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2009/02/25 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第4号
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2009/02/25 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第4号

#1
第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第4号
平成二十一年二月二十五日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十四日
    辞任         補欠選任
     川崎  稔君     植松恵美子君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         矢野 哲朗君
    理 事
                大石 尚子君
                亀井亜紀子君
                藤本 祐司君
                岩城 光英君
                吉田 博美君
                松 あきら君
    委 員
                一川 保夫君
                植松恵美子君
                大久保 勉君
                加藤 敏幸君
                川合 孝典君
                川上 義博君
                行田 邦子君
                鈴木  寛君
                広田  一君
                松井 孝治君
                石井 準一君
                佐藤 信秋君
                長谷川大紋君
                森 まさこ君
                山田 俊男君
                若林 正俊君
                澤  雄二君
                大門実紀史君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        今井 富郎君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「幸福度の高い社会の構築」について)
    ─────────────
#2
○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会をいたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 昨日、川崎稔君が委員を辞任され、その補欠として植松恵美子君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(矢野哲朗君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」について委員間の意見交換を行いたいと思います。
 本調査会は、これまで「幸福度の高い社会の構築」をテーマに、仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」について調査を進めてまいりました。本日は、これまでの調査を踏まえ、その中間取りまとめとして、委員各位の御意見をお述べいただきたいと存じます。
 議事の進め方でありますけれども、まず各委員からお一人五分以内でもって御意見の表明を行っていただきました後、午後三時半ごろまでを目途に、委員相互により自由に意見交換を行っていただきたいと思います。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、これより意見表明を行っていただきます。
 私から順次指名をさせていただきたいと思います。
 トップバッターで松井孝治君、お願いいたします。
#4
○松井孝治君 会長、御指名ありがとうございます。
 簡単に私の意見を述べさせていただきますが、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」という設問はなかなかに挑戦的な設問で、いろんなことを考えさせていただく機会をいただいたことを感謝をいたします。
 結論からいえば、私は前回の調査会で御発言をされた小峰隆夫参考人の御意見は非常に参考になるものだったと思っております。要は、論理的に言えば、人口減少によって一人当たり国民所得が高まるという方向には恐らく行かないだろうと。したがって、小峰参考人がおっしゃっていましたが、この命題については私はやっぱり慎重な姿勢を取らざるを得ないと思います。
 しかしながら、この命題の面白さは、恐らく、人口減少によって一人当たり国民所得は、ほうっておけば、あるいはほかの条件が一定であるとすれば、それは高まる方向には行かない、したがって必ずしも国民幸福度は高まらない。けれども、小峰参考人の御意見で参考になったのは、それを何とかカバーするために社会全体が国民の社会への参画というものを高めなければいけない、そのプロセスにおいて私は国民の幸福度が向上するという可能性は十分にあるというふうに感じた次第であります。
 要は、小峰参考人がおっしゃっていたのは、人口減少すれば社会に参画する労働人口はほうっておくと減っていく、従属人口が増えていく、したがって国民一人当たり所得はむしろ減少傾向にあると。でも、それを補うためには、例えば男女共同参画をもっと促進する、あるいは高齢者の方々、従来であれば引退されていた方々がやっぱり積極的に参画していただかなければいけないだろう、そういう社会をつくり出していけば国民一人当たりの所得というのは必ずしも減少するとは限らないというお話だったと思います。
 そして、その議論の中でも出たことでありますが、そういう社会参画を、男女あるいは老若男女問わず、より実現していくというプロセス自身が、私は、所得の面だけではなくて、国民の社会への参加意識あるいは幸せというものが、幸福というものがどのような形を通じて実現するのかということを考えたときに、社会にかかわっていく中で、要するに、人のために役に立つというようなプロセスを経て、人間というのは自らの居場所を探し、そして幸福度が高まるんではないか。
 そういう意味では、人口減少は逆に、一人当たりの国民所得は高める方向に行かないけれども、それを社会全体が何とか補完しようということで、いろんな社会参画を、老いも若きも男性も女性も、あるいはいろんな職業を横断的に社会参画を増やしていかなければもたない、そういうプロセスを通じて人々がある種の社会的な役割を果たす、そのプロセスで喜びを感じていく。いろんな形で、財政も厳しい状況です、社会保障の予算も本当にこれからどういう政権になってもなかなか大変だと思う。だから、それをカバーするために、あるいは例えば教育を、医療を、社会福祉をカバーするために人々が世の中のために働いていく、それは場合によってはある職業を持ちながら別の形で働いていくというような形で社会参画を高める、そのこと自身が人間の生きる喜び、社会にかかわる喜びというものを提供していく可能性があるんではないか。
 その意味では、私は、論理的には小峰参考人がおっしゃったようにこの命題は間違っているかもしれないけれども、その間違っている中で、逆にそのことを逆ばねにして、国民全体の幸福度を上げていくというようなことのヒントをいただいたような気がします。
 要は、人間の幸福というのは決して所得だけで測れるものではなくて、人を助けるということの喜び、人から評価されることの喜び、それが私は人間の幸福の一番本質的な部分ではないかと思うがゆえに、この命題は非常に意義のある、そして私は、結論からいえば、この命題を少なくとも、国民所得はともかくとして、最終的には国民の幸福度を向上する一つの機会に人口減少をしていくということを我々政治家は考えるべきではないか、そのように感じた次第です。
 以上です。
 ありがとうございました。
#5
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、交互に行きたいと思いますので、大門実紀史君、お願い申し上げます。
#6
○大門実紀史君 大門でございます。
 テーマも進め方も奇抜な調査会だなと思っておりますが、三回、六人の参考人質疑を聞いて意見と感想を述べたいというふうに思いますけれども、参考人の御意見はそれぞれ大変貴重な御意見ではありましたけれども、ただ余り目新しい議論はなかったかなというふうに率直に思っていますし、また、今回の仮説に余りかみ合ったものでもなかったような気がしております。ちょっと辛口の意見かも分かりませんが、率直にそう感じております。
 多くの御意見は、今回の仮説、人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、幸福度も向上するには無理があるという話でございまして、それはもう百も承知でこういう設定をして、そういう結論というよりも、それでいろいろと考えてみようという設定だと思いますけれども、ですから、仮説そのものは無理があるということの、だから少子高齢化対策についていろんな、その点では大変貴重な御意見とか経験が報告されたとは思いますけれども、どちらかというと、今三階でやっています少子高齢化の調査会で聞くべきような意見が多かったのかなというふうに、ちょっとそれは残念なところがございます。
 仮説そのものに言及した意見も既成の経済学的視点の議論に終始したところがあって、ちょっとこれも残念だったなというふうに思います。つまり、人口が減少しても一人当たり国民所得を高めることができるかどうかというのは、経済学的視点からいったら、労働生産性を上げて就業人口を増やすというのは、こんなの別にわざわざ参考人から聞かなくても既に出されている議論でございますし、じゃ、どうするかというところも、だから日本は今後新しい開発技術、技術を開発して、労働力足らなくなったら高齢者と女性を働いてもらうと、更に足らなくなったら外国人労働者だというのは、もう経団連でさえしょっちゅう言っていることで、別に目新しい話ではなかったというふうに率直に思っております。
 私、やっぱり人口減少、このテーマといいますか仮説をよく参考人の方にもお伝えをして、その先の話が聞きたかったなというふうに思っているところがございまして、人口減少と幸福度という観点では、参考人の意見を聞きながら思ったんですけど、二つの点で更に深めた議論が必要だというふうに思いました。
 まずは、単純な高齢者・女性活用論は危ないということでございます。
 高齢者が生きがいを持って働く、仕事を持つということは結構なことですし、女性が経済的自立と自己実現のために仕事を持つというのも個々の人にとっては大変いいことだというふうに思いますが、政府とか御用学者の方々がそういうことを言い出すときというのは非常に危ないなというふうに考えております。
 現に今問題になっています非正規雇用問題でいくと、あれも自由な働き方が大事だということを小泉さんとか竹中さんとか経済財政諮問会議の民間学者の方々がさんざん言って今こんな事態を招いているということがありますので、そういう何かきれい事で言われるのはどうかなというふうに思っているところでございます。
 参考人の中には、自分は死ぬまで今の仕事をしたいという方がおられましたけれども、それは勝手なんですけれども、そんなことが言える人はほんの一握りだと思うんですよね。自分の好きな仕事にみんな就けるとは高齢者は限りませんし、ほとんどは今だってそんなに好きじゃなくても一生その仕事に就いている方もいるわけですから、それは一部の恵まれた方の話だなというふうに思いますし、何というか、女性の労働もキャリア型の労働も増えるかも分かりませんけれども、アメリカで起きたように、単純低賃金労働に大量に女性が駆り出されるということだって起こり得るわけでございます。
 年金が少ないから死ぬまで働かなきゃいけないという、働きたくて働くんじゃない状況もこのままだと考えられるという点でいくと、私は、高齢者・女性活用論というのは単純にそうだそうだと言うと危ないと。むしろこの調査会で考えるべきは、その高齢者・女性活用論の先にあるものといいますか、それが幸福度との関係で、労働力が足りなくなったら、そうならざるを得ないとしたらどういうふうな労働環境が必要か。特に、女性の問題は少子高齢化対策のところで結構検討されていますが、高齢者が働いていくということについては検討がされておりませんので、高齢者の雇用ビジョンについてもっと検討する、そういう意見が聞きたかったなというふうに思います。
 もう一つは、従来の経済学的な視点だけで幸福度を考えていいのかということでございまして、経済学者の多くは、この委員会でも参考人が言われましたけれども、経済は人を幸せにするものだと、昨日より今日、今日よりあした経済が良くなることが幸せなんだというふうに言われましたが、案外経済学者というのは幸せの物差しが非常に単純なんですね。今日より良くなればいいということしかないところ、だから経済成長が大事と。したがって、GDPの数字が大事、労働生産性の数字が大事と。これを自己目的化していきますと、結局は人間不在の経済になって人々を不幸にすると。それが今、金融でそういうことが起こって、百年に一遍の経済危機、金融危機が起きていると。人々を不幸にしているわけですね。
 ですから、経済成長が本当に人を幸せにするのかということをきちっと中身で検討してみるとか、あるいは経済成長を前提としない幸福度の追求というのはあるのかどうか、そういうことを追求するといいますか、いろいろ検証してみるのがこの調査会の役割ではないかなというふうに思った次第でございます。
 そういう変わった意見といいますか、面白い意見をもっと聞きたかったなというふうに思いますので、今度は余り経済学者ばっかりよりも、インド哲学者か何か呼んでいろんな話を聞いてみるとか、もっと面白い設定をしていくべきかなということを思いました。
 以上でございます。
#7
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、行田邦子君、お願い申し上げます。
#8
○行田邦子君 これまで六人の参考人から御意見を伺いまして、それを踏まえた上で、私は、素直にこの仮説一の検証というよりも、実現するには何が必要なのかという視点で私なりに考えてみました。
 これまで六人の参考人の御意見の中まとめますと、人口減少によって、一人当たり国民所得を高めるためには、まずより多くの人に働いてもらう、女性や高齢者は担い手と言えると思います。そしてさらに、生産性を高めるということ、これは一人の労働時間を長くするということではなくて、時間当たりの生産性を高めるという、この二つだったかなというふうに思います。
 ここで、より多くの人に働いてもらうという、中でも女性の就労ということについて、若干私自身の経験も踏まえましてお話をさせていただきたいと思います。
 私は、平成元年、一九八九年に大学卒業しまして民間企業に就職をしました。男女雇用機会均等法施行三年後の入社なんですけれども、いわゆる男女雇用機会均等世代と言えるかと思うんですけれども、この均等法の施行後の職場というのはさぞかし男女の平等というのは進んでいるだろうというふうに思われる方も多いかと思うんですけれども、実際、平成元年のその当時というのは、まず私が職場に行きまして上司や先輩から言われた、たたき込まれたことは、女性は男性の三倍働いて一人前と思えと、もうおまえは結婚あきらめろということをたたき込まれました。これがその当時の職場の現状だったかと思います。
 そして、その八九年、私が就職したときに、いわゆる一・五七ショックという、出生率が一・五七にまで下がってしまったということがショックということで取り上げられたかと思うんですけれども、働く現場にいればこれはもう起こって当然のことだろうというふうに思っておりました。その後、女性が働きやすい環境、産休、育休を取りやすい環境ということでかなり法制度というのは整備されたかと思うんですけれども、それでも、まだ依然、女性が第一子を出産をする、このことを機に七割の働く女性が会社を辞めてしまう、退職をしてしまうというような数値も出てきています。
 女性にとって同じ職場で働き続けるということは、結局今までと同じ働き方、男性と同じように長時間労働を強いられるということを意味するわけなんですね。そうすると、子供ができてからも同じ職場で働き続けるということは、これまでどおり長時間労働をして、かつ子育てもしなければいけないということになります。皆さんが皆さん、女性はスーパーウーマンというわけではありませんので、それができる方もいるんだとは思いますけれども、恐らく多くの女性というのは、育児とそれから仕事の両立ということは難しくなってしまうというような状況がまだ続いていると思います。
 そして、子育てが一段落して労働市場に戻ってきた場合、多くの女性は正社員ではなくて、パートやアルバイトというような就労形態で働くことになるというケースが多いと思います。これは、正規雇用の就労形態に多様性がないからこのようなことになってしまうかと思うんですね。今ワーク・ライフ・バランスというような言われ方されますけれども、正規雇用の就労形態の多様性を認める、労働時間や働き場所、働き方の多様性について労働現場全体で考え直さなければいけないということを今回のこの仮説一の検証を通して私は改めて考えました。
 労働時間を、女性だけじゃなくて男性も短縮して、そしてその一時間の労働を密度の濃いものにしていく、余った時間をプライベート、家庭やそれから育児、そういったことに充てていくという働き方の見直しということを今こそ人口減少社会を迎えるに当たって考えていかなければいけないというふうに思っております。
 仮説の実現ということで、人口減少により一人当たり国民所得を高めるには、女性や高齢者といったより多くの人に働いてもらい、時間当たりの生産性が高い働きをしてもらうということではないかと思うんですけれども、ただこれは、何かこの物の言い方が非常に私自身も気になりまして、これは為政者の物言いではないかなというふうに言っていて感じるんですけれども、むしろこれを、そもそも国民が国のためにあるのではなくて、国が国民のためにあるという視点から、国民の視点からと言い直した方がいいというふうに思っております。なので、この仮説を逆から言い直すとすると、女性や高齢者など働きたいと思っているより多くの人が労働という密度の濃い充実した時間が過ごせることによって国民幸福度が向上し、人口減少でも一人当たり国民所得が高まるというように逆に言い直したいなというふうに考えております。
 以上です。
#9
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、澤雄二君、お願い申し上げます。
#10
○澤雄二君 公明党の澤雄二でございます。
 当調査会が幸福とは何かをテーマに選んだことは、前にも申し上げましたが、幸福とは何かについては多分、百人が百人、意見が違う。このとらえどころのないものを政策立案の調査項目に選んだことは無謀といえば無謀でありますが、しかし大変意欲的であり挑戦的であり画期的でもあると思っています。
 所得と幸福度の相関関係については、お金があれば幸せなのかについては、大阪大学の筒井義郎教授らの研究によれば、ある一定の所得まで、研究によると年収七百万円まででありますが、七百万円までは顕著な相関が見られます。やっぱりお金はないよりあった方がいいのは間違いありません。
 所得を増やすための政策は一つであります。経済成長率を向上させて、GDPを拡大させればいいんです。しかし、当調査会の問題意識は、必ずやってくる大問題、少子高齢化にどう立ち向かえばいいのかにあったのではないでしょうか。つまり、所得を向上させることではなくて、果たして所得は確保できるのか、どうすれば社会保障は維持できるのかにあったのではないでしょうか。
 この調査会のテーマを決めたときは、未曾有の経済危機にはまだ直面していませんでした。厚労省の推計によりますと、今後二十五年間で労働力人口は一千万人減少します。若年者、女性、高齢者の雇用機会を高めたとすれば、五百万人に半減させることができます。それでも四十五年後には二千万人が減少します。現在の三分の二の規模です。
 参考人の意見にありましたように、この労働力人口の減少は、間違いなく総合的な国力、国の力を減衰させていきます。それは、イコール国民の生活水準が下がっていくことを意味しています。ちなみに、合計特殊出生率は二〇〇五年から三年間、幸いにして上昇を続けていますが、これは失業率が下がっていったことに非常に相関関係があると私は考えております。
 少子化は景気の活性化と少子対策の政策の推進によってそのスピードを弱めることができますが、少子高齢化は何十年後に突然やってくるんではなくて、毎年少しずつ影響を与えてくるでしょう。日本国民はいずれ、外国人労働者を大量に受け入れることで国力を維持していくのか、それとも身の丈に合った生活に甘んじるのか、大きな選択を迫られるときが来ると思います。
 所得と幸福度の関係でいえば、一つ大きな問題があります。それは格差の拡大であります。いただいた資料の一ページ目にありましたが、国民生活白書の一人当たりのGDPと生活満足度の統計によりますと、一人当たりGDPは一九八一年以来ずっと上昇トレンドにあります。一人当たりのGDPは伸びています。しかし、生活の満足度は一九八四年以来下がり続けています。このことを白書では、所得上昇は、所得が増えることは幸福度に結び付いていないというふうに分析をしておりますが、果たしてそうでしょうか。
 雇用者所得という数字があります。内閣府によりますと、二〇〇五年にはこの雇用者所得は前年比で一・八ポイント上昇しています。労働分配率が下がり続けている中で、どうして所得が伸びたのでしょうか。一・八ポイント上昇のうちの半分の〇・八ポイントは、消費者物価が下がったことで相対的に所得が増えたためであります。残りの〇・八ポイントは、利子や配当による所得が増えたものであります。いわゆる庶民で利子や配当で所得を増やすことができる人がどれだけいるでしょうか。これは格差の拡大を意味しています。
 平均貯蓄率という数字があります。およそ十年前の平成八年にはこの平均貯蓄率は九・〇%ありました。しかし、十年後の平成十八年ではわずか二・七%に減っています。直近の数字では二・二%まで落ち込んでいます。これは、年金生活者が年金では生活ができなくなって貯金を取り崩しています。現役世代では、かつて貯金をする余裕があったのに、今は貯金に回せなくなってきているのであります。独り暮らしの老人の生活費は平均月十四万と言われています。一方、平均の年金額、収入は十二万円であります。毎月二万円の赤字を、貯金を取り崩して生活をしています。貯金のない人は平均以下の生活を甘受しているということであります。
 現下の経済危機でも格差の拡大が分かったことがあります。それは、第三・四半期のGDPが年率換算で一二・七ポイント下がったことであります。
 金融危機は欧米の方がはるかに厳しいと言われていたのに、逆に日本の方がはるかに厳しい数字となりました。これは輸出産業に偏り過ぎたためと説明されていますが、もう一つ理由があるのではないでしょうか。それは、この間に上げた利潤を消費支出を向上させるための分配に失敗したからではないでしょうか。イザナギ景気を超える長期間の景気回復が続いておりましたが、結局、デフレは克服できなかったこともその証明であります。
 今後数年間は今の経済危機に国の総力を挙げて立ち向かわねばなりませんが、同時に、国民全体の幸福度を上げるために格差の是正にも取り急ぎ取り組む必要があると考えます。そのためには、経済をマクロ的視点で見るだけではなくて、様々な個別の数字を、一人一人の生活に根差した数字を検証していく必要があります。
 最後に、当調査会でもう一つ重要なことが分かりました。それは、今の若者がといいますか、社会全体でしょうか、社会に対する協調、共生、社会参加への認識、意識の欠如であります。もっと重要なのは、自分自身の成長、向上さえを求める意欲の減衰であります。
 統計によりますと、若者の意識は、将来社会のために役立つ貢献をしたいという気持ちよりも何とか自分の生活を守れればいいという数字の方が上回っています。人間としての価値観を養うことができる、そういう社会をつくり上げる必要があります。参考人の日本総研の池本美香先生の、労働力だけではなく社会力を高める必要があるとの言葉を重く受け止めたいと思っています。
 以上であります。
#11
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、川合孝典君、お願いします。
#12
○川合孝典君 発言の機会をちょうだいいたしましてありがとうございます。川合でございます。
 前回の調査会から差し替えで入らせていただきまして、一度聞いたからということで今日意見表明をさせていただきますが、御容赦を賜りたいと思います。
 私、このテーマは非常に大きなテーマでございますので、私自身が取り組んでまいりましたのが特に雇用労働という側面から仕事をしてまいりましたので、その点に絞って感じたことを少し述べさせていただきたいというふうに思います。
 幸せというのが一体何なんだろうかということを考えたときに、今、日本の多くの方が幸せを感じておられない。過去どうだったのかということを考えると、バブルがはじける以前、いわゆる高度経済成長の時代には皆さんがそれなりの幸せを今よりは感じていらっしゃったということ、これはもう明らかなデータとして出ております。
 じゃ、何が悪くてこういうふうになってしまったのかということなんですが、いわゆる高度経済成長以前は、頑張ったら頑張っただけ経済が上向き、そのことによって頑張ったら頑張っただけ所得も上がる、白物家電を始めとして物質的にも豊かになるという将来に向けての明確な目標が一人一人の国民の皆さんにあったんだろうなというふうに思います。したがって、豊かになることに価値観を求めて頑張ってきたのが、バブルが崩壊するまでの状態。
 それ以降、バブルが崩壊して以降は、人口も減少し、経済も停滞したいわゆる縮小経済状況に陥る中で何をやってきたのかなということを考えますと、事雇用の現場で申しますと、成果主義という言葉が非常に多く聞かれるようになりました。成果に比例して所得を配分するんだということで、これはもう一般的な企業では大企業を中心としてほとんどのところが何らかの形で導入してきております。このことによって、結果的に、それまで終身雇用で頑張ったら報われるんだと言われて働いてこられた方々が、ある時点から、頑張って働いたからといって将来給料が伸びるわけではない、長期安定雇用が確保されるわけではないという形で、その段階ではしごが外されてしまったのではないかなというふうに実は私はとらえております。
 と同時に、この成果主義というものを導入するときによく言われたのがグローバルスタンダードであると。アメリカのように成果主義を入れるんだというようなこともしきりと言われておりましたが、ここで議論が余りなされなかったなと思いました問題は、アメリカの場合には仕事に人を付けますが、日本の場合には人に仕事が付いている。人に仕事を付けるということ、人に依存しているということですね。仕事ができる人にはたくさん仕事が集まるし、仕事できない人には仕事が行かないというようなことも含めて、非常にエモーショナルな要素がこの中には含まれている。
 このことを無視して成果主義というものを導入したがゆえに、客観的に評価もできない、しかも年功序列という考え方が依然として根強く残っている状況の中で成果主義を導入したがゆえに、いわゆる弱者と呼ばれる人たち、若年層と呼ばれる人たちを中心にして、そこにしわ寄せが行ってしまったんだろうなというふうに私はとらえております。そのことが結果的に、若年者の方々の会社離れというのが、景気が良かった時代には三年たたずにすぐ辞めてしまうというような議論もありました。
 と同時に、あとは、雇用のルールが非常に緩和されてしまった。これも、言い方を変えれば、多様な働き方という、言い方はきれいですけれども、実態としてはていのいい切捨て可能な、物と一緒というような置き換えを結果として企業が利益を優先するがゆえにしてしまったということであります。
 そういうことを考えますと、将来に向かって我々が考えなければいけないのは、やりがいを感じられるようにする、そういうワークルールを作っていくということではないかと思います。
 あと、時間ですので一点だけ申し上げますが、近年、景気が悪くなってきて、合理化をする代わりにワークシェアリングという話がよく出てきております。ワークシェアリング自体は決して否定するものではないんですが、日本の労働の現場は働き方のルールがきちんと守られていないケースが多うございます。二千数百時間の労働を、法定労働時間を超える労働をするという方々がたくさんおられる。そして、そのことを規制するルールがないというのが実態でございますので、そういう状況の中でのワークシェアリングというのは、仕事をシェアすることではなくて、場合によっては企業による賃下げの口実にもつながりかねないということであります。
 したがいまして、本当にワークシェアをするのであれば、ワークルールをきちんとして、法定労働時間を守らせて、休日をきちんと取らせるということによって空いた部分に今失業されている方々を始めとする余力の労働力を入れていくという、そういう考え方をしなければいけないのではないか、こんなふうに考えております。
 非常に偏った意見だけで大変恐縮でありますが、持ち時間、ほぼ五分使いましたので、以上で終わらせていただきます。
 ありがとうございました。
#13
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 続いて、森まさこ君、お願いします。
#14
○森まさこ君 森まさこでございます。
 「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」という仮説についてでございますが、この人口減少という点を女性の生き方の側面、そして子育てをしていく側面からとらえて発言をしたいと思います。
 まず、一つには、子供を産む女性の立場からでございますが、昔の母親は強かったという意見が参考人の方からもございまして、私も常々その真意を考えてきました。一九七〇年代には専業主婦が多くて、しかし、実家からのサポートがなくなってきた核家族の世代であっても、三人、四人という子供たちを、母親としても非常に精神的にも強く子育てをしてきたということを見てまいりました。これに対して、私も含めて平成の世代の母親というものは、その母親がいる環境というのは、女性の働き方が多様化してきた時期にいるのではないかと考えます。
 一九七〇年代は少しずつ女性の社会進出は進んでおりましたが、まだ女性でも管理職になっていけるというようなチャンスは非常に少なかったわけでございますが、平成に入りますと、当たり前のように女性でも選択すればそういった道を進めるようになりました。私の同期では、そういった選択をして社会の中で活躍をしている方々もおられますし、又は、その中で結婚をしないで仕事をしていくという選択肢を取った人もいます。また、働きながら、結婚するけれども子供は産まないという人もいますし、結婚をして、子供を授かったときにはキャリアの道をあきらめて辞めていくという人も、これは弁護士の中にも多くいるわけでございます。また、私と同じように、結婚しながら、そしてまた子供を産んだ後もまた社会の中で働いているという女性もいるわけでございます。
 このように、女性の社会進出が非常に増えて、社会での女性の働き方も多様化をしてまいりました。これでどういったことが起こるかと申しますと、女性の中で女性同士の比較ということが行われてまいります。そこで私は、教育の中で、女性が他人と比較することなく、いろいろな生き方があるということの認識、そして自分オリジナルの幸福度、幸福を追求をしていけるというようなことが学べるような教育をしていくべきだというふうに考えます。
 現在はいろいろな女性の生き方のロールモデルがあるんですが、なかなか女性自身としてそういった先輩たちの生き方を見る機会がございませんので、そういったものを提供をしていくことによって、また女性自身の幸福度も向上するのではないかと思います。この点については人口減少と幸福度ということが関係がないように思われます。
 二番目に、男性のことについて述べますけれども、男性側の子育てについての理解、子育てへの参加というものを求めていく上で、やはり男性に子育てというものが現実にどういう作業であるかということを分かっていただくようなことを、特に幼児教育のうちからしていただきたいというふうに考えます。そのことによって、伴侶を得たとき、子供を授かったときももちろんですが、会社の中で同僚又は部下が出産、子育てをするときの理解も深まっていくと考えます。
 これについて、アメリカでのベビーシッティング授業や、夏休みの課題としてベビーシッティングを与えるなどの例を参考にしていただきたいと思います。
 また、三つ目として、社会全体の子育て支援に対する理解について述べさせていただきますと、残念ながら日本では欧米に比べて社会全体の子育て支援に対する理解がまだまだ足りないと感じています。子育て支援の政策に税金を使いますと、親を甘やかしているのではないかというような指摘が一部ではされているようでございます。例えば、職場の同僚から、女性の同僚から、あなたは自分が好きで選択して子供を産んだんだからその苦労は自分でしなさいというような雰囲気があるという意見もございます。
 しかし、子育ては社会の将来の人材を育てているのですから、社会全体が感謝をし、そして社会全体が子育てをするというような理解を深めていただきたい、そのことによって人口減少も食い止められ、社会の幸福度も上がるように考えております。
 最後に、祖父母世代の孫育てのことについて述べさせていただきます。
 例えば、地方では農家などでも母親が会社勤めをして祖父母が子供を預かるということがあります。都市部のキャリアウーマンの母親がいる家庭でも同じようなことがありますが、現在、出産年齢が高くなってきておりますので、孫の面倒を見る祖父母の年齢も高齢化しており、体力的に非常につらいという現実がございます。
 ところが、例えば地方では、地方の農家にお嫁に来てくれる方は大切だし、また生活のためにも働きに行ってもらう。そして、祖父母世代は無給で、そして体力的につらくても孫を育てているわけですが、社会全体の子育てという観点から、これらに対する支援をすることによって国民全体の幸福度も向上するというふうに考えます。
 以上です。ありがとうございました。
#15
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、植松恵美子君、お願いします。
#16
○植松恵美子君 本日は川崎委員の差し替えで出席しておりますので、今日は川崎委員から預かっている意見を代読させていただきます。
 今回の調査において、仮説一、人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も高まる、の検証作業を行ってきました。
 まず、直感的に考えると、人口減少社会というのは、高齢化社会であり、若者が少なくなる社会ですから、社会の活力、元気が失われていく可能性が高いということになります。やはり、人口減少社会というのは、何もしなければ国民の幸福度は低下してしまう、だから、人口が減少しても社会の活力が維持される方策を講じていかなければならないということだと私は思います。
 そういった点を経済の視点から分析されていたのが原田先生、小峰先生の両参考人の御意見でした。いずれも、こうした社会の活力をどのように維持していくかという点で大変示唆に富んだ内容だったと思います。
 すなわち、社会の活力を維持するために大切なのは、人口の増減ではなく、一人当たりの国民所得の増加であるということ、そして、その一人当たりの国民所得を増やす方策としては二点考えられるということでした。
 一点目は働く人口の割合を増やすことであり、具体的には、女性や高齢者の方々に安心して元気に仕事に取り組んでもらえる社会をどのようにつくり上げていくかということだと思います。
 二点目は労働生産性を上げていくことであり、具体的には、社会全体としての効率性というものをいかに追求していくかということでした。これは、コンパクトシティーの構築など、町づくりにおいて生かされるべき考え方だと思います。
 いずれにしても、こうした観点から、様々な政策を今後立案していかなければならないということが整理できたという点でも今回の検証作業は有益だったと思います。
 以上でございます。
#17
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 理事間で特に今日は代読ということで了解を取らさせていただきました。
 それでは、佐藤信秋君、お願いします。
#18
○佐藤信秋君 ありがとうございます。
 私の方からは三点申し上げたいと思うんですが。
 一つは、この仮説一に対して、選ばれた参考人の皆様の選ばれ方にもよるのかもしれませんが、実際問題として、このうちの一点でも肯定してくださる方がおられるかなと思いましたが、なかなかおられない。そういうものかなと。人口減少で国民所得が少なくとも、高まらなくても、幸福度を向上させるためにはどうするかとか、多様な意見があり得るかなと最初は期待したんですけど、やっぱりそういう意味では、常識的な線に落ち着くというか、人口減少で国民所得は多分下がっていって、幸福度もそのままでは下がるんだと、こういうのが参考人の皆様の御意見で、そうならないためにどうするかということをいろいろ御示唆いただいたのかなというふうに思いました。
 二点目ですが、どうすればいいかということを考えなきゃいかぬというのは確かなんですが、大変、まあ、うんうん、なるほどなというか、きつい問題だよなと思いましたのが、先週の小峰先生ですか、少子、高齢、それぞれに対しての手当てというものをやっていこうとすると、中間人口といいますか、今の若者、今十歳―十五歳ぐらいから二十年後、三十年後の働き手を担う人たちの層、ですから、十歳―十五歳から四十歳前後ぐらいまでの皆様に覚悟のほどをお願いせないかぬと。少子社会に対してどう手を打っていこうとするか、同時に、高齢者に対する福祉というものを向上させていこうとする、これはまさしく一番の働き層のしんどさと理解を求めていくと、こういうことになるんじゃないでしょうかねと、こういう議論を、終わった後だったですか、ちょこっとして、それもそうだなと。
 中福祉中負担とか高福祉高負担とか言いますが、いずれにしても、ある程度の仮説では難しいよなと、こういうことを言おうとする、であるとすると、少子化もある程度食い止めなきゃいけない、子供に対する手当てもせないかぬ、しかし高齢者に対する福祉というものはこれまでに少しずつ削ってきたら大変なことになってきたと、こういう実感ですから、それを両方満足させていこうとすると中間働き手層によっぽど覚悟していただかないと、この国というのが不満だらけの国というか、幸福度の非常に低い国に多分なっていくんだろうと、感じとして、感ですね、幸福度感みたいなのが、ああ、これはこれで大変なことなんだなと、こんなふうに実感をさせていただきました。
 三つ目、最後ですが、そういう中でどうすりゃいいんだろうというのは、私自身なかなかこれがいい、あれがいいということが、もちろん意見があるわけでは残念ながらありません。
 ただ、ある調査を見てみると、今住んでいる日本国民は九割方はそれなりに幸せですよねと、こういう問題と、それから自分の生活が上中下分けて中の下以上ではあるよねみたいな方というのが九割以上おられる。つまり、現状としては、これからの変化という問題は非常に不安を持っているけれど、現状としてはそれなりに、これは昔に比べてと、こういう面もあるんでしょうけど、豊かさや満足感と、こういう問題でいくと多分かなりの満足度というのが、逆に言うと幸福度もそれなりにあるんだろうなと思うんです。
 そうだとすると、そういう先行き厳しいと、こういう状況に対して何をすればいいんだろうという点からいけば、一つ、私自身は、多分、典型的な幸福モデルみたいなのが多様になってきたということでもあるんだろうと。昔だったら、三世代同居でおじいさん、おばあさんが子供の面倒を見て、まあお母さんの方も家にいたかもしれませんけどね。ただ、みんな親子三代豊かにゆっくりと暮らせるみたいな、地に付いたというか、それぞれ地域に根付いた暮らしというのが、そして少しずつ良くなっていくんだよみたいな戦後の幸福モデルみたいなのが、今になったら非常にバラエティーに富んでいる。
 そうだとすると、政治がどこまで果たし得ることかという面はあるかもしれませんが、幸福モデルというのがいろんなパターンがありますよね、いろんな暮らし方がありますよねという提供をせないかぬというか、努力せないかぬのかなと、そんなふうに実は感じていまして。
 典型的には、実は、ウサギ小屋と言われました日本ですけど、一戸当たりの家の一番広いのが富山県ですよね、一戸当たり。そして、一戸当たりの貯蓄が一番多いのが福井県なんですね。意外と東京でもなければ神奈川でもないという。つまり、その住んでいる地域にもよるのかもしれませんが、幸福パターンというようなものを幾つかのというか、いろんな幸せパターンというのを提出し得るようにするというのがこれから大事な問題になっていくんじゃないかなと、そんなふうに思ったところであります。
#19
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 それでは、一川保夫君、お願いします。
#20
○一川保夫君 では、私の方から、今回のこの調査会における参考人からの御意見を聞いた中で自分なりの意見を述べさせていただきますけれども、今回のこのテーマに基づいて参考人からお話を聞いているときにちょっと思い出したことが二つほどありまして、一つは、かつて私が高度成長期の時期に東南アジアなんかに出向いたときに、非常に当時も大変開発途上国は所得が低いと言われておりましたけれども、そういうところに住んでいる、しかも子供さんがたくさんいるわけですけれども、非常に表情が明るかったという印象。その時代、日本へ来て霞が関へ来ると非常に表情が暗い時代だったような気がするわけですけれども。そういうような現象を思い出しましたし、それからまた、日本で、我々小さいころには貧乏人の子だくさんということも言われておりました。しかし、そういう家庭は非常に明るくて、元気よく子供が飛び回っていたような感じすらするわけです。
 そういうことを思い出しながら、今回のこの仮説について、我々政治の場にいる人間に対して大変大きな警告を与えられていると思いますし、またいろんな面で、これから我々もこれまでの政策の行き届かなかったところを反省しながら、しっかりとした政策を再構築する必要があるんではないかなという感じを率直に受けました。
 私は、この前もちょっと質問させていただきましたけれども、こういった人口の減少というのは、日本の国内では大きく二つに分かれていると思いますけれども、やはり大都会に人口が相当流入してきていると。一方では地方、農村地域は人口が流出してしまっているということで、じゃその農村地域は出生率が低いかといったらそうでもないわけですね。ただ、所得は全体的に低いわけです。都会の方は所得は高い、けれども出生率は低いという現象ですね。こういう大きく分けて二つの地域があると思いますけれども、やはりこういったところをしっかりと仕分をして、その役割をしっかりと見極めた中で対策をしっかりと講じていかないと、ますますこの減少の格差が開いていく可能性があるのではないかなという感じを持ちました。
 私が住んでいるところでも、北陸の山手に住んでいますけれども、やはり山間地域の今日の現象は大変過疎化が進んでおりますし、高齢化率は異常に高くなってきております。こういう中でだんだん活力がなくなってきておるのが現実でございますから、私は、この仮説にあるように、人口が減少していくということは、その年齢別のバランスが崩れてしまいますとどうしても活力の低下につながっていきますし、それがやはり必ずしも幸福度ということを考えれば、なかなか高めるというのは非常に難しいという感じがいたします。
 そうかといって、都会の方の所得の高いと言われておる地域は、じゃ幸福度があるかなというふうに見るときに、どうもその現象も余り見当たらないような感じがするものですから、そういったところは大きな課題だと思いますけれども、そういう問題意識を持ちました。
 ですから、私は、これから人口が流出するような地域について、それは当然ながら自然条件とかいろんな地形的条件が厳しいところが多いわけですけれども、そういう雇用機会をしっかりと創出していくということが大事なことですし、その中心的なものは、一次産業みたいなものはしっかりともう一回再生させる方策が必要だと思いますし、また、教育だとか福祉面におけるそういう施策をもっともっと充実させる必要があるのではないかなという感じもいたします。
 ただ、人口が流出していく地域というのは自然環境という面からすれば非常に豊かな地域でもありますし、また、下流域に面している人口が集積しやすい平地部においては、上流地域のそういう農村地域の自然環境なりそういった国土保全的な観点からしっかりとやはりその地域を守ってもらわないとまたいろんな面で住みづらい点が出てくるわけでございますので、そういう観点からも政策をある程度しっかりとめり張りを付けたものが必要でないかなというふうに思っております。
 また、人口が流入する都市部は、教育、医療等のサービスはある程度高いものがあるというふうに思いますけれども、ただ、依然としてそういった出生率が少ないということであれば、そこに対する都市部の少子化対策みたいなものを、何か今までと違うものをしっかりとやはりもっと強力に進めていった方がよろしいんではないかなという感じがいたします。
 ただ、この前の参考人のお話のように、ある一定の年代に達しますと、学生時代からそうですけれども、農村地域から都会へ人が移動してしまう。移動した人間はそっくりまた元へ戻ればいいんだけど、それが戻ってこない。ということからすると、その辺りの対策も必要かもしれませんけれども、そういう都市部における少子化対策というものが非常に大事ではないかなというふうに思っております。
 そういったことを今回の参考人のお話を聞きながら強く印象に持ったわけでございますけれども、それぞれの人間、人生設計というのは当然あるわけでございますけれども、ある一か所にずっと定住するようなことでない、もっとフリーに、年代によっては場所を変えて定住するようなことが可能なこともあってよろしいんではないかなということもちょっと思い出しましたけれども、そういう面では我々これから政治の場にいる人間にとっては非常に大事な問題を提起されておるというふうに私は思いました。
 以上です。
#21
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 続いて、長谷川大紋君、お願いします。
#22
○長谷川大紋君 私を含めまして多くの国民は少子高齢化の日本の将来に対しまして何となく不安を持っておるのは事実であります。その原因としては、何といいましても、団塊の世代、第一線から離れ、支える側から支えられる側に変わるということ、そして、これまでの社会保障のシステムやバランスが大きく崩れてしまうという不安があるわけであります。
 そのような中、過日、原田参考人のお話を伺い、また資料を拝見いたしました。その中で、高齢化社会が問題なのは幸せな社会をもっと幸せな社会にするためにはどうしたらよいかというぜいたくな悩みという意見を聞いたわけでありまして、ああ、このような意見もあるのかなということで安心したような気もしたわけであります。
 今回の仮説は、少子化の末、人口の減った日本で、少数の国民が富を分け合う物質的な幸福度の向上についてと理解をいたしました。社会が豊かになり生活や価値観が多様化した現在では、人の幸福感も多様化していると思います。私の周り、あるいは皆さんの周りもそうだと思いますが、職場や収入に大変恵まれておりましても夫婦だけの時間を大切にする、あるいは、結婚適齢期だと思いましても独身生活を楽しむ方が大変増えておることも現実であります。池本参考人の意見の中にもありました、社会力不足した世代という考え方も当てはまるものと思います。幸福度の向上を考える上で、生活環境や年代、性別を超えた幸福感とは何かということをよく考える必要があると思います。
 また、この仮説のような幸福度の恩恵が受けられるのは、半世紀先に高齢化がある程度解消され、それまでの日本経済が現状に近い状態を維持していればの話で、外的・内的要因の様々なハードルをクリアしていかなくてはならないわけであります。現在のこの不況から脱出するめどが付かない現状でこの仮説を肯定することは、まさに雲をつかむような話であると私は思っております。私自身、この調査会での論議を参考に、国の明るい展望を見越した国のあるべき姿というものを描いていければいいというように考えております。
 また一方、出生率につきまして、原田参考人の意見で、出生費が安くなるか安くなると感ずるまで豊かになればよいとありますが、経済面が豊かになれば出生率が回復するとは一概に言えないのではないかと思います。政府もこれまで数々の少子化対策を行い予算を費やしてきたわけでありますが、現在に至るまで効果的な結果はまだ余り出ていないと思います。
 私は、出生率が向上する要因はもっと単純なことなのかもしれないと思っております。
 先進国では、裕福な国の出生率が低く、新興国、途上国の出生率は高いこともあります。また、アメリカでは、六五年、七七年の大停電、同時多発事故、ハリケーン・カトリーナの襲来のとき、いずれもその後の出生率が一時的に上がったという話もあるわけであります。人間の本能は、厳しい過酷な状態で子孫を残そうとする種の保存の本能が強く働く一面があるとも聞いております。また、偶然にすぎないという学者もおりますが、過酷で不安な状況で家族とともに過ごせる安心感は、豊かな社会で過ごす私たち日本人の日常生活では理解できないほど幸福度は高いものなのかもしれません。結果的に家庭で過ごす時間が増えたことで、家庭のきずなが深まったものと考えられます。
 今後、地球温暖化防止を目的とした夜間の電力供給の制限、あるいは青少年健全育成などを目的とした、家庭で家族が一緒に過ごせる時間を推奨する政策について議論を行う必要があると思うのであります。
 以上が私の意見であります。
 ありがとうございました。
#23
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 それでは、川上義博君、お願いします。
#24
○川上義博君 仮説に対してというよりも、今まで数回の意見を参考に少し話をしたいと思います。
 少子高齢社会というのは、日本に経済が衰退して年金、医療とか財政も崩壊するという、そういった想定の下に少子高齢社会というのは良くないんじゃないかという意見があるわけでありますけれども、そういう社会というのは、新しい社会、実は、今西錦司という人類学者が、なるべくしてなる、なるべくしてそのような環境にあれば生物というのは適合すると、そういう能力があるんだという今西さんの話がありまして、私も、そういった社会というのも自然に適合する社会経済状況というのをつくっていくんではないのかなというふうに楽観的に思います。
 例えば、一人当たりの労働生産性とか資本生産性の向上の努力をしたり、あるいはその実現に向けて進んでいくと。危機に際しては天才が出てきて、新しい革新的な科学技術の開発もよく歴史に現れているわけでありまして、そういったことで、別にそういった社会があるから我々は大変なんだということを思わないようにした方がいいんではないのかなというふうに思います。
 例えば、ベネチアとかあるいはフィレンツェなんかは人口ほとんどいなかったんですね、五十万以下。それでもローマよりも長くベネチアは発展してきた。それは、自由貿易というものが、規模の経済というのであれば自由貿易というものがしっかり確保されていた、フィレンツェは金融だけであれだけの経済を保ってきたというようなことがあるというのが参考になるんではないのかなと、このように思います。
 ただ、その格差というのが、地方は人口がどんどん減っていると、都会はどんどん増えている、だから経済力の差が出てくると。人間は所得の高いところ、文化の高いところに移動しますから、そのまんま放置しておればますますそのような状況が生まれてくる。だから、政策的には何らかの手を打たなければいけない。そこで、外国人の労働とか、それを利用すると。その前に有効な資源の活用、例えば日系人、世界に散らばっている外国に定住している日系の二世、三世、四世とかそういう人たちに連携を取って再び日本にいろんな協力を求める、さらに開国主義を取ってアジアに近い沖縄とかあるいは九州には率先して外国人の移民を受け入れるというようなことも考えていっていいんではないだろうかと、このように思います。
 そして、私の経験なんですけれども、子供を産んで育てるということは大変楽しいことなんですね。本当に、子供が日々成長していけば、目から毎日うろこが落ちるような経験しているわけなんですけれども。その一番大切な時期に、両親というのは注意深く子供をいつも見ているんですけれども、どうも日本社会というのは弱い者に対して非常に冷たい社会になっていると。私が子供を連れてあるレストランに入ったら、やめてください、子供を連れて入ったら駄目ですよと、こう言われたんですよ。これは、特に障害者の子供を連れていったらもっと激しく拒否されるんではないのかなと、こう思ったんですね。だから、日本の社会というのは本当にそういった弱い者に対して極めて冷たい社会なんだなというのが私の印象でございます。
 それから、お母さんからいえば、子育てに従事しておれば社会からの疎外感とか、これは意見がありました。それから、仕事を再開する場所がなくなる、社会参加の機会が失われて所得も失われると。経済的には子育ては大変損なんだということに意識的になっているんじゃないのかなと。
 そこで、結局、子育てをしたら、例えば四人子供を持ったらそれだけで所得が確保できる、食べていける、フランスなんかやっていますけれども、そういった減税とかじゃなくて、何人か子供を産んだら母子そろって国家がすべて経済的支援を行うと。もう心配しなくていいというような大胆な経済支援を行っていくというのが一番必要なことでありますし、特に父親にとっても子供がたくさん生まれたら職場で優遇すると、課長にさせるとか、課長は部長にさせるとか、そういったこととか、あるいはその社員は終身の雇用を確実にするというような社会政策、雇用政策をやったらいいんではないのかなというふうに思っています。
 これは最後に、このテーマと関係ないんですけれども、我々政治家でいつもキャンペーンやっているんですけれども、キャンペーンというのは抽象的ではなくてあくまでも具体的に示す必要がある。だから、子供を持つメリットを具体的に、これは子供を持ったらメリットがあるんだということを具体的に政策として提示をする必要があるのではないのかなと、このように思います。
#25
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、石井準一君、お願いします。
#26
○石井準一君 私もこの調査会に参加をさせていただき、昨年から「幸福度の高い社会の構築」、自分自身も実際に幸福度はいかにあるべきかなんということは考えたことがなかったんですけど、いかに逆に言えば恵まれているかなというものをこの調査会に参加をさせていただく中で感じた次第であります。
 我が国は世界一の長寿国となったわけでありますけど、その反面、高齢化や人口減少時代が私たちの住む世界をどのように変えていくのか、国民一人一人が大きな不安も持っているのは私は事実だと思うわけであります。また、人口減少ということが所得を上げる、このことに対してもいろいろと参考人の意見を聞いて、私もまず確実にあり得るのか、あり得ないのか、まだ判断はできないわけでありますけど、逆に言えば、やはり国の行政や政治の失策によって経済が落ち込み、今日の日本の経済の後退や何かを見ても、やはり政治の在り方の大きさというものを今感じておる次第でございます。
 逆に言えば、人口減少の重要な視点として、人口減少は確実に日本の将来の経済を私は縮小させていくと思っております。また、したがって政策展開においては、この事実をしっかりと議論をしながら、縮小する経済の下でいかに豊かな社会を築いていくのか、大きな課題ではないかなというふうに認識をさせられました。
 そして、高齢化や人口減少そのものが逆に言えば問題ではなく、高齢化や人口減少時代の経済の仕組み、社会の仕組みをどのように構築していくのかが我々に課せられた大きな課題であるなということも認識をさせられました。そして、我々がやはりなすべきことは、人口の高齢化、減少時代を真に喜べるような、逆に社会の仕組みを変えていくことが大切であるなということを教えられたんじゃないかなと思います。
 子育てしやすい地域においてはやはり出生率も高いということが参考人の方々の意見からも聴取できましたし、やはり地域社会の地域参画の必要性や、安心や豊かさを生きがいで感じられるような、そうした地域社会の構築に向け、我々がこれからもしっかりと取り組んでいかなければならないなということを教えられました。
 そうした中で、やはり一番参考人から聞かされたことは、まあ労働力と言っては失礼なんですけど、女性が社会に進出していく上の仕事と子育ての両立の困難な場合が多いと。これに対しての施策をどのように築いていくか。ライフスタイルに応じたやっぱり働き方の政策をしっかりと立ち上げていかなければならないということを教えられました。いわゆる少子高齢化社会のキーワードは、やはり働き方の見直しにあるんではないかなということを痛感をさせられた次第であります。
 前の参考人のときにも私も申し上げたんですけど、やはり政治の究極の目的、人々の幸せのためのものであると。生き生きと仕事に励み、生活を楽しんでできるような社会の構築をいかにしていかなければならないかということを、いま一度真剣に考えさせられた次第であります。また、これからも幸福度の高い社会を構築していくために、いろいろな参考人の意見を拝聴しながら、自らの活動に生かしていきたいなというふうに思っております。
 以上です。
#27
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 それでは、加藤敏幸君、お願いします。
#28
○加藤敏幸君 加藤でございます。
 冒頭、松井議員の主張に非常に同調するものですけれども、他の条件において変更がなければ、人口減少により一人当たり国民所得はまあ仮説とは逆に低くなると、こういうふうなことだと思います。したがって、一人当たり国民所得を維持あるいは向上を図る必要があると。そういうことで考えるならば、相当の、特段の政策展開が必要となってくると、このように思いますし、具体的には、労働生産性の向上とか資本生産性とか話がありましたけれども、国際競争力を維持するいわゆる製造業を確保し、公共サービス、行政分野の生産性の向上、あるいは社会インフラ、産業インフラの集中化による効率向上など、西洋における中規模、小規模の先進諸国に匹敵する高付加価値社会の実現が必要であると、こういうふうに思われますけれども、経済政策として本当にそういうことがやっていけるのか、非常に厳しい状況にあると思います。
 特に、不動産価格は長いトレンドでやっぱり価格が落ちてくると。もっと言えば、住宅を中心とした不動産の実用価値が相当低下を続ける。いわゆる社会資本あるいは不動産のデフレ状態は長期に続くということから、経済運営として非常に難しい状況にあるのではないかというふうに思われます。
 一つだけ光が見えるというのは、高齢者の保有資産、個人金融資産残高が千四百兆円を超えるわけでありますけれども、高齢者に集中しているということから、これらの資産の世代間移転が今後行われるわけであります。これらの社会全体としての資金余裕をどう活用、運用するかということが今後の高齢社会における日本の大きな生き残り策ではないかと。当然国内への投資は難しい、縮小するわけでありますので、国外への投資、海外にどういう形で投資をしていくかということが非常に大事であり、言ってみれば長屋の御隠居さん的な、海外からの利子、配当、ロイヤリティー、これらの送金を前提にある種生活の相当部分が支えられるのではないか、またそれらの再配分政策が非常に大切になってくるのではないかと、このように考えられます。
 最後に、国民幸福度についての議論でありますけれども、議論が国民幸福度を平均所得であるとか平均値で考えていくというふうなことについては少し問題があると。過半数が幸福度を感じればいいということでもないわけですから、国会の場で議論する以上、ほとんど多くの国民が幸福度を感じると、そういうふうな政策の議論が必要ではないかと。そういうふうに考えていきますと、私としては、やはりセーフティーネットが十分生かされる高福祉社会、安心社会の実現の方向に、当然高負担ということが前提になるわけでありますけれども、そういうふうに社会政策全般をチェンジをしていかなければ国民幸福度の議論というのはなかなか前には進まないのではないかと、このように感じる所存であります。
 以上です。
#29
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 続きまして、山田俊男君、お願いをいたします。
#30
○山田俊男君 幸福度について考える機会ができたことは、大政局の中でいい時間を過ごせたかと、こんなふうに思っています。
 結論を言いますと、国民一人当たりの所得の向上と幸福度の向上は、一面では正しいけれども、一面では正しくないと、こんなふうに思います。
 といいますのは、元々何が幸福かについてはそのときの社会的な通念に左右されるわけですが、それに加えまして、個人的な生活に対するそれぞれの個人の考え方によって異なるのだというふうに、こんなふうに思うんです。確かに、所得の向上して、生活の質が向上して多様な要求を満たすことができるということは、社会的な通念では幸福度が増していると言えるのだろうと思います。しかし、一方で、所得は向上しているにもかかわらず、例えば自殺者がここ十年間で毎年連続で三万人を超えるという事態は到底幸福度が向上しているとは思えないからであります。
 すなわち、個人的な生活のとらえ方いかんでは、所得の向上では充足できないことがあったり、所得の向上が何か大切なものを失ったり、それから所得の向上の在り方、とりわけ格差拡大が幸福度を向上させずに、競争をあおったり嫉妬心を燃やしたりして不幸を増大させているということがあるんじゃないかと思うんです。このことの丁寧な分析や実証が必要なんだというふうに思います。
 今回のいろいろなヒアリングの中でもそのことを教えてもらったことがあろうかというふうに思いますが、所得の向上で何が充足できたのか、何が充足させられなかったのか、それから所得の向上で失ったものは何なのか、それから所得の向上が逆に格差を拡大しているのではないかという、所得向上の在り方等々について検討が必要だということを痛感しました。
 もう一つ、国民一人当たりの所得の向上に関しては、我が国が急速に人口減社会に入ってきているという大変大きな要因があるわけですが、これが一体どういう影響を与えるのか分析が必要です。すなわち、人口減が進むことで総体としての経済の低迷が進んで、国民一人当たりの所得も向上しないということがあるわけですし、人口減に伴いまして社会経済構造の転換で所得を落とさずに一人当たりの所得を逆に向上させるということもこれはあるのかというふうに考えます。とすると、まず幸福度以前に、どういう経済社会の転換を進めるのかが課題になります。そして、それに伴いつつどんな幸福度を充足させるのか、所得向上の在り方にも立ち返って、所得向上で失うものを少なくするには、ないしは小さくするにはどうするのか、所得の格差を拡大させないためにどうするのか等々について対策を検討していくことが必要であります。
 その意味では、今回の調査会では、少子化対策をどうするのか、それから働き方の問題、保育所の問題、男性の育児への参加の問題、それから労働時間の短縮とゆとりの確保等の問題について改善策を講じていくための意識的な取組が重要だということについて聞かせていただきました。まさに働き方の見直しが求められるというふうに思います。私は、これら働き方の見直しを行うというときに、何が幸福なのかという理念ないし人生観、それから宗教観みたいなもの、これは宗教と言うと議論を呼ぶとすると、心の持ちようとか生活や生き方の規律というものかもしれませんが、これらのことが必要になるのだというふうに思います。
 さて、結論ですが、極めて一般的に戻っちゃうんですけれど、一つは、人口減が進む中で引き続き国民所得の向上を図っていくためには、これまでの成長一点張りの経済社会構造の転換を図って、生活を豊かにする観点での経済社会の運営にしていくことが必要であることであります。二つには、国民一人一人が豊かな人生とは何かについての探求が必要でありまして、共同の助け合いであったり、自然や環境の維持であったり、ゆとりであったり、伝統文化の維持だったり、それから所得向上で失われた人間性の回復等々について、教育や家庭生活の在り方も含めて考察がなされなければならないということも思い至りました。その意味では、次のこの調査会では、宗教家や教育者の話を聞かせてもらうのもいいかなと、こんなふうに思った次第であります。
 以上です。ありがとうございました。
#31
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、大久保勉君、お願いします。
#32
○大久保勉君 大久保です。
 今回の調査会の仮説に関しては、本当に重要でありますが、大変難しい問題で、委員長が取りまとめされるのは非常に大変だなという印象を持っています。といいますのは、国民の幸福度は個人の内面の問題、価値観の問題でありますから、政治はどこまで関与できるのか、若しくは関与すべきじゃないという意見もありますので、今回どこまで議論するかというのは非常に重要だと思います。例えば、私の前に大門先生がいらっしゃいますが、大門先生とは全く考え方も違いますから、価値観を議論しても本当に意見の一致があるのかということは疑問です。
 そこで、私は政治が扱いやすい問題としては、国民の幸福度の向上のためには経済的な豊かさが必要であると、こういう定義した方が多分ここの議論になじむんじゃないかと思いますから、そういう意味では小峰先生の意見が一番私としてはしっくりきました。
 その単純化で考えますと、じゃ、もう少し単純化しましたら、人口が減っても一人当たりの所得が増えていけば国民の幸福は減少しない、若しくは一人当たりの住宅若しくは土地が増えるということで幸福度は満足すると、こういう仮説で議論するんだったらちゃんとした議論ができると思うんです。
 そこで、もう少し具体的に言いますと、一人当たりの所得というのは、労働参加率掛ける労働者一人当たりの付加価値生産性であるということで、このいわゆる労働参加率がどうなんだと、これから、若しくは労働生産性がどうなんだと、こういった議論をした方がより具体的な結論に達するんじゃないかと思います。
 今回、堺屋参考人の意見としまして、人口が減っても一人当たりの所得が増えた例がございました。例えば中世のイタリアがそうです。ですから、中世のイタリアがそうだから日本はそうであるという議論はいささか危険だと思います。といいますのは、イタリアに関しましては、やはり労働参加をしていない高齢者若しくは幼児が疫病で死んだ、その結果、労働参加率がアップしたと、こういった現象があります。じゃ日本はどうかといいましたら、少子高齢化、このことは労働参加率が確実に落ちますから、労働人口が減ったから中世のイタリアと同じという議論はいささか危険だと思います。ですから、非常に厳しい状況にある、この中でどうやって国民所得を上げていくかが僕らの問題じゃないかと私は整理しました。別の言い方で言いましたら、人口オーナス社会でどうやって日本を運営していくかという問題だと思います。
 ただ、最初に、人口オーナス社会というのは本当に不幸なのかといったら、実は逆に幸福度が高いから人口オーナス状況が出てきているんじゃないか、別の言い方をしたら、少子高齢化になっているという議論がより現実的だと僕は思います。具体的には、健康で裕福な生活が実現した日本において高齢化社会が可能になったという点。どうして少子化か、それは自分の子供が少なくても老後の安心がある程度確保されていると、こういった見方をしていかないと今回の問題は分からないんじゃないかと思います。
 次に、人口オーナス状況は経済的には厳しいです、所得が減りますから。それに対してどういうふうに考えたらいいのか。それは、いわゆる労働者一人当たりの付加価値生産性をいかにして上げていくのか、この問題だと私は考えました。そのために、例えばグローバル社会でありますから、世界中が人口オーナス社会ではありませんから、人口ボーナス社会であります例えばインドとか途上国、こういったところと交易をすることによりまして日本の付加価値を上げるような戦略、例えばイギリスが過去において行いました資本輸出、技術輸出、こういったところで、いわゆる資本で富を確保する、こういった戦略も必要でありますし、さらには人類史上最初に高齢化社会に直面している日本社会は、ある意味ではほかの国の模範であります。ですから、新しい価値、老齢化社会の価値を生み出してそれをブランド化していく、こういった戦略が必要じゃないかと思います。こういったことをチャレンジしながら新しい日本の行く末が出ていくんじゃないかと思います。
 結論として一言で言いましたら、極めて単純化でありますが、いわゆる人口が減る時代において労働参加率も減りますから、その中で唯一、労働者一人当たりの付加価値生産性を上げることが極めて重要であると。いわゆる活力ある社会をどうやってつくっていくか、これが私どもの課題だと思っています。
 以上です。
#33
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 続きまして、若林正俊さん、お願いします。
#34
○若林正俊君 我が国の価値観として、足らざるを憂えず等しからざるを憂うという、そういう価値観がずっとあった時代というのが長くあるように思うんですね。どうも不足の思いというのは、必ずしも国の経済力とかあるいは一人当たりの所得の水準とかそういうことだけではない、その人が持っている情報量とかあるいはその周囲の人たちの体験とか、そういうようなことから自分というものをどう位置付けて、そこで満足度というものをどこに求めるかということであったように思います。
 私はもう今年七十五になりますから、いろいろな場面場面の体験をしてきましたけれども、自分の所属している階層というのは中の下かな、中の中かなと思っている人たちが非常に多数を占めたそういう時代に生きてきたように思うんですけれども、もう昨今、自分の所属する所得階層というのはどこですか、こう言われると、意外と、自分は下の上ですよというような意識の人が非常に増えてきているように思います。その意味で、先ほど澤委員がおっしゃられましたような格差の拡大、分配の問題、そういうようなことが不満、不足の思いを高めているのかもしれない、そんな気がいたします。
 そもそも、人間というのは能力差というのは持っております。と同時に、性格の違いというものも持っております。そういうような違いというものを、やはり当然あるわけですから、そのことを前提としながら、しかし一人一人が選択の幅を持って自由度を持つというような意味合いで多様な生き方というものを選択できるようにしていくような社会、そういう社会の方が満足度、幸せ度というものを高めることができるんじゃないかというふうに思います。
 もちろん、委員の中でアフリカの諸国を回ってこられた皆さん方の報告も聞きましたけれども、やはり最低限の人間の尊厳が守られるようなそういう社会構造、また経済力というようなものが失われるようなことがあってはならないと思いますが、我が国が近い将来においてそういう状態に陥っていくだろうということは余り危惧することはないように思います。
 ですから、私は、小峰参考人にも申し上げました、また池本参考人にも申し上げましたけれども、やっぱり生産性、イノベーションというようなものを日本の力によって日本自身が高めていく、そのことによって一人当たりの生産性、付加価値生産性というのを高めるという努力は今後とも続けなければいけないでしょう。また、可能性は非常にあると思います。だからといって、経済力が維持される、あるいは向上するということは、一人当たりですね、保証できないように思います。
 そこで、やはり生きがいといいますか、生きる喜びというようなものをみんなが感じられるように、そういうことを見付け出していくような教育が必要ですし、そのときには画一的に押し付けるんではなくて、多様な生き方をお互いに認めて、それぞれがその能力なり性格に応じて生きていくことを認め合っていくというような、そういう価値観を持つような教育というものが基本にないと幸福感とか充足感というのがないように私は思っております。
 余りストレートにお答えにならないんですけれども、この仮説は、人口減少によって一人当たりの所得が著しく低下することがないように努めながら、その社会の中で、先ほど言いましたように、人間の尊厳が損なわれないように、そして人間の自由度が確保されていく中で多様な生き方がお互い認められるような価値観を持つべきだと、そのように教育に重点を置く必要があるんではないかというふうに思います。
#35
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、広田一君、お願いします。
#36
○広田一君 広田一でございます。
 まず、この仮説に基づきまして六人の参考人の方からそれぞれ示唆に富むお話を聞けたことは大変意義あることだと思っております。その仮説にございます人口減少、これと密接に結び付いているのが少子化でありまして、そこから出てくる問題として、夫婦間に目を転じてみますと、これは大日向参考人が御紹介してくれたんですけれども、ベネッセの調査では、妊娠中に比べて育児期の妻たちの夫に対する愛情が七一・三%から四一・六%まで低下をしたと、大変ショッキングな数字が出たわけでございまして、私は家に帰って私の妻に君はどうかというふうに聞く勇気はございませんでした、川上先生と違いまして。ベネッセは非常に「しまじろう」というかわいらしいぬいぐるみを作っているところですが、本当に恐ろしい調査を出すなというふうに思ってしまったわけでございますけれども。確かに、現状それだけじゃなくて、同じ大日向参考人がおっしゃいますように、多くの女性が出産とか育児というものは望んだものではあるけれども、そのことによって失うものが多いと。それは収入だけではなくて、人生設計そのものが見えなくなるというふうなお話は大変身につまされる思いもいたしました。
 また、池本参考人が母子家庭の問題であるとか、あと児童虐待の問題が子供たちの数が減っているのに増えているということを深刻化の一例として挙げられましたし、また、本田参考人によりますと、生活保護世帯とか貯蓄非保有世帯の増加が九〇年代に入って大変増えてきたと。つまり、生活基盤そのものが成り立たなくなっている状況があるというふうなことも改めて認識をしたわけでございます。そういう意味で、日本の場合、この人口減少と密接に関係する少子化について、本当に子育ての現場というのが幸福度が高いとは決して言えない状況であるということを改めて実感をしたわけでございます。
 こういった中、確かに、原田参考人がおっしゃったように、私たちはこれからの時代というものを人口減少を前提にして考える必要があるというのは、現状を踏まえますと大変説得力のあるお話だと思いました。しかし、と同時に、これは原田参考人も言っていますが、少子化をだからといって是認するのでなくて、むしろ児童手当を始めとして、これまでの子育て支援策の脆弱さというものを反省することが求められていると思うわけでございます。
 確かに、今以上に子育て支援、少子化対策というものを充実強化しましても、すぐに急に人口減少を止めることはできないかもしれません。しかし、それでも子育てを通じまして子供を産み育てやすい環境をつくっていくことがますます重要であるというふうなことを、日ごろ子育てに参加できない父親として反省の意味も込めて、そう思うところでございまして、やはり子育て対策に予算を付けたけれども、だからといって子供が増えていないじゃないかというふうな費用対効果でこの領域はやっぱり議論するべきじゃないというふうにも併せて思ったわけでございます。
 ただ、人口が減る中で国民一人当たりの所得をいかに向上させていくのか、高めるにはどうするのかというふうな事柄については、これまでるる各先生の方からお話がございました。キーワードといたしましては女性、高齢者、ワーク・ライフ・バランス、そして移民であるとか労働生産性とか、そういったものがキーワードとして掲げられるわけでございますけれども、じゃ、そういった事柄を実現するためにはどうするのかといったその先の議論というものをもっと深めなければいけないのではないかなというふうに思ったところでございます。
 先ほど大久保先生の方からお話がございましたように、堺屋参考人が十五世紀のヨーロッパの例を引かれて、人口減少によって活性化したイタリアと衰退したドイツの例を挙げられました。要は、やり方次第で大きく結果は変わってくるということだと思います。ですから、今こそ政治の知恵というものが求められているわけでございますが、その多くの参考人の方、そして先ほどのキーワードに出てきた具体的な国がスウェーデンでございます。世界が注目する挑戦的な実験を行っている国がスウェーデンですが、この国は、政治システムを考えた場合に、意外にもリーダーシップのある政治家であるとか、一つの政党によってこういった社会的実験の政策というものが決定されているわけではございません。むしろ政党同士による合意形成、コンセンサスポリティクスによりなされたと私自身は理解をしているわけでございます。その結果、導き出された結論につきましては、多くの国民が信頼を置いているということは、前例がなくても挑戦的なものでも国民は支持をするわけでございます。
 かつて、本調査会で岡澤参考人が言われておりましたけれども、今でさえ、スウェーデンの国民というのは手元に可処分所得というものはほとんど残らないにもかかわらず、選挙をやれば増税を掲げる政党が勝利をすると、こういった政治風土というのは今の日本では到底考えることができません。翻って、我が国は重要政策につきまして二つの政治勢力が一歩も譲らず対峙をしている現状がございます。建設的な合意形成の努力すらなされないまま、AかB、どちらかを選べと強いられるのは、私はそういう国民は決して幸福度が高いというふうには言えないのではないかなというふうに思っておりまして、願わくば、本調査会がそのような運営がなされずに、合意形成を大事にする調査会というものを矢野会長始め皆様方にこれまで以上に進めていただければと思います。
 最後に、一人当たりの所得が高まれば幸福度も向上するということにつきましては、これはもう個人的また体験上、一概に言えないのではないかなというふうに思います。
 私も新人サラリーマンのときには手取りが十数万円で三万円は財形貯蓄に回しておりましたので、そういう生活をしておりましたけれども、今はその何倍もの可処分所得があるわけでございます。ですけれども、夜の会社が終わった後の生活と国会が終わった後の生活を考えた場合に、金がないときにでも新宿や原宿の居酒屋に行って仲間同士で語り合ったひとときと赤坂の高級中華料理に行って大物政治家の御高説を聞くのとどちらが幸福度が高いかと言われれば一概には言えないところがあるわけでございまして、所得が高くなれば幸福になるといえば、隣の大久保さんなんかは国会議員になって所得が数分の一になったそうでございますので、大変今不幸な状態におるわけでございまして、人それぞれだと思います。
 ただ、私は、今調査会を通じて、るるお話があったように、本当に幸福とは何かということを考えるきっかけを与えてくれたのは大変すばらしいことだと思っております。私は寅さんが大好きでございまして、「男はつらいよ」では、寅さんは人は何のために生きているのか、それは感動するためであるというふうに言っておりましたので、そういったような政治家を目指してこれからも頑張っていきたいと思います。
 どうもありがとうございました。
#37
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 それでは、松あきら君、お願いします。
#38
○松あきら君 松あきらでございます。
 大分時間もたってまいりましたけれども、皆様どうぞよろしくお願い申し上げます。
 当調査会が始まったときに、矢野会長は当時の理事、オブザーバーにこの国民生活調査会というものをどういうふうにこれから進めていったらいいんだろうかと。今までと同じような状況で進めていきたくはない、いろいろな案を出していただきたいとおっしゃって、当時の理事、オブザーバーがそれぞれ案を持ち寄りました。私もそのうちの一人でございましたけれども、そのときに当時の民主党の筆頭理事であった藤本先生が、「幸福度の高い社会の構築」、また仮説一、「人口減少によって一人当たり国民所得は高まり、国民幸福度も向上する」等々、仮説一、仮説二、仮説三等々を発表されたのが藤本先生でございます。そして、そのとき皆少なからず衝撃を受けました。なぜならば、幸福度というものについて当参議院の調査会や委員会で今まで議論を交わしたことはなかったと、非常に、物すごく、お話、先ほどから澤さんも出ておりますけれども、漠然としたかなりいろいろな人それぞれの思い方でどうにでもとらえられる、こうしたものについてひとつ党派を超えて議論をし合おうではないか、これはすばらしいということでこれが採用されたといういきさつを皆様にまず申し上げたいと思います。
 そして、この仮説一は、まさにある意味では逆説的なことではありますが、当時は人口減少、今でもそうですけど、人口減少になるとこれからは大変だということで、まさにこの仮説一は逆説的なことではありますが、私個人的にも、もしこんなことになったら、こういうことが実現できたらそれはすてきだな、すばらしいなと思いましたし、これについて種々参考人の先生方から御意見を賜るのもうれしいなという思いでこれが始まったと思います。
 正直言いまして、先ほど大門先生のお話もありましたように、さきの国会は非常にスリリングなというか、なかなか楽しい調査会でありまして、参考人の先生方も、時にはびっくりするような、あるいは時にはみんなが涙ぐんで感動するようないろいろなお話もいただいたわけでございます。
 今回もそれを期待しておりましたら、ちょっと残念なことに、それぞれの先生方、すばらしい御主張、示唆に富む御主張ではありましたけれども、いずれも現状の社会システムのままでは人口減少は避けられず、少子高齢化はより進展してしまうと、国民一人一人の所得も高い所得は望めないであろうと。つまり、もちろん所得が高いから幸福、これは言い切れないけれども、しかしこのままでは仮説は成り立たないというお話でありましたし、そしてそれについてじゃどうすればいいかということについても、今まで少なくとも私が勉強していた範囲を超えないお話であったかなというふうに思いまして、そういう意味ではまあ残念だなと、少なからずちょっとがっかりした。
 もちろん、高齢者もあるいは女性の就労も、そして一人一人の生産性も高める、あるいはワーク・ライフ・バランスも進める、これはもう当然のことで、やらなきゃいけないことではありますけれども、何かもう少し私たち議員に対して新たな視点で御示唆いただけるお話があったかなという点については残念だったなというふうに思います。
 とにかく、昨日は麻生総理とオバマ大統領がお会いになりましたけれど、例えばアメリカでは、国家と市場だけで国が成り立っているというような状況があったかなと思います。今アメリカではこれを反省して、その社会の在り方というものを新たに模索を始めたのではないかと私は思うんですね。翻って、日本もやはりアメリカ型の社会になりつつあった、あるいはなっていたと言えると思います。
 そこで、やはりこれからは、国民一人一人にかかわる仕事、家庭、教育、これらが織り成す社会というものを多くの国民の合意形成の下で再構築をする機会が到来している、あるいはそうした再構築をしていかなければいけないときが来ているというふうに感じた次第でございます。
 以上でございます。
#39
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、鈴木寛君、お願いします。
#40
○鈴木寛君 民主党の鈴木寛でございます。
 幸福とは何かというテーマはまさに人類の永遠の課題でございまして、非常に哲学的深遠な課題でございますが、私が少々研究をしておりますポストモダン論の観点から申し上げますと、この議論をするときに歴史的な認識というものを、時代が変わっていると、変わりつつあるということをやっぱり踏まえて議論をしていただくことがより望ましいのではないかなというふうに私自身は思っております。
 つまり、フランス市民革命、アメリカ独立革命あるいはイギリスの産業革命以来、二百年来続いているこのモダンという時代が今終わりを迎え、そして新たにポストモダンという時代を迎えつつあると私は認識をいたしておりまして、モダンにおいて重要な価値というのは物、物質でありまして、これをいかに大量に生産し大量に消費するかということで社会の制度、経済の制度、政治の制度というものができていたわけでありますが、これからはやはりそれに代わって、もちろん重点が変わるという意味で、物の重要性は引き続き重要ではありますけれども、ウエートとしてはコミュニケーションというものが非常に重要になってくる社会、時代に入りつつあるというのが私どものこのシューレの立場でございます。
 それで、まさにその際に、コミュニケーションというものを通貨で測ることの意味がどこまであるのかということ自体議論していかなければいけないわけでありまして、質の高い意義深いコミュニケーションというのは経済活動の中でも行われますし、非経済活動の中でも当然行われるわけでありますから、シャドーワーク、ボランタリーワークの中にもあるし、ビジネスの中にも当然あるわけであります。それをいわゆる経済学の概念である国民所得の中で議論するということに一定程度の限界があるなというふうに思っています。
 つまりは、まさに物を中心とする物質文明からコミュニケーションあるいは情報、そしてコミュニケーションが非常に充実した状態を私どもは文化というふうに言っておりますが、そういうふうな文明に今転換していて、そしてより望ましい幸福度の高い社会というのはやっぱり人々が交わり、そして響き、そして楽しみ合うと、こういう時代、社会というものが一つのイメージではないかなというふうに思っております。
 今までは経済的繁栄が平和と幸福をつくり出すと、まさにピース・アンド・ハピネス・スルー・プロスペリティーと、こういう概念がモダンを象徴する一つのコンセプトだったと思いますが、私はこれからポストモダンの時代においては、コミュニケーション、そして多様な人々が、しかし一つのプロジェクト、一つの目的に向かってコラボレーションをしていく、そして一つの社会、時代、そういう価値というものをつくり上げていく、そしてそういうことが非常に尊ばれる、非常に文化的なそういった営みが人々の平和と幸福をつくっていくというふうに転換をしていくんだろうと思います。
 じゃ、そうした中で、政治の仕事というのは何かと、こういうことでございますが、私は一つには、多くの人々がそうしたコミュニケーションの力あるいはチャンス、そしてより良いコミュニケーションが営まれ続けるコミュニティー、こうしたものをつくり上げる、あるいはそこに参画する、あるいはそこの進化に関与していくといった、まさにケーパビリティー・フォー・コミュニケーションあるいはコミュニティーといったものをこの社会があるいは国、政府が、一人一人のすべての国民、人々に、国民でなくても何人にもそうしたチャンスを提供するということが非常に重要だと思っております。
 もう一つは、熟議の民主主義と、まさにそうしたケーパブルな方々がその文化を越えて議論を熟していく、尽くしていくと、そうしたことが政治はもとよりありとあらゆる社会の局面で尊重されると、こういうことではないかなというふうに思います。そうしたときに、政策的にはベーシックインカムをきちっと保障する雇用あるいは年金と、そして私は医療の医と書いて医食住と、まさに健康を絶対に守る医療と、そして安全な食事と、そして安心の住居と、こうした医食住の不安というものを最小化した上で、まさにこのモダン型の教育、すなわち暗記力と反復力を磨くことによって工業社会の歯車としての、あるいは富国強兵の担い手としての国民を育てる教育から脱して、まさに真善美の判断力とコミュニケーション力を養成をしていくそうしたポストモダン型の教育というものをつくり上げていくということが必要だというふうに思っております。
 その中で、まさにこれからは異文化コミュニケーションというものも重要になってくるわけで、具体的には例えば演劇教育などの普及などもこういう文脈で語られるのではないかというふうに思いますし、そしてそうした学びを通じてより充実したコミュニケーションを行う文化、芸術制作、あるいは劇場法の整備というのもこの文脈に掛かってくるんだと思います。
 それから、これは雇用の場あるいは社会的ニーズ、その双方からでありますが、やはりこれからは、いわゆる医療、教育、保育、介護といったソーシャルヒューマンサービス、この社会政策あるいは産業政策、雇用政策というものをどういうふうに充実をしていくのか、そしてその担い手であります広義のNPO、すなわち学校法人、医療法人、社会福祉法人、それから特定非営利活動法人等々の整備と、そしてそういう活動を支援するための施策というものをきちっと更に拡充をしていくと、まさにポストモダンにこれから差しかかるんだと、その前提での教育政策、あるいは社会政策、あるいは組織政策といったものを議論をしていくということが私は必要だという歴史観を持っていくことが大事ではないかなというふうに思います。
 最後に、と同時に、我々が速やかにかつ精力的に議論をしなければいけないテーマといたしましては、人口減少という命題、もう既にこれは触れられておりますが、移民の問題をどうするのかということによって人口減少という前提自体が大いに変わっていく問題でありますし、この移民問題というのは極めて、これからの二十年、三十年、五十年の日本を見据えた、これはモダン的価値観に立った場合にでも速やかに議論を深めるべきテーマだというふうに思いますので、そうした観点からの検討も深めていただくことを併せお願いを申し上げて、私の発言に代えさせていただきたいと思います。
 以上でございます。
#41
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、吉田博美君、お願いします。
#42
○吉田博美君 吉田でございます。
 私の方からは、高齢化の面から第一の仮説について意見を述べさせていただきたいと思います。
 人口減少というのは、もう皆さん御存じのように、急激に進んでおるわけでございますが、少子高齢化社会になってきたと言われておりますが、人口推計によりますと、二〇五五年でございますから四十六年後、大体四〇・五%が六十五歳以上の方になられるそうであります。ですから、一・五人で一人を見るような状況になって、大変な状況になると。ですから、人口減少社会というのは、マイナスなイメージが理解できないこともないわけでありますが、果たしてそれだけかなということを自分の日常の生活でよく感じるわけでございます。
 実は私、今日、先ほど若林正俊先生の方からお話ございましたが、同じ長野選挙区の中で私は尊敬を申し上げておるんですけれども、先ほど御自身の年齢をこれから七十五歳になるとおっしゃりましたが、私とは十歳以上離れていらっしゃるわけでありますが、先ほどのお話をお聞きしても御存じのように、非常に頭脳明晰で、物すごく今までの豊かな経験を生かしながら、あらゆるところで活躍されていると。特に私が感じましたのは、環境大臣をやられまして、そして昨年まで農林大臣もやられましたが、農林大臣については非常にいろんな方が問題を起こされましたが、非常に安定した農林大臣として活躍されたということは、郷土の先輩として非常に誇りに思っておるわけでございます。
 さて、そんな中で、我々、団塊の世代というのがいよいよ定年を迎えるわけでございまして、この団塊の世代の皆さん方というのは、私も含めてでございますが、非常に競争社会の中で生きてきたわけでございまして、そうした中で豊かな経験もありまして、まだまだパワーもあるわけでございますから、この団塊の世代の皆さん方がいかに活躍をするかということが、今後の日本経済に対してもある意味では明るい見通しもあるんじゃないかと。すべてネガティブに物を考えるんじゃなくて、やはりポジティブの中で考えたときに、そうした一つのことがあるんじゃないかと思います。
 実は、私ども長野県に一つのいい例がございまして、長野県というのは男性の平均寿命が七十九・八四歳でございます。全国第一位。女性が八十六・四八歳と、これが全国第五位でございますから、日本の中で男女で合わせますと日本一の長寿県じゃないかと思います。そして、世界一と言っても過言じゃないかと思うんですけれども。
 そんな中で私たちは注意すべきことは、高齢者の皆さん方の就業率が一番高いんです。日本一高いんです。しかしながら、医療費は全国一最低なんです。だから、長野県の人はもうぴんぴんころりと逝けちゃうという、ぴんぴんころりの里の長野県ということで売り込んでおるわけでございますが、そうした中で高齢者の皆さん方、非常に元気で頑張っておられると。
 そうした一つの例を見ていただいたときに、実は私ども申し上げたいことは、参考人も申されておりましたが、やはり少子高齢化に進んでまいりますと、人口減少社会、そんな中でいかに多くの人が働くかと。先ほど来お話ございましたように、男性もそして高齢者の皆様方も女性も一緒に労働生産性の中で一生懸命働くと。そして、それと、いかにコストを低減させるかという、私はそうした面で二点あると思ったんですけれども、その二点共が長野県はクリアをしておるわけであります。
 ですから、先ほども申し上げましたように、非常に長野県の場合は、高齢化率は高いわけでありますが医療費は少ないということで、コストを低減をしておると。そして、年寄りの皆さん方がよく働いていると。ぴんぴんころりの里でございますから。
 そんな中で、長野県の状況というのを踏まえて、これは全国がみんなまねをすれば社会保障費等もかなり低減できるんじゃないかなと思っておるところでございまして。
 そうした一つ一つを考えたときに、私たちは今何が何でもというのではなくて、高齢者の皆さん方の中で例えば一人当たりのGDPは下がるか分かりません、しかし、所得に対しては、その豊かさというものを感じたときに確かに社会保障費関係とかいうものが非常に抑え込まれるわけであります、長野県方式を利用すると。そうすると、所得が減っても豊かさというものは感じられるんじゃないかなということを私なりに感じておる一人でございます。
 そうした中で、これから高齢者の皆さん方が、じゃ、どういうことで社会参加をするかということでございますが、若い人たちにどんどんどんどん侵食していっちゃうとこれは大変な状況になりまして、私も前に申し上げましたけれども、タクシーの運転手さんの平均年齢が昭和三十年代の半ばには三十二・五歳だったのが今や五十五歳から五十八歳になっていると、年金生活者が若い人を凌駕しているという、こういう状況ではいけませんから、やはり高齢者の皆さん方が自らが本当に第二の人生の中でどう活躍できるかということも見出さなきゃならない。
 そうした意味の中では、徳島県ですか、上勝町という町がございまして、これは葉っぱ事業と申しますか、お年寄りの皆さん方が働いておられまして、そして電算機で管理をされていると。八十歳を超したおばあさんと申しますか、が非常に所得があってまだ年金も払う必要がないということでございまして。
 そうした中で考えたら、ある意味ですみ分けをしながら、そして第二の人生という、第二の社会参加というものを団塊の世代の皆さん方が頑張っていくことによって随分変わってくるのではないかなという感じがするわけでございまして。そんな中で、一つ一つを考えてみまして、高齢者が元気で働くことがやはり大事なことでありますし、また女性も社会参加をすることが大事でございますし。
 最後に、人生六十年といってずっとまだいまだに言われている部分もあるんですけれども、人生八十年として設計をした中で、かなりみんなが一生懸命働いてもらえば私はむしろ元気になるんじゃないかなと、元気な日本づくりができるんじゃないかなという感じがしておりまして、そんな中で我々は、ある意味では、高齢化になる、人口減少社会になると、もう何となくネガティブじゃなくて、何かポジティブな中で物を考えていくということも大事なことじゃないかなと思っております。
 以上でございます。
#43
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 続きまして、亀井亜紀子君、お願いします。
#44
○亀井亜紀子君 調査会の開始から二時間を経過して大分長くなってまいりましたけれども、もうしばらく御辛抱ください。
 私は、仮説一に関して、六人の参考人の中でだれか一人ぐらいは、肯定しないまでも、少子化はそう言われているほど怖いことじゃありませんと言ってくださるかなと、それを期待して聞いておりましたが、見事に否定されてしまって残念です。
 一人目の参考人、堺屋太一参考人のときに、人口が減少しても自由な移動と転職があれば経済、文化は発展するとおっしゃって、そして中世のイタリアの例を挙げました。あのときは疫病で人口が減ったりしたけれども、人口が都市部に移動したのでルネッサンスが開花したと、一方で、ドイツでは農地に封建諸侯が農民を縛り付けたのでかえって都市の方が衰退してしまったという、そういう発表がありましたので、もしかして、人口移動がいい悪いは別として、何か解決する方策があるのだろうかと思って直接質問をいたしましたが、基本的に人口減少は良しとは思いませんと、問題視しておりますと言われてしまったので、やはり私の期待はくじかれたわけです。
 そして、堺屋参考人は、人口減少を乗り切るためには道州制を実行し、地方に中核都市を育て、ユニバーサルサービスを縮小し、七十歳まで働き、早婚早産を推奨し、移民も検討するとおっしゃいました。これを聞いて、私はやはり少子化は大変だなと率直に感じたんです。
 地方の中核都市を育てることに異論はありませんし、道州制の検討も必要だと思うんですけれども、やはり、一度ユニバーサルサービスを知った人にあきらめてくださいと言うのは、地方選出の議員としても非常に難しいと実感をしております。例えば郵便にしても、戸別配達に慣れた人たちが、ここはもう限界集落になったから役場の私書箱まで取りに行ってねと言って納得するかといえば、それはどうしても考えられないわけで、やはり現実的ではないなというふうに思いました。
 また、外国人労働者のことも、例えばヨーロッパなどを見たときに、その数が増えてしまうと極右政党が出現したり移民排斥運動が起きたり、やはりそう簡単ではないなというふうに見ております。フランスで出生率が上がっているということはよく知られておりますけれども、これはやはり婚外子が増えているということと、それからアフリカ系を始めとする移民の子供が実際には増えているので、そういった人口構成も見る必要があると思います。ですので、今の日本で労働力が足りないからといって外国人労働者を受け入れて、その人たちの子供が増えていくということを果たして日本人が望むのだろうかというのはやはり真剣に議論をしなければいけないですし、軽々にはできないだろうというふうに感じております。
 また、早婚早産という堺屋参考人の発想ですが、これも、現実には若いカップルは収入が少なく育児の余裕もないので、当面、結婚しても子供はあきらめて、まずはお金をためるということが現実ですので、やはり難しいだろうと感じました。
 結局のところ、少子化の問題というのは、総人口そのものが減少することが問題なのではなくて、先ほどからも何度も指摘がありますように、労働人口が減少して高齢化をするということが一番の問題です。そして、所得さえ高ければ必ず幸福になるわけではないけれども、所得が低いままでより幸福になることは難しいと、これは小峰参考人がおっしゃいましたし、そのとおりだと思います。ですので、人口が減少していく社会の中でいかにして国民一人当たりの所得を維持するかというのが、やはりどうしても取り組まなければいけない課題になります。
 そうなりますと、お決まりの結論ではありますけれども、いかにしてやはり高齢者と女性を労働市場に戻すかという話になるのですが、私はここで、女性の行動パターンというのをやはり読み誤らないようにしないといけないと思いました。
 池本美香参考人が、ここでの発言ではなくて資料の中にあったんですが、面白いことを言われております。それは、保育サービスの充実は、男性並みに働き出世や仕事でのやりがいを目指す女性や、経済的な理由で長い時間働かなければならないという女性にとっては歓迎されている面もある一方、残業などを断りにくくなり、長時間労働が促進されることが懸念されるというくだりがあるんです。
 やはり今、女性を労働市場に戻しましょうという取組が行われていますから、保育所の拡充、待機児童をゼロにしましょうという方向で政策を考えているわけですけれども、それだけ、保育サービスだけが充実していくと、今度は、預けて働けるでしょうといってやはり女性がなかなか残業を断りにくくなったり、また、予算が少ない中で保育所の数だけを増やしていくと、一つ一つの保育所の質が悪くなって、そこに子供の数は多くて、余り遊ぶスペースはなくてという状況も生まれてくるわけです。その指摘は、池本参考人はさすがだなというふうに私は感じました。
 ですので、ただ女性を労働市場に戻しましょうということで保育サービスだけ拡充をしていったときに、また、政府が期待するようにもしかしたらならないのかもしれないという疑問を私は持っております。
 今まで合計特殊出生率が下がってきた原因、それはやはり政府が見通しを誤ったということがあるんですが、以前、新聞記事を読んで驚いたことがあります。それは、いわゆる合計特殊出生率を計算する役所の方々が、少子化の原因は晩婚化であると。けれども、例えば一世帯子供二人が平均であるのならば、結婚は遅くなっているけれども、晩婚化してその後子供は二人生まれるというふうに思っておられたんですね。つまり、結婚はするけれども子供は持ちませんというカップルがこれだけ増えるというふうにはどうも予測をしていなかったと。それで数を誤ってしまったという記述が以前あったんですけれども、それを読んだときに、えっ、今ごろそんなことに気が付いたのというふうに私は女性として思ったんですね。当時、やはり周りで結婚はしても子供はいないというカップルは幾らでもありましたから、その状態を予想できなかったのであれば、やはりそれは少子化対策は遅れて当たり前だろうというふうに感じました。ですので、今女性を労働市場に戻すときに保育所のサービスばかり見てしまうと、やはり同じように間違うのではないかなという気がしております。
 それで、池本参考人の意見としては、他国の例で、例えば一日二時間の労働時間短縮やフレックス勤務、在宅勤務など、正規雇用でありながら労働時間を短縮するというシステムをもう少し入れないと、結局、女性でもそんなに長時間子供を預けて働きたくないわという人は多いわけで、うまくいかないのではないかということでして、私はこれは同感です。
 ですので、今経済危機でワークシェアリングが脚光を集めていますけれども、女性に限らず、男女とも長時間労働からの解放、そして安定した雇用を図るということが結果的に労働参加率の引上げですとか出生率の増加につながっていくのではないかなというふうに思いました。
 もう一つ、昨年この委員会に来られた山田昌弘参考人、社会学者ですけれども、彼が昨年、「「婚活」時代」という本を出して、最近、婚活という言葉が随分定着してきているように思います。この婚活というのは、就職活動は就活と略しますけれども、それをもじって結婚活動を婚活と略しているんです。
 それで、日本は少子化というとどうしても育児支援を行うけれども、そうじゃなくて、日本は婚外子が少ないので、やはり結婚のもうその入口のところでマッチングがうまくいっていないので、なかなか行政、政治で婚活を奨励することは難しいけれども、でもそこを見ないと子供は増えないのではないかという指摘なんですね。
 そして、昔はお見合いのお世話をする近所のおばさんなり会社の上司なり、いろいろな人間関係があったわけですけれども、それがなくなってきているので、昔のように普通にしていれば結婚できるわけではなくて、活動しなければできないんですという本をお書きになりました。かなり画期的な本でして、その中で面白いと思ったのは、従来とは考え方が逆で、女性よ、狩りに出よ、男性よ、自分を磨けと書いてあるんですね。それは、女性が自己実現ですとか自分磨きはよくしているわけですけれど、もうそれは十分ですから、外に出て狩りをして男性を見付けなさいと。男性は黙っていても女性が見付かる時代ではないので、女性に選んでいただけるように男性は自分を磨きなさいと。逆のことを本で書いておられて随分面白いなというふうに思ったんですけれども、一理あると感じています。
 ですので、この婚活の方はなかなか行政でできることではありませんが、今、日本社会で起きている現実としてそういうことがあると。また、男性も雇用が厳しい中で、先日も就活と婚活が同時に来たという四十代の男性がテレビに出ていましたけれども、そういうことも起きているというのを十分認識した上で政策をつくっていく必要があるのではないかなと感じております。
 以上です。
#45
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、岩城光英君、お願いします。
#46
○岩城光英君 仮説が仮説でありますだけに、結論を出すとか、それから意見を取りまとめるというふうにはいかなかったんですけれども、参考人の先生のお話をお伺いしながら感じたことを幾つか申し上げたいと思います。
 まず、幸福とは人が心で感ずるものですから、ある意味ではあいまいさが伴うものであります。そして、もう今日も何人かの先生方からお話がありましたとおり、一般的にはお金があればそれなりの幸福感が得られるということは言えると思いますけれども、それがすべてではありません。それ以外にも、生まれた国や地域とそしてまた時代、文化や伝統そして家庭など、成長してきた環境などの違いを背景に幸福の内容や程度が十人十色であることもあり、それを定義付けるとか規定するということは難しいものだと思っております。
 このように、幸福とはとりわけ主観的なものでありますことから、幸福度の高い社会のありようを数値等を用いて客観的にあるいは一律なものとして表現したり説明することは正直申し上げて難しいのではないかと思いました。
 しかし、幸福度の高い社会を、例えばより多くの国民が幸福を実感できる社会、そのように言い換えることができるとすれば、より多くの国民に共通する幸福の要因を探っていくことで何らかの糸口を見出せるのではないかなとも考えております。
 例を挙げますと、人口減少と少子高齢化の中で、負担という側面から見ますと対照的に言われる高齢者と若者、この双方が幸福感を持てるようなことを検討することも幸福度の高い社会のありようを探る一つの方法になり得るとも思われました。
 また、その一方で、いろいろお話をお伺いしまして、私たちの世代と現代の若者とでは物の考え方や価値観もかなり異なっているということを改めて感じさせていただきまして、このギャップや相違というものが幸福感についても言えるのではないかと考えますと、同じ社会経済システムの中で暮らしていても共通する幸福感というものが果たして得られるのかどうかという疑問がわいてまいりました。幸福感も世代別に考える必要もあるのではないかなと、そんなふうにも思われてなりません。
 次に、この仮説の一人当たりの国民所得という点についてでありますが、我が国のGDPはOECD諸国で第二位、一人当たりGDPは金額にして年約三万四千ドルということで第十九位という統計があります。他方、今、年収二百万円以下の給与で働いている方が婦人のパート労働も入れますと一千万人を超えているという現実もあるわけであります。幸福度と所得との相関関係を前提にしても、こうした統計上の数値だけによるのではなくて、暮らしの実質面にも関心を持つことも必要ではないかと思います。
 この仮説は、GDPが今後も変わらない、あるいはGDPは減ったとしても一人当たりのGDPが増えるという統計上の数値を前提にしているように思われますが、一人当たりGDPが増えなくても、例えば年収二百万でありましても実質的に現在以上の幸福感が感じられる、そして幸福度が高まるという仕組みを考えるという道がないものかとも思っています。例えば、所得の額そのものではなくて、様々な暮らしのコストを減らすことによって可処分所得が実質的に増えたと同じようなことになって幸福度が高まると、そういったことも考えてみることはいかがかと思っております。
 つまり、一人当たりGDPが増えないという環境の中でも実質的な暮らしの面でできるだけ多くの国民が幸福感を実感できるような環境を整備していく、そういうアイデアがありますと、幸福度の高い社会の構築に関して別なアプローチができるのではないかなと、そんなふうにも思いました。
 個々人の労働生産性を向上させて低所得者層を減らす、底上げを図ることや、先ほど申し上げました可処分所得の実質的な増加に着目すること、さらには、大都市に集中しております雇用、こういったものを分散するなどして、農山漁村や地方都市の活性化を図り、地方の暮らし向きを都会より豊かで魅力的なものにしていくなど、多角的な視点に立って人口減少というリスクを克服していくと、そういったことも考えられるのではないかという感想を申し上げまして、私の意見の発表とさせていただきます。
#47
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 それでは、藤本祐司君、お願いします。
#48
○藤本祐司君 民主党の藤本でございます。
 先ほどからもう二時間二十分が経過しておりまして、だんだん疲れてきますと幸福度がどんどん低下してくると思いますので、余り長めには話をしないようにしたいと思っておりますが。
 今回の、先ほど松先生からも御紹介をいただいて、このテーマを選んだわけなんですが、基本的に性格があまのじゃくなものですから、普通のことを普通にやって普通の結論を出すんだったらば、恐らくこの忙しいときに調査会を開く必要がないだろうという、その前提があって、何かユニークなことをやった方がいいかなと。ユニークというのは、基本的には、テーマがユニークか、やり方がユニークか、結論がユニークが、全部満たせばいいんですが、その一つ、二つでもユニークであればいいのかなという思いがまず一つあったということでございます。
 確かに、幸福度の高い社会を構築するということで、非常に漠然として、澤先生から言わせると無謀な話なのかもしれないんですが、先ほどもどなたかおっしゃっていましたが、政治家というのは国民を幸福にすること、国民全員をできる限り幸福にするということがやはり一つの大きな使命であるというお話がありました。まさに百人いれば百人の幸福感が違うということもあるんですが、政治家として、人生いろいろ、幸せもいろいろと言ってほっておくわけにもいかないだろうということもありまして、やはりこのテーマでちょっと取り組んでみたらどうかということで、テーマをひとつユニークなものにしようと。
 もう一つ、やり方をユニークにしようじゃないかということがございまして、一年目にいらっしゃった方々も何人かいらっしゃると思いますが、参考人もユニークな人を呼ぼうということで考えたということと、もう一つは、やはり意見交換を自由にやるということも一つのユニークな取組ではないかなというふうに思っております。
 今日、いろんな御意見がありましたけれども、参考人の方々を呼んで話を聞くということも非常に示唆に富んだ話として体系的に整理されて面白いという部分はあるんですが、今日この二十五人がそれぞれ意見を言うというのもなかなか面白くて、いろんなところで示唆に富んだ御意見が出てきているのではないかと、こんなこともちょっと後半戦も考えていただければよろしいのかななどと思っております。実際に参考人に意見を聞くということも重要だと思いますが、こうやって参加意識を高めていくと、参加意識というのがまた一つの幸福度の向上につながっていくのではないかというような思いがございます。
 確かに、今回の仮説一というのは、一人当たりの国民所得が高まるということで国民幸福度との相関性を考えているわけなんですが、恐らく国民所得を上げる方策は重要ではあるけれども、実際にそれだけで幸福度が高まるわけではないということは恐らく皆さん共通した御意見なんだろうなというふうに思いました。
 映画で、「三丁目の夕日」という映画があって、昭和三十三年です。私は昭和三十二年生まれですから、ほぼあのときに生まれたわけなんですけれども、実は、我々民主党の鳩山幹事長が、あのころは貧しくても幸せだったと、鳩山家は貧しいときがあったのかどうか、ちょっとそこは分かりませんが、それはこちらへおいておいて、確かにそういう部分があったのかなというふうに私なんかは思っておりまして、確かに所得だけの問題ではないというふうに思っております。
 ちょっと一つだけ御紹介をさせていただきたいのは、昨年からこの調査会に加わっていただいている方には、昨年は十二名の参考人の方々がいらっしゃいましたが、多分、私のつたない記憶では、だれ一人として経済的、いわゆる富の豊かさが幸福度につながるということを話をした方は恐らくいなかったんではないかなというふうに思っております。
 ゆとりと豊かさという言葉を使われた方もいらっしゃって、その中では、もちろん不安を除去することであるとか、時間的ゆとり、空間的ゆとり、あるいは物質的なゆとり、あるいは生活空間の充実、そして多様性、そして選択性というか、その辺りというのが非常に重要だということであったと思いますし、また、成熟した消費者をつくっていく、あるいは連帯感、連帯という言葉がいいか、当てはまるかどうかちょっと分かりませんが、一緒になって公的社会資本をどう蓄積していくかということが重要であるとか、あるいは幸せを高めるにはスロービジネス、スローエコノミーであるということを言われた方もいるし、悲しみを分かち合い、喜びを分かち合うことによって幸福度は高まるという意見もありました。
 さらには、他者から、他人から評価されること、あるいは自分の生きる存在をほかの方々、他者に、他人に認めてもらうこと、これが幸せなんだという、そういう数々の意見があったんですが、総じて言いますと、先ほど鈴木寛先生がおっしゃったんですが、ある意味やっぱりコミュニケーションというか連携というか、参考人の方は連帯という言葉を使われた方もいらっしゃいますが、地域的な意味でのコミュニケーション、男女間でのコミュニケーション、あるいは世代間でのコミュニケーション、さらには国際的なコミュニケーション、こういったところが幸福をつくる重要な要素であるというふうに、いわゆる他者との関係性において幸福度を感じるのではないかと言われる参考人がいらっしゃったということをちょっと御紹介をしておきたいなと思います。
 また、このコミュニケーションしていくためには個々の自立の確立、自立確立が不可欠であって、いわゆる依存的な連帯ではなくて自立的な連帯を高めることによって幸福度が高まってくるのではないかというような御意見があった。まさにそのとおりだろうというふうに私は思っております。
 実際、環境の変化に対応して生き物が残ってきたという、そういう生物の歴史を考えてみますと、確かにこの人口減少というのは大変な問題ではあるし、少子化を止めていくという、手を打つということも必要なんだろうと思いますが、それと同時に、やはり人口減少下において発想あるいは仕組みを変えていくということ、それで幸福度を高めていくというような手を打っていくことが重要なんだろうというふうに思います。
 最後ですが、重要なことは、恐らく個人個人が、これ結論、正解はないと思いますので、個人個人あるいは社会全体で幸せって何だっけかなということを問いかけて、そして立ち止まって考えることということが重要なのではないかなというふうに思います。
 以上です。
#49
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 では、最後になりますけれども、大石尚子君、お願いします。
#50
○大石尚子君 ありがとうございます。
 皆様の御高説に聞き入っておりました。最後を承ります民主党の大石尚子でございます。
 私、この調査会に今期初めて所属いたしまして、最初にこの調査会の三つの仮説に接しましたときに、この逆説的な仮説を立てて調査研究を進めるというやり方は私自身がしてこなかったものですから戸惑いを感じました、正直なところ。それで、ただ、思いましたことは、人口減少という現象に対して、これは困ったことだ、何とか人口を増やして克服していかなければならないという、そういう考え方が世の中にかなりございます中で、それはそれ、減少しても大丈夫よという、そういう考え方を掘り起こすことができて確認できるなら、それも大変貴重なことだと納得いたしました。
 それで、ただいま手短に三つぐらいのことを思っているのですけれども、御報告したいと思います。
 まず初めに、この仮説一に対する私の意見でございますが、参考人の方々の御意見を聞かせていただいて、総じて、積極的に棄却はできないまでも、これは違うと言い切れないまでも、採択することはできないなというのが私の気持ちでございます。人口減少社会にくみする政治の在り方としては、これは初めての我が国の経験でございますので、もちろん行政もそうですけれども、それに携わる私たちは、この社会の変化を先取りして見据えていくということはもちろんでございますが、あるときは大胆に、そして小まめに施策を改良していく、一歩前進、一歩前進をたゆみなく継続して小まめに対応していくことが大変大切であると身にしみております。
 それからその次に、二番目は、国民の幸福度とか人間の幸福感に関して、私はどんなときに幸せを感ずるのかなと考えてみました。大きく分けて二つぐらいありそう。考えてみて、思う幸福感と、それからふっと出会ったお人でも、それから美しいものでも、あるいは自然でも音楽でも何でもいいのですが、そこで出会って感ずる幸福感と、大きく分けてこの二つぐらいを私、感じているのかなと。ただ、その特に前段の考えて思う幸福感というのは、これは私が育った過程でどういう自分自身の人生観を築いてきたか、あるいは価値観を持っているか、自分自身に対してどういう要求水準を持っているか、これに大変深く関連してまいりますものですから、これは大変内面的であり、個人的であり、主観的なものでございます。こういった幸せ感あるいは人生観、これは十人もちろん十色でございますので、私たちはこの十人十色の価値観にどう対応できる社会をつくっていくのか、それに挑んでいかざるを得ないのだということ、これは大変な仕事になってきております。それで、どうすればということは、これはお一人お一人が自分の考え方をしっかり持っていかなければならないわけですから、この仕事というのは広い意味での教育、これに大変深いかかわり合いを持つものであるということを痛感いたしております。
 三番目のことでございますが、これは今がチャンスだと思っております。何がチャンスかと申しますと、国民生活の幸福というものを、一人一人が自分自身の幸福とはということを考えるチャンス。なぜかと申しますと、皆様の御指摘もございましたように、昭和二十年に私たちは敗戦を迎え、そこから日本国民はどちらかというと経済の豊かさ、物質の豊かさを追っかけてまいりました。だけど、一人一人が自分の人生観や幸せ、幸福感、価値観を、これは必ずしも、お話にございましたように、経済的な豊かさや物質的な豊かさとは関係のないところで感じ取れるものであり、構築できるものであるはずでございますので、私たちはあらゆる分野で、子供を育てる局面にいろいろなところで触れるわけでございますから、私たち大人が自分の価値観、人生観をしっかりと打ち出すということが重要であって、それで、子供たちはそれにぶつかって、自分自身の学びの中に価値観、人生観を構築して後に続いてくれる。それゆえに、私たちは今本当にこの未曾有の不況の時代をチャンスとして、日本のこれからの社会のつくり方あるいは教育の在り方について考えていきたい、そんな気持ちになっております。
 以上でございます。
#51
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 大変積極的な調査会の御協力をいただきまして、こういう運営の仕方も本当に前代未聞かなというふうな思いを致しておりましたけれども、本当にそれぞれの御意見を聴取することができまして大変参考になりました。
 意見交換という思いもあったのでありますけれども、予定された時間、三時半ということでありまして、もうそろそろ体力的にも限界かなというふうに感じますので、調査会をこれにて閉じさせていただこうと思います。
 次回の調査会なんでありますけれども、三月は予算委員会ということで参議院多忙を極めるということでありますから、その辺、次回の調査会テーマは仮説二ということで、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」と、この仮説二でスタート、筆頭間でもって十分協議しながらまた連絡をさせていただこうと思います。
 取りあえず、仮説一について中間取りまとめができましたことを心から感謝を申し上げたいと存じます。ありがとうございました。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十四分散会
ソース: 国立国会図書館
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