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2009/04/08 第171回国会 参議院 参議院会議録情報 第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第5号
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2009/04/08 第171回国会 参議院

参議院会議録情報 第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第5号

#1
第171回国会 国民生活・経済に関する調査会 第5号
平成二十一年四月八日(水曜日)
   午後一時一分開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月二十五日
    辞任         補欠選任
     植松恵美子君     川崎  稔君
 四月七日
    辞任         補欠選任
     鈴木  寛君     青木  愛君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         矢野 哲朗君
    理 事
                大石 尚子君
                亀井亜紀子君
                藤本 祐司君
                岩城 光英君
                吉田 博美君
                松 あきら君
    委 員
                青木  愛君
                一川 保夫君
                大久保 勉君
                加藤 敏幸君
                川合 孝典君
                川上 義博君
                川崎  稔君
                行田 邦子君
                広田  一君
                松井 孝治君
                石井 準一君
                佐藤 信秋君
                長谷川大紋君
                山田 俊男君
                澤  雄二君
                大門実紀史君
   事務局側
       第二特別調査室
       長        今井 富郎君
   参考人
       独立行政法人労
       働政策研究・研
       修機構主任研究
       員        小倉 一哉君
       株式会社ミキハ
       ウス人事部    坂本  達君
       札幌大学文化学
       部文化学科教授  ファビオ・ラ
                ンベッリ君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国民生活・経済に関する調査
 (「幸福度の高い社会の構築」のうち、日本と
 世界の働き方と自由時間の過ごし方について)
    ─────────────
#2
○会長(矢野哲朗君) ただいまから国民生活・経済に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告をいたします。
 昨日までに、植松恵美子君及び鈴木寛君が委員を辞任され、その補欠として川崎稔君及び青木愛君が選任をされました。
    ─────────────
#3
○会長(矢野哲朗君) 国民生活・経済に関する調査を議題とし、「幸福度の高い社会の構築」のうち、仮説二、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」に関し、日本と世界の働き方と自由時間の過ごし方について参考人からの意見聴取を行います。
 本日は、お手元に配付の参考人名簿のとおり、独立行政法人労働政策研究・研修機構主任研究員小倉一哉君、株式会社ミキハウス人事部坂本達君及び札幌大学文化学部文化学科教授ファビオ・ランベッリ君に御出席をいただいております。
 一言ごあいさつを申し上げます。
 大変御多用のところ本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございます。
 本日は、本調査会が現在調査を進めております「幸福度の高い社会の構築」のうち、仮説二、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」に関し、日本と世界の働き方と自由時間の過ごし方について忌憚のない御意見をお述べいただき、調査の参考にさせていただきたいと存じますので、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 議事の進め方でありますけれども、まず小倉参考人、坂本参考人、ランベッリ参考人の順にお一人二十分程度で御意見をお述べいただき、その後、各委員からの質疑にお答えをいただきたいと思います。その後、時間がございましたら、必要に応じて委員間の意見交換を行います。その際、随時参考人の方々の御意見を伺うこともございますので、あらかじめ御承知おきいただきたいと存じます。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、まず小倉参考人からお願い申し上げます。
#4
○参考人(小倉一哉君) 労働政策研究・研修機構の小倉でございます。
 このような会にお呼びいただきまして、ちょっと緊張しておりますが、二十分の中でお手元にございます資料に沿ってお話をしたいと思います。
 私自身は、労働経済学というのを専門にしている学者でございまして、特に労働時間と休暇の問題について、これまで二十年ぐらい研究をしてまいりました。その関係で本日ここに呼ばれているんだろうと思いますが、本日は、研究者という観点から、日本の休暇について現状と問題点及びこちらの調査会の仮説に対する意見といったものを申し述べたいと思っております。(資料映写)
 初めに、一枚めくっていただきますと、こちらは長時間労働に関する国際比較のデータでございまして、国際労働機関による集計結果でございます。週に四十九時間以上働いている、これは雇用者ですので、自営業者を除いた人たちの雇用者に対する比率でございますが、日本は男女計で二八・五%になっておりまして、ヨーロッパの各国と比べていただきますと、イギリスは比較的多いんですが、非常に多い。しかしながら、ほかの国も比べてみますと、基本的には発展途上国はやっぱりまだ労働時間が長いんですけれど、それは労働法制が整備されていなかったり工業化の段階だったりしますので長時間労働は多いんですが、日本の比率はその発展途上国と遜色ないと言ったらいい意味になるんですが、悪い意味で遜色ないような状況でございます。
 総務省の統計なんかではよく週に六十時間以上の比率がということが出てくるんですが、国際比較では週に六十時間以上はほとんど意味がないので、要するに先進国で見たときに週に六十時間以上なんていうのはあり得ないと言われるぐらいの数字ですので、そういう意味では日本は労働時間面では発展途上国だと私自身は思っております。この問題がございますために、やはり休暇の問題に関しましても、非常に休暇を取ろうとするときに各方面から反対意見とかいったことが出てくるんじゃないかと考えます。
 次に、年休、これは年次有給休暇、今日の私のお話は基本的に、日本でいいますと労働基準法三十九条に書かれている年次有給休暇の話でございます。休暇にもいろいろございまして、法定の年次有給休暇というのはほとんどの国にあるんですが、日本の場合に関して言いますと、法定ではない有給休暇というのも企業によってはかなりございます。例えば、代表的なのは慶弔関係の休暇というのがございまして、親族が亡くなると三日や四日や一週間有給休暇がある、これも有給休暇でございます。ただ、それは法定ではございませんので企業間格差がございますから、比べるのはやはり年次有給休暇、略して年休と我々は称しておりますが、それについてやっているものです。
 日本の法定の最低付与日数というのは、三十九条に書いてあるように、勤続六か月で出勤八割を超えた人に対して十日与えると。それが勤続に応じて最高二十日というふうになっています。他国、特にヨーロッパの国々では法定の最低付与日数は大体二十日から二十五日ぐらいでして、下に書いているのは結構大事なことなんですが、要するに最低付与日数というのは、日本の場合は十日ですが、ヨーロッパの場合、基本的に最低も最高もないんですね。法定ではもう二十五日だったら二十五日、あるいは三十日という国もありますが、というふうに決まっていて、勤続年数に応じて増えるというようなことは基本的に法律上の規定ではございません。ただし、個別の企業の中の労働契約、個々の労働者と経営者との契約では更に増えていくということはたくさんございます。
 労働協約というのは、これは労使協定の話ですが、平均的な日数というのは、右に書いたようにヨーロッパの場合は法定の日数よりもかなり多いということになります。日本の数字に関しては、これは労働協約上の日数ではございませんで、次に御紹介します政府統計の数字でございます。
 こちらちょっと見にくいのでお手元の資料を見ていただいた方がいいと思いますが、就労条件総合調査という資料から取ってきたものですが、三十人以上企業規模計で付与日数の平均が十七・六日で取得日数の平均が八・六日で、それを分母、分子にして四六・七%というふうに言われています。
 しかし、ここで御注意いただきたいのは、注に書いていますが、なかなかこの注もよく分からないような注でございますので、平たく言いますと、付与日数は四月始まりの会社のその四月一日の時点で二十日もらえるとします。それが分母です。それに対してその平均が十七・六日ということになっています。対して、取得日数の八・二日というのは昨年からの繰越分も含めた取得日数の平均でございます。
 何が言いたいかといいますと、年次有給休暇は日本の法律では今年取らなかったものは来年一年間までは時効が認められています。それは取らせないといけないんですね、それ以降どうするかは企業によって自由なんですが。したがって、毎年勤続年数が延びて毎年二十日間もらっている人が全く二年間使わないと四十日持っているんです。もっと言いますと、この八・二日の分母は、実はここの計算では十七・六日で計算して言うんですけれど、正しくは繰越日数を入れますと更に下がるということはもう目に見えています。
 ですので、よく有給休暇の取得率が半分ぐらいという報道があるんですが、半分という言い方は正しくございません。要するに、ここで言っている分母は、今年新たにもらった二十日に対して去年からあるものを使った日数を分子にしているんです。ですから、極端な話、たくさん有給休暇を欲しいと思えば、繰越分も使ってしまいますと、今年の分母が二十日ですので、三十日使って一五〇%という数字もあり得る上での四六%なんだということを御理解いただくと、いかに取られていないかということがお分かりなんではないかと。
 これを私はずっと調査研究してきましたので、自分でも、自分でもというか、業務上調査研究をしてきました。その数字が次の五ページにある表でございまして、あえてその政府統計とは別に、保有日数、消化日数、消化率という、まあ言ったところで意味は同じなんですが、保有日数というのは去年からの繰越しも含めた今使える日数、それに対してそれを何日取ったかということで消化日数、それを分母、分子に消化率というのを出しました。見ていただくと分かるんですが、男性で消化率は二七・二%ですし、女性では四〇・六%ですので、全体的には三〇%ぐらいですから、先ほどの統計と比べると大分下がるということがお分かりなのではないかと思います。
 男女では当然違いが出ますが、更にその下の職種で見たときにはもう少し明確な違いが見えてきまして、消化率のところに注目していただくと、かなり低いところが例えば管理職ですとか営業販売等の人たちと。この辺は、やはり管理職の場合、日本の管理職の最大の問題は、本来マネジャーって言われるんですけれど、英語では、要するにマネジメントという役割プラスプレーヤーとしての役割がある。したがって、プレーイングマネジャーという言い方をしますが、このプレーイングマネジャーが何が大変かというと、本来管理能力がなければいけないにもかかわらず、プレーヤーとしても自分で仕事を抱えてそれをこなさなければいけない。日本の管理職の場合、そんな人たちばっかりですので、結果的には労働時間が長くなってしまう。
 野球でいいますと、一時期のヤクルトの古田さんがまさしくプレーイングマネジャーだったと思うんですが、あれだけのプロ野球の選手がいる中で、プレーイングマネジャーは一人しかいなかったんですよね。それを今、日本の管理職、会社というのはほとんどの人がプレーイングマネジャーになっているわけですから、ちょっと次元は違うかもしれませんが、本来マネジャーはマネジャーであるべきなんですけれど、そういうことでこういう結果になるんじゃないか。あるいは営業販売というのも、御承知のように労働時間というのはかなりエンドレスに近いところがございまして、土日も朝も夜もということになっている人たちなんではないかと思います。
 この私がやった調査の意識面を分析したのが次のものでございまして、基本的にはほとんどの人が年次有給休暇をすべては取らないですので、なぜすべてを取らないんですか、なぜ取らないんですかというよりは、なぜすべてを取らないんですかという質問をして、それについて分析をした結果、大きく意識面で四つぐらいに分かれた。
 タイプ一というのは、これは典型と言われるかもしれませんが、休んでもすることがないと答えるタイプ。ほかに比べますとむしろ幸せな人たちでございまして、ほかの人たちは、例えば、タイプ二は人事評価に影響するから。今、法律では通達で禁止しておりますけれども、年休を取ることに対する不利益取扱いというのはいまだにあると思います。要するに、年休取ったからということでちょっとボーナスが減らされるとか、本来それは法律上やってはいけないんですが、全部の会社が法律を守っているわけではございませんので、そういうことを気にされる。
 それから、タイプ三というのは、ここが一番問題が大きいんですけれど、そもそも業務量が多かったり、休んでも代わりの人がいないから休暇は取れないんですよという意識が強い人たち。ここが非常に問題が多いところだと思います。
 あるいは、タイプ四というのは何かの用事のために残しておくという人たちなんですが、これは、何かの用事というのは大体ある種限定されておりまして、病気がちの方か、あるいは家族にそういった問題がある方々です。そうしますと、どうしてもお休みを急遽取らなければいけないというようなことが出てくるので、これも本来は自分の病気のための休暇ですとか、子供のための看護休暇などが充実していれば年次有給休暇を使う必要は必ずしもないんですが、それがまた充実していなかったり使いにくいので、結果的に年休を使ってしまうということだと思います。
 このタイプを四つに分けて、それが年休消化率に対してどう影響するのか。タイプ一、何もすることがない、休んでもすることがない人はほとんどプラスにもマイナスにも影響しませんでした。つまり、休もうと思えば休めるんですけど、特に休もうとする理由を見付けない人たちでございまして、それが日本人の典型ではないと思いますが、そういう方々もいるということでございます。タイプ二とタイプ三は会社の要因ですけれども、どのみちそういった要因については消化率はほかと比べて低いわけでございます。ただ、タイプ二よりもタイプ三の方がその影響が大きかったので、やはり年休を取らない最大の、一番大きなというか一番深刻な問題は、業務量が多いことやあるいは代替要員がいないということにあるのではないか。タイプ四というのは、逆に消化率は高いんですが、それは決してハッピーなわけではなくて、先ほど申し上げましたように緊急的に用事が出ることは決して楽しい用事ではない、そのために残しておくということが問題なんじゃないかと思います。
 「これからの経済社会と休暇の効用」ということで、これから先はデータというよりは考え方というお話になると思いますが、少子高齢化自体はもうどんどん深刻になってきているわけですが、労働力も今たまたま景気が悪い時期にございまして、ワークシェアリングですとかそういった話になってきているんですが、長期的には日本の人口は減っていくことはほぼ分かっています。そうしますと、その労働供給というのに対してどこから供給源を求めるか。やはりこれまで男性中心の働き盛りの人たちばかりでやってきたことをそうでないところからも求めなければいけない。だとすれば、人生全般的に働く人も出てきますし、そういう人たちを支援する仕組みが必要でございます。そういう意味では、休暇は、広く年休に限らず休暇というのは重要であろうと。
 それから、長期雇用が少しずつですが減ってきております。そうしますと、これまでのように一企業においてOJTを通じてずっと成長していくというモデルは徐々に減っていきますので、ある種自己投資していかなければいけない。働き続ける間ではそこを何らかの形で補わなければいけないためには、そのために時間が必要であるということです。
 それから、当然ですが、休暇が増えれば関連産業も成長します。この度合いは、私はそこまで分かりませんし、やったところで余り意味があるかどうか分からないのであえて申し上げませんが、ただ、大事なことは、休暇の時期を分散化することなどに各論としては当然出てくる。御承知のように、今八月の十日前後でお休みを取ろうとしますと、人気のあるリゾート地やホテルは閑散期の三倍から四倍の値段を取ります。そこに家族と四人で二泊旅行に行こうなんといいますと、もうそれだけで二十万や三十万ぐらいすぐ掛かってしまうと。
 そういったようなものも、本来、じゃ休暇の、インフラを提供する側にとっても決して効率的なことではないんですね。高い時期に集中しますから、本来なら来てくれるお客さんを逃してしまっている。暇なときにも決して閉めるわけにもいかないので、そういったことが非常に問題になっています。
 次の問題については、これは私の主観でもございますが、休暇が根付いたようなヨーロッパなどを見てみますと、お金よりも時間にというふうに書きましたが、お金よりもなのか、お金も時間もなのか分かりませんけれど、日本人よりははるかに時間の価値というのを見出しているという気がします。
 年休について何が必要かということで細かくいろいろ書きましたけれど、いろいろ大事なことがございますが、特に企業の人事管理の問題でいきますと、日本の企業には休暇管理という発想がほとんどございません。休暇管理というのはイコール要員管理でございまして、例えばヨーロッパの会社、ドイツ、フランスなどでは、年度初めの人事部の一番大事な仕事の一つは、全従業員の休暇のカレンダーを年間で作ることなんです。この人は六月のいつからいつまで休み、この人は七月のいつからいつまで休み、だから工場を操業するときは、ここにはこの人がいないから逆にこの人に来てもらうと。それはすごく複雑な作業ですが、そのことが、ドイツやフランスなんかですとある種経営者の義務みたいになっておりますので、休暇を与えなきゃいけないという。
 日本の場合は、休暇を取ることができるという労働者の権利なんですが、おかしなもので、経営者の付与義務になっている国がいっぱい取られていて、労働者の権利になっている国が全然取られていないというちょっと矛盾した面白い話なんですが、どのみち、休暇管理は要員管理であるという発想が日本の会社にはほとんどございません。もちろん、工場・生産部門ではそれなりに夏休みの一斉休暇があるのでありますが、ホワイトカラー・間接部門では、まともにやっているところを私は知りません。
 そのことで、結果的にはだれも取らない。いつ取ってもいいけどだれも取らない、計画もされていないから急に取ることもできないという状況を生んでしまっているんではないか。私傷病のための休暇制度の拡充も先ほど申し上げましたが、そういう意味でございます。それから、連続休暇のための仕組みは、ちょっとまた議論の中で申し上げることがあればいいと思いますけれど。
 それから、大事なこととしては、そのヨーロッパの下に書いた、年末年始、ゴールデンウイーク以外に夏休みの確実な取得と時期の分散化、あるいは秋の学校休業や親の秋休みなんというのもアイデアとしては既に出てきています。
 最後の、調査会の仮説につきまして、若干、意見というよりは私なりに考えていることを申し上げますが、働くことが美徳なのは決して悪いことではございません。しかし、働き過ぎることはいいことではありません。そこの整理が日本ではなかなか付いていないのではないか。働くことがいいことが、働き過ぎることがいいことみたいに思われているんじゃないでしょうか。ただし、日々の長時間労働を放置して休暇を取れとはなかなか言えないですと。つまり、休暇だけを先行させて取るというだけではなくて、やはり全体的な労働時間の問題なんではないか。
 それから、国際比較をする場合に、私の知る限り難しいなと思っている点は、満足ですか、不満足ですかと聞いたときに、一から五までよく選択肢がございます。満足、まあ満足、どちらでもない、やや不満、非常に不満みたいなものがあると、日本人はとかく中庸を選ぶと言われています。まあ満足とか、やや不満とか。ところが、欧米などでは、そういう質問を全く同じように聞いても、自分たちの意見がはっきりしている人たちが多いものですから、非常に不満に丸を付ける人が多いですとかというようなことになってしまうので、それは同じに比べていいかどうかというような問題はあるんじゃないか。
 特に、働き方、休み方の問題というのは、その下に書きましたように、文化、歴史、習慣、気候、経済発展の度合い、法制度、社会制度など、それぞれが影響することでございますので、本当の意味で本当に国際比較するのは基本的には不可能だと思います。ただし、不可能と言っては何もできませんので、ある種限定的にこれとこれの範囲で比べたところこうであるということは言えますから、その範囲でやる分には間違いはないのではないかと。
 いろんな問題がございますけれども、時間も参ってきておりますので、私のお話はここで終わりにして、あとはまた質疑等がございましたらお受けしたいと思います。
 ありがとうございました。
#5
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは次に、坂本参考人、お願い申し上げます。
#6
○参考人(坂本達君) どうも皆様、こんにちは。坂本達でございます。
 私は現在、子供服のミキハウスという会社で人事部で仕事をしております。つい先日は入社式がありまして、七十六名の新入社員が入社してきたんですが、そういった本業以外に、小さいころから夢だった世界一周を自転車で、在職しながらかなえさせてもらいまして、今はその経験をもって、少しでも日本の子供たちとか学校、社会、家庭が明るくなればという思いで自分にできる活動を現在させていただいております。私のふだんの活動のテーマとして夢という言葉がキーワードにありまして、仕事をしていると実際大変なことも多い中、夢や目標を持つことで、どんな仕事、上から下りてきた仕事も自分なりの目標を持つことで全部、大変なことも肥やしになって、働きがいにつながって、幸福度が高くなっていくんではないかという思いを持って活動をさせていただいております。
 今日は、私の経験に基づきまして、ふだん子供たちに伝えたり、また世界にはどういう人たちがどういう生活、仕事、暮らし方をしているかといったところ、もしかしたら当てはまらない部分があるかもしれないんですけれども、そんなことが世の中にあるのかというふうに感じていただけたらと思っております。
 今日はスライドを用意してきておりまして、レジュメの方にもあるんですが、四年三か月、実は有給休暇という形で世界一周をさせてもらいました。百年分の有給休暇を既にいただいた形になりまして、この休暇が多い国が国の経済力を伸ばすか、国を豊かにするかと。自分自身が今やりがいを持って、生きがいを持って生きているつもりですので、何かそんな参考になればと思いまして。(資料映写)
 このスライドなんですが、セネガルという国を走っていたときに、一日に二食しか食事ができない子供たちと一緒に御飯を目の前にしたときに、私は二回しか御飯が食べられないという見方に対して、御飯が食べられるという、もうその目の前にあるものを素直に受け取っているその姿に感動するわけです。同じものを目の前にしながら、私はないところを見て、二回しか食べれない、食べられるというところを見ている。別の子供に聞いたときに、最近うれしかったこと何、この間雨が降った、妹が笑った、えっ、そんなことに幸せを感じているの、物の見方が全然違うんだなと、そういうことを感じておりました。
 これはジャングルを走っていたときなんですが、分かれ道がありまして、夜は必ず村に着いていませんと動物とかの危険がありますので、どちらかの道に行かなきゃいけない、でももう夜が迫っていたという状況だったんです。
 ちょっと、大変失礼ではあるんですが、もし皆様が、先生方がここに一人でいらしたらどっちの道に走っていくかというのを挙手をしていただいて、どちらに進んでいくかという、皆様方の運命をちょっと試していただきたいと思うんですが、この状況で左の道に進んでいかれるという方、恐縮ですが、手を挙げていただけますでしょうか。──御協力ありがとうございます。では、右に進まれるという方。──皆さん、ありがとうございます。
 私は、最初に手を挙げていただいた左の道に、タイヤの跡がたくさん付いていますから、こちらではないかと思いました。でも、ここで取り返しが付かなくなると困る、そう思って、三十分だけ待って、人が来るのを待ったんです。人に聞くことができる。でも、人が来ませんでしたので私は左の道を進みました。百メートルぐらい行ったところでこの左の道が右にカーブしたと思ったら、そのまま右の道と合流してまた同じ場所に出ていたというところなんです。
 私たちは、道を教えられて教えられたとおりに行くのに、迷った、あいつが悪い、あいつのせいだ、人のせいにします。だけれども、最後の行動というのはいつも自分が取っている。何か人のせいにすることで不満があったり、不平が出てしまったり、でも、物事って自分が決めているんだと意識することというのは、仕事をする上でも生きていく上でも本当に大事なことなんではないかなと思っております。
 皆さん、ありがとうございました。
 これは私の命の恩人がいる西アフリカのギニアという国です。平均寿命四十六歳、こういう子供たちが大人になる前にマラリアや赤痢で命を落とします。
 私がこの村で体力を落としたときにマラリアと赤痢両方に同時にかかってしまいました。上から下からも垂れ流しの状態のときに、村にいたお医者さんが村の最後の薬を私のために使って病気を治してくれました。その直後には村長さんが来てこの鶏を食べろと。この日、実は週に一度の肉の日だったそうです。みんなで話合いをして、自分たちで食べるか、病気でやせた日本人に食べさせるか、全員が手を挙げて日本人に食べさせたい。僕はそれを聞いたときに涙が止まりませんでした。こういう生活をしている、本当に貧しい生活をしながらも人のことを思いやれる、働くといっても仕事がなくても身近な人を助ける、よそから知らない人がいても助けられる、そういうところに何か豊かさのヒントがあるのではと思っています。ちょっとこの村長さんの顔を覚えておいていただきたいと思います。
 トルコを走っていたときにクルド族の家族にお世話になりました。貧しい生活をしていましたので、お礼をしようとすると受け取らないんです。そんなことをしてほしくない、昔からシルクロードを通る人たちを世話していた、同じように世話しただけだ。私は、家の中を見回して一枚も写真がないことに気付き、写真を撮って送ってあげる、お母さんはすごく喜んでくれたんです。約束どおりこの写真をお送りしたんですが、よく見ると、一番左の男の子のズボン、これチャックが開いたままになっている写真なんですが、すごく誇りを持って生きてる人たちに出会いました。いつ自分の国、この国に戻ってくるんだ。自分たちの国のことをどれだけ知っているか、誇りを持つということに対して考えさせられた、豊かさについてつながることかと思いました。
 この写真、最初に申し上げないとお分かりにならないかと思うんですが、私がこれ真ん中に座っております。パキスタンで、一日数百円という収入の彼らにこの民族衣装をプレゼントされました。先ほどの小倉参考人の資料の中にも週四十九時間以上働く人たちが非常に多いという人たち、そんな生活にもかかわらず日本から来た金持ちの人間にこの服をプレゼントしたんです。
 私は何を代わりに要求されるのか、受け取りたくなかったんですが、受け取ってしまった後に言われたのが、日本に帰ったら伝えてくれ、日本のような豊かな生活はできないけれども、自分たちなりに今ある環境の中であるものに感謝している、家族が一緒に住める、子供が何人かいたら一人でも学校に行かせられる、平和がある、仕事がある。やっぱり会社勤めをして仕事をいただけるというのは本当に有り難いこと。でも、そういうことについて不満を言ってしまう。ないところを見て不満を言うんじゃなくて、あることに感謝する、そういう生き方をしている人たちがパキスタンにはいるんだ、そう言われたときに非常に大事なメッセージを、時間というものももちろんそうなんですが、あるものに感謝してそれを生かしていくということを教えられたと思います。
 イランという国で、モスク、最近イスラムというとちょっと余り良くないイメージのニュースが多い中、学校回りを年間百回ほど子供たちに講演活動で回っているんですが、やはりイメージが良くない。でも、そんなときに、僕は一緒にお祈りをしたよ、僕はイスラム教徒じゃないけれども、お祈りをしたら現地の人がみんな握手をしてくれた。お前のことを守ってやる、いや、僕はイスラム教徒じゃないよ、だけれども一緒に祈ってくれたことがうれしい、お前のことを守ってやると言われたときに、本当に相手のことを大事にする、自分と違うものを大事にすること、何かそういうことも幸福度、豊かになっていく、そんなヒントがあるというふうに思った出来事がありました。
 四年三か月、自分の好きなことだけ夢をかなえさせてもらって帰国しました。どれだけ会社で恨まれるんだろう、そう思って帰国したんですが、社内は関西の会社ということもあってみんなが突っ込んでくれます。世界一周、今度はラクダでやるんだって、ラクダは道草を食うから気を付けろとか、本当に温かい声を掛けてもらう中で僕の中のプレッシャーがすごく高まりました。どうやって返していけばいいんだろうと。
 そんな中で、私が子供たちにお手紙をもらったときに気付きました。夢の架け橋プロジェクト、今の日本の社会に夢を語れる大人が必要です。そういう背中を子供たちに見せることが豊かな社会につながるんじゃないか、それを社長にプレゼンしました。今の社長なんですが、子供服のことは心配せんでもええ、子供たちに夢を伝えてやってくれということで、この年もまた七か月間休暇を取って北海道から沖縄まで自転車で走りました。八十六の小中学校を実際、台風の中も自転車で走り回りました。子供たちの目の輝きが本当に逆に夢を与えられるような日本縦断で、アフリカとかアジアの子供たちと何ら変わらない、やっぱり大人がやることがあるんだということを教えられたような日本縦断です。
 私の宝物なんですが、子供たちからお手紙、イラストなんかをもらいます。坂本さんが学校に自転車で来てくれた日というんですけれども、何か泥棒が自転車に乗ってきたようなイラストとか、坂本さんの話。これ、どっちが坂本さんか分からないんですが、こういうたくさんの宝物を子供たちにもらう中、生きていくこと、夢を持つことって何なんだろうと教えられています。
 世界一周の経験をつづった「やった。」という本の表紙なんですが、実はこの本の印税をすべて使いまして、今会社の理解をいただきながら、恩返しのプロジェクトと言っています。マラリアと赤痢で倒れた国に通っております。これも毎年会社にまた休暇を数週間いただいて行っているんですが、この握手をしている人が鶏を下さった村長さんです。村の最後の薬の恩返しのつもりで行ったときに、薬は有り難いけれどももっと必要なものがある、それはきれいな水だ。日本では考えられない答えでした。水は非常に汚い、井戸水がない状態でしたので、村人たちが中心となって井戸造りをする、そんな支援をさせてもらっています。
 仕事をするというのと生活をするというののその区別がない中、生きるために生きる、まさに生きるために生きている子供たちです。こういう子供たちですけれども、自分が役に立っている、水運びをすることでお母さんが助かる、自分が井戸を造ることを手伝うことで村の歴史が変わる。そんなの関係ねえというのがはやったことありますけれども、一人一人がかかわることで社会が変わっていく、こんな働き方、時間ではとらえられない部分があるんですが、そんなことを教えられていると思います。
 井戸が完成した後に帰国して、また一冊の本をまとめました。世界一周の「やった。」、井戸を掘ったので今度は「ほった。」という本を書きました。自分の心の井戸をより深く掘ったような本になります。
 実は去年末、命の恩人がいる例のギニアのお医者さんの家に行きまして、これが、診療所がありません。七千人住むところに一つも診療所がないので、自分の自宅にビニールシートを張って医療行為を行っている。彼の長年だった診療所を造るというプロジェクト、三年掛かりでやっと立ち上がって、帰国したんですが、つい数日前にこの診療所が完成したという知らせを受けています。
 今回もそうなんですが、現地の人たちが自分たちのために、自分たちが動くことで世の中が変わっていく、自分の役割を知りながら、それで感謝される、何かすごい夢があることだな、みんなの、現地の人たちの夢を僕が同じ夢見させてもらっている、そんな活動も今進めています。
 現地の時間の過ごし方なんですが、イスラム教の国なんですが、祈りなんです。一日中祈っているか、祈っているか、祈っているかみたいな感じです。一つのプロジェクトをやろうと思っても、まず祈りが大事で、仕事をやろうと思っても、まず祈れば仕事がうまくいく、仕事イコール忍耐と思えるような時間の過ごし方だったんですが、忍耐すれば仕事ができるんじゃないか、現地の文化を大事にする、その大切さを教えられてきました。
 また同時に、幸福、幸せに生きるということは食べられる物があるということ、村を出発するときには物がありません。貴重な鶏を持たせてくれるわけです。もう一つ豊かなこと、日本でも突き詰めると同じなんですが、健康に生きられるということです。家族が一緒に住めるということとか平和があるということとかということだと思っています。
 母校の大学で、「地球体験から学ぶ異文化理解」という授業をさせてもらっています。不可能をどうやったら可能にするか、いろんな人に応援されたら、実現しない夢なんてないと私は信じているんですが、世界一周の経験や、やっぱり自分が無力だったときにどうやって助けてもらえたか、経験を交えて学生たちに夢を持つことであったりとか感謝することであったりとか、そういったことを今伝えているんですが、三千科目、早稲田大学にオープン教育センターという、あるんですが、三千科目の中、十七番目の倍率でこういう授業をさせてもらっています。
 ブータンというと、幸福度が高い、GNHというグロス・ナショナル・ハピネスという概念がある国で知られているんですが、現地の人たちと交流する中で、学生たちなりに幸せって何だろうということを感じてもらっています。仏教国ですのでお寺に学生と一緒に行ったりするんですが、仏様にお供えするお花も、殺生はできませんので、花を切るとそれは良くない、花屋さんがない、造花、インドから来る造花を供えたりとか、非常に学生たちも、豊かさって何だろう、幸せって何だろうということを言っていました。一つ皮肉を言われました。日本人はいい時計を持っている、だけど時間がないね、我々は時計ないけど、時間はあるよ。非常に衝撃的な言葉でした。
 このブータンという国で幼稚園と学校建設プロジェクトというのをやっています。実は、世界一周中に出会った私の友人の村に早稲田大学の学生をスタディーツアーで連れていっています。ほとんど外国人が訪れない村でホームステイをして受け入れてもらっていますので、この村に恩返しをしようということで、これも私の本の売上げなどを使ってプロジェクトを進めています。今月の二十八日からブータンに渡航しまして、この学校が開校するということで開校式に出席してきます。一番左にいるのが世界一周中に出会った女性で、私の夢は先生になること、その次の夢が学校に行けない子供たちを行かせてあげること、その夢に共感して、恩返しのつもりでこういった活動をさせてもらっております。
 職場の文化、私の環境なんですが、非常に私の活動に大きい影響を与えておりまして、これは世界一周に二十六歳で出発したときなんですが、有給休暇という措置の上に、会社の皆さんに壮行会を会社の負担でやってもらったという本当にとんでもない状況の中出発をしたんですが。これはギニアの民族衣装を着ていますが、隣にいるのが、今も創業社長なんですが、木村という男で、彼が子供のためにできることを何でもしたいという大きな夢の中、私も子供たちに夢を伝えたいという活動をさせてもらっています。
 私は今人事部というところにいるんですが、これが人事部採用課の同期になります。時間というのは、もちろん私はいただいたおかげで夢をかなえさせてもらって、いろんなことを学ばさせてもらってそれを伝えさせていただく、その時間は確かに必要でした。同時に、環境というのが必要で、私の右側にいるのが実は八歳下の後輩なんですが、彼が僕の上司に当たります。僕らの仕事は達さんの夢を応援することです、達さん、会社に来なくてもいいです、応援することで夢がかなえば僕たちはそれが有り難いと言ってくれる、とても信じられないような環境の中、やっぱりミキハウスにはいろんなスポーツ選手がいます。柔道の野村忠宏とか卓球の石川佳純ちゃんとかいろんな選手がいる中で、坂本が会社に来なくても、あいつにはあいつの役割がある、世の中に役に立っているんだったらいいじゃないか、一つの船に乗った仲間じゃないかという環境、そういった文化の中で、自分は役割と居場所を感じながら活動を現在させてもらっているという状況です。
 現在、先ほども申しましたが、八十回から百回ぐらい子供たちに夢を伝えたいということで全国を回っております。様々なイベントや、また私の海外でのプロジェクトに協力したいという中学生なんかもいまして、格好悪くてもとにかく何か夢を持っている大人がいてもいいじゃないかというような、何かそういう中で結果を残していく、いろんな人の支えがあって夢ってかなっていくんだよというような活動を行っていまして、これはまだ会社には言っていないんですが、今後もう一周世界を自転車で回れたらなというような夢も現在持っております。
 最後になりますが、生きがい、バランスというところで、私は新卒の採用をしていまして、やっぱり就職活動の時期に、自分のやりたいことってなかなかすぐには分からない、正解なんかないと思います。でも、仕事って目の前にあることの中にやりがいとか目的を見付けて、それを正解にしていくというのも一つあると思います。
 仕事だけじゃなくて、もちろん休暇でも、休暇ばっかりでもなくて、そういった仕事と休暇のバランスが取れるということ、また夢を持って活動ができるような、何かそういう環境の中で私は様々な活動ができたり、ああ、こんな会社とかこんな国が世の中にはあるんだと何か思ってもらえるようなそんな社会になったらと思いながら、自分にできる役割というものを子供たちに、若い人たちも、きっかけ一つですから、ああ、こんな生き方があるのかと、ああ、世界にはそんなことがあるのかと。私も会社に入ってなかなか、最初は残業したりとかいうのが納得できなかったりしたこともあるんですけれども、やっぱり目標を持って物事を達成して人に喜んでもらうというのはこんなにすごいことなのか、やらなければ分からない、やっていく中でいろんなことを見付けていける、そういった環境をつくっていくことも一つの大事なことなのかなと、幸福度の高い社会を構築していく一つの要因であるのかなと思っております。
 私の時間、ちょうど時間になりましたので、いったんここで終わらせていただきます。皆様、どうも御清聴ありがとうございました。
#7
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは次に、ランベッリ参考人にお願い申し上げます。
#8
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) よろしくお願いいたします。
 こんにちは。ファビオ・ランベッリでございます。まず、今日、お呼びいただき、誠にありがとうございます。
 さて、今日は、私のお話なんですけれども、西ヨーロッパ、特にイタリアを中心に休暇、休み、それから間接的にですけれども、労働に関する感覚や態度について少し述べさせていただきたいと思っております。少しでも御参考になっていただければ大変うれしく思います。
 始まる前に個人的な一言なんですけれども、この休みの文化について関心を初めて持ったきっかけというのは、私の専門はかなり違う分野なんですけれども、休みの文化に引かれたきっかけとしては、やっぱり日本でよく聞かれるからなんですね、率直に申し上げますと。つまり、イタリアは休みが長いですねとか、あるいは、なぜイタリアでお店がお昼、それから日曜日休むのかというような質問なんですけれども、これ、常にそういう質問が来るんですけれども、最初は私はよく答えられなかったんですね。何が悪いんですかとか、何が変ですかと、向こうは普通のことなので。だけれども、お互いに変だなというようなことで終わらせるとやっぱり物事進まないし、逆に、やっぱり休みに、あるいは仕事しない、とらえ方の中で、何か文化の深い要素、特徴が見えるのではないかと考え始めたんですね。
 それから、もう一つなんですけれども、日本の場合は、労働に多くの日本人がその自己アイデンティティーを定義するきっかけにしているのではないかなと思うんですけれども、つまり、よく働く人イコール良き人、よく働かない人は、さあ、どうでしょうというようなことなんですけれども、このような感覚は、特に外国の人々に対して起動されるような感じがします。
 私にとって面白いことには、このような感覚なんですね。つまり、日本でよく仕事するけれども、例えばドイツは余りよく仕事しないとか、そのような感覚が、それこそヨーロッパで仕事している、あるいは例えば会社から派遣されている日本人の幹部の中でよく見られるというふうに何か分かったんですね。つまり、せっかくドイツで仕事しているのに、ああ、土日休みだし、休みが長い、いいなと思わないんですよね、日本の企業の幹部の方が。逆に、いや、土日なぜ仕事しないのかとか、本社と連絡取るときに、じゃ、だれもいないのかとか、そのようなことで困っていることで、やっぱり日本人でいることにプライドを持つようになるというようなことなんですね。
 したがって、つまり文化的にこのようなことについて考えるときに、じゃ、なぜ仕事することによってプライドを持たなければならないのかというような問題が出てくるんですけれども。
 これから私は、用意していただいたレジュメに沿ってお話を進めさせていただきたいと思うんですけれども、まず、休みあるいは休むこと、休暇を考えるときには、まずそれは、文化システムとして理解した方がいろんな広がりが見えるのではないかと思っております。
 というのは、一般的な理解の仕方で申し上げますと、休むことは、つまり仕事しない、つまり否定的な、何かをしないという否定的にとらえられることが多いし、それから休みには何かが欠けているような、つまり仕事という重要な部分が欠けているようなという否定的な状態になっている。つまり、欠如の時間としての休み。それから、あともう一つのパターンがあるんですけれども、休むことは労働するために生理的には必要な時間、だから労働がメーンでその付随的な時間として、あるいは二次的な時間としては休暇があるということなんですけれども。いずれにしても、休みは欠如の時間だったり付随の時間だったりということで、主要なものとしてとらえることができないということなんですけれども。
 しかし、そうではなくて、やっぱり休むことには休みの文化のいろんな特徴が見えてくるのではないかなと思うんですけれども、例えば時間論、文化における時間論、労働観、人間関係、社会ネットワークの活用の仕方、あるいは聖なるものとの関係などが見えるという、休みの中にこのようないろんな文化の側面が見えるということで、文化としては非常に重要な時間だというふうに言えるのではないかなと思うんですけれども。
 したがって、休暇という概念の中には少なくとも二つの次元があると思うんですけれども、一つは個人的な休暇、個人的に休む側面と、やっぱり共同体的に文化としてのそういう貴重な、象徴に満ちた時間という両方の側面があるということで、特に制度としての休暇、国民としての、国民の一つの営みとしての休暇ということを考えるときにこの両方の側面をよく把握しなければならないのではないかなと思っております。したがって、休みというのは文化の中で直接的生産性から離れた別の営みである、別の時間、別の次元であるというふうな感覚がヨーロッパにあると思うんですけれども。
 それから、レジュメの二点目なんですけれども、休みとは何かということなんですけれども、伝統的には、休みの中には聖なるものとの関係又は共同体的ないろんな在り方が目立つのではないかと思うんですけどね。つまり、伝統的な社会の中では、休みの時間の中で祭りが行われたりとか共同的な行事が行われたりするということで、この中には恐らく休みという特別な時間の起源があるのではないかなと思うんですけれども。
 これは、添付資料にも入れさせていただいたんですけれども、参考のため、もちろんあくまでも参考のためなんですけれども、八十八ページ以降なんですけれども、これはイタリアという国家が容認する国家の休日、国家の祭日なんですけれども、十一日だけなんですけれども、その中でほとんど、ほとんどというか半分以上なんですね、宗教関係の祭日なんですよ。このような話を私がするときに反論として、いや、でも日本では何か政教分離があるからこのような宗教的な祭りを国家として認められないということなんですけれども、もちろん西ヨーロッパでもはっきりとした政教分離がずっと昔から成立しているんですけれども、この場合は、国家が宗教的な祭日を認めるよりも、国民若しくは文化にとって、ずっと大昔からある国民にとって重要な行事であるというふうなことを認めるということなんですね。だから、その宗教的な価値よりも、国民あるいは文化的な価値が国家によって認められているということになると思うんですけれども。
 このような祭りの中なんですけれども、多くの場合は、もちろんイタリアの場合はキリスト教関係の行事が多いけれども、それぞれの行事の歴史をたどってみると、これほとんどはキリスト教以前のいわゆる異教の時代の重要な行事であったんですよ。ですから、キリスト教の伝来以前からある重要な文化的な要素、そういう要素の中にはキリスト教が、そういうキリスト教的な価値を与えて、それを再解釈して新しい価値を与えたものだけなんですけれども。しかし、一般の人にとっては、これらはキリスト教的な意味合いよりも、何か伝統的な行事であるというふうな感覚というふうな理解で今でも行われているということなんですけれども。したがって、このような行事の行い方には、そういう文化の伝統あるいはその文化伝統の連続性がある程度認められているというふうに言えるのではないかなと思うんですけれども。
 もちろん、これはイタリア、たまたまイタリアの事例なんですけれども、西ヨーロッパのほとんどの国は同じような祭りを、あるいは祭日を持っているんですね。つまり、クリスマスはどこの国でも国家の休日として認められているし、だから、体系としてはほとんど同じなんですけれどもね。
 もちろん、このような祭りのやり方は、意外と最近論じられているような休日の合理化とはほど遠い考え方に基づいているものなんですけれどもね。つまり、祭日の合理化というのは、日本で行われているような、休みのない例えば二、三か月があったら、じゃ、勝手に国家が休日を決めるというようなやり方がずっと今まで行われてきたんですけれども、あるいは休暇取れないのでそういう国家の休日を増やすというような制度なんですけれども。確かに、イタリアでも最近このような休みの合理化が必要なのではないかという議論が出てくるんですけれども、休日を、あるいはこのような意味での休暇を合理化すれば、その休日の伝統的な、あるいは文化的な意味が完全になくなってしまうというところになるんですけれどもね。
 だから、非常に抽象的な休日になってしまって、余り、共同体的な感覚とか社会的な意味合いが全く分かっていないようなことになるんですね。今の若い人たちに、例えば海の日というのは何なのかと聞くと、分からないですね。
 ですから、そういうような自文化を意識するきっかけとしての休日というきっかけが合理化の中でだんだんなくなってしまうということなんですけれども、合理化というのは、恐らく伝統的な休みの意味合いに反するような試み、営みなのではないかなと考えられると思います。
 例えば、このようなイタリアの国家の祝日と比較すると、日本の国家の祝日は意外とどんなに抽象的な祝日になっているのかということが多分お分かりになると思うんですけれども。一般的にかなり重要な行事、例えば花祭り、お盆、七夕、あるいはいろんな秋の祭りだとかあるいは地域の祭りとか、つまり、まだ日本の文化の中にかなり根付いているものなんですけれども、このような祭りが国家によって容認されていないですね。逆に言うと、もちろんお盆は行われるけれども、その一番近い日曜日に行われるということで、お盆という本来の意味合いが少しずつなくなりつつあるというふうなことになっているんですけれどもね。
 ですから、余り深みのない、農耕文化的なそういう深みのない祭りが、あるいは休日がだんだん増えてしまっているというような状況になっているような印象を外国人として受けているんですけれども。
 三点目ですけれども、「「休み」の倫理」というタイトルにしてみたんですけれども、労働至上主義というのは私が勝手につくった言葉で、参考資料の中にそういう短い文章が入っているんですけれども、先ほど労働が美徳であることに問題ないというふうな小倉参考人からの御意見があったんですけれども、それはもちろんそうなんですけれども、ただ、やっぱり労働だけに価値観を求めるということは多少問題があるのではないかなと思うんですけれども、しかし、じゃ、労働しないと何をするのかという問題が出てきます。ここで労働至上主義から人生充実の時間を中心に生きるという生き方の変換が必要なのではないかなとは思うんですけれども。
 ヨーロッパでも、仕事をしないあるいは休むことに対してはいろんな価値観が重なっている、あるいは対立していると思うんですけれども、一つは古代ローマあるいは古代ギリシャの時代からある考え方で、これは今でも残っているんですけれども、ラテン語ではこれはオティウムという言葉が使われているんですけれども、日本語では閑居、安逸、怠惰というような言葉で訳されているんですけれども、古代ローマ人にとってはオティウム、つまり怠惰、安逸ということは非常に望ましい、理想的な状態だったんですね。これはもちろん貴族、上流階級に限られたような余裕なんですけれども、これは今でもイタリア、ヨーロッパに生きている伝統なんですね。だから、仕事をする目的はオティウムを獲得するということなんですね。その安逸の貴重な時間を手に入れることなんですね。逆じゃないですね。つまり、仕事をするために休むのではなくて、安逸、怠惰を獲得するために労働するという考え方ですね。
 もちろん、このような異教あるいは古代の考え方には、今度、キリスト教的な感覚が入ってきたんですね。キリスト教の中では、作業、活動、労働というのが神様に対する、神様への感謝とはなっていると思うんですけれども、しかし、キリスト教の中でもう一つの重要な考え方があるんですけれども、これは安息日ということなんですね。安息日というのは神様がなさったことで、人間ももちろん神様にちなんで同じような生活をしなければならないというふうなことなんですね。したがって、キリスト教の中では怠惰あるいは怠けることはもちろん罪になっているけれども、安息日を守らないということももっと重要な罪になっているというふうな、ある程度中道的な立場に立っていると思われるわけですね。
 中世になると、都市、それぞれの町の生産階級、例えば商人だとか職人だとかの独特な時間論がだんだん展開されてきて、それはある意味で恐らく産業革命の時間論に結び付いてくるとは思うんですけれども、その産業革命の中で初めて労働至上主義という考え方が恐らく重要になってくると思います。
 例えば、マルクスの思想の中でさえ労働時間と生存時間という区別を設定するんですけれども、生存時間というのは、やっぱり労働するために生理的に、身体的に必要な時間だけなんですけれども、しかし、ドイツ語ではこれは生存時間というのはレーベンスツァイトですね。つまり生きるための時間だということで、最近イタリアの哲学者がそれを、それこそ私があえて訳してみたら、人生充実の時間というふうに理解できるのではないかなというふうな解釈も出てきたんですけれども。
 したがって、このような人生充実の時間を一般の人に必要性を浸透させるということは恐らくこれからの課題なのではないかなと思うんですけれどもね。
 四点目なんですけれども、時間がほとんどなくなってしまったので、休みを増やす政策についてなんですけれども、私はもちろんこういう政策の専門家ではないので、話は幾らでもできるけれども、実際に政策を導入するといろんな問題が出てくると思うんですけれども、確かに例えば法律を変えて休日を増やすという新しい制度をつくって導入することはもちろんできるけれども、しかし、それだけでは国民の幸福度が高まるかどうかというのには私はちょっと疑問を思っているんですね。
 というのは、学生に例えばイタリアのそういう休みの文化についてお話しするときに、必ず驚きの反応があるんですね。いいですねと言う学生もいれば、ほとんど、いや、こんなに休んでいいのか、やっぱりちょっとふまじめじゃないかなという意見が多いんですよ。私も、学生だから、いや、よく言うよと思いつつ、でもこんなに一般的に浸透している考え方なので、ある何人かの個人の反発的な考え方だけではない、つまり文化につながる発想なのではないかなと思うんですけれどもね。確かにこちらでもいろんな資料が出ているんですけれども、世界で最も生産性の高い、あるいは何か豊かな国は世界の中で最も休む国なので、ふまじめだと思えないし、社会的には問題があると思えないけれども、しかし、多くの日本人の一般的な感覚の中にはこのような考え方があります。
 ですから、政策としては、やっぱりこれはある意味では教育からスタートしないと余り大きな進展がないのではないかなと思うんですけれどもね。教育では具体的にじゃ何ができるかと申し上げますと、まず、日本の休みの文化を教えることなんですね。つまり、労働の美徳ではなくて、日本の文化の中にも立派に休んできたよというような話を、例えば旧暦の話だとか、お祭りの話だとか、お祭りの中で何をやっていたのか、何のためにとかですね、そのような文化の再検討、再評価が大切じゃないかなと思うんですけれどもね。
 もう一つは、労働の美徳なんですけれども、私はいつも何か不思議に思うことなんですけれども、仕事が終わったらお互いのあいさつとして、楽しかったねとかお楽しみさまでしたということではなくて、御苦労さまでした、お疲れさまでしたという言葉を使うんですね。これはほとんど外国語の言葉には訳せない表現ですね。なぜ御苦労でなきゃいけないですか。まあ疲れたことは分かるけれども、苦労ですかね。逆に言うと、イタリア語には仕事する、仕事始める前に、ボン・ラボーロという、つまり良い仕事をというあいさつがあるんですよ。
 ですから、私の疑問なんですけれども、日本の一般的な、これは一般化し過ぎるとまたいろんな変な話になってしまう、それこそ偏見になってしまうおそれがあるけれども、一般的に申し上げますと、労働の美徳の中には、やっぱり労働が苦労でなきゃいけない、苦労しているから一応美徳にしているというふうな感覚が残っているんじゃないかなと思うんですけれどもね、いろんなところに。
 ですから、苦労しているというところを、つまり、別に労働イコール苦労であるという図式をなくすことによって、仕事する、もちろん苦労もしますし、疲れるし、しかし楽しみもあるし、いろんな経験ができる、あるいは例えば仕事することによって、休暇を得ることによってまた人生が充実できるような、先ほどの坂本参考人のお話につながると思うんですけれども。そのような違った見方を教育、つまり小学校あるいは幼稚園のところから教える必要があるのではないかなとは思うんですけれどもね。
 というところで、まず時間になりましたので、私の話をここで終了させていただきます。
 どうもありがとうございました。
#9
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑を行います。
 本日の質疑でありますけれども、あらかじめ質疑者を定めずに、質疑及び答弁の際は、挙手の上、会長の指名を待って着席のまま御発言くださるようお願いをいたします。
 なお、できるだけ多くの委員から発言の機会を得られますよう、答弁を含めた時間がお一人十分以内になるよう御協力をお願い申し上げたいと思います。
 それでは、質疑のある方の挙手を願います。
 長谷川大紋君。
#10
○長谷川大紋君 自由民主党の長谷川です。一番先に質問をさせていただきます。
 参考人の皆様方には、本当に本日は貴重な意見をいただきましてありがとうございました。
 小倉参考人の資料の中に「労使に課せられた課題」、中小企業、厳しい現状を指摘されております。私はその中小企業の経営者として御質問をいたします。
 私は、昭和三十年に会社を設立した父が一九七〇年、昭和四十五年に急逝し、それから社長を務め、中小企業に携わってきたわけであります。当時の我が国は高度経済成長であり、行政も企業も一体となって欧米に追い付け追い越せということで、すべての国民が夢中で働いた時代でありました。それに比べて、現在の社会は休日、休暇が大変増え、労働時間が少なくなったなというように思っておるところであります。
 この度の仮説、「休日・休暇が多い国が国の経済力を伸ばし、国民幸福度を高める」ということでありますが、中小企業の経営者として、また高度経済成長を見てきた者として、果たしてそうなのか、あるいは全く逆ではないかという疑問さえ持つものであります。
 現在の労働基本法は週に四十時間を超えてはならないということになっておりますが、昭和六十三年までは上限四十八時間と言っておったわけであります。それが、日本人は働き過ぎという外圧とでも申しましょうか、それが法改正で四十六時間、四十時間、さらに平成九年に四十時間、それと併せて週休二日制が定着したわけであります。年間の労働時間、比較してみますと、昭和三十年時代は約二千四百時間、そして平成二十年には千八百三十六時間、その差五百二時間。一日平均八時間労働にしますと、約二か月間、働く時間が短くなったということであります。
 中小企業の経営者たちとよく話をするわけでありますが、近年の休みの多さがよく話題になります。正月あるいはゴールデンウイーク、お盆。一月のうち半分しか出勤しない中で生産量を維持していくということは不可能に近いわけであります。
 そして、過去と比較して大きく変わったことは、中小企業でも終身雇用が減り、非正規雇用が増えておるという現実であります。中小企業レベルでは、休日の増加と労働時間の減少に伴う生産力を避けるために資本投資を、設備投資を補おうとするわけでありますが、そこで作られた製品あるいは商品の価格が市場に転嫁できないという大きな問題があるわけであります。結果として、会社経営は逼迫し、中小零細企業の方々は、やむを得ずウエートの大きい人件費を非正規雇用や派遣社員といった選択の中で労働賃金を安くするということが現在行われておるわけであります。日本の企業の九割近くが中小零細であります。これ以上休暇が増えた場合、正規雇用は更に減り、終身雇用というのは完全に崩壊の一途をたどるわけであります。そしてその結果、労働賃金が下がり、国全体の生産力は私は低下するのでないかと思うのであります。雇用の多様化とはいえ、休日が多くて不安定で雇用賃金が安くなる、このような状態の中で幸福と感じる人が大勢いるとは私は理解できないわけであります。
 私のこの意見に対しまして参考人はどのように考えますか、お聞かせいただきたいと思います。
#11
○会長(矢野哲朗君) それでは、小倉参考人、坂本参考人、ランベッリ参考人の順にひとつ御意見をいただきたいと存じます。
#12
○参考人(小倉一哉君) 中小企業の問題については、今の長谷川先生の御意見はほぼメジャーな意見なんだろうと思います。要するに、ちょっと昔、時短亡国論というのがございまして、これ以上時短して日本が成り立つのかというのはずっと言われています。その特に言われるところが、中小企業では利益も低いし人件費だってそもそも低いのに、それで法律上休日や休暇を増やすというのはいじめじゃないかと。そこについて私はまともに反論する材料はございません。ただ、研究者、学者として言えることだけ申し上げますが。
 まず一つは、日本の労働時間は確かに高度成長期に比べますと平均的には短くなっています。それは週休二日制が拡大したこともございますし、多少なりとも休暇が増えていることも、あるいは休日が増えていることもございます。ですが、この十何年間を見て、特に正社員とパートタイマーで分けたときの正社員の労働時間は実際にはほとんど変わっておりませんで、今まで統計上労働時間が短くなっていたと言われていたところの大きな間違いは、パートタイマーの労働時間を入れてそれで平均を出していたというところもございます。だからといっても、その正社員の平均で二千時間ぐらいでしたので、当時の二千三百、四百に比べると短くなっているんですが、そこは一点御指摘したいと。
 それから、よく経済学者は、労働時間が減っても経済のパフォーマンスを下げないためにどうするか、それは時間当たりの生産性を上げればいいのであると簡単に申し上げます。私も端くれですので、それは教科書的にはそうだよねと。ただ、教科書的に時間当たりの生産性を上げればいいと言ったところで、中小企業の現実を見たときに時間当たりの生産性をどう上げるのか。これは非常に難しいわけでございまして、そこにはやはり日本の場合の大企業と中小零細までいくところの構造というのが非常に根っこにあるんではないか。
 つまり、中間マージンというのが事実上ある中で、そこを削られて、そこで単価を下げられて、その中で四苦八苦してやっていかなきゃいけない。そういう状況の中では恐らく政策としても、あり得る政策として大企業と中小企業と同じ条件で上から規制するというのはやや厳しいのではないか、いや、かなり厳しいのではないかと。それは私も思っておりますし、現実の政策も、ある法律が改正されたというときに当面、業種や規模によって猶予措置というのを設けるようなことはあるんですが、そういったものはやはり現実を見るとそういうふうにならざるを得ない。
 恐らく長谷川先生はそれでも更に厳しいということをおっしゃっているんだと思いますので、そこにつきまして私自身は、やはり元にたどりますと、時間当たりの生産性を上げるためにどうしたらいいのかということを、ただ単に時間当たりの生産性を上げろと言うのではなくてどうやったら生産性を上げていけるのかということを、恐らくいろんな考え方があると思いますので、個々に取り上げてやっていかなきゃいけないんじゃないか。
 その意味では休日、休暇の効用というのは、一つだけ申し上げたいんですが、先ほどランベッリ先生もおっしゃっていたことにもかかわると思うんですけれど、休むというのは決して何もしないということではないんだというふうに考えますと、休んでいる間に、例えば企業活動でいいますと種まきみたいなことがあり得るんじゃないか。休んでいる間に生産的なことを、要するに休みが全く生産しないという意味ではなくて、休みというのを生産的に使う、働くとはまたちょっと違うのかもしれませんが、そういうことが大事になってくるんではないかなと。
 特にこれからの日本経済は、総じて言えることは、国際経済の流れを見ていましてもますます複雑、高度な技術が必要になっていって、その中でしかも短期的な変動が多くなることになると思うんですね。そういう中では、そういった急激な変化や、より高度な技術力などを身に付けるためにも、恐らく働く以外の時間について重要視して、その中で、日本的に言えば勉強するような時間というのも非常に重要なんじゃないかなと。したがって、それについて、それほど強く休日、休暇を否定する立場にも立っていないわけでございます。
 以上のことを申し上げたいと思います。
#13
○長谷川大紋君 ありがとうございました。
#14
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 坂本参考人、ひとつよろしく。もしかすると中小企業では坂本参考人のような存在がないかもしれないと、そんな私も思いをしているんですけれども、是非お願い申し上げます。
#15
○参考人(坂本達君) ありがとうございます。
 私も会社のカレンダーを見ていますと、本当に丸が多くて休日が多いなと。自分の抱えている、また会社の仕事を見ると、こんなに休んでいいのかなという印象をふだんから持っております。
 私の社内でも、小倉参考人のお話にもあったんですけれども、休日に、例えば全国二百店舗、二百店の直営店がありますので、直営店に後輩の様子を見に来てちょっと指導したりとか、顧客さんと一緒にお出かけをしたりとか、いろいろな形で休みの日にも仕事というか、種まきとおっしゃられていましたけど、そういった活動もしております。
 今年は、二十四名のパート、アルバイトさんを今度の四月から正社員として登用させていただいて、できる中で、例えば子育てを経験したお母様方、そういう方に店頭で子供服を販売するときに御自身の経験を伝えて、そういう経験を基にお客さんにアドバイスをする、そういう付加価値を付けるというような形で仕事をしていただいている形で。
 そうですね、私たちも、むしろたくさん休みがあって、まるっきりバカンスに行くというのも含めて、比較的私たちの周りには仕事に直結する、今春物、もう夏物が商品出ていますので、今年はどういう色とかどういう商品が出回っているのかというのを研究しながら仕事に励んでいるというような状況だと思います。
#16
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) 非常に間接的なお答えになると思うんですけれども、確かに長谷川先生の御意見がかなり本質的な問題に迫ると思うんですけれども、ただ、実験として問題の前提を逆転させてみたらいかがでしょうか。
 例えば、まず一つは、どういう社会を目指すのか。この参考資料の十五ページに労働時間があるんですけれども、例えば韓国のような社会が望ましいのか、それとも日本の今の社会がそのままでいいのか、それともデンマークやスウェーデン、ドイツの社会の方がいいのかということなんですね。
 そうすると、じゃ、これらの社会に近づいて、もし違う社会が望ましいとすれば、違う社会に近づいていくためには何が必要なのか。つまり、中小企業がドイツ、デンマークにもありますし、あそこはそんなに問題、つまりドイツは日本よりも輸出している国なんですよね。ですから、そこは何をしているんですか。
 例えば、中小企業の中で労働時間を法律で少なくさせるとしたら、破綻してしまう中小企業もあるかもしれませんけれども、逆に言いますと、例えば休みが増えるということで観光業が大きく、その分野が大きくなるかもしれませんし、違うセクター、違う分野も栄える可能性もあると思うんですけれども。
 いずれにしても、抽象的には、日本でずっとこれよりもたくさん働いてきたので大変だよということではなくて、もっと労働時間が少ない国を参考にして、そこは何をしているのかということを参考にして政策を考えたらいかがでしょうかねとは思うんですけれども。
#17
○長谷川大紋君 ありがとうございました。
#18
○会長(矢野哲朗君) その他、質疑を求めます。
 松あきら君。
#19
○松あきら君 御配慮ありがとうございます。
 公明党の松あきらでございます。
 お三人の先生方、本日は大変に示唆に富むお話をありがとうございます。
 個人的に言いましても私ども政治家は、多分みんなそうだと思うんですけれども、まさに旧約聖書によりますと、神様が世界をつくられて最後に休まれたと、だから定期的に神様も休んでいるから人間も休まなきゃいけない、そういうことに全く反しているのが私ども政治家かなというふうに思ったりいたします。
 それと、もちろん宗教的なそういうことと、ヨーロッパにおきましても第二次大戦後に、小倉先生もおっしゃっております年次有給休暇が充実したというのは戦後ですね、労働時間と賃金とパッケージで労組が要求した、それも実った。相まってきちんとしたこういうものがつくられていったのかなというふうに思います。
 日本は、そうした儒教的なあるいは仏教的な考え方、文化の違い、まあいろいろありますけれども、確かに働き過ぎ。それを、でも考えてみますと、コンビニは二十四時間やっている、スーパーやデパートでも夜遅くまでやっていたり、あるいはもちろん土日はなかったり、こういう消費者の利便性というものを物すごく日本人は求めるわけですね。ヨーロッパへ行きましても、多分アメリカでも二十四時間やっているコンビニというのは恐らくないんじゃないかなと思います、防犯上の理由もあるとは思いますけれども。
 こういうことも一つ私ども日本人は立ち返って考えていかないと、片や長時間労働はもちろん、しかし時間外労働とか、これは法違反ではないんですね。だから、あくまでもレッドカードじゃなくてイエローカード。ですから、そういう根本的なことをまず私たちは立ち返って一度考え直すときが必要ではないか。特に政治家は、いつも忙しいまさに時間がないという中できちんと考えていかなきゃいけないというふうに思いました。
 そこで、小倉先生には、さはさりながら労働者が自発的な意味で、成果主義というのはやっぱりどうしても企業にはあるわけで、そうしますと、中小企業なんかはもうもちろんそうじゃなくても大変なんですけど、休日の返上や長時間労働を自発的にしてしまう、これについてどう思われるかというのをお答えいただきたい。
 それから、坂本さんは、本当にすばらしく、まさに時間を使って、しかも世界の方たちに恩返しをして、そして日本の子供たちにも夢を与えていると、すばらしいことをされていらっしゃると思います。私は、もう一つ言えば、ミキハウスの社長さんがどういう考え、社長さんがやっぱりこれ決断されたから今の社風があって、坂本さんもこういうことをされているし、またこれからもされようとしている。社長さんってどういう方なのかなと、ちょっと伺いたいと思います。
 それから、ランベッリ先生は、これも非常に、ちょっと漠としているのではございますけれども、日本人的に言いますと仕事に生きがいを感じて働くという方もすごく多いわけでございまして、こういうことについてどういうふうに思われるのか、お伺いしたいと思います。
#20
○参考人(小倉一哉君) ありがとうございました。
 冒頭に松先生がおっしゃっていたコンビニや何かの営業時間の問題と企業における成果主義は、私はほとんど同じことだろうと思っています。それは、だれがかは分からないんですが、日本の社会は全般的に求め過ぎだと思います。
 求め過ぎというのは、それは犯人がだれかというのはなかなか難しいことでございまして、そもそも三十年ぐらい前を振り返っていただくと、まだセブンイレブンが来たかどうかぐらいの時期なんですが、当時、セブンイレブンは本当にセブンイレブンでした。
 今、セブンイレブンのセブンイレブンはもうないです。地方に行ったらあるかもしれませんが、東京のセブンイレブンでセブンイレブンな会社はないです。多分若い人はセブンイレブンの意味を知らないんじゃないでしょうか。しかも、セブン&アイになっちゃっていますし。朝七時に開いて夜十一時に閉めるんだ、それがどれだけ画期的なことだったかということに立ち返っている人は比較的年齢がいっている方々でございまして、でもその前、もう既に私もこの世に存在しておりましたが、母に言われて、しょうゆがない、隣もいないと、昔は向こう両隣に借りていたものですけれども、近所の店に行ってこい、でも行ってこいと言われても、あそこ六時で閉まっているよねと言いながら何十円か握らされて、引き戸の雨戸を、シャッターなんかじゃなくて、内側が木でできている、そこをドンドンドンってたたいて、まあそのときのお店のおばさんは嫌な人だったんですが、それでも開けてくれないことはほとんどなかったです。
 恐らく社会がそれなりに今よりも、優しいといいますか、求めてないといいますか、だから、基本的には昼間で買物は済ませていましたし、夜出歩くことはそれほど、酔っ払いの人ぐらいしかいなかったわけですが、今はもう二十四時間化が前提になっていまして、景気が悪くなっている小売業界は今二極化していまして、デパートはむしろ営業時間を短くし休日を増やす動きになっています、少しでも人件費やエネルギー効率を考えて。逆に、某スーパーなどは外資が入ってきたことで、むしろ二十四時間営業というような形になってきています。
 そういう求め過ぎているこの社会というのは、企業の社会でも実際には成果主義という形で九〇年代以降入っていまして、成果主義というのは言うのは簡単で、理想も確かにそれは営業マンは売上げで勝負だろうと言われればそうなんですが、日本の成果主義が入った怪しさというのは、九〇年代で冒頭バブルが崩壊したときに、年功賃金で人件費の高い中高年のリストラ策として入ったわけですね。もうそこはほぼ一致した見解です。
 結果的にそこを、人件費を削減するために入れたものですから、理想的に正しい成果主義が入ったわけでは必ずしもなくて、ちょっと怪しい下心がある成果主義が入っちゃったものですから、それがいろんな部門に適用されることによって、本来なら成果を求めなくてもいいところまで成果を求めるということで、しかもそれからかれこれ十数年たっていますので、成果主義も歴史ができてきました。
 歴史ができてきたということで、長時間労働と私がすぐに思い浮かぶことは、成果をずっと上げ続けていく人というのが一番いい人だと思われるわけです。ところが、成果というのは簡単に言えば、オリンピックの選手でも何でもいいんですけれども、例えば百メーター走って、今九秒七ぐらい走ったら世界の一番になれるぐらいですけれども、十秒五ぐらいだった人が毎年コンマ一秒ずつ下げられるのかというのが今、日本の会社が求めている成果主義でもあるんですね。とにかく恒常的にパフォーマンスを良くしていかないと、しかもそれは前年度比何%という形で右肩でやっていかなきゃいけないと思われています。
 ですから、最初から成果が高い人がそのまま伸び続けるのかというと、それは個々人の状況によって必ずしもそうではないので、非常に難しくなってきているんじゃないかなと。要するに、余り求め過ぎても、もうそれ以上求めなくてもいいし、逆に言えば、本来、成果主義というのは労働時間でいきますと、いつどう働いてもいいよという裁量労働制などとリンクしないといけないんですが、私の調査では裁量労働制などの人の方が長時間労働でございまして、それは言うならば裏側にあるものが成果主義であって、それは会社が求めるものと、あるいは松先生もおっしゃっていたように、労働者側が自らそこに自分を追い込むというんでしょうか、というのがあるんではないか。日本人はそもそもそういうところがまじめですので基準がないんですね、成果主義というのは。百点というのが学校のテストのように基準があって、百点超えたらもういいよ、あとは、というんじゃない。成果主義で求められている業務上の成果は、百点がどこか分からないんです。ただあるのは締切りなだけでございます。そうすると、締切りまでにどれだけ頑張るか。どれだけ頑張るかというのは、スーパースターではない限り、やはり労働時間を長くせざるを得ないんですね。そこで、やはりかなり成果主義と長時間労働というのはつながっているんじゃないかなと思います。
 国会議員の先生方のお話もあったので私も常々思っていることをこの場で申し上げますと、やはり範を垂れるという意味では、会社のトップですとか国会議員の先生方ですとか、そういった方々が夏休み一か月どこそこに行ったよというニュースが流れることはかなり国民的にも影響があるんじゃないかなと。そういう意味では、皆様方はそれなりに反省をする必要もあるんではないかと思ったりするわけでございます。
 ありがとうございました。
#21
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。かなり難しいですね。
 坂本参考人、お願いいたします。
#22
○参考人(坂本達君) ありがとうございます。
 弊社の木村社長なんですが、私がそもそもこの会社と縁がありましたのは、就職活動中にこのひげを生やしたまま就職活動をしておりまして、それを見て社長が、おもろいやっちゃな、おまえはひげ採用やというのが御縁でした。私は、社長が子供のためにできることは何でもやっていきたいという大きな夢を説明会で語っておりまして、それに共感して入社させてもらいました。非常に人を応援するのが好きな人で、今スポーツ選手も、今年は三名入社してきたんですが、いろんなスポーツ選手を新たに支援しながら、やっぱりそういうものを通じて夢を伝えていきたい、子供と家族の毎日を笑顔にいっぱいにというのが私たちのビジョンなんですが、そういうのにぶれずに経営を行っています。
 私の有給休暇のときも、年に二回、ボーナスをちょうだいするときに社長に直訴できる機会がありまして、当時、私入社したときに約千名社員がいたんですが、社長が千名に手渡しでボーナスを渡しました。北海道から九州は鹿児島まで直営店がありまして、全員にボーナスを手渡しするときに仕事の様子なんかを聞くと。ですから、千名の名前を全部社長が覚えていまして、そのときに、話をするときにやっぱり社員は緊張しますので、事前にアンケートというのを作っていまして、それに現在の仕事のこととか希望だとか、そういうのを書くんですが、そこに私は世界一周したいというのを三年にわたって書き続けておりました。もちろん無視され続けていまして、社長が二十六歳で今の会社をつくりましたので、私も二十六歳までに、迷っていちゃいけない、もう会社を辞めて個人的な夢を取ろうと思ったときに私のレポートをずっと見ていてくれた人がいまして、実はそれが木村皓一という社長でして。
 その時点で私はもう会社を辞めようと思っていましたので、約一千万円の資金が掛かる、そのスポンサーを社外に集めておりまして、もう十社以上集まったので、社長、心配しないでください、この企業は応援してくれますから。僕のことを心配すると思ってそのスポンサーリストを見せたところ、達がそこまで本気だったとは知らなかった、応援するから五年でも十年でも行ってこい、給料も出してやると言われたとき、私が本当に一番びっくりしたんです。やっぱりそう言われると、私も会社の役に立ちたい、少しでも達を行かせてよかったと思ってもらえるような活動をしたい、会社に恩返しじゃなくて、より大きい社会とか何か、国とか、そういうものに返したいというふうに思わせてもらうのはすごいセンスだなと思っています。
 今も、働き方というところで、本社が大阪にあるんですが、本社に出社する日数を三日にしよう、四日以上来ちゃいけないと。残りの二日間は要するに店舗に出て、お客様がどういうものを欲していらっしゃるかというのを知るために本社の人間も店頭に出て販売をする、それを本社にフィードバックしていく。月火水出勤して、木金休んで、土日は、お客様の多い日に出社をするというのを本格的に始めようというようなのを今年考えていたり、非常に目的に対してぶれずに、夢を持ち続けられるような、そういう環境をつくっている方かなと思います。
 小さいころに小児麻痺で足が動かなかったのを自分の力で克服した、本気でやればできないことはないという、私も本気でそういうのを信じているんですけれども、そういう人を応援していきたい、世の中を夢を与えていきたいというような経営をされている方であります。
#23
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) ありがとうございます。
 仕事に生きがいを感じている日本人が多いというお話でしたけれども、もちろん個人個人のレベルではそうだと思いますし、それには全く問題がないと思うんですけれども、ただ、問題は制度そのものにあるのではないかなと思うんですけれどもね。
 つまり、個人的な話、私も夏休みのときに、休みではなくて何か、いろいろ論文書いたりとか出張したりとか、それよく妻に怒られることがあるんですけれども。ただ、個人的な、先ほど私が、人生充実の時間という言葉を使わせていただいたんですけれども、だから個人的には、自分の人生を充実させるためには何が必要なのか、場合によって仕事、場合によっては違うものだとか、ですからそれは個人に任せるべきだと思うんですけれども。
 ただ、私の話の中で、個人的な印象よりも文化の一般的な流れを指摘しようとしてみたんですけれども、ですから、制度あるいは文化的な流れ、環境、伝統、習慣があって、やっぱり長時間労働しないと何とかうまくいかないような、企業の中で差別を受けたりとか、あるいは社会の中で批判を受けたりとか、あるいは個人的にはやっぱり何かちゃんと仕事していないという罪悪感を感じる雰囲気になっているのではないか、どこかでそういう雰囲気になっているのではないかなと思うんですけれども。だから、制度としてそれでよければ、つまり日本人はこうだというふうに決まったらもう仕方がないですけれども、やっぱりそれだけではないと思いますので、じゃ制度をどのように変えるべきかということになると思うんですけれども。
 また、消費者の利便性というお話もあったんですけれども、確かに、これまた個人的なお話で申し訳ないですけれども、妻と一緒にイタリアへ行くときに必ずまたけんかになるんですけど、いや、こちらにセブンイレブンがないので不便じゃないかと言われるけれども、やっぱり時間の使い方の違う考え方があるし、もう一つ、私にとってはちょっと気になるのは、つまり消費者の利便性を考えて、例えばコンビニで仕事をしている人たちが長時間労働しなきゃいけないということなんですけれども、それ好きかどうかは別として、仕事がない状態の中でそういう制度になってしまっているということなんですけど、長時間仕事すると、やっぱり例えば子供たちとの接触ができなくなるし、違うこともできなくなるし、社会全体が多分損をすると思うんですけどね。物価が若干安くなるかもしれませんけれども、違うところにコストが出てくるんじゃないかなとは思うんですけれども、経済学者じゃないので何かそれを数えられないけれども、印象としてはそうじゃないかなと思うんですけれども。
 ちなみに、創世記の話されたんですけれども、仏教の、ごめんなさい、これ専門的なことになってしまうので恐れ入りますけれども、仏教にも創世記に当たるお経があるんですよ。長阿含経という大きなコレクションの中に起世因本経というお経があって、その中には社会の成立の話があるんですけれども、そのお経の中にはいわゆる黄金時代のような状態が描かれているんですけれども、その場合は、その時代の、もちろん神話的な時代の衆生が、もちろん仕事しません、まずそういう身体的な要求が全くないところからだんだん少しずつ堕落していって、自然に出るものを得て食べる段階になって、また貪欲というんですか、だんだん増えてきて、田んぼ、土地を分けて労働する、そこから社会的な対立が始まるというお経なんですけれども、このような話。
 つまり、仏教の中には、やっぱり理想的な社会はこのようなみんな労働している社会ではなくて、これ仕方がないかもしれませんけれども、理想的な状況はそういう、労働しない、自然のものを必要なだけ取れる状態が理想的な状態とみなされていたのではないかなと思うんです。だから、このような文化にある背景も再発見、再評価する必要があるのではないかなと思っております。済みません。
#24
○松あきら君 ありがとうございました。
#25
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございました。
 それでは、加藤敏幸君、どうぞ。
#26
○加藤敏幸君 会長、ありがとうございます。
 今日は三人の方、大変傾向の違う三つの話を聞かせていただきまして、役に立つと申しましょうか、有り難かったと思います。
 また、長谷川議員の方から質問が出まして、非常にそのことに私も触発をされました。九〇年代の労働時間短縮したのは私のせいでもあるし、労働時間短縮の方の仕事も随分しておって、先ほど言われたことも非常に御指摘を受けつつ短縮をしてきたということなんですけれども。
 そこで、働き方と自由時間と、こういうふうに書かれておる。この働く方の生産ですよね、物を作るという仕組みについては、この国は非常に工夫を重ねてきて大変非常に効果的な生産方式もつくってきたという。ただ、問題は消費の方ですよね。それは時間消費、時間資源の消費もあれば、財貨・サービス、一般的にその消費がどうなのか。
 今私たちが困難に遭遇していることの一つの原因は、やっぱり消費が不足している。国内消費という言葉もありますけれども、これ、時間とかサービスも含めて消費構造に相当に問題が多いんではないかという見方をするならば、やっぱり消費というふうなものをいかに円滑につくり上げていくか、あるいは再構築をしていくかという時期に今なっておると思うんです。
 一番大きいのは、やっぱり必要性の高い消費者に財貨・サービス、時間が行っていない、何もしないお年寄り世帯に個人金融資産残高がたくさんあったりするという資源の配置のアンバランスの問題。それから、毎年生み出される国富の配分が非常に消費比率の高いところには行かずにということも含めて、なかなか経済が二%の潜在成長まで上がらないという非常に大きなそういう何かまあ油の切れたような状態になっているなと。
 そこで、いわゆる休み方とか労働時間の短い、そういうところは、見方を変えれば消費をする時間なんですよね。それは、時間を消費する、文化を消費する、文芸を消費するとか生活を消費する。そういうふうな意味で、私は、生産というところの議論は随分したけれども、じゃこれから消費が、単に楽をするんだとかいわゆるサボるんだとか、そういうイメージの問題じゃなくて、やっぱりいい意味で、消費をすることが生産を触発をしていくという、経済の循環をより円滑に回すということも含めて、私たちは時間資源をやっぱり消費をしていくというところにいろんな仕組みを、制度を、政策を含めて展開する必要があるのではないかというのがこのセクションの私は命題ではないかなと、こんなふうに受け止めているわけであります。
 そこで、そういうような意味で、特段たくさん答えてほしいということではないんですけれども、そういう命題に置き換えて議論をしたとして、小倉参考人、坂本参考人、ランベッリ参考人、簡単で結構ですので、お願いします。
#27
○参考人(小倉一哉君) 八七年の労基法改正に加藤先生がかかわっていることは重々承知しておりまして、私が研究を始めたのはそのころです。なぜ週四十八時間をこの時期にいきなり四十時間にしようとするのかという問題意識から、同時に、なぜ今まで労基法は四十年も変わってなかったのかという辺りの議論で始まるんだと思いますが、そのときに、当然、千八百時間という目標を出してみたり、消費のために時間が必要だという議論も出ておりますし、もちろん消費のためにはそれを使うお金と時間が両方必要でございます。
 もっと言えばインフラも必要になってくるんですけれど、それについては、特に日本の場合、インフラの方が若干ヨーロッパなんかと違うのかなというふうに思っておりまして、高速道路が、地方が千円になって一気に増えたのに象徴的なように、やはりちょっと移動コストも非常に高いんですね。国内でどこかに泊まるぐらいだったら二泊三日で外国へ行った方が安いような状況でございますので、そういう意味ではインフラ面のコストの高さとか不便さというのも、そこの点に関する内需拡大にとっては重要な課題であろうと思います。
 それ以外に言えることと申しまして、なぜそれほど消費をしないで、あるいはため込むのかということで一番大きな原因は、私は明るい希望が持てないからじゃないかと思います。その明るい希望の中には幾つも論点が入りますが、やはり年金、医療、子育て、雇用保障、そういったいろんな観点から見て、今の日本というのは残念ながら、ヨーロッパも特に福祉国家と言われている北欧などと比べますと、長期のビジョンを持ちにくくなっています。
 ですから、一生懸命働いたら取りあえず貯金しておこう、若い人たちが車を買わなくなったり海外に行かなくなって貯金志向が強まっていると言われていますが、やはりそれは雇用不安、リストラ、そういったものを経験している世代が長期にわたってビジョンをなかなか示してもらえないからではないかということに最大の原因があるんじゃないのかなと。もちろん、ちょっと前までのアメリカのように借金してまで消費する必要は私はないと思いますが、ただ、貯蓄率をどんどん上げていかなきゃいけない国というのは、ちょっとある種おかしいのかなと。
 将来のためというのは、本来、社会保障が充実していて、いわゆるセーフティーネットが張られていれば、これはほとんどの人にとって不安がない社会にすることもあり得るんですね。失業というときに失業給付があり、あるいは職業訓練制度が充実し、それがなくても社会福祉、生活保護というものがかなり充実しているのであれば、取りあえず、本当に困った場合にも、そこは国が面倒を見てくれるんであると。年を取って働けなくなっても、あるいは自分に子供がいなくても、自分が働いて払っていた年金をベースにそういった年金で生活していくことができる、そういう世の中であればもっと消費は上向くと思っています。
 ですので、大変深淵で広範な問題になってしまうんですが、一般的な国民の考え方として、あるいは感覚として、やはり長期のビジョンというところに雲行きが掛かっているところが非常に大きな問題なんじゃないかと思います。
#28
○参考人(坂本達君) ありがとうございます。
 消費を増やすというところで、子供産業にいるということもあって、子供を増やすという、もちろんお母さんの働く環境とか含めてあるんですけれども、何かそういう部分が大事なんじゃないかなと。
 いろんな国を回っていますと、やはり日本がどれだけ、例えば、いろいろありますけれども、結局やっぱり安全で、ある国では、なくなった財布が見付かって届けられたと、それがニュースになったぐらいで、日本ではそれよくあるよと言うと、ああ、日本ってそんな国なのと言われる。中にいるとなかなか分からない、いろんな意味で恵まれた環境であることとか、もちろん国の役割と、それぞれ一人一人が、今ある環境にどう感謝してというか、今の環境でどういうことができるか。また、中には大人がこういう役割を持って、明るい未来を、それこそビジョンを示せるような中でやっぱり子育てをしたいなと、子供をたくさん産みたいなというようなところがやっぱり元気の源なのではないかなと思っていますので、私の活動ともつながるところがあるんですけれども、何かそういう、少しでも元気になるような、一人一人が食べられて当たり前じゃない、就職活動ができて当たり前じゃない、仕事をいただけることって本当に有り難いことなんだと、何かそういうことで環境づくりをしていくことかなと思っております。
#29
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) ありがとうございます。
 加藤先生は、何か人生を消費するという言葉を使っていらしたんですけれども、非常に印象的に残っているんですけれども。何か日本では、滅私奉公という長い伝統があるんですけれども、長いというか明治時代以降の伝統があるんですけれども、いつまで滅私しなければならないのか、あるいは何のために滅私しなければならないのかという状態という社会になった、やっと、じゃないかなと思うんですけれども。その代わりに、じゃ消費という、もちろん極めて経済的な感覚な言葉なんですけれども、人生を生きるということなので、もちろん労働という部分もあればいろんなものがあるんですけれども。
 例えば、私はよくヨーロッパとかを行き来しているんですけれども、日本に来るとやっぱり子供が少ないし、例えば公園へ行っても二人の両親と一緒に子供が遊んでいる場面が結構少ないんですね、ほかの国に比べると。だから、どっちか一人しかいないのでなぜなのかということなんですね。場合によってやっぱり仕事をしなきゃいけない、場合によっては仕事で疲れている、場合によってずっと仕事をして子供と接触ができない、何をすればいいのか分からないというような状況になっているかもしれませんので、だからこれもやっぱり社会としてはどうもちょっと問題じゃないかなと思うんですけれども。ですから、この部分は、例えば子供を育てる、子供と一緒に時間を過ごすということ、あるいは世代と世代とのコミュニケーションを可能にするということは、経済的には数えられない重要な側面だと思うんですけれども。あともう一つは、だから消費につながるかどうか分からないけれども、健全な社会にきっと結び付いていると思います。
 もう一つは、最近日本では文化の時代と言われているんですけれども、文化の時代というのは、それこそ旅をする、映画を見る、本を読む、いろんな人に付き合うというような、坂本さんと同じような人生学を、本当に代表的な事例だと思うんですけれども。皆さん御存じのように、読者数がずっと減ってきているんですよね、日本では。映画を見ている人の数ずっと減ってきているし、何か文化的な営みに参加する人の数がずっと減ってきているんですね。ですから、これもまた文化の時代といっても、じゃどんな文化なのか、どうなのかということなんですけれども。だから、そういう意味で、健全な社会がやっぱり文化を大切にして、その文化にいろんな意味で積極的に参加する文化を消費する社会だと思うんですけれども、それはいろんなものにもちろんつながっているのではないかなと思っております。
#30
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 引き続き質疑を続けさせていただきたいと思います。
 御意見のある方は挙手を願います。
 亀井君。
#31
○亀井亜紀子君 先ほど、ランベッリ参考人の発表を伺いまして、ヨーロッパ的な考え方のベースに何があるのかということ、大変参考になりました。
 ギリシャ的な古代思想で、安逸のための仕事だとたしかおっしゃったと思います。つまり、充実した休みを持つために仕事をするというような考え方、それに対してキリスト教的な思想が今度入ってきて、キリスト教では安息日、休む時間ですよね。私、世界でやはりいろいろなところへ行きましたけれども、ヨーロッパの人たちというのは大変バカンスを大事にしますし、彼らの物の考え方というのは、遊ぶために働いているんだと、そのように理解しました。つまり、一か月、二か月の夏のバカンスを取るために、それを楽しむために一年間頑張って仕事をすると。ですから、ヨーロッパにおいて休むということはもちろん悪いことじゃないですし、遊ぶために働いて何が悪いというそういう考えが根本にあるんじゃないかなと思ったんです。
 一方で日本では、やはり日本社会で育ってくると、まず学校に上がる前は毎日外で遊んでいますから休みです。毎日が休みです。学校に上がると週五日なら五日学校に行く。そうすると学校に行かない時間が休み。それが社会に入ると会社に行かない時間が休み。つまり、何かをしていない時間が休みということで、その休みというものが否定的にとらえられているというふうにランベッリ参考人はおっしゃいました。
 私はやはり、ランベッリ参考人がおっしゃったように、ただ休みを増やしてあげたからといって解決にはならないだろうと。人の考え方を変えていかないと変わらないのではないかとおっしゃったことと同感でして、例えばフレックスタイムを導入したからといって、じゃ皆がもう少し生活のバランスが良くなったわけではないし、フレックスタイムからまた定時制に戻した会社もあります。また、学校で週休五日制にして、じゃ土日が休みになったから子供は外で遊ぶかといったら塾に行き出したりして、やはり休みに何かをしなければいけないというような考え方が日本社会のベースにあって、なかなかうまく休みを充実した時間に変えられないという問題があるのかもしれないと思っています。
 そこで私は質問なんですけれども、この仮説の二を証明するといいますか、やはり肯定的にとらえるには、休みというものはいいものであると。経済力を伸ばさないにしても、生産性を伸ばす何かしらいい方に向かう、そのための休みであるということを言わなければいけないんですが、そもそも休むということ、その効用というのは何でしょうか。それについて伺いたいと思います。
 ランベッリ参考人からお三方に、休みとは何ぞやという質問にお答えください。
#32
○会長(矢野哲朗君) それでは、ランベッリ参考人、小倉参考人、坂本参考人の順でお願いします。
#33
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) ありがとうございます。
 よく私の話をまとめていただいて、付け加えることがあるとすれば、休みって何か、これ日本の友達によく聞かれるんですね。イタリアへ行ったらじゃ一か月、二か月、みんな何をしているんですかとか。例えば、ビーチ行っても二日、三日で十分でしょう、何かフィレンツェ見たら一日、二日で見れるでしょうというようなことで、何で一か月必要なのかというようなことなんですけれども。
 そうすると、じゃイタリア人、でもイタリア人よりも多分ドイツ人とかスウェーデン人の方がそういう夏休みの遊びに上手だと思うんですけれども、何しているかというと、まず家族と一緒に時間を過ごす。友達と一緒に時間を過ごす。あるいは自分で好きなことをやるというようなことなんですけれども。じゃ何をやるか。だから、みんなそれぞれのやりたいこと、寝たい人は寝ればいいし、ビールを飲みたい人はビールを飲めば、本を読みたい人は本を読むとかです。そのような雰囲気、だから遊びといっても何か日本のようなアクション的な遊びではなくて、ただ本当に自分の時間を好きなように使う。その中で当然家族もいるし友達もいるし、そういう社会的なネットワークを必ず活用されるので、みんな必ずかかわってくるんですね。ですから、例えばイタリア人はコミュニケーションが上手だと言われている、何かしゃべりが上手だと言われているけれども、やっぱり常にこのようなことをやっているという雰囲気なんですね。
 じゃここで、これはどのように学ぶかということなんですけれども、例えば安逸の徳ということは私たちは学校で学ぶんですね。例えば古代ローマの歴史を勉強するときに、いろんなそういう英雄たちがいますよね。何か例えば、軍人でハンニバルとカルタゴ人と戦っていて、その戦争が終わったときにやっぱり安逸を取る。バカンスじゃなくて自分の地元に戻って何もしない、休むだけなんですね。これは悪いこととして教科書の中に紹介されるのではなくて、これ英雄たちがやっている技の一つとして私たちの頭の中に入ってくるんですね。
 あと、また夏のバカンスは、あれはヨーロッパの場合はたまたま気候的にあるいは農耕のサイクルにうまく合っていると思うんですけれども、特に八月には農耕関係のそういう作業がほとんどないので、暑いし、だからそれをうまく利用してバカンスを取る。
 実は、この八月のバカンスはアウグストゥス帝王の時代から始まった。それから、これ、それこそローマ帝国の政策なんですけれども、その八月、みんな休んでいるときにいろんな催しを行うということなんですけどね。それがバカンスという文化、バカンスというアイデアに結び付いてきたと思うんですけどね。
 ですから、つまり歴史的な伝統を生かしながら、しかも学校でいろんなそういう情報を提供することによって、また実際の生活の中でこういういろんな家族、いろんな世代の人と、いろんな友達と暮らすことが常のことになっているんですね。
 ちなみに、ヨーロッパでは、私が知っている限り、少なくともイギリス以外は塾のようなものが存在しません。先ほど、私の話の中で、学校からこの休みの再評価をスタートしなきゃいけないのではないかと申し上げましたけれども、ちなみに、休みの最も多い国では入学試験ないし受験勉強がほとんどありません。何か関係しているんじゃないかなと思うんですけれども。つまり、若い子供たちが、最初、本当に何か幼稚園のときから欠如の時間を持っちゃいけないという感覚になって、日本ではですね、そういう感覚になっているので、大人になっても時間をいろんなことでいっぱいにさせなきゃいけないというようなそういう習慣になっているんじゃないかなと思うんですけれども。
 ありがとうございました。
#34
○参考人(小倉一哉君) 休みの効用とは何かというのはある種の禅問答でございまして、それは答えがないというのが答えだと思います。要するに、何もしなくてもいいし何かしてもいいのが休みなので、もちろん亀井先生も分かった上で、日本人は何かしなきゃいけないと思っているからおかしいんじゃないか、何もしないということの効用が分かっていないんじゃないか。
 私は、正直申し上げて、何もしないことに大変な喜びを感じます。日ごろ何かと忙しく、公益法人たたきなどでも迷惑を被ったり、私自身は組織の決定には何も参画できないのですが、研究していても独法は多分いずれなくなるだろうなんて言われていますと悲しい思いをして、休みとは何かなんて言っている場合かと周りから言われたりして、まして今雇用問題が激しくなると急にワークシェアリングでどうのこうのと表に引っ張り出されるんですけど、それも何か本質論をどこかに置き忘れた議論をする方が多いので、休みの効用は何もしないことが認められてもいいし何かしてもいいんです。
 でも、じゃ具体的に申し上げましょう。例えば、働いている人が一切現役中に休まないで働き続けて、あるときいきなり定年退職してごらんなさい。そのときに、ほとんどの人は急に休みが増えたことで驚くし、戸惑うんじゃないですか、あるいは奥さんに邪魔にされるんじゃないですかと。でも、そのときに、現役中から適度に休みを取って、自分の趣味や家族や地域生活などを充実している人は、引退してからこれやろうと思う人が結構いるんじゃないですか。そうすると、緩やかな引退、あるいは極端にショックのない引退をするためにも、休みは現役中にこそむしろ大事なんじゃないですかと申し上げます。それを否定する人は余りいません。
 更に言えば、働く人にとって、先ほども申し上げましたが、これからの世の中は短期的で変動の激しい時代にますますなるはずです。そのときに、今まで積み上げてきたキャリアがあるとき余り役に立たなくなることが多々出てくると思います。その意味でも、活動的に休みの間に職業キャリアを磨くような活動だってやってもいいわけで、それだってある意味では休みの効用なわけでございます。
 繰り返しますが、何もしないというのはそれだけで心と体を休めることができるわけです。私自身は、休日と休暇を分けて考えておりまして、休日は言わば土日のお休み、休暇は一週間ないし二週間ぐらいのお休みというふうに考えていまして、過労死なども増えている昨今、休日は体の休養のために、休暇は心の充実のためにという標語を勝手につくって、講演などでお話しするときにはお教えするんですが、残念ながらそれほど有名じゃございませんので、その標語がそんなには広まっていないのでございますが、先生方が広めていただければ。いい言葉だと自分で思っています。休日は体の休養のため、休暇は心の充実のため、心の充実のためなので何をしてもいいんです、しなくてもいいんです。
 以上です。
#35
○参考人(坂本達君) ありがとうございます。
 休日、休むことの効用というところなんですが、本当に単純に気分転換をしたりとか、好きなことをしたりとか。やっぱり仕事をしていると思いどおりにいかないことの方が多いですし、好きでもないことを時にはやらなきゃいけないという中で、自分の生きがいとかそういうものを見付ける、追う時間になるのかなと。
 いろんな国を回っていても、これは多くの開発途上国でそうだったんですが、親戚が亡くなったとか赤ちゃんが生まれたとか、もうそれで大体みんな二日とか三日とかいなくなって、家が遠かったりとか交通機関が発達していないということでよく仕事を、私も一緒に向こうでやっていると急にいなくなって、でもそれに対して何も言う人はいなかったりと、それぞれ国によって違う状況はあるんですが。
 あと、ちょっと印象的に残ったのが、ブータンという国で、幸せについてよく語られる国なんですけれども、十年後とか、ブータンもどんどん変わる中で、主婦のお母さんに、どういうことを望む、どういうのが豊かだと思いますか、十年後どうなっていたいですかと聞いたときに、私は祈り続けていたいと言っているんですね。それが幸せなことだと。その時間が果たして、主婦ですので休暇の時間かどうかというのは分からないんですけれども、そういう時間、自分で自由にできる時間という中で、本業が尼さんではないのに祈り続けたりとかいうような人がいたときに、やっぱり自分の本当に純粋なことをし続けたり、夢を追いかけたりとか、気分転換をしたりと、何かそういう本当に、ちょっとありきたりな答えなんですけれども、そんなふうに個人的にも私もそういうふうに感じております。
#36
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) 申し訳ありません。付け加えさせていただきたいことが一言ありますけれども。ありがとうございます。済みません。
 イタリアの哲学者が、先ほど申し上げたカッサーノさんなんですけれども、彼がこのような印象的な言葉を使っています。つまり、今のテーマとの関係があると思うんですけれども、人間の営みの中でスピーディーにできない、つまり時間を掛けなければならない二つがあります。二事あります。一つは恋愛、ラブですね。もう一つは知識。
 人間にとっては非常に重要な二つの側面なんですけれども、恋愛と知識を身に付けるというか、何か育てるためには時間が掛かります。そのような時間がないとやっぱり恋愛もちゃんとできないし、だから人間性もうまく育てることもできないだろうし、知識もスピーディーに、例えば受験勉強だとか何か、試験とか何か受けて、あれはちゃんとした知識であるかどうかというちょっと疑問が残るんですけれども、この二つの人間にとって非常に重要な側面にはやっぱり時間が掛かります。だから、そういう意味でバカンスとか休暇がたくさんあった方がいいんじゃないかなとは思います。
#37
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 その他、御意見がある方。
 一川保夫君。
#38
○一川保夫君 三人の参考人の方にちょっと考え方をお聞きしたいんですけれども、今、日本、我が国は近年、土曜、日曜以外の祝日を制度的に若干増やしたり、あるいはそれを土曜、日曜に集中して連続して休暇が取れるような形に制度的な、法律的にそういうふうになってきているわけですけれども。これは余り投資をしないで経済効果を出すというようなこともその当時いろいろと議論されておりましたけれども、現実は経済効果がどれだけ上がってきたかというのはちょっと分かりませんけれども、制度的にこういった休日を増やすやり方、あるいはそれを集中するようなやり方というのは、それは度を過ぎますと何のための祝日かということの意義が、先ほどちょっとお話がありましたように、何か文化的な意味だとか伝統的な、歴史的な意味がだんだん希薄になってくるわけですけれども、ただ一方では、集中的な休暇が取れればいろんな面で経済的な効果もあるだろうし、逆に余分なコストが掛からないということにもなるのかもしれませんけれども、そういうことについて参考人の皆さん方はどういうお考えを持っておられるかということ。
 それから、制度的ではないんですけれども、我々は、地域社会においては、地域のいろんな政を行うその日にちを、従来はその地域の伝統的な意味の中で日にちが設定されていたと思いますけれども、最近はなかなかそれを、政に参加する若者が確保できないということもあって、土曜、日曜にそれを皆集中してやっておりますけれども、そういうようなことも最近日本の社会では非常に定着しつつあるわけですが、そういうことについてどういうお考えをお持ちなのか、その辺りをちょっと聞かせていただければ有り難いと思っていますけれども。
#39
○参考人(小倉一哉君) 一川先生がおっしゃっているのは国民の祝日に関する法律だと思いますが、御承知のように、これは時短絡みでいろいろ改正されてきまして、中には旗日を増やしたり、ずらしたりということをやってきました。ハッピーマンデーというのもその中の一つでございまして、そもそも歴史的に固い起源のあるものについてはそれほどやっていないですが、これはいいだろうみたいなものは第二週、第三週の月曜日にするというようなことでやってきました。
 個人的には、私は、大学の授業を月曜日にやっていたりしたときには助かったんですが、休講が増えるので。ところが、最近の大学も成果主義が横行しておりまして、月曜日に授業を入れると補講というのをお休みのときにやらなきゃいけなくて、しかも丸々曜日を全部その月曜日用にやらされたり、土曜日だったら、一回なんか十二月二十五日というのがあって、ヨーロッパ的発想からしたらあり得ませんよと。日本は別にクリスマスは宗教的ではないのでいいかもしれませんけれどもといって。
 これを進めた関連業界や議員の先生方に申し上げたいのは、ハッピーフライデーつくってもらえませんかねと。いつも土日月じゃなくて、たまには金土日でもいいんじゃないですかねというようなことを申し上げたりします。
 それなりの効果はあったと思います。やはりここのハッピーマンデーが増えてきた九月、十一月辺りに旅行業界の方に聞きますと、少なくともそこでの需要というのは前よりはかなり増えていると。
 ですが、残念ながら、申し上げたいことは、日本の場合、国民の祝日で祝日が増えると、そこにわっと需要、供給が行くんですけれども、本来、労働基準法三十九条で認められている年次有給休暇は余り使われないんですね。それは個々人の労働者の権利であるので、事前に申請すれば、使用者の適法な時季変更権が行使されない限り、一週間ぐらい休めるんです。判例によりますと、一か月いきなり出して代替要員もいないような夏休みを申請した某通信社の方は、それは駄目だということで判決では負けましたが、ただ、そのときの会社の配慮は、この人にはもう取って代わる人がいないから、そんなにいきなり長く休まれても困るんだよ、だからせめて後半の二週間だけは来てくれないかというぐらいの判断であって、それほど最初から認めなかったわけではない。
 したがって、日本でも一、二週間の休暇というのは本来続けて取られてもいいはずなんですが、それが取られない背景の一つに、連休があるので、どうせそこが休みだから、わざわざ休暇をつなげて会社ににらまれるようなことをしなくてもいいんじゃないかと思う人が相当います。もっと言いますと、この背景には、やはり今までこの何十年か来た日本社会での働き方、休み方というのは、赤信号、みんなで渡れば怖くない式の発想だと私は申し上げるんです。
 有給休暇は個々人の権利ですから個々人が申請して休むことができるのに、それはなかなか行使しにくい。だったら会社一斉に工場を休めてくださいよ、そうすればお休みできます、あるいは祝日法を改正して三連休にしましょうよ、そうすれば多くの人が休めますという発想がずっと強かったわけでして、ただ、みんなで休めば怖くない式の発想は、これから先はそうそう簡単にはできない。要するに、これ以上祝日を増やすことも難しいでしょうし、そうなってきますと、やはりこれから先は、年次有給休暇をどれだけつなげて取るようにすることができるかという個々の会社、個々の労働者のレベルでの話につなげていかないといけないんじゃないかなというふうに思っています。
 地域的な行事のことにつきましては、ランベッリ先生の方が御存じだと思いますが、ヨーロッパでも州によってお休みが違っていたりしまして、そういう意味では、日本というのは、国民の祝日に関する法律は国家が決めることですが、州によってあるのは本当に少ない。都民の日ってございまして、そこではかっぱバッジとかもらってお休みしたりする、都立高校はお休みしたりするんですけれども、でもそれは各県にあると思いますが、せいぜいそんなもので、地域の行事にかかわるようなことはございませんから、そういう意味ではほぼもう壊滅していて、そこにまた条例で入れる入れないというお話にきっとなるのかならないのかということだと思いますが、余り、例えば都民の日にしても学校か勤め先が神奈川か埼玉だったらほとんど意味がないんですね。あるいはその逆もそうですので、そういうことも日本には結構あると思います。
 以上です。
#40
○参考人(坂本達君) ありがとうございます。
 土日以外の祝日のことなんですが、ランベッリ参考人もおっしゃられていたんですけれども、その元々の休みの意味というのは非常に大事だと思っていまして、いろいろふだん忙しく仕事をしたりしている中でその日が一体どういうことだったと。日本の過去のこととか先人の考えとか文化を、物すごく日本がこれから生き残っていくためには誇りとなる部分の一つでもあると思っていまして、ですので個人的には、休みをくっつけたりせずに、元々あった今日は何の日だったというのをみんなで振り返るような日はすごく大事だと思っています。
 さらに、仕事も、全部そうなんですけれども、今ある環境の中で例えば休みを取るとかうまく回していくという考えが私はすごく大事だと思っていて、それを休みをくっつけたからとか動かしたからといって変わっていく問題よりも、今ある環境に、文句を言わずにじゃないですけれども、課題はもちろん持っても当然なんですが、今ある環境でどうやっていくかという。
 今、私もいろんな学校を回っていると、不足が不足しているために子供たちが考えないようになったり、工夫をしなくなったり、あるのに当たり前と思って感謝をしなくなる、それによって休日も有効利用ができなくなる。物の考え方という部分で変えたらいいだろうじゃなくて、今ある中で、取りあえず何かでこういう意味があるのだからというのを伝えていくのは大事だと思っております。
 地域行事のことに関してもきっかけ一つだと思っていまして、私も今までそういった地域のことには触れる機会がない環境にいたんですが、年末にちょっと田舎の方に越しまして、やはりこれは参加しなきゃいけない状況で、最初はすごく憂うつだったんですけれども、地域の総会なんかに参加すると、最初にあいさつしていた方たちが声を掛けてきてくださったりして、ああ、少しこの地域の何か役に立てるようなことができたらなというふうに思っていましたので、そういった地域のこと、日本の文化のことを振り返るという意味で、祝日のこともそうですし、その地域のことも多少リンクしながらそういうきっかけの中でやっぱりかかわっていくこと、一人一人がかかわっていくことでやっぱり世の中って変わっていくと思いますので。
 特に若い人たちは、経験がないから知らない、やらない、そして怖い。私の大学の授業でも、やったことないのにできない、やってみたらできるじゃないか。何かそういう経験が不足しているので、最初はどうであれ、何かそういうきっかけを地域行事のときでも、そんなに悪いものじゃなかったというようなことは私も経験を通じて伝えていきたいとは思っているんですが、そのようなところです。
#41
○参考人(ファビオ・ランベッリ君) ありがとうございます。
 ヨーロッパ的に考えてみますと、つまり大げさに申し上げますと、休みを基にして文化あるいは社会を構築されているというふうな感覚ではハッピーマンデーのような制度がそんなに要らないと思うんですけれども。つまり、例えばこの休日がたまたま日曜日になったらその年がその休日がなくなるということなんですけれども、そのほかにはやっぱりちゃんと有給休暇二十日から三十日間とかありますし、土日仕事しないということと、それから残業ほとんど認められていないという形だったら、そういう国家の祝日、一日、二日なくなっても大した損ではないというような感覚なんですけれども、日本ではこれもあくまでも理想論だけなんですけれども。
 しかし、休みを基にして文化を再検討するということになると、地域の祭りとかも重要な役割を果たすようになるのじゃないかなと思うんですけれども。この場合は、お祭りの話になるとやっぱりいろいろややこしい部分も出てくるかもしれませんけれども、私としては、昔の、あるいは伝統的な日本の方が良かったということではない、もちろん。ということではないけれども、ただ、歴史のない社会、つまり過去のない社会には何か未来があるかどうかというちょっと若干疑問がありますし、ですから、お祭りあるいは行事というものがその地域の歴史、地域の伝統、地域の共同体の成り行きを再認識する重要なきっかけにもなり得るのではないかなとは思うんですけれども。
 ですから、土日にさせる、つまり土日は今だったら唯一休めるときにまた祭りがなると、またその休みがなくなってしまうというような感覚もあると思うので、特に若い人たちが学校とか塾とかバイトで忙しいので祭りに行かないでしょうと。だから、違うときに、つまり伝統的な日に設定するともう少し参加しやすくなるのではないかなと思いますし、しかし、祭り、いわゆる行うのではなくて、やっぱりその地域、それぞれの地域の学校でその地域の伝統、地域の祭りについてのちゃんとした教育を提供しなければならないのではないかなと思います。
#42
○会長(矢野哲朗君) ありがとうございます。
 予定された時間なんでありますけれども、藤本祐司君。
#43
○藤本祐司君 一言だけ。もう質問ではございませんが、今日はお三人の方、ありがとうございます。
 坂本参考人につきましては、長期の有給休暇中じゃなくて良かったなというふうに思っておるわけなんですけれども、ありがとうございます。
 今日、いろいろお話を聞きますと、やはり発想の違いという部分が結構あって、今日もサブタイトルで「日本と世界の働き方」と、働き方から入っていまして、これ、「自由時間の過ごし方」というのが後に来ているんですね。やっぱりここのところが本来の目的が、目的というか、仮説の「休日・休暇」、ここから入っていて、今まで働き方を考えるということはあったんですが、休み方を考えるというところがなかったので意図的にこういうふうにしたんですが、実はサブタイトルはもうここで逆になっているなというふうに思っておるんですが。
 例えば、文化との関係でいうと、一月元旦、昔はお休みだった。元旦、三が日というのは大体お店は閉まっておりました。ところが、あるところが元旦営業するようになって、それで便利になってしまって、お節料理をここで作らなくても済むようになっちゃったとか、だんだんそういう意味で文化的な意味合いだけでなくて生活自体も変わってしまったということがありまして、やはりこれから働き方だけではなくて休み方というか休みということをちょっとひとつ真ん中に置きながら考えてみるのも一考かなというふうに今日はお三人の方の御意見を聞いて感じました。
 ありがとうございます。
#44
○会長(矢野哲朗君) その点でも、今後、理事会でもって協議もさせていただこうと思います。
 予定された時間、三時半ということでありますので、これでもって参考人に対する質疑を終了させていただこうと思います。
 小倉参考人、そして坂本参考人、ランベッリ参考人、御多用の中、本調査会に御出席をいただきまして、ありがとうございました。
 本日お述べいただきました御意見は、今後の調査の参考にさせていただこうと考えております。本調査会を代表しまして厚く御礼を申し上げたいと存じます。
 ありがとうございました。(拍手)
 次回でありますけれども、来る十五日午後一時に開会することとし、そして、先ほどの理事会で、その翌週、この仮説二の取りまとめをさせていただくということで取りあえず御予定をいただく、ただし、どういうことが起きるか分からないものでありますから筆頭間で度々協議をいただくというふうなことにさせていただこうと考えております。御協力をよろしくお願いを申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時三十分散会
ソース: 国立国会図書館
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