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2007/02/28 第166回国会 参議院 参議院会議録情報 第166回国会 国際問題に関する調査会 第2号
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2007/02/28 第166回国会 参議院

参議院会議録情報 第166回国会 国際問題に関する調査会 第2号

#1
第166回国会 国際問題に関する調査会 第2号
平成十九年二月二十八日(水曜日)
   午後一時開会
    ─────────────
   委員の異動
 二月八日
    辞任         補欠選任
     尾立 源幸君     犬塚 直史君
     加藤 敏幸君     若林 秀樹君
 二月二十七日
    辞任         補欠選任
     若林 秀樹君     尾立 源幸君
    ─────────────
  出席者は左のとおり。
    会 長         田中 直紀君
    理 事
                加納 時男君
                岸  信夫君
                三浦 一水君
                木俣 佳丈君
                喜納 昌吉君
                谷合 正明君
    委 員
                愛知 治郎君
                小林  温君
                末松 信介君
                田村耕太郎君
                二之湯 智君
                野上浩太郎君
                水落 敏栄君
                犬塚 直史君
                尾立 源幸君
                大石 正光君
                工藤堅太郎君
                富岡由紀夫君
                直嶋 正行君
                峰崎 直樹君
                加藤 修一君
                浜田 昌良君
   事務局側
       第一特別調査室
       長        三田 廣行君
   参考人
       国際問題評論家  北沢 洋子君
       外交ジャーナリ
       スト       手嶋 龍一君
       国際日本文化研
       究センター教授  川勝 平太君
    ─────────────
  本日の会議に付した案件
○国際問題に関する調査
 (派遣委員の報告)
 (多極化時代における新たな日本外交について
 )
    ─────────────
#2
○会長(田中直紀君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。
 委員の異動について御報告いたします。
 昨日までに、加藤敏幸君が委員を辞任され、その補欠として犬塚直史君が選任されました。
    ─────────────
#3
○会長(田中直紀君) 国際問題に関する調査を議題といたします。
 まず、先般行いました委員派遣につきまして、派遣委員の報告を聴取いたします。岸信夫君。
#4
○岸信夫君 自民党の岸信夫でございます。
 先般行われました委員派遣につきまして、その概要を御報告申し上げます。
 去る十五、十六の両日、地方自治体における国際化施策及び国際安全保障環境の安定に向けた我が国の取組に関する実情調査のため、田中会長、加納理事、喜納理事、谷合理事、末松委員、犬塚委員、富岡委員、大門委員及び私、岸の九名が新潟県及び群馬県に派遣されました。
 今日の国際関係は、政府のほか、地方自治体、企業、NGOなどの行為が相互に影響を及ぼし合って形成されており、地方自治体の進める国際化施策は我が国外交の在り方を検討する上で無視できないものとなっております。特に、環日本海地域の自治体がアジアを中心に進めている人的、経済的ネットワークづくりは、我が国が効果的なアジア外交を展開するために有意義であると言えます。
 また、今日の安全保障環境は、国際社会の相互依存が進む中で国際テロ活動、大量破壊兵器の拡散が懸念されるなど、新たな局面を迎えております。
 今回の委員派遣におきましては、こうした状況を踏まえ、新潟県より、北東アジア交流圏の表玄関化に向けた取組について、また、韓国、ロシア両総領事等より、近隣諸国との交流に関する現状と課題等について概況説明の聴取及び質疑を行い、あわせて、海上保安庁第九管区海上保安本部より、中部日本海における海上保安の現状、陸上自衛隊第一二旅団より、陸上自衛隊の国際貢献活動を中心に概況説明の聴取及び質疑を行うとともに、関連装備の視察を行いました。
 以下、その調査の概要について、日程に沿って御報告申し上げます。
 第一日目は、まず、新潟市内の複合コンベンション施設である朱鷺メッセにおいて、新潟県及び関係機関から国際化に関する取組について調査を行いました。
 最初に、県と新潟市が取り組む国際化施策に関連し、泉田知事からは中国総領事館誘致について、篠田市長からは二〇〇八年のサミットの誘致についてそれぞれ要望がなされました。
 意見交換の中で、泉田知事から、二〇〇四年の中国における反日デモの際にも自治体同士のパイプが生きていた体験から、国が外交を進める上で自治体のパイプをうまく活用してはどうかとの意見が、また、篠田市長から、日ロ沿岸市長会議が東シベリアの石油パイプライン太平洋ルートの早期実現について共同コミュニケを発表するなど、国の外交施策と自治体間交流の連携について意義が述べられました。サミット誘致につきましては、国際的な視点では北東アジア重視の姿勢と拉致問題を、国内的には太平洋側と日本海側の共同発展をアピールできるなど、メッセージ性の高さが指摘されました。
 その他、県当局から国際化施策の概要と中国総領事館誘致の意義、市当局からサミット誘致の概要と意義についてそれぞれ説明を聴取し、質疑を行いました。
 次に、新潟県所在の国際交流関係機関として、韓国及びロシアの総領事、財団法人環日本海経済研究所の理事長から、人的、物的交流の現状と課題についてそれぞれ説明を聴取し、意見交換を行いました。
 金韓国総領事からは、海洋の時代、アジアの時代において国家規模の経済力を持つ日本の自治体には積極的な交流が望まれるとの希望が、クラコーフ・ロシア総領事からは、ロシア極東地域での富裕層増加を背景に、高品質な日本の農産物への需要が増すなど日ロ貿易拡大の展望が、吉田理事長からは、中国及びロシア経済の現状、北東アジアにおける輸送回廊、日本海横断国際フェリー航路等の構想が、それぞれ述べられました。
 意見交換の中で、サハリン2に関してクラコーフ総領事は、ロシアが一〇〇%正しいとは言えないが、日本企業が環境に与えた大きな被害も事実であったとの認識を示しました。また、歴史に起因する問題の解決をめぐっては、金総領事は、容易に解決できる問題ではなく道は遠いが争点化するのはよくないとの見解を示し、クラコーフ総領事は、北方領土問題は政治化されてしまっている、中ロ国境問題のように解決を外交官に任せてはどうかとの提案がなされました。
 その後、新潟西港でテロや不審船事案への対応能力を強化した新型の高速高機能巡視船「ひだ」を視察した後、第九管区海上保安本部へ移動し、同本部の概況と管轄する中部日本海における海上保安の現状について概況説明を聴取するとともに、質疑を行いました。
 質疑では、不審船事案などでの自衛隊との連携について、第一発見は自衛隊が多い現実を踏まえ、内閣主導により、初期の段階から共同対処できるようにマニュアルが整備されているとの説明がありました。
 第二日目は、最初に新潟県の北東アジアへの空の玄関である新潟空港を訪れ、現状と課題について説明を聴取した後、空港施設を視察いたしました。
 新潟空港は国際線定期便を六路線有する日本海側有数の空港であり、昨年は、台湾便を中心としたチャーター便の増加などに牽引され、国際線利用者数が過去最高を記録しております。また、質疑の中で、同空港の特色の一つでもあります季節運航のイルクーツク便の利用率が低く、存続が危ぶまれているとの説明がなされました。
 次に、群馬県榛東村にあります陸上自衛隊第一二旅団の相馬原駐屯地に移動し、旅団の役割及び陸上自衛隊による国際貢献活動、特に撤収作業を担うことになったイラク人道復興支援活動の実情につきまして説明を聴取した後、質疑を行いました。
 イラク人道復興支援活動の説明では、自衛隊が実施した砂利舗装の上にODAによりアスファルト舗装を行うなど、外務省ODAとの連携により効果的な支援に努めた旨の説明がなされました。
 概況説明、質疑に続き、実際に第十次イラク復興支援群として現地に派遣された隊員四名を交えた懇談が行われました。隊員からは、派遣前の訓練により自信を持って任務に向かうことができた、想定外の事態にも遭遇しなかったとの発言がありました。また、オーストラリア軍との連携では、共同訓練などで相互の認識を深めた結果、円滑な意思の疎通を行うことができた、東チモールPKOで自衛隊とともに活動した経験を有する者もおり、今後の日豪協力の発展にも資するのではないかとの発言もありました。
 今回の委員派遣では、新潟県、新潟市、韓国及びロシアの総領事館を始めとする関係機関から多岐にわたる意見や要望を聴き、地方自治体が行っております国際化施策の意義、地域レベルでの人や経済の交流について地方の生の声を聴くことができましたことは、大変有意義なものでありました。
 また、国際安全保障環境の安定に向けた取組でも、現場で直接、新たに生じている脅威等に対峙している第一線の海上保安庁職員や自衛隊員と意見の交換を行うことができたことも貴重な経験と言えます。
 最後に、今回の委員派遣に際して多大な御協力をいただきました国の関係機関、新潟県、新潟市、在新潟大韓民国総領事館、同じくロシア連邦総領事館、財団法人環日本海経済研究所の皆様に厚く御礼を申し上げます。
 以上でございます。
#5
○会長(田中直紀君) これをもって派遣委員の報告は終了いたしました。
    ─────────────
#6
○会長(田中直紀君) 引き続き、国際問題に関する調査を進めます。
 本日は、本調査会の調査テーマである多極化時代における新たな日本外交について参考人から御意見をお伺いした後、質疑を行います。
 本日は、国際問題評論家北沢洋子参考人、外交ジャーナリスト手嶋龍一参考人及び国際日本文化研究センター教授川勝平太参考人に御出席いただきました。
 この際、一言ごあいさつ申し上げます。
 各参考人におかれましては、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきまして、誠にありがとうございました。
 本日は、多極化時代における新たな日本外交について各参考人から忌憚のない御意見を賜りまして、今後の調査の参考にいたしたいと存じますので、何とぞよろしくお願いいたします。
 本日の議事の進め方でございますが、まず北沢参考人、手嶋参考人、川勝参考人の順でお一人三十分程度で御意見をお述べいただいた後、午後四時ごろまでをめどに質疑を行いますので、御協力をよろしくお願いいたします。
 なお、御発言は着席のままで結構でございます。
 それでは、北沢参考人から御意見をお述べいただきます。北沢参考人。
#7
○参考人(北沢洋子君) 北沢洋子でございます。
 立法の府に私が参考人として呼ばれて何か申し上げるということは、本当に思ってみなかった、光栄です。特に、多極化時代における新たな日本の外交というテーマですけれども、私は、このテーマはとても時宜にかなったテーマだと思います。
 本当に最初に申し上げようと思いましてこのレジュメに書いておきましたけれども、去年の、二〇〇六年ですけど、大変私にとってはちょっと何かあっと驚くような大きな事件が三つばかり起こりました。世界史を変えたというふうに言えると思うんですけれども。
 御承知のように、九・一一が二〇〇一年の九月に起こりましてから世界が変わったと言われておりまして、もうだれもかれもが、テロこそは、括弧付きですけど、テロこそは一番世界のすべての人々にとって脅威だということで、テロをどうやって封じ込めるかということにみんな、そちらの方にみんな目が行ってしまって、その中でアメリカのブッシュ大統領がテロを軍事的に封じ込める、軍事力で封じ込めるといったときに、みんなもう賛成しちゃったわけです。それしかないと思っちゃったわけです。で、アフガン戦争からイラク戦争へと流れていったわけですけれども。ですから、テロ一色で、もうそれに対して軍事しかないというふうに言っていたわけですけれども。
 ところが残念なことに、それまでの約、冷戦が終わってからの十年間に世界が一生懸命苦労してやってきた。つまり、国連を中心にですけれども、国連が、皆さんも思い出していただきたいと思うんですけれども、地球サミットを九二年にやりまして、人権サミットをウィーンで九三年にやりまして、人口問題サミットをカイロで九四年にやりまして、それから社会開発と、今まで経済開発と言っていたんですけれども、国連が方針転換して社会開発のサミットをコペンハーゲンで九五年の三月にやりまして、それから同じ年の九五年の九月に北京で女性会議と、その後九六年にイスタンブールで国連が人間居住のサミットをやりました。それからその後、教育サミットとかいろんなものありまして、その後二〇〇〇年にミレニアムサミットという名前でもって世界、国連史上最大のサミットをやったわけですね。そして、サミットというのは首脳が出て、みんなもうそこで誓うわけですから、これ以上に強い国際法はないわけですけれども、そこでミレニアム開発ゴールというのを採択しました。これは非常に大胆な、何というか、ゴールでして、二〇一五年までに貧困をなくすと、半分にすると、そしてすべての子供たちが全部学校に行けるようにするとかなんとか、そういうふうな一連のターゲットを自ら決めたわけですね。
 ですから、世界は、その流れの中で見ますと、一番大事なことを冷戦の中で忘れていたと。冷戦はもう核兵器の競争ばっかりで、世界は角突き合わせていたわけだけれども、そうではなくて、本当にこの地球が持続可能に生きていくためには何をしなきゃいけないか。それはもうどんどん増え続ける貧困をなくす以外にないと、その貧困こそは諸悪の根源であるということに一致していたわけですね。ところが、その後の二〇〇一年の九・一一でがらっとみんな忘れちゃって、その前までのことを忘れちゃって、そしてテロだテロだということになって、いかに軍事的に抑えるかということになったわけですね。
 それが失敗であるということがようやく分かって、そしてブッシュ大統領に従っていた、まあプードルなんて言われてまでも一生懸命従っていたブレア首相ですけれども、イギリスのブレア首相ですけれども、彼は非常に頭のいい人で変わり身の早い男だと思うんですけれども、彼は二〇〇五年にもう既に、イラクの戦争がもう駄目になるということと、それから人々の間の中から、民衆の中から、そして市民社会の中から声が起こってきて、ミレニアム開発ゴールはどうしたんだ、それを達成しようではないか、そのことがテロを封じ込める一番遠いように見えるけれども一番近道だということにみんな気が付いて、そしていろんな声を上げ始めたことに対して彼は非常に敏感に察知しまして、そして二〇〇五年の一月に恒例のダボスという、スイスのダボスというところで世界経済フォーラムというのを毎年やってきたわけですね、もう何十年とやってきたわけですけれども。
 そこは多国籍企業の重役たちが今まで集まって世界戦略をひそかに練るというところだったんですけれども、それがだんだんだんだんビッグになりまして、いろんな人が出るようになって、ヤッシャ・アラファトなんかも出るようになって、政治のショーと化したわけですけれども、そのダボスで、二〇〇五年の一月に開かれた世界経済フォーラムで記者会見をやりました。
 その記者会見が、非常に私は注目したんですけれども、ブレア首相とそれから世界一のお金持ちのビル・ゲイツですね、マイクロソフトの、それとボノというロック歌手なんですけれども、アイルランドのロック歌手でとても有名な人なんですが、図らずもBBBなんですけれども、そのスリーBが集まって記者会見開いたんですね。そして、二〇〇五年から、これから二〇一五年までミレニアム開発ゴールを達成しようと、そのためには一番貧しいアフリカに手を着けようという呼び掛けをしたわけですね。そのころから世界ががらっと変わりまして、そしてその結果が早くも二〇〇六年に現れました。それで、私が最初に申し上げました二〇〇六年は世界史を変えるような大きな事件が三つも起こったというふうに申し上げたゆえんです。ちょっと前書きが長くなりましたけれども。
 その第一は、去年の十一月に行われましたアメリカの中間選挙です。これは単なる中間選挙なんですけれども、民主党が大勝したんですけれども、実はこれは国民投票であったと。イラク戦争についてのアメリカの国民投票だったわけですね。そして、人々がイラク戦争にノーというシグナルを出したということなんですね。
 そのことの結果として、ブッシュ大統領は力がなくなったとかいろいろあるんですけれども、一番大事なことは、今まで行け行けどんどんというか、テロを撲滅しろ、もう軍事的にもやれ、何をやれ、イラク戦争をやれ、そういうふうに言ってきたのはブッシュ大統領を取り巻くアメリカの中のネオコン、つまり新保守主義派ですけれども、そういう人たちがみんな退潮しちゃったわけですね。ブッシュ大統領もやむを得ずと申しますか、もうしようがなくなってラムズフェルド国防長官を解任して、そして元CIAの長官を連れてきたわけです。そのほかに、国連大使だったボルトン国連大使も自ら辞めるという形で辞めましたし、ブッシュ大統領を囲んでいたネオコングループのその退潮というのは非常に大きかったと思います。これは隣の手嶋さんの御専門なんで、私がくどくど申し上げることもないんですけれども、私は、国民投票であったということは非常に重要だというふうに思います。
 それと、ですからそれは単に国民投票でアメリカの人々がイラク戦争にノーと言っただけではなくて、テロを力で封じ込めようとしたということが駄目になって、その考えが退潮して、そして世界は、本当に九〇年代に一生懸命みんな考えてきた、取り組んできた貧困の根絶、そのもろもろの貧困に伴う様々な、学校に行けないとか、お医者さんに掛かれないとか、すべてのことを含めてですけれども、そういうものを含んだ社会開発に、持続可能な社会開発に世界は取り組まなきゃいけない、最も貧しい人を底を上げなきゃいけないということに世界が注目してきたわけですけれども、それが戻ってきたということだと思いますね。
 それから第二は、これは余りマスコミも書いてないので申し上げますけれども、ラテンアメリカ、アメリカの長い間裏庭と言われていたラテンアメリカで大異変が起こりました。最もラテンアメリカというのはアメリカの言うことを聞いて、資本、貿易、金融の自由化だとか、規制緩和だとか、民営化だとかという、そういう小泉政権が、小泉さんの時代にいろいろ手掛けたのを、もうとっくに昔に八〇年代からもうやってきたんですね。その結果、本当にアメリカの経済がそのまま移動したような形になって、ラテンアメリカは非常に開けた世界であったわけですけれども、私の言葉で言えば新自由主義政策の世界であったわけですけれども、そこでそういう政策に対してノーと、つまり市場万能、市場原理主義とでも言えますが、そういうものに対してノーと言う人たちが増えてきて、しかもその増えているのが単に浮動票ではなくて、実際には農民団体というのがありまして、それから労働組合というのがありまして、そういうのが主体になって大きく左翼候補、それから左派、中道左派候補というのに投票したわけですね。
 それで、実際に南米だけを取ってみますと、人口が三億四千万人か六千万人いるんですけれども、その中の三億人がもう左翼又は中道左派政権の下にあるわけですね。ですから大陸全体がみんなピンクに染まっちゃったというふうに言っているぐらいなんです。これは単に、人々が単に右に左にぶれたということではなくて、そういう今まで新自由主義と言って、市場万能で強い者が勝ち、競争社会という、強い者が勝ち、そして市場がすべてを決めると言ってきた、そういう中南米ですね、カリブ海も含めて、ラテンアメリカというふうに言われるメキシコ以南の国ですけれども、そういう国々がそれに対してギアを変えちゃったと。左に軸を移したわけですね。
 これは社会主義とか言う人もいます。ベネズエラのチャベス大統領などは社会主義なんていう言葉を言っていますけれども、それは、社会主義という言葉にだまされちゃいけないので、実際は、いわゆる昔のソ連のような計画経済とか、それから国有化とか、生産手段の国有化とか、そういうことを言っているわけでは全然なくて、むしろ分配の方に、政府が経済発展するところに起こってきたいろんなひずみに対して、政府がそれを分配の平等というところでもって解決していこうということで、まあ私流の言葉で言えば貧困根絶に軸足を置いた政策を進めると。
 それともう一つは、非常に面白い動きなんですけれども、経済を、大企業というのは中南米では大企業といいますと多国籍企業になるわけですけれども、そういう企業にゆだねるのではなくて、小さな土着の、まあ連帯経済という呼び名があるんですけれども、土着の人々の手によるところの協同組合だとか、通貨も自分たちで発行したりなんかする小さな試みを大きくしていくという、そういう動きが出てきました。
 これは、ブラジルなんかではもう省ができてまして、連帯経済大臣というのがいるわけですね。産業経済大臣と、そのほかに連帯経済大臣といます。元々フランスなんかにも産業経済大臣と社会経済大臣というのがいたんですけれども、それを連帯経済といって、つまり、経済活動をやるんだけれども、それは利潤を獲得するためにやるのではなくて人々の連帯のための経済活動をやるということで、日本などはさしずめ協同組合とかNPOなんかが考えられるんですけれども、そのほかもう非常にいろんな内容を含んだ、そういう人々の草の根の経済を政府が積極的に育成していくという立場を取っています。ですから、非常に面白い動きが出てきたと言えると思います。
 それから第三番目に、これは今まで新自由主義という、規制緩和だとか自由化だとかということを、民営化とかというものを標榜してきて、それを途上国に押し付けてきたという国際機関が三つばかりあります。それがIMF、国際通貨基金とそれから世界銀行、それとWTO、世界貿易機構ですけれども、この三つはトリオになっていまして、先進国がこの三つの機関を一応握っているわけですけれども、これがもう強大になり過ぎて、世銀なんかは六千人のメンバーを、スタッフを抱えて、途上国全体で開発の責任を持っているわけですけれども、すごい力を持っていました。
 ところが、これが二〇〇五年、二〇〇六年、去年に次々と破産にとは言えないんですけれども、もうIMFなどはある意味では財政危機で、自分自身が唱えていた構造調整プログラム、まあ日本流で言うと改革ですが、それをやらなくちゃならない、つまりリストラをやらなくちゃならないぐらいである。主要な借り手であった途上国の幾つかが、一、二、三、四、五、六位ぐらいまでがどんどん前倒しで返しちゃったんですね。もう自分のところでそれをもう、そういうことをやるのはどうかと思うんですけれども、ブラジルなどは自分の国の中で国債を発行して、それが一四%なんですね、年率。その国債を発行してお金をかき集めて、そしてIMFに返すんですね。元々IMFの金利というのは三・五から五%なんですから、そういうことを前倒しするというのはおかしな話なんですけれども、それをしてまでもIMFのコントロールは受けないということがはやり始めちゃったんですね。そして、ナンバーワンからナンバー六、七ぐらいまで主要な借り手がみんな返し始めたんで、IMFとしては、貸して、その利子でもって運営していくというIMFは、もう月給も出ないということになってしまったんですね。それでもう、それだけではなくて、完全にその力がなくなっちゃったということです。
 それから、世銀も同じことですね。大手の借り手がみんな、世銀から借りないで市場から借りるということになっちゃったものですから、今、安い金利が世界的になっていますから、借りようと思えば借りられるんで、世銀から四の五の言われるような、自分たちの国がコントロールされるようなことはもう御免だということで世銀から借りないということになったし、それからWTOは御存じのように去年の七月に凍結ということになって、今はまあちょっといろんな動きがありますけれども、動いていないということになっております。
 そういう大きな状況というのは、これは今、日本で、全体的に日本を覆っている改革という路線は、これは政策は新自由主義政策ですけれども、それがもうとっくに世界では駄目になっていると言えると思うんですね。ですから、私は、日本は外交と内政といいますか、国内政治と国際政治というのがこれほど日本という国は分裂している国はないので、もう外交は外交、内政は内政ということなんですけれども、そうではなくて、世界情勢の中も、この地球というのはほとんどもう相互依存の状態になっておりまして、どこかで何か起こるとすぐそれが響くというような状況になっておりますので、そういうグローバル化した、つまり多極化したというのはグローバル化だと思うんですけれども、そのグローバル化した世界の中で日本がアンテナを張って、そして、そういう世界の情勢というものをいち早くつかんで、どういうふうになっていっているかということに対して非常に敏感に反応していかなきゃならないというふうに私は思います。その中で一番顕著なことは、グローバル化の中での地域化ですね。
 御承知のように、EUはもうとっくに五十年来、EUの、ヨーロッパの統合ということを目指して着実に歩んできたわけで、一歩一歩進めてきたわけですけれども、最近、ほかのところで非常に急激にその方向が動いていまして、例えばアフリカも、アフリカ統一機構という政治的な統一のグループだったんですけれども、それがアフリカユニオンという、アフリカ連合という名前を変えまして、かなりEUに近いものを目指していくと、自助努力をしていくと。
 そして、幸いなことに、アメリカのおかげなんですけれども、アメリカが民主化、民主化というふうに言ってアフリカに対していろいろ注文を付けたものですから、いわゆる複数政党型のいわゆる民主的な選挙でもって選挙が行われるようになって、もうアフリカでは独裁政権というのは非常に数少なくなった。今ではマイノリティーになっていっています。ですから、アフリカ連合も、やがては自分たちの間で域内貿易や何かを、経済活動を活発化さして、そして一つの地域連合としてまとまっていく可能性が非常に高まっていると。
 それから、先ほど申しましたラテンアメリカですけれども、元々いろんなものがあったんですけれども、それに対してアメリカが米州自由貿易機構という、米州貿易自由地域というのを、FTAAというんですけれども、それを提案しましたけれども、それが拒絶されまして、そしてラテンアメリカだけで独自の経済圏をつくっていこうという動きが非常に大きくなってまいりました。それはいろんなイニシアチブがあって、ベネズエラのチャベスのイニシアチブだとか、ブラジルのイニシアチブとかいろいろありますけれども、そういう方向に向かっている。そうすると残るのはどこかといいますと、アジアなんですね。
 アジアでは、東南アジアのASEANがありますけれども、これは非常にうまくいっているわけですけれども、それに対して、大きな日本という国、それから中国、インドというところが、まあインドもインドなりにそれなりのインドの地域の連合がありますけれども、そういうものがアジアではいまだに形成される動きはないと。ここのところで日本が中国とがっちり手を組んでイニシアチブを取っていかなければいけない。アジアの地域統合のためにイニシアチブを取っていかなきゃならないという時代にあります。
 ですから、是非その点において、この新たな日本の外交という、多極化時代における新たな外交というものをお書きになるときにどうしても、どういうふうにしたらその地域連合が、その地域の統一が、アジア地域の統一ができるか。
 つまり、どういう形で、ヨーロッパをモデルにするんだけれども、ヨーロッパの人たちに聞きますと、最初にフランスとドイツが戦後、手を結んだところにあったというんですね。フランスとドイツの和解なくしてはヨーロッパの統一は考えられなかったと。そこがうまくやって、そこで市民社会とかそれから政治家とかが非常に努力をなさって、フランス、ドイツが手を握ったところで初めてヨーロッパの統一というものが見えてきたというお話を聞きました。
 ですから、私は、やはり大きな国、大国がいいというわけではありませんけれども、日本の立場からいうと、日本と中国が和解をして、そして、本当の意味での和解をして、がっちり手を握ってアジアの地域統一というもの、地域統合というものを考えていかなきゃいけないんじゃないかというふうに私は思います。それは単に政治のレベルだけではなくて、経済のレベル、そして市民社会のレベルで全体的に機運を守り立てていかなければ、日本は多分、中国はうまくやるでしょう、ASEANともう十年以内に自由貿易協定を結ぶというふうに言って努力しておりますし、ASEANも中国に対する警戒心というのがほとんど今なくなってきている。
 そういう状況から見ますと、あとのところはうまくいっているんですけれども、日本はアメリカの方ばっかりを見て、アメリカのゴーサインがなければできないというようなところがありますから、イニシアチブはあえて取らないというところがあって、そういう欠点がありまして、それが何かおりのような形で日本の外交の足を縛っているんではないか。これは、私は外交というレベルの問題だけではないということを再度強調しておきたいと思います。
 レジュメに書いたんですけれども、具体的なことで何を学ぶかということで、後の質疑のところでも任せてもいいんですけれども、一つは、テロとかそういう紛争というものを力で封じ込めることは間違いであるということが、今もう一般的になったということですね。
 そうすると、私は憲法の前文を思い出します。私は一番好きなところがあるんですけれども、そこは、憲法の前文の中に、全世界の人々が恐怖、これはテロとか紛争ということですね、と欠乏、これは貧困やその他のもろもろのものですけれども、から免れ、平和のうちに生存する権利を有することを確認するということが前文に書いてあります。
 この前文は五十年以上前に書かれたことですけれども、これは、今の冷戦後の世界がテロや何かを経て、そしてイラク戦争なんていう悲惨な戦争を経て、まあ終わっていませんけれども、そこでもってみんながだんだん意識し始めて、一致してこれでいこうということになったことが憲法の前文に書いてあるじゃないかと私、言いたいんですね。それが今の世界の主流で、だから私は日本の憲法の前文は今の世界の主流であるというふうに書いておきましたけれども、そういうふうに言えると思うんですね。
 ですから、今グローバルな課題としてあるのは、国連のミレニアムサミットで採択したミレニアム開発ゴール、MDGですけれども、その達成というものが、世界の人が一致団結して取り組まなきゃいけないことである。それが諸悪の根源であって、その諸悪の根源を取り除くことになるので、平和も繁栄ももたらせるであろうということですね。
 あと一分しかないですけれども、提言として一つ、ODAですけれども、国益に沿って出すべきだということが日本の中でコンセンサスになっております。そういう提言なんか出ておりますし、そういう方針も出ております。これはもう全くおかしなことで、やめるべきであると、地球益のために出すべきだというふうに言いたいと思います。
 それから二番目に、一番最近の新聞に載っていましたけれども、クラスター爆弾という世にも非人道的な爆弾ですけれども、これの禁止条約が、推進役としてノルウェーが出てきて、オスロで、前の対人地雷で取った、オタワですね、カナダの、オタワ・プロセスと同じようなことが起こっています。私はちょっと意外だったのは、多分対人地雷の後に劣化ウラン爆弾の禁止条約ができると思っていたんですけれども、クラスター爆弾が先に出てきて、これはこの間のレバノン戦争のときの、結果として非常に悲惨であると、戦争が終わった後で、子供たちがおもちゃだと思ってそれを拾って犠牲者が出るという、そういう世にも非道な爆弾であるということで有名になったので、NGOが先に取って、これをオスロ・プロセスに持っていったんだと思うんですね。こういうものこそ東京プロセスであるべきだと私は思います。
 日本は悲惨な原爆の経験者であり、同時に武器輸出三原則でもって武器を輸出していないという、世界に誇れる国なわけですね。多分、唯一の国だと思います。そういう国が、こういう小火器について、小火器の一部ですけれども、小火器についてそういうことを、イニシアチブを取ることが堂々とできる国なのにどうして日本はやらないんだろう。しかも、これは日本は絶対に持たないはずなんですね、専守防衛の国にはクラスター爆弾というのを持つはずがない。その国でどうしてそれができないのか、日本はどうしてできないのかというふうに私は疑問を持ちます。
 それからもう一つ、これは非常に重要なことなんですけれども、九三年にイスラエルとパレスチナの歴史的な和解というのがありました。これはその後いろいろあって駄目になったんですけれども。そのほかに、これは仲介したのはノルウェーです。ノルウェーの政府のバックアップを受けてNGO、アラートというNGOがやったわけですけれども、そのほかに東チモールの独立問題もノルウェー政府が仲介しました。
 現在最も紛争が多い、武力紛争が多いのはアジアなんですね。そのアジアで様々な動きがあります。これはネパールの毛派ゲリラとかフィリピンの共産党ゲリラとかいろいろあるわけですけれども、これについてみんなノルウェーがまたやっているわけですね、スリランカの武力紛争も。日本は、それがやって成功した後にお金を出すということなんですね。何で日本がアジアの一員で、しかもODAをトップテン、全部アジアに集中的にODAを出してきたにもかかわらず、どうして日本がそういうことをできないのか、それは全然分かりません、私は理由が。外務省の方も、こんなにばかげたことはないじゃないかと申し上げると、私もそう思いますというふうにおっしゃるんですね。ですから、皆さんそう思っているらしいんですね。だけど、日本は積極的にアジアにおける、ミャンマーもあります。アウン・サン・スー・チーは日本に留学していた方です。彼女のためにどうして日本は一肌脱がないのか、そういうことを、NGOをどうして使わないのかというふうに私は思います。
 それで、日本はアジアの平和の推進役として活躍すべきであるということを私は強く申し上げて、終わりとします。
 そして、一言だけ、お配りしましたこの冊子ですけれども、これは国連が国連憲章と、それから世界人権宣言という二つの大きな世界政治の規範があるわけですね。それがあるんですけれども、現在、多極化したというか、グローバル化した世界の中で世界が変わっているので、人々も憲章を持たなきゃいけないんじゃないか、人々も責任を持った憲章を持たなきゃならないということで、NGOが作ったものを御参考のためにお配りいたしました。よろしくお願いいたします。
 ありがとうございました。
#8
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
 次に、手嶋参考人から御意見をお述べいただきます。手嶋参考人。
#9
○参考人(手嶋龍一君) 御紹介いただきました手嶋でございます。今日はこのような公的な場にお招きいただきまして、ありがとうございます。
 私、過去二十年のうち十数年以上海外で取材活動をしておりますので、そういう意味で日本を舞台に仕事をするのは久々のことではありますけれども、その中で時たまテレビの時事的な討論番組にお招きいただいて、特に日曜日の比較的皆さんが注目をされる場で、衆参両院のここにお集まりの諸先生の同僚の方と討論をするケースがございます。そのときに、かなり核心に触れるところについては、私ども現場のジャーナリストでありますので、どうしても事実そのものをたがえるわけにはいかない、やっぱり率直に、かつ明晰に物を言わざるを得ないというような状況がございます。ただ、終わりまして、もちろん礼節を尽くして申し上げるのでありますけれども、私、感情的に申し上げたりなど比較的しないタイプのジャーナリストでございますけれども、それでもやはり終わりましたら、ここにいらっしゃる諸先生もそうだと思うのですけれども、選挙を抱える身で核心に触れるところについて余りこう鋭い指摘があるということになるとやっぱり御迷惑をお掛けするので、惻隠の情という言葉があるでしょうというようなことをいろんな方から御指摘をいただくことが最近ございます。そんなこともあるのかというふうに思いまして、それでは院でこのような形で意見をきちっと申し述べよというようなことが会長の御意向かというふうに思いますので、今日少し率直に、特に院の、議会の外交に対する影響力の本来望むべき在り方とは何なのかということを外交を見ておりますジャーナリストの立場から申し述べさせていただこうと思います。
 やや結論のところになるのですけれども、先ほど北沢参考人から外交におけるNGOやもっと広い国境を越えた様々な立場というのについて、私ほとんど全くその点では異存がございません。私の親しい友人も今スリランカで閣僚を務めておりまして、タミール紛争の解決に文字どおり命を懸けておりますし、日本の政治家、閣僚の方も恐らくその例外ではないのかもしれませんけれども、彼らとかつて一年以上にわたってアメリカで寝食をともにしたことがあるのですけれども、コロンビアの政治家、そしてスリランカの政治家、今、北沢参考人からお話がありましたベネズエラのケースもそうなのですけれども、一緒に共同のプロジェクトに参加した直後で、明らかにもうそれらの国から来た政治家とそうでない方々の間で私もうはっきりと見分けが付くのであります。それは、暗殺をされる危険が非常に高い国から来て、つまりいつ、つまり政に、政治にかかわるということは即、命を失うかもしれないという国がまだ大変多うございます。
 私、一緒にかつてニューイングランドの大学町の研究所で公私ともにしました、コロンビアの直前まで国防大臣であったわけですけれども、麻薬との戦いで、もう自分のみならず家族も暗殺される可能性がある。アメリカに来ますと、取りあえず当座のところ暗殺の危険がなくなるのですけれども、その表情からは、いかに厳しい中で政治にかかわってきたのかということをはっきりと見て取ることができます。その一方で、しかし、自分だけ安全な中でこのような形でその難を逃れたということについて、多少のというか本質的な後ろめたいところがあるんだと思います。その点でも表情が少しも晴れない。しかし、その方々も二か月、三か月としているうちにようやく表情が明るくなってくるというようなことも経験をいたしました。
 その中で、スリランカの今閣僚の一人が同じ同僚だったのでありますけれども、正に日本が果たすべき、そして日本が、政府や外務省といったところを超えて新たな人たちが果たすべき役割が実は非常に多くて、私どもも本当にささやかですけれどもお手伝いを彼らが日本に来るとさせていただくことがございます。そういう意味で、その外交というのか狭い意味での外交を超えた、NGOを含めて民間の方々の役割を恐らく私はだれよりも高く評すべきだと考えている者の一人でございます。ただ、それだからこそなお申し上げなければいけないのですけれども、最終的な外交の日本国という国家を背負った外交はやはり一元的に運用されなければいけない。ここのところについて、日本では特に最近感じるのですけれども、何か大きな誤解や議論に混乱があるように思いますので、やや今日は実例を付しながらそのことをまず申し上げたいというふうに思います。
 国家の外交というのはもちろんそのように一元的に運用されなければいけませんし、これが外交の一元化の原則というふうに言われているものであります。しかし、この外交の一元化の原則は、正に北沢参考人もおっしゃっておりましたけれども、外務省の方々もかなりの誤解をしております。それはつまり、自分たちに外交の一元化の権限をゆだねられているかのごとく、そのような誤解があるのだと思います。しかし、外交の一元化の原則とは、外交当局、具体的には日本の外務省に対外折衝のすべてをゆだねることを意味いたしません。外交の一元化原則とは、文字どおり内閣総理大臣の下で、内閣の総攬の下で一国の国益を担って外交を一元的に推進をする、行うことでなければいけないと私は考えます。
 いわゆるその点でもし二元外交をするというようなことになりましたら、当然のことながら北朝鮮の相手は二つ、日本側の二つの相手ということになりますから、北朝鮮側はその二つの相手を見比べながら、北朝鮮に対してより譲歩した方、くみしやすしと見た方と握ればよいのですから、二元外交によって大きな利益を得るのは、無論結果的には北朝鮮になってしまいます。このように、二元外交によりまして相手国に交渉の主導権を握られてしまい国益を損なうことになりますので、そのような外交は無論取られるべきではありません。
 いわゆる議員外交と呼ばれるものもこうした外交の一元化の原則の中で行われるべきものだというふうに思います。議員外交というのは必ずしも厳密な定義の下に行われておりませんから、いわゆる議会同士の議員交流を含めて、幅広く議員外交と呼ばれるような例があるのだと思います。この議員交流を含めた広義の一種の議員外交を私否定するものではありませんけれども、中に、皆さん現役の議員で、しかも外務省の政務官やそして各省の政務官という形で行政に身を置きながら交渉をするというのではなくて、正に院にあったまま議員として先方の政府と交渉をする。
 最近も山崎拓安全保障調査会長が正にそうした議員外交をおやりになり、そのことが大きな議論を呼びましたし、私もテレビ番組の中で討論をさせていただきました。私が言っているいわゆる議員外交というのは、山崎拓安全保障調査会長がおやりになったようなもの、つまり自らが直接折衝に乗り出していく。このようなものが果たしてどのような意味を持つのか。これは明らかに先方に、外交の二元化として一種の日本国の国益を正に操る危険を本質的にはらんでおりますので、大変危険な要素があるということを私は警告をしております。
 しかしながら、実は国民が、有権者がこの日本の議会に期待をします最重要の役割は、実はそのような議員外交なるものを外交当局に代わって議員さんにやっていただくというようなことに有権者は期待をしているのではなく、文字どおり、正にこの参議院もそうでございますけれども、その院でのつまり国際条約の批准、そして批准が必要のないものについても、いわゆる広義の国際約束と言われるようなものについても、もちろん批准の決議はいたしませんけれども、その場で大いに議論をされるわけですから、そのようなつまり外交を広い意味でこの院の議論の中で俎上に上げてディスカッションをする、論議を尽くしていくということでやっぱり日本外交というものが広い意味で正しい軌道に乗せられるべき、そこのところについて日本外交を誤りなき軌道に導くことにこそあると有権者は考えているに違いないと私は思っております。
 したがって、本日の報告では、過去の外交の具体的な例をやや引きながら、この議会の、とりわけ日本の議会の外交に対する望ましい、私どもが考えている最も期待をしている影響力の行使の在り方とは何なのかということについて報告をさせていただきたいと思います。
 とりわけ、現在アメリカがイラク戦争で文字どおりのたうち回るような苦しみの中にある、その際に、日本は同盟国として当時の政府が、今もそうでございますけれども、アメリカのイラクに対する力の行使をはっきりと支持をしております。その支持の根拠に挙げたのが一連の国連決議というものでありますけれども、果たしてそうした支持が本当によいのかどうか。どれほど真剣にこの院でこの日本のアメリカのイラクに対する力の行使の是非をめぐって議論が深められたのかどうかということについて、是非私思うところを御報告させていただきたいというふうに思います。
 まず、外交の一元化のところの問題でございますけれども、過去、一九九〇年のイラクのサダム・フセイン政権のクウェートへの侵攻に始まる一連の湾岸危機、それに続きます第一次湾岸戦争について述べてみたいと思います。
 この際に、私は外交の一元化とは必ずしも外交当局に一元的に外交をゆだねることではないというふうに申し上げましたけれども、あのかつて一九九〇年から始まる湾岸危機、それに続く湾岸戦争の場合には、実は、日本の官僚機構の内部、当時は大蔵省でございましたけれども、大蔵省と、それから当時の外務省、この二つの省が実質的には一種の二元外交を繰り広げるということになりまして、日本外交が大きな混乱に立ち至り、そして、当時は危機に際した日本国は三つの選択肢を持っていたと思うのですけれども、文字どおり血を流す、つまり軍を派遣して多国籍軍とともに戦う。二つ目に、それはできないのだけれども、例えばの話、病院船を現地に派遣をしたりとして前線で正に汗を流す。血を流す、汗を流す、そして三つ目は金を出す。先ほど北沢参考人が正にお金による日本外交、意思決定や本格的な外交には加わらないのだけれども、最後にお金だけ出してつまり参加をするという、お金を出す。
 皆さんよく御案内のとおり、第一次湾岸戦争では日本は血を流すことができる法制的な裏付けは全くなく、かつ加えて広義のPKOやそれから病院船の派遣というようなことについても、それを国家として可能にするような十分な背景を持っておりませんでしたために、日本は最終的には百三十億ドルを、かつ西側先進国の中では唯一増税をしてまでそれを調達し、この血を流す、そして汗を流すというのの代わりに金を出したのでありますけれども、その結果、皆さん御案内のとおりのことでございました。つまり、クウェートが主権を回復した後、ニューヨーク・タイムズなど有力紙に感謝の発表をしたのでありますけれども、その感謝国リストの中に、百三十億ドル、それもしかも増税をしてまで調達したジャパンという名前はついにありませんでした。それを通じて、湾岸戦争では、実は湾岸戦争で本当の意味で敗れたのは日本という国あるいは日本国の外交ではなかったのか、私はずっと問題提起を続けておりました。
 しかし、このそうしたことが起こる一つの大きな背景は、実は当時、大蔵省の言ってみれば、国内における政治権力というのはほぼ頂点に達しておったというようなことがありまして、実は外務省を差しおいてすべての重要な外交上の決断に大蔵省が関与し、大蔵省が、そこで実は外交の二元化というのが省内で起こってしまったということにつきまして、私「一九九一年日本の敗北」というノンフィクション作品の中で精緻にそこの部分は裏付けを持って書かせていただきましたし、その意見についてはともかくとして、事実関係については当の大蔵省からも、事実関係自身が間違っているという指摘はありませんでした。その際、その衝の一つに当たった当時の亡くなられました橋本大蔵大臣も、意見は別にして、事実関係についてはこのとおりであるというふうに言われたので間違いないと思いますけれども、やっぱり政権内部というか政府内部で外交が二元化をする、それはアメリカに、当時なのですけれども、主導権を握られるような形で日本の国益を大きく損なってしまうというようなことがございました。
 これが、今度は対外的な事柄になりますと、もっと事態は深刻となります。
 対北朝鮮外交における議員外交の系譜と言われるようなものがあります。それは皆さん御存じのように、金丸訪朝団から、さらに、小泉訪朝は一見総理がやられているように見えますし、現に総理が行かれたのでありますけれども、それに至る系譜のところは、必ずしもそういう意味では、外交の一元化の下で精緻に進められたのかどうかというところについては今後なお多くの検証が必要だと思います。
 近くのケースでいうと、山崎安全保障調査会長の訪朝がそれに当たります。本人は、訪朝後逐一、北朝鮮との交渉の関係で逐一かつての交渉の内容をチェックをしながら先方と話合いを進めたと言っておりますので、これは事実上外交交渉、折衝に極めて近い形を取ったことは否定できないのだというふうに思います。
 私は、頭からこれがいけないと、すべきでないと申し上げているものではありませんけれども、結果的には、日本の国益を代表した交渉が二つに分かれるわけでありますから、北朝鮮の側からいうと、当然より北朝鮮に寄り添ったものについてそれを選択をするという自由を北朝鮮側に与えてしまうというようなことがありまして、だれにこのような交渉は有利になるのかということになりますと、もうこれは結論をまたないんだというふうに思います。したがって、やはり国益は一種の内閣の総攬の下で一元的に原則的には推し進められるべきだというふうに思います。
 そうした中で、私はそういうふうに思っているジャーナリストの一人でございますので、その中で、やはり先ほど冒頭に申し上げましたように、この衆参両院の外交に対する影響力、役割ということを考えますと、やはり国際条約の批准、そして外交そのものについて国際協定、そして国際約束、さらには一般に行われる外交交渉そのものをこの院の議論の中の俎上に上げてその問題点を明らかにし、日本外交を正しい軌道に乗せていくというところにこそやはり有権者がここにおられる諸先生に最も望む道ではないかというふうに考えます。
 その中で、思い出していただきたいと思うのですけれども、平壌宣言と言われるものが二〇〇二年九月十七日に取りまとめられました。これは双方の、日本国総理小泉純一郎さん、そして北朝鮮側は国防委員会の委員長金正日と、この両指導者がそこにサインをしておりますので、非常にこれは、院の批准は必要がありませんけれども、非常に重い外交上の文書だというふうに思います。
 これを今再び思い返していただきたいのでございますけれども、これは非常に単純な構成になっているように思います。つまり、日朝両国は速やかに国交樹立のための交渉を始め、そして国交が樹立された後日本国は北朝鮮に対して巨額の経済協力を行うということが書いてございます。その後に、しかしそれだけでは恐らく衆参両院もまた有権者も納得しないとこの交渉担当者は思ったのだと思います。核とミサイルの問題について簡単に触れてあります。これは、この中で、双方は、つまり日朝双方は、核問題及びミサイル問題を含む安全保障上の諸問題に関し、関係諸国の間の対話を促進し、問題解決を図ることの必要性を確認をしたと書いてございます。
 もとより、皆様には言うまでもないことだと思うのですけれども、問題解決を図ることの必要性を確認をしたという程度の文章はいかなる形でも簡単に書けるのでありまして、これほど大きな、つまり国交樹立のための交渉を行い、それが早期に妥結をした場合は、当時は早期の妥結をつまり見通していたのですけれども。
 そして、これほどの、国民の血税と言われるような貴重な財源を使って経済協力をする、これほどのことをこの平壌宣言の中で約束をしながら、その一方で、私どもに最も関心があります核とミサイルの問題については問題解決を図ることの必要性を確認をしたという、文字どおり程度のと申し上げていいと思うのですけれども、その程度のものにとどまっておりますし、この段でミサイル発射も、二〇〇三年以降も更に延長していく意向を表明をしたとなっておりますけれども、この部分については正にこの平壌宣言は破られた形になっております。
 そしてさらに、一番問題なのは、この平壌宣言は、このような外交交渉では、重要な首脳会談が行われ、その首脳会談を踏まえた上でこの平壌宣言を署名をし、ですから両首脳は署名をすることになっておるのですけれども、この直前には皆さん御案内のように、拉致の問題について先方の金正日国防委員長は謝罪をしたと言われています。しかし、これは口頭で伝えられているだけで、この平壌宣言の中には拉致の問題は、この二言は全く記述をされておりません。しかし、後に記者会見その他でこの外交当局者はそれを追及されて、いや、第三項目めを見てください、そこに書いてあるんですという釈明を行ったかに仄聞をしております。
 日本国民の生命と安全にかかわる懸案事項については、朝鮮民主主義人民共和国側は、日朝が不正常な関係にある中で生じたこのような遺憾な問題が今後生じることがないよう適切な措置をとることを確認をしたと平壌宣言は記述をしております。この日本国民の生命と安全にかかわる懸案問題というのが拉致だというのが外交当局者の説明なのでありますけれども、ならば拉致という問題ははっきり書かれてしかるべきであります。それが、恐らく、私は非常に穏当な主張をしておるのでありまして、これは世界的なもう譲れない大原則だと思うのでありますけれども、一言も書かれておりませんし、仮に百歩譲ってこれがその拉致問題であるにしても、こういう遺憾な問題が今後再び生じることのないようと述べているにすぎないのでありまして、過去の拉致問題に通ずる清算に踏み込んだ議論が全く行われていないというふうに言わざるを得ないのであります。つまり、このことを含めてこの日朝平壌宣言には様々なといいますか、恐らく日本国の原則として譲ることのできない幾つかの重要な問題点をはらんでいるのでありますけれども。
 私も後に、この平壌宣言にかかわる院での議論を記録を通じて拝見しましたし、ここにおられます会長自身も質疑をされていて、それも拝見はされていますけれども、衆議院を含めてもっと本格的な、正にこの日朝平壌宣言のゆえに審議が何日も続き、そして場合によっては、その答弁が不十分な場合には審議が、正にこのこと、こういうときこそ止まってしかるべきというふうに考えられるのですけれども、そのような深い議論が必ずしも交わされたと聞いておりませんので、もしそうだとすれば大変残念な事態であり、私どもが衆参両院に期待をするのは正にこの点ではないかと考えますので、今日は率直に外交ジャーナリストの立場からその点について申し上げさせていただきました。
 そして最後に、今、アメリカのイラクに対する力の行使、それを支持した日本の姿勢が正しいのかどうか、これは正に皆さんも恐らく選挙区に帰られても与野党の立場を超えて有権者の大変重要な関心のあるところだと思いますので議論が出るのだと思いますけれども、そこのところについて最後に一言申し上げたく思います。
 このイラク戦争の正当性をめぐる議論については、私、アメリカでもヨーロッパでもその議論を注意深く聞いてまいりましたけれども、明らかに欧米と日本ではこの点について、かなり大きな体温差といいますか議論に落差があるように思います。
 実は、まず事実関係だけ簡単に振り返ってみたいと思うんですけれど、当時の小泉自民党政権は、なぜアメリカのイラクに対する力の行使を支持をするのか、これにつきまして、イラクのサダム・フセイン政権は、過去、特に第一次湾岸戦争以来累次にわたって国連決議というものに違反をしてきた、したがって、日本政府はこの決議に違反をしてきたイラクのサダム・フセインについて、言わばそれを根拠にして力の行使をするアメリカのブッシュ政権の対イラク戦争を支持をするという論理構成でございました。主たる論理構成はこの点でございますから、必ずしもイラクのサダム・フセイン政権が核や生物化学兵器を持っているのでそれを討つという論理構成にはなっていないと承知をしております。
 正にこの点で、しかも直前では、このアメリカを中心とする多国籍軍がイラクのサダム・フセインに対し、軍に対して力の行使をするということについて明確な武力の容認決議を取りに行ったのでありますけれども、皆さんよく御案内のとおり、最終段階ではアメリカの同盟国、フランスそしてドイツ、カナダといったようなところが軒並み反対をしておりましたので、ついにこの明確な武力の容認決議は取ることができませんでした。
 したがって、容認決議を取ることに明示的に失敗をしているのでありますけれども、日本の外務省、とりわけ条約当局の担当官は、明確な武力容認決議を取ることに失敗をしたので、苦慮した余り、過去のつまり決議にさかのぼって、そこで違反をしているので、つまりアメリカのイラクに対する力の行使は正当だと言ったのであります。この点で、正に国連、UNとUS、アメリカ合衆国がもう戦後初めて決定的な場面でこの決断が分かれたと申し上げていいのだというふうに思います。
 それで、日本はその国連決議に従って、日本がアメリカの力の行使を容認をすることを支持し、それを議会の答弁でも一貫して総理、外務大臣、そして記者会見などで外務次官以下その答弁で統一をしているのでありますけれども、ここに実は大きな問題がありまして、アメリカのブッシュ政権、正にこの力の行使をするその現場に私、終始一貫付き従っておりましたけれども、アメリカのそもそも当のブッシュ政権がこのような、つまり国連決議で自分たちのイラクに対する力の行使の正当性を説明を、時々は言っておりますよ、しかし、決定的なところではアメリカですら言っていないのであります。
 どうして日本だけがこういうふうになったのか。それは皆さんの方がよく御案内のとおりで、国連や国際法というようなものを持ち出して書けば、書けばというのは、実はその主人公は外務大臣でも外務次官でもなく、実は条約局長ですらなく、条約局の一担当官が、これこういう事態で、事態を正当化する作文をしろと言われたら、当然書きますですよね。それがつまり最終的な決裁に上がってきて、それでということになったのであります。つまり、言ってみれば外務省の一条約に関する下僚が書いた作文、それが最終的な、あろうことか日本国がアメリカという重要な同盟国の力の行使を正当化する最後のつまりよりどころになり、この答弁がずっと続いて、今に至るまで現総理も、そして与党の幹事長、つまり党の立場の方々もすべてこれで統一的な見解としているのであります。このことを、つまり国際条約や国際法にあえて言いますと安易に逃げ込んでしまえば、同盟、つまり日米同盟のために支持をするのかどうかという、これについては、この中にお集まりの方全員が恐らく意見が違うのではないか、違ってしかるべきだというふうに思いますけれども、同盟の議論は少しも深まることがありません。
 この中で、賛否は、北沢参考人は強く反対されるに違いないのですけれども、この中でいかにも政治家らしい議論を私、聞いたことがございます。それは、現在の麻生太郎外務大臣の議論であります。
 これは、初めてUNとUSの意向がつまり割れた、そのときに、自分は政治家としてUSを選ぶ。この例え話に、実はヤンキースという野球チームと、それからヤンキースタジアムという、つまり場を提供しているところがある、どっちを選ぶのかと聞かれたら、自分は疑問の余地なく松井がいるヤンキースというチームを選ぶんだというふうに、つまり国際社会の議論を提供している正にUNという場ではなくて、正に同盟国の相手として松井のいるヤンキースを選ぶというふうに言っておられました。
 これは非常に厳しい批判もおありでしょうし、いろんな議論があると思うのですけれども、大変やっぱり政治家としてひとつやるべき議論が堂々と闘われているというふうに思うのであります。それに、根拠として外務大臣は、北朝鮮という、つまり核の脅威を前にした、アメリカには直接日本ほど大きな脅威はありませんから、それで言う。その一方で、ドイツやフランスはそのような形で明日にも核の脅威があるというようなところにない。したがって、イラク戦争に対して力の行使に至ったアメリカをいかほどに痛切に必要としているのかという点については、ヨーロッパのフランスやドイツとは全く事情が違う。こうした中で、自分は考えに考え抜くけれども、結局のところヤンキースというチームを選ぶんだと。つまり、情勢が違う。
 このような議論であれば、皆さん大変に意見が違うのでありましょうけれども、正に日米同盟はいかにあるべきなのか、議論がずっと深まっていくのでありますけれども、正に思考停止を命ずるかのごとくこの国連決議、国際法にもう安易に逃げ込んでしまって、それで事足りようとしているというようなのが今の現状ではないかというふうに思いますので、正に同盟は、正に日米同盟はいかにあるべきなのかということを含めて議論をするために、安易な国際法への説明に依存をする現在の在り方については、少なくとも国際的にそのような議論はほとんど行われておりませんので、正に正々堂々と、アメリカの力の行使を容認をするについてはプラスマイナスは多々あるとは思うのですけれども、堂々とした議論をこの院で繰り広げていただきたいということを最後に申し上げて、御報告を終わらせていただきます。
#10
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
 次に、川勝参考人から御意見をお述べいただきます。川勝参考人、お願いします。
#11
○参考人(川勝平太君) 田中会長、御列席の先生方、本日はお招きにあずかりまして誠に光栄でございます。
 ただいま北沢参考人、手嶋参考人の御立派な見識をお聞きいたしまして、愚論を述べるのは恥ずかしゅうございますけれども、多極化時代における新たな日本外交につきまして、文化文明論的な観点から思うところを開陳いたしたく存じます。
 まず、日本の世界史的位置が劇的に変化したということを踏まえるべきである。日本の国際社会に占める位置が変わりました。幕末開港以降、明治維新、近代化の政府が立脚したのは富国強兵の時代でございましたが、これは欧米へのキャッチアップという目的がございました。しかし、平成期には、今やアジア地域間競争をリードするリーダー格の地位に転身したわけであります。戦前期におきましては大英帝国を言わばモデルとして大日本帝国をつくり、戦後は経済大国アメリカを一つの理想として経済大国化を図ってきたと存じますけれども、今やイギリスはGDP日本の三分の一の大きさの国でしかありません。
 アメリカへのキャッチアップ、これはいろいろ議論があるかと存じますけれども、六〇年代の繊維摩擦、七〇年代における造船業あるいは鉄鋼業におけるアメリカを凌駕する日本の躍進、あるいは一九八〇年における国内における日本の自動車生産、これが一千万台を超えまして、アメリカのその年の生産台数を超えて、その後は様々な家電製品、半導体と、いわゆる旧産業におきまして日本がアメリカにかなわないものがなくなっていったのが一九八〇年代であったと。すなわち、日本の地位はジャパン・アズ・ナンバーワンとアメリカ人自身が呼ばれるような地位に転身し、その帰結が一九八五年のプラザ合意ではなかったかと思います。これは、先進五か国によるドル高是正を取り決めたものでありますが、ここで、その数年後には日本の製品が二倍あるいはそれ以上になるという中で、アメリカがその日本の製品に対しましては価格においても品質においても太刀打ちできないということを認めたと。言い換えれば、日本は近代化の分水嶺をこの一九八五年に越えたというふうに存じます。したがって、その後は言わばマネーゲームと軍事を除きますと、新しい、新産業というところでの競争が始まっているというふうに思います。
 プラザ合意以後の日本は円高不況に陥りました。しかし、安い労働力を求めまして近隣のアジア諸国に資本を投下し、技術を移転し、また人材を派遣いたしまして、東アジア地域の経済の高度化を図りました。これは、東アジア地域の日本化、ジャパナイゼーションであるというふうに言うことができると思います。
 日本は、京都に中国を中心にした東洋の文明の成果を入れ込みました。そして、場所を変えまして東京に西洋の文明の成果を入れ込んだわけであります。日本人が西洋の文物において欲しいと思ったもの、必要としたものにおいて、日本、特に東京にないものはございません。いよいよ世界に発信するという日本史上未曾有の好機が到来していると。アジアの目、世界の目が日本に注いでおり、モデルとしての自覚が必要であります。私が属しております国際日本文化研究センターも、日本の文化を総合的、国際的また学際的に研究することによって世界に発信するための国立の研究機関として、今から二十年前に設立されたものであります。
 さて、世界は多様な文化から成りますけれども、魅力ある文化というのはそれ自体が人々によって取り込まれて世界に広まってまいります。世界に広まる文化、すなわちそれなりの普遍性を持つ文化というのは文明というふうに言うことができるかと存じます。文明をキーワードとして国際政治を考える火付け役になったのは、ハンチントンの文明の衝突論でした。ハンチントンは、現代の世界には七つないし八つの文明があると論じておりますが、七つのうち、アジアには中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、そして日本文明のこの四つを挙げているわけであります。見失われがちなのは、ほかならぬ文明としての日本の存在であります。ハンチントンは日本を文明の一つに挙げておりますが、これはハンチントンに限ったことではありません。世界の知識人の常識であり、ハンチントンはその常識に倣ったにすぎません。日本の世界に占めるプレゼンスは、我々が考えている以上に大きいように思います。ちなみに、ハンチントン自身は「文明の衝突」の日本語版への序文で、日本文明は基本的に中国文明と異なる、日本文明は西洋文明と異なったままである、日本は近代化したが、西欧にはならなかったというふうに記しています。
 一衣帯水、同種同文などの表現で日本と中国あるいは韓国が安易に一体化できると思うのは幻想であると存じます。日本は中国文明とは構造が異なりますから、日中友好は同質性を強調することによってよりも異質性を踏まえて進める方が建設的だと存じます。日本は、基本的に中国文明はもとより、他の諸文明とも異なる独自の文明であるということであります。
 しからば、いかなる国の形、日本文明を発信していくかということであります。
 今日、安倍内閣は美しい国づくりを標榜されております。国というのは、高坂正尭さんの若き時代の名著である「国際政治」をひもときますれば、力の体系、利益の体系、価値の体系、この三つの体系から成ると、この三つの体系、いずれもゆるがせにはできないというふうに論じられております。力の体系というのはこれは軍事力、利益の体系というのは経済力、価値の体系というのは文化力というふうに言い換えることができましょう。防衛をする力がなければ国として成り立ちません。貧困が横溢するようであれば国としての体裁はあり得ません。また、国の価値が分裂して内部抗争が多いようでは国としての体裁も成り立ちません。
 その意味におきまして、軍事力、経済力、文化力というのはいずれも重要でありますけれども、しかし日本の国の形を明治維新以降大きく分けて見ますれば、その三つの価値のうち力点が移ってきたというふうに言うことができます。
 戦前期は富国強兵のうち強兵に力点があり、すなわち軍事力に力点があり、戦後は経済力に、利益の体系に力点が置かれたと思います。それなりの力のある経済力、また防衛力を持つ国になりまして、我々に今必要とされているのはもう一つの体系である価値の体系、言い換えれば文化力ではないかというふうに思います。
 それは、形容詞で言うならば強い国づくりというところから美しい国づくりへという、一歩前進であるというふうに言えるのではないかと思います。なぜ美しいというような形容詞が文化力に対応しているかと言いますれば、軍事力というのも経済力というのも、これは外に向かう力であります。破壊する力あるいは安くて品質のいいもので外の市場に進出していく力と、これは外に向かう力であります。しかし、美しいというのは、これは言わば感動する力であります。感動するものであります。言わば引き付ける力ということで、典型的なのは芸術であり、あるいは学問であり、広く文化というふうに言うことができましょう。その意味におきまして、強い国から美しい国へというのは、力の文明から美の文明への転換というふうに言うことができるかと存じます。
 我が国がそれなりの達成をしました後、バブルになりまして、清貧論というのがはやりました。しかし、清貧論というのをこれを英語に訳すれば、ピュアでプアだということでございますが、こうしたピュアでプアで生きていくというようなことをバングラデシュとかフィリピンのごみの山のところで言えば、これは、余りにも日本のその身ぎれいさあるいは清潔さ、すなわち富というものと、言っていることとが違います。私は、富国であることは恥じるべきものではない、その富をどう使うかという、そこが問われていると。したがって、その使い方、すなわちそこに品格といいますか、が問われる、言い換えますと、富国有徳というのがこれからの国の形のあるべき標語ではないかと。徳は孤、すなわち孤立してはいない、徳は孤ならずと言います。引き付ける力を持つのが徳であります。富国強兵から富国有徳へという、そういう今我々は転換期にいるのではないかと思うのであります。
 ところで、日本は今、東アジア地域におけるリーダー格の立場におるわけでありますが、そこにおける日本の地政学的な姿というものをもう一度見ますれば、東アジア地域はEUあるいは北米と比べますと、EUが、先ほど北沢参考人の話にありましたように、ドイツとフランスの石炭、鉄、戦争の材料となるそういう素材を共同して管理するというところからEC、EUに発展していったわけでありますが、正にヨーロッパ大陸内における関係、これが軸になっております。北米は言うまでもなく大陸の関係であります。しかしながら、日本というのは言うまでもなくこれは島国であります。
 そうした観点からお隣の韓国を見れば、三十八度線で人工的に大陸と遮断されているという意味におきましては、これも半分島、あるいは島と言っていいでしょう。香港あるいは台湾、フィリピン、インドネシア、広く東南アジア諸地域というのは海に面している地域が発展しております。中国においても同じであります。そのような意味におきまして、東アジアというのは、これは海洋東アジアであると。日本はアジアの国ではありますが、仮にアジアを大陸アジアと海洋アジアというふうに分けますれば、日本は海洋アジアに属しているというふうに言うことができます。そして、海洋東アジア共同体というものがあるとすれば、これは海の共同体というふうに言うことができると存じます。
 ちなみに、その海洋アジアというのは、これは今日不安定の弧と言われているものに相応するものであります。インド洋、東南アジア、そして東アジアの幾つかの海というところ、これは不安定の海というふうに言われておりますけれども、これを海洋アジアという観点で大きく分けますれば、海洋南アジア、すなわちインド洋、それから海洋東アジア、これは、北は日本海、東シナ海、南シナ海、これが海洋東アジアであります。そして、その中間に位置する東南アジア、多島海世界と、この三つに分けられるわけでありますが、我々はどちらかというと大国の中国やインドに引き付けられて東南アジアの歴史的な役割を見落としがちでありますけれども、歴史的に見ますれば、この東南アジアの多島海世界、これはある意味で近代文明の母体であったとさえ言うことができます。そこにイスラム教徒、ヒンドゥー教徒、仏教徒、道教や儒学を奉ずる人々、様々な宗教の人たちがいるのは、そこに人々が来たからでありまして、正に文明のるつぼと化す時代が十六世紀、十七世紀にございました。
 そうしたところにヨーロッパや日本が後からやってまいりまして、そこから物産を買うという流れの中から、やがて二世紀後に近代文明がユーラシア大陸の両端に出てきますけれども、それは物を買う、そういう貿易の赤字からいかに自立するかという、それをイギリスの場合には、産業革命を通して大西洋経済圏というところで海洋東アジア、海洋南アジア地域から自立をすると。日本の場合には、鎖国という、そういうシステムを取ることによって海洋アジアから自立するという、そのような経緯を見て取ることができるわけでありまして、それぞれ近代文明をつくり上げた西ヨーロッパと日本というのは、かつてこの東南アジア海洋地域に深くコミットし、そこから自立をしてその近代文明の母体を築いたという、そういうことがございまして、我々は東南アジア諸地域、今日ASEAN十か国を形成しておりますけれども、そこに日本が援助するというよりも、むしろそこから謙虚に学ぶという、そういう姿勢があってもいいかと存じます。
 さて、これから日本がどのような文明をつくり上げていくかということでございますけれども、私は、先ほどの北沢報告にもございましたけれども、一九九二年の地球サミットというのは、これは人類史上最大の国際会議であり、そして、それまでのイデオロギー的な対立を超えて、お互いにしていたことは共通していたと。すなわち大量生産、大量消費、大量廃棄であったということから、環境問題の発見あるいは地球の発見と言っていいものであったと存じます。
 すなわち、近代文明というのは自然をコントロールする科学技術を持ちましたが、これはまた、これを通して自然を復元をする技術にもなり得るものであります。そうしたところから、私は、日本が対外的に展示する国の形を変えながら対外的な新しい展開をしていくべきだというふうに思うわけであります。したがって、外交と内政というものは平仄を合わせているものでなければならないというふうに思うわけであります。そうした中で、私は、日本の国の形もおのずと変わるべき、そういう今段階に来ていると。
 ちょうど一九八九年、昭和天皇がおかくれになりました後、喪が明けました九〇年に、先生方、衆議院、参議院、両院の先生方が全会一致で首都機能の移転をお決めになりました。そして、翌年、議員立法で国会等移転審議会、これを設ける法律が定められまして、九九年十二月に那須野ケ原を筆頭候補にした報告書がまとめられております。
 日本の国というのは、国の形を変えるときに権力の所在地を変えてきております。奈良、平安、鎌倉、室町、江戸というふうに場所で時代を区分する国は日本をおいてほかにどこにもありません。そういうお国柄を見ますと、明治、大正、昭和、平成と、平成に入ったその直後に場所を移そうという、そういう決議をなさったのは、あたかも日本の地霊が国の代表の方々をして語らしめた、東京の時代が終わったと、欧米の文物を受容する時代が終わったということをそれは言わしめたとさえ思うほどでございます。
 ちなみに、その那須野ケ原というところは、ちょうど関東平野の野が尽きて北海道、東北という森の世界に入るところであります。そういう意味でいえば平野と森との間にあるところ、そういうところについての日本の伝統的なイメージというのは、日本は元々平野が多くの地域は狭くございますので、その狭い平野に命の水と田畑の水を使わねばならないということで、その水を供給する山に対してそれを大事にするということから、そこに鳥居を建て、社を建てて鎮守の森としてそれを大事にしてきたという、そういう歴史、伝統にかんがみますれば、那須野ケ原の位置というのは野から森に入るところ、森から野に出るところでありまして、正に鎮守の森の都と言うにふさわしいところでありましょう。
 京都というのが中国の形を写したものであり、東京というのが西洋の形を写したものであるとすれば、鎮守の森の都というのはこれは正に日本のものであり、そして地球環境問題が国際的な共通認識になっている流れの中にいたしますれば、森の都というのは地球社会のモデルになる都という、そういう意味合いを持つかと存じます。
 ちなみに、これは対外的なところを論ずるのに国内的なことを論ずるのはおかしなことと思われるかも存じませんけれども、今の話をちょっと続けさせていただきますと、北海道、東北を仮に森ととらえれば関東は野と取られます。そして、その野の州から西に行けば箱根、富士山、南アルプス、中央アルプス、北アルプスとありまして正に山の州に入ります。そして、それが滋賀県に入りますと、琵琶湖は京都の町を洗い淀川を経て瀬戸内海に注ぐ、正に瀬戸内海を取り囲む津々浦々の海の州に出るわけであります。
 海の州、山の州、野の州、森の州というような、そのような地域をそれぞれ経済的に見ますれば、森の州だけでカナダに匹敵し、野の州はフランスに匹敵する。山の州はカナダを凌駕するGDPを持ち、海の州はイギリスを凌駕するGDPを持ちます。したがって、そういうところに中央の権限、財源そして人材を三位一体として移転することができる、それぐらいの地域力を持っているわけであります。そうしたときに、その中央政府、これは鎮守の森の都に外交、防衛、安全保障、通貨そして国全体の調整というものだけを残し、他の権限、財源、人材というのはそういう先進国に匹敵するような地域に移譲することができるでありましょう。
 そうしたときに、州都をどこにするかというときに、森の州の州都は仮に北海道、野の州の州都は大宮なり東京なり、山の州の州都は第二候補地になりました東美濃と。西の州の州都、海の州の州都をどこにするかということにつきまして、私はこれは長い歴史を持っておりますから大変その決定が難しいというふうに存じますが、これは大阪にしろ神戸にしろ、あるいは岡山にしろ広島にしろ、既にそういう新しい州都争いの萌芽が出てきておりますけれども、これは海に浮かべればよいと、海に浮かべる州都にすればよろしいと。そうすると州都争いができなくて済むであろうと。
 そのことは、実はやがて東アジア共同体が数十年後あるいは一世紀後に本当に構想せられるとき、これはアジアの海の共同体ということでありますから、その本部をどこにするかということが必ず出てまいりましょう。北京にするか、東京にするか、シンガポールにするか、あるいはジャカルタにするか、そういう争いが出てくるかと存じますけれども、海の州の州都は海に浮かべるという、そういう前例を日本が示すことができますならば、本部を海に浮かべるということは、海が平和でかつ共有されていなければできることではありません。しかし、そうしたことが可能であるという、そういう先例を示すことはできるでありましょう。
 ちなみに、これは一見荒唐無稽のようでありますけれども、ヨーロッパの人たちにとっては比較的分かりやすいことかもしれません。ヨーロッパの起源にはアテネ、ギリシャの文明がございますが、これがペルシャ戦争から自立する、ペルシャ戦争で勝つときに、あのアクロポリスがペルシャ軍によってじゅうりんせられて、アテネの人たちは船に逃げるわけですね。数百そうの船に浮かぶわけでありますが、最後の海戦を前にしてアテネの海軍大将テミストクレスが作戦を述べようとしたときに、君のポリスはもうつぶれているので発言の資格がないと言われたときに、いや、アテネはこの海に浮かんでいる限りにアテネであるという名演説をぶちまして、あのサラミスの海戦でペルシャの大軍を破りまして、そして後のアテネの繁栄を築いたという、そういう故事もございます。そうしたことで、本当の地中海に例えられる東アジア地中海というもののその首都がそういうふうに海に浮かべられるという日を構想するのは無駄じゃないというふうに存ずる次第でございます。
 それから、本気で日本が東アジアに共同体の海というものを構想しようといたしますれば、当然、海の名称それ自体についても必ず問題になってくるでしょう。既に問題になっておりますのが日本海であります。日本海を韓国が東海、東の海と言うと。しかし、日本から見るとそれは西ですから、これは非常におかしいと。しからば、青い海、青海と言えるか。海は皆青いわけであります。黄海と比べて青いから、青海と言われているわけですが、これも必ずしも適切な言葉ではありません。
 先ほど申しましたごとく、海洋アジアというのは東アジア、東南アジア、そして南アジアのこの三つに分けられるわけですが、この東アジアの海というそういう観点から見ますれば、日本海は北に位置しておりまして、これはノース・イーストエーシャン・シーというふうに言うことができるでしょう。東シナ海というのはちょうど真ん中にございます。したがって、これはミドル・イーストエーシャン・シーと言うことができるでしょう。そして、南シナ海というのはもう東南アジアにまで掛かっております。したがって、これはサウス・イーストエーシャン・シーというふうに言うことができるでありましょう。そういうふうに言いますれば、これはその国名というものを克服して、しかも日本が東アジア地域というものを大事にするということが見えてくるのではないかというふうに存ずる次第であります。
 さて、その中で恐らく一番重要な場所は、北の東アジア海、中の東アジア海、南の東アジア海の、その中の東アジア海のど真ん中にあるのが沖縄であります。沖縄は今軍事基地でありますけれども、やがて将来それが平和の拠点になるというような、そういう位置関係もありますので、海に浮かべる前に、場合によってはその沖縄が海の共同体、東アジア海の共同体の平和の拠点に華麗に転身するということも夢ではないかもしれません。
 ちなみに、我々は、海洋東アジアとかあるいは海洋アジアということで、アジアと言うことによって我々の海の仲間たちを見失う、そういう危険性があります。それはどこかといいますと、日本の真南、日本の標準時は百三十五度、明石でありますが、その真南にパラオというのがあります。これはかつてドイツの植民地だったわけですが、それを国際連盟から委任統治されて、日本が南洋庁を置いたところであります。そのすぐ東にはミクロネシア連邦共和国があります。さらにその東にはマーシャル諸島共和国があります。そうしたところ、これは皆実はすぐ近くございまして、しかも日本との関係というのは戦前来非常に深いところがございます。沖縄の人たちがたくさんそこに移民をいたしまして、あるいは技術、農業、サトウキビを作る技術とか漁業の技術を教え、また日本がそこで教育をしましたので、親日的な、今独立しておりますが、独立国が多いわけであります。パラオ共和国なぞはナカムラさんという大統領まで戦後になって生んでおります。
 ちなみに、そういうことを入れますと、今度は東南アジアを見れば、パプアニューギニアからインドネシアのすぐ南にはオセアニアがあります。その東側にはメラネシアとかポリネシアとかいう地域が広がっておりまして、これは地図をごらんになりますれば、西太平洋の島々の全部一帯を構成しているということでございます。
 日本は、かつて小渕内閣のときに、南太平洋フォーラムという十六の国と地域から成るそのフォーラムに対して、太平洋・島サミットというふうに名前を変えてほしいというふうに申し出られて、それが受け入れられて、今日それは太平洋・島サミットというふうに言われておりますけれども、これは、南太平洋フォーラムというのは、例えばパラオにしてもミクロネシア連邦共和国にしても、あるいはマーシャル諸島共和国にしても、これは赤道より北にありますから、確かに南太平洋と言うのにはちょっと無理があると。これは恐らく太平洋・島サミットに日本もその仲間に入るという、そういう意味合いがあったからこそ、戦後三十年以上続いていたこの南太平洋フォーラムというそのメンバーの諸国が太平洋・島サミットという名前に変えた理由であろうと存じます。
 したがって、私はこうした地域に日本がコミットをいたしますれば、これは文字どおり西太平洋の津々浦々連合というような、そういう意味合いが出てくるのではないかというふうに思うわけであります。そこはたくさんの小さな諸国があります。中小国がアリのようにこう蟻集しているわけですね。こういう地域は親日的であります。オーストラリアも日本が最大の輸出先であり、輸入元としてはアメリカに次いで二位でありまして、非常に親日的であると。こういう友好国を我々は大事にするべきであろうと。すなわち、少数の大国との関係、アメリカとか中国とかロシアあるいはヨーロッパ地域というものだけでなくて、多数の中小国というものに我々は目を向ける必要があるのではないかと存じます。その場合に、西太平洋の津々浦々連合というのは南北の合従という、そういう発想の中でここに日本との友好関係を築いていくと。
 それからもう一つ、南北の合従といえば東西の連衡というのが対になった言葉でありますが、東西の連衡を言う場合に、ロシアにとってチェチェンが煙たい存在、あるいは中国にとってモンゴルが煙たい存在でありますが、しかしながら、モンゴルからずっとウズベキスタン、キルギスタン、タジキスタン、トルクメニスタン、そしてトルコに至るまで、すべてこの地域は親日的であります。いわゆるシルクロードの地域でありまして、シルクロードというのは、これは文明の交流の道であります。こういう地域はトルコを通してNATO、すなわちヨーロッパとつながっております、実際上。小アジアとヨーロッパとを結んでいるボスポラス海峡に架かっている橋の一つは日本製であります。
 そのような意味におきまして、東西の連衡においてはシルクロード外交を、そして南北の合従においては西太平洋津々浦々連合をというような、そういう構想をしてもどうかと。これは案外目に入らないのはなぜかというと、そういうところには大使館がなし、あるいは領事館もないわけであります。大体、臨時代理大使とかいった程度のものが置かれているか、あるいはもうJICAの事務が統括しているところであります。
 しかしながら、そこには、北沢報告にもありましたけれども、多数のNGOの人たちが活躍しておりまして、友好関係を結んでおります。こういう地域との関係を重視していくということは、シルクロード外交においてはロシアあるいは中国に対する牽制にもなりましょう。西太平洋津々浦々連合におきましては、これはアメリカへの若干の牽制という、牽制力というものを持ちます。
 そしてまた、日本がその国際社会の中で生きていくために日米同盟に合わせて国連外交というものを軸にする場合、国連というのは多数決主義でありますから、多くの友邦を持つという、そういうメリットもあると存じます。こういう地域には青年海外協力隊あるいはシニアボランティアなどが行っておりまして、これは外務省の管轄ではありますけれども、そこで日本とそういう地域との関係が非常に深うございますので、私は例えばそのJICA、グローバルユニバーシティーというようなものを日本につくりまして、そこでMBAならぬMEA、MBAというのはアメリカがお金もうけをするためにつくり上げた学位ではありますけれども、マスター・オブ・ビジネス・アドミニストレーションと、いかにもアメリカらしい学位ですけれども、そうではなくて、マスター・オブ・エンバイロンメンタル・アドミニストレーションと、すなわち環境経営学修士というような、そうした学位を日本がつくって外務省と文科省が一体になって、これまで日本が近代国家としての体を成すために日本人が日本語によって日本の青年に教育するというところから、日本人が内外の青年のために教育する、国際的なそういう知的な場になるような、そういう人たちがそこにたくさん潜在力としているわけであります。
 そうしたところから、日本は、美しい地球、水の惑星に対して海に浮かぶ島国として、ガーデンアイランズ、その魅力をこれから発揮するべき、そういう好機にあるというふうにも、この厳しい環境の中でありますけれども、そこに一縷の希望のようなものを託せるように存ずる次第であります。
 ありがとうございました。
#12
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
 これより質疑を行います。
 まず、委員各位のお許しをいただきまして、私から参考人に対し若干の質疑を行わせていただきます。
 北沢参考人におかれましては、豊富な海外の経験から、テロあるいは武力紛争の根源は貧困にあると、貧困絶滅が根本的な解決方法であるというお話は正しいんではないかと思っております。その中で、御提言をいただいておりますけれども、アジアの紛争解決に我が国がもっともっと果たしていかなきゃいけないというお話をいただいておりますが、アジアの紛争地域でありますミャンマーだとかあるいはスリランカ、フィリピン、その他ございますが、政府としてあるいはNGOとしてどう行動することができるか、するべきかということをちょっとお伺いしたいと思います。
 それから、手嶋参考人には、日米同盟についてもっと国会で議論を深める必要があるというお話がございました。先般もチェイニー副大統領が訪日をされてきたわけでありますが、外交ジャーナリストとしてどういうふうにお感じになられたか、解説をお願いをしたいなと思っています。米軍艦隊の方には行って演説をされたようでありますけれども、国会にはお寄りにならなかったわけなんで、我々新聞報道でその内容を知るような状況でございますけれども、目的等についてどういうふうに、新聞では日米の世界戦略にずれがあるんではないかと、こういうようなことも報じられておりますが、率直な解説をお願いしたいと思います。
 最後になりますが、川勝参考人には、地域分権型の日本連邦と、こういう分権、今推進しております分権のお話がございました。その中に私の出身の新潟はどういうふうに位置付けられておるんでしょうか。東アジア共同体の本部に適しておるんではないか。今年は暖冬でありますので、首都移転していただいてもいいぐらいの環境でありますけれども、東アジア共同体の進め方といいますか、イメージも含めて若干御説明いただければと思っております。
 じゃ、よろしくお願い申し上げます。
 じゃ、北沢参考人からよろしくお願いいたします。
#13
○参考人(北沢洋子君) まずアジアに、世界に紛争が一番多いところは中東ですけれども、中東をさておいて、ほかを見ますと、例えば国境紛争とか国と国の間の紛争というのはほとんどもう終結しておりまして、国内紛争とかそういう、インドとパキスタンの間というのはカシミールをめぐる国境紛争ですけれども、紛争の一番多いところというのはアジアなんですね、今。昔はアフリカだったんですが、アフリカでは、今はけばけばしい紛争はスーダンのダルフールにありますけれども、世界が注目していますけれども、アジアが今一番紛争が多いところなんですね。
 様々な形をしております。前にあった、例えばインドネシアと東チモールの問題っていうのがありまして、それは当然、日本が一番インドネシアに最も多く、戦後一貫して最も多くODAを出していたわけですから、例えばODAを武器に使って、あのころスハルト政権だったわけですが、スハルト大統領に対して日本が、日本としてはODAは出すけれども、交渉の場に、つまり東チモールのFRETILINというのがいまして、ノーベル賞も取ったんですけれども、その人たちとの間の交渉の座に着いてほしいと、そういうことをまず言えるんではないかということで、私は随分そのことを政府に、外務省に申し上げたことがあるんですけれども、何かみんな、それはODAをそんなふうに使うの嫌だとかというふうな逃げ口上で、私はそれを武器に使うんじゃなくて、そういうことを言うことだけでもかなりの心理的な影響を与えるんじゃないかというふうに思ったんですけれども、そういう何というか私の考えではいろんな段階があると思うんですね。ですから、まず日本がそういう姿勢にあるよということを紛争国の当事者に知らしめるということがまず第一。
 それからもう一つ、何もNGOで得意としているアラートのような、ノルウェーのアラートのような得意としている非常に強力な何というかしっかりしているNGOがなくてもいいわけですね。たくさんの専門家がいらっしゃいます。大学にもその地域を専門にしていらっしゃる方もいらっしゃいますし、ジャーナリストの方も、専門というか非常に詳しい方もいらっしゃるわけですから、そういう人たちを集めて、例えば日本政府が決意さえすれば、そういう人たちを集めて、例えばフィリピンの今の、世にも残虐な何というか法律外殺人というのが起こっていまして、共産党系の表の知識人とかシンパの人たちがみんな虐殺されているわけですね。そういうのが今、国連も心配して人権の専門家を送りまして、そしてこれは非常に人権侵害であるという、重大な人権侵害が起こっているという警告をいたしました。
 当然日本が、日本政府がそういうことを当然やれるはずなんですね。だから、議会なら議会とか日本の政府の代表団が、使節団が行ってインタビューしてあげて、それが本当に起こっていることなのか何なのかということを調べて、何なりかの説明、判断を示すことということができます。それと同時に、たくさんのフィリピンの専門家もいらっしゃいますし、NGOもいますし、フィリピンのNGOと組んで援助をしているNGOもありますから、そういう人たちを全部集めていろんなディスカッションをして、どういうふうなことが可能かということが戦略が出せると思うんですね。
 ともかく今一番大きなフィリピンを脅かしている問題というのは、共産党のゲリラが相当な勢力を伸ばして、もうマニラにまで近づいていて、いろんな政情不安を起こしているということだと思うんですね。そのことがフィリピンの発展の、経済発展の足を縛って、外国の投資も来ないというようなことで、東南アジアの中ではいろいろうまくいっているところに比べ、経済的にうまくいっているところに比べてフィリピンが依然として落ち込んでいる原因なんですね。そういうことを取り除くためにはどうしても平和的な解決、武力による、最終的にマニラが共産軍によって陥落するというようなそういう血なまぐさい状態ではなくて、平和的に解決するということで民主主義が回復されて人々が自由に物を言えるようになれば何も共産党の世界になる必要はないわけでして、そういうシナリオというのは作れると思います。
 そういうことを私は、まだほかにたくさんありまして、一番長くて解決困難だったカシミール問題というのはインドとパキスタン自身が動いて解決する方向というのになりましたけれども、必ずしもこういうふうにうまくいくとは限らなくて、どうしてもやはり仲介というのが必要なんですね。和平の仲介というのはほとんどお金が掛かりません。ですから、高い莫大なODAを使う必要はなくて、知恵でもって日本は和平に貢献することができるというふうに思います。
 ネパールもそうです。ネパールも共産ゲリラがほとんど首都を脅かして、そして最終的に王様が辞めることによって、辞任することによって一応の和平というのは回復したんですけれども、これは根本的な解決ではなくて、やはり日本も、もうNGOもそれから政府も、ネパールには物すごくたくさんの援助をしております。ですから、そういう立場から和平交渉のお助け、助けることができるというか、下支えすることができるというふうに私は思います。
 特に問題なのはミャンマーです。ミャンマーは、軍事政権がもう本当に、アウン・サン・スー・チーさんのグループが選挙で正当に選ばれたにもかかわらず、軍事が政権を握って離さないわけです。だから、完全な不法な政権なわけですね。世界じゅうが、世界銀行も含めて全部援助を停止しているわけですけれども、日本は債務を帳消ししたり何やかんやいろんなことをやっているだけで、アウン・サン・スー・チーさんが日本の京都大学の留学生だったという過去がありまして、日本にたくさんの人脈も持っていますけれども、それが全く動こうとしないということで、これほど世間的に恥ずかしいことはないと思うんですけれども。
 ミャンマーの民主化のために、民主主義が回復するために日本がやることというのは、AからZまでいろいろオプションがありますけれども、一番簡単なのは、政府がODAをたくさん過去に出してきたその立場でもって、民主化が好ましいということを言うことから始まって、メッセージを送ることから始まって、NGOを動員して、何回かいろんな会合を持って、どういうことが一番ふさわしいかということを出して、そして政府がやれること、NGOがやれることというのを全部すみ分けしてやるということだと思います。
 それからもう一つ、御質問になかったんですけれども、クラスター爆弾は既に条約は始まっておりますんで日本が取る必要ないわけですけれども、劣化ウラン弾のことですけれども、劣化ウラン弾は、これは原発の、まあ私も詳しいことは、自分は専門じゃないんで分からないですけれども、原発のその出てきた廃棄物の、核の廃棄物の廃物利用なんですね。疫学的にまだ劣化ウランが原因で小児がんが起こっているかどうかということは、紛争地帯なものですから、疫学的にそれを立証することができないということだけのことでほっぽらかしにされている。だけど、非常に非人道的な、つまり、平和が回復されても被害を被っているということにおいては非常に非人道的な爆弾であるということで、そのことについてのイニシアティブを日本政府が持ってほしいということです。
#14
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
#15
○参考人(手嶋龍一君) 田中会長からチェイニー訪日の意味に絞って御質問がございましたので、答えさせていただきます。
 会長がチェイニー副大統領のというふうにあえて言われたのは、やはり政治家の一種の直観であられるのではないかというふうに思うのですが、確かにアメリカの要人の日本訪問は多いのですけれども、チェイニー訪日は確かに大変重要な意味がその中に込められているというふうに思います。
 それに先立って、チェイニー副大統領その人がなぜ重要なのかと。言うまでもなく、全体としてややブッシュ政権の中での強硬派、つまり、力の信奉者たちの影響力は総じて衰えているとはいえ、なお、やはり現在のブッシュ政権というものの対外政策の決定に当たって、チェイニー副大統領、従来でいいますと名目的なやや儀礼的な立場の副大統領もおりましたけれども、チェイニーさんは全く性格を異にしていて、ブッシュ政権の正にエンジンそのものだと申し上げても、私ども取材を通じて、間違いではないというふうに思います。
 そのチェイニー副大統領が今回日本に来て、特にさきに六か国協議で合意をしたその合意の内容、そして日本がそれにかかわった事柄について、総じて深く理解をするという用語でそれを支持した意義は非常に大きい、意味は非常に大きいというふうに思います。つまり、一般的には、先ほど田中会長が少し言われましたように、日本国内でとりわけ、アメリカに対して日本がやや、特に対北朝鮮政策で孤立をしているのではないか、バスに乗り遅れつつあるのではないかというような観測が確かにあるように思いますけれども、総じて言いますと事実誤認ではないかというふうに思います。
 その一番大きな背景のところを申し上げてみようと思うのですけれども、元々ブッシュ政権というのは共和党の右派、強硬派が主導権を握っている政権でございます。第一期はその構図が非常に明らかで、チェイニーさんに代表されるような強硬派、その一部にネオコンと言われる新しい保守主義者がいて、やや共和党の中道穏健派を代表するような形でコーリン・パウエルさん、そして対日問題に非常にお詳しいリチャード・アーミテージ国務副長官のラインがいたのですけれども、そこはバランスをしていたのではなく、大統領制というのは一種非常に空恐ろしいものでありまして、大統領との距離の近さ、もっと端的に言いますと、どれほど重要なときに数多く大統領にアクセスできるかどうかという点ですべてが決まると申し上げていいのでありますけれども、当時、一期の段階で既にコーリン・パウエルさん、アーミテージ国務副長官というのはブッシュ大統領とかなり距離があって、その点でほとんど影響力を発揮ができなかったということは御本人自身も認めています。
 その中核はもちろんチェイニー副大統領でありまして、その代表的な例を短く一つだけ御紹介を申し上げます。
 二〇〇一年の九月十一日の同時多発テロ事件によってアメリカというのは正にほとんど百八十度対外政策を変えました。つまり、四機のハイジャックされた航空機が次々にアメリカという名前のタンカーに激突することによってそのタンカーのかじが切られていった。つまり、それは核の抑止の体制と言われるものから、もしアメリカというタンカーをねらう国際テロ組織の脅威があるとすれば、それを進んで攻撃することをためらわない、つまり先制攻撃の戦略、しかもそれを単独で、古くからのヨーロッパの同盟国がアメリカの前に立ちはだかって反対をしてもあえてそれをやる、一国行動主義による先制攻撃の戦略と際立ったものがあったと思いますけれども、この路線が続いている。
 その果てに、既に、九・一一事件が起こった後アフガン戦争に続くのですけれども、既に二か月後の十一月の半ばには、ブッシュ大統領はラムズフェルド当時の国防長官に対してイラク攻撃の戦争計画を見直してほしいと言うことによって、正に対イラク戦争の機械が、ウオーマシーンと申し上げていいと思うんですが、それが動き始める。このときに、実は最も大きな影響を大統領に与えたのがチェイニー副大統領その人だというふうに言われております。
 翌明けて二〇〇二年の一月の下旬には、ブッシュ大統領は有名な悪の枢軸演説を行います。つまり、イラク、イラン、そして北朝鮮の三国を挙げて、これを悪の枢軸と呼んで対決姿勢をあらわにしていく。このときには、今お話ししましたように、もう既に事実上、対イラク戦争への大きな意味での決断、若しくは決断に至る一歩を踏み出していたと申し上げていいのでありますけれども、このときに一番問題だったのは、私、一貫してホワイトハウスで取材を続けておりましたので、この点については皆さんに比較的詳しい御報告を申し上げることができる立場なのですけれども、北朝鮮については、文字どおり、ブッシュ政権の政策は全く白紙のままでございました。それは二〇〇二年の一月の末、つまりイラクに対しては既に武力活動の構えを見せていたけれども、北朝鮮については和戦いずれなのか全く分かりませんでした。話合いによる事態の打開なのか、それとも正にイラクと同様に、金正日体制を転換をし、そして戦争を仕掛けるのかということだったのでありますけれども、日を経ずして私はそのときにブッシュ大統領と単独のインタビューを行いました。
 そのときに、恐らくこれはもう事実として申し上げられるのですけれども、ブッシュ大統領は初めて金正日体制の悪口をるる言いながら、しかしアメリカは北朝鮮との対話の窓口を閉じたわけではないという大変重要な発言をいたします。つまり、アメリカはイラクについては武力行使に至るのだけれども北朝鮮については対話で、これが後に六か国協議に発展をしてまいります。それ以降、実はブッシュ政権の対北朝鮮政策というのは微動だにしていないと申し上げていいのだと思います。
 当時、イラク戦争を始める前のブッシュ政権は、イラク戦争の先行きについては、今から見ると五十分の一以下に、あえて言いますと百分の一ほどに特に戦後経営についても軽くつまり見ていたのでありますけれども、そのブッシュ政権をしても対イラク戦争と対北朝鮮と二正面作戦を戦うことはかなわないとこの段階で思い定めたのでございます。
 したがって、ブッシュ政権の最大の特徴は、正に強大な力を背景にしてひたひたと押していく外交なのでありますけれども、北朝鮮については、恐らく本心は嫌々ながらなのでしょうけれども、話合いによって、それがつまり中国を議長国によって、言わば六か国協議に北朝鮮の扱いについてはあえて丸投げという表現が適切なのだと思いますけれども、丸投げしてゆだねてしまった。それ以来、北朝鮮については伝家の宝刀に手を掛けるそぶりも見せませんでした。その正に主人公が、先ほど会長御指摘のチェイニー副大統領そのものであります。つまり、北朝鮮については徹底して話合いのという路線を一度も翻したことはございませんでした。
 ただし、私どもジャーナリストでございますので、去年の七月の四日、これはアメリカの日付でインディペンデンスデー、つまり独立記念日に七発のミサイルを発射し、そして十月に至って核兵器を、このときに二回、その直後に国連決議がございますけれども、その前後にアメリカはもしかして、つまり対北朝鮮外交、安全保障のかじを切るのではないか。これは私ども全力を尽くして取材をいたしましたけれども、なおアメリカは方針を変えませんで、つまり北朝鮮に対しては力の行使の用意なしということで今に至って、その結果、今回の六か国協議ということでございますから、大きな流れで言うと、一般に日本のメディアで伝えられているように、アメリカ自身の、つまり政策自身が全くと言っていいほど変わっていない。つまり一貫して話合いですから、話合いは今回まとまる。その話合いをまとめるについて、その枠組みについては別な形で、マカオのバンコ・デルタ・アジアの二千四百万ドル、最終的には近く解除と言われておりますけれども、恐らく一般よりも、見られているより少したくさん資金を解除、凍結資金を解除するんだと思うんですけれども、それによって北朝鮮を六か国協議の話合いに再び呼び込む、そして今回、五万トンと九十五万トンという形で手を打つという、日本もそれに参加をする。
 このことから見ますと、北朝鮮は嫌々つまりその合意に応じたのでありますけれども、このことから見て、孤立をしているのは日本のメディアで言われているような日本ではなくて、文字どおり北朝鮮でありました。ここのところは大きな事実誤認があるように思います。
 加えて、最後に一つだけ申し上げておこうと思いますけれども、先ほどお金を出す日本の外交について申し上げましたけれども、今次、外交の一つの非常に大きなターニングポイントの一つが、かつて血も流さず汗も流さずお金だけ出していた日本外交というものが大きな転換点を迎えて、今回は合意には、意思決定には参加をする、しかしお金を出さない、これはある意味で非常に重要な転換点であって、これは非常に結構なことで、今申し上げました平壌宣言の内容を見ても、正に拉致問題という国家の根幹にかかわる問題が未解決である以上、そこのところは進みませんので、正に拉致問題がある以上お金は出さない、しかし意思決定には参加をする。
 これまでは、アメリカが交渉し意思決定をし、そしてチェックブックといいますか手形だけ日本に回ってきて、お金を日本の納税者が国会の議を経て払うということが続いたのでありますけれども、これが日本外交の大きな質的な転換の一つになればというふうに思います。
 以上です。
#16
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
#17
○参考人(川勝平太君) 田中会長から、日本の将来図としての地域分権、また対外的な将来図としての東アジア共同体、その中での新潟の位置について考えるところを述べろということでございます。
 私は、地域分権は、日本のためのみならず、言うまでもなく、東アジアとのかかわりでするべきものであると存じます。
 といいますのも、釈迦に説法かと存じますが、近代の国家というのは十七世紀にウエストパリア体制という形で成立していました。これは主権、これを国王が行使をするということをヨーロッパ諸国が認めたわけでありますが、その中で一番大きいのは交戦権であります。国王が防衛のためにする戦争、これは正当であると認めたわけでありますが、それ以降、防衛のために多大の戦争が繰り広げられました。そうした中で、十八世紀の末にフランス革命が起こって、その主権を持っている国王を断頭台に送ったと。その後、その主権が国民に移ったというふうに理解しております。
 国民国家というのはそのわずか二百年ほどの歴史しかないわけでありますが、そうした国民国家、これがナポレオンの共和制の理念の下で、ナポレオンのヨーロッパ支配の下で広まりまして、そして十九世紀にヨーロッパの支配的な形態になるわけでありますが、そういう国民国家の一つにナチスが出てきて、そしてお互いに戦争をするということから、国民国家の限界も知られるようになって、今日のEC、EUというものが出てきたということであります。
 ちなみに、そうした流れの中で日本は東アジアないし非西洋圏で最初に国民国家をつくり上げた国であります。そして、その国民国家が同時にアジアに対する侵略もしたということであります。
 他方、国民国家をつくり上げた日本をモデルにして、例えば中国が孫文さんの三民主義に典型的に表れていますように、日本には民族ないし愛国、国民というものがあると、そしてまた民主、民生というものがあると、中国にはそれがないと。したがって、中国は近代国家になるためには、国民、これをつくらねばならないということで国民党をつくり上げて、今日に至っております。したがって、中国における愛国主義、国民主義というものは、これは日本から中国に至ったものであります。
 さて、その生みの親であるヨーロッパにおいて国民国家の次の段階が模索されているわけでありますが、果たして中国が一国一制度の国民国家になることが望ましいかどうかということは常に問われているところであります。しかし、中国自体が香港の返還の際に一国二制度というものを認めました。仮に台湾というものを入れれば、一国三制度ということになります。
 さて、そのことと中国、私は一国一制度に中国がなることが必ずしも望ましいとは思っておりません。そしてまた、例えば東南アジアを見ますれば、既に国民国家をつくろうとして、今日まで実際インドネシアでは東チモールがもう分離独立いたしました。あるいは、アチェだとか西カリマンタンとか、そういうところで分離独立の運動があります。そしてまた、朝鮮半島においては民族の悲願としての朝鮮半島の統一ということが言われていますけれども、本当にそれが望ましいかどうか。三十八度線で一番幸福なのは、これは野鳥たちでしょう。だから、あそこは自然遺産にすれば、世界自然遺産にすればだれにも愛される地域になるかと存じますが、それは一地域二制度ということを想定することにもなるかと存じます。
 そうしたことが本当にまずいかどうかということにおきまして、私は日本が一地域例えば先ほどの四制度になるということは、地域の自治というものに基づいて国民的な文化の共有というものが可能なのだという、そういうモデルを出すことができるという、すなわちポスト国民国家を日本がまず先陣を切って示すという、そういう意味があるわけであります。そして、東アジア共同体といった場合には、香港とか台湾とかそうした地域が当然入るでありましょう。そういうときに、北京と東京だけの問題というよりも、北東地域においては沿海州、あるいはその西の海の州におきましては海洋アジア地域との連携というものがその地域ごとにできるというふうにも思うわけであります。
 さて、そうした中で新潟の位置はどうかといいますれば、これは日本は世界で見れば極西に当たるわけですね。ヨーロッパの西は大西洋、大西洋の西はアメリカ、アメリカの西は太平洋で、その太平洋の西に日本がありますから、極西である。そういうヨーロッパとの付き合い、あるいは西洋地域との付き合いということで横浜や神戸というものが中心でありましたけれども、今やアジアとの貿易関係が輸出入合わせますと五割を占め、あるいは五割を超えていると。で、アメリカとの貿易は二割にまで減じました。言い換えますと、日本はアジアの東に位置していると。その東の玄関口が新潟であります。
 なぜ新潟かというと、それは例えば江戸時代における最大の人口を誇った都市はどこかというと、案外気付かれていませんけれども新潟であります。百万を超えていたわけであります。これは今はもう五十万都市になりましたけれども、元はそこは日本海の表玄関の一つとしてそういう歴史的実績を持っております。
 そうした意味から、言わば太平洋時代における横浜あるいは神戸の役割を新潟が果たすであろうというふうに言えるのではないかということで、それが東アジア共同体の首都かどうかということは別にいたしまして、例えば新潟それ自体が東北に属するのか関東甲信越に属するのか、あるいは北陸に属するのかということで、今国交省で国土形成計画というものを策定中でございますけれども、その中でブロックを割るときに、新潟は最終的に東北に新潟の方の御意思も入れて入りましたけれども、ちなみに新潟の人たちに聞けば、北陸に属するという人が三分の一、東京圏に属するという人が三分の一、東北に属するという人も三分の一ということで、どこにも属していない、あるいは逆に言うとどこにも属しているということで、ある意味で中心性といいますか、ある種の脱中心性とでも言ってもいいかもしれませんが、地域的な中心性というものを持っているわけでありまして、これがやがて少なくとも日本海側の中心的な枢要な位置を占めることは疑いないというふうに存じている次第でございます。
#18
○会長(田中直紀君) ありがとうございました。
 それでは、これより各委員から質疑を行っていただきます。
 質疑のある方は挙手を願います。
#19
○小林温君 自民党の小林温でございます。
 今日は三参考人、ありがとうございます。
 時間もないようですので、質問、少し絞らせていただきますが、手嶋参考人、ウルトラ・ダラーもFSXもいつも刺激的に読ましていただいておりますが、今日も外交における議会の役割について刺激的な御提案をいただきました。例えば、ミスターXと交渉が進んだ平壌宣言の中身がずさんだということについて、我々も例えば党内の議論ではかなり活発にやらせていただいているというようなことも、永田町の取材の御経験もある参考人にはお分かりだと思いますが、本来はそれを委員会なり本会議でしっかりとやるということ、そういう御提案もいただいたのかなというふうに理解をしております。
 そこで、少しお考えをお聞かせいただきたいんですが、例えば湾岸戦争における大蔵省と外務省の二元外交の話がございました。アメリカを見た場合に、例えば国防省と国務省であるとか、あるいは案件によってはほかの役所がいろんな発言をしたり、その役割分担をして、それが時には議会も、これもまたある外交の中での重要な役割を果たす、これ、下院、上院、民主党、共和党、両方あるわけですが、あるいは例えば安全保障においてはネオコンとそうじゃない派があっていろんなプレーヤーがいるかと思うんですが。
 これは、参考人のお考えとしては、大統領の総攬の下に一元化された外交というのをアメリカにおいては行っているのかどうかということを少しお聞きをしたいと思います。
 それからもう一つ、例えば六者協議を見ていても、日本は外務省の担当者が出ていきますが、ほかのその担当の責任者、交渉責任者というのはポリティカルアポインティーであったり政治家みたいな人だったりということがあるわけですが、その擦れ違いがある一つの原因として、私は日本にポリティカルアポインティーの制度がないと、外交官にある意味でいうとあらゆる判断をゆだねなければならない状況があるのではないかというふうに思います。
 今日の新聞にもNSCの創設について記事が大きく取り上げられておりましたが、こういう部分をある程度補完するものとしてNSCの機能が日本にも必要ではないかというふうに私も強く思うわけでございますが、この点についてもう一つお答えをいただきたい。
 それから、議員外交の例を少し言わせていただくと、例えば韓国で盧武鉉政権が誕生して三八六世代が青瓦台に入ったときに、実は外務省も全く青瓦台にアプローチできなかった、それから外交通商部と外務省でやってもらちが明かない、つまり盧武鉉さんは全く言うことを聞かないわけですね。そういうときに、例えば私の知っている例として、日韓の例えば議員のパイプを使って度々青瓦台にアプローチができて、例えば首脳会談が開催が危ぶまれたときにも、実は一週間前に開催にこぎ着けたなどということもあるわけですが。
 ですから、私は議員外交の在り方というものは、まあここでも議論されているわけですが、場面あるいは相手の状況によって極めて有効な場合があるんではないかというふうに思っております。この点についてもお聞かせをいただければと思います。
 それから、簡単に川勝参考人に。文明でもってリーダーになるべきだというお考えでございますが、残念ながら中国が西にございまして、我が国が意識するしないにかかわらず、例えば経済的、政治的な地域におけるヘゲモニーということに関して、中国というのはやはり何らかの変数になり得るんではないかというふうに思います。
 我が国が、先生がおっしゃるような文明的な意味でのリーダー、引き付ける力になっていく中で中国との折り合いをどう付けていくべきかということについて、少し御意見をいただければと思います。
#20
○参考人(手嶋龍一君) 小林先生にいずれも核心に触れる、正に今日お話をしたいところについて御質問をいただきました。
 アメリカにも、当然のことながら、一種の二元化の動きやそれから省内の対立はもちろんございます。しかし、総じて申し上げますと、大統領制のゆえであるということもあるのですけれども、やはり最後は国益を、特に外交や安全保障の場合で代表をして、最後交渉に臨み意思決定をするというところでいうと、総じてホワイトハウスに収れんをされますので、ここで少なくても相手側が、つまりホワイトハウスを向こうに回して別なルートと、言ってみれば二元的な交渉をしてホワイトハウスを出し抜くというようなことはほとんど例がないように思います。
   〔会長退席、理事三浦一水君着席〕
 その点で、有名な、下院の長く外交委員長を務めたハミルトンさんという有名な方がおられるのですけれども、およそ重要な、つまり外交上の発言について、それが議員のものであれ、そして閣僚のものであれ、突然思い付きで発言されたものは一つもないという大変な有名な言葉を吐いているのですけれども、それはやっぱり、重要な外交上の発言についてはやはりホワイトハウスと議会が練りに練ってまとめ上げる。したがって、時々議員さんが交渉というか特に人質解放などについて出ていくことはありますけれども、そこのところは総じてやっぱり政権、ホワイトハウスの連携はよく保たれていて、それがゆえに相手側の付け入るすきをというようなことはないように思います。
 しかし、全体としましては、例えば金丸訪朝以来、そこのところを明らかに北朝鮮側は正に与党自民党を動かすために正に党の側に手を入れてくるのでありますし、そして、ここはだから外務省がやれなどということを私少しも言っておりませんで、実は、当時金丸訪朝に付いていったアジア局の幹部も含めて、当時金丸さんという人が絶大な党内で権力を持っておりましたので、やっぱり本来の筋を正に外して金丸訪朝に付き合い、しかし一番重要なところの首脳会談の場ではいない。のみならず、それを通じて、金丸訪朝以来、北朝鮮外交の一番大きなポイントは、その局面局面でメディアにも明らかにならない一種の秘密外交というのはあり得るのだと思いますけれども、しかし金丸外交の一番重要なところ、先方の最高首脳との間の会談記録があるのかというふうに、小林先生、今外務大臣にお聞きになっても、公表はできないけれどもあるとはお答えにならないはずなのであります。
 同じく、平壌宣言に至る重要な過程で、これを裏付けるような交渉の記録があるのかどうか。三十回に及ぶ秘密交渉が行われたと言っておりますけれども、この中で実は対外的な経済協力の条項がまとめられておりまして、民間経済活動を支援する見地から国際協力銀行等による融資、信用供与が実施されることがこの精神に合致するとの基本認識の下やると書いてありますね。このところで、例えば国際協力銀行の名前をして、これが精神に合致するなどとは一体政府・与党だれが決めているのかということになりましたら、これについて明確な答えを公的な場でできる総理も交渉当事者もいないはずなのであります。
 仮に答弁をしたとしても、それではそれを裏付ける外交上の資料という、証言、交渉の記録というものが三十年たてば外交史家の手に公開されるのか、国会に公開されるのかということを議会で問われて、はい、ありますというふうにはなっていないはずなのでありまして、正にこのところは、これは歴史に対する交渉当事者は十分な責任を果たしていないのみならず、拉致事件に関係した被害者の家族の方々のつまり疑問にも少しも答えることができない。これは一種のやはり北朝鮮側の外交上のマニピュレーションといいましょうか、操作に結果的には乗ってしまったというふうに厳しく言わざるを得ない、このようなことがやっぱり起こっているのでありまして、こういう、これほどの弊害が目立つ外交というのはやっぱり、少なくても一連のところで言うと日本以外には残念ながらないような気がいたします。このことは厳しく言わざるを得ないように思います。
 ただ、その一方で、さっき小林先生がおっしゃいましたように、いろんな形で議員が、正に公人でありますから、根回しをしたりその両国間の潤滑油になったり、有名な例では、日中国交回復に至る前段階の間では自民党の中のアジア・アフリカ議員連盟の諸先生に加えて、当時野党でありました公明党も大きな役割は外交関係がないので果たしたりはしていますけれども、しかしそのことによって決定的に国益が損なわれるというようなことはやっぱりないのでありまして、むしろ情報交換や一種のメッセージのやり取りというようなことになっている。
 しかし、その一方で、肝心なところになりますと、実際は限りなく外務省、とりわけ条約当局に主導権が移っていくということになりますので、やっぱりその条約当局がその点で持っている過大なつまり力、影響力というものに対して正に外務省が持っている条約外交というか、条約当局による外交的な主導権にはもっと十分なメスが入っていいように私は思います。
 以上です。
#21
○参考人(川勝平太君) ありがとうございます。
 小林先生、中国との文明論的な観点からの付き合いの仕方をどうするかという御質問をいただきまして、ありがとうございます。
 日本と中国とは、中国は歴史を大事にする国でありますけれども、四回戦争をしております。実質五回ですね。そのうち、白村江の戦いでは負けました。日清戦争では日本が勝ちました。日明戦争では秀吉が死んで撤退を日本がいたしまして、その前の元寇のときには神風が吹いて中国側が撤退するということで対等であります。日中戦争は泥沼になったということでありますね。
 さて、日本は唐の文明あるいは明の文明をそれぞれ京都や鎌倉に入れまして、そして日本の文明は中国の文明の恩恵を被っていることは間違いありませんけれども、一八九五年の下関条約の後、日本に初めて留学生が来ました。それが中国からの留学生です。そして、その十年後には中国は隋の時代以来の科挙をやめまして、その科挙を受けるべき青年たちがどこに行ったのかというと、日本に来たのです。その中には周恩来先生などもいらっしゃいました。そうした中で、日本における社会主義の思想というものを中国語に翻訳をして、「新青年」というそういう雑誌が出されたり、河上肇につきましてはほぼすべてが訳されているということで、河上肇生誕百年のときには人民日報もトップ記事にしてその祝賀をしたということであります。
 言い換えますと、日本の近世以前の文明は中国の文明の恩恵を被ってつくられましたけれども、現代中国の文明は近代日本の文明の恩恵を被ってでき上がったという、そういう側面があります。そうした中で、初めて対等になったということではないかと存じます。
 そうした中、今、日本に最もたくさん来ている留学生は中国人であります。十万人を超える留学生のうち七割ほどが中国から来ております。この中国の留学生を敵に回してはならぬということが、私は何より日本が心すべきことではないかというふうに思っているわけです。一部の中国の留学生の犯罪によって、それを全体の中国の留学生に及ぼしてはいけないというふうに思っております。この留学生がかつて現代中国の礎になりました。そういう付き合いが長く続きまして日中友好の礎にもなったわけであります。日本に来ている中国人を平和のパスポートを持っている人たちだというふうに認識するべきだと存じます。
   〔理事三浦一水君退席、会長着席〕
 それからもう一つ、台湾と中国、大陸中国とが競争している地域があります。それは実は太平洋であります。台湾は国交を結んでいる地域が少ないので、太平洋の諸地域、小国に対していろいろ援助をしておりました。それに気付いて、大陸中国もすさまじい勢いで海洋アジア地域、太平洋地域に進出しております。それを日本が実質上座視している形であります。
 そうした中で、一見縁遠いようでありますけれども、太平洋の中で今国がなくなりつつある国があります。それはツバルです。ツバルは、温暖化のために数千人の国民が行き場所がなくなって、ニュージーランド政府から断られました。そして、もう生きていけないので、例えばそれを日本が沖縄、南西諸島辺りにお迎えするというふうなことがありますと、日本人自身の中における太平洋の台湾・中国競争というものの実態もそれと併せて見えてくるでしょうし、環境問題と実は中国が単純な一つとは言えないという面があると思いますが、ちょっとこれはきな臭い話になって失礼しました。
 ともあれ、現代中国文明は近代日本文明がつくり上げた側面があると。それは実は留学生によって果たされたと。アメリカの九・一一テロ以降、アメリカに行く中国人留学生よりも日本に来る中国人留学生の方が多くなりまして、そうした中には、もちろん玉石混交でありますけれども、間違いなく日中友好の懸け橋になる青年たちがたくさんいるということで、我々の教育というのはもはや日本のためだけではないという、そういう自覚を持つべき時代になっていると存じます。
#22
○喜納昌吉君 一つ目に、北沢洋子参考人に質問します。
 配付資料の二十三ページにある、世界の底流ブッシュのイラン攻撃は四月か、という北沢さんの文章の中にステルス爆撃機によるイラン攻撃計画が出ています。この記述を踏まえて質問します。
 高性能の米空軍F22ステルス戦闘爆撃機十二機が二月十日から約三か月間、沖縄の米空軍嘉手納基地に配備されました。あらゆる可能性があるという意味で、嘉手納への配備がイラン攻撃のための事前配備である可能性を排除できません。
 また、嘉手納基地へのステルス戦闘機配備とチェイニー米副大統領の来日は時期が重なります。副大統領が、イラン空爆のときは支持や後方支援をよろしくと安倍首相に頼むとしてもさほど不思議ではありません。密約をする悪い歴史が日米間にはあると私は思っていますので、この辺を北沢さん、どう思っているのか、一つ聞きたいと思っています。
 それから、手嶋龍一参考人には、外交問題、意思決定を取り戻したという、外交問題が。その意思決定の本質を踏まえての質問をしたいと思うんですけれども、特に外交問題とは内政が抱えている問題とつながっていると思います。私は、特に北朝鮮、韓国は、我々、在日朝鮮人という形でたくさん一緒に暮らしています。その中には総連と民団の組織があります。この二つの組織は、一度和解したんですけど、拉致問題を挟んでまた、何といいますかね、分裂を起こしています。そして、圧力と対話の中で、圧力が一つ北朝鮮に掛かっているんですけど、私は一つ、国連事務総長に潘基文、韓国の方がなっていますので、一つ日本が本当に対話力を持ってこの二つの組織を和解させていくやり方をすれば、非常にチャンスではないかと思っています。この辺を聞きたいと思っています。
 それから、川勝平太参考人には、文明としての自覚、東西文明の調和した文明的存在としてのリーダーと述べているところから質問したいと思っています。
 東洋文明と西洋の文明というものは日本が一番私は融合させていると思っています。その日本文明というものを一つの自立、何というのかな、主体性を持った文明として見たときに、地球を運営する視点から私は見ていった方がいいんではないかと思っています。そして、その地球を破壊している最もその手段が戦争ですから、その戦争の基盤となっているのが、システムが軍産複合体だと私は思っております。最近のこの日本のベクトルというのはこの軍産複合体への再生というのか復活のような感じが見られますので、私は、かえってその方向を解体していって、防衛省を平和省に切り替えて、防衛省を平和省に切り替えて戦争文明から平和文明へジャンプさせる、新しい文明の潮流を起こす必要があるんではないかと思っています。私は、日本人のこの知恵と知識と富があればできると思っています。そのためにも沖縄にアジア国連本部を持ってくるという構想は私の中にあるんですけど、この辺の御質問をしたいと思っています。
 よろしくお願いします、三つです。
#23
○会長(田中直紀君) 北沢参考人、二十三ページから質問が入ったようでありますが、お分かりですか。
#24
○参考人(北沢洋子君) はい。
 お断りしますけれども、この文章は前に書きました文章の続きの記事なので、前のを踏まえて、お読みになった方がいるという想定の下に書いたんで、とにかく時間が迫っているから私はこれ載せました。というのは、ここに書きましたように、ブレア首相が辞めるのが大体五月で、その前じゃなければイギリスを味方にできないので、多分そのころだろうということで四月案というのがあります、それで私は慌てて書いたんですけれども。
 新しい、アメリカはイラクに懲りて地上軍は送らないと。それで、完全に核施設、核施設というのが非常にあいまいで、核兵器関係の施設なのか核エネルギーの施設なのか、その辺は非常にあいまいなんですけれども、核施設、いわゆる核施設というのがこう青写真であって、そこを一挙にたたくということで、ほとんど空と海だけで陸は使わないという戦略を立てたんですね。これはもう二年ぐらい前から言われてきたことで、私もそこに書いたんですけど、その詳しい戦略。
 ところが、残念ながら、日本はこのイラン問題というのは蚊帳の外なんですね。ドイツは安保理事国、常任理事国と一緒にドイツは入っておりますけれども、北朝鮮のように日本は六者会談で、まあそれも危ない状況ですけれども、外されちゃうかもしれませんけれども、その六者会談に入っていますけど、だから日本では関心がありますけど、イラン問題は全く関心がないんですけれども。対イラン攻撃をやりたい勢力とそれをやるなという勢力とが今拮抗していまして、アメリカなんかの世論は今、イラクから軍隊を撤退しろという世論と一緒にその声が、イランに手を出すなということが今全体の民衆の運動の中の一つのアジェンダになっております。
 ですから、私はこう書きましたけれども、アメリカが実際にやるかやらないかということは本当に断言できない問題で、それは力関係によるというふうに思います。でも、とにかくいろんな口実が出ておりまして、今までは単に国連決議に従わないということなんですけれども、核開発で。だけど、最近では、イランとイラクの国境が開いていて、そこからシーア派に武器が流れているというふうなことを言って、だんだんだんだんそっちの方に、何というか、口実をシフトしているというのが私の気掛かりです、イラン問題に関しては。そういうことが言えると思います。
 ですから、沖縄の方ですから、非常に敏感でいらっしゃるのは分かります。そういう沖縄だけではなくて、方だけではなくて、日本人としてこの問題について大きな声を上げるべきだし、日本政府も、イランとの関係というのは日本は深いですから、ずっと王様の時代から、それから革命後もずっと関係が深いですから、それから特に石油を輸入しているという立場から、はっきり日本は戦争に反対であるということを明らかにすべきだと思います。
 どうもありがとうございました。
#25
○参考人(手嶋龍一君) 今、先生から拉致問題との関連で朝鮮総連と民団のお話がございましたんですけれども、この拉致問題は言うまでもなく、私も田中会長の地元であります横田めぐみさんの拉致現場にも佐渡にも行ってまいりましたけれども、やっぱりこれは通常の犯罪が起きたということではなく、正に横田めぐみさんの例がその典型でありますけれども、本当にもう夕げが待っているその自宅を本当に目の前にしながら、バドミントンを持ったまんま、まだ幼かった横田めぐみさんが拉致をされる。
 横田めぐみさんの御両親のみならず、私どものだれもが、日本国というその国の中で、しかも非常に安全なところで、突然天からするするとかぎが下りてきて自分たちのいたいけない子供たちを釣り上げていくというような国家的な犯罪が、しかも日本の主権を侵した、外国の公権力がその犯罪に加担をするなどという、そのようなことを想定をしていないのでありまして、そのようなことが起こらないという大前提の下に日本という国家にもう安心と人々の安全をゆだねているわけで、それゆえに日本国の法に服し、そして税金を払っているというそのことでありますので、一連の拉致事件というのはほかの諸犯罪とは大きく性格を異にするように思います。つまり、日本という国家の最低限の国民に対する安心、安全をつまり保障するという義務そのものにかかわる重大な犯罪でありますので、もちろん毅然としてこの解決は図らなければいけないというふうに思います。
 その点でも、正に拉致問題をつまり解決に導くためには、今先生御指摘がありました朝鮮総連と民団の和解というのは、この拉致問題解決に向けてということならば恐らく十分な名分もそして説得力も持つように思いますので、正にこういう分野こそむしろ、政府といいますよりも、むしろ国民を代表する公人たる衆参両院の議員さんたちが積極的につまり関与をして合意を取りまとめられる。御指摘のように、それは必ず拉致問題を動かすために大きな力になると存じます。
#26
○参考人(川勝平太君) 御質問というよりも、御高説に感銘を受けて聞き入っておりました。日本文明を地球的な観点から見るべきであるという、同感でございます。
 日本は、北は北緯四十五度、南は北緯二十三度、亜寒帯から亜熱帯まで広がっておりまして、しかも山がちでありますので、同じ緯度でも高低差がありますから、屋久島のように、頂上は亜寒帯、そして地上は亜熱帯というようなところもございます。言い換えますと、日本というのは地球的自然のミニアチュアであるというふうに見立てることができます。
 したがって、地球的な自然を大事にしなくてはいけないという場合に、それの模範を日本において示すことができるという意味におきまして、日本のそういう自然との調和をした文明をつくり上げていくことは、そのモデルとしての意味があるので、使命的な仕事であるというふうに存じております。
 そして、現今、軍産複合体の傾向が見られると。これは十七世紀以降そういう傾向がヨーロッパにおいて特に見られたわけでありますが、ただ南蛮渡来の鉄砲が種子島に来た後、日本は世界最大の武器使用国になったんですけれども、その十七世紀の初めに鉄砲を実質上使わなくなりました。すなわち、その当時最先端の武器であったものを使用を控えるという、そういうことをしてのけた国です。したがって、今日、最先端の武器も、知恵によってはそれを抑制することができるというところに希望を託したいというふうに思うわけであります。
 防衛省を平和省にするという、その高いお志には深く感銘を受けております。そして、沖縄が今そういう日本の防衛の、あるいは東アジア、日米同盟の中核的な位置にあっていると。そこに、平和への礎にどういうふうに変えていくかということについて、国連の本部を入れればどうかというお話でございましたが、本当にそれならば一番いいと。東京渋谷にございます、青山にございます国連大学は、単に会議場のような形になっておりまして、教育をしているわけではありませんで、むしろそこに若者が集うような場というものを保障するには、ユイマールの思想のある沖縄が最もいいと。特に、JICAの教育訓練施設というところにお越しになった七十数か国の、すなわちJICAの援助対象国になっている地域の青年たちは皆好きになって帰っていくということでありますので、科学技術大学院というものを今つくり上げられつつありますけれども、そうしたところとJICAとが一体になって、そして実質的な生態系を大事にする、地球環境をにらんだ生態系を大事にするという、そういう科学技術の拠点にしていくことで、徐々にそこが実質的に平和の拠点になっていくと。
 沖縄、これ自体は万国津梁館、これは舟楫をもって万国の津梁となすと。船が全世界に行き渡って、それが言わば懸け橋になっているという、正に地政学的に南海の富、あるいは大明の富、あるいは日域の富、こうしたものがやってくる蓬莱の島であると。正にそういう位置にいますので、戦略的に重要であるということは、実は平和の位置に転換し得ると。したがって、我々はそこに向けてできることからやっていかねばならないということで、先生の御高説が政策として実現される日の近からんことを、何か人ごとのようでありますが、期待しております。
#27
○谷合正明君 公明党の谷合です。時間もございますので、手嶋参考人にお伺いをいたします。
 私は、国連改革を勉強する議員連盟にも入っておりまして、その中でも安保理の改革、常任理事国の問題でございますけれども、そのPTに入っていた関係もありまして、その国連について質問をさせていただきたいんですが、まず前提として、日本はこれからも常任理事国入りに向けての不断の努力を続けていくべきであると私は思っております。昨年、一昨年ですか、常任理事国入りの、何か国にするかという案をめぐって、いろんな世界、いろんなグループでもめまして、結局、実現に至らなかったわけでありますが、ただ、だからといってそれであきらめるというのはちょっとどうかなと。
 というのは、そもそも国連の非常任理事国が一九六三年に四か国増えたわけでありますけれども、そのときも二年ぐらい掛かって批准するという、長期的なスパンがないとできないなと。もう一つ、そもそも国連の不平等なシステムというんでしょうか、戦勝国で常任理事国が成り立っているというシステムを無条件に受け入れるのはどうなのかという問題もありますし、さらに、北朝鮮のミサイル、また核実験に伴って、昨年は日本がイニシアチブを取って全会一致で国連安保理決議を決めたというような外交的な成果もあったわけでございます。また、昨日は、実はモンゴルの大統領が参議院議場で演説されまして、来年でしょうかね、非常任理事国の枠を譲ったというようなエピソードがありましたけれども、いずれにしましても、常任理事国入り、国連安保理の改革に向けて努力しなきゃいけない。
 しかしながら、いろいろなグループがあって、何か国常任理事国にするのかとかいろいろな問題もあって、果たして日本の持っている外交資源、例えば外交官の数だとかも、キャパシティーも限られておりますから、そこに、どれだけそこの問題に注ぐことができるのかと。優先順位の問題もあろうかと思っております。直近に北朝鮮の問題もございまして、六か国協議の枠組みというのもありますし、いろいろな外交課題がある中でどういう、国連について日本はどういう優先順位を持っていくべきなのかというところをお伺いしたいなと。
 私自身は、これは時間が掛かる問題なので、一方では、今すぐに安保理理事国に仮になったとしても、例えば実際、平和構築の分野での人材が圧倒的に少ない問題であるとかいうことを考えてみますと、やはり平和構築に携われる人材をしっかり育成しておくべきではないかなということを考えておるわけでありますが、御所見をお伺いしたいと思います。
#28
○参考人(手嶋龍一君) 重要な点についての御質問、特に谷合先生御所属の公明党は国連の重視というのはとりわけ言っておられて、その点でも、先ほどイラク戦争に至る国連決議に、私、正確に、つまりレトリックではなく、当時の与党、これは自由民主党に加えて公明党もそうですけれども、その国連決議に、つまり力の行使の正当性を説明する際に逃げ込んでいると申し上げましたけれども、この点については、実は谷合先生を支持をして、この私議論をしているときに、支持をしている母体の方から正にそのとおりだというお手紙をたくさんいただきました。やっぱり、これは与党のお立場ということはあると思うのですけれども、国連を重視すればするほど、やっぱり国連の決議については、最終局面で力の行使を認めさせる決議が取れなかったという厳然とした事実からやっぱり逃れるべきではないというふうに思います。
 しかし、だからといって、ここは多分、北沢参考人と意見が違うと思うのですけれども、日本が日米同盟に半世紀にわたって日本の安全保障をゆだねてきて、もしこの段階で日米同盟に完全に背を向けてしまう、これの議論が正に、久間防衛大臣の正に議論で、ワシントンから冷たい視線が向けられているゆえんなのでありますけれども、私も思いに思い悩むところですけれども、直ちに背を向けることは特に東アジアの安全保障環境を考えるとできかねないと確かに思います。
 しかし、もし仮に日本が当時、アメリカに対する力の行使を支持をするとしても、そのためにはやっぱり絶対的な条件があるように思います。それは、やっぱりアメリカの力の行使の最終局面に当たって正に意思決定に参加をすると言いましたけれども、これは、イギリスの例は実力部隊を出しておりますから少し違うのは重々承知の上で申し上げるのですけれども、最終局面で、アメリカのイラクに対する力の行使の最終局面で意思決定に少なくても曲がりなりにも参加をしております。ところが、事実として日本は最終局面には参加をしておりません。やはり参加をすべきであろうというふうに思います。
 もう一つは、アメリカは、日本にそのぎりぎりの局面で支持を求めるのならば、日本を東アジアを代表する中国と並んでパワーの一つとして、アメリカが率先して日本の安保理常任理事国入りに道を開くべきだというふうに思います。
 これはやや刺激的な物言いになるかもしれませんが、事実ですので申し上げますが、谷合先生はよく御案内のように、最後、二年前の段階で安保理常任理事国入りにかなりの可能性があった時期がございます。しかし、そのときに実はそれを葬り去ったのは中国だと一般的には説明をされていますけれども、それが中国でないことは、中国もその一つでありましたけれども、決定的な要素でないことは御案内のとおり、実はあろうことか、半世紀にわたって日米安全保障体制の一角をつまりともにしておりましたアメリカが日本の安保理常任理事国入りを事実上葬り去ったと、私は残念ながら外交ジャーナリストとして本当のことを申し上げざるを得ません。
 つまり、アメリカのように直接、つまり国連の枠組みの中に影響力を行使できない国連のような場合でも、やはりそこは冷戦後唯一の、最大のスーパーパワーであるアメリカが安保理改革案を提案をしなければ日本の安保理常任理事国入りに道が開かれないのは、国際政治の冷徹なつまり現実でございます。
 しかし、結局のところ、私どもの同盟国アメリカは、言を左右にして日本の安保理常任理事国入りにつまり道を開こうとはいたしませんでした。この点については、やっぱりいかに同盟国であれ、言うべきことはやっぱりきちっと言うべきでありますし、同盟国をそのように、つまり日本の安保理常任理事国入りに連れてこれなかった外交当局、とりわけ国連の日本の代表部、そして当時大使だった方々、この方々は私あえて更迭をして、やっぱりその安保理常任理事国入りの責任を明確にすべきだというふうに言っております。
 ですから、それほど重要な話でありますので、ここは日本は、東アジアで決定的な、例えば台湾海峡危機というようなものが現実化したときに、日本は核は持っておりませんし、私は持つべきではないと思いますので、このときこそつまり拒否権を持つ、つまり一等国の一級市民としての安保理常任理事国として東アジアの安全保障に直接責任を持つべきであるというふうに思います。
 その点で、谷合先生がおっしゃっている安保理常任理事国入りは恐らく日本外交にとって最優先事項の一つであるべきだというふうに思います。
#29
○会長(田中直紀君) 本日の質疑はこの程度といたします。
 一言ごあいさつ申し上げます。
 北沢参考人、手嶋参考人、川勝参考人におかれましては、長時間にわたり大変貴重な御意見を述べていただきまして、おかげさまで大変有意義な調査を行うことができました。
 各参考人のますますの御活躍を祈念いたしまして、本日の御礼とさせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
 本日はこれにて散会いたします。
   午後四時二分散会
ソース: 国立国会図書館
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