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2009/07/02 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 厚生労働委員会 第21号
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2009/07/02 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 厚生労働委員会 第21号

#1
第171回国会 厚生労働委員会 第21号
平成二十一年七月二日(木曜日)
   午前十時開会
    ─────────────
   委員の異動
 七月一日
    辞任         補欠選任
     谷岡 郁子君     蓮   舫君
 七月二日
    辞任         補欠選任
     森田  高君     谷岡 郁子君
     蓮   舫君     森 ゆうこ君
     石井みどり君     森 まさこ君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         辻  泰弘君
    理 事
                川合 孝典君
                中村 哲治君
                柳田  稔君
                衛藤 晟一君
                山本 博司君
    委 員
                足立 信也君
                家西  悟君
                梅村  聡君
                小林 正夫君
                下田 敦子君
                谷  博之君
                谷岡 郁子君
                森 ゆうこ君
                石井 準一君
                石井みどり君
                岸  宏一君
                島尻安伊子君
                西島 英利君
                南野知惠子君
                古川 俊治君
                丸川 珠代君
                森 まさこ君
                渡辺 孝男君
                小池  晃君
                福島みずほ君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        松田 茂敬君
   参考人
       日本弁護士連合
       会人権擁護委員
       会委員      加藤 高志君
       社団法人日本医
       師会常任理事   木下 勝之君
       昭和大学医学部
       救急医学教授
       日本救急医学会
       理事       有賀  徹君
       臓器移植患者団
       体連絡会代表幹
       事
       NPO法人日本
       移植者協議会理
       事長       大久保通方君
       日本移植学会理
       事長       寺岡  慧君
       社団法人日本小
       児科学会会長
       横浜市立大学大
       学院医学研究科
       発生成育小児医
       療学教授     横田 俊平君
       日本移植コーデ
       ィネーター協議
       会副会長     篠崎 尚史君
       作家
       評論家      柳田 邦男君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律
 案(衆議院提出)
○子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討
 等その他適正な移植医療の確保のための検討及
 び検証等に関する法律案(千葉景子君外八名発
 議)
    ─────────────
#2
○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日までに、森田高君が委員を辞任され、その補欠として森ゆうこ君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(辻泰弘君) 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 本日御出席いただいております参考人の方々を御紹介申し上げます。
 日本弁護士連合会人権擁護委員会委員加藤高志参考人、社団法人日本医師会常任理事木下勝之参考人、昭和大学医学部救急医学教授・日本救急医学会理事有賀徹参考人、臓器移植患者団体連絡会代表幹事・NPO法人日本移植者協議会理事長大久保通方参考人、以上の四名の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、今後の両案審査の参考にさせていただきたいと存じております。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、参考人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人、質疑者共に発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず加藤参考人にお願いいたします。加藤参考人。
#4
○参考人(加藤高志君) 本日は貴重なお時間をいただき、ありがとうございます。日弁連人権擁護委員会の加藤と申します。
 日弁連の見解については既に何度か述べておりますので、本日は特にA案について述べたいと思います。
 まず、A案は現行法の六条を大きく変えておりますので、その点について述べたいと思います。
 お手元に一枚のレジュメと資料という形で八ページのものをお付けしております。資料の方、申し訳ございません、表紙から六ページまでがちょっと欠落しておりますが、数字を付けていただければ、七、八は書いておりますので、その旨で御覧ください。
 その資料の二ページ、三ページを御覧ください。
 現行法は、六条の一項において、「死体」という言葉を用い、その死体の中に「脳死した者の身体を含む。」と規定しました。そして、六条二項において、その脳死した者の身体とは、その身体から移植術用に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいうと定めています。
 ところが、皆様御存じのとおり、三ページのA案は、この二項につき、その身体から移植術用に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であってを削ることを提案しています。そうすると、臓器が摘出されるかどうかを問わず、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体はすべて脳死した者の身体ということになり、それは死体だということになります。これにより、脳死した者の身体は死体である、すなわち脳死は死であるということを定めたものと理解されることになります。
 この点、A案を提出された方は、これは判定された場合に限るのであり、そこでいう判定とは法的判定だから、結局、臓器移植の場面でしか死と扱っていないと反論されるのかもしれません。しかし、わざわざ書かれていた部分を削除するという改正行為自体が脳死を広く死と認めたからだと理解され、今後、死の概念を定めるに当たり有力な根拠となる、大きな影響を与えることは間違いないと思います。
 少なくとも、臓器移植を実施して初めて問題となるのではありません。自分の家族が脳死状態になったら、臓器移植を考えていなかった人たちも、広く脳死が死かどうかを考えさせられるというよりも、脳死が人の死であるのだという前提で決断を迫られることになる。さらに、相続等の権利関係にも大きな影響を及ぼすのです。そのことを申し上げていきたいと思います。
 最初に、脳死が死であるという社会の合意、共通認識があるかという点について述べたいと思います。
 御存じのとおり、現行法を制定する際、この点が大きく問題となりました。そして、社会的合意がないと判断されたからこそ現行法のように定められたと理解しております。しかも、現行法制定後、特にお子さんの場合、いわゆる長期脳死という状態があるとの報告がなされるようになり、一層、脳死が人の死と言えるのか、社会全体がそう合意、了解しているのかが問われねばならないと思っております。人の死は権利関係に直接影響を与える概念であり、社会生活全般に多くの影響を与える社会的事実です。したがって、社会の合意が樹立されるべきです。社会が脳死を正確に理解し、それを死と評価したと言えるのか、脳死は人の死だと考える方がどの程度おられるのかということは重要なポイントです。
 人の死については、これまで心臓の停止が極めて重要な判断基準でした。そして、脳死についても、呼吸などを調節している部分を含め、脳全体の機能が停止し、元に戻らない状態、人工呼吸などの助けによって、しばらくは心臓を動かし続けることもできるが、やがては心臓も停止するという状態だと説明されており、心臓の停止との関係、特に時間的に密接であることが意識され、強調されてきました。
 資料の四ページを御覧ください。内閣府が世論調査を行う際にも今申し上げた定義が使われています。しばらくという言葉がどの程度の時間を意味するのか不明確ですが、恐らく多くの方は数日をイメージされると思います。そうであるなら、実は脳死と診断されてもそうそう数日間で心臓が止まるとは限らない、子供の場合はなおさらであるという情報がきちんと伝えられる必要があると思います。現在のように、しばらくすれば心臓も停止するかのような前提で、脳死が死だと思いますかといったアンケートを取ることは、心臓停止との関係を重視する方に対しては、結論を左右する誤った事実を前提とした質問であって、問題があると思います。
 しかも、このような脳死に関するイメージが社会に存するにもかかわらず、六月に毎日新聞が実施した世論調査では、脳死を一般的な人の死と認めるかどうかという質問に対し、認めるべきだと答えた方は二八%にすぎませんでした。この事実は極めて重要だと思います。
 日弁連は、長期脳死という事実を重く受け止め、脳死が死であるという社会的合意が現在あるのかどうかについては一層慎重に見極める必要があると述べてきました。しかし、この問題提起に対し、長期脳死の事実は影響を与えないとの反論も存するようです。具体的には、長期脳死といっても、その多くは法的脳死判定を経ていないのだから、我々の言う脳死とは違う、我々の言う脳死になった以後も長期に心臓が止まらずに生存しているとは言えないという反論です。
 しかし、この点については本年四月二十一日に衆議院で参考人として発言された大阪医科大学小児科の田中英高先生が、無呼吸テストを経て脳死と診断したケースにおいても、その後、三百日以上心臓が停止せず生きている事例が複数あると報告されています。また、私がこれまでお話を伺ってきた医師の方々は、無呼吸テストを経ている脳死の診断と、無呼吸テストは経ていないが、それ以外の検査をすべて実施した上で行った脳死の診断とで決定的な違いはない、無呼吸テストを経ない段階で脳死と判断したケースも、無呼吸テストを含めて行った診断によって訂正されることはほとんどないと述べておられました。もちろん、この点について私は素人でございます。是非、専門家の方々による十分な検討を改正の前に先行して行っていただきたいと考えます。
 三番目に、この改正によって他の法律や人の死にかかわる社会の問題が影響を受ける可能性があるかどうかという点について述べたいと思います。
 A案は脳死が死であるということを移植の場面に限って認めているにすぎない、そう理解されている方は、他の分野への影響はないと反論されます。法的脳死判定をしない限り法律上の脳死とは診断されないのだから、現行法と同じ程度の影響しか生じないとの反論もされています。しかし、少なくとも脳死を法的に判定するかどうかの段階で大きな影響が生じると思います。脳死になった方が何ら意思表示をしていない場合に常に家族が法的脳死判定を行うのかどうか、法的に脳死と診断された場合には臓器摘出を認めるのかどうかの決断を迫られるわけです。そして、その際、現場では脳死は人の死ですという説明がされるのでしょう。
 そうすると、まず相続の場面で問題が生じることが考えられます。資料七ページの相続関係図を見てください。父と長男が同じ事故で重傷を負い瀕死の状態にある。長男は既に脳死状態で、父は心臓が停止しそうな状態である。そこに彼らと同居している次男が病院に到着し、医師から長男が脳死状態にあるので法的脳死判定をするかどうか尋ねられたと。しかし、長男には妻もいた、ただし子供はいないという場合を想定してください。この場合、長男と父親のどちらが先に死亡したかで父親の財産をだれが相続するのかが変わります。もちろん、長男がドナーカードを有していたなら現行法下でも同じ問題は起こり得ます。しかし、何ら本人が意思表示をしていない場合、家族間で各自の利益のために承諾をするのかどうかの判断が分かれるでしょう。しかも、前提として医師は脳死は人の死だと説明することになるわけです。それでよいのでしょうか。
 また、資料の八ページを御覧ください。法的脳死判定を受け脳死と判定された後、拒否のカードが見付かった、あるいは家族がやはり臓器提供はしたくないと気持ちを変えた場合はどうなるのでしょうか。この場合、臓器提供が予定されなくても脳死と判定されたものであり、死んでいるものと判断されるのでしょうか。
 さらに、脳死は人の死だと国の最高機関である国会が認めて法律を作ったのだとなれば、臨床的に脳死と診断した時点で医師はその旨を家族に伝えることになるのではないでしょうか。本人自身の提供意思が認められない中で、脳死と判定されたら死です、今はそれに近い状態ですといって脳死判定を持ちかけるのでしょうか。そして、そのとき家族が拒否したなら、その後、医師はどんな顔をして治療をするのでしょうか。そもそも、家族と信頼関係を維持できるでしょうか。
 資料の五ページを御覧ください。現行法の二条は、この法律の基本的理念を定めています。A案もこの部分を改正するとは言っておりませんので、その理念を尊重していると思います。そして、その二条一項では、死亡した者が生存中に有していた自己の臓器の移植術に使用されるための提供に関する意思は、尊重しなければならないと定めています。提供に関する意思ですから、提供しようとする意思とともに提供しない意思も尊重される、すなわち自己決定権が尊重されるということがこの法律の基本理念です。
 ところが、このA案では、自己決定が外部に分かる形で表明されていないとき、さらに自己決定をしていないときでも、家族が法的脳死判定を行うことを書面により承諾すれば、判定がなされ、判定されれば当該遺族の書面による承諾のみで当該患者からの臓器の摘出が認められることになります。日弁連は、これは基本理念と相入れないと考えております。
 そもそもA案は、本人が何ら意思表示をしていなかった場合、なぜ家族の承諾で足りると考えるのでしょうか。現行法は、脳死を死とする社会的合意はないが、脳死になったら心臓を含む臓器の提供をしようと決断した各自の判断、自己決定は尊重されるべきだという基本理念に支えられています。つまり、その人自身の自己決定が必要不可欠なわけです。この決定は、他人が代わりにしてあげる、することができるというものではありません。命を奪う決断なのであり、当該本人に利益がないからです。したがって、例えば親が我が子のことを思って行う代諾などは臓器を摘出する場面では問題になりません。そうであるからこそ、A案は大前提として、脳死は死んでいる状態なのだと、脳死判定と臓器提供に関してだけ家族の承諾を要求しているのだと考えているのだと思います。
 要は、ここで言う承諾は現行法の基本理念である自己決定とは全く違うものです。本当に自己決定を重視するなら、そもそも病気や障害などで自分自身での決断ができなくなった人や乳児については自己決定ができないわけですから、たとえ脳死状態になったとしても臓器の摘出はできないはずです。すなわち、これらの人の場合に、最初から家族の承諾で足りる、自己決定など必要ないとA案は考えていることになります。
 また、脳死は人の死だということを前提にして初めて、家族が承諾をするに際して受ける精神的負担を軽くすることができると考えているのではないでしょうか。それまで脳死や臓器移植について考えたこともないのに、熟慮する時間も与えられぬまま早急に判断を迫られる家族にとって、もう既に死んでいて臓器の提供の可否を判断するだけなんですよと言われるのと、あなたの決断によって家族が死ぬことになるんですよと言われるのとでは決定的な違いがあるからです。つまり、脳死が人の死であるということが臓器移植がなされるかどうか分からない段階で広く家族に説明されるのです。
 更に言えば、家族の承諾さえ要求されなくなる危険があると思っています。資料の六ページを御覧ください。このA案を支持される学者の方は、家族の承諾でよいとする根拠について、およそ人間は、見も知らない他人に対しても善意を示す資質を持っている存在であり、反対の意思が表示されていない以上、臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである。言い換えるならば、我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのであると述べられました。つまり、拒否の意思表示をしていないという事実から、それは提供を了解しているものと判断できると言われるわけです。しかし、残念ながら、我が国におけるドナーカードの所持率などを見る限り、臓器提供を自己決定しているとは評価できないと思います。
 ところが、A案が成立するとなると、この考え方が改めて評価されるかもしれません。資料の三ページを御覧ください。A案の六条一項二号は、遺族が当該臓器の摘出について書面により承諾していることを要件にしていますが、承諾すべき遺族がいないときには駄目だということをきちんと確認しておく必要があると思います。そうでなければ、仮にA案に改正したけれども臓器提供者が増えなかったという場合、意思表示をしていない方の場合にはノーと言わない自己決定を既にしているのだからという理由で、改正六条一項一号と同様に、その旨の告知を受けた遺族が拒まないとき、又は遺族がないときであれば臓器摘出ができるとの改正がなされるのではないかと危惧します。
 また、技術的に言っても、意思表示があるということはその旨を記載したカードを見付けることで確認できるでしょうが、本人の拒否の意思表示がないということを確認するのは極めて難しいと思います。例えば、しばらく離れて暮らしていた家族が交通事故で脳死状態となり、病院に運ばれた際、拒否の意思を示すものを持っていなかったという場合を想定してください。この場合、拒否の意思表示をしていなかったかどうかを、だれが、どの程度調査すればよいのでしょうか。仮に、拒否の意思表示をしていなかったものと判断され、家族が承諾して法的脳死判定がなされ、さらに臓器が摘出された後、遺品を整理しているときに意思表示カードが見付かったという場合、一体だれがどのような責任を負うことになるのでしょうか。そもそも責任を負えるのでしょうか。A案はこの点について配慮していません。本人は既に脳死、死んでいたのだから、さほど重要ではないと考えるのでしょうか。
 以上述べてきたとおり、今A案による改正がなされた場合、脳死が死であるという前提で医療現場は動かざるを得なくなり、混乱が生じると思います。また、本人自身の意思表示がない場合、家族は大変重大な決断を迫られることになります。大半の家族はそれまで脳死や臓器移植について考えたことがないと思います。それを、愛する家族が脳死になったという事実を受け止めるだけでも大変なのに、そのようなパニックに近い状態の中、法的脳死判定を受けて臓器の摘出を承諾されますかと持ちかけられ、わずか数日の間に決断するよう迫られるのです。それゆえ、その負担を緩和しようと医療側は脳死は死なんですよと強く言うようになるかもしれません。しかし、それは他方、人工呼吸器を付けてでも生き続けさせてほしい、その都度生じるトラブル、体調の変化に適切に対応してほしいと考えている家族にとっては大変な圧力になります。医師の側も、本人がドナーカードを有していないにもかかわらず、脳死が死である、臓器提供という道がある、脳死判定を受けますかということをどうやって切り出すことになるのでしょうか。救急医療等の大変な現場のドクターの方々にも大きな負担を課すことになるのは必至だと思います。
 最後に、時間がありませんので、親族への優先提供を認めた部分について一言述べますと、最初に指摘した現行法の基本理念を定めた二条の四項は移植医療の公平性をうたっており、到底許されないと思います。
 今回の改正は、法律制定後何ら見直しがなされなかったこと、海外での移植が制限されようとしていることを大きな理由としていると思います。そして、今回ここまで国会の審議が進み、社会もいま一度脳死臓器移植について考えようという機運が生じてきたように思います。ただ、だからこそ明らかになった問題点についてきちんと議論しておかないとかえって混乱が生じるだけである、禍根を残すのではないかと思うのです。そうであれば種々検討すべき課題はあると思いますが、特に子供の脳死にかかわる問題を積み残したまま改正することは許されないと思います。虐待の問題、判定基準の問題などの基盤整備がなされる必要があります。
 先ほど述べた長期脳死について、日本移植学会が作成したQアンドAでは、それは実際には脳死ではなく重症脳障害であると批判しています。しかし、このことは小児の脳死判定が難しいこと、医学界でも見解が分かれていることを示しているのではないでしょうか。前提としてなすべきこと、検討すべきことが多く残っているわけです。また、小児救急医療制度の充実に向けての具体策も検討していただきたいと思っております。
 以上述べましたとおり、今A案へと改正することは余りに大きな問題を積み残したまま見切り発車をするようなものであり、賛成できません。その意味で、今般提案されたE案を私自身は評価したいと考えております。いわゆる子ども臨調を設置し、新たに明らかになった事実や医学的知見も踏まえ、社会全体で議論を行い、改正へと進めることこそ迂遠なようで最も適切な手順だと思います。
 御清聴ありがとうございました。
#5
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、木下参考人にお願いいたします。木下参考人。
#6
○参考人(木下勝之君) 日本医師会の木下でございます。
 資料に沿って意見を述べたいと存じます。
 臓器移植法の改正A案に関する見解でございます。
 過去における日本医師会の臓器移植に対する見解は平成十七年の四月に日本医師会長名で、また平成十九年五月には今日の医師会長唐澤祥人の名前で見解を発表しております。本人が臓器提供について意思表示をしていない場合は、年齢にかかわらず遺族の書面による承諾で死体(脳死体を含む)からの臓器提供が可能となるような法の改正を要望する、この基本的な考え方は現在でも変わりございません。
 そして、今日、衆議院を通りましたA案についての問題でございますが、この法案の現行と改正案の比較の表をお示ししてございます。既に皆様御存じのとおり、改正案、二ページ目では本人の臓器提供の意思についてでありますが、これは本人の書面による意思、示している場合のみならず、上記以外の場合であっても遺族が当該臓器の摘出を書面により承諾しているというふうなこととして改正されておりますが、これは私たちが望むところでございます。
 そして、三ページ目でございますが、これは様々議論を呼んでいる部分でございますが、臓器の摘出に関する問題でございます。既に第六条の一項に関しましては全く現行と改正案は同じでありますが、二項に関しましては、「「脳死した者の身体」とは、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」という部分の、これは現行でございますが、その赤字部分がそのまま削除されているのが改正案でございます。
 この改正案の問題点は今まで議論されているとおりでございまして、臓器の摘出の要件に関して現行法と異なる最大の論点は、脳死した者の身体の定義を「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたものの身体をいう。」としている現行法の定義を変更し、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除したことであります。
 そのことから、疑問点といたしましては、当然のことながら、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除することによって、臓器摘出の場合以外の場合にもこの六条二項の規定が適用され、一般的に脳死は人の死であると解釈されるのではないかという問題が当然出てまいります。
 六月五日の厚生労働委員会における岡本法制局参事官の答弁によりますと、この問題に関しまして、臓器移植法とは、臓器移植に関連して、脳死判定や臓器移植の手続などについて定める法律であると。したがって、臓器移植の場面以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるものではない。六条一項の、摘出がどのような場合に認められるかということについて書かれた規定の中の「脳死した者の身体」とは何かということについて定義付けしたものである。以上のことから、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を削除したとしても、この定義規定が適用される範囲というのは臓器移植の場合に限られることとなるというふうな見解を示されております。
 しかし、その法制局の解釈に対する疑問はやはり残ります。法制局の解釈では、改正案の脳死した者の身体の定義は臓器提供を前提にしているものであるから、臓器移植の場面以外の場面について、一般的な脳死判定の制度や統一的な人の死の定義を定めるのではないとしておりますが、ある主要学会は、この改正案では、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除したことによって、一般的に脳死は人の死であると主張しております。その上でこの改正案を強く支持しているという、こういった矛盾が起こっております。
 死の定義や脳死に対して深い理解がない国民の視点からしますと、改正案では一般的に脳死が人の死であると受け取られて当然であります。本来、臓器移植法の改正案は国民に誤解されない法文であるべきでありまして、法制局の専門家の解釈を必要とするような法文は避けるべきであります。現行法も臓器摘出を前提としているのに、なぜあえて脳死した者の身体の定義に「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を挿入したのでありましょうか。当然、上述のような様々な誤解を払拭するために配慮されたものであると考えられます。
 四番目でありますが、法制局の解釈どおり、改正案は臓器摘出を前提とした脳死した者の身体の定義であるといたしますと、臓器摘出を前提としない場合の脳死した者の身体はどのように定義するのでしょうか。このような問題が残ります。かえって定義が複雑になると思われます。などなど、様々な疑問が残ります。
 そこで、現実的な解決策を考えていくべきであると思います。
 改正案は、臓器摘出、脳死判定に関して、年齢に関係なく、現行法の本人の臓器提供の意思に加えて、本人の意思を書面により示していない場合であっても、遺族は当該臓器の摘出を書面により承諾しているときとし、臓器提供の機会を増やす道を開きました。しかし、改正案は、臓器移植に関連して脳死判定や臓器移植の手続などについて定める法律であるからとの理由で、現行の脳死した者の身体の定義から「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」を削除し、「脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体」と定義したことは様々な議論を呼んでおります。
 移植術に使用されるための臓器を、死体(脳死した者の身体を含む。)から摘出することができるとの法文から、脳死した者の身体は死体の一つであるわけでありますから、当然その定義は明確にする必要があります。法制局による脳死した者の身体に関する法の解釈があるとはいえ、学会によっては脳死は人の死であると主張し、一般国民は改正案は脳死は人の死と定義していると読むなど、改正案の解釈が混乱しております。
 私は、脳死下における臓器提供事例に係る検証会議の委員もしておりますが、今日では現行法の下で臨床的脳死の判断の後、移植コーディネーターによる家族への説明と意思確認に始まり、法的脳死判定、そして臓器の受取患者の決定、臓器摘出、臓器搬送、臓器移植等の一連の行為に関する医学的適合性だけでなく、臓器提供を了承した遺族の思い、そして臓器移植により再び生きる喜びを与えられた患者に関して、検証会議で一例一例慎重に、詳細に検討が行われております。その検証結果から、臓器提供を受けた患者の心からの感謝と肉親の死の悲しみを乗り越え、臓器提供を了承した遺族の満足感が共通の思いであることが明確となっており、現行法の脳死した者の身体の定義の下で臓器提供、臓器移植は粛々と行われているという事実があります。
 このように臓器移植に関して、臓器移植を前提としたときに限って、脳死した者の身体を死体と定義するとしている現行法の脳死した者の身体の定義を踏襲することが、我が国における最も現実的な臓器移植法改正案であると考えられます。
 終わりに、日本医師会は、臓器移植の医療技術の進歩等を踏まえ、臓器移植により救われる人たちが適切に臓器移植を受けることができるような体制整備が必要と考えてきました。この度、衆議院を通過した臓器移植法改正案は、臓器摘出、脳死判定に関して、年齢に関係なく、現行法の本人の意思に加えて、遺族が当該臓器の摘出を書面により承諾しているときとし、小児の臓器を含め、臓器移植の機会を増やす方向性は明らかであります。しかし、脳死した者の身体の定義は、改正案のとおりである限り、日本医師会内でも議論が多いだけに国民のコンセンサスは得難いと思われます。
 日本医師会は、今後、脳死した者の身体の定義は、移植のための臓器を提供する場合に限ると記載した現行法の定義に戻し、現実的に対応することで小児の臓器移植の可能性の道を開くべきであると考えております。さらに、法案の運用の場面で、虐待を受ける児童が死亡した場合をどのように除外するかの方策は更なる検討を行い、必要な措置を講ずるべきであります。また、小児の脳死判定に関する診断基準についての検討は重要でありまして、早期に具体化すべきであると考えております。
 以上であります。
#7
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、有賀参考人にお願いいたします。有賀参考人。
#8
○参考人(有賀徹君) 昭和大学の有賀と申します。
 本日の意見を述べるに当たりまして用意しましたものは、このクリップで留めましたパワーポイントのものと二つの資料であります。元々、パワーポイントを使って画面を見ながら説明するということを想定していましたので、パワーポイントそのものにもページは打っていませんので、その次のページと言いながら話を進めたいと思います。
 私のお話は、救急医療と臓器移植というふうな大きな形で話をさせていただきます。前半は、救急医療における終末期医療と書いてありますが、臓器移植そのものについて日本救急医学会が直接的に、このようであれと、あのようであれというふうなことを今まで言ってきたことは少ししかございませんので、この臓器移植という局面を考えるに当たっては、患者さんがもう既にこれ以上治療をすることはできないだろうというふうないわゆる終末期医療に立ち至った中において臓器移植をどう考えていくかというふうな観点で前半をお話しさせていただきます。後半は、臓器移植というようなことが今も少ない数ではありますが、行われていますが、救急医療の場面から見て何がどのように大変なのかというふうな話についてお話をしようと思います。
 一枚めくってください。これは、日本医師会が二〇〇七年の九月に、終末期医療のガイドライン、いわゆるプロセスガイドラインという形で発表されたときの図でございます。日本救急医学会の言う終末期というのは、急性期に、急性期にというか、急な病気の発症又はけがに見舞われたときに、その患者さんが救命救急センターなどに運ばれると、そしてその後、脳死となると、こういうふうな状況を言うわけであります。様々な終末期がありますので、日本救急医学会が議論している終末期はこの部分、早速臨死状態になるという部分でありますし、今日のテーマでいけば、この場面で脳死となった症例から移植用の臓器を摘出する、そういうふうなテーマになるんだと思います。
 次のページを開けてください。これは、平成十八年、今から三年前に日本救急医学会の理事会見解ということで出したものであります。三つ大きくありまして、脳死は人の死であり、医学的事象であると述べてございます。その次に、脳死となればきちっと診断して御家族に説明する。その後の方針については本人の意思、家族の考えなどを考慮する。三番目に、移植医療は妥当な医療である。脳死下での臓器摘出はそのことのためには欠かせないというものであります。ただ、ここで、「脳死は人の死であり、」というこのフレーズについての考え方は、当時からも様々、救急医学会の会員、ありましたけれども、少なくとも生物学的な死を意味しているという意味においてはどの者も疑問の余地はないというようなことで現在に至っております。
 次を開けてください。これは、脳死を含めた終末期医療のあり方に関するガイドラインということで平成十九年の十一月に、このガイドラインの委員会の委員長は私でございますが、そしてそのガイドラインの詳細についてはホームページからプリントした資料が付いていますので、御興味のある方は見てください。これは、終末期にはどういうものがあるかという定義と、その後の御本人の意思などの確認、そして延命措置をどのような形で中止するのかというその方法について書いてございます。
 次のページを開けていただきますと、そのガイドラインのアンケートもした結果がありますので、それは資料の、クリップの留めた二つ目の資料であります。
 ちょっと一個戻っていただきまして、そのガイドラインの青いページを見ていただきますと、結局、この提言、ガイドラインは脳死下での臓器提供に触れてはおりません。ただし、もしあればそれなりには恐らくは可能であろうというふうなことであります。可能であろうというふうなところについて少し説明したいと思います。
 先ほどのアンケートがありまして、このアンケートは救急科専門医、つまり試験を通って救急医学会の専門医になった、救急医の専門医になった方たちを対象にして約二千七百人からの回答を得てございます。
 次のページめくっていただきますと、終末期の定義、実は四つあるんですが、そのうちの一つ、不可逆的な全脳機能不全についてどのようですかと、これはいわゆるスケールバーといいまして、十センチの長さの一等右が一〇〇%、一等左が〇%というようなことでチェックをしてもらうというふうな形で取ったアンケートであります。全く容認できないという者が二名おりましたが、大いに賛成という一〇〇%の者がこれだけたくさんございます。平均でいくと、下に書いてありますが。いずれにしても、脳死そのものを終末期として、ここから先は積極的な治療の対象ではないと、むしろ死をみとるというそのプロセスをどう考えるのかというふうなことに視座を移すというふうなことについては皆が賛成しているわけであります。
 その次のページめくってください。次は、延命措置を中止する方法であります。御家族の意思の確認等々はありますが、省略させてください。
 ここにありますように、一、人工呼吸器などを早速中止するというふうなところについては、右肩上がりではなくて、三番のところですね、大いに容認できるという一〇〇%ではなくて、ちょっと逡巡するところに山がございます。その次の、人工透析や血液浄化などを行わない、これは、積極的な治療についてはもうあきらめざるを得ないというようなことがありますので、大いに容認できるというようなところに山がございます。
 その次のページをめくっていただきますと、人工呼吸器の設定や昇圧剤の投与などを少しく低くしていく、そういうようなことについては中止する方法としては容認できると。最後に、水分や栄養の補給などを制限する、中止する、これも少し、何というか、気持ちの上で厳しいというふうな学会の会員、専門医が多いというふうなことがこれでお分かりだと思います。
 くだんの、その次のページ見てください。日本救急医学会の見解では、その昔に、その後の方針については本人の意思、家族の考えなどを考慮するというふうなことを言っていますし、延命措置を中止する方法、これは先ほどの再掲ですが、大いに容認できるというふうなことに関しては、必ずしもその部分に一〇〇%のチェックした者が多かったわけではないというようなことがあります。
 つまり、現状においても患者さんの状態を医学的に脳死状態、脳死であるというふうなことがあったとしても、私たち救急医学会の会員は早速、レスピレーターを切るというふうな選択は実はしていないということであります。
 このことに関して、次のページを開けてください。これは会田先生、これは人文科学系の先生が東京大学で学位論文をお取りになったときにお書きになった論文の図を拝借しました。これは、末期患者における人工呼吸器の中止について、救急医のパフォーマンスに関する質的な研究をされたというものでございます。
 真ん中にありますカラム、色付きのカラムの部分が時間の流れであります。この時間の流れの中で、家族の受容というのがありますが、その上の丸でありますように、病態生理学的に、つまり医学というか理屈というか、理の世界で、患者さんはこれ以上やることはもう意味がないだろうというようなことを理解して、なおかつ情としてのフューティリティーと書いてありますが、会田先生は、つまり理の世界と情の世界で、やはりこれはもうやめようねというふうなことを御家族も含めて理解したというふうなことがあればレスピレーターを切ろうというふうな話になるんでしょうが、必ずしもそうなっていない。つまるところは、情としての理解をいざなうことを私たちがしながら、最終的にはレスピレーターを切るなり、心臓が止まるのを待つなりというようなことをしていますというようなことを会田先生が観察して論文にされているわけですね。
 その背景には、その下にありますように、医師の裁量によって医療チームは全体として家族の受容をいざなうことを援助するわけではありますけれども、そのまたその背景には、現行の臓器移植法の脳死というのは、早速それそのものが人の死であると。さっき言った生物学的な死プラス法的な意味における死ということでもあるし、実はそうじゃないというふうな考え方もあって、これらの二つの基準、ダブルスタンダードを、現場においては、今言った御家族の受容と、もちろん自分たちも同じような気持ちを共有するという意味においては自分たちも含めて、考えながらやっておるというようなことを理解していただければなと思います。
 その次のページを開けていただきますと、青いページですが、日本救急医学会が出しております救急科専門医になるための、何というか、テキストブックの医療倫理の部分です。そこには、日常的に患者さんを診療する上での責務として幾つか書いてありますが、黄色で示すように、患者との協働というようなことが書いてあります。これが何を言っているかというと、患者又は御家族と我々医療者とは同じ目的に向かって協働しているんだと。つまり、患者は治ろうとしているし、私たちは治そうとしているんだというふうな、単純な言い方ですが、そういうふうな意味での価値を共有しているよというようなことがここに書いてあるわけであります。ですから、そういう意味で、患者又は御家族の意思を考慮しながら終末期医療を展開するというふうなことは、ここに書いてあることと同じことなのであります。
 実は、世界医師会、その次のページですが、二〇〇八年の十月のソウル宣言には、医師のプロフェッショナルオートノミーのことが書いてございます。これは、しばしば世界医師会はこのような宣言を出していますが、矢印で示しておりますように、職業的判断をきちっとやれと。それから、二番目の矢印にありますように、患者さんたちはかなりの範囲において自分が受ける医学的処置を決定する権利を有しているけれども、同時に医師が適切な医学的助言をきちっとすることも、自由に行うことも求めているということで、左側にありますように、つまりプロとしての自律、判断が大事であって、そこには患者との協働ということできちっと説明をして信頼を得ていくという、そういうプロセスが大事だというふうなことになります。
 その次のページ、下のところに救急隊の漫画が付いておりますが、ここから少し本音というか、何がどう難しいのかを現場のセンスで少し御説明申し上げます。
 これは、平成十八年度厚生労働科学研究ということで、脳死者の発生等に関する研究班からのアンケートであります。それを見ますと、これは日本救急医学会と日本脳神経外科学会が初めて合同して同じテーマでいろいろ仕事をしたという、そういう意味では業界内では比較的画期的な仕事でありますが、そこにありますように、3)に臓器提供につながらない理由として、主なものとして、御家族の申出がないとか、判定そのものをしないとか、院内体制が整備されていないとかあります。時間が掛かる、面倒な仕事になるだろうなどが正直に答えられてございます。人的・物的資源の不足、マニュアルの不足などがありますし、そもそも脳死下臓器提供は非日常的な業務で現場への負荷が少なくないというようなことがあります。ただし、一等最後にありますように、今現在、脳死下臓器提供の対象の施設になっていないような四類型以外の脳神経外科、救急科の施設は、条件が整えば七割の施設が協力できると言っております。人的、物的な資源が必要なんだというふうなこともありました。
 年に大体二千ほどの臓器提供に供される可能性のある脳死患者が出るだろう。しかし、日本全国ではそれが情報としては百ぐらいであります。結局、今までのデータからすると年に五ないし六件ということになりますから、十分の一掛ける十分の一という幾何級数的な減り方であります。これは一体何なんだろうというようなことになります。
 次のページを開けてください。
 先ほど、大変時間が掛かるという話が出ましたが、ちょっと古いデータで申し訳ないんですが、第一例から四十一例の平均所要時間は、いわゆる臨床的脳死とした@から、最後にやれやれすべてが終わった、といっても摘出手術が終了の時点ですが、実質的に二日間掛かってございます。脳死の判定と判定の間に六時間とかといろいろ言われていますが、その他もろもろのことがございますので、左にありますように、家族も医療者も皆くたくたになってしまいます。
 ちなみに、昭和大学で行われたときにもくたくたになりました。御家族は病理解剖を承諾されていたので、すべてが終わった後、病理解剖しようと思ったんですが、御家族はもう疲れたのですぐ帰りたいとおっしゃって、病理解剖はできませんでした。
 次のページ、丸がいっぱいありますが、これはお金の問題であります。
 そもそも、丸のまた上のように、救急医療をこの丸の質と量でやっていたと仮定しますと、そこに移植医療が入り込みます。そうすると、白抜きの真ん中で示すような形で救急医療を展開いたします。しかし、現実の救急医療は地域の救急医療を目いっぱいやっておるというのが実態でございますので、そういう意味ではこの白抜きが起こるということは論理的にはないと。もし白抜きが許されるとすれば僕たちは年に何回かみんなでまとめて一緒に職業旅行に行けると、こういう話になりますので、やっていませんので、そうは問屋が卸さないわけです。
 ですから、したがって、その部分については何らかの支援が必要だろうと。支援とは、人の支援でありますし、そういう意味では人を雇う金というふうなことになるかもしれません。いずれにしても、お金の原理原則についてはこういうふうなからくりです。
 現実どうなっているかといいますと、次のページを開けてください。
 これは厚生労働省からの説明の紙をそのままパワーポイントにしたものであります。平成十八年九月に下記のアからエに該当する、先ほど言いました四類型ですが、その施設は四百七十五なんだそうです。ただし、厚生労働省の照会に対して必要な体制を整えていますと回答した施設は実は三百十であります。実に三五%が脱落しております。既にこういう状態なんですね。右の下にありますように、最後までとにかく頑張ると、でも、その後は点々々というのが私たちの実態です。
 その次のページは、これは昭和大学の例でありますが、すぐに対策本部を設置します、あたかもクライシスマネジメントのようではありますが。
 いずれにしても、このような形で組織的な体制を組みます。脳死判定医については、私が主治医の場合にはAの脳外科と神経内科。もし脳外科の症例ならば神経内科と麻酔科の専門医が脳死判定医になると。判定後の患者さんについては、そこにありますように、麻酔科の先生にバトンタッチをいたします。ただ、二日間、丸々二日間に近い、脳死の判定までですとその半分だとしても、麻酔科の先生にお願いできても、御家族への対応は私たちがやっているというふうなことになります。
 最後のスライドですが、終末期医療における救急医の業務と組織的な病院医療の展開についてどう考えるかという話になります。
 @にありますように、治療の断念と説明、これは私たちの仕事です。そして、終末期医療に入るわけになりますが、脳死になったときの家族への移植の説明は一体どういうふうなことでするのか。これは、私たちはあくまでも脳死となった患者さんそのものに対して治療しているわけですので、その患者さんの身になったときにどのような理屈かというようなことになります。
 これは慶応大学の井田教授のお話を聞いたときにそうだと思ったんですが、脳死となれば、患者さん御自身は自分の体について知っていなくちゃいけないということがありますから、移植医療について知らねばならないと、これは患者さん御自身がということです。そうなったときに、患者さんにお話ししても分からないので御家族に代わりにお話しするというのが患者さんの、何というか、自己決定等を含めた、患者さんの身になったときの考え方であろうと。
 ただし、そうはいっても、Bにありますように、死をみとるというふうなことがございます。これは家族の心の安寧を、つまり、先ほどの言葉でいくと患者、家族との協働というようなことになるでしょうので、したがって移植の可能性についてはそういうふうな観点で行うべきなんでしょうか。@は当たり前です。@に加えてAも救急医としては全くそのとおりだと思います。したがって、こういうことがあるというようなことは説明するのは必要だと思います。ただ、そこから先やるべきだという話になるような話は多分難しいんじゃないかと思います。それは、心の安寧のために移植の可能性があって、その方がいいよと言うことはどうかというようなことであります。
 結局、AとBを行うことは主治医の私たちからすると結構難しいと。同じ目的だとはいっても、同じ線路の上にいるとはいっても、隣の線路、南の方に行く線路が二つあったとすると隣の線路に乗り換えにゃいかぬだろうと。そういうような意味で、組織的な病院医療の一環として、主治医の私たちではなくて、そういうような形でオプション提示をするというようなことが多分必要なんでしょう。
 それは、下にありますように、経済的な側面や病院の危機管理と言いましたが、組織論としてそのような形を取るべきですし、それはやはり国の全体としての方針を決めて、そしてその最後の方から二枚目ですが、理屈の世界で正しいこと、それから社会科学的な観点から見てやはり妥当なことをきちっとやって患者、家族の満足を、そしてそれは私たち医療者の職務満足でもあります。そういうような形でのきちっとした資源の投入をしていただければ、下にありますように、質の良い救急医療、移植医療、それをやるチーム医療がきちっと展開できるであろうというようなことになります。
 以上であります。終わります。
#9
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、大久保参考人にお願いいたします。大久保参考人。
#10
○参考人(大久保通方君) ありがとうございます。このような発言の機会をいただきまして、ありがとうございます。
 私は、特定非営利活動法人日本移植者協議会の理事長と、それから、それ以外に、移植に関連する患者団体十二万人で構成します臓器移植患者団体連絡会の代表幹事を務めさせていただいています。また、それ以外にも、日本臓器移植ネットワークの常任理事とか、それから、厚生労働省の公衆衛生審議会の臓器移植委員もさせていただいております。
 私自身は、今から二十五年前に妹から提供を受けました。腎臓を提供を受けて、腎臓移植を受けております。本日は、その移植を受けた当事者として、また移植医療に関連する患者団体の代表としてお話をさせていただきます。
 この度の臓器移植法の改正は、私たち患者にとりまして本当に悲願でございます。一九九二年に脳死臨調の答申が出されまして、いよいよ我が国で脳死下での移植医療が現実のものになるというふうに非常に我々は喜んだのでございますが、その後、当時の衆議院の各党協議会でいろいろ議論をされまして臓器移植法が一度衆議院に提出をされています。その案といいますのは、非常に今のA案に似通った形で、もしも本人の意思が不明な場合は御家族の同意で提供できるという案でございました。残念ながらその案は解散になって廃案となってしまって、非常に私たちは残念に思いました。
 そして、その後提出された案が今の現行法ですけれども、先ほどから少し脳死体についてのいろいろとお話がございますけれども、その上に付いたのは、衆議院では実は今のA案と同じ形でそういったものは付いてない形で提案をされまして、参議院で修正を受けまして今の現行法になりました。実際にこの現行法が今までずっと続いているということでございます。
 この現行法は、皆さんも本当に御存じのように、脳死下での提供には書面による意思表示が必須となっています。そのため、子供の移植もできませんし、大人についても極めてわずかな人しか救えないことは成立当初から十分分かっていたと思います。そのために、その条文の中に、三年をめどに見直すということが入れられました。そして、現状は、やはり予想されたとおり、子供に移植はできず、海外に頼り、大人の脳死下での臓器提供はやはり年間十例ほどしかありません。この数はアメリカの約五百分の一、お隣の韓国に比べても十分の一以下です。先進国では恐らく比べようのないほど最低の状況にあります。そして、その状況はこの十二年間ずっと放置されたままでありまして、これはもうやはり立法府の不作為と言うしかないというふうに思っております。
 脳死臨調では、おおむね脳死に対する国民の理解があるとされたにもかかわらず、また、脳死移植や脳死に関する理解が進んでいないとそのときは言われました。先ほどもお話しされた日弁連の方はそのときに強硬に言い張り、反対をされて、厳しい中から始めて徐々に理解が進んだ上で広げたらいいではないかという主張をされました。それから、でも十二年たって、いまだにまだコンセンサスがないとおっしゃいます。実は、二年前の衆議院での参考人質疑では、八〇%の人が賛成しても国民的なコンセンサスはないとおっしゃいました。八〇%の人がないというのはどういうことなのかなと私は非常に疑問に思いました。
 海外を見ても、どこの国でもやはり二〇%とか三〇%とか、そういう方たちが脳死は人の死でないんではないかと思われて、なおかつ臓器提供に反対をされている方もいらっしゃいます。それはいろんな問題があると思います。
 私は、一〇〇%の方が賛成するというほどやはり怖い社会はないと思います。今、日本では大体二五%から世論調査を見ると三〇%ぐらいの方が、この今の法の改正にも、それから臓器提供についても反対をされています。これは私は非常に正常な姿ではないかなというふうに思っております。
 移植医療にとって大事なことは、提供する権利、提供しない権利、移植を受ける権利、移植を受けない権利がひとしく尊重されなければなりません。提供することが善で提供しないことが悪であるとか、そんなこともまたその逆ですね、そんなことはありません。それぞれが選択することであって、善悪で判断することではありません。今回のA案はそれに十分配慮された法律だと私は思います。
 昨年の世論調査では、四三%が脳死下での臓器提供をしてもよいと考えていらっしゃいます。それも、実際には臓器提供が可能な年齢に限りますと五〇%を超えています。しかし、現行法で必須とされている臓器提供意思表示カードを常時携帯している人は二%にすぎません。それはだれもが自分が明日死ぬとは考えていないからです。諸外国でも、やはり日本よりはるかにドナーカードが普及している国であっても、提供のときにそれが示される割合は一〇%を満たない状態です。
 一九九一年にWHOは臓器移植にかかわる指針を出しました。臓器提供に際し、本人の意思が不明なときは家族の承諾によるとしました。これが世界の標準となりました。それに反しているのは我が国だけです。確かに日本は独自な文化があり、特別だから現行法でもよろしいという考え方も、考える方もいらっしゃると思います。しかし、日本だけの法律を違うのを作って、そのツケを海外に回し続けることは果たして許されるのでしょうか。
 実は、一九九〇年代にデンマークは自国で移植を行わずに他のヨーロッパ諸国に移植のために患者を送り続けました。そのため、他の国から受入れを拒否され、自国での移植を始めることになりました。我が国も移植難民とも言える渡航移植をもう二十年以上続けています。そして、イギリス、フランス、今年からはドイツからも拒否をされております。それ以外にもフィリピン、中国、インドに臓器売買と言われても仕方がないような渡航移植を続けています。もし今回このA案が成立しなければ、また恐らく次の立法まで数年、五年、いや十年掛かるかもしれません。その間に亡くなる患者さんが恐らく数万人に及ぶでしょう、もう既に数万人が死んでしまっているんですが。
 そして、日本での移植に絶望した患者さんが一体どうなるか。人間はやはり生きたいと思うと思います。更に道を求めて危険を冒すかもしれません。次は、パキスタンやアフガニスタンなど、今度は臓器売買どころではなく、人身売買にもつながりかねないような状況を引き起こす可能性も否定できません。
 今、我が国では心臓で四百人から五百人、肝臓で千五百人から二千人が毎年亡くなっています。腎臓は透析導入者が毎年三万人、死亡者が二万人で一万人ずつ増加して、既に二十八万人に達しています。この数はヨーロッパ全土と同じです。恐らくこのまま進みますと、五、六年でアメリカを抜いて世界一の透析患者の数になると思います。
 国会議員の先生方には当然いろんな死生観がおありでしょう、倫理観もおありでしょう。しかし、考えていただきたいのは、一体この状態をどこまで続けるかです。多くの自国民を死に追いやり、そして海外へ移植難民を送り続けるというのでしょうか。
 昨日、読売新聞に世論調査が掲載されました。それを見ますと、移植を必要とする子供が国内で手術を受けられるよう、十五歳未満でも提供を認めるべきだという意見に七四%が賛成しました。反対は一〇%でした。また、本人の意思が分からない場合は家族が承諾すれば提供を認めるべきだとの意見に六二%が賛成し、反対は一九%でした。これを見ても、国民はA案にイエスの意思表示をしていると思います。実際に移植する患者の九割は大人です。子供だけを救えばいいという問題ではありません。大人も子供も救わなければなりません。それにこたえ得るのはA案しかありません。
 一部の、先ほども出ていましたが、議員の方が危惧されているようですが、A案は脳死を一律に死とするものではありません。この法律は臓器移植に限ったものであり、家族が臓器提供を承諾したときのみ法的脳死判定は行われ、死亡宣告されます。すなわち、臓器提供以外の場面で脳死判定が行われることはなく、したがって脳死によって死亡宣告をされることはありません。
 今、国会に問われていることは、このままの状態を放置し続けるのか、それとも我が国で臓器移植を進め、海外に依存することなく自国で一人でも多くの自国民を救うということです。是非、A案を修正せず可決していただきたいと思います。
 なお、法律ができたからといってすぐに終わりというわけではありません。当然、脳死下での臓器提供はすぐ今の数倍になると思います、法改正ができればすぐに数倍になると思います。
 臓器移植において最も大切なのは、臓器を御提供してくださる御家族への対応です。このために、質の高い能力を持ったコーディネーターが必要です。今、日本臓器移植ネットワークには二十一人のコーディネーターしかいません。これで全国をカバーしているのです。これでは全く足りません。早急に増員する必要があります。これには予算措置も必要です。しかし、人件費や活動費だけの問題ではなく、これらの人たちがしっかりと教育する機関も必要です。こちらについても考えていただきたいと思います。
 そして、今後のことを考え、来年の診療報酬改定に向け、コーディネーター料の新設を今要求しています。これが実現しないと、臓器提供が増え続ければ増えるほど赤字が増大し、日本臓器移植ネットワークは二、三年で崩壊してしまいます。
 また、もちろん、御提供くださった御家族のフォローをする機関と人材の育成も必要となります。
 今回、法改正が国会で議論されることにより、国民の理解はかなり進んだと思います。しかし、今後もより広く国民に知らせ、訴え続けなければなりません。このためにも普及啓発に多くの予算が必要です。国会の先生方には、この法律を成立させるだけでなく、その後につきましても各関係省、特に厚生労働省に対し指導監督をお願いしたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
 最後になりますが、もう一度お願いいたします。子供も大人も、他国に頼ることなく我が国で救えるようにしていただきたい。そのためにA案を修正せず可決していただきたいと思います。
 ありがとうございました。
#11
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 なお、参考人の方々におかれましては、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次、挙手の上、委員長の指名を待って御発言願います。
#12
○森ゆうこ君 民主党の森ゆうこでございます。
 本日は、参考人の先生方には大変貴重なお話をありがとうございました。
 私の方は、まず本当に本人の意思表示がなくても臓器を提供していいのかどうか、そのことについて各先生のお考えをお聞きいたしたいと思います。
 特に、救急の現場で頑張っていらっしゃる有賀先生のお話を先ほど聞きますと、やはりお医者さんの方で家族の方にいろんな御説明をされるときには、先ほどお示しになりました一番、二番、三番、四番というステップの中で、本人の生前の臓器提供の意思がある、それが確認できていれば二、三と進むということについてはそんなにちゅうちょはないのかもしれませんが、やはり本人の意思がない、家族だけが承諾の意思を示す、そういうことになりますと、この部分が非常に現場では大変なのではないかなというふうに思います。
 いずれにいたしましても、本当に本人の意思表示がなくても臓器を摘出していいのか、提供していいのか、この点についてそれぞれの参考人の先生方の御意見を賜りたいと思います。
 そして、木下先生は、報道されておりますA案ダッシュ案、つまり六条二項を元に戻すというふうなお考えでいらっしゃる、それを進めていらっしゃるのかなというふうに思いましたけれども、私は、A案の提案者が、脳死は人の死である、一律に脳死は人の死であるというふうに、この間御発言をされてこられました。そして、その上でいろいろ批判があると、少しそのことが若干言葉が変わられて、いや、一律に人の死と言っているわけではない、一般に人の死と言っているのだ、あるいは昨日のあるシンポジウムにおきましては、そのことを言っているのではないというふうにだんだん修正されてきていて、本当にどう考えていらっしゃるのかよく分からない。
 私は、A案の方たちは、脳死は一律に人の死である、だから本人の承諾はなくてもいいのだ、だから子供からの臓器の提供も親の承諾でできる、こういう三段論法で来ているというふうに思っていたものですから、この間、A案の推進者の方々がそういうふうに発言の内容を変えておられる、あるいは今先ほど先生がおっしゃったことで六条二項を元に戻すという御発言がございますので、非常に実は理解に苦しんでおります。
 その辺について、先生の方から何かコメントがあればよろしくお願いいたしたいと思います。
#13
○委員長(辻泰弘君) 前者は全員の方に対してですね。それから、後者の方は木下参考人に対してということですね。
 じゃ、本人の意思確認なくして移植医療をすることの当否という意味ですね、まず第一問は。
 そのことについて、それではまず加藤参考人、お願いいたします。
#14
○参考人(加藤高志君) 提供しようとする意思は非常に崇高だと思います。しかし、だからこそそれがなければ臓器摘出は認められないというふうに考えます。
#15
○参考人(木下勝之君) 私は、やはり本人の意思がなくても、まあ意思をそんたくすると申しましょうか、そういったふうなことは、親の責任あるいは家族の責任としてあってもしかるべきだと思います。
#16
○参考人(有賀徹君) 一般的に言いまして、現状においても、例えば角膜移植や腎臓の提供については、御本人の意思が、まあなかったとしてもと言ってもいいんでしょうが、それを確認する直接的なカードがなかったとしても現に行われています。それは、私たちの現場で、もしそういうふうな御意思がおありだとすれば、今ここで私たちはそのことを説明します。で、この場面でこの段階で決めていただかないと恐らくだびに付してからでは無理でしょうと、こういうふうなお話をしますので、したがって腎臓の摘出などは、脳死下でのいろんなカニュレーションなどをして、そして心停止において摘出しているという実態がございますので、そういう意味では本人の意思とは無関係に移植医療は今も行われていると考えます。
#17
○参考人(大久保通方君) 私も、家族同意で提供していくということに対して、私はそれは当然だと思います。家族が、自分の今亡くなった方に対してどうするかということに対しての思いを一番持っていらっしゃるのは家族だし、実際に残されてその状態でどういうふうに感じるかもすべて家族に掛かってきます。ですから、私は家族同意で提供することに対して問題はないというふうに思っています。
#18
○委員長(辻泰弘君) 後半の質問について、木下参考人、先ほど六条二項のことでの御発言をいただいているわけですが、重ねての御質問があったんですが、御発言をいただいてよろしいですか。
#19
○参考人(木下勝之君) 私も、脳死は人の死であるというふうなことは、有賀参考人がお話しになりましたように、生物学的に、あるいは病理学的に、医師の立場からすればそれは、脳死は人の死であるということは言えると思います。
 しかしながら、この法律というのは臓器移植のためでありまして、そういう本源的な、つまり人というのは生物学的な視点だけで見れない部分がございまして、心があり精神があるというふうなこと、家族の思いでありますとかというふうなときに、特に臓器提供という場面におきますこのような脳死の問題とするならば、それをあえて脳死は人の死であるというふうなことにしますと、ただいまいろんな御議論があったようなことになっていくという視点から、これはどんなに内閣法制局が、この案文、そのそこの部分を取った、現行法の部分から削除したとしても、やはり現実的には問題となってきて、法的な場面になったら内閣法制局の方が出てきて、これは全く、そういう脳死は人の死だというふうなこと、あくまでも臓器提供を前提にした話なんだというふうなことになるかもしれませんけれども、一般的な国民のレベルでは非常に大きな議論を呼ぶであろうというふうな視点から、やはりそのような問題に関しまして、私たち現場サイドの医師としての立場だけではなくて、全体、人としての問題を考えたときには、やはりこれだけ大きな問題になることに関して、やはりこれはあることは問題ではないかなと考えておりまして、しかも現行では、ただいま臓器提供だけに限ったものであるとしたところで問題なく動いている限りにおいては、目的とするところは臓器提供がスムーズにいくというふうなことからするならば、この条文があったとしても何ら問題ないんではないかという視点で発言いたしました。
#20
○委員長(辻泰弘君) 森委員、よろしいですか。よろしいですね。
#21
○森ゆうこ君 いいんですか。更問してもいいんですけれども、でも、ほかの先生方のもあるので、また後で時間があったら。
#22
○衛藤晟一君 各参考人にもう一回改めて、弁護士の加藤先生を始め木下先生からもずっとお話ございましたけれども、やっぱり法律家から見たA案のこの六条について、私はやっぱり、まあ今の法律でいえば、臓器移植を前提としているがゆえにという形で脳死イコール人の死と認定してもいいんだというような形でちょうど内閣法制局長官が言ったという話がありますけれども、これについて改めて私はお二人の有賀先生、大久保先生にそのことをお聞かせをいただきたいという具合に思うんですね、見解を。一、法律においては、解釈上は脳死イコール人の死ということを前提としているわけではないと、臓器移植のときのみだといいながら、しかしある意味では、先ほどお話がありましたように、脳死イコール人の死だからずっと後の移植が成り立つんだと、家族の同意だとかそれで成り立つんだということでずっと流れてきているものという具合にほとんどの方は理解しているわけですね。だから、そこのところのギャップについてどういう具合に考えられるのかということについて一点質問させていただきたいと思うんですね。
 それから、有賀先生と大久保先生に、特に大久保さんは、お互いに臓器提供する方も受ける方も、何という表現をされましたかね、善でもない、悪でもないんだという話をされましたけれども、私は実はそういう気持ちだけでは臓器移植というのは成り立たないんではないのかという具合に思っているんですね。例えば、木下先生が十四ページに書いておられますように、その検証結果から、臓器提供を受けた患者の心からの感謝と肉親の死の悲しみを乗り越え、臓器提供を了承した遺族の満足度、それはやっぱり、そういう状況であっても、そのまま死体として、まあ日本の場合ですとほとんど火葬されるわけでしょうけれども、火葬されるよりも、そのことで相手の患者さんの命を生かすことができたんだという、恐らくこの遺族の満足度というのはそういうことを言われているんじゃないかと思うんですけれども、そういうものが成り立たなければ、善悪とか正義では、まあ正義ではないかもしれませんけれども、少なくともそういう気持ちがこの中に成り立たなければ、私は実は臓器提供というのは成り立たないシステムじゃないかというように思っているんですね。それについてどう考えられておられるのか、大久保先生か有賀先生にまたお聞きさせていただきたいと思います。
 以上です。
#23
○委員長(辻泰弘君) 済みません、後者は大久保参考人についてですか。
#24
○衛藤晟一君 そうですね。あと有賀参考人にですね、その二つについて。
#25
○委員長(辻泰弘君) 両方ですね。
#26
○衛藤晟一君 はい。
#27
○委員長(辻泰弘君) それじゃ、最初に六条二項の削除の評価、効果、そのことについてが一点。もう一つが、今の、善悪ではなくてということをおっしゃったわけですが、その点については、じゃ有賀参考人からお願いいたします。
#28
○参考人(有賀徹君) 前者についてのことについては私はよく分かりません。少なくとも、脳死が人の死であるので御家族の承諾によってオーケーであると、そういうふうに漠然と私も理解していたんですけれども、法的にはそのようなことに関してのことを言及していないというふうに後から勉強した次第なので、ああ、法はそういうものなのかなという程度の理解でしかありません。
 後半についてのこととも少し関係ありますけれども、脳死は人の死であるかどうかということについて、人の死であるというふうなことを、最初からと言ったらおかしいでしょうか、患者さんがもう亡くなると、治療はもうここでどうにもならないという、そういう意味でのクライマックスを経たその後に、脳死は人の死であるというふうに早速御理解している御家族は、場合によってはこの御家族の理解で摘出するというふうなことについておっしゃるんでしょう。
 ちょっと言葉は悪いんですけれども、脳死状態は死んだも同然であるというふうな言い方もあるんですね。死んだも同然というのは、法的には死んでいないけれども、生物学的には死んだというふうな意味合いを込めて死んだも同然であるというふうなことを言ったことがあるんですが、そういう意味では、長らく、しばらくしてからにようやく脳死はやはり死なんだなというふうに理解する家族もいますし、個人的には、三週間ぐらいたってようやくお母様が自分の息子について、もうこれで私はよく理解できましたと言った方もいます。
 ですから、今言ったその理解ということに関して言いますと、早速理解する御家族と、そしてえらく長くたってようやく理解する御家族と、そして最後まで多分理解できない御家族がいて、それらの中で私たちは診療をしていますので、そういう意味では、御家族でオーケーであるというふうなことの理論的背景が脳死は人の死であるというふうなことについては、確かにそうだとは思いますけれども、現場においては今言ったファジーな部分を十分考えながらやっているというふうなことを理解してください。
#29
○参考人(大久保通方君) まず、今のA案と、それから先ほどお話が出ています現行法との違いなんですけれども、私は、A案は脳死は人の死と、というのを理念としてしっかり持っている部分だと思います。まず、理念として脳死は人の死であるということがあることが非常に大事だと思います。それが実際に法律的に適用されるのは臓器提供の場面だけでしかありませんけれども、理念として脳死は人の死であるかどうかということがあるかないかというのは、非常に提供の現場においても大きいというふうに私たちは思っています。
 なぜかといいますと、御家族が提供を承諾されるときに、基本的に脳死は人の死だということがある程度お分かりいただかない限りは恐らく御提供いただけないと思っていますので、そういう意味での理念が非常に必要です。今の現行法においても一番大きな問題になりますのは、御家族は、提供に至るときには当然カードもあるんですけれども、そのカードもあっても実際は死じゃないんですよと、脳死は人の死じゃありません、でも、取りあえずカードがあって、御家族が同意したときに死にしますということの状況で提供された方が非常にやはり悩んでいる方がいらっしゃいます。自分がそれを決定してしまったんで、死自体を自分が決定してしまったんではないかというふうに考えている御家族が何人かいらっしゃいます。
 そういう意味でも、やはり基本的理念として脳死は人の死であるということがこのA案で、要するに、今の現行法から変えてあの部分を削除することが非常に私は、今後の提供の現場において御家族に対する負担が少なくなるというふうに私は考えています。ですから、是非今のA案のままで採決をしていただきたい、採択をしていただきたいと思います。
 それからもう一つ、先ほどお話がありました提供のことなんですけれども、私は、提供することで、もちろん私が移植を受けていますので、我々は本当にドナーファミリーに対する感謝をしていますし、そのための本当に活動もやっています。私たち、本当にドナー家族の方たちともう何度もいろんな形で交流をし、我々のスポーツ大会に来ていただいたり、いろんなところの慰霊祭もしたり、それから「生命・きずなの日」といいまして、ドナー家族と私たちが本当に一体となって一人ずつドナーの方に思いをはせるという、そういった催しもしていまして、とてもそういう意味では、ドナー家族に対して、それから我々移植者がどんなにやはり感謝の思いを抱いているかということはお伝えしたいと思っていますし、それがこの移植医療の実は基本だというふうに思っています。それから、そのために私はドナーファミリーに対するフォローをしっかりしていただきたいといって、それも提案をさせていただきました。
 ただ、社会として、今は反対に臓器提供をしたことによって非難をされて、何てことをするんだ、おまえは遺体を切り刻んでというふうに言われて批判をされることもあります。そういったことも僕はないような社会にしたいと思いますけれども、基本的に、社会の人たちがこれを善悪で判断をして、これは提供したからこの人はすごい、いや、提供しなかったあいつは悪いんだというような形で非難をされることはなくて、それは一人ずつが、皆さんが、御家族が、御本人が判断をされて提供されたことだと。そのことの意思を皆さんで尊重しましょう、提供しなかったことについても意思を尊重しましょうという、そういった社会をつくっていただきたいというふうに思っています。
 以上です。
#30
○山本博司君 公明党の山本博司でございます。
 四人の参考人の皆さん、本当に貴重な御意見、ありがとうございました。
 私の方で、今の議論になりました部分の、脳死が人の死という部分に関して有賀参考人と木下参考人にお聞きしたいと思いますけれども、今回、参議院での修正で、今までは第二条があったわけでございますけれども、A案で基本的に法律の上で脳死が人の死ということが保障されることになったということで、懸念されることが、治療の現場で治療がストップされるんじゃないかとか、また人工呼吸器が外されるんではないかとか、そういう懸念が、先ほどのお医者さんのアンケートございましたけれども、これがもしこのA案、若しくは二条を外す外さないという問題が、治療の現場で、お医者さんの中でやはりそういったことが懸念があるのではないかという、そういうことが言われておりますけれども、このことに関してお二人から御見解をお聞きしたいと思いますけれども。
#31
○委員長(辻泰弘君) お二人といいますのは。
#32
○山本博司君 木下参考人と有賀さん。医療の現場で携わっている方ということでお聞きしたいと思います。
#33
○委員長(辻泰弘君) 今おっしゃったのは、二条というのは六条二項のことですね。
#34
○山本博司君 はい。
#35
○委員長(辻泰弘君) それじゃ、木下参考人、お願いします。
#36
○参考人(木下勝之君) 現場で脳死判定する、しないという現場には実は私、おりませんので、なかなかそこまでは読み切れませんけれども、一般論から言うならば、現場で臓器提供をというふうなことを前提としたときには、この問題、今、法解釈の上でその条項がなくても、これは臓器提供の上でというふうなことなんだということになる限り、あろうとなかろうと実は関係ないはずなんでありますが、実はそういう問題とは別個に、脳死は人の死だというふうなことのいろんな問題が起こっているというふうなことに関して、現場サイドで余り問題はないとしても社会が納得するかなという問題であるがゆえに、それをクリアするには今までどおりの方がいいのではないかという視点でございます。
 したがって、ただもう一つ、現場サイドというならば、先ほどの、法解釈としてはあくまでも臓器提供を前提としているというふうなことになっておりますが、実はそうじゃなくて、やっぱり脳死は人の死だというふうなことの方が、そのような患者さんを診ておられる方たちからすれば、脳死は人の死だと明確にしてしまった方が混乱がないという事実もありますので、ただ、それはあくまでもそうでなくても対応できるはずでありますので、むしろ全体像を考えるときに、そういったふうな解釈というふうなことだけでこの条文を取るということは問題だろうなというふうに考えております。
#37
○参考人(有賀徹君) 多少繰り返しになりますけれども、もし法律そのものが脳死は人の死であるというふうなことを決めたと仮定します。そのときには、では、脳死になった治療のプロセスはなくなるわけですから、例えば人工呼吸器は切らねばならないとか、早速、霊安室に運ばねばならないと、こういう話になるわけです。ですけれども、現実の私たちの景色というのは、治療をしている私たちは、医学的に、かつ生物学的に、さっき言いましたけれども、もう死んでしまったんだというふうな感性を持ちます。しかし、御家族がまだそうはいってもという部分を実は理解しておるんですね。
 ですから、そういう意味では、脳死という診断をして、そしてその後、こういうわけなんで、私たちが今まで頑張ってきた、脳を蘇生させようと思ってやってきた手術その他は残念だったなというふうな話を申し上げて理解していただくと。さっきお話ししたように、サイエンティフィックな理解と、その後の気持ちの上での肉親の死を理解することとは多少ギャップがあると。ですから、そういう意味においては、脳死は人の死であるけれども人の死でないという、そのファジーな部分を私たちが現場でそれをやっているということなんです。
 ですから、この法律が脳死は人の死であるというふうなことになりますと、死体そのものについてどういうふうにするのか、死んでいる人に対して無理やり人工呼吸器を付け続けるという話にはなりませんので、早速、医療費は出ませんよという、そういう話にもなりかねませんので、私たちの現場から見れば、臓器提供の場面に限って云々かんぬんという法律であるというようなことの方がむしろ、ちょっと妙な言い方ですが、多少安心すると、こういう話であります。
 以上です。
#38
○山本博司君 ありがとうございました。
#39
○小池晃君 有賀参考人にお聞きをしたいと思うんですけれども、脳死下の臓器移植がなかなか増えないという実態は、これは解決をしなきゃいけないと思うんですね。先ほどのお話の中で、いわゆる四類型の施設の中でも三五%が体制不備でできていない。厚労省自体が脱落させていると。それから、四類型以外の病院でも条件が整えば七割協力できるという話があって、ある意味じゃ、制度の見直し以前に、体制のやっぱり条件整備ということをやることによってかなり提供数は増える可能性があるというふうにお聞きをしている。
 そういう意味でいうと、どういう支援が必要なのかということと、有賀参考人から見て、そういう条件整備、体制整備をすることで、そんな正確な数字は出ないと思いますけれども、どのくらいの提供が可能になっていくというふうにお考えになっているか。さっきちょっと数字ちらっとお話あったんですけれども、百ぐらいの情報が年間あるというような、その辺の何か見立てというか、そういう体制整備、条件整備することによってどのくらい増えるというふうにお考えか、お聞かせいただきたい。
#40
○参考人(有賀徹君) まず、前者のことから申し上げます。
 前者の、先ほど言ったその三五%が既に脱落しているというのは、実は私自身は正確な数は知らなかったんですが、厚生労働省から出た文面を見てやっぱりそうだなというのが実感であります。
 私自身は今は大学病院にいますが、その前にいた病院もこの四類型には実は入っていますので、何と言ったらいいんでしょうかね、基本的に患者さんが亡くなったという、そういうふうなプロセスのところまでは僕らはとにかく頑張っていますので、その部分でもやはり当直の問題だとかいっぱいありますから、もっともっと良くしてほしいという言い方はいっぱいできますけれども、ちょっとそれはこっちに置いておいて、臓器提供のことだけに関して言いますと、脳死になった患者さんのその治療の、治療というか、移植用の臓器を摘出するまでの間は患者さんの管理をするわけです。その管理をして、そしてその後、手術場にというふうなことがありますので、そういう意味では、それらを救急医療とは別個の体系で進行させるような、そういうふうなことを少なくともしていかないとこれは無理だろうというのがまず一つ。
 それからもう一つ。御家族の、今でも腎臓提供などは御家族の申出によってできることにはなりますけれども、そのときに御家族がそういうふうなことに関して思いを巡らすような、そういうふうな環境というのは、実は救急医又は救急センターにいるナースだけでは私は恐らく無理だと思います。
 それは、移植のために私たちは治療しているわけではなくて、患者さんを救おうと思って治療してきましたから、ですから、そういうふうな治療のプロセスがあって、その後のみとりというふうなときになったときに、少しくその手のことを考えなきゃいかぬなということは知ってはいるんです。ですから、さっきお話ししたみたいに、患者さん御自身のために、つまり、その患者さんがもしがんになったとすると、その患者さんにとってはがんについてはやっぱり知っていなきゃいけないと思うんですね、セカンドオピニオンその他ありますから。だから、脳死になった患者さんについては、その臓器が場合によっては使われ得るというようなことについてはその患者さんは知っていなきゃいかぬだろうというふうな話でいけば、少なくともそういうふうなことについて患者さんに知らせる義務はあるんだろうと思うんです。
 ただ、その知らせるというふうなことがありますよというのがたかだか、せいぜいで、今御質問があったように、移植用の臓器を増やしていくというふうなことになると、御家族が多少そういうふうなことについて、やはりその方がいいんだなというふうに思うような、そういうようなプロセスをつくっていかなくちゃいけないと思うんですね。それは、私たちからすると、どれぐらいの人的資源を投入するかというようなことについては実はよく分かりません。
 ですから、御質問に対して、こういうふうなことと、こういうふうなことが必要であるというふうなことを整理して申し上げましたけれども、最終的にその先どのぐらいになるかというと、私はよく分かりませんけれども、恐らく、提供の情報そのものは年間百件ぐらい来ているということからいきますと、その半分ぐらいが、今言ったような患者さんの管理についてのパワーアップができたり、御家族がきちっとそれを理解して、つまり移植に関する理解をした上で、場合によっては心の安寧のためにそれをやるにしてもどういうふうにしても、そういうふうなことがあったとすれば、大体、恐らく百あるとすればその半分ぐらいはいけるかもしれません。そうすると、年間五ないし六というのが年間五十とか、そういうふうなことになるんでしょうか。そこのところは、私、ふだんからまじめに考えているわけではないので、申し訳ありませんが、ちゃんとしたことは言えません。ただ、そのくらいかなという感じがします。半分の半分としても二十五。
 以上です。
#41
○福島みずほ君 まず初めに、加藤参考人にお聞きをいたします。
 本人以外の人間が決定的な命の放棄ができるのかというのは私自身も思っていまして、特に今度のA案は、本人の意思がない場合、確認できない場合も遺族が書面により承諾すればオーケーとなるわけですね。以前も遺族という言葉は法律にあるわけですが、それも本人の意思があって、それで遺族ならまだいいんですが、本人の意思が確認できなくて、今度のA案のように遺族が書面により承諾する。でも、遺族、家族という概念は法律用語ではないので、一体だれが承諾すればいいのか。家族や遺族の中で意見が対立することもあれば、たまたま病院に駆け付けられなかった子供が絶対もっとお母さんを生かしてほしかったということだってあるかもしれない。要するに、本人の意思が、本人が何の意思表示もしていないときに、それは代わりの人間が担えるのか。特に子供に関して、じゃ親は言えるのかというふうに思っているんですね。虐待も残念ながら世の中にはありますし、どうかという点についてお聞きをします。
 そして、木下参考人に、いろんな方から話を聞いたりメールをもらったり、いろんな話を聞きます。例えば、これは障害者、私は今重度障害、知的障害者の友人と暮らしていると。彼女はしゃべらず、動かないと一般的には言われているけれども、彼女なりに社会参加をしている。彼女も幼いころには脳死状態と医者に言われたそうだということなんですね。ですから、みんなが脳死イコール死というふうになると、やっぱり障害者の皆さんは非常に不安がある。
 それから、遺族のある女性に話を聞いたところ、夫がどうも死ぬ前に十分治療を受けたかという疑問を持っていらっしゃる方がいて、治療に専念する医療行為過程と移植成績を上げるための臓器管理とは相入れない医療行為経過があるんじゃないかと。この方は、夫は移植をしていないんですけれども、脳死に至るまでちゃんと治療してもらえるのかみたいな、ではなかったんじゃないかという方からも、お会いしたりしているんですね。
 ですから、先ほど脳死は死だと一般的にすることについての社会的なことということをちょっとおっしゃったので、そういうことについての意見をお聞かせください。二点です。
#42
○委員長(辻泰弘君) では、まず加藤参考人からお願いいたします。
#43
○参考人(加藤高志君) 家族の承諾をどういうふうに理解するのかという問題なんですが、その場その場で説明がいろんな方ちょっと違うのですが、私が理解しているのは、二つの考え方というか、二つの説明のされ方をしていると。
 一つは、今までの自己決定権の中身と一緒なんですよと。要は、本人の意思をそんたく、推察して、一番身近な家族が決断するのだから、それは自己決定が保障されているという言い方です。
 ただ、私は、家族とはいっても、いろんな家族がおられて、すべてそんたくできるとは限らないし、ましてや、その死が社会的合意がなくて、その人にとって死ではないと考えられていたとしたら、他人が死を決断することになるのですから、自己決定という理屈では難しいというふうに思っています。
 そうすると、承諾というのは、そもそも脳死で死んでいたのだと、もう死んでいるのだと、だから臓器の摘出であるとか、あるいはその前の法的判定は家族でもできるのだと、そういう理屈だと思うんですね。その意味では、A案というのは脳死は死なんだということを強く理念として持っているものだと思います。
 それと、家族の範囲ですが、これも正直言って、今の法律でもそうですし、はっきりはしていないと思います。非常に混乱を生じさせると。ただ、今までは本人が自分はどうしようかということをずっと考えてこられて、自分は脳死になったら臓器を摘出しようというふうに考えられて決断したと、そういう前提があるわけです。その中で家族がそのドナーカードを見て自分も承諾すると。基本的には、御本人のドナーカードがあるときに家族が拒否をするということがどれぐらいあるのか私は分かりませんけれども、やはり本人の意思表示が尊重されるであろうと。ただ、これがA案になると、本人の意思表示がないという中で家族が考えないといけない。
 更に言えば、先ほど申し上げたように、相続の問題などでは家族の中で家族自身の個人の利害が直接絡んでくる場合もあると。このときに、法律が家族の承諾という定義をはっきりしないままに、今申し上げたように、今まで以上に対立するような可能性がある場合に、そこをはっきりしないままにA案として成立させるのは危険ではないかと。諸外国、私は分かりませんけれども、一人でも反対すれば駄目だというふうに書かれている国もあるそうですし、そういうことがはっきり書かれていない国もある。その辺りについてはきちんと議論をしないといけないと思います。
 ましてや、虐待については、私もこれは専門ではございませんが、児童虐待、そういう虐待行為によって脳死になったかどうかということを一週間、二週間で判定するということは極めて難しいと小児科のドクターの方はおっしゃっておられました。その意味で、それは十分な期間を置かないといけないと。他方で、しかし脳死と判断された場合に長期間置いて虐待かどうか見極めるというふうにシステム、制度がなっているのかといえば、そういった部分の基盤整備はされていないというふうに思います。
 もう一度だけ、ちょっと福島議員の質問から若干超えるのかもしれませんが、今回の脳死が人の死かどうかということは臓器提供の場面だけだと、一律に人の死は言っていないというふうな説明がされる場合がありますが、他方で、脳死になったら拒否のカードを本人さんが持っていない限り一律に問題となるわけです。実際、抽象的ではなくて、脳死になられたらその場では一律に問題になって、しかもこのA案が脳死が死であるという理念を持っているとなれば、お医者様は今以上に、脳死は人の死なんですよと、あるいは、まだ法的脳死判定はしていないけれども、臨床的脳死診断で間違いないから死んだも同然なんですというふうに言って家族に決断を迫ると。それがいいのかどうかということは、私は非常に疑問に思っています。
 以上です。
#44
○参考人(木下勝之君) 福島議員の御質問でございますが、まず、脳死は人の死であると一般化したときにどういうことが起こるかと申しますと、この臓器移植の考え方というのは、移植術に使用されるための臓器を死体から摘出することはできると、死体からですね。死体として、(脳死した者の身体を含む。)ということは、脳死した者の身体というのは死体の一つなのであります。
 ということは、脳死した者が、もしもそれが臓器移植に限定しないとするならば、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定されたもの、これは脳死した者の身体、つまり脳の機能がすべてなくなったものと、停止したものは死体だというふうなことにもなるわけでありまして、それは、実際に現場でと申しますか、御家族が、お子様であれ家族であれ、ずっと看病し、みとっておられる状況において、これは死体だというふうなことになるというのは、これはちょっと行き過ぎではないかなと思います。
 その意味で、脳死は人の死であるというふうに一般化するということに対しては様々な問題が起こるということから、是非、これはやはり現状としては臓器移植を、臓器を提供するというふうなことを前提にした上で脳死というふうなこととするべきではないかと考えております。
 そして、御指摘のような様々な患者さんがおられまして、本当に治療を十分尽くしたのかというふうな思いを持った御家族があるとするならば、その方々、仮にそれが脳死という状況になったとしても、それに対して臓器提供云々という話は、とても話を持ち出すような状況ではないだろうと思いますし、というふうなことの配慮というのは、さすがにその現場で、医師であれ、また小児科、産科等が関係してくる場合もあるかもしれませんが、担当している医師の良識といたしまして、少なくとも移植を進めるために我々が脳死というふうな判断をするというふうなことはあり得ないだろうと考えておりますので、まあ、そういう御心配はあると思いますが、現状としてはそれは考えておりません。
 ただ、そういった問題が起こってくるというふうなことは現場としてあり得る話でありますので、我々としても、仮に法律が通ったとしても非常に注意深く対応するべきであると考えております。
#45
○谷岡郁子君 ありがとうございます。参考人の方々を始め、本当に私は、この法案の審議に参加する機会を得たことはとても自分にとって大切な体験だというふうに今感じております。
 当初は、人間の生き死にについてなぜ国会議員がそこまで委任されてしまわなければならないんだろうということを非常に不条理だとも感じました。また、実際に私の支持者からも、あなたのことは信用しているけれども、生死までゆだねてないというふうに言われたことがありまして、そうなんだろうなということを思ってしまった場面もありました。
 ただ、一方で、この審議を通じて、衆院も含めて、またこの間の様々な議論も含めて、本当に多くの問題点がむしろ浮かび上がってきた。それは、今までレシピエントになる人を何とか助けようという思いから、ドナーはどうなんだ、ドナーの家族はどうなんだと。例えば、交通事故で急死した若者の場合に、例えばその状況に立ち会った親というのは果たして頭が真っ白な状態でちゃんとした判断ができるんだろうかと。今ならドナーカードがあるという、本人の意思を大切にということがあるけれども、実は家族にそれをゆだねられてしまった場合に、家族はそんなことが冷静に判断できる状態であろうか、実は一体そういうことを後悔しないでいられるものだろうかとか、いろんな問題で、ドナー側の問題というのは実は非常に我々の視点からおろそかになってきたということ、こういうことが浮かび上がってきたと思いますし。
 また、今、救急治療の問題ですね。先ほど大久保参考人が、この問題を放置したこと、救える命を救わない形で放置してきたことは国会の不作為で、立法府の不作為であるとおっしゃったんですけれども、私は、むしろ立法府の不作為として、救急現場において、これほど過密なスケジュールにおいて、これほど皆さんが過労になりながら大変な思いをして、しかるべき資源が与えられない中で救える命も救えないでいると。多くの多分、脳死がもっと我々がそこに目を向けていれば救われるであろうということに対してある種の立法府の不作為と言えるものが存在していたり、また、自殺者というものが年間三万人であるという状況、これも、先ほど大久保先生は世界で恥ずかしい移植の状況があるというふうにおっしゃったんですけれども、世界で恥ずかしい自殺の状況があって、それが年間三万人にも及ぶ。二十代、三十代の若者に至ってはこれが死亡の一位であるというような状況。こういうものに対しても、例えば救急の現場がもっと本当に潤沢な資源を様々な形で体制として与えられていればそれが救えるかもしれないということについて我々の不作為があるのかもしれない。
 つまり、生死……
#46
○委員長(辻泰弘君) 谷岡君、御発言中恐縮ですけれども、時間が限られておりますので、要点を絞って、どなたに御質問されるかおっしゃってください。
#47
○谷岡郁子君 はい、分かりました。
 じゃ、有賀参考人と大久保参考人に一問ずつ。
 そういう意味では、救急の現場で脳死に至らずにもっと救えるものというものはどんな体制があればでき得るのか、どの程度でき得るのかということをお聞きしたいと思います。
 そして、大久保参考人にも一問お聞きしたいというふうに思います。先ほどの自分の意思が確認できない場合の自己決定権というものが、それが後に分かってしまった場合にはどのようにお考えになるのかという、先ほどの加藤参考人の御意見に対してどういうふうにお考えになるのかということです。
 そして、もう一点、大久保参考人にお聞きしたいのは、今の現状の救急現場の状況の中で、果たしてこういう形で改正が行われても、多くの言わば移植というものの格段の増加というものに見込めるとお考えになっておりますかという質問でございます。
 済みません。
#48
○参考人(有賀徹君) 救急医療体制のことに言及されましたので、それを含めてお答えしたいと思います。
 まず最初に、救命救急センター又は脳神経外科の施設そのものに入って治療が行われている患者さんたち、この患者さんたちに関しては基本的に、何というのかな、人手がないから手を抜くとか、要はこういうふうにしておけば脳死にならなかったのに、経済的又は背景の、何だろうな、やっぱり病院のいろんな問題によってそういうふうなことになっちゃったというふうな、それほど寂しい状況にはございません。ですから、救命救急センターで入院、治療されていたり、脳神経外科の先生方が自分の手のひらの上で頑張っている患者さんに関しては取りあえずオーケーです。
 ところが、私たちの東京ではもうそれが起こりつつあるんですけれども、救命救急センターが満杯になってしまって、これ以上患者さんが取れないという状況があります。それは、ある日あるときそうだというようなことも以前からもありましたけれども、最近は少しそれが、何というのかな、常態化してきていると。
 だから、何を言っているかというと、大体百台の救急車が走ったとしますと、東京ではそのうち三台ぐらいが救命救急センターに運ばれます。だけど、今は四台目もやはり救命救急センターに運んだ方がいいだろうというふうな形になっています。それは、疾病構造の変化とかいろいろありますが、いずれにしても、三台が四台になったということは救命救急センター側から言わせると大体三割増しなんですね。それだけのプレッシャーが今掛かっているというようなことになりますので、そういう意味では、運ばれ損なった患者さんの中に、先生が今おっしゃったような、つらい状況を後からさかのぼって検証したらそうだったというふうなものが入っている可能性があります。
 ですから、今現在、救命救急センターに掛かっているストレスを解消するという意味においては、東京では少なくとも三割増しの施設の物的・人的資源を投入していただければいいというふうな形だと思います。
#49
○参考人(大久保通方君) それでは先に、二つ御質問がありましたので、今救急のお話が出たので、救急の話からさせていただきたいと思います。
 臓器提供というのは、本当に医師と御家族との信頼関係があって初めてなるものです。その意味では、本当にきちっとした救急医療がされない限りは恐らく臓器提供は増えないと思います。我々は、以前から、我々患者団体として救急医療の実情をずっと厚生労働省に訴え続けています。恐らく、これ子供の問題、特に小児の救急も本当にしっかりとした救急体制を取らない限りなかなか小児からの臓器提供は出てこないと思いますから、非常に大事だと思っていて、是非先生方も、救急でまず人の命を救うというところに是非人的資源とお金を投下していただきたいというふうに思っています。それは私も痛感をしていますので、是非お願いをしたいと思います。
 もう一つ、先ほど、最初にお話ありました、では本人の意思が後から、要するに拒否の意思が分かったらどうするのかというお話ですよね。
 今、もちろん臓器提供についての意思表示ということで、これからこの法律が変わったら本当にもっともっと意思表示をきちっとしていただくということのキャンペーンをやらないかぬし、当然、今度の法律の中には運転免許証それから健康保険証にも意思表示欄を作ります。それから、もちろんネットによって、今もやっていますけれども、もっともっとネットによる意思表示の登録をしていって進めていきたいと思います。
 今もう一つ考えなきゃいけないのは、現在でも年間百例程度ですけれども、ずっとですけれども、心停止下での腎臓提供があります。これについては一切カードがありませんで、なくても、もちろんカードある方もいらっしゃいますけれども、基本的には御家族の同意で提供しています。
 この中で、じゃ、実際に後から拒否だということで分かったといって聞いた例は、今のところ私、ネットワークの、私もネットワークの委員をやっていますけれども、そういった例は聞いたことがありませんので、恐らくネットワークにおいても今の状況では本当にそういったことの確認をしっかりやっていると思います。それはこれからももっともっとやはりしっかりやらなきゃいけない。だから、やっぱりコーディネーターが仕事が非常に大事になっていきます。ですから、きちっとシステムをつくること。それから、やはりもっともっとコーディネーターの数を増やしてきちっとそういったこともフォローできるようにすることがそれを防ぐ方法だと思いますし、今までもそれはこの数においての心停止下においてはなされてきていますので、今後もそれを続けていただきたいというふうに思っています。
#50
○古川俊治君 最初に大久保参考人に伺います。
 六月三十日にA案の提案理由説明というのを受けたんですね。そこで、「脳死が人の死であるのは、本案の場合も現行法と同じく臓器移植に関する場合だけに適用されるものであり、一般の医療現場で一律に脳死を人の死にするものではありません。」、私、この提案理由を何度か読みまして、素直に読むと、これ、脳死を一律に人の死と考えるという理念に基づいていないんですね。移植の場面においてだけ脳死を人の死と考えるという考え方に基づいておりまして、そうすると、私も、要らないものを直すという必要性がないので、木下先生のおっしゃるように、六条二項というのは改正しない方がよりいい形なんだろうと実は理解しております。
 関係ないということを確認しましたけれども、だったら何で削除したのかという疑問が残ってしまいますので、それは本案の提案の理由の理念からするとずれているんではないかというふうに考えているんですが。
 大久保さんに聞きたいのは、A案がそのまま通れば一番望ましいという大久保さんのそれはお考え、よく分かりました。じゃ、仮にここを元に戻した場合の、A案と元に戻したものが両方通らないのと現行法とどちらがいいかという、患者さんの、これ是非、いろんな議論がございますので、患者さんの側から答えていただきたいと、特に移植医療のですね、働いている。それをまず伺いたい。
 そのちょっと考える時間をつくりたいんですが、加藤先生にちょっと私のコメントを若干申し上げますと、加藤先生のお持ちになりました七ページの相関図の混乱の問題でございますね。実を申し上げますと、これは移植の場面にだけ問題となることではございませんで、一般の交通事故で既に多く問題になる事例でございます。これは三徴死で、移植を全く前提としないで三徴死を前提としてやった場合にも、どういった、先ほど有賀先生がおっしゃったように、終末期の医療の在り方をやるのか、これは家族の意思に非常に頼るところがあるわけですね。その家族の優先順位なんていうのも法律的に規定されておりませんし、合意を持ってきてほしいと医療現場に頼むと。これはまさに法律や規則で縛るような問題でもないんですね、非常に運用が難しくなってしまいますので。ここは特に移植医療だから問題にすべきものではないと思っています。
 それから、八ページのところなんですが、この図の場合、九七年から既に行われている現行法でも、こういった場合には死亡として判定すると、移植を行わない場合にも保険を適用して治療を続けるということになっておりますので、現行法と同じ扱いがされるということであって、この点は改正されないというふうに考えていただいてもいいと思っております。この二点の疑問。
 その上で御質問は、自己決定のことをおっしゃりました。A案は理解がないというお話でございますが、我々が自己決定というのは憲法十三条の理念を受け取ったわけでございますが、これは元々英米法からいただいたわけでございますね。そのほか日本においては多くの体系が大陸法になっている、民法も刑法も大陸法系でございますので、純粋な英米法よりはより連帯というものを意識するんだろうと考えております。そこにおいて、アメリカやイギリスで当然のことのように行われている臓器移植、オプトアウト方式で行われているんですが、これがなぜ日本でそれをやってはいけないことになるのか。自己決定の国は母国はあちらですから、その点について伺いたい。
 それから、家族の意思というものがやはり終末期医療の場において、現行の医療界では非常に重視されているんですね。我々が患者さんをみとるときには必ず、これは訴訟のこともございますが、家族の意思を取りながらやっております。これは必ず最後の方は治療の選択の場面が生じますので、その場合必ずそうするわけですね。そのときには、家族の推定的同意、多分、家族というものが一番本人の意思をおもんぱかってくれるだろう、意思の代諾ができるということを前提にやっているわけですけれども、それは、そういった状況が、医療全般から考えた場合ですね。この場合だけ、私はそういった問題から、特にこの法案の審議に掛かって自己決定ということをいたずらに強調されるというのは何か非常に不均衡な気がするんですが、その点についていかがでしょうか。
#51
○参考人(大久保通方君) お答えします。
 元々、この六条第二項ですけれども、体から要するに移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者というのが付け加えられたのは、先ほど私、お話ししましたように、基本的には前回の衆議院の修正によって付け加えられているので、我々は、今の理念というのは、一番最初の今のA案というのは、一番最初に中山先生がお作りになって衆議院に出されたものに戻されたということなので、私はその戻したということが非常に大事だというふうに思っています。
 じゃ、修正をして通すか通さないかという話で、だから理念としては、でも絶対にA案で通していただきたいというふうに思っていますけれども、じゃ修正したやつでどちらも通らなくてもいいのかという話ですけれども、それはもちろんどちらも通らなかったら非常に困るわけで、じゃ修正案で通すからそれでいいかと言われても、それも非常に私も困るんです。恐らく、患者団体全体で議論とするとなったら修正でもいいから通してもいいかなという議論になるかもしれませんけど、私個人の考え方としては、修正するなら両方とも通らない方がいいというふうに私は個人としては思っています。
#52
○参考人(加藤高志君) まず、先生の方から七ページ、八ページについてちょっと御指摘いただきまして、私も、例えば七ページで、今までゼロだった問題が新たに生じるというようには考えておりません。
 ただ、例えばその七ページの相続関係図の例で申しますと、それは非常に拡大をしてくると。今の、交通事故なり今でも問題はありますけれども、ある程度落ち着いた状態の中で家族に法的判定をされますかというふうにそれを持ちかけて、そこで各家族がそれを判断するというのは今までにはなかった新たな局面ではないかというふうに考えておりまして、そういう問題が一層増えてくるというふうには理解しています。
 御質問の件ですけれども、二つともちょっときちんと御質問の趣旨、理解しているかどうか分かりませんが、基本的には私は、脳死が死であるという社会的合意がないというところが前提としてあるからだと思っています。
 例えば、英米での自己決定ということは確かに非常に、日本が導入したものですけれども、前提として、例えば宗教観であるとか、それまでの医療行為、医療現場の慣行状況の中で、例えばアメリカなどではこれまで脳死が死であるというふうに考えられてきた、その中で移植が進んできたと。そういうところで自己決定を考えているところと、我が国のように移植医療がない中でこれからどうしようかというふうに考えたときに、まだ脳死は死ではないんだと、社会的合意がないというときに各自はどう判断するのかと、それが一番大事だということで自己決定が重視されたのではないかというふうに思っています。
 それと、もう一つ、家族の推定的同意、代諾でもいいのではないかと、自己決定を余り強調すべきではないのではないかという御質問だと理解したのですけれども、それも同じでありまして、例えば脳死が死であるというのが社会的な合意になった場合に家族が判断するということはできますけれども、もしそうではない場合に、当該本人に対してある程度の利益、メリットがある場合には代諾なり推定的なものはできるかもしれませんが、それはできないというふうに考えているんですが。
 もし質問の御趣旨が違っておりましたら、またお答えいたします。
 以上です。
#53
○委員長(辻泰弘君) 古川君、簡潔にお願いします。
#54
○古川俊治君 分かりました。
 延命治療の場合と、それから現在でも腎臓や角膜の移植というのは家族の同意で行われているという点を付言しておきます。
#55
○参考人(加藤高志君) まず、角腎については、この脳死の臓器移植より前の段階からなされていたものだと思います。
 それと、もう一つは、基本的には心臓が停止して以後の問題だと思います。その意味では局面は違うのではないかと、その事実をもっていわゆる自己決定の局面が違うのではないかというふうには私は考えられないというふうに思っています。
 それから、延命治療につきましては、もう少し具体的におっしゃっていただきたいのですけれども、延命治療については家族に任せられているではないかという御質問なんでしょうか。それについては、確かに延命治療についてはある程度家族の判断がされるということはありますが、それと法的脳死判定によって臓器を摘出するというところは、やはりかなり違うのではないかというふうに思っています。
#56
○中村哲治君 木下参考人に端的に二点、伺います。
 十五ページの記述でございます。現行法六条二項の脳死の定義につきまして、このように書かれています。現行法の脳死した者の身体の定義を踏襲することが我が国における最も現実的な臓器移植法改正案であると考えられる。これは日本医師会の公式見解でしょうか。これが質問の第一点です。
 もう一点は、本人の意思が不明の場合、遺族の承諾で臓器提供に至る場合を必要とされておりますが、今おっしゃったようなA案の修正を行えば、移植の承諾によって家族が本人の死の時期を定めることになります。このようなA案の修正を行えば、私は遺族は耐えられないと思います。そうすると、遺族の承諾によって臓器の提供という道は実質的に閉ざされる。私、だから大久保参考人がA案の修正に反対されたんだと私は理解しておるんですけれども、その点についてどのようにお考えでしょうか。
#57
○参考人(木下勝之君) 最初の公式な見解と申しますと、全医師会の会員に諮ったということはしておりません。少なくとも、常任執行委員、役員の間で、あるいは主なこのことに関心を持っている会員の方たちと相談いたしました。そのときに、少なくともA案におきましては、先ほど来の様々な議論が出ているというふうなことであります。そして、今回、では今日、現実的に移植医療が行われているA案の二項を残したままではどうかということに関しては合意を得ているという段階でございます。
 それから、第二の質問に関してのちょっとそのロジックがよく分からないんでありますけれども、どういう視点かちょっとよく分かりません。どうお答えしていいのか、少なくとも家族が死を判断するということは論外な話でありまして、少なくともそこにおります救急医であれ、医師が臨床的な脳死というのを判定いたします。
 そういうふうなときに、もしも臓器移植ということを前提としているならば、これは本当に脳死として法的な脳死判定に行くわけでありますけれども、そのような段階での当然家族の意思はそこで伺うわけでありますので、そこで拒否されるならばそれはもう当然のことながらこれは臓器移植に行きませんし、したがってあくまでもその判断する前提としては、医師が臨床的な脳死であるかどうかをまず判断するということから始まりますので、決して遺族が決めていくようなこと、そんなことは全く関係ないことだと思います。
#58
○谷博之君 もう時間ですから端的に加藤参考人に一点だけお伺いしたいんですけれども、過去の臓器移植の事例の中で、必ずしも脳死判定基準とかあるいはガイドラインを守って現実にやったのかどうかということを疑問視している、指摘している人も中にはおります。そういうことに対して、運用上の問題として、そういう家族とか、実際に移植が行われた例とか、あるいはそこまで至らなかった例も含めて、そういうことについての訴え等について、それを対応できる第三者機関とかあるいは行政の窓口を置いた方がいいという、そういうことを言っている方もおられるんですが、これは先ほどのいろんな説明には入っていないことなんですけれども、そういうことについての何か御議論なりお考えがあればということで、お聞きします。
#59
○参考人(加藤高志君) 端的に、そういった設置をすべきだと思います。
 今日お配りいただいた関連資料、第百七十一回国会と左上に書かれている資料の通しページの四十三ページ辺りから、過去のいわゆる臓器移植例について日弁連が人権侵害の問題があるのではないかというふうに勧告した例がございました。当初の高知の日赤であるとか大阪府立千里救命救急センター等についてはかなりの情報は開示されまして、手順に問題があったということで、病院の方もまだ十分浸透していなかったということで改められたということございました。
 ただ、その後の症例については十分な情報といいますかデータが我々弁護士会、もう分からなくなりましたので、適正にされているかどうか自身が十分我々として検証できない。その意味で、これから臓器移植をきちんと社会が評価する、あるいは理解する意味では、そういったものを検証する機関の設置は必要だというふうに、先生の御指摘のとおりだと思います。
 以上です。
#60
○委員長(辻泰弘君) その他、御質問の方ございますか。
 じゃ、丸川珠代君、簡潔にお願いします。
#61
○丸川珠代君 簡潔に申し上げます。
 加藤参考人にお伺いしたいと思います。丸川珠代と申します。
 先ほど、延命治療の場合と臓器移植の場合は違うと、自己決定権を重視するのは臓器を摘出するからであるとおっしゃいましたが、その理由は何ですか。
#62
○参考人(加藤高志君) 延命治療、それから尊厳死、安楽死、非常にいろんな問題が議論になっております。ただ、自らその延命治療というのは積極的に具体的なことをしない、これ以上更にいろんな治療を施さないということと、例えば呼吸器を外すということ、あるいはそこから心臓等を摘出するということは質的に違いがあると考えるからです。
 それで御理解いただけますでしょうか。
#63
○委員長(辻泰弘君) その他、御質問の方、よろしゅうございますか。
 それでは、以上をもって参考人に対する質疑は終了いたします。
 参考人の方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 午後一時に再開することとし、休憩いたします。
   午後零時三分休憩
     ─────・─────
   午後一時開会
#64
○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を再開いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 本日、石井みどり君が委員を辞任され、その補欠として森まさこ君が選任されました。
    ─────────────
#65
○委員長(辻泰弘君) 休憩前に引き続き、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 本日御出席いただいております参考人の方々を御紹介申し上げます。
 日本移植学会理事長寺岡慧参考人でございます。次に、社団法人日本小児科学会会長・横浜市立大学大学院医学研究科発生成育小児医療学教授横田俊平参考人。次に、日本移植コーディネーター協議会副会長篠崎尚史参考人。作家・評論家でいらっしゃいます柳田邦男参考人。以上の四名の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、今後の両法案審査の参考にさせていただきたいと存じております。よろしくお願い申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、参考人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、質疑者共に発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず寺岡参考人にお願いをいたします。寺岡参考人。
#66
○参考人(寺岡慧君) ただいま御紹介にあずかりました日本移植学会の寺岡と申します。着席して陳述させていただきます。
 本日はこのような機会を与えていただき、深く感謝いたしております。
 一九九七年、臓器の移植に関する法律が制定され、多くの患者さんにとって長年待ち望んだ臓器移植の道が開かれました。以来、本法律の下で善意と崇高な意思に基づいた八十一件の脳死下での臓器提供が実現し、病魔との絶望的な闘いを強いられてきた患者さんが健康を取り戻しています。各臓器の移植の成績も欧米のそれと比較して勝るとも劣らないものであり、我が国の移植医療は、多くの方々の善意と御尽力に支えられて、徐々にではありますが、適正かつ着実に進んでまいりました。八十一件の臓器提供につきましては、脳死下での臓器提供事例にかかわる検証会議による各事例ごとの厳正な検証の結果、適正に実施されたと報告されております。
 しかし、現行法では脳死下での臓器提供の要件として本人の生前意思の書面による表示を必須としているため、脳死下での臓器の提供は極めて限られたものとならざるを得ず、移植を待ち望む多くの患者さんが亡くなられております。私ども日本移植学会としましては、他の医学会、患者団体とともに臓器の移植に関する法律の改正、すなわちA案への改正を強く要望してまいりました。日本医学会に所属する四十六学会、臓器移植関連学会協議会に所属する二十四学会はA案を支持しています。
 A案の法改正が必要である根拠としましては、まず第一に、これまで多くの患者さんが移植を待ち望みながら亡くなっており、現行法のままでは更に今後も移植を受ければ助かるはずの多くの生命が失われてしまうことです。現行法の下では極めて限られた少数の患者さんしか移植の恩恵を受けることができず、他方で多くの患者さんが移植を待ち望みながら亡くなっているのが実情です。心臓移植によって救えたはずの患者さんの数は、少なく見積もっても年間四百から五百人、肝臓移植によって救えたはずの患者さんの数は年間二千二百から二千三百人と推定され、その九〇%は成人です。そのほかにも、呼吸不全、重症の糖尿病、末期腎不全、さらには重い小腸の疾患のために多くの患者さんが亡くなっています。
 これらの患者さんの実情を御紹介しますと、心臓移植を待っている患者さんの大部分は人工心臓や人工呼吸器で治療されているか、ICUやCCUで強心剤や昇圧剤などの治療によって辛うじて命をつないでいるのが実情です。これらの患者さんは、早期に心臓移植を受けなければ確実に死亡してしまいます。また、肝臓移植を待っている患者さんの八九%は、一年以内に肝臓移植を受けなければ死亡する確率が非常に高いとされています。したがって、現行法のままでは今後更に多くの命が失われることが危惧されます。
 第二に、現行法の下では、重症心疾患の小さな子供さんは国内で心臓移植を受けることができません。したがって、重症心疾患の小さな子供さんたちにとって生きる唯一の方法は海外での心臓移植ですが、海外での移植は患者さんとその御家族にとって身体的、精神的、経済的に多くの負担を強いることになり、大変過酷なものとなっています。また、ごく限られた患者さんのみしか移植の恩恵を受けることができません。今後、海外渡航移植は実質的に困難になり、このままでは、重症の心疾患に罹患した小さな子供さんにとって唯一の生存の道は完全に閉ざされてしまいます。
 第三に、法施行以来、限られた数とはいえ、脳死ドナーからの臓器提供並びに臓器移植が適正に実施され、移植を受けた患者さんの多くが健康を取り戻したことによって、脳死臓器移植に対する理解が徐々に社会に浸透しつつあります。
 平成二十年の内閣府の意識調査によりますと、脳死になったら臓器を提供したいが四三・五%に増加し、提供したくないが二〇・四%に減少しています。さらに、最近の読売新聞の調査では五八%が、FNNの調査では六九・四%が脳死になったら臓器を提供してもよいと答え、脳死下での臓器提供を認める意見が着実に増加しつつあります。また、本人の生前の意思表示がない場合の臓器提供について、家族の判断にゆだねる、提供を認めてよいが合わせて六一・六%、提供を認めないが三三・一%となっており、さらに、最近の調査では六一・五%が本人の意思が分からなければ家族の承諾で認めるべきと答え、認めるべきでないは一九・二%にとどまっています。十五歳未満の臓器提供については、できるようにすべきが六九%、できないのはやむを得ないが二一・二%となっています。さらに、最近の調査では七三・五%が認めるべきと答え、反対は九・六%にとどまっています。
 これらの調査結果は、脳死臓器移植への理解が徐々に社会に定着しつつあることを示しています。
 第四に、世界保健機構の指針では、本人の意思がある場合はそれを尊重し、本人の意思が不明の場合は家族の書面による承諾により臓器の提供が可能とされており、今やこれはグローバルスタンダードとなっています。A案はこのWHOの意思確認方式に準拠しており、さらに、脳死判定に対する家族の拒否権を担保することにより、脳死を認めない人並びに臓器を提供したくない人の権利にも十分に配慮されたものと理解しております。
 第五に、国内での移植が極めて限られているため、移植によってしか救命できない患者さんが、成人、小児を問わず、生きるための唯一の望みを移植に託してやむなく海外に渡航していますが、海外での移植はその国の患者さんの移植の機会を奪うものとして強い批判がなされています。WHOは、一部の先進国は自国民に海外での移植を勧めていると厳しく批判し、さらに、自国民の移植は自国内で行うこと、そのために自国内での臓器提供を増加させるよう努力することを加盟国に要請しています。このような事情を背景にして、各国は外国からの移植希望患者の受入れを実質的に自粛しつつあります。
 第六に、以上の事情を背景としまして、海外での違法な移植、非倫理的な移植が増加することが危惧されます。これらの違法な非倫理的な移植は国際的にも大きな批判を呼んでおり、WHOからも強い批判を受けております。
 さらに、臓器の移植に関する法律附則第二条一項に、この法律による臓器の移植については、この法律の施行後三年目をめどとして、この法律の施行の状況を勘案し、その全般について検討が加えられ、その結果に基づいて必要な措置が講ぜられるべきものとすると規定されています。法施行後以来既に十一年以上が経過しており、臓器移植以外に救命の方法がなく、またそのために移植を待ち望んでいる多くの患者さんのために一刻も早く法律の改正をお願い申し上げる次第です。
 以上、A案への法改正が必要である根拠について申し述べさせていただきましたが、A案に対して種々の御批判、御懸念が存在することも承知いたしております。
 まず、A案は脳死を一律に人の死とし、臓器移植以外の場合にも適用されるのではないかとの御懸念があるやに伺っておりますが、臓器移植法第一条に本法律の目的が明確に規定されておりますように、この法律は臓器の移植に関連して脳死判定、臓器の摘出等の手続等について定める法律であります。したがって、一般的な脳死判定や人の死の定義を定めるものではあり得ず、臓器の移植以外の場合に適用されることはあり得ません。
 次に、小児の脳死判定の困難性についての御指摘につきましては、平成十一年に小児神経科医、小児救急医、脳神経外科医、救急医などで構成された厚生省研究班により小児における脳死判定基準が検討され、報告書が提出されています。報告書によれば、生後十二週未満及び深部温三十二度摂氏未満を除外すること、一回目と二回目の脳死判定の間の期間すなわち観察期間を二十四時間以上とすることによって、小児においても確実に脳死を判定できることが報告されています。この判定基準によって脳死と判定された後に回復した事例はありません。
 これらの脳死判定を行う施設は、大学附属病院、日本救急医学会の指導医指定施設、日本脳神経外科学会の専門医訓練施設A項、救命救急センターのうち脳死下臓器提供の体制が整ったとして厚生労働省へ報告された施設に限られており、また判定医につきましては、脳神経外科医、神経内科医あるいは小児神経科医、救急医又は麻酔・蘇生科集中治療医であって、それぞれの学会の専門医又は認定医の資格を持ち、脳死判定に関して豊富な経験を有し、しかも臓器移植にかかわらない二名以上の医師とされています。
 最近繰り返し報道されているいわゆる長期脳死につきましては、法的脳死判定の基準あるいは小児脳死判定基準を完全に満たしている事例は存在せず、脳死とは言えません。すなわち、無呼吸テストが実施されておらず、またその他の判定基準も一部しか満たしていないのが事実です。臨床的脳死の判定基準の全項目を満たしていると報道されている事例もありますが、臨床的脳死とは法の運用に関する施行規則で規定された法的脳死判定基準から無呼吸テストによる自発呼吸の消失の確認を除外したものであり、無呼吸テストによって自発呼吸の消失を確認することなく脳死を判定することはできません。さらに、本当に脳死であれば、人工呼吸器による呼吸管理に加えて、ピトレシンなどの脳ホルモンの投与、輸液による体液の調整、昇圧剤の投与などを必要とし、一般家庭でのケアは到底不可能です。実際に脳死でないにもかかわらず脳死とすることは、医学的にも倫理的にも決して許されないことです。
 被虐待児からの臓器提供の可能性につきましては、現行法でも明らかな病死以外の場合は前もって所轄警察に連絡することが義務付けられ、警察による検視と犯罪捜査が行われます。臓器移植法第七条で、検視その他の犯罪捜査が終了するまでは臓器の摘出は禁じられており、捜査の結果、少しでも虐待などの犯罪が疑われる場合は司法解剖が行われるため、臓器の摘出が行われることは決してあり得ません。
 さらに、脳死下での臓器提供は、大学附属病院、日本救急医学会の指導医指定施設、日本脳神経外科学会の専門医訓練施設A項、救命救急センターのうち脳死下臓器提供の体制が整ったとして厚生労働省へ報告された施設のみで行われ、これらの施設では豊富な経験を有するため、虐待の有無を見落とすことはないとされています。
 法施行以来十一年以上が経過し、現行法と運用規則、指針等を遵守しつつ、適正に臓器提供並びに臓器移植が実施され、移植を受けた患者さんの多くが健康を取り戻し、社会の御理解が得られつつある現時点におきましては、種々の意識調査に示された多くの脳死下での臓器提供の意思を尊重すべく、法の改正をお願い申し上げる次第です。
 また、基本的人権で保障された生存権とそれに由来する健康権に基づいて、移植によってしか救命できない、そして移植に唯一の生きる希望を託して移植を待ち望んでいる多くの患者さんのために、A案への法の改正を重ねてお願い申し上げます。
 御清聴いただき、誠にありがとうございました。
#67
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、横田参考人にお願いいたします。横田参考人。
#68
○参考人(横田俊平君) 子供の脳死臓器移植に関しまして日本小児科学会の考え方をお話しする機会をいただきまして、本当にありがとうございます。私たち小児科医は、臨床の場面ではまず病気の概念を理解して、そして現実に当たることで実態を知り、子供たちのために最良の治療について考えるのを常としております。今日のお話も同様に、脳死臓器移植についての考え方を点検して、次いで実際を見て、そして最良の治療法について述べたいと存じます。
 私たち小児科医は、すべての子供の人権とすべての子供の生きる権利を尊重する立場に立っております。お手元にパワーポイントのブルーの紙がございますが、これをごらんください。
 すなわち、ドナーの子供にも、それからレシピエントの子供さんにも生きる権利を保障しようとして考えております。それは、小児科医の役割が何かというと、アドボカシーということを盛んに最近言われておりますが、子供の権利の代弁者ということであるからです。
 私たちがかかわる医療の根本は、脳死の子供をつくらないというところにございます。すべての子供を助けたいということで、それは日本も批准しました子どもの権利条約の精神にのっとったものです。私たちが子供にかかわれる部分は、プロフェッショナルとして最高の小児医療を提供することでございます。今回の議論には、一億総評論家という側面がございます。民主主義の中ではこれは大変良いことだと思われますが、法的判断、立法的判断、立法的な手続について、やはり法律家、立法府の先生方にはプロフェッショナルとしての決議を固めていただきたいというふうに思います。
 私たち小児科医の目の前で、日々臓器移植を望みながら力尽きて子供が死んでいます。一日も早く法案を改正していただいて、一人でも子供を救える状況をつくっていただき、やがて三年後には実態を検討しながら法案を見直す、そうしていただきたいと思います。
 今回、法案が改正されなければ、恐らく百年たっても改正は届かないだろうと考えます。わずかとはいえ、既に脳死臓器移植が我が国でも行われてまいりました。この間にも幾つかの問題が見えてまいりました。臓器を提供された後に御家族が周囲からいろいろやゆされることがあるというふうに聞いております。ドナーの御家族は、悲しみを乗り越えて尊い決断をされた方たちばかりです。周りが非難したりする問題ではないことを確認しておきたいと思います。
 また、臓器の提供を受けた子供さん、御家族も様々な雑音に悩まされていると聞きます。臓器移植を受けた子供さんは、生きる権利を社会から保障されたのだと、そういうふうに考えるべきです。
 また、周知のように、諸外国から我が国のこの法案は大いに注目されているところです。私など直接には移植にかかわっておりませんが、ちょうど三週間前、コペンハーゲンでヨーロッパのリウマチ学会がございまして参りました。移植の学会ではございません、リウマチの学会です。ここでドイツの小児科医から、このことについての質問を受けました。日本は自分の国のことも自分で決められないのかと言われないように、国際的視野でこの問題を考えていくべきだと考えます。
 脳死臓器移植の問題を考えるに当たっては、袋小路に入ることなく、全体的視野で考えることは私たち小児科医が常に心しているところです。すなわち、問題点を把握するに当たって五つのパートに分けて考えたいと思います。
 ドナーと家族の問題がまず第一です。二番目に、レシピエントとその家族の問題。三番目に、移植医療そのものの問題。四番目に、臓器提供後のドナーの御家族の問題。五番目に、臓器提供を受けた後のレシピエントとその家族の問題。この五つの問題に分けて考えたいと思います。
 まず第一に、ドナーとその家族の問題です。
 私たち小児科医の仕事は子供を脳死に至らないようにするということは先ほど述べました。すなわち、御家族も納得する十分な医療を行って初めて脳死の場合に臓器を提供しましょうということになるのではないでしょうか。
 でも、現状はどうでしょうか。成人の救命救急医療体制は全国的にしっかりと整っていることは周知のとおりです。しかし、残念ながら、小児の救命救急システムは東京の国立成育医療センターと静岡県の二か所しかございません。静岡県になぜあるかというと、これは東海地震を想定してドクターヘリのシステムがつくられたついでに造られたということを聞いております。子供の脳死が発生する場所は一般的な病院ではなく、このような救命救急センターなのです。そこのシステムが整っていないんです。次に、この次の用紙で、溺水の例を取り上げるつもりです。
 子供の脳死判定の問題が議論されていますが、これは一般の方々だけではなく、一般の小児科医のだれでも脳死判定を行うわけではないことは、今ほど寺岡先生がお話しなさったとおりです。脳死判定専門医師がプロフェッショナルとして行うものなのです。そのための透明性を高めるということであれば、是非法案改正後に、脳死臨調で時間を掛けて議論していただきたい。
 臓器提供の際の子供及び御家族の意思確認は、これは全く純粋に法的問題です。ただ言えることは、家族が臓器の提供を拒否する権利は保障されているということです。
 また、四番目に、虐待の問題がございますが、この問題は、現場でも非常に難しい問題です。ただ、原則として、虐待死からの臓器提供は求めないということが我が国の国民感情と一致していると考えます。法案改正後は、しばらくは虐待の判断は少し幅を広く取って考える、臓器提供は虐待死でないことが明らかな例に限るという必要があると思われます。
 次に、脳死を減らすには、小児の救命救急医療の基盤整備が必要であるというお話をします。
 この絵の上段は、小児のドクターヘリが日常的に機能している静岡県の例です。ドクターヘリによる医療とは、集中治療医がヘリコプターで現場に急行して、現場で蘇生処置を行うことに眼目がございます。助けた子供を、今度は子供の専門病院に短時間で運んで専門医療を施すことになります。
 静岡県では、昨年一年間に溺水の例を十二例運んでいるそうです。現場に到着して蘇生を開始するまでに平均二十六分掛かっています。それから、静岡こども病院で専門医療を始めるまでに事故発生から平均五十三分しか掛かっていません。その結果、十二人中十一名の子供さんが後遺症もなく回復しております。
 下半分は、私の勤務する横浜市、神奈川県のデータです。ここには子供の救命救急医療体制は整備されておりません。窒息、溺水の五人の子供さんが私どもの病院へ救急車で運ばれてまいりましたが、事故発生から専門医療を手当てできるまでに何と一時間二十五分から四時間二十五分掛かっております。結果は惨たんたるもので、二例が死亡、一例が重度の後遺症を残しました。後遺症もなく退院した二名の方は、この中でも来院までの時間が短い方たちでした。子供の救急救命医療体制の違いにより、こんなにも予後が違うんです。これで臓器を提供してほしいと言っても御家族が納得されるでしょうか。
 今お話しした小児の救急医療体制については、日本小児科学会がプランをその図のように持っております。行政府の方々には、子供のドクターヘリ及び高度専門医療体制の樹立について早急に検討を始めていただきたいと思います。
 次の虐待への取組に移ります。
 ドナーの側の問題のもう一つの要点は、虐待の問題です。この問題は、実は社会の成熟度と関連しているということが言われています。
 欧米のたどってきた道を振り返ると、このように六段階に分けられます。我が国は第三段階に位置しておりまして、社会的な合意としては、かわいそうな子供をむごい親から引き離すというレベルにおります。子供はその後、児童相談所で面倒を見ましょうという段階にあるということです。虐待を行う親は、自分も子供のときに親から虐待を受けていたことがほとんどであり、虐待の連鎖ということが分かってまいります。やがて虐待そのものの発生予防に取り組もうというふうに社会が動いていくということになりますが、欧米では既にこのレベルに達しています。
 脳死臓器移植法案が改正された後に、虐待に対するアプローチも、脳死臨調というものがつくられるんであれば、そこで議論を是非していただきたいと思います。
 次に、レシピエントから見た脳死臓器移植の問題点を挙げてみました。
 当然のことですが、脳死臓器移植は他人の死の上に成り立つ医療です。社会がそのことを常に重く受け止める必要があると思います。レシピエントは、脳死臓器移植は社会が保障した子供の生きる権利であるというふうに胸を張って生きていってほしいと思うわけですが、現実は少々異なり、子供と御家族の心理的ケアを十分に行っていかないと移植を受けた子供も家族もしばしば社会的ストレスに見舞われます。外国に頼らない移植医療、レシピエントの選択の公平性の確保など、検討課題も山積しております。
 次は、脳死臓器移植の技術と費用の点ですが、現在、一歳の子供がアメリカで臓器移植を受けようとすると一億から二億の費用が要求されます。わずかではありますが、我が国で移植を行った場合、現在は障害児として扱われているために気の遠くなるような莫大な費用は必要ありません。これは、我が国では大変評価すべきことだと思います。また、移植技術は我が国は世界でも有数の優れた国だと言われています。今後、このような技術の継承を考えていかなければいけないと思います。
 次に、四番目、五番目の術後の問題点についてですが、脳死臓器移植の問題は移植手術が終わればそれで完了かというと、そうではございません。むしろ、問題は移植後に始まると言っても過言ではありません。ドナー家族にしても、子供さんの臓器を提供したことが良かったのかどうか、常にじくじたる思いにさいなまれているというふうにお聞きしています。また、レシピエントとその御家族も環境的なストレスには大変耐え難いものがあると言われています。また、術後の心理的なケア、緩和ケアというもののシステムが是非必要で、これがなければ移植の意義も半減してしまうということになります。
 欧米の子供病院には、必ず子供と家族を守る心理的ケアシステム、在宅も含めた緩和ケアシステムが設置されています。これは脳死臓器移植に限らず、重篤な子供を持った子供と家族を社会の力でケアしましょうというシステムです。イギリスでは、最近、たくさんの地域小児専門訪問看護師が誕生して、全英国の八五%をカバーするようになっております。しかも、これを国家が設置して、費用はすべて国家が出しているということです。子供の医療は成人の医療と違い、子供全部に対しての社会保障という側面が強くあります。少子化が音を立てて進んでおります。我が国でも是非このシステムが必要です。ちなみに、英国の小児の比率は約二四%、我が国はわずかに一四%です。我が国の子供は、二〇三〇年には現在の数の四〇%減になるという調査報告が出ておるのは皆さん御存じのとおりだと思います。
 まとめです。
 日本小児科学会は、我が国も批准した子どもの権利条約の精神にのっとって、子供に最高の医療を提供しようと考えています。ドナーとレシピエントの双方の人権、権利が守られなければなりません。脳死臓器移植は、何よりもまず法案の改正を進めていただきたい。これは議員立法ですから、法案の改正がなければ、行政府が小児医療の基盤整備を行おうにもできないではありませんか。ここで見てきましたように、脳死臓器移植は、ドナーの御家族が十分な医療を尽くしてくれたという思いがなければ全く成立しないものだと思います。私たち小児科医は、子供の命を救うこと、この使命を全うします。私たちができることは何でもいたします。ですから、小児医療の基盤整備、小児の救命救急医療の全国的な展開、子供さんと御家族の心理的ケアの樹立を是非お願いしたいと思います。
 法案改正から実施まで時間がございます。この間に基盤整備を是非進めていただきたい。また、三年後には、基盤整備が整ったこと、脳死臨調の結論などをもってこの法律についての再検討をする機会を是非つくっていただきたい。毎日、目の前で臓器移植を待ちながら死んでいく子供たちを見るのはもうやめにしたいと思います。
 以上です。ありがとうございました。
#69
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、篠崎参考人にお願いいたします。篠崎参考人。
#70
○参考人(篠崎尚史君) 本日は、本厚生労働委員会参考人としてお招きいただき、このような発言の機会を賜りましたことを心より御礼申し上げます。
 私は、日本移植コーディネーター協議会を代表して発言させていただきます。また、略称をJATCOとさせていただきますので、御了承いただきますようお願い申し上げます。
 さて、移植医療は臓器の提供を必要とする医療です。臓器の移植に関する法律が制定されて以来、特に臓器提供の際の本人意思の確認、並びに御家族に対し中立な立場で情報提供を行い、御提供の意思を確認し、さらに公正な手続で臓器提供が進められていることを担保するために移植コーディネーターが設置されております。
 JATCOでは、日本で唯一の移植コーディネーターの教育に関する任意団体として一九九一年九月に設立されました。現状で会員数は二百五十名、会員の中には臓器提供側のいわゆるドナーコーディネーターと臓器移植側のいわゆるレシピエントコーディネーターとに大別されております。つまり、日常業務においてはある意味、双極の立場の患者様並びにその御家族にかかわる両コーディネーターが共存しており、各コーディネーターの責務の視点から移植医療を見詰め続けてきた団体であります。
 その視点とは、移植医療にかかわる双方の立場の患者様や御家族はもちろんのこと、臓器提供側の医療機関に所属する救急医、脳外科の先生、スタッフ、また移植医や移植医療に直接かかわらない多くの医療スタッフ、さらには社会の動きなども含めて見てまいりました。その視点を基に、本日はコーディネーターの立場から法案並びに現状に関する考えを述べさせていただきたいと思います。
 本会には、日本臓器移植ネットワークのコーディネーターを始め、都道府県臓器移植コーディネーター、院内コーディネーター、アイバンクコーディネーター、組織移植コーディネーターなどのドナーコーディネーターと、移植施設で患者様並びに御家族のケアを行うレシピエントコーディネーターが所属しております。このような立場の移植コーディネーターにとりましては、臓器提供を望む方の声を確実に生かし御希望をかなえること、また、臓器移植を望む患者様にお元気になっていただき、あるいは命を取り留めていただくことに、日ごろから知識、経験を高めるばかりでなく、倫理面や御家族とのコミュニケーションを高めるための教育と幅広い研さんを積んでおります。また、国際的な教育制度や認定システム等も研究し、より良い教育方法を学んでいる次第でございます。
 現行法下の日本で移植医療の現場で経験するのは、臓器提供を希望されない方、あるいは本人の意思が臓器提供を希望される場合でも、御家族の中でお一人でもそれを望まなかった方がいらっしゃった場合、あるいは御家族の総意が得られなかった場合その意思は生かされ、臓器提供をしない権利は担保されているのではないかと我々は感じています。
 しかしながら、臓器提供を希望される方の権利は十分に生かせているのかという疑問を感じることがあります。公平公正を期することを絶対の使命と考え移植コーディネーターを行っているからこそ、更にこの疑問が増す局面に出会います。
 突然の脳血管障害によって奥様が脳死状態になった例です。その方の説明を聞いて、御家族は臓器提供を申し出られました。しかし、一緒に書いたカードは、どこにしまってあるのか見付けることができません。そのカード、一緒に書いたんだ、でも見付からないと言われました。現行では書面による意思表示がなくては提供にならないことをお伝えすると、御家族は、入院の五日間、患者様を心配しつつ何度も御自宅に戻られ、カードを探しておられました。病院にいる奥様のことを心配しながら、それは一緒に書いた意思表示カードだ、その気持ちをかなえてあげたいという夫の懸命な行為だったと思います。残念ながらカードを見付けることはできず、心停止後の腎臓の提供になりました。家族のそんたくが許されたなら、御本人の希望する臓器提供によって多くの人への命のリレーがかなったのだと思います。これは、本会のあるコーディネーターが手記として記したものです。
 また、ある症例では、実母と御主人から、だれのためにというきれい事ではなく、三十数年しか生きることができなかったので、だれかの体の中で腎臓だけでも長生きさせたい、中学生の長女は、お母さんのことをよろしくお願いしますとコーディネーターに伝えたそうです。後日、厚生労働大臣からの感謝状をコーディネーターが持参すると、提供する人が少ない中、お母さんは立派なことをしたんだから、これは表彰状として飾って皆さんに見てもらいますと誇らしげに語っていたそうです。
 もちろん、充実した救命救急医療があったからこそ、このような御決意になったことは当然だと思います。臓器提供、移植医療における基本的人権、その基本となる四つの権利、すなわち臓器提供をする権利、臓器提供をしない権利、又は移植医療を受ける権利、臓器移植を受けない権利。私たちは、御家族に対して、中立な立場を維持し、情報提供を行い、基本的概念である説明せよ、説得するなという姿勢を貫き、臓器提供の説明を行っております。我が国家の良識の府でもある参議院の先生方に、この四つの権利を国民が実践できる環境を整備していただきたいと切に願います。
 最近の報道を見ていても、重症脳症等の方が紹介され、我が国における脳死判定基準では脳死でないと思われる方も混同される点には、更に一般の方に混乱を招くことになるのではないかと心が痛みます。
 たとえ脳死の場合でも、御家族には拒否権があり、その中立な意思を十分なインフォームド・コンセントの上で確認するのが移植コーディネーターの役割であり、A案でも必ず御家族の意思は生かされます。提供を希望されない人の権利は、今でも、そしてこれからもしっかりと守られていきます。それが基本としてあることをきちんと認識しておかないと、社会的混乱を招くと思います。そして、提供したいけれども提供できなかった患者様や御家族の権利がA案の成立によってようやく守られる社会になるんだと確信しております。死別はどんな形を取っても悲しくつらい経験です。しかし、それが悲しさと後悔にならないよう、私たち移植コーディネーターは患者様と家族の意向に沿いながら、悲しいけれども後悔のないみとりができるよう取り組んでおります。
 移植コーディネーターの環境についても言及させていただきます。
 現状では、日本臓器移植ネットワーク、定員二十一名のコーディネーターが在籍しています。この人数で全国の臓器提供を担当し、その支援を各都道府県コーディネーターがサポートしております。しかし、その数はほとんど各都道府県一名、現状でわずか四十九名です。今後の国民の臓器提供に関する権利を確保し、さらに国民の一層の理解を深められる資質の高い移植コーディネーターの体制は、これら四つの権利の担保、さらには実施するには必要不可欠であると考えますので、この点も強調させていただきたいと思います。
 最後に、国際的にも、例えばWHO、世界保健機関の臓器移植ガイドライン改正時の議論でも、また改正決議文の前提となる報告書、レポート・バイ・ザ・セクレタリアートにも、WHOメンバー国並びに地域の自国内でのセルフサフィシエンシー、いわゆる自給だと思いますが、を促しております。それと同時に、イスタンブールで開催された国際移植学会との合同会議の議論でも、先進国による移植ツーリズムとして検討されています。くしくも、両会議の委員を務めた私にとって、その場にいたことは針のむしろにいる思いでした。
 私たちは、日本人として誇りを持って生きていきたいと思います。これ以上、臓器移植で助かる方で臓器移植を希望されている方が、お一人でも臓器提供を希望されている方の意思が生かされずにこの国家の中で亡くなることがないよう、再度、良識の府である本参議院の先生方に、確固たる我が国独自の思想に基づき、日本に生まれて良かった、日本人で良かったと思える国にしていただければと切望いたします。我々も、将来の移植コーディネーターが国民の移植に関する四つの権利、これを実社会の中で絶対に守れるよう切磋琢磨し、この業務に専念することをお誓い申し上げながら、私の発言とさせていただきます。
 本日は、このような機会を与えていただきまして、誠にありがとうございました。
#71
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、柳田参考人にお願いいたします。柳田参考人。
#72
○参考人(柳田邦男君) 御指名ありがとうございます。
 私は、自分の立場と問題を見る視点というものをまずお話しし、そして脳死移植の現状の中からこれから何が問題かということに話を移していきたいと思うんです。
 私の立場でありますけれど、既にもう今年で十七回忌を迎えますが、二十五歳だった息子を臨床的脳死経過を経て、みとっております。十一日間のICUでの日にちでした。そのうち、最後の六日間が脳死状態でした。九三年なのでまだ臓器移植法はありませんで、臨床的な脳死と言われました。最後には、息子の意思を生かして腎提供をいたしました。
 もう一つの立場は、脳死下の臓器移植法ができてから移植が始まりまして、最初はいろいろと社会的な混乱を招いたので、私が提案いたしましたのは、一例一例慎重に検証作業をして、そしてその中から問題があれば今後に生かして、法律の見直しということがある場合に、きちっとそうした現実を見た上で検討すべきではないかという提言をしたわけですが、それが容認されて、厚生大臣懇談会として臓器移植検証会議、よく脳死検証会議と言っていますけれど、それに加わりまして、ずっと今まで作業してまいりました。これまで移植が行われたのは八十一例ですが、既におととい、座長の藤原先生が報告されたように、これまでに五十一例の検証を済んでおります。また、一部については、ドナー家族の心情把握という作業もやってまいりました。
 そういう意味で、私は、自分の経験、さらには一例一例見てきた現実に起こっていること、それをベースにこれからお話ししてみたいと思うんですけれど、その前提として、私は作家活動をしているということもあるわけですが、物の見方に二つあって、そのどちらの見方をするかで大変見えてくるものが違ってくるということについてお話ししたいと思うんです。
 それは、例えば阪神・淡路大震災があった直後、一口に死者五千人と言われました。最終的には六千四百人を超えたわけですが、そのときにビートたけしがある評論の中でこういう発言をしました。ジャーナリズムは五千人死んだ、地震が起きた、五千人、五千人と言っているけれど、違うと。一人死んだ悲劇が五千回、五千個同時に起きたんだと言ったわけですね。これは極めて重要な問題の見方です。数字で一まとめにするんではなくて、一人一人の人間、一つ一つの家族がそれぞれの人生や生活をしていき、それぞれの価値観を持っている。それが、命が絶たれる、死亡するというそういう悲しみに直面したときに、そこに生まれる物語というものは全く別です。この見方が極めて重要なんですね。
 ちなみに、我々は、例えばイラクやアフガニスタンでテロ行為があって今日は五十人死んだとか百人死んだといっても、その一人一人の現実は見えないわけですね。あるいはナチス・ドイツがユダヤ人せん滅作戦で六百万人を殺害しましたけれど、その実像は見えてきません。ところが、アンネ・フランク一人の死というものを見ると、極めてリアルに人間の死というものが立ち上がってくるわけです。この視点から臓器移植の現場というものを見ると、また違った姿が見えてくるということです。
 それからもう一点は、専門家の陥りやすい視野の偏りについて、大変僣越でございますが、申し上げたいと思いますのは、現代社会というのは、科学や法律や様々な意味で専門的職業人を要請し、社会はそれで成り立っているわけですが、専門的業務に専念すると、その業務の範囲内で専門的知識と経験を生かしてある仕事を達成しようとします。そして、パフォーマンスを上げようとします。そうすると、自分の専門以外のこと、あるいは今、自分が目の前で直面していること以外のものについて余り関心を持たないか、視野の外に置いてしまうということですね。
 これら視点の二つを、私なりにこの移植問題について申し上げますと、臓器をもっと欲しい、法律を変えれば五百個臓器が増えるという見方と、その五百個のうちの一つ一つに人生の悲しみ、人々の悲しみ、家族の悲しみ、つらさというものがこもっているという視点がいつの間にか欠けてしまってはいないかということ。そしてまた、移植医療を推進するときに、法律を変え、あるいは手続を簡便にすることによって移植医療が推進するということを言っているうちに何かそこで忘れ物がないだろうか。
 私は、いろいろな取材や講演活動の中で面と向かって移植学会の幹部の方に言われたことがあります。柳田さん、もっと臓器を取りやすくするように法律を直してくださいよ、協力してくださいよと言われました。こういう視点が専門家の陥りやすい視野の偏りというものではないかと思うんですね。恐らく、その先生は悪意で言ったわけではない。しかし、自分の専門業務、あるいは自分が診ている患者さんを救いたいというその一点に焦点を絞ったがゆえにそういう言葉が出てきてしまうんだろうと思うんです。
 そしてまた、日本人は奉仕の精神がないから駄目なんだとも言われました。では、脳死状態で今みとろうとしている家族の前で、そして脳死に同意しようか迷っている人の前で、あなたは奉仕の精神持っていますか、欠落していませんかと言えるのかどうか。これが一人一人の現実の命や人生というものを見ていく視点ではないかと思うんです。
 こういうことを申し上げると、まるで私は移植医療に反対しているように受け取られているかもしれませんが、一例一例検証作業をする中で、より良い移植の在り方というのを絶えず考えてきました。何十回となくこの十年間にほとんど欠席しないでやってまいりました。そこに注いだ労力は私だけでなく委員の方々皆共通だと思うんですけれども、衆議院において今回、脳死移植の改正法案が審議されたときにこうした検証会議の作業の本当に重要な部分というのが一度も議論されなかったということに私は大変驚きを感じ、懸念を感じたわけです。
 現行法が成立したとき、三年後の見直しとか、実態をよく見た上でまた再検討とか言われました。決議もされました。しかし、今回、法案の改正案が出たときに、この五十一例まで検証が済んでいるにもかかわらず、その検証についての議論あるいは問題提起が一度も聞かれなかったということは一体何なのか、私は大変不思議に思いました。
 そこで、お手元に配りました私がメモした二枚の紙の1の改正論議に欠落しているということですが、そこに書いてありますように、この検証会議で見えてきたドナー家族の現実という問題、あるいはグリーフケアの視点の欠落という問題、そしてまた情報や視点の偏りの問題、そしてまた死をめぐる日本文化の特質について、こういったことについて、きちっと改めて議論し直す必要があるのではないかというのが私の今日の発言でございます。
 そこで、早速、現実に行われたドナー家族の現実の問題ですが、お手元にお配りしてありますこちらの事務局から配られた分厚い資料の中にドナー家族の心情把握等作業班報告書概要というのが六十四ページから出ております。これはちょうど一年前に検証会議が発表したものであります。
 実は、これをどれだけリアルに読み取れるかどうかというのがこの文章を読む人の感性の豊かさのリトマス試験紙ではないかと私は思うんです。ここに書いてあるのは実に一般的にさらりと書いてあるだけです。なぜもっとリアルに書けないかというと、これはドナー家族それぞれのプライバシーを守らなきゃいけない、そしてまた同意を得なければいけないという大変厳しい条件下でようやくここまでたどり着いたものであります。移植が始まって十年にしてかすかに見えてきたのがこういうことです。
 そして、これは最初、予備的に簡単に面接に応じてくれたドナー家族の会などで社会的に発言している方々にインタビューをし、それは精神科医や臨床心理士による心情把握班という専門チームをつくりまして、そして面接作業をしました。そして、私はその心情作業班の会議にもすべて出ました。一例一例について詳しく立ち会っております。そして、その上でどういう面接をしたら本当に家族の状況が分かるかということを調べていくことにして、方法論の議論に二年も掛けました。予備的に更に三例の調査をしました。
 最終的に、初期におけるドナー家族二十五世帯のうち、同意が得られた九世帯のみについて、精神科医と臨床心理士と二人ずつペアを組んで時間を掛けて丁寧な面接を行った結果、様々なことが明らかになったのですが、それらを一般的に抽象化するような形でまとめたのがこの報告書であるわけです。
 そして、それらの中で、六十六ページに、一、ドナー家族の心情と書いてありますけれども、これを簡単に要約しますと、私がメモをした二枚の紙の2項の(2)のところにまとめましたけれども、非常に各ドナー家族は個別性が強い多様な反応をしていること。
 A、突然の事態へのショック、悲嘆反応と、一方では亡くなっていく人がカードを持っていたことによる、臓器提供に同意するドナーカードを持っていたので、それを生かしたいという決断を迫られる、この二つの反応が激しく交錯して葛藤に陥るということ。
 B、脳死を受容できないまま同意する家族と、自然死と同じだとすんなりと受け止める家族の両方が、いろいろな濃さがありますけれど、あるということ。
 C、臓器提供を誇りに思い、生きる支えにしている家族と、トラウマを引きずる家族の両方があるということ。
 D、連絡さえ拒否する家族がある。もう電話も掛けてくれるな、そんなことは思い出したくもないという、こういう家族です。
 ここから若干プライバシーにかかわるので記録は止めていただければ有り難いんですが、よろしゅうございますか。
#73
○委員長(辻泰弘君) じゃ、速記を止めてください。
   〔速記中止〕
#74
○委員長(辻泰弘君) 速記を始めてください。
#75
○参考人(柳田邦男君) 物を見るときに、対象化して見るか、自分がその場に当事者としていたらどうなのかという、この二つの視点の違いというものをこれほど考えさせられることないわけですね。移植医療によって救われる人がいるということはすばらしいことです。私もそういう形で救われる人が増えることを願っております。
 しかし、移植医療というものは二つの死に直面した命の間で初めて成立するものです。言うまでもなく、死んでいく人がいるから臓器提供が行われるわけです。そして、死に直面した人、そしてその家族が、一刻も早く臓器提供があり、この病者を救いたい、病気から解放してあげたいと思う、この二つの相矛盾する立場、これをどう調整するかということこそ今問われている問題ではないかと思うんです。
 そこの接点をどこに求めるのか。私が情報の偏りと言ったことは、救われる人たちの声、救われた人たちの声、そういうものはこの二十年の間、非常にしばしば言われてきました。移植学会もそれを代弁して強調してまいりました。しかし、提供した人がどういう状況にあるのかについてはほとんどだれも公にしてきませんでした。まれにドナー家族が本を書いたり、新聞にインタビューに答えたりしても、それは積極的に評価して、うちの娘は宝だ、臓器提供した娘は我が家の家宝だと、こういう家族たちは表に出ます。しかし、悲しみに触れ、PTSDになったり、うつになったりした人たちは、外部から接触されることさえも拒否しています。そういうことを考えて、移植現場、臓器提供の現場というものがもっともっと現実に即した形で考えられなければならないし、そのことを踏まえて法律はどうあるべきかということを検討していかなければいけないと思うんです。
 私がお渡ししました大きな2の(3)、ドナー家族を支える体制についてというところの、四つほど挙げておりますけれど、今の現状は、ドナー家族が決断を迫られたときに激しい悲しみと葛藤、その中でそれを支える体制がないということ。そして、提供後のトラウマやPTSDに対処するものは自分で解決していかなきゃいけない、自分で医療機関を探したりしていかなきゃいけないという言わば自己責任扱いされているということ。三番目に、こうしたドナー家族のたどるグリーフケア、グリーフに対する、自らそれを乗り越えていくグリーフワーク、そして周囲から支えられるグリーフケア、これに対する社会的認識が極めて遅れているということですね。そして四番目に、こうした決断を迫られる混乱の場で愛する人の死を受け入れていく納得感というものを得られるには大変時間が必要なわけです。
 私の経験を言いますと、脳死と臨床的に診断されてからの六日間、これは息子が二十五年間生きてきたよりはるかに密度の濃い重要な時間でした。その間にどれだけ、人間が生きることや、人生や、あるいは家族のきずなや、様々なことについて深く深く問われ、考え、そして対話をしてきたか分からないほどです。それがその後の私の人生に大きな影響を与えました。
 同じように、死をみとった人々の中で、本当に豊かな時間の中でみとった場合と、せっぱ詰まるような形で、あるいは追い立てられるような形でみとった場合とでグリーフワークのプロセスが全く違っているということも取材の中で分かってまいりました。
 私は、死の臨床研究会や、様々な生と死にかかわる学会活動もこの三十年ぐらい続けてまいりました。そして、驚くべきことに、緩和ケアとかグリーフケアとか、そういったことを言葉でさえ医療者の中にはほとんど知らない人が過半を占めているという現実です。
 そういう中で、それでは子供の死というものがあったときどうなるかという問題が起こってくるわけでございますけれど、それを大きな枠組みの3というところで列記しました。
 子供の脳死というのは、多くの場合、突然死、交通事故とか、その他様々な事故、あるいは何らかの脳血管障害とか、様々な形で起こりますけれど、どんな親であれ子供の死は悲しいものです。虐待する親などは別としまして、ドストエフスキーが「カラマーゾフの兄弟」の中で書いてありますように、子供の涙は地球より重いということはすべての親にとって共通です。移植を待つ親も、あるいは救えない親もみんな同じです。イーブンです。そのイーブンの親たちの抱え込む心情はいろいろです。
 例えば、震災死の場合、ある臨床心理、グリーフケアの専門家が三十四人の子供を亡くしたお母さんの経過をずっと長年たどってきました。離婚、別居、そして周囲と従来のような交際ができなくなってくる、あるいは息子と同じクラスにいた子の親たちと付き合えなくなる、様々な葛藤を経ている家族が過半を占めていますね。あるいは自死遺族の場合、子供が自死した場合、もっともっといろんな意味で親の立ち直りというのは難しくなってきます。病死の場合でも、いろいろな病気の種類によってまた違いますけれども、大変大きなトラウマを抱えてまいります。
 そういう中で、大変私にとって人生の指針というか学びになったのは、例えば小児がんの子供たちを毎年夏にサマーキャンプに誘って、子供同士が支え合い、子供同士が命について深い考えをし、そして、中にはがんになって良かった、こんなふうに命を真剣に考えられる自分ができた、あるいは他者の痛みや悲しみも理解できるようになったと、こういう心の成長をするまだ中学生ぐらいの子が少なくないんですね。
 そういう命と死というものが突き付けられたときの子供の成長あるいは親の成長というものはとても重要な要素だと思うんです。それだけに、しっかりと見詰められる時間というものがいかに重要かを改めて考えさせられるんです。
 子供の脳死をどう考えるかについては、私自身多くの小児科の先生方とお付き合いしてまいりました。非常にばらばらです。学会として統一見解がある程度あるにしても、つい一週間ほど前に発足した小児科学会脳死プロジェクト委員会の中もやっと議論が始まったところで、片や子供の脳死を積極的に認める先生から、とても認められないという先生まで幅があります。
 票を集めて多数か少数かではなくて、意見が分かれているということは、それぞれ医療現場でそういう考えの違う先生方が脳死という現場に直面するということですから、法律で急いで一律に決めたときに現場が混乱することは避けられないと先生方もおっしゃっています。私もそう思います。
 そこで、これからの問題ですが、時間もないので簡単に申し上げます。
 最後の5に、今後への提言として書かせていただきました、八項目ほど。一人一人の死を大切にすること、臓器移植のニーズとの調和を図るために次のことを提言したい。
 (1)、脳死を一律に人の死と断言することは、一般の人々が更に意識の成熟する時期まで、あるいはそういう様々な社会的な取組が発展するまで待つべきではないか。
 (2)、脳死を死として受け入れられない人は、法的脳死判定を拒否できることを真っ先に法律の条文でうたうほか、そのことを社会的に広く認知すべきではないか。
 今回のA案ですと、それは確かに臓器提供意思ある人が判定を受け、脳死を死とするということになっていますけれども、法律全体の、そしてまた喧伝されているうたい文句は、脳死は人の死なんだということを大前提にしてA案を成り立たせている。そして、よく読めば脳死判定を拒否することができるようになっているけれども、それはあたかも例外的なようなイメージしか持たない。一体、このような法律の場合、脳死判定の現場、あるいはその前に同意を得る現場、そこで医師やコーディネーターはどのような会話をするのか、今までの法律とどう言葉が違ってくるのか、極めて困難な問題が潜んでいると思います。
 (3)、臓器提供を望む人の場合のみ脳死を人の死とする現行法は、日本人の心情と日本の死の文化の特質をうまく取り入れたものとして今後も大事に維持していってほしいということ。
 これは、日本の命の文化、あるいは一般的に価値観というものに通じると思うんですけれども、ファジーなところを大事にします。西洋の合理主義的、科学主義的に一律に線引きをする、白か黒か、イエスかノーかではないものを大事にする文化であります。恐らく世界的に見て、日本の現行法は例外的な法律だと思います。
 脳死は人の死というのは科学的な事実ではなくて、そういうことを決めようという人間が決める問題です。三徴候でなく、脳死を人の死にしようということは人間が決める問題です。その決める人間は日本人です。日本人の様々な心情の特性、文化の特性というものを大事にするのか、あるいはグローバルスタンダードに合わせて、世界に日本も国際レベルになったと誇らしげにするのか。それは、実際に脳死で愛する家族をみとる人の前で、世界はこうなっているからあなたは脳死を人の死と認めなさい、法律でこう決まりましたよと迫ることができるのかという問題にもつながると思います。
 (4)、子供の脳死については、小児科学会や様々な関連専門分野の見解がまとまるまで、少なくとも方向性が明確になるまで、法律で枠組みを先に決めてしまうのはやめるべきではないか。
 (5)、グリーフワーク、グリーフケアの重要性に対する社会の認識を高め、そのドナー家族への対応策を行政と医療界の両面で確立すべきことを法律でもうたってほしい。
 (6)、脳死判定への同意するまでの時間や脳死判定後の臓器摘出までの時間については、家族の心情に応じて十分に受容できるように配慮すべきことを施行規則などで明記する。
 脳死判定後、臓器摘出のために直ちに手術室に搬送するのではなく、数時間から一日くらいのお別れのときを設けるのが望ましい。これは御家族によりますと、もう十分お別れしましたといってどうぞと言う人もいらっしゃいます。しかし、多くの場合、先ほど読み上げましたように、極めて混乱とパニック状態の中でサインをしております。そういうときに、しっかりお別れしてください、一日待ってあげますとか、あるいはもう私たちはいいですと言った家族でも、せめて一時間ぐらいはそばにいて抱き締めてあげてください、言葉を掛けてあげてくださいという、こういう別れの時間を設けるかどうかということが極めて重要だと思います。それは、そういう時間を持ったことがその後のグリーフワークのプロセスに大きな影響を与えることを私はグリーフケアのいろいろな研究、そして現場から見てまいりました。
 (7)、移植コーディネーターの地位の改善と質の向上。
 これは、コーディネーターの現場で働いている状況をドナー家族の側から見た調査及び私自身がコーディネーターに個人的に会って話を聞いた中から、医療界においてコーディネーターの地位は極めて低いです。移植医側からもっともっと臓器を取れるようにうまく話せと言われた人もいます。そして、給料は安いです。社会的に何か誇らしげに言えるような肩書ではないといった、そういう人もいます。いろいろなはざまの中で苦しんでいるのがコーディネーターです。もっともっとこの地位を、現場で混乱する家族に対してどうやったらこのパニック状態から少しでも救えるか、それは何もカウンセリングしようということではないんですけれど、どういうコミュニケーションを取ればいいのか、それくらいのレベルを持ったコーディネーターがいないと現実の家族側のニーズにこたえることができないと思います。
 (8)、ドナー家族の心情の大変さについて移植医側が真剣に向き合い、理解を深める方策について学会が積極的に取り組むこと。
 決して臓器をどれだけ増やしたいから法律を変えるとかそういう視点ではなくて、本当にドナー家族に寄り添って、本当に提供が自分たちにとって良かったと、グリーフワークを進める上でとてもプラスになったと言えるような医療環境と医療者のコミュニケーション力、それが問われているんだろうと思いますが、十年たって現実は、そういう問題についての関心が実のところ現場にまだまだ浸透していない、また問題意識も必ずしも高まっていないというのが現実です。こういう中で、法律の改正だけが先行していいんだろうかということに私は大変疑念を感じるわけです。
 具体的にどういう法律にするかはこれから委員会で議論していただきたいと思います。また、私のこうした発言が移植を待つ御家族の方々にとってとてもつらい言葉だったかもしれませんけれど、本当の真実の命のリレーという意味ではどうしてもこういう問題も目をそらしてはいけないという意味で発言させていただきました。お許しください。
 以上でございます。
#76
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 なお、参考人の方々におかれましては、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次、挙手の上、委員長の指名を待って御発言願います。
#77
○丸川珠代君 参考人の皆様方、本日は貴重なお時間をちょうだいしまして、本当にそれぞれのお立場から深い見識を持ったお話をありがとうございます。
 柳田先生のお話の中に、やはり家族の立場、ドナーの方の立場についての国民の情報の共有、理解の共有がないというのはおっしゃるとおりなのだろうというふうに思いながら聞いておりました。
 そして、その柳田先生のお話の中にあった、脳死判定への同意をするまでの時間、あるいは脳死判定をしてから臓器摘出をするまでの時間について家族に時間を与えてほしいというようなお話がございましたが、これについて現実のところはどうなっているのかというところを篠崎参考人に伺いたいと思います。
 あわせて、もう一点、篠崎参考人に、移植をする、しないという選択そのものを迫られない自由を求める方たちもいらっしゃいます。つまり、そのこと自体を聞かれたくないという方もいらっしゃると思うんですが、そういう方に対しての対処や考え方というのをお伺いできますでしょうか。
#78
○参考人(篠崎尚史君) 御質問いただき、ありがとうございます。
 まず、先に申し上げておきます。私自身は臓器移植ネットワーク所属のコーディネーターではございませんので、ただ、それに絡めて私の施設で行われた例などを参考に申し上げさせていただきます。
 例えば、脳死判定までの時間というのは現場のコーディネーターが出動するまで、これは施行規則にもありますように、やはり主治医からの脳死の話があり、カードを持っているとか、それ以外の要件がそろった場合に初めてあっせん業、取りあえずこの臓器あっせん業と呼ばれるネットワークに連絡が来ます。そこで御家族とのまず話がありますので、私が経験した、私、院内の話を申し上げますと、私の病院で二例経験させていただきまして、病院の中側の話をしますと、かなり御家族には時間を取っていたという印象は私は持っておりますので、時間があるからといって急いでいた形跡は私は持っておりませんので、そこまでしかお答えできません。大変申し訳ございません。全体数のこととかには言及できませんので、ここでお許しいただければというふうに思います。
 また、もう一点なんですけれども、やはり移植を受ける側の先生の御質問でしょうか。やはり、移植を受ける受けないというのは、まず登録の問題になりますよね。
#79
○丸川珠代君 そうじゃなくて、ドナー……
#80
○参考人(篠崎尚史君) ドナーの提供の話でございますか。臓器提供をするかしないかという御趣旨でございましょうか。
 臓器提供をする、しないの意思というのは、御家族にまずお話をしますときに、私自身の経験から申し上げますと、やはりまずどういうふうに御家族の死を受け止めておられるかということを探るところから始まりますので、そこでのまず御認識があるかどうか、それと提供したいという意思がどのようにあるかということを徐々に判断していきます。
 先ほど柳田参考人もありましたように、お話を聞きたくないとおっしゃる御家族もおられますので、その際にはやはりそこで当然のことながらお話は打ち切らせていただいております。
#81
○委員長(辻泰弘君) いいですか。生前の書面による意思のことではなかったんですか。いいですか。
#82
○丸川珠代君 はい。
#83
○福島みずほ君 四人の参考人の皆さん、どうもありがとうございます。
 柳田参考人に一点お聞きをいたします。
 何件も弁護士会に人権救済の申立てがされていて勧告も何件か出ています。厚生労働省自身も行政指導を行ったケースがあって、私がそれぞれ事案を見ると、やっぱりちょっと驚いたのは、例えば遺族が非常に問題にして救済の申立てをしていると。例えば、一九九九年六月九日、交通事故により救急車で搬入された二十歳の患者の遺族が、救命治療を十分しなかったということで例えば申し立てていると。弁護士会の勧告は、これはやはりきちっといろいろやっていないというような勧告が出ていたり、あるいは無呼吸テストを随分何時間も前に早くやり過ぎているので、本人の体にとても悪い影響を与えているという勧告も出ている場合があるんですね。
 ですから、今回の法案もさることながら、過去の事例の中で遺族が救済申立てをしていたり、厚生労働省が行政指導をしているケースもあるというのは、ちょっと私自身は大変心を痛むというか、ショックだったんですが、実際、今回検証されて、これは問題ではないかとか、いかがだろうかというケースはあったんでしょうか。
#84
○参考人(柳田邦男君) 結論を言いますと、ありませんでした。どういうことかといいますと、検証会議では、医学的検証作業班という救急医療やあるいは脳の関係の専門家で構成された作業班があるわけです。その作業結果が全体会議の中で報告されてまいります。そして、検討する素材は、治療経過、もちろん発症から搬送、そして治療、判定、移植のための摘出という、これは分刻みで非常に詳しく報告されてまいります。その範囲で専門家を含めた全体会議で議論するわけですけれど、そういう中で見た限りは、治療が放置されていたとか、あるいは不十分であったということは私が経験している範囲内ではありませんでした。
 ただ、それを御家族が足りなかったと思って訴えたことによって何か新しい事実が分かって、そして事態が動いたということについては検証会議のこれ枠を越えた話なんで、それについては何とも申し上げかねます。
 以上です。
#85
○福島みずほ君 ありがとうございます。
#86
○山本博司君 公明党の山本博司でございます。大変にありがとうございます。
 私は、寺岡参考人と横田参考人に、小児の脳死判定基準に関して、先ほどの福島委員からも話があった件でございますけれども、A案となりますと、こうした小児の脳死の判定基準というのは大きな問題になってまいります。一つは、虐待が判別できるのかどうかというふうなそういった問題。それから、今、福島委員もありましたけれども、無呼吸テストですね、実際、これは人工呼吸を外して呼吸の有無を調べていくということで大変負担が多いんではないかというふうに言われる部分もございます。
 こうした脳死の判定基準ということをどうお考えになるのか、お二人にお聞きをしたいと思います。
#87
○参考人(寺岡慧君) 先ほども申し上げましたが、法的脳死判定は六歳未満には適用されないことになっております。それは、御存じのように、六歳未満では脳の回復力が高いのではないかということでありまして、これに対しまして、先ほど御説明しましたように、平成十一年に小児神経科医、小児脳神経外科医、それから小児救急医、それから一般の救急外科医等で構成される厚生省の、当時の厚生省ですね、研究班が組織されまして、そこで、先ほど申し上げましたように、六歳未満の脳死判定基準に関しましては、深部体温が成人では三十二度以下ではもう脳死判定してはいけないと、つまり低温ではそういった状況があり得るということですね。それを小児では三十五度まで上げるという、三十五度未満では脳死判定をやってはいけないという除外例に入れております。それから、もう一つ重要なことは、生後十二週、修正齢十二週未満の場合にはこれは脳死判定を行ってはいけない。と申しますのは、新生児では脳死判定が非常に難しいということがまだクリアされていないということでございます。それから、もう一つ重要なことは、成人では一回目の脳死判定と二回目の脳死判定の間の観察期間が六時間でございますが、小児ではこれを二十四時間以上取ることということになっております。これを満たせば小児の脳死判定も可能であるといった結論がそこで出ております。
 それからもう一つは、無呼吸テストのことでございます。無呼吸テストは、非常に誤解されている点がございまして、レスピレーターを切ってしまうので低酸素血症になるんではないかと、そのことが更に患者さんの状態を悪化させるのではないかというふうな誤解が多くあるわけでありまして、一般的に考えればそういうふうにお考えになるのも無理もないところもあるんでございますが、しかしこれまでの八十一例、実際には八十二例に脳死判定が行われております。その事例のすべてを見まして、一例も低酸素血症に陥った方、不整脈が出た方、血圧が下がった方はございません。
 それはどうしてかと申しますと、無呼吸テストを行う前に十分間純酸素で呼吸します。その後、レスピレーターを外して呼吸がない段階も、器官チューブの中に酸素カテーテルを入れまして、そこから六リットルの純酸素を流します。一分間六リットルの純酸素をずっと流し続けます。そうしますと、拡散でその酸素が血液の中に入っていきます。したがいまして、低酸素血症になることがないわけです。これを確認するために二分置きに動脈血中の酸素を測ります。そしてまた、経時的に皮膚のつめのところにいわゆる酸素モニターを置きまして、酸素が低下していないということを確認します。また、心電図、血圧も常に経時的に測っておりまして、これによって患者さんに侵襲が掛からないということを確認しております。
 最後に、もう一度申し上げますが、これまで八十二例全例、低酸素血症に陥った症例は一例もございません。これだけははっきりと申し上げます。
#88
○参考人(横田俊平君) 技術的な点は、今、寺岡先生がお話ししたとおりで、私どももそのとおりだと思っています。ただ、なかなか語られないことが幾つかあるので、その点についてお話しさせていただきたいと思います。
 一つは、小児科領域におきましても、先ほどドクターヘリの件でお話ししましたが、小児の集中治療医というのが成立して、この方たちが非常に活発に脳死とか、それから命が途切れそうな子供さんたちに積極的にかかわって医療を施し始めているという実態がございます。そういう中で、例えば五年前、十年前とは、脳死を判定する言わば専門医療が成立し始めているということがございまして、一般の小児科医がマニュアルに沿って、たまたま出会った患者さんの脳死判定をしているという実情ではないんですよね。
 そこのところを是非御理解いただきたいと思うことと、それから柳田先生のお話と照らし合わせて考えることが一つございます。
 それは、小児科医が子供の死と直面する場面というのは、この脳死臓器移植の場面だけではございません。私どもの高次医療機関におりますと常に、年間数人から十数人までの間ですが、例えば白血病の子供さん、がんの子供さん、それから突然死の子供さん、いろんな子供さんの死に直面しております。そういう中で、亡くなった場合には、私たちは医療者の務めとして病理解剖の提案をさせていただくことになります。と同時に、特に乳児期の今事故を除いた死因では最も多い乳児突然死症候群というのがございますが、この場合には、私たちが病理解剖をお願いするというよりももう司法解剖に入るわけですね。有無を言わさず解剖をするという事態もございます。
 すなわち、私たちは子供さんが亡くなるという事態に、ある意味で常に直面している。そういう中でこの脳死臓器移植の問題を考えると、必ずしもこれに特化した話ではなくて、私たち小児科医は常に心を尽くして御家族に死の受入れをお願いするというか、死の受入れを認めていただくようにしているわけです。
 その結果が、先ほどお話ししましたように、十分な医療を尽くされたかどうか、それが御家族の反応のすべてです。亡くなるのはしようがないことである、あるいはしようがない病気もまだまだたくさんございます。それをしようがないと言ってくださるかどうか。そこまでの間の我々の医療行為、それが何よりも大事なことだというふうに思っていて、成人とはちょっと違うと思いますが、先ほど柳田先生が言われた、一人一人の死に向き合えということを私は小児科医全般がやっていると思います。
 それから、虐待の問題ですけれども、これは私どもにおいても大変難しいものだと思っております。
 つい最近も私たちが経験した中で、ミュンヒハウゼン症候群というお母さんの方の病気で、子供さんが点滴の横から汚水を注入されるというような事態がございました。しかし、そのお母様と話している間に、私どもは、だれ一人として、そのお母様が子供さんの点滴の横から汚水を入れるような方だというふうには全く考えられませんでした。たまたまICUにおいて監視カメラでそれが見付かったということがあって発覚したという経緯がございますが、虐待の問題というのは、まあそれは特殊な例ですが、なかなか難しいというふうに判断しております。
 したがって、先ほど申しましたように、できるだけ、虐待の問題あるいは脳死臓器移植へ持っていくというときには虐待の問題を常に頭に置いて、かつ、それを幅広く取ってですね、取りあえずは、その中で移植が行われていって、やがて一年たち二年たち、またそのことの評価をしていくと、そういうようなシステムが必要であろうというふうに考えています。
#89
○谷岡郁子君 ありがとうございます。
 まず、先ほど柳田先生が指摘された点で、やはりある部分については、ドナー、良かったというものはこれまで出てきたけれども、やはり後悔したというようなものが出てこないと。何となく私たち自身も、やはり密室イメージといいますか、もっと検証の結果などが表に出てきて、もっと問題点の改善が提言されるというような構造にならないと、なかなか社会的な理解が得られないということに思えるわけですが、寺岡先生がその点についてどう思われるかということと、そして篠崎さんと柳田さんのお二人にお聞きしたいことは、これでもしA案が通りますと、ドナーカードの提示という一つの、ある種、家族の納得させる大きなものがなくなって、もっと家族の葛藤というものは言わば深まる可能性があるのではないかと、このことについてどういうお考え、御意見をお持ちになっているかということについてお伺いいたします。
#90
○委員長(辻泰弘君) まず、寺岡参考人、お願いします。
#91
○参考人(寺岡慧君) 御質問の趣旨は、要するに検証結果といいますか、公開、透明性ということをどう図るかということでございますね。
#92
○谷岡郁子君 と申しますよりも、やはり今まで成功例、バラ色例ばかりを私たちは伝えられている気がしておりまして、このシビアな、過酷な状況の中で、そうばかりではないだろうと。やはり、反省点や失敗を重ねて学んでこられたことなどがもっと正直ストレートに出てくる方が、私は、一般の理解を得られるのではないかという意味で申し上げております。
 何を公開しろというような具体的なことで申し上げておるのではなくて、姿勢を申し上げております。
#93
○参考人(寺岡慧君) 御指摘のとおりだと思います。
 しかし、これだけは御理解いただきたいんですが、失敗例、成功例というふうな、いわゆるクリアカットなものではありませんで、御家族がそういった決定をされるまでの間にはいろんな葛藤があって、その葛藤を乗り越えてそこにたどり着くわけです。ですから、いいか悪いかということがクリアカットに出るわけではありませんで、ある御家族では、ある局面ではどうかなということでかなり後悔されたり、あるいはその次の段階ではやはりこれで良かったんだというふうに決心されたりですね。そういったところにいろんなコーディネーターの方々がケアを行っていることの成果が出ているんではないかと私は思っております。
 ただ、どうやっても最後に後悔の念が立ってくるということを常に消し去れないということも、事例もあるかとは思います。しかし、そういったことがもう少し公表されなければいけないということはそのとおりでありまして、このことに関しましては、やはり何らかの形で御遺族のそういったことが、今、柳田先生から御報告ありましたけれども、そういった形で、個人情報に抵触しない形で公表されていく必要があると思います。
 ただ、このことに関しましては、いろんな遺族の会とかそういった形をどんどん経まして、また、遺族の方たちの横のつながりとかそういった問題で、私たちが介入できない部分、コーディネーターですら介入できない部分、これは遺族同士ですら、体験した遺族同士でしか克服できない問題もございますので、そういったグループでそれを克服していくというふうな試みも今現在なされております。
#94
○参考人(篠崎尚史君) 御質問の件で、今後、A案が通過した場合に、カードがない御家族に葛藤が出るかという御質問でございますが、一つは、確かに今までのシステムとは違うかと思います。ただ、過去、現状においても既に、例えば心停止下での腎提供の場合であったり、あとはもう五十年でしょうか、近い歴史のあるアイバンクであったりということで、やはりカードのない状況での提供というのは非常にあったということがありまして、そこでのスタートと、やはり今回は急激な、例えば御家族の変化による、そこでのストレス部分というのが多分一番大きな違いではないかというふうに思いますので、それは、コーディネーターとしてはやはり同じように御説明申し上げる、御理解いただく時間を取るしかないと思います。
 また、御家族における葛藤。急にそれを知らされるということは、実は今までの意思表示カードのケースでも随分ございましたので、そのカードを持っていたことを知らなかったということで、お持ちですがということで知らされるということもありますので、そういったところの葛藤というのはいろんな形を変えて、常に御家族の、そういった病状を知ること以外にもおありになるんだろうと思います。それには、個々に対応していって社会的な理解を得るプロセスが必要なのではないかというふうに考えます。
#95
○谷岡郁子君 今の……
#96
○委員長(辻泰弘君) まずお伺いしましょう。お二人にお聞きになられたでしょう。だから……
#97
○谷岡郁子君 まず、今の篠崎さんの発言に対して……
#98
○委員長(辻泰弘君) ちょっとまあ待ってください。
#99
○谷岡郁子君 はい、分かりました。
#100
○委員長(辻泰弘君) 柳田参考人。
#101
○参考人(柳田邦男君) 質問の内容は、ドナーカードがなくなったらどういう変化が起こるかということですが、これまでの調査の中で、ドナー家族はまず肉親がもう死が避けられないというところで動転し、悲しみに打ちひしがれるという、そこでカードがあるというのが分かってくる。それは、事前に家族が話し合って合意している場合は比較的素直に受け入れるプロセスをたどりますが、半分ぐらいはそういう事態になって初めて、財布の中にドナーカードがあったとか、家にドナーカードがあるのが分かったとかということで、何日かたったところで分かるんですね。そこで決断を迫られるわけです。本人の意思を生かさなければいけない、しかし自分はどうしていいのか分からない、脳死って何なんだという。
 ところが、今、ドナーカードというのが一般的になくなって家族の決定があれば臓器摘出ができるということになりますと、一〇〇%家族に責任を負わせることになり、家族は大変な葛藤、悲しみの葛藤に加えて、一〇〇%責任を負わされるという葛藤ですね。その場合に、事前に家族間で合意がなかった場合、あるいはそういうことをしようねという会話がなかった場合、後に尾を引くことが当然多くなるのではないかというふうに予想されます。これは何例かを見てきた経過からの推定です。
#102
○委員長(辻泰弘君) 谷岡さん、いいですか。
#103
○谷岡郁子君 はい。今、柳田先生のお答えで分かりましたので。
#104
○南野知惠子君 ありがとうございます。
 四先生方に大変含蓄のあるお話を聞かせていただきました。
 私は一点に絞りたいんでございますが、今、柳田先生のお話の中に、心と命という問題又はその死のグリーフケアをどのように図っていったらいいかというようなもろもろの課題が含まれて、大変大切な課題であろうかと思っておりますが、今、映画のカンヌ祭などでも、「おくりびと」という問題が、今、日本人の心を表しているように思うわけです。それらと関連する臓器移植という問題について一言教えていただきたいことと、それからコーディネーターとはどういう教育の中身があって、どのくらいでそれが大丈夫なのか。今二十一人というところでございますが、その質を高め、量を増やしていくということについて何かお考えになる点がございましたら、コーディネーターの養成にお立ち会いの篠崎先生、お聞きしたいと思います。
 以上でございます。
#105
○参考人(篠崎尚史君) 御質問でございますが、まずグリーフケアということでございますが、これ実はグリーフケアの教育プログラムというのを、これは実は厚生労働省の研究事業の中でもう七年前からプログラム組まれておりまして、現在、いろんな地域でこれ試して、教育プログラムを組んでみております。このような知見を踏まえまして、やはり御家族のグリーフをどのようにケアできるかということでございます。
 これ、実は非常に難しい問題で、先ほどの柳田先生の話にもありましたように、心的な、いわゆるPTSDのような心的外傷になってしまったり、あるいはトラウマになる。これ、実はグリーフケアの中でもかなり急性な反応、いわゆる実はグリーフケアではなくて医学的な、精神科学的な領域に入ってしまう患者様でございまして、これは現状でも別に臓器提供にかかわりなくいろいろな局面で生じるものでございます。
 ですから、コーディネーターとしましては、やはりその辺の見極めといいますか、お話の仕方一つでもこれは実は相当心的なストレスを、同じ話を同じようにしているつもりですけれども、それは心的なストレスを与えるケースもございますので、それを注意しております。
 それにつながりまして、御質問の二番目の教育に関してでございますが、やはり一つはグリーフケアに関してですね。これは、まず理論のところ、これは精神科の先生方に教わるような理論値のところでございまして、それと同時に、我々がロールプレーをやるというのがあります。これは、実は臓器移植ネットワークの主催するセミナー、それを私は実は受ける側の立場でございますが、それと同時に、私ども教育機関としてやっていますことは、やはりそういったロールプレーをやりながらやります。ただし、ちょっと言葉で誤解をいただくと困る点が一つありまして、カウンセリングというような言葉と、まあ言葉で言いますと、例えばインタビューということと、カウンセリングということと、それといわゆるコンサルティング、そして最近ではコーチングというのがありますので、実はコーディネーターがお話を聞き出したいときにどのように話を持っていくのか。あるいは、特に日本の文化におきまして、やはりそういったお話を聞き出すということは、そういう急な御家族の不幸に際してお話を聞くというのは、非常に海外に比べて独特な文化を我々は持っているんではないかというふうに認識しております。その際にも、やはり話し方も含めて、話す内容ばかりでなく、そういった姿勢も確立していなければいけないというので、そういった教育、いわゆるコーチングの教育まで含めて行って実践しております。
#106
○参考人(柳田邦男君) 移植医療に限ったことではないんですけど、現代医療というのは人間の命を比較的物の視野の中でとらえる傾向が強い。臓器とか細胞、遺伝子、組織、そういったものでとらえがちなんですね。それが移植医療の場合には臓器という物で命のリレーを考えがちなんですが、この人間が人間たるゆえんは、そこに精神性の命があるというところ、これが非常に大事だと思って、それが悲しみやあるいはトラウマを抱えて大変な人生を歩むことになるとか様々なところへ影響してくるわけです。
 実は、私、医療者がより人間の魂の分野について、あるいは宗教的な心についてもっと持つべきではないかというある企業の社長さんの篤志的な奉仕を受けて、それを基金にして高野山二十一世紀医療フォーラムというプロジェクトを立ち上げて、この六年ほど、私、理事長として事業展開をしてきているんですが、南野先生にもその理事をお願いして大変有意義なお力添えを得ているんでございますけれど、御質問の趣旨もそういう流れの中でよく理解できます。
 私が先ほど申し上げましたように、みとりというものがドナー家族にとってとても大事であるのに、臓器提供というとその臓器という物の受渡しに限定されがちな問題を、そこにもっともっと、ドナー家族の精神性やあるいは家族のきずなや様々なことについて、その無形の部分に目を向けた形で移植医療というのが成立しなきゃいけない。
 私はかねて、人の痛みを感じる国家というのは可能なのかどうかということを絶えず考えてきたわけです。どういう形で法律や行政制度をつくったら、人の心の痛み、あるいは弱者の痛み、死に行く人への思い、そういったことが国家がかかわり得るのか。これは、恐らく行政の専門家や法律家は一笑に付すかもしれないけれど、しかし一国民として考えたときに、それこそが重要なんではないか。
 ですから、この臓器移植法の改正に当たっても、単に臓器の受渡しなり判定なり、そういったことに加えて、ドナーになる人の心の問題、家族の心の問題、そしてそれを待つレシピエントの心の問題、それらがイーブンにきちっと明記されるような文言というものを発明してほしいと思うんですね。それは日本の文化をつくる上で大変重要な一つのワンステップになるんではないかなと、そう思うわけです。
 長い間、死生学を研究した立場からいえば、その辺りのことが、この臓器移植、もし改正するならば、ひとつそういう精神性の命というものまで視野を広げた意味での文言や条文が入れば、非常に広く国民の中に受け入れられるものになるだろうし、移植医療への心構えもできる。
 具体的には、幾つもあるんですけれど、繰り返しになりますが、時間的ゆとりということが極めて重要だということ。これは「おくりびと」の中にもそういうのが語らずして出ていますけれど。先ほど別な御質問のところでも、せかされることは実態どうなっているかということですが、判定に入る前の判断は比較的時間が与えられております。御家族に対して、それじゃ御家族で話し合ってくださいと言って半日とか一日待つ場合も少なくありません。これはとても大事ないいことだと思います。
 しかし、脳死判定の二回目が終わりますと、ほとんど家族は、もうこれ以上遺体のそばにいてはいけないのではないかと暗黙のうちに勝手に判断して、医療者から、そしてもう移植医が付いていますから、摘出の手術室に連れていくことに同意しちゃうんですね。そこを、むしろ医療者側が先手を切って、しばらくお別れの時間を持ってくださいと言うぐらいのものがあって初めてこの制度というものが人間の痛みを感じる制度というのか、それを実現するものになるし、移植提供者、臓器提供者がその後の人生を生きる上でとても大事な意味を持ってくるんじゃないか。
 そういったことを具体的に、この法案、細かいところでもっともっと改正すべきだと思うんですけれど、検討していただきたいなと思っております。
 以上です。
#107
○南野知惠子君 ありがとうございました。
#108
○森ゆうこ君 民主党の森ゆうこでございます。
 先生方、大変ありがとうございます。特に柳田先生のお話は、実は参議院の先生方、いろいろなこの問題に関してお話をさせていただくときに、先ほど先生が論点整理をされました問題点について非常に参議院の先生方が深く考えていらっしゃいまして、先般、五十二人の賛同者を得て参議院の独自案、いわゆる子ども脳死臨調設置法案を提出をさせていただいたところでございます。ドナー及びレシピエント双方の人間の尊厳、これを尊重できるように、そして人権がしっかりと守られるように検討、そして検証すべきであるということを中心とした法律でございます。
 そういう私の立場を申し上げた上で各先生に御質問させていただきたいんですけれども、日本小児科学会の横田先生にお聞きしたいんですが、先ほど先生が小児科学会の正式見解ということでお述べになられた文章につきましては、私の把握した時点では小児科学会の正式見解というものとは若干違っております。先ほどお述べになられたのは日本小児科学会の正式見解、それはいつのものなのかをお示しいただきたいことと、そして、それはこの二〇〇九年四月二十七日に日本小児科学会倫理委員会の緊急見解とは随分見解が異なっているのではないか。この倫理委員会の緊急見解においては、いきなりA案が成立したら大変なことになるという懸念を示されておりますが、それとは若干趣旨が違うのではないかと思いますが、その点についても御見解を賜りたいというふうに思います。
 また、移植学会の寺岡先生にお伺いいたしたいんですけれども、衆議院におきまして六月十八日の採決のときに、A案提出者から衆議院本会議場で文書が配られました。その中で、A案はWHOが推奨する臓器移植法案ですというコメントがございます。A案はWHOが推奨したのでしょうか。そういうふうに御認識を持たれているのであれば、そのことについて伺いたいと思いますし、世界水準だというふうなA案の方のコメントもあるんですが、ならば、なぜWHOの勧告案に明記されております生体移植についてのきちんとした法制化の部分がないのか。もしお分かりでしたら御答弁をいただきたいと思いますし、もう一点は、臓器摘出時の麻酔の使用について御見解をいただきたいと思います。
#109
○参考人(横田俊平君) お答えいたします。横田です。
 日本小児科学会は二〇〇六年に脳死臓器移植に対する見解を提出しております。それによると三点ございまして、一つは、脳死判定の問題がまだ不十分であろう、二つ目は、虐待死の紛れ込みを排除できないではないか、三番目は、子供が移植ということ、臓器を提供するということに対しての承諾をするのは無理ではないかと、この三点が二〇〇六年に小児科学会が声明として出したものです。
 私がこの会の学会長になりましたのが昨年の四月です。その後にこの検討を始めまして、この倫理委員会が中心で出された三点について、それはそのとおりだということを認めた上で、しかし二〇〇六年以降、この倫理委員会はこの脳死臓器移植について全く活動してないんです。それは御存じだと思いますが。
 したがって、その後に、今問題になっているのは、ドナーの問題のほかに、もう一つレシピエントの問題がある、この問題。それから、移植後の子供さん、御家族のグリーフケアあるいは緩和ケアの問題についての議論が全くなされていないという事態の中で、私も倫理委員会の方に出向きまして、倫理委員会との議論をこれまでしてまいりました。その中で、倫理委員会の方々も、ちょっとこれも変な話ですね、学会の中の倫理委員会というのは一つの小委員会ですから、そこで議論をしたということですが、そこで認証されたものが今日のお配りしました一番最後の日本小児科学会の見解というところに述べているものです。
 趣旨は、A案、B案、C案、D案、あるいはE案があるかもしれませんが、それぞれの案のどれに賛成するかというのは、これは国会の先生方が決める問題で私たちの問題ではないです。それが一点。二つ目は、二〇〇六年の見解も基本的には脳死臓器移植における基盤整備を要望しているものだったというふうに理解しました。そうしますと、今日るるお話ししましたように、ドナーにしてもそれからレシピエントの側にしても、その心理的ケア、グリーフケアを含めて基盤の整備がなされていないというところは二〇〇六年以降全く変わっていない事情にございました。その件を倫理委員会も認証したということで、つい一週間前の日本小児科学会の理事会において今日ここでお話ししたようなことを私がるる述べまして、理事会で認証されました。
 もう一点申し上げると、倫理委員会が記者に対して公表した内容は実は理事会に全く諮られていなかったもので、あれは倫理委員会に属する先生方の個人的見解というふうに御理解ください。
#110
○委員長(辻泰弘君) 麻酔薬のことは。寺岡参考人、お願いしてよろしいですか。
#111
○参考人(寺岡慧君) まず最初にWHO、先にWHOのことをお話しいたします。
 WHOのガイディングプリンシプル、これは臓器の提供に関する意思確認方式のことでございます。これに関しましては、明確に本人の生前の意思がある場合にはそれを尊重すること、そして本人の意思が不明な場合には家族の書面による承諾でこれを可能とするというふうに明確に記載されております。したがいまして、このA案はそれに準拠しているというふうに私が御説明したわけでございます。
 それから、第二番目、生体臓器移植を法制化すべきであるということでございます。これは、WHOの指針それからイスタンブール宣言、これに関しましては確かにそのような記載がございます。しかし、これは、よく読んでいただきますとお分かりになりますように、いわゆる貧困な方々とか弱者から臓器を取ってそういった方々の権利を奪っていると、そういうふうな、おとしめている、あるいは臓器売買が行われている、そういったところではそれをきちんと法制化してそういったことを防がなければいけないというふうにきちんと書いてあります。
 しかし、それは、アメリカとか日本のようなきちんとした形で臓器提供が、生体臓器移植におかれまして行われているところで法律化しなければいけないということを義務付けるものではございません。
 それから、もう一つこれは言わせていただきますが、日本は生体臓器移植は最も世界で厳しい条件下で行われております。そしてまた、日本の臓器移植が法律に全く規制されてないというのは、これは認識の誤りでございまして、日本の生体臓器移植は、臓器の移植の法律の運用にかかわる指針の中にきちんと規定がなされております。これは最も厳しい規定です。
 つまり、レシピエントとドナーを関係を証明する公的証明書を必要とするということ、そしてまた本人の証明する写真付きの証明書がなければ移植してはならないと。そしてまた、ドナー御本人の提供の自発性を確認するために第三者がこれを必ず確認すると、移植にかかわらない第三者が確認するということが行われ、また日本全体でそれが履行されております。
 そのように、日本におきましては生体臓器移植は、これが十分かどうかという点に関しましては御議論があるかもしれませんが、世界で最も厳しい規制の下で行われております。
 それから最後に、移植時の麻酔の件でございます。
 これは確かに、これまでの八十一件のうち数例において吸入麻酔薬が使われたものがあります。それは例えば、これは痛みを取る目的ではありませんで、血圧の上昇をコントロールするものでございます。例えば、ある事例に関しましては、褐色細胞腫と申しまして、血圧が二百、三百に上がる、これはホルモンの病気でありまして、そういった病気があります。こういった血圧をコントロールするためにやむなく使われたものでありまして、痛みを取るためのものではございません。
 また、脳死になりましても、脳、大脳、それから脳幹の機能は完全に消失しておりますが、脊髄の機能は残っております。そうしますと、脊髄機能が残っておりますと、脊髄自動反射あるいは脊髄反射は、これは残存しているわけでございます。そうしますと、筋肉が固くなったり筋肉が動いたり、そういったことによりまして安全に摘出手術ができないことがありますので、筋弛緩薬が投与されることはもちろんございます。しかし、痛みを取るための麻酔薬というのは使われることは決してありません。
 以上でございます。
#112
○森ゆうこ君 痛みを取るための麻酔薬は使われたことがないというお話ですが、しかしその本当に痛みを取るためじゃないのかどうかの証明はないわけで、一方で血圧のコントロール等のためにも麻酔剤が使われるということが誤解を招くようであるならば麻酔剤はもう使わないというふうに、福嶌先生ですか、これは衆議院で参考人として過去にお述べになられておりますが、実際に麻酔の専門誌のところに、二〇〇七年七月の五十三例目におきましては、やはり鎮痛剤レミフェンタニルが大量に投与されているという報告があるわけで、先日、本会議においてA案の提案者が麻酔は使わないというふうにおっしゃったのは、ちょっと事実とは違うのではないかということをやはり懸念として持っているということを申し上げさせていただきます。
#113
○委員長(辻泰弘君) 寺岡参考人、コメントありますか。
#114
○参考人(寺岡慧君) よろしいですか。
 痛みの伝達経路というふうなことを考えていただければ、これはもう自明の理でございますが、脳幹、そして大脳の機能が不可逆的に機能がなくなっておりますと、痛みを感じることは、これはありません。しかし、これを証明しろというのは、これは不可知論でございますね、これはなかなか難しいことかもしれません。しかし、医学的な常識、少なくとも医学的常識からいいますと、脳幹機能、大脳機能が不可逆的に機能が停止しておりますと、痛みの伝達経路、それから感覚経路からしますと、それを感知することは全くございません。
 そして、その血圧が、じゃその痛みで、ために上がったのか、そしてそれから脊髄自動反射その他の反射によって上がったのか、これを証明することはできるかということに関しましても、現在の医学ではこれは不可能です。おっしゃるとおりです。しかしながら、医学的な常識、これはもう私の常識ではありませんで、全世界的な医学的なコンセンサス、常識から申し上げますと、脳死に陥った場合、つまり脳幹も含む全脳の機能が不可逆的に停止した場合に、痛みを感じることは絶対にございません。
#115
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
 横田参考人と柳田参考人にお伺いしたいと思うんですけれども、ちょっと最初に横田参考人に、先ほどの議論の続きになるんですが、参考人は、要するに小児科学会のコンセンサスというのはA案でもB案でもC案でもD案でもE案でもないと、そして要するに三つの基盤整備、虐待の症例をどう見分けるか、それから小児の脳死判定基準をどうするのか、それから小児の意見表明権をどうするのか、これをやっぱり解決するというところが日本小児科学会のコンセンサスであるという御説明だったと思いますので、倫理委員会云々のことは後日、倫理委員長をお呼びしますのでまたそこでお聞きしますが、ということは、要するに先ほど横田参考人がおっしゃった法案の改正を望むというのは、これはA案という意味ではないということでよろしいですね。そこのところをちょっと確認させていただきたい。
#116
○参考人(横田俊平君) 私どもの見解では、A案、B案、C案、そういう議論は国会の議論であろうというふうに思っています。
 それで、先ほど基盤整備は必ずしも、今日るる十五分間お話しした中にございましたように、御家族の方が医療が十分尽くされたかどうかというところが大きなポイントなんだというお話を今日したつもりでいます。そういう意味で、脳死判定の問題等、今後、臨調というものがつくられるんでしたらそういうところで議論してほしいですが、小児の救急医療体制を含めて、グリーフケアと小児医療というのが非常に片隅に追いやられていたというこれまでの歴史的経緯がございますので、その辺の基盤を整備していただきたいと、そういうことの訴えでした。
#117
○小池晃君 分かりました。
 何か先ほどのお話聞いていたら、何か小児科学会はA案を支持されているようなちょっと印象に聞こえたので、そうではないということがはっきりしましたので良かったと思います。
 それから、柳田参考人にお聞きしたいのは、大変ずっしりと心に響くお話を聞かせていただいて本当にありがとうございました。国会が、衆議院では八時間の審議で委員会は終わってしまって本会議で採決をしたと、それで今、参議院に来ているわけです。やっぱり、こういう本当にすべての人の生死にかかわる重大な法案、先ほど検証委員会の議論がされていなかったのが非常に不思議だというお話もありましたけれども、国会の議論にどういうことを期待をされるか、求めておられるかということについて、参考人の思うところをお話しいただければというふうに思います。
#118
○参考人(柳田邦男君) 国会でやることは法律を決めることですから、どういう法律を作るかということで、それは法律の文言の中に何を盛り込むかということで国会の意味が出てくると思うんですけれど、そこを先ほど来申し上げましたように、この移植医療というものが人の、しかも一人一人の、個別性のある一人一人の死というものをどうとらえ、それをどう見守っていくかということなわけですから、そういう配慮の上に、画一的に何か線引きをしてみたり、何か押し付けたりするようなことではやっぱり本当の命の文化にならないんじゃないかと思うんです。
 先ほど、私、文言を是非研究し、いい表現を発明してほしいと申し上げましたけれど、条文というのは、今の現行法でもそうですけれど、どういう場合にはこうするというのは、もう極めて簡略に臓器の扱いとか認定とか診断とかということを言うわけですね。心の問題というのは法律になじまないわけです。だけれど、それはどういう形で可能かというと、例えば条文の中に脳死者のみとりについてという条を作って、そこでいかにそういうものを大事にし、そして国民文化の中に生と死の文化というものを根付かせるか、これが大変大きなモチベーションになるんだというふうなことを書き込むことは可能だと思うんですね。その具体的内容は施行規則で決めるとか、何かそういう形で、いい意味で縛りを掛けることができるわけです。ただ、がむしゃらにやるんじゃないよというようなことですね。それは一つの方法かと思うんですね。
 いずれにしましても、最も根幹となる脳死とは何か、あるいは脳死は人の死なのかというところについては、もう今日の午前、午後、そして二日前の議論の中でもしきりに議論されて、そしていろんな角度から疑問も出されているようですし、そういうものを配慮した上で、何か今世界はこうなっているからこうだというようなことではなくて、日本人としてみんなが生きやすい、そしてより良い死のみとりができる、それは何だろうかという角度から独自性を持ったものが出ていいと思うんですね。
 そういう意味で私は、日本の文化あるいは日本人の心情、そういうものに対する配慮の利いた脳死臓器移植立法というものを探っていただきたい、それが今、国会の役割、政治の役割ではないかと思っております。
#119
○谷博之君 もう時間が来ていますから簡潔に柳田先生にお伺いしたいんですが、これ、私の体験をちょっと申し上げたいんですけれども、ある臓器移植患者団体が毎年街頭に出て、いわゆる臓器移植の趣旨を書いてドナーのいわゆる登録の協力を要請する、そういう行動をやっているんです。私もそういうところに患者団体の方と一緒に参加することがあるんですが、比較的若い人たちはそういうときに協力してくれます。
 問題は、そういう方々、非常にこれはいいことだと思うんですけれども、ただ、それが、例えば家族の中でそういうドナーに登録したとかそういうふうな話が果たして具体的にされているのかなとか、それで、瞬間的にそういうチラシを見て自分はそういう気持ちになって、じゃ協力しようというふうになったとしても、万が一そのことが家族は分からなくて、本人だけで決めてしまっていたと。それが、こういう脳死状態になったときにそこが問題になってくるわけですけれども。
 先生が今九人の方にお会いしたとおっしゃいましたですね、ドナーの、提供された遺族の方ですか。そういう中で、今私、申し上げたようなそういう、いわゆる病院の現場でそういうことを初めてその家族の人が知らされたとか、ドナーに登録しているというようなことを。そういうことについて何か、聴き取りの中でそういうお話を聞いたとか、そういうことはございませんでしたですか。皆さん、全部分かっていましたですか。
#120
○参考人(柳田邦男君) 最後のところがちょっと聞きにくかったんですが。
#121
○谷博之君 ですから、脳死状態で、いよいよ家族がどうするかというふうなことになったときに、患者本人が、ドナーの患者さんがドナーに登録していたということを初めて家族が知ったとか、そういうふうなことじゃなくて、もう前々からそういうドナーに登録しているということを調査したというか、聴き取った家族の方々は、皆さんはもう最初から分かっていたわけでしょうか。
#122
○参考人(柳田邦男君) 九家族を面接したのは専門家でございます。精神科医あるいは臨床心理士二名です。必ず二名一緒に行っております。その報告は聞いております。それは、作業班というクローズドなミーティングでずっと詰めてやっておりますので、非常にリアルな話を聞いております。私は面接したわけじゃないので。
 それから、九例に限らず全体的傾向として、ドナーカードを持っていたから調査したとか、そういうことではなくて、両者はほぼ半々と考えていただければいいと思います。土壇場になって初めてドナーカードを持っていたのを知ってどうしようというふうに決断を迫られるという家族と、持っているのを知っていて、そして決断を迫られる家族と、両方です。
 それから、ドナーカードを持っているのを知っていてもなおかつ迷う家族が多いということです。いざ、ここで署名すれば体に傷を付けるとか、あるいはまだ人工呼吸器の助けを借りているとはいえ、動いている生体に傷を付けていいんだろうかとか、いろいろとそこで煩悶し葛藤いたします。そういうのが実態でございます。
 それから、若い人が比較的協力するという、これは結構なことで、特に大学とか、大学祭や何かで宣伝しますと協力者が多いんですね。大いにそうした普及活動は進めるのは望まれると思いますけれど。
 もう一つ大事なことは、本当に自分がその身になったら、あるいは自分の愛する連れ合いなり子供なりがそうなったら、あなたはどうしますかというこの問いを同時にしておかないと、ただ人道主義的にカードを持とうとか、まして、これからカードなしでもいいということになりますと、その辺りのことが、逆に家族として今度直面したときにどうするんだろうかということが、カードがあれば議論する、家族間で議論した例もその八十一例の中には何例かあります。家族で議論して、最初のうちはそんなことはと反対した家族も、いろいろと議論しているうちに同意をして、それじゃお母さんも持つわというような、そういう家族もあります。こういう場合には比較的受容とそれからそのグリーフワークもいいんですけれど、いきなりというのが一番後に尾を引くんですね。そういった意味で、本当に自分がその身になったらということをいつも考えるような、そういう普及法でないと、いざというときに役立たないというか、むしろ困惑する。
 ですから、カードをなくするということは、臓器を取りやすくするというような意味でそうやるんでしょうけれど、しかし本当にそれがいいんだろうか。死のみとり、あるいは家族のその後の喪失体験後の生き方、それでドナーカードという何かそこに柱を外しちゃうみたいな、そういう意味を持つんではないかというのが、この心情調査から感じたことでございます。
#123
○衛藤晟一君 四名の方に実はお聞きさせていただきたいんですけれども、今A案が衆議院から私どもの方に回ってきました。そのA案の脳死に関するところで、言わば前の法案の方がいいんだと、六条のところをめぐって、という意見と、いやいや、むしろ人の死という具合にとらえるという観点も残っていて、そして、かつ脳死に限定した方がいいんだという原A案と、それからその前のところについて、いや、もうこれは脳死に限定したものだという具合にした方がいいんだという考え方が、今日、両方いろんな方からお聞きしたんですけれども、先生方お一人お一人として、どっちの方がはっきりいいんだというのか、いや、それはできればこっちの方がいいのかなということなのか、それはどっちも駄目なのかということをお答えいただいて、そしてそれに対する理由をお聞かせいただければと思うんですけれども。
#124
○委員長(辻泰弘君) 六条二項のことについてですか。
#125
○衛藤晟一君 はい。
#126
○委員長(辻泰弘君) それじゃ、寺岡参考人からお願いいたします。
#127
○参考人(寺岡慧君) 私の基本的な考えは現在のA案でございます。すなわち、脳死は人の死、医学的に人の死であるということは前提とし、そして、しかしそれは臓器移植のときにしか適用しないという考え方にしていただけるのが一番、私どもは今回の改正の趣旨に沿ったものではないかというふうに考えております。
 その理由について御説明してよろしいですか。
 その理由につきましては、やはり脳死が医学的に人の死ではないというふうなことになりますと、これはいろんなところで問題が起きてきます。一つは、救急の現場において非常に大きな問題が起きてまいります。すなわち、今の法律では、御本人がイエスと言えば、これは死となります。しかし、御本人がノーと言えば、これは死とならないという。つまり、同じ医学的事象でありながら、御本人がイエスと言うか、ノーと言うかによって、それが全く結果が変わってくるということが現在の医療の現場に大きな混乱を起こしております。
 しかし、私はこれは当初、一九九七年においては、あの段階での国民のあるいは社会の脳死に対する意識、そういったものからすれば、それを個々人の自己決定権にゆだねるということは、これは致し方なかったことだろうと思いますし、大人の知恵だっただろうと思います。しかしながら、先ほども申し上げましたように、少しずつ脳死に対する考え方が社会に浸透してきた現在、やはりその辺はきちんとしていただきたいと思います。
 しかし、絶対に重要なことは、これは法律の第一条にもありますように、そして、そういった考え方と、あるいはその法律はユニバーサルに規定するものではなくて、臓器の提供、臓器の移植のときにのみそれが適用されるというふうな、限定するという条件下で現在のA案を私は支持しております。
#128
○参考人(横田俊平君) 私が日本小児科学会を代表して先ほどからお答えしています。
 その中では、先生の御質問に合致するとはならないと思いますが、とにかく法案を改正してほしい。その中で、小児医療の基盤、救急医療であるとか高次医療であるとかグリーフケアであるとか、そういうものの基盤をきちんと整備していただきたい。
 なぜならば、理由は、厚労省の方たちも、これは議員立法であるから、自分たちで勝手に動くわけにはいかないんだと言われています。したがって、早くに法律を通していただきたい。通していただきたいというか、改正していただきたいと思います。
#129
○参考人(篠崎尚史君) 私もA案のこの脳死は医学的な死であるという医学的なところ、これは医学界で出していただくべきことであると思うんですけれども、法律的にそこが定まってなければ国民の理解がどうやって深まるのかと。ないものに対して理解する、これ、多分不可能だと思うんですね。ただ、作ったから全部理解しろ、これも厳しいものがあるのかなと。今のような形で、この形で進めていって徐々に国民の理解も深まる日が来る、あるいは何もしなければ多分どんな宣伝をしても理解は得られないんじゃないかというのが私どもの考えです。
#130
○参考人(柳田邦男君) 先ほど来、日本文化の特殊性、ファジーなところを大事にするという視点を私も大事にしたいと思っているんですけれど、現行法は脳死は一律に人の死としないであいまいなところを残しています。それはすばらしいことだと思っております。
 これは医学者と対立するかもしれませんけれど、ドナー家族の意思が脳死を死とする方向へ行くのか、あるいは死としないで心停止を待つようにするのかというのは、極めてダブルスタンダードと批判されるかもしれません。また、刑法学者はそう言うでしょう。医学者は、それは科学に対して忠実でないと言うでしょう。しかし、一人一人が生きるその個別性のある人生と死生観を大事にするという意味では、こうしたダブルスタンダードこそが私は新しい文化の在り方であり、日本が伝統的に持っていたあいまいさの良さというところを残すものだと思うんです。そういう中で人間はそれぞれの生き方を追求できるし、死の迎え方も追求できるというふうに思うわけです。
 したがって、A案のように脳死は人の死とし、そしてドナーカードはもうほとんど要らないような状態にしてしまうということは、必ずしもそうした日本人の死の迎え方に対する文化を合理主義的、科学主義的なもので割り切ってしまうことになりかねないという危惧を抱いております。どうしてもA案に対して私が納得できないのは、そういう日本の文化を壊してしまいかねないような、そして個別の価値観を一律に科学主義の下でひれ伏させてしまうという、こういう行き方に対して疑問を抱くからです。
 そしてまた、子供について、子供を失うということは親にとっては大変な悲しみです。だからこそ、移植医療を待つ人たちが切実に海外にまで行くわけですけれど、提供する側の子供の命をなくしている親も同じように痛切な悲しみと衝撃を受けているわけでありまして、そうした親御さんたちが本当に納得のいくみとりができるようなそういう制度でなければ、大変それは日本人がいい死の文化、命の文化を持ったことにならないんではないかというふうに思うわけです。
 以上でございます。
#131
○古川俊治君 確認なんですが、篠崎委員、今、今の状況がいいというふうにおっしゃいましたね。今の何が。それをちょっと。
#132
○参考人(篠崎尚史君) 僕は、今のこの状態で、議論をA案のままで進めていただければというふうに言った次第でございます。
#133
○古川俊治君 付言させていただくと、寺岡先生に一つ。現行A案でも実を言うと家族の意思によって生か死かが決まりますので、先生おっしゃった矛盾は直ってないんだというふうに思っております。
#134
○参考人(寺岡慧君) おっしゃるとおりです。最終的には大きな差はないんだろうと思います。
 しかし、問題は、やはり医学的に脳死は死である、ただこれが社会的に法的に死であるかどうかということはまた別としまして、医学的には死であるというコンセンサスは医学界にはもう既にございます。これはもう日本学術会議、それから日本医師会の生命倫理懇、日本法医学会、日本救急医学会、その他多くの学会が認めております。しかし、それが、医学的な死というものが本当に法的な死としていいのかというと、そこには一つやはりあるだろうと思いますので、非常に御趣旨はよく分かります。
 しかし、基本的には、医学的には死であるということを前提としないと、これは、先ほど申し上げましたように、救急の現場でも混乱が起きますし、また篠崎参考人が申し上げましたように、実際に臓器提供の場になってやはり御家族の方々が非常に悩まれるんではないかということですね。そこのところに少しやはり差があるんではないかと私は思っておりますので、現在のA案にしていただければと強く切望している次第でございます。
#135
○参考人(柳田邦男君) 一言だけ。
 現行法はダブルスタンダードで混乱するという意見があちこちであるんですけれど、五十一例を見てきた限り、混乱は一切ありませんでした。ただ、こういう声があるんです。複雑で、もっと簡単にできないかという声がありました。人の命をそこで決めるときに、若干複雑であってもそれはやむを得ない。人の死というのはそんなに簡単にしてはいけないんではないか、私は五十一例を見て、そう思っております。
 よく、混乱する混乱する、だから一律に人の死にしろと言いますけれど、現実はダブルスタンダードで混乱しておりません。
 以上でございます。
#136
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑は終了させていただきます。
 参考人の方々には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時二十一分散会
ソース: 国立国会図書館
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