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2012/02/15 第180回国会 参議院 参議院会議録情報 第180回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号
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2012/02/15 第180回国会 参議院

参議院会議録情報 第180回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号

#1
第180回国会 共生社会・地域活性化に関する調査会 第3号
平成二十四年二月十五日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月九日
    辞任         補欠選任
     小西 洋之君     徳永 エリ君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         直嶋 正行君
    理 事
                中谷 智司君
                平山 幸司君
                石井みどり君
                岡田  広君
                横山 信一君
                上野ひろし君
    委 員
                有田 芳生君
                池口 修次君
                小川 勝也君
                金子 恵美君
                芝  博一君
                徳永 エリ君
                難波 奨二君
                前川 清成君
                石井 浩郎君
                岩井 茂樹君
                大江 康弘君
                加治屋義人君
                高階恵美子君
                渡辺 猛之君
                浜田 昌良君
                田村 智子君
                福島みずほ君
                亀井亜紀子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        野中 茂樹君
   参考人
       飯田市長     牧野 光朗君
       株式会社マイス
       ター60取締役会
       長        平野 茂夫君
       特定非営利活動
       法人NPOカタ
       リバ代表理事   今村 久美君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○共生社会・地域活性化に関する調査
 (「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち
 、活力ある共生・共助の地域社会・まちづくり
 ―被災地の復興に向けて―(地域を担うひとづ
 くりの視点))
    ─────────────
#2
○会長(直嶋正行君) ただいまから共生社会・地域活性化に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る九日、小西洋之君が委員を辞任され、その補欠として徳永エリ君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(直嶋正行君) 共生社会・地域活性化に関する調査を議題といたします。
 「地域活力の向上と共生社会の実現」のうち、「活力ある共生・共助の地域社会・まちづくり―被災地の復興に向けて―」について調査を行うに当たって、本日は「地域を担うひとづくりの視点」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、飯田市長牧野光朗君、株式会社マイスター60取締役会長平野茂夫君及び特定非営利活動法人NPOカタリバ代表理事今村久美君の三名でございます。
 この際、参考人の皆様方に一言御挨拶を申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございます。
 参考人の皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、どうぞよろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ二十分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 また、参考人、質疑者とも御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、牧野参考人からお願いいたします。牧野参考人。
#4
○参考人(牧野光朗君) それでは、私の方から、意見陳述として、長野県飯田市のまちづくりの取組につきまして若干時間をいただきまして説明をさせていただきます。
 最初に、この場に私をお招きいただき、飯田のまちづくりについてお聞きいただけることに対しまして、まずもって御礼を申し上げます。
 また、日ごろから私どもの地域に対しまして様々な御支援をいただいておりますことを感謝申し上げます。中央自動車道恵那山トンネルの料金引下げや、あるいは三遠南信自動車道の推進、あるいはこれからリニアにつきましても、この地域、大変重要な時期に差しかかっております。またこれからもよろしくお願い申し上げるところでございます。
 それでは、パワーポイントを使いまして私どものまちづくりの取組につきまして説明をさせていただきますので、よろしくお願いいたします。(資料映写)
 最初に、私どもの地域の目指す都市像といたしまして、文化経済自立都市を掲げているところでございます。持続可能な地域社会を目指すその二つの視点といたしまして、環境とそれから人材を柱としているところでございます。
 環境につきましては、国から環境モデル都市に指定をいただいているところでございまして、こうした環境の取組につきましても後ほど紹介をさせていただければと思っております。
 それから、人の視点につきましては、人材のサイクルという言葉を出させていただいておりますが、私どもの地域におきまして、高校を卒業いたしますと若い皆さん方が八割がこの地域を離れて出ていってしまう。そして、帰ってくるのが最終的には四割程度というふうに言われているところでありまして、この地域が人口減少、少子化、高齢化の中で持続可能な地域としてやはり生き残っていくためには、人材のサイクル、必ずこの地域を出ていっても戻ってこれるような、そういった地域にしていくための産業づくり、人づくり、地域づくりをしていく必要があるというように考えているところであります。
 こうした考え方を基にしまして、定住自立圏構想にも全国に先駆けて取り組むことができてきております。私どものこの飯田市とそれから周辺の町村、一市三町十村によりまして定住自立圏の取組を進めてきているところであります。南信州定住自立圏という言葉で申しておりますが、これにいち早く取り組むことができましたのも、市町村長が必ず一か月に一回は定期的に会合を持ち、そして地域の課題について話し合う、そういった場が広域連合の中に設けられているということが大きいと思っております。
 なお、南信州広域連合のキャッチフレーズは「ニッポンの日本」、片仮名のニッポンという中にあって、オリジナルの日本の良さをこれからも残していけるようなそういった地域でありたいという、そういった思いが込められているところでございます。
 さて、私ども飯田市のまちづくり、戦後のまちづくりは、大火からの復興からスタートいたしました。
 戦時中は空襲に遭うということはなかったわけでありますが、昭和二十二年の四月に、日本三大大火の一つと言われ、市区町村単位で比較しますと建物焼失面積は戦後最大と言われております飯田の大火が発生いたしまして、中心市街地の八割が焼失したわけであります。ここから飯田の戦後が始まったというものでございます。
 国におかれましては、大火発生の翌日には内務省国土局から山田技官が来飯され、そして、その発生から三日後には既に都市計画の大綱が定まるというようなことで、かなり早い段階で国の方に入っていただいて復興計画が立てられたところでございました。
 特に、その基本方針としてまとまりましたのは、都市計画によりまして公共用地を市街地全体の面積の三割程度確保するというものでございました。
 これは、私どもの飯田市の戦後のまちづくりの骨格を成すそういった都市計画になるわけでありますが、これによりまして、あそこに示されております緑の部分ですね、あれが防火帯、並木通りになっておりますが、三十メートルの防火帯、それから市街地の南部には公園等も配備するというような、こうした公共用地をつくることができたわけであります。これは、言ってみれば市民がそれぞれの持っている用地を出し合うということでこうした公共用地を生んでいったというものであります。
 その象徴的なものが、この路地裏になります裏界線と呼ばれております、これは、防火モデル都市のシンボルとして、それぞれの市民の皆さん方が土地を一メートルずつ供出し合ってこの避難通路を確保するということを行ったというものでございます。今、そうした路地裏巡りが町歩きの一つの名所みたいな形にもなっておりますが、元々は、こうした市民の皆さん方が何とか早くこの町を復興させたいというそうした思いから自らの土地を提供し合ったというものが始まりでございました。
 もう一つ、先ほど、三十メートルの防火帯ということで紹介させていただいた、そこにりんご並木があるのが、これも飯田の町のシンボルとして位置付けられているものであります。
 元々、戦後すぐでありましたので、まだGHQの占領下にあったわけでありますが、そうした中でこの飯田の都市計画が進められ、この防火帯を造ったわけでありますが、まだモータリゼーションの前の時代でありますので、車がそんなに通るわけではございません。この防火帯の利用をどうしようかという中で、地元の中学生が、ここに私たちはりんご並木を植えて育てて、それを復興のシンボルにしたいという、そうした提案をするわけであります。これによりまして、大人たちは最初、まだ食料難の時代ですから、大変この子供たちの提案を有り難がったわけでありますけれども、本当にりんご並木ができるのかということを心配したわけでありますが、子供たちのその熱意こそ、やはりこれからの地域の将来を考えていく上で重要であるという考え方で、やってみようということで認めたわけであります。
 まさに、ここにも書いてありますが、僕らは、赤い美しい実を実らせることによりまして、町を美しくするばかりでなく、町の人々の心をも美しくしていきたいのだと、そうした社会的精神が町じゅうに行き渡るとき初めてこの飯田市の復興も達成されるのだと思うという、こうした生徒たちの思いというものを受け止めたというものでございました。
 ただ、残念ながら大人たちの心配は当たってしまいまして、一番最初の収穫のときは、ほとんど全部りんご並木のリンゴが取られてしまったということがありました。非常に大人も子供もがっかりしてしまうんですけれど、マスコミでそのことを聞いた全国の皆さん方から励ましのお便りをいただきまして、もう一度頑張ってやってみようということになりました。
 ところが、そのときに議論になりましたのが、もうあんな思いをするのは嫌だからりんご並木自体をもう囲ってしまおうと、取られないようにしようという議論がなされたと言われております。最終的にこの議論は、りんご並木はそのまま残すと、ここは飯田の子供たちがリンゴを守って育てている、そういうことを大人たちはみんな知っているんだから、大人たちがこれをちゃんと見守っていこうという考え方で、結局柵は作られずに、そして今、五十年以上、中学生が代々このりんご並木を守っているというものでございます。
 今日、先生方におかれましても、是非飯田にお越しの際はこのりんご並木を見ていただきたいんですが、お願いしておきたいのは、間違ってもリンゴの実を取ろうとしないでいただきたいというものでございます。そうしますと、飯田の市民が必ず駆け寄ってきて、先生、それの実は取ってはいけないんですと、私が今お話ししたような話を多分五分から十分ぐらい掛けてすることになりますので、もちろん聞いていただければとは思いますけれど、そのぐらい飯田の市民の皆さん方がこのりんご並木を守っているというものでございます。秋にはこの中学生の皆さん方がこれを収穫していろんなところに届けてくれるという、そういうものでございます。まさにこれは私たちの、飯田の大火からの復興のシンボルであり、そして私たちのこの飯田市にとってのまさにアイデンティティー、そういう形での位置付けになっているわけであります。
 この飯田の大火からの復興に掛かった時間でありますが、大体三年くらいで八割くらいは復興してきたというそんな進捗率になっております。七年で完全に復興したというように記録がなされているところでございます。このように、飯田の大火からの復興というのは、もちろん過去に、そして未来に向かってのこの地域にとりまして非常に重要な位置付けになっているというものでございます。やはり迅速な復興計画というものがあったからこそ今のこの飯田があるというふうに思うわけであります。
 飯田のりんご並木がもたらしたものということで、五つほど書かさせていただいております。
 私たちの地域におきまして、やはり防災意識というものが非常にこうしたりんご並木の復興から啓発されたというものでございます。それから、地域に対する誇り、今申し上げたような形で、この地域の中にあってこれが自分たちの誇りなんだというものを醸成することができたというものであります。
 それから、先ほど自らの土地を供出してこれを公共地にしていくという考え方で申し上げましたが、この自らの町を自らで守るというこの自治の精神、自主自立の精神というものが育成されたというものでありまして、これは後にムトスの精神という言い方を私どもの地域ではしております。何々せむとす、このやらまいかというこの自主自立の考え方、こういうものに非常に寄与したというふうに言われております。
 それから、公の場で自らの手で、自らかかわるということですね、公の場に自らかかわっていくと、そしてそこを維持管理していくという考え方が市民の中にも浸透していき、これがこれからお話ししますまちづくりの会社にもつながっていくわけであります。まちづくりの基本精神が養われていったというものであります。
 また、りんご並木に象徴されますように、文化的な土壌というものがこうしたところから再生されていき、それが様々な形で、例えば人形劇の町として花開いていったり、あるいは環境文化都市ということで環境への取組にも結び付いてきているというように思うわけであります。
 それから、GHQの置き土産的な話でありますが、ロータリーがこの並木通りにはございます。最近この、ラウンドアバウトという言い方がされますが、この飯田のロータリーも見直しがされていまして、名古屋大学にあります国際交通安全学会との共同事業によりまして、このラウンドアバウトの社会実験も行っております。特に、東日本大震災の後、いわゆる四つつじの信号機付きの交差点ばかりではこれからはエコで安全な地域をつくっていくのは難しいだろうという考え方で、こうしたラウンドアバウトの交差点というものも見直しに入っているというようにお聞きしているところであります。こうしたこともこれから飯田から発信できればというふうに思っているところであります。
 それから、先ほど申し上げましたそうした自主自立の精神からこの地域の再生を図っていこうということでまちづくり会社が設立されてまいりました。これは飯田の大火からの復興の後時代が変わりまして、いわゆる中心市街地が空洞化していく、あるいは今人口減少、少子化、高齢化という流れの中でこの町中の再生というものを考えていかなければならない、そういう時代の中にあってこの官民共同による再開発の事業が進められたというものでございます。
 ここにあります絵図は再開発事業によって立ち上げられたものでございます。その考え方につきましては、まさにりんご並木から脈々と受け継がれております飯田のまちづくりの考え方をこのまちづくり会社の理念ともしているものでございます。
 特に五つの視点ということで中心市街地の再生を図っているところでありまして、やはりまちづくりの原点に戻って、生活と交流と仕事というものが併せ持ったようなそういった暮らしやすい環境というのを町中につくっていこうというものでございます。それから、中心市街地全体を一つの共同体という位置付けにして公共性を持った市民財産であると、つまり中心市街地全体が公共的な市民財産というそういった視点で考えていこうという、そういったものであります。それから三番目といたしまして、中心市街地の土地や建物の所有と利用に関しましては、生活者の立場に立って考えていく、そしてそこでマネジメントを行っていくという考え方であります。それから、土地、建物の所有者及びそこに生活する人々の利益あるいは商業をやっている皆さん方、生活している皆さん方のそうしたポテンシャルというものを向上させるという視点でございます。それから五つ目といたしまして、常に住民の合意形成を大切にしていく、まさに市民主導のまちづくりを行っていくという、こういった視点を持ってこのまちづくり会社は運営がなされているわけであります。
 幾つもの事業がまちづくり会社によって立ち上げられてきております。先ほど申し上げた再開発のディベロッパー事業、こうしたものが中心でありますが、そのほかにも様々な事業、福祉でありますとかあるいは物販、飲食やイベント、文化事業等も含めまして、この町の中の再生を図ってきているというものでございます。
 こうした私どもの地域におけます今までの取組があったわけでありますが、三月の東日本大震災におきまして、私どもも大変大きな転換を強いられたというように思っております。
 これは南相馬市から被災者を受け入れたということで少しスライドにさせていただいておりますが、元々私、市長になってから、ずっとこの安心、安全なまちづくりということを基本理念の一つと考えておりまして、どのような形で危機管理体制をつくっていくかということに腐心してまいりました。といいますのは、市役所の機能といいますのは並列型、産業振興なら産業振興、住民福祉なら福祉ということで並列的に事業がなされているわけでありますが、こうした危機管理のときにはまさにピラミッド型でトップからきちっとそれぞれ指示が下りて、そして一体となって対応するということが必要になるわけでありますが、そうした対応をどのような形で、体制をどのような形でつくっていくかということを考えたわけであります。
 最初に、県警の方からそういった専門的な人材であります方を危機管理部長に据えまして、その研究をしていただき、今市長の直属で危機管理・交通安全対策室を置かしていただいて、ここが司令塔になってトップダウン的な動きができるような体制に危機管理のときには持っていけるようにしてきております。ちょうどこの東日本大震災のときにはいわゆる危機管理モードへの切替えがうまくいきまして、それぞれの部署におきまして通常の業務をやりながら被災者の受入れ、それから緊急経済対策等の対応等も行ってきたわけであります。
 これは市役所の職員から見ますと、まさにマルチな対応をすることによって、今回の被災地からの受入れや緊急経済対策を行ってきたわけでありますが、やはりそれができましたのも、長年にわたるこうした蓄積、仕事とそれから地域活動を一緒にやること、あるいは本来業務とともに他部署の業務にも関与するようなそういった統合的アプローチという考え方、あるいは周辺町村との信頼関係の構築、何より住民とのコミュニケーション、こういったものを通してマルチな対応ができるような、そういった安心、安全のまちづくりに寄与するような職員の皆さん方の体制をつくることができたというように思っているところであります。
 こうした考え方は、環境の取組やあるいは産業づくりにも反映がなされているところであります。
 私どもの環境への取組につきましては、環境モデル都市ということで、お日様と森のエネルギーを利用した低炭素なまちづくりという考え方を取ってやってきております。ここにおきましても、市民や産業界の皆さん方と一緒になって、多様な主体で環境への取組を進めていくという考え方を取っておりまして、やはり行政のみならずこうした市民の皆さん方、産業界の皆さん方が一緒になって進めていくことによってこそ環境政策の存在価値があると考えているところでございます。
 その一つの例として、おひさま進歩エネルギーという、これは非常に全国的にも注目されている例でありますが、公共施設、あるいは最近では住宅などに太陽光の発電システムを置いていくというコミュニティービジネスを展開して、今非常に注目をされてきているところでございます。こうしたゼロ円システムという形で一般の住宅、小規模事業者に対しても太陽光のパネルを普及させる、そういった事業も展開をしてきているところであります。
 そうした中で、飯田には、中部電力さんとしては初めてのメガソーラーも飯田市と共同で既にスタートをしているというものであります。ちなみにこのパネルは三菱電機飯田工場で造られたソーラーパネルでございまして、まさに域産域消で自然エネルギーの創出を行っているというものでございます。
 それから産業づくり、これもこれからの復興を考えたときに非常に重要になってくると思いますが、私どもの地域は飯田市のみならず周辺の町村と一緒になって物づくりの拠点として地場産業振興センターを使ってやってきております。これは、名前が地場産業振興センターといいますと地場産品の紹介、販売のみを行うようなそんなセンターのように感じられてしまいますので今度名前を変えますが、南信州・飯田産業センターという名前に変えることになりましたが、いわゆる物づくりの拠点として様々な活動をしております。
 そのときには、やはり産業づくりのコーディネート、あるいはオーガナイズをするような人材を集めておりまして、ここら辺の話は後ほどマイスター60の平野会長からもお話が聞けるかもしれませんが、私どもは、退職したそういった企業の社長さん方を今度、産業づくりの現場にお招きいたしまして、その方が中心になって新しい産業の育成というものを考えていただいております。
 そうした中で、例えばこの航空宇宙クラスター、この間、NHKで二晩連続でその取組を紹介していただきましたが、こういった航空宇宙産業への進出といったようなことも、そうしたコーディネーター、マネジャーの皆さん方を中心にやらせていただいております。やはりそうした様々な取組というのは、これから行政と産業界が一緒になってやることが必要かと思っております。
 なお、飯田に来ていただいて夜見ていただきますと、防犯灯がほとんどLEDになっているのを御覧いただけると思います。これは、飯田の中小企業の皆さん方が一緒になってこの防犯灯を開発したというものであります。是非また、先生方の地元で防犯灯をLED化したいということがありましたら、飯田のLED防犯灯いいよと一言言っていただけると大変うれしく思うところでございます。
 産業づくりは、やはり地域におきまして大変大きなこれからの課題というふうに思っております。特に、私ども行政ができる分野、そして民間の金融機関が対応できる分野の間を埋めていくにはどうすればいいかということが非常に重要になってきています。こういったところを戦略的に埋めていくための政策、これが求められるというふうに思っておりますので、また先生方からの御協力をよろしくお願い申し上げ、私からの発表とさせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
#5
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 それでは次に、平野参考人にお願いいたします。平野参考人。
#6
○参考人(平野茂夫君) ただいま御指名をいただきましたマイスター60の平野でございます。共生づくりに関しまして、共生社会とはどんなものであろうかというふうなことを、高齢者会社の経営を通じて感じたことを御報告をさせていただきたいと思います。(資料映写)
 まず初めに、当社の基本的な会社情報を御覧をいただきたいと思いますが、会社の設立は平成二年二月の一日でございまして、私が四十七歳の折に大阪で創業いたしました。私は、当時は社長が最年少であったわけですけれども、現在は高齢化社会の中の真っただ中の六十九歳でございます。
 それで、株主は、東証二部上場の親会社のマイスターエンジニアリングが六割を持っておりまして、それから、中小企業投資育成株式会社法に基づく公的実施機関の大阪中小企業投資育成会社が四割を持っていただきまして、当社に出資をしていただくに当たりまして、高齢化社会に向かって社会的に意義のある事業であるということでベンチャー投資の第一号を適用されまして、中小企業庁の長官から、当時の見学さんから記者発表をいただいております。
 創業時が社員二十名から出たわけですけれども、現在は三百六十五名の社員が在籍をしております。平均年齢は六十三・九歳、一番年配の方は七十六歳でございます。
 この社員構成の中で特に御注目をいただきたいことは、七十歳以上の方が一〇・四%在籍をし、六十五歳以上の方が三六・一%ということになりますと、四六・五%の方が六十五歳を超えてもなお働こうというんですね。今、六十五歳までの雇用の義務化というふうなことが議論が始まっておるわけですけれども、六十五を過ぎてもなお働こうという、この第一期から現在までずっと通期を見ても、やはり五割前後の方が六十五を超えて働いているということが当社の中の実績でございます。
 事業内容は、建築設備のメンテナンス等の技術系の仕事が主たることでございまして、そのほかに人材派遣事業、有料職業紹介事業ということをやっておりまして、直近の売上高は十三億円を売り上げております。事業拠点は、東京と大阪で仕事をしております。
 じゃ、この高齢者会社というふうなものをどうしてやっぱりつくったかというようなことでございますけれども、私がその発想の元締なんですけれども、平成元年の九月の十五日の日、敬老の日にNHKラジオを聞いておりましたら、サラリーマン会社辞めればただの人と、そういう川柳が流れてまいりまして、男女のアナウンサーが、いずれ私たちもそういうときが来るのかなとくすくす笑うその笑い声を聞いた途端に、気力も知力も体力もあって、まして、働こうという意欲がある方がただの人になってしまっているという現実に、私は義憤のような、そういうふうなやっぱり思いもいたしましたものですから。
 じゃ、その定年制はどうであるかというふうなことを考えたときに、当時は総理府でもシンクタンクでも四人に一人の高齢化社会が到来するということをさんざん言っていた中で、ああそうかと、もう既に企業の定年制というのは、ずっと続けてきた定年制というのはもう既に陳腐化を迎えたのかなというふうな思いをいたしたわけですね。ついては、この定年制に風穴を空けるビジネスモデル、はやり言葉で言えばですね、そういうのができないかと思った次第でございます。
 じゃ、本当にそういうふうな働きたい方がおるのかというふうなことを企業化調査するために、この翌、正月明けの、平成二年の、初めて、一月七日、新聞社が求人広告を扱うときに、関西四大紙に高齢者会社創業につき社員募集と打ったわけですね。
 そうしましたら、皆さん、何と、専用電話が朝八時過ぎからずっと鳴りっ放しなんですね。私もそんなの初めての体験です。その話を、電話を切っても百通を超える、そういうふうなお問合せをいただいたわけです。私はそういうふうなやっぱり皆さんの思いを聞きながら、私自身が非常に感動といいますか、私の単なるアイデアが、やっぱりこれは企業を起こすべきであろうという、そういうふうな背中を押していただいたわけです。
 皆さん集まった方は、応募された方は、一部上場企業をも含めて、町工場の方やあるいは公務員の方なんかも来られまして、俺は生きがいだと、かみさんの世話になるのもいいけれども、俺はやっぱり働きたいということを皆さんおっしゃるんですね。いや、これは私は力強い企業化調査のそういう結果を受けました。
 ですから、一月の七日に出しましたから、もう私の話をべらべらしゃべっている間はこれは証拠が残りませんけれども、新聞を使ってそういうふうな自分の主張を訴えたということの中の反応を受けて、早速会社をつくろうということで、二月の一日にこのマイスター60を、投資育成会社の支援を受けて発足をしたわけでございます。
 年を重ねただけで人は老いない、理想を失ったときに初めて老いが来るというサミュエル・ウルマンの歌がございますけれども、限られた人生になおもロマンをはせ、奮い立つ、そういうふうな高齢者であってほしいというふうなことを私は願って、当社のコーポレートステートメントとして、年齢は背番号、人生に定年なしと、そういう主張をしてスタートをしたわけでございます。
 続いて、この会社はどういうふうな憲法、理念を掲げていったらいいかということを考えまして、雇用機会を創出し、人々の生きがいを広め、生涯現役文化を開きますと、そういうふうに定めたわけでございます。
 ここで説明を加えさせていただくことは、文化を開くというここに私はこの全体の中の私の思いを訴えたわけですけれども、生涯現役というのはよく言われていますから、それに向かってのいろんな諸制度、多分、年金とか介護とかそういうふうな諸制度の充実はもとよりのことでもあるわけですけれども、私は、高齢者が伸び伸びと社会と共に共生できる民族の精神風土、そういうものをつくろうではないかという考え方から、この生涯現役文化というものを入れさせていただいた次第です。
 年齢は背番号、人生に定年なし。六十歳新入社、七十歳選択定年。五十八では入れないということですよね。
 最近では、入れてくださいというふうな方が来られますから、時に応じて入ってはいただいておりますけれども、最初は五十八歳で断りましたら、やっぱり年ですかという話がありましたから、いや、あなたは若いから入ってもらわないんですと。六十までの人生と六十から描く人生の展望、それぞれ違うでしょうから、私は六十歳から入っていただくということをしたんですけれども、最近は五十代の方も時々お見えになっております。
 そして、七十歳選択定年ということでございますけれども、これはどういうようなことかといいますと、会社は、定年は会社が決めるんですね。この選択というのは、自分が決めるということに私は心情的なウエートを置いておるわけです。自分が働くことができるのかなと。ああ、もうこの説明書を見ても余り目が見えないなと、音を聞いても聞こえないなというふうなことで、あるいは家庭の状況の中で、僕が働いたらいいのか、私が働き続けることが家族とそのためにいいのかなというような、そういう様々なことを判断をして、まずは自分が定年を決めようと、そういうふうな意気込みを掛けておるわけでございまして、ですから、七十六歳の方がおられますけれども、この方が八十になって、九十になっても、心身共に健康であれば当社の社員として在籍をすることができると思います。
 そして、定めた経営コンセプトは、高齢者の雇用創出の会社ゆえに、利益の極大化の経営ではなくて、高齢者の職場づくり、雇用の開発に努めて、企業の社会的責任を推進というようなことを担おうと思っておるわけですけれども、企業経営は、普通は利潤の極大化によってステークホルダーに利益を分配し、そして法令遵守をして、雇用をつくり、そして地球環境の改善をするというような、こういうふうなやはり企業の社会的責任があるわけですけれども、その中で、当社はわがままを言わせていただいて雇用に特化をすると。高齢者の生きざまといいますか、行く末を、働くことが僕の人生だという方々に対して、働ける限り、やる気のある限り、当社は雇用をつくろうということで、もちろん利益は、会社の資金の回転が必要ですから、資金繰りをするための資金は当然利潤として上げて、納税もしなきゃいけませんから、しかしながら私の強調するところは、雇用の創出をもってこの会社の日本の中の存在価値を高めていったらいいのかなというふうなわがままも言おうとしております。
 そして、高齢者が再就労することの社会における正当な位置付けと認識づくり及び高齢者ニーズに適応した経営モデルをどうつくっていくかということについて考えていきたいと思います。
 それから、人的資源の再構築、そして人材のダムづくりですね。これもしかし、最近の話題に合わせて言うならば、高齢者は年金を、若者からすれば年金を受給するだけのイメージに若者は場合によっては見がちですけれども、これを意欲的な消費者、あるいは働いていただいてなおも活力ある納税者というふうな、そういうものも経済社会につくっていけたらというふうに思います。
 次に、雇用創出の実績をグラフに表しましたけれども、最大では、一番多い期は平成二十年のときでございまして、社員数が五百七十七名、このときの売上高は十九億六千五百万まで参りました。ただ、税引き前利益は平成二年からずっと十二、三年は政府の助成金等をいただきながら収支とんとんで参りまして、ようやく最近になってきて、ある一つの資金回転上の利潤を取れるのかなという状況になってきておりまして、株主二社にもまだ配当はしておりません。そういうことで、親の株主さんは、クレームが付いていないものですから、そういうことでお願いをしておるわけですけれども。そして、創業から今日まで四千五百名を超える高齢者の方に再び自分が納得する職場というものを提供できたということが私のささやかな誇りでございます。
 それから、当社への登録者数、経験職種数とかそこに出ておりますけれども、特にこの点で、ホワイトカラーの方が随分と職を求めておられるわけですけれども、なかなかホワイトカラーの方は手に職がないということからいたしまして就業が難しくなっております。そういう状況でございますので、御覧をいただきたいと思います。
 それから、高齢者が抱く共生社会構築への思いということを、私が代表して皆さんの心情をしゃべるわけでございますけれども、自我を知ったがゆえの社会参加への期待というふうなこと、こういうことですけれども、実は、五十にして天命を知り、そして六十にもなるころには、案外人間わがままなんですね、世間を知り尽くして、世間になれて純粋性を場合によっては失うというふうなことの自分というのが分かっているわけですから、それを社会が受け入れてくれるのかなという、これも実はまた心配なんですね。これを、おじいさん、おばあさんといいますか、是非いらっしゃいという、こういうことを世間を挙げてつくっていただきたいというのが高齢者の切なる願いであります。
 そして、僕はやっぱり意義ある人生の完結をしたいと。高齢者は、どうでしょうか、皆さん、八十五とか九十とか、そういうふうにだんだん、年々歳々、寿命は延びていくんでしょうけれども、人間はやっぱり精神の葛藤ですね、心身共に健康である、精神的動物であるというふうなその期間というのは、どうでしょうか、皆さん、十年から十五年。あとは病院に入って、チューブを場合によっては注入されるという状況でしょうから、やっぱり健全な人間としての社会とのかかわり合いは十年とか十五年からすれば、この共生社会に懸ける思いというのは本当に自分の人生の完結なんですよ。
 それで、結果肯定による幸福感の享受環境。ブータン国王陛下が、御夫妻来られまして、幸福とは何かというふうな話をされて、日本中がその話題に浸りましたけれども、大学出たとか出ていないとか、社長になったとかならなかったとか、俺は貧乏だったとか金持ちになったとかいうことも踏まえながら、しかし、その結果を肯定しながら、その中で、私は幸せだったな、僕は幸せだったなというふうな、そういうふうな精神的な幸せの昇華を皆さん実は願っておるわけですね。
 そういうことの中で、高齢者と若者のこの図柄を見てください。頭のはげた先輩と若い人がこうして仕事をしておる。昔は、少し前は一家の中にじいちゃん、ばあちゃん、父ちゃん、母ちゃん、そして自分と孫がおって、三世代、四世代が同居をする中で、一つの人間のあるべき姿といいますか、家庭のありようができていたわけですけれども、ここへ来て、東京には若い夫婦、田舎に行くと高齢者ということになりますと、別々の人生といいますか、培ったものがそこに伝承できないと。
 しかし、当社の場合は、七十のじいさんもおる、五十のおっさんもおる、三十もおれば二十もおるということになれば、かつての失われた日本の大家族がここで出現をしておるんですよね。これによって何ができるかというと、非常に情操教育ができるわけですよ。礼儀正しい日本人といいますか、かつての家族が交わした人間のきずなというのが、共生組織がここに出現するというふうなことでございますから、是非とも高齢者を大いに雇用しながら、そういうものもまた会社経営を通じてやっていけたらなというふうなことが皆さんにやっていただきたいことと思います。
 都市と田舎のそういう状況も御覧のとおりです。
 それから、高齢者と社会ということの中では、民族的活力は、これ、肩車に乗るという高齢者が出てくるわけですから、騎馬戦型から肩車、その人たちの活性化こそが日本民族の活力ではないかというふうな、そういうふうに思います。先人を敬愛する精神文化の醸成なんて、こういうことは余りまともには取り扱いにくい事柄でしょうけれども、実はそういうふうな民族の風土というのが私は大切ではないかと思います。
 それから次に、政策提言なんというふうなおこがましいことも少しずつ書き上げておりますけれども、御覧をいただきたいと思います。
 私は、この高齢者会社を通じて、今、先ほど申し上げましたように、ホワイトカラーの方の職能転換がなかなかできないということからすると、四十五も過ぎて五十もなんなんとする方は、改めて企業ないし国策で職能転換というものを早めに付けてあげて、そして生涯現役でやれる社会というものをつくることが大切であろうかと思います。
 あと、震災について何かというような御依頼がございましたが、そこに書いてある程度でございまして、まだまだ当社の場合は技術者を派遣している程度でございます。
 最後に申し上げたいことは、我々、ここにいる方はみんなリーダーですよね。リーダーであるというふうなことからすると、政治には真が必要だし、経済には志が必要なわけでございますから、そして、高齢者自身がなすべきことは、まずは政府や社会に身を委ねる前に我が身の自立であって自助ではないかと私は思うんです。その上で共助を求めたり公助に期待すべきものと考えるわけでございます。ですから、余り社会や何かに頼らずに、まず我々が自分で自分自身を生きると、そういうことを高齢者の方に申し上げたいと思います。
 ありがとうございました。
#7
○会長(直嶋正行君) どうもありがとうございました。
 それでは、続きまして今村参考人にお願いいたします。今村参考人。
#8
○参考人(今村久美君) 皆さんこんにちは。お招きいただきましてありがとうございます。NPOカタリバの代表理事を務めております今村久美と申します。
 私は、若者世代のエンパワーメントをしているという立場からこの場にお招きいただいたと思いますので、自分たちで行っている活動の中から見えてきたことをお話しさせていただきながら提言とさせていただきます。
 まず初めに申し上げたいんですけれども、私は非常に現場の者なのでマクロ的な提言はなかなかしにくいという、学者の方々のような提言はできないので、もしかすると見ている社会が限られた部分を見て提言しているかもしれないんですけれども、その点に関してはお許しいただければと思います。
 まず、今のすばらしいお話の後に、私も最初の創業のときのところからお話ししたいんですけれども、私は二〇〇一年に大学を卒業するのと同時にこのNPO法人を立ち上げました。当時、就職氷河期と言われていまして、ちょうどたくさんの人たちが就職活動に悩んでいる世代でした。また、若者は頼りないということをたくさんの方々から言われている世代に私もいました。
 当時、NPO法が可決して直後だったんですけれども、私自身はこの事業を通して若者世代をエンパワーメントできるような公共的な立場で何とか活動していけないかと思いまして、NPO法人という立場を選びました。初め、創業、二人で立ち上げた活動だったんですけれども、現在は、今三十五名のスタッフを雇用しております。平均年齢は私の方は三十歳でございます。
 じゃ、若者たちが今どんな状態なのかということを表しているデータがありましたので、こちらの方を御覧ください。(資料映写)
 まず、これは日本の高校生たちに取ったアンケートの結果なんですけれども、抽出調査だったんですが、自分に人並みの能力はないと答えた高校生は二人に一人、孤独を感じると答える高校生は三人に一人、自分は駄目な人間だと答えた高校生は五人に三人、何だか疲れていると回答したのは五人に四人、自分が参加しても社会は変わらないと回答したのは五人に三人という調査が日本青少年研究所から発表されたのは二〇〇九年のことです。
 この調査結果が発表されたときに、私は、たしか創業八年目ぐらいだったんですけれども、本当にそうなのかと思いました。本当に若者たちは駄目な状態で、もう救いようがないのかと、この状態は本当に悲観すべき状態だと、結果だとは思うんですけれども、これは何の原因なのかということを改めて悩みました。
 私自身が行っている活動は、子供たちに憧れる人の存在とのコミュニケーションを届けるという活動です。今、私自身もそうだったんですけれども、高校生に憧れている人がいますかと質問すると、いると答えるのは二八%、しかもその内容はテレビで見たことのあるスポーツ選手などだと言われています。約七〇%がいないと回答しています。
 確かに、目指すべき存在やこんなふうになりたいなと自分の心を動かされるような、揺さぶられるような関係性をつくれるような人とのコミュニティーがなかなかないのではないかと、地域コミュニティーが崩壊している中で、ちょっと年上の方々と協働することや大人の方々と真っ正面からぶつかり合うような機会がなかなか今の世代の、今の高校生や大学生、若しくはもっと下の世代には欠けているんじゃないかというところに着眼いたしました。
 それで立ち上げたのがこのキャリア学習プログラム「カタリ場」という事業です。現在まで、これまで十年間で十二万人の高校生に、高校に対して訪問するんですけれども、五千人以上のボランティアの方々に御参加を呼びかけまして、地域の方々に参加していただいて、学校教育の中でカタリ場という授業をつくっていただきます。
 それで、なかなか高校生や中学生が話さないような自分自身のことだとか、近所にいるんだけれども、なかなか近所のおじさんと腹を割って話したことのない、そのおじさんが何をして働いているのかということ、また、お兄さん、お姉さんが今何に悩んでいてどんな気持ちを持ちながら生きているのかということなんかを語り合うカタリ場という非常にシンプルな活動です。御覧いただいたとおり、話すということなんですけれども、このシンプルなことが実は非常に欠けているのではないかというのが私たちが行ってきたことです。
 何が欠けているのかということなんですけれども、子供たちにとって縦の関係、先生や大人との縦の関係はほとんどの生徒たちにはあります。そして、横の関係、友達との関係もほとんどの子たちにはあると。しかし、今の社会の中で欠けてきているのは、斜めの関係と定義しているんですけれども、ちょっと年上のお兄さん、お姉さんだとか、年はちょっとしか離れていないわけじゃなくても、知らないおじさん、おばさんとの関係性、地域の中で声を掛け合うような関係性が非常に欠けているんじゃないかと。その関係性が欠けていることによって、子供たちが自分の未来を気軽に思い浮かべるような、想像するような機会が欠けているんではないかと、そして大人がどんなことに苦労していて、いいところばかりじゃなくて、どんなことに苦労しながら今の時代をつくっていっているのかということを知る機会がないんじゃないかということがこのカタリ場の問題意識です。
 親でも先生でもない、学校の友達でもない、自分を知らない他人との関係性、この斜めの関係をもう一度取り戻していくような機会を何とかつくっていけば、そして現代風な在り方で何とかつくっていけばいいのではないかということで、単純なんですけれども、学校の授業の中に持ち込んでいます。この関係性はやはり、授業後のアンケートを取ってみると、九割の子供が自分も何かできるような気がしたとか、八割の子が自分のことをこんなに人に話したのは初めてだと回答しています。先輩の存在が効果的な内発的動機付け機能になるのではないかという結果だと思います。
 そして、ここに参加しているボランティアの人たちも当日までかなりの練習を重ねるんです。特に、おじさんはなかなか子供に話すのが下手なので一生懸命練習していただくんですけれども、自分自身がどんな子供だったかとかどんな高校生だったのかを一生懸命思い出して、子供たちに分かる言葉で話をしていただきます。これが実は、参加していただく方が皆さんおっしゃるんですけれども、ラーニング・バイ・ティーチング型学習と言われているそうですが、人に教えることはすごく学ぶことになるということで、意外に自分の子供にもそんなに自分の仕事のこと話したことがなかったなとか、人に、子供たちに伝えることですごく自分の仕事に誇りを持てたとか、そんな声が参加していただいているボランティアの方々からも聞こえてきています。主に平日に活動しているので大学生を中心にした活動なんですが、大学生たちにとっても、この活動に参加することによって就職活動とはまた違う自分自身を振り返る機会になっているということが言われています。
 この取組は、初めは東京で私たちが足を運べるエリアで行ってきたんですけれども、現在は様々な場所で様々な方に機能を委託したり立ち上げ支援を私たちの方で行わせていただいて、地域ごとにカタリ場を立ち上げていただいています。特に、青森県教育委員会では教育委員会の中にカタリ場事務局をつくっていただいて、その役職を持つ行政の担当者を任命していただいて、地域の大学に、大学生たちに参加を呼びかけたり、高校に入って高校とのコーディネートを行ったりということで、もうかれこれ六年間、県の公式行事としてカタリ場が行われています。
 ずっと青森県のカタリ場を実施してきた八戸南高校という高校では、結果的に、進学意欲を高めるために行った活動では決してなかったらしいんですけれども、それまで先生方が実は一番悩んできたのは、生徒の進路選びのところで、どうしてもテレビに出てくる職業を想像する専門学校への進学が多いという点が、どうも先生方にとっては悩みだったそうです。今、高校生たちになりたい職業をアンケートを取ると、一位が声優、二位がトリマーと回答します。声優という職業は、悪いとは言っているわけではないです。ただ、そこに到達するには非常に苦しいという側面がなかなか子供たちには届いていません。トリマーという職業は動物の毛をカットする仕事なんですけれども、この仕事も、例えば青森のような地方で成り立つ職業とは思いづらいということで、先生方も大変悩んでいらっしゃいました。ただ、このカタリ場を行った後、先生方も様々なプログラムと組み合わせながら取組をしていただいて、意欲が湧いた子供たちを地域にどんどん出して、地域の大人たちとの協働ボランティア等も推進していく中で、カタリ場実施後からの国公立大学への進学も結果的に増えていったということが言われています。もっと学びたいと、子供たちが知らないことがたくさんあるから勉強したいと言い始めていたそうです。
 という形で、私自身はずっと、私の世代以下の若者たちのエモーショナルな感情をどう立ち上げていけばいいのかという、物にも困ったことがない世代です、御飯を食べられなかった経験なんてほとんどない世代の私たちの世代以下が、どう感情的な部分を立ち上げるかというところに取り組んできました。
 今この時間も、今、日本の二十代以下の若者は二時間半に一人自殺していると言われていますが、今この時間にも一人亡くなっているこの飽食感にあふれた私たちの世代以下が、どうこれから日本の社会をつくる元気な若者になっていくのかということが課題です。
 そんな中、震災が起きました。私たちも、組織を二分していち早く被災地の方に移動していきました。
 いろいろと調査をしていると、学習意欲が湧いているのに学習環境がない子供たちがたくさんいるということが分かりました。そこで、こんな活動を始めました。映像を流すのですが、よろしいでしょうか。
#9
○会長(直嶋正行君) それでは、速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#10
○会長(直嶋正行君) では、速記を起こしてください。
#11
○参考人(今村久美君) 私自身も今、組織を半分ほかのスタッフに運営を任せまして、東京から離れて現在は岩手県の大槌町というところに住んでおります。この宮城県の女川町というところと岩手県の大槌町という町の二か所に、今映像で見ていただきました、コラボ・スクールという名前を付けたんですけれども、放課後の子供たちの居場所兼学習の機会を提供する場所を、地域の方々を寄附で集めたお金で雇用するというモデルをつくって実施をしています。
 女川町の方は今、震災前、このようにたくさんのきれいな町並みがあったんですけれども、全て津波に流されました。この町で、子供たちが震災後、心のケアの取組の一環で俳句を詠んでいるので、少し御紹介いたします。女川は今何色に見えますか、ただいまを聞きたい声が聞こえない、今伝える今まで本当にありがとう。
 たくさんの子供たちが親を失いました。親を失っていなくても、女川町の子供たちは誰か親戚、家族を失ったと、一割の子供たちが失ったと言われています。
 これは八月時点でのデータなんですけれども、女川町、大槌町ともに町の住民の約一割の方が亡くなりました。そして、住居倒壊率も非常に高い環境にあります。今でもこの環境は全く変わっておらず、非常に苦しい環境の中で子供たちが大人になろうとしています。
 この中で、今だからこそ行政と一緒に町の方々、行政の方々、そして学習塾を経営していたけれども流された方々とか、子供たちを支える今までばらばらに動いていたプレーヤーを一つにまとめて一緒に立ち上がる、コラボレーションするコラボ・スクールを立ち上げました。女川では、女川四小という、被災してしまった島の子供たちを守っていた小学校の校長先生に女川向学館という名前を付けていただきました。港の復興は子供たちの向上心からということで、向という字を、港と向上心の向という音を引っ掛けて女川向学館という名前にしました。大槌臨学舎は大槌町の教育長に名前を名付けていただいたんですけれども、今この現実を臨む、ちゃんと目の前の町や環境をしっかりと見詰められる、それを乗り越えていける子供たちをつくりたいということで、子供たちに育ってほしいという気持ちで大槌臨学舎という名前が付けられました。
 ここの学校では、毎日放課後、子供たちをバスで迎えに行って、家に帰る子供とこちらの学校に来る、学童的な意味合いも含んでいるかと思うんですけれども、やってくる子供とに分かれています。子供たちのために全国からたくさんやってくるボランティアさんにサポートしていただいたり、町の方々で雇用させていただいた方々に守っていただいたりしながら、まずは子供たちの学習環境を整えると。そして、出会いや交流、たくさんのワークショップ等も行いながらキャリア学習の機会にしたいと思って活動をしております。
 私は、この取組をなぜ立ち上げたのかというと、非常に子供たちの環境がかわいそうだったからということもあるんですけれども、私の世代以下の若者たちのエモーショナルな感情が立ち上がらない環境にこの日本社会がなっている中で、この被災地で全てのものを失った子供たちの中からきっと新しいイノベーターが生まれてきやすいんじゃないかと。きっと、子供たちの心のケアを十分に行った上で、震災前は得られなかったチャンスをきちんと提供することで、とても感謝の気持ちと明るさとそして力強い力を持って新しいことを発想する子供たちがこの場所からたくさん生まれるんじゃないかということを信じて、今この場所に子供たちを集める場所をつくっています。
 子供たちを私たちだけがサポートしているわけではありません。配付資料の「女川教育の復興計画について」という、風船を、縦型の資料の方、女川町教育委員会と女川学びの町づくり実行委員会が出した資料なんですけれども、今、女川町では町一丸となって、私たちも実行委員会に入れていただいているんですけれども、どこよりも早く子供たちの学びの環境と学習の環境をつくろうと、これまで一切協働することのなかった行政、学校、そして、一切というのは、学習塾と行政が協力することはなかったんですけれども、学習塾と行政、そして学校が手を組みながら子供たちを支える委員会をつくりました。そこに心の側面、学びの側面、体力の側面等をサポートする様々な団体が入って、半分民間で半分行政という状態で、面で子供たちを支えていこうという活動が広がっています。
 この冊子の裏表紙を見ていただきたいんですけれども、これは小学校六年生の小野寺君が書いた詩なんですけれども、女川は流されたのではない、新しい女川に生まれ変わるんだ、人は負けずに待ち続ける、新しい女川に住む喜びを感じるためにと小学校六年生の子が書いて提言しています。非常に立派なんですけれども。子供たちに震災の機会をいかにチャンスに変えるのかということに町を挙げて今取り組んでいる状態です。
 子供たちから見えてくる俳句も変わってきました。少し御紹介します。ありがとう今度は私が頑張るね、みんなの前笑えているかな自分の顔、空の上見てくれたかな中総体、夢だけは壊せなかった大震災、見上げれば瓦れきの上にこいのぼり。町やもちろん全てのものを奪ったけれども、瓦れきの上に誰かがこいのぼりを揚げてくれたということに喜びを表現できる子供たちが女川町にはいます。
 そんな女川町そして大槌町に、大槌町の方は十二月に立ち上げたばかりで、こちらの方は学習塾自体が非常に少ないという環境でしたので、私自身も、そして今全国に求人を出しつつ、私自身も今学習指導に当たってクラス担任をしているんですけれども、そこに、食堂のおばちゃんたちにおにぎりを作っていただいたり、PTAの方々に送り迎えをしていただいたり、またバス会社の方々やタクシー会社の方々に子供たちを、今受験生、もうすぐ受験ですので、かなり学習も遅れてしまっているんですけれども、何とか夜九時まで勉強する子はさせて、なかなか、家にちゃぶ台一つしかないけどそこが寝室だという環境が続いていますので、そんな感じで子供たちをみんなで応援しています。
 これも子供たちの発言だったんですが、涙が止まらない毎日に必死で助けてくれたあの人みたいに、私も優しくて強い大人になりたいと、家もランドセルも流されたけど、応援してくれる人がいたから頑張りたいと思えたと子供たち自身が言っています。
 本当に高校生たち、中学生たちにアンケートを取ると、公共心を持った職業選択をしたがる子供が多いのがよく分かります。私のクラスの生徒も、看護師志望が半分で、福祉の仕事でお年寄りの方々のために働きたいと言っているのが四分の一、そして自衛隊希望者が二人いると。あと、数人は声優とか言っているんですけれども。でも、本当に日本中の子供たちと比較してもすごく公共心が育っているなということで、やっぱり支える機能さえあれば震災は必ずチャンスに変えられると信じて取り組んでいます。
 じゃ、全国の若者たちが頼りなくて、被災地の子供たちだけのためにやればいいのかというと、そうでもなくて、これは新成人に取ったアンケートということで、マクロミルさんの方で発表された今年の二十歳の新成人アンケートの結果なんですが、実は、先ほど冒頭に読み上げました、自分には人並みの能力はないと答えた世代の子たちが今年新成人になりました。その子たちが今どんなふうに回答しているのかというと、あなたは自分たちの世代が日本の将来を変えていきたいと思いますかという質問に対して、私たちの世代が日本を変えていきたいと回答したのが約八割と言われています。
 ですので、私がこの場で提言したいのは、どんなふうに今のところ回答していたり、どんなふうに大人の方々から見るとちょっと失望してしまうような若者たちの状態に見える発言があったとしても、若者には時間があるので必ず変われるということを信じていただきたいということです。
 なので、変わるためには、チャンスが必要で、環境が必ず必要になります。ほうっておくと変われないんですが、チャンスと機会さえあれば必ず変わっていけると思いますので、またNPOにも期待していただいて、今私と同世代の若者たちが、ソーシャルビジネスとかいろいろな表現がされているんですが、最初NPOを立ち上げたころは、NPOを立ち上げた、就職せずにNPOを立ち上げるなんて変人だと言われていましたけれども、最近では、たくさんの若者たちがNPOに就職を希望したり、社会的な活動をされている企業にエントリーしたり、また企業のCSRレポートを必ず読んでから企業を選ぼうとしたりというような感覚を持ち始めているのも一つ期待できる点なのかなと思っております。なので、これからのNPOと若者に御期待いただければと思います。
 私からの話は以上となります。ありがとうございました。
#12
○会長(直嶋正行君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 本日の質疑は、あらかじめ質疑者を定めずに行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 念のためですが、一回の質疑時間は、答弁及び追加質問を含め最大十分としておりますので、多くの委員が発言の機会を得られますよう、質疑、答弁とも簡潔に願います。
 なお、質疑者には、その都度答弁者を明示していただくよう御協力お願いいたします。
 それでは、質疑のある方は挙手を願います。
 有田芳生君。
#13
○有田芳生君 民主党の有田芳生です。
 お三人の参考人の方に共通するテーマとして、成熟社会をどのようにつくるのかと、そういう視点でお聞きしたいというふうに思います。
 まず、牧野参考人にお話を伺いたいんですが、これはもう釈迦に説法なんですけども、高齢化社会という表現がよくされますけれども、これ、国連の基準で、人口に占める六十五歳以上の人々が七%を超えたら高齢化社会ですよね。そうすると、日本で私が調べてみて驚いたのは、じゃ日本が高齢化社会になったのはいつかというと、一九七〇年、昭和四十五年、大阪万博の年ですよね。そのときからもう高齢化社会に入っている。
 それで、飯田市を調べましたら、一九七〇年、昭和四十五年の高齢化率というのは一〇・六〇%という、これはもう、高齢化社会というよりも高齢社会に当時から入っているわけですよね。そして、今では、平成二十三年だと二八・二〇%。
 だから、こういう傾向がどんどんどんどん進んでいくときに、先ほどお話がありました文化経済自立都市をつくる場合、やはり、いろんなテーマがあるんだけれども、高齢社会の例えば居住モデル、お年寄りたちが介護や福祉、医療などを本当に十分享受できるような都市づくりというのも一つポイントになると思うんです。
 その先ほどのお話の中で、プロジェクト2の中でアシストホームという指摘がありましたけれども、この中身、それから規模、展開、そしてまた、お話にありましたように、高校を卒業するともう八割の人が外に出ていってしまうんだけれども、戻ってくるのが四割だということになれば、お年寄りたちを大事にする都市づくりとともに若者たちが帰ってくるような、そういう都市の構想というのはどのように考えていらっしゃるでしょうか。
#14
○参考人(牧野光朗君) それでは、私の方から、私どもの地域が考えております高齢社会に対する対応についてお話をさせていただきます。
 今、有田先生からお話がありましたように、私どもの地域、既に高齢化率二八%を超えておりまして、国の平均の十年先を行っているというように言われております。その一番のやはり原因は、地域に飯田女子短期大学はあるんですけれども四年制の総合大学がない地域ですので、進学率の向上とともに高校を卒業した若い皆さん方が八割方外へ出ていくという、こうした状況があるということがあります。
 そうした皆さん方をいかにしてこの地域に戻ってもらうかということが、これがポイントだというふうに思っておりまして、まさに文化経済自立都市で先ほど申し上げた定住自立圏の構想につながります私どもの地域の考え方というのはまさにそこであります。若い皆さん方が、一旦は外に出ていっていろんな経験をしていただくということは、これはもう大変重要なことだというように思うわけでありますが、そうした皆さん方が帰ってこられるような、そういった地域づくり、人づくり、産業づくりをしていかなきゃいけないというように思っております。
 やはり私どもの地域、非常に学ぶということについては重きを置いてきているわけでありますが、特にそうした中で帰ってきたいと考える人づくりをどういうふうにつくっていくか。まさにこの地域に生まれ育って、そしてこの地域のことを十分に理解してもらって、そしてその後いろんな、それこそ全国あるいは世界に打って出ていっていただくと。そして、いろんな経験を、あるいは知識を身に付けていただいて、またこの地域に戻ってきていただいて、この地域の将来を担っていってもらいたいと。そうした人づくりをどのようにしていくかということ。
 それから、当然帰ってきていただくためには、さっき申し上げたように受皿になります産業をどうやってつくっていくかということが非常に重要だと思っています。そうした帰ってこられるような産業づくりをどういうふうにしていくか。そしてまた、帰ってきたらちゃんと住み続けられるような、そういった地域づくりも必要であります。
 今先生からお話がありましたように、子育てをこの地域でしていくということになりますと、当然まず子供がちゃんと産み育てられる環境でなければなりません。ところが、今の地域におきましては、子供を産む場所ということについては今大変な苦労をしている地域が多くて、私どもの地域におきましても、一時期産科制限、里帰り出産の制限をしなければいけないほど産科医が不足するというような事態もございました。今はそれを何とか乗り越えてやってきておりますが、まだまだ地域の中にはそうした、まず子育ての一番最初の出発点であります産み育てる、産むの部分がなかなかセーフティーネットの中で担保ができていない、そして里帰り出産ができないというような、そういった地域もたくさんあるわけであります。そうしたところを我々としてはちゃんと守っていかなきゃいけない。
 私どもの地域は、飯田下伊那全体ですが、十万人当たりのいわゆるお医者さんの数でありますが、全国平均が二百人に対しまして百五十人しかおりません。五十人不足しているわけでありますが、その中でも回っております。私どもの地域は、健康で長寿と言われている長野県の中でも特にそうした長寿というのが知識として知られております。どうしてそういうことができるのかということは、まさにそういった少ないお医者さんたちの中におきまして、行政と医師会、あるいは包括医療協議会と申しますが、それが一緒になってこの地域の医療を守っていこうということをやることによって、今言ったセーフティーネットが保たれているという状況でございます。
 それから、高齢者に対する、今、アシストホーム「りんご」のお話がありました。ここは、まさに飯田の町の中でそうした安全で安心に暮らしていただけるようなその施設として、まちづくりカンパニーによりまして運営がなされているところであります。高齢者専用の賃貸住宅でございまして、今十八戸、定員二十一名ということで運営がされております。これは規模としてはもちろんそのぐらいの規模でありますが、言ってみれば、ある程度は自分で自活ができる皆さん方がそうした中で暮らせるような形をつくって、町の中でちゃんと生活ができるようだということで考えております。
 地域におきまして非常に大きな問題は、高齢社会になってきますと、いわゆる生活の足の問題がございます。町の中に暮らすことによって、そうした自分たちの生活圏で十分生活ができる、そういったことが担保される、そういった町中を目指していきたいと私どもは考えてやってきております。まさに子育てから、そして高齢者の生活まで、行政として幅広い形でのサービスをすることによって地域の安心、安全のセーフティーネットをつくっていければと思っているところでございます。
 以上であります。
#15
○有田芳生君 ありがとうございます。
#16
○会長(直嶋正行君) 余り時間ありませんので。
#17
○有田芳生君 あと二分ぐらいですか。
#18
○会長(直嶋正行君) そうですね。じゃ、簡潔に、お一人どちらかにお聞きいただけますか。
#19
○有田芳生君 じゃ、平野参考人に。
 サラリーマン会社辞めればただの人と。私も東京に出てきて三十年以上通っている居酒屋がありまして、沖縄料理店が。そこでいろんなサラリーマンの方とお話をしてきましたけれども、やはり退職されてから一気に老けられる方というのが多いというのを実感で何人も見てくると、やはり人間にとって労働というのはいかに大切なものかということを本当につくづく思うんです。
 それで、一九九〇年に初めて、六十歳以上の方々から仕事をどうだというときに、当時の大阪の高齢化率は九・七%で、全国は一二%。だから、大阪はまだまだ若い都市だったんだけれども、それでも、六十歳以上の人に仕事を求めるとそれだけ応募が来られたというのはびっくりしました。
 そして、今、一つだけお聞きしたいのは、技術系の人たちも含めて、今後の日本社会でそういうお仕事を広げていくときに、法的な規制とかそういうものは何かあるんでしょうか。これを取り払えば、もっとこういうなさっているお仕事が全国に広がるよというようなことはありますでしょうか。
#20
○会長(直嶋正行君) 平野参考人、じゃ済みません、簡潔にお願いします。
#21
○参考人(平野茂夫君) はい。そこに政策提言というようなことで掲げておりますけれども、この中に少し取り上げてはおるわけですけれども、例えば派遣期間は、人材派遣法でいく派遣期間の、これは一年でというようなことなんかもありますけれども、これをそうじゃなくて、働ける契約期間が、自分が働きたいのであればもっと雇用期間を延長するとか、そういうふうなことがあるとずっと少し働けると。必ずしも正社員として働いてというふうなことじゃなくて、家庭の事情でちょっと辞めなきゃいかぬということなんかもありますので、弾力的な雇用契約ができればいいのかなというのは一つ思います。
#22
○有田芳生君 ありがとうございました。
#23
○会長(直嶋正行君) それでは、石井浩郎君。
#24
○石井浩郎君 自民党の石井浩郎です。今日は大変貴重なお話、本当にありがとうございました。
 まず、平野参考人にお聞きしたいと思います。
 今の六十代、七十代というのは本当に若いな、もう心身共に本当に元気で、働く意欲というのが本当にあるなというのを、私の周りにもかなりいるんですけれども、この企業理念、株式会社でありながら利益を追求するのではなくて、高齢者の雇用を開発する、創出するというこの企業理念というのは本当にすばらしいなというふうに思っております。そういう経験と知恵のある高齢者をどんどん、働けるうちに働くと、これは本当にすばらしいと思います。
 その一方で、今若い人たちの就職というのは大変厳しい、雇用というのは大変厳しい状況にあるんですけれども、その辺についてどうお考えなのかということと、七十、選択定年ですか、本人が決められる、退職するかどうかを七十歳になった時点で本人が決められるというお話ですけれども、体力的なものとか、本人は働きたくても、七十を過ぎてどうしてもこれはちょっと厳しいぞという、経営者として見たときに、でも本人は働きたい、でも相手の会社にも迷惑が掛かるかもしれない、そういうところで辞めていただかなきゃいけない、そういう判断というのも非常にあると思うんですね。その辺の判断はどういう判断をするのか。また、辞めていただくときに、本人はまだ働きたいという意思があったらどういう形で促すのかということをお聞きしたいなというふうに思います。
#25
○参考人(平野茂夫君) はい、分かりました。
 若者と高齢者のそれこそ共生、職業の奪い合いみたいなところですけれども、これはいつもその辺の議論はなるわけですけれども、やはり若者が就く職業というのは、若者にやっぱり職業を最初に就かせるということでないと、人生がやっぱり広がりませんから、まずはその点で若者に大いに職をつくるということに加えて、その若者の指導というのが実はだから高齢者の役割であると思うんですね。若者も、今ちょっと今村参考人から話がございましたけれども、何か、最近の何かテレビに出ているような職業に就きたいというようなことが若者の希望のようですけれども、いや、実は社会の中にはいろんな職業があるんだということを若者に示して、そういう職業の研さんを積んだ高齢者と組み合わせて、そして技能や考え方や人生の苦心惨たんというものを組み合わせるならばそれぞれの役割が果たせるのかなというふうなことと思います。
 それから、七十歳選択定年ということ、先生がおっしゃるように、やっぱり七十になったって働きたいといったって、それはもうよたよたしているという人も実はおるわけですよね。それで、私はその方に対して遠慮なく、老いて老醜をさらさずという言葉がございますよね。ですから、当社は、老いて老醜をさらさせずということを会社の中で言うておりまして、あなたもう足下よたよたしているんじゃないですかと、コーヒー飲んでも、この辺垂れているんじゃないですかということはきちっと言いまして、そして退職を勧告します。もう、むにゃむにゃむにゃむにゃということじゃなくて、はっきりと退職を勧告をして、で、仕事ができないんであれば、どうぞ奥様の下へお帰りくださいと。これは、もめ事になったとしても、はっきり言うて、やっぱり仕事の組織ですから、仕事ができる限りやっぱり仕事をするということでなければ、後は公共政策や何かで保護していけばいいんであって、ここはあくまでも仕事をする会社ですからね、そういうふうには割り切っております。
#26
○石井浩郎君 ありがとうございます。
 それでは、今村参考人にお伺いしたいんですけれども、大変すばらしい取組をされていると思います。私も、教育の重要性というのは非常に感じております。
 先ほどの御説明で、縦の関係と横の関係はあると、斜めの関係が大事であるというふうなお話だったと思いますけれども、例えば、私は昔スポーツをやっておりましたけれども、スポーツというのは、非常に、先輩もいれば後輩もいる、それで監督、コーチがいて、対戦相手は全くまた違う人たちとの試合をやる。非常に、このスポーツというのは斜めの関係で非常にいいんじゃないかなというふうに思っておりますけれども、その辺についての御見解と、今、最後に、日本の将来を変えていきたいと思いますかという答えに、八割ぐらいが変えていきたいと、こういうふうな前向きな若い人たちが多いというお話でありますけれども、私も、長いこと野球、子供たちに野球を、ずっと野球教室を教えていて、最近ずっと感じることは、何かこう粘り強さとか忍耐力であるとか、何が何でもやり遂げてやるぞというようなそういう気持ちが少し希薄になっているんじゃないかなというふうに感じております。何かさめているといいますか、諦めがいいというか、そういうところで、当然学力も大変私は大事だと思いますけれども、学力以外で子供たちに望むものは何かということをお聞きしたいです。お願いします。
#27
○参考人(今村久美君) スポーツはすばらしいと思います。ありがとうございます。
 ただ、非常に、高校生になると部活参加率が下がるという傾向もあるそうで、やっぱり大学入試とトレードオフの関係で、部活に参加するのを諦める。私自身もそうだったんですけれども、部活に参加する機会自体が減っているのも事実だそうです。どこかのデータで見たんですけれども、ちょっとごめんなさい、どこからのデータか忘れてしまったんですが、十年前よりもスポーツの部活に参加している、参加する子供が一二%減ったということがどこかに書いてあったのですが、スポーツの部活に参加した子の方が自己肯定感が高いということも同時に書いてありました。なので、スポーツの機会を受験とトレードオフにしない形で、何とか子供たちに参加し続けること、それで出会いがあるのでという側面を含めて、が、つくり続けられたらなと思います。
 学力以外にというところでいいますと、私も、学力というものよりも、今これから必要になるのは、はっきり言って、学力は知識を増やすためにというよりは思考力をトレーニングするために学校の勉強があるということで、今私が教えているような連立方程式はほとんど使わないので、大人になってからはですね、そういう意味では学力以外にももちろん必要なものがあると。やっぱりそこは、ありきたりな回答で申し訳ないんですけれども、やっぱり何とかコミュニケーション能力を育成できないかということが一番じゃないかなと思っています。
 コミュニケーション能力はたくさんのコミュニケーションの経験からしか育成できないような気がしていまして、コミュニケーションの機会自体を何とか大人に参加していただけるような形が取っていけないかなと、まずは女川町から試していきたいと思っております。
#28
○石井浩郎君 ありがとうございます。
#29
○会長(直嶋正行君) それでは、浜田昌良君。
#30
○浜田昌良君 公明党の浜田昌良でございます。本日は、三人の参考人の方々から本当に貴重なお話賜りまして、ありがとうございます。
 日本の唯一の資源、人材でございますので、このことについて皆様に一問ずつ質問させていただきたいと思っています。
 まず、今村参考人からでございますけれども、本当に女川また大槌でのコラボ・スクールという取組、すばらしいと思っています。それで、一点お聞きしたいのが、コラボ・スクールという学習支援というものと、前半紹介されましたカタリ場という斜めの関係からの相談というもの、この二つをうまく連携されているかどうかをお聞きしたかったんです。
 といいますのは、御存じのように、震災で被害に遭った子供たちのストレスというのは、出てくるのは三年とか五年とか長期掛かってくる、どうしても親が非常に震災復興でもう大変な状況ですから、なかなか相談相手がいないと。本当に、一人の人間が長年やっぱり相談相手になっていくというニーズが多いみたいで、東北大学でもそういう取組を始めているようなんですが、そういう学習支援しながら相談相手にもなるみたいな取組があるかどうかを聞きたいと思ったんです。
 二問目は平野参考人にお聞きしようと思っていまして、何かといいますと、これ、先ほどの御指摘でまさに私も、あっ、そうだと思ったんですが、いわゆる派遣法の年限というのは、三年たちますと、原則最長三年で正社員に変えないけないんですが、確かに労働基準法の有期労働契約というのは一般三年なんですけど、専門職と高齢者はたしか五年までという、確かに年齢が違ったんですよね。そこは本当に気付かせていただいたんですが。
 そこで、先ほどいわゆる七十歳選択定年制という話もありましたが、今、一方で議論されている六十五歳一律定年制についてどうお考えなのかとお聞きしたいと思っています。
 三点目は牧野参考人にお聞きしたいと思っていますが、人材サイクルという言葉、これはすばらしい言葉だと思っています。まさに、先ほど、高校卒業段階で八割が出ていかれて四割しか帰ってこられないという、これを大体どういう数字にしていきたいと考えておられるのか。また、そのために、例えば飯田市を卒業された方々にどういう情報の発信し続けですか、そういうものをされているのか。
 それぞれ簡単で結構ですので、お答えいただければと思います。
 以上です。
#31
○参考人(今村久美君) 日々悩みながらなんですけれども、まさに阪神・淡路大震災のときの震災後のストレスの相談件数が五年後に一番多かったという結果も聞いておりますので、いかに長期的な活動にしていくのかということ、子供たちに本当の意味で相談相手になれるような関係性の提供をどういう形でつくり続けられるかということはもう毎日考え続けている課題です。
 まさに、プログラムは当然、学習指導をしているんですけれども、学習指導というのは非常に斜めの関係の活用がしやすいものでして、目標を設定して、そのために自分が行動して、やり直して、またチェックしながら次の計画を立ててという、キャリア教育において必要なPDCAサイクルを子供たちにまさに経験させるものになっているので、そこに地域の大人が介在して頑張れということを言ってあげたり、自分自身はこうだったよと未来の話をしてあげたりすることを学習指導の中に組み込んで、深いカタリ場を毎日やっているというのが今私たちが取り組んでいることです。
 大変大きな悩みとしては、子供たちにただ、今足りないなと感じているのは縦の関係が足りなくて、これはもう私の担当しているクラスの子供で、クラス制を取っていまして、二十四人の子供を、中学三年生を見ているんですけれども、そのうち七名が津波で親を亡くしていると。そして、八名が震災前から母子家庭だった。結構、母子家庭が多いんですね、今回の被災地、どこを回っても思うんですけれども。津波で親を亡くした子供の中の二人も、元々母子家庭だった家庭なので、結果的に親族里親に預けられているという環境にあるという中で、結構足りないのは、叱ってくれる人の存在も足りないんだということにすごく悩んでいて、私たちも本当は斜めの関係的な接し方が必要だと思ってやってきたんですけど、子供はすぐにだれるし、なめて掛かってくるものなので、やっぱり駄目なことは駄目と言える人が地域に足りなくなっているのも事実なので、非行に走る前にというか、子供たちが夢を描ける形でですけれども、心のケアをしつつですけれども、やっぱり指導するということが私にとっては初めてのチャレンジで、今はみんなでその関係性、難しい距離感をどうつくっていくのかということを今取り組んでいます。
#32
○浜田昌良君 ありがとうございました。
#33
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 六十五歳一律定年制についてはどう思うかというお尋ねでございますけれども、私が若者の肩車に乗るときまで生きているかどうかは分かりませんけれども、先ほど冒頭申し上げましたように、六十歳定年制というふうな仕組みに義憤さえ覚えたというふうなことからすれば、肩車に乗るときになったときには、六十五歳定年はおかしいんではないかという、こういう議論が再び次の若者から場合によっては出るかと思います。
 ですから、そこをやはり打破するということになりますと、企業がやはり六十五歳で、今そこまでやるとしても、七十歳まではなかなか延ばせないというのは、やはり企業経営上のコストの問題とか、その仕事の能力というものが果たして企業の経営をする上で適切な力を発揮できるのかということですよね。
 ですから、それをやっぱり、じゃ事実上定年のない社会をつくろうではないかということであれば、政策提言というところの八ページの欄に掲げさせていただきましたけれども、職種別の同一賃金とか同一労働同一賃金とか、こういうふうな、その働きに対する報酬、賃金というそういうものがこういう状況になりますと、男子でも女子でも高齢者でも若者でもというふうなそういうことになって、企業経営としては非常にその人の気力や体力に合わせて延長ができる仕組みができるのかなと思います。
#34
○参考人(牧野光朗君) 最初にちょっと、有田さんの質問の中で、アシストホームの規模を私十八戸と言いましたけれども、六戸の誤りですので、そこは訂正させていただきます。
 それで、今の人材サイクルでどのぐらいを目標かと。私自身の個人的な思いは、全員に帰ってきていただきたいという、そういった思いがございます。
 そういった中で、今一番私自身が課題と思っておりますのは、地域とのかかわりという意味でいいますと、義務教育でありますと、小中学校のころに比べまして、やはり高校生が非常に地域とのかかわりが薄くなっているという、そういった現状がございます。一番感受性豊かなときに地域のことを学ぶ機会が非常に今少ないという状況の中で、そのまま高校生、卒業していって地域から出ていってしまう。したがって、本来いろんなことを、その地域のことを学べる、そういった時期において、実はその地域のことを学べずに、地域の本当の姿ということを知らないままに離れていってしまうという、そういったことに対して非常に危機感を持っているところであります。
 私自身、ずっと転勤族の銀行員生活を二十年近くして、それから地域に戻って市長に就任したものでございますので、やはりそうした地域のことを知る、学ぶことによってその地域との一体感といいますか帰属意識というものが高められていくと思うわけですが、そこをやはり学ぶ機会というものが高校のまさにハイティーンの時代に非常に少なくなっている。これを何とか私どもとしてはそうしたところに風穴を空けて地域との関係を強化できないかということで今取り組んでいるところです。
#35
○浜田昌良君 ありがとうございました。
#36
○会長(直嶋正行君) 上野ひろし君。
#37
○上野ひろし君 上野ひろしでございます。
 三人の先生方、大変貴重なお話をありがとうございました。お一方ずつお伺いをしていきたいと思います。
 まず、平野参考人にお伺いをしたいと思うんですけれども、高齢者の方々四千五百十一名の雇用をされたというのは大変すばらしい取組だと思うんですけれども、一方で、こういった取組をできる、うまくいかせられるというのも、受け入れる環境でありますとか、あと市場というのがあって本当に初めてうまくいくものなのではないかと思います。
 例えば、同じような事業をやられている企業も、ビジネスですのでたくさんあると思いますし、また、先ほどもお話がありました、若い方々も同じようなことをやられているケースというのがあると思うんですけれども、そういう中で、年間最大十九億円の売上げがあったという話がありましたけれども、その辺りの工夫でありますとか、どういった努力をされたのかというのをお伺いをしたいと思います。
#38
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 同業の方との例えば競争なんというようなことを申し上げますと、シニアの事業というのは実は商売としては利潤が上がりにくいということですよね。
 例えば、若い方を派遣をする場合は仕事の内容も話せばすぐ分かりますし、それから仕事の振り分けが比較的やりやすいんですけれども、高齢者を正社員として採用し、あるいは派遣社員として採用するときは、実はその人の人生とか、それからその人の持っている技能、技術、その経験、これをつぶさにお聞きをして、またその方の人柄、元気はいいんだけれども、ちょっとやっぱり、職場に行ったら少しもめるんではないかとか、そういう、人格と言ったら言い過ぎですけれども、その人のお人柄全体をつかんで、いかがでしょうかということになりますから、あなた、ここに行きなさいというわけにはいかないんですね。
 ですから、その点、一人当たりの面接時間も掛かりますし、お客さんとの話の中で、こういう方がいかがでしょうかというふうなことを申し上げなければいけませんし、ですから、案外有名人材派遣会社もこのシニアの事業はどちらかというとまだまだなかなか手に付きにくいのが実情だと思います。
 私のところは、申し上げていますように、私自身が変人なんですよね。私は、高齢者の方を、雇用をつくって、人生の行く末というものを、働きたいのであれば働いて是非いただきたいと、で、働けなくなったら、もう、はい、さようならと辞めてください、そういうふうな人生の完結の場があっていいんではないかという、私のこれは独自の変人の考え方が、こういう会社ですから独断でやれますから、ここが存在する一つの、そういう事業を継続をするというエネルギーの多くの源ですね。
 しかしながら、利潤を上げなきゃいけませんから、納税もしなきゃいけませんからということの中で、最近ようやく千万とか二千万とか、あるいは五百万とか三千万とかいうことに、凸凹になってきまして、しかし、配当はまだできていないのが実情で、しかし、そういう会社ですから、配当を出せというふうに中小企業庁も言わないでしょうし、親会社も余りそれは期待していません。そういう状況ですね。
#39
○上野ひろし君 ありがとうございました。
 次に、今村参考人にお伺いしたいと思います。
 カタリ場と、あとコラボ・スクール、これも本当にすばらしい取組で、うまく広げていければいいんじゃないかなと思うんですけれども、一点、資金面についてちょっとお伺いしたいんですけれども、こういった取組は、NPOということで、資金面での課題というのもあるのではないかと思うんですけれども、説明の中でコラボ・スクールの方は寄附中心で運営されているというようなお話もございました。どういった形で今やられているのか、特にカタリ場の方も含めてお教えいただきたいというのと、また、こういった事業をやっていく上で、例えばその制度面を含めて、国、政府に対してこういった要望があるというのがあったら併せてお伺いをしたいと思います。
#40
○参考人(今村久美君) 今の御質問をそのまま回答しますと、まず、カタリ場の事業の方は基本的にこれまでずっと九割事業収入で運営してまいりました。これまで寄附を集めるということは非常に難しくて、私たちのような小さな、そして無名な団体はなかなか寄附していただくことが難しい状態にありました。ただ、皆さんの御努力により寄附税制を改革していただきましたので、震災以降は非常に寄附をいただくということがすごくしやすい環境になったことに心から感謝をしております。
 その上で、寄附をしていただくということに甘んじることなく、逆にそこで競争が今起きていて、NPO同士の中でいい意味でどう説明責任を果たすかとか、あの団体はこんなレポートを出してくれたと企業から言われるとか、私たちの方も、これまでなかなか上手にできていなかったその寄附いただいた後の報告というところも、どのNPOも今は育たないと次の寄附がいただけないということにあって、すごくいいチャンスをいただいているなということを感じております。
 同時に、なかなか申し上げづらいんですけれども、行政からの委託事業についてなんですけれども、今、これまで事業として活動をしてきたんですが、これまでの活動は基本的に事業収入でやってきたんですけれども、なかなか私立高校のように学校に財源がある、まあ私立高校でもいろんな高校があるんですが、ところばっかりではなくて、特に公立の学校からは、高校無償化の流れもあって、なかなか高校無償化の流れはいい側面と、学校でお金が介在することは、受益者からお金を集めることは学校の先生方の中で何か駄目なことみたいな雰囲気も少し更に加速してきている中で、私たちのような事業者が学校の先生とお金の交渉をするということが非常にしにくくなっているのも事実です。
 これも、ただ、企業努力の中で私たちの競合は誰なのかということを定めて、模試を受けたらこの値段ですがうちはこの値段ですとか、いろいろやっているんですけれども、できれば学校の先生にはプログラムの交渉、学校や受益者の方々とはプログラムの交渉をした上で、行政の方に自分たちでエントリーできるような形ができないかなと。しかも、間にいろんな行政を挟まず、文科省と直接やれるといいなと思っていまして、やっぱり今回震災後も、文科省はオーケーしてくださっている、しかし教育委員会を二段階通さないといけない、宮城県と女川町を通してやっと仕事になると。なので、女川町と文科省がいいと言っていても宮城県の枠がとか、大槌町と交渉するにはなかなかアジェンダが多いので難しい中で、国はいいと言っているけどみたいなことがいろいろと起きて大変だったので、できるだけ間を挟まずに交渉した上でNPOがクライアントを探す努力はするみたいな感じがつくれたらいいなと思っております。
#41
○上野ひろし君 ありがとうございました。
 以上で終わります。
#42
○会長(直嶋正行君) では、田村智子さん。
#43
○田村智子君 日本共産党の田村智子です。どうもありがとうございました。
 まず、牧野参考人にお聞きします。
 私も長野県人なんですが、飯田のりんご並木は存じ上げませんで、大変不勉強で申し訳なかったなと思うんですけれども、このりんご並木の歴史が本当に今も市民の皆さんの中に語り継がれているというのは、やっぱり子供さんも含めてまちづくりにかかわってきたと、これが歴史的に地域の誇りになっているんだなということを感じながらお聞きをしたんですけれども、これをやっぱりこれからのまちづくりにもこういう視点を生かしていくという取組をされているかと思うんですが、一方でこのまちづくりカンパニー、大変ユニークな取組だなと思ったんですが、これは株式会社という形式で民間の企業と。
   〔会長退席、理事中谷智司君着席〕
 そうすると、こういう民間企業にも大いに頑張ってもらうんだけれども、そういうまちづくりの計画や実施の中に市民参加、子供さんも含めてというようなのはどのような工夫や、何というか、取組があるのか、お聞かせください。
#44
○参考人(牧野光朗君) ありがとうございます。
 りんご並木のまちづくりの考え方というのは私どもの地域にとって非常に重要でありまして、町の真ん中にりんご並木があるということによりまして一つの、まちづくりに一本の軸が通っている、そういったように考えていただければいいと思うんですね。そういった、それが例えば環境の取組にも、あるいは教育の取組にも、あるいは中心市街地の活性化にも、全部つながってきているわけですね。まさに、まちづくりの精神というものを共有できているというところが非常に重要だというふうに私は思います。
   〔理事中谷智司君退席、会長着席〕
 今お話がありましたように、そこに民間の株式会社、これがまちづくりとして参加しているということでありますが、これはもちろん全体のコーディネート、再開発のコーディネートという形で参加しているところでございまして、実は市民の皆さん方、NPOやあるいは各種団体、あるいは一般の市民の皆さん方、いろんな形でこのまちづくりに参加をしてきております。
 そうした中で、その土壌になっておりますのは、私どもはよく公民館活動と申しておりますけれども、公民館ということで、地域の活動の場というものを非常に大切にしてやってきております。行政も若手の職員をその公民館の主事として地域に送り出しておりまして、例えばそうしたところで五年、六年といった長い期間地域づくりに特化してかかわるようにという形でやってきておりますので、まさにその中で地域を自分たちでつくっていくという考え方を学んでくると、そういう形でやっていまして、先ほどプレゼンにも出させていただきましたが、多様な主体による協働という考え方がその中から醸成されているというふうにお考えいただければと思います。
#45
○田村智子君 ありがとうございました。
 次に、平野参考人になんですけれども、先ほど変わり者だからというお話があったんですけれども、しかし、皆さんの取組、このマイスター60の取組というのは、やっぱり一般的な企業の中でも大いに学び生かすべき点があるんじゃないだろうかというふうに思っているんです。特異な事例で終わらせてしまったらもったいない。特に、今いろんな職場を見ていますと、会社の中だけでなく、同じ職場と言われるフロアの中でも、言われていた老、壮、青の共生というのが危うくなっているような、そういう事態も見受けられると思うんですね。あるいは、お一人の方の人生に即して仕事をどんどん提供していくという視点もちょっと弱くなっているんじゃないだろうかと、こういう点はもっと一般的な民間の企業の中でも生かすべきではないかというふうにお考えになっていることありましたらお聞かせください。
#46
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 先生の御指摘のように、そういうふうな企業が働きたいという方をずっと働けるようなということをつくるには、先ほど申し上げたような仕事の能力と賃金というふうなことなんかが特にやっぱり経済、企業経営の中での大きなテーマですから、そういうものを延長で、定年、六十から、若いときからずっと来る中で、じゃ、六十五で賃金がいかなる賃金であるかというふうなことをがらっと変えていくというみたいなことがその関係者の中で合意がするならば、これはやれるんですよね。しかしながら、当社の中にお越しいただく方の中では、一流会社に勤めておったけれども、再雇用で是非あなたいらっしゃいと言われておるんだけれども、俺はやっぱりもうこの際辞めて新規まき直しで気分転換したいということもあるんですね。あの若い人に俺使われるわけにいかないなという、そういうふうな人間関係のこれは自然な気持ちで、言葉を飾らない人間の自然な気持ちの中のやり取りの整理のために、俺はマイスター60に入って、派遣で行けば契約社員だから、請負で会社が違うんだからということで襟を改めて正してお仕えするという、こういうふうなことも、皆さんの働くというふうな心情からすればそういう仕組みもまた必要なんです。
 ですから、子会社じゃなくて、私どものようなこういう会社が、技術系だけじゃなくて、例えば金融それから流通、全てのそういうふうなメーカーとかいろいろ、あるいは市長さんのような飯田市とか、様々な部門でそういう会社が起きたらいいのかなと、そういう仕組みをつくれば、仕組みを通じて自分自身の人生というものを割り切って、僕は働きたいんだという仕組みづくりが句読点を打つ上で大事なのかと思います。
#47
○田村智子君 最後に、今村参考人にお願いします。
 お話聞いていて、自己肯定感が少なくて、そういう子供たちに自己肯定感持ってもらって、社会を構築する力を誰もが持っている、あなたも持っている、それを育てる活動をしてくださっているんだなということがよく分かりました。本来は、それは中学や高校の教育システムの中で、あなたの能力はここにあってこれをもっと伸ばしていくんだよという教育システムに本来はなっていかなきゃいけないことだと思うんですけれども、そういう皆さんの取組をもっと学校教育のこういうところに取り入れてほしい、ここは学校教育の問題点があるんじゃないかと、こうお感じになっていることがありましたらお聞かせください。
#48
○参考人(今村久美君) そうですね、まさに飯田市長からのお話でもありましたけれども、やっぱり高校生が地域との接点を持ちづらいということがいろいろなことのひずみに長期的にもなっていますし、地域の経済の活性化にも長期的にはつながっているんじゃないかということは感じております。
 そんな中で、やっぱり学校の先生が今すごくお忙しい、たくさん先生方にも仕事があってお忙しいので、先生方にだけ委ねるというのはやっぱり難しいなと思う中で、地域のNPOがコーディネーターとして、若しくは地域の方を、NPOじゃなくても個人を学校の中にコーディネーターとして雇用して、その地域と学校を積極的に接続してつなげるような機能を学校の中に制度として配置することがやっぱりいいのではないかと、先行事例を見ていて思いました。
 先行事例としては、島根県の雲南市ではまさにそういったことが行われていまして、NPOというよりは行政がコーディネーターを住民から募集して、そして雇用して、教育委員会で雇用した人を学校に配置していると。
 最初の年は、学校に行政の職員が配置されるということは先生方には脅威感があったらしくて、何をチェックしに来たんだというようなところから始まったらしいんですけど、でも、外からの支援の窓口や支援の御依頼、また、特におじいちゃん、おばあちゃんたちの団体なんかからたくさん学校にかかわりたいというようなニーズを、なかなか今まで学校では酌み取れなかったものを、一人担当者がいることできちんとつなげて、じゃ、この社会科の授業だったらいけるかもしれないとか、何につなげれば学校にも負担感がなくてその方々のニーズも満たせるのかということの機能の、ハブになるような存在を学校に置いたそうなんですね。それによってかなりの方々が学校に参加する機会を得て、本当にキャリア教育を通じて町を変えようとされているところに感動したんですけれども。
 そんな事例もある中で、地域の方々にコーディネーターになっていただくような仕組みが必要かなと感じております。
#49
○会長(直嶋正行君) 亀井亜紀子君。
#50
○亀井亜紀子君 亀井でございます。
 今村参考人から順番に、平野参考人、牧野参考人という順番でお聞きしたいと思います。
 今、島根県の事例出ましたけれども、島根県選出の議員です。そして、一番高齢者が多い県に今なっております。沖縄ではなくて、たしか島根になっておりますけれども。元気なお年寄りが非常に多くて、あんまり七十ぐらいだとお年寄りと言っていられないような県でありまして、この人たちをどう活用していくか、いかに若者と交流させていくかというのが一つの課題であり、また光でもあり、それに取り組んでいる一つの事例だと思います。
 始めに今村参考人にお伺いしたいのは、斜めの関係が足りないということを先ほどプレゼンテーションでおっしゃったんですけれども、私、自分のことを振り返ってみて、そんなに斜めの関係があっただろうかとちょっと疑問に思ったんですね。
 つまり、親との関係ですとかクラブ活動の上下というのは縦の関係で、同級生など友達は横の関係で、じゃ、近所のおじさん、おばさんとそんなに接してきたかというと、そうでもないわけですよ。パン屋さんとかよく行くお店の人はいるにしてもですよ、そこから何か、職業選択とか人生について何か聞いたり参考になったかといったら、そういうことではないんですね。
 そうすると、私は、本当に欠けているのは、もしかすると、先ほど縦の関係もないとおっしゃいましたけれども、友達はいるのに通り一遍のことしか話してないんじゃないだろうかと思うんです。カタリ場の風景見せていただいて、私は、友達が、あるいはクラスルームがあって同世代の子がいっぱいいるのに、そこに外から大人が入ってきていろいろ話題を与えてかき回してあげないと、子供たち同士が話ができなくなったのというふうにちょっと見えたんですね。そういう問題は感じられないのか。
 また、群れない子供というのは昔からいます。その人たちが悪いか、クラブ活動に入らないのが悪いかといったら、そんなことはなくて、その人がちょっと変わり者であっても、例えば誰かの伝記読みました、何かの本に触発されて黙々と何か一生懸命一つのことをやっていて何か立派な人になることもありますから、群れないということも私は別に悪いと思ってないんですけれども、例えば本を読まなくなってて何にも動機付けにならないとか、そういうような問題はないんでしょうか。
#51
○参考人(今村久美君) そうですね、きっと多分にあると思います。
 私自身も、岐阜の山奥、飛騨高山から来てますので、斜めの関係がじゃあったのかと言われると、逆に斜めの関係が深い分、何かリスクを取れない感じとか、隣近所の人がみんな見てるからチャレンジできない風景とか、それと似たものが学校教育の中にもあるようにも思いますし、じゃ、コミュニケーションが厚ければそこからいろんなチャレンジが生まれるのかというと、一概に言えないというのも分かります。また、大人にそんなにじゃ相談していたのかというと、私も別にしてなかったというのもあるんですけれども、それによって救われる子もいるというのが一つあるかなというのがカタリバの提言なんですけれども。
 同世代のコミュニケーションに何か生産的な会話とか心から話せる友達を見付けづらくなっているんじゃないかというところの側面は一つあるかもしれないと思っているのは、やっぱり子供たちにとって今もう、これはもうあらがえない事実として、一番のコミュニケーションツールになっているのはやっぱり携帯電話なのは確かなことです。私たちが、大人たちが想像する以上に子供たちの検索能力は上がっていて、物は知らないかもしれないけどたくさん検索はできるようになってはいるんですけれども。
 やっぱり、これは一つの事例なんですが、アバターというものは分かりますか、アバターを、とある例えばSNS的なものに参加するときに、フェースブックのように実名で参加するものもあるんですけれども、多くの子供たちが参加しているSNSはアバターを使って偽名を、偽名というかニックネームを付けて本名が分からない状態で参加しています。子供たちに聞いてみると、自分がそこに参加して、そのキャラを演出して、そのキャラとして発言していることはクラスの友達には言ってないということを言っている子は結構いて、フェースブックのように友達と、知っている人と、リアルに知っている人とつながり合うものではなくて、ほかの友達に見られたくないコミュニケーションこそを自己表現できる場にもSNSは一つの活用事例として使われているのは事実なんですね。
 そういう意味でも、カタリ場の授業で子供たちと接しているときに、携帯をいじっている子がクラスには友達がいないけれども遠くの人たちと話していて、そこはすごくセグメンテーションされた、自分が話しやすい環境、趣味が一緒のどこかの友達と話しているという環境が、セーフティーネットとしても機能してはいるんですが、子供たちのコミュニケーションの逃げ場としても使われているのは事実かなということは感じています。そういう意味でも、地域の大人たちや地域のお兄さん、お姉さんと面と、顔と顔を向け合って、出会って話さなきゃいけない環境というのは一つ機能する、必要な環境なのかもしれないということは感じています。
#52
○亀井亜紀子君 ありがとうございます。
 平野参考人にお伺いしたいんですが、ただの人という言葉なんですが、ちょっと私、違和感を感じまして、平野参考人の世代というのは会社とか何か組織に帰属をしていないと自分は役に立たなくてただの人であるというような考えに陥りやすいのかしらという気がいたしまして、逆に今村参考人の世代というのは就職氷河期なのでただの人になる確率がすごく高いんですよね。ですから、あるいは、入りたい会社がない中で、じゃ自分で仕事をつくろうという世代なので、多分そんなにただの人という言葉に反応しないような気が私はするんです。
 シニアの方のお考えというのは、やっぱりどこかに、何というんでしょうね、まず、ただの人というのは自分の経験したことをそのまま伝えられる場所が欲しいということなんですかね。そして、それに収入は関係ないんですか。つまり、収入関係なければ、例えばJICAのシニアボランティアじゃないですけれども、自分の技能を役立てるところ、日本になければ海外に出たいという人たちがまずいますけれども、そうではなくて、やはり何かどこかに所属して今までやってきたことをそのまま、第二の人生求めるよりはそのまま伝える場が欲しいというようなことなんでしょうか。
 それから、あと、まとめて質問をしてしまいますが、牧野参考人に対して、ラウンドアバウトについて面白いと思いました。これ、私、海外に住んでいたときに、カナダにいたんですけれども、大体旧英国連邦というのはラウンドアバウトが多いんです。これが危ないということで信号に変えようという政策をやっていたので、今その逆をされようということで、面白いと思ったんですが、確かに田舎であればそんなに交通量がないのでラウンドアバウトの方がいいのかもしれません。これ、まだ実験ですから分からない段階でしょうけれども、危ないとかそういう話というのは余り出てきてないでしょうか。究極のラウンドアバウトは私は凱旋門のところだと思います、パリの。いろんな方向から車が来て、ラウンドアバウトで車はぼこぼこなんですけれどね。やはりそういったこともちょっと想定しながら、どのようなフィードバックがあるのか、教えてください。
#53
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 このサラリーマン会社辞めればただの人という川柳を聞いたときに、高齢者は国の宝ということを随分昔は言っていたようですけれども、ここに宝がおるのに俺を使わない、俺はもう会社辞めたら消しゴムのように消してしまう、俺も寂しいし、社会は何てあほなんだろうなというふうなことなのかな、慨嘆しているんですね。
 それで、うちの会社の集まった方の働きを見ますと、うちの会社は余り残業代を払うお金も、収入が余りありませんから、賃金も払えない。それを八時や九時までやっているんですよ。それで、労働基準法違反になりますから早く帰ってください。いやいや、僕これやってしまいたいから。労働基準法関係ありません。つまり、人生意気に感ずるという、そういう働き方を高齢者はするわけですよ。じゃ、お金は全然要らないかということじゃないにしても、どっちかということになりますと、当時、六十歳から年金が出始めましたから、当時は、むしろ僕は僕の能力や僕の生きざまというものを社会に主張したいという、そういう熱い思いですね、本当に人生意気に感ずという。ですから、お金要らなくてずっと働いているんです。奥さんにパーティーのときに申し上げたら、御主人様遅くまでと。いや、うちの主人は非常に喜んでおりますと、遅くまで働かせていただいてありがとうございますと言うから、私も、空調代がもったいないから早く帰ってくださいと。
 ですから、これ、先ほど申し上げましたように、地域や業界やなんかで私どものような会社をつくっていただいて高齢者の力を引き出していただく。そのときに、あなたはとっても大切な人だ、あなたの誇り、それをたたえるという、こういうことになれば、お金が要らないから俺は働くぜって、こういうことですよね。案外そんなもんじゃないですか。そこをやっぱりはっきりと打ち出していかないと、年金がどうだというだけで、年金があるいはそういうものが全ての仕組みが整ったってやっぱり幸福じゃないんですよね。むしろ寝てる子を起こして拍手をしてあげるという、こういうことが大切だと思いますし、収入は適切な収入があればいいと思います。
#54
○参考人(牧野光朗君) 東日本大震災、それから福島の原発事故があった後に計画停電があった地域におきましては、信号機が消える交差点におきまして大変危険な状況が生じたということがあったわけでありますが、ラウンドアバウトは、そうした中におきまして、まさに信号機がなくても機能する交差点として欧米でも今見直しが進んできているということではないかと思います。
 先ほど凱旋門の例が出ましたが、ラウンドアバウトの定義は、中に入っている車が優先なんですね。ですから、車が中に入っている状況の中では必ず一旦停止ということになりますので、凱旋門は実は進入する車が優先なんで先生のおっしゃるようにぼこぼこの話になるので、あれは厳密にはラウンドアバウトとは定義されないそうです。これは国際交通安全学会の先生からお聞きしました。
 飯田は、ちゃんとそういう意味では中に入っている車が優先になります。実際に死亡事故とか起きた例はございません。真ん中に島がありますので必ずみんなスピードを落としていきますので、そういう意味ではやはり安全で、また信号機で待っている間に空吹かしするとかそういうことはございませんので、エコな交差点であると、そういうふうに考えられていまして、震災後も、新たな交差点政策としてこうしたラウンドアバウトも、まさに交通量が余り多いところではいかぬかと思いますが、そうした地方におきましてこういったものが採用されていけばというふうに私も思っておるところであります。
#55
○亀井亜紀子君 ありがとうございます。
#56
○会長(直嶋正行君) それでは、徳永エリさん。
#57
○徳永エリ君 民主党の徳永エリでございます。
 今日は準備をしておりませんでしたので、ちょっと整理されてないかもしれませんけれども、今日、三人の参考人の皆さんのお話を伺いまして大変に感動いたしました。特に、高齢者の皆さんが安心して暮らせる社会づくり、そして子供たちがもうにこやかで元気で過ごせる、そんな社会づくりというのをしっかりしていきたいなといつも思っておりますので、まさにそのことを実践していらっしゃる皆様方には大変に敬意を表したいと思います。
 まずは、今村参考人にお伺いしたいと思います。
 先ほどもお話がありましたけれども、今の子供たちは携帯電話とかそれからパソコンを使って非常に情報をたくさん取ることができるんですね。例えば、私たちが子供のころ、将来どんな仕事に就きたいかと思っても、よく見かけるような仕事にしか憧れられなかった、世の中にどんな仕事があるかということがよく分からなかった。でも、今これだけたくさんの情報があって、こんな仕事があってその仕事はどういう内容なのかということも分かるのに、なぜ子供たちは夢が持てないんだろうということをいつも不思議に思います。
 難しいこととか厳しいこととか、とにかく困難だと思うことはなるべく避ける。どうしてやろうとしないのと言うと、自分には無理だから、自分にはそういう能力がないからというふうに決め付けてしまって、頑張ってみようということがないんですね。あの人にもできるんだからあなたにだってできるかもしれないという話をしても、あの人だからできる、自分はできないと、そういう否定的な返事がよく返ってくるんですけれども、いつごろから何が影響して子供たちはそういうふうになってしまったんだろうなと時々寂しく思います。
 実際に今子供たちと接していて、一体何が原因だというふうに今村さんはお感じになっているでしょうか。
 それから、今学校に入ってそのカタリ場を実践していらっしゃるわけですけれども、なかなか学校によっては快く受け入れてくれるところと、それから自分たちでやるからということで受け入れてくれないところというのがあると思うんですけれども、この受け入れてくれて一緒にうまくやっているところというのは、どういうアプローチをしていってどういう反応だったのか、そして、今学校の先生方とかあるいは親御さんたちは、今村さんたちの活動に対してどういう感想、反応を持っているのか、その辺りをまずは聞かせていただきたいと思います。
#58
○参考人(今村久美君) いつごろから何が原因でということはちょっと分かりませんというところなんですが、子供たちと話していて驚くことの一つとして、親の仕事を知らない子はすごく多いということは大変多く見られる現象です。別にこれは震災関係ないと思うんですけれども、うちのクラスの子に話していても、個人面談をここのところずっとしているんですが、親の職業や職場の名前、企業の名前を知らない、何の仕事をしているのか知らないという回答をする子がすごく多い。これはどうしてなんだろうということを思っています。
 もしかすると、原因の一つとして、雇用が安定しないから、親御さんの仕事が変わり続けているから子供に説明できないということがあるのかもしれないですし、特に沿岸部は非常に元々震災後から経済的にも大変な状況でしたらしいので、なので職業自体も変わりやすかったのかもしれないんですが、いずれにせよ、保護者の方が胸を張ってお子さんにお仕事の話をしていないんだなということが一つの原因なのではないかなということは感じています。これも本当にそれが全てかどうかは分からないんですが。
 また、あと、仕事というもの自体が変わり続けているというのも一つ原因かなと。私の就職活動のときに、IT企業が就職人気ランキングに上位には来ていなかったんですが、ここのところ就職人気ランキングの上位に来ているということもありますし、仕事というものは時代とともに変わり続けているということも事実な中で、子供たちには職業を覚える本やキャリア教育の機会はたくさん最近はでき始めているんですけれども、職業の種類を覚えるというよりは、自分自身がどんな力を身に付けるのかのその想像力をどう持つか、どんな時代に自分が適応していけるのか、これから自分がどんなふうに力を付けていくのかという想像力の方を育てることをもっとしていかなきゃいけないということを感じております。
 また、学校に受け入れてくれない学校があったのではないかという御質問については、それは今でも続いておりまして、カタリ場のプログラムは実は全く完成していないというのが現状です。
 先ほど青森県の事例を少しお話ししたんですけれども、青森県の八戸南高校はすごく成功した事例でして、カタリ場の活動は、要は対話によって意欲を引き出すんです。ただ、意欲を引き出すんですが、意欲というものは続かないものなので、その瞬間、誰かにバトンタッチをしなきゃいけないと。なので、学校の先生ときちんとコミュニケーションが取れている学校では、高まった意欲を先生方のプログラムに接続するところまでコミットすることができるんです。なので、青森県の八戸南高校では、高校生たちによる地域の夏休みを使った観光ガイドを高校生が務めるということをしていて、全国から来る観光客のガイドを夏休みを使ってやっているんですけれども、それもカタリ場を実施した後、立候補がすごく挙がるらしくて、学年の半数以上が手を挙げるそうです。
 そういうような接続が、グループワーク的なものに接続ができる学校は成功事例なんですが、実はカタリ場導入校のほとんどは今そうはなっていなくて、正直なところ、やっぱり先生方にとっては、消化しなきゃいけないイベントをこれで代行するというような学校も多いですし、やっぱりなかなか、外から提案されることに対しても、やっぱり聖域である学校というところに外の人が入ってきていろんなことをされるのはうれしくないと思われる先生も多いのは事実ではあります。
 なので、その考え方自体を先生方に、そんなにいこじにならなくても教育はみんなでしていけるものなんだよということを、先生方に大丈夫だよということを伝え続けるのも役割だなと思っていて、そちらの方が課題かなと感じております。
#59
○徳永エリ君 カタリ場のそのプログラムに一緒に参加される学校の先生もいらっしゃるんですか。
#60
○参考人(今村久美君) 参加したいという申出がある学校の先生は、一人の未来の姿として、若い先生が中に入ってカタリ場を実施することもあります。また、準備の段階でかなりどんな人に来ていただきたいかということに先生方が参加されて一緒にずっと議論を続ける学校なんかは、本当一か月間ずっと一緒に取り組んだり、スタッフ研修のところに先生に来ていただいたりとする学校もありますが、ほとんどの学校はそうではないのは実態です。
#61
○徳永エリ君 いろんな方に参加していただくということですけれども、今までどういう方が参加して、どんなコミュニケーションがある中で子供たちに影響があったという、何かケースがあったら教えていただけますか。
#62
○参考人(今村久美君) そうですね、それはもう十二万人いたら十二万通りだったと思うんですけれども、一番、そうですね、面白かったのでいうと、いろいろとあるんですが、例えば、皆さん政治家でいらっしゃると思うんですけど、地方議員の方においでいただいて、政治って何かということをみんなで考えるワークショップをやったときなんかは、政治って何か堅くて怒られる仕事をしている人たちかと思ったとかって子供たちが言っていたんですけど、そうじゃなくて、政治というのは、実はみんなでありたい環境を一生懸命みんなでイメージして、そのために何をしなきゃいけないかをルールを一緒にみんなで考えて、ルールと、あと事業みたいなことを、みんなでイベントを考えたりする文化祭と同じなんだみたいなことを子供たちが政治家の方々と話す中で気付いて、学校の中で文化祭づくりにおいて政治家になるみたいなこととリンクして考えたようなケースはありました。
 そういう実際に中に大人の方に入っていただいてその議論をすると、子供たちの日常の中にある文化祭も体育祭もすごく生きたものになるなということの一つの事例だったなと感じています。
#63
○徳永エリ君 それでは、平野参考人にお伺いいたします。
 先週、ODAの視察で中国とモンゴルに行ってまいりました。いろんな方とお話しする中で、非常に経済的に成長しているところですから、今、日本に是非協力をお願いしたいのは、日本人の高い技術を提供してもらいたいと、そういう声が非常に多かったです。企業の中でも、高齢者の方、日本で会社を退職した人でも、その技術をもし教えてくれるんであれば是非来ていただきたいという声が多く聞かれたんですけれども、実際、今、平野参考人のところには海外の企業からのニーズというのはあるんでしょうか。
#64
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 一部にそういう事例が出ておりますけれども、海外に向けてそういうような指導に行くということは、事業の中のこれだといった立ち上げはまだできておりません。しかしながら、今お話しのように、日本の国の高齢者が是非途上国に行って教えてあげるということはこれから日本の大きな役割になるのかなと思って、この当社のマイスター60のパンフレットを、英語版を作りまして、ホームページで世界に発信しておるところでございまして、いずれは、そういう要請にこたえていくならば、日本と世界というものがそれこそ共生という中で私たちの役割が果たせるのかなという理想を持っております。
#65
○徳永エリ君 ニーズが合えば、マッチングすれば行ってもいいという方はいらっしゃるんですか。
#66
○参考人(平野茂夫君) そうですね、そういう方が少し出てきておりまして、英語を勉強している方もおられますからね。
 ですから、組織を挙げてそういうふうなことを会社が大々的にということであれば、随分と様相も変わってくると思います。
#67
○徳永エリ君 最後に、牧野参考人にお伺いいたします。
 牧野参考人の町では、世代間交流といいますか、世代を超えたまちづくりという部分ではどういうことをイメージしていらっしゃいますか。
#68
○参考人(牧野光朗君) 先ほど高校生との地域のつながりというお話をさせていただきましたけれども、基本的には幼保小、それから小中、そして中高、ここを一本の軸で連携をさせていきたいと。その考え方としては、地育力という私どもの地域で呼んでいますけれども、地域で子供を育てる力、地育力による心豊かな人づくり、これを一つの考え方の基軸にしまして、地域の子供たちを地域で育てていく力をもっともっと高めていきたいという考え方を持っています。
 大学につきましては、実は大学連携を私どもの地域、非常に力を入れていまして、先ほど申し上げたように、四年制の総合大学がないことを逆手に取りまして、いろんな大学と連携をすることによってこの地域において大学機能をある程度発揮できるようにしたいと。今、大体その三十大学以上の先生方と一緒になって、フィールドスタディーという形で大学生がこの地域に入ってくるような取組をしております。
 これ、今年度で四年目になるんですが、大体毎年百人ずつ増えていって、今四百人以上、飯田にフィールドスタディーでこの地域を学ぶという、そういった仕組みをつくってきておりますが、それをネットワークしまして、学びの輪、学輪IIDAという形で、知のネットワークと私ども呼んでいますが、こういったネットワークづくりをしています。
 そうした中で、若い皆さん方が何をじゃ地域から学ぶかといいますと、農家に入り込んだり、いろいろその地域の皆さん方の地域づくりの話を聞いたりする中で、まさにこの地域を担っている皆さん方がどんなことをしているかということを学ぶわけですね。例えば、東大生、私も東大の非常勤講師をさせていただいておりますけれども、そうした東大生が初めてこの農家の皆さん方の話を聞いて、もう自分たちとは全く違う考え方があるんだということを聞いて物すごい感動したというようなお話もお聞きしております。
 やはり、さっき子供たちがどう、徳永先生がどうだってお話されたところですけれども、いわゆる地域に根を張ったそうした子供たちというのはやはりかなり少なくなってきている、まさに根なし草のような状況になっているということに私は危機感を持っておりまして、地域に根を張ったような、ある程度、ああ、私はこういうところにちゃんと地に足を付けて、きちんとした帰属意識を持ってやっているんだという、そういった安定感ですね、これがかなり希薄になっているというところが私は非常に大きな課題、問題じゃないかというふうに思っていまして、これをやはりもう一度再生する、そのために私どもの地域がまさにそういった学びの場を提供できればと、そんなふうな形で世代間交流も進めているというものでございます。
#69
○徳永エリ君 ありがとうございます。
#70
○会長(直嶋正行君) 渡辺猛之君。
#71
○渡辺猛之君 自由民主党の渡辺猛之でございます。
 牧野参考人に二点お尋ねをしたいんですけれども、まず一点は、牧野市長さんの哲学みたいな聞き方になってしまうかもしれませんが、昨日、一昨日と岩手県の被災地の方を訪問させていただいて、今、市長さんのお話を聞いて、この飯田大火からの復興の計画を本当にスピーディーに仕上げられた。当時の助役さんのお話として、実施する都市計画は、もう一日も早く実行に移さないといろいろな障害が多くなって、実行が困難になるばかりであるとの言葉がありました。
 実は、私、今回被災地を訪れさせていただきまして、ちょっとこのことを心配をしてきたわけでありますが、その一方で、最近は特に言われるのが、住民の皆さん方の意見をよく聞いてと、これ政治家がよく使う常套句になっているんですけれども、特に住民のニーズが多様化している中で余りに意見を聞き過ぎて、それを計画にまとめようとすると、どうしても妥協の産物になりやすい側面があるんではないかと思います。やっぱり強力なリーダーシップの発揮と、それから多様な住民のニーズを総合的にまとめ上げる、そこの整合性を市長さんとしてどうお考えになられるのかという点を一点お尋ねをしたいと思いますし、もう一点ですけれども、私、岐阜県選出の議員なんでありますが、飯田市はもう既に周辺の町村と定住自立圏構想ということで取り組んでおられるようでありますが、元々岐阜県、特に先ほど市長さんから御指摘ありましたリニアのできる中津川市とは、飯田市周辺の地域というのは大変昔から密接なつながりがありますので、そういう意味では県境を越えた地域づくりというか、それに対する地域の連携についてどうお考えなのか、この二点についてお尋ねさせていただきたいと思います。
#72
○参考人(牧野光朗君) まず、一点目についてでありますが、これはまさに先生御指摘のとおり、私はタイミングが非常に大事だと思っています。先ほど被災者の受入れのお話もさせていただいたときに、これ、やはり向こうからのそうした要請があったときにすぐこたえられるような体制にしておくということが求められるところでありまして、あのタイミングを逃がしたらもう恐らく被災者の皆さん方の受入れを我々の地域が多分できなかったというふうに思います。
 やはり、そういった意味では、こうした非常時において、よくリーダーシップということを言われますが、どのタイミングでどういった手を打っていくのかということは、これは私はリーダーに課せられた使命だというふうに思っていまして、そこのタイミングを外してしまって、今お話があるような住民の多様なニーズにというような話というのは言ってみれば後の話なんですよね。今やらなきゃいけないのはもうこれしかないんだというときに多様なニーズを聞いていても、これはタイミングを逃すだけだというふうに私は思います。
 それから、二番目の話でありますが、これは定住自立圏をやってきた私ども、まさに生活圏、経済圏が一体となるようなところで定住自立圏をやっています。それが更に圏域が広がったときの考え方というのは、私は流域圏だと思います。私どもの場合ですと天竜川の流域、豊川の流域ということで三遠南信、豊橋を中心とした東三河、それから浜松を中心とした遠州、この三遠南信のやはり流域圏というものが私どもにとってはまさに次のステージになるというふうに考えております。
#73
○渡辺猛之君 それでは、平野参考人にちょっとお尋ねをしたいんですけれども、基本的なことをお尋ねさせていただきますが、このマイスター60さんでは、社員として採用される方はやっぱり何らかの技能を持たれた方とか資格を持たれた方でないと駄目なんでしょうか。例えば、今までこういう仕事をやっていたんだけれども、全然違う部署で働きたいみたいな高齢者の方来られたらどのように対応しておられるのかをお尋ねしたいと思います。
#74
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 うちの事業の一番のやはり人が大勢仕事ができているところは、やっぱり技術系ですよね、技能系、技術系。先ほどから何度も申し上げておりますように、ホワイトカラーの方はなかなかやはり、そういうふうな技術だけじゃなくてホワイトカラーの方に職場をつくりたいということで、そういう関係先やいろいろ回るんですけれども、ホワイトカラーの方は女性の方がコンピューター化してやるなんていうようなことで、実はいいんですという話でなかなか。しかしながら、ですから、ホワイトカラーの方を職能転換というのは、これは非常に大事なことだと思うんですよね、職がないんですから。
 これから、例えば一つ例を挙げますと、社会インフラがどんどんどんどん投資をして橋ができ、工場ができ、鉄道ができと、そういうようないろんな施設ができておりますから、この保守点検とか、これは非常にやっぱりお金以上に人手が掛かるわけですよね。震災で倒れた家屋をコンピューターでは直せないわけですよ。やっぱり人がぐっと上げて、立ち上げて、ねじを締めてと。ですから、そういうふうな傷む社会インフラをどうやはり世代を超えて維持していくというときに技能労働者が必要なんですよ。だから、ここをホワイトカラーの方々に、どうだい、やらぬかという、やってくださいという道を勧めていくというふうなことなんかが大事だと思いますし、ですから、今はもう技術系の方がやっぱり随分大多数なんですよ。
#75
○渡辺猛之君 そこでお尋ねしたいんですが、実は、マイスター60、人材派遣のお仕事なんですけれども、その高い技能とかそういう技術力というものは、基本的に私、考えているのは、日本の終身雇用制の中で一つの会社の一つの仕事に対して黙々と取り組むことによってやっぱりその技能とか高い技術というのが身に付いてきたと思うんですが。
 そこで、今、やっぱり大企業を中心として、仕事の忙しいときには派遣でお願いをして、暇になったらもうそのまますぐ切るというような、そういう状況を見ておられて、平野参考人、どういうふうにお考えになっておられるのか、ちょっと個人的なお考えを聞かせていただければ。
#76
○参考人(平野茂夫君) 自分も電気工事から仕事をして、でっち奉公をして、そしてだんだん企業経営というふうなことで来たわけですけれども、技能、技術は、二、三日とか二、三年とか、そうじゃなくて、やっぱり五年、十年、十五年ということで、ですから、若者を一気に立ち上げて技術者にできないんですね。ですから、それは、いきなり派遣ということはやっぱり具合悪いです。
 ですけれども、今、経済社会の中でさんざん言われている、円高を受けて言われていることは、やはりコスト競争力というふうなものが企業にはもう現実、必要なものですから、ですから、その中で一時派遣を使おうではないかというのは、これはやっぱり一つの整合性があるわけですけれども、そんな中で、年功序列賃金というものじゃない賃金体系を、同一労働同一賃金というような、それをすれば、ただ月給が上がっていくんではなくて、能力の適性、仕事の力に応じて賃金というのを決めていくということが労使の中で話合いができて、それが、まあまあそれでいこうということであれば、これは、一時的に派遣に頼もうというのではなくて、そういうふうなもの、ずっと一つの会社で勤め上げて、その会社への忠誠とか、あるいは技術、技能の蓄積ができると思うんですね。
 ですから、そういう仕組みを一緒にして、若者にずっと一つの会社で勤められるような仕組みづくり、大切だと思います。
#77
○渡辺猛之君 ありがとうございました。
 今村参考人、先ほどからお話を聞いておりまして大変感動いたしました。同じ岐阜県人として誇りに思っておりますので、これからも頑張ってください。
 以上です。
#78
○会長(直嶋正行君) 福島みずほ君。
#79
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 憲法審査会に出なければならなかったので十分聞くことができなかった点はおわびをいたしますが、資料や御意見も本当にありがとうございます。
 まず初めに、牧野参考人にお聞きをいたします。
 私も飯田に行ったことがありまして、御一緒しましたが、桜並木の桜のマイスターみたいな人がいらしたり、飯田は医療の関係で、市立の病院と開業医といろんな人たちでネットワークをつくって、そこで医療のシンポジウムに市長さんも来ていただきまして一緒にやったりというので、盆地ということもあるかもしれませんが、飯田として何をやっていくかということをとてもいろんな点で工夫をされていることはよくよく存じておりますし、どうも本当にお世話になっております。
 今日お聞きしたいことは、この飯田のおひさま進歩エネルギー株式会社、私も、知り合いの人たちもここで一生懸命やっていますし、自然エネルギー促進法ができる随分前から飯田はとても熱心にやっていらっしゃいます。今、自治体こそ自然エネルギーをやろうとか、巨大電力会社ではなくPPSから買おうとか、自治体の取組も非常に活発になっておりますが、非常に先進的にやってこられた意味と現状とこれからについて、自然エネルギーについて教えてください。
#80
○参考人(牧野光朗君) 福島先生には飯田に来ていただきまして、本当に地域の実情を見ていただきましたことを感謝申し上げます。
 おひさま進歩エネルギーでございますが、元々は、これはNPO法人から出発して、それがコミュニティービジネスとして発展して、今全国からも注目を集めるような形になってきておりますが、このきっかけになったところというのはまさに民間と行政の協働でございます。
 ここに書かせていただいておりますように、最初に保育園や公民館などの公共施設の屋根を使って太陽光の発電をしていくという、おひさま発電所と呼んでいますが、これをビジネスモデルとしてつくったということから非常に注目を集めるようになったわけですが、私ども行政の立場から見ますと、こうした保育所や公民館というのは保育をする場あるいは公民館としての場でありまして、発電所をする場ではないわけで、厳密に言いますと目的外使用になるわけですが、これを認めるかどうかというのが一番大きな行政側では議論になりました。
 地域におきましてこうした環境への取組の活動をしてもらっていること、それからこういった保育園におきましてまさに環境教育という、そういったことが実践できること、そしてこれがコミュニティービジネスとして確固たるものになることは環境産業の振興ということにつながるといった、こういった総合的な考え方で長期の目的外使用を認めるということに飯田市は踏み切ったわけであります。
 それにおきまして起こったことは、まさに飯田市がそうしたことを踏み切ったことによりまして、周辺の市町村がこのおひさま進歩とそういった契約を結ぶことによりまして、長野県の南、南信地区といいますが、南信地区の公共施設百五十か所ぐらいにこのおひさま発電所ができ上がっていたと。まさに民間の活力を使うことによって、地域を越えてそうした事業が展開されたというものでございます。
 そういった意味で、非常に今、環境政策というのは地域を越えて、あるいは主体を広げてやはりやっていくことこそ意味があると思いますので、一つのモデルではないかと思っております。
#81
○福島みずほ君 ありがとうございます。
 今村参考人にお聞きをいたします。
 私もカタリバに参加をしたこともありますし、若者、共生政策の担当大臣のときに、今村参考人に、カタリバの人たちに、若者の意見を吸い上げて子ども・若者ビジョンを作るときも大変協力していただきましてありがとうございました。
 そのときにも痛感したんですが、障害者の皆さんの代表あるいは女性の代表、高齢者の代表というといるんですが、若者の意見を聞こうと思ったときに、子ども・若者ビジョンを若者の意見を反映して聞こうと思ったときに、若者の意見って一体誰に聞いたらいいのか。子供や若者ってグループとして誰か代表者がいるわけではないので、実は若者の意見を聞きたいし、若者の本当に当事者の意見を聞きながらビジョン、大綱を作りたいと思っても、なかなかそのまとめが難しいというふうなことを痛感したんですね。変に誰かが代弁するというのもまた変な話なんですが、若者がやはり意見を言いにくいという現実に対してどういうことをもっと工夫していったらいいのか。
 例えば、雇用ということでいえば若者が一番苦労しているわけで、もっと若者が、当事者が発信しながら、それを私たちも政治として生かしていきたいんですが、若者の意見をどう反映するかについての何か御意見、工夫、こういうことは可能ではないかみたいなものがあれば是非御教授ください。
#82
○参考人(今村久美君) 二つの側面で、ちょっとまとまるか分からないんですけれども、お話をさせていただきます。
 一つは、若者を甘やかす必要もないというのも一つあるかなと思っていまして、要は、先ほど被災地支援のときも、住民の意見を住民の意見をということで住民の意見を聞いたところ物がまとまらないという話があったかと思うんですけれども、それもやっぱり事実で、今回、私がいる女川町では、やっぱり女川町の教育長がすぐにやると決めてくださったから、ほかのどこの自治体に提案してもできなかったことが一瞬にして、一秒で決まったということが、私たちが女川町をベースに活動を展開し始めた一つのスタートでした。それと同じように、若者の意見といってももう千差万別で、若者って一体どこからどこまでなのといったらもうよく分からないという状態の中で、そんなに、若者だから、若者さん話してくださいみたいな感じに扱う必要も全くないというのもあるかなとは思っています。
 とはいえ、やっぱりメールとかSNSとかネットが私たちの時代、私たちの世代以下の一番主たるツールであることは事実な中で、早くネットで投票できるようになったらいいなとか、そういった側面は早めに検討していただけたらなということは思います。一気に投票率は上がるんじゃないかと思います。
#83
○福島みずほ君 では、平野参考人にお聞きをいたします。
 今日の高齢者雇用とちょっとマイスターと違うかもしれないんですが、中小企業をどう応援したらいいのかといつもいつも思っているんですが、中小企業投資育成株式会社法の設立投資第一号ということで、平野参考人が考える、こういうことをやったら中小企業元気になるという提言を是非お聞かせください。
#84
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 私の場合は、中小企業投資育成株式会社法は、既成の会社に同族脱皮やあるいは社債の発行を受けてお金を付けたり、そういうふうな同族脱皮をするための資金の提供があったわけですけれども、初めてベンチャー投資をするという法改正の第一号をいただいたんですけれども。そのときに、四割の出資をいただいて、それ自身に余り急いで配当を求めないという雰囲気がございましたものですから、それから経営権も侵害しないという話がありましたから、そういう面で起業に対して随分力になりました。
 ですから、中小企業の方もそういうふうないろんな経済、特に今はそういうふうなところが厳しいものですから、資金的な点でなかなか投資に踏み切れないとか、あるいは従業員の雇用維持になかなか力が付けられないというふうなこと、資金の問題が相当大きなものですから、大企業と一緒に海外へ出るのであれば、その面での資金、資本の援助といいますかね、そういうことが経営としては一番社長さんが考えることじゃないかと思いますね。それで、そのほかのことは、それが付くとやる気のある社長さんであれば元気を取り戻せるのかなというふうな感じがいたしますね。
#85
○福島みずほ君 ありがとうございます。
#86
○会長(直嶋正行君) 他に御発言はございませんか。
 では、加治屋義人君。
#87
○加治屋義人君 自民党の加治屋でございます。
 平野参考人の考え方、実践、これからの時代そのものだと思っておりますが、今お話を聞いていて、全国展開をするその役割も今後担っていきたいというふうな決意もお聞きしたんですけれども、その中で行政側にサポートを求めるとすればどういうことがありますか、そのこと一点だけお願いします。
#88
○参考人(平野茂夫君) お答えいたします。
 私は、行政から様々なものを、政策提言を挙げてはおりますけれども、基本的には、私はやっぱり経営、先ほど申し上げましたように、経営に一つの志というふうなものをまずは持っていただく方を大いに増やしていただくというふうなことが大切であろうと思いますし、そんな中で、まず自分で努力をし立ち上げる中での助成というものをやはり頼っていかなければ、初めからというのはなかなかやっぱりそれは進まないんですよね。自らを助けていくという、そういうベンチャー精神といいますかね。
 それで、あと、今申し上げれば、高齢者を、高齢者に限って言えば、マル適マークなんて、消防署、安全ですよというときはマル適マークなんか出すわけですけれども、高齢者を大いに雇用して、そして三世代同居とか若者への技術伝承を図っているというふうな、で、働きたい限りはどんどん、七十でも七十五でもいいですよというふうな、そういう企業であれば、高齢者、シルバーマークというか、それで国がたたえてあげると、お金は要らないんです。そういうことを拍手をしてあげるという、こういうことは今大事な、お金の掛からない政策だと思います。
#89
○加治屋義人君 当委員会には全く関係ないんですが、牧野参考人、豪雪で大変だと生活が大変だねとよくニュース、新聞見ているんですけれども、現状だけをちょっと教えてください。
#90
○参考人(牧野光朗君) 豪雪で大変なのは、私どもの地域の仲間であります飯山市とか中野市、栄村といった、ああいった県の北部の方が本当に大変でございます。
 私ども飯田市の方は、先ほどおひさま進歩の話をさせていただいたように、むしろ太平洋側の気候ですので、太陽光発電普及率、全国でもトップクラスなほど晴れの日が冬は多いというところでございます。それが現状です。
#91
○加治屋義人君 ありがとうございました。
#92
○会長(直嶋正行君) よろしいですか。
 それでは、他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見を賜りまして誠にありがとうございました。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。(拍手)
 本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。
   午後三時四十六分散会
ソース: 国立国会図書館
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