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2010/02/24 第174回国会 参議院 参議院会議録情報 第174回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号
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2010/02/24 第174回国会 参議院

参議院会議録情報 第174回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号

#1
第174回国会 国民生活・経済に関する調査会 第3号
平成二十二年二月二十四日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         矢野 哲朗君
    理 事
                大河原雅子君
                佐藤 公治君
                轟木 利治君
                古川 俊治君
                吉田 博美君
                澤  雄二君
    委 員
                一川 保夫君
                川合 孝典君
                川崎  稔君
                谷  博之君
                中谷 智司君
                広田  一君
                広野ただし君
                山根 隆治君
                吉川 沙織君
                米長 晴信君
                石井 準一君
                泉  信也君
                塚田 一郎君
                若林 正俊君
                松 あきら君
                山下 芳生君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        五十嵐吉郎君
   参考人
       関西大学社会学
       部社会システム
       デザイン専攻教
       授        草郷 孝好君
       東京大学社会科
       学研究所附属社
       会調査・データ
       アーカイブ研究
       センター教授   玄田 有史君
       横浜市立大学国
       際総合科学部教
       授        白石小百合君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「幸福度の高い社会の構築」のうち、幸福度
 と個人・社会について)
    ─────────────
#2
○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、幸福度と個人・社会について参考人の方々から御意見を聴取します。
 お手元に配付の参考人名簿のとおり、関西大学社会学部社会システムデザイン専攻教授草郷孝好君、東京大学社会科学研究所附属社会調査・データアーカイブ研究センター教授玄田有史君及び横浜市立大学国際総合科学部教授白石小百合君に御出席をいただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつ申し上げます。
 大変御多用のところ御出席を賜りまして、誠にありがとうございます。
 本日は、皆様から忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じますので、よろしくお願いを申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、草郷参考人、玄田参考人、白石参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただきました後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 その後、時間がございましたら、必要に応じて委員間の意見交換を行います。その際、随時参考人の方々の御意見も伺うこともございますから、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構であります。
 それでは、まず草郷参考人、お願いいたします。
#3
○参考人(草郷孝好君) ただいま御紹介いただきました草郷孝好です。本日は、本調査会参考人として貴重な報告の機会をいただき、ありがとうございます。
 私、開発学を専門にしてまいりまして、開発学と申しますのは、途上国における経済、それから社会変化に着目をして研究を進め、政策提言等に生かす実践的な研究分野です。幅広く経済や社会発展を視野に入れた、様々な学問分野と連携する学際的な要素を持っている分野でございます。
 今日は、この開発学の視座から、先進国である日本の開発について、とりわけ個人と社会のウエルビーイングと発展指標に着目しながら御報告をさせていただきたいと思います。
 パワーポイントを使わせていただきますので、よろしくお願いいたします。(資料映写)
 日本は、個人の生活を豊かにする社会づくりを目指しまして経済開発に取り組んでまいりました。効果のある開発戦略、これを策定して、先進的な技術を開発しながら産業化を積極的に進めてきたわけです。その結果、日本は確かに西欧に並ぶ有数の経済大国になったわけです。
 開発戦略の達成目標を設定して、それを評価する、このために指標が必要とされてきまして、主にGDPに代表される客観的な経済指標、これが重用されてきたと思います。
 日本を始め多くの国が採用してきたこの近代化開発、この戦略というものを単純化しますと、このような図になるかと思います。個人の生活の向上、それから幸福を追求するというためには、国の経済・生産活動が活発になり、手に入れることのできる製品であるとかサービス、これらの種類や量が増加します。個人が所得を増加すれば、自由に好きな製品、それから欲しいサービス、これを組み合わせることで、その人の満足度、それから幸福度を高めていくと、そういう考え方が根底にあるわけです。
 さて、その成果というものですけれども、これはどういうものであったのかということについて簡単にデータで振り返ってみたいと思います。
 まず、一人当たりGDPの推移を見てみますと、一九五五年に約五十万円にすぎなかったものが二〇〇五年には約八倍の四百二十万円に到達しています。経済開発は順調に達成されてきたのだと言ってよいかと思うんですけれども、経済開発を実現したということで多くのメリットがありました。それらを二つ紹介したいと思っております。
 まず、教育の面です。高校と大学への就学率のグラフなんですけれども、一九五五年には高校で二人に一人、大学には十人に一人しか就学できなかったわけですが、二〇〇五年には高校ではほぼ全員が、そして大学にも半数以上が通えるようになったということであります。
 それから次に、平均余命というものを御覧いただけるかと思うんですが、こちらも戦後、目覚ましい改善を示しました。男性も女性も二〇〇五年には戦後間もない水準の一・五から一・六倍強の水準に達してきたということであります。
 このようにして、経済開発を核として豊かな社会を構築する、これが日本の近代化の大筋だと思うんですけれども、経済規模を拡大し、所得を増加し、それが教育機会やあるいは医療サービスの整備をもたらし、その結果として国民の生活への満足度というものが上昇していくというシナリオを描いて、この戦略をある意味着実に実行してきたと言えるかと思います。
 ところが、実際にはいろいろな問題があったと言わざるを得ません。経済面では、昨今注目されています貧困問題ですとかあるいは格差の拡大、これが懸念されていますし、教育面においても不登校の問題が問題になっております。健康の面につきましても、いわゆるうつを含む気分障害に悩む人が増加していると。これらはすべて統計データによって確認されてきているのが現状にあります。
 一つ、よく取り上げられるものですけれども、自殺率のグラフを御覧いただければと思います。
 大変残念なことなんですが、ここ十年以上にわたって年間に三万人以上の方が自らの命を絶ち、そのうち七割が男性であると。健康あるいは経済、家庭等々の問題などが複合的に組み合わさることによって自殺が起きているようであるという指摘もされております。ある意味、日本の発展というものは、プラスとそれからマイナス、この両面を生み出してきたと言えるわけであります。
 肝心の人々の生活満足度はどのように推移してきたのかという点についてお話をしてみたいと思います。
 このグラフ、図は生活への満足度を調査したものでありまして、国民生活選好度調査データから作成しております。特徴的でありますのは、一九八四年、これをピークにして、生活に満足である、あるいはまあ満足であると答えている人の割合が低下し続けてきているようだということであります。ということは、先ほどのスライドでお見せしたこの矢印は、実はここ二十年に限って言えばどうも有効に機能してきていないのではないかと。むしろ、この図のように矢印の方向性が停滞あるいは下向きになってきてしまったと言えるのではないかと思われます。
 さきに紹介しましたGDPのグラフ、それから生活満足度の平均値を一枚の図に重ね合わせたものが実は平成二十年度の国民生活白書に掲載されております。このグラフがそのものなんですけれども、ここで示されていますのは、GDPが増えても生活への満足度は増えず、むしろこの両者の間に乖離が見られると。この奇妙な関係性にいち早く関心を持ったアメリカの学者、リチャード・イースタリンという学者がおりますけれども、彼の名前を使ってイースタリンのパラドックスというふうに呼ばれているものであります。日本の場合、特に最近の傾向値はこれがきれいに当てはまりつつある状態であるのかもしれません。
 同じ白書の中に別の分析が紹介されています。これは幸福度を左右する要因ということで、その分析結果が掲載されているわけですけれども、幸福度に関しても、日本に限らずヨーロッパ、それからアメリカ等々で最近はその分析が進んでおります。
 昨年になりますけれども、フランス政府の発案によって、経済パフォーマンスと社会進歩の測定に関する委員会というものが報告書を九月に出しております。その中で、いわゆるGDP、これを補完し合う指標の必要性が指摘され、また主観的なデータ、幸福感でありますとか信頼等ですね、それから環境の持続性に関する指標、これらを活用するべきだという提案がされるようになってきておりまして、言わば学界あるいは実務両面でいわゆる既存の開発の在り方の抱える問題点、それから新たな指標の必要性に大きな関心が集まってきていると言えます。結局、従来の方法では人々の生活満足度を高めていくことには限界があるのではないかという指摘であると理解してもよいかと思います。
 ここで、この豊かさという言葉を包括的なウエルビーイングというふうに置き換えたとしましたら、このウエルビーイングを向上するために基本的な生活の充足、多様な生き方の選択、生活環境の整備などに着目し、それらに直接目を向けて優先的に改善努力をすることが必要とされている、そういうことへの関心が集まってきていると言えるのではないでしょうか。言わば、経済中心にこのウエルビーイングをとらえ、論じるということから、経済以外の側面にも目を向けて包括的な人々のウエルビーイングを高めていく、そのための社会開発の在り方を検討するということが重要なのであって、そのために新しい指標が必要になってきていると。
 昨今、様々な指標開発が試みられておるわけですけれども、今から二つほど、人間開発指数と国民総幸福量、この二つを紹介させていただきたいと思っております。
 まず、一つ目の人間開発指数ですけれども、これ一九九〇年、ちょうど二十年前に国連開発計画が発刊しました人間開発報告書、この中でその全容がオープンになったものであります。世界で今一番引用されている指標というふうにも言われているものです。
 この人間開発指数の基盤にある考え方なんですけれども、これ、一九九八年にノーベル経済学賞を受賞しましたアマルティア・センという経済学者の潜在能力アプローチという考え方が基盤にございます。この潜在能力開発アプローチは、ウエルビーイング、つまり、人が自分の持つ力を生かしながら主体的により良い生き方を選択できる社会を構築するという考え方に立っております。そういうより良く生きるための選択を可能にするためには、社会全体の経済的な豊かさを個々人がより良く生きていくことに転換していくということが大切であって、そのような力を引き出していける社会、これが大事なのだという考え方であります。
 そこで、所得面、これに加えまして知識面それから健康面と、そのような選択を可能とする社会づくりができているかということをチェックするために、またそれを、到達度を精査するために新しい指標が開発されてきたということであります。
 人間開発の定義のスライドを今お見せしておるわけですけれども、今なぜ所得、知識、健康が大事なのかと申し上げますと、いわゆる社会の、あるいは経済の発展段階に関係なく、これら三つの要素が最低限重要だというふうに考えられているからであります。この三つの基本領域というものは人間開発にどう関連するかと申し上げますと、人間らしい生活水準、それから長寿で健康な生活、そして知識と、これらの三つの要素が組み合わさることで一人一人が主体的により良い生き方を選択していけるのだという考え方であります。
 これが人間開発指数になりますとどのように表現されておりますかと申し上げますと、経済では一人当たりのGDP、それから健康面では出生時の平均余命、それから教育では成人の識字率、就学率と、これらを活用して人間開発指数を単純平均によって計算しているものであります。
 このHDIを用いまして日本の指数を計測しているわけですけれども、二〇〇五年で〇・九五六、二〇〇七年になりますと〇・九六ということで、一が最高点ですので、日本の位置は極めて高いところにあるということが見て取れます。
 このHDIは国レベルで計測されることが多いんですが、実は、データさえあれば地域レベルでも計測が可能であります。そこで、二〇〇五年のデータを使いまして日本国内の都道府県レベルでざっと計測をしてみたことがありますが、そうしましたら、まず、最高位の水準にある都道府県のスコアは世界最高位の水準以上のレベルにあります。それに対して、一番低いところは世界で三十番目の水準というふうにばらつきがありました。
 また、都道府県をいわゆるGDPによるスコアとHDIによるランキングということでどのような関係性にあるのかということをチェックしたことがありますが、それで見ますと、このスコアが同じであるという都道府県は四つです。それに対して、約二十二の都道府県はHDIの方がGDPよりも高く出ておりますし、またその残りの二十一県は逆の結果を示しております。つまり、地域社会の開発現状というものが、GDP以外の指標で測ることによってまた違う見方ができるという可能性を示唆しているのではないでしょうか。
 では、HDIがどのような有用性を持っているのかという点について一つ簡単な分析をしてみたことがあります。これ、HDIが例えば自殺率や失業率あるいは出生率とどういう関係があるのかという点について分析をしたものなんですけれども、いわゆる自殺率が高く失業率が高いと言われるような地域においてはHDIのスコアは相対的に低いものになっておりましたし、出生率が高い地域の方がHDIのスコアは高かったと。GDPは自殺率との関係性はありましたけれども、失業率や出生率とは全く関係がありませんでした。
 ところが、HDIなんですけれども、問題がないわけではありません。途上国の開発ということを目的にしてそもそも作られてきた指数ですので、日本のような先進国ではなかなか差異の出ない指標が使われております。そこで、先進国向けのHDIを作るということで、二〇〇八年、アメリカの研究者グループがザ・メジャー・オブ・アメリカという報告書を出しておりまして、その中でHDIを少し改良しております。
 その改良点というのがこのスライドの表の中の青い字で表記されている部分でありまして、所得の部分とそれから教育の部分に変更を加えたと。今、この変更を加えた結果として出されたこの報告書、これを基にしてアメリカの中のいわゆる開発に対する論点が幾つか提起されてきているようですし、最近ではルイジアナ州が州単位でこのHDIを使って州の今の現状というものを掘り下げているというふうに聞いております。
 以上がHDIについての紹介です。
 次に、GNHについて簡単に御紹介させていただきたいと思います。
 GNH、これはブータンの第四代国王のジグミ・シンゲ・ワンチュクが一九七〇年代に提唱した考え方であります。GNHというのは、ブータンの近代化の方向性と、それからブータン政府がやるべき仕事を規定している上位概念でして、思想、哲学と言ってよいものだと思います。ブータン国民が生活に充足できる社会づくりを支援するということが目標でありまして、ブータンの国家開発計画の中核に据えられております。
 このGNHには四つの柱がございます。公正な社会経済発展、文化の保存、環境の保全、そして良い政治であります。ブータンの人々がいわゆる他者、それから自然、これらとの相互依存関係性を尊重して生活していくことで充足度を高めると、そのようなGNH社会というものを目指しているものであります。
 ブータンがGNHを核にしてどのように開発を進めたいかということを図に表すと、このようになるのではないでしょうか。
 ブータンのGNHの特色としまして指摘しておきたいことが一つございます。それは、二〇〇八年に新しい憲法を発布したわけですけれども、その中でGNHが政府の役割を明確に規定しているという点であります。政府の役割は、国民がGNHを追求できるような諸条件の整備に努めることにあるとしておりまして、細かく条項の中で環境、労働、医療、教育、地域生活等々で何をなすべきかということを詳しく具体的に示しております。
 GNH指数なんですけれども、このようなGNH型社会を構築して、それを実現していくためにブータン政府が新たな指標を必要として、二〇〇八年十一月に開発、発表しております。
 このGNH指数というものなんですけれども、この役割はどのようなものかと申し上げますと、まずGNHの四つの柱がございます。この四つの柱によってブータンの社会全体がどのような基本形であるべきかというものを提示しております。それと同時に、GNH社会の成果なんですけれども、これはブータン国民が生活への充足を高めるということにあるわけでして、それを確認するために九つの領域に分けて、それらの領域ごとに果たしてブータンの人たちは生活に充足しているのかどうかということを測ろうと、そういう試みというふうにお考えください。
 九つの領域は、暮らし向き、心の健康、体の健康、教育、生態系、これは環境ですね、文化、時間の使い方、良い政治、コミュニティーの活力というものでして、これらが先ほどの四つの柱と連動し合って指数を使うことで個人とそれから社会のつながりを持たせようと、そういう仕組みを開発しているということでございます。GNH指数の算定方法については、時間の関係からちょっと省かせていただきますけれども、基本的には、先ほど申し上げましたように、九つの各領域ごとにどれくらいの人が充足レベルに達しているかどうか、達していなければどれぐらい深刻な状態なのかということを把握するための指数というふうにお考えください。
 これが最初にブータンが計測したGNH指数の結果でございます。総合で〇・八〇五ですので、約八〇%の充足状態にあるだろうというふうにお考えいただければと思っておりますが、領域ごとに幾つかばらつきがあるのが特徴的でございます。
 これらを基にしてどのような開発を進めるかということが議論されるということでございますし、そのブータンのGNH指標と申しますのは、もう一つ、三十個にわたる指標群というものも設けております。これら、ちょっと字が小さいんでございますけれども、これらを設けているのが非常に特徴的な指数であるというふうに言えるかと思います。
 非常に駆け足ですけれども、以上、三つの指標について取り上げてみました。指標ごとに特色が違っております。まず、目的の違いがございます。それから、指標が対象とする軸ですね、経済あるいは教育なのか、環境なのか文化なのか、あるいはデータの種類、客観データなのか主観データなのか、単一指標なのか、あるいは複合した指標なのか等々、かなり大きな違いがございます。
 結局、GDPというものは、ウエルビーイングを十分に把握することがなかなか難しいようであるということが分かってきたと言えますし、それからHDI、これについては個人のいわゆる主体的なウエルビーイングの向上を把握するものであって、極めて平易に計測できるということで使いやすい。ただし、HDI指数をより先進国向けに改良することが必要であるという課題がございます。GNHは、多くの領域にわたって生活の充足度や未充足度を把握できるというメリットがございますけれども、データの収集はなかなか容易ではございません。
 最後に、いわゆる適切な指標を選択するというために考えていかなければいけないのは、指標はあくまでも道具にすぎないという点だと思います。指標が必要とされる開発の在り方をまず明確にしておくということが重要でありますし、最後に新しい指標というものを構築するために生活に根差した、いわゆる地域レベルで人々がどのような生活を抱え、それから生活変化がどのように進むのか、これらを客観データや主観データから把握できるような生活パネルデータベースなるものを全国で構築していくということも検討する時期ではないのかということを指摘させていただきまして、私の報告を終わりにさせていただきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#4
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 次に、玄田参考人、お願いします。
#5
○参考人(玄田有史君) 改めまして、東京大学社会科学研究所の玄田と申します。今日はよろしくお願い申し上げます。
 私の方は、今回、「幸福度の高い社会の構築」というテーマでお呼びいただきましたけれども、幸福と大変似ていてちょっと違う希望ということについて少しお話をさせていただきながら、幸福度の高い社会について若干考えるところをお話し申し上げたいと思います。
 希望と幸福の関係、希望と幸福はどう違うのかということを考えたときに、幸福という概念は大変継続、持続ということと密接な関係があるようであります。例えば、今その人が幸せというのを感じているとすると、この幸せな状態がずっと続いてほしいというふうに思うのが通常幸福というものであります。例えば、結婚式、披露宴などお招きいただきますと、大変幸福に満ちている瞬間というのを感じるわけでありますけれども、新郎新婦はこの幸せをずっと続いてほしいという非常に強い理想を感じたりするわけであります。多分、子供が生まれた瞬間などもやっぱり幸福というのを大変強く感じる瞬間で、是非このまま健やかに育ってほしいというようなことをやっぱり感じるわけであります。そういう意味で、幸福という概念は非常に継続というものと密接にかかわっております。
 それに対して、希望というのは何かということを考えますと、希望というのはどちらかというと継続よりは言わば変革、変わっていくこと、英語で言えばチェンジという概念と強くかかわっているようであります。
 具体的に言えば、今よりも少しでもいいからいろんな意味で良くなりたい、経済的に、文化的に。先ほど草郷さんからもいろいろお話がありましたけれども、とにかくいろんな状況をより良くしたい、今よりも良い未来を迎えたいとか、今大変苦しい状況にある中でこの苦しみを少しでも和らげたいという、現状の肯定ではなく、今を変えていきたいという思いを持つときに人は時として希望という言葉に未来を託すことが多々あるようでございます。
 ですので、希望というのを調べてみますと、比較的こういう言葉が使われますのは、大変厳しい災害、自然災害等に遭遇した場合ですとか、過去でいきますと、様々な公害問題のようなときにいろんな立場の方々が希望という言葉に託されて様々な行動をなされるということがどうもあったようであります。
 話が前後しましたけれども、なぜ希望ということをお話しするかと申し上げますと、二〇〇五年の四月から私の所属しております東京大学の社会科学研究所で希望学という、世界的に見てもほかにない学問というのにチャレンジしてまいりまして、その中でいろいろアンケート調査をさせていただいたり、歴史研究をしたり、聞き取り調査などをしながら希望について学んだことを今お話しさせていただいているわけであります。
 そういう意味で、希望と幸福というのは、継続を求める幸福と、変革を求める希望という、言わば車の両輪のような、恐らく、どちらが大事でどちらが大事でないというわけでもなく、共に重要な概念だろうというふうに思っております。
 また、希望ということで、よく夢と希望の違いは何ですかなどと聞かれることがございます。希望と夢の違いは、夢はどちらかというと、まさに睡眠をしていて見るように、意識的に見るものではなく、もう無意識のようにわき上がってくるものが夢であったり、例えば、いろんな会社経営者の方々がしばしば夢というのをお語りになったりされるのは、やっぱりいろんなアイデアがどんどんわき上がってきて、それを何とかかなえたいという、どちらかというと無意識的、自然発生的にわき上がってくるものが夢であるとすれば、希望はどちらかというと先ほど申し上げたような苦しい状況だからこそあえて意識的に持とうとするもの、それが希望であるというふうな関係があろうかというふうに考えております。
 そのほか、希望と安心との関係で申し上げますと、安心というのは、やっぱりある程度見通しがある、結果、成果が得られそうだというふうなものがあって初めて人は安心という概念を感じるようで、それに対して希望というのは、結果よりもむしろプロセスと申しますか、模索をするというその過程においてこそ希望というものが求められるというふうな関係があるように思います。
 さて、希望について幾つかの概念との対比で御説明をしてまいりましたけれども、じゃ一体そもそも希望というのは何なのか。恐らく、幸福とは何なのかという概念も大変難しい概念かと思いますが、希望というのも大変難しい概念であります。
 過去の様々な学問的な研究をさかのぼってまいりましても、これが希望だというふうな明確な定義をなされているものはございません。その中で最も有名なのは、ドイツの哲学者のブロッホという人が提示しました、まだない存在、これこそが希望であるという、大変なぞ掛け問答のような、まだないけれども存在する、やや矛盾めいた言葉が希望については大変、一番よく知られている説明というふうになっております。
 では、希望学の中で希望とは何かというのをどういうふうに定義したかと申しますと、今日お手元に、私はパワーポイントがないものですから、紙の資料を御準備いただきまして、その中で百三十ページにも書いたものなんですが、希望とは何かということを議論しましたときに、希望というのが大変大きな議論になりますのはどうも日本だけではなく、世界各国でも、希望がなかなか持てない、じゃ、どうすれば希望が持てるのかというふうな議論があるようで、海外の研究者も交えていろいろ希望について考えたんですが、希望というのは英語で次のように定義をしております。ホープ・イズ・ア・ウイッシュ・フォー・サムシング・ツー・カム・トゥルー・バイ・アクションという。日本語にあえてしますと、ホープ、希望というのは、ウイッシュ、つまり強い思いである。そして、フォー・サムシング、具体的な何かである。この何かというのは、毎日三度三度食事ができることが希望の方もいらっしゃるでしょうし、世界平和のようなものを希望というふうにお感じのこともありますけれども、まず具体的な何かという対象が定まっている。そして、それがツー・カム・トゥルー、実現する、実現の見通しがある。そして、四番目にアクション、そのための行動がある。
 御縁があって全国の中学校とか高校でお話をさせていただいたりすることがあったり、ニートですとか引きこもりとか、そういう非常に生きること、働くことに苦しさを抱えている若者たちと交わるときに、やはり、しばしば希望がないというふうなことを感じざるを得ないときが多々ございます。
 ただ、本人たちも実は潜在的には希望というのを持ちたいと思っているけれども、じゃ、どのようにして持てばいいのかなかなかきっかけがつかめないときに、先ほど希望というのは四つの柱があって、一つは強いやはり思いがある、情熱とか思いがある。一つには、やっぱり何でもいい具体的な何かが思い定まっている、そして実現のための道筋というのがある程度見えている、そして行動がある。もし希望が持てないとするならば、そして持ちたいと思うならば、この四つのうち、どれが自分に欠けているのか自分自身で考えてみることから始めてみようかなんてことを申しますと、少し対話が始まったりもいたします。やみくもに希望を持て、夢を持てと言うよりも、希望というのは四つの柱から成り立っているんだ、自分にとって何が足りないんだろうかというふうなことを一つ一つつぶしていくことによって希望というのは比較的見出したりできるようなものであるというようなことを感じたりもいたしております。
 さて、じゃ希望というのは一体どういう実情にあるのかということを少し、希望学で行ったアンケート調査の結果などを御紹介させていただきながら、御説明してまいりたいと思います。
 先ほど開いていただいた資料の百三十ページをもう一ページめくっていただきますと、百三十二ページに希望についてのアンケート調査の結果、ここでは将来実現してほしいこと、させたいことの有無ということで聞いてみました。二〇〇〇年に作家の村上龍さんが「希望の国のエクソダス」という本をお書きになって、この国には何でもある、本当に何でもあります、ただ希望だけがないというそういう中学生のセリフが大変大きな社会的な関心を呼びました。その後は、先ほど格差というお話もありましたけれども、希望格差などという言葉も出てきたりして、希望が持てない人が世の中たくさんいるんではないかというようなことを印象として多くの人が感じたわけであります。
 ただ、実際、希望についてアンケートしてみますと、二十代から五十代までの成人男女に伺ったわけですけれども、実のところ八割は何がしかの希望があるというふうにお答えになっております。この八割を大部分があると考えるのか、一方でやはり二割の人が希望を持てないというようなことを深刻にとらえるかというのは考え方の違いがあろうかと思います。ただ、この八割のうち、その希望は実現できる、若しくは多分実現できるという実現見通しを持てる人は、その八割の中の八割、つまり八掛ける八で全体ではやっぱり三人に二人、六四%ぐらいは実現できそうな希望が持てると、持っている。つまり、言い換えれば三人に一人は希望がない、若しくは一番かなえたい希望は多分実現しないというふうに考えている。三人に一人がこのような状況にあるというのは、決して少なくない数字ではないかというようなことを強く感じるわけであります。
 お隣に、希望の内容というのを聞いてみますと、日本の場合には、希望の内容、何についての希望かと聞きますと、圧倒的に働く、仕事にかかわることについて希望を語られることが多々ございます。これは、国際比較という面の研究がまだ十分に世界的になされていないものですから正確なことは申し上げられませんが、どうも、希望について仕事というのが最も大多数で来るというのは、もしかしたら日本特有なことかもしれない。もっと個人の生活とか家族とか様々なことに希望があるのがもしかしたらほかの国の状況で、やはり希望というと仕事ということになるのが日本の状況であるというふうに言えるのかもしれません。
 さて、次のページをめくっていただくと、希望と幸福との関係ということを幾つか御紹介しているわけですけれども、一言だけ申し上げますと、やはり希望と幸福は、先ほど継続と変革の違いがあるとは申し上げましたけれども、やはり密接にかかわっていて、やっぱり希望を持って生きている人は幸せを感じやすい。ただし、希望のうち、やはり実現見通しのある希望を持てる、実現見通しのある希望を持てる場合においてこそ強い幸福感がある。ですから、ただやみくもに希望を持つというだけではなくて、何か自分なりにかなえることができそうだというふうな、そういう実現見通しがあってこそ初めてそこには幸福感というものにつながるようだということを表の中で御紹介しております。
 さて、希望、三人に一人が持っていない、ないしは持っていたとしても多分かなわないと思っている、じゃ持てる人、持てない人が分かれているときに、何が希望の有無に影響を与えるのかということを三つの観点から整理いたしました。
 希望を左右する一つの大きな観点は、言わば可能性にかかわる観点であります。希望を持てる人と持てない人の違いは何か。一つには、仕事、収入、健康状態、教育、あとさっき余命という話が出ましたが、年齢。比較的収入に恵まれている、仕事にも恵まれている、健康に恵まれている、十分な教育を受けることもできた、そして比較的年齢が若く、将来の時間という非常に有限な資源を多く持っている人ほど一般的には希望というのを持っているというふうにお答えになることが大変多々ございます。先ほど、年齢や失業やストレスというのが比較的幸福度を下げるというふうなお話がございましたけれども、大変似たようなところがあります。やっぱり自分の可能性を広げられる、選択肢を広げることができるとすると、そういう人は非常に希望を持って生きることができる。そういう面で、やはり収入、健康、教育というようなものは希望、幸福に大きな影響を持っているというふうに思われます。
 可能性に加えて、もう一つ希望を左右する重要な要因として関係性というものがございます。お手元の資料の百四十二ページをもし開いていただけると大変有り難いと思うんですが、希望には関係性、人間関係が強く影響を与えております。
 百四十二ページを御覧いただきますと、そこには自分が孤独だと思うか、大変自分は孤独だと思う人は希望というのが余り持てない。それに対して、余りそういう孤独だとか思わない人は非常に希望が強く持つことができるという面がございます。また、自分は友達が多い、自分は友達に恵まれているという人ほど希望が持ちやすい。
 それから、次のページをめくっていただきますと、百四十四ページになりますが、人間関係の最も核たる部分である家族との在り方、家族から小さいときから信頼されていたとか期待されていたという感覚を持つ人と持っていない人では、現在希望の有無というのが全く違ってくる。家族や友人、人間関係というのが大変強く希望には影響を与えているようであります。
 そう考えますと、逆に、先ほど引きこもりとかニートの話をしましたが、一方で高齢者の孤独死というふうなことが言われるように、非常に日本社会全体に孤独感の広がり、寂しさの広がりがあるとすれば、これが近年の希望が持てない、そして場合によっては幸福感が感じられない、こういう人間関係ということの観点がやはり実は大変重要だということも改めて見出せるわけであります。
 可能性と関係性と並んでもう一つどういうものが希望について重要であるかということを、希望学では、やや奇異な表現に聞こえるかもしれませんが、物語性という言葉で表現しております。百四十九ページをめくっていただきますと、希望に関する新たな三つの事実として三つの観点を御紹介しております。
 希望というのは、多くの場合にはかなうことが実は難しい。以前にアンケートをしましたところ、中学三年生のときに持っていた職業希望、なりたい仕事に実際成人になってから何%ぐらいの人が就けたかと調べてみましたら、一四%でございました。中学二年生ぐらいで持っていた職業希望をかなえることができた人は一四%、八割以上がかなわないというわけであります。そう考えてみると、希望なんて持っていたってどうせかなわないというふうな考え方につながるような印象もございます。
 ただ、重要なことは、希望というのが仮にかなわなかったとしても、それを修正させていくことによって実は生きがいとか幸福感とか新たな希望というのを見出すことができる。よく講演等でお話をさせていただいている例なんですが、以前、プロ野球選手になりたかったという若者がいて、それがなれなかったということで大変大きな挫折をいたします。ただ、その後彼は、小さいときに親に野球場に連れていってもらって、そこで緑の芝生の上でプロ野球をする選手にあこがれて野球選手になりたいと思った。そこで、彼は、野球選手にはなれなかったんだけれども、野球が好きだという気持ちを守り続けるために今度はそこで芝生職人という新たな希望に転換していくわけであります。
 希望というのはかなえることは難しい。ただ、大事なことは、希望ははぐくんでいくもの、希望は育てていくもの、希望というのをそれ自体を成長させていくことができるとするならば、それはもしかしたら今回のテーマであります幸福度の高い社会というふうに言えるのかもしれない。希望をかなえられる社会もすばらしいけれども、希望をかなえようと思ってかなわなかったとしても、それを次の希望へと、まさに挫折を新たな希望へとつなげることができれば、それは大変幸福度の高い社会というふうに言えるのかもしれません。
 百五十二ページに、物語性ということを考えましたもう一つの理由として、希望というのは挫折というものと密接にかかわっております。実際、希望というのを調べてみますと、挫折経験とか過去の困難な経験をお持ちの方ほど希望というのを持っていらっしゃる。それはどういうことかというと、やはりこういう様々な人生の挫折を経験しながらも、いろいろな人間関係ですとか周りの応援など、もちろん本人の努力によってそれを乗り越えたときに非常に希望というのは持てる。挫折経験、困難経験をやっぱりくぐり抜けるというふうな超克体験というものが希望には大変重要であるというふうなこともデータ分析などから見出されております。
 三番目の物語性にかかわることで、百五十六ページに希望を持って行動されている方の特性として、できるだけ無駄なことはしたくないとか損なことはしたくないという気持ちがやや強過ぎますと将来に対する希望を見出しにくいというふうな傾向があるようであります。言い換えれば、何が損か何が得かはやってみなければ分からないじゃないかとか、余り損得勘定に過度にとらわれ過ぎない、少なくとも目先の損得勘定にとらわれ過ぎずにとにかくやってみる、そういうふうな思考を持てる言わばチャレンジ精神のようなものをお持ちの方ほど希望というものを持って行動されていることが多いようであります。
 なぜこういうことになるのか。もし目標のようなものが見えていれば、最短距離で、一番いい適切な近道で目標をかなえるために努力するのがいいとは思うんですが、希望というのは、先ほど申し上げたとおり、希望自身は出会ったり育てていくものであるということを考えたときに、余り目先の自分の今持っている情報だけで希望を決めるのではなくて、余り損とか得とかだけにとらわれ過ぎずにまあとにかくやってみること、チャレンジしてみることの中で希望に出会うというふうな機会も多くあるような気がいたします。
 もちろん社会の中には必要ではない無駄、この無駄をやめることによってみんなが幸せになるものもございます。ただ一方で、例えば遊びという日本語に表現されるように、損とか得とかそういう利害関係を超えて、まず余白として残しておくことが社会や個人のクリエーティビティーですとかイマジネーションを促すという面があるようであります。
 希望がないというふうなことをお話しになる方の一つの傾向として、そもそも、さっき仕事ですとか収入という話もありましたけれども、イマジネーション、未来を想像することに様々な観点から困難を抱えている方ほど希望が持てない。やはりイマジネーションとかクリエーティビティーを育てていく環境をつくっていくことも大変重要な論点になろうかと思っております。
 最後に、幸福度の高い社会の構築と希望との関係を四年にわたって研究してきたところで、やはりこの希望とか幸福というのは教育というものと密接につながっているだろうということは強く感じております。最近、キャリア教育というのが様々なところで指摘されるところでありますけれども、キャリアという人生の長い道のりは時として様々な試練とか困難を経験していく。ただ、この試練とか困難をどういう形で乗り越えていくことができるのか、その経験とか、日本語で言う知恵を提供するということができれば、その困難を乗り越えるチャンスになっていくのではないか。
 よく高齢社会というのは非常に活力の低いとか負担の重さというふうなマイナス面ばかりが強調されますけれども、考えようによっては高齢社会というのは非常に経験の宝が豊富にある社会というふうにも言えるのかもしれません。様々な困難な経験、その中で希望を成長させていった、修正させていった経験というのを世代を超えて共有するような環境をつくることができれば、新しい高齢社会の中での経験に基づく希望を構築できる社会というのも形成できるような印象を持っております。
 私の方の御説明は以上にさせていただきます。
 ありがとうございました。
#6
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 次に、白石参考人、お願いします。
#7
○参考人(白石小百合君) 横浜市立大学の白石でございます。
 本日はこのような発表の機会をいただき、心より感謝申し上げます。
 私は、個人の幸福に与える要因は何かということを特に少子化との関連で研究をしております。本日は、幸福度と個人と題しまして、幸福の経済学による個人の幸福の分析を御紹介したいと思っております。(資料映写)
 幸福の経済学と申しましても初めて聞くという方がほとんどだと思いますので、まずこの幸福の経済学というものが何かを最初に御説明いたします。次に、この幸福の経済学、現在、世界中の経済学者が熱心に分析に取り組んでおりますけれども、これまでの研究で分かったことをお話しいたします。最後に、アンケート調査の結果を見ながら、個人が社会に対してどのような意識を持っているのか、また幸福な社会というのはどのような社会というふうに国民が考えているのか、そのイメージについて触れていきたいと思います。
 さて、その幸福の経済学ですけれども、経済学という用語が使われておりますことからも分かりますとおり、これは経済学の一分野、行動経済学という新しく研究が進んでいる分野の一つです。なぜ最近この研究が活発に行われているかということなんですが、カーネマンという学者が行動経済学で二〇〇二年にノーベル経済学賞を受賞しまして一挙に注目が集まったということもありますが、やはり何といっても、いわゆる豊かさとか人の幸せというものがGDPのようなお金で測れるのだろうか、いや測れないのではないかという人々の素朴な疑問があるのではないかというふうに私は考えております。
 幸福のパラドックスという言葉ありまして、草郷先生の御発表にもありましたイースタリン・パラドックスということなんですが、これは日本の一人当たりGDPと幸福度を時系列で示したグラフでございます。日本では戦後高度成長などでGDPが急速に拡大したのに対して、生活の満足度は横ばい、あるいはほとんど低下しているような状況がある。つまり、所得は増えても人々が更に幸福にならない。それはなぜなのか。それが幸福のパラドックスであります。
 幸福の経済学では、個人の幸福度に影響を与える要素が何かを分析するのですが、その要因が所得でなければ、では何なのか。年齢など個々人の状況なのか、あるいは社会制度それから政策なのかということを分析してまいります。
 それから、その幸福のパラドックスと関連しまして、お金で幸せが買えないというのは個人の感覚からすればむしろ当たり前のことで、お金も生活を支えるものなのでもちろん重要なのですが、そもそも私たちが生きていることの目的というのは、金銭ということではなく、いわゆる幸せになることなんだ、それが目的なんだ、それは人生ということでも社会あるいは政策ということでも同じなのではないかということでございます。
 この幸福度というものは、国際的には、草郷先生の御発表にもありましたブータン王国の取組が有名なのですが、八〇年代以降、研究という面では本格的に取り組まれております。
 GDPで果たして国民の幸せや満足を測ることができるのか、できないとしたら適切な指標を作成しようではないかということで、二〇〇〇年代にはOECDあるいはフランスのサルコジ大統領の下での委員会などで、人々の幸福の度合いというものを示す指標を作る試みがなされています。実は、日本でも七〇年代からこうしたGDP以外の指標を作成する取組が行われております。七〇年代というのは、高度成長の後、経済力は上がってきたけれども公害などの社会問題が発生して、人々の暮らしに影響を与えていたという時期です。
 さて、その幸福度ですが、一体これは何なのかということですけれども、これはアンケート調査で個人に直接幸福度を尋ねるということが行われております。あなたは幸せですかというふうに幸せの程度を尋ねるということです。あるいは、生活に満足しているかなどを聞く場合もありますけれども、要は回答者に自分の感じている主観的な気持ちを答えてもらうと。それを幸福度と考えるということです。
 日本人の幸福度の程度を国際比較してみますと、このグラフは二〇〇五年の各国の国民の幸福度の平均値をランキングしたものなんですが、日本はそれほど低くなくて、全体の半分より少し上、三分の一より少し下という程度です。
 それで、幸福の経済学では、先ほど申しましたアンケート調査によって個人の幸福度をデータとして集めまして、この幸福度がどういった要因で決まっているのか、所得なのか、働くことなのか、家族、結婚や子供なのか、格差が影響を与えているのか、住んでいる地域で幸せというものに差があるのかなど、個人の幸福に影響を与えていると思われる様々な要因を検証してまいります。
 その研究方法なんですけれども、最もシンプルな形というのは図で観察をすることです。例えば、先ほどから話題にしております金銭と幸せということなんですが、このグラフが先ほどと同じように幸福度を縦軸、一人当たりGDPを横軸としたグラフに各国のデータを点の形で書いてみると。もし所得が高ければ高いほど幸福度も高いという関係があれば、この点の固まりというものは右上から右下方向、右上がりの関係が見られるだろうということです。
 このスライド、アフリカから先進国まで世界百か国以上について見たものですが、この点の集まりを見てみますと、右上がりの関係というものは余り見られず、確かに余り所得と幸せには関係はなさそうだ。
 ただし、次のスライド。これは、先ほどのはアフリカなどいわゆる途上国の国が入っていて、これは社会制度などの基盤部分も違うだろうということで、この十枚目のスライドでは先進国にデータを限って所得と幸福度を見ております。そうしますと、その点には右上がりの関係が見える。すなわち、所得と幸福度には関係がありそうだと。
 次に、働く時間の長さと幸福度というものを同じように国別のデータで見ております。これは右下がりの関係が見られると。働く時間というものが短いほど幸福度は高いなと。
 ちょっと駆け足になりますが、次のスライド。生産性と幸福度について見ております。
 これで見ますと、やや右上がりの関係が見えるのではないかと。生産性が高い国では幸福度も高いということが言えるのではないか。
 以上のようなことから、所得を増加させる一方で、あるいは同時にということかもしれませんけれども、生産性を上昇して労働時間を減らすということをすれば国民の幸福度は上がるのだなというふうにしてグラフによる分析を進めていくということでございます。
 以上は、非常にシンプルな分析の御紹介をしましたが、ここからは、幸福度に影響を与える要因の分析の結果の御紹介を通じまして、個人の幸福度を考えてまいりたいと思います。
 まず、所得でございます。
 さきに見ましたとおり、途上国を含める、あるいは日本のデータのように時系列のデータで見ますと、所得と幸福度との関係には余り関係がなさそうだということですが、特に一時点の個々人のデータで見ますと、次のグラフですが、このグラフは参議院事務局の委託で行われましたアンケート調査の結果ですけれども、このグラフで見ますと、所得の高い人ほど幸福度も高いという関係になっております。
 ただし、非常に興味深い点は、所得がある一定程度を超えますと、ある一定程度よりも高くなりますと幸福度は余り上昇しないということがいろんなアンケート調査、分析の結果から分かっております。物質的な豊かさなどが低い水準では所得と幸福度には相関関係があるんですが、ある一定水準を超えると相関が弱まるということです。
 じゃ、なぜ所得と幸福度に関係がないというようなところが所得の一定程度を超えると出てくるのかということなんですが、一つの説明としては、人々は所得が上がると上がった水準をベースに考えると。上がった所得を言わば当たり前というふうに受け止めてしまうため、所得が上がったことの効果が消えてしまうということです。また、相対的な所得が上がれば幸福度も上がるということで、国全体が経済成長をして全体的に国の経済的な水準が上がると、自分ばかりではなくて周りの人の所得も上がるから相対所得は同じであると、だから幸福度も上昇しないという説明です。
 社会問題となっております格差ですけれども、所得格差が大きいほど個人の幸福度を低めるということも分かっております。
 次に、働き方と幸福度です。
 失業することは幸福度を低めるということが分かっております。これは、失業することで生活の基盤がなくなる、将来的な不安が高まったり自尊心が低下してしまう。社会での居どころがないような不安に駆られるのではないかというふうに考えられております。
 さきに、生産性と幸福度ということでデータを国のデータで御覧いただきましたけれども、個人で見ましても、幸福度の高い人は生産性が高くて、一方で仕事のストレスが高いと幸福度が低いと。これは皆様も実感されることかと思いますけれども。ですので、従業員がハッピーに働けるような仕組みを持つ企業というものは生産性も上がるのではないかというふうなことが分かっております。
 それでは、人によって条件が異なる性別でありますとか年齢などと幸福度との関係です。
 ちょっと次のグラフを見ていただきますと分かりますとおり、これは横軸が年齢になっております。若いうちは幸福度は高いんですけれども、中年に向かうにつれていったん低下して、高齢になると再び幸せになると。このU字型、中年で底を迎えるわけなんですが、国によって底となる年齢が異なるようです。男性よりも女性の方が幸せだというのは各国共通の現象のようです。幸福も健康度に影響を与える要因のようです。
 では、家族などの人間関係と幸福度はどのような関係なんでしょうか。
 これまでの研究では、あるいは二十枚目のスライド、早速、御覧いただきますが、アンケート調査の結果でございます。結婚している方が幸福度は高いと。それから、子供がいる方が幸福度が高いということが言えております。
 ここで、家族と幸福度について私どもが行いました研究をちょっと御紹介させていただきたいと思います。
 日本では、御承知のとおり少子化が進んでおります。少子化は晩婚化などが原因ですけれども、考えてみますと、これは家族を持つというタイミングが遅くなったり家族を持たないという人々が増えているということを意味しているんではないかと。
 では、本当に日本の若い人たちは家族を持ちたくないというふうに考えているのでしょうか。あるいは、家族を持っている人たちというのは果たして幸せなのか。
 ここで、少子化がなぜ進んでいるのか、人々がなぜ家族を持たないことを選択しているのかを考える際の要因の一つに、結婚して子供を持つ女性が同時に働く状況です。例えば、まだ保育所などの制度が十分でないために結婚と子供、仕事、この三つをこなすことができない状況があるのではないか。
 ちょっと式のような形で掲げさせておりますけれども、結婚、子供、仕事、この三つを同時に行うことが女性を果たして幸せにしているかどうかということを統計的な分析を行いました。
 ここで注目した視点が、子育ては大変だけれども幸せではないかという仮説でございます。子育ては大変、すなわち精神的、肉体的には負担があっても、また、もちろん子育ての費用も掛かる、だから子供を持つことは大変だという、特に金銭的な面では負担があるという側面と、同時に、一方で子供を持つことで幸せだなと、精神的に幸せを感じるという側面。子供を持つということには、金銭面と精神面の両面の幸福感を持つのではないかということです。
 分析の結果ですけれども、まず、女性の幸福度は結婚により大きく上昇するということが分かりました。この結婚の効果は所得と同じぐらい大きな影響を与えておりました。次に子供ですけれども、やはり子育ては大変だけれども幸せということが成り立っておりまして、子育ては、金銭面での幸福度は低めてしまいますけれども、一方で精神的な幸福感を高めているということが分かりました。就業との両立の問題ですけれども、結婚と就業の両立は女性の幸福度を低めております。ただし、結婚自体で女性の幸福度はかなり上昇しておりますので、就業との両立によって結婚している女性が大きく不幸になるということはありません。一方、子供と就業との両立で女性の幸福度が上がるということも分かりました。
 先ほどもお話ししましたとおり、日本の女性、働く女性の状況では、結局、子供を持って働くことの支援が十分でなく様々な困難が伴うという状況がございます。もし、子育てと就業の両立がかなえば、それは、女性を幸せにすることができるということを意味します。その女性の幸せですけれども、夫が家事、育児に協力的であると、これも上がるということが分析の結果分かりました。
 つまり女性の幸せというのは、結婚をして子供を持って働くと。また、夫も仕事ばかりではなくて家で過ごす時間というものを持てる。つまり、女性も男性も両方ともワーク・ライフ・バランスを実現することができれば、女性の幸福度を高めることができるということになります。
 実際のアンケート結果でも、現在の生活で最も幸福を感じる要素を尋ねたところ、仕事も回答が多いですけれども、家族・家庭、子供、夫婦など、家族や家庭を連想する人の割合が多くなっております。
 将来幸せになるためにはどのようなことが必要なのか。お金も回答が多いですけれども、一番多いのは家族・家庭となっておりまして、個人が考える幸せというところに家族を中心とした人間関係が連想されているんだなということが分かります。
 最後に政策との関連で、政治体制や国民性と幸福度ということですけれども、ボランティアをしている人が多いほど、国民の間の信頼関係が厚い国ほど幸福度は高いと。また、民主的な国、あるいは政府が効率的に、安定的に運営されている国などでもそのようです。こうした社会的な要因は幸福度と関係があるようです。
 さて、ここからは、最後になりますけれども、日本人が日本の社会に対してどのような意識を持っているかに関するアンケート調査の結果を御紹介したいと思います。この調査は、先ほどから既に幾つかお見せしております参議院事務局の委託により実施されました幸福度に関する意識調査で、調査の設計に当たりましては私も参加させていただいております。
 まず、日本の現在ですが、全体としてどのような社会であると思いますかという問いに対しては、残念なことに、ゆとりがなく、責任感がなく、思いやりがなく、活気がなく、連帯感がなく暮らしにくいという回答が多くなっております。
 それから、国民にかかわりの多い制度に対する評価、十点満点で答えていただいておりますが、医療と教育は三点台でありますが、税とか財政、また年金制度に対する評価は二点台と低くなっております。
 現在の日本の状況について、これから良い方向に向かっているのか、これも十点満点で尋ねたところ、文化は四点台ですけれども、財政とか景気、雇用は一点台と低くなっております。
 それで、最も関心を持つ社会問題、全体の約六割は年金・医療・介護の社会保障制度と回答しておりまして、続いて労働・雇用が二五%、残り一五%が育児・教育です。この内容を少し属性別に分析してみますと興味深いことに、社会保障制度に関心を持っているのはやはり六十歳以上の方々、また引退されている方が中心と思われますけれども無職の方々、こういった方々が社会保障制度に関心をより寄せていらっしゃるのに対して、労働とか雇用については、派遣社員でありますとか学生、それから十代の若者の関心が高くなっております。つまり、社会の中での立場によって社会に対する関心も異なるということが分かります。
 過去、現在、未来について、個人ではなくて日本の社会の幸福度というものについても尋ねております。過去は現在よりも高くて将来はやや低下すると。
 幸福な社会のイメージについては安心や思いやりなど人との関係、加えて生活や治安という回答が多くなっております。ここで回答に挙げられた要素というのは、これ自由回答というふうに申しまして、あらかじめ用意された選択肢の中から回答者に選んでいただくという形式ではなくて、回答される方々御自身が自分から自発的にお答えになっているものです。幸福な社会のイメージというものに生活という金銭面とともに安心とか思いやりなど人との関係という回答が多いこと、これは注目すべきではないかというふうに私は考えております。
 最後に、日本の社会の進むべき方向についての質問に対して、物よりも心、仕事よりも余暇、集団よりも個人、一方で、やや競争志向ということも示されております。
 以上をまとめますと、お金だけでは幸せになれない、ただしお金だけでも幸せかというとそうではなくて、やはり所得があってこその幸せということになるかと思います。所得以外の要素としましては、家族などの人との関係、また働く場のあること、さらに、個人の生活と就業との両立、ワーク・ライフ・バランスということになるかと思いますが、こういったことも個人の幸福度を高める要素ということになります。
 最後のアンケート結果からは、日本人がイメージしている幸福な社会というものは、生活、それから安心や人との関係ということになります。参考としまして、次ページ以降にアンケート調査の概要と少子化等の研究について掲げさせていただいております。
 以上で私の発表を終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
#8
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わります。
 それでは、これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願い申し上げます。
 なお、できるだけ多くの委員の発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十分程度となるよう御協力を賜ります。
 それでは、質疑のある方の挙手を願います。
 吉川沙織君。
#9
○吉川沙織君 民主党の吉川沙織です。
 三人の参考人の先生方、本日、貴重なお話、本当にありがとうございました。
 まず最初にお伺いいたしたいんですが、草郷参考人と白石参考人にお伺いいたします。
 内閣府の国民生活選好度調査をお引きになって、生活への満足感、だんだんだんだん年を追うごとに低下をされているというお話がございました。また、白石参考人のお話の最後には、日本社会の幸福度は、過去、そして今に至るまでどんどん低下をしているようなお話。日本は、経済は成長しながらも生活満足度は低下しているというお話。そしてまた、希望を持つということが幸福感、生活への満足感につながるというお話がございました。そしてまた、失業している人は総じて希望を持てないとか幸福度が低いというお話がございました。
 今、若い世代を中心に失業率が高いというような状況に残念ながらあります。ですから、お二人の参考人にまずお伺いいたしたいんですが、生活に大いに満足しているという人が四%を切っているような中で、今の日本は幸福をなかなか得にくい社会になっているんじゃないかと思うんですけれども、それについて御所見だけ草郷参考人と白石参考人にお伺いいたしたいと思います。
#10
○参考人(草郷孝好君) 御質問ありがとうございます。
 確かに国民生活選好度調査の経年のグラフを見ておりますと、生活に満足をしているという割合は減ってきております。ただ、その要因というものがどのようなものなのかというものはやはりきちんと精査する必要があると思っていまして、一つは先ほど白石先生も触れましたけれども、やはり幸福というものをどういう基準で測るのかということが、例えば三十年前、四十年前に比べれば変わってきているのは確かだと思うんですね。基本的な生活が満足まだ十分にされていない段階における幸福感の取り方と、それからすべての物が手に入るようになった今の社会で生活する人の満足度の取り方というものは必ずしも同じではないと思いますし、言わばお隣さんが良くなれば自分も良くなりたいという上昇志向の中で自分の価値観というものが決定されていくようなことが多いのであれば、四%という水準、これはかなり低いとは思うんですけれども、そういうことも否めなかったのかもしれません。
 ただ、どのようにしてその生活の満足度あるいは幸福感等を評価するのか、精査するのかということも、実は是非また私自身も考えていかなきゃいけないと思っていますし、その幸福という言葉ですね、幸福というものによって、皆さんが答えられる際にどういうものをイメージされるのかということについて、やっぱりきちんと慎重な姿勢でそれを分析していかないといけないと。
 つまり、ちょっと回りくどい言い方ですけれども、データそのものが、主観的なデータの持っている良さと、それからデメリットといいますか、そういったものがありますので、一概に四%になったからといって、それでこの社会は非常に閉塞感にあふれていて問題なのだというふうには、僕はそういうふうには思っていません。
#11
○参考人(白石小百合君) 御質問は、幸福のパラドックスはなぜなのかということかと思います。
 それで、先ほども少しお話をしたんですけれども、やはり、相対所得といいまして、自分の絶対額ではなくて周りの人と比べて、自分がどれだけ所得であればもらっているのか、生活の水準であればほかの人と比べてうちには車があるのか、車であればその種類は何なのか、それをほかと比べるということがありまして、生活水準、国全体で上がってくればそうした相対的なレベルというのも上がってくるので、なかなか経済は成長しても生活満足度は上がってこないというのは一つの説明だと思っています。
 それからもう一つは、価値観が多様化していると。非常に戦後日本が、高度成長時期というのは、所得が昨日よりも上がれば幸せになる、生活も満足するという気持ちが高まるということなんですが、それがだんだん所得、生活の水準が上がってくると、所得とか生活の水準以外の価値観というものも生活の満足あるいは幸福感というものに影響を与えてくると。
 ですので、価値観が多様化してきたので生活満足度も上がらないのではないか、あるいは幸福度も横ばいではないかというのが一つの説明ではありますが、これは私の個人的な意見なんですけれども、価値観が多様化したから生活満足度あるいは幸福度が上がらないのは仕方がないんではないかと考えるのは、やはり個人的には少しおかしいことだというふうに思っておりまして、だから、生活満足度が高まらなくてもいいと考えずに、では、今の状況で人々がもっと幸せに、あるいは生活に満足するようにするにはどういったことが必要なんだということを考えていくべきではないかというふうに個人的には思っております。
#12
○吉川沙織君 ありがとうございました。
 白石参考人のお話の中でも、社会と個人の中で、最も関心を持っている社会問題、雇用、労働、十歳代と派遣社員、学生、年収の低い層というデータ、御提示いただきました。
 私自身、今から十二年前の一九九八年に就職活動をいたしまして、今もまたその再来と言われております就職氷河期に就職活動をいたしました。同世代の多くがどんなに働きたいと思っても職に就けないまま社会に出ざるを得なかった、そういう世代でもあります。
 玄田参考人にお伺いしたいと思います。
 希望を持てない、玄田参考人の著書等を拝読いたしますと、本来であれば若い世代が一番希望を持てる層であるのに、今、働きたくとも働く場所がない、だから希望を持たないといけない層なのになかなか持てないような社会になってしまっている。幸福と希望は密接なかかわりを持って、また希望は実現見通しを伴って初めて強い幸福感につながるとも御指摘なさっています。ただ、社会の在り方や本人の役割に悲観的、消極的な意識を有している人ほど希望を有する、そういう割合が低いとも御指摘なさっています。
 今、政治の側に責任が多分たくさんあるんでしょうけれども、若い世代、二〇〇八年の年末ぐらいにベネッセの教育研究所さんが日本は努力したら報われる社会かどうかというアンケートをお取りになっています。これ、小学校のときは努力すれば報われる社会だと信じている人が多いにもかかわらず、中学校、高校、大学と進学をするにつれ、どんどん報われない社会だというデータが出ています。今この希望を持つということ、幸福度を考えるときに、若い世代にどういうことをすれば、この閉塞感が漂う今の状況を打破できるのか、お考えをお聞かせいただければと思います。
#13
○参考人(玄田有史君) 努力が報われない社会になっているという傾向が強くなっているという御指摘で、重要なことは、報われるか報われないかかかわりなく努力をしたいと思う気持ちになるかということであるような気がしております。報われない努力だったらしてもしようがないというふうになるのかどうか。若い人の問題に限らないかもしれませんけれども、やっぱりサポートする人がとても大事なんじゃないかなと思っております。
 先ほど希望の話をしたときに、挫折経験をしたりとか、希望が失望に変わった後にまた新しい希望につなげていくことが大事だと申し上げましたけれども、さっきの野球選手が芝生職人になったという話もそうですけれども、大体そういう新しい希望に変わるときというのはだれか横に人がいるんですよね。何かそういう対話とか支えがあって初めて次につなげていけるということを考えたときに、多少これは持論でもございますけど、国ですとか自治体が若者、就職難の若者を支援していただくことはとても大事だと思うんですけれども、若者を支援する若者も支援してほしいといいますか、ニートとか非正規の人たちを国の力で何とかするというのは実はきめ細かいことまで考えるとなかなか大変で、一緒に伴走して一緒に走って、挫折しても次につなげていくようなサポートできる人材というのが今、日本にまだまだ欠けているんじゃないか。
 もちろん、NPO等でそういう活動をされている方が随分増えたとは思いますけれども、今のこういう厳しい状況の中では絶対数が不足しているとするならば、そういう苦しい状況にある人を支えるのはもちろんのこと、そういう苦しい状況にある人を支えようとしている人を支えようとするような支援というのが実はとても大事なんじゃないかというようなことを感じております。
 そういう意味では、希望を持てるようにするためには、さっき人間関係が大事だというふうなことをお話しいたしましたけれども、そういう支えたり信頼されているんだとか、励ましてくれたり、精神面、技術面、いろんなことを含めて支援できる人たちというのをもっと増やしていくということも一つ希望が持てる雇用社会には重要なんじゃないかなというようなことを思っております。
#14
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 よろしいですか。
#15
○吉川沙織君 ありがとうございました。いろいろお伺いしたいことがあったんですけれども、もう時間が参りましたので、ありがとうございました。
#16
○会長(矢野哲朗君) 御協力ありがとうございます。
 続きまして、古川俊治君。
#17
○古川俊治君 三人の参考人の先生方、本当にありがとうございます。
 これは大変、非常に難しい課題だと思っておりまして、それぞれのお話、それなりに我々の理解できる範囲でお聞きした限りなんですけれども。
 まず、草郷先生からちょっと伺いたいと思うんですけれども、HDIについて御紹介を賜りまして、何らかの指標を作らなきゃいけないというのはごもっともなことだと思います。これが非常に客観的に測定がしやすい、評価が簡単だということで汎用されているというお話でしたけれども、例えば一人当たりGDPあるいは平均寿命、それから識字率、あるいは変更されたものでも就学率等でいえば、そういったものは政策的にもかなり踏み込むことができるわけですね。我々政治家が考えることができるんですけれども、最終的に国民の内面にかかわるこの幸福という問題になりますと、なかなか政策的にこれを客観的な政策によってコントロールすることが非常に難しいのが今の現状でございまして、ですからHDIも持続的に上がっているんですけれども、やはり満足度は上がってこないということになりまして、先生の御経験から、我々政治家がこれを上げるために様々な今客観的なその方法を取っているんですけれども、じゃ何を次にやったらいいか、まずちょっとその御提言があれば伺いたいなというふうに思っております。
 それから、これは白石参考人、ありがとうございます。これも同様なんですけれども、幸福度は非常に主観的なものでありますけれども、先生が幾つかお示しになって、例えば先進国だけで取った場合には一定の結論が三つほど出たということで、恐らくそれを指標にしていけば我々としても目指す方向が出てくるんじゃないかと思ったんですけれども。
 それと同時に、後ほどの方で、性別の違いあるいは年齢における違い、それから政治体制における違い、各国の個別の事情によってこの幸福度というものは大きく左右されてくるというようなこともございまして、そうした場合に、日本の今アンケート調査で幾つかそれもお示しいただきましたけれども、その中で我々が政策的にじゃこういうふうにやったらやっぱりこの幸福度を上げることができる。私は、あの調査のとおり、それどおりやってもなかなかその時点になると本当にまた幸福度というものを実際上げられるかどうかということについては疑問が多いんではないかという気もしましたので、政治家への提言ということでちょっとお話しをいただきたいと思っております。
 最後に、玄田参考人に。今までの質問ともちょっと関連するんですけれども、希望とか幸福感というのは、先生のお話聞きながらつくづく考えてきたんですけれども、私、医者でございまして、脳の話でいうと海馬というところに、原始脳にかかわってくるんですね。これは、海馬のことで申し上げると、恐らく幼少期から性格形成期に掛かってくるところが一番重要で、だからその気質というのが恐らくこの希望の持ち方とかにかなりかかわると思うんですね。それから先というのは後天的な事情で恐らくそこの状況も変わってくるんでしょうけれども、これはなかなか基本的なものができてしまうと変わってこない。ただ、精神科疾患なんかが起こった人でも希望を持つためにはいろんな今治療方法があって少しずつやっているんですけれども。
 ある意味で、こういった主観を考える場合には、多少国民に対する練習プログラムみたいなのがやっぱりどこかで必要で、そういったことを現代社会においてはやっていかなきゃいけないんじゃないかというちょっと気もするんですね。現代社会に対応していくために、人間というものが。その点について先生もし御見解がありましたら、教えていただきたいと思います。
 以上です。
#18
○参考人(草郷孝好君) ありがとうございます。
 御質問の趣旨が、恐らくHDIというものが政策にどのように活用できるのだろうかということではないかと思いますので、そういう観点からお話をさせていただきます。
 HDIは今年で二十周年ということで、実は今、国連開発計画が中心になって、二十周年ですので、これからこのHDIをどのように改良すべきかどうかという議論をちょうどしておるところなんですね。
 その中の議論の一つが、やはり今の御指摘ございましたように、いわゆる主観的なものをどう取り込めるのかどうかという議論をしております。主観とそれから客観のデータというのはデータの種類が違いますので、これを無理やり組み合わせることはかなり乱暴なことですのでそれは避けたいと。と同時に、ただし生活している人々の実感というものは無視できないものであるということでございます。
 私自身は、この点につきまして、その二つこそを実は組み合わせる仕組みが必要だと思っています。HDIというのは客観的にその人の生活状況を測っていくものとしてGDPよりは進んだものだと考えることができると思っていますし、それと同時に、客観的に見てこの人の生活が改善しているのかということが確認できるんですね。逆に、主観的なデータというものは、主観的なデータだけで生活状況を把握したとしたら、非常に悲惨な状態であったとしても幸せですという答えをされた場合にはそれでいいのかということが生じるわけです。
 ですから、やっぱり生活というものを、社会全体の発展というものを社会全体でとらえるといったときには、やはり教育であるとか健康であるとか、それから所得の面ということで客観的に測れるところはきちんと押さえた上で、そこで生活している人たちが果たしてその中で、先ほどプレゼンテーションの中で触れましたような、主体的に生き生きと生活ができるという意味での幸福であるとか生活への満足度というものをきちっととらえていく、そういう意味での主観的なデータを押さえる調査が必要であって、もしそういうデータがございましたら、その二つのデータを使いながら、例えばある地域、ある市の生活の状態というものがどう変わっていくのかということで、その二つのデータを活用しながらその地域の状況を精査していくような形でこのような二つの種類のデータを組み合わせていくと。
 その二つのデータを一緒くたにしないで、二つの性格付けを理解した上で、それをきちんと使いながら社会の状態というものを把握していくために使えると思いますし、そこから出てきた問題点というものが政策形成につながるんじゃないかというふうに考えています。恐らくそれがHDIのこれからの在り方じゃないのかなというふうに私自身は考えております。
#19
○参考人(白石小百合君) 御質問ありがとうございました。
 御質問の趣旨なんですが、個人が感じる幸福度というものが、こちらに今掲げておりますが、個々人の要因というのと社会的な要因があると。その二つがあるんだけれども、それに対して政策なり社会なりで何か対応できる、社会なり政策で個人の幸福度を上げることができることがあるかどうかということかと思います。
 まず、個々人の要因ということなんですが、これは大きく分けて二つあると思います。性別とか年齢というように自分ではもう変えられない要因というものと、それから働いていることですね。天賦のものである性別とか年齢と、それから就業というような社会的な関係の二つに分かれるかと思います。
 もちろん性別とか年齢は変えることができないわけなんですが、例えば失業している人は不幸であるということから考えると、失業率を下げることによって失業している人たちの幸福度を上げることができると。ということは、その就業対策というものが政策的に行われることによって国民の幸福度を上げることができるという一つの例かと思います。
 もう一つ、社会的な要因というところで少子化との関連で研究を一つ御紹介させていただきましたけれども、この中で分かったことというのは、やはり女性の幸せの中で、子供を持って働くということによって女性の幸せが高まるということが分かったと。であれば、保育所並びに働き方を状況として変えることによって女性の幸福度は少なくとも上げることができると。
 同時に、夫の働き方といいますか、家事、育児の参加度合いも女性の幸福度を上げるということがありますので、男性のワーク・ライフ・バランスも政策的に何らかの形で進めることができれば、それも、女性にですけれども、幸福度を上げることができるんではないかというふうに考えております。
#20
○参考人(玄田有史君) 幸福感もそうかと思いますし、希望の有無もそうかと思うんですが、やはりこれは個人の先天的な資質による部分ももちろん少なからずあろうかと思っております。ただ、御指摘のように、私自身もどちらかというと先天的な資質よりも後天的な経験によって希望感なり幸福感というのははぐくまれる面というのが少なからずあるんではないかということを強く感じているところであります。
 では、どういう後天的な経験が重要かということを考えてみますと、一言で言えば失敗経験とでも言うんでしょうか。この失敗経験をいかに生かしていくのか。ちょうど今オリンピックの最中でありますけれども、本当の勝負は閉会式が終わってからであって、もちろんオリンピックですばらしい成績を残している人もいますけれども、大体はそんないい結果は出ない。ただ、その経験をいかに次の人生につなげていくのかということの方がずっと大事であり、金メダルを取った人がおごり高ぶらず、また、残念ながら結果が出なかった人がその経験をどう反省も含めて次世代に伝えていき、自分の人生を歩んでいくのか。まさに失敗経験こそが希望の母みたいなところがあろうかと思っています。
 ただ、残念ながら、やはりこれは少子化の一つの大きな帰結ではあるんですが、やっぱり少子化が進むと、失敗を子供にさせたくない、子供が失敗して喜ぶ親なんていませんから。ただ、昔は、子供がたくさんいると、もうそんな構っていられなくて、結果的にいろんな失敗もすることがあったのが、今は、大事に大事に育てようとすると、やっぱり失敗する経験というのがなかなかしにくくて、大人になってからそれがどんと来ますと、それが大変大きなショックになってしまうと。いかに上手に失敗とか試練の経験を、さっき練習プログラムとおっしゃっていただきましたけれども、子供たちにさせていくことができるのかというのはとても大事な観点だろうというふうに思っております。
 そのときのキーワードは、神奈川県の小田原市でCLCAというNPOである私塾をなさっている和田さんという方から伺ったんですけれども、三つのカンというのが大事で、それぞれ漢字があるんですけれども、一つ目は感動の感、感じるの感という、うれしい、悲しい、悔しい、楽しい、寂しいという、感情を十分に発露する機会というのがやっぱり幼少期に必要で、その次に、堪忍袋の堪というんでしょうか、これ以上先は危ないなとか、まだ大丈夫だなという、そういう勘どころということをやっぱり次にはぐくんでいって、それができて初めて三番目の人生観の観というビジョンというのがはぐくめるきっかけが生まれるという、こういう三つのカンを上手に適宜育てていくような観点から、体験学習であったり、先ほど申し上げたようなキャリア教育のようなことを必要かなということを思っております。
 ただ、練習プログラムが必要なのは子供たちだけではなくて、むしろやっぱり大人にこそ必要であるというふうな気もいたしております。先ほどの御質問もそうですけれども、やっぱり子供たちに起こることって大体大人の鏡ということになって、大人が幸せそうじゃない、大人が希望が持てなければ子供がどだい希望を持つなんて不可能で、大人がやっぱり希望を持ち直せる社会というのをどうやってつくっていくかということを考えたときに、先ほど人間関係ということをちょっとお話ししそびれてしまったんですけれども、社会学でウイークタイズという概念がございます。弱いつながり、弱いきずなとでも訳すんでしょうか。必ずしもいつもいつも一緒に生活しているわけではない、むしろちょっと違う世界、違う職業とか違う地域で生きている人たちと緩やかにつながることによって、実はいろんな人生のヒントや希望のヒントというのが得られると。そういう地域や経験とか職業を超えた緩やかなつながりを持っている人ほど、いろんな試練に経験してもその中から乗り越えていくヒントやチャンスを得ることができると。そう考えると、大人自身が練習プログラムとしていろんな異文化、異体験を持っている人と緩やかにつながっていけるような環境づくりをまずは進めていくべきなんじゃないかと。
 ワーク・ライフ・バランスといいますと、ややもすると仕事と個人の家庭生活の両立というふうなことが意識されがちですけれども、重要なのは、仕事も大事、家庭も大事、ただもう一つ自分が生きている地域といいますか、それ以外の第三の居場所みたいなものをどうやって広げていき、いろんな異文化体験、ウイークタイズづくりをするかということも実はとても大事なんだろうと思っております。
 そういう面でいきますと、コミュニティービジネスとか地域を元気にする活動に大人が積極的に参加できるような社会体制づくりということが、広い目で考えますといい意味での失敗をしたりとか希望を持ったり、時には幸福を持つためのプログラムとしてはやっぱり重要なポイントになるのかなと、そんなことを考えております。
#21
○古川俊治君 御高見、本当にありがとうございました。これからも参考にさせていただき、政策形成に頑張っていきたいと思います。
 ありがとうございました。
#22
○会長(矢野哲朗君) 質疑を続けます。
 澤雄二君。
#23
○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。
 三人の参考人、今日は本当にありがとうございます。それぞれのお立場でいろんなお話を聞かせていただいたので、何となく見えてきたというか、見えてこなくなったかよく分からないんですけれども、難しいことだなという実感をしております。
 草郷参考人にお伺いをいたします。
 HDIの指標についてお話をいただきましたけれども、経済、一人当たりのGDP、所得といいますか、それと健康、それから教育、学歴ですね、これ日本は全部ほぼ達成していますよね。だから、日本のHDIはどんどんどんどん上がって〇・九五六までいっていますよね。ですから、何か日本の国内のHDIレベルのお話を伺っても、GDPスコアによるランクが同じ都道府県は四つ、HDIスコアによるランクがGDPより高いのが二十二、低いのが二十一。つまり、よく分からないということですね、これ。だから、このHDIの指標というのは、本当に何か人間のウエルビーイングというか幸福というか、そういうものを分かる指標になるのかな、これからいろんな要素を付け加えていかれるとおっしゃっていましたけれども、客観的な指標にはなるんでしょうけれども、幸福ということを世界で一番使われている指標という割にはちょっとがっかりしたなというのが感想であります。お答えにならなくても結構です。
 質問をしたいのはブータンなんですが、これだけの項目を高いGNH指数で達成をしているブータンというのは、一体なぜ達成できるのか、何か豊かな財政力があるんでしょうか。それとも、政治体制その他で強い政治のリーダーシップがあるのか、若しくは国民がこういうことをやっていけるだけの高い教育水準があるのか。一体ブータンの何の力がこういうことを達成できる力になったのかと、そのことをお聞かせください。
#24
○参考人(草郷孝好君) 御質問ありがとうございます。ブータンのことについての御質問だったわけですけれども、HDIについて少しコメントもさせていただければと思います。
 HDIは決して幸福の指標ではございません。先ほどプレゼンテーションの中でも申し上げましたけれども、これはあくまで途上国の状態を改善するという意識があってつくっている指標なんです。ですから、日本がどの指標を取っても達成しているのはもう当然のことなんですね。ただし、日本は十位と申し上げましたけれども、順位はどんどん落ちているんです。ということは、先進国の中においても日本のパフォーマンスというのは決していい状態ではないということがHDI、既存のものでも見てとれるということがございます。その点、プレゼンの中では私申し上げることができなかったので、申し訳ございませんでした。
 プレゼンテーションの中で、非常に駆け足だったということもございますので、そのGDPのランクとHDIのランク、この関係性について……
#25
○澤雄二君 それをお答えになると時間なくなりますので、ブータンについてお答えください。
#26
○参考人(草郷孝好君) はい。ただ、そのちょっと見方というものがございますので、また御興味があればお話しさせていただきますけれども。
 GNHを掲げているブータンですが、これはブータンのやはり国の特殊性というのがございます。一つは、やはりチベット仏教の考え方というものが全国民、もちろんネパール系の方もおられますので宗教的な違いもございますが、ただ国を形作る上での基本にはチベット仏教観がございます。その中で、先ほど話の中で出てきておりますような相互依存関係性というものを重んじるという考え方がございます。つまり、人と人とのつながり、それから人と自然等とのつながりというものをとても尊重していくということがブータン社会を築くためにとても大事であるということが、上からではなくて、国民一般の中で共有されている価値観としてあります。ですから、一つにはそういうつながりというものがきちんと保障されている社会に生活しているのだと、そういう地域が自分たちの地域なのだということが実感できている限りにおいてブータンの国民が高いいわゆる幸福感というものを感じられるというベースがあるのがまずございます。
 その上でGNHの指標というものを彼らは作り出してチェックをしてみたということなんですね。そのときに、要因がどうなのかというところまでブータン政府の方からも私自身はまだ聞いてはおらないんですけれども、彼らの発表した指標の中で教育の指標というのが実は一番低いものなんですね。お気付きになったかと思います。これはもうブータンが課題として抱えているものでございます。ですから、教育で幸福度を上げるというよりは、教育はこれから改善しなければいけないということがGNH指数によって分かったということでございますので、今のところブータンという国が高い幸福感を勝ち得ているというのは、そのベースとして、自分たちのそのGNH社会のベースとして仏教性があるということと、それから、それに加えてもう一つ安定した、つまり紛争等がないという、そういう平和が自分たちの国の今誇るべきものであるということが共有されている点が挙げられるかと思います。
 この点については調査を、彼らとそれから私も加わってやったことがございますので、幸福だと考えるときの要素ですね、要素の一つとしてやはり平和な社会というものを挙げる人がかなりありました。もちろん、健康であるとか人間関係、それから生計ですね、経済というものも大事だということで、平和あるいは幸福のための要素としてそういうものが挙げられてはおりましたけれども、それに加えて紛争のない社会ということが挙げられておりました。
#27
○澤雄二君 加えてお聞きしますが、社会保障だとか健康保険だとか、そういうものの体制というのはブータンはどうなっていますか。
#28
○参考人(草郷孝好君) 財政面のことについてということだと思うんですけれども、ブータンでは健康保険、これは言わば医療無償ですので、もう一〇〇%国民は無料で医療を受けられるという体制が整っています。それから、国内で診察を受けて、国内の医療機関で対応できない場合には、例えばインドあるいはタイに向かうといったときの費用もカバーしております。
#29
○澤雄二君 それは豊かな財政力を持っているということですか。
#30
○参考人(草郷孝好君) ブータンが財政力を持っているとも言える反面、人口が少ないということがまずございます。六十数万の国でございますし、それをカバーするだけの収入というものは、水力発電をインドに売るということによって得ております。あとは、途上国ですので外からのODAによる支援ももちろんございますが、いかんせん六十数万人というところがかぎでして、そういう意味では、今の、現在においてはそれがまだできていると、でも今後どうなるか分からないということがブータン自身の課題だというふうに私は考えております。
#31
○澤雄二君 白石参考人にお伺いをいたします。
 一番最後の統計調査でありますけれども、日本の社会の幸福度のその二で、安心・思いやり、人に対することという比率が非常に高いと、これは極めて注目することだというふうに参考人はお話しになりましたが、もう少し御見解を教えていただけますか。
#32
○参考人(白石小百合君) 御質問ありがとうございます。
 これは、幸福な社会とはどのような社会だと思いますかという問いに対して自由に答えていただくと。例えば、安心とか思いやり、治安とか心のゆとりというのが選択肢として用意されていてそれを選ぶのではなくて、回答者が御自分で自発的に、この幸福な社会というものをイメージしたときに自分は何というふうに考えるかということを書くという行為を通じて表現したものが安心とか思いやり、人に対することというようなところが大きかった、割と回答としては高かったということです。
 それで、幸福な社会というのはもう個々人によって、性別、年代、住んでいる地域、職業によっても様々だとは思いますけれども、その中で、生活という金銭面とともに、幸せな社会というものを日本人がどう考えているのか、安心とか思いやり、人との関係が重要なんだと思っているというのは、これは漠然とした質問だからこそ、そういう漠然とした質問に対して、更に回答者が自分で自由に書くという行為の中でこのような言葉が出てきたというのは、割と私自身は本音が出ているのではないかというふうに思っております。
 もちろん、生活とか生活水準というような金銭面が満たされているというのも一つの幸福な社会のイメージだということなんですが、それ以外の、お金以外のもう少しソフト面といいますか、人とのかかわりというところを重視しているという人がこんなに多いのかなというのが私としては大変興味深くとらえたところでございます。
#33
○澤雄二君 時間になりましたので、これ質問ではなくて私の感想でありますけれども、今の安心・思いやり、人に対することという比率が非常に高いということとも関連しますし、それから草郷先生が示された表の中に、一九八四年をピークにして生活満足度がずっと下がっているということとも関連すると思うんですけれども、どういうことかなと考えたときに、高度経済成長のときに日本人はいろんな夢を持ったと、これは玄田先生がおっしゃったことでもありますけれども、夢を持った。所得を向上させたいとか、それから大学に行きたい、就職をしたい、結婚をしたい、子供を持ちたいという夢や希望を持って、それをずっと目的を達成しようとしてきたけれども、できてしまった、全部、ほとんど。そうしたら、次の瞬間から一体何を目的に持ったらいいんだ、何を自分の人生の生きがいにしたらいいんだと考えたときに、考えたと思うんだけれども、考えたときにその次のステップを実現することは物すごく難しくなっていってしまったと。そうこうしている間に格差と貧困が広がっていった、所得も減っていったというようなことがあるんではないかと。
 だから、生産性だけは上がっていったけれども、何か自分たちが更に上を目指す意欲みたいなもの、人間力みたいなものがだんだん減衰していっているのかな、そこをどうして立て直すかということが政治の力だというふうに思っておりますので、時間があれば皆さんの御意見をお伺いしたいところでございましたけれども、どうもありがとうございました。
#34
○会長(矢野哲朗君) 是非、興味ある質問なものでありますから、お答えをいただきたいと思うんですけれども。
 それでは、草郷参考人、玄田参考人、白石参考人の順にひとつお答えをいただきたいと思います。
#35
○参考人(草郷孝好君) 一九八四年をピークにして生活満足度が下がっていってしまったということでありますけれども、いろいろな見方があると思いますが、私なりの解釈としましては、やはり一九八四年までは日本人は自分たちの生活基盤を整備するということに忙しかったといいますか、そのプライオリティーが高かったというふうに感じています。
 ただ、一九八四年を分岐点にして、多様な生活の姿、あるいは人々がそれこそ主体的に自分がどのような人生設計をしたいのかということをある意味意識化できる時期だったのではないかと。言い換えると、高度経済成長はうまくいったとして、それをこれからどう活用するのかという分岐点というふうに、振り返りにしかすぎないんですけれども、そういうふうに私なんかはとらえておりまして、その後、その格差が広がり等々については、もしかするとこのような主観的なデータをもう少し、その時点において主観的なデータに対する配慮等があれば、いわゆる国民の声といいますか、国民の思いと、選択の可能性を追求する思いという意味でそれを受け止めていたとしたら多少違う政策等も打てたのかもしれないというふうに、私なりにはそういうふうにいつもこの表を見ながら考えております。
 ただ一点、ヒューマン・ディベロップ・インデックスの考え方のベースにアマルティア・センの考え方を紹介させてもらいました。あの考え方の中で重要な点なんですが、実はHDIに入っていないものがあるんですね。それがいわゆる参加なんです。つまり、社会づくりに参加する。つまり、自分の生活、生きるということが実は社会に対してやはり何らかの意味合いがあるのだというものを感じ取れたときに、やはり人々が満足な、いわゆるウエルビーイングの高い生活を設計できるということを概念化しているものなんです。
 ですから、その辺がひょっとしたら日本の中で二十年、二十五年、十分に配慮できてこれなかったのではないかなというふうに私なんかはとらえていますし、今後そういう参加の側面をどうとらえるのかということが大事なんじゃないかというふうに私は思っております。
#36
○参考人(玄田有史君) 私自身は、すべての目標が充足されてしまって将来に活力がなくなったという見方については若干疑問を持っているところがあります。むしろ、そういうかつての三Cのような社会的に共通な目標は確かに達成されたけれども、じゃ、あなた自身にとって将来何か目標はとか希望をという、その自分自身の希望を紡ぐ力が様々なことで弱くなっているということについては全くそのとおりだなと思っています。
 また、八〇年代に大きなターニングポイントを迎えたというのは、実は私もそう思っております。
 よく失われた十年ということが強調されましたけれども、実は一九八〇年代ぐらいから大きな社会的な変化があるのは、例えばさっきの就業機会のうち日本で大変大きな割合を占めていた自営業というのが趨勢的な減少を始めるのも一九八〇年からです。他の先進国を見ましても、これだけ大きく自分で自分のボスになりたいという自営業が減り続けている国はほかにも例はございません。
 それから、御案内のとおり、かつて戸塚ヨットスクール事件が起こったりしたのが八〇年代前半、それからその前、金属バット殺人事件は一九八〇年、それから単身世帯というのが大きく増え始めたのが一九八〇年代からで、先ほど強調した、非常に日本人の孤独化現象というものが始まり始めたのは実はもうかれこれ三十年近く前からだと。やはり自分自身の目標を見付けるときに、さっきのいろんな人とのつながり、さっき草郷さんも出会いとおっしゃいましたけれども、そういうのが弱くなっているということを考えると、むしろもう少し長い目で見て、少なくとも八〇年代ぐらいからの日本の変化、当時はまだ日本はすごくいいと言われたころから実は大変な深刻な問題が起こり始めていたということで、歴史を振り返ってみるといろんなヒントがあるような気がします。
 一言で希望学の成果を御紹介すると、歴史をないがしろにして希望は語れずという、希望を見付けるためのヒントは時として様々な過去の歴史の中の成功体験、失敗体験の中にヒントが隠されているというふうなことを希望学で学んだということを一言だけ付け加えておきたいと思います。
#37
○参考人(白石小百合君) ありがとうございます。
 高度成長のときは日本人は夢を追っていたと。所得水準、生活水準を上げたいと、次のステップ、次へ次へと。上に上にということで、それが実現できた八〇年代に幸福度あるいは生活満足度が少し低下傾向にあるというのは、非常に興味深い事実であります。
 私個人は、実はこれはもう本当に皆さんもそうだと思われると思いますが、青い鳥探しだったのかなと。実はお金で買えないものが重要なんだなということに気が付いたというのが八〇年代以降の日本人の状況ではないかと思います。ただ一方で、所得水準とか生活水準、ある一定水準を実現できたからこそ、そのお金で買えないものの重要性というものに気が付けたんではないかというふうにも思っております。
 考えてみますと、足下では貧困でありますとか経済格差の問題、非常に大きくなっておりまして、先ほど所得や生活水準、一定程度は達成できたというふうに申し上げましたが、実は足下ではそういった非常に深刻な問題がまた起こりつつありますので、そういった問題にもどう対応していくのかというのがこれからの重要な課題ではないかというふうに考えております。
#38
○澤雄二君 ありがとうございました。
#39
○会長(矢野哲朗君) 質疑を続けます。
 山下芳生君。
#40
○山下芳生君 日本共産党の山下芳生です。
 今の澤委員の質問にもかかわる質問になろうかと思いますが、草郷先生、玄田先生、白石先生、お三方に意見を伺いたいと思います。
 今日、調査室が事前に用意していただいたこの資料集を見ておりますと、四ページに内閣府の現在の生活に対する満足度を時系列で表したグラフがありました。これは非常に興味深い傾向があるなと思っておりまして、例えば、最初一九六三年の数字だと思いますけれども、下の段の不満を見ますと、三〇・九%だったのが徐々に不満が高まって、一九七四年に四七・九%のピークを迎えると。今度はそれを境にずっと下がってきまして、一九九五年に二四・六%に下がると。ところが、そこからまた今度上昇傾向に転じまして、二〇〇九年、三七・七%と。非常に大きな傾向としてはこういう傾向が見て取れるわけですが、これは生活に必要な物質の充足度とはまた違って、僕は特にこの九五年から不満が高まり満足が下がってきたというのは、やはり政治に携わる者としてしっかりと分析する必要があるのではないかと思っております。
 私がこの九五年がターニングポイントになったということをこのグラフを見て一つ思い当たったのが、ちょうど一九九五年だったと思いますが、日経連が新時代の日本的経営という提言をされまして、平たく言いますと、労働者をごく一握りのエリート層とそれから少数のそれを補佐する層、そして大多数の労働者に分けると。正社員というのは最初の二つだけであって、大多数の私から言わせれば使い捨て層を非正規の流動的な雇用にしようじゃないかという提言だったと思いますが、その提言がされたのが一九九五年です。そしてその後、労働法制の規制緩和、契約社員の拡大でありますとか派遣労働者の拡大、自由化などがやられまして、結果として今や非正規雇用というのがどんどん増えて、日本の労働者の三人に一人、若者と女性だけを限ってみますと二人に一人にまで広がりました。雇用者報酬という数字がありますけれども、ざくっとこの十年で見ますと二百八十兆円から二百五十三兆円と、雇用者報酬は約一割下がっております。
 こういうものが、やはり僕は雇用の規制緩和、非正規化、流動化というものがこの九五年以降、生活における不満だと感じる人を増やしたということに非常に密接にリンクしているんではないかと感じるんですが、お三方の御意見を伺いたいと思います。
#41
○参考人(草郷孝好君) どうもありがとうございます。
 生活に対する満足度、この時系列の数字を拝見しておりまして、私自身こういう数字を見ると一番関心を持ちますのは、やはりその差がどの程度変動するのかと。確かにピーク、それから不満、満足、これらがどのような数字で変わっていくのかということも大事なんですけれども、その格差がどの程度大きくなっていくのかということの方が何かシグナルを出しているんじゃないかというふうに受け止めております。
 そのときに、確かに四十九年、このときは一番満足と不満の差が小さいときでございまして、これは恐らくオイルショックの辺りですよね。いわゆる生活全般に大きなショックがあったときにそれが皆さんの回答に影響を与えてくるという側面もありますので、一概に生活に対する満足度のデータだけでその背景がどのようになっているのかということをなかなか論じるのは正直言って難しいというふうに私なんかは思っていますので、そのようなコメントしかちょっとできそうにないんですが、ただ、経済的な理由というものが必ず影響しているということは、これはもう間違いないということは私もそう考えておりますので、それを精査していくということがより大事なのかなということも指摘されたとおりだと思っております。
#42
○参考人(玄田有史君) 私自身は、九〇年代という観点で見ますと、若干先生とは少し異なる見解を持っております。
 私自身は、やはり九五年も大きな転機だと思いますが、やはり統計等を見ますと、一九九八年というのが大変日本にとって大きな年だったと思っております。その年から失業率は急上昇いたしますし、先ほど御紹介あった自殺者が増えるのも九八年からです。様々な、例えば教育ではたしか中退とかも非常に増えるのはそのころで、非常に九八年の金融不況直後ぐらいから大変大きな日本は経済のみならず社会全体で大きな転換点を迎えたというふうな認識を持っております。
 一方で、その中で、先ほど雇用ポートフォリオ論等の話をされまして、私自身も使い捨てというふうな状況について大変大きな懸念を抱く者の一人ではありますけれども、ただ、何をもって使い捨てというふうに考えるのかというのはやや議論の余地があるのかなと。間違いなく言えることは、非正規雇用者であるということで非常に違法行為にさらされやすいということであるとするならば、それは紛れもなく大変深刻な問題であるわけで、私はすべての非正規雇用がそういうイリーガル、違法な状況にあるとは考えておりませんけれども、多分九〇年代から二〇〇〇年代の様々な混乱期に非常に違法な状況に置かれた人々は恐らく現在も含めて少なくはないだろうと思っております。
 その一つの証左としては、厚生労働省が設置しました総合労働相談コーナーという労働問題に関するあらゆるワンストップサービスに昨年一年間でもう百万件を超える様々な、雇い止め、賃金の不払、リストラ等の相談が寄せられたというふうに聞いております。
 そう考えますと、そこで一体どういう問題が起こっているのかということを改めてとらえ直して、違法行為がある、どこかそういうまとまりをするならば、それを一つ一つつぶしていかなければならないと思っておりますし、私の聞いたところによりますと、そういう相談を受ける窓口自体がもうややパンク状態で、ハローワークも含めて十分、そういう使い捨て的な状況にさらされているおそれのある違法行為の状況にある人々に対するサポートが若干まだこの状況の中では十分足りていないんではないかなというようなことは考えております。
 ただ、じゃ非正規そのものをどう考えるかということになりますと、私の知る限り三つぐらいの大きな議論の流れがあるように思います。
 一つは、やはりできるだけ正社員という現状の働き方にそろえるような形で、言わばみんなが正社員になれるような雇用社会をつくり出すか、二つ目は、むしろ正社員というのは既得権をいっそこの際排除して、みんなが同じ立場で一人の個人として雇用形態にかかわらず働けるような社会を目指すかという考え、言わば対極的な考え方があろうかと思います。
 私個人としてはその言わば中間のような形で、現状のものとして正規、非正規というのがあることはある部分一定程度認めた上で、問題はその間の非常に落差が大きいということを考えると、その中間を埋めるような中間的な形態というのを様々な知恵、政労使等の知恵を出すことによってその落差を埋めていくというふうなことが恐らく実践的かつ現実的ではないかなと思っているものですから、そのための様々な法制度の整備等々に関してはやはり今後大きな課題であろうかというふうなことを考えております。
#43
○参考人(白石小百合君) 御質問ありがとうございます。
 このグラフを見まして、九五年が底かという、ターニングポイントかというのは、この指標、かなり揺れ動くものという性質を持っておりますので判断が難しいところだと思いますけれども、言えることは、九〇年代前半よりは後半の方が生活満足度の中で不幸だと答えている人の割合が高くなっているんではないかということだと思います。
 この生活満足度ですが、これ質問項目としましては、一般的にこういうような、つまり、あなたは生活全般に満足していますかと。満足から不満まで答えていただくというような形式を取っております。私どもの分析によりますと、生活満足度は幸福度とはちょっと違いまして、どちらかというと、金銭面での幸福感を表すものだというふうに考えております。
 日本の九〇年代後半になぜこの不満の割合が高くなったのかということについては、実は残念ながら分析がまだ余り進んでおりません。ただ、今までの幸福の経済学の知見を援用して考えてみますと、まず不幸ということを高めるというか、人を不幸にするというものは、経済格差であったりとか、それから失業というものが要因としてあります。玄田先生のお話にもありましたが、九〇年代後半には労働の雇用の状況、非常に大きく変わりまして、それから遅れて経済格差も広がってきたと。そういうような社会情勢を考えますと、このようなことが日本人の生活満足度を不幸の方に傾けさせたのではないかなというふうに考えております。
#44
○山下芳生君 玄田先生に伺いたいと思います。
 希望という大変抽象的な概念を論理的に分析していただいて感銘を受けたんですけれども、その先生のお話の中で関係性と、友達がどのぐらいいるかどうかということも入っていると思いますけど、すごく大事だなと思ったんですが、これもまた雇用の在り方に戻りますけれども、例えば高度成長期だとか、私が大学を卒業して大阪で就職するときも独りぼっちで都会に出てきて就職したわけですが、就職したときは独りぼっちであっても、もう職場ですぐ仲間ができるわけです。それはみんな、当時は派遣労働者とか非正規の人はほとんどパートの女性、高齢の女性ぐらいしかいませんで、あとは二十代みんなは正社員で仲間です。ですから、しばらくすればみんな仲間になれたんですが。
 翻って、今の状況、若者を見ますと、恐らく地方から都市に出てくる、多くは正社員ではない、なれない状況で出てきますと、たとえ働いていたとしても、そこで仲間をつくることが難しい。いろんな派遣会社から入れ替わり立ち替わり大きな製造業の現場では来ますので、そうすると終わりなき独りぼっちといいますか、そういう状況に置かれている若者たちが今この関係性を持てずに希望を持てない状況に置かれているんじゃないかということを感じるんですが、その辺りいかがでしょうか。
#45
○参考人(玄田有史君) まさに、さっき孤独化現象ということを指摘させていただきましたけど、御指摘のとおり職場における孤独化ということはとても大きなやっぱり今問題だろうと思っています。
 先ほど御質問の非正規雇用、特に派遣等々の働き方になると、なかなか職場で関係をうまくつくることに十分成功していないケースも多々あろうかと。ただ、逆に、先ほど申し上げた、非正規だからすべて使い捨てではないと申し上げたのも、それは非正規の人たちと正社員の人たちが雇用形態を超えていろいろコミュニケーションしている職場がないかというと、そういうわけでもなく、比較的雇用形態を超えて交流を、場合によっては、職場外の懇親会等も含めてうまくやっている職場から実は学ぶいろんな知恵というのは少なからずあろうかというふうなことを思っています。
 ただ、職場もそうですけれども、今非常に孤独化ということで、一方で人間関係をうまくやらなければならないというふうなプレッシャーも非常に強く、何かみんなとうまくやらないと、またかつてのようにKYと呼ばれるとか、人間関係をうまくやらなきゃいけないというのが逆にプレッシャーになってしまって生きづらさをつくっているところがあるんではないかと。
 これは、草郷さんの方が御専門かもしれませんけれども、私は考えてみると、何かみんなに、つまり五人一組ぐらいの仲間ができるような社会というのを何かつくるというのはとてもいいんじゃないかと。グラミン銀行という貧者の銀行は、非常に成功しているというのは、五人一組の共同責任というのでうまく回っているという話を聞いたこともあって、五人ぐらいで常に何かを考える体制というのがうまくいくのかなと。SMAPも六人から五人になって成功しましたし、今人気のある嵐も五人だと。考えてみれば、オリンピックも五輪と言うななどということを考えると、何か本当に自分たちの身近で支え合える関係というのが、特に高齢社会を考えたときに、先ほど指摘した、単身が増える、それぞれみんながうまくやるんではなくて、せいぜい五人一組で何かをやるというふうなことができるようなことから考えると、やや人間関係の呪縛みたいなものから第一歩が踏み出せるんではないかなと。大変私見ではありますけれども、そんなことを感じたりもいたしました。
#46
○山下芳生君 終わります。
#47
○会長(矢野哲朗君) 質疑を続けます。
 川崎稔君。
#48
○川崎稔君 民主党の川崎稔です。
 三人の参考人、本当にどうもありがとうございます。
 幸福度、ウエルビーイングという点での指標ということなんですが、GNPあるいはGDPといった経済マクロ指標、これに代わる指標として何が考えられるかというのは随分以前から議論が続いてきました。先ほど白石参考人がおっしゃったように、公害問題が非常に議論されたときには国民純福祉といった数字、指標というのも議論されたわけでございますけれども。
 今日伺っていて、例えば草郷先生のお話でブータンのGNHのお話ございました、グロス・ナショナル・ハピネス。その中で、これが四つ柱があるということで、公正な社会経済発展、あるいは環境保全、文化保全、良い統治という、こういった四つの柱から成る概念だというのは非常に興味深いなと思いながらお聞きしておったんですが。また、あるいは玄田先生の希望学、これも本当にすばらしいアプローチだと思いますし、これが幸福度を考える上で本当に大きな貢献をするんじゃないかなというふうにお聞きしておったんですが。白石先生の方の最初の導入でも、幸福の経済学とは何かというお話をいただきました。これは全体的な、総括的な話にもなるかと思って伺っておったんですが。
 実は私がこの場でお聞きしようと思いましたのは、三人の先生に共通して伺ってみたいんですが、幸福度というのを概念で考えたときに、水準に着目するのか変化率に着目するのかという点でございます。言い換えますと、今日が良い一日だなということで幸福なのかということなのか、あるいは、先ほど白石先生もおっしゃっていましたが、昨日より今日、今日よりあしたがいい、より良くなるということが幸福なのかと、幸福だと思えるかと、例えて言うとそういうことかなというふうに思っております。
 先ほどから伺っておっても、例えば草郷先生のお話の中に、生活全般に満足しているかどうかという生活選好度の話ございました。割合からいったら、満足しているということが調査を重ねるごとに低下をしていると。一方で、玄田先生のお話の中には、非常に閉塞度が高いと言われているこの社会で、意外に希望があるという割合が高いという調査結果があったと、八割近くの方が将来実現してほしいこと若しくは実現させたいこととして何らかの希望を有しているという、そういう調査結果がございました。白石先生のお話の中では、所得の増加とともに個人の幸福度は上昇しているけれども、一定以上になると飽和状態になると。あるいは、失業というのは幸福度を低下させるといった、そういったお話があったわけなんですが。
 そういったお話を伺っていると、どちらかといえば、草郷先生あるいは白石先生のお話というのは、先ほどの概念でいえば静態的な概念、あるいは玄田先生の希望学というのは非常に動態的な概念かなというふうに伺っておったんですが、その幸福度という指標を考えたときにそういった視点というのはどのようにお考えになっているのか、御見解をお聞かせいただければと思っております。
#49
○参考人(草郷孝好君) 御質問ありがとうございました。
 幸福度に関するデータについてですけれども、二つの点が重要だというふうに私は考えて幸福度のデータを見るようにしています。
 一つは、これは私の報告の中で一番最後に申し上げた点とつながるんですけれども、幸福度、あなたの生活は今幸福ですか、あるいはあなたは生活に満足していますか、問いかけの仕方はいろいろあるんですけれども、問いかける対象、回答される方というものがやはりできるだけ同じであるということが望ましいという点です。その点においては、私が知る限り、今日、この資料にございますものはすべてそういう意味では不十分だと思います。つまり対象が違うということですね。まずそこをそろえることが第一に大事で、その上で、じゃ幸福度を、いわゆる水準なのか変化率なのかということに話を移しますと、その点についてはやはりどう問いかけをするのかということに懸かってくるんだろうと思っています。
 研究者の中でも、朝の幸せと夜の幸せ、測ったら違うじゃないですかということがよく言われますし、実際そうだと思うんですね。ですから、やはり生活の満足度というものを私たちが知りたいとしたならばどのような問いかけが大事なのかと。
 そのヒントは、今日、玄田先生や白石先生の報告からも少しあったと思うんです。つまり、過去の幸せ度とかあるいは将来見通し、それから自分の生活満足度、あるいは幸福度が上がるんでしょうか下がるんでしょうかというふうな見通しですね、そういうような聞き方でいわゆる幸福というものがどう変わっていくのかどうか、それを同じ対象の人たちから聞くことができれば、水準もそれから変化率も両方活用することができるんじゃないかというふうに私は考えています。
 ですから、サンプルの対象というものをぴったりとそろえる、それがパネルデータだと思うんですけれども、それが重要じゃないかというふうに私は思っています。
#50
○参考人(玄田有史君) 御指摘のとおり、希望は明らかに変化で測るべきものであります。希望と変革ということで申し上げたとおり、やはり今日に比べてあしたが、現在に比べて未来がというようなことが希望のとても重要なところでありますので、直接希望がどうなったかを聞くのでもよし、先ほど申し上げたホープ・イズ・ア・ウイッシュ・フォー・サムシング・ツー・カム・トゥルー・バイ・アクションという、四つの柱がどう変わってきたかを聞くのもよし、やはり希望は変化の中でとらえるべきものと。
 これは私見になりますが、恐らく幸福についてもやはりそうなんではないかなと。先ほど草郷さんもお話しになりましたように、AさんとBさんのどちらがより幸福でどちらがより不幸かというふうな議論というのは、なかなか一般的な共通理解を得るのが難しい。一方で、Aさんそのものの幸福感がどう変化したかとか、Bさんそのものの幸福感がどう変化したのかというふうなことについては大変重要な、気質の違いがあったとしても重要なものだというふうに思っております。
 そう考えますと、実は、そういう特定の個人を複数追跡した調査のことをパネル調査というふうな言い方をいたしますけれども、日本国内でそういう幸福感を含めてパネル調査というのがやっぱり国のレベルでまだまだ足りないのではないかなと。厚生労働省が二十一世紀に生まれた子供のいる世帯について縦断調査という、パネル調査を一部しておりますけれども、比較的日本は他の先進国に比べて多数の個人を追跡的に調べて、先ほど、就業状況ですとか幸福感、希望感の変化を調べるというふうなものはないように思います。
 もし、今後やはり日本人の、ただ経済状況だけではなく、主観的な満足度にもやっぱり取り組んでいくということになるんだとするならば、やはりパネル調査のようなものを時間を掛けて長期的にやっていくということもやっぱり厳密な事実から政策的な検討をするという上では重要なのではないかなということを思っております。
#51
○参考人(白石小百合君) 御質問、本当にありがとうございます。
 私も、水準か、それから変化率で見るべきかというのは非常に幸福度研究の中では重要な視点だと思っております。アンケート調査における質問は水準を聞いているんですね、あなたは今どう思っているんですかということをお伺いする。ただ、その回答結果を受け取る私たちのような研究者、あるいは一般的な御興味でも、やはりある人の幸福度というのが、例えば失業ですけれども、失業によって下がるのか上がるのかというその変化に注目が集まることかと思います。
 それで、幸福度自体は主観を答えるということなのでファジーな要素があるということなんですが、パネル調査が必要だということ、二人の参考人の先生からお話がございました。私どもが使いました女性の少子化の研究は、たまたまパネル調査のデータを使っております。これは、研究をしましたときは十か年分ぐらいのデータが実はありまして、それは内閣府の関係の家計経済研究所というところが、たまたまだと思うんですが、パネル調査の中で幸福度と生活満足度、たまたま両方の質問項目がありまして、それに気が付いて分析をさせていただいたというところです。
 一人の人のその幸福度がどう変化しているのかということは、そのイベント、失業という例を先ほど申し上げましたが、政策の変更というような社会制度などとの関連でも非常に興味深いところですので、質問自体は水準ですけれども、その水準が何かによって、政策によってあるいは個人のイベントによってどう変化するのかというのはこれからの研究課題だというふうにも考えております。
#52
○川崎稔君 ありがとうございます。
 時間がありませんので、簡単に一言だけ参考人の皆様に付け加えて質問させていただきたいんですが、多分皆様のその説明、お話の中で共通しているのは、経済という側面はある一定以上になると白石参考人がおっしゃったように飽和点になるという、ですけれども必要だという側面があると思うんですが、ある一定以上の飽和点になったら、じゃ経済的な側面はもう余り必要ないのかどうか。要するに、政策ということを考えたときに、成熟した社会で経済なかなか成長しないという中で、じゃ経済ということをどう考えていけばいいのかと、幸福度という点でですね、この点について最後に御質問したいと思います。
#53
○参考人(草郷孝好君) ありがとうございます。
 その点につきましては、私の今日の報告の中でアメリカのHDIの改良についてというスライドを御覧いただければと思うんですが、あの中でGDP、一人当たりのGDPで経済水準を見るということでは駄目なんだと。そうではなくて、今社会を構成している百人の人がいたときには、百人の平均値ではなくて、百人の中の五十番目の人の収入レベルがどうなっているかに着目すべきであると、これはすごく重要な点だと思っています。
 つまり、飽和点、これは平均値でしか見ません。でも、それがいわゆる中位点で、つまり真ん中、五十番目の人の水準というものが平均値と同様に上がるのか、平均値は上がるけれども、その人の収入は下がっていったとしたらどうなのかと。実際には下がっていっているという方向に今来ていると思いますので、そういう意味では、飽和点だからその経済的なところはもう十分だという見方ではなくて、やはりその一人一人の人にとって必要とされる生計、このベースというのがどうなのかということは平均値が上がったとしてもやはりきちんと見ていかなければいけないというふうに考えています。
#54
○参考人(玄田有史君) 私自身は経済に飽和という概念はふさわしくないというふうに思っております。経済は常に転換を続けていかなければ衰退すると、質的な転換というのを絶えず行っていくダイナミズムが内包されない限り、経済には未来はないというふうに思っております。
 仮にメンテナンス一つを取ってみたとしても、それを維持するための絶えざる技術的な革新というのがなければ維持すらも難しいと。経済を飽和という概念ではなく、やはり転換のダイナミズムをどう内包させるかというふうな観点で、やはり一人一人が希望を持って次に向かっていくということがやはり経済には重要であるというふうに考えております。
#55
○参考人(白石小百合君) 飽和点というのは経済的な要因と幸福度との関係ということなんですが、ある一定程度まで所得が上がったとしても、現在の日本のように経済的な格差が広がるという状況になりますと、これは幸福度を下げる要因ではないかというふうに考えております。
#56
○川崎稔君 ありがとうございます。
#57
○会長(矢野哲朗君) 質疑のある方の挙手を願います。
 塚田一郎君。
#58
○塚田一郎君 ありがとうございます。自由民主党の塚田一郎です。
 今日は、大変貴重ないろいろなお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。
 経済の豊かさの飽和とそれがどのように満足度に関係するかということで、今、玄田先生からは質的転換が重要だというような御指摘もあったんですが、バブル経済が何で起きるかというのはなかなか定義が難しいと思うんですが、一つはやっぱり物質的な経済が一つのピークアウトをして、それがそのマネーというものに経済の動きが移っていくと経済の実態がやっぱりおかしな方向に行くという部分があると思うんですね。
 示していただいた幾つかの資料で、若干資料によって違うんですけれども、GDPと満足度の乖離が大体クロスアウトしているのが一九八〇年の後半から大体九〇年代の前半ぐらいで、経済のGDP成長率と満足度というのが交差をして、GDPが上がっても満足度は下がっていくという傾向があると思うんです。これ、大体日本の経済でいうと、いわゆるバブルになったような、いわゆる株価が最高を達成した辺りにそういう現象が出ているのかなというふうにも見れるんですけれども。
 何がお伺いしたいかというと、つまり、そういう経済的な一つの転換が満足度の変化に相関性があるというふうに考えられるのか、そのように考えることができるのか、これがまず一点。
 もう一点は、そうだとすると、GDPそのものと幸福度の国別の相関性は余りないという白石先生の御指摘の資料がありますけれども、ただ、時系列で見ていった場合に、今申し上げたような同じような経済成長が一つのその転換を迎えるときに、満足度との変化で、日本と同じような傾向がほかの国でもあるんではないかなと私は推測するんですけれども、そういったような傾向があるということを先生方でもし御承知であれば、その二点について、それぞれ先生方からお伝えいただければと思います。
#59
○参考人(草郷孝好君) 御質問ありがとうございます。
 GDPとそれから満足の関係についてですけれども、ある程度の関係性はあると思います。ただ、先ほども申し上げましたけれども、やはりきちんとしたデータ分析をしないと確証めいたことはちょっと申し上げることはできないんですね。
 GDPとそれから生活満足度の乖離について、これは日本だけがそういう状況を示したのかといいますと、そうではございませんで、先ほどイースタリンという学者、アメリカの学者ですけれども、彼の名前にもう一度立ち返りたいんですが、彼なんかはアメリカのデータも精査しておりますし、それから、恐らく私の記憶の間違いがなければ、イギリスも同じ傾向を示していたというふうに理解しております。
#60
○参考人(玄田有史君) 私自身、満足度に関する研究をしたものではございませんので、明確なお答えはできないですが、希望の中には満足というふうな要素が少なからずあるとすれば、やっぱり希望とGDP含めた経済というのは強い関係があることは恐らく事実だろうというふうに思っております。
 ただ、一つだけ思うのは、満足度が低い、つまり不満が多いということが、果たしてそれほどすべて悪いことなのかと。やはりある程度不満があるからこそこれを解消したいと思って変革のエネルギーが生まれたりとか、ある種のハングリーネスというのがこれから社会の中で必要だとすると、やっぱり不満は不満としてきちんと分析する必要はあるけれども、逆にみんなが満足している社会ってちょっと停滞している感じも一方でするわけで、そういう面で、経済と満足、不満というのがある程度成熟社会になると非常に分散する傾向もあるだろうなということは、そういうハングリーネスというふうなことを考えるとあるのではないかなということを推察いたします。
#61
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。希望が見えてきます。
#62
○参考人(白石小百合君) 転換点以降、所得以外の要因もあるのではないかということなんですが、私もその幸福度に所得以外の様々な要因が影響を与え出しているのではないか、与え出すというふうにこれまでの研究、ほかの研究を見て思っております。
 日本以外の経験は何かないかということなんですが、これロシアですけれども、ソ連からロシアに移行するときに所得が低下したと、その低下によって幸福度が下がったというようなことが言われております。
 御参考までに申し上げました。
#63
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 松あきら君。
#64
○松あきら君 今日は、お三人の先生方、ありがとうございます。
 御質問しようかと思っていたことがもう質問に出たりいたしまして、少し感想も含めて申し上げたいと思います。
 まず、ブータンのことでございますが、今、民主主義国家に移行中ということだと思います。私はちょっと認識が違うかもしれないんですけど、以前はというか今までは国王中心、仏教中心の、どちらかというと社会主義的な国であったかなと、いろいろなことが保障されていたと。一番低いのが教育ということで、次にこの教育が総体的に全体的に上がるようになると、あるいは情報過多になると、このブータンという幸せな国が、例えば民族衣装も今着用が義務付けられておりますけど、こういうことも含めてどう変わっていくのかなという、これは私の一つのこれから見ていきたいなという点であります。
 先生には、生活パネルデータ、これ大事なことで、作っていくことも必要だと思いますが、これらを使ってどう役立てるのかという点を一点お伺いしたいと思います。
 それから、玄田先生は昨日、日経新聞の一面に出ていらして、今までもいろいろ読ませていただきましたけど、昨日は釜石市の興味深い話が載っておりまして、企業も撤退した、自分も年を取ってきた、けれども先生がお通いになっているうちにだんだん元気になってきたと。そして、多分その元気になった理由は、人の役に立っている、期待されている、あるいは自分を待っていてくれる、そういうことが元気につながったかなと思うんですけど、釜石の調査を、もしできましたらちょっとお話しいただきたいと思います。
 それから、白石先生は、まさに私もワーク・ライフ・バランスは男女ともに必要だと思っていまして、例えばイギリスなどでは、子供が長い夏休み等の休み中、休暇のときに自分も長期休暇を取る、あるいは家で働く、こういったことを選択できるワーク・ライフ・バランスが上がった企業が、何と九〇%の企業が業績が上がっているという、こういう例も出ているわけでございます。今日のお話の中で少し気になったのが、既婚者の幸福度が低下をしているということもあったかなというふうに思うんですけれども、これらについて少し詳しくお教えいただきたいと思います。
 以上、よろしくお願いいたします。
#65
○会長(矢野哲朗君) 草郷参考人、ブータンの件も、もし御意見があれば結構です。
#66
○参考人(草郷孝好君) ありがとうございます。
 ブータンについての変貌、私自身も非常に興味深く見守りたいと思っております。民主化というものが国王のリーダーシップで行われたという点についても、非常に興味深い点だと思っております。
 生活パネルデータの役割についてなんですけれども、これ二つ使い道があるというふうに私は思っております。
 一つ目は、今日様々な角度から幸福感でありますとか満足感についての分析がなされましたということで、白石先生からもたくさん提示がございました。そのような形でその生活パネルデータを活用するということができると思います。
 それに加えて、この生活パネルデータを地方自治体レベルで使えるんじゃないかというふうに私は思っています。やはり、地域で生活している人たち、地域の住民がどういう意識で自分たちの生活する地域を自分たちなりに評価しているのかというデータがこれで得られるとすれば、このデータそのものを基にして、やはり地域の中の強みとかあるいは今後の課題というものをまさに地域、地方自治体が中心になって地域の住民と共有できる可能性があるというふうに私は思っています。このようなコミュニティー型のデータというものは、日本の中には僕は全国レベルでは行われてないと思いますので、それをきちんとした標準を提示しながら各地方自治体でやることができれば、その情報を行政とそれから市民が共有できるんじゃないかというふうに考えています。
#67
○参考人(玄田有史君) 釜石のことをしゃべると何時間でもしゃべりたいんですけど。
 釜石というのは戦前には二度の大津波を経験しまして、戦争中に艦砲射撃で町が壊滅的となり、戦後は何度かの合理化ということで、大変厳しい試練を何度となく経験した町であります。また、かつて栄光が、東北の上海のような町だと描かれたり、ラグビーでV7という栄光がある分だけ、非常に大変厳しい中で立ち直りをやっていかなければならないと。ただ、実際今振り返ってみると、実は釜石は一番厳しかった三十年前と鉱工業出荷額はほぼ同等ないしそれ以上を上回るぐらいに回復をしてきています。
 その過程の中で様々な人々の活動があったわけですけど、非常に印象的だったのは、やっぱり押し付けられた希望じゃ駄目なんだという、やっぱり自分たちで見付けていかなければならないんだという、そういう発言をされる方が多々いらっしゃるということに、何か釜石に限らず、実は日本の地方って大丈夫なんじゃないかと。今、実は厳しいというだけじゃなくて、本当に活動されている方たくさんいるんじゃないかと。ただ悲観的になるばかりじゃないんじゃないかということをとても思いました。
 ただ、ある研究者が言いましたけど、釜石は希望がある、たくさんある、けどもっとあるはずだ、もっとつながっていかなきゃいけないと。釜石に限らず、地方で今一生懸命活動されている方は、やや孤軍奮闘というか、それぞれが個別になさっていらっしゃる方がいて、もうそういう方々がもっとつながっていくともっと大きなパワーになっていくんじゃないかというようなことを感じて、希望は、さっき歴史をないがしろにしては語れないと言いましたけれども、釜石で学んだことに、希望というのは必ず伝播していくと。だれかが希望を持って行動することによってそれがまた別の人の希望につながっていくというふうなことも実際にいろいろ見聞きして感じました。
 釜石で見付けた地域の再生の条件は三つです。一つはローカルアイデンティティーの再構築。ローカルアイデンティティーを何とみなすかと、また難しいんですけど、地域の本当に必要なもの、地域の本当の誇り、それを再構築すること。二つ目は、何度でも何度でも議論して希望を共有するということ、何を目指していくのか。三つ目が、地域の中、外を超えたソーシャルネットワークをいかに築いていくのか。
 この三つによって地域の再生のヒントというのはあるんだということを釜石から学んだところであります。
#68
○参考人(白石小百合君) まず、私の説明がちょっと不十分でありまして、結婚して不幸になるかということは、そんなことはございません。
 結婚と就業の両立によって女性の幸福度は下がるんですけれども、元々、結婚すると女性の幸福度は随分上がるんですね。それが働くことでちょっと下がるということなので、特に問題はないというふうに考えております。
 ワーク・ライフ・バランスについて御興味を持っていただき、ありがとうございます。
 実は、この少子化の私たちの研究なんですけれども、研究も、それから一般的にもそうだと思うんですが、少子化ということが語られるときには、こんなに子供を持つことは大変で負担が大きくて、もう本当にこんなことをすると損だみたいな視点というのがどうしてもあるかと思いました。
 それで、私たちが研究をするに当たっては、やはり子育てというのは、家族を持つということは負担もあるんだけれども、やっぱり幸せという面もあるんではないかというふうに考えて、少子化と幸福度を結び付けた研究をしたいというふうに思ったというのが始まりでございます。
 玄田先生の希望も、それから幸福というふうに私ども、今日の発表もそうなんですが、世の中にお金というか金銭面、負担というようなところ以外の価値観もあるんだなということを少しアピールしていくという一つのきっかけになればいいなというふうに思っております。
 ありがとうございました。
#69
○松あきら君 ありがとうございました。
#70
○会長(矢野哲朗君) その他、質疑のある方は挙手願いますけれども、よろしいですか。
 ほぼ予定された時間であります。他に発言もなければ、以上で参考人に対する質疑を終了いたします。
 草郷参考人、玄田参考人、白石参考人、大変御多用なところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございました。
 本日のお述べいただきました御意見でありますけれども、今後の調査の参考にさせていただきたいと思います。
 本日は本当にありがとうございました。(拍手)
 次回でありますけれども、三月はこの調査会、開会はなしということで、四月の半ばぐらいという目標で、筆頭間で御協議をいただこうと考えております。御予定ください。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時二十七分散会
ソース: 国立国会図書館
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