは認定でありますね。
#69
○証人(渡辺留吉君) 勿論我々のほうはすべて今まで申上げたことは認定であります。
#70
○カニエ邦彦君 その次に、その結果「この間昭和二十四年八月四日三十万円を特別調達庁に納入し、」これは事実その通りに相違ありません。「且つ前記高橋より借用した五十万円の返済と前記利益金の償還を迫られたので、同年十月中旬三十万円と昭和二十五年二月下旬頃二十八万円をそれぞれ斎藤政吉及び田村金太郎より一時借用して高橋に返済し」とありますが、ここで斎藤政吉、田村金太郎の三十万円、田村金太郎の二十八万円の金については田村金太郎自身が言つておりますが、十五万円以上の金は貸した覚えがないと、それからこの金はナツシユの修繕のときにナツシユを担保にして、そうして十五万円の金を貸した、その後一二度はあるが、数回に亘つてということはございませんと、又山下にたとえ一万円の金を貸すのにしても何か担保をとらねばこれは貸すようなことは絶対にありませんから、従つてこの二十八万円という金はどうも貸したような記憶はないと思いますがということを言つておるのですが、この間の事情について一つ詳しく願います。
#71
○証人(渡辺留吉君) 只今カニエ委員から御指摘のごとく田村の供述が極めてあいまいであります。と申しますのは、これは私の推測でありますが、田村はもぐり金融、即ち貸金業等の取締に関する法律の違反を恐れておつてこの点を明らかにしないというふうに考えておるわけでありますが、ともかく田村につきましては金の貸借の事情を認めながら非常に明確を欠いております。それが私ども理由書にも一応出ておりますが、ともかく田村の供述が極めてあいまいである。ところでこの金二十八万円を山下が高橋に渡したのは、高橋が当時宣伝社を経営しておつて、宣伝社の給料ということで日東証券株式会社の新宿支店の福島から二回に亘つて金を借りておつて、これの返済に困つて、これを山下から高橋に代つて支拂つたというふうになつております。で、高橋の供述、それから福島の供述、それから山下の供述、これを総合して、更に田村のあいまいではありますが、その供述もこれを総合してこの事実を認定したのであります。
#72
○カニエ邦彦君 この記載されている田村金太郎から借りたという金額についてもこれは非常に疑義がございます。必ずしもこれが事実であると認定するわけには私は行かないと思います。それから次に斎藤に三十三万円及び田村に二十万円をそれぞれ弁済したため運転資金のここで大半をなくしてしまつておるというように書いてありますが、これも一度に三十三万円、三十万円の金を返してもらつた覚えはないとこう言つておるのでありますが、その点はどういうことになつておるのですか。
#73
○証人(渡辺留吉君) これは斎藤も田村と同様に非常に言をあいまいにしております。ところがこれについて斎藤からは二十四年十月十二日に借受けたという高橋の証言、更に二十五年二月の二十五日頃に山下が高橋に二十八万円を支拂つた、これは先ほど申上げたように福島への支拂でありますが、さように当時の高橋の領收書があります。そのように関係者の供述と山下が高橋に入れた領收書、更に一応さような金額、日時ははつきりしないけれども、相当な金額を貸したことがあるという、又その返済を受けたという斎藤の供述、これを総合して認定したのであります。
#74
○委員長(岩男仁藏君) ちよつと速記をとめて下さい。
   〔速記中止〕
#75
○委員長(岩男仁藏君) 速記を始めて。それではこれで休憩いたします。午後一時半に再開いたします。
   午後零時三十八分休憩
   ―――――・―――――
   午後二時二十七分開会
#76
○委員長(岩男仁藏君) 休憩前に引続きこれより会議を開きます。
#77
○カニエ邦彦君 渡辺検事に対する検察庁の報告を午前の休憩に引続きまして行うのでありますが、併し現在委員長並びに私と郡委員、秋山委員の御両人にしか過ぎないので、従つてかような重要な質疑を行うのに際しましてやはり各党各派の議員が多数御出席になつていないときに御質問を申上げても、勢い判断を下しますのは各委員諸公がなされるのでありますから、そういつた点でこれから長時間に亘つて証人の証言を求めましても、これは実際問題として意義のないことになつてしまうというような点を考えまして、私といたしましてはまだそれ以後ずつと大橋の横領の件につきましても、又本問題の金銭の使途につきましても、その他検察庁の調書全般に亘りましていろいろな疑義を持つのであります。従つてこの疑義を正確に御判断願う議員諸君が今申上げました通り郡、秋山の両君しかおられませんので、これ以上引続いてやりましても、実際無駄になるのではなかろうか、こう思います。なお渡辺検事には再三お忙しいのに御出席を願つて、そうして御迷惑をかけていることだろうと思いますので、私はでき得る限りやりたいとは思つております。併し以上のような実情でございますから、本日は私の質疑はこの程度で打切つて、又の機会にあれば御質疑をいたしたい、かように思つておりますから、この程度で私は打切りたいと、こう思つております。
#78
○郡祐一君 今のカニエ委員のお話はわかるのですが、どうなんでございますか。ほかの委員会に現に質疑中か何かの委員諸君は別として、もつと集めて、証人もお忙しいところを来ているのですから、進めて行くような工合に委員長のほうでお計らい願えませんか。
#79
○委員長(岩男仁藏君) 係から各派の部屋に行つて見たがいないそうです。
#80
○小林亦治君 私途中からですが……私もカニエ委員と同様な意見を結論的に持つておりますので、又の機会という漠たることでなしに、次の期日をはつきりきめて頂いて、そしてカニエ委員の御提案のような方法でやられることを希望します。
#81
○郡祐一君 この扱いは先ほど理事会で、理事会でなかつたかも知れませんが、理事の諸君にも御相談もあつたことだと思うので、本日は事実上お集めになることが困難であるとすれば、扱いは委員長並びに理事の諸君にお任せして、カニエ君が先ほど言われたように、本日はこの程度で打切るということになれば、私はあとはそういうように扱いをお任せして今日はいいんじやないでしようかね。
#82
○委員長(岩男仁藏君) ちよつと申上げますが、さつき理事会を開きまして打合せたことに関して馬場検事正に対する証言はまだ残つておりますから、これはこの次の十日過ぎに一応おいでを願つて証言を求めると……渡辺検事に対する証言は何ら問題に触れておらないのですから、カニエ君は又の機会があるならばというようなお話であつたが、小林君の御発言では渡辺証人はこの次にもう一回喚問すると、こういうようなことであつたが、これは、今日僅か四、五角の出席でございますから、ここで私として決定しかねるわけでございます。いずれこれは後日又理事会を開いていろいろと各党各派の意見を徴してきめたいと、こういうふうに考えております。
#83
○小林亦治君 その今の点はわかりましたが……。
#84
○委員長(岩男仁藏君) ちよつと速記をとめて下さい。
   〔速記中止〕
#85
○委員長(岩男仁藏君) 速記を始めて下さい。
 今カニエ君からもいろいろ意見がありましたが、大体本日は委員の出席も少いようですから、この程度で散会いたしたいと思いますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#86
○委員長(岩男仁藏君) それでは散会いたします。
   午後二時三十九分散会
ソース: 国立国会図書館
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