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2011/11/30 第179回国会 参議院 参議院会議録情報 第179回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第2号
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2011/11/30 第179回国会 参議院

参議院会議録情報 第179回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第2号

#1
第179回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第2号
平成二十三年十一月三十日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 十一月二十九日
    辞任         補欠選任
     広田  一君    はた ともこ君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         鴻池 祥肇君
    理 事
                金子 洋一君
                西村まさみ君
                関口 昌一君
                古川 俊治君
                秋野 公造君
                寺田 典城君
    委 員
                梅村  聡君
                尾立 源幸君
                小西 洋之君
                小林 正夫君
                高橋 千秋君
                中村 哲治君
               はた ともこ君
                牧山ひろえ君
                安井美沙子君
                吉川 沙織君
                石井 準一君
                岸  宏一君
                中原 八一君
                牧野たかお君
               三原じゅん子君
                山崎  力君
                竹谷とし子君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        近藤 俊之君
   参考人
       ダイヤ精機株式
       会社代表取締役  諏訪 貴子君
       株式会社ニトリ
       ホールディング
       ス代表取締役社
       長        似鳥 昭雄君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○参考人の出席要求に関する件
○国民生活・経済・社会保障に関する調査
 (「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」
 のうち、円高問題・産業空洞化への対応につい
 て)
    ─────────────
#2
○会長(鴻池祥肇君) ただいまから国民生活・経済・社会保障に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日、広田一君が委員を辞任され、その補欠としてはたともこ君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(鴻池祥肇君) 参考人の出席要求に関する件についてお諮りをいたします。
 国民生活・経済・社会保障に関する調査のため、本日の調査会にダイヤ精機株式会社代表取締役諏訪貴子君及び株式会社ニトリホールディングス代表取締役社長似鳥昭雄君を参考人として出席を求め、その意見を聴取することに御異議ございませんか。
   〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
#4
○会長(鴻池祥肇君) 御異議ないと認め、さよう決定いたします。
    ─────────────
#5
○会長(鴻池祥肇君) この際、本調査会の二年目の調査について御報告申し上げます。
 本調査会は、「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」をテーマとして調査を進めております。二年目の調査につきましては、理事会等で御協議をいただきました結果、経済を中心に調査を進めていくことといたします。
 委員各位の御協力をよろしくお願いを申し上げます。
    ─────────────
#6
○会長(鴻池祥肇君) 国民生活・経済・社会保障に関する調査を議題とし、「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」のうち、円高問題・産業空洞化への対応について参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 この際、参考人の方々に一言御挨拶を申し上げます。
 本日、御多用のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本日は、皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にさせていただきたく存じておりますので、よろしくお願いを申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず諏訪参考人、似鳥参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず諏訪参考人にお願いいたします。諏訪参考人。
#7
○参考人(諏訪貴子君) ただいま御紹介にあずかりましたダイヤ精機株式会社の諏訪と申します。大田区の小規模企業代表ということで今日はお話しさせていただきたいと思います。
 円高による国内の空洞化の懸念について、これは本当に深刻な問題ですので、今、大田区の現状を踏まえてちょっとお話をさせていただきたいと思います。よろしくお願いいたします。(資料映写)
 ダイヤ精機株式会社は大田区千鳥にございます。私は二代目となります。先代が、昭和三十九年、大田区の本社工場と矢口工場という形で創業いたしました。のれん分けというものがございまして、当社は二、三人の職人を軸としたゲージ工場という形で創業いたしました。事業内容なんですけれども、自動車関係のゲージだとか治工具、そういったものを設計、製作をしております。
 これが当社の社内風景です。一番左側にございますのが、職人によるハンドラップと呼ばれる作業でございます。これは本当に十年以上掛けて職人と育て上げて、十年、二十年、三十年、四十年と技術を磨いていく職人技の一つになっております。下にございますのが、やはり若手の育成を今一生懸命やっております。OJTによります若手育成の風景になっております。一番右手にございますのが、これ女性なんですけれども、技能検定一級を、機械検査一級を持っております女性検査員による検査です。ミクロン単位、一ミクロンずつの製品検査というものはこういう機械で行っております。
 当社の製品なんですけれども、付加価値製品、高付加価値製品、低付加価値製品、よく言われますが、両方やっております。高付加価値製品と位置付けておりますのは、ミクロン単位、一ミクロン単位での精度を要求されたものについて高付加価値製品というふうに位置付けております。当社ですとゲージと呼ばれるものがその類いなんですが、皆さん御存じのエンジン、ピストンというものが付いております。この下にあるのがピストンなんですけれども、これは鋳造品と呼ばれまして、アルミを溶かして型に入れて、そして削り出していく部品です。これ自体が、アルミの鋳造でありながらミクロン単位での精度が要求されています。
 これを一々先ほどの三次元測定器で測っていきますと、大手自動車メーカー、大量生産できません。ですので、我々で、素人さんでもミクロン台を測れるもの、一発当てればそれがオーケーかNGか判定できるもの、そういったものを作っております。もちろん、この製品自体がミクロン単位ですので、我々の製品に関しましてはプラスマイナス千分の五ミリ、五ミクロン以内での公差が必要になってきています。
 本当に機械というのは日々進化しておりまして何でもできると思われがちなんですけれども、次にこういった当社の製品が左側にあるんですけれども、こういったものは、やはり鉄というのは皆さん硬いと思われがちなんですが、我々からしてみると非常に軟らかい、一ミクロンは人間の手の温度ですら変わってしまう。ですので、機械ではやはり限界があります。最後のミクロン台の精度出し、磨きというのは、職人の手による、もう本当に勘、コツ、度胸の世界でやっております。これが日本独特の技術であり、日本固有の先輩方が築き上げてきた技術ということになっております。
 ちょっとこちらに見本を持ってきたんですけれども、これもマスターと呼ばれる、部品のマスターになります。これも日本でしか今作られておりません。これは我々の製品なんですけれども、よくCVT、今、低燃費少女ハイジですとか、そういった形でCVT有名になっていますけれども、そこの基幹部品です。このテーパー角度プラスマイナス千分の一ミクロンで磨き上げられています。これは今当社でしかそれが作ることができません。これによって検査でオーケーが出たもの、そういったものが世界中に流れています。
 ここからが大田区の物づくりなんですけれども、大田区の工場の特徴といたしましては、金属等の機械加工を主体としている、従業員数九人以下の企業が全体の八割、多品種少量生産、職人を軸とした高い技術力を保有しています。職人の技術は、自動車、電気、医療、航空、宇宙といった幅広い産業において研究開発や技術開発に貢献してまいりました。現在では、オンリーワンと呼ばれるそこでしかできない技術や製品を持った工場というのも数多く出てきております。
 先ほど、低付加価値、高付加価値の位置付けをしたんですけれども、低付加価値製品とは設備があり人がいればできるもの、こういったものはやはり競争相手は今海外になっております。高付加価値製品、高精度の設備、一流の技能やノウハウが必要なもの、こういったものが高付加価値製品なんですけれども、これをやると、後ほどちょっとお話しさせていただきますが、大変経営リスクが高くなるというお話を後でさせていただきます。
 大田区の物づくりの歴史なんですけれども、やはり軍需産業から高度成長期、大変工場数は増えました。昭和五十八年には九千百九十社ほどありましたが、やはりリーマン・ショック、また震災というものがございまして、その数は、平成二十年の当時で四千三百六十二社、ただ現在もまだ減少を続けておりますので、およそ四千社と推測されています。
 ここで、リーマンのときと震災後の円高、両方触れたんですけれども、リーマンのときには倒産という形が非常に多く見られました。しかし、近年、震災後も含めまして、廃業という形がすごく多く見られるのが特徴でございます。これはやはり、製造業の先行き不安という形でもう仕事を辞めてしまう、高度成長期に立ち上げられた経営者さんたちが廃業をされる、廃業という選択をするということが多く見受けられます。
 ただ、こうやって、このようにグラフだとか数字だけを見ると大変悲観的にとらえがちなんですけれども、事業数は減っているんですけれども、やはりまだ技能継承や技術継承、そういったものに意欲を持った若手経営者、そういった人たちもかなり多く存在しておりまして、また機械金属全般において、ほぼフルセットの状態で企業が存続しているため、集積地としては維持されているという形になります。ただ、今後も減少を続けるとその集積バランスが崩れる懸念がございます。
 当社といたしましても、協力会社さん、当社は三十五名なんですけれども、協力会社さん四、五十社持っています。その中で、やはり九人以下という工場、三人でやられているところもあれば四人でやられているところもあります。そういったところのやっぱり支援というものをしていかなければいけないということで、ダイヤ会というものを持っています。ダイヤ会の取組といいますのは、やはり二人、三人、四人でやられているところは、営業工数を取ってしまいますとかなりその工数が負担になってしまいますので、我々から営業人員を出してあげたりですとか、技術交流、また親睦会、後継者育成支援などをさせていただいています。
 ただ、やはりリーマンですとか震災の影響で廃業をされる方がすごく多いので、このダイヤ会、仲間回しと呼ばれる生産ネットワークに支障を来しています。また、三人、その少人数でやられているところというのは技術力物すごく高いです。そういった技術を残すためにということで当社で受入れを行っております。廃業された社員さんの受入れも行いました。これがちょうど二〇〇八年、リーマンのときと重なりまして、大変負担なんですけれども、こういうことをやらないと先輩方の築き上げてきた技術というのを後世に残すことができないということで頑張っております。
 円高による生産の変化なんですけれども、当社の製品は、新しい部品の生産開始や生産ラインの立ち上げ時に需要が伸びます。二〇〇九年、リーマン・ショック後、これは受注がストップいたしました。単月で申しますと八割減、九割減というものを経験いたしました。
 二〇一一年、震災後なんですけれども、よく私もマスコミの方からどうですかというふうにお問合せをいただきました。確かに国内生産、国内需要向けというのはかなり減少したんですけれども、ストップではなかったんですね。海外向け、メキシコ、中国等への輸出向けが増加いたしました。これは海外でのラインが立ち上がるということを意味しておりまして、ますます国内の空洞化の懸念が高まってきているというものを実感いたしました。リーマン・ショック後は、円高に振れても円高の回復基調を待とうという大手の姿勢が感じられたのですが、やはり震災後、それを待つのではなくて、もう実際に自分たちでリスク回避をしていかなければいけないという動きがかなり見受けられました。
 大田区の工場の問題点と課題なんですけれども、外部的要因によるもの、こちらはピンク色で示されているのがやはり円高による影響です。受注の低迷、受注単価の低減、同業者との競争激化、これは国内の生産が落ちておりますので、やはり仕事量が取り合いになります。単価競争という形に陥りまして、もう本当に仕事を幾らやってももうからないという状況があります。また、高付加価値製品の受注の増加、もうこれも本当にNG率、後でまたお話しいたしますが、NG率がとても大変高く、また、職人による手作業であったりだとか技術を必要としていますので、経営リスクもすごく高いものが増加しております。
 内部的要因によるもの、事業継承、やはり今後継者不足というものもございますし、また、技能継承、若手の育成投資、我々はやはり十年掛けて人を育てなければなりません。全て正規雇用で行っております。二〇〇八年のリーマン、そして二〇〇八年から我々は人材確保と育成という形でやっておりましたが、もうそれも本当に重なってしまって、二〇〇八年から現在に至るまで十名の増員となっています。元々二十何名だった当社がプラス十名というのはやはりかなりの負担でございます。また、若手の人材不足、やはり物づくりというものになかなか若者が興味を持っていただけないというものがあります。経営者、従業員の高齢化、設備の老朽化、資金繰り、資金調達、そういったものもあります。
 あと、一番下にございます先行き不安に伴う投資抑制、これが本当に今、大田区内でかなり見られておりまして、先どうなるか分からないので、機械を買うなら今だと思うんですけれども、なかなか新しい設備投資ができない。また、先行きが分からないので中長期計画が立てられないということもあります。そうしますと返済計画立てられませんので、新しい投資というものがなかなか難しい。銀行さん側の主張もすごくよく分かるんです。返済計画立てられなければお貸しできないというのもすごく分かるんですけれども、実際、本当のことを言うと、本当に中長期、今立てられない時代なんですね。なので、やはりそういった先行投資というものが物すごくやりづらくなってきております。
 やはり大手企業が現地化をどんどん推進しております。当社の影響をちょっと御紹介いたしますと、先ほどから何回も申し上げているように、国内受注の減少、高付加価値製品の増加、経営リスクの増加、そういったものがあります。国内受注の減少がありますと、協力会社さんへの発注が減少いたします。そうすると、やはり協力会社さんも廃業という形を取らざるを得ない。私も何とかして救いたいんですけれども、私自身が潰れてしまってはやはり協力会社さんも共倒れになってしまいますので、やはりもうこれは涙をのんでという場面に数々遭遇いたしました。
 また、先ほどから申し上げている高付加価値製品というものなんですけれども、NG率が非常に高いです。よく高付加価値を日本に残せばいいじゃないかというものがありますけれども、本当にこういったものも一ミクロンです。一ミクロン磨き過ぎただけで、今まで数々の工程を通り過ぎてきたものが一発でNGになってしまいます。これはもう一発で赤字なんですね。
 昔はリスク単価というものを倍の値段で取っていただいていました。そういったものも価格破壊によってなくなっております。大変経営リスクが高くなっております。また、職人技ですので、特定の職人の負荷が増加いたします。また、そういうことによりまして携われる職人というのが限られてきますので、若手の育成が困難と。もう本当に経営リスクといたしましては増加しております。
 低付加価値に関しては、二〇〇四年、五年、六年と見ますと、我々としては、八割ほどが低付加価値製品、二割ほどが高付加価値製品、高付加価値製品を看板として掲げておりました。そして経営の安定化というものを図っておりましたが、現在はこの高付加価値製品が五割となっています。非常に経営リスクとしては高くなってきていると思います。
 ですので、やはりこうやってコア技術というものを守るためにもグローバル化を中小企業でもしていかなければいけません。ただ、中小企業の経営者、皆さん、連帯保証をしています。失敗が許されません。グローバル化、大手企業さんはやっておりますが、なかなか中小企業はそこに動けないというのが現状でございます。
 その中でも、オオタ・テクノ・パーク、これはタイのアマタ・ナコーンにあるんですけれども、今洪水の影響、アマタ・ナコーン工業団地は受けていないんですけれども、工業団地を持っております。これは賃貸集合工場でして、小規模企業でもグローバル化を実現できるモデル事例だと思っております。問題点としてはいろいろあるのですが、オオタ・テクノ・パークは、アフターサービスだとかサポート、そういった面でも優遇されておりますし、税制に関しても優遇されております。
 私も実際そうなんですけれども、グローバル化を考えております。しかし、いろいろマーケティングもしないといけないんですけれども、成功例はたくさん出てくるんですね。ただ、失敗例というのがなかなか出てこない。こういったものもやっぱり失敗から学ぶことというものはたくさんあるので、そういったものの事例が欲しいなというふうにはすごく思っております。
 今後、やはりグローバル需要、発注というものは、数年、もうこの十年以内ではかなり増加してくると思います。やはり日本国内にそのグローバル需要というものを取り込まなければいけないというふうに思います。ですので、タイのこういう工業団地もそうなんですけれども、タイ以外の国にも工業団地や連絡拠点及びその受発注拠点としてアクセスポイント、そういったものが必要であるであろうと。中小企業がチャレンジしやすい政策といいますか、方法というものをお願いしたいというふうに思っております。
 最後になりますが、日本の物づくり、やはり日本の役割、日本だからできることというのを今後考えていかなければならないというふうに思っております。
 今まで議論されていた新技術の研究開発、高付加価値製品の開発、高精度技術の追求、これはやはり日本がリードしてやっていかなければならないことですし、もちろんマザー工場として機能していかなければならない、そこを御支援していただきたいというものはあります。
 また、それとはちょっと観点が違うんですけれども、やはり日本の物づくりイコール人づくりではないか。人材育成、こういったものがやはり日本の強みなんではないかというふうに強く感じております。本当に生産現場で培われた日本の作り込みの技術、これはトップレベルでございます。カイゼンという言葉がスシ同様、ローマ字となって世界共通語と今なっております。そういった技術ですとかノウハウ、そういったものをやはり世界各国の標準としてとらえていただけたらどうだろうかというふうに考えております。よくMBAを学ぶならアメリカへと皆さんお考えになると思うんですけれども、それと同様に物づくりを学ぶなら日本へ、そういった仕組みというものが大変有効であるというふうに私は考えております。
 国家技能検定もありますが、なかなか中小企業では受けられないという実情もございます。グローバルに通用する資格認定制度、そういったものをつくることによって留学生、これはコア技術を教えるのではなくて基礎技術、あとはノウハウ、そういったものを教え込む。そして、それを認定してあげて世界各国に送り出す。そうすることで日本のブランドイメージの強化、またグローバル需要の取り込みに、それに大変有効であるというふうに考えます。また、そういった資格を持った人たちが世界に散らばることによって、日本のグローバルで活躍されている企業さんが採用基準というふうになりますので、日系企業の安定化も図れると思います。また、日本国内の技術の底上げって書いてありますが、やはりグローバルで通用するということになれば、日本の若者もそれに取得しようという形に動くと思いますので、技術の底上げにもつながるというふうに思っております。
 是非こういったグローバルで通用する資格認定制度、そういったものをつくっていただきたい。日本は本当につくり上げてきた技術というのはすばらしいです。本当に日本の技術、まだまだ世界に通用すると思いますので、よろしくお願いします。
 あと、最後になりますが、私は大田区で生まれ育ちました。先代たちは高度成長期、とても私から見て夢を持ち希望にあふれ、物づくり、輝いて見えました。今、大田区見てみると、本当に、何ていうんでしょう、下を向いている、困った、仕事が止まった、そういう話しか聞きません。ただ、私が生きている間にもう一度やはり輝いている大田区、物づくりの人たちが輝いている姿を見たいと思っておりますので、どうぞお力添えをよろしくお願いいたします。
 以上です。ありがとうございます。
#8
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 次に、似鳥参考人にお願いをいたします。似鳥参考人。
#9
○参考人(似鳥昭雄君) じゃ、早速させていただきます。二十分いただいておりますので、説明させていただきます。
 それでは、まずスタートをお願いします。(資料映写)
 うちの現在の概要なんですが、一九六七年に私が二十三歳のときに始めました。そして、五年後、三百万円で会社をつくりまして、現在は売上げが三千百四十三億円、連結利益で五百三十六億円であります。資本金は百三十三億ですね。最初は家具店から始めました。ですが、今は家具は四六%、その他のインテリアと言われるホームファッション、五四%です。
 店は二百六十四店舗で、台湾が約十店舗。内訳は、ニトリホールディングスというのは昨年つくりまして、物流の会社もそのときにつくりました。ホームロジですね。合わせまして一万四千六百六十一名と、社員が三千三百名、ナショナルスタッフというのは外国人であります、四百五十九名。それからニトリファニチャーは、これも外国人でありまして、スマトラ島メダンに千三百名、それは十六年前につくりました。そして、六年前につくったのがベトナムのハノイに今千七百人と、日本人は両方合わせて十人であります。あと、ニトリパブリックというのは広告会社であります。東証一部が二〇〇二年に上場いたしました。
 企業理念ですね。私どもではロマンと。ロマンとビジョン、ロマンとビジョンといつも言っておりますが、志、人のため世のため進めることなんですが、欧米並みの住まいの豊かさを日本の人々に提供する。そして、最近は、プラス、今、台湾、今度は、再来年はアメリカということが計画されていますので、世界の人々に提供するということにしました。
 創業当時なんですが、一九六七年ですね。このように、私もサラリーマン一年ぐらいいたしまして、それから土木、住宅の基礎工事とか、それから水道本管、給水工事をやりまして、その後、首になりましたので、結局は自分で何かしなければならないと。二十三歳のとき、独身で、親戚から百万円を借りてスタートしました。最初はこの店は三十坪ですね。一月四十万しか売れなくて、当初は非常に食べれなくて、いつ倒産してもおかしくなかったという状況でありました。ここからスタートしまして、この後、今度、二階に住んでいましたが、二階の方も売場にしまして、一年目の売上げが約一千万円、年商が一千万円弱でありました。
 そして、ここ、二店目が昭和四十七年、三年後ぐらいにオープンしましたが、また大きい店、五倍ぐらいの大きい店が倒産しそうになりまして、その後、アメリカは一回倒産する前に行ってみたいということで、また親戚から四十万円借りてアメリカに行った後、アメリカに行きましたら、このように衝撃を受けました。
 日本では商品を買う場合、考えてから、見てから、名札を見てから、価格を見てから買うと。だから、悩んでから買うと。アメリカに行くと、特にウォルマートなんかは、価格見ないでカートにもう好きな感じのをどんどん投げ込んで、レジ通ればほとんど変わらないという。価格は三分の一ですね。買物の楽しさというのは、やっぱり価格を見ないで買物ができるということが一番楽しいということが分かりました。日本は非常に、三倍高いわけですね。給料が、大体所得がアメリカ人も日本人も同じぐらいでしたが、日本人だけが何で三倍高いものを買わされるんだろうという衝撃を受けましたですね。
 それから、日本の場合にはメーカーが川上に立って、卸屋さん、私たち小売ですから、もう常にメーカーさんが自分たちの考えで作った、売る立場ですね。そうじゃなくて、アメリカの場合は、小売業が川上に立って、そしてメーカーが下請ということでありますので、買う、使う立場で商品が作られていると。
 三つ目が、日本の場合は多目的、多用途が多いんですが、あちらの場合はTPOS、特にスタイルですね、がらがらっとスタイルを変えて、その中から選べると。サイズは、日本は少ないんですが、アメリカは多いということですね。それから、品種が、日本は少なくてアメリカは多いと。
 それから、組合せの場合はちぐはぐ、日本の場合には。私たち、家具でも、食器棚作っている、ベッド作っている、たんす作っている、みんなメーカー別々です。カーテン作っている、カーペット作っている、皿作っている、もうみんな別、ばらばらですから、形もデザインもスタイルもカラーも、組合せなんということは絶対一〇〇%できないと。それに比べて、アメリカの住宅に行くと、みんなトータルにコーディネートされていると。大体、色は一家で三色以内と。日本は何十色もあるわけですね。形もデザインも価格も違うと。どうしてこんなに違うんだろうかというと、やはり日本はメーカー主導であって、アメリカは小売業が企画、設計、デザイン全てのことをやっているということですね。で、商社が少ないと。
 そこで、私二十七のときなんですが、お金はないけれど一生を懸けてアメリカのように日本人の暮らしを豊かにしたいという、考え方を変えまして六十年計画を作りました。二十七ですから、まあ六十年というと八十八歳ですね。その前半の三十年、後半の三十年というふうに作りまして、前半は、当時一億六千万でして、二店舗でしたが、一千億、百店舗目標と、それに一部上場を最終的に向かうと。
 それから、札幌出身でありましたが、札幌から道内、そして全国にと、ナショナルチェーンというビジョンですね。それから、家具屋から発想でしたが、家の中を全部総合的に提案するという、そういうホームファニシングというふうにアメリカにありましたので、アメリカをまねて日本で普及活動をしようということで現在に至っておりまして、二〇〇二年で三十年が終わりました。一年違いで達成できまして、次の三十年計画を、今九年目であります。
 次のページです。
 皆さん、釈迦に説法で、大変御成功された方ばかりで私が生意気なことを言うのはおこがましいんでございますが、私のそのままの経験でありますが、アメリカの行く前ですね、私は樺太というかサハリンの引揚げでありまして、一家が全然金がなくて食べていくのに大変だと。うちのおふくろも米のやみ米をやってそれで生計を立てていた、父親はソ連に抑留されてかなり後から帰ってきたけれども日雇という、そういう貧乏で学校もろくに両方とも行けなくて、私は一応行かせてもらったんですが、非常に出来が悪くてコンプレックスの塊でありまして、このように、仕方がないと、それから宿命であると、自分のことだけ努力しようとか、楽々、もう明日のことは余り考えないとか行き当たりばったりとか、そういう木を見て森を見ずというか、こういう方でしたね。商売を始めても、もう売上げ、売上げ、売上げということでした。
 ところが、アメリカへ行ってから少しずつ変えまして、やっぱり志であると、人のため世のため何とか変えていきたいと。結果、理想主義であって、生きがいと。死ぬまで一生の間、八十、九十までやっぱり人のために生きていこうと、人々の幸せにつながる努力ですね、そうしないと生きていく価値はないなと、そういうふうに思うようになりました。
 で、超ハードワークでありまして、土曜日、日曜日もないと。そして、六十年計画、三十年計画の逆算ですね、両方とも方向が悪くて倒産したりしましたが、やっぱり方向、進む方向が、現在の方向ではなくて何か特徴を持って将来に対してこうなるんではないかという経営戦略ですね、それを常に人よりも先に、五年先に手を打っていこうと、そして方法が間違っていないかどうか、手順も優先順位からなっていないかということを考えてやってきました。
 それはやっぱり木を見て森を見ずじゃなくて、やっぱり山からと、それから木の部分も見えない根元の部分から見ていくとか、あとは、一面的でなくて四次元というか、縦横、上からとか、立体的にして三提案をしようというのはうちの社風であります。
 それから、前例から学ぶというのは、もうアメリカとかヨーロッパとか成功した企業を学んでそれを日本で取り入れると。そして売上高ではなくて客数であると、社会貢献のバロメーターはお客がどれだけ増えたかと、減った場合にはもうその店とか企業は要らないというふうに宣告されたものと思って、そのときは閉鎖しようと、社員でいつもそういう合い言葉でしました。政治が悪いとか、状況が悪いとか、景気が悪いとかいうのは、天気の、寒いから売れないとか、暑いからとか、早いとか遅いとかいうのと同じですね。私たちだけでとにかくそれは打破していこうということで、客数を増やしていくということですね。
 それから、店数は、やっぱり一店よりも十店、三十店、百店。百店やることによって標準化によってコストが下がっていくと。二百店やることによって更に倍のパワーアップがするということですね。やっぱり店数が、そしてまた日本全国、十万人とか五万人の地区というのはいい店がなかなか行かないんですよね。だから、経費掛かるけど、そういう都市に店を出して、その地域の人にいいものを安くという、そしてコーディネートが楽しめると、センスのないお父さん、農業とか漁業の方でも一気にコーディネートが楽しめて気楽に買えるということをしていきましょうという、それが一つの社会貢献であるというふうに考えて取り組んできました。
 次は、ロマンとビジョンなんですが、前半のビジョンが終わりまして、今この三十年計画の二〇一一年なんですが、今年で二百七十二店になります。来年が三百店を超えて、そしてその十年後は千店、その十年後は三千店というふうに、これから日本から、台湾ですけどアジアは後にして、アメリカ、一番世界で競争の激しいアメリカに行って、そしてアメリカのチェーンストアと戦って、戦うというか競争して、アメリカ人のよりも日本の企業が、ニトリファンにさせると。そして、次はヨーロッパ、全世界というふうに考えて、棒ほど願って針ほどかなうといいますか、できそうもない計画を作ったんですが、それもできましたので、今度はこういうような大きな目標を立てて、僕は必ずいくと思いますよね。やっぱりこれは全社員が総力を結集していけばどんなことでも可能でないかなというふうに思っています。
 結果的に売上げが三兆円という数字になりますが、北海道の企業においても、やっぱりもっと津軽海峡を渡って、怖いんですよね。私も怖くて本当は行きたくなかったんですけど、社員に後押しされて、本州に行かないともう辞めるというふうに言われまして、仕方なしに東京にとか、最初は茨城に来て、千葉に来て、なかなかうまくいかなくて、神奈川に来てから売れるようになって、そして、ああ、人口の多いところが一番だと思って、東京、埼玉、そして大阪とか、それから飛躍的に伸びるようになりました。
 そして、今度は、日本の企業も海外にやっぱり打って出るということをまず小売業でも、ユニクロさんとも、僕は柳井さんとも友達なんですけど、どんどん我々が海外に行って、売上げも利益も店数も増やしていこうというふうに誓い合っております。
 具体的に、海外輸入、直輸入への取組ということですね。こういうふうに、一九八二年、海外直輸入開始。そのときは一ドル二百五十円でした。今は七十円台ですが、かなり円高になっております。一九九四年にインドネシア工場ですね、そして二〇〇四年にベトナム、ファニチャーをつくりまして、現在は三千人ということです。
 一番初めは、旭川の工場を、倒産しそうなんで、そこの専務から買ってくれと言われて、従業員を引き受けたんですね。そのときは二百何十名でした。旭川でしばらくやったんですが、うまくいかなくて、中国の深センというところで扉を作って、タイのハジャイで箱を作ってと。それでもうまくいかなくて、やっぱり一〇〇%人事権と財務権がないと駄目だということで、そのときにインドネシアでたまたま一〇〇%外資オーケーということがありましたので、進出したのが一九九四年です。
 当時は、インドネシアの年収は五万円でしたね、賃金が。今は二十五万円に上がっています。ベトナム工場も、進出したときには年収五万円の給料ですね。だから月三千円、大体三千円ぐらいからスタート、月給三千円ぐらいからスタートですね。今現在はベトナムも年収十五万ぐらいと。だから日本人、四百万ぐらいですから、やはり十分の一、二十分の一なんですね。
 だから、どんなことしてももうかなわないと、だから先に海外行って日本の技術を教えて、そして日本に輸入する、又はアジアとか海外に輸出するという形が絶対必要だと、でないと生き残れないというふうに私たちはそう思いまして、首から上が日本人の企画、設計、デザイン、そのノウハウを得るのはアメリカとヨーロッパと、それを日本流にアレンジして、そして体はアジア各国のところと。これからはミャンマーとかカンボジア、また今現在はアフリカ、南米の方にも企画しておりますが、常に早め早めに手を打って取り組んでいくと。私たちも今度農業の方から、具体的に言うともう綿が二倍に上がりましたので、中国含めて、だからアフリカのあるところに調査して、そこで綿作りから始めたいというふうに今思っています。
 このように、企画、設計、デザインから、年十二万コンテナですね、日本最大だと思いますが、それを全部、海外の工場から港、港から船舶、会社と契約しまして、日本の全国ということをやっております。
 それから、社会貢献のバロメーターとしまして、今四千三百万人お買上げいただいておりまして、一五年には八千五百万人がお買上げですね、来場者はこの二・五倍ということになります。
 それから、海外輸入品売上げ構成比で一九八八年は二・五%でした。今は、現在八〇%が輸入で、二〇%が日本で作っておるということになります。
 それから次、急速な円高が進行してこういう状態が、景気が下振れ、産業の空洞化、円高メリットと、こういうことになっております。
 ニトリの取組としましては、安さの実現とロマンの実現と社会への貢献と。
 もう最後になりましたが、円高の、まあ皆さん、釈迦に説法で、当たり前に皆さん御存じですが、一応こういう円高のメリット、デメリットということを書いてきました。原材料が安く手に入る、商品も安く入るということでございます。MアンドAもしやすくなると。
 日本の主な、これも皆さんデータ持っていると思いますけれども、輸出品目と輸入品目の構成比ですね。こういうふうになっております。
 世界各国の輸出依存度ですね。日本は高いようでそうでもないんで、一一・四%ですね。タイ、韓国、ドイツ三三と。中国、ロシア、イギリス、フランス、このように輸出依存度、アメリカ合衆国は七・四で少ない。そして一方では輸入依存度ですね、タイで五〇、ドイツで二八とか、日本は一〇・八%と、このようにアメリカ合衆国より低いというふうになっております。
 もう終わりますが、あと、円高というと、一例なんですが、一九四九年、イギリスの一ポンドは千八円でした。今現在百十八円、約十分の一になっております。日本も、これですと三百六十円から十分の一だと三十六円、このときの一二%ですと四十三円ですね、特殊な例でありますが。これは人類の経験法則で、どんなにいろんなことがあろうが、だんだんそういう傾向になっていくんではなかろうかなというふうに思っております。
 それに対して、生意気ですけれども、やはり産業の空洞化ということがありまして、アメリカみたく第三次、第四次産業にもう就業人口が移っております。日本も同じように規制緩和をしていただければ、まだまだ僕はそういうふうに雇用の拡大が得られると思うんですよね。是非そういうことも取り上げていただき、検討していただけたら有り難いなというふうに思っておりまして、時間が来ましたので終わりとします。
 どうもありがとうございました。
#10
○会長(鴻池祥肇君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 それでは、これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、私の指名を待って着席のまま御発言くださいますようお願いをいたします。
 なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十分以内となるよう御協力をお願いをいたします。
 それでは、質疑のある方、挙手を願います。
 金子洋一君。
#11
○金子洋一君 民主党の金子洋一でございます。
 今日は、諏訪参考人、そして似鳥参考人、大変お忙しいところおいでをいただきまして、ありがとうございます。お一人に一問ずつお尋ねをさせていただきたいと思います。
 まず、諏訪参考人にお尋ねをしたいと思うんですが、私も大田区に四年間住んでおりまして、今の選挙区が多摩川を挟んだ神奈川県ですので、何となく目に浮かぶような感じがいたしましてお話を聞いておりました。
 日産の関係の会社と取引が多いということですので、日産の会社はもう既にかなり海外に移転をなさっている工場が多いと思います。その際、同じ取引のある日産の会社と例えばタイなりに一緒に海外進出をしていこうというようなことをお考えになったかどうかということと、あと、最近よく他国からの、シンガポールや韓国辺りから、法人税をうんと安くするから来ないかというような誘いがいろんな企業に来ているということでありまして、高付加価値商品が得意な御社でしたら多分そういう話もあるんではないかなと思いますので、その辺りのことをお教えいただければと思います。
 まずは諏訪参考人。
#12
○参考人(諏訪貴子君) 今の御質問なんですけれども、確かに海外進出をされています。同業者でも海外進出する会社さん多いです。ただ、やはり大量生産系、今は部品系がかなり海外に移られていまして、私どものような多品種少量生産、そういったものはやはりまだ海外に進出する例が極端に少ないと言えます。今持ちかけているというか、経営者さんたちに一緒に出てみないということを私も話すんですけれども、やはり人をどうやって育てていくのか、何を求められているのかというのがいまいち分からないところがございますので、やはり工場を造るのがいいのか、アクセスポイントを持っていくのがいいのか、そういったものを今検討している最中です。
 あと、海外からの買収だとかMアンドAというお話なんですけれども、やはり私としてもいろいろ調べていく中で、逆に我々がMアンドAで中国に支店を持ったりだとか、タイに支店を持っている会社さんで後継者がいないところ、そういったところをMアンドAで一緒になってということを考えていましたら、逆にMアンドAのあっせん業者からは、中国で買いたい企業さんがあるんですけどと、かなりの金額を提示されましてちょっと心揺らいだんですけれども、やはりこうしてしまうと国内の技術流出してしまいますので、それはお断りしました。
 ただ、本当に今、中国さんですとか海外の企業というのは日本の技術というものがやはり欲しいので、やはり買いに来ているというのは事実でございます。
#13
○金子洋一君 ありがとうございました。
 ちょっと追加でお尋ねをさせていただきたいんですが、御社もいわゆる外から見ると中小企業ということですので、なかなか、お話の中にもありました、若者が余り入ってこないということでしたので、そういう中でどうやって人をつくり上げていかれるのかと。人が財産のような職種でいらっしゃいますので、その辺りはいかがでしょうか。
#14
○参考人(諏訪貴子君) 当社は、二〇〇八年から人材確保と育成という取組をやっておりまして、やはり若者にどうしたら来てもらえるかというプロジェクトチームをつくりました。その結果、二〇〇八年から現在に至るまでかなりの若手の採用がございまして、今、私が八年前に会社を継いだときには私より年下が二名しかいなかったんですけれども、現状では半分以上が四十歳以下という形になっておりまして、平均年齢も三十代後半。こういったやはりイメージアップですとかブランド力ですとかそういったものの強化ですとか、ちょうどあさって、ハローワークさんで経営者さん向けにセミナーやらせていただくんですけれども、やはり今まで製造業というのは若手の確保というのを大変苦手としていたんですけれども、やはり見せ方であったり手法であったり、そういったノウハウがありますので、そういったものをちゃんと身に付ければ、こういう工場でもまだまだ若者は興味を持ってきてくれるというふうに思っております。
#15
○金子洋一君 どうもありがとうございました。
 それでは、似鳥参考人にお尋ねをしたいと思います。
 私の昔の選挙区も人口十万人の三重県の伊勢市というところで、その私の事務所のあったすぐそばのショッピングセンターの二階に似鳥さんの会社がありまして、よく子供と一緒に買物をさせていただきましたが、まあそれは余談で恐縮なんですけれども。
 海外に、インドネシアやベトナムに工場をお持ちになったと、人事権を持てる、そんないろんなコントロールが利くということでお持ちになったというお話でしたが、そういったところにお出になる際に、現地の政府なりなんなりと何らかの摩擦があったかどうか、あるいは何か御苦労があったのかどうかということについてちょっとお教えをいただきたいと思います。
#16
○参考人(似鳥昭雄君) 普通は商社とかどこかに頼むんですが、うちの場合は銀行にお願いしまして、そちらの支店長を紹介していただいて、我が社ではとにかく、うちの商品開発は商社は入れないと、もう直接、今海外六百社ぐらい取引あるんですが、全部自社で、貿易も全て自前ということで、最初は素人でもだんだん良くなってプロが増えてくるということで、素人集団ですが、その立地を見付けることも建物建てるのも全部自前で、採用も全て、もう分からないことばかり、たくさんトラブルもありました。
 ある日本企業が撤退する場所をたまたま紹介していただいて、そしてそこをある程度安く譲っていただいて、インドネシアでスタートしたんですが、港が近い、それから雇用が安定だとか、インフラが整っているとかいうことでスマトラ島にしたんですよね。
 その後、たくさん賄賂の要求とか、ちょっとしたことが新聞に書かれて、政府から大量に役員が来てとか大臣が来てとかいうときもありました。それから、泥棒が非常に多くて、塀を二メートルから三メートル、四メートルにしたり、そうすると、今度はコンクリの壁を四回破られましてとか、あと、今度それを二倍にしたら、地中から今度は穴を掘って入ってきたりとか、いまだに非常にリスクがありますね。日本企業もうち一社だけですね、まだ。
 それでも、やはりもう技術者、十六年になりますから、工場長とか役員は現地の、当時採用した人たちがもう大半になりまして、日本よりも品質が良くなりましたね。最初の三年間というのはクレーム、クレームで売り物にならなかったんですが、だんだん良くなりまして、今はもう日本人が二人しかいないんですね。千三百人で、もう財務の責任者と人事の責任者だけで、あとは全員がインドネシア人ということですね。だから、最初は問題が多いけれども、年月を重ねてくることによってそれが克服できるということが分かりました。
 そして、会話は一つもできません、インドネシア語も英語も、みんな高卒ですから、工場、だから頭のいい人は一人もいないですけど、地元のだんだん大学とか優秀な人を採用しましてとかですね。だから、日本の今の工場よりも優秀な、クレーム率がもう〇・何%とかですね。
 ベトナムは、更に仏教国ですから、インドネシア人より、まあ失礼ですけど、日本人とか中国人に似ているのかな、三倍早いですね。もう一年目から、インドネシアが五年ぐらい掛かったのが一年ぐらいからできるようになりまして、今はほとんど九五%が女性、二十一歳の平均年齢の人がもうマネジャーになったりして、責任を与えれば予想以上に早く、今はもう売上げの五〇%が利益なんですよね、粗利益じゃなくて。だから、利益が、もう五十億の営業利益なんですね、工場が、百億の売上げにですね。
 なぜならば人件費なんですよね、異常に安いという。原料、材料も十数か国から取り寄せて、例えばニュージーランドとか、合板ですね、それからオーストラリア、それからチリとか、あと部品は中国とかタイとかいうところから入れまして、地元であるものは一つもないんですよ。全部輸入で集めて、そこで、そこの人間を教育をしていって、そして私たちは頭だけですね。企画、設計とか指導とかいうことをやっていっているということです。
#17
○金子洋一君 分かりました。どうもありがとうございます。
#18
○会長(鴻池祥肇君) それでは次に、関口昌一君。
#19
○関口昌一君 自民党の関口昌一です。
 今日は、諏訪参考人、似鳥参考人、大変お忙しい中御出席をいただき、貴重な御意見をお伺いできて、心から厚く御礼を申し上げる次第でございます。
 限られた時間での質疑ということでございますので、まず諏訪参考人の方から、ちょっと細かいことで失礼なんですが、メーンバンクは横浜銀行ですよね。地銀の最大手の横浜銀行をメーンバンクにした経緯と、さらに資金繰りに困ったときの対応等、差し支えない範囲で結構ですので、お聞かせいただければと思います。
#20
○参考人(諏訪貴子君) 元々、いろんな銀行さんと先代のときにはお取引がありました。ただ、先代が急に、私の場合、亡くなりまして、それの準備というものがされていませんでした。ですので、やはり株式自体も先代の所有のものでしたので、その手続等に私が株を取得できるのにかなりの時間が必要になりました。そのとき、やはりメガバンクさんというのはかなり非情でして、その株を取得していない間はやはり連帯保証はできないという形を申し上げたんですけれども、そうしたら、返せないんですねということで、不良債権扱いになってしまいました。銀行には返済をしていたんですけれども、受け取ってもらえなかったというのが事実です。ですので、メーンバンクとしてはやはりメガバンクというのは良くないと。
 その中で、横浜銀行さん、地方銀行さんなんですけれども、とてもよく助けてくれました。本当に、私は、先代が入院して三日間しかないという形で急に亡くなってしまって、誰が社長になるんですかというところから始めたんですけれども、そういったときにやはり横浜銀行さんがかなり力を貸してくれて、それこそ資金面だけではなく精神面とかでもかなり支えていただいて、社長という仕事はこういう仕事なんだということまでも親身になって教えてくださいました。ここまでやってくれる銀行さんてあるのかなという形で、私はもうそのときに決断をして、全てほかのバンクさんには返済をしてしまって、メーンバンクさんとして横浜銀行さんだけとお取引をするということを決めました。
#21
○関口昌一君 ありがとうございました。
 似鳥参考人、海外に自社工場を造るというビジネスモデルに行き着いた理由、この辺、また経営方針の考え方含めてちょっとお聞かせ……
#22
○参考人(似鳥昭雄君) 何の理由ですか。
#23
○関口昌一君 経営方針の考え方、海外に行くとき。
#24
○参考人(似鳥昭雄君) ああ、海外の。
#25
○関口昌一君 はい。工場を造るという、そこへ行き着いたビジネスモデルの考え方ですね。
#26
○参考人(似鳥昭雄君) 大体、輸入、台湾から始まりまして、一九八三年ごろからですね。日本の人件費は高くて、とにかく一に安く、二に安く、三に安く、四に品質、五にコーディネートが社是ぐらいで、安くすることがお客さんが喜ぶことなんだと思いまして、それにはやはり海外の人件費の安いところかなというふうに思って。
 最初、問屋さん抜かしてメーカーさんと取引したら札幌の木工団地から締め出されまして、そして、それは今度旭川行ったり函館行ったり、全部北海道から締め出されて、次、新潟の木工団地、また見付かって売ってくれなくて、群馬の木工団地、静岡の木工団地、広島の木工団地とだんだん南下しまして、九州の木工団地、そこでも手配されて売ってくれなくて、それで台湾に渡ったんですよね。
 台湾は、海外へ行ったら全くそういうのは、もう日本に輸出したことはないという企業ばっかりでありまして、そして韓国へ行って、それからインドネシア、マレーシア、タイ、中国、今はインド、バングラデシュとかに増えて、それぞれの国に会社があるんですが、海外から輸入できないものがあったんですよね。
 日本独特の食器棚とか整理だんす、洋服だんすとか、そういう箱物、これを海外に、もう自分で作るしかないなと。で、たまたま旭川で倒産しそうだという木工の作っているところがありましたので、それで、そこを三年ぐらいやってから海外に出ていくきっかけ狙ってましたので、みんな反対されたんですけど無理やり海外に、私がやろうと言って、社員が仕方なしに、海外に行くか辞めるかどっちかにしてくれと言ったら、残りたい人は海外に赴任したということで海外に行きました。
 おかげさんで、やはり最初は苦労したんですけれども、今現在は行ってよかったなと。うちの家具の売上げの半分以上はそこで作っておりますね。年間百万本以上はそこで作っております。
#27
○関口昌一君 もう一点、社員教育のことでちょっとお聞かせいただきたいんですが、ちょっと聞いた範囲では、海外研修された方々に必ずレポートを提出させるような話を聞いたことがあるんですけど、それの考えに至った経緯というのをまたちょっと教えていただければと思います。
#28
○参考人(似鳥昭雄君) 私がアメリカに行って、日本は貧しいのは分かったわけですね。それで志を持つようになったので、うちの社員にもどうしたら意欲とかモチベーションが、そして一生涯の志が持てるようにするにはどうしたらいいかというのは永遠の課題だったんですね。私がもうロマンとかビジョンがないと生きていけないというふうになりましたので、うちの社員も同じようにそういうことを味わってもらったらどうかなということで、私は二十七歳ですけれども、もっと早くということで、もう大卒入ったら二年目ぐらいからですね。そして三年たつと忘れちゃうんですよね。それで、三年ごとにアメリカに行かしてますね。
 今現在、今年は約九百名ですね。去年も八百五十名、大体そのぐらいの人数を三回に分けて研修して、毎日、やっぱり僕らは科学と論理だと思うんですよね。もうありとあらゆることを数字とか状態、グラフとか数字で、数字が入らない会話は遊びだって僕は言っているんですけどね。数字で常に会話ができる、入るという、それと状態、どういう状態かという二つのテーマで毎日レポートを出さないと朝バスに乗れないという、非常にもうしごきにしごいて、まあ私も一緒にやるということですね。まあ海外の試練も含めてそういう勉強をやってきました。
 今はパートさんが百五十名入っています。パートさんも同じ人間として一緒に、そういうロマンとビジョンを持ってやれば非常に強くなるなと思いまして、今はパートさんも同じように付いてきますね。時給だけじゃなくて、やっぱり勉強、非常に勉強してアメリカに行きたいという人が多くなりまして、いい傾向になっております。
 そして、あとはニトリ大学というのをつくりまして、社内のありとあらゆるステップを上がっていくのに試験と実績とか、それを数字と状態で証明するということをやっておりまして、あと海外のメーカーにも研修に、大体一週間のメーカー研修とかそういうことを行っています。
 以上、終わります。
#29
○関口昌一君 以上、終わります。
#30
○会長(鴻池祥肇君) それでは、秋野公造君。
#31
○秋野公造君 公明党の秋野公造です。
 今日は諏訪社長、似鳥社長、本当にお忙しいところありがとうございます。お二人に一つずつ伺いたいと思います。
 まず諏訪社長に伺いたいんですが、新聞記事で読ませていただいたんですけれども、物づくりの地位が低くなっているような気がするというお言葉はすごく私も同感をいたしました。私も北九州に住んで、物づくりの町に住んでおりますが、やっぱり製造業というものの経済波及効果を考えると、やっぱりここは絶対に大事にしておかなくてはいけないと思っています。
 そこを支えるという意味で、人材育成について伺いたいんですけれども、社長のところの募集を見ますと、経験関係なく、経歴関係なく来てくださいと書かれているのは社内でしっかり人材育成を行う体制があるからと思うんですが、中小企業における人材育成の在り方について、恐らくニーズが会社会社によってばらばらかと思いますので、まとめて、何といいましょうか、専門学校的に研修を、人材育成を行うのではなく、企業の中で個別にそのニーズを踏まえて、それが社会的なニーズになりますので、そういうことを今後力を入れていくべきではないかという思いが私はあるんですが、先ほど冒頭に申し上げた物づくりの位置が低くなっているという、その真意をちょっと熱く語っていただきたいのと、中小企業の人材育成の在り方につきまして、お考えをお聞かせください。
#32
○参考人(諏訪貴子君) 地位に関しては本当におっしゃるとおりで、先代は、この会社を建てたときに、お金が必要だったから物づくりの世界に入りました。兄がいたんですが、兄が白血病で、当時不治の病と呼ばれていました。ただ最先端の医療を受けさせてあげたい、それにはお金が必要だった。だったら、お金を稼ぐんだったら物づくり、そういう形が昔はありました。優秀な人は物づくりに行ってお金を稼ぐ、そういう時代がありました。
 ただ、今は仕事がないから、就職先が見付からないから物づくり、仕方なく物づくりという傾向や、やはり賃金の問題や、できる限りたくさんあげたいなというのはありますけれども、ただ、やはり受注単価の低減ですとか、そういったものを踏まえますと、やはり分配できる賃金というのは限られてきてしまっています。本当に物づくりというのは実は頭が良くないとできないものでして、本当に対価というものが今支払われていないのかなというふうに全体的に思っております。
 あと、人づくりなんですけれども、当社も初めは経験者のみという形で、即戦力が欲しいという形で採用をしていました。しかし、やはり、おっしゃられるとおり、その企業によってやり方というのは全く違います。逆に、経験がそれを邪魔をするというものがあります。だったら、未経験で、一からダイヤ精機製の人間を育てようというのがダイヤ精機の若手の確保のプロジェクトに入っております。
 なので、トライアル雇用もやりましたし、人材育成プログラムというのも組みました。やはり、その中で、OJTですのでかなり生産性が下がりますので、新しい考え方として、若い子はコンピューター得意ですので、NC機で生産性を安定させてプラス、NC機と同時に汎用機もやらせる。NCでプログラム組んだ後に、その空いている時間を使ってOJTをやっていく、そういう教育プログラムを作りまして、会社の中でゼロから育てよう。経験者ですと、自分の経験が生かされない、自分の経験でやったことがないという形になると自分には向いていないと行ってしまう方々も多くいらっしゃったので、だったらゼロから育て上げようと。
 職業訓練校などもたくさんあるんですけれども、やはりまだまだ改善する余地はたくさんあるというふうに私は思っております。日本の付加価値というのは、磨きというもの、研磨技術というものがやはり言われるんですけれども、今職業訓練校には研磨機がございません。ほとんどフライス旋盤、それも大事なんですけれども、どうしてそういうものがないのか、とても不思議でなりません。
 あと、やはり考え方ですね。物づくりにはやはり日本人がつくり上げてきた物づくりのノウハウ、PDCAを回して、五ゲン主義であるだとか、そういう物づくりの改善方法ですとか、そういった基礎知識、そういったものを学んできてくれると当社としては、工場としては生産方式を学んできてくれると大変助かります。今はゼロからというか、本当、逆に、三角関数使えなきゃ駄目なんですけれども、そこの三角関数、中学レベルに戻ってマイナスから教え込んでいくということをやらなければいけないので、その辺も大変負担となっております。
#33
○秋野公造君 中小企業の中にこそ人材育成の学校がある、そういう思いを強くしました。そういう企業の中で、ニーズに踏まえて育てていくということの大切さを学ばせていただきましたので、しっかり政府に対しても訴えていきたいと思います。
 似鳥参考人に対しても伺いたいと思いますが、北九州では私も娘と一緒によく行かせていただいて、大変にお世話になってありがとうございます。
 あえて伺いたいんですが、円高がもしも改善されるのであれば、この産業空洞化というものは、改善しないとは言いませんが元に戻るとお考えでしょうか。すなわち、海外に出ていってしまったものが、円高が改善すると一旦もう向こうでシステムとしてでき上がったものが日本に返ってくるということはあるとお考えになりますでしょうか。
#34
○参考人(似鳥昭雄君) ないと思います。一旦出たものは返らないと思いますね。
#35
○秋野公造君 ということは、社長のお立場では、私はできるだけ海外に出ていかないようにという思いがあるんですが、もしもそれを達成しようと思うのならば出さないことが非常に重要であるということになりましょうか。
#36
○参考人(似鳥昭雄君) 私、メーカーも、物づくりも小売も両方やっておりますが、やはり人件費ですね、どうしてもその差が大きいんですよね。だから、これは川の流れのように、川の流れることはせき止められないですよね。人件費の安いところに物をつくるのが流れていくというのは、これは人類であればもう必ずそのようになっていくと。だから、その人類の経験法則に私は逆らわない。それよりも、より早く行くべきだと。
 そして、そこにはいろんな問題がたくさんあります。けれども、やると決めて、あと障害を全部出して、それを解決するにはどうしたらいいかということをやるべきでありまして、そして、それは農業の分野においてももう全ての分野においてもそうだと思うんですよね。やっぱり、僕は北海道で農業何とかならないかとか、北海道何とかならないかとか、一応副会頭やらせてもらっているものですからそういう提言をしろというふうに言われるんですが、農業も漁業も、今の北海道の特徴のものがたくさんあるんですよね。そのノウハウをインドネシアとか、中国はちょっともう遅いと思うんですよね、違う国に行って、そこで現地の人を指導して、そしてそこで栽培したものをアジアに輸出していくという、だんだんそういうふうに僕は変わっていくべきだと思うんですよね。工業製品であろうと、僕は同じような考えじゃないかなというふうに思っております。
#37
○秋野公造君 社長の会社では、社員一人当たり二十三万円の研修のお金を掛けて人材育成を行っているということにすごく敬意を表しますが、これはやっぱりやった分だけ効果はあるとお考えになりましょうか。
#38
○参考人(似鳥昭雄君) 教育は一回やったらすぐ上がるものではなくて、やっぱりずっと、五年、十年、二十年、まあ少なくとも十年、二十年続けていかないと効果が上がりにくいと思うんですよね。それで途中で景気悪いからってやめてしまうと効果がなくなっちゃうので。ですから、僕は教育が幾ら掛かろうと全然惜しいと思ったことは一回もないですね。
 なぜならば、やはり日本人の暮らしを変えるとかいう、そういう技術をつくっていくのには財産はやっぱり人しかないと、人に教育しかないと思うんですよね。人にはお金ももう予算の倍使ってもいいと、時間もエネルギーも努力もとにかく人に投入しようというのがもう最大のテーマですね。物とか金とかはどうにでもなるということですね。それは必ず生きてくるということで。
 だから、それがグローバルに考えようという、日本から考えないで世界へ出てから、世界は、アジアは、日本は、北海道はというふうに考えた方がいいんじゃないかなというふうに思っています。
#39
○秋野公造君 人、人材育成の重要性というものを、本当に今日は意を強くしました。
 ありがとうございました。終わります。
#40
○会長(鴻池祥肇君) 寺田典城君。
#41
○寺田典城君 どうも、みんなの党の寺田典城です。よろしく。
 諏訪参考人にお聞きしたいと思います。
 今、大学も出て就職率が六〇%とか五〇%、高校出てもそんな感じですね。ただ、突出していいのは、高等専門学校がほとんど一〇〇%近くになると言っています。そして、人材が不足しているということ、ところが過去二十年間ぐらいで、第二次産業というか物づくりで五、六百万人の方々がその二次産業から人が少なくなっていると。これから、何というんですか、十年先では四百万人ぐらいと。もちろん大田区の工場でもこのような傾向も見られているんですね。
 それで、一つお聞きしたいのは、例えば今アメリカで、これちょっと記憶でしゃべっていますけれども、リーマン・ショックのとき、景気対策等も含めて、コミュニティーカレッジとして、一年に五十万だったですか、オバマさんが学校に入れて職業訓練のための再教育しようということで十年間やるというような形で、そういう専門職の技術屋というんですか、育てるというふうな話していますね。
 物づくりで、若い人方がやはり対応能力があるでしょうけれども、ある程度年代いってからの教育というのは成り立つものでしょうか、どんなものでしょうか。
#42
○参考人(諏訪貴子君) 本当に物づくりはやる気と根気だけですので、我々、未経験でも三十代、四十代でも受け入れています。定年というのは当社は設けていないんですね。一応定年制度はあるんですけれども、それが過ぎたら何年でも好きなだけいてくださいという会社なんですけれども、そういった形で、四十歳でも七十歳やれば三十年あるということなので、三十代、四十代でも、さすがに六十代の未経験者というのは私も採用した経験はないですけれども、三十代、四十代でもやる気さえあれば可能だと思います。
#43
○寺田典城君 諏訪さんにお願いしたいんですが、参考人に、職人さんというのはお年寄りも多い、もう神業的な人方もいろんな面でもおるわけなんですが。私は、基本的に日本のこれからの発展の基礎というのは、一に教育、二に教育という、そのようにして、私、地方行政の中ではそのことでは一番力を入れてきたつもりなんですが、秋田県なんですけれども。
 それで、やはりこういう職業訓練学校を、そういう公立の、コミュニティーカレッジというんですか、アメリカ的なものを私はつくりたいなというか、できたら国で考えてもらいたいなと思っているんですけれども、工場を経営しておってやはり人材的にはどういう方々を主に求めるんですか。
#44
○参考人(諏訪貴子君) そうですね、コミュニティーカレッジ、私は大賛成です。最後にお話しさせていただいた、やはりグローバルに人材を育成していかなければいけないというのがありまして、やはり物づくりを学ぶなら日本へ、それの仕組みづくりというのはすごく重要だと思いますので、それの、今多分ある設備を制度でつなげればいいと思うんですね。
 そういうことで海外の人たちの育成というのにも力を入れていくべきですし、あと日本もやはり、今の若者と職人とのギャップというのは、世代間というのは本当にすごく格差がありまして、やはりそこのギャップを埋めるのにも我々本当に、チャレンジシートを導入したりだとか、どうしたらそこのギャップを埋められるかというのをすごく悩んだんですけれども、やはりゼロから教えるとなると、職人たちは見て盗んだの時代ですから、何を教えていいのか分からない、若者たちは何を教わっていいのか分からない、何を質問していいのか分からない、まずそこからなんですね。
 やはり一番最初に私が教育するのがコミュニケーションなんです。これがやはり一番大事で、コミュニケーション、ヒューマンスキルというんですか、そういうものを持った人たち、そういう人たちがやはり社内を活性化させていくので、技術というのは教えて経験していけば学べるんです。ただ、そのヒューマンスキルというのはなかなか企業は教えづらいところがありますので、是非そういったところの教育関係というのは御支援していただければなというふうに思います。
#45
○寺田典城君 もう一つお聞きします。
 今、インドがすごい発展しているということで、もう中国はもちろんですけれども、トヨタさんはバンガロールに専門学校を開いていますね。スズキさんはニューデリーにマサール工場とかいうので大きな工場を造って、それは浜松で人材育成して、そこで指導者をやっていると。日産自動車はスカウトするらしいんですよ、あっちこっちから。
 どうなんですか。中小企業でスカウトというのはあり得ますか、どうなんですか。大田区であっちからこっちへ人材をスカウトしてくるとかというのはどうなんですか。
#46
○参考人(諏訪貴子君) それをやってしまいますとかなり混乱をしてしまいますし、かなりやはり大田区内で企業さんはたくさんあるんですけれども、隣の企業さんで熟練だったから、うちに来たらもっとすごいだろうというふうなのはないんですね。やはり、全部業種が違いますし、やり方が違いますので、隣ですごい職人でもうちに来たらゼロからの素人さんになってしまうという可能性が高いので、ヘッドハンティングできない分野になっております、多品種少量生産は。
#47
○寺田典城君 あと、似鳥さんにお聞きします。
 私、今ニトリさんのものを使わせていただいています。宣伝するつもりはないんですけれども。あれだけのあれが価格破壊だなと思って、買物をしてびっくりしました。
 何というんですか、タイで思い出すのは、タイというか、ニトリさんともう一つ思い出すのはユニクロさんなんですね。ユニクロさんは現在はもう衣類の標準価格みたいになっているんじゃないのかなと私は思うんです。今はそのくらい、そういう時代になってきたなと思います。
 ニトリさんのは、今は安いと思いますんですが、将来は標準的な価格になっちゃって物すごい大競争出てくるのかなと思ったりもしていますけど、その辺はどんなものでしょうか、お考えを。ちょっと厳しい質問で済みません。
#48
○参考人(似鳥昭雄君) 安さは必ず追い付いてくると思うんですよね、結局、ビジネスモデルができると。それに追い付いていかないと残れないということでありますので。各社は、うちの競争相手は、例えばイオンとかヨーカドーさんとかもそうですが、ホームセンターとかですね、その異業種全部絡めての競争だと思うんですよね。
 確かに最初、海外輸入を始めたころはうちだけでしたが、最近の大手はもうみんなこぞって輸入しております。ところが、品質においてやはり問題がありまして、うちの場合はホンダ自動車の中国の工場長をスカウトしまして、うちの品質管理の責任者にしまして、商品の、家具だろうと繊維であろうと、それから小物家電もやっているんですよね、オリジナルで中国に作らせたりとかね。そういうのを工場から指導をしまして、むしろ、何ですか、日本のメーカーよりも品質、機能の面においては性能がいいとも言われているんですが。
 そのように、価格、次は品質ですね。品質も、だけどやがては追い付いてくると。ですけど、あと、コーディネートは非常に難しいという。だから、競合店がみんな、ユニクロさんならユニクロさんの価格に向かっていくわけですね、衣料だろうと何だろうと。そういう面ではリーダー、プライスリーダーですか、日本の物価を下げていく原動力には私たちもなっているとは思うんですよね。
#49
○寺田典城君 時間でございます。諏訪参考人と似鳥参考人、どうもありがとうございました。御発展を祈ります。
 どうもありがとうございました。
#50
○参考人(似鳥昭雄君) ありがとうございます。
#51
○会長(鴻池祥肇君) 他に御発言ございますか。
 梅村聡君。
#52
○梅村聡君 参議院、梅村でございます。
 今日は貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。
 まず、諏訪参考人にお伺いしたいと思いますが、これまで日本は、物づくりについては、技術については世界をリードしてきたと。その理由として、例えば日本人の勤勉性であるとか手先の器用さであるとか、そういうことが国民性として言われてきたわけなんですが、ここ最近は、これはグローバル化もあるんでしょうけれども、いとも簡単にシェアが逆転していくということがいろんな分野で起こってきているというところで、今まで言われていたいわゆる国民性、例えば物づくりを学ぶなら日本へということを、これを進めていったときに、これはやっぱり教え方のノウハウとか伝え方とかで、やっぱりこれもいとも簡単にひっくり返っていくようなことがこれからどんどん起こっていくのか。あるいは、やっぱり日本人のそういうもので、こういうものは国民性として担保されているのか。もしそうであるならば、今後これ、海外の方、いろいろ教えていくというときに一つの優位性として日本はこれからも保てると思うんですが、この辺り、実感としていかがでしょうか。
#53
○参考人(諏訪貴子君) 本当にこの作り込みの技術というのは日本の独特の考え方で、先ほど鋳造品なんか見ていただいたんですけれども、多くの諸外国の生産方式というのは、今までですけれども、やはり数多く作ってその中からオーケー品を抜き取る、そういう生産方式だったんですね。なので、検査方式というのはすごく厳重にされていて、すごい厳しいものを持っています。規格も持っています。ただ、やはり無駄が多い。NG品が多かったり、経営リスクも高かったりします。
 何で日本の自動車業界ここまで、世界一になることができたのか。やはり、作り込み、材料から始まって製品に至るまで、いかにNGを減らしてコストを減らしていくか。そういうノウハウというのは、やはり製造現場で問題に当たったときにそれの解決手法だとか、そういったものを積み重ねることによって培われたノウハウなんですね。これをようやく諸外国はまねするようになってきた。ですので、我々のゲージという概念もほとんどまだ外国にはありません。これからそれが評価され、これから伸びていく製品だというふうに思っております。
 なので、本当にスマートといいますか、スマートな考え方での製品作りというのはまだまだ、これから世界が日本を参考にするのではないのかなというふうに思っております。
#54
○梅村聡君 ありがとうございます。そこの部分をしっかり検討して、我々としても育てていく努力をしなければいけないと、そのように感じております。
 似鳥参考人にお伺いします。
 先ほどから続いておりますけど、私もよく行かせていただくんですけれども。一方で、今、同じような業種といいますか、家具、インテリアで、海外からも日本に進出をしてきております。具体的な名前出したらいいのかどうか、イケアさんとかですね。やっぱり行かせていただくと、かなり業態が違うんですね。何か大きな倉庫みたいなところに入っていって、もう本当に大きなかごを家族で押していっていると。一昔前の海外の映画で見たような、どんと突き抜けたような、そこはやっぱり若い世代の方が、もう日曜日も駐車場入るのも一苦労というぐらい来られてきているというところで、ああいう企業が出てこられたときに、やっぱり日本の売り方であるとかモデルであるとか、そういうところは今後変わっていかれるという実感は今おありなんでしょうか。あるいは、それをちょっと危機的にというか、ああ、そういう流れなのかなということをお感じになることがおありになるのかどうか、ちょっとお聞かせいただきたいと思います。
#55
○参考人(似鳥昭雄君) イケアさん、うちよりも大先輩でありまして、昔からイケアさんに勉強に行きました。
 やっぱり一番すばらしいのは生活の提案ですね。ヨーロッパのスタイルですけど、北欧のですね。ですから、あれは世界の標準化ということで、世界中どこでもそれは生活できる、しかも安いという。本当に僕は非常に尊敬、敬服しておりまして、あちらの社長さんも一代、二代、三代の方なんですけど、会って食事もしていますし、大いにどんどん出店してくださいと。
 一番は、日本人の暮らしを豊かにしてくれると。うちだけじゃできませんので、そういう世界一の一流のところが来て提案していただくと。お客さんもそういう選択の幅ができますし、それから、いい意味での競争ですよね、私たちもイケアさんに学んでいくと、こういうことでは大いに結構だと思うんですよね。一番は、日本人のお客さんが喜んでもらえるということが一番だと思いますね。
 それと、それから売り方のモデルですね。非常に参考になりまして、イケアさんのまねをさせてもらったところも幾つかありますし、イケアさんもうちのことを取り入れてやっておるところもありますし、お互いそういう勉強し合って、日本人の暮らしが変わったらいいなというふうには思っていますね。
#56
○梅村聡君 以上で結構です。ありがとうございます。
#57
○会長(鴻池祥肇君) それでは、竹谷とし子君。
#58
○竹谷とし子君 諏訪社長、似鳥社長、今日はお忙しいところを貴重な御意見賜りまして、本当にありがとうございました。
 諏訪社長にまずお伺いしたいんですけれども、中小企業への若者の就業ということでミスマッチが生じている、中小企業は採用したいと思っているけれども若者がなかなか行かないという、そういう問題につきまして、公明党で若者雇用調査というのを今回やらせていただきました。その中で、学生へのアンケートの中で、中小企業への就業意欲というのが非常に高いということが明らかになってまいりました。また、中小企業と大企業と、安定性とかやりがいとかそういったところの視点でイメージを聞きましたところ、やりがいという部分では大企業より中小企業の方に対してありそうだという、そういう高いアンケート結果が出てきたんですけれども、そこで、先ほど諏訪社長が若者採用プロジェクトチームを会社の中でつくられて、今若者の採用が多くなってきたという、そういう成功事例をお話しくださったんですけれども、その部分を是非内容を、もう少しどのようなお取り組みされたのかということをお伺いしたいと思います。
#59
○参考人(諏訪貴子君) 当社も最初の募集人員のときにはハローワークさんにお願いして、一人来ればいいかなという形でした。その一人に対して採用するかしないか。でも、これではちょっと駄目だよねということで、やはりハローワークさんと協力いたしまして、若者とのマッチング事業というものにやはり参加させていただきました。
 その中でプロジェクトチーム、先ほどお話しさせていただいたプロジェクトチームというものを掲げまして、やはり三Kのイメージがかなり多いということで、それを格好いいイメージにしようということで、パンフレットですとかホームページ、そういったものを全て変更いたしました。マッチングですと、やはり職人というイメージが多いんですけれども、若者をその展示会に立たせたりですとか相談係を付けたりですとか、若手を前面に出して、若い人でもチャレンジできるんだよというものをアピールさせていただきました。その活動を半年ぐらい続けましたら、そのマッチングフェアで面接される方が三十人ぐらい列を当社の前へつくりまして、逆にこちらが選べるというような形になりました。
 あと、優秀な人材というのもリーマンのときにはかなりいました。これはポイントじゃないんですけれども、優秀な人材というのはすぐには私は採りません。うちにはもったいないから来ないでほしいということを先に言います。ほかを見てくれと。ほかをたくさん見て、面接をして、こうやって面接を受けられるチャンスというのはもう二度と来ないから、うちよりいい会社があったらそちらに行きなさい。もしなかった場合、それでもうちがいいと思ったときにはうちに来てくださいという形で面接をしております。そうすると、ほぼ、もう今一〇〇%ぐらいなんですけれども、四、五人なんですけれども、そういった人たちは戻ってきています。定着率というのもかなり言われるんですけれども、当社、ほとんど辞めません。
 なので、本当に若手の確保、育成というのにはノウハウがありまして、よく町工場って我々言われるんですけれども、人材確保にしてもセールスに関しても、シティーの町ではなくてウエイトの待ち工場であると。なので、これからやっぱり我々はその町工場からの脱却、やはりアピールしていかなきゃいけないというのもやはりちょっと積極的にやっていかなきゃいけないのかなというふうに思っております。
#60
○竹谷とし子君 ありがとうございます。
 続きまして、似鳥参考人にお伺いしたいと思います。
 本日はロマンあふれるお話に私もわくわくいたしましたけれども、先ほど、川の流れは止められないというお話ありました。私も本当にそのとおりだというふうに思います。
 二〇三〇年に向かってまた新しい今のビジョンをお聞かせいただいて、きっとそれも実現されるというふうに確信をしておりますけれども、日本発のグローバル企業、その企業を、日本にあるということを非常に誇りに感じさせていただきますけれども、ただ、そのグローバルの本社が日本にあるということも、これもまた日本にとっての世界に対する競争であるというふうに私は思っております。
 そういう意味で、グローバル本社を日本に置いていただくために、これからも、日本政府は何をすればいいか。先ほど規制緩和というお話ありましたけれども、そこを是非お伺いしたいというふうに思います。
#61
○参考人(似鳥昭雄君) 私、本社は今札幌に置いたままなんですね。やはり札幌とか北海道にお世話になりましたから、お役に立ちたいということですね。お返しをしたいということで札幌に本社を置いて、税金は地元にと。今、東京の北区に東京本部を構えていまして、そこはもう千二百人ぐらいいるんですが、まあ札幌は少ないですけどね。そういうふうに変えないで、世界どこに行っても、日本はもちろん札幌も変えたくないなというふうには思っております。
 ただ、日本は、規制国家というか、非常にありとあらゆることがもう決められ、制約されて、活動しにくいし、コストが高いんですよね。そういう面で、どんどん、具体的に言うと失礼になるかなと、失礼を承知で、今御質問ですから、なかなか言いたくても言えないといいますか、ちょっと言ってよろしいですか。
#62
○会長(鴻池祥肇君) どうぞ。
#63
○参考人(似鳥昭雄君) いいですか。
 私、常日ごろ、アメリカもやっぱり雇用ですね、輸出から第三、第四次産業に雇用がもう転換したと。それは規制がないからできたということですね。日本の今の分野、資料をちょっと持ってきました。今まで、政治とか自治体とか保護があって企業が温存しているという場合もありますよね。
 例えば、農業の従事者も平均年齢が今六十八歳なんですね。後継者が育たないとか農業に希望が持てないと。それで補助がますます必要になってくるということですね。やっぱり会社法に、農地法があって規制の壁があって、大農場になって株式会社にすればもっともっと効率的にできるんじゃないかなというふうにも思っているんですよね。
 それから、先端技術、北海道なんかはもう品種改良してすごくいいものがあるんですけど、なかなか、その一部だけが、ホクレン、まあホクレンと言ったら悪いんですけど、組合が一つのその障害にもなっているんですね。欧米では全部もう直接なんですね。保冷庫を持って保冷車を持って、もうスーパーにはそのまんまのものが買えるという。ですから、日本ではもうそういうところがあって、どんどん生きの悪いものが高く売られるということも矛盾ですが。
 それはさておきまして、医療とか、例えば介護とか金融とか教育だとか流通とか、これは行政の保護とか、不要な規制がたくさんありますね。これは、非効率な財団とか公益法人とか今問題になっていますけど、そういうところも含めてもっと民間に開放してコストを安くできるんだと思うんですよね。新規参入とか自由な経営認めれば、これ中期、長期的に経済成長も見込めるんじゃないかなと。
 あと、いろいろ政治の問題もありまして、公務員の問題とか今討論されていますけど、議員の数とかって切りがないんですが、そのようにまだまだ問題というのはたくさんありますので、これはやっぱり元気印の民間企業の、まあ私じゃないですが、経済諮問会議なんかをつくって、実際の経営をした、成功した経営の会長さんとかそういう方の意見を聞いて、提案をされて、そこで決めていくという。失礼ですけど、国会議員の方ももう優秀な方たくさんいらっしゃるんですけど、実際の経営というのは、国の経営も会社の経営も同じだと思うんですよね。それを、そうした人たちをもっと、議員さんとしては少ないですから、諮問会議で取り入れてやられたらいかがかなということが、もうどんどん知恵を、僕はこういうのも大変いいことだと思うんですよ、まあ役に立つかどうか分かりませんがね。
 是非、日本をもっと代表する大成功の人がたくさんおりますので、私どもみたいな者もいいんですが、そういう意見を取り上げたらいかがでしょうかなというのが最近思っているところで、非常にやっぱり、だから僕は、政府のせいとかどこのせいにしないで、自分自身で、誰も助けてくれないんだと、自分自身でやっていくんだということでやってきたんですが、日本国家のことを考えると、もうちょっと規制緩和で民間にやっていただきたいなというふうに思っています。
#64
○竹谷とし子君 ありがとうございました。
#65
○会長(鴻池祥肇君) 他に御発言の方いらっしゃいますでしょうか。
 他に御発言もないようでありますので、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 諏訪参考人及び似鳥参考人におかれましては、御多用の中、本調査会に御出席をいただき、誠にありがとうございました。
 本日お述べをいただきました御意見は、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じております。本調査会を代表し、厚くお礼を申し上げます。
 誠にありがとうございました。(拍手)
 それでは、本日はこれにて散会をいたします。
   午後二時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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