くにさくロゴ
2009/07/06 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 厚生労働委員会 第22号
姉妹サイト
 
2009/07/06 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 厚生労働委員会 第22号

#1
第171回国会 厚生労働委員会 第22号
平成二十一年七月六日(月曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 七月三日
    辞任         補欠選任
     下田 敦子君     姫井由美子君
     谷岡 郁子君     森田  高君
     森 まさこ君     石井みどり君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         辻  泰弘君
    理 事
                川合 孝典君
                中村 哲治君
                柳田  稔君
                衛藤 晟一君
                山本 博司君
    委 員
                足立 信也君
                家西  悟君
                梅村  聡君
                小林 正夫君
                谷  博之君
                姫井由美子君
                森 ゆうこ君
                森田  高君
                石井 準一君
                石井みどり君
                岸  宏一君
                島尻安伊子君
                西島 英利君
                南野知惠子君
                古川 俊治君
                丸川 珠代君
                渡辺 孝男君
                小池  晃君
                福島みずほ君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        松田 茂敬君
   参考人
       財団法人日本宗
       教連盟幹事    宍野 史生君
       社団法人全国腎
       臓病協議会会長  宮本 高宏君
       全国交通事故遺
       族の会理事    井手 政子君
       自治医科大学先
       端医療技術開発
       センター先端治
       療開発部門客員
       教授       小林 英司君
       兵庫医科大学小
       児科主任教授
       日本小児科学会
       倫理委員会委員
       長        谷澤 隆邦君
       財団法人日本救
       急医療財団理事
       長
       杏林大学医学部
       救急医学教授   島崎 修次君
       東京財団研究員  ぬで島 次郎君
       上智大学法学研
       究科教授     町野  朔君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律
 案(衆議院提出)
○子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討
 等その他適正な移植医療の確保のための検討及
 び検証等に関する法律案(千葉景子君外八名発
 議)
    ─────────────
#2
○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 去る三日、谷岡郁子君、森まさこ君及び下田敦子君が委員を辞任され、その補欠として森田高君、石井みどり君及び姫井由美子君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(辻泰弘君) 臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 本日御出席いただいております参考人の方々を御紹介申し上げます。
 財団法人日本宗教連盟幹事宍野史生参考人でございます。
 次に、社団法人全国腎臓病協議会会長宮本高宏参考人でございます。
 次に、全国交通事故遺族の会理事井手政子参考人でございます。
 次に、自治医科大学先端医療技術開発センター先端治療開発部門客員教授の小林英司参考人でございます。
 以上の四名の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、今後の両案審査の参考にしたいと存じております。よろしくお願い申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、参考人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 なお、参考人、質疑者共に発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず宍野参考人にお願いをいたします。宍野参考人。
#4
○参考人(宍野史生君) 日本宗教連盟の幹事を務めております宍野でございます。着席を失礼させていただきます。
 本日は、臓器移植法改正の御審議に当たり、宗教者の立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 日本宗教連盟は、日本において宗教団体相互の連絡、宗教文化の発展などを目的とし、昭和二十一年に結成された宗教団体の連合組織でございます。現在、教派神道連合会、全日本仏教会、日本キリスト教連合会、神社本庁、新日本宗教団体連合会の五つの協賛団体によって構成されております。
 日本宗教連盟は、脳死臓器移植問題は個々の死生観、人生観、宗教観と深くかかわる重要な問題であると受け止め、一九九七年四月以来、これはちょうど臓器移植法が参議院で審議されているときであったかと思いますが、声明書、意見書などを発表し、国会での慎重な審議を訴えてまいりました。それ以来、私たちは、宗教と生命倫理シンポジウムなどを開催し、この問題への世論喚起に努めてまいりました。
 先日、委員の皆様のお手元に、昨年十二月に開催いたしましたシンポジウムの記録を届けておりますので、是非御一読願いたいと存じます。
 日本宗教連盟は、去る七月一日、臓器移植法改正案の参議院審議に対する意見書を発表いたしましたので、この意見書を基にこれから意見を申し上げさせていただきます。
 第一は、脳死臓器移植問題は医療の問題に矮小化してはならないということであります。
 私たちは、臓器移植法の改正は、だれにとっても避けることのできない人の死をどのように受け止め、考えていくかという大きな問題が背景にあることから、医療現場の現状だけでなく、日本人にとっての宗教、文化、法律、倫理などを総合して検討すべきであると訴えてまいりました。そして、命に直接結び付く問題だけに、様々な分野の専門家の知見を総合し、改正を図られるようにと訴えてまいりました。
 第二に、脳死は人の死ではない、脳死をもって一律に人の死としてはならないということであります。
 臓器移植には、脳死下、心停止下、生体間の移植形態があります。とりわけ本件では、心肺の移植に深くかかわるものとしてこれまで脳死が議論されてまいりましたが、脳死状態でありましても心臓が動き、温かい血液が循環している人間の体を人の死とすることに今もなお多くの国民が疑問と不安を抱いております。
 そもそも死とは、体と魂が離れ、再び体に戻ることがないことであります。それは息を引き取るときであります。人類は有史以来、心臓が停止し、呼吸が止まり、瞳孔が散大したときを死としてきた歴史があります。脳死と判断されても汗も涙も流します。子供の場合、脳死状態になっても身長が伸び続け、体重が増え、歯も生え替わってまいります。
 また、妊娠をしていた女性の場合には、出産したことも報告されております。一例を申し上げますと、竹内一夫杏林大学名誉教授は、二〇〇一年十一月に開催されました第四十六回日本不妊学会において、一九八二年から二〇〇一年までに欧米諸国及び日本におきまして十四例の脳死出産成功例があったことを報告しております。
 こうした事実がある中で、果たして脳死を法律で人の死とすることができるのでしょうか。脳死を一律に人の死とすることは、まだ国民的な合意に至っていないことを御認識いただきたいと思います。
 第三は、本人の書面による意思表示は臓器移植にとって絶対の条件であるということであります。
 衆議院可決A案では、本人が生前に拒否をしていなければ、家族の同意で移植を可能とするとしています。例えば、キリスト教の中では、脳死からの臓器の提供が愛の行為として位置付けられておりますが、これは本人が自ら提供の意思を表明している場合のことであります。しかし、その逆に本人が提供の意思を表示していないにもかかわらず、脳死を人の死とみなして臓器移植が実行されるならば、そこには愛の要素は消えうせ、広い意味での人間愛をも喪失させることになっていくものと危惧します。
 繰り返して申し上げますが、臓器提供をするのは嫌だ、厳密には臨床脳死状態と判断されたときに法的脳死判定を受けることを拒否する意思表示をしていない人は臓器提供をしてもいいとみなすという改正案は、日本社会のあらゆるところに悪影響をもたらすことになると危惧します。
 最新のインターネットによる調査では、本人同意が必要とする回答が八一%に達しており、その反面、現行法の運用に関する指針では、意思表示ができる年齢を民法上十五歳以上としていることで、現在、子供の臓器提供ができません。これを、子供の臓器提供を可能にするためにただ単純に全体の意思表示を外したとも考察されます。これは同時に、崇高な理念と人道的行為を無にし、明確な意思を持って、自らの臓器を提供する尊い意思表示をなされた方々の尊い判断を無視する乱暴な改正ではないでしょうか。
 人はだんだん死んでいくものだという自然の摂理と伝統的死生観が、日本人の死の概念を形成していると思います。本人の意思表示を必須とする現行法では、心肺停止、瞳孔の散大という三徴候死をもって死とするも、その前段階である脳死状態で死を受け入れ、その意思により死亡時点が確定され、臓器移植に臨みます。このように人権を守り、自己決定の立場を尊重した世界で最も進んだ現行法の理念を大切にすべきであると考えます。
 第四は、脳死臓器移植は普遍的治療法になり得ないということであります。
 私たちは、医学や科学の進歩を否定するものではありません。しかし、医療技術の発達がもたらした脳死臓器移植という医療行為は、生きている他者の重要臓器の摘出を前提としている限り、普遍的な医療にはなり難く、緊急避難的な治療法と言わざるを得ないと考えております。
 今回の改正論が、四月以降、十時間足らずの審議を経て衆議院で可決された背景には、WHOが、去る五月に予定されていた総会において、加盟各国に移植臓器の国内自給を求めることになるのではないかとの報道、そして、日本でも臓器移植法を緩和して臓器提供を増やさなければならないのではないかという主張が背景にあったものと存じます。
 しかし、WHOが五月の総会への提出を検討していた報告書を見ますと、そこには、世界的に臓器が不足する中で、金銭で人体組織の売買取引が増加していることへの警鐘、生体間移植が増加する中で、提供者の安全と健康の保全、とりわけ貧しい人や社会的弱者がその被害者となっていることへの人権保護、バーゲンプライスで臓器移植を勧誘する移植ツーリズムの禁止などが中心となっています。
 一部では、WHOが海外に渡航しての移植の全面禁止などといった報道もなされましたが、どうか参議院では、WHOの新指針となる内容をいま一度慎重に御確認いただき、審議を重ねられることをお願い申し上げます。
 第五には、第二次脳死臨調の設置が必要ということであります。
 具体例を申し上げます。去る四月二十一日、衆議院厚生労働委員会小委員会での参考人質疑の中で、大阪医科大学の田中英高准教授は、二〇〇七年に日本小児科学会が実施した調査結果を紹介しました。その中で、新生児を含む小児の脳死判断は医学的に可能と思うかという問いに対して、小児科医の約七割が、不可能か分からないと回答したことを述べておられます。また、被虐待児の紛れ込みについては、約一割の小児科医しか見分けることができない状況を提示しておられます。
 移植年齢の引下げに関して、大人と異なり蘇生力に富んでいる小児の脳死判定の問題、被虐待児からの臓器移植防止の問題、また、親が子供の命にかかわる意思をどこまで代弁することができるかなど、検討すべき多くの問題を抱えております。
 こうした状況の中で日本宗教連盟は、我が国が直面している臓器移植問題を解決していくために、第二次脳死臨調を早急に設置し、医学、法律、哲学、宗教、倫理などの専門家による総合的な検討に加え、広範な社会的議論と意見集約が必要であると訴えてまいりました。専門機関設置の要望は、二〇〇六年以来四度の衆議院厚生労働委員会での意見陳述、そして五回にわたり意見書、要望書の提出により訴えてまいりましたが、いまだ何の返事もいただいておりません。脳死臨調の答申から既に十七か年が経過しましたが、この間に新しい研究、知見が次々と提示されております。こうしたことから、ひたすらに第二次脳死臨調の設置を改めて要望申し上げる次第でございます。
 最後に、脳死臓器移植は、脳死から心臓死に至る命の最期の段階で、本人がぎりぎりまでともしび続けてきた命のともしびを断ち切り、臓器を摘出するという医術であります。片や、現実に臓器移植によってしか生命の維持が図れない人たちもいることは事実であり、こうした命を私たちは重く考えております。であるから、善意によって自らの体を提供し公益に身を尽くすことは、徳として高く社会的価値とされるところであります。名を表さず、対価を求めず、不特定多数の生命の安寧を願う限りの行為は崇高であります。
 私たちは、ドナーとなられた方と心を共にした御遺族の気持ちに心をはせ、慎み深く心の平安を願うものでもあります。これからも善意という惻隠の情に移植医療が支えられていかなければならず、臓器は人道的精神に基づいて提供されるべきものであり、みじんにも人道的精神の名の下で心理的強制があってはならないのであります。
 天つちの間に生きとし生けるもの、いずれか死をば逃れ得ず、やがて別れのときが来ると我々は知らされます。生命の誕生は力強く神秘に満ち満ちたものであると同時に、死は気高く荘厳に迎えるものと考えます。生命に長い短いの尺度はあるかもしれません。しかし、重い軽いはないのであります。私たちは、一人一人が自らの命を生かしながら生きていくこと、また、死に直面する人に対しては最期まで希望を抱き続けることを説いてまいりました。この世に生をうけた一人一人の命はかけがえのないものであり、その命を尊び、終える瞬間までよりよく生きていくことを説いていくのであります。
 臓器移植でしか助からない命を、この世に生をうけた一つの命を何とかして救いたいという心情は、人として、痛恨の思いとして受け止めなければならない厳粛な事実であります。我々宗教者として、その厳粛な思いを日本の国柄としていかに受け止めるべきか、いま一度慎重に考えるべきであると思います。そして、人生の終わりに当たり、近親者は深い愛の中にみとり、死を受容し、魂を静かに見送ることを共に行うことが宗教者の働きであります。
 この度の臓器移植法の改正においては、法律の条文が、解釈する人によって見解が分かれるなどといったことは絶対にあってはならないと考える次第です。また、今回の法改正は、将来を担う子供たちの命にかかわる問題だけに、子供が読んでも理解できるように、法律条文を分かりやすく明確にしていただくことを強くお願いを申し上げます。
 法施行から十二年が経過しましたが、脳死臓器移植に対する国民の疑問と不安を取り去っていくためにも、科学的、医学的、法律的、文化的、宗教的諸側面において社会的合意が成立するまで検討を重ねられ、問題点を残したままでの採決になりませんよう御審議を尽くしていただきたいと強く要望し、意見の陳述を終わらせていただきます。
 御清聴ありがとうございました。
#5
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、宮本参考人にお願いいたします。宮本参考人。
#6
○参考人(宮本高宏君) 社団法人全国腎臓病協議会会長を務めております宮本と申します。本日は、こういう機会をいただきまして、誠にありがとうございました。座って発言をさせていただきます。
 本日、臓器移植法の改正の論議に当たりまして、私は、当会十万三千人の会員、また日本国内で人工透析を受けている二十八万人の患者、そして、私たちが約三十年間、腎臓移植始め臓器移植の普及啓発に取り組んだ中で、それに積極的な御協力をいただいた一人一人の国民の皆さんあるいは各種団体の皆さんのそういう熱い思いを受けて、本日の私の発言をさせていただきたいというふうに思います。
 あわせて、私自身も人工透析治療を始めて二十七年目を迎える一患者であり、また、腎臓移植を希望する一患者であるということも申し述べ添えさせていただきます。
 当会、全国腎臓病協議会は、一九七一年、患者の命と暮らしを守る、このことを理念として設立をし、今日まで三十八年間の活動を続けてまいりました。約四十年前、日本国内の透析医療は、御案内のとおり、だれもがひとしく末期腎不全になったからといって透析を受けられる状況ではありませんでした。末期腎不全になれば透析を受けて命を長らえることができる、あるいは社会復帰ができるという、そういう医学的成果の下に環境があったにもかかわらず、様々な制度的な整備が遅れた中で透析を受けられない、透析をあきらめて死を選ぶしかなかった、もっと言えば患者自身が選択をされた、そういう時代の中でだれもがひとしく透析を受けて生きていきたいという、その切実な願いの下に四十年前私たちの先人が立ち上がり、今日の人工透析治療が確立したというふうに思っています。その経過の中では、国政あるいは様々な関係省庁の法整備の中で今日の透析医療が支えられたことについては心より感謝をしております。
 私どもは、先ほど申しましたように、患者の命と暮らしを守るという、このことを第一の理念として今日まで活動を続けてまいりました。おかげさまでといいますか、むしろこれは好ましくないのかも分かりませんが、現在、日本国内の透析患者数は、先ほど申しましたように、昨年末で二十八万二千人に達しています。毎年、年間約三万六千人の方が新たに末期腎不全により透析を導入されています。残念ながら、約二万六千人の方が一年間に亡くなられ、ここ数年は毎年一万人ずつの増加の傾向にあるという事実であります。
 私どもは、設立以来、腎疾患に対して、その腎臓病の早期発見、早期治療それから末期腎不全に至るまでの治療法の確立、また末期腎不全に至った場合の人工透析の治療の確立、そして根治療法としての腎臓移植の普及、また患者一人一人の社会復帰ということを総合的に対策として確立をしていただきたいということで、腎疾患総合対策ということを我々の政策課題としてこの四十年間活動を続けてまいりました。
 その中で、ここ数年におきましては、新たに腎疾患に対しては、慢性腎臓病という新たな腎臓疾患概念が提示される中で、いかに透析導入患者を減らすか、あるいは腎臓病の進行をいかに減らしていくかという意味で、国の厚生労働省を始め様々な機関において腎疾患の研究あるいはその対策が今進められようとしていることについては、私どもは感謝をいたしております。そのことによって、末期腎不全患者を今後将来少しでも少なくしていく方向にあるということについては、私どもは大きく期待をしております。
 ただ、現実には、先ほど申しましたように、今国内で約二十八万人の人工透析患者はまさに人工透析に頼らざるを得ません。人工透析治療は、その中身は、血液を介して行う血液透析と自身の腹膜を介して行う腹膜透析、この二種類に分けられるわけですが、残念ながらその透析治療というのはあくまで対症療法にすぎません。お手元の添付の資料にも付けさせていただきましたが、片方で末期腎不全治療としての人工透析治療は日々開発、研究が進められて、今世界最高水準というふうに言われています。そういう意味で、現在二十八万人がその恩恵にあずかっているということは事実であります。
 ただ残念ながら、厳密にその現状を見たところ、お手元の資料にありますように、人工透析患者の平均余命は、全体の平均でいえば、五年生存率で五〇%であり、十年生存率になるともっと下がってしまいます。一般の人々の平均の余命から考えると、私ども透析患者の平均余命は全体でいえばその半分にすぎないというのが現状であります。ここに対症療法としての人工透析治療の限界があると言わざるを得ません。
 私どもは、この末期腎不全医療の現在の根治療法である腎臓移植がより以上に普及することが、患者一人一人の命と暮らしを守る、あるいは一人一人の患者の未来を築き上げる、そういう意味で欠かせない条件だというふうに思っております。そういう意味で、先ほど紹介しましたが、私どもは、角膜と腎臓の移植に関する法律が成立以来、一人でも多くの国民の皆さんに移植に対する理解を深めていただく意味で、毎年十月の臓器移植推進月間を中心に市民の皆さんへの臓器移植の理解を呼びかけてきたところであります。
 お手元にありますように、現在、国内での腎臓移植件数は生体腎移植を含めて約千件。ただ、第三者の善意の提供に基づく献腎移植、いわゆる死後の臓器提供による腎臓移植というのは、まだまだその割合からいうと少ない数にとどまっています。今現在、二十八万人の人工透析患者のうち、お手元の資料にありますように、私を始め、将来、腎臓移植を希望する患者は、一万一千四百三十八人がただいま日本臓器移植ネットワークに登録されております。
 片方の資料でありますように、年間で腎臓移植、献腎移植に限って申しますと、年間で行われる献腎移植の件数は百八十四例。単純に割り算をしていただくと約六十年、今国内で末期腎不全になって移植を希望して待っている患者さんは、この単純な割り算からいっても六十年間待たなければ移植の機会を得ることができないという状況にあります。今日こうやって発言をさせていただいています私自身も、二十七年間の透析を続けながら、移植を希望しながら、まだそれが実現していない、それが一つのよい例だというふうに思います。
 先ほども申しましたように、世界最高水準と言われる人工透析治療を受けていたとしても、そのことによっておかげさまで生存することができる、命を長らえることはできる、もっと言えば、本人の努力次第では社会復帰も可能にはなってきました。ところが、人工透析治療の現状は、日々厳しい自己管理の下で、食事の制限であったり生活上の制約が様々に加わってきます。例えば血液透析の場合は、一日置きに四時間から五時間の治療時間で拘束される。なおかつ、その際には血液を体外に循環させるという命にとっては極めて危険な行為を一日置きに繰り返さなければならない。また同時に、その治療が長期になれば様々な合併症に悩まされて、日々その苦痛に悩まされる。そして、平均の余命は一般の国民の皆さんの約半分しかない。この現実に直面しているわけであります。
 私どもは、腎疾患の総合対策という意味でも、片方で、いかに末期腎不全に至らないような、現在進めていただいている慢性腎臓病対策、CKD対策を草の根的に充実させることと同時に、根治療法としての腎臓移植をいかに普及させていくかということが今後の腎疾患の総合対策の意味でも不可欠であるというふうに考えています。
 そこで、今回論議されていますこの臓器移植法について、私どもは今後、腎移植を始め、すべての末期臓器不全の方々の移植を含めた臓器移植全体の普及という意味では、一つの側面では法律、それからシステム的な整備が欠かせないというふうに思っています。同時に、移植というのは、提供者の生死にかかわる問題であるというところから、我々が当初進めてきたような一般の国民に対する普及啓発、臓器移植の情報提供であったり、一人一人の国民の皆さんが御自身の、あるいは御自身の最も大切な人たちの命をどう考えるか、そういった普及啓発の活動を並行的に重ねていくことが重要だと思います。
 今回の臓器移植法については、私どもは、現行法から一歩、現在の国内の臓器移植を普及させる意味でのA案が衆議院で可決されたことについては歓迎の意思表示をさせていただきましたし、今日、私自身も今回の臓器移植法改正について衆議院で可決されたA案が参議院でも可決されるという、それを支持し、その方向で意見を述べさせていただきたいというふうに考えています。
 そもそも、現行の臓器移植法の下では、十五歳未満の対象となる移植を希望する患者への国内での移植の道が閉ざされるという一つは大きな問題があります。御案内のように、心不全であったり肝不全である十五歳未満の患者さんは、多額な費用を要して海外での移植に頼らざるを得ない。それに頼られる人はまだよろしいでしょうが、そうでない方は自らの命とてんびんに掛けてそれをあきらめざるを得ない。まして、今年、世界保健機関の中の宣言で出されたように、海外での移植に対して厳しい制限が掛かってくる中で自国の移植は自国で賄えというようなことになってくると、今後ますます十五歳未満の方への移植の道が閉ざされてしまうという現状にあります。そういった意味で、そういう方々への移植の道を開く意味で、このA案がより一層この参議院の中で審議、可決されてその道が開かれていくということを私は切望いたします。
 同時に、現行法の下でのもう一つの問題は、本人の意思表示が書面で残されていない限り、例えば生前、その方が臓器提供、臓器移植の意思を持っておられたとしても、それが書面で表されていない限りその意思が生かされないという問題があります。そういう意味で、衆議院で可決されたA案のように、家族がその本人の生前の言動をかんがみた上で、家族の同意の下で臓器提供への道を開くということは、そもそもそういう意思を持っておられた方の意思を尊重するという意味で、現状よりは国内での臓器移植への道を開くものだというふうに私どもは確信しています。
 今焦点となっていますこの脳死の扱いについては、私自身は、今一般にこの法案審議に関してマスコミ等で言われるのは、一律に脳死を人の死とするというような論調でかなりの報道がされているというふうに思います。今論議されているのは、脳死については医学的な脳死というもので考えるのか、あるいは法的な脳死として考えるのか、これは専門家の先生が下される判断だと思いますが、私は、ある意味、医学にしても、様々な分野ではその科学の研究成果の下に立脚してその結論が出されるものだと思います。
 例えば、医学的には脳死というのは確定されたもので、国民一人一人の皆さんが心配されているように、そのことがイコール人の死と判断されて、すべてが臓器提供につながったり、そこで治療が中断されるというものではないと思います。臨床の場、医療の現場で医学的に脳死という判定が下されたとしても、その後の治療はひとしく、その治療を継続するのか、あるいは自然死に任すのか、その時点で治療を中断するのか、それは選択される問題だというふうに、またそれが安心して選ばれる条件にあるというふうに私は思いますし、医療現場の中でそういう環境が整備されるべきだというふうに思います。
 と同時に、法的な脳死判定はその次の段階で、例えば本人が意思表示をされている、あるいはその本人の生前の思いを受けて御家族の同意の下で臓器提供に進む場合に、法的な脳死判定を行われて臓器提供、臓器移植が実現するという、まさにそういう上での現在のA案での脳死の取扱いだというふうに私は理解をしています。決して、すべての脳死を人の死とするという、そういう規定の下でこのA案が今後の臓器移植に対する基本的考え方として進んでいるものではないというふうに私どもは認識しております。
 最後に、先ほども言いましたように、私自身も人工透析を受けているということは、腎臓病であったり、その医学的な研究成果の上に人工透析治療というものが成り立って、私ども現在二十八万人の日本国内の透析患者が生をうけていると思います。そうすれば、それぞれの臓器不全に陥った患者さんも、今の日本国内の移植の技術に支えられて生きる可能性を持っているし、生きる権利を持っているんだというふうに思います。
 ただ、本来の医療が医療者と患者の一人称、二人称の関係で成り立つものが、唯一臓器移植に限っては一人称、二人称では済まない、善意の第三者の提供がなければ成り立たないという、いわゆる第三者、三人称の関係で成り立つ医療であるという特殊性からいえば、一律にその科学的成果に立脚して物事が進められるものではないというふうに思います。
 そういう意味では、脳死に対する考え方についても、医学的に脳死が人の死というふうに認められたとしても、それは一人一人の死生観に関する問題等を考えると、一律に人の死ということではなく、先ほど言ったような医学的な脳死判定、あるいは法的な脳死判定という、その判断をしっかり使い分けた上での医療現場での移植医療への推進ということが私は不可欠だというふうに思います。
 私どもは今現在、この参議院で、可決されたA案がそのまま可決されない限り、少なくとも現状の国内の臓器移植は、停滞するよりもますますこれを機に後退せざるを得ないというふうに現状認識をしています。まず、国内で移植によって助かる人たち、あるいは移植をしたい、移植を希望している患者さんの願いを当面の課題として解決することが、私は国政をあずかる先生方の大きな責任だと思います。
 同時に、もう一つの側面として、長いスパンで考えたときには、国民一人一人が臓器移植への情報提供を受けて、一人一人が御自身の命の行き先について考え、自分の大切な人の命について考え、そして一人一人が御自身の意思表示をして、その意思表示が尊重されるような国づくり、長い意味でいえばそういう一人一人の意思が尊重されるような社会創造に向けて国は施策を進められるべきであると思います。
 当面、現段階においては、一人でも多くの移植を希望する患者を救う、その人たちの未来をつくるという意味での今の法改正を進めていただく、A案での可決によって今よりも少しでも多くの臓器提供と臓器移植を進めることが重要だと思いますし、今後長いスパンで考えたときに、日本の国づくり、社会創造という意味で一人一人の意思が尊重される社会、そういうものを目指すことが私は非常に重要だと思います。
 臓器移植は、単に医療の問題ではなしに、先ほど言ったような問題からいえば、極めて国づくりにかかわる重要な課題だというふうに思います。当面、先ほども申しましたような現状を打開するため、現状よりも少しでも移植を増やすために、今日この委員会に参加されている、構成されている先生方、そして参議院の先生方がその責任の下で、今国内での移植を待っている患者さんへの道を開かれることを私は切にお願いして、私の今日の意見とさせていただきたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。
#7
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、井手参考人にお願いいたします。井手参考人。
#8
○参考人(井手政子君) 全国交通事故遺族の会の理事をしております井手と申します。このような場所で意見を述べさせていただけることを有り難く思います。済みません、座らせていただきますので。
 初めに、若干、会について説明させていただきます。
 全国交通事故遺族の会は、交通事故で娘を失った私たち夫婦が、被害者の心のケア、被害者の支援活動、事故防止活動、被害者の人権の回復を求めて平成三年につくりました自助グループでございます。自助グループとしては全国で初めての団体で、多くの被害者が参加し、被害者の生命と人権を守るため、地道な活動を続けて今年で十九年になります。
 そうした活動の中から、人の死を法律で定めること、とりわけ臓器移植のために脳死を人の死と定めることに強い反対の意見を持っております。臓器移植法改正にも断固反対をしております。なぜなら、移植用臓器の供給源、つまりドナーとして交通事故の被害者は大きく期待されているからです。
 交通事故で大切な家族を失った人は、一律に、事故に遭うなんて思ってもいなかったと必ず言います。突然の交通事故とは、つい先ほどまで共に食事をして話をして笑い合っていた家族が一瞬にしてもうこの世にいないということなのです。
 大切な子供、夫、妻、親、兄弟の突然の事態に直面した私たちは皆パニック状態です。ひたすら、なぜこんなことになってしまったんだろうと考え続けます。ほかのことは何も頭に入りません。まるでテレビか映画の中で起きていることのようで、現実感が全くないのです。余りのショックで、そのときの記憶さえも失ってしまう方もいます。
 そんなとき、医師から、脳の機能がすべて奪われて回復不可能です、脳死状態です、医学的に脳死は人の死ですと説明されても、はい、分かりましたと冷静に受け止められる精神状態ではないのです。衆議院で可決されたA案は、このような状態にある家族に、治療をやめ、脳死判定を促し、脳死を宣告し、臓器提供の承諾書を書かせる。それも、拒否していない限り、国民全員にです。
 脳死状態と言われても、何とか助けてほしい、先生助けてと、すがりつくばかりの思いでいます。人工呼吸器は付けているものの、心臓は正確に動いて、血圧も正常、体も温かく、呼びかければ涙も流します。ただ穏やかに眠っているだけでした。親、兄弟、祖父母、友人、知人が交代で娘の名前を呼び続け、体をさすり続け、奇跡を祈り続けました。それでも、だんだん体は冷たくなっていきました。
 四日後、娘の着替えを家に取りに行っている間に、医師の懸命な心臓マッサージにもかかわらず心停止を迎えました。違法でしょうが、母である私が戻るまで臨終の宣告を待ってもらったと夫から聞きました。脳死判定を受けていませんから医学的に脳死とは言えませんが、私たち家族にとって、四日間娘は確かに生きていたのです。絶対に死体ではありませんでした。
 車に激突されて激しく傷ついた体に全身麻酔を掛け、胸をメスで切り開き、生きている心臓、動いている心臓を摘出して必要としている人に移植する、事故で傷ついた上に更に傷つける、そんなむごいことは、残酷なことは想像すらできません。
 極端な言い方をすれば、臓器移植の必要がなければ脳死を人の死と決める必要はないはずです。ドナーカードに生前、明確な意思表示をしていても家族は激しく逡巡します。まして、意思表示のできない十五歳以下の子供の家族の混乱はどれほどのものか想像も付きません。ほんの短いときの間に、一生涯背負っていかなければならないつらく厳しい究極の選択を迫られるのです。
 心停止後、提供可能な腎臓、角膜でさえも脳死段階から提供の話が始まり、準備されていきます。混乱の極みにある家族に更に混乱することをさせるのはやめてください。奇跡を信じている家族に臓器提供の承諾書を書かせないでください。拒否すればいいだけの話だとおっしゃいますが、あの医療現場で、すべての人が医師の説明に誘導されないで正確な判断を下せるとは限りません。
 交通事故の遺族は極度のうつ状態、夫婦の離婚、離職、兄弟たちの自傷行為、ストレスから来るがんと、様々なPTSDに苦しんできました。このみとりの四日間は、娘を失ってから長く生きていかなければならない私たち家族にとって大きな心の支えとなるかけがえのない日々となりました。
 臓器提供は、するもしないも正確な情報の下に安全で安心できる場でだれからも強要も説得もされず、納得して生前に自己決定していくべきと考えます。
 また、私の体験した日本の救命医療は充実した状況ではありませんでした。娘の場合、幸いにも消防署の目の前の事故、十分足らずで船橋医療センターに搬送されました。不幸なことに、土曜日のため当直医がたった一人。外傷は全くなく、意識はないものの酸素マスクを外して起き上がってしまうほどでしたが、三時間後、頭痛を訴える娘に鎮静剤一本打って一般病室で経過観察するということになりました。その間、二時間置きの血圧測定のみ。鼻が詰まったような呼吸の乱れを伝えると検査に行きますと、ストレッチャーに乗せられて娘は運ばれていきました。その瞬間、娘に取り返しの付かないことが起きているような予感で、その場に立っていられないほどの衝撃を受けました。
 検査後、脳死状態と告げられました。そこから脳圧を下げる薬を点滴し、初めて医師による回診が始まりました。頭痛を訴えたとき、適切な治療がなされていたならばと今でも悔やまれてなりません。積極的に助けようとするのではなく、自然に助かる人だけ助ける医療が救命救急センター、脳死移植の施設として認定されている病院でなされているのです。
 同じ交通事故の被害者でも、低体温療法で一命を取り留め社会復帰をしている、また、何度にもわたる開頭手術で回復し、今は結婚もしお子さんを授かったと聞くと、この差は一体何だろう。搬送された病院で運不運が決まってしまうのかと思ってしまいます。
 助かる命とは、まず救命医療を必要としている側のことなのは明らかです。助かるはずの命を慢性的な人手不足、医療体制の不備から死なせてしまって、その死んでいく命から臓器提供を受ける。臓器不足、ドナー不足の解消を言う前に、脳死にしない救命医療の充実を図るべきです。助かる命と助ける命を医療現場で比べてはならないと思います。
 東京ERの先生のお話を聞く機会がありました。深刻な人手不足で急患を断らなければならないことほど悔しいことはないと涙されていました。目の前にいる患者を助けるので精いっぱい、脳死判定をして精神的に極限状況にいる家族に納得してもらうだけの時間的精神的余裕がないとおっしゃっていました。そこの病院では脳死判定はせず、心停止を死としていると話されていました。法律で一律に脳死を人の死とすると、現場は完全に崩壊し、一般の救急患者を断るケースも出てくると心配されておられました。
 救急医学会の調査で、全国で救急医五千名必要なところ現在二千五百名しか確保できていない結果からも、臓器移植法が成立した十二年前より救命医療の現場は一層悪化しているのは明らかな事実です。
 A案が可決してから、多くの友人、知人に脳死移植について尋ねてみました。募金を募って海外で移植しなければならないのはおかしい、小さな子供にも日本で臓器移植ができるようにすべきと、一般的な視点からだと、そう皆答えていました。自分の家族の場合はと質問を変えてみると、心臓が動いている間は死とは認められないし、提供も難しい、たとえ病理解剖でもメスを入れるのは嫌だとおっしゃいます。
 現法案から一気に脳死は人の死、年齢制限をせず、拒否しない限り家族の承諾で提供可能の全面解禁。推進している方々は、あくまでも医学上の問題であり、拒否権を認めているから問題ないとおっしゃいますが、意思表示をうっかり忘れた人、関心がなく記載しなかった人、意思が不明な人、家族のいない人などドナーの対象となり、まるで税金のごとく、知らないでは済まされない法案です。
 脳死を人の死であるとすれば、心臓が動いても死体でありますから、犯罪被害者の検視は可能、死亡診断書も書いてもらえる、法的脳死でも希望すれば治療は受けられると説明されますが、死体ですから、保険診療を受けられる法的根拠はないはずです。意思不明で、家族の同意で提供してしまった後、拒否のカードが見付かるなど笑えない話です。
 長期脳死児の存在、虐待児の紛れ込み、DV被害者の紛れ込み、医療体制の不備、小児の脳死判定の見直し、脳死から死までのプロセスに寄り添った精神的なケアが全くないことなど、様々な問題が解決されないまま見切り発車された法案。全面解禁で狩り場を広げても、国民に著しい混乱を招くだけで、特に医療現場に混乱を与え、決して脳死から臓器提供が増えるとは思いません。
 脳死移植三十九年の歴史がある欧米でも、法律を変えても増えなかった経緯があります。一万二千二百四十人に上る移植待機患者を救う道は、時間は掛かるけれども、移植に頼るのではなく、ペースメーカー等の人工臓器、患者本人の心筋シートで治療する方法、移植可能な臓器をつくる等など、国を挙げて一日も早く根本的な治療法の実現に力を尽くしてほしいと願っております。
 国民のだれ一人として自覚はしていませんが、単純に医学的な問題ではなく、国民の生と死に大きく大きくかかわる法案、国民に禍根を残さないような結論を見出してほしいと願っております。
 ありがとうございました。
#9
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、小林参考人にお願いいたします。小林参考人。
#10
○参考人(小林英司君) 小林英司であります。着座して御説明したいと思います。
 参考人資料の七ページを御覧ください。私の経歴が書いてありますが、先ほど多くの方が医療に対する不信や大変現場で困っておられるお話を聞くと、医学専門家として医師を養成する大学に勤めている責務を痛感いたします。
 私どもの大学はへき地勤務を義務とする大学を運営しておりますので、志の高い医師を養成しているものと信じておりますが、このような医療の現実がある中で、先生方に重要な法案の説明をするに当たって資料を用意いたしましたので、それを御覧ください。
 私は、ここにイスタンブール宣言というふうなことが頻回に出てまいりますが、このイスタンブール宣言をまとめたザ・トランスプランテーション・ソサエティー、TTSと通称言いますが、国際移植学会のステアリングコミッティー、いわゆるかじ取り委員をやっております。
 八ページを御覧ください。一年以上前になりますが、イスタンブール・サミットが行われて、一か月後にイスタンブール宣言が宣言されるということをうたった、会員に伝えた八ページ、九ページの資料であります。
 この活動は五年以上前から行われておりますが、二年前から実は活発化しております。現在このステアリング委員は三十二名おりますが、この委員会で決めた三つの骨子がそこにまとめてあります。最後の文をちょっと読み上げますが、九ページの最後の文であります。今後このような国際的趨勢はWHOの動きと共同して現実的なものとなるよう移植専門家が動いております。このような動きの中で我が国の移植学会会員が一般市民とともに考えなければならない大きな転機と思います。一年以上前に、先生方が現在討議している資料の内容を会員に伝えた内容であります。
 十一ページを御覧ください。
 イスタンブール宣言の内容は、昨年のランセット誌という医学専門雑誌に全文が掲載されております。それについて国民又は移植学会並びに多くの人たちが読めるように、これは翻訳を私たちの方でした文面であります。翻訳の文面は十三ページ目からございますが、私が先生方に是非聞いていただきたいのは、これがなぜまとまったかというふうなことであります。十一ページの文を少し読み上げますが、医師になりますと、私どもは人体実験を禁じるヘルシンキ宣言というものを学生のときに習います。イスタンブール宣言も恐らく将来このような重き意味を成すものとして、多くの世界的な学者が関与してまとめた文であります。
 「はじめに」から二行目の辺りでありますが、本来、世界では脳死を含む死体ドナーを主軸として推進してきたが、各国でも種々の条件下で生体ドナー移植が発展している。しかし、生体ドナーを中心として、絶対的な貧富の差など個々の国々ではもう対応できないような状況が発しているというふうなことが大前提になっております。
 翻訳委員会で、先生方に是非知っていただきたい三つの用語の規定があります。
 翻訳委員会では、オルガントラフィッキング、従来、臓器売買と訳しておりましたが、これはもっと広義の取引、臓器を商品のように取り扱うという意味で取引と訳したところであります。
 また、トランスプラントコマーシャリズムとは移植商業主義、臓器を売買して商品のように扱うこと。この論議の中では、日本語に訳しますと売買という非常に簡単な二文字に終わりますが、臓器を売ることも買うことも同等にして、人間の尊厳をなくするということが大論議を呼んでいることを先生方にお伝えしたいというふうなことであります。
 また、そのページのトランスプラントツーリズムですが、これが多くの先生方が誤解や又は一部の方から聞いたことをそのままお話ししているので、全文そこに掲載してあります。トランスプラントツーリズム(移植ツーリズムと訳)では、自国の移植ができない場合の人道的な渡航移植であるトラベル・フォー・トランスプラント、移植のための渡航と区別した。しかし、大論議の末、用語としては残ったが、結果として自国民の移植の機会を奪うものであればトランスプラントツーリズムとみなすというふうなことでまとめてあります。
 再度その点については本文で確認したいと思うんですが、もう一つは、生体ドナーの保護と保障のことに関して大論議を呼んでおります。ここでは、開発途上国と先進諸国の経済的な差がございますし、医療の事情が違いますので一概に論じられない、しかし生体ドナーをレシピエントと同じように患者さんとして診ましょうというふうな国際的な論議に関しては、どなたもが納得できる内容でありました。
 さて、十五ページを御覧ください。
 よく引き合いに出される言葉でありますが、十一ページのステアリングコミッティーの表を見ていただくと、WHOの人間がお二人、三十二人の中に入っております。十五ページのトラベル・フォー・トランスプラント・イズ・ザ・ムーブメント・オブ・オルガンズと書いてあるところを少し読み上げますが、移植のための渡航、トラベル・フォー・トランスプラントとは、臓器そのもの、ドナー、レシピエント又は移植医療の専門家が移植の目的で国境を越えて移動することをいう。最後の項目でありますが、自国民の移植医療の機会が減少する場合はトランスプラントツーリズムとなり得るというふうなことで、先生方、この文が明確に残っているというふうなことを覚えていただきたいというふうに思います。
 これはアカデミアの、医師としてのプロフェッショナリズムから発した宣言文でありますので、法的規制も、何も宗教を強制したり患者さんの気持ちを無視したりするような内容では決してないことを再度付け加えておきたいと思います。
 それでは、最後に二十一ページを御覧ください。
 我が国の論議ばかり言っていますが、アジアの国々ではいかがでしょうかというふうなことであります。「ポスト・イスタンブール宣言 アジアの臓器移植の現状をみて」というふうな文章でありますが、そこに、私が厚生労働省の班長をやって、日本でどのくらいの方が渡航して移植をしなければいけないかというふうなことを調べたデータの表と一緒に掲載されております。
 このことを少し述べておきたいのですが、脳死ドナーが必須な心臓移植のみならず、生体ドナーで可能な腎臓や肝臓でさえ深刻な臓器不足に陥っております。つまり、過去の渡航移植に依存しなければならない状態と全く次元の異なるもっと悩ましい問題が現在突き付けられておりますので、繰り返しになりますが、待ったなしの状況であることは国際的にも周知すべきことだと思います。
 二十三ページの最後の項を御覧ください。
 この本文はすべて移植学会の専門誌に既に発表されて一年以上の経過を経ておることでありますが、改めて我が国の現状を見て、アジアの隣国の臓器移植の現状を理解し、隣人がドナー不足にいかに苦しみ、これを払い去るために努力しているかを知ることができるというふうなことでこの特集をまとめておりますが、隣国の韓国、タイ、台湾、中国、そしてシンガポールの専門家も御自身の国での臓器不足に関して自助努力をなさっております。
 このような状況でありますので、私がイスタンブール宣言を中心にまとめてきたことを発表させていただきました。
 最後に、私自身の考え方を二点述べさせていただきたいと思います。
 余りにも難しい問題、余りにも悩ましい問題を抱えておるものでありますが、法規制に関しては待ったなしの状況であることは、このイスタンブール宣言の状況から見ていただいても分かっていただけると思います。しかし、法制定に関しては私は第一歩であるというふうなことで思っております。
 運用上の問題からすれば、日本で今三百三十八の国内臓器移植提供施設がございますが、救急医療の現状は大変な状況に陥っておることは多くの方が指摘していることであります。無造作に患者さんの治療をやめるというふうな行為を医師がやるわけはありません。なぜなら、最善、最良の策を尽くしても、その患者さんが帰らぬ者となることで初めて始まる命のリレーでありますので、そのようなことは決してないと信じております。また、人間の死は一時点では決まりません。これは、私自身が研究で掲げている内容でもありますが、医学、生物学的には心停止をしても腎臓や角膜は現に生きているわけです。そのような時点からすれば、ただ単に心臓死だから死だというふうな考え方というのも、これ、いかがなものかというふうな状況に思います。
 二点目の最後の発言でありますが、私自身は移植可能な臓器をつくるための研究をしております。このような研究を推進するためには、多くの国民の理解、それから先生方の力、日本の最高のテクノロジーを搭載して、世界中の臓器不足で困る国から、又は日本から、移植可能な臓器をつくってみたいと努力しておりますので、先生方には是非応援していただきたいと思います。
 ありがとうございました。
#11
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 なお、参考人の方々におかれましては、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願い申し上げます。
 それでは、質疑のある方は順次、挙手の上、委員長の指名を待って御発言願います。
#12
○森田高君 森田でございます。
 本日は、御多忙中、参考人の皆様方には御出席賜りましたことをまずお礼申し上げたいと思います。
 まず、日本宗教連盟の宍野様にお伺いしたいわけでございますが、先ほどのお話の中で、肉体と魂の分離というお言葉がありました。それは息を引き取る瞬間であるという言葉があったわけでございます。
 私は病院勤務医を十五年間やってから国会議員にならせてもらった人間ですから、当然、今の慢性的な人手不足の現状、それを理解する者、そして、そういう中で救急医療も含めて日常診療業務をやってきた人間なんですが。医療の世界では日常的にDOA、デッド・オン・アライバル、まず心肺停止状態で患者さんが運び込まれてくると。その中で、救急医療のゴールデンタイムにある方は心肺蘇生をやっていって、息を吹き返していって、全くそれ以前と変わらないような生活を取り戻す方もいらっしゃる一方で、脳死となったり、あるいはもう即座に心肺停止から復活しないという方もいらっしゃいます。
 そういう中において、息を引き取ってしまっている状態で来られる方が息を吹き返すわけです。そうすると、先ほどの息を引き取る瞬間に魂と肉体が分離されるという概念は、実際に医療の実務に当たる人間としてはどういうふうに整理していいのかよく分からないんで、その辺りのことを教えていただきたいんですが。
 例えば、御存じかと思いますが、カトリック教会のヨハネ・パウロ二世が国際移植学会で大変有名な演説をされたことを御存じかと思います。二〇〇〇年八月にヨハネ・パウロ二世が演説しているんですが、近年採用された死の認定基準、すなわち全脳活動の完全で不可逆的な停止は、厳格に採用されるならば、健全な人類学の本質的要素と衝突しない、ドナー又はドナーの法定代理人によるインフォームド・コンセントと上記の厳格な認定基準が用いられる場合にのみ、移植のために臓器を摘出するために必要な技術的手順を開始することが倫理的に正しい。つまり、恐らくこれは、肉体と魂の分離を完全な不可逆的な脳死というものにおいて実践されてもいいということを認められた、多分これは歴史的な演説だったんだと私たちは認識しております。
 もちろん、宗派が違うということもあるんですが、現実問題、カトリック教会は十億人の世界中に信者がいるという中において、その層、ピラミッドの頂点にいるローマ法王がそういう発言をされているということは、日本宗教連盟としてはどういうふうにお考えになっていらっしゃるのか。
 前段の息を引き取る瞬間というものの解釈、それは、止まってしまって蘇生された者は、それは息を引き取っていないんだというふうに解釈して本当にいいのかなと。東京マラソンでも、ある芸能人の方が心肺停止になって、その後蘇生されたということが報道されていて、じゃ、脳は生きていて心肺は止まっていたわけです、こういうことをどうやって魂と肉体の分離というものを考えたらいいのか、教えていただければ幸いでございます。
#13
○参考人(宍野史生君) 先ほどの発言の中で少し言葉が足りなかったことがありますれば、おわびを申し上げたいと思います。
 まず、体と魂が離れ、再び体に戻ることがないことであるというふうに答えさせていただきました。宗教の間では、各宗派、各教派、多くの考え方が実は混在をしております。これがそうだというものはございません。が、ただ、その多くのものをかんがみますと、この息を引き取るときでありますというのは逆に削除、割愛をさせていただいてもいいかと考えますが、宗教的には、体と魂が離れ、そして再び体にその魂が戻ることのない時点というものを一つの考えとしております。
 すなわち、心肺停止を始めとする三徴候死、これは、歴史的といいますか、そういうふうな死の概念として日本の風土が持ってきたようなところがあるのかと思いますが、それで一つの死を認めて、死というものを、先ほどほかの参考人の方々もありますけれども、受け入れる、死を受容する時間というものがやはり必要でございまして、その後に今度は、実は私は神道の教団を代表して日本宗教連盟に加盟をしておる者でございますが、あえて言わせてもらうならば、日本の神道においては、遷霊の儀、御霊移しの儀というものを行うことによってその御霊を御霊代に移します。この時点である種、死の確定が行われるというのが一つの宗教的な物の考え方であると思います。
 ただ、死の時間というものは、私先ほども申し上げましたように、死はだんだんに訪れるものであって、その死と、そして死ぬ方と同時にそれをみとる方々の間で共有をするものであるのではないかというふうに考えております。その間、どの時点を死とするかというものは、その死を受容しながら、そしてみとりながら、そして送る気持ちを整理していく中に一つの共有すべき死という概念があるのではないかというふうに思います。
 そしてもう一つ、カソリックの法王の見解がございました。大変にこれは尊重すべきものと思います。同時に、イスラムにおいてもやはり同じような見解が出ていることを確認をしております。それは、そういうふうな宗派、宗教であると思います。
 ほかの、日本においての、私は思うんですが、日本の宗教というのは、たくさん宗教がございます。その中で、やはりただのレリジョンではなくて、我々日本の一つの宗教文化といいますか、カルチャー・オブ・レリジョンの中に私たちは生かされているのではないかと思います。それは、文化と歴史と伝統と風土というものの中に死生観があるのではないでしょうか。
 そのように考えますので、お答えになったかどうかちょっと不安でございますが、以上でございます。先生、ありがとうございました。
#14
○森田高君 貴重な御意見ありがとうございます。
 もちろん、今ほどお話がありましたように、日本の風土とか歴史というものを抜きにしてこういう問題を議論することはできないと思うんですが、同時に、こういうものの考え方、死生観というものはだれからも強制されるものではなくて、お一人お一人の国民の皆さんの心の中にあるものであろうと私は思っています。
 そういう意味では、これは、A案というのはだれも参加することを強制する法律ではないと私は理解しておりますので、もちろんこれは受け入れることができる方、あるいはみとりの時間を、これを乗り越えた方だけが受け入れることができる内容ではないのかなというふうにも思うんですが、その辺りに関してはどういうふうに感じていらっしゃるか。
 そして、もう一点言いたいのは、生命の連続性というものも私は日本人は大切にしてきたのではないかなというふうにも思うところです。DNA、遺伝子が発見されたのは一九五三年、ワトソンとクリックが発見したというふうに言われておりますが、それが発見されるはるか二千年以上前から日本では皇室の文化があったわけです。男系男子を皇位の継承権を担わせるということをもってY遺伝子と、恐らくこれは男系王の遺伝子を継いできたという歴史もあると私は理解しているんです。
 ですから、これは、こういう皇室という文化の中に、日本人が大切にしてきた、先人が守ってきた文化の中に、恐らく私は生命の連続性というものを、どこかにそういうものがあったんではないかなというふうにも考えている人間なんですが、そういった生命の連続性が日本人の文化の中にあったあるいはなかったのかということに関してどのようにお感じか、お聞かせいただきたいと思います。
 これで終わります。
#15
○参考人(宍野史生君) 信仰的には、体は単なる物質ではなく、その生を両親にうけた尊いものである、そして、その系譜をたどれば先祖に達し、そして神又は御仏につながるというふうに考えます。神による命が先祖から両親を通して体現されたものが体にほかならない、だから尊いのでありまして、そこに自分が生きたからこそ、その体は丁重に扱う必要があるのです。よって、死後は死体ではなく遺体として、まさに人として、生きた人として扱う場合もございます。
 無傷を願う宗派もあります。遺体には決して損傷を与えてはいけないという宗派もあります。また、臓器提供を尊い行為として認めている宗派もあります。そして、医学や歯学の学術の進展のために、また尊い行為として献体をなされる宗教家の方もおいでになります。各々自分にとって何が最もその授かった体を丁重に扱うことになるのかという事象をもって決定すべきものではないかと思います。体と魂をいとおしむという気持ちがやはり一番重要なのでないかというふうに感じます。
 そして、先ほども申し上げましたが、死というものは、死に直面した者と同時に、その方のそばに寄り添い、みとる、その家族や親族が共に共有するもの、そしてその受容を、受容といいますか、それを受け入れるものである。そういう観点の議論が本来なされないと、この脳死の問題というものが、あくまでもその脳死になっている、脳死状態に至っている患者さんの立場に立った議論がもっと生かされないと社会的合意の形成は困難ではないでしょうか。そのように考えております。
 以上です。
#16
○西島英利君 今日はどうもありがとうございました。
 宮本参考人と小林参考人にお伺いしたいんですが、私は、子供の心臓移植はやはりできるような環境をつくらにゃいけないというのをまず前提にしてお話をお伺いしたいと思うんですけれども。
 今回のこのA案につきましては、今までは臓器移植に限るといいますか、もうちょっと詳しいことが書いてあるんですけれども、臓器移植に限り脳死を人の死とするということで書かれているわけですね。これはある意味では、強制的に動いている心臓を止めるという行為になるわけでございますから、ですから、そういう意味で、超法規的な立場でこういう言葉で実は整理がされたんだろうと私は今まで解釈をしておりました。
 ですから、今回の宮本参考人、それから小林参考人のお話をお伺いして、そのままで、つまり、現行のままの脳死という状態を、現行のままでどこがどう違うんだろうかと。つまり、わざわざ臓器移植に限りというこの言葉をなぜ外さなければいけないのかというところが、今日お二人のお話を聞いてもよく分からなかったんですが、その辺りをお教えいただければというふうに思います。
#17
○参考人(宮本高宏君) 先生御指摘のように、私自身の認識は、現行法の六条第二項で明確に、脳死については臓器提供を前提とした場合について脳死を人の死にするというその条文があったものが、今回のA案についてはその部分が削除されているということについてですよね。
 それは、A案自体を提案されている先生方の説明もされているとおり、一つは、そのことは既に現行法の下で前提として定着したことであるので、決して、先ほど私が発言の中で申したように、一律に脳死を人の死とするという意味でそこを削除したものではないということを、たしかA案の提出の先生方は主張をされているというふうに私は理解をしておりますし、同時に、現行法の下でそのことはもう既に定着されたものだと。
 ただ、先ほど私が申したように、医学的には脳死は人の死であるということを明確にしておくことが、次の法的な脳死ということの判断に進む際に、家族なり遺族にとって医学的な根拠としてそれが前提になるということは、最終的な同意判断をされる家族の負担は私は軽減されるんではないかというふうに理解をしています。
 ただ、脳死そのものの判定基準であったりどうとかという問題については、それは医学的あくまで根拠によって立つべきものでありますので、小林先生とかの見解を参考にしていただいた方が私はいいかと思いますが。
 以上です。
#18
○参考人(小林英司君) 西島先生がおっしゃる、移植に限りという文が抜けていることに関して君はどう思いますかというふうなことであると思うんですが、世界的に見ても、また医学的に見ても、脳死の状況下で心臓を摘出するというふうなことが三十年以上世界で行われてきたのは、それはすなわち、移植に限って心臓を摘出するというふうな行為が医療行為の中で行われるからであると思います。
 日本では、あれだけの先生方の御尽力で十一年前に法案が成立したときの、この十一年の経過の中で、国民は、心臓死又は脳死の中で、心臓が取り上げられるというのは、当然、移植という項目が付きまとうものというふうなことで認識しておるものと思います。
 また逆に、私は医学の専門家として小児救急やそれから目の前に患者さんが亡くなる状況に接しましたら、それはもう発狂寸前の状況でありますから、それ以外のことについてそのようなお話をする機会がありますでしょうか。
 また、私どもは、逃げられない、逃げてはいけないこういう現実から考えれば、世界で一番、先進諸国の中で人口比率当たりドナーが極めて少ないというこのような国際的な現状を私どもがかんがみれば、国際的には自然の流れではないかなと思いますし、法律用語の中で移植に限りという文章が各国で実際に入っているかどうかについては、私自身は見識がございませんので法律家の先生にお聞きになった方がいいかと思いますが、世界中で脳死に限りというふうな文が入っているものは極めて少ないのではないかなというふうに個人的には思っております。
#19
○西島英利君 何でこの話をしたかといいますと、ここにいろんな参考人の方々がおいでになっております。つまり、臓器移植を推進したい立場の方と、それから今日もそうでございますけれども、やはりそこに疑問をお持ちの方、それから宗教観、死生観、それぞれの形の中での御意見をお伺いするわけですね。それで、そのときに、やはり常識的になっているというのであれば、それは常識的なことを法にきちんと書くことが一番透明性、明確だと私は思うんですよ。
 ですから、あえてこれを外す意味がどこにあるのかなとちょっと思ったものですから、こういう御質問をさせていただいたんですが、そういう意味で小林参考人、何かもう一言あったらというふうに思いますけれども。
#20
○参考人(小林英司君) 決して作為的に外したものではないと私は医学的には思いたいことと、それから、もし今、先生方がこれだけたくさんの法案の案がある中で苦渋の選択をなさらなきゃいけないときに、いろんな要望、それから救急医療はどうなるんだというふうなことがあると思いますが、国際的な流れからすれば、趨勢としてはA案がおおむね的を得ているように私は個人的に思います。
 何度もお話しいたしましたが、それでは治療上そのことを打ち切るのかどうか、それから救急医療の現状で三百余の施設が本当に小児の脳死の判定ができるのかというふうなことの論議と今の論議を同一の台に乗っけてよろしいものかどうかに関しても、先生方の御見識に当てはまるのではないかなと、頼らざるを得ないのではないかなというふうに思っております。
#21
○山本博司君 公明党の山本博司でございます。
 今の部分を別の角度からちょっとお聞きをしたいんですけれども、参考人の方々の今までの中でも、脳死を人の死とするということに関して社会的な合意が本当になされているのかどうかということがやはり様々な疑問があるわけでございます。
 そういう中でも、先日、参考人の柳田邦男先生の方から、臓器提供を望む人の場合のみ脳死を人の死とする現行法に関して、日本人の心情とか日本の死の文化の特質をうまく取り入れたものとして今後も大事にしていくべきであるという提言があったわけでございますけれども、その点で宍野さんにまずお伺いをしたいと思います。それからあと、宮本参考人にもこの点に関しての、先ほどの別の角度ではございますけれども、この問題をどう日本人としてとらえるべきかということに関して、宍野参考人と宮本参考人にお聞きしたいと思います。
#22
○参考人(宍野史生君) 柳田先生は御家族の中でもいろんな深い体験をなさったことを存じ上げております。その重い悲しい体験の中からお話しなさったことなのだろうというふうに同じく重く受け止めたいと思いますが、先ほど私も申し上げましたが、誠にそのようだと思います。国際的に見て、現行のその部分に関しては大変に胸を張れるというか、日本の法律でございますので、日本の国風に合った、国風というのは良くないですね、いわゆる環境に合ったものであるというふうに感じます。
 それから、決して私たちは臓器移植のこの医療自体に反対をしているわけではございませんで、それは各々が尊い行為として、キリスト教でいえば愛の行為、そして仏教でいえば慈悲に満ちた布施の行為として行われる。それはあくまでも本人の意思があってのことでございます。だから、意思を表明する、意思表示をするということは、これは必須であると、ここを言っているのでありまして、決して今の現行法よりもっと、今後未来、後退するということを申し上げているのではありません。
 ただ、心臓に疾病を持った子供さんの命もどうしてもそういうふうに助けなければならないということも重く感じておりまして、それに関しては、だから、先ほど申しましたように、この四年間ですかね、再三にわたりまして、再三再四にわたってこれに関して検討の特別な機関を設けてくださいと言ってき続けたのでございます。もうまさにのどが渇くほどずっと言い続けてきました。四回の意見陳述を行い、五回にわたりまして意見書を出してきたのが専門機関の設置のお願いでございます。そういうふうなことを強く再度訴えまして、質問の答えとさせていただきます。
#23
○参考人(宮本高宏君) 私個人は、脳死は医学的に人の死だというふうに認識をしています。
 ただ、今いろいろな御意見があるように、それが国民一般の合意というか、すべての国民が脳死を人の死というふうに認識されているというふうには決して思いません。だから、その部分については、現行法でもあるとおり、このA案でも、その条項としては先ほど言いましたように削除をされていますけれども、脳死の扱いについては、医学的には脳死は人の死であるけれども、次に進む、例えば臓器提供に進む、臓器移植に進むという段階において法的な脳死判定に基づいて臓器提供がなされて移植に進むものだというふうに思っていますので、私個人も、現段階で日本国内での死の概念というのを、一律に脳死は人の死だというふうにするにはまだ国民的合意はなされていないでしょうし、その背景としてそういう情報提供もまだ十分されていないでしょうし、広く国民一般がそれを考える機会も提供されていないし、持たれていないんだろうと思います。
 先ほど発言の中で、長いスパンで考えたときにやはりそういうことを国民一人一人が考えるような機会を提供していくことが、私は遠い将来を考えるときには不可欠な問題だというふうに認識をしています。
#24
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
 宮本参考人と井手参考人にお伺いをしたいんですが、宮本参考人には腎移植を待っている患者さんが一万人超えるという数字も出していただいて、もうこれは本当に解決が必要だと思うんですね。その点で、いただいた資料でいうと、死体腎移植は一九八九年の二百六十一がピークで、それからむしろ減っている。死体腎移植を普及していくためにどういう法制度の見直しが必要なのか、全腎協としてどういうふうに考えておられるのかお聞かせいただきたいというふうに思います。
 それから、井手参考人にはドナーの立場のお話聞かせていただいて、現行制度でいうとドナーカードがあって、混乱の極みにある家族が辛うじてそこにその本人の意思で提供したいというのがあると、それがある意味では一つの支えになって判断できるのかなというふうに思うんですが、今度のA案のような形になりますと、もう全くそのことも含めて、家族が、本人がどういう意思を持っていたのかまで含めて判断を迫られるということになっていくわけですよね。そうすると、やっぱり本人、ドナー家族にとっての負担というのは物すごく、今の制度で辛うじてその支えになっていたものがなくなるということはかなり大きいのではないかなと思うんですが、その点について、ドナーの立場としてどういうふうにお考えになるか、お聞かせ願えればと思います。
#25
○参考人(宮本高宏君) 先生御指摘のとおり、添付させていただいた慢性透析療法及び腎移植の推移の一覧表を見ていただいたとおり、一九八九年をピーク、この年に死体腎移植の年間移植症例数として二百六十一例まで達している。その後、徐々にその提供数が減ると同時に腎移植の件数が減ってきたというのは事実であります。
 これは、既に先生方御案内のとおり、臓器移植法が一九九七年に施行されて、当然腎臓移植につきましては、あくまで脳死下の下での提供でなければ実施し得ない移植ではなしに、心停止後の提供によっても移植可能な臓器であることは事実であります。で、その臓器移植法施行までについては、先ほども申しました角膜と腎臓の移植に関する法律に基づいて腎臓移植が施行をされてきて、心停止下での腎臓提供ということでずっと件数が伸びてきた。一九九七年の臓器移植法の施行によって、今もそうですが、こういった脳死とかにまつわる議論の中で一般の国民の皆さんが受け取られるというか、情報として受け取られる中で、従来、心停止下でも提供可能であった腎臓についても、脳死下の提供でなければなかなかそれが無理なのかという、ある意味違った認識の下で浸透したということもその後の腎提供の件数の減少に至ったというふうに考察もされていますし、それは一因として私自身も考えられるところだろうと思います。
 一つの点としては、私どもはですから、腎臓移植が心停止下での提供で可能であるからそれでいいというふうには決して考えていませんので、先ほども申したように、私ども始めほかの臓器不全の患者さんで、国内での臓器移植が必要な患者さんがすべて、希望すれば、願えば移植ができるような環境整備をする必要があるという意味で臓器移植法の成立にも一定の発言をしてきましたし、努力もしてきましたし、ネットワークの整備等についても尽力をさせていただいたというところです。
 もう一つ医学的な面でいうと、確かに腎臓は心停止後の提供で移植が可能ということも事実ですが、その術後の経緯を考察したときには、脳死下での提供の方が生着率なりその後の生存率が高いというのも事実であります。
 ですから、私どもは、角膜と腎臓の移植の法律を受け継いで現行法の臓器移植法に移って二百足らずぐらいの提供数で推移したものが、今後、よりその件数が増えるためにも、現行法を改正した上で一人一人の提供の意思が生かされるような形にすべきだということは先ほど申し上げたとおりであります。
 ただ、減っている現象については、そういう現行の臓器移植法施行後の混乱が影響したということは考えられる一要因だというふうには認識をしております。
#26
○参考人(井手政子君) 私はあえて、ドナーカードがあることでつらい究極の決断を家族はできるのではないかなというふうに思います。それがあったからこそ、泣く泣く気持ちを切り替えていくという意味では、今後の気持ちの上での負担は少ないのではないかなと思うんですね。
 済みません、山本さんに答えてはいけないんでしょうか。臓器移植、移植のときのみ脳死を人の死とするというところでは、私、二つほど考えがあるんですが、やっぱり家族を説得しやすいのではないか、脳死をいわゆる臓器移植のときのみ人の死とするということを省くということは、法律でそうなっているということで家族を説得しやすいのではないかなと。それから、家族の心の負担を軽減するためにそれが作られたのかなというふうに思います。
 それで、そうすると、臓器移植法案のところであるから、常識的には、それはあえて項目を入れなくても大丈夫というお話なんですが、拡大解釈をするというのは非常に議員さんたちの特技ですので、それが独り歩きをしないという保証は、国民はしっかり受け止められないのではないかと思います。あえてそういう項目を、臓器移植のときのみ脳死を人の死とするというところのファジーな、あいまいさが私たちに非常に安心感を与える、そこにだけ限定されるということで非常に安心感を私は感じますが。
#27
○福島みずほ君 井手参考人と宮本参考人にお聞きをします。
 今日、四人の方、本当にありがとうございます。
 井手参考人に、多分ドナーになり得る立場からというので今日二つ特に思って、正直、医療現場への不信、例えば弁護士会への人権救済の申立てでも、ドナーカードがあったら、その後十分な治療をさせてもらっていないんじゃないかと遺族が人権救済の申立てをした後、韓国の弁護士会は、やっぱりそれは問題があったということを勧告をした例などもあるんですね。
 ですから、さっきも、これだけ医療がなかなか疲弊している中で、十分医療がされない中での医療不信というのがあるのでどうしても十分治療を受けられないんじゃないかという、いったんこの人からもらいたいと仮に思ったらということについてどう思うかという点と、二つ目は、特に私は、子供や家族などの同意を果たして親や家族が本当にできるのか。
 繰り返しになりますが、今日お話しになったこととちょっとダブるかもしれませんが、人が亡くなると家族は、やっぱり後悔をする、もうちょっと何かできなかったかとか、本当に良かったかとか思うわけですよね。その中で、本人が同意もしていないにもかかわらず家族が同意をすれば、一生家族はそれを背負っていかなくちゃいけない、それは何かすごい大変じゃないかというふうに思いますので、それについてお聞かせください。
 宮本参考人にも、お考えがよく分かったんですが、私は、多くの人は、例えば心停止になったら今角膜と腎臓は取れるというか、取り出せるわけですよね、本人の承諾がなくても。私などは、やはり脳死と言われている子供が生き続けというか、例えばつめが伸びる、尿もする、髪も伸びる、身長も伸びる、体が温かいということを聞くと、心停止だったらちょっとだけれども、脳死はやっぱり早過ぎるんじゃないか。まだ、脳死状態から回復した子供もいたという話なども聞くと、何を脳死と言うかは別にしても、非常にやっぱり早く取り出すと怖いという思いもあるんですね。
 ですから、腎臓病の患者さん、私の周りにもいますし悩みもよく分かるんですが、例えば心停止した後、腎臓や角膜は本人の同意がなくとも取り出せるというか、そのキャンペーンなどをもっとやるとか、例えば心停止後の腎臓移植、確かにそれは心臓は取り出せないわけですが、数からいえば圧倒的に腎臓の方が多いわけですから、腎臓の患者さんのための、より良いキャンペーンというと変ですが、この臓器移植法の改正法案ではないキャンペーンなどで工夫ができないかと思いますが、いかがですか。
#28
○参考人(井手政子君) 家族は、私の経験からすると、本当に医を尽くされたというか、十分な治療を受けられたというのが多分大前提だと思うんですね。本当に手を尽くして、本当にもう無理だったんだという実感がない限り、そういう移植とかという概念が入ってくる余地がないんですね。私は、たまたま本当に医療不信の中でのことでしたので、そういうふうなことは一切考えられなかったんですが、こういうふうに全面的に解禁しても私は臓器提供が増えないというふうに自信持っているんです。
 というのは、心のケアとか、それから、どこかで数字を見たんですが、脳死停止後、カードが千五百枚見付かったと、それで脳死停止後にその承諾をした人が千人いたと、で、実際は七十六人しか提供しなかったと。そうすると、そこのところの問題を解決しないと、本当にそういう千五百人の人が持っていて、千人の人が脳死下で提供する意思を持っていた、だけれども、実際七十六名しか提供できなかったというのは、非常に医療の現場での解決しなくてはいけないようなことがたくさんあるのではないか。
 それから、また心停止後に角膜とか腎臓を提供した方でも、家族の、後で、それはない、それはひどいじゃないかと、そういうふうな家族間の違和感が出たりして、ずっと長い間、それが本当に亡くなった子供の気持ちに対して沿っていったものなのか、子供のそれが意思だったのか、それをずっと問い続けて生きていかなければいけない家族もいらっしゃると思います。
 だから、やはりどうしても、本人の意思があればこそ高い塀もというか、壁も親は乗り越えられるのではないか。本人のあえてあえて強い意思があればこそというふうに私は思っておりますけど。
#29
○参考人(宮本高宏君) 先生御指摘のとおり、先ほども発言しましたように、国内での移植待機患者という数でいえば、圧倒的多数は腎臓移植希望者が占めるということは事実でありますし、移植術に関しても、提供も、心停止下での提供を受けて移植可能な臓器であるということも事実であります。ですから、先生御指摘のとおり、腎臓については心停止下での提供でも可能ですということを私どもの普及啓発活動の中であったりキャンペーンの中で、一言そういうことを申し添えて工夫をしているということも事実であります。
 ただ、私どもは、腎臓移植を希望する当事者団体であるということは事実ですが、国内での腎臓移植だけが普及すればいいというふうに考えることはできません。先ほども申しましたように、ほかの臓器不全の患者さんも含めて、日本国内で移植を必要とする患者さんが普通の医療と同じように希望すれば受けられる状況を制度的に、システム的に、あるいは社会合意の下でそれが形成されるべきだというふうに私どもは会の方針として確認しているところであります。
 ただ、医学的な面で一つだけ申し上げると、確かに心停止後の提供を受けて移植することは可能なわけですが、腎臓と腎動脈をつないで瞬間に尿が出るのは脳死下の提供を受けた場合に出るそうです。ただ、心停止下の腎臓提供を受けて腎動脈と腎臓をつないだときには、一定期間透析をした上で腎臓の回復を待たないと再び尿が出てこないという事実が医学的にはあります。
 そういう意味で、先ほど申したように、その生着率と生命予後という意味については若干の差が出てくるのではないかというふうに、私は医学的専門家ではありませんが、そういうふうに医療界では確認されているというふうに申し添えておきます。
#30
○衛藤晟一君 宮本参考人と井手参考人にお尋ねしたいんですが、いわゆる現法においては、「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文が今ありますよね。それがA案においてなくなるということについて、基本的には臓器移植法案だから同じだといえば同じかもしれません。しかしながら、何であえてそれを取るのかというのは、やっぱり、じゃ、取るということに対して、ああ、それはいいねという形で声がぱっと出るのなら、私は非常にそのことの逆に意味が分かるんですけど、だから、片っ方では臓器移植法案だから同じですよと言いながら、いや、やっぱりこれは取った方がいいんだというようなことをすると、私自身はもう早くからドナーカードを持っていますけど、何か嫌な気がしてくるんですね、逆に。やっぱり、一律人の死と本来は決めたいけれども、どうもそう言いたくないから、言うのがつらいからそっと取ったんだなというように変なことをしなきゃいけない。
 だから、やっぱりそういう意味では、誤解を招かない意味でも、私は、臓器移植の場合のみ脳死判定までやるんだと。恐らく一般的なことは、臨床的な脳死状態になったときに、この方、あなたどうですかという具合に聞く、そこにコーディネーターが入ってやっぱり大変な過程があると思うんですね。じゃ、結構ですということで遺族も納得する、本人のドナーカードがある遺族が納得するということがあって、そして初めて、じゃ法的な脳死の検証に入りますよということになって。
 しかし、言わば一律人の死だということになってくると、その後のいろんな治療だとか、あるいは、ちょうど柳田邦男先生が言われていました、そうなったときに、やっぱり家族との別れの時間というんですかね、それが物すごく必要なんですよと。ところが、人の死だとがんとやってしまうと、そういうものは非常になくて、お医者さんは現実にはその後ばたばたやってしまうと。そして、その別れの時間を持つこともはばかれるような雰囲気ができてしまうと。
 遺族にとってみるとやっぱり、何というんですか、決めた後でも、一応決めても、摘出される前でも、そういう時間が欲しいんだと。何と言っていましたかね、みとりの時間と言ったり、何かいい言葉はないのかという話を言われていましたですね。というようなことについて、どう思われますかということを宮本さんと井手さんに。
 それからもう一つ、宮本さんに。私、実は腎臓における修復腎移植の問題にやっぱり一生懸命取り組もうと。一時はこれ臓器売買じゃないかと言われたけれども、実態は違うんですね。いろいろ調べてみると、腎臓は一万二千ぐらい摘出されていて、その一、二割ぐらいは修復すると可能であるのではないのかということが言われております。ところが、なかなか医学界の方々や国の制度としてそれを認めないというところですね。
 現実には今腎臓は、お話ございましたように、生体腎移植、言わば夫婦、親子、兄弟という関係の中から八百ぐらい、それから献腎が今百八十四というお話がありました、そのうちに脳死の方も入っているんでしょうけど。やっぱりこの出てくる数字というのはみんなの気持ちを表しているんじゃないのかという気がするんですね。それだけに、一つは、修復腎問題とか私一生懸命やらせてもらっているんですけれども、その問題について全腎協なんかはどう思われるのかということ、この二つ、これはもう宮本さんにだけですけれども。
 お二人にお伺いさしてもらいます。どうぞよろしくお願いします。
#31
○委員長(辻泰弘君) それでは、宮本参考人と井手参考人にお答えをいただきたいと存じますが、限られた時間でございますので、恐縮でございますが、簡潔にお答えをいただきたいと思います。
 では、まず井手参考人。
#32
○参考人(井手政子君) 脳死判定をして脳死と言われると、それは法的脳死ですから、脳死を人の死とすればそれは死ということですよね。脳死は人の死ですから、法的脳死になれば、それは死ということですので。
 一遍、最初の無呼吸テストをした後で、迷って、遺族が、提供をやめると言った場合、治療は受けられるというふうにA案の方は説明されました。法的脳死、脳死判定を受けて法的脳死になった場合、それは死ですから。ですけれども、無呼吸テストを一回やって、やっぱり気持ち変わりました、提供しませんと言った場合、引き続き治療は受けられるというふうにおっしゃっていましたが、臓器提供のときのみ人の死とするというものを外してしまえば、私は、保険診療は受けられない、治療は受けられない、法的な根拠はないというふうに思います。そこのところはまやかしかなというふうに感じておりますけど。
#33
○参考人(宮本高宏君) 私、個人的には、先ほども申し上げたように、脳死は人の死だというふうに認識をしています。ただ、今回の、現行法からA案の過程の中で先ほども言いました六条第二項が省かれたことについて、それをすべて人の死を脳死とするというふうに認識するということを強要されているものではないというふうに思っています。
 医学的に脳死という判定がされたとしても、その後の治療法は、先ほど申したように、終末期のそのまま延命のための治療を続ける、あるいは延命の治療を打ち切って心停止を待つ、あるいは治療を中断した後の選択肢として法的な脳死判定の下に臓器提供、臓器移植に進むということが、私はそれぞれが等しい権利として認められるべきものだというふうに認識をしています。
 それが、多々御意見があるように、一律にその段階で脳死という医学的判断が下されたときに治療が中断される医療現場にあるということは、小林先生はそういうことは決してないというふうに言われていますし、そういうことの不信感が積み重なっていること自体が今の医療界の問題だというふうに思いますし、それを解消するためには、別の次元の問題で、現行の医療制度であったり医療体制自体をもっと充実させていくことが必要ではないかというふうに付け加えて申し述べさせていただきます。
 それから、病気腎移植につきましては、全腎協としては現段階で、末期腎不全患者の治療選択肢として病気腎移植を認めるという見解には達していません。
 一つは、そのこと自体、本来移植の中で、脳死下での提供と心停止下での提供と、もう一つの選択肢として病気腎移植があるんだということを、選択肢として医学的な根拠に基づいてそれが挙がってくるのであれば私は問題ないと思いますが、現在の状況というのは、その臨床経過であったり、そういうものが公開、オープンにされてなく、ある意味密室的に進められたり、一部の地域、一部の患者さんについてそれが施行されているということについては、現段階で私どもの団体としてそれを正式な第三の移植の道というふうには認められないと思いますが、先ほど申しましたように、そういう臨床経過が明らかに積み重ねられて、それが一つの治療法として確立されるのであればそれは一つの選択肢として考えられると思いますが、私は、あるべき善意の第三者の皆さんの提供が増えた上での脳死下あるいは心停止下での腎臓移植が普及すること自体が本来の我々の願う道だというふうに思っております。
#34
○委員長(辻泰弘君) 時間が限られておりますので、それじゃ一分ずつで言ってください。
#35
○姫井由美子君 民主党の姫井です。
 今日はありがとうございました。私の考えを整理することができました。
 立場が違う中でありながら、宍野参考人と宮本参考人が図らずも意思表示を尊重するということをおっしゃいました。私も意思表示を尊重したいと思います。しかも、本人の意思表示をしっかりと表示ができる環境をつくることが大事ではないかというふうに思います。なぜドナーカードが普及しなかったのか、私は疑問に思っております。司法書士という仕事柄、遺言制度も実はかなり推進をしましたけれども、普及をしません。法定相続ということを違う形で相続人から促すということもなかなか普及できませんでした。
 そんな中で、臓器を提供するということが普及しなかったにもかかわらず、臓器を提供しないという意思表示が普及するとは思えません。この意思表示の普及について、やっぱり個々のライフスタイル、普及の仕方をもう一度見直すべきじゃないかということを宮本参考人にお伺いしたいと思います。
 そして、井手参考人の方にも、済みません、もう一つ、簡単に……
#36
○委員長(辻泰弘君) 短くしてください。
#37
○姫井由美子君 私の父も一日の植物人間の後、亡くなりましたけれども、葬式を済ませて、四十九日の後、何でもかんでも愛用品を一緒に燃やしてしまったことを後悔をしました。遺族の会の中で、遺族が冷静に判断できる時期というのは一体あるのでしょうか。
 そういった中で、遺族から見た、自分たちが、ドナーコンサルタント、移植コンサルタント、あるいは遺族のケアという制度すら普及していない今の中で、井手参考人が本当に意思表示がない中で判断できるかどうかということをお伺いしたいと思います。
#38
○参考人(井手政子君) 私は奇跡を信じていましたので、提供をするということの概念がそこに入り込むすき間がなかったというのが事実です。だから、いつになったらそれが受容ができるのかというのはちょっと自分でも分かりません。大前提として、医療がきちっと尽くされている、それから心のケアがされているという、それがあってこそこれは普及するのではないかなというふうに思っていますので、その時期的なものがいつというのは個々によって違うと思います。
#39
○参考人(宮本高宏君) 普及啓発の在り方については、私自身は、従来、臓器移植法施行後からもうそういう普及啓発は行われているわけですが、もっときめ細かな情報提供であったり、有効的な普及啓発活動の在り方を国始めネットワーク自体も私は考えられるべきだと思いますし、もう一つは、抽象的な言い方ですが、そもそも、先ほども言いましたように、国づくりの中で、人の命を大事にする、人の命を思いやれるようなことを根幹とした国づくりを進めることで、一人一人が臓器提供に対する私は意思表示もできる環境が生まれてくるんだというふうに思います。
#40
○委員長(辻泰弘君) よろしいですか。
 それでは、時間でございますので、以上をもって参考人に対する質疑は終了とさせていただきます。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。ありがとうございました。(拍手)
 暫時休憩をいたします。
   午後三時休憩
     ─────・─────
   午後三時四分開会
#41
○委員長(辻泰弘君) ただいまから厚生労働委員会を再開いたします。
 休憩前に引き続き、臓器の移植に関する法律の一部を改正する法律案及び子どもに係る脳死及び臓器の移植に関する検討等その他適正な移植医療の確保のための検討及び検証等に関する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を聴取いたします。
 御出席いただいております参考人の方々を御紹介申し上げます。
 兵庫医科大学小児科主任教授・日本小児科学会倫理委員会委員長谷澤隆邦参考人でございます。
 次に、財団法人日本救急医療財団理事長・杏林大学医学部救急医学教授島崎修次参考人でございます。
 次に、東京財団研究員ぬで島次郎参考人でございます。
 次に、上智大学法学研究科教授町野朔参考人でございます。
 以上の四名の方々に御出席いただいております。
 この際、参考人の方々に一言ごあいさつを申し上げます。
 皆様方には、御多忙中のところを御出席いただきまして、誠にありがとうございます。
 皆様方から忌憚のない御意見をお述べいただきまして、今後の両案審査の参考にいたしたいと存じておりますので、よろしくお願いを申し上げます。
 次に、会議の進め方について申し上げます。
 まず、参考人の方々からお一人十五分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答えいただきたいと存じます。
 なお、参考人、質疑者共に発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず谷澤参考人にお願いいたします。谷澤参考人。
#42
○参考人(谷澤隆邦君) 兵庫医科大学の谷澤でございます。
 私は、小児科学会の倫理委員長ということでこの場に招致されたと理解しております。
 まず、資料を御覧いただきますと、資料の一でございますけれども、私ども小児科学会としては、二〇〇〇年の十月から、この問題に関して、まず最初は倫理委員会を中心に検討してまいりました。その後、小児脳死基盤整備ワーキング委員会というのが別途に立ち上がりまして、そこで検討してきた成果について今日は中心にお話しさせていただきたいと思います。
 まず冒頭に、私ども小児科学会としましては子供たちの最善の利益ということを一番前提に考えておりますので、子供の小児臓器移植におきましても、提供する側あるいは提供される側につきましても、治療法として容認するということを既に述べているところでございます。
 しかし、その背景にございます小児の特性あるいは子供の親権の問題、子供の人権の擁護の問題、そういった観点から、従前から、資料一にございますように三点の課題を基盤整備として掲げてまいりました。一つは、自己表明権の問題でございます。二点目は、被虐待児からの脳死を排除する方法について。三点目は、小児脳死判定基準についての蓄積をお願いしたいというふうなことを申し上げてまいりました。
 まず、レジュメにございますように総論的なことをお話しさせていただきますと、現在、死の定義、脳死が人の死かということについてでございますが、これが人の死ということになりますと、御家族への影響あるいは医療現場への影響、そういったことを考えるわけでございます。
 一つは、そこに書いておりますように、超重症心身障害児、資料六を御覧ください。資料六のページ九十六ですね、超重症児の定義でございますが、これはスコア化がされておりまして、鈴木さんの基準がございます。例えば人工呼吸をしているかとか酸素投与はなされているか、あるいは中心静脈栄養がされているかと、こういったものの点数化によりまして、超重症児というのは二十五点と、二十四点から十点は準重症児という形になります。
 私どもは、倫理委員会として、こういう超重症児の政策医療としての課題のデータを集めるために八府県で全数調査をいたしました。十九歳未満の人口の千人に〇・三人、超重症児がおられるということで、全国で約七千三百五十人ほどおられるということが分かりました。こういった子供たちの中には慢性脳機能不全児が百人程度おられるということが分かりました。
 資料六の九十五ページを見ていただいて、手前のページですけれども、5)のところでございます。極めて重症である慢性脳不全児の実態というところでございますが、まずアでは、二〇〇〇年の臨床的脳死診断基準を満たしている子供たちが八例おられるということですね。その中で在宅が三例。それからイで、一般的な脳死診断がなされたものが二十六例、在宅が八例と。脳死状態に極めて近い子供たちが三十七名、在宅が十名ということになります。こういった子供たちに、脳死が人の死ということになりますと、治療の縮小あるいは停止というふうなことが起こり得ることを懸念しております。
 それで、私どもは、資料六の五でございますが、ページ百一になりますが、五の一番最後のところですね、提言で、やはり在宅のほとんどが家族主体でやっているということで、入院率も三〇%ということで、なかなかケアが十分にいっていないということでございます。そういった意味で、こういった子供さんたちに対する対応、これが一つの大きな問題かなと思います。
 それからもう一つは、二番目は、子供の終末期医療が一時、昨年ですか、ナショナルセンターあるいはこども病院でICUに入っている子供たちが、終末期であるという形で治療の縮小、停止がなされたというふうなことがメディアに報道されました。小児科学会としても、これはやはり学会としてガイドラインを作る必要があるだろうということで現在進んでおります。しかし、これにつきましても、脳死が人の死ということになりますと、このガイドラインに与える影響もかなり大きいものと考えております。
 それから、子供の脳の特異性、虚血抵抗性、可塑性についてでございます。
 資料二のページ一を見ていただきますと、ここに要旨が出ております。これを見ますと、私どものアンケートでは、これは二〇〇〇年の竹内基準の約五年後にまた私ども独自に調査したわけですけれども、百六十三例の症例が集まりまして、年間四、五十例の小児脳死が報告されております。詳細な二次調査が七十四例に行われまして、脳幹反射を診断どおりすべて行ったものが二十三例、三一%であったということです。無呼吸テストは十一例、一五%で施行されておりますが、四例は途中で中止して、最後まで記載があったのは四例のみでありました。こういった厳密な脳幹反射と脳波測定をこういった基準にのっとった臨床的脳死診断は十三例、一八%ということで、無呼吸テストまでといたしますと六例、八%にすぎないという、非常に症例が少ないということになります。
 それから、一番最後の行でございますが、脳死診断から心停止まで三十日以上掛かったいわゆる長期脳死例が十八例、二四%存在したというふうなことが出ております。これは、やはり子供の成長、発達、あるいはそういった抵抗性、可塑性、こういったものをある程度配慮する必要があることを示していると思われます。
 それから、三番目でございますが、世論の成熟、合意と医療現場の基盤整備ということで掲げました。これにつきましては、小児科学会のアンケートでも、やはり子供たちの生と死の教育を含めて、子供たちが自己決定できるような教育あるいは形成的な議論、こういったものが必要であるという学会の返事が出ております。
 それから、医療現場の基盤整備につきましては、いわゆる脳死判定の問題ですね、小児神経内科医とかいうそういう専門職がなかなか少ないということ、あるいは小児専門のコーディネーターが少ないとか、いろんな問題がございます。
 これは、資料七のページ三、見ていただきますと、会員へのアンケートでございますけれども、3)、新生児を含む小児の脳死診断は医学的に可能であると思いますかという質問に対して、はいという考えが三一・八%、分からないというのが四八・二という結果が出ております。4)、小児からの臓器提供についての考え方、四の一でございますが、十五歳以上の子供の臓器提供については、子供本人の意思表示と親の了解の両方があれば提供できるとしたものが七三・三、この両者の同意があればいいというものを十二歳から十五歳に下げますと六七・一%。それから、四の三になりますと、これが年齢が十歳から十二歳ということになりますが、それができるというふうな賛成が三二というふうに徐々に下がってまいります。それと同時に、四の四にございますように、六歳以上十歳未満、十歳未満でございますと、これはもう本人の意思は無理であろうということで、親の了解のみで提供できると書いたものが四六・一と増えてまいりまして、六歳未満では五五・八%が親の了解のみでいいだろうというふうなことが出ております。妥当な判断かなとも思います。
 五番目の虐待診断についてでございますが、診断ができるというふうに答えた会員が一二・四%しかおりませんでして、できないというものが三四・二、分からないというのが五〇・六でございました。こういった背景を考えますと、結論的には現在、脳死臨調などの啓発的な形成的な議論がやはり必要ではないかというふうに今総論的には申し上げたいと思います。
 続きまして、各論の方に移らさせていただきますが、二ページ目でございます。まず、小児の自己表明権、拒否権についてでございますが、我が国は子どもの権利条約を一九九四年に批准しております。その第十二条がこれに該当いたします。米国はこれを署名のみで批准しておらないということになっております。説明と同意ということで、これは小児においても十分尊重されるべきでございまして、ただ、低年齢の子供たちにつきましては同意というのはなかなか難しいということで、インフォームドアセントという少し緩い形の同意が推奨されております。ここにはちょっと資料ございませんが、アメリカ小児科学会によりますと、例えば静脈注射をする場合におきましても、九歳以上の子供さんには本人のアセントを取ってほしいと。あるいは、簡単な手術ではもう十一歳、側わん症の手術では十一歳でアセントを取るというふうなことが推奨されております。
 そういった意味で、先ほどの資料七の学会員のアンケートにございましたように、十二歳以上ではやはり本人の意思表示を前提に進めていただきたいというのがアンケート結果でございました。
 そのアンケート結果の資料七のページ四でございますが、6)、まず小児レシピエントへの優先について、子供の臓器はやはり子供のレシピエントにという形で、単純に子供の臓器を大人に提供するという、そういう形は望ましくないというふうな意見が出ております。
 それから、臓器の公平性ということに関しましてもやはり7)に書いてございますが、親族への提供というようなものについては四〇%が同意をしているということになっております。
 それから次は、被虐待児脳死例を排除するための方策でございます。御存じのように、児童相談所は現在年間四万件ほどの虐待の相談を受けております。うなぎ登りでございます。米国では三百万件以上虐待があると言われておりまして、その中で死亡例が千四百例というふうな形になっております。その中で問題となりますのは、死亡例の半数は一歳未満でございます。一歳未満ということでございますと、特に問題になるのは外傷のない頭蓋内出血、いわゆる揺さぶられっ子症候群というふうな、シェーキングベビーシンドロームというふうに申しますけれども、こういったものが紛れ込んでくるというふうなことが言われております。
 そういった意味で、この資料三を御覧いただきたいと思いますが、最初に提言が出ております。紛れ込みをなかなか除外できないということ、それから、医療現場ではそれなりの啓発活動、発見能力の研修、こういったものが必要であるけれども、やはり最終的には客観性あるいは第三者的な公的監視チーム、こういったものが動かないとなかなか発見できないということが浮かび上がってきております。
 この中で百二十九例の症例が報告されたわけでございますけれども、この資料三の千五百四十ページ、括弧でいうと九十二ページになりますが、開けて三ページ目の二番のところですね、左側のパラグラフの下から三分の一のところに「虐待認定に時間を要した背景」というのがございますが、これを見ますと、やはりまず医療側の理由としては、親の虚偽申告を見破ることが困難だとか、内科的疾患と虐待との鑑別が難しいとか、いろんな理由が挙げられております。それから保護者側の理由としては、当然のことながら親は虐待の事実を隠ぺいするというふうな形で、やはり医療現場だけでこれを排除するというふうなことはかなり困難性を伴うというふうなことがうかがえるかと思います。
 そういった意味で、私どもとしましては、客観性保持のために虐待委員会や部外者による公的な監視チーム、これは米国、カナダでは構成員が警察あるいは司法、法医、母子健康、福祉関係の人たちがスキャンチームという形で出動しまして、脳死があるかどうかということについて検討しております。それから、成人につきましても、小児だけではなくて異状死の場合の死因究明システム、これも非常に重要であろうと思っております。
 それから、最後に小児脳死判定基準の検証でございますが、二〇〇〇年の竹内基準では、前方視的、いわゆる前向きな検討例が十一例と少ないと言われております。その中で長期脳死が二十例中七例があったと。しかも、七例中四例は百日以上生存しているということが出ております。ですから、脳死判定基準につきましても、子供の脳の特異性、あるいは成長、発達というこういった特異性を考えた基準、検証が必要だろうというふうに考えております。
 それから、これは横田参考人も述べたと思いますが、小児救急体制、これがドナーの一番の原因となる体制でございますので、小児特有のICUの整備、そういったことも非常に重要かと思います。それから、グリーフケア、これはドナーの家族が長期的にいろいろな贖罪にさいなまれる、あるいはレシピエントの子供たちへのインフォームド・コンセントがどうあるべきなのか、そういったものが必ず独立性を保たれて、ガーディアンシステムが保たれているのかと、こういったこともお願いしたいと。
 それから、コーディネーターの方はそれなりにおられますけれども、小児専門のコーディネーター、これの育成が肝要かと思います。
 以上でございます。御清聴ありがとうございました。
#43
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、島崎参考人にお願いいたします。島崎参考人。
#44
○参考人(島崎修次君) 日本救急医療財団の島崎でございます。現在、杏林大学の救急医学の教授をいたしておりますが、前日本救急医学会の理事長をいたしておりました。
 お手元の資料の緑色の臓器提供QアンドAの後の次の「脳死判定と判定後の対応について」というところを見ていただければいいかと思いますが、平成九年に臓器移植法が成立いたしましたけれども、その以前から日本救急医学会は、そこに書いておりますように、脳死は人の死で、これは社会的あるいは倫理的問題とは無関係であるということと、臓器移植法は妥当な医療だろうということと、法律は守りましょうということで、これはもう以前からこの見解は一貫して変わっておりません。
 その後、いろいろ脳死にかかわる、判定にかかわるところ含めて話が出まして、この脳死判定の見解の提言というのをもう一度出したわけですけれども、平成十八年に出したわけですけれども、最終的なそのときの結論は、二ページ目に書いていますように、やはり脳死は人の死で、これは社会的、倫理的問題とは無関係であるということです。
 臓器提供の脳死を人の死とするということになっておりますが、しかし、本来、脳死の診断は移植医療とは全く無関係に行われるべきだというように、医学的な観点からそう思っております。それは患者予後判定に極めて重要でありまして、植物状態とは違って、あらゆる治療に、不可逆性に抵抗する、最終的には予後不良の脳死は死なんであるということを医学的に診断すべきだということであります。これはもう単純に医学的診断でありまして、例えば、肝不全を肝不全と診断する、あるいは腎不全を腎不全と診断することと同じように、脳死は脳の不可逆的な状態であると診断するというのは、これは医師としての私は責務だというように思っております。
 何回も申し上げますが、これは臓器提供とは全く無関係であります。それが2)に書かれております。脳死は臓器提供の有無にかかわらず正確に診断し、その診断結果を患者家族、あるいはその関係者に正しく伝えるべきであると。ここからが問題でして、脳死の診断後の対応については、患者本人の意思、患者家族、あるいはその関係者の考えを十分考慮して決定するということになっております。
 つまり、脳死診断をいたしまして、診断をした後、患者家族は一般に、臓器提供をするのか、あるいは生命維持装置を切ってしまうのか、その二者択一を迫られるような感じで受け取られておられるんですが、そうではなくて、もし患者の意思表示あるいは御家族の希望で心停止まで脳死下の管理をきっちりしてほしいということであればその管理をいたしましょうというのが、次のもう一枚あります救急医療における終末期医療のガイドラインというのがございますが、これの三ページに、患者家族らが積極的な対応を希望している場合、あるいはその次の明らかではないけれども家族らが判断できない場合、その他含めて、その次の、延命措置中止の判定を家族とともに行いなさい、家族の希望に沿うように、もし脳死判定後心停止までみとってほしいということであれば、このガイドラインに従って、生命維持装置を切るんではなしに心停止まできっちりと治療しなさいよということになっております。これは一貫した救急医学会の見解でこのようになって、我々もこのようにしてきております。
 この前も衆議院の方で説明を受けて、じゃ、脳死は人の死なのにどうして死体に管理を行うのかという話で、それはごもっともな意見なんですけれども、これは厚生省とも話し合いまして、脳死下の管理は人の死であるけれども、御家族の希望に従って、脳死下の管理にかかわる費用は厚生省で持ちますという話になっております。
 一応そういう見解ですが、もう一枚、カラーの少し生々しい写真がお手元にあるかと思いますが、これは一番左の上に臓器移植法の脳死は死であると、医学的、一般的な死は死であるともないとも言っていない、A案はこのブルー全体を人の死であるというようにとらえようということであります。
 この右の写真は、頭部外傷後脳死に至った成人の、これは二週間後に剖検をいたしておりますが、これは融解脳ですが、脳が融解している写真であります。
 先ほど谷澤先生の方から小児の脳死の話が出ておりましたが、これは脳死後、脳死判定、無呼吸テストまできっちり脳死判定がなされて、二十四時間後にもう一度脳死判定がなされて、ということは、実は二十四時間以上何回も脳死判定を行っておりますが、その患者さんが脳が融解している状態でずっと管理して、やはりこれは一年ぐらい、心臓死に至るまで一年近くたっております。
 その右の写真が剖検の写真ですが、脳がコーヒー牛乳様に融解して流れ出ているということで、これはすべての臓器そうですけれども、血流がなくなると最終的にはこういう融解現象が起こります。脳以外の場所ですと比較的そういうものが吸収されやすいんですが、脳の場合は閉鎖空間で、脳へ行く動脈系が完全に閉鎖されておりますので脳の中でこのような融解が起こるということです。
 実際、脳死の判定を正しくなされた患者さんの、一番下の写真ですが、これ、反射で体を動かしたりする、ラザロ徴候と呼ばれる反射で体を動かすんですけれども、それでも、この右の写真のCTを見てもらいますと脳が完全に融解して、真ん中の写真を見てもらいますと、下に今たまっているような状況になって上の方が空虚になっているというような脳の所見です。
 基本的に、こういう脳の状況を、いや、心臓を動かしているんだから生きているんだと、あるいは死んではいないんだというようにとらえられるのは、それはもうその人の哲学でございます。ですから、一般的にはグローバルにはこういう状況は人の死としようと、ただしきっちりと脳死診断ができての話です。
 先ほど谷澤先生が、実際に脳死診断をしたのは三〇%ぐらいで、無呼吸テストまで行われたのが八%だというふうにおっしゃいましたが、無呼吸テストまで行った八%が実は脳死でございまして、それまでほかのすべての検査の中に無呼吸テストというテストも入っておりますから、それがなされて、ほかの検査がすべてなされて脳循環がないんだということが小児も含めて脳死判定ができるということで、脳死の判定が三〇%できていて、六例、八%が更に無呼吸テストまでしたというのは表現に誤りがございます。無呼吸テストまで行った六例のみが脳死だということでございますので、誤解のないようにしていただきたいというように思います。
 一応、私の方で申し上げたいのは以上でございます。
#45
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 では次に、ぬで島参考人にお願いいたします。ぬで島参考人。
#46
○参考人(ぬで島次郎君) 今日はお招きいただきましてどうもありがとうございます。ぬで島次郎と申します。よろしくお願いいたします。
 私は社会学という文化系の学問の出身ですが、臓器移植法の研究を二十年ぐらいやらせていただいておりまして、ちょうど十二年前、最初に臓器移植法が審議されたこの参議院のこの場でやはりお話をさせていただきました。今日は二度目になりますけれども、今度、お話をさせていただきます。
 お手元の資料の中に、私のはこの三枚だけ非常に小さな資料があると思いますが、最初に私の名前、ぬで島と書いたものと新聞記事のコピーが二枚一緒に入っていると思います。この最初の一枚を、一から五、結論というふうに番号を振ってありますこの要旨の順にお話をさせていただきます。
 臓器移植法の改正がこの四月から国会でいよいよ本格化し、議員提案で党議拘束を外し超党派で複数の案が闘わされるという臓器移植法の伝統と申しますか、そのとおりの審議がこれまで進んできたわけですが、衆院で採択されましたいわゆるA案ですが、まず、一、このA案を採択することで日本も初めてやっと臓器移植法が世界標準になれるんだというような提案者の御発言であるとか、識者のコメントがあったと思うのですが、私の目から見まして、脳死下の臓器提供の条件を緩和するだけでは日本の臓器移植法は世界標準にはならないと、まず申し上げます。
 本人同意の要件がこういうふうになっていないのは日本だけだというコメントが多いようですが、それだけではありません。臓器移植法に、臓器以外の皮膚であるとか骨であるとか関節であるといった人体組織の移植、そして、生きている人から臓器を提供してよい条件、生体移植、その規定がないのは、私が知る限り日本だけです。この点が克服されない限り、日本の臓器移植法は世界標準にはならないと、まず申し上げます。
 さらに、今国会での移植法改正のきっかけと喧伝されましたWHOがやろうとしていることも、渡航移植の禁止というふうに間違って伝えられていたようですが、WHOが一番気にしているのは、臓器、人体組織、あるいはそれにまつわる生きている人の取引、人身売買のようなことであります。その国際取引の温床となりやすいので、組織の移植と生体移植の規制をWHOは求めています。
 私は、この点をまた別の角度から考えてみると、日本で脳死下の臓器提供が増えないのは今の移植法の規定が厳し過ぎるからであると言われておりますけれども、私は、それだけではなく、日本では生体移植が法律上無規制で、そこに依存できるから脳死提供が増えないのではないか、本来、脳死臓器、脳死下提供に向かうべき医療界や社会のエネルギーがそこに集中されず、生体移植という道に流れてしまっているのではないかと考えます。ですので、生きている人から臓器を摘出してよい条件を法律で定めて一定の制約を課さないと、日本の移植医療は世界標準のバランスをもてないというふうに私は考えます。
 次に二の点ですけれども、私は、いわゆる衆院で採択されたA案の本筋は、脳死が人の死かどうかということではないと思います。A案の本筋は、死後の臓器提供に本人同意は要らないという、その本人同意必須規定の解除という一点にあると考えます。その理由の一つに、子供の臓器移植ができないのはおかしい、そこに道を開くべきだという議論ですけれども、私が考えますに、子供の臓器移植に道を開くのに、移植法で本人同意を大人まで一律すべて外す必要はないと考えます。
 それはダブルスタンダードではないかという指摘もありますが、そうではなく、例えば医学実験、人体実験を行うことは本人同意が必須であります。これは国際的にも国内的にもルールですけれども、子供を人体実験の対象にするときは親が代わりに同意しています。子供の人体実験に道を開くのに、大人の人体実験での本人同意は要らないというような御議論はないと思います。こういう点でも、こういう角度からもお考えいただければと思います。
 次に、三、A案の私はもう一つの最大の問題点は、いわゆる親族優先指定の規定であると考えます。死後の臓器提供で本人が私の親戚に提供したいと言えば、そっちが優先されるというふうにドナーカードに書けると。私は、この親族優先指定は臓器移植法に明記されている移植機会の公平性を損ない、かえって提供の拡大にマイナスになると考えます。
 また、特にそのような死後の臓器提供において親族優先指定できるというような規定は、私が知る限り諸外国の臓器移植法には全くございません。唯一の例外は韓国の臓器移植法の施行令でありますが、これも、臓器提供は基本的に不特定多数の人に差し上げるということで同意され、そのときにたまたまその脳死になった方の親族が移植待機患者リストに入っていたらその人から優先していいということであって、本人が指定できるという規定では韓国でもないのです。
 親族優先指定ということが通ってしまいましたら、これは親族優先が原則である生体移植への依存と相まって、日本の移植医療をますます狭い人間関係に閉じ込めてしまうのではないでしょうか。日本の生体移植の依存率は世界一です。腎臓もそうですし、肝臓は特にそうです。臓器提供というのは、私は、家族の情を超えた社会全体の連帯の精神で支えられて初めて普及定着するものであると考えます。脳死者からの臓器提供を増やしたいという趣旨でのA案にこのような後ろ向きの規定が併存して一緒にくっついているのは、私は大いなる矛盾であると考えます。
 次に、四、申し上げます。
 実は、この点を今日は一番申し上げたくてここに伺わせていただきました。詳しくは、三枚目に付いております新聞の論説を御覧いただければと思いますが、これまでの法に基づく脳死下臓器提供八十一件、日本での八十一件のうち三十件が検視等の捜査手続を必要とする異状死でありました。これは、阿部知子衆議院議員の質問主意書に対する内閣の答弁書に出てくるデータであります。八十一のうち三十は三七%、三件に一件以上ということです。しかも近年、この異状死の割合は増える傾向にあります。そして、一番気掛かりなのは、これらの例で臓器提供された方の異状死に至った原因というのはほとんど明らかにされておりません。
 衆議院での委員会の審議で大変重要な御指摘がありました。子供の移植に道を開くのに児童虐待の例をどう防ぐかということが一番大きな問題とされますが、家族間の暴力や虐待というのは子供だけではなく大人にもあると、これは大変衆議院で出た重要な御指摘だったと思うんです。その家族間の暴力や虐待、つまり子供だけではなくて、子供の被虐待例をどうやって紛れ込むのを防ぐかというお話がございましたが、それだけではなく、大人の間でのそうした被虐待例の紛れ込みをどう防ぐかということも実は非常に重要な問題なのではないでしょうか。
 厚生労働省による脳死下臓器提供の検証は、こうした死因究明の適正さをチェックしておりません。だれがどういうふうに検視をして、その結果どういう事件性があるのかないのかとか、そういう判断をどのように行ったか、死の原因は何であったかというその適正さをチェックしていないのです。脳死臓器移植の適正な実施のためには、この欠を正す法改正が必要であると思います。
 厚生労働省の検証会議が検視あるいは死因究明の適正さをチェックしていないのは、お分かりのように、それが警察庁の所管事項であるからだと思います。しかし、そうした、こっちは厚生省、ここまでが警察庁、警察庁がやっていることは厚生省はチェックできないと、そういうような行政の縦割りを超えて国民の生命、健康の保護のために必要な業務が行われるような法整備をすることこそ、政府提案ではない、議員提案によるこの臓器移植法の立法の真骨頂ではないかと私は考えます。どうぞ、この点を御審議いただきたいと思います。
 次に、五、衆議院の審議で一番印象的だったのは、四つ案が出ましたが、その四つの案のうちのどれか一つにイエス、ノーと言えという、そういう賛否の表明しかできないというのは、これは大変問題であると思います。
 審議の議事録を拝見していましても、いわゆるA案に賛同される先生方の中にも親族優先規定というのはちょっとどうかなというふうに思われる方もいらっしゃるというふうに読ませていただきました。やはりここは、臓器移植法改正が提起する様々な論点ごとに分けた審議と採決、意思表明というのをこの良識の府で行っていただきたい。
 今の参議院で出されている衆院の採択案とそれへの対案二つが出してきた論点を私が整理したのがその下にある五つですが、臓器提供の同意要件、本人同意必須を外していいのか、これがまず一点。二番目、親族優先指定という、死後の臓器提供のほかの国にはない異例な規定を認めていいのか。三番目、子供の移植に道を開くのに脳死臨調のようなものを設置する必要があるかどうか。四番目、最初に申し上げましたように、組織移植と生体移植の適正な在り方の検討と措置が必要なのではないか。そして五番目、最後に申し上げた提供者の死因究明の検証をきちっと求めるべきではないか、国会として求めるべきではないか。
 以上の論点は、相互に相入れないものではありません。一つずつについて審議し、一つずつについて成案を得ることができる内容であると考えます。是非、参議院では、論点ごとに分けた審議と採決を行い、よりきめの細かい、より良い臓器移植法の改正の成案を仕上げることができるように、どうぞこちらでの英知を尽くしていただきたいと考えます。
 最後に、私の意見として結論を申し上げますと、生体移植、組織移植、死因究明その他、移植医療が目下抱えている全体の問題に対応していないA案の採択に私は反対の意見を申し上げます。
 どうもありがとうございました。
#47
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 次に、町野参考人にお願いいたします。町野参考人。
#48
○参考人(町野朔君) 昨年末の衆議院に引き続きまして、参議院でも意見を申し上げる機会をいただいたことに心から感謝いたします。
 私は、結論から申しますと、衆議院で可決され参議院に送られてきたいわゆるA案を基本的に支持すべきであると考えています。
 もちろん、A案にも幾つかの問題はあります。その中でも、先ほどぬで島委員が問題にされましたような、ドナーによる親族への優先提供の意思表示を肯定する条文、それからもう一つは、児童の虐待が見過ごされてしまうことによって虐待死した児童から臓器の摘出が行われないようにすべきだという附則の五項が問題です。
 前者については、死亡した提供者の意思を尊重すべきであるということなのであり、かねてより様々な意見のあったことは承知しております。しかしながら、これは移植を待つ人の医療的必要性に基づいて臓器の公平な配分を行うべきだという臓器移植の基本理念に反するものだと思います。
 また、後者の方は、虐待死が見逃されてはならないということを児童虐待防止法においてではなく臓器移植の問題として規定してしまうことによって、日本社会に蔓延する疫病ともいうべき児童虐待の問題を矮小化してしまい、児童虐待への国家的対応を遅らせてしまうものではないかという危惧をもたらすものであります。
 死因の究明というのは、児童虐待に限らずすべて国家的に行われなきゃならない問題です。何も、臓器移植の問題で、小児の臓器移植あるいは一般的に臓器移植がやりやすくなったということによって初めて始められるべき問題ではないのです。これは、是非全般的な問題として考えていただきたいと思います。
 以上のように、私は申し上げたいことはありますけれども、これ以上ここではそのことはやめたいと思います。A案が法律になった後でも、今後、臓器移植の理念、児童虐待への対応システム全体について、幅広い国民的観点からの検討が積極的に行われなければならないと思っております。
 さて、A案は、「「脳死した者の身体」とは、脳幹を含む全脳の機能が不可逆的に停止するに至ったと判定された者の身体をいう。」としております。これに対しまして、A案は一律に脳死を人の死とするものであり不当であると、現行法の「その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることとなる者であって」という文言を復活して、これを挿入すべきであるという意見もあります。
 だが、A案も脳死を一律に人の死と断定しているわけではありません。A案は、まず、脳死を人の死と認めたくない人たちに配慮して、家族の脳死判定拒否権を認めております。脳死判定基準を満たしてから心停止に至るまで一週間以上、場合によっては三十日以上も時間が経過する長期脳死の例があること、特に小児に長期脳死の発生頻度が高いことが言われております。それは先ほどの参考人の御指摘のとおりです。A案によれば、このようなことを考えて、自分の身近な人に脳死を宣告してもらいたくないという家族の意思は尊重されることになります。
 さらに、A案は、臓器の摘出に係る判定は次の各号のいずれかに該当する場合に限り行うことができるとしております。つまり、臓器提供のときに限って脳死判定を問題にしているのです。
 ここで、翻って現在の法律の方を見てみますと、次のような構造になっております。まず第一に、脳死判定されたときに脳死がある。次に、臓器提供のときには脳死判定がなされるからそのときには人の死としての脳死が存在する。したがって、臓器提供以外の局面では脳死判定が行われないから脳死はない。また、家族が脳死判定を拒むときには脳死判定が行われないから人の死は存在しない。そういう順番になっております。そして、A案も、気を付けていただきたいのは、この点では変わりはないということでございます。
 またさらに、A案は、死体という言葉ではなく脳死した者の身体という言葉を用い、遺族ではなく家族という言葉を用いています。これは現行法と同じです。これも脳死を一律に人の死と見ることはできないという立場への配慮だと思います。このことは、平成六年四月十二日に初めて国会に提出された臓器移植法案が、「死体(脳死体を含む。)」、「遺族」という表現を用いていたのとは対照的です。
 以上のように見るならば、脳死を一律に人の死としない立場からの解釈を可能にするためだけにA案の六条二項を修正するということは、私は必要でないように思います。
 以上は、A案と脳死の問題です。
 ここで、脳死と人の死について少しだけ私の意見を述べさせていただきたいと思います。
 混同を避けるために申し上げたいのですが、これは私の意見であって、A案がどのような思想に立っているかということとは直接の関係はないということでございます。
 私は、脳死は人の死であると思います。
 第一に、死というのは社会の文化に基礎を置くものであり、個人が脳死と心臓死のどちらか死として選択できるというようなものではありません。第二に、臓器提供の目的があるときだけ脳死者は死者であり、そうでないときには生者であるというように、死の概念を移植目的によって相対化すべきでないように思われます。このことは先ほど島崎参考人が非常に明確に述べられたことでございます。
 人間の生と死は、人々の目的を超えて厳然として存在するものです。我々は、生ける者には生者にふさわしい尊厳を、死せる者には死者にふさわしい尊厳をそれぞれ与えなければなりません。この両者の境をあいまいにすることによって人間の尊厳が守られるということは私はないと思います。移植用の心臓の摘出は、提供者が死者でなければ認められるべきではありません。脳死者が生きている、生きている可能性があるというのであれば、心臓移植手術は行うべきではありません。
 医師、コーディネーターという移植医療の方たちからは、生きている人から心臓を摘出して死に至らしめるのが心臓移植手術であるのなら、そのようなことは到底できないと聞かされたことがあります。また、人を死に至らしめてまで自分の子供を助けたいとは思わないという悲痛な叫びを患者の家族の方から伺ったこともあります。
 我々は、生の重み、死の重みを十分に理解しなければなりません。また、厳しい条件を付けさえすれば、あるいは慎重にしさえすれば、生きている人から心臓を取ってもよいのだということは絶対にありません。脳死したドナーからの臓器の摘出を認める現在の臓器移植法も、したがいまして、脳死は人の死であるという理解によらなければ実は成り立たない法律であるということに気を付けるべきです。
 脳死に関する私の意見は以上のようなものです。
 私の見解をそのまま法律にすべきだというのであるならば、A案も不徹底だとしてそれを修正すべきだということになるでしょう。しかし、脳死をめぐる議論は、様々な死生観を前提にしながら、A案が法律になった後にも継続的に議論が続けられる必要があります。脳死に賛成する人、反対する人、それぞれが生と死の意味を問い続ける作業は行われなければなりません。私は、国民の死生観の重要性、脳死論の重要性、議論の重要性を十分認識するがゆえにA案を支持したいと思います。
 さて、脳死臓器移植を認める以上、脳死判定は誤りなく行われなければなりません。それは、脳死が人の死であるかとは別に、また臓器提供の基準をどのように考えるかとは別の次元にある問題です。
 これまで行われてきた脳死下での臓器提供事例に係る検証会議においては、脳死判定についての基本的な問題は発見されていないということです。一部で危惧されておりましたような、脳死判定、臓器移植を急ぐ余りドナーの救命措置がおろそかにされたということもないようです。医学研究者の綿密な作業を基礎として作られた厚生省令の脳死判定基準、それにも問題は指摘されておりません。
 しかし、検証結果のすべてが公開されているわけではないために、検証の透明性に疑問が出されることがあります。これにつきまして、臓器移植委員会の末席を汚していた経験から申し上げさせていただきますと、私は、そっとしておいてもらいたいという御家族の心情を考慮するなら、これはやむを得ないところがあったのではないかと思います。
 脳死臓器移植が異常、異例な医療ではないという認識を日本人、日本のマスコミが共有するようになって初めて、情報のより広い公開が可能となるものと思われます。このためにも、臓器移植法がA案のように改正され、脳死臓器移植が日本社会に更に定着することが必要であるように思われます。
 小児脳死臓器移植を可能とするA案が法律になったときには、これは衆議院に提出されていたD案でも同じですが、小児の脳死判定が行われることになります。
 小児は成人と比較すると脳死判定に困難を伴うことがあるということが言われております。一つは、小児は体が小さいために、すべての脳死判定のための検査が物理的に難しいことがあるのではないかということです。もう一つは、小児の脳が成人のそれに比して侵襲に対して抵抗性が強く、脳機能の可逆性も比較的に高いということです。これらのことは、先ほどの谷澤参考人が指摘されたとおりだろうと思います。
 平成十二年の厚生省研究班の小児脳死判定基準は、これらの点を考慮して、修正齢十二週未満を脳死判定から除外するとともに、初回の脳死判定から二回目の脳死判定が行われるまで二十四時間以上を必要としています。現在の省令によると六時間ですが、小児についてはこれでは不十分と考えたのです。
 法改正が行われ、小児の脳死判定を行うことになったときには、省令、ガイドラインの改正が行われることになります。そこでは、以上のような小児脳死判定基準を基礎として、誤りのない小児の脳死判定が作られなければならないと思います。
 以上で、現在の段階で私が申し上げるべきことはすべて申し上げさせていただいたと思いますので、私の話を終わらせていただきたいと思います。
 御清聴ありがとうございました。
#49
○委員長(辻泰弘君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 なお、参考人の方々におかれましては、委員長の指名を受けてから御発言いただきますようお願いいたします。
 それでは、質疑のある方は順次、挙手の上、委員長の指名を待って御発言願います。
#50
○足立信也君 四名の先生方、本当にありがとうございます。民主党の足立信也でございます。
 まず、島崎先生とぬで島先生にお聞きをいたします。
 島崎先生には、ちょっと救急医学という専門以外の部分になるかもしれませんが、今まで私が各委員の質問を聞いていて、ちょっと誤解があるなと思う三点を先生の方からシンプルに答えていただきたいと思います。
 まず、島崎先生にお聞きしたいのは、本来、臓器移植というものは死体であるからこそ成り立つ医療であって、生体はガイドラインでも例外的なものであって、本来は死体からであるという確認がまず一点。
 それから二点目は、これ、質問される方は、聞いておりますと、ドナー側の診療とレシピエント側の診療をあたかも連携があるような発想が非常に多く聞かれるんです。これは救急医療をやられている先生方にレシピエントのことまで行くのは大変失礼な話であって、救命あるいはいかに良くするかと全精力を傾けているわけですから、ここで確認したい二点目は、全く現在の脳死下での臓器提供はドナー側の診療とレシピエント側の診療は、その後のケアも含めて、全く分離されていることの確認。
 これは一点目の生体にかかわることなんですが、今現在どうかというと、親族間の生体が非常に多いがために、移植医がドナー側もレシピエント側もその後のケアを全部やらされていると。これはあるべき姿ではないし、能力的にまた時間的にも非常に無理を強いているという認識があります。これが二点目。
 三点目は、あたかもA案が可決、成立するとドナーカードがなくなるかのような前提で話されている。これは、臓器移植法というのは本人の意思を最大限尊重するという大前提があるわけですから、提供する意思、しない意思、このドナーカード、提供者カードというのはなくなるはずがないし、あるいはなくしてはいけないものだと思っています。この点の確認が三点目。
 ぬで島先生にお聞きしたいのは、死因究明、我が国は、例えば昨年、百十四万の方が亡くなって、警察へ届け出る変死の疑いのある場合、あるいは不自然死体というのは十七万あります。解剖される行政解剖、司法解剖は一万五千程度です。死因究明は非常に遅れている。我々はもう二年前に衆議院法務委員会に死因究明法というものを提出してあるんですが、そのことをまず申し上げて、それから、私がお聞きしたいのは今後の審議の進め方なんですが、それは、衆議院も参議院も含めて、委員会レベルでできる限り修正をお互い加え合いながら正しいものを作っていって、そして足りない部分は附帯決議をしっかり付けていくという方向性の方が正しいんだと私は思っているんですが、衆議院は本会議一発採決と、委員会での採決はありませんでした。
 今後、参議院での方向性について私は詳細には存じ上げませんが、先生のお考えとして、これだけ委員会で審議を重ねている以上、この中で修正あるいは附帯決議等を含めて委員会採決をやるべきだとお考えか、それとも本会議で全員を対象に一発採決をやるべきかという、先ほど触れられておりましたが、その点の質問をしたいと思います。
#51
○参考人(島崎修次君) 足立先生の質問ですが、まず基本的には、臓器移植は死体からのみなされるということでございます。私が申し上げたいのは、当然、脳死体は人の死でありますから、そこからの臓器提供というのはなされるわけでありますけれども、今まで現場では、臓器提供される脳死は人の死で、提供されない脳死は人の死であるとも何とも言っていないのは、ダブルスタンダードであるから医学的にはおかしいんですよと申し上げておるわけです。それが一点目です。
 それから、ドナー側とレシピエント側なんですが、移植する側と、それから、脳死になられた後不可逆的な状態になって臓器を提供する側とは、基本的には全く切り離されております。ただし、臓器提供で摘出に至るまでの間、実は提供施設側の主治医あるいは主治医団が、実際にはその施設の手術場あるいはそれに近い場所を使ってほとんど全面的に移植側に協力いたしております。本来、脳死になった段階で救急側あるいは臓器提供側は私自身も切り離すべきだ、すべてお任せする、あるいは別のところで臓器提供の臓器を摘出するというような形にすべきだと思います。
 そうしませんと、ただでさえ救命センター側に二次救急医療機関側がほとんど診なくなったしわ寄せでありますとか、あるいは妊婦さんの合併症を救命センターで診てくださいとか、あるいは重症の新生児あるいは小児を含めて救命センターがほとんど一手に引き受けて今診るような状況になっています。その上に更にこういう負担が掛かるというのは、本来、非常に現場で働く先生方がただでさえ少ない中で過重労働が更に加わりますので、現場は結構大変でございます。これは、先生が今ちょうどおっしゃってくださったようなことで、何とかしてほしいと私は実は前々から思っております。救命センター側の負担あるいは臓器提供側の負担をいろんな形で、経済的な面あるいは労働環境の面からも改善してほしいというように思っております。
 それから、三番目のドナーカード、まず、ファーストプライオリティーは本人の意思表示です。もちろん、提供する場合はそれでいいわけですが、提供しない場合もそれを尊重するということです。
 ただし、本人の意思表示がない場合、A案では家族あるいは御家族の中のキーパーソンになるのかな、その人たちの同意で臓器提供がなされるというような形になるやに聞いておりますので、そういう方向でA案を持っていくというのは、私はそれでいいのかなというように思っております。ですけれども、最優先は、ファーストプライオリティーは本人の意思がまず第一にありきということであります。
 以上です。
#52
○参考人(ぬで島次郎君) 御質問にお答えいたします。
 死因究明法案については私もよく承知しておりまして、その問題点などについて新聞にコメントを出させていただいたこともございます。与党の議員連盟からも提言が出ているようですので、是非、次の国会できっちり与野党で審議していただきたいと思います。
 御質問の移植法改正の参議院での審議の今後の方向性についてですけれども、私は、足立委員がおっしゃったように、委員会で全修正意見を出し合ってどっちかにするというのではなく、委員会でより良い修正を出し尽くして、それを闘わせ尽くして一つの成案を得ることができればそれが理想だと思います。それが委員会から本会議に上げられると。ただし、本会議でも修正意見があれば更にそれを受け付け、更により良い案を作っていくということに、開かれた審議をしていただきたいと思います。
 日本の議院内閣制がイギリスに範を取って法案の審議は委員会主義を取っていると、本会議主義ではないというのは十分承知した上で、例えば私が専門にしているフランスのこの種の生命倫理に関する法案は全部議会で、委員会だけではなく本会議でも逐条審議するんです。どんな少数意見も本会議で逐条で修正案を出せます。生命倫理のように国民の多様な価値観を突き合わせてしていかなければいけない立法では、そういう細かい審議が求められていると思います。
 そして、最後にあえて一言、御質問の視点からは少し踏み出すかもしれませんが、今後の方向性ということで。
 日本国憲法は二院制を取っております。衆議院と参議院。衆議院という別の院の解散が、それによってもう一つの院の参議院にかかっている法案まですべて一緒に廃案になるという慣例は、私は今回初めて聞きましたが、異様ではないかと思います。そのような慣例を取っている国はほかにございますでしょうか。これは、こうした慣例は参議院の独自性を著しく損なうものであると思います。
 是非、今回、これをきっかけに、衆議院の解散があっても参議院では本院にかかっている案件はすべて継続とするという宣言を是非出して、この慣例を改め、真の二院制の確立に向けて一歩踏み出していただければと考えます。
 以上です。
#53
○古川俊治君 まず、島崎先生、そして町野先生に伺いたいと思います。
 島崎先生、本当にありがとうございます。
 私も医師でございまして、外科医でございますが。
 脳死は人の死である、医学的にそうであるということを十分私も承知しております。また、基本的には私は、A案がこのまま通過していけば移植を待つ患者さんのためになるんだろうと、これをつくづく願っているわけであります。
 ただ、その上で申し上げますと、先ほどから何回も議論になっているように、このA案自体が臓器移植法の中で話し合われている法案でございまして、臓器移植以外の場合を、基本的にはスコープに全く置いていないと。この議論はまさに臓器移植という限定された場面でのみ今まで進んできた議論でございまして、救急現場の脳死問題一般、これは脳死というものが医学的に一律に人の死であっても、これをではどういう場合に法律上取り扱っていくか、ほかの場面ですね、移植にかかわらないような救急医療の場面。
 ですから、ここには今先生がお示しになっているガイドラインというものが一つございまして、ここにおいてはまた法制化されて、どの時点をでは死と判定していくのか、これはまた別の議論が恐らくあるんだろうというふうに考えています。厳格な法適用、脳死判定を同じようにやるのかどうかも含めて、これはまた別の考え方ということになりますと、今回の改正で必要なのはまさに臓器移植の場面だけに限定されるべきであろうと私は考えているんですけれども、先生が、今後また別の法律作っていく上でも、終末期、また救急医療における終末ケアをやっていく上で、そこでまた別個の法律を作っていくと、こういう考えでいいんではないかと。私、ちょっとその点について先生の御意見を伺いたいと思っています。
 それから、町野先生、本当にありがとうございます。多くの町野先生の臓器移植に関する法的な御議論はよく存じております。
 先生が今お話しになったようにA案のスコープとしまして、基本的に、先生も繰り返されているように、これが、人の死を一律に脳死を死とするか、又は一律ではなく臓器移植の場面に限定しているのか、法律上の取扱いについては、A案というのは臓器移植の場合に限定されているということは先生がおっしゃったとおりです。その上で、先生が最後におっしゃったことでありますけれども、死が医学的な意味でというよりは、厳正に一つのものとしてあるべきだというお考えですね。
 そうすると、私はこれは法律上の話ではない、言ってみれば、どういう観点から見た問題なのかということをお話ししたいんですね。というのは、医学的には、実を申し上げますと死というのはプロセスです。ある時点を決めて死と法律的に判断しているんです。だんだんだんだん人間は死んでいくとしか言えない。これは脳が死んで最後に臓器がどう死んでいくか、そういう場面、まさに心臓死であっても心臓の中の細胞死というのはまだそこから先の話でございますから、そういうことになってくるとまさに法律が決めているわけです、人間の死を。そして、そこから離れた上で、一律に死を決めるべきだというお考えは、私はこれは神の目から見た話ではないかという気がいたします。
 そうすると、私は、その部分は個人の判断にゆだねることこそ現在の法の在り方になじむのではないかと考えるんですが、法律家として先生のお話をちょっと伺いたいと思っております。
#54
○参考人(島崎修次君) 脳死を人の死とする以外のすべての脳死を人の死とし、A案云々という話になっているのは、私、これ以前からお聞きしたいと思っていたんですが、脳死はすべて人の死であるとするというのは、法律的文言として、もしA案が通れば書き込まれるんでしょうか。そこをちょっとお聞きしたいんですが。
#55
○古川俊治君 A案が通った場合も、これはいろんな考え方があると思いますけれども、脳死についての一律な定義が必要であるという考え方から六条二項を削除したという意見もあるわけですね。
 本来のことを言うと、戻しても、削除しても削除しなくても変わらないというのがこの法案の正式な理解なんですけれども、いろんな仮定、いろんな説が出ておりますけれども、あれを取ったというのは、より脳死を一律に死とするという考え方を前提に議論を進めたいからであると、こういう考え方があったんだろうという点は間違いないと考えております。
#56
○参考人(島崎修次君) 従来、死の三徴候、いわゆる従来型の心臓死に至るのは、それを死であるとは別に法律的に決めておりませんですよね。それと同じ段でいくと、脳死がすべて人の死であることを認めということは私は非常に賛成なんですけれども、それが文言として入るかどうかに関しては私のあれとは直接関係ないので分かりませんけれども、医療現場は、法律的にその文言が入る入らないにかかわらず、やっぱりダブルスタンダードになっている脳死というのはおかしいということはもう皆さんそういう意見、脳死の患者を診た先生方、皆そうおっしゃっています。
 実際その脳死の診断をして、それは不可逆的なもので絶対前には戻らないんだということをきっちりと皆さんのコンセンサスを得るという意味で非常に大切だなというように思って、私はA案に実はそこの一点、そこの一点ということはないですけれども、そういうことで賛成しておるわけです。
 人の死に関する法律というのはどういう格好で、この後A案が通ったときになるのかは、そういう意味で、私は個人的に興味があるというんですかね、皆さんどうお考えなのかむしろお聞きしたいなと前々から思っておったところです。
 先ほどから出ています外因死に、ちょっと話がずれますけれども、異状死に関するものの検証が十分なされていないというのは、これは医療現場は、私、直接脳死患者を診たときに、外因死の患者を診たときに、現場が、ビーティングハート、心臓が動いた状況で、脳死の判定して心臓が動いているわけですから、人工呼吸器が付いて心臓が動いた状況で、現場から警察官が入ってきて、全身をくまなく調べてカルテを見て状況判断して、もちろんその前に、その外因死に至るまでの状況は病院に来る以前からその患者にかかわるところはきっちり調べておるわけでありますけれども、それを調べて、実際、現場で脳死体の人をビーティングハートの下で検視するわけです。
 ですから、それがあいまいであるとかいうことは、むしろ今までの普通の死体の診断よりもより正確に、あるいはより詳細に、脳死下での異状死がどういう状況で起こったかというのは今まで以上により詳しく診ているというように私は思っております。そういう意味では、小児の虐待に関しても、虐待の患者がそのまま臓器提供に供するというようなことはむしろないというように考えております。
 以上です。
#57
○参考人(町野朔君) どうも御質問ありがとうございました。
 非常に難しい質問といいますか、簡単に答えられるかどうか分かりませんけど、まず、このA案がもし仮に通ったときに、その後、死の概念というのは一体どうなるかという法律上の問題ですよね。これは、分からないとしか言いようがないです。私は恐らく、学説として何か言えと言われたら、今日言ったことと同じことを言って、みんなこれで脳死が人の死だと決まったということを言うだろうと思います。しかし、そうだとしても、さらに、今までの心臓死というのは一体どこに行っちゃったのかという問題は残りますから、そこらのことも考えた上で議論しなきゃいけない。
 しかし、気を付けなければいけないのは、このことの前提にされているのは、脳死の判断、つまり、あるいは心臓死でも同じですが、判断したということと判断された実態があったということとは別の問題です。だから、今のように申し上げるのは、前にこの法律ができたときに、脳死のときに人の死期をいつとするかということで、一回目の脳死判定であるか二回目の脳死判定であるかということがかなり議論はされたことはあります。
 それで、御存じのとおり、現在マニュアルでは二回目になっております。しかし、私はその場で発言をさせていただきまして、これは法律上の死の概念を決める話ではないと。なぜかというと、もしそうだとするならば、単なると言っては失礼ですが、私もいたから構わないのかもしれませんが、単なる行政的な委員会でこれが決められるべき問題でなく、これは法律によって立法で決められるべき問題であるということでございます。今のようなのは、つまり死亡診断書に死亡の時期をいつと書くかということについての取決めのうちの一つでございまして、これによって死の概念が決まったということではないということでございます。
 それで、二番目の問題は、今のように概念と判定の問題とは別ですから、だから、先ほど、脳死を人の死としたとき、これから臓器提供ばかりじゃなくてすべての場合について脳死判定が必要になるかといったら、それはそういうことはないと言うべきであろうと思います。今でも、心臓死についても、あっ、そのように言われたのでなければ、どうも私の誤解でございます。どうも失礼しました。
#58
○古川俊治君 足立議員からの先ほどの御提案、大変優れた御提案だと思いまして、私も委員会採決ができれば、必要な修正をとことん話し合ってできれば、時間的に許す限り、それが望ましいと思っています。
 以上です。
#59
○谷博之君 谷澤参考人にちょっとお伺いしたいと思うんですけど、この御説明いただいた資料三の、脳死小児から被虐待児を排除する方策に関する提言ということで御説明いただきまして、先生の最終的な結論は、医療現場からだけでこの虐待の事実を判定するのは非常に難しいと、第三者的な公的な監視体制が必要ではないかというお話がございました。
 ちょっと二点お聞きしたいんですが、それらを踏まえて、先生のこの資料の中で一番最後の行に「院内虐待対策委員会が実質上機能している病院から始めることが適切である」ということが出てますが、これ具体的に、先ほども御説明ありましたように病院の中にどういう形で、例えば警察なんかも含めて対応していくような形になっていくのかということがちょっとイメージがもう少し分からないので教えていただきたいということ。
 もう一つは、このいわゆるA案の中に、少なくとも虐待の問題については一定の期間の中でこのA案の施行後にその体制を構築していくという、そういうA案の趣旨になっていると思うんですが、我々はこの法改正、臓器移植法の改正されたその時点からこの虐待の問題については具体的にスタートさせなければいけないと、対策はですね、もうそのように考えておりますので、そういう一定の期間という考え方は少しおかしいんじゃないかなという思いしているんで、この二点。
#60
○参考人(谷澤隆邦君) 二点についてお答えいたします。
 まず、院内虐待対策委員会につきましては、これはやはり医師の中にもこの虐待に対する認識度についてはかなり差がございます。ですから、私どもの中でこういった院内虐待委員会を設置することによって、不慮の事故というのは子供が一番多いわけですけど、死因の中で、その中で虐待が紛れ込みがあるよというふうな啓発活動も含めての院内でのチェック機関ということで、これについては司法が入っているとか、そういったことはこの委員会に関しては多分少ないと思います。これができているところが全国のこの調査では多分二割ぐらいから三割ぐらいで、必ずしも各病院にすべて設置されているわけではないということから、まず隗より始めよということでここからまず始めて、その上で、どうしても必ずしもすべてをカバーできるとは限りませんので、脳死臓器提供ということになりました場合に関しましてはやはりもう少し第三者的なチームが、捜査とは言いませんけれども、子供の虐待で提供されるということのないようなせめてものチェックというふうな形での二段構えといいますか、そういったことを考えております。
 それから、私どもも法改正の後にこういうものを議論していくというのは、法が独り歩きする可能性も十分ありますので、やはり法改正の前に基盤整備をある程度していきたいというふうには思っております。
#61
○小池晃君 日本共産党の小池晃です。
 谷澤参考人とぬで島参考人にお伺いしたいんですけれども、谷澤参考人のお話で、移植が必要な子供たちを実際診療している小児科医の中で小児の脳死診断が医学的に可能だと答えている人が三二%、それから虐待の判断が適正に行えると答えた人が一二%というのは非常に重い数字だなというふうに思うんですね。それで、やっぱり小児科学会のコンセンサスになっている基盤整備、虐待児の問題、それから意見表明権の確保、それから小児の脳死判定基準、今もちょっとそういう議論あったんですけど、やっぱりそれがないままに法制度だけがスタートしてしまうということになるとかなり混乱したり、あるいは今度、小児の脳死臓器移植ということについて逆に道を狭めていくというような、そういう結果になるんじゃないかなという懸念を持つんですが、参考人はどうお考えになっているか、お答えいただきたい。
 それから、ぬで島参考人には、今議論の中で六条二項を削除するのを元に戻すというのがありますよね。先ほど参考人おっしゃったように、このA案の一番大きな問題点、いろいろ指摘されたけど、本人同意が必須になっていたのを外すと、それとはある意味では関係ない話なわけです。そういう意味でいうと、提案者なんかもそもそも一律に脳死を人の死としてないんだと言っている以上、これを復活させたからといって余り法の体系全体、この考え方としては変わりがないんじゃないかなというふうに思うんですが、参考人はこの六条二項を復活させるというふうな議論についてどういうお考えをお持ちか、お聞かせいただきたいと思います。
#62
○参考人(谷澤隆邦君) 理想的な形を申し上げれば、完璧な基盤づくりというのが、これはもうどなたも異論のないことだと思いますが、やはり医療現場としては、臓器提供を待っている子供たちのこともありますので、それなりの基盤ができた段階で、歩きながら考えるではないですけれども、そういったことがやはり求められてくる。医学というのは非常にプラクティカルな学問でございますので、必ずしも物理学とかそういったものの自然科学と少し違うところもございますので、その辺は我々もコンプリートな形での基盤という形ではなくて、ある程度のアクションプランができて、それが国民にまた納得できるような形で啓発活動が進めば脳死に対する考え方もやはり変わってくるだろう。スペインモデルなんかもそういうところがございますので、やはりアクションをするということが非常に重要であるというふうに思っています。
 ですから、理想とある程度現実的な線と両方加味した形で我々は考えております。そういうスタンスでございます。
#63
○参考人(ぬで島次郎君) お答えいたします。
 伝えられているようなA案の六条二項の文言を元に戻すというような修正は余り本質的な修正ではないのではないかという御質問でしたが、私もまさにそのように考えます。本人同意を外していいかどうかというのがA案の本質ですので、この文言の修正は私は余り意味のないことであると考えます。
 私が先ほどから申し上げているように、本当に考える修正としては、親族優先指定というのを本当に入れていいのか、それから、例えば臓器移植法は主要臓器しか対象にしていないので、日本国では臓器以外の人体組織の売買を禁止する法規定がない、心臓は売買しちゃいけないけど心臓弁は売買していけないとは言われていないという非常におかしな状況にあって、WHOのガイドラインがもし五月に通っていたら、A案のままでは日本は対応できなかったと思うんですね。それと、生体移植の問題もありますので、その辺まで踏み込んだ修正がなければ、その文言、第六条二項の文言の修正だけではA案が抱えている様々な懸念を払拭することはできないと考えます。
#64
○森ゆうこ君 どうもありがとうございます。
 民主党の森ゆうこでございます。
 本人の同意を本当に外していいのかどうかという点について何人かの先生に伺いたいと思うんですが。
 まず、町野先生に伺いたいんですが、先日も同僚委員からオプトインとオプトアウトについて言及がございました。本人のオプトインと家族のオプトアウトというような考え方なんですが、WHOのガイドラインでは本人又は家族の承諾を要求しているのであって、拒否の意思表示がない限りは臓器摘出を承認していた、本人は承認していたものと考えるという考え方とは全く違うというふうに思うんですが、先生はその本人のオプトインと家族のオプトアウトという構成は全体として、先ほど言いましたオプトインあるいはオプトアウト、どちらの分類に入るのか、その点について先生の御見解をいただきたいというふうに思います。
 それから、先生が本日配られたこの資料の中で私がどうしてもちょっと理解できない部分があるので御説明をいただきたいと思うんですが、厚生科学研究報告書の小児臓器移植の二十九ページでございますが、「しかし我々が、およそ人間は、見も知らない他人に対しても善意を示す資質を持っている存在であることを前提にするなら、」、「たとえ死後に臓器を提供する意思を現実に表示していなくとも、我々はそのように行動する本性を有している存在である。」と。つまり、途中飛ばしますが、「反対の意思が表示されていない以上、臓器を摘出することは本人の自己決定に沿うものである。いいかえるならば、我々は、死後の臓器提供へと自己決定している存在なのである。」というふうに言い切られているんですが、我々は死後の臓器提供へと自己決定している存在だというふうに言われても、私はそう理解できないんですが、少なくとも私はそういうふうに思っていないんですが、このように断定される何か根拠がおありなのかどうか、御説明をいただければと思います。
#65
○参考人(町野朔君) ありがとうございます。
 まず最初の易しい方の質問からですけれども、私は、アメリカのモデルコードですか、模範法のように、本人のオプトインか家族のオプトイン、どちらかが必要だという具合に考えております。したがって、本人が何も言っていないといったときについては家族の承諾が必要で、この点、現行法は、本人がイエスと言っていれば、オプトインがあれば家族のオプトアウトの不存在だけで十分だということになっているのとは違いますということが一つです。
 二番目の問題、つまり、本人が何も言っていないときには家族がイエスと言えばこれでいいというのは本人も承諾しているからだという具合に、多くの人はこのことを正当化しようとするわけですよね。しかし、私はそれはできないだろうと。
 どういう意味でそうかといいますと、例えば、小児について本人の意思を問題にするということは、これは非常に難しい話です。恐らくあったとしても、どれだけのことを考えて自己決定できるかという問題だろうと思います。したがいまして、だからそれが要らないというわけではない。本人の意向に沿わないような臓器の摘出は絶対私は認めるべきではないと思っております。
 そこで、世界中を見てみますと、確かに日本法だけなんですね、本人のオプトインがなければ駄目だという考え方。そうすると、多くの国は本人の自己決定を無視しているのかと。そんな失礼なことを日本人が言っていいのかと、ほかの国は全部これを無視して、日本だけが最高のあれだと。恐らく私はそうではないだろうと。
 多くの国で考えているのは、恐らく、例が非常に、ちょっと違うと言われる方もあるかもしれませんが、例えば、私が友人の家に夜勝手に入ったと、友人はそこにいなかったと、しかし勝手に入ったと、本人の自己決定を害していると言えますかという話ですよね。行っただけでなくて泊まったと、冷蔵庫の中にあるビールを飲んだと、本人の自己決定を侵害していると言えますかと。つまり、そのときには、承諾意思が推定されるという問題以上に、この人は結局恐らくやってくれるだろうという意識があるからそうなんですね。
 そして、これは今生存している人間について言うわけですから、我々が死亡した後に、自分の臓器とかあるいは財産とか、そういうものについてどのように考えているんだろうかという、人間の存在はそのようなものを前提にすると。どうしてそう断定されるかといいますと、私はこれはまさに規範的な問題だと思います。つまり、平均値だとかそういうことでやっていい問題ではないのです。それはちょうど法律の世界で、通常人だとかあるいは注意深い人間だとか、そういう人間像を前提にするのと同じなのです。
 その意味で、皆さんが自己決定大切だと、私はそれはそのとおりだと思います。しかし、このときに言っているのは、本来の今ここで言われている自己決定というのは今のような意味ですよと。したがいまして、言い換えると、本人は死後の臓器提供へと決定している存在であると言っていいと。そういうことになったわけでございます。
 説明の仕方が非常にいろいろ物議を醸すようなことをしたかもしれませんけど、私の本意はそのようなものでございます。
#66
○森ゆうこ君 今の御説明を聞いても、なぜ我々は臓器提供の意思を示していなくても既に死後の臓器提供へと自己決定している存在だというふうに言い切ることができるのか、その辺の論理が私にはなかなか理解できないという、それは社会的にそういうことが広く容認されていて初めてということなのではないかなと、今先生のお話を聞いてそう思いましたが、少し理解ができませんでした。
 その上で、ぬで島先生にお聞きしたいんですが、今の町野先生のお話をお聞きになって、先ほど先生は、子供の場合は法的には必ずしも意思決定できる、自己決定できる存在ではないから、現在でも親が意思の決定を代わりにするという存在であるから、何も全部の、成人も含めて全員の自己決定、要するに意思表示というものを外さなくても子供への臓器提供の道は開かれるというふうに先ほど御説明になりました。今ほどの町野先生のお話をお聞きになって、改めてこの問題についていかがお考えか、御説明いただきたいと思います。
#67
○参考人(ぬで島次郎君) 私も今の町野先生の御説明ちょっと難しくてよく理解できませんで、やはりなぜそうなのかなというのは分かりません。
 町野先生がおっしゃっているように、人間というのは社会人である以上、死んだら自分の臓器を提供すべきだと全仮定してしまうという考え方で移植法を書いている国はこの世の中に幾つかあります。そういう国では移植法に何て書くかというと、本人が生前に拒否していなければ臓器を摘出してよいと書くべきなんです。これは今のA案よりも更に踏み込んだ推定同意方式と言われる方式です。嫌だと言っていなかったら取っていい、家族の意向とかそんなの全然関係ないんだと。町野先生の前提に立つのであれば、このような移植法の改正を主張するべきで、A案に御賛成ということは、町野先生もそこまではお考えではないんだなと私はさっきの最初のメーンの御発言を伺っていてそう考えた次第です。
 ですので、日本ではまだそこまでの法提案はされていない、その手前なわけですから、やはり本人同意がベースなんだと、本人が提供すると言っている場合を第一とすると。これは現行法の枠組みでもあるし、A案もそこまでは否定していないのだろうというふうに私は信じたいのですが、もしその辺が今のA案で不明確であるならば、是非こちらで、むしろそちらをはっきり御修正、つまり本人同意があるのがまず第一なんだと、例外として、本人の同意が確かめられなかったら、こうだというような明快な修正にしていただく方が分かりやすいんじゃないか。つまり、併記でどっちもいいんだみたいだと、本人同意を外しちゃってもいいんだ、ドナーカードなんて要らないんだということになってしまうのではないかと私は考えます。
 済みません、お答えになっているかどうか。
#68
○福島みずほ君 社民党の福島みずほです。
 谷澤参考人とぬで島参考人にお聞きをいたします。
 私は医者じゃないので、本当にどうなんですかということをやはりお聞きしたいんですね。小児科医の人たちの回答で、新生児を含む小児の脳死診断は医学的に可能であると思うかに、思わないが一五%、分からないが回答者の約半数を占めたということで、本当にどうなんですかというか。
 今脳死とされている子供たち、御両親にお会いすることもあるんですね、これは死体ですかと私は言われる。そうすると、それは脳死だと言う人もいるかもしれないし、いや、そうではないんだというお医者さんもいらっしゃるのかもしれないんですね。でも、小児科の人たちが子供の脳死診断は医学的に可能であると思うかに半数以上が分からないと答えている状況で、脳死は人の死だ、あるいは臓器移植の場合だけであっても脳死、というか脳死は人の死だ、子供の場合であってもというふうになると、これは非常に私たちは危ないことをしてしまうのではないかというふうにも思うのですが、本当に、それは本当にどうなんですかということをお聞きをしたい。
 それから、ぬで島参考人に、諸外国の例でいろいろ議論があるんですが、実際、生前のドナーの意思を考慮して家族が決定するのはイギリス、ドイツ、アメリカでも州により異なっていて、確かに日本のように書面で生前の意思があるかどうかを確認するところはまれだというふうに書いてあるものもありますが、諸外国はもうちょっと生前のドナーの意思を考慮して家族が決定すると、日本だけが極めて異常ではないというふうに思うんですね。
 先ほどから本人の意思ということが問題になっていますが、私も実はその立場で、日本は通り魔とかの数が少なくて、殺人事件は実は家族間が多い。虐待もあればDVもあるわけですね。家族が同意をする。例えば、私の記憶でも、砒素で妻を殺したのではないかという件で、保存されていた妻の臓器から砒素が出てきて、夫が起訴されたというケースを覚えているんですね。
 そうすると、これは脳死だから、臓器提供に賛成だともし家族が言って、後から事件が登場してくるということだって十分あり得る。そのやっぱり本人の意思という点と諸外国のいろんな意見が、この委員会でも説明が違うんですが、その点は実際どうなんですかという点をお二人にお聞きします。
#69
○参考人(谷澤隆邦君) 小児科と申しましてもかなり細分化しております。それぞれ内科と同じように循環器とか消化器とか神経、そういうふうに細分化しておりますので、必ずしも小児科医がすべて脳死というものを把握しているかということに関しては、そういう機会が少ない。それから、医療の進歩によりまして臨死という形が、新生児科に関してはよくあることですけれども、比較的少ない。そういった背景があると思います。
 そういう意味で、私が資料として提出いたしました資料七ですね、この中の後ろから五枚目、表二というのが多分出ていると思います。これは多変量解析というのをちょっとやった結果でございまして、専門分野がここに上から、小児科全般、神経、一番下が新生児というふうに、表を見ていただきますと出ております。
 これを見ますと、いわゆるそれぞれ専門医の所属しているところによりまして若干違うと。例えば循環器の先生方は、非常に脳死は死と認める率が高い。これは〇・〇〇一の有意差で出ております。
 ですから、そういった非常にヘテロジーニアスな小児科医の固まりでございますので、新生児科に関しては、そういった可塑性とか成長発達とか、その辺のところで必ずしも、現行の二〇〇〇年基準で脳死判定をしているというケースが非常に少ないこともありますけれども、いわゆるノーリータンであるかどうか、リバーシブルなものがあるのではないかといったところで少し戸惑いがあるというふうに私はこれを読んで理解しました。
#70
○参考人(ぬで島次郎君) お答えいたします。
 確かに本人同意というのがあくまでベースなんですけれども、それがない場合には家族の同意で臓器を摘出できるというふうにしている国が多いことは事実です。そういう国でも、先ほど申し上げたように、本人同意というのがまずベースであって、それがないという例外的な場合に以下の順位で家族の決定を認めるというふうになっていると思います。
 それからもう一つ、先ほど申し上げた、本人が拒否していなければ臓器を摘出してよいと定めている国、ヨーロッパに幾つかありますが、例えばフランスが私一番よく知っているのですけれども、そのフランスでは、二〇〇四年の法改正で、本当にノーと言っていなかったかどうか、医師はあらゆる手だてを尽くして確証しなければいけないという修正がわざわざ行われたんですね。だから、これは福島委員がおっしゃったように、本人の意思というのを徹底的に確かめろと。もうそこまで徹底的にやると、もうこれは本当にすごいなと思うんですけれども。
 その上でフランスでは、家族の意思は法的には要らないんですが、やはり現場の実態としては家族に聞いているようなんですね。もし家族がそれを嫌だと思えば、こいつは嫌だと言っていたと答えればいいわけですね。だから、そういう関係があるような家族なら答えられる。
 最後におっしゃった、家族間の間にもすさまじい利益の対立があるというのは、もうこれは法律家の先生なら一番それはよく御存じだし、お医者様もよく御存じだと思うので、私の方から特に申し上げることはありませんけれども、その意味でも死因究明はちゃんとやってほしいと、そういう意見を申し上げました。
#71
○森田高君 国民新党の森田です。
 谷澤先生とぬで島先生にお伺いしたいと思うんですが、谷澤先生には、先ほど来出てきます小児科学会のアンケート結果でございます。
 これは学術団体として学術論文としてお出しになった資料ということですから、当然その背景には学術的な中正、効率性がなければならないだろうと、そういうことを前提として挙げ、だけど、今、結果的にこの数字ばっかりが何か独り歩きしているなというような印象を非常にこれはいろんな報道の持ち方とかみんな見てそう思うんですが、それが企図されたものか、されないものかというのはまたおいておきまして。一番重要なのは、プロフェッショナルな集団としての小児科学会が学会員に対してアンケートを行って、それに対して小児科医が答えたということなんですよね。
 だけど、先ほど先生のお答えにもありましたように、小児の脳死判定というものそのものが、まだ厳密な意味で法的脳死判定は日本では一例も行われてないわけですから、まずそこにかかわった人が非常に少ないということで、バックグラウンドの、何といいますか、バイアス要因というのは相当あるんじゃないかなというふうに客観的に思うんですよ。
 そういう中で、じゃ、学会員に対してアンケートの効率、中正を期するためには、ある程度の情報を持ってもらわないといけないだろうというふうにこのアンケートの前提条件としてあると思うんですね。
 なぜこういうことを言うかといえば、自分も泌尿器科の専門医だったんですが、腎臓の臓器提供が少ないなと思いながら、だけど諸外国の、例えば海外の法的な状況というものは、じゃ勤務医時代に全部知っていたかと、フランスの状況とかドイツの状況を知っていたかといったら、知らないわけですよ。そうなると、じゃ、アンケートを送られてきたと、諸外国の法的な状況を全く知らないままに自分の主観だけで答えることが学術団体のコメント、いわゆる専門家集団としての論文に値するかどうかということに関してちょっと少し踏みとどまって考えた方がいいんではないのかなということを、このアンケート結果を見て思うわけです。
 しかしながら、結果としてこれは報道等で数字が独り歩きしてしまうという状況になっているので、この数字の在り方というものに関してセレクションバイアスというものがある意味あるんじゃないかというふうにも思うわけなんですが、その件に関しての御見解をいただきたいというのが一点です。
 もう一点は、虐待、被虐待児童のことが出てくるわけです。
 もちろん、法的脳死判定に進む前提要件として、明確な器質的疾患があるということが前提条件になるわけですから、それがはっきりと分からない中で脳死判定に行くことはあり得ないと思うわけです。ですから、虐待に関する知見を高めることは当然重要なんですけれども、そのことばかりが強調されるがゆえに、移植医療に関する議論が後退してはならないのかなというふうにも思うんですが。
 これは素朴な私の疑問なんですけど、プロの例えば救急救命専門医が診て身体的な外傷がない脳死事例。つまり、だれかが犯罪的意図を持って自分の子供を手に掛ける、その結果脳死を誘発しようというように思った場合、それは方法論として極めて難しくなってくると思うんですね。なぜなら、頭部外傷をつくるということになりますと、脳死状態が誘発されたということであれば呼吸も当然止まりますから、救命救急の段階で恐らく心肺停止になってしまう確率が高いだろうと思うわけでございます。あるいは、先ほど揺さぶり症候群ということがあって、多分それが一番重要なポイントだろうと思うんですけど、一部のPICUの先生に聞きますと、例えば揺さぶり症候群であっても、眼底所見をちゃんと診ることができるスキルがあれば、これはかなり、ほぼ確実に診断ができるという言葉もあります。
 ですから、虐待というものがすごく強調されるんですが、意図して脳死状態のみをつくり出すと、心肺停止に至らなくて脳死状態だけをつくり出すというのは、しかも外傷痕を残さずにということを考えていくと、相当これは難しい、むしろやる方にとってはリスクが高い犯罪行為ではないかと思うわけですよね。むしろ、それだったら心肺停止状態にしてしまった方が、これは言葉に語弊がありますけれども、容易ではないかと。溺死体になって発見されて、気が付いたら溺死していましたとかいう方が、もしそういう犯罪をやろうとする人がいた場合に、その方がはるかに手段としては容易ではないかと思うんですが、意図して脳死状態のみをつくり上げるというのはすごく難しい気がするんですね。ですから、具体的に揺さぶり以外では、じゃ何があるのかということを教えていただきたいなというふうに思います。
 そして、ぬで島先生に関してお伺いしたいんですが、先ほど来同意方式に関して議論がありました。先生はフランスのことが非常にお詳しいというふうにおっしゃっておりまして、論文によっていろんな単語というのは多分違ってくると思うんですけれども、大きく異議方式、死者の方で生前に反対の意思を示していない場合には死体から臓器を摘出してもよいもの、先生は先ほどそれを推定同意と言われましたけれども、中央大学法学部の斉藤先生の論文ではこれを異議方式というふうに表現されています。
 これは、ヨーロッパでは、フランス、スペイン、ポルトガル、イタリア、フィンランド、ルクセンブルク、オーストリア、ポーランド、スロバキア、ハンガリー、チェコ、スイス等々で使われているというふうに言われています。割と欧州では広く使われているんだろうなというふうに、先ほど福島議員からの質問でフランスということを単独で答えられていましたので、もっとたくさん使われているよということを言いたいんですけど、日本の場合は同意方式です、間違いなく、今までは。
 で、同意方式でも二種類あるというふうに言えるんだろうと思います。
 一つは、日本で使われているような狭い同意方式、つまり文章で、書面で意思を明らかに表示する、それに加えて家族が同意するという、これは特別に狭い方式であるというような表現が斉藤教授の論文にはあるわけなんですけれども。だけど、これはアングロアメリカン法なんかでは、例えばアメリカとかあるいはカナダ、イギリス、オーストラリアで使われている同意方式というのは、故人の意思を家族が生前に推定する、だから、それが多分推定同意方式に当てはまるのかなと思うんですが、ちょっと言葉のことは僕も専門家ではありませんからよく分からないので、同意方式といっても多分二種類あるんだろうというふうに論文から読めるわけなんです。
 もう一つは通知方式で、死者の側の同意も異議もない場合には、行われようとしている臓器の摘出について近親者に通知がされ、その摘出に対して異議の申立てをする時間が与えられなければならないとするものということで、通知方式、これはドイツとかあるいはスカンジナビア等で使われているというふうに言われています。
 だから、先ほど来、すごく同意を一律に取っ払うという話ばかりが出てくるんですが、恐らく家族の推定でもって本人の意思をそんたくするという方法であっても、恐らく同意方式の中の範疇なんじゃないかというような解釈があっていいと思いますし、今アメリカやカナダ、オーストラリア、イギリスで使われている推定同意方式、推定、言葉がどうか分かりませんけど、手法というのは、同意方式の中にあるという観念があっていいんだと私は思います。それに関する御見解をいただきたいと思うんですが。
 あと一点だけ、大変恐縮ながら……
#72
○委員長(辻泰弘君) 簡潔にお願いします。簡潔に。
#73
○森田高君 はい。
 あと恐縮ながら、先生、先ほど資料で二番目に医学実験でもという言葉を使っていらっしゃる。そして、お言葉の中に人体実験という表現を使われたんですが、これはヘルシンキ宣言において日本では人体実験は一例も行われておりませんので、これは臨床試験ということをおっしゃりたいと思いますが、これはもう行政、現場、学術、全部が認めた公正な方法で、世界が医学の進歩のために行っている臨床試験だと私は思いますんで、人体実験という言葉は、これはヘルシンキ宣言にも反しますし不適切な用語ではないかと私は思いますんで、撤回された方がよろしいかと思います。済みません。
#74
○参考人(谷澤隆邦君) 二点についてお答えします。
 まず、バイアスがこのアンケート調査に掛かっているんではないかということで、私どもは二〇〇一年と二〇〇七年と二回アンケートをしております。今回出したのは二回目の方でございまして、一回目はいわゆる代議員、小児科学会というのは代議員制を取っておりますので、かなり経験のある小児科医が六百人ほど代議員になっております。その代議員にアンケートをした場合には、八二%が脳死が人の死であると。ところが、今回は一般会員の意見も聞きたいということで約四千名、回答率が御指摘のように二三%で若干低うございます。そういった意味で、これで七〇%が、あっ、やっぱり脳死は人の死だということで、この八二と七〇をどう考えるかということですけれども、まあ大多数の小児科医はそういうふうに思っているということは、ある程度参考にはなるかと思います。政治的な意味でこれがレビューを受けている論文ではございませんので、それについてはお答えできないということをお許し願いたいと思います。
 それから、二番目のアビュースというか虐待のことでございますが、シェーキングベビーに関しては確かに眼底所見は非常に重要な所見でございます。そのほかにやはり親が一番言うのは、階段から落ちたとか過ってふろに落ちたとか、そういう形で言ってくるわけですね。ですから、私どもはそこは検証できないわけで、そういった意味での虐待もかなりあります。
#75
○森田高君 心肺停止になりますよね。
#76
○参考人(谷澤隆邦君) ええ、そういうふうになります。ですから、かなり重症なのもそこに入ってくる、そういうケースが十分あり得ると思います。
#77
○参考人(ぬで島次郎君) お答えします。
 確かに法学者の方の整理は、英米法系の方、ドイツ法の方、フランス法の方、みんな整理の仕方という言葉を使うので非常に難しくて、フランスでは推定同意方式って言うんですけど、それをドイツ法の先生たちは反対同意方式とか言うんですね。その点は確かに分かりにくいですが。
 一点、御指摘の点にお答えするとすれば、A案が言っているのは家族の同意であると、これは本人同意ではないということなんですね。だから、もしおっしゃったように家族が本人の意思をそんたくして本人の同意として行うというふうにしたいのであれば、これは一番最初の中山案のように、家族が本人の意思をそんたくして決めることができると、一番最初の中山案に戻すべきなんであって、私は、今回のいわゆるA案というのは、家族が本人の意思をそんたくして同意できるとは書いてないので、これは本人の同意を外して、すっ飛ばして家族が同意するんだと理解しております。ですから、もし先生がおっしゃるように、家族は本人の意思をそんたくして本人の同意を代わりにやっているんだとしたいのであれば、そのように、家族は本人の意思をそんたくしてという修正案を出されるべきだと思います。
 それから、最後に御指摘になった人体実験という言葉をヘルシンキ宣言が否定しているというのは、私は今日生まれて初めて聞きました。人を対象にした実験研究、日本ではなぜかそれだけが悪魔のように言われておりますけれども、日本には人体実験、人を対象にした実験研究全般をちゃんと規制する法律がありません。薬事法で新薬の開発試験だけが法的な規制の下に置かれ、あとはいわゆる行政の告示で行われているだけですので、ヘルシンキ宣言が日本で守られているかどうかということを日本国内で法的に確証することはできないと私は理解しています。これは、日本で不適正な人体実験が行われると言っているのではありません。そうではないと思います。
 しかし、今さっき言われたように、ヘルシンキ宣言に反するから、人体実験という言葉をおまえは使ったが、撤回するべきだという御意見に関しては、私は研究者の信念を持って、撤回する必要はございませんとお答えいたします。
#78
○丸川珠代君 ありがとうございます。自由民主党の丸川珠代でございます。
 谷澤参考人にお伺いしたいと思います。
 素人でございまして、臨床脳死判定と法的脳死判定の違いというのを、一般的には非常に混乱しやすいものでございまして、先生の資料二番の中にございます、主治医が脳死状態としてから心停止まで三十日以上掛かった症例が十八例であるとおっしゃっていただいていることについて、これは脳死でも生きる人がいるというふうに書いてあるように思うんですが、しかし、脳死というのは、先ほどから伺っていると人の死であるというふうにおっしゃっている方もいて、非常に混乱をしております。
 それで、先生方が取り上げた症例の中で、最も厳密にといいますか、いわゆる法的、いわゆるというか、きっちりとした法的の判定の脳死と同じプロセスを踏んで長期脳死だというふうになった例というのは、実際幾つなんでしょうか、教えていただけますか。
#79
○委員長(辻泰弘君) 谷澤参考人、簡潔にお願いします。
#80
○参考人(谷澤隆邦君) これは、やはり今、家族が必ずしも法的脳死を、診断を望まないというか、いろいろな親御さんの環境があって、結局、主治医が脳死状態という形で判断しているものが多いということで、確かに、この中でいわゆる正式な手順を踏んだものがという形になると、少し落ちてくると思います。
 ただ、その前の方に書いてございますように、臨床的脳死診断は十三例、真ん中ほどのパラグラフにありますけれども、厳密に行ったのは十三例、一八%で、無呼吸まで入れると六例ということになっておりますが、この中で何例かというのはちょっと、今私自身は覚えておりませんが。
#81
○丸川珠代君 六例が無呼吸テストまで行ったという、その中で長期脳死は何例なんですか。
#82
○参考人(谷澤隆邦君) これは脳死診断の判定期で、ちょっとここのところは、今この手持ちの資料では私、把握していなくて、失礼します。
#83
○中村哲治君 町野参考人に伺います。
 先ほどの説明も、死者の自己決定概念の説明については、法哲学的な視点からの整理をされたということだと私、理解しておりまして、非常に分かりやすかったと私は思っております。
 それに関連して、先ほどから御説明をいただいている改正法の六条二項の要件についてでございます。現行法が、その身体から移植術に使用されるための臓器が摘出されることになる者であってという要件が付けられている。それを削除することの必要性について、町野参考人、答えていただいたと思うんですけれども、それを違った観点で私なりにもう少し質問させていただきたいんですけれども、現行法の運用上の問題点として考えられていることというのはありませんか。
 例えば、私が感じているのは、脳死判定後、臓器の摘出を遺族が拒んだときというのは、この六条二項の今削除されるかどうかという要件があるがゆえに脳死とはならないという解釈もあるのじゃないか。そうすると、脳死判定の結果、今は脳死と判定されて死と扱われていますけれども、臓器提供に至らないのに死と扱われている、こういうような運用上の問題があるんじゃないかと、今日、町野参考人の御意見を伺って私はそういうふうに感想を持ったんですけれども、このような観点から、六条二項について更に説明をしていただければ幸いでございます。
#84
○委員長(辻泰弘君) では、町野参考人、恐縮ですが、簡潔にお願いいたします。
#85
○参考人(町野朔君) ちゃんと法的脳死判定をしたにもかかわらず臓器提供に至らなかったときについて、一体人の死はそのとき脳死のときなのかという御議論ですけれども、これは、先ほどの行政的な方の委員会の方では、そういうときでもそうだという具合に一応決着は付いております。しかし、だからといって、先ほど申し上げましたとおり、そのときに本当に死んだのだという話では私はないだろうということでございます。
 ただ、実務上の上では、一応、これはいかようにでもなし得るところだろうと私は思います。
#86
○小林正夫君 時間の関係もあり、端的に谷澤参考人と町野参考人にお聞きをいたします。
 自己決定の年齢なんですけれども、十五歳未満について移植可能ということに仮になった場合に、現在は十五歳未満はしないということになっていますから、ドナーカードは持ってない、またドナーカードは与えてないというふうに私は思うんですが、今度十五歳未満オーケーになった場合には、年齢制限を取っ払うということになりますので、ドナーカードを持つ、こういう教育もしなきゃいけないということが一つあると思います。
 そこで、十五歳、特に中学生の意思決定というのは先ほど先生がおっしゃったように尊重しなければいけないと、こういうお話がありましたけれども、片方で、家族の同意があれば移植ができると、こういうことも言われているんですが、十二歳を境にした年齢上の人と十二歳以下の人と、ここのドナーカードを持っているときの判断、これはどういうふうにすべきなのか。法律学上からいって、十二歳以上十五歳未満の方がドナーカード持っていて自分の意思があったときに、それと違う判断を家族がする場合はあり得るのかどうか、この辺についてどう考えればいいのか、教えてください。
#87
○委員長(辻泰弘君) では、まず谷澤参考人、簡潔にお願いいたします。
#88
○参考人(谷澤隆邦君) ここのところは一般的な話をしておりますので、個人差がかなりあると思います。
 私も詳しくは知りませんけれども、最高裁で証人としての価値がある。例えば、六歳の子供がその殺人を犯したのを見ていたというふうなことを取り上げられたというのは聞いておりますので、やっぱりある程度我々は、大多数の意見が、世論が受け入れられる年齢で十二歳ということを出しております。この年齢層であれば、やはり今自己表明もありましたけれども、大人では拒否権が認められておるわけですね。こういう拒否権についても是非認めていただきたいというふうに思っています。
 それから、先ほどちょっと、済みませんが、丸川委員のところで追加させていただきますけれども、この資料二の百十三ページ、この2)のところに、判定基準に沿って診断が的確に行われた十三例中四例が長期脳死例であるというふうに書いてございます。ただ、これがその十三例中四例、はい。ですから、この中で六例が無呼吸がやってあるかについては、ちょっとこの私の資料では分かりません。
#89
○参考人(町野朔君) 短い時間ですべてにお答えするのはかなり難しいと思いますけれども、今、一つの問題は本人の自己決定、つまり提供する提供しないということの自己決定と、それから家族のそれとが矛盾するときどうするかという話ですね。
 これはいろんな考え方があると思いますが、私は、現行法とそれから今回提案されているものと同じでよいと思います。家族はそのとき意思をオーバーライドできるという考え方です。
 つまり、本人が提供したいと言っていても、家族がノーと言ったらやはりそれはいただけないという話です。逆に、本人がノーと言っても家族がいいと言っても、それは上げることはできないという話だろうと思います。今の範囲で家族の自己決定と本人の自己決定とは完全に同じではないということでございます。したがいまして、家族の自己決定というのは本人の意思の代理だというのはかなり不正確な表現だろうと私は思います。
 それ以外にもいろいろあると思いますけれども、時間の、よろしいでしょうか、もうやめて。
#90
○委員長(辻泰弘君) どうぞ、それじゃ簡潔にお願いします。
#91
○参考人(町野朔君) はい。
 簡潔にということですけれども、先ほどの御議論でいろいろ混乱を招いているかもしれませんけれども、ずっと混乱を招き続けているのかもしれませんけれども、私が申し上げているのは、意思の表明だけが自己決定ではないという話です。そしてさらに、本人の、つまり通常の場合でも同じですけれども、同意するのと拒絶するのと意思能力はそれは違うだろうということです。
 したがいまして、恐らく運用といたしましても、本人が、例えば五歳ぐらいの子供がノーと言っていたと、これは書面でなくても私は結構だと。ノーと言っていたときに家族がイエスと言っても、私は提供できないと思います。そういう問題だろうと思いますから、すべて私のような考え方というのがA案と違うのだということにそれはならないのであって、A案も同じような私は考え方だろうと思います。それだけは補足させていただきます。
#92
○委員長(辻泰弘君) よろしゅうございますか。
 それでは、以上をもちまして参考人に対する質疑は終了させていただきます。
 参考人の皆様方には、長時間にわたり貴重な御意見をお述べいただきまして、誠にありがとうございました。委員会を代表いたしまして心より厚く御礼を申し上げます。
 ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後五時四分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト