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2009/04/08 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第4号
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2009/04/08 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第4号

#1
第171回国会 少子高齢化・共生社会に関する調査会 第4号
平成二十一年四月八日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月七日
    辞任         補欠選任
     松浦 大悟君     姫井由美子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         田名部匡省君
    理 事
                相原久美子君
                下田 敦子君
                羽田雄一郎君
                岡田  広君
                南野知惠子君
                鰐淵 洋子君
    委 員
                梅村  聡君
                岡崎トミ子君
                神本美恵子君
                佐藤 泰介君
                千葉 景子君
                那谷屋正義君
                姫井由美子君
                柳田  稔君
                石井みどり君
                礒崎 陽輔君
                塚田 一郎君
                古川 俊治君
                丸川 珠代君
                義家 弘介君
                浮島とも子君
                紙  智子君
                福島みずほ君
                松下 新平君
   事務局側
       第三特別調査室
       長        藤川 哲史君
   参考人
       江戸川大学社会
       学部ライフデザ
       イン学科教授   鈴木 輝隆君
       民俗研究家
       「鳴子の米プロ
       ジェクト」総合
       プロデューサー  結城登美雄君
       陽気な母さんの
       店友の会副会長  石垣 一子君
       由布院温泉観光
       協会会長
       株式会社玉の湯
       代表取締役社長  桑野 和泉君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○少子高齢化・共生社会に関する調査
 (派遣委員の報告)
 (「コミュニティの再生」のうち地域コミュニ
 ティの再生(地域コミュニティの活性化と経済
 的自立))
    ─────────────
#2
○会長(田名部匡省君) ただいまから少子高齢化・共生社会に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日、松浦大悟君が委員を辞任され、その補欠として姫井由美子君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(田名部匡省君) 少子高齢化・共生社会に関する調査を議題といたします。
 先般、本調査会が行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。岡田広君。
#4
○岡田広君 去る二月二十三日及び二十四日の二日間、滋賀県において、少子高齢化・共生社会に関する実情調査を行いました。
 派遣委員は、田名部会長、相原理事、羽田理事、南野理事、鰐淵理事、岡崎委員、神本委員、那谷屋委員、松浦委員、礒崎委員、塚田委員、紙委員、松下委員及び私、岡田の十四名であります。
 以下、調査の概要を御報告申し上げます。
 一日目は、嘉田滋賀県知事より、同県における少子高齢化の現状と対策及び地域づくりに関する施策について概況説明を聴取いたしました。
 滋賀県は、年少人口割合が沖縄県に次いで全国で二番目に高く、最後まで人口が増加する五つの都県の一つであり、平成十九年に策定された基本構想に基づき、未来を拓く共生社会の実現を目指しております。
 少子化対策については、子によし、親によし、世間によしの子育て三方よしとして、生まれる前から子供の成長過程に応じた施策を推進するとともに、淡海子育て応援団、子ども未来基金、子育て三方よしコミュニティーづくりによる地域がかかわる子育て、子育ちの環境づくりにも取り組んでおります。
 高齢化対策については、レイカディア(湖の理想郷)滋賀プランとして、何歳になっても自らが人生の主役と感じられる健康長寿社会と住み慣れた地域における安心システムの構築を基本理念に、自立、社会貢献、セーフティーネットの三つの視点を重視した施策を推進しております。既に元気な高齢者が地域社会を支える例も散見されており、退職シニアの地域デビュー支援事業等にも取り組んでおります。
 さらに、地域コミュニティーについては、団体自治としての合併が進めば進むほど住民自治としてのコミュニティーが重要になってくるとの基本的考え方が示され、江戸時代の自然集落が現在の自治会に相当しているとの説明がなされたほか、近江環人という町づくりリーダーを養成する取組等も紹介されました。
 派遣委員からは、人口流出入が多い地域におけるコミュニティーづくりの課題、周産期医療における助産師活用の重要性、少子化の要因である経済的負担を軽減するために必要な国の施策、環境保全教育を通じた地域活性化事例、滋賀県における小児医療費助成の実情等について質疑が行われました。
 二日目は、まず湖南市にあるグリーンファーム香清の視察を行いました。
 香清は、平成五年に女性農業従事者だけで設立された農事組合法人であり、地元で取れた農産物を加工し、地産地消の一翼を担っております。おからやハーブを使用した菓子、善水寺みその加工、販売等を行っており、特にみそは市内の学校給食で利用されております。しかしながら、設立から十五年が経過し七十歳代の組合員が四割を占めるに至り、体験交流事業を休止せざるを得ないなど、高齢化による活動継続や世代交代の難しさを痛感しているとのお話が印象的でした。
 派遣委員からは、インターネットを利用した販路拡大の可能性、必要とされる直売所数及び支援策、子育て世代の若い女性を組合員とする必要性等について質疑が行われました。
 次に、東近江市にあるNPO法人しみんふくしの家八日市の視察を行いました。
 同法人は、平成十一年にNPO法人の認証を受け、地域のニーズに合わせた保育事業、グループホーム等の介護保険事業、市内四か所での学童保育事業等を幅広く行っております。
 このうち、多世代交流を推進するあったか広場の活動を視察いたしましたが、地域のボランティアスタッフ、若い母親と子供たち、高齢者が笑顔で楽しく遊ぶ様子を拝見し、家族のような温かさを感じました。
 派遣委員からは、地域住民との連携の在り方、学童保育における発達障害児への対応、配偶者からの暴力への対応状況等について質疑が行われました。
 最後に、東近江市にある万葉の郷ぬかづかを視察いたしました。
 ぬかづかは、後継者問題等に対応するため集落一農場方式による集落営農に取り組み、環境に優しい米作りを実践しております。
 女性を構成員とする加工部では、地元の食材を使った米粉パンやソフトクリーム等を製造し、直売所ではこれらの商品とともに地元で取れた伝承野菜等も販売しております。また、八日市養護学校とのサツマイモ交流等も実施しております。
 派遣委員からは、収穫される農産物のうち直売所で販売される割合、農業分野における若者の就業促進策、総合学習や職場体験を通じて農業のすばらしさを伝えることの重要性、環境こだわり米探検隊等の自然体験事業を行うことの意義等について質疑が行われました。
 我が国においては、少子高齢化を背景にコミュニティーの再生が重要な課題となっております。今回の派遣を通じて、女性や高齢者を中心とする地域住民の方々が主体的に地産地消や多世代交流に取り組むことで地域が活性化するのみならず、住民自身が活力を得ている姿を拝見することができ、限られた時間ではありましたが、充実した調査を行うことができました。
 最後に、今回の調査に当たり、滋賀県を始めとする関係者の皆様からの御協力に対し、心より感謝を申し上げ、報告を終わります。
#5
○会長(田名部匡省君) 以上で派遣委員の報告は終了いたしました。
    ─────────────
#6
○会長(田名部匡省君) 少子高齢化・共生社会に関する調査のうち、「コミュニティの再生」を議題といたします。
 本日は、「地域コミュニティの再生」のうち、「地域コミュニティの活性化と経済的自立」について参考人から意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人は、江戸川大学社会学部ライフデザイン学科教授鈴木輝隆君、民俗研究家・「鳴子の米プロジェクト」総合プロデューサー結城登美雄君、陽気な母さんの店友の会副会長石垣一子君及び由布院温泉観光協会会長・株式会社玉の湯代表取締役社長桑野和泉君の四名でございます。
 この際、参考人の皆様方に一言ごあいさつ申し上げます。
 本日は、御多忙のところ本調査会に出席をいただきまして誠にありがとうございます。
 参考人の皆様方から、「地域コミュニティの再生」のうち、「地域コミュニティの活性化と経済的自立」について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願いいたします。
 議事の進め方でございますが、まず参考人の皆様方からそれぞれ十五分程度御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。
 なお、質疑につきましては、あらかじめ質疑者を定めず、自由に質疑を行っていきたいと存じます。
 また、意見の陳述、質疑及び答弁のいずれも着席のままで結構でございますので、よろしくお願いいたします。
 それでは、鈴木参考人からお願いいたします。鈴木参考人。
#7
○参考人(鈴木輝隆君) 江戸川大学の鈴木ですけれども、座って話させていただきます。
 私は、一年のうち半分ぐらい全国を歩いたりしております。それで、気が付いたことを少しお話ししたいと思いますし、それから事前に三つほどの資料はお渡ししてあるわけですが、「地域ブランドづくりとは、風景を残すこと」ということと、それから「わがまち元気」ということで内閣府の方に書いております、新住民が半分ぐらいという千人足らずの地区ですが、そこのコミュニティーの話と、「農山村をローカルデザイン力で再生する」と、事前にお渡ししてある資料の方にあるかと思いますけれども。
 それで、私は地域づくりが第二ステージになっているというふうに思います。それは、市町村合併をして、平成十一年に三千二百三十二あったところが今千八百六十ぐらいに、千七百六十ですかね、千七百六十ぐらいになっているわけですが、市町村合併をするということで、本当に歩いてみますと、行政が身近になくなってしまった地域が増えてきたということ、それから行政が財源がなくなってきてしまったということで非常に厳しくなっていると、それから少子化によって若い人がいないというようなことが現実に出てきています。
 賞味期限がある意味で切れてきたといいますか、限界集落といいますが、限界社会というようなことさえ出てきているというふうに思います。予想もしないことが起こってくるということは、本当に急激な社会の高齢化と、それからグローバリゼーションということで、そのことが本当に地域の雇用もなくし、いろんな問題が起きています。
 賞味期限が切れるというのは、地域の中で資源を使っていけば劣化する、それから時代が変わってくる、時代への対応が遅れてくるというようなことで駄目になってくるというところが多いわけですが、いろんな施策を今までしてきても、いい施策をやればやるほどそれをまねするところが多くて、一般化されて、全国が均質化してくるというような状況になって、形式がみんな同じようになっていくから精気が消えていってしまうというようなことが起こってきたというのが今の現状だと思います。全国どこへ行っても均質化してきた傾向が非常に多くなってきていると。
 それは今までの、どちらかというと国の方がいろんな政策を出すとそれに飛び付くというようなことをし続けてきているというような現象が出て、自分たちのことを余り考えることがなかったということですね。それが平成の大合併を境に私は変わってきていると。
 今、その中で、地域の中でやってきたことを見直すということをやっています。例えば長野県の小布施町というところは、人口が一万二千ぐらいですが、そこで町づくりを三十年ぐらいやってきたわけですね。今は観光客が百四十万人ぐらい来ています。
 そこで、今までやってきた町づくりを、民間主導でやってきたところですが、事業をやって半分、検証をやって半分ということで、今見直しをしています。例えば農村部には人口が、そういう小布施であっても人口は減って、農村部の方は観光客も来ていないということで、同じ町の中でも格差が出ているということで、五年ぐらい農村部のお手伝いをしてくださいということで言われています。
 そのほか、由布院の方も後で桑野さんが言われると思いますけれども、桑野さんのお父さんの溝口薫平さんが地元の新聞にずっと由布院の歴史を掲載されていますけれども、今までやってきたことをどうやって検証していくかという、冷静に地域づくりを振り返る時代になってきていると思います。
 それは、先ほど言いましたように、地域を担う主体が行政だけではなくて新しい住民が出てきたということですね。ですから、住民と行政から今までの形式を抜け出るような、そういうようなことが生まれてきていると。そういう意味で、今日、国や県、市町村、コミュニティーの関係を再考しなきゃならないところに来ているということが一つあります。
 それから、半島振興法とかそういうところのお手伝いもしているんですが、今中心のないネットワークが出ています。それは、今まで国が中心になったり行政が中心なんですが、住民のNPOとかそういう人たちが、海岸に流れ着いたごみはどうするんだといったら、それを焼いて炭にしてこうやるとか、そういうことをインターネットでみんなが連絡し合うということで、国の半島振興法でやっている事業で住民の人に五十万の助成金を出すというようなことをやっているわけですが、それは国を抜いて、全くコンサルも抜いて、自分たち同士で知恵を出していくということが今、そういう地域づくりが起こってきているということがあります。
 今までの地域づくりといいますか地域経営の活性化というのは、箱物を造って、自分のところの無い物ねだりで、次には公民館を造って、公民館の次には図書館を造って、美術館を造ってという、そういう整数を付け加えていくというのが今までの地域経営だったと思います。
 今はそれをどうやって使っていくかと。それは指定管理者とかもありますが、小数点一と二の間には一・二五とか一・三六とかいろんな工夫があって、それを今住民の人はし始めている時代で、小数点以下といいますか、非常に小さな差異の中にいろんな工夫があるということで、今日もそんな話を聞かしていただけるんじゃないかなというふうに思います。
 ちょっと地域づくりが第二ステージということでお話ししたのは、地域の賞味期限が切れてきたからもう一度振り返って地域の在り方を考えてみようということが起こってきたと。それは、非常に厳しい環境にもなってきたから住民一人一人が考えなきゃいけないと。それから一方では、そういう住民の人たちが中心のないネットワークをつくりながら工夫をしてきている、小さい工夫をし始めていると。それをどうやってこれから、そのことを我々も学んで、そういう小さな動きを、大きく日本を変えるようにしていくかということだと思います。
 その事例として長野県の大町市美麻地区というところなんですが、非常にここは面白いところで、ここは北アルプスの近くで、過疎で豪雪で、なおかつ編入合併を平成十八年の一月一日にしたということで非常に厳しいところだったわけです。人口は千百人ぐらいしかないわけですが、今まで、こういうコミュニティーというのは地域の人が話し合って決めるという仕組みがなかったんです。
 ところが、新住民が半分います、ここは。どういう形でいるかといいますと、ここの三割ぐらいが定住として移住した人です。それから、クラインガルテンということで、市民農園で八十五区画あります。それで、合わせて五〇%ぐらいの人が外の人たちです。その外から来た人に自分の町の地域のことを認めなければ入れないというわけじゃなくて、その人たちの価値を認めながら一緒に話し合って決めるシステムを初めてつくったんですね。
 だから、これをお手伝いに、ここに話しに行きましたときに、何かというと最後に行政が決めてくれと、行政も金があるからということだったから、住民の人たちは自分たちのことを自分たちで決めるということがなかったわけですね。それを、物事を話し合って決めるという仕組みが生まれたんですね。
 何で外の人がそんなに入ってきたかといいますと、昭和五十五年にアメリカのカリフォルニア州のメンドシーノというところとこの町が交流したわけです。それが平成四年から小学校の五年、六年生が全員アメリカに行くということをやったんですね。だけれども、役場で英語を話せる人がいなかったんです。役場は、英語を話せる人がいないにもかかわらず、そういう交流を盛んにしようということをしたわけで、それで新住民の中に英語の塾をやっていたりそういう人たちがいたから、そういう人たちの力をそこで認めていくということが起こったわけですね。
 今、小学校の五年、六年生は向こうに行って、一年、向こうから今度は反対に子供たちが来るということを八日間ぐらいやっているわけですね。こういうメンドシーノとの訪問記というのも九回になりましたけれども、こういうものを支えるのは、新住民がそこに役割が出たからそこに一つあると。
 それから、もう一つ非常に面白いのは、山村留学ということで育てる会というのを四十年やっているんです。今までに二千人の子供たちを預かって育ててきたわけですね。
 そこは携帯電話もない、テレビもない、お小遣いもないということですから、友達に会いに行くのに十キロ歩いていって、会えなければ帰ってくるというぐらい、そういう中で子供たちが育って、数年前の十二月に子供たちが山の中に遭難したことがあるんですね。果物というか、山の果物ですからムベとかそういうアケビみたいなものを食べに山の中に入ってしまって、みんなが温め合って朝下りてきたということ。それをできたのは、山村留学に来た子供たちが中心になって、親元を離れているからしっかりしているんですね。地球一周をするぐらい歩くというぐらい、そういう育て方をしているところがある。それを四十年間やっている。
 割とこれ評価されていないんですが、このことは「わがまち元気」というものでお渡ししてありますが、これは内閣府のホームページに書いたわけですが、二千人も育てていると。そこのところにお嫁に来たり結婚したりしている人もいるし、喫茶店を開いている人もその後いるということですが、ここで育った子供たちがそういう山村の中で農業から学んで、農家に半分そして共同生活が半分ということをやったりしていると。
 非常にこれは、四十年間やってきたのをもう一度検証していく、今小学校五年に農村体験をするということですが、もっと深いところがあると。親の方が今経験していないということで、親が農業体験をしたいということで親の方が今経験を、この学校を核にしたり、同窓会がしっかりしているということで、今本当にちょっとだけ農村交流するというんじゃなくて、卒業した後も、親も子供もずっとそこの育てる会を支えているということをやっています。
 それから、先ほど言いました移住者というのは、過疎対策をすればするほど人が減ってしまったわけです、そのときに、村営住宅を造ってやったときに、それから人が増え始めたわけです。もう一つが、市民農園が八十五区画というものがあるわけですが、そこは年間三十九万円ですね。五十平米の建物、それからラウベという休憩所のところですね、それから百平米の畑が付いたところですが、そういうことをやって、そこには団塊の世代とかそういう五十代、六十代が二地域居住で来る。移住者は、今言いましたように、子供たちの世帯数は山村留学に来ている十代の世帯がある、それから二十代、三十代、四十代は移住者が来ているということですね。
 そういう移住者のための住宅を造ってそこに新しい人が住むということで、異文化を受け入れるコミュニケーション力が付いてくる。そのクラインガルテンをやったりしている人たちは、自分たちでクラフト展をやったり、その農家の美麻米というお米を買ったり、そういう交流が非常に盛んになってきたと。
 最初は都会の人に自分たちの価値観を押し付けたわけですが、都会の人たちの価値観が違うということで、物を売ったり、交流ができるということを知って認め合うということ、それで今対等の関係になってきたわけですね。そういう知的刺激を受けて、住民の人たちが決めていくということができたわけです。
 それをやるのは、合併するときに私が呼ばれたのは、メンドシーノとの交流が、大町市と合併して、編入合併ですから三万一千のところに千人が行くわけですから、自分たちのやってきた子供たちの教育というものが続けられるか、山村留学を続けることができるか。それから、メンドシーノとの子供たちの、未来をつくる子供たちを育てることができるかということを続けていきたいと。だけど、合併したら続けられないじゃないかということで、それを住民自治でやりたいという話で出かけたわけです。
 そのときに初めて気付いたのは、住民の人が自分のテーマだけではなくて社会のテーマにも取り組むということによって、自分たちが充実してくるし、子供たちを育てていくということが重要であるということ、そこを中心に動いている。全国でもコミュニティーが活性化しているのは、子供たち、教育を中心にしているところが、結構そこのところはしっかりした自治を持っていこうというところが大きいというところはあります。
 それから、小さいことでもやれば、ここではCATVで、私がいろんなことを話すと十何回聞きましたという人がいるんですが、CATVを自分たちで持っている。CATVも今度指定管理者で、大町市でよその業者になってしまうということで、住民ディレクターということで、今は住民の人がそれを撮って流すというシステムをつくるためのことを、昨年、一昨年という形で、そういうネットワークを築いたり、メディアを持つと。それから、合併した後も自分たちのメディアを持つということで、大町市ということではなくて美麻村の広報紙を出しております。それも住民が今出しています。ですから、合併しても自分たちの情報紙を持ち、放送を持つということをやっています。
 中途半端な知識や実践でなくて本当の専門性を身に付けようということで、それを九州に学びに行ったりいろんなことを学ぶのを、専門性を付けながら美麻町が、住民の人が大町市の指定管理者の温泉の施設も経営を持っていくというようなことまでやったりしています。専門性を持つことによって、そのことを生かしていくということをやっていて、今後、地域の強みとデザインから新たな商品も生み出そうということをやったりしています。
 住民で決めたことの一つには、ここのところの庁舎がもう非常に古くて、それを庁舎を建て直すというときに、公民館、図書館、そしてそこにバスを集約させてコンパクトにしていくと。バスの今までの運行計画を住民の人が見直して、何時にどういうコースを行ったらいいかということも住民の人が決めている。それから、新たに造った施設についても、どういう施設がいいかということを住民の人が決めていくということをやっています。
 この住民の人の組織というものが地域協議会ということで、合併のときにつくった、市長が諮問をすると答えるという公式なものを、それは地域づくり委員会というものであるんですが、今、全国で地域協議会がうまく機能していません、合併後の。それは、市長が諮問すると答えるということですから、自発性がないから、聞かれれば答えるということでは自発的に動かないということで、地域づくり会議というのをつくって、そして自分たちのことを自分たちで決め得る仕組みをつくって、それは自分たちが勝手に動いていくということをつくったりしています。
 ですから、今、合併のときにつくった制度的なものはなかなか動いていなくて、支所は仕事が責任持たされないということで小さくなってきているということで、ここのところが参考になるというのは、自分たちがお金を出して、まあ行政からも百万ぐらい年間来るわけですが、自分たちもお金を出して、自分たちのことは自分たちで決めて、それも自分たちが話し合って決めるということをできるというところがここの優れたところだというふうに思います。
 時間があれですので、次に、行政や、これから、こういう国会でもそうなんですが、やはり地域で頑張っている人を褒めるということが重要で、褒めてあげるとその人たちは頑張るわけですね。ところが、なかなか褒めてあげるということはしないわけですね。
 地域で頑張っている人も、何であの人がということでお互いに足を引っ張って、出るくいは打たれたり、頑張っている女性もいいお嫁さんをやったりすると、しゅうとは一番自分がやろうとするときに口説かなきゃいけない、それからだんなを口説くということで、女性で元気がいい人は、やっぱりしゅうとじゃなくて、いい嫁になるとかいいしゅうとになるのじゃなくて、自分の人生を生きていく、社会のテーマをもらって生きていくというような人が出ているわけですが、そういうときに、地域の中でそういう人を一緒に褒めていくということをしなきゃいけないと。
 行政も、あなたが頑張っているからこの風景が残ると。だから、そこで野菜を作っていればそういう野菜を作っている風景も残るし、だから、地域のブランドをつくるというのは、その風景を残すために、それを作って買ってもらう人がいるとその風景が残ると。
 山梨県に私は住んでいますが、山梨県のブドウをワインにして、それを買ってもらうとブドウの風景が残り、ワインの技術が残り、人が残り、技術が残り、文化が残ると。そういうことが地域のブランドなんですが、そのときに、住民のやっている人を褒めてあげる、そのやる気を、そういうことをどんどん褒めてあげるということを、お金は要らないわけですから、行政の役割というのは、褒めるということは非常に大きなことだと。
 国会とかそういうところで褒められると、そういう人たちは、今日も石垣さんが来られていますけれども、そういう人を褒めてあげるということを、もっと地域を見て褒めてあげてほしいというふうに思います。
 そして、ここのところで、褒めるということは、地域の人が地域のことを知っているというふうに思っていた人が多くて、行政にいたり地元の議員は地域のことを知っていると思った時点から認識は深まらないわけですから、今日の結城さんの地域学の話もそうなんですが、地域のことをいかに知らないかというふうにして地域のことを知っていかなきゃいけないわけですが、余りにも地域を歩いていなくて、小さいころ川に入ったり海に入ったかもしれませんけれども、海の冷たさや温かさであったり、そういうものを、いかに地域を知らなかったかというところから記憶の共有をして、前向きに生きている。前向きに生きているところだけが今コミュニティーも元気です。前向きに生きているというのは、それは寛容であったり柔軟であるということなんですね。
 だから、寛容であるということとか柔軟であるということは非常に、地域で生きていく、コミュニティーで生きていくときには、そういうことから問題解決していくと。ですから、どちらかというと、知っていると思って、思い込んで、そういうことじゃなくて、もう一度地域を知って課題を見付けて、それを前向きに解決していく。そのことによって、自分の地域は人を大切にするのが物差しだと。
 例えば、高知県では八四プロジェクトというのを今度やるんですが、八四%が森林であると、日本で。一番これが、八四%森林があるということは貧しいということを言われているけど、八四%がカツオをつくり、そして環境をつくり、だからそういう物差しを八四という、八月四日から八四プロジェクトというのを今度始めるそうですが、自分たちがマイナスであったというものを自分たちの物差しとして、豊かさの物差しにして、東京にも勝てないだろうと、八四%持っているところは。二番目は岐阜県ですが、そういうようなことをやっていこうと。
 そういうことによって、日本人が帰るところ、日本人が残さねばならぬ景観というものをつくっていく必要があると思います。こういう風景をバイリンガルでいい写真を撮って、いい文章で世界に出していけば、日本は誇れると思います。それが半島とか離島とか辺境の地にあると思います。
#8
○会長(田名部匡省君) 参考人、おまとめをいただきたいと思います。
 十五分程度と、こういうことでありますので、よろしく。
#9
○参考人(鈴木輝隆君) じゃ、あと一分ぐらいであれですので。何かちょっと勢いが入ってしまいまして、申し訳ありません。
 ローカルデザインということを私言っておりまして、イメージが貧しい地域は生き残れないということですね。地域にあるものをどうやって生かしていくかと。あるものを、先ほど言いましたように小数点以下で生かしていって、それをいいデザインをしていくということが重要で、デザインというのは、これは聞きますと、掃除するとか掃き清めるということだそうです。
 だから、農山村とかそういうところは余計なものを取ったのを掃除していくと。だから、日本の庭とか日本の風景というのは、簡素は豪華に勝てるという、掃除をした美しさなんですね。これは北欧へ行ったときにも日本から学んだことだということを言いましたけれども、田舎は豪華にするんじゃなくて、簡素を掃除していくと、そういうことを私はやっていくことが重要じゃないかなというふうに思います。
 最後に、一点だけちょっとお願いしたいのは、フードマイレージ減税とか地産地消減税というものをしてもらうと、地域は、地域の自給自足率、自給自足は上がり、そして環境保全にもなったり、特産品を開発できたり、観光や食育や食文化の伝承になっていくと。そして、後継者も育成できるし、地域で作ったものをその地域のもので売っていくには、そこを減税していくということになりますと自分たちがもっと作っていこうということになるし、特産品も見付かっていくし、環境的にもいいと。
 是非そういうようなことを、これからのグローバル化と戦えるときには、そういう地域の中の地産地消が一つの武器になると思いますので、是非そういうこともお願いしたいと。
 ちょっと長くなりました。済みません。
#10
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 議事の進め方でお願いしたんですが、お一人十五分程度にしていただいて、質疑がありますので、よろしくお願いしたいと思います。
 次に、結城参考人、お願いいたします。
#11
○参考人(結城登美雄君) よろしくお願いします。(資料映写)
 地域コミュニティーの再生についての話を、今日私は、地域は多様ですから都市的地域もあれば農村的地域もいろいろありますので、主に農村をベースにした地域再生と、そんな強く意識したわけじゃありませんけれども、その事例を、宮城県にあります鳴子の米プロジェクトという動きを一つの事例として御紹介して、お役に立てばと思います。
 もう今年四年目に入ったんですが、鳴子という温泉地なんでありますが、地元の人も農業をやっているなんということをほとんど意識しない。周りの声を聞けば、あそこの米はまずくて牛も食わないんだみたいな悪口を言われて、山間地にもやっぱり水田はありまして、そういうところは、おまえたちがいっぱい作るから米だぶつくから減反しなきゃいけないなんという、まあ人の苦労を余り顧みない連中に口悪く言われた地域であります。それが今、たくさんの人から注目を集めるような米になっていった。
 その背景というのは、今ありますように、お国の政策がまず一つは変わった。品目横断的経営安定対策ということ。もう一つは、担い手がどんどんどんどん減っているということ。と同時に、これは、日本の食料を支えているのは高齢者であります。海外から買えばいいという考えが比較的ありましたけれども、そういう段階ははるかに過ぎている世界情勢の変化があります。後は食べるしかない側は、買って食べる側は、食に対する不信感と食料に対する漠たる不安みたいなものを抱えている現状があります。
 それを支えている農村というのは、よく言われますように、高齢化に伴って限界集落でありますとか、人様の食べ物まで作れないような状況も進行している等々の背景からやったわけですが、御存じのように、もうこれはちょっところっと変わりましたので選挙というのは恐ろしいものだなと思って、名前だけ変わっただけですが、四ヘクタール以上の耕地を持つ認定農業者か二十ヘクタール以上の耕地をまとめた以外は政策しませんよというような、国の大規模農業の一本やりみたいなものが相変わらずあるわけですが、それだけで支えられるかという現場、現状があります。
 とりわけ、じゃ十ヘクタール、二十ヘクタールの若手後継者は東北をどういうふうに考えておるかをずっとヒアリングしていきますと、こんな看板が代表的なものだと。一応表向きは「二十一世紀も栗駒米でおいしい笑顔」と、これ岩手・宮城内陸地震の足下のところの看板であります。三十町歩ぐらいやっておる連中が書いています。世の中に、農協に合わせていますが、実際の本音は「農家崩れたっていいさ国家共々」という、冗談じゃねえよというのが若い衆の話であります。こういうことを余り見ないと、まあのんきな施策が決議されたり作られたりしていくということをいつも思っておりました。
 実際には四五%の人が、農業者の四五%が七十歳以上であります。ちょうど今ごろ、全国のあちこちで中古農機具フェアが開かれ始めます。そこで一時間、二時間農機具を買おうか買うまいかと悩むおじいちゃん、おばあちゃんの姿があります。そういう心に何が書いてあるかというと、もうやめようかと思ったが荒らしていられないので田植機を買ったけれども、大抵機械を買うとうれしいものでありますけれども、なぜかここ数年、十数年は「田植機を買ふ決心をして淋し」と。こういう方々によって辛うじて私たちの田園は守られているのではないかと、この十四、五年、歩きながら思うわけであります。
 これは全国同じでありますが、とりわけ私がおります東北にとって、農地の七一%を占める大半が水田であります。別の委員会辺りでは米どうするんだとか自給率どうするんだとかというのはあるんでしょうが、ここを御覧になっていると分かるとおり、全国では五四%が水田になっていますが、私のいる宮城県は八一%、秋田は八六%が水田であります。
 冷ややかに遠くから見る人にとっては、ばかだな、米ばかり作ってというふうに取られるかもしれませんけれども、それは開き、起こして、持続してずっとやってきてなお今日ある水田でありますから、ばかだなの一言で、こう変えなさい、ああ変えなさいと言われるようなものではなく、そこをこそ良くしたいと思って努力した、それが農地だということを、そういう水田率の高いところが、米は下がる一方だということと、そんなちっこいのは要らぬというみたいになると暗くなってしまうわけです。
 集落営農でまとまりなさいといっても、昨日までは別々にあったのを一気にまとめろといったって、利害が違う、土質が違う、水が違う、事情が、ライフスタイルが皆違うのをただ二十ヘクタールという数字で囲うことによって、かえって農村のコミュニティーをぶっ壊していく。農協はそこから、国からの補助金目当てで、ここでもう一遍離れた農民を囲い直そうとして積極的に動きましたが、言ってみれば、判こだけ押しただけで実質的には何も動いていないというのが現状だと私の目には映っています。施策がコミュニティーを壊している側面あるんだということもお忘れなくいただきたい。
 東北の田んぼは七一%、耕地の七一が田んぼでありまして、米は全体からいえば二六%の作付面積を占めています。収量は二八%ですから、お米に対しての自分たちの自負も持っているわけであります。
 そういう中でよく言われる一般的な言葉として、食料自給率が今言われています四〇%、低いとか、これは単なる目安の話であって、米粉を食わせれば何とか上がるんだという、事務方がただ数字を合わせるための自給率というのは実態がないというふうに私は思っています。
 むしろ、今問われるべきは食べ物を生み出す力、それを自給力と私は呼んでいます。自給力は、食べる人と作る人を分子と分母に分けたわけです。食べる人は遠慮なく、一億二千七百七十万人、自給率が低かろうと何であろうと食べておりますから、しかし作る人はどれだけいるかというと、漁民二十一万、農民三百十二万、合わせて三百三十万、二・六%の人が残り九七%の安全、安心だとか、あるいは食べ放題とか、おいしいとか、「まいうー」みたいな話の人たちを支えていると。十年後、この数字どうなるかというと、約一・二%になるだろうというのが私どもの予測であります。
 つまり、作る人を失って、どのような将来の展望があるのかということを問いたいわけでありまして、安全、安心、食の安全、安心、もとより大事でありますが、その前に食べ物の安定というものを得て初めて、安心や安全は問われるものだと思って、本末がちょっと逆転して動いておるなという感じがいたします。
 食べ物を支えてくれている人、おじいちゃん、おばあちゃんたちが中心であります。別におばあちゃん、おじいちゃんのコレクションの写真を持ってきたわけではありませんけれども、こういう方々を十五年間訪ね歩いてまいりました。農業者の七割が六十歳だという現実、四五%が七十歳だと百四十一万人です。これで、日本のこれからの食卓大丈夫だろうか。上げなきゃならない自給率、そのとおりでありますが、自給力が激減していくこれからの十年、どういうふうに見据えて私たちは考えていったらいいかということであります。
 悲観的な話は私だけのことかもしれませんが、申し上げておきます。日本の食べ物はこれからもあり続けるでしょうか、それとも、なくなるんでしょうか。どちらの前提に立つかによって随分発想と展開は変わってまいります。
 私は四、五年前まではあることを疑いませんでしたが、この五、六年前から、東北農山村を歩きながら人を失っていく過程に付き合わされたせいか、これからはなくなっていくのではないかと思わざるを得ません。なくなってほしくないという切なる思いを思いながら、いろんなデータを見ていきますと、このとおり一九七〇年、一千二十五万あったのが、今三百十二万に減りました。五三%は女性であります。
 これだけはちょっと覚えておいていただきたいなと思っているんですが、年齢であります。七十歳以上が四五・二四%です。六十歳代が二三・五三%。十年後、二〇一七年、八年後ですが、残念ながら七十歳代は現役として田園に立つことは難しいだろと。六十歳は確実に七十歳になります。若手という三十九歳以下は二十八万人しかおりません。これが安い米、安い農産物、報われない労働ということで、果たして私たちの食の支え手になってくれるのかどうか心配であります。
 所得が公共事業、構造改革等々でこのように十年間で半減しているという、そういう数値もあります。これを農水省のデータから推算していきますと、米作りの家族労働が最低賃金法六百七十三円の二〇〇六年現在、米作り農家は時給二百五十六円だという結果であります。あえて言えば労働基準法違反なんですが、労働基準法適用外の職種が農業でありますのでこれは違法にはならないわけでありますが、しかし働く現実の人間にとっては極めて厳しい、いつやめてもおかしくない、続ける理由が見付からないという、そういう状況かと思います。
 そういうことを背景にして、お国はああおっしゃるがどうせ農政の枠内に入らない小さな農家の集まりである鳴子六百二十農家、そのうち国の政策に引っかかるのはわずか五軒、九九%は対象外でありますからあきらめておりましたが、あきらめないでみんなの個々の力を集めてやろうじゃないかということで始まったのが鳴子の米プロジェクトといいます。
 CSA、コミュニティー・サポーティッド・アグリカルチャー、つまり自分たちの食べ物、農業を支えるというのは、自分たちの食べ物を作ってくれる人、それを私たち地域が支えていくというCSAの動きであります。それが地域で暮らしていく安心のもとになるんだという、そんな勉強会を何度か続けまして、鳴子温泉、今のところこの十年間で農地は、水稲作付面積は六百四十三から随分下がってきました。増えるのは、耕作放棄が十年で四・五倍であります。
 そういう中で、隣人である観光業とか様々な非農家もこういうことに気付かなかったんですが、同じ問題を話し合う場を設けましたら、それは知らなかった、何かできることはないのかということで始まりました。
 約束したことは、当時、平成十八年、一俵一万三千円だったお米の値段を五年間一万八千円にして保証するということを決めました。このことによって、最初農家はそんなことができないと疑っておったのですが、このプロジェクト自体がちゃんとそれを保証しますということをやったら信じてくれて、現在四年目になっています。一俵を食べてくれる人には二万四千円。その差額の六千円を、保管料とか事務経費に千円ぐらい掛かるんですが、一俵当たり五千円は次の世代の若者たちが農業をやっていく、そういうものに使うために今プールされ、NPOができ上がり、今それが動く方向になっています。
 世の中は四大ブランドのお米がシェアを占めて、コシヒカリ、ひとめぼれ、あきたこまち、ヒノヒカリでありますが、山間地であれば寒いところでもちゃんと育つ、おいしく育つ米、適地適作の品種を新しくやり、一年目三十アールを十アールずつ三人やり、二年目三ヘクタールをやり、三年目十ヘクタール、七百俵ぐらいを昨年暮れに売り切ったところであります。
 今年度は三十ヘクタール、約七俵取れますので二千百俵。一人一俵食べる時代ですから、二千百人分の米と換算して、私どもは、農家は二千百俵をしっかりおいしく大事に作っていただいて、私たちは二千百人の食べてくれる人を探し、つなぐというそれでありまして、来年は百ヘクタールまで行きたいものだと。今のところ、おかげさまで進んでおります。
 地域というのは、寒いところもあればあったかいところもあります。ここは五月の半ばになっても雪が残るようなところでありますから、同じコシヒカリだとかひとめぼれでも、これはもっと差があるので、その土地なりの天日乾燥を原則にしています。これは労働風景をきちっと残したいという思いからであります。商品としてのお米作りにとっては面倒なんでありますが、食べ物を作る人たちによって支えられている風景を小学生、中学生、地元の人にももう一度思い起こしていただきたいというところからこんなこと、天日乾燥というのをただやっているわけでありまして、これだけが鳴子の米の栽培条件で、無農薬とか有機とか、そういったしゃらくさいことは言っていません。
 お米は、もう食べるわけじゃなくて、私たちは御飯を食べるんであるので、無名の米でもおいしく炊ければおいしく食べていただくということで、農家のお母さんたちにたくさん実験をしていただいて、この米は通常のウルチの八五%の水分で炊くとおいしくなるということが分かりました。低アミロース米であります。それらをお母さんたちが百種類のおむすびにしてくれました。たくさんのおむすびを食べてもらうことによって、ただ買ってくださいね、おいしかったら、よろしかったらという場をたくさんつくりました。
 そうしますと、地域にいる人たちがその動きを見て、漆の職人がおむすびを乗っける器を無料で作ってくれたり、様々な動きが出るようになりました。選別を厳しくしていますからくず米が出ますが、そのくず米を町のお菓子屋、パン屋が四十種類の商品にしてくれています。そういう意味では、地域はお互いを思う力をまだ失ってはおらぬというふうに私は思いました。
 コミュニティーとは、向こうの英語の辞書なんか見ますとシェア・ウイズ・アザーズと書いてあります。他者と何かを分かち合うことによって生まれるものをコミュニティーというふうに私は思います。食べる側と作る側、一緒に暮らす者同士がお互いシェアするものを共有していかないと、そこからは上っ面のコミュニティーしか多分できないだろうと思います。
 いろいろ苦労は多いんですが、同じ中山間地で国から切られた連中がみんな四百五十人集まって試食会やりました。
 これが鳴子の米のマークでありますが、このマーク、「豊」という字であります。白川静さんの殷、周の時代の文字で、今、「豊」は上の方は曲がるになっていますが、その当時の「豊」は上に稲束、ヒエかアワかキビ、それらを器に盛った状態を「豊」に、身近に食べ物がたくさんあることを「豊」という字に託したのが中国の漢字であります。現在は、この上に株券と現金というのがこの国の行き詰まりの姿だと思い、あえてこういうのをマークにしました。
 それでも高い高いと、二万四千円を高いと言う人たちに、御飯一杯が幾らかということを分かってもらうためにやったわけです。二万四千円を高いと言う人たちも、御飯一杯が千杯取れますので、一杯二十四円であります。業者の人には申し訳ないんですが、仙台名物笹かまぼこ、六分の一切れ二十四円であります。ウーロン茶、コップ一杯二十四円であります。チョコポッキー、五本で二十四円でありました、このごろ小麦が上がって四本に減りましたが。
 そういう意味では、案外私たちは地域を知らないと同じように、私たちを支えている食べ物のイロハについても知らない者同士がつまらない数字の上げ下げだけで見ているような感じもいたしますので、それを確認できる距離を持った、近さを持ったのが私は地域だと思っています。
 二年目、こんな田植にたくさんの人が集まり、たくさんの人が遠くから、日本中から手伝いに来てくれたりするようになりました。
 最後に、二年目から始めた新聞見開き一ページを鳴子の米三十五軒の農家が今やっていますが、その三十五軒の農家が一日だけ刈り残します。ここに御飯三ぜん、私たちが、一日に日本人が平均で三ぜん食べていますが、その三ぜんを支える稲の大きさがこのぐらいなんだと。言わば、こういうことをやりますと、若い人たちがじっと見て、これに手を合わせ始めた姿から私はちょっと思い付いたわけですが、今ではこんなふうに、もう一遍食べ物を育ててくれる自然環境や様々なものに対して向かい合う、余りに商品化、市場経済に翻弄されたために物が持つ心やそれを支えてきた人たちを見失わないように、私たちはこんなことを今やっているわけであります。
 粒よりのものを届け、そうしますと、最後に申し上げますが、新幹線駅で売っているこれ弁当であります。仙台指折りの大型のお弁当屋さんですが、当初、一万二千円で買いたいと来ました。私たちは一万八千円払っていますから、無理ですからお引き取りくださいと申し上げたら、二度三度やり取りをやったら、企業も何を思ったか、二万四千円、あなたたちの運動なり考え方に共鳴しますということで、一俵二万四千円で作っていただいております。ちゃんと話し合えばあきらめないで良い方向に、食べ物の安さで苦しむ農業、時給二百五十六円を超えて、時給最低賃金に近づけるための一歩として一俵一万八千円をやった。
 コミュニティーは、恒産なくして恒心なしということであります。しっかり安定した農業という仕事をつくらなければ、そこにおける人々の心もまた屈してしまったり拡散してしまったり折れてしまったりするものですから、一番大事な食べ物を作る仕事をしっかり続けられるような、その根底のところだけは目を離さない、見据えて、そこだけは絶対外さないということが大事だなというのが私の経験であります。
 以上です。
#12
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 冒頭申し上げましたが、十五分程度の御意見をお述べいただいて、質疑がありますので、そのときにまた詳しくお答えをいただきたいと、こう思います。
 それでは次に、石垣参考人。
#13
○参考人(石垣一子君) 私の方からは、これまでの活動を紹介させていただきたいと思います。
 私は、秋田県大館市から参りました石垣一子と申します。
 当地は、渋谷の忠犬ハチ公が生まれた町です。北部は青森県に接し、東は国立公園十和田八幡平の豊かで広大な自然が広がる、そのようなところにあります。農業の特徴は、耕地面積の九〇%を水田が占め、農畜産物の販売額順で見ますと、米、畜産、葉たばこ、野菜、果樹となっております。このような地域で、私たちは農産物直売所、陽気な母さんの店を立ち上げました。運営する組織は友の会になります。
 現在、秋田県内には百八十四か所の直売所があります。直売・加工活動の販売総額は四十三億円ほどです。大型の直売所はほとんどが公の事業を導入しながら設立されておりますが、私たちは施設をリースするという形で直売所を運営しております。平成十三年のオープンからですから、今年で活動九年目になります。販売実績は、平成二十年度で一億八千六百万円ほどです。まだまだではありますが、オープン以来、順調に販売額を伸ばしております。そして、そこに参加しているお母さんたちは、ますます元気に、そして家族や地域と良い関係づくりをしながら生き生きと頑張っております。
 それでは、お手元の資料の項目順に説明させていただきます。
 最初に、友の会の設立です。
 設置運動のきっかけは、農山漁村生活研究グループの活動からでした。県単事業のいきいきむらづくり事業を導入したことが始まりです。事業では、農村の現状を整理し、打開策を考えました。申すまでもなく、私どもの農村は、相変わらず元気がなく、努力しても所得が伸びず、担い手に希望ある経営を託す状況ではありませんでした。私たち農村女性は、何か自分たちができることでみんなが楽しく元気が出るような、そして実益を伴ってやりがいがある、少々欲張りな活動を模索しました。
 ちょうどそのころ、周辺地域では、小規模な直売活動が、直売所で農産物を販売する活動が始まっておりました。農産物の販売代金は女性の口座に直接入金されるシステムで、そのことがとても新鮮で、魅力的な取組として注目されておりました。直売所では、朝取り野菜や漬物など地場で生産された新鮮な野菜や加工品が地元消費者に直接提供され、消費者も生産者も生き生きと活気を見せていました。その直売活動に参加していた私たちは、直接農家に所得をもたらすという満足感だけではなく、消費者と生産者の間に今までにない新しい関係づくりが生まれるなど楽しさを感じておりました。このような生産者と消費者の活動の輪を広げ、地域を元気付けよう、そう考えて運動を始めました。
 しかし、問題は幾つかありました。
 まず、秋田県は冬期間が長いため、六月から十一月までの半年間の直売活動が精いっぱいでした。このため、通年の活動ができるように冬期間の農業生産を上げる必要がありました。
 また、組織の運営は自主管理できていませんでした。女性たちが自ら組織の中心になり、もっと売上げを伸ばしていくという発想とノウハウが必要でした。女性であっても新しい感覚で運営する組織をつくり、農家の所得を増やし、地域の元気をつくり出そう、そのようなビジョンを掲げました。
 後押ししてくれたのが地域にある県の農業改良普及センターでした。冬期農業への取組、加工品開発への取組、もっと所得を増やす方法や女性農業者であっても大型直売所の設置が可能である、こんなことを確認することができました。
 また、自分たち女性の生き方として魅力的な頑張りを見せていくこと、さらには、農業者が、農業の魅力を生産者自らが発信していかなければ若い担い手の確保につながらない、そんな思いをこの設置運動に込めました。
 私たちは、集団の力を発揮すべくリーダーを明確にし、市、行政へ協力を引き出しながら、その実現のために活動を進めました。何といっても、私たち農村女性の強みは団結力と粘り強さです。目的達成に向けて百名から成る設置要望の会をつくり、研修会、地区座談会、市議会議員との情報交換、JAへの協力依頼、市長を囲む会などを開催しました。
 そして、ようやく市、行政が公的事業の導入に積極的になったころ、突然、果樹地帯の男性七名の農業者から市役所に反対陳情が出されたことにより、私たちの直売所設置は方向転換を余儀なくされました。そして、大きな決断の末、直売施設をリースするという形でオープンすることになりました。私たちの運動は、結果的に残念ながら公的事業の導入は実現できませんでしたが、地元の実業家の支援を受け、土地、施設一式をリースして直売所をスタートさせることができました。
 契約内容は、リース料として月四十二万円、契約期間は十五年とし、支払は会員の出資金と売上手数料からという大きなリスクを背負ってのスタートでした。リース料は年間五百四万円、現在、施設を拡大しましたので五百十六万円になっています。
 次に、友の会の運営体制です。
 直売所の運営は、出資者を構成員とする陽気な母さんの店友の会八十八人です。基本方針は四項目あり、一、消費者ニーズの追求、二、高付加価値化の追求、三、地域食文化の発信、四、地域との連携になっています。運営体制は資料を参考にしていただきたいと思います。
 特徴は全員参加型の経営です。会員による持ち回り当番制を取り、毎日三人から四人が商品管理などに当たっています。このほか、食堂運営や事務整理には地元から雇用を入れ、現在十一名のパートが活動をサポートしてくれております。また、月例会の役員会、全員会議の出席率は九八%と高く、会員のやる気を喚起していることにも特徴があると思っております。
 次に、活動内容と地域とのかかわりです。
 活動内容は六項目あります。一、安全、安心な農産物及び加工品の販売、二、食堂での地産メニューの提供、三、弁当、総菜の販売、四、会員制宅配の発送、五、学校給食への食材提供、六、体験受入れなどが特徴的な活動です。それも、いずれも会員一人一人が得意技術を発揮する仕組みづくりをしております。
 活動内容ですが、立ち上げから実践まで、地域とのきずなを大切にした地域密着型の活動こそ私たちの信条です。立ち上げ時には広域合併前の旧市内を範囲として会員の募集を始めたのですが、関係機関、多くの関係業者、学校、福祉施設、商店街などと連携した活動を進めております。
 学校給食への食材提供では、六直売所で市内十八校、五千九百食分の食材を提供しておりますが、私どもは七校に三千五百食分を担当しております。六直売所で連絡会を組織し、フレッシュ野菜供給会としておりますが、そのシステムの構築から展開に当たってはリーダー的役割を発揮しています。
 体験交流では、多彩なメニューを先駆けて構築し、積極的に児童や修学旅行生受入れを行い、地域への定着を目指してきました。
 商店街との連携では、空き店舗活用に一役を担い、移動直売所を開設したり、レストランにも地元の野菜を積極的に活用していただけるようにネットワークを組んでおります。また、市内の若い農業者に対しては、直売スペースの提供を行うなど、生産と販売活動に積極的にかかわれるよう支援しております。
 このように地域の連携を大切にした活動ですが、私どもの直売所の利用者は、市内からが五八%、周辺市町村を含めますと六七%になります。また、リピーターがほとんどですので、暮らしに役立つ企画を工夫し、毎週木曜日はサービスデー、毎月第二土曜日はしゅんの野菜を使った試食コーナー、ふるまいの日を開催するなど、皆さんに喜んでいただいております。
 最後に、友の会の課題と将来展望について、四つほど申し上げたいと思います。
 一つ目は組織についてです。活動から九年目を迎え、会員も高齢化してきました。将来とも安心して活動の継続ができるよう、しっかりとした運営が求められております。将来とも力強く発展できる経営体の再構築を目指していかなければならないと思っております。
 二つ目は経営管理の充実です。役員体制は十二名で、四名が役員報酬をいただいておりますが、役員が頑張れる報酬を考えていかなければならないと思っております。しかし当面は、会員の当番、日当支払を充実させていきたいと思っております。平成二十年度の支払額が一日当たり一人三千三百円でした。更にアップを目指し、経営の充実に努めてまいりたいと思っております。
 次に、学校給食についてです。
 昨年、中国産冷凍ギョーザの農薬中毒事件が発生しましたが、以来、学校からの発注が急激に伸びました。地産地消を合い言葉にしていても、なかなか納入数量を伸ばすことが難しい状況でしたが、驚きでした。生産者は高齢者といっても需要にはまだまだ十分こたえる力がありますので、今年は地産地消と食育を合い言葉に良い関係づくりを高めていきたいと考えております。
 最後に、交流事業についてです。
 地域資源である地元温泉施設を結び付けた事業の定着を目指しております。体験受入れにつきましては、宿泊施設を持っている温泉が今元気がありません。うまく連携をしていく方法を考えております。さらに、農村の暮らしや農作業体験等を提供し、子供たちと触れ合う機会を増やすことは地域の活性化対策として、また子供たちの豊かな育ちを手助けしていく上でも多くの可能性を秘めている分野だと思っております。受入れ側としてのシステムづくりやその支援内容に十分こたえていけるよう、今後とも努力してまいりたいと思います。
 これで事例紹介を終わります。御清聴ありがとうございました。
#14
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 次に、桑野参考人、お願いいたします。
#15
○参考人(桑野和泉君) 本日は、このような機会をいただきまして、ありがとうございます。
 先ほど合併のお話がございましたが、今私ども由布院は、三町が合併いたしまして三万七千人の由布市になっております。その意味でも、私どもは、しっかりと自分たちの由布院盆地というところの観光を考えていくということが必要ではないかと思っております。町づくり、地域づくりというのはやはり、私自身思うことは、歩ける範囲であると。昔でいう小学校区のことが私は必要ではないかと思っておりますので、今私どもは、由布院温泉の観光をしっかりやっていくことが由布市全体につながるというふうに考えております。(資料映写)
 さて、由布院の場所でございますが、今でこそ由布院は行ってみたい、由布院いいねと言っていただいておりますが、この地図を見ていただきましても、東京からの距離はこれだけございます。
 九州の中におきましても真ん中の位置にございまして、決して交通の便がいいところであったわけではなく、また由布院という名前の響きが良かったということは今評価されていることでございまして、実は、先ほど見ていただいた由布岳のふもとの由布院盆地は、昭和二十年代はダムにしようと言っておりました。
 また、私は一九六四年の東京オリンピックの年に生まれましたが、私の子供時代、高校に入るぐらいまで由布院は奧別府と言われていました。とても由布院という名前では人に覚えていただけないと。ですから、今の由布院があるのはこの二十年ぐらいでございます。
 私どもの町はこの盆地の中に、今人口がこの由布院温泉の中には一万人、年間四百万人の人にいらしていただいております。定住と交流の人口が同じ町でございます。ここの土地を見ていただきまして、温泉街というのは私どもにはございません。どこでも温泉が出る町でございます。ですから、何よりも私どもが大事にしておりますのは、この地形を生かした、最大限生かしたものをつくっていこうと。
 それはどういうことかと申しますと、大正十三年、一九二四年に、私どもの町に日比谷公園や明治神宮の外苑を設計いたしました本多静六博士が来ております。その博士が一日だけ講演くださっているんですが、由布院が目指すのはドイツの保養温泉地のようなところである、健康を重視した町を目指しなさいと。そして、公園を造るんではなくて町全体を公園にすべきである、安易な開発をすべきではないと。町を見ていくときには専門家として長い経験というものが必要であるので、そういうことに関して百年の計で物を見ていく、そういうようなことを残してくださっております。
 それから、私どもの町が言えることは、もちろんダムになろうという時代もございましたが、やはり長い目で見ていく、そういう意味では、この地を見ていっていただきますと、小規模点在の滞在型保養温泉地というのが私どもの生きる道ではないかと思っております。よく四百万人のお客様が来る町でしたら、より多くのお客様をもっと来ていただきたいんではないか、また宿泊施設も増えていっているんではないかと、そういうことを言われますが、宿泊施設は百二十軒ほどございまして、十二・四室でございます。
 ですから、あくまでもこの土地に、この中に存在するのは大きなものではないということで、小さな旅館、施設を造り、そして私どもは温泉地であり、もう一方で農村です。これだけの農村というものを抱えているわけですから、私どもが観光するということは、地域づくりをしていく上でもこの農村との関係なくしてございません。
 今私ども、これは年表がございますが、旧湯布院町の取組とございます。ダムにしようと言った町の後から、一九七〇年代から、私どもは住んでよし、訪れてよし、自分たちが誇りを持てる地域をつくっていこう、小規模点在の地域との共生のある町をつくっていこうということで動いてまいりました。
 そうしていきますと、やはりいろんな問題点は出てまいりますが、住んでいる人たちが楽しめる町、交流ができる町、そして地域経済を支えるような町にしていくと。その上で、交流人口が増えていくに従いまして、由布院の人口というものが減っておりません。あれだけの、例えば今、人口が一万人ぐらいの町が平成の合併のときに言われたことは、都市部の近くの町は人口が減らなくて、増えていっているかと思います。
 でも、私どものように、大分市から見ましても、車で今高速ありましても五十分、電車では一時間以上掛かります。福岡からも一時間半掛かる。そういうようなところで人口が減らないというのは、この町が観光交流をしてきたことの成果ではないかと思っておりますし、同時に、働く場があると。この赤線というのが由布院地域で働く人でございます。決して豊かな町ではないわけですが、皆さんが働ける場をつくっていく、そういうことをしていくことによって、人口が減らずに、また周辺部の人たちの働く場になっていっていると思います。
 繰り返しになるんですが、私たちが言い続けていることは、住みよい町こそ優れた観光地であるということでございます。
 また、私は旅館業をしておりますので、この旅館を見ましても、私ども観光だけで成り立っていることではございません。地域があってこそ成り立っていると。地域の皆さん、特に農村である私どもは由布院の食卓というのを大事にしてまいりました。これは昭和四十年代後半からしていっていることではございますが、私ども観光業、外との交流をしていく者ができることは、皆さんとのつなぎ目であること。そのためには、いらしてくださる方たちに由布院のものを食べていただく。お金をいただくということですから、ただそのままを出すんではなくて、そこは料理人やまた経営者を含めて、皆さんにそれをよりよく召し上がっていただくということをしてまいりました。
 これは私どもの朝食なんですが、クレソンのスープとクレソンのサラダ、こういうものは農家の人、昔は由布院の町の中でもどこでもクレソンというのは取れました。でも、環境が変わり、クレソンというのが取れなくなると、農家の人たちにクレソンを作ってくださいとお願いし、クレソンを作ってもらう。クレソンを生のままで召し上がっていただくのと、また料理人の技が入ることによってスープが生まれると。このスープが生まれることによって、クレソンが例えば百円の価値であっても、スープになると千円、千五百円のものを生むと。
 また、農家の方たちだけではなくて、今、生産者の方たちとのつながりもございます。それは、いろんな方たちが地域で生きていくという意味では、チーズを作る人たち、生ハムを作る人たち、そういう人たちが地域に移り住んでくる。それを今度は私どもがちゃんとお客様にお出しすると。そのときに、じゃ、おいしいフレッシュチーズであればどういう組合せがいいのか、それを考えるのが私どもの観光業また旅館業の役割ではないかと思っています。
 この食卓の中がより由布院のものになっていく、また由布院近郊のものになっていく、これが人口を減らさないことでもあると思いますし、私どもが地域で生き残っていける方法ではないかと思っておりますので、このことを続けてやっていきたいと思っております。
 一方で、私どもの町は、多くの人たちがかかわらないと町づくりというのはできません。旅館経営者の私が幾ら言いましても、それは机上論でしかありませんので、今この十年始めていることは、料理人たちが農家の人たちの現場に行って話そうと。そこで話すことによって、今まで使えなかったと思っていたトマトであったり、キュウリであったり、ネギであったり、それが料理人の技が入ることによって生かされると。直に料理を作る人たちが農家の人たちに話していくことによって、よりいいものを作っていけるようになってくると。
 その関係性、より多くの人たちを巻き込むということで、今、こういう料理人たち、また料理研究会というのをつくっておりまして、町の中の多くの人たちが参加していく。特に、料理人のように一番食というところと身近な人たちが地域に何を還元できるか。その彼らがやはり由布院で料理を作るという意味を分かり、その意味で一皿、一皿を大事にしていくということが、交流人口を持っている私どもの町の使命ではないかと思っております。
 ちなみに、私どもの料理人も含めて、朝の仕事は何かといいますと、農家のところに行く、あとは直売所に通う、そのことの繰り返しでございます。でも、由布院にいらしてくださる方が何を求めているか。それは、由布院で取れた新鮮なもの、しゅんのもの、それをいただきたいと思っている。そのことを私どもは外につなげる役割があると思っております。
 また同時に、お料理だけではなくて、そのお料理が乗る器というものもございます。由布院にいろんな物づくりの人が移り住んできております。その物づくりの人たちがやはり食卓に乗れるものをつくっていく。それをまた、料理人、料理だけではなく、私どもが使っていくことによって、一つのものがちゃんと地域につながっていくと。
 大分県は林業県でございますので、風倒木とか間伐材がございます。それは価値を生まないものであっても、一人の職人がその技をもってすれば二千円、五千円、一万円のお皿になる、器になる。それを私どもは外の皆さんにつなげていくと。そういうことによって、その器を作る方のところに若い人たちがまた修行に来る。そういう小さなことなんですが、その繰り返しをしていっております。
 もう一方で、今、出会いの場としてというのがございます。私どもの町は農村というお話をしましたが、非常に開かれているとは言い難いような人間関係も多々ございます。地域の人にとって、外の人たちが入ってくることは決して居心地のいいことだけではございません。そういう面で、三十年近くやってきたことは出会いの場をつくっていくことでございます。
 出会いの場の一つは、いろんなイベントがございます。由布院のイベントはもう三十年以上続いております。それは、私たち迎える側も楽しむ、いらしていただく方たちも楽しんでいただく。そこは小さな町ですから、大きなホールがあるわけではない、映画館があるわけでもない。でも、やれることは、良質なもの、この町でしかできないことをしていこうと。
 音楽にしろ、室内楽であったら我が町でできると。では、室内楽の若手を呼んでやろう、その質を保っていこう。映画祭にしろ、日本映画を、由布院だから見れる映画をやっていこうと。そういうことの良質なものを絶えず町の中でしてまいりました。そのことによって、町の人たちが、最初は映画祭、音楽祭と言っていた方たちが、自分たちもお金も出します、また夜のパーティーにもいらっしゃる方もいると。公民館でありますから、その映画祭に参加する、パーティーに参加すると。地道なんですが、外とのつながりを持つ、良質な空間を持っていくということをやり続けていくことは重要ではないかと思っております。
 また、一番上に牛喰い絶叫大会というのがございます。私ども観光のメンバーがやれることは、出会いの場をつくることです。由布院が昭和四十年代後半、牧野が買い取られる、畜産が危ないというときがございました。そのときに、じゃ畜産振興と牧野を守るためには何ができるかと。それは、都市の人に応援してもらおう、都市の人に子牛のオーナーになってもらって、そして農家で取れたものをお送りしようと、そういう関係性をつくりました。
 ただ、そのときに、その関係性で終わるんではなくて、私たちは現場に来ていただかないと始まりません。ですから、一年に一回、自分たちが守った牧野にいろんな皆さんにいらしていただいて、そこで交流していくと。そういうような交流を持ちながら、三十数年やり続けていっております。
 また、出会いの場としてもう一つあることは、良質なものをつくっていくということで、例えばJRさんが駅を造る、こういう列車を走らせる、それぞれの小さな美術館が生まれると。由布院の町の中の人たちがいい空間、良質な空間で育っていくというのは大事なことだと思っております。
 駅がこのような駅に変わるとき多くの人が、昔の駅が良かった、何が悪いんだ、新しい駅なんて造る必要はないと。これは建築家としては磯崎新さんの建築なんですが、お任せではなかったんですね。私たちも一緒になって考えた駅です。由布院らしい駅を考えて造った駅なので、私たちも自信がありました。でも、地域の人たちは、この駅が褒められる、いろんな人たちからいいねと、子供たちも自慢をしてくると。そうすると、二十年たったこの駅が今由布院の人たちにとっては当たり前のように自分たちの、由布岳もいいよと、でも由布院駅も自慢だよというふうに言っております。
 また、隣にゆふいんの森号という列車が走っております。地域のNPOの人たちが今言う言葉は、森号が走るにふさわしい町にしようよ、菜の花を植えていこうよ、森というなら森をたくさんつくっていこうよと。そうやって地域のNPOの人たちも含めていろんな方たちがかかわり、出会いの場が生まれてくることに変わっていっております。
 こういうような小さな美術館も決して資本があるわけではないんですが、ここでしかないものをつくっていく、そういうことを心掛けております。
 もう一方、私どもの観光協会、旅館組合の役割は、外と内とのつながりを持つことでございます。人を育てていくということが地域の中では非常に大事なことだと思っております。
 観光協会と旅館組合でこういう情報センターをつくっております。二十年前につくりまして、つくった後の事務局長は、お金がない私どもの由布院温泉ですから、いろんな自治体に、事務局長をしませんか、由布院の町づくりを勉強しませんかということで、静岡県の方から来ていただいたりしておりましたが、今から十一年前に全国公募で事務局長を公募いたしました。私ども百名ぐらいの方が応募があったんですが、お一人、都庁を辞めてこの観光協会の事務局長になっています。
 一方で、隣に書いておりますように、いろんなことを地域の中で若い人たちはやられます。でも、自分たちの仲間内でやっていくことだけではなくて、どう地域に、町づくりにかかわっていくか。その仕掛けということで、こういう事業委員会というのを協会の中につくっております。三百二十の会員がおりますので、若い方からやはりキャリアのある方、いろんな方がいます。でも、若い方たちを中心にいろんな事業委員会でイベントをする、景観のことを勉強する、そういうところで彼らの動きをつくってまいりました。
 由布院のこれが一九六〇年代から今の観光の推移でございますが、私どもは、この年間四百万人の方たちが、これから増えるというよりも、この方たちがより長く滞在していただきたい。滞在時間が長くなるということは、地域に負担が掛かりませんし、いろんな人たちを巻き込んでいけます。地域の人たちと触れ合うことは、地域にとっても元気になりますし、いらしてくださる方たちにとっても元気になっていくことだと思っています。
 一方で、じゃ、観光をしていく、交流していく、問題はないのかといいますと、平成の、私どもが交流を始め、人口が減らなくなった時代から、このような土地が変化してまいります。昭和四十六年、ほとんど町の中心部は旅館と一般のお店でございました。それが、バブルの平成二年になりますと、駐車場とお土産屋さんが増えてまいります。そのときに、こういう条例を作り、また平成十六年になりますと、ほとんどもうお土産屋さん、駐車場の町になってしまったと。コントロールできない現象が生まれ、開発が進み、このような動きが草原の森林化。
 ただ、こういう問題があるときに、地域の中の人たちが、自分たちのことだけではなく外の人たちの応援をもらいながら、地域を持続できる、サステーナブルなところにしていこうと。決して交流というのは悪いことではなくて、私たちが、自分たちでしっかりとした目を持ち、やれる形をつくっていこうということで動いております。
 今、国の事業を今年度やらせていただいているんですが、今すごく私どもはチャンスをいただいております。こういうものも、由布院の小さな町の観光協会でも、出せば十倍ぐらいの倍率でも通ることがありますし、いろんなことを仕掛けながらやっていきたいというふうに思っております。
 これは国土交通省の観光庁で出している資料で、いつも出ていることですが、もう人口は減っていっている社会の中で、都市部ではなく、地域の格差は地方の中でどんどん起きる。その中で一つ言えることは、交流人口が生む定住人口一人分は外国人旅行者七人分でありますし、私どもの町がしているように、宿泊をしっかりしていくことは二十二人分のことで、経済的なものを持っていけると。
 そういう意味では、私どもは、由布院で少しでも多くの時間を過ごしていただけるように、そういうことをしていくことが、私たちが生きていけることではないかと思っております。
 最後になりましたが、これは私どもの、こういう交流人口をし、出会いの場をつくっていき、様々な経済というものを小さいながらも結び付けていくことによって、IターンやUターンの方も含めてなんですが、多くの若い人たちが戻ってきてくれています。私より一回り若い人たちが地域の中心になり、観光協会を支え、地域の中に今動いていっています。その人たちが、やはりどう動いていくかということが今後大事ではないかと思っております。
 最後になりましたが、私どもにとりまして、この町がやはり風景を取り戻していくことが何よりも大事なことだと思っています。なぜ由布院かと。それは、私たちの町の風景がちゃんとつながっていかないと、子供たちやまた訪れる人たちも由布院ではないと思っておりますので、先ほど、簡素の美しさと鈴木先生おっしゃっていただきましたが、本当に、引き算をしていくことによって、日本のいろんな地方の小さな村々、もっともっと本来の美しさを取り戻していくことだと思っておりますし、そのことをしていくことが、何よりも次世代につなげていけることではないかと思っております。
 以上でございます。
#16
○会長(田名部匡省君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取を終わります。
 これより参考人に対する質疑を行います。質疑はおおむね午後四時五分をめどに終了させていただきます。
 質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を受けてから御発言いただくようお願いいたします。
 また、一回の質問時間は答弁及び追加質問を含めまして最大十分とし、できるだけ多くの委員が発言の機会を得られるよう、質疑、答弁とも簡潔に行っていただくようにお願いいたします。
 なお、質疑の際は、最初にどなたに対する質問であるかをお述べください。
 それでは、質疑のある方は挙手をお願いいたします。
 那谷屋正義君。
#17
○那谷屋正義君 今日は、四人の参考人の方々、本当にすばらしいお話をありがとうございました。
 生まれも育ちも横浜という都会でありますので、本当に日ごろ全く気が付かないような、あるいは、どうしたらそういうふうな発想が生まれるのかということについて新たに目を覚まさせていただいた、そんな思いで今日お話を聞かしていただいたところです。
 特に、地域ブランドという意味では、その風景を残す、あるいは、結城さんのお話によりますと、お互いの信頼関係の再構築ととらえたいというふうに言われておりますけれども、こうしたことがやはり大事なんだろうということであります。
 そこで、まず鈴木参考人と結城参考人のお二人にお尋ねしたいと思うんですが、いわゆる過疎化に対して、国が何か施策を講じたからなお過疎化が進んだ、あるいは、国が戦後の農政の大転換を行ったということの中でこれが今大変な問題になってきているということがあるわけでありますけれども、その個々のことをお尋ねするんではなくて、今後、先ほど褒めるということが大事だというお話もありましたけれども、国として、こうしたことが全国に広まっていく、そういうふうなためにはこんなことがやはり望まれるというようなことがもし今ありましたら、お聞かせいただけたらと思います。
#18
○参考人(鈴木輝隆君) やっぱり若い人を育てるということをやらないと。今はやっぱり若い人を使い捨てにしていると学生自身も言うんですね。だから、僕は農山村とかそういう小さいところへ若い人が、若い人は経験がないわけですから、タウンマネージャーといいますか、ある程度議員と同じようなこともタウンマネージャーでするとか、役場とかいろんな農協とか、そういうところで活躍できるチャンスを、いろんな経験をさせてあげるということが必要だと思うんですが、今の学生は三年の後半ぐらいからもう就職活動入ったりして、もう社会の方にすぐ向いてしまう。
 地域を担っていく人材というのは、私は、経験があって、意欲があって、ネットワークがある人間だと思っています。だから、由布院なんかもそうですが、年取ってくると意欲がなくなってくる、若い人は経験がない。だけれども、意欲と経験だけに頼っていると、どうしても自分の足りないところとかそういうのは補わずにやってしまうと独り善がりになってしまう。だから、若い人に経験をさせてあげる、それから高齢者には意欲を持たせるようなことをする、そういうようなことが、僕は、過疎化のときに人をどうやって大切にして、人を育てていくかということは日本の中でやらないと駄目だと。
 例えば、やっぱりローカル、地方から東京に来ている人というのは大変なわけですが、今四分の一、二五%が千葉、埼玉、神奈川、東京で生まれていますが、ほとんど東京に生まれる人が多いと、東京圏。それから、若い人が十代の後半、二十代で上がってくるから、三分の一が東京圏にいるわけですね。
 地方から学校へ行かせると結構大変なんですね。だから、今、私は、高校とか大学の授業料を例えば半分ぐらいになる、二人目は三分の一になる、三人目は無料になるぐらいにしていくというようなことをやれば、少子高齢化も違うし、若い層を育てていくと。外国なんかでも授業料を取らないところがあるわけですが、若い人を育てていないというのを若い人が気付いているから、是非それを過疎やそして日本の国ではやっていただきたいというふうに思います。
#19
○参考人(結城登美雄君) 今の若い人の話ですね。
 つまり、今から百四十年前の日本というのは、三千万の人口の二千七百万が農山村にあったわけです。七万ぐらいの村の集まりでした。それが百四十年たっても今なお、人口が減ったり、高齢化はしていても、残っています。消えた村も幾つかありますけれども、その残る力は何なのだろうか。
 つまり、今日でいうサステーナブルとか持続可能というのを観念ではなくて、日本の九割の村がずっとこのまま、今は都市、東京ですとか横浜、そういったところがどうしても私たちの目に映りますけれども、相対的に小さく見えようと、何百年も村を村たらしめた力というものをもう一度とらえ直す必要がある。そのことに実は最近一番良く気付いている人たちが日本の若者だと思っています。
 気付かないのは私たち、いいかげんな年を取った人間たちは、どこか観念では理解しても、現実には不便だとかというふうに思っていますが、厳しい時代を生きた若者たちが人間の生存する場所として、今までの物差しとは違う価値観ではあるが、十分に人生を全うするために生きられる良い場所である。限界集落を、言わば経済の物差しでいえば限界と見ますが、人間の人生の場所とすれば、先輩たちが何百年も生きてきた場所、それは何だったのかを真剣に向かい合う若者たちが増えています。
 それを支援していく、そういうスタンスが多分、ただ、そのことを知るためには現場に行かないと、限界集落をパーセンテージで六十五歳以上が半分以上だとか、何かそういうこざかしい物差しぐらいで分かった気にならずに、現場に行って確かめれば、確かに年老いれば体力は落ちますから、それをカバーすればいいだけの話であって、そんなことを寄り寄り、具体の現場でそれにフレキシブルに対応できるような応援体制をつくってやっていただきたいというのが、十分に限界集落は若者がこれからを生きていく良い場所の可能性としてあるというふうに私は信じています。
#20
○那谷屋正義君 共通するお答えだったというふうに思いますけれども、若い人の力を、そこを育てるということが共通のものだったんだろうというふうに思います。
 今度は石垣さんにお尋ねしたいんですが、若い人を育てるということもありますけれども、今、課題として後継者の問題が先ほど挙げられましたけれども、それについてもう少し工夫をされていることがありましたらばお聞かせいただけたらと思います。
#21
○参考人(石垣一子君) 私は九人家族で、息子夫婦の孫が四人おります。子育ても大変なようです。たまたま自分たちは農業が好きで、後を継いでもらいたいと思っていたんですけれども、現実にかまど譲りをされて農業経営をおじいちゃん方からタッチされましたら、使えるお金がなかったんです。それで、どうしたらいいかということで小売を始めたんです。
 そして、小売をしたら、使えるお金が出てきたけれども、売る相手が時間になれば皆さん働きに出ていなくなったということで、これは一人で売りに歩くというよりも人の集まったところに行った方がいいとか、そして最終的に直売所という形になったんですけれども。
 直売所をやって良かったなということは、給料を払える。後継者がいないということは、給料を払えないからできないんですよね。ですから、給料を払えるような農業経営をしていかなければならないということで、直売活動を進めております。
 ですから、先ほど隣の先生は、米は二十五円ぐらいと言いましたけれども、実際に農家に入ってくるのはもっともっと低いです。
 ですから、それで農業経営ができるような状態でないということは皆さん分かってくださると思いますので、そこら辺もう少し支援していただければなと、考えていただければなと思っております。
#22
○那谷屋正義君 陽気なお母さんの店がいつまでも陽気でいられるように、私たちも頑張りたいと思います。
 ありがとうございました。
#23
○会長(田名部匡省君) 石井みどり君。
#24
○石井みどり君 本日は、四人の参考人の方々に、本当に現場に密着した生々しいお声をお聞かせいただいたことに感謝を申し上げたいと存じます。
 最初の鈴木参考人とそれから桑野参考人の言葉が期せずして一致した。地域ブランドは風景を残すことという、風景を残すというところはやっぱりキーワードだなという気がしてお聞かせいただきました。
 私は、鈴木参考人と石垣参考人にちょっと御質問をさせていただきたい。
 今の那谷屋委員の御質問とちょっと重複するかと思いますが、本当に随分な御苦労の中で、特に石垣参考人に関しては、ここまで直売所の運営を続けてこられた。途中で大変な、公的事業というところでは挫折をされた、農業経営者の方々の反対に遭った。となると、地域で、よく昔は本当に非常に農家は保守的で封建的であった。女は黙っていろみたいなところがあった。そして、そういう反対があったら本当にひょっとしたら挫折をされたかもしれない。
 しかし、農村女性のすばらしいところは粘りである、それから団結力であるという、それで乗り越えてこられたのかなというふうに思いますが、それでもやはり地域社会、非常に保守的な中でそれを乗り越えて、さらに事業に発展させてこられた、うまくリースという形に持っていかれた。
 やっぱり人間関係のつくり方が一番難しいのではないかと思いますが、そこでの一番のキーというか、何が解決になるかというのをお聞かせいただきたいと思います。
 それからもう一つ、今からは地産地消で食育というところで学校にもかかわっていかれる、学校給食の食材提供ということで大きくかかわられたわけですが、その食材の提供のときに、そこに子供たちも、農村の子たちも結構いらっしゃると思うんですね。その生産物を作るというところにかかわるということでやはり農業の魅力、楽しさ、もちろん苦労も一緒に伝承していける。そのことがやはり後継者育成につながる。
 同時に、やはりその魅力を発信していって、昔はよく農家の娘は農家へ嫁がないということを言われた。しかし、農家の娘が農家へ嫁ぐようなそういう形での、四人のお孫さんがどうなられるか分かりませんが、そういうところの、どうしていけば後継者へつながるか。
 さっき、給料が払っていけるというような、そういう農業の形態によっても随分違ってくると思うんですけれども、その辺をお聞かせいただきたいと思います。
 それから、最初にお話しいただいた鈴木参考人は非常にやはり全国の様々な事例を御覧になっていて、非常にそれをオーソライズされた今日は御意見をお聞かせいただきました。
 私はいつも思っておりますのは、ローカルであればあるほどグローバルであると思っています。これは、オリジナリティーというのは、鈴木参考人のお話の中に、小さな差を本当に見付けていく、それこそがオリジナル、オリジナリティーを見付けることだろうと思うんですが、それぞれの地域にやはりオリジナリティーがある。
 しかしながら、今あちこちからいろんな、例えば果物を送っていただいたら、その生産者の方の家族の写真が入っていたり、今度からは直にオーダーをしてくださいというのが入っている。かなり似通ってきているんですね、全国が。似通ってきているけれども、それぞれオリジナリティーもある。そのところのノウハウをどううまくそういう経営につなげていくというところを、私はやっぱりネットワークづくりとアドバイザーが必要だろうと思う。
 これはやはり鈴木先生のような方だろうと思うんですが、もう一つ、行政の役割が、行政主導では困るけれども、行政こそがコーディネーターでなくてはいけないのではないかと思っているんですが、その辺りをお教えいただければと思います。
 以上です。
#25
○参考人(石垣一子君) 反対されたときに乗り越えたのは、自分たちがどうありたいかという、自分の農業経営が今頑張らなければ生き残っていけないという意識の下で頑張りました。
 というのは、反対陳情を出された男性七名というのは、私たちの集落の七名の個人の直売所を持っている人方が、公の事業を導入すると個人で頑張ってきた人が消されるというふうな反対陳情でした。
 テーブルをたたいて、台風十九号より、おまえが嫁に来てから大きいもめ事を起こすと言われましたけれども、その中に主人もおりましたので、このことはうちの主人がそう言ったのではなくて、大変つらい思いをさせて私を認めてくれたということで、ここはどんな反対があっても一歩を踏み出さなければ、次に女性の声がまた消されるという思いで頑張りました。
 それから、学校給食のことですけれども、ここで発表しますと聞こえは良く、五千九百食分、直売所が地元の野菜を使っているかといいますと、今現在使っているのが一〇〇%だとすれば、地元の野菜は二〇%という現状です。ですから、今、来る前にですけれども、市議の方々に話合いを申し込みまして、農政議員と語る会を持ちまして、もっともっと地場の農産物を使ってもらえるように運動を進めていかなければならないと思って頑張っております。
 なぜ地産地消と食育を進めていくかといいますと、やはり自分たちの子供は自分たちの作った安全で安心して食べられる野菜を食べてもらって育っていくことにより、例えば東京に出てきても、ああ、あの母さんの作った野菜を食べたいなというふうに秋田へ戻ってくるんじゃないかなというふうな思いを込めまして、頑張って取り組んでいかなければならないと思います。
 そして、大館も都会と負けず劣らずということで、給食費を払わないお母さん方もおります。ですから、農家の私たちだけが安く提供するのではなくて、きちんとした生活のできる価格で提供しながら同じ痛みを分け合うということをしていってもらえるんじゃないかなということで、食育の部分でも協力して進めていきたいなと考えております。
#26
○石井みどり君 後継者の養成というか、後継者へつなげるというところはいかがでしょうか。
#27
○参考人(石垣一子君) 今、意識を持って私たちが技術でも何でも伝授されないと、もう伝わっていかないんです、黙っていては。
 ですから、私たちも意識を持って子供たちを、農村の子供だからといって農業に携わる機会は少ないので、都市だけではなくて農村の子供たちも農家で一緒に農業体験をしていただきながら、自然とお金をはかりに掛けるわけじゃないんだけれども、お金だけで自分の職業を選ぶんじゃないよというんですか、心を豊かにしなければ生きていく上で大変なんだよというんですか、そういうことをも感じてもらえれば、農業後継者も命を守っていく産業に携わるんだという使命感みたいなものを農業体験で感じてもらえればなあなんというふうに思っております。
#28
○石井みどり君 ありがとうございます。
 若い人が生きていける地域にする、そして農家のお子さんが、やっぱり技術が要るわけですから、農業をするというのは、継ぐというか、それから、それ以外の方も学んでいくというのが……
#29
○会長(田名部匡省君) 発言を求めてから。速記取っていますから、やり取りすると、だれがしゃべって、何やったか分からなくなりますから、発言を求めてから。
#30
○石井みどり君 やはり農家のお子さんが継ぐというのが一番本当は自然ですけれども、それだけではなく、やっぱり技術を伝えていくというのを外からも、もちろん団塊の世代の方がリタイアしてやるのも一つですけれども、今農業に魅力を感じている若い人もいますから、そういう方々もこれから引き込んで、是非更に陽気な母さんが増えることを期待をしております。
 ありがとうございました。
 そうしたら、鈴木参考人の方にお答えをお願いしたいと思います。
#31
○参考人(鈴木輝隆君) 一つは、行政の役割からいいますと、行政の役割、コーディネーターはそのとおりだと思います。
 それはどういうことかといったら、私はローカルデザイン研究会というのを毎月一回東京でやっていまして、社会人と学生が一緒に学ぶということで、学生が受付、司会とか記録をやったりしているんですね。それは、大学という社会も狭い、それから地域という社会も狭い、自分の住んでいる世界が狭いけど、理解できないかもしれないけど違った価値観の人に会うということの場が余りにも少ないと。ローカルに行けば行くほど社交の場がなくて同じ人が集まるんですね。
 だから、そうじゃなくて、全く違った価値観、理解できないかもしれないけど、そういう人たちとどうやっていくかということをやる場をつくっていくのは、僕は行政マンが必要だと思います。
 デザインの話で先ほど、地域ブランドの話なんですが、今デザインというものに関しては、都会が産業には利用しているけど、実際には農業とかコミュニティーにデザインって入ってないんですね。だから、ほとんどデザインというのは産業界だけに寄与していると。
 デザインというものを入れる考え方がなかったんです。地域ブランドというのは、おしゃれでないとブランドにならないんです。それは、デパートの地下とかいいスーパーに行ってみますと、フランスとかドイツとかイタリアとかイギリスの食品のところに日本の手作りの商品持っていっても売れないんです。ですから、今お手伝いしたりしているのは、アートチャレンジ滝川というところでやっているのは、デザインとローカル、デザインと農業とか、そういうことをもう考えていかないと生きていけない。
 例えば、北海道の中札内というところでキャベツを、去年も夏に行きますと、八つぐらい段ボールに入れて、それで出して四百円、五百円なんですよ。朝四時ぐらいから起きて、それを八百個作るんですね。八百個だから六千四百個もキャベツを取って、それだけ出してもそれだけの金。
 そこがちょっと農業の加工品とか、そういうものを娘さんがやり始めたら一千万ぐらい行ったんですよ。でも、それを手作りでやると、インクジェットだと、冷凍にしてしまうとバーコードが通らないと。そういうものをデザインすることをお手伝いしていこう。だから、通年商品を持ち、魅力あるデザインをしてあげるというお手伝いをするようなことをしていこうということを思っているわけですね。
 昨年の八月にデザイン物産展ニッポンというのを銀座のデパートでやったんです。今まで物産展というのは若い人が来なかったんです。だけど、デザイン物産展といったら若い人が来て、物すごかったんです。地域の食品であるとか伝統的なものにデザインを入れたら、それを若い人が欲しい。若い人というのは、やっぱりおしゃれなもの、そういうものに対して、その品質とか、そしてオリジナリティーを評価していくんですね。振り向いたから、こういうことをまた続けていきたいという話があったんです。
 この私の中にも、農山村をローカルデザイン力で再生するというのを、デザイン物産展ニッポンというところでデザインというものを農業に入れていく。だから、農家で作ったものにメッセージを付けて、それを売っていくとオリジナリティーや品質を評価してくれる。ローカルで品質を評価されたローカルデザインというものを世界が認めると、グローバルデザインになっていく。そうやって世界に買ってもらうと、世界の人が日本の農村地を守ってくれると。そこまでやっていけたらなというふうに思っています。
#32
○石井みどり君 ありがとうございました。
#33
○会長(田名部匡省君) 浮島とも子君。
#34
○浮島とも子君 本日は、四人の参考人の先生方には貴重なお時間をいただき、お話をいただき、本当にありがとうございました。
 私の方から四人の参考人の方それぞれにお伺いをさせていただきたいんですけれども、地域のコミュニティーの再生、そして活性化、そして経済的な自立という観点から、住民と地域と、あと行政との連携がとても大切となると思うんですけれども、行政の役割と住民の役割の境界線をどのような基準で引いたらよいのか、もし体験や事例などからお考えがありましたらお聞かせをしていただきたいということ。
 あと、鈴木参考人の方がこの「地域ブランドづくりとは」の中で、行政は何をすればよいのだろう、住民が気付き、考え、実行する場を提供することが大切であるとお書きになられていることと、先ほど結城参考人の方から、施策がコミュニティーを壊していることがあるというお話もございましたけれども、国とか県、市町村がそれぞれどのような今施策が求められているかということをお聞かせ願えたらと思います。よろしくお願いいたします。
#35
○参考人(鈴木輝隆君) 何か続けてばっかりであれですけど。
 行政の人は、先ほど言いましたように場をつくるということが重要だというのは、中心のないネットワーク、行政がコントロールするんじゃなくて、住民の人同士がコミュニケーションをしていくと、そこで相互作用から新しいものが生まれる。
 それから、ローカルに刺激がないから、やっぱり刺激のある場をつくってもらうということで、国の人なんかにも最近は来てもらったりしているんですが、そこに身近に感じてもらうというのは、どっちが上だとか下ではなくて、そういうコミュニケーションをやっていくと新たに生まれるものが出るんですね。だから、価値観の違った人がぶつかる場をつくっていくというのが重要で、そういう知的刺激をどうやってつくっていくか。
 行政の人たちは、今私がお手伝いしているところは、住民の意見を聞かない方が簡単にできるんですね。聞いていると、それを調整している間に、国の助成とかいろんなものを受けてやろうと思うと、期間がたっちゃうから、話し合う時間というのは結構重要なわけですけど、話し合う、聞いているとスムーズにいかないから聞かない方がいいと。
 だけど、私はやっぱりそういう相互作用で聞いていくというところを十分やっていかないと、あと作ったものが生きてこないということですね。そういう時間を設けるシステムをつくらないといけないと。
 今、農山漁村力支援事業とか、そういうのは三年とか五年とかですね。それは五年ですが、それから国土交通省も三年とか、そういう継続事業を結構しているところがあるんですね。継続事業をしていれば、先ほど、失敗がないというのを僕が地域で言うのは、先ほど忍耐強いという話があったんですが、忍耐強く成功するまでやれば失敗はないと。だけど、その期間が余りにも今まで単年度の主義だと長かったんですね。だから、複数年度掛けてそれを成果を見ていくというようなことを行政の方もやっていただくと、それを粘り強く地域の人が本当に理解してやっていくという時間があると思います。
 今までは空間をつくることに一生懸命になってきたけど、時間をつくらないと地域の中のコミュニケーションがなくなっちゃっているんですね。みんなサラリーマンになったり、みんながゆっくり話すということができないので、是非、時間を掛ける、空間をその後につくっていくというような、そういうようなことは行政がやっていくことが重要だと思うんです。
#36
○参考人(結城登美雄君) なるべくコミュニティーは大きくなく本当は小さい、僕が先ほど申し上げた言い方でいえば、村単位ぐらいの、大字単位ぐらいの、現在でいえば小学校単位ぐらい辺りが頭の中にありますけれども。
 今、ごちゃごちゃごちゃごちゃテーマがいっぱいあるんですけれども、まずは三つに分けておく必要があると思っています。
 一つは、行政がどんなことがあっても責任持つ領域、防災でありますとか医療でありますとか。それと、本来、住民がちゃんと自分たちで賄うべきものがあいまいになってきて、行政の方に長い年月の間にごちゃごちゃ入ってきちゃっているところ、それをもう一遍整理して、もう一度住民責任領域はどのテーマなのかをはっきりさせるというその作業をしないと、何をどうするというときに見えないんですね。それをやっぱり持ち出していくのが行政の側からなんだろうと思っています。
 そうすると、必ず最後に行政責任領域と住民責任領域からこぼれるものがいっぱい出てきます。そここそが協働解決領域でありまして、そこのところが、お互い行政と住民とのしっかりした連携によって、それのテーマが見えないのに行政か住民かみたいな何か主体の話だけやっても、そのことのコンセンサスが地域でできていないと、それが十万だ二十万の町ではちょっと難しいので、私は小さなコミュニティーを単位にした我が地域における行政責任領域、住民責任領域、そして協働責任領域、協働作業領域みたいなものをやっぱり明確化する。
 時間は掛かりましょうが、そこを避けてはいけないなというふうに、そういうものがないと、何をどのようにどうするんだと、そのできることできないこと、今できないことはいつやるんだとかという計画だってできないはずなので、何となく住民だ行政だという念仏みたいになってしまうので、そこがベースにないといけないかなというふうに思いました。
 以上です。
#37
○参考人(石垣一子君) ちょっと難しいことは分からないんですけれども、事例としてちょっとお話しさせていただきます。
 皆さんのお手元にこのパンフレットが渡っているかと思いますけれども、私たちはこのパンフレット、十五年に作りました。これ、グリーンツーリズム事業を導入して、大滝温泉が眠っている状況ですので、一緒に活動して大滝温泉が元気になれば私たちも利用していただけるんじゃないかなというふうにして働きかけて、パンフレット作りしませんかということで働きかけました。
 そうしたら、お金掛かることはやれないということで、全然話に乗ってきてくれませんでした。何度も何度も私方は話合いを持ちましたけれども、参加してくれるのは三人とかという形で、単独でこれをやりましたけれども。それから三年を経まして県の方でスローツーリズムという事業を導入してくれまして、大滝温泉の活性化ということで、県の方で行政、市の方に働きかけて話合いの場所をつくってくれて、動かしてくれたんですね。
 それで、この三年間は私方がスローツーリズム塾に入りまして、いろいろな活動をして、地域とどう連携していくと大滝温泉が活性化になるか、そして私方が元気になれば、どう利益をいただけるかとかというふうな形に持っていきまして、今年、二十年度に初めて大滝温泉旅館組合が全員参加の形で会議を持つことができました。
 というように、県の方では市の方に一括してどっとこう事業をやらないかというふうな形はできませんので、私は、自分たちがまずどうありたいかということをきちんと思いを込めて、そして行政に話しかけたら、行政というのは市ですね、まず私方の窓口は市ですから、市の方でもっと勉強して、国にはどんな事業があって、県はそれをどうもらってくるかというようなことを勉強してもらって、県の方に市の方からもお願いしていただくというような形を少し、決して地元の市役所を悪く言うんじゃないですけれども、私方から見れば、行政の方がもっと勉強してもらいたいなというふうに思っております。
#38
○参考人(桑野和泉君) 私は、地元の一番身近な行政の方たちに対しては、もう一貫しているんですが、いてくれればいいと思っています、現場に。本当になんです。現場にいてくれることによってこんなに信頼されるということもありませんし、例えば景観とか交通の問題とか田園をどうしていくかとか、非常に地域の経済といいましょうか、その人たちの生活にかかわるような問題がどうしても出てきます。そういうときに、私ども観光のメンバーだったり若手がいろんな施策を持っていって、こうしたい、ああしたいと。でも、やはりそのときはたくさんの反対に遭います。
 でも、行政の方たちが現場にいてくれると、そのことだけでも、ああ、このことを話さないといけないんだ、この時間は大事なんだと、そういうようなことにつながります。いろんな情報というのはもう私どもネットを見れば、今何があるかって、何でも情報は入ってくるんです。でも、それを組み立てて本当に実践していくためには、やはり地元の行政マンの人たちが一緒に組んでくれないとできないと。
 そういう面では、いてくれることの有り難さ、その人たちが数年単位で替わるのではなくて、市町村レベルでいいますと、やはり農業の専門の方、観光専門、森林など、そういうことも三年、五年、長くいてくれないとやはり組めないと思っています。
 そういう面では、いてくれるような、現場を一番見てくれるような、かえって県なんかの人の方が現場を見てくれるんですよ。地域の人たちは近過ぎると言うんですけど、近いからこそ逃げずに現場に出てきていただきたい、そういう思いでおります。
#39
○会長(田名部匡省君) 紙智子君。
#40
○紙智子君 紙智子でございます。
 今日は四人の参考人の皆さんのお話、それからその後のやり取りを聞きながら、非常に地域をどう再生する、つくっていくのかということでの本当に熱い思いが伝わってきましたし、それを聞いてこちらの方も熱くなってくるという感じで、今ずっとお聞きして思ってきたわけですけれども。
 最初に、結城参考人にお聞きしたいんです。
 それで、鳴子のお米のプロジェクトというのでは、去年かな、テレビで「お米のなみだ」というのを放送されて、これ実は私もう泣きながら見たんですよね。そこに表れている農村の実態というか、本当に大変な状況の中で、やっぱりまさにそういうばらばらになって非常に深刻な状況を打開していく取組が行われてきたということで。
 そこで、例えばさっきもお話の中にあったんですけど、温泉なんかを中心にして、お米六十キロ当たり二万四千円ですか、一俵当たり二万四千円ということで、みんな買い取って支えようというふうな動きになっていったわけですよね。
 そんな簡単にそうしましょうとならなかったと思うんです。そこに至るまでの、やっぱりみんなの価値観を共有していくというところでの話合いだとかいうのがあったと思いますし、そのときの例えば行政との関係だとかいうことを含めて、どんな経過でそういう努力がされたのかなということを一つ聞きたいというふうに思っていること。
 それから、先ほども話の中で出ていて、鈴木参考人も言われたんですけれども、やっぱり実態を私たち知らないと。本当に知るということがまず大事だというふうに思いましたし、結城参考人が言われている中で、信頼関係の再構築という話の中で、どうしたらいいのかということをやっぱりみんなが考えていて、どうしなきゃいけないのか、どうしたらいいのかということを考えている人たちが、結城さんの表現でいうと、ぐずぐずぐずぐず付き合いながら、そういう中で少しずつ達成していく、実態はそうなんだと思うんですよね。
 早く結論を出し過ぎちゃいけないというか、そういう途中経過といいますか、簡単にやろうとするとやっぱり本当の意味で生きていかないというか、そういうことなんかも含めて、非常に、ああ本当にそうだなと思いながら聞いていたんですけど。
 やっぱり共通して話をされていたのは、そこにあるものを見詰め直して引き出して、それを生かして地域をつくっていくというところのスタンスというふうに思うんですよ。そのときに、私たちというか、変わらなきゃいけないのはやっぱり政治の側というか、政治家の頭も変わらなきゃいけないと。そこに学んで、それを邪魔するんじゃなくて後押しするということで、端的に、政治としてやってほしい、やるべきというふうに思っていることがどういうことなのかということを、これは四人の方にお聞きしたいんですけれども。
 まず、ちょっとそこのところをお聞きしたいと思います。
#41
○参考人(結城登美雄君) NHKのドラマ、全国で三回再放送されたそうですが、東北は四回放送されたんですが、ちょっと異例のテレビだそうです。
 それは、NHKと、八十周年で相談を受けまして、彼らは別の番組を作ろうとしていたんですが、東北の八十周年のときに、東北が今一番抱えている課題の一つである農業をやっぱり真っ正面からいきたいということで、約半年レクチャーをしました。シナリオも何度も書き直したようであります。
 つまり、報道される、あるいは番組を作ろうとする人も実はよく分かっていない。例えば、一つの一町歩という農地、これはただ一町歩という大きさでとらえるのは霞が関です。
 しかし、そこは原野でありました。戦後開拓で一日三坪、千日掛けて三千坪、冬がありますので、二千日掛けて開き、その畑にしたところに今度また五年掛けて水を引いてというように、自分たちのそばにある田んぼ一枚、畑一枚にどれほどの思いと労力があるかということを、東北の人ではなくて、身近にいる人たちももう分からなくなった。
 あの木が、五十年たった杉が、だれが何のためにこれが植えられたかというのは、単に木があるんではなくて、その何かを受けて植えられ、育てられているわけですから、そのことをお互い知ろうやという場をあきらめずにやりました。
 人間というのは、聡明なようでいて、なかなか簡単に行動には移りません。僕は、紙さんがおっしゃっていただいたように、ぐずぐずぐずぐずしながら、良いことと悪いことは分かっているはずです。良いことはそうしよう、悪いことはやめようという、そういうことは分かっているはずでありますが、そうできない事情や理解の度合いがありますので、あきらめずにお互い地域で理解し合う場をたくさん持ってきたと。
 それから、身近なお米だって、みんな、スーパーで買うと十キロ四千円のお米、ううんと普通何げなく買うけど、一俵二万四千円というと、同じ値段なのに高いと言っちゃうわけですね。生産者は、御飯一杯二十四円となりましたけれども、これが随分、このごろ現場から離れている人にはびっくりしたというのが、一杯二十四円中農家がもらっているのは十二円であります。それを十八円にするとやっていけるということをみんなに理解していただいたわけです。それを広めて二十四円で食べていただければ、ここで米作りは成り立つぞという、そういう話をずうっと地域の人たちと、今更分かっていることを中学校に行って全校生徒に授業もやりました。
 そんなふうにして、通信を十数回、毎月一回地域に流しました。農家だけではありません。全戸に配付しました。
 お互い、ささやかなことではあるが、少し受け止めようよという場をつくったことが鳴子のお米、その広がりではなかったかなと思っています。何か文書を流したから通達したはずだぞというお上的なものではなくて、同じことを何度も何度も大切なことは繰り返したということが、この鳴子のお米が少し浸透した理由ではなかったかなと思っています。
#42
○会長(田名部匡省君) だれに質問ですか。
#43
○紙智子君 鈴木さんからお願いします。
#44
○参考人(鈴木輝隆君) 先ほど言いましたが、やっぱり社交の場が必要だということは、地域に行って話をするというのを学生たちが行ったりすると、本当に深く見ているところがあるんですね。
 それはどういうことかといいますと、例えば、山梨県の北杜市の須玉町の津金というのは百三十戸あって空き家が四十一軒、独居老人が三十九人というところに、六年目を迎えるんですが、学生たちがそこに、独り暮らしの人のところに泊まりに行ったりするんですね。やっぱり地元の人というのはそんなに表現、言葉は上手じゃないけれども、でも、無意識の中のものを観察して見ているんですね。例えば、その土地の人はどこの風景を大切にするかといったら、子供のころ遊んだ場所とか、お祭りだとか、日々見ている場所だとか、そういう地域は大切だということを地域の人と歩いたりして教えてくれたりするんですね。
 だけど、どうしても行政とかそういうところがやると言葉にしなきゃいけないということで言葉にしていってしまうんですが、言葉だけでなくて、やっぱりそういう地域の人の持っている輝きというのは一回限りかも分かりませんが、そういう表現がそこに案内してくれたりするわけですね。
 だから、学生が行って調査すると、八十幾つのおばあちゃんの話を聞いたら一万円札くれて、学生さん、これで頑張ってと言うけど、先生、このお金使えないよねということが結構起こるんですね。それは心が本当に通じていって、血がつながっていなくても信頼感ができるということで、結構その地域の人たちが心を開いていったりするんですね。
 そういうふうなことを是非議員の皆さんもしていただきたいということと、それからもう一つは、プランどおりやると失敗するということ、私も行政マンをやっていたんですが、プランを作ってプランどおりやるとみんな失敗してしまう。要するに、プラン以上のことが出ないと時代が変わっちゃうんですね。
 だから、プランを作ってプラン以上のことはどうやって出るかというところが、実は地域の中の僕はイレギュラーにあると思うんですね。だけど、イレギュラーは欠けているとか、そしてゆがんでいるとか、ずれているとか、そういって地域のものを捨ててきて標準化のものだけを選んでやってきているんですね。
 だから、ずれている、ゆがんだり欠けたり見捨てられた、そういうもののところのイレギュラーをどうやって個性にするかという、そういうことを余りしなかったんですね。だから、いいところ取りだけしちゃったと。
 だけど、そういう何かずれとか、そういうものを学生たちが見付けてきて、そのイレギュラーをどうやって育てるかと。非常に抽象的なちょっと言い方かも分かりませんが、そこを、先ほどの高知県の八四%が森林であるというのは、それを都市化した方がいいというふうに考えれば都市化になるわけですが、そういうものに、イレギュラーだ、イレギュラーこそ魅力があるという、そういうような感覚を少し私なんかは学生から学ばせてもらっているということなんです。
 我々、どうしても常識にはめたり枠にはめて物事を考えるんですが、イレギュラーが価値が出てくる時代が、時代の中で常識が変わっていくから、そういう中で、プランどおりやらずにプラン以上のものは出るというようなことを是非一緒にやっていただけたらというように思います。
#45
○参考人(石垣一子君) 今、自分たちの活動の中に一番必要なといいますか、これは県の方にお願いするべきかどうか分からないんですけれども、まだまだ秋田県の農村社会では女性が物を言うということは大変難しい状況です。
 それで、いろいろ勉強する場ができてきて、海外研修やら女性農業士などというふうに勉強できる場所ができたんですけれども、それを進めていく、今までの秋田県の普及員、生活指導員というんですか、今日も後ろの方に来てくださっているんですけれども、ここまで来るというのは、東京全然歩けないので県の方にお世話になって来なければならないような状況なんですけれども。
 そういうふうな状態、今一歩を踏み出したばかりなのに、県の女性の生活普及員がいなくなってきているという状況で、これからどういうふうに自分たちの相談役を見付けていけばいいかなということを、男性は駄目だということではないんですけれども、生活に密着した問題点を拾ってくれる、同じ目線で考えてくれる、そしていろいろな情報を提供してくれる人がいなくなってきているということで、大変困っております。そういう人を今だからこそ増やしてもらいたいなと思っております。
#46
○参考人(桑野和泉君) 私は自分の町に戻りまして二十年なんですが、その中で非常に土地が変わってまいりました。やはり売られてくる土地というものを見続けてきていく中で、こんな大事な土地は地域にとってこの先絶対失っちゃいけないというお話をすればするほど、あなたたちは食べていけるからいい、僕らはあしたがないんだから売るんだということの繰り返しで今まで来ています。
 でも、本当に土地を売るだけしかないのかと。農村の中で、本当にそれをただ知らない人に売るんではなくて違う仕組みというのが必要ではないかと思いますし、今、国の法律もいろいろ変わる中で、農地に関しても私どもがかかわっていけることもありますし、やっと土地のことがその所有者だけではなくて何かかかわりを持っていけるときになっていると。そうしていかないと、どんどんどんどん自分の町が投資の対象にされると。
 私どもの町の水田部分はかなり条例がかかっているので動かなくなった。そうすると、今度周辺部に乱開発が始まると。でも、乱開発が、どこかが買うとかいう時代じゃなくて、ファンドが入ってくる、見も知らぬ人たちが入ってくると。そういうような怖さが今非常に地方の現場では起こっているということがございますので、是非、私は、政治家の先生方にはやはりあるべきこの国の姿、地方の姿、農村の姿、そういうことを揺るぎない姿でお話をいただけるということを地域の現場の私どもは求めていることでもあります。
 あと、今日は女性の先生たちが多い場面でございますので、私自身も小さな町に戻ってきて子育てをしていく中で、女性が働いている町でありながら、女性が安心して働けない、子供たちが安心して暮らしていけない。それは、放課後児童クラブとかいろんな施策はあるんですが、都市部だけではなくて地域の中では本当に姿がその村々で変わっております。働く働き手も、観光関係者だけではなく農家の方、病院関係、いろんな方が地域によって違うわけですから、そういう面では、少子化対策の中で是非地域バージョンのいろんなパターンを今後もますますつくっていただけたらというふうに思っております。
 以上でございます。
#47
○会長(田名部匡省君) 福島みずほ君。
#48
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 今日は四人の参考人の皆さん、本当にありがとうございます。
 何か名プロデューサーというか、名カリスマ地域コミュニティープロデューサーのそれぞれ四人の方たちの話に本当に心を打たれて、これを政治がどうやって後押しをしたらいいのかということを是非教えていただきたいと思っています。
 その地域を愛して、それぞれの様々なノウハウや知恵でそれだけコミュニティーをやっぱり再生させてきた熱意や努力、ネットワークは本当に敬意を表します。
 たまたま私は個人的に大館や由布院にはよく行っておりますので、女性たちが大館で頑張っているとか、そういう話も地域で聞いたりしていますので、今日は本当にありがとうございます。
 まず、政治は邪魔をしないでいてくれるだけでいいと言われると、何をしたらいいかなんという。ただ、私たちも応援をしたいわけで、そして、私が言うまでもなく、全国回るとほとんどの地域が極端に疲弊をしていく。しかも、どんどん疲弊をしていっている現状で、うまくいっているところもあるんだけれども、それをどうやって全国の中で展開を、それぞれの地域を生かしながら応援できるかというふうに思っています。
 まず、結城参考人に、全国どこへ行っても米が一俵安過ぎるとあるわけですね。鳴子の米は、ある種のブランド化で二万四千円。ブランド化というと変ですが、一俵二万四千円で成功しているわけですが、ここからもし、結城さんはこの鳴子のプロデューサーなわけですが、他の地域に普遍化して、こういうことをやったらいいよとか、さっき施策がコミュニティーを壊してきたとおっしゃいますが、こういうことを是非政治やいろんな地域がやればいいという何かヒントがあれば、ちょっとそれをまず教えてください。
#49
○参考人(結城登美雄君) こんなふうにやったらいいよというより、成り立つような値段をきちっと自分たちで決める。例えばこういう時計にしても、一万五千円なら一万五千円とメーカーはメーカー価格というものを付けます。小売店はメーカー希望小売価格を入れるはずです。なぜ日本では食べ物という大事なものを作る人たちが、自分で一生懸命作りながら自分で値段を付けられないのか。そこで、値段を付けられないので、市場が決めたものを結果的には引き受けざるを得ないと。
 その中でどんなふうに、海外農産物も来るでしょう、どういうふうにして営農計画を立てたらいいか。そこをほうっておいて農業施策というのは、僕は何かとても大事なものを抜きにして、あえて言えば表面上を取り繕っているにすぎないというふうに思います。どこに労働をやって、自分が作ったもの、これを一杯幾らだとか幾らって決められないところ、そのことをもうちょっと、政治は常識ではないんだよという、そこにしっかりアクセスしていただきたいなということ。
 だから、時々こういう鳴子のようにやりたいとあちこちから言われて、行きます。だから、一俵二万円は払いたい。ただ、水の代金だって平均で五千円です、一反歩当たりの水代金が。そうすると、でもあるところは二万円という水代もあるんですよ。水代を反当たり五千円だ、一万円払っているなんて知っている人少ないんですよ。つまり、製造原価ってあるんですよ。
 そういうことを全然、それで安全、安心だとか、僕から言えば、あえて言えば、後の問題の、最初の土台の問題を何にもやらないで、何か高い安いという、あっちのスーパーよりもこっちのチラシの方が安いみたいなところじゃなくて、これは人間の生きていく上で欠くべからざる食べ物なんだというところを思うんであれば、しっかりと国民的コンセンサスを僕は持たせる役割が国会議員にはあるんではないかというふうな気がしています。そういうイロハを全然踏まえていないと私は思っています。
 例えば自給率を上げると言ったり、所得補償の話にしても申し上げたいんですが、なぜ食べ物を支えている人たちがそれで食べ物を作れなくなっていったら困るのはだれなんだ、私たちなんだ。その人たちが暮らせないのでは困るんだから所得補償なのだという、所得補償における哲学や考え方をしっかり持った上で、それゆえに所得補償政策なんだよというところがなくて、あっちはばらまきだからこっちは大型化だという、何かこそくな僕は表面上の施策のやり取りしかなくて、人間のしっかり、これからの若い人だってこれから生まれる人だって、生きている限り一生食べ続けるものの大切さというものを、食べ物の哲学や農の哲学みたいなものも国会議員の方は、要らないとは言いませんので、是非そういうことを主張していただきたいなというふうに思います。
#50
○福島みずほ君 石垣参考人に、現在の悩みですよね、現在の悩みと、それからその陽気な母さんみたいなのが全国展開もっとすればいいし、大館の場合はたしかJAも少し応援しているんですよね。していない、済みません。
 じゃ、現在の悩みと、それからその陽気な母さんみたいなこと、よく道の駅とかありますけれども、もっと全国で広げるときのアドバイスがあれば教えてください。
 それから、桑野参考人には、確かに映画祭とか非常に文化的なブランド化に由布院はとても成功していると思うんですが、今全国は、例えば山形のドキュメンタリー映画祭なども、市の財政がどうか、県の財政がどうかとかいろんな話を全国で聞きますし、夕張も映画祭がもうもちろんやれなくなったと。その映画祭や音楽祭やいろんなものというのは市や県の援助とかなくてやっていらっしゃるのか、その点をちょっと教えてください。
#51
○参考人(石垣一子君) 私たちは本当に農家の女性八十八人で出資金を出し合ってまず経営しております。先ほど言いましたように、今十一名のパートの方々にもきちんと、高い低いと言われるかもしれませんけれども、高い人は時給七百円、安い人は六百五十円でパート代を払っております。
 そのような形で、きちんと自分たちの経営に間に合うというんですか、売上げをどのぐらいすると運営できるかということをきちんと自分たちでまず勉強しなければならないということで、まずあそこも成功しているからここでもやればできるだろうなんていう簡単な気持ちでやってはならないということですね。そして、自分たちの店はどういうふうなことを特徴的にどうしてやらなければならないかというようなことをきちんと打ち出していかなければならないんじゃないかなと思っております。
 決して農協さんの協力をいただいてないというわけではないんですけれども、最初立ち上げの、ここだけの話になりますけれども、決して七名の男性の反対で両てんびんに女性百名が掛けられたわけじゃなくて、私は農協と女性が、百名の女性がてんびんに掛けられたと思っております。
#52
○参考人(桑野和泉君) 私ども旅館業界というのは入湯税というのを市の方に納めているんですが、それが大体一億二千万ぐらいあります。私どもの観光協会に市の方から入ってくるお金は五百万です。五百万なんです、本当に。それ以外に、由布市の中で観光予算というのは五千万です。ですから、全く私どもはそういう面では市のお金に頼ってこずに三十数年やってまいりました。
 ただ、これがいいかどうかというのは別問題だと思っております。入湯税というのは、外から来るお客様がお支払いくださる。それは、外の方たちに返していくものでありながら再投資というものが全く地域の中でできていない問題、そういうことがありますので、決して私どもは、民間がやはり頑張って力を合わせてやってきた三十年がある、映画祭も音楽祭もできて、地域の人たちがお金を出し合ってつくったと。それだけが良かったとは言い難いという問題を抱えながら、今後どうしていくかということが今の課題となっております。
 一方で、これだけ今地方の先ほどから経済が悪化というお話ありますが、私も、戻りまして初めてこんな怖い目に遭っています。今までお客様が来る町であったと。初めて来ないということを経験する中で、すごく危機感があります。でも、この危機感がかえって仲間づくりにはいいんですね。こんなに悪かったら、じたばたしてもしようがないと。今までだったら、ちょっと悪いから何かしようと目の前の施策に走っていた。それが、これは十年、二十年考えた上で今やり直すときだよと。
 そういう意味では、私ども地域現場というのは、かえってこの経済危機というのがプラスに働いておりますので、是非先生方には、目の前のことだけではなく、私は十年先、二十年先を見据えた施策を打っていただきたいという思いでおります。
 以上です。
#53
○参考人(結城登美雄君) 済みません、一つだけ。福島さんにお答えするのを忘れましたので。
 全国の方にとおっしゃっているんですが、乱暴かもしれませんけれども、相変わらず国が何とかしてくれるだろうとずっと慣らされてきたところがあります。石垣さんの、農協もそこをちょっと当てにする動きで、女をてんびんに掛けたりすることになるんだと思うんですが、私はこんなふうに申し上げています。
 国がどうしてくれる、こうしてくれるよりも、みんなのこれは問題で、地域で考えようと。国家のために米や農産物を作るんではなくて、まずは我が家族、そして我が隣人と友人と知人、それがここでやる食べ物なんだと。それを各地域地域が同じように考えて、その総体が国家であったらいいなというふうに思うんですね。
 ですから、それを国という何かこういうのでなくて我が家族、一町歩の人が、二町歩の人が酔っ払うと日本の農業どうするって頭でっかちになるんですよ。おまえさんの田んぼはどのぐらいだいと言ったら、五反歩だとか畑が一反歩だったら、それで作れるのは我が家族と我が隣人と我が知人、友人のための食料、それを是非つなぎをやると。その集まりがこの地域であり、その地域の集まりが日本であるような、そんな視点から農業あるいは食べ物というものを考えていく。身近な、それがCSAというものなのかな。コミュニティーがサポートしていく農業であり、農業が良くなったら同じように今度はアグリカルチャーがサポートコミュニティーというふうに、お互い入れ替われるような、そんなありようにやっぱり持っていきたいものだなというふうに思います。
 ちょっと補足でありました。
#54
○福島みずほ君 ありがとうございました。
#55
○会長(田名部匡省君) よろしいですか。他に御発言ございませんか。
#56
○紙智子君 済みません、ちょっと追加でもう少し聞きたかったのが、石垣参考人にお聞きしたくて、学校給食のところに、先ほど何か七校に三千五百食と言いましたか、かなりすごいことだなと思ったんです。
 それで、そこのところが、実際に例えば供給するとなると、いろんな出来不出来の年もあるし、そこはどんなふうにやっているのかなというか、補足したりするところだとか、あるいは行政との関係だとか、どんなふうに交通整理しながらやっているのかなというのをちょっとお聞きしたかったので、お願いします。
#57
○参考人(石垣一子君) 私たち、学校給食、多くの子供たちに食べてもらうのだからすごい量がさばけるのかなというふうに大変大きな期待をして、知事が来たときに頑張って手を挙げて、学校給食へ、直売所一品でもというふうにお願いして、六直売所の団結力をつくってフレッシュ供給会というのをつくり上げました。けれども、納めてみたら大変お金にならない。本当にこれはボランティア事業みたいなものです。ですけれども、本当はやめるという、やめたところもありますけれども、やめてはならないということで頑張っておりますけれども。
 農家は、種まいて一週間で物ができるわけではないので、学校には一か月前に来月はどういう野菜ができますよというふうに提案、ちゃんとできる野菜を届出するんです。そして、その中で今度栄養士さんが向こうから、じゃこの野菜できますかというのが来まして、私方が、はい、できますというのをやるんですけれども、なかなかその数量が増えない。他業者というんですか、やっぱり入れなければならないところがあるのかなということで、そこら辺を明確にしたいなということで、今帰ってからその話合いをしていきたいと。
 ですけれども、やっぱりもっともっと地場のものを使っていただきたいということが本音です。店としては届けることとかいろいろな経費は掛かりますけれども、農家としては必ず使ってくれるんだという量が分かりますので、安定した供給ができるということで、農家にとってはいいんです。ですから、そこら辺をもっと力を入れていきたいなと、学校さんとも。
 ただ、私方が今農林課を窓口にして訴えかけているんですけれども、農林課だけではなくて、教育ですか、学校に関する方々が、上の方々が、やっぱり地場のもので子供たちを育てなければならないという意識を栄養士さんとか調理師さんに伝えなければ、私方の声は届かないと思いますので、そこら辺を国からもずっと下ろしていってもらいたいと思います。
#58
○会長(田名部匡省君) 礒崎陽輔君。
#59
○礒崎陽輔君 ありがとうございます。自民党の礒崎陽輔です。
 今日は、私の地元の大分県の由布院から桑野さんいらしていただきましたので、ちょっと宣伝も兼ねて質問をさせていただきたいと思います。
 桑野さんも最近、NHKの経営委員にも御就任なさっていただきまして、全国ブランドで発信をしていただいておりますが、今日の御質問も大変立派でしたので、ちょっといつもと違う人みたいで質問しにくいんですけど。
 説明の中にもあったんですけど、由布院がこれだけいろんな開発が進んで非常に良くなってきたんですけど、大変進んできたものだから、部外者というと言い方は悪いですけれども、よそから来て由布院ブランドを売る人がかなり増えてくるというのは、余りよその人にばらしちゃいかぬのかもしれませんけど、そういう問題が今出てきておると思うんですけど、これに対する考え方なり対策なりは今どういうふうなことになっておるでしょうか。
#60
○参考人(桑野和泉君) どうもありがとうございます、また由布院の話をさせていただけるということで。
 日本の観光地また温泉地もそうなんですが、お土産の問題ってあるかと思います。シールを、後ろを見ると、由布院のものではなく長野県であったり北海道であったり、全国どこも一緒なものになっていると。でも、このことは決して地域にとって、また訪れる人にとって幸せなことではないと思っています。やはりそこの土地、そこの土地に由来するもの、何か関係性があることが地域の経済にもつながりますし、同時に地域の人たちの誇りにもなっていくことだと思っています。
 そういう意味では、私どもは、お土産屋さん戦争じゃないんですけど、絶えず地域の中で、由布院に、私どもの観光協会に入るなら、ただ名前だけを由布院ではなくて本当に由布院の生産者と組んでやってほしいと。同時に、お土産屋さんを造るときも、地域の人たちにとって誇りになるような建物にしてほしいと。そういうことを私どもはお願いをしながら来ております。
 ただ物が売れるから作っていくんだというような社会の中で、そこに対抗するためにはルールを作るだけではなくて、そのものよりいいものを作るしかないと、良質なものを。今、日本中で同じものを売って、由布院でも黒川でも一緒なものじゃないものを作って、そちらが売れて支持をされると。支持をされない中では競争できませんので、いいものを作ろうということで生産者の方たちと組んでいろんな商品を今作っていっています。
 そこに、先ほど鈴木先生のデザイン、いいものがあったとしても、そこがちゃんと皆さんに届くにはデザイン力というものが必要です。そういうものの仕掛けをしていくというようなことをしながら、地域につながるような、生産者とのつながりも含めたことをやり続けていきたいと思っておりますので、是非、先生、長い目で見ていって育てていただけたらというふうに思いますし、日本の中で同じような問題はどこも起きていることだと思います。でも、ちゃんと地域に還元できるような観光産業ではないと、住んでよし、訪れてよしにもなりませんので、そういう面では私どもも頑張ってほかの地域につなげていきたいというふうに思っています。
 あと、余談なんですが、由布院の若い旅館経営者たちが、今までは農村風景と言っておりました。でも、私どもの町の中は水田というものが一番大きいと。じゃ、その水田風景を守るためにはどうしたらいいかと。それはそのお米を使わないと始まらない。そこで、鳴子のプロジェクトを見て、今うちの若い人たちは鳴子バージョンを由布院で始めようとしているんですね。そうやって全国に今本当にいいものはちゃんと情報が伝わり、そこのバージョンとして生まれ変わっていっておりますので、私は地域が今から楽しみなときではないかと思っております。
 以上です。
#61
○礒崎陽輔君 今、若手経営者の話も出ましたけれども、由布院が、さっきも言ったように、雇用の場があるから若手の経営者が、旅館の経営者が帰ってきますね。私は、今、国会の中ではちょっと世襲議員が増え過ぎるのはいかぬのじゃないかという議論もしていますけれども、旅館の場合は帰ってくるのは本当に有り難いと思うんですけれども。
 さっきの表の中にもありましたけれども、旅館協会の方は割と年配の経営者がやっていまして、観光協会の人は桑野さん中心に若手がやっておるんですけれども、今の旅館協会の人との年代ギャップみたいなの、御苦労はないのかとか、あるいはまた、ぼちぼち若手がもっと活躍しなきゃならぬような状況になってきていると思うんですけれども、今後、私はもちろん期待しておるわけでありますけれども、今後、二代目である経営者たちが十分それだけの体力を持っているかどうか、念のために聞いておきたいと思うんですが、その辺について御意見を聞かせてください。
#62
○参考人(桑野和泉君) ありがとうございます。
 どこの社会においても、いろんな問題点といいましょうか、私ども若手が頑張ると中間層が、いや、ちょっと待ってくれというのはあることでございます。
 ただ、私ども、若いとどうしてもつぶされるということがございますので、今どうしているかといいますと、つぶされないために、能力がみんなないので、若いし、一緒に動くということだけをしております。一人では駄目だと。でも、十人いれば、若い人でも一人ずつ特徴はあります。その人たちが地域づくりにかかわるというノウハウを持っていく中で、十人が一つの束になってこの数年間今からやっていけば、そのうち消えていってくれる人もいます。そういう言い方をしちゃいけないんですけど。
 やはり、世代が替わらないとなかなか動かないことというのはございますので、そういう面では、これは観光だけではなくて、どの地域においても次世代がどうやって地域づくりにかかわっていくか。そのときに、若い人たちがどんなことがあってもやっぱり自分たちでやるんだという意欲を持つ、それを外の皆様を始め、応援してくださることによって若い人というのが地域の中で生かされていくんではないかと思っております。
 あと、私ども、旅館とか観光関係者って限られているわけですね、小さな町で。その人たちだけが戻ってきても町は維持できませんので、私たちは小さな旅館であっても地域の雇用の場でありたいですし、そこを独立して新たな展開をできると。だから、小さな企業でも起こしていけるような仕組みをつくっていきたいと思っておりますので、旅館だけではなくて、レストランが生まれたり、お茶屋さんが生まれたり、カフェが生まれる、いろんなことをしていく中で地域の中で皆さんが生きていける、若い人たちも含めて入ってこれる、そういうような場づくりをしていきたいというふうに考えておりますので、どうぞ引き続き応援の方をよろしくお願いいたします。
#63
○礒崎陽輔君 ありがとうございました。
#64
○会長(田名部匡省君) 他に御発言ございませんか。──ないようでございますので、参考人に対する質疑は終了いたします。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な、有意義な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。ただいまお述べいただきました御意見につきましては、今後の調査の参考にさせていただきたいと存じます。本調査会を代表して厚く御礼申し上げます。
 本当にありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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