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2011/02/23 第177回国会 参議院 参議院会議録情報 第177回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第4号
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2011/02/23 第177回国会 参議院

参議院会議録情報 第177回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第4号

#1
第177回国会 国民生活・経済・社会保障に関する調査会 第4号
平成二十三年二月二十三日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十二日
    辞任         補欠選任
     増子 輝彦君     藤末 健三君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         山崎  力君
    理 事
                梅村  聡君
                舟山 康江君
                関口 昌一君
                古川 俊治君
                山本 博司君
                寺田 典城君
    委 員
                郡司  彰君
                佐藤 公治君
                高橋 千秋君
                谷  亮子君
                津田弥太郎君
                平山  誠君
                藤末 健三君
                藤田 幸久君
                柳澤 光美君
                石井 準一君
                岸  宏一君
                中原 八一君
                牧野たかお君
                松村 祥史君
               三原じゅん子君
                竹谷とし子君
                荒井 広幸君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        近藤 俊之君
   参考人
       国立社会保障・
       人口問題研究所
       社会保障応用分
       析研究部長    阿部  彩君
       九州大学大学院
       医学研究院教授  尾形 裕也君
       国際医療福祉大
       学大学院教授   大熊由紀子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済・社会保障に関する調査
 (「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」
 のうち、ライフサイクルからみた課題について
 )
    ─────────────
#2
○会長(山崎力君) ただいまから国民生活・経済・社会保障に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日、増子輝彦君が委員を辞任され、その補欠として藤末健三君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(山崎力君) 国民生活・経済・社会保障に関する調査を議題とし、「持続可能な経済社会と社会保障の在り方」のうち、ライフサイクルからみた課題について参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 本日は、国立社会保障・人口問題研究所社会保障応用分析研究部長阿部彩君、九州大学大学院医学研究院教授尾形裕也君及び国際医療福祉大学大学院教授大熊由紀子君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言御挨拶申し上げます。
 御多用中のところ皆様方には御出席いただき、誠にありがとうございます。
 本日は、皆様方から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じますので、是非ともよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でございますが、まず阿部参考人、続いて尾形参考人、大熊参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、各委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、まず阿部参考人にお願いいたします。
#4
○参考人(阿部彩君) 御紹介に上がりました国立社会保障・人口問題研究所阿部彩と申します。専門は、主に公的扶助、社会保障、貧困の問題を研究しております。
 それでは、約二十分間、私からの御報告をさせていただきたいと思います。(資料映写)
 お手元にあります資料にありますように、今日、私がここで申し上げたいことは以下の三点になるかと思います。
 一つ目が、日本の子供や現役世代の貧困・格差は諸外国に比べても高い水準にあり、子供期の貧困というのは次の世代に連鎖しているという話。二番目が、子供や若者への投資、社会支出ですけれども、複数年度の収支を考慮すれば、財政的にもプラスになるという話。三つ目が、格差や貧困、これは特に現役世代の話ですけれども、社会に様々な負の影響を及ぼし、経済成長さえも阻む可能性もあるという三点でございます。
 では、まず一点目からお話しさせていただきます。
 これは、皆様もよく御覧になったことがあるかと思いますけれども、OECDの報告書による日本の貧困率の国際比較でございます。御覧いただいていますように、社会全体で見ますと、日本はOECD三十か国中上から四番目の数値となります。ちなみに、これは二〇〇四年、二〇〇五年の数値ですので、比較的にまだ経済状況が良かったころの数値とお考えいただければいいと思います。
 これは、同じデータで子供の貧困率を国際比較したものです。全ての国がそろっているわけではないんですが、日本はポーランド、アメリカの突出した国ほどではないんですけれども、その第二グループの高い水準にあるということが言えます。
 また、これは、余りほかの子供の貧困率のように世に出ることはないんですけれども、勤労世代に限った国際比較でございます。これで見ていただいても分かりますように、日本は一二・三%と、貧困、ほかの国に比べても非常に高い率にあります。一番高いのがメキシコ、次がアメリカ、ポーランド、トルコとなりますが、日本は上から五番目となります。
 これは、皆様の注意を喚起していただきたいという点でお付けさせていただいた表でございます。これは、厚労省が行っている国民生活基礎調査という大規模な調査を用いて、年齢階層別の男性の貧困率を三か年、二〇〇七年、二〇〇一年、一九九五年通して取ってみたものです。全ての年において、やはり高齢になればなるほど貧困率は上がっていくという傾向は変わりがないんですが、見ていただきたいのが、二十歳代前半の山ですね。その黄緑の山からコバルトブルーの山、それから青い山というふうに、だんだんと山が顕著になっていくということが非常にデータでもきれいに確認することができます。ですので、日本の男性の若年層の貧困率というのがいかにこの九〇年代以降変化してきたかということが非常に顕著に見て取れるグラフになります。
 このような状況は、当然のことながら、二十歳代となるともう子供を持つ時期でもありますので、子供の貧困率にも影響してきます。そうしますと、その親の貧困というのがその次の世代に当然のことながら連鎖します。これは驚くべきことでも何でもなくて、ごく当然の社会の成り行きと考えていくことができるかと思います。
 例えば、今の日本の現在の状況において、中卒であるということは非常に大きな不利となります。ですけれども、例えば中卒という一つの社会的な不利の連鎖ということを考えた場合、母親が中卒である場合の子供が中卒になる率というのが非常にほかの層に比べて高いということが見て取れます。この青の部分になります。ですので、中卒層というのは非常に貧困層とオーバーラップするところがあるんですけれども、このようなところからも一つの貧困の連鎖というのが既に起こっているということを確認することができるかと思います。
 一つ私たちは忘れがちなことが多いんですが、私も一九六〇年代生まれですので、一九八〇年、九〇年代というようなのは随分近ごろの、最近の話のような気がするんですけれども、実は今の子供の世代というのはもう一九九〇年代生まれなんですね。今もう二〇一一年ですので、今の子供たちの世代というのは、もう貧困の連鎖が起こってしまってからの二代目世代です。その世代が今若年になって、比較的に若年で子供を産む可能性も高くなってきていますので、そうしますと、これは三世代の連鎖というのがもう起こっているということなんです。
 ですので、私のように一九六〇年代生まれのマインドで物を考えていると、一九八〇年代、九〇年代に生まれた子供たちが今まで目にしてきた社会状況、閉鎖的になりつつある社会の中で育ってきたという状況というのを簡単には理解することができないんじゃないかと思いますが、国際的には子供たちの現状というのをしっかり見据えていく必要があるかというふうに思います。
 次に、日本の中では比較的に再分配と言われる貧困緩和の政策が度合いが少ないということをお見せしたいと思います。
 これは、子供の貧困については私もこの国会の場で御報告させていただいたことはありますけれども、勤労世代については余りデータとして出ることがないかと思いますので、ここで提示させていただいております。
 下のJPNと出してあるところ、黄色の線のところが日本でございます。子供と違いまして、これは二〇〇〇年代中旬の数字ですけれども、貧困率が再分配後の方が高くなるというようなことはさすがに現役世代ではございません。ですけれども、ほかの国に比べてみても、その青の棒と赤の棒の差というのは非常に少ないと。これが、いかに日本の中で現役世代に対する貧困緩和の政策と再分配というのが少ないということを示している一つの根拠となります。
 子供については二〇〇四年以降子ども手当等も拡充されまして若干状況が改善されているかと思いますけれども、若者世代に関しては全く政策的には新しいものが打たれているわけではございません。
 これは、いかにほかの国、ほかの先進諸国がどんな形で現役世代に対する給付を行っているのかということを示した図です。これは夫婦と子供二人のいる世帯を想定した場合の低所得世帯にどのような給付が行っているか、これは与えられる給付が全て行くと仮定した場合になります。
 そうした場合にどうなのかといったときに、下の黒のところがいわゆる日本でいう生活保護の部分、公的扶助の部分なんですね。そのほかの色のところが、それが住宅給付、まあ住宅扶助と言い換えることもできるのかもしれません、ですとか家族給付であったり、それから税制による給付ということもあります。税制がプラスになる税額控除的なものもありますので、そういうものもありますので、見ていただければ分かりますように、多くの国はこれらのいろいろな施策をミックスさせたそのネットとして非常に大きな給付をしているということです。
 ですが、日本では、全体のレベルとしては五二%でそれほど低いわけではないんですけど、そのほとんどが生活保護に頼っている。しかも、生活保護の受給率は非常に低いです。生活保護を受けるためには低所得という以外にもたくさんの要件をクリアしなければいけませんので、実際にはこの黒い部分を受けられる現役世代というのは非常に少なくなります。そうしますと、その黒の部分を除いた残りの白の点ポツの部分ですとか灰色の部分だけの状況にあるということですので、ほかの国に比べても非常にいかにメニュー的にも少ないですし、額的にも少ないということがお分かりになるかと思います。
 次は、この家族関連支出だけに関しての対GDP比の比較で、これもよくいろんなところに提出されるものですが、一つ新しい点として、厚労省が試算いたしました子ども手当算入後の日本の、これは実際値ではなくて推計値でございますけれども、のグラフ、赤の矢印のところでございますけれども、ございました。確かに、子ども手当などを導入して日本人的な感覚では非常に子供に対しても大きな給付がなされているというような印象があるんですけれども、この〇・五五%というところが家族手当の部分ですが、決してほかの国に比べて突出して高いような子ども手当を導入しているわけではございません、これは一万三千円の導入ですけれども。ですので、その子ども手当の部分だけを見ても、ほかの部分ももちろん少ないんですけれども、もう十分というような状況ではないということがお分かりになるかと思います。
 次に、子供の第二の論点、子供・若者に対する投資は、これは支出ではなく投資と考えるべきだと思います。複数年度の収支を考えれば財政的にプラスになるという点です。
 まず一つ目にここの場で申し上げたいのは、諸外国ではいろいろな子供の貧困がその子供の将来的にどれぐらいの影響を及ぼすかというような調査があるんですけれども、それで見てみますと、これはアメリカのある研究です。乳幼児期の貧困というのが将来の子供、これは子供が義務教育を、義務教育というのはアメリカの場合、高校ですね、義務教育を修了する確率に影響する度合いですけれども、星印が付いているのが統計的に有意であるというところです。ですので、ゼロ歳から五歳という就学前の投資、これは貧困に対する投資です、全ての子供に対する投資ではなくて貧困の子供に対する投資が、貧困が子供の義務教育を修了する確率に与える影響が一番大きかったということを示しています。
 これはヘックマンという非常に有名な経済学者が書いた図なんですけれども、もし人的投資、子供や若者に対する公益的な支出を投資と考えた場合、それに対する収益率ということを考えると、これは子供の年齢等によって反比例的に少なくなっていくということを示したものです。ですので、ヘックマンが言っているのは、一番効果があるのは就学前教育であるということです。
 実際にこれは非常に劣悪な地域で育っているアメリカの一つの取組、この図もあちらこちらで使われていますので御覧になったことがあるかもしれません。ペリースクールという取組なんですが、これは就学前の子供に二時間半の、日本の保育所に比べてたったの二時間半です、二時間半の子供に対するプログラムと、それと非常に日本に比べてインテンシブな母親に対するカウンセリングですとかいろいろな諸支援を合体させたようなプログラムなんですが、それの効果を見てみますと、例えばIQに対する、五歳児のIQは青の棒と赤の棒、コントロールグループとそうでないグループはこれだけの差が出てきます。基礎的学習達成、十四歳のときも御覧のとおりです。
 ここで興味深いのは、もう四十歳になるまでフォローしているんですが、四十歳時点での例えば収入が二万ドル以上をクリアするような割合というのも一五%近くの差が付いておりますし、最後のところ、ここは非常に劣悪な地域ですので犯罪に手を染めてしまう子供も多いんですけれども、逮捕歴の差というのも約二〇%の差が出てきます。
 ですけれども、次に御紹介したいのはもう少し年齢が高い層。もう一つの論点としては、子供のときの収益率は高いかもしれないけれども、若者や高校時代、ティーンエージャーぐらいの年齢の子供に対しても十分に収益率があるという一つの例でございます。
 これは、アメリカのジョブコーププログラムという、非常にこれも有名なプログラムなんですが、六四年に設立されていますので非常に長いプログラムです。これは、高校を中退した子供たち、十六歳から二十四歳の若者を、そのうちのもう三割は公的扶助を受給しているそうなんですが、全寮制のプログラムに入れて、最高三年間、通常二年間なんですが、延長することが可能で、三年間のもう非常にインテンシブな再教育をやり直すというプログラムです。
 再教育と就業訓練プログラムをやるんですけれども、その中で、もちろん基礎学力の学び直しということもありますけれども、貧困層の子供たちはよく対人関係スキルがないですとかそういうようなことも言われますので、対人関係のコミュニケーションスキル、社会スキルですとか、それと、もちろん心身、心に病を持っている子も多いですし様々な障害を抱えている子も多いです、の治療など、いわゆる職業訓練以外のものも非常にインテンシブにやるわけです。全寮制ですので、もう丸抱えでやります。生活も全て丸抱えでやります。
 そうしたときに、その子供たちが将来どれぐらいの税収をもたらすような人になるのかということを計算しますと、一生涯を考えると費用対効果は一〇・五%の投資率というふうに言われています。これは、ほかの公共事業に比べても高い率と言うことができるんではないかなと思います。
 どのようなふうにしてその効果を測っているかといいますと、プログラムによって就労可能となる場合、Aのところと、プログラムへの参加によって賃金の上昇によるものと二つあります。実際には、就労率というのは、コントロールグループとそれほど変わりません。ですけれども、賃金が明らかに違います。これは、下の数字は三か月ですので、生涯これがずっと続くと考えていただければ、この青の棒とグレーの棒の差のところが生涯的にも非常に大きくなってくるということです。
 これと同じようなことを厚労省のナショナルミニマム研究会というところで当時の大臣からの発注で行ったことがございます。例えば、十八歳から二十歳までに非常に生活を丸抱えした生活保護基準ぐらいの生活費を支給し、かつ就労支援プログラムをやると考えた場合、二年間で費用が四百五十一万円掛かると推計されます。ですけれども、もしこの方が二十一歳から六十五歳まで就労したとしますと、税金と保険料納付額を総計しますと、二〇一〇年の価格で正規雇用では二千四百万から三千三百万円、非正規の場合は千万から一千八百万円ぐらいの額が推計されます。ですので、日本で考えても十分な収益率はあるのかというふうに考えられます。また、就労しない場合、失業率とかも考慮した場合で平均値で見ても、プログラム費用よりも数倍の大きさのものが返ってくるというふうに考えられます。
 最後に、この格差や貧困を放置するとどういうふうになるのかということを残りの時間でお話しさせていただきたいと思います。
 まず、これは格差と犯罪の関係でございます。この点々はアメリカの州でございます。見てみますと、不平等度が高い地域ほど殺人率が高いということが現れます。不平等な社会では人々の信頼感というのも少なくなります。例えば、社会調査で、ほとんどの人はチャンスがあれば自分から利益を得ようとするということに対して同意しますか同意しませんかという割合を見てみます。そうしまして、平等か不平等かという格差指標とをプロットさせてみますと、ここでも明らかな関係というのも見ることができます。
 また、もう一つ衝撃的なことは、格差というものと健康というのが非常に関係しているということです。左の図は国ごとですけれども、右の図はアメリカの五十州ですので、比較的に格差という点では見やすいデータかと思います。見てみますと、ここでも年齢を調整した死亡率というものとその州の格差というのが非常に関係があるということがお分かりになるかと思います。統計的にも有意な差が出てきております。
 重要なのは、なぜ死亡率が高くなるかといったときに、貧困な人々の死亡率や健康度というのはそうでない人に比べてもちろん悪いわけです。なので、貧困の人が増えるから平均値で見ると、死亡率が高くなったり、健康度が悪くなったりするということだけではないんです。これはもう各種の調査で明らかになっておりまして、日本のデータでも確認されておりますけれども、不平等な地域に住む人は、貧困でない人、富裕層であっても健康度が悪くなるということなんですね。
 つまり、不平等な社会に生きるということは、それだけで人々の健康に何らかの影響を及ぼしている。自分が実際にその下の方の層でないにしても、自分はもしかしてそっちに落ちてしまうんではないかというような不安ですとか、犯罪に遭うんではないかというような不安ですとか、隣の人と競争しなければ自分は貧困になるというようなストレスですとか、というものがその人の健康を脅かしているということですので、国民医療費的に考えますと、不平等な社会を放置していくということは、これはストレス関係の疾患を増大させる要因となります。
 次にお見せするのが経済成長の関係です。
 格差と経済成長というのは、一九五五年のクズネッツの非常に有名な論文から各国の様々な検証がなされてきました。ですけれども、ちょっとここは時間もありますので飛ばさせていただきますと、二〇〇〇年代以降の非常に精緻なデータを用いた先進諸国の関係を見てみると、経済成長率と格差というのは正の関係にあったりする。ですけれども、これを貧困という観点で見ますと、ここが逆になってきます。
 理論的には、これはアメリカの会計検査院、GAOの報告書の中から抜粋してきたものですけれども、貧困というのは人的資本の形成に負の影響を及ぼします。ですので、従来であれば、先ほどお見せしたように、税を納めるような、所得税を納めるようになる人がそれをならなくて、生活保護に陥ったり又は犯罪者となって、それに対する、もちろん犯罪に対する社会的なコストというのも掛かりますので財政的にもマイナスになります。
 それから、貧困というのは、犯罪、社会不安定を増幅することによって、投資的な費用も投資機会も低くしますし、直接的な費用というのも高くなります。ですので、これらが成長を抑制します。実際に幾つかのもう実証研究が出されています。そうしますと、貧困の指標というのと経済成長というのは明らかに負の関係があるということが分かってきています。
 もう一点、これはアメリカの政治学会からの警告なんですけれども、選挙行動というのはもちろん、政治参加というのは高所得層ほど熱心です。これは昔から分かっていたことで別に驚くべきことではありません。ですけれども、じゃ、それでは長い目で見た場合、格差が大きくなるということは政治的にどのような影響を及ぼしているかといいますと、だんだんと高所得層の政治選好が政治結果につながっていくという確率が高くなってきます。これはアメリカでももう既に実証研究されています。
 つまり、高所得層というのは、それだけ政治参加も熱心ですのでロビーイング活動もするし、それに対する時間もありますし、それをするような能力も持っている。もちろんお金もあります。ですので、そのような政治選好が実際に実現されていくことがどんどん確率が高くなっていくわけですね。そのような観点から考えると、格差というのは民主主義というものを脅かしているというふうにアメリカの政治学会は警告を発しています。
 以上で私の報告を終わらせていただきたいと思います。御清聴ありがとうございました。
#5
○会長(山崎力君) どうもありがとうございました。
 続いて、尾形参考人にお願いいたします。
#6
○参考人(尾形裕也君) 九州大学の尾形でございます。
 本日は、調査会にお招きをいただきまして、大変光栄に存じます。
 実は、昨日福岡で、学生にあした参議院の調査会に参考人として招致をされるんで上京するんだということを申しましたところ、学生からは、先生、何か悪いことをしたんですかと大変心配をされました。本日はどうぞよろしくお願い申し上げます。
 私にあらかじめ事務局の方から示されました課題は、日本の医療の現状分析と政策課題という大変大きなテーマでございました。一つには私自身の能力の問題もあり、また二十分という限られた時間ということもありますので、本日はある程度焦点を絞ったお話をさせていただこうと思います。(資料映写)
 お手元のパワーポイントの資料ですと、二ページ目を御覧いただきたいと思います。
 初めに、医療政策の構造ということで概念整理をしておりますが、医療サービスに関しては、これを需要側から見るか供給側から見るかで、かなり異なった議論になってまいります。需要側から見ますと、突き詰めて申し上げれば、これはいかにして医療に掛かったお金を調達するか、あるいは医療保険制度の設計をどう考えたらよいかということが大きな問題になってまいります。これに対して、供給側から見ますと、これは病院や診療所、あるいは医師や看護職員といった医療提供体制をどのように考えるかということが中心的なテーマになってまいります。そして、こうした実際のサービス提供を伴うという点が、社会保障制度におけるもう一つの柱であります年金が専らお金の話に終始することと比べた場合の医療の大きな特徴であろうというふうに思われます。
 本日は、主としてこの医療提供体制の現状と課題という点に焦点を当ててお話をさせていただこうと思います。
 次の三ページですが、本日お話しする予定の内容ということで目次的に掲げておりますが、八項目掲げておりますけれども、時間の関係で、この黄色く塗りました五つを中心にお話をさせていただこうと思います。また、残りの部分につきましては、質疑応答等の中で必要に応じてデータ等を参照させていただこうかと思います。
 それで、少し飛ばしまして、十一ページ、十一枚目でございます。日本の医療提供体制の特色ということからお話を始めたいと思いますが、日本の医療提供体制をどういうふうに考えるかということについてはいろいろな考え方があろうかと思いますが、ここでは三つの点に絞ってお話をしてみたいというふうに思います。
 まず第一は、ここに書きました資本集約的な医療サービスの提供が行われているということであります。これはどういうことかといいますと、医療というのは、一般的には労働集約的なサービスだというふうに考えられております。つまり、医師、看護職、薬剤師、検査技師あるいは事務職といったような様々な職種の方々、たくさん雇用をしてサービスを提供する、そういう意味では労働集約的だと考えてあながち間違いではないというふうに思いますが、ただ、国際比較をしてみると随分違った姿が見えてまいります。最初に結論を申し上げてしまいますと、そこに書いてありますように、国際的には、非常に資本が豊富にある一方で人員配置が極めて手薄であるというのが大きな特徴だということになります。
 この点を、以下、データで少しお示ししてみたいと思いますが、次の十二ページ、表の一は医療における主要な資本と考えられるものの投入状況を国際比較をしたものでございます。
 国としては、日本を始めいわゆるG7、先進七か国、サミットに参加しております七か国を取っております。資本としては、人口千人当たりの急性期病床数、人口百万人当たりのCTの台数、人口百万人当たりのMRIの台数というのを取っておりますが、もちろん、こういった国際比較については厳密な比較はできません。例えば、急性期病床という定義が各国共通であるわけではありませんし、CTとかMRIを一台、二台というふうに数えるのは極めてラフな話であります。
 そういう意味で、この表は決して厳密な比較に堪えるものではないんですが、しかし、全体を御覧いただきますと厳密な比較以前の問題であるというのがお分かりいただけるんではないでしょうか。つまり、いずれの指標を取っても日本は圧倒的に多いわけでありまして、ほとんど世界一と言っていい状況だろうというふうに思います。特にMRIの台数などを見ていただきますと、ヨーロッパ諸国と一桁、桁が違っております。私が親しくしておりますある病院の院長とお話をしていましたら、その院長がおっしゃるには、君、君、我が○○県にあるMRIの台数はイギリス全体より多いんだよということをおっしゃっておりましたが、これは決して冗談ではないということであります。
 一枚飛ばしまして十四ページでございますが、こちらは表の二として、今度は、じゃ労働はどうかということで、主要な労働投入状況の国際比較をしております。国は同じG7であります。ここでは、代表的な医療における労働であります医師の数と看護職員の数を取っております。左の半分を御覧いただきたいんですが、病床百床当たりの医師数、病床百床当たりの看護職員数を取っております。
 もちろん、この表も先ほどと同じでありまして、厳密な国際比較はできません。国によって医師、看護職の定義あるいは業務範囲が違っておりますので単純な比較はもちろんできないわけでありますが、この表も、全体を見ていただくと厳密な比較以前の問題であるというのがお分かりいただけるんではないかと思います。つまり、先ほどと全く逆でありまして、日本は圧倒的に少ないわけであります。
 先ほどのところにちょっと戻させていただきますと、十一ページ目でございますが、先ほど既に申し上げたとおりでありまして、国際的に見ると、非常に資本が豊富にある一方で人員配置は極めて手薄であるという、こういうやり方を取ってきたと。これまではこういうやり方で来たわけでありますが、さすがに最近これではなかなか困難な状況になってきているんだろうというふうに思います。
 二〇〇六年に大きな医療制度構造改革と呼ばれるものが行われましたが、明らかにここを変えていこうという方向が打ち出されているように思います。どう変えていくかというと、この豊富な資本は少し削ってでも人員配置は手厚くしていこうという方向だろうというふうに思います。例えば、病床数は少し削減をしていこう、その一方で、代表的なものを一つ挙げるとすると看護でありまして、看護の職員配置を手厚くしていこうと。いわゆる七対一看護というのが導入されたのはこの二〇〇六年の診療報酬改定であります。これがまず第一点目ということになります。
 それから、十五枚目でございますが、少し抽象的な議論で恐縮ですが、後の政策選択肢との関係で、医療生産関数という議論を紹介しておきたいと思います。
 生産関数といいますのは経済学でよく使う概念ですが、Q、Qといいますのは生産された物やサービス、この例でいいますと医療サービスとお考えください。医療サービスを、Kというのが資本です、Lが労働ですが、一定の資本と労働を組み合わせることによってサービスを生み出していると、こういうふうに考えます。
 今、このQが仮に一定だったとします。例えば、日本ですと平成二十年度の国民医療費は三十四兆八千億円余りでありますが、例えば三十四兆八千億円の医療サービスを仮に提供するというふうに考えます。そのときに、それを生み出す資本と労働の組合せにはどのような組合せがあるのかというのを図に表したものが等量線と、こう呼ばれているものであります。具体的には次の十六枚目でありますが、縦軸に資本を取り横軸に労働を取ります。そして、等量線というのは、こういう滑らかな曲線で書いておりますが、これは例えば今の例でいいますと、三十四兆八千億円の医療費あるいは医療サービスはこの等量線の上で生み出されていると。日本の位置はこの等量線の上でどこかといいますと、ここに書きましたように西北の位置になります。つまり、資本は非常にたくさん投入されているけれども、労働、Lが非常に少ないという、こういう状況です。
 ところが、こういうポジションが唯一のポジションというわけではなくて、この図にありますような、資本が非常に少なくて労働がたくさんある、もう一つの点が載っているかと思いますが、こういうポジションもあり得るわけでありまして、どこのポジションを取るかというのはそれぞれの国の医療政策によって決まってくると、こういうふうに考えられます。また後でこの図は使いたいと思います。
 少し先を急ぎますと、二点目の特色といたしまして、医療施設の体系についてでございますが、これは一言で言えば、いわゆる連続的な構造を取っている、連続性ということだろうというふうに思います。もっと具体的にいいますと、病院と診療所の区別、機能分担、連携が少ないということでありまして、我が国ではよく診療所が大きくなったものが病院であるという通念がございます。これは単に通念なだけではなくて、実際に現在、例えば五百床以上あるような大きな病院を見てみましても、その歴史をずっと遡っていきますと、例えば五十年ぐらい遡りますと、最初は無床、ベッドのない診療所からスタートして、そこがベッドを入れて有床診療所になり、更に二十床を超えて病院になり、どんどんそれが大きくなってくるというような歴史をたどっているところが結構たくさんあります。
 そういう意味で、歴史的な事実としてもそうですし、人々の意識としても診療所と病院を余り区別しない、診療所が大きくなったものが病院だというのが日本の恐らく通念だろうと思いますが、これは欧米諸国とはかなり違う考え方だろうというふうに思います。例えば、診療報酬も我が国では長らく基本的に病院と診療所が同じものを使ってまいりました。いわゆる出来高払に基づく診療報酬でありますが、これも国際的に見るとかなり珍しい形態ということになります。
 こういった状況を指してOECDが、十年前になりますが、二〇〇一年の報告書で日本の医療政策についての評価を行っておりますが、その中でこういうことを言っております。機能分化と標準化が欠けているんではないかと。日本の医療については機能分化と標準化が欠けているんではないかという、こういう指摘をしております。機能分化といいますのは今申し上げたようなことですが、標準化と申しますのは、それとも密接に関連しますが、簡単に言ってしまいますと、医師あるいは医療機関の間で提供される医療サービスの間に非常にばらつきがあるんではないかと。それが標準化が欠けているんではないかということの意味であります。
 これはなかなかいいところをついた指摘だろうというふうに思いますが、最近の改革では明らかにここを変えていこうという方向が打ち出されているというふうに思われます。どう変えていくかというと、機能分化を進めていくという意味では医療計画が大幅に見直されまして、いわゆる四疾病五事業といっておりますけれども、地域で機能分化と連携を進めていこうという方向が打ち出されているというふうに思います。
 それから、標準化に関しては、これは診療報酬でありますが、急性期の病床についてはDPC、それから慢性期の病床については療養病床の診療報酬が、患者の状態像に応じた包括払いが二〇〇六年の診療報酬改定で導入されておりまして、こういったものを通じて、従来の出来高払に比べて、より標準化を進めていこうという方向が打ち出されているというふうに考えられます。これが二点目でございます。
 それから、二十一ページに行っていただきまして、最後の三点目でありますが、民間主導の医療提供体制ということが一つの大きな特色だろうというふうに思います。
 次に、英語で書いてありますが、パブリックリー・ファンデッド・アンド・プライベートリー・デリバードという言葉があります。ファンデッドといいますのはお金、ファンドですからお金の調達をどうしているかということですが、我が国の場合は、お金の調達はパブリックリー、公的に行っている。これは言うまでもなく国民皆保険、社会保険方式ですので、保険料ないしは税金でその大宗が賄われているということであります。それに対してデリバーというのは、これは医療サービスの提供ということでありますが、医療サービスの提供はプライベートリー、民間がかなり重要な役割を果たしているということであります。
 そこに書きましたように、例えば、病院が現在八千七百三十九ありますが、その開設主体別の構成を見てみますと、医療法人立が六五・五%、個人立が五・五%、公的病院が一四・八、国が三・一ということで、国と公的を合わせても二割いかないというような状況であります。あるいは、診療所ですともっと医療法人や個人の割合が高くなりますので、全体として見るとかなり民間が中心的な役割を担っている、公民という組合せを取っていると考えてよろしいかと思います。
 ただ、この公民というのが唯一の組合せというわけではなくて、国際的に見ますと公公とか民民という組合せも十分あり得るわけであります。公公という組合せを取っている代表的な国を一つ挙げるとすれば、これは恐らくイギリスだろうと思います。それから、民民という組合せを取っている代表的な国は、これはアメリカということになりますが、我が国は公民というやり方を取ってきたということであります。
 この公民という日本の組合せをどう評価するか。これもいろいろな考え方があろうかと思いますが、少なくとも、私は、これまでのところは比較的うまくいってきた面が多いというふうに思います。そこに書いてありますように、需要が供給を引っ張る形で医療提供体制の整備が急速に進みました。先ほどお示ししましたとおり、少なくとも病床数とか医療機器という意味ではもう日本は世界一と言っていいような状況にあるわけであります。
 そういう意味ではそれなりに機能してきた面があるわけですが、問題はこれからといいますか、既に起こっていると言った方がいいと思いますが、こういう民間主導の医療提供体制に対して有効な政策が打てるかというと、これはなかなか難しい面があるように思います。権限論では無理でありますし、ソフトな誘導政策が重要になってまいりますが、恐らくこの辺は一番役所が苦手としているところだろうというふうに思います。
 そして、二〇〇六年の医療制度構造改革では明らかにここを少し変えていこうという方向が出されているように思います。どう変えていくかといいますと、情報を開示することによって患者が医療機関を選択する、それを進めていくことを通じて医療提供体制を変えていこうと、こういう方向が打ち出されているように思います。これが三点目ということになります。
 以上、お話ししてきたことをまとめますと、医療提供体制改革の方向ということで三つのことを申し上げました。一つは、資本集約的な医療サービスの提供から、より労働集約的な方向へ。二点目としまして、機能分化と連携の方向へ。最近はやりの言葉ですと、地域完結型医療という言い方をしております。それから三点目としまして、今申し上げました、情報開示による患者の医療機関選択の方向へという、この三点でございます。
 ここから後半の医療政策の選択肢の問題に入りたいと思いますが、その際に、社会保障国民会議の最終報告、もう報告が公表されてから二年以上たちますが、これはやはり私は注目すべきものだと思いますので、簡単に御紹介をしておきたいと思います。
 基本的な考え方は、これは医療、介護の部分についてでありますが、ここに書きましたように、選択と集中の考え方に基づいて、病床機能の効率化、高度化、地域における医療機能のネットワーク化、医療、介護を通じた専門職種間の機能・役割分担の見直しと協働体制の構築等を図るというようなことが書かれておりますが、大体これまでお話ししてきたこととそう大きくそごのある話ではないだろうというふうに思います。
 実は、この社会保障国民会議の最終報告の最も注目すべき点は、医療・介護費用の将来推計、シミュレーションと言っておりますが、これを行っております。これが、ここに新奇性というふうに書きましたけれども、注目すべきものだというふうに思います。
 どういうことかと申しますと、前のページに書いてありますような、選択と集中あるいは機能分化を進めていく。例えば病院ですと、在院日数を短縮して病床数も減らしていくというようなことが書かれているわけですが、そうしますと、従来の路線ですと、これは、そういったことを通じて医療費を適正化していく、医療費を削減といいますか適正化をしていくという方向だったんだろうと思いますが、この社会保障国民会議の将来推計、シミュレーションにおきましては、むしろ選択と集中、機能分化を進めていくと医療・介護費用は全体としては増大する可能性が高いということを初めて明確に示しているというふうに思います。そういう意味では、本来の意味での医療政策上の政策選択肢が明示的に提示されたものではないかというふうに思います。
 あわせて、この費用増大分をどうするかということについては、この社会保障国民会議の最終報告は、もう明示的に消費税の増税路線を提示しているわけでありますが、この辺についてはいろいろ考え方が分かれるところだろうと思います。特に保険料を含めた財源問題をどう考えるかというところは大きな問題だろうというふうに思います。
 これが社会保障国民会議の改革シナリオでございます。また後で時間があれば触れたいと思います。
 そして、最後でございますが、現政権、民主党を中心とした現政権における医療政策の論点整理ということで、民主党のマニフェスト、それから連立政権政策合意、現政権が発足した当初の医療政策にどのようなことが書かれているかというのを私なりに整理したものでございます。全てではございませんけれども、一応十点ほど重要なものを整理したつもりであります。その中で、いずれも重要な論点だと思いますが、今日のお話との関連で特にかかわりのあるところを黄色く塗っております。
 まずは@ですが、医療費の先進国並みの確保(対GDP比)、それからBとしまして医療従事者等の増員、それから次のページ行きまして、十番目でありますが、当面、療養病床削減計画を凍結ということが書かれております。最近、介護保険法の改正の中で療養病床の廃止を延期するというような議論が行われているようでありますが、マニフェストではこのような形の表現になっているかと思います。
 以上、お話ししてきたようなことを踏まえまして、今後の医療政策、特に医療提供体制に関する政策選択肢を私なりに整理してお示しをしてみたいと思います。その際、先ほどお示ししました等量線というのを使ってみます。これは先ほどお示ししました現状であります。日本はこの西北の高位置にあるわけでありますが、これをどうするのかということであります。
 まず、いわゆる小泉構造改革と呼ばれるものでありますが、これが何を考えていたかということを今になって振り返ってみますと、恐らくこういうことではないかということです。つまり、同じ等量線の上でAという位置からBという位置へ動かそうとしたんではないかと。つまり、同じ等量線の上ですから、医療費は増やさずに、しかし現在のような資本集約的な位置Aから、より労働集約的な位置であるBへ動かそうとしたと、こういうことではないかというふうに考えられます。これは、理論上は十分可能な政策選択だと思いますが、ただ実際にこれを行うとかなり大きな摩擦が起こり得るわけでありまして、実際起こったということだろうというふうに思います。
 それから、次が社会保障国民会議の先ほど御紹介した最終報告、特に将来シミュレーションでありますが、これがどういうことを考えているかというと、AからBへという、こういう移動という意味では小泉改革と似ておりますが、この違いは等量線自体がシフトしていると。QイコールQ0からQイコールQ1というふうに上の方へシフトしている。これはどういうことかといいますと、医療費が増えているということであります。医療費を増やしつつAからBへというふうに位置を動かそうと、これが社会保障国民会議のエッセンスではないかというふうに思うわけであります。これは恐らく小泉構造改革に比べるとより摩擦の少ないやり方だろうとは思いますが、問題はやはりQ0からQ1というふうに医療費が増大しているわけでありまして、この財源をどうするのかというところは大きな問題だろうというふうに思います。
 それから、現政権でありますが、申し訳ありません、これについてはクエスチョンマークを付けておりますのは、余り私も自信がないので、間違っていたら是非訂正をしていただきたいと思いますが、少なくともマニフェストあるいは最近の診療報酬改定等から見る限りの私の判断ということですので、そういうことでお受け取りいただきたいと思います。
 一つは、社会保障国民会議と同じように、医療費自体については増加を認めるということだろうと思います。ただ、社会保障国民会議ほど大幅な増加ではないということで少し少なめにはなっておりますが、等量線自体はシフトをしている。それから、労働投入は少し手厚くしていこうというのは先ほどマニフェストにあったとおりでありますので、労働投入は少し増えると。
 その一方で、資本については、この辺はよく分からないところもあるんですが、少なくとも療養病床を減らしていくというような政策については少し転換を図ろうとしているように見えますので、資本を今減らそうということではないと。そうしますと、結果的にAからBというのは平行移動を考えておられるのではないかというのが私の解釈であります。これはあくまでも私の解釈ですので、後で御意見をちょうだいできればというふうに思います。
 それで、以上三つを示しましたが、いずれも医療あるいは医療提供体制に関する政策選択肢として明示的に示すとすればこういうことかなということであります。どれを取るかというのはまさに国民の選択の問題だろうというふうに思いますし、それぞれの価値観にかかわる問題だろうというふうに思います。ただ、いずれにしましても、どのような医療提供体制を望ましいと考え、どのような負担に応ずるかということについては、広く国民的な議論が必要な問題ではないかというふうに考える次第でございます。
 以上、簡単でございますが、私からの報告とさせていただきます。どうも御清聴ありがとうございました。
#7
○会長(山崎力君) ありがとうございました。
 次に、大熊参考人にお願いいたします。
#8
○参考人(大熊由紀子君) 大熊由紀子でございます。
 私のエッセンスは、二ページ目のちょっと顔が横に出ているもの、「マニフェストで問うべき重要課題」というので、選挙の前に医療政策国民フォーラムというところに出したもので、今も私自身は変わっておりません。それは、低福祉高負担という今の現状から高福祉高連帯、どうも連帯というのが響きが良くないらしいので、これから高支え合いと言おうかなと思っております。それから、医療、福祉の充実こそが経済発展の基盤であって、年金よりも医療、福祉に関心を持つべきであると。それから、自宅とか、自宅でない在宅と呼ばれるグループホームとか、その他のものでのケアというのは、誇りと役割を膨らませて、無駄な出費を減らすということにつながるという、この三つを少し映像でお見せしたいというふうに思います。(資料映写)
 私のキーワードは、誇りとぬくもりと輝きということで、大学の仕事のほかに「福祉と医療・現場と政策をつなぐ「えにし」ネット 志の縁結び係&小間使い」というふうに名のっております。というのは、福祉と医療、近いのに実は深い広い川が流れている。現場の実践がなかなか政策に結び付いていないので、私が朝日新聞を卒業しましたときに集まった方たちをつないでいこうということで、御本人たち、支援者、政治家、行政官、マスメディアという人たちを、最初は三十人ぐらいだったんですが今は四千人ほどをつなぐということで、年に一回、このような「えにし」を結ぶ会というのをしております。
 切手を張ったりあて名を書いたりすることは一人ではできませんので、ホームページと四千人に送るBCCメールと、それから年一回の「えにし」を結ぶ会というのを開いて、実際にじかにえにしをつなぐという。つなぐわけですので、今日ここには耳の聞こえない方おられないし、目の見えない方おられないのですけれども、そのような方にも十分配慮するということをやっております。指点字というのは、目が見えなくて耳が聞こえない東大の福島智さんなどのためでございます。
 この「えにし」ネットですけれども、ここにはいろんな部屋が店開きしておりまして、阿部先生の少子化、子供の問題から医療事故、今お話のあった医療の問題ですけど、今日はこの辺りのことをお話ししようと思っています。
 今、尾形先生からあるポイントが話されましたけど、もう一つ、福祉との関係でお話ししてみようと思います。
 これは少し古いのですが、一九九七年にヘルスエコノミクスという雑誌に載りました、イギリスの博士によるEU十五か国についての一人当たりの医療費と、医療に満足している人の割合を表したものです。
 ギリシャは余りお金を掛けていないから二割の人しか満足していない、スペインはその倍だから四割の人が満足し、その更に倍のルクセンブルクは八割の人が満足している、まあ当たり前の結果が出ておりますが、ここに特異な一群があります。デンマーク、フィンランド、オランダ、スウェーデンというような国々です。これらの国は、医療で全てを片付けようとするのではなくて、福祉とか住宅とか、そういうところと共同してやっているということかと思います。
 ここには、EUですので、日本、アメリカがないので、大変よく似たブランドンの同じ時期のものを加えてみますと、アメリカはこんなに、我々より二倍もお金を掛けているのに十人中一人しか満足していない。これは皆様きっとお察しになると思いますけれども、健康保険がずっとなかったからこのようなことになっております。日本は残念ながら、この時期ではデンマークと日本はほぼ同じぐらいの一人当たり医療費でしたけれども、妙に下回っております。これは私は、さっきの先生の言葉で言いますと、資本の方にお金が行ってしまって、こちらの方の国々では町の中で暮らしている人が病人として社会的入院として医療費を使ってしまっているので、本当の医療費はスペイン並みぐらいなのでスペイン並みぐらいの満足度かなというふうに思っております。
 じゃ、何で今の中のデンマークの医療に人々が満足をしているのかというのをいろいろ考えてきまして、二十ほど見付けてみました。
 一番基本的なのは、病院には入院治療が必要な人だけがいるというごく当たり前なことであります。それはごく自然に起きたのではなくて、社会的入院をすると市町村の財政に不利になるという、そういう仕組みが立てられたものですから、市町村が必死になって訪問ナースとかホームヘルプとか食事配達とかそういうようなものをつくっていったということがあります。
 そして、ここに、在宅ホスピスケアを支えるパリアティブケアチームというのはこのようなことです。デンマークの私がよく訪ねる第二の都市のオーフスでは、ターミナルの人の八五%が自宅で過ごしております。それができるのは、その手厚いホームヘルプサービスがあるだけではなくて、一人一人の国民が家庭医を持っていて、その家庭医が最後の段階になってくると電話一本で駆け付けてくれる。夜勤専門のナースがいる。それから、家庭医には手に負えないような状況になると、ペイン、痛みを取る専門医とか、息苦しさを何とかしてくれるそういう専門医が総合病院から出ていくということがあります。
 そのようなデンマークを、私はケアを受ける人もする人もいい笑顔をしているという非常に元科学部デスクとは思えないエビデンスベースドでないことで高く評価しておりましたところ、二〇〇五年になりまして、オランダのエラスムス大学が、国民の幸福度一位はデンマークと発表しました。それをまねしたのか、またイギリスのレスター大学が調べまして、百七十八か国中日本の幸福度は九十位で一位がデンマーク。また、二〇〇八年にはアメリカのミシガン大学が九十七か国を調べて、デンマークが一位、日本は四十三位というような結果が出ておりました。
 このように申しますと、もう日本人の頭には北欧をめぐる非常に強固な三つのデマがあります。
 福祉が進み過ぎると老人が孤独になって世界一自殺する、税金が重いから外国へ逃げ出す、福祉に金を掛け過ぎると人は怠け者になって経済が傾くという、この三つの思い込みから日本の医療、福祉は大変残念なことになったと思うのですが、これがデマだという証拠に、これはアイゼンハワーが統計を間違えて書いた記事を引用して演説したわけで、そのころ老人の自殺率が多かったのは日本でありました。それも三世代同居の多い秋田でありました。ボルグやベルイマンは確かに外国に逃げ出しましたけれども、すぐに戻ってきました。でも、戻ってきたことは、私もメディアにおりましたけれども、こういうことはつまらないので報道をしないと。福祉にお金を掛け過ぎると怠け者になると言われておりましたけれども、実は日本よりも北欧の国々は経済は好調で貿易収支も財政も黒字でありまして、出生率まで順調であるということで、まず、皆様方はもう既にお気付きとは思いますけれども、この三つのデマに惑わされないようにということです。これはもう既に御存じのものですけれども、日本だけがやたらに消費税は低くて、北欧だけじゃなくて、大体この辺り、大抵の国は二〇%とか二五%の消費税というのが当たり前であります。それがどこに使われて、そのことをどう国民が納得するかであります。
 国民負担率という言葉を大蔵省がつくりまして、その福祉のお金を節約しようとしたツケが回りまして、税金がとにかく上げられない状況になり、借金がこのように増えていってしまい、イタリアをしのぐ今借金国というのを皆様よく御存じのことだと思います。
 私は、今先生から国際比較のお話がありましたが、国際比較する上で大事なことは、まず虫の目で現場をよく見るということ、それで見てみますと、日本の、私が論説委員になったころは寝たきり老人という言葉が大変新聞、テレビをにぎわしておりました。そういう方を見に行きました。科学部の時代には見たことのない方々でしたけれども、これは何ということだ、何とかしなければというふうに思ったわけであります。
 これは、今申し上げた三大デマによって日本型福祉という、家族に頼りましょうという、又はボランティアにやってもらいましょうという政策が生んだ日本型悲劇、日本型患者だというふうに私は思っております。
 鳥の目というのは、少し飛び上がって国際的に見てみるということです。しばしば言われますのは、日本の高齢化は世界一で手本はないのでございますという言葉でございますけれども、私がこれらを論説委員になって調べ始めたときにグラフを作ってみますと、確かに高齢化するスピードは日本は速い。でも、日本より先に高齢化してしまった国がこんなにたくさんあるということでした。これが高齢化率七%、それから超高齢社会というのを既に経験している国があるのだったら、それらの国の失敗を学び、うまくいったところをいただけばいいのではないかと思って、そういう国を訪ねてみました。
 ところが、困ったことは、寝たきり老人は何万人いますかとか、寝たきり老人は誰がお世話をしていますかと言っても、その言葉がどの国にもありませんでした。非常に困りまして、脳卒中で半身不随になったりして、おむつをして寝巻き着て天井をぼんやり見ている、そういう人を寝たきり老人と呼ぶんですというふうに言いましたところ、いや、そういう、ちょっと似た人がいるというふうに言いました。ただ、寝巻き着て天井ぼんやりが分からないということで、何と言っているのですかと言いましたら、ケアが必要な年金生活者と言っています。確かにこの方々もケアが必要な年金生活者です。ただ言葉を変えただけなのかと思って、その人に会わせてくださいと言いましたら、ああ、そこにおられますよというふうに言われました。寝ていないで起きていました。何で起きているんでしょうと言いましたら、変なことを聞く人がいるもんだという顔をされまして、だって毎朝起こしますからということでありました。
 寝かせきりにしておきますと、廃用症候群になって起きられない寝たきり老人というものができてしまう。寝たきり老人という概念とか役所言葉がある国とない国があるんだなと、寝たきりは、老人というのが寝かせきりにされたお年寄りなんだということを朝日新聞でキャンペーンをいたしました。でも、最初のうちは、これはどこかに隠されているんだろうとか、適当に殺しちゃうんだろうとかいうふうに言われて、信じてもらえませんでした。
 デンマークでは老人病院、療養型もなくて、思い出の家具に囲まれた個室と団らんのプライエム、今でいうとユニット型の特養ホームがありましたが、一九八七年からはもう造らないということにいたしました。ケア付き共同住居というのにした方が御本人の力が引き出されるということであります。じゃ、どういうふうにするかといいますと、なるべく自宅で支える、ナースとホームヘルパーが誇りを膨らませるプロである、ただ単におむつを取り替えるとか、車椅子に座らせるという人ではないということでした。
 それから、国でやるのではなくて、市町村や現場に権限や責任を下ろすということでした。ヘルパーさんはプロですから、目は離さないけれども手は出さない。日本のお嫁さん、日本型福祉では、やり方が分かりませんから、ただ親切に寝かせきりにしてしまうという、これが日本型悲劇その二、家族のもめ事でございます。
 それから、福祉用具というふうに日本では言われるようになりましたけれども、補助器具というのも大変に威力を発揮しておりました。そのような改革はいつから始まったかというと一九八二年に、向こう読みでアナセンさん、普通に言いますとアンデルセンという教授がいまして、人生の継続性というのが大事である、自己決定が尊重されなければいけない。そうすると、御本人の持っている能力が活用されて、その結果として社会全体としては得をするという、そういうものを出しまして、そのときに総理大臣が厚生大臣になってくださいと言ったものですから、この答申がそのまま政策になっていきました。
 これが寝たきり老人がいる国いない国という本の第一章ですけれども、この中の、ホームヘルパーが朝昼晩現れるとか訪問看護婦は名探偵と、当時書いたときは何か北欧だからできる夢物語というふうに言われておりましたけれども、このようなことが介護保険に盛り込まれるということになりました。
 ちょっと時間がないのでこれにかかずらわっていられないんですけど、お役所言葉の辞書というのがありまして、皆様もお困りかと思いますけれども、検討しますというのは検討するだけで実際には何もしないこととか、努めるとかいうのは結果的に責任を取らないことみたいなことがありますけれども、あるとき厚生労働省がやる気になりまして、一九八九年に介護の対策検討会というのをつくりまして、そのときにこのような報告を出しました。一枚目に載っておりますので、後で御覧いただきたいと思います。これが介護保険の原点でありますけれども、これがだんだん値切られていって今あちこちにちょっと故障ができているということであります。
 信じてくれなかったお医者さんも、実際にデンマークに行ってみて、自分の診ている患者さん、こういう人が起きているというので本気になって起こすことをいたしましたらちゃんと起きて、目が開いて口がしっかり閉じました。さらに、外に出て楽しいことということを社会福祉協議会などと一緒にやりますとこのようなふうになるということで、日本の医療に頼って寝かせきりにしてしまうのではなくて、自分の家で、町の中で暮らすということが日本だって可能だということが分かった次第です。
 そして、財源の手当てというのは、このように北欧とドイツを足して二で割った。そして、北欧から学んだところは市町村にそれぞれ少しずつ権限を渡していくということで、こんなに大きくはなりませんけれども、首長さんが頑張るとかなりいい介護保険ができるという、このような物語を、これ最後のところで、亀井さん、亀風とかいうのが吹いたりして介護保険潰れそうになったり、小沢さんがいろんなことを言ったりという、このてんまつは「物語 介護保険」という、お手元のチラシの方に書いてございます。
 これが書き上がったときに我が家にも老老介護の問題が持ち上がりました。九十歳でまだらぼけで、腎臓が片っ方しかなくて狭心症を持っていて独り暮らしという母が悪性リンパ腫第四期ということで、七月にもう夏は越せないでしょうというふうに言われました。私は、じゃ、確かに夏は越せないような有様でした。何とか家でみとろうと思って家に連れてまいりました。そのとき、我が家を片付けて電動ベッドなどを入れてみとろうと思いますがと言いましたら、大変優れたケアマネさんが、それでは、あなたのうちに戻るんじゃ自分のうちじゃないと、自分のうちに戻さなきゃ駄目ですというふうに叱られてしまいました。そして、寝室にベッドを置くんじゃなくて、母が楽しんでいるベランダを向いている部屋に置きましょうと。そして、レンタル事業者さんを督励してトイレのドアを取ってしまいまして、立ち上がりを助けるような道具を付けてくれまして、ここはドアの代わりです。
 このように、かなり強いお薬を使っていながら、これは三週間に一遍点滴を受けにいくほかに自宅でこういうふうにお薬を内服するんですけれども、かかりつけの薬局から来てこんなふうに入れてくれますので私も間違わないで済みます。
 この怪しいのは何かといいますと、母のお気に入りのヨン様で、やっぱり自宅というのはそういうことが良いわけであります。
 これは母でありますけれども、採血はこの訪問医がやり、大学病院がその結果をメールで受けて点滴できるかどうかを決定するという、病診が機能分化して連携するということは今この日本でも行われております。
 母は何としてでも家に戻って、どんな強いお薬でもいいというふうに言いましたのは、この孫娘のリサイタルに出たかったんですけれども、とうとう念願かなってリサイタルに出ることができました。
 今、私はどのように支えているかといいますと、今日もやってまいりましたけれども、朝の七時半に行って朝の支度をする。それから、夜は大学がありますのでヘルパーさんに来ていただく。それから、前からお掃除に来てくださった方、首にするわけにもいかないのでその人にも来ていただく。病院の点滴のときはヘルパーさんに介助をお願いするというようなことをやっております。
 朝は母が好きな番組を書いたりと、そのようなことをしているわけですけれども、この卵豆腐、サラダとか書いてありますのは、まだらぼけですので、由紀子は朝御飯も食べさせてくれなかったなんて私の弟に言うものですから、ちゃんと食べたよということを書いているんですが、お昼に来た家政婦さんに、いや、これは由紀子が全部食べちゃったんだなんて言うので、これがうそつきなんだかぼけているんだかよく分かんないという状況でございます。
 寝ているとこんな顔をしております、今、母も。でも、外出をしますとこんないい顔になります。これは余り見苦しいので取ってしまいますけれども。二週間先になだ万に行こうねとかそういう次々と楽しいことを用意しておきますと、このようなことができるというわけであります。
 このようなぼけの母ですけれども、もしも精神病院に入ってしまっていたらば、このような殺風景なところで、何か抵抗、反抗すると外から鍵の掛かる部屋に入れられてしまう、ハンセン病棟ではもうなくなったようなところに入れられてしまうというふうに思っている次第です。
 日本では精神病院の数が、よその国がどんどん減らしていったのにたくさんの数が今も存在いたします。これは、尾形先生がおっしゃった民間主導の結果であります。国としてはどうにもならない状況があり、これだけのベッド数があり、だんだんお年寄り、統合失調症の患者さんも死んでいかれる、そして外来で治るようになるとここが空いてしまいます。そこに今認知症の人を入れましょうというようなことが行われておりまして、是非この委員会の先生方がこれを食い止めていただきたいというふうに思う次第であります。というのは、同じお年寄りが町の中のグループホームとか共生型のホームに行くとこんないい顔になれるということが外国ではなくてこの日本の中で実証されていて、外国人が、わあすごいというふうに言うからであります。
 確かに認知症の原因疾患はこんなにいろいろありまして、中には手術で治る正常圧水頭症もありますよというようなことがありますけれども、おおむねは良い場と良いケアがあればとてもいい感じで暮らせるということで、これは山井さんが二十年も前に撮ったスウェーデンの写真であります。
 最後に、歴史の目ですけれども、今御紹介したような国々が最初から賢くやっていたわけではなく、雑居に寝かせきりもありましたし、寝たきり老人に当たる水平の人という言葉もありました。けれども、それは間違っているというふうに気付いたらば、それを変えていったということです。
 スウェーデンはもっと貧しい国でしたので、うば捨て崖というのがあって、崖から突き落とすということをしておりました。でも、そうすると夜うなされるものですから、うば捨て棒というものが開発されまして、これで大勢で、みんなやっていることだということで崖から突き落としました。
 そのような場という、日本で今、家族がくたびれるから、もう手に負えないからといって、御本人の意向ではなくて周りの意向で、こんなところで暮らしたくないというところに追いやられていってしまわれるという状況を何とかなくすために、この委員会の先生方がお力をお尽くしいただきたいというふうに思います。
 お聞きいただいて、ありがとうございました。
#9
○会長(山崎力君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 それでは、これより参考人に対する質疑を行います。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようにお願いいたします。
 なお、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、答弁を含めての時間がお一人十分程度となりますよう御協力をお願いいたします。
 それでは、質疑のある方の挙手を願います。
 谷亮子君。
#10
○谷亮子君 ありがとうございます。民主党・新緑風会の谷亮子です。
 昨日、ニュージーランド南島付近で地震が発生をいたしまして、犠牲になられました皆様に心からお悔やみを申し上げます。そしてさらに、一刻も早く被災に遭われている皆様を救助することに努められますよう、全力で取り組んでまいりたいと思っております。
 本日は、阿部彩先生、尾形裕也先生、大熊由紀子先生、皆様のライフサイクルから見た社会保障に関する貴重な御意見を拝聴させていただきまして、ありがとうございました。またさらに、皆様への質疑の機会をいただきまして、ありがとうございます。
 最初に、国民生活の観点から大熊先生に御教示お願いいたしたいと思います。
 ノーマライゼーションの理念に基づいたデンマークを始めとする北欧における、このノーマライゼーションに基づく福祉、そして医療、年金につきましてお話をお聞かせいただきたいと思います。
 また、デンマークは国土面積が日本の一一%、要するに九州の面積と同じぐらいの大きさになりますけれども、また人口に至っては五・四%ですね、五百五十四万人と少ないので、社会保障の充実が可能となったのではないかという点につきましてお話をお伺いいたしたいと思います。
 そしてさらに、日本における社会保障につきまして、その政策内容、政策の対応する内容につきましてどのような政策対応が今必要とされているのかという点につきましてもお話をお伺いいたしたいと思います。
#11
○参考人(大熊由紀子君) ありがとうございます。大熊でございます。
 今、ノーマライゼーションについてお尋ねがありましたので、簡単にノーマライゼーションの意味をお話しいたします。
 町の中にはいろんな人が住んでおります。病気の人、健康な人、障害のある人ない人、それらの人たちを、これまではハンセンの病棟とか精神病院とか様々な施設とか老人病院を造りまして、こうやってより分けていったと。これは世界的にそうでありました。精神病であってもそうでした。けれども、それがどうも御本人たちには不幸せだということで、この人たちを町の中に戻していこうという、これがノーマライゼーションという考え方です。
 それを、私が思いますには、これは北朝鮮の工作員がやってきまして地村さんと富貴恵さんを連れていっちゃうときに、あなたは北朝鮮に行ってみたいですかというふうに決して聞いたわけではなく、御本人の意向を無視して連れていったということを考えますと、今、日本の医療や福祉の制度は悪く言うと拉致制度だったのではないかと、御本人の意向を聞かずに遠いところへ連れていってしまうということです。
 ノーマライゼーションの考え方は、一九五九年にデンマークで最初知的障害の世界から始まりましたけれども、それはみんなで仲よく町の中で暮らしましょうよという心掛けではなくて、誰でも町の自分の望んだところで普通の暮らしをする権利があるんだと、その権利は社会が実現する責任があるという、権利と義務に裏付けられているというところがそこのノーマライゼーションのデンマークの法律の特徴であります。それをするために様々な工夫を重ねてきて、先ほどお話ししたように、病院にいつまでもいなくていいように町の中で支える仕組みをつくると、そういう段階を踏んでつくっていったわけで。
 デンマークなどというのは日本に比べてとても不利な国です。小さい国ですから、何か商品を作っても国内だけではなかなか成り立たないという不利なことをいっぱい抱えております。スウェーデンも同じです。ですから、技術開発をいろいろして、輸出のものをたくさん作って、そのような経済的な面でも成長率日本より高いということをしながら、税金を取って、それをみんなで分けてということをしてきたわけです。ですので、小さい、大きいというのは、むしろ大きい日本の方がやればできるのに、小さいあんな国でもやれているというふうに考えるべきかと思います。
 それから、特に福祉におきましては、日本もだんだん分権化ということが言われておりまして、市町村単位で物事をやっていくということになりますと、その市町村の一つ一つは大体デンマークとかスウェーデンと同じような大きさでありますので、非常に参考になる点がたくさんあるのではないかというふうに思っておりますが、いかがでございましょう。
#12
○谷亮子君 ありがとうございました。
 続きまして、子供の貧困と福祉の観点から、阿部先生に御教示いただきたいと思います。
 今、日本国内におきましては、年収二百万円以下の貧困層と言われる方たちが一千百万人に達しております。また、先進国と言われますアメリカにおきましても、七人に一人の方が貧困層と分類をされています。そして、フードスタンプの受給者数も四千三百二十万人を超えまして、自治体財政におきましても破綻に瀕しつつございます。
 この観点から、子供の貧困につきまして、発展途上国の絶対的貧困と先進国の相対的貧困における就学援助等の政策対応がどのように異なっているのかという点についてお話をお聞かせいただきたいと思います。
 そして、貧困の連鎖をなくすためには、機会の保障をしなければならないと思います。平等の機会を保障しなければならないと思いますけれども、その点に関して阿部先生の今最も必要であると思われる政策につきましてお話をお聞きさせていただきたいと思います。
#13
○参考人(阿部彩君) 谷先生、質問ありがとうございました。
 まず、絶対的貧困と相対的貧困についてお話しさせていただきたいと思います。
 一般的に絶対的貧困は、食べ物が食べられないですとか、飢えの、凍死するですとかいうような身体的なサバイバルに関するというふうに考えられることが多いです。相対的貧困というのは、むしろそれよりも、その社会においてどのようなもの、普通に享受されているような生活ができないような状況というふうに考えられています。
 確かに、絶対的貧困から観点すれば、日本の中でゼロとは言いませんが、飢え死にしているような子供というのは非常に少ないです。ですけれども、かといって、相対的貧困というのがその子供の将来や国にとって絶対的貧困に比べて問題ではないということではないんですね。
 実際に日本の政府は一九六〇年代に、これは高度成長期に差しかかるころですけれども、国民所得倍増計画というのがございました。その時代に朝日訴訟という訴訟が起こりまして、日本の中での貧困の概念は絶対的なものから相対的なものに変えるというふうに明確に打ち出しております。それは五十年前になります。
 なぜそのときにその相対的貧困というのが重要になってきたのかということになりますと、日本のそのころの生活というのは非常に飛躍的に伸びてきたわけです。そうしますと、ただ単に肉体的にサバイバルできているという、それだけでは社会の中で十分に機能することはできないんですね。例えば、ただ単に飢えていないですとか凍死しないほどの洋服は着ているというだけで日本の中で建設的な市民として仕事に就くことができますか、勉強を学ぶことができますかと言ったら、これはやっぱりできないわけです。
 ですので、じゃ今の日本、先進諸国の仲間入りしてもう大分たちますけれども、の中で子供が飢えていなければよしとするんですか。多分、国民の皆さんのほとんどはそうとは思わないと思います。ただ、貧困という言葉に惑わされて、貧困というのはそういうものだというイメージを持っていますのでそういうふうに思うと思うんですけれども。
 例えば、この間のタイガーマスクの事件がありました。児童養護施設に育つ子供がランドセルが持てないということに対して、日本の国民のほとんどはそれはやはりひどいんじゃないかと思うわけですね。別にランドセルはサバイバルに必要なわけではないです。ランドセルがなくても、ビニール袋に入れて教科書持っていくことはできます。ですけれども、ランドセルを持てないということがその子供にとってどういう意味を持つのか。学校でいじめに遭わないか、疎外感を感じないか、勉強を楽しむことができるか、そういうことを考えたときには、やはりランドセルというのは小学生の生活に必需品になるわけですね。相対的貧困というのはそういうことを指しています。
 実際に、既に日本の政府としてもその転換を行ってもう半世紀もたっているんですけれども、貧困という言葉に私たちが余りにも慣れていないがために、相対的貧困という概念、貧困ということを考えたときに、じゃ、子供は飢えていなければいいんじゃないかだとか、ぼろぼろの服でも服があればいいんじゃないかというような考え方になってしまうのかと思います。
 ですので、基本的には、途上国における貧困というのと先進諸国における貧困というのは、その問題の大きさという点では全く変わらない。その子供の将来を抑制してしまう、可能性をつまんでしまうという意味では全く同じことです。
 第二の御質問で、機会の保障として何をすべきかということをおっしゃったかと思います。
 よく、機会の平等が必要であって結果の平等があるのは致し方ない、でも機会の平等がなければいけませんというような話はよく聞かれます。機会の平等が保障されなきゃいけないということは、日本の方ほとんどの方が合意できることではないかと思います。
 ただ、機会の平等といったときに、じゃただ単に全ての子供が大学に行く可能性があるということを残していればいいのかと。そのことだけではやはり機会の平等にはなりません。というのは、貧困に育つ子供はそれでなくてもいろんな不利を負っているわけですね。その不利をカバーするような政策でないと同じスタートラインに立たないわけです。幾ら競走が平等であっても、最初から足かせをはめられている子供とそうでない子供が駆けっこをしたら、絶対に足かせをはめられている子供の方が負けるんですね。でも、あの競走は平等だったらいいんだよというだけでは、それでは機会の平等を保障したということになりません。
 機会の平等を本当に保障するんであれば、私は一番最初に公的な教育の部分から見ていくべきだと思います。というのは、義務教育を卒業するまでにかなりの学力格差が付いています。学力格差がもう義務教育の段階で付いているということは、これは私立小学校や中学校に行かないにしても、それで付いているんですね、公立の中でも。だとすると、それは高校のときに、受験のときに、同じルールで受験戦争したら必ず負けてしまいます。高校によってより分けられてしまうだけですので、結局のところ、公的な部分で、特に同じ教室に同じように座っているのでその不利がカバーできないのであれば、じゃどうやって家庭での不利を補うことができるかという観点を持たなければいけない。それは、もしかしたら、よりインテンシブな補講であったり、家庭に対する支援であったりすることがあるかと思います。
 ですので、私は公的な、義務教育の段階での福祉の観点からの教育というのは非常に重要かというふうに思っております。
#14
○会長(山崎力君) ありがとうございました。
 時間でございます。
#15
○谷亮子君 はい、分かりました。
 貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございました。
#16
○会長(山崎力君) 続いて、中原八一君。
#17
○中原八一君 自民党の中原でございます。阿部先生と大熊先生、お二人に一度に御質問をさせていただきたいと思います。
 最初に、阿部先生にお願いいたします。
 最近、親の経済力が子供の学力格差に結び付いているという著書、こういうものがたくさん世の中に出回っているように思います。昔から、私たちの世代も、親の収入と子供の学力関係は関係があるんだなと何となく感じてきたと思います。いい家の子供は勉強ができて、うちは貧乏だから頭が悪いんだと、まあこれは言い訳も含めてですけれども。親の年収と子供の学力格差の関連性の事実を否定するものではありませんけれども、こういうデータを社会全体が肯定することによる子供の教育への影響について、私は子供へいささか少なくない影響が出るのではないかと考えています。
 昔、私たちの地方で、貧しい家の子供でも、反骨精神やハングリー精神を持っていて、頑張って有名な大学に入ったと、こういう例はたくさんありました。しかし、今の子供たちは反骨精神とかハングリー精神がありません。どうせ俺の親は収入が少ないから、俺は学力が低くても当たり前なんだ、大学へなんか行けないのは当然だと考えてしまうことは、私は恐ろしいことだというふうに思っています。また、そういう子供たちも最近は多いんではないかというふうに思います。親がどうであれ、頑張れば幾らでも学力は伸びると思って私はほしいと思います。
 そこで、親の収入と子供の学力格差を社会全体が肯定してしまうと、子供の学ぼうという意欲、それから意欲を持って生きるということ、こういうことを喪失してしまうのではないかと私は懸念しているんですが、先生のお考えを伺いたいと思います。
 それからもう一点、子供の貧困から脱出させるために教育を充実させていかなければならないということも理解できます。しかし、高校に入っても勉強が嫌いで中退したり、それから大学を卒業しても勉強をしてこない人が多数いることも問題になっています。一方、中学を出て社会で頑張っている人はたくさんいます。
 大学に行かなくとも、得意な分野を伸ばしてあげる、スポーツができる人はスポーツで、音楽に能力がある人は音楽で飯を食べていけるような多様な選択ができる、そして生きていける社会が私はいいと思いますが、いかがでしょうか。
 教育が大事なのは分かりますが、誰でも彼でも大学というのではなくて、頑張れば大学に行ける、そして頑張れば報いられる社会を築いていくことがより重要ではないかと思いますが、先生のお考えを伺います。
 それから、大熊先生に。
 寝たきりの人たちを多く抱えて日本が長寿世界一だと言われても、誰も喜ぶ人はいないと思いますし、長寿社会という言葉にプラスのイメージを持つ人もまたいないと思います。
 男性も女性も、寝たきりにならずに生きがいを持って生きていくことが何より大事だということは言うまでもありません。しかし、私の周りを見渡すと、女性は元気で生き生きと生活しているんですけれども、男性は定年後しょぼくれて元気がない人も多く見受けられます。男性として非常にショックなんですけれども。
 先生のこれまでの幅広い活動の中で、北欧や西欧の現状はどうなんでしょうか。日本で感じられるような、高齢になって男女の元気の差、そのようなものがあるのかないのか。ないのならば、なぜ北欧や西欧のようなところはそういうものがないのか、理由をお聞かせください。
 また、男性も年を取っても女性と同じような元気でいるためにはどのようなことが大事なのか、先生のお考えを伺いたいと思います。よろしくお願いします。
#18
○参考人(阿部彩君) 親の収入と子供の学力の格差を肯定しては子供の頑張る気がうせてしまうんではないかという点に回答させていただきます。
 私は肯定しろと言っているのではありません、是正してくださいと言っているんです。是正するためには事実を見る必要があります。無視してしまって隠してしまえば、それを直そうという政策を立てられるはずはないと私は思います。ですので、少なくともこのような場では事実をしっかりと見据えて、それを是正するにはどうすれば、子供が頑張れば何とかなると思えるような、今は頑張ってもどうにもならないというふうに子供が思っていること、それ自体が非常に問題であって、頑張れば何とかなると思うようにするにはどうすればいいかということを考えていかなければいけないのに、日本の社会は余りにも長い間その問題を考えてこなくて、本人が頑張れないのはその子供のせいだというふうに言ってきたわけですね、又はその親のしつけのせいだ。
 ですので、データというのは非常に衝撃的で、それをどのようにメディアに出すか、また、それをどのように子供に伝えていくかという点では親世代や又は教師が非常に気を付けなければいけないことですけれども、その事実を隠してしまうことというのはやはりいけないんではないかなと私は思います。頑張れば何とかなるよというふうに思えるように変えていくにはどうするかという点については、私はデータというのは非常に有効な手段だと思いますので、それはやはり国会議員の皆様にはしっかりと見据えていただきたいなというふうに思っております。
 もう一つ、大学教育についてですけれども、私も実のところ、全ての人が今日、大学に行くようになればいいというふうに思っているわけではございません。おっしゃるとおりに、自分の、勉強ではない、いろいろな生き方というのがあると思います、音楽であれ、体育であれ。
 ただ、おっしゃったところで一つ引っかかるのが、それで飯が食っていけるようになるのが望ましいというところなんですね。それで飯が食っていけますかという問題なんです。今は、飯は食っていけません。中卒ではなかなか、非正規労働になるのがやっとで、それさえも駄目だというようなところもあります。
 高校を中退してしまうようなお子さんの中には、女の子であれば性産業に入ってしまうような子供もいます。その選択肢をよしとすることは私はいけないと思います。ただ、労働市場を変えるのは大変です。労働市場を、私も非正規労働者の問題を何とかしてくださいということはもちろん申し上げたいんですけれども、それと同時に、子供の方にもいろいろなチョイスを、その機会の保障という点でも、今はそれさえも保障されていない状況であるというので、教育の観点からと労働政策の観点から両方やっていくべきだというふうには思っております。
 以上です。
#19
○参考人(大熊由紀子君) 大熊がお答えいたします。
 男性と女性の元気度については、日本ほどではないんですけれども、やはり女性の方が元気で長生きというのは似通っているところがあります。デンマークを見に行った国会議員の方が、おばあさんたちをつかまえて何か不満なことはありませんかと聞いたらば、男性の方が命が短いので、年取ってからの男女の比率が違って競争率が高くなるのが困るのよというようなことを言っていたなどということでございますけれども。
 日本に比べてヨーロッパの男性たちがより元気な理由の一つは、日本は社会福祉ではなく会社福祉であるというために、社会福祉が余り進んでいないので、大学出ていい会社に入らないと、いい老後が心配であるというので、余り勉強を好きでもないのに大学に行き、好きでもない仕事に就き、そうすると、老後も余り面白いことはないと。一方、ヨーロッパの国々の場合は、高校卒業で様々な技術を身に付けて、そのことでちゃんと胸を張って生きていけるので、大工さんは大工さん、そういう、それぞれが定年になったとしても、その後自分の好きなことがやれるということが一つあります。
 それから、日本は妙に長時間ただだらだら会社にいたりしますが、非常にはっきりともう勤務時間が終わるとさっさと帰るというのは、一般の会社だけじゃなくてお医者さんも同じです。日本のようにやたらに働いているお医者さんはいなくて、時間が来たら交代して帰ると。そうすると、そこには家族が待っていて、家族と一緒に別荘を大工道具でいろいろやるとか、ボートの腕の見せどころとか、料理も一緒にやるとかいうようなことで、毎日毎日の暮らしの中にも老後にも楽しめるようなことが組み込まれているということが、より日本でもこれからやろうと思えばできるのではないかと。
 国会議員の皆さんは私生活がないので、早く帰って一家団らんは難しいかもしれませんが、一般庶民の場合はそれができるような勤務時間をきちんとして、家の暮らしが成り立つような社会になると男性の皆さんもお幸せかと思います。
 以上でございます。
#20
○会長(山崎力君) それでは、山本博司君。
#21
○山本博司君 公明党の山本博司でございます。今日は、三人の参考人の皆様、大変ありがとうございました。
 私から、それぞれ三人の方に御質問を先に申し上げたいと思います。
 まず、阿部参考人、大変ありがとうございます。私ども公明党も新しい福祉ビジョンというのを昨年末に発表いたしましたけれども、その中に貧困と格差というテーマの中での支援ということで、そのことを盛り込まさせていただいておりまして、阿部参考人が子供の貧困削減に有効な給付付き税額控除、このことの御提言もされていらっしゃいます。
 非常にこのことを、先進国で導入をされている税制の優遇策、優遇措置ということで、スウェーデンとか若しくはアメリカとか、そういう他国での事例、これに関して教えていただきたいと思いますし、もし日本が進めるとしたときの課題なんかも御指摘をいただければと思います。それが阿部参考人でございます。
 また、尾形参考人に対しましては、今の政府が社会保障と税の一体改革ということで議論をされていらっしゃいまして、今日のお話の中でも、社会保障がどんどん増大をしていく中で医療改革をどうしていくかということでの御指摘だったと思います。その意味で、この医療費の増加を予想する中で、医療の質の向上ということと医療費の適正化ということでやはり必要性が高まっているんじゃないかと思います。
 そういう中で、今日、機能の分化と連帯の方向というお話を聞きました。私は香川に住んでおりまして、実は香川県の遠隔医療といいますか、ICTを活用して地域医療情報の連携とか、日本版EHRというふうな形の活用を目指して香川県内で、島が小豆島とか直島がありますから、圏域を含めてそういう形で進んで、かなりそういうモデル的な形で医療費の抑制だとかサービスの質の向上というものを推進しているんじゃないかという実感がございます。そういう意味で、参考人はこういった点をどう考えていらっしゃるかということをお聞きをしたいと思います。
 最後に、大熊参考人に対しましては、私ども公明党も、この福祉ビジョンの中で介護の、十万人の方々に対する総点検をさせていただきまして、提言をさせていただいております。その提言の中の、やはり参考人にも高連携というお話がございました。私たちも、支え手の拡大ということで、やっぱり多くの方々に支えていただかないといけないという中で、ボランティアポイントの制度とお元気ポイントの制度ということを提言をしております。
 このボランティアポイントというのは、稲城市なんかでも実際やられていらっしゃるということで、高齢者の方々が社会貢献をされているボランティア活動の中で、それをポイントとして介護の保険とかサービス料の負担を軽減するというふうなやり方でございます。そして、お元気ポイントというのは、これは三年間介護報酬を使わない、介護保険を使わないでお元気な方々、たくさんいらっしゃるわけですけれども、そういう方々に対して、やっぱり介護予防の取組を評価をして、介護保険料とかサービス料金を負担を軽減するような、そういう仕組みを考えてはどうかということを提言をしております。こういう点、どうお考えになられるか、御見解をお聞きしたいと思います。
#22
○会長(山崎力君) それでは、順番もあれですので、ちょっと申し訳ないんですが、ずらさせていただいて、尾形参考人からお願いいたします。
#23
○参考人(尾形裕也君) 御質問ありがとうございます。
 私も、医療におけるICTあるいはITの活用というのは非常に重要なテーマだというふうに考えております。今日はちょっと時間もありませんので、その点、詳しくお話しすることができませんでしたが、一つは、議員御指摘のように、地域における医療の機能分化あるいは連携というものを支えていく一つの非常に重要なツールたり得るんだろうというふうに思います。
 そういう意味ではまさにおっしゃるとおりだというふうに思いますし、それからもう一つ重要な観点としては、やはりIT化、ICTを進めていくことによって医療の情報がいろいろな形で広まっていく、あるいはデータベースができていくということでありまして、医療の分野ではエビデンス・ベースド・メディシンと、根拠に基づく医療、EBMというようなことが言われますが、やはりそういったものを支えていく一つのツールとしても私は非常に重要なものだというふうに認識をいたしております。
 以上です。
#24
○参考人(大熊由紀子君) 今のポイント制というのはとても楽しいアイデアだと思います。
 ただ、これがかつて介護保険ができる前に、そのようなことは無理だということで、ボランティア切符というので全てを解決しようという提案がなされたことがありました。それは、その切符をためると、自分の田舎に住んでいる親も介護してもらえますと。そして、それらをコンピューターで結んでやっていこうということだったんですけれども、これはやっぱり実現不可能だということが分かりました。
 なぜかというと、ボランティアができる人がたくさんいる場所とそうでない人がいるということから不公平が起きてしまうということで、まず介護保険のようなものの基盤がしっかりあって、その上に今のポイント制が加わる。例えて言えば、デコレーションケーキのときにまずパウンドケーキがあって、上にイチゴとかクリームで飾りがあるとなお楽しいなというような位置付けではないかしらと。なので、元々の介護保険がしっかり行われるようなことについても、もう既におやりですけれども、公明党で頑張っていただきたい。
 特に人材の方から、よく継続性ということがお金の面だけで言われますけれども、人材の面からの社会保障が駄目になっていくのではないか。私の今、大学院生の中で介護福祉士さんを育てている人がいまして、その人の修士論文によりますと、一年生に入ってくるときはすばらしい仕事だと思って目を輝かせて入ってくる人が、三年、四年になって就職のところに出されるその値段、どのくらいの収入かということを知ってどんどん元気がなくなっていく、それから介護現場の過酷さで元気がなくなっていくということを聞いておりまして、せっかく志した人たちまで辞めてしまうような報酬というのを何とかするということも是非お考えいただきたいと思います。
 よろしくお願いいたします。
#25
○参考人(阿部彩君) 給付付き税額控除のお話だったかと思います。私が岩波新書を書かせていただいたころは子ども手当というのが実現するというのは全くの夢物語でございましたので、そのような中で書いたということをまず御了承をいただきたいと思います。
 給付付き税額控除は所得制限付きのものと所得制限付きでないものがありますけれども、所得制限付きでないもの、特に子供に関するものでは所得制限付きでないものでも、他国でも、イギリス等では導入されております。というのは、もう子ども手当とほとんど変わらない形になります。全て均一な額で子供の数に応じて付与されるという点になりますので、その点では私は子ども手当と同等なものというふうに考えております。
 ただ、所得制限付きの子ども手当のようなものを、児童手当のようなものと所得制限付きの税額控除を比べたのであれば、私は税額控除の方が良いシステムだというふうに思います。それはスティグマが発生しないからですね。それと、削減のプレッシャーも掛かりません。
 給付というのは、どうもみんな、実際にその金額が自分の銀行口座に振り込まれるものですからエキストラなもののような気がしてしまって、税額控除とかですともうそれが自動的になされているので、全くそれの感じ方が違うんですね、財政的には全く同じなんですけれども。そういう意味で、余計なものだ、今は確かに子ども手当は所得制限なしにするべきだというようなプレッシャーが掛かっておりますけれども、所得制限が付いたとしても、財政が厳しくなると低所得者向けのプログラムというのはとにかく縮小の対象になりやすいです、やり玉に上がりやすいです。ですので、そういう意味で私は税額控除の方が良かったんではないかということであの当時は税額控除という形を出させていただきました。
 ただ、税額控除のもう一つの利点というのは、それまでというか、今もありますけれども、見えない形での、アメリカではヒドゥンというふうに言っていますけれども、形での給付というのを、扶養控除との関連です。扶養控除は高所得者層にも付与されますし、高所得者の方が税率が高いので高い額が付与されているんですね。ですけれども、それについて誰も何も批判してこなかった、何となくそれは税制の中の難しいいろんな計算の中でなされてしまうので考えてこなかったんですけれども、扶養控除を考えるんであれば、扶養控除から税額控除に同じ税質の中でくら替えをするというのは再分配的にも非常にかなったことであるというふうに私は思います。それは、所得制限がないにしても、その方が再分配効果が絶対的に高いです、税額控除の方が。
 ですので、その税額控除というのは、あの当時もしかしたら実現可能なんではないかなという形で私は提案させていただきました。ただ、現状の観点からいいますと、子ども手当の兼ね合いをどういうふうに考えるかということをセットとして考えていかなければいけないというふうに思っております。
#26
○会長(山崎力君) 時間ですが、よろしいですか。
#27
○山本博司君 はい、ありがとうございました。
#28
○会長(山崎力君) 続きまして、寺田典城君。
#29
○寺田典城君 済みません、寺田でございます。よろしくお願いします。
 阿部先生にお聞きしたいんですが、この格差社会については私も大変心配しておりまして、とにかくやれることから早く手を付けていかなきゃ、ますます格差が出るだろうということは強く認識しております。ですから、幼保の一元化なり、こういうものもできるだけ早く、保育に欠けるとか欠けないとかそういうことを抜きにして、幼児教育をできるだけ早く取り上げるべきだろうということ。ということは、文部省の、何というんですか、調査の中で小学校六年生の義務教育の調査があるんですけど、あれで、幼稚園出と保育園出で五点ぐらいの差が付いているという、まあ付いていないところももちろんあるんですが、そういうところもあるんです。
 それで、私は一九四〇年生まれですから、何というんですか、一九六〇年ころの金の卵だとか集団就職だとかああいうものを経験して、よく小学校の義務教育のときは、エンゲル係数だってアメリカは二〇台だ、日本の国は五〇を超えているとかという、そういうことを記憶にあるんですが、その中で、これ、阿部さんはアメリカに留学なさっていますが、一つは、今、高校を出ても、何というんですか、全くの低所得な方が三割も出てしまう、百五十万以下ですね。もちろん専門学校も大学もそういう形で、百五十万以下の方々が今一千万近くになっているんじゃないかというような数字も、そういうデータも出す方もいらっしゃるんですね。
 それで、アメリカでは、何というんですか、コミュニティーカレッジというか、そういう形の中で、オバマさんが年間五十万人コミュニティーカレッジに入れて十年間やろうとかという、何か新聞でも読んだことあるんですが、その辺について何か詳しいことだとか考えをお持ちであったら教えていただきたいと、そう思います。
 もう一つは、あとは尾形先生と大熊先生にお聞きしたいんですが、医療費の問題で、今、現在、三十数兆円、介護は七兆円とか八兆円とかとなっていますが、介護サービスを受ける方が二〇〇〇年というのは百四十九万人で、今二〇一〇年が四百万人超えているというような形なんですが、これから二〇二〇年になりますと高齢化率二九%ぐらいになるわけですから、そうなってくると、約一五%近くが後期高齢者の形になっちゃう。そうなってくると、九十万円近い医療費掛かるような状況になっているんです。
 厚生省に私聞きまして、全国の患者の、入院している方々、六十歳以上どのくらいおりますかと言ったら、厚生省にはそういうデータは持っていないと言うんですけれども、私は秋田県のデータ調べてきましたら、大学病院でも六割近いのが六十歳以上で、三次医療の脳研なんかは約七八%だとか七〇%、普通の病院で七割超えているような状況なんですね。
 ですから、ある面ではこれをどうすべきかというと、健康な人つくりというか、健康医みたいな健康医学というのは徹底すべきでないか、医療の問題の中で。作業療法士とか何かスポーツ療法士みたいな体を鍛えるというのは、これが日本の今のこれからの時代の一番のキーポイントになるんじゃないのかなと思うんです、キーワードというんですか。
 その辺をどうとらえていらっしゃるのか、一つお聞きしたいことと、もう一つは、介護の問題なんですが、どちらかというと、施設サービスについては計画的に決められますね、産民官の中で。地方行政やっているから、これ何床増やしてどれだけお金が掛かるという、そうなりますね。訪問看護の場合は、それこそ一つの基準値になれば簡単に認可されて、計画は立てにくいってみんな過去の実績でものをやっていって、比率で掛けてこのくらい掛かるだろうということであれなんですが。事によっては、私はどちらも必要、どちらが悪いとかいいとかじゃなくて、ある人によれば、施設の介護の方がお金が掛からない。お金が掛かる、掛からないとかっていうノーマライゼーションの問題もあれして、そちらの方がいいという問題もあるし、やっぱり在宅の方のあれがいいという人もいますし、その辺の問題で、施設と介護の問題、どうとらえるか、施設と訪問と在宅とですね。
 それから、これからの時代、何というんですか、尾形さんに、計数的に見ても、これ医療と介護のお金の掛かり方から見て、訪問看護と訪問介護というか、介護も看護も一緒にせざるを得ないんじゃないのかなと、そういうことも思うんですが、その辺はどうとらえていらっしゃるか、この辺をお聞きしたいと思います。
 以上です。
#30
○参考人(阿部彩君) ありがとうございます。
 幼保一元化については、正直に申し上げまして、私は非常に危惧しております。
 というのは、まず一つが費用の問題です。応益負担というような言葉がちょっと取り出されているようにしておりますけれども、もしそのようなことが本当になれば、今よりも、今保育園に預けているよりも悲惨な状況になってしまいます、貧困層の家庭では。ですので、その費用については十分な御配慮をしていただきたいなと私は強く思います。
 二つ目が、今保育所が担っている様々な福祉の機能、これは私は日本はすばらしいものがあるかと思います。まだまだ足りません。ですけれども、児童福祉の現場であるというものがあるかと思います。特に公立の保育所ですね。アメリカ等でもいろいろな幼児教育の効果というのは先ほどお見せしたようなものもありますけれども、ただ単に子供にお勉強をさせることが効果があるわけではないんです。効果があるのは、その家庭の様々な生活問題を丸抱えできるような支援ができるか。それは、その家に入って、家庭訪問をして、家の中がどのような状況になっているのか、多重債務の問題を抱えていないか、メンタルな問題を抱えていないか、そのようなものを全部できるかどうかということで、それが本当に幼稚園でできるかどうかというので、そこが私が懸念しているところです。ですので、今、もちろん保育所はそのようなことはできておりませんけれども、幼保一元化したときにそのような機能が充実させるような方向で是非考慮していただきたいなというふうに思っています。
 二つ目のコミュニティーカレッジの件ですが、まず第一に、アメリカでは高校まで義務教育であるということをまず前提として考えなければいけないかと思います。
 日本では中学校までが義務教育ですので、高校のレベルでより分けられてしまうんですね。振り分けが起こります。ですので、どこに差があるかというと、どの学校、高校に行くかによって差が出てきてしまいますね。学校間の差がすごく大きくなります。それと、ほとんどが公立の高校に行っているアメリカということで、コミュニティーカレッジのところで職業訓練的なところをしていくというのと、そうでない、もう既に中学校の時点で振り分けているという日本の中でどういうふうに考えていくかという点はやはり考えていかなければいけないと思います。
 先ほどの中原先生のおっしゃったように、私は職業訓練的な要素をもっともっと高校の段階で取り入れていくというのは必要なことではないかなというふうに思っております。
#31
○参考人(大熊由紀子君) 施設か在宅かということについてのお尋ねにまずお答えしたいんですけれども、先ほどうちの母の例でお見せしましたように、病院にいますとこのような状況になってしまうわけです。トイレに行くにも、ボタンを押して看護婦さんがやってきて、どんどん足が弱っていくというようなことなのが、自宅に戻ってきましてこのような福祉用具を使いますと、自力で立ち上がって自分で用を足すということができると。
 日本の家屋が狭いのは困ったことだと私はかつて思っていたんですけれども、それは車椅子がうまく動かないので。ところが、実際やってみますと、狭くていろんなところに手掛かりがあるものですから、そういうものを伝い歩きしながら歩いておりまして、もう病院から戻ってきたらどんどん自分の力が付いてまいりました。そのように、何といいましたか、ある名前の本が出ているんですけれども、在宅の不思議な力という本が、非常に熟達した訪問看護婦さんがお書きになっていますけれども、その自分の住み慣れた空間に戻ってきていろんなことがやれるということで元気になるということがございます。うちの母などはついに、朝私が行きますと前の晩のお皿が洗ってあったりというようなところまで回復してまいりました。
 ですので、施設か在宅かというのがかつての分類でしたけれども、今は自宅でない在宅という言葉がありまして、例えば認知症の方たちが自宅のような雰囲気のグループホームで暮らすとかケア付き住宅であるとか、そういうような、画一的なお世話をする施設ではなく、自宅も無理だったらその間のものというものが今模索されていると。そしてそこに、その建物の場の雰囲気と福祉用具を上手に活用するということで持っている能力が非常に生かされていくということではないかと思います。
 それから、いつまでも元気にということについては、ただやたらに筋肉を強くするということよりも、いろんな外出のチャンスとか先ほどのコミュニティーカレッジとか、うちの大学院生、七十歳ぐらいの人もいますけれども、もう本当に元気の塊でありますので、そういう外出して楽しい場というものをあちこちにつくっていくという、目的もなしにただ筋肉を鍛えるのでは駄目で、やりたいことということがまず大事かと思います。
 以上でございます。
#32
○参考人(尾形裕也君) 寺田議員から大変重要かつ難しい御質問を三点いただいたと思います。私で答えられる範囲でお答えしたいと思うんですが。
 まず第一点目、健康づくりの徹底というようなことがキーワードではないかという御指摘でしたが、まさにそのとおりだと思います。ただ、私、この分野は余り専門でないのでこの報告からは落としておりますが、恐らくこの問題を考えるときに、医療費にどういう影響を与えるかという話と、それから、そもそも健康でアクティブな生活を送ること自体に価値があるという、この二つは分けてやはり考えるべきではないかと思っております。
 できるだけ長く健康でアクティブな生活を送るために健康づくりあるいはスポーツといったようなことが果たす役割というのは非常に重要だと思いますし、それ自体に私は価値のあることだと思っております。その一方で、医療費との関係ということになると、ここはやや悩ましい問題が出てまいります。
 といいますのは、短期的には確かにこういう健康づくりをすることによっていろいろ介入した前と介入後でこれだけ医療費が下がりましたというようなデータはたくさん出ておりますし、それはそのとおりだろうと思うんですが、問題は長期的な医療費にどういう影響を与えるかということですが、これについては恐らくまだ明確なエビデンスというのは得られていないように思います。ある意味では、前回の医療制度構造改革で導入されました特定健康診査・特定保健指導というのは、私はこれは壮大な社会実験だと言っているんですが、この効果が今後どういうふうに出てくるのかというのはこれから見守らなきゃいけない問題かなというふうに考えます。そういう意味で、医療費の問題とそれ自体の価値というのは分けて考える必要があるんじゃないかというのが私の当面の答えです。
 それから二点目、施設と在宅についてですが、これはもう大熊先生がおっしゃったとおりだと思うんですが、恐らく今施設と在宅というその分け方そのものの見直しが問われてきているんではないかなというふうに思います。
 非常に一般的に言うと、施設というのは、医療や介護サービスも含めた一体としてその中で提供されるようなものを施設と呼ぶんだろうというふうに思います。それに対して在宅というのは、自宅も含めて、あるいは自宅でなくても、例えば居住系サービスというのが最近出てきていますが、医療や介護サービスは外付けでもいいではないかと。そのときに、必ずしも自宅ではない、自宅というのはそれまで住んでいた自宅ではないかもしれないけれども、施設でもないという両方が恐らく必要になるんだろうというふうに思います。じゃ、どこに住むかというのは、まさにその人のニーズあるいはその人の希望にできるだけ応じるような形でサービスを提供すべきだというふうに思います。
 それから、三点目の訪問看護と介護を一緒にせざるを得ないのではないかという御指摘ですが、両方のサービスを連携して提供すべきだという意味ではまさにそのとおりだというふうに思います。
 ただ一方で、在宅医療の一部を担う看護と介護というところはやはりおのずと違う部分もあるように思います。介護保険が導入された前後でたまたま訪問看護ステーションの数を見てみますと、実は介護保険が導入される前の方が非常に伸び率が高くて、介護保険が導入されてからむしろ伸び悩んでおります。これはある意味では介護との競合というようなこともあるんだろうと思うんですが、やはり在宅医療をきちんと進めていくためには訪問看護も私は非常に重要だと思っておりますので、訪問看護と介護と両方がこれは必要なことだろうというふうに思います。そういう意味で、両者を連携していかに患者あるいは在宅で療養している方のニーズに応じていくかということが大事ではないかというふうに思っております。
 以上でございます。
#33
○寺田典城君 どうもありがとうございました。
 もう一点だけ阿部さんにお伺い……
#34
○会長(山崎力君) 済みません、時間が大幅に超えております。
#35
○寺田典城君 まだ納得いかないところがありますから、一言だけお願いします。
 幼保一元化に対して危惧をしていらっしゃるということなんですが、日本の国というのは、ある面では格差もなくしようと、それから知的、教育的なレベルも上げようというのが国家的な目標だと思うし、また国民の望みでもあると思います。ですから、公的支援の中で幼保一元化をできるだけ早く進めるべきと。私は知事時代、幼保一元化と、幼保推進課というのをつくりました。そうしたら、小学校の差が全然、一点ぐらいの差しかなくなったんですが、そういうことも含めて、阿部さん、もう一度少しその辺の考え、教えていただきたいんですが。
#36
○参考人(阿部彩君) 幼保一元化自体、アイデアとして反対しているというわけではなくて、そのやり方、費用がどうなるのか、どのような人が入れるようになるのか、母子世帯のお母さんでも安心して仕事ができるような状況になるのか、そのような、保育園が持っている今のいい点というものもあるわけですので、そこを失わないような形で進めていただければなというのが私の願いです。
#37
○会長(山崎力君) それでは、続きまして谷亮子君。
#38
○谷亮子君 民主党・新緑風会、谷亮子と申します。医療と生涯スポーツの在り方につきまして、尾形先生に御教示いただきたいと思います。
 日本は世界でもトップレベルの長寿国として知られていますが、平均寿命だけではなく、健康寿命の延伸に生涯スポーツの奨励が必要であるのではないかとされております。また、その観点から、二十代、三十代で体を鍛えていた方は五十代、六十代になって身体機能の衰えが穏やかであるというふうにお聞きいたします。そしてまたさらに、高血圧そして糖尿病等の生活習慣病の予防また改善におきましては、運動療法が大変必要であり効果的であると知られております。
 また、今後につきましては、高齢化に伴いまして増大が見込まれている医療費、そして介護費の伸びを抑制するためにも、国としてこの生涯スポーツの奨励に取り組むべきではないかと考えますけれども、尾形先生の国として必要とされる政策につきましてお話をお聞かせいただきたいと思います。お願いします。
#39
○参考人(尾形裕也君) ありがとうございます。
 医療と生涯スポーツというお話でございますが、日本の医療に関しまして、WHOが二〇〇〇年に有名なあの世界保健報告という報告の中で非常に高く評価をして、それを引用されて日本の医療は世界一だというようなことがよく言われます。そのときに、今おっしゃったような平均寿命だとか、あるいは障害を調整した余命だとか、いろいろな指標から見て日本が非常に優れていると、その一方で医療費が非常に諸外国と比べてまだ低い水準だというようなことが言われております。
 確かに、そういうアウトカムを出すに当たって医療の役割が非常に重要であるということは確かだと思いますが、私はやはりそれだけではない、それ以外の要因、医療以外の要因も非常に重要だろうと思っています。例えば食生活もそうですし、環境衛生あるいは公衆衛生といったようなこともそうですし、おっしゃったようなスポーツあるいは健康づくりというのも当然こういったことに非常に大きく寄与をしてきているというふうに考えます。
 その一方で、これは先ほど寺田先生の御質問に対してお答えしたのと同じなんですが、医療費の問題とこの問題を直接結び付けるということについては、やや私自身はちゅうちょするところがございます。スポーツあるいは健康づくりはそれ自体に私は価値のあるものだと思っておりますので、仮に、仮にですが、医療費に効果がなかったとしても、それはそれで私は意味のあることだと思っております。
 さっきも申し上げたとおりでありまして、長期的な医療費にどういう影響を与えるかというのは、もう少し見てみないと明確なことは言えないのではないかというのが私の考えでございます。
 以上です。
#40
○谷亮子君 ありがとうございました。
#41
○会長(山崎力君) 続きまして、三原じゅん子君。
#42
○三原じゅん子君 自由民主党の三原でございます。
 大熊参考人の先ほどのお母様の介護のお話、とても興味深く聞かせていただきました。私も、個人的なことでございますが、父が十六年前に脳梗塞で倒れまして、それからずっと介護ということに関しまして、実際目の前で見てきた、行ってきた経緯がございます。そして、昨年、介護施設を自ら立ち上げまして、そのような経験も踏まえ、国内ではありますが、日本全国のまず八十か所ぐらいの介護施設を回りまして、現場で働いていらっしゃる方々、あるいは高齢者の利用者様のお話なども伺ってまいりまして、その中でいろいろと感じたことをちょっと伺いたいと思います。
 デンマークの高い満足度、この医療の二十の秘密ということ、これにとても興味深く見せていただいておりました。家庭医がいらっしゃるということ、まず、これはヘルパーさんとはまた別の形の家庭医ということなのでしょうか。訪問二十四時間対応のホームヘルパーの方と家庭医とのその違いというのですか、その辺のことと、あと、先ほど大熊参考人からの人材のお話がありまして、私も介護施設を立ち上げた経緯がございますので、その人材ということ、物すごく現状困難なことがたくさんあるということ、承知しております。と同時に、実際、私たち家族も介護をしておりまして、在宅で家族ができるその負担の限界というものもやはり感じておりました。
 そういう意味で、いろんな人材ということを考えますと、デンマークは、それではどの程度の人材がいらっしゃるのが現状で、そしてその資格ということを取得するのにどういう手続、あるいは資格の学校とか試験とか、そのようなものがあるのかということを、どの程度困難なのかということに関しても是非教えていただきたいと思います。
#43
○参考人(大熊由紀子君) どうもありがとうございました。
 人材については、たまたまこの「物語 介護保険」にデンマークの介護される人の月収とかが載っております。月収四十八万円で、店員さんが三十八万円、運転手さん四十四万円を上回りますと。お医者さんと比較すると、デンマークだと勤務医の六割ぐらいと。非常に所得格差が低いものですから。
 そして、どういう資質が必要かというと、認知症のお年寄りに尊敬の念を持てて、なおかつ忍耐強い、同じことを何度言われても興味深く耳を傾け、気持ちを正確につかむ、小さな変化も見逃さない繊細さを持つ、奇妙な行動にも驚いたりせず、怒りを受け止められる度量がある、機転の利いた受け答えが得意、ユーモアがあるというようなのがそういう介護職に必要な資質というふうに言われておりまして、そのために、北欧は大体教育がみんな無料なんですけれども、これについても、お医者さんになるのにも高い入学金は要りませんように、介護福祉士さんになるのもお金は要らず、今細かいところは忘れてしまったんですけれども、日本とちょっと違うのは、介護職の人と看護の人の間に一つ福祉保健師とか、どう訳したらいいかなかなか難しいのですけれども、そういう職種もあります。その階段を順々に上がっていくことができるということでモチベーションが高くなると。
 それから、その教育も、どうやって起こしたらいいか、ひっくり返したらいいかというそういうのではなくて、今のような精神的なことだけではなくて、現場に行って勉強して、そのことをまた戻ってきて問題点をみんなでディスカッションしてという非常に実地に基づいたことが行われているというのが質を高くすることに貢献しているというふうに思います。
 もう少し詳しい資料は、去年の二月に行ったときもらってきましたので、後ほど送らせていただきます。
#44
○三原じゅん子君 ありがとうございました。
#45
○会長(山崎力君) それでは、関口昌一君。
#46
○関口昌一君 今日は、大変参考になる御意見を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 三名の皆さんの参考人に対して、安定的な社会保障費の財源の確保という問題が喫緊の課題だと思うんですけど、消費税のこともこれからいろんな形で議論されてくると思います。実際、基礎年金の国庫負担分の三分の一から二分の一に引き上げた財源が約二・五兆円、社会保障費の自然増分が一・四兆円というような、こうした恒久的な財源の確保の中で、消費税の話も出ておるわけでありますが、将来消費税はそれぞれ何%ぐらい上げたらいいかと。さらに、子育ての場面も入ってきているような話があります。子ども手当の財源も一万三千円で約三兆円ですが、従来の公約の流れでいきますと約五・五兆円掛かるというような話も出ております。この辺の考え方、消費税等の考え方について、お三方に御意見を聞かせていただければと思います。
#47
○参考人(阿部彩君) 何%の消費税が必要かということについては、私自身、数値を持っておりませんので、ここで、この場で申し上げることはできないかと思います。
 私の専門分野の観点からいえば、子ども手当とその財源をどうするかという点については私もよく聞かれるところで、若干の考察はしたことがあります。
 よく新聞などで、子ども手当を例えば扶養控除の廃止などでやった場合、増額となる子供のある世帯が何%いるですとか、そういうような数値のあれが出ます。ただ、私自身としては、子供のある世帯全体というのは、必ずしも日本の社会の中で一番貧困層なわけではないわけなんですね。どちらかというと所得が高い層で、これは平均的な話をしているんですけれども。ですので、所得の高い層でお子さんがある方でネットでマイナスになってしまうというのは、これはもう致し方がないことですし、それについては何の問題もないというふうに思います。どこからか財源が出てこなければいけない。
 再分配の率を高めるというのは、取るものを多くして、それによってその分で再分配しなければいけないので、これはどうしてもあるので、貧困層により多くの給付をしようとすれば、富裕層が今よりも増税になるというのは、これは致し方ないことと思っております。その中で子供のある世帯というのも、これも致し方がないことというふうに思っています。高齢者も同様です。
 ですけれども、高齢者がどうの、子供がある世帯がどうのではなくて、高齢者の中でも貧困層がどう、勤労世帯の中でも貧困層、子供がある人も子供がない人も、貧困層は増税にならないようにというような形の配慮はしていただきたいというふうに思っております。
#48
○参考人(尾形裕也君) 消費税何%かというお話ですが、これは、基本的にはどこまでの給付費の範囲を対象として含めるかによるんだろうというふうに思います。
 私自身は、中長期的には消費税の増税を支持する立場ということですが、それに関連してちょっと医療に関したことを申し上げたいと思うんですが、皆様にお配りした資料の八ページ、こちらでも結構ですが、御覧いただきますと、現在の国民医療費がどういう財源構造になっているかというのを御覧いただきますと、公費が三七・一%、保険料が四八・八%、患者負担が一四・一%、大体こんな感じになっております。
 保険料四八・八というのを黄色く塗っておりますのは、これは、私は低いという意味で塗っております。どういうことかといいますと、日本はいわゆる皆保険体制、社会保険方式だと、こう言っているわけですが、社会保険方式を取っている国で保険料が五割を切っているというのは非常に珍しいタイプでありまして、最近五年ぐらい連続して五割を切っているんですが、保険料はかなり低く抑えられています。何でこんなに保険料が低いかというと、公費が四割近く入っているという、こういう構造でありまして、公費がこれだけたくさん入っているというのは、もちろん言うまでもなく国保であるとか、あるいは後期高齢者医療制度に多額の公費がつぎ込まれているわけですが、その関係で申し上げますと、私は消費税増税には賛成なんですが、相当大幅な消費税を上げない限り、この医療の方に公費を更につぎ込むというのは難しいんではないかと思っています。
 そういう観点からすると、私は、当面は医療については保険料を引き上げるということを政策の選択肢として考えるべきだというふうに思っております。ただ、そのためにはいろいろ前提条件がありまして、なかなか今は保険料を引き上げる、一つはタイミングの問題があろうかと思いますが、それと併せて、やはり国保とか、低所得者の方がなかなか保険料を引き上げるというときに難しい問題が生じますので、この公費をもう少し有効に活用して、公費の重点的な配分を行うことによって保険料を引き上げる前提をつくっていくべきではないかと、個人的にはそういうふうに思っております。
#49
○参考人(大熊由紀子君) このお答えをする前に、さっき三原先生の質問に答えてなかったことが一つ、簡単ですので申し上げます。
 家庭医とヘルパーとはどう違うか。家庭医では、医ですのでお医者さんです。しかも、よく日本では、ちょっと手が震えるようになっちゃったから手術駄目だから開業するかみたいなことがかつてはあったようですけれども、家庭医という全ての病気を診ることができる専門医として養成される人ですので、病院の部長級の力量と尊敬を持っていて、まずそういう人を一人ずつ国民が持っているという制度でございます。
 今の新しいことについては、私も消費税は上げるべきものだというふうに思っています。それを今までできなかったのは、それを言うとその政党が負けるという、そういうことでできなかったんですけれども、今は幸いにどちらの党も、言い方は違いますけれども、おっしゃっていますので、そのことを余り心配なさらずに、ただ、目的が何であるかという、借金を返すためにということだとなかなか国民の納得は得られないのではないかと思います。
 ここに介護保険を導入するときの物語が書いてあるんですけれども、これは当時も、介護保険もやったら保険料取るから自分の政党が恨まれるんじゃないかというふうに思われていたところに、読売新聞の女性記者が世論調査をしました。そうしましたらば、みんなの先入観と違っていまして、保険料を大体三千円程度ならいいという人が最も多くて三割、五千円も二割、一万円前後という答えも一割あったと。なので、この読売新聞の一面を飾った世論調査の結果がかなり介護保険料を取ろうということのインパクトになったというふうでございます。
 ですので、消費税を上げるのはこういう訳なんだ、必ずみんなに戻ってくるんだということをお示しくださること。それから、割合に、年金、年金と言われますけれども、年金は、医療と福祉が安心であればそんなにお金手元に持っていなくても大丈夫ですので、順番としては、私は、福祉、医療、年金というような重み付けがいいのかなと思っております。
 以上でございます。
#50
○関口昌一君 いろいろありがとうございました。
 一問だけ阿部参考人に。
 従来の児童手当、これは所得制限を設けて、扶養控除もあったわけなんですけれども、子ども手当になって所得制限を取っ払って、年少扶養控除もなくなったということで、だったら、児童手当を基本ベースにして所得制限を設けて、税制改正で控除の方のところの格差を是正するという考えが割合、阿部参考人は近いのかなと思うんですが、いかがでしょうか。
#51
○参考人(阿部彩君) 私自身としては、普遍的な制度の方が将来的な持続性を考えればいいのではないかというふうには思っております。
 格差の是正の方は負担の方でやればいい、おっしゃるように税制改革でやればいい話であって、給付は普遍的なものというのが北欧を始めヨーロッパ諸国でももう主流な形となりつつあるということもありますし、普遍的に導入されたものは簡単に撤廃できませんので、その方が私の方はいいと思います。
#52
○会長(山崎力君) 他に御発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 阿部参考人、尾形参考人及び大熊参考人におかれましては、御多用の中、本調査会に御出席いただき貴重な御意見をいただきまして、誠にありがとうございました。
 本日お述べいただきました御意見は、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表して心から厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時二十三分散会
ソース: 国立国会図書館
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