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2013/02/27 第183回国会 参議院 参議院会議録情報 第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第2号
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2013/02/27 第183回国会 参議院

参議院会議録情報 第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第2号

#1
第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第2号
平成二十五年二月二十七日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月六日
    辞任         補欠選任
     吉田 忠智君     福島みずほ君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         直嶋 正行君
    理 事
                難波 奨二君
                西村まさみ君
                石井 浩郎君
                岡田  広君
                横山 信一君
                柴田  巧君
    委 員
                相原久美子君
                川崎  稔君
                中谷 智司君
                羽田雄一郎君
                藤谷 光信君
                前川 清成君
                石井みどり君
                岩井 茂樹君
                加治屋義人君
                高階恵美子君
                中西 祐介君
                渡辺 猛之君
                山田 太郎君
                田村 智子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        小林  仁君
   参考人
       立川市大山自治
       会会長      佐藤 良子君
       特定非営利活動
       法人ネットワー
       クオレンジ代表
       理事       小野寺美厚君
       早稲田大学教育
       ・総合科学学術
       院教授
       過疎問題懇談会
       座長       宮口とし廸君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○共生社会・地域活性化に関する調査
 (「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち
 、次世代へつなげる活力ある地域社会(地域に
 おける社会包摂と多様性の確保))
    ─────────────
#2
○会長(直嶋正行君) ただいまから共生社会・地域活性化に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る六日、吉田忠智君が委員を辞任され、その補欠として福島みずほ君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(直嶋正行君) 共生社会・地域活性化に関する調査を議題といたします。
 「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち、「次世代へつなげる活力ある地域社会」について調査を行うに当たって、本日は「地域における社会包摂と多様性の確保」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、立川市大山自治会会長佐藤良子君、特定非営利活動法人ネットワークオレンジ代表理事小野寺美厚君及び早稲田大学教育・総合科学学術院教授・過疎問題懇談会座長宮口とし廸君の三名でございます。
 この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、大変御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして誠にありがとうございます。
 参考人の皆様から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 また、参考人、質疑者とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、佐藤参考人からお願いをいたします。佐藤参考人。
#4
○参考人(佐藤良子君) 皆さん、こんにちは。今日はお招きいただきまして、ありがとうございます。
 私たちの町、都会にありながら地縁がなくて無縁社会になり、それから少子化になり、高齢者社会になっている社会をどう築き上げて再生するかというところを課題にしてまちづくりを行いました。
 最初は余り関心がなかったまちづくりだったんですけれど、私がちょうど監査を受けたときに、余りの偽造の、お金と公金がこんなに使われているのがとても嫌だなという思いをしまして、いろんな若い世代と話し合いながら結成して、自治会をどう構築していくかというところを課題にして、そして私は平成八年から自治会活動にデビューいたしました。
 本当にこれからのそういう無縁になっている社会を地縁にする社会をつくるということと、それから、行政にできない部分を私たちがどうやってまちづくりをするかというところがとても大きな課題でしたので、まず、虐待があり、高齢者の孤独死があり、そして無縁になっていく。隣の人が誰が住んでいるかも分からない、そういう都会での町をどういうふうにしたら人をつなげていくかというところに、私は先に立候補いたしまして、役員の、棟に区制を引いておりますので、区の役員として立候補して、そして心ある人たちで全てつながって、半分以上が立候補でその年はなったかなと思っております。
 そして、やはりみんなが見たときに、どういう町にしたいか、気が付く町にするにはどうしたらいいかということを課題にしまして、自治会の役員がどういう形で選ばれるかということもとても無関心だったところを住民投票にしまして、そして自分たちに、この人にやってもらったらいい町ができるんじゃないかということを画期的に考えていただく。その年の、平成九年の投票率は九五%、すごい関心があったんだと思います。そこから私はスタートをして、最初は一年目は副会長でしたが、平成十一年から会長に就任して今年で十三年目の町おこしをやってきました。
 やっぱり短い間ではとても町おこしはできないので、長期戦で、まず五年区切りでどういう町をつくっていけばいいかということを念頭にし、テーマも作り、そして、みんなで相談して考えた町をつくろうということから始まりました。
 そのときに、幼児の虐待が三件続きまして、高齢者虐待もあり、それから年間に五件ぐらいの孤独死があり、とても大変なスタートだったんですけれど、こんなにいいところに、自然環境に恵まれたところで独り、仲間が寂しく去っていくということはとても私たち心が痛い思いをしたので、まず一番最初に考えて、人と人とを結ぶためにはどうしたらいいかと、孤独死ゼロ作戦。それから、路上の確保という意味では、救急車やそれから消防自動車が常に車が邪魔されないようにするための手だてとして、路上の確保、違法駐車の撲滅運動などを手掛けてやってまいりました。
 そのために、たくさんの人と会話しながら、小グループ式の、いろんな意見を聞いたりアンケート調査をして、そして、アンケート調査で一番念頭にあったのが葬儀でした。葬儀をやるときに、突然やってくるものに対してどうやったらいいのかということと、高齢者社会を、私たちは不安なことばかりだという、そういう意見もたくさんありましたので、それをクリアするためにはどうしたらいいか、子供の虐待をなくすためにはどうしたらいいか、家庭円満に生活するためにどうしたらいいか、そこら辺が相当な課題として私は取り上げて、この調査資料にもたくさん書かせてもらっていますけれど、まず、一番最初の十一年のテーマは、子供にとっては、行きたい学校がある、そして家庭ではほっとできるような帰りたい家がある、三番目には住み続けたい地域がある、これを目標にして今も続けております。
 今は、アンケート調査をすると、ここに一生住み続けたい、ここへ来て良かった、ここで最期を迎えたいというアンケートが多くなりまして、私たちもやったかいがあったなと考えました。
 そして、今もなお少子化になったり、三三%の高齢化率なので、高齢者にとってどういう社会がいいのかということを検討したときに、やはり自立する社会、そして自立する自治会組織、行政に余り頼らないで自分たちでできる町をおこそうということで、四本の柱をつくって今活動しているところです。
 まず、住民が何でも物が言えて、物が考えられたアイデアをたくさん提供していただいて、それが、住民主人公のまちづくりをしようというんで、平成の市能工商というのを立ち上げました。まず、市は、住民の主人公の町。
 能は、能力のある人が、今は千六百世帯、ちょっと古い資料になっておりますけど、昨年でちょうど千六百世帯になりまして、人口も四千人を迎え入れております。その中に、たくさんの会社を辞めた方、能力のある方、技術のある方、そういう人たちを集める、能力ということを二番目に置きました。市能の能です。
 これは、人材バンクをつくり上げまして、たくさんの技術のある方、知恵のある方、そういう方たちに登録をしていただいております。数えれば五十何人かの登録をさせていただいて、大工さんであったり電気屋さんであったり、それから着物の仕立屋さんであったり、昔は男性の背広の仕立てをしたとか、そういうところを全て公表しまして、多くの方にその人材バンクを利用させてもらっています。
 昨年の夏はとても暑くて、すごい網戸が壊れる事故がたくさんありましたけど、大工さんを卒業した方が本当に材料費だけでボランティアで修理をしていただく。電気の交換については、電気屋さんや企業と連携して、たくさんの電気の消灯したものを、高齢者の住宅に電灯をサービスをする。そのためには、自治会で二百本以上の電気を購入しまして、わざわざ遠くまで買いに行かなくても自治会で組織的に電気の交換が間に合うという、そういう高齢者にとっては優しいまちづくりを続けておりました。
 そのために、自立するためにはどういう自立があるのか、どういうふうにしたら高齢者を支えていけるかということが毎年のような課題でしたが、やはり自治会費というのはとても少ない、一世帯四百円で賄って、年間で五百八十万ぐらいいただいているんですけれど、それを住民のために、運動会であったり、お祭りであったり、防災ウオークラリーであったり、防災訓練であったり、そういうものに使いこなしていく。
 それと同時に、やはり常に心配事があったり、それからいつでも防犯的なものがあったりしたときに、窓口の設置というところでは事務員を採用しております。そして、事務所もつくっております、大山自治会事務所。そこには専従職員を雇っております。ですから、私がいないときはその専従職員が私の役目を果たして相談に乗ってもらっていますし、月水金土の勤務なんですけれど、大体午後の一時から三時までは住民の相談窓口を開いております。いろんな、生活保護の問題だったり、それから介護の問題であったり、本当に年間で百件以上の相談はありますけれど、一度も今までにクリアできなかったことはなかったです。即効性でやるということと、土曜日が、行政が日曜日休み、五時以降は行政がない、そのときに私たちが住民にとってどういうサービスをして、どういうことをやって不安のない町をつくるかということが最初の問題でしたので、今は本当に、いろんな形の相談は今日の午前中に受けると午後には解決してあげるという、そういう即効性なので、余り行政に頼らなくてもできるシステムをつくっていく、自分の町の自立をするということの自立化を進めてまいりました。
 そのために、今は企業との連携もいたしまして、孤独死ゼロ作戦をどうするか。それには企業の連携もありましたし、住民一人の役割を果たしてもらうということでは、両隣の見守りネットワーク、両隣、隣の家だけを見てもらえれば、集合ポストなり玄関ポストなり、それからベランダから部屋をのぞいて見てもらったときにちょっと異変を感じたときに連絡をする。それから、子供たちが学校を三時ごろ下校するときには、やはり見守りをしていただくためには企業が一番完全なシステムとして私たちを応援していただいていますので、東京電力や東京ガス、水道局、それに新聞社、あらゆる各新聞社の配送社と提携いたしまして、朝刊入れて夕刊まで残っているときは通報してもらう、夕刊入れて朝刊まで入れてるときには通報していただく。
 そのために、私たちは住民が困らないような、不安がないような社会をつくるために、自治組織をつくるために二十四時間対応をいたしております。それは、私の携帯が、自治会で買ってもらっている携帯なんですけど、ここに電話が入ると、全ての棟に連絡委員という、連絡委員を設けておりまして、防犯、防災の連絡委員、それに各区の役員さんが一人ずつおりますので、その中に七、八人の体制も整えて、全て二百人体制で住民を守る組織をつくっております。
 そして、高齢者の方が喜んで生活してもらうためには、今、到底年金だけでは生活が困難です。国民年金は一月四万ぐらいしかもらえないので、それに私のところは東京都の住宅でもありますので、四万の、住宅の、年金に二二%の家賃が掛かるんです。そうすると、幾らになるんでしょうか、三万、六千三百円が家賃になるので、三万幾らで生活するかというと、光熱費、電話代、そういうものを払ったら、ほとんどの国民の年金をもらっている人は一万でしか食事が取れません。
 そういう状況をすると、七十五、六の方は、生活保護をもらうのは私にとってはとても恥ずかしいと。七十代の方は本当に、七十代以上の方はみんなそうやって我慢して生活しているんですけど、それに加えて、若い人たちは本当に生活保護をもらうのは当たり前という感じで生活しているので、市の方では生活保護をもらう隣にハローワークをつくって仕事をできる人にはどんどんサービスをしていけばいいという、市との交渉をしたり、それから、市が本当に東京電力や企業と連携すれば、立川全体の孤独死を防げる、見守りネットワークができるということを毎年のように市長に提言してきて、ようやく、二十五日、月曜日だったんですけど、その大きな電気会社とか水道局とか、それからガス会社と、それから新聞配送の全ての会社と、ようやく私たちが十年掛けてやった実績が証明されて、市が二十五日にその会社の企業と協定を結びました。ですから、本当良かったなという感じになりまして、これから市全体でそれを行えれば孤独死なんかないし、子供の虐待も見付けられるし、犯罪や防犯からも守れるという組織は企業と連携しなければできないなということをたくさん味わってきました。
 そういう町おこしをした中で、高齢者の方の自立をどう支えていけばいいかということで、今は、五人孤独死とかを機会にして、本当に隣近所の見守りネットワークをつくったということと、それは一人一役という役をやったおかげで、平成十六年から孤独死ゼロになりました。これは画期的な活動の一つだったなと思っています。
 そして、意識がだんだん高まりまして、今は、気が付く町、誰でもがどんなささいなことでも、そこら辺に落ちているごみも拾ってくれる、それから、子供が朝九時ごろちょろちょろ学校へ行っているよ、なぜあんな遅くに学校へ行くんだろうという、大人が学校に通報してくれたり、それから私たちの子育て支援に通報してくれる、そういうシステムをたくさんつくったおかげで、子供たちを守り、高齢者を守り、そして、高齢者の一番不安なことは何かということのアンケートをしたときに、やはり葬儀でした。突然やってくる葬儀をどうしたらいいか。そして、葬儀で二件ほど借金をつくった方がいました。
 そういうことからして、やっぱりみんな仲間をいいお見送りをしようというので、自治会葬という葬儀もやっております。そうすると、私たちの集会所で借りてお葬儀を出すと三万二千円でできるんですね、全て。ですから、お金も掛けずに、生きたお金を使うということでは、それは葬儀で喜ばれているというと語弊なんですけど、とても感謝されております。年間で三十五人ぐらい亡くなりますので、私が会長をやってから三百六十人ほど送りました。
 そんなことで、葬儀や、みんなが助けていく、見守りをしていくということが気が付く町として、今はすごい周りからもどうやったらいいのという感じで視察も多いし、それから私たちのつくった町は当たり前の町としてつくったんですけど、当たり前の町が本当に当たり前の町としてできない各市町村の状況を見たときに、いつも、私も参考としてお呼びいただいているんですけれど、それはやっぱり個人情報の云々が邪魔をしております。
 私の町では、個人情報は取っ払いまして、全て、高齢者の名簿、子供の名簿、全体名簿、障害者名簿、それから身体の不自由な人の名簿、全て取りそろえて、弱者支援という形では、いざ地震や火災が発生したときにどういう人たちがどういう形で支援していけばいいかということで、弱者支援では弱者に二人のサポーターを付けて応援しております。
 ですから、高齢者の九十の方でも、それから車椅子の方でも、全ての方が役員をちゃんと気持ちよく受けていただいて、サポーターが協力していただけますので、本当に和やかに一つのチームとして、役として請け負って自分の責任を果たしていただくということがとても喜ばれておりますし、誰でもが役員をやれるような体制を取るにはボランティア組織の拡大をしております。
 ボランティアさんは、今で十の項目のボランティアがありますけれど、四百二十七名の方のボランティアさんがいらっしゃいます。その方に多種多様なボランティアで住民を支えてもらう。そして、誰でもが自分がいつかは助けられる、元気なときはみんなで助けていきましょうという形で、それで元気な人は支え合う。そして、弱った人は、昔は支えたので今は甘えて支えてもらってくださいというような形で、人のつながる町、地縁社会が十年掛けてやっとできて、私にとっては理想の町ができたかなというふうに思っております。
 そんなことで、まだしゃべるとうんとあるんですけど、まちづくりは根気が要って、それから本当に強気でもやらなきゃいけないし、明るくて元気で陽気でやっていく、やる気があるのが最後は私たちの町を支えるということで、それを念頭にして活動してまいりました。
 二十分ですので、以上です。
 ありがとうございます。
#5
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 次に、小野寺参考人にお願いいたします。小野寺参考人。
#6
○参考人(小野寺美厚君) 気仙沼から参りました、ネットワークオレンジの小野寺と申します。(資料映写)
 私たちネットワークオレンジというのは、実は、今から二十年前、私の双子の息子が障害を持って生まれてまいりました。その当時というのはまだ障害者自立支援法も施行されていないときでして、障害のある人たちが実際健常者の、健常者というか、普通の方々と同じ環境で生活を共にしていくということが大変難しい時代でした。私は、様々な子供たちのそういう課題を目の当たりにしまして、障害があってもなくてもみんながまちづくりの主役として活躍できる地域をつくらなければいけない、それが親としての使命だということでこの活動をスタートしました。
 私たちが活動を始めたのは平成十四年の八月からです。その前までは何をしていたのかといいますと、地元の福祉、とにかく制度もですけれども、一体、障害のある人たちの社会参加支援ですとか就労支援というのがどういう仕組みでつくられているのか知らないで非難するのはとても違うと思いましたので、実際自分が地元の親の会の事務局をやったりですとか、あとは育成会連合会といって、全体の大きな会の気仙沼の事務局をやったりとか、そういうふうなことをしながら、実際、福祉ってどういうふうに動いているんだろうかということを勉強してまいりました。その経験を踏んで、これではない、今までにないような仕組みで、障害のある人だけではなくて、地域の老人、様々な方々、課題を抱えて生活をしている方、商店街の方、人口も少ないのでシャッター通りとなっている、そういう部分も含めて全部解決をしていく仕組みをつくろうということでこの活動をスタートしました。
 平成十四年に私と仲間二人でフリーマーケットを始めるんです。そのフリーマーケットというのは、その当時ビーズアクセサリーが大変流行しておりまして、それを障害のある息子たちや障害のあるほかのお子さんたちと一緒に作る。でも、彼らは大勢の前で商売というか販売はできないんですね、障害から来る緊張であったり、そういうふうな特性があって。そういうのを、私たちがフリーマーケットに出店をして、彼らと一緒に作ったビーズアクセサリーを売って、それを基に活動費として捻出してきました。なので、従来の親の会の年会費に頼るという運営ではなくて、自分たちの活動は自分たちの意思を持って自分たちのお金でつくっていくんだということでスタートしたんです。
 一九九二年となっておりますが、ここがちょっと間違いでして、二〇〇三年です。平成十四年の八月にフリーマーケットでスタートしました。そして、次の年、任意団体をつくりましょうと。知的障がい者の社会参加支援ネットワークオレンジです。すごい長ったらしい名前なんですけど、なぜこの名前にしたか。これは、あなたたち一体どういう団体ですかということを聞かれないために、答えを団体のネーミングに当てました。
 私たちがこの名前でこういうふうなものを販売をするというだけで、この人たちは福祉団体、福祉のことをやっている人たちなんだねというふうにお客さんの方から声を掛けてくださったり、あとは支援者となってくださったり、そういうふうなネットワークができました。そうこうしているうちに、フリーマーケット仲間から、その中にまちづくり団体さんもいまして、一緒に気仙沼市の築五十年の空き店舗を活用して、地元の人たちやあなたたちの活動の拠点に使ってもいいから、そういうふうな人が交流し合う場所をつくりましょうというお話をいただきまして、平成十六年に地元団体さんとの協働で駄菓子屋を運営します。店番は私たちがやっていました。
 その中で、私は、障害のある人たちを日中お預かりする、そういう活動を有償事業で始めました。私はやはり、徹底的に、今のこの逆境を使って新しい仕組みをつくるという思いで挑んでやっていましたので、実はもうこの時点で十年ビジョンというのを立ち上げていました。今も自分のビジョンシートというのを持っていまして、それは、十年後、十年分ですね、一年ごとに、こういうことをして成果を出したらこうするというものを持って着実に運営しています。その中の、空き店舗を使っての交流の場所、これが実は物すごい反響がありまして、地元のシャッター通り、本当に閑古鳥が鳴いているような通りだったんですけれども、東京や仙台、いろんなところからお客さんが週末、車で訪れてくれるような観光スポットになりました。
 ここでは、主に駄菓子を売ったり、障害のある人たちが販売体験を行ったり、あと、地区の子供たちや婦人会、商店街の人たちを巻き込んでの季節のイベントをやったりしていました。たった五坪の店舗で、水道もトイレもない場所でこういう活動をスタートしたんです。障害のあるお子さんが、車椅子の子供がトイレに行きたいと言ったら、お客さんがたくさん来ていても、お客さんを外に一回出ていただいて、窓を閉めて、五十メートル先の船着場に子供を車椅子を押して連れていく、その間、お客さんに待っていてもらう、最初はそういうことからスタートしたんです。でも、クレームどころか皆さんすごく待っていてくださって、そのうち、隣近所のお店屋さんも自分から、店番をしてあげるよとか、婦人会の方では私たちも会議でこの場所を使いたいので店番をしたいという自発的な声を掛けていただいて、本当に、何でしょう、お給料なんか出ないんですけど、皆さんのそういう協力でこのお店がずっと維持されていました。四年間くらい維持したと思います。
 売っているものが駄菓子なので、そんなに、お客さんがたくさん来てももうけにはならないんですけれども、そこの中で、障害のある人たちがこういうふうにして私たちの環境の中で生活しているんだとか、障害のある人ってこういうふうな場所はすごく大変だよねということを目の当たりに皆さんに感じていただくことができました。
 そういうふうな実績をつくって、二〇〇八年に法人を立ち上げるわけです。私たち、ずっと自活運営でやってきて、その日中預かりも、トイレも水道も出ない場所なのに、半日で千円利用者さんからいただいて子供さんを見ていました。最初は私と仲間とその利用者さんを見るというところから始まったんですが、だんだんに近くの専門学校の学生たちが、勉強の一環で店番をしたい、子供たちを見たいということで、十人くらいがお手伝いに来ていただくようになりました。四人の利用者さんを、お預かりから始まったんですが、最終的には八名、そんな悪い環境の中でも、皆さんやはり人との交流というのは重要であるということをすごく強く思っていただいて、八名、私たちの事業に登録をしていただくようになりました。この方たちは今現在も私たちの事業所の利用者さんとして一緒に活動しています。
 私、このときに、この取組を地域塾、日中の預かりを地域塾という名前にしました。私の持論なんですけれども、障害のある、どんな重い発達障害、そしてあとは、発達障害や知的障害があったとしても、早期療育をしていくことで将来的な社会参加は十分可能であるという、そういうふうなことをここの場所ですごく感じさせられましたので、地域塾の中で、小学校一年生から学校を卒業するまでの方たちを対象に徐々に制度、事業を入れて、放課後デイとか、あとは地域活動支援センターというような市町村事業もやっていく流れをつかみました。
 ネットワークオレンジ、法人化をしてどういうふうに事業を大きくしていったかといいますと、まず一つは福祉、福祉事業です。障害のある人たちを地域の中で療育をしていく、社会生活訓練を実践していくということです。皆さん、障害といっても軽い障害ではなくて、自傷、他傷、電柱に頭をぶつけていったりとか、物すごい激しい障害のお子さんもいらっしゃいますが、スタッフが付いてきちんとした社会生活訓練、療育を実践していけば、こういうふうに、これはハロウィンのイベントなんですけれども、親御さんとスタッフと地域の支援者の方たちと一緒に町の中でこんなイベントもできちゃうんです。
 もう一つ、これをやることによって、学校卒業後、地域の中で生活できやすいお子さんに育てていくという目標があります、福祉事業の方は。
 もう一つ、受皿としての地域に関しては、市長さんや地元銀行の理事長、そして商店会や様々な市民団体、民生委員さんもそうです、そういう方たちを交えての講座、まちづくり講座やシンポジウムを開催してきました。
 私たちの地域の仲間というのは、こういう大変な人たちもいて、でも大変な人たちは今こうやって地域の中で、将来自分で生活してみんなと一緒に豊かに生きていくために今実践をしている、勉強している、将来受皿となったらこういう人たちをお客さんとして迎え入れるそういうサービスをつくったり、そういうふうな、ないもの、今欲しくてもないものをきちんと形にしていきましょうということを訴えてきました。これは、実はもうずっと、法人を設立してから市長さんや地元のそういう顔の方々ですね、そういう人たちと一緒に勉強会をやってきたということもありまして、私たちの事業が物すごく高い評価を受けることになります。
 今まで、ネットワークオレンジ、もっと受賞しているんですけど、主な受賞歴ということで、東北ニュービジネス協議会の第一号ソーシャルアントレプレナー大賞をいただいております。私たち本当に市民団体だったんですけれども、東北のビジネス団体の方々にも、この取組は物すごい将来性が高いということで賞をいただきました。その次の年には、社会イノベーター公志園といって、経済団体の方々やたくさんの今国の中心で活躍されている方々から認めていただきまして、グランプリに次ぐ審査員特別賞をいただきました。震災のときには、地元気仙沼からも社会貢献大賞などをいただいております。
 ただ障害者とその地域の受皿を開拓してきただけではなくて、実はこの歴史の中にきちんと雇用というものも入っています。私たちはなぜ最悪の環境から始めてきたのか。それは、ニーズを探っていくためなんです。今ないサービスで本当は一番皆さんが重要だ、必要だと思っているものって何だということを、やはり一番ひどい、まだ整備されていない環境に飛び込むことで私たちが感じて、今必要なサービスをすぐ始められるということは私の狙いでもありました。そういう意味では、NPO法人というのは私にとってはすごくいい制度だなというふうに感じています。
 ちょっと前に戻りますけれども、雇用が発生したのは、実は二〇〇八年に法人を設立したときに初めて、今まで親の会の会費とかそういう自動的に入ってくるものには頼らないぞというふうに突っぱねてやっていたんですけれども、気仙沼のまちづくりの職員の方から、あなたたち、かなり実績のある活動をやってきているので、ちょっと登竜門的なものに挑戦してみないかというお話をいただきました。それは、宮城県で大きく今やられているみやぎNPO夢ファンドというものなんですね。
 それで、気仙沼の団体さんでまだこの賞を取ったことがない、三年間で百万円ずつの助成を受けられる、そういうふうな助成だったんですけれども、気仙沼ではまだいないと。そういうところにオレンジ、一番最初で挑戦してみましょうということで、やったんです。そうしたら、取れたんです。そのお金を使って、自活をやっていた分、あとプラス補填ということで助成金をいただきながら、常勤のスタッフを二名、非常勤二名、常勤スタッフ二名ということでスタートし、回してきました。
 これまでの自主事業の実績もありまして、年々、平成十八年は百四十万、十九年は二百六十万、二十年は七百万で、二十一年は二千万、二十二年は三千万で、昨年は助成金、海外からの支援金などもありましたので五千五百万、そういうふうに右肩上がりのそういうふうな成果も出してきています。
 現在の取組なんですけれども、この地域塾というものがかなり発展してきまして、小学校一年生からの放課後等デイサービスがあり、十八歳以上の地域活動支援センターが別々の場所でやられることになりました。そして、グループホーム、ケアホームなどもスタートしました。そして、あとは、子供だけが成長しても親御さんが不安が解消されなければ何もならないということで、オレンジスクールもスタートしています。
 まちづくりの方は、気仙沼みらい創造塾というものを立ち上げまして、これは震災後の影響も物すごくあったんですけれども、被災した方々、これから商店の人たちもそうですけど、こういう時期に新しいビジネス、被災地ビジネスを立ち上げたい、考えたいという人たちを集めまして、毎月、ビジネス講座から暮らしの講座まで幅広い内容で講座をやっております。
 その延長線上にですけれども、そのビジョンシートの中の、本当はもう三年後、十年後でしたか、ごめんなさい、ちょっと忘れたんですけれども、かなりビジョンシートの中にもう既に書き込まれていた「共に創ろう!東北マルシェ」という、そういう事業も実は震災から始まっています。
 これは、まず東日本大震災で気仙沼は大きな被害を受けました。その中で七万いた人口が六万九千人になってしまいまして、人がいなくなってきた。そして、今までお店をやっていた場所も、津波が来てしまったために運営できないという状況になりまして、とにかくコミュニティービジネス、店舗を持たないビジネスというのを今この東北マルシェではやっています。ノウハウを皆さんに提供して、新しい発想でマルシェを通して実践をしていただくというのが狙いです。
 ネットワークオレンジでは、このマルシェのほかに心のケア、家族や会社や家、様々なものが一瞬のうちになくなってしまったために、皆さん、創造的産業をする前に心がぽっきり折れてしまっているんですね。そういった人たちをスタッフ総出で支援をしまして、一万三千七百二十六人を現在まで支援をさせていただいております。
 そのほか、東北マルシェのほかにですが、今経済団体や行政や大学そして市民団体、様々な方々とネットワークをつくりまして、東北未来創造イニシアティブというのを五年計画で取り組ませていただいています。これは、東北マルシェにもかぶさっているんですけれども、新しい発想でこの現状をうまく活用して、そして持続できるビジネスをつくっていきましょう、そしてタフな人材を育てていきましょうということが狙いです。私は、気仙沼サテライトを担当しておりまして、私のところからは今現在七名が三月に起業する予定で頑張っております。
 ばあっと駆け足でお話をさせていただきましたが、この後質問でお答えしていきたいと思います。
 ありがとうございました。
#7
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして宮口参考人にお願いいたします。宮口参考人。
#8
○参考人(宮口とし廸君) 早稲田大学の宮口と申します。
 専門は、地理学、特に社会地理学と称しておりますけれども、地理学というのは余り日本でははやらないんですが、世の中がいろいろ違っていると、何で違っているのかと。要するに、多様性から出発する、そういう学問であると。私は主として都市とは対極にある価値を持つ田舎といいますか、農山村といいますか、そういう地域について広い諸外国とも比べながら研究をしてきた人間であります。過疎地域ということにつきましても、単に困っている地域ではないのだ、そこには都市にはない価値があるのだというスタンスで議論をしてきた人間でございます。
 今日は写真をお見せしながらお話をさせていただきたいと思います。(資料映写)
 レジュメ、今日お配りしていただきましたけれども、そこには、日本の農村風景の基本、ふるさとのたたずまいということで、後ろに樹木に覆われた山がある、山の下に家並みがある、今映っている写真がそうでありますけれども。それから、本日は写真を一応プリントしてもお配りいただいているようで、どちらかを御覧ください。
 家の前に田んぼが広がっていると。田んぼには水が必要ですけれども、近くの小川から古い時代には水を引いて田んぼをつくったと、これが非常に安定した生活の場であったわけですね。連綿と現在にまでこういう風景が維持されている。裏山はこんな低い山なのに木に覆われているということに注目してください。要するに、前の田んぼで一生懸命働きさえすれば裏山で食べ物を作らなくてもよかった、これが日本のすばらしい風土であります。要するに、暑い時期に水があるということがいかにすごいことかということであります。
 今、最初の写真は大分県安心院町という、今は合併しましたけれども、九州の写真です。これは東北の遠野市、遠野盆地の写真です。九州の方は、照葉樹といいまして、冬になっても葉っぱが落ちない木が結構あります。東北は紅葉して葉っぱが落ちる。そういう自然の枠組みははっきり違うんですけれども、山の下に家があり、家の前に田んぼをつくって頑張ってきたと。山は山のまま保たれてきた。かつては多くは共有林であった、みんなの山だったわけであります、山を分割所有しないで。今の法律ではそれは無理なんですが。
 というわけで、九州と東北がいかによく似ているかということをここで確認をいただきたいと思います。
 自然の枠組みは大きく違っていた。山に生えている木は違う、あるいは冬になると北陸から東北では雪がたくさん降ります。この狭い日本列島で、雪国とそうではない地域の違いというのは極めて大きいんですけれども、それは冬の話である。夏は一緒になる。ということで、同じことを実はやってきたんだということですね。夏は熱帯の空気がやってくるわけです。暑い時期に水があるということがいかに農業にとってすばらしいことかということを基本的に押さえていただきたい。
 樹木に覆われた山ばっかりです、日本は。したがって、谷川が無数にあります。頑張ればどこへでも水を引いていくことができたんですね。というわけで、驚くべき水田の土地生産性。山に木が生えていますから、川の水にも少し栄養があります。というわけで、世界に例のない水田の生産力をもちろん人間の努力によって実現をしてきた。これを単純化すれば、小さい田んぼだけで食えちゃったということで、日本に小規模な農家が多いんだということを理解していただきたいと思います。そして、山は山としてそのまま保たれてきた。
 というわけで、世界をいろいろ歩きますと、我が国の農地ほど価値のある農地はない、世界の宝である。すばらしい自然の風土というものに人の営為、営みが持続的に積み重ねられてきたんだということですね。
 東南アジア、これは本来は豊かな風土ですけれども、山は伐採され、川の水は干上がりなんというところが随分今たくさん出てきております。それに対して、日本の農村がこのように落ち着いた風景を保ってきた。これは、都市の方へどんどん人が行き、都市が栄えた裏で人口減少、高齢化ということが進んだわけでありますけれども、しかし、今何とかこういう風景を維持してきたんだということを大きくまず理解をしておいていただきたいということですね。
 これは、宮城県の栗原という東北大震災の数年前に大きな地震に見舞われた内陸の農村でありますけれども、この田んぼに突っ立っておりますのは、稲を収穫した後に、くい掛けといいまして、地元ではほんにょと言うんですが、わざわざ棒を立てて稲を掛ける、もちろん横に棒を渡して稲を干すところもありますけれども、これこそ私は日本の農村の美しさの粋ではないかと。少し拡大しますと、こういうことなんです。
 こういうものは、やっぱり高度成長以降、農業の機械化の中でだんだん人間が手間を掛けないようになって相当減ってきていたんですね。しかし、私なんかが、都市に対して農村に一体どんな価値があるかということをよく考えてみましょう、皆さんがこういうことに手間を掛けてきたことが農村の価値ではないのですかということを田舎でよく言います。要するに、農村では都市で育てることのできないものに価値があるはずなんですね。都市の人はお金を掛けてジムに行って汗を流したりしている、皆さんは自分の土地で自分のやりたいことで汗を流してここに美しいものをつくってきたのではないかということで、結構また復活をしてきております。
 そういうふうに、都市と対比しながら、一方は人口減少、高齢化がこれは全国的に進んでいますけれども、その中にやっぱり自分たちが価値を見出して、誇りを持って生きていこうではありませんかということをずっと言いながら田舎と付き合ってきているわけであります。
 これは、能登の千枚田と言われてきた今は輪島市の一角にあります棚田、ここには稲が五株しか植えられない、このぐらいの田んぼがあります。世界一小さい田んぼだと威張っていいよといって、私は地元の人に言うわけですけれども。要するに、田んぼをつくって同じになることがみんなの願いであったわけですね。そして、こういう厳しい条件のところでも田んぼをつくった。今はもちろんこれを維持するのは大変なので、棚田の応援団的な人が都市にもおりまして、田植や稲刈りには一緒になってボランティアで働いて、夜は公民館でビールを飲んでというような関係が生まれてきております。
 ですから、こういうものの価値というものは、他人によって指摘されて、そして自分たちが、なるほど、自分たちは宝を持っているんだ、もうちょっと頑張ろうというふうに今世の中が少し動いていると。
 これは山口県の徳山市の山の中にあるすり鉢棚田と言われる、ここも一部荒れていたんですけれども、Uターンした人がもうちょっと頑張ってやろうよということで、今はきれいにまたつくられていると。
 それから、これは伊豆半島の山の中の、海辺の集落の背後の山の棚田が荒れ果てていた状態、これ全部荒れていたんですけれども、地元の人たちが、このおじいさんたちが、おい、このままじゃ俺たち天国へ行けないんじゃないか、極楽へ行けないんじゃないか、先祖の田んぼを荒らしちまったぜと。昭和四十年代から五十年代、伊豆の漁村の民宿というのはそれなりににぎわってお金が入ってきた、こういうところをやらなくなった。こういうふうに荒れていたのを、せめて下半分だけ頑張ろうぜといって、これは静岡市の市民の力、大学の学生の力も借りながら、七、八年掛けて何とかこの棚田を元に戻したということで、ちょっと個人の顔はぼかしてありますけれども、非常にうれしそうな顔をしておられます。そういうのもありますよということですね。
 ただし、日本の一部にはどうやって頑張っても田んぼができなかったようなところもあります。
 これは徳島県の旧祖谷と呼ばれてきた山村ですけれども、山の斜面そのものに畑をつくって何とか生活をしてきた。もちろん、いいところはだんだん埋まっていくわけですから、そこから枝分かれしてだんだん厳しいところへも入っていくわけです。厳しいところへ入って、あるところから頑張って棚田をつくる。しかし、それでもできないところもあったという。
 これ全部斜面の畑で生活をしてきた家でありまして、これが過疎対策等で集落道路が今は付けられ、自動車が上まで上がるようになっていますけれども、おばあちゃんが一人、あるいは高齢者が二人というような生活があり、なかなか厳しいところであると。これ、ここにも集落があるんですね。
 四国の太平洋側に向いた山村というのは、日本で最も厳しいところにも集落があります。これは、雪が降らなくて日当たりがいいものですから、一年中畑が何とかつくれたんですね。ですから、昔住み着いちゃった。しかし、今ここに住んでいる人を都市の病院までどうやって連れていくかというのがこういう町や村の非常に大きな課題としてのしかかってきている。じゃ、いっそのこと平野部に集落をつくって移ってもらえばいいじゃないかなんていう乱暴な議論がないわけではないんですけれども、しかし、やっぱりここで一生を終わりたいという方がほとんどなのだということですね。そういう集落には、こういう感じで家がある。周りの畑で何とか食べ物を作ってきたということですね。
 ですから、こういうところに、人間の努力という、信じられないような労力が注ぎ込まれてきたんだと。そういう意味では、これ自体が立派な遺産として我々は評価すべきであるというふうに考えております。
 これは、瀬戸内海のミカンの島です。斜面、山の上まで全部石垣を積んでミカン畑をかつてつくった。大変なことです。米が取れないところの人ほどとんでもない頑張りをしたという、そういう箇所が日本各地に点在をしていると。
 何で家がこんなにあるかといいますと、ミカンでやっていけるというのが分かったときに、おやじさんが頑張って、次男の分、三男の分も遠くの島にミカン畑をつくったんですね。普通、日本の水田農村は長子相続で、次男、三男は出ていったから、家が増えていないんです。ところが、ここの人たちは喜んじゃって頑張っちゃった。そういう日本的伝統がないこれは集落で、今は道が狭くて困っているという。
 これは、遠くの島へミカンを作りに行く船であります。今の集落だけで二百以上の船がかつてはあったと。
 それから、四国の宇和島市の南にある、地元では段畑、段々畑、ジャガイモ畑です。こんなものをよくつくったものですよね。この石垣の高さが畑の幅よりも高いというのを見ておいてください。
 それに対して、日本でそれだけ頑張ってきたというわけで、日本の普通の農地というのはすばらしい価値ある農地なんです。米の生産力、単位面積当たりは本当にすごいんです。というわけで、今、世界で食料があり余っている時代ではないときに、日本の農地を減らすと代わりはないんだということなんですね。やむなく減る部分はあります。だけど、政策として減らすのはいかがなものかというのが私の意見です。
 それから、暑さと水が同居しない世界というのが世界に多いわけです。
 これは、ヨーロッパのスペインでございます。夏の写真です。山は茶色です。草は枯れています。下は小麦畑です。しかも、山には木がない。春にはこういうふうに緑になりますが、これスペインの山です。一本も木がありません。下は小麦畑です。春にこういう緑になって、夏にまた枯れてしまいます。夏は雨が降らないというのは、そういうことでございます。
 何でこういう山になったかというと、小麦畑だけでは食い物が足りないというわけで、羊や豚や牛をどんどん増やして食べる。食べるための家畜を増やすために山を牧草地にしたという、そういう理屈でございます。
 それから、イタリア、スペインへ行きますと、これはオリーブの果樹園ですけれども、山を目いっぱい食べ物のために使ってきた。これはオリーブの果樹園で、なおかつ羊を飼っている。こうやって初めて今のヨーロッパの人口になれたんです。要するに、家畜の方が増やせた。地面から取れるものには限りがある。日本は、地面から頑張りさえすれば取れたので、家畜を食べずに済んだ国だということなんですね。
 これ、スイスです。山ばっかりで、斜面はほとんど牧草地。牛を飼ってきました。谷底は氷河が削って、畑にもなりません。そういうところでひたすら牛を飼ってきたスイスが、自給率六割近いという日本よりはるかに高い数字を、これは国家の方針として国民的合意の下に実現をしています。
 フランスのチーズの村ですけれども、こういうふうにブランド品のチーズを直接村で作りますので、牛の数をそんな増やさなくても専業農家が成り立つと。日本は、牛乳を出すだけなので、北海道の専業農家は百二十頭ぐらいいるんですね。
 それから、これ、フランスの麦畑です。
 一つだけ、御承知と思いますけれども、ヨーロッパのEU諸国、EECの時代から、ここにCAP、共通農業政策、CAPとレジュメに書いてありますが、これを堅持してきました。初期には、域内で取れた農産物は全部価格を保証するということにお金を使って、ヨーロッパでは農業が意欲を持つ農家によって今もきちっと続けられています。というわけで、農村風景は荒れていないのがEU諸国。今、拡大して少し問題ありますけれども、美しい農村があるということですね。
 ということで、都市に対して、レジュメの三番ですけれども、農村、特に過疎地域はどんな価値を持つか。過疎地域は、高度成長期に多くの人を送り出し、成長を支えた地域。当時、四十代の人が村で頑張っていましたけれども、初期は、二十代は出ていきました。そういう人が今七十代、八十代になって、何とか土地を使っている。そこには自然を扱う技の蓄積があるということであります。都市には都市の技があります。そこには芸術、スポーツ、シェフ、職人の技と書いておきましたけれども、農山村には土地を扱う技というものがございます。それは人間が育ててきた貴重な価値であります。そういうものを忘れてはいけないと。
 そういう中にまた新しい農村の姿、これは北海道の富良野、美瑛の辺りのラベンダー畑ですけれども、農家がこういうふうに花を工夫して、真ん中の白いのはジャガイモですけれども、畑そのものを見に来る人が今は増えています。こういうふうに、夏になるとたくさんのアルバイトを雇っていますけれども、こういう新しい農村の価値づくりというのも一方で生まれていると。
 これは美瑛という、毎年違う作物を植えれば毎年風景が違います。
 そして、農家民宿なんかは非常にゆとりと温かさで都市の人をほっとさせるというような新しい動きもたくさん育っています。経済的には、高知県でユズの加工品を三十数億売っている馬路村、これもお年寄りのユズ栽培に支えられています。そういうふうに、人間が土地を扱う技、ここに私は農山村の人間論的価値というのを見出したいわけであります。
 そして、農村の多くは集落によって支えられています。先ほどの段々畑ができたのも、集落のみんなで一緒に作業をしたからできたわけであります。今、高齢化が物すごく進んでおります。先ほど立川市でお年寄りをいかに見守るか、これ、都市で今新しい取組が進んでいることにはもちろん敬意を表します。しかし、農村には支える力というのは元々ありました。お年寄りだけになった集落で、みんなで集まって御飯を食べようぜというような動きが始まっている例もあります。
 それから、長野県の栄村では、げたばきヘルパーといって、六十過ぎたらみんなヘルパーの資格を取って、先ほど両隣を見守るという話がありましたが、げたを突っかけて見守りに行けるような関係をつくろうというようなことも、これは農山村本来の姿であります。
 農山村には、何よりも土地と家と食べ物、そして近所付き合いがある。その長い年月に支えられたゆとりというのは、実は都会の子供を何日か預かると都会の子供が非常に変わるという、これははっきりした研究結果も出ております。物に動じない、ちょっとしたことでおばあちゃん驚いたりしない、怒ったりしない。実は、子ども農山漁村交流プロジェクトというのを何年か前に総務省、文科省、農水省の共同プロジェクトで始めたんですけれども、これはちょっと国がそこまでやるのはというような何か流れで少し縮小して、今細々と続いておりますけれども、これを是非またお考えいただきたいと思います。本当に私は、突っ張りの中学生がうるるんで帰る場面を何度も農山村で見ております。
 そういうことで、都市で満たされない若者というのは今かなり増えてきている。そして、緑のふるさと協力隊、あるいは最近できたものでは地域おこし協力隊、こういうものに都市の若者がかなり応募するようになってきております。そういう人たちが田舎を訪れて、こういうものっていいですねって。土地の人はこんなもの昔からあって当たり前と思っていたけど、ああ、それは都市の人にとっては驚くことなのかということで、そういう他人の目を身に付けることによって改めて農山村の人は自分たちが大切にすべきもの、宝というものに気付いて、そういうことで次世代につなげるような力が湧いてくる可能性があるというようなことを考えております。
 最後に、例えば阿蘇山の周りにはこんな牧草地があって、ここでもユニークな生活がありましたよと。ただ、日本は草が育ち過ぎるので三月に野焼きというのをやらなければいけません。これは日本の風土が、自然が豊か過ぎるせいだと。ヨーロッパではこんなことは要らないんですね。ということを最後に申し上げて、終わりにさせていただきたいと思います。
 ちょっと時間が超過しましたことはお許しをいただきたいと思います。
#9
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 以上で参考人の皆様からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 一回の質疑時間は、答弁及び追加質問を含め最大十分としておりますので、多くの委員が発言の機会を得られますよう、質疑、答弁とも簡潔にお願いをいたします。
 なお、質疑者には、その都度答弁者を明示していただくよう御協力をお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
 難波奨二君。
#10
○難波奨二君 民主党の難波奨二でございます。
 今日は、三人の参考人の皆さん、大変貴重な御意見を賜りまして感謝申し上げたいと思います。
 まず宮口参考人にお伺いをいたしますが、私は岡山県の中山間地生まれでございまして、集落がもう七軒しかございません。そこで生まれ育ったんですが、今日もお話しいただきましたように、過疎地の人間論的価値、そして社会論的価値というのは、もう私、涙出るぐらい非常にうれしいお話でございました。
 先生も先ほどの意見の中に少し触れられておりましたが、これから人口減少が一層進んでいく、そして自治体も予算が非常に厳しいと、こういう状況の中で、中山間地の暮らしに行政サービスがどれだけ行き渡るかというのは、現実的にはやっぱり非常に深刻な問題だというふうに私思っておりまして、先生のお考えの集落の集約化に対する御見識をお伺いしたいというふうに思います。
#11
○参考人(宮口とし廸君) 私は、基本的に国の政策として上から集落の再編成を持ちかけるということには反対でございます。
 かつて、むしろ過疎が騒がれた初期の時代に、全国でかなりそういうハード優先の集落再編成というのがございました。多少便利な場所に町営住宅のような形で建てて、皆さん不便だから、とにかくこっちの方が便利ですよということでやられたんですけれども、多くは失敗をしております。それは、やっぱり自分の田畑へ耕しに行かなければいけない。家はそのままになっているので、夏なんかはそのままずっとそこで生活をしちゃう。と、どうしてもこの新しくつくられたところがしっかりしたコミュニティーとしてなかなか育っていかないということなんですね。で、結果的にばらばらになり、元へ戻っちゃった例も幾つもあると。
 唯一というか非常に数少ない例は、かなりやっぱり不便な奥地にあった集落の人たちが、自分たちで相談をして、もうこれからここの暮らしではいい暮らしは無理なんじゃないかと。雪も深いところですね。そこでは徹底的な話合いをされまして、この場所にこういう形で集落をつくってもらいたいと。これは今からもう三十年以上前の話ですけれども、トイレも水洗化にしたいと。当時、国の役所では、そんなぜいたくはまかりならぬというような、それを何とか、モデル的な例だということで、自分たちで工夫して、それから、岩手県の山村の例なんですが、少しでも暖かい家を建てる、そしてトイレも水洗にするということで、コミュニティーとして十分な話合いをして移られたケースが、私はそういうのではっきり知っているのは一つだけなんですけれども、ケースがございます。
 現在、これをどういうふうに考えるかということですが、私はまず、現状ということについて地元の人に十分学んでいただく時間。前提として、皆さんが悪いから過疎になったんじゃないんだ、日本の都市が栄える中で必然的に人が出ていったんだということで今こういう状態なんだけれども、本当にここで皆さんいい暮らしだと思えるかどうかと。これは千差万別だと思います。そこで、第三者も、私のような多少学者的な男も入ったりして、とにかく今の時代がどういう時代で自分たちの未来をどう考えればいいかということをまず学び合う。これを一年か二年掛けて行う。これには大したお金は掛かりません。そういう中で、やっぱり非常に厳しいところの人たちは、何か町はあの辺で面倒を見てくれると言うから動こうかとか、そういうような機運が育てば私はそういうことを考えるべきだと。
 やっぱりそれでもここにいたいという人たちは日本には必ずいます。そして、実は小さな田畑というのは、都市の人、持っていないですね。自分ができる作業、八十になってもできる作業があるのは小さな田畑があるからなんですね。やっぱりそこのそばにいたいというのは、これは簡単には否定はできないと思いますね。
 というわけで、集落というものは本当に千差万別ですから、そこに対して画一的な政策を上から行うということは是非避けていただきたい。
 それから、もう一つ面白い例を申し上げます。
 高知県に大豊町という、大変な斜面に点々と集落がありまして、八十ぐらいあるんですが、その細い集落道路、自動車は何とか通るんですが、これを全部足すと五百四十キロになるというすごい山村がございます。町長は、多少道が崩れたぐらいでは直すお金がない、もう生コンを地区に預けて、多少の崩壊は地元で直してほしいと。なぜなら、皆さんがいざというとき高知の病院に行かなきゃいかぬためのお金というのが要るんだと。そこは実際高知市までのタクシー代に補助を出しております。そういうことを納得ずくで、こういうことは自分たちでやっていただけないかと、こういう例は全国に今相当出てきていると思います。もちろんお金が限られております。
 ただ、そういうこともお互いに学び合って話し合って納得すると結構素直にやってもらえるんです。日本人というのは大変すばらしい伝統があります。役割が分かると結構やってくれるんですね。曖昧模糊として分からない状態が結構あるわけで、地域づくりとかまちづくりとかいってですね。そういうところで、役割が分かれば結構やっていただけるんではないかなということもついでに申し上げておきます。
#12
○難波奨二君 ありがとうございました。
 時間がなくなりましたが、小野寺参考人に、じゃ一問だけお聞きしたいというふうに思いますが、この調査会は共生社会を実現するためにどのような取組が必要かという調査をする会でございますけれども、やっぱり共に生きる社会をつくっていくと。
 参考人は、障害者の方を始めとして進められた、スタートされたんだというふうに思いますけれども、共に生きる社会をつくるためにこれまで活動されてこられて、政治あるいは行政に特に求めるものがございましたら、お聞かせいただけたらと思います。
#13
○参考人(小野寺美厚君) 私自身が余りそういう政治というものを、こういう言い方は本当先生方を前にして大変失礼なんですが、どういう情勢になっても私たちが必要とするサービスだけは絶対変えてはならないというか、そういうふうな思いでやってきましたので、私が本当にこだわったのは仕組みなんですね。仕組みをきちんとつくっていくことで、新しい行政サービスができても、それを一〇〇%適用するんではなくて、自分たちが考えたサービスに行政の方で新しいサービスが入ってうまく回る仕組み、そういうふうなことをイメージしながらやってきました。だから、政治にこうしてほしい、ああしてほしいという思いは実はない、余りないです。
 ただ、私たちの、実際、話だけではなくて、現場を先生方にも見ていただきたい。障害者の問題は、いわゆるその地域の様々な人たちの問題にもつながってきているものもあるんですよ。だから、障害者は障害者だけの問題ではなく、地域全体で解決していかなければならない。私は、だから障害のある人の社会参加支援をやりながら、地域に学び合いの場、そして交流し合う場をつくって、障害者の社会参加支援が地域経済をつくる仕組みというのを実践してやっています。
 自分たちが中心となって企画を立て、マネジメントしていくことで、どういう情勢になっても大きくしたり小さくしたり普通になったりということが変幻自在にできるんです。
 そういうことで、東日本大震災で国の、本当に被災地においては何もかにもが止まってしまったとき、そういうときに、その地元のNPOとして震災後十二日目に活動を再開をし、それから一か月後に被災した市民に対してもう支援事業をスタートさせています。そういったことができるんですね。
 そういうものと政治、新しい行政サービスというのが一緒になった形はすごい最強なものができると思うんですね。だから、お互いが現場を知る、そういうふうな機会がもっともっと広がっていけばいいかなというふうに思います。
#14
○難波奨二君 ありがとうございました。
 終わります。
#15
○会長(直嶋正行君) 高階恵美子君。
#16
○高階恵美子君 参考人の皆様には、本日お忙しい中、貴重な御発言をいただきまして、ありがとうございました。
 自由民主党の高階恵美子と申します。
 お話を伺っていて改めて思いましたのは、生活体験というのは日々の生活の中で人とのきめ細かなかかわりを通じてしか身に付いていかないものなんだよなということを改めて実感させていただきました。
 人のつながりというのは、例えば職場とか学校でいう縦の関係、それから同世代や同じ趣味で集まる横の関係というのがありますけれども、生活を通して学ぶ、つながる関係というのは、どちらかというと斜めの関係なんだと思うんですね。そういう点では、佐藤参考人の御発言では世代間のことがありましたし、それから小野寺参考人の発言でも、宮口参考人の御意見の中にもございましたけれども。
 この共生社会調査会がなぜできたかというと、この現代社会というのは斜めのつながりを強化していくような、そういう策を社会的に講じないと駄目な時代に入っているよと、どうもそういう知恵をいただきたいんだということで様々な分野の先進事例、好事例を今いただいている、そういう状況にあると思うんです。各々の取組を通じて、社会システムとしてこんなものを新たに設置してほしいんだということがありましたら、この場をお借りしてお伺いしたいんです。
 例えば、佐藤参考人には、大都市部の中でのみとりですね。そこを強化していくときに、自分たちとしてできること、行政にもうちょっとこういうことを工夫できるんじゃないのということ、きっとおありだと思うんです。そういうことをお伺いしたいなというふうに思いますし、例えば、小野寺参考人には、障害者対策というふうにいいますと、すぐ福祉と保健とばらばらにそれこそ施策が動いていくんです。ここの分離がなかなか解消されないので、家族、当事者は困っているということが改善されない。自分たちでできることはやっているんだけれど、それ以外にここよというのがおありだと思うんですね。ちょうど思春期から大人になっていくその時期が特に今お困りなんじゃないかと思うんですけれど、そこに関して、例えば保健福祉センターや保健所やそれ以外の地域の社会資源としてこういうシステムを強化してほしいという御意見をもしお持ちでしたら、まずはお伺いしたいと思います。
#17
○参考人(佐藤良子君) 今、全国的に自治会組織は低迷しております。立川市も自治会加入率は五〇%を切りました。一〇〇%加入しているというのはとても珍しがられます。
 じゃ、そのメリットは何かといったときに、一番やはり行政的に、それが元で駄目になっているということが多く現れるのは、個人情報の会則というか決まりがあって、それが名簿が作れなくなった。それと、行政に頼むと、その個人名簿、困っているから、この方がどうしているかということを聞きたいんだけれど、個人情報の云々で教えてもらえない。それが町を破壊しています。個人情報がすごい邪魔をしています。そのために自治組織は低迷しているし、抜けていっちゃうというところが現状です。どこへ行っても個人情報。
 じゃ、大山では何がメリットだと言われると、やはりメリットはたくさんあります。その中のメリットは、個人情報を全部取っ払っています。なぜかといったら、それは信用をつくること、信頼関係を持つことだと思っていますので、じゃ、どういう形でその信頼を得るのかといったら、個人情報を預かったらやっぱり漏れないようにするシステムをきちんと住民に知らせるということと、住民を守るためには何が必要か。名簿が必要だということは、私たちは全ての世帯に傷害保険を掛けています。活動してもらうために安全で、それで命を守らなきゃいけないので、どんな方、家族全員の安全な名簿を適用しています。ですから、多額のお金も掛けています。
 そして、やはりそれを意識として、自分たちの命も守られる、思い切って活動をしようという意欲が湧く。そういうところも、やっぱり一つのメリットをつくっていく自治組織というのはとても強いし、それからやはり住民の安全、安心を守るためにはどうしたらいいかということを常に公表していく。今はこういうことをやっているので皆さん安心してくださいとか、今はこういう形で私たちは住民をお守りしていますとか、やっぱりネットワークはすごい大事です。
 だけど、自治組織では到底何もできません、組織の中。その別枠として、子育てをするための子育てネットワーク、一つの組織をつくっています。大山ママさんサポートセンター、それは平成十一年につくったんですけれど、そのときは国はまだ子育て支援センターというのはつくっていませんでした。仕組みはなかったです。ですから、立川の行政にお願いしても、それは国から下りてきていないから子育てセンターはつくれない、お金も掛かる、予算がないと言われたので。子供を育てるためのお母さんの支援するところがないんですね、行政においても。
 そのために、私のところでは自分たちで子育て支援センターを十一年に立ち上げました、会長と同時に。そして、子供の育てられない、急病になったときにどうしたらいいのか、お母さんが入院して子供だけ置いていかなくちゃいけないときにはどうしたらいいかということをママさんサポートセンターで十日間面倒を見たり、出産前に保育をしたりと。行政にはもっと早く今の現状に合ったシステムをつくってもらいたいということがまず一つです。
 それから、個人情報を取っ払ってもらいたいというのもありますけど、個人情報を取っ払うにはどういうシステムが市町村がやれば自治組織との協働とかができるのかというところが、どこも困っているので、そこら辺が一番大きな課題です。
#18
○参考人(小野寺美厚君) 私も、佐藤参考人と同じ、個人情報の問題というのがあります。
 私たち、毎年毎年、各幼稚園や小学校、中学校に新しく入ってくる子供さんの中に、特に障害の疑いがあるという方々、どのくらいいらっしゃるんですかということを行政の方に聞くんですね。そうすると、行政の方では、個人情報なのでそれは教えられませんと。名前を教えろと言っているわけじゃなくて、何人ですかというのもシャットアウトされるんですよ。
 私たち、結局、市民団体として、障害者の社会参加支援という部分を強くうたっている団体なので、早期療育を実践していくために、情報を困っている皆さんにどんどんお伝えしたいという思いで行政の方にもお話をしているんですが、なかなかそういう面で、個人情報というところでシャットアウトされてしまって、そこから行政を通しちゃうと後がないという現状があります。
 そういうところをもう少し緩くというか、悪用するわけではないので、特にNPOというのは公益性がすごく求められるものなので、そんな悪用することではないので、そういうふうな目的のためにでしたらお伝えできるとか、そういうふうなシステムというのをちょっと考えていただきたいなというのが一つと、あとは、よくよく考えてみて行政にお願いしたいことというのは、さっき先生がお話しされていたように、中学生の放課後デイサービスというのが確立というか制度化にはなっていないんですよね。
 私たちの方で、実は、これまでそういう制度がないので、小学生から高等部、支援学校の高等部のお子さんたちを一つの枠の中で療育をしていくということをやっていて、先ほどお話しされた思春期対策というのですごく困っているんですね。本当は、学びがやはり違う、世代ごとに変わってきますので、きちんとした制度の枠組みを設けていただいて、その条件に合ったようなサービス内容でもっともっと支援をしていきたいなということは現場間でも常に話題になっております。
 あとは、学校卒業後の人たちに対しての支援なんですけれども、実は、学校卒業後の人たちというのは、自立という言葉はあるんですけれども、現状としては、支援者が一緒じゃないとなかなか地域生活というのが難しいという現状があります。なので、そういった学校卒業後の人たちを、例えば床屋さんに行きたいとか、成人式に行って一緒に同級生たちと祝いたいと、そういうふうなニーズにあったときに、そういった何かサービスをつくっていただいて、そのサービスを活用して、親じゃなくて、事業者だったりそういうふうな支援者だったりがサービスの一環としてお手伝いができる、そういうふうなサービスがとても必要だなというふうに思います。ないので、うちの方では自主事業で今スタートしています。
 中学生の放課後デイは、何とか今の制度の枠組みの中で別々の建物であればできるというお話をいただいていたんですけれども、やはり法の整備というか全然その内容が違うので、そういったところもちょっと先生方には考えていただければなというふうに思います。
#19
○高階恵美子君 ありがとうございました。
#20
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。
 横山信一君。
#21
○横山信一君 公明党の横山信一でございます。
 今日は、三人の参考人の先生方、大変にありがとうございました。
 三人のお話を聞いていて、やはり一人の人間の、佐藤参考人おっしゃっていましたけど、根気、強気、やる気と最後におっしゃっていましたが、まさにそういうリーダーシップは非常に大事だなということを改めて痛感をさせていただきました。
 最初に宮口先生にお聞きをしたいんですが、お聞きをしたいというか是非教えていただきたいという思いなんですけれども、グローバル化が世界を今覆っているというそういう状況の中で、経済的価値より勝る農村の持っている価値というか、そうしたものを守るというよりは、むしろ対峙をするというか攻めるというか、グローバル化というのは、視点を変えて見ると、拝金主義というかそうした視点がかなりあろうかと思うんですけれども、そうした利益追求のそういう流れに対して、むしろ利益という観点から見ると余り価値のないこうした農山農村の持っている価値をどうやって対峙をさせていくのか、また勝負を挑んでいくのかというかですね。
 実は私、昨年、「魚は減ってない!」という本を出したんですけれども、その中では、そこの思いは、漁業の持っている価値として、また漁村の持っている価値というのはグローバル化の流れの中では絶対に失ってはいけないものなんだという、そういう強い思いがあってそういう本を書かせていただいたんですが、宮口先生から拝金主義とどう闘ったらいいのかということを是非教えていただきたいと思います。
#22
○参考人(宮口とし廸君) 私は、大きな経済についてはよく分からない人間でございます。どちらかと言えば、小さい町や農山村で、言わば小さな社会と付き合ってその価値を論じているわけです。
   〔会長退席、理事難波奨二君着席〕
 日本は、幸か不幸かとにかく都市に相当の割合の人間が今住むようになったということで、そちらはそれなりに経済というものを何とか立て直していかなければならない。それは、諸外国との関係というのは当然出てくるわけでありますけれども、今日御紹介したような地域というのは、面積は非常に広大で農村空間はたくさんあるんですけれども、住んでいる人は極めて僅かでございます。その人たちがそこで暮らしていられるということに意味があるというのがまず最初の取っかかりであります。
 そこの人たちは、まあ高齢化も進んでいますし、必ずしも経営規模を数倍にして所得を上げなければいけない人たちではない。今その土地でマイペースで非常に、ある意味でいい暮らしと言ってもいいと思うんですけれども、過疎地域全体として、人口減少率とか高齢化の率とか、あるいはそういう数字そのものから皆さんが受ける印象とはそこで暮らす実態というのはかなり違う、むしろ明るい生活を送っておられるということが多いわけですね。
 ただ、そういう中には、極度に奥地にあり、極度に世帯数が減り、恐らく残念ながら消えていくようなものはこれから出てくるとは思います。だけれども、ある程度のところでそういう暮らしがやられているならば、今、非常に僅かですけれども、若者の参入、先ほどから地域おこし協力隊とか緑のふるさと協力隊、あるいはそういうこと、制度だけではなくて、都市よりこっちの方がいいやと。
   〔理事難波奨二君退席、会長着席〕
 実は、沖縄の小さい離島で人口が増えているところがございます。決してこれは所得が多いわけではありません。今、都道府県別の若者人口率というのは、実は東京よりも沖縄が〇・一%多い。それは、沖縄は暮らしやすいということなんですね。それが東京に対する、県民所得は半分ですよ、に対する一つの価値だと思うんですけれども、そういう穏やかな社会というものを、人口の数でいうと非常に少ないんだけれども、それが全国にちゃんと散らばっていて、空間としてはちゃんとあるということに私は価値を見出したいのです。
 というわけで、何か総理も、攻めの農業とかいろいろ何か最近言われているようですけれども、そういう多くの穏やかな農村というのはそういうこととは無縁に受け継がれていってほしい。それが日本人が育ててきた人間社会としての一つの価値、諸外国にこういう生活があるんだよというふうに言える価値ではないかというふうに考えたいわけですね。
 そういう意味で、攻めとか勝負とかいうようなこととは無縁であっていられる人たちがいること自体がいいことではないかというふうに思います。そういうところに都市の中学生や小学生が何泊かして、懐の深い暮らしに触れて、そういう一面的ではない価値を学ぶということも先ほど最後に申し上げたということです。
#23
○横山信一君 ありがとうございます。
 ちょっと時間が迫ってきておりますので、小野寺参考人にお聞きをしたいんですけれども、実は私も長男が知的障害でございまして、大変に興味深くお話を聞かせていただきました。限られた時間でしたのでお話を省かれたんだと思うんですけれども、育成会とか親の会に最初所属しておられたと。そこで活動されて、今の活動をする動機というか、その元々あった育成会とかのそういう組織の中で活動されておられて、自分でまたそれをやろうとしたその動機というか、どこに課題を見出したのかというか、そこのところをお聞きしたいと思います。
#24
○参考人(小野寺美厚君) やはり自分でお金をつくり出すということが抜けているような気がしたんです。支援をされるということが前提で、自分たちで何かを、お金が回っていく仕組みというものを研究したりとか、そういうふうな場がほとんどなかったというか、全然なかった。積立てを、何々に使うので少しずつ解約をして何かをするというような形で、寄附ありきのような流れだったんです、当時は。
 やはりそうではなくて、子供の今だけじゃなくて将来ということも私は考えていましたので、将来どういう状況になっても、制度が変わっても、どんなに障害者に対して本当に世知辛い状況になっても、自分たちがつくったその仕組みの中で豊かに生きていける、そういうふうな環境をつくろうという思いがあったので、十四年の八月にスタートしたんです。
#25
○横山信一君 もう一つだけ手短に。小野寺参考人にですけれども、二人から始めた駄菓子屋さんが何でそんなに有名になったのかという、そこのところをちょっと触れていただきたいなと思います。
#26
○参考人(小野寺美厚君) とにかく、障害者だけのものではなくて、皆さんが対象だったんです。
 お店というその中身に懐かしさを感じていらっしゃるということがきっかけで、そこに何か障害のある人たちがいて、今まで障害のある人たちってかわいそうな存在だった、だけれども、そこで明るく対応してくれる彼ら、彼女らを見てお客さんがやはり常連になっちゃったんですよね。口コミで、お金もなかったので宣伝なんかできなかったんですが、本当に口コミで、最終的にはテレビの取材まで入りまして、そこで障害のある人や障害のない人たちの交流の場、そういうのが形成されたと思います。
 ありがとうございます。
#27
○横山信一君 ありがとうございました。
#28
○会長(直嶋正行君) では、柴田巧君。
#29
○柴田巧君 みんなの党の柴田巧です。
 今日は、三人の参考人の皆様、本当にどうもありがとうございます。
 まず最初に、宮口参考人にお聞きをしたいと思います。
 難波先生も地方の御出身というお話をされておりましたが、私も宮口参考人と同じ富山の出身でありまして、車で四、五分行くと、もう熊出没注意というところに生まれ育って、今も住んでおりますが、したがって、そういう農山村のあるいは過疎地域の活性化をどうしていくかというのは大変関心高く今までも持ってきたところでありますし、具体的にどうしていったらいいか悩みながら自分でもいろいろと考えてきたところでありますが。
 先ほどから参考人もおっしゃっておられるように、またいろんな御著書でも書いておられますが、やっぱり外部からの目というのが自分たちの持っている宝を再認識する契機になるというお話でありました。そういう意味でも、体験、交流、滞在、そしてIターンと、いろんな段階を踏んでいくことが地域を、農山村等を元気にしていく一つの流れということになるんだろうと思いますが。
 先ほど、子供の農山村の体験プロジェクトのことは御指摘をされましたが、そういう意味でも、いわゆるグリーンツーリズムでありますとか、あるいは、これからの新たなライフスタイルになり得ると思いますが、いわゆる二地域居住、こういったことなどをひとつ進めていくことが極めて重要な意味あることではないかと思っておりますが、先生の御見解を、参考人の御見解をお聞きをしたいのと、それをするためにはどういう課題があるかということ。
 そして、あわせて、一方で、外からのそういう気付かされるだけではなくて、やはりそこに住む人たちが、特により若い、あるいは子供たちが自分たちの住んでいるところはすばらしいところであるということを意識させていく上でも、再認識させていく上でも、いわゆるふるさと教育というか郷土教育というものが重要ではないかと思っていますが、併せてお聞きをしたいと思います。
#30
○参考人(宮口とし廸君) お答え申し上げます。
 外部の目と同時に、やっぱり外部の人の力というものを活用していくということが大事だと思います。外部の人には地元の人にできないことができる面がございます。例えば、農協の面倒な計算をパソコンでぱっぱっとすぐに解決してくれるような、そういう普遍的な技というのは都市の人の方が持っている。そういう都市の人が田舎暮らしに引かれて田舎に参入しようというときには、やはり積極的にそういう力を活用するというか、そこには、何といいますか、自らの学びということが必要になってくるんですが。
 今おっしゃった、最後に、郷土、ふるさと教育ですね、このふるさと教育というものを自分たちだけがやるというのは少し押し付けの雰囲気になるんではないかと。要するに、諸先輩が、俺たちがいかに偉かったかというんではなくて、それを他人に語ってもらうようなふるさと教育ということも併せてお考えいただきたいと。もちろん、それはその地域に詳しい他人というのが必要になってくるわけですが、それはやっぱりいろんな郷土史も書かれておりますし、他人はそこに対して感動できるんですね、過去にその地域の人がやってきたときに、その感動を伝えることができるんです。自分たちがちゃんと感動を伝えられるかというのが、そこがちょっと難しいところで、私はそこでも他人というものを活用していただきたいと思います。
 それからもう一つ、こういう例がございます。私もう二十年も、私の三年生のゼミの生徒を青森のリンゴの村に連れていって農家に泊めてもらう、こういうことを始めたのは僕が最初だと思います。最近はかなりやられています。最初は老夫婦、若い者はもう東京へ行って、いないんだというような老夫婦のところに厄介になっていたわけなんですけれども、五年目ぐらいから後継者が結構続々帰ってくるようになりました、その村は。
 これは手前みそなんですが、要するに若い者が東京に行って、おやじはただ、おい、帰ってこいぐらいしか言う能がなかったのが、早稲田の学生を毎年家に泊めていろんな話をする中で、都会に出ている若い者と会話をする中身が豊かになっていったんではないかと。これはかなり勝手な手前みそなんですが。でも、そういう雰囲気はあるんです。行ったやつらも、何で早稲田の学生毎年俺の村に来るのかと、それは気にはなりますね。そういうことで、今二十年もたちますと、子供のいる若夫婦、後継者の若夫婦が学生の世話をしてくれる、昔はじいさんがやったんだよねなんて言いながらですね。だから、そういう流れが一つございます。
 ですから、やっぱりその地域の価値をうまく他人との付き合いの中で次の世代に受け継いでもらうということがやっぱり基本ではないんでしょうか。
#31
○柴田巧君 ありがとうございました。
 じゃ、時間もあれなんですが、では小野寺参考人にお聞きをしたいと思います。
 いろんな、このネットワークオレンジで事業を、活動を展開をしておられて、いわゆるソーシャルビジネスといいますかに取り組んでおられるということで、これは被災地のみならず、日本全体においても、いろんな少子化の問題や地球温暖化の問題がある中で一層進めていかなきゃならないことだと思っておりますが、実際にこうやって展開してこられて、今何が、これが広めていかなきゃいけないのに阻害要因になっているとか障害になっているというものがあれば教えていただければと思いますし、そういうソーシャルビジネスの創出の促進とか、事業の基盤強化していくためにはどうしていったらいいか、あるいは社会起業家を育成していく上でいろんな、こういう支援策があればもっといいのになと感じておられるところがあったら教えていただければと思います。
#32
○参考人(小野寺美厚君) まさに今、この社会起業家を広めていくためにどういうふうにしたらいいのかということをちょっと考えている時期でもあります。
 何か私たちがソーシャルビジネスといって自分たちで社会的課題というものをビジネス的手法で解決をしていって、それが今回の大震災で被災地の新しいビジネス支援という部分で大きく役立ったというものがあります。形にとらわれないで、自分たちの発想、新しい今目の前にあるものを有効活用して、それを、何でしょうね、大きくしたり小さくもできる、その柔軟性を持ったサービスを考えていこうよという、その取組を今、東北マルシェというのでやっています。
 今、やはり情報がなかなか行政側と共有ができにくいという壁が正直あります。NPOはNPOで、私たちは私たちという目に見えないやはり壁がありまして、なかなか私たちがこの学びのワークショップを開催しても、行政からの参加率というのが正直少ない。なので、大きく事業をやったときには、その後援団体として名前をいただいたりとかはしますけれども、行政も、今被災地で新しいビジネスを立ち上げようとしている人たちと一緒に学びの中に入っていただいて、そしてその中で今の本当の社会的課題って何なんだということを感じてほしいなというふうに思います。
 これは、もうずっと私たち、一一年からこのマルシェというのを棚卸しでビジョンシートから出してやっているんですけど、行政にそのワークショップにも入ってほしいというふうなお願いをしていてもなかなかそれが難しくて、将来的にはそういうふうな共有の意識を持って被災地の課題解決というのにつなげていければいいなと思います。
 私がこのマルシェをやっていてすごく手ごたえに感じているのが、今、この事業自体が物すごく世界からの評価が高いんですね。海外からのスポンサーが続いています。そして、被災地に直接その海外のスポンサーが入って、こういうふうな取組をしたらいいんじゃないかとか、被災地で頑張る人たちに、狭い販路で商売を広げるんじゃなくて、そこに出ることによって世界に自分の商品が出るという仕組みも実はこのマルシェの中にあります。
 そういった今すごく成長が急速に来ているこのマルシェを、言葉だけじゃなくて、本当に皆さんに見ていただきたいなと思います。
#33
○柴田巧君 どうもありがとうございました。
#34
○会長(直嶋正行君) 田村智子君。
#35
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。
 今日は、三名の方からいっぱい学ぶお話をお聞きできて本当に良かったと思っています。
 まず、佐藤参考人にお聞きをしたいと思います。
 私、このいただいた資料、事前にいただいた資料も読みまして、ママさんサポートセンターという取組が非常に特徴的な活動だなということで興味深く資料を読ませていただいたんですけれども、自治会として、言わば外の人の力も、専門的な人の力も借りながら、地域の方の相談に乗っていこうという、この発想がすごいなというふうに思ったんですね。
 それで、外の方を迎えるということについて、やはり自治会の中でどのようなお話合いがなされてこれが立ち上がったのか。それから、これはいろんな行政との連携もあって相談が百件以上解決されていくということもあると思うんですけど、その行政との連携というのはどのようになっているのか、是非お聞かせいただきたいと思います。
#36
○参考人(佐藤良子君) 大山MSC、ママさんサポートセンターというのは、子育てを経験したお母さんたちのプロの組織です。そして、全てが自治会の中の人たちではなくて、保育士がいたり看護師がいたり、それから技術も、今、二十四名で立ち上げたんですけど、全ての方が技術を持っています。
 それで、最初は虐待があったので、幼児虐待が二件続いて、二年生と四年生の女の子が新しいお父さんを迎えたときに、すごい近所から悲鳴が聞こえると。それで、会長になった五月だったんですけど、悲鳴と同時に引き裂くような泣き声というので、急いで自転車に乗ってその現場まで駆け付けたときに、熱湯を掛けられて、それで子供が、救急車を呼び、児童相談所を呼び、学校の先生を呼び、大掛かりな手当てをして病院に入ったんですね。それで、三週間入院って決まって、私が迎えに行ったときに、本当にこれ言うと涙が出ちゃうんですけど、二年生と四年生の女の子が、おばちゃん、もううちへ帰りたくない、どこでもいいから私を見てくれるところに預けてと言われたときに、これはもうただ事じゃなくて、これからの子供たちをどう支えていくために何をしたらいいかというので、そういう子供の面倒を見られない親の相談とか、そういう究極にぶつかったときにどこに相談していいか分からないという、そういう子育て。それで、小学校一年生から中学三年生まで七百十人いたんですね、義務教育を受ける。そういう中で、やっぱり子供を育てる支援センターをつくろうって。
 それで、その後、二件も同じような事件が続いたので、市役所に行ってお願いしたんですけど、その施設はつくれないと、お金も掛かると、国もまだそういう手だてはしていないという形なので、じゃ、私たちつくっちゃおうかというので、十一月に設立して、保育園の先生、幼稚園の先生、学校の先生、そして、あらゆるメンバーは選抜いたしました。秘守義務を守らなきゃいけませんので、優秀な人材を求めましたら、二十四人、本当に優秀な人材、今もずっと崩れなく続いているんですけれども、そんな形で立ち上げて、今なお面倒見のいいおばちゃんという形で、地域のお母さんと呼ばれているんですけど、学校支援をしています。
 本当に、身体障害者の学校が一つあるんですけど、私たち、父母会というと、そこの支援をしたり、今は被災者支援で訪問をしたりしながら、三・一一で四月から受け入れて、今二百三十人、立川市にいるんですけど、そのボランティアを毎日のようにやってもらって、孤立化しないように連携を取りながらやっています。
 そして、行政、予算は全然いただかなかったんですけど、本当に自主支援という形で自分たちで会費を払ってこの会を立ち上げたんですけど、今は本当に多くの方の寄附をいただいたり、支援していただいている方たちのお礼としたり、それから、今は高齢者の支援もしていますので、買物に行ったり会話をしたり病院に連れていったり、要望があったら何でもやる。何でも屋なんですね、このMSCは。そういう支援をしていますので、このMSCがあれば行政がなくても間に合うという感じぐらいですね。
 それで、自治組織の中に公認団体として認めてもらって、ここの会長なんですけど、本当は自治会で公認団体のところにも全て予算を付けてやっているんです。子供会、老人会、交通安全協会と出しているんですけど、私が会長なものですから、流用されたら嫌な思いをするなというので予算はいただいていません。
 立川市から三年の補助金をいただきましたけれども、それも予算の半額だったので、その当時十五万の予算しかなかったんですけど、七万五千円の、半額の予算をいただいて三年間行ってきたんですけど、今は学校支援という形で学校教育の中に私たちは入りまして、子供の教育に携わって、ここにある大山小学校が今年は、昨年の二十四年度だったんですけど、地域教育がどうしても必要だよと私たちは訴えてきましたので、子育てできないお母さんのために、小学校一年生に入った父母会を通して講演会をさせてもらっています、子育てって楽しいものだよという。子育て支援をしますというチラシもまきまして、それで応援をしております。そんな形で、虐待から設立をした団体だったんですね。
 それともう一つは、自治会としたらどういう行政とのかかわりがあるかということなんですけど、これは、今は子供支援センターというのがありまして、そこと児童相談所とかかわりを持っております。
 本当に解決は、今は東京におけるいろんな子供の問題がありまして、わいせつ行為とか、そういうので犯人を捕まえたりしたこともありました。子供が小学生なので、二人のきょうだいが売られてしまったんですね、お金を借金したために。その結婚している相手が、ちょうどフィリピンの方と結婚しているんですけど、子供はもう売っちゃったんですね、六十代の男の方に二百万で。それは、子供が逃げて帰ってきましたので、私たちは、二十四人とも駆け込み寺と呼んでいて、どんな場合でも、高齢者でも子供でもいつでも駆け込んでこれる駆け込み寺をやっています。ですから、その子供がパジャマのまま逃げてきて、中学生になったので成長もちょっと大人の成長になったので、こういう状況だから、嫌だ、助けてと来たときに、警察事件でちゃんと手当てをして、それで子供二人、女の子だったので、警察に事情聴取に行くの嫌だと言うので、私のうちを開放して二か月間事情聴取に応じていただいて、それで犯人を捕まえました。
 そういうことで、子供にとっても高齢者にとっても駆け込み寺はどこもないです。行政は五時以降だったらないし、土日は休みなので、その役目をしようというのでこの大山MSCを立ち上げてやってきました。
 そこで、長年、十三年間やったのが市も認めていただいて、夜間とか土日に二十四時間体制で相談を受け付ける窓口を二十五年度の四月から施行するという形になったので、私たちの活動が十三年ぶりで認められてそういう結果になっているなというのは、やっぱり行動に移さないといけないなというのと、子供も高齢者の人にも、いつでも、どこに行けば守ってもらえる、救ってもらえるというところをやっぱり地域が応援していかないといけないなというふうに感じて、虐待から発想して立ち上げた会です。とても大事にしています。
#37
○田村智子君 本当に学べるお話で、ありがとうございました。一度、是非視察に伺いたいなと思います。
 ありがとうございました。
#38
○会長(直嶋正行君) では、西村まさみ君。
#39
○西村まさみ君 参考人の皆様、ありがとうございました。
 民主党の西村まさみでございます。
 ずっとで大変恐縮ですが、佐藤参考人に是非お尋ねしたいのは、私もこの孤独死というものは非常に大きな、これからも起こり得る、そして絶対防がなきゃいけない社会現象の一つになっているんだろうと思っています。
 特に、都営住宅の中では、ちょっと調べてみると、六十五歳以上の単身高齢者、過去三年間で大体毎年四百人ずつぐらいで推移をしているということは、一日お一人の方は誰にもみとられずに亡くなられているということがある。そんな中で、自治会の中では孤独死ゼロを二〇〇四年からずっとお続けになっているというのは、それはそれなりの大変な御苦労があったと思います。
 その中で、先ほどお話がありました名簿、高齢者だけの名簿、子供だけの名簿、もちろん自治会全体の名簿と、名簿というものが非常に重要だと。私たち政治家も名簿は大変重要なものではありますが。ただ、今のこの世の中の中で、自治会の皆さんが快く全員が、名簿を作りますと、新しく入られた方なんかは特に応じてくださるんでしょうか。その辺について御苦労がもしありましたら、是非お知らせいただきたいと思います。
#40
○参考人(佐藤良子君) 名簿はすごい簡単に作れています。
 なぜかというと、新しい人を迎えたときに歓迎会を必ずやって、お茶会を開いて、一人でも二人でも、ようこそおいでいただきましたという歓迎会と自治会の説明と会則と、どういうところで名簿が必要なのかということを訴えてきました。それで、今は本当に、千六百世帯なんですけど、誰も断る人はいません。名簿はきちんと管理している。管理もきちんとしていますし、管理状況はこのような形で管理していますので漏れることはありませんという形で皆さんに信頼をいただいております。
 そのために、名簿は更新いたします、今年も更新させてくださいという形で。どうしても名簿はほかには漏れていない状況をつくっておりますので、自治会の三役と民生委員さんと消防庁だけが名簿を持っています。消防庁はなぜかというと、救急隊が来たときに、どこにどなたが住んでいるかというのを分からないので、名簿の中に、車椅子、心筋梗塞、脳梗塞で手術をしたという方も全て記入したものを消防庁に出しています。ですから、消防庁はそれを目掛けて迷いなく一分でも早く来ていただけるというシステムをつくっておりますし、そのおかげで、国立医療センターが近くにありますので、国立病院と提携しております。私たちのところで病人が出たら、たらい回しにしないでいち早く国立病院で診ていただける、救急隊を入れていただけるという形で医局長と連携しておりますので、それは皆さん信頼があって、高齢化率の多いところではすごい感謝されています。
 今、これからの自治組織は、先ほども、自立する組織という意味では、名簿をきちんと管理をするシステムと、それから信頼をいただける状況をつくっておけば名簿には苦労はなかったです。反対する方はいませんでした。命を預けますって、命を自治会として預けてくださいという形で全ての家族に傷害保険を掛けておりますし、それで、安否確認のためには、孤独死ゼロを防ぐために集金制度をしております。毎月毎月集金します。自治会費四百円に、管理費というか共同使用料千五百円、それに区費というのを百円、月に一人二千円を集めるんですけど、そのために、どなたがお金を持ってこれないということが安否確認になっています。
 それから、もう一つは清掃活動で、月一回の第一日曜日、清掃活動をしておりますので、清掃に来れない人は登録していく。今日は欠席します、今日は出られませんという形で、それも安否確認に入っておりますので。あらゆる、企業との連携もそうですし、両隣の見守りもそうなんですけれど、本当にきめ細かな安否の確認制度を行った結果、不審があったら全てがちゃんと登録されて、私の携帯に夜だと入りますし。それから、ごみボランティアさん。捨てに行けない高齢者にとっては、ごみボランティアさん、四十数名います、大体二、三軒を守っていただけるので、表に、玄関のところにごみを出しておけば、自然と登録された方が請け負っていただくという形を取っております。
 そんな形で、たくさんの人をつくりながら、たくさんの目が届くようなシステムが孤独死ゼロに達成したのかなと思っています。
#41
○西村まさみ君 ありがとうございました。
 それでは、ちょっと視点を変えて小野寺参考人にお尋ねしますが、震災の被災に改めてお見舞いを申し上げますと同時に、本当に震災を乗り越えて多くの活動をされているということに心から敬意を表したいと思います。
 私は歯科医師でありまして、特に障害児、障害者という方の診療をしてくることをずっとやってまいりました。現役で今でもやっておりますが、そんな中で、やはり障害がある、ないにかかわらず、地域で同じように誰とでも変わりがなく生きていくこと、これは非常に重要なことだと思いますが、その中で、先ほど小野寺参考人は、自分たちはどういう状況になってもしっかりと仕組みをつくっているので変わらずやっていけると、そんなふうにおっしゃっていらしたと思います。特に、母の会の会費だとかに頼ることなく、自分たちの中だけで例えば物を、先ほどのビーズもそうですけれども、ビーズの製品を売ったりとか。
 今回、昨年、ハート購入法というものが法律でできて、できるだけ企業であるとか自治体であるとかが物を買うときに、障害者施設ですとか就労施設から買うということを促すような法律ができているんですが、今現在、例えばいわゆる一番お困りなこととか、例えば子供たちが就労支援を受けたり、例えばいろんな勉強をしたりしていろんな物を作って売ったりすることができるようになっていると思いますが、まだまだ足りているとは思っていません。そんな中で、もしお困りのことがありましたら、是非教えていただきたいと思います。
#42
○参考人(小野寺美厚君) やはり販路開拓という部分は私たちスタッフにとっても大きな課題なんですね。
 実は震災後、ドイツのアルシェノバという団体から、障害者の人だけではなく被災した地域の人たちがみんなが元気になるような事業をしてほしいということで、助成金をいただいて、オレンジキャンバスというアート事業をスタートしました。
 アートをやるのは、もちろんうちに通ってきている障害のある人たち。オレンジとして何をしたかというと、まず商品を作るためには、きちんとした専門家と契約をして、月に一度気仙沼に来ていただいてワークショップをやっていただく。そして、アーティストと、あとはデザイナーと契約をネットワークオレンジはしました。アーティストには毎月アートのワークショップ、小学生から高校生までのワークショップと十八歳以上の人たちのワークショップ、二回に分けてです。そこから生まれたいい作品を、プロのデザイナーと我々とが商品開発のために企画をするんですね。
 そういうものを立ち上げて、実は今、十八歳以上の人たちの就労体験の一環として、私たちの活動場所の一角に駄菓子屋をやっています。そこで一番最初に包装紙を作りました。その包装紙、オリジナル包装紙なんですけど、主に障害のある人たちはそれで何をしたかというと、パックを作った、紙パック。難しいんですよ、紙パック。それを使って、まず商品化をしてみました。
 これはもしかしたら被災者支援にもつながるということで、障害のある人は取っ手。被災者、こういう作業をやりたい、社会に出るためにまず自分にもう一度自信を付けたいという被災者もたくさんいて、新聞で呼びかけたら百件以上の問合せがありました。そうやって来ていただいた方々に、二週間に及ぶ研修をまず行ってもらったんですね。何というんでしょうね、商品を作るために、どんな技術者でもいいではなくて、きちんとしたクオリティーを維持しなければいけない。障害者だからとか被災者だからというんではなくて、クオリティーの良さで、これから国内だけではなくて世界に向けてもきちんと情報発信でセールスをしていかなければいけないということを考えていました。
 まず、ドイツからの支援でそういうふうなものを、アート事業を始めて、包装紙を作って、それで、障害のある人たちと被災した人たち、二週間の研修を受けて、百名から残ったのが二十名です。その人たちが一緒の空間の中でパックを作るわけですね。私たちは、ネットワークオレンジのパンフレットを作るんですけれども、それを海外向けの英語バージョンでも作りました。そういうものを考慮して、ジェトロ仙台というところに出しまして、そうしたら海外から、障害者とか被災者というのは関係なく物がいいということで、アメリカとフランスから交渉したいというお話をいただいて、実は今アメリカの方にもその震災後開発した商品が販売をされています。そのパックを作った被災者の人たちには、就労体験の一環なので、一つ売れたら作った人に百円が行くシステムをつくっています。
 そういうふうなことを私たちやっているんですけど、何でしょうね、法律で守ってもらうというよりも、クオリティーを高めていきながら、やはり新しいアイデアで何かこう世界に仕掛けていくという流れですかね、今私たちがやっているのは。
 まだまだという話ですけれども、アメリカ、ドイツ、あとフランスですか、結構その商品に対しても、これは紙パックだけではなくて、もっともっとこのアートを使って商品開発をしたいとか、そういうふうな形で今広がりつつあるので、何か私自身も販路という部分ではもっともっと広げていきたいんですけれども、その技術も一緒に磨いていきたいなというふうにはちょっと考えているところです。
#43
○西村まさみ君 ありがとうございました。
#44
○会長(直嶋正行君) 石井浩郎君。
#45
○石井浩郎君 自由民主党の石井浩郎と申します。
 今日は三人の参考人の皆さんに大変貴重な御意見をいただきまして、本当にありがとうございます。
 私の地元、秋田県の八郎潟町という人口六千八百人の非常に小さな町でありますけれども、私の両親、今年九十二歳と八十二歳で、おかげさまで元気で歩いて生活しております。ところが、二週間ほど前にうちの父が突然、ちょっと胆石で入院ということで、今二人で母親と父親が生活しているんですけれども、突然入院ということになりまして、母親が独りで自宅でいると、そういう状況になったんですけれども、今雪深いですし、大変不安がっているのが、電話はしょっちゅうするんですけれども。
 それで、孤独死が十六年からゼロだということが、東京でこの孤独死がゼロだというのは非常に感動いたしました。かなり、地元に両親を置いて東京に出てきている人は私の周りにもたくさんいます。非常に不安を持っています。何が不安かというと、やはり残された両親が本当に不安なく生活しているか、不安を持っているかということだと思うんですけれども、独り暮らしされている高齢者に対してのその不安を取り除く何かとか、そういうケアとか、具体的に何かあったら教えていただきたいなというのが佐藤参考人に一つと、佐藤参考人と小野寺参考人には、どうしても個人情報保護法は、これがもう邪魔だ、取っ払いたいと、そういうお話でしたけれども、逆にそれが改正されて取っ払われたときに何か問題点はないのかというところをお聞きしたいと思います。
#46
○参考人(佐藤良子君) 本当に孤独死ゼロ作戦は本当に真剣に考えて、それで多くの方の協力をいただいてやっております。そして、高齢者の方の顔が見える自治会組織をつくろうということで、孤立化防止という作戦をやりました。その孤立化防止を、どういうことかというと、本当に、一人では出てこれないけど誘われると出てくるということなので、五人以上集まったら、そこに、どんなおしゃべり会でも食事会でも散歩会でもいいんですけど、名前を付けていただいて、そこにリーダーを一人付けて、近隣で集まって、そして会場は組織化している自治会が全て提供するので、会場はいっぱいあるんですね、おかげさまで。コミュニティー会館もありますし自治会の集会所五つもありますので、自由に朝昼晩と使っていただく。
 そのために五人以上に、グループをつくったところ、老人会という会はあるんですけど、私自体が老人会って名前が大嫌いなので壮年のたまり場と呼んでおりまして、壮年のたまり場をつくっております。そして、五人以上集まったら、そこに一万円の年間補助金をあげております。それは社会福祉協議会と協働なんですけど。
 だから、ちょっと数えたら、今ちょっといっぱい言えないですけど、何せいっぱいあります。たくさんの、そして希望する会を全部立ち上げています。どんな会がいいの、どんなものがやりたいのというと、こういう会をつくりたいから募集掛けてというと、毎月自治会では自治会だよりというのを発行していますので、そこに、こういう会が新しくできます、ここに何時に集まってくださいとか全て公表していきますので、私、今言えるだけでも三十何団体ぐらいの高齢者のたまり場があります。カラオケだけでも十チームあります。
 それに、グラウンドゴルフとか、いっぱい高齢者のたまる場所のいろんな団体でつくってくるものがあるんですけど、昨年はマージャンクラブをつくったり。それから、本当に手作りコーナーで、五人集まったら企業化しようというので、今こういうペンケースを企業化しています。農家の要らなくなった家を一軒借りて作業所につくっております。それから、これは企業ごみなんですけど、高齢者の方に作ります。これ、男性が作っています。これは日本航空電子のシールが張られている廃棄物なんですけれど、これをいただいて、何千個というものを作りまして、今はこれは製品化して売っています。伊勢丹でデビューしました。それから、たくさんあるんですけど、後で見てください、ここに。着物を全部捨てるんですね、帯とか。それを作って、帯のペンケースです、これ。それを全部販売すると年間で百万の売上げがあるんです。それを売り上げたものを高齢者に全部差し上げています。
 それと、自治会はビジネスもしています。高齢者の方の孤立化防止のために駐車場の管理を下請しています。それと公園の管理を市からの委託事業として請け負っています。それでかなりのお金をもうけています。事業者を脅かすというと語弊なんですけど、やっぱり周りにある駐車場は、自分たちが住んでいる、駐車場を全部借りている、顔が見える人たちに借りているので管理しやすいということと、それから犯人を見付けやすい、パトロールもしやすいという形で、高齢者の事業団をつくりました。シルバー人材センター、大山シルバー人材センターと言うんですけど、シルバー人材センターをもじりまして上に大山を付けましたので、それで今八十人の方が登録されていて、公園清掃一時間千円あげております。これは有償ボランティアなので、お金もうけたら高齢者の方に還元をしていく。お金もうけもしておりますし、公園の管理をどういう形でやるかといったら、子供たちが使います。ですから、PTAとか子供会とか老人会のゲートボールに使うので、その方たちに補助金あげますから公園清掃してくださいというんで、とてもきれいです。そして、ごみ一つない町になっています。
 本当に、これが画期的なビジネスと有効活用と高齢者のたまり場の作業所をつくることで、たくさんの作業所が十種類ぐらいの作業をしてもらっています。それを全部お金もうけて、作った人に、自治会もうけるわけじゃないんですけど全部差し上げて、今、伊勢丹でデビューをしています、これ全部。伊勢丹と南口の夢工房というところで販売しておりまして、一か月に十万ぐらいの売上げが、いただいていますので、相当、そして被災者の方も仲間に入れて、被災者支援の自立支援という形で被災者の方にも応援いただいて、今は本当にあらゆるもの、今日は女性の先生がいらっしゃいますので、これ女性の先生方にプレゼントして帰ろうと思っております、見ていただいて。
 そんな形で、やっぱり自立させる、高齢者を行き届いたものにする、お困りを全部防ぐためには、本当に、高齢者の方の安心で一生を送れるために、これも開発しました、「終焉ノート」。これはメモリアルノートといいまして、これを記入することによって、自分がどういうふうに最期を迎えてどういうふうにしてもらいたいということが全部載っかっています。これに書いてもらえば、財産も全て任せられる場所が書いてありまして、これ三百円で、自主出版したので売っているんですけど、赤字なんです。印刷代だけでも三百五十円掛かるんですけど、高齢者支援としたらこういう面にも、もう今は三千部売れまして、高齢者の方が喜んで、息子とか離れているので、これを書いておけば安心してみとってもらえるよねという形で、高齢者支援にはすごい。
 それから、今、お弁当を配られていますよね、高齢者の介護を受ける方に。それは味気ないと思うので、作ったものをみんなでお裾分けしましょうと。田舎の言葉なんですけど、みんなでお裾分けして食べましょうというので、大体私は七軒ぐらい独り暮らしのところに煮物を作ったりすると配って歩くんですけど、その協力隊員だけでも相当な隊員ができております。必ずお弁当ではなくて、一日一回ぐらい、一週間に一回でもいいから、手作りの煮付けの魚が食べたいと言えば、そういうのを届け合って、孤独死、孤立化を防止するということと、全ての見守りが、全員でやるというそういうシステムで、孤独死ゼロになりました。
#47
○参考人(小野寺美厚君) 個人情報の方なんですけれども、何のためにがはっきりしていれば大丈夫だと私は思います。
 実は、ネットワークオレンジも、今、佐藤参考人と同じような事業をしているなと思って聞いていたんですが、障害のある人たち、事業所が付けるオレンジノート、いわゆるサポートブックというものを考案して、実践しています。
 今日の資料の中にもありますけれども、例えば自閉症のA君とB君がいた場合、同じ病名でも、そこからの生活歴というか、療育の入り具合によっては、同じ病気であっても、障害であっても、将来にどういうふうなことができて、どういうふうなことが困難なのかということが出てきますよね。そういうのを、日々の活動の中で、現場にいるスタッフたちが一人一人利用者さんのサポートブックを書いていきます。それを毎月、私たち、支援部会を開いて、スタッフ全員で検証をし、情報を共有し、そして、これから将来、学校卒業後、自活していくために向けて、地域の協力ってどういうものが必要なのかということを話し合う、そういうふうなデータを今作っています。
 今、ネットワークオレンジの利用者さんが大体全部で二十三名、放課後デイには一日十三から十四の子供たちがやってきます。それを、個別記録日誌という付けなければいけないものプラス、オレンジが実践しているサポートブック、オレンジノートというのを付けていくわけです。
 なので、これを使って、例えばこれからもっともっと情報がスムーズに、困っている家庭の情報がそういうふうに入っていただければ、早期療育をやられることで、将来、こういうふうなサポートブックによって、お子さんの自立、地域の中での自活が随分スムーズに進みますというふうなことをお約束できるんじゃないかなと。
 実は、このサポートブックを使って、今、お医者さんであったりとか、あとは成年後見人制度に携われるような弁護士の先生であったりとか、あとは地区の民生委員とか、そういうふうな方々が、講座とか何かの勉強会のときに、それを基にその人の今までの成長過程というのを共有、何というんでしょうね、できているんですよ。将来的にはここのおうちではこういうふうな職に就かせたいというふうに考えている、だけれども、今のできているところがこうで、困難なところはこうですというふうなことを先生方とお話しできる、そういうふうなデータブックにもなっています。
 行く行くはこういうものをきちんと、行政とも連携をして、親亡き後ですよね、親がいなくなった後も地域の方々に守られながら、そして地域の中できちんと人生を送れるような、そういう仕組みにつなげていきたいと。
 なので、私は、個人情報という部分においては、きちんとした目的があれば、条件の下に、条件を付けていただいて、是非少し緩和をしていただきたいなというふうに考えています。これをすることによって、地域と、そういう福祉、障害者福祉という部分がもっともっと連結していける、そういうふうに現場をやっていてすごく感じているところです。
#48
○石井浩郎君 大変参考になりました。ありがとうございました。
#49
○会長(直嶋正行君) 岡田広君。
#50
○岡田広君 自民党の岡田広です。
 三人の参考人の皆さん、今日はありがとうございました。行政に頼らず自立ということで、佐藤参考人に二点だけ簡潔にお尋ねをしたいと思います。
 今、一点目は石井委員の方からも質問あった中に答弁あったんですけれども、市能工商というこの考え方、それで能は人材バンクということで、先ほど説明の中で、五十何人か登録をされてボランティアをされているという御説明がありましたけれども、この商の方は、この資料のカラー写真の五ページにコミュニティービジネスということで、こちらは千円というお金を取っているということで、さっきシルバー人材センターのようなお話がありました、八十人ということで。この能と商の関連があるのか、要するに、人材バンクに登録している人たちもこのシルバー人材センターの会員として仕事をしているのかどうか、それが第一点です。
 コミュニティーホールがあったり、集会所が五つあるということですけれども、私、一番自治会の中で大切なことはやっぱりきずなだと思うんですけれども、そういう中で、先ほど説明がありました公園整備をしたり駐車場の管理をしたお金を還元をしているということ、これはこれで評価をしたいと思うんですが、こういうお金を使って、自治会の生涯学習、生涯学ぶ環境をつくる、みんなでいろんな情報を、例えば人材バンクにしても、その技術者の人たちからみんなが教えてもらうとか、そういう生涯学習のお金にそういうことを使うという考え方がないのかどうかが一点。
 もう一つは、資料の二ページですが、路上違法車両撲滅ということで、駐車場、九八%ぐらいで。多分団地内道路になっているんだろうと思うんです。これ、多分、警察との関係は分かりませんけれども、道路だと駐車違反罰金取られますけれども、団地内道路は多分三万円か三万五千円取られるんですね。だから、これ、警察入れて駐車違反のレッテル張られると大変なお金を払わなくちゃならないんだと思うんですけれども、そういう中で、みんなでパトロールをしたりしてここの違法駐車を防いでいるのか。
 千六百世帯あるわけですから、自治会として駐車場を借りて多分駐車場の数は充足されているんだろうと思うんですが、それでもあしたの朝早いからといって団地内の団地の部屋の下に車を止めて、両側に止めて火事があったところへ消防が入っていって、ある自治体では、ほかの止まっている車にぶつけて消防、行政がお金を払っているような事例もあったわけですけれども、こういう団地内道路の駐車というのはしっかり守られているのかどうか、この二点だけお尋ねしたいと思います。
#51
○参考人(佐藤良子君) 市能工商の能の能力のある人もそういう協力に、お金をもらう方に参加しているかということは、参加しております。六十歳以上の方というふうに募集掛けておりますので、六十歳以上の方であればダブって参加している方もいます。
 でも、そういう方はとても能力のある方なので、その方を責任者として採用しております。お金を配ってもらう役目とか、銀行から下ろしてきてもらう役目とか、それから今日、何日、どういう班分けをして清掃をするかとか、そういうのを、責任者を三人つくっておりますので、その方たちにこのシルバー人材センターの清掃活動についてはお任せしております。本当にいい形で自立させてもらっております。
 それと同時に、工夫もアイデアもたくさんありまして、違法駐車撲滅運動をやりましたのは、東京都の私有地なので、私有地なんですね、私の道路なので警察立ち入れないんです。
 そのために、私たちは、もう本当に朝も昼も夜も、駐車されていると、べたべたべたべた、最初はこのようなA4の紙に書いたのをフロントに張っていたんですけど、効き目がないので次の手段としてセロテープで張ったんですが、その後は効き目がないのでガムテープで張ったらガムテープののりが付いちゃって、すごい、てめえ、ばばあのくせになんて電話が掛かってきて、会長を辞めろとかって言われて、俺の車にガムテープで張りやがって、塗装が剥げたじゃねえか、弁償しろとか、あと、最後にはやくざを名のられたりして大変なことをやったんですけど、でも、警察の協力をいただきながら、子供と高齢者の散歩道とか子供の通学路を妨げていると事故に遭うという形で、そういうことを本当に必死になって本気でやりましたね。
 そしたら、やくざを退治してくれた会長さんがいて、何か組名を名のられたので電話したら、その方破門されて、それで三日後に私のところに謝罪に来たんです。これ、映画を見るようなシーンで、本当に。
 それで、五年前にその方が区長なんかやっていただいて、今は会長に何かあったら俺が守るなんて言ってくださっていて、すごい味方になってくれる。排除するのは簡単なんですけど、やっぱり仲間に入れていくということを重点的にやっております。
 そして、車も排除するのは簡単なんですけど、それに代わる駐車場を、たまたま東京都が草ぼうぼうにしている空き地があるものですから、草ぼうぼうにしてお金を使うんだったら私たちが整地をして、違法駐車撲滅をやるから理解していただいて、今百二十台、車の駐車場を用意しています。ですから、違法駐車はありません。それも全て自治会で予約制にしておりまして、借りたい方は前もって予約して、フロントに許可証をいただいて、出しておけばいつでも止められるという状況になっております。そのために、週末は六十台ぐらいの車が入っております。私たちだけが良ければいいというものではないので、運動会があったり、それから葬式があったりするときは、全て近隣にもちゃんと貸出しをしております。代わるものをやる。
 そして、路上駐車は、大体カーブのところとか広いところがあるんですけど、そこに百個ぐらいのベンチを用意して、違法駐車撲滅の駐車禁止の椅子を用意しているんですけど、その椅子はただの椅子ではなくて、かまどベンチにしております。火災が発生したり地震があったときにその椅子が今度はかまどになるという、一石二鳥の役目を果たしておりまして、そういうことを工夫しながら、駐車違反されるようなところには全部椅子が置かれていますから止められない。
 そして、周知していますので、何人かは止めるんですけれど、そのたんびに各区、今三十二区あるんですけれど、三十二区の交通安全対策部というのがあって、その方が明示票、ちゃんと警察からもらった違法駐車のステッカーを、このぐらいの大きいステッカーをいただいて、それを全部の駐車されている車に毎日張られますから、警察にも通報されるので、今は九八%ないです、道路駐車。二キロあるんですけど、団地内を歩くと二キロあるんですけど、今は駐車は本当に見かけません、昼間はほとんど見かけません。でも、イタチごっこなんですけど、構わずやっております。
 パトロールも、しっかりと、希望でお願いして、昼のできる人、夜できる人と分けてパトロールをやっているんですけど、夜は四十代までの方の若い青年団がやっていただいています。昼間は定年したりとか七十代の高齢者の方がパトロールをしてくれます。昼の役目と夜の役目のパトロールを全てやっておりますので、本当に違法駐車、目の色を変えてやりましたから、その経過が、結果がとてもよくできています。
#52
○会長(直嶋正行君) 高階恵美子君。
#53
○高階恵美子君 度々済みません。
 宮口先生に最後に質問させていただきたいなと思っています。
 今日見せていただきました段々畑とそれから棚田、あれはアートですよね、本当に。先生のお言葉の中にあった、人が土を扱う技という言葉、感銘を受けました。
 それで、人がたくさんいるところはある程度こういうこれからの時代もカバーする策があるのかもしれないんですが、人口が少なくなっている離島、山村地域、こういうところにはやっぱり人の呼び込み、あるいはそこをブランド化していくような試みを社会的な何らかのシステムでもって強化していく必要があると思うんですけれども、先生のお話の中にあった大学のゼミ生の派遣であるとか、それから子供たちの体験教育のプログラムをもう一回始めるとか、そういうことをもし国の政策として強化していく、あるいは新たに導入するとするならば、こういったようなアイデアがあるんじゃないか、どこにこういうものを付けるといいんじゃないか、多分アイデアをお持ちかなと思います。そういったところをちょっと踏み込んでお話しいただければと思います。
#54
○参考人(宮口とし廸君) 先ほど最後に申し上げました子ども農山漁村交流プロジェクトというのは、実際に国が三省合同プロジェクトとしてスタートしたんですが、あれは仕分けだったんでしょうか、子供の移動交通費を国が負担するというのがたしか文科省の方の発案だったんですが、そこまでやることはないのではないかということで、農水省の方は受皿の方に対して支援をするということで、兵庫県や千葉県などでは県が主導して結構やっておられるんですが、全国的にはかなり低調であると。
 これを、私、改めて各党で御議論いただいて、もう少しいい形で復活をしていただきたいなということは、前に配っていただいたプリントの中でも申し上げております。小学五年生を全員農村に送り込もうというのが当初の言い方だったんです。いろいろな研究がありまして、三泊すると本当に子供は変わるんだというちゃんと研究報告もございます。
 私は、子供にとって大変いい、それからお年寄りの役割が非常に生まれるんですね、子供を預かることによって。若くて忙しい人ではなくて、六十代、七十代のおじいちゃん、おばあちゃんが本当に培ってきた技ですね。それから、野菜がどんなにおいしいものかというようなことが子供が実感できる。そういうことに対して物すごい大きな役割を果たすことができる、お金もそんなに掛からないということで、これは大変いい事業だと思います。
 それプラス、私のように大学の学生を連れて農村でしばらく過ごさせるというようなことは今相当増えてまいりました。大学によってはそれを単位にしようという動きもあります。
 それから、総務省でも、域学連携といって、大都市の大学の学生が地方へ通って、そこで一緒に議論をしながら時間を過ごすというようなことで、いろいろ動き出してきております。
 是非そういう、事前にお配りしたプリントの中にも補助人という言葉を使った短い文章がございます。補助金より補助人の方が価値があるよねと。要するに、一緒にそこで時間を過ごして影響し合う。都会から行った人間は田舎の人の技を感じ取る。それから、田舎の人は、例えば安心院といって農家民宿で有名になった大分県の農村があるんですけれども、やっぱり都会の知識人が泊まると、そのたたずまいの中のちょっとした、何というかな、雰囲気の悪いものだとか、あるいは宿の経営の在り方とか、ちょっとした批判とか提言もやっぱりあるんですね。要するに、人を扱うことによって自分も成長することができる。
 今までの、特に農山村、過疎地域は、都市へばかり人が行く中でそういう役割を発揮する場がなかったわけですね。そういうことが今増えている。一方で、人口減少、高齢化は進んでいるんですけれども、そういう出会いは以前より増えてきています。
 ですから、私は、トータルとして総人口が減ったとか総生産額が減ったというのは、これはいいんだと。簡単には増えません。だけど、一人当たりの果たす役割が増えていれば、それは地域が活性化しているということではないかということを申し上げているわけですね。別の文章にも、人の接触ということがとにかく新しいことを生み出すんだと。人と人が接触する、特に都市に育ったいろんな技、都市の技を身に付けた人、農村の技を身に付けた人、この接触がいい何かを生み出すんだということを言っています。ですから、是非そういう政策を増やしていただきたいなと、そんなにお金も掛かることではないというふうに思います。
#55
○高階恵美子君 ありがとうございました。
#56
○会長(直嶋正行君) ほかに発言ございますか。
 藤谷さん、どうぞ。
#57
○藤谷光信君 今日はどうもありがとうございました。民主党の藤谷でございます。
 お三人の参考人の皆さん、大変ありがとうございました。
 私も、地元自治会を世話したり過去にしておりましたし、それからいろんなお話を聞かせていただきまして、大変参考になりました。迫力のある日ごろの、日々の活動を参考にさせてもらいたいと思っております。
 私のところは、私は山口県岩国市というところですが、宮口先生がおっしゃったような農村地帯、それから佐藤参考人がおっしゃったような団地も両方抱えておるところでございまして、もうお話がよく分かったつもりでおります。
 それで、特に先ほど来お話をたくさん聞きましたのでないんでございますが、宮口先生にちょっとお尋ねをするんですが、農村地帯が人口が減った、しかし美しい町やら山とか段々畑とかそういうものが、日本の美しい風土というものがまだまだ生きておるからということをお話しになりましたが、ひとつ私は、建物が、伝統的な日本の建物、農家の建物ですね、高級なおうちじゃなくて普通の建物ですが、大工さんがそれをやります。
 建物ということになりますと建築学とか、そういう面でいろいろ取り上げるんですが、そうでなくて、今の地理学とか社会学とか民俗学の立場から、日本の建物は、もう鹿児島の方から北海道へ行きましても、同じ、大工さんは一枚の図面がありましたらすぐ家を建てるんですね。家を入りましたらどこでも、どこに床の間があってどこに、昔の建物ですよ、便所がどこにある、玄関がどうなっておる、式台がどうなっておるということ、大体共通しておったわけですね。それが最近はプレハブで、大きな建築業者、建築会社が次から次へ、昔の一尺とか一間とかいうユニットじゃなくて、自由自在に建築設計して、便利がいいとかですね、伝統的は関係なくて、使いやすいからというのでどんどん建っております。
 そういうことが、まあ昔が全ていいというわけじゃないんですが、長い間培ってきた、先生の先ほどの段々畑のあの農家の人が、何十年、何百年、何代にもわたって段々畑をつくってきたということを高く評価されておるわけですから、建物についても私は同じような視点が必要じゃないかと思うんです。私のこれ考えでございますが、御意見ありましたら、お伺いしたいと思います。
#58
○参考人(宮口とし廸君) 建物についてはもちろん専門家ではないんですけれども、今日お見せした例えば東北の農村の写真なんかは、これはやはり都市化の経済の力が及ばなかったがゆえに新しい家がそんなに建っていないということが言えますよね。
 というわけで、今一番、そういう本来の建物が残されているのは、やはり例外なく過疎地域と言われるところであると。もちろん、かつて本格的な大工さんがいい材料を使って建てられた建物は風雪に耐えて残っております。柴田委員の地元の砺波平野なんかの屋敷林を持ったあずま建ちと言われるすばらしい家々もまだまだ残っております。
 そういうものは当然価値があるわけで、だけれど、一方で都市経済というものが日本人の多数の生活を支えてきたことも確かで、それはそれで都市からどういうものが波及してくるか。片方に、そういう数の上では及ばないけれども、額の上では及ばないけれども、価値あるものがあるんだよと。そういうそれぞれに対する評価というものをやはりきちっとしておく。
 私は地理学者ですから相対的に物を見るわけで、都市には都市の価値があると。これが、どちらかというと農学部系の先生は、そんなことを言うと叱られますが、本当に農村に価値があって都市は大嫌いという人が多いんですが、私はそれなりに都市にはそれだけ人を支えてきた価値があるし、やはり東京にすばらしいシェフのレストランがあるとか、いろんな芝居が見られるとか、それはそういう技というものがあるわけですね。ですから、やっぱりそこをはっきり、都市の価値、農村の価値、さらにそういう農山村、都市から遠いところの価値ということで、きちっと理解をしていただくということが大事じゃないかというふうに思います。
 最後に一言、私は、土地を使って生きるという暮らしをやはり日本から消してはならないと、それは大きな面積で機械を使ってやる農業とは別の価値がもう一つそこにあるんだと、そしてそれを守るのにそんなに大きなお金が掛かるわけではないんではないかとひそかに思っております。
 以上です。
#59
○藤谷光信君 どうもありがとうございました。
#60
○会長(直嶋正行君) ほかによろしいですか。
 それでは、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後三時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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