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2010/02/17 第174回国会 参議院 参議院会議録情報 第174回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第2号
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2010/02/17 第174回国会 参議院

参議院会議録情報 第174回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第2号

#1
第174回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第2号
平成二十二年二月十七日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月十日
    辞任         補欠選任
     松野 信夫君     藤谷 光信君
     渕上 貞雄君     福島みずほ君
 二月十二日
    辞任         補欠選任
     白  眞勲君     牧山ひろえ君
 二月十六日
    辞任         補欠選任
     尾立 源幸君     梅村  聡君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         田名部匡省君
    理 事
                島田智哉子君
                下田 敦子君
                友近 聡朗君
                南野知惠子君
                丸川 珠代君
                鰐淵 洋子君
    委 員
                家西  悟君
                梅村  聡君
                岡崎トミ子君
                工藤堅太郎君
                藤谷 光信君
                牧山ひろえ君
                松岡  徹君
                水岡 俊一君
                石井みどり君
                岸  信夫君
                中村 博彦君
                義家 弘介君
                紙  智子君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        工藤 政行君
   参考人
       関西学院大学人
       間福祉学部教授  牧里 毎治君
       島根県海士町長  山内 道雄君
       和歌山県古座川
       町長       武田 丈夫君
       三鷹市長     清原 慶子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○少子高齢化・共生社会に関する調査
 (「コミュニティの再生」のうち少子高齢化と
 コミュニティの役割(コミュニティの担い手、
 活動の継続についての課題))
    ─────────────
#2
○会長(田名部匡省君) ただいまから少子高齢化・共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、渕上貞雄君、松野信夫君、白眞勲君及び尾立源幸君が委員を辞任され、その補欠として福島みずほ君、藤谷光信君、牧山ひろえ君及び梅村聡君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(田名部匡省君) 少子高齢化・共生社会に関する調査のうち、「コミュニティの再生」を議題といたします。
 本日は、「少子高齢化とコミュニティの役割」のうち、「コミュニティの担い手、活動の継続についての課題」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、関西学院大学人間福祉学部教授牧里毎治君、島根県海士町長山内道雄君、和歌山県古座川町長武田丈夫君及び三鷹市長清原慶子君の四名でございます。
 この際、参考人の皆様に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に御出席いただきまして誠にありがとうございました。
 参考人の皆様方から、「少子高齢化とコミュニティの役割」のうち、「コミュニティの担い手、活動の継続についての課題」について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、牧里参考人からお願いいたします。牧里参考人。
#4
○参考人(牧里毎治君) それでは、まず自己紹介を少し兼ねて、ここになぜ私が座っているのかということをお話しさせていただきます。
 お手元の資料に今日のレジュメを用意させていただきましたが、最後の二枚目に日本地域福祉学会のニュースレターを付けさせていただいています。
 実は、二〇〇八年度より会長を務めることになりまして、こういう地域での取組だとか自治体の支援だとか、そういうことをテーマにした学会でございまして、大体二千人足らずの会員なんですけれども、一応全国を網羅をしておりまして、学者だけではなくて、社会福祉協議会だとかNPOだとか、それから自治体の職員の方だとかが会員になっていただいております。
 そういうこともございまして、各地で取り組まれている優秀な地域福祉実践を実践賞としてこれまでに十数か所ですか、表彰させていただきました。現場に近い学会ということで頑張っております。そういう立場からお話をさせていただきたいと思います。
 お手元に一応レジュメを用意させていただきましたが、時間も短いので無駄に使うことができませんので、かいつまんで説明をまずさせていただいて、こういう地域活動の取組には中間支援と申しましょうか、インターミディアリーと申しておりますけれども、そういう中間支援の組織があるかないかによって活性化をしたり活動が伸び悩んだりするということがございまして、その必要性をお話をさせていただくということになろうかと思います。
 それでは、レジュメに従いまして、原稿を作ってまいりましたので、それを読み上げるような形でまずお話をさせていただきたいと思います。
 まず、社会貢献の仮説ということについてです。
 ボランティア活動や地域自治会活動など、準公益的な活動を始めたり生活の一部として継続的に活動することはなぜなんでしょうか。その動機やきっかけの根底にあるもの、活動の源泉は何なのかを考える必要があります。人間はなぜ人に役立つことをしたいのか、なぜ助けようとするのか、直接的な報酬を求めないで非営利活動をする人がなぜ存在するのかなど、根本的な基本を理解しておくこと、社会貢献をしたい欲求を認める必要があるでしょう。
 まず、人間は、意識的にせよ無意識的にせよ、人に対して役に立ちたい、何か貢献したい、困った人がいたら手を差し伸べたい、人の困窮を黙って見過ごすことができない存在なのだということを仮定として設定する必要があります。本源的に人間は他者に役立ちたいというニーズ、共に生活環境を良くしたいという欲求を生まれながらに持っているのだという仮説をまず立てます。それが、人間が人間である本質的、太古的特質なのだと考えることにしておきます。
 しかしながら、この基本的な社会貢献をしたいというニーズは、均等にいつでもひとしくだれにでも発現するわけではないのです。人間の置かれた環境や時代や文化的背景によっても社会貢献ニーズは目に見える形で気付かれないまま消え去っていくこともあります。不景気や不安や恐怖が支配する社会や時代では見えにくくなりがちです。とすれば、社会貢献ニーズが世に立ち現れてくる、曇ったガラスを見やすくする必要があるのです。
 だれもが社会に参加して他者に貢献したい、ひいては自分たちの暮らしているコミュニティーや市民社会に貢献したいという欲求を顕在化しやすくするにはどうしたらいいのか。より良い条件づくりや環境改善を進めれば、社会貢献ニーズが開発されて、多くの人々が社会貢献しやすくなるのだろうと仮定するわけです。
 では、現状をどう認識するかというところに移ります。
 しかしながら、現実は全く異なっているのではないか。なぜボランティア活動は伸び悩み、町内会・自治会活動は空洞化してきているのか。なぜなのか。自治会役員のなり手は少ないし、PTA役員も後継者探しに行き詰まっている。さらに、自治会や町内会に入会することさえ忌避する人たちもいますし、ボランティア活動に至っては、関心はあるが参加する余裕はないと答える人が大半です。自分の暮らしや目先の未来を考えるだけで精いっぱいな状況に多くの人々が追い込まれているとは言えないでしょうか。
 また、つながりが難しい時代になっています。地域社会も職場もコミュニケーションすることが難しくなっていますし、意思疎通をすることが苦手な人が増えています。社会や時代が変わってきたといえばそれまでですが、自立したり契約関係を結んで行動する生活スタイルが一般的になってきました。地域社会も世帯単位で活動することが少なくなりましたし、職場も世代ピラミッドによる縦社会ではなくなってきました。個人単位の、横にフラットな脆弱で壊れやすい人間関係になってきています。
 産業構造や雇用関係が年功序列型の終身雇用型から契約請負型の働き方に変わってきていますし、生活単位も家族・世帯単位から個人・孤立型に変わってきていると言っていいでしょう。仕事の仕方から暮らし方、さらには価値観や人生観も大きく変わり、多様化してきているのです。当然、地域社会の様子も、少子高齢化の影響を受け、限界集落にも見られますように、持続的に発展することが困難になってきています。
 それでは、提案ということになりますが、可能性と展望について話をさせていただきます。
 では、コミュニティーが再生される可能性はあるんでしょうか。地域における公共的活動が世代間で循環する持続的展望は望めるんでしょうかという問いに答えなければなりません。
 従来どおりの家父長的な地域社会の再生のみを願望するのでなければ、可能性と展望はあります。これまでの古いタイプの男性優位の世帯単位による地域社会から、個人個人の興味、関心が尊重され、それぞれの個性を尊重した緩やかな連帯と協働の地域社会を構想するならば、男も女も子供も高齢者も参加、参画する福祉社会の展望は開けます。人それぞれの社会参加や社会貢献のニーズは、程度に合わせて制度的支援や専門的なサポートがあればだれもが変わっていきます。
 市民の自発的な行動だけに期待するのではなく、社会参加したい、社会貢献したいというニーズをくみ上げて具体的な社会活動に落とし込んでいく専門的支援があれば、人々は成長度合いに沿って変容していきます。個人的に体験参加する初心者の段階から、仲間を集って活動する活動リーダーへ、さらにはボランティア支援をしたり助け合いの活動を組織的に支援する専門職のレベルまで社会参加や社会貢献の幅は広いと言えます。
 つまり、住民の活動のレベルに合わせて専門的に支援する有給職員がいれば、社会参加の取組や社会貢献の活動は促進されるだろうということです。
 コミュニティーを従来の地縁型社会としてステレオタイプに固定的に考えないということも必要でしょう。職場社会も機能的コミュニティーと考え直す必要もあります。地場産業が地域社会を基盤に成立していた時代ならともかく、情報社会、サービス産業の時代にある現代では、勤労者は会社や職能集団など職場社会で一日の大半を過ごしています。旧来の地域社会にのみ焦点を当てて組織化しても空回りするだけです。今求められているコミュニティーづくりは、職場をボランティア空間にしたり、助け合い、支え合いの公共活動の場をつくることではないでしょうか。
 あるいは、地域社会そのものを職場にすることも必要です。自治会や町内会が担っている地理的コミュニティーであれ、NPOやNGOによるテーマ型コミュニティーであれ、担い手が増え、活動を継続させるには拠点と資金が必要なのは言うまでもありません。
 ただし、これも、旧来のように自治体の助成や補助のみに依存するだけでは行き詰まってしまうでしょう。ソーシャルビジネスやコミュニティービジネスなどの活躍を含めた活動資金の源泉を多元化して考える必要も出てきています。
 活動の資金の源泉は、税金のほかにもたくさんあるんです。寄附、料金も想定できますし、拠点も自治体による公営施設に限定する必要はないと思います。市民や住民が自発的、自主的に使える空き教室、空き店舗、空き倉庫、民家などもコミュニティーにとっては有効で貴重な地域資産なんだということを認識して活用することも求められます。
 要するに、人材を含めて地域社会の資源を地域の資産、あるいは将来に手渡す遺産に変えていく、市民、住民の参加によるローカルガバナンスが構築されなければなりません。
 ちょっと、残った時間で少し。
 添付しております、一つは宝塚NPOセンターという、これは中間支援団体、インターミディアリー組織でやっていることについて書いたものです。もう一つは、冒頭に申しました「ソーシャルビジネスとは」という資料です。これについて一言二言説明させていただいて、私の発言を終わりにさせていただきたいと思います。
 一つは、宝塚NPOセンターは、宝塚市内のNPOだけではなくて周辺のNPOセンターへの支援、NPOそのものの支援。つまり、ボランティアグループだったけれどもちゃんと法人格を取って何か事業をしたいと、法人手続の仕方、当然登記の仕方ということになりますが、登記した後もどんなふうに運営するのか。どこもNPOは収入に困っていますし、あるいは会計もどうしていいか分からないという方々も多いんですね。そういう意味では、ハンズオンというんでしょうか、手取り足取りずっと設立した以後も持続的にかかわっていくという必要があります。そういうことを宝塚NPOセンターではやっております。
 当然、NPOセンターも行政やいろんな団体から助成金をもらって自転車操業なんでありますけれども、そういうことをやりながらほかのNPOを支援をしておりますということが一つですね。
 それからもう一つは、ここでのソーシャルビジネスという考え方ですけれども、コミュニティービジネスとかソーシャルビジネスとかいろんな言い方があるんですけれども、要するにビジネス手法を使って公共的なことをやっていこうと。
 つまり、今まで福祉とか保育とか介護とか、こういうものはほとんど行政の仕事だったわけですね。そういう時代が少しちょっと終わろうとしている。それに代わるものとして、こういうビジネス手法で公益的な、公共的なことをやっていこうと、こういう社会をつくっていかないと日本社会はもたないんじゃないかという、こういう考え方ですね。
 また、学者によって定義が様々ですのでこれだということはないんですけれども、一つは、そういうビジネス組織を使って雇用機会をつくったり、あるいは最終的には消費者である人たちに商品とかサービスとか、そういうより安くいいものを提供する。当然、そういうことを通じてお金を出してくれる出資者、まあ株主と言ってもいいんでしょうか、株主さんもいい気持ちでお金が出せるような社会にする。最後は、それを通じて地域社会づくりをやっていこうと、そういう団体がたくさん出てくれば変わるんではないかと。
 こういうソーシャルビジネス、コミュニティービジネスをたくさん生み出すことと、その出てきたいろんな団体の調整をするということがこれから重要になってまいります。
 なかなか行政では立ち入ることができない民間団体ですから、その公と民間をつなぐような中間支援組織というものがこれからますます必要になってくるんだということを訴えておきたいと思います。
 これで私の発言を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
#5
○会長(田名部匡省君) どうもありがとうございました。
 次に、山内参考人、お願いいたします。山内参考人。
#6
○参考人(山内道雄君) 御紹介いただきました島根県隠岐の海士町長の山内でございます。
 私どもの小さなステージで取り組んでいることでどんなお話できるか分かりませんが、今私どもが取り組んでいることについて少しお話をしたいと思います。
 その前に隠岐の海士町ってどこにあるかということを先生方もお思いでしょうけれども、実は日本海に浮かんでいる四つの有人島の中の一つの小さな島でございまして、竹島問題で、帰属問題でもめていますけれども、それは隣の大きい方の隠岐の島町で、私の島は隣の島でございます。
 人口も今二千四百人ばかりの小さな島で、ただ奈良時代から御食つ国に認定されているように、豊かな海とそれから名水百選がございまして、米も作っていると。まあ自給自足のできる半農半漁の島でございます。歴史的には、後鳥羽上皇が私の島で十九年有余御配流の身になられましたけれども亡くなられたと、そういうふうな歴史的にはございます。
 私が町長に就任したのが平成十四年でございますけれども、それまで約、私はその前は議会議員でございました、十六億ぐらいあった基金、貯金が、私が就任したときには四億に減っていました。そしてまた、一般会計で今公共事業も減りましたので四十億ぐらいなんですけれども、借金が百一億五千万ございました。当時のシミュレーションでは、前年、平成二十年度には赤字再建団体に転落するという危機に瀕しておりました。そしてまた、その証拠といいますか、この島といいますか、隠岐全体、離島はそうだったと思いますけれども、これまでは公共事業で生きてきた島、あるいは生かされてきた島だというふうに私は思っていました。
 ただ、私どもの島も昭和二十五年ごろまでには七千人近く人口がいました。現在は今二千四百人まで減ったと。そしてまた、高齢化率も三九%を超している。唯一県立高校がございますけれども、高校を卒業したら、ほとんどというより、むしろ一〇〇%の子供たちが出ていく。そして、生まれる子供も今までは年に十人前後ということで、まさに島は消える寸前というところでございました。
 そういう中で私は町長に就任して、この窮状をどう切り抜けるかということで職員と一生懸命に考えてきたんですけれども、私は今もって考えていますけれども、中小企業の社長だというふうな思いで、企業経営も地域経営も一緒だと、他力本願ではできないという思いの中で、いろんな職員の意識改革に取り組んでまいりました。やっぱり自ら、島の未来は自ら築くという住民の気概あるいは職員の気概が初めて一緒になって、私は本当の島づくり、自立ができるんだというふうに思っています。
 島と島との合併ということについて、私は正直、住民もそうでしたけれども、合併メリットを生かせないということで単独町制をしいてきました。
 皆さんのレジュメの中で、単独町制の制が政治の政になって間違っているようですけれども、制度の制でございます。三のところでございます。
 そういう中で、実は、三位一体改革等もございまして、交付税もまた急に減されたということで、どうすべきかということで、議員とそして住民代表、行政が一緒になって、海士町自立促進プランというのを十六年の四月に作りました。
 それは、一つには徹底した行財政改革によって守りを固める一方で、攻めの方策は新たな産業創出を強力に推進していく。外から原材料を持ってきてやってもとても太刀打ちできませんけれども、島にあるものを使って、いわゆる第一次産業の再生というところでやろうということでございました。
 私は、自ら身を削らない改革というのは住民に支持されないというところから、結果的には、今私は五〇%カットでやっていますけれども、これは正直言って、最初にも言いましたように、経営者としては失格だと思っています。職員も自ら申し出て、私も泣きましたけれども、課長、係長が十七年三〇%カットをやったと。今は一九%。冬のボーナスと夏のボーナスと満額払っていますから、最高一五ぐらいに落ちています。
 私は自分の考えでそういうふうにしていますけれども、それをやってきたといいますか、そのことによって、いろんな町内で動き、各種団体、そこに書いてございますけれども、いろんな動きが出てきたということです。
 ただ、職員や議会の皆さんから、カットするだけで、それを一般財源に入れても目に見えないようでは駄目だということで、海士町子育て支援条例を作りました。そこに書いてございますように、すこやか支援条例の代表的なものを挙げますと、例えば結婚すればペアで二十万、出産祝い金は三人目五十万、四人目からは百万、あるいは保育料、第三子からは無料とか。国も制度を設けましたけれども、私のところでは産婦人科医院がございません。松江か鳥取、米子へ行ってお産をするわけですから、それの健診、十四回までの健診のお手伝い。あるいは、Iターンがたくさん来ています。東京へ帰ってお産すればその旅費の一部とか、いろんなことを今やっております。
 そういう中で一番良かったと思うのは、住民との一体感が出てきたと。行政もそこまで頑張るかという中で、いろんなことで、今ボランティアの話も出ていましたけれども、町の整備等についても、非常に今まである程度金を、委託料を払っていましたが、全部返上してきたと。あるいは、ゲートボール協会とかバス賃の七十五歳半額ももういいんだということで、非常に意識が共有できたということで、私は、そういう共有することでやっぱり危機というのは脱出できるんだなというふうな今思いを持っています。
 一方の、攻めの戦略なんですけれども、これは最初に申し上げましたように、ただ行政改革だけやっておればもう生き延びるだけなんですけれども、生き残るためにはやっぱり産業おこしが大事だということで、国のあらゆる支援措置を積極的に取り入れてきました。
 その中で、産業おこしのキーワードを海、潮風、塩という三本柱に絞りまして、島まるごとブランド化しようということで、一気に成長を島の外へ求めたと。島の中で経済が動いてもひとつも活性化になりません。私は外貨と言っていますけれども、島の外から金を取ってくることが外貨獲得だ、そしてまた、それが雇用につながるんだということで取り組んで今きておるところですけれども。
 まず、キーワードの海ですけれども、これはさざえカレー、今までお母さんらが作ったさざえカレーがまさか金になるとは思いませんでしたけれども、今、横浜とか東京のカレーショップでも大変人気を博していまして、これは平成十年からやっていますけれども、これはもうほっておいても売れるようになりました。
 そしてまた、岩ガキにつきましては、今、東京で、私の漁協では小売で一個四百円ぐらいですけれども、品川の先日もオイスターバーへ行ってみましたけれども、一個千二百円から千五百円で私どものものが取引されていると、お客様に食べていただいているということです。私も、業者さんは大分もうけているなと思っていますけれども、そういうことで、大変ある面でこれは非常に良かったなと思っています。
 その裏付けとして、これはいろいろ議論もされましたし、農水省さんもいろんな形で支援をしてくれましたし、いろんなまた誤解もあったようですけれども、CASシステム、セルズ・アライブ・システムという、これは細胞を壊さないという凍結システムを入れました。一般財源が四十億の中で五億を掛けて官設民営で今やっていますけれども、その民営の社長を私は今兼ねておりまして、十年先でないと黒にならないかと思いましたけど、五年目にしてようやくこの上期が黒になりましたから、これだったらいけるのではないか。
 議会からも、県辺りも相当、早く撤退せよというお話をいただきましたけれども、私は島に生き残りを懸けたそういう設備だということで、今、一月にも中国へ白イカ一万匹出していますし、今はニューヨークにはすし屋さんにも出したり、東京のおすし屋さんとか、そしてまた大手の外食産業にも出して、七十社ぐらいと今取引しております。四十品目ばかりで、島の特徴としては少量多品目ということでしかできませんけれども、そういうふうな取引をやっていると。
 もう一つは潮風なんですけれども、これはもう建設業が肉用牛に始めた、農業特区を取ってやったと。公共事業でもうけて、この際、社長いわく、若い社長ですけれども、地域に還元したい、そして雇用の場を守りたいというところから、島生まれ・島育ち・隠岐牛ということで、今まで子牛の段階で出て、それが松阪牛になったりしていたんですけれども、島で完全に肉用牛まで育てて、東京の品川市場へ毎月、今の十二頭ですけれども、生体のまま持ってきて、ただ肉質がいいということで非常に好評を得て、今もって、わずか今まで四百何頭ですけれども、これの肉質が全然落ちていないと。市場の平均の上物率からすれば、もう倍以上の上物率、A4・A5が八三%を今超しているというようなことで、大変市場関係者からは注目を浴びております。
 そして、三つ目の塩なんですけれども、これはもう昔ながらの製法で、まきでたいて塩を作っております。非常にミネラルが豊富だということで料理研究家の目にも留まっていますし、また、東京の三つ星ホテルでも今使っていただいております。
 ただ、それだけですと、どこも塩やっていますけれども、漁師の奥様方が、だんなの手伝いは漁協の浜でしてそれで終わっていたのが、自分たちで塩辛を作ったりあるいは塩干物を作って、しかも、商売を知らなかった奥さん方が今、松江のそういうカラコロ広場とかいろんなところへ、あるいは県庁の職員の食堂へ行って売り込みを始めたと。私は、そういう面では非常にコミュニティーのパワーアップにつながったということで、私は塩に大変感謝をしているところでございます。
 そういう中で、実は、私もまだ原因分かりませんけれども、島に若者がたくさんやってきています。それは、一つには、一点突破型の産業振興をやったということが多分功を奏していると思いますけれども、十六年度から去年の十二月までで、島の中でU・Iターンを含めて百三十六人の雇用を生んでおります。
 そしてまた、Iターンの皆さんは、職があるから来たんじゃなくて起業しに来たんだと、町長、島に宝物を探しに来たんだということで、人が人を呼んで、去年の十二月までで、それもしかも四十歳代以下の人ばかり。家族持ちの方、独り者の方、百四十四世帯の二百三十四人の方が島へ来ておられます。ちなみに、別にUターンは百四十七名です。むしろ、UターンよりもIターンの方がたくさん来ておられます。
 そして、十五年ごろまで減り続ける一方だった四十歳以下の年齢層が増えてきている。絶対数は増えておりません。三九%、高齢化率ですので、私が一週間出張しておれば大体一人ないしは二人亡くなる。一方では寂しい状況で、絶対数は増えておりませんけれども、四十代以下の人口が増えて、正三角形のくびれた部分が今真っすぐになりつつあるということで、これは大変私にとっては有り難いし、島のパワーにつながるというふうに思っております。
 それで、私はもう本当に若い人たちとの思いの中で、やっぱり自ら切り開くというのが、いろんな制度も大事ですし国の支援ももちろんお願いしたいところですけれども、まずやっぱり地域づくり、コミュニティーづくりは志が大事だなというふうに思っております。そういう面では、人づくり、なかなか島には人材が少ないんですけれども、スキルを持ってきた彼らIターンの若い皆さんの力を借りながら、今一生懸命人づくりをやっておるところでございます。
 私は、もう海士町は日本の未来の縮図だと、同じ島国の中でもと思っていますから、ある面じゃ、その先取りで頑張れば必ずや世の中は良くなるだろうというふうな思いで若い者と今やっているところです。
 そういう面では、子供たちも、ここ三年間、決して金で釣るという私は考えはないんですけれども、子育て支援条例を作ったおかげでもうIターンの奥さん、Uターンの奥さんに喜ばれていますけれども、ここ三年、もう二十人前後まで出生率が伸びたということも大きな私はこれから力になるだろうと思いますし、子供たちが地域に目覚めてくれていますので、今の高校三年生以下は必ずや何人かは町づくり、島づくりに帰ってくるというふうに思っています。
 与えられた時間が以上のようでございますけれども、一方では、唯一の島前高校を守るために、せんだっての十五日の朝日新聞全国版に載っていましたけれども、県立高校ですけれども、二千万の金を町から出して、高校の魅力化、本土から学生を呼ぶよう、今八人ばかり今度応募がありましたけれども、そういうことで少しずつ、本当にわずかな動きですけれども、何とかこの島を持続可能な島にしていきたいという思いで今地域の人と職員とやっているところでございます。
 以上です。
#7
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 次に、武田参考人、お願いいたします。武田参考人。
#8
○参考人(武田丈夫君) 和歌山県古座川町長の武田丈夫と申します。どうぞよろしくお願いいたします。(資料映写)
 古座川町は、和歌山県三十市町村のうちで二番目に人口が少ない町です。そしてまた、二番目に高齢化率の高い町になっています。少子高齢化が進む中で、集落の維持を保っていくための取組、U・Iターン者の受入れと、それから小学校と地域をつなぐ取組について、その事例の一部を報告させていただきます。
 古座川町は、和歌山県南東部に位置し、二百九十五平方キロメートルを有する山村の町でございます。九六%が森林で占められ、林業を主要産業として栄えてきましたが、現在はユズ、センリョウ、この生産拡大に取り組んでおります。特に、ユズはジュースなどの加工品も数多く作られ、銀座のめざマルシェや有楽町の交通会館地階の和歌山県物産販売所喜集館で販売されております。また、司馬遼太郎の「街道をゆく」で紹介された清流古座川と森林の緑が織りなす自然豊かな風景は、他に類を見ない景勝地が数多くあります。
 昭和三十年の人口は一万百八名でしたが、平成二十一年には三千三百二十一名、三十年当時の三二・九%に減少しております。一世帯当たりの人口も四・五人から二・二人に減少している、こういった状態でございます。
 六十五歳以上の人口も、七・三%であったのが四五・八%、県下で高齢化率が二番目に高い町となってしまいました。今、一年間に生まれてくる子供は約二十名足らず、亡くなっている方は七十名、単純計算で年間五十名の人口が減少しているといった町でございます。集落の構成ですけれども、四十四集落のうち二十集落が高齢化率五〇%を超えるいわゆる限界集落という集落でございます。このブルーとグリーンのところが五〇%を超える集落でございます。
 また、小中学校の数は、合併当初の昭和三十一年二十一校あったのが、今では小学校三校、中学校二校の五校に減少し、小学校児童数も千三百九十八名から百十七名に減っております。中学校生徒数は四百七十一名から七十一名、こういった減りの具合でございます。
 産業別就業者数でございますけれども、第一次産業の就業者数は二千六百九十八人、産業別に見ますと、第一次産業が五六・二%であったのが平成十七年百六十二人、構成比としまして一次産業が一二・六%、その減少率が九四%に及んでおります。
 過疎、高齢化と人口減少に歯止めを掛けるには定住対策が求められます。安定した収入・地場産業の振興、子育ての環境整備、医療、この三つの環境が整ったときに集落が維持できると考えられます。しかし、高齢者対策、定住・移住施設、U・Iターン者の受入れの住宅、これも必要不可欠な施設の一つです。
 このうち、古座川町が取り組んでいる地域の担い手確保とその活動について事例を紹介します。
 産業振興委員会は、地域の団体などで構成する、農林業振興と後継者育成、U・Iターン者の定住促進を目的としています。そこで、定住に関するアンケートを取りました。実施件数と回収率は御覧のとおり、千百五十二件、六六・二%でございます。
 その結果、お住まいの集落に都会や他の地域からの転入者を積極的に受け入れていくべきだと思いますかという問いに対して、受け入れていくべきだという答えが七五・二%、お住まいの集落の人口が減少していることについてどう思いますかという問いに対しまして、何らかの対策をする必要があるという答えが八〇・四%、どのような対策をする必要があるかという問いに対しまして、一番高かったのは産業の振興、次に医療の充実、三番目は定住者の受入れというふうな結果になりました。
 そこで、U・Iターン者の受入れのためには住宅が必要です。町内の空き家調査を行いました。町内にある空き家は二百八十軒、そのうち利用可能と思われる百八十軒を調査し、所有者に問い合わせたところ、貸してもよいという空き家は十三軒、そのうち手入れをすることなく入居できるのは三軒程度で、大半は修繕を必要とする家屋でした。
 空き屋を貸してくれない理由には、正月や盆に家族が里帰りする、家財道具、仏壇などを置いている、相続が決定していない、貸したくないなどが主な理由です。
 定住者が事前学習と地域情報を得るため、現地で滞在し、実情を知ってもらうための短期滞在住宅を二棟用意し、滞在しながら事前学習ができるようにしております。平成二十年度の短期滞在住宅利用状況は、滞在日数四日までの利用者が二十三件、五日から十日までの利用者が三件、十一日から十四日の利用者が二件、十五日から二十日の利用者が五件というふうになっております。
 次に、Uターン・Iターン者を受け入れる研修は和歌山県ふるさとセンターで体験学習と交流事業を行っております。平成二十年度には、山村体験研修八十名、田舎暮らし定住サポート研修三百九名の研修生を受け入れ、農業体験や田舎暮らしの研修を行いました。
 平成十八年度から二十年度のU・Iターン者の定住状況でございます。二十年度を例に取ってみますと、相談件数が八十九件、そのうち現地へ出向いてきてその希望者を案内した件数が三十九件、定住した世帯が七世帯、定住した家族数が十一人というふうな形になっております。
 また、定住者と産業振興委員会のメンバーは、夏と冬の二回交流会を持ち、情報交換や地域づくりのワークショップを行うなど共に活動を行っています。この風景は、今年一月に行われました地域づくりのためのワークショップの風景です。
 定住者を受け入れる体制といたしまして、地域の風俗、習慣、行事を正しく理解してもらい地域に溶け込んでもらう、音楽や工芸、物づくりなどの特殊技術や知識を生かした地域づくり、地域おこしを求める、農業、林業等地域住民が持つ技術や田舎暮らしのノウハウを教え、安定した田舎暮らしと地域に溶け込める生活のサポートを地域ぐるみで行うなどの受入れ体制を行っております。
 地元で求めているものは地場産業としての担い手です。緑の雇用による山村の労働力や農業の労働力による産業の担い手として、少子高齢化する地域を支えるリーダーとしての役割が求められています。新たな地場産業の掘り起こしや起業による地域の活性化などにより、過疎、高齢化する集落に若者が定住できる仕組みづくり、地域と一体となった人材の確保によってコミュニティーの維持を図っていきたいと考えています。
 次に、少子高齢化する地域における教育と地域のかかわりですが、小学校の児童数の減少により、学校行事には地域の協力が必要となってきました。これは町内にある三つの小学校、二つの中学校の生徒数でございます。このうち明神小学校それから高池小学校の取組について一部を御紹介させていただきます。
 元々、古座川町は、この住民は学校教育には協力を惜しまない土地柄で、大きな学校行事は育友会、地域住民が協力して合同で作業を行っています。明神小学校が平成二十一年度に取り組んだ校庭の芝生化は学校、育友会、地域住民が協力して行いました。これは校庭に芝生を植えた後の集合写真です。
 運動会は明神小、明神中学校と地域住民が合同で行う明神運動会という名称で長年続いていますが、二十一年度は芝生化成ったグラウンドで行われました。また、地域にある老人福祉施設を児童全員が訪問し、お年寄りとの合同運動会や学習発表会により交流を図っています。
 高池小学校では、地元の農家の協力を得て米作り体験を学習する米米クラブを結成し、田植えから収穫までの稲作の一連の作業を体験しております。米作りや農業体験などは、古座川町内のどの集落でも少し前までは日常生活の中で体験できましたが、今ではこのような特別な機会を設けないと体験できないのが現状です。少子高齢化する地域にあって地域の営みを子供に伝えていくためには、児童生徒と地域住民が共に作業を行い、子供を育てるコミュニティーづくりに取り組んでいかなければならないと考えているところです。
 以上、古座川町での取組の一部を紹介いたしました。
 この写真は、昨年十一月、豊岡市で放されたコウノトリが清流古座川にやってきて、おいしい天然アユを食べていました。ところが、自分が捕ろうとしたアユをサギに横取りされたところの写真です。ハトではございません。
 以上で報告を終わらせていただきます。ありがとうございました。
#9
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 次に、清原参考人、お願いいたします。清原参考人。
#10
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。東京都三鷹市長の清原慶子です。
 本日は、会長を始め調査会の皆様、発表の機会をいただきまして、心から感謝を申し上げます。
 調査会のテーマに即しまして、本日、市民と協働で進めるコミュニティーの再生と創生につきまして、御配付されております発表の要旨に基づきましてお話をさせていただきます。
 まず、自己紹介をさせていただきます。
 私は、学生時代、昭和五十年代初め、一九七〇年代の後半、三鷹市での第一次基本計画作りに向けた市民会議に学生代表として参加をいたしました。当初から三鷹市は市民の声を反映する取組をしておりましたが、その後、大学の研究者となりまして、在住研究者として様々な取組に参加をしてまいりました。
 特に、一九九九年、平成十一年から二年間、全員公募の三百七十五名の市民の一人として三人の共同代表のうちの一人を務めました、みたか市民プラン21会議による白紙からの自治体の第三次基本構想・基本計画素案作りへの参画をしました関係で、前市長が勇退される中、市民参加と協働を進めることを期待されて、平成十五年、二〇〇三年四月より第六代の三鷹市長を務めております。
 さて、三鷹市の特徴でございますが、昭和二十五年、一九五〇年十一月三日に町から市となりまして、本年、市制施行六十周年目を迎えています。十六・五平方キロに人口は約十八万人。実はさきの二つの町長さんには申し訳ないんですが、三鷹市は、私が市長になってから毎年千人ずつ人口が増えているような動向でございます。予算規模は約一千億円、地方交付税の不交付団体でございます。
 全国で初めて公共下水道を一〇〇%普及したことで注目されておりますが、最近では日経新聞・日経地域産業研究所によりますサステナブル都市や行政革新度調査で高い評価をいただいておりますが、なぜ高い評価なのかというところがポイントです。三鷹市民の市民参加、協働の取組が注目されて高い評価をいただいております。もちろん、それを支える行財政改革についても一定の努力はしておりますが、重要なのは市民の活躍でございます。
 そこで、コミュニティー再生からコミュニティー創生に向かう三鷹市についてお話をさせていただきます。
 三鷹市では、一九七三年十一月に発足しました、最初の住民協議会によるコミュニティーセンターを拠点とするコミュニティーの再生に向けての活動が、その展開を始めてから三十七年の年月が経過しております。
 当時、三鷹市において求められましたコミュニティー再生の事例は、まずは、戦後の地縁を基礎とした村社会が崩壊してきて、新たな住民と古くからの住民の融和を図りつつ、地域性と共同性を持つ地域社会をつくることをコミュニティーという言葉で表現したわけでございます。
 その後、最近の少子高齢化の急速な進展の中で求められているコミュニティーは、従来モデルとなっていた日本の村社会を知らない若い世代をも含めて目標とされているものでございますので、言わば三鷹市ではコミュニティーの創生を目指す段階に入ってきていると思います。すなわち、地域で共に生き、共に支え合う、新たな共助の仕組みづくりが求められ、三鷹市での取組がなされています。
 これから御紹介をする事例は、自助、共助、公助の公の部分は、自治体行政のみが担うことが必ずしも有用ではなく、むしろ課題の当事者のニーズを酌み取り、その解決の在り方にとっては、多様な担い手が参加し合う新しい公共空間が顕在化してきています。
 三鷹市では、平成十八年、二〇〇六年四月に三鷹市自治基本条例を定めました。その中身には、参加と協働の理念の取組を明文化しておりまして、地域の多様な主体が力を結集して相互に連携、分担して、住民ニーズに対応した公共サービスの効率的、そして総合的な実現を目指しております。
 本日は、三鷹市で実践されております広範なコミュニティー再生にかかわる活動事例を紹介させていただきまして、本調査会のテーマであります「コミュニティの再生」について検討する際のヒントをお示しできれば幸いです。
 それでは、幾つか具体的な例を御紹介いたします。
 第一点目は、住民協議会によるコミュニティーセンターを拠点とする活動です。
 先ほど申し上げましたように、一九七〇年代にこの住民協議会の活動は始まりました。何代も住んできている住民と新しく転居してくる住民との融和を図るためにコミュニティーセンターを開設する。本格的な複合施設の先駆けです。市を七つの住区、これは大体中学校区に相当するのですが、設計段階から市民参加を求め、市民の願いに沿った建物を建設し、施設の管理運営は各住区の公募の個人、団体から成る住民協議会が自主的に行っています。
 八〇年代には、コミュニティーカルテやまちづくりプランをつくっていただき、それを多くの計画に反映をしています。また、住民協議会発足当初から創意工夫の事業計画や広報活動をしていただいておりまして、コミュニティー祭り、コミュニティー運動会、子ども・シルバーまつりという世代間の出会いを促進する取組を進めていただいています。
 さて、次に子供、子育てを支える地域の活動について御紹介をいたします。
 言うまでもなく、公立保育園は働く保護者のためにそもそもは設定されていますが、地域開放事業という家庭保育世帯の相談に対応する取組を強めております。特に公立保育園、保育士、保健師、栄養士等がコミュニティーセンターに出前の絵本とおしゃべりの会を進めたり、公立・私立保育園によるひろば事業は、いわゆる家庭保育世帯にも子育ての不安がない支えです。
 また、ファミリーサポート事業は有償市民ボランティアによる子育て支援でございますし、虐待児などを含む子ども家庭支援センターを中心とした要保護児童対策地域協議会の活動も機関連携として有効に働いています。
 また、子育て世代を中核とするNPO法人には、子育てねっとの運用を依頼するなどの取組をしています。
 特に、私が市長になりましてから始めましたのが、コミュニティースクール型による小中一貫教育の活動です。カリキュラムの検討を始め、モデルとなる第二中学校区で意見交換会を進め、目指す子供像として、二〇〇五年度には、人間力として、生きる力と他者とともに生きていく力を併せ持ったもの、そして社会力、すなわち社会の一員として役割を果たしつつ自己実現を図る力を兼ね備えた子供の育成を目指す教育ビジョンを定めました。
 公立学校がこのような理念に基づき、二〇〇六年四月に開設したのが、建物を合築しない方式で一つの中学校と二つの小学校から成る、にしみたか学園の取組でした。その後、二〇〇八年度に三つの学園、二〇〇九年度に三つの学園と、合計七つの中学校区に七つの学園を開園いたしましたが、その取組の大切なポイントは、コミュニティースクール運営委員会の活躍です。
 これは、各校ごとに設けられている学校運営協議会と別途、学園として設置をいたしまして、構成員は、保護者、住民協議会、町会、自治会、青少年関係者、そして地域住民の皆様によるものです。まさにコミュニティースクールは、学校は地域のもの、子供たちは地域で守り育てる、その構想の中から進められているものです。安全を守る学校安全推進員、安全安心・市民協働パトロールの取組は、とりわけ保護者の中でおやじの存在を明確化してきたことも特徴です。
 さて、高齢者を地域で支える活動としては、地域ケアネットワークの組織化も進めています。先ほど、七つの住民協議会による七つのコミュニティーセンターの活動が、長いもので三十年以上、新しいものでも十年以上であることは三鷹の宝です。医師会、歯科医師会、薬剤師会、民生児童委員、社会福祉協議会、住民協議会の健康福祉部会や町会、自治会等が一緒になって地域で高齢者を見守り、支える取組を始めています。
 まだ七つのコミュニティー住区で三つでスタートしたばかりですが、有償ボランティアが行うすき間を埋めるちょこっとサービスが開始されていたり、市で主催をしまして、傾聴ボランティア、認知症サポーター、地域福祉コーディネーターを養成する中で、地域での共助の取組を進めています。さらに、災害時要援護者支援モデル事業を開始しているところですが、老人給食サービスという市民の皆様による給食サービスは、独り住まいや二人住まいが多い三鷹市では大いなる支えになっています。
 また、障害者を地域で支える活動も、計画を当事者参加、支援者参加で作る中から強めているところでございます。なお、移送についてはNPO法人みたかハンディキャブが三十年以上の実績を持っています。
 それでは、このような取組をしつつ、本調査会の課題でもありますコミュニティーの担い手に対してどのような取組をしているかについて御紹介をいたします。
 三鷹市は、幸いなるかな、東京都の市であるにもかかわらず百を超す町会、自治会が健在です。私は、その大切さを思い、がんばる地域応援プロジェクトという市独自の取組を進め、補助金を交付するだけではなく、発表会で実践例を交流しています。また、地域防犯モデル事業で、マンション等集合住宅が町会と出会う取組を進め、安全安心・市民協働パトロールも町会で活躍をしていただいています。
 また、コミュニティー再生を目指す多様な担い手につきましては、既存の団体等との協働に加え、新たなNPOの組織化に向けて行政がかかわってきています。一九九九年創立の市が出資しているTMO、タウン・マネジメント・オーガナイゼーション、いわゆるまちづくり会社に活躍してもらい、SOHOやベンチャー、コミュニティービジネスの創業や継続支援をしておりますが、あわせて、農協にも御活躍をいただいて、都市農業を守るために三鷹市立農業公園を開園し、都市農業の継続を進めています。
 また、市内外の十五の大学研究機関と市によります三鷹ネットワーク大学を創設し、市民の皆様の課題解決の研究や高度な学習機会を提供しています。
 また、観光協会がなかったものですから、三鷹商工会と協力して協会を発足するとともに、このところ不況でございまして商店街も苦しいので、三鷹むらさき商品券という市内共通商品券事業を昨年度一億一千万円、今年度三億三千万円で実施し、商店街の活性化も進めています。
 また、市民協働センターを運営するNPOを支援したり緑化推進のためのNPOをつくるなど、私が市長になりましてから、市内の様々な団体、個人が結束できる枠組みとしてNPO法人を多く発足し、指定管理者やあるいは三鷹市と協働で様々なコミュニティーづくりをする活動の担い手になっていただいています。
 最後に、担い手に関する課題と解決に向けて申し上げます。
 三鷹は、幸いなるかな高齢者の比率は全国平均より下回っていますが、やはり働く世代は仕事に邁進しなければいけない状況の中、様々な組織の役員の高齢化、固定化という問題がないわけではありません。しかし、事業ごとの実行委員会方式や一日あるいは短期間委員になっていく方式を広めたり、事業を固定化してしまうという問題に対しては、継続することの意義を再確認しつつも、新規事業については行政の事業と協働で行いながら、できる限り行政の職員もパートナーとしてかかわっています。
 また、他の団体、機関と連携をしていただくことが重要ですので、一つの団体が孤立することがないように行政による情報共有や情報交換の機会を設定し、協働で実施することを支援するような補助金制度などの設置をしています。例えば、がんばる地域応援プロジェクトでは、町会、自治会がNPOと連携することを奨励するために補助金を出すなどの事例でございます。
 まとめさせていただきます。
 三鷹市は、戦後の高度経済成長の中で、新しく転居してくる市民の皆様と古くから家も十何代も住んでいらっしゃる市民の皆様との出会いがありました。その出会いが相互に尊重し合いながら新しいコミュニティー再生につながるように、行政としては市民参加と協働を進めてきたわけでございます。
 参考までに三鷹市自治基本条例の条文や協働についての参考の取組などを紹介させていただきましたが、三鷹市は、このように個人が孤立することなく、子供たちの教育や障害者、高齢者の支え、それを市民の皆様が何らかの役割を担いながら責任を共に持つ、そんな共に支え合う地域社会を創生しているプロセスでございます。
 御清聴ありがとうございました。
#11
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時をめどに終了させていただきます。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 また、一回の質問時間は答弁及び追加質問を含めまして最大十分とし、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られますよう、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくよう御協力をお願いいたします。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べください。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
 友近聡朗君。
#12
○友近聡朗君 参議院議員愛媛選挙区の友近と申します。
 今日は、四名の参考人の皆さん、本当にありがとうございました。
 私、愛媛県は長崎県に次いで二番目に島嶼部の多い地域でして、特に山内参考人の方に大きく三点ほどお伺いさせていただければと思っております。
 実は、「離島発 生き残るための十の戦略」という本を読ませていただきまして、大変勉強をさせていただきました。労働組合の経験等もおありで、すべての基本は人ということで、民主党の政策ともかぶるところが多いなと思いながら読ませていただきましたけれども、その中にも、人づくり、そして物づくり、健康づくりという言葉が出てきます。そして、地産地消を消えるという字ではなくて商売の商という字を使われたりもしておりますけれども。
 私は、この本も読ませていただいて、今日のお話も聞かせていただいた中で、一つ、海士町は合併をしなかったということが大きな、今の町長のいろんな政策に生かされているんじゃないかなと思うんですが、それに伴います御苦労とか、あと克服すべき課題とか、そういうのがあればお伺いしたいのと、あと、合併して離島になってしまっているところというのも現在愛媛にはたくさんあるんですけれども、そういったところへの御提言とかアドバイス等あれば、まず一点目、お聞かせください。
#13
○参考人(山内道雄君) お答えします。
 四つの島があるわけですけど、一つの島に四町村がございました。これはもう、一つの島の中で示されて合併しました。これは私は理想的な合併だと思っております。あと、残る三つの有人島が一つになれよと、別な意味で。私は、島と島との合併というのはなぜかと。いわゆる内航船的には町村組合でやっています。小さい島ながら、それぞれ完結型の島なんです。特徴は、私のところは半農半漁、隣は漁業、そしてもう一つは牛を中心にした農業。そして経済的にも、我々が行き来というよりも、主に松江を中心に、物を買うにしても本土へ向かってのあれで、経済交流というのはほとんどないんですね。
 そういう中で、私はどう考えても、十五年の十二月に任意合併協議会を開催しましたけれども、メリットは生かされない。これは私だけではなくて職員も、そしてまた、十四地区あるんで三回回りました。地区の皆さんも、とにかくおまえらだったらやれるからやれと、最後は全部拍手で激励を受けて、もうやろうと。
 私の島自身の誇りも、実は流人の島といえども高貴な方がずっと流された島なんだという、海の士というこの字をなくすまいという思いもございました。ただ心意気だけではございませんが、結論からいいますと、私は、やっぱり合併しなかったから、自分たちの島は自分たちで守ろうという、この職員との一体感が、住民との一体感ができたと思っています。
 ですから、私は先送りした覚えはございません、合併についても。当時、そういうふうな思いもありました。そして、相当厳しい、上からも来ました、県からも来ました。ですけれども、最後までやっぱりそれは今は通して良かったなと。
 周囲の合併した、私も全離島の副会長もした時代がございますけれども、やっぱり中心部に座れといって、これは現実に合併がそうなんですけれども、いわゆる本土と島との合併もございます。ましてや、長崎も私も行ってみたんですけれども、とてもとてもそれはもう初めとは違うんです。
 私は、合併は究極の合理化だというふうに理解していましたので、良かったなと、この一体感はそれでできたのだと思っています。
#14
○友近聡朗君 ありがとうございます。
 二つ目の御質問なんですが、隠岐牛の話も先ほど出てまいりましたが、当時は農業特区の申請をされていたと思います。あと、フェリー航路の維持ということに対しても非常に苦慮されていると思いますけれども、離島振興のための国への政策要望とか、こうしたらもっといいんじゃないかとか、そのようなことがあればお伺いさせていただきたいと思います。
#15
○参考人(山内道雄君) 何といいますか、ねだり的な、お願いしたいことはいっぱいあると思うんです。私は、やっぱり島というのは本土と橋が架からない限り島だと思っていますから、ですから島だからこうだということはもう言うまいと思っています。
 ただ、一つそこで違うのは運賃の問題ですね。隠岐汽船の経営の問題も今、この間も会長以下八人ばかり来ましたけど、運賃が一番ハンディキャップがあるわけでして、でも、私どもが凍結のCASを入れたというのは、いわゆる離島のハンディキャップをそれでカバーしようと。生きたまま付加価値を付けて東京の消費者に、私は東京かぶれだと言われたんですけれども、厳しい東京で、何といいますか評価されて初めてブランドになるんだという思いで、岩ガキ、そしてまた牛も一気に持ってきたのはそこなんです。
 船賃だけで一頭当たりが一万一千六百円ぐらい掛かります。それから、車で自分で持っていきますから四万円近く掛かるわけですけど、もうそれだけでハンディがあるわけです、同じ東京食肉市場で、品川で。でも、それよりいいものを付ける、やっぱり付加価値を付けないと絶対駄目だという思いの中では、そういうようなことをやったんですけど。
 やっぱりこれから離島航路に目を向けていただきたいのは、はっきり言って、これは運賃あるいは燃費等の補助が一番の私は島の、また離島航路という一つの生命線でもありますし、ここら辺りは、いわゆる道路問題でいろいろと道路特定財源で言われていますが、離島航路もやっぱり道路だというふうな思いをやっぱり先生方に是非持っていただきたいと思います。よろしくお願いします。
#16
○友近聡朗君 ありがとうございます。
 そうしたら、最後に総論的な御質問を一点だけさせていただきたいんですが、海士町、人口二千五百人、四百人か五百人ぐらいだとお伺いしました。いろんな意味で、山内町長さんは日本の将来の縮図だというふうなことも先ほどおっしゃられましたけれども、まさに日本は今急速な少子高齢化、そして人口減少の社会、あとGDPの一・八倍とも言われる借金を抱えていると。
 この三つの課題がある中で、あれもこれもと言っていた時代から、あれかこれかというような判断もしていかなければいけないと思うんですが、その今の日本の将来は海士が縮図だというふうに言われていますけれども、国への提言というか、政策要望的なものがもしございましたら、お聞かせ願えたらと思います。
#17
○参考人(山内道雄君) 私も今即答はできませんけど、とにかく私どものようなところはもう全然ステージが違いますので、何といいますか、生き様として、あるいは物を作るにしても、オアじゃないんですね、アンドなんですね、これとこれだと。これがやっぱり我々の、物を作るにしても少量多品目という。トータルで島は生きようがないと思っています。それは産業だけに限らず。今一番実入りがいいのは、やっぱり海をいく人と、海もやりながら一方では農業もやっている人が一番これは収入的に安定していますから。島自体の生き方も私はアンドだと思っている。オアじゃないと思っています。
 ですから、そういうふうなことの中で、国への提言というのは、私どもは今までそのときそのときでずっと提言をしてきたつもり、生意気ですけど、きたつもりです。補助金を下さいと言っていた覚えは一つもございません。ですから、これからも私どもは、今具体的に答えられませんけれども、どんどん窓口を開いていただいて提言をさせていただきたいと。そしてまた、それを施策に反映していただきたい。
 生意気なことを言いますけど、そういうようなシステムで是非お願いをしたいと思います。
#18
○会長(田名部匡省君) 次に、義家弘介君。
#19
○義家弘介君 自由民主党の義家弘介です。
 参考人の皆さん、本日は本当にありがとうございました。
 私からは、三鷹市長の清原参考人にまず質問させていただきます。
 三鷹市の教育改革の流れは私自身も非常に関心を持って見守り、そして学んできたところでありますが、まず、コミュニティースクールの運営委員会、これが学校運営協議会と別途に設置されているということですけれども、この学校にかかわる学校運営協議会とコミュニティースクール運営委員会のすみ分け、これはどのようになっているか教えてください。
#20
○参考人(清原慶子君) 御質問ありがとうございます。
 すみ分けといいますか、学校運営協議会というのはそれぞれの学校に設置されておりますが、コミュニティースクール委員会につきましては、それぞれの学校運営委員会からも委員の方に重ねてお役を引き受けていただいている場合もございます。学園によってそれぞれちょっと構成が違ったりいたしますけれども、大切なのは、中学校の運営と各小学校の運営とが有機的、総合的に進むための組織がコミュニティースクール委員会でございますので、重なり合いながら存在するというふうに認識していただければ有り難いと思います。
#21
○義家弘介君 という形で、私はすごく三鷹市、うまくいっているところの一例であろうなと実は思っているわけですが、一方で、なかなかこのコミュニティースクール構想あるいは学校運営協議会設置というのが全国的に大きな広がりを見せていないと。
 非常に意義深いものではあるけれども、現実にはなかなか進んでいないという現実があると思いますが、三鷹市はどうしてうまくいっているのか、そして、全国的に広がっていかない理由として考えるところはどんなことで、こういう在り方が必要なんじゃないかという意見もありましたら、よろしくお願いいたします。
#22
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 一点目、三鷹市が比較的円滑にいっている理由は、突然このようなコミュニティースクール委員会であるとか小中一貫のための市民の皆様の活動が始まったわけではないというところにあると思います。
 例えば、青少年問題対策地区委員会ですとか交通安全対策地区委員会ですとか各小学校区ごとに、これまでも保護者に加えて地域の皆様が児童の安全を守る、あるいは健全育成のための様々な事業を主体的に行うというような取組が数十年ありました。また、一部の小学校では既に子供たちの学びの場に地域の保護者あるいは保護者OBがボランティアで教育支援をするというような開かれた学校運営を重ねてきた経過があります。
 したがいまして、急に小中一貫教育であるとかコミュニティースクールとなった場合には、やはり地域の皆様に丁寧な説明をする、あるいは徐々に徐々に様々な学校の授業や行事に御参加いただくような、そうした機会を開いていくことが重要かと思います。
 二点目に、三鷹市は比較的規模が小さい市です。七つの中学校しかございません。例えば、政令市ですと一つの区ぐらいの大きさとなります。そういう意味で、地域の皆様が様々な活動に参加しやすい自治体の規模であるのかなということもこのごろ感じているところです。
 三点目、最後に、教職員の意識が前向きでないと、これはなかなか進まないと思います。教職員は教育指導のプロでございますから、その皆様が地域の保護者あるいは一般住民の皆様と連携をしていくに当たりましては、意識の壁があってはなりません。そういう意味で、常日ごろ教職員がコミュニティーセンターの活動や地域の様々な取組に校長、副校長を始め、顔を出してきていたというようなことが大変今となっては意義があるのではないかなと確認しているところです。
 以上でございます。
#23
○義家弘介君 どうもありがとうございました。
 そして、続きまして牧里参考人にお伺いをしたいと思いますけれども、社会貢献、我々は、人間は、他者の役に立ちたいという欲求を持っているという仮説の中からのお話をいただいたわけですけれども、確かに私もそのとおりだと思うわけですが、ならば具体的にどういう形でその参画を促すのかという具体例、一つでもいいですから、こういう具体例があるというものがあったらお教えください。
#24
○参考人(牧里毎治君) 質問ありがとうございます。
 具体例は既にもう三鷹の例で出ているんじゃないかと思うんですね。一つは、そういう人たちが参加するような場とかチャンスとか、委員会という形を取ったりプログラムを取ったり、そういう手を挙げて参加する場をつくっているということが基本、大事だと思うんですね。これがまず第一点です。
 もう一つは、先ほども申し上げましたように、言わば個人でとにかく何か寄金したいとかイベントのボランティアに行きたいとか、ありますね。これ、言わば足踏みしている方が多いので、そういう人にちょっと背中を押してあげるようなボランティア組織があるとか、更に次に進みますと、自分でやりたいという人も多いんですね。何かあてがいぶちのイベントには行きたくない、自分でこういう企画をしたいと。すると、そういうものがなかなかどうしていいか分からないと。
 これは多分NPO支援センターの役割だと思うんですね。こういうNPOをつくれば、いろいろ助成金も来ますよ、PRもできますよということになるわけですね。
 三つ目は、もっと組織的にやりたい、会社を起こしたい、プロになりたいと、こういう支援が、多分三鷹のTMOもそうでしょうね。
 実は、私も二年前に関学の中に社会起業学科というのをつくりました。こういうソーシャルアントレプレナーというのは大学院レベルが多いんですね。大学院ではもう遅いんじゃないかと。鉄は熱いうちに打て。不安でしたけれども、すごい競争率でした。今年はちょっと少し潮引いているんですけれども。つまり、若い人でも何か世の中の役に立ちたいという、そういうチャンスと機会と組織を提供すればどんどん来るんだということなんですね。あきらめないでやるということがとても大事だと思うんです。
 多分、今日の三人の皆さん、自治体の方々ですけれども、ソーシャルビジネスと言いましたけど、自治体こそソーシャルビジネスなんですよね。創意工夫をして、確かに危機感があるとか、へき地だとか離島だとか、それをばねにしてみんなが危機意識を共有して問題解決に取り組んでいる。社会参加したい、町を何とかしたいと。今日のお三名の方が、もう典型的な見本なんではないでしょうか。
 お答えになったかどうか分かりませんが。
#25
○義家弘介君 ありがとうございます。
 私も今、実は大学で教鞭を執っているんですが、多くの学生がこう言うんです。故郷に帰りたい、故郷に貢献をしたい、でも、が必ず続くんですね。それは、仕事がないんだよねという、ここだと思うんです。
 例えば、アメリカの心理学者のウィリアム・マズローなんかは、人間の欲求はより基礎的な部分が最優先されていくと。まずは一段階目として生存の欲求、二段階目として安心・安全の欲求、これが満たされて初めて次に帰属の欲求が出てきて、尊敬の欲求、みんなから評価されたい、社会貢献したいという欲求、そして自己実現の欲求、夢へと続いていくものだと思うんですけれども。
 つまり、私自身は、安心・安全の欲求あるいは仕事がなきゃ生きていけない、この部分をどう地域コミュニティーで若者たちに対して、あるいは今の現役世代に対して示すことができるのかということが地域コミュニティー再生のキーワードになっていくと思うんですけれども、その上で海士町のお話、まさに安心・安全の欲求や生存の欲求を何とかして満たした上で島に誇りを持ってほしいと。あるいは、武田参考人のお話の中にもいみじくも誇りというのは出てきたわけですけれども、この辺が改めて重要だなと皆さんの話を聞いて思ったんですが、最後に一点だけ。
 私は、コミュニティーというのは横のつながり一辺倒では絶対にやがて崩壊してしまうだろうと。やはり縦のつながり、そして横のつながり、これがうまく交差したとき地域コミュニティーというのは盛り上がっていくと感じます。
 一方で、縦というと歴史的縦あるいは上下関係、先輩後輩の縦のみが議論されているような気がするんですが、我々子育ての現役世代からしてみたら未来への縦というものが非常に重要な要素、その地域に貢献したい、その地域で暮らしたいというところの重要な要素なんですけれども、図らずも、子供たちが未来と言ったら、勉強をどのぐらいして、体をどのぐらい鍛えて、どういうところに進学して、どういう職業に就くか、これが親の考える一般的な未来なわけですけれども。
 ここでちょっと話は飛ぶかもしれませんけれども、是非、山内参考人と武田参考人にお聞きしたいんですけれども、来年度から全国学力・学習調査が悉皆方式から抽出方式になった。そして、塾もないような環境の中で、全国的にうちの地域の子供たちはどういう形なんだろう、そして課題があるとしたらどこを伸ばしていけばいいのだろうと。
 これは、悉皆調査の場合はしっかりと把握できた環境にあったわけですけれども、それが抽出になってしまったということに対して、山内参考人、武田参考人から御意見を聞かせていただきたいと思います。
#26
○参考人(山内道雄君) 私は、制度はいろいろ変わるかもしれません。しかし、今唯一の島前高校があるんですけれども、県立の。今、留学制度を取り出しました。今年から八名島外から来ますけれども。
 この元は、今までいわゆるできる子は松江の高等学校へ行く、それ以下の子供たちは地元へ残る、これが今までのパターンだったんです。私の時代は高校がなくていや応なしに本土へ出たんですけど、ただ親が言ってきたのは、帰ってこいとは言っておりません、しっかり勉強して偉い者になれよと言う。もうそれだけ。
 今の親は、私は、非常に少し変わっていき、子供たちがまた物すごく変わってきました。修学旅行で今、一橋が四年間、中学二年生が出前授業をやっています、それから、今年東大三年目ですけれども。そういうようなことで、子供たちが非常に地域に目覚めてくれた。今の高校三年生以下は多分何人かが帰ってくれると思っています。
 その中で、結局何だかんだ言って、高校の魅力化をつくるというのは、もう何とか強うせないかぬということでやったのが今度の留学制度なんですね。寮費も、県立なんですけど、うちで全部見ます、寮のとか食費なんか。そういうことで、外から優秀な子を集めようと。だんだん地元の海士中学校の生徒は、二人ぐらい今年も本土へ行きますが、あとみんなもう自分のところに残ります。その出ていくのがお医者の子と学校の教員の子で、ちょっと残念なんですけれども。
 でも、これは必ずやもう解消できると思っていますから、私は、その点はもうちょっと時間が掛かりますけど、思っています。
 ですから、今人づくりに金を惜しまずに、福祉と人づくりは金を私はむしろ今までずっと毎年増で来ていますから、これだけは惜しんだらいけないと思っていますので。答えにならないかもしれません。
#27
○参考人(武田丈夫君) 私の町は、先ほども申し上げましたように、小学校が三つ、中学校が二つ、二つの小学校は複式になっております。そういった中で、生徒児童の教育を見てみますと、人数が少ないということは非常にいい場面もあるんですけれども、また反面、競争しないという形が出てくるわけです。
 ですから、例えば一学年三人であれば、学校の勉強は一、二、三、決まってしまうんです。運動、走りの速さも一、二、三、決まってしまうんです。なかなか努力しても追い越せない。それが二十人、三十人の学級であれば、ちょっと努力すれば二、三人は抜けるわけです。そういったことから、競争する意欲が非常になくなっているということもあります。
 ですから、私は、取りあえず町内の保育所、これも三つありまして、一つは、四人の園児を三人で面倒見ています。もう一つは、七人の園児を三人で面倒見ています。あとは一つ大きいところあるんですけれども、そこら辺りの交流保育とか学校の交流、それをどんどんしながら育てていきたいなというふうに思っております。
 うちは川崎市と小中学校の交流をやっております。川崎市から来てくれるわけです。そして、この二十二年度からは川崎市へ出向いていくという予算を新たに設置しまして、できるだけそういうふうな学習をしていきたいというふうに考えております。
 ただ、学力テスト、これなんかについて見ましても、自分の実力が全国レベルでどれぐらいにあるのかというものをやっぱりきちっと把握するためには、抽出ということで無作為に選別するんじゃなくて、やっぱりそういった地域のところも視野に入れた形で作為的に抽出していただけたらなというふうな思いもあります。
 以上でございます。
#28
○義家弘介君 ありがとうございました。
#29
○会長(田名部匡省君) 鰐淵洋子君。
#30
○鰐淵洋子君 公明党の鰐淵洋子でございます。
 今日は、本当にお忙しい中、国会までお越しいただきまして、また、それぞれの貴重な御意見、お取組等を伺うことができまして、大変にありがとうございました。心から感謝申し上げます。
 まず、山内参考人に二点ほどお伺いしたいと思いますが、日経新聞の方で海士町のいろいろ新聞記事読ませていただきまして、その中で、海士町役場と一橋大学の連携ということで御紹介がございました。
 今では、大学とそういった枠を超えて大きな交流になっているということで、そういった紹介があったんですけれども、改めて、具体的にどういった交流をされていて、これからどういった形で更に発展させていくお考えなのか、また、その交流によってどういう影響があるのかということも詳しくお伺いしたいと思います。
 もう一点は、Iターン、若い方が口コミでどんどん海士町にいらっしゃっているというお話でしたけれども、そういった若い方に対しての何か具体的な支援があるのかどうか、まずこの二点をお伺いしたいと思います。
#31
○参考人(山内道雄君) 出だしは、これは一橋大学の、当時、関満博先生の、その学院生のきっかけからなんですけれども、四年間、毎年中学二年生の修学旅行はディズニーランドに行くんじゃなくて一橋大学で出前講義をして帰ると。これは海士町の産業とか文化とかいろんなものを、神楽なんかを自分たちで舞って見せたりしたんです。
 私も二回ぐらい学校にお邪魔したことありますけれども、それが四年続いて、今は東大に変わりましたが、そのことによって子供たちは非常に変わった。そしてまた、若い人が今度AMAワゴンとかいって、自分たちでバスを、一つの大学ではなくて、ずっと、近畿地方の大学で一緒になって、今、毎年何百人も来ております。その交流が非常に島の子供たちに刺激を与えたといいますか、そのことが大きいと思います。
 そしてまた、学生の間に来たのがきっかけで、一番頑張ってくれたのは岩本悠君という、これは名前を出してもいいかと思いますけれども、ソニーという会社の人材育成をやっていた。彼が出前授業をやった関係から海士に来て、今度、また新たに契約を三年これから結びますが、今、人づくり、島前高校のところで魅力づくりをやっています。
 十年ぐらいから研修制度というのを入れて、うちは一年間だけ、テーマを与えずに、あなたは一年間うちで勉強してくださいと、何かを見付けてくださいということで、毎月十五万、一年後にはレポートを出しなさいと。それで良かったら、残るんだったら何か起業をしてくださいということで、今残っているのが何人かおります。
 仕事があるから来るんじゃなくて、何か今の若い人の特徴、親という立場になると非常に私はまた疑問でして、何でそんな安定したところへ勤めて島へ来るのかという、親だったら相当反対があったと思うんですけれども、あえて今の若い、かつての学生運動の裏を行っているといいますか、新しいステージを求めているということで、私はそういうようなとらえ方をしています。
 そのためには、例えば昨年から始めた、一橋を出た宮崎君というのが、干しナマコを中国に輸出しています。この間初めてしました。その裏としては、その加工施設を行政がやるのは、七千万以上掛かりましたけれども、造って場を提供してあげると。ステージづくりは行政がやると。そして、行政から、漁師さんにしてもお百姓にしても、昔のように補助金があるからやりなさいということは絶対言わないと。やる気があったら言ってくださいと。
 昔は補助金ですから、これが出るからやらなきゃならない。活魚なんかはそうなんです。行ってみたら、みんなプールみたいな、みんな遊んでいるわけですね。ですから、検証もしない、行政は検証もしていない。ですから、やる気のある人は手を挙げてくる。それについては私自身も課長も各省庁へ出向いています。
 というようなことで、行政としては場を与えることと、同時に、今の若い人たちはその新しい自分のステージを求めてきていると、ここがうまく私はリンクしているんじゃないかなと思っております。
#32
○鰐淵洋子君 山内参考人、じゃ、具体的な支援というものは特に町としてはないということでしょうか。
#33
○参考人(山内道雄君) Iターン、初めは誤解を受けました、町長はIターンばっかり大事にしていると。そうじゃないんです。Iターンには何も特典を与えておりません。子供についてはIターンもUターンも一緒です。
 ただ、仕事を与えるんじゃなくて、家だけはぴちっとしてあげたいということで、ここ四、五年の間に新築も相当しました。そして、体験住宅も造りました。それから、リニューアルも約三十軒、もっと以上しましたかね。そのぐらいやって、住宅だけは確保して、家賃はもちろんもらいます。特典は何にも与えておりません。それだけです。
#34
○鰐淵洋子君 ありがとうございました。
 では、次に牧里参考人、武田参考人、清原参考人にお伺いをしたいと思います。
 武田参考人のお話の中でも、定住する上で欠くことのできない条件ということで、子育て支援と併せて高齢者対策ということで御指摘がございました。
 福祉と住環境の整備が大事だということで、そういったお話がございましたけれども、今回の調査会のテーマでもありますが、まずこのコミュニティーを再生する上で、あと、活動を継続する上で、本当に根本的なところなんですが、その地域に安心して住み続けていただくということがやはり一番、一番というか、一つの大きな課題というか問題でもあると思うんです。
 そういった上で、これからますます高齢社会が進んでいく上で、その地域に住み続けられる、例えば介護施設、ほかの地域に行くとか、今の住宅では住み続けられないのでほかの地域に行かざるを得ないとか、そういった環境が変わることによって一つコミュニティーがそこで断絶というか切れてしまうようなことがあってはならないのではないかなと思うんですけれども。
 そういった上で、特に高齢者の皆さんが安心して住み続けられる、住環境も含めた環境整備ということで、今後、それぞれの地域だったりお立場で、高齢者の方の福祉と、介護施設も含めた、この福祉と住環境の在り方についてお考えがありましたらお伺いをしたいと思います。
#35
○参考人(牧里毎治君) 具体的には後の方が答えていただけると思いますから。
 基本的な考え方なんですけれども、先ほども、若い人が故郷に帰りたいけど仕事がないとか、マズローの例を引き合いに出しておっしゃっていましたけど、今からは、さっき御指摘がありましたようにもう仕事も子育ても、特に医療ですよね、病気になったときに何とかしたいという、それはもう三点セットだと思うんですね。その結果として生きがいが出てくるんだと思います。
 そういう意味では、じゃ、医療とか教育とか介護が必要だから施設を造ったらいいのか、病院を持ってきたらいいのかというと、なかなかそうはいかないんじゃないかと。もちろんお医者さんがいないとどうしようもないというのはありますが、大事なのは、人々がそういう人の問題を一緒になって考えるような組織づくりといいましょうか、集い場づくりといいましょうか、まあ居場所と出番と言ったらいいんでしょうか、最近のはやりの言葉で言うと。
 そういう居場所というのはどこでもできるんですね、民家でも集会所でも空き店舗でも空き倉庫でも。これは都鄙を問わず、田舎でも同じだと思うんです。そういうことをやると、そこに人が集ってくる、そこに来れば安心する。そこにお医者さんが来れば、別にお医者さんは常駐しなくてもいいんですよ、一月に一回でもいいし。
 これから行政がやってほしいのは、そういう情報インフラとか交流する力とか、そういうものを行政がやっていければ、人々はどんどんどんどんやりたいことをやっていくと、いろいろあちこちで花開いていくんではないかと思っています。だから、福祉だとか教育だとか仕事だとかじゃなくて、もう、オアじゃなくてアンドだとおっしゃいましたね、そういう取組方が重要なんではないかというように思っています。
#36
○参考人(武田丈夫君) 私の町は、先ほど申しましたように非常に高齢化が進んでおります。そういった観点から今の御質問にお答えしたいと思います。
 まず、お年寄りが集落へ行って、それで集落の人方とお話をすると、お年寄りの方が、今は食事を作れるけれども、これから先食事が作れなくなったら、町長さん、どんなしてくれるんですか、私たちどんなしてここで生活すればいいんですか、聞かれるんです。答えはないんです。もしそういう困ったときがあれば役場へ言ってくださいと言うしかもう答えがないんです。
 そういった中で、山村の集落のお年寄りが今一番身をもって感じているのは、要は医療です。次は食事です。その二つはもうひしひしと感じているというのが分かります。
 年が寄ってだんだんだんだんと体が衰えてくる、動けなくなる。そういったときに頼れるのはやっぱり医者です、医療です。食事を作るのも大変になってくる。販売の車が回ってきますので日常のおかずは買えるんですけれども、買いに行って、それをまた作って食べる、それまでが難しい。ですから、食事の配食サービス、そういったものを強化して取り組んでおります。一食でも配食すれば、それをまた小分けして二回に分けたりして食べておりますので、その配達してくれる弁当が有り難い。
 それと、古座川町では人口が三千人しかないんですけれども、診療所を五つ持っています。ドクターは二人です。そのドクター二人で五つの診療所を分担して回しているという形を取っております。
 そうすると、金曜日の夜になると必ず電話が掛かってくるというんです。土日、医者が、診療所が休みになるので物すごく不安だというので、やっぱり電話が掛かってきたりはするそうです。そのドクターを確保するのがやっぱり我々にとって一番大変な仕事でして、古座川町もこの三月末で一人のドクターが辞められます。その後任探し、それに半年掛けて、大変苦労しました。
 そういったことですので、高齢者が安心して住むというのは、やはり医療、食事、それから住環境の整備、これも必要になってきますので、やはり手すりだとかそういったものの補助。それから、山村ですので平場はほとんどございません。ですから、道路から自宅が高いところにあるとか低いところにあるとかというのがありますので、そこへ行くまでのスロープの改修、そういったことを手掛けております。
#37
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 高齢者が安心して住み続けられる町の要件ですが、共通しているのは、第一義的にやはり医療機関が確保されているということ、そして、何よりも予防とか健康診査というような、介護予防も含めて事前の様々な健康管理の支援というのが有効です。さらに、防災ということでは、同様ですが、例えば東京であれば住宅用火災警報器ですとか家具転倒防止器具ですとか、総合的なバリアフリーの取組なども含まれます。三点目に防犯でございまして、都市部では振り込め詐欺とか悪質商法もございますので、そうしたことの被害者にならない支援も重要です。
 そこで、総合的に、先ほど御紹介いたしました病院、医師会、あるいは歯科医師会、薬剤師会、民生児童委員の皆様たちと連携をした地域ケアネットワークという地域の見守りのネットワークというのを進めているところです。
 最後に、元気な高齢者が生きがいを持つということも重要でございまして、老人クラブやシルバー人材センター、また先ほどの住民協議会も、七つのうちの一つの住民協議会の会長は八十九歳の女性でございます。年齢に応じて判断をせず、その方の能力や努力を評価して、先ほど先生も言ってくださった居場所と自己実現の場所を保障して健康長寿でいていただくような総合的な取組を果たしていきたいと思います。そして、世代間の交流が豊かにある、子供との出会いがある、それも重要だと考えます。
 以上です。
#38
○参考人(牧里毎治君) 追加発言してもいいでしょうか。
#39
○会長(田名部匡省君) 牧里参考人。
#40
○参考人(牧里毎治君) 清原さんの方から、エージレスな時代だと、老人も子供もないんじゃないかと。どうも私たちは、年寄りは世話せなあかんとか、子供は面倒見てやらなあかんとか、そういう発想に固まり過ぎたんじゃないかと。むしろ、子供からいろんなアイデアをもらう、年寄りも元気なうちは何か人の役に立ちたいと思っている、それを生かしていない、こういう福祉をつくり過ぎたんではないかと。これで経済負担が多くなっていると思うんですね。むしろ、改めるべきじゃないかと思うんですよ。
 そういうことでいうと、基本的な考え方は、当事者が参加をして、当事者が企画して、当事者が未来をつくっていく社会をつくる必要があるんですね。
 そういう事例はたくさんあります。例えば、御存じかと思いますが、北海道の浦河町というところに統合失調症の方々が自分たちで会社をつくり、昆布を売って年商を一億円上げています。自分たちでデイサービスセンターとかつくっています。シャッター通り化している商店街の大株主じゃないですけれども、一番繁栄しているわけですね。
 あるいは、富山に、このゆびとーまれという、民家を借りた高齢者のお世話をしているところがあります。高齢者だけじゃないんです。子供たちもやってきます。不登校の子供もやってきます。みんなが世話する側、世話される側、そういうものをつくっているんですね。ここから学ぶべきじゃないかと思うんですね。
 多分、今日の町づくりの話は、みんなそういうところでは共通していると思うんですね。住民がお客様じゃない、住民が主人公だと。だから、主人公になれるような出番をつくったり居場所をつくったりするのが会社社長の、町長の役目だとか市長の役目だというふうに私は受け止めました。
 ありがとうございます。
#41
○会長(田名部匡省君) 紙智子君。
#42
○紙智子君 今日は、四人の参考人の皆さん、ありがとうございます。日本共産党の紙智子でございます。
 私は、平成の大合併を地域コミュニティーという角度からお伺いしたいと思うんですね。
 それで、全国町村会が「平成の合併をめぐる実態と評価」というのをまとめているわけですけれども、この中で、合併のプラス効果ということで財政支出の削減などを挙げていますし、マイナス効果としては行政と住民相互の連帯の弱まりということを書いていて、周辺部の衰退なども挙げています。それから、合併を選択しなかった町村の可能性というところで、地域に対する愛着と責任感の共有などを挙げています。
 市町村関係者から話を聞きましても、合併で中心部から遠いところほど地域が衰退しているし、周辺部で暮らせない状況になり、中心部も崩れていく傾向にあると。なぜかというと、地域内の再投資の中核を担っていた、多くの従業員を抱えていた役場が消えてしまったからだということなんですね。
 それで、この小さな町村のコミュニティーが合併によって壊れている状況があるわけです。当時、政府は平成の大合併を強力に推進しているんですけれども、地域のコミュニティーという角度から見るとどういう影響が与えられたのかということについて、今日、町長さんお二人お見えなので、お考えをお聞きしたいと思います。
#43
○参考人(山内道雄君) 最初に申し上げましたように、今、全部、町村会のあのアンケート、もうそのとおりの、その中に私どもの意見も入っているはずなんです、具体的に。
 ということで、私は決して合併反対論者じゃないんです。合併はすべきときはすべきでいいと思っていますけれども、私は島嶼間ということでしなかったわけですけれども。今、アンケートに表れておりますように、確かにコミュニティーというものに対する、例えば合併しますと、まず役場の職員、市役所の職員が中心部へ寄ってしまうんですよ。自分ところの家を、ほっといて、その中心部へ住宅も移してしまう。これはもう私はもってのほかだと思うんですけれども、まず行政からそういうことに流れてしまう。
 そして、一番、私のところは割と災害が少ないんですけれども、一朝もう何か起きたときにはすべて役場職員が先頭で立たなければならない。もう災害が一番私は心配ですね。ですから、私のところには県道走っていますけれども、県の出先はない。まず職員が夜中でも行って伐倒して、バスが通れるように朝までにぴちっとやるということで、その管理料をうちの方へくれということで県にも言っているんですけれども。
 ですから、常に最低の行政機関とか人というものはやっぱり大事なんですね。そして、中心部へ吸われますと、そこら辺りがみんな中へ中へ、中心へ吸われていく、考え方までそうなっていると。これはもう私ははっきり言って言えると思います。
#44
○参考人(武田丈夫君) 古座川町におきましても合併は、古座川町は合併はしておりません、単独を選んだ町です。隣の二つの町は合併しておりました。そのときにどういった形で合併をしなかったかと経過を見てみますと、やはり財政的な問題が一番のネックになったようでございます。そのときに古座川町は比較的財政的にまだ余裕が、余裕があるというほどじゃないんですけれども、うまく回しておった。ほかの二町村につきましては非常に赤字を抱えた厳しい町だったと。そういうことで合併をしなかった。
 それともう一点は、山村ですので、奥地の地域の住民はやはり合併すると取り残されるという感じを非常に持って、合併しないでほしいということであったようです。今、第二次合併も進められておるところでございますけれども、それにつきましても、もう古座川町につきましては絶対に合併しないでほしいという意見が非常に強うございました。
 山内町長さんもお話のありましたように、古座川町の役場の職員、これは古座川町内で住むのではなくて、その近辺のもっと便利のいい町へ引っ越していくわけです。そこから通っていると、子育てをそこでするといったふうな現象が出てきております。それが非常に我々としても心苦しい、困った状態で、今後どうしていけばいいのか、それも課題の一つというふうになっております。本当に、火事があると全員が出てきて役場で対応している、台風があると全員が出てきて役場で待機し対応していると。そういった状態の中で、やはり町外に住まれるということは非常に対応に難しい。
 そういった中で、地域のためにはやはり役場を核として、その地域地域へ人をやっぱり配置しながら緊急時の対応というのも取り組んでいかなきゃならぬということで今対応しているところです。
#45
○紙智子君 地域の活性化とコミュニティーについて次に伺いたいんですけれども、地域の活性化というと、どうしても、これまでだと企業を誘致するとか、あるいは大型公共事業に依存する傾向というのはあったと思うんです。そういう流れに依存せずに持続可能な地域づくりをどう進めていくかということを考える時代になっていると思うんですけれども、そのキーワードが、一つは地域資源ということがあるんだと思うんです。
 その上で、持続可能な地域づくりを進めるときに、コミュニティーというのは何か、どういう役割を果たすというふうにお考えかということがまず一つと、実際に地域資源を生かして物をつくったとしても、その販路というか販売ルートがないと成り立たないということもあるんですけれども、その点で、そのルートをどういうふうに確立されているのかということについて、国や国会がそういうときにどういう支援をするといいのかということなどを、じゃ、海士町長さんとそれから武田古座川町長さんとお二人にお聞きしたいと思います。
#46
○参考人(山内道雄君) これもお話の中でしましたんですけれども、特に我々の離島では地域資源も限られていますが、しかし誘致とか、あるいは原材料を本土から仕入れてそれを加工して商品化してもとてもこれは競争の対象にならないということで、やっぱり島らしい商品づくりといいますか、それが大事だということで、例えばつまようじのもとになるクロモジの木ですね、これ今東京でもお茶屋で売っています。
 これは精神障害のある施設の皆さんが、若い人が頑張っていますけれども、これに火を付けたのがIターンの別府の温泉宿の息子が四年間おって道を付けてくれたんですが、これなんかも我々は、医者と縁がない時代には、傷を負うと、それで少し幹を削って浸すとその傷はうまないんだということ。
 それが、幹しかなかったのが、今は花が物すごく、もう普通のハーブには負けないいい香りが出、そしてまた葉っぱも今お茶になる、そして幹もお茶になるということで、それが一つの商品化したということで、これもやっぱりパッケージが大事だということで、パッケージにはいろいろ苦労しましたけれども、これもまさかと思っていたのが今東京でも売れるようになったと。ですから、もうあとは知恵だと思っています。
 そして、国の制度の中で地域再生マネージャーというのがございました。卓越したマネージャーではございませんけれども、全般やってもらうようなマネージャーの力もあったことも事実。そして、フードコーディネーターの先生、女性の先生なんですけれども、先生とか、あるいは料理研究家の先生が実は私のところへ半分住み着いておられます、気に入っていただいて。
 先生方の知恵を借りながらそういうふうな商品づくりしたことと、同時に、東京へ我々が持って出るその催事の場所とか、この前も汐留でやったんですけれども、AMAカフェをやったんですが、そういうことはやっぱり都会の知恵のある人、あるいは人脈がないとできないことなんですが、まあ人は人を呼ぶといいますか、もう本当に人づてで、人に恵まれてそういうことができたかなと今思っているところです。
#47
○参考人(武田丈夫君) 今年の一月の多分四日付けだったと思うんですけれども、朝日新聞の記事の中に、これからの地方を生かしていくには、ないものをつくるのではなく、あるものを生かせという記事が出ておったと思います。私もこの古座川町の町長になってからまだ一年七か月ほどしかたっておらないんですけれども、そういった中で、やはりお金もうけに取り組まないと住民が居着かないということもありますので、何か小遣い稼ぎにできるものがないかということを考えて見ておりました。
 企業誘致とかそういうのはもうとても無理ですし、元々あった林業、これも今もう非常に木材価格が低迷しておりますので、お金にならないということもありますので、何か物がないかということで見てみましたところ、古座川町内ではもう至る所に自宅の裏山にミツバチの、ニホンミツバチの巣箱を置いているんです。それはもうどこの家の裏にも置いているぐらいの感覚で、道を走ればもういっぱい見えるんです。ですから、このミツバチのはちみつを何とか生かせないかと、それが一つ。
 それともう一つ、ずっと回っておりますと、庭先のちょっと日陰のところにキイジョウロウホトトギスという、ホトトギスの黄色いきれいな花が咲くんですけれども、十月に。それがあるわけです。それは茶花として切り花で京都市場でかなり高価な取引をされております。そういったものを、元々そこにあるものを生かせないか。
 それと、それに取り組んだときに、お年寄りだけじゃなくて、お年寄りでもできる、それから若い者でも、若い特に女の方でもやってみようかなと思うもの、それがないかということで、花作りなんかはやはり若い者も取り組んでくれないかなという思いで、それを今手掛けておるところです。
 そういった中で、その取組の仲間が集まればそこに連携が出てくるということになると思います。先ほど言いましたニホンミツバチ、これは私、出身が玉川大学ですので、玉川大学には日本で唯一、ミツバチ科学研究センターという研究所を持っています。そこで品質保証それから販売をやっておりますので、そこと連携を取って、去年の暮れにテスト販売ということで、玉川大学から古座川産のはちみつということで出しております。売っているはちみつの三倍の値段です。それも来年度はもう少し量を増やしながら、できるだけ集めて品質保証というので売っていきたいと。
 それも、ちょっと時間取って申し訳ないんですけれども、ミツバチは三キロしか飛ばないんです。三キロ以内のみつを集めます。そうすると、古座川町のような山奥では、人家から三キロ離れているところの山というのは幾らでもあるんですわ。そういうところにも巣箱を置いているんです。だから、三キロ離れているというか、人家から三キロということは、人家の周りで稲作だとか野菜を作っていますので、農薬は絶対掛かっていないんです、その三キロの先では。それと、人家がないから車もほとんど行かない。ですから、排気ガスもない。もう全くの天然自然です。そういったプレミアを付けていると。
 やっぱり地域にあるものをできるだけ生かしていきたいなと、小さなことですけれども、そういうことで思っております。
 それと、販売に当たっては、今言いましたのが一例です。ですから、品質保証をして金額をきちっと決めていくということ。それと、やはり花を売ったり切り花を売ったりするのは、東京市場へ今、毎年テスト的に出しているんですけれども、そういったところの市場調査、これはもう絶対必要になると思います。テスト販売して、その購入の動向がどうであるか、そういったことも必要です。
 去年の暮れから四十日間ですけれども、交通会館のライスアイランドというブースがあります、そこで古座川町産のユズ、ユズ製品、シイタケ、お茶、それから菊芋のチップとか、そういったやつをテスト販売しました。定価よりも高く売ったり低く売ったり、どういった傾向があるか、そういったこともやっております。
 ですから、やっぱりその販売ルート、それをきちっとするための市場調査、これを何とか充実していきたいということで、新たな予算付けも行ったところです。
#48
○紙智子君 ありがとうございました。
#49
○会長(田名部匡省君) よろしいですか。
 藤谷光信君。
#50
○藤谷光信君 参議院の民主党の藤谷でございます。
 今日は、参考人の先生方、ありがとうございました。
 先ほど来、いろんな他の議員の先生方から御質問がありまして、私もダブるところがあるかも分かりませんし、ちょっと意見を言いながら質問したいと思っております。
 牧里先生は、こういう地域コミュニティーについてのいろいろ分析的な、大変有り難く思っております。他の先生方の意見も大変参考になりまして、地域コミュニティーというものを成功をさせていられる町長さん、市長さんのお話で感激しております。
 私も山口県に住んでおりますが、山口県の岩国市ですけれども、古座川町長さんのような地域も山の中のへき地にあります。それから、三鷹市のような、団地とか、そういう控えておる地区もありまして、幅広いものですから、いろいろ皆なるほどと思って聞いておりましたが、聞きながら、やっぱり地域の市長さん、町長さんなどのリーダーシップというのが大変大きなウエートがあるなと私は感じました。
 それと同時に、地域によってはいろんな差がある、広い日本の中には地域差というのがすごくあると。それから、時代の流れといいますか、三鷹市のように、まだまだ今から伸び盛りの地域だと思います。その伸びていく地域のコミュニティーづくりというのは、私も五十年前から、日本で子供会がないころに初めて子供会をつくったんですよ。自治会長も連合会長も社会福祉協議会も皆立ち上げた経験があるんですが、伸び盛りのときと、それから古座川町さんやら海士町のように人口が減ってくると、そのときの地域コミュニティーづくりの御苦労といいますか、何か痛いほどよく分かりまして、いろいろ参考になると思っております。
 先ほどちょっとお話がありましたが、お年寄りといいますと、今まではどうしても福祉の対象のお年寄りだと。そうでなくて、お年寄りの、ちょっと頭のぼけた、私も少しぼけかかっていますが、ぼけかかっておる年寄りではなくて、まだまだ力のある、八十になっても九十になってもまだ第一線で活躍できるお年寄りもたくさんいるわけでございますので、その人たちを地域コミュニティーの中で生かすと。ちょっと牧里先生がおっしゃいましたが、それを生かす方法というものもこれから大事じゃないかと思うんで、その御意見も聞かせていただきたいと思っております。
 それから、保育園を地域のセンターということでお話しになりましたが、幼稚園もたくさんあるわけですね。保育園は大体市町村の所管でございますので、割と市町村の指導の下にありますが、幼稚園、特に私立幼稚園は何ら県やら国やら市の補助金を受けずに立ち上がったのがたくさんあるわけです。だから、もう長い歴史がありますので、各地区で地域コミュニティーのセンター的な立場にもあるわけですので、その幼稚園の生かし方というものもこれから大事じゃないかと思うんですね、ただ子供を預かるというのでなしに。幼稚園でもいろんな支援をする施策がありますけれども、もっと幅広く、お話しになっておるようなコミュニティーづくりの立場の幼稚園。
 それから、お寺がたくさんまだありまして、今の古座川町も海士町もお寺が、昔お寺も国やら県がつくったものじゃありません、地域の人が立ち上がってつくって、地域のコミュニティーの中心的な存在をずっと今までしてきたわけですが、今は行政が中心ですので、ちょっとそれはおいておいて、別にコミュニティーセンターをつくってそこへ集まれ、公民館をつくってそこでやるんだというのが常識みたいになっていますが、そうでなくて、やっぱりもう一回原点に返ってみますと、地域の下からの沸き上がってくるようなものを生かすためには、お年寄りとか老人とか、それからお寺とか、そういう幼稚園。
 それから、今合併の話が出ましたが、合併で地域が疲弊する例も私もたくさん知っております。それから、郵便局もどんどん地方がなくなっていますので、これも長い長い歴史の中ででき上がったもので、合併して、しまったと思ってももう後戻りできませんから、そういうことを悔やんだってしようがないので、それはそれでおいておいて、これから地域づくりをやらにゃいかぬと思うんです。
 そういう意味で、コミュニティーづくりのちょっと違う視点から、幼稚園の生かし方、あるいはお寺の生かし方とか、それからお年寄りの生かし方、そういうことで四人の方に何かありましたら、お考えやらありましたら聞かせていただきたいと思っております。よろしくお願いします。
#51
○参考人(牧里毎治君) ありがとうございます。
 お年寄りを生かすということは大事だということ、私も同感でございます。
 こういう介護が必要になってくるお年寄りもいらして、それはそれで支援をする必要があるんですけれども、圧倒的多数は元気なんですよね。こういう方々がどんどんぼけちゃったり体が弱っちゃったりするんですね。専門的には廃用性麻痺という言葉がありまして、これは医学用語ですけれども、使わないことによってどんどん麻痺しちゃうと。お年寄りも地域が使わないとどんどん駄目になっちゃうんですね。
 みんな望んでいるのはPPKだと思うんですよ。PPK、聞いたことないでしょう。ぴんぴんころりという。ぴんぴんころり。一生懸命地域にも貢献する、みんなに惜しまれてころりと逝くという、こういうのが大事なんで、みんな求めているんだと思うんですね。
 そういうことで申しますと、特に男性の高齢者の方が問題なんですね。女性の高齢者というのは結構地域にも出張っているんですよね。もうたくさんいろんなことをやっています。例の団塊問題ありましたでしょう。多分、団塊世代論の政策、みんな失敗している。
 なぜ失敗したか。これはまた後で申し上げますけれども、それは女性にばらまいたからね。女性の団塊世代は、もう地域であちこちで活躍しているんですよ。そういう活躍しているところに、会社で偉い人になった、地域に行っても偉そうにするわけよ。それはみんな嫌がるよ。やっぱりよろいかぶとを捨てて地域に入る。だって、女性軍団ですよ、地域は。アマゾネスなんですね、軍団ですから。そこに一人で行かなきゃいけない。そのときはやっぱり腰低く行かなきゃいけないんですね。
 ところが、やっぱり後ろに会社とか、皆さんもそうかもしれません、国会議員という肩書抱えているとなかなか素直になれないんですね。向こうがあいさつするまで待っているとか。いや、こっちから行くんですよ。すると、あの人は元国会議員だったというので値打ちがぐっと上がるんですね。自分から言ったら駄目なんですよ。うわさが、女性たちが、すてきね、あの人って、威張らないし、一言言えばすぐお掃除もしてくれるし机の片付けもしてくれる、これが値打ちがあるんですね。こういう方々は長続きするんですよ。
 そういうふうに、どちらかというと、女性に学んで横につながっていくような意識改革、こういうのが大事だと思うんですね。
 済みません。ちょっと落語みたいに、漫才みたいな話になりましたが。
#52
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 元気高齢者の御活躍について、私からも補足をさせていただきます。
 三鷹市は、幸いなことに全国の市の中で男性の長寿日本一なんですね。男性の皆様に、なぜ三鷹市の男性は長寿なのかと聞いてみました。そうしましたら、それは女性がいいからだと言ってくださったんですが、でも、それはこういうことがあります。
 NPO法人シニアSOHO普及サロン・三鷹という、これは退職後にそれまでの会社での経験などを生かされて、それぞれの得意分野を出し合って、特にパソコンやインターネットを中心にした学習をして組織をつくって、様々なところ、例えば学校教育でのコンピューター授業を支援してくださったり、今、三鷹市ではスクールエンジェルスという名の学校安全推進員もその組織にお願いをしています。つまり、会社での経験も生かしていただけるようなNPO法人とか団体というのは、大変元気高齢者の居場所になっています。
 また、女性の皆様の中では、子育てを終えられたり、あるいは孫がたまたま遠くに離れていて一緒に住めない方は、先ほど御紹介したファミリーサポート事業、地域の中の子育て中の世帯を、自分の孫ではないけれども、あたかも孫のように支援するという役割を引き受けてくださっている方々がいますので、そうした皆様に元気になっていただく。
 さらには、高齢者同士だからこそ分かるピアサポートで、傾聴ボランティアという高齢者のお話を聞いていただくボランティアは、比較的年長の方も講習会を受けていただいて、そのボランティア活動をしてくださっているんですね。
 ですから、時々、老老介護というのは厳しい環境のときに言われますよね。高齢者が高齢者を介護する時代だと。八十代が百歳以上を介護する時代。もちろんそれは公的な支援も必要ですが、介護というだけではなくて、コミュニケーターとして出会いの場所をコーディネートすれば生きがいにもつながりますので、マイナスの部分だけではなくて元気を増す部分に、行政ができる限りいいコミュニティーの風土づくりを醸し出していけたらなと思っています。
 一点だけ。幼稚園の場所を活用してはという御提案に基づく御質問をいただきました。
 実は三鷹市では、私が市長になりましてから、市立幼稚園をすべて廃園いたしました。そして、それは総合的な子育て支援施設にしておりますので、実は三鷹市民の皆様の幼稚園のサービスはすべて私立幼稚園にお願いをしております。
 そこで、私も私立幼稚園長の皆様とは頻繁にお会いしながら、一方で保護者に入園補助金などを比較的ほかの自治体より手厚くさせていただいておりますが、併せて幼保小連携、幼稚園と小学校の連携とか、そうした広がりのある取組もしていただいているんですね。こども園の取組も積極的にしてくださる幼稚園も出てまいりました。
 そして、保護者の皆様が幼稚園に集まるというと、若い世代がやはり子育てをされるときに、一番幼稚園は運動会でも何でもたくさん集まられますので、そういう場所で改めて地域に関する情報をお知らせしたり小学校につながる情報をお知らせしますと、自分の子供の親としての認識だけではなくて地域の親同士の連帯も生まれるということもございますので、三鷹市としても、引き続き幼稚園の皆様と情報共有をしながら、親の居場所だけではなく地域の取組ができるような開かれた幼稚園の運営をしていただけるように働きかけていきたいと考えています。
 以上です。ありがとうございました。
#53
○参考人(武田丈夫君) お年寄りを生かすということでございますけれども、古座川町の場合は七十五歳まで現役です。もうそのつもりでやっていただかないと困るんです。
 今、稲作作りのお手伝いしている男性の方の写真があるんですけれども、その方はこれまで、退職されてからいろんな町の関係とか地域の関係の役職をずっとやってきたんです。それが終わってから、それが終わってから、今度子供のために自分のところの前の田んぼで子供に稲作を教えていると、もちつきを教えていると、そういった形です。
 小学校に芝生化するために芝生を植えたと。それも、出てくるのはほとんどおじいちゃん、おばあちゃんです。小学生のおじいちゃん、おばあちゃん。それから、両親はほとんど働いています。ですから、休みを取って出てこないといけない。だから、おじいちゃん、おばあちゃんがいっぱい出てくるわけです、動ける人は。そういった形で地域のために、地域の一助になっているというのが現状です。
 それから、古座川町では幼稚園はございませんけれども、保育所ですけれども、これは、保育所から老人施設へ行ったり、それもしていますけれども、老人の人がしめ縄作りだとかいろんな行事をその地域の集会所でもって子供を集めてやったり、教えたり、そういうことも行っております。
 それと、お寺の活用、利用ですけれども、お寺は集落ごとにあります。それは集落で今でも、住職はおらないんですけれども、月に一回きちっと掃除をして守っておるんです。必要なときにはそういうところも使っておりますけれども、なかなかお寺を使うというのは、非常に集まる機会も少ない。ですから、一番人が集まるというのは神社のお祭りなんです。そういったところの神社を中心としたお祭りに集まる、その周辺のコミュニティー、そういったことも活用していけたらなというふうに思っております。
 以上です。
#54
○参考人(山内道雄君) 私のところも、実は五十代から六十代が一番見えない。むしろ八十、九十が一番元気かなと思っております。
 私に町政で檄を飛ばしてくるのは大体八十を過ぎたおじいさん連中ですね。実は今度、五月に町長選挙あるんですけれども、十二月の定例議会では、はっきりせいと、お前は、もうはっきり一般質問の冒頭に出るということを言えというふうに三人ぐらいから朝電話が掛かりまして、いや、そういう段取りじゃなかった、まだ早いと思っていたんですけれども言わざるを得なくなって言ったと。まあ、非常にあれなんですけれども。
 とにかく、ふるさと教育の中でこのおじいさん方の存在、おばあさんの存在というのは非常に大事ですね。保育園、もうみんな行っています、いろんな行事のときに。そして、老人クラブの連合の運動会があるんですけれども、二百人ぐらい、小さな町ですけれども、集まるんですね。集まってみると、その元気さというのはここかなと思うぐらいに、特に八十、九十が元気でございますね。
 この知恵をすごく、生活の知恵を持っているということで、子供たちに竹馬作りとかいろんなことを教えてやったり、保育園にもいろんな行事に参加したり、本当にこの年寄りの生かし方といいますか、本当にこのおじいさん、おばあさんの力は私どもにとっては大きいなと思っています。存在感がないのは、今五十から六十が一番存在感が見えないところで、逆にですね。
 それと、保育園は、実は私のところは幼稚園がなくて、法人の保育園が今度二つあったのが一つに、町も応援しながら一つにしたんですけれども、二つの保育園が空いた。これを出会いの場づくりに、町も金を掛けて無償提供していただきまして、ここに今世代を超えて、中央公民館もありますけれども、特に若いお母さん方の集まりですね、今子育ての勉強会とかいろんなことをやっています。
 この間も、オープンに私も行きましてあれしたんですけれども、非常に、特にIターンの方々が地域のことはもう不案内だと、そしてまた子育てに不安を持っているという中でいい場所に今一か所。一か所は、何というか、何でも屋さんといいますか、NPO法人を起こして、お助けのNPO法人、名前はちょっと忘れましたけれども、二つともうまく生きていますね。
 それから、若いお坊さんですけれども、今県の教育委員会のカウンセラーを受けていまして、非常に、三つの島を今教育カウンセラーで回っています。ですから、これは今までなかったお坊さんの生きざまかなと思っていまして、まあ、若いし、私も本当に助かっていると、そんなことでございます。
 以上です。
#55
○藤谷光信君 ありがとうございました。
 もう一点だけ。
 先ほどちょっと、牧里先生ですか、山内参考人か、どっちかだったんですが、公共と民間との中間、公共というのは、町長さんのような方とかお役所と県とかいう、民間というのは一般の生活者ですな、その間に入る人の育成、その人たちがちゃんとやることによって地域コミュニティーというのはちゃんと成るんではないかという話が大変何かいいヒントのような気がしたんですが、もっと詳しくお話を聞かせてもらいたいと思います。
#56
○参考人(牧里毎治君) ありがとうございます。
 一応、私は大学の教員もしておりますけれども、宝塚NPOセンターというNPOを支援をする一応理事長もやらせていただいています。実質的には事務局長の森綾子が頑張っているんですけれども。
 宝塚NPOセンターがやっていることは、そういうボランティアグループをおつくりになったときに、やっぱり継続的な活動をしたいと、そういう場合にどうしていいか分からないということを支援をしてあげるわけですね。そういうある種のプロ集団です。中小企業会計士であったり、情報のプロであったり。
 例えば、一つ一つのNPOが困るのは、先ほどもちょっと出ましたけれども、販路を見付けるとか、そのためには情報発信しなきゃいけないと。いろいろ助成金を取りたいんだけれども取り方が分からないと。どこにあるのか分からないとか。いいことをやっているんだけれども、それを発信する力がないという、今のIT技術ですね。
 ですから、そういう、ブログを使ってコーナーを、バナーを作ってサイトをしてあげるんですね。それを行政の人たちは見て、ああ、こういう団体だったら支援したいなとか、活動している人は、日々の活動、今日はサッカーで子供たちのために教えて、自分たちも救われたけれども、子供たちも笑顔で良かったとか、そういうのを書くんですね、どんどん。
 そういうのを一年間ためて整理しますと、これが事業報告書になっちゃうんですよね。その事業報告書を見て、会社が、いや、そこに助成金出したいとか、行政は、こんないい活動だったらうちの助成金使って指定管理者になってほしいとか、こういう話になってくるんです。
 つまり、中間支援というのは、行政がなかなか手出しをするといろいろややこしい、民間に手を出すといけないとか、公共的な立場だから特定の企業とか特定の団体ばっかりしちゃいけないとかありますけれども、中間支援というのは民間ですから、その間に立ってできるだけ公平性を担保しながら芽が出てきたものを育てていこうという、特定化してやるわけですね。そういう支援をするような組織なんです。日本はそれが非常に少ない、弱い。そういう意味でヨーロッパとかアメリカにちょっと遅れているんではないかなと思うんですね。
 是非ともそういう中間支援の役割ということを国会でも議論していただいて、これが日本の次の社会をつくっていくスタートラインになるんだということを是非とも訴えていただきたいなと思います。
#57
○藤谷光信君 ありがとうございました。
#58
○会長(田名部匡省君) 松岡徹君。
#59
○松岡徹君 民主党の松岡でございます。
 四人の参考人、いろいろと貴重な事例なりお話をいただきまして、ありがとうございます。
 私の方から、ちょっといろいろ聞きたいことも今までの話の中にもありましたので、それは省かせていただいて、まずは牧里参考人にお聞きしたいんです。
 そのコミュニティーづくりをするときのコミュニティーの定義が極めて大事になってくると思うんですが、今日の状況を見たときに、コミュニティーが崩れているというときに、どこが崩れているのかということになるんです。それと、今までのコミュニティーという感覚といいますか概念といいますか、それがその元のところに戻ろうとするのかしないのかということになるんですね。そういう意味では、コミュニティーとは一体何なのかということをしっかりしなかったら駄目だと思うんですね。
 私は、コミュニティーを再生していくとか創造していくというときに、そのコミュニティーとは一体どういうことを指すのかということになると思うんです。牧里参考人の今日のお話なり、以前からいただいた資料を読ませていただいたら、やっぱり人とのつながりなんですよね。それと、やっぱり生活圏域といいますか、そこに住んでいる生活圏域での安心・安全なり社会の成り立ちというもの、それを支えている仕組みというものが何であったのかということになるんですね。それがなぜ、どういう形でつぶれているのかという、一言で言えばどういう定義をされているのか。そして、目指すべき新たなコミュニティーとはどういう姿を言うのか。
 それこそ具体的な事例としてNPOとか、今様々な環境が変わってきておりますけれども、それはどういうふうに思われているのか、まず牧里参考人からお聞きしたいなと思います。
#60
○参考人(牧里毎治君) とてもいい御質問をいただきました。
 コミュニティーというのは、これは外来語なんですよね。それを日本に当てはめて、一生懸命、村落の集落がコミュニティーじゃないのかとか、団地の自治会がコミュニティーじゃないのか、いろいろ言っているんですけど、私も悩んでおりまして。海外に行きますと必ずアメリカ人の方に、アメリカの方はコミュニティーってどう定義するんですかと言ったら、いつもグッドクエスチョン、ノーアンサーと、こう言われちゃうんですけどね。本国がそうなんですから、日本でああだこうだ言ってもなかなか難しいところがあるんですね。
 そんなことを言っては答えになりませんので、私は、広く抽象的には人々がつながって安心できる人間関係の束だと思っているんですよ。その前に、その安心できる人間関係の束って何かというと、お金で値打ちを測ることを必ずしもよしとしない。お金で測る関係もありますけど、お金で値打ちを測れない関係というのは世の中にたくさんあるんだよということが分かっていて、その価値を大事にする人たちのつながりの束だと思うんです、抽象的に言うと。
 それで、じゃ、今までそれに具体的にはまるものは何かというと、地区の自治会や町内会、あるいは小学校区のいろんな組織だったかもしれません。つまり、地域と結び付いてでき上がっている住民組織というのがコミュニティーのイメージだったと思うんですね。
 これが一定程度効力を発揮したのは、一言で言えば、高度経済成長の波に乗ってつくられて壊れてきたというふうに思っているんですね。それは、昔の地域組織をイメージしたコミュニティーというのはやっぱり家族単位なんですね、世帯単位。世帯単位ということは、お父さんがいつも中心なんですね。女子供は附属物なんですよ。
 ところが、今の地域活動というのは女子供がボランティアをやったりPTAやったり町内会活動をやっているんですよ。そういう世界に変わっているわけですね。つまり、産業構造自体が変わった中に新しいものを入れないと、古いものを持ってきたって空回りするだけなんです。今それが空回りしているわけです。
 町内会、自治会長のなり手がないというのは、あんなしんどいこと嫌やと。町内会長さん、自治会長さんも、なり手がない、なり手がないとおっしゃっているんですね。それは、こんだけしんどいよ、しんどいよと言ったらだれもなりませんよ。楽しいよと、今日の皆さんのように、とっても楽しい、汗かくことがこんなにさわやかだったと思わなかったというふうにやらないと若い人はやりませんよ。これが一つ。
 もう一つは職場、職場のコミュニティーをつくり直さないと、とんでもないことになっていると。年功序列型の終身雇用のシステムの時代は企業がコミュニティーでした。だから、みんな幸せになろうと思って早道切符、いい大学出て、いい会社入って、いい結婚して、いい子供つくって、いい孫を持つと。こんなのは難しい。今もう一握りの人しかできません。会社が壊れちゃっているんだもの。だって、そうでしょう。正規雇用よりも非正規雇用の方が多い会社が多いんですよ。民主党さんは労働組合の方が多いかもしれませんけれども、非正規組合の労働組合って少ないでしょう。だって、腰掛けでしかその企業にいないんだもの。正規雇用はまだいいよね、会社を担おうとか思ってくださるから。
 すると、企業の中にもこれからの新しいコミュニティーづくりをやらなきゃいけないですよ。企業の中に、いいじゃないですか、バレークラブだ、ソフトチームでも、お茶飲み会でもよろしいし、定年退職した人が寄ってきて、憩いの場になっているとか、現役の社員が、おう、おれたちがコミュニティーつくろうやないかと言ってくれたら、もっと変わる。
 多分、今日、お三方というのは、役所が、行政が言わば企業やと、リーディングカンパニーになっていると。大企業ですよ、地域でいったら。だから、危機感でやっていらっしゃると思うんですけれどもね。
 だから、そういう意味でいうと、私はよく申し上げるんですけれども、市役所と書くでしょう、これ、市民に役立つところなんやね。市民に役立つところ、どれぐらいあります。町役場と書くと、町民に役立つ場所、少ないと思いますよ。
 そういう意味でいうと、私は、そういうまず自治体が、職員が自分らのコミュニティーをつくって、それをもっと地元産業とか自治会、町内会もタイアップして、良くしようやないかというのが、これから日本が考えなきゃいけない新しいコミュニティーの姿ではないかというふうに思います。
#61
○松岡徹君 ありがとうございます。思いは共通していると思っています。
 そういう意味でいいますと、例えば地方分権の議論がこれからどんどん進んでいったときに、そういう視点が入った地方分権、それこそ財政事情だけで市町村合併をするような議論ではなくて、そこでどう地域コミュニティーをつくっていくような、促進されるような地方分権なりになっていくのかということが非常に大事だと私は思うんですね。
 私は、過疎と都市という分け方はしたくないんですが、コミュニティーといえば、都市の中でも実はコミュニティーはもうつぶれていっているんですね、今までの。この今までの旧来型のコミュニティーを支えてきたのが町会であったり自治会であったりPTAであったり、そこに今なり手がないというのがあります。高齢者の実態を見ても、孤独死というのが都会ではあるんです。全くコミュニティーが崩れているという姿そのものなんですね。
 そういう意味では、なぜこういったものをつくってきたのか。それこそ、便利社会といいますか、コンビニ文化といいますか、そういう便利なものというものだけを追い求めてくるという、また、それに対応してきたという弱さが今になってツケとなって現れてきていると思うんですね。物づくりの大切さが言われているのは、まさにコミュニティーづくりの一つの大事な私は点だと思うんですね。
 去年、実は私も、ある都市といいますか、郡部の農家の皆さんと話したときに、みんな七十代超えているんですよ、七十代の後半の人たちばっかりなんですね。今でも現職で農作物をやっているんです。自分の後を継ぐ息子たちはみんなサラリーマンになっている、都会へ働きに行っているんですね。
 それはなぜそうなったのかというのを反省していると言うんですね。なぜかといえば、一日朝から晩まで農作業をして、帰ってきて夕食のときに、ああ、こんなしんどい目をして金にもならぬとか、もうからぬとか、苦しいとかいう愚痴をこぼしながら御飯を食べて、それを聞いていた息子たちは二度と継ぎたくないと、そんな後は継ぎたくないといってサラリーマンになっていくんですね。
 ところが、今は、おじいちゃん、おばあちゃんの農作業と一緒にやっている孫たちが土いじりの楽しみを覚えていっているんですね。今そのおじいちゃん、おばあちゃんは孫たちに期待をしているんですね。
 すなわち、物づくりの原点といいますか、脈々とつないでいくべき文化といいますか、生活とかというものが実はここにあったんではないのか。そういうところを忘れ去られて、効率化、経済的、そういうようなものだけが行ってしまうという評価は私は良くないと思うんですね。
 そういう意味で、牧里参考人がおっしゃっていましたように、今までの町会とか自治会とかPTAが果たしてきたもの、あるいは核となるべき世帯が変わってきていると。それに代わる新しいコミュニティーをつくっていくものとしてNPOの活動とか、宝塚のことをおっしゃっておられますけれども、それ以外に例えば重要なポイントとすればどういうことがあるのかということがあれば、ちょっと是非参考人に教えていただきたいと思います。
#62
○参考人(牧里毎治君) 先ほどコミュニティーの話で、縦と横というのがやっぱりコミュニティーで大事だと。私も別の意味で同感しているんですけれども、その縦と横をつなぐのが多分お役所であったり、そういうNPO支援センターのようなものだと思うんですね。
 行政につなげないと広げることができません。という意味では、行政に広げてもらうような役割を果たす。あるいは、横につながるようにしなきゃいけませんので、すなわち集団づくりとかイベントづくりとか、そういう横につながるような、要するに住民の中の食わず嫌いをなくす。町内会ってこんなんよとか、自治会ってこんなんよとか、PTAってなったら大変よみたいな、そういうものを垣根を取っ払って、本当はそうじゃないよ、苦労は多いけど楽しいよということをきちっと第三者的に伝えていくような、そういうものが多分中間支援の役割だと思うんですね。
 こんな抽象的なことを言っても分からないので、一つ例を挙げて、徳島県に上勝町という葉っぱビジネスで有名、御存じの方多いと思うんですけれども。
 これを一言で言えばどういうことかというと、山の中に、過疎地の中に散らばっている葉っぱを築地とか、大阪ですと何と言うの、北新地とか、料亭に置くと、村ではごみだけれども、売ると、それが一個が百円とか三百円となっていくと。お年寄りが一生懸命やるわけですよ。これは生きがいづくりですね。余りやり過ぎてちょっと困るかもしれませんが、本当にもう一千万近く稼ぐようなおばあちゃんがいたり、それで生きがいと言えるのかなと思ったり、疑問には思いますけれども、でも村に眠っている資源をちゃんと売れるようにした。
 おばあちゃんたちではできなかったんですね。でも、それをやった人がいて、その方は、ああ、こういうものが価値があるんだなという、言わばマーケティングをやったわけです。それを上手につないだと。つまり、横につなぐことと縦につなぐことをそういう中間的な立場でやってきたという例だと思うんですね。
 つまり、行政にやってほしいことは何かというと、一つはさっきの輸送力、物が売れたときに安い運賃で運べるとかというのが要りますね、当然。
 もう一つは、多分、そういう情報をうまくつなぐような情報インフラといいましょうか、これだけ情報が発達したわけだから、ある意味では地理的な距離を超えることができるんですよ。今までだったら、何といいましょうか、絵かきさんとか小説家とか、そういう人しか村には住めなかった。今は普通のインタービジネスででも住もうと思ったら住めるんですよ、収入が入りますから。これはSOHOだと思うんですけれども。だけど、そこに生活基盤がないと難しいというのはありますけれども、そういうまず情報、地域で起業して、それをやったらそれで飯が食える、販路が開拓できる、こういう情報インフラを整えてあげること。
 三つ目が大事です、三つ目。幾ら整えても、やっぱり地域の人たちの創意工夫がないと駄目なんですよ。これは御三方はそうだと思うんですけれども、要するにブランド力なんですね。ブランド力が付くと、ほっておいても売れるんです。
 ただ、ブランド力が付き過ぎると過剰供給になる場合がありますから、生産が追い付かないと。すると、それで過労死する人も出てきますから、そのバランスは多分お役所の方がやっていかないといけないと。幾ら需要があっても、いいものができるということ、いわゆる品質コントロール、こういうのをだれかがやらなきゃいけない。これが中間支援の役割というか、お役所の役割だと思うんですね。そういう意味では、今必要なのはブランド力を認めてあげること。
 多分、今日の三市の方、もう既にあると思うんですけれども、三鷹市さんなんか上手ですよね。国のいろんな委員会に市長さんが直々出て、そうやってブランド力を発揮している。国がそういう役割を果たしている。これが大事なんですよね。おっ、国のこういう委員会に呼ばれていった、何やろうと思ってマスコミがかぎつける、地域の地元の人は、おらが村の町長が頑張ってやってくれている、もっと頑張らなきゃと。これ、見えない価値がどんどん増産されているんですよ。
 そういう意味でいうと、行政の役割というのは、余り公平で、もう一律に、画一的にやるんじゃなくて、いいものはいい、それを認めてこれからの施策に生かしていくというか、そういう施策の作り方が大事なのではないかなと思います。
#63
○松岡徹君 済みません、最後に。
 最後に三人の町長さん、市長さんにお聞きしたいんですが、やっぱり今まで行政がやってきたのは、国もそうですけれども、行政が考えたメニュー、それを選ぶというのがスタイルでした。今皆さんがおっしゃっているのは、地域がこんなことをしたいから、それに合わせた施策をやっていくというのが行政、国のこれからの視点ではないかというふうに私も思うんですね。それこそ地域がしっかり。全体の共通するところで人づくりとかおっしゃっていますけれども、過疎になっていくから町づくりをしようとかではないと思うんですね。
 要するに、この町づくりといいますか、このコミュニティーづくりの目標といいますか、というものをどこに置かれているのかというのを三人にちょっとそれぞれお聞かせいただいて、終わりたいと思います。
#64
○参考人(武田丈夫君) もう、一言で言えば住みよい町づくりです。
#65
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 まさに住みよい町づくりですが、先ほど持続可能性というキーワードも出させていただきましたし、その他の質問、議員さんからも、やはり地域というものが未来に向かって志向していくことの重要性を御指摘いただきました。
 私たちは地域主権、地方分権と言うときに、自分の地域だけが良ければいいということではないですね。そこに住んでいる人が交流して生きがいを持って住んでいくということも大事ですので、内向きではないと思います。ただ、総合して、地域それぞれの創意工夫の中で、まとめて言っていただきましたように、その地域で住みやすい、働きやすい、学びやすい、そうした民主主義の実現ということだと思います。
 ありがとうございました。
#66
○参考人(山内道雄君) 私のところは、今度第四次総合振興計画、これから十年、作りました。これは応募で六十名ばかり集めて、四つの部会なんですが、一つの環境部会は中学二年生がリーダーになっています。それらをまとめ上げて今年から始まるわけなんですけれども、そのメーンテーマが島の幸福論。今まで、かつてなかったような付け方なんです。そしてサブが海士らしい笑顔の町づくり。これは二十四の住民提案も入っておりまして、すごくあちらこちらで今お褒めをいただいている。
 ただ、私としては非常に、直接やる者については非常に荷が重いんですが、しかし私のところへ答申を持ってきたとき、幸福論なんて、これはおかしいんじゃないかと私言ったんですよね。ところが読んでいくうちに、やっぱり幸福の度合いというのはそれぞれみんな違うと、一人一人が。この島で生まれ、この島で育って、あの世へ行くときに、ああ良かったなと。
 具体性はないんですけれども、そういうふうなやっぱり私は首長としての島づくり、町づくりをやらにゃいかぬのではないかな、非常に感動しております。
#67
○会長(田名部匡省君) 丸川珠代君。
#68
○丸川珠代君 それでは、四人の参考人の方、本日はお忙しいところありがとうございます。特に、首長であられますお三人の方には、それぞれ地元のこともありながら今日はおいでをいただきまして、大変感謝を申し上げます。
 質問を一気にやらせていただきたいんですが、まず、武田参考人と山内参考人にそれぞれお伺いしたいんですけれども、今、人口が大体三千人前後といっていいのかどうか、同じ三千人を挟んだ人口で、高齢化率は武田参考人の方が四五・八%、山内参考人の方は三九%というような中で、私が印象を受けた限りでのことなんですが、比較的、山内参考人の海士町の方がよそ者、若者を受け入れて、それで新しい化学反応を起こすような方向に向かっておられるような印象を受けました。
 一方で、武田参考人の資料を拝見しますと、この町に住むからにはこの町の郷に入っては郷に従えという姿勢を持って、この町に本気で役に立つ人という、ある程度の、町に入ってもらうからにはという意識が町にあると。済みません、村ですかね。あるという、そういう印象を受けたのですが。
 そこで、翻って今度は山内参考人にお伺いしたいんですが、実際によそ者、若者を取り入れれば、当然、元から地元におられた方の中には反発を覚える方もおられたと思います。そういった反発がどのようなものであったのか、また、その担い手としてそういう外の人を受け入れるに当たってどういう修正なり統合を行っていった結果うまくいったのかということを伺いたい。
 逆に、武田参考人の方には、お話を聞いている限りですと、比較的、退職をされて、やはり若い方というよりもある程度人生のよわいを重ねられた方を町のメンバーとして受け入れていくという方向性のようですけれども、もっと若い層を取り入れなければいけないというような意識をお持ちなのかどうか、それをお持ちでも今やっていないとするならば、その理由は何なのかを教えていただきたいと思います。
 それから、清原参考人にはいつも大変お世話になっておりまして、ありがとうございます。こうして改めてなかなかお話をお伺いする機会がないものですから。拝見いたしますと、三鷹の町づくりが生んだ人材が清原参考人であり、その集大成がこの清原市政なのだなということをつくづく感じさせられます。
 そして、都会ならではの恐らくコミュニティー創成の問題点があるのではないかということでお伺いをしたいのですが、三鷹では今たくさんのボランティア活動や地域活動をやられている中で、恐らく今の参加メンバーの方はそれぞれ参加することに伴う責任を認識しておられるはずだと思います。
 一方では、都会の生活の中でいつ残業を言い渡されるかも分からないから責任を負えないという方もいらっしゃる。あるいは、新しい人種というべきなのかどうか分かりませんが、ほんのわずかでも自分は責任を負いたくないという種類の方々も確実におられると思います。やりがいを求める気持ちよりも、責任を忌避する気持ちの方が強い方々。
 こういう方々がそれぞれおられて、もしその溝を埋める努力をしない場合には、文字どおり地域の活動なりボランティアに参加される方というのは固定化してしまうと思うんですが、こういう溝をどのように埋めておられるのかということをお伺いしたいと思います。
#69
○参考人(山内道雄君) これは一橋大学の関満博先生がおっしゃった、よそ者、若者、ばか者と。まさに私がばか者の代表なんですけれども、先生がおっしゃったように、一番そこを気にしていました、本当にうまくいくだろうかと。ただ、歴史をひもといてみますと、後鳥羽上皇を受け入れていますし、そしてまた小野篁とか小野小町のそのおじいさん、そういう歴代のやはり、あっ、これ歴史かなと思ったら、案外、結果的にはうまくいったな、それかなと思う。
 それはやっぱり一つの、四つの島いろいろ、何ていうのか、かたぎは違いますけれども、そこら辺りもあるかなというふうな思いの中で、実は家族持ちの方が来られたときに、知らない人から声を掛けられても云々だというようなことがございました。そして、子供たちは余り外へ出ていなかった。
 そこに、もう地域に子供たちが来たということで、おじいさんたちがブランコを作ってあげたり、そしてまた物干し台を作ってやったりとか、そういう中でだんだん打ち解けて、余り大きい問題があったと思いません。今はもう完全にもう皆さん、そういうことを受け入れています。
 うちで今、外国の方も働いています。観光協会なんかでも、スリランカの若い青年が。昨年は外国人による日本語弁論大会でグランプリを取って帰ったんですけれども、それだけに地域性としては非常に、陰か陽かといえば私のところは陽の島かなと思っています。そういう面で非常に心配したことが今うまくいっているというふうに私は思っています。
#70
○参考人(武田丈夫君) 古座川町は元々林業の町だったんです。林業の盛んなころは、もうそれ一本でほとんど飯が食えたというふうな地域でした。林業は今もう全く駄目になりまして、産業というのは全くなくなっています。
 したがって、この過疎化していく町をどうにか維持していくには、それは若い者が入ってきてくれるのが一番いいんですけれども、まだ古座川町は、このUターン・Iターン者の受入れというのを行政的に始めてからまだ日が浅いんです。それと、それを維持していくための産業おこしですね。先ほどから申し上げましたように、地域の資源を生かしていく産業づくり、これにつきましてもユズ、それからセンリョウ、シキミ、その程度のものしか、まだ始まったばかりなんです。
 そういった中で、今までの山内町長さんのお話なんかを聞いていますと、それからまた上勝町の葉っぱ産業、あれなんかを見てみますと、比較すると、古座川町は非常にまだ取り組み出してから日が浅い。そういった意味で、若者が入ってくるのがまだ遅れているというふうに思います。ある程度その地域づくりがしっかりと根付いたときに自然と若者が入ってくるんじゃないかというふうに思っております。
 ですから、今はUターン・Iターン者を受け入れるのは、団塊の世代、これらをターゲットにして、それを受け入れて、やはり都会で生活してきた人というのはいろんなノウハウを持っています、そういったものを生かしながら地域づくりを進めていきたいというのが今の段階です。
#71
○参考人(清原慶子君) ありがとうございます。
 都市の住民はやりがいを求めつつも責任を回避する傾向もあるのではないか、それを克服するためにどのような工夫をしているかという御質問にお答えいたします。
 三鷹市は、先ほど申し上げましたように、人口は結果的には増えてきているとはいえ、転入、転出が多く、社会的には流動性の高い市でございます。結果的には人口が増えたとしても、もう十年に一度すべての人口が入れ替わるぐらいの社会移動の激しい市ですから、町会や自治会や住民協議会やPTA等の役員等につきましても、必ずしも何代も三鷹市に住んでいらっしゃる方ばかりが担っているわけではありません。つい最近転居してきた方、そうした方にもお役を担っていただくということが進んできてはいます。
 ただ、先ほどおっしゃいましたように、しかし責任を取るということになると、それを回避する傾向が否定はできません。自治基本条例の中には、三鷹市は、市民のために町づくりを進めるとともに、町づくりを担う多くの人々が、参加し、助け合い、そして共に責任を担い合う協働の町づくりを進めると言っているように、責任を担い合うということが自治基本条例に入るときにはそれなりの議論はございました。
 そこで、例えばのことでございますが、私は、二〇〇六年度、二〇〇七年度、二〇〇八年度と、市民の皆様を無作為で選ばせていただいて、そして、その年度ごとにテーマは違いますけれども、特別の日程にあるテーマでお話合いをしていただけませんかとお声掛けをしました。幸いなことに、お忙しいにもかかわらず、また突然の御依頼にもかかわらず、無作為抽出で市民の皆様がお集まりくださいました。
 つまり、自ら手を挙げたわけではないのですが、そういう機会に参加していただき話し合っていただいたことを行政の政策に反映するということを重ねてまいりますと、なかなかきっかけがない、また出会いがないから行政とは距離を置いてきたいわゆる匿名的な皆様がそういう機会に御参加いただけることが分かりましたし、初対面にもかかわらず御意見を出していただけることも分かりましたし、参加された方は、それを、感想としては、出てみれば市政は身近だったと、自分たちの意見も初めて出会った方と言えて、それをもし市が反映してくれるとしたら次もこういう機会には出たいということで、それをきっかけに今度は正式に審議会や市民会議の公募に応募してくださったり、PTAや町会の役員を引き受けるきっかけになったりという事例を承知しております。
 したがいまして、私たちも、決して恐れることなく、様々な声を反映したいのが自治体行政でございますので、今後も多くの皆様が参加しやすいような機会をつくっていきたいと考えています。三鷹市は、基本構想で持続可能な「人間のあすへのまち」を求めると言っているんですね。将来に向けていつも取組をしていくときには、新たな市民の皆様に御参加をいただけるような機会をつくっていくということが重要だと思います。
 以上でございます。
#72
○会長(田名部匡省君) 下田敦子君。
#73
○下田敦子君 大変お四方の皆々様には御煩多な中からお出ましをいただきまして、誠にありがとうございました。
 本調査会があと十分しかなくなりましたので、要点のみ手短に牧里参考人様にお尋ねを申し上げたいと思います。
 いただきました資料の四ページにソーシャルビジネスということで書かれておられます。
 これは、大変日本の内需拡大という意味から申しますと経済的政策に非常に弱いものがあると私は考えておりまして、それで予算委員会及び経済産業委員会においてこのことをお尋ねをいたしました。
 それで、ここにソーシャルビジネス研究会報告書というふうなことで、非常に、大変恐縮ですが、狭義の表現しかしておりません。これはいささか、どの方向に持っていくにしても、余りにも机上の論議であって、実際に根足が付いたものではないなということを今感じておりますので、このことについてお尋ねしたいと思います。
 いっとき、前政権において、市場原理主義で毎年社会保障費が二千二百億減らされ続けてきました。その結果が、このとおり、もうずたずたになった医療、福祉の世界がございます。
 ただ、公共事業の経済中心ということでまいりました我が国においては、やはりコンクリートから人づくりへというふうな、命を大切にするというふうな一つの問題があってここまで到達して、まだまだマニフェストその他においては不十分ですが、ソーシャルビジネスということは、いわゆる福祉施設、医療施設、例えば簡単に申し上げますと、百人入所しているところには百人の雇用の場が創出いたします。
 それにまた、地域経済を考えますと、お米屋さんからクリーニング屋さんから薬屋さんから医療機器屋さんからそれぞれ出入りしますので、地域の経済波及効果というものはこれは大変なものがあって、このことにはなかなか気付かなかった、諸外国においては一つの経済政策で大きな内需拡大でありますが。
 ただ、この場合に、もうかればいいというふうな利潤追求型の哲学であってはならないわけでして、そういうことをきちっととらえられるような、このことは、経済波及効果を一次波及、二次波及、三次波及で見ましたときに、新ゴールドプランが創設されたときに京都大学の西村副学長先生中心に出された数字がありますが、これは全く公共事業と匹敵するものであって、これは劣るものでもないし、むしろ公共事業というのは、例えばこういう建物を建て終わったときに、一年ないし二年するとその雇用は喪失してしまいます。
 ですが、継続する、しかも今の高齢社会を前にしたときには大変な継続性が必要であり、備えるものが重々ここで研究されていなければならないわけですが、そういうことの意味から続けていく考え方が私は必要だと思うんです。
 しかし、ここでお尋ねを、あと六分しかなくなりましたのでまとめて申し上げたいと思いますが、現在、介護保険それから医療のいわゆる診療報酬、中医協等々においてこの度若干上がったとはいえ、この両者は自治体を非常に圧迫しています。もうここの書類に先生がお書きいただいている資料にもありますように、難しい局面を現在迎えてしまっている。
 ですから、これを打破していくために、いわゆる内需拡大の本当の一つのソーシャルビジネスの生きたものとしてとらえていくために、ここのところのとらえ方を先生はどういうふうに考えておられるのか、具体的に。
 あと五分でございます。大変恐縮です。お答えいただければ有り難いです。
#74
○参考人(牧里毎治君) ありがとうございます。
 今、ソーシャルビジネスについてはいろいろ論者によって随分違うんですけれども、もちろんイギリスタイプとアメリカタイプで全然違っておりまして、今、百家争鳴の時代なので、まあ私はどんなふうに考えているかということだけお答えさせていただきたいんですけれども。
 確かに、広い意味でいうと、医療もそうですね、福祉もそうですね、言わば社会的に便宜なり生活支援をしているサービスなんだからソーシャルビジネスじゃないかと。言わば、国が税金を使って経営をしていると言ってもいいかもしれませんね。
 そういう意味でいうと、戦後日本の社会保障、社会福祉体制がつくってきたことは、国がすべて管理監督をして、そこに予算を作って人を雇ってもらってやってきたと。これは、基盤整備ということはとてもいいことなんですけれども、かえってそこに依存する体質をつくってしまった。
 つまり、予算が来なければ何もしない、予算が付かないことはしないと。そうすると、何も生み出さないような社会をつくってしまった。つまり、指示待ちの福祉社会をつくろうとしているということがやっぱり反省点に来ているんじゃないかと。
 むしろ、民間がこうしたら良くなるんじゃないか、その税金をもっとこんなふうに有効に使えるんじゃないかという、まあ提案型社会というんでしょうか、こういうことが求められているんだろうと思うんですね。その継承は多分ソーシャルビジネスとかコミュニティービジネスという言葉に託されているんだと思うんですね。
 まだまだここ数年スタートしたばかりで、確かに具体例というのは非常に少ないです、ヨーロッパに比べると。例えば、ダノンというフランスのチーズの会社がありますけれども、そこに銀行資本が提供して、例えばアフリカの企業の人たちのための支援をしていると。株主さんもそうやって社会貢献できるということを示したいい例だと思うんですけれども、そのことによってそれにつながる従業員が増えるわけですね。
 言わば、言ってみればそういう政府のお金なり民間のお金をうまく効果的に市民が自分たちでちゃんと使えているという、ある意味で賢い消費者でもあるし、賢い生産者になっていく、こういう思いが多分ソーシャルビジネスの中に宿されているんではないかと思っています。そういう意味では、医療も福祉ももう少し反省しなきゃいけないんじゃないかと。
 確かに、介護でいいますとやっぱりコムスン事件というのが一番ショックだったと思いますね。これは、最初にあのコムスンを始めた榎本さんというのは、北九州で、本当に企業としても社会貢献できるんだと。多分その時代には介護保険もございませんでした。みんな困っているのは夜の介護だと、それを企業というやり方でやるんだということでおやりになったんですね。
 ところが、ある程度国サイドに広がっていくといろいろ問題が出てきた。これはやっぱり今までの護送船団方式に乗っかかり過ぎたと。むしろそういうのじゃなくて、いろんな小さな企業なりNPO、NGOさんが競い合っていいものをつくっていく、それを調整するような組織も要る、行政に代わって、こういうことが大事なんではないかと。
 ですから、例えばソーシャルビジネスで期待をしていることは雇用機会をつくり出すことだけではありません。日本のいろんなお金、銀行に流れているお金ももう少しこういう事業に、公共事業にみんなが投資するような組織も要りますし、あるいは、それを具体的に通じて生活支援や福祉支援、医療支援をするような事業者が増えてこなきゃいけません。それを支えるような国民といいましょうか市民がふえていくということは、要するにステークホルダーを増やさない限りは何も変わらないんじゃないかと。その言わば火種がソーシャルビジネス、コミュニティービジネスなんではないかというふうに思っています。
 お答えになったかどうか分かりませんが。
#75
○下田敦子君 ありがとうございました。
#76
○会長(田名部匡省君) 質疑も尽きないようでございますが、予定の時間も参りましたので、以上で参考人に対する質疑は終了いたします。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重で有意義な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと思います。本調査会を代表して厚く御礼申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時散会
ソース: 国立国会図書館
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