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2013/06/05 第183回国会 参議院 参議院会議録情報 第183回国会 憲法審査会 第5号
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2013/06/05 第183回国会 参議院

参議院会議録情報 第183回国会 憲法審査会 第5号

#1
第183回国会 憲法審査会 第5号
平成二十五年六月五日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 五月二十九日
    辞任         補欠選任
     石川 博崇君     白浜 一良君
 五月三十日
    辞任         補欠選任
     江田 五月君     大島九州男君
     小川 敏夫君     前川 清成君
 六月四日
    辞任         補欠選任
     大島九州男君     蓮   舫君
     榛葉賀津也君     江崎  孝君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         小坂 憲次君
    幹 事
                小西 洋之君
                藤本 祐司君
                松井 孝治君
                中川 雅治君
                西田 昌司君
                野上浩太郎君
                藤川 政人君
                西田 実仁君
                江口 克彦君
    委 員
                足立 信也君
                江崎  孝君
                北澤 俊美君
                櫻井  充君
                鈴木  寛君
                谷  博之君
                玉置 一弥君
                樽井 良和君
                福山 哲郎君
                前川 清成君
                増子 輝彦君
                水岡 俊一君
                蓮   舫君
                磯崎 仁彦君
                宇都 隆史君
                片山さつき君
                熊谷  大君
                中原 八一君
                古川 俊治君
                山谷えり子君
                魚住裕一郎君
                白浜 一良君
                谷合 正明君
                松田 公太君
                佐藤 公治君
                井上 哲士君
                亀井亜紀子君
                福島みずほ君
                水戸 将史君
                舛添 要一君
   事務局側
       憲法審査会事務
       局長       情野 秀樹君
   参考人
       慶應義塾大学法
       学部教授
       弁護士      小林  節君
       慶應義塾大学法
       学部教授     小山  剛君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○幹事の辞任及び補欠選任の件
○日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基
 本法制に関する調査
 (「新しい人権」のうち、環境権、プライバシ
 ー権などについて)
    ─────────────
#2
○会長(小坂憲次君) ただいまから憲法審査会を開会いたします。
 まず、幹事の辞任についてお諮りいたします。
 樽井良和君から、文書をもって、都合により幹事を辞任したい旨の申出がございました。これを許可することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#3
○会長(小坂憲次君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
 この際、幹事の補欠選任を行いたいと存じます。
 幹事の選任につきましては、会長の指名に御一任願いたいと存じますが、御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(小坂憲次君) 御異議ないと認めます。
 それでは、幹事に藤本祐司君を指名いたします。
    ─────────────
#5
○会長(小坂憲次君) 日本国憲法及び日本国憲法に密接に関連する基本法制に関する調査を議題とし、「新しい人権」のうち、環境権、プライバシー権などについて参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 本日は、慶應義塾大学法学部教授・弁護士小林節君及び慶應義塾大学法学部教授小山剛君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言御挨拶申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本審査会に御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。審査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
 これまでの経験を踏まえた忌憚のない御意見を賜り、今後の調査に生かしてまいりたいと存じますので、どうぞよろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、小林参考人、小山参考人の順にお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただいた後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず小林参考人にお願いいたします。小林参考人。
#6
○参考人(小林節君) 小林節でございます。レジュメの流れに従ってお話し申し上げます。
 新しい人権、一応ターゲットをはっきりさせるための定義でございますが、憲法典の中に直接根拠はないが基本的人権と観念し得る利益、つまり、我が国は判例法国ではありませんので、成文憲法に全く引っかかりがないものはそもそも議論になりませんので、その冒頭部分がございます。
 基本的人権と観念し得る利益というのは、要するに私たち人間の人格的生存に不可欠な法益ということであります。実例として、御存じのとおり、今日は環境権とプライバシーと行政情報に対する知る権利を取り上げさせていただきます。
 環境権につきましては、誰でもどこかに住んでいるわけですけれども、住民として良好なる環境を享受する権利と一応言われておりますが、日本国憲法ができた当時、その直後に私は生まれたわけですけれども、日本に限らず工業力がここまで発展するという現実味がなかったものですから、日本というのは全て水に流すと自然が消化してくれる程度の廃棄物しかない国でありましたので、その後、大変な高度経済成長の後で水だとか土だとか空気だとか環境が汚染されて様々な病気に気付いて、環境が汚染されると環境の一部である人類もひどい目に遭うということで認識されてきて、各国、タイミングの違いはあるけれども、それが憲法典に入ったり判例で認められたりしてきたわけですが。
 ただ、この権利の難点は、権利である以上、最後は裁判ざたで闘うわけですけれども、主張する側が何を主張しているかきっちり示せないんですね。例えば空気を汚したといっても空気は動いていますし、その空気の中に言わば敵も味方も住んでいますし、水は流れておりますしというようなわけで、権利、義務で切り結ぶには本質的に難しい点がある。だからこそ議論も途中で行き詰まっている状態。ですから、自民党の案であったか、国としての環境を維持する責務というような書き方、これがやはり権利論でいくよりはなじみやすいのかなというのが現時点での印象であります。
 それから、プライバシーの権利も、人権先進国のアメリカでも一九三〇年ごろに議論が始まったと記憶していますけれども、割と新しい。つまり、一つは個人主義という意識の感覚の成長もある。それからもう一つは、やはり最近のフォーカス、フライデー現象みたいに、科学技術、テクノロジーの進歩で、人の、私に関する情報で、私であったら他者に知られたくない情報を秘匿しておくという利益が害されることが多くなった。
 つまり、テクノロジーを使って人のプライバシーを盗み、それをテクノロジーを使って大量に拡散することによって、また大衆が面白い、もっと見たいという形でどんどんどんどんプライバシー侵害が起きてくる。だけれども、確かに、私であれば人に知られたくないと思っている、それぞれ誰にだってあるはずですけれども、そういうものが公にされた場合、その人の人格的生存が害されるわけですから、それも保護されなきゃならないという意識が固まってきて、これはもう権利として認識されつつある。となると、条文的にはもう何もないときは十三条の幸福追求の権利という、ドラえもんの四次元ポケットみたいな使い方で、そこから引っ張ってくる。
 それから、知る権利でありますが、これは広い意味で要するに表現の自由の一環として言うこともあるんですけれども、この場合は行政情報に対する知る権利でありまして、すなわち、憲法上、この国会もそうですし、裁判所も、権力機関は公開されているわけでありますが、行政府だけは公開されていない。であるけれども、逆に、福祉国家という名の行政国家状態の中で、国会が立法と予算で行政府にたくさんのお仕事を与える、行政権はそれをもって、裁量権がありますから、気を付けないと必ずしも公平でないことが起きる。
 そういう意味で、主権者としては常に国会や司法権力も監視できるように行政権力も監視したい、これは自然な話でありまして、そこで情報公開、フリーダム・オブ・インフォメーションという、これ世界的なトレンドですけれども、一つはニクソン大統領のホワイトハウスにおける犯罪から急にその需要が高まってしまったんですけれども、そういう意味で情報公開請求権。先年、情報公開法ができましたけれども、これも憲法上の権利としての情報公開請求権がないものですから、国が都合のいい範囲で情報を公開してあげるという構造になってしまっていると思うんですね。
 そういう意味で、やはり憲法上に、環境権はさっき申し上げたようにちょっと不安があるんですけど、プライバシー権は十三条ですかね。知る権利は、十三条の前に国民主権に関係のある条文を見れば、国民主権国家においては国民が国のオーナーですから、国の持っている情報はつまるところ国民のものであるという、その筋道の方が使いやすいかなという感じで主張ができると思うんです。
 ただ、これもう先生方御存じと思うけど、しゃべっていて、要するに言葉の遊びをしているようでちょっと恥ずかしくなったんですけれども、私は今六十四歳ですが、三十五歳ぐらいから、主に自由民主党でありますが、改憲論議にずっとお付き合いしてまいりまして、改憲の主たる論点はこれではないわけですが、主たる論点について、三十年前ですから大変不人気で、そもそも変なマニアが毎月二十人ほど集まって勉強しているという扱いを受けておりましたので、改憲論をもう少しファッショナブルにさせるために、新しい人権などという点であればどなたも異論がないであろうと何度か御助言申し上げた記憶がございます。三十年前の話です。
 だから、そういう意味では、改憲論議の突破口としての新しい人権ということを、どうせ御指摘いただくと思いますから考えておりました。だけど、今はそういうつもりは毛頭ございません。いろんな人に、これで突破した後、九条に行くんでしょうって言われて、一度もはい、そのとおりですと答えなかったこともありません。ただ、改憲論議のソフト化のために使っていたような点がありまして、そんな気を遣うことはないではないかという思いになると、この新しい人権って必ずしも改憲によらなくても済む。
 どなたでも御存じなことですが、プライバシーというのは、要するに人格にかかわるわけですから、大分類でいくと人格権の一つですよね。だからこそ十三条で根拠付けて問題ないんですけれども、プライバシーと似て非なるもの、つまりフォーカス、フライデー現象でやられてしまった被害者が傷つくもの、名誉、社会的な信用の問題ですね。名誉というのも、思えば、憲法の人権リストに並んでいませんけれども、これは名誉が突破されたら、害されたら我々は人格的生存がままならないはずなんですね。ですから、名誉権も分類上は新しい人権であると思います。
 となれば、名誉はもう御存じのとおりすごい伝統がありまして、民法と刑法でがっちり名誉を保護する法制度ができ上がっていて、それについてもう膨大なる判例の蓄積があって、別に憲法なんかなくたって名誉権はしっかり守られている。だから、そういう意味で、法律をきちんと整備することによって、みんなできちんと誠実に裁判闘争を重ねることによって新しい人権というのはおよそカバーできちゃうのかなという気もいたします、別に改憲しなくても。
 ただ、改憲なさるときは是非是非アメリカの憲法を参考にしてほしい点が一点だけありまして、アメリカ合衆国憲法の修正九条、これ人権規定の一つですけど、には、人権とは今ここに挙げられている、このリストに挙がっているものに限らないんだよ、つまり人権のリストはいつもその末尾がオープンになっていて、新しいものが新しい時代に加わっていくものだという原則が憲法にうたわれていれば、それぞれ、例えば宗教弾圧から信教の自由が生まれたし、少数派弾圧から表現の自由とか結社の自由が生まれたとするならば、また新しい時代環境の中で新しい弾圧に直面して、ここに新しい人権の名前を書かなきゃまずいということが共通認識としてなったら、それは人権リストに加えればいいんで、加え方が、憲法典の中に無名の人権もあり得ると書いておいてくだされば、成文法国としてはそれを根拠に、判例による人権の創造は判例法国じゃなきゃできないです、判例法国アメリカでは判例による人権の創造できますが、日本はそうではないですから、判例による人権の確認ができると思うんですね。
 ですから、将来憲法改正が行われるとして、そのときに新しい人権に関する条文を整備なさるとしたら、そこには、人権とは、今、この現人権リスト、憲法典の中の人権リストに載っているものに限られないという一文をどういう表現であれ入れていただければ、この議論はなくなると思います。
 そろそろ終わりにしたいと思っておりますが、こういう機会、毎回、何度でも言うんですけれども、そもそも人間が不完全であるからこそ、借りた金を返さない人がいるから民法が古来あるわけでありまして、腹が立ったからといって人を殺してはいけないと分かっていてもする人がいるから古来刑法があるわけでありますから。そして、王制度が去った後、我々と同じく普通の人間の中から選挙で選ばれた人が政治権力者に任期付きでなって、その下でまた我々と同じ生身の人間の中から資格と訓練で常勤の公務員が選ばれてなって。つまり、全ての人間が、期待できるけど疑わしい側面を持っているからこそ法というのがあるわけで。権力者に向けられた規範が憲法で、それも、特定の時代状況の中で、不完全な人間が見たことのない将来を予測してつくるものですから、この今新しい人権問題が出てきているように、憲法典は完全でなんかあり得ない。あり得ない以上、九十六条が現にあるように、不断に書き直しの努力はしなければならないと思います。
 改めて最後の言葉ですけれども、私たち国民大衆がそれぞれ幸せに暮らすことがこの国の存在理由でありまして、幸せの条件は自由と豊かさと平和であると思いますが、そのためにサービス機関としての国家が正しく組織されて機能していく、そのための指図書、言わばマニュアルが憲法であると私は認識しておりますので、国権の最高機関として発議権を与えられた機関として不断の検討をお続けいただきたいと思います。
 以上でございます。
#7
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 次に、小山参考人にお願いをいたしたいと存じます。小山参考人。
#8
○参考人(小山剛君) 小山剛と申します。どうぞよろしくお願いいたします。
 レジュメに従ってお話をさせていただきます。
 まず、新しい人権と一言で言いましても、多分大きく分けて二つの類型があるんではないか。その一つは、プライバシーあるいは情報自己決定権、あるいは環境権もそうだと思いますけれども、これまで憲法に書かれていなかった新しい事柄、新しい事項についての人権というものでございます。それからもう一つは特定の主体についての規定。例えば子供の権利ですとか高齢者、障害者といった特定の主体についての人権。これも恐らく新しい人権と呼べるのではないかと思います。今回の報告では前者の方、プライバシーそれから環境を中心に、新しい事項についての人権について少しお話をさせていただきます。
 まず、今日の報告の結論なんですが、新しい人権が重要であると。したがって、憲法を改正するのであれば、新しい人権は当然にその有力候補になってまいります。しかし、新しい人権のためだけに憲法を改正する必要はないというのが一つ目の結論。二つ目の結論は、新しい人権の明文化を検討するに際しては、まずどのようなタイプの憲法を望むのか、それから第二に、基本的人権という形式で記述するのか、それとも、例えば国家目標規定といった別の形式で記述するのか、それを考える必要があるということでございます。
 二のプライバシー権、広い意味のプライバシー権に進むことにいたします。
 プライバシーといった場合に、いわゆる古典的なプライバシーあるいは狭い意味のプライバシーというものと、それから情報技術の発展に伴って登場した新しいプライバシーという二つのものを区別することができると思います。
 まず、前者の古典的プライバシーは、私生活をみだりに公開されない保障あるいは権利という定義になると思いますけれども、これについてはもう判例上、最高裁も含めまして承認されているわけです。したがって、このような古典的なプライバシー権を今更憲法に明記しても、例えば表現の自由との調整の仕方ですとか、あるいは救済手段に直接の影響を与えるものではない。プライバシー権の明記によって変わるものがあるとしますと、その引用条文とか参照条文が変わるだけだということになろうかと思います。
 したがって、この古典的プライバシー権自体には明文化の意義というのはなくて、他とのバランス、例えば環境権書くのだったらやっぱりこのプライバシー権も書かなきゃおかしいだろうといった、他とのバランスから考えればよいということになります。
 一方、情報技術の発展に伴って登場した情報自己決定権あるいは自己情報コントロール権と言われるものですけれども、これは、先ほど申し上げた古典的プライバシーとは全く別の権利だとして考えた方がいいかと思います。
 一九九九年のあのスイスの憲法の十三条ですけれども、これは第一項では私的生活、そして第二項では個人的データの濫用からの保護ということで、項の単位ですけど別の条文にしています。それから、ヨーロッパ基本権憲章になりますと、第七条それから第八条というふうに条の段階で、古典的なプライバシー、私生活の保護と個人情報の保護は区別されて規定されております。
 そして、こちらの情報自己決定権型の新しいプライバシーにつきましては、これは憲法で制定することに意義がないわけではないというふうに感じております。その理由ですけれども、個人情報保護法の立法段階で自己情報コントロール権を明記することが議論されましたけれども、結局、権利としての成熟性に欠けるとして見送りになったという経緯がございます。そこからいたしますと、憲法で明文化した上で、さらに法律の方でそれを受けて具体化していくということに権利の保障にとって一定の意義があるのではないかと思います。
 ただし、憲法に自己情報コントロール権のようなものを書きさえすれば具体的な権利が発生するわけではないということ。また、裁判所がその気になれば、自己情報コントロール権として言われていることも実は相当範囲で保護が可能だということ。そして、もしも本当に実践的な意義を憲法改正に求めるのであれば、結局は、どういうやり方で個人情報を保護しろというかなり具体的な規定を憲法レベルで書いたような、そういった場合になってくるのではないか。
 その例としては、先ほど申し上げました欧州基本権憲章の八条三項に、独立の機関を設置して個人情報の保護の条件が遵守されているかを監督しろというような例がございます。ただ、このような細かい規定というのは、立法府、国会との関係で、憲法がそこまで細かいことを国会に対して指示しなきゃいけないのかという、そういった疑問も生じてくるところです。
 次に、環境権のところに進ませていただきます。
 環境権というのはいろいろ定義はございますけれども、少なくとも人の生命や健康にかかわる場合には人格権又は人格的利益ということで判例上も救済されているわけでありますから、環境権というものを唱える以上は、それをはるかに超えた部分、要するに、より良好な自然環境それ自体の保護というのが保護法益になってくると思います。
 環境保護の重要性については、これは今日では全く異論のないところです。ただし、環境権というのが憲法学説でも有力に主張されているんですけれども、結局は保護されるべき環境の範囲とは何なのかがよく分からない、あるいは環境権の権利主体が誰なのかよく分からない、あるいはそもそも環境というのは公共財ではないかといった問題がございまして、結局、環境権というのは抽象的権利ですらない理念的な権利という性格にとどまるのではないかと、そのように私も考えております。
 そのことは、権利として環境を保護することの限界、言葉を換えて言いますと、環境保護というものが重要なんだということを宣言するのであれば、憲法において別の形式を取ることを考えた方がよいのではないかということにつながってまいります。
 その別の形式というのが国家目標規定という形式でございます。この国家目標規定の定義はちょっとややこしいんですけれども、市民に権利を与えるタイプの規定ではないと、そして国家権力をある一定の目標の実現に向けて法的拘束力をもって義務付ける、そのような規定でして、最もよく知られているのがドイツの環境国家条項というものでございます。この条文は、国は、次の世代に対する責任を果たすためにも、憲法的秩序の枠内において立法を通じて、また、法律及び法の基準に従って執行、裁判を通じて自然的な生命基盤を保護するという、権利主体としての国民は出てきませんで、国の責務という形式でうたっております。
 ほかにもこの環境保護、比較憲法的には様々な形で書き込まれておりまして、例えば環境保護にとって一番、何ですかね、衝突する、あるいは壁になるような人権は何かというと、経済活動の自由なわけですから、幾つかの国の憲法では経済活動の自由の限界として環境保護というのをうたうと、そういった例もございます。
 レジュメにお書きしましたルーマニアの憲法、これは財産権についての条項の中で環境保護をうたっている。あるいは、別の国の憲法では、市場経済の諸原理という形で環境をうたっていると。それから、国によっては環境権型なんですけど、ブルガリア憲法では、市民は自然環境を享受する権利を有すると書くとともに、環境の保護を義務付けられるという義務も併せて書くと、そういった形式の憲法もございまして、これを見ても分かりますように、どこの国でも環境というものの、大事だというのは共通の認識であるとしても、どうやってそれを表現すればよいのかについてはいろいろと悩んでいるところではないかと思います。
 三ページ目に進ませていただきます。
 冒頭申しましたように、新しい人権を憲法に追加するかどうか、それは一つは、どのような憲法を望むのか、憲法に何を求めるのかという問題にかかわってくることであろうと思います。
 まず一点目は、人権と統治というのは基本的に筋の違う話でして、例えば国会について、二院制を取るのか一院制を取るのか、あるいは審議・議決の要件、三分の一なのか二分の一なのかといった、そのようなことは憲法でルールとして明確に定めておかないと、これは全くどうしようもないことなんですね。あるいは、この二分の一、三分の一を変えたいのであれば、それはもう条文を変えるしかないということになってきます。一方、人権については、原理あるいは普遍的な理念という性格がございますので、憲法にどれくらい書いてあろうが、憲法解釈上は主要国の人権の保障のレベルというのは大体似てくるようなものだというふうに思っております。
 憲法改正といいますと、新しい人権をどこまで増やすかというところに目が向きがちですけれども、逆に憲法改正によって今ある人権規定をどこまでばっさり切れるかと考えてみた場合には、例えば十三条の個人の尊重ですとか、あるいは十四条の平等ですとか、あるいは新たに一般的な手続的な保障のようなものがあれば、この憲法第三章で保障する、例えば表現の自由とか思想、良心の自由みたいな個別規定を仮に削ったとしても、今言ったような包括的規定から演繹可能なんですね。人権というのは、およそそういったものだというふうに私は思っております。
 憲法改正ということになりますと、やはりあれも欲しい、これも欲しいで、どんどんどんどんいろんな案が出てくると思うんですけれども、特にそういうような場合には、どこまで逆に簡素化できるのかという逆の方向から考えてみることも有益なんではないかというふうに思います。
 それからもう一点、個別の人権として保障されているかどうかにかかわらず、国民の一般的な自由を制限する限り、国家の行為には目的の正当性あるいは手段の合理性というのはどのみち要求されるわけですから、新しい利益、新しい重要なこと、それを逐一憲法に書き込む必要もないんではないかというふうに思います。
 最後に、いかなる憲法を構想するかということなんですが、大きく分けまして、ここでは二つの憲法の構想があるということをお話ししたいと思います。
 一つは、憲法のシンボリックな意味、あるいは国民を含む政治過程に対する意義というものを重視して、そしてその国家や国民が実現すべき価値や理念、それを明確に宣言するという、そういったタイプの憲法。もう一つは、憲法裁判を前提に、法として裁判所によって貫徹できる範囲、要するにそれ以上の余計なことは書かない方がいいという、そういった憲法構想がございます。
 前者の例がワイマール憲法、後者の例がドイツの基本法、現行憲法だということになると思います。このドイツの現行憲法では、ワイマール憲法とは異なりまして、古い古典的な基本権、あるいは前国家的な権利のカタログに人権規定を限定した。御存じのように、ワイマールの場合ですと、社会権その他、様々な条項が含まれていたわけです。
 このどっちの憲法を選択するかによって、特に環境保護ですとか、あるいは子供や障害者や犯罪被害者の人権といった、そういったものを書いた方がいいのか、書かない方がいいのかに対する回答は違ってくると思います。ただ、その二つの憲法構想のうち、どちらが正解というものではございませんで、正解というのは存在しないと、どちらかを自覚的に議論した上で選択していくものだということになってまいります。そして、どちらの憲法観に立つのかを決めた上で、その上でどの条項を導入するのか、それらを決めていくことになってくると思います。
 本当の最後になりましたけれども、特に新しい人権というのは、立法による具体化に依存するものというのが非常に多いと言うことができます。ただ、新しい人権として書いた場合はもちろんですけれども、書かなかった場合も、この立法というのは、よく立法裁量と言われますけれども、その立法裁量というのは行政裁量とは全く違った性質のものだというふうに思います。
 要するに、行政というのは法律を執行する機関ですけれども、立法府というのは憲法の執行機関ではないんですね。自ら価値を設定して、自らその手段を探求して、そして制度を構築していく、そのような立法の責務というのを十分果たせば、逆説的に新しい人権の条項は要らないのかもしれませんし、あるいはそれをより力付けるために新しい人権の条項が要るのかもしれませんし、その辺私はよく分かりませんけれども、ちょうど時間が参りましたので、これで私の報告とさせていただきます。
#9
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 以上で参考人の方々からの意見聴取は終了いたしました。
 これより質疑に入ります。
 お手元に配付をいたしております参考人質疑の方式に関する留意事項のとおり、本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。質疑を希望される委員は、お手元にある氏名標を立ててお知らせください。そして、会長の指名を受けた後に発言をお願いいたします。
 質疑の時間が限られておりますので、一回の質疑時間は答弁及び追加質問を含め八分以内でお願いいたします。すなわち、参考人の方々の答弁時間を十分に考慮いただき、質疑の時間の配分に御留意ください。発言が終わりましたら、氏名標を横にお戻しください。
 参考人の方々におかれましても、答弁はできる限り簡潔にお願いをいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、質疑を希望される方々は氏名標をお立てください。
 福島みずほ君。
#10
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 今日は、御両人の、お二人の参考人、本当にどうもありがとうございます。
 まず、小山参考人にお聞きをいたします。
 社民党自身は、新しい人権を憲法に書かなくても日本国憲法は新しい人権を念頭に置いていると、とりわけ憲法十三条と二十五条の中にかなり包含できるというふうに考えております。また、おっしゃいましたとおり、立法裁量、例えば情報公開法や様々な環境についての基本法などに、実際は新しい人権をしっかり生かしていくこと、必要なものを、プライバシー権や環境権や知る権利などはしっかりそこで保障していくべきだと、その役割が大きいというふうに思っております。
 憲法十三条、二十五条が新しい人権を包含していると考えるべきなんでしょうか。そこについて教えてください。
#11
○参考人(小山剛君) 十三条、それから二十五条とも、非常に包括的な規定だと思います。ただ、二十五条の場合には、やはり生存権あるいは社会国家に結び付いている。環境というのはそれとはちょっと性質が違うというふうに思っています。それから、十三条と環境の関係でいいますと、やはりあれは個人の権利と言うには難しいものがございまして、やはり環境というのは公共財だというところがありますので、ですから、十三条からしてもこの環境というのは据わりが悪いのかなと。だから、十三プラス二十五で理由付けをやっているんじゃないかと思います。
 そういった理由付けの難しさ、据わりの悪さを別にすれば、十三、二十五があれば大体欲しいものは引っ張り出していくことができると、そういうふうに私は考えております。
#12
○福島みずほ君 小林参考人にお願いをいたします。
 講演を聞いたりいろんなところで御本を拝読したりしておりますが、立憲主義やあるいは憲法九十六条についての御発言などもいろいろお聞きをしております。立憲主義ということと、それから九十六条改正先行論に関しての御意見をお聞かせください。
#13
○参考人(小林節君) 新しい人権の話ではないんですけれども、先ほども私の陳述の中で申し上げましたけれども、憲法って何のためにあるのかというところにいつもこだわっているんですけれども、人間は皆不完全である、だからこそ、もちろん人間というのは不完全であるけれども、話せば分かる面もあるんですね。だからこそ、多くの人は単なる紙に書いた文字でいい人になってくれるわけですけれども、ただ、王制が去った後、王様の位置はやはり必要なわけですよね、組織としての管理、運営をする人が。それが政治家の位置なんですけれども、我々と同じ不完全な人間の中から、自らの意思で手を挙げて、選挙で選ばれて、その地位に就いた人々も我々と同じ人間だから間違いを犯し得る。だから憲法で規律する。
 つまり、六法の中で憲法という分野には権力者統制という目的性があるわけでありまして、ただ、権力者というのは実に権力者でありますから、憲法というのは最高法と形式上、上に立てられてはいますけれども、逆に何の後ろ盾もないんですね。だからこそ、権力者に開き直られたら憲法というのはもろいものである。だからこそ、簡単にその拘束を解かせないために硬性憲法になっているわけで。ですから、それを権力者の側が最初に国民大衆に提案する。権力者の側は情報も持っている、だから国民はだまされやすい、だからこそ、硬性憲法の改正を国民に提案するには慎重でなければいけないと思っているんです。
 ただ、はっきり申し上げますが、白紙の上に憲法を新しく書くんだったら、私は、日本人の歴史的体験、つまり、神様が下さった憲法の後にマッカーサー元帥様が下さった憲法の下で暮らしておりますから、改憲体験すなわち主権者体験が乏しい我々にとっては今の憲法の制約はきつ過ぎる。だから、白紙に憲法改正条項を作るのであれば、私は多分五分の三とか考えるんですけれども。ただ、今回の流れは、全ての議論の入口でまずはハードルを低くして、その先は意見合わなくても二分の一でいけちゃうからという、そういう文脈で九十六条先行改正が出てきたことには私は絶対に納得できないということであります。
#14
○福島みずほ君 小山参考人にお聞きをいたします。
 新しい人権のためだけに憲法を改正する必要はないとレジュメにありまして、私、社民党も新しい人権は包含されているというふうに先ほども申し上げましたように考えております。
 基本的人権の考え方と新しい人権の関係についてちょっとお聞きをしたいんですが、天賦人権論について否定を、済みません、自民党新憲法案のQアンドAの中には、日本国憲法は天賦人権説によって立つところが散見されているので、それを改める必要があるという記述がありまして、私は天賦人権論を否定するのはおかしいと思っておりますが、基本的人権のそもそもの考え方について御教示をください。
#15
○参考人(小山剛君) 天賦人権について自民党さんはどういうお考えかちょっと分からないんですが、もしもそれがいわゆる人権とそれから憲法上の権利を区別しようと、そういった意味だったら理解できるところです。といいますのは、やはり人権というのは一つの理念なわけですね。それを憲法の中で具体的に書き下ろした、それは憲法上の権利というものがちょっと質的には変わってくると。そういった議論は、ごく普通の議論だと思いますので理解できます。ただ、憲法上の権利は逆に人権とは全く無関係だという趣旨であれば、それはちょっと理解できないことになってきます。
#16
○福島みずほ君 時間ですので、終わります。ありがとうございました。
#17
○会長(小坂憲次君) ありがとうございます。
 それでは、片山さつき君。
#18
○片山さつき君 ありがとうございます。
 まず、小林参考人にお伺いします。
 まさに先ほどおっしゃっていた三十年ぐらい前から先生の御高説を時々賜るチャンスがございまして、先ほどおっしゃっておられましたように、憲法を改正するいろいろな切り口の中で新しい権利というのが一つあるというお話が、私たちの多分先輩議員に対してあったのかなというふうにお伺いしていましたが、今回の自民党の昨年の憲法改正案でも、新しい人権については権利という形ではなく義務付けのような形で、まず個人情報は不当取得をしてはいけないと、先ほど似たような用例がありました。これは、裏を返せばプライバシー権の保障のためなんですが。それと、国政上の行為を国がきちっと国民に説明しろという、これは知る権利の裏なんですが、あとは環境保全の責務、これは国が国民と協力してという、先ほどの東欧の国に一つそういうのがありましたけれども、あとは犯罪被害者等への配慮ということで、国を主語にして義務で裏から書くという形を取っております。
 これは、やはり先生のお話にもありましたように、個人の法律上の権利として主張するまでには熟していないのかなという考えでこのようにしておりますのですが、まず、このような書き方についてどうお考えになるかというお話と、先ほど先生が、もしもこういう条文が付け加えられるならというところで、基本的人権はリストに載っているものには限らないというようなことを一文付けて、ある意味バスケットクローズ的なものなのかなと。
 それを、ですから、今でも包括規定と言われる十三条に付けるのかは、まあちょっと今見たところ合わないかなと思ったのですが、十三条に付ける形でこういうものを置きますと、逆に不明確性というか曖昧性が広がることになって、列挙する場合に比べてその方がいいという事例がどういうことで出てくるのかというのは私たち少し分からなかったので、その辺の部分を教えていただきたいと思います。お願いします。
#19
○参考人(小林節君) 環境については、先ほど小山君も言ったみたいにまだ対象そのものがはっきりしていませんから、国に良くしていく責務という表現はいいと思うんですね。だけれども、個人情報なんかについては、不当に取得するなと国に義務付けるよりも、やはりこれはそれぞれの個人が、私に関する情報で私だったらここはされたくないと主体的に範囲を決め得るものですから、これはむしろ権利と書いた方がいいと思うんですね。
 それから、例の情報公開で、国のその説明責任というのが現行の情報公開法と同じで、何というかな、説明してやる、ただしこれは公益上説明できないという、要するに塀のどっちに転ぶかの話なんですけれども、ただ情報公開法制をきちんと調べてみると、さすがに何でもかんでも公開すればいいものではないとよく分かるんですよね。何というか、国が破壊されてしまいかねないと。破壊活動の手段としての情報公開法も困るので。ここのところは悩んでいるということだけ申し上げておきたい。つまり、こういう書き方はどうでしょうかと言われても、ケース・バイ・ケースにお答えするしかないと思います。
 それから、先ほど、人権のリストはイズ・スティル・オープンですよね。だから新しく加えていっていいんですよという一文を入れると、確かに我々の、運用する我々国民全体の賢さと愚かしさによっては人権のインフレみたいになったり人権主張のインフレになったりして、何か国有地占拠しちゃった人みたいなああいう話になって、私としてはそういう心配はあります。つまり、運用の賢さ次第。だけれども、その一文があったら今の新しい人権論何も起きていないんですよね。ということです。
 以上です。
#20
○片山さつき君 ありがとうございました。
 あと、済みません、先ほどちょっと言及があったんですが、私どもの憲法改正論のその基本的な条項のところのQアンドAの部分に、西欧型の天賦人権説的なものは云々という話がございまして、ここが非常によく誤解されるんですが、まさにおっしゃられていたように、小山参考人がおっしゃられていたように、先週もそういう議論があったんですけれども、人権の事実的に、具体的に表れる形というのは各国の社会の特色とか今までの歴史とかいうものをある程度反映するものであるからという話と、余りにも翻訳調であった文章をきちっと自前の憲法に書き換えるというような話の中で出てきた話でございまして、ただ、我々も非常にこの部分の一行がQアンドAに載っていることでかなりなあらぬ誤解を受けたので、ここはもう書き直した方がいいのかなと、QアンドAだけでもと思っておりますが、一切元々の基本的な原理を否定するものではないことは、十三条が維持されていることや前文に基本的人権の尊重を書いていることで分かると、分かっていただけると思うんですが、更に誤解されるとしたら、公共の福祉を公益及び公の秩序というふうに変えている部分がよく誤解されます。
 特に、公の秩序については誤解される頻度が比較的高いんですが、あくまでも公の秩序は国際人権規約にも出てくる言葉で、現行憲法下の法律にも幾つも使ってございます。まあ社会秩序程度の意味でございますので、それ以上の意図はないんですが、それを申し上げた上で、この辺りについて、私どものその言い換えについてどのように思われるかをお伺いして、以上でございます、いただきたいと思います。
#21
○会長(小坂憲次君) それでは、小山参考人、お願いいたします。
#22
○参考人(小山剛君) 一つ、天賦人権のところについては、そのような御趣旨だということは承知いたしました。やはり憲法に権利として書いた場合というのは、元々の生の人権とは性質が違ってくるはずなんですね。その限りで了解いたしました。
 それからもう一つは、公共の福祉を書き換えるかどうかなんですが、これはどういう元々の意図なのかによってまた変わってくると思うんですね。恐らくこの公共の福祉に対する逆に不満があったわけで、その公共の福祉に対する不満というのが、人権相互の調整の原理という、かなり狭い意味でしかこの公共の福祉という言葉が憲法学では使われてこないことが多いと、そういうところだと思うんですが、実際には、この人権相互の調整原理という理解の仕方というのは少し古い理解かなというふうに思っております。ですから、この公共の福祉という言葉を維持した上で、もっと、もう少し広めにですね、その内容を考えていくことはできるだろうというふうに思います。
 元々、一つは、戦前の公と私の公が優越したというものに対する反省という時代、それからもう一つは、法律の違憲、合憲を審査する場合に、この目的の審査みたいなものに非常に集中していて、手段の審査というところまで余り行っていなかった時代、それから、まさに戦後すぐですので、やはりこの基本的人権というとおよそ不可侵なものだというイメージが非常に強かったというそういった時代、やっぱり背景にして確立した説ではないかというふうに思っております。
#23
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
 それでは、井上哲士君。
#24
○井上哲士君 日本共産党の井上哲士です。
 今日は、お二人の参考人、ありがとうございます。
 私たちも、日本国憲法は第十三条の幸福追求権を保障した上で個々のプログラム、人権カタログを定めるという非常に奥深い構造になっていると思っておりますので、環境権にしてもプライバシーにしても、本気で擁護しようとすれば、この憲法の根拠に基づいて立法で具体化することこそが求められていると思っておりまして、新しい人権をあえて憲法に追加する必要は今はないと考えております。
 その上で幾つかお聞きするんですが、まず小林参考人にお聞きいたします。
 先ほども九十六条の質問があったわけですが、最初の意見陳述の中で、この新しい人権というものを改憲の突破口にという議論もしてきたんだというお話がありました。そういう点でいいますと、国民に改憲を広げていくために必要なということを議論をされてきたと思うんですが、そのことと、つまり憲法を変えやすくするために九十六条を変えようということに異を唱えること、少し矛盾しているかのように見えるんですが、先生はどういう思いでそのことを言われているのかというのが一点。
 それから、やっぱり九十六条の問題、そしてこの人権問題というのは、いわゆる憲法とは国民が国家を縛るものだと、こういう議論があるわけですが、そういう考え方は王制の時代のものであって古いんだと、こういう議論をされる方もいらっしゃいますが、こういう考え方についてどうお考えかという二点をお聞きしたいと思います。
 それから、小山参考人にお聞きいたしますが、先週もこの新しい人権の議論をしたわけですけれども、いろんな立法で権利を定めていく上でどうしても衝突をして、これはやっぱり憲法で定めなければ保障できないという状況になれば憲法に定めることも必要ではないかという参考人からの御発言もあったわけですが、今の環境やプライバシーの問題でそういう局面になっているのか、あるとすればどういう問題があるのか、その辺、あればお答えいただきたいと思います。
#25
○会長(小坂憲次君) それでは、小林参考人、お願いいたします。
#26
○参考人(小林節君) まず、私は改憲論者であるにもかかわらず、せっかく大阪の方が声を上げたことによって九十六条が先に改憲され得て、そうすると、あとは二分の一でぱたぱた憲法改正ができる状況が見えたにもかかわらず反対したのは何かということだと思うんですけれども、外国の例を見てもそういう先に手続を緩和した例はないんですよね。
 つまり、私は、これは天下国家の在り方にかかわる問題ですから、権力はやはり公正で正々堂々としていなければならない。権力者が、何というかな、表現は悪いですけど、突然、勉強するのが嫌だから裏口入学考えるような、これはもう何というか、ざまがないと思ったんです。天下国家を論じるときにこの作法はないだろう、それだけです。それだけです。なぜかというと、それをもしまかり通してしまうと、その後のこの国の据わりが悪いと思うんですよ。やっぱり権力は正々堂々としていてこそ品が出ると思う。品のない権力なんて権力じゃない、暴力です、と思ったんです。
 それから、よく言われる、立憲主義というと、私はその学説取らないとか、それ古いとか、それどこの学説とか、びっくりすることが多いんですけれども、例えばこういう言い方しますよね。立憲主義というのは、中世の王様が絶対化して、つまり悪魔化して、とうとう市民が反撃し、市民革命で倒れたそのときの、つまり悪魔化した国王に対するやむにやまれず抵抗した市民の、この状況の中で権力を憲法で縛るんだ。日本にはそういう歴史的体験がないと言うんですね。
 だけど、歴史的体験がないということの言い方の一つに、要するに天皇陛下が上にいて、日本というファミリーのお父様でという発想で、だけど私自身は天皇家とファミリーだと思ったことは一度もありませんし、それから日本の歴史を見ても、天皇というのは権力に直接タッチせず、後ろで有り難みを光らせている存在。現実に庶民と、例えば将軍であれ元老たちであれ軍部であれ、庶民と権力者、現実の権力者の間では大変な葛藤はあったと思うんです。
 それから、でも市民革命は経験していないだろうと言われますけれども、この間はある女性評論家とのテレビ討論で言ったんですけれども、市民革命ができるほど民衆は強くなかったんですよ。だから米軍に助けてもらって我々は解放されたというアンダースタンディングも私はあり得ると思うんですよね。
 だから、それで話を戻すんですけど、人間がどの立場にあろうが人間というのは不完全なもので、心の中に神様と悪魔が両方、私もそうです、住んでいます。ただ、悪魔が出てこないのは、それによって失うものが多いからコントロールしているだけでありまして、私がもしキムさんの地位に就けてくれたら、キムさん以上に悪い人になるかもしれません。
 というようなわけで、そういう意味で、人間の本質が変わらない限り立憲主義というのは時間と場所を超えて適用されるべきものであると私は確信しております。
#27
○会長(小坂憲次君) 小山参考人、お願いします。
#28
○参考人(小山剛君) 環境あるいはプライバシーで何か例があるかという御質問だと思いますが、このプライバシーの自己情報コントロール権又は情報自己決定権のタイプでいいますと、もしも憲法上の規定がなくても、裁判所又は立法府がその気になれば幾らでもできると思うんですね。しかし、現実はどうかというと、そうなっていないと思います。
 例えば、日本のNシステムですとか監視カメラ、あるいは防犯カメラですね、あれは法律の根拠は全くないというのは御存じだと思います。でも、それは日本の裁判所では合憲なんですね。ドイツでは違憲判決が出ています。日本のある高裁が、このレジュメの注の四のところですけれども、わざわざその判決を引っ張ってきた上で、ドイツの場合にはそういった法律の根拠がないと違憲だろうけれども、日本の場合にはそれは要らないんだとはっきり明言しています。
 さらに、立法府との関係でいいますと、何年か前にテロ対策で指紋押捺、外国人のですね、導入されましたよね。その導入の目的はテロ対策だったはずです。ところが、実際にどうやってそれが活用されているかといいますと、一つは出入国管理、それからあるいは犯罪の解明ですね。要は、導入の目的とその後の使う目的がこれは完全にずれているんですね。もちろん、こうこうこういう目的でそのデータを転用できるというような規定まであればともかくですけれども、そうではなくて、要するに必要な範囲で幾らでも回せるようなことになっていまして、これは多分ドイツだったら明確に違憲だと思います。
 あと、例えばこの指紋押捺、何年間保存するか先生は御存じでしょうか。法律には全然書いていないんですね。たしか国会の答弁の中で八十年か何かということを政府側は言ったと思うんですけれども、とにかくそれすら書いていないという、やはり法律の何といいますか作り方が非常に粗いと言うことはできるんじゃないかと思います。
#29
○会長(小坂憲次君) 時間となりました。
 それでは、水戸将史君。
#30
○水戸将史君 日本維新の会の水戸将史でございます。
 両先生、ありがとうございました。
 まず小林先生に、三点ありまして、簡潔にお答えいただければ有り難いと思っておりますが、まず小林先生。
 先ほど公共の福祉の話もありました。人権をある程度制約をするということも、これからの中でどういう立て付けにしていくかなという話あります。個人の権利行使というのは、他者との権利との関係においてのみならず、国家社会の利益との関係においても調整を必要とすると思っておりますけれども、やはりこの人権の制約するという場合の、公共の福祉以外でもいろいろな部分があると思うんですが、これを具体的に明確な概念で示すとしたらどういうものが考えられるかということがまず第一点です。
 それから、小山先生に二点ほどお伺いしたいんですけれども、今非常にグローバルな社会でありまして、基本的人権の保障というのが国民、日本国民のみならず日本に在留する外国人の方にもひとしくこれは適用されるということもあるんですが、我々としても外国人の参政権等々、やっぱり日本国民のみを対象にするものもあると思うので、これの区別というんですかね、どういう形でこれをうまく調整をしていくかということをお聞きしたいと思っております。
 最後ですけれども、これはよく言われる話なんですが、個人の名誉やプライバシー権、プライバシーの保護ですね、青少年の保護育成のために、やっぱり表現の自由とか報道の自由についても一定の規制を受ける、設ける必要があると思うんですが、憲法上これをどういう形で設けたらいいかということでございまして。
 最初の一問は小林先生で、あとの二問は小山先生にお答えいただきたいと思っています。よろしくお願いします。
#31
○会長(小坂憲次君) それでは、小林参考人からお願いいたします。
#32
○参考人(小林節君) 公共の福祉の話ですが、ちょっと御質問の趣旨取り違えていたらごめんなさい。取りあえずお話しします。
 公共の福祉というのはパブリックウエルフェアという英語ですけれども、これ自体はアメリカの憲法で普通の言葉なんですけど、見ていますと、置き換えでパブリックインタレスト、公共の利益とか、それからパブリック・ピース・アンド・オーダー、公共の秩序とか、要するに同じ意味に使われている。だけど、日本は戦後、憲法学の運用で公共の福祉というのは他者の人権との衝突の調整以外に使っちゃいかぬという何か学説的な縛りが掛かって、この言葉の意味が日本独特の使われ方をしてしまっている。
 そうすると、例えば外国の元首が日本に来て羽田から迎賓館まで車が速やかに来れるように交通止めをした場合、これ誰の人権とも調整して、つまり外国の元首をきちんと日本にお迎えするという公益だと思うんですよね。だから、そういうことをもう一度、新しい憲法を作ったら、あるいは新しい憲法運用のときに仕切り直しするのであれば、公共の福祉という言葉が、福祉という言葉が誤解招くじゃないですか。だから、パブリックインタレスト、公共の利益という言葉で、もう一度白紙で、他者との調整とか、他者との調整が関係ない純然たる公益も含めるというような使い方をしようとする、僕、自民党の案は説得力があると思っているんですが、お答えになったか、ちょっと心配です。
 以上です。
#33
○会長(小坂憲次君) 小山参考人、お願いします。
#34
○参考人(小山剛君) 一点目は、外国人の人権をどう考えるかということだと思います。
 この外国人の人権につきましては、当然保障されるもの、それから保障されないもの、その間にやっぱり三角といいますか、それ以外のグレーの領域があるんじゃないかと思います。
 今までいわゆる当然の法理というのがございまして、外国人はこういったものには就任できないというのがあったと思うんですが、この当然の法理の実際にこの対象になっている対象が何か随分広過ぎるという印象はございます。例えば、公立の高校の先生とかあるいは小中学校の先生、これも正教諭はその当然の法理の対象内である、要するに対象になるから、これは外国人は例えば常勤教諭ぐらいにしかなれないとか、それは随分広く使い過ぎてきたのはあるんじゃないかと思います。
 私としては、外国人に保障が及ばないもの、それから当然保障されるもの、その中間に国民の合意ですとか何とかの上で保障を及ぼしていけばいいようなもの、その三通りがあって、従来の当然の法理の使い方というのは今言ったこの最後の部分までどちらかというとバツの方を付けていたと、そういった印象はございます。
 それから二点目は、青少年保護との関係で名誉、プライバシーということだと思うんですけれども、ドイツの憲法の規定には表現の自由の限界として名誉、それからあと青少年保護のための法律上の規定、それからあと一般的法律の規定と、それは表現の自由の限界があるというふうに明文がございますが、青少年保護のためにこの表現の自由を制限するというのは、これ制限の仕方によっては当然違憲問題生じます、あるいは制限する手続によっても生ずると思いますけれども、基本的にはそれはできることであろうというふうに思っております。
#35
○水戸将史君 どうもありがとうございました。
#36
○会長(小坂憲次君) それでは、西田実仁君。
#37
○西田実仁君 公明党の西田実仁でございます。
 今日は、両先生、大変にお忙しいところ、ありがとうございました。
 我が党といたしましては、この新しい人権という全般についてはより積極的に明示すべきであるという立場でございまして、憲法に明記することによって事前の人権保障を可能とし、また時代の変化に対応した様々な立法措置が可能になるというふうにすることが望ましいと、こういう立場でございます。そして、特に環境権あるいは環境保全の責任ということにつきましても、自然との共生も含んだエコロジカルな視点に立った環境権を定めるべきであり、また国と国民の環境保全の責務、責任も求める必要があるんではないかというふうに考えているわけであります。
 そこで、この参議院の憲法審査会は、昨年、常会におきまして「東日本大震災と憲法」というテーマで、大震災における人権保障、統治機構あるいは国家緊急権について議論を行ったわけでございますけれども、まず最初に小山参考人にお聞きしたいと思います。環境権についてであります。
 確かに、この環境権ということについてはこれまで裁判所でも否定され続けてきたわけでございますけれども、この三・一一以降の日本社会全体の変化ということについて踏まえなければならないというふうに思っております。小山先生のレジュメには、これは人格権で救済をするべきものであるというふうに記されておりますけれども、個人の私権としての人格権で処理するには、三・一一以降の福島を中心とした面としての大規模な災害を考えたときには不適切ではないか、あるいは問題を矮小化することにならないのかという疑問を私は持っております。汚染されていない土地と空気というのは個人の利益にとどまらず、人間の生存条件そのものと考えるべきだからであります。
 この点につきまして、小山先生にまずお聞きしたいと思います。
#38
○参考人(小山剛君) 私が申し上げましたのは、人格権があるからいいということではございませんで、そこの部分は人格権でもう既に解決済みなんだから環境権の独自の意義というのはそこを超えたところにあるんだろうと、そういった趣旨で申し上げただけでございます。
 ですから、人格権というのは当然人権として構成できる言わばミニマムの部分だと思うんですね。ただ、環境権という以上はそれよりももっと広い、そういった個人の個別具体的な利益に還元できないような、そういったところを憲法として、あるいは法制度として保障していく、そこが中心になるんだろうということでございます。
 それは三・一一の前も後も変わらないと思います。三・一一の後、非常に深刻な事態になったというのはそのとおりだと思いますけれども、やはり、何といいますかね、環境をどうするかというのは、一人の個人の人格権という言わばミクロの個別的な問題では解決できないものだから、だからこそ難しいんだというふうに認識しております。
 そして、今言ったように、個別の人権として解決できないと、だからこそ各国の憲法はいろんな形で記述の仕方、環境は大事なんだということをどうやって宣言しようかということに苦心しているんだと。したがって、先生とは認識は変わっていないように思うんですが。
#39
○西田実仁君 ありがとうございます。
 この放射能汚染と憲法ということについて小林先生にお聞きしたいと思います。大きなテーマでありますので、先生の御所見を伺えればという思いです。
 この環境権ということだけに限っていえば、確かに生成中の権利だろうとは思いますけれども、この三・一一による環境破壊ということに対応して考えたときには、構成され続ける権利として理解し、また議論を深めるべきではないかと私は思っておりますけれども、このことと加えまして、放射能汚染と憲法ということで先生の是非御所見を賜りたいと思います。
#40
○参考人(小林節君) 今お話を伺って、確かにあの被害状況を見ていると、個人の主観的利益を超えた公益の問題があると思うんですね。であれば、原則に戻って考えれば、人権規定があろうがなかろうが、立法府というのは国権の最高機関として憲法に触れない限り何でもできるんですよね。だから、例えば法律で二院制を一院制にするの駄目でしょう、もう一つは法律で人権侵害駄目でしょう。それ以外であれば、環境という公益を、あの被害を直視して、最大限速やかに回復するための立法、予算措置は国会で何でもできるんではないかという、第一点のお答えです。
 それから、原子力については、この間の被害を見て、本当につまらない人的過失で世界最高の技術が最悪の技術みたいに見えてしまったのは残念ですけど、ただ人間である以上ああいうことが起こるということからいくと、やはり原子力というのは一種の禁じ手なんだなとしみじみ思いました。つまり、あれが暴走したときにコントロールするすべを我々は持っていない以上、使ってはならない危険なものなんだなという認識をせざるを得ませんでした。
 そういう意味では、憲法というのは国民の幸福を保障する手段でありますから、明らかに健康も豊かさも平和も害するリスクが高過ぎる現状では、何か、もう一つは被爆国という体験もありますし、憲法の中に核に関する規定があってもいいのかなと。ただ、宣言規定ですけれどもね、それが権利義務を生むものではないと思いますけれども、前文のような、そういうアイデアはあの事件を見て思いました。
 以上です。
#41
○西田実仁君 ありがとうございました。
#42
○会長(小坂憲次君) 小西洋之君。
#43
○小西洋之君 民主党の参議院議員の小西洋之でございます。
 両先生、本日は誠にありがとうございました。小林先生には別の機会で御指導いただいたことがございますので、今日は小山先生の方に二点御質問させていただきたいと思います。
 まず、先ほど片山先生の御質問に対する回答の中で、憲法十三条の公共の福祉ですけれども、いわゆる人権の調整原理とのみ考えるのは少し古い考え方というふうな御説明があったと思うんですけれども、私の理解する限り、戦後最高裁の判例の歴史を見てみると、初めはまさに公共の福祉、公益という解釈のみでぶった切りにしていたものを、各人権の比較調整ですとか二重の基準論の、まあ最高裁でないにしても、裁判所の裁量ですとか、まさに人権の調整原理というものを頑張ってきたと。それが今学説の中で、前回この審査会に高橋和之先生お越しいただきましたけれども、そういう学説が今検討されていると。ただ、その学説を検討している目的も、あくまで公益によって人権を制限する、その濫用を防ぐためにどういう場合にそういうことがあり得る、できるんだろうかという、そういうアプローチであるというふうに御教示いただいたんですけれども、それらについていま一度お話をいただけますでしょうか。
 あと、公益ということをおっしゃいましたけれども、自民党草案は公益及び公の秩序、及びで、その二つで国民の自由や権利や幸福追求を制限できることになっておりますので、それについても御感想をいただけますでしょうか。
 二つ目は、先生のレジュメの二ページ目でございますけれども、憲法改正をする場合に、あっ、三ページ目でございました、失礼いたしました、現行の人権条項をどこまで簡素化できるかということについて書かれております。
 で、済みません、私、御説明の趣旨が十分理解できなかったというように思うんですけれども、およそ、ある条文を変える場合に、それを簡素化すれば簡素化自体に意味があって、つまりその人権の保護という意味が私は後退する可能性があるのではないかというふうに思うんですけれども、それについていかがでしょうか。
 ちなみに、一つ例を御紹介いたしますと、この自民党草案の話で恐縮なんですけど、憲法三十六条で公務員は絶対に拷問等をしてはいけないという規定がありますが、その絶対にという言葉を削除しています。で、去る四月二十二日の予算委員会で安倍総理が、民主党の同僚議員に、なぜ絶対という言葉を削除しているのかという問いに対して、その答えが、GHQが作った憲法だからと、GHQが日本国民に絶対という言葉を押し付けたのだという答弁をしまして、さすがに私、立法府でこういう答弁は看過できないと思いまして、私は、特高警察等々の歴史があってこういうことが入っているんだと。歴史的事実としても、憲法制定の議会において担当国務大臣もそういう理解の下にこの絶対という言葉が入っているというふうに答弁をいたしております。
 ですので、やはり言葉を簡素にするということはそれ自体が大きな意味を持つことだと思いますので、いかがか、御教示いただけますでしょうか。
 以上でございます。
#44
○参考人(小山剛君) まず一点目ですけれども、公共の福祉をどう解するかでして、人権相互の調整の原理という公共の福祉というのは、やはりどうしても人権を制限できる場面が当然少なくなるわけですよね。ということは、逆にこっちの人権、元々の人権の方も割と狭めに定義するしかないんですね。要するに、元の人権の方を狭く定義したからこそ、すればこそ、その制約に当たってもやはり同じ人権でしか制限できないという、そういった理屈が成り立つと思うんです。
 ただ、日本の憲法学がそういうことを自覚的にやってきたかというとそうでもありませんで、例えば表現の自由の保障範囲あるいはその他の人権の保障範囲、結構これ、広めに取る傾向にあると思うんですね、日本の憲法学。これはドイツの憲法学もそうです。恐らくアメリカの場合にはもっと何が表現なのかについて厳密に考えるのかもしれませんけれども、日本、ドイツはそこまでは厳密にはやってきません。
 そうしますと、その広めに取った基本的人権を制限しなきゃいけない場合、あるいは制限しても当然に合憲だろうという場合も、これは非常に増えてくると思います。そうなった場合には、やはり人権のみが人権を制限するというこの観念的なテーゼはもう維持できなくなってくるんですね。前回高橋先生がいらっしゃったんであれば、多分町の美観みたいなものを例に出されたんじゃないかと思いますけれども、要は、人権には還元できないようなものによって人権を制限する、そういうのを認めざるを得なくなってくるということじゃないかと思います。
 それをどういう言葉で表現するかというのは二次的な問題なんですけれども、公益及び公の秩序がいいのかどうか、これはまだ、言葉はまだシェイプアップする余地はあると思いますけれども、別に、言葉遣いよりもやはり中身をどういうふうに考えるのか、その上でそれに見合った言葉は何なのかとまた考えていけばいいのではないかと思います。
 二点目なんですが、どこまで簡素化できるかと、簡素化した場合には人権保障の水準が後退するのではないかということですけれども、これ、私は簡素化しろとは決して言っておりません。言っていないです。もしも憲法改正やって表現の自由を削除する、あるいは信教の自由を削除したら、これはどんな国なのかと思われるのはもう当たり前ですし、世界的にですね。あるいは、仮にこれは表現の自由はどうでもいいですよという意味で削除したんじゃないんだよと言っても、それはやはりどうしても保障力というのは落ちてくるんじゃないかというふうに思います。
 ですから、やはり、言いたかったことは何かといいますと、人権というのは基本が定まっていれば、あとはいわゆる新しい人権と言われる問題についても適切なこの解釈と運用で対応していける場合が多いんだということが一つは言いたかったということで、ですから減らせという趣旨ではありません。増やし過ぎるなという趣旨は含んでいますけれども。
 それからもう一つ、三十六条の改正ですけれども、ここに絶対という言葉が入っているかどうかによって意味が変わってくるかというと、恐らく人間の尊厳とか個人の尊重との関係で、多分、解釈上絶対という言葉が出てくるかもしれません。そこはちょっとよく分からないです。
#45
○小西洋之君 ありがとうございました。
#46
○会長(小坂憲次君) 次に、佐藤公治君。
#47
○佐藤公治君 生活の党、佐藤公治でございます。
 小林参考人にお尋ねをさせていただきたいかと思います。
 小林先生のお話を聞いていて改めて、今更というか、もう一度確認をさせていただきたいというようなところですが、先ほどのお話の中でも、人間は不完全であり、だから法律も不完全だから、そして人が運用する賢さと愚かさ、こういったことの中で悩ましい。一体全体、この憲法も含めて、立法府において先生が最もこういう議論をする中で一番大事な視点であり考え方の本質は何かというところを簡単簡潔にちょっと教えていただけたら有り難いと思います。先ほどもこそくなやり方、筋論であり、横暴なやり方は良くないというようなこともおっしゃっておりましたけれども、哲学論的な話にもなりますが、制度的なのか、先生のちょっと大事な点を一点教えていただけたら有り難いと思います。
 そして、二点目は、先ほど私が聞き間違えていたら申し訳ございません、行政、司法においての情報の公開がされていない、されにくいような状況というお話がございました。これに関しては、非常に私も先生のおっしゃられることには共感、共鳴する部分があり、まさにそこには制度が機能していなかったり、またそこには身分階級すら存在するようにも思える部分を感じます。ちょっと先生の先ほどおっしゃられた部分をもう少し詳しく教えていただけたら、思いや考え、現状がどうあるのかということを教えていただけたら有り難いと思います。
 小山参考人にお聞きしたいんですが、一つ、私どもの党内の議論でプライバシー権、環境権又は知る権利、そのほかに犯罪被害者等への配慮といったことの議論が、我々の会派、党内でもかなりされてきております。今いろんなお話を聞く中においては、犯罪被害者等への配慮といったことに関して、先生のちょっと御見解を簡単に教えていただけたら有り難いと思います。
#48
○会長(小坂憲次君) それでは、小林参考人からお願いいたします。
#49
○参考人(小林節君) 今、佐藤先生から一番大事なことを、本質論を簡潔にと言われて、質問されて答えられなかったことはないんですけれども、今回初めて、しまったと思いました。
 思い切って申し上げますと、参考人としても十何回も来ていますけれども、こういう天下国家の議論でいつもむなしいなと思うのは、まず現実を直視すべきであるのにもかかわらず現実を見ない人々がいる、それから理想を目指すべきなのに理想など関係ないという人がいる、これ両極端に分かれてしまっているような気がするんですね。やはり現実の条件の中で理想に向かって歩んでいくのが国の中心としての立法府の責任ではないか、その論争に周辺でかかわっている我々もそういう姿勢があるべきではないかと思います。
 以上です。
 それから、それだけでしたっけ。もう一つ……
#50
○佐藤公治君 もう一つは、司法や情報公開。
#51
○参考人(小林節君) 情報公開。
 例えば、イラクに航空自衛隊を派遣した、正確にはクウェートからイラクに飛ばすんですか、ときに、どういう荷物を運んだのか情報公開、私ではありませんが、私のゼミ生がやったそうなんです。そうしたら、八割方が墨塗りで返ってきて、それは公益上公表できない。あとは国連の荷物か何かがちょろちょろちょろと。公表できないものというのは、あとは見てりゃ分かるわけで、記者もいますから。米軍の突撃部隊を運んだとなると、それは引き金を引いている、一緒に引く引かないにかかわらず、これ戦争加担じゃないですかということになりますよね。それは当時の自民党が自ら付けた海外派兵の禁止自体に反するではないかというのが私の大変ないら立ちであったんですけれども、それが情報公開が国民の権利であれば、墨塗りが原則ではないはずなんですね。だけど、説明責任、時宜に応じて国民に知らしめるというんであると、見せてやるけどこれは見せてあげないという墨塗りが過剰にできる、これはもう制度上明らかですよね。こういういら立ちがあったんです。
 以上です。
#52
○参考人(小山剛君) 犯罪被害者の権利みたいなものは韓国憲法に規定があったと思いますけれども、日本の場合も、この前回の調査報告書ですかね、そこで検討されたようですが、ある意味もう立法的に解決したのかなと思うようなところもございます。
 犯罪被害者の権利に対する配慮を憲法で書くといたしますと、恐らく優先順位からしてそれと同等ぐらいなものというのはたくさんあると思うんですね。恐らく環境、プライバシーよりはちょっと優先順位は低いだろうと。それと同等のものというのはいろいろあると思うんですけれども、書くなと言うつもりは全然ありませんけれども、書く場合にはそういったものがたくさん出てくるだろうと、その中で選別は難しいだろうと。で、全部書くことになった場合には、やはり憲法の中に理念的な部分が増えてしまって、かつまた、みんなに共通して大事だと思うような環境みたいな理念のほかにも、もう少し個別的な理念みたいなのが出てきてしまって、憲法の実効性をかえってそぐことにならないかなという、そういった懸念はございます。
#53
○会長(小坂憲次君) よろしいですか。
 それでは、宇都隆史君。
#54
○宇都隆史君 自由民主党の宇都隆史です。発言の機会をありがとうございます。
 また、今日は両参考人の先生方、非常にありがとうございました。
 自民党として、我々、この新しい人権に関してはなかなか法律上個人の権利という形で認めるのはそぐわないのではないかということで、先ほど先生方のお話の中にもありましたけれども、我が党の憲法草案のように、ある程度国の責務という形で落とし込むというのが現実的ではないかというお話もありましたので、改めて方向性としては間違っていないのかなと、そういう意を強くいたしました。
 それで、私、この新しい人権のところとは少し離れてしまって申し訳ないんですが、小林参考人の方に一つだけ、九十六条先行論に関して御意見を賜ればと思うんですけれども、先ほど試験を受ける前の裏口入学の手順論という話もありましたけれども、先ほど先生がおっしゃった現実を見据えながら理想に向かって云々の話でいえば、私は、この九十六条改正論というのは非常に現実を見据えた上でのある意味ちゃんと理想も持った話で、ただそれがうまく伝え切れていないもどかしさがあるなと思っているんです。
 現実の面から即すれば、この六十何年、まず憲法発議すらなされていないわけですし、審査会が開かれたのもここ最近だと。そもそも開かれなかったのは、憲法自体を論議すること自体がまず問題であるということで、名簿の提出すらされなかったという現実があります。この参議院憲法審査会においても、本当はもっと議論した方がいいかもしれない例えば九条の問題、自衛隊の立ち位置の問題、こういうのも議論の俎上にも上がらないわけですね。それは議論をしないということで、そこがなかなか一致を見ないというところがありまして。
 そこで、私は、この九十六条というのをまず皮切りにして、ひとつ国民に憲法を考えていこうという議論を巻き起こすということでは非常に現実を見据えたプロセスではないかと思います。結果としていろんな、いい悪いは別にして、賛成派、反対派のいろんな先生方がその中で、民間の中でですね、議論として意見を述べられるようになったというのが一つ現実路線の話。
 もう一つは、理想という側面なんですけど、先ほど先生が言われた明治憲法にしても、それから現日本国憲法にしても、ある意味欽定憲法であり、あるいはGHQによって許可された当時の権力者たちによって押しいただいた部分がある。つまり、国民一人一人がその立法プロセスに携わっていないという問題点がございますよね。
 であれば、先生が本当に御持論で言われている、憲法は権力者を統制するツールにすぎないんだと、その自覚が国民に必要なんだと、その自覚を持たせる一つのプロセスがこの九十六条改正論議であり、私はこれが国民によって否定されることがあってもいいと思っているんです。そこで初めて国民が、この憲法は我々の手に落ちたと実感できるんではないかな、そういうものであるというふうに私は理解をしているんですが、御意見を賜れればと思います。
#55
○参考人(小林節君) 現実を見ればと言われましたけれども、この九十六条先行論は、私に言わせると、やっぱりゲームの前でゲームの当事者がルールを自分に有利に変えようという、それはもう禁じ手であるから、余りに現実的で生臭くて、現実を見てもこんなことはすべきではないという次元の問題であります。
 それから、過去ずっと憲法、僕は九条改正論者ですけれども、ずっと議論されてこなかったと、これは先生の所属する自民党の責任だと思います。つまり、改憲政党として結党しておきながら、安倍さんまではずっと、我が内閣では憲法改正は政治日程にのせません、逃げ回っていたのは自民党なんですよ。だから、こちらが孤独な議論をやっていたわけですけれども。自民党が最近まで無責任であって、それで、たまたま一種権力欲がおありの大阪の人が手を挙げたからといって途端に乗るというのは、余りに生臭くて、現実論としても品がなさ過ぎると私は思います。
 それで、国民の手に憲法を取り戻すという点ですけど、最近いいことがありました。私の住んでいる横浜ですけど、隣近所のおばさんたちとか私の親戚のおばさんたちから、たくさん、人生で初めてです、私にうちの家内を通してメッセージが来るんです、知らなかったわ、憲法ってそういうものだったの、あなたの言うこと、そのとおりだと思う、これからちょっと憲法ということを考えちゃうわと。
 つまり、今回の九十六条のばか騒ぎは、逆に国民教育になったと思います。だから、憲法問題というとみんな無関心だったんですけれども、これから憲法問題にみんな関心持って寄ってくるんじゃないでしょうか。だからこそ、そこで堂々と私は九条論から行くべきだと思っています。議論を構えていただきたいと思います。
#56
○宇都隆史君 小林先生、いつもいつも厳しい御指導ありがとうございます。引き続き、厳しく御指導よろしくお願いします。ありがとうございました。
#57
○会長(小坂憲次君) それでは次に、前川清成君。
#58
○前川清成君 民主党の前川清成でございます。
 小林先生、小山先生、大変貴重なお話を承りまして勉強になりました。ありがとうございました。
 その上で、まず小山先生にお尋ねしたいんです。
 先ほどの小西さんの質問にも少しお答えいただいたのかもしれませんが、憲法の人権条項が包括条項だけでも構わないんだというお話をしていただきました。確かに論理的にはおっしゃるとおりなのかもしれませんが、私は、憲法の人権カタログというのはそれなりの歴史を持った概念ではないかと。そうであれば、やはり、その歴史的な意味というか、人権のための闘いの記念碑というふうな意味でも、個別の人権条項というのは大きな意味を持ってくるのではないかと、そう思っていますし、あるいは、そのときの為政者にとってもある種目印のような存在であると。そうであれば、私は包括条項だけというのはどうなのかなと、こう思っております。
 それともう一つ、小山先生のお話で、新しい人権は立法による具体化が大事なんだと、こういうお話がございました。それもそのとおりだろうと思いますが、それは新しい人権なのか、今人権カタログに載っている人権なのかで区別するべきではなくて、自由権なのか、フリーダム・フロム・ステーツなのか、そうじゃなくて、生存権等々社会権、フリーダム・スルー・ステーツなのかと。そっちによって区別した方がむしろ分かりやすいのではないかなと、こういうふうに思っておりますので、小山先生にはこの二点お教えをいただけたらと思います。
 それと、小林先生には本当にいろいろ明快なお話をありがとうございます。その上で一点、小林先生も新しい人権を明文化する必要はないんだというお話でございましたけれども、小さな話で誠に恐縮なんですが、例えば民事訴訟法上、上告理由としては憲法違反が挙げられているわけで、最高裁の人権創造機能というのを考えれば、やはり個別のカタログに書いてある方が最高裁も事件として受理しやすいと、審理しやすいと。そういう意味において人権の深度というか深化に資するのではないかなと、こういうふうに考えておりますが、この点についてもお考えをお聞かせをいただけたらと思います。
 以上です。
#59
○会長(小坂憲次君) それでは、小山参考人、お願いいたします。
#60
○参考人(小山剛君) まず一点目についてですが、私はそこまで減らせとは決して言っていません。それだけは強調しておきます。
 何でこんなことを言ったか。数年前にジュリストという雑誌に書いたときもそのことを書いたんですけれども、なぜそういうことをやったかといいますと、前回の参議院の憲法調査会の報告書あるいはその間の審議などを拝見していまして、どんどんどんどん増やす方向にずっと行っていて、しかも増やす意義とか目的とか、どのように考えているのかというのがちょっとよく分からないところがありまして、人権については理屈の上では何でも出てくるんだから、そんなやみくもに増やさなくてもいいんだよという趣旨で申し上げただけです。当然、個別の人権規定なければいけないと私は思っています。そして、憲法改正するんだったら、それに応ずるものはやっぱり入れた方がいいというふうに思っています。
 二点目ですけれども、新しい人権、法律の具体化が必要だというのは、それは先生がおっしゃるように、自由権、それからそれ以外の権利に分けた方が、それはもちろん分かりやすいことだと思います。
 実は、この参考、私の紹介のところに載っています本の一冊は「立法による憲法価値の実現」というサブタイトルを付けておりまして、それはいわゆる自然的な自由、これについては法律というのは単に権利の制限という機能しか果たさないけれども、先生がおっしゃった生存権に限らず、財産権も法律があって初めて機能する。婚姻の自由というのもこの制度に乗っかったやつ。あるいは、契約自由というのもそうだと。あるいは、選挙権自体は天賦のものとしても、実際にその行使するためには等々、そういうことは十分意識した上での発言でございます。
#61
○会長(小坂憲次君) 小林参考人、お願いいたします。
#62
○参考人(小林節君) 前川弁護士から教わりました。確かに忘れていました。上告理由を考えたら、確立された権利はやっぱりリストに加えておいた方が、例えばフォーカス、フライデー対プライバシーでいった場合、フォーカス、フライデーする側には憲法上表現の自由がありますものね、こっちがなくなりますものね。
 そういう意味では、それから情報公開については相手は国家権力で、こちらは手ぶらで行くわけにいかないし、環境権はさっきから申し上げているようにどっちもどっちでちょっと苦しいところですが、少なくとも確立されたところから憲法リストに加えておいた方がフェアであると思います。訂正します。
#63
○会長(小坂憲次君) よろしいですか。
 亀井亜紀子君。
#64
○亀井亜紀子君 みどりの風の亀井亜紀子でございます。
 先週も新しい人権についてお二人の参考人をお招きして御意見をお伺いいたしました。そのお二人の参考人も、新しい人権を憲法改正をするのであれば入れる、議論になるだろうけれども、必ずしも憲法改正をしなければ守れないというものでもないというような御意見をいただきました。
 そこで、確認なのですが、今日お二人の御意見を伺っていても、憲法改正するのであれば新しい人権を入れていただきたいけれども、改正をしなければ守れないというものでもないし、また、憲法に書き込んだからといって、文言を書き込んだからといってそれで守れるというものでもないというように私は理解をいたしましたけれども、そういうお考えでしょうか。これはお二人に対する質問です。
 それに加えて、小山参考人にお伺いしたいことが一点ございます。
 先ほど、プライバシーに関して、裁判所の判例で、日本はドイツのようにプライバシーがきちんと保障されていないから、例えば監視カメラであったり指紋情報などを運用を広げることに関して憲法違反ではないのだというような判決が出ているから、守り切れていないではないかという御意見がございました。
 私は一方で、個人情報保護法というのは、これ基本法ですけれども、強過ぎる部分があると思っていまして、非常に民間が神経質になり過ぎている。例えば学校の連絡網が作れないですとか、いろいろおかしなところに弊害が出ているので、今でさえそうなのに、憲法に書き込んだときにもっと過剰になるのではないかという心配をしているんです。
 ですから、今の個人情報保護法は、本来憲法が定めている国と国民の間の権利についてのところはあやふやになっていて、民民の本来民法で定めるところの部分が過剰反応を起こしているということだと思うんですけれども、その指紋情報、監視カメラの情報について、その国家の運用が行き過ぎであるということを、その個人情報の下に個別法として作るというようなことで防ぐ、そういうやり方はないのでしょうか、お伺いいたします。
#65
○会長(小坂憲次君) それでは、小林参考人から最初にお願いいたします。
#66
○参考人(小林節君) 先ほど前川先生から御指摘いただいて私訂正しましたように、新しい人権はやはりそれが我々国民にとって人格的生存に不可欠なものでありますから、確立されたものから順次憲法に入れておかないと、最後に司法的救済のときにテクニカルにつまずいてしまう。だから、確立したものは入れなさい、改正して入れなさいという立場でございます。
#67
○会長(小坂憲次君) よろしいですか。
 それでは、小山参考人、お願いいたします。
#68
○参考人(小山剛君) まず、新しい人権、確立したものというのは多分恐らく最高裁判所も認めている場合が多いでしょうから、要するに人格的利益の一部として、上告との関係ではそんなに障害は生じないのかなというふうに感じております。憲法を改正するんだったらこれも書けばいいというのが私の基本的な考え方というのはそのとおりです。
 ただ、例えば自己情報コントロール権にかかわる、二番目の御質問ともかかわりますけれども、そこの部分については、やはり法律あるいは裁判所の判例共に、少し、何といいますか、意識の足らないといいますか、そういったところがあるんではないかと感じております。でも、だからといって憲法で書いて、いきなり何とかしようと思った場合には、かなり細かい条文を憲法に書くことになると思います。
 それは、立法府に対して、必ず法律でやれとか、法律で例えば目的をはっきり書けとか、あるいは監視機関を設けろとか、そういった、実際にヨーロッパ基本権憲章はそういうふうになっていますけど、いろんな細かい指示を立法府に対して与えることになると思うんですね。それは、立法府というものを結局はその能力とかなんとかを低く見積もっているにほかならないわけでございまして、そのような余りにも細かい具体的な憲法による指示というのは、これは立法府としては怒るべきじゃないかというふうに私は思います。
 それで、この個人情報保護法、もう既に行き過ぎであるというものなんですけれども、それも、何というんですか、過剰反応という部分なんで、その過剰反応を抑えるためには運用の指針をしっかりしていくと、あるいは必要があれば改正を加えるという形でやっていくべきものだと思うんですね。
 しかも、先生御指摘のように、これは民民関係で特にそういった問題ですので、それと、何ですかね、やっぱり、国がどういう形で情報を入手し、あるいはこれを転用し、あるいは結合し、あるいは利用していいかというのは、また違った問題ではないかというふうに思います。
#69
○亀井亜紀子君 それで、ですから、国が現在その運用が行き過ぎているのではないかという部分については、これは憲法に入れないと防げないようなものでしょうかという質問なんですが。
#70
○参考人(小山剛君) それは、別に憲法に入れようが入れまいが、それは国会の作った法律なんですから、国会が国会の責任で手直しすればいいと思います。
#71
○亀井亜紀子君 ありがとうございました。
#72
○会長(小坂憲次君) 次に、舛添要一君。
#73
○舛添要一君 まず、お二方にお伺いしたいんですが、小山先生おっしゃったように、私は、憲法改正のその中身を考えるときに、統治機構の分野と基本的人権というのは非常に違うなというふうに感じています。
 現実に、基本的人権で新しい人権を加えるというのは、一つは、状況に応じて憲法は世の中変わるんだからやっぱり変えないといけないですよという改憲論を加速させるための一つのてこのような感じで、先ほど小林先生もおっしゃったように、環境権加えるのに誰も反対する人いないでしょうと、ここから練習問題として九十六条の問題も含めてやってみましょうという、そういう発想が出てくるんで、これ、裏返せば、実は何もしなくても、別に加える必要もないじゃないかということで、例えば犯罪被害者の権利というのは随分議論して、これは、犯罪を犯した方はしっかり守られているのに、個人の名前の暴露から始まって被害者の方及びその家族全然守られていないじゃないかという、そういう要請から出てきたんだと思うんです。
 そこで、今、司法の、民事訴訟法を含めて司法の側面からの議論が前川さん含めてあったんですけれども、もう一つ、立法者の立場からいうと、憲法上にその条文があるかどうかでやっぱりかなり違う感じがするんで、一つ例を挙げますと、私は政党という条項を憲法に入れた。それは、政党助成法を含めて、政党に関する憲法上の根拠が何もない。その下で例えば政党助成法を作るというときに、いや、これはこういうふうに現代民主主義の基礎が政党であるからここだという、そういう憲法上に淵源を持っているということが非常に立法府、立法者としてやりやすいというのがあるんですね。
 だから、そうすると、ただ、それに対しても、じゃ、そんなこと言ったら環境権だって二十五条の生存権でやれるじゃないのということもあるんです。例えば、フランスの憲法なんかだと、もうこれは釈迦に説法ですけれども、EUに入って、外交権が、その主権、ネーションステートじゃないEUというものに持たせるということは憲法を変えないとできないですから、これはマストなんですね。だから、ちょっとそういうことのきちんとした整理をやらないといけないと。
 それから、政党で憲法改正文作るときはチームに分けるわけですよ。そうすると、憲法九条やる方はもう徹底的にやるんだけれども、じゃ、基本的人権のチームは何もやらぬのかねと、何かやらぬといかぬじゃないかという感じも実は作る方からいうとあるんです。
 だから、ちょっとそういうもやもやとした思いがありますので、両先生にちょっと今の私の問題提起のようなことについて何らか御参考になるような意見を賜ればと思っています。
#74
○会長(小坂憲次君) それでは、今度は小山参考人からお願いいたします。
#75
○参考人(小山剛君) 実際の憲法改正の場というのは、そういういろいろあるんだと思います。やっぱり憲法というのは、何か大きな出来事があった後にばっと変えるのが普通であって、その後は、何ですかね、メンテナンスを少しずつやっていくと。そして、特に平和な時代で憲法を大きく変えようとした例としてスイスがございますけれども、改憲までにどれくらい時間掛けたんですか、ちょっと、えらい長い時間を掛けているわけですね。
 先生おっしゃるように、やはり何か立法を行う場合に憲法に関連条項があった方がいいというのは、そのとおりだと思います。例えば、日本で生活保護法がある、あるいは日本で国民は全員保険に入らなきゃいけないと、これは当たり前のようですけれども、そして、それが違憲か合憲かというのは、額が低過ぎるという形での違憲論はあるけれども、強制することが違憲かという形での違憲論はないと思うんですね。それはやはりこの二十五条のおかげだというふうに思います。
 それで、もう一つ、政党条項はいろいろと考え方あるところだと思いますけれども、憲法を改正しなきゃいけないというこのマストというのは、EUの場合ですと外交、先生がおっしゃったのがありますけれども、例えば連邦国家、ドイツなどですと、非常にこの条項が細かいわけですね。何が連邦の権限で、何が州の権限かと。
 例えば国鉄の民営化は、日本では憲法改正は必要ありませんけれども、ドイツだと必要があったと。だから六十回ぐらいの、要するに連邦の権限としてこの国鉄というのが入っているわけですね。連邦の権限として何々があると、それを民営化するとなりますと、これは憲法事項なわけなんです。だから、六十回ぐらい改正していますけれども、結構そのうちの多くのものは、まあ何といいますか、ドイツの憲法の固有の条項に、性格によるところの改正であります。
#76
○会長(小坂憲次君) 小林参考人、お願いいたします。
#77
○参考人(小林節君) 確かにおっしゃるとおり、統治機構というのは憲法にかっちりと書かれているから、それを変えるには憲法を改正しなければならないと。ところが、人権というのは、要するに人格的生存が害されるか否かですから、歴史のある既存の条文をいろいろひっくり返していれば大体用が済むということで、確かに立法府において憲法改正発議作業という点では手間に違いがあるということは今日はっきり認識いたしました。さっきのEUの話でも、これも一種の革命で、簡単に言えばイタリアがイタリア国からヨーロッパ合衆国イタリア県になるわけでありますから、それも革命なんですよね。
 だから、日本でも、憲法改正を考えた場合には、舛添先生とはそういうたぐいの勉強で何度もお目にかかっていますけれども、憲法改正を真面目に考えるとなると、やはりちょっと大きな話題が最初にどんとあって、それが牽引車にならなければいけないので、やはり人権論でやっている限り物は先に進まないと思うんですね。
 やはり、さっき宇都先生から問題提起がありましたけれども、堂々と九条論で切り結んだらいかがですか。やっぱり、あの敗戦で九条がどっちみち異常にどてんと降ってきて、その後、今それで一生懸命言い訳しながら来ているわけじゃない。やはり本丸は九条ですよ。こういう大きなものでやらないと改憲のエネルギーって生まれないと思うんですね。
 変なお答えですけど、以上でございます。
#78
○舛添要一君 どうもありがとうございました。
#79
○会長(小坂憲次君) 次に、山谷えり子君。
#80
○山谷えり子君 小林先生、小山先生、ありがとうございます。
 小林先生のレジュメに、憲法は、不磨の大典ではなく、国民が幸福な生活を追求するために国家というサービス機関を統制する道具にすぎないはずだというのがございますけれども、私は、憲法というのは国家権力を縛ると同時に国家権力を授けるものであり、そしてまた、国柄や歴史、文化というものを国民の皆と、それは過去、御先祖様と、そして未来に生きる人々も含めるんですけれども、共有するものではないかというふうに思っております。人間というのは、過去、そしてまた人と人とのきずなによって生かされている、生きている存在だというふうに思っています。
 日本というのは世界で最も長い歴史を持つ国家でありまして、例えば今から二千六百七十三年前、橿原宮で神武天皇が建国の詔を発せられるわけですが、そこで三つの建国の理念を語られるわけですね。一つは、一人一人を大御宝といって、一人一人大切にされる国。そしてもう一つが、徳を持って、道義国家をつくりたいと。それからもう一つが、家族のように世界が平和で仲よく暮らせる国をつくりたいということです。これは恐らく今の日本人の心情からしてみても違和感はないんだと思います。
 そしてまた、私たちが大好きな十七条の憲法、あの聖徳太子の、というのもありますけれども、それは近代の成文法と違うじゃないかと言われればそれまででございますけれども、やはり国柄、歴史、文化というものは大切なものだと思います。
 小林先生が人権主張のインフレになるんじゃないかという面白い表現をなさられたんですが、確かに、しばしば権利といいますと、争いや対立のあるところに、時に発せられる言葉でありまして、我と我とが戦う宿命で、民主主義に国家のベクトルが遠心的に働いていくという場合があるということも見逃せないのではないかと思います。
 日本人は道というものを求めて生きてきた国民でございます。司馬遼太郎さんも、日本人というのは本当にどう生きたら美しく生きられるかということをずっと考えてきたようなところがあるなんておっしゃられておられましたけれども、私も、新しい人権というのは必ずしも憲法に位置付けなくても、判例とか法律とかいろいろな形で書き得るんではないかと思いますが、もし新しい人権というのを憲法に書くとするならば、何か国柄に立った上での書きぶりとか工夫というようなものが大切ではないかと、あるいはそのようなことが可能かということをお聞きしたいと思います。
 自民党が憲法草案を作るときに、やはり前文とか、そしてどの権利をどういう形で書くかというときにはそのような思いから、一人一人それはもちろん違うんですけれども、そのような思いから議論をしていったというような経緯がございますので、御示唆いただければと思います。
#81
○会長(小坂憲次君) 参考人御両人に対しての質問でよろしいですか。
 小林参考人、お願いします。
#82
○参考人(小林節君) 憲法は国を縛るものだけでなく、同時に国に権力を授けるもの、これはよく自民党の先生方がお使いになるんですけれども、そこに大きな間違いがあると私は思います。つまり、国に権力を授ける、だからもらって何をしようが勝手だろうというようになっていっちゃうんですね。
 授権というのは、それを預ける、だからそれ以外使うなという、必ず、自民党の方がお得意のレトリックで言うと、授権規範すなわち同時に制限規範なんです。授権規範という側面だけ取って、だから、これもしていい、これもしていい、これもしていいという議論、いつもこの自民党の一部の方と、先生もいつもの表情と違っちゃっていますけれども、ぶつかってしまうんですね。
 とにかく、民法と刑法と憲法と、法を並べて考えてください。人間が不完全で、かつ共同生活をしなければならない動物であって、だからそれぞれ私人間ではこうで、それから言うまでもなく悪いことは犯罪としてあって、権力者は権力者で縛られてというだけの話で、その縛られている権力者に権限を与えてくれる、授権規範です、確かに。だけど、それは与えた権力を正しく使えという制限規範でもあるんです。それを切り離して議論されたらおかしいと思います。
 それから、歴史、文化、国柄を共有する、それも私は、人というのは縁あってこの時代にこの国に生まれて、この民族に生まれているわけですから、歴史とか文化は切り離して議論できないと思います。だけど、それは法律の仕事でしょうかと思うんです。家庭教育の話であったり歴史教育の話であって、それを最高法、憲法の中にでんと書くと、これは憲法なんですか、それとも家族仲よくなんて、お説教憲法と福島先生がおっしゃっていました、確かに、使わせていただいていますけれども、憲法で道徳を、家族仲よくなんて、家族仲よくしたくないと誰も思っていませんよ。だけど、そんなことを最高法で説教されたくないです、はっきり言って。法は道徳に踏み込まず、これは古来の法格言であります。つまり、世界の常識であります。
 十七条憲法も、僕、嫌いじゃありません。あれは、あの当時の確かに憲法なんです。公務員の服務規律なんです。真面目に仕事しろよ、権力濫用して私腹肥やしたりしちゃいけないよ、まさに権力者を縛る憲法なんです。ですから、あの十七条憲法、何度も読んでみましたけど、あれは憲法です。
 取りあえず以上でございます。
#83
○会長(小坂憲次君) それでは、小山参考人、お願いいたします。
#84
○参考人(小山剛君) 小林先生のおっしゃったこととおおむね同じでして、一点目は、憲法の規律対象とは何なのかということですね。要するに、まず法というものの、それから特に憲法というものの目的といいますか、そこからくるところの規律の対象は何か。今先生がおっしゃっていたお話というのは、ちょっとその憲法の規律対象から外れているのではないかと。場合によってはこの憲法又はこの国の前提であるかもしれないけれども、憲法に書き込むような、憲法の対象ではないというような感じがいたします。
 それからもう一つなんですけれども、やはり憲法というのは基本的には何かといいますと、昔は、昔といってもそう昔ではありませんけれども、国家目的という言葉があって、憲法に代わって、なぜ、要するに国家というのは、特定の正しい目的のために行動することによって、国家というのはその暴力装置としての存在が正当化されるといういわゆる国家目的論というのがあって、それがやがていわゆる立憲憲法の時代へと変わっていったと思うんですけれども、その国家目的の中で最も基本的なものは、内、外の安全、対内的、対外的な安全、それから後に社会的安全ということだと思うんですね。
 ただ、そのために、要するに国内のこの平和的な統一のために、共存共栄のためにつくられた、あるいは正当化された国家というものが逆にこの人権を侵害する主体になってしまった。そこで、自由権というものをカタログ化して、この下には国というのは勝手に入っちゃいけないと。やっぱり法律の根拠があって、かつまた正当な理由がある場合に必要最小限度に入ってきなさいという、そういった法治国家というのが出てきたわけですね。
 要するに、憲法というのはそういう部分を担当する法なわけでして、それ以外の部分というのはそれは憲法の領域ではないというふうに思います。
#85
○会長(小坂憲次君) よろしいですか。
 次に、磯崎仁彦君。
#86
○磯崎仁彦君 御指名ありがとうございます。
 今日は、小林先生、小山先生、いろいろ貴重な御意見を賜りまして、ありがとうございました。私から二つ質問をさせていただければというふうに思います。
 まず最初の質問は小山先生にお願いしたいと思いますが、実は前回の参考人の中でも、高橋先生、土井先生お見えになられて貴重な御意見をいただいたんですが、非常に印象に残っていますのは、その後、江田五月先生からもお話があったんですけれども、環境権に関連をしまして、私はどちらかというと、憲法で例えば権利を保護される、守られるというのは、今のこの世代に生きている人間というのが非常に意識をされているような気がしたんですけれども、前回のお話、それから今日も小山先生の方から国家目標の規定という、この中を読ませていただいて、次の世代に対する責任という、そういう言葉が出てまいりまして、やはり特に環境というものは今この時代に生きている私たちが良好な環境を享受するというそれにとどまらず、例えば、何といいますか、温暖化の問題であるとか環境そのものの問題ということになると、今のこの世代だけではなくて、我々のその次、更にはその先の世代に対してどういうその責任を負っていくかという、そういう意味合いも持っているかと思いますので、そういった意味では国家目標規定という、そういうその規定の仕方というのは一つやり方としては非常になじむのかなということで、非常に印象に残ったお話でございました。
 この観点からすれば、環境権というのは非常にこの国家目標という観点からすればなじむと思うんですけれども、そのほかに、例えば将来世代ということを意識した場合に、例えばこういったものは国家目標の規定という規定の仕方になじむというお考えの権利がありましたら教えていただきたいというのが小山先生への質問でございます。
 そして、両先生への質問は、前回も私同じ質問をさせていただいたんですが、この憲法というものは誰を名あて人にしているんでしょうかという点につきまして、前回、高橋先生は国家を名あて人にしていますというお話がありました。
 それに関連をしまして、今回私ども自由民主党の憲法改正草案の中には、国民の憲法尊重義務といいますか、それを規定をしております。もちろん、それとともに公務員に対する憲法擁護義務というのがありますので、一般の国民に対するものと公務員に対するその規定の仕方というのは当然違えているわけですけれども、こういった我々の憲法改正草案の中で、一般の国民、全て国民はこの憲法を尊重しなければならない、これはいわゆる訓示規定ということで規定をしておりますけれども、この規定を置くということの意味合いについて、これは両先生の方から御見解を賜ればというふうに思います。
#87
○会長(小坂憲次君) それでは、小山参考人、お願いいたします。
#88
○参考人(小山剛君) 最初の御質問は、こういった世代間というものを意識すべき条項があるかどうかということですね、ほかに。環境はその一例だと思いますけれども、例えば年金なども世代間契約みたいなのがありますし、そういった観点もありますし、あるいは財政みたいなものもやっぱり将来の世代というのは当然考えなきゃいけないとか、そういったものはたくさんあると思うんですけれども、別に国家目標規定という形式で記述すべきようなものではないような感じがします。
 また、実際の国家目標規定、ドイツで使われている、あるいは提案されたやつを見てみますと、環境以外に例えば動物保護というのが入っているんですね。ただ、これはちょっと憲法で書く必要があるのかという感じがします。あと、提案されたやつでいいますと、スポーツですとかあるいは文化といったものですね。スポーツなんというのは、割とスポーツ系の憲法学者だとか国会議員とかがそういうのを提案するみたいなんですけれども、ただ、それが実現には至っていないというのは、やはりこの国家目標規定という形であえて記述する場合には、やっぱりそれだけの重要度のあるものに限っていこうというところがあるんじゃないかというふうに思っております。
 二番目の御質問ですけれども……
#89
○磯崎仁彦君 憲法の尊重義務。
#90
○参考人(小山剛君) 憲法の尊重義務、そうですね。九十九条の、憲法の尊重、国民を入れるかどうかですね。
 国民がこれはやっぱり憲法を支える第一の、また最終的な担い手であるというのは、それはそのとおりだというように思います。ただ、それを憲法で書くべきことかどうかということだと思うんですね。どんな憲法も、やっぱり国民の支持がないと実効性というのは決して持たないと。国民がそれを支える意思があって初めて憲法というのは実効性を持って、立法府をも拘束するし、それから裁判所も拘束するということだと思います。
 ですから、国民がこの憲法を、尊重擁護という言葉で言うかどうかは別として、支えるというのは、それが全ての始まりだと思いますが、憲法のやっぱり条文に何を書くのかというと、それは憲法の前提であって、条文の中身じゃないんじゃないかという感じがします。やっぱり国民が憲法というものを通じて国政の担当者に対して憲法をちゃんと尊重しろよという命令を下すというのが、要するに公務員等々に憲法尊重擁護義務が課されているポイントじゃないかというふうに思っています。
#91
○参考人(小林節君) 憲法の名あて人は誰か。前回の先生方が国家であるとおっしゃったというんですけれども、これ抽象的でつい間違えてしまうんですけれども、例えば私がスピード違反で捕まったとすると、それは国の約束に反して国に捕まったわけですよね。だけれども、具体的には、国というのは肉体を持っていませんから、国の名で行動をし得る自然人、すなわち私を捕まえた警察官に捕まるわけですよね。何を言いたいかというと、国家を規律しますと言うと分からなくなるので、国家権力を担当している方々を、この部屋にもたくさんいるけど、方々を規律するのが憲法のお仕事でということですね。
 でありまして、もうこれも三十年来、自民党の勉強会でよく聞かれた話ですけど、憲法尊重擁護義務というのは公務員に、政治家以下の公務員にしか向けられていない、一般国民には憲法を守る義務はないのかって質問を何度も何度も三十年前から聞いていますけれども、もう不愉快そうに、何で俺たちだけ縛るんだって。でも、憲法ってそういうものなんですよってお答えと同時に、ついでに、いけなかったんですね、リップサービスみたいに、いや、それは、この憲法のいわゆる執筆者御本人は国民大衆でありますから、当然、書いた人々がこれを無視していいと言うはずはないんで、国民大衆にも憲法尊重擁護義務は、まあ言わずもがなのことではありますが、あるんですよとか言ってしまったんですね。
 だけど、よく考えたら、日本国憲法も淵源をたどるとアメリカの独立宣言に行くと思うんです。つまり、人が幸福になるために政府をつくった、その政府が幸福に反したら倒していい、取り替えていいって書いてあるんですね。その新しい政府の仕組みが憲法なんですね。あれはアメリカ独立戦争と言いますけど、アメリカンレボリューションと英語では言いますよね、革命なんです、王制に対する共和制の。
 だから、そういう意味でいくと、憲法尊重擁護義務、権力者たちに課して、それがどうにも機能しなかったら国民はその全体を取り替える権利があるはずなんです。そういう意味では、それは革命権という憲法上の用語になるんですけど、そういう意味からいったら、国民に憲法尊重擁護義務があるというのは議論のあるところだと思います、非権力者たる国民大衆に。
 そういう意味では、自民党の今回の案は私はおかしいと思います。憲法尊重擁護義務の第一項に国民全体に義務があるぞと言っておいて、二項で公務員にも義務があるぞと。これ、二項だけ置いときゃいいこと、少なくとも順番も逆転している。これは、何というかしら、見てびっくりしました。
 以上です。
#92
○会長(小坂憲次君) 時間が参りましたので、次へ参ります。
 江口克彦君。
#93
○江口克彦君 ありがとうございます。みんなの党の江口克彦です。簡単に質問をさせていただきます。
 実は、参議院の本会議がこのところずっと開かれているわけですけれども、五月二十二日に開かれた本会議では三十九人が欠席している、二十四日は二十九人が欠席している、二十七日は五十三人が欠席している、二十九日には四十一人が欠席している、今日は最終は五十二人が欠席しているという状況です。
 今日もこの欠席している人は三〇%にも及んでいるということ、それから見ても、私は参議院は不要ではないか、一院制でいいんじゃないかというふうに思いますが、先生、せっかく出席されていて御覧になってどう思われますか、この参議院のこの国会議員の状況を、ということを小林先生と小山先生にお尋ねしたい。
 それからもう一つは、九十六条だけを改正するということについては小林先生は反対をされていますけれども、憲法は改正しなきゃいけないというふうに考えておられると思いますけれども、具体的に、小林先生の試案、憲法試案、全体の試案、小林試案というようなものをお持ちになっておられるのかどうかということです。
 今、私は、国会で、九十六条だけを改正しろ、改正しろというその動きは、私は間違いだと思うんですね。言う以上は、憲法九十六条の向こう側にちゃんと、個人的であろうと党であろうと、憲法改正案を持っていないといけない。持った上で九十六条改正案を言うならいいですけど、九十六条だけを改正、改正と言っているのは私はおかしいと思いますけれども、それはいかがなのかと。試案と同時に御質問します。
 最後です。
 もう一つは、解釈改憲ということがずっと行われているわけですね。解釈改憲ということは、これは実際に現行憲法を読んだら軍隊、自衛隊なんて持てないんですよというふうに、私はどう見たってそう思うんですね。だけど、それを解釈しているわけですよね。憲法を解釈して、そして持てるようにしているわけで。余り論じられませんけれども、私学助成金もそうなんですね。私学助成金もこれ憲法違反なんですね。公金を私の機関に投入してはならないというふうなことになっているわけで。
 そういうことになってくると、こういう憲法を解釈して、憲法を解釈してというこういうやり方がいいのかどうか。これは好ましくないという結論になると思いますけれども、小林先生と小山先生にお話、お答えを教えていただければと思います。
 以上です。
#94
○会長(小坂憲次君) ただいまの江口君の質問の中で欠席者の人数が提示がございましたが、本日は最初二百十一名出席していたと思われますので、この数につきましては改めて理事の方からも異議がございました。理事会で訂正がなされる場合があるかと思いますが、そのことを踏まえた上で両参考人から御答弁をいただきたいと思います。
 それでは、小林参考人からお願いいたします。
#95
○参考人(小林節君) みんないろんな仕事を持っていて忙しいわけですから、出たり入ったりというのは世の常であると私は思います。それで、この場にいてどう思ったか。こんなにかみ合った議論をたくさんさせていただいて、とても生産的であると思います。
 それから、九十六条の先に、改正反対よりも先に試案を持っているのかと言われますと、私は既に若いころから、二十年以上前から試案を、フルセットで試案を出しております。それはいつでもバージョンアップを頭の中でしておりますが、ただ、もはや試案をぶつけ合うときではないと思います。自民党が立派な試案を出してくれたんですから、あれはたたき台というか、たたかれ台というか、あれを基に、ほかの党が試案を出さなかったら議論は始まらないというのは、これ、そういうことを言ったら、永遠に出さないことによってサボタージュする相手がいると思う。あの自民党のフルセットのものをみんなでたたいて良きものにすればいいと思うんです。そういう意味でも、私は私の試案を最近は口にしないようにしております。個別に聞かれたら自民党案を題材に文句言います。
 それから、解釈改憲の限界ですけど、ただ、私は、ここまでやってしまった以上、もし正攻法の改憲がなされなかったら解釈改憲でいけばいいと思っています。憲法が残って国が滅んでも困りますから。海外派兵だって、私は賛成じゃないですけれども、集団的自衛権だって別に憲法条文上の問題があるわけじゃないですから、歴史的いきさつから内閣が勝手に閣議決定で決めただけのことですから、また新しい理屈を付けて状況が変わったら閣議決定し直せばいいことで、私は正攻法の改憲論者ですけど、駄目な場合は解釈改憲でこのまま日本的にいけばいいと思っております。
 以上です。
#96
○会長(小坂憲次君) 小山参考人、お願いいたします。
#97
○参考人(小山剛君) 先ほど一院制というお話ありましたけれども、私は一院制は望ましいと思っていませんけれども、ただ、統治の部分は、先ほど言いましたように、これはやっぱりルールとして決まっているところがありますので、人権と比べて柔軟性に乏しいわけですね。仮にそれが原因で政治が前に進まないということであれば、それはいろいろな手当てを憲法改正によって必要であればしていくということになるんじゃないかと思います。
 それから、解釈改憲ですけれども、これは、憲法学者としては、憲法の条文と憲法現実の間のずれというのはやっぱり埋めたいと思います。一つは、もちろん、ある事実を違憲として退けるという形でやることもあれば、他方、憲法改正という形でやっていくこともあるだろうと。
 ただ、ちょっと学問を離れてみると、九条につきましては、道路のスピード制限、例えば三十キロみたいな標識だと思うんですね。要するに、三十キロが制限だとなっているから、五十キロで走る車はあるかもしれないけど、百キロ出して走る車というのはないと思うんですね。ですから、憲法九条に実効性があるかどうかというのは、ある、ないと二択で答えるものではなくて、やはりそれなりに歯止めを掛けているという形での相対的な実効性というか、存在意義というのはあるんじゃないかというふうに思っています。
#98
○会長(小坂憲次君) ありがとうございました。
#99
○江口克彦君 一言。済みません。
#100
○会長(小坂憲次君) 江口君、どうぞ。
#101
○江口克彦君 済みません。
 先ほどの人数ですけど、確かに本会議、今日は二百十二名でしたけれども、二十名ほどが最後には、報告のときには抜けていると。ちゃんと勘定していましたので、数には間違いありません。
#102
○会長(小坂憲次君) 先ほど私の方から、理事及び理事会という表現をしましたが、幹事及び幹事会と訂正をさせていただきます。
 追加の御質問はありませんか。──ないようでございますので、それでは、以上で質疑を終了いたします。
 この際、一言御挨拶申し上げます。
 本日は、小林参考人、小山参考人におかれましては、貴重な御意見を賜りまして、誠にありがとうございました。審査会を代表いたしまして心から感謝を申し上げます。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後三時十四分散会
ソース: 国立国会図書館
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