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2013/03/13 第183回国会 参議院 参議院会議録情報 第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号
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2013/03/13 第183回国会 参議院

参議院会議録情報 第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号

#1
第183回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号
平成二十五年三月十三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         直嶋 正行君
    理 事
                難波 奨二君
                西村まさみ君
                石井 浩郎君
                岡田  広君
                横山 信一君
                柴田  巧君
    委 員
                相原久美子君
                川崎  稔君
                中谷 智司君
                羽田雄一郎君
                藤谷 光信君
                前川 清成君
                岩井 茂樹君
                加治屋義人君
                高階恵美子君
                中西 祐介君
                渡辺 猛之君
                山本 香苗君
                山田 太郎君
                田村 智子君
                福島みずほ君
                中山 恭子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        小林  仁君
   参考人
       コミュニティデ
       ザイナー
       株式会社stu
       dio―L代表  山崎  亮君
       ひたちなか海浜
       鉄道株式会社代
       表取締役社長   吉田 千秋君
       公益社団法人セ
       ーブ・ザ・チル
       ドレン・ジャパ
       ン東日本大震災
       復興支援事業部
       副部長兼子ども
       にやさしい地域
       づくりプログラ
       ムマネージャー  津田 知子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○共生社会・地域活性化に関する調査
 (「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち
 、次世代へつなげる活力ある地域社会(次世代
 へつなげるまちづくり))
 (派遣委員の報告)
    ─────────────
#2
○会長(直嶋正行君) ただいまから共生社会・地域活性化に関する調査会を開会いたします。
 共生社会・地域活性化に関する調査を議題といたします。
 「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち、「次世代へつなげる活力ある地域社会」について調査を行うに当たって、本日は「次世代へつなげるまちづくり」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、コミュニティデザイナー・株式会社studio―L代表山崎亮君、ひたちなか海浜鉄道株式会社代表取締役社長吉田千秋君及び公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン東日本大震災復興支援事業部副部長兼子どもにやさしい地域づくりプログラムマネージャー津田知子君の三名でございます。
 この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席をいただきまして誠にありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いをいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 それでは、早速でございますが、山崎参考人からお願いをいたします。山崎参考人。
#3
○参考人(山崎亮君) studio―L、山崎です。どうぞよろしくお願いします。(資料映写)
 大阪からやってきました。コミュニティーデザインということを仕事にしておりまして、元々は建築や公園を設計するという仕事をやっておりましたけれども、どうしても、よく箱物と言われるように、形は造ったけれども、その後中身をどう使っているのかということが気になってしまいまして、設計だけやるというよりは、市民の力で公共建築だったり公共空間を使いこなしていくというプログラムを考えたいというふうに思いまして、独立して今の事務所をつくりました。
 結果的には、市民の力で公共施設を使いこなそうと思っていたら、使いこなしている人たち同士がつながって何かいいコミュニティーができてきたなということに気付くようになりまして、今は自分の仕事を建築家と言わずにコミュニティーデザイナーというふうに言うようにしています。
 横文字で恐縮ですけれども、前に書いてあるとおり、副題「コミュニティー・エンパワーメント・バイ・デザイン・シンキング」と書いています。やればやるほど、コミュニティーエンパワーメントとかコミュニティーワークという、福祉とか社会教育とかそっちの分野にすごく近づいていったので、やっている内容を、デザインの視点から社会福祉だったりとか人のつながりをつくっていくというのを自分の仕事にしようということで、日本語でなかなかうまく書き方が分からなかったので英語のまま表記をしております。
 今日いただいたお題は次世代へつなげるまちづくりということで、我々がかかわっている事例を幾つか御紹介する中で、次世代あるいは地域社会ということに対してお話をしたいなというふうに思います。
 まず、タイトルで共生社会・地域活性化に関する調査ということで、特に、次世代へつなげる活力ある地域社会ということで、赤色にしてある次世代と活力と地域社会というのはまさに我々が今取り組んでいる内容でもありますので、この三つについて幾つかのお話をしていきたいと思います。
 まず、地域社会というところは英語でコミュニティーというふうに言われるんですけれども、今、コミュニティーという言葉自体が複数の意味を持つようになってきているなというふうに感じていますので、そのことからまず御紹介したいと思います。
 新しい世代、次世代はコミュニティーをどうとらえているかということなんですけれども、これ、一番、二番と書いていますが、一番の方は、いわゆる今まで地域社会と呼ばれていたコミュニティーですね、地縁型というふうに言ってもいいかもしれません。同じ地域に住んだ縁で結び付きますという、これはもうかなり古い歴史がありまして、自治会、町内会、婦人会、老人会、子供会、これはみんな同じ地域に住んでいるからつながろうというようなコミュニティーだと思います。
 一方で、テーマ型のコミュニティーというのもかなり生まれてきているなというふうに思っていますね。これは右側にちょっと横文字でFBと書いていますが、例えば、フェイスブックのコミュニティーといったりミクシィのコミュニティーといった場合のコミュニティーというのは、全然同じ地域には住んでいないけれども、でも興味が同じ人たちが何となく集まっているとか、NPOも、サークル活動、クラブ活動も、ひょっとしたら鉄道が好きだとか、同じ地域に住んでいないけれども同じ興味で集まっているコミュニティーというのがあるというふうに思います。
 往々にして、一番の方のコミュニティー、つまり地縁型のコミュニティーというのは若干最近元気がなくなってきているなというのがありますね。二番のテーマ型のコミュニティーの方はむしろ物すごく数が増えているような気がします。だから、地域を元気にしていこうと思ったときに、今までだったら、やっぱり自治会をどうするか、町内会をどうするかという話が多かったんですが、これ、うまく二番と組み合わせていかないと、もう今は高齢化しちゃっていますとか、マンションの住民でなかなか町内会に出てきてくれないですという人を誘い出すというのも相当難しくなってきているなという気がしますので、興味の対象に合わせたテーマ型のコミュニティーと、一方で、地域を守っていく地縁型のコミュニティーのミックスをどういうふうにしていくのかというのがこれから大切になるんじゃないかなというふうに思います。
 そんな視点で、幾つか、都市部での事例と、それから中山間、離島地域で我々がかかわっている事例とをお持ちしました。
 最初の兵庫県立の有馬富士公園という公園、これは県立の公園で山の中に造っちゃった公園なんですけれども、有馬富士という、有馬地方、有馬温泉の方にある富士山みたいな形をした山の麓にある公園です。
 この公園は、少し違っているのは、パークマネジメント、公園を運営しようという考え方が入っているという点ですね。今まで公園というと、そこにブランコや滑り台を造って、ハードを造ったらそれでオープン、後はもう勝手に来て遊びなはれという感じが多かったんですけれども、ここでは、地域のNPO団体やサークル団体の人たちを誘って回って、八十団体ぐらいの方々が今、公園内の各所で活動をしてくれています。この方々がファンをつくるんですね。森の音楽会をやるチームもいるし、水辺の生き物の観察会をやるチームもいます。
 こういう人たちが毎週のようにここで活動すると、その活動に参加したいという人たちが二十人、三十人集まるようになってくる。これは例えがいいかどうか分からないんですが、公園に遊具をいろいろ置いていくというのとほとんど同じような感覚で、コミュニティーの団体の方々を、配置していくというと言い方がおかしいんですが、いろんなところで活動していただく。この方々の人の魅力で公園の来園者数を増やしていこうというようなことを計画しました。
 実際、我々は、だからそれぞれの団体に話を聞きに行って、その活動、面白そうだからうちの公園でやってくださいと言って誘って回るというところからスタートしています。この後、公園の運営方針をどうするのか決める会議をやったり、市民の方々でルールを作っていく、公園の中でやっていいこと、悪いことというのを自分たちでルールを決めていくというようなことを公園の中でやっています。
 今、もう十二年目ぐらいですかになっていて、ちょっと、写真に示すような、林の道づくりとか、水辺の生き物を観察する会だったり、和紙と竹ひごを使ってたこを作ってたこ揚げをしようというチームだったりが来ます。それぞれの団体はそんなにたくさんの人を集めるわけではないんですが、この人たちが週末になるとやってきてはいろんなことをやっているということで、また、ああ久しぶりとか、今日は何してくれるんというような話で会話が発生するということになりますね。
 市民活動団体さんもよく悩んでいるのは、自分たちの活動のメンバーが固定化してしまって、どんどん高齢化して数が少なくなっていって、そのうち解散してしまうということが多いんですが、この公園で活動すると、例えば天体望遠鏡の人たちがマクロ探検隊ってやっていますけれども、百人に一人ぐらいは同じく天体望遠鏡が趣味だという人が現れたりして、そこで新しい仲間になってくれる人が出てきたりします。普通に公園でいきなりこんなことをやり始めたらちょっとおかしい人かなというふうに思うんですが、でも、やっぱりこういう関係性をつくることができる公園だというのがもうウエブにも載っていて、カレンダーになっていて、今日は何時からどこの団体がどんな活動を園内のどこでやるかというのが示されているというのが、少し人と人がつながるきっかけになっているのではないかなというふうに思います。
 この公園は、野球場でいうと大体十五個分ぐらいの広さがありますので、園内各所でいろんな活動をすることができるというのが特徴だと思います。年間来園者数は、おかげさまで、オープンした年が四十一万人でしたけれども、五年後に六十九万人になりまして、去年の数値が出ましたね、七十九万九千人だったということなので、約八十万人ぐらいまで増えてきています。これは、我々が何かしたわけではなくて、このコミュニティーの活動団体の数が増えたこと、それから、活動頻度が増えたことによってそれぞれの人たちが公園に自分たちのファンを呼び込んできてくれて、この人たちが、毎週末とか週に二回活動している団体もいますので、そういう人たちがいろんな来園者を呼んでくるということになります。
 つまり、いわゆるハードで、滑り台を造るとかブランコを造るといって人を集めるのもいいんですが、やっぱりブランコだと、何か言っても、ブランコですから、おう、久しぶりと言ってくれませんので、その辺りが、人であるということ、人が活動をブラッシュアップしたり、ちょっとずつ変化させてくれるので、公園に毎月のように通うという人たちが出てきているんではないかなというふうに思います。
 こんなことをやっていたら、百貨店を再生してくれないかという依頼を受けるようになりました。これが自分たちの仕事だというのは依頼を受けるまで分からなかったんですが、鹿児島県の鹿児島市の中心市街地ですね、真ん中の部分にあった三越百貨店、十層なんですけれども、地下一階から九階もある十層の三越百貨店が撤退するということになって、撤退した跡に地元資本でマルヤガーデンズという百貨店をつくるという相談を受けました。
 そのときにお話ししたのは、是非とも各階に有馬富士公園みたいに、小さな、公園とは呼ばなくていいんですが、空いたスペースをつくりませんかと。そこに、さっきの事例のようにNPOとかサークル団体が毎日日替わりでやってくるという仕組みにしたらどうですかというお話をしました。つまり、ちょっと薄くて見にくいかもしれませんけれども、各階にはテナントが全部入っているんですが、その中、一区画だけはガーデンと呼ぶ空いているスペースを必ずつくって、ここに椅子を並べておくだけだと買物客が休むだけになるんですが、ここに、さっきの有馬富士公園みたいな感じですね、地域のNPO団体やサークル団体が入ってきて、活動すると。
 するとどういうことが起きるかというと、もう今既にデパートには買物に行きませんという人が圧倒的に多いんですね。郊外型のイオンやジャスコに買物に行くとか、インターネットで買物をするという人の方が圧倒的に多いはずです。この御時世にデパートにこんなテナントが入りましたと有名ブランドを入れても、来ないものは来ないだろうということで、だったら、今までデパートに来なかった層がデパートに来る仕掛けをつくらなきゃいけないんじゃないかということで、このNPOとかサークル団体の人たちが毎日日替わりで、今二百二十団体が十個のガーデンを使っていますけれども、平均すると一ガーデン当たり二十二団体が毎日日替わりで使いこなしているということになります。
 これはマルヤガーデンズの外観ですね。中で活動している方々が、例えば左上、アーティストの作品展をやったり、写真展をやったり、外遊びを紹介したり、右下なんかは、これは分かりやすいかもしれませんけれども、屋外の生き物の観察会みたいなことを説明している奥に、ちっちゃくて恐縮ですが、ラコステというふうにお店が書いてあります。ここの区画も、普通はお店に貸していいはずなんですけれども、あえて空けておいて、ラコステとかラルフローレンとかジルとかマックスマーラとか、周りに普通にお店がある中にこういう場所を用意しておいて、ここに毎日日替わりで市民活動団体が来ている。
 すると、乳がんの問題意識を持った人たちが勉強会をやる、帰りにちょっとお茶をして帰るとか、こんなものを買って帰るという流れができたり、あるいは逆に、買物に来た人たちが、例えばセーブ・ザ・チルドレンさんみたいに子供たちにということを会話している、あるいは話をしているところに参加して、ああ、今子供ってそういう問題を抱えているんだということを普通の買物客の人が知って帰ることになる。それぞれがばらばらにやっているとなかなか相乗効果を生まなかったことを、デパートの中でやるということで新しいつながりが生まれてきているのではないかなという気がしています。
 ちょうど来月三周年になるんですけれども、おかげさまで順調に売上げが伸びているというふうに聞いております。これはやっぱり、今二百以上のNPO団体がかかわるデパートということですから、市民からすれば、民間企業だけど、なくてはならないデパートになっているんですね。地域にとって買物できる公民館みたいになっているということです。こういう公共的な役割を民間が担うことというのは、非常にこれからの地方都市の商業にとっては大切なんじゃないかなという気がしますね。
 よく言われるとおり、近江商人の三方よしの思想、売手と買手がいいだけではなくて、やっぱり世間が良くないといけない。地域にとってなくてはならない商業施設になるかどうかが、これからの人口減少社会ではもう一度大切な視点となってくるのではないかというふうに思っています。
 都市部の最後の事例だと思いますけれども、延岡駅、宮崎県の延岡駅周辺のプロジェクトにもかかわっております。今のマルヤガーデンズが言うなれば最初の公園を垂直に積んだような形になっているとすれば、延岡駅は有馬富士公園がそのまま駅周辺にぱかっと当てはまったというような感じかもしれません。野球場十五個分ぐらいある広さの公園。これ何も公園じゃなくてもできるんじゃないかというのが発想ですね。池がなくてもいいし、森がなくてもいい。ここの中に商店街があって、商店街の空き店舗で活動している人がいてもいいんじゃないかということで、この野球場十五個分ぐらいの大きさをぱかっと駅周辺に当てはめてみるとどれぐらいの大きさになるかというと、これぐらいになりますね。全く同じスケールで出すと、駅の中で何か活動している人がいてもいいし、駅前広場で何か活動している人がいてもいいと。真ん中に道路が上から下まで通っていますけれども、ここに幸町商店街という商店街があります。この幸町の商店街の空き店舗を見付けて何か活動している人がいてもいい。
 先ほど、公園の中で年間八十万人ぐらい外から人が来る場所になったという事例を紹介しましたが、ここが全く延岡のセントラルパークだ、公園だと思えば、空き地、駐車場、空き店舗、これ全部活動できる場所ですから、要は、市民の活動団体の人たちを誘って、ここで活動しませんか、何曜日に何時からどんな活動をどこでやりますかと話合いを進めていくだけで、ここが擬似的な有馬富士公園のような空間になっていくんじゃないか。八十万人の方々、ここへ、中心市街地に来て帰りにちょっと買物をして帰るというような人の流れを生み出すことができるんじゃないかなということで、また、地域のNPO百団体回って話を聞いて、駅前で活動しませんかとずっと誘って回るというところからスタートしました。
 最初の年に六十団体から応じてくれて、何かやったろかということで集まってくれたんですが、今三年目ですね、百三十団体ぐらいが今はワークショップに来てくれるようになりまして、自分たちの団体はどこでどんな活動をやるかという話合いを今進めていってくれています。
 それから、公共空間を使ったりしますので、そのときのルールであったりとか、あるいは、どんなクオリティーの活動をすればお客さんがたくさん来てくれるかというのを今NPOの方やサークル活動の方々と一緒に話合いをしているというところです。
 駅前の模型ですね。この模型を使いながら、みんなでどこで何時からどんな活動をやるかという話をしているところですね。
 先ほどのデパートの事例、マルヤガーデンズの事例でもよく分かったんですけれども、市民活動団体の方々が何か活動するのに対して、お店の方々がそこに何か一緒にやろうということが起きてくるんですね。
 例えば、コミュニティーシネマという、地域の映画好きの方々がモンゴルの若手映画監督が撮った映画を、これは余り大きなシネマコンプレックスでは上映されていないような、マイナーだけど非常にいい映画だというのを映画上映するようになると、実は地域の本屋さんがコミュニティーシネマとかモンゴルとかに関する本を集めてきて、そこで映画を見た後すぐに買えるようにするとかですね。あとは、映画を見た後、映画の感想を話し合う会というのをやるんですが、そこにちょっと、モンゴルの映画だったらアジアの感じの料理を出すというレストランの方が来たり、そういうふうに商売とコミュニティーの活動が一緒になって楽しい状況をつくり出してくれるというのがよく分かってきましたので、今、延岡駅の周辺でも、商店街の方に、こんな市民活動やるとしたらどんなことを提供できますかという話を聞いているところです。
 ちょうど商店街の人たちが二年たってようやくやる気になってきてくれたので、百三十集まってくれている市民活動団体の方々と商店街の方々で中心市街地をどうもう一度元気付けていくかという話合いを続けているところですね。
 ここからあと五分は、家島と海士町という、逆に、中山間、離島地域のお話をしようかなというふうに思います。
 家島というのは兵庫県の離島ですね。瀬戸内、姫路の沖合にある離島なんですけれども、この離島で、地域に入ってよそ者が地域の魅力を探るという、探られる島と呼んでいるんですけれども、ずっと探り続けるというプロジェクトをやりました。秋、季節のいい秋に一週間ぐらい、東京や大阪、京都、広島、福岡、いわゆる都市部にいる方々ですね、ここに旅行に来るかもしれないという人たち三十人に集まってもらって、この方々に島の魅力を探ってもらいました。探った魅力を毎回、毎年十六ページの小さな冊子にして、これを島の方々に配るのと、それから島の外の方々に配って、家島の魅力ってこんなところにありますよという広報誌を作るということを、いわゆるプロを入れないで市民の方々だけでやりました。家島の内部の方々と外から来た方々と一緒にやったということですね。
 今日は御紹介しませんけれども、これ実は、この冊子の中に入っている写真は、いわゆるガイドブックに載っているものと全然違うんですね。都市部の人たちが行って楽しいと思うところを撮っていますから、例えば家島の畑の一番端っこに冷蔵庫がぽこっと屋外に置いてあるとか、こういう写真が面白いと思ってみんな写真撮るんですね、たわいもないことですが。都市部から行った人たちが見ると、やっぱりトマトとかキュウリを収穫したらすぐ冷蔵庫に入れたいから冷蔵庫を置いてあるのかなと思うんですが、当然屋外ですから電源なんか入っていないわけですね。何でこんなところに冷蔵庫があるんだろうと、ぱかっと冷凍のところを開けるとスコップが入っていますね。冷蔵のところを開けると、くわとか鎌とかが入っています。農機具小屋に使っているんですね。
 離島は廃棄処分のお金が高いですから、捨てようと思ったものを最後まで使い倒してから捨てるんですね。じゅうたんなんかも、古くなってもやっぱり雑草が生えてこないように屋外の地面に敷くと。こんなこと、たわいもないけれども、楽しいわけですね。都市部から来たら、何でこんなところにこんなのあるんだろうと。こんなのばっかり写真に載っているということですね。
 一年目、二年目は島の人たちに怒られました。私らの恥ずかしいところばっかり写真を撮って何でこんなものを冊子にするんやと言われましたが、三年目ぐらいからこの冊子を持って観光客が来るようになるんですね。あの畑の横の冷蔵庫ってどこにありますかと聞くような人たちが出てくるわけですよ。すると、島の人たちが島の外の人たちが我々をどう見ているのかというのがだんだんだんだん分かってきて、名所旧跡を発信するのもいいけど、そういうのはもうどこにでもあるから、むしろうちの島ならではのものをどう発信していくのかということを気付くようになってくる。
 総合計画を手伝ってくれと言われたので、総合計画策定を手伝ったときも同じく、やはり島の外の人たちが自分たちの生活をどう見ているのかというところからスタートさせました。島で初めてのNPOですね、法人が立ち上がりました、二〇〇七年に。NPO法人としての活動を今は続けていて、島の特産品を販売して、利益が出たら、島の広報を作ったりとか福祉タクシーを走らせたりということを十三人のおばちゃんたちが一緒になってやっていますね。
 NPOという言葉は、島の人たちはほとんど知らないですね。NPOというのは何の略か、さっぱり分からないと。まあこのおばちゃんたちのチームの名前だと思っていますね。NPOというのは何の略か分かんないけど、最後のOは多分おばちゃんのOだろうというふうに思っていますね。だから、島の人たちは最近このおばちゃんたちは全国的に有名になっていると思っています。NPOと昨日もテレビで言ってたぞとか、国会でもおまえらの話ししてたぞと話をしているそうですが、面白いからそのままにしておこうと思っています。家島は、NPOってまだ七千人ぐらいの人たちが何を意味しているかは分からないという島ですね。
 このNPOいえしまというのは、先ほど特産品を作っていましたけれども、この利益を町の広報を作ったりコミュニティーバスを走らせたりするお金に回しているということで、今はコンシェルジュを養成して、島を案内できる、さっき言った島の外から見て面白いと思う箇所を案内できる人を育てたりしているということですね。
 最後、海士町というところです。島根県の離島ですけれども、海士町で行ったプロジェクトは、ここは最初に総合計画を住民参加で作ってほしいというふうに町長から依頼されましたので、そこで、じゃ市民百人に集まってもらって総合計画の素案を作りましょうという話合いからスタートしましたが、行政に対する要望や陳情だけを言うんじゃ駄目ですというふうには市民に最初に百人に言いましたので。提案型で発言してくださいと、私たちは町に対してこんなことをやります、だから町はここをやってくださいというふうに、必ず自分が何するかを言った上で町の施策を提案するというふうにしてくださいという話合いの仕組みにしました。
 これで総合計画を二冊作ったんですね。通常は本編だけ作るんですけれども、ここでは別冊を作りました。別冊は市民の側のマニフェストです。私たちが二十四個こんな活動をやると言いましたということをちゃんと表明して、これを実際にやらなかったら島の人たちからいろいろと批判を受けるという、そういう内容にしましたので、もうやると言ったことは実際に活動し始めました。ひとチームや産業チーム、暮らしチーム、環境チームという、それぞれのチームが今はそれぞれまちづくりの活動を実施しています。だから、計画書を作るだけじゃなくて、その後の活動を自分たちでもやっていくということが大事だということをやっていますね。
 あと、百人の人たちが今活動していますが、残り二千人以上の方々がいますので、集落を回って限界的な集落だと言われているところを支援していくような、総務省さんの集落支援員の制度を使わせてもらって、今集落支援をしています。この方々、養成講座をやって、集落支援員といっても、今まで別の仕事をやってきた方ばかりですので、その方々が集落を支援する方法というのを学んでいただいて、今は集落に入って聞き取り調査をしたり将来予測をしたり、どんなことをやればこの集落がまた元気になるのかということを実際に実行に移していくということをやっています。
 ちょっと早口でしたけれども、最後、まとめとさせてもらいます。
 次世代・活力・地域社会ということで、次世代、コミュニティーの定義は今二種類に分かれているという話をしました。テーマ型で、デパートに入ったり公園に入ったり、自分の趣味の活動をやるんだけど、これが地域活性化につながっているという場合と、それから集落の方々の元気をどういうふうに取り戻していくのかという、この二種類のコミュニティーをうまく混ぜ合わせていくということが大事だと思います。
 もう一つ、活力ですね。次世代は何を活力だと認識しているのか。我々と我々以下の若い世代は、活力とか活性化というのが、売上げが増えること、給料が増えること、景気が回復することというふうに余り認識していない人が多いんじゃないかと思います。むしろ、単純な言葉で、気持ちがわくわくするとか、何かやる気が起きてくるとか、楽しいということ自体が活力だというふうに思っていることが多いんじゃないかなというふうに思いますね。だから、高度経済成長時代とはまた違う発想力が、僕はこれを不景気ネイティブと呼んでいますけれども、もう物心付いたときからずっと不景気で、不景気が当たり前だというふうに思っている世代からは全く違う活力とか豊かさというのが発想されてくるんじゃないかなというふうに思っています。
 これは、例えば、現状、景気回復してくれれば売上げが上がって、給料が増えて、そうしたら大きな車が買えて、友達や家族が乗っていろんなところに回っていけるんじゃないか、おいしいものを食べたりしたら、家族のきずなが増えたり、友達とのつながりが増えるんじゃないかというふうに考えるんだったら、そんなに遠回りして幸福を獲得しようとしなくても、もう車とか景気とか関係なく、みんなで持ち寄って御飯食べたら、それでつながりできるじゃんという、かなり手っ取り早い幸福論というのを信じている人たちが多いんじゃないかなというふうに思います。
 これ、一番下に、それならもう寝てますというのは、江戸の小ばなしですね、三年寝太郎みたいな。若い者がずっと寝て、仕事してはどうだと言われて、仕事したらどうなるんですかと若い人が老人に尋ねたら、仕事したら金がたまるじゃないか、金がたまったらどうなるんですか、金がたまったら金持ちになって寝て暮らせるじゃないか、じゃもう寝てますというふうに若い人が言うという、要するに、今、目の前でできる幸せがあるんだったら、景気が回復しなきゃそれができないとか金持ちにならなきゃできないと遠回りしないで、近道の幸福論をやっていこうというのが地域づくりで若者が目指していることなんじゃないかなというふうに思います。
 自分たちがやりたいことと自分たちができることと、そしてそこに地域が何を求めているのかということをうまく組み合わせれば、楽しい活動をできる範囲でやっていたら地域の方々からどうもありがとうと感謝されてうれしくなる、これでまた更に活動を続けていきたくなるということが今の地域づくりの中で重要なことなんじゃないかなというふうに思っています。
 最後ですね。それを通じて、要望陳情型から提案型の市民をどんどん増やして、やればやるほど楽しくなってくる、地域も少し良くなってくるというようなことをやっていかないと、これから財源が縮小していく、経済もこれから大きく上向くということをなかなか展望できないような時代の中で、もう一度市民力を活用したような施策を展開していかないとこの国のそれぞれの地域の良さというのが出てこないということになるんではないかなというふうに思っております。
 ということで、少し早口でしたけれども、以上でこちらからの報告は終わりにしたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#4
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 次に、吉田参考人にお願いいたします。吉田参考人。
#5
○参考人(吉田千秋君) よろしくお願いいたします。御紹介いただきました吉田と申します。
 元々しゃべるのが苦手な方で、学校だと、なるべく当たらないように当たらないようにと隠れていた人間なので、ちょっとお聞き苦しい点があるかと思いますけれども、聞いていただければと思います。(資料映写)
 ひたちなか海浜鉄道という会社がございます。御存じかとは思いますけれども、都会の鉄道は除きまして、田舎、特に地方の鉄道というのは、車が普及してきまして、昭和三十年代以降、どんどんどんどんお客さんが減ってきて非常に厳しい状況になっていくと。全国で鉄道それからバスの廃止が相次いだんですけれども、このひたちなか海浜鉄道を運行しておりました茨城交通さん、こちらも事情が一緒で、今から大体七年ぐらい前、一番多かったころには、こちらに見ていただくように、水戸の次の勝田という、日立製作所の企業城下町に近い町なんですけれども、こちらから阿字ヶ浦という海岸まで、途中、那珂湊という町を通って十四・三キロの路線だったんですが、かつてはこの阿字ヶ浦という海岸が東洋のナポリと言われておりまして、上野から常磐線が急行で直通で入ってきて、物すごくたくさん人が行っていたと。
 それから、那珂湊というのは、江戸時代から、北海道からの船がここで中継になっていくという非常に古い町でしたので栄えてはきたんですけれども、これが自動車の影響によってどんどんどんどんお客さんが減っていって、こちらもかつては三百五十万、年間いたお客さんが七十万人ぐらいまで減っちゃうということで、鉄道自体がもう立ち行かなくなってきたという状況にあったと聞いております。
 こちらの方に海浜鉄道の会社概要とありますように、輸送人員が大体平成二十二年度で七十八万六千人、年商が大体二億三千万という非常に小さな鉄道です。会社の現況として書いておりますけれども、平成二十年四月、茨城交通から分社化により会社が設立したということで、ちょっと先に行かせていただきますけれども。
 この存続に当たりまして、まず、茨城交通さんの方が鉄道を廃止したいという話が出たときなんですけれども、地元としては非常にシビアな見方をしておりまして、プロの茨城交通さんが駄目だと言った鉄道が存続できないだろうという雰囲気が強かったんですけれども、ただ、地元のひたちなか市長はもう徹頭徹尾、我が町は公共交通をないがしろにする町じゃないということで、もう最初から存続、存続ということで話を始められまして、その中で地元の方で応援団というものができてきたと。市長さんの方が一生懸命動いて行政の方を動かす、それから地元の皆さんにも鉄道がなくなったらどうなるんだという話をしまして、いろいろ動いた結果が、実は地元で、特にこの那珂湊地区の方を中心にして、自治会の連合会の方でおらが湊鐵道応援団というものを立ち上げて、地元の利用者の立場、地元民の立場から鉄道を盛り上げていこうというものができたと。
 その中で、私の名前がここに出ていますけれども、実は、鉄道が今まで、平成十四年ぐらいから若干、市民の皆さんの手によって再生しようという動きが出てきまして、再生の動きはあるんですけれども、その中には必ずその市民の皆さんが当事者として一緒になって頑張っていかなきゃというところばかりが残っているというところがあって、こちらの方もそのほかの鉄道と一緒で、平成十九年秋に地元の人たちも一緒に残そうということになって湊鉄道線の存続が決まったという帰結になっております。
 ただ、申し上げましたように、お客さんはどんどんどんどん減っていくさなかでしたので、地元の方でも誰も鉄道を存続してやっていこうという方がいらっしゃらないということで、どうも地元で困ったらしくて、この社長の公募をしようと、公募したら誰か物好きがくっつくんじゃないかなという話をしたところが、物好きが五十八人集まってきたと。そのうちの一人として私がどういう訳か選ばれたというような経緯でございまして、こちらの方で、こちらにありますように万葉線という富山の路面電車の鉄道の仕事をしておりましたので、その辺もあったんじゃないかと思いますけれども、私が選ばれてということになっております。
 実は、先ほど申し上げましたように、市長さん側も徹底してリーダーシップを取る、それに対して行政の方も付いてくると。それから、おらが湊鐵道応援団という名前を付けました本当に地元のお父さんたちの組織が大活躍ということになりまして、それに国と県、市の方の補助制度がありますから、これがセットになって、理想的な言葉で、万葉線もそうだったんですけれども、本当の意味で行政と市民と事業者が三位一体になって頑張れば何とかなるということで第三セクターの形を立ち上げたんですけれども、従来の第三セクターみたいに責任の所在が曖昧なんじゃなくて、本当にみんなで頑張っていくんだ、新しい形の第三セクターだということで、第四セクターという意識の下で頑張ってきたということで今はなっています。幸い、湊線としての路線は、来年というか今年ですね、もう既に、十二月には百周年、会社としては五周年ということで今なっていますけれども、これを何とか盛り上げていきたいということで今進めております。
 こちらには余り細かくは書いていないんですけれども、具体的にその応援団とか地元の方々というのがもうどんな頑張りをしてくれるかというのが非常に象徴的でして、まず、私が社長に選ばれるとか会社が始まるという前に、もう地元の応援団が余り頑張るものですから、お客さんの減少がもしかしたら平成十九年度には七十万を切っちゃうかもしれないというところが、回復基調で七十万を維持した状況で会社を始めさせていただいたと。それが、平成二十年七十万五千、二十一年度に七十七万、二十二年度に七十八万ということに順繰りにお客さんが増えてきまして、もうちょっとで、当初三千万の経常の赤が出ていたんですけれども、二十二年度には最終的には赤字が千五百万を切るんじゃないかというところまで頑張れたと。
 会社も頑張ったんですけれども、地元の皆さんも特に頑張ると。本当に頑張っていただきまして、何とか自分たちで鉄道を頑張らなきゃいけないと。
 一つは、地元が割と昔からの町なので、いいところがあるということで観光客も少しいらっしゃるので、そういう方々に対して地元のボランティアが順番に那珂湊の駅で土曜、日曜、休日については沿線の案内のチラシを配ると。それから、商工会議所さんも一緒になって頑張っていただいて、鉄道の乗車証明書というのを一緒に渡しまして、この乗車証明書があれば、商工会議所さんが声を掛けた地元のお店で、例えば鉄道を利用した方ということでジュースがただになるとか、コロッケが一個無料になるとかいうことを地道にやっていただくと、そういうことがなっていきますし。
 あとは、写真の好きな方がいらっしゃって、鉄道の写真を撮っていただくと。こういうのをやっていただくと非常に助かるのは、うちはもう広報部員一人もいなくてもその写真をもらってきたらちゃんとなるということで、中小企業診断士の先生に診断していただくと、それだけの応援だけでも広報部員二人分の経済効果があるから一千万ぐらい助けてもらっているんだよというような話があったりとか、さらには、もうここまでやっていただいていいのかという、遠足で使っていただくということも当然やっていただいておりますし、ほかにも、夏には、花火大会があるとその花火大会で一番いい席がなぜか枠で仕切ってありまして、ここ何なのかなと思って聞いてみると、ここは鉄道で来た人だけの場所だよというようなことまでやっていただくと。そういう、もう全面的に何とか鉄道を盛り上げようということをやっていただいた結果がお客さんが増えてきて赤字もだんだん減っていくという状況にはなっていると思います。
 そうなってきますと、会社の方もちょっと頑張らなきゃいけないということで、市の方の補助金それから国の方の補助金をいただいてということで、例えばこの終点の、こちらの方ですけれども、この終点に阿字ヶ浦という町があるんですけれども、こちらはかつて東洋のナポリと言われたという町ですけど、ここからもう二キロぐらいのところに国営のひたち海浜公園という公園があると。こちらの方は、年間百万人以上、お花がたくさん咲いてきれいなのでいらっしゃるというところに、例えば、うちがシャトルバスを出しますということで、終点の阿字ヶ浦から二キロ弱のところを市の補助もいただいてシャトルバスを出して、どうぞ鉄道で海浜公園へ来てくださいよということをやりますと、うちのお客さんが七十八万六千人といいますけれども、ゴールデンウイークだけで大体三千人ぐらいのお客さんに御利用いただけると。鉄道としても非常に大きな効果になりましたし、市の補助金の方も効果的に使わしていただいたと。
 さらに、この三千人のお客様が、本来でしたら恐らく車で来て車で帰っちゃうか、若しくは路線バスで来て路線バスで帰っちゃうかだったんでしょうけれども、ほぼ半分の方々が、やっぱり那珂湊におさかな市場という市場があったりとか、大洗のアクアワールドという水族館があったりとか、また那珂湊自体が古い町並みだということで、大体半分ぐらいの方が黙っていても途中下車をしていただいて町にお金を落としていただくとか、そういうことをやっていただくということで、だんだん鉄道があるということが無駄なことじゃないんだよということも地元に認識いただいて、お客さんも増えていく、それから赤字も減っていく、地元の方々も、ああ鉄道ってやっぱりあった方がよかったなという話をしていただくという形にはなっております。
 実は、平成二十二年度には赤字が三千万から千四百八十万まで減りました、お客さんも七十八万まで増えましたということで、恐らく、当初の予定だと、半期決算のときはこれ八十万超えちゃうだろう、それから赤字の方も千二、三百万まで圧縮できるんじゃないかと。ちょっと困ったなという話をしたのが、余り調子が良過ぎると、市議会の方とか皆さんの方から、あそこ頑張っているからもう援助する必要ないじゃんということを言われたら困るなという取り越し苦労まではしていたんですけれども。
 ただ、悲しいかな、三月十一日にあの地震がありまして、当社も全線にわたって線路がゆがむと。それから、ひどいところに至っては、横にため池があったんですけれども、ため池が決壊して線路を路盤ごと流しちゃうというようなことがあって、大体、調べたときに復興までに復旧費用が三億円、それから工期として三か月以上掛かるというような診断が出まして、調子が良かったのがそこで一遍にストップする、また元のもくあみのゼロから始めなきゃいけないということで話が始まっていると。
 そのときに大変うれしかったのが、実はこの鉄道の存続が決まったときに市長さんがおっしゃっていたのが、大体三人ぐらいに声を掛けると二人ぐらいまでは鉄道を残して良かったねというお話があったと、ただ、三人いた三人目ぐらいの方に聞くと必ず言われるのが、市の貴重な財政から補助金出してまでこの沿線のためだけの鉄道を残して良かったのかという話は出てはいたんですけれども、それが今、頑張る頑張るしていくうちにお客さんが増えていくと。
 二年目ぐらいのときに、駒澤大学の方の研究の方が進みまして現地調査をしていただいたときには、三人のうち二人が良かったということから、そのときの調査時点で大体八〇%が存続に賛成だったという話が出まして、それがいよいよ列車が止まっちゃいました、地震でと。工費が三億ですと。国の方の補助、当時は四分の一災害復旧補助ということでありましたし、更に四分の一は県が見ていただけるという話もあったんですけど、それにしても残り一億何千万というお金が掛かると。
 これは、うちの会社は資本金が一億七千八百万円、それから年商はこちらに挙げました二億三千万ですから、三億というのは余りにも大きな数字で、当然行政の方からの御支援をいただかなきゃどうしようもないという話であったんですが、こちらの方にも、後でちょっと読んでいただくと分かると思いますけれども、当時の市長の方の発案で震災関係の補正予算、これについては全面的にひたちなか海浜鉄道の災害復旧についてはお金を出すということを満場一致で決めていただいたと。三年間頑張っていたのが、有り難い話ですけれども、満場一致で維持を図っていただけるという形まで持ってきたということで、今ひたちなか海浜鉄道というものを軸として、このひたちなか市というのがみんなで盛り上がっていこうという形にはなっています。
 おかげさまで、そういうことをやってきましたら、今まで減ってきたお客さんが、七十八万から一気に六十数万まで落ちたと、ただ、地元の旅館さんもそうですけれども、ひたちなか市全体でひたちなか海浜鉄道というものを使いながらまちづくりをしていくといいことがあるぞと。先ほど言ったおさかな市場さんもそうでしょうし、それから海浜公園もお客さんが来る。それから、そのお客さんが地元でお金を落としていくと。
 さらには、先日からいろいろ、あちらこちらからの援助をいただいて、地元は、干し芋、これが全国の九割近くを占めるという非常に大きな産地なんですけれども、こういうものを使って経済産業省さんの方の助成制度で農工商連携による被災地等補助制度という制度を使わせていただく、それから農林水産省の方のグリーンツーリズムの方でとにかく都会の方にこちらに来ていただいて、干し芋とか、それから魚もありますので、そういうものを見ていただいて、楽しくひたちなかを分かっていただこうということも実験的に今年度と昨年度でやったんです。これも非常に好評でして、この調子だと、今まで、芋とか魚というのは鉄道も冠したらまだまだ地元の産業にも貢献できるぞということが、今漁業の関係の方とか、それから農業の関係の方とか分かっていただいて、当社でも、今、那珂湊の駅、こちらの方で、月に一遍だけなんですけれども朝市というものを開きまして、地元の産品、JAさんの御協力をいただいてやりながらというのもやるということにして、今一生懸命地元と一緒に頑張るということで、だんだん形が、ひたちなか海浜鉄道というのがあったおかげで那珂湊、それから勝田、ひたちなか市全体というものが活性化できないかということで今突き進んでいるところでございます。
 おかげさまで、先ほど申し上げましたように、今でも湊線がない方がいいという声は、陰ではいっぱい言っておられるんじゃないかと思うんですけれども、表向きはそういう声がなくなって、とにかくこれを軸にして頑張っていこうと。先日は、もうそれが一歩先へ行きまして、市長さんは、もうさっき言った、阿字ヶ浦から、お客さんがいっぱいいるんだから、もう線路延ばせばどうだという話を私も知らないうちに市長さんの方で記者発表されたりだとか、それから駅を一個つくろうとかいうことで、とにかくこれを軸にして町を盛り上げていこうということが今進んでいると。
 そうなると、おかげさまで地元の方々でも若い経営者の方々、やっぱり古い町ですので、どこも一緒だと思うんですけれども、今お父さん、お母さんが自分たちだけお店をやって、それから息子さんたちはサラリーマンになっているというお店が多いんですが、それでも後継者がいてこれから代々仕事を続けていこうという商売の方々が、まちづくり三七一〇実行委員会なんというのを立ち上げて頑張っているんですけれども、そこにもちょっと私たちも組み入れられてしまって、どうにか地元の商店と一緒に盛り上げていこうということもやったりとか、今きれいな成果で数字に上がったものはなかなか出ていないですけれども、とにかくこの鉄道を軸にして何とか地元を盛り上げていけないかと。
 それから、鉄道があるおかげで地元が楽しくなっていきますよと。特に、テレビコマーシャルなんかでもよく使われていますし、映画なんかでも使われています。「フラガール」なんかでも使われていますので。そうなっちゃうと、やっぱりテレビの舞台になった、それから映画の舞台になったということで地元の方も喜んでいただけるということも含めて、ひたちなか市のブランド化、それから活性化ということで今一生懸命やっているのが何とか成果が上がっているという状況にはなっています。
 これが、やっぱり地震が終わった後、何とか今年度は震災前の九五%までお客さんを戻そうという話はしていたんですが、これが何とか今、一月の時点で九八%ぐらいまで収入が戻っているということで、来年度百周年、五周年を迎えるんですけれども、その際には何とか一〇〇%までお客さんを戻すと。さらには、もしこれが、もう五年先に何とかその赤字を解消したいなという話で計画はしているんですけれども、できれば全国で地元の皆さんとそれから行政と一体になったまちづくり、それから鉄道の活性化といったものの最初の成功例になるんじゃないかと思いますので、こういうことをここにありますローカル鉄道・地域づくり大学というもので、こういうことをやったら鉄道が元気になるんですよ、それから地元の方々とこういうことを一緒にやったらこういう成果がありましたということを、うちの会社だけじゃなくて全国の事例なんかを集めてみまして、何とか全国の過疎に悩む町とか、それから鉄道の廃線に悩む町とか、そういうところの参考になって、それがひたちなか市のブランド化につながればなということもやっております。それも含めてひたちなか海浜鉄道というものを盛り上げたいと思っているということで今頑張っております。
 次世代にというお話は聞いたんですけれども、やっぱり鉄道があるおかげで若い方々も何とか自分のところの商売と結び付けられないかなということも考えていらっしゃいますし、商業だけじゃなくて、今まで結び付いていなかった農業とか漁業とか、それぞれひたちなか市にすばらしいものがあるんですけれども、それをつなげていって町全体が盛り上がっていかないかなということを今考えてお仕事をさせていただいております。
 ちょっと冗長なお話になりましたけれども、これでお分かりいただけたかどうか、御説明を終わりたいと思います。
#6
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。
 次に、津田参考人にお願いいたします。津田参考人。
#7
○参考人(津田知子君) 皆さん、こんにちは。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンの津田と申します。本日はよろしくお願いいたします。(資料映写)
 セーブ・ザ・チルドレンの方を簡単に御紹介をしてから話をさせていただきたいと思います。
 セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン、聞き慣れない方もいらっしゃるかもしれませんけれども、子供のための国際NGOです。地図のところが赤くなっておりますが、一九一九年にイギリスででき、今、約三十のメンバーがこの赤い地域、世界約百二十か国で子供たちのための支援活動を実施をしております。
 私たちセーブ・ザ・チルドレン・ジャパンが大切にするのは、全ての子供が生きる、育つ、守られる、参加する、子どもの権利の実現を目指して世界中で活動をしているといったような形になります。
 私自身は、セーブ・ザ・チルドレン・ジャパンに、実は震災前から国内事業というところで活動をしていました。セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン自身は一九八六年にできて、どちらかというと、国際協力の子供支援NGOというイメージが強いかと思うんですけれども、やはり日本にも子供を取り巻く多くの課題があるので、二〇〇三年から国内事業を実施してきています。それが「スピーキングアウト みんなで話そう」というプロジェクトなんですけれども、子供参加の促進ですね。子供を取り巻く課題について、大人が決めるだけではなく、子供たちがきちんとその施策や政策に声を反映をしていこうということで活動をしていました。そんな折に、二〇一一年の三月、東日本大震災が起きまして、私自身、東京から住まいを仙台に移し、今は宮城や岩手、福島を回りながらこの復興支援事業の方に従事をしております。今日は、その復興支援事業の一つであるものを皆さんに御紹介できたらと思っています。
 私たちの復興支援事業の中、幾つか分野に分けているんですけれども、教育であったり、子供の保護、また、子供に優しい地域づくり、そして防災、減災、またコミュニティーイニシアチブというようなものを実施をしております。復興支援事業プログラムの大枠については、こちらにパンフレットを、簡単なものを置いておりますので、また後ほど御覧をいただけたらなというふうに思っている次第です。
 この復興支援事業の中で私たちが何を目指しているのかというところは、一つは、被災をされた子供たちや、その子供を取り巻く養育者の方々の日常性の回復、そして同時に、子供たち自身が復興の担い手となっていく、防災の担い手となっていくということを目指して活動をしております。そういった狙いの中で、今、本日お話をさせていただくのがこの子ども参加によるまちづくり事業になります。
 地域の復興、先ほども山崎さんのお話で市民というお話があったと思うんですけど、市民とか地域の住民といったときに一体どれぐらいの方が子供たちを頭に浮かべるでしょうか。どうしても大人だけが頭に浮かんでしまうことが多いと思うんですけれども、子供たちも地域の重要な一員です。そういった彼らが、単にふるさとを担っていくというものだけではなくて、今を生きる子供たちとしてこの地域の復興プロセスにかかわっていけるようにする、それによってより良いまちづくりを目指していくというのがこの「スピーキング・アウト・フロム・東北 子どもの参加でより良いまちに!」事業になっております。
 この子ども参加によるまちづくり事業で目指しているもの、大きく二点あります。
 それは、一つは子供のエンパワーメント。震災により、子供たち、様々な影響を受けました。そして、今も受けています。特に震災直後は、子供たちが大変だ、しんどいんじゃないか、悲惨な状況にあるんじゃないのかということでメディアで報道されていました。彼らは確かにダメージを受けていますが、そこでやはり支援される側、弱い存在といった客体として位置付けられることがすごく多かったと思うんですね。でも、それと同時に、子供たちには力はあります。彼らは復興を担っていくことができるんじゃないのかなというふうに考えています。
 実際に、日本の政府も締約をしている国連子どもの権利条約では、権利の主体者として子供を位置付けておりますし、また、子どもの権利委員会の一般的意見の十二号では、こちらの子供の意見表明権というものは、危機的状況又はその直後の時期においても停止しないことを強調するということが言われています。そういう意味でも、やはりこういった子供たちをエンパワーメントしていくということが一つ目指しているところです。
 あとは、子ども参加型復興計画のシステム化と書いてありますが、世界中どこの地域でも災害は起こり得ると思います。また、子どもの権利の中には、幾つか、いろんな条文がありますが、なかなか防災という点で明文化されているような条項はありません。
 一方で、私たちが三月の十三日か十四日に仙台に入ってずっと被災地で活動をしていますが、思った以上に被災地の地域の方々は、子供たちとともに復興をしていきたいという思いが非常に強くあります。そういった意味で、被災地域の子供たち、支援される側とされてしまいがちな子供たちをエンパワーメントし、復興計画の策定、実施、モニタリング、評価という全てのプロセスに子供たちの声を反映できるようにする、そういったような仕組みをつくっていけたら、それによって、より良い町をつくれたらということでこの事業をしておりますが、セーブ・ザ・チルドレンが一方的にそんなことを思っていて、実は子供たちはそんなことを望んでいないんじゃないのかというところもあったので、きちんと調査をしました。
 二〇一一年の五月、まだ学校が再開されて間もなく、避難所で生活をしている子も多かったですし、給食もパンと牛乳だけといったような生活の中、私たち、約一万一千人の子供たちにアンケート調査をしました。大きく二つの質問をしております。あなたは自分の町のために何かしたいと思いますか、あなたは自分の町を良くするために人と話をしてみたいですか。何と、その当時の状態なのにもかかわらず、九割の子供たちが自分の町を良くするために何かをしたいというふうに答えました。こういった調査を今までしたことがなかったので、この数字が低いのか大きいのかはちょっと比較はできないですけど、私たちはこれは非常に心強い子供たちの声だというふうに感じています。
 ここにも幾つか声を紹介しましたが、大人だけで決めないで子供たちの意見も入れてほしい、いい町にとかいうなら、都会など近い人たちだけでなく私が住んでいる町の意見も取り入れてほしいといったような声が上がっています。
 でも、一方で、一割の子供たちや、こんな声もありました。取り組みたいけれども本当に声を聞いてくれるのかな、どうやって活動をしたらいいんだろう、この明るくて元気な町をつくるためには心の底から話せる人と話せる場が欲しい。小学校五年生の女の子の声ですけれども、この声が、実際にそれを受皿となるような場を求めているというようなことを象徴していたと思います。
 そういった子供たちの声を受けて私たちが始めたのが、この子どもまちづくりクラブになっております。一万一千人を対象に実施したこの調査の結果、二〇一一年六月下旬より活動を開始しました。セーブ・ザ・チルドレン、幾つかの地域で活動していたんですが、自分たちのキャパシティーも考えて、三地域で展開を始めています。岩手県の山田町、陸前高田市、また宮城県の石巻市で、小学四年生から高校生の子供たち、各地域約二十名が週一回ほど集まりながら、それぞれの地域の復興状況を調べたり、いろいろ子供たち同士で話したり、時には行政や地域住民、また建築家の方々にアドバイスを求めて話したりとかというふうにしながら活動を展開をしております。
 ここで、もうちょっと詳しいお話をしたいんですが、私たち、この子ども参加によるまちづくりの主役はやはり子供だと思うんですね。子供たちが、昨年の十一月二十日、世界子どもの日に、地域の復興の今と、あと自分たちの復興への思いを込めたビデオメッセージを作りました。山田町の部分を、ちょっと五分という時間なんですけれども、御紹介したいと思いますので、御覧ください。
#8
○会長(直嶋正行君) では、速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#9
○会長(直嶋正行君) それでは、速記を起こしてください。
#10
○参考人(津田知子君) ありがとうございます。
 実は、今、今日、山田町の紹介をしましたが、陸前高田市や石巻市も作っておりますので、弊会のウエブの方からもしお時間があったら見ていただけたらなというふうに思っております。
 あのビデオメッセージも子供たち自身が、どこを伝えたいのか、どういった写真を撮りたいのか、どんなテロップがいいのか、歌がいいのかというのを計三回のワークショップをしながら、やっぱりこれから、被災地で活動していてよく聞くのは、震災がどんどん風化していて、NGOやNPOも撤退していってしまうことが怖いというような声を聞きます。そういった中で、被災地によりよく関心を持っていただくというところでもこういったビデオメッセージを作っています。
 山田町ですけれども、先ほども子供たちが伝えていたように、「愛があふれる町 未来・伝統」というところを目指して今活動をしております。先ほどからマツタケとシイタケみたいなキャラクターが出ていると思うんですが、あれは彼らが考えた山田町のキャラクターです。まつしいという名前、マツタケとシイタケでまつしいですけれども、昨年はそれをデザインしたりとかしてきました。また、町長さんや地域住民に復興に関する意見を聞き、その声を動画なんかで発信するという活動をしてきています。
 今年に入ってからは、三地域の中でも山田町って一番被災の状況がひどくて、なかなかハード面での何かまちづくりというのが難しいかなと思っていたんですが、旧山田町の駅周辺にコンパクトシティー構想があると。それを町を挙げて、また、商工会がやっていくんだけれども、是非子供たちが提案をどんどん出してきてほしいということで、彼らは彼らなりにドリームコンパクトシティー構想というのを考えて、これから四月に町長に提案をしたいというふうに考えております。
 また、山田町、私自身も震災が起こらなかったら恐らく訪れる機会がなかなかなかったんじゃないのかと思うんですけれども、でもすごく魅力のある町で、でもそこに人が来てもらうにはどうしたらいいのかというところで、まつしいを使って山田町をどんどんPRをしていきたいというふうに考えています。
 陸前高田市の子どもまちづくりクラブは、生きるだけの町ではなく豊かに暮らせる町ということで活動をしています。二〇一二年は、ここの真ん中に新モニュメントがあるんですけれども、復興のシンボルとしてモニュメント、ミニあかりの木を仮設商店街の中に企画、制作したり、その交流スペースをデザインをしたりとかというようなことをしております。また、今年に入っては、自分たちメンバーだけじゃなくてより多くの子供たちが復興、まちづくりに参加できるように、「進め!高田っ子!まちづくりトーク」というのを企画して、春休みに実施をするんですけれども、地域の子供たちを単発で呼んで、復興について話し、その声を戸羽市長や副市長に届けて意見交換をしていこうというような取組もしています。
 ここにちょっと記載していないんですけれども、あわせて、彼らは防災メモリアルパークを造りたいというふうに望んでいて、先ほどの有馬富士公園のいろんなアイデアとかというのは是非子供たちに伝えていきたいなというふうに思いました。
 石巻市は、大人も子どもも過ごしやすい、古いものも新しいものも一緒に、ロックンロールのまちを目指して活動しています。なぜロックンロールかというと、石巻なのでロックンロールです。
 彼らは、夢のまちプランを全ての地域に二〇一一年に作っているんですけれども、そのアイデアを詰め込んだ子どもセンターというものを今つくろうということで設計、また、これからは運営に関して企画をしていきます。石巻駅の周りに立町商店街という商店街があるんですが、なかなか、郊外の方にイオンさんみたいなショッピングモールができてしまったのでお客様が少なくなっている地域であるんですが、そこに建つ子どもセンターを地域と連携しながら運営をしていこうと。そのセンターが、石巻の活性化のために中高生が中心となってつくり、運営をする施設、また、みんなが過ごしやすく子供たちの思いを世間の人たちに伝えられる場所になったらいいということで活動をしてきています。
 この子どもまちづくりクラブ自体は、思った以上に、日本の子は忙しいと言われますが、東北の子供たちも結構忙しくて、先ほど山崎さんがおっしゃられた、元々のコミュニティーにあるようなスポーツ会だったり子供会だったりとか、そういう行事が忙しいんですね。そういった意味で、参加が難しかったりする子たちも多いので、「ヒア・アワ・ボイス 子どもたちの声」というのも実施をし、アンケートや聞き取り調査を通じて地域の復興計画やまちづくりに対する子供たちの意見を、思いを、より多く収集し、それを社会に発信すると同時に、政策提言を子供たち自らが実施をしていくというようなことをしています。
 ここに二〇一一年からの活動を書いているんですが、特に復興というところでは、二〇一一年の十月から十二月に各自治体で作られた復興計画、まちづくりがどうなっていくのかということを彼らが全部読み、私たち、子供に分かりやすく訳したんですけれども、それを読んで、意見書にまとめて提出をしました。そして、昨年は、二月にそれを今度は国への意見書としてまとめ、提出をしていきます。
 それまでは、なかなか震災時の経験とか思いとかというのを、個人のストーリーというのを語り出すことが余りなかったんですけれども、今までのプロセスを経ていくうちに、私たちが震災で経験したことをやっぱり世界にもきちんと伝えたいというところで、六月や七月には世界防災閣僚会議にて提言書を提出し、十月にはアジア防災閣僚級会議、そしてまた今年も、五月にあるグローバル・プラットフォームというジュネーブの国際会議でも提言書を提出しようというふうに活動をしております。
 こういうふうに、より多くの子供たちの声を集めていく一方で、やはりその声を伝えていかなければ、東北内外に伝えなければいけないということで、東北子どもまちづくりサミットといったサミットの方もしています。今年五月五日に仙台にて「第四回東北子どもまちづくりサミット ぼくらがうけつぐ夢のまち」というのを実施をいたしますので、後で御案内状を出したいと思いますので、是非御参加いただけたらというふうに思っています。
 この活動をしてきて、幾つかの特徴があると思います。一つは、やはり町をつくっていくときに、子供たちの声を重要視をしているということ。また、何かに、まちづくりに参加をする子供たちといったときに、特定の子供たちに限らないということですね。生徒会や児童会、ジュニアリーダーといった子供たちだけでなく、いろいろな子供たちに幅広く声を掛ける。また、不登校であったり特別支援を必要とするような子供たちも巻き込み、さらには、この東北の取組が東北外につながるように、東北外の子供たちも巻き込んでいっています。また、子供たちの声が実際に政策や施策に反映され、まちづくりに反映されるためには、地域との連携やキャパシティーの強化も必要です。
 私、すごく驚いたことがあるんですけれども、震災前に、子供参加、子供たちの意見を聞きましょうよというふうに行政の方々に言うと、子供の意見を聞いたって無駄なんじゃないんですかとか、時間が掛かるだけじゃないんですかというような声も多かったと思います。でも、震災後、被災地の行政の方々と話をすると、二〇一一年は、皆さん、そうですね、子供たちの声を聞きましょうというふうにおっしゃっていました。そして、二〇一二年には更にそれがもっと変わって、子供たちの声を聞くのは当たり前で、それ以上にそれを実現しましょうというような子供観に変わってきておりました。
 また、事業の特徴としては、先ほどお伝えをした子供の声を子供たち自ら政策提言をするということで、セーブ・ザ・チルドレン、子どもの権利ということを実現を目指していますが、子どもの権利が侵害されている今、被災地の状況に対して直接支援をすると同時に、その地域の市民社会の能力を強化をしていく。そして、単純にその地域だけで終わることのないように、それをきちんと構造とメカニズムの強化につなげられるように政策提言をしていくというような活動があります。
 最後に、一人だけ子供の声を紹介をしたいと思います。復興は大人の仕事という以前の私の考えは百八十度変わりましたというところですね。子供たちだって参加します、思いを伝えますということを彼女は語っています。ここにもっとほかの声がありますけれども、是非、地域の活性化とかといったときに、子供たちの声を聞くということを今後検討していっていただけたらなというふうに思っております。
 少し長くなってしまいましたが、以上です。
 どうもありがとうございました。
#11
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 一回の質疑時間は、答弁及び追加質問を含め最大十分としております。多くの委員が発言の機会を得られますよう、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 なお、質疑者には、その都度答弁者を明示していただくよう御協力をお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
 西村まさみ君。
#12
○西村まさみ君 三人の参考人の皆様、貴重なお話ありがとうございました。
 ちょうど私たちこの調査会は、先週木曜日、金曜日と福島の方に委員派遣で視察をしてまいりまして、本当に身近で間近な部分を見てきた直後のことでありましたので、大変参考にさせていただきましたし、山崎参考人はコミュニティー関係、そして鉄道から、子供の視線からと、それぞれ様々、分野が違うところからお話をいただけましたこと、これは非常に大きなものとして、私たちもしっかりとそれを受け止めていかなければならないと感じています。
 まず、山崎参考人にお尋ねしたいのは、真の復興はいわゆる人の、人間の復興というものが一番大事なんだというお話、以前いただきました資料の中から拝見しました。本当に、御自身はいわゆる阪神・淡路大震災の大学のボランティアのころから始められて、ずっと長いこと震災のこと、復興のこと、そしてまちづくり、コミュニティーづくりということをおやりになったと思いますが、一番ちょっと具体的なところで、今日いただいた資料で非常に不思議に思ったのは、有馬富士公園の年間の来園者の推移、八ページのところですが、十三年度から十七年度の中で四月というときが、十三年度では一万四千六百人が、十七年度ではほかの月と比べて非常に増えているような気がするんですが、それは何かこの有馬富士公園の中で四月にかかわる大きな何か、また団体が非常に多く参加したのかということが具体的に一つと、それから、やはりその地域の皆さんたちで様々自分たちでグループをつくって、様々なコミュニティーをつくってやっていくことが重要とお話しになられていましたが、じゃ、果たしてこれから行政であるとか国であるものの役割というものは一体どういったところが必要とお考えになっていらっしゃるのか、まずはお聞かせ願いたいと思います。
#13
○参考人(山崎亮君) ありがとうございます。
 まず、四月ですね。これは、ありまふじのフェスティバルというのをやるんですね。毎年、今八十団体ぐらいかかわってくれていますけれども、実はこの団体間が、ほかの団体がどこで何やっているかを知らないんですね。自分は木曜日やっているということになると、火曜日何やっているかが分からないということから、じゃ、季節のいい四月と、それから秋に、ありまふじフェスティバルというのをやって、八十団体がもう一堂に会すると、三日間ぐらいやるんですけれども。そこに多くの方々に来てくださいというふうにしているというのがありまして、四月には多分数が多くなっているということがあります。
 あと、年度ごとに、実は少しずつ二期、三期というふうに公園の整備区間が広がっている場合もありますので、ひょっとしたら、例えば子供たちが遊ぶあそびの王国というのができたときに、またその年ぐっと増えるというようなことがあったりもしますが、四月と九月ごろだとすれば、それはフェスティバルの影響が大きいのと、年度ごとには新しい区域が開設されたというきっかけも大きいのかなというふうに思います。
 コミュニティーデザインやっていく上での行政ないし国の役割ということですけれども、ハードの設計やりながら徐々にソフトの設計に移行してきた人間からすると、どうしても、物を建てるときに建築家に依頼するというのはまあ半ば当たり前になってきたなという気はするんですが、これは多分明治期以降の百五十年の中で、建築士制度を何とか日本の大工さんと施主の間に入れ込んできたという歴史があると思うんですが、ソフトの面ですね、この市民参加をやるときに専門家を入れようという発想はまだ余りないんですね。これは何となく行政の人がやればいいんじゃないかという感覚になっていることが多い気がします。ところが、これは行政の人がいきなり建物を建てに行くみたいなものなんですね。やはり、行政の人にはなかなか難しい点というのがあります。
 僕も、五年間だけですけれども、兵庫県の県の職員を兼務でやったことがあるんですけれども、同じ名刺、山崎亮という名前なんですけど、県職の山崎ですって地域へ入っていくと、県はおまえら何してくれてんねんというところからですね、国民の方々の話は。民間のstudio―Lの山崎ですって行くと、まあ、こんなよう遠いところまで来てくれてありがとうございますという話から入ります。
 これは、やっぱり行政の人が身にまとっちゃっているプロファイルというんですか、もあるんですね、それがね。だから、行政来た、じゃこれ言ってやろうというのがありますので、この行政マンが地域の中に入っていってコミュニティーデザインやるのは、もう前提が違っているので相当難しいです。やはり行政の方と住民の方の間に入る専門家というのが必要になってくると思います。
 ただ、一点、申し添えさせていただくとすれば、この間に入る人に長々と業務を発注し続ける必要はないと思いますね。長くても三年でいいんじゃないでしょうか。一番最初の、行政の人と住民とが対等に議論ができる、住民も提案型で発言するし、行政も住民が提案してきたことを法律の読み解くののプロとして、じゃ、どういうふうにそれを実現させるかというところを一生懸命やる。この関係性ができたら、間にいる専門家は徐々に地域からいなくなって、行政と住民の人たちだけでそのプロジェクトを進めていくというふうにするのが理想だと思いますので、行政あるいは国や議会の役割としては、地域づくりに専門家が必要であるということを認識すること、あるいはそれを制度的につくっていくということと、その専門家もきっかけをつくる人間であるということを理解した上で、徐々にその人たちが消えていってもうまく進むような仕組みというのを考えていくというのはこれから大切になっていくんじゃないかなという気がしております。
#14
○西村まさみ君 ありがとうございました。
 もっともっとお尋ねしたいことがあるんですが、限られた時間ですから、山崎参考人、ありがとうございました。
 それでは、次に吉田参考人にお尋ねしたいんですが、今回の震災で本当に鉄道というものの非常に重要なところということは大分多くの皆様に御理解いただき、特に御自身がやられましたところでは、震災以降一番最初に子供たちの学校への行き来なんかは、バスを最初に運行しても、なかなかだんだん乗り切れなくなって、やはり鉄道というものが運べる人員の多さも含めまして非常に重要ということも分かってきたと思います。
 第三セクターということで様々御苦労いただいているところがあると思うんですが、やはり、今、山崎参考人にお尋ねしたのと同じように、国ですとか行政がどのように、例えば具体的にはもっと早くこういうふうにしてほしかったとか、何か御意見がありましたら是非お聞かせ願いたいと思います。
#15
○参考人(吉田千秋君) 正直申し上げまして、国、県、市の方の補助があって何とか四か月でできたということで、感謝しきりというところが正直なところではあるんですけれども。ただ、融資制度とかその辺りがやっぱり、お金がない、どうしようというときに迅速に、例えばいつでもいいよとか、それはちょっと無理なのかもしれませんけれども、というものがあればちょっと助かったかなと。
 ただ、全体的には四か月で復旧できたというのは本当に周りの皆さんのおかげですし、国の制度も、うちの市がかなり頑張ってお話をされたという話なんで、正直、震災の復興については、ありがとうございましたというのが正直なところであるんですけれども。
#16
○西村まさみ君 ありがとうございます。
 様々なイベントというか、いわゆる住民も含めまして様々なことを取り組まれたと思います。特に、全線復旧したときなんかのイベントには、多くの市民が参加したり鉄道ファンの皆様にお声掛けをしたりして、多くの人間がやはり鉄道の重要さというものが本当に認識できたのがまずこのひたちなか海浜鉄道の全線復旧だったと思います。
 私も、実は茨城県のあの辺は過去サーフィンをしていたころがありまして、本当にあの地区が、壊滅的な状況を映像で見たとき、写真で見たときに、大変悲しい思いをしていたところが復旧していくさまを見たときに、もう大変有り難く思わせていただきました。
 ただ、この第三セクターというもの、少し幅が広がるんですが、第三セクターというものはこの一部の地域の一部の路線だけということで、今、いわゆる切り張りしたみたいな形になっていると思います。それをやはり全国に、このひたちなか海浜鉄道のように成功した例を広めていくためには、民間としての活力をどのように取り組んで、そしてそれを皆さんにお知らせしているのか、もしそのような手法がございましたら教えていただきたいと思います。
#17
○参考人(吉田千秋君) 最後にちらっと先ほどもちょっと申し上げたんですけれども、一応うちがかなりいい成功例になるんじゃないかということで、今、うちの成功したものを、数値的にもこういうことをやったらこのくらいの効果がありましたという話、それから、地元の方とこういう話をしたら乗ってきていただきましたと、それに、今年というか去年の十二月ぐらいから、私も全国の第三セクターとかそういうところをちょっと回ってみて、どこがどういう効果があるかというのを今、一まとめにして、実は、今年度、来年度から、ローカル鉄道地域づくり大学というものをちょっと立ち上げまして、こちらの方で、例えば鉄道の経営に本当に携わりたい方と、それからNPOさんとか行政で公共交通に携わる方に対してのアドバイスというものができて、それがうちの収益事業にもなり、なおかつ、ひたちなか市のブランド化もできればということで、サマースクールという、一泊二日でちょっとそういうレクチャーをしようかなというようなことを今考えております。
#18
○会長(直嶋正行君) 時間が来ています。手短にお願いします。
#19
○西村まさみ君 はい。
 ありがとうございました。
 最後に、津田参考人にはまた後ほど、いつかタイミングを見ていろいろお話を聞かせていただきたいと思います。ありがとうございました。
#20
○会長(直嶋正行君) 中西祐介君。
#21
○中西祐介君 本日は、もう三名の参考人の先生方には本当に御多忙の中こうしてお時間をいただきまして、本当にありがとうございました。
 違う観点でそれぞれございましたので、非常に参考にさせていただきました。お一人お一人に一つずつ質問させていただきたいと思います。
 まず、山崎参考人にお伺いしたいと思いますのは、ちょうど先月に、自民党政権になりまして初めて、総務大臣が、ふるさと対話集会ということで我が徳島県に来ていただきました。高齢化率が四割を超えて、もう大変厳しい山村なんですが、十年前に始めたNPOの方々が中心となって、そこに世界から芸術家を巻き込んで町じゅうにアートを作っていろんな活動を始めている神山町というところがあります。
 人口が減ることに対して、やっぱり増やさなきゃいけないということで、町から、ほかのエリアから人を受け入れるということで活動をしているんですが、そのときに大事なのは、いい質の人を町に入れないと、人口が減って高齢化が進んでいるから余計おかしな町になってしまうということで、これは、行政ができないからNPOでやっているということの肝は、まさにNPOが募集を掛けて、NPOで人の選別をして、欲しい人材をほかから取ってくると、これがまさに肝だということをお話をされていて、私は昔から付き合いがあるので、なるほどなというふうな感心をしたところなんですが、これから地域を、今日のテーマでもある次世代につなげていくためのNPO活動をするに当たって、担い手をどういうふうにつくっていくか、あるいはいろんな町、都市部あるいは山間部での活動がありますが、主体をどういうNPOに任せるかによって継続性が全然違ってくると思うんですね。その観点について、御経験も含めて御意見を賜りたいと思います。
#22
○参考人(山崎亮君) ありがとうございます。
 神山町の大南さんは親しくさせていただいていて、非常に優れた視点をお持ちだなというふうに思います。
 今お話しいただいたとおり、誰でもいいから人口が増えればいい、定住人口が増えてくれればいいという戦略は、これからなかなか難しくなってくると思いますね。むしろ、その集落なり地域がどういう人が欲しいのかを明確にして、それこそ面接したり、夜飲みながらでもずっと面接をして、この人と一緒にやっていきたいという人をどういうふうに地域の中に呼び込んでいくかというのはとっても大切だというふうに思います。
 我々はよく活動人口という言葉を使います。これは余りオフィシャルな言葉ではないと思いますが、どうしても地域が疲弊したというと、定住人口を増やそうということと、もう一個出てくるのが交流人口を増やそうということになるんですが、ただ、定住人口が三万人から二万五千人に減っても、まちづくりの活動をやっている人がそのうち千人からもし二千人に増えたとすれば、定住人口のうちの活動人口比率は増えていることになりますね。
 町にやっぱりちゃんと貢献する人たち、町の意識を持って、自分たちの町を豊かにしていこう、楽しくしていこうというふうに思いを持った人たちをどう増やしていくかというのは非常に大切だと思いますから、その点でいえば、今おっしゃった意識の高い人をどういうふうに手に入れるのかということと、NPOをどう育てていくのかというのはとても大切な視点だなというふうに思っています。
 その上で、我々事務所のスタッフをどう育てているのかとか、地域のNPOの方々はどういうふうに養成講座みたいなことをやっているのかというと、一番効果的なのはやはりOJTというんですかね、実地訓練ですね。これは、人の話を聞いたり、人の意見をまとめて新しいアイデアにしていくという技術は、教科書化すごくしにくいですね。
 漁師の町でやる場合と、農村でやる場合、都市部でやる場合、ニュータウンでやる場合、やっぱり全然質が違いますし、しゃべっている人のルックスも違いますものね。若い女性の方がやるのか、この坊主にひげ面がやるのかで、しゃべり方同じようにうちのスタッフがやったらやっぱりちょっと違和感がある。だから、これは、あなたがみんなからどう見られているのかという主体の問題と、それから、その対象にしている人たちがどんな種類の人たちなのかの組合せによって毎回しゃべり方変えていかなきゃいけないという意味で、常に育てるときは現場に連れていって、こういう場合はこういうふうにするんだというのを徐々に徐々に伝えて、実際やってみて、その後にもう一回評価し直すというようなことを続けるということを今まではよくやってきました。
 だから、地域に入ったときにNPOの方々とかいろいろ協力してくれる方々が出てきた場合は、よく一緒に行動して、うちのスタッフに例えばインターンでもう来てもらっちゃったりして、半年ぐらいうちの事務所の仕事を一緒にやってもう一度NPOに戻ってもらうとか、そんなようなことはよく各地でやっていますね。
#23
○中西祐介君 いいお答えをいただきましたので、是非徳島にまたお越しいただきたいと思います。
 吉田参考人に伺いたいと思います。
 先々月、大船渡そして陸前高田に伺ってまいりました。まさに町と津波で流されてしまった常磐線が、常磐線が消えてしまうと同時に町の本当にコミュニティーどころか町自体がやっぱり消滅をするという現実を目の当たりにしたときに、やはりJR単体で赤字路線で今まで継続してきたからこれを機に撤退するんじゃなくて、何とか復旧をしなきゃいけないなという思いを地元の方と共有してきたところであります。
 吉田参考人におかれましては、これまで三セクや鉄道での勤務の御経験があるということで、今、廃線間近、震災前にですね、なりそうだった路線が流されて全くなくなってしまった、何とか復旧するという観点で、何かいい復旧に向けてのアイデアがあったら是非伺いたいなと思っております。
#24
○参考人(吉田千秋君) すごい難しいと思います。ただ、どこの鉄道でも残っているところではっきりしているのは、地元の人たちのもうどうしても残したいんだという固い意思があって何とか頑張ろうというところが残っているので、あと数字的にとか具体的にというのはちょっと分からないんですけれども、とにかく地元の皆さん、頑張れと、気持ちを一つにして鉄道は残すんだということを言っていただくのが一番大事なんじゃないかなと思うんですけれども。
#25
○中西祐介君 多分、非常に自治体側も板挟み状態なんですね。国として民間企業に対して再建をしろと言うのも非常に壁があるという状況の中で、これから復興に取り組んでいかれる中で、是非またこれからもお知恵をいただきたいなというふうに思っております。
 続いて津田参考人に伺いたいと思いますが、東北でこうした子供たちの取組については、本当に全ての自治体で全てのエリアで取り組んでいただきたいなと思っておりますが、今これ代表して出していただいているのかもしれませんが、こういう活動ができる自治体とできない自治体が仮にあるとするならば、どういうところでできているところとできていないところがあるのかというのも一つ伺いたいと思っているのと、これから行政的なバックアップを、自治体を中心にサポートできることがあるとするならば、あるいは今必要とすることがあるならばどういうことなのかなということを、二点伺いたいと思います。
#26
○参考人(津田知子君) できる自治体とできない自治体の差は何なのかというところなんですけれども、私たち、今、この子どもまちづくりクラブをやっているのは三地域です。それは、先ほど私、山崎さんのお話を聞いていて、行政マンが直接コミュニティーに入る間に専門家が必要だというお話をされたと思うんですけれども、やっぱり子供たちが意見を言っていくには、子供と大人のパワーバランスを崩していくというのがすごく必要だと思うんですね。そういったところのノウハウを持っているような団体が、首都圏に比べたらやはり東北というところではNPOも少なく、なかなか難しいのかなというふうに感じています。
 それから、行政がというよりは地域が、できる地域とできない地域といえば、そのNPOが持っている今の力というところの差は一つあるのかなというふうに思っています。
 もう一つの質問が……
#27
○中西祐介君 行政のバックアップでですね。
#28
○参考人(津田知子君) 行政のバックアップでどれぐらいできるかということでしたか。
#29
○中西祐介君 これから必要としている何か。
#30
○参考人(津田知子君) そうですね、済みません。
 一つ思ったのは、やっぱり私たちがこの三地域で活動をしていると、その三地域の子供たちはいいね、まちづくりに意見聞いてもらってみたいな声をいただくことも、実はちょっと辛辣な声をいただくこともあるんですね。本来ならば、これは全ての地域でやられるべきだと思うし、別に被災地だけの話ではないというふうに思っています。
 実際にやっぱりそういったものをシステムにしていくということが一つ必要なのかなと思っておりまして、昨年の二月に子供たちが前復興大臣にお会いしたときに、子供たちの意見を聞くようなものを復興庁もやってくださいということをお伝えしたら、隣にいらっしゃった両政務官に復興大臣がお話をしてくれて、そのおかげで宮城の復興局や岩手の復興局がそれぞれの地域で地域に元々あったスキームを使いながら子供の意見を聞くような取組をされてきています。
 ただ、やっぱり復興庁にいらっしゃる方って、任期とかもおありになったりだとか、あと政権が替わられたとかというようなこともあって、四月以降どういう形になっていくのかなというところがちょっと私たちでも不安に感じているので、やはり仕組みとしてきちんと続けていっていただくということがすごく重要かなというふうに思っております。
#31
○中西祐介君 大変貴重な意見、ありがとうございました。
#32
○会長(直嶋正行君) 山本香苗君。
#33
○山本香苗君 公明党の山本香苗です。
 今日はどうもありがとうございます。
 じゃ、逆に津田参考人の方から御質問させていただきたいと思いますが、まず、大船渡におきまして学童クラブをセーブ・ザ・チルドレンの方々に御支援いただきまして、後回し後回しになっておりました学童が立ち上がったと、本当にこの場をお借りいたしまして厚く御礼を申し上げます。本当にありがとうございました。
 今回、先ほどのヒア・アワ・ボイスの調査の分を見させていただいたんですが、七割というのは、子供たちが復興にかかわりたいという声が七割あったと、大変高い数字だなと思っております。
 今のお話にもちょっとかぶるところがあるんですが、こうした子供たちの意見をしっかりと反映していくということが、東北の長期にわたる、また継続的な復興に、安定した復興につながっていくと思うので、是非今の仕組みというのは続けていきたいと思っているんですが、東北外のところでもやはりこうしたことを、災害時になってからじゃなくて平常時からしっかりと取り組んでおくことが必要だと思うんです、一過性にならないように。このところで、何か具体的にそうした仕組みづくりにつきましてお考えがあればというのをお伺いさせていただきたいと思います。
#34
○参考人(津田知子君) 実は、セーブ・ザ・チルドレンが震災前からこの子供参加をやる中で、やはり地域のことに対して子供たちが言えるような仕組みをつくっていかなければいけないというところで、一つやっていた事業が、埼玉県の和光市で実施をしていたんですけれども、次世代育成計画の中に大体、大人版の地域協議会ってありますよね。でも、あれは大人の意見を聞くだけで、本当であれば次世代育成計画は子供たちにかかわる計画なので、それを彼らがどうとらえているのかとか、その計画で本当はもっとやってほしいところは違うのかもしれないというようなところを意見を言えるような仕組みというのをつくろうということで、子ども版地域協議会というのを二〇一〇年に、行政と一緒に、また地域のNPOと一緒にやらせていただいたことがありました。
 なので、子供たちの意見を聞く仕組みって多分いろんな計画の中に入れられると思うので、そういった平常時からの子供の声を反映するような取組ということをすることで、逆に災害時により早い復興や復旧につながっていくということがあるんじゃないかなと思っております。
#35
○山本香苗君 大変具体的なアイデア、ありがとうございます。
 次に、吉田参考人にお伺いしたいんですが、本当に鉄道の存続とまちづくりということで苦慮している自治体ってたくさんありまして、そういう中でノウハウを提供していただく大学をつくっていただくということなんですが、是非、大変期待をしておりますが、これどういう運営主体になって、しっかりできるようなものにサポートは十分でしょうか。
#36
○参考人(吉田千秋君) 実は今悩んでいる途中でして、会社は今三十人弱でやっておりますし、私の力も限界がありますので、何かいろんなところのお力を借りてシステム化できないかなということをちょっと今年からやろうかなと。
 理想的には、さっき言ったノウハウを集めてちゃんとお金が取れるような教室をやって、少なくともひたちなかに来たら鉄道の活性化のお勉強ができるんだというのを世間に知っていただけるレベルまで上げたいんですが、そこまでどうやって上げるかをちょっと今悩んでいるところなので、もし例えばお手伝いいただけるとかいう話があれば、もう是非お願いしますと言いたいところではあります、今は。
#37
○山本香苗君 具体的に、じゃ、サポートとしてはその広報的な部分と、これは主体としては、財政的にはもう県とか市とかと一緒にやっていただくようなものになっているんですか。
#38
○参考人(吉田千秋君) 今は基本的には会社の収益事業と位置付けていまして、ただ、去年もサマースクールをやったときにやっぱり一番悩んだのが、一鉄道会社が募集してもなかなか信頼がないというところがありまして、後援をいただけるとか、それからあとこういうノウハウをいただけるというのがあればすごくうちは力になりますので、そういうことも将来できたら最高だと思います。
#39
○山本香苗君 ありがとうございました。
 じゃ、最後に山崎参考人にお伺いいたします。
 いろんなNPOがたくさん集まってきてというお話を伺いまして大変理想的だなと思ったんですけれども、逆に言うと、先ほど公共のルールも定めなきゃいけません、クオリティーの維持も必要です、ここがすごく大事だと思ったんです。要するに、最初の段階はぴっかぴかで集まってやっていても、ある時間を過ぎた途端にもうすごいフェードアウトしていってしまうような形になってしまうと駄目で、山崎参考人がかかわっていらっしゃる期間は頑張っていたけど、その後駄目になっちゃうようなものもあったんではなかろうかなと思うんですが、その辺りの継続性というものをどういうふうに持たせているのかと。
 有馬富士公園の分は大分長くやっておられるし、ノウハウもあるんだと思うんですが、この辺りをまず一つお伺いします。
#40
○参考人(山崎亮君) 有馬富士公園、十二年たちますけれども、マネジメントの計画作ったときからコーディネーターを二名雇ってくださいというふうにはお願いしています。通常の公園維持管理業務の中にいわゆるコーディネーターという人の人件費を付けるというのはなかなか難しいんですけれども、いろんな学識者の先生も含めて、兵庫県の予算の中に、公園管理事務所の中に、いわゆる草刈りする人とは別に、人と人をつないでコーディネートする若手二人を雇ってもらうことにしました。
 この人が、今ちょっと代替わりはしているんですけれども、継続的に二名の雇用があるということで、今この人たちがそれぞれの団体の調整役をやってくれていますので、幸いなことに団体数はどんどん増えていったり活動が徐々に楽しいものに変わっていったりするということがあります。
 一点だけ。一方で、団体の方々にお伝えしているのは、最後ちょっと飛ばしちゃったんですけれども、三つの輪のところがありましたね。やりたいことと、できることと、そして地域が求めていることの三つの輪の真ん中に企画と書いてあったんですが、この三つをバランスしながら企画しましょうねというのをお話しすると同時に大きくなっていたんですね、輪が、それぞれが。あれは、やりたいことを毎年毎年もう一回みんなで持ち寄って増やしていきましょうと。できることも新しいメンバー集めて増やしましょう。地域が何求めているかをみんなの声に耳を傾けて増やしましょう。この三つが増えると、結局真ん中の企画の部分が大きくなるんですね、重なっているベン図ですから。
 つまり、やりたいことが増えて、地域が何求めているのかが分かってきて、自分たちにできる範囲が広がれば毎年新しい企画が思い付いちゃうようになると。団体がそれぞれその企画発案能力というか、新しいことに取り組みたいと思えるような機運になってくれば、我々がそこからいなくなっても地域の課題を発掘して自分たちがやりたいこととできることをうまく組み合わせながら活動を継続してくれることになるなという実感がありますね。
#41
○山本香苗君 ありがとうございます。
 あともう一点、被災地にも復興で、支援で行かれていらっしゃいますけれども、被災地の若い人たちなんかと話をしますと、被災地から若い人がどんどん流出していってしまうと。そういうことを心配するよりも、もっと都会から若い人が、格好いいね、いいねと思って、発想の転換ですね、そういう形で思ってくれるようなまちづくりがしたいんだって思っているんですけれども、なかなかそれが実現していないという現実があって、かかわっておられまして、こうしたらどうだというのがあったら伺います。
#42
○参考人(山崎亮君) 二点ぐらいありますね。
 一点は、被災地の、かかわるということでいうと、被災地に限らず全国で、中山間、離島地域で暮らしていこうと思うとお金的に暮らしが大変だよというイメージが相当付いているなという印象があります。ところが、現実は違っているということも多いんですね。
 インターネットで仕事ができるようになった時代に、固定費が相当下がりますので、一軒家を借りて家賃が五千円という地域に住むことになったら、月給が十五万円でも相当リッチな生活ができちゃうんですね。
 集落支援員、先ほど御紹介しましたけれども、それぞれの集落に入って支援するということを復興地でもやっています。そうすると、やっぱり集落のおばあちゃんたちって、すごい感謝して野菜とか魚とかいっぱいくれるんですね。もっと感謝するとお総菜くれるんですね、できたものがもらえるというのは相当ステータス高いんですが。そういうことだけでほとんど、これは瑣末なことかもしれませんが、食べていけるので食費が掛からない。家賃はほとんど掛からない。
 うちの教え子とかが入っているところでは、コンタクトレンズのお金と携帯電話のお金がもう天文学的数字だと、それ以外はほとんどお金掛かっていないんですね。月々十五万円の給料、臨時職員で町で雇われたら、実は毎月十万円貯金しているんですね、うちの教え子なんかは。年間百二十万円で今七年目ですから、もうすぐ貯金が一千万円になるという二十五歳です。
 こういうことが東京の人たちに分かっていないんですね、若い人たちに。月給が三十万ないと駄目だと思っている人たちがやっぱり暮らしているので、そうじゃないよということを知ってもらうこと、これはすごく大切なことだなというふうに思っています。インターネットも新宿より速いですからね、圧倒的に。夜八時以降は自分専用回線で、おばあちゃんたちみんな寝ていますから。こういうことが分かっていないと、なかなか復興のところとか集落で生活していくのって大変だなという印象だけが広がっちゃっているということがありますね。これはやっぱり伝えていかなきゃいけない点だなというふうに思っています。
 もう一つは、やっぱり技術の問題ですね。本人がやっぱりその技術を手に入れなきゃいけないということで、先ほどOJTの話もさせていただきましたけれども、今、東北芸術工科大学という大学の中に国内初のコミュニティデザイン学科という学科をつくっているところです。今文科省に申請中なんですけれども、そこで東北の山形から仙台や福島に支援しに行く若い人たちを四年間実地で育てて、この人たちが自分のふるさとに戻って集落を支援していくというようなことを展開できるような、小さい仕組みですけれども、学科をつくるということの中から全国に示していけたらいいなというふうには思っていますね。
#43
○山本香苗君 ありがとうございました。
#44
○会長(直嶋正行君) 柴田巧君。
#45
○柴田巧君 みんなの党の柴田巧です。今日は三人の参考人の皆さん、ありがとうございました。
 まず、吉田参考人からお聞きをしたいと思いますが、私も富山県でございますので、かつておられた万葉線にはしばしば乗らせていただきました。また、残念ながら廃線になりましたが、加越線という、御存じのとおり鉄道が私のところには通っていましたが、その当時の機関車も何かそちらにあるやに、これはちょっと勘違いかもしれませんが、そういう意味でもいろいろと親近感を覚えるところですけれども。
 そのかつて走っていた鉄道がなくなると地域全体が寂れるという経験をした者の一人として、先ほどのお話を大変興味深くお聞きをしておりましたが、今までも地域の皆さんの御協力、御理解によって順調にといいますか成果を上げてこられていると思いますが、やはりその地域住民の皆さんが更なるマイレール意識というものをしっかり持ってもらう、またそれを実践していただくということが何よりも大事だと思っていますが、更なる次の一手としてこういうことを仕掛けていきたいというか企画しているというのがあれば教えていただきたいと思いますのと、今ほど申し上げたように、その地方鉄道の、地域の交通機関がなくなるというのは極めて深刻なことになるわけで、この地方鉄道復権の先導的な役割を担っていきたいとおっしゃっておられる、掲げておられるわけですが、そのためにも、この地方鉄道を支援していくというためにも、例えば国としてどういう支援策があればいいなと感じていらっしゃるか、もしあれば教えていただければと思います。
#46
○参考人(吉田千秋君) すごく難しいお話であれなんですけれども、今、うちの会社は再建途上というか、何とかしていこうというところなので、次の段階というのはなかなか考え付いてはいないんですけれども、ただ、うちの鉄道に限って言えば、もう黒字化ができたらしたらいいと。その上で、鉄道というものが本当に、採算性だけじゃなくて、町にどうしても必要なものだ、逆にブランドとして何か商品価値が出てくるものはないかということを、先ほどの鉄道大学も一緒ですけれども、含めて、新しいお金もうけの、というか活性化のデザイン、ものができないかなということは考えています。ただ、具体的にはちょっとまだ考えていないですね。
 あと、先ほども申し上げたんですけれども、近年、やっぱりお国の方、それから県、市の方もかなり公共交通機関についてはしっかりと見ていただいておりまして助かっておるんですけれども、ただ、やっぱり細かいところで田舎の状況というものを把握した感じでのことをちょっと聞いていただけたらなと。
 例えば、具体的に言いますと、今、先ほど市長がという話をしたんですけれども、延伸をちょっとしたいと。一キロちょっと延伸をすれば公共交通機関として公園へのアクセスができるということで、みんな、やろう、やろうとは言っているんですけれども、やっぱり幾つかネックがあって、一つは、踏切というのは危ないものだから造っちゃいけないよということで、多分、富山県もそうですけど、踏切というものの新設は一切ないと思います。そうなっちゃうと、田舎の道ですからそんなに踏切ができたって危なくないだろうとか思うんですけれども、ただ、それがネックになってちょっと延伸ができないとか、いろんなところで地域事情に合わない部分というのを、できれば大目に見ていただいてというような融通を利かせていただくと、こっちもすごく助かるということは今痛切に感じております。
#47
○柴田巧君 どうもありがとうございました。
 次に、津田参考人にお聞きをしたいと思いますが、いろんなまちづくり等々に子供たちの意見を取り入れていく、いろんな政策提言をしてもらうというのは大変意味のあることだと思いますが、そこでちょっとまずお聞きをしたいのは、そうやって今回も被災地でいろいろな提言をされていて、じゃ、それを提言したものがどう形になっていったか、あるいはどこかの時点で中間報告を是非してくれるようにというような仕組みになっているのか、要求、要望されているのか。
 というのは、そうやって子供たちが言ったことの中で実現をしていくということになれば、子供たちなりにいろんな意味で達成感を感じることにもなるだろうと思いますし、更なるいいアイデアを出していこうという励みにもなるんではないかと思うんですが、そこら辺の仕組みはまずどうなっているのか、お聞きをしたいと思います。
#48
○参考人(津田知子君) まず、市町村レベルのお話をしたいと思いますが、基本的に、うち、岩手は遠野、宮城は仙台で、石巻とか陸前高田には車で通うというような形なんですけれども、それぞれのスタッフが毎週、週に二回とかといって、役所の中も回ったりとかというようなことをするんですね。フォーマリーに行政の方から、受け取った声がこうなりましたよというのはないんですけれども、ちゃんと向こうの方からも、例えば石巻市の震災復興部の方々、復興政策課の方なんかですと、やっぱりそういったものを仕組みとして入れたいからどうしたらいいんですかね、セーブさん、どうやったらいいのかちょっとアイデアを教えてくれませんかみたいなお声掛けをしてくださったりとか、それは山田でも高田でも同じようなことがあります。なので、行政の担当者であったりですとか、高田とか山田であれば市長さん、町長さんレベルとも定期的にミーティングを持つことでかなりそういったところの具体化というのは動いているのかなというふうに思います。
 国レベルになってきたところというところなんですけれども、ここ、先ほど復興庁から復興局の取組ということをお伝えしたと思うんですが、私、一つここでもしもそれが実現したらいいなと思うのは、同じ復興局、宮城と岩手でもそれぞれ取組の仕方が違ければ、両者の県で余り情報がきちんと交換されているのかなというのは思うところがあったりとかするんですね。
 具体的に言えば、やはり岩手復興局の担当の職員の方々は定期的にセーブ・ザ・チルドレンに、岩手復興局としてはこういうことをやっているんですけど一緒に何ができますかねといったようなことを働きかけてきてくださる。そういうのは非常に有り難いなというふうに思っているし、本来、NGOが一方的にやるものではなくて、それを行政の仕組みの中に入れていけるようにしていくためにも、そういったウイン・ウインの関係をつくっていけたらなというふうに思っています。
#49
○柴田巧君 ありがとうございます。
 それから、先ほどもちょっと山本委員からもあったかなと思いますが、日ごろからやはり子供たちがそういう地域のことなどに提言できるような環境づくりというか、特に学校の現場などでそういうようなものをもっといろいろ取り入れていくというか、やっていく試みがあってもいいんじゃないかなと思うんですが、そこら辺はどういうふうにお考えですか。
#50
○参考人(津田知子君) こういったまちづくりだけでなく、全ての子供にかかわるところでそういった取組があったらいいなというふうに思います。
 先ほど山本さんからお尋ねされたときにちょっと申し上げられなかったんですけれども、例えば子ども条例とか子どもの権利条例というものが各自治体で作られているところはあると思うんですが、そういったものを全ての自治体で持っていくということと、あとは、私たち非常に、町の役場だったり国と県とやり取りをしていて、やっぱり縦割り行政なんですよね。セーブ・ザ・チルドレンが横をつなげているような感が時々あったりするんですよ。子供というところで、学校だと教育委員会、社会福祉になってしまったりとかというところがあるので、やっぱり子供に関するものを専門に扱う部署であったりだとか、そこに子供たちの声を聞くコーディネーターであったり専門家というものを配置をしていくというところが一つ重要なんじゃないのかなというふうに考えております。
#51
○柴田巧君 ありがとうございました。
 以上で終わります。
#52
○会長(直嶋正行君) 田村智子君。
#53
○田村智子君 どうもありがとうございました。日本共産党の田村智子です。
 今の質問につながるようなんですけど、津田参考人にまずお聞きをしたいと思います。
 実は、子どもの権利条約は、私も批准のころから、とりわけ子供の意見表明権のことで運動にかかわってきた経緯がありまして、そのことを実践されての活動に大変感銘を受けました。
 それで、子どもの権利条約の意見表明権は、子供にかかわる全てのことについて子供は意見を表明する権利を持ち、その子供の意見が、外務省の訳はちょっと良くないんですけど、相応に尊重されなければならないというふうに大人社会の方は定義付けられていると思うんですね。今回の御指摘を受けてあっと思ったんですけれども、それが災害などの危機的な状況においても尊重されなければならない。ということは、常日ごろそれの尊重が前提なんだけれども、ここが本当に抜け落ちたまま権利条約を批准して、もう今日まで抜け落ちたまま推移してしまったのかなというふうに感じているんですね。
 だから、ある意味、今回の場合は復興という特別な事情だから子供の意見にも目を向けてみようと、こんなふうな取組としてまずは始まったのかなという感じにも見えるんですが、やはりそこを常日ごろから、本来の権利条約が求めているところに行政やら議会やらが発展していく、ある意味すごく、そういう意味ではお話のあった三つの自治体がどう本当に子供の意見を取り入れてまちづくりやるかというのが逆に全国にとっての先進的な事例になり得るなということで、非常に期待もしているんですけれども。
 本来、この権利条約がもっともっと各自治体に徹底がされて、本来日常的にということがすごく足りないと思っているんですが、被災地以外でもそういう活動をやってこられたかと思いますので、若干、特別な事情ではないところでの取組の事例などありましたら、簡単でいいです、こういう自治体でということがあったら教えていただけたらなと思います。
#54
○参考人(津田知子君) 私、先ほどその前の方の質問のときにお話しできなかったんですけれども、やっぱり平常時からの子供の意見を聞くといったときに、正直、学校教育の枠の中で子供の意見を聞くというのはなかなか難しいことがあるんじゃないのかなというふうに思っています。復興という文脈での子供参加は人は容認をしても、平常時になったときに本当にそれを容認するのか、大人は受け入れる覚悟があるのかということは今私たち大人に問われていることだと思います。
 自治体と取組というのは、先ほどの山本議員のときにもお話をした埼玉県の和光市のお話であったりだとかというようなところで平常時で取り組んでいるというようなところをしてきています。
 あと、自治体が、じゃ条例を作ったらそれが具体化されるのかといったら、そうではないと思うんですね。やっぱり現場のレベルで、それは保護者の方、地域の住民、学校の先生、そして子供たち自身が、子どもの権利条約を知っているって、私、大学で授業をしている関係で聞くと、大体知らないんですよ。十八歳を過ぎるまで子どもの権利条約を知らないで過ぎてしまう子供たちがいる、そんなやっぱり子供たちに、あなたも意見を言えるんだよ、そのためにできることがあるんだよということをきちんと伝えていく、それを大人が受け止めていくということが緊急時そして平常時にも絶対に必要なことなんじゃないのかなというふうに思っております。
#55
○田村智子君 ありがとうございました。
 山崎参考人にもお聞きしたいんですけれども、お話をお聞きして、市民参加ではなくて市民参画という取組なんだなということを非常にやはり感銘受けてお聞きをしていたんですけれども、これは、家島は島全体の取組というふうにもなるのかなと思うんですが、その他の大きな自治体で見ると、やはり公園の取組やその施設の取組、やはりそこで得られたものがいかに市全体の行政や市全体のまちづくりの中での市民参画というふうに結び付いていくかというのが課題かなというふうにお聞きをしていたんですけれども。
 その十何年間か取り組まれてきている中で、公園だけではなく、そのことが波及しているような、市全体に、全体まで行かなくてもなんですけれども、そういう可能性や感じておられることがありましたら、是非お願いしたいと思います。
#56
○参考人(山崎亮君) 最後に御紹介した海士町は人口が二千三百人なんですけれども、あそこはまあ間違いなく市全体に波及しているなと思います。
 ただ、このコミュニティーデザインあるいは市民参画という手法を考えると、そのぐらいの人口規模が一つの限界かなというふうにも思っているんですよ。よく講演会なんかでお話しするのは、海士町のお話をしても、東京では参考にならないとか人口が違うと言われちゃうので、よく言うようにしているのは、皆さんの自治会で起きていることだと思ってくださいというふうに言うようにしています。
 いわゆる行政区というのはたまたまそこで切っているものですので、その行政区の人口であったり、それ全体で何かやろうと思うと結構苦労しなきゃならなくなっちゃいますので、皆さんの身近な小学校区だったり連合自治会の区域ぐらいで物事を一つ一つ決めていこうと。これが集積して、一つの自治体が結果どうだったかということになって自治体全体に波及していくということになれば、これ限りなく地元議会だったり行政の意思決定と近くなっていきますので、少しそこはやはり間接的な意思決定の仕組みというのが必要になってくると思いますから、やはり直接的な住民参画を考えるときのスケールというのが、一万人以下ぐらいのスケールで考えていくというのが妥当かなという感覚はありますね。
#57
○田村智子君 ありがとうございます。
 最後、じゃ、吉田参考人になんですけれども、第三セクターをどう発展させるか、継続させるかも含めてだと思いますけれども、全国の自治体の悩みかと思います。
 それで、その第三セクターの鉄道同士での経験の交流や、先進的な取組の交流や、お互いに共通する課題を考えるような、そういう場というのは今あるものなんでしょうか。
#58
○参考人(吉田千秋君) 悩みが一緒なものですから、何となく、あっちこっちとつながりが付くと、だんだんだんだん今つながりが付きつつあるところかなと。具体的に言うと、うちは今、山形鉄道という山形の第三セクターがあるんですけれども、そこの野村社長さんというのはやっぱり公募社長さんで、そこで、取りあえず公募社長サミットみたいなのをやって横につながろうという話から今進んで、実は先ほどお話しした農工商連携によるという助成制度については山形鉄道からの提案でやっているということもあるので、やっぱりこれから組織化していって、同じ悩みをちょっと共有していって頑張っていこうかなという、出だしの状況ではありますね、今は。
#59
○田村智子君 どこが音頭取りするかという問題も出てくるのかなと思うんですけど、国にもできることがありましたら、是非頑張りたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#60
○会長(直嶋正行君) 福島みずほ君。
#61
○福島みずほ君 今日は三人の参考人の方、本当にありがとうございます。社民党の福島みずほです。話を聞いて何かわくわくして、何かやりたいななんてすぐ思っちゃいましたが、貴重な提言を本当に地域活性化の点でありがとうございます。
 まず、山崎参考人に、先ほどの山本香苗さんと似ているんですが、三例話していただいて、延岡は私は生まれた町なので、ほう、そうかそうかとか思ったんですが、ちょっと今は宮崎市内に行っているんですが。魅力的なカリスマがやっぱり入っているときはいいんだけれども、市民運動もそうだけど、初めはとても盛んなんだけれど、何となく継続しないというか、集会も回を重ねると何かマンネリ化しちゃうというようなところもあり、初めは良くても何となくみんなが飽きちゃうというか、ですからデパートでスペースを空けるというのは物すごい冒険で、よっぽどそのお店にとってメリットがないと、あっという間につまんなくなっちゃうと思うんですね。
 先ほど実はお答えを聞いていたんですが、そこで何か物すごく工夫していることや、それはどうかという点と、それから、非常に抜本的に駅の周辺任せとけってやるのって、公園任せとけというのはすごいと思うんですが、逆に、今日は非常にポジティブな話だったんですが、困難というか、何かそういうことを感じたことはあるのかと。
 今日は提言を聞く話なのでネガティブなことは言いたくないかもしれないんですが、結構大胆にやるときに、いや、やっぱりデパートってそんな続かないよとか、何か悩みというのが、何か悩みが余り見えないように見えますが、あったら是非教えてください。
#62
○参考人(山崎亮君) 悩みは余りないんですよね。済みません。
 先ほど御紹介した配付資料の三十三のこの三つの輪ですね。これは市民活動団体の方々にはもう何度も何度もお話しするようにしているというのが一点と。
 感覚としては、僕は体育会のラグビー部だったのでラグビー部しか例が出せないんですが、あの部活ですね、体育会の部活みたいになるといいなと思っているんですよ。市民活動の団体は、まず顧問がとやかく言わなくても練習をする、自主的に練習を積み重ねる。そして、定期的に練習試合をちゃんと自分たちで組んで入れるかどうか。全国的な大会がちゃんとそこにあるかどうか。晴れの舞台ですね。要するに、市民活動団体でいうところの晴れの舞台がちゃんとあるかどうか。あとは、コミュニティーでき上がったときに自分たちでキャプテンをちゃんと決められるかどうかですね、リーダーを。そして、そのリーダー、キャプテンが三年生か四年生になったらちゃんと引退して、新しいリーダーを自分たちでキャプテンを決められるかどうかですね。あとは、四月じゃなくてもいいんですけど、毎年新入生勧誘がちゃんとできるかですね。
 時期をちゃんと決めて、減ってきたり高齢化しているようなコミュニティーに新しい人たちをちゃんと呼んで、そしてかつてのリーダーが補佐役というかアドバイザーみたいに退くことができるか。こういう組織をつくることができれば、自分たちの中で新しいことをやりながら組織自体も継続させて続けることができるんじゃないかというのは、十二年の歴史ですけれども、有馬富士公園を見ていてそう思う点というのが一点です。
 あとは、先ほどのコーディネーターの話はやっぱり非常に重要で、延岡の場合も商工会の青年部の田中君という人が今うちの事務所に来て、ずっと研修していますので、こういうやり方を、いきなり手を引いてしまうというよりは、地元の人にやり方を委嘱してそちらで活躍してもらうというようなことが多いですね。
 困難というのは、ポジティブなことばっかり考えようとは思っているんですが、随所に出てきますけれども、一番やっぱりもったいないなというふうに思うのは、先ほどの、専門家にこういうことを任せるというイメージがないままに行政の人から依頼を受けたときに、ここの部分だけやってくれればいいからというふうに限定して発注されちゃう場合ですね。ワークショップのファシリテーターって司会進行の部分だけ数十万でやってとかというふうに言われたりする場合に、本当は、そこの部分じゃなくて、人を集めるところからいろいろ前後も全部やっていかないとうまいワークショップの場にならないんですけれども、そこだけ切り出されちゃうと、参加者がすごい少なかったとか偏った人たちばっかり来ていたというようなことになっちゃいますので、この部分についてはやはりある程度準備がありますので、段階を追って発注するというようなことになってくると少し状況が変わるかなという気がしますね。
#63
○福島みずほ君 ありがとうございます。
 吉田参考人にお聞きをいたします。
 地域の足を守るために、あるいはまちづくりに第三セクターの鉄道が役に立っているという話は大変興味深いものでした。
 さっき第三セクターの鉄道として悩みがあるとおっしゃいましたが、やっぱり鉄道に注目してくれって議会にも働きかける必要があるのか、首長に働きかける必要があるのか、あるいは国政にこういうことを是非やってくれというのを、変ですが、あれば教えてください。
#64
○参考人(吉田千秋君) いろいろやっていただいているのでこれ以上のぜいたくは言いたくないところではあるんですけれども、ただやっぱり、さっき申し上げたように、鉄道の実情というのが特に都会と田舎では全然違うので、その辺を、例えばこちらもアピールするので、分かっていただくような機会があればなと。
 先ほどの踏切の話もそうですし、安全装置についても、安全装置は絶対必要ではありますけれども、逆に、新幹線の二百何十キロ、三百キロで走っているのと、うちが六十キロで走っているのと一緒でやってと言われるとちょっとお金がないなとか、そういうようなところの田舎の事情というのを分かっていただくような機会があるとすごく助かりますね。
#65
○福島みずほ君 ここは元々この鉄道があったからですが、例えば、足というと、バスにお金を払う、タクシーをもっと活用するとか、自家用車をどうするとかいろいろありますよね。やっぱり、ここで鉄道という形でコンセンサスがつくれたというのは何か秘訣があるんですか。
#66
○参考人(吉田千秋君) やっぱり、鉄道というものが、特にこのひたちなか市の場合は、元々、勝田市と那珂湊市という二つの町が合併してひたちなか市になっている、その二つの町同士を結ぶという意味があったんでしょうし、あとはやっぱり、いろいろ説明したけれども、鉄道がなくなったら、バスになった途端にどこでもお客さんが六割以上減ると、つまり町自体がもう流れがなくなっちゃうよということもよく分かっていただいたというところがあったと思います。
#67
○福島みずほ君 津田参考人にお聞きをいたします。
 子供たちを元気にと、子供たちの参画で努力していらっしゃるし、セーブ・ザ・チルドレンは多岐にわたって活動していらっしゃることに敬意を表します。
 三つのところで子供たちが提言を作っているんですが、それぞれ何人ぐらい子供たちが参加をしているのかというのを教えていただけますか。
 というのは、女性の震災復興における参画、障害のある人たちの震災復興の参画、それぞれいろいろ問題ありますが、私も大臣時代にセーブ・ザ・チルドレンにお世話になって子ども・若者ビジョンとかいろいろ作ったときに、子供といってもどの子供を呼ぶのか。女性だったらいろんな女性団体に声を掛ければいいんですが、子供といったときに一体誰を呼んできて誰の声がある程度代表なのか、集まった子供って偏らずにいろんな声をどうやって出してもらうか、結構難しいなというのを実は思ったんですね。その辺、どういう工夫をされていらっしゃるのか。あるいは、一部の子供で作るとほかの子は知らないよという感じになるかもしれないし、その辺はどういうふうに工夫していらっしゃるのかを教えてください。
#68
○参考人(津田知子君) 今いただいた御意見、本当に悩みというか、私たちのチャレンジ、課題でもあるなというふうに思っていて、それを、課題を解決するためにどうしたらいいのかって常にやっているんですけれども。
 まず、先ほども一つ申し上げたのは、その学校とか子供会とか既存の仕組みだけに呼びかけない、広く呼びかけるというところですね。なので、山田町のあの映像で、初めは三人でした。三人かというところもあるかもしれないんですけど、子供たちを集めるときに一番効果的なのは口コミです。子供たちがそこの場所で、自分が認められ、声を聞かれ、そして自分にも力があって何か貢献できると感じたときには、子供たちが子供たちを連れてくる。そういうところで、今、各地域二十名ぐらいが活動しております。
 ただ、やっぱり、二十名の子供たちが提言書を出すと、それだけの子供たちの意見じゃないのというふうに言われてしまうところもあるのですね。なので、活動をするときに、何か提言書を作るというときはワークショップを複数回するんですが、必ず途中で、地域のほかの子供たちに子供たち自らヒアリングに行くとか、アンケートを作って学校等で実施をするとかというようなところを心掛けています。
#69
○福島みずほ君 どうもありがとうございました。
#70
○会長(直嶋正行君) 中山恭子君。
#71
○中山恭子君 今日は三人の参考人の皆様から貴重な御意見いただきまして、ありがとうございます。
 伺っていて、それぞれの方々が合体するというか、相互に連絡した形で、連携した形で動かれるという可能性はどうなんだろうかと、非常にプラス、相乗効果が大きいのではなかろうかなどと思いながら伺っておりました。そのことについて三人の参考人の方から御意見を伺いたいということ。
 もう一つは、私自身は、今日のテーマから外れているのかもしれませんけれども、入っていないかと思うんですが、国際的な文化交流の場として日本というものを考えましょうということを随分古くから提唱しております。世界の文化のプラットホーム議連というのを昨年立ち上げまして、世界の文化の、先ほど徳島の話がありましたが、世界から認知されるような非常に質の高い文化交流の場を日本としてつくっていきたい、日本ならそれがやれるというような思いがありまして提唱しております。そういった国際的な面というのを取り入れることについてどのようにお考えか、ごく簡単でよろしいので、御意見をお聞かせいただきたいということ。
 もう一つは、山崎参考人に、私、海士町、見に行ったことがあります。うわさにも聞いておりまして、本当にすばらしい動き方だと思って感服しながら、海士町の若い人々とかお年寄りの方々にもいろんなお話を伺いました。それから、島の外から若者たちが入ってそこで仕事をして生活している、これもすばらしいことだと思いまして、もし、短くで結構ですが、もうちょっと海士町の話をお聞かせいただけたらと思っております。
#72
○参考人(山崎亮君) 一点目ですね。相乗効果がというのは、今日、僕もお話をお伺いしていてそうだなと思いましたね。何か一緒にやりましょう。
 子供については、実は我々も何回かやったことがありまして、ちょっと参考になるか分からないんですけれども、岡山県の笠岡市で笠岡諸島の総合計画を作ってくれと言われたことがあったんですね。総合計画を作るというと大人と一緒にやることが多いので、大人のヒアリングずっと行ったんですが、瀬戸内の島はきっと豊かなんでしょうね。もうほとんど危機感がなくて、大人がワークショップに参加してくれない感じがしたんですよ。もう私たち忙しいからとかですね。でも、小学校は廃校になったり、子供が二人しかいない小学校が島にはあるんですね。
 これどうしようと思って、大人の意見聞いていてだんだんだんだんもう嫌になってきて、あなたたちとは一緒に作りませんと言って、子供と一緒に作りますと言ったんですね。子供たちとしゃべりながら、大人を脅そう、良質な脅しを掛けようと言って、総合計画は十年の計画ですから、子供たちが作った十年計画を大人たちが実行しなかったら、子供たちは中学を卒業したら高校、大学と外に出ますので、十年間ずっと盆と正月帰ってきて大人たちが自分たちの計画をやっているかチェックすると。十年間チェックして、大人が本気にならなかったら私たちは全員島に戻りませんと脅しを掛けて提案書を出したんですね。つまり、島の人口は将来ゼロになるということですね。大人たちは、まあまあ、まさか脅しだろうと思いながら、中学生や小学生が本気でそれを言ってきているので、その後、即座に公民館活用ワークショップと廃校活用ワークショップなるものを大人たちがやり始めました。
 だから、子供の意見を参考にというよりは、本気にならせるための原動力として子供たちが何か提案していくというようなやり方は一つあるのかなという気がしました。
 国際的には、済みません、僕ら国内のことをよくやっていまして、国内の文化、カルチャーですね、これはカルティベートというのと同じですけれども、日々耕していくことという自体が文化をつくっていく、カルチャーをつくっていくだろうというふうに思っていますので、耕す主体をどうつくるかというのがコミュニティーデザインの肝になるところだというふうに思っています。
 最後、海士町に関してですけれども、御指摘のとおり年間に約百人の若手がIターンで入ってきています。二千三百人の町に百人ずつ若い人が入ってくるようになったというのは少し画期的だなというふうに言われていますけれども、この方々が、先ほどの説明の中でも少し加えましたけれども、そういう場所で生活することが格好いい暮らしができるんだ、おしゃれなことができるんだよということをインターネット上でどんどん東京や大阪の人たちに知らせてくれているというのは大きいと思います。
 その人たちがまた、本当、一千万たまるのと。まあお金だけじゃないですけど、お金だけじゃないけど、そういう意味での豊かな暮らしができるのということに気付く友達を増やしていっているのは海士町の大きな点じゃないかなというふうに思いますね。
 以上です。
#73
○参考人(吉田千秋君) 横のつながりはとても大事だと思うので、是非またお願いしたいと思います。
 実は、石巻のお話をどこかで聞いたことがあるなと思ったら、ひたちなか市と石巻市は友好ですね。今度、音楽の祭典ということをまた一緒にやろうということなので、もう既にかなりつながっているかとは思うんですけれども、これがプラスになると思いますので、これからどんどん広げていきたいなという気持ちはあります。
 あと、国際的な面でいいますと、まあローカル鉄道なんで国際的というとなかなか困るんですが、それでも、やっぱり、韓国の高校生さんが日本の鉄道を見たいという話で、インターネットだとつながるものだからこっちも適当にやり取りしていたら、実は韓国の人だったということで今ちょっとつながりができたりとか、あとは、実は、御存じの方もいらっしゃるかとは思うんですけれども、ヨーロッパとかアメリカに比べて鉄道に対する考え方というのは非常に日本の国はシビアでして、ヨーロッパはやっぱり都市機能の一環として、例えば運賃収入四割ぐらいで、あとは国の税金使って鉄道というのは都市機能だからということで維持しているというような話なんかも、いや日本は実はもう鉄道に全部採算性を求められているんだよという話をアピールしてみて、それをどうとらえられるかみたいなことをアピールしたら面白いかなとは思いますけれども、まだ怖くてそこまではできないですね。
#74
○参考人(津田知子君) 私もお二人のお話を聞いていてわくわくしてきてしまって、後でいろいろお話しできないかしらと思っていたので。
 具体的には、陸前高田の子とかだと、防災メモリアルパークができたときに本物のあかりの木を作りたいとかと言っているんですけれども、じゃ、そこにどうやったら人が来てもらえるのかというような仕組みを、先ほどの公園の事例であったりですとか、あと、山田町の子供たちにとってやっぱりあの山田線、鉄道はすごく重要なんですよね。そういうところで、皆さんの先駆けでやられていたことを逆に生かして、子供たちとともに活動できるんじゃないのかなというふうに思っています。
 二つ目の質問の国際交流とか文化交流、国際的な面をどう思うかというところなんですけれども、お手元にお配りした資料の「アクション」というものの十六ページに、昨年の七月、世界防災閣僚会議で子供たちが出した提言書があります。その三点目に実は彼らが言っているのは、世界中に子供たちが協力し合える体制をつくってほしいというようなことを言っております。地震であったりだとか災害というのはどこでも起こり得る。それだけではなくて、平常時でも町に子供たちが意見を言えたりとかという仕組みをつくっていけたらいい。それを海外の状況だったりとか知見も知りたいというところで、そういったようなことを言っています。
 なので、具体的には、子どもセンターが石巻で建ったら、彼らは十年後を描いた新聞作ったんですけれども、そこで何か国連の子供会議が開かれればいいとかというような夢プランを描いたりとかしているので、是非この取組を世界にも発信をしていきたいなというふうに思っています。
 ありがとうございます。
#75
○中山恭子君 大変ありがとうございました。
 この動きを、どのような形で行政とそれから民間の方々の動きというのをつくっていくかというのを、これは私たちも真剣に考えなければいけないことだろうと思っておりまして、国、政府と、それから地方公共団体と、そして民間の方々の動きをしっかりとらえた形で、財政的にも、三分の一ずつという形が取れるのかもっと違う形がいいのか、それから人も専門の方々とそれから国としての事務方というのをどれだけ一緒になって動いていけるかという、そこまでを一体として考えていくということが日本の地域活性化に非常に重要であろうと考えております。
 もし時間があれば、その点についての御感想、お考えをお聞かせいただきたいと思います。
#76
○会長(直嶋正行君) それでは、できるだけ手短にお願いいたします。
#77
○参考人(山崎亮君) ありがとうございます。まさにおっしゃるとおりだと思いますね。
 総務省の四つぐらいある支援員制度、地域おこし協力隊、あれは僕、すごくいいものだと思っていますが、まだ初期だからかもしれませんけれども、地域おこし協力隊や集落支援員や復興支援員を募集しても、そこに応募する人たちはみんな素人なんですね。前、全然違う仕事をやっていました。だから、そのノウハウというかやり方が分からないまま、全国で今、給料をもらいながらやっています。これにそれぞれの基礎自治体が、専門家をアドバイザーにしたりベースキャンプをつくっていったりして、うまくこの地域おこし協力隊や集落支援員の人たちを生かすことができる仕組みというのを、おっしゃるとおり基礎自治体や県や国と一緒につくることができたら、これは理想的だなという気がしますね。
#78
○参考人(吉田千秋君) 本当にそのとおりだと思います。
 今いろいろやってみてふと思ったのが、先ほど、二件ぐらいうちも助成制度をいただいてやったんですけれども、国の方ではいろんな助成制度をつくっていただいていて、それを組み合わせると非常にいいものができるなというのを今感じているところなんですけれども、その辺りを、こんなことがありますよというのを総括したような形でアドバイスいただけるような制度があると、こっちは非常に助かるなということを今考えております。
#79
○参考人(津田知子君) 私も非常に同じだなと思うんですけれども、復興という、その震災の後というところで考えたときに、今なかなか、子ども参加によるまちづくりに行政のお金が、予算が付きにくいというところが、やはりハード面ばかりが重視をされて、どうしてもソフト面がないがしろにされていってしまう。そういう意味でも、ハードだけ造っても後からソフトを乗っけることはできないと思うので、やはりソフトのところも重要にしながらそこに予算をきちんと付けていっていただくということを是非できたらなというふうに思っております。
#80
○中山恭子君 ありがとうございました。
#81
○会長(直嶋正行君) それでは、難波奨二君。
#82
○難波奨二君 民主党の難波奨二でございます。今日は大変ありがとうございました。
 山崎参考人にまず御質問いたしますけど、大体、企業、団体、組織というのは、左前になっちゃうとコンサルタント会社に将来ビジョンなんかの構築を多額の費用を掛けてお願いをするというのがパターンなんですよね。ただ、これはほとんど、私なんかが見ていると、うまくいった例が少ないというふうに見ているんです。それは私何かというと、やっぱりビジネスベースでそうした委託を受けた会社というものがやっちゃうものだから、それでうまくいかないんだろうと思うんですよね。
 私は、参考人のお話をお聞きしていまして、山崎参考人は、やっぱりビジネスベースでいろんな依頼されたお仕事をなされてないから成功例が多いんだというふうに感じておるんですけれども、特に気を付けておられる、コンサルタントをやる場合にですね、ことがあれば、お教えいただきたいというのが一点。
 それからもう一点は、非常に瑣末な御質問でございますが、関西流とやっぱり関東流というのは違うというのが、私は岡山の出身なんですけど、東京に来て仕事をしてみて、大変お叱りも受けたことがあるんですけど、全国でやっぱり画一的にコンサルティングやっていくというのは、非常にいろんな問題があったり、これまでの参考人の御経験の中から、関西流儀、関東流儀といいますか、東日本と西日本での違いですよね、こんな事例があったということがあればお聞かせいただければと思います。
#83
○参考人(山崎亮君) ありがとうございます。
 おっしゃるとおりで、うちはビジネスとしてはそんなに優秀な会社じゃないなというふうに思っていますが、二〇〇五年に立ち上げています。二〇〇五年六月というと、会社法が新しくなったときですね、LLPやLLCができた。
 会社立ち上げるときに、NPOにするか株式会社にするかを相当悩みました。NPOにするべきだろうと思ったんですね、働き方からしたら。ところが、この種のことにしっかりお金を払うという仕組みが世の中になさそうだったのと、NPO価格なるものが何となくあるような気がして、ボランティアでやっているんだから安くていいだろうという感じになってしまうと、これから続くコミュニティーデザイナーに申し訳ないことになると思いましたので、うちはあえて株式会社として受託しながら仕事をやっていこうと思っています。
 ただ、自分たちではNPCというふうに呼んでいますね、ノンプロフィットカンパニーだと。僕が全株主ですから、第三者の配当要らないんですね。だから、利益が出たらこれは次の公益事業に回す株式会社という、定款にもそう書いていますので、そういう仕事の仕方というのが、おっしゃるとおり、コンサルティングなのか地域の元気を付けていくのか、こういう種の仕事には本当は組織としても必要な要件なのかもしれないなというふうに思っています。
 もう一つ、これは関西風、関東流にも近いんですけれども、共通している点から先にお話ししますと、やはりこの種の仕事は、いわゆるコンサルタントでアドバイスして地域からいなくなるのではやっぱり駄目で、専門知識を幾ら持っていても最初はそれを言わずに、会社のスタッフの人たちなのか、地域の人たちなのか、行政職員なのか、現場にいる人たちがアイデアを出してきて、それを幾つか組み合わせてブラッシュアップして、言ったからにはやってくださいねっていうふうに、やっぱり自主的に活動を起こさないと続かないし、多分我々がいなくなったら効力を発揮しないような計画書だけになってしまうだろうなと思います。
 だから、気を付けている点というのは、まさに我々が何か答えを持ち込むのではないという点と、しかし、専門家として百も二百もアイデアを持って現場に入って、出てきた意見にうまく合うようなもので背中を押していくということはやらなきゃいけないので、多分出てくるであろう意見の百倍、我々はやっぱり勉強して現場に入らなきゃいけないなというのは常々心掛けていることです。
 関西と関東でいうと、ちょっと済みません、そこの感覚は余り大きく見たことはないんですが、特に離島と、それから農村部、それから都市部と、この辺りはもう明確に違いが分かりますね。だから、やっぱり隣の集落とはもう江戸時代からけんかしているんだというようなところに入る場合と、それからニュータウンで何かやる場合というのは、大分やっぱりやり方を変えなきゃいけないというのは日々実感しているところです。
 それは、ひょっとしたら吉田参考人がおっしゃったローカルルールみたいなものにも非常に近いのかもしれないですね。地域ごとに進め方なりルールを変えていかないと、やっぱりもうこの国は動いていく、この先行くというのは難しくなってきているという時代だというふうには思います。
#84
○難波奨二君 ありがとうございました。
 吉田参考人、今日は大変いいお話をありがとうございました。
 政権は替わりましたけれども、前政権では、国民が移動する権利を保障しようということで、交通基本法を制定しようということで努力をしてまいりましたが、まだ、法案の国会への提出等々を含め至っておりませんけれども、また御支援が、制定されればできるんではないかというふうに思っております。
 極めて経営をしていく上で困難な環境の中の経営だとはいうふうに思っていますけれども、参考人の経営哲学、どのようなものをお持ちか、お伺いしたいと思いますけれども。
#85
○参考人(吉田千秋君) すごく難しいことを聞かれるとあれなんですが、まず鉄道、特に第三セクターの鉄道というのは、市民の皆さんから支持はされていないと絶対駄目だと。ですから、その支持の内訳としては、今のお話にもあったんですけれども、ローカルルールによって全然違いますので、特にひたちなか海浜鉄道の場合はもうのっけからまず採算考えてくれと。万葉線の場合は六千万までの赤字はいいんだよという話があると。そういうこともきちんと受けて、市民の皆さんがうんと言ってくれる鉄道じゃないと駄目だということを今は基本的に考えてやっています。
 その上で、それ以上のことをやったら褒められるかなということを今ちょっとやっているところでございます。
#86
○難波奨二君 ありがとうございます。
 津田参考人、簡単に御質問いたしますけれども、ざっくばらんで結構でございます。子供たちが社会参加をしていくというマインドをやっぱり形成していくための教育、手だて、これはどういう手法を取るのがいいのか、少し教育論的になるかも分かりませんけれども、ざっくばらんに御所見お聞かせ願いたいと思います。
#87
○参考人(津田知子君) 子供参加を進めていく上で重要なのが時間と場の確保というところが言われていると思います。時間というところだと学校教育そのものを掛けなきゃいけないのでなかなか難しいかと思いますが、場をつくっていくということはできると思うんですね。そこにやっぱりちゃんと聞いていくチャイルドファシリテーターがいるというところで、私たちは活動をするときに、うちのスタッフも現場にいますが、東北地方の沿岸部になかなか若者いないので、盛岡であったりだとか仙台、山形から来て、山形の大学に行っているような学生さんがチャイルドファシリテーターという形で子供たちの声を引き出し、子供たちをエンパワーメントをしていくというようなところをやっています。
 やっぱりそういったコトナの世代ですね、子供と大人の間のコトナ世代を逆にそういうところに巻き込んでいく。そうすれば、コトナ世代自身もエンパワーメントをされるし、そのときに子供たちに寄り添っていくチャイルドファシリテーションの手法というのがすごく必要になってくるんじゃないかなというふうに思っております。
#88
○難波奨二君 ありがとうございました。
#89
○会長(直嶋正行君) 岩井茂樹君。
#90
○岩井茂樹君 三人の参考人の皆様、本当に貴重なお話ありがとうございました。
 それでは、早速質問をしたいと思いますけれども、事前に資料を拝見をしてきましたので、そのことも踏まえて御質問したいと思います。
 最初に、山崎参考人、お願いをいたします。
 公園や駅等の建設に当たっては、まず利用者の意見を聞いて、利用者が自ら運営に参画というか参加すべきであるというようなお話だったかと思います。それを踏まえまして、市民が主役であるためには市民が継続的にその運営にかかわることが必要なんですけれども、それを継続するにはやっぱり楽しくないと。どこかのテレビじゃないですけれども、ありましたね。やっぱり楽しみとか面白みをつくり出す何か秘訣というかポイントというか、見方みたいなのがあれば教えていただきたいと思います。
#91
○参考人(山崎亮君) 楽しさは、実は人それぞれだという何か矛盾もあるんですね。だから、みんなで楽しくやりましょうといっても、それぞれの人が何を楽しいと感じているかをまず把握しないと、楽しいことをやりましょうというのが単なるお題目になってしまうということがありますので、我々は、地域へ入るときには、やはり数珠つなぎで一人一人の方のお話を聞きながら、どんなことを今取り組まれているのか、課題は何なのか、そして楽しいと思うことって何なんですかというのをやっぱり聞いていくようにしています。
 これは地域のキーマンからスタートすることが多いので、誰か頼んでくれた行政のスタッフ、誰でもいいんですけれども、この地域で面白い活動をしているなと思う人、三人紹介してくださいというところからスタートしていることが多いですね。その方の家に行って一時間お時間をいただいて、あるいは職場に行って、家や職場が一番話が聞きやすいですが、そこでいろんな話を聞いた一番最後に、あなたがこの地域で注目しているキーマン三人紹介してくださいといって数珠つなぎで紹介してもらう。そうすると、地域の本当のキーマン見えてくるんですよ。みんなが尊敬している人はあの人で、あの人とあの人は一緒の席にしちゃ駄目だとか、こういうのが何となく見えてくる。大体百人ぐらい聞きます。
 そうすると、その方々が何を楽しいと思っているのか、あるいは今何に取り組みたいと思っているのかが分かりますので、それぞれの方にそれを話し合う場ですよといってワークショップに来てもらうようにします。だから、なかなかチラシで、はい、来てくださいといっても来てくれないので、それぞれの方がやっぱり何を楽しいと思っているのかをベースにしてこちら側がやるワークショップのプログラムを作っていくというやり方をすることが多いですね。
#92
○岩井茂樹君 ありがとうございます。
 いろいろな局面で何か応用ができそうなやり方かなと今ちょっと思ったんですけれども。
 それでは、次に吉田参考人にお願いいたします。
 鉄道はサービス業であるということで、鉄道は地域社会に大きな役割を果たしていて、単に収支のみを見て第三セクター鉄道の存在を議論しちゃいけないんだよというような、そんな思いをちょっと感じながら資料を読ませていただいたんですけれども。
 それで、今日の資料にもありましたけれども、湊鉄道線ですか、おらが湊鐵道応援団という、本当に熱心に応援していただける市民の皆さんがいらっしゃるということで、これは山崎参考人のお話にもちょっと通ずるところがあろうかと思うんですけれども、利用者が主体的に運営にここでも参加をしているということだと思うんですけれども、まず、そのおらが湊鐵道応援団、これはどのように、自然発生的に生まれたものなのか、ちょっと聞きたいなということと、逆に言うと、このような市民応援団というのは非常に心強いものがあるなと思ったんですが、こういうものをつくり上げていくノウハウみたいなものがもしあれば教えていただきたいんですけれども。
#93
○参考人(吉田千秋君) いろいろ聞かれるんですけれども、やっぱり元は、自然発生的にとはいっても、やっぱり行政の方で自治会連合会の方には声を掛けまして、こういう感じのものをつくりたいんだという話をしたら、自治会の方でちゃんとそれを組織してくれたという経緯がありますので、厳密に言うと市長さんの意向が働いていたと。
 ただ、でき上がった組織につきましては、市長さんが言う、私も思いますけれども、もうこっちの想定以上のことをやっていただいているというのが実情で、やっぱりやっていただける方がいる、その中には必ずやってくれる人がいると。しかも、そういう人が一人いると、周りにいろんな人が集まってきて、今、自治会組織から始まってはいますけれども、その周りにはもう自治会と関係ない、カメラが大好きな方だとかいろんな人が集まってきて、それがすごい力になっているというような状況ではあります。
 ですから、それを会社としては、ありがとう、ありがとうと言いつつ一緒にやっていくというので大きくなっていますね。
#94
○岩井茂樹君 ありがとうございます。
 ただほっておくと駄目で、やっぱり何か核となるものを少しつくり出してあげることによって、結晶がどんどん大きくなるように活動が広がっていくというような意味合いがあるのかなとちょっと思いました。
 それでは、続きまして津田参考人にお話を伺いたいと思います。
 子供たちには自分たちで問題を解決する力が元々あるんだよという子供たちの可能性に着目をされていて、非常に感銘を受けたんですけれども、被災地で、その地域の一員である子供たちと向かい合いまして、その声に耳を傾け、復興に向けて共に歩んでいこうとする大人たちの姿や社会があって、逆に、そのような子供たちを通じて大人自身も意識を改革をしていくというような、何かそんな相乗効果というか、そんなものを感じたんですけれども。
 これ、このような子供たちの成長と大人との協働というものは、今回、被災という非常に極限状態だったからなし得たのか。さっき同じような質問もあったかとちょっと思うんですけれども、普通の状態で同じような効果を上げることができると考えていらっしゃるのか。逆に、またそれを可能にするにはどのようなことが必要なのかということを教えていただければと思います。
#95
○参考人(津田知子君) ある意味、子供参加というのが、本当にこの震災が起こらなければよかったとは思いますけれども、震災が起こることによって、地域の大人の子供たちへの見方であったりだとか、子供参加に対する理解というのはドラスチックに変わったと思います。
 それなので、ある意味、復興時では、先ほどお伝えしたような行政の方々の姿勢だったり保護者の方々の姿勢というところにもあるように、子ども参加によるまちづくりがやりやすいと。平常時だったらどうなんですかというところで、正直難しいと思います。でも逆に、それはしなければならないことだと思うし、大人にはそれが責任があると思います。
 そのときに、やっぱり私、一つ地域の人たちとか行政の人たちと子供参加をやる中で重要になってくるのが、大人が子供をどういうふうにとらえているのか、大人の子供観というのがすごく重要になるんではないのかなと思っていまして、子供を対等なパートナーとしてとらえているのか、それとも、まだ発達段階の未熟なものとして下に見ているのかというところで大分変わってくると思います。
 その意味でも、大人がやっぱり子供たちをどういう存在だとしてとらえるのかというところを、やっぱり子供観を変容させるような何か啓発であったりだとかワークショップだったりだとかというのを地道にしていくということをしなければいけないんだろうなというふうに感じております。
#96
○岩井茂樹君 ありがとうございました。
 以上です。
#97
○会長(直嶋正行君) 山田太郎君。
#98
○山田太郎君 みんなの党、山田太郎でございます。
 本当に今日は、三人の参考人の方々、ありがとうございました。
 まず、津田さんに是非お伺いしたいと思います。
 子供の力を信じるということを聞きまして、私どもも実は昔は子供だったのになと。何か国会議員なんかになっちゃうと、どうしてこんなにもめ事も多いのかなと思って、反省もしつつ聞いてはいましたけれども。
 実は我々、本当に被災地に行きまして、これは超党派で、この共生のグループで行ったんですけれども、非常に重たいテーマを超党派で感じました。その中でも、特に原発周辺の被災地に行きまして、そこの復興をどういうふうに考えるかというのはかなり重たい問題だなと。特に、多分、被災地には津波型の被災地と原発型の被災地、余り厳格に分けてはいけないのかもしれませんけれども、これは全然復興の方法の性格が違うと。
 そんな中で、今回は福島周辺、楢葉町等を含めて広野町とか回ってきたわけですけれども、そんな中で原発地域は、多分、お母さんたちが、子供がかわいいからこそもう戻れないと、こういう話をしています。今一生懸命、国の方では除染ということをやっているんですが、現実的には、現場の声を聞きますと、まず工場の工場主さんなんかは、いわきの方に避難してきたと、これはもう多分戻らないだろうと、こんなことを言っていましたが、もしかしたら、子供さん、そのお母さんは、あの地域になかなか戻れないんじゃないか。そんな中で、私は、実は子供に一つこれを聞く、故郷をどういうふうに思っているのかということを聞くことが非常に重要なんではないかなと思いました。
 そんな中で、もし津田さんが活動の中で原発の被災地に関して子供さんからいろいろ聞かれたりとか、そんなワークショップをやられたりとか、実際はどう思っているのか、それは非常にお母様方にも影響を受けると思いますし、それ自身があの町とあの地域を再生させるきっかけ、もしかしたら違う道を選ばなければいけない、非常に重要な声になるかもしれないと思いましたので、その辺ちょっと、是非お伺いできたらと思います。
#99
○参考人(津田知子君) 今日御紹介したのは、宮城と岩手の事例です。私たち福島県でも活動をしているんですが、まちづくりと言ったときに、福島で果たして子供たちはどこを町と言えるのだろうかというようなすごくセンシティブな課題があると思うので、今この事業をすぐには展開はしていないんですが、子供たちの意見は聞いています。
 昨年、福島の子供たちへの聞き取り調査というのをしたときに、やはり、今回、福島の子たちは原発事故という複合災害というようなところをすごく感じていると思うんですが、そのことについてなかなか意見を言える場がないというのが現状かと思います。例えば、保護者の方も、あなたのおうちは外に洗濯物を干しているのかそうではないのかというので、放射能に対するそれぞれの意識というのを空気を読んでいくようなところは、やっぱり子供たちにもすごく影響しているなというふうに思っています。だから、子供たちが、そういった自分たちの不安だったりだとか、これから福島をどうしていきたいのかというのを話すような機会がないというようなことを言っていました。
 つい最近、国連事務総長特別代表の防災担当の方が二月に福島を訪問されたときに、福島の子供たちとの意見交換の場を持ちました。そのときに、ある子供が言ったのは、今から元の福島に戻ることはできないと思うけれども、自分がやりたいことは、できることはやっていきたいというようなことを言っていました。そういうような場を逆に求めているのだなというところを感じたので、これから、そういった、子供たちが意見を言えるような場をつくっていきたいなというふうに思っております。
#100
○山田太郎君 津田さんにはその辺是非活躍していただきたいし、我々国会議員も応援していきたいと思っていますので、本当に福島のこの問題は大きいと思っていますので、よろしくお願いします。
 それから次に、あっ、何か。じゃ、せっかく……。
#101
○参考人(津田知子君) 済みません。
 ちょうど、その第四回グローバル・プラットフォームが五月の十九日から二十三日にジュネーブで行われますが、そこで二〇一五年に決まるポスト兵庫行動枠組に関する大体のところが決まっていくというふうに言われています。それに向けて、今月の末に福島、宮城、岩手の子供たちとワークショップをし、その中から子供たち自身が代表を選んでジュネーブに行って、複合災害というものを経験した東北の子供として意見を言うということを考えていますので、是非その状況もまたお伝えできたらと思います。
#102
○山田太郎君 ありがとうございます。
 次に、山崎さんにお伺いしたいと思うんですが、もう一つ、私、牡鹿半島を随分丁寧に回りまして、女川、石巻、それから鮎川浜の方まで、地元の若手とか老人含めて回ってきました。そんな中で面白い現象が起こっていますのは、ボランティアの人たちが、ボランティアで入ったつもりだったんだけれども、町に居着いちゃったという形で、新しいコミュニティーができているというのを見まして、これは非常にいい傾向というか、単にもうボランティアで、かわいそうな場所だということよりも、行ってみて非常に第二の故郷のように感じて、都会よりもこういうところの方がある種住みやすいというか、自分の新しいものを見付けたんでしょうね。そういう方々が多いというのを見て、大変、何か次の光を見たんですが。
 一方で、やっぱりよそ者扱いというんですかね、そういった話も非常にあると。要は、何でそんな外の若い何かちゃらちゃらした東京の人間が来て、私たちの町を何か新しい、あれやれこれやれということを言うんだと。こんなこともすごく声として大変だと。もう一つ、高齢者はやっぱりなかなか感度が悪いというか、そういったところになかなか巻き込みにくいと。
 そこで、そういう状況をちょっと踏まえた上でお伺いしたいのは、先ほど山崎さんの中では、どちらかというと若い人だったり感度がいい人たちを巻き込みながらコミュニティーの再生を図っていくということをおっしゃられていたんですけれども、そもそもその感度が悪い人たちに対する巻き込み方というのか、変え方というんですかね、そんなところが、もしヒントをいただければ、今私がちょっと悩んでいますようなこと、少し参考になるのかなと思って、お伺いしたいと思っています。
#103
○参考人(山崎亮君) 先ほど、行政と住民の間に入る専門家がすごい大事だとお話ししましたが、地元住民と外から入ってくる住民の間にもやはり同じ機能が必要になるんですね。我々が入っているところは、やはり行政の人と住民の間でコミュニティーデザインをうまくやりながら三年でいなくなるといいますけれども、地元住民でなかなかよそ者を入れたくないというふうに思っているところに、でも、よそ者、若者、ばか者の力がないとやっぱりここがうまくいかないねというふうに思うところについては、その間に我々は入って二つのことをします。
 まず一つは、受け入れる準備をしてもらうということですね。地域の方々に、なぜ外の若者を受け入れねばならぬのかという現状の認識と、それから、これからどういう世の中になっていくのかということを知ってもらった上で、外から入ってきた人たちは、ああ、こんな役割を担えると思いますよということをまず理解してもらってからお見合いしないといけないなと思うことです。
 もう一つは、外から入ってくる人に集落に入る作法を学んでもらうということですね。これ、やっぱりかなり違いますので、東京や大阪の論理と大分違う動きで集落は動いていますので、本当に瑣末なことから、笑い話みたいなことから全部教えますね。ハイヒールで歩いちゃ駄目よとか、こつこつうるさいと言われるとかですね。不用意にノートパソコンを広げるなと、気取りやがってと言われますからね。そういう、もう基本的なところですね。
 そういうのも含めて、集落の論理ってどうなっているのか、結や講や寄り合いの意味は何なのか、これを分かった上で入らないと、さっき言いました専門家が介在せずに入ると火種になったりしちゃう場合が多いので、まさに委員がおっしゃるとおり、あんなやつが東京から来て何しに来たんだという話が必ず出てきます。だから、前より悪い状況にならないように、そこの間に入る専門家というのは数年間はやっぱり要るのかなという気持ちはしていますね。
#104
○山田太郎君 最後に、吉田さんにお伺いしたいと思います。
 実は私は乗り鉄でして、東北地方は全部乗り潰した経験もあったりして、当然、ひたちなか海浜鉄道も乗らせていただいたことがあるので大変楽しみにしていたんですけれども。
 一点、ちょっと厳しい聞き方をするかもしれませんが、今回の第三セクターの鉄道事業ですね、とはいうものの営利団体である。一方で、なかなか営利というだけでは、先ほど、国のお金なんかも入れなきゃもたなかったという話なんですけれども、そもそも第三セクターの鉄道の在り方というのは、もしかしたらこれは道路の一つなんじゃないかというふうに考えれば、当然、そういった税金をある程度見て、地域の要は活性化というか維持をするという考え方もあれば、いやいや、鉄道事業は最後まで営利団体で成り立たなきゃいけないんだという部分もあるかと思っています。これはもうスタンスの違いなのかもしれませんし、第三セクターの鉄道のつくり方にもよるのかもしれませんが、是非吉田社長にその辺のお話をいただければ。
#105
○参考人(吉田千秋君) 一言で言っちゃうと、やっぱりスタンスの違いだと言ったらおしまいなんですけれども、ただ、いろんな形がありまして、ひたちなか海浜鉄道の場合は非常に恵まれていると。沿線にも観光地がありますし、それから、赤字も三千万から始まっていますが、何とかならないことはないと。
 私が個人的に思っているのは、ひたちなか海浜鉄道という恵まれた条件の会社が採算取れないということはもう全国全部駄目だろうと。ですから、うちはまず採算取るとか、活性化の先行事例としてもやると。その上で、富山の万葉線みたいに六千万までの赤字はいいんだよという話をするとか、それぞれの地域事情をしっかり鑑みた上でやっていくというのが第三セクターなんじゃないのかなと。秋田内陸縦貫鉄道さんも、この間頑張られて、二億六千万の赤字を二億以下になったら維持するんだというお話でしたけれども、とうとう頑張って二億切っちゃったと。非常に羨ましい話で、うちは二億赤字出てもいいよと言われたらもう未来永劫できるとは思うんですけれども、そういうところのやっぱり地域地域の考え方を一番大事にしていかなきゃいけないんじゃないかなと思っています。
#106
○山田太郎君 ありがとうございました。
#107
○会長(直嶋正行君) 他に御発言はございませんか。──他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見を賜りまして誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼申し上げます。
    ─────────────
#108
○会長(直嶋正行君) 次に、先般本調査会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。石井浩郎君。
#109
○石井浩郎君 委員派遣の御報告を申し上げます。
 去る三月七日及び八日の二日間、福島県において、共生社会・地域活性化に係る東日本大震災による被災地域の実情調査を行いました。
 派遣委員は、直嶋会長、難波理事、西村理事、岡田理事、横山理事、柴田理事、相原委員、羽田委員、藤谷委員、岩井委員、渡辺委員、山田委員、田村委員、福島委員、中山委員及び私、理事の石井の十六名であります。
 それでは、調査の概要について御報告申し上げます。
 一日目は、東京電力福島第一原子力発電所事故の対応拠点となっているJヴィレッジを訪問し、東京電力福島復興本社において、福島本部の新妻副本部長から、福島県の除染や復興の推進、賠償への取組、積極的な広報等について概要説明を聴取した後、質疑が行われました。
 次に、原子力発電所にバスで向かう途上、楢葉町の松本町長から、国による除染の進捗が計画よりも遅れている状況、津波による被害等について概要説明を聴取するとともに、視察を行いました。
 原子力発電所に到着してからは、まず免震重要棟において、高橋所長から、一号機から四号機の原子炉等の状況、使用済燃料の取り出しに向けた取組等について説明を聴取しました。続いて、構内をバスで回り、津波による被害、多様な放射性物質を取り除く施設の整備、汚染水を貯蔵している様子などを確認することができました。
 次に、広野町役場を訪問し、山田町長から、原子力災害による被害の実情、生活再建できるまでの賠償継続を含めた復興に向けた取組と課題、国による取組の強化等について概要説明及び要望を聴取し、派遣委員からは、震災後の学校におけるクラブ活動の状況、医師の避難等による不十分な医療提供体制とそれが住民帰還の支障となることへの懸念、除染に向けた今後の取組、JRの運行本数の減少等について質疑が行われました。
 次に、いわき市において渡辺市長から、避難者受入れによる医療需要の増大に対応するための地域医療の充実、放射性汚染物質の処理の促進、長期避難者の受入れに向けた制度設計等について概要説明及び要望を聴取し、派遣委員からは、震災復興への関心が薄れていくことへの懸念、いわき市における職員不足の現状、学校現場における心のケア、避難者を受け入れる地方自治体への支援等について質疑が行われました。
 二日目は、小名浜港において、津波による被害、復旧に向けた取組について、福島県小名浜港湾建設事務所の山口所長から概要説明を聴取した後、視察を行いました。
 次に、原子力災害に伴い、いわき市に役場機能を移転している楢葉町のいわき出張所を訪問し、宍戸副町長から住民の避難状況等について概要説明及び要望を聴取し、派遣委員からは、生活支援相談員の活動状況、避難生活に関する住民の要望と行政における課題、帰還に向けた生活環境の整備及び除染の推進、地域の特性を生かした産業の復興、避難者の就業状況、避難する側と受け入れる側の複雑な住民感情、生活再建に向けた財物賠償の充実等について質疑が行われました。
 次に、原子力災害による避難者を受け入れているいわき市の上荒川応急仮設住宅を視察しました。集会所において、孤立化が懸念される高齢者が運動や音楽を通じたコミュニティー活動に前向きに取り組んでおられる姿を拝見しました。一方、避難が長期化する中、避難者の精神的な負担は大きく、生活に不自由のないよう、十分な対策、配慮が必要であると強く感じました。
 次に、関東工業株式会社のいわき工場を訪問しました。長谷川代表取締役から、被災後早期に操業を再開し、福島県の補助金を活用して工場を増設するなど、地域の雇用確保に貢献している状況等について説明を聴取した後、工場の視察を行いました。
 以上が調査の概要ですが、今回の調査を通じまして、地震や津波による被害だけでなく、原子力災害により深刻な被害を受けている福島県の現状について、一層理解を深めることができました。
 福島県の復旧復興に当たっては、震災後二年を経てもなお、被災者の生活再建、地域産業の復興、コミュニティーの再生など、課題が山積しております。長期避難を余儀なくされている大勢の避難者の気持ちに寄り添い、これらの課題を一日も早く解決するため、国として責任を持って取り組んでいく必要があると痛感しました。
 最後に、御協力いただいた皆様方に対し、心から感謝を申し上げ、報告を終わります。
#110
○会長(直嶋正行君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後三時四十八分散会
ソース: 国立国会図書館
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