くにさくロゴ
2018/07/11 第196回国会 参議院 参議院会議録情報 第196回国会 東日本大震災復興特別委員会 第6号
姉妹サイト
 
2018/07/11 第196回国会 参議院

参議院会議録情報 第196回国会 東日本大震災復興特別委員会 第6号

#1
第196回国会 東日本大震災復興特別委員会 第6号
平成三十年七月十一日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 五月十一日
    辞任         補欠選任
     小川 克巳君     阿達 雅志君
 七月十日
    辞任         補欠選任
     太田 房江君     青山 繁晴君
     こやり隆史君     石井みどり君
     進藤金日子君     石田 昌宏君
     中西  哲君     中泉 松司君
 七月十一日
    辞任         補欠選任
     伊藤 孝江君     竹内 真二君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         徳永 エリ君
    理 事
                愛知 治郎君
                片山さつき君
                平野 達男君
               渡辺美知太郎君
                秋野 公造君
                伊藤 孝恵君
                川田 龍平君
                岩渕  友君
    委 員
                足立 敏之君
                阿達 雅志君
                青山 繁晴君
                石井みどり君
                石田 昌宏君
                江島  潔君
                岡田  広君
                高階恵美子君
                高橋 克法君
                滝波 宏文君
                豊田 俊郎君
                中泉 松司君
                中野 正志君
                羽生田 俊君
                宮本 周司君
                森 まさこ君
                和田 政宗君
                竹内 真二君
                浜田 昌良君
                三浦 信祐君
                藤田 幸久君
                増子 輝彦君
                小川 勝也君
                神本美恵子君
                鉢呂 吉雄君
                紙  智子君
                石井 苗子君
                清水 貴之君
                山本 太郎君
                行田 邦子君
                藤末 健三君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        田中 利幸君
   参考人
       豊橋技術科学大
       学学長
       福島12市町村の
       将来像に関する
       有識者検討会座
       長        大西  隆君
       東北大学災害科
       学国際研究所准
       教授
       特定非営利活動
       法人宮城歴史資
       料保全ネットワ
       ーク事務局長   佐藤 大介君
       避難の協同セン
       ター世話人    熊本美彌子君
       東日本大震災避
       難者の会Tha
       nks&Dre
       am代表     森松明希子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○東日本大震災復興の総合的対策に関する調査
 (東日本大震災復興の総合的対策に関する件)
    ─────────────
#2
○委員長(徳永エリ君) ただいまから東日本大震災復興特別委員会を開会いたします。
 議事に先立ち、一言申し上げます。
 この度の平成三十年七月豪雨により甚大な被害がもたらされ、多くの尊い人命を失いましたことは誠に痛ましい限りでございます。
 犠牲者の御遺族に対し哀悼の意を表しますとともに、被災者の皆様にも心からお見舞いを申し上げます。
 ここに、犠牲となられた方々の御冥福をお祈りし、黙祷をささげたいと思います。
 どうぞ御起立をお願い申し上げます。黙祷。
   〔総員起立、黙祷〕
#3
○委員長(徳永エリ君) 黙祷を終わります。御着席ください。
    ─────────────
#4
○委員長(徳永エリ君) 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、小川克巳君、こやり隆史君、進藤金日子君、中西哲君及び太田房江君が委員を辞任され、その補欠として阿達雅志君、石井みどり君、石田昌宏君、中泉松司君及び青山繁晴君が選任されました。
 また、本日、伊藤孝江君が委員を辞任され、その補欠として竹内真二君が選任されました。
    ─────────────
#5
○委員長(徳永エリ君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りいたします。
 東日本大震災復興の総合的対策に関する調査のため、本日の委員会に豊橋技術科学大学学長・福島12市町村の将来像に関する有識者検討会座長大西隆君、東北大学災害科学国際研究所准教授・特定非営利活動法人宮城歴史資料保全ネットワーク事務局長佐藤大介君、避難の協同センター世話人熊本美彌子君及び東日本大震災避難者の会Thanks&Dream代表森松明希子君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#6
○委員長(徳永エリ君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#7
○委員長(徳永エリ君) 東日本大震災復興の総合的対策に関する調査を議題といたします。
 この際、参考人の皆様に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本委員会に御出席いただき、誠にありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の議事の進め方について御説明をいたします。
 まず、大西参考人、佐藤参考人、熊本参考人、森松参考人の順序でお一人十五分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答え願いたいと存じます。
 なお、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますが、御発言の際は、その都度、委員長の許可を得ることとなっておりますので、よろしくお願いを申し上げます。
 それでは、大西参考人からお願いいたします。大西参考人。
#8
○参考人(大西隆君) 時間を頂戴しまして、陳述させていただきます。
 お手元に、関係資料として事前にお届けしたもののほかに、机上資料として二点あります。そのロードマップ二〇二〇と書いた方が前半の資料になります。後半の最後の部分で拙稿、「福島復興の現状と課題」と書いた論考の一部を引用することになります。
 私は、福島12市町村の将来像に関する有識者検討会の座長をしております。これは二〇一四年十二月に設置され、九回の検討を経て二〇一五年の七月に提言をまとめました。その後、引き続きフォローアップのための会合を年に二回ないし一回のペースで開催してきています。今年は去る五月二十六日に第十三回の会合を開催したところでございます。
 この有識者検討会では、福島県知事が委員のお一人になっているほか、避難指示対象となった福島県内十二市町村の首長又は代理の方々が毎回出席されています。これら被災地の行政責任者の方々を通じて、ある程度被災地の実情を踏まえた議論ができているのではないかと考えております。特に、原発事故からの復興に国が責任を果たすという観点から、被災市町村の方が国に直接意見を述べることができる重要な機会ともなってきました。
 提言では、中長期的に、かつ広域の視点で将来像の検討結果をまとめています。一方で、二〇二〇年に開催される東京オリンピック・パラリンピックは福島の復興を世界にアピールするチャンスであるという観点から、将来像の検討に当たっては、目指すべき三十年、四十年先の地域の姿を示すことに加えて、二〇二〇年に向けた具体的な課題と取組を示しました。
 私は、東日本大震災の直後に政府が組織した東日本大震災復興構想会議に委員として加わりました。そのとき二か月余りで提言をまとめたわけですが、その中で、減災の考え、つまり、再び同じような津波災害に遭わない復興を実現するべきという観点を強調して、それが現在の復興にも生かされていると思っています。
 提言ではもちろん福島の復興にも触れたのですが、当時、原子力災害の全貌がなおはっきりしないということもあって、福島について議論が尽くされたとは言えませんでした。その後、復興庁ができ、こうした形で福島の被災地を対象とした復興への提言がまとめられるのに際して委員として加わることができたので、個人的にも残したことに携わる機会を与えられたという思いがございます。
 福島の被災地の復興は、二〇一七年三月から四月にかけて帰還困難区域を除くほとんどの地域で避難指示が解除されるとともに、福島復興再生特別措置法が改正されて新たなステージを迎えています。つまり、私どもの提言を実行するための事業をフォローアップという形でフィードバックを重ねながら進めていける段階に入ったと思っています。
 それでは、提言の内容を紹介させていただきます。福島復興に向けて七つの柱を立てました。
 一つ目は、産業、なりわいの再生、創出です。これには、基幹産業であった農林水産業の再生に加えて、新産業の創出が含まれます。特に、同時期に別な形でまとめられた福島イノベーション・コースト構想は、福島第一原発の廃炉事業と連動した技術開発、産業育成も含んでおり、福島十二市町村の新たな産業振興として重要と考えました。これらについては、ロードマップの一ページ目、右下のページで一ページ目にまとめております。
 二つ目に、住民生活に不可欠な健康、医療、介護の問題です。帰還者に高齢者が多いという現実があり、早めに帰還した方々にも生活関連の施設やサービスが復興していないことへの不安が強いので、国や自治体が健康、医療、介護に注力することが重要と考えました。
 三つ目は、未来を担う、地域を担う人づくりです。小中学校の地元での再開、ICT教育、ふたば未来学園、小高産業技術高校などでの先進的な教育、さらに新たな産業振興のための人材育成も重要であるとしています。
 四つ目は、広域インフラ整備、町づくり、広域連携です。地域の復興には、地域が相互に結ばれるとともに、広域的な拠点と緊密に結ばれることが不可欠という観点から、ふくしま復興再生道路の整備、JR常磐線の早期全線開通を取り上げ、さらに地域内の復興拠点を設けて、そこを中心に復興を図ることを提案しました。これは、特定復興再生拠点として福島復興再生特別措置法改正に盛り込まれたところです。
 五つ目から七つ目の柱が、観光振興や風評・風化対策、文化、スポーツの振興であります。
 特に、復興が十年目の節目を迎える前に開催される東京オリンピック・パラリンピックは、復興の進展を内外に示す機会となります。こうした提言の下に将来像実現ロードマップ二〇二〇、お手元の資料ですが、を作成して、毎年、有識者検討会で国、県、被災自治体も加わって進捗状況を点検しています。今年の検討会は、昨年の特措法の改正で特定復興再生拠点や福島イノベーション・コースト構想が盛り込まれた後に開催されたので、産業と生活の復興が本格的に動き出したと感じました。
 検討会での議論を通じて改めて浮かび上がった課題について、その要点を述べさせていただきます。
 設置法では、復興庁は二〇二一年三月末までに廃止するとされています。しかし、特に福島においては、その時期までに復興が完成するわけではありません。残念ながら、そういうことだろうと思います。したがって、二〇二一年度以降の復興の体制が関心事となってきました。私どもの提言では、原子力災害によって福島にもたらされた深刻な事態の記憶と教訓を決して風化させることなく、省庁の垣根を越え政府一体となって総力で実行していくべきであると述べ、震災から十年以降の福島の復興に向けた政府の組織の在り方について、今後の検討課題であるとしています。長期にわたらざるを得ない福島を始めとする東日本大震災からの復興に省庁横断体制をどのように継続していくのか、是非国会で議論していただきたいと思います。
 二つ目は、福島では、今後、数十年間にわたって廃炉事業が実施されることを重視すべきという点です。
 廃炉は、これから世界の多くの原発が直面する課題です。福島で開発される新技術、新たな知見は、今後の世界の廃炉事業に応用可能なものであります。是非、そうした視点で廃炉にももっと光を当てて、我が国の新たな技術や人材育成分野として位置付けていくことが必要だと思います。
 また、除染、中間貯蔵施設、放射性物質流出防止、さらに廃炉には既に多くの人材が投入されています。これらの方々が地域の新たな担い手になっている現実もあり、定住者として地域復興の一端を担ってもらうという発想も重要だと思います。
 第三に、復興の段階が市町村ごと、さらにはその中の地域ごとに異なることをどう考えるかです。
 二〇一七年春における大幅な避難指示解除後も残される帰還困難区域が相当部分を占める自治体では、本格的な復興はまだ先になります。種々の復興事業を実行していける地域と、まだ準備の段階が続く地域というステージの差異が生じています。いずれ全ての地域が本格的な復興活動を行える状態になるとしても、当面はステージのずれがあることを率直に認識して、自治体間の連携や協力を強めることが必要と私は思っています。
 この点は、有識者検討会で、特に有識者委員と地元自治体の首長さんとの間で意見が分かれたところでもありました。もちろん、特定再生復興拠点での除染を早急に行うことなどを通じて、避難指示をできるだけ早期に解除することが必要であることは言うまでもありませんが、国や県は、本格復興に時間の掛かる地域に対しても、各時点で最善の復興計画が実施できるように、長期にわたって復興に関わることが必要と思います。
 第四に、産業、生活や観光やスポーツに至るまで非常に多方面の復興事業が挙げられ、それらがロードマップの形で進捗管理されているのは重要なことだと思います。
 その上で、例えば育成された人材が、地域で新たに起こると期待されるロボット産業や再生可能エネルギー産業などの技術者や担い手になるなど、復興事業間の緊密な連携も重要なポイントだと思います。現在は、復興庁の下で多数の省庁が復興事業に一体的に関わっています。その中で生まれている事業間の連携関係が今後とも継続されるように、諸事業を横につなぐ機能が失われないようにすべきだと思います。
 最後に、有識者検討会座長の立場から少し離れて、私自身の意見も交えて述べたいと思います。
 福島では、避難指示によって多くの方々がやむを得ずふるさと、つまりそれまでの居住地を後にしました。それから七年余りがたち、ふるさとへの帰還という点で人々の意識は多様になっていると感じます。
 復興庁、福島県、被災自治体が協力して行っている原子力被災自治体における住民意向調査によれば、東電福島第一原発に近い地域では五〇%前後がふるさとに戻らないと決めていると回答しています。また、年齢別に見ると、この回答は四十歳未満の年齢層に多く、高齢になると少なくなるという傾向があります。戻らない理由については、医療環境に不安があるから、原子力発電所の安全性に不安があるから、家が汚損、劣化し、住める状況ではないから、生活に必要な商業施設などが元に戻りそうにないからなどが上位に挙げられています。
 こうした意識の背景には、いまだ異常値を超える放射線量が多くの観測点で測定される自治体が存在していたり、さらに、住民が増えないことにも起因して、生活関連施設の復旧が十分とは言えないことなどがあります。もちろん、事故から相当の年月がたって、特に若い世代は新しい土地で新しい生活を開始して定着している人々がいることも想像できます。
 こうした現状を踏まえるならば、私は、福島においては人の復興と場所の復興、これを区別して考える必要があるのではないかと思っています。
 人の復興とは、被災した人々あるいはそこに新たに加わった家族がそれぞれ望む生活を行うことを国と東京電力は支援する責任を有するということです。特に、被災を理由としたいじめへの防止対策、甲状腺検査を始めとする健康管理、生活のスタートアップ等の支援は重要だと思います。
 一方で、被災地の場所の復興も重要です。私がこれまで述べた福島12市町村の将来像に関する有識者検討会での議論は、この場所の復興に関わることが少なくありません。被災者の中で条件が整えばふるさとで生活したい人がいることは言うまでもありませんし、やがて人々が自由に生活できる地となってよみがえることは疑いがないのですから、そのための生活や産業の基盤を着実に整えていくことは重要だと思います。
 その意味で、福島の復興に当たっては、被災者の生活に寄り添った人の復興という視点と、被災地に着目した場所の復興という両方の視点が不可欠であると考えています。別な場所で生活を確立している人々の中にも、ふるさとを思う意識は強いと思います。
 私が会長を務めていた時期に、日本学術会議では、二重の地位、すなわち被災者が新しく生活を始めた地域と被災時に居住していた地域との両地域でそれぞれ住民としての権利を有し、一定の行政サービスなどを受けることができる制度を提言しました。被災地で自治行政機能が回復する中で、改めて制度として二重の地位を導入するべきではないかと考えております。
 私の陳述は以上でございます。御清聴ありがとうございました。
#9
○委員長(徳永エリ君) ありがとうございました。
 次に、佐藤参考人にお願いいたします。佐藤参考人。
#10
○参考人(佐藤大介君) NPO法人宮城歴史資料保全ネットワーク事務局長を務めております東北大学災害科学国際研究所准教授の佐藤大介です。
 本日は、お招きいただき、ありがとうございます。また、この間、東日本大震災被災地の復旧復興に御尽力いただいておりますことに、被災地住民の一人として感謝申し上げます。
 私たちの団体の概要についてはお手元の配付資料のスライド一ページ目を御覧ください。平成十五年七月二十六日に発生した宮城県北部での連続地震をきっかけに発足いたしました。地域の古文書資料を災害その他の消滅の危機から守る活動に参加しています。活動を通じて、資料を守ることはもちろん、地域住民や行政とのネットワークづくり、さらには歴史資料を生かした地域づくりへの取組も行っております。
 本日は、東日本大震災で被災した古文書資料の救済の現状と課題及び今後の復興における可能性についてお話しさせていただきます。余りなじみのない分野ですので、日本列島に残る古文書の意味という前提のお話をしてから、震災後の活動についてお話しさせていただきたいと思います。
 スライド二ページ目は、かつての江戸時代の仙台藩領、これは今の宮城県全域及び岩手県の南部に相当するわけですが、その旧家二軒に残された古文書の保管状態を映したものです。日本の江戸時代に当たる十六世紀から十九世紀中頃までに作成され、今も各地の地域社会に残る古文書の質量は圧倒的なものであって、私はこれを知られざる世界記憶遺産などと呼んでおるのですが、実は、スライド三でも示しましたが、地域社会にこれほどの古文書が残っている国や地域は実はほかにはないのです。
 参考をスライドの三枚目に示しましたが、推計二十億点という試算もあります。これ、一都道府県当たり四千二百五十万点ということになります。参考までに、宮城県の博物館など公的施設に収められている古文書は大体二十万点ほどという、私の方で計算しましたが、それから比べればいかに膨大な史料が手付かずのまま残されているか、御理解いただけるかと存じます。
 これほどの史料が残っているのは、日本の社会が文書のやり取りを前提にして政治や社会を運営していたこと、それから、それに加えて庶民たちが自らの生活を豊かにするために文書や文字を使いこなしたという、そういう歴史的な経緯によるものです。つまり、残っていること自体が日本の歴史、文化的な特徴のあかしであるということになります。
 このような史料を収蔵する公的機関は当然あるわけですが、例えば市町村当たりの文書館の設置数は千六百三十八自治体中三十八自治体であります。それから、自治体の予算や専門職員の不足もあり、大半の古文書には公的な保護が行き届いておりません。
 スライド四ですけれども、地域社会では所蔵者や地域住民により自主的にそれらを継承する仕組みと、公的な財産であるという価値観が継承されてきました。しかし、戦後以来の社会の変化、価値観の変化に伴い、古文書を守り伝える仕組みや意識は急速に薄れています。
 この状況を加速させるのが巨大災害であります。災害による古文書自体の被災や保管場所が被災、例えば旧家の土蔵ですとかそういうことが失われることによって、もはや所蔵者や地域で古文書を継承し続けるのは困難な状況が広く起こり、地元の歴史資料は廃棄という形で一挙に失われるということになるわけです。
 このような問題、スライド五になりますが、このような問題が自覚されるきっかけになったのは、平成七年一月十七日の阪神・淡路大震災でした。その被災地での救出活動をきっかけに、各地で災害が起こるたびに歴史関係者を中心に市民や行政と連携して、被災した歴史資料の救出や失われつつある地域の歴史資料を守ろうとする史料ネットワークが各地にできています。現在、十九の団体が活動しておりますが、今次の西日本豪雨で被災した岡山県と愛媛県でも既にそれぞれの史料ネットが救出活動に入っております。それから、広島県も、活動が中断しておりましたが、史料ネットが再興されて救済に、対応に当たるということを伺っています。
 スライド六、七に行きますが、二〇一一年三月十一日に発生した東日本大震災では、多数の人命、財産、かけがえのないふるさとの風景とともに、各地の歴史的な歩みを証する無数の古文書も失われました。完全な所在の調査というのが行われていませんので、被災地でどれほどの史料が失われたのか知るすべはありません。無数と言わざるを得ません。
 スライド六、七は、一九九九年から二〇一〇年まで、宮城県北上町、現在の石巻市北上町の町史編さん事業で調査した旧家の事例です。古文書が収められていた土蔵は津波で跡形もなく消滅いたしました。北上町史で調査した旧家十三軒のうち七軒、約一万五千点の古文書が津波で消滅しましたが、震災前に撮影した画像は残りました。災害前に防災のためにこういう古文書の調査を行っていくことの重要性を示す最も悲しい実証となってしまいました。
 一方、津波で被災しながら辛うじて消滅を免れた地域の歴史資料について、宮城では私ども宮城資料ネットが、先ほど示しました各地の史料ネットワークや市民ボランティア、また文化庁による文化財レスキュー事業というものが立ち上がりまして、それと相互に連携しながら救出活動を行いました。
 スライド九は、平成二十三年四月八日に実施した石巻市の本間家でのレスキューの様子です。江戸時代から石巻で海運や醸造業を営んできた旧家で、周辺の住宅が津波で押し潰される中、この土蔵のみが奇跡的に倒壊を免れました。
 スライド十ですが、被災した史料は仙台など安全な場所に一時搬出し、その後、津波で海水や泥をかぶった史料への応急処置を施します。どういうことをやるかというと、本当に紙を真水で洗うという、そういう作業などを繰り返して、ひたすら行っていくということになります。
 スライド十一が、私どもが震災発生後から対応した活動の範囲と件数を表したものですが、百件を超える所蔵者から約十万点の文書を救出し、一時保管をしています。震災から七年以上経過した現在でも復興事業に伴う家屋解体などに伴う救出依頼が散発的に続いております。
 今後の課題、スライドの十二に示しましたが、震災から七年以上が経過しましたが、活動に終わりは見えません。
 一方、今後の復興への取組に古文書を活用していくということも含め、多くの課題が残されております。実は、初動の一時搬出もまだ続いています。散発的な事案、宮城や茨城などでも同様で、これは復興事業の進展に伴う家屋の解体というのが進んでおりますので、そうしたことによるものです。福島では原子力災害がございまして、その被災地での活動がようやく途に就いたばかりという、そういう状況であります。
 第二に、救出した史料を今後中長期的に保存し、受け継いでいくための先行きは不安です。
 約十万点の史料を救出、処置しましたが、多くの被災史料は大学や自治体が用意した保管場所に一時的に置いてあるだけです。所蔵者が土蔵を再建したり、個人で保管場所を用意するというのは難しいわけです。ここはもう公的な支援をお願いしたいところですが、博物館は平時において収蔵品の保管場所がもうないという状態もありますし、さらに被災自治体には元々そういう公的施設がないという自治体も多いという、そういう現状がございます。また、応急処置はもうあくまで当座の危機をしのいだだけですので、物理的に安定した形で中長期に保存するには本格的な修復、修理が必要となる場合も多数あり、そこには経費が当然必要になってきます。
 最後に、史料を復興に活用していくには救出した史料の調査研究が必須です。その専門的な知識を持った人員というのは市民ボランティアに比しても圧倒的に不足しておりまして、もう本当に長期間地域に根差して継続して取り組む専門知識を持った人員の配置が不可欠だというふうに考えております。
 では、そういう巨大災害においてそうした古文書や歴史資料を救うということにどんな意味があるのかということを最後に御紹介したいと思います。
 一つは、スライドの十三から十五までお示ししました。これは、震災後に津波や地震を古文書から復元するということで、報道など御覧になった先生方も多いと思うのですが、私自身は江戸時代の飢饉の研究をしておりまして、気象現象の復元ということで、西暦一八三六年八月に宮城県を襲った台風の進路の復元と被害状況を古文書から復元したものであります。
 台風の進路の復元などは、全国にある多数の古文書記録を調査することで、日本だと恐らく百年分の、江戸時代に限って百年分の進路の復元などができると思いまして、これは太平洋高気圧の勢力など当時の地球環境を明らかにするというそういうことにつながる活動です。これは実はむしろ海外の研究者には注目をされているという現実がありますが、古文書の可能性というのはもちろん災害の歴史を調べ、これはもう災害対策の基本だと私どもは思っているのですが、それだけにとどまるものでは、災害という一分野にとどまるものではございません。
 スライド十六、これは市民ボランティアの活動の様子でございます。もう本当に無償ボランティアでございまして、退職者や高齢者の方に支えていただいているという状況です。
 昨年一年も三百三十三人の延べの協力者を得ているのでありますが、参加した方の声として、力仕事はできないし、車がないので津波被災地でのボランティアも参加できず、まあ仙台の方ですけれども、被災地にいながら被災者ではないということに後ろめたさを感じていたというそういう女性が、とにかく何か人のためになる、そういう場を与えてもらったということを述べております。また、日常的にそういう古文書、歴史資料に触れることにより、参加者が歴史への興味を高め、ボランティアを対象とした古文書解読の講座といいますか、ボランティアの方が自分たちで教えてくださいと言ってきて、その古文書の講座を、サークルを開いたり、歴史探訪、史跡探訪の会などを開かれるようになっております。そういう対応が高齢者にとっての災害ボランティアを通じた社会参加の場ともなり、心理的な回復をも促しているということになります。
 スライド十七ですが、被災地の古文書保全活動には大学生も多数参加しております。
 このスライド十七の宮城県丸森町の事例では、五年で六十名ほどの学生が参加して、古文書の調査、それから年度末一回展示会をやりまして、町内外から毎回百名前後が来場しています。丸森町も原発の放射性物質の被害ですとか、その風評被害に苦しんでおるところで、こうした歴史の掘り起こしが復興支援でもあり、また地域の活性化につながるのではないかと考えております。学生四名ほどが自治体学芸員や自治体の文化財担当官に就職しましたが、今次の文化財保護法改正で求められている地域の歴史、文化を活用できる人員を育てるという、そういう役割も果たしておるということになります。
 最後に、被災地、被災者にとっての意味でございますけれども、スライド十八は、そのレスキューを行った石巻の本間家土蔵が地域の交流拠点として再生したという事例です。
 明治三十八年、一九〇五年に建てられた土蔵については、一度解体を所有者が決断しましたが、建築調査や地元内外の支援によって保存が実現し、現在では、各種の行事の拠点、結婚式を挙げたりとか、そのボランティアの方が挙げたりとか、中は史料館として救出した古文書や震災後の資料が活用されています。こちらには現在、三年で二千人ほど訪れているということですが、震災前後の歴史を語りつなぎ、人々が交流する場となっております。
 被災者にとっての古文書やふるさとの歴史、レスキューを契機に、古文書が語るふるさとの歴史を通じて、自分が生きる意味や価値を見出したとか、歴史を知って地域の発展に活動していこうという前向きな反応が寄せられています。これは、古文書の語る歴史が精神的に打ちひしがれた人の心理的回復を促し、さらに、そこから立ち上がっていこうというレジリエンスを涵養させられるという可能性を示すものでして、この点については、今、臨床心理学者との共同研究で研究しており、間もなく論文も公表される予定になっております。
 被災地では、今後、心の復興が求められる段階だと考えられます。被災者からは、建物の復興だけではなくて、歴史や文化の復興についても大事にしてもらいたいといった声も寄せられております。残って再建に取り組む人々、やむなくそこを去る人にとって、ふるさとの歴史は大きな歴史を果たすと考えております。もちろん、人命や社会基盤の整備といった優先順位というものがあると存じますが、こういう歴史、文化の再生、復興が軽んじられていいとは私は思いません。まさに人間が人間であるその根本がそういう歴史や文化であるというふうに考えております。
 今後、多数の課題がございますが、是非そうした公的な支援というものもお願いしたいということを申し上げまして、私からの意見陳述を終わります。
 御清聴ありがとうございました。
#11
○委員長(徳永エリ君) ありがとうございました。
 次に、熊本参考人にお願いいたします。熊本参考人。
#12
○参考人(熊本美彌子君) 避難の協同センターの世話人、熊本と申します。
 私は、原発事故で、田舎暮らしをしていた福島県田村市から東京に避難しました。私の福島の家は原発から三十・五キロのところにあります。二〇一一年の九月末まで緊急時避難準備区域とされて、除染も済んだとされているところですけれども、二〇一五年十二月に玄関先三メートルのところの土の放射性セシウムの量を測りましたら平米当たり八万ベクレルありました。これは、放射線管理区域の基準が平米当たり四万ベクレルなので、二倍の量です。
 除染されたのですけれども、有機農業、無農薬で栽培をして豊かな土にしていたのですけれども、その土を剥いでしまって砂を入れられたので、それから有機農業をするという、そういう希望がなくなりました。
 阿武隈山地の山中ですので、除染をしていない林からガンマ線が飛んできて、私の土地は除染してあっても一メートル高さの方が一センチ高さよりも高いところがあります。例えば、一メートル高さのところで一時間当たり〇・四六マイクロシーベルト、一センチ高さのところでは〇・三六マイクロシーベルトというふうになっております。
 それから、田村市の基準では屋根は除染していないので、二階の寝室は一時間当たり〇・三六マイクロシーベルトです。二階のベランダから一階の屋根を測りましたら、一時間当たり〇・六〇マイクロシーベルトでした。除染の基準は一時間当たり〇・二三マイクロシーベルトとされております。
 放射性物質は公平に飛散したのではありません。二十キロ、三十キロのところで放射能の雲はとどまりませんでした。それから、県境でとどまったわけでもありません。あちこちにホットスポットが存在しております。線を引くということの不合理性というのを政治は認識すべきではないかというふうに思っております。
 昨年度、帰宅困難区域を除く避難指示区域が次々と解除されました。避難指示は、年間ですが、二十ミリシーベルトを超えるから避難しろということだったのですが、解除は二十ミリシーベルトを下回るからということでした。これはICRP二〇〇七年勧告に基づくというふうに説明されています。つまり、二十ミリシーベルト以下ならば健康に害が出ないと、それが証明されたからではありません。
 二十ミリシーベルトという数字は、科学、サイエンスの問題ではなく政治の問題だと思います。政治の問題であるならば、当事者たちの意見を聞く、当事者たちが納得できる仕組みをつくることが前提になければならないと思います。しかし、私たち当事者が意見を聞かれることはありませんでした。この場は七年ぶりの参考人招致だそうですけれども、このまれな機会にお呼びいただきまして意見を言わせていただくのは大変有り難いと思っております。しかし同時に、意見は聞きましたという形だけになるのではないかということを危惧しております。
 避難指示の解除の説明会もそうでした。当事者たちは納得していません。区域外避難者の住宅打切りは昨年三月末でしたが、この決定は福島県知事が決めたことで、県議会で検討、議決されたわけではありません。国会でも何もなされませんでした。
 生活の基本は住まいです。住まいが安定することが大切だと思います。原発事故で避難した人は全国で十六万人、県外に避難した人は十万人を超えると言われています。住まいは災害救助法によって提供されました。県外は全て建設型仮設ではなくて恒久的な建物だったのですけれども、みなし仮設とされて、二年経過後は一年たびの更新でした。そして、二〇一七年三月で打切りを福島県知事が決めたのです。理由は、応急救助の時期を過ぎたからだということでした。でも、原子力災害は長い時間が掛かる災害です。大量に放出された放射性セシウム137の半減期は三十年です。事故から六年で消えるものではありません。
 原発事故後、全国会議員の賛成で成立した子ども・被災者支援法という法律があります。皆様のお手元にお配りしてあります資料の最後のページにその被災者支援法の条文が書かれております。七ですね。放射性物質による放射線が人の健康に及ぼす危険について科学的に十分解明されていない、国がこれまで原子力政策を推進してきたことに伴う社会的な責任について明記し、居住、避難、帰還の選択を被災者が自らの意思で行うことができるよう、医療、移動、移動先における住宅の確保、就業、保養などを国が支援するというふうに書かれておる法律です。住宅の確保は国が支援すると定めてあるということは、これは国の責務であるということですよね。しかし、対応はなされませんでした。
 打切り後の実態調査を福島県に対して、被害者の団体、三つの団体が共同して、きちんと調査をするように、実態調査をするようにという要請を昨年から何度も何度もしておりますけれども、福島県は一度もそれに応じてくれていません。
 福島県がやらないのに、ほかの自治体がその調査をやっています。例えば、新潟県では、全国の自治体に、民間賃貸住宅に入っていた区域外避難者が打切り後どこに生活しているのかという調査をしました。これは皆様のお手元にある資料の一番最初のページに書かれてある円グラフです。すると、七九%が福島に帰らずに避難を継続しています。帰ったのは一七%です。東京都も、みなし仮設として提供していた都営住宅の入居者が一七年四月以降どこに生活をしているのか調べました。その結果、都内に引き続き生活している世帯が約七〇%ありました。
 放射線の健康被害というのは、低線量だと、例えば累積で十ミリシーベルトに達すると〇・〇五五%のがん死になる、しかし喫煙などほかの要因に隠れてしまうほど小さいとICRP二〇〇七年勧告は言います。しかし、自発的な喫煙と自発性などない、便益など全くない私たちが浴びた放射線、その被曝を自発性のあるものと同列に置くという比較については、私ども避難者は納得できないと思います。
 山形の避難者から聞いたことがあるんですけれども、避難はお父さんとお母さんで決めたよね、だけど帰るときは自分たち子供の意見も聞いてよねって母親が言われたというんですね。だから、事故から七年もたって、子供たちにとっては避難先がふるさとになっているということだと思います。このような実態からすれば、帰還政策というのは綻び出していると言えるのではないでしょうか。
 私たち避難の協同センターは、三月末から区域外避難者の方々にヒアリングを行っています。東京都内で二回、それから新潟県、昨日は福島県でやりました。
 昨日の川俣町山木屋の人は、千二百名の人がいたけれども、帰ったのは三百十人だと。みんな後期高齢者、七十五歳以上の人で、二十代や三十代の人は一人も帰っていない。自分も、家族が大家族で生活していたのに、今は四つに分かれている、放射能から逃れることができない生活だと。この苦労を何で自分たちがしなければならないのか、いつになったら平穏に暮らせるんだろうかと言いました。それから、一度避難して戻った母親も、安心した暮らしがしたいのにと涙ぐみました。
 新潟では、公的住宅になかなか入れない。民間賃貸住宅に入っているけれども、来年度から福島県の家賃補助がなくなってしまう。そうすると、収入が十万円減っているのでとても不安だと訴えました。そして、子供が障害を持っていて医療費が掛かるので、自分が体調が悪くても医者に行くのを我慢してしまうんだと言いました。
 東京では、国家公務員宿舎に福島県と契約して入居している人が、住まいと駐車場で一万円近い値上げを四月の二日になって通告されました。この契約をすると、来年三月で出なければならない、出ていかないと使用料の二倍が請求される。しかし、都営住宅に応募してもなかなか当選できない。一体どうしたらいいのかと言いました。
 そこで、私たち避難の協同センターでは、今まで二回、今年に入ってからですが、二回、復興庁、財務省、国交省、福島県に来ていただいて交渉する場を持ちました。しかし、まだ解決に至っていません。私たちが把握している区域外避難者の実情と政府、福島県の認識がずれているということを実感しています。今ある問題をきちんと捉えて真摯に対応していただきたいと思います。区域内避難者も、来年三月で住宅の無償提供を打ち切られるのではないかと恐れています。区域内の人は賠償を受け取っていると言われますけれども、元々賃貸に住んでいらした方は賠償を受け取っておりません。
 資料の一ページの一の括弧三に精神的なダメージの問題が書いてありますけれども、身体的、精神的に問題を抱えている人々も多くいます。子ども・被災者支援法の理念に立ち返り、被害者の人権を守る取組を国会議員の皆様にお願いいたします。
 具体的には、資料の六にあります。
 六、避難の協同センターからの提起。一、区域外避難者が安心して生活できる居住の保障をしてください。二、民間賃貸家賃補助の継続をしてください。三、希望する避難者の公営住宅特定入居を対象としてください。これは優先入居だと非常に外れる人が多いので、優先入居ではない形で入居させてくださいということです。それから、四番は、安心して生活できる居住の保障が実現するまで国家公務員住宅の継続居住期間の延長をお願いしますということです。皆様、よろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました。
#13
○委員長(徳永エリ君) ありがとうございました。
 次に、森松参考人にお願いいたします。森松参考人。
#14
○参考人(森松明希子君) 森松明希子と申します。
 発言の機会をいただきまして、心から感謝申し上げます。同時に、これまで七年間、全国に散らばる被災者、避難者の御支援に心より感謝申し上げます。
 私の避難先の大阪では、先日、大阪府北部地震に見舞われまして、さらには、その一週間後には、西日本全域が大水害に遭い、多くの方々の大切な命が失われてしまいました。哀悼の意をささげますとともに、被災された皆様方におかれましては、心よりお見舞い申し上げます。被災されている皆様方が平穏な日常の暮らしを取り戻されますよう心から願っています。
 私は、東京電力福島第一原発事故から二か月後の二〇一一年五月、ゴールデンウイークの大型連休をきっかけに福島県郡山市から大阪府大阪市に避難をすることになりました。現在、子供たちは二人いますが、大阪市に避難をしています。いわゆる母子避難です。夫は今も福島県郡山市で原発事故前と同じ職場で働き、家族の避難生活を支えています。夫が福島県郡山市に残っているのは、国が指定した強制避難区域に該当しないからです。
 ゼロ歳で大阪に連れてきた私の娘は七歳になりました。ゼロ歳のときから父親と一緒に暮らすという生活を知りません。娘の年齢が避難生活の年数と重なります。三歳のときに避難した上の息子も同様に、七年間で随分の苦労を重ねたと思います。二人の子供たちは、福島県民でありながら大阪の小学校に入学をさせていただき、現在は小学二年と五年生になりました。子供たちの父親である私の夫は、そんな二人の子供の日々の成長をそばで見ることができないこの七年間を過ごしてまいりました。
 本日、この場で私が最も伝えたいことをお話ししたいと思います。
 多くの人たちが、自分の身が危険に直面したら逃げることは当然で、逃げることは簡単にできると思い込み過ぎていると私は思います。でも、東日本大震災、その直後に起きた東京電力福島第一原子力発電所の事故を経験して、そんな当たり前のことができない社会的状況があることを私は身をもって知りました。そして、全ての国民が現在進行形でそれを目撃し続けていると思うのです。
 火事が起きれば、人は熱いから逃げ出します。地震で家が壊れれば、崩れて下敷きにならないようにその場から離れます。津波が海の向こうから見えれば、人は波にさらわれないように高台に上って走って逃げます。津波てんでんこという教訓化された言葉によって、どれほどの尊い命が救われたでしょうか。
 他方、原子力災害はこれらの自然災害とは異なり、明らかに人災です。漏れ出てくるものは放射能です。放射能は色もありません、においもありません。低線量であれば痛くもかゆくもなく、人間の五感で感じることはできません。
 そのような原子力災害、放射能災害がもたらす核被害について、私たち市民社会は、被害の実態をきちんと把握し共有できた七年間だったのでしょうか。放射能てんでんこを教訓としてきたでしょうか。むしろ、逃げずに復興、オール福島、頑張ろう東北、きずなというきれいで美しい言葉に覆い隠され、放射能汚染、被曝という核災害と正面から向き合ってこなかったのではないでしょうか。
 原子力を国策として進めている国が、そして原子力産業により莫大な利益を得ている巨大企業である東京電力が、きちんと責任を持って放射線を管理し、管理できない状態になれば速やかにそれを人々に知らせ、状況をつぶさに隠蔽せず公表し、汚染状況を詳細に周知徹底し、環境汚染や人の健康についての危険については警鐘を鳴らし、適切な避難の指示や勧告を行い、そして制度と保障を行わなければ、一般の人々は自分の命の安全を確保することは困難です。ただ逃げるという選択すら容易ではないのです。
 福島第一原発事故によって避難を余儀なくされた人々というのは、国際社会が指摘するとおり、国内避難民に該当します。それは、県境や行政区画で線引きされた強制避難区域とそれ以外とを問いません。国連の国内強制移動に関する指導原則、GPIDと言ったり、国内避難民に関する指導原則とも呼ばれていますが、二〇一七年の国連人権理事会の普遍的定期的人権状況の審査において、原発事故関連について、日本は四か国からの勧告を受けました。そして、日本政府はそれを受け入れ、同意し、フォローアップすると返答をしています。同原則によれば、望まぬ帰還の強要は許されず、また、健康を享受する権利についても警鐘が鳴らされています。
 これら国際社会からの指摘に対し、個人の尊厳、基本的人権の尊重をベースに、国家の災害国内避難民に対する保護義務の履行として、国際的視野と視点を持って、どうか国会議員の先生方には真摯に想像力を持って被災者の声に耳を傾けていただきたいと思います。
 母子避難を決心するまでの私の二か月間というものは、地震直後の福島での混乱の中、パニックを起こさないように、ただひたすら、収束するから、復興、頑張ろう東北との言葉を信じて、とても違和感のある生活に耐えていました。健康に直ちに影響はございませんと繰り返すばかりの当時の報道とは裏腹に、子供たちを一切公園には出さず、長袖長ズボンで、外出時はマスクを着用させていました。外遊びをさせない、洗濯物を外に干さない、窓を開けない、このようなことが当たり前になっていき、とても普通の暮らしを送ることができる状況ではありませんでした。週末が来れば、家族で車に乗り込み、隣の県の山形県や新潟県まで高速道路をひたすら走り、普通の町中にあるようなブランコとか滑り台があるだけの公園を見付けて、小一時間ほどそこに三歳児の息子を降ろして遊ばせるのです。で、また何時間も掛けて福島に戻ってくる、そんなおかしな生活を続けていました。
 私の住んでいた郡山市は、福島第一原子力発電所からは六十キロメートルほど離れていますが、当時は同心円状に避難指示、屋内退避命令が広げられていき、徐々に放射能汚染地域が広がっていく恐怖におびえる毎日でした。それでも、国はより危険な地域から順次人を避難させてくれるものだと私は信じていました。
 私が一番衝撃を受けた出来事は、避難所で、福島の避難所です、原発事故から一か月近くたとうとする頃、テレビのニュースで、東京の金町浄水場の水道水から放射性物質が検出されたとの報道でした。福島第一原発から二百キロメートルも離れている東京で放射性物質が検出されて、六十キロメートルの郡山の水が汚染されていないはずはありません。実際、翌日には、福島市や郡山市などの水も汚染されていると報じられました。
 しかし、報道がなされても、地域住民全てにペットボトルの水が行政から配られるわけではないのです。この国の多くの人が、福島第一原子力発電所の事故により水道水が放射能により汚染されたという事実は知っています。しかし、私たち周辺地域の住民が、放射性物質が直ちに、たとえ直ちに影響はない程度であるとはいえ、放射性物質が検出された水を飲まざるを得ない状況に追い込まれ、それを飲むという苦渋の決断をしたということは知られていません。また、その水を飲んだ母親の母乳を赤ちゃんに飲ませるという過酷な決断を迫られたことも知られていません。
 あのとき、どれだけの放射線を浴びたのかも分からない上、私たちは汚染された水を飲み、たとえ直ちに影響はなかったとしても、一生涯自分や子供たちに出てくるかもしれない健康被害の可能性と向き合っていかなければならないという現実がここにあるのです。それは、不安とか心配とか、そのような軽微な形容で表現されるものではありません。私たちは、被曝という事実、それから被曝による健康影響という恐怖とあの日から向き合わされ続けているというのも一つの事実なのです。
 避難して初めの一年間は、いつ福島に戻れるか、いつになったら家族四人でまた再び一緒に暮らせるのか、そればかりを考えていました。これほど長期にわたり見通しの立たない避難生活を送り続けることになるとは、避難した当初は考えてもいませんでした。避難生活は、苦痛以外の何物でもありません。ですが、七年たち、次々と明らかになっていく客観的事実から考えれば、子供の健康被害のリスクを高めることになるという、戻る、帰還という選択は、少なくとも今の私には考えられません。
 当然のことながら、放射能汚染は強制避難区域や福島県境などの行政区域で止まるわけではありません。風向きや降雨、地形などによってホットスポットが避難元には至る所に点在することが分かっています。七年たった今でも、私の避難元には、自宅の目の前に除染で出た放射能の袋詰めのフレコンバッグが何百個も並んでいます。その環境に幼い我が子を戻そうとは私には考えられません。それと同時に、そのフレコンバッグを目の前にして、同じように、この国では、同じ母親が、子供が、人々が暮らしているという現実にどれだけの方々が思いをはせ、対策を講じた事実がこの七年間であったでしょうか。
 七年前、震災直後から、長崎から放射線の専門家という方が福島にやってきて、にこにこ笑っていれば大丈夫と触れて回りました。鼻血は放射能を心配し過ぎるお母さんの気のせいです、小児甲状腺がんは百万人に一人か二人とかしかならない希有な病気ですから、チェルノブイリの事故と福島の事故は違うのだ、避難をするなんて神経質過ぎる、ナーバスだという風潮が次々につくり上げられていきました。ですが、七年たって、百万人に一人か二人しかならないはずの小児甲状腺がんは、福島県内の十八歳未満の子供たち、子供たちは百万人もいません、三十七万人近くしかいませんが、を調べただけでも、年々増加し、現在二百人を超える人たちにがん又はがんの疑いと多発しています。
 日本国憲法の前文には、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免れ、平和のうちに生存する権利を有すると書かれています。私は、東京電力福島第一原子力発電所の事故以降、放射線被曝の恐怖から免れ、平和のうちに生存していると思えたことは一日たりともありません。あの日、福島の空気を吸い、福島の水を飲んだ私たちにとって、被曝は現実の恐怖以外の何物でもなく、避難できたからそれで終わりではないのです。私たちはずっと、この被曝という事実とその恐怖を抱えたまま、健康被害が発症しないことを祈ることしかできないのです。それは具体的に言うと、健康調査を丁寧に追跡していき、いつでも医療機関にアクセスできるという、そういう制度が保障されているという意味です。
 子供たちに甲状腺の検査を受けさせるたび、胸が押し潰される思いがします。検査結果の通知を開封するたび、手は震えます。それは、避難しているお母さんも外に出たお母さんも同じだと私は思います。だからこそ、原子力災害による被曝という命や健康に関わる事実からは目をそらすことなく、経過をより慎重に、これ以上の無用な被曝をできる限り避けるという被曝防護の対策を実施し、健康被害のリスクを少しでも取り除く努力が必要なのではないでしょうか。
 私は、子供の命や健康、そして未来を守るために、ただ避難を続けたいだけなのです。それは、避難という選択が放射線被曝から最も直接的に身を守る行為だからです。たとえ圧倒的多数の人が避難するという選択肢を選ばなかったとしても、無用な被曝に対して絶対的に被曝を拒否する権利は一人一人にあるはずです。その選択をすることによって尊厳が踏みにじられることもあってはならないと私は考えます。
 放射能は目に見えません。でも、少なくとも、全国四十七都道府県に実在する避難者の存在、国際社会はこれを国内避難民と認識していますが、その存在は誰の目にも見えているはずです。たとえ正確な避難者の人数が調べられもせず、実態が把握もされていなかったとしても、避難をした人々の存在そのものが福島事故による放射能被害を見える形で映し出しているのです。
 何度でも繰り返します。避難の権利、すなわち、放射線被曝から免れ、健康を享受する権利は、人の命や健康に関わる最も大切な基本的人権にほかなりません。誰にでもひとしく認められなければいけない権利です。そして、これは避難した人たちだけの正当性を主張するものでもないのです。少しも被曝をしたくないと思うことは、人として当然であり、誰もが平等に認められるべきだと私は思います。また、これから先、将来のある子供たちに健康被害の可能性のリスクを少しでも低減させたいと思うことは親として当然の心理であり、子供の健やかな成長を願わない親は一人としていないと思うのです。そこに、一点の曇りもなく放射線被曝の恐怖があってはならないと思うのです。
 たまたま運よく条件が、様々な条件に恵まれた人たちだけが被曝から遠ざかることができたというようなことで本当によいのでしょうか。今、次々になされる施策、法律で定められている年間一ミリシーベルトを超える放射線量が確認されても、そして将来にわたる累積被曝量には目を向けることなく、強制避難区域をどんどんと解除し、人を戻す、帰還させるという政策にだけ心血を注いでいるように見えます。他方で、避難者にとっての命綱である支援住宅の打切りなど、これらの非道な施策により、幼い子供の被曝量を少しでも避け、避難を続けていたいと願っても、泣く泣く帰還するしか選択肢がなくなるという世帯もあるということは、極めて不均衡かつ不平等だと私は思います。
 そもそも、避難するという選択肢を選び、安心して避難を続けるという道筋が示される制度は、この七年間、七年以上経過しても何一つ確立されていません。原発事故当初から避難したくてもできない世帯もまた苦しんでいるという事実、その声はいずれの施策や制度に反映されているのでしょうか。放射線量の高い地域にとどまり、日々放射線と向き合う暮らしに対して、いつからでも被曝を回避し、被曝からの防護の手段を講じるような施策や制度は実施されたのでしょうか。例えば、保養の制度は、チェルノブイリ原発事故の場合は国策で実施されていますが、日本ではどうでしょうか。
 モニタリングポストというものは、目に見えない放射能を数値化して見える化し、被曝防護の視点からも自身が被曝量を知る権利というものに資するものですが、それを撤去するという動きは、人権擁護の観点からも逆行をしていると指摘できます。
 一方で、避難という選択をした人たちも、また国内避難民として、国家の人権に基づく保護の対象であることに変わりありません。原子力災害が一たび起きたときに、現実に存在する国内避難民が、存在するのになかったものとして扱われるということは、翻って言うならば、次また原子力発電所を持っているこの国で原子力災害が起きたときに、何の被曝防護の策も取られることなく保護も救済もなされないということとそれは同じであり、それはひいては国民の権利が将来にわたって侵害されることになると私は危惧しています。
 最後に、特に、人は、ひとしく自らの命を守り、健康を享受する権利があるはずです。そして、特に被曝に対して脆弱な子供たちにとっては、その子供たちの未来と健康を最優先に考えてほしいと私は思います。子供たちはこの国の未来です。国会議員の先生方、人の命や健康よりも大切にされなければならないものはほかにあるのでしょうか。私は、放射線被曝から免れ、命を守る行為が原則であると考えます。
 原発避難を続けながら、今回の大阪の地震そして災害で、地震、洪水のために更に避難をするという過酷な状況に置かれている原発国内避難民の方もおられます。この災害大国日本で、災害はいつ何度でも、誰の身の上にも起こり得ることです。国内避難民に関する指導原則に対応する立法は、原発事故被害者だけを対象にするものだけではなく、あらゆる自然災害の避難者を対象にするものです。国家の国民に対する人権に基づく保護措置としての国内避難民に関する指導原則に対応する国内立法化は、私は必須だと今回の災害を通してもまた思いました。自然災害時における人々の保護に関するIASCガイドラインや被災地におけるスフィア基準が整備、充足化されることも希望いたします。
 今後の災害時における人権が守られますよう、これからも被災、避難当事者としての経験に基づく気付きや教訓を提言し、参画の機会に是非主権者としてもその役割を果たさせていただきたいと私は希望しています。
 先生方には、本当に放射線被曝から免れ健康を享受する権利、それを指して避難の権利と私は呼んでおります。どうかそれを具体化する立法、きちんと手当てする立法をお願いしたいと思い、私からは発言を以上とさせていただきます。
 発言の機会、ありがとうございました。
#15
○委員長(徳永エリ君) ありがとうございました。
 以上で参考人の意見陳述は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#16
○足立敏之君 自由民主党の足立敏之でございます。
 西日本で発生しました豪雨災害により亡くなられた皆様の御冥福を心からお祈り申し上げますとともに、被害に遭われた皆様にお見舞いを申し上げたいと思います。
 本日は、四名の参考人の皆様に、大変お忙しい中、大変貴重な御意見をお聞かせいただきまして、ありがとうございました。
 私は、土木の技術屋として建設省、国土交通省で長らく勤務をし、防災あるいはインフラ整備、そういった分野に従事をしてまいりました。東北でも勤務をした経験がございます。本日は、そのような経験を踏まえまして質問をさせていただきます。まず佐藤参考人に御質問をさせていただき、続いて大西参考人に伺いたいと思います。よろしくお願いします。
 まず、佐藤参考人にお願いしたいと思います。
 私は、東日本大震災が発生した当時は、国土交通省の四国地方整備局長をしておりました。四国も南海トラフ巨大地震の脅威に直面しておりまして、被災地をこの目で見て、そこから教訓を学んで四国の大規模地震・津波対策に反映しなければならないというふうに考えまして、被災から二か月後に、津波で被災した岩手県、宮城県を調査させていただきました。
 その際の経験なんですけれども、女川町だったと思うんですけれども、避難場所近くの陸上競技場、そのスタンドに、地域から出てきた様々な資料が収集され、ファイリングされて並べられていました。恐らく、歴史資料だけではなくて津波で被災した様々な資料を保存しようという取組だったというふうに思いますけれども、その大量で多様な資料に大変衝撃を受けた記憶がございます。また、こうした取組を進めるにはやっぱり広大な面積が必要なんだなというのもそのとき実感をいたしました。
 こうした私の経験からしますと、佐藤参考人が被災地でこれまで行ってこられた歴史資料の保全の取組というのは大変重要なことだというふうに感じておりまして、改めて敬意を表したいというふうに思います。
 今回の西日本の水害を見ますと、水害と土砂災害、これではその対応がまた異なってくるのではないかというふうに思いましたけれども、これから起こると考えられる様々な災害に対して、歴史資料の保全の観点からどのように対応していくことが望まれるのか、お考えをお聞かせいただければというふうに思います。
#17
○参考人(佐藤大介君) ありがとうございます。
 東日本大震災の経験を踏まえれば、まず一つは、やはり事前の備え。これは、史料というのは守るものであるという、そういう共通認識を持つということがまず第一でありまして、それは、行政だけでできるものではなくて、専門家、それから市民が連携したそういう地域のネットワークをやはりつくっていくということが、まず第一点。
 それから二点目は、やはりそのネットワークづくりというのは時間が掛かりますから、今回のような急な災害が起こった場合、今回の被災地は、西日本の場合は史料ネットワークがある地域ということもありましたが、緊急対応に必要な体制、例えば、文書が水にぬれますと、もう多分腐敗が始まってしまって、これを止めるためにはまず一旦冷凍するというようなことが必要になりますから、そうした冷凍施設も含めたそういう緊急対応の体制というものが求められるべきであろうと。
 三つ目は、やはりその保全したものを復興の中で生かすために、先ほども申し上げましたけれども、それを調査をしていく、平時の調査も含めた専門的な人の配置というものがやはり重要かなというふうに思っております。
#18
○足立敏之君 ありがとうございました。
 次に、大西参考人にお伺いしたいと思います。
 冒頭にお話ししましたとおり、私は長らくインフラの整備を担当してまいっております。したがいまして、復旧復興に当たりまして、御紹介のありました福島十二市町村の将来像実現ロードマップ二〇二〇、こういった資料においても具体的な課題の四として位置付けられておりました交通ネットワークの整備、あるいは地域の再生に寄与する広域インフラの整備、町づくりなどが基本、出発点だというふうに考えています。
 様々なソフトもやっぱり大事なんですけれども、その一方でハードも大事でありまして、地域の基盤として先行的に整備を進めていく必要があるというふうに考えています。
 私の経験なんですけれども、福島の常磐自動車道が三年前ぐらい、全通をいたしました。それを少し体験してみようと思いまして、当時はまだ議員になる前だったと思いましたけれども、私も東京から足を運びまして、車で常磐道を走ってみました。地域にとって、やっぱりこれが開通するのは希望であり、大きな力であるというふうにそのとき私自身も実感をいたしました。
 大西参考人に、こういう広域インフラの整備、特に福島においてどのように評価しておられるのか、伺いたいと思います。
#19
○参考人(大西隆君) ありがとうございました。
 福島の今に関するお尋ねですが、御承知のように、福島に先んじて復興事業様々行われた岩手、宮城でも、一番地元の方々の要請、要望が強かったのは高規格の道路だったわけです。縦貫道路が当初の予定を早めて整備、まだ途中、途上であると思いますけれども、整備されてきているということで、やはり総合的に必要性が高いもの、優先順位が高いものということになると、今日ではしっかりした自動車道路だということではないかと思います。
 福島においても、まさにそうした地域の要望に基づいた優先順位が付けられて整備が行われているというふうに承知しています。やはり、単に道路が通過するために造られるということではなくて、そこに今拠点を設けるという新たな政策が取られておりますけれども、福島ならではの新たな産業というのも考えられているわけですので、そうした産業が福島以外の地域と結び付くことによってより発展するきっかけが与えられるということも、広域インフラの効果ではないかというふうに思います。
 そうしたどう広域インフラを使っていくのかということと併せてインフラの整備を考えるということが、私申し上げた連携ということに当たると思いますので、そうしたことがこのロードマップの中でも位置付けられていると思います。そうした方向で是非整備が進められていくことが必要だというふうに思います。
 以上でございます。
#20
○足立敏之君 ありがとうございます。
 もう一点伺いたいと思います。
 広域インフラの整備や町づくり、さらには除染だとか中間貯蔵施設などもそうなんですけれども、総合整備に当たりましては、建設業の皆さんがそこにとどまって献身的に果たしていただいた役割が大きかったというふうに私自身考えております。
 なかなか光の当てていただけない分野ではありますけれども、今回の西日本の水害においても、警察、消防、自衛隊が被災現場で救命救助や行方不明者の捜索に頑張っていただいているんですけれども、一方で、建設業の皆さんが、崩れた土砂の除去、破堤した堤防の復旧、寸断された道路の復旧などの面で現場対応に習熟されておられますし、重機を保有して機動的に活動できるというメリットもございますので、昼夜を分かたず頑張ってくれているわけであります。
 大西参考人も土木と関わりの深い分野の御出身でございますけれども、福島の復旧復興に建設業の皆さんが果たしてきている役割について、お考えがありましたら伺いたいと思います。
#21
○参考人(大西隆君) ありがとうございました。
 たまたま数日前にある建設会社の関係者の方と話をする機会があって、その方は、福島の廃炉に関連した、今はまだ予備的な段階ということでもありますけど、ロボットを使って様々に調査をするということに携わっている方でしたけれども、相当建設業といってもいろいろな分野に及んでいて、ロボットを使ってデブリがどういう状態にあるのかということを探索するようなことも建設業の一環として行っているということを伺いました。
 御指摘のように、建設業は災害と切っても切れない関係にありまして、まさに復旧復興では大きな役割を果たしています。
 確かに、私もそうした業界といいますかジャンルの傍らにいる者として、そうした活動がより皆さんにアピールされて、若い方々が使命感、もちろん希望なり満足感も必要だと思いますが、使命感も持ってそういう事業に携わる、あるいは仕事に携わるようになるということは必要だと思っています。
 私の大学にも土木、建築の課程がありますけれども、その中で特に防災については力を入れて教育するというふうにしております。日本のような災害国にとっては欠かせない分野というふうに承知しておりまして、これを絶やさないで優秀な人材がそこに入ってくるような仕組みをつくっていくことが重要だというふうに私自身は考えています。
 以上でございます。
#22
○足立敏之君 どうもありがとうございました。私も全く同感でございます。
 今日は全ての参考人の皆様に御質問できず、申し訳ありません。
 ここで終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
#23
○三浦信祐君 公明党の三浦信祐です。
 四人の参考人の方々には、本当に今日は貴重な時間を頂戴しまして、ありがとうございます。また、身をつまされるようなお話もいただきました。しっかり胸に秘めつつ、今後の政治の上で与野党問わず取り組んでいかなきゃいけないことを教えていただいたというふうに思います。
 まず最初に、大西参考人に伺いたいと思います。
 実は、私は、この政治の道を志すに当たっては、これまでずっと金属工学の研究をしてまいりました。その中で、この三・一一のまさに原発の事故、これが日本にとって、世界にとって越えなければいけない大事な大事な、この大きな惨事を乗り越えていかなきゃいけないと、そのためには絶対に廃炉が必要であるということで、その政治の部分からしっかりとバックアップをしていかなければいけないと、そういう思いで今仕事もさせていただいております。
 その中で、一方で、この原発事故以降、原子力というものが全て悪者になって、そしてそれが大学の募集にも影響をしていく。私は、将来に向かっていくならば、廃炉をする人材も必要である、現存する原子力発電所を安全に廃炉に向かっていくにしても技術者が要る、また将来の規制人材、規制側にいる人材育成もしなければならない、そして廃棄物の処理というのはずっと続いてまいります。その中で、この社会の風潮として、若い世代が原子力では将来がないというような思いが強い方もおられる中、この日本にとって、将来の原子力人材の育成、これは余り表には出ていかないかもしれませんけれども、重要な人材分野であると私は思います。
 その面からにおいて、大西参考人が考えられていること、我々に伝えるべきことがあれば、教えていただければと思います。
#24
○参考人(大西隆君) ありがとうございます。
 私の先ほどの陳述の中では廃炉について触れました。廃炉が、非常にある意味で不幸な格好で日本は廃炉事業に迫られているということですが、世界広く見れば数百の原発が一定の期間の中で廃炉の過程を迎えるということになりますので、この廃炉事業というのは世界的に大きなテーマであります。
 もちろん、そこに人材も必要ですし、様々な資金も投入されるということで、別な角度から見れば一大産業になり得るジャンルだということになります。もちろん、事故があったわけですから、除染とか放射線の影響とかいろいろなことで原子力に絡んで日本の中で研究が行われて、一歩でも新しい知見が得られて、それが被災者を含めて様々な方に適用されていくということが必要になるというふうに思います。
 そういうことについて、やや私の感じでは、余り表に出されない風潮というのもあるのではないかと思います。つまり、原子力といってもいろいろな分野があって、その幾つかについては、発電が仮にシュリンクしていったとしても、これから人材の必要性が増大していくような、そういう分野もあるということについては、私どもはきちんと認識をしなければいけないというふうに思います。
 私どもの大学には原子力という名前の付く学科はございませんけれども、今おっしゃるように、金属あるいは機械、電気、いろいろな分野でそれに関連する仕事に就くような学生もおりますので、これからの日本におけるある意味で技術者の必要性ということについてはきちんとした指導を学生にもしていくと、あるいは学生に対して紹介をしていくという役割が大学としてはあるというふうに思います。
 日本全体としてもやはり必要な分野の人材を絶やさないという観点で考えていくことが必要で、私が学術会議の会長をしていたときに、原子力発電の将来という問題とそれ以外の原子力利用の将来、これは医療的な利用とか例えば考古学における利用とか、いろんな利用がありますので、それは区別して、原子力発電以外の利用については、もちろん様々な注意は必要でありますけれども、積極的に発展させていく必要があるというレポートをまとめた記憶がございます。そうした議論をきちんと整理をして、国民の方々にも分かるような格好で提起をして進めていくことが必要ではないかというふうに考えております。
 以上でございます。
#25
○三浦信祐君 ありがとうございます。
 私も、実は廃炉ということにおいて、これまで世界の人類が経験をしたことがないような事故である中で生まれてくる技術というのは、単に廃炉のために活用できること、またそれが別な部分で、介護であったりまた社会インフラの部分であったり、あらゆるところの技術に活用ができる、また場合によっては新たなイノベーションを起こすことができるチャンスにしていかなければ、これはもう大変もったいない話だと。
 その上で、それをマネジメントするのがやっぱり国の役割であったり、またそれをマネージできる人材を育てていくのも国の役割であるんではないかなというふうに強く思っております。その中でイノベーション・コースト構想があり、地域の復興だけではなく、むしろ新しい技術を集約できる、またそれをコマンドできる人材が育つ、そして世界がそこに注目をしていくようなところまで育て上げていかなければこれはいけないんではないかなと強く思っております。
 そのためにも、日本にとっては、中小企業のニーズやシーズ、そして廃炉に関わるロボット技術であったり、またそれを新しいものに変えていくような技術上の人材というのを育てるというところが重要だと思うんですけれども、このイノベーション・コースト構想の今後の進むべき方向、またここに期待する部分、大西参考人にお伺いできればと思います。
#26
○参考人(大西隆君) イノベーション・コースト構想、先ほどの私の陳述の中でも新しい産業ということで申し上げました。
 これは非常に、福島でこれから起こす産業ということで、多方面のテーマが取り込まれています。特に私は、その中で、福島に立地する必然性ということで考えると、廃炉事業との関係というのがやはり重要だと。しかし、そうはいっても、原子力プロパーの領域だけではなくて、ロボットとかいうことも非常に重要になってくるということで、応用範囲は随分広いものであろうというふうに思っています。
 ただ、やや難しいのは、そうした産業の基礎的な研究開発から応用までの仮に道程があるとして、応用については現場で適用されなきゃいけないということで、当面、福島第一に適用されるということになるわけでありますけれども、しかし、その基礎的な研究というのは様々なところでやれるということなので、福島を最終的な集約点と、拠点とするとしても、全国的な研究のネットワークというのをつくっていくことが同時に必要だというふうに思います。
 したがって、このイノベーション・コースト構想は、福島が拠点ではあるけれども、全国とそれが研究のネットワークをつくっているんだというふうに裾野を広げていくような発想も私は必要なのではないかというふうに考えています。
 以上でございます。
#27
○三浦信祐君 大変参考になりました。
 神奈川でも、さがみロボット産業特区というのがありまして、介護関係とネットワークを組んでいけば、実は廃炉だけに注目をしたようなロボットではなくて、むしろ介護に使おうと思っていたのが技術としてイノベーションが起きる可能性もある、そういうのをつなぐ仕事もしっかりやっていかなければいけないということを今教えていただいたと思います。
 最後に、佐藤参考人に一つ端的に伺いたいと思います。
 この貴重なお仕事をしていただいて、我々もしっかり応援しなければいけないと思いました。人材育成もこれから必要であるということ、そしてそれが社会に理解をされていく、また社会に当たり前に変えていくということは大事だと思います。
 一方で、日本では、災害大国でありながら、古文書というのは江戸時代のレベルでありましたけれども、今、この書類自体が、将来にわたっては、将来から見たとき、未来から見たとき古文書になっていくような位置付けになります。紙からデジタルに変わっていくというときがあると思います。その価値の問題であったり管理の問題、今後どういうふうにこれは国として取り組んでいかなければいけないか、将来像について少しお話をいただければと思います。
#28
○参考人(佐藤大介君) 今の保存の媒体の問題ですが、古文書については、一番古いものは奈良の正倉院の文書というのがありまして、これはもう千年以上前に書かれたものが残っているという、そういう実績があるのですが、デジタルデータの場合、一番問題なのは、本当に超長期に保存する技術がまだ確立されていないという部分ですね。つまり、古い古文書は残るけど、今デジタルで作っている資料ほど百年後残っていないという、今はそういう脆弱な状態にあると思います。
 これは、理系の研究者の皆さんが超長期保存というのを残しているんですが、例えばデジタルのコンテンツとか、そういう本当に経済的なものにつながっていくようなものも含めて消滅するというのは、これは日本にとって大変な事態だと思いますので、そうした超長期の保存について、やはり技術的に進んでいくというのがまず一点。
 それから、やはり媒体が何であろうと、それを残そうというやっぱり人や社会の意思というのが大事だと思いますので、そういうのはやっぱり公的にやらなければならないんだという、そういうことで国には取り組んでいただきたいですし、私どももそういう意識を高めるような、そういうことをしていきたいというふうに思っております。
#29
○三浦信祐君 お二人の参考人にはちょっと質問できませんでしたけれども、しっかり今日のお話を受けてこれから政治に取り組んでまいりたいと思います。
 ありがとうございました。
#30
○藤田幸久君 国民民主党の藤田幸久でございます。
 私は、福島の隣の日立の出身でございまして、親戚が福島におりますので、今日、四名の皆さんのお話、本当に心に痛んで聞かせていただきました。議員になる前は元々人道援助の仕事をしておりましたので、そういう観点からも質問させていただきたいと思います。
 まず、森松参考人にお伺いしたいと思いますが、昨年の十一月のUPR勧告というのが四つ、資料としていただいております、ドイツ、オーストリア、メキシコ、ポルトガル。二つお聞きしたいと思いますが、メキシコに関しては、このメキシコ政府の勧告の意図を日本政府はフォローアップをすると言いながら恣意的に解釈していると、それから、ポルトガル政府の勧告に関しては、国内避難民に関する指導原則というのを周知させていないということが書かれておりますが、その具体的な、なぜそういう違った対応をしているのかについてお答えをいただければ有り難いと思います。
#31
○参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 私も被災をしていまして、国連の勧告がこの七年間の間に、実はこの前にも、今回、二〇一七年のUPRという定期的普遍的人権状況に関する審査なんですけれども、その前にもあって、これは第三回目となっております。
 それで、前のときには、実は日本政府の対応は、国連グローバー勧告というお名前で、国会議員の先生方も御承知おきかとは思われますが、国民の健康に関する権利について特別報告者の方々が報告をされていますが、それに関して言いましたらば、日本政府はその受入れを拒否するという対応をしておりました。
 ですので、今回もこの勧告が二〇一七年の十一月に四つ出たときに、私たちもどういう反応をしてくださるのかと思いましたらば、政府が受け入れてそれをフォローアップするという形の御返事をいただきまして、実際に、先にポルトガルの勧告でいいますと、先ほど来私がここで発言させていただきますのも、私たち避難民は、国境を越えずに国内で避難している者は国内避難民に該当すると申し上げましたが、それがまさに今回勧告でポルトガルが指摘してくださった国内避難民に関する指導原則、日本では、実はこの和訳がなくて、外務省の方に聞いても英語の訳しかなかったんですね。まさに、この七年間、国内避難民の状態で人々が避難をしている。そして災害は次々に起こりますから、今回の西日本の大水害でも、国内において居住地が大規模災害でありますと、県を越えて国内で避難をしているという人が存在するんですが、実は、そういう国際社会から見れば指導原則というものがあるのに、それに対応した立法というものがなかった、それが、特にそういうことがございまして、今回、外務省は早速日本語訳をしてくださるということになっております。
 もう一つ、メキシコの勧告についてですけれども、メキシコの勧告の日本語訳を言いますと、原発事故被害の何世紀もの核被害に対して、医療サービスへのアクセスを保障すると。ですが、今動きとして、例えば福島県でやっている県民健康調査が、国家がやっているのではなくて、例えば福島県がやっている、でも先ほど申し上げたとおり、原子力災害、放射能災害は福島県の県境では止まらないわけですから、これはきちんと精査する意味においても、議員の御出身のひたちなか市とか茨城からも放射線被曝を避けて避難をしている方がいらっしゃるわけで、そういう意味からも、国がきちんと責任を持って健康に関する権利に対しての制度をつくってほしいという意味でございます。
#32
○藤田幸久君 ありがとうございます。
 これは、いろいろ外交防衛委員会等でもフォローさせていただきたいと思っております。
 次に、大西参考人にお伺いしたいと思いますが、配られた資料に「福島復興の現状と課題」という資料がございます。その十三ページに、原発からの離別という項目で書いてございます。十三ページの右側の二つ目の段落のところですけれども、読み上げますと、「我が国のような自然災害多発地域では、原子力発電が長期的には、とても維持することのできない発電方式であることはすでに明らかとなっている。」、それから、その段落の一番最後の方の数行でございますけれども、「全原発の廃止という決断を、より多数の国民合意の下で可能とするために、再生可能エネルギーを中心とした原発に依らないエネルギー供給体制の安定性を一層高めていくことが急務となっている。」。
 先生のような方がここまで言い切っていただいたということで、これをロードマップあるいは再稼働の決定の方法等に、先ほど廃炉のこともいろいろな側面を言及していただいた中で、ここまでおっしゃっている中で、今申し上げましたロードマップあるいは再稼働の決定についてどういうふうにこういったお考えを反映させていったらよろしいのか、お答えいただければ幸いでございます。
#33
○参考人(大西隆君) 今取り上げていただきました今日お配りしている資料については、個人の、個人といいますか、大学の学長、研究者としてまとめたものでございます。それで、今日多くの時間を費やして陳述の中で使わせていただいた提言あるいはその議論のまとめについては、検討会の座長という立場ですので、少し違う立場で書いたり、しゃべっているというふうにまず御理解をいただきたいと思います。
 私の個人として、研究者としての持論はこの論考に、今お読みいただいたことに書いたとおりでありまして、繰り返しませんけれども、そういうふうに思っているということであります。
 福島については、御承知のように、第一原発は廃炉が決まっておりますし、第二原発も、これは十三回の検討会の後でございましたけれども、東京電力が廃炉に向けて検討を開始するというふうに県知事等に申し入れたという報道がされています。したがいまして、福島県内においては原発の廃炉というのがかなり大きなテーマになってきているということは疑いがないところであります。したがって、今後福島の復興を考えていくときには、一つには、廃炉に着目した様々な取組、あるいは関連する技術開発というのが重要になると。
 あわせて、福島では相当な発電をしておりましたので、送電線網等の電力に関するネットワークが存在するわけですから、それをうまく活用していく、再生可能エネルギー等によってネットワークをうまく活用していくというのも、与えられた条件を生かすという意味では非常に重要ではないかというふうに考えております。
 そういう方向については、明示的にどこまで書かれているかは別にして、イノベーション・コースト構想とかそういうことの中にも含まれておりますので、私の考えとそれから十二市町村の将来像の提言等に盛り込まれている考えとは通底しているところがあるというふうに考えています。
 以上でございます。
#34
○藤田幸久君 佐藤参考人にお伺いしたいと思います。
 大変貴重なことに従事されて取り組んでおられますが、これ国としてどういう支援をしたらよろしいのか、まずお聞きしたいと思います。
#35
○参考人(佐藤大介君) 現場でやはり一番問題になっているのは、今後その助けたものを整理していくときの人ややっぱり資金が足りないということで、特にやっぱり人を恒常的に対応できるようなまず体制が欲しいということが一つあります。
 それから、あとは保管場所といいますか、やっぱり本当、中長期にわたるところの部分ですね、保管場所も人の手当ても全般的にちょっとやはり十分でないというふうに認識しておりますので、そうしたところに支援をお願いしたいというふうに思っております。
#36
○藤田幸久君 今日お話伺って感じましたのは、ここ一、二年話題になっています公文書、行政文書、これが改ざんされたり手を加えられたり隠蔽されたり。この古文書についてこれだけ丁寧にやっていらっしゃるということは、今回、ここ一、二年見ておりまして、公文書偽造というのは、これ民主主義の否定そのものであると同時に、今日、先生のお話伺いまして、これ歴史の否定でもあるなということを実感したんですが、こういう公文書というものが、今現在ですけれども、改ざんされたり、こういうふうに扱われているということについては大変じくじたる思いかなと思うんですけれども、先生の方からコメントいただければ有り難いと思います。
#37
○参考人(佐藤大介君) 今御指摘のとおり、やはり民主主義の基礎でありますし、文書は税金で作っておりますので、そこの原則を確認したいんですが、私が遺文の研究をしているのはいわゆる江戸時代の公文書に当たるものです。それを見ますと、やはり江戸時代の役人や殿様も多様な世論に向き合って非常に悩みながら政策を決めている。それは同じ時代には出せないけれども、今だからとか百年たったら検証するとか、そういうことがあり得るといいますか、それを行うためにもやはり記録というのがきちっと残っているということはとても大事なことだと思いますし、それが改ざんされるという事実が一回起こってしまうと、じゃ今残っている資料も何かそうなっているのかという、それは研究者としては非常に不安であります。
 やっぱり、いろんな意見で全員が納得しないけれども、そのときに下した判断がどうだったのかということを検証するという意味においても記録はきちっと残していくということが重要ですし、その意味においては、歴史学者を、やっぱり後世の歴史学者も含めて御信頼いただいて記録を残していく、そういうものがきちっと本当に大前提として共有されていけばいいのではないかというふうに感じているところです。
#38
○藤田幸久君 もう一度、大西先生にお伺いしたいと思います。
 先ほどのテーマでございますけれども、こういう全国民の合意の下でこうした再生可能エネルギーといったものを求めていくという場合に、例えば今再稼働に関しても規制委員会の権限と政府の権限がはっきりしていない。それから、これは、先生がおっしゃることは、国の経産省からいろんな省庁からやっていくわけですが、今の仕組みだとどうしても漏れが生じてしまう。より体系的、機能的な仕組みが必要ではないかと。
 例えば、先生の前の学術会議の委員長だったんでしょうか、黒川先生が国会事故調をまとめられましたけれども、そういった提案、つまり、有機的に、多角的に、機能的にやっていかなければこういった政策立案が難しいんではないかと思うんですけれども、それに対してどういうふうにしていったらいいか、御提案があればお伺いしたいと思います。
#39
○参考人(大西隆君) 今おっしゃったような仕組みについての提案というと、今日私が整理してきたことを超えるというふうに思いますが、ここで書いた、つまり、より多数の国民合意の下で可能とするというふうに書いた真意は、やはり全ての条件、安定性とか安全性とか低価格性とか、全ての条件を満たすエネルギー供給手段というのはないというふうに私どもは考えております。一つ一つ、いい点もあれば悪い点もあるということであります。しかし、その中で安全性ということで問題が生じている原子力については、これは安全性についての問題というのはかなり大きな問題だというふうに考えておりますので、そうなると他のエネルギー供給手段で、どうやってこれをもし廃止するとすれば補っていくのかということが、みんなが納得する格好で理解されればそういう方向に進んでいくだろうというふうに考えているわけです。
 したがって、特に再生可能エネルギーについては安定供給の問題が十分ではないという認識が一般的だろうと思いますので、これが広く国民の中で行き渡るような、もちろん技術の開発や実践、それを踏まえた共通認識の形成ということが必要なんだろうというふうに思っています。
 つまり、エネルギーというのは極めて重要なインフラであるだけに、やはり多数の国民が納得するという格好でないと不安が生ずるということだと思いますので、その意味で特にここで、より多数の国民合意の下で可能とするための条件ということを書いたわけでございます。
#40
○委員長(徳永エリ君) もう時間です。もう時間が来ております。
#41
○藤田幸久君 熊本参考人に質問時間がなくなりまして申し訳ありませんでしたが、三名の方、ありがとうございました。
#42
○川田龍平君 今日は参考人の皆さん、貴重な時間と御意見をありがとうございました。
 早速質問をさせていただきます。
 熊本参考人にまずお伺いいたします。
 復興庁に対して、区域外避難者、いわゆる自主避難者の実態調査を行うよう何度も要請をしたが、現在に至るまで行われていないというお話がありました。私も、この四か月前、三月の当委員会で復興庁による実態調査の実施を吉野大臣に強く求めていますが、福島県の仕事だという姿勢はいまだに変わっていないようで、私も非常に納得がいきません。
 熊本参考人にお尋ねいたしますが、これまで県が行ってきた復興支援員による戸別訪問や全国二十六か所の生活再建支援拠点での相談対応を通じた実態把握では、どの辺りが不十分だとお考えでしょうか。
#43
○参考人(熊本美彌子君) 御質問ありがとうございます。お答えさせていただきます。
 私どもは、復興庁の調査というのが本当に区域外避難者たちの相談の本当の拠点になっているのだろうかという疑問を持っております。避難の協同センターに寄せられた相談は非常に深刻でありまして、例えば川崎の雇用促進住宅で去年の三月に、まだ四十代の男性だったのですけれども、体を壊して仕事ができない状態でいるときに、もう住宅の提供は打切りだと、だから出ていけと言われた。雇用促進住宅というのは、家賃の三倍の収入がなければ継続入居ができなかったんですね。それで、とても困りまして、出ろ出ろと言われるものですから出たんです。出たんだけれども、その後、職がない、働けない。それで、所持金が千円ぐらいになって、避難の協同センターにどうしていいか分からないからという形で相談がありました。その方のケース、もしそういったよろず相談拠点にあったらば、どういう対応をしたのでしょうか。復興大臣は、よろず相談所は皆さんの個別の要求に沿ってきちんと対応しますとおっしゃいますけれども、どういう対応をなされたのかという報告が一切ないので分からないんですね。
 私どもは、先ほどの例だと、その方、実は私どもがきちんと対応しようと思っていたやさきに連絡を絶ってしまいました。その後、一年たってまた連絡があったんですね。そのときはもう所持金が五十円しかなかった。それで、もう着のみ着のままの状態で連絡をしてきました。で、住まいの貧困というグループがあるんですけれども、そのところではやっぱり路上生活をしている方の住まいを提供をして生活を支援していくということをやっていらっしゃるところなんですけれども、そちらにお願いをしまして入れていただきました。やっと夕食がきちんと食べられるという状態になったんですね。
 そこまで、復興庁の言っていらっしゃるそのよろず相談というのはやるのでしょうか。私どもは、そういった対策を是非していただきたいと思っているのですけれども、報告がないので全く分かりません。そういう状況です。
#44
○川田龍平君 熊本参考人としては、復興庁が行うべきこの自主避難者の実態把握とは、具体的にはどのような調査項目で、どのような空間的な、また時間的な広がりを持って行うべきとお考えでしょうか。
#45
○参考人(熊本美彌子君) 私どもは、やはり生活の実態が明らかになるような調査をしていただかないといけないと思っております。それから、住宅の提供の打切りがありましたけれども、その後どういう変化があったのかということを是非知りたいと思います。それから、みんながなかなか生活が苦しいとおっしゃっていますけれども、収入がどのくらいあって、そして今住んでいらっしゃるところの家賃がどのくらいあるのか、その比率を知ることも大事なことだと思っております。
 もし具体的にこういった形で調査をしたいんだということがあるならば、私どももお手伝いしたいと思いますので、そういった動きがありましたら是非よろしくお願いいたします。
#46
○川田龍平君 もう一問、熊本参考人に改めてお尋ねしますが、なぜこれは福島県ではなく復興庁自らが実態調査を行うべきとお考えなのかを御説明いただけますか。
#47
○参考人(熊本美彌子君) 私どもは、まず最初に福島県がやるべきだというふうには考えているんですね。というのは、住まいの提供の打切りをしたのは福島県ということになっております。しかし、この原発事故というのは国の責任ということもありますので、その責任を果たす上で復興庁にきちんと対応を取っていただきたい。まず、実態を知ることから始めなければいけないのではないかというふうに考えております。
#48
○川田龍平君 この自主避難者の人たちが生活をしているこのみなし仮設、特に今、高齢・障害・求職者雇用促進機構が明渡し裁判というのを山形地裁に起こしていますけれども、この問題においては、やっぱりこの所管が厚労省のこれ所管の機構でもあります。
 これ、先日、こういった避難者の人たちが、この住宅に住んでいるお子さんが階段から落ちてけがをしたということがこの資料にもありますけれども、本当に子供のことを考えて、健康を考えて避難をしたお母さんがそういった今状態に置かれているということについて、本当にそのお母さんのやっぱり子供を思う気持ちを思えば本当にやるせない気持ちだと思うんですが、それについて森松参考人から、子供を思う母親の気持ちとして、本当に子供を守るためにやっぱり避難を継続していることのつらさやそういった思い、何かありましたら是非言っていただければと思います。
#49
○参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 確かに実態調査は、今、熊本参考人がおっしゃっているとおり、私は、本来は災害時においては一義的な保護責任という、人権に基づく一義的な保護責任は国にあると思っています。福島原発事故の原因で、福島県に原子力発電所があって、福島県から多くの人が出てきたという意味では福島県にも、それから避難元の自治体にも、それから全四十七都道府県に国内避難民という避難者の存在はあるわけですから、受入先の自治体にももちろん保護義務というのは生じるというふうに、国際的なガイドラインではそういうふうな考え方をしています。
 子供を守るために避難をしている人が、昨今で、去年のニュース、おととしのニュースでも大きく社会問題として取り上げられましたが、原発避難者いじめ問題、そして、横浜に自主避難、それこそ自主避難をしていた、母子避難ともお聞きしていますが、私と同じように避難をしていたお子さんが、たくさんいじめられて自ら命を絶とうと思った、でも、あの日たくさん、つまり、三・一一の東日本大震災で多くの人が津波、何かで命を落としたことを知っているので僕は生きると決めたというふうなメモ書きを残して、一生懸命生きて頑張って、避難者いじめに遭っているということも明るみに出ました。
 私は、子供の命や健康を守るために避難をしているのに、さらに避難先で、避難者いじめ問題に象徴されるように、避難をしている理由が明らかにもされず、その実態も把握されないことは、一番弱いところに、それは大人社会、大人の映し鏡が子供社会ですから、そこで子供がそういうふうにいじめられている、避難者であることを明かすことができない、それは自分のアイデンティティーや存在意義も否定されるということですから、子供の育ちにとっても良くないということで、そういうふうな観点からも、是非、今日、国会議員の先生方はこの実情を少しでも把握していただいて改善の、人権が守られる、特に子どもの権利条約というのは国際批准で、条約も批准していますので、そういう部分からの観点からも是非助けていただきたいというふうに私は考えます。
#50
○川田龍平君 熊本参考人にお伺いいたしますが、今お話ありましたように、避難者の中でお母様が命を自ら落としたというケースが何件かあると伺っておりますが、本当にその子供を守るために避難生活の中で行き場を失ってしまった人が大体、これ実態把握をしていないから分からないんですけれども、熊本参考人が把握しているだけでも何人ぐらいの方がいらっしゃるんでしょうか。
#51
○参考人(熊本美彌子君) 私どものところに直接相談があるケースと全くないケースがあると思うんですね。私どもが把握できるのは相談があるケースしかありません。そのケースだと、やはり今御質問のありましたとおり、自死に至るというケースというのを私どももたくさん対応しておりまして、何件という数で申し上げるのは非常にちょっと難しいんですけれども、こういった精神的な障害を負った母子家庭の母親というのはやはり回復するのはとっても大変で、ちょっと対応を間違えるとやっぱり最悪のケースに陥るということが多々あります。
 その後も、自死のは、昨年、衆議院のやっぱりこの復興特で、その直前にあったものですからそのお話をしたと思いますけれども、その後も私どもが非常に対応を苦慮しているケースが何件かありまして、その中身についてはちょっと個人のあれなので申し上げられませんけれども、非常に大変な状況です。
#52
○川田龍平君 是非こういった問題について国がしっかりと対応していくべきだと思います。
 大西参考人にお伺いしたいと思いますが、大西参考人の事前の資料、そして今日の机上配付の資料の中の「福島復興の現状と課題」というこの大西参考人の論文の中で、特に私も非常に重要なことが書かれていると、先ほどから委員の方もおっしゃっておりましたけれども、ほかの委員の方もおっしゃっていたとおり、やっぱり本当ここには大変重要なことが書いてあると私も思っております。
 特に避難者の生活という項目におきまして、二重の地位と、住民登録をすること、これは住民としての権利義務が生じる制度となっていることを踏まえて、原発事故被災者が避難元自治体と避難先自治体の両方に登録することを可能として、この両方の自治体から適切なサービスを受けられるようにしようとするものであるということの提案などもされております。そういった制度についてどのようにお考えなのか、お聞かせいただければと思います。
#53
○参考人(大西隆君) 今の点は陳述の中でも申し上げましたが、私が会長をしていた時代の、といってもここ一、二年前の話ですが、学術会議の中でこうした議論が起こりました。それはレポートにまとまっておりますので、一言で言えばそれが二重の地位ということで、今委員御指摘のような制度になります。
 この制度はいろんな意味で重要だというふうに思います。現実的に行政サービスを受けるということでもそうですし、今日の議論の中でも出てきていますが、ふるさとに戻らないという選択をされた方、これも社会がきちんと認識、認める理由があるということでありますので、それをきちんと社会の側が認識するという意味でもこうした制度が重要だというふうに思っております。
 ただ一方で、例えば選挙権をどうするかとかいう問題も含まれてくると思いますので、どこまでを具体的に認めるのか、そこについては更に議論が必要だろうと。両方で投票ができるということには恐らくならないんだろうと個人的には思いますので、その意味では、どういう権利について二か所で住民として行使ができるのか、そういうことについても整理をすることで、これは早急に具体化していく必要があるんではないかというふうに個人的には考えております。
 以上でございます。
#54
○川田龍平君 ありがとうございます。
 その後、その文の後には、次に、人の復興と場所の復興という項目もありまして、事故による放射性物質の影響が極めて長期にわたって存在するとともに、その影響の受け止め方に差異がある以上、限られた選択肢を被災者に押し付けるのではなく、むしろ被災者の希望を社会が受け入れて柔軟に制度を構築していくことが求められるということも書かれております。本当にそのとおりだと思います。
 私も今回、被災者の人たちが裁判をやらなくてもこの避難の権利、特に、避難を福島県内であっても福島県外であっても自主的に避難をすることが認められるような制度として法律を必要だという思いで、子ども・被災者支援法の法律を作らせていただきました。もう本当にそういう意味で、やっぱり参議院がこれ作った法律でもありますので、超党派、全党で一致して作った法律でもありますので、是非この法律の理念が生かされた法律を更に作っていく必要があると思っています。
 先ほど森松参考人からもスフィア基準についてのお話もありました。大阪地震、それから今回の西日本の水害でも、本当に今回避難所で生活をしている人たちの、特に、二十年前にアフリカのルワンダの難民キャンプで多くの人が亡くなったことを受けてこういった国際基準ができておりますけれども、日本の避難所生活というのは、本当にまだまだその二十年前に作られた基準にも満たされていないという状況だと思いますので、是非、今回の東日本大震災の被災者の人たちのこの体験から学んで、本当に二度とこのようなことを繰り返さないためにも、私たちがしていかなければいけないことをしっかりやっていきたいと思いますので、今日の参考人の御意見、ありがとうございました。
 佐藤参考人、質問できなくて申し訳ありませんでした。本当に文化財、古文書、そういったものもしっかりと活用も重要なことだと思っておりますので、引き続きやっていきたいと思います。ありがとうございました。
 どうもありがとうございます。
#55
○岩渕友君 日本共産党の岩渕友です。
 参考人の皆さん、本日はお忙しい中、貴重なお話をいただいてありがとうございました。
 記録的な豪雨によって深刻な被害が出ております。犠牲になられた方々に哀悼の意を表するとともに、被害に遭われた方に心からのお見舞いを申し上げたいと思います。
 災害が非常に深刻性を持っている、重大性を持っているということに鑑みて、行政府、立法府が一体となって災害に取り組む必要がありますし、政府においては災害対応に最優先で当たることを強く求めていきたいと思っています。
 私は福島県の出身です。東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故から今日で七年四か月がたちました。被災地の復興はこれからが正念場です。そして、東京電力福島第一原発事故の被害は今も続いています。国と東京電力は、被害者が生活となりわいを再建させるまで責任を果たさなくてはなりません。
 それでは、参考人の皆さんにお聞きをしていきます。
 まず初めに、熊本参考人にお聞きします。
 事前に配られた資料、そして先ほどの陳述にもあったように、田村市で無農薬で農業をしながら暮らしておられたと。けれども、原発事故によって、キノコ狩りなどを含めて里山での暮らしや楽しみ、何よりも生活そのものが奪われたということだと思います。原発事故の被害を受けた熊本参考人の思いについてお聞かせください。
#56
○参考人(熊本美彌子君) 私は、夫と一緒に田舎暮らしをしようと思って六十歳で移住をいたしました。私は、福島で無農薬で野菜、有機栽培をしていたのですけれども、無農薬というのは、有機栽培というのは、例えば、山から落ち葉を拾ってきて、そして周辺の牛を飼っている農家から牛ふんだとか何かをもらってきて堆肥を作って育てていたんですね。
 ところが、原発事故になりましたので、山から落ち葉を拾ってくることはできません。それから、周辺の農家で飼われている牛も、牧草を地元で育てながらやっていますので、地元でそういった資材を供給することができなくなっております。
 私は、先ほど申し上げましたように、土壌が八万ベクレルという放射線の管理区域の倍の汚染をされていますので、もしそこで農業を再開するとしたら、それこそ防じんマスクをして農作業をしなければいけないんじゃないかというふうに思うほどでした。それはなぜかというと、農作業をすると、どうしても土ぼこりを吸い込んだりとか、あるいは手で触ったりということがありますので、ですから、私は、もう今の、今七十五歳なんですけれども、七十五歳の私がまた福島に戻って、そして有機農業をやるということは、もう砂だらけになった農地ではとても無理だというふうに考えております。
 だから、私の夢は、老後の夢は途中で原発事故によって駄目になりました。
#57
○岩渕友君 ありがとうございます。
 次に、大西参考人にお聞きします。
 昨年九月に大西参考人が委員長としてまとめた日本学術会議の提言、そして今日も配られております「福島復興の現状と課題」も読ませていただきました。共感するところが多いなというふうに思って読みましたけれども。
 提言の中では、避難者の支援継続に当たって、支援を始めとする諸施策の内容を定める過程を、被災者の意見を反映して、被災者自身の意思とそれに基づく行動を尊重した支援策が取られるべきだというふうに書かれてありました。当事者の意見を反映させるということは非常に重要だと考えています。
 当事者の意見を反映させることの重要性についてお聞かせをいただきたいのと、加えて、今日配られている「福島復興の現状と課題」の中で、既に被災者が示している多様な選択をそれぞれ重視して、その実現のために東京電力と国は事故の責任を負う者として賠償責任を果たすのは当然だと、こういうことであるとか、事故による放射性物質の影響が極めて長期に存在するとともに、その影響の受け止め方に差異がある以上、限られた選択肢を被災者に押し付けるのではなく、むしろ被災者の希望を社会が受け入れて柔軟に制度を構築していくことが求められていると述べておられます。
 東京電力はもちろんなんですけれども、国が責任を果たすことが必要だと思いますが、参考人はどのようにお考えでしょうか。この二つについて教えてください。
#58
○参考人(大西隆君) この議論、今日もこの場でも出てきていると思いますが、私は、福島の原発事故は自然災害であったという面と人災であったと、両方の面があると思います。その両方の面があるということで、誰がそこに責任を持つのかという、取らなければいけないのかという点も異なってくるということで、日本の大きな事故の中ではかなり特殊なケースであると、津波被災とか集中豪雨の被災とまた違う側面があるというふうに思っています。それが当事者としての責任ということで、原発政策を推進してきた国あるいは事業者の責任があるというふうに考えています。
 責任はそういうことなんですが、実際に災害が起こって避難を余儀なくされたり、様々な立場に置かれる人々が出てきてしまっているわけで、これをどういうふうにできるだけその損害を少なくして解決していくのかということが当然問われるわけでありますが、そのときに種々のアンケート調査なり御意見を伺っても、年齢あるいはやっておられるお仕事なりお立場で受け止め方が違うし、将来の考え方も違っているわけですね。かつ、元のふるさとに戻って再出発というわけにはいかないという状況もかなりの長い年月については少なくともあるわけですから、したがって、新たな生活をどこでどういうふうに始めるのかということにできるだけ即して、それを実現していけるような環境を整えていくということが対策になり、かつ責任の取り方になるんだろうと。そういう枠組みを制度としてつくっていくことが国としては重要な仕事、役割になるんではないかと、枠組みとしてはそういうふうに考えています。
 その中で、当然、どうしたらいいのかという各論になれば、個々の御意見というのを十分に踏まえた対策にしていかなければ無意味といいますか役に立たないので、そういうことが必要になるというのが私の意見でございます。
#59
○岩渕友君 ありがとうございます。
 今日配られている福島の復興の現状と課題の中では、先ほど来紹介されていますけれども、全原発の廃止という判断を、より多数の国民合意の下で可能とするために、再生可能エネルギーを中心とした原発によらないエネルギーの供給体制の安定性を一層高めていくことが急務になっているというふうにも述べておられます。今や福島の原発事故を受けて国民過半数を超える世論になっている原発ゼロ、そして再生可能エネルギーへの転換を進めていくことが急務だということを改めて感じております。
 次に、森松参考人にお聞きします。
 国連人権理事会の制度、今日もいろいろ御説明いただいていますけれども、この制度として、加盟国がほかの国に対して勧告を出す普遍的・定期的レビューで、日本は原発事故関連で四か国からの勧告を受けていると。さらには、日本政府はフォローアップに同意をしているんだということが先ほど紹介をされました。
 避難指示の解除と一体に、賠償であるとか例えば仮設住宅などの住宅の提供が打ち切られていますけれども、避難指示区域の方たちも将来的には自主的に避難をしているというような、そういう状況になっていくことも考えられます。区域外避難の方たちが今直面をしている課題、問題は、被害者全体の問題だというふうに思います。
 森松参考人は、国連の人権理事会でスピーチをされています。配られている資料の中にもスピーチの全文が紹介をされていますけれども、避難の実態と避難の権利、そして日本政府の対応について、海外でスピーチをされたりいろんなところでお話しされたと思うんですけれども、その海外の受け止めがどのようなものだったかというのを御紹介お願いします。
#60
○参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 まず、お手元の資料に、本日配付分の資料で、国連人権理事会におけるスピーチの内容を掲載したものをお配りしてあります。国連というところは英語でやらなければならなくて、私の母国語は日本語ですので、苦手な英語ですけれども、英語でスピーチをしてまいりました。
 どういった内容をスピーチしたかと申し上げますと、先ほど、今日の意見陳述で申し上げたとおり、直後は私たち住民は情報を知らされず、無用な被曝をすることになってしまった。それは、原子力災害は、世界が注目する福島原発事故でありますので、状況をお知らせいたしました。そして、原子力災害は、もう一つ、人災であると同時に、大規模な、史上まれに見る本当に大公害とも言えると思うんですね。空気、それから、降り注いだ放射能は地面に落ちてきますから土壌を汚染する、それから、先生方ももちろん御存じのとおり、海洋、太平洋にはもう間断なく、あの日事故を起こしてから、タンクがたくさん建っていますが、受け止め切れずに間断なく汚染水が太平洋に流されているという地球規模の大公害を引き起こしてしまっていると。そういうことに対して、そういう状況でありますけれども、世界の皆様方にその状況をお知らせいたしました。
 無用な被曝を重ねたこともそうですけれども、現在放射線量がまだ高い地域への帰還政策にばかり力を注ぐのではなくて、もっと国民の、特に基本的人権である命に関わる権利、生命に関わる権利、健康に関わる権利を保護してほしいということを世界の方々にも、その助けも求めて訴えてまいりました。特に、福島だけでなく、先ほど来申し上げておりますが、放射能は県境で止まらない、これは国土全体の問題として、福島、特に東日本の、それから被曝に対して脆弱な年齢の低い子供や妊婦、女性、更なる被曝から守ることに力を貸してほしいというお訴えをさせていただきました。
 それに対する世界の反応ですけれども、国連の人権理事会本会合では、政府の答弁と同時に、サイドイベントというところで、各国の特別報告者であったりとか、各国の政府の方々も聞きに来て、関心を持って聞きに来られておりました。
 その中での受け止めとしましては、やはり日本という国は、広島、長崎を経験していて、被曝ということに対してやはり意識がちゃんとあるのかというようなことを注目されていたように私自身は感じました。なぜなら、原子力災害というのは放射能汚染をばらまくもので、それは広島、長崎で私は被爆者という言葉を知っていたから、被曝を避けるために、被曝の健康影響を考えて子供の命を守るために避難を続けている、国内避難を続けているということが非常に受け止められて、理解もされて、こうしてポルトガルのように見られる勧告につながったのかなというふうに思いました。
 それからもう一つ、さらにヨーロッパを回って、市民団体の方々からお招きを受けまして、原発推進国であるフランスのグルノーブルという町でお話をさせていただく機会がありました。
 そこで驚いたことは、福島の現状をお話しし、先ほどの陳述で述べたようなお話もさせていただいたんですが、一人の金髪の女性の、私と同じぐらい、もう少し若いお母様、お子さんを連れていらっしゃったのでお母さんと分かったんですが、手を挙げて発言をされたときに、実は、三・一一当日、私は東京に住んでいたと。そして、フランスという国は、自国からチャーター機を出して、すぐにフランスに戻りなさいといって、私は、その幼いお子さん、ちょうど私の子供と同じぐらいの年齢だったと思います、十歳ぐらいのお子さんを連れていらっしゃったので、当時三歳かそれぐらいだったと思うんですが、その子供と共に自分の国のフランスに帰ったというお話をされて、そこからこの七年間、日本の状況をずっと同じ母親の目線で見ていたんだという、外国人の方からも、世界中の方からも私たちは非常に気遣っていただき、子供の将来や健康被害の影響が出ないだろうかということを世界の皆さんが注目していただいているということに非常に感銘を覚えました。
 だからこそ、こうやって国連勧告が出たり、健康に関する権利の勧告が出た場合には、国の国家的な保護としての責任を果たすという意味でも、市民団体も市民社会も理解を示しながら、この国内強制移動に関する指導原則というのの是非立法化を国会議員の先生方には本当に心からお願いしたいと、そのように思いました。
 以上です。
#61
○委員長(徳永エリ君) 時間が来ておりますので、おまとめください。
#62
○岩渕友君 原発事故によって、福島の県の発表でも五万人近くの方々が今も避難生活強いられていると。けれども、この中には避難指示区域外の方たちは含まれていないということで、福島県外からも避難をしている方もいらっしゃいますし、この間、東京、新潟、山形が実態の調査を行っていますけれども、それを見れば避難生活が非常に困難だということを明らかにしていると思います。その調査でさえも対象になっていない方もいらっしゃるということで、福島の実態は一人一人違うということで、実態をしっかり国がつかむことが必要だし、先ほど来お話しいただいているように、当事者の方から意見を聞くということが本当に必要だというふうに思います。
 それで、時間がなくて佐藤参考人にはお聞きできなくて大変申し訳ありませんでした。
 これで質問を終わりたいと思います。
#63
○石井苗子君 ありがとうございます。日本維新の会の石井苗子です。
 参考人の皆様、本日は本当にありがとうございました。災害から復興する町づくりとは何かということを深く考えさせられる御発表でございました。
 こうしている間、現在も西日本地域では復旧作業が緊急時で行われているわけでございます。その間にお亡くなりになられた方々、そして被災された方々、お見舞いとお悔やみを申し上げつつ、この七年たった現在、この復興という町づくりがどうあるべきかということを中心に質問をさせていただきます。特に、原子力発電所の事故の後、この国は何を学んだのかということについて質問をさせていただきます。
 私自身がやってきたことは、福島県に特化した、ある大学の医学部と協力して医療支援活動だけをやってまいりまして、現在も続けております。福島県の相馬市、いわき市、そして富岡町と、避難所から始まりまして仮設住宅に行き、全ての方はふるさとに帰るのだということを念頭に避難生活をしていらっしゃいましたが、今日の参考人の皆様の御発言を聞いておりますと、大きく二つに分かれていると思います。帰ってこないと決心した方々と、帰ってきたいけど帰れないと、それから、もう既に帰っていらっしゃる方と、この三つに分かれると思いますが、大西先生にお聞きしたいと思います。
 富岡町の二〇一七年度の調査でございますが、もちろん、浪江や双葉や大熊、それぞれも調査が二〇一六年に行われておりますが、五〇%が戻らないと答えておりまして、今それがどのくらい戻るに増えてきているかということを見ますと、調査結果は、戻らないというところが相変わらず六〇%ぐらいおります。特に三十代、四十代は戻らないと。その戻らない理由の一番最初が、医療環境に不安があると。次が、原子力発電所の安全性の保証がなく不安であると。三番目が、住む場所、家屋ですね、の整備ができていないと。
 私どもの医療支援というのは、そこに町があって、道路があって、橋があって、家があって、人が住んでいて、やる。これが医療支援だったはずなんですが、医療支援をしてくれないんだったら帰ってこないというお答えが五〇%あるということなんですが、大西先生のロードマップは、拝見しますと、町の形、住民生活に不可欠な健康、医療、介護というところで、これまでの取組から長期のところの二〇二一年以降まで書いてございます。私は、七年やってまいりまして、既に多くの方、戻ると決心した方は、六年以降、大分戻られてきているのではないかと、一つピリオドを打って、ここから先を考えなければならないのではないかと思っております。
 使い勝手のいい医療の整備がされてある町づくりであれば、更に人が戻ってきて、復興庁があと三年ある間に、どこまでできたかを見て新しい方が戻ってきてくださるのではないかという一途の望みを持って考えていかなければならないと思うんですが、先生はこの地域の医療の在り方ということ、どうお考えでしょうか。
 高齢者の方が戻ってくるケースが一番多いんでございますが、高齢で慢性疾患ということを抱えて戻っていらっしゃるんですが、その方々のニーズに合う整備になっているとお考えかどうかをお聞かせください。
#64
○参考人(大西隆君) なかなか、私は医療は専門ではないので的確な答えができるかどうか分かりませんが、私どものロードマップの中で、医療は極めて重要な分野というふうに思います。それから、委員御指摘のように、復興庁と県と被災自治体が行っている意向調査の中でも、今御指摘になったように、医療というサービスが適切に受けられるかどうかということは戻るかどうかの判断の重要なポイントにもなっています。
 医療機関側からすれば、もちろん医療従事者の健康という問題もあるわけでありますが、これが一定保障されるという段階で解除されるというふうに考えれば、対象とする医療機関がサービスを提供する住民の方がどのぐらいいるのかということと、医療機関が運営が成り立つのかどうかという、ここも一つのポイントになるので、鶏が先か卵が先かという問題もありますが、しかし、復興という観点からすると、公的な組織が一定の医療サービスをきちんと保障するということが必要になると思います。
 私は、昨年の春、大きく避難指示区域が解除されたということでありますが、まだほとんど全域で解除されていない自治体というのも存在しているわけなので、戻る方はこれからも増えるだろうというふうに思っています。
 ただ、私も分析をしましたけれども、非常に多くの方が既に戻らないという決断をしていると。この方々のかなりは既に新しい生活を始めているという、そういう方も含まれていると思うんですね、別な場所で。したがって、当面、その戻る可能性のある方というのは、今迷っておられる、あるいは生活ができるかどうかということを様子を見ておられる、そういう方々が一定の生活環境の整備に伴って戻る方向で決断をするのかどうかということだと思います。
 そのためにも一定の医療サービスが必要で、当面は全ての地域に例えば開業医の方が開業するというわけにはいかないとすれば、集約的な格好で医療機関を設けるというやり方が恐らく取られて、そういうやり方を取らざるを得ないだろうというふうに思いますが、最初に公的機関の力で一定の医療サービスをできる体制をつくっていくということが、やはり解除されたところで住民が動く兆しが出ているところでは必要なのではないかというふうに考えています。
 もちろん、手術が必要だとか高度医療が必要だという場合には、ネットワークを組んで、しかるべき高度の医療機関、サービスができるところで医療サービスを受けるような仕組みというのが当然必要になるというふうに思います。
 以上でございます。
#65
○石井苗子君 ありがとうございます。
 公的機関の力を利用して今後町づくりを新しくしていけば、新たな方がその様子を見て、良さそうだから少し戻ろうかなと思ってくれる、この考え方なんですが、医療の生活の中で、これほどまでに町づくりに医療が先だと言われた時代はありませんで、町づくりというのは先にインフラなのではないかと先ほども申し上げましたけど、いや、それよりも先に医療の機関を充実させてくれと言われているわけです。
 私が行きますと、まず医療、次に買物、そして余り動きたくないと、このようにおっしゃる方が多いわけですけれども、今現在お戻りになっていらっしゃる方です。その町をもし国としてもっと人を戻していこうと考えているのであれば何かを変えていかなければならないと思うんですが、そこで、先生の御専門でございまして、私も拝読させていただきました「東日本大震災復興への提言」という中で、これ二〇一一年ですから、震災が起きた年に先生が東大の出版から書かれたものだと思います。その中に「持続可能な経済社会の構築」という副タイトルがございまして、全体的に、復興する町づくりをどうしていくかの中に、先生のお考えでコンパクトシティーのお考えがあったら少し教えていただきたいんですが、町づくりとして、いかがでしょうか。一年勉強しろと言われるかもしれませんけど、もうちょっとコンパクトに教えていただければと思うんですが。
#66
○参考人(大西隆君) コンパクトシティーというのは、歩いて行ける範囲に一定のサービスが提供されるような施設も造って、それをある意味では支えるためにも、人が少しまとまって集約的に住むという考え方です。
 ただ、現実に、福島だけではありませんけれども、岩手、宮城を含めた東日本大震災の復興過程では、そういうふうにはなっていません。というのは、やはり元々のコミュニティーのつながりというのを大事にする、そのための復興計画が割と細かな単位で作られて、それぞれその復興計画に基づいて安全な場所に新しい住宅地をつくってそこに住もうということになっていますので、かなりたくさんの地域に、つまり、元のあった地域は津波で危ないので多くのところが移転をしているわけですけれども、地域の中でですね、その移転先が非常にたくさんあると。コンパクトシティーという発想からすれば、もう少し集約的に、幾つかの旧来のコミュニティーが集まって新しい社会をつくるということが私はより良かったと思うんですが、現実にはそうなっていません。
 したがって、ばらばらになっているところにいろいろなサービスを提供しなきゃいけない、便利さをその中で追求しなければいけないということで、むしろ医療機関の方から様々な出前サービスをするとか、あるいは情報通信手段を使って簡単な検査とか治療というのが指示できるようにするとかですね、サービス側がいろいろ工夫をして住民の居住形態に合わせるということが現実には必要になってきているんではないかというふうに思っています。二〇一一年はまだ理想を考えていたのでそういうふうに申し上げましたけれども、その後の経緯でなかなかそうはいっていないというのが正直なところでございます。
 福島については、これから始まるので、復興再生拠点というのを設けることになっていますので、少しそうした面ではコンパクトに集約化というのをある意味でやらざるを得ないという面もありますので、できる可能性があるんではないかというふうに思っております。
#67
○石井苗子君 ありがとうございます。
 私、決算でも、この復興委員会でも申し上げましたけれども、使い勝手のいい安心して住める町づくりの医療体制になっていないといらいらしてもう申し上げているんですけど、七年たっても先生の一一年のときの理想が現実化していないということについて、今から何とかしなければならないと思っております。これからも考えてやっていきたいと思っておりますが。
 森松参考人の方にお伺いします。
 逃げる権利、これ私、痛いほどよく分かるんですけれども、医療の分野からいきますと、現実的に放射線の影響、人体に受ける影響ということで、子供の甲状腺がんの検査ということに関しましては、全く経験したことのないことでございますので、小児甲状腺がんと診断するまでの過程において、いろいろ、それが原発のあの事故のせいであったのか、それとも、御存じだと思いますが、小児甲状腺がんというのは消えることがあるわけですね。だから、この十年間の間でどこでそれを判断するかというのは非常に難しい。だけれども、やっていかなければいけないことだと思うんです。
 それで、お伺いするんですが、何があったら戻ろうかというお気持ちになっていただけますか。
#68
○参考人(森松明希子君) 御質問ありがとうございます。
 何があったら戻ろうかという御質問自体が、戻ることが前提とした御質問だというふうに私は受け止めてしまう。もし間違っていたらごめんなさい。そうではないのかという、常にそういうことなんですが。
 強いて言うならば、私たちも、夫は福島県郡山市にいますので、居所を二つに分けて、苦肉の策で福島と大阪という離れた土地で今生活をしています。何があったらとおっしゃいまして、要するに、被曝防護で、特に私は、震災当時、三・一一当日は子供がゼロ歳と三歳でした。まさに外遊びをさせなくちゃいけない年齢、これからよちよち歩きを始めて、福島は原発事故がなければ本当に大自然に恵まれた子育ての環境の良いところです。それを目指していたのですが、事故になってしまった。
 何がとおっしゃいますが、まず最低でも、そこからまず放射能災害というものが起きたときに、被曝とかいう問題、それから放射能汚染という言葉さえ今はタブー視のように、タブー化されてお話ができないというような環境ですよね。でも、被曝から子供を守りたい、できるだけ被曝量を下げたいというのは先ほど陳述で申し上げたとおり。出荷停止になりましたよね、例えばホウレンソウであったり葉物野菜が出荷停止になり、酪農家の方は泣きながら牛のお乳を搾ってそれを畑に捨てたという映像を皆さん御覧になっている。でも、同じ哺乳類の私たち母親は、その汚染された水、たとえ少量であっても、水を飲んで、凝縮された母乳からセシウムが発見された、検出されたというニュースも流れてきました。どんな手だてを打って被曝から全力でこの国は子供を、被曝防護の対策が確立できるんだろうと思って見ていたこの七年間でした。
 それが先生の御質問は、何があったら帰ってくれるのかではなくて、どんな被曝防護を考えましょうかという御質問だったらうれしいかなというふうな思いから、例えば県民健康調査は福島県に任せています。でも、私はそうではなくて、国家としてきちんと予算を組んで、国が主導して、福島県はもとより、その周辺地域もきちんといつでも医療アクセスができるような、それから、県民健康調査にもうちょっと丁寧な、例えば二年に一回という、今は十八歳未満は二年に一回ですけれども、それが毎年、半年に一回でも、年齢に応じてとか、もっときめ細やかな制度や施策はないものだろうかというふうな感覚はあります。それから、二十歳を超える、十八歳を超えると五年に一回でいいとかというのも、それも私の考えからいうと逆行しているなというふうな形であって、前提が、どうしたら戻ってくれるではなくて、どうすれば将来、影響も分からない、チェルノブイリの事故とはまた福島は違う、そうであるとするならば、本当に分からない中で、専門家の意見も真っ二つな場合、どちらを取るかというと、子供に、それこそ予防原則と言いまして、より安全な、生命、身体に対してはよりケアが必要だというふうに私は考えております。
#69
○委員長(徳永エリ君) 申合せの時間が来ております。
#70
○石井苗子君 はい。
 時間が来ましたから終わりますけれども、逃げる権利、そしてそれを、子供を守る権利というのがあることは重々分かっておりますので、これからも医療分野で努力したいと思います。
 ありがとうございました。
#71
○山本太郎君 ありがとうございます。自由党共同代表、山本太郎です。
 参考人の先生方、本当に貴重な御意見、そしていろいろなお話、ありがとうございました。
 まず、今日の参考人の方々は、福島の災害、大震災からの避難者の方々で、もちろん福島を始めその他の東北、東日本の方も来てくださっているので、まずは、元々二十年東京に住んでいて、その電気がどこから来ているかも知らずに自分が暮らしていたことに対してまず皆さんに謝罪をさせていただきたいと、申し訳ございませんでした。東京の電力のために皆さんに多大な迷惑を掛けてきたことにまず謝罪したいことと、そしてもう一つは、本当に、七年前の大きな震災と事故から今も苦しみ続けているという状況、そしてその意見を言うたびに本当にタブー視されるような状況に陥ってしまっているということに関して、今の政治のていたらくという部分に関してもおわびを申し上げたいと思います。
 けれども、今日、本日、皆さんに参考人として来ていただいたということは、これある意味この政治に対しての希望であると。この復興特において心ある先生方がこのような場をセッティングしてくださったことに対して、先輩の先生方に、そして委員長にお礼を申し上げたいと思います。
 それでは、質問に参りたいと思います。
 先ほど、石井委員の質問に対して森松さんがお答えになってくださいました。予防原則にのっとるということを考えるならば、今自分たちが避難するということは非常に合理的であるというようなお話だったと思います。専門家の意見が真っ二つに割れてしまうという中で、自分が避難を続けるということはこれ予防原則にのっとっていると言えることなんじゃないかというお話だったと思います。
 先ほど、熊本さんの方のお話からお伺いすると、空間線量が〇・二から〇・三マイクロシーベルトぐらいの程度のものだったのが、地面を測れば八万ベクレルでしたか、先ほど放射線管理区域の倍とおっしゃいましたから八万ベクレルですね、パー平米ということになると思います。
 このような状況を大西先生お聞きして、今現在、国がもう避難区域を解除して、帰ってよろしいですよというところは空間線量において年間二十ミリシーベルト以下ということになっているんですけれども、この空間線量だけで帰っていいよという部分に関しては、私、非常に政治的な部分が入っているのかなと思います。本当に人々の生命、財産を守るというような責務を果たすならば、空間線量の上に土壌というものも測った上で、それをセットにした上で、人々に対して、選択をするという部分、これを国がしっかりと提案していくということが必要なのかなと思います。
 先生は先ほど、学術会議において提言なされた中に、人の復興ということに関して非常に、そういうことを考えていくべきだということをおっしゃっておりました。被災者の居住の在り方について、被災者自身の希望を十分に尊重した制度が構築されるべきだと。これは非常に、政治の場にいる者としてそれを受け止めて、しっかりとその形をつくっていかなきゃならないなとは思うんですが、学術という分野に先生がおられて、より人々の命を科学的視点で守るということを考えるならば、空間線量だけではなく土壌もセットで測った方がいいと思われるのでしょうか、それとも政治的に決定されたことの方がより科学的と言えるんでしょうか、いかがですか。
#72
○参考人(大西隆君) ありがとうございます。
 私は放射線の専門家ではないんですが、学術会議でその今御指摘の問題については随分長く議論をしてきました。
 それで、それらを踏まえて、私は個人的には、このICRPの二十ミリシーベルトという基準というのは緊急な場合に適用されるものなので、恒常的にはもっと低い状態で人間は暮らすべきだというふうに考えています。つまり、生涯で百ミリシーベルト被曝するといろいろな影響が出始めるということでありますから、二十ミリシーベルトであると、五年間仮に屋外でずっと生活して浴びる、屋外が半分とすれば十年間で累積してそういう値に達してしまうわけですから、もっと低い基準であるべきだというのが私自身の考え方です。ただ、現実に、今、国の制度の中で解除をされてきているわけです。
 それで、これに対する受け止め方もしたがって様々で、安全サイドを取って避難を続ける、避難を続けるというか別の場所での生活を続けるという方もいれば、御自身の将来、高齢者の方はやはりふるさとに帰って生活することによる満足感と、御自身の余命といいますか、これからどのぐらい生きられるかということなんかもやはりお考えになってそれぞれ判断をされるんだろうと思います。そういう判断の一つの数値としてこういう二十ミリシーベルト、つまり、なるべく早く帰りたいと思っておられる、あるいはそういう要望を出しておられる方も一方でいるのも現実ですので、こういう制度になっているんだろうと私自身は受け止めています。
 しかし、その上でもできるだけ居住環境、あるいは居住環境といっても、少し山に行って散歩をするとか付近を歩きたいという、あるいは歩くという生活を日常的にされていた方もいるわけですから、そういうところも含めた除染というのが行われないと、通常の生活は戻られてもできないということになりますので、やはり必要な範囲の除染というのを少し拡大してやっていくような体制というのは必要なんだろうと。
 今回、新しく復興再生拠点というのが設定されますけれども、ここについては従来の範疇とは別に重点的な除染をするということになっていますので、人々が安心して暮らせる地域というのをできるだけ増やしていくという作業は継続的に行いながら、そうした選択肢の幅を広げていく。つまり、戻るか戻らないか、戻る場合のリスクが少ないという、そういう状況をつくっていくことが必要だろうというふうに考えております。
#73
○山本太郎君 ありがとうございます。
 その拠点としてつくられるところというのは、恐らくコンクリートを全て地面に引いてしまって、普通に放射線からの影響を遮断してしまう、線量がいきなり低くなるというような拠点づくりという部分で、これはお仕事絡みのところであればある程度いけると思うんですけど、例えば山であるとか、そのような山林があるというところはほぼもう除染は不可能ということになっていて、もちろん雨が降れば、風が吹けばその放射線というものは移動するわけですから、そこに住居という部分であったり人々の生活があるということになると、これは大きく話が変わってくる部分だと思うんですね。
 けれども、やはり人の復興、この重視をした考え方というのは場所の復興というのを妨げるものではないと、選択肢としてやはりそういうものを考える、そういう制度を構築すべきだということを学術会議として、そして先生のお考えとしてもそういうお考えをお持ちくださるというのは非常に心強いといいますか、やはり選択肢を国として責任を持って、今のままだったら被害者は一方的に切り捨てられるだけですから。原発事故を起こしたのは、やはり、森松さんでもありませんし、熊本さんでもありませんよ、佐藤さんでもないしという、原発事故を起こしたのは事業者である東電と、そしてそれをバックアップし続けた国であると。この事故の当然後始末、それに対するけじめというものは国が取り続けなきゃいけないという意味で、非常に人の復興、人の復興は場所の復興というものを阻害するものではないという考え方、非常に重要だと思います。
 先ほど森松さん、避難の権利という部分についてお話ししましたけれども、避難の権利というものが認められるならば、今まで暮らし続けた場所にも居続ける権利というものも当然存在すると思います。でも、この国でなかったのは、その避難する人たちに対してしっかりとバックアップをするという部分だったと思うんですね。この部分が圧倒的に足りなかったと思うんですけれども、これ、残った人にも戻った人にもそれぞれのケアが必要だというふうに思うんですけれども、どういうことが考えられますか。
#74
○参考人(森松明希子君) 山本議員、御質問ありがとうございます。
 そうなんです、避難の権利と私が言っているのは、先ほど来申し上げているとおり、避難をした人たちだけの正当性を言っているわけではないのですね。避難の権利は、今回の原発事故に対しては、放射線被曝から免れ健康を享受する権利、自らの健康を享受する権利であります。
 避難の権利とは、具体的に言いますと、三つ考えられると思います。被曝拒否権、一つ目が被曝拒否権、そして二つ目が選択的被曝回避権、先生方にお配りしているレジュメにも書いていますが、選択的被曝回避権、それから三つ目が被曝情報コントロール権というふうな形で、これは、名称はともかくとして、私は、この七年間そういうふうに分類できるのではなかろうかと考えました。
 それは、もちろん憲法や、それから国際人権法に基づいて編み出したといいますか、被曝拒否権というのは、大多数の人が被曝を受忍しているとしても、個々人には無用な被曝を絶対的に避ける権利がある、これは誰も否定しないと思います。健康に関する権利で、必要な被曝は、医療被曝とかは必要だから被曝するわけですよね。だけれども、無用な被曝を絶対的に拒否する権利はまず個々人誰にでもある権利だと、人権だと。
 そして、選択的被曝権とは、私はよくこういうふうに表現しているんですが、知って被曝することと何も知らされずに被曝をさせられることは全く意味が違うんだと。要するに、原発事故に象徴されますように、ある日突然、原発の事故で、それは大災害が原因でもヒューマンエラーが原因でも老朽化が原因でも、原因は関係ないんです、この場合は。何か、ある日突然、福島県を中心とする汚染地に放射能災害が来たときに、何も知らされずにそれは被曝をさせられたということです。知らされずに水が汚染されて、分からないまま飲んでしまった水。それに対して、知ってしまった以上、知って被曝することはやはり避ける。知ったときには、人はいつでも自由に、いつからでも被曝を拒否する、回避するという選択肢を選べることができるんじゃないか、そういうふうに考えています。
 被曝そのものが、さっきも申し上げたとおり、被曝拒否権があるけれども、被曝を避けることのほかにも守るべき権利があるのであれば、それはその個々人が選択できる。これが憲法に保障されている個人の尊厳であり、憲法十三条の基本的人権の中でも、個人が尊重されるという条文のまさにその理解なのでは、この事故の場合における理解なのではないかと私は考えています。
 個々人の選択は誰からも押し付けられるものではなく、被曝回避権を行使しない、つまり、逃げない、避難をしないとか、元々避難していたけれども、戻ったからといって、最初に申し上げた一つ目の被曝拒否権が何もなくなるわけではないのです。例えば、幼児とか未成年者はどうでしょうか。親が被曝回避の選択をしなければ逃げることはできませんよね。でも、大きくなって、やっぱり自分は離れたいと思ったり、そういうことと、翻って考えると、先ほど大西参考人が言ったとおり、復興のためとか廃炉作業に行くためとか、それからその地域の医療をするためであったりとかですね。
 まさに、私の夫は福島で医師をしています。住んでいる人がいる以上、医師の倫理といいますか、地域住民の医療を守りたくて福島県民をやっておりまして、今も私たち夫婦、家族は福島県が大好きです。汚染さえなければ、そして私たちの子供は幼いわけですから、帰れるものなら帰りたい。でも、家族の中でも、家長制度とか、明治時代とか昔ではないわけですから、今は家族の中でも一人一人の尊厳が守られる。子供は未成年ですから今判断はできないけれども、そういうことがあって、被曝回避権。
 それから最後に、被曝情報コントロール権というのは、自己が被曝をするとき若しくはさせられるとき、その量や期間の情報を自分で知ってコントロールする権利というのは当然出てくると思います。プライバシー権とかが、自己に関する情報を自分でコントロールする権利という人権として新しく認められましたが、似たような、私は法律家ではないので分かりませんが、被曝情報を自分でコントロールするためには、例えば先ほど陳述もしたとおり、モニタリングポストの設置があって、放射線は低線量では浴びているかどうかさえ分からないのです。
 空間線量だけでなく、土壌の汚染があるわけですから、地面の汚染も測らなければ、ちゃんとした公的機関がきっちりと示さなければ、情報は私たちには知らされないということをこの七年間経験してきたわけです。そうすると、空間線量一辺倒だけでやるのではなくて、土壌も測ってほしいというのが、市民の、そして避難した人たちの、そして、今は残っている人たちもやはり被曝量を自分でコントロールしたいという権利があると思います。その三つの権利が少なくともきちんと確立されるべきだというのが私の主張でございます。
 そうすると、例えば避難者の実態が把握されていないとか、中にとどまっている人は定期的に、先ほど申し上げたとおりチェルノブイリでは保養という制度があって、保養庁という省庁までできているんですね、国家的にそういうふうに子供たちを守ろうということで。そうであるとするならば、私はよく言っているのは、避難というのは、長期、すごい長い保養と同じじゃないかと。避難保養庁とかあってもいいのになというか、できている七年後を想像していたんですが、法律もなければ、そういう省庁もないけれども、それができるかできないかは別にして、このような考え方ができるのではないかというふうに私は考えています。
 つまり、残った人や、とどまっている人や、もちろん避難した人も、それぞれに対して被曝拒否権とそれから選択的被曝回避権、それから自己に関する情報で被曝情報のコントロール権というものは、少なくともこの原子力災害を経験したこの国はきちんと確立しておかなければ、いつ何どき身近の原子力発電所が事故を起こしたときに、一つもその被曝防護の対策が取られないということに等しいということだと思います。
#75
○委員長(徳永エリ君) 時間ですのでおまとめください。
#76
○山本太郎君 はい。
 ありがとうございます。言われていること、非常にそのまんまです、本当に。それをどうして国がやらないのかと。
 今までの放射線の取扱いは、元々決められた場所にあって、密封されたRIで、それをいかに管理し被曝をどうするかという調整だったものが、表に出ちゃった、非密封RI。ここに関して、人々をどうやって守るかという当たり前のことがなされてこなかったということに関して、復興特として、みんなで力を合わせて、皆さんに寄り添えるような政治を目指していきたいと思います。
 ありがとうございました。
#77
○行田邦子君 希望の党、行田邦子です。よろしくお願いいたします。
 この度の豪雨の被災地の皆様に心よりお見舞いを申し上げます。
 そしてまた、今日はお忙しい中、四人の参考人の皆様には貴重な御陳述をいただきまして、ありがとうございます。
 まず最初に、大西参考人に伺いたいと思います。
 大西参考人は、日本学術会議原子力利用の将来像についての検討委員会、また分科会の委員長を務められて、そして提言をまとめられていらっしゃいます。その提言の第一番目に、東電福島第一原発事故の被災者の健康管理、生活再建と被災地域の復興ということを挙げられています。
 先ほどの陳述の中でも人の復興ということが重要であるということをおっしゃっていらっしゃいましたけれども、原発事故からの被災者、これ、区域外に住む方も含めての健康管理、また生活再建、具体的にどのようなことが、どのような視点で国は政策を選択を行っていくべきか、まずお聞かせいただきたいと思います。
#78
○参考人(大西隆君) 今引用していただいたのは、追加資料としてお配りしてあるものの日本学術会議の提言ということで、昨年の九月にまとめたものであります。その中にも提言が七つあるわけですが、一番目が今御指摘の提言であります。
 ただ、今日私が述べました人の復興と場所の復興という用語については私の独自なものですので、学術会議のこの提言の中に入っているわけではありません。考え方は共通しているものがあるというふうに認識しています。
 それで、今の点ですが、人の復興と場所の復興を分けたのは、例えば津波被災地の場合には多くの方が津波の翌日から復興に加われる、あるいは復興の作業に入れるという、極端に言えばそういうことではないかと思うんですが、原子力災害の場合には影響が長く残るためにそういうわけにはいかないということで、復興が実際に始まる、場所の復興が始まるのがかなり時間を経過してしまうので、その間、それぞれの人々はどこかで、最初は避難者かもしれないけれども、自立したそれぞれの希望に応じた生活を始めていく人も出てくるということであります。
 それも、原因としては原発事故が原因になっていますので、もちろん自立的に生活していく人はまさに自立的に生活されるわけですけれども、制度としては、そういう方々が従前の生活レベルに匹敵する生活ができるような一定の、支援をするような仕組みというのが必要になるというふうに思います。
 それが十分であるかどうか、私は詳細な分析をしておりませんので、ここではそれ以上は申し上げませんけれども、調査をした上で、それが実際にそれぞれの地域で人の復興にふさわしい再建というのができているのかどうかということについて把握をして、対策を講ずるべきだということではないかと思います。
 特に、その中で健康問題というのが心配になっているわけであります。現状でも、福島以外でも検査を受けられる制度というのがあるというふうに理解しておりますけれども、不安に思われる方がどこでも検査を、各地の医療機関で検査を受けられるような制度というのをつくることで、安心してどこにあっても暮らせるという状態が望ましいと。
 ただ、これをいわゆる被曝手帳のような格好で本人を証明するようなものを発行するのがいいのかどうか、ここはいろいろな議論があり得ると思いますが、かなりある意味で息長くそうした健康管理というのをしていく体制というのは必要なんだろうというふうに思っております。そういうことを集約的に書いたのがこの提言の一でございます。
 以上でございます。
#79
○行田邦子君 ありがとうございます。
 先ほどの陳述の中で、大西参考人が二重の地位ということをおっしゃられていました、問題提起をされていました。この点につきまして、熊本参考人と森松参考人、それぞれに伺いたいと思います。
 二重の地位、避難先で住民登録をするだけではなくて避難元でも登録をできるということで、そのことによって、今区域外に住んでいる被災者の方がふるさととの関わりを持っていくということだと思いますが、この二重の地位ということにつきましての御意見をそれぞれに伺わせていただきたいと思います。
#80
○参考人(熊本美彌子君) 二重の住民登録というのは、何か非常に難しい感じがしています。
 私自身は、田舎暮らしをしようと思って移住をしたという、そういう立場からすると、住んでいるところで住民登録をするというのはごく普通のことであるというふうに考えていたんですね。だけれども、避難者とお話をしていますと、やはりどうしてもふるさとへの思いというのを断ち切れない。
 私は、住民票というのは今は東京に移しておりますけれども、そのきっかけというのは、選挙のときにとても大変な手続をしなければいけなかった、それで、もう選挙公報が届く前に投票を実はしないと期日までに間に合わないというような状況がありまして、それで、選挙としてこういったやり方っておかしいんじゃないのかなという思いがありましたので、まず住民票を移したんですね。
 だけれども、非常にそういった困難があっても住民票を移さない方はたくさんいらっしゃいます。特に、お子さんを持っていらっしゃる方は、そういった医療の面でやはり福島県のそういった支援を受けたいという方がたくさんいらっしゃるので、お子さんを持っていらっしゃる方はやはり置いていらっしゃる方が多いです。
 住民票イコールふるさと喪失ではないと思っています、私は。私たちは、住民票を移しても、やはり福島がとてもいい地域だったという思いはすごくあるんですね。ですから、どういう形でそれを実現したらいいのかというのは、やっぱり学術会議の提言は一つですけれども、もっといろんな形で避難をしていくということが実際に担保されればいろんなことを考えられるのではないかというふうに考えております。
#81
○参考人(森松明希子君) ありがとうございます。
 名称はともかくとして、二重住民票という御議論は震災直後からあったと思います。特に、そのでも議論に参画する人たちが、主に、かなりふるさと喪失に対して物すごく思い入れがあるので二重の住民票が欲しいと、今先生方の御理解もそのような感じかもしれませんが、今、熊本参考人がおっしゃったように、様々なケースがございます。
 例えば、私はゼロ歳と三歳の子供を連れて避難をしていますから、小学校の入学とか、そういう住民サービスの手続は余りその直後は関係なかったんですね。それもあってすぐに住民票を移さなかったというのもありますし、もちろん、福島県民として、県民健康調査の該当者、今は避難をしていてもできるらしいんですが、その通知が来なかったりと、住民票を移動するためにいろいろな不利益があって、それも整備されていないからそういうことになってしまうんですね。
 ですが、もう少し大きいお子さん、例えば、小学校、中学校はまだ義務教育だからいいんですが、高校受験をするときに、最初の頃は、住民票がなければ例えば大阪府に避難をしていても大阪の公立の高校が受けれませんよとかいうような様々なことがあって、そこに臨機応変に対応はしてもらえなかった事実もあります。
 そういうわけで、今度は住民票を移しました。そうすると何があるかといいますと、いろんなケースで、元々福島県民で、もう先祖伝来、福島県民の、土地を持っていて何代にもわたって福島に住んでいた人もいれば、でも、住民というのはそういうわけでもないわけですよね。特に私なんかは郡山というところに住んでいまして、いろんなところから住んでいるわけですから、私も出身は元々関西だった、だから今関西に避難できているだけで、いろんなケースがあるわけです。
 そういうこともございまして、名称はともかくとして、でも、最も必要な人のところに二重の住民の地位とか住民サービスが受けれる形というのは必要だと思います。
 なぜなら、私はこれまで選挙権の行使を福島県民としてやろうと思いましたが、国政選挙は期間が二週間あるので、いろんな速達で選挙管理委員会と、郡山市とやるんですけれども、地方選挙の場合は一週間でそれをやらなくちゃいけなくて、子供を抱えてパートに働きに出ていて、そのやり取りをやっている間に選挙の行使、しかも期日前投票をやらなければいけないということになっています。そうすると選挙期間が過ぎてしまって、福島県政に最も私は興味と関心があって政治参画したいと思っているのに、その参政権がちゃんと行使できていないというようなことも、この七年間何度も、選挙起こるたびに思ってまいりました。
 ですので、もちろん二重の住民の地位という、それから二重住民票にするかどうかというのは是非御議論いただいて、それから、それが町を残したいとか町が消滅するのを防ぎたいとかではなくて、先ほども、それは人の復興か場所の復興かとかいう議論にも関わると思います。具体的に必要なところに住民サービスが受けれるような形になれば、住民票をわざわざ制度まで思い切り変えなくてもできることではないのかなというふうにも私なんかは思うのですが、そういうところにも是非、全国四十七都道府県に散らばっている避難者のニーズをきちんと酌み取って、人数もちゃんと把握されていない現状がございますので、そういうことからも、そういうことを酌み取りながら、参画する機会を与えていただいたらまた是非御提言をさせていただきたいと、そういう場所に呼んでいただきたいなというふうにも思いますけれども、私の希望としては、名称はともかくとして、二重の住民サービスは受けれるような制度はつくってほしいというふうには希望いたしております。
#82
○行田邦子君 それでは、佐藤参考人に伺いたいと思います。
 佐藤参考人の活動、歴史資料のレスキュー、保全ということで、大変に重要な活動だと思っております。現在と将来の国民にとって古文書などの歴史資料というのは共有の財産であると、それは地域住民にとっても共有の財産であるというふうに思っております。
 古文書のお話を先ほどされましたけれども、文字の資料というのはもちろん大変重要なものでありますけれども、これまでの人間の活動を歴史復元するに当たって、文字の資料と併せてなんですけれども、いわゆる考古学資料といいますか埋蔵文化財ですね、というのも、これも非常に重要だと思っておりますけれども、その点について何かお聞かせいただけたらと思っております。
#83
○参考人(佐藤大介君) ありがとうございます。
 実は法律の問題でありまして、埋蔵文化財というのは、今回の復興の過程において様々な工事が起こって、これは復興に限らず、遺跡があると思われる地域で公共工事する場合は必ず発掘をするというのが定められているのですが、そうした中で新しい発見がやっぱり今回もあって、これは様々な知恵を与えてくれると思うんですけれども、実は古文書については、文化財保護法の中ではそれは文化財であるというのは規定があるんですけれども、実はその文化財保護法というのは、その中で、いわゆる指定文化財と呼ばれているものの保護管理義務、それから埋蔵文化財のことがあって、今度、改正では多分建物の話が入ってくると思うんですが、いわゆる先ほど私が御紹介した古文書というのは、やっぱり私有物だというのがあって、何も守る多分根拠というか、それがないんですね。これは条例、都道府県、市町村の条例でも同じ。
 公文書については、公文書管理法で歴史的公文書というのが定められまして、それは国立公文書館に移管されるということになっているのですけれども、やっぱり地域の古文書というのはそれが私有、今のところ私有であるということでやっぱり保護されていないということがありますので、今日、ここ、立法府ということもありますから、是非そういうものを守る法的な、法律といいますか、これはなかなかその法律を作るというのも難しいということは重々承知はしているのですけれども、是非もう党派を超えて、そういう本当に今おっしゃっていただいたように、本当に国民の宝であり将来に残すべきものであるということを踏まえて、是非そういうものを作って、検討していただきたいですし、そういう点については、私も含めて本当に学者たちも一緒にそういうのを作っていけるような機会といいますか、場所というか、そういうのがあればいいなというふうに思っているところです。
#84
○委員長(徳永エリ君) 時間ですのでおまとめください。
#85
○行田邦子君 はい。
 貴重な御提言ありがとうございました。
 終わります。
#86
○藤末健三君 国民の声の藤末健三でございます。
 まず冒頭に、西日本のこの大豪雨の中で犠牲になられた方々の冥福をお祈りするとともに、また、被災された方々のお見舞いを心から申し上げたいと思います。
 私が御質問申し上げたいのは、まず熊本参考人に御質問申し上げたいと思います。
 熊本参考人が資料の中で、二枚目に避難の協同センターからの提起ということで四つの項目を挙げていただいています。区域外避難者が安心して生活できる居住の保障、民間賃貸の補助の継続、希望する避難者の公営住宅特定入居の対象とすることと、そして安心して生活できる居住の保障が実現するまで国家公務員住宅等の利用を延期と書いてございます。
 私は故郷が熊本でございまして、実は熊本も現在三万八千人の方々が自宅に帰れていないという状況でございます。是非そういう方々の参考に、熊本参考人がおっしゃっていますこの提起の内容をよりちょっと細かく教えていただければと思います。お願いいたします。
#87
○参考人(熊本美彌子君) 御質問いただきまして、ありがとうございます。
 私どもがこの原発事故の大災害を経験しまして思うのは、やはり災害救助法が非常に古い法律ですので今の時代に合っていないのではないかと思われることが多々あります。例えば、避難所などで、開設されたときに、食料をいただく、おにぎり一つをもらうのに何時間も行列しなければもらえないというのを経験しました。そういったことからすると、前、イタリアの、やはりイタリアも非常に災害が多いところですので、そこでそれを研究対象にしていらっしゃる学者の方のお話を伺ったんですけれども、イタリアの場合は、ワインが付かなければ夕食ではないというのが避難所の食事だそうです。それから見ると、私たちはおにぎり一つのために何時間も並ぶと。こういった災害の多い国において、もっときちんとした、現代に合った災害救助のやり方というものを再検討しなければいけないのではないかというふうに考えています。
 具体的には、例えば今、公営住宅で入ろうと思うと公募が原則であるというふうに言われるんですね。だけれども、原子力災害の場合は、家は壊れませんでした、放射能で。だけれども、実際に放射能でもって使えなくなっている家がある。そういった場合にはやはり住宅がないという扱いをしていただいて、そしてその特定入居、公募によらない入居を認めていただかないと、今、公営住宅法では、例えば十八歳未満の子供が三人以上いなければいけないとか、それから小学校入学前の子供が二人以上いなければいけないといった優先入居の条件というのが非常にありまして、私たちみたいに別にそういったことを全然知らずに避難してきた者は、いざ困って公営住宅を応募しようと思っても、そういう世帯要件で駄目になってしまう、応募すらできないという現状があります。そういったことから、その居住の保障というのはもっと柔軟に考えていかないとできないという面がすごくあると思うんですね。
 それから、その民間住宅についての家賃補助を福島県は来年の三月で終わりにすると言っているんですけれども、今、それで去年は三万円が上限で、今年度は二万円が上限の補助がありました。だけれども、来年の四月以降はゼロになってしまうんですね。この二年間で福島県は自立のためにそういった補助を設けていると言いましたけれども、この二年間でお給料が三万、二万円上がったでしょうか。こういう現実の経済の状態というものを見ずにそういう制度をやめるということになると、これから先、非常に困る人が出てくるというふうに思っています。
 それから、国家公務員宿舎などは、福島県が国家公務員宿舎セーフティーネット使用貸付契約書というものを作って、それで避難者に財務省から借り受けた国有財産である国家公務員宿舎を貸しているという形になっているんですけれども、避難者の手元に届いている契約書では、来年の三月までしか貸しませんと、それ以上いると使用料の二倍の損料を請求しますという具合になっているんですね。
 ところが、財務省の理財局が福島県知事に出している許可書には、使用期間の延長をする場合には福島県が申し出るようにと、それは使用期限の二か月前にやりなさいというふうになっています。それから、福島県の生活拠点課の出しておりますセーフティーネット使用貸付契約書の要綱というものの中には、やはりその使用期間の延長を認めるときには二か月前までに避難者は様式四号という様式でもって知事に申請しなさいということになっているんですね。
 そういった許可書も、それからそういった要綱もなっているにもかかわらず、避難者の手元にある契約書には来年の三月末までになっているという、非常に私どもが納得できない状況があるんです。だから、それを、私どもは国家公務員宿舎の人たち、今入っている人たちがずっとそこにいさせてくれというわけではなくて、都営住宅に本当に入りたいんだと、入りたいんだけれども、そういった世帯要件でもって応募すらできない状況があるから、だから、来年の三月末で出ていけと言われるのはとっても困ると。だから、せめてその条件が緩和されて、きちんとみんなが生活ができるような、そういったような施策がきちんとできるまでは入れてくださいということを申し上げています。
#88
○藤末健三君 熊本参考人、どうもありがとうございました。
 我々熊本の復興も、東日本大震災のいろんな御経験の知恵をいただいて相当加工しているんですよ。変えているんですよ。それでもやっぱり足りないところはいっぱいありますので、やっぱり柔軟性というのが一つ大事だということを教えていただいたと思います。
 そして、同時に何があるかと申しますと、東日本大震災で被災された方々、そして熊本の震災で被災された方々、まだ家に帰れない方はいっぱいいるんですね。それが忘れられているのが、すごく私自身が、何というんですかね、我々国会議員も頑張らなきゃいけないと思うんですけど、実際に苦労されている方々に対してもっと寄り添う心がなければいけないなということを根本的に思っておりますので、またいろいろと教えていただきたいと思います。
 次に、私、佐藤先生に御質問させていただきたいと思います。
 佐藤先生がこの歴史資料のレスキューということで活動されていただいていまして、実は佐藤先生の活動をいろいろホームページなんかも調べさせていただいたんですよ。その中に、先生が二〇一六年の熊本震災のその後に行っていただきまして、国文学研究資料館の西村先生とか、あと福島大学の阿部先生とともに、連携しながら熊本のこの歴史資料をこれ保全するという活動をしていただいたわけでございますが、その点について、どういう工夫をなされたとかそういうことを、内容をちょっとお聞かせいただければと思います。お願いいたします。
#89
○参考人(佐藤大介君) 熊本の地震の際には、やはり東日本大震災やあるいは宮城での経験を生かして何ができるだろうと考えたときに、情報提供ということを考えました。
 これは、実は熊本県は一九九八年に、いわゆる全県の古文書が、どなたがお持ちか、どのような内容のものをお持ちかという調査の報告書がまとめられておりまして、これが刊行物とともに熊本の県の図書館にデータがあって、その刊行物を、先ほど名前の挙がった西村さんの職場にその本がありましたので、それを、そのデータを整理して、それを提供するという形で対応させていただきました。これは要するに、どこにレスキューに行くかというのが事前に熊本の場合は把握されていたんです。それは、宮城のときにはそれが把握されていないので、何がどこにあるか分からなくなって結局処分されてしまったという、そういう経験がありました。
 やはりそのことから教訓として思うのは、そういう調査を熊本はしっかりされていたんですが、それもやっぱり全国都道府県で十分に行われていないんです。しかも、それが被災地に、その地域にあることはもちろん、遠くにやっぱりあるということが大事でして、そうした全国の連携体制をどのようにつくるかということについて、神戸大学や私どもや、あと人間研究機構ですね、そういう機構とともに今共同で取り組み始めたところでして、西日本でもああいう災害がありましたけれども、本当にそういうかけがえのない宝がなくならないような対応、そういうものに、そういう仕組みづくりについても国がバックアップを是非お願いしたいというふうに思っております。
#90
○藤末健三君 佐藤先生がおっしゃったように、法的な体制は必要だということをおっしゃっていただいたんですけど、私もそう思っていまして、実際に、熊本ですと熊本城が被災してやはり様々な史料が壊れたということと、あとは神社なんかにもやっぱり残された、阿蘇神社なんかももう本当に壊れましたので史料がなくなっているという状況でございまして、是非、法的な枠組みでこの史料を全国的に管理するような体制をつくるということを是非勉強させていただきたいと思います。
 ちょっと時間が制限ございますので最後でございますけれど、大西隆先生に御質問させていただきたいと思います。
 私自身、先生がちょうど今から一年ちょっと前に、熊本震災の一周年の祈念の式典で先生が講演いただいたのを覚えていまして、実は。そのときに先生が、科学的、技術的なものを集積させて、集めて、いろんな地震の原因であり、災害の原因を分析するとともに、新しい復興のシステムをつくりたいということをおっしゃっていただいたんですが、その点について、先生、ちょっと教えていただければと思います、この場で。お願いいたします。
#91
○参考人(大西隆君) ありがとうございます。
 学術会議にまだ私が会長をしていた時期でございますけれども、ちょうど私は二〇一一年の十月から学術会議の会長になりました。その前の三月に東日本大震災があったので、私の六年間で最も重視したことの一つが防災ということでありました。
 大きく二つを考えました。
 一つは、国際的に日本の様々な経験をきちんと伝えるような仕組みをつくるべきだということであります。国際的なイベントとしては、二〇一五年に仙台で国連の防災の会議がありました。その中でも、私も参加したり学術会議の他のメンバーも参加して、日本の経験を様々に伝えることになりました。これは今でも継続されていて、防災ということであればやはり日本の学者に聞く必要があるということで、それなりの役割を果たしてきているんではないかというふうに思います。
 もう一つは、国内の諸学会の連携ということであります。地震、それから津波、いろいろな災害が日本にありますけれども、これはそれぞれ専門分野の研究者がいます。それで、それらを統合する仕組みをつくろうということで、実際に学会が連合する仕組みを学術会議がちょうど取りまとめ役になってつくったわけでございます。つくってみたところ、例えば地震については、地殻のかなり底のことについて研究している人と、地表付近のことを研究している人と、さらに、その上に乗っかる建物を研究している人、それぞれがやはり分かれてやっていたので、お互い意思の疎通が余りなかったと。一つの場で、熊本のときもそうでしたけど、研究発表することで、お互いの用語の違いとか、あるいは重要だと思っている点の違いとか、新しいそれ自体で発見があったということでありました。
 それで、専門家はそれぞれの専門領域で深く研究するわけですが、総合的に災害を防ぐということではそれらを統合するということも必要だということを認識して、今でもそうした学会連合というのは学術会議の一つの活動の領域として続けております。そういう活動についても、国会議員の皆さんも時々ウオッチしていただいて、日本の学者もそれなりに頑張っているということを御認識いただければというふうに思います。
 以上でございます。
#92
○藤末健三君 どうも本当に、参考人の皆様、貴重な御意見、アドバイス、ありがとうございました。
 これで終わらせていただきます。
#93
○委員長(徳永エリ君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆様に一言御礼を申し上げます。
 本日は、長時間にわたり御出席いただき、貴重な御意見を賜ることができました。委員会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げたいと思います。誠にありがとうございました。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後四時二十一分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト