くにさくロゴ
2007/04/12 第166回国会 参議院 参議院会議録情報 第166回国会 内閣委員会 第8号
姉妹サイト
 
2007/04/12 第166回国会 参議院

参議院会議録情報 第166回国会 内閣委員会 第8号

#1
第166回国会 内閣委員会 第8号
平成十九年四月十二日(木曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 四月十一日
    辞任         補欠選任   
     松井 孝治君     尾立 源幸君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    委員長         藤原 正司君
    理 事
                秋元  司君
                鴻池 祥肇君
                朝日 俊弘君
                工藤堅太郎君
    委 員
                佐藤 泰三君
                鈴木 政二君
                竹山  裕君
                林  芳正君
                山谷えり子君
                尾立 源幸君
                神本美恵子君
                木俣 佳丈君
                風間  昶君
                白浜 一良君
                亀井 郁夫君
   事務局側
       常任委員会専門
       員        鴫谷  潤君
   参考人
       横浜国立大学大
       学院国際社会科
       学研究科教授   田中 利幸君
       飲酒・ひき逃げ
       事犯に厳罰を求
       める遺族・関係
       者全国連絡協議
       会共同代表    高石 洋子君
       財団法人土地総
       合研究所理事   古倉 宗治君
       財団法人全日本
       聾唖連盟理事長  安藤 豊喜君
         (手話通訳 市川恵美子君)
         (手話通訳 高井  洋君)
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○道路交通法の一部を改正する法律案(内閣提出
 )
    ─────────────
#2
○委員長(藤原正司君) ただいまから内閣委員会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨十一日、松井孝治君が委員を辞任され、その補欠として尾立源幸君が選任されました。
    ─────────────
#3
○委員長(藤原正司君) 道路交通法の一部を改正する法律案を議題とし、参考人の方々から御意見を伺います。
 本日は、横浜国立大学大学院国際社会科学研究科教授田中利幸君、飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会共同代表高石洋子君、財団法人土地総合研究所理事古倉宗治君及び財団法人全日本聾唖連盟理事長安藤豊喜君に参考人として御出席をいただいております。
 この際、参考人の皆さんに一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、御多忙中のところ当委員会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございます。
 参考人の皆さんから忌憚のない御意見をお聞かせいただき、今後の審査の参考にいたしたいと存じますので、よろしくお願い申し上げます。
 それでは、議事の進め方について申し上げます。
 まず、田中参考人、高石参考人、古倉参考人、安藤参考人の順序でお一人十五分以内で御意見をお述べいただき、その後、各委員の質疑にお答えをいただきたいと存じます。
 御発言をいただく際は、その都度委員長の指名を受けてからお願いいたします。
 また、各委員の質疑時間が限られておりますので、御答弁は簡潔にお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございますが、安藤参考人におかれましては御起立いただいても結構でございます。
 それでは、田中参考人からお願いいたします。田中参考人、どうぞ。
#4
○参考人(田中利幸君) 御紹介にあずかりました田中でございます。
 本日は、参議院内閣委員会において道路交通法改正について意見を述べさせていただく機会を与えられましたことを誠に有り難く、光栄に存じております。
 横浜国立大学法科大学院において刑法を専攻しております。その研究の一環として、法人犯罪を中心とした行政刑法の分野にも携わっております。その立場から本日は意見を述べさせていただきたいと存じます。
 本日の案件でございます道路交通法は、道路交通の安全を規律するものでございますが、道路交通の安全は、その侵害の結果が私たち国民の日常生活の中で最も身近に感じられるものでありますので、今日のキーワードであります安心、安全な社会にとって重要な基礎を形作るものであることは改めて申すまでもございません。そして、その安全の確保には、法律だけでなく、工学、社会学、教育学、経済学などからの多面的なアプローチによる総合的な施策に心掛け実施していくことが必要でありかつ効果的であります。事実、中央安全対策会議による交通安全基本計画、それを受けた警察庁による交通安全対策推進プログラムなどでもそのように行われてきておりますし、交通戦争と言われた二つの時期を乗り越えて交通事故死者数を減少できてきているのはそのゆえであると考えられます。
 法律の中におきましても、種々の施策を組み合わせることが必要で効果的です。この総合的な方策が必要でかつ効果的であると申しますのは、それぞれのアプローチはそれぞれ万能なわけではなく、効果と手法の両方においてそれぞれの性質に応じた限界がありますので、それらをバランスよく組み合わせることで、一方で全体として必要な効果を達成するとともに、他方でそれぞれの分野における整合性あるいは合理的な内容を保つことができるということだからでございます。そして、法律はそれぞれの種々のアプローチの基礎となる規範を示すものであり、かつ種々の異なる利益の調整の上に成り立っていますので、特に国民の間での日常的な行為が刑罰の対象に含まれてくる場合には、対象となる範囲をバランスよく調整することが必要となってまいります。また、異なる利益をバランスよく盛り込んだ具体的方策を立案することも必要です。そのような観点から審議の対象とされております道路交通法の改正規定を見てみることとさせていただきたいと思います。
 まず、法改正そのものについてでございますが、誠に時宜にかなったもので、全体的な方向として適切なものと思料いたします。交通事故死者数を平成二十二年までに五千五百人以下とし、死傷者数を百万人以下とするという目標を背景にして、改正案は多面的な施策を盛り込んでいます。
 まず、死亡事故の減少幅が鈍化し、悪質な事例が国民の安心感を大きく揺さぶった飲酒運転を取り上げ、次に高齢者、特に事故率が二十四歳未満の運転者よりも高くなる七十五歳以上の高齢者、第三に、自動二輪車や原動機付自転車の運転者より死者が多く、対歩行者事故の増えている自転車利用者に着目し、第四に、着用により確実に死亡率の減少する後部座席シートベルトを対象にしています。それぞれについての合理的な方策を合わせ、それを基礎にマスコミや職場を含めて国民全体の取組とすれば高い効果が期待されるものと思われます。
 次に、それぞれの施策についてですが、まず飲酒運転については、法改正による重罰化が図られています。この点について、最近の情勢にかんがみますと方向性は妥当と思われますので、次の三つのことに注意が払われることが適当かと思います。
 第一は、刑罰は飲酒運転とそれから生じる事故の防止に第一義的な目的があるということです。それは、許せないという気持ち、それ自体大切なことですが、それ以上に、交通事故の被害に遭われた方や御遺族の、このような悲しいことはだれにも二度と起こってほしくないという正直なお気持ちの中にそのまま表れていると思われます。そうだとすると、重罰化の程度として、死傷の結果が発生した場合、今回の刑法改正に関する法務省案の自動車運転業務上過失致死傷罪では七年以下の懲役又は禁錮ですから、道交法では五年以下の懲役はバランスの取れた妥当なところと考えられます。
 第二は、法改正による重罰化は、予防効果に関して、重罰化自体が効果を高める以上に、法規範の趣旨に従って形成される社会規範、特に職場など帰属する小社会の社会規範の作用が予防効果を高めるということです。したがって、どの程度高くなるかよりも、刑が重くなる、重罰化されるということ自体の持つ意味が重要なものと考えられます。
 第三に注意することは、人の規範意識に訴えて防止しようとする法律の有効性にはおのずから限度がありますので、工学的な方法、例えばハンドルを握る手の汗から血中アルコール濃度を検出し、許容限度を超えるとエンジンが作動しなくなる技術などの開発が希求されることが効果的だということです。この方法では、周囲の協力を必要とせず、また本人が違反に陥りがちな特性を持っていたとしても、それらにかかわりなく目的を達成できる長所も備えているからです。
 このように、交通事故対策は法律のその規定だけに限定して考えるのではなく、そこから生じる他の効果も含めて、常に多面的に総合的に考えることが必要と思われます。
 次は、今回の法改正が、飲酒運転の防止を周囲の飲酒運転を助長させるような行為の処罰によっても図ろうとしている点についてです。
 法改正では、車両の提供と酒類の提供と同乗の要求又は依頼の三つが新たに処罰の対象とされています。この三つの行為に共通なのは、酒気を帯びて運転することとなるおそれのある者に対して提供等の行為がなされることですが、おそれというのはかなり漠然とした広い概念です。そこで、六十五条二項の車両の提供では、酒気を帯びている者に提供することに限定し、六十五条四項の同乗では、酒気を帯びていることを知りながら同乗させることを要求又は依頼するという行為に限定しています。つまり、飲酒運転の可能性を容認することとなる行為を処罰の対象とするのではなく、飲酒運転を助長する性格の強いもの、それだけ日常性から離れるものに限定して禁止し、かつ百十七条の二以下の罰則で飲酒運転を実際に行った場合に処罰することとしていると理解されます。
 しかし、六十五条三項の酒類の提供の場合では、同じく同項で禁止している酒を勧めることの方は百十七条の二の二で刑罰の対象とはなっていないものの、酒類の提供それ自体については、飲酒運転を実際に行った点を除き、車両提供や同乗の場合のような限定がありません。立法技術的にはなかなか難しいこととは理解されますが、おそれにとどまるときは現行法のように刑罰の対象とはしない義務とし、百十七条の二の二、三号の罰則は、酒類の提供を受けた者が六十五条一項に違反して運転することとなることを知ってという文言を冒頭に付けるなどの方法によって限定される方法もあるのではないかという印象を持っております。
 なお、この三つの行為が行われますと通常の幇助犯より重く処罰される可能性が生じる点につきましては、共同正犯や教唆犯に当たる場合も含まれていると考えれば理由は見いだせるように思われます。むしろ、幇助犯などの刑法総則の規定にゆだねるよりは、このように規範を具体的かつ明確に示すことの方が社会規範の形成と普及も容易で、予防効果は高まるものと判断されます。あとは、実態に応じた量刑という運用にゆだねることと考えられます。
 これに対して救護義務違反を十年に引き上げる改正は、自動車運転業務上過失致死傷罪が七年となることとの関係から、結果犯を超えない範囲の七年でもバランスが取れるように思われます。十年としても危険運転致死罪との差は七年の場合と比べて一年半縮まるにとどまり、そのことがひき逃げの予防効果に差異を生じるとは考えにくいと思います。重要なことは引き上げるという姿勢を示すことであって、それに基づいて広く社会規範が形成され、それに基づく行動が人々の間で取られることによって飲酒運転が減少し、事故が防止されていくという総合的な理解のなされることではないかと考えております。そのようにすることで他の罪との合理的なバランスが図られるものと思料いたします。
 以上は刑罰規定に着目したものでしたが、悪質な違反に対しては行政的な制裁も同時に考えることが総合的方策として不可欠であり、改正案で免許の欠格期間の上限を五年から十年に引き上げるのは適切でかつ効果的であると考えます。このように、刑罰規定だけではなく他の方法も併せてバランスの良い解決を志向している点は、改正案の基礎を成していると評価することが許されると思います。
 次に、高齢者対策ですが、一定率の認知症、それに至らない判断力、記憶力の低下が認められる事実を背景に、安全運転を確保するために簡単な検査を実施し、認知症に至らない場合は講習というソフトな対応が用意されていること、及び初心者の事故率を上回る事故率の生じる年齢には高齢者表示を義務付けることは、初心者との比較においても適当と判断されます。
 聴覚障害者に対して自動車運転という便益の享受をできる限り同じように確保することに努めるとともに、安全の確保に対する配慮から、一定の可能な措置を義務付けつつ、経過を見ながら漸進的に制度の改善、定着を図ろうとするのは、バランスの取れた方策と評価できると思われます。
 自転車対策については、今回の改正は道路状況からやむを得ない場合の歩道通行の可能性を示したにすぎず、それから生じる歩道上の走行についてのルールの具体化とその浸透、定着、それによる自転車利用者が加害者となる歩道上での事故の減少と、被害者となる車道上での事故の減少の双方が達成されなければならないと思われます。そのためには、具体的なルール作りと精力的な指導、教育の実施が不可欠でありましょう。しかし、今回、無秩序な自転車走行が増加している時期にその半歩を踏み出したこと自体は評価されると思われます。
 後部座席のシートベルトにつきましても、死亡率の減少が確実であることから、既に定着した運転席、助手席のシートベルト着用を前提とする限り運転者に義務を課すことも認められるように思います。
 以上でございます。ありがとうございました。
#5
○委員長(藤原正司君) ありがとうございました。
 次に、高石参考人にお願いいたします。高石参考人。
#6
○参考人(高石洋子君) 初めまして。私は、飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会の共同代表をしております高石洋子と申します。このたびは私どもに声を掛けてくださり、感謝いたします。
 私は、大切な次男拓那を飲酒ひき逃げという悪質な事故で亡くしました。今から四年前、拓那は高校一年の十六歳でした。アルバイトで毎朝新聞配達をしていました。二〇〇三年二月十二日早朝、新聞販売所へ向かう途中事故に遭いました。朝六時に警察からの電話で病院へ向かいました。大したけがではないだろうと思っていた私たち家族が目にした拓那の姿は、何も処置もされずにストレッチャーに寝かされたままでした。私は、大声で泣き叫ぶこともできず声も出ない、こんな苦しい思いがこの世にあるのかということを初めて知りました。一体何が起こったのか、どうしたらいいのか、頭の中がぐちゃぐちゃになっているとき、刑事と名のる男が入ってきて、これ、ひき逃げですからと言った、その言葉が今でも耳に残っております。
 拓那を発見して救急車を呼んでくださった方が、体にはうっすらと雪が積もっていた、雪の塊のように見えたと言っていたそうです。病院に運ばれても、いつ事故に遭ったのか分からない状態で寝かされていたのです。北海道の最も寒い二月の朝の出来事でした。
 警察の懸命な捜査で犯人の車を割り出し、十時間後身柄を拘束されたのですが、犯人の自供までには十二時間ほど掛かったそうです。刑事さんの取調べで分かった事実は私たちに怒りを起こさせました。罪を認めるまでにこれほどの時間を掛けた犯人の事故を起こすまでの行動は、私たちを一生苦しめるものです。犯人は当時二十八歳の無職の男です。お酒を飲む目的で自分の運転するRV車で彼女を乗せ、隣町の札幌のパブへ行き、明け方四時過ぎまで遊んでいたのです。そのまま自分の運転する車で彼女を乗せて帰る途中で息子をはねたのです。
 急ブレーキを掛けることもなく、人をひいたと思いながらもタイヤに絡んだ自転車を五十メートル引きずり、とても大きな音がしたと供述しています。戻ろうと彼女に促され、Uターンして倒れた人を確認したそうです。辺りは暗く人も車も見えなかったので、逃げ切れると思ったと言っています。また車をUターンさせ、もう一度息子を見ています。しかし、別ルートで帰ることを思い付き、またUターンして拓那を横目に逃げたのです。三度も倒れている拓那の横を通っているのです。そのまま彼女のアパートへ行き、壊れたRV車を雪山の陰に頭から入れて隠すようにしていました。その日の昼には友達を呼び、逃げる計画を立てているのです。車を修理するために修理工場に電話もしています。
 供述内容を話してくれた刑事さんは、この男は札付きの悪で有名なやつだ、飲酒運転で何度も検挙され、事故も起こしている、これは殺人だと言いました。刑事さんが殺人だと言うのですから、私たちも当然殺人罪で起訴されると思っていました。でも、事件が検察庁に移ると、刑事さんの言葉のような罪状はかけらもなく、事務手続のように淡々と進んでいきました。
 犯人が犯したことは、人間として一番大切なものが欠落した悪質な行為です。ところが、法律は犯人のあしき心よりもっと不完全なものでした。逃げたことにより飲酒を免れ、証拠隠滅の行為も免れ、寝ずに飲んで遊んで、眠くなってくる朝方に人をはねたのにわき見運転の供述が通り、判決文にはうそばかり載っています。犯人に下された刑は実刑二年十か月でした。これで何が納得できるでしょうか。実刑が取れたということで裁判のやり直しができませんでした。
 私たちは道路交通法の甘さを痛感しました。これじゃまるで逃げ得じゃないかとどなっても、もう裁判は終わっていました。二年十か月の刑もたった二年三か月という速さで仮出所しています。二、三年の刑で反省できるのか、到底納得できません。そして、犯人は今も同じ町で暮らしています。私たちと同じ町で暮らしているのです。なぜ同じ町で暮らせるのか、理解できません。私たち家族は苦しいです。この犯人は、自分は刑期を終えてきた、罪は償った、これ以上どうしろと言うのかと新聞記者に言ったそうです。反省してきた人の言葉でしょうか。これでいいのでしょうか。
 私たちは、飲酒・ひき逃げ事犯に厳罰を求める遺族・関係者全国連絡協議会のメンバーとともに、法改正を求める活動をしています。私たちは、逃げ得という極めて不合理な法律があることを知り、子供たちの死を無駄にしたくないという気持ちと、こんな苦しい思いをもうだれにもさせてはいけないという思いから訴えているのです。
 飲酒運転をして事故を起こし現場から逃げれば、危険運転致死傷罪の適用を逃れられるばかりでなく、飲酒、酒気帯びなどの罪から逃げられるのが現状です。かかる悪質なドライバーに逃げ得を許す現行法を改めなければ、助かる命をも見殺しにするむごいひき逃げ犯はなくなりません。飲酒・ひき逃げに対して逃げ得とならないよう、より厳罰が下されるような刑法を含む関連法の改正を要望しています。
 今、道路交通法が一部改正されようとしています。今こそ私たちが声を大きくして訴えなければという思いです。死人に口なしと言われ泣き寝入りしてきた方々の分も頑張って声を出さなければと思っています。
 危険運転致死傷罪の最高刑が二十年ですが、立証が困難で、適用されるのはごくわずかとなっています。今回新設される自動車運転過失致死傷罪と改正される道路交通法の救護義務違反が適用されることになりますが、併合罪となってもその最高刑は懲役十五年にしかなりません。危険運転致死傷罪の最高刑二十年には届きません。逃げ得を認めることにはなりませんか。
 危険運転致死傷罪の二十年と同じ刑にするためには、自動車運転業務上過失致死傷罪が七年から譲れないのであれば、救護義務違反は十三・五年とし、併合罪二十・二五年にしてほしいのです。それが駄目なら危険運転過失致死傷罪隠匿罪なるものを作り、二十年以上の刑にしてほしいのです。何とか抜け穴のない法改正を望みます。
 私たち連絡協議会は、これまでに四回、四人の法務大臣と面談し、集めた署名用紙を提出してきました。これまでに集まった署名数は三十万二千九百八十二筆です。私たちのところに送られてくる署名用紙にはメッセージが添えられています。どれも、法改正願っています、頑張ってください、逃げ得なんて許せません、法改正を望みますというものばかりです。国民にも私たちの活動は理解されていると思います。
 法改正されるまで、もっともっと署名活動をして署名を集めていきます。活動の輪がもっと広がることでしょう。ですが、ここで私たちの思いを組み込んでいただけたなら、こんなすごいことはありません。どうか真剣に考えて法案を作っていただきたいです。どうか、どうかよろしくお願いいたします。
 どうもありがとうございました。
#7
○委員長(藤原正司君) ありがとうございました。
 次に、古倉参考人にお願いいたします。古倉参考人。
#8
○参考人(古倉宗治君) ただいま御紹介いただきました土地総合研究所、古倉と申します。
 お手元に「自転車の走行環境の現状と道路交通法改正」というカラーの資料が配付されているかと思います。私は自転車問題の専門家ということでお呼びいただきました。どうもありがとうございました。本改正の自転車に係る部分につきまして、現在の自転車の車道走行環境を考えた場合に一歩前進であるという評価をする立場から意見を述べさせていただきたいと思います。
 自転車の走行環境を考える場合に一番大切なことといいますか、一番最初に来ることは、自転車は歩道を通るべきか車道を通るべきかという問題でございます。
 自転車に求められる三つのものがあろうかと私は考えております。一つは安全性、これが第一番ですが、二番目に快適性、それから三番目に迅速性と、この三つが満たされて初めて都市における交通手段として活用することができるということでございます。一番問題、それでは車道を走るということになりますと、快適性とそれから迅速性というのは確保されると思いますが、安全性が問題になってこようかと思います。
 そこにあります資料にありますが、昭和五十三年道交法の改正のとき、これは昭和四十五年の改正にもあったわけですけれども、歩行者と同一空間を走らせるかあるいは別の空間を走らせるか、この選択があったかと思います。その際、当時の国会の答弁でも、危険だからやむを得ず歩道に上げる、つまりやむを得ず歩行者と同一空間を採用し、それを基に歩道を拡幅し、専用レーンというのはほとんど整備されない状況が続いてまいりました。
 三枚目を見ていただきますと、右上でございますけれども、そこにある数字ですね、昭和五十三年の自転車歩行者道、つまり自転車と歩行者が両方通れる歩道、これが約二万キロメートルあったわけですが、平成十五年には十万六千キロメートルということで、約五倍、急速に整備されました。ところが、その分離されている空間を見ますと、大体約二倍、しかも千六百キロメートルということで、二けたぐらい違うということになります。つまり、歩行者とそれから自転車が同じ空間を走っているということになります。
 そうした場合に事故がどうなるかというのは次の表ですが、自転車事故の件数は八万二千件ぐらい、それが平成十五年には十九万件ということで二・三倍になっております。全事故件数を見ますと約二倍ということで、全事故に比べてもそれほど増えてないじゃないかと思われるかもしれませんが、その下の参考の歩道の整備状況を見ますと、これ約二・二倍ということになっておりますが、それをちょっと頭に置いていただきながら次の右下の表を見ていただきますと、これは国際的な交通事故統計でございますけれども、一九八〇年と二〇〇二年を比べてみますと、日本は大体自転車事故の死亡者というのはほぼ横ばいになっております。ところが、フランス、ドイツ、英国、オランダ、この辺り見ていただきますと六割減、四〇%台になっておりまして、非常に少なくなっている。これは各国が、ほとんどの国が車道を中心として自転車利用を推進してきた結果こういうふうになっておるということでございます。
 例えば、有名なコペンハーゲン、これは世界で一番自転車が進んでおる都市かと思いますが、過去十年間で二五%自転車利用が増えたわけですけれども、事故は四〇%減少している。このように、自転車の利用が増えると事故が減るというのが、これは国際的な一つのルールみたいなものになってございます。
 次のページを開いていただきますと、じゃ、世界の自転車走行空間どうなっているかというのをちょっと見ていただきたいと思いますが、ニューヨーク、ロンドン、パリ等々、これ見ていただきますと、一都市で大体三けたの自転車走行空間を計画ベースで確保しておるわけでございます。
 具体的には、ニューヨークなどはマンハッタン島を中心にほとんど網の目のように自転車空間が広がっておる状況でございます。
 ドイツでは、右上になりますが、アウトバーンが一万二千キロメートルありますが、国レベルの幹線自転車道のネットワークが一万二百キロメートルあるということで、国レベルでも非常に自転車ネットワークが完備しておるという状況でございます。
 ところが、それに対して日本はいかがなものかと申しますと、右下でございますが、そこにありますように東京千代田区・中央区、三十四キロメートルを始めとしまして、ちょっとほかの国の都市と比べますと、一けた、場合によっては二けた違うんではないかと思われます。
 この原因はちょっと後ほど御説明いたしますが、次のページを見ていただきますと、写真が並んでおります。
 左上はパリでございます。これ見ていただきますと、車線の真ん中を自転車が走っております。
 十番目、その下を見ていただきますと、これは凱旋門のロータリーでございますが、これ自転車専用空間はございませんで、小さい自転車が見えるかと思いますが、車と一緒に回っております。
 右上の方はロンドンでございますが、これも専用レーンはなくて、自転車が車道をそのまま走行しております。
 右下は、もっと交通量の激しい道路でございます。これはロンドンでございますが、これもやはり車道空間を濶歩しておるといいますか、走っております。
 次のページ見ていただきますと、これもロンドンになります、十三枚目の写真になりますが、これもロンドンの幹線道路でございますが、トラックと重なり合うようにして自転車が走っております。
 その下は、これはベルリンになりますが、自転車が二台、女性が乗っておりますのはちょっとスピードの遅い自転車でございますが、それを追い越すように若者の速い自転車が通り抜けております。
 右上になりますと、これもベルリンでございますけれども、自動車と自転車が共存をして走っておるという状況でございます。
 右下の方はスイスのジュネーブでございますが、これも同じような状況でございまして、共存して走っておる。
 次のページ見ていただきますと、十七枚目になりますが、これも同じでございます。左前の車が自転車を避けていったん左側の車線に寄りまして、もう一度右の方へ戻ろうとしている姿が写真に浮かび上がっておろうかと思います。こういう姿をごらんになりますと、ヨーロッパではもっと自転車の専用道が発達しているんではないかというふうに思われるかもしれません。で、我が国は道路事情が悪いからヨーロッパと同じようにいかないんだというふうに考える方も多いかと思います。
 その辺をちょっと見ていただきますと、次の十八枚目の表ですけれども、これオランダとかドイツでございます。自転車の専用の道路といいますか空間というのは、例えば都市部ですと右下に一三・五%と書いてあります。世界で一番自転車道が発達していると言われている国でも、八六%程度は車と自転車が共用して走っておる状況でございます。それから、ドイツでも同じでございまして五%程度。都市レベルで見ていただきますと、右上のニューヨークでございます。さっき千四百キロメートルぐらいの自転車空間があると申しましたが、そのうちの専用レーンなり専用道というのは二割強ぐらいしかありません。サンフランシスコも同じでございます。そのように、車道で自転車が共用しながら先ほどのように自転車事故死者数が格段に下がっておると。ところが、日本はといいますと、車道で共用ではなくて、歩道で歩行者と共用して横ばいであるということを少し頭に置きながら考えていただきたいと思います。
 じゃ、何でそんなに車道が安全なのですかということが次のところに書いてございます。
 二十枚目を見ていただきますと、これはアメリカの連邦交通省で自転車事故の調査を三千例したわけですが、その左上の建物の横から車が出てくる図を見ていただきますと、歩道を通っておる自転車というのは車からはほとんど視界に入っておりません。車道を通っておる自転車は視界に入っておりましてテークノートできる、つまり注意を払うことができるわけです。そういうことで三千例を調べてみますと、徹底的にこの視認性、つまり車から自転車が見えるか見えないかというのが重要なポイントであるという結論でございます。車からの視認性は車道通行の方が明らかに高い、歩道通行は視認性が低い。それから、またさらに問題点は、歩道通行をしていますと、これは双方向通行ということになりまして、車道通行は、向こうでいえば右側通行、日本でいえば左側通行になりますが、この双方向通行が余計に視認性を下げる大きな原因になっておるわけでございます。
 次のページ見ていただきますと、これは交差点以外の走行方法でございますが、今のような結論から、車道を通る場合はなるべくレーンの真ん中を走りなさいと。それが車から自転車がはっきり認識できる状態に置くことができる、これが一番安全なんですよという説き方をしております。つまり、車から見えるということが最も大切であると。我が国でも車から見えるか見えないかというのは非常に重要であるということは推定されるわけで、これはどんな環境であっても同じかと思います。
 そこで、我が国のエラーといいますか、その辺の状況をちょっと見てみます。これは過去九年間の約三百件の自転車事故を見た場合に、この青い色が付いておりますのは見えなかった、認知ミスになります。これは自転車と自動車の事故でございますが、自動車側からの見えなかったミスというのは八割ぐらい。その上に二一%と書いてございますが、これはいわゆる判断ミスでございます。大丈夫だと思ったけれども、結局自転車が入ってきてぶつかってしまったと、見えておったけれども判断の誤りであった。そこで、操作ミスといいますか、ハンドルがふらついたとか、あるいはハンドル技術が未熟であったという事故の割合というのは、自動車側ではゼロ%、それから自転車側でも二%ぐらいであったということになります。
 右上の方を見ていただきますと、いわゆる認知エラーというのはどういうものか。これはさっきのアメリカの図と同じでございますが、歩道から出てくる場合の事故というのが非常に多い。右上の方を見ていただきますと、これ歩道から、特に右側通行で出てくる自転車が一番多く十三件、左から出てくるのは一件とし、車道では合計でも二件しかないということになっております。そういうことから、非常に交差点での危険性が高い。しかも、見えていない事故によって事故が起こっておるということになります。
 車が引っ掛けられる事故、それじゃ後ろから車がやってきて車道で引っ掛ける事故はどの程度あるのかというのをこれ統計上見ますと、結論からいいますと五千件余ということで、全体の事故のうちの三・一%にすぎないわけです。
 次のページを見ていただきますと、二十五こま目になりますが、これはいわゆる交差点内の事故というのはどの程度あるかを示したものですが、約七割。それから、歩道から、歩道を通っておって事故が車とあるというのが、これは沿道のコンビニとか駐車場から出てくるものでございます。これも小さな交差点とみなしますと、交差点の事故が約八割ぐらい。先ほどの交差点で見えていないという危険性が高いということから考えても、この結果は納得できるかと思います。
 じゃ、一体どのようにして車道で安全性を確保するのかというのが次の問題かと思いますが、その下を見ていただきます。
 これイギリスでございますが、もうわずかの空間を使って専用レーンを設けております。右上の方でも、わずかの空間を使って、これは左側のレーンが左折レーンでございます。自転車が左に曲がるための緑色のレーンでございます。それから、真ん中が自転車が直進するためのレーンでございます。このようにわずかの空間を使いながら安全な空間をなるべく確保するようにしていると。それで車から見えるようにしておるということでございます。
 その下はドイツのベルリンでございますが、交差点だけをこのように分離いたしまして、さっき交差点が一番危険だと、これはもう各国共通でございますけれども、交差点をなるべく分離するようにするということでございます。
 次のページに参りますと、これも交差点のみほんのわずかの、何か少しちゃちな感じがするかもしれませんけれども、イギリスのロンドンではこのように交差点だけ、ほんのわずかの十メートルぐらいの距離ですが、そこで分離をして、それから当然車の前に自転車が出るようにして車から見えるようにというふうにしております。右の方はバス停留所、交錯する可能性があるのでバス停留所だけ専用レーンを設けるということになります。
 しかし、それだけではございませんで、共用空間での安全対策としまして、看板をいろんなところに立てるとか、それから、ちょっと三番目に書いてあります、三十こまの三番目に、道路交通法上、自転車に車と同等の権利と義務を与えておるというふうな状況で、法的にも支えておるという状況があります。
 それを具体的に表すのが右上の方でございまして、一番右端の車線、これは日本でいえば左端の車線になるわけですが、そこを幅広く取りまして自転車が通れるように空間をつくるとか、右の方になりますと、路肩をちゃんと舗装して、広めに取ってそこを自転車が通れるようにするとか、そういうふうな方法を取りまして安全性を確保するように努力しているということです。こういった空間のつくり方というのは、別に外国だけではなくて日本でも可能かと思います。
 翻って日本の分離空間を見ますと、これは東京の虎ノ門のところでございますが、自転車として指定されているその下の部分、ほとんど歩行者が通っておりまして、事実上自転車が通れないという状況になっております。
 次のページ見ていただきます。
 それじゃ、一体こんなにルールを守らない自転車、先ほどちょっとお話が出ましたけれども、ルールを守らない自転車というのは一体どんなところから原因が来ているんだろうかというのをちょっと考えてみたいと思います。
 これは、先ほど申しました、歩道上で自転車と歩行者が共用するということを長く続けておったわけですが、歩道上では自転車は立場とすると最も強い立場でございます。歩行者とか車いすの人々に対してルールを守らなくても自分の安全性は確保できる、したがって裸の王様になるということになるわけでございますが、翻って車道に行きますと、一転して自転車が最も弱い立場になります。そこではやっぱりルールを守らないと身がもたない、自己の安全性は確保できないということになるかと思います。つまり、歩道上は緊張感なく走行し、ルール無視の態度が横行するということになるわけですが、そういったことが歩道通行を主体として三十年以上実質的に続いてきたと。したがって、それが慣れに慣れて、結局このようなルールを守らない状況が起こってきたと私は理解しております。
 じゃ、日本の車道空間で本当にないのだろうか、そういう空間がないのだろうかというのを見てみたいと思いますが、その下でございますが、これは甲州街道の写真でございますが、一応、仮に車が止まっておりましても、正規の車線幅を、路肩と車線幅を取りますと、大体次の車線との間に一・五メートルから一・七五メートル、これは諸外国の専用レーンの幅が一・五メートルということが標準になっておりますので、それ以上の空間を確保することはできるわけでございます。
 それを具体的にしておりますのは右上の宇都宮の例でございますけれども、右上の方は歩道を拡幅せずに自転車専用レーンを設けたという例、それから左下の方は、歩道を拡幅したんですが、街路樹を移転しないで、街路樹がちょうど真ん中に立っております関係で左側に自転車専用部分を設けることができたということでございます。このようにして車道空間においても十分安全な空間を確保することが可能かというふうに私は理解しております。
 今回の改正に絡んで若干申し上げますと、その次の自転車の歩道通行についてでございますけれども、これらの諸外国では自転車の歩道通行というのは一応、例えば一定の年齢以下の子供あるいは速度が極めてゆっくり走られる方、これについては法律で義務付けられるか、あるいは通ってもよろしいよというふうに認められておるという状況があります。ちょっと詳細は省略いたします。
 次のページ見ていただきますと、具体的には写真が出ておりますが、三十七こま目ですけれども、ベルリンでは、車道がちょっと危険であるという場合に、歩道上に上げてそこを通しておるというふうな状況がありますし、ロンドンでもそうですし、そのような形で、危険度に応じて歩道と車道を使い分けてうまく交通安全を実施しているというのが現実でございます。
 結論からいいますと、今回の改正につきましては、一番目は、自転車の歩道通行可の範囲を拡大するということでございますけれども、さっき申し上げました、欧米でも子供は一定の範囲で歩道走行義務化あるいは歩道を通るようにという指導がされております。速度の遅い自転車も一定は認められているということから、今後、車道走行の環境整備を図るということで、速度の速い自転車は車道を走ってもらうということを前提とすれば、そういう方向は問題ないのではないかと理解しております。
 それから、自転車の通行指定部分の歩行者進入回避努力義務でございますけれども、これは、今後物理的に分離を推進していただければということで、さっきの、歩行者が自転車部分に交じっているということは避けていただくようにすれば、今後は義務化というのを考えていただきたいと思いますが、現在努力義務という案になっておりますが、これはまあ一歩前進ではないかと理解しております。
 それから、ヘルメット着用義務というのは、これは、頭部の挫傷による死亡者が多いことを考えますと、アメリカなどでは義務化しているところも多いということから義務化が適当であると。しかし、努力義務ということになっておりますから、一歩前進したんではないかと考えております。
 それから、地域交通安全活動推進委員でございますが、その中の、推進委員のその指導の内容の中には、是非、速度のある自転車などが、車道環境がある程度整備されれば車道を走行することについての理解をしていただきたいというふうに考えております。
 結論からいいますと、今回の改正は、現状の車道走行環境から一歩前進であるということで、今後の車道における走行環境の改善を期待したいというふうに考えております。
 なお、今後の方向性としましては、車道環境の整備、これは共用空間、専用空間、両方によって整備をしていただいた上で、整備ができたところから歩道通行を禁止し、一定の自転車は例外とするも歩道通行を禁止していただくと同時に、車道通行によって自転車の安全、快適、迅速の確保をしていただき、自動車に代替でき、地球環境に寄与することを期待したいと。
 以上でございます。
#9
○委員長(藤原正司君) ありがとうございました。
 次に、安藤参考人にお願いいたします。安藤参考人。
#10
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 私、全日本聾唖連盟の安藤と申します。
 耳が聞こえません、言葉にも障害がありますので、手話通訳を通して意見を述べさせていただきたいと思います。
 本日の内閣委員会で意見陳述の機会を与えていただき、深く感謝申し上げます。今回の道交法の一部改正については、十メートル離れて九十デシベルの警音器が聞こえない聴覚障害者に運転免許を与えるという方向での改正ですので、私たちは歴史的なこととして評価をしております。すばらしいことだと思います。一歩前進ではなくて、十歩も二十歩も前進だというふうに考えております。ただ、その中で、ワイドミラーとか聴覚障害の標識の義務化という問題が出ています。これを私たちはどう受け止めるのかというのが課題でありますので、それについて皆さんに問題を提起してみたいと思っております。
 私たちは一九五四年から、聴力のレベルや言葉のレベルに関係なく、すべての聴覚障害者が運転免許を取得するための受験資格を確保したいという考え方で運動を進めてまいりました。警察庁にも何度もお願いしましたし、国会請願などもずっと行ってまいりました。そのおかげで、一九七三年に補聴器を付けて運転免許を取得することができ、たくさんの聴覚障害者が生活や職業、また交通のアクセスなど、たくさんの恩恵を受けました。
 けれど、九十デシベルが聞こえない聴覚障害者が取り残されたわけです。そのまま放置できなくて、一九九八年に改めて道路交通法八十八条の改正も含めた全国的な運動を展開しました。国民の皆さんに訴えて二百二十三万人の賛成署名を受けましたし、地方議会にも意見採択をお願いして千十四の自治体で採択をしていただきました。
 その結果として、二〇〇一年に、耳が聞こえない者、口が利けない者を欠格条項とした道路交通法が改正されたということになりました。私たちはこの法の改正ですべて終了と思ったのですが、規定の方がそのままでしたので、このままでは内容は何も変わらないという結論になりました。それから六年を経て、今、警察庁の御努力で重度聴覚障害者の皆さんが免許が取れるようになるということを非常に歓迎しております。
 私たちの運動に換算しますと、始めてから今まで五十三年になるわけです。半世紀以上の長い運動でした。また、二〇〇一年の法改正から六年を経過しています。どうしてそんなに長い年月を必要とするのかといいますと、一つは車の運転が命にかかわる事故につながるというような問題もありますし、警察庁の、より慎重にならざるを得ないという事情があると思うんです。
 けれども、私たちだけではなく聴覚障害者に対する誤解、それだけではなく聴覚障害に対する誤解が先行しているのではないかと思うんです。私たちの障害は軽く見られているという一面もあります。それは、身体上、移動が自由である、自転車も乗れますし、様々な交通機関を使うことができるわけです。移動面では非常に軽い障害だと見られていますが、情報コミュニケーションになると、人間的な評価も関係して重い障害者だと見られています。
 聞こえる皆さんたちとして自分が聞こえなくなったらどうするかということを考えていただくと非常な恐怖を感じると思うんです。聞こえないという条件は、それは聞こえる皆さんにとって理解できない問題ではないかと思います。
 そういうイメージで聴覚障害者が車を運転するということは大きな事故につながるんではないかと、危険を予知する能力に限界があるのではないかとか、その危険を予防する行動に限度があるんではないかというような見方というものがこれまであったと思います。
 けれど、耳が聞こえない、言葉が話せないというのは、情報コミュニケーションの制限はありますが、運転とはまた別の問題ではないかと思います。運転で非常に大事なものは、視覚による安全の確認、二つ目はそれに合わせた早くて正確な運転動作なんです。聴覚障害者を聞こえない重い障害というふうに見るのではなくて、聞こえなくなっていますが、残存能力というもの、また人間としての可能性というもの、そういう視点で見ていただきたいと思っておりますし、私たちは、保護というよりも、聞こえる皆さんと同じようにいろんなものに挑戦する機会平等を願っています。運転免許の願いもその一つの例です。
 三つ目が、運転と聴力のレベルの関係ですが、十メートル離れて九十デシベルという条件になっております。でも、私たちもその規定の科学的根拠が分かりません。皆さんの場合でも、運転するときに暖房、冷房の関係で窓を閉め切って、しかもラジオとか音楽を聴きながら運転をしています。十メートル離れて九十デシベルの警音器がそういう条件の中で実際にきちんと役に立つのか、そういう場面もありますので、私たちにも理解できません。
 私も補聴器を付けて運転免許を取得して二十九年間運転をしてまいりました。いつも心掛けているのは視覚的な安全確認ですね。それと、さっき言いましたように、速くて正確な運転動作です。したがって、補聴器を経て聴覚から情報を取るということは余り考えたことはありません。二十九年間それで経過をしています。
 今年の三月に私も運転免許の更新を受けました。そのときに出されたこの冊子があるんですが、この中にも運転の安全確認は視覚による依存が九〇%以上と書いてあるんです。つまり、視覚によって九〇%以上が安全を確認できるということですね。聴力の影響というものはほとんど書いていないということです。これについては警察庁も交通安全局の方でのチェックもしてありますので、警察庁としても聴力による安全確認が一〇%以下であるということを承知しているのではないかと思います。そういう面で、殊更聴覚障害を重く見るというような考え方は改正してくれるべきではないかと思います。
 それとあわせて、先ほどからお話がありますように、飲酒運転やひき逃げなど、今非常に運転手のモラルが問われる問題が多発しております。私たちの疑問は、そのような問題があるために障害者の運転免許の取得が難しくなっているのではないかという不安です。聴覚障害者の基本的な人権、職業とか生活をしていくためにも、運転免許の取得の願いの問題とモラルの欠如した運転者の問題を同列に論議するということは大きな問題ではないかと思うのです。モラルについては厳しく法律によって罰せられなければならないし、改正が必要でしょう。あわせて、障害者としての自立のための権利の面では、もっと弾力的に幅広く受け止めていくということが非常に大切ではないかと思うのです。
 四つ目が、聴覚障害者を表示する標識の義務化の問題ですけれども、一つ、私たちが運転する場合、自分の安全確認と併せて対向車とか周りの車に対する配慮も非常に大切です。それを考えた場合には、例えば右折する場合とか左折する場合、また車線を変更する場合、聴覚障害を表示する標識があった方が周りの車に対する配慮が違うのではないかというような意見は一面理解はできます。よく分かりますけれども、私の二十九年間の運転の経験からいいますと、その右折とか左折とか車線変更は今の道路交通法、車間距離、合図の仕方というものをきちんと守っていれば対応できるのであって、標識が絶対とは言い切れないのではないかと思います。
 運転免許に一番大切なことは、危険を想定する能力、きちんとした、正しく運転するということですね。つまり、人間的な能力というものが問われるんではないかと思うのです。そのような能力を持っている聴覚障害者が、聞こえる皆さんと同じカリキュラムで自動車学校で訓練を受けます。そして、試験を受けて合格した人たちが運転をするわけです。そのような経過を見たら、標識がどうのこうのと言う前に、聴覚障害者が持っている人間的な能力、運転能力、危険を予知する能力を評価する必要があるのではないかと思うのです。
 ただ、警察庁の四年間の実験とか研究の中でワイドミラーとか標識というものの有効性が出たとしても、先ほどお話ししましたように、聴覚障害者の運転能力というものを確信した上で、義務ではなくて任意性、努力というようなものにしたらいいんではないかと思うのです。そうすることによって、普通免許を取ったら運転できる原付バイクとか二輪自動車の運転も可能になるのではないかと思うのです。そのような検討を是非お願いをしたいと思っております。
 最後になりますが、聴覚障害者の立場から、また聞こえない条件付で運転をしてきた立場から、基本的な、このようにあってほしいというようなことをお願いをしました。だからといって標識の義務を修正して任意にしていただきたいと強く要望できるかというと、そうではないのですね。
 先ほど言いましたように、五十三年間の長い私たちの運動の中で、ようやく重度聴覚障害者が免許を取れるようになる、なりつつあるわけです。その法律の見直しを、またそれを見直しということになって新しい調査研究ということになりますと、私たちの免許を取るという時期が遅れてしまうという心配もあるわけです。したがって、この法律の改正を歴史的な成果として評価しますけれども、それで終わるということではなくて、本当に聴覚障害者が持っている力、可能性というものをこれからも検討いただいて、いい方向に持っていっていただきたいということをお願いをして、意見陳述を終わります。
 どうもありがとうございました。
#11
○委員長(藤原正司君) ありがとうございました。
 以上で参考人からの意見の聴取は終わりました。
 これより参考人に対する質疑に入ります。
 質疑のある方は順次御発言願います。
#12
○秋元司君 自由民主党の秋元司でございます。
 今日は、四人の参考人の方々におかれましては、大変お忙しい時間にもかかわりませず、こうして時間を割いて貴重な御意見いただきましたことをまず冒頭に感謝を申し上げたいと思います。
 もう再三再四この飲酒運転につきましては、昨年も大変幼い命も失われた、そういった事件と、そして先ほど高石参考人から過去の御自分の被害に遭われた経験も、お話を伺う中に、大変我々としてはもう言葉が出ない、そういった思いであります。我々といたしましても、今後こういった悪質な運転をなくすために国としては努力していかなくちゃいけないのかな、そんな思いで今話を聞かせていただいたところであります。
 そういった中で、今回、道交法を改正をさせていただいて、悪質運転者に対する対策、そしてまた、結果的には交通事故というものをなくしていこうという方向性であります。その中で、高齢者に対する運転対策、又は安藤参考人のお話にございました聴覚障害者に対する、これは対策と言っちゃ大変失礼なんですけれども、むしろ免許の適用範囲を拡大することによって聴覚障害者の方にも運転をしていただこうという、今回はそういう流れであります。
 また、自転車につきましては、どちらかというと、自転車の在り方というものをどう考えるかという、いわゆる今回は問題提起をするという、そういった意味合いも兼ねた私は法改正なんじゃないかな、そんなふうに思っているわけであります。
 その中で何点か質問をさせていただきたいわけでありますけれども、済みません、私の持ち時間が二十分でございますから、全員の参考人の方に質問が行かなかったときにはあらかじめおわびしておきます。
 まず、田中参考人にお伺いをしたいわけでありますけれども、今日、田中参考人のお話を伺った中では、今回の道交法の改正につきましては大変それなりの高い評価をいただいているんじゃないかと、そういった意見に受け止めさせていただきました。
 その中で、先ほど安藤参考人の方から、例えば聴覚障害者の皆さんに対する運転免許の適用範囲の拡大ということの中で、ドアミラーそしてまた聴覚障害者の標識の表示をする、義務化ということ、それについては余り自分たちとしては喜ばしいことでないというお話がございました。
 実は私も何度か勉強させていただく中に、外国におきましてはどちらかというと、その聴覚障害者の方に対する免許の付与の仕方というのは、今日、日本における改正、あえてマーク表示とそしてワイドミラーの義務化という、こういったことがない国が多いわけでありまして、そういったことを勘案しますと、学者の立場から、果たして日本における今回の改正というものをどんなふうに考えられるかということを一点お伺いしたいということが一つです。
 ちょっと難しい質問になっちゃったかもしれませんが、もう一つが、飲酒運転を撲滅をしていかなくちゃいけない、それは我々はもう共通の認識であるわけでありますが、今回、刑罰ないし罰金というものを上げたわけであります。しかし私は、当然上げた、罪を重くすることによって、こういったこと、飲酒運転というものをやっちゃいかぬという国民に対するメッセージにはなるんでしょうけれども、しかし私は、同時に、悲しいかな、取締りというものを強化していかなければこれはなかなかなくならない問題じゃないかと思っておりまして、現に昨年、大体暮れからですかね、東京の二十三区の中でもとにかく飲酒運転の取締り強化を行って、今までやらないと思われたところでも徹底的に警視庁の皆さん頑張ってやっていただいて、深夜でもやってもらった。そして、その結果、飲酒運転で摘発された人の中においては、しかるべき名誉がある方にとってはどんどん新聞に名前が載って、飲酒運転、飲酒運転、捕まった、捕まったということをやった。そういったことの中に、これも悲しい話なんですけど、ようやく日本国全体の中に、やっぱり飲酒運転まずいよという雰囲気になってきた。
 こういった現状があるわけでありまして、やはりこの取締りというものを同時に強化していかないことには、幾ら罰則を上げたとしても、なかなかドライバーのモラルだけに訴え掛けるのは難しいかな、そんな思いがいたしているわけでございますけれども、その点、二点についてお伺いをさせていただきたいと思います。
#13
○参考人(田中利幸君) お答えをさせていただきます。
 第一の点につきましては、それぞれの国にそれぞれの交通事情、固有のものがあり、そしてドライバーの規範意識についてもそれぞれの固有のものがあると存じます。我が国の場合におきましては、これまでの経緯、それからワイドミラーを装着した場合の実験などによりまして今回の措置がとられているものと考えております。それは、それが果たしてどこまで今後緩和するものでよいのかということは、これからの効果を見極めることが必要であろうと思います。そのように漸進的に事柄を進めていく、そこが我が国におけるこれまでのバランスの取れた安定した社会をつくってきたのではないかというように考えております。したがいまして、この効果を見ながら考えていくことであろうかと存じております。
 第二番目につきましては御指摘のとおりでございまして、当然法が作られれば、それに対応した取締りが行われることが必要でございます。と同時に、それと相まって、マスコミ、職場を通じた総合的な取組というものが効果を高めるものだというように考えております。
#14
○秋元司君 ありがとうございました。
 続きまして、高石参考人にお伺いしたいわけでありますけれども、繰り返しになりますが、大変胸が痛くなる話を聞かせていただきました。本当に言葉がない、そんな思いでありますけれども、大変被害に遭われた方から見ますと、本当にもう、仮に罰則を強化してその事故を起こした犯人に対してある意味最高刑の刑罰を与えたとしても、被害に遭われた御子息さんはお戻りにならないわけでありまして、しかしやはりそういった悲しみを乗り越える中で、今後二度とこういったことが起こらないように啓蒙活動をしていっていただける、そういった今運動をされていただいているということでありますけれども、そういったさなかにおきましても、先ほどちょっと、まだまだ甘いんじゃないかというお話を伺ったわけでありますが、今回の道交法改正、これにつきまして、まずひとつどういった御評価をいただけるかなと思うんですが、よろしいですか。
#15
○参考人(高石洋子君) ありがとうございます。
 今回の道路交通法一部改正ということで私が聞いておりますのは、業務上過失致死傷罪を上げてほしいという遺族たちの声のおかげで自動車運転過失致死傷罪というのが設立されて、それが七年以下でしたっけ、そして道路交通法違反の中の救護義務を五年から十年、十五年……
#16
○秋元司君 十年です。
#17
○参考人(高石洋子君) 十年で、併合罪十五年というふうにして聞いておりまして、それはそれですごいことだと思いましたし、私も自分の息子の事故で初めていろんなことを知って、道路交通法というのが明治のころに作られたもので、まだ馬車しか走ってないころのものがまだ使われていると。そういう商人を守るためのものであるということとかを弁護士の方から聞かされて、初めていろんなことを知っていくわけですね。
 そして、今回の交通法の改正というのが三十八年ぶりだということもまた新たに分かったということで、この車社会がすごい急激に成長してきている中で、何でこんなに遅いのかなという憤りというものをすごく感じていたわけですから、今回の改正案というのは物すごく、もうみんなでこれはすごいことになるぞという気持ちでおりましたので、その一部はすごいなと思うんですね、五年から七年もすごい。
 だけど、何というんでしょうか、危険運転致死傷罪というのが二十年であっても、それが立証されなければ適用になっていないということで泣き寝入りされている方がすごく多いんですね。ですから、罪が軽いのがあれば、悪質なドライバーはちゃんと軽い罪に逃げていくという今の現行というのが全然なくなっていない、増え続けているというものに対して、やっぱりこの危険運転の二十年を超えるようなものが必要なのではないかと思うんですね。そのためには、併合罪を危険運転致死傷罪二十年よりもちょっと重いぐらいの併合罪にするか、若しくはあるいはもっと重たい罪を作ってもらいたいという思いがやっぱりどうしても私たちの中にあります。
 私たちも、検察庁ですか、そういうところで初めて、そういういろんな裁判の話を聞いた中で、もうとにかく本当にびっくりすることばかり言われたんですね、そんなに刑が軽いのかと。うちは四年前の事故ですので、今現在の併合罪で七年六か月なんですね。だから、それも一杯一杯使ってもらえるかと思ったら、それすら使ってもらえない、もう半分より以下。で、危険運転致死傷罪の適用も結局逃げたということでアルコール検知もされませんから免れますよね。そういう悔しい思いをしたということがありますから、悔しい思いでこの活動をしている中でいろんな方に相談した中で、何と言ったらいいんでしょう、この悔しい思いを、何かちょっとした慰めが、国が私たちに対してしてくださるのであれば、それは私たちが一生苦しむ同等のものを加害者に与えてほしい。それは、やっぱり刑務所に入ってつらい過酷な生活をさせてほしいということだけだったんですね。それが結局かなわなかったということは、一生私たちもずっと心にいろんなものを、加害者のしたことはやっぱり本当に悪質なことですから、一生私たち、傷付けられたまま生きていかなきゃならないんですけれども、余りにもあっさりと出所してきて同じ町に住んでいるというこの状況の中で生きている中で、やっぱり私たちはほんの少しの慰めが欲しいと思ったら、やっぱり重い刑でもっと長く刑務所に入ってもらいたかったということが、きっと私と同じ思いした人たちというのはみんな同じ思いでいると思うんです。そうした中で、やっぱり今言ったような法改正を求めています。求めます。
#18
○秋元司君 本当につらい過去を、余りこういう話聞きますと、だんだんまた過去の思い出が出てくる中に、大変人に語るだけでもつらいお立場じゃないかなということをお察し申し上げるわけでありますが、我々といたしましても、そういった息子さんの死を無駄にしないように、また今後ともこういった問題について積極的に取り組んでまいりたいと思っていますので、また何かと御指導いただきたいなと、そのように思います。
 続きまして、安藤参考人にお伺いをさせていただきたいと思います。
 先ほど、いろんなお話伺う中に、ある意味、我々健常者じゃなかなか分からない部分というのはやっぱり大いにあるんだなということを改めて感じさせていただいたわけでありますけれども、今回、先ほど問題とされましたワイドミラー並びに聴覚障害者としての表示の義務化、これについては余り心から容認できないという、そういった意見を伺った気がいたすわけでありますけれども、何といいますか、聴覚障害マークを付けることによって、ある意味、実害が何かあるとか、そういった何か思いはございますか。
#19
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 私たちは、歴史的に障害者に対する差別とか偏見に耐えてきたわけです。聞こえない、話せないということを、自分で話すことができないこと、自分の能力をきちんと示すことができないというような条件の中で差別とか偏見が非常に強かったということですね。
 そのような社会的な条件の中で、自分が聞こえない、話せないということを自分で出すということに非常に抵抗を持つ人たちが多いわけなんです。車に聴覚障害を示す標識を付けた場合に、きちんとした警察庁が期待しているような配慮があるのか。そうではなく、逆にマイナス面が出るのではないか。それは、差別とか偏見という私たちが歴史の中で感じてきたことの方が心配というような心理面が働くわけです。もっと社会的に障害者を理解するというような啓発が進んで、私たちが障害を出しても特に問題がないというような社会条件があればいいんですけれども、今はそこまで期待できないということです。それに、最近は高齢者とか障害者をねらった詐欺とか非社会的な犯罪が増えているわけですね。そういう中で標識を義務化にするということが果たして私たちのプラスになるのかというような懸念を持つ人が多くいるということです。
 ただ、聴覚障害者の中でもその義務化について意見が分かれています。全く聞こえない条件の中では、自分としては標識を付けた方が安全運転ができるのではないかということを期待する人たちもいますし、逆の考えもする人がいるわけです。そういうことを考えたら、ベストな選択が任意制ではないか。そうでなければ、その標識を付けるということを選択可能な方法にするということが一番いいのではないかと思っているわけです。
 よろしいでしょうか。
#20
○秋元司君 ありがとうございました。
 お伺いをする中で、なるほどなという、改めてそういった思いもさせていただくわけでございますけれども。
 ただ、一方、どうしても、何といいますか、普通ドライバーから見ますと、後ろから何かしらのクラクションないし存在感を示すと、それが恐らく周りの人の車に伝わっているだろうなという思いはありながら走っていても、しかし、それが結果的に、自分が背後から迫ってきたということを、背後から迫っているということを伝えたのかどうなのか分からないままそのまま走行するということに対して、直観的に我々は、もしそれが聴覚障害者の方であったならば音でメッセージを伝えることができないとすると、非常に一瞬不安な思いにさせられてしまうというのがありましてね。
 ですからこそ、今回、そういったマークというものをある程度義務化させていただく中で、まず聴覚障害者の方に免許を取ってもらおうと、そういったメッセージがこの法律には認められて、伝わっているんじゃないかと思うんですけれども。
 ちょっと視点が違うんですけど、私の一つの問題提起として話をさせていただきたいんですけれども、要は、今申された障害者に対する差別というお言葉がありました。私は、これはやっぱり教育というものに非常に関係しているんじゃないかと思っておりましてね。
 といいますのは、今の小学校、中学校、子供のころからどうしてもこの国は障害者の方と健常者の方を分けるという、そういった社会の構築になっているわけであります。私は、どちらかというと、障害を持っている方も持たない方も一緒のコミュニティーで生活をし、共同生活をしていくということが本来の私は姿だと思いましてね。
 そうしますと、健常者から見ると、障害者の方がいたとすれば、それなりに健常者とは当然何か行動を起こすにしても時間が掛かったり、ある意味言葉は悪いんですけれども、効率が悪いこともあるかもしれない。しかし、そういう人々と一緒になっているのが人間社会なんだということを小さいうちから教えることによって初めて差別ということが私は大人になったときになくなっていくんじゃないかなと、そういった思いがあるわけでありましてね。
 やはり障害者の皆さんと健常者の皆さんがともに生活をする、ともに一緒の共同のコミュニティーの中で生きていく、そのためには実は小さいころからのそういった環境整備というのが私は必要じゃないかと思うんですけれども、ちょっと道交法とは違いますけれども、その点いかが思いますでしょうか。
#21
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 一つの問題ですけれども、後ろの車がもし私が運転をしているときに何か合図をしたいとしてクラクションを鳴らす例というのはほとんどないんじゃないかと思うんです。私、二十九年運転をしていますけれども、私自身がクラクションを鳴らしたことは一度もありません。きちんとした車間距離を取るとか、安全運転をしておく、そういうことをきちんとしていれば一般的にクラクションで伝えなければならないという例はほとんどないのではないかと思うんですけれども。また、車には一定の流れがありますよね。何かが起こった場合は車の流れが変わっていきますね。それは視覚的に確認できて、その流れに沿って安全を守るというようなことができるんではないかと思うのです。
 とすれば、後ろのクラクションが聞こえないと危険というような考え方は必要ないんではないかと思うのです。運転の経験、自分の経験から。
 また、社会的な障害者の見方というものは、委員がおっしゃるとおりです。教育とか様々な要因の中で、国民全体の優しい気持ちというものを養成していかなければならないと思うのです。
 ただ、最近、私は大きく変わったことがあるなと思うことがあります。
 三、四十年前は、聞こえる皆さんの社会と私たち障害者の世界と大きな距離があったわけですが、その距離が最近縮まってきた感じがします。それは、高齢化社会の中で、だれもが障害になる、寝たきりになるとか耳が遠くなるとか目が不自由になるとかいうような、障害者問題が他人のことではなくて自分の問題でもある、自分の家族の問題でもあるというふうになってきているわけですね。その中で、障害者に対する見方というものは、特別なものではなくて当たり前というような社会になっていくのではないかと思うのです。その辺りはこれから進んでいくのではないかと私は期待しております。
#22
○秋元司君 終わります。ありがとうございました。
#23
○朝日俊弘君 民主党・新緑風会の朝日でございます。
 まずは、今日、四名の参考人の方、本当にありがとうございます。貴重な御意見をお聞かせいただきました。
 山ほどお聞きしたいことがあるんですが、限られた時間ですので、それぞれ、できれば一つか二つに絞ってお尋ねをしていきたいと思います。
 まず、田中参考人にお尋ねしたいんですが、田中参考人が最初に申された点に非常に共感を覚えました。つまり、交通の安全というのは様々な方策、総合的な方策が必要なんだ、ある方策ですべてがうまくいくというのはないんだと。
 私、最近、ある新聞がシリーズで、「クルマ高齢社会」という連載をしている新聞があるんですが、それを読んでみますと、こんなことが書いてあるんです。例えば、過疎の町の方が高齢者だけで暮らしている。病気になった、あるいは一週間に一回病院に通う。バスもない、電車もない、つまり公共交通機関がない、車しかない。病気を承知で車で運転して病院に通院するという、あるいは自分でできない場合は隣の人を運んであげる。ところが、運んであげている間に事故を起こしてしまったなどという事例が一杯報告されているんですね。
 つまり、申し上げたいことは、道路交通法で様々な罰則を規定したりすることだけではなくて、もっとそれ以前に、道路の整備の仕方の問題とか、あるいは公共交通機関をどう確保するのかという問題とか、とりわけ、これからどんどん団塊の世代が増えてきて、しかも高齢化してくるわけですから日本は典型的な高齢社会になる、それに対応した社会づくりができていないんじゃないかと。そういうところの手だてをきちっと踏まえた上で、なおかつその上で道路交通法で何をするかと、こういう物事の考え方が必要なんではないかと思うんですが、先生のお考えをお聞かせください。
#24
○参考人(田中利幸君) 大変視野の広い、問題を大きくとらえられたお考えであると拝聴いたしました。
 おっしゃるとおりでございまして、これまで安全は安全だけで考えてきたところがあったかもしれません。しかしながら、これまでの経緯を見ますと、その場合であっても問題を総合的にとらえようとする姿勢は欠けていなかったものと思います。もし問題があるといたしますと、それぞれの法をつかさどる各行政官庁がその可能な範囲で問題を処理しようとする場合であろうかと思われます。
 しかしながら、これにつきましても、一つの立案をするときに関係省庁間の意見交換を行っているのが今日の実情であろうと理解しておりますし、それよりも何よりも、内閣総理大臣の下に置かれている総合的な施策を考えるところがこの安全計画を立案しておりますので、その局面において、より総合的な配慮がなされていくのが適切であろうというように考えております。
#25
○朝日俊弘君 ありがとうございました。
 次に、高石参考人にお尋ねしますが、先ほどのあの問題提起は痛いほど分かるつもりなんですが、今ここで審議をしているのは道路交通法の改正、もう一方で、皆さんから見るとお役所的だと言われるかもしれないけど、法務委員会で刑法改正、別々に実は審議をしている。従来の業務上致死傷害罪を、新たに自動車の運転に限って自動車運転過失致死傷罪というのを作るという話は、実はこれは刑法の方の話。しかし、両方ともそういう意味じゃ、道路交通法と刑法とが相まってどういう罰則を科すかと、こういうことになるわけですけど。
 お尋ねしたいのは、私、恐らく罰則がもっともっと重くなっても、皆さんのお気持ちはそれでよしということにはならないと思うんですね。つまり、どうしたら二度とそういう事故にならないようにあらゆる手だてを講ずることができるかという、ただ罰則を強化するだけが皆さんのお望みで、あるいは目的ではないと思うんです。
 そこでお尋ねしたいんですけど、例えば道路交通法では今度様々な形で、例えば飲酒運転に対しての罰則を強めるとか、あるいは車で運転している人に対してお酒を飲ませるのも罰するとか、様々な飲酒運転絡みの、事故を起こさないようにするための罰則規定というか規制が盛り込まれているんですが、そういう酔っ払い運転、ましてや事故、そしてひき逃げということを起こさないようにするための手だてとして、何かこういうことをやってほしいということがもしおありでしたらお聞かせいただきたいと思います。
#26
○参考人(高石洋子君) 御指摘ありがとうございました。
 今回出されている法案の改正の中で、飲酒運転者に対する罰則ですとか、飲酒、お酒を飲ませる、飲ませた方に対するものとかというのが織り込まれていて、大変今までにないことだなと思って考えております。
 何か考えがあるかと言われるとちょっと、今いろいろなお酒を提供しているお店であるとか、お酒を売っているお店であるとかで、いろいろな飲酒運転をなくすための活動をされているというのを聞いておりますので、すごいそれはいいことだなと思っていて、そういうことでも十分防いでいけれることになっていると思うんです。
 ごめんなさい、何か余りちょっと頭の中できちんとまとまらないんですけれども。
#27
○朝日俊弘君 済みません。ありがとうございました。
 私は、ちょっとこんなふうに思っているんですよ。例えば今、研究段階なんですけど、お酒を飲んでいる人が自動車を運転しようと思っても、もうキーが入らないというそういう自動車を造ろうとか、やっぱりまだ、田中先生もおっしゃったけれども、これやったら一〇〇%防げるというのはないわけだから、いろんなことを積み重ねて、ぎりぎり酔っ払い運転なり事故なりひき逃げなりを起こさないようにするためにはいろんな知恵というか対策が必要だというふうに思いますので、是非そういう観点からのお考えもこれからお聞かせいただければ大変有り難いというふうに思います。是非検討をしていただければと思います。
 それでは次に、安藤参考人にお尋ねします。
 いろんな皆さんと話していますと、やっぱり耳の聞こえない方たちが運転するというのは危ないんじゃないかと。特に、よく例が出されるのは、救急車とかパトカーとか、サイレン鳴らしてばあっと走ってくる。サイレンというのは明らかに危ないよというサインなわけですから、道を空けなさいという、そういうことに対応できないじゃないかという例をよく出されるんですけれども。
 約三十年運転をされてきたという安藤参考人からすると、例えばそういう救急車とかパトカーがサイレンを鳴らして来るということについて、安藤さんでしたらどんなふうに対応されますか。その辺のことを経験談を踏まえてお話しいただければ有り難いと思います。
#28
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 一、二回実際的な経験があるんです。
 一つは、車の流れの中で気が付いたんですけれども、やっぱり距離によっては補聴器を付けても救急車のサイレンが聞こえないということがあるんですね。けど、それは私の車だけではなくて、前の車がよけるでしょう。それを視覚して、視認をしておかしいというふうに感じ、一緒によけることによって避けたという経験があります。
 もう一つは、交差点で危うくぶつかりそうになったことがあるわけなんです。それは私の不注意もあるんですけれども、救急車も交差点などでは当然注意義務があるわけなんです。だから、見にくい交差点などについては、救急車自身も、耳が遠い人たち、高齢者の皆さんが運転をしている場合もあるんだという自覚をする中で、注意義務というものをきちんとすれば事故は避けられるんではないかと思うんです。
 聞こえない私たちだけが責任を持たなければならない、注意しなければならないということではなくて、ユニバーサル社会、ノーマライゼーション社会の中では様々な人たちも運転をしている、そういう車があるんだということを全体的に理解することで事故は防げるんではないかということを期待したいのです。聞こえない私たちが社会の中で、生活の中で運転するということは、全体的な理解の中で、安全確認の中で進めるのが当然ではないかという思いがあるわけです。
 繰り返しますけれども、聞こえない私たちが責任を持たなければならない、注意しなければならないというようなことを求められても、対応は非常に難しいのではないかというのが正直な気持ちです。
#29
○朝日俊弘君 ありがとうございました。
 私も改めていろいろ勉強してみて、日本の道路交通法の全体の仕組みがやっぱり、例えば第五十四条には、かくかくしかじかの場合は警笛を鳴らさなければならないと、鳴らさないと罰則だというそういう規定があるんですね。そういう今までの法律の全体の仕組みをこれを機会にもう一遍作り替えるというか、作り直すということが必要なんだろうと私思います。
 例えば、今日は、実はこの委員会はいつもの委員会とは違う部屋を使っています。手話の皆さんも来ていただいています。それは聴覚に障害を持った方たちがおいでになるということを考えて合理的に配慮したわけですね。配慮いただいた委員長にお礼を申し上げたいと思いますが、つまりそういうことが今求められているんだろうと思います。
 是非、今回の改正で、百点満点までとても行かないわけですけれども、大きな一歩を踏み出したことは事実だと思いますから、これから一緒に、是非皆さんの知恵もかりながら考えていきたいと思います。余り御立腹なさらずに、これからも知恵をおかしいただければ有り難いと思います。
 最後に、古倉さんにお尋ねします。
 ごめんなさい、ちょっと非常に短い時間でお話しいただいたので、早口でおしゃべりになってちょっとうまく聞き取れなかったところがあるんですが、先ほどのお話を聞いていますと、何も自動車専用レーンを造らなきゃいけないというわけでもないし、それから物すごい広い道路を造らなきゃいけないというわけでもなくて、日本でも十分できるんだよというお話だったようなふうにお聞きしました。なのに、何でできてないのかというのがよく分からないんですね。
 つまり、考えてみると、自転車に関する道路交通法の改正というのはこの間ほとんどなされてなくて、そういう意味では三十年ぶりとか言われているんですけど、何ゆえに道路交通法上自転車の扱いがある意味では放置されてきたというのか、あるいは余り視野に入ってこなかったというのか。なぜ、自転車を念頭に置いた法改正なり、あるいは道路上の整備の問題なり、あるいは様々な工夫がなされてこなかったのか。
 できるんだとおっしゃっていた、その話を聞くと、なるほどそうだなと思ったんですけど、何でできていないのかというのがよく分からない。もう一度その辺をお聞かせいただければ有り難いと思います。
#30
○参考人(古倉宗治君) 様々な原因があろうかと思いますが、一番大きいのは、やはり自転車を利用する人のモラルといいますか、あるいはルール違反といいますか、これが非常に大きいと。そうしますと、例えばそういう状態のままで車道を走ってもらうというふうなことを考えた場合に、余計に事故が増えるのではないかと、そういう理解をされておられる方が非常に多いと思います。
 ただ、これは私、先ほど、ちょっと早口で大変恐縮です、申し上げたのは、歩道を通ると余計にルール違反といいますか守らない状態が続くと。しかし、これがそのまま、もちろん車道がある程度の自転車が走れる環境が整うことが前提になると思いますが、車道を走りますと、やはりどうしてもルールを自ら守らないと自分の身がもたない、危険であると。そういうことから、ちゃんとルールを守るような人たちがたくさん出てくるのではないかというふうに考えております。
 ところが、そういうことを、まあ余り何といいますか考えられないで、むしろルール違反といいますか、自転車がルールを守らない状態が長く続いたことだけを考えると、今うっかり手を付けるとどういう方向に行くか分からないという、そういう自転車利用者の信用のなさといいますか、そういったものがやはり一番大きな原因になっているのではないかと私は考えております。
#31
○朝日俊弘君 そうなのかもしれません。ただ、鶏と卵のような関係もありまして、ある時点できちっとめり張り付けなかったところにも一つの原因があるのではないかというふうに思います。是非、今回の改正が道路交通上の自転車の位置付け直しの第一歩になればというふうに思っています。
 四人の参考人の皆さん、ありがとうございました。
#32
○風間昶君 公明党の風間でございます。
 まず、自転車についてお伺いしたいと思いますけれども、田中先生は、高齢者で自転車を利用する人と一般の歩行者の方との関係について議論すべきではないかというふうにおっしゃった、ペーパーで言われていますけれども、このことについてお伺いしたいと思います。
 それから、古倉参考人に、車道原則でいくことで今現在なっています。将来的な課題として、歩行に自転車が通行しない、歩道禁止が課題だというふうにおっしゃっていますので、具体的にそこに持っていくまでにいろんな基盤整備しなきゃならないので、その課題を教えてください。
 それからもう一点、済みません。この間、毎日新聞だったかに、埼玉県の七十三歳の高齢者の方が、私は自転車をよく使うと、で、歩道が駄目なのなら車道に一メーターぐらいの白い線を引っ張ってもらうだけで、歩道側にですよ、車道のところに一メーターの白い線を引っ張ってもらうだけで、自転車はそこを通るし、車も白い線があるからそこは自転車道路だというふうになるので、そうしていただけるだけでも有り難いという投書が載っていました。このことについてお考えを伺いたいとまず思います。済みません。
#33
○参考人(田中利幸君) 私の先ほどの陳述におきましては、高齢者の自転車利用者と歩行者の関係を直接はお話を申し上げておりません。しかしながら、今御質問でございますので、その点について考えるところを述べさせていただきたいと思います。
 高齢者自転車利用者であっても、歩道を通行するに当たっては、自転車が一定の速度を持つ運動物体である、そして人間の生身を超える硬い部分でできている物体であるということにかんがみれば、歩行者の方を優先すべきであると考えます。その点も含めまして、どのような通行形態が適当であるのかということを具体的なルールを作って、それを指導、教育をし、国民の間に広めていくということが、自転車利用者、高齢者自転車利用者にとっても歩行者にとっても、そして車道との関係でいえば自動車と自転車利用者との関係にあっても、適切な結果を生んでいくのではないかというように考えております。
#34
○参考人(古倉宗治君) まず、歩道から車道へ自転車を移動させるといいますか、走行空間を移動させるというストーリーといいますか方法でございますが、まず、今までやってきた内容を否定するわけではありませんけれども、やはり歩道を拡幅するということを考えてその歩道の中で自転車を収容するという考えをまずやめるということでございます。つまり、拡幅するんだったら拡幅する分、つまり車道を狭める分を、例えば先ほど写真でイギリスの例なんか見ていただきましたですけれども、一メートルから一・五メートルぐらいの幅員で結構ですから、車道側に専用レーンを造ると。その専用レーンは、今ちょっと御高齢の方が御意見として言われた内容と同じなんですが、必ず線を引いて、なおかつ色を付けると。
 私、実は緑色を塗った路側帯とそれから緑色を塗っていない単に線を引いてある路側帯のこの二つを、同じような条件のところを路上観察いたしましたところ、路側帯になおかつ緑色を塗っている路側帯につきましては、車の進入率が大体数%。ところが、線だけを引いてある路側帯は車の進入率が大体二割ぐらいあったということから考えますと、線を引いて、なおかつ、さっき写真で見ていただきましたですけれども、色を塗った専用レーンといいますか専用の部分を造るということでも相当な効果があるのではないかと思います。
 それから、さっきの議論と同じなんですが、なぜ進まなかったかという一つの原因に、いわゆる自動車の違法駐車の問題があります。つまり、左端に車を止めますと、結局、本来自転車が走るべき空間がほとんど遮断されてしまうという形になりますが、最近の道路交通法の改正で違法駐車を取り締まるということが行われてきましたので、これは非常に好機かと思いますので、そういったことも活用しながら、左端にうまくレーンを確保して、歩道から車道へ移すということがストーリーとして考えられるかなと思います。
 白い線を引くというのも同じような流れで、自動車に対してそういうものがあるという、存在をちゃんと知らしめる意味では非常に意味があるのではないかというふうに考えております。
 以上です。
#35
○風間昶君 ありがとうございます。
 今の自動車の違法駐車、かなり取締りをやることによって減ってきたんですけれども、問題はオートバイ、自動二輪車の違法駐車がこれ結構増えているということがあるようなので、これはまた議論していかなきゃならないと思います。ありがとうございます。
 それでは、高石さんには本当にわざわざおいでいただきまして、思い出しますと、四年前に一緒に野沢法務大臣、そして三年前に南野法務大臣のところに一緒に行ったことを今思い出しますが、先ほど朝日委員もお話がありましたけれども、刑法と道路交通法のこのギャップの部分についてはそう簡単なものではないので、これは時間掛かると思うんで、是非そのことを思いながら前向きにいっていただきたいと思うんですけれども。
 そこで、ちょっと何か逃げ得を許さないための危険運転立証妨害罪を懲役十五年が無理なら考えたらどうかという御意見がありますけれども、具体的にこれ立証するというのはなかなか難しいから、立証を妨害する罪を作るのもまた難しいという話になるんですけれども、何か将来的に考えていかなきゃならない話なんで、イメージがあれば教えていただければ有り難いと思いますけれども、妨害罪について。
#36
○参考人(高石洋子君) 結局自分の保身のためにすべての消滅を、隠滅させてしまうということが逃げ得のすごい大きな罪で、それを許さないためにそういうことをしたということを罪にしてほしいという気持ちで考えているんですね。自分の保身のために、お酒を飲んで運転して人をはねてけがをさせる、死なせてしまって、逃げてしまってからアルコール検知がされないほど逃げる、あるいは重ね飲みをする、あるいは福岡の事故のときのように一リットル以上の水を飲んでアルコール濃度を下げてしまうというような、そういう悪質なことをした人に対してもっと、何と言ったらいいんでしょうか、重たい罪というのができないのかなと思って、そういうのもあったらいいのではないかという一つの考えです。
#37
○風間昶君 分かりました。
 そうすると、立法をする側はこちらだから、そのためにどうしたらいいかということでいうとアドバイスが、アドバイスというか、その思いだけじゃなくて、考えられることがあるならば是非今後教えていただきたいと思います。是非今後考えていただければ有り難いと思います。
 それでは、安藤理事長、ありがとうございます。ちょっと私、教えていただきたいんですけれども、聴覚障害者の方々が二万何千人、今運転免許を持っていらっしゃるんでしょうか。僕、何万人持っているか分からないんだけれども、聴覚障害者の方が事故を起こした例と事故に遭われた例が分かれば教えていただきたいなと思っております。
 それからもう一点、聴覚障害者の方々のための講習あるいは教習ということがやっぱりある程度必要なのかなというふうに思うものですから、これについてどういうふうにもしやるとするならばやっていったらいいのか、お考えがあれば三つ目に教えてください。
 四つ目に、済みません、ワイドミラーって、オートバイなんかでよく、本当にワイドミラーがあるんですけれども、ワイドミラーが聴覚障害者の方々にとってメリットがあるのかというふうに私、単純に思っているものですから、そのメリットと、もしかしてデメリットがあるならばそれも併せて四つ目にお伺いできれば有り難いんですが。
#38
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 聴覚障害者の事故例ですけれども、警察庁でもいろいろ調べているそうです。私たちが運転免許が取れるようになったときには、聞こえないけれども、視覚的な安全運転を心掛け、聞こえる皆さんよりも注意力が優れているので普通の皆さんと比べても事故例が低いんではないかと期待したんですけれども、警察庁の調べではそうでもなくて、やっぱり普通の皆さんと同じぐらいの事故発生例があるんです。詳しいデータは私もつかんでいませんけれど、事故が全くないということではないです。普通の皆さんと同じように、いろいろな原因で事故は起きていることは間違いないです。
 二つ目は、聴覚障害者対象の訓練とか研修の場合ですけれども、私たちは、先ほどお話ししましたように、聞こえないけれど、きちんとした安全のための身体能力を持って普通の皆さんと一緒に自動車学校で勉強するわけです。訓練をするわけですね。けれど、その自動車学校にきちんとした通訳とか要約筆記ができる人たちの準備がなくて、聞こえないまま、十分に情報をつかめないまま卒業せざるを得ないという問題があるわけです。したがって、その自動車学校等できちんと私たちが勉強できるような情報とかコミュニケーション保障というものが必要になるんではないかと思います。
 三つ目、ワイドミラーの効果ですけれど、視覚的な安全の確認は広くなります。これは聴覚障害者だけではなくて、普通の皆さんでもワイドミラーを付けている車も増えているわけですね。ですから、聴覚障害者だけではなくて、聞こえる皆さんにとっても非常に効果があるものになっているわけです。
 私たちもワイドミラーについては全く抵抗はありません。ただ、一つの義務化になりますと、自分の車にはワイドミラーを付けるんですけれど、例えば旅行に行ってレンタカーを借りる場合、ワイドミラーがないと運転ができないという問題が出てくるわけですね。そういう問題が出てくるわけです。したがって、ワイドミラーが警察庁の実験の中で効果があるというのは、そういう結果は出るんですが、それは聴覚障害だけではなくて運転をする人たち、車全体がワイドミラーになればいいんではないかというような意見があるということです。
#39
○風間昶君 ありがとうございます。
 私も、免許を取って一年ぐらいして車が面白くなると、やっぱりいろんなカーアクセサリーショップに行って、いろんなアタッチメント、それこそワイドタイヤを含めてワイドミラーも付けたんですけれども、確かに視野は広くなるんだけれども、あれ今思うと、欠点は、視野が広い分だけ距離感が分からなくなる。どこまで来ているのかと、近くまで来ているのかということがあるので、結果的にはワイドミラーを私はやめて普通のミラーにしちゃったんですが、それは私の経験であります。
 それから、手話通訳の方がやはり免許取得あるいは更新時にきちっと整備できれば、これはかなり教習体制に十分対応できるというふうに考えてよろしいでしょうか。
#40
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 普通の皆さんと同じような条件で研修が受けられるということです。全国の免許更新のための試験場にはほとんど通訳が置かれていないんですね。聞こえないままじっと講師の皆さんの話を耐えて見ていなくちゃならないんですね。見ているんですけれど、内容がつかめないんです。普通の皆さんと同じような研修を受けれないという問題があるということです。だから、通訳を置くことによって、より安全を保つ知識が深まるんではないかということです。
 二つ目がワイドミラーですけれども、距離感の問題については習慣の問題だと思うんです。普通のミラーで習慣的に距離をつかんでいて、替えてワイドになったら分からなくなるのは当たり前で、ワイドミラーを使い続けていればちゃんと慣れてくるんではないかと思うんですけれども、いかがでしょうか。
#41
○風間昶君 私の技術の未熟さを露呈したようなものです。分かりました。
 それでは、済みません、最後に、この法案は一〇〇%ではありません。確かに、自転車利用者に対する対策あるいは悪質運転者に対する対策、それから歩行者に対する対策等々盛り込まれていますけれども、そういう意味では確かに一〇〇%でない部分、まだ課題が残っているわけですけれども、お四方に、済みません、この法案に対して現時点で満足できない部分があるにしてもおおむね了としていいかどうか、率直にマルかバツか、あるいはイエスかノーか、教えてくだされば有り難いと思います。
#42
○参考人(田中利幸君) 私は、先ほどの陳述の中でも申し上げましたとおりで、基本的には適切なものであるというふうに考えております。一部に別の考え方があり得るということについては、お話を申し上げたとおりでございます。
#43
○参考人(高石洋子君) マルかバツかって言われると、間の三角が欲しいと思います。
 あと、私の息子の事故は同乗者がいた事故で、その事故のとき、犯人が逮捕された際に、私たちは同乗者である人も一緒に逮捕されると思っていたんですね。でも、それはそうはならなかった。私たちがそういうことを知らなかったということで。
 今回の一部改正の中で、その同乗者に対して運転者と同等の罪というのは適用、今されていないわけなので、そこら辺の、何とか同等のような罪を作っていただきたいなという思いがありますし、やはり逃げ得というのがどうしても私たち許せないんですね。そこです。
 ありがとうございました。
#44
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 私の評価ですけれども、はっきりマルだと思うんです。重度聴覚障害者に免許を与えるということになったということは歴史的なことだと思っているんです。非常によい改正だったと思うんです。
 ただ、義務化についてはちょっと引っ掛かるんですが、それを検討課題として残していただきたいということをお願いするだけです。
#45
○参考人(古倉宗治君) 自転車についてですが、自転車の車道走行の環境ですね、これが今後整備されるということがセットで考えられるとすればマルというふうに理解しております。
#46
○風間昶君 終わります。ありがとうございました。
#47
○亀井郁夫君 国民新党の亀井でございます。最後ですので、もうちょっと付き合っていただきたいと思います。
 最初に聞きたいのは、安藤参考人からもお話がございましたが、難聴の人、聴覚障害者の方と七十五歳以上の方は一律に、マークはどういうマークになるか分かりませんが、枯れ葉マークとすれば何かマークを付けられるということになるんですけれども、しかし私はおかしいと思うんですね。それぞれ運転免許証を与える以上は同じように、差別扱いしなくていいんじゃないかと。七十五歳以上って、まあいずれ皆さんも七十五歳になるわけだけれども。
 そういう意味で、こういった差別扱いについて本当にどう思われるか。四人の方にそれぞれ、健常者の方もおられるわけですが、それぞれの立場からちょっと御意見を聞きたいと思います。
#48
○参考人(田中利幸君) 私は、初心者について初心者マークを付けるということを前提にする限り、高齢者におかれても一定の事故率のある場合にはこれを付けることが適当であるというように考えております。
 これは、元々その運転者を差別するという意味ではなくて、そこに他の運転者に注意とそれからそれに基づいた配慮をお願いすることによって事故を防止しようとするのがその基本であるからでございます。私は、もしその年齢になったら率先して付けたいと思っております。
#49
○参考人(高石洋子君) ごめんなさい。ちょっと言葉が見付からないんですけれども。
 私は、有り難いことに健常者としてこうして生まれてきて、今、安藤さんのお話を聞きまして、五十三年もの長い間、そういうことで活動してこられたということで、初めて聞いたことですし、そういうことがある、悩んでいる方がいらっしゃるということも今知ったぐらいの無知な人間です。
 私としては、免許を取りたいという聴覚障害の方も一緒に免許を受けて受かるということは、能力があるとみなされるということで、運転できるって思うんですね。ですから、そういった中で、もっともっと、私たちと同じような行動ができている社会だと思いますので、挑戦できていけたらいいなというふうに考えているだけです。
 ごめんなさい。それぐらいしか言えません。
#50
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 私、七十五歳以上の高齢者と聴覚障害者を同列に論じていただくということに抵抗があるんです。
 先ほど話しましたけれど、車の運転には身体的な能力ですね、判断力、反射神経、反応能力などが求められるわけですね。私たちは、生まれたときからとか小さいときから聞こえないという条件がありますので、聞こえないことが当たり前ということが身に付いているわけですね。したがって、残存能力とか可能性に向かって努力をしているわけです。だから、高齢者の皆さんの動作能力と私たちの能力は違ったものがあるんではないかと思うんです。私たち、聞こえないですけれど、安全運転のためにも運転技術とか動作については高齢者の皆さんと違った面がありますし、一律同じというのではなくて、その身体的な特徴などを考慮しながら、弾力的な対応があっていいんではないかというふうに思っております。
 本質的には、聴覚障害者の場合は聞こえないだけであって、身体能力というものは私たちの考え方で普通の皆さんと同じだと思っておりますので、マークというものは特に必要としないと思っております。
#51
○参考人(古倉宗治君) 先ほど、事故の原因はやはり認知していない、つまり見えていないということが非常に重要だということを申し上げました。ということは、つまり走っておるものがどういう状態で、どういう方向で、どういうスピードでという情報が運転者に伝わることが安全につながると思いますので、他の運転者にそういう情報を正確に伝えるということであれば、非常に意味があるんではないかと心得ております。
#52
○亀井郁夫君 どうもありがとうございました。
 先ほどの質問で、マルかバツか三角かというところでいろいろ出ましたけれども、大体三角とマルだったんですけれども、一つだけ四人の方々にお尋ねしたいのは、それぞれの立場でもう一つ突っ込んで、こういうふうに直してもらったらもっといいのにというところがあるんじゃないかと思うんですけれども、そういうところがあるかどうかを含めて御意見を聞きたいと思います。
#53
○参考人(田中利幸君) 先ほど申し上げましたとおり、救護義務違反に関しましては別の考え方はあるのではないかというように考えているところでございます。
#54
○参考人(高石洋子君) 先ほどの最初の意見発表のときに言わせてもらったんですけれども、もう一度重複させてもらってよろしいでしょうか。
#55
○亀井郁夫君 ええ、結構です。
#56
○参考人(高石洋子君) 自動車運転業務上過失致死傷罪が七年ということで今の法案がありまして、それがそれ以上にならないのであるならば、救護義務違反は十三・五年として併合罪二十・二五年にしてほしいというのがやっぱりあります、その思いが。そして、駄目なら危険運転過失致死傷罪隠匿罪なるものを作っていただきたいというのがやはり私の願いで、やっぱり逃げ得というのを許さないためにどうしたらいいかというのは私たちもいつも考えてはいるんですけれども、どうかもう一度考えていただきたいと思います。
#57
○参考人(安藤豊喜君)(手話通訳) 私は、ワイドミラーとか標識ですね、それを義務化ではなくて任意的なものにしてもらいたいと思うんです。それができたら、マル一つではなくて、二つも三つも付けられるのではないかと思っております。
#58
○参考人(古倉宗治君) 条文といいますか内容を拝見しますと、例えば子供については歩道通行可というふうになっておりますが、外国の例からいきますと、やはり子供、一定の年齢以下はもう歩道通行をするように義務付けるとか、あるいは自転車が通行する指定部分に歩行者が進入回避努力義務というふうになっておりますが、やはりこれから、まあちょっとすぐにこれができるかどうかあれですけど、努力じゃなくてやっぱり義務にしていただきたい。
 それから、ヘルメットの着用についても、一定の年齢以下の子供については両親がヘルメットを着用するようにさせることを義務付けるという方向が、やはり事故が起こったときの危険性を回避する意味で重要かと思います。
#59
○亀井郁夫君 ありがとうございました。
#60
○委員長(藤原正司君) もういいですか。
#61
○亀井郁夫君 もういいです。
#62
○委員長(藤原正司君) 以上で参考人に対する質疑は終了いたしました。
 参考人の皆さんに一言ごあいさつを申し上げます。
 本日は、貴重な御意見をお述べいただきまして誠にありがとうございました。当委員会を代表いたしまして厚くお礼を申し上げます。
 本日はこれにて散会いたします。
   午後三時六分散会
ソース: 国立国会図書館
姉妹サイト