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2020/06/02 第201回国会 参議院 第201回国会 参議院 法務委員会 第10号 令和2年6月2日
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2020/06/02 第201回国会 参議院

第201回国会 参議院 法務委員会 第10号 令和2年6月2日

#1
令和二年六月二日(火曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 五月二十八日
    辞任         補欠選任
     三浦  靖君     山崎 正昭君
 五月二十九日
    辞任         補欠選任
     鈴木 宗男君     柴田  巧君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         竹谷とし子君
    理 事
                高橋 克法君
                元榮太一郎君
                有田 芳生君
                矢倉 克夫君
                柴田  巧君
    委 員
                磯崎 仁彦君
                小野田紀美君
                中川 雅治君
                福岡 資麿君
                山崎 正昭君
                山下 雄平君
                渡辺 猛之君
                川合 孝典君
                真山 勇一君
                安江 伸夫君
                山添  拓君
                高良 鉄美君
                嘉田由紀子君
   国務大臣
       法務大臣     森 まさこ君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        青木勢津子君
   参考人
       法政大学大学院
       法務研究科教授  今井 猛嘉君
       早稲田大学大学
       院法務研究科教
       授        松原 芳博君
       ノンフィクショ
       ン作家      柳原 三佳君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○理事補欠選任の件
○自動車の運転により人を死傷させる行為等の処
 罰に関する法律の一部を改正する法律案(内閣
 提出、衆議院送付)
○参考人の出席要求に関する件
    ─────────────

#2
○委員長(竹谷とし子君) ただいまから法務委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、三浦靖君及び鈴木宗男君が委員を辞任され、その補欠として山崎正昭君及び柴田巧君が選任されました。
    ─────────────

#3
○委員長(竹谷とし子君) 理事の補欠選任についてお諮りいたします。
 委員の異動に伴い現在理事が一名欠員となっておりますので、その補欠選任を行いたいと存じます。
 理事の選任につきましては、先例により、委員長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

#4
○委員長(竹谷とし子君) 御異議ないと認めます。
 それでは、理事に柴田巧君を指名いたします。
    ─────────────

#5
○委員長(竹谷とし子君) 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律の一部を改正する法律案を議題といたします。
 政府から趣旨説明を聴取いたします。森法務大臣。

#6
○国務大臣(森まさこ君) 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律の一部を改正する法律案につきまして、その趣旨を御説明いたします。
 いわゆるあおり運転は、悪質、危険な運転行為であり、こうした運転行為による悲惨な死傷事犯等が少なからず発生しております。また、近時、あおり運転の厳罰化を求める国民の皆様の声も高まっているところです。
 この種事犯に対しては、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律第二条第四号の危険運転致死傷罪が適用されることがありますが、同号に掲げる行為に該当するためには、加害者車両が重大な交通の危険を生じさせる速度で走行して被害者車両に著しく接近することが必要とされています。
 しかしながら、近時の事案にも見られるように、加害者車両が被害者車両の前方で停止したような場合でも、被害者車両の走行速度や周囲の交通状況等によっては、重大な死傷事故につながる危険性が類型的に高く、現行の危険運転致死傷罪に規定されている行為によって死傷した場合と同等の当罰性を有するものと考えられます。
 そこで、この法律案は、自動車運転による死傷事犯の実情等に鑑み、事案の実態に即した対処をするため、危険運転致死傷罪の対象となる行為の追加を行おうとするものです。
 この法律案の要点を申し上げます。
 第一に、車の通行を妨害する目的で、走行中の車(重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行中のものに限る。)の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転する行為を行い、よって、人を負傷させた者は十五年以下の懲役に処し、人を死亡させた者は一年以上の有期懲役に処することとするものです。
 第二に、高速自動車国道又は自動車専用道路において、自動車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の前方で停止し、その他これに著しく接近することとなる方法で自動車を運転することにより、走行中の自動車に停止又は徐行をさせる行為を行い、よって、人を死傷させた場合も、同様とするものです。
 以上が、この法律案の趣旨であります。
 何とぞ慎重に御審議の上、速やかに御可決くださいますようお願いいたします。

#7
○委員長(竹谷とし子君) 以上で趣旨説明の聴取は終わりました。
 政府側は御退席いただいて結構です。
 速記を止めてください。
   〔速記中止〕

#8
○委員長(竹谷とし子君) 速記を起こしてください。
    ─────────────

#9
○委員長(竹谷とし子君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律の一部を改正する法律案の審査のため、本日の委員会に法政大学大学院法務研究科教授今井猛嘉君、早稲田大学大学院法務研究科教授松原芳博君及びノンフィクション作家柳原三佳君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕

#10
○委員長(竹谷とし子君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────

#11
○委員長(竹谷とし子君) 自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律の一部を改正する法律案を議題とし、参考人の皆様から御意見を伺います。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ御出席いただき、誠にありがとうございます。
 皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、本案の審査の参考にしていきたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方について申し上げます。
 まず、今井参考人、松原参考人、柳原参考人の順にお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、御発言の際には、挙手をしていただき、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、御承知おきください。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願い申し上げます。
 それでは、まず今井参考人にお願いいたします。今井参考人。

#12
○参考人(今井猛嘉君) おはようございます。
 ただいま御紹介にあずかりました法政大学の今井でございます。本日は、このような機会を与えていただき、光栄に存じます。
 お手元に本日の私の意見の要点を書きました配付資料があるかと存じます。その三ページ目には、議論されております法律案の五号と六号につきまして私なりに整理したものがございますので、適宜御参照いただければと存じます。
 私は、自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律、以下ではこれを本法と呼ぶことがありますが、その法律の一部を改正する法律案の審議をしました法制審議会の部会に委員として参画しておりました。
 そこで、本日は、本法案に賛成する立場から若干の意見を申し述べたいと思います。
 本法律は、危険な運転をした結果、人の死傷という結果が生じた場合に行為者を危険運転致死傷罪として処罰することにしています。危険運転致死傷罪という犯罪は、日本では二〇〇一年に新設されましたが、同種の犯罪類型は、特に英米法においてそれ以前から存在します。モータリゼーションにより自動車の利便性が確認されるとともに、その走る凶器としての性質も遺憾ながら認識されたために、この凶器を利用した結果として、人の、結果としての人の死傷に対しては、モータリゼーションで先んじていた英米法において先行する形で危険運転致死罪が構想されてきたところです。
 日本では、そうした他国の状況も踏まえつつ、従前の解釈、例えば、並走する車両に幅寄せをしてその安全な走行を困難にする行為が刑法の暴行罪で処罰されてきた等を踏まえまして、例えば、制御できない高速度での自動車走行を暴行罪に匹敵する、人の生命、身体を侵害する危険性を有する行為として捉え、その結果として人が死傷した場合に危険運転致死傷罪という犯罪を新設したものであります。これは十分な理由があったことであります。
 そこで処罰の対象となりますのは、人の死傷という結果を惹起した自動車の運転であります。これが危険運転として整理されます。換言しますと、人の死傷という結果発生の因果の起点となる悪質で危険な運転が危険運転として構想されてきたところです。
 本法案との関係では、本法第二条第四号に規定されております危険運転の意義が重要です。そこでは、「人又は車の通行を妨害する目的で、走行中の自動車の直前に進入し、その他通行中の人又は車に著しく接近し、かつ、重大な交通の危険を生じさせる速度で自動車を運転する行為」が危険運転として定義されています。
 犯罪は、その客観面と主観面から分析することでその内実が理解されるのですけれども、これが先ほどの配付資料の三ページに私が書いているところなのですが、先に、四号については書いておりませんので口頭で申し上げますと、四号所定の罪の客観面は、他車の直前に進入するか、他者又は他車に著しく接近する、これを第一の要件といたします、かつ、重大な交通の危険が生じることとなる速度で自動車を運転すること、これを第二の要件としますが、この二つから成り立っています。他方で、その主観面は、客観面を認識した場合の故意と、故意とは別に要求されている通行妨害目的であります。
 従前はこの第二条四号によって事件処理がなされてきたのでありますが、当罰的で危険な走行でありますが、四号によって把握できない事例が現れました。これが皆様御存じのいわゆる東名高速あおり事件であります。事案の詳細は省略いたしますが、その控訴審判決におきまして、東京高等裁判所は、被害者車両の直前に加害者車両を停止させた被告人の行為は本法第二条第四号に該当する運転行為に該当しないとして、同様の判断をした第一審判決に誤りはないものとしております。
 この事件はまだ終局に至っておりませんが、四号の客観的要件として挙げましたさきの二、すなわち速度要件を満たさない行為でも危険運転に整理すべき走行があるのではないかという問題を提起したものであり、大変重要です。この事件は高速道路上で生じていますが、高速での走行が基本とされている場面での低速走行及び停止等は他の車両との関係で危険です。この理解を一般化しますと、加害者が走行していた車両と被害者が走行した車両との相対速度が、被害者、さらには第三者が走行させた車両の安全な走行に悪影響を及ぼすことが示されたと言えます。この認識に基づき危険運転の概念を再整理しようとしたのが本法案であります。
 そこで、本法案の具体的な内容につき入ってまいりますけれども、そこでは、御案内のように、第五号と第六号を追加することが想定されています。繰り返しますが、それらの構造につきまして、私の理解につきましては配付資料の三ページに図示してございます。
 まず、第五号ですが、ここでは加害車両には重大な交通の危険を生じさせる速度での運転は要求されていません。この点で第四号とは異なる規定ぶりです。それは、第五号では、加害者車両が低速で走行していても被害者車両との相対速度により人が死傷する危険が十分あり得ることが着目されているからです。具体的には、そのような被害者車両に低速で接近等することでも被害者車両の通行妨害が可能となります。
 とはいいましても、そのような接近は、例えば、加害者車両の前方に認識された障害物や低速で走行中の先行車両を回避するための運転としてもなされ得るところは経験が示すところであります。そうした行為の全てを危険運転として処罰しますのは本法の趣旨に反しますから、第五号による処罰範囲を適正なものに限定するために、次の目的要件、すなわち車の通行を妨害する目的が要求されています。
 第五号所定の罪の故意は、犯罪事実の認識又は予見、すなわち自らが運転する車両が重大な交通の危険を生じさせる速度で走行中の被害者車両に接近等することの認識又は予見ですから、通行妨害目的というものは故意とは別個の主観的責任要素であります。これによって本罪の成立範囲を限定することが期待されています。
 そのような犯罪成立の機能を担うべき要件ということから考えますと、この目的としては被害者車両の通行を妨害することの積極的な意欲が必要と解すべきだと思います。もしかしたら被害者車両の通行を妨害するかもしれないとの認識が加害者車両の運転者の頭の中をよぎった場合、五号の罪の未必の故意というものは認められますけれども、通行妨害目的は認定できず、したがって本罪は成立しないことになると思われます。
 続いて、第六号に参ります。
 第六号では、加害者車両、被害者車両及び被害者車両に衝突等するであろう第三者の車両が、いずれも高速自動車国道又は自動車専用道路を走行していることが前提とされています。そこでは、一般道に比べて高速での走行が予定されており、かつ駐停車は原則として禁止されています。以下では、加害者車両A、被害者車両B、第三者車両Cとしまして、典型的な事例をお話ししたいと思います。
 例えば、Aが通行妨害目的でBの前方に停止しましたが、そのことでBが停止又は徐行するに至りました、その後、CがBへの追突を回避できなくなり衝突し、B又はCの中にいた運転者が死亡したという事例であります。
 この事例では、Aの運転者には、B車又はC車の運転者の死亡につき、本法第二条第六号により危険運転致死傷罪が成立し得ます。また、A車の走行は、B車が重大な交通の危険を生じさせる速度で走行中であった場合、第五号の行為にも該当します。さらに、A車自身がそのような重大な交通の危険を生じさせる速度で走行していれば、四号の行為も該当します。
 このように、この事例でのAの走行は、本法で想定されています六号に加えて、五号、四号でも捕捉可能であります。それらの罪は、最終的には包括一罪という評価になろうと思います。このように、第四から想定されている五、六号の罪は互いに排斥し合うものではありません。どの罪が成立するかは個々の事案の証拠関係によって解決されるべき問題だと思われます。
 ただし、ここでも注意すべきことは、いずれの罪を検討するに際しても、Aの走行とそれからB又はCの死亡との間の因果関係を厳格に認定すべきだということであります。因果関係の概念については様々な理解がございますが、判例では、行為に内在した結果発生の危険性が結果としての法益侵害として自己実現したかという規範的な観点が重視されています。実際には、行為から結果が生じたことが極めて異常でない限り、因果関係が肯定される傾向にあります。この点については、学説上は議論がありますけれども、刑事罰の新設は少なくともその時点での判例を踏まえたものであるべきでしょうから、上のような理解が可能だということになります。
 この判例の理解に沿った場合でも、さきの例で、Aによる危険運転とB又はCの運転者の死亡という結果との間の因果関係が否定される事例は想定可能であります。
 例えば、渋滞中の高速道路で多くの車両が徐行や停止を繰り返しているときに、Aが停止し、よってBに著しく接近した後に、CがBに衝突して、B、Cが傷害を負ったという場合です。この場合、B又はCの傷害は、Aの停止、接近行為による結果とは言えない場合が考えられます。
 具体的には、B又はCの傷害は渋滞中のB又はCの不注意な運転操作が主たる原因であると事後的に判明した場合だと思われます。また、渋滞により他の走行車両が徐行や停止を繰り返しているという状態が解消された後にCがBに衝突し、B、Cが死亡したという場合、一般的にはAにこの場合でも六号の罪が成立する可能性がありますが、ここでも因果関係が検討されるべきです。
 この場合、Cにおいて、Bが前方に停止していることを認識又は予見し、Bへの衝突を回避する十分な余裕があった場合などが考えられますが、そうした場合にはCの死亡に対するC自身の過失行為による寄与が大きいと思われ、このような場合にはCの死亡とAのBへの接近との間に因果関係が否定されることになると思います。
 このように、第二条第五、六号として想定されている危険運転及びそれに起因する危険運転致死罪の成立範囲は決して無限定なものではありません。
 以上述べたことを以下確認します。
 第一に、限定の契機でありますが、運転の危険性を精査することが必要です。さきの例で、Aに相当する車両の走行を第五、六号の対象から、その危険性に着目し、除外することは可能であります。ただし、被害者車両が十分な高速走行をしていない場合には、A、あっ、済みません、被害者車両が十分な高速走行をしていない場合にはAに相当する加害者車両性の認定にはおのずと限定が掛かるであろうということであります。
 第二に、繰り返しになりますが、因果関係による本罪の限定可能性であります。因果関係の有無は先ほど言ったようなかなり規範的な命題により処理される傾向にあります。規範的であるがゆえに、他の犯罪類型では、例えば殺人罪等では行為者の主観、動機等を踏まえて因果関係を否定しないという傾向も見られるところであります。
 しかし、本法案が想定します車両の走行による人の致死傷では、道具としての車両の挙動を客観的に測定することが事件処理の中核となりますので、客観的な証拠、例えばブレーキ痕、車内に設置されたイベント・データ・レコーダーに残された電子ファイル、高速道路の側道に設置されたカメラに残された記録等から、車両A、B、Cの挙動が客観的に認定できます。それらを用いることで、第五、六号で構想されています犯罪の客観的要件は十分立証可能だと思います。
 また、主観的要件も、客観的な事実に関して、客観的要件の存在があってのものでありますから、先ほど申したように、例えばいろいろな情念によって起こされることもある殺人罪等と比べますと、通行妨害目的の認定もより客観的、安定的になし得るのではないかと思います。
 以上申し上げてきましたように、私は、第五、六号において想定されている新たな罪は、現時点で、その抑止が強く要請されている危険運転を適切に概念化し、刑罰の対象として認定したものだと評価しております。
 あおり運転については、国際的に見ても共通の定義がございません。例えば暴走族等が大音量を上げて集団で走行することも日本ではあおり運転として理解することは不可能でありませんけれども、本法案では、あくまで本法の中での危険運転という視点から把握可能な走行を着目したところです。
 この観点からは、加害者車両が低速であり、被害者車両の直前で停止する行為に典型的に示されているように、従前は危険運転として認識されることの少なかったが実は大変に危険な走行類型を認識する必要があります。本法案はこの点を認識させるものでありまして、改正道路交通法とともに、直接、あおり運転と言われるものの中核的な部分を適切に規制することが必要です。
 今後は、今も申しましたが、改正道交法や本法案によって直接には規制されていない様々な周辺的な運転にも着目する必要があります。そこでは恐らく交通心理学の知見を十分に活用することがあるかと思います。
 以上が私からの意見です。御清聴、誠にありがとうございました。

#13
○委員長(竹谷とし子君) ありがとうございました。
 次に、松原参考人にお願いいたします。松原参考人。

#14
○参考人(松原芳博君) 御紹介いただきました早稲田大学の松原でございます。
 このような場でお話をさせていただき、光栄に存じます。
 本日は、刑法解釈学の見地から、本法案について所見を述べさせていただきます。一枚のプリントをお配りしたので、参照してください。
 結論を申し上げますと、後に述べますような因果関係をめぐる課題はありますものの、今回の法案は基本的に支持できるものと考えます。
 今回の改正は、東名高速あおり運転事件を契機とするという経緯から見ましても、現行四号の妨害運転類型の補充規定として意図されたものです。したがって、法案五号、六号に対する評価は、四号と同等の当罰性を有する行為を一定の明確性を持って記述できているかに懸かっています。
 四号は、重大な交通の危険を生じさせる速度、以下、この速度を危険速度と呼び、この要件を速度要件と呼びますが、この危険速度をもって行為者車両が被害者車両に接近する行為を実行行為とします。東名高速あおり運転事件で直前停止行為の実行行為性が否定されたのは、被告人の直前停止行為が速度要件を満たさないからでした。しかし、妨害運転によって重大な交通の危険が生ずるのは、行為者車両が危険速度であった場合に限らず、被害者車両や第三者車両が危険速度であった場合も同じです。そこで、被害者車両が危険速度であった場合を捕捉するものとして五号が、第三者車両が危険速度であった場合を捕捉するものとして六号が新設されることには合理性があるものと考えます。
 もっとも、行為者車両ではなく被害者車両や第三者車両の速度に由来する危険を処罰理由とするのであれば、実行行為を運転に限定する必要はなく、走行中の自動車の前にブロックを投げ込むといった行為を五号、六号の実行行為から除外する理由は失われるのではないかという疑問も生じます。
 しかし、本罪は、自動車運転処罰法上の罪であり、特に四号の妨害運転罪の補充類型であること、運転以外の危険行為は多種多様であり、個別列挙は困難であるが、さりとて包括的な規定では明確性を期し難いことから、実行行為を運転行為に限定したことには合理性が認められます。他の方法による妨害には、殺人罪、傷害致死罪、往来妨害致死傷罪等で対処すべきものと考えます。
 ところで、六号には速度要件は規定されていません。高速道路という場所の要件によって代替させています。この点から、渋滞中における低速走行中の事故についても形式的には六号の構成要件に該当するという問題が生じます。しかし、このような場合は重大な死傷結果が生ずる危険が類型的に高いとは言えず、四号と同等の当罰性は認め難いところです。
 この点につき、法制審議会の刑事法部会では、六号の実行行為が予定している危険の現実化がないので因果関係が否定されるとの説明が事務局からありました。刑法解釈学の見地からはこの説明は極めて正当なものであると思います。因果関係は危険の現実化と言われますが、この危険の現実化という公式自体は白地手形のようなもので、実際に結果が発生した以上、危険の現実化は常にあるとも言えるのです。
 重要なのは、当該構成要件が禁止の理由とした危険が結果に実現したかどうかです。特に、結果的加重犯においては、基本犯に内在する類型的な危険が結果に現実化して初めてその重い法定刑を正当化できると考えられます。
 法案六号に関して言えば、高速道路という要件において立法者が予定した危険は、自動車が、少なくとも四号、五号の速度要件に相当する速度で走行している状況下での追突等の危険を予定しているのであって、関係車両が全て低速度であるような場合には本罪の予定する危険の現実化が認められないという解釈は理にかなったものであり、私もこれを支持したいと思います。
 しかし、このような危険の現実化に関する限定的な理解がどこまで現在の裁判実務に浸透しているのかに私は疑問を持っております。
 最高裁平成十五年七月十六日決定は、マンションの一室で執拗な暴行を受けた被害者が、隣人が苦情を言いに来た隙に靴下履きのまま逃げ出し、十分後、八百メートル離れた高速道路に侵入し、自動車にひかれて死亡したという事件で、当初の暴行と死亡結果との間の因果関係を肯定し、傷害致死罪の成立を認めました。
 しかし、傷害致死罪が特に重く罰せられる理由が暴行、傷害に内在している死の高度の危険の現実化にあるとすれば、同罪の構成要件は行為者によって加えられた有形的作用ないし生理的作用の現実化によって死亡結果が生じた場合を予定しているのであって、被害者の逃避行動に起因する交通事故による死亡は構成要件の射程外というべきではないでしょうか。
 また、今回の法案の契機になった東名高速あおり運転事件では、検察官は、高速道路上では時速ゼロキロも危険速度であるという論理で被告人の直前停止行為を四号の実行行為と見て危険運転致死傷罪の成立を主張しました。これに対して一審判決は、速度要件を満たさないという理由で直前停止行為を同罪の実行行為から除外しつつ、それに先行する四回の割り込み行為及び時速二十九キロメートルまでの減速行為を実行行為と見た上で、この四度の妨害運転と追突事故との間の因果関係を肯定いたしました。
 しかし、四号の構成要件が予定している危険は、危険速度が規定されている趣旨や著しく接近することが要求されている趣旨からして、加害車両との接触による危険や接触回避のためのとっさの行動に伴う危険であると考えられます。被害車両の停止後の第三者車両の追突による死傷結果を当初の割り込み、減速行為に内在する危険の現実化と見ることには無理があるように思われます。被害者車両の停止は、四度の妨害運転の結果ではなく、まさに被告人の直前停止行為の結果です。
 そこで一審は、被告人は、被害者車両を停止させ、文句を言いたいという一貫した意思の下で四度の妨害運転に及んだことから、直前停止行為は四度の妨害運転と密接に関連する事実であるとして、因果関係判断に組み入れています。
 しかし、意思の一貫性は、妨害運転自体の危険性を基礎付けるものではありません。一審の論理は、密接関連性というマジックワードを用いて実行行為から排除されたはずの直前停止行為を再び実行行為に取り込むものであって、罪刑法定主義の潜脱ではないかという疑義を免れません。
 控訴審判決も、一審と同様、四度の妨害運転と結果との間の因果関係を認めました。その理由は、高速道路上で被害者車両の直前への進入等を繰り返す行為は、被害者車両に対し強引に停止を求める強固な意思を示すものであって、その運転者らに多大な恐怖心を覚えさせ、高速道路の第三通行帯に停止するほかないとの判断を余儀なくさせるというものです。
 しかし、四号がとっさの回避行動を超えてどこまで心理的影響を通じた危険を射程としているのか疑義があるほか、本件では、被告人の直前停止行為が被害者車両の停止の必要かつ十分条件であって、先行する妨害運転の有無やその際の加害者車両の速度は結果に有意な影響を及ぼしていないように思われます。
 実際、一審判決までのメディアの論調は、本件は直前停止行為を実行行為と見ない限り危険運転致死傷罪には問えないとするものでした。検察官も、同様の理解から、直前停止行為の実行行為性に固執するとともに、それが否定された場合に備えて監禁致死傷罪を予備的訴因に加えたのでした。私も、本件の焦点は、直前停止行為が危険速度による運転に当たるかであると考えていました。そして、時速ゼロキロを危険速度と解釈することには無理があるので、本件は過失運転致死傷罪に落ち着くのではないかと予測していました。大多数の法律家にとって、直前停止行為をまたいで先行する妨害運転と追突事故とを因果関係で結び付けることなど思いも寄らなかったのです。
 以上のような裁判例を見ますと、果たして法制審の事務局説明のような因果関係による限定が保証されているのか、疑念がないわけではありません。なお、事務局の説明を、因果関係自体の限定ではなく、因果関係の前提としての実行行為性の限定として捉え直す意見もありました。しかし、六号で問題となる危険速度は追突事故などの中間結果に関連するものなので、厳密には被告人の行為の後の事情と見るべきですから、やはり、実行行為性ではなく、危険の現実化の問題と見るのが正しいと考えます。
 以上のように、解釈上の限定の保証がないことから、法制審の部会でも明文の文言による限定が検討されています。まず、危険速度で走行がなされている高速道路においてと規定する提案がありました。しかし、前述のように、危険速度は追突などの時点で要求されるべきであるのに、本提案によれば、被告人の行為の時点における要件になってしまいます。
 次に、四号、五号とのすみ分けから、停止車両に衝突する第三者車両について速度要件を付することが考えられます。しかし、本法二条は、柱書きに死傷結果、各号に実行行為を規定する形になっていて、衝突といった中間結果にまつわる事情を書き込む場所がありません。こうして六号に速度要件を書き込むことが困難であるとすれば、法制審の事務局説明のように、本罪の予定する危険という観点から因果関係を限定するほかありません。その際、法制審で因果関係の限定的理解に一定のコンセンサスがあったことは大変重たい事実であって、心強く思います。これを機会に、構成要件の予定した危険に即した実質的な危険の現実化の判断が浸透し、定着していくことを期待いたします。
 また、前述のとおり、私は東名高速あおり運転事件において、先行する妨害運転と追突事故との間に刑法上の因果関係を認めることには無理があると考えております。六号の新設により、直前停止行為が正面から本罪の実行行為に取り込まれることで、因果関係の不当な拡大に歯止めが掛かることを期待いたします。
 私の意見は以上です。少しでも参考になりましたら幸いです。

#15
○委員長(竹谷とし子君) ありがとうございました。
 次に、柳原参考人にお願いいたします。柳原参考人。

#16
○参考人(柳原三佳君) 柳原三佳と申します。
 私は、今回、このような法案の会議に参加させていただいて本当に有り難いと思っているんですけれども、私自身は法律の専門家ではありません。ただ、約三十年間にわたって交通事故被害の取材を続けてきまして、過酷な被害の現実を目の当たりにしてきました。そして、多くの被害者や御遺族が本当に苦しみの中から声を上げて、そして数々の法律を変え、また被害者の支援体制を構築する、そういう場面に臨場してきました。
 取材を始めた当時というのは、全てのもうどんな悪質な事故でも過失で処理をされて、当時のことから考えますと、もう本当にこの三十年間で、まあもちろんその交通事故の件数、死亡事故死者数も含めてですけれども、本当に隔世の感があります。しかしながら、現在でも、もう残念なんですけれども、信じられないような悪質な運転者がいまして、そして重大事故を起こし、かけがえのない命が奪われ続けています。
 例えば、今回コロナの問題でたくさんの小中学生が自宅待機ということになりましたけれども、私は本当にこれ危険だなというふうに思いまして、何度も記事をこの三月、四月書いてきました。けれども、記事を書くたびに、毎週のように新たな犠牲者が生まれている。本当に恐ろしいことだと思っています。
 実は、私自身は、長年バイクや車を非常に愛好してきました。特にバイクに関しては、趣味として十代の頃から、原付のスクーターから始まって、中型免許そして大型免許も取り、ナナハンにも乗って、もう全国各地をツーリングするという、そういうふうなことをしてきました。
 実は、私がその交通事故の記事を書くようになったきっかけというのは、まず原点はここにありまして、友人が、やはりバイクに乗っている人たちが結構相次いで亡くなったという経験をしています。そこで、やはりほとんどの方が単独事故で亡くなっているんですけれども、なぜこんな場所でこんな亡くなり方をしたのかというのが分からない、そういうケースが非常に多いんですね。ひょっとしたら直前にあおられたんじゃないか、幅寄せされたんじゃないか、何か危険な物を投げられたり、いろんなことがあったんじゃないか、そんなことを想像するんですが、結局そういうことはもう闇に葬られたまま、分からないまま終わっています。
 先ほど今井先生が二ページ目で追突事故のケースを言ってくださいましたけれども、例えば最初にその原因をつくったA車というのが高速道路で逃げてしまったらどうなるでしょう。多分、昔だったら、もうドライブレコーダーもありませんし、ほとんどのケースが、そのあおりなり妨害運転をした人たちは、そのまま後ろで事故を誘発したまま逃げる、こういうことをしてきたんじゃないでしょうかと、そういうふうに思います。
 こういうこともあって、私はその第三の他者、単独事故における第三の他者の存在というものをすごく今まで気にして取材活動を続けてきました。ですから、そういう意味においても、今回の法律改正案というのは、もう悪質で危険な運転行為を行う運転者を厳正に裁くためにはもう絶対に必要だと思いますので、長年運転を続けてきたドライバー、ライダーの一人として賛成したいと思います。
 ただし、その上で、こういうあおり運転を始めとする危険運転、その後の裁判の現実、こういうことを知っていただいて、そして、法改正の後、犯人の逃げ得ですとか、それから逆に冤罪ですね、結局その後ろで事故を起こした人というのは、もう何というのか、不可抗力、避けることのできない事故を起こしてしまっていると思うんですが、そういうことも決して許してはならないということですね。そういう事件を一件でも減らすために、実際にその交通事故問題にこれまでたくさん被害者や御遺族の方々が取り組んでこられましたが、そういう方々の御提言も共に今回紹介したいと思います。
 このレジュメに基づいて、もうざっと流していきたいと思うんですけれども、まずちょっと、交通事故の死者というのがどれぐらい生まれているかということなんですけれども、ちなみに、この今新型コロナウイルスで全世界の死者数というのが五月三十日現在で三十六万四千四百五十九人ということになっていますけれども、これ、二年前にWHOのテドロス事務局長が言っているんですけれども、交通事故による全世界の一年間の死者数というのは、一年間にですよ、百三十五万人、地球上で。二十四秒に一人のペースで交通事故で亡くなっています。テドロスさんはこのときに、交通の代価として容認できない犠牲だと、これは解決策が既に分かっている問題だというふうに二年前におっしゃっています。
 解決策が既に分かっている、これはすごく大きな言葉だと思うんですけれども、私はどちらかというとこの部分に焦点を合わせて、今からその五つの点について述べたいと思います。
 まずは一番目。このあおり運転というのは、もうとにかく今始まったことではなくて、過去にたくさん起こってきたと思うんですけれども、結局、客観的な事実関係が非常につかみづらいということで極めて困難です、これを立件するのは困難なのが現実だと思います。
 それで、先ほど冒頭にも申し上げたように、不可解な単独事故、この直前に第三の他者が絡んでいないかどうかという問題、それから、今回の法律の改正の中で、非常に、後ろの車を急に停止させるような感じで割り込んで低速で車を止めるとか、そういう悪質な運転というのがあるんですけれども、これが妨害という目的だけではなくて、私は結構保険金詐欺にも今まで使われてきたんじゃないかと思っています。
 つまり、自分の車を急に止めて後ろの車に自分がぶつけてもらえれば、形的には追突事故になるわけなんですけれども、追突事故というのは基本的に追突した方が悪いというふうに取られますから、事故をつくった悪い本人たちが結局保険金を得られる。実際、こういう事故を取材したことも私はあります。結局、こういうふうなことも問題にしていかなければならないんじゃないかなというふうに思います。
 結局、最近のそのあおり運転がここまでクローズアップされたのは、あそこまでクリアな、もう本当に鮮明な映像が残っていたからですよね。もしあれが、ドライブレコーダーの映像がなければこういうふうに立件できたんでしょうか。恐らく、あれがなければそのまま逃げられていたと思います。
 ですから、こういう法律とともに、やはりドライブレコーダーの装着の義務化、最近はオートバイ用のドライブレコーダーもちゃんとありますので、こういうものを是非装着するようにする。そしてまた、そのドライブレコーダーのデータを、じゃ誰のものとするのか、加害者が自分の不利なデータを消さないように、その辺りまでしっかりとチェックして、何かこうルールをつくっていただきたいなというふうに思います。
 それから二番目ですけれども、この悪質事故というのはもう本当に遵法精神のない悪質なドライバーによって繰り返し起こっています。これはちょっと一般のドライバーの感覚では考えられないようなことが行われているんですね。
 私、今日はこの資料の中に過去の記事を添付させていただきました。二〇〇二年とそれから二〇一四、五年に書いた記事だと思うんですけれども、ここに本当に信じられないような悪質な事故の被害に遭われた御遺族の話をたくさん載せています。こういうものを見ていただいて、そして、とにかくこんな悪質な人たちにどう対処していけばいいかというところを念頭に置いていただきたい。
 特に私が深刻だなと思っているのは、週刊朝日の二〇〇二年の記事の中の三十九ページにその記事を書いているんですけれども、当時は飲酒運転の厳罰化という議論が行われていた時期でした。ところが、これが法律を改正される前にその議論がメディアで取り上げられたことによって、当時八千七百八十一件だったひき逃げ件数が何と僅か二年で一万六千五百三件、二倍に増えているんですね。つまり、罰則が厳しくなるというのは、じゃ逃げればいいやと、逃げなければならないと、そういうふうにひき逃げや当て逃げ、逃げるというような行為を誘発することもありますので、ここで是非お願いしたいのが三番なんですけれども、悪質ドライバーの逃げ得は絶対許さないために徹底的な捜査を行ってほしいということなんです。
 例えば、高速道路だとか道路にはNシステムといってナンバーの自動読み取り装置みたいなのが付いていると思うんですけれども、こういうものを徹底的に捜査に活用する。東名高速のあおり運転事故ではこれが活用されたというふうに伺っていますけれども、普通のひき逃げ事件のレベルではなかなかNシステムまでは使ってもらえないというのも聞いているんですけれども、この辺りを是非、何というんですかね、アピールしていただいて、その悪質な人たち、君たち逃げても駄目だよ、それから、そういう犯罪犯したらいけないよという抑止力に是非使っていただきたい。
 そしてまた、このひき逃げとか当て逃げという行為が、今時効が七年なんですね。犯人が七年逃げ続ければ、もう時効になってしまう。だから、こういうことも併せて、法律的にはなかなか改正は難しいというふうには伺っていますけれども、この辺りも是非検討していただきたいなというふうに思います。
 それから四番目。危険運転致死傷罪というのが、すばらしい、何というんでしょう、悪質な運転を排除するためにはいい法律なんですけれども、現実には適用率が非常に低い。もう相当悪質な事件でも大体は過失ということで処理されている。こういう現状も先ほど添付した記事の中に実例を入れているので、是非御覧いただきたいと思います。
 そして最後にですけれども、五番目。車を凶器にしないための取組ということ、ここは一番強調したいところですけれども、本日、この委員会にもクルマ社会を問い直す会の方が傍聴に来てくださっています。お一人は、十七年前に青信号を横断中の六歳のお嬢さんが左折巻き込みのダンプにひかれて亡くなっています。そういう大変な思いをされた御遺族が一生懸命今まで活動して、そして彼らの思いというのは、とにかく再発防止、同じような思いをする遺族を出したくないということで闘ってくださっています。
 また、創立二十年になりますが、北海道交通事故被害者の会の代表の前田敏章さんと二日前にいろいろ電話でお話をしました。前田さんはこうおっしゃいました。刑罰とは被害者遺族の報復ではない、これは社会が科すものだ、私たちの願いは、こんな苦しみ、悲しみは私たちで終わりにしてくださいというそれが心からの叫びです、厳罰化は間違いなく抑止力となります、しかし、もちろんそれだけで事故はゼロにはなりません、車を絶対に凶器にしない、そのための根底の施策を総合的に全て行うことが肝要と、冷静に考えています。
 この北海道交通事故の被害者の会では、本当に毎年大変具体的で中身の濃い要望書を国の方に提出しておられます。是非この会の要望内容を御覧いただいて、具体的に、この厳罰化ももちろん大切だけれども、その裏側で事故をなくす施策というものを真剣に考えていただきたいなというふうに思います。
 最後に、この解決策としてその提言の一例なんですけれども、まずはこういう悪質ドライバーをどのように排除するか。例えば、免許の資格の厳格化、ドライバーの適性検査ですね、認知機能、健康状態の適正な判断と、そういうものも、交通教育とかも幼いときからやっていく。それから、歩行者が青信号で横断中に絶対に犠牲者を出さないために、この歩車分離信号というものがあるんですけれども、要するに、歩行者が青のときに全ての車を赤で止めましょうという、スクランブル交差点みたいな、ああいうふうなものをどんどん導入すれば、本当に弱者の、ルールを守っている子供たちの命が守られるんじゃないかというふうに思います。
 それからまた、速度ですね、車の速度が、スピードが出ると重大事故が起こります。今回、コロナの影響で交通量は激減して交通事故件数自体は減ったというふうに言われているんですが、残念ながら都市部ではそのスピードが上がってしまって、そして死亡事故が増えているという現実があります。この辺りから見ても、やはり速度をいかに落とすかというところ、要するにセーフティーゾーンでは速度をきっちり落としましょうということを徹底していくべきだと思います。
 それから、最近よく問題になっているアクセルとブレーキの踏み違い事故、これも、すごい、物すごい件数起こっているんですね。でも、これも、車の方にアクセルとブレーキの踏み違いを防止する装置、例えば、私、パニックレスアクセルペダルというものをこの間付けた自動車に試乗してみましたけれども、これはもうアクセルを思い切り踏み込んだときに自動的にペダルがぱんと外れるような仕組みになっていまして、絶対にこの機械を付けていればあんな悲惨な事故は起こらないのに、というのをもう痛感したんですね。
 こういうことで、今私たちがやるべきこと、やるべき対策、たくさんあると思います。これを一つ一つ検討して、そしてこの法律とともに悪質運転を排除していくと、そういうことを是非御検討いただきたいと思います。
 ありがとうございました。

#17
○委員長(竹谷とし子君) ありがとうございました。
 以上で参考人の御意見の陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 なお、質疑及び答弁は着席のままで結構でございます。
 質疑のある方は順次御発言願います。

#18
○小野田紀美君 ありがとうございます。
 ちょっと、様々な視点からだったので、お三方に聞くとなると、どういう質問の仕方がいいかなというのはちょっと悩ましいところではあるんですけれども、本当に基本的なこととして、この法案が実現した場合、危険運転を防止する観点からどのような効果、どれぐらい効果があると思われているのかなというのをちょっとお三方にお伺いしたくて、結局、その因果関係であるとかそういったものは個別の裁判で判断されることなので、事故が起きてからこの法律がどういうふうにその裁判にこれが危険運転だと認めてもらうかという意味の効果と、あとは、こういうふうな運転は危険運転になるからしちゃいけないんだよという抑止力という意味のその効果と、いろいろあると思うんですが、この辺をどのようにお考えなのかをお三方にお伺いできたらと思います。

#19
○委員長(竹谷とし子君) それでは、今井参考人、松原参考人、柳原参考人の順に、挙手の上、御答弁をお願い申し上げます。

#20
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございました。
 今先生がおっしゃったとおりのことを私も思っております。個別の事案の解決を離れますと、このような法律ができると、道路交通法の改正と相まって一般予防というものは強く期待できます。
 具体的には、免許を取りに行く際に教習所においても、このような法改正がありました、皆さんがドライバーとなったときには新しい法律をちゃんと守って、従前以上にいわゆるあおりという危険な運転はやめてくださいと言うことは大変効果があると思います。それから、マスコミを通じて、より安全な道路環境をつくろうという機運を上げていただくことも、じわじわとかもしれませんけれども、大変大きな力になると思っております。

#21
○参考人(松原芳博君) 一般予防といっても、メッセージ機能と具体的に適用と二つあると思うんですね。
 具体的適用についてはそれほど多くはない可能性もあります。というのは、四号とかなりかぶっているんですね、五号、六号。したがって件数としては多くないかもしれないし、それから立証の問題、これは車載カメラの普及と関係すると思います。
 しかし、他方、メッセージ機能が大きくて、やはりこれで、あの東名事件のようなタイプはいけないんだよというのが法律になる、議論されるということの規範意識の覚醒という意味での一般予防効果の方はかなり期待できるんじゃないかと思っております。

#22
○参考人(柳原三佳君) 飲酒運転などは、飲酒運転の厳罰化で本当に減りました。これは物すごい効果があったと思います。
 ただ、このあおり運転に関しては、このあおりをやるような人たちは、もう法律を無視するのを楽しんでやっているようなところがありますので、こういう人たちを抑止するには、先ほども言いましたように、やっぱり逃げても逃げられないんだよというところ、捜査を完璧にやる、そして完全に捕まえるよという、その辺りのこと、で、先ほど先生がおっしゃったようにドライブレコーダーの義務化、この辺りを徹底することが必要ではないかというふうに思います。

#23
○小野田紀美君 ありがとうございます。
 柳原参考人からいろいろこうした方がいいという御意見をいただいているところなんですけれども、ほかの、松原参考人、先ほどドライブレコーダーの義務化の話もありましたけど、今井参考人、お二方とも、もうちょっとそのイメージ、何というんでしょう、抑止力、これは危険なことなんだという以外で、こういう視点をもうちょっと入れたら、何というんでしょう、もっとより実効力を伴うのになという、もし御見解があれば、お二方にも是非お伺いしたいなと思います。

#24
○委員長(竹谷とし子君) 今井参考人と松原参考人のお二方でよろしいですか。

#25
○小野田紀美君 はい。

#26
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
 それはなかなか難しい御質問かと思います。
 今回作ろうとしている刑罰法規によって実現されるのは、多くの場合は事故が起きたときの処理を適正にするということでありまして、こういうものができたという御案内によって、さきのお二人の意見ともかぶるんですけれども、地道に、例えば運転意識を変えていく。私も説明しましたが、交通心理学の知見を使って、柳原参考人もおっしゃいましたけれども、普通の人がしないようなドライブを楽しむ方がいらっしゃることは残念ながら事実ですので、そういう方の運転特性を外から見て防止するような警察活動というんでしょうか、そういうものを併せてやることによって今回の法案の趣旨がより実行されるのではないかと思っております。

#27
○参考人(松原芳博君) この種の事件の被告人の性格がどういうタイプか、これ、結構、調査研究が必要な感じがして、今回の東名高速の被告人、かなりこれいっぱいやっているんですね、という、まずそういう調査が一つ必要で、これが常習犯的、何か性格的なものだとすれば、厳罰化だけではなくて、それと並んで何かそれに対する別途対策が必要だろうと。厳罰化が効くタイプの被告人と効かないタイプの被告人がいるというのは考えておいた方がいいと思っています。

#28
○小野田紀美君 ありがとうございます。
 そうですね。この法律で、飲酒運転のときのように、これを厳罰化したらこれやめようと思ってくれる人はこれでいいかもしれないけれども、そうじゃない人を、両方しないとなかなか両輪として走っていかないというので、よく分かりました。ありがとうございます。
 これまた、柳原参考人のお話の中でもあったんですが、この法案の中で、私が今回これをやろうといったときにいろんなお声をいただいた中で、あおり運転をあおる運転はどうなるんだという話がやっぱり出てきて、ちょっと今日、お話の中でも出てきたんですけれども、低速で、この前提条件として被害車両が重大な交通の危険が生じる速度というときに、三十キロぐらいで下道をずうっと走っている車で、これをううんと思ってちょっと、という人は、それはあおりだというふうに、冤罪になるんじゃないかとか、いわゆる当たり屋的なことをされるんじゃないかという御心配をされていらっしゃる方もいて、若しくはその事故を誘発して保険金をもらおうという、そういう人たちの思うつぼになるんじゃないかというような御不安も、声も届いたんですけど、これに対しては参考人のお三方、どう思われるか教えてください。

#29
○参考人(今井猛嘉君) どれも大変難しい御質問だと思うのですけれども、下道、高速道路以外ということですね、そこでも法定速度が決まっておりますので、例えば最高速度が六十キロのところを三十キロで走行しているということ自体は適法な運転ですから、そこを速く行けという、後続車両の人がいわゆるあおっていることになりますけれども、そういった場合には、改正道路交通法で規制されている類型にまず当たるだろうと思います。
 ですから、今回のは、所定の条件をまあ相対速度として危険になったときですけれども、そこによって人が死傷した場合に限り適用されるものでありますので、最初のお答えとかぶってしまうんですけれども、この法案、プラス先行されている他の諸施策、プラス例えば運転適性のない方の気持ちの改善等を含めたトータルなケアによって、そういう、俗に、一般に広く言われるあおり的な行為を抑止し減らしていくという努力が必要なんだろうと思います。

#30
○参考人(松原芳博君) 法律議論をやっていると、どっちかが一〇〇%被害者、一〇〇%加害者という形で考えがちなんですけれども、あおりというと多かれ少なかれ双方が原因をつくっている場合って少なくなくて、Aが少し刺激したらBがすごく怒ってあおって、更にそれに対して抜き返すといったような場合に、どこからが四号、五号、六号の危険運転になるのかというのはかなり慎重に見ていかなきゃいけない。
 その意味でも、これドライブレコーダーなんか考えてかなり慎重にやっていきませんと、例えば、片方が本当は原因だったんだけど、そこの部分が証拠がなくて、専らその後の方の部分だけがクローズアップされちゃっているという冤罪は、これやっぱり注意しなければならないなというふうには思っています。
 ただし、それは法文には書き込めない限定なので、これは立証部分で、やっぱり注意すべき事項としてこれからの運用についてちょっと確認をしておく必要があると思っております。

#31
○参考人(柳原三佳君) これは本当に難しくて、実際にあおられるような運転をする方が悪いじゃないかみたいな意見も私のところに結構届いているのも事実です。技術がなくて高速道路を本当に変な走り方をしているような人たちも確かにいますけれども、でも、そこで、確かに人間の心理としてはいらいらはしますけれども、そこから先に、そのあおるという行為は、これはもうちょっと暴力的な行為になりますから、それはやっぱりやってはいけないんだと思います。
 ただ一方で、例えば私なんかオートバイに乗ります。高速道路で目の前に、じゃ、一つ空き缶が落ちていたとします。それは避けないと、それに乗り上げてしまったらこっちは転びますから、ぱっとこう大急ぎで車線変更する。例えば、その危険回避の行為が後ろの車から見たらあおりに見えることもあるかもしれない。そういうところがきっかけとなって何か意地悪をされたりとか、そういうことは怖いなというふうに思いますし、やはりその辺り、直前にどういうふうなことがあったのかということをきっちりと調べられる、捜査ができる、そういうふうなことをしていかないと、実際に冤罪というものがこれから何か起こっていく可能性もあるのかなというふうにはちょっと心配はしております。

#32
○小野田紀美君 運用の難しさというのをすごくお三方に教えていただいているなというところで、ここは本当に今後の課題で、間違った運用をしないように、逆に被害者が加害者になったりしないようにというのは慎重に取り組まなければいけないなと思いまして、と同時に、その法律とは違うところの抑止力、ルールを守っていくとか性格をどうしていくかとか、そういうところに関して、実は私の地元の岡山県がちょっと全国に先駆けてあおり運転に関して行っていることがありまして、あおり一一〇番鬼退治ボックスというのをやっています。
 これ何かというと、ネットでフォームがあって、自分が撮ったムービーやドライブレコーダーの様子を、このあおり運転危険ですというふうに、要は、何という、通報ができるような、ネットから、というシステムを導入しているんですね。これは、実際に被害が、誰かが亡くなってしまったとか誰かけがをしたという被害があった場合は、それは警察に映像を持っていってくださいなんですけど、そうじゃなくて、あらかじめ常習的にそういうことをしてしまっている人を警察の交通安全策の参考情報として活用させていただくというようなのでこういうことをやっているんですけど、ほかのところでも、もしこういうやり方で抑止力というか、常習的な人をこらこらというふうにチェックしたりできるようにというものがあるよとか、若しくはこの岡山の取組、どう思われるかということを踏まえて、お三方から御意見をいただけたら有り難いです。

#33
○参考人(今井猛嘉君) 岡山の取組存じませんでしたけれども、それは大変、地域住民の法遵守意識を高めるためにはいいかと思うんですけれども、先生がおっしゃったように、例えば事故に至った場合に、そのような情報の取扱いはまた別途難しいのだろうと思います。
 それはどういう意味かというと、例えば刑事訴訟になったときには、誰がどこでそういうものを撮ったのかということで証拠の許容性という問題もあるかもしれませんし、また、高速道路上ではいろいろな車を撮ってもプライバシーの問題はないかと思うんですけれども、中にわたるような情報を、車内のような情報を撮って、それが私人から警察に渡すということがどこまで使えるかというのは別途慎重な検討が必要なのかなと思いました。
 ですから、繰り返しになりますが、皆さんがこういうことをやってお互いに、通報するのではなくより良くするためにしているんだという前向きな気持ちでやられるととても効果が上がると思うんですけれども、通報がメーンの目的になってしまうと逆効果なのかもなと思った次第でございます。

#34
○参考人(松原芳博君) 私、その施策存じ上げませんで、今聞きました。一定程度何らかの効果はありそうな気がします。
 その上で、注意すべき点は、まずはプライバシー等の問題。それから、それを刑事訴訟に使う気があるのか。今井先生もおっしゃっていましたが、刑事訴訟に使う気があるのか、そうではなくて、一般的注意にとどめるのかという問題。それからやっぱり、あおりポリスをあおるという、やっぱりそのあおりたたきというのが過激になると、かなりこれ、また危険な、妨害運転者に意地悪してというおそれもあるので、テレビとかであおりたたきをあおらないという、そこは工夫、是非考えておくべきだと思います。

#35
○参考人(柳原三佳君) 私はその岡山のケース知っていまして、すごく画期的な取組だなというふうに思っていました。
 そのドライブレコーダーに完全にその車両が違反行為をしているところが映っているのであれば、その映像を基に違反切符を切ればいいのにと思いました。それがちゃんと立証できるのであれば、それをどんどんやっていくべきじゃないのかなというふうに個人的には思いました。
 もう一つ、その抑止効果ということでいうと、私が昨年からずっと弁護士さんたちとあおり運転に対する検討会をしていますけれども、そのうちの一人の弁護士さんが、実際に御自身があおられて、そしてその映像を全部奥様に記録してもらって、その映像を基に相手を特定して、まあこれ、弁護士さんだからできたのかもしれませんが、慰謝料請求しました。で、民事裁判で勝訴しています。
 つまり、そういう行為をして、恐ろしい体験をしたことに対する民事で慰謝料請求という形で、何かその映像を証拠として、低額でもいいからそういうことがやっていければ、かなり抑止力になるのかなというような気はしています。

#36
○小野田紀美君 ありがとうございます。終わります。

#37
○真山勇一君 立憲・国民.新緑風会・社民に所属しております真山勇一と申します。
 今日は、お三方、参考人、本当にありがとうございました。
 私ももちろん免許証を持っている立場、自動車を運転するという立場から、やはり交通事故を起こしちゃいけないということと、それから、一旦起きたときの悲惨さというのは身をもって知っているというか、やはり交通事故というのは、起こして当事者になって初めて、いや、これは大変なことをやってしまったなということと、それからその被害に遭った方は、もう何というんですかね、非常な苦しみを味わうということになってしまう、だから何とかして防がなくちゃいけないものだというふうに思っています。
 事故は、お三方のお話聞くと減らせるんじゃないかなという、そんな私は確信を持ったんですけれども、ただ、一般的に言って、交通事故というのは、被害者にもなるし加害者にもなるという両面があります。ですから、そういうところから交通事故をどうやって防ぐかということを考えていくのが大事かなという気がしております。
 具体的にちょっとお伺いに入りますけれども、今回のこの改正の発端になりました東名高速のあおり事故ですけれども、やっぱり裁判で違った見方というか解釈が出ているということ、これはやはり裁判をするということで問題だと思うんですね。
 今井参考人、松原参考人のお話聞くと、伺ったところでは、今回のこれは妥当であるということをおっしゃっていると思うんですけれども、これによって、今回のこの五号、六号ということを決めることによって、どうなんでしょう、裁判は順調にいくというか、整理されてきて、今後こういう裁判は非常に妥当な判決が予想されるというふうに考えておられるでしょうか。
 私は、今回の、私の立場で、一般的な、法律上の解釈じゃなくて、一般的な感覚でいうと、やっぱり車というのは走ることもあるし止まることもあるんだから、何かその因果関係というのは、そういう意味では、速度がゼロでも、それは走っているときに止まっているということであるから、その辺もう少し融通利かせた判決もいいのではないかという気がしていたんですけど、でもやっぱり、今回のこの両方の見方を見ると、やっぱりこれ区別する必要もあるのかなという、そんな感覚もするんですけれども、これで裁判が整理されるかどうか、それをお二人にちょっとお伺いしたいと思います。

#38
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございました。
 東名のあおり事件についての、との関連で法案に係る御意見だと思いますけれども、先生御指摘のように、車の運転というのは、タイヤが回転をし始めて走行して、曲がり、進み、最後にタイヤが止まって停止にするわけです。ですから、そういうふうな概念を使いますと、停止、直後の停止というものはなお運転に入り得るという解釈は取られ得たと思います。それが、検察官などがこの事件で主張したものだと思いますけれども、しかし、やっぱり罪刑法定主義の観点からいうと、停止しているものが運転とは言えないだろうということは崩せないと思いますので、この五号で停止ということを一定の条件の下に明記したことは、法適用をする特に裁判官にとっては大変心強い条文になるのではないかと思いまして、東名のような事件には適正な刑罰を科す前提ができ上がったものだと理解しております。

#39
○参考人(松原芳博君) 真山先生御指摘のとおり、危険というのは、絶対速度、地面とを比較した速度ではなく、車との比較の速度なので、危険というのは、ゼロキロも危険なのは確かなんですが、四号、改正前の規定はやはりその走ること自体の危険性に注目したので、現行四号の危険にゼロキロを含めるというのは法律の立場としてやっぱり認められないんだろう。
 その上で、やはり私の見たところでは、横浜地裁、東京高裁はかなり私は因果関係の認定としては無理しているなという感じがありまして、今回の六号の新設で正面からあの事件は危険運転致死傷罪に問えると。その際、やっぱり因果関係の判断がかなりクリアになるので、先行する暴行行為から頭越しに因果関係認めるというのはかなり無理ですし、ほかのタイプの事件にも応用していくと、これ結構行き過ぎた判断になるのかなというのを恐れています。したがって、六号ができたことで、因果関係判断がクリアになるという意味で、私は判断の明確に資するというふうに思っております。

#40
○真山勇一君 そのとおりだと思うんですね。私もやっぱり、止まって、止まるということも、何でそんな、逆に言うと、この四号を作るときに、やっぱりケースとして、そういうものも、こういうこともあるねというのは多分法制審でも話は出たんじゃないかと思うんですけれども、でも、遅くても、やっぱりこういう、遅れてもこういうことが後になって加えられるということは、私はいいと思っております。
 ということで、柳原参考人にお伺いしたいんですけれども、やっぱり被害者の立場からいうと、その裁判、そういうものを見ていて、やはり法律を、さっき罪刑法定主義というのが出ましたけれども、そういうことから見れば、必ずきちっと法律に基づかなくちゃいけないという面もあるけれども、事故に遭った方の心情とか、遺族の方からすると、何でもう少しその辺りの判断というのは、まあいわゆる、言ってみれば人間的な判断ができないのかなというか、裁判に対する何かそんな思いというのは何かありますでしょうか。

#41
○参考人(柳原三佳君) これ危険運転ということになりますと、急激に刑罰上がりますよね。ですから、被告人の方も必死ですよね。やはり、強い弁護士さんが付くと、もう本当に私も驚くような供述の変遷というんですかね、最初は、一回目の実況見分のときにはこういうふうに言っていたのに、裁判ではそれがぐるっと変わってしまう、そういうことがもう多々あります。結局、いろいろな専門家の知恵を取り入れて、そして証言が変わっていく。けれども、その証言が変わったことに対する初動捜査が不十分だった、そういうふうなことで、結局それを覆すことができないで、そのまま被告人の言うとおりに裁判が進んでしまって。
 過去に、田園調布で、ジグザグ運転の車が横断歩道の手前で待っていたおじいちゃん、おばあちゃんと二人のお孫さん、ここに突っ込んだという事件がありました。この加害者は、本当にラップ音楽を聴きながら、クラクションを鳴らして友達を喜ばせながら、こんな運転をしていたんです。で、危険運転致死傷罪で起訴されました。そういうふうに報道されたので、多くの人はあの事件はまあ当然危険運転致死傷罪だろうと思っておられたと思いますが、裁判の途中でこれ変わりまして、結局過失になりました。非常に悔しい思いをされている御遺族が多いということ、これが現実だと思います。

#42
○真山勇一君 ありがとうございます。
 やっぱり、そういうことで、参考人の意見の中にも出ておりましたように、やっぱり因果関係というのを精査する必要というのはあるというふうに思うんですね。交通事故の処理ってなかなか難しい、最近特にやっぱり車社会の中でも多様化しているので、事故のその原因というのも様々になってきて、それをこうきちっと究明していくというのは本当に大変だと思うので、やはり精査していくことが必要だというふうに思うんですが。
 私、一つ、あおり運転がこれだけ問題になってきたというのは、一つはやっぱり映像があったと思うんですね。テレビでその場面が繰り返し繰り返し流されるということで、もうこれはけしからぬという世論ができるということもあって、こうしたあおり運転に対する批判が厳しくなっているというのがあると思うんですが、私、一つ、これは肯定する意味じゃなくて、危険だなと思うのは、映像というのは、まず非常に印象が強いということと、それから、みんなが見ている部分というのは切り取られた部分で、ああ、ああ寄ってきたよ、危険だよとか、ああ前で急ブレーキ止めた、ブレーキランプがついたという、そういうところだけになりますよね。それだけ見るとやっぱりあおり運転している方が悪いという、そういう、こいつはけしからぬやつだということになりますけれども、お三方のやっぱりお話聞いていて感じるのは、やっぱりあおり運転とか危険運転には、必ず原因、原因がある。この原因を、こういうことが起きたからということをやっぱり突き詰めていくのは大変難しいかなというふうに思って、例えば映像でも、切り取られた、実際に被害に遭っている現場の映像だけじゃなくて、やっぱり、もしドライブレコーダーが付いているのならば、東名高速の事故の場合もサービスエリアでの車の止め方からが発端になっているわけですよね。やっぱりそういうところまでも含めて、つまり何というんですかね、一つの点で捜査するということも必要ですけれども、調べること自体はやはり一つの流れの中で、車というのは動いているわけですから、流れの中でやるということも非常に大事だと思うんですが、その辺りというのはどんなふうにお考えになっているか、お三方に伺いたいと思います。

#43
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。ごもっともな御意見だと思います。
 先生がおっしゃったように、映像を点として出すか線としてドラマチックに出すかという問題は、私も後の方がいいと思うんですけれども、これが、先ほど民事訴訟の話が出ましたが、刑事訴訟となるとまた別でありまして、先ほど申しましたが、刑事訴訟で証拠を提出するときには証拠能力というものが必要で、その証拠の許容性として最初に自然的関連性ということが要求されます。ですから、例えば、最後の衝突場面の画像が例えば出てきたときに、これが何時何分にどこでどうなったかというふうなことと最低限の関連性があるかというのを吟味しませんと、私が被害者だと言っても、実は、先ほど松原参考人もおっしゃいましたけど、被害者になり加害者になり立場が変わっているような場合もあり得ますので、どこまでを出すか、最初に申し上げたように、全体として出すのはいいんですが、それが今後どこまで出てくるかということは、少し、今度は訴訟法の問題になります。
 また、先ほども申し上げましたプライバシーの話もあります。公道上ではあるんですけれども、車内から撮っているということはプライバシー領域でありますので、広く、GDPR等、各国においてプライバシーが掛かる情報の取扱いはセンシティブになっておりますので、そこも併せて見ないと証拠として使える壁はきれいにはクリアできないように思っています。

#44
○参考人(松原芳博君) 危険運転致死傷罪でいくということになると、死傷した方が被害者ということになるんですが、事件全体で見ると必ずそうなのかというと、そうでない場合もあり得て、あおった方が死傷しているということも少なからずあると推測できるわけですね。その意味では、前後の経緯というのは、この五号、六号ができてなおさら前後、特に前の経緯というのは捜査の必要は高まると思います。
 ただし、訴訟法で使う場合には、今井参考人の言われた証拠能力の問題というのもあって、要するに、機械で撮ったといっても、どういう形で撮ってどういう性能で等々の問題が厳しく関わってくるので、その辺り、証拠能力、車載カメラ等について、あるいは路上カメラについて、あるいは第三者の車載カメラについての証拠能力について少し類型化して整理していく、訴訟法上そういうちょっと研究が必要になってくるんじゃないのかなというふうに思っております。

#45
○参考人(柳原三佳君) 交通事故というのは、人と車と環境で起こる。ですから、一つの事件を調べるときにはそれを全てちゃんと調べないといけないんですが、今の日本では、どうしても加害者の過失という部分ばっかりをクローズアップしがちだと思うんですね。
 でも、実際に、例えば大阪の梅田で、ある一台の車が暴走しました。でも、たくさんの人が見ていて、ドライバーさんが最初から突っ伏していたよと。で、司法解剖してみたら、大動脈解離ということが分かりました。でも、多くの人がその状況を見ていたから司法解剖されましたけれども、日本の場合は、もう交通事故で亡くなってもほとんど解剖はされません。元々日本は解剖率が低くて、私は死因究明の問題も随分取材してきたんですけれども、実際に関西の方で、筧千佐子さんという人がたくさんの男の人に青酸カリを盛って、その人がスクーターなんかで事故を起こして亡くなったりしていますけれども、ああいうのも、結局、車やバイクで亡くなったらもう簡単に単独事故で済ませてしまって、薬毒物検査ですとか、それから、そういう発作ではなかったか、病気ではなかったかというところまでしっかり調査していないというのがあります。
 ですから、こうやって法律がどんどんどんどん厳しくなっていくというところに合わせて、やはり、その当事者の死因ですとか、それから薬毒物やっていなかったかとか、その辺りもきっちりと調べる、その辺りが今後重要なんじゃないかなというふうに思います。

#46
○真山勇一君 三人の参考人、ありがとうございました。終わります。

#47
○矢倉克夫君 公明党の矢倉克夫と申します。
 三人の参考人の先生方、貴重な御意見、大変にありがとうございました。
 ちょっと私からは、まず、松原参考人もおっしゃっていただいた因果関係による限定というところに絡めてなんですけど、ある意味、外部事情がないことによって行為の危険性がないというふうに判断する場合と、外部事情がないことによって因果関係がないという場合に判断することのちょっと区別を少しだけ最初教えていただきたいなと思って、質問させていただきたいと思います。
 まず、今井参考人。レジュメの方で、今回の五号について、被害車両との速度、相対的な速度要件の関係で、危険性の欠如という、行為の危険性の判断の要素として考慮されたわけでありますけど、この実行行為の危険性が外部の事情によって影響するということの理論的な部分の改めての御説明いただきたいのと、例えば、今言ったような外部事情がないことで行為の危険性がないというふうに判断される場合とはまた別に、レジュメの方で、AとかBとかのこの不注意とか、BとかCとかの不注意によって因果関係がないというふうに認定されている場合もあるんですけど、ここのこの違い、区分けの違いみたいなことをちょっと、概念的でもいいので教えていただければなと、まず思いました。

#48
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございました。
 まず、五号の理解でございますけれども、委員がおっしゃるように、被害車両が重大な交通の危険が生じることとなる速度で走行しているというのは、外部事情と言うことも可能です、加害車両との関係では。しかし、加害車両、被害車両が同じ場に設定された場面を走行していることでありますので、加害車両自体がこの要件を満たしていなくても、その被害者の関係では危険であるという認定は十分に可能だと思いますし、そのような考えが五号で取られているのだと思います。
 それから、BとCが、私のレジュメで書きました事例において、BやCが、特にCが因果関係が切れる場合があり得ると申し上げましたのは、先ほども報告いたしましたけれども、例えば、高速道路で走行中、前方にBという車両が停止しているということが十分認識できて回避余地も十分あったにもかかわらず、脇見等で突っ込んでしまった、そこでCが死んだような場合には、C自身において、Bとの衝突を回避可能であり、結果、回避可能性があったということで因果関係が切れるのではないかと申し上げたところです。
 ですから、ここの事情を変えることによっては委員がお考えになっているように因果関係が切れない場合も出てくるのかもしれませんが、私の事例では切れる場合を申し上げた限りでございます。

#49
○矢倉克夫君 ありがとうございます。
 じゃ、松原参考人にも、実行行為者の事情以外の事情で危険性がないという場合と因果関係が切れるという場合の違いをまた改めて教えていただければと思います。

#50
○参考人(松原芳博君) 四号の場合には、自らが高速というか、危険速度なので、まあ行為自体の危険が直接問題になると思うんですね。それに対して、五号の場合には被害者車両、そして六号の場合には第三者車両も含めた道路上の走行ということで、言わば環境的な危険というものが問題になり得るところだろうと。
 まず、お答え一つ目ですが、行為自体の危険というのは実行行為性の限定が掛かってくると思いますが、行為後の事情、特に第三者車両の態様、速度といったものは被告人の行為自体の属性ではないので、これは実行行為性の問題ではなく、因果関係の判断の要素になってくると思います。そして、その上で、第三者車両が著しい不注意でぶつかった場合、今井参考人が言ったように、これは因果関係が切れるんだろう。また、そうではなくても、著しい過失ではなくとも、関係車両が全て低速であった場合には、これは私は、六号の予定している危険が結果に現実化したわけではないので、六号の罪としての因果関係は認められないんじゃないのかということを付け加えさせていただきました。
 以上です。

#51
○矢倉克夫君 ありがとうございました。
 松原参考人に改めて、じゃ、被告人の行為の属性によった場合か、外部事情か、その行為の属性によって影響するという違いと、そうでない事情で結果は処罰必要がない、というのが因果関係の切除というところ、そこの区分けということでよろしいわけですよね。

#52
○参考人(松原芳博君) 補足いたしますと、外部事情でも行為時に既に存在していた事情は言わば行為の一部と見ることも可能なので、外部事情であっても行為時に存在している場合には実行行為性の要素になることもあり得ますが、外部事情であり、かつ行為後の場合には、これは実行行為の要素とはできないので、因果関係の判断要素とすべきだと考えます。

#53
○矢倉克夫君 じゃ、その上で、松原参考人に、この法律の評価なんですけど、改めてですけど、この東名の事案とかの裁判については、多分裁判所もこの事案はやはり処罰に値するんだという思いもあった上で、ただ、結果的には、論理、理論構成として、実行行為から除外された行為との間の因果関係を結論を想定した上で認めるような事態になったということでありますけど、今回の法律によって実行行為が新たに停止となることで、その行為との、属性との因果関係というのがより明確に判断し得ることになったという点では、この問題になったような事案についても罪刑法定主義にも反しない形でしっかりと妥当な判断がし得る法律となったという評価でよろしいでしょうか。

#54
○参考人(松原芳博君) まさにそのとおりで、既に六号があったら、今回の事件は間違いなく六号で、停止させる行為を実行行為にして文句なく因果関係も認められたと思います。ところが、無理に四号で罰しようとしたために、因果関係がかなり緩んでしまって、これは別の事件に悪影響を及ぼさないかなと、一つの先例になってしまうので、そういうことを危惧しています。
 したがって、六号が作られたことは、因果関係の範囲を明確化する意味でも非常に有益なことであるというふうに思います。

#55
○矢倉克夫君 ありがとうございます。貴重な御意見、大変にありがとうございました。
 後ほど両先生にまたお伺いする時間があればと思うんですけど、あと柳原参考人にお伺いしたいと思います。
 本当に、被害者や遺族の方に寄り添われながら今まで活動されていたあの記事も読んで、改めて感銘を受けたところであります。
 参考人にお伺いしたいんですけど、いろんな悪質なドライバーを見逃さない、そういったことに対しての御提言、一つ一つ非常に重要だと思いますし、それらはまたしっかり参考にしながら、我々も実現に向けていろいろ動いていきたいなと思い、それに併せて、また別の視点というか、被害者の方々への具体の支援というところについて、自動車事故に遭った方であるとか、そういう方々への支援ということで、更にこういう部分をもっとやるべきだという御提言みたいなのがありましたらおっしゃっていただければと思いますが。

#56
○参考人(柳原三佳君) 被害者の方々、本当にその一部の方々が苦しい中で立ち上がって、会を立ち上げたり、いろいろな活動をしてくださっています。でも、国としてそういう人たちへの支援というのは具体的にはなくて、例えばその金銭的な部分ですとか、いろんなその援助という部分ではなく、皆さん本当に自分で今それをやっていらっしゃるというところがもうほとんどだと思うんですね。
 ですから、やはり体験した人でなければ分からないその細かな御苦労ですとか改正点とか、そういうふうなものを是非積極的にもう吸い上げていただいて、具体的にどこをどういうふうに変えていけばいいのかというのをもっと国の方として積極的にそういう方々へアプローチしていただければいいのではないかなというふうに思います。

#57
○矢倉克夫君 ありがとうございます。
 現場にしっかり寄り添って、私たちもそういう声、様々いろいろ聞いておりますけど、更に活動を加速していきたいなというふうに思っております。
 また、今井参考人と松原参考人にお伺いしたいと思うんですが、先ほど今井参考人の方から周辺的なものについての今後の対応ということのお話もちょっとあったところであります。そちらの具体的なことをもうちょっと教えていただきたいなというところをまず質問させていただければと思います。

#58
○参考人(今井猛嘉君) 私の意見として申し上げたことになるのですけれども、まず第一は、これから免許を取ろうとする方の交通教育であります。
 道路というのはみんなの公共用物ですので、みんなが、まあ日本的に言うと、譲り合ってルールを守って運転するのが当たり前で、免許の取りたてのときは多くの人がそうするんですけれども、慣れてくると緩んでしまうというのが残念ながらございます。ですので、再教育を含めて、免許の再更新等のときにしっかりと、途端に凶器となり得る大変なものを扱っているんだという認識を強化していただくような教育が必要だと思います。
 その際には、これだけ重たい刑罰が予定されていますという言い方が一つあるんですけれども、車の中では、各国の研究見ますと、血圧が上がったり、あるいはふだん冷静な人も気質が変わるというふうなことが科学的にいろいろ出ています。ですから、先ほど柳原参考人からもありましたけれども、法医学者の知見、あるいは交通心理学の方の知見を含めて、トータルに危険でない走行を多くの人ができるような施策を打つということがとても大事だと思っております。

#59
○矢倉克夫君 ありがとうございます。大変に参考になりました。ありがとうございます。
 松原参考人にお伺いしたいんですけど、これ、五号、六号の関係で実行行為を運転に限定する必要はないのではないかというような問題の提起もございましたけど、もう少し詳しく、具体としてどういうことを想定された上で考えなければいけない課題みたいなのがありましたら、また教えていただければと思います。

#60
○参考人(松原芳博君) 現行の四号ですと、これは運転者の速度が規定されているので、これは運転しないとこの危険はつくり出せないんですが、五号の場合には被害車両の速度が規定されているので、こちらの方は車で割り込まなくても、例えば石を投げ込んだり、あるいは生身でちょっと飛び出しては引っ込むということでも重大事故は起こせるんですね。つまり、五号、六号に関する限り、まあ六号は高速道路上なので車以外の方法は限定はされるんですけど、でも、五号、六号は、運転以外の方法でも重大な危険はつくり出せるのは確かなんですよ。
 その意味で、一案としては運転に限定しないという立法があり得ることはあり得る。ですが、私は、それは少し犯罪の類型として違ってきて、いわゆる交通事故の延長とはもう全く違う別個の犯罪行為なので、そういうのを捉えたければ、やはり、できたら刑法に別の規定を設けるべきだし、現在も往来妨害致死傷罪というのがあるので、それでかなり賄えるので、その意味では、五号、六号で何で運転に限定しているんだという質問はあり得るだろうけど、私は、最終的にこの法案の運転行為に限定したという判断は賢明であったというふうに考えております。

#61
○矢倉克夫君 ありがとうございました。
 本当にお三人の先生方の御意見、大変貴重でありました。しっかりまた引き続き御指導いただいて、反映できるところはしっかり頑張りたいと思います。
 ありがとうございました。

#62
○柴田巧君 日本維新の会の柴田巧です。
 今日は、お忙しい中、この参考人質疑にお越しをいただきまして、またそれぞれに大変貴重な御意見を頂戴しまして、私の方からも感謝を申し上げたいと思います。
 まず最初に、柳原参考人に三つちょっとまとめてお聞きをしたいと思いますが、一つは、今回のこの法改正を受けて、交通事故のいろいろな、御遺族の方ともいろいろお付き合いがあろうと思いますが、どういう受け止めでいらっしゃるか、おおむね今回の法改正を肯定的に捉えていらっしゃるか、あるいは、もっとこういうものを入れてほしかった、強めてほしかったというような御希望があるのかどうか、そこら辺、もしあれば教えていただきたいのが一つと。
 先ほどからいろいろと出ておりますが、あおり運転を根絶していくには、この厳罰化と同時にやっぱりいろんな意味で意識啓発、教育が大事だと思っておりますが、先ほどのレジュメの中にも交通教育を挙げておられましたが、交通教育、今までもやってきているわけです。やってきているわけですがこういうことが起きているわけで、この法改正を受けて、特に具体的にこういうことに力を入れていけばいいのではないかというようなことがあれば教えていただきたいと思います。
 三つ目は、このレジュメにもお触れになっておりますが、この冤罪というものですね、今日の法案とちょっと関係ないんですが、ちょうど柳原さんの揺さぶりっ子症候群の本を今読んでいたところでございまして、ああいう分野、世界にもいろんな冤罪があるんだなと思って勉強していたところですが、この法改正で懸念をしますのは、いろんな外形的な要件が結果としてあって、それによってこの冤罪といいますか、そういった可能性の余地も結構あるのではないかとちょっと心配をするんですが、そこら辺はどのように認識をされているか。
 三つ、済みませんが、よろしくお願いいたします。

#63
○参考人(柳原三佳君) まず一番目ですけれども、今回の法案の改正について、私が伺った範囲では、非常に皆さん良いことだということで好意的に受け止めておられます。是非これを改正を押し通してほしいということで伺っています。
 二番目ですけれども、この教育に関して、確かに日本も子供たちへの教育とかされていますけれども、実は、私、自分の娘が高校時代にオーストラリアの方に留学をしていまして、そのときに娘からあちらの学校の交通教育のリアルさというものを聞いて驚いたんですけれども、非常に生々しいものが出てくるので見られない子は出てもいいと、親の許可を得て授業を受けるらしいんですけれども、とにかく、校庭の真ん中に潰れた車を持ってきて、その中からヘルプ・ミーという物すごい、本当の事故の生々しい声が聞こえて、それをレスキューの人たちが切り開くと、そういうふうなことも実際やっている。また、加害者になったときのその損害賠償の問題、どれぐらいの経済的な損失があるのかとかそういうふうなこと、それから、当然、刑事罰の問題、民事の問題、いろんなことをトータルで学ぶということを言っていました。
 ところが、日本ではどうでしょうか。高校時代に、まあ既にオートバイの免許は取れるわけですけれども、十八歳になったらもうすぐに車の免許を取れる。つまり高校生までに加害者になった場合の教育というのがどこまでなされているかというと、非常に薄いんじゃないかと思います。
 実際に運転免許を持っている人たちでも、刑事と民事と行政の違いも分からない、自賠責と任意保険の違いもよく分かっていない。自分が事故を起こしたらどれだけの経済的負担、また被害者にどれだけの迷惑を掛けるか、こういうことももっともっとリアルな教育カリキュラムを導入すべき。もうそれは、十六歳からもうオートバイの免許は取れるんですから、中学時代ぐらいまでにもう既にそういうものを、もう本当に学校の教科の中に一つ入れてもいいぐらい、私はもうそれぐらいこれ、切実に考えております。
 それから三番目ですけれども、冤罪の問題、これも先ほども少し申し上げましたけれども、やはりこのあおりということで皆がもうぴりぴりぴりぴりしてくると、ちょっとしたそういう予期せぬ動きを車にされてしまうと、あっ、あおられたというふうに思ってしまうというのは確かにあると思います。
 でも、実際に、道路に例えばわだちがすごくあったりとか落下物があったり、それから前の車が何か物を放り投げたり、もういろんな危険が車やバイクを運転していると日々ありますね。そういうときの、まあ動物が飛び出してくるということもあるでしょうね。そういう危険回避の行為がすごく危ない行動をしたというふうに取られて、そこから訴えられたり、長い時間裁判にというようなことがなきにしもあらずだとは思います。
 そういうようなことを防ぐためにも、やはりドライブレコーダーをきっちり付けておくことで、自分がなぜこういうふうにハンドル操作をしたのか、それは前に物が落ちていたからですということをはっきり言えればそれはそれでオッケーなので、やはり最終的には、この法律をちゃんと運用するためにはそういうものが必要じゃないかというふうに行き着きます。

#64
○柴田巧君 ありがとうございました。
 次に、今井参考人に幾つかお聞きをしたいと思います。
 一つは、今回の法改正によって、あおり運転もいろんな類型があるとは思われますが、態様があると考えられますけど、十分これで捕捉されたという認識でいいのかどうか。それから、例えばクラクションやハイビームなんかも、ある意味あおり運転のように受け止めを、我々は、私はするわけですが、こういうものが入らなかったというのは、これは、要するに、接近するとか車でないとかというものとはまた別次元だということからそういう仕分になっているのか、そこら辺を一つ教えていただきたいということです。まずこれが第一点。
 それから二点目は、大変この規定ぶりが分かりづらいなという印象を持つのでございますが、これで厳罰化にもなるし、この裁判員裁判の対象にもなると思われますが、また我々自身が、先ほどからの話ではありませんが、加害者になったり被害者になったりあり得る分野だと思いますが、それにしては非常に書きぶりがなかなか分かりづらいなと思っていまして、この点どういうふうに考えていらっしゃるか。
 特に、ちょっと私もよく分からないんですけど、例えば、これは五号ですかね、「重大な交通の危険が生じることとなる速度」と四号の「重大な交通の危険を生じさせる速度」、これは結局どう違うのかということなど、具体例でいうとそういうことも一つあるんですが、大変分かりづらいと思っていますが、この点どういうふうにお考えになっていらっしゃるのか。
 あともう一つ、三点目は、先ほど冒頭に、いわゆる英米法というか、そこの法を参考にしながら、先行するそこ、英米などのところを参考にしながらやってきて、今、今回の法改正によって、英米や他の国と比較をするとどういう今位置付けというか関係というか、ということになるのか、この点も教えていただければと思います。
 以上、三つです。

#65
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございました。
 まず第一点目ですけれども、今回は、提案されているのは五号と六号の追加でございます。これは、最初に申し上げたように、当面、あおり運転を契機として、こういう遅い、あるいは高速道路上での運転が実は大変危険な運転であったという認識を条文化したものであります。ですから、まずこの五号、六号は必須の提案だと思います。
 これで十分、他のいわゆるあおり運転が包括されているかというとそこは私もまだはっきり分かりませんが、今日のここでの御議論でも、五号、六号というものは、あおり、危険運転によって人が死傷したような場合を想定しているんですが、ここでも、まだそこに至らないような類型についていろいろと御意見が出ております。それが全く捕捉されていないかというとそうではございませんで、道路交通法等によって既に所要の改正により手当てがなされております。
 ですから、特に刑罰を掛ける規定でございますので、一挙に包括的な規定を作ることは無理でありまして、実際の立法事実がある事態について積み重ねていくということが穏当なのではないかと思いますから、私はこれでよいのかと思います。
 また、クラクション、ハイビームにつきましてですけれども、この法律に載せるといたしますと、最初に申し上げましたように、暴行に準じるような幅寄せのような運転を念頭に置き、それと同視できるものを拾い上げてきたということがあります。クラクションを鳴らす、ハイビームを掛けるというときには、現在の判例の解釈によると、広い意味では暴行に入るかもしれませんが、それは少し広過ぎますので、では脅迫かと。しかし、脅迫によって人が死傷した場合を罰する規定はございませんので、現在の下では、仮にクラクションやハイビームを掛けることが運転に付随してなされたとしても、少なくともこの法律で規制することは無理だろうと思います。
 二点目でございます。規定が分かりづらいというのは、まあ確かにそうなのだろうなと。最初読んだときにすぐ分かる方はおられないかもしれません。ここは、残念ながら、刑罰規定というものが着実に、確実に要件を定めなければいけないという宿命を負っておりますので、慎重を期してのものだと私は理解しております。裁判員の方々にお見せするときは、これは検察官や弁護士の方のお仕事だと思うんですけれども、恐らく従前と同様に、いろいろなスライドを使ったりあるいはイラストを使って、例えば四号、五号、六号の違いを図示することによって、一般の方々もかなり直感的にそれぞれの役割の違いがお分かりになるのではないかと思っております。
 例えば、また、委員からは、四号では生じさせる速度、五号ではさせることになると書いてある。これは確かに意味のあることでございまして、四号の方が結果発生により近いところですね、五号はもう少し遠いというイメージで御理解いただければと思いますが、何々することになるという規定は他の法分野でも使われているところでありまして、刑法との関係でいうと、法益侵害と結果にもう少し遠いところから事前に規制を掛けていくということです。それはやはり、四号が元々できた事例とは違って、五号、六号、あおりのような事件を通じて、ここまでの規制も次に因果関係を持った結果が生じ得ることを念頭に置いて、危険運転に取り入れるためだったと思いますから、このような規定ぶりは妥当なものだと思います。
 最後に、英米法との比較でございますが、アメリカは連邦法と州法がありますので一概なことは申せませんけれども、恐らく、私の理解では、この危険運転致死傷罪をつくるときに恐らく大いに参考にされたであろうイギリス法においては、このような行為をする場合には、イギリス法における危険運転致死罪、致死傷罪が成立するということが従前から言われておりました。ですので、そういった意味では、国際的にも平仄が合っているものだと思っております。

#66
○柴田巧君 ありがとうございました。
 じゃ、松原参考人にお聞きをしたいと思います。
 近年、何というか、刑事裁判でこの因果関係が広く肯定される傾向にあるというふうに聞いておりますが、先ほど柳原参考人にもお聞きをしたこととちょっと重なりますけれども、結果は、故意というのは、まあ内心、心の中の問題なので、結局外形でいろんなことを推測をするということになってしまうと思うんですね。結果を重視し過ぎると、先ほども触れましたが、いわゆる冤罪といいますか、非常にそういったことが起き得るんではないかと思っていまして、また、この自動運転過失致死傷罪として非難されるべきか、あるいはこの危険運転致死罪として非難されるべきかのときに、この致死罪の方でしようということで検察がすれば、そういうふうに傾きやすいのではないかと思われますが、この点、どのようにお考えになっていらっしゃるかと、もう一つだけ。
 法教育の話が出ましたが、法教育の重要性、大変大事だと思っていますし、あるいは、その特別改善支援、刑務所で行われる、これの、再犯防止をしていくためにも、この法改正を受けて、こういう今までと違う取組があってしかるべきだということがあれば教えていただきたいと思います。

#67
○参考人(松原芳博君) その因果関係を重視して、結果を重視していくと、結果責任になって不当なことになる。さりとて、意思、内心を重視すると、それは内心は推測にすぎない。これ、どっちも痛しかゆしなんですよね。ですから、いずれの点についても、一定の明確性を法律としては期すべき要件を準備しておくということしかできないんだろうと、こう考えております。
 その上で、今回の東名事件なんかがあったら、これはやはり危険運転致死傷罪にしたいという社会的な要請が出てくる。検察官、裁判官がそれをある種反映していくということはあると思うんです。しかし、それで因果関係が緩んでしまうと、ほかの事件についても因果関係が緩んでいってしまって、一般的に因果関係も何飛び越してもいいやと、何でもどこか遡りゃどこか実行行為が見付かろうということになってしまうと、例えばここで言う危険速度の要件とかそれぞれの法律の要件が全部すっ飛ばされちゃうなということがある。その意味では、今回の立法のように、それにフィットした構成要件を、場合によっては後追いになるかもしれないけれども、フィットした構成要件を立法していくしかないなと。人間の想像力って限りがあるので、全ての起こり得る危険運転を網羅するというのはやっぱり無理なんですけど、さりとて、じゃ、危険な運転でという包括的に規定してしまったら、それは余りに緩いし、しかも、かえって適用しにくくなると思うんです。検察、警察もちょっと萎縮しちゃう。その意味では、このような個別立法形式を取りつつ、因果関係をきちんと認定していくということが肝要だというふうに考えております。
 最後、処遇の方なんですけど、これは私詳しくは分かりませんが、先ほど申し上げましたように、実は交通事犯でも犯人のタイプ幾つかあり得ると思うんですね。これ、東名高速なんかはいわゆる事故タイプとは全く違う、常習的な、強要をするような行動をする。そういうタイプごとに少し研究をして、処遇をしていくと。
 それから、社会教育についても、やっぱり特殊な心理、いい人が車に乗ると変わるというのはよく聞くことなんですね。ですから、そういう特殊なやっぱり社会心理的な研究を成果に入れた、何か科学的なそういった施策が求められるのかなというふうに思っております。

#68
○柴田巧君 ありがとうございました。終わります。

#69
○山添拓君 日本共産党の山添拓です。
 今日は、参考人の皆さん、大変ありがとうございます。
 初めに、柳原参考人に伺います。
 被害者の御遺族や現場で取材をされて、危険で悪質な事故を起こしても、被疑者や被告人の言い逃れによって適切な罪が適用されないとか、あるいは証拠不十分で不起訴となると、こういう事例も直面されたことかと思います。
 事故を防ぐことがもちろん大前提ですけれども、重大悪質な事故で適切また妥当な刑罰が科されるためには、そしてまた冤罪を生まないためにも、必要な証拠が十分に収集されるということが大事だと思います。ドライブレコーダーですとか車内カメラが普及をして、事故の状況を客観的に証明するその手段も増えてきましたけれども、この間の、最近のいろんな取材をされる中で、捜査による証拠収集の在り方について、参考人の方でお考えのことを、お感じのことを教えていただけますか。

#70
○参考人(柳原三佳君) ここ数年で、そういう捜査に対しての被害者遺族の方々からの意見、こういうものが高まってきて、そしてまた、刑罰が重くなると、当然その捜査をきっちりやらないと起訴もできないということで、私が取材し始めた当時から見れば随分改善されてきたんではないかというふうには思っています。けれども、やはりその一瞬で起こる事故で、やはり被害者の多くが事故直後の現場に臨場できないという、亡くなったり救急車で運ばれたりということで、そして、生きている人の方の言い分が通ってしまうというのは、もう今でもやっぱり続いています。
 やはり、今現在のその交通事故の捜査の成り立ちというのを見たら、やはり供述調書というものにのっとっていくわけですね。私は、何メートル手前で何キロで走っていて、そしてこうこうでぶつかりました。でも、その一瞬で起こる事故のことを、あそこまで、十センチ刻みの調書ができ上がっていくわけですよ。それが非常に私はもう何か、それを読むといつも思うんですけれども、それが基になって、いろんなその判決まで響いていくわけですけれども、要するに、もう前提が、供述調書のああいう書式というか、そういうもの自体がもう本当にこれ必要なのかなというふうに、はっきり言って思ってしまいます。
 そうではなくて、もう映像があるんだったらその映像でいくとか、そういうふうにしていかないと、結局、言葉が上手な人、いろんなその抜け道を知っている人が得をするという、そういうことが今、これからも起こり続けるというふうに思っています。

#71
○山添拓君 ありがとうございます。客観的証拠はやはり大事だと思います。
 今井参考人に伺います。
 本法案の直接の契機となったと思われる東名の高速での事故について伺います。
 一審の横浜地裁は、四度の妨害行為を実行行為とし、それに続く直前停止行為を密接関連行為として、現行法の二条四号の危険運転致死傷罪の成立を認めました。この判断には異論が多いですけれども、高裁も法令適用の誤りはないと判断しています。私、法務省に伺いますと、法務省も、四号は適用し得るんだと、この事案で四号は適用し得ると考えているという答えでした。
 しかし、そうなりますと、東名高速事故のような事案が再び生じた場合には、四号なのか五号なのか、あるいは六号なのか、これ明確ではなくなってしまうと感じます。やはり、四号というのは危険な速度での運転行為が結果を引き起こしたというものであって、東名のような事故は想定外だったと、だからこそこの法案が必要なのだと、こういうふうに考えるべきだと思いますけれども、いかがでしょうか。

#72
○参考人(今井猛嘉君) 御質問ありがとうございます。
 法務省がどのようにお考えかは私は直接存じませんけれども、このような法案が提出されたということを文言から解釈いたしますと、東名のあおりのように、停止したことにより事故が誘発されたと認定できる場合には、文言上、四号ではなく、五号又は六号に行くというのが自然な文理解釈ではないかと思います。

#73
○山添拓君 ありがとうございます。
 松原参考人に伺います。
 先ほど意見陳述の中でも、因果関係による限定というのが機能しているのかどうか、解釈上の限定の保証がないということについての懸念を示されておりました。その上で二つの裁判例をお示しいただきましたけれども、これ、なぜこうして因果関係の解釈を緩めて、判断を緩めている事態になっているのか。
 特に、東名のこの地裁あるいは高裁も含めた判断の仕方というのは密接関連性という文言ですけれども、これは松原参考人の判例批判の中にもある二〇〇四年の最高裁の常磐道に関する事故の、あれは業務上過失致死傷罪を認めたものですが、そこでの密接関連性という言葉に言わば乗っかった認定のようになっています。
 なぜ、こうして裁判において因果関係の認定を広くあるいは緩く認めていく傾向が広がっているのかについて御意見を伺いたいと思います。

#74
○参考人(松原芳博君) まず、社会的ニーズとして処罰欲求があるのは事実です。やはり、特に死傷結果が生じたという場合には社会にはそういう処罰ニーズがある。特に、やっぱり近年そのような処罰欲求が高くなっているというのは感じます。その原因、社会学的には大変興味深いところですが、ここでは立ち入りません。
 他方、法律学の面でいきますと、判例が危険の現実化という公式を採用するようになりました。これ、白地手形なんです。何でも乗っかっちゃうんですよ。あると言えばあるし、ないと言えばない。つまり、危険の現実化という大変な便利な公式なだけに裁判所も検察も結構これ柔軟に使えるんじゃないのかな。私、危険の現実化という考え方自体には反対はしていませんが、それゆえに、柔軟であるからこそ、危険の現実化という公式は、当該構成要件の予定した危険は何なのかと、そこから出発しないとこの公式は無意味になるよということを申し上げたかったということでございます。

#75
○山添拓君 ありがとうございます。今後の質疑にも参考にさせていただきたいと思います。
 今井参考人、松原参考人に伺いたいのですが、通行を妨害する意図について、法務省の説明では、これは積極的に妨害を意図することだとされています。現行法の二条四号と変わらないという説明です。しかし、現行法の四号というのは、前方に車がいて、その直前に進入するとか著しく接近するとかいうものです。ですから、具体的にこの車を妨害しようという意図になるかと思います。
 ところが、本法案の二類型については、加害者が後方を走行する車の存在を認識していなくとも、そのような車がいるのであれば嫌がらせをしようと考えて急停車する場合も妨害目的を満たすとされています。もちろん故意は必要ですが、走行中の車を認識している必要があるわけですけれども、それは未必の故意でよいとされますので、そうしますと、例えば、停車をしてしばらく時間がたって後続車が追突する、そして死傷の結果が生じる場合、いわゆるあおり行為がないような場合でも犯罪が成立し得るのではないかと思いますが、いかがでしょうか。

#76
○参考人(今井猛嘉君) 今委員が出された設例、確かにあおりとは言えないと思います。私の意見でも最初に申し上げましたように、いわゆるあおりと使っておりますが、ここでは東名高速を契機として、危険運転一般につき再認識されたものを拾い上げているという観点でございますので、まずそれを申し上げます。
 それから、四号と五号、六号の差異は委員が御指摘のとおりでありますが、私も、五号、六号のときに、例えば車内からルームミラーを見て、ああ、後ろに車がいるんだなというときに、漠然とどういう車がいるかということの認識がある、これは未必の故意でありますけれども、その後にその妨害をしようという意欲は、意見でも申し上げましたけれども、その明確な意欲がなければ、茫然と寝ていて突っ込まれたときでも本罪が成立して不当でありますので、妨害する目的自体は明確にあってほしいと思っております。その意味で、法務省が言われているような理解でよいと思っております。

#77
○参考人(松原芳博君) 確かに御指摘のように、四号の妨害目的は、事実上、妨害対象車がこれって特定しているんですね、事実上。それに対して、五号、六号の場合は相手の方の速度の問題なんで、妨害対象が特定していない。その意味で、事実上弛緩しているんじゃないか、緩んでいるんじゃないかという御指摘はある意味合っていると思います。
 ただし、五号、六号、特定しない場合もあり得るけれども、四号に匹敵する程度の確実性、積極性を要求するということで、四号との同等の当罰性は確保していくべきではないでしょうか。確かに、五号、六号で必ずその車を妨害しようというところまでは要求していませんし、要求できないのでしょうけれども、四号に匹敵するほどの具体性といいますか切迫性、これを要求することで同等性は運用上確保していくべき。その意味で、今の御指摘はやっぱり記憶にとどめておくべき御指摘だと私は感じました。

#78
○山添拓君 これも今井参考人、松原参考人に伺います。
 現行法の二条一号はアルコールや薬物で正常な運転が困難な状態で運転する行為です。四号は危険な速度で運転する行為。五号は赤信号を殊更無視して危険な速度で運転する行為。行為それ自体が危険性を伴う、まさに危険運転と呼べるものかと思います。
 これに対して、今回追加される二つの行為類型は停止又は徐行による後続車への接近でありますので、行為そのものの危険性は現行法に定めるほかの類型とは質的に異なるように思います。停止や徐行それ自体というよりも、後続車の速度を利用することで危険を生じる、あるいは危険を増大させる実行行為とされています。
 法制審の議論では、他人に何かをさせることを実行行為の内容とするものとして強要罪が例に挙げられておりますけれども、それとも少し違うように私は感じます。被害者や第三者の行為を利用することをこの実行行為に組み込むということについて、その適用や立証上の問題も含めて御意見を伺いたいと思います。

#79
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。大変重要な御質問だと思います。
 先ほどこれも申し上げましたが、五号、六号というのは、行為者がどういう行為をするか、場面が設定されています。広く言えば公道でございますけれども、御存じのように、公道は許可がなければ通行できないものであります。免許を持った人々がルールを守って走行すべきところに例えば五号のような行為をしますと、その狙われた、ターゲットとされた被害車両との関係では、現行の四号に相当する危険性が認識できると私も思います。
 また、六号については、先ほど来話がありましたけれども、高速道路等でございますので、より明確に、相手を使うという意味ではなく、狙った相手に被害を加えるという状況が十分発生できる状況でございます。ですから、それを、実行行為という概念を使いますと、これ、私自身、これも白地手形だと、マジックワードだと思っているんですが、余りそういう概念を使うわけではなく、客観的に、どのような場面でどのような被害が想定されるときにそれを行おうとしたか、あるいは広い意味では不作為になるのかもしれませんけれども、そこを考えると、五号、六号の行為は、行為者自身の行為に着目しても四号に匹敵するものだと思います。
 ただ、先生がおっしゃったように、立証の問題等につきましては、ここでこれまで議論されている問題が残りますので、どのようにして、さっき私が言った例でも、停車していたときにぼうっとしているときに突っ込まれたというふうな弁解もあり得ます。そうではないんだということをするためには、もう少し科学的な捜査の仕組みを考える必要があろうかと思っております。

#80
○参考人(松原芳博君) 山添議員の問題にされた指摘は、私がさっき五号、六号で運転に限る必要があるのかと申し上げたのは、実は同じ疑問持っていて、周りの環境で起きる犯罪についてどこまでここに違和感なく入れることができるのかなというところに、最終的には入れていいと考えましたが、ちょっと私も考えるべき点だとは思っておりました。
 その上で、他人の行為を利用する犯罪はやっぱり例外でなければならない、にもかかわらず、ここでなぜそのような方式が許されるかといいますと、まず、今井参考人の言われたように、場所が限定されているということ、それから、相手方の行為が言わば自動的に流れている、つまり、相手がその後決意をしてどうのこうのじゃなくて、既に危険速度で走行しているという自動的な相手の行動を利用するということで、通常の場合とは異なり、他人の行動を利用する実行行為もここでは認められていいのかなというふうに私は感じました。
 とはいえ、立証の問題で、これ先ほどから申し上げましているとおり、前の経緯から見ていかないと分からない点があるので、この立証の問題、やっぱり今後少し丁寧に考えていかなければならないなと思っております。

#81
○山添拓君 大変参考になりました。ありがとうございました。
 終わります。

#82
○高良鉄美君 沖縄の風の高良鉄美です。よろしくお願いします。
 今日は、本当に貴重な御意見等々を参考にしたいと思います。ありがとうございます。
 まず、今井参考人の方にお伺いしたいんですけれども、この法案の、あおり運転関連ということで危険運転ということですが、海外ではあおりというような言葉がないというようなことをおっしゃっていたんですけれども、その海外の法律ではちょっとどんなふうな形でやっているのかというのは、国によっていろいろ違うんでしょうけれども、その辺りの比較刑法というか、そういう辺りでどういうふうな捉え方になっているんでしょうかということで、今回のこの改正について、学会の中での意見とか見解というのをちょっと教えていただけたらと思います。

#83
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございます。
 海外では特にあおり運転という名称ではございませんで、まず、攻撃的運転、アグレッシブドライビングというのをいいます。そして、それをした後に道路上でトラブルが起こる、ファイトが起こると、道路上での憤激といっていますが、ロードレージといって、そこで車道に行ってパンチを加えるようなことが想定されていますが、そこが、最近ではそのアグレッシブドライビングとロードレージをくっつけて日本でいうようなあおり運転にもなっているようでございます。
 先ほどの他の先生方の質問にもお答えしましたが、例えばイギリスでは、従前二つに分けていたのですが、これが高速運転等に伴って生じた場合には、イギリスの道路交通法に所定の危険運転致死罪が成立するという裁判例が出ていますので、その部分では同じになっていますが、繰り返しますが、その攻撃的な運転や道路上の憤激をするということに着目されていて、それは心理学的な側面が重要視されているからだと思います。

#84
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やはりそういった面では心理的な要素も海外では取られることもあるということですね、まあ日本でもそういうことなんでしょうけれども。
 今回、二条四号の解釈の問題で、五、六の追加というのが、追加というか具体的事件に当てはめる場合にはどうなのかというのが議論になると思うんですけれども、これまでのこの停止という問題、その直前に停止をするというのは、実は今回が初めてではなくて、十五年前の判例になったのもありますけれども、それ以前でも高速道路とかいろんなところである、結構、走っていて追突するような危険ではなくて、停止をしていてやっているというのは、これ一連のやっぱり行動のように見えて、検察側が言っているような形に二条四号を捉えるのが正解なんじゃないかなというのは思っていたんですね、横浜のあおり見て。
 だから、判決として、まあ検察側はそういうことを解釈したとしても、裁判所側はその辺りをどこまで、やっぱり法の改正が必要だというようなことをちょっと暗示でも何かあったんでしょうかということで、申し訳ないんですけれども、そこら辺はどのように捉えていらっしゃいますでしょうか。

#85
○参考人(今井猛嘉君) なかなかお答えするのが難しいのですが、東名高速の第一審横浜地裁は、先ほど他の先生からの御紹介もありましたけれども、その事前の四回の暴行等が一連一体の行為と見て、その直後に停止もあったことを踏まえ、最後に停止は外すんですけれども、一連一体の行為から結果が惹起されたというふうな言い方をしていたかと思います。そこも問題を含んでいるのですけれども、一連一体の行為というときには、被疑者、被告人としてはどこを防御すればいいのか不明確になりますので、そもそも訴因が不明確ではないかという問題もありますけれども、裁判所あるいは裁判員の方々の直感としては事態を把握しているんだと思います。また、量刑の面ではとても生きてくるものだと思います。
 しかし、先生も御指摘、御質問の趣旨だと思うんですけれども、そうはいっても、今回のようにやはり停止によって事故が誘発されたと言い得るような場合に、それ以前のことをまとめて見たとしても結果の因果の起点をくくり出すことはできないので、だからこそ、そういうことを明確に文言化するために五号、六号ができたのではないかと思っております。

#86
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 松原参考人にお聞きしたいと思います。
 今のものも関連するかと思うんですけれども、罪刑法定主義の成り立ちを随分書かれていましたので、非常に勉強になりました、歴史的なバックもあるんですけれども。先生がよく書かれている中で、この罪刑法定主義の現代的意義というようなことでいいますと、やっぱり国家権力から、あらぬ、と言ったら変ですけれども、制裁を加えるということに対して、やっぱり法できちんと定められていないといけないというのが横行していた時代というのもありますし、現在でもそういうのはあると思いますが、そういった意味で、この現代的意義ということについて書かれているのをもう少し詳しくというか、ちょっと解説していただけると有り難いと思います。

#87
○参考人(松原芳博君) 罪刑法定主義の確立期には、これ絶対王政の時代でしたから、国王からの国民の自由という形、自由を守るという形で出てきました。しかし、民主主義国家になってくると、権力を握っているのは最終的には国民大衆ということになる。とすると、現在の罪刑法定主義は国民大衆から国民個人を守るという機能も持たなければならないんじゃないのか。
 その意味では、民意がこうだから罪刑法定主義はないがしろにしていいだろうというのは成り立たないのであって、やはり民意はこうであっても、取りあえず法律はこうなんだから、本当にそれ罰する必要があるんだったら、議会で熟議してきちんと作って、次から適用しましょうというのを現代ではやっていかないと、要するに国民は善であるというだけでいってしまったのでは歯止めが利かなくなるよという考えでございます。

#88
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やはり立法による改正というものが現代的な意味においても罪刑法定主義の基本だということで、非常にそういう意味では立法府の方にこの問題をきちんと捉えてほしいという、お二方の御意見、よく通じました。
 危険運転致死罪の適用をめぐって、先生の論考の中に、この適用をめぐって罪刑法定主義に反する疑いというような言葉があったんですけれども、申し訳ないんですが、この疑いというのは、罪刑法定主義に反するという言い方じゃなくて、ちょっとファジーになっているんですけれども、その辺りは先生のどういった意図でやったんでしょうか。

#89
○参考人(松原芳博君) 直前停止行為を正面から実行行為と呼んでいるとすれば、それは罪刑法定主義違反と断じていいと思います。ただし、横浜地裁は、そうではなく、先行する四回の妨害運転が実行行為としつつ、裏から直前停止行為を実行行為に引き入れているので、その論法を評して疑いという表現を使いました。

#90
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 やっぱり罪刑法定主義ということを考えると、裏からというのは、そういった意味で直接的ではないということですね。

#91
○参考人(松原芳博君) 言わば潜脱行為というニュアンスで使いました。

#92
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 それでは、柳原参考人にお伺いしたいと思うんですけれども、ずっと取材をされている中で、こういった被害者の心理とかいろいろなものを含めて、今回危険運転致死傷罪が問題になるという場面じゃないかというのがいろいろ書かれていたんですけれども、それが同じ、例えば業務上過失の問題で、いろんなほかの罪も含めて加重されていくというんですかね、そういう形で、結果として大体同じぐらいになった場合に、罰の方、刑罰の方が、それはやっぱり危険運転致死傷罪の方でやるべきということに関心が行くというんでしょうか。その辺りの要望とか希望というのは、危険運転致死傷罪という名前だからこそ重要なんだと、それを適用するのがですね。だから、衝撃的なタイトルが、「宝の持ち腐れ」というのがありましたけれども、その辺りのちょっとお話をいただけたらと思います。

#93
○参考人(柳原三佳君) 「宝の持ち腐れ」という記事は、今から十八年前、二〇〇二年の記事ではあるんですけれども、危険運転というところに被害者遺族がこだわるというところ、ここに関しては、危険運転というのは故意という部分が入ってきますけれども、例えば飲酒をしてハンドルを握る、覚醒剤を使ってハンドルを握る、その時点でもう既に、非常に法律で禁止されている危険な行為をしてハンドルを握るというのは、もうその時点で危険運転、故意であるということはもう明らかだと思うので、やはりそういう、本来彼らが法律を守ってやっていれば起こらなかったであろう事故ということを考えると、そういう事故の被害に遭った御遺族や被害者からしてみれば、これを危険運転と言わずしてどうするんだということだと思うんですね。
 そこをきっちりやっていかないと、例えば、お酒は飲んでいたけれども、ちゃんと片足で六秒立てましたとか、だから危険運転ではないとか、後でもうそういうふうなことがいっぱい出てくるわけですけれども、そうではないでしょうと、もう既に飲んで運転した時点で危険運転でしょうというところを、やっぱりはっきりとその罪で罰してほしいという、そういう思いが強いと思います。

#94
○高良鉄美君 ありがとうございます。
 危険運転という形で、やっぱり今回改正によって追加を、五号、六号入ってきますけれども、例えばその範疇に入らないというようなことが考えられるので五号、六号が次改正されるので、それについては賛成だということでお三方おっしゃっていますけれども、この五号、六号が改正されないと、ある事件について、特定の事件について、これは危険運転では処罰されないと、別のものになるかもしれないとか、そういうようなことについて、今回の改正でやっぱり遺族的な意味でも救済されるというような形、要するに、今後の事件しかこれはならないかもしれないということですよね。この改正があってから初めて適用されるということになると、それ以前のものについてどのようなお考え、やっぱり同じような感じでしょうか。義憤の、義憤じゃなくて、その改正についてどのような視点を持っていらっしゃるかと。

#95
○参考人(柳原三佳君) ちょっとお答えがちゃんと正確にできるかどうか分からないんですけれども、今回の東名高速のような事件は、もうあれは故意でやっていますので、どっちかというともう交通事故から懸け離れた傷害事件みたいな部分で、交通事故の被害者や御遺族もそういう視点で見ている方は多いと思うんですよね。あれが過失とか危険運転とかという、もうそういうレベルではなくて、あの事件に関してはね。
 ごめんなさい、その五号、六号の問題というのがそこまで詳しく皆さんの御意見を聞いているわけではないんですけれども、そこの部分は、もうああいう一連の行為そのものがもう運転を通り越えた犯罪行為というイメージが非常に皆さん強く感じているところだと思いますけれども。

#96
○高良鉄美君 済みません、質問の仕方がちょっとまずくて。
 私は、確かに罪刑法定主義からいうとこういう考えは問題があるかもしれませんけれども、この二条四号の生かし方というんですか、元々の危険運転ということからする範疇を、しっかりと危険運転というのは何かというところで縛っていくのが重要かなと思っていたわけです。
 ですから、そうじゃないと、いろいろこの法改正は結構、これも外れてきた、これも外れてきたということで、永遠にこの立法的解決をやっていかないといけないんじゃないかなというのがあって、そういう意味では、横浜地裁の場合のあの事件でも、検察官側は、この一連といったときの危険性をやっぱり停止を入れて考えるということの方が私は自然かなと思ったんですね、まあ罪刑法定主義は別にしてですね。
 そういったところとのバランスを考えるとどうかなということで、ちょっとお三方に簡単に、まあ簡単にとはいかないかもしれないですけれども。

#97
○委員長(竹谷とし子君) 高良鉄美君、お時間が、お三人に御質問すると。

#98
○高良鉄美君 じゃ、今井先生、それから松原先生お願いできますか。

#99
○参考人(今井猛嘉君) 御趣旨はよく分かります。
 危険運転という概念をもう少し広く取ることにより、危険な運転により最後に停止したところまでも読み込むというのが言葉の解釈としてできないかと言われると、例えば民事法の解釈等ではできると思います。しかし、どの行為が処罰の対象であるかを明確にしないといけない刑事裁判では、やはり無理な解釈ではないかと思います。

#100
○参考人(松原芳博君) 一連の行為という実行行為の捉え方が一般論としてはあり得るところですが、現行四号が走行速度に危険速度という要件を入れている以上、一連の行為から停止の部分はやはり除外せざるを得ない、それを除外しなければこの四号を立法したときの趣旨が逸脱されてしまうと私は考えます。

#101
○高良鉄美君 ありがとうございました。大変参考になりました。

#102
○嘉田由紀子君 碧水会の嘉田由紀子でございます。お三方、大変それぞれの御経験にまた即してお話ありがとうございました。
 既にかなりもう論点が出尽くしているので、少し車と人間の関係性というか、社会的、社会学的なところを含めて、そして、この後どうやってこの法律をより抑止力を持たせるのか、先ほど小野田議員が最初に言っておられました。それから、予防的な措置にできるのかというところで、お三方にそれぞれお伺いをしたいと思っております。
 私のような世代ですと、本当に車は憧れでした。文明の利器でした。自分が車に乗れるなんということはもう本当に、二十歳で免許取ったときにすごく社会が広がり、行動範囲が広がりということで憧れだったんですが、ただ同時に、ちょうど一九七四年、宇沢弘文さん、経済学者ですけど、「自動車の社会的費用」という問題提起をしまして、これかなり大きな問題になりました。
 つまり、車は文明の利器だけど、個人あるいは社会にとって大変大きな有利なものだけど、歩行者の言わば移動権を奪うというので、町づくりへの提案。それから、公害がかなり、大気汚染など出ました、それが二点目。そして三点目は、やはり交通事故で、当時たしか今の十倍ぐらいの交通事故死者数がありましたね、六〇年代。そういうことを見ながら、私は、あっ、こんなに大変な車の持っている社会的問題があるんだな、環境的問題あるんだということを学ばせていただいたんですけど。
 最近、この危険運転なりあるいは今回のこの法案を見て、いよいよ人間の心理とか、あるいは人が運転をすることの言わば、何というんでしょうか、交通心理的なところ、それはもしかしたら、私は今家族の問題で家庭内暴力、なぜDVが起きるのか、DVのプロセスはという、これはもう犯罪だと思うんですけど、そことかなりつながるようなことになっているのかなと思っておりまして、ですから、どうやったら抑止力あるいは予防するのかというところで具体的に教えていただきたいんですけれども。
 まず、今井参考人、ありがとうございます、海外の事例と、それから一番私が気になったのは交通心理学の知見、運転中に攻撃的になる心理的変化、これをどういうふうに抑制したらいいのかと、いろいろ既に海外では研究があるということなんですけど、その辺りを教えていただき、そして、この日本の、今回法的にこれだけ言わば歯止めを掛けようというところを、より予防的に国民の中で効果を持たせるにはどうしたらいいのかというようなことを教えていただけたら有り難いです。

#103
○参考人(今井猛嘉君) ありがとうございました。
 私も大変その辺は関心を持っているんですが、なかなか難しい問題でございます。
 まず、先生もおっしゃいましたように、海外、例えばアメリカ、イギリスもそうですが、アメリカ等では車の免許を持つということが自分の自立するということの象徴でございますので、まあ映画を見ればよくありますけれども、お年を召されても免許を返納しないんだというおじいちゃん、おばあちゃんとどうするかという話題が多々出てきます。そういうふうに、海外では、車の中では自由に振る舞えて、そこで自分の思うとおりにいかない他者に対して攻撃的に出るというふうな、言わばそういう自己主張の表れとして、日本的に言えばあおり運転のような現象が出ているのかと思います。
 日本はもしかするとそうではないかもしれません。いろいろな社会的な制約あるいは居住関係等もあって車の中で初めて自由になれるという方もいらっしゃるかもしれません。その束縛からの拘束度が強いというふうな記事を、論文も私は読んだことがあるのですが、日本ではそういうふうなことから攻撃性が執拗性に転化するというふうな分析もあったように思います。ですから、そういうことをきれいに解決するのは、先生も御指摘のようにDVの問題と同じでありまして、犯罪社会学やあるいは社会学の見地を入れないと治らないと思うのですが、それは長期的な国の施策だと思います。
 ここでは、やはり今被害者が大変苦労されていることに直面し、刑事法学としてできることは何かとして出たものだと理解していただければと思います。

#104
○嘉田由紀子君 ありがとうございます。
 つまり、車の中で言わば束縛が外れて、そこでかなり人間は、暴力性というのは皆それぞれ持っていると思うんですけれども、子供たちを見たら本当にけんか大好きで、子供時代にいっぱいけんかした方が後でおとなしくなるのよとかいうようなこともありますので、その辺りのところをかなり犯罪心理的なところも入れていかないと、本当にこの密室の言わば暴力行為というのはなくならないのかなというようなことで、是非今後も、日本に余りそういう交通心理学とか研究がないので、今後もいろいろ発言していただけたら幸いです。ありがとうございます。
 それから松原先生、法的なところを私は詳しく分からないので、言わば社会学的に見て、今回のようなかなり細部まで、行動の細部まで規定する、こういう法案を作ることが言わば刑法、法律的にどういう社会の変化を反映しているのか。先ほど来、高良さんと議論していただいていますけれども、ここにかなり民意が反映しているということをおっしゃっていたんですけれども、その辺り少し教えていただけるでしょうか。

#105
○参考人(松原芳博君) 危険運転致死傷罪の二〇〇一年の新設自体、やっぱり民意を背景にしていたものだと思います。ただし、その民意のうち、法的に見てどこまでが考慮すべきで、どこからが行き過ぎなのかは丁寧に見ていく必要があると。単に敵討ち的な心理というのもやっぱり国民には当然あるわけで、それが過剰になってくるとかえって罪刑の均衡を失したり、あるいはかえって重過ぎると適用しにくいんで象徴立法になる。重ければ重いほどいいように思われがちですが、まず、重過ぎると警察、検察はやっぱりかなり限定的に解釈せざるを得ないという面もありますし、それから先ほど来お話に出た、重過ぎると当然ひき逃げとかそういうのを誘発していくという面もあるので、民意を反映した立法ではあるが、その民意としてどこまで受容できるかというのは丁寧な熟議が必要だろうと、こういうふうに思っております。
 その上で、今回の五号、六号について、これは民意がもちろん起点ではありますが、四号との当罰性ということからすると、先ほど来、ちょっと、速度の主体が違っているという点は異質でありますけれども、やっぱり四号とのバランスは取れているのかなと、その意味では法律論としても一応受容可能な範囲内だろうと思っております。
 一般論、最後に付け加えさせていただくと、ストレートに民意に応えるという立法が望ましいのかどうなのか、やっぱりある程度は実効性のある具体的なところを考えていかなきゃいけない。その意味では、よく言われるのは、刑の重さよりも摘発の確実性が抑止力につながるというふうには言われているので、今回もやっぱり適用の確実性ということを今後考えていかないと抑止力にはつながらないなと。
 それから、もう一つ、道交法との連携。やっぱり、危険運転致死傷罪は物理的危険に注目しているので、そうではないハイビームその他についてはやっぱり本法とはなじまない。その点は、道交法とうまく協力、分担して抑止力を担保していくべきだろうと私は考えております。

#106
○嘉田由紀子君 ありがとうございます。
 そういう意味では、先ほど小野田議員が岡山県の例を示していただきましたけれども、現場で、それこそ都道府県の交通安全協会なり、いろいろ免許の更新のときなどにきちんと広げていくということがこの後大変大事な点でございますね。ありがとうございます。
 柳原参考人、本当に私、不勉強ながら、こういう分野で専門的にこれだけの研究と論考としていらっしゃるということを知らずに失礼をいたしましたけれども、大変大事な分野だと思います。あわせて、私、柳原参考人が御自分がバイクが好きだったということを言っておられて、実は私も正直に申し上げますと、免許を二十歳で取ったときに本当にうれしくて、そして六十歳まで運転していたんですけど、高速道路を飛ばすのが好きでした。それは、いろいろいろんなことがあるんですけど、あれですかっとするんですよね。
 ですから、そういう人間の心理というのも一方で無視できないとは思うんですけれども、その辺りのところで男女の違い、特に今回、言わば五条、六条に関わるところは男性の画面が多いんですけど、それから、家庭内のDVでも、調査によると、二四%ぐらいは男性から女性なんですけど、最近、女性から男性のDVが一七%ぐらいあるんです。結構拮抗しているんです。この辺り、危険運転をするときのこの心理的なものも含めて、男女の違いみたいなのは現場で見ていてどうでしょうか。データとしても差がありますか。というのは、ここに、資料の中に危険運転の例がデータであるんですけれども、法務省さんが出している、件数だけはあるんですが、ここで加害の側の男女の違いなどがないので、この辺りちょっと現場から教えていただけたらと思います。

#107
○参考人(柳原三佳君) この男女の違いというのは、私はデータ的にははっきり見たことがありません。ただ、やっぱり今回の東名の事故にしても常磐道の事故にしても、加害者が道路に出てきていますよね。あれは、即自分も危ないと思うんですけれども、やはりかなり命知らずなことをやっている加害者だなというふうに思いました。
 要するに、それが男女の違いになるかどうか分かりませんけれども、やはり守るものが多い、子供なり家庭を守るという、そういう部分で、そういうものを守るものが多い人は、自分の身に危険が及ぶ、そういうふうなことは基本的にはやっぱりやらないんじゃないのかなというふうに感じます。やっぱり、男性の方がそういう意味では、何でしょう、危険なことも、何かこう、かっとしやすくてというのがあるのかもしれませんけど、ただ、それが男女の差ということではなかなか分析はできない部分はありますよね。
 この間、東京でパトカーを振り切って逃げて歩行者をはねた女性いましたけれども、あれは女性でしたし、やっぱり普通パトカーに止まりなさいと言われたら普通止まりますけど、やっぱり止まらないという、ああいう心理、それはもう男女に関係なくその人の持って生まれた性格なのかもしれません。

#108
○嘉田由紀子君 そういう意味では、先ほど教育ということが大変大事、もう交通心理学も含めて。密室に入るとどうしても暴力的になる、これはある意味で人間として持っている本能の一部かもしれない。それをどうやって抑えるかというのは教育だと思うんですね、特に子供時代から。お嬢さんのことを言っていらっしゃいましたけど。その辺を、日本のそれこそ文部科学省の教科書の中にこの交通教育というのはどれだけ入っているのか、この後どうしたらいいのか、少しヒントがあったら教えていただけたらと思います。

#109
○参考人(柳原三佳君) もう是非これ、交通問題というのは、もうこれだけの多くの死者が出ているんですから、学校としてきっちり取り組んでいただきたいと思うんですが、でも、私、その前段階として、交通事故というものの正しい原因究明というものが必要だと思っているんです。
 一言ちょっと申し上げて、これはもう是非議員の皆様にも考えていただきたいんですけれども、例えば日本って、居眠り運転ということで処理されている事故は極端に少ないんです。海外だったら高速道路での死亡事故の半分ぐらいは居眠り運転と言われているんですが、日本の場合、ほとんど脇見で処理されています。居眠り運転ありません、はっきり言って。居眠り運転だろうと思われる事故でも、ほとんどが脇見運転で処理されている。
 ここの、なぜこういうことが起こっているのか。居眠り運転ということがはっきりすれば、じゃ、過労運転を防ぎましょうとかしっかりと運転する前には睡眠を取って出かけましょうとか、そういうことが教育できると思うんですが、要するに、大前提の事故の分析が非常に曖昧というか、捜査の方で、やはり過労運転、居眠り運転にしたら捜査が面倒くさいということもあるのかもしれませんけれども、やっぱりその辺りをきっちりともっと分析していかないと本当の教育というのは難しいんじゃないかというふうに思います。

#110
○嘉田由紀子君 ありがとうございました。
 もう時間がないので、本当にお三方、ここが、私は、ここまで人の行動の中身まで踏み込んだかなり具体的な法案というのは珍しいと思うんですけれども、そこのところをいかに有効に、この後、予防的に抑止力を高めるかというのは、また立法府なり私どもの、政治家の責任だとも思いますので、ここはまた今後ともよろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。

#111
○委員長(竹谷とし子君) 以上をもちまして参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。
 参考人の皆様には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後零時三十七分散会
ソース: 国立国会図書館
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