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2009/04/01 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号
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2009/04/01 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号

#1
第171回国会 国際・地球温暖化問題に関する調査会 第4号
平成二十一年四月一日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十五日
    辞任         補欠選任
     大島九州男君     木俣 佳丈君
     高橋 千秋君     広中和歌子君
     室井 邦彦君     長浜 博行君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         石井  一君
    理 事
                島田智哉子君
                主濱  了君
                富岡由紀夫君
                川口 順子君
                小池 正勝君
                加藤 修一君
    委 員
                木俣 佳丈君
                郡司  彰君
                長浜 博行君
                広中和歌子君
                福山 哲郎君
                増子 輝彦君
                峰崎 直樹君
                佐藤 正久君
                島尻安伊子君
                西田 昌司君
                牧野たかお君
                丸山 和也君
                水落 敏栄君
                山下 栄一君
                山本 香苗君
                山内 徳信君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        藤崎  昇君
   参考人
       東京消防庁警防
       部救助課長    原   修君
       警察庁長官官房
       国際課課長補佐  高瀬 初雄君
       東京大学医科学
       研究所附属先端
       医療研究センタ
       ー教授      岩本 愛吉君
       名古屋第二赤十
       字病院国際医療
       救援部部長    白子 順子君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題及び地球温暖化問題に関する調査
 (「日本の国際社会における役割とリーダーシ
 ップの発揮」のうち、地震等大規模自然災害及
 び感染症への国際的取組(地震等大規模自然災
 害及び感染症に対する国際的取組と我が国の支
 援の現状・課題)について)
    ─────────────
#2
○会長(石井一君) ただいまから国際・地球温暖化問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る二月二十五日、室井邦彦君、高橋千秋君及び大島九州男君が委員を辞任され、その補欠として長浜博行君、広中和歌子君及び木俣佳丈君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(石井一君) 国際問題及び地球温暖化問題に関する調査を議題といたします。
 本日は、「日本の国際社会における役割とリーダーシップの発揮」のうち、地震等大規模自然災害及び感染症への国際的取組に関し、地震等大規模自然災害及び感染症に対する国際的取組と我が国の支援の現状・課題について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、警察庁長官官房国際課課長補佐高瀬初雄参考人、東京消防庁警防部救助課長原修参考人、東京大学医科学研究所附属先端医療研究センター教授岩本愛吉参考人及び名古屋第二赤十字病院国際医療救援部部長白子順子参考人に御出席をいただいております。
 この際、一言ごあいさつを申し上げます。
 各参考人におかれましては、御多忙なところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 本調査会では、「日本の国際社会における役割とリーダーシップの発揮」について重点的かつ多角的に調査を進めておりますが、本日は、地震等大規模自然災害及び感染症への国際的取組に関し、地震等大規模自然災害及び感染症に対する国際的取組と我が国の支援の現状・課題について各参考人からの忌憚のない御意見を賜りまして今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願い申し上げます。
 本日の議事の進め方でございますが、まず、高瀬参考人、原参考人、岩本参考人、白子参考人の順でお一人十五分程度御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでをめどに質疑を行いますので、御協力のほどよろしくお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、高瀬参考人から御意見をお述べいただきたいと存じます。高瀬参考人。
#4
○参考人(高瀬初雄君) ただいま御紹介をいただきました警察庁長官官房の国際課課長補佐の高瀬でございます。
 それでは、現場の活動の状況等についてお話をさせていただきます。
 昨年の五月十二日、マグニチュード八・〇の中国四川大地震が発生し、我が国は、中華人民共和国の要請を受けて、国際緊急援助隊派遣法に基づいて五月十五日から二十一日までの間、国際緊急援助隊救助チーム六十一名を派遣いたしました。
 私は、救助チームの副団長として現地での活動に従事する貴重な経験を得ました。このこと、また、本調査会での発言をする機会を得たことを大変光栄に思っております。
 これより緊急援助隊救助チームの活動状況と所感等についてお話をいたしますが、編成、それから警察部隊の活動状況、派遣の経緯等に触れた後に活動状況所感ということでお話をさせていただきたいと思います。
 国際緊急援助隊の編成ですが、震災等、大規模災害が発生した際に日本政府が派遣する国際緊急援助隊救助チームは、外務省の国際協力局国際協力室長を団長といたしまして、警察、消防、海上保安庁及びJICAの職員によって構成され、救助活動及び災害応急対策のための活動を行うことを主な任務としております。
 このうち、警察職員で編成される部隊を警察内部では国際警察緊急援助隊と呼称しており、警察庁の国際課の課長補佐が副団長として、通信担当技官のほか都道府県警察の災害対策担当職員、警備犬担当職員、機動隊員等をあらかじめ指名して派遣体制を確立し、派遣に備えているところです。
 続きまして、警察部隊の活動状況ですが、警察では、ここの表にあるように、派遣法に基づいて過去十二回、延べ百七十八名の隊員を地震、ビル倒壊、津波被害の発生した延べ十二か国・地域に派遣をしているところです。
 派遣の経緯ですが、国際緊急援助隊の派遣は、被災国政府、国際機関からの要請を受けて、そして、被災国内にある在外公館を通じて日本国外務省に通報されることから派遣の検討が開始されているところです。
 四川省の大地震でも、五月十五日の正午、中国から派遣要請を受けて、外務省国際緊急援助室長から調整連絡を担当する警察庁の長官官房国際課あてに救助チームを派遣したいということで連絡がありました。
 当課では、同日中の派遣に向けて直ちに庁内手続を進めました。実務上は海外の災害発生状況をウオッチするように心掛けておりまして、今回の大地震でも、報道内容から日本政府に対して派遣要請がなされるのではないかということで、十三日、国際課長以下担当職員が非公式に派遣の準備を進めていたところであります。その結果、五月十五日午後には警察部隊二十名、警備犬三頭の派遣が正式に決定されたところであります。
 現地における活動概要であります。
 今回の救助チームは、発災後四日を経過してからの捜索活動の開始となりましたけれども、その開始の十五時間後に最初の遺体を発見、収容いたしまして、その後、学校、病院等の倒壊現場から十六名の遺体を発見、収容して中国側に引き渡しました。
 出発です。
 五月の十五日、第一陣は、午後六時三十分、JALの七八九便で成田を出発、深夜に北京空港で長安航空のチャーター便に乗り換えて、翌十六日の午前二時過ぎに成都に到着しました。ここから現地時間で記載をしております。その後、車両によって、六時間四十分、六時間半余りを要して、午前十時に成都の北北東四百キロに位置する青川県の関庄鎮というところに到着しました。現場へ行く途中の道路、到着した現場等がそこに映し出されております。
 活動一日目。五月十六日でありますけれども、最初に到着した現場は、山崩れで土砂が村を一のみした、約二百人が生き埋めになった現場でありました。日本隊は都市型の救助チームであるということを中国側の現地指揮本部に説明して理解を求め、ビルの倒壊現場がある県庁所在地に向けて転進を決定。同日の正午に出発をして、三時間半余りを掛けて同じ青川県の喬庄鎮というところに到着をいたしました。
 県庁所在地にある漢方医院の職員寮に二名が取り残されているとの情報から、この寮を活動サイトに決定しました。午後に同職員寮の捜索活動を開始。夜を徹して電磁波人命探査装置、二酸化炭素探査装置等を駆使して、生体反応を確認しつつ、重機併用の捜索活動を継続をいたしました。
 五月十七日です。活動の二日目になりますが、夜を徹した捜索により、瓦れきの下に空間を発見するたびに生命探査装置を活用、早期地震警報システムによって余震を把握、警笛によって現場からの避難を繰り返すという安全対策を行いつつ、捜索活動の末、朝七時三十分、母子の遺体を確認、収容、黙祷の後に遺体を搬出、家族に引き渡したものです。
 二番目の活動サイトへ移動することになりますが、後発の第二陣と同所で合流して綿陽市の北川県へ向けて出発をいたしました。現地の住民が手作りの横断幕で、ありがとう、頑張ってくださいという幕を持って送り出してくれたのをよく覚えております。勇気付けられて現場を離れました。部隊は、十時間余りを要して、深夜十二時ころ、標高八百メートルの山間部にある曲山鎮というところに到着をいたしました。
 雨が降った直後、危険な状態にあったので、到着後直ちに団長以下六名で現場の実査を行いました。多くの生徒や職員が取り残されているという情報、現場実査の結果からこの北川第一中学校を活動サイトに決定いたしました。実査をした部分の写真は、五月十八日、活動三日目と書かれたところになります。夜間、ヘルメットに蛍光の色が浮き出ているものであります。そして、もう一隊は旧市街地での活動を予定することとなりました。乗り付けたバスに戻って夜を明けるのを待ち、捜索活動に備えました。
 次、北川第一中学校での活動というところになります。
 午前八時に捜索活動を開始。技術的に困難な場所として残されていた中学校において、余震対策を講じつつ、現場避難を繰り返しながら捜索活動を継続。遺体と隣り合わせの状況下で長時間の捜索活動の末、十三名の遺体を発見、収容をいたしました。
 次のページになります。
 二手に分かれたもう一隊は、午前、旧市街地の現場に向かいました。上流にせき止め湖がある危険な地域でありましたが、決壊のおそれなしと中国側の現地指揮本部の方から活動許可が出るのを待って活動を始めております。現場の責任者から付近一帯の説明を聞いた後、警察犬を入れて、死臭の充満する盆地にある建設局を活動サイトと決定。捜索活動を開始し、活動を行いました。しかし、生存者、遺体の発見はございませんでした。
 同じページの下の写真になりますが、午後には、その日は五月十八日でしたが、前日の十七日に生存者が救出されたビルでございまして、まだ生存者がいるのではないかという情報の下に活動を行いましたけれども、生存者の発見には至りませんでした。オフィスビルでの活動においては、遺体一名を発見、収容。夕刻には病院での捜索活動を行っております。当初、機器に生体存在の可能性がある反応が出ました。中国の北京消防隊と共同で掘り下げを開始し、日没際には応援部隊の投入で掘り下げをしましたが、やはり生存者の確認には至っておりません。
 次のページですけれども、十九日、危険レベルが増したことによって待機指示が出て、正午には撤収が決定をいたしました。午後二時二十八分、北川第一中学校で、発災から一週間後ということで犠牲者への黙祷をささげ、夕刻に成都へ向けて出発をいたしました。
 活動の五日目ですけれども、五月の二十日午前八時に団長から帰国決定の指示がなされ、昼過ぎから夕方までメディカルチェックを行い、全員の健康確認後、十時過ぎに成都空港に向けて出発。翌五月二十一日午前三時二十分、JALのチャーター便で成田に向けて出発。午前八時四十七分に成田に帰国しております。
 次に、所感でありますけれども、四点ございます。
 まず、派遣要請国に対する部隊の能力、適性の周知についてであります。
 先ほども申し上げましたが、最初に到着した現場は、山崩れで土砂が村を一のみしたところ、都市型災害への対処を前提とした我が国救助チームの活動には適さなかった。その際、日本の救助隊は世界第一だと聞いている、地質学者や水理学者がおり何とかしてくれると思ったというふうに現場の市の幹部が言っていたのが印象的でありました。
 都市型救助チームの能力発揮、これは時間との勝負であります。派遣要請国との情報の共有化は極めて重要であり、JICA事務所等を通じてできるだけ多くの現地情報を事前に収集するとともに、相手国に対して救助チームの能力、適性を情報提供することの重要性を痛感いたしました。
 次に、交通アクセスについてです。
 現地への道のりは、通行中のバス、乗用車が大きな石、巨岩に押しつぶされて放置されたままになっていたり、川沿いの道が大きくえぐられているところが多々ありました。これを徐行して回避しなければならない状況。特に、山越えの道路等細い道路では、通常では四十分程度で移動できるところが四時間くらい掛かるような状況。寸断された道路が開通直後であったことに加えて、荷役車両で人民解放軍がやはり災害復興で移動していたところに出くわして大渋滞になった状況。交通アクセスは極めて悪い状況でありました。山間部の現場ではありましたけれども、ヘリコプターによる活動サイト入りも考慮されるべきではなかったろうかと考えております。
 遺体収容についてです。
 発災から五日、六日が経過した現場の死体と隣り合わせの捜索活動。隊員がASD、急性ストレス障害になるのではないかと懸念されるような状況下でありましたが、余震対策を講じて、床に穴を空けて階下に入り、そこからまた下の階に入るというような着実な努力の結果を通じて十六名の遺体を発見、収容し、中国に引き渡しました。こうした日本隊の活動に触発されて北京、綿陽の消防隊が駆け付け、日本隊の指導により五遺体を発見、収容するという状況もございました。
 帰国後のメディア取材に対して、警察から派遣されていた小隊長が、生命反応がなくても生存者と同様に遺体を傷つけないように救出活動をしているんですということを話しておりましたけれども、各隊員が死者に礼を尽くして救出活動に当たる姿は私の目から見ても印象的でありました。
 また、母子の遺体を発見、収容して、今日出席の原中隊長の号令で黙祷をささげ、その後に家族に遺体を引き渡したことが中国において日本の武士道と報道されておりましたけれども、マニュアルにはなく、隊員の意思としてやっていることを確実に引き継いでいかなければいけないなと感じた次第であります。
 平素の訓練の大切さについてです。
 今回の派遣に際して、私を始めほとんどの隊員が初めての派遣となっており、戸惑うことも多々ありました。しかし、地震発生前の四月に約一週間、団長の下に副団長以下がフィリピンの地震対応訓練に参加したこともあって、良好なチームワークが取れ、任務を全うできたものと思っています。国際緊急援助隊の派遣経験者が部隊にやはりおりました。彼らが隊のムードメーカーになったほか、国内における各種訓練で一緒に活動したあうんの呼吸で連携できる隊員がいたことなど、これが効果的な捜索活動につながったものと確信しております。それとともに、被災地での活動がいかに厳しい環境の下で行動しなければならないか、そのために有事に備える平素の訓練がいかに大切かについても感じたところです。
 最後になりますけれども、四川の大地震の派遣から十か月余りが経過をいたしました。現地の鬼気迫る山越えの道路を戦慄を覚えながら進む中、そのときから始まる任務を思っておののく感情を封印する自分がいたのを思い出します。そして、成果を収めて隊員全員が無事に戻れたことをしみじみと有り難く思っているところであります。さらに、国際緊急援助隊員として指名された待機要員は、いつ派遣決定があっても直ちに対応できるように、絶えず自己研さんに努めて国際協力の一端を担っていかなければいけないかという重責を肝に銘じた次第です。
 中国四川省で亡くなられた多くの方の冥福と被災された多くの方の平穏な生活をお祈り申し上げて、発表を終えさせていただきます。
 以上です。ありがとうございました。
#5
○会長(石井一君) 次に、原参考人から御意見をお述べいただきます。原参考人。
#6
○参考人(原修君) ただいま御紹介をいただきました東京消防庁の救助課長の原でございます。
 初めに、今お話をしました高瀬さんと同じ場所、ほぼ同じ行動をしましたので、資料の中、若干ダブっているところがあると思いますが、御容赦をいただきたいと思います。
 お手持ちの資料は、今からお見せします全く同じパワーポイントが印刷してございますので、前面のスクリーンの方を御覧いただきたいと思います。
 私は国際消防救助隊の隊長ということで行きましたが、先ほどお話にありましたJDR、国際緊急援助隊、この中の救助チームというのは三庁の救助隊から成っております。私が所属しております国際消防救助隊、それから警察チーム、それから海上保安チーム、この三庁の救助チームをまとめた中隊長ということで私は中国の四川に行かせていただきました。
 発災等につきましては省略させていただきます。
 中国の四川省、震源地は大体この辺でございます。この四川省だけでも日本の約一・三倍ぐらいの大きさがございます。四川省の成都、四川省の中心的な町ですね。成都というところの空港が六大空港の一つであるというところでございます。
 全体で、JDR、六十一名でございます。団長、それから、先ほどお話しされました高瀬さんがこの警察庁、三庁の副団長さん、それからJICA。そのほかに、救助チームが海上保安庁、東京消防庁、警察、この救助チームの私は隊長ということで行かせていただきました。そのほかに、救助チームの健康管理等を担当していただきます医療関係者、医師二名、それから看護師二名ということで編成になっております。
 移動した距離でございますが、震源地がこのブン川県ということで、このオレンジ色に見えますか、これが平地で高速道路でございます。青いところが全部山道で、震源地、上の方はほぼみんな山の上ということで、最初、成都に入りまして、高速道路で動きまして関庄鎮、それから喬庄鎮を降りて、また高速道路で綿陽市に行きまして北川県の曲山鎮、最後にまた成都へ戻って帰ってきたという移動距離でございます。
 震源地から、先ほど、こちらの喬庄鎮の方まで四百何キロと。阪神・淡路大震災の被害の範囲というのを考えますと、非常に考えられないことですね。関東から東海若しくは関西に近い範囲まで同じような被害がずっと起きていたというような状況でございます。
 移動距離と時間でございますが、赤いところをちょっと見ていただければ分かると思いますけれども、二百六十七キロ、六時間二十二分だとか、それから十時間、短い四十三キロでも、山道の移動でございますので三時間五十五分と、非常に移動に時間を取られたという状況でございました。
 ちょっとこの辺は飛ばさせていただきます。
 派遣につきましては、第一陣とそれから翌日の第二陣というふうに分かれております。今までの派遣もそうだったんですが、基本的にすぐ派遣するということで、一般の旅客機の空席の部分を押さえて、それで派遣隊員が行くと。我々第一陣も、通常の北京空港に行く旅客機で空いている席に入りまして、一般のお客さんの中にJDRのこの服装で乗っかって、一番最初、北京へ入りました。それから、北京からは中国国内のチャーター便ということで成都空港に入ったという状況でございます。
 それから、第二陣につきましては、今までの派遣の中で初めてだと思いますけれども、何とかチャーター便が用意できたということで、日本の成田から成都空港までチャーター便で直接入ったということでございます。
 高速道路を降りまして一番最初の関庄鎮まで行くまでの道の状況でございます。
 お話によりますと、十二日に発災しまして、日本を立ったのが十五日、この山道の方に来たのも十六日の方になりますが、私どもが入った前日、発災から三日してようやく道が開通したというお話のようでございました。したがいまして、我々の感覚では、もっと早く行かせてもらえればなという思いがあったんですが、物理的には無理のような状況でございました。このように、非常に大きい岩がごろごろしている状況でありました。
 先ほどお話がありましたけれども、一番最初に連れていかれた場所が関庄鎮の、お分かりになると思いますが、この正面の山、グリーン色がないと思います。山が半分崩れまして、この真ん中の谷の部分に本来ずっと川が流れていて、両サイドに村があったと、二百人規模の村が山崩れの土砂で全部埋まっていると、この部分の土砂の厚さが十メートルから八十メートル、厚いところで百メートルあるんじゃないかというお話をいただきました。
 重機もございませんし、一番最初、急いで一般旅客機で来ました私ども第一陣につきましては、削岩機等の機械もエンジン関係の機材も第二陣が持ってくるということで、食料もテントもほぼない状況でございました。
 そういう状況の中で、こういう場所が六か所あるというお話をいただきましたけれども、さすがに私どもでは活動できないということで、何とか通訳を通して説明をいただいて、それでこの場所で黙祷をささげて次の部分に移動したということでございます。今のところが関庄鎮でございます。
 山道を少し下りまして、今度、反対側の山道の喬庄鎮というところに行きました。道は地割れがあったり崩れたりという場所で、移動は全部向こうでチャーターしました大型の観光バスでございます。この岩は、したがいまして、大体家の二階建てぐらいの大きさがごろごろ転がっているという状況でございます。周りの家の建物もこういう状況でございました。
 向こうのほとんどの建物は、表面がモルタルを塗って一見、鉄筋コンクリートのようだったり、それから表面にタイルがあった。ところが、中身は全部れんがの、モルタルで付けてある、全然配筋が入っていない、そういう状況の構造でございました。
 それで、二番目の場所、広元市青川県の喬庄鎮という、先ほどお話があったように、漢方医学院の職員の宿舎。左上の写真を見ていただきたいと思いますが、今指している建物がこの右側の方まで全部つながっていたんです、本来の建物は。今、重機があるようですけど、重機で崩したわけじゃなくて、地震とともにこのように真ん中がそっくり崩れてこういう瓦れきの山になってしまった。お母さんと二か月の赤ちゃんがこの中にまだいるんだというお話をいただきました。
 そんな状況から、ボランティアで来ていましたこの重機とともに一晩中掛かって、一晩中徹夜でしなきゃいけないということで活動を開始しました。
 ところが、先ほどのボランティアの重機の方が夕方になって引き揚げるということで、重機ごと引き揚げちゃったものですから、私ども、このようにれんがの大きい壁が落ちてくるという非常に危険な状況でございましたので、使っていない、余っている重機を中国政府にお願いして借りまして、派遣の隊員が見ましたら、これヒュンダイと書いてあるんですけれども、ほとんどヒュンダイの重機だったんですけど、日本とほぼ同じ操作でできるということで、今までの派遣の中で初めて派遣隊員が自分たちで重機を操作して、一晩中掛かってやったということでございます。
 照明も、少し情けない照明が今、写真に写っておりますが、照明器具につきましても、エンジン式の発電機だとか、それが全部第二陣ということでございますので、私ども、照明がヘルメットに付いているLEDのランプだけだと非常に危険だということで、中国政府にお願いしまして、十五ワットの電球を苦肉の策でぶら下げて、こういうような状況で一晩中掛かってやりました。
 左の上、お分かりになりますか、これが床の構造でございます。床につきましても、配筋が全然入っていなくてこのような形のものでございますので、一瞬にしてつぶれている。
 右下は、これは大型のホテルが建っていたという場所でございますが、何が建っていたかは聞かないと分からないというような破壊の状況でございました。
 町中もほとんどが全部れんが積みで、非常に余震が強くありました。刻々とれんががばらばら落ちて、それでビルが傾いてくるというような状況の中での活動でございました。
 それから、先ほど黙祷というお話がございました。今まで十何回派遣のあった国際緊急援助隊、すべて、隊員、日本的な感覚から黙祷をやっておるんですが、このときにつきましても、お母さんと赤ちゃんが朝になって見付かったということで、黙祷しましょうよ、隊長という話がありました。じゃ、やろうということで、向こうの風習はちょっと分からなかったんですが、このように並びまして、この向こう側に写っているのが報道陣でございます。そんな形で黙祷をさせていただきました。これが一緒に随行で行っておりました新華社通信が発表した、反対側から、報道側から撮ったもの。御家族の方が白いシーツを掛けるという風習だったものですから、このような形になりました。
 それから、何とかお母さんが見付かって、食事をしまして、まだ第二陣が来ておりませんでしたので食事もないということで、現地で中国側に準備していただいた食事をして、その後、何とか第二陣と合流して全体的な六十一名体制になりました。
 その後、今度は北川県の方に動くのにずっと高速道路を十時間何分移動しまして、先ほどの喬庄鎮から山道を降りて高速道路を走りましてこの北川県。それで、この北川県に着いたとき、先ほどお話ありましたように、ちょうど夜中に着きました。結構雨降っていたんですが、生存者がいるかもしれないということで、人命探査の機械を持って向かいました。残念ながら生体反応がないということでございましたので、非常に真っ暗だ、危険だということで翌日の朝からの開始になりました。
 左上でございますが、中学校の本校舎、先生方がいらっしゃる本校舎、発災とともにこういう状況になりまして、その関係者は一人も生存していないということで、状況については何も分からないというお話でございました。
 右下でございますが、私どもが救出活動をやった現場でございますけれども、本来は五階建ての校舎でございます。こちら、ちょうど一階と二階が座屈してつぶれて、ここに生徒さん方がいっぱい挟まれていたという状況でございます。
 ずっと夜まで掛かって救出活動をしました。ここに若干見えていますが、これ生徒さんの足でございますけれども、次から次と生徒さん、折り重なるように、気温も、五月ですけれども三十度を超えた気温がございまして、非常に死臭が多い状況の中、隊員はこのような活動をずっとやりました。
 先ほどお話ありましたように、床に穴を空けまして、二階、それから一階というような形で救出活動を実施をしました。ここは若干大きくやったんです。よく発災のときに机の下等で頭を入れて身を隠せと。実際に、教室は机ですべて床が止まっておりました。机の下に頭を入れれば死なないで済んだのかなと。現地の人にいろいろ聞きますと、実際、教室の中にとどまった人は余震が収まった後に全員すき間から抜け出てみんな助かっている。一番最初に抜けようとした人が、座屈した廊下それから階段で挟まって多くの方が死んでいるという状況でございます。
 この場所につきましては、応援に来ていました同じ中国の北京消防、それから地元の綿陽消防という形で、言葉は通じませんけれども、一緒に活動をしたという状況でございます。
 それから、こちらの方が、二つに分かれましたもう一つの高瀬副団長が行った市街地の状況でございます。この建物と同じ建物が目の前に建っていたという状況でございますけれども、一瞬にしてつぶれているというような状況でございます。
 ここの現場につきましても、ほとんど夜中遅くまでやったんですが、残念ながら生存者救出はできないということで、翌日、先ほどお話がありましたように、日本国内では随分ニュースで話題になっておりましたけれども、地震湖ダム、地震によってせき止められたダムで水没する町になるということで、そこに行くことができないで、いったん待機をします。午後に黙祷しまして、それで夕方から撤収して、夜中、四川省の成都のホテルに引き揚げます。ここ、いっぱいに周りにいらっしゃるのは、二十三時過ぎですが、住民の方がいっぱいいらっしゃいました。日本隊を迎えていただきまして、非常に驚いた思いがございます。
 翌日、四川省の副省長が日本隊に向けてレセプションをやっていただきまして、こういう旗をいただいてそれで引き揚げてきたということでございます。
 ほかについては省略をさせていただきます。
 どうもありがとうございました。
#7
○会長(石井一君) ありがとうございました。
 次に、岩本参考人から御意見をお述べいただきます。
#8
○参考人(岩本愛吉君) 東京大学医科学研究所の岩本と申します。よろしくお願いいたします。
 今日は、医科学研究所の封筒をお手元に配らせていただいておりますが、その中に、これから御説明させていただくパワーポイントファイルのプリントアウトが入っております。裏表になっておりますが、よろしくお願いいたします。
 医科学研究所は、ここに見えているところがそうですけれども、港区白金台にございまして、明治二十五年に、ドイツから帰国しました北里柴三郎を福沢諭吉が援助する目的で私立伝染病研究所としてできましたが、大正時代に文部省を経て東京大学に移管されまして、現在では医科学研究所ということで、感染症以上に広く、ゲノムでありますとか幹細胞、そういったような広い研究所として機能しておりますが、全国で今、大学附置研究所としては唯一病院を持つ研究所でありまして、私はその中で感染症の臨床分野を担当しております。
 今日いただきました御指示の方で、個人的な経験に基づいて意見を述べるようにということでございましたので、内容としましては、次に書かせていただきました。
 まず、簡単に一枚のスライドで、非常に大規模な感染症が成立して拡大するための条件というのを一枚のスライドで振り返ってみたいと思います。
 それから、私自身の少ない経験でございますが、アフリカで経験したこと、それからアジアで経験していることをお話しさせていただきたいと思います。
 それから、そういう経過を通じて、私は主に今アジアで活動しておりますが、感染症の成立、拡大、そういうものと国際協力について多少の私見を述べさせていただきたいというふうに思っております。
 まず、ここには、大規模な、学生に講義で話すようなことで誠に恐縮ですけれども、当然人から人への感染症が成立するには人の密度が大事で、人口が多数存在することが大事で、そのことによって、病原体の種類によって、例えばインフルエンザであるとか二〇〇三年に流行しましたSARSですと、飛沫感染、人のつばとか唾液に病原体が乗った形で人から人へ感染いたしますし、ポリオとかコレラ、ノロウイルス、病原性大腸菌といったようなものは、腸で増えて、それが便となって出て、それが飲み水に入ったり食べ物に入って、いわゆるふん口感染という形で感染が成立します。それから、梅毒であるとか淋病、クラミジア、こういった病気は人の性行為によって感染症が起こるわけです。
 非常に歴史上大事な感染症を拡大する要因というのは交通手段と人の移動でありまして、古くは、シルクロードが発展したときに、中央アジアを中心としたところからペストがヨーロッパに持ち込まれて、当時のヨーロッパの人口の四分の一ほどを死に至らしめたというような歴史がございますし、十五世紀末から十六世紀にかけてのコロンブスやバスコ・ダ・ガマの大航海の時代には、天然痘や麻疹といったものがヨーロッパから新大陸に、あるいは梅毒といった性感染症が世界的に拡大した世紀であります。それから、もちろん、最近では大量高速輸送の時代ですので、二〇〇三年には中国の南から発生しましたSARSという呼吸器の感染症があっという間に世界に広がったことはまだ記憶に新しいと思います。
 それに加えまして、物の移動、例えば食べ物でありますが、例えばコレラ菌に汚染した輸入食物で日本人が感染するであるとか、あるいは薬物使用による感染症、これ、後でちょっと出てまいりますが、そういったようなもの、物流によって人の感染症が拡大するといったような事情がございます。
 私、国際的には非常に数少ない経験しかございませんが、それの例を三点ほど御紹介したいというふうに思います。
 一番最初に、大変短い、二〇〇〇年にウガンダで経験をしましたエボラ出血熱のお話を少しさせていただきたいと思いますが、私、このとき五十歳でしたので、国際経験としては非常におくてでありまして、五十ぐらいまで、北アメリカに留学した時代を除いては余り国際経験というものがございませんでした。その後、一九九九年から二〇〇四年には、JICAがやっておりましたタイの保健省のNIHという機関の強化プロジェクト、それから、二〇〇五年から現在にかけては、中国で感染症の共同研究を担当させていただいております。
 アフリカでの私の短い経験は、二〇〇〇年のウガンダで起こりましたエボラ出血熱のアウトブレークのごくわずか二週間ぐらいの経験ですけれども、当時、背景因子としましては、一九九九年に明治時代から続いた伝染病予防法というのが感染症法に切り替わりまして、ウイルス性出血熱というアフリカに存在する非常に強毒なウイルス感染症を日本人でだれも経験した者がいないということで、厚生省とWHOが協力しまして、合計五名の日本人がウガンダに入って活動いたしました。その中で、私は臨床医の一人として参加させていただいたという経験がございます。
 ここの絵で、実際問題ここで申し上げたいのは、病棟で勤務したときで、この病気は治療法がありませんし、それから、放置しておくと人から人へ感染が起こりますので、とにかく感染した人は隔離する、あるいは亡くなった方は埋葬するというふうなことが起こるわけですが、ここで一つ取り上げさせていただきたいのが、やはり、こういう途上国における感染症の協力といいましても、例えばこれはアメリカのCDCが持ち込んでいた診断室でありますけれども、基本的には、こういう途上国に行けばマラリアもある、デング熱もある、非常に高熱の病気は幾つもあるわけで、エボラ出血熱とほとんど区別が付きません。そういう中で、最先端のやはり診断技術を持ち込んでアメリカが対応していることが非常に印象的でありました。
 また、一番こちら側に出ている現地のマチューさんというお医者さんは、私、帰ってくる日に、隣でこれから帰国するというような話をしまして、WHOの人と今後の話をしていたときに、一週間たちましたら彼の訃報が届きまして、その後、私が帰国した後、同じ病院で働いていた看護師さんが患者さんから感染して、その看護師さんの応対のときに少し防御が甘くなって感染してしまって亡くなったという、そういう強毒な病気で。
 でしたので、私にとっては大変貴重な経験でありましたが、エボラ出血熱はアフリカの病気ですので簡単には日本に来ることはないわけですが、そういうのは幸運なことですけれども、私が行ったことがどのぐらい日本の国益になったのかということは甚だ自信のない話で、私自身のアフリカの経験というのは大体このときで終わっております。
 続きまして、タイで経験しましたJICAのプロジェクトで、これは一九九九年から二〇〇四年まで、短期専門家として、国内専門家として私もタイに何度も行きましたし、私の教室の者が何度もタイに参っております。タイのNIHというのは保健省傘下のいわゆる予防衛生研究所ですけれども、今はNIHだけで十個以上のビルがありますが、これはその第一ビル、ビルディングワンと呼ばれるもので、日本のODAで建設された今でも恐らくタイのNIHの中で最も立派なビルであります。
 そういう中で主に感染症に対する活動をさせていただいたんですけれども、もう長い間このNIHに対しては日本の協力が行われていまして、ちょうど二〇〇二年にタイのNIHの、当時、現在ももう一度復帰しまして所長ですけれども、パトムさんという方が、続いて、タイだけではなくて、この日本が強化したタイのNIHを使って、カンボジアでありますとかラオス、ベトナムといった地域のネットワークの強化と、そこの感染症診断ラボラトリーをメコンデルタ地域に造ろうといったようなプロポーザルをJICAに我々と一緒につくってしたわけですけれども。
 残念ながらこのプロポーザルは通りませんで、それはやはり、現地事務所とJICAのヘッドクオーターのどちらの判断が優先されるのであるかとか、あるいは、我々現場の専門家として、日本人の現場専門家あるいはタイ人の専門家、それと国内で我々の活動を見ていただいている国内リーダーといったような者の、どういうことで感染症に対応していくことの継続性と、それから新しいプロジェクトが決まっていくのかということに多少吹っ切れないものを思いながら、ああ次は続かないのかというところで、次は何しようかなと考えて、もちろん国内的には忙しかったんですが、考えておりましたところ、二〇〇三年に、先ほどちょっと出ましたけれども、SARSという病気が起こりました。
 そのときに、こういうことで、要するに、一つの感染症のプロジェクトの継続あるいはそれをどのように変化、発展させるか、中止するのか、そういうときに国はどういう方針を取るのか、だれがどのようにするのかといったような決断のリーダーシップを是非この国につくっていただきたいし、それが参加した者にどのように伝わるかといったようなこともお考えいただきたいというふうに思います。
 二〇〇三年にSARSという新しい感染症が全世界的に流行したものですから、省庁が連携してプロジェクトをつくっていただいたというふうに伺っておりますけれども、最終的には、文部科学省から新興・再興感染症研究拠点形成プログラムというものが二〇〇五年に発されまして、当初は、東京大学の医科学研究所が中国、それから長崎大学熱帯医学研究所がベトナムのハノイ、それから大阪大学の微生物病研究所がタイの私が前におりましたNIHという、その三か所を中心にプロジェクトが始まりまして、それが現在増えまして、このようなたくさんの海外拠点で日本の研究者が感染症の共同研究を行っております。
 私はその中で中国を担当させていただいておりますが、中国をやろうと自分で決意しましたのは、このプロジェクトができたときに申請いたしました理由は、やはり一番歴史的にも大きな国であって、SARSでありますとかいろんないまだに感染症が中国から出てくると、そういったようなものに対して我が国としてやはりちゃんと対応していく必要があるだろうということでこの実はプロジェクトの一つとして応募して、その申請を採択していただいて今も継続しております。
 北京市に新しくプロジェクトオフィスを造りまして、北京市の中の中国科学院の生物物理研究所、それから微生物研究所という、この二つに日中共同の研究室をこのプロジェクトで建設しております。それから、ハルビンには中国の鳥インフルエンザの全国組織の国立研究所がございますので、そこで医科学研究所が誇ります世界的なインフルエンザの学者であります河岡教授と中国ハルビン研究所の陳教授が共同研究をしております。
 そういうことで、日中感染症研究所というものは、我々が現在ハルビンに一個、これは高病原性の鳥インフルエンザウイルスに特化した共同研究ですけれども、北京の中に日中ジョイント・ラボラトリーということで二つの研究室を造らせていただいて、日本人の特任教授、それから特任助教授、若手研究者が合計六名常駐いたしまして共同研究を行っております。そういう中で、やはり我々大学の一つの良さというのは、いろんな形で気軽にネットワークを作れる部分ということですので、幅広い人的なネットワークが既にできつつあります。
 それから、中国科学院というのは全国で百ぐらい研究所がある大きな組織ですけれども、その中で医学・生物系統は非常に基礎的な研究所なんですけれども、我々はそれ以外に衛生部や北京市のいわゆる患者さんを持つ病院、あるいは大学病院といったようなものとも連携を始めております。
 そういう中で、まあこの方は御説明することはないと思いますが、真ん中の方は、当初からこのプロジェクトの中国側のリーダーで、当時、このプロジェクトが始まりましたときに中国科学院の副院長であった陳竺さんでございますが、現在、昨年から中国衛生部に移りまして、衛生部長、すなわち中国の厚生大臣になっておられます。もちろん、厚生大臣、閣僚になられると我々、直接の関係はできなくなるわけですけれども、非常に彼の人脈を通じて今も我々の活動を彼はよく知っていただいているというふうに思いますし、こちらで四人で手を握っております一人は南開大学の学長にその後なりまして、南開大学というのは天津市にありまして周恩来首相の出られたところですので、今後、いろんな意味で、我々のネットワークを使っていただいて中国での活動を広げていくことができるのではないかと思っております。
 それで、これから少し私の意見を申し上げさせていただきたいと思うんですが、感染症は、先ほど申しましたように、感染経路によって感染症の性質が違います。
 例えば、インフルエンザウイルスというのは常時流行していますが、時々、新型インフルエンザウイルスというのが登場しまして、我が国でも大変政府が力を入れて強化対策をしていただいておりますが、これは、社会体制や文化の背景にかかわらず一般人口の間で一挙に呼吸器で感染する感染症ですので、一世紀の間に何度かこういう新型が興ってたくさんの一般国民が感染し得る病気であります。
 これは、このためには国際ネットワークや情報の交換というのが大変大事になると思いますが、私が専門としておりますHIVという病気は、感染経路が幾つかございまして、例えば性行為であるとか薬物を静脈から注射する、あるいは汚染した血液中にHIVがいるといったようなことで、幾つかの感染経路を通じて感染し得ます。
 そういうことで、例えばタイの歴史を見てみますと、初めにごく少数の薬物使用者の中でHIVが流行し、それから女性のコマーシャル・セックス・ワーカーの中で感染が起こり、それで、その顧客であります男性の中で感染が起こり、それからその男性から主婦にうつる、それで、主婦が感染したために子供に感染が広がるといったようなことで、こういう津波のような感染症の連続性が起こってくるのが一つの特徴で、タイの場合には、一九九〇年代の初めから非常に強力な抗HIV対策を進めたことが有名でありまして、そのために、例えば、タイは徴兵制を取っておりますので、新兵は全部HIVの検査を受けますが、これは、一九九〇年代の初めからこういうふうにHIV対策に成功した例であります。この三角の点がそれでありますけれども、一方で、薬物常習者の中の感染率であるとか、あるいは男性同性愛者の感染率は変わらないか、むしろ増えていると、そういったようなことの歴史がございます。
 これはお隣のカンボジアも一緒ですし、一方で、アジアの国を見てみますと、インドネシア、パプアニューギニア、ベトナムといったようなところでHIVはその後、タイやカンボジアに遅れてですが、感染が次第に次第に増えていっている。それも、各国によって、ある国では薬物使用が中心的なHIV感染の原因でありますし、国によっては異性間の性感染であります。そういったように、主要な感染経路が異なる感染症であります。
 これは台湾の例でありますけれども、台湾は日本と非常に流行形態が二〇〇四年ごろまで似ておりまして、性感染として徐々に徐々に感染者が増えていると。そういう中で、異性間の性行為によるものと男性同性間の性行為によるものがだんだん増えていったわけですが、ここの図で見ていただきますように、二〇〇四年から薬物使用者によるHIV感染というのが爆発的に増えました。
 ただいま台湾の非常な努力で減少しつつありますけれども、こういう爆発的に増えやすいのは薬物使用者の中のHIV感染が起こったときで、それはウイルスの遺伝子の研究から、インドや元々流行していたこういうタイ、カンボジア、このゴールデントライアングルの辺りから、要するに江西省それから広東省、そういったようなところを通って台湾に薬が入ってきたというルートが追えるわけです。
 こういうようなことで、HIVは現在、世界的には、ここにお示ししますように、世界の感染者の約六六%ぐらいがサハラ砂漠以南のアフリカにいるということで、アフリカが最も火急の問題でありますけれども、アジアの人口を考えますと、やはり非常にHIV感染というのはアジアで大きな問題である。しかも、HIVの場合には国によって流行拡大の時期、歴史が違う。あるいは、ここにちょっとお示ししておりますけれども、国の中でも、要するに均一的に流行が広がるんではなくて、非常に流行が固まる地域あるいは流行が少ない地域がございます。
 例えば、中国の雲南省は、ゴールデントライアングルのすぐわきですので薬物中毒者の感染が多いですが、ここの河南省の辺りは売血問題を中心に感染が広がってしまった地域であります。それで、今、急速に拡大している沿海部はこれから恐らく性感染としての問題が出てくるというふうに思っております。
 そういうことで、途上国、中進国、先進工業国、それぞれ感染症の問題点を持っているわけでありまして、感染症イコール発展途上ということではないということをよく御理解いただきたいということであります。それから、アジアのHIV感染は、特にアジアは文化的に非常に国の特徴がございますので、非常に多様かつ複雑であります。
 中国は、これは加藤徹先生のお書きになった「貝と羊の中国人」という本の受け売りですけれども、貝というのは、いわゆる購買とか購入とか、そういうお金のことであります。羊は、下を取れば義理とかの義という字でありまして、言ってみれば、貝はお金、一つのハードパワーであって、羊は一つのソフトパワーと言えるかもしれませんが、最近これも、全く私は政治学の専門家ではありませんが、ジョセフ・ナイさんのお書きになった、今のリーダーシップの問題は、ソフトパワーとハードパワーを合わせたスマートパワーが重要だということをお書きになっておりますけれども、まさに中国は大きな国であって、そこと協力していくには貝の部分と羊の部分、すなわちソフトパワーとハードパワー、どちらも必要だというふうに考えます。
 そういう中で、どうしても国が前面に出ますと当然、国と国の問題が出てきますけれども、私、大学に所属しますので、それを受け売りをするわけではないですが、大学NPOはそのソフトパワーという面を使う分で少しアドバンテージがあるかなというふうに思いますし、今日はアジアの話を中心にさせていただきましたけれども、もちろん、こういう感染症の研究でアメリカやヨーロッパとの共同研究、共同が重要であることは言うまでもありません。
 どうもありがとうございました。
#9
○会長(石井一君) 次に、白子参考人から御意見をお述べいただきます。
#10
○参考人(白子順子君) 名古屋第二赤十字病院の国際救援部の白子と申します。
 今回、赤十字として今まで地震とか災害には救援に行っていたんですが、感染症の救援は初めてということで救援に行きました。私、初動班の医師兼チームリーダーとして行ってきましたので、その活動について御報告させていただきます。
 ジンバブエというのは、ショナ語で石の国という意味があります。日本では余り知名度はないんですけれども、ヨーロッパや南アフリカではかなり人気の雄大な自然と観光資源に恵まれた国です。ビクトリアフォールズなどがあるところなんですが、以前はアフリカでも一、二を争うほどの豊かな国で、災害が隣で起こるとむしろ食料援助をしていたような国だったんですが、今回コレラが発生したということでした。
 ジンバブエでコレラが蔓延しているということは、ヨーロッパでは関心が高く、BBCなんかでもよく取り上げられていたんですが、日本では余り取り上げられませんでした。赤十字の本部がジュネーブにあるということで、ジュネーブレベルで派遣を決定しました。
 ジンバブエ共和国というのは、南アフリカの隣に位置しまして、面積は日本とほぼ同じ、人口は日本の十分の一ほどで、識字率が驚くほど高く、九〇%となっています。
 コレラなんですが、昨年の十一月からコレラが首都ハラレ、南アフリカ国境などで急増し、それが全国に蔓延しました。ジンバブエ、十一州あるんですが、全部の州でコレラの発生が報告されております。去年の八月からのトータルなんですが、二月の二十二日の時点で、感染者が八万人、死亡者が三千人ということで、世界平均基準ですと、コレラの死亡率というのが普通は一、二%と言われているんですが、ジンバブエでは五%ということで、かなりの緊急事態となっていました。
 ジンバブエ、かなり経済状態が今、不安定で、失業率が八〇%というふうに言われていまして、実際、私たちがジンバブエにいても、働き盛りの人がぶらぶらしているという光景をよく目にしましたし、それから、年間インフレ率が二億三千万%という、何かちょっと訳が分からないんですが、実際、私たちが入国したときにはUS一ドルが十五億ジンバブエドルだったんですが、もう四週間後の帰国時には八百億ジンバブエドルというふうになっておりました。現地でも使われているお金が五百億ジンバブエドル札とかあるんですけれども、そういうお金が使われておりました。
 ジンバブエですが、平均寿命は三十六歳。これは、アフリカ地域は四十八歳と言われているんですが、多分にHIVの感染率が三〇%と高いということで、これが起因しているのかなと思います。
 良質な水のアクセスとして、都市部は一〇〇%、地方は七四%となっていますが、これ、二〇〇二年のデータで、実際、水道の設備はあるんですが、パイプが壊れていたりして、そのパイプを直しに行けなくて水が来ないとか、そういう状況が続いていました。政府がもう水を止めてしまったりとか、そういう状況にもなっておりました。
 コレラの発生の原因なんですが、やはり衛生的な水、それからトイレの不足。それから、現地医療スタッフが不足。これは、給料が未払によってストを起こしていたりとか、あと国外へ退去してしまったりとか、そういうことで医療スタッフは不足しております。それから、物価は、もう経済が混乱しているので、上昇により食料難。それから、物資はなかなかない状態。例えば、ガソリンを手に入れるのにガソリンスタンドに行ってもガソリンがないという状況で、私たちも首都ハラレに戻ってガソリンを一杯缶に詰めてまた現地に引き返すという、定期的にガソリンを買いにだけ首都に行ったりとかしておりました。スーパーマーケットも、立派なものがあるんですが、商品が半分ぐらいしかないとか、ここの写真でも、全くコカ・コーラが入っていないという、これがスーパーの中の状況です。さらに、雨季ということで洪水などの被害、こういうものがコレラを蔓延させる原因となっていたかなと考えます。
 活動上の問題点として、地震ですと、現地の医療機関も一遍に崩壊していますので、私たちはそこを埋めるという形で入っていけますので、一斉に患者さんも増えるということで活動はしやすいんですが、今回は感染症ということで、現地の人たちにとっては昨日ともおとといとも、私たち入っていく側は緊急なんですけど、相手にとっては別に緊急でも何でもないということで、別に現地の医療機関が崩壊しているわけでもないということで、なかなか活動の許可が政治的な問題もあって下りませんでした。
 ジュネーブサイドで活動を決定して、ジュネーブサイドではオーケーだったんですが、結局本国になかなかうまくそれが伝わらずに、私たちがちょうど出発する日にはムガベ大統領がコレラの終息宣言まで出しておりまして、私たちは一体着いて活動ができるんだろうかということですごく不安に思いました。
 私たちの前に入った赤十字の先遣隊の人たちが、なかなか許可が下りないということで直接政府に出向いて、たまたま会議の途中に出てきた保健省の大臣をつかまえ、その人を説得して、直訴して、やはり保健省の大臣ということで状況も分かってくださるということで、そこで許可が下りてやっと外国人の活動を許可されたということになります。
 ただ、現地では保健省とかそういうシステムがすごくしっかりしておりまして、例えば、州で活動するには州のトップ、さらに郡で活動するには郡のトップということで、そういう人たちをつかまえて話をするのがすごく大変でした。しかも、なかなか電話が通じなくて、私たちは電話が通じないということで衛星電話、例えばイリジウムとかBGANとか、そういうのまで持っていって、あと現地の携帯もなんですけど、なかなかお互いに連絡が取れないということで、一体だれが保健の、郡の人なのか、そういうことすらなかなか分からなくて、そういう人を探して交渉するのも結構大変なことでした。
 それから、元々ヨーロッパからは、関心が高いということでMSFとかセーブ・ザ・チルドレンとか、そういうNGOが既に活動していたんですが、そことオーバーラップしないようにということで、そういう人たちも探して交渉して一緒にシェアして活動をするということが、その交渉ということで調整になかなか苦労をしました。
 それから、外国人医療従事者は患者を直接は診療できないということがありまして、これは日本でも、例えば外国人が日本に災害が起こっても、じゃ中国人が、インドからとかどっと来ても、すぐ許可するかというと、それはなかなか難しいことかと思うんですが、実際、向こうの現場が崩壊していないということで直接は診療できないということがありました。ただ、これは現地の医療スタッフと一緒に活動していましたので、直接は診療できなくてもかなりの部分で活動はできました。
 しかも、疾患はコレラだけではないということで、実際、HIV感染者は三〇%もおりますし、マラリア、栄養不良、肺炎、結核などもありましたので。ただ、例えば診療所を建てたからといってコレラの患者さんが向こうからやってくるのかと。そういうことはないので、私たちは一応、名目上はコレラの救援ということで行きましたので、じゃ、どうやって活動しようかということがなかなか悩んだことです。
 それから、現地で本当に必要となっているものは、医療よりも本当は食料じゃないか、ガソリンじゃないか、インフラが本当は大事じゃないかということで、実際、例えば私たち、現地に行くと、ここの病院で入院している患者さんには食料がないから食料を提供してくれないか、スタッフでさえ食料がないんだとかいうことを言われたり、あと、医療スタッフが患者さんを診に行くのに、バイクはあるんだけどガソリンがないからそのガソリンを供給してくれないかとか、そういうようなことを頼まれたりして、そういうことで私たちの医療の限界も少し感じました。
 逆に、すごく活動しやすかったことは、とてもジンバブエというのは、快適な気候で美しい自然があって、人々もすごく、ちょっと日本人に似たような控えめな優しい感じの方が多くて、とても活動はしやすかったです、そういう意味では。
 さらに、識字率が高いということで、英語が通じる方がすごく多くて、患者さんでもかなり英語が通じました。ですから、例えば今までスマトラとかほかの国に行ったときには通訳を介さないとお話ができなかったことが、ここはかなり、実際、現地の人たちといろいろお話しすることが多かったということが良かったことです。
 州、十一ありますが、比較的コレラが蔓延しているという州、私たちはマショナランド・ウエストというところの州で活動をしてきました。そのほか赤十字としては、スペインとかノルウェーとか、そういうところでチームがお互いに協力し合って活動をしておりました。
 日赤では、ERUというエマージェンシー・レスポンス・ユニットという資機材を蓄えておりまして、これ十四トンぐらいあるんですが、これは主に地震のときに持っていくようなものなんですが、例えば、小外科のセットとか、診療のモジュール、それから私たち要員が寝泊まりできるようなテントとか、そういうもの、あと、初期の食料のようなものもすべてあります。
 感染症対応というものがなかったものですから、実際これをまた今回も持っていきました。ただ、感染症で必要となるようなものがここに入っていない。例えば具体的に言いますと、本当に防御となるような長靴とか手袋とか、そういうものが逆に少ないということで、感染症対策としてまたそういうものを考えなければいけないかなというふうに思いました。
 日赤からは三班が派遣されまして、それぞれ一か月ずつ活動しております。
 活動内容としては、アセスメントといって、これは現地の診療所へ訪問して調査をし、機材の足らないものを補充するというようなこと、それから、コレラセンターといって、コレラの患者さんを治療するセンターを立ち上げること、それから、コミュニティーに入っての衛生教育活動、このようなことを行ってきました。
 我々の活動したウルングエ郡というところなんですが、二十七の診療所がありましたが、そこを訪問し、スタッフ数、インフラの設備がどうなっているか、医療資機材があるかどうか、コレラ患者の発生があるかどうか。コレラ患者さんがクリニックに入院していれば、クリニックで感染を管理。それから、医療スタッフの教育。これはどのように治療するといいかという指導というのを行いました。
 それから、必要物品の提供として、テントとかベッド、それからORSという、これは経口の補水塩なんですが、コレラ患者さんというのは脱水になることがもう致命的になりますので、スポーツドリンクのようなもので、粉になっているんですが、水に溶かしてとにかくどんどんどんどん飲んでいただくという、塩分を少し多めに含んだスポーツドリンクのようなものです。こういうものを配ったり、あと点滴も不足しておりましたので点滴、あと抗生剤、それから患者さん用の毛布、石けん、文房具。文房具でさえも現地では不足しておりました。それからバケツ、手袋、このようなものを配布して回っております。
 現地、私たちが活動したところは二百キロぐらいある広い地域でしたので、二人ずつぐらいのチームに分かれ車で移動し、二十七ぐらいあるクリニックなんですが、それぞれを訪問しました。左上の写真のように、いい道、これはザンビアの国境に向かう道で、すごくいい道路もあれば、本当に田舎道の大変な道路もありました。
 コレラ感染というのは、コレラ菌に汚染された飲食物を経口的に摂取して感染します。ですから、トイレが不備ですと、川に汚物が流れ、その川の水を飲んだりして感染する、そういうことが多かったんですが、写真はコレラ患者さんで、米のとぎ汁様の水様便を排出している写真です。
 コレラ患者さんというのは、おなかは全然痛くならなくて、とにかく下痢だけが出ます。一日もう十リットルぐらいひどい人は下痢しますので、食べたものが出るという以上に体の中の血液も腸の中に出てしまって、それが全部出てしまうということで、水だけではなくて、例えばナトリウムとかカリウムとかいう、そういう電解質も一緒に出てしまいますので、例えばナトリウムが下がれば意識が悪くなるとか、カリウムが下がって不整脈が起こるとか、そういうことで亡くなる方が多いので、とにかく、数日間で何とかなるので、その間いかに脱水を改善するかというのが、これが勝負でした。
 コレラ患者さんというのは絶えずそういうふうに水のような便が出続けますので、トイレに行っている暇がないということで、これ、写真にあります、コレラベッドといいますが、ベッドの真ん中に穴が空いております。そこにおしりを出して下にバケツを置いて、出た便が全部そこにたまるようにします。そうでないと、シーツがもうコレラ菌でいっぱいになってしまうので衛生上も良くないということ、それから、患者さんが自分でトイレにはとても行けないということで、バケツに集めた便をきちんと処理をする、これを患者さん用のコレラベッドとして使っておりました。
 実際、患者さんは、このようにスペースがなくて床で寝させられている患者さんがありましたし、それからクリニックの外で、これはクリニックの外になるんですが、外で寝かされている患者さんもいらっしゃったので、そういう方にテントとかベッドとかを提供したり、あと、それに点滴。ある診療所では全く何もなくて、クリニックしかないということもありましたので、何もないので、せっかく何時間も掛けてクリニックにやってきた患者さんが拒否されてよそのクリニックに行かなければいけないとか、そういうこともありましたので、できるだけたくさんの機材を提供してきました。
 それ以外にやったこととしては、コレラ治療センターの設置があります。これは、比較的私たちが滞在していた町の方にコレラ患者さんが多く発生しておりましたので、現地の保健省の人と協力して町の体育館にコレラセンターというものを立ち上げました。ここに男性病棟、女性病棟を造り、受付、それから観察室、機材を持ち込んで治療センターというものを立ち上げております。
 コレラセンターというのは、中だけではなくて、例えば水がすごく大事になってきますので、浄水器を設置したり、それからトイレを設置したり、それから医療廃棄物をきちっとするように処理場を設置したり、それから死体安置所。コレラ患者さんが亡くなった後もその排せつ物を触ったりして感染することがありまして、実際、現地では、お葬式に行くとコレラになるというような、そういううわさも出るくらい死体にとにかく触ってはいけないということがありますので、亡くなった方は、塩素で体をしっかり消毒し、ビニールの袋に入れて、向こうも埋葬でしたので、家族に引き渡すという、そういうことをする安置所のようなものも造っておりました。
 実際、こちらが患者さんを診察しているところ。それから、ORSステーションといいまして、先ほど言いましたスポーツドリンクのようなものをこういうところで作ってコップに入れて、こちらで患者さんにずっと飲んでいただく。飲める方はこちらでどんどんどんどん水分、スポーツドリンクのようなものをとにかく飲んでいただいて脱水を改善しておりました。
 こちらがコレラ病棟です。
 これが日赤が持ち込んだ浄水器なんですが、余りきれいな水はないので、ダムから取ってきた水だったんですが、これを浄水器に掛けて飲み水にしておりました。これを先ほどのORSというのを溶かす水にしたり、手洗いの水にしたり。それから、私たちと一緒に活動していたスペイン赤十字のチームがトイレを設置してくれました。
 活動の三番目としては、衛生教育活動というのを行っております。
 クリニックへ資機材を提供し、そこでの治療が可能になったということで、次はクリニックに来るのに間に合わない患者さんがいるということで、コミュニティーレベルでの発生を抑える、若しくは応急処置ができるということが必要でした。各地で住民を集めて、コレラの説明、予防、応急処置について話し、例えば、簡単なことなんですが、ちゃんときちんと食事の前には手を洗うとか、コレラの患者さんは自分の症状が軽快してもしばらくはコレラ菌がまだ出る可能性があるのでそういうことを気を付けましょうとか、そういうことなんですが、いろんな指導を行ったり、あと、実際、軽い状況でしたらこのORSを自分で飲むようにということで現地の人に配ったりしておりました。
 コレラというのは、乾燥に弱いので、雨季に繁殖します。私たちの活動地域も、ジンバブエの雨季というのは三月までですので、もう恐らく収まってきているというふうに思うんですが、コレラ患者さん、これ、私たちの活動した地域の発症なんですが、グラフで見ると本当にすごくきれいに少なくなっていて、本当かなと思うんですが、実際はもう三月の終わりくらいから乾燥季になりますので減少していきます。これは季節的なものか分からないんですが、減少しておりました。
 今回、感染症の救援ということで、現地の医療機関が崩壊していないということから、その中でいろいろやっていかなきゃいけないところで私たちが苦労したところです。
 それから、私たちが現地に入っても、コレラ患者さんだけが私たちのところに来てくれるかどうかということが、そういうわけではなかったので、こちらからもう実際出向いていかないといけないということ。ただ、逆に言えば、感染症の場合は、感染者が移動するということはやはり感染の危険があるので、感染症の治療というのはこういう形になるのかなというふうに思いました。
 あと、日赤の側からすると、機材がやはり感染症の対応になっていないので、それに対応するような機材を今後考えなければいけないかなということ、それから、ジンバブエの国ということもありまして、医療班、医療以外のレベルのしなければいけないことがかなりたくさんあるのかなというふうに思ったことが今回の活動の感想でした。
 以上です。ありがとうございました。
#11
○会長(石井一君) どうもありがとうございました。
 これより質疑に入ります。
 従来どおりの形式で、挙手をいただきまして、会長の方から指名をさせていただきたいと存じます。
 今日の陳述を聞いておりますと、非常に多岐にわたっておりますので、どうかひとつ答弁者を御指名いただいて御質問を端的に願えればと思います。どうぞよろしくお願い申し上げます。
 それじゃ、加藤修一理事。
#12
○加藤修一君 公明党の加藤修一でございます。
 四人の参考人の皆さん、大変貴重な御意見をいただきまして本当にありがとうございます。
 まず最初に、高瀬参考人、原参考人、どちらでもよろしいんですけれども、お聞きしておりまして、四川の大地震の関係で、国際緊急援助隊、これが非常に素早く現地に行かれたということで、高い機動力を持っていると。ただ、都市型捜索救助の技術に優れてはいるけれども、しかし、最初に案内された活動サイトは、村全体が土砂に埋まっておりまして、十分それが対応できなかった。ある意味では、ちょっと言い過ぎかもしれませんが、ミスマッチの可能性はあると。課題としては、日本の救助チームの仕様をあらかじめ確実に相手国政府にきちっと伝えることが非常に大事だと、そういう確認の作業が極めて重要だと思っておりますと、そういう話がありました。
 基本的情報を相手国政府にしっかりと伝える、その確認ということも含めて大事だなと、私も聞いていてそう思ったわけでありますけれども、そういう各国のチームの仕様のデータベース化というか、どの国がどのようなチームを持っていて、それぞれのチームがどういうふうになっているかということについて、やはり相互情報の交換といいますか、そういったことが極めて重要ではないかなと思っております。
 改善しなければいけないという一つの結論があったと思いますけれども、こういう改善のための今のようなデータベース構築、相互の情報交換ということについてはどのように今、国際社会で進んでいるか、あるいは皆さん方の範囲の中でどういう議論が進んでいるかということについてお聞きしたいと思います。
 それから、岩本参考人にお聞きしたいことは、感染の拡散度合いが極めてスピードが高くなってきていると、人の移動と交通手段によってますます高度化、大規模化しているという話がありました。
 感染をやはりなるべく広がらないように防ぐという意味では、いろいろな手段が当然あるんでしょうけれども、P4施設ですね、私が知っている範囲では、P4施設というのは国内で稼働しているというふうには聞いておりません。病原体がいわゆる施設外に漏れないようにしたり、空気の流れを管理するとか、非常に最も厳しい安全基準ということがP4施設だと思いますけれども、エボラ出血熱の関係を含めて、これは確定診断する上には非常にスピードが要求される。
 今、テロ対策上も危険な病原菌を国境を越えて運ぶというわけにいかなくなっているということで、やはり国内でいかに機敏に対応するかというのは極めて重要なんで、我が国もP4施設は持つべきだと私は前々から国会で取り上げておりますけれども、この辺のことについてどのようにお考えかということです。
 それから、岩本参考人の論文といいますか、これは、ぷれいす東京ですか、その中に「世界の潮流と「鎖国」日本」というところがありまして、「日本の現状を外から見ると、ほとんど国の顔が見えていないと思う。鎖国状態と言っていいと思う。」、「資金的な国際貢献とJICAによる実際の国際活動、WHOやUNAIDSにおける日本の貢献との関連が見えないばかりでなく、国内と国際的な活動の脈絡が感じられない。国内を見ても予防活動、検査、診療、疫学、研究などの連携が悪く、総合的な対策がとられているとは言い難い。」と、こういう表現が出てくるわけでありますけれども、今のところについてもう少し具体的に御説明をお願いしたいなと思います。よろしくお願いします。
#13
○参考人(原修君) それでは、御質問にお答えさせていただきます。
 御指摘のとおり、今回、中国の場合はそのように中国政府との意思疎通がうまくいかなかったということがございますが、今現在、国際緊急援助隊の制度につきましては、ジュネーブのUNOCHAの中にINSARAG、これは、皆さん、お手元にブルーの小冊子があると思いますが、この十七ページの下から四行目にINSARAGという、国際捜索救助諮問グループという名前がございますが、欧米諸国が主体になってこの諮問グループがいろんなガイドラインを作っております。
 そのガイドラインだけではなくて、それぞれ救助チームのレベルといいますか、能力というものを三段階に分けまして、実際には、被災国に早期にINSARAGのチームが入りまして、現地の連絡調整センターみたいな、OSOCCという、いわゆる駆け付ける救助チームをコーディネートする連絡所みたいなのができました。その救助チームの三段階レベルに合わせていろんな活動場所をコーディネートするというような制度に本来はなっております。昔、阪神・淡路大震災のときという段階ではそのようなものはなかったんですが、今現在はそういう制度になっています。
 ところが、残念ながら今回は、中国というお国柄のせいか、ちょっとその辺は私は分かりませんが、そのINSARAGというチームが入らない、日本隊専用に中国の外交部の参事官が付いていただきまして、その参事官の方がずっとコーディネートをしていただいたということで、現実には一番最初の現場で少し意思の疎通ができていなかったと。これは、帰国直前に中国外交部の参事官といろいろお話しした段階では、やはり中国政府も、ああ日本隊が来るんだ、日本隊は何でもできるんじゃないかというすごく希望が膨らんじゃった人もいるし、日本隊が来ても無理だろうという絶望感を持った人もいるし、中国の方の外交部の方でもいろんな考えがうまく統一できなかったという反省事項がありますというお話をいただきましたけれども、そのような教訓があるということが事実でございます。
 以上でございます。
#14
○参考人(岩本愛吉君) 最初に、P4の問題について考えを述べさせていただきます。
 私は、P4は絶対必要だと思います。特にP4の場合には、先ほど加藤先生から御指摘のありましたように、危険病原体を扱うということですので、どうしてもある意味、核廃棄物処理施設であるとか、ごみ処理施設であるとか、そういうものと一緒に自分の周りに来たら困るという話が優先してしまうんですけれども、例えば、アメリカのCDC、アトランタのすぐ郊外ですけれども、その敷地内にございますし、職員の厚生施設等の横にすぐP4が建っていて、要するに、安全にするためにP4を造っているというのが、私を含めて日本人の感覚というのは、どうしてもその辺うまく、危険なものとしてとらえて、それをいかに安全に扱うかということの議論がなかなか難しい部分がありますので、大変事情は難しいものがあるかもしれませんが、例えば、エボラ出血熱は私は簡単に日本に来ると思っておりません、直行便もありませんし。ただ、P4の病原体はほかにもあるわけで、アジアにもございますので、そういう病原体が本当に日本に来ない話は全くないので、それをすぐによその国に頼むのかといったような問題は国として大変困ることですので、私自身は絶対に必要だと思っております。
 二点目にいただきました国内問題と国際問題に関して、エイズ対策でそごがあるということに対する考えを申し上げさせていただきますが、先ほど、五十八ページの資料に、これはインターネットから引いていただいた資料だと思いますが、ぷれいす東京という日本で一番大きなエイズ対策のNPOに頼まれて私が書いたものですけれども、右の段落の途中ごろから書かせていただいておりますが、日本は世界でも希有なやはり医療の発展した国ですが、残念ながら、HIVの場合には血友病の患者さんたちの中にまず感染が大きく起こってしまって、日本の血友病者の約三分の一に感染が起こりました。それがはっきりして医療問題・社会問題化したのが一九九〇年代の中ごろですけれども、ほとんどの対策がそのときに取られたものです。
 だから、その血友病の人たちの問題というのは、非常に国が真摯に受け止めて多大な対策をお取りになりました。ただ、そのころ流行は非常に少なくて、それがだんだんだんだんこの十年の間に国内的にも増えて、流行に実は対応できていないのではないかというのが国内的に私が申し上げる問題であります。
 二点目は国際的な問題ですが、これは私の自戒を含めて、要するに、多くの感染症対策では、例えば途上国に行けば、ある顔の人が十年間、この人が結核の対応の顔です、この人がコレラの対応の顔です、この人がエイズの対応の顔です、そういう顔が見えます。残念ながら、日本の場合、それが、例えば結核の世界には島尾先生という大変もう私の尊敬申し上げる先生がいらっしゃいますけれども、そういう大事な国際的に見える顔が少ないのが一つの問題。
 これは私自身も反省しなければいけませんし、そういうふうに努力をしたいと思っていますけれども、なかなか日本は、今までそういう意味で、医療問題としてエイズ感染がまず起こって、その後の、実際には国内でも感染が増えているんだけれども、そういう問題に十分対応し切れていない問題が国内的にはある一方で、国際的に日本のエイズ、あるいは国際的なエイズというものに対して感染症として対応していくための今まで経験とかそういう存在感がなかったのは事実だろうというふうに思っております。
 以上です。
#15
○会長(石井一君) 木俣佳丈君。
#16
○木俣佳丈君 ちょっと資料を配ってください。
   〔資料配付〕
#17
○木俣佳丈君 民主党の木俣佳丈と申します。今日は、参考人の四名の先生方には大変貴重な、また心打つお話をいただきまして、誠にありがとうございます。
 特に、感想から申しますと、中国での地震については、先ほどの映像のように、黙祷をささげる映像が全中国に流れて一気に親日本的な気持ちに中国人がみんななったという意味でも大変なプラスであったなと思いますし、実際のところでも大変なお働きを、成果を上げられたことを本当に感謝申し上げたいと思います。
 また、今日は、質問は感染症関係のことで御質問をしたいので、岩本先生、白子先生に御質問をしたいと思うんですが、私も実はワールド・ビジョンという援助のNGOでワシントンでインターンをやっておった経緯がございまして、特にエイズなんかでは、ウガンダの回復の例なんかは、私のボスがウガンダのいわゆる難民、レフュージーでございまして、大変感動した覚えがございますし、また、タイの奥地のHIVの臨床の現場にも私の友人が行っておりまして、チェンライの方にも行ったのを思い出しました。
 また、私、愛知なものですから、第二日赤さんには大変にお世話になっておりますので、この場をお借りして御礼を申し上げたいと思います。
 今日、ちょっと御質問は、一点、今、加藤先生からお話があったような、また岩本先生から御提示があったような、どうも顔が見えないというのか、援助の継続性がないというのか、実態が分からない。結果としては、その国・地域に対しても貢献度がいま一つであり、また国家としてのプレゼンスもいま一つではないかというお話がございましたので、これは、この資料の中にありますように、だれが悪いのかなと先生はお思いなのかということを伺いたいというふうに思うんです。
 援助の決定者であるいわゆるキャビネットが悪いのか、それとも現場の外務省が悪いのか、又は、実態でいえば厚生省が悪いのか、それとも、もっと実施部隊のJICA等々の方々が余りに意見がなさ過ぎて、その意見が中央に持っていかれないのか、この辺を是非伺いたいなと。率直な御意見をいただければと思います。
 それから二点目は、今日、会長のお許しをいただきまして資料を配付させていただきました。C・W・ニコルさんの記事でございますが、私も非常に友人として親しくさせていただいている方でありまして、森の番人と言われる方でありますけれども、実は、この中にあるかどうか分かりませんが、元々船乗りでありまして、彼自身が、是非見える援助、今の話ともつながり、また参考人のお話にもつながるスマートパワー、つまり、人と物との一体的な支援ということを病院船というものをそのキーワードにしたらどうだろうかと、こういう提案のペーパーでございます。
 やはり、この中にございますように、海に囲まれた日本というのが優れた造船技術や海洋研究の蓄積を持っていると、また高度医療技術もあると。こういった中で、今言われているような感染症が世界に蔓延しており、また安全保障という観点からも、今、北朝鮮の問題が安全保障というイメージがありますけれども、重層的な協力的安全保障というような名前でしょうか、そういったエイズ、SARS、又は津波、天災のときの緊急出動、又は海賊等々の協力をする中でのその安全保障というのを高めていく必要があるのではないかという意見でありまして、特にその現場としては、日本の生命線である東アジア、アジアを中心にこういったものを展開をすべきだと。
 そういう中で、具体的には、例えばこの中に、四段目にありますように、日本からの空輸においては人員や医療器具、薬なども量的にも限界があると。時間的には早いかもしれませんが量的にも限界があるという中で、医者、看護師さんをこの船に乗せていきながら、大きな船で、今でも例えばガザ地域、イスラエルでいろいろ問題があるときにガザの沖に、港に停泊させながら例えば傷ついた人をどんどん運び込むとかですね、紛争のとき。又は、大きないろんな疫病の発生があった場合には、その国の港に着けて、そこで機動的にその処置をする等々、非常に私にとっても、こういった病院船というコンセプトを国会の中でも広めていきたいなと。
 というか、今現在、アメリカ、イギリスでは海軍が病院船というのを持っておりますし、又は戦前、戦中も、日本でも海軍が病院船というのを持っておった経緯もございますので、こういった提案に対してはどんな効果があるとお思いになるか、是非御両人からお話いただければと。一問目と併せてお願いを申し上げます。
#18
○参考人(岩本愛吉君) 一点目ですけれども、だれかが悪いんだという話にしたくないというのが正直な意見でございます。
 やはり基本的には、先ほど申し上げたソフトパワー、ハードパワーというのはリーダーシップ論だと私は本を読ませていただいて思いましたけれども、そのリーダーシップをどのように形成していくかで、場合によってはそれは先生方、政治家であるかもしれないし、場合によっては、それは国際関係論にたけた外務省やJICAの方であるかもしれないし、あるいは医療協力の部分であるかもしれないし、大学であるかもしれませんけれども、ある程度、そういうところで一つの対応だけでできるものではなくて、やはりかなり複合的なものをいかに形成して物に当たっていくかということがケース、ケースで恐らくかなり違ってしまっているのが現在じゃないかと。
 例えば、エイズであってもインフルエンザであっても、感染症だけ取っても、それぞれの対応はかなり違うので、どれかの省庁が前面に出る場合がいい場合もあれば、その中で、どこの省庁がリーダーシップが取っていいのか難しい場合には、ちょっとしばらく大学の先生に任せてみて、駄目だったら、あいつ首切りゃいいやみたいな話になるかもしれませんけど。
 そういう恐らく今までの、もちろん縦割りの問題というのは、弊害もあるし、いい部分もあるかもしれませんが、そういうものの中で、一つ一つの国際関係に行ったときに、国際協力という問題と、例えば感染症でいえば医療問題というのをどのようにピースを組み合わせるのかというのが一筋縄じゃないというふうに思っていますので、ちょっとちゃんと答えになっていないと思いますが、どこが悪かったから今の顔が見えないんだというふうには私は思っておりません。やはり、世の中が複雑化してだんだん難しくなってしまっているんだというふうに思います。
 私の二点目の考えは、大変難しい。病院船に関しては少しお時間をいただいて考えないと、なかなか自分の考えが、今これから申し上げようと思っているのがずっと自分の考えでいるかどうか分かりませんが。
 一つの問題は、今日出た、例えば私がお話をしました中国のHIVの多いのは、雲南省でありますとかそれから河南省でありますとか、内陸部であります。それから、今日の四川地震の場合ですが、地震の後の感染症にしても、四川でも内陸で起こったと。そういう大きな国を相手にするときには、なかなか、国自体が大きい場合に港からのやはり難しさがあるかもしれないので、場所と相手の国を選んで、日本が島国であるという利点を生かして船をうまく使えば、象徴的な意味と有効性の意味と何か考えられるかもしれませんけれども、今のところ、やはり相手国が大きい場合が多いので、応用面についてしっかり考えなければいけないかなと思う問題と。
 現在のソマリア、これはテレビとかで私が見て思っていることだけですけれども、ソマリア沖の自衛隊による護衛のように、病院船が実際に現場に行ったときに、国として、例えばその中にゲリラが来たらどうするんであるとか、割とやはり片付けなきゃいけない問題というのがその前に、医療だけ前面に出して本当にやれるのかということがありますので、このニコルさんの御意見は非常に日本の国としての形をよく見せるものかもしれませんが、よく検討していかなければいけない部分も多いかなというふうに思います。
#19
○参考人(白子順子君) 今の病院船のことについてなんですけれども、実際、多分病院船ですと、もう既にその場で医療がすぐできるような形になっていると思うので、よく現場に行くと、赤十字でもそうなんですけど、フィールドホスピタルといって、いろんな病院を全部パックにして持っていって、そこでもう、例えば私たちですと三百床ぐらいの病院を立ち上げて、そこにレントゲンもできるようにするし、検査もできるようにする。そういう大きな病院を立ち上げて、地震なんかで、そういうところで例えば手術を行ったりとか、そういうこともするんですが、それはやはり持っていって立ち上げなければいけないので、そういう意味では、元々組み立てたりしなくてもよく、もし船の中に病院が一式、移動するようなものであれば、活動においてはすごくやりやすいというか、すぐ活動が行われてすごくいいですし、何か理想的な印象は受けます。
 あと、今、国内のところで、空飛ぶERUとかといって、何か自衛隊の方が空にERUを、飛行機の中でも運ぶ途中に処置をしたいとか、そういうこともあったりして、実際は、ただ患者さんというのは飛行機の中ではなかなか処置ができないとかいうことで、そういうことに比較しても、やはり船の中ですと、恐らくもう少し穏やかな止まっている状態で検査もできると思いますし、あと、たしか神戸の震災のときも道路が途中で閉鎖してしまってなかなか患者さんの輸送に難渋したということで、最近は実は船で運べばもっとよかったんではないかというような発想も起きてきているというふうになっていますので、その発想というのは、特にこういう日本という島国ではすごくいい発想だなというふうには思います、何か理想的な気はするんですが。
 実際、本当に患者さんを船に運ぼうとしたときに、どうやって現地から患者さんを船のところまで運ぶのか。例えば、災害なんかで、岸にどうやって、救援物資なんかを岸から揚げようと前もしたことあるんですが、小さな船でもなかなか岸にたどり着けないとか、そういうことがありますと、患者さんを現地から船までどういうふうに運ぶのか。例えば、けが人の場合も、やはりトリアージとかいろいろしながら、DMATの後方搬送なんかでも、今、国内でも後方搬送する場合にかなりいろんなレベル、段階を経て搬送していますけれども。
 そういう搬送の問題とか、あと、例えば感染なんかだと、やはり余り患者さんがたくさん移動するということがどうなのかなという。例えば鳥インフルエンザだとか、そういうことを考えるにしても、そういうところもありますので、すごく、やってみたいなというか、いいかなと思うんですが、少しその辺りのところでちょっと解決しなければいけないこともあるように思います。
#20
○木俣佳丈君 ありがとうございました。
   〔会長退席、理事川口順子君着席〕
#21
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 次は、水落先生、お願いします。
#22
○水落敏栄君 ありがとうございます。自由民主党の水落敏栄でございます。
 私は新潟県の出身でありまして、平成十六年の十月二十三日に発生した中越地震で私の実家も被害を受けた一人であります。あの地震でたしか四歳の皆川優太ちゃんが妙見というがけの石の下で救助隊に発見されて、たしか地震発生から三日目だったと思っておりますが、レスキュー隊や救助隊やあるいは救助犬などが一体となって救出していただいて感謝をしているわけであります。
 ただいま中国の四川の大地震の救助活動について御報告をいただきました。地震発生が五月十二日で、中国というお国柄もあるんでしょうけれども、三日後の十五日に派遣が決定をされていると。我が国の優れた技術能力や技術を持っている救助隊がせめてあと一日、あるいは一日早く、一日半でも早くあの現地に入っていれば、仮定の話で恐縮でありますけれども、人命を救えたんじゃないかなというふうにも思うわけであります。
 余震もあって、河川がせき止められたり、あるいはがけが崩れてなかなか交通渋滞で現地にたどり着くのに時間が掛かったと。ヘリを使用すればというお話もございました。しかし、ヘリを使用するとなれば、二国間の問題も出てくるわけでありますが、難しい面もあると思います。また、死者に対して黙祷して尊崇の念をささげるなど、皆さんの真摯な態度、行動について現地の方々は非常に好感を持って感謝の念を示していただいたというお話もございました。
 そこで、四川地震に対する我が国の救助派遣を教訓にして、今後のこうした災害に対する派遣の問題点といいますか、先ほど高瀬参考人は所感のところで少し述べておられますけれども、改めて、漠然としたことで恐縮ですが、留意点といいますか問題点、今後どうしていこうかという、そうしたことについて、個人的でも結構でありますが、高瀬参考人、原参考人から教えていただければ有り難いなと、このように存じます。
#23
○参考人(高瀬初雄君) 今回、発災から、先ほどの話でも述べさせていただきましたけれども、三日で七十二時間というのが一つの人の命が残る、ゴールデンタイムというか、そういうところがあるようなんですけれども、まさに私たちも人の命にかかわっているところなので、少しでも早く日本隊が出ていけるようにというその気持ちは、全隊員が同じ気持ちを持っていたと思います。
 ただ、やはりこればかりは、冒頭でも述べさせてもらいましたけれども、相手国の要請というのが前提条件になっておりまして、今回の場合、何で早くと、当然私たちも皆、異口同音に言っていたし、思っていたところなんですけれども、やはり現場に行ってみれば、それは、ううんと、なるほどと、やむを得ないんだなというのをやっぱり実感をする状況はありました。
 要は、第一現場に向かうときも、河畔、川のわきを通る道なんですけれども、やっぱり地震でえぐられて、自分たちのバスがそのまま谷底へ行ってしまうんではないかというようなところがかなりあるんですね。中国側が人海戦術で山側に道を移して通れるようにしてというようなところ、そういうところがもう多々あって、現場でも、前の日に開通ができた道路なんですというような説明もありました。助けに行った人間が助けられる場面もあったのかなと、これ、仕方ないんだなという、それが実感でありました。
 だから、基本的には、少しでも早く、より多くの生きた方を助けるというスタンスで、日々、私たちは訓練に励んで、先ほども結びに話しましたけれども、きちっと与えられた使命を果たしていくしかないなというふうに思っているところであります。
 私の方は以上です。
#24
○参考人(原修君) 御意見のとおり、現地に行って二か月の赤ちゃんをお母さんがかばうように押しつぶされて亡くなっている、それから私の子供と同じ年ぐらいの中学生がいっぱい死んでいると、そういう目の当たりにした救助隊員が一番、一日でも早くもっと行けなかったのかなという悔しい思いはしております。実際に隊員たちは、もっと残してくれと、火葬させてくれという意見も大分ありました。私の立場としては、無事に隊員を日本に待っている家族に返してあげなきゃ、そういうのも私の任務でありますので、そういう者たちを抑えながら何とかやってきたということでございますけれども。
 今、高瀬さんがお話しのように、道路の事情だとかいろんな事情はあったんだと思うんですけれども、できればもう少し早く要請をしていただき、結構大型のヘリコプターも飛んでおりましたので、そのヘリコプターを使うなり、そういうような方法がもうちょっとなかったかなという気はいたしております。
 それから、先ほど若干私のお話の中でさせていただいたんですけれども、今まで十何回出ている中で、大半、行くまでの飛行機は、通常のいわゆる定期便のお客さんの中で、隊員があのような服を着た段階ですね、精神的にかなりプレッシャーが掛かっている段階でずっと現地まで長い時間行くという。私、今までこの仕事をずっと同じように携わっておりましたので、何とかチャーター機をどうにかしてくれということをずっと言い続けていたんですけれども、今回、第二陣から何とか初めてチャーター機を用意してくれまして、ただ、物理的に、チャーター機といっても機体がいつでも余っているというわけじゃなくて、今回も何か東南アジアの方からチャーター機を取り寄せて初めて第二陣に間に合ったということでございますので、我々第一陣は、一般の飛行機で、お客さんを、成田から北京まで三時間半ぐらいのところを一時間半も遅らせて誠に申し訳ないという気の中、一番最後に乗って小さく身を縮めながら行ったような思いがございます。
 そんなところで、アクセスの部分、何とか、九・一一のときは派遣に至らなかったんですけれども、政府専用機を用意していただいたという経緯もございまして、最終的には派遣にならなかったということなんですけれども、政府専用機とはいかないまでも、何かもう少しアクセスのいい形で行けないかなと。
 先ほど高瀬さんの方からお話ありましたけれども、事前登録を隊員がしておりますので、その隊員たちは、いつ何どきあってもいいように準備をしておりますし、大きい地震が起きたというニュースを見れば、すぐ事前に自分たちで準備をするような者ばかりですので、今回も非常に短い時間で成田まで集結したということで、私どもも、東京消防庁はヘリコプターで成田まで、直接滑走路のところに入ったというような状況でございますので、時間的に早い立ち上がりができる状態になってきております。
 そういう意味では、今度は日本から現地までの早い立ち上がりが何とかできればなと。一般の旅客機と時間の関係で資機材関係が貨物で行きますので、成田のJICAの倉庫からそのまま貨物で行きますので、その辺の検査の関係で、私ども、ほとんどその資機材、食料なしで行った状況でございます。中国国内、飛行機降りてから中国のお菓子とそれから水だけでずっと夜まで過ごしたような状況でございます。そういう意味では、やはり照明もなくて苦労したというのもありますので、資機材もチャーター機で同時に行ければもう少し有効な活動ができたのかなというふうに思います。
 以上でございます。
#25
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 それでは、次は峰崎先生、お願いします。
#26
○峰崎直樹君 今日は四人の方、ありがとうございました。また、お話を聞いていてやや心の感動を覚えるようなお話を本当にありがとうございました。
 一つは、先ほど中国四川の方に行かれたときの話で、原参考人、高瀬参考人、語学の壁というのが、中国の消防隊と日本のいわゆる派遣された隊員の間の意思疎通とか、そういったところで語学の壁というのは、見よう見まねでやられて成果があったのか、そういった点についてはどのようなことが感ぜられたのか、やはり通訳とかそういったものも併せて必要なのか、そこら辺のお話をちょっとお聞かせいただければなというふうに思っております。
 それから、これは白子参考人の方にちょっとお聞きしたいんですが、アフリカの国々でいうと、サハラの国々の宗主国の方々、つまり昔、植民地支配していたと。そうすると、いわゆるかつての宗主国と今の国との間のこういう様々な医療支援活動というのがどんなふうになっているのか、今はかえってそういう国は余り昔の思い出があって良くないのか、そういったことがもし見聞きされていればということ。
 実は、国際連帯税ということで、今、私たち、会長は自由民主党の津島雄二先生で、会長代行には今日ここにおられる広中和歌子先生、あるいは加藤修一さんも副会長で入られているんです、私もやっているんです。
 そこで、フランスなどは、たしかエイズとか、そういう感染症とか、そういったものに対するある意味では約束をして、そしてそれに対して税を取っていこうということで、航空機に税金を掛けたりしながら、使用料を掛けたりして取っているんですが、先ほどの地図を見ると、これは赤十字だからそうなのかもしれないんですが、そういうフランスとか、そういう国際連帯にかなり熱心にやって、たしかユニットエイドとかという話じゃなかったかと思いますが、そういう医薬品とか、そういったことに対する支援活動といったのをやっているんですけれども、そういったことについてはどのようになっているか、かなり現実にこのジンバブエ辺りではそれが進んでおるのかどうか、こういった点についてお聞かせ願えればなというふうに思います。
 取りあえず、以上でございます。
#27
○理事(川口順子君) 二番目の御質問の後半部分は、宗主国が旧植民地との……
#28
○峰崎直樹君 二番目のは、宗主国である国は、そういう医療とかそういった援助については熱心にやられているのかどうかということです。
#29
○理事(川口順子君) ということですね。
#30
○峰崎直樹君 ええ、そうです。
#31
○理事(川口順子君) それでは、最初の質問はどちらからでもよろしいですか。
#32
○峰崎直樹君 どちらでもよろしゅうございます。
#33
○理事(川口順子君) じゃ、原参考人、高瀬参考人、どちらからでも。言葉の壁の問題です。
#34
○参考人(高瀬初雄君) 言葉の方は、現地へ向かう前に北京でチャーター便乗り継いでいますけれども、その時点で在北京の日本大使館の書記官がそこで合流をして同行をしてくれているという状況が一つ。そこでJICAの職員も合流をしております、中国語のできる人間がですね。それとともに、中国側が通訳を必要人数付けていただいて、現場の方で第一隊、第二隊と分かれて別活動をするような場面もありましたけれども、それぞれのところで不自由のないように通訳が同行できる体制は構築されておりました。
 以上です。
#35
○理事(川口順子君) 今の点について、原参考人、何か加えることはありますか。
#36
○参考人(原修君) 今の通訳の件でございますが、七、八人、通訳、男性の方、女性の方、我々と一緒に、シャワーも浴びれず、下着も取り替えられずということで、一緒に行動を共にしていただきました。逃げ遅れた人を呼び掛けたりするにもやはり中国語が必要でございましたので、非常に参考になりました。しかし、全体で六十名ほどのチームの中で潤沢に通訳の方がいらっしゃるわけじゃありませんので。
 ただし、救助隊員というのは、国を隔てても、ほとんど言葉がなくてもある程度のことは技術的には分かる。ほとんど身ぶり手ぶり。それから、最後の北川県の中学校で活動したときに応援で来ておりました北京の消防隊が、北京市の消防の学校の立ち上げのときに日本からODAで随分消防職員が何年間にもわたって行っておりまして、資機材はほとんど日本の資機材を教えていたものですから、説明なしで資機材も使えたということが非常に役に立ったということは感じております。
 以上でございます。
#37
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 それでは、白子参考人への御質問ですので、もしよろしければ後で岩本参考人にも補足をしていただくということで、旧宗主国と植民地の今、関係が支援という意味でどうなっているかということです。
#38
○参考人(白子順子君) 済みません、アフリカ全体についてどうなっているかというのはちょっと私も余り存じ上げていないんですが、ジンバブエだけに限りますと、むしろ今、大統領がどちらかというと白人を迫害といいますか、結構、昔、大農場を経営していた人たちから土地を取り上げて、その人たちにむしろ刑罰を与えているようなそんな状況で、私たちがいるときでも何人か刑が、何か刑務所に入れられたみたいなことを、まだそういうことをやっていることもあるのか分からないんですが、むしろイギリスの側、元々イギリスの植民地だったんですが、イギリスからは経済制裁という、逆ですね、本来はそうではない、イギリス人もまだ現地にいるはずなのでそうあってはならないと思うんですが、むしろ経済制裁をイギリスを中心としてされているような状況で、それがちょっと状況を悪くしているのかなというふうに思います。ジンバブエについてはそんな様子でした。
 あと、先ほどのフランスのということについては、済みません、ちょっと私も存じ上げておりませんので、もし岩本先生が何か御存じでしたら。
#39
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 岩本参考人、もし補足していただければ。
#40
○参考人(岩本愛吉君) 私もフランスがエイズ関係で掛けている税法のことはよく存じません。
 ただ、先ほど白子先生がおっしゃったように、確かに経済制裁という方法を取ってもっとアフリカの国々をコントロールしようという、あるいはもうこれはコントロールできないからやめようというようなところもあるかというふうには思いますけれども、一般的に言うと、やはり、先ほど中国の問題でも出ましたけど、元フランス語圏はまさにフランス語を使える人が多いですし、英語圏は英語を使える人が多いですので、どうしてもその影響というのは言葉の意思の疎通という面で私は非常に大きいと思いますし、感染症関係ですと、例えばフランスですと、パーセントはちょっと今、正確に覚えていませんが、パスツール研究所というのは半官半民だと思いますが、そのパスツール研究所が至るところに、東南アジアを含めてございましたので、そういうものを非常にまたうまく使いつつあるし、それから、イギリスの場合には、オックスフォード大学の熱帯医学研究所等を通じて、その大学のネットワークのようなもので各ところに拠点をつくっている。
 アメリカの場合には、例えばエイズ、結核、マラリアのような病気ですと、例えばPEPFARという大統領の特別支援金のようなもので多額のお金を投じているというようなことがありますので、アフリカの中の各国の事情にもよる一方で、私自身は、割とその語学の壁というか、それでかなりやっぱり分かれているのが現状ではないかなというふうに思っております。
#41
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 それでは、島尻安伊子委員、お願いします。
#42
○島尻安伊子君 ありがとうございます。
 四名の参考人の方、本当に今日はありがとうございます。
 その中で、私は、一つだけ岩本参考人へ御質問させていただきたいと思います。
 このブルーの本の七ページ、八ページに、開発途上国の保健若しくは医療向上に貢献するための我が国の取組ということで、詳しくGII、IDI、MDG、それからHDIですか、本当に大変にまとめて書いてあるんですけれども、私としても、これらの目標を達成することというのはもう大変に重要だというふうに思っております。
 一方で、先ほども我が国のODAの在り方というのが話題になっておりますけれども、ODAで、その対象国で行われる例えば大規模工事が発注されたときに、現地でにわかにそこに、町といいますか、人があちこちから集まってきて町ができる。そこが、残念ではあるんですけれども、HIV、エイズの温床になってしまうというような現状があるというふうに聞いておりまして、ODAの予算を組むときに、必ずその何%かをこういった保健だとか衛生だとか、こういうものにきちんとその予算付けをするようにしたいということもちょっと聞いたことがありまして、まずその現状についてもし御存じでしたらお聞きしたいというのと、この点、各地で活動なさっているNGOの皆さんとの連携ができないのかなと。連携ができればうまく働きがされるんじゃないかなというふうにも思っておりまして、感染の防止という意味で、結局、その知識のない方々が集まってきたときに、きちんとした教育をするところから始まって、HIVの感染に向けて、その防止ということででもうまくワークするのではないかというふうなことも聞いたことがあるんですけれども、この辺についてお聞かせいただければと思います。
#43
○参考人(岩本愛吉君) 一点目の現状は何でしたっけ。
#44
○島尻安伊子君 ODAで大規模工事とかが発注されたときに、そこににわかに人がたくさん集まってきますから、その工事をする人だとか、いろいろな意味でたくさんの人が集まってくるんですが、そこが……
#45
○参考人(岩本愛吉君) そういうことの現状でしょうか。
#46
○島尻安伊子君 はい。
#47
○参考人(岩本愛吉君) 七ページに出てくる、実は、先ほど幾つか略語が出てきましたけれども、正直に申し上げますと、私はここの略語、ほとんどどれも知らないのが私のレベルと思っていただいていいかと思います。
 ただ、例えば沖縄感染症対策イニシアチブ、IDIというのは、これが一つの今のグローバルファンドの基になったというふうに伺っておりますし、そういう意味では、日本のイニシアチブがなかったと申し上げているつもりは全くありません。
 そういう中で、日本のODAだけではなくて、やはり大きな大規模工事を伴うときには、それに伴う労働者の、いわゆるマイグラントの労働者の中のHIVであるとか、恐らく結核もそうだと思いますし、そういうような感染症というのは、アフリカ、それから最近ではアジアで大きな問題になっていると思いますし、私の知っている数少ない例では、たしかベトナムかどこかで、JBICの資金で橋が造られるときにエイズ対策の教育に対する予算が投じられたというふうなことをJBICの方からは伺ったことがございます。
 それで、そういう意味では、ますます、今も例えば、アジアの中に道ができようとしていたり、中国がメコン川のところにダムを造ろうとしたり、いろんな大規模工事というのがアジアで起こっていますので、今後ともそういう中で、人が工事とともに動くのは大変大事ですし、それだけではなくて、実は、大規模ほど目立たないけれども、比較的お金もあって、要するに移動している。それで、例えば私の場合には、主に性感染症であるとか薬物使用を通じた感染であるとか、そういう問題も同じマイグラントの中で実際にはあるということだと思います。
 教育の中に、HIV予防等のところに予算を使っていただくのは非常に大事な一方で、今なかなか難しい点は、今日も少しお話をしました、教育で予防が行く部分と、幾ら教育してもなかなか、要するに教育だけでは追い付かない部分がある。
 例えば、私は医師ですけれども、私も昔、たばこを吸っていましたが、どうにか禁煙はできたんですけど、これだけたばこの害が言われていても医者の中でたばこをやめない医師はいっぱいいるわけで、そういうことを考えると、これは、人間の行動変容というものは教育だけではなかなか直らないので、その辺、特にHIVとか、そういう感染経路がいろいろある病気については、教育ということだけでなくて、その行動変容をいかにもたらすかというところのノウハウをいかに入れるかということが大変大事で、その辺が先生がおっしゃった第二点の、各そういう感染の集中している地域で実際、問題をやっているNPOであるとか、そういうところとの連携というのは、教育だけではなくて大変大事になってくる部分だというふうに思います。
#48
○島尻安伊子君 ありがとうございます。
#49
○理事(川口順子君) ありがとうございました。
 それでは、次に主濱委員、そして山下委員。
#50
○主濱了君 参考人の皆様、本当に今日はありがとうございました。
 災害あるいは病気の大流行、これが起こりますと現地は大変になるわけですね。私ども一般国民としても、現地に行って何かお手伝いをしたいと、こういうことを考えるわけですが、なかなか一般国民にはこれは難しいと。それを、こういう中にあって、皆様にはまさに現地に赴いていただいて様々御苦労されてきた、活動されてきた。本当に有り難く、感謝を申し上げ、御礼を申し上げたいというふうに、こう思います。
 こういったような経験を踏まえまして、既に回答になる部分もあったわけですが、改めて伺いたいんですが、四人の皆様全員に伺いたいと思います。
 高瀬参考人、それから原参考人に対しましては、中国四川大地震に赴かれたわけですけれども、日本の国際緊急援助隊に対する現地あるいは世界、特に私、聞きたいのは世界からの評価、これをどのように受け止められているのかということと、そして、それに、まだ日本の国際緊急援助隊についての不足している部分、今後の課題として何があるのかと、こういう点についてそれぞれお伺いをしたいと思います。
 それから、白子参考人に対しましては、今言ったような様々な活動を日本はしている、それに対する世界の評価、この辺を中心にお聞きしたいのと、それから、白子参考人の場合は日本赤十字を中心に活動をされていると、こういうことでございます。この日本赤十字を中心とした活動と、それから国際緊急援助隊の活動、この連携というのがどのようになっているのか。赤十字の皆さんでも多分、国際緊急援助隊の方に行っておられると思うんですけれども、その辺の連携がどうなっているのかと、この辺のことをお伺いをしたいと思います。
 それから、岩本参考人には、先ほど島尻先生からもお話ありました日本の感染症に対する貢献というのは、私、いっぱいあると思うんですよ。この人口・エイズに関する地球規模問題イニシアチブ、これは三十億ドルの目標に対して五十億ドルももう既に支出をしているとか、あと、沖縄感染症対策イニシアチブ、これは三十億ドルの目標に対して五十八億支出しているとか、そのほか、世界基金への拠出も八・五億ドルあるとか、非常に日本として私としてはかなり貢献していると思うんですが、世界がこれをどう評価しているのか、その評価のところをちょっと伺って、そして、もしそれがまだ足りないというのであれば、それはどういったような課題があるのかと、こういったような点について範囲内でお教えをいただければ幸いでございます。
 以上です。
#51
○参考人(原修君) それでは、お答えさせていただきます。
 世界からの評価ということで御質問をいただいたんですけれども、世界からどのように評価されているか、ちょっと私、直接個人的に耳に入っているわけでございませんので、どのように思われているかは分からないんですが、ただ、四川に行きました中国での評価は、一番最初に本格的に活動を始めました赤ちゃんとお母さんの現場で、一番最初、着きましたときに、亡くなった方の弔いの意味だと思うんですけれども、非常に大きな爆竹を、このぐらいのを二本ぐらい日本隊が着いた途端に鳴らされまして、非常に厳しい視線というふうに私は受け止めました。ややもすると、うちの隊員の生命を守らなきゃいけないのかなと、すごい敵対心をしたようなイメージを受けました。そんな形で、弔いの意味というよりは、日本隊を何か追い払うような爆竹を鳴らされたと私は感じました。
 そうこうしているうちに、ずっと夜から翌朝まで活動したわけですけれども、食事の話で申し訳ないんですけれども、それまで中国製のお菓子とミネラルウオーターでずっとやっておりまして、夕飯に中国製のカップヌードルが出ました。JICAの方が支援で現地で仕入れてくれたんだろうというふうに我々そのカップヌードルをいただいたときは思ったんですけれども、後々聞いてみますと、現地の方が中国政府から自分たち用、被災民用にもらっていたカップヌードルを日本隊に食べてくださいということで出した、それが我々の夕飯でございました。
 それから、今度は翌朝になりまして、被災地ですので衛生的に沸かしたお湯なんですけれども、非常に貴重なものだと思いますが、それが日本隊に飲んでくれ、飲んでくれということで住民の方がお持ちいただいたり、それから、その場所を引き揚げるときに、今度は中学生の女の子が我々の救助隊に、日本隊の人、これ持っていってくださいということでチョコレートを、非常に貴重だと思いますね、被災地では、それをいただいたりしました。
 それから、夜、後から来ました報道機関とオフレコでいろんな話をしています。なぜオフレコかと言いますと、今までも救助隊員、報道機関の人にいろいろ一本釣りでインタビューをされて、それが出回ったりして、ジャパンというのを背負っているんでしょうけれども、個人的な見解がジャパンの意見ということでいろいろありましたんで、一人一人は絶対しゃべるなということでずっと統制をしておりました。だけど、これはオフレコだよということで私は隊長としていろいろお話をしてもらいましたら、報道機関の方が日本隊を追っかけるときに、中国の人たちに日本隊はどっち行ったんだと言ったら、あなたたちは日本の報道機関かということで、そうですと話したら、じゃ優先的に行っていいから、あっちだよというふうに、非常に協力的に行かせてもらったという話を後から聞きました。
   〔理事川口順子君退席、会長着席〕
 先ほど、高瀬さんのお話でもありましたけれども、第一現場から次の今度は中学校、北川県に行くときに、道々に中国の人がみんなプラカードを持っておりました。通訳の人に何て書いてあるんですかと言ったら、日本隊ありがとうというふうに書いてあると。そういう意味では、一番最後、ホテルへ戻ったとき、もう夜中の十一時過ぎで、非常に住民の方がいっぱい迎えていただいたということで、行った救助隊員は生存者を救出ができなかったんで非常に悔しい思いして絶対満足していないんですが、中国の方たちからの評価は良かったのかなというふうに考えております。
 それから、日本の救助隊が世界に比較して技術的にどうなんだということなんですけれども、個人的なといいますか、そういう技術では、決して引けを取らないすばらしい技術、日本人的な器用さも含めましてすばらしい技術があると思います。
 ただし、システム的な意味合い、特に資機材の部分でございますが、これにつきましては、商売にならないせいなのかもしれないんですけれども、日本のメーカーがほとんど消防隊それから救助チームが使うような資機材を作ってくれないんですね。消防の資機材というのは、欧米諸国の資機材を導入しているのがほとんどでございます。そういう意味では、欧米諸国のやっている技術を導入するという、常に二番手というか、後々という形になってしまいます。今現在もそういうような状況で、そういう部分では、世界標準というところでは常に後を追っかけているというような状況でございます。
 以上でございます。
#52
○参考人(高瀬初雄君) まさに中国の評価の部分、原さんが今お話をしていただいたように、現場では食料の調達が、第一陣、第二陣に分かれて現場に行ったものですから、第一陣は、携行食料が持参できていなく、現場で調達をしなければいけない中、連携のそごがあって菓子パンを食べているような状況がしばらく続いておりました。今、原さんが言った、カップラーメンが届いたのを薄暗い日が暮れた町の舗道の上で食べたのが非常においしかったのを覚えています。カップラーメンがこんなにうまいのかという状況はありました。
 そんなことで、中国側の反応というか評価の部分はもう今言われたとおりなんですが、世界レベルの評価の話ですけれども、先ほど、この青い冊子の十七ページにINSARAGという、原さんがINSARAGのフォーカルポイントがあってそこに登録をという話をしておりましたけれども、現在、INSARAG、国際捜索救助諮問グループというのが国連の方にありまして、その能力評価検定というのを日本のチームが受ける流れになっておるんです。
 その評価自体というのは、先ほど原さん言われたように、重中軽、ヘビーとミディアムとライトというランクに分けられるんです。日本チーム、来年の三月に受ける流れになっております。もちろん、ヘビーの能力評価を受ける流れで今準備を進めているところであります。その評価が、日本チームはヘビーを持っているんだ、そうすると、この活動サイトは日本チームでなければできないよねとか、そういうような振り分けになっていくと思います。
 だから、現時点、評価がどうこうという情報までは持ち合わせていないんですけれども、現在、そういった評価検定を受ける動きがあるということをお知らせして、私の回答とさせていただきます。
 以上です。
#53
○参考人(岩本愛吉君) もし私の今日の発言が日本の貢献が少ないというふうなあれがあれば、それは私の発表の仕方が悪くて、日本は大変高く評価されていると思いますし、例えば外務省が企画して世界基金の会議をやれば、必ず事務総長のミシェル・カザツキンは来ますし、WHOのマーガレット・チャンも来れば、今は替わりましたけれども、UNAIDSのピーター・ピオットもすぐに参りますので、それは、いかに日本の資金援助が大きいかというふうなことであろうと思います。
 ただ、私自身、余り、そういう保健政策の専門家ではなくて実務の医学者であり研究者ですので、私の理解がどこまで正しいか分かりませんけれども、恐らく、そういう古くからあるWHOという組織であるとか、あるいは比較的新しいUNAIDSにしても、エイズに特化した組織ですけれども、それにしても、やっぱり時とともに硬直化していて、日本は例えばWHOに恐らくすごいお金を使っていると思いますし、国連にもすごいお金を使っていると思いますが、そういう部分がなかなか見えにくくなってしまっているところへもってくると、アメリカなんかは、そういう部分以外に例えば、正確な日本語の名称を知りませんが、大統領緊急支援金でしょうか、PEPFARと呼ばれているようなお金であるとか、例えば民間でビル・ゲイツ・マネー、途上国の人のところに行けば必ずPEPFARとかゲイツ・マネーというお話が出てきますので。
 その辺は、私、日本の貢献が不十分だとは全く思いませんけれども、できれば保健、医療にもうちょっと出していただきたいと思うのも、これ本心でありまして、そういう中で、やはり硬直化したものをもう少しうまく、日本のプレゼンスをどのように見せていくかということは政治家の先生方のお仕事かもしれませんと思うし、我々の中では、いろんな世界的な学会を含めたりとか、あるいはそういう中での、逆に、日本からだけではなくて世界の、WHOであるとかほかの機関を通じたところから、日本はこういうことで貢献しているということをもっと言ってもらうということも非常に大事な部分かなというふうに思います。
#54
○参考人(白子順子君) 赤十字としての世界の評価というふうなことでしょうか。
 赤十字といいますと、世界性というか、その原則があって、各国に一つずつ赤十字があるということで、日本赤十字というのではなく赤十字として恐らく各国には認識されているのかなというところが印象で、私たちが、活動している側から見て、日本の国の貢献度というのも、現地へ行ってみれば、全体的な評価はちょっとよく分からないんですが、やはり認められているのではないかというふうに、例えばJMTDRとか、そういうところも思うんですが、済みません、全体的なよその国からの評価がどうなっているかちょっと分からないです。あと、その評価というのが、どこを、だれからの評価で、どこからのものを基準として評価とするのかというところが少しちょっと分からないところもあります。
 あと、赤十字という立場からいくと、赤十字というのは中立というのを原則としておりまして、原則、いろんな活動の支援に行くときも現地の赤十字を通じて支援をするということになっていまして、余り、例えば現地の政府とか相手側の政府とか軍隊とか、そういうところとは一応、原則一緒に行動しないことになっておりますので、時々すごくうらやましくなることはあるんですけれども、日本のチームが比較的スムーズに活動ができていて、赤十字はそういうところを介さないというのが原則になっているので、それがなかなかできないということで、ちょっとうらやましく思うこともあります。
 ただ、実際、本当に現場では、例えばパキスタンの地震なんかのときでも、向こうの軍隊にどうしても頼らざるを得ないこともありましたので、そういうところはやはり向こうの軍隊とかも一緒に行こうとお願いすることもありますし、もちろん、そういう意味ではJMTDRとか日本のチームとも一緒にやれればいいと思います。多分、恐らく日赤にはない部分のところでかなり強いところもあるのではないかなと思うんですが、実際問題としては、なかなか今のところは一緒にやるというような話はないのが現状です。
#55
○主濱了君 ありがとうございました。
#56
○会長(石井一君) 山下栄一君。
#57
○山下栄一君 もう大分時間たちまして、お疲れのところ申し訳ございません。
 今日は現場における貴重な体験を踏まえた御提案なり体験をお話しいただきまして、ありがとうございました。
 人道的な立場の災害対策にしろ、医療をメーンにしたそういう感染症対応にしろ、人道的な分野での国際貢献というのはますますこれから日本は開拓していかなきゃならないと。そういうところで頑張りたいという若い人を含めて、日本人というのは非常に期待されていいのではないかというふうに、日本人が思う以上に国際社会は評価するのではないかというふうに私は感じております。今日もお話を聞きながらそう感じました。
 それで、まず感染症の件で、岩本先生でしょうか、お伺いしたいと思いますけれども、国立感染症研究所というのが独立行政法人でございます。私も先日見てきましたけれども、先ほどのP4レベルの施設もそうですけれども、せっかくこの施設があるのに、いまだに近所というか、近隣の方々の理解が得られないで稼働していないと。これはもう大変な税金の無駄遣いでもあるなというふうに思います。
 本部そのものは新宿のど真ん中にあるわけで、そこは日常的な理解の努力で大分近所の方も御理解されていると。ところが、P4レベルの施設は武蔵村山にあって、まだまだなかなか理解されてないと。私は、先生なんかが、そういうところの現場での貴重な経験を踏まえられて地域との連携もそれなりにやっておられるけど突破できないというところだと思いますので、是非話をしていただくなり、現地でですけどね、そういうことも先生の出番でもあるなと思うんですけど、要するに、この東京大学と国立感染症研究所の連携はどうなっているのかなと。元々一緒にやられた部分もあると思うんですけどね。その辺、ちょっとお聞かせ願いたい。
 そして、独立行政法人という在り方がいいのかなと。インフルエンザ、これだけ心配されている中で、ナショナルセンター、だから、もう一遍直営に戻してもいいんじゃないかなと、消防研究所じゃありませんけどね。独立行政法人になじまぬのではないかなというようなことも思いまして、そういう実施形態も含めて御意見をお伺いしたい。
 もう一点は、今日いろいろお伺いしながら感じたことは、それぞれの分野でそれぞれの方頑張っているんだけれども、これも岩本先生がおっしゃったかも分かりませんけど、ソフトパワー的な分野ですね。要するに、連携とか人的な、共同研究なり、先生がおっしゃっていますよね。それから、交流とか、そういうことが大事なんではないかと。
 援助隊の活動においても私は思いました。消防庁、警察庁、自衛隊なんかと日常的に、この援助隊のメンバーに入っているわけだから、日常的に共同演習なんかやったらええんちゃうかなというふうな、演習というんですかね、共同訓練ですか。もっと感覚的に、日常、自衛隊のノウハウなんか活用できるんじゃないのかなと思いますし、その中に大学とかそれからNGO、NPO、赤十字も含めてそういう日常的な、日ごろ情報の疎いアフリカ大陸とか南米とか中近東地域とか、そういうところで、分野は違ってもそこで信頼されている日本人の方っていらっしゃるはずなんですよね。そういう方々に現地の情報を得ながら、そして専門的な貢献に入っていくという、そのためにも日常的な経験交流みたいなことが分野は違っても大事なのではないかということをお話聞きながら感じました。このネットワークとか日常的な連携、交流、共同研究等が今どうなっているのかなと、ちょっとその辺がうまくいっていないのではないかということを感じました。
 今の件は、特に援助隊の方の消防庁、警察庁、どちらでも結構ですけど、専門分野全然違っても、そこで活躍されている日本人が評価されている。そういう人たちの話を聞いて、聞く機会を持って、それで派遣されるというようなことは大事なんではないかと思いました。
 最初の質問は岩本先生に、もう時間が余りございませんので、後の方は高瀬参考人でも原参考人でもどちらかで結構でございますので、お答え願えればと思います。
#58
○参考人(岩本愛吉君) まず最初の国立感染症研究所ですけれども、私が今日、最初に御紹介しました私の所属いたします医科学研究所の前身は伝染病研究所と申しましたけど、戦後まで同じルーツでありまして、基本的には、伝染病研究所は要するに感染症の診断をするだけでなくて治療薬もすべてやっておったわけで、その辺を分けるということで伝染病研究所と当時は国立予防衛生研究所。それで、目黒に予防衛生研究所ができまして、その予防衛生研究所が戸山の国立医療センターのそばに研究所として移ったわけですが、私の理解しているところでは、そのときに、やはり感染症が問題になってきているので、アメリカにはCDCという組織とNIHという組織と別々にありますけれども、日本の予防衛生研究所は前はNIHと呼んでいたと思うんですが、それが感染症に特化した組織に変わっていったので、根っこは同じルーツであります。
 それで、国立感染症研究所は、名前のとおり、私の存じ上げている範囲では、厚生労働省の所轄であって独立行政法人化しておりません。国立研究所だと思います、今も。多分、国立感染症研究所はそうではないと思います。
 ただ、先生御指摘の連携の不足であるとか、そういう点については多々あると思いまして、先ほどのP4の問題も、例えば国立感染症研究所では現在、ウイルス第一部長の倉根先生を始め大変な努力をされていると思いますが、なかなかどうしても、村山にあるP4施設の周りでも、その村山の住民から、こういうところに病原体を持ち込むのか、搬送はどうするのかというところがありますので、やはりこの辺は、住民感情というのも考えながらP4施設というのをどこに置くのが適当なのかということを政治判断していただくことが非常に大事ではないかというふうに私は思っております。
 連携不足ということについては御批判のとおりだと思いますので、ただ、その辺、ちょっと今日のお話しさせていただいたことと関連するのは、国立感染症研究所は私も友人が非常に多くて、連携は少ないといいながら非常に日ごろ付き合いが多いんですが、一方で、元々の省庁縦割りからいうと、厚生労働省は国内問題を扱うのが中心の職務ですので、その辺どうしても、こういうふうにインフルエンザ問題であるとか国際的な問題になってきますと、もちろん国立感染症研究所はインフルエンザセンターをつくったり対応はしているんですけれども、組織としてなかなか国際連携機能と国内機能とがうまく、まあアメリカのCDCは例えば十倍の規模が大体ありますので、その辺、規模的な問題と感染症研究所の方は言うかもしれませんが、問題があるというふうに思います。
 一点だけ。二番目の、いろんな途上国等で活躍されている方々といかに連携するかという問題につきましては、日本は比較的今JICA等でも力点が置かれているのは青年海外協力隊とシニアボランティアなんですけれども、昔から、今日もお話に出ましたフランスであるとかイギリス、昔の要するに植民地しておった国ですけれども、そういう国々は途上国で活躍していた人たちを国に戻す組織をちゃんと持っています。まだ比較的活躍している途中で国に帰ってきて、例えば大学で働いたり、あるいは非常に尊敬される立場で大学で働いたり、いろんな機関で働いたりをしていますが、日本の場合、非常にある意味残念なのは、国内的に仕事をされる方と国際的に海外でやられる方の、まさにこれ、連携不足かもしれませんが、その辺を結び付ける方法というのが今まで非常に下手くそだったんではないかというふうに思います。
#59
○参考人(高瀬初雄君) 人的パワー等の交流が不足しているのではないかということでお話ありましたけれども、先ほどからも何度か話題に出ておりますけれども、大使館、在外公館ですね、在外の大使館であったりとか、JICA等とのネットワークを生かしたバックアップ等はうまくできているというのが現状です。
 それから、自衛隊の関係ですけれども、これは、一九八七年に国際緊急援助隊の派遣に関する法律ができて、それの改正が一九九二年にあって自衛隊が国際緊急援助の活動ができることになったというところで、紛争地域へ通常の警察、消防、海上保安庁、JICA等のチームは行かず、自衛隊がそういうところに入っていってすみ分けがあるので、その辺のところは微妙な部分もあるのかなというふうに感じております。
 以上です。
#60
○会長(石井一君) 原参考人、何かございますか。
#61
○参考人(原修君) 基本的には今、高瀬さんがおっしゃったとおりでございまして、救助チーム、海上保安庁、警察、消防、それぞれ本来、通常業務では別の目的で動いておりますので、当然その中でいろいろ訓練等をやっておりますが、いわゆる国際緊急援助という部分ではJICA主催等の合同の訓練も基本的にやっておりますし、現に平成十一年の台湾の百十名だか二十名派遣した段階から、警察それから海上保安庁、消防が向こうへ行ってからもう完全に混合のチーム。それまでは小隊ごとに警察とか消防とかが分かれていて、完全に混合チームでそれからずっと実績を出してきておりますので、そういう部分での連携というのはできているのかなと。
 自衛隊につきましては、今、高瀬さんがおっしゃったような状況でございます。
 以上でございます。
#62
○山下栄一君 ちょっと私、認識不足でございまして、岩本先生御指摘されましたように、国立感染症研究所は、現在は国立、ナショナルセンター直営なんですけれども、独法化の話は常に出てきているということがございまして、それは厚生省所管の直営研究所なりが循環器センターも含めてこの独法化に、そういう話がどんどん出てくるのでなんですけれども、この感染症研究所というのはやっぱり独法化になじまないのではないかということを、そこを言いたかったということでございまして、私の先ほどの発言は訂正させていただきたいというふうに思っております。
 ありがとうございました。以上です。
#63
○会長(石井一君) 予定の時間まで少々ございますが、他に御発言が今日はないようでございますから、本日の調査会はこの程度といたします。
 高瀬参考人、原参考人、岩本参考人及び白子参考人におかれましては、貴重な時間をお与えいただきまして御意見をお述べいただき、厚く御礼を申し上げたいと存じます。調査会を代表し、御礼とともに今後の御活躍を祈念申し上げたいと存じます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時四十二分散会
ソース: 国立国会図書館
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